田中阿歌麿 たなか あかまろ
1869-1944(明治2-昭和19)
地理学者。田中不二麿の子。東京生れ。中央大教授。日本陸水学会を創設。/1884年スイスに留学。その時にした観光で地理学の面白さにとりつかれる。フランスの地理学者のエリゼ・レクルスにつき人文地理学を学びアフリカの地理研究にも2年にわたって従事。1895年帰国し、日本に湖沼学を紹介。

恩地孝四郎 おんち こうしろう
1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3)
版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。

岡 落葉 おか らくよう
1879-1962(明治12-昭和37)
明治〜昭和期の画家。独歩と親しく、「武蔵野」の装幀をてがけた。(人レ)/挿画。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ、2000.7)。
◇表紙絵:恩地孝四郎、挿絵:岡 落葉。



もくじ 
山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿


※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ポメラ DM100、ソニー Reader PRS-T2
 ・ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7
  (ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。 〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:底本の編集者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送り、読みは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  •      にっぽんかい → にほんかい
  •      たれ → だれ
  •      河  → 川
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •      二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は、音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、時価金額の表記、郡域・国域など地域の帰属、法人・企業など組織の名称は、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • [長さ]
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。
  • 歩 ぶ   左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • [面積]
  • 坪 つぼ  一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 歩 ぶ   一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 町 ちょう 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。
  • 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町(ちよう)を単位としていう語。一町=一町歩=約1ヘクタール。
  • [体積]
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • [ヤード‐ポンド法]
  • インチ  inch 一フィートの12分の1。一インチ=2.54cm。
  • フィート feet 一フィート=12インチ=30.48cm。
  • マイル  mile 一マイル=約1.6km。
  • 平方フィート=929.03cm2
  • 平方インチ=6.4516cm2
  • 平方マイル=2.5900km2 =2.6km2
  • 平方メートル=約 1,550.38平方インチ
  • 平方メートル=約 10.764平方フィート
  • 容積トン=100立方フィート=2.832m3
  • 立方尺=0.02782m3=0.98立方フィート(歴史手帳)
  • [温度]
  • 華氏 かし 水の氷点を32度、沸点を212度とする。
  • 華氏212°F=100℃ (理科年表、p.1090)
  • t°F(華氏度、ファーレンハイト度)=1.8×t℃+32


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『歴史手帳』(吉川弘文館)『理科年表』(丸善、2012)。


*底本

底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行

NDC 分類:K450(地球科学.地学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndck450.html
※ 2013.2.6 現在、該当ページなし





やま科学かがくみずうみぬま(二)

子爵 田中たなか阿歌麿あかまろ

   湖沼こしょうの研究

 (九)透明度

 水の透明度をはかるには、表面から物体ぶったいを水中になげおろし、この物体の表面が見えうる程度の深さ、つまり、水面から物体のめんが消えようとするところまでの深さを測るのです。ふつうには、直径二十五センチの白色はくしょく平円板へいえんばん沈下ちんかして測るのであるが、農林省〔当時〕では、直径三十三センチ〇三(一尺)のものを使っています。
 この透明度は、水中にただよいいている物質と直接に関係があります。浮漂ふひょう物質の多いときには透明度は少なくなり、物質が少ないときには透明度はしてきます。この浮漂物のうちには、浮遊ふゆう生物〔プランクトン〕というきわめて微細びさいな動植物があって、水の温度の関係で多くなったり少なくなったりします。また、川が微細な泥土でいど腐蝕ふしょくした物質を運搬うんぱんしてきたり、あるいは波のあらいときに湖畔こはんから運び、または波のために湖底がかきまわされたりして、水をひどくにごらせることがあります。そのために透明度は少なくなってきます。
 あさ湖沼こしょうは、夏は水温が高くなるので浮遊生物がいるとどんどん繁殖はんしょくしますが、冬になるとしだいに繁殖力が少なくなります。そのため、こういう湖沼は夏季かきは不透明で、冬季とうきは透明となるわけです。諏訪湖すわこなどはそのもっともよい例です。けれども、深い湖沼になるとそういう生物の影響が少ないので、注入河ちゅうにゅうがにごり水を多く流しこむとき、すなわち受水じゅすい区域の雪どけとか、あるいは秋の暴風雨ぼうふうう季節とかに、いちばん不透明になります。そして夏、晴れた天気が長く続くときは水はんでくるので、透明度はもっとも大きくなります。野尻湖のじりこはその一例で、諏訪湖とはちょうど反対です。
 つぎに、日本の湖沼について研究した透明度のおもなものをあげてみましょう。ただし前にもべたように、透明度はいろいろの関係で一年じゅう同一ではありません。ここにかかげたのは、今まで観測したうちで、おのおのの湖沼のもっとも大きかった透明度です。

湖沼名  水色すいしょく標式ひょうしき  透明度(m) 観測年月

田沢湖たざわこ  藍色湖らんしょくこ  三九・〇 明治四三年(一九一〇)一一月
支笏湖しこつこ  同    二三・五 大正一一年(一九二二)七月
屈斜路湖くっしゃろこ 同    二〇・〇 大正六年(一九一七)一月
池田湖いけだこ  同    一九・七 明治四四年(一九一一)一〇月
菅沼すがぬま   同    一九・五 明治三八年(一九〇五)八月
洞爺湖とうやこ  同    一九・〇 大正四年(一九一五)二月
十和田湖とわだこ 同    一八・〇 明治四二年(一九〇九)八月
中宮祠湖ちゅうぐうじこ 同    一八・〇 大正三年(一九一四)八月
猪苗代湖いなわしろこ 同    一五・〇 明治三六年(一九〇三)六月
本栖湖もとすこ  同    一四・六 大正二年(一九一三)一〇月
琵琶湖びわこ  同    一二・一 明治四二年(一九〇九)七月
野尻湖のじりこ  緑色湖りょくしょくこ  一三・五 大正二年(一九一三)六月
芦ノ湖あしのこ  同    一二・〇 明治三七年(一九〇四)八月
木崎湖きさきこ  同    一〇・〇 明治四二年(一九〇九)一〇月
榛名湖はるなこ  同     九・五 明治三九年(一九〇六)七月
小川原湖おがわらこ 同     八・五 大正七年(一九一八)八月
赤城あかぎ大沼おおぬま 同     八・〇 大正三年(一九一四)八月
西湖にしのうみ(富士) 同   八・〇 明治三九年(一九〇六)九月
山中湖やまなかこ  同     七・〇 明治三二年(一八九九)八月
湯ノ湖ゆのこ  黄色湖おうしょくこ   四・五 明治三九年(一九〇六)七月
諏訪湖すわこ  同     三・八 明治四一年(一九〇八)二月
北浦きたうら   同     二・三 明治四〇年(一九〇七)一月
霞ヶ浦かすみがうら  同     二・二 明治四四年(一九一一)一一月
男潟おがた   褐色湖かっしょくこ   一・四 大正一〇年(一九二一)七月
女潟めがた   同     一・三 同
城沼じょうぬま   同     〇・九 明治四一年(一九〇八)八月
 これを見ると、水色みずいろと透明度とが密接な関係のあることがわかるでしょう。すなわち水色すいしょくの美しい藍色湖がもっとも透明度が大きく、褐色湖の透明度はひどく少ないのが目につきます。

 (一〇)水温

 湖沼こしょうの水の温度を高めるものは太陽熱です。この太陽熱が弱くなり空気が冷えてくると、水の中にふくまれていた熱はしだいに発散はっさんして水温はくだります。
 それから、水は摂氏せっし寒暖計かんだんけいで四度のときが最大密度になります。つまり、その水がいちばん重いときです。水温が四度より高く、または低くなるにつれてしだいに軽くなるのです。たとえば五度の水温の水は四度のものよりも軽く、六度のものは五度のものより軽い勘定かんじょうです。八度、九度、一〇度というようにだんだん軽くなります。また、三度の水は四度の水よりも軽く、二度の水は三度のものよりも軽いというわけです。それゆえ湖の水はもっとも重い水がもっとも下になり、それから上のほうはしだいに軽い水がかさなっています。したがって深い湖沼の湖底の水温は、特別の事情のある湖沼のほかは一年じゅう四度であるということができます。
 つぎに水温は、湖沼の全面にわたって同一ではなく、おきのほうと岸に近いあさいところとではだいぶんちがいます。また風の方向によって風上かざかみ風下かざしもとでも違うのです。
 沖の部分の水温は、表面から湖底までどんな状態になっているかというに、夏は表面の水温が高く湖底に向かってしだいに低くなり、ついには四度の水温にくだると、そこから底までは同じ四度です。しかし冬になると、湖底のほうは同じ四度ですが、表面は四度より低くなってきます。春と秋はわずかの期間きかんだけ全層ぜんそう四度の同温になります。この、夏の水温状態を「夏相かそう」または「正列成層せいれつせいそう」といい、冬の水温状態を「冬相とうそう」または「逆列成層ぎゃくれつせいそう」とよんでいます。それから春のものは「春相しゅんそう」、秋のものは「秋相しゅうそう」といい、ともに「同温層どうおんそう」ととなえます。
 正列成層の完成期における水温状態は、前にもちょっとべたように表面がもっとも高く、深さをすにしたがって水温はしだいに低くなるのですが、一〇メートルくらいの深さのところから急に低温となり、それから湖底に向かってはふたたびしだいに水温をげんじていきます。この、急に水温が低くなるところを「変水層へんすいそう」といい、それより上部を「表水層ひょうすいそう」、下部を「深水層しんすいそう」といいます。なお、この変水層のある位置は季節によってちがい、夏のはじめには表面近くにあって、やっとわかるくらいですが、これがだんだん発達して夏の終わりごろにはずっと深いところへ移り、秋相に近づいて消滅します。その表面近くにあるものは、水をくぐったとき、しばしば冷たい水にあうのですぐにわかります。
 逆列成層も前にべたとおり、表面の水温が低く、湖底の水温はもっとも高いときで四度です。そして変水層はほとんどみとめられないくらい微弱です。
 同温層のうち秋相のものは、夏相から冬相に移るときにおこるもので、春相のものは反対に冬相から夏相に移るときにおこる現象です。いずれも水温の状態は同様で、ただ、そのおこる原因がちがうまでです。
 以上、夏相・秋相・冬相・春相、そしてふたたび夏相というように、一年じゅう移り変わっていく水温状態をていする湖沼を「温帯湖おんたいこ」といいます。日本の湖沼は大部分が温帯湖ですが、芦ノ湖あしのこ・琵琶湖・九州の湖沼(ただし山地のものは温帯湖もある)は「熱帯湖ねったいこ」に属しています。熱帯湖では、温帯湖の冬の状態をていすることがありません。つまり、一年じゅう水温は四度またはそれ以上をしめしているわけです。それから白山はくさん千蛇せんじゃいけは一年じゅう雪におおわれていて、水層は真夏でも四度以上にのぼることがありません。こういう湖沼、すなわち温帯湖の夏相をていすることのない湖沼を「寒帯湖かんたいこ」といいます。
 ここでちょっと注意しておかねばならないのは、前に水位のところでも「温帯湖」「熱帯湖」「寒帯湖」という区分をしました。今また、水温について同じような区分くわけをしましたが、これらは湖沼の位置によってぶのでなく、前者は水位の一年じゅうの変化の状態により、後者は全層ぜんそうの一年じゅうの変化の状態によって分類したのです。両方について、よく読みかえされたら十分じゅうぶんおわかりになるはずです。
 つぎに湖岸こがんに接近したあさい部分の水温についておはなししますと、そこではおきの部分にくらべて水の層がいちじるしくうすいために、熱を放散ほうさんすることも速いのです。
 温帯湖の湖岸に近い浅水帯せんすいたいの表面水温は、最低が〇度れいどまたはそれ以下です。それから最高は湖沼の位置によってちがい、あるいは同一の湖沼でも気候の関係で年々ちがいますが、いままではかったうちの最高は、三〇度から三三度くらいもあります。だから一年じゅうの較差こうさはたいへん大きいわけです。
 春先の太陽熱は湖面の氷を融解ゆうかいしますが、それは湖岸に沿うたあさいところから、だんだんにおきのほうに向かってけるのです。これは氷が融解するとき、岸のところだけは上へ乗ることができないようになるのを見てもわかります。氷が全部けてしまうと水温がしだいにのぼっていきますが、そのころには、日中にっちゅうは太陽熱が強くても夜はずっと冷却れいきゃくするので、昼と夜とは水温がちがってきます。この水温の日中の変化は沖の部分にもありますが、あさいところほどに大きくはありません。それからなお夏にかうと水温はますます高くなり、七、八月ごろがいちばん高くなります。九月になると夜の冷却がいちじるしくなるため、日中、強い熱を受けてもしだいに水温をげんじはじめ、秋をへて冬に入り一、二月ごろになると最低水温となり、ついにこおりがはるようになります。こういうふうに、浅水帯せんすいたいの水温は沖の部分と同じように年中ねんじゅう変化をしますが、最高にたっすることも、また最低をげることも沖部ちゅうぶよりは早いのです。それは空気の温度の影響を沖部よりも早く感じますから、毎日の変化はひどく複雑であります。水は空気とくらべると、太陽熱の影響をうけることがおそくかつ少ないものです。それゆえ水温は気温よりも、温度の日中および年中の較差こうさが少なく、また水温の最高は気温の最高よりもおくれてあらわれます。しかしその最低は、両方で同時に現われるのです。これは水の温度による運動が気温の最低にたっしたときに止まるので、ふつうのばあいにはのすぐまえに最低になります。

 (一一)湖面の結氷けっぴょう

 蒸留水じょうりゅうすいのような純浄じゅんじょうな水は摂氏せっし一〇〇度で沸騰ふっとうして気体となり、また〇度れいどまでにひやすと固体、すなわちこおりとなります。しかし湖沼の水は、多少なりともいろいろな不純物ふじゅんぶつがまじっているので、〇度れいど以下の水温になってはじめて結氷けっぴょうします。この氷のはるのは寒帯湖では無論むろんですが、温帯湖でも冬には結氷しますし、熱帯湖でも、とくに寒い冬には岸のあさいところに氷を見ることがあります。
 氷の出来できはじめは、たいがいのばあい浅水帯せんすいたい針状氷しんじょうひょうという、松の葉を組み合わせたようなうすい氷ができます。これは手洗てあらばちなどの水が、朝きて見ると氷がはって、いくつもふしができているのと同じようなものであります。湖沼のそうした氷は夜はって日中にっちゅう気温がのぼるとけるので、一夜氷いちやこおりなどとづけられています。しかし、寒さが続くと一夜氷もしまいにはけなくなり、毎日あつさをして、少しぐらいの日照ひでりではもうけないようになります。それから厚さを増すと同時に広さをも増して、ついには全湖面をおおうようになってきます。また湖畔こはんに温泉があるばあい、あるいは大雪がって水中にかんでいるようなときには、岸のほうかららないでおきのほうに氷ができ、それがだんだんひろがって岸にまでくることもあります。
 つぎに冬、雪の少ない地方にある湖沼の氷と、雪の多い地方の湖沼の氷とは、あつさをす順序も氷のしつもちがっています。
 雪の少ない地方の湖沼の氷は、一夜氷いちやこおりの発達したものですから、ガラスのようになめらかで、またやや透明です。これを「粒氷りゅうひょう」といいます。けれども、この氷は寒い空気が水をやすためにできたものですから、上部のほうへは発達しないで、しだいに下方かほうに厚さを増していきます。そしてある程度までの厚さになると、もうそれ以上厚くはなりません。これは氷の厚さのために空気がその下部の水をやすことができないからです。こういうときに氷の上に雨がるとか、あるいは温度がのぼって氷の上部をとかすと、氷の上は一面の水となります。その水がまた夜間の冷却れいきゃくで氷になるので、こんなことをいくどもくりかえすうちには上方にも厚さを増していくのは無論むろんです。こうした結氷けっぴょうのときに、水のかたが弱いと氷の上の水の上部だけがこおって、下の氷とのあいだに水の層が残ることがあります。こういう氷を「二重氷にじゅうひょう」といいます。なお、この湖沼の氷は雪の影響がないために、厚さは三〇センチ以上にたっすることはくまれですが、質はきわめてかたいので六、七センチぐらいの厚さになればその上をわたることができます。そしてスケートなどにはもっともてきし、夏の飲用などにも使われます。諏訪湖・松原湖まつばらこ榛名湖はるなこなどはこういう氷質ひょうしつで、スケート場として有名です。
 降雪こうせつの多い地方の湖沼では、雪のために水が非常に冷たくなり、それへなおどんどん雪がるので、その雪は水面にいたままけません。それがひどく寒くて、天気のよい夜などはこおりつくのです。こうしてできた氷は乳白色にゅうはくしょくをしているので「乳氷にゅうひょう」とよびます。また、諏訪湖などのように透明な氷ができることもありますが、その上へ雪が多くもると、氷にができ、そこから水が上がって雪にしみこみます。そのためのりのようになった雪がまたこおります。その上へ雪が降り、前と同じようにまた水が下からしみこんだり、または雨や日光でそれをふたたびのりのようにします。それがまたこおって乳氷となるというふうに、だんだんくりかえすうちに、氷は非常なあつさになります。しかしこれは上部に向かって厚さをすのみで、下部に増すことはきわめて少ないのです。降雪の多い地方ではそうした氷ができるので、その氷を切ってみると、氷がはってからの天気状態がだいたいわかるのです。なおこの氷では、スケートは無論むろんできません。また、飲料にも不適当ふてきとうです。ただ、やしものをするとき役立つくらいのものです。
 湖沼の氷は地方によって、以上のようにできかた氷質ひょうしつ氷層ひょうそうがちがうのです。たとえば、降雪の少ない地方の諏訪湖と、降雪の多い地方の野尻湖との二つを比較してごらんになると、その相違そういがよくわかるはずです。
 つぎには湖の全面に氷がはるころになっても、ところどころにこおらない部分が残ることがあります。そのおもな原因は、湖底にわき水があるためです。このわき水はほかの部分の水よりも温度が高く、そのうえ、わき出すときにたえず、ぐるりの水を動かすからです。また、湖底からガスを噴出ふんしゅつするばあいにも水をゆり動かすので、その場所だけはこおりません。これは野尻湖や滋賀県の余吾湖よごこ〔余呉湖か〕または諏訪湖などで、しばしば見うけます。ことに諏訪湖では温泉がわき出るところもあるので、こおらない区域が非常に広くなっています。しかし、温泉以外のわき水やガスの噴出ふんしゅつによる不凍ふとう区域は、寒さがとくにきびしかったり、雪がひどくったりすると、全部こおってしまうこともありますが、その氷はきわめてうすく、その上を歩くのは危険です。またそこは、ほかのあつい氷のところとちがって色が薄青うすあおく見えるのと、それから雪におおわれた氷のばあいは、ここへのみまるく水がしみこんでいるのとで、すぐに見つけ出すことができます。なおその付近もわりあいに氷がうすいので、そこへはぜんぜんちかよらないようにしなければなりません。
 そのほか、河川かせんの水は湖の水よりもあたたかく、それにたえず流れているので、注入川ちゅうにゅうせん川口かわぐちや湖から水の流れ出すところでは容易にこおりません。また、湖の周囲に深い谷があってそこから強い風がきこむばあいには、風あたりのもっとも強いところは、他の部分よりもこおりかたがおそいのです。
 つぎに氷が湖面にできてからのち、この氷自身がいろいろに変化します。氷は水がえてできたのですから、非常に冷たいのはいうまでもありませんが、そのふつうの氷がなおいっそう冷たくなることがあります。そういうときには氷は収縮しゅうしゅくしてができます。日没にちぼつごろの寒さのためにできる割れ目は、氷の表面だけでかつ小さいのですが、夜中やちゅうのいちばん寒いときには割れ目は氷の底までとどきます。そして、その割れ目ができるときには、その大きさによっていろいろの音を立てます。大きい音になるとまるでかみなりが鳴るようです。はじめてその音を聞く人は、かならずビックリするでしょう。氷屋こおりやでわずかばかりの氷を切り取るにもおのやノコギリを使います。それほど固い氷へ一夜いちやの寒さのためにわれができ、湖面全体にいくすじとなく、ひびれがつくのです。この割れ目のできるころには、もう安心してこの氷上ひょうじょうわたることができるくらいかたあつくなっているのです。そういうとき氷の上にいると、ビリビリと音がして、氷がなおれていくのが目に見え、気味きみが悪くなりますが、しかし、たいして危険なものではありません。この割れ目が氷の底までたっしたところでは、氷の下の水があらわれるけれども、気温が非常に低いためにその水もまたこおってしまいます。この現象は降雪の少ない地方の湖沼に多くおこるもので、これは氷が直接、寒い空気にせっしているからであります。しかし、降雪の多い地方の湖沼にもときどき見ることがあります。こういう地方では氷に雪がもっていて直接冷気れいきを受けないので、割れ目も小さいのです。また雪のためにはっきりと見ることはできませんが、下から水が上がってくるので、雪に水のしみこんだあとが直線になって見えます。
 それから一度収縮しゅうしゅくした氷は、夜がけてからしだいに気温がのぼってくると、今度は膨張ぼうちょうをはじめます。この膨張が大きいときには割れ目の両側の氷が衝突しょうとつして、馬につけるくらのような形の隆起ができます。これを諏訪湖や松原湖では「御神渡おみわたり」とよんでいます。氷が岸のほうに膨張すると湖岸こがんに乗りあげ、湖畔こはんの石垣や建築物を破壊することもあります。このちからは非常におそろしいものです。
 なお氷の膨張にさいしては、以上のほか、反対に下部に落ちこむものやかさなりうものなど、いろいろの状態をていします。
 つぎにこれらの堅氷けんぴょうも、気温が〇度れいど以上にたっすると表面がとけはじめます。また、氷の下の水温もしだいに高くなってくるので、下部からもけてついにはぜんたいがやわらかい氷となり、小さい氷板ひょうばんとなってかれ分かれになります。そしてそこに開水面かいすいめんができると、太陽の熱で水が温まり、また、風のために水はかきまわされるので、深層のわりあいに温かい水が上へ出てきて氷はたちまちにけてしまいます。このかたは、天候のいいときの状態です。日本ではこういう季節に風が強いので、分離した氷は風力のためにさらにくだかれ、きわめてわずかの間でもって解氷かいひょうしてしまいます。

