山 の科学 ・湖 と沼 (一)
子爵 湖沼 の伝説
われわれ、とおい最初の祖先が、
われわれの
こうした伝説は世界じゅういたるところに、それぞれ伝わっておりますが、日本では、はじめて人類が住み出した
(一)支笏湖 とマス
北海道の (二)姉沼 と妹沼
青森県の太平洋 (三)田沢湖 の龍神
むかし秋田県のするとあとで、
「わたしは、
また、秋田県の海岸にある
(四)榛名湖 と女中 のカニ
群馬県の (五)野尻湖 と大 カニ
長野県のこの野尻湖から
野尻湖の主は
(六)諏訪湖 と御神渡 り
むかしまたむかし、
諏訪湖にはまた「
(七)霞ヶ浦 と女神 のお琴
むかし、 (八)余吾湖 と羽衣
むかし、ある日のこと、
「毎年七月七日には、
(九)湖山池 と暴慢 な長者
鳥取県の (一〇)大浪池
鹿児島県の (一一)池田湖
同じ鹿児島県の 湖沼 の研究
(一)湖沼 のできたわけ
湖沼はどうしてできて、かく、まんまんと水をたたえているのかということは、なかなか複雑で、そのほか、
また、海の一部が陸地にかこまれている
なお、断層の一部に水をたたえた
つぎに、これは日本では見られない例ですが、氷河がせきとめられたり、氷河の
(二)湖盆 の形態
かく、それから湖底には、川が運んできた石や小石や土砂、あるいは湖岸が
なお、海岸近くにある湖沼にはむろんのこと、山地にある湖沼でも、湖底が海面より低くなっていることがあります。それを「
日本には田沢湖のほかに、なお、いろいろこの種類の湖沼があります。その主なるものをあげてみます。
湖名 水面の
(単位:m)
(三)湖 と沼
湖と沼との区別をお話ししましょう。湖とは、前に述べたような
しかしときには、実際にはそういう区別なしに、
(四)湖盆 底質
湖沼がはじめてできた当時は、湖底には少しもつぎに
それから湖底の
なお生物学上から見ますと、
(五)湖盆 の涵養
つぎには、かぎりある湖盆に、無限に注入水をたたえることはできません。それで湖岸の一部は
(六)湖面 の水位
つぎに
(イ)
(ロ)
(ハ)
日本の
(七)波浪
水面が湖でそれを実験するには
このほかになお、
(八)水色
しかし天然にある水、つまりここでは湖沼の水についていいますと、これは蒸留水とはちがって、いずれも多少の物質がまじっています。そしてそのいろいろな物質によって光線の吸収がちがってき、また物質そのものの
湖沼の水色を測定するには、
なお水色については、
日本の湖沼で、今もっとも色のきれいなのは秋田県の田沢湖で、フォーレル氏水色標準液の第一号の水色を
この
-
標式 水色標準液等級 - (イ)
藍色湖 第一号――第四号。 例、田沢湖、 支笏湖 、池田湖、菅沼 、十和田湖、本栖湖 、中宮祠湖 〔中禅寺湖〕、猪苗代湖 、琵琶湖など。- (ロ)
緑色湖 第五号――第八号。 例、 野尻湖 、芦ノ湖 、青木湖、木崎湖 、榛名湖 、小川原沼 〔小川原湖〕、西 の湖 〔西湖 〕、山中湖 、河口湖 など。- (ハ)
黄色湖 第九号――第十二号。 例、諏訪湖、 北浦 、霞ヶ浦 、湯ノ湖 、尾瀬沼 、檜原湖 、手賀沼 など。- (ニ)
褐色湖 第十三号――第二十一号。 例、 城沼 、男潟 、女潟 、その他泥炭地沼 。ただし、この例にあげたものの中には両者の境 にあたるものもあって、ときどき標式を変えることがあります。 - (ロ)
(つづく)
底本:
1982(昭和57)年6月20日発行
親本:
1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
山の科學・湖と沼(一)
子爵 田中阿歌麿湖沼《こしよう》の傳説《でんせつ》
われ/\、とほい最初《さいしよ》の祖先《そせん》が、おほ昔《むかし》にはじめて湖沼《こしよう》を見《み》つけ出《だ》した頃《ころ》のことを想像《そうぞう》して見《み》ますと、そのぐるりには天然《てんねん》の森林《しんりん》が、青黒《あをぐろ》く繁《しげ》つてをり、いろんな怪獸《かいじゆう》奇鳥《きちよう》が、ふしぎな叫《さけ》び聲《ごゑ》を上《あ》げて、うよ/\してゐたでせうし、水中《すいちゆう》にはさま/″\の魚《うを》がなんの恐《おそ》れもなく、群《むらが》りをどつてゐたでせう。それに水《みづ》の色《いろ》も、天然林《てんねんりん》の影《かげ》をうつして、もの凄《すご》いまでに濃《こ》い藍色《あゐいろ》をしてをり、見《み》る目《め》に、いかにも神祕《しんぴ》な感《かん》じがつよかつたにちがひありません。その深《ふか》い色《いろ》をした、しいん[#「しいん」に傍点]とした湖沼《こしよう》も、大雨風《おほあめかぜ》がおそつて來《く》ると、たちまち、姿《すがた》をかへて、大浪《おほなみ》をさかだて、湖岸《こがん》の岩《いは》を碎《くだ》き、木《き》を倒《たふ》して、恐《おそ》ろしく荒《あ》れ狂《くる》つたでせう。
われ/\の未開《みかい》な祖先《そせん》たちは、それらを見《み》たり、また冬《ふゆ》になつて、その湖沼《こしよう》一面《いちめん》に張《は》つた氷《こほり》が夜中《よなか》に、ひゞれる、おそろしい音《おと》を聞《き》いたり、日中《につちゆう》でもその氷《こほり》が突《つ》き上《あが》つて、にわかに氷《こほり》の堤《つゝみ》が出來《でき》たりするのを見《み》て、どんなにおどろき、怖《おそ》れたことでせう。そのためにはいろ/\の迷信《めいしん》も生《う》み出《だ》されるわけで、それが湖畔《こはん》におこつたいろ/\の事件《じけん》と一《いつ》しよに、今《いま》でも、多《おほ》くの傳説《でんせつ》として殘《のこ》つてゐます。
かうした傳説《でんせつ》は世界中《せかいじゆう》いたるところに、それ/″\傳《つた》はつてをりますが、日本《につぽん》では、はじめて人類《じんるい》が住《す》み出《だ》した南部《なんぶ》地方《ちほう》からおこり、それから人類《じんるい》の移動《いどう》につれて次第《しだい》に北方《ほつぽう》に移《うつ》り傳《つた》はつたのでした。そのため、早《はや》く開《ひら》けた南方《なんぽう》の地方《ちほう》では、傳説《でんせつ》も次第《しだい》に消《き》えかゝつてゐるのに反《はん》して、北部《ほくぶ》には多《おほ》くの傳説《でんせつ》がのこつてゐますが、北海道《ほつかいどう》には、あまり多《おほ》くの傳説《でんせつ》も傳《つた》はつてゐません。たゞ僅《わづか》に、アイヌ人《じん》の間《あひだ》に口《くち》から口《くち》へ傳《つた》へられたものが二三《にさん》あるくらゐのものです。それは、われ/\大和《やまと》民族《みんぞく》がそこへは、比較的《ひかくてき》近年《きんねん》になつて移《うつ》り住《す》んだので、從《したが》つてその知識《ちしき》の程度《ていど》も未開人《みかいじん》よりはずっと進《すゝ》んでゐたために、傳説《でんせつ》もあまり生《うま》れなかつたためでせう。又《また》、一方《いつぽう》では、アイヌ人《じん》は文學《ぶんがく》といふものを持《も》たなかつたので、記録《きろく》といふことが出來《でき》ないために、せっかくの傳説《でんせつ》も多《おほ》くはだん/\に忘《わす》れられたものなのでせう。ともかく、日本《につぽん》でも湖沼《こしよう》の傳説《でんせつ》ではいろ/\面白《おもしろ》いものがつたはつてゐます。最初《さいしよ》にその中《うち》のいくつかをお話《はなし》して、それから、湖沼《こしよう》の學術《がくじゆつ》のお話《はなし》にうつりませう。
(一)支笏湖《しこつこ》と鱒《ます》
北海道《ほつかいどう》の石狩川《いしかりがは》の支流《しりゆう》の一《ひと》つに、樽前岳《たるまへだけ》の北《きた》の方《ほう》から流《なが》れ出《で》てゐる千歳川《ちとせがは》といふ川《かは》があります。ずっと、大昔《おほむかし》のこと、一《いつ》ぴきの大《おほ》きな大鱒《おほます》が、この川《かは》を上《のぼ》つて上流《じようりゆう》まで來《き》ましたが、あんまり大《おほ》きなからだなので、川一《かはいつ》ぱいにつかへて、とう/\川《かは》をせきとめてしまひました。千歳川《ちとせがは》はそのために、水《みづ》が流《なが》れ下《くだ》ることが出來《でき》なくなり、そこへたまり集《あつま》つて湖《みづうみ》が出來《でき》ました。これが今《いま》の支笏湖《しこつこ》だといふ、言《い》ひつたへがあります。
(二)姉沼《あねぬま》と妹沼《いもうとぬま》
青森縣《あをもりけん》の太平洋《たいへいよう》沿岸《えんがん》には湖沼《こしよう》がたくさんあります。小河原沼《をがはらぬま》はそのうちで一番《いちばん》大《おほ》きな湖《みづうみ》で、妹沼《いもうとぬま》ともいひ、その南《みなみ》に姉沼《あねぬま》といふ小《ちひ》さな湖《みづうみ》があります。昔《むかし》京都《きようと》のある公家《くげ》が陛下《へいか》から、ひどくお怒《いか》りをうけて、陸奧《むつ》の國《くに》へ流《なが》されました。都《みやこ》には奧方《おくがた》と二人《ふたり》のお姫《ひめ》さまが、さびしく留守《るす》をしてゐました。しかし、その公家《くげ》にたいしては、いつまでたつてもお許《ゆる》しが下《くだ》りませんでした。そのうちには陸奧《むつ》の國《くに》からも、一向《いつこう》便《たよ》りさへもなくなつたので、奧方《おくがた》は心配《しんぱい》がつもつて病氣《びようき》になつてしまひました。それで二人《ふたり》の姫《ひめ》は、おもひあまつてとう/\お父《とう》さまをたづねに、はる/″\陸奧《むつ》へ下《くだ》り、二人《ふたり》で手《て》をわけてさがしましたが、お父《とう》さんの行《ゆ》く方《へ》がわかりません。そのため姉姫《あねひめ》の方《ほう》は、悲《かな》しさにたへきれないで川《かは》に身《み》を投《な》げて死《し》んでしまひました。わかれてさがしてゐた妹《いもうと》は姉《あね》の死《し》を聞《き》いて、かけつけて來《き》ましたが、自分《じぶん》も一人《ひとり》で生《い》き永《なが》らへてゐても、かひがないとおもつて、やはり同《おな》じその川《かは》へ身《み》を投《な》げて死《し》んでしまひました。後《のち》にその川《かは》はだん/\にひろがつて大《おほ》きな湖《みづうみ》になりましたが、二人《ふたり》がそれ/″\身《み》を投《な》げた場所《ばしよ》へは、はっきり境《さかひ》がつき、湖《みづうみ》は二《ふた》つに分《わか》れました。それが姉沼《あねぬま》、妹沼《いもうとぬま》だといふのです。
(三)田澤湖《たざはこ》の龍神《りゆうじん》
昔《むかし》秋田縣《あきたけん》の神成澤《かんなりざは》といふところに、三之丞《さんのじよう》といふものゝ家《いへ》があつて、その沒後《ぼつご》、妻《つま》と一人《ひとり》の娘《むすめ》とが住《す》んでゐました。娘《むすめ》は辰子《たつこ》とよび、村中《むらじゆう》の人々《ひと/″\》から、天女《てんによ》とまでいはれたくらゐ美《うつく》しい女《をんな》の子《こ》でした。辰子《たつこ》は、そのきれいな顏《かほ》かたちを、いつ/\までも、もちつゞけたいと、無理《むり》な欲《よく》をおこし、毎晩《まいばん》夜《よ》ふけてから、そっと家《いへ》をぬけ出《だ》して、大藏山《おほくらやま》の氏神《うぢがみ》にお祈《いの》りを上《あ》げにかよひました。すると、百日目《ひやくにちめ》の結願《けちがん》の晩《ばん》に神《かみ》が目《め》のまへに現《あらは》れて、
「この山《やま》を北《きた》へ越《こ》えると清《きよ》い泉《いづみ》の湧《わ》く所《ところ》がある。行《い》つてその水《みづ》を飮《の》むがよい。さうすればそなたの願《ねが》ひはとげられる。わたしのいふことを疑《うたが》はないように」と、言《い》つたかと思《おも》ふと、姿《すがた》がきえました。そのときは春《はる》の新緑《しんりよく》がもえてゐるころでした。辰子《たつこ》は村《むら》の女《をんな》の子《こ》たちと一《いつ》しよに山《やま》の北《きた》の方《ほう》へ蕨狩《わらびが》りに出《で》ていきました。そして晝《ひる》どきになつて、お辨當《べんとう》を食《た》べようと思《おも》つて、一人《ひとり》、さきにたつて水《みづ》の出《で》るところを探《さが》しますと、やがて、きれいな水《みづ》の流《なが》れる小川《をがは》が見《み》つかりました。その川《かは》の中《なか》には、これまで見《み》たことのない魚《うを》が、たくさんおよいでゐます。辰子《たつこ》はそれを五六《ごろつ》ぴきすくひとり、ほかの子《こ》にもわけるつもりで燒《や》き/\待《ま》つてゐました。ところが魚《うを》の香《か》がいかにもいゝので、まづ一人《ひとり》で一《いつ》ぴき食《た》べて見《み》ますと、そのおいしさは、たとへようもありません。それで、みんなにわけることをわすれて一人《ひとり》ですっかり食《た》べてしまひました。
するとあとで、喉《のど》が渇《かわ》いてたまらないので、その小川《をがは》の水《みづ》を飮《の》み/\しましたが、それでも、まだ/\かわきがやまないので、なほ、ほかに水《みづ》のあるところをさがし/\いきますと、一《ひと》つの清《きよ》らかな泉《いづみ》が見《み》つかりました。辰子《たつこ》はこれが氏神樣《うぢがみさま》のお告《つ》げのあつた泉《いづみ》にちがひないと非常《ひじよう》に喜《よろこ》び、すぐに口《くち》をつけて飮《の》みますと、自分《じぶん》の體《からだ》が見《み》る/\うちに、形《かたち》がかはつて來《き》て、あっといふ間《ま》に大《おほ》きな大蛇《だいじや》になつてしまひました。それと一《いつ》しよに今《いま》まで、うらゝかに晴《は》れてゐた空《そら》が、ふいにかきくもり、ものすごい電《いなびかり》と一《いつ》しよに大雨《おほあめ》となり、そこへ大《おほ》きな湖《みづうみ》が出來《でき》ました。辰子《たつこ》の蛇《へび》はその湖水《こすい》の中《なか》にはひつて、主《ぬし》となりました。母親《はゝおや》はそれを聞《き》くと悲歎《ひたん》にくれ、その晩《ばん》、夜更《よふ》けもいとはず湖《みづうみ》のふちに出《で》かけて、
「辰子《たつこ》よ、辰子《たつこ》よ」と、氣《き》ちがひのようになつて娘《むすめ》の名《な》をよびつゞけました。すると浪《なみ》のあれてゐる沖《おき》の方《ほう》に銀色《ぎんいろ》に輝《かゞや》く龍《りゆう》が現《あらは》れました。母親《はゝおや》はびっくりして、かなしみ、なげき、「わしの娘《むすめ》はかういふ恐《おそ》ろしい姿《すがた》ではなかつた。もとの姿《すがた》を見《み》せてくれ」と、叫《さけ》びますと、龍《りゆう》は一度《いちど》波《なみ》の下《した》にかくれましたが、間《ま》もなくもとの辰子《たつこ》の姿《すがた》になつてあらはれ、なつかしそうに母親《はゝおや》を見《み》つめながら、
