鳥居龍蔵 とりい りゅうぞう
1870-1953(明治3.4.4-昭和28.1.14)
人類学者・考古学者。徳島の人。東大助教授・上智大教授などを歴任。中国・シベリア・サハリンから南アメリカでも調査を行い、人類・考古・民族学の研究を進めた。晩年は燕京大学教授として遼文化を研究。著「有史以前の日本」「考古学上より見たる遼之文化」。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

◇表紙の鈴は、朝鮮咸鏡かんきょう南道・咸興かんこうの巫人の持てるものであって、先端に鈴は群をなし、そのかたわらに小さな鏡が結びつけられ、柄の下端には五色の長い絹の垂れがさがっている。彼女が神前で祈り舞うとき、これを手に持って打ち鳴らすのである。(本文より)



もくじ 
日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(三)鳥居龍蔵


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*第五巻 第四四号より JIS X 0213 文字を画像埋め込み形式にしています。
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う  → いう / 言う
  •      処   → ところ / 所
  •      有つ  → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円い  → 丸い
  •      室《へや》 → 部屋
  •      大いさ → 大きさ
  •      たれ  → だれ
  •      週期  → 周期
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いった → 行った / 言った
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、英語読みのカタカナ語は一部、一般的な読みに改めました。
  •    例、ホーマー  → ホメロス
  •      プトレミー → プトレマイオス
  •      ケプレル  → ケプラー
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符・かぎ括弧をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸   → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改め、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名・映画などの作品名は『 』、論文・記事名および会話文・強調文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 畝 せ 段・反の10分の1。一畝は三〇歩で、約0.992アール。
  • 反 たん 一段(反)は三〇〇歩(坪)で、約991.7平方メートル。太閤検地以前は三六〇歩。
  • 町 ちょう 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約1ヘクタール。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0 = 32
  • 100 = 212
  • 0 = -17.78
  • 100 = 37.78


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1214.html

NDC 分類:163(宗教/原始宗教.宗教民族学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc163.html





日本周囲民族の原始宗教
神話・宗教の人種学的研究(三)

鳥居龍蔵

 シベリアのシャーマン教より見たる朝鮮の巫覡ふげき


朝鮮の巫覡ふげきについては、前章「朝鮮の巫覡」ですでにだいたい記したが、本章においては、さらにこれをシャーマンの本場たるシベリアのそれと比較して記すこととする。なお朝鮮と日本との関係は、いろいろの学問上から見てすこぶる興味ある問題であって、あるいは原始神道の上に、あるいは日本の古代の神話の上に大いに関係があろうと思う。ゆえに本章もいきおい、日本神道との比較研究の色彩をだいぶびている。

   一、シャーマニズムとシャーマン


 一般の神話学・比較宗教・人種学などの上からいうとシャーマニズムという宗教は、スピリット〔精霊〕があちらこちらにあるのを祈祷きとうしたり、あるいは人が病気にかかるのは霊魂が身体の中に入ってわざわいをなすのである。霊魂は天地いたるところにち満ちている、その霊魂に触れると病気になったり、あるいは飢饉ききんがおこったりいろいろの災厄さいやくが生ずる。その霊魂の中には幸魂さきみたま荒身魂あらみたまというようなものがあって、それが人に害をあたえ、あるいはいろいろの災厄をおこす。その霊魂と人との間に立っているのが巫覡ふげきであって、巫覡がある儀式によって霊魂を腹の中から取り出せばその人の病気がなおり、また霊魂のお怒りになっているのをなだめれば、飢饉が豊年になり、天下泰平・国家豊饒、人々も安泰あんたいになるというのである。
 シャーマニズム(Shamanism)というのはごくプリミティブ〔原始的〕の宗教であるが、朝鮮の古い宗教というものは要するにそれなのである。ある人は朝鮮の宗教は仏教だとか儒教だとかいうが、それは上流社会の人のことで、一般の人はシャーマニズムを信じているのである。仏教は百済とか新羅とか高勾麗とかいう時に伝わったもので、儒教は後におこなわれた、いわゆる外来の宗教である。
 シャーマニズムのおこなわれている区域は、シベリア・満州・中央アジアなどにおよんでいるが、もっぱらアジアの東方および北方におこなわれている一つの宗教である。そうして、それにはかならず巫覡ふげきがある。巫覡が神に祈祷をし、ぬさささげ、あるいは七五三縄をはり、それから太鼓をたたくというような風がおこなわれているのである。

   二、シャーマンの種類


 それで今日おこなわれているシャーマンは、だいたいこれを二種に区別して見ることができる。一つは professional shaman、いま一つは family shaman である。プロフェッショナル・シャーマンはすでに男のげきと女のとができて専門的になっているのであり、ファミリー・シャーマンは一家内において祈祷をやっているのである。
 そこで朝鮮のシャーマンはどうかというと、すでに立派な職業になっているが、これに従事している者はきわめて社会上いやしめられている。前述のごとく朝鮮には八賤と言って八種のいやしい階級がある。いちばん下のを白丁ペクチョンといって、巫覡はそのすこし上の階級にくらいしているぐらいのものであるが、民間の信仰は非常に盛んで、いたるところにおこなわれている。今日においてなおかかるありさまであるから、昔においてはずいぶん勢力のあったものであろうと思われる。余は、彼らはプロフェッショナル・シャーマンに属するものと思う。これはシャーマンの階級からいえば非常に進んでいる方のものである。ファミリー・シャーマンのほうは、これはまだきわめて原始的のものであって、これがもっぱらおこなわれているのは東薩加半島およびその北であって、コリヤーク・チュクチ・エスキモーなどというようなベーリング海峡にったほうの古アジア民族の間である。どういうふうにやっているかというに、ベーリング海峡の所にきわめて開けないチュクチという人間がある。彼らはまだ石器を使っているというほどの原始的状態にある民族であるが、その状態がおもしろい。この民族には祈祷をしたり儀式をしたりする専門の巫覡というものはなく、みな家族的にやっているのである。たとえば娘が斎主さいしゅとなり、妻が太鼓をたたき祈祷をすると、夫はささげ物の仕事をするとかいろいろの用をしているのであって、すべて家内でやっている。プロフェッショナル・シャーマンは満州・シベリア・中央アジアなどにおこなわるるもので、すなわちウラル・アルタイ民族の地方におこなわれている。今いえるごとく朝鮮も無論この中に属する。これらの民族にも、最初はファミリー・シャーマンの時代があったであろうが、これはもう古い昔に過ぎ去ったのである。
 そこで、ファミリー・シャーマンからプロフェッショナル・シャーマンにはどうして発達するのかというと、最初は家々でやっておったのが、同族が多くなってくると、すなわち社会組織がだんだん発達してくると、祝詞のりとを読むこともむつかしくなり、また儀式もだんだん規模が大きくなるというようなことから、一家内の者ではできなくなる。そこで専門のシャーマンというものが必要になる。であるから古い時代の家族的になっておったときには巫覡というものはなかった。家内において神事をおこなっておった。これが第一に注意すべき点である。それからシャーマンになくてならないものは太鼓である。これはかならず必要なもので、どのシャーマンでも持っている。日本の太古にも太鼓があったかなかったか、ということは確かには知らぬが、神楽かぐら太鼓というものと比較すると、その間に何らかの関係があるように思われるのである。

   三、シャーマンの性

    女巫より男覡へ


 それからつぎに注意すべきことは、神に仕える者は男であるか女であるかということであるが、これはちょっと問題である。ここに神というは多くは God ではなく spirit の意で、すなわち霊魂である。この spirit に仕える職業をしているのは女であるか男であるか。ところでこの巫覡ふげきというのは、は female で、げきは male であるが、朝鮮のほうからいうと巫はほとんど女ばかりであって、男はあまりない。ただ咸鏡道かんきょうどう北青プクチョン以北、豆満江とまんこう流域のシャーマンは男が多く、女も中に混じっている。これに反して他の朝鮮各道においてはことごとく女である。そこでこの神や霊魂に仕える者は男であったか女であったかというに、原始的の者は女である。これはシャーマンの研究をしている有名なるオーソリティーも多くこの説をっている。なお一つの例をもっていうと、アジアの北方、ベーリング海峡にったほうにおるチュクチという民族がある。それは今いったファミリー・シャーマンに属するのであるから、一家内の者は男女ともに霊魂に仕えるのであるが、ただし、男よりも女のほうが威力ある者としている。それで男は儀式の用をたすぐらいの話で、神の霊がうつるとか、病気をなおすとか、禁厭まじないをするとか、太鼓をたたくとかいうことはみな女がしている。であるから女のほうが勢力がある。日本においても、古くは神事については女子がつねに優れた地位を占めておったようである。ところがチュクチでは優れた地位を占めているものは処女に限るのであって、子どもが生まれるとその力は失われる。要するに、子どもを生んだことのない女が清浄潔白であるということになっているのである。日本の巫子いちこもよくそういうところから考えてみると、いくらかこれに似ておりはせぬかと思う。神道の研究についても、従来は後世できた注釈書の研究がだんだん盛んであるが、余はこういう原始時代の立脚点から研究するということも必要ではあるまいかと思うのである。
 とにかく、そういうふうにごく原始的の開けないシャーマンにおいては、神にもっとも接近し力のあったのは女であった。ところがだんだん進んでくるにしたがって男がやるようになってきた。change of sex、男が女に変化するようになってきた。はじめは女が主であったが、世の中が進むとともにしだいに男に移って、反対に女のほうが付随するようになってきた。これは現に今日、シベリア地方でおこなわれているところを見てもそうである。この間にはおもしろい風習がおこなわれている。ところが朝鮮においてはどうかというと、この点においてはまだ古い形式がおこなわれておって、女が勢力を有し、男は神に仕える上においてはまったく勢力がない。これはよほど注意すべき点である。
 日本の古代においても change of sex の例が認められる。たとえば『日本紀』の神武天皇の条に、

「……時勅道臣命みちのおみのみこと。今以高皇産霊尊たかみむすひのかみ。朕親作顕斎うつしいわい。用なんじ斎主いわいぬし。授以 厳媛いつひめ之号……」

とある。当時、神をまつり斎主いわいぬしとなる道臣命みちのおみのみこと厳媛いつひめの号を授けたまうたのは非常におもしろい例である。この解釈について古来、わが国学者の間にたいへん議論があるが、これは女巫と男覡との過渡時代のものと見れば解釈はむつかしくない。シベリアでも、この過渡時代には男覡は女装したり、女性の性格を表現したりするのがふつうである。
 この女の勢力が男に移ったということは、前述の家族的のシャーマンが世の中の進歩とともにだんだん専門的になり、そして儀式もむつかしくなり、祝詞のりとのごときも女の力では不十分であるというようになったところから、男に移ってきたのであろうという。その証拠となるべき例もたくさんあるが、その一例は、シベリア・満州などにおこなわれているシャーマンがそれである。そういう方面では女のシャーマンという言葉はみな一様であるに反して、男のシャーマンという言葉はみな違っている。それによって見ても、女のほうが先で男のほうが後であったということがわかる、のみならず、昔は女が神に仕えておったということが明らかである。この点において朝鮮のシャーマンは古い形式の上に立っているといってよいと思う。
 そこで朝鮮の巫子いちこは、いかにして後代に伝えてゆくかというと、前述のごとく朝鮮では母が娘に伝える。けれども、もし娘がないときには他の者に伝える。それからまた、中年から巫子になることもできる。中年から巫子になるのは、多くは大病にかかってそれがなおったばあいに、どうしても自分は霊魂に仕えなければならぬというような心をおこしてなるものもあり、あるいは偶然、自分がインスピレーションに感じたというような考えから巫子になる者もある。そういうのは、最初は師を選んで弟子となってあちらこちらにしたがって行き、見習いをするのである。また、巫子は結婚してもさしつかえないということになっている。この点はまた朝鮮の巫女も古い形式を失っているのである。そうして、どういうようにしてそのことをおこなっているかというと、京城けいじょう〔日本支配期のソウルの称〕の南山、あるいは鷺梁津ノリャンジンなどにいる有力なる者は、一定の場所または自分の家に祈祷する場所をこしらえて人の参詣さんけいを待ち、祈祷きとうう者があればそこで祈祷なり禁厭まじないをしているが、その他の地方においては通常の家も巫子の家も変わりがない。そうして多くは出張して病人に接し、あるいは祈祷をするということになっている。

