空気嫁5(がすわいふふゅんふ)-1

『屁~音!5』


細かな振動と緩やかな横揺れを感じながら、座席に座りぼーっとしている。
枯れ草色と土色の混合した田園が、窓の外で後ろに流れていた。
こういう状況だと何をしていいかわからない。何もする必要はないといえばその通りだが、だからこそ困る。
普段だったら農作業や家事、れみりゃの相手などをしていれば、忙しさの内に一日は終わるのだ。
そういう生活の中では暇つぶしの仕方は身につかないわけで。

「ふわぁー」

大きなあくびをする。
目的地まではまだまだ遠い。電車の中の退屈とは長いおつき合いになりそうだ。クソ暇。
視線をずらす。俺の向かいのやや離れた席、電車の進行方向側。女チャンピオンが静かに座り、涼しげな目を外に向けていた。
同じ方向を見るが、やはりだだっ広い茶系の色彩があるばかり。
振り返って彼女の顔を見る。口元には薄い笑み。
……何が楽しいんだ? 一時間以上もそうやってじっと座っているが、見えない明日でも見えているんだろうか。あるいはそれが風流を楽しむというということなのか。無骨な男には理解できん。
上の網棚を見ると、れいむがハンモックよろしく身体を預けてくつろいでいる。ゆったり、いや、ゆっくりしている。
穏やかに下方を見る目。ほころび緩んだ口。
普段はムカつく饅頭だが、そう大人しくしていると神棚に供えられた鏡餅のようにも見えて、どことなくユーモラスだ。
楽しげなつぶやきがれいむの口から漏れる。

「ゆふふ……下々の者どもを高みから見下すのは極上の気分だよ……」

ふむ、駅のゴミ箱って生ゴミOKだったっけ?
手っ取り早く窓を開けて不法投棄しようとも思ったが、視界にれみりゃが入る。
それはやめておくか。子どもの情操教育によくない。
三頭身の肉まんはさっきまで何度もジャンプしていたのだ。足下を確認しながら。
何をやっていたのかというと、移動し続ける電車の中で飛び跳ねれば後ろに飛んでいくのかを試していたわけだ。
慣性の法則など理解できるはずもなく、しきりに首を傾げていた。
今現在はイスの上にひざを載せて外を眺めている。
俺は立ち上がり一言言ってやろうと近づいた。

「れみりゃ、靴脱げ、マナーだぞ」
「うー、わかったどー」

れみりゃは素直に小さな靴を脱いで、床にそろえた。
電車に乗るのは初めてとのことだから、そこでの常識もわきまえてはいないのは当然だ。
同時に全てが珍しいのだろう。外を見る目は一心に見開いている。
よりはっきりと見るためか、窓に両手をついて顔面を押しつけることまでする。
ちょっとくらい近づいたところで景色は変わらと思うのだが、まあ微笑ましいので放っておく。外から見たら変な顔の豚まんになってるんだろうなぁ。
と、れみりゃが手を振った。ニコニコと朗らかに。

「ん?」

外を見やると、流れる景色しかない。誰もいない。
殺風景な田畑と曇り気味の空しか──
そういうことか。

「おい、ドスまりさ!」

俺は窓を開けて上空に大声で叫んだ。

「ゆ、ゆゆっ?」

途端に現れる巨大な姿。宙に浮いた馬鹿デカい饅頭。全長90メートルのゆっくり、ドスまりさだ。
バルーンのように浮いているが、進む電車と併走している。さながら高速飛行船。動力源は不明だ。
戸惑いの表情で「な、何?」と聞いてくる。

「お前がぶっ壊した山の補修はどうした。まだ途中だったろ」
「ゆぅ、確かにそうだよ。だけど……」

うろたえながら答える。図体の割に威厳も何もないな。

「だけど、ドスのお友達が働いてるんだよ。ちょっと応援しにいきたいよ」

それだけ言って、すぅーっと溶けこむように消えてしまった。後に残る曇り空。
お友達って、あの金髪ビキニと黒服たちのことか? 働いてる?
どこで、何のために、という疑問が湧くがドスまりさは既にいない。呼びかけても現れない。逃げやがった。
ふと、車内に目を戻すと、多くの視線がこちらに集まっていた。
まばらにいた乗客、その全ての注目を浴びていた。さっきまで気だるかった空気も、今やざわついていて落ち着かない。

