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*M-Tea*4_50-東洋歴史物語(五)藤田豊八 *2012.7.7 第四巻 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八  二五、唐代(とうだい)の文化  二六、五代(ごだい)の世相(せそう)  二七、宋(そう)の国情(こくじょう)  二八、金(きん)の興起(こうき)  二九、蒙古(もうこ)の勃興(ぼつこう)  三〇、元(げん)の世祖(せいそ)   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_50-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488)   &image(map4_50.png)   &image(table4_50.png)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第五〇号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (1.1MB) &color(red){定価:200円} p.179 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(191項目)p.1302 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 *大山鳴動たこ娘! 週刊むっくりこっくり坂*  この時分にシナの東北方に一つの新しい勢力がおこりました。それは契丹です。(略)唐末には独立の状態となり、耶律(やりつ)阿保機(あぼき)という者が出てその契丹の八部を一統してついにみずから帝〔太祖〕と称し、(略)そのころ満州には渤海という大国がありましたが、太祖はついにこれを攻め亡ぼしてしまいました。  ここに、この渤海の話をいたします。  満州の東北部に靺鞨という種族がありました。それには七部ありましたが、そのうち粟末水すなわち松花江畔に拠(よ)った粟末靺鞨がもっとも勢力を得、それに大(たい)祚栄(そえい)という人が出て国を建てました。後唐から渤海郡王に封ぜられたので渤海をもって国号と定めました。この国がさかんに唐と交通し、その文化の輸入につとめたことは前に申したとおりであります。またこの国は一方、わが国と好しみを通じました。その使節のはじめて来たのは聖武天皇の世で、それから渤海が滅亡するまで交際はつづきました。その修交の目的の一面には、わが国から自分の国に物資を輸入しようということもあったようです。また日本のほうにもこの国から毛皮などが輸入されたようにも思われます。舞楽なども渤海楽といって輸入せられたようです。この渤海の使人なども唐文化の教養ある人が多かったので、わが国の平安朝の朝臣とのあいだに詩文の贈答をやったことは芸苑の佳話です。大江朝綱〔「あさつな」か〕が渤海の使臣にあたえた詩で、 前途程遠(ほどとお)し。思いを雁山(がんざん)の暮雲に馳(は)す。 後会(こうかい)の期はるかなり。纓(えい)を鴻艫(こうろ)〔鴻臚か〕の暁涙に霑(うるお)す。 と詠んだのは有名な話です。こうした文化国、シナ人のいいまわしを借りれば海東の盛国であった渤海も、契丹の太祖の兵をこうむってはひとたまりもなく、その国都忽干城(こっかんじょう)もおちいり亡んでしまいました。(「二六、五代の世相」より)   #ref(4_50.rm) (朗読:RealMedia 形式 468KB、3'47'') [[milk_tea_4_50.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=353&file=milk_tea_4_50.html]] (html ソーステキスト版 240KB) 藤田豊八 ふじた とよはち 1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15) 東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 水島爾保布 みずしま におう 1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30) 画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(藤田豊八){藤田豊八}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(水島爾保布){水島爾保布}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『東洋歴史物語』復刻版 日本児童文庫 No.7、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『東洋歴史物語』日本兒童文庫、アルス    1929(昭和4)年11月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1679.html NDC 分類:220(アジア史.東洋史) http://yozora.kazumi386.org/2/2/ndc220.html *難字、求めよ 粟末水 ぞくまつすい 忽干城 こっかんじょう 雲燕 うんえん 黒水 こくすい 黒龍江のほとり。 中央アジア人 侚祠 けんし 波斯寺 はしじ 暁涙 ぎょうるい 私誅 しちゅう 北方民族 *むしとりホイホイ しんきじゅく → しんきじく 【ゅ削除】 抗州 → 杭州 【杭か】 いたました → いたしました 【し】 ちゅうこくひ → ちゅうごくひ 【ご】 ともつな → あさつな 【あさ?】 