MT*2_47-「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉

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MT*2_47-「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉

2010.6.12 第二巻 第四七号

「日本民族」とは何ぞや
本州における蝦夷の末路
   一 緒言
   二 蝦夷馴服(じゅんぷく)の歴史
   三 遺物・遺跡より見たる蝦夷
   四 北海道のアイヌ民族
   五 近世まで保存せられた本州の蝦夷
   六 蝦夷と日本民族
   七 日の本将軍
   八 蝦夷と武士道
   九 東人(あずまびと)
   十 武士の起原と蝦夷
   十一 結語



【週刊ミルクティー*第二巻 第四七号】
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(788KB)

定価:200円(税込)  p.224 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(122項目)p.679


飛び出せ! 週刊ミルクティー*


 この点については、さすがに日の本将軍ともいわれた安東氏の態度は見上げたものです。安倍氏にしても、清原氏にしても、藤原氏にしても、みなそれぞれに名家の姓を名乗っておりますが、安東氏のみはそれをいたしません。彼はみずから土人の後裔たることを立派に認めております。その先祖は長髄彦(ながすねひこ)の兄安日(あび)というもので、神武天皇ご東征以前の、大和の領主であったといっております。長髄彦は神武天皇に反抗して殺されましたが、兄の安日は奥州外が浜へ流されて、子孫蝦夷の管領となったといっております。その後裔なる秋田実季(さねすえ)のごときは、自分の家が天地開闢以来の旧家だということをもって、家の誇りといたしているのであります。この系図は徳川時代になって、秋田実季が自身調査をかさねて編纂したもので、その安倍という本姓は、先祖の安日という名を取ったというのでありますが、しかしその説の由来はすこぶる古いもので、すでに津軽浪岡家の『永禄日記』十年(一五六七)の条に、同地岩木神社の祠官阿部氏が、やはり同様の系図を持っていたおもむきに見えております。(略)しかしながら、仮に安東氏が土人の後裔であるとしましても(略)血においてはつとに混淆してしまい、生活その他においても、もちろん日本民族になってしまっているのであります。(略)徳川時代において三春五万六千石の大名たる秋田氏をもって、日本民族でないというものがありましょう。蝦夷と日本民族との関係の、きわめてなだらかに推移してまいりましたことは、この一例をもってしても思いなかばに過ぎるでありましょう。

2_47.rm
(朗読:RealMedia 形式 408KB、3'18'')


喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3)
歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。

◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

「日本民族」とは何ぞや 日本民族の概念を論ず
底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社
   2008(平成20)年1月30日初版発行
初出:「民族と歴史 第一巻第一号」
   1919(大正8)年1月

本州における蝦夷の末路
底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社
   2008(平成20)年1月30日初版発行
初出:「東北文化研究 第一巻第四号」
   1928(昭和3)年12月

NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html
NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html


年表

本州における蝦夷の末路

宝亀一一(七八〇)
伊治公呰麿、暴動を起こし按察使・紀広純を殺す。

延暦年間(七八二〜八〇六)
坂上田村麿の遠征。胆沢城に鎮守府を設けて蝦夷地経営・東北守備の根拠地となし、さらにその北の紫波郡の地に志波城を築く。

弘仁(八一〇〜八二四)の頃
文室綿麿が遠征。今の岩手県二戸郡福岡町付近の爾薩体・都母あたりまで従える。和賀、稗貫、紫波の三郡を設置。

貞観一一(八六九)
新羅の海賊船が二艘、九州博多の海岸をかすめた時、太宰府の軍人は誰もよう出かけない。付近に移住していた蝦夷人をさしむけたところ、容易にこれを撃退。これから太宰府海岸の防御には、蝦夷人をして当たらしめる。

元慶年間(八七七〜八八五)
出羽の乱。今の秋田県地方の蝦夷が国司の悪政をうらんで暴動を起こす。御物川から北の地方をもって、蝦夷の国として要求。藤原保則、赴任し善政をほどこす。大乱を鎮定。

延喜(九〇一〜九二三)のころ
藤原利仁(利仁将軍)、蝦夷を征伐。事跡は不明。

永承六(一〇五一)〜康平五(一〇六二) 前九年の役。
永保三(一〇八三)〜寛治元(一〇八七) 後三年の役。

鎌倉時代の末ごろ
津軽に蝦夷の乱がおこる。幕府、容易に鎮定することができず。詳細は不明。

鎌倉・室町時代のころ
安東氏、津軽地方に勢力を有して日の本将軍とよばれる。

津軽浪岡家『永禄日記』一〇年(一五六七)の条 同地岩木神社の祠官阿部氏が、秋田実季(本姓、安倍)と同様、先祖の安日という名を取ったという系図を持っていたおもむきに見える。

寛文(一六六一〜一六七三)頃
津軽藩領分内に蝦夷として認められたもののいた村が、外が浜に十六か村、戸数が四十二軒。たいていは日本人と同じ名をつけていた。それを区別するために、時としてその名の下に犬という字をつける。最北の六か村のものは、このとき日本人になるのを嫌って逃げ出す。

宝暦六(一七五六)
津軽藩「この年、外が浜の狄(えびす)シャモとなる」。蝦夷を平民の戸籍に編入し、普通の日本人と同一の待遇を与える。蝦夷村が解放。

文化三(一八〇六)
津軽藩の蝦夷、はじめて最後の解放を受ける。

嘉永五(一八五二)
吉田松陰、津軽の地を視察。『東北遊日記』を書く。

大正一三(一九二四)
喜田貞吉、以来、東北大学へ勤務。年中の大部を東北地方に暮らす。

昭和三(一九二八)
七月十一、十二日 仙台放送局「本州における蝦夷の末路」放送。


難字、求めよ。

崇祭
祖祢 そでい
王道融泰
人禽
日の本将軍
虜陣戎庭
窮説
橘正一


スリーパーズ日記


 六月一二日(土)快晴。県内で今年はじめて三〇度をこえ、真夏日となる。三週間に一度の恒例のブックオフ・図書館参り。

 都城で口蹄疫確認。本日より緊急に宮崎県内の図書館・博物館など文化施設・スポーツ施設も閉鎖という。動物園ならわかるが、図書館の閉鎖の意味がわからん。(1) 正常な判断能力がマヒするほどに行政の意志決定が疲労・どうしたらいいのかわからなくなっている可能性。すべてのものを疑ってしまう状態。(2) 収集している新聞や週刊誌・過去の関連記録などへのアクセス数が増加。農家や業者が特定され非難を受ける可能性への配慮。(3) 口蹄疫の伝染媒介を図書館利用者・貸し出し図書がおこなっている可能性。

 図書館情報へのアクセス規制というと、未成年者の加害事件にともなう実名報道の問題と、2008年の元厚生事務次官宅連続襲撃事件にともなう名簿閲覧の制限が記憶に新しい。が、情報コントロールは相互疑心を強くするもので、良策かは疑問。

 空気感染、同一水源の汚染、人間媒介……? 体液感染の可能性がもっとも高いような気がするのだが、ハエ・アブ・カラス、か?。



2010.6.14:公開
♪ハゲに牛のヨダレをあびせろ。ニッポン牛のヨダレ化計画。
目くそ鼻くそ、ケツ毛ボーボー亀仙人。/PoorBook G3'99
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