鳥居龍蔵 とりい りゅうぞう
1870-1953(明治3.4.4-昭和28.1.14)
人類学者・考古学者。徳島の人。東大助教授・上智大教授などを歴任。中国・シベリア・サハリンから南アメリカでも調査を行い、人類・考古・民族学の研究を進めた。晩年は燕京大学教授として遼文化を研究。著「有史以前の日本」「考古学上より見たる遼之文化」


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

◇表紙の鈴は、朝鮮咸鏡かんきょう南道・咸興かんこうの巫人の持てるものであって、先端に鈴は群をなし、そのかたわらに小さな鏡が結びつけられ、柄の下端には五色の長い絹の垂れがさがっている。彼女が神前で祈り舞うとき、これを手に持って打ち鳴らすのである。(本文より)



もくじ 
日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(七)鳥居龍蔵


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*第五巻 第四四号より JIS X 0213 文字を画像埋め込み形式にしています。
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う  → いう / 言う
  •      処   → ところ / 所
  •      有つ  → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円い  → 丸い
  •      室《へや》 → 部屋
  •      大いさ → 大きさ
  •      たれ  → だれ
  •      週期  → 周期
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いった → 行った / 言った
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、英語読みのカタカナ語は一部、一般的な読みに改めました。
  •    例、ホーマー  → ホメロス
  •      プトレミー → プトレマイオス
  •      ケプレル  → ケプラー
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符・かぎ括弧をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸   → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改め、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名・映画などの作品名は『 』、論文・記事名および会話文・強調文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約三センチメートル。
  • 尺 しゃく 一尺=約三〇センチメートル。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約三メートル。尺の10倍。(2) 周尺で、約一.七メートル。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=四.八五メートル。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。六尺。
  • 間 けん  一間=約一.八メートル。六尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約一〇九メートル強。六〇間。
  • 里 り   一里=約四キロメートル(三六町)。昔は三〇〇歩、今の六町。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は五尺(一.五メートル)または六尺(一.八メートル)で、漁業・釣りでは一.五メートルとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=一八五二メートル。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約三.三平方メートル。歩(ぶ)。六尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺六尺平方で、一坪に同じ。
  • 畝 せ 段・反の10分の1。一畝は三〇歩で、約0.992アール。
  • 反 たん 一段(反)は三〇〇歩(坪)で、約991.7平方メートル。太閤検地以前は三六〇歩。
  • 町 ちょう 一町=一〇段(約一〇〇アール=一ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約一ヘクタール。
  • 方里 ほうり 縦横一里の面積。平方里。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約一八〇立方センチメートル。
  • 升 しょう 一升=約一.八リットル。
  • 斗 と   一斗=約一八リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0 = 32
  • 100 = 212
  • 0 = -17.78
  • 100 = 37.78


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1214.html

NDC 分類:163(宗教/原始宗教.宗教民族学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc163.html





日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(七)

鳥居龍蔵

 の宗教と神話


西部シナにという蛮族がいる。彼らの宗教はどんなものであるか。かつて、エー・ヘンリー氏が『英国人類学雑誌』に載せたる「西シナにおけるおよびその他の種族」のうち、の宗教・神話の部をぬいて紹介してみたい。

