山 の科学 ・湖 と沼 (二)
子爵 湖沼 の研究
(九)透明度
水の透明度をこの透明度は、水中にただよい
つぎに、日本の湖沼について研究した透明度のおもなものをあげてみましょう。ただし前にも
湖沼名
これを見ると、
(一〇)水温
それから、水は
つぎに水温は、湖沼の全面にわたって同一ではなく、
沖の部分の水温は、表面から湖底までどんな状態になっているかというに、夏は表面の水温が高く湖底に向かってしだいに低くなり、ついには四度の水温に
正列成層の完成期における水温状態は、前にもちょっと
逆列成層も前に
同温層のうち秋相のものは、夏相から冬相に移るときにおこるもので、春相のものは反対に冬相から夏相に移るときにおこる現象です。いずれも水温の状態は同様で、ただ、そのおこる原因がちがうまでです。
以上、夏相・秋相・冬相・春相、そしてふたたび夏相というように、一年じゅう移り変わっていく水温状態を
ここでちょっと注意しておかねばならないのは、前に水位のところでも「温帯湖」
つぎに
温帯湖の湖岸に近い
春先の太陽熱は湖面の氷を
(一一)湖面の結氷
氷の
つぎに冬、雪の少ない地方にある湖沼の氷と、雪の多い地方の湖沼の氷とは、
雪の少ない地方の湖沼の氷は、
つぎには湖の全面に氷がはるころになっても、ところどころに
そのほか、
つぎに氷が湖面にできてから
それから一度
なお氷の膨張に
つぎにこれらの
(一二)水質
なお水中には、酸素とか炭酸、または
以上、水質の調査は、水産業・農業・工業などに湖の水を使用するうえにきわめて必要なことで、飲料に使うばあいなどは、とくに完全な試験をしなければなりません。
湖中には
(一三)変遷 と消滅
それで、わたしは湖沼の変遷を人の
(イ)第一期、
(ロ)第二期、
(ハ)第三期、
以上の第一期から第三期までは、比較的
(ニ)第四期、少年時代。
(ホ)第五期、青年時代。 湖岸には
(ヘ)第六期、
(ト)第七期、
(チ)第八期、死滅時代。 湖底はますます高くなり、
以上の時代はたいがいの湖沼にあてはめることができますが、前にも
湖沼は、こういうふうに
(イ)
(ロ)
(ハ)
(ニ)
(ホ)湖の水をせきとめていた材料(すなわち湖岸)の一部が消失したばあい。
以上のうち(イ)のばあいでは
湖沼 の利用
これらの先住民は、鳥や
人類がしだいに多くなり、そのために野生の食用植物が不足するようになると、農業というものがはじめられてきました。この農耕には湖の水を
それについて簡単ながらお
(一)飲料水
湖の水を飲料に使うことは、ずっとむかしからおこなわれていました。前にも言ったように、湖水はそういう意味で、湖畔の住民の
冬に氷のはる湖では、その氷を切り出して氷
(二)交通
湖上の交通も、前にまた氷のはる湖では、その上をソリで物を運んでいます。これは車や船で運ぶことのできない、大きな荷物を動かすのにはじつに便利です。
(三)漁業
人間は、日本の湖沼で
もうなくなりましたが、
それで今度は三年間、引き続いてカワマスの
こうして二年後の三十八年になりました。マスというものは大きくなると、最初
すると彼らは非常によろこんで、おのおのいろいろな
(四)農業
川の水はまた、
(五)工業
直接、工業にはこれまではあまり利用してはいませんが、むかしからつぎにこれはきわめて少ないのですが、諏訪湖や
(六)発電水力
なお、湖沼はこういう経済的の利用のほかに、
底本:
1982(昭和57)年6月20日発行
親本:
1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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山の科學・湖と沼(二)
子爵 田中阿歌麿-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)山《やま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)明治《めいじ》四三|年《ねん》一一|月《がつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
/\:二倍の踊り字(
(例)人々《ひと/″\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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(九)透明度《とうめいど》
水《みづ》の透明度《とうめいど》を測《はか》るには表面《ひようめん》から物體《ぶつたい》を水中《すいちゆう》になげ下《おろ》し、この物體《ぶつたい》の表面《ひようめん》が見《み》え得《う》る程度《ていど》の深《ふか》さ、つまり水面《すいめん》から、物體《ぶつたい》の面《めん》が消《き》えようとするところまでの深《ふか》さを測《はか》るのです。普通《ふつう》には直徑《ちよつけい》二十五《にじゆうご》せんち[#「せんち」に傍点]の白色《はくしよく》平圓板《へいえんばん》を沈下《ちんか》して、測《はか》るのであるが農林省《のうりんしよう》では、直徑《ちよつけい》三十三《さんじゆうさん》せんち〇三(一尺《いつしやく》)のものを使《つか》つてゐます。
この透明度《とうめいど》は水中《すいちゆう》にたゞよひ浮《う》いてゐる物質《ぶつしつ》と直接《ちよくせつ》に關係《かんけい》があります。浮漂《ふひよう》物質《ぶつしつ》の多《おほ》いときには透明度《とうめいど》は少《すくな》くなり物質《ぶつしつ》が少《すくな》い時《とき》には透明度《とうめいど》は増《ま》して來《き》ます。この浮漂物《ふひようぶつ》の中《うち》には、浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》といふ、極《きは》めて微細《びさい》な動植物《どうしよくぶつ》があつて、水《みづ》の温度《おんど》の關係《かんけい》で多《おほ》くなつたり少《すくな》くなつたりします。また川《かは》が微細《びさい》な泥土《でいど》や腐蝕《ふしよく》した物質《ぶつしつ》を、運搬《うんぱん》して來《き》たり、あるひは波《なみ》の荒《あら》い時《とき》に湖畔《こはん》から運《はこ》び、又《また》は波《なみ》のために湖底《こてい》がかきまはされたりして、水《みづ》をひどく濁《にご》らせることがあります。そのために透明度《とうめいど》は少《すくな》くなつて來《き》ます。
淺《あさ》い湖沼《こしよう》は夏《なつ》は水温《すいおん》が高《たか》くなるので浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》がゐるとどん/\繁殖《はんしよく》しますが冬《ふゆ》になると次第《しだい》に繁殖力《はんしよくりよく》が少《すくな》くなります。そのため、かういふ湖沼《こしよう》は、夏季《かき》は、不透明《ふとうめい》で冬季《とうき》は透明《とうめい》となるわけです。諏訪湖《すはこ》等《など》はその最《もつと》もよい例《れい》です。けれども深《ふか》い湖沼《こしよう》になると、さういふ生物《せいぶつ》の影響《えいきよう》が少《すくな》いので、注入河《ちゆうにゆうが》が濁《にご》り水《みづ》を多《おほ》く流《なが》しこむとき、すなはち受水《じゆすい》區域《くいき》の雪《ゆき》とけとか、あるひは秋《あき》の暴風雨《ぼうふうう》季節《きせつ》とかに、一《いち》ばん不透明《ふとうめい》になります。そして夏《なつ》晴《は》れた天氣《てんき》が長《なが》く續《つゞ》くときは水《みづ》は澄《す》んで來《く》るので、透明度《とうめいど》は最《もつと》も大《おほ》きくなります。野尻湖《のじりこ》はその一例《いちれい》で、諏訪湖《すはこ》とはちょうど反對《はんたい》です。
次《つ》ぎに日本《につぽん》の湖沼《こしよう》について研究《けんきゆう》した透明度《とうめいど》の主《おも》なものを上《あ》げて見《み》ませう。但《たゞ》し前《まへ》にも述《の》べたように透明度《とうめいど》はいろ/\の關係《かんけい》で一年中《いちねんじゆう》同一《どういつ》ではありません。こゝにかゝげたのは、今《いま》まで觀測《かんそく》したうちで、おの/\の湖沼《こしよう》の、最《もつと》も大《おほ》きかつた透明度《とうめいど》です。
湖沼名《こしようめい》 水色《すいしよく》標式《ひようしき》 透明度《とうめいど》 觀測《かんそく》年月《ねんげつ》
田澤湖《たざはこ》 藍色湖《らんしよくこ》 三九・〇《めーとる》 明治《めいじ》四三|年《ねん》一一|月《がつ》
支笏湖《しこつこ》 同《どう》 二三・五 大正《たいしよう》一一|年《ねん》七|月《がつ》
屈斜路湖《くつしやろこ》 同《どう》 二〇・〇 大正《たいしよう》六|年《ねん》一|月《がつ》
池田湖《いけだこ》 同《どう》 一九・七 明治《めいじ》四四|年《ねん》一〇|月《がつ》
菅沼《すがぬま》 同《どう》 一九・五 明治《めいじ》三八|年《ねん》八|月《がつ》
洞爺湖《どうやこ》 同《どう》 一九・〇 大正《たいしよう》四|年《ねん》二|月《がつ》
十和田湖《とわだこ》 同《どう》 一八・〇 明治《めいじ》四二|年《ねん》八|月《がつ》
中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》 同《どう》 一八・〇 大正《たいしよう》三|年《ねん》八|月《がつ》
猪苗代湖《ゐなはしろこ》 同《どう》 一五・〇 明治《めいじ》三六|年《ねん》六|月《がつ》
本栖湖《もとすこ》 同《どう》 一四・六 大正《たいしよう》二|年《ねん》一〇|月《がつ》
琶琵湖《びわこ》[#「琶琵湖」は底本のまま] 同《どう》 一二・一 明治《めいじ》四二|年《ねん》七|月《がつ》
野尻湖《のじりこ》 緑色湖《りよくしよくこ》 一三・五 大正《たいしよう》二|年《ねん》六|月《がつ》
蘆《あし》の湖《こ》 同《どう》 一二・〇 明治《めいじ》三七|年《ねん》八|月《がつ》
木崎湖《きさきこ》 同《どう》 一〇・〇 明治《めいじ》四二|年《ねん》一〇|月《がつ》
榛名湖《はるなこ》 同《どう》 九・五 明治《めいじ》三九|年《ねん》七|月《がつ》
小河原湖《をがはらこ》 同《どう》 八・五 大正《たいしよう》七|年《ねん》八|月《がつ》
赤城《あかぎ》大沼《おほぬま》 同《どう》 八・〇 大正《たいしよう》三|年《ねん》八|月《がつ》
西湖《にしのうみ》(富士《ふじ》) 同《どう》 八・〇 明治《めいじ》三九|年《ねん》九|月《がつ》
山中湖《やまなかこ》 同《どう》 七・〇 明治《めいじ》三二|年《ねん》八|月《がつ》
湯《ゆ》の湖《こ》 黄色湖《おうしよくこ》 四・五 明治《めいじ》三九|年《ねん》七|月《がつ》
諏訪湖《すはこ》 黄色湖《こうしよくこ》 三・八 明治《めいじ》四一|年《ねん》二|月《がつ》
北浦《きたうら》 同《どう》 二・三 明治《めいじ》四〇|年《ねん》一|月《がつ》
霞《かすみ》が浦《うら》 同《どう》 二・二 明治《めいじ》四四|年《ねん》一一|月《がつ》
男潟《をとこがた》 褐色湖《かつしよくこ》 一・四 大正《たいしよう》一〇|年《ねん》七|月《がつ》
女潟《をんながた》 同《どう》 一・三 同《どう》
城沼《しろぬま》 同《どう》 〇・九 明治《めいじ》四一|年《ねん》八|月《がつ》
これを見《み》ると、水色《みづいろ》と透明度《とうめいど》とが密接《みつせつ》な關係《かんけい》のあることがわかるでせう。すなはち水色《すいしよく》の美《うつく》しい藍色湖《らんしよくこ》が最《もつと》も透明度《とうめいど》が大《おほ》きく、褐色湖《かつしよくこ》の透明度《とうめいど》はひどく少《すくな》いのが目《め》につきます。
(一〇)水温《すいおん》
湖沼《こしよう》の水《みづ》の温度《おんど》を高《たか》めるものは太陽熱《たいようねつ》です。この太陽熱《たいようねつ》が弱《よわ》くなり、空氣《くうき》が冷《ひ》えて來《く》ると、水《みづ》の中《なか》に含《ふく》まれてゐた熱《ねつ》は次第《しだい》に發散《はつさん》して水温《すいおん》は下《くだ》ります。
それから、水《みづ》は攝氏《せつし》寒暖計《かんだんけい》で四度《よど》のときが最大《さいだい》密度《みつど》になります。つまりその水《みづ》が一番《いちばん》重《おも》いときです。水温《すいおん》が四度《よど》より高《たか》く又《また》は低《ひく》くなるにつれて次第《しだい》に輕《かる》くなるのです。例《たと》へば五度《ごど》の水温《すいおん》の水《みづ》は四度《よど》のものよりも輕《かる》く六度《ろくど》のものは五度《ごど》のものより輕《かる》い勘定《かんじよう》です。八度《はちど》、九度《くど》、十度《じゆうど》といふようにだん/\輕《かる》くなります。また三度《さんど》の水《みづ》は四度《よど》の水《みづ》よりも輕《かる》く二度《にど》の水《みづ》は三度《さんど》のものよりも輕《かる》いといふわけです。それゆゑ湖《みづうみ》の水《みづ》は最《もつと》も重《おも》い水《みづ》が最《もつと》も下《した》になり、それから上《うへ》の方《ほう》は次第《しだい》に輕《かる》い水《みづ》が重《かさ》なつてゐます。從《したが》つて深《ふか》い湖沼《こしよう》の湖底《こてい》の水温《すいおん》は、特別《とくべつ》の事情《じじよう》のある湖沼《こしよう》のほかは一年中《いちねんじゆう》四度《よど》であるといふことが出來《でき》ます。
次《つ》ぎに水温《すいおん》は、湖沼《こしよう》の全面《ぜんめん》にわたつて同一《どういつ》ではなく、沖《おき》の方《ほう》と岸《きし》に近《ちか》い淺《あさ》いところとでは大分《だいぶん》違《ちが》ひます。また風《かぜ》の方向《ほうこう》によつて風上《かざかみ》と風下《かざしも》とでも違《ちが》ふのです。
沖《おき》の部分《ぶぶん》の水温《すいおん》は、表面《ひようめん》から湖底《こてい》までどんな状態《じようたい》になつてゐるかといふに、夏《なつ》は表面《ひようめん》の水温《すいおん》が高《たか》く湖底《こてい》に向《むか》つて次第《しだい》に低《ひく》くなり、つひには四度《よど》の水温《すいおん》に下《くだ》ると、そこから底《そこ》までは同《おな》じ四度《よど》です。しかし冬《ふゆ》になると、湖底《こてい》の方《ほう》は同《おな》じ四度《よど》ですが、表面《ひようめん》は四度《よど》より低《ひく》くなつて來《き》ます。春《はる》と秋《あき》は僅《わづか》の期間《きかん》だけ全層《ぜんそう》四度《よど》の同温《どうおん》になります。この、夏《なつ》の水温《すいおん》状態《じようたい》を『夏相《かそう》』又《また》は『正列成層《せいれつせいそう》』といひ、冬《ふゆ》の水温《すいおん》状態《じようたい》を『冬相《とうそう》』又《また》は『逆列成層《ぎやくれつせいそう》』と呼《よ》んでゐます。それから春《はる》のものは『春相《しゆんそう》』、秋《あき》のものは『秋相《しゆうそう》』といひ、ともに『同温層《どうおんそう》』と稱《とな》へます。
