堀 辰雄 ほり たつお
1904-1953(明治37.12.28-昭和28.5.28)
小説家。東京生れ。東大卒。芥川竜之介・室生犀星に師事、日本的風土に近代フランスの知性を定着させ、独自の作風を造型した。作「聖家族」「風立ちぬ」「幼年時代」「菜穂子」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。


もくじ 
風立ちぬ(三)堀 辰雄


ミルクティー*現代表記版
風立ちぬ(三)

オリジナル版
風立ちぬ(三)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例〔現代表記版〕
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記や、郡域・国域など地域の帰属、団体法人名・企業名などは、底本当時のままにしました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (1) 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。(2) (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。



*底本

底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年5月28日初版第1刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card4803.html

NDC 分類:913(日本文学 / 小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html





風立ちぬ(三)

堀 辰雄


十一月十七日 
 わたしはもう二、三日すれば、わたしのノートを書きえられるだろう。それは、わたしたち自身のこうした生活について書いていればきりがあるまい。それをともかくも、いちおう書きえるためには、わたしは何か結末を与えなければならないのだろうが、今もなおこうしてわたしたちの生き続けている生活には、どんな結末だって与えたくはない。いや、与えられはしないだろう。むしろ、わたしたちのこうした現在のあるがままの姿でそれを終わらせるのが一番いいだろう。
 現在のあるがままの姿? ……わたしはいま、なにかの物語で読んだ「幸福の思い出ほど、幸福をさまたげるものはない」という言葉を思い出している。現在、わたしたちの互いに与えあっているものは、かつて、わたしたちの互いに与えあっていた幸福とは、まあなんと異なったものになってきているだろう! それはそういった幸福に似た、しかしそれとはかなり異なった、もっともっと胸がしめつけられるようにせつないものだ。こういう、ほんとうの姿がまだわたしたちの生の表面にも完全に現われてきていないものを、このままわたしはすぐ追いつめて行って、はたしてそれに、わたしたちの幸福の物語にふさわしいような結末を見い出せるであろうか? なぜだかわからないけれど、わたしがまだはっきりさせることのできずにいるわたしたちの生の側面には、なんとなく、わたしたちのそんな幸福に敵意を持っているようなものがひそんでいるような気もしてならない。……
 そんなことをわたしは何かおちつかない気持ちで考えながら、明かりを消して、もう寝入っている病人のそばを通りぬけようとして、ふと立ち止まって暗がりの中にそれだけがほの白く浮いている彼女の寝顔をじっと見守った。そのすこし落ちくぼんだ目のまわりがときどきピクピクと痙攣ひっつれるようだったが、わたしにはそれが何物なにものかにおびやかされてでもいるように見えてならなかった。わたし自身の言いようもない不安が、それをただ、そんなふうに感じさせるにすぎないであろうか?