「え、うそ、何?」「おっきかったねぇ」「CG?」「ドラマか何かかな」「じゃああの人、俳優さん?」「それにしては、ねぇ」「関係者には違いない」

あれこれ言葉が交わされている。
まあ、そりゃそうか。あんな異常現象を目の当たりにして平然としていられる方がおかしい。つまり、毎日ドスまりさと挨拶を交わし合う親父や俺の地元がおかしいのだ。
無関係を装いたかったが、今更そういうわけにもいくまい。迷惑この上ないが、一応の関係者としてこの場を収めないと。
ごほん、とせき払いしてアナウンスする。

「ああ、ええとですね、みなさん、大したものじゃないんです。さっきのでかい饅頭は、単なるイタリアンマフィアのボスです」


より一層大騒ぎになった。




そんなこんなあったものの、ようやく目的の駅に着いた。
ぞろぞろと多くの人が夕闇の中を歩き回っている。変な感じだ。地元のど田舎じゃ、イベントでも無い限りこんな人間密度はありえない。しかし都会だとこれが日常なのだものな。
れみりゃは興味と不安とが入り混じった顔を辺りに向けている。右手ははぐれないように俺の手とつながれている。

「お父上はまだいらっしゃらないのでしょうか」
「さあ、どうだろうな」
「きめぇ丸もまだだよ!」
「だどー」

親父ときめぇ丸とはここで待ち合わせる予定になっていた。
しかし、いつ頃来られるものかまったくわからない。
俺たちとは同時刻に自宅を出発している。移動手段が違い、俺たちは電車が中心で、向こうは徒歩だ。
徒歩だ。
徒歩なんだ。
あまりのことに三度ほど頭の中で繰り返してはみたが、やはり現実感がない。電車で何時間も掛かる道のりを自らの足で行こうというのはどこぞの修行僧しかやらないだろうし、あえて文明の利器を活用しない理由が「交通費の節約だ」というのも意味がわからない。
きめぇ丸は「おお、付き合い付き合い」と付き合っていった。軽い散歩程度の扱いだ。
あんまりに気軽に事が進んでいたもので、大して話を詰めないままにしてしまった。

「こっちの到着時刻は伝えておいたんだが、向こうのは聞いてなかったな。まあ、だいぶ時間が掛かるようならほっといて行っちまおう。どこかで遭難しても親父ならサバイバルできるだろうし、むしろのたれ死んでくれた方が助か」
「待っていたぞ」
「うぉぅ!?」

無駄に圧倒的な存在感が斜め後ろに出現していた。
ごつい身体。いかつい顔。朗らかな笑み。キング・オブ・農家、親父だった。

「おお、遅い遅い」

きめぇ丸もいた。ブンブンとせわしなく左右に動いている。うぜえ。

「いや、まあ、親父の変態的身体能力は今更驚くことじゃないんだけどな、よく電車より早く来れたな」
「こちらは直線距離だからな。最短でやってこれる」
「いや、そういう問題か? それに直線だと山とかあったろ」
「普通に駆け抜ければいいではないか」
「小山じゃねえんだから……それに湖もあったはずだぞ。泳いだのか」
「それも普通に駆け抜けたが」
「は?」
「泳いだのでは時間の無駄だろう?」
「疑問はそこじゃねえよ。駆け抜ける? 水の上を?」
「簡単な話だ。右の足が沈む前に、左の足を出せばいい」

小学生の理論を実践すんな。そして成功すんな。
農家パネェ。

「もはや仙人レベルだな」
「何だ、我が息子は水の上も歩けんのか」

赤ん坊がハイハイから立ち上がるのとは訳が違うんだよ。

「そんなことではハザ干しもできんな。まあ誰にも不得手なものはあるが……。ふむ、きめぇ丸の方法で渡るのも手だな。そちらを試してみるか」
「何だよ」
「まず走ってきた勢いを殺さず、水面に対し水平に飛び込む」
「ああ」
「そのまま水切りの要領で飛び跳ねるという──」
「できねぇよ!!」

まともに聞こうとした自分が馬鹿だった。そんな豪快な腹打ち繰り返したら五臓六腑が飛び出るわ。

「おお、こんな所におったのか」

しゃがれた声に振り向くと、腰の曲がった老人の姿。人の良さそうなしわくちゃの顔。

「あー、植田さんだどー♪」

笑顔を弾けさせ、れみりゃが駆け寄っていく。

「おお、れみりゃちゃん、大きくなったなあ」

いや、昨日も会いましたよね。
植田さんはかがみ込んで、れみりゃを抱き留めた。

「うー♪ うー♪」
「よしよし、元気じゃ元気じゃ」

ニコニコした肉まんが腕の中でなで回され、さらににこやかになった。
いつもやられていることなのに、れみりゃはいつになくじゃれている。恐らくは慣れない電車旅に少しストレスがたまっていたのだろう。それが解放されたわけだ。
嫌な予感。

ばぶぉーっ!

