本多静六 ほんだ せいろく
1866-1952(慶応2.7.2-昭和27.1.29)
林学者。最初の林学博士。埼玉県生れ。ドイツ留学後、東大教授。林学の基礎をつくり、その普及に尽力、明治神宮の森・日比谷公園を設計、東京市水源林を設置・経営。大日本山林会会長。著「日本森林植物帯論」「本多造林学」など。

恩地孝四郎 おんち こうしろう
1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3)
版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。

岡 落葉 おか らくよう
1879-1962(明治12-昭和37)
明治〜昭和期の画家。独歩と親しく、「武蔵野」の装幀をてがけた。(人レ)/挿画。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ、2000.7)。
◇表紙絵:恩地孝四郎、挿絵:岡 落葉。



もくじ 
山の科学
森林と樹木と動物(一)本多静六


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う  → いう / 言う
  •      処   → ところ / 所
  •      有つ  → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円い  → 丸い
  •      室《へや》 → 部屋
  •      大いさ → 大きさ
  •      たれ  → だれ
  •      週期  → 周期
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いった → 行った / 言った
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、英語読みのカタカナ語は一部、一般的な読みに改めました。
  •    例、ホーマー  → ホメロス
  •      プトレミー → プトレマイオス
  •      ケプレル  → ケプラー
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符・かぎ括弧をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸   → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改め、濁点・半濁点をおぎないました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名・映画などの作品名は『 』、論文・記事名および会話文・強調文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 畝 せ 段・反の10分の1。一畝は三〇歩で、約0.992アール。
  • 反 たん 一段(反)は三〇〇歩(坪)で、約991.7平方メートル。太閤検地以前は三六〇歩。
  • 町 ちょう 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約1ヘクタール。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • [重量]
  • 厘 りん  一厘=37.5ミリグラム。貫の10万分の1。1/100匁。
  • 匁 もんめ 一匁=3.75グラム。貫の1000分の1。
  • 銭 せん  古代から近世まで、貫の1000分の1。文(もん)。
  • 貫 かん  一貫=3.75キログラム。
  • [貨幣]
  • 厘 りん 円の1000分の1。銭の10分の1。
  • 銭 せん 円の100分の1。
  • 文 もん 一文=金貨1/4000両、銀貨0.015匁。元禄一三年(1700)のレート。1/1000貫(貫文)(Wikipedia)
  • 一文銭 いちもんせん 1個1文の価の穴明銭。明治時代、10枚を1銭とした。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約1,550.38平方インチ。
  • 平方メートル=約10.764平方フィート。
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • カ氏温度F=(9/5)セ氏温度C+32
  • 0 = 32
  • 100 = 212
  • 0 = -17.78
  • 100 = 37.78


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp1555_1.html

NDC 分類:K472(植物学/植物地理.植物誌)
http://yozora.kazumi386.org/4/7/ndck472.html
NDC 分類:K650(林業)
http://yozora.kazumi386.org/6/5/ndck650.html
※ 2013.5.14 現在、該当ページなし





山の科学
森林しんりん樹木じゅもく動物どうぶつ(一)

林学博士 本多ほんだ静六せいろく

   山と人

 (一)森林の効用こうよう

(イ)洪水こうずいの予防。 森林とは山や丘の一面に、こんもり木がえしげって、大きな深い林となっている状態をいうのです。われわれの遠い遠い最初の祖先が、はじめてこの地球上にあらわれたころには、森林は、そのまま人間のすみかでもあり、また食べ物のどころでもありました。ただ今でもマレー半島のある野蛮やばん人種は、木のえだの上に家を作って住んでいますが、これなどは、今いったように、人間がじかに森林の中にいた習慣しゅうかんが残り伝わったおもしろい一例です。ともかく大昔おおむかしの人間は森林に住んで、草や、木のや、野獣やじゅうや、川の魚などをとって、なまのままで食べていたもので、ちょうど今日こんにち山猿やまざるのような生活をしていたのです。
 それが、だんだんと人口がふえ、みんなの知恵もひらけてくるにしたがって、ようやく火というものを使うことを知り、食べ物もたりいたりして食べるようになり、また寒いときには木をやしてあたたまることをおぼえたのです。つまりまきすみの材料として森林を利用するようになったわけです。それに、またいっぽうでは人口の増加につれてこれまで食料にしていた草や木のもだんだんたりなくなり、それをおぎなうために畑をこしらえて、農作をする必要がおこるし、同時にまた野獣やじゅうも、しだいに少なくなってきたので、牧畜ぼくちくということをしなければたちいかなくなりました。その農作地のうさくち牧場まきばとを作るためには、森林の一部分をきはらい焼きはらいしました。ですから、彼らのいる村落そんらく付近ふきんの山林は、のちにはだんだんにせまく、まばらになってきて、ついにはまきの材料にも不足するようになりました。
 なお人智じんちがいよいよ発達し人口がどんどんすにつれて、最後には奥山おくやまの木までも切って家屋かおく橋梁きょうりょう器具、機械、汽車、電車、鉄道の枕木まくらぎ、電信、電話でんわの柱というように、建築土木の用材にも使うようになりました。それから、大きな木材から細かな繊維せんいをとって紙をこしらえたり、その他にも使うようにもなり、最近では人造じんぞう絹糸けんし〔レーヨン〕の原料にもたくさんの木材を使っています。こんなふうに薪炭用しんたんよう、建築土木用、木繊維もくせんい用などのために森林はどんどん切りたおされ、深い山、ふかい谷底たにぞこの森林までがだんだんにらされるようになりました。こうなると大雨がるたびに、山の土や砂はどんどん流れおち、またおそろしい洪水こうずいがおこるようになりました。
 日本では明治めいじ維新いしんののち、森林をむやみに切った結果、方々ほうぼうで洪水におかされ、明治二十九年(一八九六)度には二万〇九八一町村ちょうそんというものが水につかり、一二五〇人の死人と二四五〇人の負傷者ふしょうしゃを出したほかに、船の流失三六八〇せき、家の流れたり、こわれたりしたのが七十二万九六〇〇余棟よむね田畑たはたらされたこと七十八万五〇〇〇余町よちょうちょう=約一ヘクタール〕にのぼり、そのほか道路の破損はそん、橋の流れおちたものなどを加えて、総損失そうそんしつ一億一三〇〇余万円よまんえん、その復旧費ふっきゅうひ二四〇〇余万円を入れると合計一億三七〇〇余万円という計算でした。つまりその年、日本が外国へ輸出した総額の一億一七〇〇万円よりもまだはるかに多くの金額だったので、人々はみんな洪水の大惨害だいさんがいにはふるえあがったものです。
 こうしたおそろしい洪水こうずいはどうしておこるのかといえば、それはむろん一時いちじに多量の雨がったからですが、その雨が洪水になるというそのもとは、つまり川の水源地方の森林がらされたために、雨水うすいとどめためておく余裕よゆうがなくなり、っただけの雨水がいちどに流れくだって、山にある土や砂を河底かわぞこに流しうずめるために、水の流れかたが急に変わって、あふれひろがるからです。
 よくしげっている森林では、った雨の四分しぶんの一はえだや葉の上にたまってのちにだんだんと蒸発じょうはつします。そして残った四分の三の雨が、葉から枝、枝からみきへ流れて、徐々じょじょに地面に落ち、そこにあるいとられるのです。実際の試験によるとマツの落ち葉は、その目方めかたの五倍分の水をたたえ、たもつことができます。ですから、一貫目いっかんめ〔三.七五キログラム〕だけの分量ぶんりょうのマツの落ち葉は、五貫目〔一八.七五キログラム〕の水をふくむことになります。なおマツよりほかのいろいろな雑木ぞう苔類こけるいは七倍も十倍もの雨水をふくみためることができますから、森林ではかなりの大雨があっても一時いちじに洪水を出すことはなく、雨水は数日かかってそろそろ流れ出し、また地中にも多くしみこみます。だから山に森林がしげってさえいれば、けっして洪水の出る心配はないのです。

(ロ)水源の涵養かんよう。 森林はかように雨量を調節することができると同時にいっぽうでは水源のやしないとなり、河水かすいれるのをふせぎます。くわしくいうと森林の中は比較的湿気しっきが多く、温度も低く、木がしげっていますから、水分の蒸発じょうはつすることも少ない。また先ほどお話したように、苔類こけるいが水を多くふくみ、したがって、地中にも多量の水分をしみこませますから、たとい干天かんてんひさしくつづいても森林はそのたもっている水分を徐々じょじょに流し出し、河水かすいれないことになるのです。
 こういうわけで、森林は洪水こうずいがいふせぎ、川の水を不断ふだんにたえず流し、水田をもからさないという点で、土地を安全にたもってくれる効用こうようがあることがわかってきたので、以来いらいはじめて森林を保護して育てるようになり、なお国土の保安ほあんのために森林の一部を「保安林ほあんりん」というものにして、永久に切らないでおくようにもなったのです。
 その保安林だけでは、そこから流れ出す河川かせんの流域一帯いったいの人々が利益をうけるというのみで、これだけではまだ完全に一国民いっこくみん全体が森林を利用しているとはいえませんでしたが、ついであらわれてきた水力電気そのものは、すべてこの都市・村落そんらく灯火あかりや、いろいろの動力にも利用せられ、電車、電信、電話、電灯でんとう、工業用機械動力どうりょくをはじめ、朝夕あさゆう煮炊にたき、ストーブや按摩あんま行火あんかのかわりにまでももちいられるようになり、今日こんにちでは人間の生活上、電気は寸時すんじくことのできない必要なものとなりました。その水力電気の水源は森林によって、はじめて完全にやしなうことができるのです。それで、今ではとくに山岳地方の森林は、いちばんにはこの意味の水源をやしなうのに利用され、建築土木用の木材や、薪炭しんたん材料などをとるのは第二とされるようになりました。

(ハ)精神の保養ほよう。 しかし、ずっと最近では、森林の利用をもっとすすめて、直接に人々の健康のために応用することを考えつきました。大部分の人が生活している都会は、せまい土地に大勢の人が住み、石炭の煤煙ばいえんや、その他の塵埃じんあいでもって空気がおそろしくにごっており、また各種の交通機関が発達して昼夜のわかちなく、ガタガタと騒々そうぞうしいので、都会に住む人は体が弱くなったり病気をしたりします。それでときどきは自然の森林に遊んで、すがすがしい空気をい、精神を保養ほようする必要があります。都会には大小の公園ももうけられていますが、そんなものは完全な安静あんせい場所といえません。どうしても町を遠く離れた美しい自然の森林へ出かけるにこしたことはないのです。この意味で近来きんらい、休みを利用して各地でひらいている林間りんかん野営やえいや、それから山岳旅行などはまことに結構けっこうなことです。おたがいに身体がじょうぶでなければ何ごともできませんから、新しい空気の呼吸と、じゅうぶんな日光浴にっこうよくと、運動とによって食物をうまく食べることがいちばん大切です。これがために運動や競技や登山など家の外で生活することがはやり、ひいては森林を世人せじんの休養・保健ほけんのため利用すること、つまり森林を公園として利用することがさかんになったわけです。
 以上で森林と人との密接な関係、人間がむかしから森林をいろいろに利用してきているお話をしました。このほかにも森林は、人間の生活にいろいろの役立やくだちをしています。

(ニ)気候の調節。 山に木がしげっていれば、気候の調節をはかることができます。森林でおおわれている土地は、日光は枝葉えだはでさえぎられて、地面をあたためることが少ないのと、もう一つは、日光が直射によって葉の面の水分が蒸発じょうはつするときに、多量の潜熱せんねつを必要とします。潜熱というのは物体が融解ゆうかいしたり、また蒸発するときに要する熱量です。そんなわけで森林の付近の空気はいつも冷えています。ちょうど夏のあつい日に、庭前ていぜんに水をまけばにわかにすずしさが感ぜられるのと同じりくつです。しかし、夜になると森林は、枝葉えだはで土地をおおっていますから、その地面と空気と、熱を放散ほうさんするのをさまたげるので、そこの空気は冷えかたが少ないことになります。
 こうして林の中の空気は、つねに林の外とくらべて、昼間はすずしく、夜間はあたたかで、したがって昼と夜とで気温が急に変わることをやわらげます。そして同じわけで、夏をすずしく、冬をあたたかくして、一年じゅうの温度の変化を調節します。