十一月二十日 
 わたしはこれまで書いてきたノートをすっかり読みかえしてみた。わたしの意図したところは、これならまあどうやら、自分を満足させる程度には書けているように思えた。
 が、それとは別に、わたしはそれを読み続けている自分自身のうちに、その物語の主題をなしているわたしたち自身の「幸福」をもう完全には味わえそうもなくなっている、ほんとうに思いがけない不安そうなわたしの姿を見い出しはじめていた。そうしてわたしの考えはいつか、その物語そのものを離れ出していた。「この物語の中のオレたちは、オレたちに許されるだけのささやかな生のたのしみを味わいながら、それだけで独自ユニークにお互いを幸福にさせあえると信じていられた。少なくともそれだけで、オレはオレの心をしばりつけていられるものと思っていた。――が、オレたちはあんまり高くねらいすぎていたのであろうか? そうして、オレはオレの生の欲求をすこしばかり見くびりすぎていたのであろうか? そのために今、オレの心のしばりがこんなにもひきちぎられそうになっているのだろうか?……」
「かわいそうな節子……」と、わたしは机にほうりだしたノートをそのままかたづけようともしないで、考え続けていた。「こいつはオレ自身が、気づかぬようなふりをしていたそんなオレの生の欲求を沈黙の中に見抜いて、それに同情をよせているように見えてならない。そして、それがまたこうしてオレを苦しめだしているのだ。……オレはどうしてこんなオレの姿をこいつに隠しおおせることができなかったのだろう? なんてオレは弱いのだろうなあ……」
 わたしは、明かりのかげになったベッドに、さっきから目をなかばつぶっている病人に目を移すと、ほとんど息づまるような気がした。わたしは明かりのそばを離れて、しずかにバルコニーのほうへ近づいて行った。小さな月のある晩だった。それは雲のかかった山だの、丘だの、森などの輪郭りんかくをかすかにそれと見分けさせているきりだった。そしてその他の部分は、ほとんどすべてにぶい青味をおびた闇の中にけ入っていた。しかし、わたしの見ていたものはそれらのものではなかった。わたしは、いつかの初夏の夕暮れに二人でせつないほどな同情をもって、そのままわたしたちの幸福を最後まで持ってゆけそうな気がしながらながめあっていた、まだ、そのなにものも消え失せていない思い出の中の、それらの山や丘や森などをまざまざと心によみがえらせていたのだった。そして、わたしたち自身までがその一部になりきってしまっていたようなそういう一瞬時の風景を、こんな具合にこれまでもなんべんとなくよみがえらせたので、それらのものも、いつのまにかわたしたちの存在の一部分になり、そしてもはや季節とともに変化してゆくそれらのものの、現在の姿が、時とするとわたしたちにはほとんど見えないものになってしまうくらいであった。……
「あのような幸福な瞬間をオレたちが持てたということは、それだけでももう、オレたちがこうして共に生きるのに値したのであろうか?」と、わたしは自分自身に問いかけていた。
 わたしの背後にふと軽い足音がした。それは節子にちがいなかった。が、わたしはふり向こうともせずに、そのままじっとしていた。彼女もまた何も言わずに、わたしからすこし離れたまま立っていた。しかし、わたしはその息づかいが感ぜられるほど彼女を近ぢかと感じていた。ときおり冷たい風がバルコニーの上をなんの音も立てずにかすめすぎた。どこか遠くのほうで枯木かれきが音を引きむしられていた。
「なにを考えているの?」とうとう彼女が口を切った。
 わたしは、それにはすぐ返事をしないでいた。それから急に彼女のほうへふり向いて、不確かなように笑いながら、
「おまえにはわかっているだろう?」と問い返した。
 彼女はなにかわなでもおそれるかのように、注意深くわたしを見た。それを見て、わたしは、
「オレの仕事のことを考えているのじゃないか」と、ゆっくり言い出した。「オレにはどうしてもいい結末が思い浮かばないのだ。オレはオレたちが無駄むだに生きていたようには、それを終わらせたくはないのだ。どうだ、ひとつおまえもそれをオレといっしょに考えてくれないか?」
 彼女はわたしに微笑ほほえんで見せた。しかし、その微笑みはどこかまだ不安そうであった。
「だって、どんなことをお書きになったんだかも知らないじゃないの」彼女はやっと小声で言った。
「そうだっけなあ……」とわたしはもう一度、不確かなように笑いながら言った。「それじゃあ、そのうちにひとつ、おまえにも読んで聞かせるかな。しかしまだ、最初のほうだって人に読んで聞かせるほどまとまっちゃいないんだからね」
 わたしたちは部屋の中へもどった。わたしがふたたび明かりのそばに腰をおろして、そこにほうりだしてあるノートをもう一度手に取り上げて見ていると、彼女はそんなわたしの背後に立ったまま、わたしの肩にそっと手をかけながら、それを肩ごしにのぞきこむようにしていた。わたしはいきなりふり向いて、
「おまえはもう寝たほうがいいぜ」と、かわいた声で言った。
「ええ……」彼女はすなおに返事をして、わたしの肩から手をすこしためらいながらはなすと、ベッドに戻って行った。
「なんだか寝られそうもないわ」二、三分すると彼女がベッドの中でひとごとのように言った。
「じゃ、明かりを消してやろうか?……オレはもういいのだ」そう言いながら、わたしは明かりを消して立ち上がると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。わたしたちはしばらくそうしたまま、やみの中にだまり合っていた。
 さっきより風がだいぶ強くなったとみえる。それはあちこちの森からたえず音を引きいでいた。そしてときどき、それをサナトリウムの建物にぶっつけ、どこかの窓をバタバタ鳴らしながら、一番最後にわたしたちの部屋の窓をすこしきしらせた。それにおびえでもしているかのように、彼女はいつまでもわたしの手をはなさないでいた。そうして目をつぶったまま、自分のうちのなにかの作用はたらきに一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手がすこしゆるんできた。彼女は寝入ったふりをしだしたらしかった。
「さあ、今度はオレの番か……」そんなことをつぶやきながら、わたしも彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へ入って行った。