「わたしは、氏神《うぢがみ》さまに百夜《ひやくや》の祈《いのり》をあげて、幾千《いくせん》萬年《まんねん》もかはらない、龍《りゆう》の姿《すがた》になりました。あなたには、この上《うへ》もない不幸《ふこう》ものです。しかし、私《わたし》には神通《じんつう》がそなはつてゐます。ですから、これから、あなたの一生《いつしよう》の間《あひだ》、お望《のぞ》みの魚《うを》は、なんでもさし上《あ》げます。それで、これまでの御恩《ごおん》の萬分《まんぶん》の一《いち》のつぐなひをさせて下《くだ》さい」と、言《い》つたと思《おも》ひますと、再《ふたゝ》び龍《りゆう》になつて水底《みなぞこ》深《ふか》く姿《すがた》を隱《かく》しました。それ以來《いらい》母顏《はゝおや》[#「母顏」は底本のまま]の死《し》ぬまで、おうちの水《みづ》をけには、いきのよい魚《うを》が絶《た》えたことがなかつたといひます。その湖水《こすい》が田澤湖《たざはこ》だといふ言《い》ひつたへです。
また、秋田縣《あきたけん》の海岸《かいがん》にある八郎湖《はちろうこ》の主《ぬし》の八郎《はちろう》と、今《いま》言《い》つた辰子《たつこ》とは夫婦《ふうふ》で、八郎《はちろう》は毎年《まいねん》秋《あき》の彼岸《ひがん》から田澤湖《たざはこ》へ來《き》てゐるので、田澤湖《たざはこ》はどんなに寒《さむ》いときでも氷《こほり》の張《は》ることがない。そのかはり八郎湖《はちろうこ》は、八郎《はちろう》の留守中《るすちゆう》は、ずっと堅《かた》い氷《こほり》に閉《とざ》されてゐる。そして春《はる》の彼岸《ひがん》に八郎《はちろう》が歸《かへ》つて來《く》ると一夜《いちや》のうちに氷《こほり》は解《と》けてしまふといはれてゐます。
(四)榛名湖《はるなこ》と女中《じよちゆう》の蟹《かに》
群馬縣《ぐんまけん》の伊香保《いかほ》の温泉《おんせん》から榛名《はるな》神社《じんじや》へいく途中《とちゆう》に榛名湖《はるなこ》が榛名《はるな》富士《ふじ》と一《いつ》しよに美《うつく》しい景《けい》を誇《ほこ》つてゐます。昔《むかし》その湖畔《こはん》のある豪家《ごうか》に藤波《ふぢなみ》といふ、この上《うへ》なく器量《きりよう》のいゝ娘《むすめ》がゐました。あるとき、その藤波《ふぢなみ》が大勢《おほぜい》の召《め》しつかひの女《をんな》たちと一《いつ》しよに舟《ふね》に乘《の》つて湖《みづうみ》であそんでゐるうちに、どうしたはずみか娘《むすめ》は水底《みなぞこ》へ落《お》ちこんでそれきり上《あが》つて來《き》ませんでした。女中《じよちゆう》たちは、主人《しゆじん》にたいして言《い》ひわけがないといふので、一人《ひとり》のこらず娘《むすめ》の後《あと》を追《お》うて身《み》を投《な》げて蟹《かに》になり、いつまでも藤波《ふぢなみ》を探《さが》しまはつてゐると言《い》ひます。それ以來《いらい》どんなに落葉《おちば》のはげしいときでも、この湖《みづうみ》には枯《か》れ葉《は》一《ひと》つうかんではゐません。これは女中《じよちゆう》たちの蟹《かに》が湖《みづうみ》のすみ/″\まで、ごみをとつて清《きよ》めてゐるからだといはれてゐます。なほこの湖《みづうみ》にはこのほかにも、二《ふた》つ三《み》つ傳説《でんせつ》がありますが、くど/\しいから、はぶきませう。
(五)野尻湖《のじりこ》と大蟹《おほかに》
長野縣《ながのけん》の野尻湖《のじりこ》の近《ちか》くに古海《ふるみ》といふところがあります。昔《むかし》はそこも湖《みづうみ》でしたが、その湖《みづうみ》の主《ぬし》が今《いま》の野尻湖《のじりこ》の方《ほう》へ移《うつ》つたゝめ、古海《ふるみ》は干上《ひあが》つて盆地《ぼんち》となつたのだと、言《い》ひます。
この野尻湖《のじりこ》から半里《はんり》ばかり北《きた》に行《ゆ》くと、信越《しんえつ》の國境《こつきよう》になつてゐる關川《せきがは》と云《い》ふ川《かは》があり、この上流《じようりゆう》に苗名瀧《なへのたき》[#ルビの「なへのたき」は底本のまま]といふ瀧《たき》があります。
野尻湖《のじりこ》の主《ぬし》は大蛇《だいじや》で、毎年《まいねん》十匹《じつぴき》づゝの子《こ》を産《う》みますが、瀧《たき》の主《ぬし》の蟹《かに》もやはり毎年《まいねん》十匹《じつぴき》の子《こ》を産《う》みます。瀧《たき》の主《ぬし》はその子《こ》が大《おほ》きくなるのを待《ま》つては、それをひきつれて野尻湖《のじりこ》へ出《で》かけ、そこの主《ぬし》の大蛇《だいじや》と戰爭《せんそう》をします。そして、そのたびに、大蛇《だいじや》が負《ま》けて毎年《まいねん》十匹《じつぴき》づゝの小蛇《こへび》が蟹《かに》のために食《く》はれてしまひます。そのため大蛇《だいじや》の方《ほう》は何年《なんねん》たつても子孫《しそん》がさかえないのにひきかへ、瀧《たき》の主《ぬし》は一族《いちぞく》がどん/\ふえて、子孫《しそん》が關川《せきがは》の谷々《たに/″\》へみんな分家《ぶんけ》してゐると言《い》ひつたへてゐます。
(六)諏訪湖《すはこ》と御神渡《おみわた》り
昔《むかし》大山祗神《おほやまつみのかみ》[#「祗」は底本のまま]といふ神《かみ》さまが二人《ふたり》の姫《ひめ》を住《す》ます山《やま》を作《つく》つた。それが富士山《ふじさん》と淺間山《あさまやま》で、その淺間山《あさまやま》を作《つく》るために、土《つち》をほり上《あ》げたあとが今《いま》の諏訪湖《すはこ》だといふのです。
また昔《むかし》、建御名方命《たけみながたのみこと》のお妃《きさき》の命《みこと》が下諏訪《しもすは》へお移《うつ》りになるときに、いろ/\のお手《て》まはりのものと一《いつ》しよに、日頃《ひごろ》、化粧《けしよう》のときに使《つか》つてゐられた温泉《おんせん》をもお持《も》ちはこびになりました。この温泉《おんせん》が今《いま》の湯《ゆ》の上《かみ》温泉《おんせん》であります。それをお持《も》ちになるのには、たくさんの綿《わた》に湯《ゆ》をひたし、『湯《ゆ》の玉《たま》』を造《つく》つて、それをかゝへ下諏訪《しもすは》へ來《こ》られたのですが、途中《とちゆう》『湯《ゆ》の玉《たま》』からぽと/\しづくがおちて、そのしづくの湯《ゆ》は、いづれも、それ/″\温泉《おんせん》になつて湧《わ》き出《だ》し、最後《さいご》に『湯《ゆ》の玉《たま》』を置《お》かれたところには、最《もつと》も多《おほ》く湧《わ》くようになつた。今《いま》の綿《わた》の湯《ゆ》がその場所《ばしよ》だと云《い》ひつたへてゐます。
諏訪湖《すはこ》にはまた『御神渡《おみわた》り』と云《い》つて、氷《こほり》がもり上《あが》ることがあります。これは後《のち》に學術的《がくじゆつてき》にも話《はな》しますが、それについておもしろい傳説《でんせつ》があります。その氷《こほり》のもり上《あが》りは、諏訪《すは》明神《みようじん》、すなはち建御名方命《たちみながたのみこと》[#ルビの「たちみながたのみこと」は底本のまま]が十二月《じゆうにがつ》の晦日《みそか》の夜《よる》神宮寺《じんぐうじ》から下諏訪《しもすは》のお妃《きさき》のところをたづねられたしるしであるといふのです。それゆゑ、『御神渡《おみわた》り」が出來《でき》てから湖面《こめん》の氷《こほり》を渡《わた》れば安全《あんぜん》であるが、そのまへに氷《こほり》の上《うへ》を踏《ふ》むと神《かみ》さまを冐《おか》すことになり、氷《こほり》の下《した》に落《お》ちこむといはれてゐます。
(七)霞《かすみ》が浦《うら》と女神《めがみ》のお琴《こと》
昔《むかし》、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》が茨城縣《いばらきけん》の筑波山《つくばやま》の上《うへ》にお降《くだ》りになつてお琴《こと》を彈《だん》ぜられたことがあります。その琴《こと》の音色《ねいろ》が非常《ひじよう》にうつくしかつたので、東《ひがし》の方《ほう》の海《うみ》の波《なみ》が、それをしたつて山《やま》の麓《ふもと》まで押《お》し寄《よ》せて來《き》ました。その波《なみ》が引《ひ》いたあと、地面《じめん》の凹《くぼ》みにのこつたのが今《いま》の霞《かすみ》が浦《うら》であると言《い》ひます。
(八)余吾湖《よごこ》と羽衣《はごろも》
昔《むかし》、桐畑《きりばた》太夫《だゆう》といふ大《おほ》きな商人《しようにん》が、しまひに商賣《しようばい》に失敗《しつぱい》して、流《なが》れ/\て、島根縣《しまねけん》の余吾湖《よごこ》[#「島根縣《しまねけん》の余吾湖《よごこ》」は底本のまま]の岸《きし》に住《す》んでゐました。
ある日《ひ》のこと、七夕《たなばた》の織女《しよくじよ》が、天《あま》の川《がは》から降《くだ》つて來《き》て、この湖《みづうみ》で水浴《みづあ》みをしてゐるのを、その太夫《たゆう》が見《み》て、織女《しよくじよ》の羽衣《はごろも》をかくしてしまひ、いかにたのんでも、どうしても返《かへ》しませんでした。織女《しよくじよ》は、そのため、天《てん》へかへることが出來《でき》す、仕方《しかた》なしに太夫《たゆう》の妻《つま》となつて暮《くら》すうちに玉《たま》のようにうつくしい女《をんな》の子《こ》が生《うま》れました。その子《こ》が大《おほ》きくなつてから、ある日《ひ》、父親《ちゝおや》がそとへ出《で》たすきに、常《つね》に母親《はゝおや》がほしがつてゐた羽衣《はごろも》を取《と》り出《だ》して、母親《はゝおや》にわたすと、母親《はゝおや》は、すぐに、それを身《み》につけ、
「毎年《まいねん》七月《しちがつ》七日《なのか》には必《かなら》ずこの湖《みづうみ》へ水浴《みづあ》みをしに下《お》りて來《く》るから、それを樂《たのし》みに待《ま》つておいで」と、言《い》つて、天《てん》へかへつてしまひました。その子《こ》は顏《かほ》はうつくしいが片輪《かたわ》だつたので、後《のち》に湖《みづうみ》に身《み》を投《な》げて蛇《へび》になり余吾湖《よごこ》の主《ぬし》となつたと傳《つた》へられてゐます。
(九)湖山池《こざんいけ》と暴慢《ぼうまん》な長者《ちようじや》
鳥取縣《とつとりけん》の湖山《こざん》の池《いけ》のまだ出來《でき》ないまへに、その土地《とち》にある長者《ちようじや》がゐました。二代《にだい》へかけて次第《しだい》に家《いへ》が榮《さか》えて、見渡《みわた》す果《は》てもないほどの田地《でんち》や、金銀《きんぎん》や、寶物《たからもの》をどっさりもち誇《ほこ》つてゐました。その三代目《さんだいめ》の長者《ちようじや》のときのことです。ある麗《うらゝ》かにはれた初夏《しよか》に、長者《ちようじや》の家《いへ》では田植《たう》ゑをするので、多《おほ》くの女《をんな》たちは、かひ/″\しく身仕度《みじたく》をして、朝《あさ》早《はや》くから集《あつま》つて來《き》ました。何《なに》しろ幾千《いくせん》町歩《ちようぶ》といふひろい田植《たう》ゑのことですから、一日《いちにち》や二日《ふつか》では、とても、すまされないわけだのに、長者《ちようじや》は何《なに》をおもつたか、今日《けふ》一日《いちにち》で全部《ぜんぶ》植《う》ゑつけをしろと命《めい》じました。あまりに無理《むり》な命令《めいれい》でしたけれど、みんな長者《ちようじや》を恐《おそ》れ、一言《ひとこと》も反對《はんたい》するものがなく、人數《にんず》をどっさりまして一《いつ》しよう懸命《けんめい》に働《はたら》きつゞけました。長者《ちようじや》はそれを愉快《ゆかい》そうに眺《なが》めてゐましたが、ひろい田《た》ですから、さう早《はや》くはかたづきません。あと四五《しご》町歩《ちようぶ》も殘《のこ》つたころに、日《ひ》が傾《かたむ》きかけました。女達《をんなたち》は狂《くる》ふばかりになつて植《う》ゑつけを急《いそ》いでゐます。長者《ちようじや》は、どうしても日《ひ》のあるうちに植《う》ゑさせてしまはないと、自分《じぶん》の威嚴《いげん》にさはると思《おも》つて、高殿《たかどの》にのぼつて、日《ひ》の丸《まる》の扇《あふぎ》をひろげ、沈《しづ》まうとする日《ひ》を呼《よ》びとめました。すると不思議《ふしぎ》にも、沈《しづ》みかけた太陽《たいよう》はそのまゝとまつて、動《うご》かなくなりました。それで殘《のこ》つた田《た》も無事《ぶじ》に植《う》ゑつけが出來《でき》ました。長者《ちようじや》は大得意《だいとくい》で自分《じぶん》のすばらしい威光《いこう》を誇《ほこ》りました。その夜《よ》長者《ちようじや》は心持《こゝろも》ちよく眠《ねむ》りました。夜《よ》が明《あ》けると、昨日《きのふ》植《う》ゑつけた田《た》を見《み》わたすために、にこ/\と高殿《たかどの》へのぼりました。ところが、その植《う》ゑたばかりの苗《なへ》は一本《いつぽん》も見《み》えず、ひろい/\一面《いちめん》の田《た》は大《おほ》きな湖《みづうみ》になつてゐました。これが湖山《こざん》の池《いけ》であるといふのです。
(一〇)大浪池《おほなみいけ》
鹿兒島縣《かごしまけん》の大浪池《おほなみいけ》の主《ぬし》は、蛇《へび》であるといはれてゐます。昔《むかし》、宮崎《みやざき》におなみ[#「おなみ」に傍点]といふかわいらしい小娘《こむすめ》がゐました。かねてから大浪池《おほなみいけ》を見《み》たいと口癖《くちぐせ》のように言《い》つてゐましたが、そんな山《やま》の中《なか》の池《いけ》なぞは小供《こども》がいくべきところではないと、いつも親《おや》たちからとめられてゐました。しかし、さういはれゝば言《い》はれるほど、なほ/\行《い》つて見《み》たくてたまらなくなり、十三《じゆうさん》になつた年《とし》のある日《ひ》、こっそりと家《いへ》をぬけ出《だ》して池《いけ》のそばまで、たどりつきました。そして水《みづ》の面《おも》を見《み》つめ、やっと思《おも》ひがかなつたことを喜《よろこ》んでゐるうちに、いつとはなしに水際《みづぎは》に歩《あゆ》み下《くだ》り、何《なに》ものにか引《ひ》き入《い》れられるように、深《ふか》みへはまつて、沈《しづ》んでしまひ、間《ま》もなく蛇《へび》になりました。親《おや》たちはそれを知《し》つてびっくりしました。ことに母親《はゝおや》は狂氣《きようき》のようになり、供《とも》をもつれないで池《いけ》のそばまでかけつけました。湖水《こすい》を見《み》ますと小波《さゞなみ》一《ひと》つも立《た》たず、靜《しづ》かにないでゐます。母親《はゝおや》は「おなみよ/\」と、叫《さけ》びつゞけました。するとその聲《こゑ》が池《いけ》の底《そこ》にもとゞいたものか水面《すいめん》は、にはかに大波《おほなみ》が立《た》つて、蛇《へび》が頭《あたま》を浮《うか》べました。母親《はゝおや》はこれを見《み》て、なげきかなしみ「おなみよ、もう一《いち》どもとの顏《かほ》を見《み》せよ」と、言《い》つて泣《な》きますと、蛇《へび》はたちまち、可愛《かわい》いおなみ[#「おなみ」に傍点]となり、にこ/\ほゝゑんだと見《み》ると再《ふたゝ》び蛇《へび》になつて水底《みなぞこ》深《ふか》く沈《しづ》み、湖面《こめん》は前《まへ》のように靜《しづ》かになりました。おなみ[#「おなみ」に傍点]の蛇《へび》はそのまゝ池《いけ》の主《ぬし》となりました。池《いけ》の名前《なまへ》を大浪池《おほなみいけ》と呼《よ》ぶのも、そのおなみ[#「おなみ」に傍点]から來《き》てゐるのだといひます。