(ホ)雪なだれと津波つなみの防止。 それから前にお話した洪水こうずいの予防や、水源の涵養かんようのほかに、森林は雪国ですと「雪なだれ」のがいふせぐこともできます。雪なだれとは、傾斜地けいしゃちもった雪が、春あたたかくなったために、下側の地面に氷結ひょうけつした部分が急にけるのでもって、急にすべり落ちるもので、そのために山麓さんろく人畜じんちく・農地・道路などを破損はそんし、土砂・岩石などをとして、おそろしい害をあたえることがあります。これも森林があれば雪が急にけませんし、たとい、落ちた雪も樹幹じゅかんでささえられるので、なだれがおきないですむのです。
 また森林が海岸にあれば、天災中てんさいちゅうの、おそろしい「津波つなみ」の害も少なくなります。かの明治二十九年(一八九六)三陸さんりく地方の津波の被害区域は長さ一五〇マイル〔およそ二四〇キロメートル〕にわたり、死者二万二〇〇〇人、重傷者じゅうしょうしゃ四四〇〇人、家や船の流されたもの、農地の損失そんしつなどで損害そんがい総額は数千万円にのぼりました。こんな津波などは、とうてい人間の力でふせぎ止めることはできませんが、しかし、もし海岸に沿うておびのように森林があれば、非常な速力でおしせてくる潮水しおみずのいきおいをそぎ、したがって惨害さんがいも少なくなる道理どうりです。
 こういうふうに、森林の効用こうようをあげればかぎりもありません。ところで日本にはこういう大切な森林がどのくらいあるのかといいますと、日本じゅうの森林面積は総計そうけい四三九二万ちょうちょう=約一ヘクタール〕で、じつに日本の土地の総面積の六割四分しぶをしめています。これを国民の頭割あたまわりにしてみますと、一人につき平均五反ごたん五畝ごせ五歩ごぶ〔一六五五坪。およそ五四六一.五平方メートル〕にあたります。すなわち、みなさまが五反五畝五歩の森林の中に一人ずつ住める勘定かんじょうです。
 もともと山には、高い山、低い山、なめらかな山、けわしい山とさまざまありますが、日本でも、どれにもはじめは自然に木がしげっていたのです。もっとも、富士山や日本アルプス以下、すべての高山こうざんいただき近くには、寒さが強くて樹木が育ちません。このことはのちにくわしくお話します。しかし、ふつうの山では木のそだっていないところはなかったのです。それが前にいったように人間が多くなるにつれて木材がいよいよ多く必要となり、どんどん切るため、村落そんらくに近い山の木はもとより、高い山にも青々あおあおとしていた木がなくなって赤い山のはだを見せるようになったのです。こんなあかはげ山は、山としてはけっして立派なものとはいえません。人間でいえば体ばかり大きくてとくも知恵もないとすれば、人としててんで品位がないのと同じです。たとい低い山でも木がよくしげっていれば、山のねうちがあって、かぎりない効用をもちます。
 つまり山は高いばかりがたっといのではなく、木がしげっているのでほんとうに貴いのです。そのためには、いうまでもなく、おたがいに十分じゅうぶんに山をあいして、むやみに木を切らないようにし、もし切れば、そのあとにかわりの木を植えてたてることを忘れてはなりません。

 (二)山をあいせよ

 以上のわけで、一国いっこくの山全部が青々あおあおとしている間はその国はさかんになるのですが、反対に、いくら必要だからといって、やたらに樹木を切るばかりでらしつくしてしまえば、その国はほろびることにもなります。なお伐木ばつぼくについで用心しなければならないのは、おそろしい山火事です。なまはちょっとえにくいようにおもえますが、いちど火勢かせいがつけば、こんもりとしげった美しい森林もまたたくまにはいになってしまうのです。春から夏にかけて山の雪が消えたころが、この山火事のいちばん多いときで、タバコのがらや、たきをした人のちょっとした不注意で、一〇〇年かかってできあがった森林も数時間もたたない間に、すっかりけてしまうわけです。だから山登りをする人はとくに火の用心をすることが大事です。
 ついでですが、みなさんは木ばかりでなく、そこいらの町の中にある樹木も大切にしてえだったりしないようにしてくださらなければいけません。春、美しい花がくのが見たく、夏のあついときにすずしい木陰こかげがほしい以上は、庭の木でも、町のなみでも、同じようにかわいがってやらねばなりません。こないだの関東の大震災だいしんさいのときには、浅草の観音かんのん浅草寺せんそうじのおどうの裏のイチョウの木は片側半分は火にけても、他の半分の枝葉えだはのために火がおどうえうつるのをふせぎました。ひとりイチョウにかぎらず、シイノキやカシノキなど家のまわりや公園の垣根かきね沿いに植えてある木は、平常へいじょう木陰こかげや風よけになるばかりでなく、火事のときには防火樹ぼうかじゅとして非常に役に立ち、家もかずにすみ、ときには人の命すらすくわれることがあることも忘れてはなりません。
 こんなに樹木でもおたがいにとっていろいろな役に立つことをお知りになったら、みなさんも道ばたに遊んでる子どもがなみの皮をむいたり、えだを打ったりしているのを見られたら、すぐに言い聞かせて、とめてくださらなければこまります。それはとりもなおさず樹木をあいし、ひいては山をも愛することになって、国家の安栄あんえいをつくることになるからです。

   樹木じゅもくの話

 (一)伝説の巨木きょぼく

 今から一八〇〇年ばかりむかし、筑紫つくし(今の九州)扶桑木ふそうぼくといって、の中にまれな大木たいぼくがありました。その高さは九七〇〇尺余しゃくよ〔およそ二九一〇メートル〕だったといいますから、富士山の七合目しちごうめのちょっと下までのびあがる勘定かんじょうです。そのくらいですからえだや葉もおそろしくしげりひろがっていて、朝は杵島岳きしまだけかくし、夕方は阿蘇山あそさんをおおって、あたりは昼もほのぐらく、九州の半分ほどは日陰ひかげとなり、百姓ひゃくしょうこまりぬいていたといいますが、さいわいにもあとでついにその大木たいぼくはたおれてしまいました。十二代景行けいこう天皇が、筑紫つくし高田たかだ行宮あんぐう行幸ぎょうこうされたときには、長さ九七〇〇尺のその丸太が橋になってかかっていました。そこで天皇は大勢の家来けらいたちをおつれになり、その長い長い丸木橋まるきばしの上をおわたりになったということが、日本にほん書紀しょき』という本に出ています。また一説には、その丸木橋は今の熊本くまもとあたりから、有明ありあけの海をわたって肥前国ひぜんのくに温泉岳うんぜんだけ〔雲仙岳〕までかかっていたともいいます。おそろしい大きな木ではありませんか。
 しかし、これはただ伝説ですからあてにはなりませんが、これからお話するのは、ふつうどこにもあり、みなさんがいつでも実際にごらんになれる樹木じゅもくのお話です。おたがいに注意したいこと、また、いつもはだれも気のつかぬようなことを話しておきましょう。

 (二)大きさによる樹木の区別

 ただ樹木といっても、マツやスギのような大きくなる木もあり、ツツジやボケのように高くびないで、えだが低くわかれ、小さい機状きじょうになるものもあります。このマツやスギのようにたけの高くなり、形も大きくなる樹木を「喬木きょうぼく高木こうぼく」といい、ツツジやボケのように形も小さく、機状きじょうにしげる木を「灌木かんぼく低木ていぼく」とよびます。この二つの種類はみなさまのおうちの庭でも、公園や山やどこへ行っても見られます。つぎには樹木は、葉の形によっても区別されます。

 (三)葉の形による樹木の区別

 すべての樹木はそれぞれ葉の形がちがっていますが、それを大きく二つにけることができます。一つはアオギリの木の葉のようにひろがった大きな形のもので、これを「闊葉樹かつようじゅ広葉樹こうようじゅ」とよび、もう一つはマツの葉のようにはりの形をした葉を持った木で、これを「針葉樹しんようじゅ」とよびます。ふつう、みなさんのおにふれる木でいいますと、

(イ)針葉樹にぞくするものは、アカマツ、クロマツ、モミ、ツガ、スギ、ヒノキ、カヤなど。
(ロ)闊葉樹に属するものは、サクラ、モミジ、ヤナギ、アオギリ、クリ、カシ、シイ、クスなど。

です。
 しかし、同じ針葉樹の中にもマツとヒノキの葉はたいへんちがっていますし、闊葉樹の中にもアオギリのような広く大きい葉、モミジの葉のように掌状しょうじょうかれた葉、ヤナギのように細長い葉があります。それから木の葉は、マツの葉のように一年じゅう変わらず青々あおあおとしげっているのがあるかと思うと、サクラのように春から夏にかけては青くしげっているが、秋のすずしい風がきはじめると、だんだん緑の色が黄色に変わり、やがて冬の寒い風の吹くころはサラサラと落ちるものもあります。かく、マツやシイノキ、カシノキなどの葉のように、冬の間でもえだのようにならず一年じゅう青々あおあおした葉を持っている木を「常緑樹じょうりょくじゅ」といい、モミジやサクラの木のように毎年春になるとき、冬にはれたようにえだから葉を落とす木を「落葉樹らくようじゅ」とよびます。なお針葉樹であって常緑な木(マツ、スギなど)を「常緑じょうりょく針葉樹」といい、代闊葉樹かつようじゅであって常緑な木(カシ、クスなど)を「常緑闊葉樹かつようじゅ」とよびます。同様に葉をとしかえる木に「落葉らくよう針葉樹」(カラマツ、イチョウなど)と「落葉闊緑樹かつようじゅ(サクラ、モミジなど)の別があります。イチョウには葉の比較的ひろい木があるが、植物学上では、やはり針葉樹の中に入るのです〔厳密には広葉樹にも針葉樹にも属さない。(Wikipedia)

 (四)春のおとずれ

 みなさんがお正月の休みをえて、ふたたび寒風かんぷうの中を学校におかよいになるときには、多くの木はかず、れたようにねむっていますが、中にはマンサクのように寒い風にもたえて早く一、二月のころに、のような小枝こえだに黄色い花をつけたり、また蝋梅ろうばいのようにもっと早く雪の中でかおりたかくきほこるものもあります。そんなのを見ると、もう春がきたのかと思われます。蝋梅ろうばいはもとシナ〔中国〕さんですが、早くわが国に移植いしょくされ、多くは庭木にわきとして灌木状かんぼくじょうをしています。東京では一月中旬ちゅうじゅんにツボミを開きはじめ、二月にいたって満開し、三月の上旬じょうじゅんまで花を開きつづけています。
 蝋梅ろうばいについで早く花をひらくマンサクは、日本だけの山中さんちゅうに自然にえるもので、木曽きそや日光地方に多く、また庭木となって植えられているのもあります。
 以上の二つは、冬から春にかけて花のく木の中で、とくにつものです。つぎにだんだんと寒さもうすらぎ、やがて三月になると、ウメ、レンギョウ、ジンチョウゲなどの世界となります。蝋梅ろうばいやウメのように美しく花をつける樹木を「花木かぼく」とよびますが、ウメは早春そうしゅん花木中かぼくちゅうでも第一の木として、むかしからあいせられて、庭木や盆栽ぼんさいにもたてられるものです。ウメはもともと土地のかわいたあたりのよいところにてきし、陰地かげちには、ふさわない木ですから、梅林うめばやしを作るには、なるべく南向みなみむきで土地の傾斜けいしゃしたところがよいのです。樹木にはそれぞれ日陰地ひかげちにもよく育つ木や、また日陰と日陽ひなたの中間のところをこのむなど、種類によって土地にてき不適ふてきがあります。その中で、日陰にもよく育つ木を「陰樹いんじゅ」とよび、日陽地ひなたちこのむ木を「陽樹ようじゅ」といいます。樹木のこの性質を知っておくことは大切なことで、庭木を植えかえるときにも、山に木を植えつけるときでも、それぞれの木が陰樹か陽樹かによって、それぞれ適当てきとうな土地に植えることが必要です。
 さて、ウメの花も終わりとなり、ごとに風もあたたかになりますと、モモの節句せっくのモモの花、アブラナの花がきます。はたにはタンポポが黄色くかがやいてきます。そのころには河岸かしのヤナギもを出して、やさしいえだを風になびかせはじめます。それからだんだんに、冬の間すっかり葉をとしていた落葉樹らくようじゅもいっせいに、ポカポカしたびて緑の若芽わかめを出しはじめます。に山に陽炎かげろうえてきます。ところによって芽を時季じきはむろんちがいますが、東京付近ふきんでは三月の中旬ごろから五月ごろまでに芽を出します。ヤマザクラのように緑色の若葉を持つもの、がきに多いカナメモチのように紅色べにいろの美しい若芽を持つものもあり、またマツは緑のはりを出して一、二年も持ちこたえた古い葉を少しずつえていきます。それから、カヤ、マキ、トベラなどの常緑樹じょうりょくじゅ発芽はつがを最後に五月の上旬ごろには、すべての樹木は春のつけを終わって、ついでる夏の生活のそなえをします。

