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水平線を引く

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遠近法において、画面上に「水平線を引く」ことは、けだし最も基本的かつ重要な作業ではないだろうか。これは、文字通りの足場作りである。
透視図法の解説の序説として、まずは水平線を引いてみよう。

そもそも水平線とは?

水平線(別に地平線でもよい)が見えるのはそもそも何故だろう?それは地球が丸いから、ではない。ましてや海の向こうが滝になっているからでもない。水平線が見えるのは、真っ平らな地面、或いは湾曲が視認できないくらい緩やかな曲面が、無限に、或いは無限と見なせるくらいに遠く、文字通り遙か地平まで広がっている場合に限られる。このときに見える地(実)と天(虚)との境界が水平線となって画面に現れるのである。これではなんだかよく分からない。
だいたい、無限に広がっている平面だとか、何もない空間だとかに境界線が見える、というのはどういう事なのか。室内の床と壁が交わって境界線が出来る、というような話ならまだ据わりがいい。或いは目線をテーブルやなんかの高さに持って行って、手前の縁と奥の縁とを重ね合わせることで平面と空間の間に境界線を見る、というのもまあ分からないでもない。しかし、自分がまさに足をつけ立っている平面と、自分が配置されている空虚な空間に境界線が見えるというのは、現に見えているのは、一体どういう理屈なのだ?

遠近法で描くということ

実際に画面に水平線を引いてみる前に、遠近法で描くということがどういう事なのか、考えてみたいと思う。
遠近法で描く絵は基本的に映し絵だ。目の前に透明なスクリーン(当然だが平面である)をおいて、その向こう側の景色を写し取るのだ。ただし、いくつか決まりごとがある。
スクリーンを動かさない
トレーシングペーパーでするようにトレースするのだから当たり前だろう。
片目で見る
あえて回りくどく説明するなら、脊椎動物は2つの目を使い2通りの2次元的な情報から擬似的に3次元情報を認識する能力を持っているのだが、3次元的な情報を2次元上に写し取るるのだから、次元を一つ減らさなくてはならない、ということだ。簡単に述べるなら、2枚の画像を重ねて1枚にしても意味がなかろうなのだ。
視点を動かさない
視点というと、一般的には「どこを見ているか」を指す言葉であろうが、ここでは「どこから見ているか」を指す言葉として用いることにする。カメラの位置である。当然ながら写し取る相手は立体であるので、見る位置によってその形は変わってしまう。キュビズムをやるわけでもあるまいに、視点は厳密に1点のみに定める必要がある。
視線とスクリーンとを垂直に保つ
ここでいう視線は人の感覚としての漠然とした第6感的なものではなく、視点から「どの方向を見ているか」を示す厳密な直線を示す言葉として用いている。この視線は常にスクリーンと垂直の関係にある必要がある。説明が難しいので、カメラのレンズとフィルムの関係を考えてもらいたい。

以上の決まりに乗っ取ってスクリーン上に写した画面が遠近法の画面である。もちろん実践する訳にはいかないので、あくまで上記を想定して描くのが遠近法で描くということである、ということである。