(一一)池田湖《いけだこ》
同《おな》じ鹿兒島縣《かごしまけん》の池田湖《いけだこ》には宇治川《うじがは》で先陣《せんじん》爭《あらそ》ひをしたとき佐々木《さゝき》四郎《しろう》高綱《たかつな》が乘《の》つた名馬《めいば》、『池月《いけづき》』についての傳説《でんせつ》があります。湖畔《こはん》に池月《いけづき》と、その母馬《はゝうま》とを祭《まつ》つた小濱《をはま》觀音《かんのん》といふのがあります。池月《いけづき》は龍《りゆう》が岡《をか》といふところに生《うま》れて、母馬《はゝうま》と一《いつ》しよに毎月《まいつき》池田湖《いけだこ》のそばへ來《き》て、絶壁《ぜつぺき》を飛《と》び下《お》りては汀《みぎは》に出《で》て水《みづ》を飮《の》んでゐました。そのところをつかまつて、養《やしな》はれたのです。池月《いけづき》をとられた母馬《はゝうま》はとう/\悲《かなし》み狂《くる》つて、絶壁《ぜつぺき》から落《お》ちて死《し》にました。土地《とち》の人々《ひと/″\》は、あはれがつて馬頭《ばとう》觀音《かんのん》にまつた[#「まつた」は底本のまま]のが、今《いま》の小濱《をはま》觀音《かんのん》の前身《ぜんしん》だと言《い》ふことです。
湖沼《こしよう》の研究《けんきゆう》
(一)湖沼《こしよう》の出來《でき》たわけ
湖沼《こしよう》はどうして出來《でき》て、かく、まん/\と水《みづ》を湛《たゝ》へてゐるのかといふことは、なか/\複雜《ふくざつ》で、一口《ひとくち》にいふことは出來《でき》ません。多《おほ》くの湖沼《こしよう》は二《ふた》つ以上《いじよう》の原因《げんいん》で出來《でき》たものです。日本《につぽん》では、一《いち》ばん數《かず》の多《おほ》いのは、火山《かざん》の國《くに》だけに、火山《かざん》に關係《かんけい》して出來《でき》たものです。そのうちには、火口湖《かこうこ》といつて、九州《きゆうしゆう》の霧島《きりしま》火山《かざん》に例《れい》があるとほり、噴火口《ふんかこう》に水《みづ》がたまつたもの、又《また》赤城《あかぎ》小沼《こぬま》のように爆裂《ばくれつ》火口《かこう》に水《みづ》を湛《たゝ》へたものもあります。箱根《はこね》芦《あし》の湖《こ》、榛名湖《はるなこ》もやはり火山《かざん》關係《かんけい》の湖《みづうみ》ですが、これは火口原湖《かこうげんこ》と言《い》つて、中央《ちゆうおう》火口丘《かこうきゆう》と、ぐるりを取《と》りかこんだ外輪山《がいりんざん》との間《あひだ》に水《みづ》がたまつたのです。
そのほか、熔岩《ようがん》が流《なが》れて谷《たに》や川《かは》をせきとめて出來《でき》た湖沼《こしよう》もあります。熔岩《ようがん》堰止湖《えんしこ》といひ、富士山《ふじさん》の北麓《きたふもと》の湖沼《こしよう》や、日光《につこう》中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》又《また》は、大正《たいしよう》年間《ねんかん》に出來《でき》た長野縣《ながのけん》上高地《かみこうち》の大正池《たいしよういけ》などはそれです。又《また》熔岩《ようがん》その他《た》の噴出物《ふんしゆつぶつ》が不規則《ふきそく》に分布《ぶんぷ》されて、その凹地《くぼち》に出來《でき》た湖沼《こしよう》もあります。これには面積《めんせき》の餘《あま》り大《おほ》きなものはありませんが、その附近《ふきん》には、同《おな》じ原因《げんいん》で出來《でき》た小湖《しようこ》が數多《かずおほ》くちらばつてゐるのが常《つね》です。八《やつ》が岳《たけ》火山《かざん》の活動《かつどう》による長野縣《ながのけん》の松原湖《まつばらこ》と、その附近《ふきん》の湖沼《こしよう》とは、その適例《てきれい》です。
[#図版(2_1.png)、富士五湖の内精進湖]
[#ここからキャプション]
湖の西方山腹より東方を望む。昭和二年春の大減水で湖底の大部分は露出してゐます。これらの岩石は南岸のものと同じく富士山の熔岩でいづれもこの湖を堰き止めたのです。
[#キャプションここまで]
次《つ》ぎには土地《とち》の陷沒《かんぼつ》による陷沒湖《かんぼつこ》といふのがあります。これはいづれも湖岸《こがん》が切《き》り立《た》つてゐて、湖岸下《こがんした》からすぐ深《ふか》くなつてゐます。鹿兒島縣《かごしまけん》の池田湖《いけだこ》、北海道《ほつかいどう》の洞爺湖《どうやこ》などは、これに屬《ぞく》する湖《みづうみ》です。
また、海《うみ》の一部《いちぶ》が陸地《りくち》にかこまれてゐる海跡湖《かいせきこ》といふのもあります。島根縣《しまねけん》の宍道湖《しんじこ》、茨城縣《いばらきけん》の霞《かすみ》が浦《うら》、北浦《きたうら》、秋田縣《あきたけん》の八郎潟《はちろうがた》など、本州《ほんしゆう》にも北海道《ほつかいどう》にも澤山《たくさん》あります。千葉縣《ちばけん》の印幡沼《いんばぬま》[#「印幡沼」は底本のまま]、手賀沼《てがぬま》、長沼《ながぬま》その他《た》千葉《ちば》、茨城《いばらき》兩縣下《りようけんか》に多《おほ》くある狹《せま》い長《なが》い湖《みづうみ》は、いづれも河跡湖《かせきこ》で、河《かは》が流《なが》れ路《みち》を變《か》へたり、本流《ほんりゆう》の川床《かはどこ》が高《たか》くなつたために支流《しりゆう》がせきとめられて出來《でき》たものです。
[#図版(2_2.png)、北海道大沼湖を隔てゝ駒が嶽を望む]
[#ここからキャプション]
湖上の島は駒が嶽の噴出物よりなる流れ山であります。
[#キャプションここまで]
なほ、斷層《だんそう》の一部《いちぶ》に水《みづ》を湛《たゝ》へた斷層湖《だんそうこ》といふものもあります。長野縣《ながのけん》の青木《あをき》、中綱《なかつな》、木崎《きざき》の三湖《さんこ》や琵琶湖《びわこ》などがそれであり、又《また》河《かは》や谷《たに》の一部《いちぶ》が山崩《やまくづ》れの土砂《どしや》でせきとめられた湖沼《こしよう》もあります。そのうちには地震《じしん》のための山崩《やまくづ》れで出來《でき》た長野縣《ながのけん》の柳久保池《やぎくぼいけ》のようなものもあります。その形式《けいしき》は熔岩《ようがん》堰止湖《えんしこ》と同一《どういつ》ですが、ただ材料《ざいりよう》がちがつてゐるわけです。
次《つ》ぎに、これは日本《につぽん》では見《み》られない例《れい》ですが、氷河《ひようが》がせきとめられたり、氷河《ひようが》の堆積物《たいせきぶつ》で出來《でき》た湖沼《こしよう》、その他《た》、氷河《ひようが》關係《かんけい》から出來《でき》た湖沼《こしよう》が外國《がいこく》にはあります。
以上《いじよう》のほかに湖沼《こしよう》の出來《でき》る原因《げんいん》はなほ、いろ/\ありますが、けっきょくは、すべて、地盤《じばん》に凹地《くぼち》が出來《でき》、それに水《みづ》を湛《たゝ》へたものなのです。その湖沼《こしよう》がおの/\どんな形態《けいたい》をしてゐるか、それは、もと出來《でき》た原因《げんいん》や、出來《でき》てからの年代《ねんだい》や、そのほか色々《いろ/\》の關係《かんけい》で、それ/″\ちがつてゐます。
(二)湖盆《こぼん》の形態《けいたい》
[#図版(2_3.png)、一の目潟の湖盆の形態(1.1000)]
かく、湖沼《こしよう》は種々《しゆ/″\》ちがつた形態《けいたい》をしてゐますが、しかし、大體《だいたい》には、相《あひ》共通《きようつう》した點《てん》があるのです。湖沼《こしよう》の陸地《りくち》と水面《すいめん》との境《さかひ》を湖岸線《こがんせん》といひますが、普通《ふつう》には、そこから沖《おき》に向《むか》つて、僅《わづか》の幅《はゞ》の、薄黄色《うすきいろ》い水《みづ》が湖岸《こがん》に沿《そ》うてたゝへてゐます。それは水《みづ》が淺《あさ》いために、湖底《こてい》の色《いろ》がすきとほつて見《み》えるのです。そこを『湖棚《こほう》』といひます。ちょうど海洋《かいよう》でいふ海棚《かいほう》に當《あた》るものです。その底《そこ》の、岸《きし》に接《せつ》した半分《はんぶん》は、波《なみ》のために削《けづ》られてをり、沖《おき》の方《ほう》の半分《はんぶん》は、その削《けづ》り取《と》られた土砂《どしや》を堆積《たいせき》してゐます。この湖棚《こほう》は、さういふわけで、つまり波《なみ》の作用《さよう》で出來《でき》るのですから、幅《はゞ》はいろ/\不同《ふどう》です。湖《みづうみ》の面積《めんせき》が大《おほ》きく、大《おほ》きな波《なみ》を受《う》ける場合《ばあひ》、湖岸《こがん》の崖《がけ》が軟《やはらか》い岩石《がんせき》から出來《でき》てゐる場合《ばあひ》、崖《がけ》の傾斜《けいしや》がゆるやかな場合《ばあひ》には、湖棚《こほう》は最《もつと》もよく發達《はつたつ》します。それで一《ひと》つの湖《みづうみ》でも、色々《いろ/\》の岩石《がんせき》で出來《でき》てゐるときには、ところによつて湖棚《こほう》の發達《はつたつ》もちがつて來《き》ます。また、その湖棚《こほう》はどんな湖沼《こしよう》にもあるといふわけではありません。岸《きし》からすぐ深《ふか》い崖《がけ》になつてゐる湖《みづうみ》や、湖岸《こがん》が泥炭地《でいたんち》や水澤地《すいたくち》に接《せつ》してゐる場合《ばあひ》には水際《みづぎは》からゆるやかな傾斜《けいしや》をしてゐるため、さういふ湖沼《こしよう》には湖棚《こほう》はてんでありません。殊《こと》に泥炭地《でいたんち》に接《せつ》してゐる場合《ばあひ》には湖棚《こほう》がないばかりでなく、岸《きし》が水中《すいちゆう》に突《つ》き出《で》てゐて、うっかり湖岸《こがん》に立《た》つと、足《あし》が水《みづ》の中《なか》にすべりこむことがあります。湖棚《こほう》は、幼《をさな》い魚《うを》が游《およ》いだり親魚《おやうを》が産卵《さんらん》したりするところですから、漁業《ぎよぎよう》とは非常《ひじよう》に關係《かんけい》が深《ふか》いのです。
[#図版(2_4.png)、柳久保池の湖盆地形圖]
湖棚《こほう》の先端《せんたん》は湖棚斜《こほうしや》といひ、そのまたさきは湖盆《こぼん》側壁《そくへき》といひます。それから最後《さいご》が湖底《こてい》平原《へいげん》で、そこは非常《ひじよう》に平坦《へいたん》になつてゐます。この平原《へいげん》は湖沼《こしよう》がはじめて出來《でき》た當時《とうじ》には、多《おほ》くのでこぼこがあつたのですが、こまかな沈澱物《ちんでんぶつ》がしだい/\に堆積《たいせき》して、でこぼこをなくしてしまつたのです。
[#図版(2_5.png)、湖盆斷面圖(一)]
[#ここからキャプション。キャプション冒頭にブラケット囲み]
(い)高水位の水面 (ろ)低水位の水面 (は)湖盆と原型
(イ)湖棚 (ロ)湖棚斜 (ハ)湖盆側壁 (ニ)湖底平原
[#キャプションここまで]
以上《いじよう》が一般《いつぱん》湖沼《こしよう》の形態《けいたい》です。しかしある湖沼《こしよう》では湖底《こてい》平原《へいげん》に漏斗状《ろうとじよう》の坑《あな》があいてゐます。これは平坦《へいたん》な區域《くいき》にところどころくぼみが出來《でき》、そこへ湖底《こてい》から湧《わ》き水《みづ》が出《で》るとか、又《また》はそこから、湖底《こてい》をくゞつて水《みづ》が流《なが》れ出《だ》すとかの場合《ばあひ》に見《み》られるのです。つまり、さういふ場合《ばあひ》には、そこに沈澱物《ちんでんぶつ》が堆積《たいせき》しないから、坑《あな》がつぶれないのです。又《また》それとは反對《はんたい》に、湖底《こてい》平原《へいげん》の一部《いちぶ》が急《きゆう》に隆起《りゆうき》して、水底《すいてい》に山《やま》が出來《でき》てゐることもあります。これを『湖底《こてい》圓錐《えんすい》』といひ、それが水面上《すいめんじよう》に現《あらは》れたものが島《しま》といはれることになるのです。
[#図版(2_6.png)、湖盆斷面圖(二)]
[#ここからキャプション]
(イ)水面 (ロ)漏斗状坑 (ハ)湖底圓錐
[#キャプションここまで]
漏斗状坑《ろうとじようこう》は靜岡縣《しずをかけん》の濱名湖《はまなこ》にあり、又《また》湖底《こてい》圓錐《えんすい》は鹿兒島縣《かごしまけん》の池田湖《いけだこ》にあります。その圓錐《えんすい》が水面上《すいめんじよう》に出《で》て島《しま》となつてゐるのは、北海道《ほつかいどう》の洞爺湖《どうやこ》にも見《み》られます。
それから湖底《こてい》には河《かは》が運《はこ》んで來《き》た石《いし》や礫《こいし》や土砂《どしや》、あるひは湖岸《こがん》が崩落《ほうらく》して水中《すいちゆう》に落《お》ちこんだ土砂《どしや》等《とう》で、『湖底《こてい》扇状地《せんじようち》』といふものが出來《でき》ます。これは、大概《たいがい》の湖沼《こしよう》に見《み》られるものです。
なほ、海岸《かいがん》近《ちか》くにある湖沼《こしよう》には、むろんのこと、山地《さんち》にある湖沼《こしよう》でも、湖底《こてい》が海面《かいめん》より低《ひく》くなつてゐることがあります。それを『潜窪《せんわ》』とよびます。田澤湖《たざはこ》は日本《につぽん》で最《もつと》も深《ふか》い湖《みづうみ》で、四百《しひやく》二十五《にじゆうご》めーとる[#「めーとる」に傍点]の深《ふか》さがあります。ところが水面《すいめん》は海拔《かいばつ》二百《にひやく》五十《ごじゆう》めーとる[#「めーとる」に傍点]ですから、湖底《こてい》は海面下《かいめんか》百《ひやく》七十五《しちじゆうご》めーとる[#「めーとる」に傍点]のところにあるわけで潜窪《せんわ》の立派《りつぱ》なよい例《れい》です。この田澤湖《たざはこ》の湖底《こてい》と同《おな》じ深《ふか》さの海《うみ》をさがし出《だ》さうとするならば、海岸《かいがん》よりこの湖《みづうみ》までの距離《きより》よりも、もっともっと遠《とほ》い沖《おき》に出《で》なければなりません。
日本《につぽん》には田澤湖《たざはこ》のほかに、なほ、いろ/\この種類《しゆるい》の湖沼《こしよう》があります。その主《おも》なるものを上《あ》げて見《み》ます。
[#ここから表組]
湖名《こめい》 水面《すいめん》の海拔《かいばつ》高度《こうど》 深度《しんど》 海面下《かいめんか》の深度《しんど》
田澤湖《たざはこ》 二五〇・《米》〇 四二五・《米》〇 一七五・《米》〇
池田湖《いけだこ》 六六・〇 二二四・〇 一五八・〇
支笏湖《しこつこ》 二四八・〇 三六三・〇 一一五・〇
洞爺湖《どうやこ》 八三・〇 一八三・〇 一〇〇・〇
琵琶湖《びわこ》 八六・三 九五・〇 八・七
宍道湖《しんじこ》 一・〇 六・九 五・九
