風立ちぬ(三)
堀 辰雄十一月十七日
わたしはもう二、三日すれば、わたしのノートを書き現在のあるがままの姿? ……わたしはいま、なにかの物語で読んだ「幸福の思い出ほど、幸福をさまたげるものはない」という言葉を思い出している。現在、わたしたちの互いに与えあっているものは、かつて、わたしたちの互いに与えあっていた幸福とは、まあなんと異なったものになってきているだろう! それはそういった幸福に似た、しかしそれとはかなり異なった、もっともっと胸がしめつけられるようにせつないものだ。こういう、ほんとうの姿がまだわたしたちの生の表面にも完全に現われてきていないものを、このままわたしはすぐ追いつめて行って、はたしてそれに、わたしたちの幸福の物語にふさわしいような結末を見い出せるであろうか? なぜだかわからないけれど、わたしがまだはっきりさせることのできずにいるわたしたちの生の側面には、なんとなく、わたしたちのそんな幸福に敵意を持っているようなものがひそんでいるような気もしてならない。
そんなことをわたしは何かおちつかない気持ちで考えながら、明かりを消して、もう寝入っている病人のそばを通りぬけようとして、ふと立ち止まって暗がりの中にそれだけがほの白く浮いている彼女の寝顔をじっと見守った。そのすこし落ちくぼんだ目のまわりがときどきピクピクと
十一月二十日
わたしはこれまで書いてきたノートをすっかり読みかえしてみた。わたしの意図したところは、これならまあどうやら、自分を満足させる程度には書けているように思えた。が、それとは別に、わたしはそれを読み続けている自分自身の
「かわいそうな節子……」と、わたしは机にほうりだしたノートをそのままかたづけようともしないで、考え続けていた。
わたしは、明かりの
「あのような幸福な瞬間をオレたちが持てたということは、それだけでももう、オレたちがこうして共に生きるのに値したのであろうか?」と、わたしは自分自身に問いかけていた。
わたしの背後にふと軽い足音がした。それは節子にちがいなかった。が、わたしはふり向こうともせずに、そのままじっとしていた。彼女もまた何も言わずに、わたしからすこし離れたまま立っていた。しかし、わたしはその息づかいが感ぜられるほど彼女を近ぢかと感じていた。ときおり冷たい風がバルコニーの上をなんの音も立てずに
「なにを考えているの?」とうとう彼女が口を切った。
わたしは、それにはすぐ返事をしないでいた。それから急に彼女のほうへふり向いて、不確かなように笑いながら、
「おまえにはわかっているだろう?」と問い返した。
彼女はなにか
「オレの仕事のことを考えているのじゃないか」と、ゆっくり言い出した。
彼女はわたしに
「だって、どんなことをお書きになったんだかも知らないじゃないの」彼女はやっと小声で言った。
「そうだっけなあ……」とわたしはもう一度、不確かなように笑いながら言った。
わたしたちは部屋の中へもどった。わたしがふたたび明かりのそばに腰をおろして、そこにほうりだしてあるノートをもう一度手に取り上げて見ていると、彼女はそんなわたしの背後に立ったまま、わたしの肩にそっと手をかけながら、それを肩ごしにのぞきこむようにしていた。わたしはいきなりふり向いて、
「おまえはもう寝たほうがいいぜ」と、
「ええ……」彼女はすなおに返事をして、わたしの肩から手をすこしためらいながら
「なんだか寝られそうもないわ」二、三分すると彼女がベッドの中で
「じゃ、明かりを消してやろうか?……オレはもういいのだ」そう言いながら、わたしは明かりを消して立ち上がると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。わたしたちはしばらくそうしたまま、
さっきより風がだいぶ強くなったとみえる。それはあちこちの森からたえず音を引き
「さあ、今度はオレの番か……」そんなことをつぶやきながら、わたしも彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へ入って行った。
十一月二十六日
このごろ、わたしはよく夜の明けかかる時分に目をさます。そんなときは、わたしはしばしばそっと起き上がって、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁やビンなどはだんだん黄ばみかけてきているのに、彼女の顔だけがいつまでもけさも
わたしはその
節子はもう目を覚ましていた。しかし、立ち戻ったわたしを認めても、わたしのほうへは
夜
何も知らずにいたのはわたしだけだったのだ。午前の診察のすんだ後で、わたしは看護婦長に廊下へ呼び出された。そしてわたしははじめて節子が
わたしは、ちょうどあいている隣の病室に、その間だけ引き移っていることにした。わたしはいま、二人で住んでいた部屋にどこからどこまで似た、それでいてぜんぜん見知らないような感じのする部屋の中に、ひとりぼっちで、この日記をつけている。こうしてわたしが数時間前からすわっているのに、どうもまだこの部屋は空虚のようだ。ここにはまるで誰もいないかのように、明かりさえも冷たく光っている。
十一月二十八日
わたしはほとんどできあがっている仕事のノートを、机の上に、すこしも手をつけようとはせずに、ほうりだしたままにしておいてある。それをが、どうしてそれに描いたようなわたしたちのあんなに幸福そうだった状態に、今のようなこんな不安な気持ちのまま、わたし一人で入って行くことができようか?
わたしは毎日、二、三時間おきぐらいに、隣の病室に行き、病人の枕もとにしばらくすわっている。しかし、病人にしゃべらせることは一番よくないので、ほとんどものを言わずにいることが多い。看護婦のいないときにも、二人で黙って手を取りあって、お互いになるたけ目も合わせないようにしている。
が、どうかしてわたしたちがふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるでわたしたちの最初の日々に見せたような、ちょっと気まりの悪そうな
そして彼女は、わたしがかわって彼女の父に手紙を出すことさえ
夜、わたしは遅くまで何もしないで机に向かったまま、バルコニーの上に落ちている明かりの影が窓を離れるにつれてだんだん
十二月一日
このごろになって、どうしたのか、わたしの明かりを夜、そんな
今夜もそんな蛾が一匹、とうとう部屋の中へ飛びこんできて、わたしの向かっている明かりのまわりを、さっきから
わたしは異様な
十二月五日
夕方、わたしたちは二人きりでいた。付き「あら、お父さま」と、かすかにさけんだ。
わたしはおもわずギクリとしながら、彼女のほうへ顔をあげた。わたしは、彼女の目がいつになく
「いま、なにか言ったかい?」と
彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目はいっそう
「あの低い山の左のはしに、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと、思いきったようにベッドから手でそのほうをちょっとさして、それからなんだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引き出しでもするように、その
その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その
「もう消えていくわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
そのときやっとわたしは、その父の額らしい
が、一瞬間の後には、
「おまえ、家へ帰りたいのだろう?」わたしはついと心に浮かんだ最初の言葉を、おもわずも口に出した。
そのあとですぐわたしは、不安そうに節子の目を求めた。彼女はほとんどすげないような目つきでわたしを見つめ返していたが、急にその目をそらせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞こえるか聞こえないくらいな、かすれた声で言った。
わたしは
わたしの背後で、彼女がすこし
わたしは窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々の
高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、
部屋の中までもう薄暗くなっていた。
死のかげの谷
一九三六年十二月一日 K・・村にて
ほとんど三年半ぶりで見るこの村は、もうすっかり雪にわたしの借りた小屋は、その村からすこし北へ入った、ある小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、
それからわたしは、なかば雪に
夕方、食事の
十二月二日
どこか北のほうの山がしきりにそんな谷のたえず変化する光景を窓のところに行ってちょっとながめやっては、またすぐ
昼ごろ、風呂敷包みを
そのまま夜になった。一人で冷たい食事をすませてしまうと、わたしの気持ちもいくぶんおちついてきた。雪はたいしたことにならずにやんだようだが、そのかわり風が出はじめていた。火がすこしでも衰えて音をしずめると、その
それから一時間ばかり後、わたしは
十二月五日
この数日、言いようもないほどよい天気だ。朝のうちはベランダいっぱいに日がさしこんでいて、風もなく、とても暖かだ。けさなどはとうとうそのベランダに小さな卓や「おい、来てごらん、キジが来ているぞ」
わたしはあたかもおまえが小屋の中に
そのとたん、どこかの小屋で、屋根の雪がドオッと谷じゅうに響きわたるような音を立てながら
午後、わたしははじめて谷の小屋をおりて、雪の中に埋まった村をひとまわりした。夏から秋にかけてしかこの村を知っていないわたしには、いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、
十二月七日
集会堂のかたわらの、それはやはりどうも、自分の聞き違えだったようにわたしにも思われてきた。が、それよりも先に、そのあたりの