 そもそもの宗教上の信仰は、われわれ人間に対して疾病しっぺい、その他の災禍さいかあたうるところのものは、悪霊および亡魂ぼうこんなどであって、人間はだれでもある霊魂を持っているものだといっている。もしも彼らが今、生活している人を夢の中で見ることがあれば、その人の霊魂は今、ここにきたものと信ずるのである。また、もうくなった人を夢の中で見ると、やはり死者の霊魂がここにきたものと思うのである。そうしてこういう夢を見た翌朝は、彼らは死んだ漂泊の霊魂のために祈祷きとうし、かつこれに供物くもつを献ずるのである。また、まさに人が死のうとするときには、その最期の息とともに霊魂がその人の身体を離れ出る。そうしてそこに死というものが成り立つのであるが、このばあいに霊魂離出の有無をそばにいる別人に見届みとどけてもらう必要がある。死はけがれである。死霊は彼と関係あるものに煩累はんるいや疾病をこうむらせる。変死・出産の際の死・自殺などは殊に穢れである。そうしてこれらの死因による死霊は凶悪であって、これがためには供物を献げ、礼拝をなし、そうしてこれをあがなわなければならないと考えている。余はあるとき、某所で鹿狩りをしていたの巫人に出会った。ところが二、三日して不意にその巫人が驚死きょうししたので、その死因をほかの巫人にたずねたところが、つぎのような答えを得た。
「彼は在世中に三度結婚した。しかるに最初の二人の妻は出産のさい死んだから、これに供物を献げ、厚く礼拝した。けれど二人の死霊は間断なく彼を悩ましてきた。ちょうど先日のある夜(余の彼と出会ったころ)、二人の死霊はまた彼のもとに来ておった。そうして彼はたちまち病いを生じたのであるが、固く医者を拒絶して、彼の銀を死霊に供するために、その子どもに命令したのであるが、銀が子どもの手に落ちると同時に彼は死んでしまったのである」といった。余に告げた巫人は、これを卜卦によって判断したのである。
 霊魂が長い間の病気によって、その体を離れようとするときには、礼拝式をおこない祈祷の言葉を唱える。その言葉は、霊魂の名を呼びかつ、山とかたにとか、あるいは河・森・野など霊魂の迷うところから退散するような意味を持っているのである。そうして祈祷が唱え出されると、家の門口には、退散する霊魂の飲食物として水・酒・米などがそなえられる。儀式のあと、病人の腕に赤色のなわを巻きつけ、縄はそのしまいまでもちいられる。生長した収穫物、農家の家蓄はまた霊魂に向かって供えられる。もしも米作の豊かでなかったときなどには、彼らはことに祈祷の式などをおこなって、その収穫物の霊魂に向かって他に退散をうのである。このばあいには、符号のついているかごに一定の物を盛り、これを原野に運んで行くのである。これらの品物はどんなものかというと、婦人の衣服・首飾り・ほうきすき・雌鶏・鶏卵・松の枝・三本の線香などを入れた茶碗ちゃわんなどである。
 死者の埋葬法は種々で、非常に混雑している。まず人が死ぬと、呼吸させるためと霊魂を逃がれ出させるために、家の屋根の木で穴を掘り、牲牛を門口にひいてきて、ひつぎの中にしている死人の手に巻いてあるなわをその牛の頭に伸張させ、そうして Su-Pu 祈祷をおこなうのである。もし死者が清潔でなかったときには、その罪をきよめるために儀式をおこなわなくてはならない。ここで通例の儀式がおこなわれるのである。死後二日目と三日目には Weh-ha と Mu-che という最も大切な儀式がおこなわれる。ひつぎをいよいよ埋葬地に運ぼうとするとき、まず紙で作った偶像を棺の上におく。これは死者にかたどったものである。そうしてこのさい巫人は Jo-mo すなわち道の祈祷を誦じ、その死者の家から百歩ほど随行する。巫人の誦文じゅもんの口調はちょうど、父が子に教え、主婦が下女にさとすようであって、死者の生存中の状態でこれをおこなうのである。巫人の誦文の意味はどういうものであるかというと、すなわち死者は死後、その霊魂が旅行しなければいけないということを教えるのである。この誦文は最初、家の入口でとなえ、それから墳墓に行く途中、市街・川・山などでこれを唱える。この意味をなおくわしく記すと、なんじ死霊は、今からの故郷なる Taliang 山に到着するまで旅立ちしなければならない。なんじはその故郷に行くために、たいそうさびしい墳墓をこえて、かの道路をあゆむようにせつに望む。」というのである。死者はこうして冥府めいふに入る。そうして彼は想思樹(Thought)相思樹そうしじゅか〕や説話樹(Tree of talk)のそばに立つ。そこで彼は、あとに残してきた最愛の者について考え、かつ慟哭どうこくする。この儀式の終わったあと、巫人は家に帰り、ひつぎは墳墓中に埋葬せられるのである。
 地上に住むはかの Lolodom をさして、天上にあって通信をしている星であると考えているようである。それでは彼らがもし病気にでもなったときには、さかずきに酒を盛り供物として星にささげる。その際には、四台より二十台の灯火とうかを室外につける。葬式の翌日、死者のいた汚れた室内の地上で玉子を回転させ、停止したところを汚れたる場所として、ここを発掘する。こういう儀式をおこなうのは、つまり死んだ人の星をここに落としてめるためである。もしもこの祈祷をしなかったならば、星は天から落下して、人を害するようになるであろう。
 位牌(ancestral tablet)は死後二日目に作られ、九日目に室内の中央に祈祷後、安置せられる。これは命日ばかりでなく、生活上もっとも大切なものとしてこれを尊拝する。この位牌を I-Pu 祖先と呼ぶ。位牌は Pieris 樹から作られるもので、その丸太は彼らの神話として伝えてる洪水のときの箱船に比すべきものであるという。しかして葺料としてもちいられる草の原料は transverse bundle で、また同一である。二個の竹根はすでに死んだ父母を代表する。すなわちその一つは竹根に九つの関節を有し、その一つは七つの関節を有している。この文字は巫人の手で墨をもって書かれるが、その墨の水は、ただ死者の家人だけが知っているある場所の森林中の秘密の泉水から取ってくるもので、殊にこの水をたずさえてくるのは、家の子息によっておこなわれるのである。思うに位牌は最初は礼拝物であったのが、漢族に接するようになってからここに祖先尊拝の念を生ずるようになったものであろう。
 彼らに疾病しっぺいをもって災害をするものは、およそ三種に区別することができる。第一は不潔の死によって死んだところの死霊。第二は鬼。第三はで Slo-ta と呼ぶ者。第二の鬼には種々あって、その色は緑・青などがある。ある者は頭髪がみだれ、ある者は頭毛の末端の立っているものもある。これらはその形はちょうど人間のようであるが、いつもその形を認めることができない。しかしてこの鬼は疾病の矢をはなったり、あるいは悪夢を見さすなどのことをする。つぎに Slo-ta はあまり異常の態度や、不自然の現象によって示さないけれど、また人間に災禍さいかをあたえる。そうしてなお牝鶏を雄鶏のように鳴かせたり、奇怪な分娩ぶんべんをさせたり、あるいは日用器具を火中にて一種の音響を出させたり、またあるいは犬や牝牛めうしを屋根の上に来させたりする。
 以上三種の災害者は、祈祷と供物とによって、これを駆逐くちくすることができる。そなえ物の酒、また食物の如何いかんによって死霊や鬼はくるものと考えている。もし供物くもつをしなかったばあいには、死霊や鬼などは怨恨えんこんのあまりついに害をするようになる。これがために降魔式が施行されて、死霊や鬼をあるいは慰安いあんし、あるいは脅迫する。このとき、巫人は霊鬼に対して荊棘いばらのムチを振りまわすのである。
 巫人は村落の学校の先生である。けれど彼は農夫であって、一般のそれと異なるところがない。であるから巫人は別に神聖なるものではない。ただ巫人の商売を学んだだけのことである。すなわち彼の祈祷をおこなうのは、供物の動物を殺し、礼式の指揮をしてかつ報酬を受けるのである。
 の善良なる霊魂と、その信仰を見るのに一つも殿堂を持っていない。彼らはたとえ粗造なる偶像を地霊れいとして一小祠しょうし中に安置するにしても、これは漢族の風を真似まねたものである。けれども彼らの中にただ一種の偶像がある。石で作られ、その長さは一尺〔およそ三三センチメートル〕ばかり。これをいつも竜樹の下におく。はもっとも樹を尊拝する風がある。これがために雲南省における彼らの村落の後や、また家屋の周囲は樹木で囲繞いじょうされている。前の石を尊拝することについて、今はそのどういう意味であるかを知ることができない。かつ儀式・祈祷もおこなわず、ただこれに供物として一年に二度、鳥・豚をそなえるだけである。かくの信仰の対照は、ある人の説によれば、を守護するところの天上のある神であるという。もしこの説があたっているとすれば、これは彼らの信仰と異なって、宇宙尊拝というべきであろう。雲南省では、漢族・・撲喇(Pu-la)らの居住地には、いずれにも竜樹がある。この樹は各村落を守護している竜神の存在するところと考え、これに向かって豚の供物をそなえ、その肩胛骨けんこうこつを後には樹幹じゅかんにしばっておくのである。この樹は特別のスピーシーズ〔種〕でなくとも、ただ大木であればいいのである。
 は、天空に住んでいる族長を信仰する。この族長は Tse-gudzih といわれて、たくさんの神性を持っている。彼は死の種子をおさめた箱を開くことができる。そうであるから、彼は人間界に向かって死の贈り物をあたえることができる。そのうえ、彼はまた人間界に対して洪水をおこさせることもできる。
 は世界開闢かいびゃくのはなしを持っている。彼らに伝わっている天地創造のはなしによれば、最初に A-chiアチAliアリ という二つの霊魂があった。アチが立派に天空を作り終えたとき、アリのほうは眠っていた。呼び起こされて目を覚ますと、天空はすでにできあがっている。そこで彼は自分もその仕事を速くしようと急いで、そこここに土地を作った。こういうふうに急劇にとっさの間に作ったものであるから地面は不平均をきたし、凸凹でこぼこを生ずるようになった。天空がはじめて作られ当時、日と月は非常に愚昧ぐまいで、いまだその光を輝かすことができなかった。ところが二人の天空の処女によって洗われ清浄となって、そのとき以後、日月は光輝こうきを放つこととなった。
 彼らはまた洪水譚を伝えている。この洪水のはなしは、もと人間の悪くなったためにおこったものであるというのである。最初、天空の族長 Tse-gudzih は人間が悪くなったので、それを試すために天空から地上に使者を送った。それは死についての、ある血と肉とを問いたずねるためであった。ところが人間はすべてこれを拒絶した。けれども、洪水――チグヂーがたちまち雨の水門を閉鎖したので、水は天空にのぼかさむようになって、ついに洪水となった。Du-muヅム はこのことを知ったが、前に Pieris 樹の大木を掘りうがって空虚とし、この中に四人の子どもを入れて洪水から救い出した。またそれとともに水獺すいだつ〔カワウソ〕、野ガモ、ドジョウをも救い出した。その四人の子どもは、今日、もしくは漢族のように文字を書くところの開化した民族の祖先となった。無知なる氏族は、ヅムが木片で作ったところの民族の子孫である。はヅムをその祖先として尊拝している。しかして彼らの中におこなわれるすべての物語は、どれもヅム、すなわち洪水のはなしで始められるのである。ヅムや洪水以前の民族の眼は、その位置水平であったが、そののちに今日見るような傾斜した眼を持つ人種がきたのである。この奇怪な想像は、彼らが傾斜した眼を持った蒙古種族(Oblique-eyed Mongolians)蚕食さんしょくされたことを説明するもののようである。
 撲喇プラらは、一般に各六日目にはかならず安息日あんそくびを持っている。この日は耕作もせず、また婦女が衣服を洗い、あるいはこれをうことも厳しく禁ぜられている。
 余はこれまで、かの天空の族長について語らなかったが、古き伝えによれば、彼らは一度地上に居住したことがある。その時代は今日からおよそ六〇〇ないし九〇〇年以前のことであるという。
 以上、洪水・安息日などのことはすべてシリアのそれと関係があるようである。これは思うにネストリア教〔景教、ネストリウス派キリスト教〕が早くの中に感化をおよぼした結果、ついにこういう話が生じたのではあるまいか。マルコ・ポーロの旅行記『東方見聞録』によれば、第十三世紀のころすでにネストリア教会の同地に設立されたことを記してある。そうして同教のアロポンは六三五年にシナに到着している。
 シナの宗教について研究したかの有名な De Grot 氏によると、漢族は古くからまったく動物を尊拝したことなく、かつ東方アジアに広くおこなわれているいわゆる Totemismトーテミズム については、厳粛げんしゅくなる疑惑をもって見られていた。しかし、の姓名はつねに動物と植物との二種をもって現わしていた。しかしてこれらの古い姓名は、祖先から同一の名称を持ってきた子孫であると考えているようである。これらの姓名のうち、もっとも古いものに Bu-luh というのがある。これは仏手柑ぶしゅかんという意味で、もっとも古名に属している。今はこの名は変化して Sa-lu となった。なお、実際の談話中にもちいるばあいについて一例を記すと、「あなたはなぜ、それに触れられないのですか?」と言ったときの答えには、「わたしらは仏手柑(Sa-lu)には触れません」という。彼らは、その姓名についている動物・植物を食べないばかりか、また手に触れることさえしないのである。互いに同じ姓名の人は、確然たる親縁でなければおのおの結婚をすることができるけれども、二、三姓名の群ばかりは、絶対に他と嫁娶かしゅを禁ぜられている。彼らの結婚は母が選ぶのであって、その饗宴きょうえんはおのおの家風によるが、その式をおこなうには多くの費用がいる。婚礼が終われば新婦は一度免されて里帰さとがえりをする。その際には、夫が新妻をつれて新妻の家に行く風がある。
 は、音楽・唱歌・舞踊をおおいに喜ぶ。舞踊は宴会えんかいの場所や鬱散うっさんする際にこれをもよおし、決して宗教上の意味を有するものではない。
 巫人の凶悪なる目付〔日付か〕は、幸福の日や不幸の日などには彼らによく信仰される。しかして巫婆が死を招くことについての長い祈祷がある。これがために鬼は皮膚ひふ粉砕ふんさいし、その肉は食われ、呼吸は止められる。
 余は、彼らのフォークロアの多くをここには記さない。
 最後において、処女が歌うの歌謡を訳出しよう。これは読む者にとって非常に興味あることであろう。