十一月二十六日 
 このごろ、わたしはよく夜の明けかかる時分に目をさます。そんなときは、わたしはしばしばそっと起き上がって、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁やビンなどはだんだん黄ばみかけてきているのに、彼女の顔だけがいつまでも蒼白あおじろい。「かわいそうなやつだなあ」それがわたしの口ぐせにでもなったかのように、自分でも知らずにそう言っているようなこともある。
 けさもがた近くに目をさましたわたしは、長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、つま先立って部屋をぬけだし、サナトリウムの裏の、裸すぎるくらいにれきった林の中へ入って行った。もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、それが風にあらがっているきりだった。わたしがその空虚な林を出はずれたころには、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に低くたれたまま動こうともしないでいる雲のかたまりを、見るまに赤あかとかがやかせはじめていた。が、そういうあけぼのの光も地上にはまだ、なかなか届きそうになかった。それらの山々の間にはさまれている冬枯ふゆがれた森や畑や荒地は、今、すべてのものからまったく打ちてられてでもいるような様子を見せていた。
 わたしはその枯木林かれきばやしのはずれに、ときどき立ち止まっては寒さにおもわず足踏あしぶみしながら、そこいらを歩きまわっていた。そうして何を考えていたのだか自分でも思い出せないような考えをとつおいつ〔あれこれと〕していたわたしは、そのうち不意に頭をあげて、空がいつのまにかかがやきを失った暗い雲にすっかりとざされているのを認めた。わたしはそれに気がつくと、ついさっきまでそれをあんなにも美しく焼いていた曙の光が地上に届くのを、それまで心待こころまちにしてでもいたかのように、急になんだかつまらなそうな恰好かっこうをして、足早にサナトリウムに引き返して行った。
 節子はもう目を覚ましていた。しかし、立ち戻ったわたしを認めても、わたしのほうへは物憂ものうげにチラッと目をあげたきりだった。そして、さっき寝ていたときよりもいっそうあおいような顔色をしていた。わたしが枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻せっぷんしようとすると、彼女は弱々しく首をふった。わたしはなんにもかずに、悲しそうに彼女を見ていた。が、彼女はそんなわたしをというよりも、むしろ、そんなわたしの悲しみを見まいとするかのように、ぼんやりした目つきでくうを見入っていた。

 夜
 何も知らずにいたのはわたしだけだったのだ。午前の診察のすんだ後で、わたしは看護婦長に廊下へ呼び出された。そしてわたしははじめて節子が今朝けさ、わたしの知らないあいだに少量の喀血かっけつをしたことを聞かされた。彼女は、わたしにはそれを黙っていたのだ。喀血は危険という程度ではないが、用心のためにしばらく付きい看護婦をつけておくようにと、院長が言いつけて行ったというのだ。――わたしはそれに同意するほかはなかった。
 わたしは、ちょうどあいている隣の病室に、その間だけ引き移っていることにした。わたしはいま、二人で住んでいた部屋にどこからどこまで似た、それでいてぜんぜん見知らないような感じのする部屋の中に、ひとりぼっちで、この日記をつけている。こうしてわたしが数時間前からすわっているのに、どうもまだこの部屋は空虚のようだ。ここにはまるで誰もいないかのように、明かりさえも冷たく光っている。


十一月二十八日 
 わたしはほとんどできあがっている仕事のノートを、机の上に、すこしも手をつけようとはせずに、ほうりだしたままにしておいてある。それを仕上しあげるためにも、しばらく別々に暮らしたほうがいいのだということを病人には言い含めておいたのだ。
 が、どうしてそれに描いたようなわたしたちのあんなに幸福そうだった状態に、今のようなこんな不安な気持ちのまま、わたし一人で入って行くことができようか?

 わたしは毎日、二、三時間おきぐらいに、隣の病室に行き、病人の枕もとにしばらくすわっている。しかし、病人にしゃべらせることは一番よくないので、ほとんどものを言わずにいることが多い。看護婦のいないときにも、二人で黙って手を取りあって、お互いになるたけ目も合わせないようにしている。
 が、どうかしてわたしたちがふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるでわたしたちの最初の日々に見せたような、ちょっと気まりの悪そうな微笑ほほえみ方をわたしにして見せる。が、すぐ目をそらせて、くうを見ながら、そんな状態におかれていることにすこしも不平を見せずに、おちついて寝ている。彼女は一度、わたしに仕事ははかどっているのかといた。わたしは首を振った。そのとき彼女は、わたしを気の毒がるような見方をして見た。が、それきりもう、わたしにそんなことはかなくなった。そして一日は、ほかの日に似て、まるで何ごともないかのように物静かにぎる。
 そして彼女は、わたしがかわって彼女の父に手紙を出すことさえこばんでいる。

 夜、わたしは遅くまで何もしないで机に向かったまま、バルコニーの上に落ちている明かりの影が窓を離れるにつれてだんだんかすかになりながら、やみに四方からつつまれているのを、あたかも自分の心のうちさながらのような気がしながら、ぼんやりと見入っている。ひょっとしたら病人もまだ寝つかれずに、わたしのことを考えているかもしれないと思いながら……


十二月一日 
 このごろになって、どうしたのか、わたしの明かりをしたってくるがまたえ出したようだ。
 夜、そんながどこからともなく飛んできて、閉め切った窓ガラスにはげしくぶつかり、その打撃でみずからきずつきながら、なおも生を求めてやまないように、になってガラスにあなを開けようと試みている。わたしがそれをうるさがって、明かりを消してベッドに入ってしまっても、まだしばらく物狂ものくるわしいばたきをしているが、しだいにそれが衰え、ついにどこかにしがみついたきりになる。そんな翌朝、わたしはかならずその窓の下に、一枚の朽ち葉みたいになったの死骸を見つける。
 今夜もそんな蛾が一匹、とうとう部屋の中へ飛びこんできて、わたしの向かっている明かりのまわりを、さっきから物狂ものくるわしくクルクルとまわっている。やがてバサリと音を立てて、わたしの紙の上に落ちる。そして、いつまでもそのまま動かずにいる。それからまた自分の生きていることをやっと思い出したように、急に飛び立つ。自分でももう何をしているのだかわからずにいるのだとしか見えない。やがてまた、わたしの紙の上にバサリと音を立てて落ちる。
 わたしは異様なおそれから、そのいのけようともしないで、かえってさも無関心そうに、自分の紙の上でそれが死ぬままにさせておく。


