日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(三)
鳥居龍蔵 シベリアのシャーマン教より見たる朝鮮の巫覡
朝鮮の巫覡 については、前章「朝鮮の巫覡」ですでにだいたい記したが、本章においては、さらにこれをシャーマンの本場たるシベリアのそれと比較して記すこととする。なお朝鮮と日本との関係は、いろいろの学問上から見てすこぶる興味ある問題であって、あるいは原始神道の上に、あるいは日本の古代の神話の上に大いに関係があろうと思う。ゆえに本章もいきおい、日本神道との比較研究の色彩をだいぶ帯 びている。
一、シャーマニズムとシャーマン
一般の神話学・比較宗教・人種学などの上からいうとシャーマニズムという宗教は、スピリット〔精霊〕があちらこちらにあるのを
シャーマニズム(Shamanism)というのはごくプリミティブ〔原始的〕の宗教であるが、朝鮮の古い宗教というものは要するにそれなのである。ある人は朝鮮の宗教は仏教だとか儒教だとかいうが、それは上流社会の人のことで、一般の人はシャーマニズムを信じているのである。仏教は百済とか新羅とか高勾麗とかいう時に伝わったもので、儒教は後におこなわれた、いわゆる外来の宗教である。
シャーマニズムのおこなわれている区域は、シベリア・満州・中央アジアなどにおよんでいるが、もっぱらアジアの東方および北方におこなわれている一つの宗教である。そうして、それにはかならず
二、シャーマンの種類
それで今日おこなわれているシャーマンは、だいたいこれを二種に区別して見ることができる。一つは professional shaman、いま一つは family shaman である。プロフェッショナル・シャーマンはすでに男の
そこで朝鮮のシャーマンはどうかというと、すでに立派な職業になっているが、これに従事している者はきわめて社会上
そこで、ファミリー・シャーマンからプロフェッショナル・シャーマンにはどうして発達するのかというと、最初は家々でやっておったのが、同族が多くなってくると、すなわち社会組織がだんだん発達してくると、
三、シャーマンの性
女巫より男覡へ
それからつぎに注意すべきことは、神に仕える者は男であるか女であるかということであるが、これはちょっと問題である。ここに神というは多くは God ではなく spirit の意で、すなわち霊魂である。この spirit に仕える職業をしているのは女であるか男であるか。ところでこの
とにかく、そういうふうにごく原始的の開けないシャーマンにおいては、神にもっとも接近し力のあったのは女であった。ところがだんだん進んでくるにしたがって男がやるようになってきた。change of sex、男が女に変化するようになってきた。はじめは女が主であったが、世の中が進むとともにしだいに男に移って、反対に女のほうが付随するようになってきた。これは現に今日、シベリア地方でおこなわれているところを見てもそうである。この間にはおもしろい風習がおこなわれている。ところが朝鮮においてはどうかというと、この点においてはまだ古い形式がおこなわれておって、女が勢力を有し、男は神に仕える上においてはまったく勢力がない。これはよほど注意すべき点である。
日本の古代においても change of sex の例が認められる。たとえば『日本紀』の神武天皇の条に、
とある。当時、神をまつり
この女の勢力が男に移ったということは、前述の家族的のシャーマンが世の中の進歩とともにだんだん専門的になり、そして儀式もむつかしくなり、
そこで朝鮮の
四、鏡・太鼓・鈴とシャーマン
それからまた朝鮮において専門の巫子となるのには、一つのおもしろい風習がある。これは
五、シャーマンの称呼
朝鮮では
六、シャーマニズムより来 たれる
朝鮮現存の習俗
朝鮮の女の巫子にはお経というものはない。口から口に伝えられるのであるが、
それから、朝鮮の村の入口にはかならず石が積んである。これは何のためかというと、村の安全のために祈祷をする場所である。また、木に
それで七五三縄をはるということが、神の鎮座している場所であるという一つの条件になっている。また、その七五三縄の
前にも述べたごとく、人が病気になるということは、どこかで悪い霊魂に
かように朝鮮の巫子というものは、スピリットと人間とのあいだに立っているものである。それゆえに預言をする。たとえば今年は
つぎに太鼓について話してみよう。朝鮮の巫子の使う太鼓は、日本の
太鼓のことについてシャーマンの上からいま少し述べてみよう。シャーマンにおいては太鼓に非常なる威力があるものと信じ、太鼓がなかったならばほとんどシャーマンの威力がない。太鼓の音が響くと、すべてのスピリットが恐れるのである。また、いろいろの霊魂を集めるときにも太鼓が必要なるものとなっている。ファミリー・シャーマンにおいてもさようであるが、専門的のプロフェッショナル・シャーマンにおいても同じく太鼓が必要なるもので、これがなかったならば巫子はできないというくらいになっている。太鼓についてこれを人種学上から見ると、アジアの北と南とにおいて二つの形式に分けて見ることができる。一つはウラル・アルタイ民族、すなわち満州・ツングース・モンゴル・トルコの諸族のシャーマンが今日使用しているものであって、それらの太鼓は裏面には中央に環があって、それから皮の
それからいま一つ太鼓について注意すべきことは、プロフェッショナル・シャーマンにおいては
それから太鼓の名前であるが、この名前がよほどおもしろい。太鼓はシャーマンの生活にはもっとも必要であって、ほとんど生命のごとくにしているが、その名前がみなだいたい同じようである。ヤクートは太鼓のことを Tu
底本:
1924(大正13)年9月20日発行
1924(大正13)年12月1日3版発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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日本周圍民族の原始宗教(三)
神話宗教の人種學的研究鳥居龍藏
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西比利亞のシヤーマン教より見たる朝鮮の巫覡
[#ここからリード文]
朝鮮の巫覡に就ては、前章『朝鮮の巫覡』で既に大體記したが、本章に於ては、更に之れを、シヤーマンの本場たる西比利亞の其れと比較して記す事とする。尚ほ朝鮮と日本との關係は、色々の學問上から見て頗る興味ある問題であつて、或は原始神道の上に、或は日本の古代の神話の上に大いに關係があらうと思ふ。故に本章も勢ひ日本神道との比較研究の色彩を大分帶びて居る。
[#リード文ここまで]
一、シャーマニズムとシヤーマン
一般の神話學、比較宗教、人種學などの上から云ふと、シヤーマニズムと云ふ宗教は、スピリツトが彼方此方にあるのを祈祷したり、或は人が病 [#「病 」は底本のまま]に罹るのは靈魂が身體の中に入つて禍をなすのである。靈魂は天地到る處に充ち滿ちて居る、其靈魂に觸れると病氣になつたり、或は饑饉が起つたり色々の災厄が生ずる。其靈魂の中には幸魂《さきみたま》と荒身魂《あらみたま》と云ふやうなものがあつて、それが人に害を與へ、或は色々の災厄を起す。其靈魂と人との間に立つて居るのが巫覡であつて、巫覡が或る儀式によつて靈魂を腹の中から取出せば其人の病氣が治り、又靈魂のお怒りになつて居るのを宥めれば、饑饉が豐年になり、天下泰平國家豐饒、人々も安泰になると云ふのである。
シヤーマニズム(Shamanism)と云ふのは極くプリミチーヴの宗教であるが、朝鮮の古い宗教と云ふものは要するにそれなのである。或人は朝鮮の宗教は佛教だとか儒教だとか言ふが、それは上流社會の人のことで、一般の人はシヤーマニズムを信じて居るのである。佛教は百濟とか新羅とか高勾麗とか云ふ時に傳はつたもので、儒教は後に行はれた、所謂外來の宗教である。
シヤーマニズムの行はれて居る區域は、西比利亞、滿洲、中央亞細亞等に及んで居るが、專ら亞細亞の東方及び北方に行はれて居る一の宗教である。さうしてそれには必ず巫覡がある。巫覡が神に祈祷をし、幣《ぬさ》を捧げ、或は七五三繩《しめなは》を張り、それから太皷を敲くと云ふやうな風が行はれて居るのである。
二、シヤーマンの種類
それで今日行はれて居るシヤーマンは、大體之を二種に區別して見る事が出來る。一は professional shaman 今一つは Family shaman である。プロフエシヨナル、シヤーマンは既に男の覡と女の巫とが出來て、專門的になつて居るのであり、フアミリーシヤーマンは、一家内に於て祈祷をやつて居るのである。
そこで朝鮮のシヤーマンはどうかと云ふと、既に立派な職業になつて居るが、之に從事して居る者は極めて社會上賤しめられて居る。前述の如く朝鮮には八賤と言つて八種の賤しい階級がある。一番下のを白丁と言つて、巫覡は其少し上の階級に位して居る位のものであるが、民間の信仰は非常に盛んで到る處に行はれて居る。今日に於て尚かゝる有樣であるから、昔に於ては隨分勢力のあつたものであらうと思はれる。余は彼等はプロフツシヨナル、シヤーマンに屬するものと思ふ。是はシヤーマンの階級から云へば、非常に進んで居る方のものである。フアミリーシヤーマンの方は、是はまだ極めて原始的のものであつて、之が專ら行はれて居るのは東薩加半島及び其北であつて、コリヤーク、チユクチ、エスキモー等と云ふやうな、ベーリング海峽に寄つた方の古亞細亞民族の間である。どう云ふ風にやつて居るかと云ふに、ベーリング海峽の所に極めて開けないチユクチと云ふ人間がある。彼等はまだ石器を使つて居ると云ふ程の原始的状態にある民族であるが、其の状態が面白い。此民族には祈祷をしたり儀式をしたりする專門の巫覡と云ふものはなく、皆家族的にやつて居るのである。例へば娘が齋主となり、妻が太鼓を敲き、祈祷をすると、夫は獻げ物の仕事をするとか、色々の用をして居るのであつて、總て家内でやつて居る。プロフエツシヨナルシヤーマンは、滿洲、西比利亞、中央亞細亞等に行はるるもので、即ちウラルアルタイ民族の地方に行はれて居る。今云へる如く朝鮮も無論此中に屬する。此等の民族にも最初は、フアミリーシヤーマンの時代があつたであらうが、這はもう古い昔に過去つたのである。
