人の怖さと労働苦(タナトス)

人の怖さと労働苦 (タナトス)  ID 4445623

注意! この人物はチャベリの殿堂入りブラックリストである。


概要(「人の怖さと労働苦 」を以下「タナトス」とする。)

文字色は、あずき色を使う。「タナトス」と「辛苦への抵抗」と同一人物であり
PR部屋は「私と共に考えてくれる同士求む」→「無条件で俺を永遠に愛する人のみ」→「無能労働者の苦と解放(2015年10月現在)」という名で、
IDとログからして少なくとも 3、4年以上前から、目的不明のPRでうだつがあがらないことを繰り返している。

以下はタナトスのログである。

私と共に考えてくれる同士求むと称し、仲間を集っている。(2013 12/12現在は確認されていない)仲間を集っている。(2013 12/12現在は確認されていない)

肝心の問題提起はされず、いつも考えている「振り」をし続けている。(←ココ重要)
読書家も当然嘘であり、すべては表層的な知識であり、ラカニストとも自称しているが、なにを分析しているかは知る由もない。
毎日のように、同士を集いながらも、気に食わない人、または反証する人には非表示に加える。

考え続けてはいるものの、目的も、本当の問題は見えてこない。
「洗脳」についての項目などをはじめ、自身の倫理に背くものに対しては
「今後の課題にしておく」と避け、自身の課題に対し説明を要求・または指摘すると「検討中である」と、この繰り返しループをされ
、誰とも、まともに話していることはない。


これでもなぜか、たまにタナトス信者がいるのは、あどんと似ているところ
でもある。

年齢は、30歳なのか20歳なのかは分からないが、ラジオ実況上だと声は若いらしい。
この非正規雇用や、競争社会に於ける偏差値教育の失敗によって生み出された歪んだ劣等感の優位な自意識も持ったナイーヴ
な犠牲者ともいえるが、どんなに社会を批判したところで、哲学や、心理学など、ほんとうは知識もない上、
学問を社会的に他人へ有用たらしめる行いどころか、自分のコンプレックスのために、ファッションとして、
行っているところが痛い。

自身のツイッターを掲示板で紹介しているが、内容が病的すぎるため、つぶやきに対しほとんどツイートされてはいない(←悲しい)
ツイッター内容とチャベリ部屋の目的とは矛盾するところが多々あるが、追求するとタナトスループになるだけ時間のムダである。
要はタダの”かまってちゃん”である。

★補足説明★ (2013 12/12)

最近になり、煽りが増えた所為もあるが、姿を現さなくなっている模様。
しかし、名前を変えて活動しているという噂もあり、哲学的なネタを開き、
哲学「的」なことをして、自身に都合よく好意をよせてくれる人を集っている
ことは、今も昔も変わりがないようである。

タナトスが名前を変更したせいで、タナトスっぽいような人は、
いわば、「哲学風」を吹かせている、頭の悪そうな哲学ゼミの大学生のよう
な人は、みなタナトスと決め付けられる風潮を齎し、迷惑をかけていると思える。

ぜひ、あなたが『なんちゃって哲学風』を吹かしそうになり、劣等感をごまかすために
知的ごっこをしているだけなら、タナトス的であることを自戒することで、
明日に繋げるべきだろう。

特に、こういうタナトス的傾向を持っている人は、でっちあげの、そこらへんで
売っている本の受け売りを自分に都合よく切って張ったような、張りぼての人生観
しか持っておらず、傾聴に値しないどころか、


①自己顕示欲
②自己愛
③モテたいだけ
④自分をデカくみるため
⑤寂しさ
⑥特に学歴主義やコミュニケーション能力のなさからくる、劣等感
etc

以上のようなことを見るだけで、くだらないとしか良いようがないことを、ごまかすためだけ
の無為なものなので、そういった等身大の自分に気づくことで、「哲学風」を棄て
ることをオススメする。そんな欺瞞に酔いしれても、明日はこないのである。

そういう見地に立ってみるならば、「タナトス」という存在は、我々にとっての
反面教師であり、最大公約数的存在なのかもしれない。
経験知もなく、他人のためを思わないだけの、顕示欲求だけでは、欲求不満な
だけの動物以下の、動物的人間ではないだろうか。

昨今の哲学者の見解でいうなれば、最近の若者には、中身がないが、
動物的欲求しかない。ポストモダニズムに於ける世界観を生きる少年少女というものは、

  つまるところ

   「自己承認欲求(≒ナルシシズム)」と「セックス」

                        だと言っている。
事実として、平成以降の世代は「戦争」「貧困」も味わってない。

それどころか「情報」「娯楽」「知恵」「張りぼての民主主義的な穏健」によって密閉され、
その深奥にあるのは、所詮、学歴主義・資本社会原理における劣等感しかない。

そういうことで言うなら、劣等感と相反する自己承認欲的ナルシシズムの傾向も頷ける。
(勿論、いじめや虐待による例外もあるが、みんながみなそんなことをされることはない)

我々にとっての薬とは、やはり
       「等身大の自分に気づくこと」と「実人生を積む」という

まっとうな見解ではないだろうか。
(第一、こういうタナトス的な人間は20代30代の独身男性が多いので、気付くのが早いほどいい)

このように、著者も自戒しなければならないのだが、
「何もかもが見えている」ということが、「情報」だとか「知識」によって誤魔化され、
本当は、「何もかもが見えている状態で眼を閉ざしている」ことになりえるので、それに気づくことが大事だ。

尤も人というものは、光明の中でこそカルト的であるといえないだろうか。

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最終更新:2015年11月14日 18:18