十二月五日 
 夕方、わたしたちは二人きりでいた。付きい看護婦はいましがた食事に行った。冬の日はすでに西方の山の背に入りかけていた。そしてその傾いた日ざしが、だんだん底冷えのしだした部屋の中を急に明るくさせだした。わたしは病人の枕もとで、ヒーターに足を載せながら、手にした本の上に身をかがめていた。そのとき病人が不意に、
「あら、お父さま」と、かすかにさけんだ。
 わたしはおもわずギクリとしながら、彼女のほうへ顔をあげた。わたしは、彼女の目がいつになくかがやいているのを認めた。――しかしわたしは、さりげなさそうに、今の小さなさけびが耳に入らなかったらしい様子をしながら、
「いま、なにか言ったかい?」といてみた。
 彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目はいっそうかがやきだしそうに見えた。
「あの低い山の左のはしに、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと、思いきったようにベッドから手でそのほうをちょっとさして、それからなんだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引き出しでもするように、その指先ゆびさきを今度は自分の口へあてがいながら、「あそこにお父さまの横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつもできるのよ。……ほら、ちょうどいま、できているのがわからない?」
 その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先ゆびさきをたどりながらわたしにもすぐわかったが、ただ、そこいらへんにはななめな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞やまひだしか、わたしには認められなかった。
「もう消えていくわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
 そのときやっとわたしは、その父の額らしい山襞やまひだを認めることができた。それは父のがっしりとした額をわたしにも思い出させた。「こんな影にまで、こいつは心のうちで父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる……」
 が、一瞬間の後には、やみがその低い山をすっかりたしてしまった。そしてすべての影は消えてしまった。
「おまえ、家へ帰りたいのだろう?」わたしはついと心に浮かんだ最初の言葉を、おもわずも口に出した。
 そのあとですぐわたしは、不安そうに節子の目を求めた。彼女はほとんどすげないような目つきでわたしを見つめ返していたが、急にその目をそらせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞こえるか聞こえないくらいな、かすれた声で言った。
 わたしはくちびるをかんだまま、目立たないようにベッドのそばを離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
 わたしの背後で、彼女がすこし顫声ふるえごえで言った。「ごめんなさいね。……だけど、いまちょっとの間だけだわ。……こんな気持ち、じきに直るわ……」
 わたしは窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々のふもとにはもうやみがかたまっていた。しかし山頂には、まだかすかに光がただよっていた。突然、のどをしめつけられるような恐怖がわたしを襲ってきた。わたしはいきなり病人のほうをふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に、なにもかもが自分たちから失われて行ってしまいそうな、不安な気持ちでいっぱいになりながら、わたしはベッドにかけよって、その手を彼女の顔から無理にのけた。彼女はわたしにあらがおうとしなかった。
 高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、―なにひとつ、いつもとすこしも変わっていず、いつもよりかもっともっと犯しがたいようにわたしには思われた。……そうしてわたしは、なんでもないのにそんなにおびえきっているわたし自身を、かえって子どものように感ぜずにはいられなかった。わたしはそれから急に力がぬけてしまったようになって、ガックリとひざをついて、ベッドの縁に顔をうずめた。そうしてそのまま、いつまでもピッタリとそれに顔を押しつけていた。病人の手が、わたしの髪の毛を軽くなでているのを感じ出しながら……
 部屋の中までもう薄暗くなっていた。