そこでフアミリーシヤーマンからプロフエツシヨナルシヤーマンにはどうして發達するのかと云ふと、最初は家々でやつて居つたのが、同族が多くなつて來ると、即ち社會組織が段々發達して來ると、祝詞を讀む事も六ケしくなり、又儀式も段々規模が大きくなると云ふやうなことから、一家内の者では出來なくなる。そこで專門のシヤーマンと云ふものが必要になる。であるから古い時代の家族的になつて居つた時には巫覡と云ふものは無かつた。家内に於て神事を行つて居つた。是が第一に注意すべき點である。それからシヤーマンに無くてならないものは太鼓である。是は必ず必要なもので、どのシヤーマンでも有つて居る。日本の太古にも太鼓が有つたか無かつたか、と云ふことは確かには知らぬが、神樂太鼓と云ふものと比較すると、其間に何等かの關係があるやうに思はれるのである。
三、シヤーマンの性
女巫より男覡へ
それから次に注意すべき事は、神に仕へる者は男であるか女であるかと云ふ事であるが、是は一寸問題である。茲に神と云ふは多くは God ではなく Spirit の意で、即ち靈魂である。此 Spirit に仕へる職業をして居るのは女であるか男であるか。所で此巫覡と云ふのは、巫は Female で、覡は Male であるが、朝鮮の方から云ふと、巫は殆ど女ばかりであつて、男は餘りない。唯だ咸鏡道の北青以北、豆滿江流域のシヤーマンは男が多く、女も中に混つて居る。之に反して他の朝鮮各道に於ては悉く女である。そこで此の神や靈魂に仕へる者は男であつたか女であつたかと云ふに原始的の者は女である。這はシヤーマンの研究をして居る有名なるオーソリチーも多く此の説を採つて居る。尚一つの例を以て云ふと、亞細亞の北方ベーリング海峽に寄つた方に居るチユクチと云ふ民族がある。それは今云つたフアミリーシヤーマンに屬するのであるから、一家内の者は男女共に靈魂に仕へるのであるが、併し男よりも女の方が威力ある者として居る。それで男は儀式の用を足す位の話で、神の靈が憑移るとか、病氣を治すとか、禁厭《まじない》をするとか、太鼓を敲くとか云ふことは皆女がして居る。であるから女の方が勢力がある。日本に於ても古くは神事に就ては女子が常に優れた地位を占めて居つた樣である。所がチユクチでは優れた地位を占めて居るものは、處女に限るのであつて、子供が生れると其力は失はれる。要するに子供を生んだことのない女が清淨潔白であると云ふことになつて居るのである。日本の巫子も能くさう云ふ所から考へて見ると、幾らか之に似て居りはせぬかと思ふ。神道の研究に就ても、從來は後世出來た註釋書の研究が段々盛であるが、余は斯う云ふ原始時代の立脚點から研究すると云ふことも必要ではあるまいかと思ふのである。
兎に角さう云ふ風に極く原始的の、開けないシヤーマンに於ては、神に最も接近し、力のあつたのは女であつた。所が段々進んで來るに從つて男がやるやうになつて來た。Change of sex 男が女に變化するやうになつて來た。初めは女が主であつたが、世の中が進むと共に次第に男に移つて、反對に女の方が附隨するやうになつて來た。是は現に今日西比利亞地方で行はれて居る所を見てもさうである。この間には面白い風習が行はれて居る。所が朝鮮に於てはどうかと云ふと、此點に於てはまだ古い形式か[#「か」は底本のまま]行はれて居つて、女が勢力を有し、男は神に仕へる上に於ては全く勢力がない。是は餘程注意すべき點である。
日本の古代に於ても Change of sex の例が認められる。例へば『日本紀』の神武天皇の條に「……時勅[#二]道臣命[#一]。今以[#二]高皇産靈尊[#一]。朕親作[#二]顯齋《ウツシイハヒ》[#一]。用[#レ]汝爲[#二]齋主《イハヒヌシ》[#一]。授以[#二] 嚴媛《イツヒメ》之號……」とある。當時神を祭り齋主《イハヒヌシ》となる道臣命に嚴媛《イツヒメ》の號を授け給ふたのは非常に面白い例である。此の解釋に就て古來我が國學者の間に大變議論があるが、之れは女巫と男覡との過渡時代のものと見れば解釋は六ケ敷ない。西伯利でも此の過渡時代には男覡は女裝したり、女性の性格を表現したりするのが普通である。
此の女の勢力が男に移つたと云ふことは、前述の家族的のシヤーマンが、世の中の進歩と共に段々專門的になり、そして儀式も六ケしくなり、祝詞の如きも女の力では不十分であると云ふ樣になつた所から、男に移つて來たのであらうと云ふ。其の證據となるべき例も澤山あるが、其一例は西比利亞、滿洲等に行はれて居るシヤーマンが其れである。さう云ふ方面では女のシヤーマンと云ふ言葉は皆一樣であるに反して、男のシヤーマンと云ふ言葉は皆違つて居る。それに依つて見ても女の方が先きで男の方が後であつたと云ふことが分る、のみならず昔は女が神に仕へて居つたと云ふことが明である。此點に於て朝鮮のシヤーマンは古い形式の上に立つて居ると言つて宜いと思ふ。
そこで朝鮮の巫子は、如何にして後代に傳へて行くかと云ふと、前述の如く朝鮮では母が娘に傳へる。けれども若し娘が無い時には他の者に傳へる。それから又中年から巫子になる事も出來る。中年から巫子になるのは、多くは大病に罹つて、それが治つた場合に、どうしても自分は靈魂に仕へなければならぬと云ふやうな心を起してなるものもあり、或は偶然自分がインスピレーシヨンに感じたと云ふやうな考から巫子になる者もある。さう云ふのは最初は師を選んで、弟子となつて彼方此方に隨つて行き見習をするのである。又巫子は結婚しても差支ないと云ふことになつて居る。此點は又朝鮮の巫女も古い形式を失つて居るのである。そうしてどう云ふやうにして其の事を行つて居るかと云ふと、京城の南山、或は鷺梁津などに居る有力なる者は、一定の場所または自分の家に祈祷する場所を拵へて人の參詣を待ち、祈祷を請ふ者があれば其處で祈祷なり禁厭をして居るが、其他の地方に於ては通常の家も巫子の家も變りがない。さうして多くは出張して病人に接し、或は祈祷をすると云ふことになつて居る。
四、鏡、太皷、鈴とシヤーマン
それから又朝鮮に於て專門の巫子となるのには、一の面白い風習がある。是は咸鏡南道の永興と云ふ所で調べた例であるが、永興の方では、巫子になるのには山の中に行つて鏡を發見して來なければならぬ。巫子となるには鏡を有つて居なければならぬ、鏡を有たなければ巫子としての資格がない。故に巫子になるには一週間も十日も山を搜して鏡を發見して來なければならぬ。現今では必しも其通り行はれて居らないやうであるが、さうしてなるのが本式である。巫子が鏡を有つて居ると云ふことは、獨り朝鮮ばかりでなく、蒙古のシヤーマンも同樣である。蒙古に於ては今日喇嘛の佛教が盛んであるけれども、興安嶺の中や其他にはまだ喇嘛の入らぬ以前のシヤーマンがある。それも朝鮮の巫子と同樣に鏡を有つて居る。此鏡は非常に威力のあるもので、惡魔を拂ひ、惡い靈魂を退ける一の神體になつて居る。日本の神體にも鏡になつて居るのが澤山あるが、シヤーマンを信ずる所では鏡を非常に威力あるものとして居る。朝鮮の巫子も其一例であつて、鏡は是非無ければならぬものとなつて居る。其外シヤーマンに必要なものは太皷である。尤も朝鮮のシヤーマンでは之は左程値打のあるものとなつて居ないが、亞細亞東北方の古亞細亞民族や、ウラルアルタイ民族の間には太皷に對する信仰が盛であつて、シヤーマンには太鼓が必要なものとなつて居る。太鼓の音は善良なる神靈は喜ぶけれども、惡い神靈は非常に之を恐れると云ふので、極めて神聖のものになつて居る。それから今一つは鈴であるが、此の鈴も朝鮮の巫子に必要なる物となつて居て、鈴はシヤーマンの一のシムボルと言つても宜い位である。鈴の音は惡魔が最も嫌ふ所のものであるから、祈祷をする時には必ず鈴を振るのである。日本の巫子も同樣に鈴を持つて居る。而してこの鈴は日本の其れと同一の形状である。尤も日本に於ては最早や其意義を失つて、何の爲に持つて居るのか分らぬと云ふ位になつて居るが、朝鮮のシヤーマンに於てはまだ鈴が非常の威力あるものとなつて居る。日本で式三番叟に鈴を振るのは、やはり惡魔を拂ふと云ふ意味であらうと思ふ。兎に角日本の巫子が鈴を持つて居ると云ふことも、シヤーマンに關係ある大切なる點であると思ふ。
五、シヤーマンの稱呼
朝鮮では巫覡のことを、※[#ハングル、u+BB34]※[#ハングル、u+B2F9 か](ムータン)と言ひ、或は單に※[#ハングル、u+BB34](ムー)とよび、漢字では舞黨と書いてある。併し是は要するに當字であつて、單に音を現はしたに過ぎない。さて前に云つた如く、ウラルアルタイ民族に於ては、女のシヤーマンと云ふ言葉は皆一定して居て、殆ど共通であると言つても宜いのである。之れに就て露西亞の人種學者ツロシュチャンスキー(Troshchanski)と云ふ人が斯う云ふことを書いて居る。即ち蒙古人、後貝加爾に居るブリヤーツ、ヤクーツ、アルタイ地方に居るアルタイ人、中央亞細亞に居るキルギース、是等の民族は女の巫子を何と言つて居るかと言へば、Utagan, Udagan, Ubakhan, Utygan, 〔Utu:gan〕, Iduan, Duana と云ひ、またタルタルでは、〔U:dege〕 ツングースでは Utakan と云ふやうに皆殆ど同樣である。斯くウラルアルタイ民族の間に女の巫子と云ふ言葉が一致して居るのは、必ず一のオリジンから起つたものでなければならぬと云つて居るが、是は尤もの意見であると思ふ。又朝鮮のムータン(Mutan)と云ふのもやはりウタガン、ウダガンと云ふのから轉訛したものであると余は考へて居る。尤もそれは余だけの考であるから、若し誤つて居るならば批評して貰ひたい。此點から見ても朝鮮の巫子は、あの方面のシヤーマンと關係があると見なければならぬ。唯々蒙古語では少し違つて居る。蒙古語では是は男女を通じてであるがシヤーマンのことを Buge と言つて居る。但し蒙古語には文語と口語とあつて、Buge と云ふのは文語で、口語では Bo と言つて居る。此ボーと云ふのは朝鮮のムー(Mu)と同じやうな發音であつて、斯う云ふ所から見ると、是も餘程似通つて居るやうに思はれる。一體朝鮮の言葉はツングースや蒙古語と同じ系統の言葉であつて、それは巫子の上に遺憾なく認められる。ボンザロフ氏に從へば、シヤーマンは滿洲語では Saman(薩滿)で、其意味は「感激して動き、起き上る者」と云ふ義である。そしてツングース語では Shamman, Hamman ヤクーツ語 〔O:iun〕 タタル語 Kam キルギーズ語 Baksa(Baksy)サモエード語 Tadibey である。
六、シヤーマニズムより來れる朝鮮現存の習俗
