アスターナ古墳

アスターナ古墳群は、高昌国の貴族の墓地です。高昌古城の北約1Kmにあり、彩色泥俑・漆器・絹織物・壁画などが発掘され、当時のオアシス都市の文化や生活を知る貴重な資料となっています。墓は数百もありますが、訪れた時点で公開されていた墓は3つだけでした。

日本ではシルクロードは東西の道と解釈されており、マルコポーロの様なイタリアから中国(元王朝)までの長距離を命がけで移動するとのイメージが強いですが、実際には、その様な長距離の商隊も存在した様ですが、ある程度安定して、短距離の交易(中継貿易)がネットワーク的に行われていたようです。中央アジアでは、東西だけでなく、北はモンゴル、南はインドやチベット方面にネットワーク的に広がっています。この交易の中心的役割を果たしたのが、ソグド人だと言われています。シルクロードは、陸路の輸送のため、贅沢品(重量あたりの価格が高いもの)や馬・人間などの自分で移動するものが交易の対象でした。この中で金・銀や絹織物などの売買の担い手はほとんどがソグド人といわれています。 ソグド人は国家を持たず、中央アジアの各地に集落を作るとともに、匈奴、突厥ウイグルといった遊牧国家に従属しつつも、彼らは高度な文明を持ち政治的、経済的、文化的顧問の役割を果たし、敦煌や長安などにも各地にソグド人集落を作りソグド人間の情報ネットワークも活発だった様です。
ソグド人は自分たちの国を持たない代わりに、経済力を背景に、中国で大きな影響力を持っていた様で、唐における「安史の乱」などをみても、ソグド人が唐王朝に登用されていた様子がわかります。安史の乱により唐において、ソグド人の大弾圧が起こります。

アスターナ古墳でもシルクロードからソグド人達が運んできた西方文化(ヘレニズム)の香りのする、壁画、副葬品などがあります。
  • 古墳地下への入り口
  • 72TAM216墳の碑(英文)
  • 72TAM216墳の碑(中文)
  • 72TAM215墳の碑
  • 72TAM210墳の碑
  • アスターナ古墳は基本的に漢人の墓ですが、ソグド人の影響も多くでています




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最終更新:2007年09月29日 19:48