わが三人みたりの娘
くろつちの銀の橋
歳若き御身とともにわれらはそれを渡りぬ
白空は黄金色をおべるよ
なんじとともにわれらはそれを載かなん
日と月の黄金色の扇
ともにわれらはその動揺を見き
われらは今宵こよい乙女たち、童たちとつどいたり
歌謡とたわむれは童たち、乙女たちの心より出で来たりぬ
銀は漢土より来たりぬ
絹は町より
米は野より
されど妻さだめは童たちのくちよりぞきたる

 の神話


には一種の神話がある。これについてくわしく研究せられたものは、かの久しく雲南省におられたフランスのカトリック教宣教師の Paul Vial 氏である。氏は一八九八年に上海シャンハイから『Les Lolos』という論文を世におおやけにせられた。こはわずか七一ページのものであるが、各章、いずれも有益な記事ばかりであって、すこぶる吾人ごじんの一読に値するものである。余は、彼らの神話に関する一節を訳出し、前章ヘンリー氏の論文と対読してもらうことにした。

 はその神話を左のごとく分かっている。

第一、天の創造および地の形成時代
第二、旱魃かんばつの時代
第三、洪水時代

 以上の三期は、彼らの神典しんてんに記されているものであって、以下記そうとする神話は必竟ひっきょう、その翻訳たるにすぎない。であるから少しも加筆せずに、原文のままに従うことにした。これは後にこれを研究する者の参考に供するためである。(著者いう、この神典というのは、彼らの古くからある固有の文字で書いたもので、酋長などの家々に伝わっているものである。余もかつて四川省のの酋長の家でこれを見たが、このことについては、古く丸善の『学灯』で発表しておいた。

   一、天の創造および地の形成時代

     mou dou mi dla ki mou mi tei da g�

 天(mou)(mi)のいまだ区別されないときには、昼(mo-u gni)および夜Pヤiはなく、また日(lo tche)も月(hla ba)も輝かなかった。このときには地上に、一人の人間(ts'o)すらなかった。はじめて天および地を区別したものは KedzeケゼGageガゼ である。この神は、日の没する方にある大きな山上に放たれた。この山は Moutou という。
 神は、地上に一人の人間を作ろうと思った。まず川を渡り、日の登るほうに進み、この所にとどまって地上の泥土(gni na)で人を作りだそうとした。神はこの地上のすべての上に煙kヤegaをたき、食物(tsa)および酒(tche)そなえた。この理由からして後世、神は人間から香をたかれ、また食物および酒を供えられるようになったのである。神ははじめて人間を作ろうと思って、泥土を取り、その日にそれを作った。そして翌朝ここにきて見ると、その人形は破毀はきされておった。神はふたたびそれを作った。翌朝ここにきたが、またもや破毀されておった。ついに三日目にもさらにこれを作りなおし、今度はここを去らずに、どうしてそうなるのかとあやしみながらこれを監督しておったが、ついにこれを破毀するものは、まったく地神(Gni na la se ma)であることを知るに至った。
 そこで地神は出てきて言うには、

なんじはどうして、地の泥土を取るのか。地はおれの付属物だ。俺は土地の主人なのだ。どうして余に語らずに、そのようなことをするか?

 ケゼ、ガゼはこれに答えていうには、

この地上には、いまだ一人の人間さえもありません。わたしらはこれを作り出したいものだと思って、あなたの泥土を取ったのです。つまり、わたしらは私たちのために香をたき、食料をそなえ、水をささげる人間を作ろうと思ったからこそ、そうしたのです。ですから、もしも人間を作り終わったならば、あなたに、きっとその泥土をお返ししましょう。

 地神がいうには、

何年のうちに、これを返すか?

 答えていうには、

わたしらは六十年の後、これをお返ししましょう。

 こういうことがあったので、いま人は六十歳で生命を終えるようになったのだ。すなわち人間の身体は、この歳で終わるようになったのだ。これは天然の道理であって、今の人で六十歳以上に達する者のあるのは、それはその人の徳によってである。
 人間の身体(Peu)は、三六一の骨(ges tsi)からできており、頭(oko)の骨は二つの部分からできている。また、女(gni neu)の身体は三六〇の骨から形づくられ、その頭の骨は四つの部分に分かたれる。人間は地上の泥土から作られたものであって、これを作らんがために神は一つの川を渡り、対岸に達し、これを作り終わり、ここで休息して、この事業を成就したのである。
 この作り上げられたる人は Techi と名づけ、都合つごう二人であって、兄(mou)と妹(neu)とである。もちろん父(iba)もなく、母(ima)もない。彼らより前には、地上には一人の人間すらもなかった。そして、この人間はまったく泥土より作り出されたものである。
 この二人は二つの山上に置かれ、おのおの一つの丸き石を取って投げたところが、妹の石は下に落ち、兄の石はその上に落ちた。彼らはまた、おのおの一つのふるい(choi tse)を取って回転したが、妹のものは前に止まり、兄のものは手前の方にとどまった。彼らはおのおのまた、一つのくつを取ってそれを投げたが、妹の靴はそれより先にとどまり、兄の靴は山麓において手前にとどまった。彼らはおのおの山上に二つの火を燃やしたが、煙は天にのぼり、一つの山に集まった。
 のちに兄と妹は配偶をして、妹はヒョウタン(mou lou)を産んだ。このヒョウタンの中には人間のすべての種子を含んでいて、この種子からして、人間はおびただしくなるようになった。
 この二人の兄と妹は、ただ一つの影(I tche)にすぎなかったが、ゲゼ神はこれにおのおの一対の手le tヤi pヤeと一つの顔(tlo ge)、すなわち精神とをあたえた。そして兄は日となり、妹は月となった。日が出ると昼を作り、月が出ると夜を産んだ。星(k� za)の出るのは、彼らの心〈彼らの考え〉(Gni na)である。
 天・地は区別せられ、昼および夜は区別せられたけれども、人間は最初いまだ耕作することを知らず、穀物(Tsa che)なく、衣服(Heo b�)を着することも知らなかった。
 Toehou 王の時代には、人間ははじめて土地を耕すことを学んだ。Ghelou の時代に、穀物をとることを学んだ。そして Hiye の時代に、人間は衣服を着ることを学んだのである。
 このときには一年は四〇〇日をもって計算したが、穀物はいまだ熟することができなかった。その後は一年は六〇〇日となった。しかし、まだ穀物は熟すことができなかった。この後に一年は三六〇日となり、三〇日は一か月、十三日は一旬、一年(k' ou)は十二か月(gni)であって、三〇日の一か月(hla)、十三日の一旬(tcho)より組み立てらる。寅(la)の月は歳をはじめ、丑(gni)の月にて終わる。春(nede)をもってはじめ、そのつぎは夏(hi)にして、つぎは秋tchヤou o、そして冬(Tseu)となり、春・夏・秋・冬はおのおの区別せられ、穀物は生熟せいじゅくに達した。各期において、おのおのの物を植えて、穀物は生熟〔成熟か〕するようになった。以上のごとくゲゼ神は天・地を区別し、テチ兄妹は人間を作り出した。かようにして、ついに現時げんじにおよんだのである。

   二、旱魃かんばつの時代f� se tsi ge


 第一 Ghikedze〔Gnikedze か〕、第二 Gnigage、第三 Tendefe、および、第一 Tendafou、第二 Lototche、第三 Kousey の三家族(K'od ge)
 ツタフのいうには、

余はなんじらを服従させることはできない。

 グニケツゼの精霊は、それらを服従させようとして Ked-zeケツゼ という白龍(lou pou hlou)つかわした。
 ツダフの精霊は、ケツゼの白龍を捕らえ、銀(hlou)かご(ba)の中に閉じ込め、門前に穴を掘ってこれをめた。
 クニケツゼのいうには、

もしもなんじは三足(se tche)にて埋めるならば、天は三年間、輝かないであろう。
もしもなんじは六足にて埋めるならば、六年間、天は雷鳴しないであろう。(ma deu)
もしもなんじは、九足にて埋めるならば、九年間、雨が降らないであろう。ma �
すべての樹は乾き(se ge leu leu kou)
すべての鳥は死すべく、すべての物はまったく乾き、すべての人はまったく死すであろう。
人はただ一人にてもうことなく、三年間、国内をかけまわるであろう。
人はただ一羽の鳥にさえもうことなく、三年間、国内をかけまわるであろう。

 ツダフの精霊のいうには、

われはなんじに服従するは、何のゆえなるか、何のゆえなるか。

 ツダフの精霊、ついに後悔し、服従をした。
 クニツゼいわく、

もしもなんじは、三足にて掘り出せるならば、天は輝くであろう(電光を有す)
もしもなんじは、それを六足で掘り出すならば、六年間、天は雷鳴するであろう。
もしも九足で掘り出すならば、九年間、雨降るであろう。

   三、洪水時代(da la je tsi)