朝鮮の女の巫子にはお經と云ふものはない[#句点なしは底本のまま]口から口に傳へられるのであるが、咸鏡北道に於ける男の覡には一種の祝詞のやうな書物がある。其中には支那の五行説の思想なども加はつて居て、餘程進んだものである。然らば女の巫子の勤めはどう云ふことをするのかと云ふに、先づ祈祷をする。祈祷にも色々あるが、例へば人が病氣になると、其病人の所へ行つて祓をする。或は旱魃とか云ふやうなことがあると、それは惡い靈魂の爲であると云ふ所から、其靈魂を和ぐる爲の祈祷をする。或は船の祈もすれば、森、池、山、丘其他總てのものに就ての祈をするのである。それから其組は、京城附近のは一組でも隨分大勢居るが、其他は大抵三人で一組となつて居る。一人が本當のムータンで、一人は太鼓を敲く役を勤め、今一人は鐃鉢を鳴らすのである。一體朝鮮人の宗教は何かと云ふと、佛教も行はれて居る。又儒教も行はれて居るけれども、それは上流の一部に行はれて居るのみであつて、大部分はシヤーマニズムである。若し一般の民衆の宗教思想を儒教であると云ふやうに思つたら大變の間違である。佛教であると云ふやうに思つても大間違である。成程儒教も佛教も行はれては居るけれども、それは古い民族性の上に着色せられたる思想に過ぎないのであつて、根本的の思想はやはりシヤーマニズムである。シヤーマンの思想がどれだけ朝鮮人の頭を支配して居るかと云ふに、山とか、河とか、海とか、森とか、丘とか、木とか云ふやうな天然物は勿論のこと、其外家の中、天井、竈、煙突、井戸、路傍、到る處、有らゆる物にスピリットが充滿して居る。であるから船に乘つても、山に行つても危險であると考へて居る。人が病氣になるのは其スピリットの荒身魂が身體の内に入るからである。又其人の運が惡く、色々の災難が來ると云ふやうなことも、やはり惡い靈魂の憑いた爲めである、故に其惡い靈魂に憑かれないやうにしなければならぬと云ふのである。此精神は日本にもあつて、日本では雪隱の中に惡い靈魂があると考へ、今でもやる人があるやうであるが、雪隱へ入る時には咳拂をしてからでないと入らぬと云ふやうなことがある。さう云ふやうに朝鮮人は到る處にスピリットが充滿して居るから、之に觸れないやうに用心しなければならぬと云ふので、例へば旅行をして峠でも越えると云ふ時には、峠の頂上に小さなお宮があつて、其の傍の木に自分の持つて居るものを掛けて通る。それだから旅行する時には豫め布の小切のやうなもの、或は麻を用意して居つて、それを懸けて通ると云ふ風習がある。日本に於ても極く古い時代には旅行の平安を祈る爲め、或は峠を越える時には無事往來が出來るやうにと云ふので幣帛《ぬさ》を奉つて手向をしたと云ふやうなことは『萬葉集』などにも見えて居る。さう云ふやうに旅行の平安を祈ると云ふやうなことは現に朝鮮には行はれて居る。
それから朝鮮の村の入口には必ず石が積んである。是は何の爲めかと云ふと、村の安全の爲に祈祷をする場所である。又木に七五三《しめ》繩を張つてあるのがあるが、それは其木に神が宿つて居ると云ふ徴《しるし》である。神の宿つて居る場所は、今日の朝鮮人の信じて居るのは主として森の中である。山ならば森林の中に神が鎭まつて居ると信じて居る。是は日本でも同樣であつて、『萬葉集』などにも、「杜」と云ふ字を「神の社《やしろ》」と云ふ意味に用ゐて居る。朝鮮でもやはり原始的で森を崇拜して居る。それが段々發達して來ると、草屋根の小さな祠を建て、尚一段發達して來ると殿堂になる。其發達の順序が日本でも同樣で、最初は山や森、木が神位の居る所、其れが殿堂となり、即ち其れが今一段發達すると佛教の殿堂や儒教の祖廟の樣な形式になる。
それで七五三繩を張ると云ふことが、神の鎭座して居る場所であると云ふ一の條件になつて居る。又其七五三繩の綯ひ方も日本のと同樣に左綯ひで、それに藁を下げる、或は紙を下げる、或は麻を下げる事もある。さうして其七五三繩を神の鎭ると云ふ所に張ると、最早其處は神聖の場所となつて、不淨の者は入れないことになる。斯う云ふ風で七五三繩は日本では全く儀式的のものとなつて居るが、朝鮮では生命あるものになつて居る。であるから一個人の家でも、子供が生れると其家に七五三繩を張る。其七五三繩の飾として或木の葉とか木炭とか海草などと云ふものを着ける。又祝をする時分には門に七五三繩を張る。さうすると門内は清められたことになつて、無暗に其中へは入れなくなる。其這入れない者の制限は第一産をした者、次は身體から血を流した者、其次は四つ足の動物を殺した者、死人の埋葬式に行つた者、病人に接した者、斯う云ふ者は七五三繩を張つた内には這入ることが出來ぬ。若しそれを犯せば罰が當る。今日我國に於て七五三繩を張ると云ふことは、正月とか祭の儀式として用ゐられて居るのであるが、昔はやはりさう云ふ意味に用ゐられたものであらうと思ふ。斯う云ふ風であるから、朝鮮のシヤーマンと日本の神道とは、何か一種の關係があらうと思はれるのである。
前にも述べた如く人が病氣になると云ふことは、何處かで惡い靈魂に憑かれて、それが體の中に入つたのであるから、巫子に祈祷をして貰つて、靈魂を取去れば病氣が治ると云ふのである。其祈祷の方法は、先づ病人の寢て居る所に神棚を設ける。神棚を設ける時分には其處に笹の葉に幣束を下げるとか、或は木の枝に木綿垂《ゆふしで》を下げて正面の神前に置く。さうして、色々な供物を獻げる。其時に巫子が中央に立ち、左右に太鼓を打つ者と鐃鉢を鳴らす者とが座を占め、諸々《もろ/\》の神靈を呼集めて祈祷をなし、體の中に入つて色々の病の原因を爲して居る靈魂の出て行くやうに祈る。そしてそれを出すと云ふ儀式が餘程面白いのである。神前に供へてある笹に幣束を懸けてあるもの、或は木の枝に木綿垂のあるもの、それに靈魂が移つて行くものと信じて居る。日本の神道にも「おはす」と云ふ言葉があるが、詰り禍津毘《まがつび》を幣束なり或は木の枝に負せて、それを一緒に持去れば其病人は治ると、斯う云ふやうに考へて居る。是は非常に迷信のやうであるが、朝鮮人はさう云ふやうに考へて居るのである。所がさう云ふ祈祷をしても、まだ病人が治らぬ、惡い靈魂が執念く憑いて居ると云ふ場合には、更に色々の方法を講ずるのである。即ち一丈も二丈もある麻布を巫子の身體に卷き付け、其麻布に靈魂を負はせて、それを退けると云ふやうなこともやる。麻は非常に神聖なものとして、色々の神事に用ゐるが、其麻に惡い靈魂が移るものとして居る。日本の幣束に小さな麻布切れを附けるのも注意すべき事であらう。それでも尚退かない時には、今度は巫子が劍を持て來て脅す。それでも出て行かぬ時には身體に傷を付けて血を見せることもあり、或は大きな分銅を齒で咬へて振つて歩くと云ふやうなこともする。それは詰り力強いと云ふ所を見せて、靈魂を脅すと云ふ爲めである。併し普通には鈴の音、太皷の音で大抵の禍津毘《まがつび》は追拂ふことが出來ると信じて居るのである。
斯樣に朝鮮の巫子と云ふものはスピリットと人間との間に立つて居るものである。其故に預言をする。例へば今年は饑饉が來るとか、疫病が流行するとか云ふやうなことを言ふ。其は靈魂が巫子に憑り移つて言はせるのであると信じて居る。であるから朝鮮の巫子は啻に靈魂を追拂ふのみならず、尚自分がスピリットのインスピレーションに感じて色々なことを言ふ。或は死んだ人の靈魂が憑移ると云ふやうにも考へて居る。是は日本でも『記』『紀』に女子が神樣の宣託を受けて斯う云ふことを言つたとか、何處の神を祀つたならば何々が無事であるとか云ふやうな事があるが、日本の神道と朝鮮に於けるシヤーマニズムとは色々な點に於て似た所がある。それは唯々偶然一致したのだと言へばそれ迄であるが、どうも偶然とばかり見ることの出來ないことが色々あるので、日本と韓國《からくに》との間には何か深い關係があるのではなからうかと思ふ。現に日本では七五三繩や其他は神社の儀式なり、社會的の儀式となつて居るが、朝鮮では尚ほ其れが生きて活動して居るのである。
次に太鼓に就て話してみよう。朝鮮の巫子の使ふ太鼓は、日本の舞樂の時に用ゐる羯鼓と同じ樣な形をしたもので、一方の手に桴《ばち》を持つて一方の手で打つ。さうして巫子は其太鼓の音に依て足拍子を取つて舞ふ、即ち神樂である。恰度舞樂の時に太皷に依て足拍子を取つて居るのと同じ樣である。尚是は日本の神樂との間に於ても餘程面白いことがある。朝鮮では太鼓を左程神聖のものとせずして、一種の樂器として使つて居るのである。併ながら一般のシヤーマンを見渡すと、大變神聖なものとなつて居る。日本でも神樂太鼓と言つて、神樂には必要なものとなつて居るが、今では單に樂器としての意味があるだけで、宗教上の意味は少しもない。然し其初めに於ては宗教上の意味に於て缺くべからざるものとなつて居つたと思ふ。
太鼓のことに就てシヤーマンの上から今少し述べてみよう。シヤーマンに於ては太鼓に非常なる威力があるものと信じ、太鼓が無かつたならば殆どシヤーマンの威力がない。太鼓の音が響くと、總てのスピリットが恐れるのである。又色々の靈魂を集める時にも太鼓が必要なるものとなつて居る。フアミリー、シヤーマンに於ても左樣であるが、專門的のプロフェッショナル、シヤーマンに於ても同じく太鼓が必要なるもので、是れが無かつたならば、巫子は出來ないと云ふ位になつて居る。太鼓に就て之を人種學上から見ると、亞細亞の北と南とに於て二つの形式に分けて見ることが出來る。一はウラルアルタイ民族、即ち滿洲、ツングース、蒙古、土耳古の諸族のシヤーマンが今日使用して居るものであつて、其等の太鼓は裏面には中央に環があつて、それから皮の紐で張つてある。チユクチ、コリヤーク、ヱスキモーと云ふ方面のものになると、更に之に柄が附いて居る。恰度日蓮宗の團扇太鼓のやうな形になる。(或は日蓮宗の太鼓もさう云ふ威力を示すやうな意味で出來たものではなからうか。そして又日本の古い時代に斯う云ふタイプの太鼓があつたのであるまいか)それから南方の太鼓は中央を打つが、北方の太鼓は下の方を打つ、幾らか斜にして下の方を打つのである。なほ此太居[#「太居」は底本のまま]の上に鳴る物が附いて居る。是も今では全く無意味になつて居るが、それの發達したのが鈴である。日本や朝鮮に於ては既に鈴になつて居るが、西伯利亞、滿洲、ツングース等の太皷には上部に一種の鳴物が附いて居る。それが發達して鈴になつたのであらうと思ふ。
それから今一つ太皷に就て注意すべきことは、プロフェツショナル、シヤーマンに於ては巫覡があつて、それが各自に太皷を有つて居るが、フアミリー、シヤーマンの時代であると、太皷が家々に一つづゝあるのでなくして、村に一個しかない、例へばチユクチの如きはさうであつて、若し或る家で必要があると、其度に持つて來て使ふ。其太皷は非常に貴重なる物とし、太皷の爲に家を建てゝ飾つて置く位のものである。又此等の人間は、冬は多く穴居し、夏になると移住するのであるが、其移住する時分には太皷を成るべく小くして持つて歩く、其の太皷 [#「太皷 」は底本のまま]夏は爐の上に置くとか、冬は寢間に置くとか、云ふやうになつて居る。所がウラルアルタイ族の滿洲、ツングース、蒙古、ヱニセーから中央亞細亞等の方面のシヤーマンは、既に專門的になつて居るから、巫子は皆之れを所有して居るのである。けれども今も云つた通り朝鮮に來ると最早太皷はそれ程の意味をなさない。殆ど理由が無くなつて居るのである。