正列成層《せいれつせいそう》の完成期《かんせいき》における水温《すいおん》状態《じようたい》は、前《まへ》にもちよつと述《の》べたように表面《ひようめん》が最《もつと》も高《たか》く、深《ふか》さを増《ま》すに從《したが》つて水温《すいおん》は次第《しだい》に低《ひく》くなるのですが、十《じゆう》めーとるくらゐの深《ふか》さのところから急《きゆう》に低温《ていおん》となり、それから湖底《こてい》に向《むか》つては再《ふたゝ》び次第《しだい》に水温《すいおん》を減《げん》じていきます。この、急《きゆう》に水温《すいおん》が低《ひく》くなるところを『變水層《へんすいそう》」といひ、それより上部《じようぶ》を『表水層《ひようすいそう》』、下部《かぶ》を『深水層《しんすいそう》』といひます。なほ、この變水層《へんすいそう》のある位置《いち》は、季節《きせつ》によつてちがひ、夏《なつ》のはじめには表面《ひようめん》近《ちか》くにあつて、やっとわかるくらゐですが、これがだん/\發達《はつたつ》して夏《なつ》の終《をは》り頃《ごろ》にはずっと深《ふか》いところへ移《うつ》り、秋相《しゆうそう》に近《ちか》づいて消滅《しようめつ》します。その表面《ひようめん》近《ちか》くにあるものは、水《みづ》を潜《くゞ》つたとき、しば/\冷《つめ》たい水《みづ》にあふので直《す》ぐにわかります。
逆列成層《ぎやくれつせいそう》も前《まへ》に述《の》べたとほり表面《ひようめん》の水温《すいおん》が低《ひく》く、湖底《こてい》の水温《すいおん》は最《もつと》も高《たか》いときで四度《よど》です。そして變水層《へんすいそう》はほとんど認《みとめ》られないくらゐ微弱《びじやく》です。
同温層《どうおんそう》のうち、秋相《しゆうそう》のものは夏相《かそう》から冬相《とうそう》に移《うつ》る時《とき》に起《おこ》るもので、春相《しゆんそう》のものは反對《はんたい》に冬相《とうそう》から夏相《かそう》に移《うつ》るときに起《おこ》る現象《げんしよう》です。いづれも水温《すいおん》の状態《じようたい》は同樣《どうよう》で、ただ、その起《おこ》る原因《げんいん》がちがふまでです。
以上《いじよう》夏相《かそう》、秋相《しゆうそう》、冬相《とうそう》、春相《しゆんそう》、そして再《ふたゝ》び夏相《かそう》といふように一年中《いちねんじゆう》移《うつ》り變《かは》つていく水温《すいおん》状態《じようたい》を呈《てい》する湖沼《こしよう》を『温帶湖《おんたいこ》』といひます。日本《につぽん》の湖沼《こしよう》は大部分《だいぶぶん》が温帶湖《おんたいこ》ですが、芦《あし》の湖《こ》、琵琶湖《びわこ》、九州《きゆうしゆう》の湖沼《こしよう》(但《たゞ》し山地《さんち》のものは温帶湖《おんたいこ》もある)は『熱帶湖《ねつたいこ》』に屬《ぞく》してゐます。熱帶湖《ねつたいこ》では、温帶湖《おんたいこ》の冬《ふゆ》の状態《じようたい》を呈《てい》することがありません。つまり一年中《いちねんじゆう》水温《すいおん》は四度《よど》又《また》はそれ以上《いじよう》を示《しめ》してゐるわけです。それから白山《はくさん》の千蛇《せんじや》が池《いけ》は一年中《いちねんじゆう》雪《ゆき》におほはれてゐて水層《すいそう》は眞夏《まなつ》でも四度《よど》以上《いじよう》にのぼることがありません。かういふ湖沼《こしよう》、すなはち温帶湖《おんたいこ》の夏相《かそう》を呈《てい》することのない湖沼《こしよう》を『寒帶湖《かんたいこ》』といひます。
こゝでちよっと注意《ちゆうい》して置《お》かねばならないのは、前《まへ》に水位《すいい》のところでも『温帶湖《おんたいこ》』、『熱帶湖《ねつたいこ》』、『寒帶湖《かんたいこ》』といふ區分《くぶん》をしました。今《いま》また、水温《すいおん》について同《おな》じような區分《くわ》けをしましたが、これ等《ら》は湖沼《こしよう》の位置《いち》によつて呼《よ》ぶのでなく、前者《ぜんしや》は水位《すいい》の一年中《いちねんじゆう》の變化《へんか》の状態《じようたい》により、後者《こうしや》は全層《ぜんそう》の一年中《いちねんじゆう》の變化《へんか》の状態《じようたい》によつて分類《ぶんるい》したのです。兩方《りようほう》について、よく讀《よ》みかへされたら十分《じゆうぶん》おわかりになる筈《はず》です。
次《つ》ぎに湖岸《こがん》に接近《せつきん》した淺《あさ》い部分《ぶぶん》の水温《すいおん》についてお話《はなし》しますと、そこでは沖《おき》の部分《ぶぶん》にくらべて水《みづ》の層《そう》がいちじるしく薄《うす》いために、熱《ねつ》を放散《ほうさん》することも速《はや》いのです。
温帶湖《おんたいこ》の湖岸《こがん》に近《ちか》い淺水帶《せんすいたい》の表面《ひようめん》水温《すいおん》は、最低《さいてい》が零度《れいど》又《また》はそれ以下《いか》です。それから最高《さいこう》は湖沼《こしよう》の位置《いち》によつてちがひ、あるひは同一《どういつ》の湖沼《こしよう》でも氣候《きこう》の關係《かんけい》で年々《ねん/\》ちがひますが今《いま》まで測《はか》つたうちの最高《さいこう》は、三十度《さんじゆうど》から三十三度《さんじゆうさんど》くらゐもあります。だから一年中《いちねんじゆう》の較差《こうさ》は大變《たいへん》大《おほ》きいわけです。
春先《はるさき》の太陽熱《たいようねつ》は湖面《こめん》の氷《こほり》を融解《ゆうかい》しますが、それは湖岸《こがん》に沿《そ》うた淺《あさ》いところから、だんだんに沖《おき》の方《ほう》に向《むか》つて、とけるのです。これは氷《こほり》が融解《ゆうかい》するとき、岸《きし》のところだけは、上《うへ》へ乘《の》ることが出來《でき》ないようになるのを見《み》てもわかります。氷《こほり》が全部《ぜんぶ》解《と》けてしまふと、水温《すいおん》が次第《しだい》にのぼつていきますが、その頃《ころ》には、日中《につちゆう》は太陽熱《たいようねつ》が強《つよ》くても夜《よる》はずっと冷却《れいきやく》するので、晝《ひる》と夜《よる》とは水温《すいおん》が違《ちが》つて來《き》ます。この水温《すいおん》の日中《につちゆう》の變化《へんか》は沖《おき》の部分《ぶぶん》にもありますが、淺《あさ》いところほどに大《おほ》きくはありません。それからなほ夏《なつ》に向《むか》ふと水温《すいおん》はます/\高《たか》くなり七《しち》、八月頃《はちがつごろ》が一《いち》ばん高《たか》くなります。九月《くがつ》になると夜《よる》の冷却《れいきやく》が著《いちじる》しくなるため、日中《につちゆう》つよい熱《ねつ》を受《う》けても次第《しだい》に水温《すいおん》を減《げん》じはじめ、秋《あき》を經《へ》て冬《ふゆ》に入《い》り一《いち》、二月頃《にがつごろ》になると最低《さいてい》水温《すいおん》となり、つひに氷《こほり》が張《は》るようになります。かういふ風《ふう》に淺水帶《せんすいたい》の水温《すいおん》は沖《おき》の部分《ぶぶん》と同《おな》じように年中《ねんじゆう》變化《へんか》をしますが、最高《さいこう》に達《たつ》することもまた最低《さいてい》を告《つ》げることも沖部《ちゆうぶ》よりは早《はや》いのです。それは空氣《くうき》の温度《おんど》の影響《えいきよう》を、沖部《ちゆうぶ》よりも早《はや》く感《かん》じますから毎日《まいにち》の變化《へんか》はひどく複雜《ふくざつ》であります。水《みづ》は空氣《くうき》と比《くら》べると、太陽熱《たいようねつ》の影響《えいきよう》をうけることが遲《おそ》く且《か》つ少《すくな》いものです。それゆゑ水温《すいおん》は氣温《きおん》よりも、温度《おんど》の日中《につちゆう》及《およ》び年中《ねんじゆう》の較差《こうさ》が少《すくな》くまた水温《すいおん》の最高《さいこう》は氣温《きおん》の最高《さいこう》よりも遲《おく》れて現《あらは》れます。しかしその最低《さいてい》は、兩方《りようほう》で同時《どうじ》に現《あらは》れるのです。これは水《みづ》の温度《おんど》による運動《うんどう》が氣温《きおん》の最低《さいてい》に達《たつ》したときにとまるので、普通《ふつう》の場合《ばあひ》には日《ひ》の出《で》のすぐまへに最低《さいてい》になります。
(一一)湖面《こめん》の結氷《けつぴよう》
蒸溜水《じようりゆうすい》のような純淨《じゆんじよう》な水《みづ》は攝氏《せつし》百度《ひやくど》で沸騰《ふつとう》して氣體《きたい》となり、また零度《れいど》までに冷《ひや》すと固體《こたい》、すなはち氷《こほり》となります。しかし湖沼《こしよう》の水《みづ》は、多少《たしよう》なりともいろ/\な不純物《ふじゆんぶつ》が混《まじ》つてゐるので、零度《れいど》以下《いか》の水温《すいおん》になつてはじめて結氷《けつぴよう》します。この氷《こほり》の張《は》るのは、寒帶湖《かんたいこ》では無論《むろん》ですが、温帶湖《おんたいこ》でも冬《ふゆ》には結氷《けつぴよう》しますし、熱帶湖《ねつたいこ》でも、特《とく》に寒《さむ》い冬《ふゆ》には、岸《きし》の淺《あさ》いところに氷《こほり》を見《み》ることがあります。
氷《こほり》の出來《でき》はじめは、大概《たいがい》の場合《ばあひ》、淺水帶《せんすいたい》に針状氷《しんじようひよう》といふ、松《まつ》の葉《は》を組《く》み合《あは》せたような薄《うす》い氷《こほり》が出來《でき》ます。これは手洗《てあら》ひ鉢《ばち》などの水《みづ》が、朝《あさ》起《お》きて見《み》ると氷《こほり》が張《は》つて、幾《いく》つも節《ふし》が出來《でき》てゐるのと同《おな》じようなものであります。湖沼《こしよう》のさうした氷《こほり》は夜《よる》張《は》つて日中《につちゆう》氣温《きおん》が昇《のぼ》ると解《と》けるので一夜氷《いちやこほり》などと名《な》づけられてゐます。しかし寒《さむ》さが續《つゞ》くと一夜氷《いちやこほり》もしまひには解《と》けなくなり、毎日《まいにち》厚《あつ》さを増《ま》して、少《すこ》しぐらゐの日照《ひで》りではもう解《と》けないようになります。それから厚《あつ》さを増《ま》すと同時《どうじ》に廣《ひろ》さをも増《ま》して、つひには全湖面《ぜんこめん》を被《おほ》ふようになつて來《き》ます。また湖畔《こはん》に温泉《おんせん》がある場合《ばあひ》、あるひは大雪《おほゆき》が降《ふ》つて水中《すいちゆう》に浮《うか》んでゐるようなときには岸《きし》の方《ほう》から張《は》らないで沖《おき》の方《ほう》に氷《こほり》が出來《でき》、それがだん/\ひろがつて岸《きし》にまで來《く》ることもあります。
次《つ》ぎに冬《ふゆ》、雪《ゆき》の少《すくな》い地方《ちほう》にある湖沼《こしよう》の氷《こほり》と、雪《ゆき》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》の氷《こほり》とは、厚《あつ》さを増《ま》す順序《じゆんじよ》も氷《こほり》の質《しつ》もちがつてゐます。
雪《ゆき》の少《すくな》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》の氷《こほり》は、一夜氷《いちやこほり》の發達《はつたつ》したものですから、がらす[#「がらす」に傍点]のように滑《なめら》かで、又《また》やゝ透明《とうめい》です。これを『粒氷《りゆうひよう》』といひます。けれども、この氷《こほり》は寒《さむ》い空氣《くうき》が水《みづ》を冷《ひや》すために出來《でき》たものですから、上部《じようぶ》の方《ほう》へは發達《はつたつ》しないで、次第《しだい》に下方《かほう》に厚《あつ》さを増《ま》していきます。そしてある程度《ていど》までの厚《あつ》さになるともうそれ以上《いじよう》厚くはなりません。これは氷《こほり》の厚《あつ》さのために空氣《くうき》がその下部《かぶ》の水《みづ》を冷《ひや》すことが出來《でき》ないからです。かういふときに氷《こほり》の上《うへ》に雨《あめ》が降《ふ》るとか、あるひは温度《おんど》がのぼつて氷《こほり》の上部《じようぶ》をとかすと、氷《こほり》の上《うへ》は一面《いちめん》の水《みづ》となります。その水《みづ》がまた夜間《やかん》の冷却《れいきやく》で氷《こほり》になるので、こんなことを幾度《いくど》も繰《く》り返《かへ》すうちには上方《じようほう》にも厚《あつ》さを増《ま》して行《ゆ》くのは無論《むろん》です。かうした結氷《けつぴよう》のときに、水《みづ》の冷《ひ》え方《かた》が弱《よわ》いと氷《こほり》の上《うへ》の水《みづ》の上部《じようぶ》だけが凍《こほ》つて、下《した》の氷《こほり》との間《あひだ》に水《みづ》の層《そう》が殘《のこ》ることがあります。かういふ氷《こほり》を『二重氷《にじゆうひよう》』と言《い》ひます。なほ、この湖沼《こしよう》の氷《こほり》は雪《ゆき》の影響《えいきよう》がないために厚《あつ》さは三十《さんじつ》せんち[#「せんち」に傍点]以上《いじよう》に達《たつ》することは極《ご》く稀《まれ》ですが、質《しつ》は極《きは》めて硬《かた》いので六・七せんち[#「せんち」に傍点]ぐらゐの厚《あつ》さになればその上《うへ》を渡《わた》ることが出來《でき》ます。そしてすけーと[#「すけーと」に傍点]等《など》には最《もつと》も適《てき》し、夏《なつ》の飮用《いんよう》等《など》にも使《つか》はれます。諏訪湖《すはこ》、松原湖《まつばらこ》、榛名湖《はるなこ》等《など》はかういふ氷質《ひようしつ》ですけーと[#「すけーと」に傍点]場《じよう》として有名《ゆうめい》です。
降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》では、雪《ゆき》のために水《みづ》が非常《ひじよう》に冷《つめ》たくなり、それへなほどん/\雪《ゆき》が降《ふ》るので、その雪《ゆき》は水面《すいめん》に浮《う》いたまゝ解《と》けません。それがひどく寒《さむ》くて天氣《てんき》のよい夜《よる》などは凍《こほ》りつくのです。かうして出來《でき》た氷《こほり》は、乳白色《にゆうはくしよく》をしてゐるので『乳氷《にゆうひよう》』と呼《よ》びます。また諏訪湖《すはこ》等《など》のように透明《とうめい》な氷《こほり》が出來《でき》ることもありますが、その上《うへ》へ雪《ゆき》が多《おほ》く積《つも》ると、氷《こほり》に割《わ》れ目《め》が出來《でき》、そこから水《みづ》が上《あが》つて雪《ゆき》に浸《し》みこみます。そのため粥《のり》のようになつた雪《ゆき》がまた凍《こほ》ります。その上《うへ》へ雪《ゆき》が降《ふ》り、前《まへ》と同《おな》じようにまた水《みづ》が下《した》から浸《し》みこんだり、又《また》は雨《あめ》や日光《につこう》でそれを再《ふたゝ》び粥《のり》のようにします。それが又《また》凍《こほ》つて乳氷《にゆうひよう》となるといふ風《ふう》に、だん/\繰《く》り返《かへ》すうちに、氷《こほり》は非常《ひじよう》な厚《あつ》さになります。しかしこれは上部《じようぶ》に向《むか》つて厚《あつ》さをますのみで下部《かぶ》に増《ま》すことは極《きは》めて少《すくな》いのです。降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》では、さうした氷《こほり》が出來《でき》るので、その氷《こほり》を切《き》つて見《み》ると、氷《こほり》が張《は》つてからの天氣《てんき》状態《じようたい》が大體《だいたい》わかるのです。なほこの氷《こほり》では、すけーと[#「すけーと」に傍点]は無論《むろん》出來《でき》ません。また飮料《いんりよう》にも不適當《ふてきとう》です。たゞ冷《ひや》しものをするとき役立《やくだ》つくらゐのものです。