巨人の産声のような音が突如上がった。れみりゃの尻からだ。
気の緩みが元栓の緩みにつながり、ガスの大噴出を招いてしまったのだ。




数分後、駅から離れたところで息をつく俺たちがいた。
発生地点から広がるようにバタバタと人が倒れていくのを遠目に見たが、いいんだろうか、当事者が逃げてしまって。
全員が息を合わせたように脱出避難したのだが、これじゃ駅で起こしたテロ行為からの逃亡者って形になるような。
実際、今頃駅内ではてんやわんやの大騒ぎだろう。
『毒ガスの発生を確認しました! お客様は落ち着いて係員の誘導に従って避難してください!』とかのアナウンスが聞こえるようだ。発生源の確認も当然やっているだろう。ここにいるわけだが。『不審な人物をお見かけいたしましたら速やかにお知らせください!』というアナウンスも流れるのだろう。ここにいるわけだが。
思案に暮れて頭を押さえると、女チャンピオンが慰めてくる。

「しかたありませんよ。もしあの場にとどまっていれば、みんなして昏倒していたでしょうし」

確かにそうだ。親父ですら耐えられない最臭兵器だものな。
女チャンピオンは「それに」と付け加える。

「れみりゃさんのことを説明するのは難しいですから。かなりややこしいことになるのではないでしょうか」

やっぱりそうだよな。ドスまりさの時もそうだったが、普通に受け入れらる方が異常だ。つまりは俺の地元のことだが。
二個の人面饅頭を扱っている女チャンピオンも色々気苦労があったのだろう。そこまでして飼う価値があるのかはともかく。

「まあ細かいことはいいではないか。肛門を拡張する必要があるぞ」
「どういう表現だ。普通に尻の穴が小さいって言えよ。あと、俺が細かいんじゃなくて、親父が大ざっぱ過ぎるんだ」

まったく上京したてでこれじゃあ、先が思いやられるぜ。

「それにしてもえらい素早かったのう」
「だどー」
「おお、速い速い」

さっきの逃走劇のことを言っているのだ。

「うむ、特に息子よ、植田さんを抱え、れみりゃをおぶってにしては、なかなかの足だったぞ」
「ゆゆっ、お兄さんは逃げ足しか取り柄がないからね! 全然ゆっくりしてないよ!」
「おお、狡(こす)い狡い」

どっかに焼却炉ないか。無性に焼き饅頭が作りたくなった。

「ところで植田さん。お店の方はこの近くなのですか?」
「おお、そうじゃった。すぐそこじゃよ」

女チャンピオンの言葉に植田さんが指を通りに向ける。

「ここを真っ直ぐ行ったところじゃ」
「駅前一等地にあるのですか。結構なお店ですね」
「いやいや、大したことありゃせんよ。そこそこ繁盛はしとるようじゃがのう。まあ、奮発するようには言っておいたわい。わざわざ来てもらったんじゃからの」

そう、俺たちは植田さんのご子息に招かれて、彼の経営している居酒屋へと向かっているのだ。
イタリアンマフィアに襲撃されたとき、行きがかりに植田さんを助けたのだが──曰く、大変恩義を感じている、是非お礼がしたい、とのことだ。律儀だな。
ぞろぞろと通りを歩いていく。
何だか狭さを感じるが、地元の道よりは明らかに広い。それでも窮屈を覚えるのは、両側に壁のようにそびえるビル群が圧迫感を与えているからだろうか。
汚さも原因の一つかもしれない。夕闇に光り始めたネオンの数々は綺麗ではある。が、よくよく見れば通りもビルも看板も薄汚れている。
いや、ウチのど田舎が清潔ってわけじゃない。年中土ぼこりと泥にまみれている。けれど質が違う。同じようでいて違う。こちらは排ガスと油と得体の知れない何かで汚れている。何か、こう、不健全だ。何となく。
やっぱり気分的なもんになるんだろうかな。田舎の人間だからこその感覚なのか。昔はそこそこ都会に住んでたのに、俺もすっかり地元の人間になっちまったんかね。
そんなことを考えながら歩いていくと、目の前が開けた。

「おお、広い広い」

きめぇ丸の言うとおり、ずいぶんと広い駐車場だ。バスが何台も駐車できるスペースだぞ、これ。

「ゆふふ、こっちこっちー」
「だどー☆」

早速れいむとれみりゃが追いかけっこを始めた。あー、子供とかペットってそうだよな、広場とか行くと。両者は笑いながらいくつか留められている車の間を巡っていく。
危ないぞ、と注意する前に、親父と女チャンピオンが極自然に抱き留めた。ナイス保護者&飼い主。
駐車場の広さに比例して、奥にある店もでかい。二階建てだが、幅がある。奥行きも相当に違いない。
赤い壁と木製の格子で飾られた窓が、ぼんやりした暖色系の灯りであちこちから照らされている。こういうのを何て言ったらいいのだろう。雅? 幻想的? 光の洪水の都市内にあってこの存在感はすごいな。