 ダニの尊敬すべきその祖先は家族四人で、三人は男の兄弟であって、その末の一人は女である。そして、彼らはいずれも耕作をしていた。
 彼らは昨日耕作したのに、今日の早朝にはそれを崩され、かつそこを掘られ、あぜはくつがえされた。彼らはまた耕作した。しかるにその翌日もかくのごとくであった。かくすることおよそ三日間にわたった。
 彼らは非常に不思議だと思ったので、一夜、彼らは休息した。その夜中になったころ、尊敬すべきところのグニグナは手に銀の棒(hau da)をたずさえて出てきて、あぜを打ちくずした。
 そこで、このとき、兄は、

彼を打て、といった。

 弟は、

彼を服従させよ、といった。

 末の弟は、

チョト彼に聞こうといって、なんじは何ゆえにそのようなことをするのか、とたずねた。

 彼は答えていうには、

なんじら兄弟よ、なんじらは土地を耕す必要はあるまい。洪水の時期近づくであろう。そして天より地、地より天に水はひたすであろう。
すべての人間は水に浸されるであろう。

 これを聞いた四人の兄弟はどうしたらよいかと、おのおのその洪水のことに心をくだいた。
 長男は、鉄の箱re leu kヤeuの中に閉じこもろうとし、二男は銅の箱dje leu kヤeuの中に閉じこもろうとし、三男および妹は木の箱se leu kヤeuの中に閉じこもろうとした。しかるに、この木の箱に入ろうとした三男と妹に神は告げていうには、

なんじらは、鶏の卵(i� hla tヤi)をたずさえよ。そしてひなi� za)が鳴かない間は、決して箱の戸leu kヤeu kaを開くな。雛が鳴いたら、すぐその戸を開け。

 そうしているうちに雨はたちまち降ってきて、長男・次男の鉄の箱・銅の箱は水中にしずめられ、三男と妹の木の箱は水がひたしてくるにつれて、Mou tou 山の中腹の岩(j�)にある一本のかしの木(se vou)にとどまった。彼らはこれからくだろうとしたが、くだることができず、またのぼろうとしたがそれもできなかった。
 岩の上に一本の竹(ke leu)があったので、その枝にすがりついて、上に昇ることができた。
 この時からはこの竹を、神として尊拝するようになった。(つづく)



底本:『日本周囲民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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日本周圍民族の原始宗教(七)

神話宗教の人種學的研究
鳥居龍藏

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山《やま》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)人々《ひと/″\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」

〈〉:割り注
(例)彼等の心〈彼等の考へ〉
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 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の宗教と神話

[#ここからリード文]
西部支那に※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]と云ふ蠻族が居る。彼等の宗教はどんなものであるか。甞て、エー、ヘンリー氏が『英國人類學雜誌』に載せたる「西支那に於ける※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]及其他の種族」の中、※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の宗教、神話の部を拔いて紹介して見たい。
[#リード文ここまで]