湖沼《こしよう》の氷《こほり》は地方《ちほう》によつて以上《いじよう》のように出來方《できかた》、氷質《ひようしつ》、氷層《ひようそう》がちがふのです。例《たと》へば、降雪《こうせつ》の少《すくな》い地方《ちほう》の諏訪湖《すはこ》と、降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の野尻湖《のじりこ》との二《ふた》つを比較《ひかく》してごらんになるとその相違《そうい》がよくわかるはずです。
[#図版(2_9.png)、氷層切斷面]
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(野尻湖大正十四年三月十八日)
[#キャプションここまで]
次《つ》ぎには湖《みづうみ》の全面《ぜんめん》に氷《こほり》が張《は》るころになつても、ところ/″\に凍《こほ》らない部分《ぶぶん》が殘《のこ》ることがあります。その主《おも》な原因《げんいん》は湖底《こてい》に湧《わ》き水《みづ》があるためです。この湧《わ》き水《みづ》はほかの部分《ぶぶん》の水《みづ》よりも温度《おんど》が高《たか》くその上《うへ》湧《わ》き出《だ》すときに、たえず、ぐるりの水《みづ》を動《うご》かすからです。また湖底《こてい》からがす[#「がす」に傍点]を噴出《ふんしゆつ》する場合《ばあひ》にも水《みづ》を搖《ゆ》り動《うご》かすので、その場所《ばしよ》だけは凍《こほ》りません。これは野尻湖《のじりこ》や滋賀縣《しがけん》の余吾湖《よごこ》または諏訪湖《すはこ》等《など》で、しば/\見《み》うけます。ことに諏訪湖《すはこ》では、温泉《おんせん》が湧《わ》き出《で》るところもあるので、凍《こほ》らない區域《くいき》が非常《ひじよう》にひろくなつてゐます。しかし温泉《おんせん》以外《いがい》の湧《わ》き水《みづ》やがす[#「がす」に傍点]の噴出《ふんしゆつ》による不凍《ふとう》區域《くいき》は、寒《さむ》さがとくに嚴《きび》しかつたり、雪《ゆき》がひどく降《ふ》つたりすると、全部《ぜんぶ》凍《こほ》つてしまふこともありますが、その氷《こほり》は極《きは》めて薄《うす》く、その上《うへ》を歩《ある》くのは危險《きけん》です。又《また》そこは、ほかの厚《あつ》い氷《こほり》のところとちがつて色《いろ》が薄青《うすあを》く見《み》えるのと、それから雪《ゆき》におほはれた氷《こほり》の場合《ばあひ》は、こゝへのみ丸《まる》く水《みづ》が浸《し》みこんでゐるのとですぐに見《み》つけ出《だ》すことが出來《でき》ます。なほその附近《ふきん》も、わりあひに氷《こほり》が薄《うす》いので、そこへは全然《ぜんぜん》近《ちか》よらないようにしなければなりません。
そのほか、河川《かせん》の水《みづ》は、湖《みづうみ》の水《みづ》よりも温《あたゝ》かく、それにたえず流《なが》れてゐるので注入川《ちゆうにゆうせん》の川口《かはぐち》や、湖《みづうみ》から水《みづ》の流《なが》れ出《だ》すところでは容易《ようい》に凍《こほ》りません。また湖《みづうみ》の周圍《しゆうい》に深《ふか》い谷《たに》があつてそこから強《つよ》い風《かぜ》が吹《ふ》きこむ場合《ばあひ》には、風當《かぜあた》りの最《もつと》も強《つよ》いところは、他《ほか》の部分《ぶぶん》よりも凍《こほ》り方《かた》が遲《おそ》いのです。
次《つ》ぎに氷《こほり》が湖面《こめん》に出來《でき》てから後《のち》、この氷《こほり》自身《じしん》がいろ/\に變化《へんか》します。氷《こほり》は水《みづ》が冷《ひ》えて出來《でき》たのですから非常《ひじよう》に冷《つめ》たいのはいふまでもありませんが、その普通《ふつう》の氷《こほり》がなほ一層《いつそう》冷《つめ》たくなることがあります。さういふときには氷《こほり》は收縮《しゆうしゆく》して割《わ》れ目《め》が出來《でき》ます。日沒頃《にちぼつごろ》の寒《さむ》さのために出來《でき》る割《わ》れ目《め》は氷《こほり》の表面《ひようめん》だけで且《か》つ小《ちひ》さいのですが、夜中《やちゆう》の一《いち》ばん寒《さむ》いときには割《わ》れ目《め》は氷《こほり》の底《そこ》までとゞきます。そして、その割《わ》れ目《め》が出來《でき》るときには、その大《おほ》きさによつて、いろ/\の音《おと》を立《た》てます。大《おほ》きい音《おと》になるとまるで雷《かみなり》が鳴《な》るようです。はじめてその音《おと》を聞《き》く人《ひと》は必《かなら》ずびっくりするでせう。氷屋《こほりや》でわづかばかりの氷《こほり》を切《き》り取《と》るにも斧《をの》や鋸《のこぎり》を使《つか》ひます。それほどかたい氷《こほり》へ、一夜《いちや》の寒《さむ》さのために、われ目《め》が出來《でき》、湖面《こめん》全體《ぜんたい》に幾《いく》すぢとなく、ひゞれがつくのです。この割《わ》れ目《め》の出來《でき》る頃《ころ》にはもう安心《あんしん》してこの氷上《ひようじよう》を渡《わた》ることが出來《でき》るくらゐ硬《かた》く厚《あつ》くなつてゐるのです。さういふとき氷《こほり》の上《うへ》にゐるとびりびりと音《おと》がして、氷《こほり》がなほ割《わ》れていくのが目《め》に見《み》え、氣味《きみ》が惡《わる》くなりますが、しかし、たいして危險《きけん》なものではありません。この割《わ》れ目《め》が氷《こほり》の底《そこ》まで達《たつ》したところでは、氷《こほり》の下《した》の水《みづ》が現《あらは》れるけれども氣温《きおん》が非常《ひじよう》に低《ひく》いためにその水《みづ》もまた凍《こほ》つてしまひます。この現象《げんしよう》は降雪《こうせつ》の少《すくな》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》に多《おほ》く起《おこ》るもので、これは氷《こほり》が直接《ちよくせつ》寒《さむ》い空氣《くうき》に接《せつ》してゐるからであります。しかし降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》にもとき/″\見《み》ることがあります。かういふ地方《ちほう》では氷《こほり》に雪《ゆき》が積《つも》つてゐて直接《ちよくせつ》冷氣《れいき》を受《う》けないので、割《わ》れ目《め》も小《ちひ》さいのです。また雪《ゆき》のために、はっきりと見《み》ることは出來《でき》ませんが下《した》から水《みづ》が上《あが》つて來《く》るので、雪《ゆき》に水《みづ》の浸《し》みこんだ跡《あと》が直線《ちよくせん》になつて見《み》えます。
それから一度《いちど》收縮《しゆうしゆく》した氷《こほり》は、夜《よ》が明《あ》けてから次第《しだい》に氣温《きおん》がのぼつて來《く》ると、今度《こんど》は膨脹《ぼうちよう》をはじめます。この膨脹《ぼうちよう》が大《おほ》きいときには割《わ》れ目《め》の兩側《りようがは》の氷《こほり》が衝突《しようとつ》して、馬《うま》につける鞍《くら》のような形《かたち》の隆起《りゆうき》が出來《でき》ます。これを諏訪湖《すはこ》や松原湖《まつばらこ》では『御神渡《おみわた》り』と呼《よ》んでゐます。氷《こほり》が岸《きし》の方《ほう》に膨脹《ぼうちよう》すると湖岸《こがん》に乘《の》り上《あ》げ、湖畔《こはん》の石垣《いしがき》や建築物《けんちくぶつ》を破壞《はかい》することもあります。この力《ちから》は非常《ひじよう》におそろしいものです。
なほ氷《こほり》の膨脹《ぼうちよう》に際《さい》しては、以上《いじよう》の外《ほと》[#「ほと」は底本のまま]、反對《はんたい》に下部《かぶ》に落《お》ち込《こ》むものや重《かさ》なり合《あ》ふものなどいろ/\の状態《じようたい》を呈《てい》します。
次《つ》ぎにこれらの堅氷《けんぴよう》も、氣温《きおん》が零度《れいど》以上《いじよう》に達《たつ》すると表面《ひようめん》がとけはじめます。また氷《こほり》の下《した》の水温《すいおん》も次第《しだい》に高《たか》くなつて來《く》るので、下部《かぶ》からもとけてつひには全《ぜん》たいが軟《やはらか》い氷《こほり》となり、小《ちひ》さい氷板《ひようばん》となつて分《わか》れ分《わか》れになります。そしてそこに、開水面《かいすいめん》が出來《でき》ると、太陽《たいよう》の熱《ねつ》で水《みづ》があたゝまりまた風《かぜ》のために水《みづ》はかきまはされるので深層《しんそう》のわりあひに、温《あたゝか》い水《みづ》が上《うへ》へ出《で》て來《き》て氷《こほり》はたちまちにとけてしまひます。このとけ方《かた》は、天候《てんこう》のいゝときの状態《じようたい》です。日本《につぽん》ではかういふ季節《きせつ》に風《かぜ》がつよいので、分離《ぶんり》した氷《こほり》は、風力《ふうりよく》のためにさらに碎《くだ》かれ、極《きは》めて僅《わづか》の間《あひだ》でもつて解氷《かいひよう》してしまひます。
(一二)水質《すいしつ》
湖沼《こしよう》の水《みづ》の化學《かがく》成分《せいぶん》の全量《ぜんりよう》によつて湖《みづうみ》を二《ふた》つに分《わ》けます。その一《ひと》つは淡水湖《たんすいこ》で普通《ふつう》に眞水《まみづ》と云《い》はれる水《みづ》を湛《たゝ》へた湖《みづうみ》です。もう一《ひと》つは鹹水湖《かんすいこ》です。鹹水《かんすい》とは、一般《いつぱん》には鹽水《しほみづ》のことをいひますが、こゝでは鹽水《しほみづ》のみでなく、他《た》の化學《かがく》成分《せいぶん》でも、とにかく水《みづ》一《いち》りっとる中《ちゆう》に二五〇みり以上《いじよう》含《ふく》まれてゐる水《みづ》をいふのです。淡水湖《たんすいこ》は二五〇みり以下《いか》の水《みづ》で、鹹水湖《かんすいこ》よりも淡《あは》いのはいふまでもありません。この化學《かがく》成分《せいぶん》の水中《すいちゆう》における状態《じようたい》は、水温《すいおん》とほゞ同樣《どうよう》で、夏《なつ》は表面《ひようめん》に少《すくな》く、深層《しんそう》に向《むか》ふにつれて量《りよう》を増《ま》し、また水温《すいおん》の變水層《へんすいそう》の附近《ふきん》では水温《すいおん》と同《おな》じように急《きゆう》に變化《へんか》して、表水《ひようすい》と深水《しんすい》との境《さかひ》を作《つく》ります。また其他《そのた》の季節《きせつ》においても水温《すいおん》の變化《へんか》と同樣《どうよう》な變化《へんか》をくりかへしてゐます。その成分《せいぶん》のうち最《もつと》も多量《たりよう》にふくまれてゐるものは、湖沼《こしよう》によつてちがひますが、大體《だいたい》は硅酸《けいさん》の多《おほ》いものと石灰《せつかい》の多《おほ》いものと二《ふた》つにわけることが出來《でき》ます。日本《につぽん》の湖沼《こしよう》の大部分《だいぶぶん》はこの硅酸《けいさん》を多量《たりよう》に含《ふく》んでゐます。
なほ水中《すいちゆう》には、酸素《さんそ》とか炭酸《たんさん》又《また》は硫化《りゆうか》水素《すいそ》等《など》の瓦斯體《がすたい》も含《ふく》まれてゐます。
以上《いじよう》水質《すいしつ》の調査《ちようさ》は、水産業《すいさんぎよう》、農業《のうぎよう》、工業《こうぎよう》などに湖《みづうみ》の水《みづ》を使用《しよう》する上《うへ》に、極《きは》めて必要《ひつよう》なことで飮料《いんりよう》につかふ場合《ばあひ》などは、特《とく》に完全《かんぜん》な試驗《しけん》をしなければなりません。
湖中《こちゆう》には種々《しゆ/″\》な生物《せいぶつ》が繁殖《はんしよく》してゐますが、魚類《ぎよるい》が天然《てんねん》にすんでゐるのは排出河《はいしゆつか》を溯《さかのぼ》つて湖《みづうみ》にはひつて來《き》たのです。近來《きんらい》魚《うを》の養殖《ようしよく》が盛《さか》んに行《おこな》はれるようになつてからは、今《いま》までゐなかつたような魚《うを》を、他《た》の湖沼《こしよう》や河川《かせん》から、卵《たまご》や稚魚《ちぎよ》のうちにもつて來《き》て、放《はな》して成長《せいちよう》させてゐます。貝類《かひるい》も同樣《どうよう》です。そのほか、浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》が繁殖《はんしよく》してゐます。そのうちには動物《どうぶつ》もあれば植物性《しよくぶつせい》のものもありますが、いづれも極《きは》めて小《ちひ》さなもので、檢微鏡《けんびきよう》を使《つか》はなければ、研究《けんきゆう》出來《でき》ません。この浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》は前《まへ》にも述《の》べたように季節《きせつ》によつて繁殖《はんしよく》の程度《ていど》がちがひ、年中《ねんじゆう》同一《どういつ》の分布《ぶんぷ》状態《じようたい》はしてゐません。またその生物《せいぶつ》は、水色《すいしよく》や透明度《とうめいど》、水質《すいしつ》等《など》に種々《しゆ/″\》の變化《へんか》を與《あた》へます。水質《すいしつ》や生物《せいぶつ》についてくはしくお話《はなし》すると、ひどくむづかしいお話《はなし》になりますから、このくらゐにしておきます。
(一三)變遷《へんせん》と消滅《しようめつ》
湖沼《こしよう》の出來《でき》る手《て》つゞき、形《かたち》、それから湖沼《こしよう》に湛《たゝ》へられた水《みづ》については、以上《いじよう》に述《の》べたとほりです。しかし湖沼《こしよう》はいつまでも同《おな》じものではありません。この地球《ちきゆう》が破壞《はかい》せられて來《く》れば湖沼《こしよう》もなくなるのは無論《むろん》ですが、地球《ちきゆう》がなくならなくとも、湖沼《こしよう》は消滅《しようめつ》していくのです。湖沼《こしよう》としてなり立《た》つてから間《ま》もなく消滅《しようめつ》するものもあり又《また》永《なが》く千年《せんねん》萬年《まんねん》又《また》はそれ以上《いじよう》の年月《ねんげつ》を經《へ》てなくなるのもあります。その出來《でき》はじめから消滅《しようめつ》するまでの間《あひだ》には、種々《しゆ/″\》の變遷《へんせん》があるわけで、ちょうど人間《にんげん》が生《うま》れてから死《し》ぬまでに、いろ/\の時期《じき》をくゞるようなものです。人間《にんげん》が自動車《じどうしや》にひかれたり汽車《きしや》から振《ふ》り落《おと》されたり、あるひは病氣《びようき》して、まだ老《お》いないうちに死《し》ぬ場合《ばあひ》があるように、湖沼《こしよう》も中途《ちゆうと》で消滅《しようめつ》するものがとき/″\あります。
それで私《わたし》は湖沼《こしよう》の變遷《へんせん》を、人《ひと》の一生《いつしよう》になぞらへて次《つ》ぎのように八期《はつき》に分《わか》つて見《み》ました。
(イ)第一期《だいいつき》、脱兒《だつじ》時代《じだい》。 成因《せいいん》のところで述《の》べたように、ある原因《げんいん》のために湖沼《こしよう》の形《かたち》が出來《でき》、それに水《みづ》が注《そゝ》ぎ入《い》りつゝある時代《じだい》で、水《みづ》の量《りよう》はしだいに増加《ぞうか》し、從《したが》つて面積《めんせき》が次第《しだい》に大《おほ》きくなりつゝあるもの。