あらためて水平線を引いてみる

さて、では遠近法に則って水平線を画面上に引いてみたい。しかし、実際に目の前に無い、目の前に在っても実体があるのかどうかも分からないものをどうやって描けばいいのだろう。海まで行って写真を撮って、それをトレースする訳にも参るまい。
というわけで、仮想的に上記遠近法の方法を実践してみようと思う。下の図は前項で説明した遠近法の規則を模式的に表すものだ。
このような方法で、視点よりスクリーンを挟んだ向こう側の空間中の点はスクリーン平面上の点として写し取られることがわかる。しかし、まだ描くべき水平線が発見できた訳ではない。上の図に倣って、とりあえず近くの地面を描いてみよう。
上の図は視点とスクリーンの距離を1としたとき、視点から距離2の位置の地面上に引かれたスクリーンに平行な直線(赤色)と、同じように距離3の位置に引かれた直線(緑色)とをトレースした場合を示している。実はこの図こそが水平線の存在を示唆しているといっても過言ではない、というのは言い過ぎかも知れない。
視線と地面を表す線、および視点と地面上の点を結ぶ線分からなる三角形について、相似の関係を適用すると上の図のようなことが示される。すなわち、視点からの距離が2の赤色の直線はスクリーン上ではスクリーン中央から視点高さの1/2の位置にトレースされる一方、視点からの距離が3の緑色の直線は1/3の位置にトレースされる。
つまり、「視点とスクリーンの距離に対して、視点からの距離がN倍の位置の地面上に引かれたスクリーンに平行な直線は、スクリーン中央から視点高さの1/Nの位置にトレースされる。」ということだ。長ったらしくてモヤモヤする。しかし、これでようやく結論が見えてきた。
上のNが限りなく大きくなった場合、つまり限りなく遠くの地面上の直線は、1/Nは限りなくゼロに近づき、つまりはスクリーン中央の限りなく近くの直線としてトレースされることになる。ああ、まだ長ったらしい。つまり視線とスクリーンの交わる高さに水平線は出現するのだ。どんなに遠くの地面もここを極限としてそれ以上の視界を占めることはない、ということだ。かくして天と地との間に境界が生まれるのである(厨二)。

まとめ

これでようやく水平線が引けるようになった。ところで、床も逆立ちすれば天井になる、人間を辞めれば壁を歩いて登れるかも知れない、ということでこれは地平線に限られた話ではない。そこで、はい、とりあえず、まとめ。
「視線に平行な平面は、画面中央で消失する。」
さて、実はここまで延々述べてきた話は、視線が地面に平行な場合にしか通用しない。こんなに長ったらしくて回りくどい説明だったのに!(もちろん自覚的にやっているのだけど。)というわけで、フカン・アオリ構図の遠近法については次回に続く。

せっかくだから補足

上の方でせっかく相似の話が出てきたので重要なことを補足しておこう。

スクリーンの大きさと位置

上の図を見ると分かるが、たとえスクリーンの位置が変わったとしても、スクリーン上の水平線・緑線・赤線の位置関係は相似関係を保つため、トレースした画面は縮尺が違うだけで同じ構図になる。ゆえに、「画面の広さ」は「スクリーンの大きさ」ではなく「視野角の広さ」であることも分かる。
スクリーンに限らず、あるモノの「画面上における大きさ」とは「画面を占める視野角の大きさ」のことである。極端な例を挙げるなら、視点から10cm離れた1mmの物体と10km先の100mの物体は画面上ではほぼ同じ大きさに見える、ということだ。
あとあと重要になることであるが、人間の視野角は約45°といわれる。つまり視界の中央から、大体そのくらいまでしか視認できない、ということで実感としても直観できることだろう。つまり、これよりはみ出るようなスクリーン上に風景をトレースしてもどこか不自然な画面になる。たとえば画面中央の水平線と自分の足は描けない、描いたとしてもどこか不自然になる、ということだ。(もちろん、不自然さを意図的に演出することが出来る、とも言い換えられる。)

視野角と距離

再び赤線・緑線の話に戻る。この赤・緑2つの直線はトレース画面上での水平線との距離の比が(上で述べたようにスクリーンの位置に因らず) \frac{1}{2} : \frac{1}{3} = 1 : \frac{2}{3} になる。一方「直線を含み視線に垂直な平面と視点との距離」の比は 2 : 3 = 1 : \frac{3}{2} である。やや飛躍があるかもしれないが、このように視線に垂直な平面内のものと視点との距離の比の逆数は、画面上の水平線との距離の比になっている。
さらに飛躍があるかもしれないが、結論は「視線に対して垂直な平面と視点との距離がN倍になると、画面上でのその平面内の物体の比率が1/Nになる」ということである。このことを頭の隅に置いておくだけで、画面が不自然でないかどうかを確認する指標となるであろう、と思う。いえ、思います。


(最終更新日:2008年07月06日)

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