 (一二)水質

 湖沼こしょうの水の化学成分の全量によって、湖を二つにけます。その一つは淡水湖たんすいこでふつうに真水まみずといわれる水をたたえた湖です。もう一つは鹹水湖かんすいこ塩湖えんこに同じ〕です。鹹水とは一般には塩水しおみずのことをいいますが、ここでは塩水のみでなく、他の化学成分でも、とにかく水一リットル中に二五〇ミリ以上ふくまれている水をいうのです。淡水湖は二五〇ミリ以下の水で、鹹水湖よりもあわいのはいうまでもありません。この化学成分の水中における状態は水温とほぼ同様で、夏は表面に少なく、深層にかうにつれて量をし、また水温の変水層へんすいそうの付近では水温と同じように急に変化して、表水ひょうすい深水しんすいとのさかいを作ります。また、そのの季節においても水温の変化と同様な変化をくりかえしています。その成分のうちもっとも多量にふくまれているものは、湖沼によってちがいますが、だいたいは硅酸けいさん〔珪酸〕の多いものと石灰せっかいの多いものと二つにわけることができます。日本の湖沼の大部分は、この硅酸を多量にふくんでいます。
 なお水中には、酸素とか炭酸、または硫化りゅうか水素すいそなどのガスたいもふくまれています。
 以上、水質の調査は、水産業・農業・工業などに湖の水を使用するうえにきわめて必要なことで、飲料に使うばあいなどは、とくに完全な試験をしなければなりません。
 湖中には種々しゅじゅな生物が繁殖はんしょくしていますが、魚類が天然に住んでいるのは排出河はいしゅつかをさかのぼって湖に入ってきたのです。近来きんらい、魚の養殖ようしょくさかんにおこなわれるようになってからは、今までいなかったような魚を、他の湖沼や河川かせんから、たまご稚魚ちぎょのうちに持ってきて、はなして成長させています。貝類も同様です。そのほか、浮遊ふゆう生物が繁殖しています。そのうちには動物もあれば植物性のものもありますが、いずれもきわめて小さなもので、検微鏡けんびきょうを使わなければ研究できません。この浮遊生物は前にもべたように、季節によって繁殖の程度がちがい、年中ねんじゅう同一の分布状態はしていません。またその生物は、水色や透明度・水質などに種々の変化をあたえます。水質や生物についてくわしくお話すると、ひどくむずかしいお話になりますから、このくらいにしておきます。

 (一三)変遷へんせんと消滅

 湖沼こしょうのできるつづき、かたち、それから湖沼にたたえられた水については、以上にべたとおりです。しかし、湖沼はいつまでも同じものではありません。この地球が破壊せられてくれば湖沼もなくなるのは無論むろんですが、地球がなくならなくとも、湖沼は消滅していくのです。湖沼としてなりたってからまもなく消滅するものもあり、また、ながく千年万年まんねんまたはそれ以上の年月をてなくなるのもあります。その出来できはじめから消滅するまでの間には種々しゅじゅ変遷へんせんがあるわけで、ちょうど人間が生まれてから死ぬまでに、いろいろの時期をくぐるようなものです。人間が自動車にひかれたり汽車からり落とされたり、あるいは病気して、まだいないうちに死ぬばあいがあるように、湖沼も中途ちゅうとで消滅するものがときどきあります。
 それで、わたしは湖沼の変遷を人の一生いっしょうになぞらえて、つぎのように八期にかってみました。

(イ)第一期、脱児だつじ時代。 成因せいいんのところでべたように、ある原因のために湖沼の形ができ、それに水がそそりつつある時代で、水の量はしだいに増加し、したがって面積がしだいに大きくなりつつあるもの。
(ロ)第二期、孩児がいじ時代。 湖の形ができあがり、面積は湖の一生中いっしょうちゅう、もっとも大きくなり、そして湖岸の一部からは排水はいすいをはじめてきた時代をいうのです。
(ハ)第三期、幼年ようねん時代。 第二期に出来できかかった排水河はいすいかが完全になり、湖の面積が少し小さくなった時代をいいます。
 以上の第一期から第三期までは、比較的急速きゅうそくにくるのです。
(ニ)第四期、少年時代。 湖盆こぼんのできた当時の凹凸おうとつのある原型げんけいは、そのままほとんど完全で、まだ沈積物ちんせきぶつの影響をこうむらない時代をいいます。
 中宮祠湖ちゅうぐうじこ〔中禅寺湖〕はこの一例です。
(ホ)第五期、青年時代。 湖岸には湖棚こほうができ、また湖底全体にはうすく沈積物が堆積たいせきしていますが、湖盆の原型はまだあきらかに見られる時代、本栖湖もとすこはその一例。
(ヘ)第六期、老年ろうねん時代。 沈積物のために凹凸ある湖盆の原型はなめらかになり、また湖底は大部分平坦へいたんになって、湖岸に三稜洲さんりょうす絶壁ぜっぺきを持っている時代。琵琶湖がそれです。
(ト)第七期、瀕死ひんし時代。 湖底平原はだんだん隆起し、湖岸とほとんど同じくらいの高さになり、湖岸からおきのほうへの傾斜けいしゃは非常にゆるくなってき、湖岸に繁殖はんしょくした植物はしだいに沖に向かってひろがっていく時代。平賀湖ひらがこのごときがそれです。
(チ)第八期、死滅時代。 湖底はますます高くなり、(つまり沈殿物ちんでんぶつがしだいにかさなって)ほとんど深さのないものとなり、沈水ちんすい植物が沢生たくせい植物に移る時代、すなわち水沢地すいたくちの状態となったもの。静岡県の浮島沼うきしまぬまがこれです。

 以上の時代はたいがいの湖沼にあてはめることができますが、前にもべたように若年じゃくねんのうちに死滅するものもあります。また、火口湖かこうこのあるもののごときは一生いっしょう排出河はいしゅつかがなく、またある湖のごときは、できるとすぐ第七、八期の死滅期の状態になるものもあります。そのほか、湖沼の大部分はまだ壮齢そうれいであるにもかかわらず、その一部、たとえば陸地に入りこんだところなどが第七、八期の状態をしているものもあります。人間でいえば壮健そうけんであるにもかかわらず、体の一局部いっきょくぶ腫物はれものができたり、疾患しっかんがあったりするのと同じわけです。
 湖沼は、こういうふうに種々しゅじゅな時代をてしだいに消滅してゆくのですが、その原因はつぎの五つのことがしゅとなっています。

(イ)山崩やまくずれなどのために、土砂が湖中に落ちこむばあい。
(ロ)泥炭でいたんに変形した植物が湖底を高めるばあい。
(ハ)沈殿物ちんでんぶつ湖盆こぼん埋没まいぼつして縮少するばあい。
(ニ)排出河はいしゅつか河床かしょうがしだいに深くなり、そのために湖沼の水位が低くなるばあい。
(ホ)湖の水をせきとめていた材料(すなわち湖岸)の一部が消失したばあい。

 以上のうち(イ)のばあいではときによると、湖沼が一時いちじに消滅することがあります。また、(ロ)(ハ)(ニ)のばあいはきわめて徐々じょじょにおこなわれ、(ホ)のばあいはその材料消失の程度によって一時に、あるいは徐々に消滅するのです。

   湖沼こしょうの利用


 湖沼こしょうの利用は、非常に古くからおこなわれてきたものです。その年代はとうていはっきり知ることはできませんが、現今げんこん湖畔こはんあるいは湖のあとから発掘される先住民せんじゅうみん遺物いぶつを見ますと、かなり古くから湖沼を利用していたことが推定できます。
 これらの先住民は、鳥やけものや魚類や野生の植物などを食料にして生活していたのです。人類が少なかった当時では、それらのものが天然にたくさん繁殖はんしょくし、湖沼などには魚類がありあまるほどむらがっていたのです。湖沼はそういう食料をかぎりなく供給していたほか、そこには、人類生活にもっとも必要な飲料水が無尽蔵むじんぞうにたたえられています。それだけでも湖畔は、人類が生活するのにどれだけ便利であったかわかりません。またその当時は道路もろくになかったので、いかだなどで湖上を往復したにちがいありません。
 人類がしだいに多くなり、そのために野生の食用植物が不足するようになると、農業というものがはじめられてきました。この農耕には湖の水を灌漑かんがいに使ったもので、その後、文化がずっと進んでくるにつれてだんだんに今のような複雑な利用法を考えるようになったのです。現代では人口がふえ、ずっと食糧が不足してきたので、科学を応用して湖沼に養魚ようぎょの事業をはじめたり、湖の水をすっかりし流して田地でんちを作ることを考えたり、また水力発電に湖の水を利用するなぞ、湖沼はいろいろに利用されています。
 それについて簡単ながらおはなししてみましょう。

 (一)飲料水

 湖の水を飲料に使うことは、ずっとむかしからおこなわれていました。前にも言ったように、原始人げんしじん湖畔はんまったのも一つはそのためです。また湖の水は、ぞくもめた水といって茶の湯などにも使われます。豊臣とよとみ秀吉ひでよしが、琵琶湖から流れ出す宇治川うじがわの水を茶の湯に使ったという話は有名なものです。
 湖水はそういう意味で、湖畔の住民のりょうになるばかりでなく、人口の多い都会地とかいちの飲料水としても重要な位置をめています。徳川氏が江戸幕府を開いてからは、江戸の住民の飲料水は今、公園になっている頭池かしらいけから引いてきたものでした。その江戸が東京とよばれるようになると、人口はどんどん多くなり、この池だけでは飲料水がたりないために、近ごろでは東村山に大きな池をつくって水をためています。また琵琶湖の水は京都市に、中宮祠湖ちゅうぐうじこ〔中禅寺湖〕の水は宇都宮市に、というふうに湖沼の水を飲用に引いてきているところがたくさんあります。これらは、湖沼の水が清くんでいるのと、川水のように水がれることがないからです。
 冬に氷のはる湖では、その氷を切り出して氷けをするのに使い、夏には直接飲料にも利用せられています。今、そうして氷を切り出しているおもな湖沼は、北海道の大沼・榛名湖はるなこ・諏訪湖・木崎湖きざきこなどです。

 (二)交通

 湖上の交通も、前にべたようにやはり古くからおこなわれてきたものです。今でも湖畔こはん泥土でいどの中から、むかし使った、木をけずって作った丸木舟まるきぶねがときどき出てくるのを見ても想像がつきます。今では湖畔に人が住んでいる湖沼にはすべてふねがあって、人を乗せたり荷物を運んだりしているのはいうまでもありません。また琵琶湖・宍道湖しんじこなかうみ浜名湖はまなこ霞ヶ浦かすみがうら北浦きたうら猪苗代湖いなわしろこ小川原沼おがわらぬま小川原湖おがわらこ、それから北海道の洞爺湖とうやこ支笏湖しこつこなどには汽船きせん航行こうこうしています。小さい湖でも発動機船はつどうきせん小舟こぶねはたくさんかんでいます。それは漁業にも使われていますが、主として交通用のものです。
 また氷のはる湖では、その上をソリで物を運んでいます。これは車や船で運ぶことのできない、大きな荷物を動かすのにはじつに便利です。

 (三)漁業

 人間は、原始げんし時代から食糧の一部を漁業からたのですが、だんだん人口がふえすぎたのと、いっぽうでは文化が進んだために、漁具ぎょぐ漁法ぎょほうもいちじるしく進歩し、どんどん魚介ぎょかいをとるので、それらが自然に繁殖はんしょくするだけではりなくなってきました。それで魚類を人工でもって繁殖させるようになり、したがって漁獲ぎょかくもだいぶん多くなってきました。
 日本の湖沼で養魚ようぎょのいちばんさかんなのは琵琶湖ですが、その他の湖沼でも、一つとして養魚の経営をしていないところはないくらいです。帝室ていしつ林野局りんやきょくや農林省をはじめとして、湖沼を持った県の水産すいさん試験場しけんじょうあるいは湖畔こはんの漁業組合、あるいは個人でちからを入れてやっているのです。
 もうなくなりましたが、和井内わいない貞行さだゆき(一八五八〜一九二二)という人は個人で養魚経営をし、苦心くしんに苦心をしてついに成功した人で、じっさい日本の養魚事業の恩人おんじんです。なおこの人は立志伝中りっしでんちゅうの人物であり、われわれの手本てほんになる人ですから、その略伝りゃくでんをちょっとおはなししておきましょう。
 和井内氏の養魚は十和田湖でしたのです。この十和田湖は排出河はいしゅつかに滝があるために、下流から魚がのぼってきません。それで湖中にはほとんど魚のかげもなかったのでした。ところが明治十七年(一八八四)に、和井内氏は養魚の必要を感じてこの湖にコイをはなってみました。それが十余年後よねんごにはだいぶん繁殖はんしょくしましたが、明治三十三年(一九〇〇)には、もういっぴきも取れなくなりました。
 それで今度は三年間、引き続いてカワマスのたまごを人工で孵化ふかさせてはなしましたが、そのマスは全部川口かわぐちから下流へのがったので、は非常にがっかりしました。これだけのながい年月の間には、身分不相応ふそうおう借財しゃくざいもできて、もうどうすることもできなくなったのでお父さんに相談しますと、お父さんは非常に立腹りっぷくしました。すなおに農業でもして働いていればいいものを、人が考えさえもしない危険な事業をして失敗したのですから、ひどくおこったのです。しかしは、けっきょく、もう養魚事業には手を出さないことをちかって、ようやく借金だけはお父さんから返してもらいました。それでひと安心すると、氏はお父さんとの約束を忘れて今度放流ほうりゅうしようとする魚をえらび、いろいろ調査をしました。その結果、支笏湖しこつこのカバチェッポという小さなマスに目をつけましたが、そのときにはもうその卵を買う金が一銭いっせんもなかったので、自分の衣類や、たった一つしかない銀時計ぎんどけいまでも売りはらって、やっと二十円〔当時の金額で〕ほどのお金をつくり、さっそくその卵を取りよせて、三十六年(一九〇三)の五月に孵化した稚魚をはなしました。しかし、三年間はることはできないし、それから先の経営や生活にもかねがいるために、くような苦労をしたうえに、またどっさり借財しゃくざいができました。もう、お父さんにもはなされない義理ぎりですが、ほかにたよる人もないので、とうとうまたきついて田地でんちや畑を売ってかねをこしらえてもらい、負債ふさいをはらいました。
 こうして二年後の三十八年になりました。マスというものは大きくなると、最初はなした地点へ帰ってくるものなので、その年の九月になりますと一尺いっしゃく五寸ごすん〔およそ四五センチメートル〕ぐらいの大きさになったマスが、故郷こきょうへでも帰るように元気よくむれをなしてさかのぼってきました。和井内氏はそれを見て、おどりあがってよろこびましたが、しかし残念なことには、まだそのマスをとる準備ができていませんでした。ちょうどこの年は東北地方の大凶作だいきょうさくの年でしたので、氏は決心して、「この湖水こすいのマスは、凶作救済きゅうさいのためにみなさんにげるから勝手かってに取ってくれ。そのかわり、わたしはいま食べるものもないから米代こめだいだけくれよ」と、湖畔こはん付近の住民に言いわたしました。
 すると彼らは非常によろこんで、おのおのいろいろな漁具ぎょぐを作り、しばらくの間に一万五〇〇〇も取りました。その住民のよろこびを見て和井内氏も非常にうれしがりましたが、のお父さんはそれを聞いてたいへんにいきどおり、氏をバカものとののしったそうです。しかしそんなことがもとで、氏はその後も稚魚の放流を毎年つづけ、成績もいちじるしくのぼってきて、政府でも三十九年(一九〇六)一月七日の官報かんぽうに、この成績を発表して日本じゅうへ知らせたくらいです。ついで四十年六月にはは政府から表彰ひょうしょうされ、緑綬りょくじゅ褒章ほうしょうをももらいました。ながいあいだの苦心もこれでつぐなわれ、最近では日本じゅうの湖沼にマスの卵を送るほどになり、そのマスには和井内わいないマスという別名さえついています。