   四、鏡・太鼓・鈴とシャーマン


 それからまた朝鮮において専門の巫子となるのには、一つのおもしろい風習がある。これは咸鏡かんきょう南道の永興というところで調べた例であるが、永興のほうでは、巫子になるのには山の中に行って鏡を発見してこなければならぬ。巫子となるには鏡を持っていなければならぬ、鏡を持たなければ巫子としての資格がない。ゆえに巫子になるには一週間も十日も山をさがして鏡を発見してこなければならぬ。現今では必ずしもそのとおりおこなわれておらないようであるが、そうしてなるのが本式である。巫子が鏡を持っているということは、ひとり朝鮮ばかりでなく、モンゴルのシャーマンも同様である。モンゴルにおいては今日、ラマの仏教〔チベット仏教〕が盛んであるけれども、興安嶺こうあんれいの中やその他にはまだラマの入らぬ以前のシャーマンがある。それも朝鮮の巫子と同様に鏡を持っている。この鏡は非常に威力のあるもので、悪魔をはらい、悪い霊魂を退しりぞける一つの神体になっている。日本の神体にも鏡になっているのがたくさんあるが、シャーマンを信ずるところでは鏡を非常に威力あるものとしている。朝鮮の巫子もその一例であって、鏡は是非なければならぬものとなっている。そのほかシャーマンに必要なものは太鼓である。もっとも、朝鮮のシャーマンではこれはさほど値打ちのあるものとなっていないが、アジア東北方の古アジア民族やウラル・アルタイ民族の間には太鼓に対する信仰が盛んであって、シャーマンには太鼓が必要なものとなっている。太鼓の音は善良なる神霊は喜ぶけれども、悪い神霊は非常にこれを恐れるというので、きわめて神聖のものになっている。それからいま一つは鈴であるが、この鈴も朝鮮の巫子に必要なる物となっていて、鈴はシャーマンの一つのシンボルといってもよいくらいである。鈴の音は悪魔がもっとも嫌うところのものであるから、祈祷をするときにはかならず鈴を振るのである。日本の巫子いちこも同様に鈴を持っている。しかしてこの鈴は日本のそれと同一の形状である。もっとも日本においてはもはやその意義を失って、何のために持っているのかわからぬというくらいになっているが、朝鮮のシャーマンにおいてはまだ、鈴が非常の威力あるものとなっている。日本で式三番叟しきさんばそうに鈴を振るのは、やはり悪魔をはらうという意味であろうと思う。とにかく、日本の巫子いちこが鈴を持っているということも、シャーマンに関係ある大切なる点であると思う。

   五、シャーマンの称呼


 朝鮮では巫覡ふげきのことを(ムータン)といい、あるいは単に(ムー)とよび、漢字では「舞党」と書いてある。ただしこれは要するに当字あてじであって、単に音を現わしたにすぎない。さて、前にいったごとく、ウラル・アルタイ民族においては女のシャーマンという言葉はみな一定していて、ほとんど共通であるといってもよいのである。これについてロシアの人種学者ツロシュチャンスキー(Troshchanski)という人が、こういうことを書いている。すなわち、モンゴル人、後貝加爾にいるブリヤート、ヤクート、アルタイ地方にいるアルタイ人、中央アジアにいるキルギス、これらの民族は女の巫子を何と言っているかといえば、Utagan, Udagan, Ubakhan, Utygan, Utugan, Iduan, Duana といい、またタルタル韃靼だったん、タタール〕ではUdege 、ツングースでは Utakan というように、みなほとんど同様である。かくウラル・アルタイ民族のあいだに女の巫子という言葉が一致しているのは、かならず一つのオリジンからおこったものでなければならぬといっておるが、これはもっともの意見であると思う。また、朝鮮のムータン(Mutan)というのもやはりウタガン、ウダガンというのから転訛てんかしたものであると余は考えている。もっともそれは余だけの考えであるから、もしあやまっているならば批評してもらいたい。この点から見ても朝鮮の巫子は、あの方面のシャーマンと関係があると見なければならぬ。ただ、モンゴル語ではすこし違っている。モンゴル語では、これは男女を通じてであるがシャーマンのことを Buge と言っている。ただし、モンゴル語には文語と口語とあって、Buge というのは文語で、口語では Bo と言っている。このボーというのは朝鮮のムー(Mu)と同じような発音であって、こういうところから見ると、これもよほど似通にかよっているように思われる。いったい、朝鮮の言葉はツングースやモンゴル語と同じ系統の言葉であって、それは巫子のうえに遺憾いかんなく認められる。ボンザロフ氏に従えば、シャーマンは満州語では Saman(薩満)で、その意味は「感激して動き、起き上がる者」という義である。そしてツングース語では Shamman, Hamman、ヤクート語 Oiun、タタール語 Kam、キルギス語 Baksa(Baksy)、サモエード語 Tadibey である。

   六、シャーマニズムよりたれる
     朝鮮現存の習俗


 朝鮮の女の巫子にはお経というものはない。口から口に伝えられるのであるが、咸鏡かんきょう北道における男の覡には一種の祝詞のりとのような書物がある。その中にはシナの五行説の思想なども加わっていて、よほど進んだものである。しからば女の巫子のつとめはどういうことをするのかというに、まず祈祷きとうをする。祈祷にもいろいろあるが、たとえば人が病気になるとその病人のところへ行ってはらいをする。あるいは旱魃かんばつとかいうようなことがあると、それは悪い霊魂のためであるというところから、その霊魂をやわらぐるための祈祷をする。あるいは船の祈りもすれば、森・池・山・丘・その他すべてのものについての祈りをするのである。それからその組は、京城けいじょう付近のは一組でもずいぶん大勢いるが、その他はたいてい三人で一組となっている。一人が本当のムータンで、一人は太鼓をたたく役をつとめ、いま一人は鐃鉢にょうはちを鳴らすのである。いったい朝鮮人の宗教は何かというと、仏教もおこなわれている。また儒教もおこなわれているけれども、それは上流の一部におこなわれているのみであって、大部分はシャーマニズムである。もし、一般の民衆の宗教思想を儒教であるというように思ったらたいへんの間違いである。仏教であるというように思っても大間違いである。なるほど儒教も仏教もおこなわれてはいるけれども、それは古い民族性の上に着色せられたる思想にすぎないのであって、根本的の思想はやはりシャーマニズムである。シャーマンの思想がどれだけ朝鮮人の頭を支配しているかというに、山とか、河とか、海とか、森とか、丘とか、木とかいうような天然物はもちろんのこと、その他、家の中・天井・かまど煙突えんとつ・井戸・路傍ろぼう、いたる所、あらゆる物にスピリットが充満している。であるから船に乗っても、山に行っても危険であると考えている。人が病気になるのはそのスピリットの荒身魂が身体の内に入るからである。またその人の運が悪く、いろいろの災難がくるというようなことも、やはり悪い霊魂のいたためである、ゆえにその悪い霊魂に憑かれないようにしなければならぬというのである。この精神は日本にもあって、日本では雪隠せっちんの中に悪い霊魂があると考え、今でもやる人があるようであるが、雪隠へ入るときには咳払せきばらいをしてからでないと入らぬというようなことがある。そういうように、朝鮮人はいたる所にスピリットが充満しているから、これに触れないように用心しなければならぬというので、たとえば旅行をして峠でも越えるというときには、峠の頂上に小さなお宮があって、そのそばの木に自分の持っているものをけて通る。それだから、旅行するときにはあらかじめ布の小切こぎれのようなもの、あるいは麻を用意しておって、それをかけて通るという風習がある。日本においても、ごく古い時代には旅行の平安を祈るため、あるいは峠を越えるときには、無事往来ができるようにというので幣帛たてまつって手向たむけをしたというようなことは『万葉集』などにも見えている。そういうように旅行の平安を祈るというようなことは、現に朝鮮にはおこなわれている。
 それから、朝鮮の村の入口にはかならず石が積んである。これは何のためかというと、村の安全のために祈祷をする場所である。また、木に七五三縄をはってあるのがあるが、それはその木に神が宿やどっているというしるしである。神の宿っている場所は、今日の朝鮮人の信じているのは主として森の中である。山ならば、森林の中に神がしずまっていると信じている。これは日本でも同様であって、『万葉集』などにも「杜」という字を「神のやしろ」という意味にもちいている。朝鮮でもやはり原始的で森を崇拝している。それがだんだん発達してくると、草屋根の小さなほこらを建て、なおいちだん発達してくると殿堂になる。その発達の順序が日本でも同様で、最初は山や森・木が神位しんいのいるところ、それが殿堂となり、すなわちそれがいま一段発達すると、仏教の殿堂や儒教の祖廟そびょうのような形式になる。
 それで七五三縄をはるということが、神の鎮座している場所であるという一つの条件になっている。また、その七五三縄のい方も日本のと同様に左いで、それにわらを下げる、あるいは紙を下げる、あるいは麻を下げることもある。そうして、その七五三縄を神のしずまるという所にはると、もはやそこは神聖の場所となって、不浄の者は入れないことになる。こういうふうで七五三縄は、日本ではまったく儀式的のものとなっているが、朝鮮では生命あるものになっている。であるから一個人の家でも、子どもが生まれるとその家に七五三縄をはる。その七五三縄の飾りとして、ある木の葉とか木炭とか海草などというものをつける。また、祝いをする時分には門に七五三縄をはる。そうすると門内はきよめられたことになって、むやみにその中へ入れなくなる。その入れない者の制限は、第一、産をした者、つぎは身体から血を流した者、そのつぎは四つ足の動物を殺した者、死人の埋葬式に行った者、病人に接した者、こういう者は七五三縄をはった内には入ることができぬ。もしそれを犯せばばちがあたる。今日、わが国において七五三縄をはるということは、正月とか祭りの儀式としてもちいられているのであるが、昔はやはりそういう意味にもちいられたものであろうと思う。こういうふうであるから、朝鮮のシャーマンと日本の神道とは、何か一種の関係があろうと思われるのである。
 前にも述べたごとく、人が病気になるということは、どこかで悪い霊魂にかれて、それが体の中に入ったのであるから、巫子に祈祷をしてもらって霊魂を取り去れば病気がなおるというのである。その祈祷の方法は、まず病人の寝ているところに神棚かみだなを設ける。神棚を設ける時分には、そこに笹の葉に幣束へいそくを下げるとか、あるいは木の枝に木綿垂ゆうしでをさげて正面の神前におく。そうして、いろいろな供物をささげる。そのときに巫子が中央に立ち、左右に太鼓を打つ者と鐃鉢にょうはちを鳴らす者とが座を占め、諸々もろもろの神霊を呼び集めて祈祷をなし、体の中に入っていろいろの病いの原因をなしている霊魂の出て行くように祈る。そしてそれを出すという儀式がよほどおもしろいのである。神前にそなえてある笹に幣束をかけてあるもの、あるいは木の枝に木綿垂のあるもの、それに霊魂が移って行くものと信じている。日本の神道にも「おはす」という言葉があるが、つまり禍津毘まがつび禍津日神まがつひのかみを幣束なりあるいは木の枝に負わせて、それを一緒に持ち去ればその病人はなおると、こういうように考えている。これは非常に迷信のようであるが、朝鮮人はそういうように考えているのである。ところがそういう祈祷をしても、まだ病人がなおらぬ、悪い霊魂が執念しゅうねいているというばあいには、さらにいろいろの方法を講ずるのである。すなわち一丈〔およそ三メートル〕も二丈もある麻布あさふを巫子の身体に巻きつけ、その麻布に霊魂を負わせて、それを退しりぞけるというようなこともやる。麻は非常に神聖なものとしていろいろの神事にもちいるが、その麻に悪い霊魂が移るものとしている。日本の幣束に小さな麻布切れをつけるのも注意すべきことであろう。それでもなお退しりぞかないときには、今度は巫子が剣を持ってきておどす。それでも出て行かぬときには、身体に傷をつけて血を見せることもあり、あるいは大きな分銅を歯でくわえて振って歩くというようなこともする。それはつまり、力強いというところを見せて霊魂をおどすというためである。ただし、ふつうには鈴の音・太鼓の音でたいていの禍津毘まがつびは追い払うことができると信じているのである。
 かように朝鮮の巫子というものは、スピリットと人間とのあいだに立っているものである。それゆえに預言をする。たとえば今年は飢饉ききんがくるとか、疫病えきびょうが流行するとかいうようなことをいう。それは霊魂が巫子にり移っていわせるのであると信じている。であるから、朝鮮の巫子はただに霊魂を追い払うのみならず、なお自分がスピリットのインスピレーションに感じていろいろなことをいう。あるいは死んだ人の霊魂が憑り移るというようにも考えている。これは日本でも『記』『紀』に女子が神様の宣託せんたくを受けてこういうことを言ったとか、どこの神をまつったならば何々が無事であるとかいうようなことがあるが、日本の神道と朝鮮におけるシャーマニズムとはいろいろな点において似たところがある。それはただ偶然一致したのだといえばそれまでであるが、どうも偶然とばかり見ることのできないことがいろいろあるので、日本と韓国からくにとのあいだには何か深い関係があるのではなかろうかと思う。現に日本では、七五三縄やその他は神社の儀式なり社会的の儀式となっているが、朝鮮ではなおそれが生きて活動しているのである。
 つぎに太鼓について話してみよう。朝鮮の巫子の使う太鼓は、日本の舞楽ぶがくのときにもちいる羯鼓かっこと同じような形をしたもので、一方の手にばちを持って一方の手で打つ。そうして巫子はその太鼓の音によって足拍子を取って舞う、すなわち神楽かぐらである。ちょうど舞楽のときに太鼓によって足拍子を取っているのと同じようである。なおこれは、日本の神楽との間においてもよほどおもしろいことがある。朝鮮では太鼓をさほど神聖のものとせずして、一種の楽器として使っているのである。しかしながら一般のシャーマンを見わたすと、たいへん神聖なものとなっている。日本でも神楽太鼓といって神楽には必要なものとなっているが、今では単に楽器としての意味があるだけで、宗教上の意味は少しもない。しかしそのはじめにおいては、宗教上の意味において欠くべからざるものとなっておったと思う。
 太鼓のことについてシャーマンの上からいま少し述べてみよう。シャーマンにおいては太鼓に非常なる威力があるものと信じ、太鼓がなかったならばほとんどシャーマンの威力がない。太鼓の音が響くと、すべてのスピリットが恐れるのである。また、いろいろの霊魂を集めるときにも太鼓が必要なるものとなっている。ファミリー・シャーマンにおいてもさようであるが、専門的のプロフェッショナル・シャーマンにおいても同じく太鼓が必要なるもので、これがなかったならば巫子はできないというくらいになっている。太鼓についてこれを人種学上から見ると、アジアの北と南とにおいて二つの形式に分けて見ることができる。一つはウラル・アルタイ民族、すなわち満州・ツングース・モンゴル・トルコの諸族のシャーマンが今日使用しているものであって、それらの太鼓は裏面には中央に環があって、それから皮のひもで張ってある。チュクチ・コリヤーク・エスキモーという方面のものになると、さらにこれにがついている。ちょうど、日蓮宗の団扇うちわ太鼓のような形になる(あるいは、日蓮宗の太鼓もそういう威力を示すような意味でできたものではなかろうか。そしてまた、日本の古い時代にこういうタイプの太鼓があったのであるまいか)。それから南方の太鼓は中央を打つが、北方の太鼓は下の方を打つ。いくらか斜めにして下の方を打つのである。なお、この太鼓の上に鳴る物がついている。これも今ではまったく無意味になっているが、それの発達したのが鈴である。日本や朝鮮においてはすでに鈴になっているが、シベリア・満州・ツングースなどの太鼓には、上部に一種の鳴物なりものがついている。それが発達して鈴になったのであろうと思う。
 それからいま一つ太鼓について注意すべきことは、プロフェッショナル・シャーマンにおいては巫覡ふげきがあって、それが各自に太鼓を持っているが、ファミリー・シャーマンの時代であると、太鼓が家々に一つずつあるのでなくして、村に一個しかない。たとえばチュクチのごときはそうであって、もし、ある家で必要があるとそのたびに持ってきて使う。その太鼓は非常に貴重なる物とし、太鼓のために家を建てて飾っておくぐらいのものである。またこれらの人間は、冬は多く穴居けっきょし、夏になると移住するのであるが、その移住する時分には太鼓をなるべく小さくして持って歩く。その太鼓は夏はの上におくとか、冬は寝間に置くとかいうようになっている。ところが、ウラル・アルタイ族の満州・ツングース・モンゴル・エニセイから中央アジアなどの方面のシャーマンはすでに専門的になっているから、巫子はみなこれを所有しているのである。けれども、今もいったとおり朝鮮にくると、もはや太鼓はそれほどの意味をなさない。ほとんど理由がなくなっているのである。
 それから太鼓の名前であるが、この名前がよほどおもしろい。太鼓はシャーマンの生活にはもっとも必要であって、ほとんど生命のごとくにしているが、その名前がみなだいたい同じようである。ヤクートは太鼓のことを Tungur, Tunur, Dunur というように呼んでいる。それから満州語では Tunken、モンゴル語では Dungur、アルタイ語では Tungur というようにみな一様である。こういうふうであるから、そのもとは同一のものであろうと思う。さらに日本ではどうかというと、古語は Tuzumiと言っている。太鼓たいこはシナ語である。多少似通にかよっているように思われる。朝鮮語ではどうかというと、朝鮮ではシナ語の影響を受けてモンゴル語や満州語のように純粋のものではないが、(Tutaril)というのであるから、この間にも多少の連絡があるように考えられる。そういうように考えてみると、朝鮮人とウラル・アルタイ族との関係は単に宗教の上において認むるのみならず、体格の上に、あるいは言語の上において、あるいは古い風俗習慣の上においても認められるのであって、朝鮮の巫子も要するに、北方のシベリア・満州などに淵源えんげんしているものと思うのである。(つづく)