それから太皷の名前であるが、此の名前が餘程面白い。太皷はシヤーマンの生活には最も必要であつて、殆ど生命の如くにして居るが、其の名前が皆大體同じ樣である。ヤクーツは太皷のことを 〔Tu:ngu:r, Tu:nu:r, Du:nu:r〕 と云ふやうに呼んで居る。それから滿洲語では Tunken 蒙古語では 〔Du:ngu:r〕 アルタイ語では 〔Tu:ngu:r〕 と云ふやうに皆一樣である。斯う云ふ風であるから其本は同一のものであらうと思ふ。更に日本ではどうかと云ふと古語は Tuzumiと言つて居る。太皷《たいこ》は支那語である。多少似通つて居るやうに思はれる。朝鮮語ではどうかと云ふと、朝鮮では支那語の影響を受けて蒙古語や滿洲語のやうに純粹のものではないが、※[#ハングル、u+B450]※[#ハングル、u+B2E4]※[#ハングル、u+B9AC]※[#ハングル、u+1105](Tutaril)と云ふのであるから、此間にも多少の聯絡があるやうに考へられる。さう云ふやうに考へて見ると、朝鮮人とウラルアルタイ族との關係は單に宗教の上に於て認むるのみならず、體格の上に、或は言語の上に於て或は古い風俗習慣の上に於ても認められるのであつて、朝鮮の巫子も要するに北方の西伯利亞、滿洲等に淵源して居るものと思ふのである。
(つづく)
底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
1924(大正13)年9月20日發行
1924(大正13)年12月1日三版發行
入力:しだひろし
校正:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- [朝鮮]
- 百済 くだら (クダラは日本での称) 古代朝鮮の国名。三国の一つ。4〜7世紀、朝鮮半島の南西部に拠った国。4世紀半ば馬韓の1国から勢力を拡大、371年漢山城に都した。後、泗城(現、忠清南道扶余)に遷都。その王室は中国東北部から移った扶余族といわれる。高句麗・新羅に対抗するため倭・大和王朝と提携する一方、儒教・仏教を大和王朝に伝えた。唐・新羅の連合軍に破れ、660年31代で滅亡。ひゃくさい。はくさい。( 〜660)
- 新羅 しらぎ (古くはシラキ) 古代朝鮮の国名。三国の一つ。前57年頃、慶州の地に赫居世が建てた斯盧国に始まり、4世紀、辰韓諸部を統一して新羅と号した。6世紀以降伽(加羅)諸国を滅ぼし、また唐と結んで百済・高句麗を征服、668年朝鮮全土を統一。さらに唐の勢力を半島より駆逐。935年、56代で高麗の王建に滅ぼされた。中国から取り入れた儒教・仏教・律令制などを独自に発展させ、日本への文化的・社会的影響大。しんら。(356〜935)
- 高勾麗 こうくり 高句麗・高勾麗。古代朝鮮の国名。三国の一つ。紀元前後、ツングース系の朱蒙の建国という。中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、4〜5世紀広開土王・長寿王の時に全盛。都は209年頃より国内城(丸都城)、427年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。内部に壁画を描いた多くの古墳を残す。高麗。( 〜668)
- 咸鏡道 かんきょうどう 李氏朝鮮の道の一つ。現在の咸鏡北道・咸鏡南道にあたる。
- 北青 プクチョン 北青郡は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道に属する郡。古くは高句麗・渤海・女真に属した。(Wikipedia)
- 豆満江 とまんこう/トゥマンガン (Tuman-gang) 朝鮮半島の大河。白頭山に発源、中国東北部およびロシアの沿海州(プリモルスキー)地方との国境をなし、日本海に注ぐ。長さ521キロメートル。中国名、図們江。
- 京城 けいじょう 日本支配期のソウルの称。李朝時代の王都漢城を、1910年(明治43)の韓国併合により改称。朝鮮総督府が置かれた。
- 南山
- 鷺梁津 ノリャンジン 京城より仁川へ行く途中。
(本文) - 咸鏡南道 かんきょう なんどう/ハムギョン‐ナムド (Hamgyong-nam-do) 朝鮮民主主義人民共和国北東部、日本海に臨む道。中央部に平野が広がり、咸興(ハムフン)などの工業都市がある。
- 永興 えいこう 永興郡。朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道金野郡の旧名。永興湾に名を残す。(Wikipedia)
- 咸鏡北道 かんきょう ほくどう/ハムギョン‐プクト (Hamgyong-puk-to) 朝鮮民主主義人民共和国北東部、日本海に臨む道。大部分が山岳地帯で、豆満江を隔てて中国・ロシアと接する。
- [シナ]
- 満州 まんしゅう 満州・満洲。中国の東北一帯の俗称。もと民族名。行政上は東北三省(遼寧・吉林・黒竜江)と内モンゴル自治区の一部にわたり、中国では東北と呼ぶ。
- [ロシア]
- 東薩加半島 カムチャツカ半島?
- シベリア Siberia・西比利亜 アジア北部、ウラル山脈からベーリング海にわたる広大な地域。ロシア連邦の一地方でシベリア連邦管区を構成。西シベリア平原・中央シベリア高原・東シベリアに三分される。面積約1000万平方キロメートル。十月革命までは極東も含めてシベリアと称した。ロシア語名シビーリ。
- ベーリング海峡 ベーリング かいきょう アラスカとシベリア東端のチュクチ半島との間の海峡。北極海とベーリング海を連結する。長さ96キロメートル。最狭部約86キロメートル。7〜10月以外は結氷。中央部を日付変更線と米ロ両国の国境線が南北に通る。
- 後貝加爾
- アルタイ Altai 中央アジア、ロシアの西シベリア平原、中国のジュンガル盆地、モンゴル高原との間に連なる全長約2000キロメートルの山脈。四つの主脈に分かれ、高原性。オビ川の水源。西部のロシア側では金・銀などの鉱物資源に富む。
- エニセイ Yenisei ロシア、シベリア中部の大河。モンゴル北端サヤン山脈に源を発し、北流してアンガラ川を合わせ、北極海エニセイ湾に注ぐ。冬季には全面結氷。サヤン・クラスノヤルスクなどの発電所がある。長さ4102キロメートル。
- [モンゴル]
- 興安嶺 こうあんれい/シンアンリン (Xinganling) 中国東北部の高原ないし丘陵性の山系。西側を北東方向に走る延長約1200キロメートル(標高1100〜1400メートル)の大興安嶺と、北部で南東方向に転じて黒竜江沿いに走る延長約400キロメートルの小興安嶺とに分かれる。/中国、内蒙古自治区北東部を北東から南西に連なる山脈。モンゴル高原の西縁にあたる。別称、西興安嶺・興安嶺。長さ約1300km。南西は陰山山脈に続き、北東は黒龍江(アムール川)に達し、ロシアのスタノボイ山脈に連なる。開析の進んだ地形を呈し、草原となる。針葉樹・落葉闊葉樹林に覆われ、木材工業がおこる。(外国地名コン)
- 中央アジア ちゅうおう アジア (Central Asia) アジア中央部、中国のタリム盆地からカスピ海に至る内陸乾燥地域。狭義には旧ソ連側の西トルキスタンを指し、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンの五つの共和国がある。イスラム教徒が多い。面積約400万平方キロメートル。(地名別項)
- 日本
- 韓国 からくに
◇参照:Wikipedia、
*年表
- 平安朝 へいあんちょう (1) 平安時代約400年間における朝廷。 (2) (→)平安時代に同じ。
- 平安時代 へいあん じだい 桓武天皇の平安遷都から鎌倉幕府の成立まで約400年の間、政権の中心が平安京(京都)にあった時代。ふつう初・中・後の3期、すなわち律令制再興期・摂関期・院政期(末期は平氏政権期)に分ける。平安朝時代。
- 康熙 こうき 中国、清の聖祖(康熙帝)朝の年号。(1662〜1722)
- 乾隆 けんりゅう 中国、清の高宗朝の年号。(1736〜1795)
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- 高麗 こうらい (1) (ア) 朝鮮の王朝の一つ。王建が918年王位につき建国、936年半島を統一。都は開城(旧名、松岳・松都)。仏教を国教とし、建築・美術も栄え、後期には元に服属、34代で李成桂に滅ぼされた。高麗。(918〜1392)(イ) 高句麗。また、一般に朝鮮の称。
- 李朝 りちょう 朝鮮の最後の王朝。1392年李成桂が高麗に代わって建て、対外的には朝鮮国と称す。1897年に国号を大韓帝国と改め、1910年(明治43)日本に併合されて、27代519年で滅んだ。国教は朱子学(儒学)。都は漢城(現ソウル)。朝鮮王朝。李氏朝鮮。(1392〜1910)
◇参照:
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- コリヤーク Koryak シベリア東端のオホーツク海岸からベーリング海、カムチャツカ半島にかけて住む少数民族。言語は古アジア諸語に属する。海岸部では海獣猟と漁労、内陸ツンドラ地帯ではトナカイの飼育を行う。
- チュクチ Chukchi, Chukchee チュクチャ(Chukcha)ともいう。ユーラシア大陸の最東端のチュコト半島を中心に居住するソ連の少数民族の一つ。コリヤークと同様に内陸ツンドラ地帯のトナカイ・チュクチと海岸地帯の海岸チュクチとに大別できる。人口は約1万4000人(1979年)。17世紀以来、ロシアの支配に対して徹底抗戦をおこない、また、隣族のコリヤークとは“真の敵”と呼び合うほどの対立抗争を続けていたため、チュコト半島はソヴィエト政権が樹立されるまで、長らく戦争状態が続いた。文化要素ではエスキモーとの類似点も注目されている。
(文化) - エスキモー Eskimo グリーンランド・カナダ・アラスカ・シベリア東端部の極北ツンドラに居住する先住民族の総称。カナダではイヌイット(Inuit)と自称し、公的にもそう呼ぶが、グリーンランドではカラーリット、アラスカではエスキモーが公的な総称。モンゴロイドに属し、漁労・海獣猟・カリブー猟・捕鯨などに従事する。夏は皮製のテントに、冬は雪製の半球型の家(イグルー)やツンドラの土で覆った家に住むが、文化的な差異も大きい。現在は定住化が進む。
- 古アジア民族 → 古アジア諸語
