長崎海軍伝習所、築地軍艦操練所、神戸海軍操練所、横浜海軍伝習所

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長崎海軍伝習所、築地軍艦操練所、神戸海軍操練所、横浜海軍伝習所


文政四(一八二一) 佐藤与之助(政養)、庄内藩遊佐升川に生まれる。
文政六(一八二三) 勝海舟、江戸本所亀沢町に生まれる。
文政一一(一八二八) 杉亨二(純道)長崎に生まれる。西郷隆盛、薩摩に生まれる。
天保六(一八三六) 坂本龍馬、土佐に生まれる。
天保九(一八三八) 後藤象二郎中岡慎太郎近藤長次郎、土佐に生まれる。

嘉永六(一八五三) 杉亨二勝海舟と知り合い、私塾の塾長を引き受ける。
安政元(一八五四) 佐藤与之助勝海舟の塾に入門。
安政二(一八五五) 幕府が海軍士官養成のため長崎に長崎海軍伝習所を設立。
安政四(一八五七)三月 総監永井尚志はじめ多数の伝習生が新設された築地軍艦操練所に移動。
安政六(一八五九) 長崎海軍伝習所、閉鎖。

文久三(一八六三) 龍馬、勝が進める神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開設された神戸海軍塾の塾頭をつとめる。
五月 下関戦争。長州藩が馬関海峡(現 関門海峡)を封鎖、航行中の米仏商船に対して砲撃。
六月 報復として米仏軍艦が馬関海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃。
七月二日〜四日 薩英戦争
八月十八日の政変 長州藩、失脚。七卿落ち。
下関戦争の後に藩に起用された高杉晋作らの発案によって奇兵隊組織。

元治元(一八六四)
杉亨二開成所教授となる。
五月 軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に神戸海軍操練所を設置。
六月五日 池田屋事件
七月一九日 禁門の変
八月五日〜七日 英・仏・蘭・米、艦船17隻で連合艦隊を編成、馬関(現 下関市)と彦島の砲台を砲撃・占拠。
九月一一日 勝、大阪において西郷隆盛と初めて会う。
一一月一〇日 勝、軍艦奉行を罷免され、寄合席となる。

慶応元(一八六五)
三月 神戸海軍操練所、閉鎖。

慶応二(一八六六) 横浜海軍伝習所が設立。
築地軍艦操練所、海軍所と改称。翌年横浜の海軍伝習所を吸収。

一八七二 海軍省が東京築地に設置。
一八七六 海軍兵学校、一八九三年には軍令部をそれぞれ設置。

◇参照:Wikipedia 各項目。


2010.6.29:公開
2010.7.5:更新
しだひろし/PoorBook G3'99
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  • 福山龍馬の「海軍」という言葉が耳につく。 -- しだ (2010-06-29 04:43:26)
  • 福田さんやNHKディレクターの意図はストレートか。あるいは、そのウラか。 -- しだ (2010-06-29 04:45:32)
  • 下関戦争については軽くふれられていたけれども、薩英戦争への言及がこれまでの記憶にない。 -- しだ (2010-06-30 23:56:10)
  • 薩長土肥の肥、肥後佐賀藩の影が薄いのはやむをえないのか。それともサプライズがあるのか。 -- しだ (2010-06-30 23:58:40)
  • 『政養佐藤与之助資料集』(佐藤政養遺墨研究会(編)1975.3)によれば神戸海軍塾当時、与之助の長男(15歳)が勝塾に入るが病没している。前後して与之助の妻も亡くなっている。 -- しだ (2010-07-05 14:42:49)
  • 「佐藤与之助」で web をめぐると「近藤長次郎とお徳ちゃんの仲人もやってます」とする情報がある。それから、与之助の長男と勝海舟の長男・小鹿がほぼ同年代になるんじゃないだろうか。 -- しだ (2010-07-05 22:12:59)
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