 抑※[#二の字点]※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の宗教上の信仰は、我々人間に對して疾病、其他の災禍を與ふる所のものは、惡靈及び亡魂等であつて、人間は誰でも或る靈魂を持つて居るものだと云つて居る。若しも彼等が今生活して居る人を夢の中で見る事があれば、其人の靈魂は今茲に來たものと信ずるのである。又もう亡くなつた人を夢の中で見ると、矢張り死者の靈魂が茲に來たものと思ふのである。さうして斯う云ふ夢を見た翌朝は、彼等は死んだ漂泊の靈魂の爲に祈祷し、且つ之れに供物を献ずるのである。又將に人が死なうとする時には、其最期の息と共に靈魂が其の人の身體を離れ出る。さうしてそこに死と云ふものが成立つのであるが、この場合に靈魂離出の有無を傍に居る別人に見屆けて貰ふ必要がある。死は穢である。死靈は彼と關係あるものに煩累や疾病を蒙らせる。變死、出産の際の死、自殺等は殊に穢である。さうして之れ等の死因による死靈は凶惡であつて、之れが爲には供物を献げ、禮拜をなし、さうして之れを贖はなければならないと考へて居る。余は或時、某所で鹿狩をして居た※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の巫人に出會つた。所が二三日して不意に其の巫人が驚死したので、其死因を他の巫人に尋ねた所が、次の樣な答を得た。
「彼は在世中に三度結婚した。然るに最初の二人の妻は出産の際死んだから、之れに供物を献げ、厚く禮拜した。けれど二人の死靈は間斷なく彼を惱まして來た。丁度先日の或夜、(余の彼と出會つた頃、)二人の死靈は又彼の許に來て居つた。さうして彼は忽ち病を生じたのであるが、堅く醫者を拒絶して、彼の銀を死靈に供する爲に、其の子供に命令したのであるが、銀が子供の手に落ちると同時に彼は死んでしまつたのである」と云つた。余に告げた巫人は之れを卜卦によつて判斷したのである。
 靈魂が長い間の病氣によつて、其の體を離れようとする時には、禮拜式を行ひ、祈祷の言葉を唱へる。其の言葉は、靈魂の名を呼び、且つ山とか溪とか、或は河、森、野等、靈魂の迷ふ所から退散する樣な意味を有つてゐるのである。さうして祈祷が唱へ出されると、家の門口には退散する靈魂の飮食物として水酒米等が供へられる。儀式の後、病人の腕に赤色の繩を卷きつけ、繩は其の終まで用ひられる。生長した收穫物、農家の家蓄は又靈魂に向つて供へられる。若しも米作の豐でなかつた時などには、彼等は殊に祈祷の式などを行つて、其收穫物の靈魂に向つて他に退散を乞ふのである。この場合には符號のついてゐる籃に一定の物を盛り、之れを原野に運んで行くのである。之等の品物はどんなものかと云ふと、婦人の衣服、頸飾、箒、鋤、雌鷄、鷄卵、松の枝、三本の線香等を入れた茶碗などである。
 死者の埋葬法は種々で、非常に混雜して居る。先づ人が死ぬと、呼吸させる爲と、靈魂を逃がれ出させる爲に、家の屋根の木で穴を堀り、牲牛を門口に曳いて來て、棺の中に臥して居る死人の手に卷いてある繩を其の牛の頭に伸張させ、さうして Su-Pu 祈祷を行ふのである。若し死者が清潔でなかつた時には、其の罪を清める爲に儀式を行はなくてはならない。こゝで通例の儀式が行はれるのである。死後二日目と三日目には Weh-ha と Mu-che と云ふ最も大切な儀式が行はれる。棺をいよ/\埋葬地に運ばうとする時、先づ紙で作つた偶像を棺の上に置く。これは死者に象つたものである。さうして此の際巫人は Jo-mo 即ち道の祈祷を誦じ、其の死者の家から百歩程隨行する。巫人の誦文の口調は丁度父が子に教へ、主婦が下女に諭すやうであつて、死者の生存中の状態でこれを行ふのである。巫人の誦文の意味はどう云ふものであるかと云ふと、即ち死者は死後其靈魂が旅行しなければいけないと云ふことを教へるのである。この誦文は最初家の入口で唱へ、其れから墳墓に行く途中市街、川、山等でこれを唱へる。この意味を尚精しく記すと、「汝死靈は今から※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の故郷なる Taliang 山に到着するまで旅立ちしなければならない。汝は其の故郷に行く爲めに大層淋しい墳墓を越えて、かの道路を歩むやうに切に望む。」と云ふのである。死者は斯うして冥府に入る。さうして彼は想思樹(Thought)や説話樹(Tree of talk)の側に立つ。其處で彼は跡に殘して來た最愛の者に就て考へ、且つ慟哭する。この儀式の終つた後、巫人は家に歸り、棺は墳墓中に埋葬せられるのである。
 地上に住む※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]はかの Lolodom を指して、天上にあつて通信をして居る星であると考へて居るやうである。それでは彼等が若し病氣にでもなつた時には、杯に酒を盛り供物として星に献げる。其際には四臺より二十臺の燈火を室外に點ける。葬式の翌日、死者の居た汚れた室内の地上で玉子を廻轉させ、停止した所を汚れたる場所として、此處を發掘する。かう云ふ儀式を行ふのは、つまり死んだ人の星を茲に落して埋める爲である。若しも此の祈祷をしなかつたならば、星は天から落下して、人を害するやうになるであらう。
 位牌(Ancestral tablet)は死後二日目に作られ、九日目に室内の中央に祈祷後安置せられる。これは命日ばかりでなく、生活上最も大切な物としてこれを尊拜する。この位牌を I-Pu 祖先と呼ぶ。位牌は Pieris 樹から作られるもので、其丸太は彼等の神話として傳へてる洪水の時の箱船に比すべきものであると云ふ。而して葺料として用ゐられる草の原料は Transverse bundle で又同一である。二個の竹根は已に死んだ父母を代表する。即ち其一は竹根に九つの關節を有し、其一は七つの關節を有してゐる。この文字は巫人の手で墨を以て書かれるが、其墨の水は唯死者の家人だけが知つてゐる或場所の森林中の秘密の泉水から取つて來るもので、殊にこの水を携へて來るのは、家の子息によつて行はれるのである。思ふに位牌は最初は禮拜物であつたのが、漢族に接するやうになつてから茲に祖先尊拜の念を生ずるやうになつたものであらう。
 彼等に疾病を以て災害をするものは、凡そ三種に區別することが出來る。第一は不潔の死に因て死んだ所の死靈。第二は鬼。第三は※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]で Slo-ta と呼ぶ者。第二の鬼には種々あつて、其色は緑、青等がある。或者は頭髮が亂れ、或者は頭毛の末端の立つてゐるものもある。是等は其形は丁度人間のやうであるが、何時も其形を認めることが能きない。而して此の鬼は疾病の箭を放つたり、或は惡夢を見さす等のことをする。次に Slo-ta は餘り異常の態度や、不自然の現象によつて示さないけれど亦人間に災禍を與へる。さうして尚ほ牝鷄を雄鷄のやうに鳴かせたり、奇怪な分娩をさせたり、或は日用器具を火中にて一種の音響を出させたり、又或は犬や牝牛を屋根の上に來させたりする。
 以上三種の災害者は祈祷と供物とによつて、これを驅逐することが出來る。※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は供へ物の酒又食物の如何によつて、死靈や鬼は來るものと考へてゐる。若し供物をしなかつた場合には、死靈や鬼等は怨恨のあまり遂に害をするやうになる。これが爲に降魔式が施行されて、死靈や鬼を或は慰安し、或は脅迫する。この時巫人は靈鬼に對して荊棘の笞を振り廻すのである。
 巫人は村落の學校の先生である。けれど彼は農夫であつて一般の其れと異なる所がない。であるから巫人は別に神聖なるものではない。唯巫人の商賣を學んだだけのことである。即ち彼の祈祷を行ふのは、供物の動物を殺し、禮式の指揮をして且つ報酬を受けるのである。
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の善良なる靈魂と、其信仰を見るのに一も殿堂を有つてゐない。彼等は假令粗造なる偶像を地靈として一小祠中に安置するにしても、之れは漢族の風を眞似たものである。けれども彼等の中に唯だ一種の偶像がある。石で作られ、其長さは一尺許り。これをいつも龍樹の下に置く。※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は最も樹を尊拜する風がある。これが爲に雲南省に於ける彼等の村落の後や、又家屋の周圍は樹木で圍繞されてゐる。前の石を尊拜することに就て、今は其のどう云ふ意味であるかを知ることが能きない。且つ儀式祈祷も行はず、唯これに供物として一年に二度鳥豚を供へるだけである。斯の信仰の對照は、或人の説によれば、※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]を守護する所の天上の或神であると云ふ。若し此の説が當つてゐるとすれば、これは彼等の信仰と異つて、宇宙尊拜と云ふべきであらう。雲南省では漢族、※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]、撲喇(Pu-la)等の居住地には、何れにも龍樹がある。この樹は各村落を守護して居る龍神の存在する所と考へ、これに向つて豚の供物を供へ、其肩胛骨を後には樹幹に縛つて置くのである。此樹は特別のスペーシスでなくとも、唯大木であれば可いのである。
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は天空に住んでゐる族長を信仰する。この族長は Tse-gudzih と云はれて、澤山の神性を有つてゐる。彼は死の種子を納めた箱を開くことが出來る。さうであるから彼は人間界に向つて死の贈物を與へることが出來る。其の上彼は又人間界に對して洪水を起させることも出來る。
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は世界開闢の譚を有つて居る。彼等に傳はつて居る天地創造の譚によれば、最初に A-chi と Ali と云ふ二つの靈魂があつた。アチが立派に天空を造り終へた時、アリの方は眠つてゐた。呼び起されて目を覺すと、天空はすでに出來上つて居る。そこで彼は自分も其仕事を速くしようと急いで、其所、此所に土地を作つた。かう云ふ風に急劇に、咄嗟の間に作つたものであるから地面は不平均を來し凸凹を生ずるやうになつた。天空が初めて造られ當時、日と月は非常に愚昧で、未だ其光を輝すことが出來なかつた。所が二人の天空の處女によつて洗はれ清淨となつて、その時以後、日月は光輝を放つこととなつた。
 彼等は又洪水譚を傳へてゐる。この洪水の譚は、もと人間の惡くなつた爲に起つたものであると云ふのである。最初天空の族長 Tse-gudzih は人間が惡くなつたので、それを試す爲めに天空から地上に使者を送つた。それは死に就ての或る血と肉とを問ひ尋ねる爲であつた。所が人間はすべてこれを拒絶した。けれども、洪水――チグヂーが忽ち雨の水門を閉鎖したので、水は天空に昇り嵩むやうになつて終に洪水となつた。Du-mu はこの事を知つたが、前に Pieris 樹の大木を掘り穿つて空虚とし、此中に四人の子供を入れて洪水から救ひ出した。又其れと共に水獺、野鴨、鰌をも救ひ出した。其の四人の子供は、今日※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]、若しくは漢族のやうに文字を書く所の開化した民族の祖先となつた。無智なる氏族はヅムが木片で作つた所の民族の子孫である。※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]はヅムを其祖先として尊拜して居る。而して彼等の中に行はれる總ての物語は、どれもヅム、即ち洪水の譚で始められるのである。ヅムや洪水以前の民族の眼は、其位置水平であつたが、其後に今日見るやうな傾斜した眼を持つ人種が來たのである。この奇怪な想像は、彼等が傾斜した眼を有つた蒙古種族(Oblique-eyed Mongolians)に蠶食されたことを説明するものゝやうである。
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]、撲喇《プラ》等は一般に各六日目には必ず安息日を有つて居る。この日は耕作もせず、又婦女が衣服を洗ひ、或はこれを縫ふことも嚴しく禁ぜられて居る。
 余はこれまでかの天空の族長に就て語らなかつたが、古き傳へによれば、彼等は一度地上に居住したことがある。其時代は今日から凡そ六百乃至九百年以前のことであると云ふ。
 以上洪水、安息日等の事はすべてシリアのそれと關係があるやうである。これは思ふにネストリア教が早く※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の中に感化を及ぼした結果、遂にかう云ふ話が生じたのではあるまいか。マルコポロの旅行記によれば、第十三世紀の頃すでにネストリア教會の同地に設立されたことを記してある。さうして同教のアロポンは六百三十五年に支那に到着して居る。
 支那の宗教に就て研究したかの有名な De Grot 氏によると、漢族は古くから全く動物を尊拜したことなく、且つ東方亞細亞に廣く行はれてゐる所謂 Totemism に就ては、嚴肅なる疑惑を以て見られて居た。然し※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の姓名は常に動物と植物との二種を以て現して居た。而して是等の古い姓名は祖先から同一の名稱を有つて來た子孫であると考へて居るやうである。是等の姓名の中、最も古いものに Bu-luh と云ふのがある。これは佛手柑と云ふ意味で最も古名に屬してゐる。今はこの名は變化して Sa-lu となつた。尚ほ實際の談話中に用ゐる場合に就て一例を記すと「貴君は何故、其れに觸れられないのですか」と云つた時の答には「私等は佛手柑(Sa-lu)には觸れません」と云ふ。彼等は其の姓名に附いてゐる動物、植物を食べないばかりか又手に觸れる事さへしないのである。互に同じ姓名の人は、確然たる親縁でなければ各々結婚をすることが出來るけれども。[#句点は底本のまま]二三姓名の群ばかりは絶對に他と嫁娶を禁ぜられてゐる。彼等の結婚は母が撰ぶのであつて、其饗宴は各※[#二の字点]家風によるが、その式を行ふには多くの費用が要る。婚禮が終れば新婦は一度免されて里歸りをする。其際には夫が新妻を伴れて新妻の家に行く風がある。
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は音樂、唱歌、舞踊を大に喜ぶ。舞踊は宴會の場所や欝散する際にこれを催し、決して宗教上の意味を有するものではない。
 巫人の凶惡なる目附[#「目附」は底本のまま]は幸福の日や不幸の日等には彼等によく信仰される。而して巫婆が死を招くことに就ての長い祈祷が在る。これが爲に鬼は皮膚粉碎し、其肉は食はれ、呼吸は止められる。
 余は彼等のフオルクロアの多くをこゝには記さない。
 最後に於て處女が歌ふ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の歌謠を譯出しよう。是れは讀む者に取つて非常に興味あることであらう。
[#ここから3字下げ]
わが三人《みたり》の娘
土《くろつち》の銀の橋
歳若き御身とともに我等は其を渡りぬ
白空は黄金色をおべるよ
汝とともに我等は其を載かなん
日と月の黄金色の扇
ともに我等は其の動搖を見き
我等は今宵乙女達童達と集ひたり
歌謠と戯は童達乙女達の心より出で來りぬ
銀は漢土より來りぬ
絹は町より
米は野より
されど妻定めは童達の口《くち》よりぞ來る
[#ここで字下げ終わり]