底本:『日本周囲民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日発行
   1924(大正13)年12月1日3版発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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日本周圍民族の原始宗教(三)

神話宗教の人種學的研究
鳥居龍藏

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山《やま》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)人々《ひと/″\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 西比利亞のシヤーマン教より見たる朝鮮の巫覡

[#ここからリード文]
朝鮮の巫覡に就ては、前章『朝鮮の巫覡』で既に大體記したが、本章に於ては、更に之れを、シヤーマンの本場たる西比利亞の其れと比較して記す事とする。尚ほ朝鮮と日本との關係は、色々の學問上から見て頗る興味ある問題であつて、或は原始神道の上に、或は日本の古代の神話の上に大いに關係があらうと思ふ。故に本章も勢ひ日本神道との比較研究の色彩を大分帶びて居る。
[#リード文ここまで]

   一、シャーマニズムとシヤーマン

 一般の神話學、比較宗教、人種學などの上から云ふと、シヤーマニズムと云ふ宗教は、スピリツトが彼方此方にあるのを祈祷したり、或は人が病 [#「病 」は底本のまま]に罹るのは靈魂が身體の中に入つて禍をなすのである。靈魂は天地到る處に充ち滿ちて居る、其靈魂に觸れると病氣になつたり、或は饑饉が起つたり色々の災厄が生ずる。其靈魂の中には幸魂《さきみたま》と荒身魂《あらみたま》と云ふやうなものがあつて、それが人に害を與へ、或は色々の災厄を起す。其靈魂と人との間に立つて居るのが巫覡であつて、巫覡が或る儀式によつて靈魂を腹の中から取出せば其人の病氣が治り、又靈魂のお怒りになつて居るのを宥めれば、饑饉が豐年になり、天下泰平國家豐饒、人々も安泰になると云ふのである。
 シヤーマニズム(Shamanism)と云ふのは極くプリミチーヴの宗教であるが、朝鮮の古い宗教と云ふものは要するにそれなのである。或人は朝鮮の宗教は佛教だとか儒教だとか言ふが、それは上流社會の人のことで、一般の人はシヤーマニズムを信じて居るのである。佛教は百濟とか新羅とか高勾麗とか云ふ時に傳はつたもので、儒教は後に行はれた、所謂外來の宗教である。
 シヤーマニズムの行はれて居る區域は、西比利亞、滿洲、中央亞細亞等に及んで居るが、專ら亞細亞の東方及び北方に行はれて居る一の宗教である。さうしてそれには必ず巫覡がある。巫覡が神に祈祷をし、幣《ぬさ》を捧げ、或は七五三繩《しめなは》を張り、それから太皷を敲くと云ふやうな風が行はれて居るのである。

   二、シヤーマンの種類

 それで今日行はれて居るシヤーマンは、大體之を二種に區別して見る事が出來る。一は professional shaman 今一つは Family shaman である。プロフエシヨナル、シヤーマンは既に男の覡と女の巫とが出來て、專門的になつて居るのであり、フアミリーシヤーマンは、一家内に於て祈祷をやつて居るのである。
 そこで朝鮮のシヤーマンはどうかと云ふと、既に立派な職業になつて居るが、之に從事して居る者は極めて社會上賤しめられて居る。前述の如く朝鮮には八賤と言つて八種の賤しい階級がある。一番下のを白丁と言つて、巫覡は其少し上の階級に位して居る位のものであるが、民間の信仰は非常に盛んで到る處に行はれて居る。今日に於て尚かゝる有樣であるから、昔に於ては隨分勢力のあつたものであらうと思はれる。余は彼等はプロフツシヨナル、シヤーマンに屬するものと思ふ。是はシヤーマンの階級から云へば、非常に進んで居る方のものである。フアミリーシヤーマンの方は、是はまだ極めて原始的のものであつて、之が專ら行はれて居るのは東薩加半島及び其北であつて、コリヤーク、チユクチ、エスキモー等と云ふやうな、ベーリング海峽に寄つた方の古亞細亞民族の間である。どう云ふ風にやつて居るかと云ふに、ベーリング海峽の所に極めて開けないチユクチと云ふ人間がある。彼等はまだ石器を使つて居ると云ふ程の原始的状態にある民族であるが、其の状態が面白い。此民族には祈祷をしたり儀式をしたりする專門の巫覡と云ふものはなく、皆家族的にやつて居るのである。例へば娘が齋主となり、妻が太鼓を敲き、祈祷をすると、夫は獻げ物の仕事をするとか、色々の用をして居るのであつて、總て家内でやつて居る。プロフエツシヨナルシヤーマンは、滿洲、西比利亞、中央亞細亞等に行はるるもので、即ちウラルアルタイ民族の地方に行はれて居る。今云へる如く朝鮮も無論此中に屬する。此等の民族にも最初は、フアミリーシヤーマンの時代があつたであらうが、這はもう古い昔に過去つたのである。
 そこでフアミリーシヤーマンからプロフエツシヨナルシヤーマンにはどうして發達するのかと云ふと、最初は家々でやつて居つたのが、同族が多くなつて來ると、即ち社會組織が段々發達して來ると、祝詞を讀む事も六ケしくなり、又儀式も段々規模が大きくなると云ふやうなことから、一家内の者では出來なくなる。そこで專門のシヤーマンと云ふものが必要になる。であるから古い時代の家族的になつて居つた時には巫覡と云ふものは無かつた。家内に於て神事を行つて居つた。是が第一に注意すべき點である。それからシヤーマンに無くてならないものは太鼓である。是は必ず必要なもので、どのシヤーマンでも有つて居る。日本の太古にも太鼓が有つたか無かつたか、と云ふことは確かには知らぬが、神樂太鼓と云ふものと比較すると、其間に何等かの關係があるやうに思はれるのである。