 (四)農業

 川の水は旱魃かんばつが続くとすっかりりますが、湖沼の水にはたいしてそういう変化がありません。湖沼の水を水田の灌漑かんがいに使うことは、農耕のおこったはじめからおこなわれていたにちがいありません。現今げんこんでも、ほとんどそれに使っていない湖沼はないくらいです。湖沼はそれだけ水が豊富であるばかりでなく、大洪水だいこうずいのときなどには一時いちじに湖に水がたまるので、耕地こうちに水害をおよぼすことが少なくなります。仙台付近の平地にある広淵沼ひろぶちぬま品井沼しないぬま、あるいは関東平野の湖沼、または淀川よどがわ流域にある巨椋おおむくいけ巨椋おぐらの池〕などは、この水害をなくするのにいちじるしく役立やくだっています。また宍道湖しんじこ・諏訪湖・野尻湖などのごとく湖沼の水には肥料分の多いのがあって、耕作地の肥料の一部分をおぎなっています。
 また、渓谷けいこくの水は非常に冷たいので、それを灌漑に使うと稲の発育を害しますが、湖沼の水は相当に熱をたもっているために、そういう害がありません。そのためにひどく冷たい河水かすいは、一時いちじ湖沼または溜池ためいけにため入れて、それから灌漑に使うように工夫されています。また、あさい湖沼をして田地でんちを作ることもあります。湖底に沈積ちんせきした泥土でいどはいい肥料になるので、この事業も非常に有利なわけです。以上のとおり湖沼は農業方面にも非常に役立つのですが、いま言ったあさい湖沼をすについてはいろいろ注意しなければならないことがあります。それは、湖沼に洪水のときなどは水を一時いちじたたえる働きをするのですから、それを干すとその働きがなくなり、したがってできたはもちろんのこと、ほかの耕地までが洪水でらされることがあります。それでこの計画には、湖沼ができている理由と現在の状態をよく調査してからかからないと、取り返しのつかない失敗をまねくことがあります。

 (五)工業

 直接、工業にはこれまではあまり利用してはいませんが、むかしから繊維せんいをさらすのには多少利用していたようです。近年は種々しゅじゅ生糸業きいとぎょうにも利用します。そのもっともさかんなのは長野県の岡谷町おかやまちで、諏訪湖の水をそれに使うのをはじめとして、琵琶湖畔びわこはん彦根ひこね南方なんぽう堅田かたた膳所ぜぜなどでもその水を工業に利用しています。
 つぎにこれはきわめて少ないのですが、諏訪湖や三方湖さんぽうこ「みかたこ」か〕では湖底から発散するガスを灯火とうかその他に使い、また北海道の登別のぼりべつ湯沼ゆぬまや宮城県の潟沼かたぬまのようなところでは、湖底から硫黄いおうを取っています。

 (六)発電水力

 湖沼こしょうから流れて出る水を利用して水車をまわし、それで米などをつくことはむかしからおこなわれました。今ではこの水の量と力とを利用して水力電気をおこし、非常な利益をています。水力電気は川の水を使用するものもありますが、川は増水も減水もはげしいですが、湖沼の水は適度に使用することができるので、ひじょうに好都合こうつごうです。それで近ごろは、わざわざ川をせきとめて湖をつくり、それを発電水力として使っています。そのおもなるものは木曽川きそがわ中流の恵那湖えなこ宇治川がわ堰止湖えんしこなど、そのほかにもまだいくらもあります。従来からの湖を電力に使っているものは非常に多く、もっともおもなるものは支笏湖しこつこ・北海道大沼おおぬま猪苗代湖いなわしろこ・富士北麓ほくろくの湖沼・琵琶湖などです。
 なお、湖沼はこういう経済的の利用のほかに、近来きんらい避暑地ひしょちあるいは水泳場、スケート場としてさかんに利用されています。今まで世間せけんの人は多く海岸や高原に別荘を建てたりして避暑地にしていたものですが、それでは、ただ海や高原などに接するだけであまり変化がありません。ところが湖畔こはんとなると、水のために寒さもあつさも適当に緩和かんわされますし、そのほか、山と水とについていろいろ風光ふうこうの変化もあり、また湖沼は体育運動にも使われる特徴があります。中宮祠湖ちゅうぐうじこ〔中禅寺湖〕をはじめ、芦ノ湖あしのこ・野尻湖など山地の湖沼でこういう方面に利用せられているものが非常に多くなってきたのも、そのはずです。



底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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山の科學・湖と沼(二)

子爵 田中阿歌麿

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山《やま》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)明治《めいじ》四三|年《ねん》一一|月《がつ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)人々《ひと/″\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 (九)透明度《とうめいど》
 水《みづ》の透明度《とうめいど》を測《はか》るには表面《ひようめん》から物體《ぶつたい》を水中《すいちゆう》になげ下《おろ》し、この物體《ぶつたい》の表面《ひようめん》が見《み》え得《う》る程度《ていど》の深《ふか》さ、つまり水面《すいめん》から、物體《ぶつたい》の面《めん》が消《き》えようとするところまでの深《ふか》さを測《はか》るのです。普通《ふつう》には直徑《ちよつけい》二十五《にじゆうご》せんち[#「せんち」に傍点]の白色《はくしよく》平圓板《へいえんばん》を沈下《ちんか》して、測《はか》るのであるが農林省《のうりんしよう》では、直徑《ちよつけい》三十三《さんじゆうさん》せんち〇三(一尺《いつしやく》)のものを使《つか》つてゐます。
 この透明度《とうめいど》は水中《すいちゆう》にたゞよひ浮《う》いてゐる物質《ぶつしつ》と直接《ちよくせつ》に關係《かんけい》があります。浮漂《ふひよう》物質《ぶつしつ》の多《おほ》いときには透明度《とうめいど》は少《すくな》くなり物質《ぶつしつ》が少《すくな》い時《とき》には透明度《とうめいど》は増《ま》して來《き》ます。この浮漂物《ふひようぶつ》の中《うち》には、浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》といふ、極《きは》めて微細《びさい》な動植物《どうしよくぶつ》があつて、水《みづ》の温度《おんど》の關係《かんけい》で多《おほ》くなつたり少《すくな》くなつたりします。また川《かは》が微細《びさい》な泥土《でいど》や腐蝕《ふしよく》した物質《ぶつしつ》を、運搬《うんぱん》して來《き》たり、あるひは波《なみ》の荒《あら》い時《とき》に湖畔《こはん》から運《はこ》び、又《また》は波《なみ》のために湖底《こてい》がかきまはされたりして、水《みづ》をひどく濁《にご》らせることがあります。そのために透明度《とうめいど》は少《すくな》くなつて來《き》ます。
 淺《あさ》い湖沼《こしよう》は夏《なつ》は水温《すいおん》が高《たか》くなるので浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》がゐるとどん/\繁殖《はんしよく》しますが冬《ふゆ》になると次第《しだい》に繁殖力《はんしよくりよく》が少《すくな》くなります。そのため、かういふ湖沼《こしよう》は、夏季《かき》は、不透明《ふとうめい》で冬季《とうき》は透明《とうめい》となるわけです。諏訪湖《すはこ》等《など》はその最《もつと》もよい例《れい》です。けれども深《ふか》い湖沼《こしよう》になると、さういふ生物《せいぶつ》の影響《えいきよう》が少《すくな》いので、注入河《ちゆうにゆうが》が濁《にご》り水《みづ》を多《おほ》く流《なが》しこむとき、すなはち受水《じゆすい》區域《くいき》の雪《ゆき》とけとか、あるひは秋《あき》の暴風雨《ぼうふうう》季節《きせつ》とかに、一《いち》ばん不透明《ふとうめい》になります。そして夏《なつ》晴《は》れた天氣《てんき》が長《なが》く續《つゞ》くときは水《みづ》は澄《す》んで來《く》るので、透明度《とうめいど》は最《もつと》も大《おほ》きくなります。野尻湖《のじりこ》はその一例《いちれい》で、諏訪湖《すはこ》とはちょうど反對《はんたい》です。
 次《つ》ぎに日本《につぽん》の湖沼《こしよう》について研究《けんきゆう》した透明度《とうめいど》の主《おも》なものを上《あ》げて見《み》ませう。但《たゞ》し前《まへ》にも述《の》べたように透明度《とうめいど》はいろ/\の關係《かんけい》で一年中《いちねんじゆう》同一《どういつ》ではありません。こゝにかゝげたのは、今《いま》まで觀測《かんそく》したうちで、おの/\の湖沼《こしよう》の、最《もつと》も大《おほ》きかつた透明度《とうめいど》です。

湖沼名《こしようめい》  水色《すいしよく》標式《ひようしき》  透明度《とうめいど》  觀測《かんそく》年月《ねんげつ》
田澤湖《たざはこ》  藍色湖《らんしよくこ》   三九・〇《めーとる》 明治《めいじ》四三|年《ねん》一一|月《がつ》
支笏湖《しこつこ》  同《どう》     二三・五 大正《たいしよう》一一|年《ねん》七|月《がつ》
屈斜路湖《くつしやろこ》 同《どう》     二〇・〇 大正《たいしよう》六|年《ねん》一|月《がつ》
池田湖《いけだこ》  同《どう》     一九・七 明治《めいじ》四四|年《ねん》一〇|月《がつ》
菅沼《すがぬま》   同《どう》     一九・五 明治《めいじ》三八|年《ねん》八|月《がつ》
洞爺湖《どうやこ》  同《どう》     一九・〇 大正《たいしよう》四|年《ねん》二|月《がつ》
十和田湖《とわだこ》 同《どう》     一八・〇 明治《めいじ》四二|年《ねん》八|月《がつ》
中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》 同《どう》     一八・〇 大正《たいしよう》三|年《ねん》八|月《がつ》
猪苗代湖《ゐなはしろこ》 同《どう》     一五・〇 明治《めいじ》三六|年《ねん》六|月《がつ》
本栖湖《もとすこ》  同《どう》     一四・六 大正《たいしよう》二|年《ねん》一〇|月《がつ》
琶琵湖《びわこ》[#「琶琵湖」は底本のまま]  同《どう》     一二・一 明治《めいじ》四二|年《ねん》七|月《がつ》
野尻湖《のじりこ》  緑色湖《りよくしよくこ》   一三・五 大正《たいしよう》二|年《ねん》六|月《がつ》
蘆《あし》の湖《こ》  同《どう》     一二・〇 明治《めいじ》三七|年《ねん》八|月《がつ》
木崎湖《きさきこ》  同《どう》     一〇・〇 明治《めいじ》四二|年《ねん》一〇|月《がつ》
榛名湖《はるなこ》  同《どう》      九・五 明治《めいじ》三九|年《ねん》七|月《がつ》
小河原湖《をがはらこ》 同《どう》      八・五 大正《たいしよう》七|年《ねん》八|月《がつ》
赤城《あかぎ》大沼《おほぬま》 同《どう》      八・〇 大正《たいしよう》三|年《ねん》八|月《がつ》
西湖《にしのうみ》(富士《ふじ》) 同《どう》    八・〇 明治《めいじ》三九|年《ねん》九|月《がつ》
山中湖《やまなかこ》  同《どう》      七・〇 明治《めいじ》三二|年《ねん》八|月《がつ》
湯《ゆ》の湖《こ》  黄色湖《おうしよくこ》    四・五 明治《めいじ》三九|年《ねん》七|月《がつ》
諏訪湖《すはこ》  黄色湖《こうしよくこ》    三・八 明治《めいじ》四一|年《ねん》二|月《がつ》
北浦《きたうら》   同《どう》      二・三 明治《めいじ》四〇|年《ねん》一|月《がつ》
霞《かすみ》が浦《うら》  同《どう》      二・二 明治《めいじ》四四|年《ねん》一一|月《がつ》
男潟《をとこがた》   褐色湖《かつしよくこ》    一・四 大正《たいしよう》一〇|年《ねん》七|月《がつ》
女潟《をんながた》   同《どう》      一・三 同《どう》
城沼《しろぬま》   同《どう》      〇・九 明治《めいじ》四一|年《ねん》八|月《がつ》