- 古アジア諸語 こアジア しょご (Paleo-Asiatic) アジア北東端部の言語のうち、アルタイ諸語・ウラル諸語以外の諸言語の総称。チュクチ・コリヤーク・カムチャダール・ユカギール・ニヴヒ・ケットなどの諸民族の言語を含むが、類縁関係は不明。旧アジア諸語。
- 古シベリア諸語
- ウラル・アルタイ民族 ウラル・アルタイ語族。ウラル語族とアルタイ諸語を同系言語であるとかつて想定して与えた名称。現在は切り離して考えられている。
- ウラル語族 ウラルごぞく (Uralic) スカンディナヴィア・中欧・ロシアなどに分布する諸言語。フィン‐ウゴル語派(フィンランド語・ハンガリー語など)とサモイェード語派(ネネツ語など)に分かれる。アルタイ語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
- アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
- 神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
- 道臣命 みちのおみのみこと 天忍日命の後裔。大伴氏の祖。初名は日臣命。神武天皇の東征に先鋒をつとめ、天皇即位の時に宮門の警衛に任じ、その子孫は軍事をつかさどったと伝える。
- 高皇産霊神・高御産巣日神・高御産日神・高御魂神 たかみむすひのかみ 古事記で、天地開闢の時、高天原に出現したという神。天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神の一神。天孫降臨の神勅を下す。鎮魂神として神祇官八神の一神。たかみむすびのかみ。別名、高木神。
- 厳媛 いつひめ
- ツロシュチャンスキー Troshchanski ロシアの人種学者。(本文)
- モンゴル人 → モンゴル族
- モンゴル族 Mongol 中国の北辺にあって、シベリアの南、新疆の東に位置する高原地帯。また、その地に住む民族。13世紀にジンギス汗が出て大帝国を建設し、その孫フビライは中国を平定して国号を元と称し、日本にも出兵した(元寇)。1368年、明に滅ぼされ、その後は中国の勢力下に入る。ゴビ砂漠以北のいわゆる外モンゴルには清末にロシアが進出し、1924年独立してモンゴル人民共和国が成立、92年モンゴル国と改称。内モンゴルは中華人民共和国成立により内モンゴル自治区となり、西モンゴルは甘粛・新疆の一部をなす。蒙古。
- ブリヤーツ → ブリヤート
- ブリヤート Buryat (1) ロシア中部の自治共和国。南シベリア、バイカル湖の東方から西方に位置する。13世紀ごろからモンゴル系のブリヤート人が居住、17世紀末にロシアに併合された。工・鉱業、牧畜が盛ん。中心都市ウランウデ。(2) バイカル湖周辺からモンゴル北部、中国東北地区に住む蒙古族の一つ。ブリヤート族。
- ヤクーツ → ヤクート
- ヤクート Yakut 東シベリアに住む民族。ヤクート人。自称サハ。ヤクート語はチュルク語の一つ。/東部シベリアを代表する民族で、自称ではサハ(Sakha)という。ヤクートというのはツングース諸語のかれらに対する呼称であったイェコ(Yeko)という呼び名に由来するといわれる。人口は約32万8000人(1979年)、主としてヤクート自治共和国内に居住している。言語はアルタイ語派チュルク語群に属するが、文法的にも語彙的にもモンゴル語やツングース語などの要素が多分に含まれているといわれる。ヤクートの祖先はかつてバイカル湖の周辺にいたチュルク系の遊牧民であるといわれ、時代はまだ特定されていないが、17世紀にロシア人らと接触するまでに現在のヤクーチャ(レナ川中流域)に移住し、その地の原住民たちと融合したと考えられている。(文化)
- アルタイ人 → アルタイ語族
- アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
- キルギス Kyrgyz 中央アジアの民族の一つ。トルコ族とエニセイ族・サモイェード族との混血種という。初め今のエニセイ河上流、烏魯克姆(ウルケウ)河流域に居住。16〜18世紀頃、天山山脈の北西部地域に移動。現在はキルギス共和国の主要民族。漢代史書には「堅昆」とある。骨。黠戞斯。乞児吉思。
- タルタル Tartar 「韃靼の」の意。
- 韃靼 だったん モンゴル系の一部族タタール(塔塔児)の称。のちモンゴル民族全体の呼称。明代には北方に逃れた元朝の遺裔(北元)に対する明人の呼称。また、南ロシア一帯に居住したトルコ人も、もとモンゴルの治下にあった関係から、その中に含めることもある。
- ボンザロフ氏
- 満州族 まんしゅうぞく 中国東北地方の東北部から南部一帯にかけて分布した民族。南方ツングース系で、渤海国を建てた靺鞨、金を建てた女真、清を建てた女直はともにこれに属する。
- ツングース族 Tungus・通古斯 シベリアのエニセイ川からレナ川・アムール川流域やサハリン島、中国東北部にかけて広く分布するツングース諸語を話す民族の総称。漢代以降の鮮卑、唐代の靺鞨・契丹、宋代の女真、満州族などを含む。狭義にはそのうち北部のエヴェンキ人を指し、生業は狩猟・漁労・採集、トナカイ・馬・牛の飼育等を主とする。
- トルコ族 ヨーロッパの一部、シベリア、中央アジアに居住する民族。古く北蒙古にあったものは丁零、高車と呼ばれた。6世紀にはアルタイ山脈西南に突厥がおこり、その東部をウイグルが受け継いだ。西部では11世紀にセルジュク・トルコが帝国を建て、イラン、小アジア、シリアを支配。その滅亡後オスマン・トルコがこれに代わり、さらにケマル=アタチュクルの革命後トルコ共和国となった。
- 朝鮮人 ちょうせんじん 朝鮮の人。朝鮮半島および周辺の島に分布する韓民族集団の総称。人種的にはモンゴロイド(蒙古人種)に属し、黒色・直毛の頭髪、高いほお骨などを特徴とする。
◇参照:
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)- 『日本紀』神武天皇の条
- 『日本紀』 にほんぎ (1) 日本の歴史を記した書の意で、六国史のこと。(2) 日本書紀のこと。
- 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
- 『記』 → 『古事記』
- 『紀』 → 『日本書紀』
- 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
- 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
- 巫覡 ふげき (ブゲキとも) 神と人との感応を媒介する者。神に仕えて人の吉凶を予言する者。女を巫、男を覡という。
- シャーマン shaman → シャマン
- シャマン shaman 自らをトランス状態(忘我・恍惚)に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて託宣・予言・治病などを行う宗教的職能者。シベリアのツングース系諸族の例が早くから注目された。シャーマン。
- 原始神道 → 古神道
- 古神道 こしんとう 仏教・儒教・道教など外来宗教の強い影響を受ける以前の神祇信仰の称。記紀・万葉集・風土記などにうかがわれる。
- 神話学 しんわがく (mythology) 神話の起源・成立・発展・分布・機能などを研究する学問。特に19世紀以来、比較神話学の名称のもとに発展。
- 日本神道 → 神道
- 神道 しんとう 日本に発生した民族信仰。祖先神や自然神への尊崇を中心とする古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論化されたもの。平安時代には神仏習合・本地垂迹があらわれ、両部神道・山王神道が成立、中世には伊勢神道・吉田神道、江戸時代には垂加神道・吉川神道などが流行した。明治以降は神社神道と教派神道(神道十三派)とに分かれ、前者は太平洋戦争終了まで政府の大きな保護を受けた。かんながらの道。
- 比較宗教 → 比較宗教学
- 比較宗教学 ひかく しゅうきょうがく 宗教学の一分野。種々の歴史的および心理的比較考察に基づいて各宗教の特性・意義・本質を研究する。
- 人種学 じんしゅがく (Rassenkunde ドイツ) 人類学の一部門。人種の分類・起原などを研究する。
- スピリット spirit (1) 霊。霊魂。精霊。精神。(2) 気性。気風。意気。
- 祈祷 きとう 神仏にいのること。呪文をも含めてすべての儀礼の要素中、言語の形をとるもの。原始的には、対象や内容について別に限定なく、宗教的経験が自然に発露する独白のようなもの。
- 霊魂 れいこん (soul; spirit) (1) 肉体のほかに別に精神的実体として存在すると考えられるもの。たましい。←→肉体。(2) 人間の身体内にあって、その精神・生命を支配すると考えられている人格的・非肉体的な存在。病気や死は霊魂が身体から遊離した状態であるとみなされる場合が多く、また霊媒によって他人にも憑依しうるものと考えられている。性格の異なる複数の霊魂の存在を認めたり、動植物にも霊魂が存在するとみなしたりする民族もある。
- 幸魂 さきみたま 人に幸福を与える神の霊魂。さきたま。
- 荒身魂 あらみたま 荒御魂。
- プリミティヴ primitive 原始的なさま。素朴なさま。
- 仏教 ぶっきょう (Buddhism) 仏陀(釈迦牟尼)を開祖とする世界宗教。前5世紀頃インドに興った。もともとは、仏陀の説いた教えの意。四諦の真理に目覚め、八正道の実践を行うことによって、苦悩から解放された涅槃の境地を目指す。紀元前後には大乗仏教とよばれる新たな仏教が誕生、さらに7〜8世紀には密教へと展開した。13世紀にはインド亜大陸からすがたを消したのと対照的に、インドを超えてアジア全域に広まり、各地の文化や信仰と融合しながら、東南アジア、東アジア、チベットなどに、それぞれ独自の形態を発展させた。
- 儒教 じゅきょう 孔子を祖とする教学。儒学の教え。四書・五経を経典とする。
- 幣 ぬさ (1) 麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓にささげ持つもの。みてぐら。にぎて。(2) 贈り物。
- 七五三縄 しめなわ 標縄・注連縄・七五三縄。(シメは占めるの意) 神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。左捻りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である。しめ。章断。
- 八賤 はっせん?