   死のかげの谷

一九三六年十二月一日 K・・村にて 
 ほとんど三年半ぶりで見るこの村は、もうすっかり雪にまっていた。一週間ばかりも前から雪がふりつづいていて、けさ、やっとそれがんだのだそうだ。炊事の世話をたのんだ村の若い娘とその弟が、その男の子のらしい小さなソリにわたしの荷物を載せて、これからこの冬をそこでわたしのすごそうという山小屋まで、引き上げて行ってくれた。そのソリのあとについてゆきながら、途中で何度もわたしはすべりそうになった。それほどもう谷かげの雪はコチコチにみついてしまっていた。……
 わたしの借りた小屋は、その村からすこし北へ入った、ある小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、―なんでもそれらの別荘の一番はずれになっているはずだった。そこに夏をすごしにくる外人たちが、この谷を称して幸福の谷といっているとか。こんな人気ひとけの絶えた、さびしい谷の、いったいどこが幸福の谷なのだろう、とわたしは、今はどれもこれも雪に埋もれたまんま見棄みすてられているそういう別荘を一つ一つ見すごしながら、その谷を二人のあとからおくれがちに登って行くうちに、ふいとそれとは正反対の谷の名前さえ自分の口をついて出そうになった。わたしはそれを何かためらいでもするようにちょっと引っ込めかけたが、ふたたび気を変えてとうとう口に出した。死のかげの谷……そう、よっぽどそう言ったほうがこの谷には似合にあいそうだな、少なくともこんな冬のさなか、こういうところでさびしい鰥暮やもめらしをしようとしているオレにとっては。――と、そんなことを考え考え、やっとわたしの借りる一番最後の小屋の前までたどりついてみると、申しわけのように小さなベランダのついた、その木皮葺きはだぶきの小屋のまわりには、それを取りかこんだ雪の上になんだか得体えたいの知れない足跡がいっぱい残っている。姉娘がそのめ切られた小屋の中へ先に入って雨戸などをあけている間、わたしはその小さな弟から、これはウサギ、これはリス、それからこれはキジと、それらの異様な足跡をいちいち教えてもらっていた。
 それからわたしは、なかば雪にもれたベランダに立って、周囲をながめまわした。わたしたちがいまのぼってきた谷陰は、そこから見下ろすと、いかにも恰好かっこうのよいこじんまりとした谷の一部分になっている。ああ、いましがた例のソリに乗って一人だけ先に帰っていった、あの小さな弟の姿が、裸の木と木との間から見え隠れしている。そのかわいらしい姿がとうとう下方の枯木林かれきばやしの中に消えてしまうまで見送りながら、ひとわたり、その谷間を見畢みおわった時分、どうやら小屋の中もかたづいたらしいので、わたしははじめてその中に入って行った。壁まですっかり杉皮がはりつめられてあって、天井も何もないほどの、思ったよりも粗末な作りだが、悪い感じではなかった。すぐ二階にも上がってみたが、寝台から椅子いすと、何から何まで二人分ある。ちょうど、おまえとわたしとのためのように。――そういえば、ほんとうにこういったような山小屋で、おまえと差し向かいのさびしさで暮らすことを、昔のわたしはどんなに夢見ていたことか!……
 夕方、食事の支度したくができると、わたしはそのまますぐ村の娘を帰らせた。それからわたしは、一人で暖炉だんろのそばに大きなテーブルをひきよせて、その上で書きものから食事いっさいをすることにきめた。そのとき、ひょいと頭の上にかかっている暦がいまだに九月のままになっているのに気がついて、それを立ち上がってはがすと、きょうの日付のところに印をつけておいてから、さて、わたしはじつに一年ぶりでこの手帳を開いた。


十二月二日 
 どこか北のほうの山がしきりに吹雪ふぶいているらしい。きのうなどは手に取るように見えていた浅間山も、きょうはすっかり雪雲ゆきぐもにおおわれ、その奥でさかんにれているとみえ、この山麓さんろくの村までそのまきぞえをくらって、ときどき日が明るく射しながら、チラチラとたえず雪が舞っている。どうかして不意にそんな雪の端が谷の上にかかりでもすると、その谷をへだてて、ずっと南につらなった山々のあたりにはクッキリと青空が見えながら、谷全体がかげって、ひとしきり猛烈に吹雪く。と思うと、またパアッと日があたっている。……
 そんな谷のたえず変化する光景を窓のところに行ってちょっとながめやっては、またすぐ暖炉だんろのそばに戻ってきたりして、そのせいでか、わたしはなんとなくおちつかない気持ちで一日じゅうをすごした。
 昼ごろ、風呂敷包みを背負せおった村の娘が足袋たびはだしで雪の中をやってきてくれた。手から顔まで霜焼しもやけのしているような娘だが、すなおそうで、それに無口なのが何よりもわたしにはぐあいがいい。また、きのうのように食事の用意だけさせておいて、すぐに帰らせた。それからわたしはもう一日が終わってしまったかのように、暖炉だんろのそばから離れないで、なにもせずにぼんやりと、焚木たきぎがひとりでにおこる風にあおられつつ、パチパチと音を立てながら燃えるのを見守っていた。
 そのまま夜になった。一人で冷たい食事をすませてしまうと、わたしの気持ちもいくぶんおちついてきた。雪はたいしたことにならずにやんだようだが、そのかわり風が出はじめていた。火がすこしでも衰えて音をしずめると、その隙々ひまひまに、谷の外側でそんな風が枯木林かればやしから音を引きもいでいるらしいのが急に近ぢかと聞こえてきたりした。
 それから一時間ばかり後、わたしはれない火にすこし逆上のぼせたようになって、外気にあたりに小屋を出た。そうしてしばらく真っ暗な戸外を歩きまわっていたが、やっと顔が冷え冷えとしてきたので、ふたたび小屋に入ろうとしかけながら、そのときはじめて中からもれてくる明かりで、いまもなおえず細かい雪が舞っているのに気がついた。わたしは小屋に入ると、すこしぬれた体を乾かしに、ふたたび火のそばに寄って行った。が、そうやってまた火にあたっているうちに、いつしか体を乾かしていることも忘れたようにぼんやりとして、自分のうちにある追憶をよみがえらせていた。それは去年のいまごろ、わたしたちのいた山のサナトリウムのまわりに、ちょうど今夜のような雪の舞っている夜ふけのことだった。わたしは何度もそのサナトリウムの入口に立っては、電報で呼び寄せたおまえの父のくるのを待ちきれなさそうにしていた。やっと真夜中近くになって父はついた。しかし、おまえはそういう父をチラリと見ながら、くちびるのまわりにふと微笑ともつかないようなものをただよわせたきりだった。父は何もいわずに、そんなおまえの憔悴しょうすいしきった顔をじっと見守っていた。そうしてはときおりわたしの方へ、いかにも不安そうな目を向けた。が、わたしはそれには気がつかないようなふりをして、ただ、おまえの方ばかりを見るともなしに見やっていた。そのうちに突然、おまえが何かくちごもったような気がしたので、わたしがおまえのそばに寄ってゆくと、ほとんど聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で、「あなたの髪に雪がついているの……」と、おまえはわたしに向かって言った。――いま、こうやって一人きりで火のそばにうずくまりながら、ふいとよみがえったそんな思い出に誘われるようにして、わたしがなんの気なしに自分の手を頭髪に持っていってみると、それはまだれるともなく濡れていて、冷たかった。わたしはそうやって見るまで、それにはすこしも気がつかずにいた。……