霞《かすみ》が浦《うら》 二・〇 七・六 五・六
[#表組ここまで]
(三)湖《みづうみ》と沼《ぬま》
湖《みづうみ》と沼《ぬま》との區別《くべつ》をお話《はなし》しませう。
湖《みづうみ》とは前《まへ》に述《の》べたような湖盆《こぼん》形態《けいたい》をしてゐるもの、すなはち湖棚《こほう》をもつてゐるもので、沼《ぬま》とは一般《いつぱん》に淺《あさ》くて、湖《みづうみ》に見《み》るが如《ごと》き湖棚《こほう》もないものをいふのです。沼《ぬま》は、それ故《ゆゑ》、湖底《こてい》は湖岸《こがん》から中央部《ちゆうおうぶ》に向《むか》つて極《きは》めてゆるい傾斜《けいしや》を呈《てい》してゐます。
しかし、ときには、實際《じつさい》にはさういふ區別《くべつ》なしに、何々湖《なに/\こ》といつても沼《ぬま》の状態《じようたい》をしてゐたり、又《また》何々沼《なに/\ぬま》と稱《しよう》しながら事實《じじつ》湖《みづうみ》であつたりすることもあります。
[#図版(2_7.png)、湖(I)と沼(II)の切斷面]
(四)湖盆《こぼん》底質《ていしつ》
湖沼《こしよう》が、はじめて出來《でき》た當時《とうじ》は、湖底《こてい》には少《すこ》しも堆積物《たいせきぶつ》がありません。それが、注《そゝ》ぎはひる河《かは》が、水《みづ》と一《いつ》しよに土砂《どしや》をも運《はこ》んで來《き》て、だん/\に湖底《こてい》にまきひろげます。又《また》前《まへ》に述《の》べたように波《なみ》の働《はたら》きによつて湖岸《こがん》を削《けづ》り、それを湖底《こてい》に沈澱《ちんでん》させもします。かうして湖底《こてい》はすっかり堆積物《たいせきぶつ》におほはれてしまふことになります。この底質物《ていしつぶつ》の分布《ぶんぷ》を見《み》ると、湖岸《こがん》から沖《おき》の方《ほう》に向《むか》つて次第《しだい》に質《しつ》が細《こま》かくなつてゐます。水際《みづぎは》のところ、殊《こと》に川口《かはぐち》のところなどでは石《いし》や礫《こいし》が沈積《ちんせき》してゐますが、少《すこ》しく沖《おき》の方《ほう》は土砂《どしや》となり、最《もつと》も深《ふか》いところへ行《ゆ》くと指《ゆび》の先《さき》に乘《の》せても、少《すこ》しもざらざらしないほどの、極《きは》めて細粒《さいりゆう》の泥土《でいど》となつて來《き》ます。これらの底質物《ていしつぶつ》は、今《いま》言《い》つたように、おもに、注《そゝ》ぎこむ川《かは》や波《なみ》が運搬《うんぱん》するのですから、湖岸《こがん》の近《ちか》くでは大《おほ》きなものも動《うご》かすことが出來《でき》ますが、沖《おき》へ出《で》ると次第《しだい》に力《ちから》が弱《よわ》つて來《く》るので小《ちひ》さいものしか運《はこ》ぶことが出來《でき》なくなるのは、自然《しぜん》です。
次《つ》ぎに湖棚《こほう》の一部《いちぶ》、すなはち、波《なみ》で削《けづ》り取《と》られたところや、岩盤《がんばん》が波《なみ》のために洗《あら》ひ出《だ》されてゐるところ、又《また》は湖盆《こぼん》側壁《そくへき》の傾斜《けいしや》が四十五度《しじゆうごど》以上《いじよう》にもなつた、殆《ほとん》ど絶壁《ぜつぺき》のようなところでは底質物《ていしつぶつ》が沈澱《ちんでん》してゐません。けれどもこれは全體《ぜんたい》の湖底《こてい》から見《み》ると極《きは》めてわずかの部分《ぶぶん》です。
それから湖底《こてい》の泥土《でいど》の中《なか》で、深《ふか》い海底《かいてい》の沈積物《ちんせきぶつ》のように水《みづ》の化學的《かがくてき》作用《さよう》で出來《でき》る『次成《じせい》鑛物《こうぶつ》』といふものがあります。湖底《こてい》で出來《でき》るものは※[#「魚+而」、第3水準1-94-40]状《じじよう》褐鐵鑛《かつてつこう》、酸化鐵球《さんかてつきゆう》等《とう》で、日本《につぽん》では長野縣《ながのけん》の野尻湖《のじりこ》に褐鐵鑛《かつてつこう》があり、琵琶湖《びわこ》には褐鐵鑛《かつてつこう》が藍鐵鑛《らんてつこう》に移《うつ》り變《かは》つたものが見《み》られます。いづれも小《ちひ》さな核《かく》をもつて、砂粒《しやりゆう》又《また》は人頭大《じんとうだい》の礫《こいし》に附着《ふちやく》してゐます。
なほ生物學上《せいぶつがくじよう》から見《み》ますと、『硅藻《けいそう》骸泥《がいでい》』といふものがあります。これは日本《につぽん》の湖沼《こしよう》に多《おほ》く見《み》うけます。水温《すいおん》の高《たか》い支那《しな》等《など》の湖沼《こしよう》には、また『藍藻《らんそう》骸泥《がいでい》』と言《い》つて、黒色《こくしよく》の臭氣《しゆうき》のあるものがあります。その他《た》『甲殼類《こうかくるい》骸泥《がいでい》』等《など》といふものもあります。これ等《ら》の湖盆《こぼん》の底質物《ていしつぶつ》は漁業《ぎよぎよう》と大《おほ》きな關係《かんけい》があるもので、これを研究《けんきゆう》して底質圖《ていしつず》等《とう》を作《つく》ることは、學問上《がくもんじよう》からも漁業上《ぎよぎようじよう》からも大切《たいせつ》なことです。
(五)湖盆《こぼん》の涵養《かんよう》
湖盆《こぼん》が出來《でき》てから、どうしてそこへ水《みづ》を湛《たゝ》へるようになるかといひますと、それは多《おほ》くは河川《かせん》の注入水《ちゆうにゆうすい》、湖底《こてい》からの湧《わ》き水《みづ》、又《また》は湖面《こめん》に直接《ちよくせつ》ふりそゝぐ雨水《あまみづ》等《とう》が集《あつま》りたまるのです。しかし大部分《だいぶぶん》、湧《わ》き水《みづ》のみで一《いつ》ぱいになつてゐるのも小《ちひ》さい湖沼《こしよう》には見《み》うけられます。また高山《こうざん》の湖沼《こしよう》等《など》は、注入河《ちゆうにゆうが》がなく、ただ雨水《うすい》や雪融《ゆきど》け水《みづ》で湖《みづうみ》となつてゐます。
次《つ》ぎには、限《かぎ》りある湖盆《こぼん》に、無限《むげん》に注入水《ちゆうにゆうすい》を湛《たゝ》へることは出來《でき》ません。それで湖岸《こがん》の一部《いちぶ》は破《やぶ》れて餘分《よぶん》の水《みづ》は流《なが》し出《だ》されることになります。又《また》湖盆《こぼん》の出來《でき》た當時《とうじ》は、地下《ちか》に水《みづ》がしみこみますが、それが、いつまでも續《つゞ》き、遂《つひ》には一《ひと》つあるひは數個《すうこ》の坑《あな》が出來《でき》て、そこから排水《はいすい》する場合《ばあひ》があります。これは『湖底《こてい》排水口《はいすいこう》』といひます。又《また》湖面《こめん》の蒸發《じようはつ》によつて水《みづ》の量《りよう》は少《すくな》くなります。かうして注入水《ちゆうにゆうすい》と排出水《はいしゆつすい》とその平均《へいきん》がとれてゐるときには、湖面《こめん》には、何《なん》の變化《へんか》もないわけですが、實際《じつさい》湖沼《こしよう》について見《み》ますと絶《た》えずいろ/\の變化《へんか》が行《おこな》はれてゐます。
(六)湖面《こめん》の水位《すいい》
注入水《ちゆうにゆうすい》が排出水《はいしゆつすい》よりも多《おほ》いときには、湖面《こめん》の水位《すいい》はたいへん昇《のぼ》り、注入水《ちゆうにゆうすい》の少《すくな》いときは反對《はんたい》に水位《すいい》は下《くだ》ります。これはその地方《ちほう》の氣候《きこう》の變化《へんか》によつておこるもので、日中《につちゆう》變化《へんか》といつて一日中《いちんちじゆう》に變化《へんか》するものもあれば、年中《ねんじゆう》變化《へんか》といつて色々《いろ/\》の季節《きせつ》に伴《ともな》つて起《おこ》る變化《へんか》もあります。日中《につちゆう》變化《へんか》は流域《りゆういき》に雪溪《せつけい》や氷河《ひようが》を持《も》つてゐる湖沼《こしよう》に起《おこ》ります。つまり晝間《ちゆうかん》はそれらの雪《ゆき》や氷河《ひようが》がとけるために注入《ちゆうにゆう》水量《すいりよう》が増《ま》し從《したが》つて水位《すいい》をたかめますが、夜間《やかん》はさういふとけ水《みづ》が殆《ほとん》どはひらなくなり水位《すいい》は下《さが》つて來《き》ます。これは晝《ひる》と夜《よる》とについてのちがひですが、二十四時間中《にじゆうよじかんじゆう》注入《ちゆうにゆう》水量《すいりよう》に變化《へんか》があり、その影響《えいきよう》を受《う》ける湖《みづうみ》では同樣《どうよう》に、二十四時間中《にじゆうよじかんじゆう》常《つね》に水位《すいい》に變化《へんか》が來《く》ることになります。日本《につぽん》でも高山《こうざん》の湖沼《こしよう》、例《たと》へば白馬《しろうま》大池《おほいけ》、立山《たてやま》の美久里《みくり》が池《いけ》、乘鞍岳《のりくらだけ》の權現池《ごんげんいけ》のように雪融《ゆきど》け水《みづ》によつて水位《すいい》を保《たも》つてゐるものには、いづれもその状態《じようたい》の水位《すいい》變化《へんか》を見《み》せてゐます。
次《つ》ぎに年中《ねんじゆう》變化《へんか》について言《い》ひますと、注入水《ちゆうにゆうすい》は、その湖《みづうみ》のある地方《ちほう》の氣候《きこう》状態《じようたい》によつて異《ことな》るので、湖《みづうみ》の水位《すいい》もそのために支配《しはい》されます。そしてその状態《じようたい》は多少《たしよう》ちがつて來《く》ることはあつても、大體《だいたい》において毎年《まいねん》同《おな》じような形式《けいしき》を繰《く》り返《かへ》します。この形式《けいしき》によつて湖沼《こしよう》を三《みつ》つに區分《くぶん》することが出來《でき》ます。
(イ)熱帶湖《ねつたいこ》。 降雨期《こううき》に最《もつと》も水位《すいい》が高《たか》く、乾燥期《かんそうき》に最底《さいてい》水位《すいい》を示《しめ》すもの。
(ロ)温帶湖《おんたいこ》。 冬《ふゆ》は雪《ゆき》がかたまつてゐるために注入水《ちゆうにゆうすい》が少《すくな》く、從《したが》つて水位《すいい》が低《ひく》いのに反《はん》し、春《はる》になつてその雪《ゆき》がとけると増水《ぞうすい》し、夏《なつ》には水位《すいい》が下《くだ》り、秋《あき》豪雨《ごうう》のために再《ふたゝ》び水位《すいい》を高《たか》めるもの。
(ハ)寒帶湖《かんたいこ》。 冬《ふゆ》は受水《じゆすい》區域《くいき》が悉《こと/″\》く雪《ゆき》におほはれ、湖面《こめん》は凍結《とうけつ》して水位《すいい》が低《ひく》く、夏《なつ》は、融解《ゆうかい》によつて最高《さいこう》水位《すいい》にのぼるもの。
日本《につぽん》の湖沼《こしよう》は大體《だいたい》において温帶湖《おんたいこ》に屬《ぞく》するものですが太平洋《たいへいよう》斜面《しやめん》と、日本海《につぽんかい》斜面《しやめん》とは天候《てんこう》状態《じようたい》が異《ちが》ふので、兩斜面《りようしやめん》の湖沼《こしよう》はそれ/″\ちがつた水位《すいい》の變化《へんか》を示《しめ》します。又《また》同一《どういつ》斜面《しやめん》の湖沼《こしよう》でも海岸《かいがん》近《ちか》くにあるものと、山地《さんち》にあるものとではやはり變化《へんか》の工合《ぐあい》がちがひます。かういふ水位《すいい》の變化《へんか》を知《し》るのは、湖畔《こはん》に量水標《りようすいひよう》といつて目盛《めも》りをした棒《ぼう》や物差等《ものさしとう》を立《た》て、一日中《いちにちじゆう》の變化《へんか》を見《み》るには一時間《いちじかん》ごとぐらゐに測《はか》り、一年中《いちねんじゆう》の變化《へんか》を見《み》るには、一日《いちにち》に一回《いつかい》二回《にかい》づつ測《はか》つて、一個年《いつかねん》續《つゞ》けるのです。そしてその都度《つど》これを高低表《かうていひよう》に書《か》き込《こ》みますと、水位《すいい》の移《うつ》りかはりは自《おの》づと曲線《きよくせん》になつて表《あらは》れますから、その變化《へんか》は數字《すうじ》で見《み》るよりも一《いつ》そう、はっきりとわかります。それから湖畔《こはん》の岩石《がんせき》等《とう》を見《み》ると、それに水平線《すいへいせん》が幾條《いくすぢ》も並行《へいこう》してついてゐるのが見《み》られることがあります。これは水位《すいい》の高《たか》かつたときの印《しるし》で、だん/\水位《すいい》が低《ひく》くなつて行《い》つた樣子《ようす》がよくわかります。水位《すいい》を毎日《まいにち》測《はか》つてゐない湖沼《こしよう》ではこれでもつて大體《だいたい》の水位《すいい》の變化《へんか》を知《し》ることが出來《でき》ます。また岩《いは》でなく湖岸《こがん》が砂地《すなじ》である場合《ばあひ》には階段状《かいだんじよう》をなした線《せん》を發見《はつけん》します。それには時《とき》として塵埃《じんあい》や木《こ》の葉《は》などが引《ひ》っかゝつてゐます。これもやはり水位《すいい》の變化《へんか》を知《し》る一《ひと》つの材料《ざいりよう》ですが、この階段《かいだん》は豪雨《ごうう》があつたり、波《なみ》が高《たか》かつたりすると消《き》えてしまひます。
(七)波浪《はろう》
水面《すいめん》が鏡《かゞみ》のように靜《しづ》かなときに、さら/\と微《かすか》な風《かぜ》が吹《ふ》くと、魚《うを》の鱗《うろこ》のような小波《さゞなみ》が立《た》ちます。大風《おほかぜ》で木《き》の枝《えだ》が折《を》れそうなところへ、波《なみ》は岸《きし》に打《う》ち寄《よ》せ、岩《いは》に碎《くだ》けます。かうした風《かぜ》によつておこる波《なみ》を『進行波《しんこうは》』と名《な》づけます。しかし湖《みづうみ》にはこの外《ほか》に『定常波《ていじようは》』といふものがあります。ちょうど海洋《かいよう》に波《なみ》の外《ほか》に潮《しほ》の干滿《かんまん》があるようなものです。もっとも定常波《ていじようは》と潮《しほ》とは、おの/\おこる原因《げんいん》がちがひます。潮《しほ》は太陽《たいよう》の引力《いんりよく》によるといはれてゐますが、定常波《ていじようは》は主《おも》に氣壓《きあつ》の變化《へんか》によつて起《おこ》るのです。これはちよっと水面《すいめん》を見《み》ただけでは判《わか》りません。よく注意《ちゆうい》して水際《みづぎは》を見《み》てゐると、今《いま》まで水《みづ》のなかつた湖畔《こはん》にばちゃ/\と水《みづ》が寄《よ》つて來《き》て、しばらくして又《また》元《もと》のとほり引《ひ》いてしまひます。これが定常波《ていじようは》です。この寄《よ》せたり引《ひ》いたりするのは一定《いつてい》の時間《じかん》をおいて行《おこな》はれるのです。