 (五)新緑しんりょく

 木々きぎが若葉・青葉にかざられたころはすがすがしい景色けしきです。一年じゅうでもその若葉がどうしてあんなにあかや緑色の美しい色をあらわすのかといいますと、その色は葉の表面の部分、すなわち表皮ひょうひや、葉の内部の細胞の中に紅色こうしょくやその他の色がふくまれているためですが、それというのも、若葉は葉の外部にじょうぶな皮もなく、質もやわらかで弱いので、強い日光にあたるのをきらいます。それで葉の内部に色のあるえきふくんで、その強い光をさえぎるわけで、つまり若葉が自分自身の保護をするのです。しかし木の葉がだんだんに発達して、組織もじょうぶになるにしたがいはじめの色はしだいに消えて、ついにその樹木特有の色となるのです。春の終わりには葉がみな緑色りょくしょくになるのは、そうしたわけです。また木の葉ははじめから淡緑たんりょく黄緑こうりょくの色のものが多いのですが、その若葉の色も、その樹木の種類によってそれぞれことなるものとみなければなりません。
 同じ新緑のうちにもい緑や、あわい緑のもの、黄緑きみどりのものなどがあります。たとえば日比谷ひびや公園横の道路や、青山赤坂通あかさかどおりなどに植えてあるすずをさげたようなのなる並木樹なみきぎとして立派なスズカケノキは、明るい淡緑色たんりょくしょくをしています。みきが青くツルツルした、葉の大きいアオギリの若葉は黄色がかった緑色です。こういうふうに葉の同じ緑色の中にちがいがあるのはなぜかというと、これは、おもに葉の細胞内にふくまれている緑色素りょくしょくそ葉緑素ようりょくそ、クロロフィルか〕というもののさ・あわさによるものです。この緑色素は顕微鏡けんびきょうで見ると美しい小さい緑のつぶで、それを「葉緑粒ようりょくりゅう」とよんでいます。かく緑色は植物の、とくに葉に固有な色で、われわれは木といえば、すぐに緑の色を思い出さずにいられないくらいしたしい色です。

 これで木の若葉の美しい色や、新緑の緑色のこともおわかりになったと思いますから、つぎには樹木の生活について少しお話をしましょう。第一に、青々あおあおした木の葉というものは、植物にとってはいちばん大切で、ちょうどわれわれの心臓やちょうのような、生活上の必要な器官きかんです。その葉の内部の葉緑粒ようりょくりゅうは、毎日、日光の力をかりて、空気中にある人間にがいをする炭酸たんさんガスもい、そのかわりに人間になくてはならない酸素さんそをはき出して、砂糖さとう澱粉でんぷんというような含水がんすい炭素たんそ炭水化物たんすいぶつとよぶ養分をつくり、それを葉からえだへ、枝からみきをくだって根に送って、全体の発育のための養分にし、その残りはたくわえておきます。こういうふうに葉が日光の力をかりて、その自身をやしない、生活をつづけていく、この作用を「炭素たんそ同化どうか作用炭酸たんさん同化作用〕」といいます。樹木の葉が青々あおあおとしげっているのは、この重大な役目をはたすためです。そのために、木は若葉をふいてからしだいに葉をじょうぶにかため、夏のさかりをさいわいに、どんどん太陽の光とともにはたらいて、秋に紅葉こうようをする仕度したくや、冬がきてもこまらない、養分のたくわえをするのです。

 (六)夏の景色けしき

 そういうわけで夏には木々きぎは、見るからに元気な青々あおあおした色をして、はちきれるような生活をします。みなさんはジリジリときつけるような海岸の砂浜に出たり、あせを流しながら登山をされるときのことを考えてごらんなさい。
 海岸には、えだぶりのうつくしいクロマツがつらなりえたりしています。同じマツでもアカマツは山にてきしていますが、クロマツは潮風しおかぜにもっとも強い木です。その林があるので、ただに景色けしきがいいばかりでなく、前にもお話したように津波の害をふせぐこともできます。また海のつよい風は浜辺はまべの砂をき飛ばして砂丘をつくったり、その砂丘の砂をまた方々ほうぼうへ吹き運んで、だいじな田や畑や、ときによると人家じんかまでもうずめてしまうことがあります。海岸のクロマツの林は、そういう砂の飛来ひらいふせぎとめる役目をもするのです。
 また登山をするばあいには、平原へいげんから山麓さんろく山腹さんぷくへかかり、それから山の頂上につくまでの間には、植物の姿がいろいろに変わっていって、高い山であればいただき近くには木がおのずとなくなって草本そうほんばかりとなり、なおのぼると、しまいには、ただ岩石ばかりで草もなくなってしまいます。また谷や湿地しっちや、たき湖沼こしょうの付近には特殊な草木がしげり、高原にはそこにのみ育つ植物がはえています。夏の高原一帯いったいに高山植物がきつづいていたりする光景こうけいは、とても下界げかいでは想像もつかない美しさです。かように、高山に登るにしたがい植物が変わっていくことや、高山植物のことなどはのちにあらためてくわしくお話をします。

 (七)秋の紅葉こうよう

 春の若葉や新緑しんりょくの森の美しさとともに、夏の濃緑こみどりがすんだのちの秋の林の紅葉こうようの景色も、いずれおとらぬ自然のほこりです。日本にはむかしから紅葉の名所めいしょが多く、また、いたるところに紅葉を見ることができます。
 関東では日光や塩原しおばら、関西では京都の嵐山あらしやま高尾たかおなどは有名なものです。いったいどうして木の葉がそんなにあかくなるのかといいますと、それは秋になると急にすずしくなる、その気候の変化のために、新緑のところでお話した葉緑素ようりょくそがしだいに変わってきて、葉の中の細胞内に紅色こうしょくの液体ができますからです。紅葉の美しさは、植物そのものの種類と、その発生の状態とでそれぞれちがいますが、一面には付近の景色にも左右されるものです。青々あおあおとしげったマツやモミなどの常緑樹じょうりょくじゅの間にそまった紅葉は、色の配合はいごう紅色こうしょくがきわだってりはえ、また、湖や沼や渓流けいりゅうを前にしても、やはりいちだんと美しく見えます。
 つぎには紅葉こうようする木は、どんな木かといいますと、日本ではふつう、モミジ(槭樹せきじゅ〔カエデ、モミジ〕)がいちばん多いのです。なかでもヤマモミジは庭にもよく植えられます。深山しんざんにある紅葉はまた種類がちがい、いちばん美しいのはハウチワカエデで、それは葉が羽団扇うちのようで、長さが二、三ずん〔およそ六〜九センチメートル〕もある大きなものです。このほかモミジの形をしていない葉でも、いろいろ紅葉するものがあるのは、みなさんもよくごぞんじでしょう。しもるころになりますとカキの葉や、ロウソクのロウを取るハゼの葉や、ナナカマドという木の葉もモミジにおとらず美しく紅葉します。また木の葉はあかくなるばかりでなく、黄色に変わるのも少なくありません。そのなかでも、イチョウがおやしろ境内けいだいなどに真黄色まっきいろになってそびえていたりするのは、じつにいいながめです。

 (八)冬の森

 そうしたあかにいろどられた秋の山や林も、冬がくるとすっかり葉が落ちつくして、まるでばかりのようなさびしい姿になり、ただ常緑樹のスギやヒノキの木だけがくろずんだ葉をつけたままあたたかい春のがふたたびまわってくるのをっています。つまり、は冬の寒いときには夏のあいだにさかんに根にたくわえた養分をそのまま持って休養きゅうようするのです。
 みなさまはしかし、冬の間にも木のえだをよく見ると、落葉樹でも常緑樹でもそれぞれ芽を持っているのが見えるはずです。これは「冬芽とうが」とよび、落葉樹では葉の落ちたあとの枝のあいだから、常緑樹ではその葉と枝とのあいだにぐんで寒気かんきをも平気へいきでくぐって少しずつ生長をつづけ、春になると急に発芽はつがするわけです。
 以上で、樹木が春を出してから、しまいに冬をむかえ、ふたたび春をつまでのお話をひととおりすましました。

 (九)老樹ろうじゅ名木めいぼくの話

 樹木が地上にえたのちは、今お話したような生活をつづけて、ずんずんびてゆくのですが、こうして、おおよそいく年間ぐらい生きるものかといいますと、それは、その土地のいろいろな状態や外部からの影響もあるので一様いちようではありませんが、それぞれの木は、おのおの一定の年月のあいだ生育するもので、ふつうの木でも二、三百年から五、六百年ぐらい生きているものが多く、なかには千年以上も生きるものがあります。人間の寿命じゅみょうをかりに五十年とすれば、樹木はおよそその十倍も長命ちょうめいをするわけです。その年月がどうしてわかるかといえば、植えつけた記録によるほかには、木を横に切って、生地きじに出ている丸いがいくつもかさなっているそのきめすうをかぞえてみるとわかるのです。このを「年輪ねんりん」といいます。材木屋の店先に行って丸い材木のはしを見れば、これが年輪かとすぐにわかります。これは、木は夏のあいだはさかんに生育する、言葉をかえていえばみきの内部の細胞がどんどん生長するのにたいして、冬のあいだはその生長が止まるため、内部の細胞もそのままびないでいます。これが毎年くりかえされると、その一年ごとに生長した部分だけが丸くになって区分くわけがつくのです。しかし、樹木によっては気候の急激な変化のため、または病虫害びょうちゅうがい一時いちじ葉をとしたりすると、この生長状態に例外ができて、が完全にあらわれず、半分ぐらいで消えるのがあります。そういうかたわの年輪のことを「擬年輪ぎねんりん」とよびます。これは、その木の生長年数をかぞえるときはのぞいてかぞえなければなりません。
 つぎに、日本にある長生ながいきをしている大木たいぼくの有名なものを少しあげてみましょう。
 いま、日本でいちばん大きい木といえば鹿児島県姶良郡あいらぐん蒲生村かもうむらにある大樟おおくすです。これはみきのまわりが、地上五しゃく〔およそ一五〇センチメートル〕の高さのところでしたが七十三じゃくすん〔二二メートル一七センチ〕あり、根元ねもとのまわりは一二五尺四寸〔三七メートル六二センチ〕もあって、木の高さは十五けん〔およそ二七メートル〕樹齢じゅれい八〇〇年といわれています。今かりにその木の根元から切った切り口にたたみいてみるとしますと六十九じょうも敷けますから、けっきょく、八畳の座敷ざしきが八つと、五畳の部屋が一つとれる勘定かんじょうになります。
 つぎに富山県高岡市末広町すえひろちょうにある七本杉しちほんすぎは、地上五尺のところでみきまわり六十六尺〔およそ一九.八メートル〕、木の高さ二十余間よけん〔およそ三六メートル〕、樹齢は一〇〇〇年ととなえられています。この木はもと根株ねかぶから七つの幹にわかれていましたが、うち五本は先年の暴風でれて今は二本の幹だけとなってしまいました。
 台湾たいわん阿里山ありさんにもすばらしい巨木きょぼくがあります。阿里山で神木しんぼくととなえられる台湾花柏さわら紅桧べにひ〔タイワンヒノキ〕)は、地上五尺の高さの幹のまわりが六十五尺〔およそ一九.五メートル〕、木の高さ二十五間〔およそ四五メートル〕、樹齢二〇〇〇年といわれています。明治めいじ神宮しんぐう大鳥居おおとりいはいずれもこれと同じ木でつくられたものです。
 以上のほか、日本には各地に老樹ろうじゅ名木めいぼくがあって、いちいちあげてかぞえることもできません。日本でもっとも大きく生長する木はクスノキが第一で、つぎはスギ、タイワンサワラ、イチョウ、シイ、マツという順になります。
 また、高さのもっとも高くなるのはスギで、秋田県の長木沢ながきざわの杉林や甲州こうしゅう身延山みのぶさん千本杉せんぼんすぎの中には、高さが三十五間〔およそ六三メートル〕もあるのが見られます。それから樹齢ではさっきいった阿里山の紅桧べにひが第一で、千二、三百年から二千年近くのものがたくさんあります。
 各地に残っているこういう老樹・名木は、ただ植物学上または林業上、あるいは風致ふうちのうえからの研究の資料として意味があるばかりでなく、いずれも、数百年または千余年よねんのあいだ、その土地にいついているのですから、なによりもその地方の過去を思いおこさせ、地方歴史上の参考ともなり、愛郷心あいきょうしんをもやしない、ひいては愛国心あいこくしんはぐくむことにもなります。なお、これからお話をする日本の森林植物帯しょくぶつたい取り調べには、これらの老樹はなくてはならぬものなのです。
 みなさん、こんないろいろのわけをお話したら、われわれがおたがいに、いま生きそだっているすべての老樹・名木をますます大事にして、できるかぎり長命ちょうめいをさせるようにつとめなければならないことがおわかりとなりますでしょう。
(つづく)