(ロ)第二期《だいにき》、孩兒《がいじ》時代《じだい》。 湖《みづうみ》の形《かたち》が出來上《できあが》り、面積《めんせき》は湖《みづうみ》の一生中《いつしようちゆう》、最《もつと》も大《おほ》きくなり、そして湖岸《こがん》の一部《いちぶ》からは排水《はいすい》をはじめて來《き》た時代《じだい》をいふのです。
(ハ)第三期《だいさんき》、幼年《ようねん》時代《じだい》。 第二期《だいにき》に出來《でき》かゝつた排水河《はいすいか》が、完全《かんぜん》になり、湖《みづうみ》の面積《めんせき》が少《すこ》し小《ちひ》さくなつた時代《じだい》をいひます。
以上《いじよう》の第一期《だいいつき》から第三期《だいさんき》までは、比較的《ひかくてき》急速《きゆうそく》に來《く》るのです。
(ニ)第四期《だいしき》、少年《しようねん》時代《じだい》。 湖盆《こぼん》の出來《でき》た當時《とうじ》の凹凸《おうとつ》のある原型《げんけい》は、そのまゝほとんど完全《かんぜん》で、まだ沈積物《ちんせきぶつ》の影響《えいきよう》を蒙《かうむ》らない時代《じだい》をいひます。
中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》はこの一例《いちれい》です。
(ホ)第五期《だいごき》、青年《せいねん》時代《じだい》。 湖岸《こがん》には湖棚《こほう》が出來《でき》、また湖底《こてい》全體《ぜんたい》には薄《うす》く沈積物《ちんせきぶつ》が堆積《たいせき》してゐますが、湖盆《こぼん》の原型《げんけい》はまだ明《あきら》かに見《み》られる時代《じだい》、本栖湖《もとすこ》はその一例《いちれい》。
(ヘ)第六期《だいろくき》、老年《ろうねん》時代《じだい》。 沈積物《ちんせきぶつ》のために凹凸《おうとつ》ある湖盆《こぼん》の原型《げんけい》は滑《なめら》かになり、また湖底《こてい》は大部分《だいぶぶん》平坦《へいたん》になつて、湖岸《こがん》に三稜洲《さんりようす》や絶壁《ぜつぺき》をもつてゐる時代《じだい》。琵琶湖《びわこ》がそれです。
(ト)第七期《だいしちき》、瀕死《ひんし》時代《じだい》。 湖底《こてい》平原《へいげん》はだん/\隆起《りゆうき》し、湖岸《こがん》とほとんど同《おな》じくらゐの高《たか》さになり、湖岸《こがん》から沖《おき》の方《ほう》への傾斜《けいしや》は非常《ひじよう》にゆるくなつて來《き》、湖岸《こがん》に繁殖《はんしよく》した植物《しよくぶつ》は次第《しだい》に沖《おき》に向《むか》つて擴《ひろ》がつていく時代《じだい》。平賀湖《ひらがこ》のごときがそれです。
(チ)第八期《だいはつき》、死滅《しめつ》時代《じだい》。 湖底《こてい》はます/\高《たか》くなり、(つまり沈澱物《ちんでんぶつ》が次第《しだい》に重《かさ》なつて)ほとんど深《ふか》さのないものとなり、沈水《ちんすい》植物《しよくぶつ》が澤生《たくせい》植物《しよくぶつ》に移《うつ》る時代《じだい》、すなはち水澤地《すいたくち》の状態《じようたい》となつたもの。靜岡縣《しずをかけん》の浮島沼《うきしまぬま》がこれです。
以上《いじよう》の時代《じだい》は大概《たいがい》の湖沼《こしよう》にあてはめることが出來《でき》ますが、前《まへ》にも述《の》べたように若年《じやくねん》のうちに死滅《しめつ》するものもあります。また火口湖《かこうこ》のあるものゝ如《ごと》きは一生《いつしよう》排出河《はいしゆつか》がなく、又《また》ある湖《みづうみ》の如《ごと》きは出來《でき》るとすぐ第七《だいしち》、八期《はつき》の死滅期《しめつき》の状態《じようたい》になるものもあります。その他《ほか》、湖沼《こしよう》の大部分《だいぶぶん》はまだ壯齡《そうれい》であるにも拘《かゝは》らず、その一部《いちぶ》、例《たと》へば陸地《りくち》に入《い》りこんだところなどが、第七《だいしち》、八期《はつき》の状態《じようたい》をしてゐるものもあります。人間《にんげん》でいへば壯健《そうけん》であるにも拘《かゝは》らずからだの一局部《いつきよくぶ》に腫物《はれもの》が出來《でき》たり、疾患《しつかん》があつたりするのと同《おな》じわけです。
湖沼《こしよう》はかういふ風《ふう》に種々《しゆ/″\》な時代《じだい》を經《へ》て次第《しだい》に消滅《しようめつ》して行《ゆ》くのですが、その原因《げんいん》は次《つ》ぎの五《いつ》つのことが主《しゆ》となつてゐます。
(イ)山崩《やまくづ》れ等《など》のために土砂《どしや》が湖中《こちゆう》に落《お》ちこむ場合《ばあひ》。
(ロ)泥炭《でいたん》に變形《へんけい》した植物《しよくぶつ》が湖底《こてい》を高《たか》める場合《ばあひ》。
(ハ)沈澱物《ちんでんぶつ》が湖盆《こぼん》を埋沒《まいぼつ》して縮少《しゆくしよう》する場合《ばあひ》。
(ニ)排出河《はいしゆつか》の河床《かしよう》が次第《しだい》に深《ふか》くなり、そのために湖沼《こしよう》の水位《すいい》が低《ひく》くなる場合《ばあひ》。
(ホ)湖《みづうみ》の水《みづ》をせきとめてゐた材料《ざいりよう》(すなはち湖岸《こがん》)の一部《いちぶ》が消失《しようしつ》した場合《ばあひ》。
以上《いじよう》のうち(イ)の場合《ばあひ》では時《とき》によると、湖沼《こしよう》が一時《いちじ》に消滅《しようめつ》することがあります。また(ロ)、(ハ)、(ニ)の場合《ばあひ》は極《きは》めて徐々《じよ/\》に行《おこな》はれ、(ホ)の場合《ばあひ》はその材料《ざいりよう》消失《しようしつ》の程度《ていど》によつて一時《いちじ》に、あるひは徐々《じよ/\》に消滅《しようめつ》するのです。
湖沼《こしよう》の利用《りよう》
湖沼《こしよう》の利用《りよう》は、非常《ひじよう》に古《ふる》くから行《おこな》はれて來《き》たものです。その年代《ねんだい》は到底《とうてい》はっきり知《し》ることは出來《でき》ませんが現今《げんこん》湖畔《こはん》あるひは湖《みづうみ》の趾《あと》から發掘《はつくつ》される、先住民《せんじゆうみん》の遺物《いぶつ》を見《み》ますと、かなり古《ふる》くから湖沼《こしよう》を利用《りよう》してゐたことが推定《すいてい》できます。
これらの先住民《せんじゆうみん》は、鳥《とり》や獸《けだもの》や魚類《ぎよるい》や野生《やせい》の植物《しよくぶつ》などを食料《しよくりよう》にして生活《せいかつ》してゐたのです。人類《じんるい》がすくなかつた當時《とうじ》では、それ等《ら》のものが天然《てんねん》にたくさん繁殖《はんしよく》し、湖沼等《こしようとう》には魚類《ぎよるい》がありあまるほど群《むらが》つてゐたのです。湖沼《こしよう》はさういふ食料《しよくりよう》を限《かぎ》りなく供給《きようきゆう》してゐた外《ほか》、そこには、人類《じんるい》生活《せいかつ》に最《もつと》も必要《ひつよう》な飮料水《いんりようすい》が無盡藏《むじんぞう》に湛《たゝ》へられてゐます。それだけでも湖畔《こはん》は、人類《じんるい》が生活《せいかつ》するのにどれだけ便利《べんり》であつたかわかりません。又《また》その當時《とうじ》は、道路《どうろ》もろくになかつたので、筏等《いかだなど》で湖上《こじよう》を往復《おうふく》したにちがひありません。
人類《じんるい》が次第《しだい》に多《おほ》くなり、そのために野生《やせい》の食用《しよくよう》植物《しよくぶつ》が不足《ふそく》するようになると、農業《のうぎよう》といふものがはじめられて來《き》ました。この農耕《のうこう》には湖《みづうみ》の水《みづ》を灌漑《かんがい》につかつたもので、その後《ご》、文化《ぶんか》がずっと進《すゝ》んで來《く》るにつれてだん/\に今《いま》のような複雜《ふくざつ》な利用法《りようほう》を考《かんが》へるようになつたのです。現代《げんだい》では、人口《じんこう》がふえ、ずっと食糧《しよくりよう》が不足《ふそく》して來《き》たので、科學《かがく》を應用《おうよう》して湖沼《こしよう》に養魚《ようぎよ》の事業《じぎよう》をはじめたり、湖《みづうみ》の水《みづ》を、すっかり干《ほ》し流《なが》して田地《でんち》を作《つく》ることを考《かんが》へたり、また水力《すいりよく》發電《はつでん》に湖《みづうみ》の水《みづ》を利用《りよう》するなぞ湖沼《こしよう》は、いろ/\に利用《りよう》されてゐます。
それについて簡單《かんたん》ながらお話《はなし》して見《み》ませう。
(一)飮料水《いんりようすい》
湖《みづうみ》の水《みづ》を飮料《いんりよう》につかふことは、ずっと昔《むかし》から行《おこな》はれてゐました。まへにも言《い》つたように原始人《げんしじん》が湖畔《こはん》に住《す》まつたのも一《ひと》つはそのためです。また湖《みづうみ》の水《みづ》は、俗《ぞく》にもめた[#「もめた」に傍点]水《みづ》と言《い》つて、茶《ちや》の湯《ゆ》などにも使《つか》はれます。豐臣《とよとみ》秀吉《ひでよし》が琵琶湖《びわこ》から流《なが》れ出《だ》す宇治川《うじがは》の水《みづ》を、茶《ちや》の湯《ゆ》に使《つか》つたといふ話《はなし》は有名《ゆうめい》なものです。
湖水《こすい》はさういふ意味《いみ》で湖畔《こはん》の住民《じゆうみん》の飮《の》み料《りよう》になるばかりでなく、人口《じんこう》の多《おほ》い都會地《とかいち》の飮料水《いんりようすい》としても重要《じゆうよう》な位置《いち》を占《し》めてゐます。徳川氏《とくがはし》が江戸《えど》幕府《ばくふ》を開《ひら》いてからは、江戸《えど》の住民《じゆうみん》の飮料水《いんりようすい》は、今《いま》、公園《こうえん》になつてゐる井《ゐ》の頭池《かしらいけ》から引《ひ》いて來《き》たものでした。その江戸《えど》が東京《とうきよう》とよばれるようになると、人口《じんこう》はどん/\多《おほ》くなり、この池《いけ》だけでは飮料水《いんりようすい》がたりないために、近頃《ちかごろ》では東村山《ひがしむらやま》に大《おほ》きな池《いけ》をつくつて水《みづ》をためてゐます。また琵琶湖《びわこ》の水《みづ》は京都市《きようとし》に、中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》の水《みづ》は宇都宮市《うつのみやし》に、といふ風《ふう》に湖沼《こしよう》の水《みづ》を飮用《いんよう》に引《ひ》いて來《き》てゐるところが澤山《たくさん》あります。これ等《ら》は、湖沼《こしよう》の水《みづ》が清《きよ》く澄《す》んでゐるのと、川水《かはみづ》のように水《みづ》が涸《か》れることがないからです。
冬《ふゆ》に氷《こほり》の張《は》る湖《みづうみ》では、その氷《こほり》を切《き》り出《だ》して氷漬《こほりづ》けをするのに使《つか》ひ、夏《なつ》には直接《ちよくせつ》飮料《いんりよう》にも利用《りよう》せられてゐます。今《いま》、さうして氷《こほり》を切《き》り出《だ》してゐる主《おも》な湖沼《こしよう》は、北海道《ほつかいどう》の大沼《おほぬま》、榛名湖《はるなこ》、諏訪湖《すはこ》、木崎湖《きざきこ》などです。
(二)交通《こうつう》
湖上《こじよう》の交通《こうつう》も前《まへ》に述《の》べたようにやはり古《ふる》くから行《おこな》はれて來《き》たものです。今《いま》でも湖畔《こはん》の泥土《でいど》の中《なか》から、昔《むかし》使《つか》つた、木《き》を削《けづ》つて作《つく》つた丸木舟《まるきぶね》が時々《とき/″\》出《で》て來《く》るのを見《み》ても想像《そうぞう》がつきます。今《いま》では湖畔《こはん》に人《ひと》が住《す》んでゐる湖沼《こしよう》には、すべて舟《ふね》があつて、人《ひと》を乘《の》せたり、荷物《にもつ》を運《はこ》んだりしてゐるのはいふまでもありません。また琵琶湖《びわこ》、宍道湖《しんじこ》、中《なか》の海《うみ》、濱名湖《はまなこ》、霞《かすみ》が浦《うら》、北浦《きたうら》、猪苗代湖《ゐなはしろこ》、小河原沼《をがはらぬま》、それから北海道《ほつかいどう》の洞爺湖《どうやこ》や支笏湖《しこつこ》等《など》には汽船《きせん》が航行《こうこう》してゐます。小《ちひ》さい湖《みづうみ》でも發動機船《はつどうきせん》や小舟《こぶね》は澤山《たくさん》うかんでゐます。それは漁業《ぎよぎよう》にも使《つか》はれてゐますが、主《しゆ》として交通用《こうつうよう》のものです。
また氷《こほり》の張《は》る湖《みづうみ》では、その上《うへ》を橇《そり》で物《もの》を運《はこ》んでゐます。これは車《くるま》や舟《ふね》で運《はこ》ぶことの出來《でき》ない、大《おほ》きな荷物《にもつ》を動《うご》かすのには實《じつ》に便利《べんり》です。
(三)漁業《ぎよぎよう》
人間《にんげん》は、原始《げんし》時代《じだい》から、食糧《しよくりよう》の一部《いちぶ》を漁業《ぎよぎよう》から得《え》たのですが、だん/\人口《じんこう》がふえすぎたのと、一方《いつぽう》では文化《ぶんか》が進《すゝ》んだために、漁具《ぎよぐ》や漁法《ぎよほう》も、いちじるしく進歩《しんぽ》し、どん/\魚介《ぎよかい》をとるので、それらが自然《しぜん》に繁殖《はんしよく》するだけでは足《た》りなくなつて來《き》ました。それで魚類《ぎよるい》を人工《じんこう》でもつて繁殖《はんしよく》させるようになり、したがつて漁獲《ぎよかく》も大分《だいぶん》多《おほ》くなつて來《き》ました。
日本《につぽん》の湖沼《こしよう》で養魚《ようぎよ》の一《いち》ばん盛《さか》んなのは琵琶湖《びわこ》ですが、その他《た》の湖沼《こしよう》でも、一《ひと》つとして養魚《ようぎよ》の經營《けいえい》をしてゐないところはないくらゐです。帝室《ていしつ》林野局《りんやきよく》や農林省《のうりんしよう》をはじめとして、湖沼《こしよう》をもつた縣《けん》の水産《すいさん》試驗場《しけんじよう》あるひは湖畔《こはん》の漁業《ぎよぎよう》組合《くみあひ》、あるひは個人《こじん》で力《ちから》を入《い》れてやつてゐるのです。
もうなくなりましたが、和井内《わゐない》貞行《さだゆき》といふ人《ひと》は個人《こじん》で養魚《ようぎよ》經營《けいえい》をし、苦心《くしん》に苦心《くしん》をしてつひに成功《せいこう》した人《ひと》で、じっさい日本《につぽん》の養魚《ようぎよ》事業《じぎよう》の恩人《おんじん》です。なほこの人《ひと》は立志傳中《りつしでんちゆう》の人物《じんぶつ》であり、われ/\の手本《てほん》になる人《ひと》ですから、その略傳《りやくでん》をちよっとお話《はなし》して置《お》きませう。
和井内氏《わゐないし》の養魚《ようぎよ》は十和田湖《とわだこ》でしたのです。この十和田湖《とわだこ》は排出河《はいしゆつか》に瀧《たき》があるために下流《かりゆう》から魚《うを》がのぼつて來《き》ません。それで湖中《こちゆう》には殆《ほとん》ど魚《うを》の影《かげ》もなかつたのでした。ところが明治《めいじ》十七年《じゆうしちねん》に、和井内氏《わゐないし》は養魚《ようぎよ》の必要《ひつよう》を感《かん》じてこの湖《みづうみ》に鯉《こひ》を放《はな》つて見《み》ました。それが十餘年後《じゆうよねんご》には大分《だいぶん》繁殖《はんしよく》しましたが、明治《めいじ》三十三年《さんじゆうさんねん》には、もう一《いつ》ぴきもとれなくなりました。
[#図版(2_10.png)、十和田湖]
[#ここからキャプション]
鉛山峠より東方に湖を望む。山で圍まれてる中央部の水面は火口であります。[#キャプションここまで]