 これを見《み》ると、水色《みづいろ》と透明度《とうめいど》とが密接《みつせつ》な關係《かんけい》のあることがわかるでせう。すなはち水色《すいしよく》の美《うつく》しい藍色湖《らんしよくこ》が最《もつと》も透明度《とうめいど》が大《おほ》きく、褐色湖《かつしよくこ》の透明度《とうめいど》はひどく少《すくな》いのが目《め》につきます。
 (一〇)水温《すいおん》
 湖沼《こしよう》の水《みづ》の温度《おんど》を高《たか》めるものは太陽熱《たいようねつ》です。この太陽熱《たいようねつ》が弱《よわ》くなり、空氣《くうき》が冷《ひ》えて來《く》ると、水《みづ》の中《なか》に含《ふく》まれてゐた熱《ねつ》は次第《しだい》に發散《はつさん》して水温《すいおん》は下《くだ》ります。
 それから、水《みづ》は攝氏《せつし》寒暖計《かんだんけい》で四度《よど》のときが最大《さいだい》密度《みつど》になります。つまりその水《みづ》が一番《いちばん》重《おも》いときです。水温《すいおん》が四度《よど》より高《たか》く又《また》は低《ひく》くなるにつれて次第《しだい》に輕《かる》くなるのです。例《たと》へば五度《ごど》の水温《すいおん》の水《みづ》は四度《よど》のものよりも輕《かる》く六度《ろくど》のものは五度《ごど》のものより輕《かる》い勘定《かんじよう》です。八度《はちど》、九度《くど》、十度《じゆうど》といふようにだん/\輕《かる》くなります。また三度《さんど》の水《みづ》は四度《よど》の水《みづ》よりも輕《かる》く二度《にど》の水《みづ》は三度《さんど》のものよりも輕《かる》いといふわけです。それゆゑ湖《みづうみ》の水《みづ》は最《もつと》も重《おも》い水《みづ》が最《もつと》も下《した》になり、それから上《うへ》の方《ほう》は次第《しだい》に輕《かる》い水《みづ》が重《かさ》なつてゐます。從《したが》つて深《ふか》い湖沼《こしよう》の湖底《こてい》の水温《すいおん》は、特別《とくべつ》の事情《じじよう》のある湖沼《こしよう》のほかは一年中《いちねんじゆう》四度《よど》であるといふことが出來《でき》ます。
 次《つ》ぎに水温《すいおん》は、湖沼《こしよう》の全面《ぜんめん》にわたつて同一《どういつ》ではなく、沖《おき》の方《ほう》と岸《きし》に近《ちか》い淺《あさ》いところとでは大分《だいぶん》違《ちが》ひます。また風《かぜ》の方向《ほうこう》によつて風上《かざかみ》と風下《かざしも》とでも違《ちが》ふのです。
 沖《おき》の部分《ぶぶん》の水温《すいおん》は、表面《ひようめん》から湖底《こてい》までどんな状態《じようたい》になつてゐるかといふに、夏《なつ》は表面《ひようめん》の水温《すいおん》が高《たか》く湖底《こてい》に向《むか》つて次第《しだい》に低《ひく》くなり、つひには四度《よど》の水温《すいおん》に下《くだ》ると、そこから底《そこ》までは同《おな》じ四度《よど》です。しかし冬《ふゆ》になると、湖底《こてい》の方《ほう》は同《おな》じ四度《よど》ですが、表面《ひようめん》は四度《よど》より低《ひく》くなつて來《き》ます。春《はる》と秋《あき》は僅《わづか》の期間《きかん》だけ全層《ぜんそう》四度《よど》の同温《どうおん》になります。この、夏《なつ》の水温《すいおん》状態《じようたい》を『夏相《かそう》』又《また》は『正列成層《せいれつせいそう》』といひ、冬《ふゆ》の水温《すいおん》状態《じようたい》を『冬相《とうそう》』又《また》は『逆列成層《ぎやくれつせいそう》』と呼《よ》んでゐます。それから春《はる》のものは『春相《しゆんそう》』、秋《あき》のものは『秋相《しゆうそう》』といひ、ともに『同温層《どうおんそう》』と稱《とな》へます。
 正列成層《せいれつせいそう》の完成期《かんせいき》における水温《すいおん》状態《じようたい》は、前《まへ》にもちよつと述《の》べたように表面《ひようめん》が最《もつと》も高《たか》く、深《ふか》さを増《ま》すに從《したが》つて水温《すいおん》は次第《しだい》に低《ひく》くなるのですが、十《じゆう》めーとるくらゐの深《ふか》さのところから急《きゆう》に低温《ていおん》となり、それから湖底《こてい》に向《むか》つては再《ふたゝ》び次第《しだい》に水温《すいおん》を減《げん》じていきます。この、急《きゆう》に水温《すいおん》が低《ひく》くなるところを『變水層《へんすいそう》」といひ、それより上部《じようぶ》を『表水層《ひようすいそう》』、下部《かぶ》を『深水層《しんすいそう》』といひます。なほ、この變水層《へんすいそう》のある位置《いち》は、季節《きせつ》によつてちがひ、夏《なつ》のはじめには表面《ひようめん》近《ちか》くにあつて、やっとわかるくらゐですが、これがだん/\發達《はつたつ》して夏《なつ》の終《をは》り頃《ごろ》にはずっと深《ふか》いところへ移《うつ》り、秋相《しゆうそう》に近《ちか》づいて消滅《しようめつ》します。その表面《ひようめん》近《ちか》くにあるものは、水《みづ》を潜《くゞ》つたとき、しば/\冷《つめ》たい水《みづ》にあふので直《す》ぐにわかります。
 逆列成層《ぎやくれつせいそう》も前《まへ》に述《の》べたとほり表面《ひようめん》の水温《すいおん》が低《ひく》く、湖底《こてい》の水温《すいおん》は最《もつと》も高《たか》いときで四度《よど》です。そして變水層《へんすいそう》はほとんど認《みとめ》られないくらゐ微弱《びじやく》です。
 同温層《どうおんそう》のうち、秋相《しゆうそう》のものは夏相《かそう》から冬相《とうそう》に移《うつ》る時《とき》に起《おこ》るもので、春相《しゆんそう》のものは反對《はんたい》に冬相《とうそう》から夏相《かそう》に移《うつ》るときに起《おこ》る現象《げんしよう》です。いづれも水温《すいおん》の状態《じようたい》は同樣《どうよう》で、ただ、その起《おこ》る原因《げんいん》がちがふまでです。
 以上《いじよう》夏相《かそう》、秋相《しゆうそう》、冬相《とうそう》、春相《しゆんそう》、そして再《ふたゝ》び夏相《かそう》といふように一年中《いちねんじゆう》移《うつ》り變《かは》つていく水温《すいおん》状態《じようたい》を呈《てい》する湖沼《こしよう》を『温帶湖《おんたいこ》』といひます。日本《につぽん》の湖沼《こしよう》は大部分《だいぶぶん》が温帶湖《おんたいこ》ですが、芦《あし》の湖《こ》、琵琶湖《びわこ》、九州《きゆうしゆう》の湖沼《こしよう》(但《たゞ》し山地《さんち》のものは温帶湖《おんたいこ》もある)は『熱帶湖《ねつたいこ》』に屬《ぞく》してゐます。熱帶湖《ねつたいこ》では、温帶湖《おんたいこ》の冬《ふゆ》の状態《じようたい》を呈《てい》することがありません。つまり一年中《いちねんじゆう》水温《すいおん》は四度《よど》又《また》はそれ以上《いじよう》を示《しめ》してゐるわけです。それから白山《はくさん》の千蛇《せんじや》が池《いけ》は一年中《いちねんじゆう》雪《ゆき》におほはれてゐて水層《すいそう》は眞夏《まなつ》でも四度《よど》以上《いじよう》にのぼることがありません。かういふ湖沼《こしよう》、すなはち温帶湖《おんたいこ》の夏相《かそう》を呈《てい》することのない湖沼《こしよう》を『寒帶湖《かんたいこ》』といひます。
 こゝでちよっと注意《ちゆうい》して置《お》かねばならないのは、前《まへ》に水位《すいい》のところでも『温帶湖《おんたいこ》』、『熱帶湖《ねつたいこ》』、『寒帶湖《かんたいこ》』といふ區分《くぶん》をしました。今《いま》また、水温《すいおん》について同《おな》じような區分《くわ》けをしましたが、これ等《ら》は湖沼《こしよう》の位置《いち》によつて呼《よ》ぶのでなく、前者《ぜんしや》は水位《すいい》の一年中《いちねんじゆう》の變化《へんか》の状態《じようたい》により、後者《こうしや》は全層《ぜんそう》の一年中《いちねんじゆう》の變化《へんか》の状態《じようたい》によつて分類《ぶんるい》したのです。兩方《りようほう》について、よく讀《よ》みかへされたら十分《じゆうぶん》おわかりになる筈《はず》です。
 次《つ》ぎに湖岸《こがん》に接近《せつきん》した淺《あさ》い部分《ぶぶん》の水温《すいおん》についてお話《はなし》しますと、そこでは沖《おき》の部分《ぶぶん》にくらべて水《みづ》の層《そう》がいちじるしく薄《うす》いために、熱《ねつ》を放散《ほうさん》することも速《はや》いのです。
 温帶湖《おんたいこ》の湖岸《こがん》に近《ちか》い淺水帶《せんすいたい》の表面《ひようめん》水温《すいおん》は、最低《さいてい》が零度《れいど》又《また》はそれ以下《いか》です。それから最高《さいこう》は湖沼《こしよう》の位置《いち》によつてちがひ、あるひは同一《どういつ》の湖沼《こしよう》でも氣候《きこう》の關係《かんけい》で年々《ねん/\》ちがひますが今《いま》まで測《はか》つたうちの最高《さいこう》は、三十度《さんじゆうど》から三十三度《さんじゆうさんど》くらゐもあります。だから一年中《いちねんじゆう》の較差《こうさ》は大變《たいへん》大《おほ》きいわけです。
 春先《はるさき》の太陽熱《たいようねつ》は湖面《こめん》の氷《こほり》を融解《ゆうかい》しますが、それは湖岸《こがん》に沿《そ》うた淺《あさ》いところから、だんだんに沖《おき》の方《ほう》に向《むか》つて、とけるのです。これは氷《こほり》が融解《ゆうかい》するとき、岸《きし》のところだけは、上《うへ》へ乘《の》ることが出來《でき》ないようになるのを見《み》てもわかります。氷《こほり》が全部《ぜんぶ》解《と》けてしまふと、水温《すいおん》が次第《しだい》にのぼつていきますが、その頃《ころ》には、日中《につちゆう》は太陽熱《たいようねつ》が強《つよ》くても夜《よる》はずっと冷却《れいきやく》するので、晝《ひる》と夜《よる》とは水温《すいおん》が違《ちが》つて來《き》ます。この水温《すいおん》の日中《につちゆう》の變化《へんか》は沖《おき》の部分《ぶぶん》にもありますが、淺《あさ》いところほどに大《おほ》きくはありません。それからなほ夏《なつ》に向《むか》ふと水温《すいおん》はます/\高《たか》くなり七《しち》、八月頃《はちがつごろ》が一《いち》ばん高《たか》くなります。九月《くがつ》になると夜《よる》の冷却《れいきやく》が著《いちじる》しくなるため、日中《につちゆう》つよい熱《ねつ》を受《う》けても次第《しだい》に水温《すいおん》を減《げん》じはじめ、秋《あき》を經《へ》て冬《ふゆ》に入《い》り一《いち》、二月頃《にがつごろ》になると最低《さいてい》水温《すいおん》となり、つひに氷《こほり》が張《は》るようになります。かういふ風《ふう》に淺水帶《せんすいたい》の水温《すいおん》は沖《おき》の部分《ぶぶん》と同《おな》じように年中《ねんじゆう》變化《へんか》をしますが、最高《さいこう》に達《たつ》することもまた最低《さいてい》を告《つ》げることも沖部《ちゆうぶ》よりは早《はや》いのです。それは空氣《くうき》の温度《おんど》の影響《えいきよう》を、沖部《ちゆうぶ》よりも早《はや》く感《かん》じますから毎日《まいにち》の變化《へんか》はひどく複雜《ふくざつ》であります。水《みづ》は空氣《くうき》と比《くら》べると、太陽熱《たいようねつ》の影響《えいきよう》をうけることが遲《おそ》く且《か》つ少《すくな》いものです。それゆゑ水温《すいおん》は氣温《きおん》よりも、温度《おんど》の日中《につちゆう》及《およ》び年中《ねんじゆう》の較差《こうさ》が少《すくな》くまた水温《すいおん》の最高《さいこう》は氣温《きおん》の最高《さいこう》よりも遲《おく》れて現《あらは》れます。しかしその最低《さいてい》は、兩方《りようほう》で同時《どうじ》に現《あらは》れるのです。これは水《みづ》の温度《おんど》による運動《うんどう》が氣温《きおん》の最低《さいてい》に達《たつ》したときにとまるので、普通《ふつう》の場合《ばあひ》には日《ひ》の出《で》のすぐまへに最低《さいてい》になります。
 (一一)湖面《こめん》の結氷《けつぴよう》
 蒸溜水《じようりゆうすい》のような純淨《じゆんじよう》な水《みづ》は攝氏《せつし》百度《ひやくど》で沸騰《ふつとう》して氣體《きたい》となり、また零度《れいど》までに冷《ひや》すと固體《こたい》、すなはち氷《こほり》となります。しかし湖沼《こしよう》の水《みづ》は、多少《たしよう》なりともいろ/\な不純物《ふじゆんぶつ》が混《まじ》つてゐるので、零度《れいど》以下《いか》の水温《すいおん》になつてはじめて結氷《けつぴよう》します。この氷《こほり》の張《は》るのは、寒帶湖《かんたいこ》では無論《むろん》ですが、温帶湖《おんたいこ》でも冬《ふゆ》には結氷《けつぴよう》しますし、熱帶湖《ねつたいこ》でも、特《とく》に寒《さむ》い冬《ふゆ》には、岸《きし》の淺《あさ》いところに氷《こほり》を見《み》ることがあります。
 氷《こほり》の出來《でき》はじめは、大概《たいがい》の場合《ばあひ》、淺水帶《せんすいたい》に針状氷《しんじようひよう》といふ、松《まつ》の葉《は》を組《く》み合《あは》せたような薄《うす》い氷《こほり》が出來《でき》ます。これは手洗《てあら》ひ鉢《ばち》などの水《みづ》が、朝《あさ》起《お》きて見《み》ると氷《こほり》が張《は》つて、幾《いく》つも節《ふし》が出來《でき》てゐるのと同《おな》じようなものであります。湖沼《こしよう》のさうした氷《こほり》は夜《よる》張《は》つて日中《につちゆう》氣温《きおん》が昇《のぼ》ると解《と》けるので一夜氷《いちやこほり》などと名《な》づけられてゐます。しかし寒《さむ》さが續《つゞ》くと一夜氷《いちやこほり》もしまひには解《と》けなくなり、毎日《まいにち》厚《あつ》さを増《ま》して、少《すこ》しぐらゐの日照《ひで》りではもう解《と》けないようになります。それから厚《あつ》さを増《ま》すと同時《どうじ》に廣《ひろ》さをも増《ま》して、つひには全湖面《ぜんこめん》を被《おほ》ふようになつて來《き》ます。また湖畔《こはん》に温泉《おんせん》がある場合《ばあひ》、あるひは大雪《おほゆき》が降《ふ》つて水中《すいちゆう》に浮《うか》んでゐるようなときには岸《きし》の方《ほう》から張《は》らないで沖《おき》の方《ほう》に氷《こほり》が出來《でき》、それがだん/\ひろがつて岸《きし》にまで來《く》ることもあります。
 次《つ》ぎに冬《ふゆ》、雪《ゆき》の少《すくな》い地方《ちほう》にある湖沼《こしよう》の氷《こほり》と、雪《ゆき》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》の氷《こほり》とは、厚《あつ》さを増《ま》す順序《じゆんじよ》も氷《こほり》の質《しつ》もちがつてゐます。
 雪《ゆき》の少《すくな》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》の氷《こほり》は、一夜氷《いちやこほり》の發達《はつたつ》したものですから、がらす[#「がらす」に傍点]のように滑《なめら》かで、又《また》やゝ透明《とうめい》です。これを『粒氷《りゆうひよう》』といひます。けれども、この氷《こほり》は寒《さむ》い空氣《くうき》が水《みづ》を冷《ひや》すために出來《でき》たものですから、上部《じようぶ》の方《ほう》へは發達《はつたつ》しないで、次第《しだい》に下方《かほう》に厚《あつ》さを増《ま》していきます。そしてある程度《ていど》までの厚《あつ》さになるともうそれ以上《いじよう》厚くはなりません。これは氷《こほり》の厚《あつ》さのために空氣《くうき》がその下部《かぶ》の水《みづ》を冷《ひや》すことが出來《でき》ないからです。かういふときに氷《こほり》の上《うへ》に雨《あめ》が降《ふ》るとか、あるひは温度《おんど》がのぼつて氷《こほり》の上部《じようぶ》をとかすと、氷《こほり》の上《うへ》は一面《いちめん》の水《みづ》となります。その水《みづ》がまた夜間《やかん》の冷却《れいきやく》で氷《こほり》になるので、こんなことを幾度《いくど》も繰《く》り返《かへ》すうちには上方《じようほう》にも厚《あつ》さを増《ま》して行《ゆ》くのは無論《むろん》です。かうした結氷《けつぴよう》のときに、水《みづ》の冷《ひ》え方《かた》が弱《よわ》いと氷《こほり》の上《うへ》の水《みづ》の上部《じようぶ》だけが凍《こほ》つて、下《した》の氷《こほり》との間《あひだ》に水《みづ》の層《そう》が殘《のこ》ることがあります。かういふ氷《こほり》を『二重氷《にじゆうひよう》』と言《い》ひます。なほ、この湖沼《こしよう》の氷《こほり》は雪《ゆき》の影響《えいきよう》がないために厚《あつ》さは三十《さんじつ》せんち[#「せんち」に傍点]以上《いじよう》に達《たつ》することは極《ご》く稀《まれ》ですが、質《しつ》は極《きは》めて硬《かた》いので六・七せんち[#「せんち」に傍点]ぐらゐの厚《あつ》さになればその上《うへ》を渡《わた》ることが出來《でき》ます。そしてすけーと[#「すけーと」に傍点]等《など》には最《もつと》も適《てき》し、夏《なつ》の飮用《いんよう》等《など》にも使《つか》はれます。諏訪湖《すはこ》、松原湖《まつばらこ》、榛名湖《はるなこ》等《など》はかういふ氷質《ひようしつ》ですけーと[#「すけーと」に傍点]場《じよう》として有名《ゆうめい》です。
 降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》では、雪《ゆき》のために水《みづ》が非常《ひじよう》に冷《つめ》たくなり、それへなほどん/\雪《ゆき》が降《ふ》るので、その雪《ゆき》は水面《すいめん》に浮《う》いたまゝ解《と》けません。それがひどく寒《さむ》くて天氣《てんき》のよい夜《よる》などは凍《こほ》りつくのです。かうして出來《でき》た氷《こほり》は、乳白色《にゆうはくしよく》をしてゐるので『乳氷《にゆうひよう》』と呼《よ》びます。また諏訪湖《すはこ》等《など》のように透明《とうめい》な氷《こほり》が出來《でき》ることもありますが、その上《うへ》へ雪《ゆき》が多《おほ》く積《つも》ると、氷《こほり》に割《わ》れ目《め》が出來《でき》、そこから水《みづ》が上《あが》つて雪《ゆき》に浸《し》みこみます。そのため粥《のり》のようになつた雪《ゆき》がまた凍《こほ》ります。その上《うへ》へ雪《ゆき》が降《ふ》り、前《まへ》と同《おな》じようにまた水《みづ》が下《した》から浸《し》みこんだり、又《また》は雨《あめ》や日光《につこう》でそれを再《ふたゝ》び粥《のり》のようにします。それが又《また》凍《こほ》つて乳氷《にゆうひよう》となるといふ風《ふう》に、だん/\繰《く》り返《かへ》すうちに、氷《こほり》は非常《ひじよう》な厚《あつ》さになります。しかしこれは上部《じようぶ》に向《むか》つて厚《あつ》さをますのみで下部《かぶ》に増《ま》すことは極《きは》めて少《すくな》いのです。降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》では、さうした氷《こほり》が出來《でき》るので、その氷《こほり》を切《き》つて見《み》ると、氷《こほり》が張《は》つてからの天氣《てんき》状態《じようたい》が大體《だいたい》わかるのです。なほこの氷《こほり》では、すけーと[#「すけーと」に傍点]は無論《むろん》出來《でき》ません。また飮料《いんりよう》にも不適當《ふてきとう》です。たゞ冷《ひや》しものをするとき役立《やくだ》つくらゐのものです。
 湖沼《こしよう》の氷《こほり》は地方《ちほう》によつて以上《いじよう》のように出來方《できかた》、氷質《ひようしつ》、氷層《ひようそう》がちがふのです。例《たと》へば、降雪《こうせつ》の少《すくな》い地方《ちほう》の諏訪湖《すはこ》と、降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の野尻湖《のじりこ》との二《ふた》つを比較《ひかく》してごらんになるとその相違《そうい》がよくわかるはずです。
[#図版(2_9.png)、氷層切斷面]
[#ここからキャプション]
(野尻湖大正十四年三月十八日)