底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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森林と樹木と動物(一)

林學博士 本多靜六

   山《やま》と人《ひと》

 (一)森林《しんりん》の效用《こうよう》
(イ)洪水《こうずい》の豫防《よぼう》。 森林《しんりん》とは山《やま》や丘《をか》の一面《いちめん》に、こんもり木《き》が生《は》え茂《しげ》つて、大《おほ》きな深《ふか》い林《はやし》となつてゐる状態《じようたい》をいふのです。われ/\の遠《とほ》い/\最初《さいしよ》の祖先《そせん》が、はじめてこの地球上《ちきゆうじよう》に現《あらは》れたころには、森林《しんりん》は、そのまゝ人間《にんげん》の住《す》みかでもあり、また食《た》べ物《もの》の出《で》どころでもありました。たゞ今《いま》でも馬來《まれい》半島《はんとう》のある野蠻《やばん》人種《じんしゆ》は、木《き》の枝《えだ》の上《うへ》に家《いへ》を作《つく》つて住《す》んでゐますが、これなどは、今《いま》言《い》つたように、人間《にんげん》がぢかに森林《しんりん》の中《なか》にゐた習慣《しゆうかん》が殘《のこ》り傳《つた》はつた面白《おもしろ》い一例《いちれい》です。ともかく大昔《おほむかし》の人間《にんげん》は、森林《しんりん》に住《す》んで、草《くさ》や、木《き》の實《み》や、野獸《やじゆう》や、河《かは》の魚《さかな》などをとつて、生《なま》のまゝで食《た》べてゐたもので、ちょうど今日《こんにち》の山猿《やまざる》のような生活《せいかつ》をしてゐたのです。
 それが、だん/\と人口《じんこう》がふえ、みんなの智慧《ちえ》も開《ひら》けて來《く》るに從《したが》つて、やうやく火《ひ》といふものを使《つか》ふことを知《し》り、食《た》べ物《もの》も※[#「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52]《に》たり燒《や》いたりして食《た》べるようになり、また寒《さむ》いときには木《き》を燃《もや》してあたゝまることをおぼえたのです。つまり薪《まき》や炭《すみ》の材料《ざいりよう》として森林《しんりん》を利用《りよう》するようになつたわけです。それに、また一方《いつぽう》では人口《じんこう》の増加《ぞうか》につれてこれまで食料《しよくりよう》にしてゐた草《くさ》や木《き》の實《み》もだん/\足《た》りなくなり、それを補《おぎな》ふために畑《はたけ》をこしらへて、農作《のうさく》をする必要《ひつよう》がおこるし、同時《どうじ》にまた野獸《やじゆう》も、しだいに少《すくな》くなつて來《き》たので、牧畜《ぼくちく》といふことをしなければたちいかなくなりました。その農作地《のうさくち》と牧場《まきば》とを作《つく》るためには森林《しんりん》の一部分《いちぶぶん》を燒《や》き拂《はら》ひ燒《や》き拂《はら》ひしました。ですから彼等《かれら》のゐる村落《そんらく》附近《ふきん》の山林《さんりん》は、後《のち》にはだん/\に狹《せま》く、まばらになつて來《き》て、つひには薪《まき》の材料《ざいりよう》にも不足《ふそく》するようになりました。
 なほ人智《じんち》がいよ/\發達《はつたつ》し人口《じんこう》がどん/\増《ま》すにつれて、最後《さいご》には奧山《おくやま》の木《き》までも伐《き》つて家屋《かおく》、橋梁《きようりよう》、器具《きぐ》、機械《きかい》、汽車《きしや》、電車《でんしや》、鐵道《てつどう》の枕木《まくらぎ》、電信《でんしん》、電信《でんわ》[#「でんわ」は底本のまま]の柱《はしら》といふように、建築《けんちく》土木《どぼく》の用材《ようざい》にも使《つか》ふようになりました。それから、大《おほ》きな木材《もくざい》から細《こま》かな纎維《せんい》をとつて紙《かみ》をこしらへたり、その他《ほか》にも使《つか》ふようにもなり、最近《さいきん》では人造《じんぞう》絹絲《けんし》の原料《げんりよう》にも澤山《たくさん》の木材《もくざい》を使《つか》つてゐます。こんな風《ふう》に薪炭用《しんたんよう》、建築《けんちく》土木用《どぼくよう》、木纎維用《もくせんいよう》等《など》のために森林《しんりん》はどん/\伐《き》り倒《たふ》され、深《ふか》い山《やま》、ふかい谷底《たにぞこ》の森林《しんりん》までがだん/\に荒《あら》されるようになりました。かうなると大雨《おほあめ》が降《ふ》るたびに、山《やま》の土《つち》や砂《すな》はどん/\流《なが》れおち、またおそろしい洪水《こうずい》がおこるようになりました。
 日本《につぽん》では明治《めいじ》維新《いしん》の後《のち》、森林《しんりん》をむやみに伐《き》つた結果《けつか》、方々《ほう/″\》で洪水《こうずい》に犯《をか》され、明治《めいじ》二十九《にじゆうく》年度《ねんど》には二萬《にまん》九百《くひやく》八十一《はちじゆういつ》町村《ちようそん》といふものが水《みづ》につかり、一千《いつせん》二百《にひやく》五十人《ごじゆうにん》の死人《しにん》と二千《にせん》四百《しひやく》五十人《ごじゆうにん》の負傷者《ふしようしや》を出《だ》した外《ほか》に、船《ふね》の流失《りゆうしつ》三千《さんぜん》六百《ろつぴやく》八十隻《はちじつせき》、家《いへ》の流《なが》れたり、こはれたりしたのが七十二萬《しちじゆうにまん》九千《くせん》六百《ろつぴやく》餘棟《よむね》、田畑《たはた》の荒《あら》されたこと七十八萬《しちじゆうはちまん》五千《ごせん》餘町《よちよう》に上《のぼ》り、そのほか道路《どうろ》の破損《はそん》、橋《はし》の流《なが》れおちたもの等《など》を加《くは》へて、總損失《そうそんしつ》一億《いちおく》一千《いつせん》三百《さんびやく》餘萬圓《よまんえん》、その復舊費《ふつきゆうひ》二千《にせん》四百《しひやく》餘萬圓《よまんえん》を入《い》れると合計《ごうけい》一億《いちおく》三千《さんぜん》七百《しちひやく》餘萬圓《よまんえん》といふ計算《けいさん》でした。つまりその年《とし》、日本《につぽん》が外國《がいこく》へ輸出《ゆしゆつ》した總額《そうがく》の一億《いちおく》一千《いつせん》七百《しちひやく》萬圓《まんえん》よりもまだ遙《はるか》に多《おほ》くの金額《きんがく》だつたので、人々《ひと/″\》はみんな洪水《こうずい》の大慘害《だいさんがい》には震《ふる》へ上《あが》つたものです。
 かうした恐《おそ》ろしい洪水《こうずい》はどうして起《おこ》るのかといへば、それはむろん一時《いちじ》に多量《たりよう》の雨《あめ》が降《ふ》つたからですが、その雨《あめ》が洪水《こうずい》になるといふそのもとは、つまり河《かは》の水源《すいげん》地方《ちほう》の森林《しんりん》が荒《あら》されたために、雨水《うすい》を止《とゞ》めためておく餘裕《よゆう》がなくなり、降《ふ》つただけの雨水《うすい》が一《いち》どに流《なが》れ下《くだ》つて、山《やま》にある土《つち》や砂《すな》を河底《かはぞこ》に流《なが》し埋《うづ》めるために、水《みづ》の流《なが》れかたが急《きゆう》に變《かは》つて、あふれひろがるからです。
 よく茂《しげ》つてゐる森林《しんりん》では、降《ふ》つた雨《あめ》の四分《しぶん》の一《いち》は枝《えだ》や葉《は》の上《うへ》にたまつて後《のち》にだん/\と蒸發《じようはつ》します。そして殘《のこ》つた四分《しぶん》の三《さん》の雨《あめ》が葉《は》から枝《えだ》、枝《えだ》から幹《みき》へ流《なが》れて、徐々《じよ/\》に地面《じめん》に落《お》ち、そこにある落《お》ち葉《ば》に吸《す》ひ取《と》られるのです。實際《じつさい》の試驗《しけん》によると松《まつ》の落《お》ち葉《ば》は、その目方《めかた》の五倍分《ごばいぶん》の水《みづ》をたゝえ、たもつことが出來《でき》ます。ですから、一貫目《いつかんめ》だけの分量《ぶんりよう》の松《まつ》の落《お》ち葉《ば》は、五貫目《ごかんめ》の水《みづ》を含《ふく》むことになります。なほ松《まつ》より外《ほか》のいろ/\な雜木《ぞうき》、苔類《こけるい》は七倍《しちばい》も十倍《じゆうばい》もの雨水《うすい》を含《ふく》みためることが出來《でき》ますから、森林《しんりん》ではかなりの大雨《おほあめ》があつても一時《いちじ》に洪水《こうずい》を出《だ》すことはなく、雨水《うすい》は數日《すうじつ》かゝつてそろ/\流《なが》れ出《だ》し、また地中《ちちゆう》にも多《おほ》くしみこみます。だから山《やま》に森林《しんりん》が茂《しげ》つてさへゐれば、決《けつ》して洪水《こうずい》の出《で》る心配《しんぱい》はないのです。
[#図版(3_01.png)、温根場の國有林][#「温根場」は底本のまま]
(ロ)水源《すいげん》の涵養《かんよう》。 森林《しんりん》はかように雨量《うりよう》を調節《ちようせつ》することが出來《でき》ると同時《どうじ》に一方《いつぽう》では水源《すいげん》の養《やしな》ひとなり、河水《かすい》の涸《か》れるのを防《ふせ》ぎます。くはしくいふと森林《しんりん》の中《なか》は比較的《ひかくてき》濕氣《しつき》が多《おほ》く、温度《おんど》も低《ひく》く、木《き》が茂《しげ》つてゐますから、水分《すいぶん》の蒸發《じようはつ》することも少《すくな》い。またさきほどお話《はなし》したように、落《お》ち葉《ば》や、苔類《こけるい》が水《みづ》を多《おほ》く含《ふく》み、したがつて、地中《ちちゆう》にも多量《たりよう》の水分《すいぶん》をしみこませますから、たとひ旱天《かんてん》が久《ひさ》しく續《つゞ》いても森林《しんりん》はその保《たも》つてゐる水分《すいぶん》を徐々《じよ/\》に流《なが》し出《だ》し、河水《かすい》が涸《か》れないことになるのです。
 かういふわけで、森林《しんりん》は洪水《こうずい》の害《がい》を防《ふせ》ぎ、河《かは》の水《みづ》を不斷《ふだん》に絶《た》えず流《なが》し、水田《すいでん》をもからさないといふ點《てん》で、土地《とち》を安全《あんぜん》に保《たも》つてくれる效用《こうよう》があることがわかつて來《き》たので、以來《いらい》はじめて森林《しんりん》を保護《ほご》して育《そだ》てるようになり、なほ國土《こくど》の保安《ほあん》のために森林《しんりん》の一部《いちぶ》を『保安林《ほあんりん》』といふものにして、永久《えいきゆう》に伐《き》らないで置《お》くようにもなつたのです。
 その保安林《ほあんりん》だけでは、そこから流《なが》れ出《だ》す河川《かせん》の流域《りゆういき》一帶《いつたい》の人々《ひと/″\》が利益《りえき》をうけるといふのみで、これだけではまだ完全《かんぜん》に一國民《いつこくみん》全體《ぜんたい》が森林《しんりん》を利用《りよう》してゐるとはいへませんでしたが、ついで現《あらは》れて來《き》た水力《すいりよく》電氣《でんき》そのものはすべてこの都市《とし》村落《そんらく》の燈火《あかり》や、いろ/\の動力《どうりよく》にも利用《りよう》せられ、電車《でんしや》、電信《でんしん》、電話《でんわ》、電燈《でんとう》、工業用《こうぎようよう》機械《きかい》動力《どうりよく》をはじめ、朝夕《あさゆふ》の※[#「赭のつくり/火」、第3水準1-87-52]炊《にた》き、すとうぶ[#「すとうぶ」に傍点]や按摩《あんま》、行火《あんか》の代《かは》りにまでも用《もち》ひられるようになり、今日《こんにち》では人間《にんげん》の生活上《せいかつじよう》電氣《でんき》は寸時《すんじ》も缺《か》くことの出來《でき》ない必要《ひつよう》なものとなりました。その水力《すいりよく》電氣《でんき》の水源《すいげん》は森林《しんりん》によつて、はじめて完全《かんぜん》に養《やしな》ふことが出來《でき》るのです。それで、今《いま》では特《とく》に山岳《さんがく》地方《ちほう》の森林《しんりん》は、一《いち》ばんにはこの意味《いみ》の水源《すいげん》を養《やしな》ふのに利用《りよう》され、建築《けんちく》土木用《どぼくよう》の木材《もくざい》や、薪炭《しんたん》材料《ざいりよう》等《など》をとるのは第二《だいに》とされるようになりました。