それで今度《こんど》は三年間《さんねんかん》引《ひ》き續《つゞ》いて川鱒《かはます》の卵《たまご》を人工《じんこう》で孵化《ふか》させて放《はな》しましたが、その鱒《ます》は全部《ぜんぶ》川口《かはぐち》から下流《かりゆう》へ逃《のが》れ去《さ》つたので氏《し》は非常《ひじよう》にがっかりしました。これだけの永《なが》い年月《ねんげつ》の間《あひだ》には、身分《みぶん》不相應《ふそうおう》の借財《しやくざい》も出來《でき》て、もうどうすることも出來《でき》なくなつたのでお父《とう》さんに相談《そうだん》しますと、お父《とう》さんは非常《ひじよう》に立腹《りつぷく》しました。すなほに農業《のうぎよう》でもして働《はたら》いてゐればいゝものを、人《ひと》が考《かんが》へさへもしない、危險《きけん》な事業《じぎよう》をして失敗《しつぱい》したのですからひどく怒《おこ》つたのです。しかし、氏《し》は、けっきよく、もう養魚《ようぎよ》事業《じぎよう》には手《て》を出《だ》さないことを誓《ちか》つて、やうやく借金《しやつきん》だけは、お父《とう》さんからかへしてもらひました。それで一安心《ひとあんしん》すると、氏《し》はお父《とう》さんとの約束《やくそく》を忘《わす》れて今度《こんど》放流《ほうりゆう》しようとする魚《うを》をえらびいろ/\調査《ちようさ》をしました。その結果《けつか》、支笏湖《しこつこ》のかばちえっぽ[#「かばちえっぽ」に傍点]といふ小《ちひ》さな鱒《ます》に目《め》をつけましたが、そのときにはもうその卵《たまご》を買《か》ふ金《かね》が一錢《いつせん》もなかつたので、自分《じぶん》の衣類《いるい》や、たった一《ひと》つしかない銀時計《ぎんどけい》までも賣《う》り拂《はら》つて、やっと二十圓《にじゆうえん》ほどのお金《かね》をつくり、早速《さつそく》その卵《たまご》を取《と》り寄《よ》せて、三十六年《さんじゆうろくねん》の五月《ごがつ》に孵化《ふか》した稚魚《ちぎよ》を放《はな》しました。しかし、三年間《さんねんかん》は獲《と》ることは出來《でき》ないし、それからさきの經營《けいえい》や生活《せいかつ》にも金《かね》がいるために、泣《な》くような苦勞《くろう》をした上《うへ》に、またどっさり借財《しやくざい》が出來《でき》ました。もうお父《とう》さんにも話《はな》されない義理《ぎり》ですが、ほかにたよる人《ひと》もないので、とう/\また泣《な》きついて田地《でんち》や畑《はた》を賣《う》つて金《かね》をこしらへてもらひ負債《ふさい》を拂《はら》ひました。
かうして二年後《にねんご》の三十八年《さんじゆうはちねん》になりました。鱒《ます》といふものは大《おほ》きくなると、最初《さいしよ》放《はな》した地點《ちてん》へ歸《かへ》つて來《く》るものなので、その年《とし》の九月《くがつ》になりますと一尺《いつしやく》五寸《ごすん》ぐらゐの大《おほ》きさになつた鱒《ます》が、故郷《こきよう》へでも歸《かへ》るように元氣《げんき》よく群《むれ》をなしてさかのぼつて來《き》ました。和井内氏《わゐないし》は、それを見《み》て、をどり上《あが》つて喜《よろこ》びましたが、しかし殘念《ざんねん》なことには、まだその鱒《ます》をとる準備《じゆんび》が出來《でき》てゐませんでした。ちょうどこの年《とし》は東北《とうほく》地方《ちほう》の大凶作《だいきようさく》の年《とし》でしたので、氏《し》は決心《けつしん》して、「この湖水《こすい》の鱒《ます》は、凶作《きようさく》救濟《きゆうさい》のためにみなさんに差《さ》し上《あ》げるから勝手《かつて》にとつてくれ。その代《かは》り、私《わたし》は今《いま》食《た》べるものもないから米代《こめだい》だけくれよ」と、湖畔《こはん》附近《ふきん》の住民《じゆうみん》に言《い》ひわたしました。
すると彼等《かれら》は非常《ひじよう》に喜《よろこ》んで、おの/\いろ/\な漁具《ぎよぐ》を作《つく》り、しばらくの間《あひだ》に一萬《いちまん》五千尾《ごせんび》もとりました。その住民《じゆうみん》の喜《よろこ》びを見《み》て、和井内氏《わゐないし》も非常《ひじよう》にうれしがりましたが、氏《し》のお父《とう》さんはそれを聞《き》いて大變《たいへん》にいきどほり、氏《し》を馬鹿《ばか》ものと罵《のゝし》つたそうです。しかし、そんなことがもとで、氏《し》はその後《ご》も稚魚《ちぎよ》の放流《ほうりゆう》を毎年《まいねん》つゞけ、成績《せいせき》も著《いちじる》しくのぼつて來《き》て、政府《せいふ》でも三十九年《さんじゆうくねん》一月《いちがつ》七日《なのか》の官報《かんぽう》にこの成績《せいせき》を發表《はつぴよう》して日本中《につぽんじゆう》へ知《し》らせたくらゐです。ついで四十年《しじゆうねん》六月《ろくがつ》には氏《し》は政府《せいふ》から表彰《ひようしよう》され、緑綬《りよくじゆ》褒章《ほうしよう》をももらひました。氏《し》の永《なが》い間《あひだ》の苦心《くしん》もこれで償《つぐな》はれ、最近《さいきん》では日本中《につぽんじゆう》の湖沼《こしよう》に鱒《ます》の卵《たまご》をおくるほどになり、その鱒《ます》には和井内《わゐない》鱒《ます》といふ別名《べつめい》さへついてゐます。
(四)農業《のうぎよう》
河《かは》の水《みづ》は旱魃《かんばつ》が續《つゞ》くと、すっかり減《へ》りますが湖沼《こしよう》の水《みづ》には、たいしてさういふ變化《へんか》がありません。湖沼《こしよう》の水《みづ》を水田《すいでん》の灌漑《かんがい》に使《つか》ふことは農耕《のうこう》のおこつたはじめから行《おこな》はれてゐたにちがひありません。現今《げんこん》でも殆《ほとん》ど、それに使《つか》つてゐない湖沼《こしよう》はないくらゐです。湖沼《こしよう》は、それだけ水《みづ》が豐富《ほうふ》であるばかりでなく大洪水《だいこうずい》の時《とき》などには、一時《いちじ》に湖《みづうみ》に水《みづ》がたまるので、耕地《こうち》に水害《すいがい》を及《およ》ぼすことが少《すくな》くなります。仙臺《せんだい》附近《ふきん》の平地《へいち》にある廣淵沼《ひろぶちぬま》や品井沼《しなゐぬま》、あるひは關東《かんとう》平野《へいや》の湖沼《こしよう》、又《また》は淀川《よどがは》流域《りゆういき》にある巨椋《おほむく》[#ルビの「おほむく」は底本のまま]の池《いけ》等《など》は、この水害《すいがい》をなくするのに、いちじるしく役立《やくだ》つてゐます。また宍道湖《しんじこ》、諏訪湖《すはこ》、野尻湖《のじりこ》等《など》のごとく、湖沼《こしよう》の水《みづ》には肥料分《ひりようぶん》の多《おほ》いのがあつて、耕作地《こうさくち》の肥料《ひりよう》の一部分《いちぶぶん》を補《おぎな》つてゐます。
また溪谷《けいこく》の水《みづ》は非常《ひじよう》に冷《つめ》たいので、それを灌漑《かんがい》に使《つか》ふと、稻《いね》の發育《はついく》を害《がい》しますが、湖沼《こしよう》の水《みづ》は相當《そうとう》に熱《ねつ》を保《たも》つてゐるために、さういふ害《がい》がありません。そのためにひどく冷《つめ》たい河水《かすい》は、一時《いちじ》湖沼《こしよう》または溜池《ためいけ》にため入《い》れて、それから灌漑《かんがい》につかふように工夫《くふう》されてゐます。また淺《あさ》い湖沼《こしよう》を干《ほ》して田地《でんち》を作《つく》ることもあります。湖底《こてい》に沈積《ちんせき》した泥土《でいど》はいゝ肥料《ひりよう》になるので、この事業《じぎよう》も非常《ひじよう》に有利《ゆうり》なわけです。以上《いじよう》のとほり湖沼《こしよう》は農業《のうぎよう》方面《ほうめん》にも非常《ひじよう》に役立《やくだ》つのですが、今《いま》言《い》つた淺《あさ》い湖沼《こしよう》を干《ほ》すについてはいろ/\注意《ちゆうい》しなければならないことがあります。それは湖沼《こしよう》に洪水《こうずい》の時《とき》などは水《みづ》を一時《いちじ》湛《たゝ》へる働《はたら》きをするのですから、それを干《ほ》すと、その働《はたら》きがなくなり、從《したが》つて出來《でき》た田《た》は勿論《もちろん》のこと、ほかの耕地《こうち》までが、洪水《こうずい》で荒《あ》らされることがあります。それでこの計畫《けいかく》には、湖沼《こしよう》が出來《でき》てゐる理由《りゆう》と、現在《げんざい》の状態《じようたい》をよく調査《ちようさ》してからかゝらないと、取《と》り返《かへ》しのつかない失敗《しつぱい》を招《まね》くことがあります。
(五)工業《こうぎよう》
直接《ちよくせつ》工業《こうぎよう》にはこれまではあまり利用《りよう》してはゐませんが、昔《むかし》から纖維《せんい》をさらすのには多少《たしよう》利用《りよう》してゐたようです。近年《きんねん》は種々《しゆ/″\》な生絲業《きいとぎよう》にも利用《りよう》します。その最《もつと》も盛《さか》んなのは長野縣《ながのけん》の岡谷町《をかやまち》で、諏訪湖《すはこ》の水《みづ》をそれにつかふのをはじめとして、琵琶湖畔《ばわこはん》[#ルビの「ばわこはん」は底本のまま]の彦根《ひこね》や南方《なんぽう》の堅田《かたた》、膳所《ぜゞ》などでもその水《みづ》を工業《こうぎよう》に利用《りよう》してゐます。
次《つ》ぎにこれは極《きは》めて少《すくな》いのですが、諏訪湖《すはこ》や三方湖《さんぽうこ》[#ルビの「さんぽうこ」は底本のまま]では湖底《こてい》から發散《はつさん》する瓦斯《がす》を燈火《とうか》その他《た》に使《つか》ひ、また北海道《ほつかいどう》の登別《のぼりべつ》湯沼《ゆぬま》や宮城縣《みやぎけん》の潟沼《かたぬま》のようなところでは湖底《こてい》から硫黄《いおう》をとつてゐます。
(六)發電《はつでん》水力《すいりよく》
湖沼《こしよう》から流《なが》れて出《で》る水《みづ》を利用《りよう》して水車《すいしや》をまはし、それで米《こめ》などをつくことは昔《むかし》から行《おこな》はれました。今《いま》ではこの水《みづ》の量《りよう》と力《ちから》とを利用《りよう》して水力《すいりよく》電氣《でんき》を起《おこ》し非常《ひじよう》な利益《りえき》を得《え》てゐます。水力《すいりよく》電氣《でんき》は川《かは》の水《みづ》を使用《しよう》するものもありますが、川《かは》は増水《ぞうすい》も減水《げんすい》もはげしいですが、湖沼《こしよう》の水《みづ》は適度《てきど》に使用《しよう》することが出來《でき》るので、非常《ひじよう》に好都合《こうつごう》です。それで近頃《ちかごろ》は、わざ/\河《かは》をせきとめて湖《みづうみ》をつくり、それを發電《はつでん》水力《すいりよく》として使《つか》つてゐます。その主《おも》なるものは木曾川《きそがは》中流《ちゆうりゆう》の惠那湖《えなこ》、宇治川《うじがは》堰止湖《えんしこ》など、そのほかにもまだ幾《いく》らもあります。從來《じゆうらい》からの湖《みづうみ》を、電力《でんりよく》に使《つか》つてゐるものは非常《ひじよう》に多《おほ》く、最《もつと》も主《おも》なるものは支笏湖《しこつこ》、北海道《ほつかいどう》大沼《おほぬま》、猪苗代湖《ゐなはしろこ》、富士《ふじ》北麓《ほくろく》の湖沼《こしよう》、琵琶湖《びわこ》などです。
なほ湖沼《こしよう》はかういふ經濟的《けいざいてき》の利用《りよう》のほかに、近來《きんらい》は避暑地《ひしよち》あるひは水泳場《すいえいじよう》、すけーと場《ば》として盛《さか》んに利用《りよう》されてゐます。今《いま》まで世間《せけん》の人《ひと》は多《おほ》く海岸《かいがん》や高原《こうげん》に別莊《べつそう》を建《た》てたりして避暑地《ひしよち》にしてゐたものですが、それではたゞ海《うみ》や高原《こうげん》などに接《せつ》するだけであまり變化《へんか》がありません。ところが湖畔《こはん》となると、水《みづ》のために寒《さむ》さも暑《あつ》さも適當《てきとう》に緩和《かんわ》されますし、そのほか、山《やま》と水《みづ》とについて、いろ/\風光《ふうこう》の變化《へんか》もあり、また湖沼《こしよう》は體育《たいいく》運動《うんどう》にも使《つか》はれる特徴《とくちよう》があります。中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》をはじめ、芦《あし》の湖《こ》、野尻湖《のじりこ》など、山地《さんち》の湖沼《こしよう》で、かういふ方面《ほうめん》に利用《りよう》せられてゐるものが非常《ひじよう》に多《おほ》くなつて來《き》たのもその筈《はず》です。
底本:
1982(昭和57)年6月20日発行
親本:
1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- [北海道]
- 大沼 おおぬま 北海道南西部、渡島半島の駒ヶ岳の南にある堰止湖。湖面標高129m。最大深度12m。面積5.3平方km。付近に小沼・蓴菜沼がある。
- 屈斜路湖 くっしゃろこ (くっちゃろ湖とも)北海道東部、釧路地方北部にあるカルデラ湖。湖面標高121m。最大深度118m。面積79.6平方km。東方に川湯温泉がある。阿寒国立公園の一部。
- 洞爺湖 とうやこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高84m。最大深度180m。面積70.7平方km。南岸に有珠山・昭和新山の2火山がある。支笏湖とともに国立公園をなす。
- 支笏湖 しこつこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高248m。最大深度360m。面積78.4平方km。北岸に恵庭岳、南岸に樽前山の両火山がある。
- 登別湯沼 のぼりべつ ゆぬま 大湯沼・奥湯沼。登別温泉は現、胆振支庁登別市登別温泉町。原生林に囲まれた温泉街を形成し、約3キロ北西にカルルス温泉がある。大湯沼は登別温泉地獄谷の北にある。奥湯沼は大湯沼のすぐ東にあり、奥の湯ともいう。ともに登別温泉町に位置する。大湯沼は倶多楽火山の西麓に寄生した溶岩円頂丘の日和山(377m)の南斜面に水蒸気爆発の火口が形成され、ここに湧出したもの。周囲約1km、最大水深約25m、水面温度は摂氏約40〜60度。沼底では「ふき」とよぶ壺形の穴から摂氏約132度の硫黄温泉が噴き出し、溶融硫黄が堆積する。奥湯沼は直径30m、最大水深6mと小さい。奥湯沼が上流にあたり、沼尻から大湯沼へ、さらにユエサンペツとよばれた沢が流出し、登別温泉街を流れる紅葉谷の上流に合流する。地獄谷とともに近世末期より硫黄(溶融硫黄・昇華硫黄)採掘で知られたが、地獄谷が昭和28(1953)に温泉観光のため採掘禁止になって以後、大湯沼でも中止。
- 登別 のぼりべつ 北海道南西部、太平洋岸の温泉観光都市。人口5万3千。
- [青森県]
- 十和田湖 とわだこ 青森・秋田両県の境にあるカルデラ湖。奥入瀬川の水源。湖面標高400m。最大深度327m。面積61平方km。周辺は美林に蔽われる。
- 小川原沼 おがわらぬま → 小川原湖
- 小川原湖 おがわらこ 青森県東部の汽水湖。三本木原台地と太平洋岸の砂丘地帯とに挟まれた湖沼群のうち最大のもの。淡水化事業が進行。最大深度24.4m。面積62.2平方km。小川原沼。こがわらこ。おがらこ。
- [秋田県]
- 鉛山峠 なまりやまとうげ? 鉛山(なまりやま)は、秋田県小坂町にある山。標高990.9m。十和田湖の西岸に位置し、同湖を取り囲む外輪山の一つである。
