日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(七)
鳥居龍蔵 の宗教と神話
西部シナに という蛮族がいる。彼らの宗教はどんなものであるか。かつて、エー・ヘンリー氏が『英国人類学雑誌』に載せたる「西シナにおける およびその他の種族」のうち、 の宗教・神話の部をぬいて紹介してみたい。
そもそも
「彼は在世中に三度結婚した。しかるに最初の二人の妻は出産のさい死んだから、これに供物を献げ、厚く礼拝した。けれど二人の死霊は間断なく彼を悩ましてきた。ちょうど先日のある夜(余の彼と出会ったころ)
霊魂が長い間の病気によって、その体を離れようとするときには、礼拝式をおこない祈祷の言葉を唱える。その言葉は、霊魂の名を呼びかつ、山とか
死者の埋葬法は種々で、非常に混雑している。まず人が死ぬと、呼吸させるためと霊魂を逃がれ出させるために、家の屋根の木で穴を掘り、牲牛を門口にひいてきて、
地上に住む
位牌(ancestral tablet)は死後二日目に作られ、九日目に室内の中央に祈祷後、安置せられる。これは命日ばかりでなく、生活上もっとも大切なものとしてこれを尊拝する。この位牌を I-Pu 祖先と呼ぶ。位牌は Pieris 樹から作られるもので、その丸太は彼らの神話として伝えてる洪水のときの箱船に比すべきものであるという。しかして葺料としてもちいられる草の原料は transverse bundle で、また同一である。二個の竹根はすでに死んだ父母を代表する。すなわちその一つは竹根に九つの関節を有し、その一つは七つの関節を有している。この文字は巫人の手で墨をもって書かれるが、その墨の水は、ただ死者の家人だけが知っているある場所の森林中の秘密の泉水から取ってくるもので、殊にこの水をたずさえてくるのは、家の子息によっておこなわれるのである。思うに位牌は最初は礼拝物であったのが、漢族に接するようになってからここに祖先尊拝の念を生ずるようになったものであろう。
彼らに
以上三種の災害者は、祈祷と供物とによって、これを
巫人は村落の学校の先生である。けれど彼は農夫であって、一般のそれと異なるところがない。であるから巫人は別に神聖なるものではない。ただ巫人の商売を学んだだけのことである。すなわち彼の祈祷をおこなうのは、供物の動物を殺し、礼式の指揮をしてかつ報酬を受けるのである。
彼らはまた洪水譚を伝えている。この洪水のはなしは、もと人間の悪くなったためにおこったものであるというのである。最初、天空の族長 Tse-gudzih は人間が悪くなったので、それを試すために天空から地上に使者を送った。それは死についての、ある血と肉とを問いたずねるためであった。ところが人間はすべてこれを拒絶した。けれども、洪水―
余はこれまで、かの天空の族長について語らなかったが、古き伝えによれば、彼らは一度地上に居住したことがある。その時代は今日からおよそ六〇〇ないし九〇〇年以前のことであるという。
以上、洪水・安息日などのことはすべてシリアのそれと関係があるようである。これは思うにネストリア教〔景教、ネストリウス派キリスト教〕が早く
シナの宗教について研究したかの有名な De Grot 氏によると、漢族は古くからまったく動物を尊拝したことなく、かつ東方アジアに広くおこなわれているいわゆる
巫人の凶悪なる目付〔日付か〕は、幸福の日や不幸の日などには彼らによく信仰される。しかして巫婆が死を招くことについての長い祈祷がある。これがために鬼は
余は、彼らのフォークロアの多くをここには記さない。
最後において、処女が歌う
わが
歳若き御身とともにわれらはそれを渡りぬ
白空は黄金色をおべるよ
日と月の黄金色の扇
ともにわれらはその動揺を見き
われらは
歌謡と
銀は漢土より来たりぬ
絹は町より
米は野より
されど妻