(ハ)精神《せいしん》の保養《ほよう》。 しかし、ずっと最近《さいきん》では、森林《しんりん》の利用《りよう》を、もっとすゝめて、直接《ちよくせつ》に人々《ひとびと》の健康《けんこう》のために應用《おうよう》することを考《かんが》へつきました。大部分《だいぶぶん》の人《ひと》が生活《せいかつ》してゐる都會《とかい》は、狹《せま》い土地《とち》に大勢《おほぜい》の人《ひと》が住《す》み、石炭《せきたん》の煤煙《ばいえん》や、その他《ほか》の塵埃《じんあい》でもって空氣《くうき》がおそろしく濁《にご》つてをり、また各種《かくしゆ》の交通《こうつう》機關《きかん》が發達《はつたつ》して晝夜《ちゆうや》の分《わか》ちなく、がた/\と騷々《そう/″\》しいので、都會《とかい》に住《す》む人《ひと》は、體《からだ》が弱《よわ》くなつたり病氣《びようき》をしたりします。それで時々《とき/″\》は自然《しぜん》の森林《しんりん》に遊《あそ》んで、すがすがしい空氣《くうき》を吸《す》ひ、精神《せいしん》を保養《ほよう》する必要《ひつよう》があります。都會《とかい》には大小《だいしよう》の公園《こうえん》も設《まう》けられてゐますが、そんなものは完全《かんぜん》な安靜《あんせい》場所《ばしよ》といへません。どうしても町《まち》を遠《とほ》く離《はな》れた美《うつく》しい自然《しぜん》の森林《しんりん》へ出《で》かけるに越《こ》したことはないのです。この意味《いみ》で近來《きんらい》、休《やす》みを利用《りよう》して各地《かくち》で開《ひら》いてゐる林間《りんかん》野營《やえい》や、それから山岳《さんがく》旅行《りよこう》などはまことに結構《けつこう》なことです。お互《たがひ》に身體《しんたい》が丈夫《じようぶ》でなければ何事《なにごと》も出來《でき》ませんから、新《あたら》しい空氣《くうき》の呼吸《こきゆう》と、十分《じゆうぶん》な日光浴《につこうよく》と、運動《うんどう》とによつて食物《しよくもつ》をうまく食《た》べることが一番《いちばん》大切《たいせつ》です。これがために運動《うんどう》や、競技《きようぎ》や、登山《とざん》など家《いへ》の外《そと》で生活《せいかつ》することがはやり、ひいては森林《しんりん》を世人《せじん》の休養《きゆうよう》、保健《ほけん》のため利用《りよう》すること、つまり森林《しんりん》を公園《こうえん》として利用《りよう》することが盛《さか》んになつたわけです。
 以上《いじよう》で森林《しんりん》と人《ひと》との密接《みつせつ》な關係《かんけい》、人間《にんげん》が昔《むかし》から森林《しんりん》をいろ/\に利用《りよう》して來《き》てゐるお話《はなし》をしました。この外《ほか》にも森林《しんりん》は人間《にんげん》の生活《せいかつ》にいろ/\の役立《やくだ》ちをしてゐます。
(ニ)氣候《きこう》の調節《ちようせつ》。 山《やま》に木《き》が茂《しげ》つてゐれば、氣候《きこう》の調節《ちようせつ》をはかることが出來《でき》ます。森林《しんりん》でおほはれてゐる土地《とち》は、日光《につこう》は枝葉《えだは》で遮《さへ》ぎられて、地面《じめん》を温《あたゝ》めることが少《すくな》いのと、もう一《ひと》つは、日光《につこう》が直射《ちよくしや》によつて葉《は》の面《めん》の水分《すいぶん》が蒸發《じようはつ》するときに、多量《たりよう》の潜熱《せんねつ》を必要《ひつよう》とします。潜熱《せんねつ》といふのは物體《ぶつたい》が融解《ゆうかい》したり、また蒸發《じようはつ》するときに要《よう》する熱量《ねつりよう》です。そんなわけで森林《しんりん》の附近《ふきん》の空氣《くうき》はいつも冷《ひ》えてゐます。ちょうど夏《なつ》の暑《あつ》い日《ひ》に、庭前《ていぜん》に水《みづ》をまけばにわかに涼《すゞ》しさが感《かん》ぜられるのと同《おな》じりくつです。しかし、夜《よる》になると森林《しんりん》は、枝葉《えだは》で土地《とち》をおほつてゐますから、その地面《じめん》と空氣《くうき》と、熱《ねつ》を放散《ほうさん》するのを妨《さまた》げるので、そこの空氣《くうき》は冷《ひ》え方《かた》が少《すくな》いことになります。
 かうして林《はやし》の中《なか》の空氣《くうき》は、常《つね》に林《はやし》の外《そと》と比《くら》べて、晝間《ちゆうかん》は涼《すゞ》しく、夜間《やかん》は温《あたゝ》かで、從《したが》つて晝《ひる》と夜《よる》とで氣温《きおん》が急《きゆう》に變《かは》ることを和《やは》らげます。そして同《おな》じわけで、夏《なつ》を涼《すゞ》しく、冬《ふゆ》を暖《あたゝ》かくして、一年中《いちねんじゆう》の温度《おんど》の變化《へんか》を調節《ちようせつ》します。
(ホ)雪《ゆき》なだれと海嘯《つなみ》の防止《ぼうし》。 それから前《まへ》にお話《はなし》した洪水《こうずい》の豫防《よぼう》や、水源《すいげん》の涵養《かんよう》のほかに森林《しんりん》は雪國《ゆきぐに》ですと『雪《ゆき》なだれ』の害《がい》を防《ふせ》ぐことも出來《でき》ます。雪《ゆき》なだれとは、傾斜地《けいしやち》に積《つも》つた雪《ゆき》が、春《はる》暖《あたゝ》かくなつたために、下側《したがは》の地面《じめん》に氷結《ひようけつ》した部分《ぶぶん》が急《きゆう》に溶《と》けるのでもつて、急《きゆう》に滑《すべ》り落《お》ちるもので、そのために山麓《さんろく》の人畜《じんちく》、農地《のうち》、道路《どうろ》等《など》を破損《はそん》し、土砂《どしや》、岩石《がんせき》等《など》を落《おと》して、恐《おそ》ろしい害《がい》を與《あた》へることがあります。これも森林《しんりん》があれば雪《ゆき》が急《きゆう》に溶《と》けませんし、たとひ、おちた雪《ゆき》も樹幹《じゆかん》で支《さゝ》へられるので、なだれがおきないですむのです。
 また森林《しんりん》が海岸《かいがん》にあれば、天災中《てんさいちゆう》の、恐《おそ》ろしい『海嘯《つなみ》』の害《がい》も少《すくな》くなります。かの明治《めいじ》二十九年《にじゆうくねん》の三陸《さんりく》地方《ちほう》の海嘯《つなみ》の被害《ひがい》區域《くいき》は長《なが》さ百五十《ひやくごじゆう》まいるにわたり、死者《ししや》二萬《にまん》二千人《にせんにん》、重傷者《じゆうしようしや》四千《しせん》四百人《しひやくにん》、家《いへ》や、船《ふね》の流《なが》されたもの、農地《のうち》の損失《そんしつ》などで損害《そんがい》總額《そうがく》は數千《すうせん》萬圓《まんえん》に上《のぼ》りました。こんな海嘯《つなみ》などは、到底《とうてい》人間《にんげん》の力《ちから》で防《ふせ》ぎ止《と》めることは出來《でき》ませんが、しかし、もし海岸《かいがん》に浴《そ》[#「浴」は底本のまま]うて帶《おび》のように森林《しんりん》があれば、非常《ひじよう》な速力《そくりよく》でおし寄《よ》せてくる潮水《しほみづ》の勢《いきほひ》を殺《そ》ぎ、從《したが》つて慘害《さんがい》も少《すくな》くなる道理《どうり》です。
 かういふ風《ふう》に、森林《しんりん》の效用《こうよう》を上《あ》げれば限《かぎ》りもありません。ところで日本《につぽん》にはかういふ大切《たいせつ》な森林《しんりん》がどのくらゐあるのかといひますと、日本中《につぽんじゆう》の森林《しんりん》面積《めんせき》は總計《そうけい》四千《しせん》三百《さんびやく》九十二萬《くじゆうにまん》町《ちよう》で、實《じつ》に日本《につぽん》の土地《とち》の總面積《そうめんせき》の六割《ろくわり》四分《しぶ》をしめてゐます。これを國民《こくみん》の頭割《あたまわ》りにして見《み》ますと、一人《いちにん》につき平均《へいきん》五反《ごたん》五畝《ごせ》五歩《ごぶ》に當《あた》ります。即《すなはち》、皆樣《みなさま》が五反《ごたん》五畝《ごせ》五歩《ごぶ》の森林《しんりん》の中《なか》に一人《ひとり》づゝ住《す》める勘定《かんじよう》です。
 もと/\山《やま》には、高《たか》い山《やま》、低《ひく》い山《やま》、滑《なめら》かな山《やま》、嶮《けは》しい山《やま》とさま/″\ありますが、日本《につぽん》でも、どれにも、はじめは、自然《しぜん》に木《き》が茂《しげ》つてゐたのです。もっとも、富士山《ふじさん》や日本《につぽん》アルプス以下《いか》、すべての高山《こうざん》の頂《いたゞ》き近《ちか》くには、寒《さむ》さが強《つよ》くて樹木《じゆもく》が育《そだ》ちません。このことは後《のち》にくはしくお話《はなし》します。しかし普通《ふつう》の山《やま》では木《き》の育《そだ》つてゐないところはなかつたのです。それが前《まへ》に言《い》つたように人間《にんげん》が多《おほ》くなるにつれて木材《もくざい》がいよ/\多《おほ》く必要《ひつよう》となり、どんどん伐《き》るため、村落《そんらく》に近《ちか》い山《やま》の木《き》はもとより、高《たか》い山《やま》にも青々《あを/\》としてゐた木《き》が無《な》くなつて赤《あか》い山《やま》の地《じ》はだを見《み》せるようになつたのです。こんな赤《あか》はげ山《やま》は、山《やま》としては決《けつ》して立派《りつぱ》なものとはいへません。人間《にんげん》でいへば體《からだ》ばかり大《おほ》きくて徳《とく》も智慧《ちえ》もないとすれば、人《ひと》としててんで品位《ひんい》がないのと同《おな》じです。たとひ低《ひく》い山《やま》でも木《き》がよく茂《しげ》つてゐれば、山《やま》のねうちがあつて、限《かぎ》りない效用《こうよう》をもちます。
 つまり山《やま》は高《たか》いばかりが貴《たつと》いのではなく、木《き》が茂《しげ》つてゐるので本當《ほんとう》に貴《たつと》いのです。そのためには、いふまでもなく、お互《たがひ》に十分《じゆうぶん》に山《やま》を愛《あい》して、むやみに木《き》を伐《き》らないようにし、もし伐《き》れば、その跡《あと》に代《かは》りの木《き》を植《う》ゑて仕《し》たてることを忘《わす》れてはなりません。
 (二)山《やま》を愛《あい》せよ
 以上《いじよう》のわけで一國《いつこく》の山《やま》全部《ぜんぶ》が青々《あを/\》としてゐる間《あひだ》はその國《くに》は盛《さか》んになるのですが、反對《はんたい》に、いくら、必要《ひつよう》だからと言《い》つて、やたらに樹木《じゆもく》を伐《き》るばかりで、荒《あら》しつくしてしまへば、その國《くに》は滅《ほろ》びることにもなります。なほ伐木《ばつぼく》についで用心《ようじん》しなければならないのは恐《おそ》ろしい山火事《やまかじ》です。生《なま》の立《た》ち木《き》はちよっと燃《も》えにくいようにおもへますが、一度《いちど》火勢《かせい》がつけば、こんもりと茂《しげ》つた美《うつく》しい森林《しんりん》もまたゝくまに灰《はひ》になつてしまふのです。春《はる》から夏《なつ》にかけて山《やま》の雪《ゆき》が消《き》えた頃《ころ》が、この山火事《やまかじ》の一番《いちばん》多《おほ》い時《とき》で、煙草《たばこ》の吸《す》ひ殼《がら》や、たき火《び》をした人《ひと》のちよっとした不注意《ふちゆうい》で、百年《ひやくねん》かゝつて出來上《できあが》つた森林《しんりん》も數時間《すうじかん》もたゝない間《あひだ》に、すっかり燒《や》けてしまふわけです。だから山登《やまのぼ》りをする人《ひと》は特《とく》に火《ひ》の用心《ようじん》をすることが大事《だいじ》です。
 ついでですが、みなさんは木《き》ばかりでなく、そこいらの町《まち》の中《なか》にある樹木《じゆもく》も大切《たいせつ》にして枝《えだ》を折《を》つたりしないようにして下《くだ》さらなければいけません。春《はる》、美《うつく》しい花《はな》が咲《さ》くのが見《み》たく、夏《なつ》の暑《あつ》いときに涼《すゞ》しい木蔭《こかげ》が欲《ほ》しい以上《いじよう》は、庭《には》の木《き》でも、町《まち》のなみ木《き》でも、同《おな》じように可愛《かわい》がつてやらねばなりません。こないだの關東《かんとう》の大震災《だいしんさい》のときには、淺草《あさくさ》の觀音《かんのん》のお堂《どう》の裏《うら》のいてふ[#「いてふ」に傍点]の木《き》は片側《かたがは》半分《はんぶん》は火《ひ》に燒《や》けても、他《た》の半分《はんぶん》の枝葉《えだは》のために火《ひ》がお堂《どう》に燃《も》えうつるのを防《ふせ》ぎました。ひとりいてふ[#「いてふ」に傍点]に限《かぎ》らず、しひのき[#「しひのき」に傍点]やかしのき[#「かしのき」に傍点]等《など》、家《いへ》のまはりや公園《こうえん》の垣根《かきね》沿《ぞ》ひに植《う》ゑてある木《き》は、平常《へいじよう》は木蔭《こかげ》や風《かぜ》よけになるばかりでなく、火事《かじ》の時《とき》には防火樹《ぼうかじゆ》として非常《ひじよう》に役《やく》に立《た》ち家《いへ》も燒《や》かずに濟《す》み、時《とき》には人《ひと》の命《いのち》すら救《すく》はれることがあることも忘《わす》れてはなりません。
 こんなに樹木《じゆもく》でもお互《たがひ》にとつていろ/\な役《やく》に立《た》つことをお知《し》りになつたら、みなさんも道《みち》ばたに遊《あそ》んでる子供《こども》がなみ木《き》の皮《かは》を剥《む》いたり、枝《えだ》を打《う》つたりしてゐるのを見《み》られたらすぐに言《い》ひ聞《き》かせて、とめて下《くだ》さらなければこまります。それはとりもなほさず樹木《じゆもく》を愛《あい》し、引《ひ》いては山《やま》をも愛《あい》することになつて、國家《こつか》の安榮《あんえい》をつくることになるからです。
(つづく)