   三、シヤーマンの性

     女巫より男覡へ

 それから次に注意すべき事は、神に仕へる者は男であるか女であるかと云ふ事であるが、是は一寸問題である。茲に神と云ふは多くは God ではなく Spirit の意で、即ち靈魂である。此 Spirit に仕へる職業をして居るのは女であるか男であるか。所で此巫覡と云ふのは、巫は Female で、覡は Male であるが、朝鮮の方から云ふと、巫は殆ど女ばかりであつて、男は餘りない。唯だ咸鏡道の北青以北、豆滿江流域のシヤーマンは男が多く、女も中に混つて居る。之に反して他の朝鮮各道に於ては悉く女である。そこで此の神や靈魂に仕へる者は男であつたか女であつたかと云ふに原始的の者は女である。這はシヤーマンの研究をして居る有名なるオーソリチーも多く此の説を採つて居る。尚一つの例を以て云ふと、亞細亞の北方ベーリング海峽に寄つた方に居るチユクチと云ふ民族がある。それは今云つたフアミリーシヤーマンに屬するのであるから、一家内の者は男女共に靈魂に仕へるのであるが、併し男よりも女の方が威力ある者として居る。それで男は儀式の用を足す位の話で、神の靈が憑移るとか、病氣を治すとか、禁厭《まじない》をするとか、太鼓を敲くとか云ふことは皆女がして居る。であるから女の方が勢力がある。日本に於ても古くは神事に就ては女子が常に優れた地位を占めて居つた樣である。所がチユクチでは優れた地位を占めて居るものは、處女に限るのであつて、子供が生れると其力は失はれる。要するに子供を生んだことのない女が清淨潔白であると云ふことになつて居るのである。日本の巫子も能くさう云ふ所から考へて見ると、幾らか之に似て居りはせぬかと思ふ。神道の研究に就ても、從來は後世出來た註釋書の研究が段々盛であるが、余は斯う云ふ原始時代の立脚點から研究すると云ふことも必要ではあるまいかと思ふのである。
 兎に角さう云ふ風に極く原始的の、開けないシヤーマンに於ては、神に最も接近し、力のあつたのは女であつた。所が段々進んで來るに從つて男がやるやうになつて來た。Change of sex 男が女に變化するやうになつて來た。初めは女が主であつたが、世の中が進むと共に次第に男に移つて、反對に女の方が附隨するやうになつて來た。是は現に今日西比利亞地方で行はれて居る所を見てもさうである。この間には面白い風習が行はれて居る。所が朝鮮に於てはどうかと云ふと、此點に於てはまだ古い形式か[#「か」は底本のまま]行はれて居つて、女が勢力を有し、男は神に仕へる上に於ては全く勢力がない。是は餘程注意すべき點である。
 日本の古代に於ても Change of sex の例が認められる。例へば『日本紀』の神武天皇の條に「……時勅[#二]道臣命[#一]。今以[#二]高皇産靈尊[#一]。朕親作[#二]顯齋《ウツシイハヒ》[#一]。用[#レ]汝爲[#二]齋主《イハヒヌシ》[#一]。授以[#二] 嚴媛《イツヒメ》之號……」とある。當時神を祭り齋主《イハヒヌシ》となる道臣命に嚴媛《イツヒメ》の號を授け給ふたのは非常に面白い例である。此の解釋に就て古來我が國學者の間に大變議論があるが、之れは女巫と男覡との過渡時代のものと見れば解釋は六ケ敷ない。西伯利でも此の過渡時代には男覡は女裝したり、女性の性格を表現したりするのが普通である。
 此の女の勢力が男に移つたと云ふことは、前述の家族的のシヤーマンが、世の中の進歩と共に段々專門的になり、そして儀式も六ケしくなり、祝詞の如きも女の力では不十分であると云ふ樣になつた所から、男に移つて來たのであらうと云ふ。其の證據となるべき例も澤山あるが、其一例は西比利亞、滿洲等に行はれて居るシヤーマンが其れである。さう云ふ方面では女のシヤーマンと云ふ言葉は皆一樣であるに反して、男のシヤーマンと云ふ言葉は皆違つて居る。それに依つて見ても女の方が先きで男の方が後であつたと云ふことが分る、のみならず昔は女が神に仕へて居つたと云ふことが明である。此點に於て朝鮮のシヤーマンは古い形式の上に立つて居ると言つて宜いと思ふ。
 そこで朝鮮の巫子は、如何にして後代に傳へて行くかと云ふと、前述の如く朝鮮では母が娘に傳へる。けれども若し娘が無い時には他の者に傳へる。それから又中年から巫子になる事も出來る。中年から巫子になるのは、多くは大病に罹つて、それが治つた場合に、どうしても自分は靈魂に仕へなければならぬと云ふやうな心を起してなるものもあり、或は偶然自分がインスピレーシヨンに感じたと云ふやうな考から巫子になる者もある。さう云ふのは最初は師を選んで、弟子となつて彼方此方に隨つて行き見習をするのである。又巫子は結婚しても差支ないと云ふことになつて居る。此點は又朝鮮の巫女も古い形式を失つて居るのである。そうしてどう云ふやうにして其の事を行つて居るかと云ふと、京城の南山、或は鷺梁津などに居る有力なる者は、一定の場所または自分の家に祈祷する場所を拵へて人の參詣を待ち、祈祷を請ふ者があれば其處で祈祷なり禁厭をして居るが、其他の地方に於ては通常の家も巫子の家も變りがない。さうして多くは出張して病人に接し、或は祈祷をすると云ふことになつて居る。

   四、鏡、太皷、鈴とシヤーマン

 それから又朝鮮に於て專門の巫子となるのには、一の面白い風習がある。是は咸鏡南道の永興と云ふ所で調べた例であるが、永興の方では、巫子になるのには山の中に行つて鏡を發見して來なければならぬ。巫子となるには鏡を有つて居なければならぬ、鏡を有たなければ巫子としての資格がない。故に巫子になるには一週間も十日も山を搜して鏡を發見して來なければならぬ。現今では必しも其通り行はれて居らないやうであるが、さうしてなるのが本式である。巫子が鏡を有つて居ると云ふことは、獨り朝鮮ばかりでなく、蒙古のシヤーマンも同樣である。蒙古に於ては今日喇嘛の佛教が盛んであるけれども、興安嶺の中や其他にはまだ喇嘛の入らぬ以前のシヤーマンがある。それも朝鮮の巫子と同樣に鏡を有つて居る。此鏡は非常に威力のあるもので、惡魔を拂ひ、惡い靈魂を退ける一の神體になつて居る。日本の神體にも鏡になつて居るのが澤山あるが、シヤーマンを信ずる所では鏡を非常に威力あるものとして居る。朝鮮の巫子も其一例であつて、鏡は是非無ければならぬものとなつて居る。其外シヤーマンに必要なものは太皷である。尤も朝鮮のシヤーマンでは之は左程値打のあるものとなつて居ないが、亞細亞東北方の古亞細亞民族や、ウラルアルタイ民族の間には太皷に對する信仰が盛であつて、シヤーマンには太鼓が必要なものとなつて居る。太鼓の音は善良なる神靈は喜ぶけれども、惡い神靈は非常に之を恐れると云ふので、極めて神聖のものになつて居る。それから今一つは鈴であるが、此の鈴も朝鮮の巫子に必要なる物となつて居て、鈴はシヤーマンの一のシムボルと言つても宜い位である。鈴の音は惡魔が最も嫌ふ所のものであるから、祈祷をする時には必ず鈴を振るのである。日本の巫子も同樣に鈴を持つて居る。而してこの鈴は日本の其れと同一の形状である。尤も日本に於ては最早や其意義を失つて、何の爲に持つて居るのか分らぬと云ふ位になつて居るが、朝鮮のシヤーマンに於てはまだ鈴が非常の威力あるものとなつて居る。日本で式三番叟に鈴を振るのは、やはり惡魔を拂ふと云ふ意味であらうと思ふ。兎に角日本の巫子が鈴を持つて居ると云ふことも、シヤーマンに關係ある大切なる點であると思ふ。

   五、シヤーマンの稱呼

 朝鮮では巫覡のことを、※[#ハングル、u+BB34]※[#ハングル、u+B2F9 か](ムータン)と言ひ、或は單に※[#ハングル、u+BB34](ムー)とよび、漢字では舞黨と書いてある。併し是は要するに當字であつて、單に音を現はしたに過ぎない。さて前に云つた如く、ウラルアルタイ民族に於ては、女のシヤーマンと云ふ言葉は皆一定して居て、殆ど共通であると言つても宜いのである。之れに就て露西亞の人種學者ツロシュチャンスキー(Troshchanski)と云ふ人が斯う云ふことを書いて居る。即ち蒙古人、後貝加爾に居るブリヤーツ、ヤクーツ、アルタイ地方に居るアルタイ人、中央亞細亞に居るキルギース、是等の民族は女の巫子を何と言つて居るかと言へば、Utagan, Udagan, Ubakhan, Utygan, 〔Utu:gan〕, Iduan, Duana と云ひ、またタルタルでは、〔U:dege〕 ツングースでは Utakan と云ふやうに皆殆ど同樣である。斯くウラルアルタイ民族の間に女の巫子と云ふ言葉が一致して居るのは、必ず一のオリジンから起つたものでなければならぬと云つて居るが、是は尤もの意見であると思ふ。又朝鮮のムータン(Mutan)と云ふのもやはりウタガン、ウダガンと云ふのから轉訛したものであると余は考へて居る。尤もそれは余だけの考であるから、若し誤つて居るならば批評して貰ひたい。此點から見ても朝鮮の巫子は、あの方面のシヤーマンと關係があると見なければならぬ。唯々蒙古語では少し違つて居る。蒙古語では是は男女を通じてであるがシヤーマンのことを Buge と言つて居る。但し蒙古語には文語と口語とあつて、Buge と云ふのは文語で、口語では Bo と言つて居る。此ボーと云ふのは朝鮮のムー(Mu)と同じやうな發音であつて、斯う云ふ所から見ると、是も餘程似通つて居るやうに思はれる。一體朝鮮の言葉はツングースや蒙古語と同じ系統の言葉であつて、それは巫子の上に遺憾なく認められる。ボンザロフ氏に從へば、シヤーマンは滿洲語では Saman(薩滿)で、其意味は「感激して動き、起き上る者」と云ふ義である。そしてツングース語では Shamman, Hamman ヤクーツ語 〔O:iun〕 タタル語 Kam キルギーズ語 Baksa(Baksy)サモエード語 Tadibey である。