十二月五日 
 この数日、言いようもないほどよい天気だ。朝のうちはベランダいっぱいに日がさしこんでいて、風もなく、とても暖かだ。けさなどはとうとうそのベランダに小さな卓や椅子いすを持ち出して、まだ一面に雪に埋もれた谷を前にしながら、朝食をはじめたくらいだ。ほんとうにこうして一人っきりでいるのはなんだかもったいないようだ、と思いながら朝食に向かっているうち、ヒョイとすぐ目の前のれた灌木かんぼくの根もとへ目をやると、いつのまにかキジが来ている。それも二羽、雪の中にえさをあさりながら、ゴソゴソと歩きまわっている……
「おい、来てごらん、キジが来ているぞ」
 わたしはあたかもおまえが小屋の中にでもするかのように想像して、声を低めてそう一人ごちながら、じっと息をつめてそのキジを見守っていた。おまえがうっかり足音でも立てはしまいかと、それまで気づかいながら……
 そのとたん、どこかの小屋で、屋根の雪がドオッと谷じゅうに響きわたるような音を立てながら雪崩なだれ落ちた。わたしは思わずドキリとしながら、まるで自分の足もとからのように二羽のキジが飛び立ってゆくのを呆気あっけにとられて見ていた。そのときほとんど同時に、わたしは自分のすぐそばに立ったまま、おまえがそういうときのくせで、なにも言わずに、ただ大きく目をみはりながらわたしをじっと見つめているのを、苦しいほどまざまざと感じた。

 午後、わたしははじめて谷の小屋をおりて、雪の中に埋まった村をひとまわりした。夏から秋にかけてしかこの村を知っていないわたしには、いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、くぎづけになった小屋だのが、どれもこれも見覚えがありそうでいて、どうしてもその以前の姿を思い出されなかった。昔、わたしが好んで歩きまわった水車の道に沿って、いつかわたしの知らない間に、小さなカトリック教会さえできていた。しかもその美しい素木造しらきずくりの教会は、その雪をかぶったとがった屋根の下から、すでにもう黒ずみかけた壁板すらも見せていた。それがいっそうそのあたり一帯をわたしに何か見知らないように思わせだした。それからわたしは、よくおまえと連れ立って歩いたことのある森の中へも、まだかなり深い雪をけながら入って行ってみた。やがてわたしは、どうやら見覚えのあるような気のする一本のもみの木を認め出した。が、やっとそれに近づいてみたら、そのもみの中からギャッとするどい鳥のごえがした。わたしがその前に立ち止まると、一羽の、ついぞ見かけたこともないような、青味をおびた鳥がちょっとおどろいたようにばたいて飛び立ったが、すぐほかの枝に移ったままかえってわたしにいどみでもするように、ふたたびギャッ、ギャッとき立てた。わたしはそのもみの木からさえ、心ならずも立ち去った。


十二月七日 
 集会堂のかたわらの、冬枯ふゆがれた林の中で、わたしは突然、二声ばかりカッコウのきつづけたのを聞いたような気がした。そのき声はひどく遠くでしたようにも、またひどく近くでしたようにも思われて、それがわたしをそこいらのかれやぶの中だの、枯木の上だの、そらざまを見まわせさせたが、それっきりそのき声は聞こえなかった。
 それはやはりどうも、自分の聞き違えだったようにわたしにも思われてきた。が、それよりも先に、そのあたりのかれやぶだの、枯木だの、空だのは、すっかり夏のなつかしい姿に立ちかえって、わたしのうちあざやかによみがえりだした。……
 けれども、そんな三年前の夏の、この村でわたしの持っていたすべての物がすでに失われて、いまの自分に何一つ残ってはいないことを、わたしがほんとうに知ったのもそれといっしょだった。