底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [北海道]
  • 温根場 → 温根湯温泉か
  • 温根湯温泉 おんねゆ おんせん 現、常呂郡留辺蘂町字温根湯。無加川北岸にある温泉。/北海道北見市留辺蘂町にある温泉。国道39号沿いにあり、無加川の清流をはさんで旅館やホテルが立ち並ぶ。「温根湯」の名称は、アイヌ語の「オンネ」(大きな)「ユ」(お湯)に由来する。(Wikipedia)
  • [岩手県]
  • 三陸 さんりく (1) 陸前・陸中・陸奥の総称。(2) 三陸地方の略。東北地方北東部、北上高地の東側の地域。
  • 三陸大津波 さんりく おおつなみ 津波の常襲地の三陸地方沿岸で、過去100年間に起こったもののうち最大規模の1896年(明治29)6月15日(明治三陸地震津波)および1933年(昭和8)3月3日(昭和三陸地震津波)の津波を指す。
  • 三陸沖地震 さんりくおき じしん 三陸沖に起こる巨大地震。震源は日本海溝付近にあるため、地震動による被害は少ないが、リアス海岸になっているため津波の被害が大きい。1896年には3万人近い死者、1933年には3000人以上の死者を出した。
  • [秋田県]
  • 長木沢 ながきざわ/ながきさわ 現、大館市雪沢。秋田郡東部の山地を占め長木川の上流域一帯。藩内随一の天然杉の産地。長木川は、鹿角および青森県境に広がる長木沢に源をもつのでこの名がある。長木沢は山中七里四方に八〇八沢があるといわれ、秋田藩領第一の天然杉の産地であった。杉材の輸送はもっぱら長木川によった。
  • [栃木県]
  • 日光 にっこう 栃木県北西部の市。奈良末期、勝道上人によって開かれ、江戸時代以後、東照宮の門前町として発達。日光国立公園の中心をなす観光都市。二荒山神社・東照宮・輪王寺の建造物群と周辺は「日光の社寺」として世界遺産。人口9万4千。
  • 塩原 しおばら 栃木県那須塩原市の一地区。箒川の渓谷に沿った温泉地で、塩原十一湯として古くから知られる。
  • [東京都]
  • 関東大震災 かんとう だいしんさい 1923年(大正12)9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震(マグニチュード7.9)による災害。南関東で震度6(当時の最高震度)。被害は、死者・行方不明10万5000人余、住家全半壊21万余、焼失21万余に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生。
  • 浅草 あさくさ 東京都台東区の一地区。もと東京市35区の一つ。浅草寺の周辺は大衆的娯楽街。
  • 浅草観音 あさくさ かんのん 浅草寺の通称。
  • 浅草寺 せんそうじ 東京都台東区浅草にある聖観音宗(天台系の一派)の寺。山号は金竜山。本坊は伝法院。628年、川より示現した観音像を祀ったのが始まりと伝え、円仁・源頼朝らの再興を経て、近世は観音霊地の代表として信仰を集めた。浅草観音。
  • 日比谷公園 ひびや こうえん 日比谷にある公園。1903年(明治36)6月開園。日本最初の洋式公園。
  • 青山 あおやま (もと青山氏の邸があった) 東京都港区西部から渋谷区東部にかけての地区名。
  • 赤坂通り あかさかどおり
  • 明治神宮 めいじ じんぐう 東京都渋谷区代々木にある元官幣大社。祭神は明治天皇・昭憲皇太后。境内(内苑)は約22万坪。1915年(大正4)起工、20年竣成。例祭は11月3日。
  • 大鳥居 おおとりい
  • [富山県]
  • 高岡 たかおか 富山県北西部の市。礪波平野北東部の商工業都市で交通の要地。銅器・漆器・捺染の特産地。紡績・化学・アルミ・製紙工業が盛ん。人口18万1千。
  • 末広町 すえひろちょう
  • 七本杉 しちほんすぎ
  • [山梨県]
  • 甲州 こうしゅう 甲斐国の別称。
  • 身延山 みのぶさん (1) 山梨県南巨摩郡身延町にある山。富士川西岸に沿う身延山地の一峰。標高1153m。富士川の支流波木井川によって山地が深く刻まれ、山腹に日蓮宗総本山身延山久遠寺がある。(2) 久遠寺の別称。
  • 千本杉 せんぼんすぎ 山腹のスギの美林は身延山の千本スギとして県指定天然記念物であるとともに、ブッポウソウ繁殖地として国指定天然記念物でもある。
  • 富士山 ふじさん (不二山・不尽山とも書く) 静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220mほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776m。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰。富士。
  • [長野県]
  • 木曽 きそ 木曾。木曾谷。長野県の南西部、木曾川上流の渓谷一帯の総称。古来中山道が通じ、重要な交通路をなす。木曾桟道・寝覚の床・小野滝の三絶勝があり、ヒノキその他の良材の産地。木曾。
  • 日本アルプス にほん アルプス 中部地方の飛騨・木曾・赤石の3山脈の総称。ヨーロッパのアルプスに因んで1881年(明治14)英人ゴーランドが命名。のち小島烏水が3部に区分し、飛騨山脈を北アルプス、木曾山脈の駒ヶ岳連峰を中央アルプス、赤石山脈を南アルプスとした。
  • [京都]
  • 嵐山 あらしやま (1) 京都市西部にある山。桜・紅葉の名所。大堰川に臨み、亀山・小倉山に対する。(歌枕)
  • 高尾 たかお 高雄・高尾。京都市右京区梅ヶ畑の一地区。清滝川の右岸に位置する。栂尾・槙尾とともに三尾と称し、古来紅葉の勝地。真言宗の名刹、高雄山神護寺がある。
  • 九州
  • 筑紫 つくし 九州の古称。また、筑前・筑後を指す。
  • [佐賀県]
  • 杵島岳 きしまだけ → 杵島山か
  • 杵島山 きしまやま 杵島郡北方町・白石町・有明町・武雄市橘町にまたがり、南西の一部は藤津郡塩田町に接する南北に細長い丘陵。鳴瀬山・勇猛山・犬山岳などの数峰からなり、標高345mを最高とする。
  • 阿蘇山 あそさん 熊本県北東部、外輪山と数個の中央火口丘(阿蘇五岳という)から成る活火山。外輪山に囲まれた楕円形陥没カルデラは世界最大級。最高峰の高岳は標高1592m。
  • 高田の行宮 たかだのあんぐう
  • [熊本] くまもと
  • 有明 ありあけ → 有明海
  • 有明海 ありあけかい 九州北西部の、長崎・佐賀・福岡・熊本四県に囲まれた浅海域。潮汐の干満差が大きく、古くから干潟の干拓事業が進められた。筑紫潟。筑紫の海。
  • [長崎県]
  • 肥前国 ひぜんのくに 旧国名。一部は今の佐賀県、一部は長崎県。
  • 温泉岳 うんぜんだけ → 雲仙岳
  • 雲仙岳 うんぜんだけ 長崎県島原半島にある火山群の総称。標高1486mの普賢岳を主峰とする。南西の山麓に硫黄泉の雲仙温泉がある。ミヤマキリシマ・霧氷などは有名。1990年、普賢岳が噴火。
  • [鹿児島県]
  • 姶良郡 あいらぐん 鹿児島県北部にある郡。鹿児島湾奥、北岸一帯を占める。古代の桑原郡から分かれた始羅(しら)郡が、古代の姶羅郡と郡名を混用されていたのを、明治4(1871)姶良郡に改称統一。同30年、桑原郡・西曽於郡を編入した。
  • 蒲生村 かもうむら 現、姶良郡蒲生町。姶良郡の西端に位置し、町域はほぼ三角形をなす。正保2(1645)鹿児島藩の家老島津久通は蒲生の地勢・土質が杉材に適していること、前郷川・後郷川が材木運搬に至便であることに目をつけ、造林事業に着手したと伝える(蒲生郷土史)。蒲生杉は良材として広く県外に知られる。
  • [台湾] たいわん
  • 阿里山 ありさん (Alishan) 台湾、嘉義市の東部にある山。また、玉山(新高山)の西方一帯の山地の総称。主峰大塔山は標高2663m。桧の良材で名高い。
  • [シナ]
  • [タイ][マレーシア]
  • マレー半島 マレー はんとう インドシナ半島から南方に突出した半島。北部はタイ領、南部はマレーシア、南端にジョホール水道を隔ててシンガポール島がある。マラッカ半島。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)。