「もしかして、結構な高級料亭?」

居酒屋と聞いていたから、もっとこぢんまりしたものを想像していた。実物は気後れするほどのたたずまい。これ、ほんとに入っていいのか。うーむ。

「気ぃ遣わんでいいぞ。ただ楽しんどってくれればな」

植田さんはそう言うが、もし和服を着た品のいい女性にもてなされたら、慣れない雰囲気にドギマギしちまうのは容易に想像できる。落ち着いて食えるのかな。飯ってのは俺の中で日常の範囲を出ないもんだ。
……いや、プリン尽くしとか毒物100%とかが日常になってるだろ、とツッコまれたら何も返せないが。

ウィイーィン

格子戸風の自動ドアが横に滑る。内側に垂れた暖簾(のれん)を植田さんの小さな身体がくぐり、続いて「おぉい、着いたぞい」の声が外に漏れてきた。
少しの間をおいて植田さんの頭が現れる。

「じゃあ、入っとくれ」
「あ、それじゃ」

恐る恐る足を踏み入れる。途端、

「「「「「いらっしゃいまっせー!」」」」」

一斉にハモる女性群の声々。さらに周囲に群がり視界を埋め尽くす胸、胸、胸。おっぱいの大群。

「な、な、な、な……」
「何です、これはっ!」

一際大きな声に店内が静まる。女チャンピオンの怒声だった。

「こ、こ、こんなハレンチな……」

怒りで伸ばした指先が震えている。
確かにハレンチと言えばそうだ。周りの女性──ウェイトレスということになるんだろうか──の服装は、たとえば公共の往来ではとてもさらすことのできない代物だった。
一応和服としての体裁は整っているが、和服と呼ぶことは決してできない。
まず帯より下の布地が圧倒的に短い。袴(はかま)とかスカートなども身につけていないため、当然太ももが丸出しになっている。足袋(たび)に雪駄(せった)をちゃんと履いているのがかえって艶めかしい。
しかし何より一番目を引くのが胸元だった。大きく開いており、豊かに膨らんだ双丘が白いビキニに包まれて存在を主張していた。
お座敷パブか、ここは?

「申し訳ありません。驚かせてしまったようですね」

そこへ現れるタキシードを着込んだ男。背は高めで髪をオールバックにしている。えらくハンサムだ。

「父がお世話になったということで、ありがとうございます。お礼が遅れてしまい、失礼いたしました」

礼儀正しく挨拶をする。すると、この男が?
「おお、こいつがわしの愚息じゃ。ここの店長をやっとる」と植田さんが紹介する。
そうか、彼が…………似てないな。数十年後にこうなりましたと紹介されても誇大広告扱いだろう。それくらい似てない。
余計なお世話か。

「あなたが店長さんですか!」

女チャンピオンが食ってかかる。えらい剣幕だ。

「このようなみだらな服装、だらしない胸、許されると思っているのですか! あまつさえふらちな胸元、大きな乳房……っ」

主にバスト関連のクレームかよ。確かに軒並みDカップ以上はあるようだが……自分が貧乳なだけで、ここまで巨乳に対する恨みが募るものか? 両親をおっぱいに殺されでもしたんだろうか。
対して、店長は落ち着いて言葉を返した。

「いえ、まあ、多少奇抜ではありますが、これがうちの制服でして。お客様からも多大なる好評のお声をいただいております」

確かにその筋には熱烈に支持されそうだ。どの筋かの言及は避けるが。

「それに地域の皆様からも愛されているんですよ」

そんな地域で大丈夫か?