けれども、そんな三年前の夏の、この村でわたしの持っていたすべての物がすでに失われて、いまの自分に何一つ残ってはいないことを、わたしがほんとうに知ったのもそれといっしょだった。
十二月十日
この数日、どういうものか、おまえがちっとも生き生きとわたしによみがえってこない。そうしてときどき、こうして孤独でいるのがわたしにはほとんどたまらないように思われる。朝なんぞ、また午後など、すこし村でも歩いてこようと思って、谷を下りてゆくと、このごろは
十二月十二日
夕方、「今年はもう二、三日うちにしめますそうで―
「そんな冬でも、この村に信者はあるんですか?」とわたしは
「ほとんどいらっしゃいませんが。
わたしたちがそんな立ち話をしだしているところへ、ちょうど外出先からそのドイツ人だとかいう神父が帰ってきた。今度はわたしがその日本語をまだじゅうぶん理解しない、しかし人なつこそうな神父につかまって、なにかと
十二月十三日、日曜日
朝の九時ごろ、わたしは何を求めるでもなしにその教会へ行った。小さなロウソクの火のともった祭壇の前で、もう神父が一人のそれからも小一時間ばかりミサは続いていた。その終わりかけるころ、その婦人がふいとハンカチを取りだして顔にあてがったのをわたしは認めた。しかしそれはなんのためだか、わたしにはわからなかった。そのうちにやっとミサがすんだらしく、神父は信者席のほうへは振り向かずに、そのまま
それはうす
そうしてハアハアと息を切らしながら、思わずベランダの床板に腰をおろしていると、そのとき不意とそんなムシャクシャしたわたしに寄り
「もう、お食事のしたくができておりますが―
小屋の中から、もうさっきからわたしの帰りを待っていたらしい村の娘が、そうわたしを食事に呼んだ。わたしはフッと
夕方近く、わたしはなんだかまだイライラしたような気分のままその娘を帰してしまったが、それからしばらくすると、そのことをいくぶん後悔しだしながら、ふたたびなんということもなしにベランダに出て行った。そうしてまたさっきのように(しかし今度はおまえなしに……)ぼんやりとまだだいぶ雪の残っている谷間を見下ろしていると、ゆっくり
十二月十四日
きのう夕方、神父と約束をしたので、わたしは教会へたずねて行った。あす教会をそう妙にちぐはぐになったわたしたちの会話は、それからはますます
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」神父がいかにも
「ほんとうに、こういう風のある、寒い日でなければ……」と、わたしはオウムがえしに返事をしながら、神父のいま
一時間ばかりそうやって神父のところにいてから、わたしが小屋に帰ってみると、小さな小包みが届いていた。ずっと前から注文してあったリルケの『
夜、すっかりもう寝るばかりに
十二月十七日
また雪になった。けさからほとんど- わたしは死者たちを持っている、そして彼らを立ち去るがままにさせてあるが、
- 彼らが
噂 とは似つかず、非常に確信的で、 - 死んでいることにもすぐ
慣 れ、すこぶる快活であるらしいのに - 驚いているくらいだ。ただ、おまえ―
―おまえだけは帰って - 来た。おまえはわたしをかすめ、まわりをさまよい、何物かに
衝 きあたる、そしてそれが、おまえのために音を立てて、- おまえを裏切るのだ。おお、わたしが
手間 をかけて学んで得たものを- わたしから取り
除 けてくれるな。正しいのはわたしで、おまえが間違っているのだ、- もしか、おまえが誰かの事物に
郷愁 をもよおしているのだったら。われわれはその事物を目の前にしていても、- それは、ここにあるのではない。われわれがそれを知覚すると同時に
- その事物を、われわれの存在から反映させているきりなのだ。
十二月十八日
ようやく雪がやんだので、わたしはこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へと入って行ってみた。ときどき、どこかの木からドオッと音を立ててひとりでにしかしどこまで行っても、その林はつきず、それにまた
わたしはそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林をおりて行った。そうしてわたしは何か胸をしめつけられるような気持ちになりながら、きのう
- 帰っていらっしゃるな。そうしてもし、おまえに
我慢 できたら、 - 死者たちのあいだに死んでおいで。死者にもたんと仕事はある。
- けれどもわたしに助力はしておくれ、おまえの気を
散 らさない程度で、 - しばしば遠くのものが、わたしに助力をしてくれるように―
―わたしの 裡 で。
十二月二十四日
夜、村の娘の家に九時ごろ、わたしはその村から、雪明かりのした谷陰をひとりで帰ってきた。そうして最後の
やっとその小屋まで登りつめると、わたしはそのままベランダに立って、いったいこの小屋の明かりは谷のどのくらいを明かるませているのか、もう一度見てみようとした。が、そうやって見ると、その明かりは小屋のまわりにほんのわずかな光を投げているにすぎなかった。そうして、そのわずかな光も小屋を離れるにつれてだんだん
「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、ここで見ると、たったこれっきりなのか」と、わたしはなんだか気のぬけたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明かりの影を見つめているうちに、ふと、こんな考えが浮かんできた。
そんな思いがけない考えが、わたしをいつまでもその雪明かりのしている寒いベランダの上に立たせていた。
十二月三十日
ほんとうに静かな晩だ。わたしは今夜も、こんな考えがひとりでに心に浮かんでくるがままにさせていた。「オレは
そんなことを考え続けているうちに、わたしはふとなにか思い立ったように立ち上がりながら、小屋の外へ出て行った。そうしていつものようにベランダに立つと、ちょうどこの谷と背中あわせになっているかと思われるようなあたりでもって、風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞こえてくる。それからわたしはそのままベランダに、あたかもそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、それに耳を傾けながら立ち続けていた。わたしの前方によこたわっているこの谷のすべてのものは、最初のうちはただ雪明かりにうっすらと明るんだままひとかたまりになってしか見えずにいたが、そうやってしばらくわたしが見るともなく見ているうちに、それがだんだん目に
底本:
1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:
1977(昭和52)年5月28日初版第1刷発行
初出:
「序曲」:
「春」:
「風立ちぬ」:
「冬」:
「死のかげの谷」:
初収単行本:
※底本の親本の筑摩全集版は、野田書房版による。初出情報は、
入力:kompass
校正:浅原庸子
2003年12月29日作成
2004年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
風立ちぬ(三)
堀辰雄-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)薄《すすき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八ヶ岳|山麓《さんろく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#アステリズム、1-12-94]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Le vent se le've, il faut tenter de vivre.〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#地から1字上げ]十一月十七日
私はもう二三日すれば私のノオトを書き了《お》えられるだろう。それは私達自身のこうした生活に就いて書いていれば切りがあるまい。それをともかくも一応書き了えるためには、私は何か結末を与えなければならないのだろうが、今もなおこうして私達の生き続けている生活にはどんな結末だって与えたくはない。いや、与えられはしないだろう。寧《むし》ろ、私達のこうした現在のあるがままの姿でそれを終らせるのが一番好いだろう。
現在のあるがままの姿? ……私はいま何かの物語で読んだ「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という言葉を思い出している。現在、私達の互に与え合っているものは、嘗《かつ》て私達の互に与え合っていた幸福とはまあ何んと異ったものになって来ているだろう! それはそう云った幸福に似た、しかしそれとはかなり異った、もっともっと胸がしめつけられるように切ないものだ。こういう本当の姿がまだ私達の生の表面にも完全に現われて来ていないものを、このまま私はすぐ追いつめて行って、果してそれに私達の幸福の物語に相応《ふさわ》しいような結末を見出せるであろうか? なぜだか分らないけれど、私がまだはっきりさせることの出来ずにいる私達の生の側面には、何んとなく私達のそんな幸福に敵意をもっているようなものが潜んでいるような気もしてならない。……
そんなことを私は何か落着かない気持で考えながら、明りを消して、もう寝入っている病人の側を通り抜けようとして、ふと立ち止まって暗がりの中にそれだけがほの白く浮いている彼女の寝顔をじっと見守った。その少し落ち窪んだ目のまわりがときどきぴくぴくと痙攣《ひっつ》れるようだったが、私にはそれが何物かに脅かされてでもいるように見えてならなかった。私自身の云いようもない不安がそれを唯そんな風に感じさせるに過ぎないであろうか?