鴻艫 → 鴻臚 【臚?】「鴻臚」は中国の官名。外国の賓客の応接役。 互《たがひ》ひ → 互《たが》いに 【に、か?】 一《ひつ》つ → 一《ひと》つ 【と】 花刺子模 → 花剌子模 【剌】 察偵 → 密偵 【密か】 業蹟 → 業績 【績か】 元帥《けんすい》 → 元帥《げんすい》 【げ】 拔部 → 拔都 【都か】 バツ 帝恭《ていちよう》 → 帝恭《ていきょう》 【き?】 南安 → 安南 【安南】 アンナン 威勢《せいゝ》 → 威勢《いせい》 【いせい】 以上16件。底本は左辺のとおり。おお、大漁、大漁。 *スリーパーズ日記*  図版は前回同様、『学研新漢和大字典』(2005.5)と『世界史年表・地図』(吉川弘文館、1995.4)、『最新図説世界史』(浜島書店、1988.3)を参照。東アジア年表テーブルは渡邊義浩『宗教から見る中国古代史』(ナツメ社、2007.12)をベースに、『東洋歴史物語』本文からトピックを追加。  かけ足でどうにか元まで到着。『平清盛』の平安末期まで追いついたので、シリーズはいったん中断。次回、次々回はファーブル『科学の不思議』。こちらはいよいよファイナル。  源氏、石清水八幡、ハト。八幡太郎、新羅三郎。八幡、やはた、絹。養蚕、桑、駒、馬。コマ……  円仁(慈覚大師)は入唐して、武宗の仏教弾圧に遭遇する。道教への傾向。50年ほどのち、菅原道真による遣唐使廃止。唐との国交を絶ったあいだも、新羅、高麗、渤海との交流はつづく。    保元の乱が1156年、平治の乱が1159年。1161年に金の世宗が、翌年に南宋の孝宗がそれぞれ即位。日宋貿易がさかんとなる。1168年、平清盛が厳島神社の社殿を造営、同年に栄西が南宋に留学、禅宗に感化。  おっと、藤原秀衡の家督相続が1157年かあ。藤原基成の娘と婚姻したのもこのころか。藤原基成の異母兄弟が“裸の大将”藤原信頼! 藤原基衡による毛越寺の伽藍建立、薬師像の仏師運慶への依頼も1156年には完了している。   ゾロアスター(Zoroaster)、ザラスシュトラ。 ツァラトゥストラ(Zarathustra)。 czar; tsar(ツァー、皇帝)+aster(アスター、星)=星の皇帝? 星の皇帝……ほしの王子さま? いやいや北極星? 拝火=北極星信仰? あ、光=火=星のアナロジーか。。。 二元論 dualism、デュアル。多元論 pluralism、プルーラル。 両義性、多義性。 ♪風と雲とわたし くまがいさちこ  7.6 ここ数日、下からつきあげるような弱震がつづく。 7.8 ロシア、クラスノダール洪水。死者180人。2014年冬ソチ五輪。 2012.7.7:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*4_50-東洋歴史物語(五)藤田豊八 *2012.7.7 第四巻 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八  二五、唐代(とうだい)の文化  二六、五代(ごだい)の世相(せそう)  二七、宋(そう)の国情(こくじょう)  二八、金(きん)の興起(こうき)  二九、蒙古(もうこ)の勃興(ぼつこう)  三〇、元(げん)の世祖(せいそ)   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_50-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488)   &image(map4_50.png)   &image(table4_50.png)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第五〇号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/201488) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (1.1MB) &color(red){定価:200円} p.179 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(191項目)p.1302 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *大山鳴動たこ娘! 週刊むっくりこっくり坂*  この時分にシナの東北方に一つの新しい勢力がおこりました。それは契丹です。(略)唐末には独立の状態となり、耶律(やりつ)阿保機(あぼき)という者が出てその契丹の八部を一統してついにみずから帝〔太祖〕と称し、(略)そのころ満州には渤海という大国がありましたが、太祖はついにこれを攻め亡ぼしてしまいました。  ここに、この渤海の話をいたします。  満州の東北部に靺鞨という種族がありました。それには七部ありましたが、そのうち粟末水すなわち松花江畔に拠(よ)った粟末靺鞨がもっとも勢力を得、それに大(たい)祚栄(そえい)という人が出て国を建てました。後唐から渤海郡王に封ぜられたので渤海をもって国号と定めました。この国がさかんに唐と交通し、その文化の輸入につとめたことは前に申したとおりであります。またこの国は一方、わが国と好しみを通じました。その使節のはじめて来たのは聖武天皇の世で、それから渤海が滅亡するまで交際はつづきました。その修交の目的の一面には、わが国から自分の国に物資を輸入しようということもあったようです。また日本のほうにもこの国から毛皮などが輸入されたようにも思われます。舞楽なども渤海楽といって輸入せられたようです。この渤海の使人なども唐文化の教養ある人が多かったので、わが国の平安朝の朝臣とのあいだに詩文の贈答をやったことは芸苑の佳話です。