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MT*2_34-人形の話/偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫

2010.3.13 第二巻 第三四号

特集 ひなまつり
 人形の話 折口信夫
 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
   一 祝言(しゅうげん)の演劇化
   二 八幡神(やわたのかみ)の伴神
   三 才(さい)の男(を)・細男・青農
   四 クグツと人形との関係
   五 淡路・西の宮と人形との関係
   六 虫送り人形
   七 草人形(くさひとがた)の信仰
   八 ひなまつりと淡島(あわしま)伝説
   九 少女のものいみ
   一〇 神送りと祓除(みそぎはらい)との結合
   一一 箱の中の人形
   一二 念仏聖(ねんぶつひじり)と人形舞わしと
   一三 オヒラ様と熊野神明の巫女(ミコ)
   一四 オヒラ様と大宮(おおみや)の∮祭(めまつ)りと
   十五 オヒラ様の正体

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【週刊ミルクティー*第二巻 第三四号】
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※ ダウンロードサイトへジャンプします。
(800KB)

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は仕組まれた自由です。
(c) Copyright is public domain.

定価:200円(税込)  p.198 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(105項目)p.436
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飛び出せ! 週刊ミミクリアワー*

オリジナル版 ミミクリアワー*現代表記版
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道
折口信夫 折口信夫
淡島様で有名なのは、加太の外に、伯耆の粟島・九州平戸の粟島などがある。凡そ祭神は、すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]の命と言ふ事になつてゐる。特に伯耆の伝説では、此神が粟幹に弾かれて常世国《トコヨノクニ》から渡つて来られた事になつてゐる。国学者の中にも、粟島即、すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]説を離さぬ人があるが、恐らく、此二者の混合は、すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]が医薬の神であり、又、粟に弾かれて来た粟と言ふ関聯がある為であつたらう。すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]の外に、淡島神のあることは、記・紀を覗けば、容易に訣る。住吉明神の后同様、やはり海にながされてゐる。  淡島(あわしま)様で有名なのは、加太のほかに、伯耆(ほうき)の粟島(あわしま)・九州平戸の粟島などがある。およそ祭神は、スクナヒコナの命ということになっている。特に伯耆の伝説では、この神が粟幹(あわがら)にはじかれて常世国(とこよのくに)から渡ってこられたことになっている。国学者の中にも、粟島すなわち、スクナヒコナ説を離さぬ人があるが、おそらく、この二者の混合は、スクナヒコナが医薬の神であり、また、粟にはじかれて来た粟という関連があるためであったろう。スクナヒコナのほかに、淡島神のあることは、『記』『紀』を覗(のぞ)けば、容易にわかる。住吉明神の后(きさき)同様、やはり海にながされている。
つまり、日本の信仰には、流される神が幾らもある。其が漂著して、祀られる。更に遠い処から訪れて来る、小さな神がある。此は、少女の手で育てられ、後に其少女と、夫婦になる。うがやふきあへず[#「うがやふきあへず」に傍線]の命が、御姨玉依比売《オンヲバタマヨリヒメ》に育てられて、後夫婦になられたのも、其一例である。  つまり、日本の信仰には、流される神がいくらもある。それが漂着して、まつられる。さらに遠いところから訪れてくる、小さな神がある。これは、少女の手で育てられ、後にその少女と、夫婦になる。ウガヤフキアエズの命が、御姨(おんおば)玉依比売(たまよりひめ)に育てられて、のち夫婦になられたのも、その一例である。
淡島伝説は、此の一転化である。此には、上巳の祓除《ミソギハラヒ》の遺風が、底に流れて居る、と見られさうだ。上巳の節供《セツク》は、日本古来の行事と言ふよりも、寧、支那の信仰上で意味のある日であつた。古く、三月初めの巳の日に、水辺に出て祓除をなし、宴飲をした。其が形式化して、曲水《ゴクスヰ》の宴ともなつた。通常伝へる処では、魏《ギ》の後、上巳を止めて、三日を用ゐる様になつたが、名前は依然、上巳で通つたのだと言ふ。  淡島伝説は、この一転化である。これには、上巳(じょうし)の祓除(みそぎはらい)の遺風が、底に流れている、と見られそうだ。上巳の節供は、日本古来の行事というよりも、むしろ、支那の信仰上で意味のある日であった。古く、三月はじめの巳(み)の日に、水辺に出て祓除をなし、宴飲(えんいん)をした。それが形式化して、曲水(ごくすい)の宴ともなった。通常伝えるところでは、魏の後、上巳をやめて、三日をもちいるようになったが、名前は依然、上巳で通ったのだという。

2_34.rm
(朗読:RealMedia 形式 368KB、2'59'')