[#地から1字上げ]十一月二十日
私はこれまで書いて来たノオトをすっかり読みかえして見た。私の意図したところは、これならまあどうやら自分を満足させる程度には書けているように思えた。
が、それとは別に、私はそれを読み続けている自分自身の裡《うち》に、その物語の主題をなしている私達自身の「幸福」をもう完全には味わえそうもなくなっている、本当に思いがけない不安そうな私の姿を見出しはじめていた。そうして私の考えはいつかその物語そのものを離れ出していた。「この物語の中のおれ達はおれ達に許されるだけのささやかな生の愉《たの》しみを味わいながら、それだけで独自《ユニイク》にお互を幸福にさせ合えると信じていられた。少くともそれだけで、おれはおれの心を縛りつけていられるものと思っていた。――が、おれ達はあんまり高く狙い過ぎていたのであろうか? そうして、おれはおれの生の欲求を少し許《ばか》り見くびり過ぎていたのであろうか? そのために今、おれの心の縛がこんなにも引きちぎられそうになっているのだろうか?……」
「可哀そうな節子……」と私は机にほうり出したノオトをそのまま片づけようともしないで、考え続けていた。「こいつはおれ自身が、気づかぬようなふりをしていたそんなおれの生の欲求を沈黙の中に見抜いて、それに同情を寄せているように見えてならない。そしてそれが又こうしておれを苦しめ出しているのだ。……おれはどうしてこんなおれの姿をこいつに隠し了《おお》せることが出来なかったのだろう? 何んておれは弱いのだろうなあ……」
私は、明りの蔭になったベッドにさっきから目を半ばつぶっている病人に目を移すと、殆ど息づまるような気がした。私は明りの側を離れて、徐《しず》かにバルコンの方へ近づいて行った。小さな月のある晩だった。それは雲のかかった山だの、丘だの、森などの輪廓《りんかく》をかすかにそれと見分けさせているきりだった。そしてその他の部分は殆どすべて鈍い青味を帯びた闇の中に溶け入っていた。しかし私の見ていたものはそれ等のものではなかった。私は、いつかの初夏の夕暮に二人で切ないほどな同情をもって、そのまま私達の幸福を最後まで持って行けそうな気がしながら眺め合っていた、まだその何物も消え失せていない思い出の中の、それ等の山や丘や森などをまざまざと心に蘇《よみがえ》らせていたのだった。そして私達自身までがその一部になり切ってしまっていたようなそういう一瞬時の風景を、こんな具合にこれまでも何遍となく蘇らせたので、それ等のものもいつのまにか私達の存在の一部分になり、そしてもはや季節と共に変化してゆくそれ等のものの、現在の姿が時とすると私達には殆ど見えないものになってしまう位であった。……
「あのような幸福な瞬間をおれ達が持てたということは、それだけでももうおれ達がこうして共に生きるのに値したのであろうか?」と私は自分自身に問いかけていた。
私の背後にふと軽い足音がした。それは節子にちがいなかった。が、私はふり向こうともせずに、そのままじっとしていた。彼女もまた何も言わずに、私から少し離れたまま立っていた。しかし、私はその息づかいが感ぜられるほど彼女を近ぢかと感じていた。ときおり冷たい風がバルコンの上をなんの音も立てずに掠《かす》め過ぎた。何処か遠くの方で枯木が音を引きむしられていた。
「何を考えているの?」とうとう彼女が口を切った。
私はそれにはすぐ返事をしないでいた。それから急に彼女の方へふり向いて、不確かなように笑いながら、
「お前には分っているだろう?」と問い返した。
彼女は何か罠《わな》でも恐れるかのように注意深く私を見た。それを見て、私は、
「おれの仕事のことを考えているのじゃないか」とゆっくり言い出した。「おれにはどうしても好い結末が思い浮ばないのだ。おれはおれ達が無駄に生きていたようにはそれを終らせたくはないのだ。どうだ、一つお前もそれをおれと一しょに考えて呉れないか?」
彼女は私に微笑《ほほえ》んで見せた。しかし、その微笑みはどこかまだ不安そうであった。
「だってどんな事をお書きになったんだかも知らないじゃないの」彼女は漸《や》っと小声で言った。
「そうだっけなあ」と私はもう一度不確かなように笑いながら言った。「それじゃあ、そのうちに一つお前にも読んで聞かせるかな。しかしまだ、最初の方だって人に読んで聞かせるほど纏《まと》まっちゃいないんだからね」
私達は部屋の中へ戻った。私が再び明りの側に腰を下ろして、其処にほうり出してあるノオトをもう一度手に取り上げて見ていると、彼女はそんな私の背後に立ったまま、私の肩にそっと手をかけながら、それを肩越しに覗き込むようにしていた。私はいきなりふり向いて、
「お前はもう寝た方がいいぜ」と乾いた声で言った。
「ええ」彼女は素直に返事をして、私の肩から手を少しためらいながら放すと、ベッドに戻って行った。
「なんだか寝られそうもないわ」二三分すると彼女がベッドの中で独り言のように言った。
「じゃ、明りを消してやろうか?……おれはもういいのだ」そう言いながら、私は明りを消して立ち上ると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。私達はしばらくそうしたまま、暗《やみ》の中に黙り合っていた。
さっきより風がだいぶ強くなったと見える。それはあちこちの森から絶えず音を引き※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いでいた。そしてときどきそれをサナトリウムの建物にぶっつけ、どこかの窓をばたばた鳴らしながら、一番最後に私達の部屋の窓を少しきしらせた。それに怯《おび》えでもしているかのように、彼女はいつまでも私の手をはなさないでいた。そうして目をつぶったまま、自分の裡《うち》の何かの作用《はたらき》に一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手が少し緩んできた。彼女は寝入ったふりをし出したらしかった。
「さあ、今度はおれの番か……」そんなことを呟きながら、私も彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へはいって行った。
[#地から1字上げ]十一月二十六日
この頃、私はよく夜の明けかかる時分に目を覚ます。そんなときは、私は屡々《しばしば》そっと起き上って、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁や壜《びん》などはだんだん黄ばみかけて来ているのに、彼女の顔だけがいつまでも蒼白い。「可哀そうな奴だなあ」それが私の口癖にでもなったかのように自分でも知らずにそう言っているようなこともある。
けさも明け方近くに目を覚ました私は、長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、爪先き立って部屋を抜け出し、サナトリウムの裏の、裸過ぎる位に枯れ切った林の中へはいって行った。もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、それが風に抗《あらが》っているきりだった。私がその空虚な林を出はずれた頃には、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に低く垂れたまま動こうともしないでいる雲の塊りを、見るまに赤あかと赫《かがや》かせはじめていた。が、そういう曙《あけぼの》の光も地上にはまだなかなか届きそうになかった。それらの山々の間に挟まれている冬枯れた森や畑や荒地は、今、すべてのものから全く打ち棄てられてでもいるような様子を見せていた。
私はその枯木林のはずれに、ときどき立ち止まっては寒さに思わず足踏みしながら、そこいらを歩き廻っていた。そうして何を考えていたのだか自分でも思い出せないような考えをとつおいつしていた私は、そのうち不意に頭を上げて、空がいつのまにか赫きを失った暗い雲にすっかり鎖《とざ》されているのを認めた。私はそれに気がつくと、ついさっきまでそれをあんなにも美しく焼いていた曙の光が地上に届くのをそれまで心待ちにしてでもいたかのように、急になんだか詰まらなそうな恰好《かっこう》をして、足早にサナトリウムに引返して行った。
節子はもう目を覚ましていた。しかし立ち戻った私を認めても、私の方へは物憂げにちらっと目を上げたきりだった。そしてさっき寝ていたときよりも一層蒼いような顔色をしていた。私が枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻しようとすると、彼女は弱々しく首を振った。私はなんにも訊《き》かずに、悲しそうに彼女を見ていた。が、彼女はそんな私をと云うよりも、寧《むし》ろ、そんな私の悲しみを見まいとするかのように、ぼんやりした目つきで空《くう》を見入っていた。
夜
何も知らずにいたのは私だけだったのだ。午前の診察の済んだ後で、私は看護婦長に廊下へ呼び出された。そして私ははじめて節子がけさ私の知らない間に少量の喀血《かっけつ》をしたことを聞かされた。彼女は私にはそれを黙っていたのだ。喀血は危険と云う程度ではないが、用心のためにしばらく附添看護婦をつけて置くようにと、院長が言い付けて行ったというのだ。――私はそれに同意するほかはなかった。
私は丁度空いている隣りの病室に、その間だけ引き移っていることにした。私はいま、二人で住んでいた部屋に何処から何処まで似た、それでいて全然見知らないような感じのする部屋の中に、一人ぼっちで、この日記をつけている。こうして私が数時間前から坐っているのに、どうもまだこの部屋は空虚のようだ。此処にはまるで誰もいないかのように、明りさえも冷たく光っている。
[#地から1字上げ]十一月二十八日
私は殆ど出来上っている仕事のノオトを、机の上に、少しも手をつけようとはせずに、ほうり出したままにして置いてある。それを仕上げるためにも、しばらく別々に暮らした方がいいのだと云うことを病人には云い含めて置いたのだ。
が、どうしてそれに描いたような私達のあんなに幸福そうだった状態に、今のようなこんな不安な気持のまま、私一人ではいって行くことが出来ようか?