大江朝綱〔「あさつな」か〕が渤海の使臣にあたえた詩で、 前途程遠(ほどとお)し。思いを雁山(がんざん)の暮雲に馳(は)す。 後会(こうかい)の期はるかなり。纓(えい)を鴻艫(こうろ)〔鴻臚か〕の暁涙に霑(うるお)す。 と詠んだのは有名な話です。こうした文化国、シナ人のいいまわしを借りれば海東の盛国であった渤海も、契丹の太祖の兵をこうむってはひとたまりもなく、その国都忽干城(こっかんじょう)もおちいり亡んでしまいました。(「二六、五代の世相」より)   #ref(4_50.rm) (朗読:RealMedia 形式 468KB、3'47'') [[milk_tea_4_50.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=353&file=milk_tea_4_50.html]] (html ソーステキスト版 240KB) 藤田豊八 ふじた とよはち 1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15) 東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 水島爾保布 みずしま におう 1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30) 画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(藤田豊八){藤田豊八}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(水島爾保布){水島爾保布}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『東洋歴史物語』復刻版 日本児童文庫 No.7、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『東洋歴史物語』日本兒童文庫、アルス    1929(昭和4)年11月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1679.html NDC 分類:220(アジア史.東洋史) http://yozora.kazumi386.org/2/2/ndc220.html *難字、求めよ 粟末水 ぞくまつすい 忽干城 こっかんじょう 雲燕 うんえん 黒水 こくすい 黒龍江のほとり。 中央アジア人 侚祠 けんし 波斯寺 はしじ 暁涙 ぎょうるい 私誅 しちゅう 北方民族 *むしとりホイホイ しんきじゅく → しんきじく 【ゅ削除】 抗州 → 杭州 【杭か】 いたました → いたしました 【し】 ちゅうこくひ → ちゅうごくひ 【ご】 ともつな → あさつな 【あさ?】 鴻艫 → 鴻臚 【臚?】「鴻臚」は中国の官名。外国の賓客の応接役。 互《たがひ》ひ → 互《たが》いに 【に、か?】 一《ひつ》つ → 一《ひと》つ 【と】 花刺子模 → 花剌子模 【剌】 察偵 → 密偵 【密か】 業蹟 → 業績 【績か】 元帥《けんすい》 → 元帥《げんすい》 【げ】 拔部 → 拔都 【都か】 バツ 帝恭《ていちよう》 → 帝恭《ていきょう》 【き?】 南安 → 安南 【安南】 アンナン 威勢《せいゝ》 → 威勢《いせい》 【いせい】 以上16件。底本は左辺のとおり。おお、大漁、大漁。 *スリーパーズ日記*  図版は前回同様、『学研新漢和大字典』(2005.5)と『世界史年表・地図』(吉川弘文館、1995.4)、『最新図説世界史』(浜島書店、1988.3)を参照。東アジア年表テーブルは渡邊義浩『宗教から見る中国古代史』(ナツメ社、2007.12)をベースに、『東洋歴史物語』本文からトピックを追加。  かけ足でどうにか元まで到着。『平清盛』の平安末期まで追いついたので、シリーズはいったん中断。次回、次々回はファーブル『科学の不思議』。こちらはいよいよファイナル。  源氏、石清水八幡、ハト。八幡太郎、新羅三郎。八幡、やはた、絹。養蚕、桑、駒、馬。コマ……  円仁(慈覚大師)は入唐して、武宗の仏教弾圧に遭遇する。道教への傾向。50年ほどのち、菅原道真による遣唐使廃止。唐との国交を絶ったあいだも、新羅、高麗、渤海との交流はつづく。    保元の乱が1156年、平治の乱が1159年。1161年に金の世宗が、翌年に南宋の孝宗がそれぞれ即位。日宋貿易がさかんとなる。1168年、平清盛が厳島神社の社殿を造営、同年に栄西が南宋に留学、禅宗に感化。  おっと、藤原秀衡の家督相続が1157年かあ。藤原基成の娘と婚姻したのもこのころか。藤原基成の異母兄弟が“裸の大将”藤原信頼! 藤原基衡による毛越寺の伽藍建立、薬師像の仏師運慶への依頼も1156年には完了している。   ゾロアスター(Zoroaster)、ザラスシュトラ。 ツァラトゥストラ(Zarathustra)。 czar; tsar(ツァー、皇帝)+aster(アスター、星)=星の皇帝? 星の皇帝……ほしの王子さま? いやいや北極星? 拝火=北極星信仰? あ、光=火=星のアナロジーか。。。 二元論 dualism、デュアル。多元論 pluralism、プルーラル。 両義性、多義性。 ♪風と雲とわたし くまがいさちこ  7.6 ここ数日、下からつきあげるような弱震がつづく。 7.8 ロシア、クラスノダール洪水。死者180人。2014年冬ソチ五輪。 2012.7.7:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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