上巳 じょうし 五節句の一つ。陰暦3月初めの巳(み)の日、後に3月3日。主に女児の祝う節句で、雛祭をする。宮中では、この日、曲水の宴を張った。桃の節句。雛の節句。三月節句。重三(ちょうさん)。じょうみ。
宴飲・讌飲 えんいん さかもり。宴会。
曲水の宴 きょくすいのえん (ゴクスイノエンとも)古代に朝廷で行われた年中行事の一つ。3月上巳(じょうし)、後に3日(桃の節句)に、参会者が曲水に臨んで、上流から流される杯が自分の前を過ぎないうちに詩歌を作り杯をとりあげ酒を飲み、次へ流す。おわって別堂で宴を設けて披講(ひこう)した。もと中国で行われたものという。曲水。めぐりみずのとよのあかり。

折口信夫 おりくち しのぶ
1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3)
大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。

◇参照:Wikipedia 折口信夫、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

人形の話 折口信夫
底本:「日本の名随筆 別巻81 人形」作品社
   1997(平成9)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 ノート編 第五巻」中央公論社
   1971(昭和46)年6月発行

NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html

偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
初出:「民俗芸術 第二巻第四号」
   1929(昭和4)年4月

NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html


疑問点

完全た → 完全な 【な、か?】
以上、1件。


難字、求めよ。

諾冊二尊 だくさつにそん、か。
西の宮対西摂地方
西摂 せいせつ、か。
穢禍


スリーパーズ日記

 一一日(木)、積雪10cm。前日「核密約」確認、鎌倉八幡大イチョウ倒木。

 一昨年、堀田善衞『方丈記私記』(筑摩書房、1971.7)を読んだとき、鴨長明にもまして実朝が頻繁に登場するのが印象に残った。斉藤茂吉に『源実朝』があって、岡島さんの「うわづらをblogで」に pdf 版が収録されている。彼岸を境に大川周明『清河八郎』の連載スタートを計画していたのだけれども、急遽、太宰治「右大臣実朝」に切りかえる。

 折口の作品中には「ノ」の小書きが頻出する。ところが、小書きの処理に t-move タグを使うと、どういうわけか使用ページの最終行が表示できなくなる。さらに、ページの最終行に t-move タグがくると決まってその後の部分が表示できなくなる。T-Time そのものが原因なのか。それとも、ファイルの作り方が問題なのか。表示幅を変更してもうまくいかない。「ノ」の小書きの t-move タグを停止する。問題は返り点のばあい。

 環境庁が昭和63年度調査し、平成元年度集計整理した資料に『巨樹・巨木林調査報告書』がある。その「山形県の部」で幹周300cm以上のイチョウの巨樹をひろいあげると、県内には91本ある。山寺立石寺の大イチョウが720cm、山形専称寺(駒姫の菩提寺)の大イチョウが650cm。三位が南陽市宮内の熊野神社の大イチョウ(750cm)、二位が朝日村(現、鶴岡市)砂川の乳銀杏(798cm)、そして一位が河北町谷地、三社宮の大イチョウ(875cm)。
『朝日新聞』等によれば、今回倒木した鎌倉八幡の大イチョウは幹周6.8m。



2010.3.15:公開
2010.3.18:更新
おどる阿波に、みる安房。身から出たあわ。
毎度おなじみ、るろうのソープ番組。/PoorBook G3'99
翻訳・朗読・転載は仕組まれた自由です。
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  • 文中に「先年三浦半島を旅行したとき、葉山から三崎(みさき)のほうへ行く途中、深谷(ふかや)というところに淡島堂があって……」とある。『神奈川県の地名』(日本歴史地名大系、平凡社)で「深谷」をさがすと、戸塚区(横浜市)と綾瀬市の二か所にあるが、いずれも“葉山から三崎のほうへ行く途中”にはあたらない。地図を見ると「深谷」のかわりに、葉山から南へ約4kmに「秋谷(あきや)」がある。折口の誤認か。 -- しだ (2010-03-18 01:33:59)
  • 『青空文庫 全』収録の折口作品で「阿波」をさがすと、「水の女」に3行、「稲むらの蔭にて」に4行などがある。ところが「安房」は皆無。ひなまつり、淡、粟、阿波、安房……という言語メタファーが働いているのかと想像していたのだが、手がかりが切れる。単に未収録なのか。「『古語拾遺』によれば(略)神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国に上陸し、そこを開拓した後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率いて房総半島南端布良に上陸し、その周辺を安房郡と名附けて、天太玉命を祀る社を創建」(Wikipedia「安房神社」より)。 -- しだ (2010-03-18 01:34:32)
  • 『光をかかぐる人々』の「6522」というバブリーな数字よりも、週に「48」カウントのほうが現実味があって安心できる(苦)。双方に感謝。 -- しだ (2010-03-18 01:38:07)
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最終更新:2010年03月18日 19:31