   六、シヤーマニズムより來れる朝鮮現存の習俗

 朝鮮の女の巫子にはお經と云ふものはない[#句点なしは底本のまま]口から口に傳へられるのであるが、咸鏡北道に於ける男の覡には一種の祝詞のやうな書物がある。其中には支那の五行説の思想なども加はつて居て、餘程進んだものである。然らば女の巫子の勤めはどう云ふことをするのかと云ふに、先づ祈祷をする。祈祷にも色々あるが、例へば人が病氣になると、其病人の所へ行つて祓をする。或は旱魃とか云ふやうなことがあると、それは惡い靈魂の爲であると云ふ所から、其靈魂を和ぐる爲の祈祷をする。或は船の祈もすれば、森、池、山、丘其他總てのものに就ての祈をするのである。それから其組は、京城附近のは一組でも隨分大勢居るが、其他は大抵三人で一組となつて居る。一人が本當のムータンで、一人は太鼓を敲く役を勤め、今一人は鐃鉢を鳴らすのである。一體朝鮮人の宗教は何かと云ふと、佛教も行はれて居る。又儒教も行はれて居るけれども、それは上流の一部に行はれて居るのみであつて、大部分はシヤーマニズムである。若し一般の民衆の宗教思想を儒教であると云ふやうに思つたら大變の間違である。佛教であると云ふやうに思つても大間違である。成程儒教も佛教も行はれては居るけれども、それは古い民族性の上に着色せられたる思想に過ぎないのであつて、根本的の思想はやはりシヤーマニズムである。シヤーマンの思想がどれだけ朝鮮人の頭を支配して居るかと云ふに、山とか、河とか、海とか、森とか、丘とか、木とか云ふやうな天然物は勿論のこと、其外家の中、天井、竈、煙突、井戸、路傍、到る處、有らゆる物にスピリットが充滿して居る。であるから船に乘つても、山に行つても危險であると考へて居る。人が病氣になるのは其スピリットの荒身魂が身體の内に入るからである。又其人の運が惡く、色々の災難が來ると云ふやうなことも、やはり惡い靈魂の憑いた爲めである、故に其惡い靈魂に憑かれないやうにしなければならぬと云ふのである。此精神は日本にもあつて、日本では雪隱の中に惡い靈魂があると考へ、今でもやる人があるやうであるが、雪隱へ入る時には咳拂をしてからでないと入らぬと云ふやうなことがある。さう云ふやうに朝鮮人は到る處にスピリットが充滿して居るから、之に觸れないやうに用心しなければならぬと云ふので、例へば旅行をして峠でも越えると云ふ時には、峠の頂上に小さなお宮があつて、其の傍の木に自分の持つて居るものを掛けて通る。それだから旅行する時には豫め布の小切のやうなもの、或は麻を用意して居つて、それを懸けて通ると云ふ風習がある。日本に於ても極く古い時代には旅行の平安を祈る爲め、或は峠を越える時には無事往來が出來るやうにと云ふので幣帛《ぬさ》を奉つて手向をしたと云ふやうなことは『萬葉集』などにも見えて居る。さう云ふやうに旅行の平安を祈ると云ふやうなことは現に朝鮮には行はれて居る。
 それから朝鮮の村の入口には必ず石が積んである。是は何の爲めかと云ふと、村の安全の爲に祈祷をする場所である。又木に七五三《しめ》繩を張つてあるのがあるが、それは其木に神が宿つて居ると云ふ徴《しるし》である。神の宿つて居る場所は、今日の朝鮮人の信じて居るのは主として森の中である。山ならば森林の中に神が鎭まつて居ると信じて居る。是は日本でも同樣であつて、『萬葉集』などにも、「杜」と云ふ字を「神の社《やしろ》」と云ふ意味に用ゐて居る。朝鮮でもやはり原始的で森を崇拜して居る。それが段々發達して來ると、草屋根の小さな祠を建て、尚一段發達して來ると殿堂になる。其發達の順序が日本でも同樣で、最初は山や森、木が神位の居る所、其れが殿堂となり、即ち其れが今一段發達すると佛教の殿堂や儒教の祖廟の樣な形式になる。
 それで七五三繩を張ると云ふことが、神の鎭座して居る場所であると云ふ一の條件になつて居る。又其七五三繩の綯ひ方も日本のと同樣に左綯ひで、それに藁を下げる、或は紙を下げる、或は麻を下げる事もある。さうして其七五三繩を神の鎭ると云ふ所に張ると、最早其處は神聖の場所となつて、不淨の者は入れないことになる。斯う云ふ風で七五三繩は日本では全く儀式的のものとなつて居るが、朝鮮では生命あるものになつて居る。であるから一個人の家でも、子供が生れると其家に七五三繩を張る。其七五三繩の飾として或木の葉とか木炭とか海草などと云ふものを着ける。又祝をする時分には門に七五三繩を張る。さうすると門内は清められたことになつて、無暗に其中へは入れなくなる。其這入れない者の制限は第一産をした者、次は身體から血を流した者、其次は四つ足の動物を殺した者、死人の埋葬式に行つた者、病人に接した者、斯う云ふ者は七五三繩を張つた内には這入ることが出來ぬ。若しそれを犯せば罰が當る。今日我國に於て七五三繩を張ると云ふことは、正月とか祭の儀式として用ゐられて居るのであるが、昔はやはりさう云ふ意味に用ゐられたものであらうと思ふ。斯う云ふ風であるから、朝鮮のシヤーマンと日本の神道とは、何か一種の關係があらうと思はれるのである。
 前にも述べた如く人が病氣になると云ふことは、何處かで惡い靈魂に憑かれて、それが體の中に入つたのであるから、巫子に祈祷をして貰つて、靈魂を取去れば病氣が治ると云ふのである。其祈祷の方法は、先づ病人の寢て居る所に神棚を設ける。神棚を設ける時分には其處に笹の葉に幣束を下げるとか、或は木の枝に木綿垂《ゆふしで》を下げて正面の神前に置く。さうして、色々な供物を獻げる。其時に巫子が中央に立ち、左右に太鼓を打つ者と鐃鉢を鳴らす者とが座を占め、諸々《もろ/\》の神靈を呼集めて祈祷をなし、體の中に入つて色々の病の原因を爲して居る靈魂の出て行くやうに祈る。そしてそれを出すと云ふ儀式が餘程面白いのである。神前に供へてある笹に幣束を懸けてあるもの、或は木の枝に木綿垂のあるもの、それに靈魂が移つて行くものと信じて居る。日本の神道にも「おはす」と云ふ言葉があるが、詰り禍津毘《まがつび》を幣束なり或は木の枝に負せて、それを一緒に持去れば其病人は治ると、斯う云ふやうに考へて居る。是は非常に迷信のやうであるが、朝鮮人はさう云ふやうに考へて居るのである。所がさう云ふ祈祷をしても、まだ病人が治らぬ、惡い靈魂が執念く憑いて居ると云ふ場合には、更に色々の方法を講ずるのである。即ち一丈も二丈もある麻布を巫子の身體に卷き付け、其麻布に靈魂を負はせて、それを退けると云ふやうなこともやる。麻は非常に神聖なものとして、色々の神事に用ゐるが、其麻に惡い靈魂が移るものとして居る。日本の幣束に小さな麻布切れを附けるのも注意すべき事であらう。それでも尚退かない時には、今度は巫子が劍を持て來て脅す。それでも出て行かぬ時には身體に傷を付けて血を見せることもあり、或は大きな分銅を齒で咬へて振つて歩くと云ふやうなこともする。それは詰り力強いと云ふ所を見せて、靈魂を脅すと云ふ爲めである。併し普通には鈴の音、太皷の音で大抵の禍津毘《まがつび》は追拂ふことが出來ると信じて居るのである。
 斯樣に朝鮮の巫子と云ふものはスピリットと人間との間に立つて居るものである。其故に預言をする。例へば今年は饑饉が來るとか、疫病が流行するとか云ふやうなことを言ふ。其は靈魂が巫子に憑り移つて言はせるのであると信じて居る。であるから朝鮮の巫子は啻に靈魂を追拂ふのみならず、尚自分がスピリットのインスピレーションに感じて色々なことを言ふ。或は死んだ人の靈魂が憑移ると云ふやうにも考へて居る。是は日本でも『記』『紀』に女子が神樣の宣託を受けて斯う云ふことを言つたとか、何處の神を祀つたならば何々が無事であるとか云ふやうな事があるが、日本の神道と朝鮮に於けるシヤーマニズムとは色々な點に於て似た所がある。それは唯々偶然一致したのだと言へばそれ迄であるが、どうも偶然とばかり見ることの出來ないことが色々あるので、日本と韓國《からくに》との間には何か深い關係があるのではなからうかと思ふ。現に日本では七五三繩や其他は神社の儀式なり、社會的の儀式となつて居るが、朝鮮では尚ほ其れが生きて活動して居るのである。
 次に太鼓に就て話してみよう。朝鮮の巫子の使ふ太鼓は、日本の舞樂の時に用ゐる羯鼓と同じ樣な形をしたもので、一方の手に桴《ばち》を持つて一方の手で打つ。さうして巫子は其太鼓の音に依て足拍子を取つて舞ふ、即ち神樂である。恰度舞樂の時に太皷に依て足拍子を取つて居るのと同じ樣である。尚是は日本の神樂との間に於ても餘程面白いことがある。朝鮮では太鼓を左程神聖のものとせずして、一種の樂器として使つて居るのである。併ながら一般のシヤーマンを見渡すと、大變神聖なものとなつて居る。日本でも神樂太鼓と言つて、神樂には必要なものとなつて居るが、今では單に樂器としての意味があるだけで、宗教上の意味は少しもない。然し其初めに於ては宗教上の意味に於て缺くべからざるものとなつて居つたと思ふ。
 太鼓のことに就てシヤーマンの上から今少し述べてみよう。シヤーマンに於ては太鼓に非常なる威力があるものと信じ、太鼓が無かつたならば殆どシヤーマンの威力がない。太鼓の音が響くと、總てのスピリットが恐れるのである。又色々の靈魂を集める時にも太鼓が必要なるものとなつて居る。フアミリー、シヤーマンに於ても左樣であるが、專門的のプロフェッショナル、シヤーマンに於ても同じく太鼓が必要なるもので、是れが無かつたならば、巫子は出來ないと云ふ位になつて居る。太鼓に就て之を人種學上から見ると、亞細亞の北と南とに於て二つの形式に分けて見ることが出來る。一はウラルアルタイ民族、即ち滿洲、ツングース、蒙古、土耳古の諸族のシヤーマンが今日使用して居るものであつて、其等の太鼓は裏面には中央に環があつて、それから皮の紐で張つてある。チユクチ、コリヤーク、ヱスキモーと云ふ方面のものになると、更に之に柄が附いて居る。恰度日蓮宗の團扇太鼓のやうな形になる。(或は日蓮宗の太鼓もさう云ふ威力を示すやうな意味で出來たものではなからうか。そして又日本の古い時代に斯う云ふタイプの太鼓があつたのであるまいか)それから南方の太鼓は中央を打つが、北方の太鼓は下の方を打つ、幾らか斜にして下の方を打つのである。なほ此太居[#「太居」は底本のまま]の上に鳴る物が附いて居る。是も今では全く無意味になつて居るが、それの發達したのが鈴である。日本や朝鮮に於ては既に鈴になつて居るが、西伯利亞、滿洲、ツングース等の太皷には上部に一種の鳴物が附いて居る。それが發達して鈴になつたのであらうと思ふ。
 それから今一つ太皷に就て注意すべきことは、プロフェツショナル、シヤーマンに於ては巫覡があつて、それが各自に太皷を有つて居るが、フアミリー、シヤーマンの時代であると、太皷が家々に一つづゝあるのでなくして、村に一個しかない、例へばチユクチの如きはさうであつて、若し或る家で必要があると、其度に持つて來て使ふ。其太皷は非常に貴重なる物とし、太皷の爲に家を建てゝ飾つて置く位のものである。又此等の人間は、冬は多く穴居し、夏になると移住するのであるが、其移住する時分には太皷を成るべく小くして持つて歩く、其の太皷 [#「太皷 」は底本のまま]夏は爐の上に置くとか、冬は寢間に置くとか、云ふやうになつて居る。所がウラルアルタイ族の滿洲、ツングース、蒙古、ヱニセーから中央亞細亞等の方面のシヤーマンは、既に專門的になつて居るから、巫子は皆之れを所有して居るのである。けれども今も云つた通り朝鮮に來ると最早太皷はそれ程の意味をなさない。殆ど理由が無くなつて居るのである。
 それから太皷の名前であるが、此の名前が餘程面白い。太皷はシヤーマンの生活には最も必要であつて、殆ど生命の如くにして居るが、其の名前が皆大體同じ樣である。ヤクーツは太皷のことを 〔Tu:ngu:r, Tu:nu:r, Du:nu:r〕 と云ふやうに呼んで居る。それから滿洲語では Tunken 蒙古語では 〔Du:ngu:r〕 アルタイ語では 〔Tu:ngu:r〕 と云ふやうに皆一樣である。斯う云ふ風であるから其本は同一のものであらうと思ふ。更に日本ではどうかと云ふと古語は Tuzumiと言つて居る。太皷《たいこ》は支那語である。多少似通つて居るやうに思はれる。朝鮮語ではどうかと云ふと、朝鮮では支那語の影響を受けて蒙古語や滿洲語のやうに純粹のものではないが、※[#ハングル、u+B450]※[#ハングル、u+B2E4]※[#ハングル、u+B9AC]※[#ハングル、u+1105](Tutaril)と云ふのであるから、此間にも多少の聯絡があるやうに考へられる。さう云ふやうに考へて見ると、朝鮮人とウラルアルタイ族との關係は單に宗教の上に於て認むるのみならず、體格の上に、或は言語の上に於て或は古い風俗習慣の上に於ても認められるのであつて、朝鮮の巫子も要するに北方の西伯利亞、滿洲等に淵源して居るものと思ふのである。
(つづく)