私は毎日、二三時間|隔《お》きぐらいに、隣りの病室に行き、病人の枕もとにしばらく坐っている。しかし病人に喋舌《しゃべ》らせることは一番好くないので、殆んどものを言わずにいることが多い。看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互になるたけ目も合わせないようにしている。
が、どうかして私達がふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるで私達の最初の日々に見せたような、一寸気まりの悪そうな微笑《ほほえ》み方を私にして見せる。が、すぐ目を反らせて、空《くう》を見ながら、そんな状態に置かれていることに少しも不平を見せずに、落着いて寝ている。彼女は一度私に仕事は捗《はかど》っているのかと訊いた。私は首を振った。そのとき彼女は私を気の毒がるような見方をして見た。が、それきりもう私にそんなことは訊かなくなった。そして一日は、他の日に似て、まるで何事もないかのように物静かに過ぎる。
そして彼女は私が代って彼女の父に手紙を出すことさえ拒んでいる。
夜、私は遅くまで何もしないで机に向ったまま、バルコンの上に落ちている明りの影が窓を離れるにつれてだんだん幽《かす》かになりながら、暗《やみ》に四方から包まれているのを、あたかも自分の心の裡さながらのような気がしながら、ぼんやりと見入っている。ひょっとしたら病人もまだ寝つかれずに、私のことを考えているかも知れないと思いながら……
[#地から1字上げ]十二月一日
この頃になって、どうしたのか、私の明りを慕ってくる蛾がまた殖え出したようだ。
夜、そんな蛾がどこからともなく飛んで来て、閉め切った窓硝子《まどガラス》にはげしくぶつかり、その打撃で自ら傷つきながら、なおも生を求めてやまないように、死に身になって硝子に孔《あな》をあけようと試みている。私がそれをうるさがって、明りを消してベッドにはいってしまっても、まだしばらく物狂わしい羽搏《はばた》きをしているが、次第にそれが衰え、ついに何処かにしがみついたきりになる。そんな翌朝、私はかならずその窓の下に、一枚の朽ち葉みたいになった蛾の死骸を見つける。
今夜もそんな蛾が一匹、とうとう部屋の中へ飛び込んで来て、私の向っている明りのまわりをさっきから物狂わしくくるくると廻っている。やがてばさりと音を立てて私の紙の上に落ちる。そしていつまでもそのまま動かずにいる。それからまた自分の生きていることを漸《や》っと思い出したように、急に飛び立つ。自分でももう何をしているのだか分らずにいるのだとしか見えない。やがてまた、私の紙の上にばさりと音を立てて落ちる。
私は異様な怖れからその蛾を逐《お》いのけようともしないで、かえってさも無関心そうに、自分の紙の上でそれが死ぬままにさせて置く。
[#地から1字上げ]十二月五日
夕方、私達は二人きりでいた。附添看護婦はいましがた食事に行った。冬の日は既に西方の山の背にはいりかけていた。そしてその傾いた日ざしが、だんだん底冷えのしだした部屋の中を急に明るくさせ出した。私は病人の枕もとで、ヒイタアに足を載せながら、手にした本の上に身を屈《かが》めていた。そのとき病人が不意に、
「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
私は思わずぎくりとしながら彼女の方へ顔を上げた。私は彼女の目がいつになく赫《かがや》いているのを認めた。――しかし私はさりげなさそうに、今の小さな叫びが耳にはいらなかったらしい様子をしながら、
「いま何か言ったかい?」と訊《き》いて見た。
彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先きを辿《たど》りながら私にもすぐ分ったが、唯そこいらへんには斜めな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞《やまひだ》しか私には認められなかった。
「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
そのとき漸《や》っと私はその父の額らしい山襞を認めることが出来た。それは父のがっしりとした額を私にも思い出させた。「こんな影にまで、こいつは心の裡《うち》で父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる……」
が、一瞬間の後には、暗《やみ》がその低い山をすっかり満たしてしまった。そしてすべての影は消えてしまった。
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。
そのあとですぐ私は不安そうに節子の目を求めた。彼女は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
私は脣《くちびる》を噛んだまま、目立たないようにベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
私の背後で彼女が少し顫声《ふるえごえ》で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」
私は窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々の麓《ふもと》にはもう暗《やみ》が塊まっていた。しかし山頂にはまだ幽《かす》かに光が漂っていた。突然|咽《のど》をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駈けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗《あらが》おうとしなかった。
高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。……そうして私は何んでもないのにそんなに怯《おび》え切っている私自身を反って子供のように感ぜずにはいられなかった。私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。病人の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら……
部屋の中までもう薄暗くなっていた。
死のかげの谷
[#地から1字上げ]一九三六年十二月一日 K・・村にて
殆ど三年半ぶりで見るこの村は、もうすっかり雪に埋まっていた。一週間ばかりも前から雪がふりつづいていて、けさ漸《や》っとそれが歇《や》んだのだそうだ。炊事の世話を頼んだ村の若い娘とその弟が、その男の子のらしい小さな橇《そり》に私の荷物を載せて、これからこの冬を其処で私の過ごそうという山小屋まで、引き上げて行ってくれた。その橇のあとに附いてゆきながら、途中で何度も私は滑りそうになった。それほどもう谷かげの雪はこちこちに凍《し》みついてしまっていた。……
私の借りた小屋は、その村からすこし北へはいった、或小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、――なんでもそれらの別荘の一番はずれになっている筈だった。其処に夏を過ごしに来る外人たちがこの谷を称して幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]と云っているとか。こんな人けの絶えた、淋しい谷の、一体どこが幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]なのだろう、と私は今はどれもこれも雪に埋もれたまんま見棄てられているそう云う別荘を一つ一つ見過ごしながら、その谷を二人のあとから遅れがちに登って行くうちに、ふいとそれとは正反対の谷の名前さえ自分の口を衝《つ》いて出そうになった。私はそれを何かためらいでもするようにちょっと引っ込めかけたが、再び気を変えてとうとう口に出した。死のかげの谷[#「死のかげの谷」に傍点]。……そう、よっぽどそう云った方がこの谷には似合いそうだな、少くともこんな冬のさなか、こういうところで寂しい鰥暮《やもめぐ》らしをしようとしているおれにとっては。――と、そんな事を考え考え、漸っと私の借りる一番最後の小屋の前まで辿り着いてみると、申しわけのように小さなヴェランダの附いた、その木皮葺《きはだぶ》きの小屋のまわりには、それを取囲んだ雪の上になんだか得体の知れない足跡が一ぱい残っている。姉娘がその締め切られた小屋の中へ先きにはいって雨戸などを明けている間、私はその小さな弟からこれは兎これは栗鼠《りす》、それからこれは雉子《きじ》と、それらの異様な足跡を一々教えて貰っていた。
それから私は、半ば雪に埋もれたヴェランダに立って、周囲を眺めまわした。私達がいま上って来た谷陰は、そこから見下ろすと、いかにも恰好《かっこう》のよい小ぢんまりとした谷の一部分になっている。ああ、いましがた例の橇に乗って一人だけ先きに帰っていった、あの小さな弟の姿が、裸の木と木との間から見え隠れしている。その可哀らしい姿がとうとう下方の枯木林の中に消えてしまうまで見送りながら、一わたりその谷間を見畢《みおわ》った時分、どうやら小屋の中も片づいたらしいので、私ははじめてその中にはいって行った。壁まですっかり杉皮が張りつめられてあって、天井も何もない程の、思ったよりも粗末な作りだが、悪い感じではなかった。すぐ二階にも上って見たが、寝台から椅子と何から何まで二人分ある。丁度お前と私とのためのように。――そう云えば、本当にこう云ったような山小屋で、お前と差し向いの寂しさで暮らすことを、昔の私はどんなに夢見ていたことか!……
夕方、食事の支度が出来ると、私はそのまますぐ村の娘を帰らせた。それから私は一人で煖炉《だんろ》の傍に大きな卓子を引き寄せて、その上で書きものから食事一切をすることに極めた。その時ひょいと頭の上に掛かっている暦がいまだに九月のままになっているのに気がついて、それを立ち上がって剥《は》がすと、きょうの目附のところに印をつけて置いてから、さて、私は実に一年ぶりでこの手帳を開いた。
[#地から1字上げ]十二月二日
どこか北の方の山がしきりに吹雪いているらしい。きのうなどは手に取るように見えていた浅間山も、きょうはすっかり雪雲に掩《おお》われ、その奥でさかんに荒れていると見え、この山麓《さんろく》の村までその巻添えを食らって、ときどき日が明るく射しながら、ちらちらと絶えず雪が舞っている。どうかして不意にそんな雪の端が谷の上にかかりでもすると、その谷を隔てて、ずっと南に連った山々のあたりにはくっきりと青空が見えながら、谷全体が翳《かげ》って、ひとしきり猛烈に吹雪く。と思うと、又ぱあっと日があたっている。……