「OH! 皆サン、来テタノデスネー」

聞き覚えのある声に振り向くと、見覚えのある顔。イタリアンマフィアの金髪ビキニだ。
ここの奇天烈な制服を着ている。ただし水着は白でなく、いつもの星条旗をあしらったものだ。ポリシーなのか、それ。
金髪ビキニは巨乳ぞろいの中にあって更なる大きさを張り出しつつ、青い瞳を快活に見開いている。

「ああ、ここで働いてたんか。ドスまりさが言ってたのは」
「Yesネ。ボスガ応援シニキテクレタヨ」
「あーそうか。あいつ、もう帰ったのか?」
「一応最後マデ見守ッテクレテ、帰リ送ッテクレルヨ。外デ浮カンデルネ」

姿を消しているのだろう。店の上空には見あたらなかった。

「バイトしてるのってお前だけなの? 他にもいたよな、仲間」
「ミンナモ一緒ニココデ働イテルネ」
「そうなのか? ……ああ」

ショッキングな女性群に目を奪われて気づかなかったが、よくよく見るとあちこちで例の黒服が動いている。そのまんまの服で働くのもどうかと思うが、大らかな店なのかな。あるいはタキシードと似たようなもんだと判断されたのか。

「そうですか、あなたも……ここで……」

地の底から響いてくるような声。見れば、女チャンピオンの両の瞳には地獄の業火が燃えさかっていた。
かつて与えられた乳房に関する屈辱が蘇り、今回の件に倍率ドンしたのだろう。
そこまで憎悪するか──でっかいおっぱいを。

「大和撫子モ来テタノネー。サービススルヨー」

そんな女チャンピオンの内情など意に介さず、大きな胸を揺らしながら近づいてくる。歩くだけでうごめく、驚異の胸囲。

「ほ、ほほぉ」

まずい、女チャンピオンの口角がぷるぷると震えている。胸はまったく震えてないのに。

「サア、ミンナ、大和撫子ヲモテナシマショウ!」

勢いよく金髪ビキニが声を掛けると、はーい!と女性群が女チャンピオンを取り囲む。
そして開いた胸元を顔に近づけ、腕を寄せて谷間を強調し、上体を振って柔らかな揺れを見せつけまくる。
何というサービス。何という身体を張ったもてなしっぷり。
けど、あまり挑発しない方がいいんじゃないかな。殺意の波動に目覚めてもフォローできんぞ。

「く、くうぅう」

女チャンピオンが両手を握りしめ、歯を食いしばっている。必死に怒りと嫉妬心を抑えているのだろう。
ここは我慢するしかないのだとわかっているのだ。親父とタメを張るほどの戦闘力を備えているが、暴れる大義がまるでない。私怨だしな。さりとて視界を埋め尽くす乳の大波に、打ち砕かれるプライドの破片が堪忍袋の緒に傷を付け続ける。
そして、最終的に彼女が取った行動は──

「れいむ、きめぇ丸」

つと、おもむろに二匹のペットを呼び寄せる。

「一緒にお手洗いに行きましょう」
「ちょっと待て」

饅頭二匹を連れ立って奥に向かおうとするのを、俺は止めた。
詰め込む気満々じゃねえか。そっちのが問題なファッションだ。




ウェイトレスの服装やサービスも珍妙なものだったが、案内された座敷も似たものがあった。
一見落ち着いた普通の和室に見えるのだが、どことなく違う。
木製の机の足は中央が膨らんでいて、彫り物がしてある。確かギリシアの何とか様式ってやつだ。
明かりは、中に蛍光灯を仕込まれた行灯(あんどん)と提灯(ちょうちん)によってもたらされたものだが、模様や書かれた文字は中国のものだ。
掛かっている絵は女性の描かれた水墨画だったが、どこかで見た人物と構図だなぁと脳内を検索してみたら、何とモナリザだった。
何ともハチャメチャだが、全体としてみると奇妙な統一感がある。すげえオリジナリティだ。
こうなると出てくる料理の方に期待と不安が高まってくる。
が、心配の方は杞憂みたいだった。
お通しはゴマ豆腐。上に球形に整えられた練りワサビと紫タマネギの一輪、山椒の葉が添えられている。
美的センスもさることながら、口の中に入れたときも──どう表現したらいいものなのか──とにかく美味かった。まさに期待以上。

「ふむ、素晴らしいな」と親父の感心の声。珍しく同意だ。
「おお、美味い美味い」
「最高の餡子の味だね!」
「プリン美味しいどー☆」

いや、料理変換するなよ。台無しじゃねえか。

「お口に合いましたようで光栄です」

ふすまが開いて、植田さんJr.が現れた。給仕は店長自らがやってくれるそうだ。その心遣いがありがたい。
何より、これ以上巨乳を見せつけたら世界を滅ぼしかねない輩が約一名いるし。

「ではご注文はお決まりでしょうか」
「うむ、それなのだが、料理についてはお任せしよう」
「よろしいのですか?」
「一皿食してわかった。この店の料理は、食材から調理、盛りつけに至るまで、寸部の隙もなく完成されている。ならば、任せておけば、仕入れた食材の状況や客の好みなどを考慮した最適のものが出されるに違いない」