(Wikipedia)/現、鹿角郡小坂町上向。十和田湖西岸に位置。標高903m。鉛山鉱山があり、輝銀鉱・黄銅鉱・金鉱などを出す。 - 田沢湖 たざわこ 秋田県仙北市の、岩手県境に近い奥羽山脈中にある典型的なカルデラ湖。周囲20km。面積25.8平方km。湖面標高249m。最も深い所は423mに達し日本第1位。
- 男潟 おとこがた → おがた、か
- 女潟 おんながた → めがた、か
- 男潟 おがた 現、秋田市金足小泉・同鳰崎。天王砂丘内側の低地が潟となった砂丘堰止湖で、北の男潟と南の女潟に分れる。周囲は5km余、四季を通して佳景を呈する。金足地区は秋田市の北部。
- 女潟 めがた 同上。
- [宮城県]
- 仙台 せんだい 宮城県中部の市。県庁所在地。政令指定都市の一つ。広瀬川の左岸、昔の宮城野の一部を占める東北地方の中心都市。もと伊達氏62万石の城下町。織物・染物・漆器・指物・埋木細工・鋳物などを産するほか、近代工業も活発。東北大学がある。人口102万5千。
- 広淵沼 ひろぶちぬま 現、桃生郡河南町。旧北上川西岸沿いにあった人工の溜池で、大堤ともいわれ、明治11(1878)から公称広淵大溜池となった。旭山丘陵の東部に広がっていた低湿地帯広淵谷地の大規模な新田開発に伴って築造。大正9(1920)全面的な干拓事業が提唱され、昭和3(1928)完工。現在、かつての沼地は豊かな水田地帯となっている。
- 品井沼 しないぬま 現、志田郡鹿島台町。北は大松沢鹿島台丘陵、南は松島丘陵に囲まれた吉田川が湛水したのが品井沼で、小川によって鳴瀬川に注いでいた。しかしその間の落差はきわめてわずかで、増水時には鳴瀬川の溢水が品井沼に逆流し、吉田川の増水と合する。沼は両川の遊水地帯でもあった。明治40年、本格的な干拓工事が開始、同43年一応完了、開拓がおこなわれたが、洪水による被害はなお大きかった。昭和15(1940)新吉田川を開削、サイフォンで排水。広大な水田地帯となる。しかし、きわめて低い干拓地帯ゆえ、今なお洪水の際には堤防決壊などで、輪中式の開拓区内は全面冠水の災厄にしばしば見舞われがち。
- 潟沼 かたぬま 現、玉造郡鳴子町。玉造郡の西北部、奥羽山脈東側の山間にあり、江合川(荒雄川)の最上流域を占める。潟沼は胡桃ヶ岳(461.4m)
・鳥谷ヶ森(389.4m)などの小火山に囲まれ、 『続日本後紀』承和4(837)4月16日条にみえる「新沼」と考えられ、その頃活発となった火山活動によって誕生した火口湖、あるいは堰止湖といわれる。鳴子温泉源の一つと考えられ、湖底から湧出する熱泉ガスや水蒸気のため最寒期にも凍らない所があり、多量の硫黄が沈殿し、pH1.8〜2.0の強酸性度を記録する。 - [福島県]
- 猪苗代湖 いなわしろこ 福島県の中央部、磐梯山の南麓にある堰止湖。阿賀野川の水源。湖面標高514m。最大深度94m。周囲50km。面積103平方km。
- [茨城県]
- 北浦 きたうら 茨城県南東部、霞ヶ浦の東に位置する淡水湖。面積35.2平方km、最大深度8m。鹿島臨海工業地域の工業用水・都市用水の水源。
- 霞ヶ浦 かすみがうら 茨城県南東部にある日本第2の大湖。東にある北浦と共に海跡湖。周囲120km。面積167.6平方km。最大深度11.9m。富栄養湖。ワカサギ・シラウオなどの魚類が多いが、近年水質汚濁が進み、漁獲量は減少傾向にある。
- [栃木県]
- 中宮祠湖 ちゅうぐうじこ → 中禅寺湖
- 中禅寺湖 ちゅうぜんじこ 栃木県北西部日光山中、男体山の南麓にある湖。男体山噴火の結果、噴出物によって大谷川の渓谷が塞き止められて生じた湖。華厳の滝・大谷川の水源。湖面標高1269m。最大深度163m。周囲22km。面積11.8平方km。日光国立公園の一部。中宮祠湖。幸ノ湖。
- 宇都宮 うつのみや 栃木県中央部の市。県庁所在地。古来奥州街道の要衝。江戸初期、奥平氏11万石の城下町として発展。人口50万2千。
- 湯ノ湖 ゆのこ 現、日光市。三岳と前白根山の間にあり、三岳の噴火で形成された堰止湖。北西から金精沢が流入、南尻の湯滝から流れ出た湖水は湯川となって戦場ヶ原へと向かう。湖名は北東部に温泉が湧出することにちなむという。南北約1km・東西約300m、湖水面積0.25平方km。最大深度は13.5m。北部は湯元温泉の旅館街となっている。
- [群馬県]
- 菅沼 すがぬま
「すげぬま」か。現、利根郡片品村東小川。金精山西麓に東から菅沼・丸沼・大尻沼と並び、いずれも白根山火山による溶岩堰止湖。菅沼は金精峠の入口にあたり標高約1729m。沼水は菅沼から順に流れて大滝川となる。菅沼は元来一つの沼であったが、昭和5(1930)水力発電所建設により水位が低下、最も水位の低下する3〜4月には三つの沼に分れる。豊水期の湖面積は約0.85平方km、周囲約7km。いずれの沼も白樺やブナ・ナラなどの原生林で囲まれ、季節に応じて見事な景観を呈する。 - 赤城大沼 あかぎ おおぬま
「おの」 。赤城山山頂カルデラ内にある火口原湖。大沼の水は沼尻付近で環壁を破り沼尾川となって西麓赤城村を流れて利根川に落ちる。北岸には会社・学校などの山寮が多い。 - 城沼 しろぬま
「じょうぬま」か。現、館林市街地東部にあり、尾曳町・つつじ町・花山町・楠町・当郷に囲まれる。標高17.5m、長径は東西約3.8km、短径は南北最大0.26km。東西に長く帯状に延び旧河道をしのばせる。周囲約14km、湖面積は約0.5平方kmで、深さは1〜2m内外。西から鶴生田川が流入し、東端で流れ出る。館林城の南東にあたり、かつては石垣沼といわれたという。 - 榛名湖 はるなこ 榛名山にあるカルデラ湖。湖面標高1084m。最大深度12.5m。周囲5km。面積1.2平方km。古名、伊香保の沼。ワカサギ釣りの名所。
- [東京都]
- 江戸 えど (古今要覧稿に「江所(江に臨む所)
」の意とする) 東京の旧名。古くは武蔵国豊島郡の一部に過ぎず、平安末期に秩父氏の一支流江戸四郎重継が今の皇居の地に居館を営み、下って1457年(長禄1)太田道灌が築城、その後上杉・北条の手を経て、徳川氏が幕府を開くに及んで大都会となった。すなわち、家康は1590年(天正18)江戸に入り土木を起こし、1604年(慶長9)から江戸城を大きく改造。以降4代家綱の頃まで、諸大名に負担させては大工事を行い、幕末までいわゆる八百八町の繁栄を保ち、享保(1716〜1736)以降は人口100万以上を維持。1868年9月(慶応4年7月)東京と改称。 - 関東平野 かんとう へいや 関東地方の大部分を占める日本最大の平野。
- 井の頭池 いのかしらいけ 井之頭池。現、東京都の武蔵野市・三鷹市にまたがる井之頭公園内にある池。江戸時代、神田上水として江戸に飲料水を供給した。
- 東村山 ひがしむらやま 東京都西郊、武蔵野台地・狭山丘陵にある市。もと鎌倉街道の宿駅。野火止用水の開削後、新田開発が進展。近年住宅地化。人口14万5千。
- [神奈川県]
- 芦ノ湖 あしのこ 蘆ノ湖。神奈川県南西部、箱根山にある火口原湖。湖面標高725m。最大深度41m。周囲19km。面積6.9平方km。
- [福井県]
- 三方湖 さんぽうこ
「みかたこ」、三方五湖か。三方五湖は三方郡の北西部、三方町と美浜町にまたがる五つの湖、すなわち三方湖・水月湖・菅湖(水月湖の一部) ・久々子湖・日向湖の総称。常神半島の付根の部分にあたる。三方湖・水月湖・日向湖の三湖は古生層地の陥没湖。なお、三方湖・水月湖・久々子湖の三湖を総称して三方湖ともいう。 - 三方五湖 みかた ごこ 福井県南西部、三方上中郡若狭町と三方郡美浜町にまたがる湖。三方湖・水月湖・菅湖・日向湖・久々子湖の五つの湖から成り、眺望に優れる。漁業が盛ん。国定公園に指定。ラムサール条約湿地。
- 白山 はくさん (1) 石川・岐阜両県にまたがる成層火山。主峰の御前峰は標高2702m。富士山・立山と共に日本三霊山の一つ。信仰や伝説で知られる。(2) 石川県南東部の市。金沢平野の手取川扇状地に位置し、南部は白山国立公園の山岳部。金沢市に隣接し、住宅地化が進行。人口10万9千。
- 千蛇が池 せんじゃがいけ 現、福井市三宅町か。九頭竜川下流域左岸の小丘陵に位置する。
『越前地理指南』に「東に頼朝の墓あり、長六尺五寸に二尺計。千蛇ケ池、廻り十丈余、深八尺……」とある。 - [山梨県]
- 本栖湖 もとすこ 富士五湖の一つ。山梨県南部にあって、五湖の西端に位置する。湖面標高900m。面積4.7平方km。最大深度122mで五湖中最も深い。
- 西湖 さいこ 富士五湖の一つ。山梨県南部、富士山の北麓にある堰止湖。湖面標高900m。最大深度72m。面積2.1平方km。にしのうみ。
- 富士山 ふじさん (不二山・不尽山とも書く) 静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220mほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776m。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰。富士。
- 山中湖 やまなかこ 富士五湖の一つ。山梨県南東部にあって、五湖の東端に位置する。面積は五湖中最大で、6.8平方km。湖面標高981m。最大深度13m。湖畔は避暑・観光の好適地。
- [長野県]
- 諏訪湖 すわこ 長野県諏訪盆地の中央にある断層湖。天竜川の水源。湖面標高759m。最大深度7.6m。周囲8km。面積12.9平方km。冬季は結氷しスケート場となり、氷が割れ目に沿って盛り上がる御神渡りの現象が見られる。代表的な富栄養湖。
- 野尻湖 のじりこ 長野県北部、信濃町にある斑尾火山の溶岩流による堰止湖。湖面標高657m。最大深度38m。周囲14km。面積4.4平方km。周辺は避暑・観光地。湖底よりナウマンゾウの化石が出土。
- 木崎湖 きさきこ/きざきこ 長野県北西部、大町市にある湖。糸魚川‐静岡構造線の断層活動と関連してできた堰止湖。仁科三湖の一つ。観光地化が進む。
- 松原湖 まつばらこ 現、南佐久郡小海町大字豊里松原。大月川泥流の氾濫原に存在し、面積4平方kmほどの地域に、大小10以上の窪地に水をたたえた湖沼群が存在する。標高1123m、周囲を鬱蒼たる森林に覆われ、八ヶ岳の雄大な姿を湖面に浮かべる松原湖(猪名湖)は、古来、神の湖として神聖視されていた。猪名湖の御神渡、湖底の蛇体伝説、長湖の氷上でおこなわれた正月七日の夜のドンド焼など、歴史を秘めている。
- 岡谷 おかや 長野県中部、諏訪湖西岸の市。もと、日本の製糸業の中心地。現在は精密機械工業が盛ん。人口5万5千。
- [岐阜県]
- 木曽川 きそがわ 長野県の中部、鉢盛山に発源、長野・岐阜・愛知・三重の4県を流れる川。王滝川・飛騨川などの支流を合し伊勢湾に注ぐ。長さ227km。
- 恵那湖 えなこ → 恵那峡か
- 恵那峡 えなきょう 現、恵那市。木曽川中流に造られたダム湖で、恵那市・中津川市・恵那郡蛭川村・同郡福岡町に及ぶ。日本最初のダム式発電所で、大正10(1921)に着工し、同13年に大同電力大井発電所が竣工した。高さ55m余、幅275m余の堰堤の完成により、上流12キロにも及ぶ大ダム湖が完成した。
- [静岡県]
- 浮島沼 うきしまぬま 静岡県沼津市と富士市に跨る湿地帯。
(Wikipedia)/現、沼津市。愛鷹山南麓と富士川などによって形成された砂州(東田子ノ浦砂丘・千本松砂丘)との間に形成された低湿地帯が浮島ヶ原で、このなかに東西に長く広がっていたのが浮島沼。 - 浜名湖 はまなこ 静岡県南西部に位置する汽水湖。面積65平方km。最大深度13m。今切により遠州灘に通ずる。引佐細江・猪鼻湖・弁天島・館山寺などの名勝がある。養殖ウナギで有名。遠淡海。
- [滋賀県]
- 琵琶湖 びわこ 滋賀県中央部にある断層湖。面積670.3平方kmで、日本第一。湖面標高85m。最大深度104m。風光明媚。受水区域が広く、上水道・灌漑・交通・発電・水産などに利用価値大。湖中に沖島・竹生島・多景島・沖の白石などの島がある。近江の海。鳰の海。
- 彦根 ひこね 滋賀県東部、琵琶湖の東岸中央部にある市。もと井伊氏35万石の城下町で、国宝の天守閣を現存。人口11万。
- 堅田 かたた (カタダとも) 滋賀県大津市、琵琶湖南西岸の地名。浮御堂に落雁を配し近江八景の一つとする。
- 膳所 ぜぜ 滋賀県大津市の一地区。琵琶湖南端部の西岸に臨む、もと本多氏6万石の城下町。南は同市石山に続く。
- 余吾湖 よごこ → 余呉湖か
- 余呉湖 よごこ 滋賀県北部、伊香郡余呉町にある陥没湖。湖面標高132m。最大深度13m。面積1.8平方km。余呉川によって琵琶湖に注ぐ。羽衣伝説がある。よごのうみ。
- [京都府]
- 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
- 巨椋の池 おおむくのいけ
「おぐらのいけ」 「おおくらのいけ」 。京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがって存在した池。周囲16km、面積約8平方km。1933〜41年干拓され消滅。古称、おおくらのいりえ。おぐらいけ。 - 宇治川堰止湖 うじがわ えんしこ 現、宇治市。大正2(1913)川水を導いた宇治川水力発電所が竣工し、同13年大峰ダムと大峰・志津川両発電所が設けられた。昭和39年、多目的ダムである天ヶ瀬ダムが完成して天ヶ瀬発電所が発電を開始し、大峰・志津川発電所は廃止された。昭和45年、右岸の谷間を利用して喜撰山揚水ダムと同発電所が建設され、宇治市東部山地に一大人造湖が誕生している。
- 宇治川 うじがわ 京都府宇治市域を流れる川。琵琶湖に発し、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。網代で氷魚・鮎を捕った「宇治の網代」や宇治川の合戦で名高い。
- 京都市 きょうとし 京都府南東部に位置する市。府庁所在地。政令指定都市の一つ。794年(延暦13)桓武天皇の奠都以来一千有余年の都。平安京と称。皇室との関係が深く、御所・仙洞御所・大宮御所、修学院・桂離宮があり、また、美術工芸の中心で、平安時代以後の絵画・彫刻・建築・工芸の代表作を網羅。社寺が多い。宗教都市・観光都市。旧市街は碁盤目状街路をなす。人口147万5千。西京。京。
- [島根県]
- 中の海 なかのうみ なかうみ。島根県北東端、鳥取県との境にある半塩湖。弓(夜見)ヶ浜の砂州で日本海から限られ、大根島・江島がある。ちゅうかい。/現、島根県北東端部、鳥取県にまたがる汽水湖。湖は松江市・安来市・美保関町・八束町・東出雲町と鳥取県米子市・境港市に属している。
「なかのうみ」 「ちゅうかい」ともいう。古くは入海・飫宇(おう)の海などの名称で、 『出雲国風土記』 『万葉集』にみえる。近世には内海とも記される。雅称は錦海。日本の湖沼中では5番目の大きさをもつ。北側の島根半島と南側の中国山地に挟まれた東西に延びる宍道低地帯に形成された海跡湖。西側には宍道湖が位置し、宍道湖から東流する大橋川は中海の西端に注ぐ。面積88.7平方キロ、最大水深約8.4m、平均水深5.4m、湖岸線延長約84キロの富栄養型湖。 - 宍道湖 しんじこ 島根半島南側にある汽水湖。最大深度6m。面積79平方km。風光明媚。ヤマトシジミを産する。
- [鹿児島県]