そんな谷の絶えず変化する光景を窓のところに行ってちょっと眺めやっては、又すぐ煖炉《だんろ》の傍に戻って来たりして、そのせいでか、私はなんとなく落着かない気持で一日じゅうを過ごした。
昼頃、風呂敷包を背負った村の娘が足袋《たび》跣《はだ》しで雪の中をやって来てくれた。手から顔まで霜焼けのしているような娘だが、素直そうで、それに無口なのが何よりも私には工合が好い。又きのうのように食事の用意だけさせて置いて、すぐに帰らせた。それから私はもう一日が終ってしまったかのように、煖炉の傍から離れないで、何もせずにぼんやりと、焚木《たきぎ》がひとりでに起る風に煽《あお》られつつぱちぱちと音を立てながら燃えるのを見守っていた。
そのまま夜になった。一人で冷めたい食事をすませてしまうと、私の気持もいくぶん落着いてきた。雪は大した事にならずに止んだようだが、そのかわり風が出はじめていた。火が少しでも衰えて音をしずめると、その隙々に、谷の外側でそんな風が枯木林から音を引き※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いでいるらしいのが急に近ぢかと聞えて来たりした。
それから一時間ばかり後、私は馴れない火にすこし逆上《のぼ》せたようになって、外気にあたりに小屋を出た。そうしてしばらく真っ暗な戸外を歩き廻っていたが、やっと顔が冷え冷えとしてきたので、再び小屋にはいろうとしかけながら、その時はじめて中から洩れてくる明りで、いまもなお絶えず細かい雪が舞っているのに気がついた。私は小屋にはいると、すこし濡れた体を乾かしに、再び火の傍に寄って行った。が、そうやって又火にあたっているうちに、いつしか体を乾かしている事も忘れたようにぼんやりとして、自分の裡《うち》に或る追憶を蘇《よみがえ》らせていた。それは去年のいま頃、私達のいた山のサナトリウムのまわりに、丁度今夜のような雪の舞っている夜ふけのことだった。私は何度もそのサナトリウムの入口に立っては、電報で呼び寄せたお前の父の来るのを待ち切れなさそうにしていた。やっと真夜中近くになって父は着いた。しかしお前はそういう父をちらりと見ながら、脣《くちびる》のまわりにふと微笑ともつかないようなものを漂わせたきりだった。父は何も云わずにそんなお前の憔悴《しょうすい》し切った顔をじっと見守っていた。そうしてはときおり私の方へいかにも不安そうな目を向けた。が、私はそれには気がつかないようなふりをして、唯、お前の方ばかりを見るともなしに見やっていた。そのうちに突然お前が何か口ごもったような気がしたので、私がお前の傍に寄ってゆくと、殆ど聞えるか聞えない位の小さな声で、「あなたの髪に雪がついているの……」とお前は私に向って云った。――いま、こうやって一人きりで火の傍にうずくまりながら、ふいと蘇ったそんな思い出に誘われるようにして、私が何んの気なしに自分の手を頭髪に持っていって見ると、それはまだ濡れるともなく濡れていて、冷めたかった。私はそうやって見るまで、それには少しも気がつかずにいた。……
[#地から1字上げ]十二月五日
この数日、云いようもないほどよい天気だ。朝のうちはヴェランダ一ぱいに日が射し込んでいて、風もなく、とても温かだ。けさなどはとうとうそのヴェランダに小さな卓や椅子を持ち出して、まだ一面に雪に埋もれた谷を前にしながら、朝食をはじめた位だ。本当にこうして一人っきりでいるのはなんだか勿体《もったい》ないようだ、と思いながら朝食に向っているうち、ひょいとすぐ目の前の枯れた灌木《かんぼく》の根もとへ目をやると、いつのまにか雉子《きじ》が来ている。それも二羽、雪の中に餌をあさりながら、ごそごそと歩きまわっている……
「おい、来て御覧、雉子が来ているぞ」
私は恰《あたか》もお前が小屋の中に居でもするかのように想像して、声を低めてそう一人ごちながら、じっと息をつめてその雉子を見守っていた。お前がうっかり足音でも立てはしまいかと、それまで気づかいながら……
その途端、どこかの小屋で、屋根の雪がどおっと谷じゅうに響きわたるような音を立てながら雪崩《なだ》れ落ちた。私は思わずどきりとしながら、まるで自分の足もとからのように二羽の雉子が飛び立ってゆくのを呆気にとられて見ていた。そのとき殆ど同時に、私は自分のすぐ傍に立ったまま、お前がそういう時の癖で、何も言わずに、ただ大きく目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りながら私をじっと見つめているのを、苦しいほどまざまざと感じた。
午後、私ははじめて谷の小屋を下りて、雪の中に埋まった村を一周りした。夏から秋にかけてしかこの村を知っていない私には、いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、釘づけになった小屋だのが、どれもこれも見覚えがありそうでいて、どうしてもその以前の姿を思い出されなかった。昔、私が好んで歩きまわった水車の道[#「水車の道」に傍点]に沿って、いつか私の知らない間に、小さなカトリック教会さえ出来ていた。しかもその美しい素木造《しらきづく》りの教会は、その雪をかぶった尖《とが》った屋根の下から、すでにもう黒ずみかけた壁板すらも見せていた。それが一層そのあたり一帯を私に何か見知らないように思わせ出した。それから私はよくお前と連れ立って歩いたことのある森の中へも、まだかなり深い雪を分けながらはいって行って見た。やがて私は、どうやら見覚えのあるような気のする一本の樅《もみ》の木を認め出した。が、漸《や》っとそれに近づいて見たら、その樅の中からギャッと鋭い鳥の啼《な》き声《ごえ》がした。私がその前に立ち止まると、一羽の、ついぞ見かけたこともないような、青味を帯びた鳥がちょっと愕《おどろ》いたように羽摶《はばた》いて飛び立ったが、すぐ他の枝に移ったままかえって私に挑みでもするように、再びギャッ、ギャッと啼き立てた。私はその樅の木からさえ、心ならずも立ち去った。
[#地から1字上げ]十二月七日
集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、私は突然二声ばかり郭公《かっこう》の啼きつづけたのを聞いたような気がした。その啼き声はひどく遠くでしたようにも、又ひどく近くでしたようにも思われて、それが私をそこいらの枯藪《かれやぶ》の中だの、枯木の上だの、空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。
それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡《うち》に鮮かに蘇えり出した。……
けれども、そんな三年前の夏の、この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。
[#地から1字上げ]十二月十日
この数日、どういうものか、お前がちっとも生き生きと私に蘇《よみがえ》って来ない。そうしてときどきこうして孤独でいるのが私には殆どたまらないように思われる。朝なんぞ、煖炉《だんろ》に一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦《じ》れったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。――私はそれから漸《や》っと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。
又午後など、すこし村でも歩いて来ようと思って、谷を下りてゆくと、この頃は雪解けがしている故、道がとても悪く、すぐ靴が泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、大抵途中から引っ返して来てしまう。そうしてまだ雪の凍《し》みついている、谷までさしかかると、思わずほっとしながら、しかしこん度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるような上り道になる。そこで私はともすれば滅入りそうな自分の心を引き立てようとして、「たとひわれ死のかげの谷を歩むとも禍害《わざはひ》をおそれじ、なんぢ我とともに在《いま》せばなり……」と、そんなうろ覚えに覚えている詩篇の文句なんぞまで思い出して自分自身に云ってきかせるが、そんな文句も私にはただ空虚に感ぜられるばかりだった。
[#地から1字上げ]十二月十二日
夕方、水車の道[#「水車の道」に傍点]に沿った例の小さな教会の前を私が通りかかると、そこの小使らしい男が雪泥の上に丹念に石炭殻を撒《ま》いていた。私はその男の傍に行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか、と何んという事もなしに訊《き》いて見た。
「今年はもう二三日うちに締めますそうで――」とその小使はちょっと石炭殻を撒く手を休めながら答えた。「去年はずっと冬じゅう開いて居りましたが、今年は神父様が松本の方へお出《いで》になりますので……」
「そんな冬でもこの村に信者はあるんですか?」と私は無躾《ぶしつ》けに訊いた。
「殆ど入らっしゃいませんが。……大抵、神父様お一人で毎日のお弥撒《ミサ》をなさいます」
私達がそんな立ち話をし出しているところへ、丁度外出先からその独逸人《ドイツじん》だとかいう神父が帰って来た。こん度は私がその日本語をまだ充分理解しない、しかし人なつこそうな神父に掴《つか》まって、何かと訊かれる番になった。そうしてしまいには何か聞き違えでもしたらしく、明日の日曜の弥撒には是非来い、と私はしきりに勧められた。
[#地から1字上げ]十二月十三日、日曜日
朝の九時頃、私は何を求めるでもなしにその教会へ行った。小さな蝋燭《ろうそく》の火のともった祭壇の前で、もう神父が一人の助祭と共に弥撒をはじめていた。信者でもなんでもない私は、どうして好いか分からず、唯、音を立てないようにして、一番後ろの方にあった藁《わら》で出来た椅子にそのままそっと腰を下ろした。が、やっと内のうす暗さに目が馴れてくると、それまで誰もいないものとばかり思っていた信者席の、一番前列の、柱のかげに一人黒ずくめのなりをした中年の婦人がうずくまっているのが目に入ってきた。そうしてその婦人がさっきからずっと跪《ひざま》ずき続けているらしいのに気がつくと、私は急にその会堂のなかのいかにも寒々としているのを身にしみて感じた。……
それからも小一時間ばかり弥撒は続いていた。その終りかける頃、その婦人がふいと半巾《ハンカチ》を取りだして顔にあてがったのを私は認めた。しかしそれは何んのためだか、私には分からなかった。そのうちに漸っと弥撒が済んだらしく、神父は信者席の方へは振り向かずに、そのまま脇にあった小室の中へ一度引っ込んで行った。その婦人はなおもまだじっと身動きもせずにいた。が、その間に、私だけはそっと教会から抜け出した。