- 白丁 ペクチョン/はくてい (1) 白人(ハクジン)、白民(ハクミン)、白衣(ハクイ)。無位無官の民。庶民。(2) 成人しても兵籍にはいらない者。(大漢和)
- 斎主 いわいぬし 斎(いわい)に同じ。/さいしゅ 祭の儀式を中心になっておこなう人。
- 太鼓 たいこ (1) 打楽器の一つ。胴の両面または片面に革を張り、打ち鳴らすものの総称。大太鼓・楽太鼓・締太鼓など多くの種類がある。(2) 日本では (1) のうち、中央のくびれた胴をもつ鼓を除いたものを指す。
- 神楽太鼓 かぐら‐だいこ 里神楽に用いる大太鼓。
- 神楽 かぐら (「かむくら(神座)」の転) (1) 皇居および皇室との関連が深い神社で神をまつるために奏する歌舞。伴奏楽器は笏拍子・篳篥・神楽笛・和琴の4種。毎年12月に賢所で行われるものが代表的。(2) と区別する場合は御神楽という。神遊。(2) 民間の神社の祭儀で奏する歌舞。(1) と区別する場合は里神楽という。全国各地に様々な系統がある。
- 女巫 おんなみこ 女の巫。/心身を清めて神につかえる女性。女のかんなぎ。←→男巫。
- 男覡 → 男巫・男神子
- 男巫・男神子 おとこみこ 神託を人に伝えることをつとめとする男のみこ。みこは、一般に女性であることが多いので、とくに男を付けて区別する。おとこかんなぎ。おかんなぎ。おのこかんなぎ。
- female フィーメール。女。女性。(カタカナコン)
- male メール。男。男性。男性に関するさま。(カタカナコン)
- オーソリティー authority 権威。その道の大家。
- 憑移る のりうつる
- 巫子 いちこ 神巫・巫子・市子。(1) 神前で神楽を奏する舞姫。(2) 生霊・死霊の意中を述べることを業とする女。くちよせ。梓巫。巫女。いたこ。
- 注釈書 ちゅうしゃくしょ 註釈書。古書などの本文をくわしく検討して、語句の意味や叙述の次第などを解説した書物。注解書。
- Change of sex
- 顕斎 うつしいわい 現実には見えない神の身を現実にいるようにして斎(いつ)きまつること。
- 厳し いつかし (動詞イツ(斎)クから) いかめしく立派である。たっとい。荘重である。
- 祝詞 のりと 祭の儀式に唱えて祝福することば。現存する最も古いものは延喜式巻8の「祈年祭」以下の27編など。宣命体で書かれている。「中臣寿詞」のように祝意の強いものを特に寿詞ともいう。文末を「宣(の)る」とするものと「申す」とするものとがある。のりとごと。のっと。
- インスピレーション inspiration 創作・思索などの過程において、ひらめいた新しい考えで、自分の考えだという感じを伴わないもの。天来の着想。霊感。
- 参詣 さんけい 神仏におまいりに行くこと。
- 鏡 かがみ (1) 滑らかな平面における光の反射を利用して容姿や物の像などをうつし見る道具。中国から渡来。古くは金属、特に銅合金を磨いたり錫を塗ったり、または錫めっきを施したりした。円形・方形・花形・稜形などに作り、室町時代から柄をつけるようになった。今日では、硝酸銀水溶液をガラス面に注ぎ、苛性ソーダなどによってコロイド状の銀をガラス面に沈着させ、その上に樹脂などの保護膜を塗る。鏡は古来、呪術的なものとして重視され、祭器や権威の象徴・財宝とされた。
- ラマ Bla-ma チベツト・喇嘛 チベット仏教の高僧。現在ではチベット仏教僧一般に対する敬称としても用いる。
- 喇嘛教 ラマきょう (Lamaism) チベット仏教の俗称。
- チベット仏教 チベットぶっきょう 仏教の一派。吐蕃王国時代にインドからチベットに伝わった大乗仏教と密教の混合形態。チベット大蔵経を用いる。のちモンゴル・旧満州(中国東北地方)・ネパール・ブータン・ラダックにも伝播した。主な宗派はニンマ派(紅教)・サキャ派・カギュー派・ゲルク派(黄教)の4派。俗称、ラマ教。
- 神体 しんたい 神霊を象徴する神聖な物体。礼拝の対象となるもので、古来、鏡・剣・玉・鉾・影像などを用いた。霊御形。みたましろ。
- 式三番叟 しきさんばそう 式三番 (2) に同じ。
- 式三番 しきさんば (シキサンバンとも) (2) 能の「翁」に取材した三番叟物のうち、常磐津「祝言式三番叟」、義太夫「寿式三番叟」などの略称。式三番叟。
- 舞党
- オリジン origin 起源。根源。出所。由来。
- 唯々 ただ?
- ツングース諸語 ツングースしょご (Tungusic) シベリア東部・サハリン・中国東北部にかけての地域で話される諸言語。アルタイ語族に属する。エヴェンキ語・エウェン語・ソロン語・ウデヘ語・ウイルタ語・満州語など。膠着語的特徴を示す。
- ツングース語 ツングースご チュルク諸語や蒙古諸語とともにアルタイ諸語を構成すると考えられる、言語系統を同じくする諸言語の総称。ツングース・満州諸語ともよばれる。シベリア東部、中国北東部など広い地域で話される。エウェンキー語(狭義のツングース語)、ネギダル語、ラムート語、オロチ語、オルチャ語、満州語などが含まれる。
- ヤクート語。チュルク語の方言の一つ。レナ川流域で話される。
- サハ語 → ヤクート語
- タタール語 タタールご ボルガ川中流域を中心に分布するトルコ系民族であるタタール人の言語の総称。言語系統的には、チュルク諸語キプチャク語群に分類される。主要な方言は、タタール自治共和国の首都カザンを中心に話されるカザン方言と、同共和国の外に分布するミシャル方言がある。
- キルギス語 チュルク諸語中央語群に属する言語の一つ。キルギス共和国を中心に中国の新疆ウイグル自治区などでも話される。
- サモエード語 フィン-ウゴル語派とともにウラル語族を形成する語派名。シベリアの西北部、北極海岸で話される。ネネツ(ユラク-サモエード)、エネツ(エニセイ-サモエード)、ガナサン(タウギ-サモエード)、セリクプ(オスチャード-サモエード)、カマス、マトルの六つの言語集団から成る。サモエード語派。サモエード諸語。
- 満州語 まんしゅうご 満州族の用いる言語。アルタイ語族ツングース語派に属する。特に17世紀後半以降、清朝の興隆とともに中国語の影響を受け、語彙および文法の面で変化。
- モンゴル語 モンゴルご (Mongolian) モンゴル国や中国の内モンゴル自治区・甘肅省などで用いられる言語。アルタイ語族のモンゴル語派に属する。母音調和および後置詞を有する。蒙古語。
- アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
- アルタイ語
- 朝鮮語 ちょうせんご (Korean) 朝鮮民族の言語。膠着語で、母音調和の現象が著しい。文法は日本語とよく似ている。系統は明らかではない。大韓民国では韓国語という。
- シナ語 → 中国語
- 中国語 ちゅうごくご (Chinese) 漢民族の言語。シナ‐チベット語族のシナ語派に属する。形態は孤立語。北方(北京語など)・呉(上海語など)・(廈門語など)・粤(広東語など)・客家(ハッカ)・湘(湖南語など)・〓(南昌の方言など)の7大方言があり、北京語の発音と北方方言の文法・語彙を基礎とする共通語(普通話)が広く用いられる。シナ語。
- 五行説 ごぎょうせつ 中国で、万象の生成変化を説明するための理論。宇宙間には木火土金水によって象徴される五気がはびこっており、万物は五気のうちのいずれかのはたらきによって生じ、また、万象の変化は五気の勢力の交換循環によって起こるとする。循環の順序を、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つとして木金火水土の順とする相剋(勝)説と、木は火を、火は土を、土は金を、金は水を、水は木を生ずるとして木火土金水の順とする相生説とがある。中国、戦国時代中期の衍(すうえん)が、歴代王朝の交替を相勝の理で解いたことに始まり、季節、方角、色、臭から人の道徳に至るまで、あらゆる事象を五行のいずれかに配当するようになった。特に、木火金水には、方角では東南西北、色では青朱白玄、季節では春夏秋冬が割り当てられ、四獣(四神)の青龍・朱雀・白虎・玄武が配された。漢代になると陰陽説と結合し、暦法、医学などにも取り入れられて、長く中国人の公私の生活を拘束することとなった。五行の説。
- 祓い はらい 神に祈って、罪やけがれを取り除くこと。はらえ。
- 鐃鉢 にょうはち 仏家・寺院で用いる二種の打楽器、鐃と。つねに組み合わせて用いられたところから併称される。のちには、を特にさしていう。にょうはつ。
- 雪隠 せっちん (セツインの連声) 便所。かわや。せんち。
- 幣帛 ぬさ/へいはく (1) 神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。(2) (中国で、進物・礼物にきぬを贈ることから) 進物または礼物の称。
- 手向 たむけ (1) たむけること。神仏や死者の霊に物を供えること。(2) 旅のはなむけ。餞別。(3) (そこで道祖神にたむけをするからいう) 越えて行く坂道の上。峠。
- 叢祠・祠 ほこら (ホクラ(神庫)の転) 神をまつる小さなやしろ。
- 神位 しんい (1) 朝廷が神に奉る位階。諸王臣の位階との関係はない。神階。(2) 祭儀に神霊をすえる所。
- 祖廟 そびょう 先祖のみたまや。たまや。
- 神棚 かみだな 家の中で、大神宮などの神符を祭る棚。
- 幣束 へいそく (1) 神に捧げる物。にきて。ぬさ。(2) 裂いた麻や畳んで切った紙を、細長い木に挟んで垂らしたもの。御幣。
- 木綿垂 ゆうしで 木綿四手。木綿(ゆう)を垂れること。また、垂れた木綿。木綿で作ったしで。
- 木綿 ゆう 楮の皮をはぎ、その繊維を蒸し、水にひたして裂いて糸としたもの。主として幣とし、祭の時に榊につけた。
- 禍津毘 まがつび → 禍霊、禍津日神
- 禍霊 まがつひ (「まがつひ」は災害・凶事を起こす霊力の意)「まがつひのかみ」の略。
- 禍津日神 まがつひのかみ 災害・凶事・汚穢の神。伊弉諾尊のみそぎの時、黄泉の国の汚れから化生したという。←→直日神
- 執念し しゅうねし 執念深い。
- 麻布 あさふ 大麻、苧麻、綱麻、亜麻などを材料にした布。特に夏用の着衣その他に使われる。