底本:『日本周圍民族の原始宗教』岡書院
   1924(大正13)年9月20日發行
   1924(大正13)年12月1日三版發行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [朝鮮]
  • 百済 くだら (クダラは日本での称) 古代朝鮮の国名。三国の一つ。4〜7世紀、朝鮮半島の南西部に拠った国。4世紀半ば馬韓の1国から勢力を拡大、371年漢山城に都した。後、泗※(第3水準1-86-56)城(現、忠清南道扶余)に遷都。その王室は中国東北部から移った扶余族といわれる。高句麗・新羅に対抗するため倭・大和王朝と提携する一方、儒教・仏教を大和王朝に伝えた。唐・新羅の連合軍に破れ、660年31代で滅亡。ひゃくさい。はくさい。( 〜660)
  • 新羅 しらぎ (古くはシラキ) 古代朝鮮の国名。三国の一つ。前57年頃、慶州の地に赫居世が建てた斯盧国に始まり、4世紀、辰韓諸部を統一して新羅と号した。6世紀以降伽※(第3水準1-14-34)(加羅)諸国を滅ぼし、また唐と結んで百済・高句麗を征服、668年朝鮮全土を統一。さらに唐の勢力を半島より駆逐。935年、56代で高麗の王建に滅ぼされた。中国から取り入れた儒教・仏教・律令制などを独自に発展させ、日本への文化的・社会的影響大。しんら。(356〜935)
  • 高勾麗 こうくり 高句麗・高勾麗。古代朝鮮の国名。三国の一つ。紀元前後、ツングース系の朱蒙の建国という。中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、4〜5世紀広開土王・長寿王の時に全盛。都は209年頃より国内城(丸都城)、427年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。内部に壁画を描いた多くの古墳を残す。高麗。( 〜668)
  • 咸鏡道 かんきょうどう 李氏朝鮮の道の一つ。現在の咸鏡北道・咸鏡南道にあたる。
  • 北青 プクチョン 北青郡は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道に属する郡。古くは高句麗・渤海・女真に属した。(Wikipedia)
  • 豆満江 とまんこう/トゥマンガン (Tuman-gang) 朝鮮半島の大河。白頭山に発源、中国東北部およびロシアの沿海州(プリモルスキー)地方との国境をなし、日本海に注ぐ。長さ521キロメートル。中国名、図們江。
  • 京城 けいじょう 日本支配期のソウルの称。李朝時代の王都漢城を、1910年(明治43)の韓国併合により改称。朝鮮総督府が置かれた。
  • 南山
  • 鷺梁津 ノリャンジン 京城より仁川へ行く途中。(本文)
  • 咸鏡南道 かんきょう なんどう/ハムギョン‐ナムド (Hamgyong-nam-do) 朝鮮民主主義人民共和国北東部、日本海に臨む道。中央部に平野が広がり、咸興(ハムフン)などの工業都市がある。
  • 永興 えいこう 永興郡。朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道金野郡の旧名。永興湾に名を残す。(Wikipedia)
  • 咸鏡北道 かんきょう ほくどう/ハムギョン‐プクト (Hamgyong-puk-to) 朝鮮民主主義人民共和国北東部、日本海に臨む道。大部分が山岳地帯で、豆満江を隔てて中国・ロシアと接する。
  • [シナ]
  • 満州 まんしゅう 満州・満洲。中国の東北一帯の俗称。もと民族名。行政上は東北三省(遼寧・吉林・黒竜江)と内モンゴル自治区の一部にわたり、中国では東北と呼ぶ。
  • [ロシア]
  • 東薩加半島 カムチャツカ半島?
  • シベリア Siberia・西比利亜 アジア北部、ウラル山脈からベーリング海にわたる広大な地域。ロシア連邦の一地方でシベリア連邦管区を構成。西シベリア平原・中央シベリア高原・東シベリアに三分される。面積約1000万平方キロメートル。十月革命までは極東も含めてシベリアと称した。ロシア語名シビーリ。
  • ベーリング海峡 ベーリング かいきょう アラスカとシベリア東端のチュクチ半島との間の海峡。北極海とベーリング海を連結する。長さ96キロメートル。最狭部約86キロメートル。7〜10月以外は結氷。中央部を日付変更線と米ロ両国の国境線が南北に通る。
  • 後貝加爾
  • アルタイ Altai 中央アジア、ロシアの西シベリア平原、中国のジュンガル盆地、モンゴル高原との間に連なる全長約2000キロメートルの山脈。四つの主脈に分かれ、高原性。オビ川の水源。西部のロシア側では金・銀などの鉱物資源に富む。
  • エニセイ Yenisei ロシア、シベリア中部の大河。モンゴル北端サヤン山脈に源を発し、北流してアンガラ川を合わせ、北極海エニセイ湾に注ぐ。冬季には全面結氷。サヤン・クラスノヤルスクなどの発電所がある。長さ4102キロメートル。
  • [モンゴル]
  • 興安嶺 こうあんれい/シンアンリン (Xinganling) 中国東北部の高原ないし丘陵性の山系。西側を北東方向に走る延長約1200キロメートル(標高1100〜1400メートル)の大興安嶺と、北部で南東方向に転じて黒竜江沿いに走る延長約400キロメートルの小興安嶺とに分かれる。/中国、内蒙古自治区北東部を北東から南西に連なる山脈。モンゴル高原の西縁にあたる。別称、西興安嶺・興安嶺。長さ約1300km。南西は陰山山脈に続き、北東は黒龍江(アムール川)に達し、ロシアのスタノボイ山脈に連なる。開析の進んだ地形を呈し、草原となる。針葉樹・落葉闊葉樹林に覆われ、木材工業がおこる。(外国地名コン)
  • 中央アジア ちゅうおう アジア (Central Asia) アジア中央部、中国のタリム盆地からカスピ海に至る内陸乾燥地域。狭義には旧ソ連側の西トルキスタンを指し、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタンの五つの共和国がある。イスラム教徒が多い。面積約400万平方キロメートル。(地名別項)
  • 日本
  • 韓国 からくに


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)、『縮刷版 文化人類学事典』(弘文堂、1994.3)、『新編東洋史辞典』(東京創元社、1980)、『コンサイス・カタカナ語辞典 第四版』(三省堂編修所、2010.2)




*年表

  • 平安朝 へいあんちょう (1) 平安時代約400年間における朝廷。 (2) (→)平安時代に同じ。
  • 平安時代 へいあん じだい 桓武天皇の平安遷都から鎌倉幕府の成立まで約400年の間、政権の中心が平安京(京都)にあった時代。ふつう初・中・後の3期、すなわち律令制再興期・摂関期・院政期(末期は平氏政権期)に分ける。平安朝時代。
  • 康熙 こうき 中国、清の聖祖(康熙帝)朝の年号。(1662〜1722)
  • 乾隆 けんりゅう 中国、清の高宗朝の年号。(1736〜1795)
  • -----------------------------------
  • 高麗 こうらい (1) (ア) 朝鮮の王朝の一つ。王建が918年王位につき建国、936年半島を統一。都は開城(旧名、松岳・松都)。仏教を国教とし、建築・美術も栄え、後期には元に服属、34代で李成桂に滅ぼされた。高麗。(918〜1392)(イ) 高句麗。また、一般に朝鮮の称。
  • 李朝 りちょう 朝鮮の最後の王朝。1392年李成桂が高麗に代わって建て、対外的には朝鮮国と称す。1897年に国号を大韓帝国と改め、1910年(明治43)日本に併合されて、27代519年で滅んだ。国教は朱子学(儒学)。都は漢城(現ソウル)。朝鮮王朝。李氏朝鮮。(1392〜1910)