十二月十日 
 この数日、どういうものか、おまえがちっとも生き生きとわたしによみがえってこない。そうしてときどき、こうして孤独でいるのがわたしにはほとんどたまらないように思われる。朝なんぞ、暖炉だんろに一度組み立てたまきがなかなか燃えつかず、しまいにわたしはじれったくなって、それを荒あらしくひっかきまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分のかたわらに気づかわしそうにしているおまえを感じる。――わたしはそれからやっと気をとりなおして、そのまきをあらたに組みかえる。
 また午後など、すこし村でも歩いてこようと思って、谷を下りてゆくと、このごろは雪解ゆきどけがしているゆえ、道がとても悪く、すぐくつが泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、たいてい途中から引っ返してきてしまう。そうしてまだ雪のみついている、谷までさしかかると、思わずホッとしながら、しかし今度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるようなのぼり道になる。そこでわたしは、ともすれば滅入めいりそうな自分の心を引き立てようとして、「たといわれ、死のかげの谷を歩むとも禍害わざわいをおそれじ、なんじわれとともにいませばなり……」と、そんなうろおぼえに覚えている詩編の文句なんぞまで思い出して自分自身に言ってきかせるが、そんな文句もわたしにはただ空虚に感ぜられるばかりだった。


十二月十二日 
 夕方、水車の道沿った例の小さな教会の前をわたしが通りかかると、そこの小使こづかいらしい男が、雪泥せつでいの上に丹念に石炭殻せきたんがらをまいていた。わたしはその男のそばに行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか? と、なんということもなしにいてみた。
「今年はもう二、三日うちにしめますそうで――」とその小使こづかいはちょっと石炭殻せきたんがらをまく手を休めながら答えた。「去年はずっと冬じゅう開いておりましたが、今年は神父さまが松本まつもとのほうへおいでになりますので……」
「そんな冬でも、この村に信者はあるんですか?」とわたしは不躾ぶしつけいた。
「ほとんどいらっしゃいませんが。……たいてい、神父さまお一人で毎日のおミサをなさいます」
 わたしたちがそんな立ち話をしだしているところへ、ちょうど外出先からそのドイツ人だとかいう神父が帰ってきた。今度はわたしがその日本語をまだじゅうぶん理解しない、しかし人なつこそうな神父につかまって、なにかとかれる番になった。そうしてしまいには何か聞き違えでもしたらしく、明日の日曜のミサにはぜひ来い、と、わたしはしきりにすすめられた。


十二月十三日、日曜日 
 朝の九時ごろ、わたしは何を求めるでもなしにその教会へ行った。小さなロウソクの火のともった祭壇の前で、もう神父が一人の助祭じょさいとともにミサをはじめていた。信者でもなんでもないわたしは、どうしてよいかわからず、ただ、音を立てないようにして、一番うしろのほうにあったわらでできた椅子いすにそのままそっと腰をおろした。が、やっと内のうす暗さに目がなれてくると、それまで誰もいないものとばかり思っていた信者席の、一番前列の、柱のかげに一人黒ずくめのなりをした中年の婦人がうずくまっているのが目に入ってきた。そうして、その婦人がさっきからずっとひざまずき続けているらしいのに気がつくと、わたしは急にその会堂の中の、いかにも寒々さむざむとしているのを身にしみて感じた。……
 それからも小一時間ばかりミサは続いていた。その終わりかけるころ、その婦人がふいとハンカチを取りだして顔にあてがったのをわたしは認めた。しかしそれはなんのためだか、わたしにはわからなかった。そのうちにやっとミサがすんだらしく、神父は信者席のほうへは振り向かずに、そのままわきにあった小室の中へ一度ひっこんで行った。その婦人はなおもまだじっと身動きもせずにいた。が、その間に、わたしだけはそっと教会から抜け出した。
 それはうすぐもった日だった。わたしはそれから雪解ゆきどけのした村の中を、いつまでもなにかたされないような気持ちで、あてもなくさまよっていた。昔、おまえとよく絵を描きに行った、真ん中に一本の白樺しらかばのくっきりと立った原へも行ってみて、まだその根もとだけ雪の残っている白樺しらかばの木に懐かしそうに手をかけながら、その指先ゆびさきこごえそうになるまで、立っていた。しかし、わたしにはそのころのおまえの姿さえほとんどよみがえってこなかった。……とうとうわたしはそこも立ち去って、なんともいうにいわれぬさびしい思いで、枯木かれきの間をぬけながら、一気に谷をのぼって、小屋にもどってきた。
 そうしてハアハアと息を切らしながら、思わずベランダの床板に腰をおろしていると、そのとき不意とそんなムシャクシャしたわたしに寄りってくるおまえが感じられた。が、わたしはそれにも知らん顔をして、ぼんやりとほおづえをついていた。そのくせ、そういうおまえをこれまでになく生き生きと――まるでおまえの手がわたしの肩にさわっていはしまいかと思われるくらい、生き生きと感じながら……
「もう、お食事のしたくができておりますが――」
 小屋の中から、もうさっきからわたしの帰りを待っていたらしい村の娘が、そうわたしを食事に呼んだ。わたしはフッとうつつに返りながら、このままもうすこしそっとしておいてくれたら好かりそうなものを、と、いつになく浮かない顔つきをして小屋の中に入って行った。そうして娘には一言ひとことも口をきかずに、いつものような一人きりの食事に向かった。
 夕方近く、わたしはなんだかまだイライラしたような気分のままその娘を帰してしまったが、それからしばらくすると、そのことをいくぶん後悔しだしながら、ふたたびなんということもなしにベランダに出て行った。そうしてまたさっきのように(しかし今度はおまえなしに……)ぼんやりとまだだいぶ雪の残っている谷間を見下ろしていると、ゆっくり枯木かれきの間をぬけぬけ、誰だかその谷じゅうをと見こう見しながら、だんだんこっちのほうへ登ってくるのが認められた。どこへ来たのだろうと思いながら見続けていると、それはわたしの小屋をさがしているらしい神父だった。