- 池田湖 いけだこ 鹿児島県薩摩半島南東部の湖。カルデラ湖。大鰻の生息地。面積11平方km。湖面標高は66m、深さは233m。
- [不明]
- 平賀湖 ひらがこ
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- 農林省 のうりんしょう もと内閣各省の一つ。農政・林政・水産行政に関する事務を管理し、農林大臣を長官とした中央官庁。1925年(大正14)農商務省から分割。43年商工省と合併して農商省となり、45年復活。78年に農林水産省と改称。
- 豊臣秀吉 とよとみ ひでよし 1537-1598(一説に1536-1598) 戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。15歳で松下之綱の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、1583年(天正11)大坂に築城、85年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、91年関白を養子秀次に譲って太閤と称した。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起こし朝鮮に出兵、戦半ばで病没。
- 徳川 とくがわ 姓氏の一つ。江戸幕府の将軍家。元来は、三河国加茂郡松平村の土豪で、松平を称した。上野国の新田氏(徳川・得川氏を称)の後裔として清和源氏の嫡流を汲むというのは、家康が将軍になるために偽作・付会したといわれる。宗家のほか御三家と三卿の嫡流だけ徳川を称し、他はすべて松平氏を称。
- 帝室林野局 ていしつ りんやきょく
- 水産試験場 すいさん しけんじょう 水産に関する試験・調査・分析・検査・鑑定・普及・指導を目的とする研究機関。水産庁の付属のものと、都道府県の設立によるものとがある。前者は1949年水産研究所と改称。
- 漁業組合 ぎょぎょう くみあい (1) 1901年(明治34)の漁業法に基づき一定地域に住所を有する漁業者が行政庁の許可を得て設立した組合。初め漁業権の享有管理主体であったが、次第に共同販売・購買・利用ならびに信用事業などの経済事業をも行うようになった。(2) 1886年(明治19)の漁業組合準則に基づく組合。(1) と違い漁業権の主体ではなく、より広域の組合が多く、漁業秩序の維持や調整を主としていた。
- 和井内貞行 わいない さだゆき 1858-1922 十和田湖養魚の開発者。陸奥毛馬内(秋田県鹿角市)生れ。魚は棲息しないと信じられていた十和田湖にカパチェッポ(姫鱒)の養殖を志し、これに生涯をささげて成功。
◇参照:
*難字、求めよ
- 透明度 とうめいど 湖や海の水の透明さを表す値。直径約30cmの白色円板などを水中に沈めて、見えなくなる深さで示す。
- 白色平円板 はくしょく へいえんばん
- 浮漂 ふひょう うきただようこと。
- 浮遊生物 ふゆう せいぶつ (→)プランクトンのこと。
- プランクトン plankton 水中に浮遊して生活する生物の総称。小型の甲殻類・毛顎類などの動物(動物プランクトン)
、珪藻類・藍藻類・緑藻類などの微小な藻類(植物プランクトン)のほかに、各種の底生動物の幼生(幼生プランクトン)など遊泳力の弱い生物が含まれる。魚類の餌として重要だが、また赤潮を形成する原因ともなる。浮遊生物。 - 注入河 ちゅうにゅうが
- 受水区域 じゅすい くいき
- 水色標式 すいしょく ひょうしき
- 寒暖計 かんだんけい 気温の高低をはかるための温度計。
- 夏相 かそう
- 正列成層 せいれつせいそう
- 冬相 とうそう
- 逆列成層 ぎゃくれつせいそう
- 春相 しゅんそう
- 秋相 しゅうそう
- 同温層 どうおんそう
- 変水層 へんすいそう → 水温躍層
- 水温躍層 すいおんやくそう 海洋や温帯湖および亜熱帯湖の夏期に形成される水温成層において、特に水温の鉛直勾配の大きい部分。同時に水質も著しい変化を示すことから、温度躍層、塩分躍層、密度躍層、躍層などと呼び、湖の場合にはこれらの躍層を一括して変水層(metalimnion)と呼ぶ。水温の成層構造は、表面の水温一様な混合層、その下位の水温が急低下する水温躍層があり、徐々に水温勾配を減じながら水温一様な深水層へとつながる。水温躍層の上限深度(表層混合層の厚さ)は湖で10〜30m。水温躍層の深度は上方からの対流や渦動が達する限界と考えられ、鉛直安定度が大きいため、表層水の運動や成分が下の深水層に伝わるのを妨げる役目をする。
(地学) - 表水層 ひょうすいそう
- 深水層 しんすいそう
- 温帯湖 おんたいこ
- 熱帯湖 ねったいこ
- 浅水帯 せんすいたい
- 較差 こうさ → かくさ
- 較差 かくさ (コウサの慣用読み) 二つ以上の事物を比較した場合の、相互の差の程度。
- 純浄 じゅんじょう
- 結氷 けっぴょう 氷がはること。また、その氷。
- 針状氷 しんじょうひょう
- 一夜氷 いちやこおり
- 粒氷 りゅうひょう
- 二重氷 にじゅうひょう
- 乳氷 にゅうひょう
- 氷質 ひょうしつ 氷の性質。
- 氷層 ひょうそう 氷の層。年ごとの氷が重なってできるもの。
- 注入川 ちゅうにゅうせん
- ひびれ 罅。
(動詞「ひびれる(罅) 」の連用形の名詞化)割れ目。裂け目。きず。ひびり。ひび。転じて、欠けて不足すること。 - 御神渡り おみわたり 冬に湖面が結氷し、氷が割れ目に沿って盛り上がる現象。古来、長野県の諏訪湖では諏訪大社の神が渡ってできたものとされた。
- 堅氷 けんぴょう 堅い氷。
- 氷板 ひょうばん
- 開水面 かいすいめん
- 解氷 かいひょう 春、はりつめていた氷が解けること。また、解けて水に浮かぶ氷片。
- 淡水湖 たんすいこ 淡水の湖。湖水中の塩分が1リットル中に0.5グラム以下のもの。←
→塩湖。 - 鹹水湖 かんすいこ かんこ(鹹湖)。塩湖に同じ。←
→淡水湖 - 塩湖 えんこ 塩分を含んだ湖。湖水中の塩分が1リットル中に0.5グラム以上のもの。大陸内部の乾燥地に多く発達。カスピ海・死海の類。鹹湖。←
→淡水湖 - 鹹水 かんすい (1) しおからい水。海の水。←
→淡水。 - 淡水 たんすい 塩分を含まない水。←
→鹹水。 - 表水 ひょうすい → 表水層
- 表水層 ひょうすいそう epilimnion 湖水の変水層より上の部分。水温傾度は少なく、強風時には攪拌される。溶存酸素は飽和または過飽和。太陽光線が通過するため光合成作用がよくおこなわれ、炭酸ガスは減少し、昼間は pH がアルカリ性になりやすい。栄養生成層に相当する。表水層の厚さは湖盆形態・外的条件によって変化するが、だいたい5〜15m前後。
(地学) - 深水 しんすい 深い水。水中の深い所。
- 硅酸 けいさん → 珪酸
- 珪酸 けいさん (1) ケイ素と酸素と水素との化合物。アルカリ金属やアルカリ土類金属のケイ酸塩水溶液に強い酸を加えて析出する膠状の沈殿物。(2) (→)二酸化ケイ素の俗称。
- 二酸化珪素 にさんか けいそ 化学式SiO(2) 石英・水晶・鱗珪石(トリジマイト)
・クリストバル石として天然に産出。オパール・瑪瑙・火打石・紫水晶などは不純物を含む。フッ化水素と反応して四フッ化ケイ素になり、アルカリと溶融すると水に可溶性のケイ酸塩になる。動物の歯のエナメル質の主成分。珪藻土は多くこれから成る。光ファイバーの原料。無水ケイ酸。シリカ。 - 石灰 せっかい (lime) 生石灰(酸化カルシウム)
、およびこれを水和して得る消石灰(水酸化カルシウム)の通称。広義には石灰石(炭酸カルシウム)を含む。いしばい。 - 硫化水素 りゅうか すいそ 分子式H(2)S 無色で腐敗した鶏卵のような悪臭を持つ可燃性の毒性気体で、水に溶解し、弱い酸性を示す。各金属イオンと反応してそれぞれの特色ある呈色沈殿を生じるので定性分析に用いる。天然には火山ガスや鉱泉中に含まれ、また硫黄を含む有機物の腐敗によって生じる。
- 排出河 はいしゅつか
- 脱児 だつじ
- 孩児 がいじ (1) みどりご。おさなご。
- 湖盆 こぼん 湖の水をたたえている陸地のくぼみ。
- 湖棚 こほう 湖岸から続いている平坦でゆるい傾斜の棚状の水底の部分。波や湖流による浸食あるいは湖岸の岩や砂が堆積してできる。
- 三稜洲 さんりょうす
- 三稜 さんりょう (1) 三つの稜(かど)。三角。
- 絶壁 ぜっぺき けわしく切り立ったがけ。
- 湖底平原 こてい へいげん 湖底の中央部にある最も深く、平坦な部分。
- 沈水植物 ちんすい しょくぶつ 体の全部が水中にあり固着生活をする植物。フサモ・キンギョモなど。水中植物。→水生植物。
- 水生植物 すいせい しょくぶつ 水中に生活する植物の総称。特にフサモ・ハス・ヒシなど大形の植物についていう。沈水植物・抽水植物・浮水植物などに分ける。
- 沢生植物 たくせい しよくぶつ
- 水沢地 すいたくち
- 水沢 すいたく 水の溜まったさわ。
- 火口湖 かこうこ 火山の噴火口に水がたまってできた湖。霧島火山の大浪池の類。
- 壮齢 そうれい 血気盛んな年頃。
- 壮健 そうけん 元気さかんで丈夫なこと。
- 泥炭 でいたん (peat) 湿原植物などが枯死・堆積し、部分的に分解・炭化作用が行われた土塊状のもの。植物の組織が肉眼で識別できる。多量の水分を含み、また多少の土砂を含むことがある。すくも。
- 河床 かしょう 河底の地盤。かわどこ。
- 湖畔 こはん 湖のほとり。
- 灌漑 かんがい 田畑に水を引いてそそぎ、土地をうるおすこと。
- 水力発電 すいりょく はつでん 発電の一方式。水力によって発電機を運転し、電力を発生する方式。ダム式・水路式・揚水式などがある。
- 原始人 げんしじん 原始時代の人類。原始的な人間。
- もめた水
- 茶の湯 ちゃのゆ 客を招いて抹茶を点(た)て、会席の饗応などをすること。茶会。茶の会(え)。また、その作法。
- 飲み料 のみりょう (1) のみもの。いんりょう。
- 丸木船・独木舟 まるきぶね 1本の木をくりぬいて造った船。また、2本の木からそれぞれ「く」の字型の船材(重木という)をえぐり造り、これを左右から合わせて造った船、あるいはこの重木を船底と船腹にまたがる湾曲部に用いて棚板や梁などを取り付けた船をもいう。日本では縄文時代前期のものが最も古い。くりふね。
- 汽船 きせん (1) 蒸気機関で推進させる船。旧称、蒸気船。スチーム‐シップ。(2) 帆船に対して、機械力で推進させる船の総称。
- 発動機船 はつどうきせん 内燃機関を動力とする船。
- 魚介 ぎょかい 魚と貝。
- 立志伝 りっしでん 志を立て、努力精進して目的を成し遂げた人の伝記。
- カワマス 河鱒。アメリカから1901年(明治34)に移入して養殖したマスの一種。赤黄色に紅い斑点があり、ひれの第1条が白い。冷水を好む。
- 孵化 ふか 発生中の胚が卵膜または卵殻を破って外に出ること。卵がかえること。また、卵をかえすこと。
- 人工孵化 じんこう ふか 動物の卵を人工的に孵化させること。
- カバチェッポ
- 緑綬褒章 りょくじゅ ほうしょう 褒章の一つ。自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著な者に授与される。緑色の綬で佩用。
- 和井内マス わいない マス
- 旱魃 かんばつ (古くはカンバチとも。
「魃」は、ひでりの神) 長い間雨が降らず、水が涸れること。ひでり。特に、農業に水の必要な夏季のひでりにいう。 - 生糸業 きいとぎょう
- 硫黄 いおう (ユワウの転。古くはユノアワ・ユワとも)(sulfur) 非金属元素の一種。元素記号S 原子番号16。原子量32.07。黄色の樹脂光沢のあるもろい結晶で、水には溶けない。火を点ずれば青い炎をあげて燃える。遊離して火山地方に多く産し、化合物としては硫化鉄・硫化銀・硫化銅・硫化水銀などの硫化物として産出。火薬・マッチ・ゴムの製造、薬用・漂白用などに使用。
- 風光 ふうこう 景色。ながめ。風景
- 官報 かんぽう (1) 詔勅・法令・告示・予算・条約・叙任・辞令・国会事項・官庁事項その他、政府から一般に周知させる事項を編纂して、国立印刷局から刊行する国の機関紙。日刊。
◇参照:
*後記(工作員 日記)
「粥《のり》」はそのままにした。
いま、ちまたでなにかと話題の「せいき表現」について(^^)。
^ 行頭と一致
\r 改行と一致
T-Time は基本 html なので、上の2つは最も使用頻度が高いもの。素文を書いたあと、エディタの検索/置換で「正規表現」にチェックを入れて、検索「\r」置換「<br />\r」
検索「^」置換「<li>」
([^()]*)
《[^《》]*》
このフェイスマークのできそこないのような表現もつぎに頻度の高いもの。
([^()]*)は、
検索:\(([^()]*)\)
置換:<font xsize=90%>\1</font>
これは、上の([^()]*)を「\(」と「\) 」でかこんでグループ化したもの。
たとえば「青空文庫全」の「作家別テキストファイル」の中から、
検索したい言葉が「津波」のばあい、
\t タブ文字と一致
これは、タブ区切りの表組み、たとえば新字新かな変換辞書「シン弐くん」の辞書を編集するばあいに使用。テキストの誤変換に気がついたとき、誤変換テキストの頭に「\t」を追加して検索する。
青空文庫の入力や校正をしてるぶんには正規表現を使うことはなかった。なんといっても青空テキストを利用して、T-Time で電子出版をはじめたことが大きなきっかけだろう。とくに、テキスト変換ソフト「ConvChar 0.8.2」や「検索置換ラクダv1.01」を多用してること、html ファイルをじかに編集する必要にかられたこと、かなと。
厳密には、html が「3」から「5」になって、かつ epub 仕様へと変更対応をせまられてるわけだけれども、根がずぼらなもので、なかなか T-Time を手放す気になれなくて・・・。こまったもんです。じぶん。
*次週予告
第五巻 第三七号
寺田先生と僕(他)海野十三
第五巻 第三七号は、
二〇一三年四月六日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第三六号
山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿
発行:二〇一三年三月三〇日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- 第二六号 風立ちぬ(三)堀 辰雄
- 第五巻 第二七号 山の科学・山と川(一)今井半次郎
- 一、山の生まれるまで
- 山の力と人の力
- 地球の誕生
- 山のできたわけ
- (一)地殻のしわ
- (二)しわの山
- 地球の表面
- (一)水の世界と陸の世界
- (二)桑滄(そうそう)の変
- (三)陸地の表面の形
- (四)平原
- (五)高原
- (六)盆地
- (七)段丘
- (八)斜面と崖
- 二、山のいろいろとその形
- 山のいろいろ
- (一)生まれ出た山
- (二)こわれ残った山
- (三)山の高さ
- (四)山の形をあらわす図面
- (ニ)しわの山。 これはすでに前にお話しした、横圧力でできた褶曲山のことです。世界の大きな山脈はたいてい、この褶曲山であることも、ちゃんとおぼえておいでのことと思います。