[#キャプションここまで]
 次《つ》ぎには湖《みづうみ》の全面《ぜんめん》に氷《こほり》が張《は》るころになつても、ところ/″\に凍《こほ》らない部分《ぶぶん》が殘《のこ》ることがあります。その主《おも》な原因《げんいん》は湖底《こてい》に湧《わ》き水《みづ》があるためです。この湧《わ》き水《みづ》はほかの部分《ぶぶん》の水《みづ》よりも温度《おんど》が高《たか》くその上《うへ》湧《わ》き出《だ》すときに、たえず、ぐるりの水《みづ》を動《うご》かすからです。また湖底《こてい》からがす[#「がす」に傍点]を噴出《ふんしゆつ》する場合《ばあひ》にも水《みづ》を搖《ゆ》り動《うご》かすので、その場所《ばしよ》だけは凍《こほ》りません。これは野尻湖《のじりこ》や滋賀縣《しがけん》の余吾湖《よごこ》または諏訪湖《すはこ》等《など》で、しば/\見《み》うけます。ことに諏訪湖《すはこ》では、温泉《おんせん》が湧《わ》き出《で》るところもあるので、凍《こほ》らない區域《くいき》が非常《ひじよう》にひろくなつてゐます。しかし温泉《おんせん》以外《いがい》の湧《わ》き水《みづ》やがす[#「がす」に傍点]の噴出《ふんしゆつ》による不凍《ふとう》區域《くいき》は、寒《さむ》さがとくに嚴《きび》しかつたり、雪《ゆき》がひどく降《ふ》つたりすると、全部《ぜんぶ》凍《こほ》つてしまふこともありますが、その氷《こほり》は極《きは》めて薄《うす》く、その上《うへ》を歩《ある》くのは危險《きけん》です。又《また》そこは、ほかの厚《あつ》い氷《こほり》のところとちがつて色《いろ》が薄青《うすあを》く見《み》えるのと、それから雪《ゆき》におほはれた氷《こほり》の場合《ばあひ》は、こゝへのみ丸《まる》く水《みづ》が浸《し》みこんでゐるのとですぐに見《み》つけ出《だ》すことが出來《でき》ます。なほその附近《ふきん》も、わりあひに氷《こほり》が薄《うす》いので、そこへは全然《ぜんぜん》近《ちか》よらないようにしなければなりません。
 そのほか、河川《かせん》の水《みづ》は、湖《みづうみ》の水《みづ》よりも温《あたゝ》かく、それにたえず流《なが》れてゐるので注入川《ちゆうにゆうせん》の川口《かはぐち》や、湖《みづうみ》から水《みづ》の流《なが》れ出《だ》すところでは容易《ようい》に凍《こほ》りません。また湖《みづうみ》の周圍《しゆうい》に深《ふか》い谷《たに》があつてそこから強《つよ》い風《かぜ》が吹《ふ》きこむ場合《ばあひ》には、風當《かぜあた》りの最《もつと》も強《つよ》いところは、他《ほか》の部分《ぶぶん》よりも凍《こほ》り方《かた》が遲《おそ》いのです。
 次《つ》ぎに氷《こほり》が湖面《こめん》に出來《でき》てから後《のち》、この氷《こほり》自身《じしん》がいろ/\に變化《へんか》します。氷《こほり》は水《みづ》が冷《ひ》えて出來《でき》たのですから非常《ひじよう》に冷《つめ》たいのはいふまでもありませんが、その普通《ふつう》の氷《こほり》がなほ一層《いつそう》冷《つめ》たくなることがあります。さういふときには氷《こほり》は收縮《しゆうしゆく》して割《わ》れ目《め》が出來《でき》ます。日沒頃《にちぼつごろ》の寒《さむ》さのために出來《でき》る割《わ》れ目《め》は氷《こほり》の表面《ひようめん》だけで且《か》つ小《ちひ》さいのですが、夜中《やちゆう》の一《いち》ばん寒《さむ》いときには割《わ》れ目《め》は氷《こほり》の底《そこ》までとゞきます。そして、その割《わ》れ目《め》が出來《でき》るときには、その大《おほ》きさによつて、いろ/\の音《おと》を立《た》てます。大《おほ》きい音《おと》になるとまるで雷《かみなり》が鳴《な》るようです。はじめてその音《おと》を聞《き》く人《ひと》は必《かなら》ずびっくりするでせう。氷屋《こほりや》でわづかばかりの氷《こほり》を切《き》り取《と》るにも斧《をの》や鋸《のこぎり》を使《つか》ひます。それほどかたい氷《こほり》へ、一夜《いちや》の寒《さむ》さのために、われ目《め》が出來《でき》、湖面《こめん》全體《ぜんたい》に幾《いく》すぢとなく、ひゞれがつくのです。この割《わ》れ目《め》の出來《でき》る頃《ころ》にはもう安心《あんしん》してこの氷上《ひようじよう》を渡《わた》ることが出來《でき》るくらゐ硬《かた》く厚《あつ》くなつてゐるのです。さういふとき氷《こほり》の上《うへ》にゐるとびりびりと音《おと》がして、氷《こほり》がなほ割《わ》れていくのが目《め》に見《み》え、氣味《きみ》が惡《わる》くなりますが、しかし、たいして危險《きけん》なものではありません。この割《わ》れ目《め》が氷《こほり》の底《そこ》まで達《たつ》したところでは、氷《こほり》の下《した》の水《みづ》が現《あらは》れるけれども氣温《きおん》が非常《ひじよう》に低《ひく》いためにその水《みづ》もまた凍《こほ》つてしまひます。この現象《げんしよう》は降雪《こうせつ》の少《すくな》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》に多《おほ》く起《おこ》るもので、これは氷《こほり》が直接《ちよくせつ》寒《さむ》い空氣《くうき》に接《せつ》してゐるからであります。しかし降雪《こうせつ》の多《おほ》い地方《ちほう》の湖沼《こしよう》にもとき/″\見《み》ることがあります。かういふ地方《ちほう》では氷《こほり》に雪《ゆき》が積《つも》つてゐて直接《ちよくせつ》冷氣《れいき》を受《う》けないので、割《わ》れ目《め》も小《ちひ》さいのです。また雪《ゆき》のために、はっきりと見《み》ることは出來《でき》ませんが下《した》から水《みづ》が上《あが》つて來《く》るので、雪《ゆき》に水《みづ》の浸《し》みこんだ跡《あと》が直線《ちよくせん》になつて見《み》えます。
 それから一度《いちど》收縮《しゆうしゆく》した氷《こほり》は、夜《よ》が明《あ》けてから次第《しだい》に氣温《きおん》がのぼつて來《く》ると、今度《こんど》は膨脹《ぼうちよう》をはじめます。この膨脹《ぼうちよう》が大《おほ》きいときには割《わ》れ目《め》の兩側《りようがは》の氷《こほり》が衝突《しようとつ》して、馬《うま》につける鞍《くら》のような形《かたち》の隆起《りゆうき》が出來《でき》ます。これを諏訪湖《すはこ》や松原湖《まつばらこ》では『御神渡《おみわた》り』と呼《よ》んでゐます。氷《こほり》が岸《きし》の方《ほう》に膨脹《ぼうちよう》すると湖岸《こがん》に乘《の》り上《あ》げ、湖畔《こはん》の石垣《いしがき》や建築物《けんちくぶつ》を破壞《はかい》することもあります。この力《ちから》は非常《ひじよう》におそろしいものです。
 なほ氷《こほり》の膨脹《ぼうちよう》に際《さい》しては、以上《いじよう》の外《ほと》[#「ほと」は底本のまま]、反對《はんたい》に下部《かぶ》に落《お》ち込《こ》むものや重《かさ》なり合《あ》ふものなどいろ/\の状態《じようたい》を呈《てい》します。
 次《つ》ぎにこれらの堅氷《けんぴよう》も、氣温《きおん》が零度《れいど》以上《いじよう》に達《たつ》すると表面《ひようめん》がとけはじめます。また氷《こほり》の下《した》の水温《すいおん》も次第《しだい》に高《たか》くなつて來《く》るので、下部《かぶ》からもとけてつひには全《ぜん》たいが軟《やはらか》い氷《こほり》となり、小《ちひ》さい氷板《ひようばん》となつて分《わか》れ分《わか》れになります。そしてそこに、開水面《かいすいめん》が出來《でき》ると、太陽《たいよう》の熱《ねつ》で水《みづ》があたゝまりまた風《かぜ》のために水《みづ》はかきまはされるので深層《しんそう》のわりあひに、温《あたゝか》い水《みづ》が上《うへ》へ出《で》て來《き》て氷《こほり》はたちまちにとけてしまひます。このとけ方《かた》は、天候《てんこう》のいゝときの状態《じようたい》です。日本《につぽん》ではかういふ季節《きせつ》に風《かぜ》がつよいので、分離《ぶんり》した氷《こほり》は、風力《ふうりよく》のためにさらに碎《くだ》かれ、極《きは》めて僅《わづか》の間《あひだ》でもつて解氷《かいひよう》してしまひます。
 (一二)水質《すいしつ》
 湖沼《こしよう》の水《みづ》の化學《かがく》成分《せいぶん》の全量《ぜんりよう》によつて湖《みづうみ》を二《ふた》つに分《わ》けます。その一《ひと》つは淡水湖《たんすいこ》で普通《ふつう》に眞水《まみづ》と云《い》はれる水《みづ》を湛《たゝ》へた湖《みづうみ》です。もう一《ひと》つは鹹水湖《かんすいこ》です。鹹水《かんすい》とは、一般《いつぱん》には鹽水《しほみづ》のことをいひますが、こゝでは鹽水《しほみづ》のみでなく、他《た》の化學《かがく》成分《せいぶん》でも、とにかく水《みづ》一《いち》りっとる中《ちゆう》に二五〇みり以上《いじよう》含《ふく》まれてゐる水《みづ》をいふのです。淡水湖《たんすいこ》は二五〇みり以下《いか》の水《みづ》で、鹹水湖《かんすいこ》よりも淡《あは》いのはいふまでもありません。この化學《かがく》成分《せいぶん》の水中《すいちゆう》における状態《じようたい》は、水温《すいおん》とほゞ同樣《どうよう》で、夏《なつ》は表面《ひようめん》に少《すくな》く、深層《しんそう》に向《むか》ふにつれて量《りよう》を増《ま》し、また水温《すいおん》の變水層《へんすいそう》の附近《ふきん》では水温《すいおん》と同《おな》じように急《きゆう》に變化《へんか》して、表水《ひようすい》と深水《しんすい》との境《さかひ》を作《つく》ります。また其他《そのた》の季節《きせつ》においても水温《すいおん》の變化《へんか》と同樣《どうよう》な變化《へんか》をくりかへしてゐます。その成分《せいぶん》のうち最《もつと》も多量《たりよう》にふくまれてゐるものは、湖沼《こしよう》によつてちがひますが、大體《だいたい》は硅酸《けいさん》の多《おほ》いものと石灰《せつかい》の多《おほ》いものと二《ふた》つにわけることが出來《でき》ます。日本《につぽん》の湖沼《こしよう》の大部分《だいぶぶん》はこの硅酸《けいさん》を多量《たりよう》に含《ふく》んでゐます。
 なほ水中《すいちゆう》には、酸素《さんそ》とか炭酸《たんさん》又《また》は硫化《りゆうか》水素《すいそ》等《など》の瓦斯體《がすたい》も含《ふく》まれてゐます。
 以上《いじよう》水質《すいしつ》の調査《ちようさ》は、水産業《すいさんぎよう》、農業《のうぎよう》、工業《こうぎよう》などに湖《みづうみ》の水《みづ》を使用《しよう》する上《うへ》に、極《きは》めて必要《ひつよう》なことで飮料《いんりよう》につかふ場合《ばあひ》などは、特《とく》に完全《かんぜん》な試驗《しけん》をしなければなりません。
 湖中《こちゆう》には種々《しゆ/″\》な生物《せいぶつ》が繁殖《はんしよく》してゐますが、魚類《ぎよるい》が天然《てんねん》にすんでゐるのは排出河《はいしゆつか》を溯《さかのぼ》つて湖《みづうみ》にはひつて來《き》たのです。近來《きんらい》魚《うを》の養殖《ようしよく》が盛《さか》んに行《おこな》はれるようになつてからは、今《いま》までゐなかつたような魚《うを》を、他《た》の湖沼《こしよう》や河川《かせん》から、卵《たまご》や稚魚《ちぎよ》のうちにもつて來《き》て、放《はな》して成長《せいちよう》させてゐます。貝類《かひるい》も同樣《どうよう》です。そのほか、浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》が繁殖《はんしよく》してゐます。そのうちには動物《どうぶつ》もあれば植物性《しよくぶつせい》のものもありますが、いづれも極《きは》めて小《ちひ》さなもので、檢微鏡《けんびきよう》を使《つか》はなければ、研究《けんきゆう》出來《でき》ません。この浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》は前《まへ》にも述《の》べたように季節《きせつ》によつて繁殖《はんしよく》の程度《ていど》がちがひ、年中《ねんじゆう》同一《どういつ》の分布《ぶんぷ》状態《じようたい》はしてゐません。またその生物《せいぶつ》は、水色《すいしよく》や透明度《とうめいど》、水質《すいしつ》等《など》に種々《しゆ/″\》の變化《へんか》を與《あた》へます。水質《すいしつ》や生物《せいぶつ》についてくはしくお話《はなし》すると、ひどくむづかしいお話《はなし》になりますから、このくらゐにしておきます。
 (一三)變遷《へんせん》と消滅《しようめつ》
 湖沼《こしよう》の出來《でき》る手《て》つゞき、形《かたち》、それから湖沼《こしよう》に湛《たゝ》へられた水《みづ》については、以上《いじよう》に述《の》べたとほりです。しかし湖沼《こしよう》はいつまでも同《おな》じものではありません。この地球《ちきゆう》が破壞《はかい》せられて來《く》れば湖沼《こしよう》もなくなるのは無論《むろん》ですが、地球《ちきゆう》がなくならなくとも、湖沼《こしよう》は消滅《しようめつ》していくのです。湖沼《こしよう》としてなり立《た》つてから間《ま》もなく消滅《しようめつ》するものもあり又《また》永《なが》く千年《せんねん》萬年《まんねん》又《また》はそれ以上《いじよう》の年月《ねんげつ》を經《へ》てなくなるのもあります。その出來《でき》はじめから消滅《しようめつ》するまでの間《あひだ》には、種々《しゆ/″\》の變遷《へんせん》があるわけで、ちょうど人間《にんげん》が生《うま》れてから死《し》ぬまでに、いろ/\の時期《じき》をくゞるようなものです。人間《にんげん》が自動車《じどうしや》にひかれたり汽車《きしや》から振《ふ》り落《おと》されたり、あるひは病氣《びようき》して、まだ老《お》いないうちに死《し》ぬ場合《ばあひ》があるように、湖沼《こしよう》も中途《ちゆうと》で消滅《しようめつ》するものがとき/″\あります。
 それで私《わたし》は湖沼《こしよう》の變遷《へんせん》を、人《ひと》の一生《いつしよう》になぞらへて次《つ》ぎのように八期《はつき》に分《わか》つて見《み》ました。
(イ)第一期《だいいつき》、脱兒《だつじ》時代《じだい》。 成因《せいいん》のところで述《の》べたように、ある原因《げんいん》のために湖沼《こしよう》の形《かたち》が出來《でき》、それに水《みづ》が注《そゝ》ぎ入《い》りつゝある時代《じだい》で、水《みづ》の量《りよう》はしだいに増加《ぞうか》し、從《したが》つて面積《めんせき》が次第《しだい》に大《おほ》きくなりつゝあるもの。
(ロ)第二期《だいにき》、孩兒《がいじ》時代《じだい》。 湖《みづうみ》の形《かたち》が出來上《できあが》り、面積《めんせき》は湖《みづうみ》の一生中《いつしようちゆう》、最《もつと》も大《おほ》きくなり、そして湖岸《こがん》の一部《いちぶ》からは排水《はいすい》をはじめて來《き》た時代《じだい》をいふのです。
(ハ)第三期《だいさんき》、幼年《ようねん》時代《じだい》。 第二期《だいにき》に出來《でき》かゝつた排水河《はいすいか》が、完全《かんぜん》になり、湖《みづうみ》の面積《めんせき》が少《すこ》し小《ちひ》さくなつた時代《じだい》をいひます。
 以上《いじよう》の第一期《だいいつき》から第三期《だいさんき》までは、比較的《ひかくてき》急速《きゆうそく》に來《く》るのです。
(ニ)第四期《だいしき》、少年《しようねん》時代《じだい》。 湖盆《こぼん》の出來《でき》た當時《とうじ》の凹凸《おうとつ》のある原型《げんけい》は、そのまゝほとんど完全《かんぜん》で、まだ沈積物《ちんせきぶつ》の影響《えいきよう》を蒙《かうむ》らない時代《じだい》をいひます。
 中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》はこの一例《いちれい》です。
(ホ)第五期《だいごき》、青年《せいねん》時代《じだい》。 湖岸《こがん》には湖棚《こほう》が出來《でき》、また湖底《こてい》全體《ぜんたい》には薄《うす》く沈積物《ちんせきぶつ》が堆積《たいせき》してゐますが、湖盆《こぼん》の原型《げんけい》はまだ明《あきら》かに見《み》られる時代《じだい》、本栖湖《もとすこ》はその一例《いちれい》。
(ヘ)第六期《だいろくき》、老年《ろうねん》時代《じだい》。 沈積物《ちんせきぶつ》のために凹凸《おうとつ》ある湖盆《こぼん》の原型《げんけい》は滑《なめら》かになり、また湖底《こてい》は大部分《だいぶぶん》平坦《へいたん》になつて、湖岸《こがん》に三稜洲《さんりようす》や絶壁《ぜつぺき》をもつてゐる時代《じだい》。琵琶湖《びわこ》がそれです。
(ト)第七期《だいしちき》、瀕死《ひんし》時代《じだい》。 湖底《こてい》平原《へいげん》はだん/\隆起《りゆうき》し、湖岸《こがん》とほとんど同《おな》じくらゐの高《たか》さになり、湖岸《こがん》から沖《おき》の方《ほう》への傾斜《けいしや》は非常《ひじよう》にゆるくなつて來《き》、湖岸《こがん》に繁殖《はんしよく》した植物《しよくぶつ》は次第《しだい》に沖《おき》に向《むか》つて擴《ひろ》がつていく時代《じだい》。平賀湖《ひらがこ》のごときがそれです。
(チ)第八期《だいはつき》、死滅《しめつ》時代《じだい》。 湖底《こてい》はます/\高《たか》くなり、(つまり沈澱物《ちんでんぶつ》が次第《しだい》に重《かさ》なつて)ほとんど深《ふか》さのないものとなり、沈水《ちんすい》植物《しよくぶつ》が澤生《たくせい》植物《しよくぶつ》に移《うつ》る時代《じだい》、すなはち水澤地《すいたくち》の状態《じようたい》となつたもの。靜岡縣《しずをかけん》の浮島沼《うきしまぬま》がこれです。
 以上《いじよう》の時代《じだい》は大概《たいがい》の湖沼《こしよう》にあてはめることが出來《でき》ますが、前《まへ》にも述《の》べたように若年《じやくねん》のうちに死滅《しめつ》するものもあります。また火口湖《かこうこ》のあるものゝ如《ごと》きは一生《いつしよう》排出河《はいしゆつか》がなく、又《また》ある湖《みづうみ》の如《ごと》きは出來《でき》るとすぐ第七《だいしち》、八期《はつき》の死滅期《しめつき》の状態《じようたい》になるものもあります。その他《ほか》、湖沼《こしよう》の大部分《だいぶぶん》はまだ壯齡《そうれい》であるにも拘《かゝは》らず、その一部《いちぶ》、例《たと》へば陸地《りくち》に入《い》りこんだところなどが、第七《だいしち》、八期《はつき》の状態《じようたい》をしてゐるものもあります。人間《にんげん》でいへば壯健《そうけん》であるにも拘《かゝは》らずからだの一局部《いつきよくぶ》に腫物《はれもの》が出來《でき》たり、疾患《しつかん》があつたりするのと同《おな》じわけです。
 湖沼《こしよう》はかういふ風《ふう》に種々《しゆ/″\》な時代《じだい》を經《へ》て次第《しだい》に消滅《しようめつ》して行《ゆ》くのですが、その原因《げんいん》は次《つ》ぎの五《いつ》つのことが主《しゆ》となつてゐます。
(イ)山崩《やまくづ》れ等《など》のために土砂《どしや》が湖中《こちゆう》に落《お》ちこむ場合《ばあひ》。
(ロ)泥炭《でいたん》に變形《へんけい》した植物《しよくぶつ》が湖底《こてい》を高《たか》める場合《ばあひ》。
(ハ)沈澱物《ちんでんぶつ》が湖盆《こぼん》を埋沒《まいぼつ》して縮少《しゆくしよう》する場合《ばあひ》。
(ニ)排出河《はいしゆつか》の河床《かしよう》が次第《しだい》に深《ふか》くなり、そのために湖沼《こしよう》の水位《すいい》が低《ひく》くなる場合《ばあひ》。
(ホ)湖《みづうみ》の水《みづ》をせきとめてゐた材料《ざいりよう》(すなはち湖岸《こがん》)の一部《いちぶ》が消失《しようしつ》した場合《ばあひ》。
 以上《いじよう》のうち(イ)の場合《ばあひ》では時《とき》によると、湖沼《こしよう》が一時《いちじ》に消滅《しようめつ》することがあります。また(ロ)、(ハ)、(ニ)の場合《ばあひ》は極《きは》めて徐々《じよ/\》に行《おこな》はれ、(ホ)の場合《ばあひ》はその材料《ざいりよう》消失《しようしつ》の程度《ていど》によつて一時《いちじ》に、あるひは徐々《じよ/\》に消滅《しようめつ》するのです。

