高昌古城2

玄奘三蔵は、インドのナーランダで戒賢法師から学び、多くの経典を唐に持ち帰り漢訳しました。奈良の薬師寺や京都の清水寺の宗派は法相宗で、大元の宗祖は玄奘三蔵ということになります。玄奘三蔵は、高昌国で人々に仁王般若経を講義したあと、高昌国からクチャ国を経て、サマルカンドに向かい、その後、天竺に向かっています。玄奘三蔵の高昌国からの旅立ちにあたっては、高昌国の王は、往復20年の費用として黄金1百両、銀貨3万銭、綾および絹5百疋や馬三十頭、人夫二十五人を送ったと言われています。また、(武装した)ソグド人の商隊も同行したようです。この当時、シルクロードで絹も貨幣相当として使われていた様子を伺うことができると共に、シルクロードの交易が大きな利益を生んでいたことが伺いしれます。
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最終更新:2007年09月28日 21:40