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • コリヤーク Koryak シベリア東端のオホーツク海岸からベーリング海、カムチャツカ半島にかけて住む少数民族。言語は古アジア諸語に属する。海岸部では海獣猟と漁労、内陸ツンドラ地帯ではトナカイの飼育を行う。
  • チュクチ Chukchi, Chukchee チュクチャ(Chukcha)ともいう。ユーラシア大陸の最東端のチュコト半島を中心に居住するソ連の少数民族の一つ。コリヤークと同様に内陸ツンドラ地帯のトナカイ・チュクチと海岸地帯の海岸チュクチとに大別できる。人口は約1万4000人(1979年)。17世紀以来、ロシアの支配に対して徹底抗戦をおこない、また、隣族のコリヤークとは“真の敵”と呼び合うほどの対立抗争を続けていたため、チュコト半島はソヴィエト政権が樹立されるまで、長らく戦争状態が続いた。文化要素ではエスキモーとの類似点も注目されている。(文化)
  • エスキモー Eskimo グリーンランド・カナダ・アラスカ・シベリア東端部の極北ツンドラに居住する先住民族の総称。カナダではイヌイット(Inuit)と自称し、公的にもそう呼ぶが、グリーンランドではカラーリット、アラスカではエスキモーが公的な総称。モンゴロイドに属し、漁労・海獣猟・カリブー猟・捕鯨などに従事する。夏は皮製のテントに、冬は雪製の半球型の家(イグルー)やツンドラの土で覆った家に住むが、文化的な差異も大きい。現在は定住化が進む。
  • 古アジア民族 → 古アジア諸語
  • 古アジア諸語 こアジア しょご (Paleo-Asiatic) アジア北東端部の言語のうち、アルタイ諸語・ウラル諸語以外の諸言語の総称。チュクチ・コリヤーク・カムチャダール・ユカギール・ニヴヒ・ケットなどの諸民族の言語を含むが、類縁関係は不明。旧アジア諸語。
  • 古シベリア諸語
  • ウラル・アルタイ民族 ウラル・アルタイ語族。ウラル語族とアルタイ諸語を同系言語であるとかつて想定して与えた名称。現在は切り離して考えられている。
  • ウラル語族 ウラルごぞく (Uralic) スカンディナヴィア・中欧・ロシアなどに分布する諸言語。フィン‐ウゴル語派(フィンランド語・ハンガリー語など)とサモイェード語派(ネネツ語など)に分かれる。アルタイ語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • 神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武※(第3水準1-94-73)※(第3水準1-94-66)草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
  • 道臣命 みちのおみのみこと 天忍日命の後裔。大伴氏の祖。初名は日臣命。神武天皇の東征に先鋒をつとめ、天皇即位の時に宮門の警衛に任じ、その子孫は軍事をつかさどったと伝える。
  • 高皇産霊神・高御産巣日神・高御産日神・高御魂神 たかみむすひのかみ 古事記で、天地開闢の時、高天原に出現したという神。天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神の一神。天孫降臨の神勅を下す。鎮魂神として神祇官八神の一神。たかみむすびのかみ。別名、高木神。
  • 厳媛 いつひめ
  • ツロシュチャンスキー Troshchanski ロシアの人種学者。(本文)
  • モンゴル人 → モンゴル族
  • モンゴル族 Mongol 中国の北辺にあって、シベリアの南、新疆の東に位置する高原地帯。また、その地に住む民族。13世紀にジンギス汗が出て大帝国を建設し、その孫フビライは中国を平定して国号を元と称し、日本にも出兵した(元寇)。1368年、明に滅ぼされ、その後は中国の勢力下に入る。ゴビ砂漠以北のいわゆる外モンゴルには清末にロシアが進出し、1924年独立してモンゴル人民共和国が成立、92年モンゴル国と改称。内モンゴルは中華人民共和国成立により内モンゴル自治区となり、西モンゴルは甘粛・新疆の一部をなす。蒙古。
  • ブリヤーツ → ブリヤート
  • ブリヤート Buryat (1) ロシア中部の自治共和国。南シベリア、バイカル湖の東方から西方に位置する。13世紀ごろからモンゴル系のブリヤート人が居住、17世紀末にロシアに併合された。工・鉱業、牧畜が盛ん。中心都市ウランウデ。(2) バイカル湖周辺からモンゴル北部、中国東北地区に住む蒙古族の一つ。ブリヤート族。
  • ヤクーツ → ヤクート
  • ヤクート Yakut 東シベリアに住む民族。ヤクート人。自称サハ。ヤクート語はチュルク語の一つ。/東部シベリアを代表する民族で、自称ではサハ(Sakha)という。ヤクートというのはツングース諸語のかれらに対する呼称であったイェコ(Yeko)という呼び名に由来するといわれる。人口は約32万8000人(1979年)、主としてヤクート自治共和国内に居住している。言語はアルタイ語派チュルク語群に属するが、文法的にも語彙的にもモンゴル語やツングース語などの要素が多分に含まれているといわれる。ヤクートの祖先はかつてバイカル湖の周辺にいたチュルク系の遊牧民であるといわれ、時代はまだ特定されていないが、17世紀にロシア人らと接触するまでに現在のヤクーチャ(レナ川中流域)に移住し、その地の原住民たちと融合したと考えられている。(文化)
  • アルタイ人 → アルタイ語族
  • アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • キルギス Kyrgyz 中央アジアの民族の一つ。トルコ族とエニセイ族・サモイェード族との混血種という。初め今のエニセイ河上流、烏魯克姆(ウルケウ)河流域に居住。16〜18世紀頃、天山山脈の北西部地域に移動。現在はキルギス共和国の主要民族。漢代史書には「堅昆」とある。※(第3水準1-89-89)骨。黠戞斯。乞児吉思。
  • タルタル Tartar 「韃靼の」の意。
  • 韃靼 だったん モンゴル系の一部族タタール(塔塔児)の称。のちモンゴル民族全体の呼称。明代には北方に逃れた元朝の遺裔(北元)に対する明人の呼称。また、南ロシア一帯に居住したトルコ人も、もとモンゴルの治下にあった関係から、その中に含めることもある。
  • ボンザロフ氏
  • 満州族 まんしゅうぞく 中国東北地方の東北部から南部一帯にかけて分布した民族。南方ツングース系で、渤海国を建てた靺鞨、金を建てた女真、清を建てた女直はともにこれに属する。
  • ツングース族 Tungus・通古斯 シベリアのエニセイ川からレナ川・アムール川流域やサハリン島、中国東北部にかけて広く分布するツングース諸語を話す民族の総称。漢代以降の鮮卑、唐代の靺鞨・契丹、宋代の女真、満州族などを含む。狭義にはそのうち北部のエヴェンキ人を指し、生業は狩猟・漁労・採集、トナカイ・馬・牛の飼育等を主とする。
  • トルコ族 ヨーロッパの一部、シベリア、中央アジアに居住する民族。古く北蒙古にあったものは丁零、高車と呼ばれた。6世紀にはアルタイ山脈西南に突厥がおこり、その東部をウイグルが受け継いだ。西部では11世紀にセルジュク・トルコが帝国を建て、イラン、小アジア、シリアを支配。その滅亡後オスマン・トルコがこれに代わり、さらにケマル=アタチュクルの革命後トルコ共和国となった。
  • 朝鮮人 ちょうせんじん 朝鮮の人。朝鮮半島および周辺の島に分布する韓民族集団の総称。人種的にはモンゴロイド(蒙古人種)に属し、黒色・直毛の頭髪、高いほお骨などを特徴とする。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『岩波西洋人名辞典増補版』。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『日本紀』神武天皇の条
  • 『日本紀』 にほんぎ (1) 日本の歴史を記した書の意で、六国史のこと。(2) 日本書紀のこと。
  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
  • 『記』 → 『古事記』
  • 『紀』 → 『日本書紀』
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 巫覡 ふげき (ブゲキとも) 神と人との感応を媒介する者。神に仕えて人の吉凶を予言する者。女を巫、男を覡という。
  • シャーマン shaman → シャマン
  • シャマン shaman 自らをトランス状態(忘我・恍惚)に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて託宣・予言・治病などを行う宗教的職能者。シベリアのツングース系諸族の例が早くから注目された。シャーマン。
  • 原始神道 → 古神道
  • 古神道 こしんとう 仏教・儒教・道教など外来宗教の強い影響を受ける以前の神祇信仰の称。記紀・万葉集・風土記などにうかがわれる。
  • 神話学 しんわがく (mythology) 神話の起源・成立・発展・分布・機能などを研究する学問。特に19世紀以来、比較神話学の名称のもとに発展。
  • 日本神道 → 神道
  • 神道 しんとう 日本に発生した民族信仰。祖先神や自然神への尊崇を中心とする古来の民間信仰が、外来思想である仏教・儒教などの影響を受けつつ理論化されたもの。平安時代には神仏習合・本地垂迹があらわれ、両部神道・山王神道が成立、中世には伊勢神道・吉田神道、江戸時代には垂加神道・吉川神道などが流行した。明治以降は神社神道と教派神道(神道十三派)とに分かれ、前者は太平洋戦争終了まで政府の大きな保護を受けた。かんながらの道。
  • 比較宗教 → 比較宗教学
  • 比較宗教学 ひかく しゅうきょうがく 宗教学の一分野。種々の歴史的および心理的比較考察に基づいて各宗教の特性・意義・本質を研究する。
  • 人種学 じんしゅがく (Rassenkunde ドイツ) 人類学の一部門。人種の分類・起原などを研究する。
  • スピリット spirit (1) 霊。霊魂。精霊。精神。(2) 気性。気風。意気。
  • 祈祷 きとう 神仏にいのること。呪文をも含めてすべての儀礼の要素中、言語の形をとるもの。原始的には、対象や内容について別に限定なく、宗教的経験が自然に発露する独白のようなもの。
  • 霊魂 れいこん (soul; spirit) (1) 肉体のほかに別に精神的実体として存在すると考えられるもの。たましい。←→肉体。(2) 人間の身体内にあって、その精神・生命を支配すると考えられている人格的・非肉体的な存在。病気や死は霊魂が身体から遊離した状態であるとみなされる場合が多く、また霊媒によって他人にも憑依しうるものと考えられている。性格の異なる複数の霊魂の存在を認めたり、動植物にも霊魂が存在するとみなしたりする民族もある。
  • 幸魂 さきみたま 人に幸福を与える神の霊魂。さきたま。
  • 荒身魂 あらみたま 荒御魂。
  • プリミティヴ primitive 原始的なさま。素朴なさま。
  • 仏教 ぶっきょう (Buddhism) 仏陀(釈迦牟尼)を開祖とする世界宗教。前5世紀頃インドに興った。もともとは、仏陀の説いた教えの意。四諦の真理に目覚め、八正道の実践を行うことによって、苦悩から解放された涅槃の境地を目指す。紀元前後には大乗仏教とよばれる新たな仏教が誕生、さらに7〜8世紀には密教へと展開した。13世紀にはインド亜大陸からすがたを消したのと対照的に、インドを超えてアジア全域に広まり、各地の文化や信仰と融合しながら、東南アジア、東アジア、チベットなどに、それぞれ独自の形態を発展させた。
  • 儒教 じゅきょう 孔子を祖とする教学。儒学の教え。四書・五経を経典とする。
  • 幣 ぬさ (1) 麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓にささげ持つもの。みてぐら。にぎて。(2) 贈り物。
  • 七五三縄 しめなわ 標縄・注連縄・七五三縄。(シメは占めるの意) 神前または神事の場に不浄なものの侵入を禁ずる印として張る縄。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。左捻りを定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂を下げる。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形である。しめ。章断。
  • 八賤 はっせん?
  • 白丁 ペクチョン/はくてい (1) 白人(ハクジン)、白民(ハクミン)、白衣(ハクイ)。無位無官の民。庶民。(2) 成人しても兵籍にはいらない者。(大漢和)
  • 斎主 いわいぬし 斎(いわい)に同じ。/さいしゅ 祭の儀式を中心になっておこなう人。
  • 太鼓 たいこ (1) 打楽器の一つ。胴の両面または片面に革を張り、打ち鳴らすものの総称。大太鼓・楽太鼓・締太鼓など多くの種類がある。(2) 日本では (1) のうち、中央のくびれた胴をもつ鼓を除いたものを指す。
  • 神楽太鼓 かぐら‐だいこ 里神楽に用いる大太鼓。
  • 神楽 かぐら (「かむくら(神座)」の転) (1) 皇居および皇室との関連が深い神社で神をまつるために奏する歌舞。伴奏楽器は笏拍子・篳篥・神楽笛・和琴の4種。毎年12月に賢所で行われるものが代表的。(2) と区別する場合は御神楽という。神遊。(2) 民間の神社の祭儀で奏する歌舞。(1) と区別する場合は里神楽という。全国各地に様々な系統がある。
  • 女巫 おんなみこ 女の巫。/心身を清めて神につかえる女性。女のかんなぎ。←→男巫。
  • 男覡 → 男巫・男神子
  • 男巫・男神子 おとこみこ 神託を人に伝えることをつとめとする男のみこ。みこは、一般に女性であることが多いので、とくに男を付けて区別する。おとこかんなぎ。おかんなぎ。おのこかんなぎ。
  • female フィーメール。女。女性。(カタカナコン)
  • male メール。男。男性。男性に関するさま。(カタカナコン)
  • オーソリティー authority 権威。その道の大家。
  • 憑移る のりうつる
  • 巫子 いちこ 神巫・巫子・市子。(1) 神前で神楽を奏する舞姫。(2) 生霊・死霊の意中を述べることを業とする女。くちよせ。梓巫。巫女。いたこ。
  • 注釈書 ちゅうしゃくしょ 註釈書。古書などの本文をくわしく検討して、語句の意味や叙述の次第などを解説した書物。注解書。
  • Change of sex
  • 顕斎 うつしいわい 現実には見えない神の身を現実にいるようにして斎(いつ)きまつること。
  • 厳し いつかし (動詞イツ(斎)クから) いかめしく立派である。たっとい。荘重である。
  • 祝詞 のりと 祭の儀式に唱えて祝福することば。現存する最も古いものは延喜式巻8の「祈年祭」以下の27編など。宣命体で書かれている。「中臣寿詞」のように祝意の強いものを特に寿詞ともいう。文末を「宣(の)る」とするものと「申す」とするものとがある。のりとごと。のっと。
  • インスピレーション inspiration 創作・思索などの過程において、ひらめいた新しい考えで、自分の考えだという感じを伴わないもの。天来の着想。霊感。
  • 参詣 さんけい 神仏におまいりに行くこと。
  • 鏡 かがみ (1) 滑らかな平面における光の反射を利用して容姿や物の像などをうつし見る道具。中国から渡来。古くは金属、特に銅合金を磨いたり錫を塗ったり、または錫めっきを施したりした。円形・方形・花形・稜形などに作り、室町時代から柄をつけるようになった。今日では、硝酸銀水溶液をガラス面に注ぎ、苛性ソーダなどによってコロイド状の銀をガラス面に沈着させ、その上に樹脂などの保護膜を塗る。鏡は古来、呪術的なものとして重視され、祭器や権威の象徴・財宝とされた。
  • ラマ Bla-ma チベツト・喇嘛 チベット仏教の高僧。現在ではチベット仏教僧一般に対する敬称としても用いる。
  • 喇嘛教 ラマきょう (Lamaism) チベット仏教の俗称。
  • チベット仏教 チベットぶっきょう 仏教の一派。吐蕃王国時代にインドからチベットに伝わった大乗仏教と密教の混合形態。チベット大蔵経を用いる。のちモンゴル・旧満州(中国東北地方)・ネパール・ブータン・ラダックにも伝播した。主な宗派はニンマ派(紅教)・サキャ派・カギュー派・ゲルク派(黄教)の4派。俗称、ラマ教。
  • 神体 しんたい 神霊を象徴する神聖な物体。礼拝の対象となるもので、古来、鏡・剣・玉・鉾・影像などを用いた。霊御形。みたましろ。
  • 式三番叟 しきさんばそう 式三番 (2) に同じ。
  • 式三番 しきさんば (シキサンバンとも) (2) 能の「翁」に取材した三番叟物のうち、常磐津「祝言式三番叟」、義太夫「寿式三番叟」などの略称。式三番叟。
  • 舞党
  • オリジン origin 起源。根源。出所。由来。
  • 唯々 ただ?
  • ツングース諸語 ツングースしょご (Tungusic) シベリア東部・サハリン・中国東北部にかけての地域で話される諸言語。アルタイ語族に属する。エヴェンキ語・エウェン語・ソロン語・ウデヘ語・ウイルタ語・満州語など。膠着語的特徴を示す。
  • ツングース語 ツングースご チュルク諸語や蒙古諸語とともにアルタイ諸語を構成すると考えられる、言語系統を同じくする諸言語の総称。ツングース・満州諸語ともよばれる。シベリア東部、中国北東部など広い地域で話される。エウェンキー語(狭義のツングース語)、ネギダル語、ラムート語、オロチ語、オルチャ語、満州語などが含まれる。
  • ヤクート語。チュルク語の方言の一つ。レナ川流域で話される。
  • サハ語 → ヤクート語
  • タタール語 タタールご ボルガ川中流域を中心に分布するトルコ系民族であるタタール人の言語の総称。言語系統的には、チュルク諸語キプチャク語群に分類される。主要な方言は、タタール自治共和国の首都カザンを中心に話されるカザン方言と、同共和国の外に分布するミシャル方言がある。
  • キルギス語 チュルク諸語中央語群に属する言語の一つ。キルギス共和国を中心に中国の新疆ウイグル自治区などでも話される。
  • サモエード語 フィン-ウゴル語派とともにウラル語族を形成する語派名。シベリアの西北部、北極海岸で話される。ネネツ(ユラク-サモエード)、エネツ(エニセイ-サモエード)、ガナサン(タウギ-サモエード)、セリクプ(オスチャード-サモエード)、カマス、マトルの六つの言語集団から成る。サモエード語派。サモエード諸語。
  • 満州語 まんしゅうご 満州族の用いる言語。アルタイ語族ツングース語派に属する。特に17世紀後半以降、清朝の興隆とともに中国語の影響を受け、語彙および文法の面で変化。
  • モンゴル語 モンゴルご (Mongolian) モンゴル国や中国の内モンゴル自治区・甘肅省などで用いられる言語。アルタイ語族のモンゴル語派に属する。母音調和および後置詞を有する。蒙古語。
  • アルタイ語族 アルタイごぞく (Altaic) 中国北部から中央アジア・東部ヨーロッパにかけて分布する諸言語。チュルク語派・モンゴル語派・ツングース語派に分かれる。ウラル語族とまとめてウラル‐アルタイ語族と呼ぶこともある。
  • アルタイ語
  • 朝鮮語 ちょうせんご (Korean) 朝鮮民族の言語。膠着語で、母音調和の現象が著しい。文法は日本語とよく似ている。系統は明らかではない。大韓民国では韓国語という。
  • シナ語 → 中国語
  • 中国語 ちゅうごくご (Chinese) 漢民族の言語。シナ‐チベット語族のシナ語派に属する。形態は孤立語。北方(北京語など)・呉(上海語など)・※(第3水準1-93-49)(廈門語など)・粤(広東語など)・客家(ハッカ)・湘(湖南語など)・〓(南昌の方言など)の7大方言があり、北京語の発音と北方方言の文法・語彙を基礎とする共通語(普通話)が広く用いられる。シナ語。
  • 五行説 ごぎょうせつ 中国で、万象の生成変化を説明するための理論。宇宙間には木火土金水によって象徴される五気がはびこっており、万物は五気のうちのいずれかのはたらきによって生じ、また、万象の変化は五気の勢力の交換循環によって起こるとする。循環の順序を、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つとして木金火水土の順とする相剋(勝)説と、木は火を、火は土を、土は金を、金は水を、水は木を生ずるとして木火土金水の順とする相生説とがある。中国、戦国時代中期の※(第4水準2-93-2)衍(すうえん)が、歴代王朝の交替を相勝の理で解いたことに始まり、季節、方角、色、臭から人の道徳に至るまで、あらゆる事象を五行のいずれかに配当するようになった。特に、木火金水には、方角では東南西北、色では青朱白玄、季節では春夏秋冬が割り当てられ、四獣(四神)の青龍・朱雀・白虎・玄武が配された。漢代になると陰陽説と結合し、暦法、医学などにも取り入れられて、長く中国人の公私の生活を拘束することとなった。五行の説。
  • 祓い はらい 神に祈って、罪やけがれを取り除くこと。はらえ。
  • 鐃鉢 にょうはち 仏家・寺院で用いる二種の打楽器、鐃と※(第3水準1-93-6)。つねに組み合わせて用いられたところから併称される。のちには、※(第3水準1-93-6)を特にさしていう。にょうはつ。
  • 雪隠 せっちん (セツインの連声) 便所。かわや。せんち。
  • 幣帛 ぬさ/へいはく (1) 神に奉献する物の総称。みてぐら。にきて。ぬさ。(2) (中国で、進物・礼物にきぬを贈ることから) 進物または礼物の称。
  • 手向 たむけ (1) たむけること。神仏や死者の霊に物を供えること。(2) 旅のはなむけ。餞別。(3) (そこで道祖神にたむけをするからいう) 越えて行く坂道の上。峠。
  • 叢祠・祠 ほこら (ホクラ(神庫)の転) 神をまつる小さなやしろ。
  • 神位 しんい (1) 朝廷が神に奉る位階。諸王臣の位階との関係はない。神階。(2) 祭儀に神霊をすえる所。
  • 祖廟 そびょう 先祖のみたまや。たまや。
  • 神棚 かみだな 家の中で、大神宮などの神符を祭る棚。
  • 幣束 へいそく (1) 神に捧げる物。にきて。ぬさ。(2) 裂いた麻や畳んで切った紙を、細長い木に挟んで垂らしたもの。御幣。
  • 木綿垂 ゆうしで 木綿四手。木綿(ゆう)を垂れること。また、垂れた木綿。木綿で作ったしで。
  • 木綿 ゆう 楮の皮をはぎ、その繊維を蒸し、水にひたして裂いて糸としたもの。主として幣とし、祭の時に榊につけた。
  • 禍津毘 まがつび → 禍霊、禍津日神
  • 禍霊 まがつひ (「まがつひ」は災害・凶事を起こす霊力の意)「まがつひのかみ」の略。
  • 禍津日神 まがつひのかみ 災害・凶事・汚穢の神。伊弉諾尊のみそぎの時、黄泉の国の汚れから化生したという。←→直日神
  • 執念し しゅうねし 執念深い。
  • 麻布 あさふ 大麻、苧麻、綱麻、亜麻などを材料にした布。特に夏用の着衣その他に使われる。
  • 麻 あさ (1) (ア) 大麻・苧麻・黄麻・亜麻・マニラ麻などの総称。また、これらの原料から製した繊維。糸・綱・網・帆布・衣服用麻布・ズックなどに作る。お。(イ) アサ科の一年草。中央アジア原産とされる繊維作物。茎は四角く高さ1〜3メートル。雌雄異株。夏、葉腋に単性花を生じ、花後、痩果を結ぶ。夏秋の間に茎を刈り、皮から繊維を採る。実は鳥の飼料とするほか、緩下剤として摩子仁丸の主薬とされる。紅花・藍とともに三草と呼ばれ、古くから全国に栽培された。ハシシュ・マリファナの原料。大麻。タイマソウ。あさお。お。(2) 麻布の略。
  • 咬える くわえる? 「咬」は「かむ」。
  • 宣託 せんたく 神のおつげ。託宣(たくせん)。
  • 唐国・韓国 からくに 古代、中国または朝鮮を指して言った語。
  • 舞楽 ぶがく 雅楽の外来楽舞の演出法で器楽合奏を伴奏として舞を奏でるもの。また、その曲。器楽合奏のみ行う管弦の対語。
  • 羯鼓 かっこ (もと中国に羯より伝来したからという) (1) 雅楽の唐楽に用いる打楽器。木製の胴と2枚の革面を調紐で締めたものを台に据え、2本の桴で打つ。鞨鼓。両杖鼓。(2) 能楽や歌舞伎舞踊などで用いる小道具。(1) を模したもので胸に着けて打ちながら舞う。(3) 能の舞事。喝食などの役が (2) を打ちながら舞う。
  • 桴 ばち 桴・枹。(1) 太鼓・銅鑼などを打ち鳴らす棒。(2) 舞楽の陵王・抜頭などの舞人が持って舞う棒。
  • 日蓮宗 にちれんしゅう (1) 日本仏教十三宗の一つ。日蓮を祖とする。法華経を所依とし、教義は教・機・時・国・序の五綱教判と本尊・題目・戒壇の三大秘法とを立て、即身成仏・立正安国を期す。日蓮を祖とする教団は日蓮宗・法華宗(本門流・陣門流・真門流)・日蓮正宗・顕本法華宗・不受不施派などに分かれる。(2) 特に、山梨の身延山久遠寺を本山とする日蓮宗をいう。
  • 団扇太鼓 うちわ だいこ 一枚革を円く張り、柄をつけた太鼓。日蓮宗で用いる。
  • 鳴物 なりもの (1) 楽器。また、その演奏。(2) 歌舞伎で、三味線を除いた鉦・太鼓・笛などの囃子や擬音の総称。広義には三味線も加えていう。
  • 穴居 けっきょ 穴の中に住むこと。あなずまい。
  • 淵源 えんげん 物事のよってきたるもと。みなもと。根源。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)、『縮刷版 文化人類学事典』(弘文堂、1994.3)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