それはうす曇った日だった。私はそれから雪解けのした村の中を、いつまでも何か充たされないような気持で、あてもなくさ迷っていた。昔、お前とよく絵を描きにいった、真ん中に一本の白樺のくっきりと立った原へも行って見て、まだその根もとだけ雪の残っている白樺の木に懐しそうに手をかけながら、その指先きが凍《こご》えそうになるまで、立っていた。しかし、私にはその頃のお前の姿さえ殆ど蘇って来なかった。……とうとう私は其処も立ち去って、何んともいうにいわれぬ寂しい思いで、枯木の間を抜けながら、一気に谷を昇って、小屋に戻って来た。
そうしてはあはあと息を切らしながら、思わずヴェランダの床板に腰を下ろしていると、そのとき不意とそんなむしゃくしゃした私に寄り添ってくるお前が感じられた。が、私はそれにも知らん顔をして、ぼんやりと頬杖をついていた。その癖、そういうお前をこれまでになく生き生きと――まるでお前の手が私の肩にさわっていはしまいかと思われる位、生き生きと感じながら……
「もうお食事の支度が出来て居りますが――」
小屋の中から、もうさっきから私の帰りを待っていたらしい村の娘が、そう私を食事に呼んだ。私はふっと現《うつつ》に返りながら、このままもう少しそっとして置いて呉れたら好かりそうなものを、といつになく浮かない顔つきをして小屋の中にはいって行った。そうして娘には一言も口をきかずに、いつものような一人きりの食事に向った。
夕方近く、私はなんだかまだ苛《い》ら苛《い》らしたような気分のままその娘を帰してしまったが、それから暫らくするとその事をいくぶん後悔し出しながら、再びなんと云う事もなしにヴェランダに出て行った。そうしてまたさっきのように(しかしこん度はお前なしに……)ぼんやりとまだ大ぶ雪の残っている谷間を見下ろしていると、ゆっくり枯木の間を抜け抜け誰だかその谷じゅうをと見こう見しながら、だんだんこっちの方へ登って来るのが認められた。何処へ来たのだろうと思いながら見続けていると、それは私の小屋を捜しているらしい神父だった。
[#地から1字上げ]十二月十四日
きのう夕方、神父と約束をしたので、私は教会へ訪ねて行った。あす教会を閉《とざ》して、すぐ松本へ立つとか云う事で、神父は私と話をしながらも、ときどき荷拵えをしている小使のところへ何か云いつけに立って行ったりした。そうしてこの村で一人の信者を得ようとしているのに、いま此処を立ち去るのはいかにも残念だと繰り返し言っていた。私はすぐにきのう教会で見かけた、やはり独逸人らしい中年の婦人を思い浮べた。そうしてその婦人のことを神父に訊こうとしかけながら、その時ひょっくりこれはまた神父が何か思い違えて、私自身のことを言っているのではあるまいかと云う気もされ出した。……
そう妙にちぐはぐになった私達の会話は、それからはますます途絶えがちだった。そうして私達はいつか黙り合ったまま、熱過ぎるくらいの煖炉の傍で、窓硝子《まどガラス》ごしに、小さな雲がちぎれちぎれになって飛ぶように過ぎる、風の強そうなしかし冬らしく明るい空を眺めていた。
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」神父がいかにも何気なさそうに口をきいた。
「本当に、こういう風のある、寒い日でなければ……」と私は鸚鵡《おうむ》がえしに返事をしながら、神父のいま何気なく言ったその言葉だけは妙に私の心にも触れてくるのを感じていた……
一時間ばかりそうやって神父のところに居てから、私が小屋に帰って見ると、小さな小包が届いていた。ずっと前から註文してあったリルケの「鎮魂歌《レクヰエム》」が二三冊の本と一しょに、いろんな附箋《ふせん》がつけられて、方々へ廻送されながら、やっとの事でいま私の許《もと》に届いたのだった。
夜、すっかりもう寝るばかりに支度をして置いてから、私は煖炉《だんろ》の傍で、風の音をときどき気にしながら、リルケの「レクヰエム」を読み始めた。
[#地から1字上げ]十二月十七日
又雪になった。けさから殆ど小止みもなしに降りつづいている。そうして私の見ている間に目の前の谷は再び真っ白になった。こうやっていよいよ冬も深くなるのだ。きょうも一日中、私は煖炉の傍らで暮らしながら、ときどき思い出したように窓ぎわに行って雪の谷をうつけたように見やっては、又すぐに煖炉に戻って来て、リルケの「レクヰエム」に向っていた。未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら……
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
私は死者達を持つてゐる、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、頗《すこぶ》る快活であるらしいのに
驚いている位だ。只お前――お前だけは帰つて
来た。お前は私を掠め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝《つ》き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おお、私が手間をかけて学んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催してゐるのだったら。我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此処に在るのではない。我々がそれを知覚すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]十二月十八日
漸《ようや》く雪が歇《や》んだので、私はこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へとはいって行って見た。ときどき何処かの木からどおっと音を立ててひとりでに崩れる雪の飛沫を浴びながら、私はさも面白そうに林から林へと抜けて行った。勿論、誰もまだ歩いた跡なんぞはなく、唯、ところどころに兎がそこいら中を跳ねまわったらしい跡が一めんに附いているきりだった。又、どうかすると雉子《きじ》の足跡のようなものがすうっと道を横切っていた……
しかし何処まで行っても、その林は尽きず、それにまた雪雲らしいものがその林の上に拡がり出してきたので、私はそれ以上奥へはいることを断念して途中から引っ返して来た。が、どうも道を間違えたらしく、いつのまにか私は自分自身の足跡をも見失っていた。私はなんだか急に心細そうに雪を分けながら、それでも構わずにずんずん自分の小屋のありそうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするような気がし出していた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった……
私はそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。そうして私は何か胸をしめつけられるような気持になりながら、きのう読《よ》み畢《お》えたリルケの「レクヰエム」の最後の数行が自分の口を衝いて出るがままに任せていた。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出《いで》。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]十二月二十四日
夜、村の娘の家に招《よ》ばれて行って、寂しいクリスマスを送った。こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、夏なんぞ外人達が沢山はいり込んでくるような土地柄ゆえ、普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える。
九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰をひとりで帰って来た。そうして最後の枯木林に差しかかりながら、私はふとその道傍に雪をかぶって一塊りに塊っている枯藪《かれやぶ》の上に、何処からともなく、小さな光が幽《かす》かにぽつんと落ちているのに気がついた。こんなところにこんな光が、どうして射しているのだろうと訝《いぶか》りながら、そのどっか別荘の散らばった狭い谷じゅうを見まわして見ると、明りのついているのは、たった一軒、確かに私の小屋らしいのが、ずっとその谷の上方に認められるきりだった。……「おれはまあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなあ」と私は思いながら、その谷をゆっくりと登り出した。「そうしてこれまでは、おれの小屋の明りがこんな下の方の林の中にまで射し込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。御覧……」と私は自分自身に向って言うように、「ほら、あっちにもこっちにも、殆どこの谷じゅうを掩《おお》うように、雪の上に点々と小さな光の散らばっているのは、どれもみんなおれの小屋の明りなのだからな。……」
漸《や》っとその小屋まで登りつめると、私はそのままヴェランダに立って、一体この小屋の明りは谷のどの位を明るませているのか、もう一度見て見ようとした。が、そうやって見ると、その明りは小屋のまわりにほんの僅かな光を投げているに過ぎなかった。そうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、谷間の雪明りとひとつになっていた。
「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、此処で見ると、たったこれっきりなのか」と私はなんだか気の抜けたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめているうちに、ふとこんな考えが浮んで来た。「――だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許《ばか》りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」
そんな思いがけない考えが、私をいつまでもその雪明りのしている寒いヴェランダの上に立たせていた。
[#地から1字上げ]十二月三十日