   湖沼《こしよう》の利用《りよう》

 湖沼《こしよう》の利用《りよう》は、非常《ひじよう》に古《ふる》くから行《おこな》はれて來《き》たものです。その年代《ねんだい》は到底《とうてい》はっきり知《し》ることは出來《でき》ませんが現今《げんこん》湖畔《こはん》あるひは湖《みづうみ》の趾《あと》から發掘《はつくつ》される、先住民《せんじゆうみん》の遺物《いぶつ》を見《み》ますと、かなり古《ふる》くから湖沼《こしよう》を利用《りよう》してゐたことが推定《すいてい》できます。
 これらの先住民《せんじゆうみん》は、鳥《とり》や獸《けだもの》や魚類《ぎよるい》や野生《やせい》の植物《しよくぶつ》などを食料《しよくりよう》にして生活《せいかつ》してゐたのです。人類《じんるい》がすくなかつた當時《とうじ》では、それ等《ら》のものが天然《てんねん》にたくさん繁殖《はんしよく》し、湖沼等《こしようとう》には魚類《ぎよるい》がありあまるほど群《むらが》つてゐたのです。湖沼《こしよう》はさういふ食料《しよくりよう》を限《かぎ》りなく供給《きようきゆう》してゐた外《ほか》、そこには、人類《じんるい》生活《せいかつ》に最《もつと》も必要《ひつよう》な飮料水《いんりようすい》が無盡藏《むじんぞう》に湛《たゝ》へられてゐます。それだけでも湖畔《こはん》は、人類《じんるい》が生活《せいかつ》するのにどれだけ便利《べんり》であつたかわかりません。又《また》その當時《とうじ》は、道路《どうろ》もろくになかつたので、筏等《いかだなど》で湖上《こじよう》を往復《おうふく》したにちがひありません。
 人類《じんるい》が次第《しだい》に多《おほ》くなり、そのために野生《やせい》の食用《しよくよう》植物《しよくぶつ》が不足《ふそく》するようになると、農業《のうぎよう》といふものがはじめられて來《き》ました。この農耕《のうこう》には湖《みづうみ》の水《みづ》を灌漑《かんがい》につかつたもので、その後《ご》、文化《ぶんか》がずっと進《すゝ》んで來《く》るにつれてだん/\に今《いま》のような複雜《ふくざつ》な利用法《りようほう》を考《かんが》へるようになつたのです。現代《げんだい》では、人口《じんこう》がふえ、ずっと食糧《しよくりよう》が不足《ふそく》して來《き》たので、科學《かがく》を應用《おうよう》して湖沼《こしよう》に養魚《ようぎよ》の事業《じぎよう》をはじめたり、湖《みづうみ》の水《みづ》を、すっかり干《ほ》し流《なが》して田地《でんち》を作《つく》ることを考《かんが》へたり、また水力《すいりよく》發電《はつでん》に湖《みづうみ》の水《みづ》を利用《りよう》するなぞ湖沼《こしよう》は、いろ/\に利用《りよう》されてゐます。
 それについて簡單《かんたん》ながらお話《はなし》して見《み》ませう。
 (一)飮料水《いんりようすい》
 湖《みづうみ》の水《みづ》を飮料《いんりよう》につかふことは、ずっと昔《むかし》から行《おこな》はれてゐました。まへにも言《い》つたように原始人《げんしじん》が湖畔《こはん》に住《す》まつたのも一《ひと》つはそのためです。また湖《みづうみ》の水《みづ》は、俗《ぞく》にもめた[#「もめた」に傍点]水《みづ》と言《い》つて、茶《ちや》の湯《ゆ》などにも使《つか》はれます。豐臣《とよとみ》秀吉《ひでよし》が琵琶湖《びわこ》から流《なが》れ出《だ》す宇治川《うじがは》の水《みづ》を、茶《ちや》の湯《ゆ》に使《つか》つたといふ話《はなし》は有名《ゆうめい》なものです。
 湖水《こすい》はさういふ意味《いみ》で湖畔《こはん》の住民《じゆうみん》の飮《の》み料《りよう》になるばかりでなく、人口《じんこう》の多《おほ》い都會地《とかいち》の飮料水《いんりようすい》としても重要《じゆうよう》な位置《いち》を占《し》めてゐます。徳川氏《とくがはし》が江戸《えど》幕府《ばくふ》を開《ひら》いてからは、江戸《えど》の住民《じゆうみん》の飮料水《いんりようすい》は、今《いま》、公園《こうえん》になつてゐる井《ゐ》の頭池《かしらいけ》から引《ひ》いて來《き》たものでした。その江戸《えど》が東京《とうきよう》とよばれるようになると、人口《じんこう》はどん/\多《おほ》くなり、この池《いけ》だけでは飮料水《いんりようすい》がたりないために、近頃《ちかごろ》では東村山《ひがしむらやま》に大《おほ》きな池《いけ》をつくつて水《みづ》をためてゐます。また琵琶湖《びわこ》の水《みづ》は京都市《きようとし》に、中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》の水《みづ》は宇都宮市《うつのみやし》に、といふ風《ふう》に湖沼《こしよう》の水《みづ》を飮用《いんよう》に引《ひ》いて來《き》てゐるところが澤山《たくさん》あります。これ等《ら》は、湖沼《こしよう》の水《みづ》が清《きよ》く澄《す》んでゐるのと、川水《かはみづ》のように水《みづ》が涸《か》れることがないからです。
 冬《ふゆ》に氷《こほり》の張《は》る湖《みづうみ》では、その氷《こほり》を切《き》り出《だ》して氷漬《こほりづ》けをするのに使《つか》ひ、夏《なつ》には直接《ちよくせつ》飮料《いんりよう》にも利用《りよう》せられてゐます。今《いま》、さうして氷《こほり》を切《き》り出《だ》してゐる主《おも》な湖沼《こしよう》は、北海道《ほつかいどう》の大沼《おほぬま》、榛名湖《はるなこ》、諏訪湖《すはこ》、木崎湖《きざきこ》などです。
 (二)交通《こうつう》
 湖上《こじよう》の交通《こうつう》も前《まへ》に述《の》べたようにやはり古《ふる》くから行《おこな》はれて來《き》たものです。今《いま》でも湖畔《こはん》の泥土《でいど》の中《なか》から、昔《むかし》使《つか》つた、木《き》を削《けづ》つて作《つく》つた丸木舟《まるきぶね》が時々《とき/″\》出《で》て來《く》るのを見《み》ても想像《そうぞう》がつきます。今《いま》では湖畔《こはん》に人《ひと》が住《す》んでゐる湖沼《こしよう》には、すべて舟《ふね》があつて、人《ひと》を乘《の》せたり、荷物《にもつ》を運《はこ》んだりしてゐるのはいふまでもありません。また琵琶湖《びわこ》、宍道湖《しんじこ》、中《なか》の海《うみ》、濱名湖《はまなこ》、霞《かすみ》が浦《うら》、北浦《きたうら》、猪苗代湖《ゐなはしろこ》、小河原沼《をがはらぬま》、それから北海道《ほつかいどう》の洞爺湖《どうやこ》や支笏湖《しこつこ》等《など》には汽船《きせん》が航行《こうこう》してゐます。小《ちひ》さい湖《みづうみ》でも發動機船《はつどうきせん》や小舟《こぶね》は澤山《たくさん》うかんでゐます。それは漁業《ぎよぎよう》にも使《つか》はれてゐますが、主《しゆ》として交通用《こうつうよう》のものです。
 また氷《こほり》の張《は》る湖《みづうみ》では、その上《うへ》を橇《そり》で物《もの》を運《はこ》んでゐます。これは車《くるま》や舟《ふね》で運《はこ》ぶことの出來《でき》ない、大《おほ》きな荷物《にもつ》を動《うご》かすのには實《じつ》に便利《べんり》です。
 (三)漁業《ぎよぎよう》
 人間《にんげん》は、原始《げんし》時代《じだい》から、食糧《しよくりよう》の一部《いちぶ》を漁業《ぎよぎよう》から得《え》たのですが、だん/\人口《じんこう》がふえすぎたのと、一方《いつぽう》では文化《ぶんか》が進《すゝ》んだために、漁具《ぎよぐ》や漁法《ぎよほう》も、いちじるしく進歩《しんぽ》し、どん/\魚介《ぎよかい》をとるので、それらが自然《しぜん》に繁殖《はんしよく》するだけでは足《た》りなくなつて來《き》ました。それで魚類《ぎよるい》を人工《じんこう》でもつて繁殖《はんしよく》させるようになり、したがつて漁獲《ぎよかく》も大分《だいぶん》多《おほ》くなつて來《き》ました。
 日本《につぽん》の湖沼《こしよう》で養魚《ようぎよ》の一《いち》ばん盛《さか》んなのは琵琶湖《びわこ》ですが、その他《た》の湖沼《こしよう》でも、一《ひと》つとして養魚《ようぎよ》の經營《けいえい》をしてゐないところはないくらゐです。帝室《ていしつ》林野局《りんやきよく》や農林省《のうりんしよう》をはじめとして、湖沼《こしよう》をもつた縣《けん》の水産《すいさん》試驗場《しけんじよう》あるひは湖畔《こはん》の漁業《ぎよぎよう》組合《くみあひ》、あるひは個人《こじん》で力《ちから》を入《い》れてやつてゐるのです。
 もうなくなりましたが、和井内《わゐない》貞行《さだゆき》といふ人《ひと》は個人《こじん》で養魚《ようぎよ》經營《けいえい》をし、苦心《くしん》に苦心《くしん》をしてつひに成功《せいこう》した人《ひと》で、じっさい日本《につぽん》の養魚《ようぎよ》事業《じぎよう》の恩人《おんじん》です。なほこの人《ひと》は立志傳中《りつしでんちゆう》の人物《じんぶつ》であり、われ/\の手本《てほん》になる人《ひと》ですから、その略傳《りやくでん》をちよっとお話《はなし》して置《お》きませう。
 和井内氏《わゐないし》の養魚《ようぎよ》は十和田湖《とわだこ》でしたのです。この十和田湖《とわだこ》は排出河《はいしゆつか》に瀧《たき》があるために下流《かりゆう》から魚《うを》がのぼつて來《き》ません。それで湖中《こちゆう》には殆《ほとん》ど魚《うを》の影《かげ》もなかつたのでした。ところが明治《めいじ》十七年《じゆうしちねん》に、和井内氏《わゐないし》は養魚《ようぎよ》の必要《ひつよう》を感《かん》じてこの湖《みづうみ》に鯉《こひ》を放《はな》つて見《み》ました。それが十餘年後《じゆうよねんご》には大分《だいぶん》繁殖《はんしよく》しましたが、明治《めいじ》三十三年《さんじゆうさんねん》には、もう一《いつ》ぴきもとれなくなりました。
[#図版(2_10.png)、十和田湖]
[#ここからキャプション]
鉛山峠より東方に湖を望む。山で圍まれてる中央部の水面は火口であります。[#キャプションここまで]
 それで今度《こんど》は三年間《さんねんかん》引《ひ》き續《つゞ》いて川鱒《かはます》の卵《たまご》を人工《じんこう》で孵化《ふか》させて放《はな》しましたが、その鱒《ます》は全部《ぜんぶ》川口《かはぐち》から下流《かりゆう》へ逃《のが》れ去《さ》つたので氏《し》は非常《ひじよう》にがっかりしました。これだけの永《なが》い年月《ねんげつ》の間《あひだ》には、身分《みぶん》不相應《ふそうおう》の借財《しやくざい》も出來《でき》て、もうどうすることも出來《でき》なくなつたのでお父《とう》さんに相談《そうだん》しますと、お父《とう》さんは非常《ひじよう》に立腹《りつぷく》しました。すなほに農業《のうぎよう》でもして働《はたら》いてゐればいゝものを、人《ひと》が考《かんが》へさへもしない、危險《きけん》な事業《じぎよう》をして失敗《しつぱい》したのですからひどく怒《おこ》つたのです。しかし、氏《し》は、けっきよく、もう養魚《ようぎよ》事業《じぎよう》には手《て》を出《だ》さないことを誓《ちか》つて、やうやく借金《しやつきん》だけは、お父《とう》さんからかへしてもらひました。それで一安心《ひとあんしん》すると、氏《し》はお父《とう》さんとの約束《やくそく》を忘《わす》れて今度《こんど》放流《ほうりゆう》しようとする魚《うを》をえらびいろ/\調査《ちようさ》をしました。その結果《けつか》、支笏湖《しこつこ》のかばちえっぽ[#「かばちえっぽ」に傍点]といふ小《ちひ》さな鱒《ます》に目《め》をつけましたが、そのときにはもうその卵《たまご》を買《か》ふ金《かね》が一錢《いつせん》もなかつたので、自分《じぶん》の衣類《いるい》や、たった一《ひと》つしかない銀時計《ぎんどけい》までも賣《う》り拂《はら》つて、やっと二十圓《にじゆうえん》ほどのお金《かね》をつくり、早速《さつそく》その卵《たまご》を取《と》り寄《よ》せて、三十六年《さんじゆうろくねん》の五月《ごがつ》に孵化《ふか》した稚魚《ちぎよ》を放《はな》しました。しかし、三年間《さんねんかん》は獲《と》ることは出來《でき》ないし、それからさきの經營《けいえい》や生活《せいかつ》にも金《かね》がいるために、泣《な》くような苦勞《くろう》をした上《うへ》に、またどっさり借財《しやくざい》が出來《でき》ました。もうお父《とう》さんにも話《はな》されない義理《ぎり》ですが、ほかにたよる人《ひと》もないので、とう/\また泣《な》きついて田地《でんち》や畑《はた》を賣《う》つて金《かね》をこしらへてもらひ負債《ふさい》を拂《はら》ひました。
 かうして二年後《にねんご》の三十八年《さんじゆうはちねん》になりました。鱒《ます》といふものは大《おほ》きくなると、最初《さいしよ》放《はな》した地點《ちてん》へ歸《かへ》つて來《く》るものなので、その年《とし》の九月《くがつ》になりますと一尺《いつしやく》五寸《ごすん》ぐらゐの大《おほ》きさになつた鱒《ます》が、故郷《こきよう》へでも歸《かへ》るように元氣《げんき》よく群《むれ》をなしてさかのぼつて來《き》ました。和井内氏《わゐないし》は、それを見《み》て、をどり上《あが》つて喜《よろこ》びましたが、しかし殘念《ざんねん》なことには、まだその鱒《ます》をとる準備《じゆんび》が出來《でき》てゐませんでした。ちょうどこの年《とし》は東北《とうほく》地方《ちほう》の大凶作《だいきようさく》の年《とし》でしたので、氏《し》は決心《けつしん》して、「この湖水《こすい》の鱒《ます》は、凶作《きようさく》救濟《きゆうさい》のためにみなさんに差《さ》し上《あ》げるから勝手《かつて》にとつてくれ。その代《かは》り、私《わたし》は今《いま》食《た》べるものもないから米代《こめだい》だけくれよ」と、湖畔《こはん》附近《ふきん》の住民《じゆうみん》に言《い》ひわたしました。
 すると彼等《かれら》は非常《ひじよう》に喜《よろこ》んで、おの/\いろ/\な漁具《ぎよぐ》を作《つく》り、しばらくの間《あひだ》に一萬《いちまん》五千尾《ごせんび》もとりました。その住民《じゆうみん》の喜《よろこ》びを見《み》て、和井内氏《わゐないし》も非常《ひじよう》にうれしがりましたが、氏《し》のお父《とう》さんはそれを聞《き》いて大變《たいへん》にいきどほり、氏《し》を馬鹿《ばか》ものと罵《のゝし》つたそうです。しかし、そんなことがもとで、氏《し》はその後《ご》も稚魚《ちぎよ》の放流《ほうりゆう》を毎年《まいねん》つゞけ、成績《せいせき》も著《いちじる》しくのぼつて來《き》て、政府《せいふ》でも三十九年《さんじゆうくねん》一月《いちがつ》七日《なのか》の官報《かんぽう》にこの成績《せいせき》を發表《はつぴよう》して日本中《につぽんじゆう》へ知《し》らせたくらゐです。ついで四十年《しじゆうねん》六月《ろくがつ》には氏《し》は政府《せいふ》から表彰《ひようしよう》され、緑綬《りよくじゆ》褒章《ほうしよう》をももらひました。氏《し》の永《なが》い間《あひだ》の苦心《くしん》もこれで償《つぐな》はれ、最近《さいきん》では日本中《につぽんじゆう》の湖沼《こしよう》に鱒《ます》の卵《たまご》をおくるほどになり、その鱒《ます》には和井内《わゐない》鱒《ます》といふ別名《べつめい》さへついてゐます。
 (四)農業《のうぎよう》
 河《かは》の水《みづ》は旱魃《かんばつ》が續《つゞ》くと、すっかり減《へ》りますが湖沼《こしよう》の水《みづ》には、たいしてさういふ變化《へんか》がありません。湖沼《こしよう》の水《みづ》を水田《すいでん》の灌漑《かんがい》に使《つか》ふことは農耕《のうこう》のおこつたはじめから行《おこな》はれてゐたにちがひありません。現今《げんこん》でも殆《ほとん》ど、それに使《つか》つてゐない湖沼《こしよう》はないくらゐです。湖沼《こしよう》は、それだけ水《みづ》が豐富《ほうふ》であるばかりでなく大洪水《だいこうずい》の時《とき》などには、一時《いちじ》に湖《みづうみ》に水《みづ》がたまるので、耕地《こうち》に水害《すいがい》を及《およ》ぼすことが少《すくな》くなります。仙臺《せんだい》附近《ふきん》の平地《へいち》にある廣淵沼《ひろぶちぬま》や品井沼《しなゐぬま》、あるひは關東《かんとう》平野《へいや》の湖沼《こしよう》、又《また》は淀川《よどがは》流域《りゆういき》にある巨椋《おほむく》[#ルビの「おほむく」は底本のまま]の池《いけ》等《など》は、この水害《すいがい》をなくするのに、いちじるしく役立《やくだ》つてゐます。また宍道湖《しんじこ》、諏訪湖《すはこ》、野尻湖《のじりこ》等《など》のごとく、湖沼《こしよう》の水《みづ》には肥料分《ひりようぶん》の多《おほ》いのがあつて、耕作地《こうさくち》の肥料《ひりよう》の一部分《いちぶぶん》を補《おぎな》つてゐます。
 また溪谷《けいこく》の水《みづ》は非常《ひじよう》に冷《つめ》たいので、それを灌漑《かんがい》に使《つか》ふと、稻《いね》の發育《はついく》を害《がい》しますが、湖沼《こしよう》の水《みづ》は相當《そうとう》に熱《ねつ》を保《たも》つてゐるために、さういふ害《がい》がありません。そのためにひどく冷《つめ》たい河水《かすい》は、一時《いちじ》湖沼《こしよう》または溜池《ためいけ》にため入《い》れて、それから灌漑《かんがい》につかふように工夫《くふう》されてゐます。また淺《あさ》い湖沼《こしよう》を干《ほ》して田地《でんち》を作《つく》ることもあります。湖底《こてい》に沈積《ちんせき》した泥土《でいど》はいゝ肥料《ひりよう》になるので、この事業《じぎよう》も非常《ひじよう》に有利《ゆうり》なわけです。以上《いじよう》のとほり湖沼《こしよう》は農業《のうぎよう》方面《ほうめん》にも非常《ひじよう》に役立《やくだ》つのですが、今《いま》言《い》つた淺《あさ》い湖沼《こしよう》を干《ほ》すについてはいろ/\注意《ちゆうい》しなければならないことがあります。それは湖沼《こしよう》に洪水《こうずい》の時《とき》などは水《みづ》を一時《いちじ》湛《たゝ》へる働《はたら》きをするのですから、それを干《ほ》すと、その働《はたら》きがなくなり、從《したが》つて出來《でき》た田《た》は勿論《もちろん》のこと、ほかの耕地《こうち》までが、洪水《こうずい》で荒《あ》らされることがあります。それでこの計畫《けいかく》には、湖沼《こしよう》が出來《でき》てゐる理由《りゆう》と、現在《げんざい》の状態《じようたい》をよく調査《ちようさ》してからかゝらないと、取《と》り返《かへ》しのつかない失敗《しつぱい》を招《まね》くことがあります。
 (五)工業《こうぎよう》
 直接《ちよくせつ》工業《こうぎよう》にはこれまではあまり利用《りよう》してはゐませんが、昔《むかし》から纖維《せんい》をさらすのには多少《たしよう》利用《りよう》してゐたようです。近年《きんねん》は種々《しゆ/″\》な生絲業《きいとぎよう》にも利用《りよう》します。その最《もつと》も盛《さか》んなのは長野縣《ながのけん》の岡谷町《をかやまち》で、諏訪湖《すはこ》の水《みづ》をそれにつかふのをはじめとして、琵琶湖畔《ばわこはん》[#ルビの「ばわこはん」は底本のまま]の彦根《ひこね》や南方《なんぽう》の堅田《かたた》、膳所《ぜゞ》などでもその水《みづ》を工業《こうぎよう》に利用《りよう》してゐます。
 次《つ》ぎにこれは極《きは》めて少《すくな》いのですが、諏訪湖《すはこ》や三方湖《さんぽうこ》[#ルビの「さんぽうこ」は底本のまま]では湖底《こてい》から發散《はつさん》する瓦斯《がす》を燈火《とうか》その他《た》に使《つか》ひ、また北海道《ほつかいどう》の登別《のぼりべつ》湯沼《ゆぬま》や宮城縣《みやぎけん》の潟沼《かたぬま》のようなところでは湖底《こてい》から硫黄《いおう》をとつてゐます。
 (六)發電《はつでん》水力《すいりよく》
 湖沼《こしよう》から流《なが》れて出《で》る水《みづ》を利用《りよう》して水車《すいしや》をまはし、それで米《こめ》などをつくことは昔《むかし》から行《おこな》はれました。今《いま》ではこの水《みづ》の量《りよう》と力《ちから》とを利用《りよう》して水力《すいりよく》電氣《でんき》を起《おこ》し非常《ひじよう》な利益《りえき》を得《え》てゐます。水力《すいりよく》電氣《でんき》は川《かは》の水《みづ》を使用《しよう》するものもありますが、川《かは》は増水《ぞうすい》も減水《げんすい》もはげしいですが、湖沼《こしよう》の水《みづ》は適度《てきど》に使用《しよう》することが出來《でき》るので、非常《ひじよう》に好都合《こうつごう》です。それで近頃《ちかごろ》は、わざ/\河《かは》をせきとめて湖《みづうみ》をつくり、それを發電《はつでん》水力《すいりよく》として使《つか》つてゐます。その主《おも》なるものは木曾川《きそがは》中流《ちゆうりゆう》の惠那湖《えなこ》、宇治川《うじがは》堰止湖《えんしこ》など、そのほかにもまだ幾《いく》らもあります。從來《じゆうらい》からの湖《みづうみ》を、電力《でんりよく》に使《つか》つてゐるものは非常《ひじよう》に多《おほ》く、最《もつと》も主《おも》なるものは支笏湖《しこつこ》、北海道《ほつかいどう》大沼《おほぬま》、猪苗代湖《ゐなはしろこ》、富士《ふじ》北麓《ほくろく》の湖沼《こしよう》、琵琶湖《びわこ》などです。
 なほ湖沼《こしよう》はかういふ經濟的《けいざいてき》の利用《りよう》のほかに、近來《きんらい》は避暑地《ひしよち》あるひは水泳場《すいえいじよう》、すけーと場《ば》として盛《さか》んに利用《りよう》されてゐます。今《いま》まで世間《せけん》の人《ひと》は多《おほ》く海岸《かいがん》や高原《こうげん》に別莊《べつそう》を建《た》てたりして避暑地《ひしよち》にしてゐたものですが、それではたゞ海《うみ》や高原《こうげん》などに接《せつ》するだけであまり變化《へんか》がありません。ところが湖畔《こはん》となると、水《みづ》のために寒《さむ》さも暑《あつ》さも適當《てきとう》に緩和《かんわ》されますし、そのほか、山《やま》と水《みづ》とについて、いろ/\風光《ふうこう》の變化《へんか》もあり、また湖沼《こしよう》は體育《たいいく》運動《うんどう》にも使《つか》はれる特徴《とくちよう》があります。中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》をはじめ、芦《あし》の湖《こ》、野尻湖《のじりこ》など、山地《さんち》の湖沼《こしよう》で、かういふ方面《ほうめん》に利用《りよう》せられてゐるものが非常《ひじよう》に多《おほ》くなつて來《き》たのもその筈《はず》です。