[#改ページ]
 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の神話

[#ここからリード文]
※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]には一種の神話がある。これに就て、精しく研究せられたものは、かの久しく雲南省に居られた佛蘭西のカトリツク教宣教師の Paul Vial 氏である。氏は一八九八年に上海から『Les Lolos』と云ふ論文を世に公にせられた。こは僅か七一頁のものであるが、各章、何れも有益な記事ばかりであつて、頗る吾人の一讀に値するものである。余は彼等の神話に關する一節を譯出し、前章ヘンリー氏の論文と對讀して貰ふ事にした。
[#リード文ここまで]

 ※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]は其神話を左の如く分つて居る。
[#ここから2字下げ]
第一、天の創造及び地の形成時代
第二、旱魃の時代
第三、洪水時代
[#ここで字下げ終わり]
 以上の三期は、彼等の神典に記されて居るものであつて、以下記さうとする神話は、必竟、其翻譯たるに過ぎない。であるから少しも加筆せずに、原文の儘に從ふ事にした。此は後にこれを研究する者の參考に供する爲である。(著者曰ふ、此の神典と云ふのは、彼等の古くからある固有の文字で書いたもので、酋長などの家々に傳はつて居るものである。余も曾て四川省の※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]の酋長の家で、之れを見たが、此の事に就ては、古く丸善の『學燈』で發表して置いた。)

   一 天の創造及び地の形成時代
     (mou dou mi dla ki mou mi tei da 〔ge`〕)

 天(mou)地(mi)の未だ區別されない時には、晝(mo-u gni)及び夜(P‘i)はなく、また日(lo tche)も月(hla ba)も輝かなかつた。此の時には地上に一人の人間(ts'o)すらなかつた。始めて天及び地を區別したものは Kedze と Gage である。この神は日の沒する方にある大きな山上に放たれた。此山は Moutou と云ふ。
 神は地上に一人の人間を造らうと思つた。先づ川を渡り日の登る方に進み、この所に留まつて、地上の泥土(gni na)で人を造り出さうとした。神は此の地上のすべての上に煙(k‘ega)をたき、食物(tsa)及び酒(tche)を供へた。この理由からして、後世、神は人間から、香をたかれ、また食物及び酒を供へられる樣になつたのである。神は創めて人間を造らうと思つて、泥土を取り、其日に其を造つた。そして、翌朝、此處に來て見ると、其人形は破毀されて居つた。神は再び其を造つた。翌朝、此處に來たが、又もや破毀されて居つた。遂に三日目にも更にこれを造り直し、今度は此處を去らずに、何うして、さうなるのかと、怪みながら、これを監督して居つたが、遂にこれを破毀するものは、全く地神(Gni na la se ma)であることを知るに至つた。
 そこで地神は出て來て曰ふには、
[#ここから2字下げ]
汝は何うして、地の泥土を取るのか。地は俺の附屬物だ。俺は土地の主人なのだ。何うして余に語らずに、其の樣な事をするか。
[#ここで字下げ終わり]
 ケゼ、ガゼは之に答へて云ふには
[#ここから2字下げ]
この地上には未だ一人の人間さへもありません。私等はこれを造り出したいものだと思つて、あなたの泥土を取つたのです。つまり私等は私達のために、香をたき、食料を供へ、水をさゝげる人間を造らうと思つたからこそ、さうしたのです。ですから若しも人間を造り終つたならば、あなたに、キツト其泥土を御返へししませう。
[#ここで字下げ終わり]
 地神が云ふには、
[#ここから2字下げ]
何年の中に、之を返へすか。
[#ここで字下げ終わり]
 答へて云ふには
[#ここから2字下げ]
私等は六十年の後、これを御返へししませう。
[#ここで字下げ終わり]
 斯う云ふ事があつたので、今人は六十歳で生命を終る樣になつたのだ。即ち人間の身體はこの歳で終る樣になつたのだ。之れは天然の道理であつて、今の人で六十歳以上に達する者のあるのは、其れは其人の徳に因てである。
 人間の身體(Peu)は、三百六十一の骨(ges tsi)から出來て居り、頭(oko)の骨は二つの部分から出來て居る。又女(gni neu)の身體は三百六十の骨から形づくられ、其頭の骨は四つの部分に分たれる。人間は地上の泥土から造られたものであつて、之れを造らんが爲めに、神は一つの川を渡り、對岸に達し、之を造り終り、此處で休息して、この事業を成就したのである。
 この造り上げられたる人は Techi と名づけ、都合二人であつて、兄(mou)と妹(neu)とである。勿論父(iba)もなく、母(ima)もない、彼等より前には、地上には一人の人間すらもなかつた。そして、この人間は全く泥土より造り出されたものである。
 この二人は二つの山上に置かれ、各々一つの圓き石を取つて投げた所が、妹の石は下に落ち、兄の石は其上に落ちた。彼等はまた、各々一つの篩(choi tse)を取つて廻轉したが、妹のものは前に止まり、兄のものは手前の方にとゞまつた。彼等は各々また、一つの靴を取つて其を投げたが妹の靴はそれより先にとゞまり、兄の靴は山麓に於て手前にとゞまつた。彼等は各々山上に二つの火を燃したが、煙は天にのぼり、一つの山に集まつた。
 後に兄と妹は、配偶をして、妹は瓢箪(mou lou)を産んだ。この瓢箪の中には、人間の總ての種子を含んで居て、この種子からして、人間は夥しくなる樣になつた。
 この二人の兄と妹は、たゞ一つの影(I tche)に過ぎなかつたが、ゲゼ神はこれに各々一對の手(le t‘i p‘e)と一つの顏(tlo ge)即ち精神とを與へた。そして兄は日となり、妹は月となつた。日が出ると晝を造り、月が出ると夜を産んだ。星(〔ke' za〕)の出るのは彼等の心〈彼等の考へ〉(Gni na)である。
 天、地は區別せられ、晝及び夜は區別せられたけれども、人間は最初未だ耕作することを知らず、穀物(Tsa che)なく、衣服(Heo b〔e`〕)を着することも知らなかつた。
 Toehou 王の時代には、人間は始めて土地を耕すことを學んだ。Ghelou の時代に穀物を獲ることを學んだ。そして Hiye の時代に人間は衣服を着ることを學んだのである。
 この時には一年は四百日を以て計算したが、穀物は未だ熟する事が出來なかつた。其後は一年は六百日となつた。然しまだ穀物は熟すことが出來なかつた。この後に一年は三百六十日となり、三十日は一ケ月、十三日は一旬、一年(k' ou)は十二ケ月(gni)であつて、三十日の一ケ月(hla)十三日の一旬(tcho)より組み立てらる。寅(la)の月は歳を始め、丑(gni)の月にて終る。春(nede)を以て始め、その次は夏(hi)にして、次は秋(tch‘ou o)、そして冬(Tseu)となり、春、夏、秋、冬は各々區別せられ、穀物は生熟に達した。各期に於て、各々の物を植ゑて、穀物は生熟する樣になつた。以上の如くゲゼ神は、天、地を區別し、テチ兄妹は人間を造り出した。斯樣にして、遂に現時に及んだのである。

   二 旱魃の時代(f〔e`〕 se tsi ge)

 第一、Ghikedze 第二、Gnigage 第三、Tendefe 及び第一、Tendafou 第二、Lototche 第三、Kousey の三家族(K'od ge)[#句点なしは底本のまま]
 ツタフの云ふには
[#ここから2字下げ]
余は汝等を服從させる事は出來ない。
[#ここで字下げ終わり]
 グニケツゼの精靈は、それ等を服從させやうとして Ked-ze と云ふ白龍(lou pou hlou)を遣はした。
 ツダフの精靈は、ケツゼの白龍を捕へ、銀(hlou)の籃(ba)の中に閉ぢ込め、門前に穴を掘つてこれを埋めた。
 クニケツゼの云ふには
[#ここから2字下げ]
若しも汝は三足(se tche)にて埋めるならば、天は三年間、輝かないであらう。
若しも汝は六足にて埋めるならば、六年間、天は雷鳴しないであらう。(ma deu)
若しも汝は、九足にて埋めるならば、九年間、雨が降らないであらう。(ma 〔a`〕)
總ての樹は乾き(se ge leu leu kou)
總ての鳥は死すべく、總ての物は全く乾き、總ての人は全く死すであらう。
人はたゞ一人にても遭ふことなく、三年間、國内をかけ廻るであらう。
人はたゞ一羽の鳥にさへも、遭ふことなく、三日間[#「三日間」は底本のまま]、國内をかけ廻るであらう。
[#ここで字下げ終わり]
 ツダフの精靈の云ふには、
[#ここから2字下げ]
我は汝に服從するは、何の故なるか、何の故なるか。
[#ここで字下げ終わり]
 ツダフの精靈、遂に後悔し、服從をした。
 クニツゼ曰く
[#ここから2字下げ]
若しも汝は、三足にて掘り出せるならば、天は輝くであらう(電光を有す)
若しも汝は、其を六足で掘り出すならば、六年間、天は雷鳴するであらう。
若しも九足で掘り出すならば、九年間、雨降るであらう。
[#ここで字下げ終わり]