本当に静かな晩だ。私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮んで来るがままにさせていた。
「おれは人並以上に幸福でもなければ、又不幸でもないようだ。そんな幸福だとか何んだとか云うような事は、嘗《か》つてはあれ程おれ達をやきもきさせていたっけが、もう今じゃあ忘れていようと思えばすっかり忘れていられる位だ。反ってそんなこの頃のおれの方が余っ程幸福の状態に近いのかも知れない。まあ、どっちかと云えば、この頃のおれの心は、それに似てそれよりは少し悲しそうなだけ、――そうかと云ってまんざら愉《たの》しげでないこともない。……こんな風におれがいかにも何気なさそうに生きていられるのも、それはおれがこうやって、なるたけ世間なんぞとは交じわらずに、たった一人で暮らしている所為《せい》かも知れないけれど、そんなことがこの意気地なしのおれに出来ていられるのは、本当にみんなお前のお蔭だ。それだのに、節子、おれはこれまで一度だっても、自分がこうして孤独で生きているのを、お前のためだなんぞとは思った事がない。それはどのみち自分一人のために好き勝手な事をしているのだとしか自分には思えない。或はひょっとしたら、それも矢っ張お前のためにはしているのだが、それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われる程、おれはおれには勿体《もったい》ないほどのお前の愛に慣れ切ってしまっているのだろうか? それ程、お前はおれには何んにも求めずに、おれを愛していて呉れたのだろうか? ……」
そんな事を考え続けているうちに、私はふと何か思い立ったように立ち上りながら、小屋のそとへ出て行った。そうしていつものようにヴェランダに立つと、丁度この谷と背中合せになっているかと思われるようなあたりでもって、風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞えて来る。それから私はそのままヴェランダに、恰《あたか》もそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、それに耳を傾けながら立ち続けていた。私の前方に横わっているこの谷のすべてのものは、最初のうちはただ雪明りにうっすらと明るんだまま一塊りになってしか見えずにいたが、そうやってしばらく私が見るともなく見ているうちに、それがだんだん目に慣れて来たのか、それとも私が知《し》らず識《し》らずに自分の記憶でもってそれを補い出していたのか、いつの間にか一つ一つの線や形を徐《おもむ》ろに浮き上がらせていた。それほど私にはその何もかもが親しくなっている、この人々の謂《い》うところの幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]――そう、なるほどこうやって住み慣れてしまえば、私だってそう人々と一しょになって呼んでも好いような気のする位だが、……此処だけは、谷の向う側はあんなにも風がざわめいているというのに、本当に静かだこと。まあ、ときおり私の小屋のすぐ裏の方で何かが小さな音を軋《き》しらせているようだけれど、あれは恐らくそんな遠くからやっと届いた風のために枯れ切った木の枝と枝とが触れ合っているのだろう。又、どうかするとそんな風の余りらしいものが、私の足もとでも二つ三つの落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している……。
底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房
1977(昭和52)年5月28日初版第1刷発行
初出:「風立ちぬ」は「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の五篇から成っている。
「序曲」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表された「風立ちぬ」の発端部分を野田書房版(1938(昭和13)年4月10日刊)「風立ちぬ」において「序曲」と改題。
「春」:「新女苑」1937(昭和12)年4月号に「婚約」と題し発表。
「風立ちぬ」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表。構成は「発端」「※[#ローマ数字1、1-13-21]」「※[#ローマ数字2、1-13-22]」「※[#ローマ数字3、1-13-23]」の4章から成る。
「冬」:「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号に発表。
「死のかげの谷」:「新潮」1938(昭和13)年3月号に発表。
初収単行本:「風立ちぬ」野田書房、1938(昭和13)年4月10日
※底本の親本の筑摩全集版は、野田書房版による。初出情報は、「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2003年12月29日作成
2004年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- 八ヶ岳 やつがたけ 富士火山帯中の成層火山。長野県茅野市・南佐久郡・諏訪郡と山梨県北杜市にまたがる。赤岳(2899m)を最高峰として、硫黄岳・横岳・権現岳など8峰が連なり、山麓斜面が広く、高冷地野菜栽培が盛ん。尖石など先史遺跡が分布。
- 浅間山 あさまやま 長野・群馬両県にまたがる三重式の活火山。標高2568m。しばしば噴火、1783年(天明3)には大爆発し死者約2000人を出した。斜面は酪農や高冷地野菜栽培に利用され、南麓に避暑地の軽井沢高原が展開。浅間岳。
(歌枕) - 松本 まつもと 長野県の中西部、松本盆地から岐阜県境にある市。もと戸田氏6万石の城下町。松本城(深志城)天守閣は国宝。もと信濃国府の地で、信府と称した。上高地・乗鞍高原・美ヶ原などの観光地への基地。人口22万8千。
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- リルケ Rainer Maria Rilke 1875-1926 オーストリアの詩人。チェコ生れ。ヨーロッパ諸国を旅し、パリではロダンの秘書。詩集「形象詩集」
「時祷集」 「ドゥイーノの悲歌」 「オルフォイスに捧げるソネット」などのほか、小説「マルテの手記」 。
◇参照:
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)- 『鎮魂歌』 レクイエム リルケの著。1909年出版か。
( 「リルケ」 『新潮世界文学小辞典』新潮社、1966.5、p.1039、Wikipedia「リルケ」)
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
- 痙攣れる ひっつれる 引攣(ひっつ)れる、か。
「ひきつれる(引攣) 」の変化した語。ひきつった状態になる。ひっぱられてゆがむ。 - サナトリウム sanatorium 療養所。郊外・林間・海浜・高原に設け、清浄な空気と日光とを利用し、主として結核症など慢性疾患を治療した施設。
- とつおいつ (取リツ置キツの転) あれこれと。特に、あれやこれやと思い迷うこと。とっつおいつ。
- 物憂げ ものうげ (形容詞「ものうい」の語幹に接尾語「げ」のついたもの)ものういさま。
- 物憂い・懶い ものうい (1) 心がはれやかでない。何となく気がすすまない。(2) つらい。
- 喀血 かっけつ 肺・気管支粘膜などから出血した血液をせきとともに吐くこと。肺出血。
- 死に身 しにみ (1) 死んだ体。←
→生き身。(2) 死ぬべき身体。死ぬときまった身の上。(3) 決死の身。捨て身。(4) 死人のように少しも活気のないこと。 - 物狂わしい ものぐるわしい 「ものぐるおしい」に同じ。
- 物狂おしい ものぐるおしい 心が異常な状態に陥りそうである。ものぐるわしい。
- 山襞 やまひだ 山がひだのように波打って見えるところ。
- すげない つれない。同情心がない。愛想がない。人づきがわるい。
- 寡暮し・鰥暮し やもめぐらし 寡婦または鰥夫の身で暮らすこと。
- ひとわたり 一渡り・一渉り。(1) ひととおり。一往。(2) 一曲を奏し終わること。ひとかえり。
- 隙々 ひまひま (1) 方々のすきま。すきますきま。すきずき。(2) (
「暇暇」とも書く) 用事のない間。 - 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) (→)低木に同じ。←
→喬木(きょうぼく)。 - ひとりごつ 独り言つ (
「ひとりごと」を活用させた語) 独り言をいう。 - 素木造り しらきづくり 白木造り。塗料を塗らない、木地のままの材でつくること。また、その物。
- 空方 そらざま 空の方。上の方。上向き。
- 雪泥 せつでい 雪どけのぬかるみ。
- 石炭殻 せきたんがら 石炭の燃えがら。
- ミサ missa 弥撒。(1) ローマ‐カトリック教会で、聖体と聖血の拝領を中心に、神に感謝し共同体的一致を深める儀式。ほかの教会の聖餐式に当たる。ミサ聖祭。(2) ミサ曲。キリエ(主よ、憐み給え)
・グロリア(栄光) ・クレド(我は信ず) ・サンクトゥス(聖なるかな) ・アニュス‐デイ(神の小羊)などから成る。 - 助祭 じょさい カトリック教会で、司祭に次ぐ聖職者。
- 好かりそう よかりそう 良かりそう。
(形容詞「よし」の補助活用連用形に様態の助動詞「そうだ」のついた形)そうする、またはそうあるのがよいだろうと思われるさま。またはそうあるのがよいだろうと思われるさま。よさそう。 - 見こう見し
- 鎮魂歌 ちんこんか 死者の魂をなぐさめしずめるための歌。
◇参照:
*後記(工作員 日記)
ポメラ DM100 ファームウェアのアップデート続報。3週間目。
「乾電池アイコンの減少タイミングが改悪された」と思ったのは勘違いと判明。アップデートのさいに「パワーマネジメント」が初期設定にもどっており、
14日(月)電池交換、18日に電池アイコンが1レベル減少、輝度を1つおとす、19日に電池交換指示。20日、再度、電池交換指示。ほぼ、1日2時間程度の使用でちょうど1週間だから、どうやらアップデートによる変更はない模様。
*次週予告
第五巻 第二七号
山の科学・山と河(一) 今井半次郎
第五巻 第二七号は、
二〇一三年一月二六日(土)発行予定です。
月末最終号:無料
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第二六号
風立ちぬ(三)堀 辰雄