- 麻 あさ (1) (ア) 大麻・苧麻・黄麻・亜麻・マニラ麻などの総称。また、これらの原料から製した繊維。糸・綱・網・帆布・衣服用麻布・ズックなどに作る。お。(イ) アサ科の一年草。中央アジア原産とされる繊維作物。茎は四角く高さ1〜3メートル。雌雄異株。夏、葉腋に単性花を生じ、花後、痩果を結ぶ。夏秋の間に茎を刈り、皮から繊維を採る。実は鳥の飼料とするほか、緩下剤として摩子仁丸の主薬とされる。紅花・藍とともに三草と呼ばれ、古くから全国に栽培された。ハシシュ・マリファナの原料。大麻。タイマソウ。あさお。お。(2) 麻布の略。
- 咬える くわえる? 「咬」は「かむ」。
- 宣託 せんたく 神のおつげ。託宣(たくせん)。
- 唐国・韓国 からくに 古代、中国または朝鮮を指して言った語。
- 舞楽 ぶがく 雅楽の外来楽舞の演出法で器楽合奏を伴奏として舞を奏でるもの。また、その曲。器楽合奏のみ行う管弦の対語。
- 羯鼓 かっこ (もと中国に羯より伝来したからという) (1) 雅楽の唐楽に用いる打楽器。木製の胴と2枚の革面を調紐で締めたものを台に据え、2本の桴で打つ。鞨鼓。両杖鼓。(2) 能楽や歌舞伎舞踊などで用いる小道具。(1) を模したもので胸に着けて打ちながら舞う。(3) 能の舞事。喝食などの役が (2) を打ちながら舞う。
- 桴 ばち 桴・枹。(1) 太鼓・銅鑼などを打ち鳴らす棒。(2) 舞楽の陵王・抜頭などの舞人が持って舞う棒。
- 日蓮宗 にちれんしゅう (1) 日本仏教十三宗の一つ。日蓮を祖とする。法華経を所依とし、教義は教・機・時・国・序の五綱教判と本尊・題目・戒壇の三大秘法とを立て、即身成仏・立正安国を期す。日蓮を祖とする教団は日蓮宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・日蓮正宗・顕本法華宗・不受不施派などに分かれる。(2) 特に、山梨の身延山久遠寺を本山とする日蓮宗をいう。
- 団扇太鼓 うちわ だいこ 一枚革を円く張り、柄をつけた太鼓。日蓮宗で用いる。
- 鳴物 なりもの (1) 楽器。また、その演奏。(2) 歌舞伎で、三味線を除いた鉦・太鼓・笛などの囃子や擬音の総称。広義には三味線も加えていう。
- 穴居 けっきょ 穴の中に住むこと。あなずまい。
- 淵源 えんげん 物事のよってきたるもと。みなもと。根源。
◇参照:
*後記(工作員 日記)
書きかえメモ。
Family shaman → family shaman
Spirit → spirit
Female → female
Male → male
Change of sex → change of sex
ブリヤーツ → ブリヤート
ヤクーツ → ヤクート
キルギース、キルギーズ、 → キルギス
タタル → タタール
Inkscape で、開いた線分同士をつなぐ方法がわかった。
(1) shift キーを押しながら、二つのオブジェクト(開いた線分)を選択する。
(2)(選択した状態で)control+K でパスの連結をおこなう。
(3) そのまま、カーソルを「フリーハンドツール」もしくは「ベジェツール」に持ちかえると、パスの両端ノードが表示される。
(4) 一方のノードから他方のノードまで、パスを描画する。もしくはカーソルを「パス/ノードツール」に持ちかえて、ツールコントロールバーの左から3つめ「選択した端点ノード同士を連結」をクリック。おしまい。
パス同士をつなぐんだから、(2) の「control+K(パスの連結をおこなう)」を指定するまでもなくつながっていいはずだろとつっこみたい。このへんは Adobe Illustrator のほうがスマート。
ただし、手書き線のようにノードの多いパス同士をえんえんつないでゆくと、それだけで描画編集の作業が重くなってくる。最悪、ちょっとした表示の移動でもフリーズする。このあたりの不安定さは Mac OS 8.0 以上。ソフトに由来するのか、マシン能力の限界か。。。
それでも、地図の海岸線や国境線・河川などを自由に連結できるようになった。パスの着色やスタイル設定が思い通りおこなえるようになったことでよしとする。
つぎなる問題。
経線や緯度線を描き込もうとおもって、Illustrator のブレンド機能にあたるものを探すが見あたらず。Inkscape でもとうぜんながらあるだろーと思ってたんだけれど。。。はてさて。
*次週予告
第五巻 第四八号
日本周囲民族の原始宗教(四)鳥居龍蔵
第五巻 第四八号は、
二〇一三年六月二二日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第四七号
日本周囲民族の原始宗教(三)鳥居龍蔵
発行:二〇一三年六月一五日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- 第二六号 風立ちぬ(三)堀 辰雄
- 第二七号 山の科学・山と川(一)今井半次郎
- 第二八号 山の科学・山と川(二)今井半次郎
- 第二九号 山の科学・山と川(三)今井半次郎
- 第三〇号 菜穂子(一)堀 辰雄
- 第三一号 菜穂子(二)堀 辰雄
- 第三二号 菜穂子(三)堀 辰雄
- 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄
- 第三四号 菜穂子(五)堀 辰雄
- 第三五号 山の科学・湖と沼(一)田中阿歌麿
- 第三六号 山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿
- 第三七号 恐怖について / 寺田先生と僕(他)海野十三
- 第五巻 第三八号 電気物語(一)石原 純
- 緒言
- 一、電気および磁気に関する古代の知識
- 二、電気学および磁気学研究の曙光
- 三、電気に関する最初の仮説
- 四、電気の重要な基本現象
- 五、電池の発明
- 今日の世の中は「電気の世界」であるといってもよいほどに、われわれは日常の生活で電気を取りあつかい、始終これに接触するようになっている。誰でも電灯のスイッチをひねらないものはないだろうし、電話器を手に取らないものもまれである。家の中や往来でラジオの発声を聞くのも普通であるし、電車の走ることなどはもう、どんな子どもでも不思議がらない。大きなビルディングへ行くと、どこでもエレベーターがわれわれを運んでくれるし、電熱を利用した暖炉や煮沸器などもだんだんおこなわれてくる。電気はまったくわれわれ人間にとって便利な必需品になってしまった。だが、電気がどうしてこんな作用を持つのであろうか、電気とはそもそも何であるか、また、どうしてこれらの応用が発明されるようになったか、そういう疑問に対して一般の人々はまだまだそれほど明瞭には答えることができないであろう。わたしはここで、電気の性質についてできるだけわかりやすく物語ってみたいと思う。電気のいっさいの取りあつかいを学者や技術者だけに任せきりにした時代はすでに過ぎ去っているので、われわれの家庭の中にまで電気器械が入りこんでくるようになると、誰でもこれに対するひととおりの知識をそなえて、少しぐらいの故障は自分でなおしたり、漏電などの災害に対する予防にも注意することが必要になるのである。また、すでに電気について学んだ人々にしても、その知識をいっそう正確にして自然の不思議な本質についてじゅうぶんの理解を得るようにすることは、はなはだ望ましいしだいである。この物語がこれらの意味でなんらかの役に立てばさいわいであるとわたしは思っている。
( 「緒言」より)
- 第五巻 第三九号 電気物語(二)石原 純
- 六、電流の法則
- 七、電流の化学作用
- 八、電流による熱と光、熱電流
- 九、電流の磁気作用(一)
- 一〇、電流の磁気作用(二)
- 電気分解の現象は、最初ドイツのグロートゥス(一八〇五年)によって、ちょうど磁石の極が鉄に力をおよぼすと同様に、分解せられる各成分が両極から引力および斥力を受けるためであると解せられ、また、イギリスのハンフリー・デヴィーによって同様の解釈があたえられたが、成分がなにゆえに電気力に働かれるかについてじゅうぶん明らかでなかった。ところが一八三三年にいたってファラデーがはじめて、溶液内では電解質の分子成分が最初から解離して存在しており、すなわち、おのおの陽および陰電気を有する二種のイオンを形づくっていることを仮定し、これらが電流の通過にともなう電位差のためにそれぞれ陰極および陽極に運ばれるのであると説明してから、今日までこのイオン解離説が信ぜられている。
(略) - 電気分解は種々の実用に応用せられる。硫酸銅・硝酸銀・塩化金などの溶液を分解すると、それぞれ銅・銀・金などの金属が陰極に集まるから、陰極導体の表面はこれらの金属でメッキせられる。このばあいに陽極としてはメッキする金属の板をもちいて溶液から費消せられる金属をおぎなうようにする。また電鋳術〔電気鋳造〕ではロウや石膏で木板または彫刻などの型を取り、その表面に石墨を塗って導体としたものを陰極とし、電気メッキと同様にしてその表面に銅を厚く付着させ、電気銅版や銅像などをつくる。さらに電気冶金としては、金属化合物の溶液から電気分解によって金属を陰極に析出させ、これを精製する目的にもちいられ、またこの方法で種々の物質の純粋結晶をつくることもできる。
( 「七、電流の化学作用」より)
- 第五巻 第四〇号 電気物語(三)石原 純
- 一一、磁気および電気の場、地球磁気
- 一二、媒質論の発展
- 一三、感応電流
- 一四、電流の自己感応および交流
- 一五、放電
- 一六、電気振動、電波
- 一七、真空放電、陰極線
- 一八、陽放射線
- ライデン瓶の放電やそのほかの火花放電を肉眼で見ると、一瞬時のあいだしか続かないで、その短い時間に電気がひと飛びに中和してしまうように思われるけれども、これを非常に早く回転する回転鏡に映してみると、両極のあいだに多くの往復振動をなして漸次に減衰するものであることがわかる。