植田さんJr.は頭を下げた。お任せという親父の提案に誰も異論はない。

「良かったのう。農家王にここまで誉めてもらえるなんぞ滅多にないぞ」
「はい、店を開いてこれほど嬉しかったことはありません。ありがとうございます」

親父ってそんなにえらかったのか。農家王という称号は有名なのか?
ともかく最高の誉め言葉をもらって店長は感激していたようだった。目の端に光るものも見える。
俺も口には出さないが、料理の質は相当のものだと思う。いや、「口に出さない」じゃなく「口に出せない」だな。表現できるだけの能力を俺は持たない。それだけの味だった。

「ゆゆっ、最高の餡子だったよ!」
「プリン美味しかったどー☆」

お前ら、黙ってろ。

「では、お飲物はいかがいたしますか」
「うむ、それについては個々人で決めるのでよかろう。私は日本酒が良いな。端麗辛口が好みなのだが」
「それでしたら『十四代』の大吟醸で『双虹』はいかがでしょうか」
「ではそれをいただこう」
「かしこまりました」

親父は日本酒が好きだったのか。普段家では飲まないし、村内の会合とかでは出されたものをそのままかっ食らってるから、好みとかあったとは知らんかった。

「じゃあ、えーと植田さんは何が良いですか」

俺はメニューを開いて見せる。

「わしか? わしはそうだな、ソルティドッグをもらおうかいの」

カクテルとは恐れ入った。しかもコップの縁に塩が付けられた変わり種だ。

「ずいぶんハイカラな物、頼みますね」
「これでナウなヤングがフィーバーじゃろ?」
「イケイケです」

よくわからんが。

「で、そっちはどうする?」

さっきから押し黙っている女チャンピオンに水を向ける。
その雰囲気は暗い。重い。怖い。正直話しかけたくない。
やがて静かな、だがどことなく絞り出すような声が答える。

「そうですね、私は焼酎で……」
「何に致しますか」
「……今の気分にふさわしいこの銘柄をお願いします」とメニューを指さす。
「かしこまりました。『魔王』ですね」

何その禍々しい酒。そして魔王気分って何だ。
無理矢理気にしないことにする。気にしたくない。

「じゃあ、俺は有機トマトジュースで。れみりゃは何がいいんだ?」
「う? うー……うー……」
「あれ、まだ決まってないのか」

いつになく優柔不断だ。いや、やむを得ないことなのかもしれない。これだけの品目の多さだと目移りする、というだけでなく、そもそもジュースなど飲み慣れてない。普段飲むのは日本茶か麦茶くらいだ。選べるはずもない。俺だって「楽しむためだったらどの鉄道がいいですか」と路線図広げて聞かれても、選ぶことなんてできやしない。同じ理屈だ。

「こっちもお任せにするか。店主さん、子供用に美味しいやつお願いします」
「かしこまりました。カレーなどいかがでしょう」
「飲み物だぞ?!」

どこの芸人だ。
しかしれみりゃが「カレー大好きだどー♪ うー☆」と喜んでいるので良いことにした。一種独特の店だからそういうのもあるのだろう。何が出てくるのか怖さ半分、面白さ半分。

「んで、お前らはどうする」

残りの饅頭二匹に尋ねると、れいむは「別にいらないよ!」と言う。

「何だよ。何も飲まないのか」
「ううん、有機トマトジュースを飲むよ」
「俺と同じかよ。じゃあ追加で」
「違うよ! ストロー二本でお兄さんと飲むんだよ」
「はい?」

饅頭顔を見るとポッと頬を赤らめる。きめぇ。
きめぇ丸は「おお、お熱いお熱い」とはやす。うぜぇ。

「いや、お前、俺のことしょっちゅうおちょくってるよな? 好意なんて微塵もないよな?」
「女心がわかってないね、最近流行のツンデレってやつだよ! だから店長さん、ハート型のツインストローをゆっくり持ってきてね」

ふざけんな。いっちょ前に饅頭が盛ってんじゃねえ。

「かしこまりました」
「かしこまっちゃうのかよ!?」

このサービス精神旺盛な店め!!
──結局、れみりゃと同じ物にしてもらいました。……疲れる。




ジュンサイと千切りの山芋が添えられたもずくの酢の物。
それぞれのシャキシャキした歯ごたえとぬめった舌触りを爽やかな酸味と共に堪能し、次の料理と飲み物を待っていると、

「ん?」

ふすまの向こうが騒がしい。いや、先ほどまでも声や音は聞こえてきたのだが、質が違う。
朗らかで楽しげなものでなく、怒声混じりの剣呑なそれだ。
耳を澄ませていると「こんなものが食えるか」「料理人を呼べ」などの声が。
あれだけの料理に文句を付けられるヤツがいるのか。どんなクレーマーだ。
「ああ、もしかして」と植田さんがつぶやく。