発行:二〇一三年一月一九日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム―
―大震覚え書きの一つ― ― - 第一二号 日本歴史物語〈上〉
(一) 喜田貞吉- 第一三号 日本歴史物語〈上〉
(二) 喜田貞吉- 第一四号 日本歴史物語〈上〉
(三) 喜田貞吉- 第一五号 日本歴史物語〈上〉
(四) 喜田貞吉- 第一六号 校註『古事記』
(八) 武田祐吉- 第一七号 校註『古事記』
(九) 武田祐吉- 第一八号 校註『古事記』
(一〇) 武田祐吉- 第一九号 校註『古事記』
(一一) 武田祐吉- 語句索引 / 歌謡各句索引
- 第五巻 第二〇号 日本歴史物語〈上〉
(五) 喜田貞吉- 四十一、地方政治の乱(みだ)れ(一)
- 四十二、地方政治の乱れ(二)
- 四十三、地方政治の乱れ(三)
- 四十四、地方政治の乱れ(四)
- 四十五、武士・僧兵・海賊のおこり(一)
- 四十六、武士・僧兵・海賊のおこり(二)
- 四十七、武士・僧兵・海賊のおこり(三)
- 四十八、武士・僧兵・海賊のおこり(四)
- 四十九、平安朝の仏教
- じっさい平安朝時代には、貴族と平民とのあいだにはたいそうな隔(へだ)たりがありました。貴族たちが京都で好き勝手な栄華にふけっているあいだに、平民は地方で国司らにいじめられていました。そこで平民らは、自分で国民たるの権利を捨てて諸国に浮浪するというようなありさまでしたから、世の中の人気もしだいに荒くなります。活きるに困っているものは、活きるためにはやむを得ず悪いこともします。どうでこの世の中に活き長らえていたからとて、その末がよくなるという見込みがあるではなし、またすでに悪いことをしている身であれば、死んだのちには地獄へ落ちると仏教は教えています。こうなってはどんなものでも、自然やけになってくる。
(略) - このような気の毒な人たちを救うて、たといその日その日の暮らしは苦しくても、せめては心だけにでもゆっくりした安心をあたえて、無暗にやけにならぬようにと親切に教えをひろめたのは、念仏の宗旨でした。口に南無阿弥陀仏ととなえて、阿弥陀如来にすがりさえすれば、どんな罪の深いものでも、死んだのちにはみな必ず極楽へ行くことができるという教えです。
- はじめてこの教えを民間に説きすすめたのは、空也上人でありました。東には平将門、西には藤原純友の謀反があったのち、世の中がますます騒がしくなり、食うに困るような浮浪民がそこにも、ここにも、うようよしているというころに、空也は盛んにその仲間に説いてまわったものですから、いたるところに信者がたくさんにできました。平民らはこれがために、ひどくやけにもならず、救われて安心を得たものがはなはだ多かったのです。
- そののち平安朝も末になり、源平二氏の戦争が長いあいだ続いて、武士は多くの人を殺し、その罪のむくいがおそろしくなる。また一般の民衆は、多年の戦争に苦しんで、ますます貧乏のどん底に落ちこむというように、多数の人がひどく悩んでいるころに、法然上人が出て、盛んにこの教えをひろめました。
(略) ( 「四十九、平安朝の仏教」より)
- 第五巻 第二一号 日本歴史物語〈上〉
(六) 喜田貞吉- 五十、蝦夷地の経営
- 五十一、前九年の役(一)
- 五十二、前九年の役(二)
- 五十三、後三年の役
- 五十四、平泉の隆盛
- 五十五、古代史の回顧
- 先生や父兄の方々に
- 平安朝のはじめのころは、朝廷のご威光が盛んで、坂上田村麻呂や文室(ぶんやの)綿麻呂の蝦夷征伐があり、これがために蝦夷の地がおおいに開けてまいり、蝦夷人もだんだん日本民族の仲間になってきましたことは、前に申したようなしだいでありましたが、なにぶんにも国の政治が乱れて、地方が騒々しくなり、武士や海賊が盛んにおこるという時代になりましては、蝦夷のいた奥羽地方だとて、その影響を受けないではいられません。第五十七代陽成(ようぜい)天皇の御代(在位八七六〜八八四)には、今の秋田県あたりにいる蝦夷がそむきまして大騒ぎがおこりました。しかしこれというのも、もともと国司の政治が悪いからであります。はじめは蝦夷のいきおいがつよく、官軍も容易にこれをしずめることができなかったのですが、藤原保則(やすのり)という人が新たに国司になって、よくこれを諭し、よい政治をおこないますと、かれらはことごとく降参して、おとなしくなりましたのを見ても、その罪がおもに国司にあったことがわかりましょう。
(略) ( 「五十一、前九年の役(一) 」より) - そのうちに、いよいよ頼義(よりよし)二度目の国司の任期がすみまして、新しい国司がやってまいりました。しかしこんな騒ぎの最中でやって来たもののなんともしてみようがありませぬ。さっそく都へ逃げて帰りました。そこで頼義は、今はどうでも自分の手で安倍氏を滅ぼして、自分の命ぜられたつとめを完(まっと)うして、新しい国司に引きわたさなければならぬと、しきりに清原氏の助けを催促します。武則(たけのり)も頼義の誠意に感じて、一万余人という大勢の仲間をつれてやってまいりました。こうなってはさすがの貞任も、とてもかないっこはありません。
(略)最後に今の盛岡市の近所の、厨川(くりやがわ)の館までも攻め落とされ、貞任は殺されて、弟の宗任(むねとう)らは降参しました。頼義が国司となってから十二年かかって、やっと安倍氏征伐の目的を達することができたのです。世間でこれを奥州十二年の合戦と申しました。奥州とは今の福島・宮城・岩手・青森の四県の地方のことで、むかしはこれを陸奥といい、出羽とあわせて奥羽地方というのです。 ( 「五十二、前九年の役(二) 」より)
- 第五巻 第二二号 日本歴史物語〈上〉索引 喜田貞吉
- 語句索引 / 人名索引 / 地名一覧
- 第五巻 第二三号 クリスマスの贈り物/街の子/少年・春 竹久夢二
- 「い」とあなたがいうと
- 「それから」と母(かあ)さまはおっしゃった。
- 「ろ」
- 「それから」
- 「は」
- あなたは母(かあ)さまのひざに抱(だ)っこされていた。外(そと)では凩(こがらし)がおそろしくほえ狂(くる)うので、地上(ちじょう)のありとあらゆる草も木も悲(かな)しげに泣(な)きさけんでいる。
- そのときあなたは慄(ふる)えながら、母(かあ)さまの首(くび)へしっかりとしがみつくのでした。
- 凩(こがらし)がすさまじくほえ狂(くる)うと、ランプの光(ひかり)が明(あか)るくなって、テーブルの上のリンゴはいよいよ紅(あか)く、暖炉(だんろ)の火はだんだん暖(あたた)かくなった。
- あなたのひざの上には絵本(えほん)が置(お)かれ、悲(かな)しい話(はなし)のところが開(ひら)かれてあった。それを母(かあ)さまは読(よ)んでくださる。―
―それは、もうまえに百(ひゃっ)ぺんも読んでくださった物語(ものがたり)であった。― ―そのときの母(かあ)さまの顔色(かおいろ)の眼(め)はしずんで、声は低(ひく)く悲(かな)しかった。あなたは呼吸(いき)をころして一心(いっしん)に聞(き)き入(い)るのでした。 - 誰(た)ぞ、コマドリを殺(ころ)せしは?
- スズメはいいぬ、われこそ! と
- わがこの弓(ゆみ)と矢(や)をもちて
- わがコマドリを殺(ころ)しけり。
- (
「少年・春」より)
- 第五巻 第二四号 風立ちぬ(一)堀 辰雄
- それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生いしげった草原の中で、おまえが立ったまま熱心に絵を描いていると、わたしはいつもそのかたわらの一本の白樺の木陰に身をよこたえていたものだった。そうして夕方になって、おまえが仕事をすませてわたしのそばにくると、それからしばらくわたしたちは肩に手をかけあったまま、はるか彼方の、縁だけ茜色をおびた入道雲のむくむくした塊りにおおわれている地平線のほうをながめやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対になにものかが生まれて来つつあるかのように……
- そんな日のある午後、
(それはもう秋近い日だった)わたしたちは、おまえの描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物をかじっていた。砂のような雲が空をサラサラと流れていた。そのとき不意に、どこからともなく風が立った。わたしたちの頭の上では、木の葉の間からチラッとのぞいている藍色が伸びたり縮んだりした。それとほとんど同時に、草むらの中に何かがバッタリと倒れる物音をわたしたちは耳にした。それはわたしたちがそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架とともに、倒れた音らしかった。すぐ立ち上がって行こうとするおまえを、わたしは、いまの一瞬のなにものをも失うまいとするかのように無理にひきとめて、わたしのそばから離さないでいた。おまえはわたしのするがままにさせていた。 - 風立ちぬ、いざ生きめやも。
( 「序曲」より)
- 第五巻 第二五号 風立ちぬ(二)堀 辰雄
- その危機は、しかし、一週間ばかりで立ち退(の)いた。
- ある朝、看護婦がやっと病室から日覆(ひおおい)を取り除(の)けて、窓の一部を開け放して行った。窓からさしこんでくる秋らしい日光をまぶしそうにしながら、
- 「気持ちがいいわ」と病人はベッドの中からよみがえったように言った。
- 彼女の枕元で新聞をひろげていたわたしは、人間に大きな衝動をあたえる出来事なんぞというものは、かえってそれが過ぎ去った跡はなんだかまるで他所(よそ)のことのように見えるものだなあと思いながら、そういう彼女のほうをチラリと見やって、おもわず揶揄(やゆ)するような調子で言った。
- 「もうお父さんがきたって、あんなに興奮しないほうがいいよ」
- 彼女は顔を心持ち赧(あか)らめながら、そんなわたしの揶揄(やゆ)をすなおに受け入れた。
- 「こんどはお父さまがいらっしたって、知らん顔をしていてやるわ」
- 「それがおまえにできるんならねえ……」
- そんなふうに冗談でも言い合うように、わたしたちはお互いに相手の気持ちをいたわり合うようにしながら、いっしょになって子どもらしく、すべての責任を彼女の父におしつけ合ったりした。
- そうしてわたしたちはすこしもわざとらしくなく、この一週間の出来事がほんの何かの間違いにすぎなかったような、気軽な気分になりながら、いましがたまでわたしたちを肉体的ばかりでなく、精神的にも襲いかかっているように見えた危機を、こともなげに切り抜け出していた。少なくとも、わたしたちにはそう見えた。
……
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