- この事実は、一八四二年にアメリカのジョセフ・ヘンリーがはじめて鋼鉄針の不規則な磁化によってあきらかにしたのであり、その後、一八五三年イギリスのケルビン卿〔ウィリアム・トムソン〕によって理論的に研究せられ、一八五八年ドイツのフェツ・ダーセンによって回転鏡による実験が工夫せられたのであった。これはちょうど、振子の球を鉛直からはずして離すばあいに直接に静止の位置に達することなく、かえって数回の往復振動をくり返して漸次に止まるのとまったく同様の現象であり、振子の球と等しく電気の運動に対しても一種の惰性の存在するためであることが確かめられる。電流の自己感応もまた、かような惰性のためにおこることはすでに述べたところであるが、交流を断絶したさいに電流が同様の減衰振動をなして後に〇(ゼロ)に達することも実験的に示される。
( 「一六、電気振動、電波」より)
- 第五巻 第四一号 電気物語(四)石原 純
- 一九、X線および放射能
- 二〇、光電気効果、リチャードソン効果
- 二一、電気素量、電子の性質
- 二二、物質の電子論およびその発展
- 二三、電子の波動性
- 二四、宇宙線
- 一九〇二年に、ラザフォードおよびソッディーはこれらの事実にもとづいて、放射性物質の変脱理論を提出し、物質元素に関する従来の化学上の見解に対してまったく新しい変革をあたえた。すなわち放射性物質の原子は、放射線を放出するとともに異なった原子に崩壊変脱してゆくものであるというのである。この理論は実際に、かような変脱によって生成せられてゆく多くの物質が実験的に確定せられ、その原子量や化学的性質や光のスペクトルなどがあきらかにせられるにしたがって漸次、動かすことのできないものとなった。今日われわれは変脱系列として、ウラニウム・ラジウム系列、トリウム系列、アクチニウム系列の三つを知り、それらの中にそれぞれ十数個の元素を見い出すにいたった。そして変脱の最後において、これらの系列のいずれもが鉛を生ずることは一つの注目すべき事実である。
( 「一九、X線および放射能」より)
- 第五巻 第四二号 電気物語(五)総索引 石原 純
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第五巻 第四三号 森林と樹木と動物(一)本多静六
- (一)森林の効用
- (二)山を愛せよ
- 樹木の話
- (一)伝説の巨木
- (二)大きさによる樹木の区別
- (三)葉の形による樹木の区別
- (四)春のおとずれ
- (五)新緑
- (六)夏の景色
- (七)秋の紅葉
- (八)冬の森
- (九)老樹・名木の話
- また森林が海岸にあれば、天災中の、おそろしい「津波」の害も少なくなります。かの明治二十九年(一八九六)の三陸地方の津波の被害区域は長さ一五〇マイル〔およそ二四〇キロメートル〕にわたり、死者二万二〇〇〇人、重傷者四四〇〇人、家や船の流されたもの、農地の損失などで損害総額は数千万円にのぼりました。こんな津波などは、とうてい人間の力で防ぎ止めることはできませんが、しかし、もし海岸に沿うて帯のように森林があれば、非常な速力でおし寄せてくる潮水のいきおいをそぎ、したがって惨害も少なくなる道理です。(「(一)森林の効用」より)
- 海岸には、枝ぶりのうつくしいクロマツがつらなり生えたりしています。同じマツでもアカマツは山に適していますが、クロマツは潮風にもっとも強い木です。その林があるので、ただに景色がいいばかりでなく、前にもお話したように津波の害を防ぐこともできます。また海のつよい風は浜辺の砂を吹き飛ばして砂丘をつくったり、その砂丘の砂をまた方々へ吹き運んで、だいじな田や畑や、ときによると人家までもうずめてしまうことがあります。海岸のクロマツの林は、そういう砂の飛来を防ぎとめる役目をもするのです。(「(六)夏の景色」より)
- 第五巻 第四四号 森林と樹木と動物(二)本多静六
- 日本森林植物帯の話
- (一)森林植物帯とは何か
- (二)日本の森林帯
- (三)富士山の森林植物帯
- 山の動物
- (一)山の獣
- (二)山の鳥
- (三)山の魚
- (ヘ)草本帯(高山植物)。 (略)草本帯には、乾燥したところに生える植物、すなわち「乾生」のものと、湿気のあるところに生える「湿生」のものとの区別があって、前者は岩石や砂地の乾燥した場所に生え、後者は湿気のある中凹(なかくぼ)みのあるところに生えるのです。
- 高山にはよくそういう凹地に水をたたえて、ときには沼地を形づくり、付近の岩のあいだに雪をためていたりするところがあります。沼地にはこの雪が溶け流れこむので、その沼水の温度はひじょうに低く、ひどく冷たいわけになります。
- 乾燥地すなわち岩地・砂地の水分の少ないところでは、植物もたくさんむらがって生えることができなくて、そこここと岩石地に根をおろし、風が強いので葉は地にへばりついており、根は茎にくらべて非常に太く長くなり、岩の裂け目などに深くもぐりこんでいます。この植物のうち、岩のくだけて積もった上に生えるものには、花が赤くて紅緑の葉を持った優美なコマクサや、ノコギリ葉の四出した茎の先に赤い唇形の花がむらがっているミヤマシオガマ、ウメに似た黄色い花をひらきノコギリ歯のある丸い葉を三つずつ、糸のような茎につけたミヤマキンバイ、小さい芝のようなミヤマツメクサ・タカネツメクサなどがあります。
- また岩のすき間には、青紫のチシマギキョウ・イワギキョウ、花は白梅に似て、葉は豆のように厚ぼったいイワウメ、ノコギリ歯のある腎臓形の葉を根元に出して、茎の上に黄色の五弁の花をつけるミヤマダイコンや、ハハコグサに似て白フランネルのような葉を持っているミヤマウスユキソウなどが生えます。(「(二)日本の森林帯」より)
- 第五巻 第四五号 日本周囲民族の原始宗教(一)鳥居龍蔵
- 序言
- 日本周囲民族の原始宗教
- 一、緒言
- 二、東北アジア民族の宗教
- 東北アジア民族の分類
- カムチャツカ 付 アラスカ、ベーリング
- チュクチ、コリヤーク、エスキモー、ツリンキツト、
- ハイダ、チムシャン
- 千島、北海道、カラフト
- アイヌ、ギリヤーク、オロッコ
- 極東シベリア
- ツングース、オロッコ、ゴリド
- 満州
- 満州人
- 朝鮮
- 朝鮮人
- 沖縄諸島
- 沖縄人
- モンゴル
- モンゴル人
- 中部シベリア 付 露領トルキスタン
- ソロン、バラカ、ブリヤート、ヤクート、トルコ人
- (略)シャーマンには二種あり、一つはファミリー・シャーマン、一つはプロフェッショナルのシャーマンである。前者には時に巫人として神に仕える専門的のものなく、各自の家々にて祈祷・禁厭(きんえん)をおこない病気をなおすのであって、これを家族的のシャーマンといい、後者の職業的シャーマンは、この家族的シャーマンの一歩進んだもので、専門的の巫人があって神に仕えることをして、一般民衆のために加持・祈祷・占いなど種々のことを営むのである。チュクチ、コリヤークのシャーマンは全く家族的シャーマンに属するのであって、たとえば一家に病人のあるばあいには、その家の娘が主なる巫人となり、両親が神に供物(くもつ)をささげたり、太鼓を打ったりする役をつとめてシャーマンの儀式が成り立つので、きわめて簡単である。太鼓は自家に持っているものもあるが、多くは一村共通で、ある場所に備えつけてあるのを諸所の家から借りにくるのである。この太鼓は、彼らの間には神聖な威力を持ったものと考えられておって、シャーマンには必須のつきものである。悪魔は太鼓の音を聞けば退散するという。
(略) - しかるに神というのは何であるかというに、その形は人間の目に見えないものであるが、石を見ると石そのものを神とし、海岸の岩に対して供物などをささげ、岩石と神とを区別しない。木・川・海などの神もまたそうである。これらの物質そのものと神そのものとの区別の立たぬのがおもしろいところで、新シベリア族のほうでは、たとえば石・岡・山・川・木などにしても、それらの内にそれぞれの神が宿っているのであるという思想を持っている。チュクチ、コリヤークになるとこれよりもいっそう原始的であって、物質と神との区別を認めないのである。
(「二、東北アジア民族の宗教― ―東北アジア民族の分類」 「カムチャツカ」より)
- 第五巻 第四六号 日本周囲民族の原始宗教(二)鳥居龍蔵
- 日本周囲民族の原始宗教
- 三、中部、南シナ民族の宗教
- 中部南シナ
- 漢族、苗(ミャオ)族、
(ロロ) - 四、南東アジア諸島民族の宗教
- フィリピン――北部ルソン
- イゴロ人
- 台湾 付 紅頭嶼(こうとうしょ)
- インドネジアン――生蕃、熟蕃
- 太平洋諸島 付、ニュージーランド
- マレー・ポリネシア族、マオリー人
- 五、結論
- 朝鮮の巫覡(ふげき)
- 一、緒言――朝鮮の宗教
- 二、巫人――巫覡
- 巫人の社会的地位
- 巫の呼び方
- 巫・覡の区別
- 三、巫(ふ)――女巫(おんなみこ)
- 祈祷(きとう)
- 四、覡(げき)――男覡
- 祈祷
- 五、結論
- なお、台湾の離れ島である紅頭嶼のヤミの方ではいかがかというに、そこでは死者を恐れることがはなはだしい。彼らは生蕃中でもっとも原始的状態にあるもので、この点はわれわれは大いに参考となるのである。予は二か月ほどこの地におって調べたが、人が死ぬと立て膝にしたままで布にて巻き、それを墓場へ持っていくのであるが、その際には二人で死体をかつぎ、他の数人これにしたがい、あるものは刀をぬいて前に進み、あるものは長い鎗をたずさえてこれを守って行く。そして海岸パンダナスの林の中にある墓場に埋める。この途中で、死者が生前の食事にもちいた茶碗・その他の品を路傍に捨て、これに触れぬようにする。死者を埋めて土をかぶせ、その上に一つの石を置き終わると、武装した五、六の会葬人が刀を振りまわしたり、鎗をもって突く真似をしたり、不自然な態度で狂気のごとくに踊り狂う。これは霊魂に対する威嚇であって、これによって生きている人間が霊魂の害を防ぐのであるとしている。かくて一種の叫び声を放ちつつ、自分の家に帰るのである。死者のあった家の軒先にはかならず一本の鎗(Shishikud)を立てておく。鎗に対する神秘的の考えは、前にフィリピン島のイゴロ人のところで述べた、鎗を魔除けにするということと同じ思想である。(「四、南東アジア諸島民族の宗教――フィリピン」「台湾」より)
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