底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [北海道]
  • 大沼 おおぬま 北海道南西部、渡島半島の駒ヶ岳の南にある堰止湖。湖面標高129m。最大深度12m。面積5.3平方km。付近に小沼・蓴菜沼がある。
  • 屈斜路湖 くっしゃろこ (くっちゃろ湖とも)北海道東部、釧路地方北部にあるカルデラ湖。湖面標高121m。最大深度118m。面積79.6平方km。東方に川湯温泉がある。阿寒国立公園の一部。
  • 洞爺湖 とうやこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高84m。最大深度180m。面積70.7平方km。南岸に有珠山・昭和新山の2火山がある。支笏湖とともに国立公園をなす。
  • 支笏湖 しこつこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高248m。最大深度360m。面積78.4平方km。北岸に恵庭岳、南岸に樽前山の両火山がある。
  • 登別湯沼 のぼりべつ ゆぬま 大湯沼・奥湯沼。登別温泉は現、胆振支庁登別市登別温泉町。原生林に囲まれた温泉街を形成し、約3キロ北西にカルルス温泉がある。大湯沼は登別温泉地獄谷の北にある。奥湯沼は大湯沼のすぐ東にあり、奥の湯ともいう。ともに登別温泉町に位置する。大湯沼は倶多楽火山の西麓に寄生した溶岩円頂丘の日和山(377m)の南斜面に水蒸気爆発の火口が形成され、ここに湧出したもの。周囲約1km、最大水深約25m、水面温度は摂氏約40〜60度。沼底では「ふき」とよぶ壺形の穴から摂氏約132度の硫黄温泉が噴き出し、溶融硫黄が堆積する。奥湯沼は直径30m、最大水深6mと小さい。奥湯沼が上流にあたり、沼尻から大湯沼へ、さらにユエサンペツとよばれた沢が流出し、登別温泉街を流れる紅葉谷の上流に合流する。地獄谷とともに近世末期より硫黄(溶融硫黄・昇華硫黄)採掘で知られたが、地獄谷が昭和28(1953)に温泉観光のため採掘禁止になって以後、大湯沼でも中止。
  • 登別 のぼりべつ 北海道南西部、太平洋岸の温泉観光都市。人口5万3千。
  • [青森県]
  • 十和田湖 とわだこ 青森・秋田両県の境にあるカルデラ湖。奥入瀬川の水源。湖面標高400m。最大深度327m。面積61平方km。周辺は美林に蔽われる。
  • 小川原沼 おがわらぬま → 小川原湖
  • 小川原湖 おがわらこ 青森県東部の汽水湖。三本木原台地と太平洋岸の砂丘地帯とに挟まれた湖沼群のうち最大のもの。淡水化事業が進行。最大深度24.4m。面積62.2平方km。小川原沼。こがわらこ。おがらこ。
  • [秋田県]
  • 鉛山峠 なまりやまとうげ? 鉛山(なまりやま)は、秋田県小坂町にある山。標高990.9m。十和田湖の西岸に位置し、同湖を取り囲む外輪山の一つである。(Wikipedia)/現、鹿角郡小坂町上向。十和田湖西岸に位置。標高903m。鉛山鉱山があり、輝銀鉱・黄銅鉱・金鉱などを出す。
  • 田沢湖 たざわこ 秋田県仙北市の、岩手県境に近い奥羽山脈中にある典型的なカルデラ湖。周囲20km。面積25.8平方km。湖面標高249m。最も深い所は423mに達し日本第1位。
  • 男潟 おとこがた → おがた、か
  • 女潟 おんながた → めがた、か
  • 男潟 おがた 現、秋田市金足小泉・同鳰崎。天王砂丘内側の低地が潟となった砂丘堰止湖で、北の男潟と南の女潟に分れる。周囲は5km余、四季を通して佳景を呈する。金足地区は秋田市の北部。
  • 女潟 めがた 同上。
  • [宮城県]
  • 仙台 せんだい 宮城県中部の市。県庁所在地。政令指定都市の一つ。広瀬川の左岸、昔の宮城野の一部を占める東北地方の中心都市。もと伊達氏62万石の城下町。織物・染物・漆器・指物・埋木細工・鋳物などを産するほか、近代工業も活発。東北大学がある。人口102万5千。
  • 広淵沼 ひろぶちぬま 現、桃生郡河南町。旧北上川西岸沿いにあった人工の溜池で、大堤ともいわれ、明治11(1878)から公称広淵大溜池となった。旭山丘陵の東部に広がっていた低湿地帯広淵谷地の大規模な新田開発に伴って築造。大正9(1920)全面的な干拓事業が提唱され、昭和3(1928)完工。現在、かつての沼地は豊かな水田地帯となっている。
  • 品井沼 しないぬま 現、志田郡鹿島台町。北は大松沢鹿島台丘陵、南は松島丘陵に囲まれた吉田川が湛水したのが品井沼で、小川によって鳴瀬川に注いでいた。しかしその間の落差はきわめてわずかで、増水時には鳴瀬川の溢水が品井沼に逆流し、吉田川の増水と合する。沼は両川の遊水地帯でもあった。明治40年、本格的な干拓工事が開始、同43年一応完了、開拓がおこなわれたが、洪水による被害はなお大きかった。昭和15(1940)新吉田川を開削、サイフォンで排水。広大な水田地帯となる。しかし、きわめて低い干拓地帯ゆえ、今なお洪水の際には堤防決壊などで、輪中式の開拓区内は全面冠水の災厄にしばしば見舞われがち。
  • 潟沼 かたぬま 現、玉造郡鳴子町。玉造郡の西北部、奥羽山脈東側の山間にあり、江合川(荒雄川)の最上流域を占める。潟沼は胡桃ヶ岳(461.4m)・鳥谷ヶ森(389.4m)などの小火山に囲まれ、『続日本後紀』承和4(837)4月16日条にみえる「新沼」と考えられ、その頃活発となった火山活動によって誕生した火口湖、あるいは堰止湖といわれる。鳴子温泉源の一つと考えられ、湖底から湧出する熱泉ガスや水蒸気のため最寒期にも凍らない所があり、多量の硫黄が沈殿し、pH1.8〜2.0の強酸性度を記録する。
  • [福島県]
  • 猪苗代湖 いなわしろこ 福島県の中央部、磐梯山の南麓にある堰止湖。阿賀野川の水源。湖面標高514m。最大深度94m。周囲50km。面積103平方km。
  • [茨城県]
  • 北浦 きたうら 茨城県南東部、霞ヶ浦の東に位置する淡水湖。面積35.2平方km、最大深度8m。鹿島臨海工業地域の工業用水・都市用水の水源。
  • 霞ヶ浦 かすみがうら 茨城県南東部にある日本第2の大湖。東にある北浦と共に海跡湖。周囲120km。面積167.6平方km。最大深度11.9m。富栄養湖。ワカサギ・シラウオなどの魚類が多いが、近年水質汚濁が進み、漁獲量は減少傾向にある。
  • [栃木県]
  • 中宮祠湖 ちゅうぐうじこ → 中禅寺湖
  • 中禅寺湖 ちゅうぜんじこ 栃木県北西部日光山中、男体山の南麓にある湖。男体山噴火の結果、噴出物によって大谷川の渓谷が塞き止められて生じた湖。華厳の滝・大谷川の水源。湖面標高1269m。最大深度163m。周囲22km。面積11.8平方km。日光国立公園の一部。中宮祠湖。幸ノ湖。
  • 宇都宮 うつのみや 栃木県中央部の市。県庁所在地。古来奥州街道の要衝。江戸初期、奥平氏11万石の城下町として発展。人口50万2千。
  • 湯ノ湖 ゆのこ 現、日光市。三岳と前白根山の間にあり、三岳の噴火で形成された堰止湖。北西から金精沢が流入、南尻の湯滝から流れ出た湖水は湯川となって戦場ヶ原へと向かう。湖名は北東部に温泉が湧出することにちなむという。南北約1km・東西約300m、湖水面積0.25平方km。最大深度は13.5m。北部は湯元温泉の旅館街となっている。
  • [群馬県]
  • 菅沼 すがぬま 「すげぬま」か。現、利根郡片品村東小川。金精山西麓に東から菅沼・丸沼・大尻沼と並び、いずれも白根山火山による溶岩堰止湖。菅沼は金精峠の入口にあたり標高約1729m。沼水は菅沼から順に流れて大滝川となる。菅沼は元来一つの沼であったが、昭和5(1930)水力発電所建設により水位が低下、最も水位の低下する3〜4月には三つの沼に分れる。豊水期の湖面積は約0.85平方km、周囲約7km。いずれの沼も白樺やブナ・ナラなどの原生林で囲まれ、季節に応じて見事な景観を呈する。
  • 赤城大沼 あかぎ おおぬま 「おの」。赤城山山頂カルデラ内にある火口原湖。大沼の水は沼尻付近で環壁を破り沼尾川となって西麓赤城村を流れて利根川に落ちる。北岸には会社・学校などの山寮が多い。
  • 城沼 しろぬま 「じょうぬま」か。現、館林市街地東部にあり、尾曳町・つつじ町・花山町・楠町・当郷に囲まれる。標高17.5m、長径は東西約3.8km、短径は南北最大0.26km。東西に長く帯状に延び旧河道をしのばせる。周囲約14km、湖面積は約0.5平方kmで、深さは1〜2m内外。西から鶴生田川が流入し、東端で流れ出る。館林城の南東にあたり、かつては石垣沼といわれたという。
  • 榛名湖 はるなこ 榛名山にあるカルデラ湖。湖面標高1084m。最大深度12.5m。周囲5km。面積1.2平方km。古名、伊香保の沼。ワカサギ釣りの名所。
  • [東京都]
  • 江戸 えど (古今要覧稿に「江所(江に臨む所)」の意とする) 東京の旧名。古くは武蔵国豊島郡の一部に過ぎず、平安末期に秩父氏の一支流江戸四郎重継が今の皇居の地に居館を営み、下って1457年(長禄1)太田道灌が築城、その後上杉・北条の手を経て、徳川氏が幕府を開くに及んで大都会となった。すなわち、家康は1590年(天正18)江戸に入り土木を起こし、1604年(慶長9)から江戸城を大きく改造。以降4代家綱の頃まで、諸大名に負担させては大工事を行い、幕末までいわゆる八百八町の繁栄を保ち、享保(1716〜1736)以降は人口100万以上を維持。1868年9月(慶応4年7月)東京と改称。
  • 関東平野 かんとう へいや 関東地方の大部分を占める日本最大の平野。
  • 井の頭池 いのかしらいけ 井之頭池。現、東京都の武蔵野市・三鷹市にまたがる井之頭公園内にある池。江戸時代、神田上水として江戸に飲料水を供給した。
  • 東村山 ひがしむらやま 東京都西郊、武蔵野台地・狭山丘陵にある市。もと鎌倉街道の宿駅。野火止用水の開削後、新田開発が進展。近年住宅地化。人口14万5千。
  • [神奈川県]
  • 芦ノ湖 あしのこ 蘆ノ湖。神奈川県南西部、箱根山にある火口原湖。湖面標高725m。最大深度41m。周囲19km。面積6.9平方km。
  • [福井県]
  • 三方湖 さんぽうこ 「みかたこ」、三方五湖か。三方五湖は三方郡の北西部、三方町と美浜町にまたがる五つの湖、すなわち三方湖・水月湖・菅湖(水月湖の一部)・久々子湖・日向湖の総称。常神半島の付根の部分にあたる。三方湖・水月湖・日向湖の三湖は古生層地の陥没湖。なお、三方湖・水月湖・久々子湖の三湖を総称して三方湖ともいう。
  • 三方五湖 みかた ごこ 福井県南西部、三方上中郡若狭町と三方郡美浜町にまたがる湖。三方湖・水月湖・菅湖・日向湖・久々子湖の五つの湖から成り、眺望に優れる。漁業が盛ん。国定公園に指定。ラムサール条約湿地。
  • 白山 はくさん (1) 石川・岐阜両県にまたがる成層火山。主峰の御前峰は標高2702m。富士山・立山と共に日本三霊山の一つ。信仰や伝説で知られる。(2) 石川県南東部の市。金沢平野の手取川扇状地に位置し、南部は白山国立公園の山岳部。金沢市に隣接し、住宅地化が進行。人口10万9千。
  • 千蛇が池 せんじゃがいけ 現、福井市三宅町か。九頭竜川下流域左岸の小丘陵に位置する。『越前地理指南』に「東に頼朝の墓あり、長六尺五寸に二尺計。千蛇ケ池、廻り十丈余、深八尺……」とある。
  • [山梨県]
  • 本栖湖 もとすこ 富士五湖の一つ。山梨県南部にあって、五湖の西端に位置する。湖面標高900m。面積4.7平方km。最大深度122mで五湖中最も深い。
  • 西湖 さいこ 富士五湖の一つ。山梨県南部、富士山の北麓にある堰止湖。湖面標高900m。最大深度72m。面積2.1平方km。にしのうみ。
  • 富士山 ふじさん (不二山・不尽山とも書く) 静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220mほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776m。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰。富士。
  • 山中湖 やまなかこ 富士五湖の一つ。山梨県南東部にあって、五湖の東端に位置する。面積は五湖中最大で、6.8平方km。湖面標高981m。最大深度13m。湖畔は避暑・観光の好適地。
  • [長野県]
  • 諏訪湖 すわこ 長野県諏訪盆地の中央にある断層湖。天竜川の水源。湖面標高759m。最大深度7.6m。周囲8km。面積12.9平方km。冬季は結氷しスケート場となり、氷が割れ目に沿って盛り上がる御神渡りの現象が見られる。代表的な富栄養湖。
  • 野尻湖 のじりこ 長野県北部、信濃町にある斑尾火山の溶岩流による堰止湖。湖面標高657m。最大深度38m。周囲14km。面積4.4平方km。周辺は避暑・観光地。湖底よりナウマンゾウの化石が出土。
  • 木崎湖 きさきこ/きざきこ 長野県北西部、大町市にある湖。糸魚川‐静岡構造線の断層活動と関連してできた堰止湖。仁科三湖の一つ。観光地化が進む。
  • 松原湖 まつばらこ 現、南佐久郡小海町大字豊里松原。大月川泥流の氾濫原に存在し、面積4平方kmほどの地域に、大小10以上の窪地に水をたたえた湖沼群が存在する。標高1123m、周囲を鬱蒼たる森林に覆われ、八ヶ岳の雄大な姿を湖面に浮かべる松原湖(猪名湖)は、古来、神の湖として神聖視されていた。猪名湖の御神渡、湖底の蛇体伝説、長湖の氷上でおこなわれた正月七日の夜のドンド焼など、歴史を秘めている。
  • 岡谷 おかや 長野県中部、諏訪湖西岸の市。もと、日本の製糸業の中心地。現在は精密機械工業が盛ん。人口5万5千。
  • [岐阜県]
  • 木曽川 きそがわ 長野県の中部、鉢盛山に発源、長野・岐阜・愛知・三重の4県を流れる川。王滝川・飛騨川などの支流を合し伊勢湾に注ぐ。長さ227km。
  • 恵那湖 えなこ → 恵那峡か
  • 恵那峡 えなきょう 現、恵那市。木曽川中流に造られたダム湖で、恵那市・中津川市・恵那郡蛭川村・同郡福岡町に及ぶ。日本最初のダム式発電所で、大正10(1921)に着工し、同13年に大同電力大井発電所が竣工した。高さ55m余、幅275m余の堰堤の完成により、上流12キロにも及ぶ大ダム湖が完成した。
  • [静岡県]
  • 浮島沼 うきしまぬま 静岡県沼津市と富士市に跨る湿地帯。(Wikipedia)/現、沼津市。愛鷹山南麓と富士川などによって形成された砂州(東田子ノ浦砂丘・千本松砂丘)との間に形成された低湿地帯が浮島ヶ原で、このなかに東西に長く広がっていたのが浮島沼。
  • 浜名湖 はまなこ 静岡県南西部に位置する汽水湖。面積65平方km。最大深度13m。今切により遠州灘に通ずる。引佐細江・猪鼻湖・弁天島・館山寺などの名勝がある。養殖ウナギで有名。遠淡海。
  • [滋賀県]
  • 琵琶湖 びわこ 滋賀県中央部にある断層湖。面積670.3平方kmで、日本第一。湖面標高85m。最大深度104m。風光明媚。受水区域が広く、上水道・灌漑・交通・発電・水産などに利用価値大。湖中に沖島・竹生島・多景島・沖の白石などの島がある。近江の海。鳰の海。
  • 彦根 ひこね 滋賀県東部、琵琶湖の東岸中央部にある市。もと井伊氏35万石の城下町で、国宝の天守閣を現存。人口11万。
  • 堅田 かたた (カタダとも) 滋賀県大津市、琵琶湖南西岸の地名。浮御堂に落雁を配し近江八景の一つとする。
  • 膳所 ぜぜ 滋賀県大津市の一地区。琵琶湖南端部の西岸に臨む、もと本多氏6万石の城下町。南は同市石山に続く。
  • 余吾湖 よごこ → 余呉湖か
  • 余呉湖 よごこ 滋賀県北部、伊香郡余呉町にある陥没湖。湖面標高132m。最大深度13m。面積1.8平方km。余呉川によって琵琶湖に注ぐ。羽衣伝説がある。よごのうみ。
  • [京都府]
  • 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
  • 巨椋の池 おおむくのいけ 「おぐらのいけ」「おおくらのいけ」。京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがって存在した池。周囲16km、面積約8平方km。1933〜41年干拓され消滅。古称、おおくらのいりえ。おぐらいけ。
  • 宇治川堰止湖 うじがわ えんしこ 現、宇治市。大正2(1913)川水を導いた宇治川水力発電所が竣工し、同13年大峰ダムと大峰・志津川両発電所が設けられた。昭和39年、多目的ダムである天ヶ瀬ダムが完成して天ヶ瀬発電所が発電を開始し、大峰・志津川発電所は廃止された。昭和45年、右岸の谷間を利用して喜撰山揚水ダムと同発電所が建設され、宇治市東部山地に一大人造湖が誕生している。
  • 宇治川 うじがわ 京都府宇治市域を流れる川。琵琶湖に発し、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。網代で氷魚・鮎を捕った「宇治の網代」や宇治川の合戦で名高い。
  • 京都市 きょうとし 京都府南東部に位置する市。府庁所在地。政令指定都市の一つ。794年(延暦13)桓武天皇の奠都以来一千有余年の都。平安京と称。皇室との関係が深く、御所・仙洞御所・大宮御所、修学院・桂離宮があり、また、美術工芸の中心で、平安時代以後の絵画・彫刻・建築・工芸の代表作を網羅。社寺が多い。宗教都市・観光都市。旧市街は碁盤目状街路をなす。人口147万5千。西京。京。
  • [島根県]
  • 中の海 なかのうみ なかうみ。島根県北東端、鳥取県との境にある半塩湖。弓(夜見)ヶ浜の砂州で日本海から限られ、大根島・江島がある。ちゅうかい。/現、島根県北東端部、鳥取県にまたがる汽水湖。湖は松江市・安来市・美保関町・八束町・東出雲町と鳥取県米子市・境港市に属している。「なかのうみ」「ちゅうかい」ともいう。古くは入海・飫宇(おう)の海などの名称で、『出雲国風土記』『万葉集』にみえる。近世には内海とも記される。雅称は錦海。日本の湖沼中では5番目の大きさをもつ。北側の島根半島と南側の中国山地に挟まれた東西に延びる宍道低地帯に形成された海跡湖。西側には宍道湖が位置し、宍道湖から東流する大橋川は中海の西端に注ぐ。面積88.7平方キロ、最大水深約8.4m、平均水深5.4m、湖岸線延長約84キロの富栄養型湖。
  • 宍道湖 しんじこ 島根半島南側にある汽水湖。最大深度6m。面積79平方km。風光明媚。ヤマトシジミを産する。
  • [鹿児島県]
  • 池田湖 いけだこ 鹿児島県薩摩半島南東部の湖。カルデラ湖。大鰻の生息地。面積11平方km。湖面標高は66m、深さは233m。
  • [不明]
  • 平賀湖 ひらがこ