湖《みづうみ》でそれを實驗《じつけん》するには器械《きかい》によらねばなりません。しかし、そのありさまは、水槽《すいそう》に水《みづ》を入《い》れて、振動《しんどう》を與《あた》へて見《み》ると判《わか》ります。つまり水槽《すいそう》の一方《いつぽう》の端《はし》の水《みづ》が下《さが》ると他《た》の一方《いつぽう》の端《はし》の水《みづ》は上《あが》ります。そしてその中央《ちゆうおう》の部分《ぶぶん》の水《みづ》は上下《じようげ》しません。ちょうど學校《がつこう》の庭《には》などにあるしーそー[#「しーそー」に傍点]のような動《うご》き方《かた》をするわけです。湖盆《こぼん》が簡單《かんたん》な場合《ばあひ》はこの定常波《ていじようは》も一《ひと》つの運動《うんどう》だけですが、湖岸《こがん》に出《で》はひりが甚《はなは》だしかつたり、あるひは湖底《こてい》に凹凸《おうとつ》がたくさんあつたりすると、自然《しぜん》定常波《ていじようは》も複雜《ふくざつ》となり、いくつもの波《なみ》が重《かさ》なつて表《あらは》れます。
このほかに、なほ、『内部《ないぶ》定常波《ていじようは》』といふものがあります。これは前述《ぜんじゆつ》の定常波《ていじようは》が表面《ひようめん》に表《あらは》れるのに反《はん》し、水中《すいちゆう》におこるので、かういふ名前《なまへ》がついてゐるのです。二《ふた》つを、はっきり區別《くべつ》するために、前者《ぜんしや》を『表面《ひようめん》定常波《ていじようは》』とも言《い》ひます。内部《ないぶ》定常波《ていじようは》は水温《すいおん》の差《さ》によつておこるのです。水温《すいおん》の差《さ》といふことは、つまり水《みづ》の比重《ひじゆう》のちがひといふことですから、ちょうど水《みづ》と石油《せきゆう》[#「せきゆう」は底本のまま]または水《みづ》と鹽水《えんすい》との間《あひだ》に起《おこ》る波動《はどう》と同《おな》じわけです。たゞその起《おこ》る位置《いち》が内部《ないぶ》であるといふだけで、原因《げんいん》は表面《ひようめん》定常波《ていじようは》と同樣《どうよう》です。
[#図版(2_8.png)、定常振動の圖解]
[#ここからキャプション]
(イ)―(ロ)は水面 (ハ)は軸
水面(ハ)を軸として 1.2 の順序に運動を繰り返します。
[#キャプションここまで]
(八)水色《みづいろ》
蒸溜水《じようりゆうすい》は一《いち》めーとる以下《いか》の水層《すいそう》においては全《まつた》く無色《むしよく》ですが、それ以上《いじよう》になると暗色《あんしよく》を呈《てい》して來《き》ます。太陽《たいよう》の光線《こうせん》が七色《なゝいろ》であることは既《すで》にどなたもごぞんじですが、その光線《こうせん》が水《みづ》に吸收《きゆうしゆう》される程度《ていど》によつて、水《みづ》は藍色《あゐいろ》、緑色《みどりいろ》、黄色《きいろ》等《など》種々《しゆ/″\》の色《いろ》に見《み》えるわけです。光線《こうせん》が水《みづ》に吸收《きゆうしゆう》される順序《じゆんじよ》は、赤色線《せきしよくせん》にはじまり、橙黄色線《とうこうしよくせん》、黄色線《こうしよくせん》、緑色線《りよくしよくせん》とだんだんに吸收《きゆうしゆう》され、藍色線《らんしよくせん》が一《いち》ばん深層《しんそう》までのこります。そしてなほ、一層《いつそう》水《みづ》が深《ふか》くなると、つひには全《まつた》く暗色《あんしよく》となつて、もうこれ以外《いがい》の色《いろ》はなくなつてしまひます。
しかし天然《てんねん》にある水《みづ》、つまり、こゝでは湖沼《こしよう》の水《みづ》について言《い》ひますと、これは蒸溜水《じようりゆうすい》とはちがつて、いづれも多少《たしよう》の物質《ぶつしつ》が混《まじ》つてゐます。そしてそのいろ/\な物質《ぶつしつ》によつて光線《こうせん》の吸收《きゆうしゆう》がちがつて來《き》、また物質《ぶつしつ》その物《もの》の色彩等《しきさいなど》も影響《えいきよう》しますが、湖沼《こしよう》にはそれ/″\、めいめい特有《とくゆう》な水色《みづいろ》があります。
湖沼《こしよう》の水色《みづいろ》を測定《そくてい》するには、水色《みづいろ》標準液《ひようじゆんえき》といふものを使《つか》つて、實際《じつさい》の水色《みづいろ》と比較《ひかく》するのです。この標準液《ひようじゆんえき》は種々《しゆ/″\》着色《ちやくしよく》した液體《えきたい》を小《ちひ》さながらす管《かん》に入《い》れたもので、全部《ぜんぶ》で二十一種《にじゆういつしゆ》の色《いろ》があります。その第一號《だいいちごう》から第十一號《だいじゆういちごう》までをフォーレル氏《し》水色《すいしよく》標準液《ひようじゆんえき》と言《い》ひます。フォーレル氏《し》は湖沼學《こしようがく》といふものを、はじめて稱《とな》へ出《だ》した人《ひと》です。それからウレーといふ人《ひと》は第十一號《だいじゆういちごう》をもととして二十一號《にじゆういちごう》までの標準液《ひようじゆんえき》を作《つく》りました。これをウレー氏《し》水色《すいしよく》標準液《ひようじゆんえき》と呼《よ》んでゐます。以上《いじよう》の標準液《ひようじゆんえき》はまだそれが完全《かんぜん》したとは言《い》はれませんが、大抵《たいてい》の湖沼《こしよう》、例《たと》へば藍色湖《らんしよくこ》から褐色湖《かつしよくこ》までの水色《みづいろ》は測定《そくてい》が出來《でき》ます。
なほ、水色《みづいろ》については、湖畔《こはん》の高《たか》いところに立《た》つて湖《みづうみ》の水面《すいめん》をのぞくと、大概《たいがい》の湖《みづうみ》の水《みづ》は藍色《あゐいろ》の美麗《びれい》な色《いろ》に見《み》えますが、實際《じつさい》に舟《ふね》に乘《の》つて、水面《すいめん》に出《で》て見《み》ると、いろ/\變化《へんか》のあるものです。ある湖《みづうみ》は、出《で》て見《み》てもやはり藍色《あゐいろ》であつたり、湖《みづうみ》によつては、緑色《みどりいろ》であるとか、それ/″\湖沼《こしよう》によつてちがひます。それから同《おな》じ一《ひと》つの湖沼《こしよう》でも季節《きせつ》によつて多少《たしよう》色《いろ》がかはることもあります。それは多《おほ》くの場合《ばあひ》、湖中《こちゆう》に繁殖《はんしよく》してゐる、浮游《ふゆう》生物《せいぶつ》と言《い》つて極《ご》く微細《びさい》な檢微鏡《けんびきよう》でなければ見分《みわ》けられないような動植物《どうしよくぶつ》のためにおこる現象《げんしよう》です。また湖沼《こしよう》へ流《なが》れ入《い》る河《かは》が豪雨《ごうう》等《など》のために、濁《にご》つた水《みづ》をおくりこむ時《とき》にも變色《へんしよく》します。しかしこれは全體《ぜんたい》の湖面《こめん》に影響《えいきよう》することは少《すくな》く、多《おほ》くはその河口《かこう》から沖《おき》に向《むか》つて扇状《せんじよう》になつて變色《へんしよく》するだけの、部分的《ぶぶんてき》のものです。それ故《ゆゑ》、生物《せいぶつ》の繁殖《はんしよく》または濁《にご》り水《みづ》による水色《みづいろ》の變化《へんか》は一時的《いちじてき》のもので、その原因《げんいん》となつてゐる生物《せいぶつ》が少《すくな》くなつたり、又《また》は濁水《だくすい》の流《なが》れ入《い》るのが止《や》めば、再《ふたゝ》びもとの水色《みづいろ》にかへるわけです。湖沼《こしよう》はかういふ風《ふう》に時《とき》によつて水《みづ》の色《いろ》を變《へん》ずることはありますが、それは永《なが》くは續《つゞ》きません。しかし湖沼《こしよう》のぐるりが、こと/″\く森林《しんりん》におほはれてゐた時代《じだい》には、その水《みづ》も現在《げんざい》見《み》るよりもなほ一層《いつそう》美《うつく》しかつたにちがひありません。その後《ご》森林《しんりん》はだん/\に伐採《ばつさい》され、湖畔《こはん》には畑《はた》や田《た》が出來《でき》、そこへ人間《にんげん》が群《むらが》り住《す》むようになると、いろ/\の汚物《をぶつ》や塵埃《じんあい》が流《なが》れこむので、水《みづ》の色《いろ》も次第《しだい》にあせて來《く》るわけです。
日本《につぽん》の湖沼《こしよう》で、今《いま》最《もつと》も色《いろ》のきれいなのは秋田縣《あきたけん》の田澤沼《たざはこ》[#「田澤沼」は底本のまま]で、フォーレル氏《し》水色《すいしよく》標準液《ひようじゆんえき》の第一號《だいいちごう》の水色《みづいろ》を呈《てい》してゐます。これにつぐものは北海道《ほつかいどう》の支笏湖《しこつこ》、青森縣《あをもりけん》秋田縣《あきたけん》の十和田湖《とわだこ》、栃木縣《とちぎけん》の中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》、山梨縣《やまなしけん》の本栖湖《もとすこ》、それから琵琶湖《びわこ》等《など》で、この順序《じゆんじよ》に、第二號《だいにごう》から第四號《だいしごう》附近《ふきん》の水色《みづいろ》をしてゐます。また箱根《はこね》の芦《あし》の湖《こ》は第四《だいし》から第六號《だいろくごう》、伊香保《いかほ》の榛名湖《はるなこ》は第五號《だいごごう》で富士《ふじ》の山中湖《やまなかこ》は第七號《だいしちごう》、長野縣《ながのけん》の諏訪湖《すわこ》、茨城縣《いばらきけん》の霞《かすみ》が浦《うら》は第十號《だいじゆうがう》から第十二號《だいじゆうにごう》を呈《てい》してゐます。ずっと色《いろ》の惡《わる》いのは秋田《あきた》の男潟《をとこがた》の二十號《にじゆうごう》、同《おな》じ女潟《をんながた》の二十一號《にじゆういちごう》です。かうして見《み》ると日本《につぽん》には兩氏《りようし》の水色《すいしよく》標準液《ひようじゆんえき》の最高《さいこう》から最低《さいてい》まであるわけです。中《なか》でも田澤湖《たざはこ》の水色《みづいろ》の如《ごと》きは、世界《せかい》でも稀《まれ》に見《み》る美《うつく》しさで、こんな色《いろ》は海洋《かいよう》においてもひどく珍《めづら》しく、強《し》ひて尋《たづ》ねれば地中海《ちちゆうかい》の水色《みづいろ》がこれと肩《かた》をならべ得《う》るくらゐのものです。
この水色《みづいろ》番號《ばんごう》によつて日本《につぽん》のおもな湖《みづうみ》を分類《ぶんるい》すると、次《つ》ぎのとほりになります。
標式《ひようしき》 水色《すいしよく》標準液《ひようじゆんえき》等級《とうきゆう》
[#ここから天付き、折り返して4字下げ]
(イ)藍色湖《らんしよくこ》 第一號《だいいちごう》――第四號《だいしごう》。 例《れい》、田澤湖《たざはこ》、支笏湖《しこつこ》、池田湖《いけだこ》、菅沼《すがぬま》、十和田湖《とわだこ》、本栖湖《もとすこ》、中宮祠湖《ちゆうぐうじこ》、猪苗代湖《ゐなはしろこ》、琵琶湖《びわこ》等《など》。
(ロ)緑色湖《りよくしよくこ》 第五號《だいごごう》――第八號《だいはちごう》。 例《れい》、野尻湖《のじりこ》、芦《あし》の湖《こ》、青木湖《あをきこ》、木崎湖《きざきこ》、榛名湖《はるなこ》、小河原沼《をがはらぬま》、西《にし》の湖《うみ》、山中湖《やまなかこ》、河口湖《かはぐちこ》等《など》。
(ハ)黄色湖《おうしよくこ》 第九號《だいくごう》――第十二號《だいじゆうにごう》。 例《れい》、諏訪湖《すはこ》、北浦《きたうら》、霞《かすみ》が浦《うら》、湯《ゆ》の湖《こ》、尾瀬沼《をぜぬま》、檜原湖《ひばらこ》、手賀沼《てがぬま》等《など》。
(ニ)褐色湖《かつしよくこ》 第十三號《だいじゆうさんごう》――第二十一號《だいにじゆういちごう》。 例《れい》、城沼《しろぬま》、男潟《をとこがた》、女潟《をんながた》、其他《そのほか》泥炭地沼《でいたんちしよう》、但《たゞ》しこの例《れい》に擧《あ》げたものゝ中《なか》には兩者《りようしや》の境《さかひ》に當《あた》るものもあつて時々《とき/″\》標式《ひようしき》を變《か》へることがあります。
[#ここで字下げ終わり]
(つづく)
底本:『山の科学 No.47』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
1982(昭和57)年6月20日発行
親本:『山の科學』日本兒童文庫、アルス
1927(昭和2)年10月3日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- [北海道]
- 石狩川 いしかりがわ 北海道第一の川。石狩岳に発源し、石狩平野を貫流して石狩湾に注ぐ。長さ268km。流域約1万4000平方km。
- 樽前岳 たるまえだけ → 樽前山
- 樽前山 たるまえさん/たるまえざん 標高1,041m。北海道南西部、支笏湖の南、苫小牧市と千歳市にまたがる活火山。支笏洞爺国立公園に属する。
- 千歳川 ちとせがわ 支笏湖に源を発して東流し、石狩平野を北上して石狩川に合流する一級河川。流路延長107.9km。上流部は支笏火山形成時の支笏軽石流堆積物などからなる火山灰台地に深い谷を刻む。
- 洞爺湖 とうやこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高84m。最大深度180m。面積70.7平方km。南岸に有珠山・昭和新山の2火山がある。支笏湖とともに国立公園をなす。
- 大沼湖 → 大沼か
- 大沼 おおぬま 北海道南西部、渡島半島の駒ヶ岳の南にある堰止湖。湖面標高129m。最大深度12m。面積5.3平方km。付近に小沼・蓴菜沼がある。
- 駒ヶ岳 こまがたけ 北海道渡島半島東側、内浦湾南岸の活火山。標高1131m。
- 支笏湖 しこつこ 北海道南西部にあるカルデラ湖。湖面標高248m。最大深度360m。面積78.4平方km。北岸に恵庭岳、南岸に樽前山の両火山がある。
- [青森県]
- 陸奥の国 むつのくに 旧国名。1869年(明治元年12月)磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥に分割。分割後の陸奥は、大部分は今の青森県、一部は岩手県に属する。
- 小河原沼 おがわらぬま → 小川原湖か
- 小川原湖 おがわらこ 青森県東部の汽水湖。三本木原台地と太平洋岸の砂丘地帯とに挟まれた湖沼群のうち最大のもの。淡水化事業が進行。最大深度24.4m。面積62.2平方km。小川原沼。こがわらこ。おがらこ。
- 妹沼 いもうとぬま → 小川原湖
- 姉沼 あねぬま 小川原湖(小川原沼とも称する)の南にある。
- 十和田湖 とわだこ 青森・秋田両県の境にあるカルデラ湖。奥入瀬川の水源。湖面標高400m。最大深度327m。面積61平方km。周辺は美林に蔽われる。
- [秋田県]
- 神成沢 かんなりざわ 現、秋田県仙北郡田沢湖町岡崎院内か。院内村の支郷に神成沢(かんなりさわ)村がある。
- 大蔵山 おおくらやま 大蔵神社か。現、秋田県仙北郡田沢湖町岡崎大倉沢。院内岳の中腹、標高300mの地にある。院内山?