*年表

  • 1896年(明治29)6月15日 明治三陸地震津波。
  • 1923年(大正12)9月1日。関東大震災。午前11時58分に発生した、相模トラフ沿いの断層を震源とする関東地震(マグニチュード7.9)による災害。南関東で震度6(当時の最高震度)。被害は、死者・行方不明10万5000人余、住家全半壊21万余、焼失21万余に及び、京浜地帯は壊滅的打撃をうけた。また震災の混乱に際し、朝鮮人虐殺事件・亀戸事件・甘粕事件が発生。
  • 1933年(昭和8)3月3日 昭和三陸地震津波。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)より。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 橋梁 きょうりょう 交通路を連絡するために、河川・湖沼・運河・渓谷などの上に架設する構造物。構造上、桁橋・アーチ橋・吊橋などがある。かけはし。はし。
  • 人造絹糸 じんぞう けんし 天然絹糸にまねた人造の織物用繊維。綿花や木材パルプのセルロースを種々の方法で溶解し、コロイド溶液とし、これを細孔から凝固液中へ射出して繊維状に凝固させたもの。人絹。レーヨン。
  • レーヨン rayon 人造絹糸。また、それで織った織物。人絹。
  • 苔類 こけるい (→)苔植物に同じ。
  • 苔植物 こけ しょくぶつ 緑色植物の一門。有性世代(配偶体)と無性世代(胞子体)を規則的に繰り返す(世代交代)。配偶体がよく発達し、その上に形成された胞子体は配偶体から独立しない。この点シダ植物や種子植物と異なる。蘚類・苔類・ツノゴケ類の3群からなるが、それぞれを門とする考えもある。コケ類。蘚苔植物。
  • 国有林 こくゆうりん 国家の所有に属する森林・原野。林野庁所管の国有林は国有林野法(1899年公布、1951年全面改正)の適用を受け、国立大学法人の演習林は国有財産法などの適用を受ける。
  • 涵養 かんよう (「涵」はうるおす意) 自然に水がしみこむように徐々に養い育てること。
  • 河水 かすい 河の水。河の流れ。
  • 干天・旱天 ひでりの空。夏の照りつける空。
  • 保安林 ほあんりん 森林法に基づき、水源涵養、砂防、風水害などの予防、魚付き、風致保存などの目的を達成するため農林水産大臣が指定した森林。伐採・放牧・土石採掘などが制限される。
  • 水力電気 → 水力発電
  • 水力発電 すいりょく はつでん 発電の一方式。水力によって発電機を運転し、電力を発生する方式。ダム式・水路式・揚水式などがある。
  • 行火 あんか (アンは唐音) 炭火を入れて手足をあたためる道具。外側は木製または土製。
  • 寸時 すんじ わずかな時間。寸刻。
  • 保養 ほよう 心身を休ませて健康を保ち活力を養うこと。養生。
  • 林間野営 りんかん やえい
  • 潜熱 せんねつ 物質が蒸発したり融解したりする時に、状態の変化のためにだけ費やされて、温度上昇にあずからない熱。すなわち融解熱・気化熱・昇華熱のこと。
  • 樹幹 じゅかん 樹木の幹。みき。
  • 津波・津浪 つなみ 地震による海底陥没や隆起、海中への土砂くずれ、海底火山の噴火などが原因で生ずる水面の波動。海岸付近で海面が高くなり、湾内などで大きな災害をひき起こす。高潮を暴風津波ということもある。
  • 伐木 ばつぼく 樹木を伐り倒すこと。
  • 山火事 やまかじ 山で起こる火事。やまび。山やけ。山燃え
  • 防火樹 ぼうかじゅ 家屋の周囲に植えて火災を防ぐための樹。珊瑚樹・椎・樫などを用いる。
  • 安栄 あんえい 身がやすらかで栄えること。また、そのさま。
  • 扶桑木 ふそうぼく (1) 太陽の出るところにあるという神木。扶桑樹。扶桑。(2)埋木の炭化したもの、すなわり、石炭をいうか。
  • 扶桑 ふそう (1) [山海経海外東経]中国で、東海の日の出る所にあるという神木。また、その地の称。(2) 〔植〕ブッソウゲの別称。(3) [南史夷貊伝下、東夷]中国の東方にあるという国。日本国の異称。扶桑国。
  • 行宮 あんぐう (アンは唐音) 天皇行幸の時の仮の宮居。かりみや。行在所。
  • 機状 きじょう
  • 喬木 きょうぼく (1) 高い木。(2) 〔植〕(→)高木に同じ。←→灌木
  • 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) (→)低木に同じ。←→喬木。
  • アオギリ 青桐・梧桐。アオギリ科の落葉高木。中国南部原産。樹皮は緑色。葉は大きく、3〜5裂、長柄。夏、黄白色5弁の小花を群生。果実は熟すと舟形の5片に割れ、各片に小球状の種子が載る。庭木・街路樹にし、材を建具・家具・楽器などとする。蒼梧。碧梧。
  • 闊葉樹 かつようじゅ (→)広葉樹に同じ。
  • 広葉樹 こうようじゅ 双子葉植物の樹木で、広く平たい葉をもつ木。常緑性のものと落葉性のものとがあり、熱帯から温帯に分布。闊葉樹。←→針葉樹
  • 針葉樹 しんようじゅ 裸子植物の一群。マツ科・スギ科・ヒノキ科・イチイ科・イヌガヤ科などを含む。葉は針状または鱗片状。普通、常緑で、稀に落葉樹もある。一般に高木で毬果を結ぶ。材は建築材・土木材などとして重要。また、パルプ原料。北半球北部に広大な樹林をなす。松柏類。←→広葉樹。
  • 掌状 しょうじょう 開いた手のひらのかたち。
  • 常緑樹 じょうりょくじゅ 四季を通じて緑の葉をつけている樹木。マツ・シイ・クスノキなど。ときわぎ。←→落葉樹
  • 落葉樹 らくようじゅ 秋、または乾季の始めに葉が落ち、翌春または次の雨季に新葉の萌え出る樹木。大部分は広葉樹で温帯に多い。紅葉・黄葉の美しいものがある。落葉木。←→常緑樹
  • 代闊葉樹 かかつようじゅ
  • マンサク マンサク科の落葉大低木。山地に自生。高さ3mくらい。早春、黄色・線形の4弁花を開き、楕円形のj果を結ぶ。茶花として栽培、花季が早いので珍重される。葉を止血剤とする。金縷梅。
  • ロウバイ 蝋梅・臘梅。ロウバイ科の落葉低木。中国の原産。高さ約3m。葉は卵形で両面ともざらつく。冬、葉に先だって香気のある花を開く。外側の花弁は黄色、内側のは暗紫色で、蝋細工のような光沢を有し、のち卵形の果実を結ぶ。観賞用。唐梅。南京梅。
  • レンギョウ 連翹 モクセイ科の落葉低木。中国の原産。古くから観賞用に栽培。高さ約2m。枝は長く伸びて先端はやや垂れる。早春、葉に先だって鮮黄色・4弁の筒状花を開く。中国から輸入された別種のシナレンギョウもまれに栽培。欧米ではこれらの園芸品種を栽培。果実は漢方生薬の連翹で、消炎・利尿・排膿・解毒剤。イタチグサ。
  • ジンチョウゲ 沈丁花 ジンチョウゲ科の常緑低木。中国原産。高さ約1m。葉は無柄革質で楕円状披針形、斑入りもある。春分前後に15、6花を球形に配列して開く。花は管状、内面は白色、外面は紫赤色または白色。香気が強く沈香・丁字に似るとしてこの名。通常は雄木で果実を結ばない。漢名、瑞香。輪丁花。
  • 花木 かぼく 美しい花の咲く木。花樹。
  • ふさう 相応ふ。つり合う。適合する。相当する。
  • 陰樹 いんじゅ 日陰によく成長・繁殖し得る樹木。ブナ・トドマツの類。←→陽樹
  • 陽樹 ようじゅ 日射光のもとで種子が発芽し、生育する樹木。乾燥や貧栄養の土地でも成長が早い。アカメガシワ・カラスザンショウ・アカマツ・クリなど。←→陰樹
  • 暖帯林 だんたいりん 暖温帯によく発達する森林帯。熱帯林と温帯林との中間にあり、常緑広葉樹を主とした森林からなる。日本では本州西部以西に分布する照葉樹林が該当する。
  • 河岸 かし (1) 河川の岸の、舟から人または荷物を揚げおろしする所。海や湖の岸にもいう。浜。川端。
  • 陽炎 かげろう 春のうららかな日に、野原などにちらちらと立ちのぼる気。日射のために熱くなった空気で光が不規則に屈折されて起こるもの。いとゆう。はかないもの、ほのかなもの、あるかなきかに見えるもの、などを形容するのにも用いる。その際「蜉蝣」を意味することもある。
  • ヤマザクラ 山桜。(1) 山に咲く桜。(2) バラ科の高木。関東以南の山地に自生するサクラ。葉は卵形で若葉は赤褐色。4月頃、新葉とともに白花を開き、赤紫色の小核果を結ぶ。吉野山の桜はこの種。
  • カナメモチ 要黐。バラ科の常緑小高木。新葉は紅色を帯び、また落葉前も紅葉。5〜6月頃多数の小白花をつけ、秋、紅色の実が熟す。暖地に自生。庭木・生垣とする。古来扇の骨としたことによる命名ともいい、車軸・鎌の柄などにもする。アカメモチ。扇骨。
  • スズカケノキ 篠懸の木。スズカケノキ科の落葉高木。普通、属の学名プラタナスで呼ばれる。高さ約10m。小アジア原産。庭園樹として栽培。葉は大きく、カエデに似、5〜7裂、葉柄の基部に小さい托葉がある。春、葉のつけ根に淡黄緑色の花を頭状につけ、晩秋、長い柄の先に球形の果実を下垂するのでこの名がある。材は器具用。街路樹には本種とアメリカスズカケノキとの雑種モミジバスズカケが多く使われる。
  • 緑色素 りょくしょくそ
  • 葉緑素 ようりょくそ 緑色植物・藻類の細胞に含まれている緑色色素。マグネシウムと結合したポルフィリン。大部分の植物では葉緑体の中にある。光合成色素の一つで、赤色光線を吸収して炭酸同化作用を行う。a・b・cの3種がある。クロロフィル。
  • クロロフィル chlorophyll 葉緑素。
  • 葉緑粒 ようりょくりゅう 葉緑体に同じ。
  • 葉緑体 ようりょくたい (chloroplast) 藻類・緑色植物の、葉その他の緑色組織にある細胞小器官。色素体の一種。独自のDNAとグラナと呼ぶ内膜構造を持ち、緑色の葉緑素および黄色のカロテノイドを含有。この中で光合成が行われる。もとは独立した原核生物であったと考えられている。
  • 器官 きかん (organ) 生物体に局在し、特定の生理機能をもち、形態的に独立した構造体。1種または数種の組織が一定の秩序で結合する。細胞内の小構造は細胞小器官という。
  • 炭酸ガス たんさん ガス 二酸化炭素の気体の通称。
  • 澱粉 でんぷん 葉緑素をもつ植物で炭酸固定により生産され、栄養貯蔵物質として、種子・根茎・塊根・球根などに含まれる炭水化物。アミロースとアミロペクチンの集合体で、無味無臭の白色粉末。植物には澱粉粒として存在し、その構造は植物の種類によって異なる。動物の栄養源として重要。
  • 含水炭素 がんすい たんそ 炭水化物の旧称。
  • 炭水化物 たんすい かぶつ 炭素・水素・酸素の3元素から成り、一般式C(n)H(2m)O(m)の形の分子式をもつ化合物。すなわち水素と酸素との割合が水の組成と同じ。植物では炭酸同化作用によって生産される。糖類・澱粉・セルロースなど、動植物体の構成物質・エネルギー源として重要な物質が多い。含水炭素。
  • 炭素同化作用 たんそ どうかさよう (→)炭酸同化作用に同じ。
  • 炭酸同化作用 たんさん どうかさよう 生物が、光のエネルギーによって、空気中から摂取した炭酸ガスと根から吸収した水分とから炭水化物をつくり出す作用。細菌には光エネルギーでなく化学エネルギーを用いて行うものがある。炭素同化作用。炭酸固定。
  • 紅葉・黄葉 もみじ (上代にはモミチと清音。上代は「黄葉」、平安時代以後「紅葉」と書く例が多い) (1) 秋に、木の葉が赤や黄色に色づくこと。また、その葉。(2) (→)カエデの別称。(3) 「もみじば」の略。(4) 襲の色目。「雑事鈔」によると、表は紅、裏は濃い蘇芳。「雁衣鈔」では表は赤、裏は濃い赤。もみじがさね。(5) (鹿にはもみじが取り合わされるところから) 鹿の肉。(6) (関西で) 麦のふすま。もみじご。(7) 茶を濃く味よくたてること。「紅葉」を「濃う好う」にかけたしゃれ。
  • クロマツ 黒松。マツ科の常緑高木。樹皮は黒褐色、アカマツよりも、葉は太くて剛く、海岸近くに多い。樹形が良いので庭園に植える。4月頃、雌花は新しい枝の先端に、雄花は下部に生じ、球果は翌年の秋熟し、有翼の種子を飛散する。材質堅硬で、建築材料として用い、また、薪とし、樹幹から松脂を採る。雄松。男松。
  • アカマツ 赤松。マツ科の常緑高木。樹皮は亀甲状にはげやすく、芽の色と共に赤褐色。山地に多い。クロマツより葉が柔らかい。材は建築用皮付丸太、薪炭用、パルプの原料。雌松。
  • 砂丘 さきゅう 風のために吹き寄せられた砂のつくる小丘。海岸・大河の沿岸または砂漠地方に多く生ずる。しゃきゅう。
  • 草本 そうほん (2) 植物の地上部が柔軟で木質をなさないものの総称。俗に草と称するもの。←→木本。
  • 高山植物 こうざん しょくぶつ 森林限界の上方から雪線の間の高山帯に生える植物。きびしい生育条件に適応し、形は概して矮小化し、地表を這うものもある。イワギキョウ・コマクサ・イワベンケイなど。
  • 槭樹 せきじゅ/かえで 槭樹・楓。(カエルデ(蛙手)の約。葉の形が似ているからいう) (1) カエデ科の落葉高木の総称。北半球の温帯に分布。葉は多くは掌状で、初め緑色、秋に赤・黄色に紅葉するが、全く葉の裂けないもの、複葉になるもの、また紅葉しないものもある。4〜5月頃、黄緑色や暗紅色の多数の小花をつけ、後に2枚の翼を持った果実をつける。材は器具・細工物にする。日本のイタヤカエデ・イロハカエデ、北米のサトウカエデなど種類が多い。モミジ。
  • ヤマモミジ 山紅葉。カエデ科の落葉高木。高さ約10m。葉は掌状に7〜9片に深裂。春、紅色の小花を開き、翼果を結ぶ。庭園樹イロハモミジの母種。
  • ハウチワカエデ 羽団扇楓。本州と北海道の山地に普通のカエデの一種で、落葉高木。対生する葉は円形で直径6〜12cm、掌状に9〜11片に浅裂する。裂片には明瞭な鋸歯がある。春に葉腋から束状の花序を下垂し、暗紅色5弁の小花をつける。果実(翼果)の羽は鋭角に開く。紅葉が美しい。大きな葉を天狗の羽団扇にたとえて命名。
  • 羽団扇 はうちわ 鳥の羽を用いて作ったうちわ。
  • ハゼ → ハゼノキ
  • ハゼノキ 黄櫨・櫨・梔。(1) ウルシ科の落葉高木。高さは約10mになる。暖地の山地に自生、秋に美しく紅葉する。5〜6月頃、葉腋に黄緑色の小花をつける。果実は灰黄色、扁円形。実から木蝋を採り、樹皮は染料となるので栽培される。ハゼ。ハジ。ハジノキ。ハジウルシ。ハゼウルシ。ヤマハゼ。漢名、野漆樹。(2) ヤマウルシの別称。
  • ナナカマド 七竈。バラ科の落葉小高木。山地に生じ、高さ約10m。街路樹のほか庭木として植える。花は小形白色で、7月に群がり咲く。果実は球形で、秋に葉とともに鮮やかに赤く色づき、落葉後も残る。材は堅くて腐朽しにくく、細工物に用い、7度かまどに入れても燃えないという俗説がある。近縁種にウラジロナナカマド・タカネナナカマド・ナンキンナナカマドなどがある。
  • イチョウ 鴨脚樹・銀杏・公孫樹。(イテフの仮名を慣用するのは「一葉」にあてたからで、語源的には「鴨脚」の近世中国音ヤーチャオより転訛したもの。一説に、「銀杏」の唐音の転) (1) イチョウ科の落葉高木。中国原産とされるが自生の有無は不明。高さ約30mに達し、葉は扇形で葉柄があり、秋、黄葉する。雌雄異株。春、新葉と共に黄緑色の花を生じ、雄花は穂状、雌花に2胚珠。受粉後、精子により受精。秋、黄色の種子を結び、内に白色硬質の核がある。これを「ぎんなん」といい、食用。材は緻密で美しく加工しやすい。
  • 冬芽 とうが 晩夏から秋にかけて生じ、越冬して春になって成長する芽。ふゆめ。←→夏芽
  • 年輪 ねんりん (1) (annual ring 明治以前に蘭学者は「歳輪」と訳した) 樹木の横断面に見える同心円状の輪。裸子植物および双子葉植物の樹木の幹や根で、1年間に形成される材が、夏は量も多く質が粗く(夏材)、冬は少なくて緻密(冬材)なため、両者が交互に並んで輪状をなし、1年ごとに円輪をなす。その数で樹木の年齢を知りうる。魚類の鱗・耳石や獣の歯などにも、同様な年輪が見られる。
  • 擬年輪 ぎねんりん 偽年輪。正常の年輪のほかに虫害、干害などの異変で形成層の働きが異常になるためできる年輪をいう。真の年輪と比べて秋材と春材の境がはっきりしない。仮年輪。
  • クスノキ 樟・楠。(クスは「臭し」と同源か。「楠」は南国から渡来した木の意) クスノキ科の常緑高木。関東以南の暖地、特に海岸に多い。高さ20m以上に達し、全体に芳香がある。5月頃、黄白色の小花をつけ、果実は球形で黒熟。材は堅く、樟脳および樟脳油を作る。街路樹に植栽し、建築材・船材としても有用。くす。樟脳の木。
  • タイワンサワラ 台湾花柏。カマエキパリス・フォルモセンシス。ヒノキ科の常緑高木。別名タイワンヒノキ、タイワンサワラ、ベニヒ。高さは20m。(植物レ)
  • サワラ 椹。ヒノキ科の常緑高木。ヒノキに酷似、幹高30mに達する。葉の裏面の白斑がV字形で、ヒノキのY字形と区別できる。花は4月に開き雌雄同株。木曾五木の一つ。材は耐水性に富み香気が少ない。桶・障子・襖の組子の材となる。ニッコウヒバ・ヒヨクヒバなど葉の美しい園芸品種がある。サワラギ。
  • 紅桧 べにひ (→)タイワンヒノキの別称。
  • タイワンヒノキ 台湾桧。ヒノキ科の常緑高木。台湾の山地に自生。高さ60mに達する。葉はヒノキに似るが薄い。花は単性、雌雄同株。材は樹脂に富み、心材は淡紅色。建築用・器具用。紅桧。
  • 風致 ふうち 景色のおもむき。あじわい。風趣。
  • 植物帯 しょくぶつたい (→)植生帯に同じ。
  • 植生帯 しょくせいたい (vegetation zone) 帯状に配列する性質を用いた植生の分類。植物の生育に影響する温度と降水量が、緯度や海からの距離に沿い並行的に減少することが、群落の帯状配列をもたらす。植生の垂直分布では主に温度による相観の違いが表われ、下方から上方に丘陵帯・低山帯・山地帯・亜高山帯・高山帯のように植生帯の区分ができる。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)、『植物レファレンス事典』日外アソシエーツ、2004.1)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