「あの人が来たんかもしれんのう」
「あの人?」
「すまんが、親父さんにちぃと助けてもらわんといかんかもじゃ」
「私でよければ何でもしましょう」
「ありがたいのう。それじゃあ来てくれるかい」

そう言って植田さんと親父は出ていった。
後に残された俺たちはきょとんとしている。
植田さんの口振りからすると、誰が来たのか、そしてどんなトラブルなのかが予想できているようだった。で、親父が手助けできるようなことらしい。
何だろう。
全裸の筋肉ダルマがクワ担いで「ここを開墾させろ!」と殴り込んできたとか。それなら親父にしか対応できまい。
──いやいや。
我ながら馬鹿らしい想定に首を振りつつ、立ち上がる。
野次馬根性丸出しだな。しかし猫を殺すと言っても好奇心には勝てないもんで。
後を付けていくことにする。「うー♪」とれみりゃも付いてきた。
緑色の廊下を進み、木製の階段を上がる。
騒ぎの中心はすぐわかった。二階の奥の座敷。
多くの従業員がふすまの中を覗いており、何人かの客もそこに加わっている。テーブル席に座ったままの客すらそちらに目を向けている。
しっかし、ここからの声だとするとだ、階下にふすま越しで飛び込んでくるくらいだ、どれだけ大きな声なんだよ。
と、さっそく怒声が破裂した。

「このようなものを食べにきたのではないのだ! 以前の驚きをもう一度味わいに来たのだッ! わかっているのかッッ!」

うわ、マジにでかい。ふすまがビリビリ震え、数人の巨乳ウェイトレスが耳を押さえている。れみりゃに至っては、頭のキャップを両手で引っ張り、かがみ込んでしまった。

「ああ、ほら、怖がるな。雷じゃないから」

雷と言えば雷だけどな。
にしても何だ。中にいるのはジャイアンか? リサイタルでもやってんのか。騒音が近所迷惑この上ない。
ううむ、と植田さんがあごを撫でる。

「いつか来るとは思っとったが、まさか今日来るとはなあ。嫌な予想は当たるもんじゃ」
「誰です?」
「有名な料理評論家。知っとるじゃろ?」
「いや、テレビ見ないもんで……。新聞なら読むんですけど」
「海千山千(かいぜんざんち)ちぅ名前なんじゃが」

すげえ名前だ。どこの戦国武将だ。
そういえば、んなような名称をテレビ欄で目にしたかもしれないな。いずれにしても有名人には違いない。
で、その有名人はどんなイチャモンつけてんだろう。
ふすまをそっと開けて中を覗くと、和服姿の中年がいかつい顔をさらにいかつくして怒鳴っている。どっしりとした身体が仁王立ちで、結構な迫力だ。

「確かにこれらは美味い! だが美味いだけだ、驚きがない! かつてのワシはここで確かに食べたのだ、感銘を受けるほどだった! それがなぜ出せんッ? これでは何の代わり映えもないではないかッ!」

当たり前だろ。同じ物出てりゃ感銘も驚きもねぇよ。お前は毎朝米食ってびっくりしてんのか。無茶苦茶だな。
対する店長の植田さんJr.は冷静に対応している。が、第三者の視点としては一方的にやられていて見るに堪えない。 

「申し訳ありません。店員一同努力しているのですが、お客様の口に合いませんでしたら、お代の方は結構ですので……」
「そんなことを言っているのではないッ! 馬鹿にしているのか! ワシを誰だと思っている。海千だぞ、海千山千なのだぞッ!」

知らねーよ。
これ、早いとこ警察に引き取ってもらえんかな。ほとんど気狂いピエロじゃねぇか。

「失礼いたしました。代わりと言ってはなんですが、これから女性の従業員によりますサービスをさせていただきます」

いや、それはやめとけ。
余計火に油を注ぐことになるぞ。まあ、あの胸に料理を盛りつけて食べさせるというのなら……いやいや。何考えてんだ、俺。
と、そこに植田さん(父)がちょこっと座敷へ顔を出し、そっと手招きする。
Jr.が「失礼します」と席を外してこちらへ滑り出してきた。

「何ですか、お父さん」
「災難じゃのう。話には聞いとったが、まさか今日来るとは」
「ええ、以前テレビのインタビューでうちのことを話していまして、その時にいずれ行くようなことを行っていたのですが……すみません、迷惑は掛けるつもりはなかったのですが」
「お前のせいじゃありゃせんよ。それで、あちらさんは何を要求してるんじゃ」
「聞いての通りです」