- 田沢湖 たざわこ 秋田県仙北市の、岩手県境に近い奥羽山脈中にある典型的なカルデラ湖。周囲20km。面積25.8平方km。湖面標高249m。最も深い所は423mに達し日本第1位。
- 八郎湖 はちろうこ → 八郎潟
- 八郎潟 はちろうがた 秋田県西部、男鹿半島の頸部にある潟湖。かつては日本第2の湖であったが、1957年以来、潟の8割が干拓される。調整池として残るのは面積27.7平方km。琴ノ湖。
- 男潟 おとこがた → おがた、か
- 女潟 おんながた → めがた、か
- 男潟 おがた 現、秋田市金足小泉・同鳰崎。天王砂丘内側の低地が潟となった砂丘堰止湖で、北の男潟と南の女潟に分れる。周囲は5km余、四季を通して佳景を呈する。金足地区は秋田市の北部。
- 女潟 めがた 同上。
- 一の目潟 いちのめがた 現、秋田県男鹿市。西部山地の北部に、一ノ目潟・二ノ目潟・三ノ目潟がある。
- [福島県]
- 猪苗代湖 いなわしろこ 福島県の中央部、磐梯山の南麓にある堰止湖。阿賀野川の水源。湖面標高514m。最大深度94m。周囲50km。面積103平方km。
- 桧原湖 ひばらこ 福島県北部にある湖。磐梯山の爆発によりできた堰止湖の一つ。湖面標高822m。最大深度31m。面積10.7平方km。
- 尾瀬沼 おぜぬま 群馬・福島県境にある湖沼。湖面標高1665m。最大深度9.5m。面積1.8平方km。西にひろがる尾瀬ヶ原は長さ6km、幅1〜2km、標高1400mの本州最大の湿原。ミズバショウ・ニッコウキスゲなどが群生する。
- [栃木県]
- 日光 にっこう 栃木県北西部の市。奈良末期、勝道上人によって開かれ、江戸時代以後、東照宮の門前町として発達。日光国立公園の中心をなす観光都市。二荒山神社・東照宮・輪王寺の建造物群と周辺は「日光の社寺」として世界遺産。人口9万4千。
- 中宮祠湖 ちゅうぐうじこ → 中禅寺湖
- 中禅寺湖 ちゅうぜんじこ 栃木県北西部日光山中、男体山の南麓にある湖。男体山噴火の結果、噴出物によって大谷川の渓谷が塞き止められて生じた湖。華厳の滝・大谷川の水源。湖面標高1269m。最大深度163m。周囲22km。面積11.8平方km。日光国立公園の一部。中宮祠湖。幸ノ湖。
- 湯の湖 ゆのこ → 湯ノ湖
- 湯ノ湖 ゆのこ 現、日光市。三岳と前白根山の間にあり、三岳の噴火で形成された堰止湖。北西から金精沢が流入、南尻の湯滝から流れ出た湖水は湯川となって戦場ヶ原へと向かう。湖名は北東部に温泉が湧出することにちなむという。南北約1km・東西約300m、湖水面積0.25平方km。最大深度は13.5m。北部は湯元温泉の旅館街となっている。
- [茨城県]
- 筑波山 つくばやま/つくばさん 茨城県南西部にある山。標高877m。峰は二つに分かれ西を男体、東を女体という。
「西の富士、東の筑波」と称せられ、風土記や万葉集の�歌の記事などに名高く、古来の歌枕。農業神として信仰登山が盛ん。筑波嶺。 - 霞が浦 かすみがうら → 霞ヶ浦
- 霞ヶ浦 かすみがうら 茨城県南東部にある日本第2の大湖。東にある北浦と共に海跡湖。周囲120km。面積167.6平方km。最大深度11.9m。富栄養湖。ワカサギ・シラウオなどの魚類が多いが、近年水質汚濁が進み、漁獲量は減少傾向にある。
- 北浦 きたうら 茨城県南東部、霞ヶ浦の東に位置する淡水湖。面積35.2平方km、最大深度8m。鹿島臨海工業地域の工業用水・都市用水の水源。
- [千葉県]
- 印旛沼 いんばぬま 千葉県北部にある湖沼。もと周囲47km、面積21平方kmであったが、干拓により北印旛沼(面積6.3平方km)と西印旛沼(5.3平方km)とに分かれる。利根川に通じ、ナマズ・ウナギ・フナなどを産した。
- 手賀沼 てがぬま 千葉県北西部にある沼。釣針形で湖岸線は34km、面積10平方kmであったが、近時干拓により面積4.1平方kmに縮小。淡水魚・水鳥が多い。
- 長沼 ながぬま 現、成田市北部の国道408号の東側にあった沼で、東西12町余、南北18町余、面積約7万6000坪(明治19)
、中央がくびれた瓢箪のような形をしていた。沼の水は北側で二つの流れになり、一流は利根川に注いだ。 - [群馬県]
- 伊香保 いかほ 群馬県渋川市の地名。榛名山東斜面にある温泉町。泉質は硫酸塩泉・単純温泉。
(歌枕) - 榛名神社 はるな じんじゃ 群馬県榛名町にある神社。旧県社。祭神は火産霊神、埴山毘売神。用明天皇元年(586)の創祀と伝えられる。
- 榛名湖 はるなこ 榛名山にあるカルデラ湖。湖面標高1084m。最大深度12.5m。周囲5km。面積1.2平方km。古名、伊香保の沼。ワカサギ釣りの名所。
- 榛名富士 はるな ふじ 榛名山の外輪山内側に中央火口丘の榛名富士1390.7mと蛇ヶ岳がある。榛名富士の西側カルデラの低い部分に火口原湖の榛名湖が水をたたえ、外輪の東側に浅間山(水沢山)
・相馬山・二ッ岳の寄生火山が噴出する。榛名火山最後の活動は6世紀末といわれる二ッ岳のもので、二ッ岳北東の伊香保温泉はこの活動の名残と考えられる。 - 榛名山 はるなさん 群馬県中部にある複式成層火山。赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つ。外輪山は掃部岳(1449m)
・鬢櫛山・烏帽子岳などに分かれ、カルデラ内に円錐形をなす中央火口丘の榛名富士と榛名湖がある。 - 赤城小沼 あかぎ こぬま 「あかぎ この」か。現、勢多郡。赤城山山頂カルデラ内にある火山湖。小沼の水は粕川となって銚子の伽藍で火口瀬をつくり、不動滝などの勝景地を形成、南麓の広大な裾野を流下し、佐波郡東部、新田郡南部の地の潅漑用水であった。/小沼からは藤原時代から江戸時代にわたる古鏡が多数発見されている。とくに藤原・鎌倉時代のものが多い。水神に対する納鏡信仰と考えられる。
- [新潟県]
- 信越 しんえつ 信濃(長野県)と越後(新潟県)。
- 関川 せきがわ 「せきかわ」
。長野県上水内郡と新潟県との境を流れる。本流の水源は新潟県焼山・火打山で、上水内郡と北安曇郡との境である堂津山から発した二ぐろ川を合流し、五地蔵岳に源を発した氷沢川と合して関川となる。黒姫山と新潟県妙高山との間、両県境を東流し、池尻川を合流して東北に流路を変え、北流して新潟県に入る。/全長64kmの一級河川。 - 苗名滝 なえのたき なえなのたき。現、新潟県中頸城郡妙高高原町杉野沢。杉野沢集落の関川上流に、下流から上流に向けて一の滝から四の滝まで続く。融雪期には数十丈の飛瀑となって滝壺に落下し、水勢白雪もしくは白雲のごとく類なしというので、無井(ない)滝と名付けられたという。苗江滝・南井滝とも記される。
- [山梨県]
- 富士山 ふじさん (不二山・不尽山とも書く) 静岡・山梨両県の境にそびえる日本第一の高山。富士火山帯にある典型的な円錐状成層火山で、美しい裾野を引き、頂上には深さ220mほどの火口があり、火口壁上では剣ヶ峰が最も高く3776m。史上たびたび噴火し、1707年(宝永4)爆裂して宝永山を南東中腹につくってから静止。箱根・伊豆を含んで国立公園に指定。立山・白山と共に日本三霊山の一つ。芙蓉峰。富士。
- 山中湖 やまなかこ 富士五湖の一つ。山梨県南東部にあって、五湖の東端に位置する。面積は五湖中最大で、6.8平方km。湖面標高981m。最大深度13m。湖畔は避暑・観光の好適地。
- 河口湖 かわぐちこ 富士五湖の一つ。山梨県南部、富士山の北麓と御坂山地との間の凹地にある堰止湖。湖面標高831m。最大深度15m。面積5.7平方km。
- 富士五湖 ふじ ごこ 富士山北麓の山中湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖の五つの湖。
- 精進湖 しょうじこ 富士五湖の一つ。山梨県南部、富士山の北西麓の堰止湖。本栖湖の東にある。湖面標高900m。最大深度15m。周囲7km。面積0.5平方kmで、五湖中最も小さい。
- 西の湖 にしのうみ → 西湖
- 西湖 さいこ 富士五湖の一つ。山梨県南部、富士山の北麓にある堰止湖。湖面標高900m。最大深度72m。面積2.1平方km。にしのうみ。
- 本栖湖 もとすこ 富士五湖の一つ。山梨県南部にあって、五湖の西端に位置する。湖面標高900m。面積4.7平方km。最大深度122mで五湖中最も深い。
- [神奈川県]
- 箱根 はこね 神奈川県足柄下郡の町。箱根山一帯を含む。温泉・観光地。芦ノ湖南東岸の旧宿場町は東海道五十三次の一つで、江戸時代には関所があった。
- 芦の湖 あしのこ 芦ノ湖・蘆ノ湖。神奈川県南西部、箱根山にある火口原湖。湖面標高725m。最大深度41m。周囲19km。面積6.9平方km。
- [静岡県]
- 浜名湖 はまなこ 静岡県南西部に位置する汽水湖。面積65平方km。最大深度13m。今切により遠州灘に通ずる。引佐細江
・猪鼻湖・弁天島・館山寺などの名勝がある。養殖ウナギで有名。遠淡海。 - [長野県]
- 野尻湖 のじりこ 長野県北部、信濃町にある斑尾火山の溶岩流による堰止湖。湖面標高657m。最大深度38m。周囲14km。面積4.4平方km。周辺は避暑・観光地。湖底よりナウマンゾウの化石が出土。
- 古海 ふるみ 現、長野県上水内郡信濃町大字古海。旧、村名。現、信濃町の東端。村の北西部にある古海盆地(東西1.6km、南北1km)は、斑尾山の噴火による溶岩の流出で生じた堰止湖が、北西隅の深山口での崩落と古海川の人工的掘削で乾地化した跡といわれ、盆地の中央部は現在も田下駄を必要とするような湿田である。
- 浅間山 あさまやま 長野・群馬両県にまたがる三重式の活火山。標高2568m。しばしば噴火、1783年(天明3)には大爆発し死者約2000人を出した。斜面は酪農や高冷地野菜栽培に利用され、南麓に避暑地の軽井沢高原が展開。浅間岳。
(歌枕) - 諏訪湖 すわこ 長野県諏訪盆地の中央にある断層湖。天竜川の水源。湖面標高759m。最大深度7.6m。周囲8km。面積12.9平方km。冬季は結氷しスケート場となり、氷が割れ目に沿って盛り上がる御神渡りの現象が見られる。代表的な富栄養湖。
- 下諏訪 しもすわ 長野県中部、諏訪湖北岸の町。諏訪神社の下社がある。
- 湯の上温泉 ゆのかみ おんせん
- 湯の玉
- 綿の湯 わたのゆ 綿之湯。現、諏訪郡下諏訪町横町・湯田町。下諏訪宿の中央、問屋場の隣にあり、下社の祭神八坂刀売命が神宮寺(じぐじ、現、諏訪市)から、化粧用として、綿に湯をひたして湯の玉を作って持ってきたという伝説をもつ。/中山道・甲州道中の合流点である湯之町は、綿之湯・小湯・旦過之湯(たんがのゆ)の三湯に恵まれ、宿場町として栄えた。
- 神宮寺 じんぐうじ 神仏習合思想のもとに、神社に付属して置かれた寺院の称。8世紀から建立され、神職と社僧が分掌する制度は、江戸末期まで全国に広まった。1868年(明治1)の神仏分離令によってその多くは廃絶あるいは独立した。宮寺。神供寺。神護寺。神宮院。別当寺。
- 上高地 かみこうち 長野県西部、飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地。中部山岳国立公園の一部。標高約1500m。温泉や大正池があり、槍ヶ岳・穂高連峰・常念岳・焼岳などへの登山基地。神河内。上河内。
- 大正池 たいしょういけ 長野県の西部、梓川上流の上高地にある堰止め湖。1915年(大正4)の焼岳大爆発により出現。
- 八が岳火山 → 八ヶ岳
- 八ヶ岳 やつがたけ 富士火山帯中の成層火山。長野県茅野市・南佐久郡・諏訪郡と山梨県北杜市にまたがる。赤岳(2899m)を最高峰として、硫黄岳・横岳・権現岳など8峰が連なり、山麓斜面が広く、高冷地野菜栽培が盛ん。尖石など先史遺跡が分布。
- 松原湖 まつばらこ 現、南佐久郡小海町大字豊里松原。大月川泥流の氾濫原に存在し、面積4平方kmほどの地域に、大小10以上の窪地に水をたたえた湖沼群が存在する。標高1123m、周囲を鬱蒼たる森林に覆われ、八ヶ岳の雄大な姿を湖面に浮かべる松原湖(猪名湖)は、古来、神の湖として神聖視されていた。猪名湖の御神渡、湖底の蛇体伝説、長湖の氷上でおこなわれた正月七日の夜のドンド焼など、歴史を秘めている。
- 青木湖 あおきこ 長野県北西部、大町市にある湖。糸魚川‐静岡構造線の断層活動と関連してできた堰止め湖。仁科三湖の一つ。
- 中綱湖 なかつなこ/なかづなこ 大町市北部の湖。木崎湖・青木湖と合わせて仁科三湖と呼ばれる。/現、長野県大町市大字平。市の北部、青木湖と木崎湖の中間の湖で、面積0.14平方kmという小湖。最大深度12mで、湖底の堆積物が多く老年期の湖。
- 木崎湖 きざきこ 長野県北西部、大町市にある湖。糸魚川‐静岡構造線の断層活動と関連してできた堰止湖。仁科三湖の一つ。観光地化が進む。
- 柳久保池 やぎくぼいけ
- 白馬 しろうま → 白馬岳か
- 白馬岳 しろうまだけ 北アルプスの北部、長野・富山・新潟の3県にまたがる後立山連峰の主峰。標高2932m。南の杓子岳・鑓ヶ岳とともに白馬三山と称し、お花畑・大雪渓などで有名。大蓮華岳。はくばさん。
- 白馬大池 しろうま おおいけ 現、北安曇郡小谷村。白馬岳の北東にある。
(Wikipedia) - [富山県]
- 立山 たてやま 富山県の南東部、北アルプスの北西端に連なる連峰。標高3003mの雄山を中心とし、北に大汝山(3015m)
、南に浄土山が屹立。剣岳・薬師岳などと立山連峰をなす。雄山山頂には雄山神社がある。日本三霊山の一つ。古名、たちやま。 - 美久里が池 みくりがいけ 現、中新川郡立山町室堂平。室堂平は立山の西直下、標高約2450mに位置し、広義の弥陀ヶ原に含まれ、古立山火山の第三期に流出した玉殿溶岩によって形成された台地。古くから立山登拝の拠点であり、地獄谷・ミクリガ池(周囲631m、水深15m)
・ミドリガ池などの変化に富む自然景観は立山信仰と結びつき、一帯には遺跡・遺物も多い。 - [岐阜県]
- 乗鞍岳 のりくらだけ (西方から望むと馬の背に似ているからいう)岐阜県北部から長野県中部にまたがる火山。飛騨山脈南部の峻峰。標高3026m。山頂近くにコロナ観測所がある。
- 権現池 ごんげんいけ 現、大野郡。乗鞍岳の主峰をなす火山の火口湖。乗鞍火山の山腹には放射状の河谷が発達し、溶岩流の末端には平湯大滝・青垂滝・魚止滝・朝日滝・岳谷滝などが知られる。いくつかの火口湖・火口原・溶岩平を残し、火口湖の亀ヶ池畔には日本で最初に発見された氷河周辺地形の構造土(亀甲砂礫)がみられる。
- 太平洋
- 日本海
- 地中海 ちちゅうかい (Mediterranean Sea) ヨーロッパ南岸・アフリカ北岸およびアジア西岸に挟まれた海。東西3500km、南北1700km、面積297万平方km、日本海の約3倍。古代にはエジプト・フェニキア・ギリシア・ローマが相次いで支配、いわゆる地中海文化を形成。
- 菅沼 すがぬま
- 城沼 しろぬま
- [滋賀県]
- 余呉湖 よごこ 滋賀県北部、伊香郡余呉町にある陥没湖。湖面標高132m。最大深度13m。面積1.8平方km。余呉川によって琵琶湖に注ぐ。羽衣伝説がある。よごのうみ。
- 琵琶湖 びわこ 滋賀県中央部にある断層湖。面積670.3平方kmで、日本第一。湖面標高85m。最大深度104m。風光明媚。受水区域が広く、上水道・灌漑・交通・発電・水産などに利用価値大。湖中に沖島・竹生島・多景島・沖の白石などの島がある。近江の海。鳰の海。
- [京都府]
- 宇治川 うじがわ 京都府宇治市域を流れる川。琵琶湖に発し、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。網代で氷魚・鮎を捕った「宇治の網代」や宇治川の合戦で名高い。
- [鳥取県]
- 湖山の池 こざんのいけ → 湖山池
- 湖山池 こやまいけ 鳥取市の西郊にある潟湖。面積7平方km、最大深度7.6m。美田が一夜にして湖になったという湖山長者の伝説で知られる。
- [島根県]
- 余吾湖 よごこ ?