書きかえメモ。
河《かわ》 → 川
等《とう》 → など
海嘯 → 津波
伐《き》る → 切る
畠《はた》 → 畑《はた》
紅葉《もみじ》 → 紅葉《こうよう》

 小野忠博『縄文美術館』(平凡社、2013.3)読了。
 縄文土器のあの過剰なビラビラは、ラジエーターではないだろうかという説を思いつく。
 釉薬うわぐすりをかけてない焼物のことを「素焼き」という。素焼きの最大の特徴は、表面にたくさんの小さな穴があいていること。余分な水を排出したり、側面から空気を出し入れできるので、よく植木鉢に利用されている。植木屋の祖父からおそわったことだけれど、素焼きかそうでないかを区別する簡単な方法は、表面をなめてみるといいらしい。素焼きの器ならば、舌先に吸いつくような感触がある。舌の水分が、素焼きのザラザラした多孔質の表面に吸い取られるからだ。
 また、素焼きのかめに水をいれておくと、常温よりも数度低い水温をたもつことができるとなにかの本で読んだ記憶がある。表面の無数の小さな穴をとおして中の水が蒸発する。そのとき気化熱がうばわれて水温をさげる効果があるらしい。若干ながら水容量は減少するだろうが、それとひきかえに冷えた水を得ることができる。天然の冷却装置。
 多数の縄文土器の写真を見ていて、あのビラビラが何かに似ていると思っていたら、スーパーの精肉コーナーにあるモツ、内臓表面のヒダヒダとそっくりなことに気がついた。
 ただでさえ多孔質の素焼の表面。そこにヒダヒダを装飾することで外気と接触する表面積を増やしている。「焼き固めるさいの焼成効果をねらったもの」もしくは「煮炊きするさいの燃焼熱伝導をあげるため」かとも思ったが、それにしては表面の焦げつきが浅くて、きれいすぎる。長年酷使したような磨り減りぐあいにとぼしいから、常時持ち運びしてもいなかったはず。なにより、赤や黒など漆とみられる塗装の跡もある。
 ラジエーターとするならば、第一に考えられるのは飲料水。それから揮発性の高いアルコール類。気化熱と毛細管現象をセットにして製塩という用途もありうるだろうか。





*次週予告


第五巻 第四四号 
森林と樹木と動物(二)本多静六


第五巻 第四四号は、
二〇一三年五月二五日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第四三号
森林と樹木と動物(一)本多静六
発行:二〇一三年五月一八日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
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