書きかえメモ。
Family shaman → family shaman
Spirit → spirit
Female → female
Male → male
Change of sex → change of sex
ブリヤーツ → ブリヤート
ヤクーツ → ヤクート
キルギース、キルギーズ、 → キルギス
タタル → タタール

 Inkscape で、開いた線分同士をつなぐ方法がわかった。

(1) shift キーを押しながら、二つのオブジェクト(開いた線分)を選択する。
(2)(選択した状態で)control+K でパスの連結をおこなう。
(3) そのまま、カーソルを「フリーハンドツール」もしくは「ベジェツール」に持ちかえると、パスの両端ノードが表示される。
(4) 一方のノードから他方のノードまで、パスを描画する。もしくはカーソルを「パス/ノードツール」に持ちかえて、ツールコントロールバーの左から3つめ「選択した端点ノード同士を連結」をクリック。おしまい。

 パス同士をつなぐんだから、(2) の「control+K(パスの連結をおこなう)」を指定するまでもなくつながっていいはずだろとつっこみたい。このへんは Adobe Illustrator のほうがスマート。
 ただし、手書き線のようにノードの多いパス同士をえんえんつないでゆくと、それだけで描画編集の作業が重くなってくる。最悪、ちょっとした表示の移動でもフリーズする。このあたりの不安定さは Mac OS 8.0 以上。ソフトに由来するのか、マシン能力の限界か。。。
 それでも、地図の海岸線や国境線・河川などを自由に連結できるようになった。パスの着色やスタイル設定が思い通りおこなえるようになったことでよしとする。
 
 つぎなる問題。
 経線や緯度線を描き込もうとおもって、Illustrator のブレンド機能にあたるものを探すが見あたらず。Inkscape でもとうぜんながらあるだろーと思ってたんだけれど。。。はてさて。




*次週予告


第五巻 第四八号 
日本周囲民族の原始宗教(四)鳥居龍蔵


第五巻 第四八号は、
二〇一三年六月二二日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第四七号
日本周囲民族の原始宗教(三)鳥居龍蔵
発行:二〇一三年六月一五日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。