- 宍道湖 しんじこ 島根半島南側にある汽水湖。最大深度6m。面積79平方km。風光明媚。ヤマトシジミを産する。
- [鹿児島県]
- 霧島山 きりしまやま 鹿児島・宮崎両県にまたがる、霧島山系中の火山群。高千穂峰(東霧島)は標高1574m、韓国岳(西霧島)は1700m。
- 霧島火山 きりしま かざん → 霧島火山帯
- 霧島火山帯 きりしま かざんたい 阿蘇火山を北端とし、桜島・開聞岳・南西諸島を経て台湾北端にいたる火山帯をいった語。琉球火山帯ともいう。
- 大浪池 おおなみいけ 霧島市の北東部。霧島山の西。
- 宮崎 みやざき (2) 宮崎県の南東部、大淀川の下流にまたがる市。県庁所在地。人口36万7千。
- 池田湖 いけだこ 鹿児島県薩摩半島南東部の湖。カルデラ湖。大鰻の生息地。面積11平方km。湖面標高は66m、深さは233m。
- 小浜観音 おはま かんのん
- 竜が岡 りゅうがおか
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- 三之丞 さんのじょう
- 辰子 たつこ
- 藤波 ふじなみ 榛名湖畔の豪家のむすめ。
- 大山祇神 おおやまつみのかみ 山をつかさどる神。伊弉諾尊の子。
- 建御名方命 たけみながたのみこと → 建御名方神
- 建御名方神 たけみなかたのかみ 日本神話で、大国主命の子。国譲りの使者武甕槌命に抗するが敗れ、信濃国の諏訪に退いて服従を誓った。諏訪神社上社はこの神を祀る。
- お妃の命 おきさきのみこと
- 諏訪明神 すわ みょうじん → 建御名方命
- 天照大神 あまてらす おおみかみ 天照大神・天照大御神。伊弉諾尊の女。高天原の主神。皇室の祖神。大日�t貴とも号す。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
- 桐畑太夫 きりばた だゆう
- 佐々木四郎高綱 ささき しろう たかつな → 佐々木高綱
- 佐々木高綱 ささき たかつな ?-1214 鎌倉初期の武士。源頼朝の家人。近江源氏の一族。四郎と称。1180年(治承4)石橋山の戦に殊功を立て、宇治川の戦に梶原景季と先陣を争い、名馬生(いけずき)に乗り第一となる。のち剃髪して高野に入り、西入と号したという。
- フォーレル Forel, Fran�ois Alphonse 1841-1912 フォレル。スイスの湖沼学者。博物学者。ロザンヌ大学教授(1869-95)。レマン(ジュネーヴ)湖を中心として湖沼学的研究をおこない、主著《Le L�man, monographie limnologique, 3巻、1892-1904》を著した。また生態学的区系の分類を創始し、水色標準液、水温、水位分類等に彼の名を残している。その他スイス・アルプスの周期的氷河移動や地震に関する研究もある。
(岩波西洋人名) - ウレー W. Ule ウーレ。
(世界大百科「水色」14-558右) - ウレー W. Ule ウーレ。
◇参照:
*難字、求めよ
- 湖沼 こしょう みずうみとぬま。四方を陸地に囲まれて、海とは直接連絡のない静止した水塊。湖沼学では比較的深いものを湖、比較的浅いものを沼という。
- 湖 みずうみ (
「水海」の意) 周囲を陸地で囲まれ、直接海と連絡のない静止した水塊。ふつうは中央部が沿岸植物の侵入を許さない程度の深度(5〜10m以上)をもつもの。 - 沼 ぬま 湖の小さくて浅いもの。ふつう、水深5m以下で、泥土が多く、フサモ・クロモなどの沈水植物が繁茂する。ぬ。
- ひびれる (1) 皹(ひび)る。
「ひびわれる」に同じ。(2) 罅(ひび)る。ひびがはいる。割れ目ができたり、きずがついたりする。 - アイヌ Ainu (アイヌ語で人間の意) かつては北海道・樺太(サハリン)
・千島列島に居住したが、現在は主として北海道に居住する先住民族。人種の系統は明らかでない。かつては鮭・鱒などの川漁や鹿などの狩猟、野生植物の採集を主とし、一部は海獣猟も行なった。近世以降は松前藩の苛酷な支配や明治政府の開拓政策・同化政策などにより、固有の慣習や文化の多くが失われ、人口も激減したが、近年文化の継承運動が起こり、地位向上をめざす動きが進む。口承による叙事詩ユーカラなどを伝える。 - 大和民族 やまと みんぞく 日本民族に同じ。 → 日本人
- 日本人 にほんじん (1) 日本国に国籍を有する人。日本国民。(2) 人類学的にはモンゴロイドの一つ。皮膚は黄色、虹彩は黒褐色、毛髪は黒色で直毛。言語は日本語。
- 公家 くげ (1) おおやけ。朝廷。朝家。また、主上。天皇。(2) 朝臣。公家衆。←
→武家。(3) (→)公卿 (1) に同じ。 - 公卿 くぎょう (1) 公(太政大臣および左・右大臣)と卿(大・中納言、参議および三位以上の朝官)との併称。上達部。月卿。卿相。月客。俗に「くげ」とも。
- 結願 けちがん
〔仏〕日を定めて催した法会・修法の終了すること。また、その日。けつがん。← →開白。 - 御神渡り おみわたり 冬に湖面が結氷し、氷が割れ目に沿って盛り上がる現象。古来、長野県の諏訪湖では諏訪大社の神が渡ってできたものとされた。
- 暴慢 ぼうまん 粗暴で、人をはばからないこと。
- 町歩 ちょうぶ 田畑や山林の面積を計算するのに町を単位としていう語。
- 人数 にんず (スは呉音シュの転または漢音か)(→)
「にんずう」に同じ。 - なおなお 猶猶・尚尚 (1) それでもやはり。どうしても。(2) ますます。なおさら。(3) なおその上。なおまた付け加えて。
- 面 おも (2) 表面。
- 宇治川の先陣 うじがわの せんじん 1184年(寿永3)木曾義仲が源義経を防いだ宇治川の合戦で、義経勢の佐々木高綱・梶原景季がそれぞれ源頼朝から与えられた名馬生(いけずき)
・磨墨に乗って先陣を争ったこと。 「平家物語」などに描かれる。 - 池月 いけずき 生・生食。(
「池月」とも書く)「宇治川の先陣」参照。 - 汀・渚 みぎわ (
「水際(みぎわ) 」の意) 陸地の、水に接する所。みずぎわ。なぎさ。 - 火口湖 かこうこ 火山の噴火口に水がたまってできた湖。霧島火山の大浪池の類。
- 噴火口 ふんかこう 火山の噴火する口。火口。
- 爆裂火口 ばくれつ かこう 爆発的な火山噴火で火山体の一部が吹き飛ばされて生じた火口。
- 火口原湖 かこうげんこ 火口原の一部に水がたまってできた湖。赤城湖の類。カルデラ湖。
- 中央火口丘 ちゅうおう かこうきゅう 旧火山の火口内またはカルデラ内に新たに小さい噴火が起こって生じた小火山。
- 外輪山 がいりんざん 火山の火口やカルデラが二重またはそれ以上になっている場合の外側の火口縁、またはカルデラの縁。
- 溶岩堰止湖 ようがん えんしこ
- 堰止め湖 せきとめこ 山崩れの土砂や火山の溶岩・泥流が谷や盆地の一部に流れ込み、水をせきとめて生じた湖。植物によってせきとめられる場合もある(例えばビーバー湖・泥炭地の池塘)。堰塞湖。
- 陥没湖 かんぼつこ 地盤の低下・陥没によって形成された湖。断層によってできるものが多く、カルデラ湖もその一種。
- 海跡湖 かいせきこ 海湾の一部が沿岸流・波浪の作用または土地の隆起などのために外海から分離してできた湖。サロマ湖・霞ヶ浦・浜名湖の類。
- 断層 だんそう 地層や岩石に割れ目を生じ、これに沿って両側が互いにずれている現象。ずれかたによって図のように分類する。比喩的にも使う。
- 断層湖 だんそうこ 断層のために生じた陥落地または断層崖に挟まれた地溝帯に水を湛えた湖。
- 氷河 ひょうが 高山の雪線以上のところで凝固した万年雪が、上層の積雪の圧力の増加につれて、氷塊となり、低地に向かって流れ下るもの。流速は、山岳氷河では一般に年50〜400m、海に流れ出る氷河では年1000mを超えるものもある。
- 湖盆 こぼん 湖の水をたたえている陸地のくぼみ。
- 湖岸線 こがんせん
- 湖棚 こほう 湖岸から続いている平坦でゆるい傾斜の棚状の水底の部分。波や湖流による浸食あるいは湖岸の岩や砂が堆積してできる。
- 海棚 かいほう
- 泥炭地 でいたんち 泥炭の堆積している場所。農業上は、排水後なお20cm以上の泥炭層をもつ土地をいう。高位・中間・低位泥炭地に分ける。
- 水沢地 すいたくち
- 水沢 すいたく 水の溜まったさわ。
- 湖棚斜 こほうしゃ
- 湖盆側壁 こぼん そくへき
- 湖底平原 こてい へいげん 湖底の中央部にある最も深く、平坦な部分。
- 漏斗状 ろうとじょう
- 湖底円錐 こてい えんすい
- 漏斗状坑 ろうとじょうこう
- 湖底扇状地 こてい せんじょうち
- 潜窪 せんわ
- 湖盆底質 こぼん ていしつ
- 底質 ていしつ 海底・湖底・河床を構成する堆積物や基盤の岩石。
- 少しく すこしく すこし。わずかに。
- 次成鉱物 じせい こうぶつ 次生鉱物。変質作用または風化作用によって生じた鉱物。二次鉱物。←
→初成鉱物。 - �状褐鉄鉱 じじょう かってっこう (
「�(じ・に) 」はやわらかい魚の卵) - 褐鉄鉱 かってっこう 水酸化鉄から成る鉱石の俗称。化合水を十数%含有して幾分やわらかく、粗鬆多孔質で、50〜55%の鉄分を含む。日本には化学的沈殿でできた沼鉄鉱が多く、しばしば草木などの化石を含む。黄鉄鉱床などが風化作用をうけてできたものもあり、地表の浅い所に産する。鉄の原料鉱石。下水処理などで脱硫剤として用いる。
- 酸化鉄球 さんかてつきゅう
- 藍鉄鉱 らんてっこう 鉄の含水燐酸塩鉱物。単斜晶系の柱状結晶。白色または無色。空気に触れると藍青色に変わる。堆積物中に多い。
- 砂粒 しゃりゅう
- 硅藻骸泥 けいそう がいでい
- 骸泥 がいでい → ユッチャ
- ユッチャ gyttja スウェーデン語で、プランクトンや水生植物に由来する有機物のこと。湿地や湖底で堆積する、暗い色調で軟らかく水分が多い有機物。構成物により粘土ユッチャ、石灰ユッチャなどに区分。
(地学) - 珪藻 けいそう 不等毛植物門珪藻綱の総称。単細胞性。ケイ酸質でできた上下2個の殻が弁当箱のように組み合わさって細胞を覆う構造をもつ。クロロフィルaとcやフコキサンチンなどを含み、金褐色。淡水・海水に生じ、植物性プランクトンを構成する主要な群。約2万種。
- 珪藻土 けいそうど 珪藻の遺骸から成る堆積物。主成分は二酸化ケイ素水化物で、白色・灰白色・黄色など。多孔質で吸水性に富み、軽くてもろい。海底のほかに、湖沼または温泉・溜池にも生ずる。磨き粉・耐火材・吸収剤やダイナマイト製造などに使用。
- 藍藻骸泥 らんそう がいでい
- 藍藻 らんそう 原核生物に属するもっとも原始的な藻類。単細胞性または糸状体。細胞に核・ミトコンドリア・葉緑体などの細胞小器官をもたず、有性生殖を行わない。クロロフィルa・フィコシアニンなどの色素をもち酸素発生型の光合成を行い、藍藻澱粉を合成する。海水・淡水・土壌・温泉・コンクリート表面などに生育。30億年以上前の化石が知られ、現在の地球大気を形成した生物として重要視されている。また、植物細胞がもつ葉緑体の起源生物と考えられている。約2000種。スイゼンジノリ・ネンジュモは食用。アオコは有毒。分裂藻。列藻。藍色植物。藍色細菌。シアノバクテリア。
- 甲殻類骸泥 こうかくるい がいでい
- 甲殻類 こうかくるい 節足動物の一綱。亜門あるいは独立の門とされることもある。体は甲殻で覆われて体節に分かれ、頭・胸・腹の3部が区別できる。背甲が癒合して頭甲あるいは頭胸甲を形成していることが多い。各体節には原則として1対の分節した付属肢がある。触角は2対、その次の付属肢は大顎となる。ほとんどが水生で鰓呼吸する。ミジンコ・フジツボ・アミ・ワラジムシ・エビ・カニなどの類。
- 底質図 ていしつず
- 涵養 かんよう (
「涵」はうるおす意)自然に水がしみこむように徐々に養い育てること。 - 注入河 ちゅうにゅうが
- 湖底排水口 こてい はいすいこう
- 日中変化 にっちゅう へんか
- 年中変化
- 雪渓 せっけい 高山の斜面のくぼみや谷に、夏になってもなお雪がとけずに大きく残ったもの。
- 熱帯湖 ねったいこ (1) 一年を通じて表面水温が摂氏4度以上の湖沼。温帯湖、寒帯湖に対していう。(2) 雨期に水位が高くなる湖沼。
- 温帯湖 おんたいこ 水温による分類では、表面水が夏は摂氏4度以上、冬は摂氏4度以下になるもの。水位による分類では、春は雪どけ、秋は暴風雨によって水位が高く、夏は乾燥期、冬は降雪のため低くなるものをいう。
- 寒帯湖 かんたいこ 湖水の表面水温が一年を通じて摂氏4度以下の湖沼をいう。極地にだけ存在する。
- 量水標 りょうすいひょう 水位を測定する標識。
- 高低表 こうていひょう
- 塵埃 じんあい (1) ちりやほこり。ごみ。
- 波浪 はろう 水面の高低運動。波濤。なみ。
- 進行波 しんこうは 空間内を進行する波。←
→定在波。 - 定常波 ていじょうは
〔理〕(→)定在波に同じ。 - 定在波 ていざいは 波形が媒質中を進行しないで、一定の場所で振動する波。あるいは、波形を変えないで一定速度で伝播する波。定常波。
- 内部定常波 ないぶ ていじょうは
- 表面定常波
- 蒸留水 じょうりゅうすい 蒸留して無機塩類・有機物・含有気体など不純物を取り除いた水。注射液、薬品の調製に用いる。
- 赤色線 せきしょくせん
- 橙黄色線 とうこうしょくせん
- 橙黄色 とうこうしょく 熟したダイダイの実のように、赤みを帯びた黄色。だいだい色。オレンジ色。橙黄。
- 黄色線 こうしょくせん
- 緑色線 りょくしょくせん
- 藍色線 らんしょくせん
- 水色標準液 みずいろ/すいしょく ひょうじゅんえき
- フォーレル氏水色標準液 -し すいしょく ひょうじゅんえき 湖水や海水の色を測るときの基準となる液。硫酸銅とアンモニアを溶解した藍色の水溶液と黄色のクロム酸カリ水溶液との混合の割合によって、一から十一までの階級がある。
- 湖沼学 こしょうがく (limnology) 陸水学の一分科。湖沼の物理化学的および生物学的現象を総合的に研究する学問。
- ウレー氏水色標準液
- 完全する かんぜん する (2) 欠点、不足などの無いようにすること。
- 藍色湖 らんしょくこ
- 褐色湖 かっしょくこ
- 浮遊生物 ふゆう せいぶつ プランクトンのこと。
- プランクトン plankton 水中に浮遊して生活する生物の総称。小型の甲殻類・毛顎類などの動物(動物プランクトン)
、珪藻類・藍藻類・緑藻類などの微小な藻類(植物プランクトン)のほかに、各種の底生動物の幼生(幼生プランクトン)など遊泳力の弱い生物が含まれる。魚類の餌として重要だが、また赤潮を形成する原因ともなる。浮遊生物。
◇参照:
*後記(工作員 日記)
「洞爺湖《どうやこ》」は「洞爺湖《とうやこ》」にした。