手でふすまの向こうを示し、困り顔をする。

「一度店に来たときは絶賛で、それで評判になったんじゃがなあ」
「ええ、お陰で繁盛しました。しかし……」
「方針としては、今までと変わらぬ味を提供ということじゃものな。なのに、無茶言いおるわい」

二人が話す間も、高名らしい料理評論家は高らかに気を吐いている。やかましいことこの上ない。

「さあ食べさせるのだッ! 一味も二味も違うものをッッ!」

三味線でも食ってろ。

「それでな、あるプサンがあるんじゃが」

プランです、植田さん。

「追い返すのも面倒じゃし、この店のやり方では満足できんというなら、この際別の人間に料理を作ってもらうというのはどうかな?」
「別の人間、ですか」

店の料理人とは違う人間にやってもらうというわけか。しっかし、ご都合主義にいるものか? しかもただ料理が作れる奴じゃダメだ。無駄に舌の肥えたキチガイを満足させられる程の料理、そいつを作れる奴だ。

「うー、それなられみりゃの出番だどー♪」

右手の握り拳を高々と掲げる肉まん。
なんと頼もしい──わけがない。

「いや、お前はプリンしか作れないだろ。この前もプリンの漬け物とか食わされたし」
「息子よ、まだまだ愛妻に向ける目が甘いな。目に張り付いたウロコを角膜ごとはがしてやろうか」
「余計に見えなくなるだろ! ……で、何だよ、親父。れみりゃがどうしたって?」
「れみりゃは実は密かに料理の腕を磨いていたのだ。お前を驚かせ、満足させるためにな。今ではプリン以外の物も作れるようになったのだ。一品目増えたぞ」
「何……だと……」

そりゃ驚きだ。どんなレパートリーが追加されたんだ? ゼリー? それとも茶碗蒸し?

「うー♪ れみりゃが作れるようになったのは、インドのパンなんだどー☆」

ナン……だと……。

「そういうわけで、これからはプリンを塗ったナンを食べることができるわけだ」
「うー♪」
「いや、結局プリンかよ!」

意味ないじゃん!
植田さんが片手を振って話を遮る。

「まあまあ、れみりゃちゃんには今回休んでもらっての、農家王の手を借りたいんじゃ」
「えっ?」

ある程度予想はしていたが、親父が料理するのか? いや、マジで?

「わかりました。お安い御用です」
「ええっ?」
「ありがとうございます。お任せします」
「えええっ?!」

親父があっさり了解し、店長も即答だった。どういうことなの……。

「おい、親父、料理なんてできるのかよ。家じゃ大したもの作ってなかったろ」
「プロの料理人が自宅でも満漢全席や懐石料理を出すわけでもあるまい。任せておけ、農家たるもの食材の扱い方も一流でなければな」
「納得しかけそうになるけど、全然事情が違うよな、それとこれは」

良い食材“を”作るのが農家で、良い食材“から”作るのが料理人だろ。
しかし懐から子供出したり、みぞれを避けながら走ったり、米俵を両肩に担いでマフィアのアジトを潰したりするのが農家なら、そんなことは些細な問題かもしれない。
農家の存在自体が大問題なんじゃねぇかって話だが。

「さて、ではさっそく料理用の着替えを済ませておこう」

着替え──白衣か、もしくはエプロンか、と思ったが、違った。
その場で親父は気合いをこめる。

「……ぬぅうぅううん! はゥアッ!!」

バボォン!
爆裂音を立てて親父の服が弾けた。またかよ、世紀末脱衣! ゴミが散るから普通に脱いでくれ。いや、脱ぐこと自体が困るのだけども。
衆人環視の中、フンドシ姿となった中年筋肉男が自信たっぷりに白歯を光らせる。

「植田さんにはれみりゃを可愛がってもらったり、妻との間を取り持ってくれたりと大きな恩があるからな。ここは一肌脱ぐべきだろう」

脱ぐ前に着ろ、とりあえず。
視覚的かつ雰囲気的に公共良俗に反するので、実力行使で思いっきりマッハパンチでも噛まして退場させようかと思ったが、

「たのもしいのぅ」
「神々(こうごう)しい。農家王とはこれほどまでに神々しいのですね」
「さすが農家っ!」
「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ」
「そこにシビれる! あこがれるゥ」

なぜか周りの人たちは絶賛だ。「ありがたやありがたや」と両手を合わせる人もいる。
えーと、つまり、何だ、俺の感覚こそが変なのか、何なのか。
価値観の世界からのけ者にされた感じで、凹む。




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最終更新:2011年01月24日 23:03