- (ホ)断層の山。 ところが、地殻のしわも、だんだん強くなると、ついにはそこに割れ目や裂け目のひびができます。青竹を力いっぱい曲げてみると、はじめのうちはだんだん曲がって山ができますが、後にはそのいちばんはりつめた山の頂上のところにひびができ、しまいには竹が折れます。これと同じ理屈で土地もしまいにはその裂け目に沿うて折れて、一方がすべり落ちて食いちがいの形になることがあります。これを「断層」ができたといいます。そして裂け目のところを「断層線」といいます。
- 断層で一方の土地がすべり落ちると、そこは谷となり、残った一方の土地は山となります。これが断層の山です。断層は、ときにいくつもいくつも互いに平行しておこることがあります。このばあいは、階段を平らにしてみたときのように、あるいはレンガ畳の道路がこわれてデコボコになったときのように、いくつもの平行した断層の谷と山とができあがります。
- 断層でできた山は、日本にも外国にも例が多いようです。外国の例でよくひきあいに出されるのは、北アメリカ合衆国にあるシエラネバダ大山脈です。これは比較的たいらな土地におこった断層で、いっぽうが持ちあがり、いっぽうがすべり落ちてできたもので、断層のできたほうはけわしい崖となり、その反対の側はしだいにサクラメント平原にむかって、ゆるやかな傾斜を作っています。
( 「二、山のいろいろとその形(一)生まれ出た山」より)
- 第五巻 第二八号 山の科学・山と川(二)今井半次郎
- 二、山のいろいろとその形
- 山の美しい形
- (一)孤立の山
- (二)連山
- 山をつくる岩
- (一)岩とは何か
- (二)岩の区別
- 水成岩の山
- (一)地層とは何か
- (二)地層のしわ
- (三)化石
- 火成岩の山
- (一)二とおりの火成岩
- (二)火成岩のひび
- (三)岩脈
- 変成岩の山
- (一)岩の変質
- (二)秩父の長瀞
- 山の寿命
- (一)地貌の輪廻
- (二)地球の年齢
- 山の彫刻と破壊
- (一)空気の働き
- (二)水の働き
- (三)生物の働き
- 空気中の水分は雨となって降ってきます。それが岩の目にしみこんで、おそろしい働きをします。その降った雨がこおって氷となると、なおのことです。氷は山の斜面を流れると、いよいよひどく岩をこわします。このように雨や風によって岩が直接けずり取られる働きを、とくに「浸食作用」と名づけます。また、雨や風によって岩がボロボロにこわされることを「風化作用」といいます。
(略) - (ハ)氷の力。 山をこわすもととなるもので、いちばん見のがすことのできないものは氷の力です。水は液体として岩の割れ目にしみこみますが、それが寒さのひどい時季になると氷となります。氷は水のときよりもかさが大きくなりますから、岩の内部をおしつけます。そのために、岩はボロボロに壊れるのです。冬の寒い朝、水道の鉄管の中の水がこおって、あの固い鉄管が破裂するのを見ても想像がつくでしょう。
- 春先、暖かくなってから、山の急な斜面のふもとや崖下などに行って見ると、大小の角ばったゴロ石が新しく積みかさなっているのを見ることがあります。これは、みんな冬のあいだに氷で壊されたのが、おちてできたのです。
- 高山の頂上にあらわれている岩は、とくによく氷で破壊されるもので、その峰はたいていするどくつき立った尖塔状をしています。アルプス山脈のモン・ブラン(白山)の西北にあるシャモニの尖峰などは、そのいい例です。日本アルプスの頂上にも、ところどころイヌの牙のようにとがったところがあります。
( 「山の彫刻と破壊(二)水の働き」より)
- 第五巻 第二九号 山の科学・山と川(三)今井半次郎
- 三、川と谷
- (一)川の形
- (二)河流の浸食
- (三)河水の運搬する働き
- (四)河水の沈殿する働き
- つぎに、川底の岩と河水の浸食するわりあいとを考えてみますと、岩が固ければ固いほど、浸食に手間どることはいうまでもありませんが、川底の岩はどこでも同じ固さを持っているとはかぎりません。また、前にお話ししたように、岩にはたいてい割れ目(節理)が発達していますから、やわらかいところや、割れ目のあるところは多くけずられたり、壊されたりします。そこで川の床には高低さまざまのデコボコができ、水はそのために激して白いしぶきを飛ばします。深くえぐられたところは、よどんで碧い淵となり、木曽の寝覚の床や、秩父の長瀞のような美しい景色をつくります。
- それからまた、ところどころにおもしろい「巨人の釜」
(甌穴)という、丸い深い穴を作ることもあります。この釜穴は川底の岩のくぼんだところや、割れ目に小石がひっかかり、急な流れのために同じ場所でグルグル回転して、錐もみのようにもみこんでできたのです。寝覚の床の釜穴は、その形の完全なので名高く、但馬揖保川の支流の鹿が坪〔鹿ヶ壺〕では、十個ばかりの釜穴が連なってならんでおり、越後田代の七つ釜は材木岩にできた七つの釜穴が続いているので、そういう名がついたのです。このほか、秩父長瀞、日向の都城付近の関尾〔関之尾か〕、日光の含満が淵、三河長篠の滝川などは同じく釜穴で名高いところですが、岩からできた川底で流れが急なところなら、どこにでも一つや二つの釜穴のないところはありません。 ( 「(二)河流の浸食」より)
- 第五巻 第三〇号 菜穂子(一)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第一部
- それから一週間ばかりたった、ある日の午後だった。わたしの別荘の裏の、雑木林の中で自動車の爆音らしいものがおこった。車などの入ってこられそうもないところだのに、誰がそんなところに自動車を乗り入れたのだろう、道でも間違えたのかしらと思いながら、ちょうどわたしは二階の部屋にいたので窓から見おろすと、雑木林の中にはさまってとうとう身動きがとれなくなってしまっている自動車の中から、森さんが一人で降りてこられた。そしてわたしのいる窓のほうをお見上げになったが、ちょうど一本の楡の木の陰になって、むこうではわたしにお気づきにならないらしかった。それに、うちの庭と、いまあの方の立っていらっしゃる場所との間には、薄(すすき)だの、細かい花を咲かせた灌木だのが一面においしげっていた。―
―そのため、間違った道へ自動車を乗り入られたあの方は、わたしの家のすぐ裏の、ついそこまで来ていながら、それらに遮られて、いつまでもこちらへいらっしゃれずにいた。それがわたしには心なしか、なんだかお一人でわたしのところへいらっしゃるのを躊躇なさっていられるようにも思えた。
- 第五巻 第三一号 菜穂子(二)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第二部
- 菜穂子の追記
- (略)……そのときふと、こういう気がわたしにされてきた。じつはそういう人たち―
―いわば純粋な第三者の目に、もっとも生き生きと映(うつ)っているだろうおそらくはしあわせな奥様としてのわたしだけがこの世に実在しているので、なにかと絶えず生の不安におびやかされているわたしのもう一つの姿は、わたしが自分勝手に作り上げている架空の姿にすぎないのではないか。 ……今日、おようさんを見たときから、わたしにそんな考えが萌(きざ)してきだしていたのだと見える。おようさんにはおようさん自身が、どんな姿で感ぜられているか知らない。しかし、わたしにはおようさんは勝ち気な性分で、自分の背負っている運命なんぞはなんでもないと思っているような人に見える。おそらくは誰の目にもそうと見えるにちがいない。そんなふうに、誰の目にもはっきりそうと見えるその人の姿だけがこの世に実在しているのではないか。そうすると、わたしだってもそれは人生なかばにして夫に死別し、その後は多少さびしい生涯だったが、ともかくも二人の子どもを立派に育てあげた堅実な寡婦(かふ) 、 ― ―それだけがわたしの本来の姿で、そのほかの姿、殊にこの手帳に描かれてあるようなわたしの悲劇的な姿なんぞは、ほんの気まぐれな仮象(かしょう)にしかすぎないのだ。この手帳さえなければ、そんなわたしはこの地上から永久に姿を消してしまう。そうだ、こんなものはひと思いに焼いてしまうほかはない。ほんとうに、いますぐにも焼いてしまおう。 …… - それが夕方の散歩から帰ってきたときからの、わたしの決心だったのだ。
- 第五巻 第三二号 菜穂子(三)堀 辰雄
- 菜穂子 一〜十一
- その輝かしい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明をひきとって育ててくれた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、そこですごした数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、
― ―ことに彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。明と菜穂子とはよくテニスをしに行ったり、自転車に乗って遠乗りをしてきたりした。が、そのころからすでに、本能的に夢を見ようとする少年と、反対にそれから目醒めようとする少女とが、その村を舞台にして、たがいに見えつ隠れつしながら真剣に鬼ごっこをしていたのだった。そしていつもその鬼ごっこから置きざりにされるのは少年のほうであった。 …… - 「かわいそうな菜穂子。
」それでもときどき彼女は、そんな一人でいい気になっているような自分をあわれむように独り言をいうこともあった。 「おまえがそんなに、おまえのまわりから人々を突き退けて大事そうにかかえこんでいるおまえ自身が、そんなにおまえにはいいのか。これこそ自分自身だと信んじこんで、そんなにしてまで守っていたものが、他日気がついてみたら、いつのまにか空虚だったというような目になんぞ逢ったりするのではないか……」 - 彼女はそういうとき、そんな不本意な考えから自分をそらせるためには、窓の外へ目を持って行きさえすればいいことを知っていた。
- そこでは風がたえず木々の葉をいい匂いをさせたり、濃く淡く葉裏を返したりしながら、ざわめかせていた。
「ああ、あのたくさんの木々。 ……ああ、なんていい香りなんだろう……」
- 第五巻 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄
- 菜穂子 十二〜十八
- 菜穂子はそのお辞儀のしかたを見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから、何かしら自分自身に佯(いつわ)っていた感情のあることを鋭く自覚した。そしてなにかそれを悔いるかのように、いままでにないやわらかな調子で最後の言葉をかけた。
- 「ほんとうにあなたも、ご無理なさらないでね……」
- 「ええ……」明も元気そうに答えながら、最後にもう一度、彼女のほうへ大きい眼をそそいで、扉の外へ出て行った。
- やがて扉の向こうに、明がふたたびはげしく咳こみながら立ち去って行くらしい気配がした。菜穂子は一人になると、さっきから心に滲み出していた後悔らしいものを急にはっきりと感じ出した。
- 第五巻 第三四号 菜穂子(五)堀 辰雄
- 菜穂子 十九〜二十四
- 一丁ほど裏街道を行ったところで、傘をかたむけながらこちらへやってくる一人の雪袴(たっつけ)の女とすれちがった。
- 「まあ、黒川さんじゃありませんか。
」急にその若い女が言葉をかけた。 「どこへいらっしゃるの?」 - 菜穂子はおどろいてふり返った。襟巻(えりまき)ですっかり顔を包み、いかにも土地っ子らしい雪袴姿をした相手は、彼女の病棟付きの看護婦だった。
- 「ちょっとそこまで……」彼女は間(ま)が悪そうに笑顔を上げたが、吹きつける雪のために思わず顔をふせた。
- 「早くお帰りになってね。
」相手は念を押すように言った。 - 菜穂子は顔をふせたまま、黙ってうなずいて見せた。
- それからまた一丁ほど雪を頭から浴びながら歩いて、やっと踏み切りのところまできたとき、菜穂子はよっぽどこのまま療養所へ引き返そうかと思った。彼女はしばらく立ち止まって、目の粗い毛糸の手袋をした手で髪の毛から雪を払い落していたが、ふとさっき、こんな向こう見ずの自分をつかまえてもなんともうるさく言わなかったあの気さくな看護婦が、ロシアの女のように襟巻でクルクルと顔を包んでいたのを思い出すと、自分もそれを真似て襟巻を頭からすっぽりとかぶった。それから彼女は、出逢ったのがほんとうにあの看護婦でよかったと思いながら、ふたたび雪を全身にあびて停車場のほうへ歩き出した。
- 北向きの吹きさらしな停車場は、一方から猛烈に雪をふきつけられるので片側だけ真白になっていた。その建物の陰に駐まっている一台の古自動車も、やはり片側だけ雪にうまっていた。
- 第五巻 第三五号 山の科学・湖と沼(一)田中阿歌麿
- 湖沼の伝説
- (一)支笏湖とマス
- (二)姉沼と妹沼
- (三)田沢湖の龍神
- (四)榛名湖と女中のカニ
- (五)野尻湖と大カニ
- (六)諏訪湖と御神渡り
- (七)霞ヶ浦と女神のお琴
- (八)余吾湖〔余呉湖か〕と羽衣
- (九)湖山池と暴慢な長者
- (一〇)大浪池
- (一一)池田湖
- 湖沼の研究
- (一)湖沼のできたわけ
- (二)湖盆の形態
- (三)湖と沼
- (四)湖盆底質
- (五)湖盆の涵養
- (六)湖面の水位
- (七)波浪
- (八)水色
- (一)湖沼のできたわけ
- 湖沼はどうしてできて、かく、まんまんと水をたたえているのかということは、なかなか複雑で、一口にいうことはできません。多くの湖沼は二つ以上の原因でできたものです。日本では、いちばん数の多いのは、火山の国だけに火山に関係してできたものです。そのうちには火口湖といって、九州の霧島火山に例があるとおり、噴火口に水がたまったもの、また赤城小沼〔「この」か〕のように爆裂火口に水をたたえたものもあります。箱根芦ノ湖・榛名湖もやはり火山関係の湖ですが、これは火口原湖といって、中央火口丘と、ぐるりを取りかこんだ外輪山との間に水がたまったのです。
- そのほか、溶岩が流れて谷や川をせきとめてできた湖沼もあります。溶岩堰止湖といい、富士山の北麓の湖沼や、日光中宮祠湖〔中禅寺湖〕または、大正年間(一九一二〜一九二六)にできた長野県上高地の大正池などはそれです。また、溶岩その他の噴出物が不規則に分布されて、その凹地にできた湖沼もあります。これには面積のあまり大きなものはありませんが、その付近には、同じ原因でできた小湖が数多くちらばっているのが常です。八ヶ岳火山の活動による長野県の松原湖とその付近の湖沼とは、その適例です。
- つぎには土地の陥没による陥没湖というのがあります。これはいずれも湖岸が切り立っていて、湖岸下からすぐ深くなっています。鹿児島県の池田湖、北海道の洞爺湖などは、これに属する湖です。
(略) - なお、断層の一部に水をたたえた断層湖というものもあります。長野県の青木・中綱・木崎の三湖や琵琶湖などがそれであり、また、川や谷の一部が山崩れの土砂でせきとめられた湖沼もあります。そのうちには地震のための山崩れでできた長野県の柳久保池のようなものもあります。その形式は溶岩堰止湖と同一ですが、ただ材料がちがっているわけです。
※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
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