「小河原沼」は「小川原沼」にした。現、小川原湖。
「芦の湖」は「芦ノ湖」に、
◇地図参照:
東京、イスタンブール、マドリード。
うち日本とイスタンブールのトルコが地震国。スペインのマドリード近辺で大地震がおこったという記録はまだ見てない。
1531年 ポルトガル、リスボン地震。
1755年11月 リスボン地震。M8.5推定。
1923年9月 関東大震災。M7.9。
1999年8月 トルコ西部地震。1万人以上が死亡。
1999年9月 台湾大地震。M7.7。2000人以上が死亡。
※ Wikipedia 各項目を参照。
2020年オリンピックまであと7年。
*次週予告
第五巻 第三六号
山の科学・湖と沼(二)田中阿歌麿
第五巻 第三六号は、
二〇一三年三月三〇日(土)発行予定です。
月末最終号:無料
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第三五号
山の科学・湖と沼(一)田中阿歌麿
発行:二〇一三年三月二三日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- 第二六号 風立ちぬ(三)堀 辰雄
- 第五巻 第二七号 山の科学・山と川(一)今井半次郎
- 一、山の生まれるまで
- 山の力と人の力
- 地球の誕生
- 山のできたわけ
- (一)地殻のしわ
- (二)しわの山
- 地球の表面
- (一)水の世界と陸の世界
- (二)桑滄(そうそう)の変
- (三)陸地の表面の形
- (四)平原
- (五)高原
- (六)盆地
- (七)段丘
- (八)斜面と崖
- 二、山のいろいろとその形
- 山のいろいろ
- (一)生まれ出た山
- (二)こわれ残った山
- (三)山の高さ
- (四)山の形をあらわす図面
- (ニ)しわの山。 これはすでに前にお話しした、横圧力でできた褶曲山のことです。世界の大きな山脈はたいてい、この褶曲山であることも、ちゃんとおぼえておいでのことと思います。
- (ホ)断層の山。 ところが、地殻のしわも、だんだん強くなると、ついにはそこに割れ目や裂け目のひびができます。青竹を力いっぱい曲げてみると、はじめのうちはだんだん曲がって山ができますが、後にはそのいちばんはりつめた山の頂上のところにひびができ、しまいには竹が折れます。これと同じ理屈で土地もしまいにはその裂け目に沿うて折れて、一方がすべり落ちて食いちがいの形になることがあります。これを「断層」ができたといいます。そして裂け目のところを「断層線」といいます。
- 断層で一方の土地がすべり落ちると、そこは谷となり、残った一方の土地は山となります。これが断層の山です。断層は、ときにいくつもいくつも互いに平行しておこることがあります。このばあいは、階段を平らにしてみたときのように、あるいはレンガ畳の道路がこわれてデコボコになったときのように、いくつもの平行した断層の谷と山とができあがります。
- 断層でできた山は、日本にも外国にも例が多いようです。外国の例でよくひきあいに出されるのは、北アメリカ合衆国にあるシエラネバダ大山脈です。これは比較的たいらな土地におこった断層で、いっぽうが持ちあがり、いっぽうがすべり落ちてできたもので、断層のできたほうはけわしい崖となり、その反対の側はしだいにサクラメント平原にむかって、ゆるやかな傾斜を作っています。
( 「二、山のいろいろとその形(一)生まれ出た山」より)
- 第五巻 第二八号 山の科学・山と川(二)今井半次郎
- 二、山のいろいろとその形
- 山の美しい形
- (一)孤立の山
- (二)連山
- 山をつくる岩
- (一)岩とは何か
- (二)岩の区別
- 水成岩の山
- (一)地層とは何か
- (二)地層のしわ
- (三)化石
- 火成岩の山
- (一)二とおりの火成岩
- (二)火成岩のひび
- (三)岩脈
- 変成岩の山
- (一)岩の変質
- (二)秩父の長瀞
- 山の寿命
- (一)地貌の輪廻
- (二)地球の年齢
- 山の彫刻と破壊
- (一)空気の働き
- (二)水の働き
- (三)生物の働き
- 空気中の水分は雨となって降ってきます。それが岩の目にしみこんで、おそろしい働きをします。その降った雨がこおって氷となると、なおのことです。氷は山の斜面を流れると、いよいよひどく岩をこわします。このように雨や風によって岩が直接けずり取られる働きを、とくに「浸食作用」と名づけます。また、雨や風によって岩がボロボロにこわされることを「風化作用」といいます。
(略) - (ハ)氷の力。 山をこわすもととなるもので、いちばん見のがすことのできないものは氷の力です。水は液体として岩の割れ目にしみこみますが、それが寒さのひどい時季になると氷となります。氷は水のときよりもかさが大きくなりますから、岩の内部をおしつけます。そのために、岩はボロボロに壊れるのです。冬の寒い朝、水道の鉄管の中の水がこおって、あの固い鉄管が破裂するのを見ても想像がつくでしょう。
- 春先、暖かくなってから、山の急な斜面のふもとや崖下などに行って見ると、大小の角ばったゴロ石が新しく積みかさなっているのを見ることがあります。これは、みんな冬のあいだに氷で壊されたのが、おちてできたのです。
- 高山の頂上にあらわれている岩は、とくによく氷で破壊されるもので、その峰はたいていするどくつき立った尖塔状をしています。アルプス山脈のモン・ブラン(白山)の西北にあるシャモニの尖峰などは、そのいい例です。日本アルプスの頂上にも、ところどころイヌの牙のようにとがったところがあります。
( 「山の彫刻と破壊(二)水の働き」より)
- 第五巻 第二九号 山の科学・山と川(三)今井半次郎
- 三、川と谷
- (一)川の形
- (二)河流の浸食
- (三)河水の運搬する働き
- (四)河水の沈殿する働き
- つぎに、川底の岩と河水の浸食するわりあいとを考えてみますと、岩が固ければ固いほど、浸食に手間どることはいうまでもありませんが、川底の岩はどこでも同じ固さを持っているとはかぎりません。また、前にお話ししたように、岩にはたいてい割れ目(節理)が発達していますから、やわらかいところや、割れ目のあるところは多くけずられたり、壊されたりします。そこで川の床には高低さまざまのデコボコができ、水はそのために激して白いしぶきを飛ばします。深くえぐられたところは、よどんで碧い淵となり、木曽の寝覚の床や、秩父の長瀞のような美しい景色をつくります。
- それからまた、ところどころにおもしろい「巨人の釜」
(甌穴)という、丸い深い穴を作ることもあります。この釜穴は川底の岩のくぼんだところや、割れ目に小石がひっかかり、急な流れのために同じ場所でグルグル回転して、錐もみのようにもみこんでできたのです。寝覚の床の釜穴は、その形の完全なので名高く、但馬揖保川の支流の鹿が坪〔鹿ヶ壺〕では、十個ばかりの釜穴が連なってならんでおり、越後田代の七つ釜は材木岩にできた七つの釜穴が続いているので、そういう名がついたのです。このほか、秩父長瀞、日向の都城付近の関尾〔関之尾か〕、日光の含満が淵、三河長篠の滝川などは同じく釜穴で名高いところですが、岩からできた川底で流れが急なところなら、どこにでも一つや二つの釜穴のないところはありません。 ( 「(二)河流の浸食」より)
- 第五巻 第三〇号 菜穂子(一)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第一部
- それから一週間ばかりたった、ある日の午後だった。わたしの別荘の裏の、雑木林の中で自動車の爆音らしいものがおこった。車などの入ってこられそうもないところだのに、誰がそんなところに自動車を乗り入れたのだろう、道でも間違えたのかしらと思いながら、ちょうどわたしは二階の部屋にいたので窓から見おろすと、雑木林の中にはさまってとうとう身動きがとれなくなってしまっている自動車の中から、森さんが一人で降りてこられた。そしてわたしのいる窓のほうをお見上げになったが、ちょうど一本の楡の木の陰になって、むこうではわたしにお気づきにならないらしかった。それに、うちの庭と、いまあの方の立っていらっしゃる場所との間には、薄(すすき)だの、細かい花を咲かせた灌木だのが一面においしげっていた。―
―そのため、間違った道へ自動車を乗り入られたあの方は、わたしの家のすぐ裏の、ついそこまで来ていながら、それらに遮られて、いつまでもこちらへいらっしゃれずにいた。それがわたしには心なしか、なんだかお一人でわたしのところへいらっしゃるのを躊躇なさっていられるようにも思えた。
- 第五巻 第三一号 菜穂子(二)堀 辰雄
- 楡(にれ)の家
- 第二部
- 菜穂子の追記
- (略)……そのときふと、こういう気がわたしにされてきた。じつはそういう人たち―
―いわば純粋な第三者の目に、もっとも生き生きと映(うつ)っているだろうおそらくはしあわせな奥様としてのわたしだけがこの世に実在しているので、なにかと絶えず生の不安におびやかされているわたしのもう一つの姿は、わたしが自分勝手に作り上げている架空の姿にすぎないのではないか。 ……今日、おようさんを見たときから、わたしにそんな考えが萌(きざ)してきだしていたのだと見える。おようさんにはおようさん自身が、どんな姿で感ぜられているか知らない。しかし、わたしにはおようさんは勝ち気な性分で、自分の背負っている運命なんぞはなんでもないと思っているような人に見える。おそらくは誰の目にもそうと見えるにちがいない。そんなふうに、誰の目にもはっきりそうと見えるその人の姿だけがこの世に実在しているのではないか。そうすると、わたしだってもそれは人生なかばにして夫に死別し、その後は多少さびしい生涯だったが、ともかくも二人の子どもを立派に育てあげた堅実な寡婦(かふ) 、 ― ―それだけがわたしの本来の姿で、そのほかの姿、殊にこの手帳に描かれてあるようなわたしの悲劇的な姿なんぞは、ほんの気まぐれな仮象(かしょう)にしかすぎないのだ。この手帳さえなければ、そんなわたしはこの地上から永久に姿を消してしまう。そうだ、こんなものはひと思いに焼いてしまうほかはない。ほんとうに、いますぐにも焼いてしまおう。 …… - それが夕方の散歩から帰ってきたときからの、わたしの決心だったのだ。
- 第五巻 第三二号 菜穂子(三)堀 辰雄
- 菜穂子 一〜十一
- その輝かしい少年の日々は、七つのとき両親を失くした明をひきとって育ててくれた独身者の叔母の小さな別荘のあった信州のO村と、そこですごした数回の夏休みと、その村の隣人であった三村家の人々、
― ―ことに彼と同じ年の菜穂子とがその中心になっていた。明と菜穂子とはよくテニスをしに行ったり、自転車に乗って遠乗りをしてきたりした。が、そのころからすでに、本能的に夢を見ようとする少年と、反対にそれから目醒めようとする少女とが、その村を舞台にして、たがいに見えつ隠れつしながら真剣に鬼ごっこをしていたのだった。そしていつもその鬼ごっこから置きざりにされるのは少年のほうであった。 …… - 「かわいそうな菜穂子。
」それでもときどき彼女は、そんな一人でいい気になっているような自分をあわれむように独り言をいうこともあった。 「おまえがそんなに、おまえのまわりから人々を突き退けて大事そうにかかえこんでいるおまえ自身が、そんなにおまえにはいいのか。これこそ自分自身だと信んじこんで、そんなにしてまで守っていたものが、他日気がついてみたら、いつのまにか空虚だったというような目になんぞ逢ったりするのではないか……」 - 彼女はそういうとき、そんな不本意な考えから自分をそらせるためには、窓の外へ目を持って行きさえすればいいことを知っていた。
- そこでは風がたえず木々の葉をいい匂いをさせたり、濃く淡く葉裏を返したりしながら、ざわめかせていた。
「ああ、あのたくさんの木々。 ……ああ、なんていい香りなんだろう……」
- 第五巻 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄
- 菜穂子 十二〜十八
- 菜穂子はそのお辞儀のしかたを見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから、何かしら自分自身に佯(いつわ)っていた感情のあることを鋭く自覚した。そしてなにかそれを悔いるかのように、いままでにないやわらかな調子で最後の言葉をかけた。
- 「ほんとうにあなたも、ご無理なさらないでね……」
- 「ええ……」明も元気そうに答えながら、最後にもう一度、彼女のほうへ大きい眼をそそいで、扉の外へ出て行った。
- やがて扉の向こうに、明がふたたびはげしく咳こみながら立ち去って行くらしい気配がした。菜穂子は一人になると、さっきから心に滲み出していた後悔らしいものを急にはっきりと感じ出した。
- 第五巻 第三四号 菜穂子(五)堀 辰雄
- 菜穂子 十九〜二十四
- 一丁ほど裏街道を行ったところで、傘をかたむけながらこちらへやってくる一人の雪袴(たっつけ)の女とすれちがった。
- 「まあ、黒川さんじゃありませんか。
」急にその若い女が言葉をかけた。 「どこへいらっしゃるの?」 - 菜穂子はおどろいてふり返った。襟巻(えりまき)ですっかり顔を包み、いかにも土地っ子らしい雪袴姿をした相手は、彼女の病棟付きの看護婦だった。
- 「ちょっとそこまで……」彼女は間(ま)が悪そうに笑顔を上げたが、吹きつける雪のために思わず顔をふせた。
- 「早くお帰りになってね。
」相手は念を押すように言った。 - 菜穂子は顔をふせたまま、黙ってうなずいて見せた。
- それからまた一丁ほど雪を頭から浴びながら歩いて、やっと踏み切りのところまできたとき、菜穂子はよっぽどこのまま療養所へ引き返そうかと思った。彼女はしばらく立ち止まって、目の粗い毛糸の手袋をした手で髪の毛から雪を払い落していたが、ふとさっき、こんな向こう見ずの自分をつかまえてもなんともうるさく言わなかったあの気さくな看護婦が、ロシアの女のように襟巻でクルクルと顔を包んでいたのを思い出すと、自分もそれを真似て襟巻を頭からすっぽりとかぶった。それから彼女は、出逢ったのがほんとうにあの看護婦でよかったと思いながら、ふたたび雪を全身にあびて停車場のほうへ歩き出した。
- 北向きの吹きさらしな停車場は、一方から猛烈に雪をふきつけられるので片側だけ真白になっていた。その建物の陰に駐まっている一台の古自動車も、やはり片側だけ雪にうまっていた。
※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
※ タイトルをクリックすると、月末週無料号(赤で号数表示) はダウンロードを開始、有料号および1MB以上の無料号はダウンロードサイトへジャンプします。(更新の都合上、新刊リンク URL が無効のばあいがあります。ご了承ください)