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 農林省 のうりんしょう もと内閣各省の一つ。農政・林政・水産行政に関する事務を管理し、農林大臣を長官とした中央官庁。1925年(大正14)農商務省から分割。43年商工省と合併して農商省となり、45年復活。78年に農林水産省と改称。
  • 豊臣秀吉 とよとみ ひでよし 1537-1598(一説に1536-1598) 戦国・安土桃山時代の武将。尾張国中村の人。木下弥右衛門の子。幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。15歳で松下之綱の下男、後に織田信長に仕え、やがて羽柴秀吉と名乗り、本能寺の変後、明智光秀を滅ぼし、四国・北国・九州・関東・奥羽を平定して天下を統一。この間、1583年(天正11)大坂に築城、85年関白、翌年豊臣の姓を賜り太政大臣、91年関白を養子秀次に譲って太閤と称した。明を征服しようとして文禄・慶長の役を起こし朝鮮に出兵、戦半ばで病没。
  • 徳川 とくがわ 姓氏の一つ。江戸幕府の将軍家。元来は、三河国加茂郡松平村の土豪で、松平を称した。上野国の新田氏(徳川・得川氏を称)の後裔として清和源氏の嫡流を汲むというのは、家康が将軍になるために偽作・付会したといわれる。宗家のほか御三家と三卿の嫡流だけ徳川を称し、他はすべて松平氏を称。
  • 帝室林野局 ていしつ りんやきょく
  • 水産試験場 すいさん しけんじょう 水産に関する試験・調査・分析・検査・鑑定・普及・指導を目的とする研究機関。水産庁の付属のものと、都道府県の設立によるものとがある。前者は1949年水産研究所と改称。
  • 漁業組合 ぎょぎょう くみあい (1) 1901年(明治34)の漁業法に基づき一定地域に住所を有する漁業者が行政庁の許可を得て設立した組合。初め漁業権の享有管理主体であったが、次第に共同販売・購買・利用ならびに信用事業などの経済事業をも行うようになった。(2) 1886年(明治19)の漁業組合準則に基づく組合。(1) と違い漁業権の主体ではなく、より広域の組合が多く、漁業秩序の維持や調整を主としていた。
  • 和井内貞行 わいない さだゆき 1858-1922 十和田湖養魚の開発者。陸奥毛馬内(秋田県鹿角市)生れ。魚は棲息しないと信じられていた十和田湖にカパチェッポ(姫鱒)の養殖を志し、これに生涯をささげて成功。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 透明度 とうめいど 湖や海の水の透明さを表す値。直径約30cmの白色円板などを水中に沈めて、見えなくなる深さで示す。
  • 白色平円板 はくしょく へいえんばん
  • 浮漂 ふひょう うきただようこと。
  • 浮遊生物 ふゆう せいぶつ (→)プランクトンのこと。
  • プランクトン plankton 水中に浮遊して生活する生物の総称。小型の甲殻類・毛顎類などの動物(動物プランクトン)、珪藻類・藍藻類・緑藻類などの微小な藻類(植物プランクトン)のほかに、各種の底生動物の幼生(幼生プランクトン)など遊泳力の弱い生物が含まれる。魚類の餌として重要だが、また赤潮を形成する原因ともなる。浮遊生物。
  • 注入河 ちゅうにゅうが
  • 受水区域 じゅすい くいき
  • 水色標式 すいしょく ひょうしき
  • 寒暖計 かんだんけい 気温の高低をはかるための温度計。
  • 夏相 かそう
  • 正列成層 せいれつせいそう
  • 冬相 とうそう
  • 逆列成層 ぎゃくれつせいそう
  • 春相 しゅんそう
  • 秋相 しゅうそう
  • 同温層 どうおんそう
  • 変水層 へんすいそう → 水温躍層
  • 水温躍層 すいおんやくそう 海洋や温帯湖および亜熱帯湖の夏期に形成される水温成層において、特に水温の鉛直勾配の大きい部分。同時に水質も著しい変化を示すことから、温度躍層、塩分躍層、密度躍層、躍層などと呼び、湖の場合にはこれらの躍層を一括して変水層(metalimnion)と呼ぶ。水温の成層構造は、表面の水温一様な混合層、その下位の水温が急低下する水温躍層があり、徐々に水温勾配を減じながら水温一様な深水層へとつながる。水温躍層の上限深度(表層混合層の厚さ)は湖で10〜30m。水温躍層の深度は上方からの対流や渦動が達する限界と考えられ、鉛直安定度が大きいため、表層水の運動や成分が下の深水層に伝わるのを妨げる役目をする。(地学)
  • 表水層 ひょうすいそう
  • 深水層 しんすいそう
  • 温帯湖 おんたいこ
  • 熱帯湖 ねったいこ
  • 浅水帯 せんすいたい
  • 較差 こうさ → かくさ
  • 較差 かくさ (コウサの慣用読み) 二つ以上の事物を比較した場合の、相互の差の程度。
  • 純浄 じゅんじょう
  • 結氷 けっぴょう 氷がはること。また、その氷。
  • 針状氷 しんじょうひょう
  • 一夜氷 いちやこおり
  • 粒氷 りゅうひょう
  • 二重氷 にじゅうひょう
  • 乳氷 にゅうひょう
  • 氷質 ひょうしつ 氷の性質。
  • 氷層 ひょうそう 氷の層。年ごとの氷が重なってできるもの。
  • 注入川 ちゅうにゅうせん
  • ひびれ 罅。(動詞「ひびれる(罅)」の連用形の名詞化)割れ目。裂け目。きず。ひびり。ひび。転じて、欠けて不足すること。
  • 御神渡り おみわたり 冬に湖面が結氷し、氷が割れ目に沿って盛り上がる現象。古来、長野県の諏訪湖では諏訪大社の神が渡ってできたものとされた。
  • 堅氷 けんぴょう 堅い氷。
  • 氷板 ひょうばん
  • 開水面 かいすいめん
  • 解氷 かいひょう 春、はりつめていた氷が解けること。また、解けて水に浮かぶ氷片。
  • 淡水湖 たんすいこ 淡水の湖。湖水中の塩分が1リットル中に0.5グラム以下のもの。←→塩湖。
  • 鹹水湖 かんすいこ かんこ(鹹湖)。塩湖に同じ。←→淡水湖
  • 塩湖 えんこ 塩分を含んだ湖。湖水中の塩分が1リットル中に0.5グラム以上のもの。大陸内部の乾燥地に多く発達。カスピ海・死海の類。鹹湖。←→淡水湖
  • 鹹水 かんすい (1) しおからい水。海の水。←→淡水。
  • 淡水 たんすい 塩分を含まない水。←→鹹水。
  • 表水 ひょうすい → 表水層
  • 表水層 ひょうすいそう epilimnion 湖水の変水層より上の部分。水温傾度は少なく、強風時には攪拌される。溶存酸素は飽和または過飽和。太陽光線が通過するため光合成作用がよくおこなわれ、炭酸ガスは減少し、昼間は pH がアルカリ性になりやすい。栄養生成層に相当する。表水層の厚さは湖盆形態・外的条件によって変化するが、だいたい5〜15m前後。(地学)
  • 深水 しんすい 深い水。水中の深い所。
  • 硅酸 けいさん → 珪酸
  • 珪酸 けいさん (1) ケイ素と酸素と水素との化合物。アルカリ金属やアルカリ土類金属のケイ酸塩水溶液に強い酸を加えて析出する膠状の沈殿物。(2) (→)二酸化ケイ素の俗称。
  • 二酸化珪素 にさんか けいそ 化学式SiO(2) 石英・水晶・鱗珪石(トリジマイト)・クリストバル石として天然に産出。オパール・瑪瑙・火打石・紫水晶などは不純物を含む。フッ化水素と反応して四フッ化ケイ素になり、アルカリと溶融すると水に可溶性のケイ酸塩になる。動物の歯のエナメル質の主成分。珪藻土は多くこれから成る。光ファイバーの原料。無水ケイ酸。シリカ。
  • 石灰 せっかい (lime) 生石灰(酸化カルシウム)、およびこれを水和して得る消石灰(水酸化カルシウム)の通称。広義には石灰石(炭酸カルシウム)を含む。いしばい。
  • 硫化水素 りゅうか すいそ 分子式H(2)S 無色で腐敗した鶏卵のような悪臭を持つ可燃性の毒性気体で、水に溶解し、弱い酸性を示す。各金属イオンと反応してそれぞれの特色ある呈色沈殿を生じるので定性分析に用いる。天然には火山ガスや鉱泉中に含まれ、また硫黄を含む有機物の腐敗によって生じる。
  • 排出河 はいしゅつか
  • 脱児 だつじ
  • 孩児 がいじ (1) みどりご。おさなご。
  • 湖盆 こぼん 湖の水をたたえている陸地のくぼみ。
  • 湖棚 こほう 湖岸から続いている平坦でゆるい傾斜の棚状の水底の部分。波や湖流による浸食あるいは湖岸の岩や砂が堆積してできる。
  • 三稜洲 さんりょうす
  • 三稜 さんりょう (1) 三つの稜(かど)。三角。
  • 絶壁 ぜっぺき けわしく切り立ったがけ。
  • 湖底平原 こてい へいげん 湖底の中央部にある最も深く、平坦な部分。
  • 沈水植物 ちんすい しょくぶつ 体の全部が水中にあり固着生活をする植物。フサモ・キンギョモなど。水中植物。→水生植物。
  • 水生植物 すいせい しょくぶつ 水中に生活する植物の総称。特にフサモ・ハス・ヒシなど大形の植物についていう。沈水植物・抽水植物・浮水植物などに分ける。
  • 沢生植物 たくせい しよくぶつ
  • 水沢地 すいたくち
  • 水沢 すいたく 水の溜まったさわ。
  • 火口湖 かこうこ 火山の噴火口に水がたまってできた湖。霧島火山の大浪池の類。
  • 壮齢 そうれい 血気盛んな年頃。
  • 壮健 そうけん 元気さかんで丈夫なこと。
  • 泥炭 でいたん (peat) 湿原植物などが枯死・堆積し、部分的に分解・炭化作用が行われた土塊状のもの。植物の組織が肉眼で識別できる。多量の水分を含み、また多少の土砂を含むことがある。すくも。
  • 河床 かしょう 河底の地盤。かわどこ。
  • 湖畔 こはん 湖のほとり。
  • 灌漑 かんがい 田畑に水を引いてそそぎ、土地をうるおすこと。
  • 水力発電 すいりょく はつでん 発電の一方式。水力によって発電機を運転し、電力を発生する方式。ダム式・水路式・揚水式などがある。
  • 原始人 げんしじん 原始時代の人類。原始的な人間。
  • もめた水
  • 茶の湯 ちゃのゆ 客を招いて抹茶を点(た)て、会席の饗応などをすること。茶会。茶の会(え)。また、その作法。
  • 飲み料 のみりょう (1) のみもの。いんりょう。
  • 丸木船・独木舟 まるきぶね 1本の木をくりぬいて造った船。また、2本の木からそれぞれ「く」の字型の船材(重木という)をえぐり造り、これを左右から合わせて造った船、あるいはこの重木を船底と船腹にまたがる湾曲部に用いて棚板や梁などを取り付けた船をもいう。日本では縄文時代前期のものが最も古い。くりふね。
  • 汽船 きせん (1) 蒸気機関で推進させる船。旧称、蒸気船。スチーム‐シップ。(2) 帆船に対して、機械力で推進させる船の総称。
  • 発動機船 はつどうきせん 内燃機関を動力とする船。
  • 魚介 ぎょかい 魚と貝。
  • 立志伝 りっしでん 志を立て、努力精進して目的を成し遂げた人の伝記。
  • カワマス 河鱒。アメリカから1901年(明治34)に移入して養殖したマスの一種。赤黄色に紅い斑点があり、ひれの第1条が白い。冷水を好む。
  • 孵化 ふか 発生中の胚が卵膜または卵殻を破って外に出ること。卵がかえること。また、卵をかえすこと。
  • 人工孵化 じんこう ふか 動物の卵を人工的に孵化させること。
  • カバチェッポ
  • 緑綬褒章 りょくじゅ ほうしょう 褒章の一つ。自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著な者に授与される。緑色の綬で佩用。
  • 和井内マス わいない マス
  • 旱魃 かんばつ (古くはカンバチとも。「魃」は、ひでりの神) 長い間雨が降らず、水が涸れること。ひでり。特に、農業に水の必要な夏季のひでりにいう。
  • 生糸業 きいとぎょう
  • 硫黄 いおう (ユワウの転。古くはユノアワ・ユワとも)(sulfur) 非金属元素の一種。元素記号S 原子番号16。原子量32.07。黄色の樹脂光沢のあるもろい結晶で、水には溶けない。火を点ずれば青い炎をあげて燃える。遊離して火山地方に多く産し、化合物としては硫化鉄・硫化銀・硫化銅・硫化水銀などの硫化物として産出。火薬・マッチ・ゴムの製造、薬用・漂白用などに使用。
  • 風光 ふうこう 景色。ながめ。風景
  • 官報 かんぽう (1) 詔勅・法令・告示・予算・条約・叙任・辞令・国会事項・官庁事項その他、政府から一般に周知させる事項を編纂して、国立印刷局から刊行する国の機関紙。日刊。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『新版 地学事典』(平凡社、2005.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


「粥《のり》」はそのままにした。

 いま、ちまたでなにかと話題の「せいき表現」について(^^)。

 ^   行頭と一致
 \r 改行と一致

 T-Time は基本 html なので、上の2つは最も使用頻度が高いもの。素文を書いたあと、エディタの検索/置換で「正規表現」にチェックを入れて、検索「\r」置換「<br />\r」。これで html の最低限の体裁が整う。
 検索「^」置換「<li>」。これはリスト文のための行頭の置換。もくじや、表組み、地名・人名・難字などのデータベースリストの部分も、これで一括処理。
 
 ([^()]*)
 《[^《》]*》
 
 このフェイスマークのできそこないのような表現もつぎに頻度の高いもの。( )もしくは《 》でかこまれた部分を検索するさいに使用。カッコでかこまれた部分、たとえば西暦年号やルビを選択したいときに使う。
 ([^()]*)は、「カッコにかこまれた、カッコ以外の文字集合の0回以上の繰り返し」を意味する。単純な表現なので、ネスト(入れ子状態、カッコのなかにカッコが重複しているばあいのこと)にはヒットしないが、九割がた、これでまにあう。
 
 検索:\(([^()]*)\)
 置換:<font xsize=90%>\1</font>
 
 これは、上の([^()]*)を「\(」と「\) 」でかこんでグループ化したもの。「\1」は直前の検索でヒットしたグループ化した表現テキスト。たとえば「平成二五(二〇一三)……」のうち(二〇一三)の部分にだけヒットし、その前後に「<font xsize=90%>」と「</font>」を追加した状態で出力することができる。
 
 たとえば「青空文庫全」の「作家別テキストファイル」の中から、「地震」の項目を全文検索したいとする。エディタの「複数ファイル検索」をチェックして、対象フォルダを指定、検索ボックスに「地震」と入力して検索を開始する。
 検索したい言葉が「津波」のばあい、「波」と「浪」の両方を同時に検索したいと思うこともある。そういうときは「正規表現」にチェックを入れて、検索のボックスには「津[波浪]」と入力する。[ ](ブラケット)にかこまれた表現は、「文字集合のいずれか(一字)に一致」を意味する。
 
 \t  タブ文字と一致
 
 これは、タブ区切りの表組み、たとえば新字新かな変換辞書「シン弐くん」の辞書を編集するばあいに使用。テキストの誤変換に気がついたとき、誤変換テキストの頭に「\t」を追加して検索する。
 
 青空文庫の入力や校正をしてるぶんには正規表現を使うことはなかった。なんといっても青空テキストを利用して、T-Time で電子出版をはじめたことが大きなきっかけだろう。とくに、テキスト変換ソフト「ConvChar 0.8.2」や「検索置換ラクダv1.01」を多用してること、html ファイルをじかに編集する必要にかられたこと、かなと。
 厳密には、html が「3」から「5」になって、かつ epub 仕様へと変更対応をせまられてるわけだけれども、根がずぼらなもので、なかなか T-Time を手放す気になれなくて・・・。こまったもんです。じぶん。




*次週予告


第五巻 第三七号 
寺田先生と僕(他)海野十三


第五巻 第三七号は、
二〇一三年四月六日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第三六号
山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿
発行:二〇一三年三月三〇日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
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