   三 洪水時代(da la je tsi)

 ダニの尊敬すべき其祖先は、家族四人で、三人は男の兄弟であつて、其末の一人は女である。そして、彼等は何れも耕作をして居た。
 彼等は昨日耕作したのに、今日の早朝には、其れを崩され、且つ其處を掘られ、畦は覆へされた。彼等は復、耕作した。而るに、其翌日も斯くの如くであつた。斯くすること、凡そ三日間に亘つた。
 彼等は、非常に不思議だと思つたので、一夜彼等は休息した。其夜中になつた頃、尊敬すべき所のグニグナは手に銀の棒(hau da)を携へて出て來て、畦を打ち崩した。
 そこで、この時、兄は
[#ここから2字下げ]
彼を打て、と云つた。
[#ここで字下げ終わり]
 弟は
[#ここから2字下げ]
彼を服從させよ、と云つた。
[#ここで字下げ終わり]
 末の弟は
[#ここから2字下げ]
チヨト彼に訊かうと云つて、汝は何故に其樣な事をするのか。と訊ねた。
[#ここで字下げ終わり]
 彼は答へて云ふには
[#ここから2字下げ]
汝等兄弟よ、汝等は土地を耕す必要はあるまい。洪水の時期近づくであらう。そして天より地、地より天に水は浸すであらう。
總ての人間は水に浸されるであらう。
[#ここで字下げ終わり]
 これを聞いた四人の兄弟は、何うしたらよいかと、各々其洪水の事に、心を碎いた。
 長男は、鐵の箱(re leu k‘eu)の中に閉ぢ籠らうとし、二男は銅の箱(dje leu k‘eu)の中に閉ぢ籠らうとし、三男及び妹は木の箱(se len[#「len」は底本のまま] k‘eu)の中に閉ぢこもらうとした。然るに、この木の箱に入らうとした三男と妹に神は告げて云ふには、
[#ここから1字下げ]
汝等は、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]の卵(i〔e'〕 hla t‘i)を携へよ。そして雛(i〔e'〕 za)が鳴かない間は、決して箱の戸(leu k‘eu ka)を開くな。雛が鳴いたら、直ぐ其戸を開け。
[#ここで字下げ終わり]
 さうして居る内に、雨は忽ち降つて來て、長男、次男の鐵の箱、銅の箱は水中に沈められ、三男と妹の木の箱は水が浸して來るにつれて Mou tou 山の中腹の岩(〔je'〕)にある一本の樫の木(se vou)にとゞまつた。彼等はこれから下らうとしたが、下る事が出來ず、又上らうとしたが其れも出來なかつた。
 岩の上に一本の竹(ke leu)があつたので其の枝に縋り附いて、上に昇ることが出來た。
 この時から※[#「けものへん+果」、U+7313]※[#「けものへん+羅」、U+7380]はこの竹を、神として尊拜する樣になつた。
(つづく)



底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日發行
   1924(大正13)年12月1日三版發行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 雲南省 うんなん (Yunnan) 中国南西部の省。貴州・広西の西、四川の南に位置する高原地帯で、ミャンマー・ラオス・ベトナムと国境を接する。省都は昆明。20余の少数民族が住み、中国で民族の種類が最も多い省。面積39万平方km。略称、雲。別称、
  • 四川省 しせんしょう (Sichuan) 中国の南西部にある省。長江上流の諸支流にまたがる地。省都は成都。面積約49万平方km。別称、蜀・巴蜀。略称は川。漢族のほか、苗(ミャオ)族・チベット族などの少数民族が居住。古来「天府の国」と呼ばれ、地味肥え、天然資源に富む。
  • シリア Syria (1) 地中海東岸一帯の地域の総称。現在のシリア・レバノン・ヨルダン・イスラエルを含む。古くはフェニキア人の活動やキリスト教成立の舞台。7世紀、ウマイヤ朝の中心。16世紀以降オスマン帝国の属領、第一次大戦後英仏両国の委任統治領であった。(2) 西アジアの地中海に面するアラブ共和国。シリア (1) の北半部を占める。フランス委任統治領から1946年独立。面積18万5000平方km。人口1798万(2004)。首都ダマスカス。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  •  ロロ
  • エー・ヘンリー → Augustine Henry か
  • Augustine Henry ?-? イギリスの医者、植物学者。上海の税関に奉職(1881)、ついで宜昌の医官となり(82-89)、その周辺および湖北、四川等で植物採集をおこない、多くの新種新属を発見した。海南島、台湾、雲南南部にも研究旅行をした。(岩波西洋人名)/著「西シナにおける、およびその他の種族」『英国人類学雑誌』(本文)。
  • 漢族 かんぞく 中国文化と中国国家を形成してきた主要民族。現在中国全人口の約9割を占める。その祖は人種的には新石器時代にさかのぼるが、共通の民族意識が成立するのは、春秋時代に自らを諸夏・華夏とよぶようになって以降。それらを漢人・漢族と称するのは、漢王朝成立以後。その後も漢化政策により多くの非漢族が漢族に同化した。
  • 撲喇(Pu-la) プラ。
  • Tse-gudzih 天空の族長。(本文)
  • A-chi アチ 天地創造の霊魂の名。(本文)
  • Ali アリ 天地創造の霊魂の名。(本文)
  • ヅム Du-mu
  • 蒙古種族 Oblique-eyed Mongolians
  • マルコ・ポーロ Marco Polo 1254-1324 イタリアの商人・旅行家。ヴェネツィアの人。1270年末、再度元へ行く宝石商の父・叔父に伴われて出発、74年フビライに謁して任官、中国各地を見聞、海路インド洋・黒海を経て95年帰国。ジェノヴァとの海戦に敗れて捕らえられ、その獄中で「東方見聞録」を口述し、ヨーロッパ人の東洋観に大きな影響を与えた。
  • アロポン ネストリア教徒。六三五年にシナに到着。(本文)
  • De Grot 氏
  • Bu-luh 姓名のうち、もっとも古いもの。仏手柑の意味。(本文)
  • Sa-lu 現在、Bu-luh が変化したもの。(本文)
  • Paul Vial 氏 フランスのカトリック教宣教師。雲南省に住む。著『Les Lolos』(一八九八、上海)。(本文)
  • Toehou 王
  • Ghelou 伝説の王名か。(本文)
  • Hiye 伝説の王名か。(本文)
  • テチ兄弟
  • Ghikedze
  • Gnigage
  • Tendefe
  • Tendafou
  • Lototche
  • Kousey
  • K'od ge 三家族。
  • ツタフ
  • グニケツゼの精霊
  • Ked-ze ケツゼ 白龍(lou pou hlou)。(本文)
  • ツダフの精霊
  • クニケツゼ
  • クニツゼ
  • ダニ
  • グニグナ


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 「西シナにおける、およびその他の種族」 エー・ヘンリーの著。
  • 『英国人類学雑誌』
  • 『東方見聞録』 とうほう けんぶんろく (Il Milione イタリア)マルコ=ポーロの作とされる旅行記。1271〜95年中央アジア・中国の紀行で、ジパング(日本)に関する記述もあり、ヨーロッパ人の東洋への関心を高めた。
  • 『Les Lolos』 Paul Vial の著。一八九八年、上海の発行。(本文)
  • 『学灯』 がくとう? 丸善のPR誌。『学の燈』(のち『学鐙』)か。明治30年の創刊。(國史「丸善」)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『國史大辞典』(吉川弘文館)。



*難字、求めよ

  • 亡魂 ぼうこん 死んだ人の魂。亡霊。また、成仏し得ない霊魂。
  • 煩累 はんるい わずらわしくうるさいこと。また、そのもの。面倒。心配。
  • 巫人
  • 驚死 きょうし 強い驚きが原因で死亡すること。
  • 卜卦
  • 水酒米
  • 籃 かご
  • 牲牛
  • Su-Pu 祈祷
  • Weh-ha 死後二日目の儀式。(本文)
  • Mu-che 死後三日目の儀式。(本文)
  • Jo-mo 道の祈祷。(本文)
  • 誦文 じゅもん まじないの文句を唱えること。ずもん。
  • Taliang 山 の故郷。(本文)
  • 冥府 めいふ (1) (→)冥土に同じ。(2) 冥土の役所。閻魔の庁。
  • 冥土・冥途 めいど 〔仏〕死者の霊魂が迷い行く道。また、行きついた暗黒の世界。冥界。黄泉。黄泉路。
  • 想思樹 Thought → 相思樹か
  • 相思樹 そうしじゅ マメ科アカシア属の常緑高木。高さ6〜9m。葉はへら形。花は黄色で球状に集まって咲く。台湾・フィリピンの原産。小笠原で自生化。熱帯各地で街路樹・生垣とする。材は薪炭材・家具材。/マメ科の常緑高木。アカシアの仲間で、中国南部・台湾・フィリピン・インドシナなどの熱帯に分布。高さ6〜15メートル。葉身は退化し、葉柄のみが偏平葉状化して、やや鎌形の披針形となる。花は小形・黄金色で葉腋より出した1〜3個の頭状花序に多数群がって付く。熱帯の各地で街路樹・生垣などにされる。材は硬く、建築・家具などの材料とされる。樹皮にはタンニンがある。学名は Acacia confusa。
  • 説話樹 Tree of talk
  • Lolodom
  • 位牌 ancestral tablet ancestral:先祖の、先祖伝来の。tablet :(2)(金属・石・木の)平たい板。銘板。刻板(記念碑などに用いる)。(和英、ライトハウス)
  • I-Pu 祖先 位牌のこと。(本文)
  • Pieris 樹
  • 葺料 ふきりょう?
  • Transverse bundle transverse:横の、横断した。bundle:(1) 束。巻いた物。包み。(2) かたまり。大量。多量。(英和)
  • 竹根 ちくこん/ちっこん
  • Slo-ta 死霊・鬼とともに人間に災禍をあたえるものの一種。(本文)
  • 能きない できない
  • 災禍 さいか (地震・台風・火事などによる)わざわい。災害。
  • 降魔式
  • 降魔 ごうま 〔仏〕悪魔を降伏すること。
  • 降伏 ごうぶく (呉音)〔仏〕法力を以て仏敵・怨敵・魔障などを降し伏せること。
  • 地霊 ちれい 大地に宿るとされる霊的な存在。
  • 小祠 しょうし 小さなほこら。
  • 慰安 いあん なぐさめて心を安らかにすること。
  • 竜樹
  • 囲繞 いじょう (イニョウとも) かこいめぐらすこと。
  • 肩甲骨・肩胛骨 けんこうこつ 胸郭の背面上部にあり、左右各1個から成る逆三角形の扁平骨。上肢骨を躯幹に連ねる。かいがらぼね。
  • スピーシーズ species (1) 種。(2) 種類。
  • 愚昧 ぐまい (「昧」は暗い意) 愚かで道理が分からないこと。
  • 光輝 こうき (1) ひかり。かがやき。
  • チグヂー 洪水。(本文)
  • 水獺 すいだつ 「かわうそ(獺)」の漢名。
  • 野鴨 のがも 野生の鴨。
  • 蚕食 さんしょく 蚕が桑の葉を食うように、片端から次第に他国または他人の領域を侵略すること。
  • 安息日 あんそくび/あんそくにち (Sabbath ラテン) (アンソクジツ・アンソクビとも) (1) ユダヤ教で、1週の第7日に与えた名称で、金曜日の日没から土曜日の日没まで。この日は一切の業務・労働を停止して神の安息に与る。(2) キリスト教ではイエスの復活の日である日曜日。
  • ネストリア教 → 景教
  • 景教 けいきょう (「光り輝く教え」の意) ネストリオス派キリスト教の中国での呼称。唐代に中国に伝わり、唐朝が保護したために隆盛、唐末に至ってほとんど滅亡。後また、モンゴル民族の興隆と共に興ったが、元と共に衰滅。 
  • ネストリア教会
  • Totemism トーテミズム。親族集団をそれぞれ特定の自然物(トーテム)と象徴的に同定することによって社会の構成単位として明瞭に識別される社会認識の様式。トーテムに対する儀礼やタブーの遵守が個人の社会認知の機会として重視される。
  • トーテム totem 社会の構成単位となっている親族集団が神話的な過去において神秘的・象徴的な関係で結びつけられている自然界の事物。主として動物・植物が当てられ、集団の祖先と同定されることも多い。
  • 仏手柑 ぶしゅかん ミカン科の常緑低木。シトロンの変種。高さ3m余。幹はユズに似て枝に刺があり、葉は楕円形。初夏、白色5弁の花を開く。果実の下端は裂けて、指を列ねた形に似る。砂糖漬にして食用とする。テブシカン。
  • 嫁娶 かしゅ よめいりとよめとり。結婚すること。
  • 免される めんされる 免ずる 許す。免除する。
  • 鬱散 うっさん 鬱気を散らすこと。きばらし。うさばらし。
  • 巫婆
  • フォークロア folklore (1) 民間伝承。(2) 民俗学。
  • 吾人 ごじん (1) われ。わたくし。(2) われわれ。われら。
  • 神典 しんてん (1) 神の事跡を記した書物。(2) 神道の聖典。古事記などをいう。
  • 丸善 まるぜん 東京都中央区日本橋に本社のある商社。和洋書籍・文具・教材・事務用品・雑貨などを販売する。明治2(1869)早矢仕有的が丸屋商社として横浜に創立。同26年、現在名に改称。
  • 生熟 せいじゅく 熟さないものと熟したもの。未熟と成熟。
  • 現時 げんじ いま。ただいま。現在。
  • Oblique-eyed oblique:傾いた、斜めの。-eyed:斜視か。
  • 斜視 しゃし (1) 眼筋の異常のため、一眼の視線が異なる方向に向くもの。やぶにらみ。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


書きかえメモ。
堀る → 掘る
Ancestral → ancestral
Transverse → transverse
スペーシス → スピーシーズ
フオルクロア → フォークロア
マルコポーロ → マルコ・ポーロ

※ 各章題に読点をおぎなった。


 パブリの憂鬱。
 ボインジャーはレガシー・フォーマットをどうしたいのか?
 レガシー・フォーマット=ebk、ttz。

 7月。東京ブックフェア。
 マガジン航やボインジャーのサイトをチェックするかぎり、どうやら恒例の青空文庫・富田さんの講演はなかったもよう。青空文庫のこもれびを見ても、オフ会のお知らせが見あたらなかった。
 これも恒例のボインジャーパンフレット『情報の海を航海する』を読む。
 鎌田さんの「電子出版が『出版』になる日」と、小池さんの「EPUB 制作のワークフロー」には既視感がある。内容は、半年ぐらい前にボインジャーが YouTube で公開していたビデオが下敷きになってる。
 パンフレットの鎌田さんと萩野さんの文中には「T-Time」がそれぞれ一か所登場する。「1997年にはエキスパンドブック、1998年にはドットブック(.book)、T-Time(ティータイム)を開発しました」とある。

 問題は、そのエキスパンドブックや T-Time やドットブックといった過去の遺産(legacy)をボインジャーはこれからどうするのか、どうしたいのかという核心が完全に欠落してること。
 B in B の新しい試みはいい。EPUB を強くプッシュするのももちろん。それじゃあ今後、ebk、ttz 形式で提供した電子本はどうなるわけ? という疑問への回答をわくわくしながら期待してるのだけれども、この数年間、いっこうに聞こえてこない。ebk、ttz フォーマットにはもう先がないと、とうに見切ったわけなら、それならそれでやむをえない。作り親がそう判断したのだからパブリッシャーはおのおのそれを受け入れるまで。

 だけれど、ボインジャーのサイトでは T-Time の頒布が引き続きおこなわれている。最新OSへの対応、バージョンの更新も継続している。T-Time パブリッシャーツールキットの販売は停止してひさしいから、新規の出版参入は断たれているはずなのに。
 
 萩野『電子書籍奮戦記』(新潮社、2010.11)の35ページには、「T-Time は現在(2010年10月)、パソコン版のバージョンが 5.5、iPhone/iPad 版のバージョンがT7 (正式には T-Time 7 iPhone/iPad 対応、Android 対応、そして ePub 対応の拡張版[ePub Extension] が準備されている)です」とある。
 つまり、ビュアーとしての T-Time は今後も順調に提供するという意志だろう。これはいい。けれども事実上、出版ツールが絶えているのだから、ttz 形式の電子本が新規に生まれる道は閉ざされたままであることに変わりがない。

 一発大逆転があるとすれば、1、ebk、ttz から ePub3 や PDF へのフォーマット変換ソフトの提供。2、.book、ttz、ePub3 に対応する新生 T-Time の提供。そして3、新生 T-Time & ePub3 パブリッシャーツールキットの提供、ということになろうか。
 ttz も ePub3 も、テキストベースのタグ付け html ファイルが主体だから、ちがうとすれば、テキストエンコーディングぐらいか。もともと ePub3 の開発に ttz のノウハウが移植されてるんだから、相互の互換は高いはず。.book や ePub が読めるのに ebk・ttz が読めないというのはありえない。
 苦戦してるらしいソニーやNECあたりの電子書籍に、ePub 対応拡張版の新生 T-Time を標準搭載させたら・・・それができるのはボインジャーだけでしょ。




*次週予告


第五巻 第五二号 
日本周囲民族の原始宗教(七)鳥居龍蔵


第五巻 第五二号は、
二〇一三年七月二〇日(土)発行予定です。
定価:100円(税込)


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第五一号
日本周囲民族の原始宗教(七)鳥居龍蔵
発行:二〇一三年七月一三日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。