十二月十四日 
 きのう夕方、神父と約束をしたので、わたしは教会へたずねて行った。あす教会をとざして、すぐ松本へ立つとかいうことで、神父はわたしと話をしながらも、ときどき荷ごしらえをしている小使こづかいのところへ何か言いつけに立って行ったりした。そうしてこの村で一人の信者を得ようとしているのに、いまここを立ち去るのはいかにも残念だとくり返し言っていた。わたしはすぐに、きのう教会で見かけた、やはりドイツ人らしい中年の婦人を思い浮かべた。そうしてその婦人のことを神父にこうとしかけながら、そのときひょっくりこれはまた神父がなにか思い違えて、わたし自身のことを言っているのではあるまいかという気もされだした。……
 そう妙にちぐはぐになったわたしたちの会話は、それからはますます途絶とだえがちだった。そうしてわたしたちはいつかだまりあったまま、熱すぎるくらいの暖炉だんろのそばで、窓ガラスごしに、小さな雲がちぎれちぎれになって飛ぶようにすぎる、風の強そうな、しかし冬らしく明るい空をながめていた。
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」神父がいかにも何気なにげなさそうに口をきいた。
「ほんとうに、こういう風のある、寒い日でなければ……」と、わたしはオウムがえしに返事をしながら、神父のいま何気なにげなく言ったその言葉だけは妙にわたしの心にもれてくるのを感じていた……
 一時間ばかりそうやって神父のところにいてから、わたしが小屋に帰ってみると、小さな小包みが届いていた。ずっと前から注文してあったリルケの『鎮魂歌レクイエム』が二、三冊の本といっしょに、いろんな付箋ふせんがつけられて、方々へ回送されながら、やっとのことでいま、わたしのもとに届いたのだった。
 夜、すっかりもう寝るばかりに支度したくをしておいてから、わたしは暖炉だんろのそばで、風の音をときどき気にしながら、リルケの『レクイエム』を読み始めた。


十二月十七日 
 また雪になった。けさからほとんど小止こやみもなしに降りつづいている。そうしてわたしの見ている間に、目の前の谷はふたたび真っ白になった。こうやっていよいよ冬も深くなるのだ。きょうも一日じゅう、わたしは暖炉だんろのかたわらで暮らしながら、ときどき思い出したように窓ぎわに行って雪の谷をうつけたように見やっては、またすぐに暖炉だんろにもどってきて、リルケの『レクイエム』に向かっていた。いまだにおまえを静かに死なせておこうとはせずに、おまえを求めてやまなかった、自分の女々めめしい心になにか後悔に似たものをはげしく感じながら……
  • わたしは死者たちを持っている、そして彼らを立ち去るがままにさせてあるが、
  • 彼らがうわさとは似つかず、非常に確信的で、
  • 死んでいることにもすぐれ、すこぶる快活であるらしいのに
  • 驚いているくらいだ。ただ、おまえ――おまえだけは帰って
  • 来た。おまえはわたしをかすめ、まわりをさまよい、何物かに
  • きあたる、そしてそれが、おまえのために音を立てて、
  • おまえを裏切るのだ。おお、わたしが手間てまをかけて学んで得たものを
  • わたしから取りけてくれるな。正しいのはわたしで、おまえが間違っているのだ、
  • もしか、おまえが誰かの事物に郷愁きょうしゅうをもよおしているのだったら。われわれはその事物を目の前にしていても、
  • それは、ここにあるのではない。われわれがそれを知覚すると同時に
  • その事物を、われわれの存在から反映させているきりなのだ。


十二月十八日 
 ようやく雪がやんだので、わたしはこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へと入って行ってみた。ときどき、どこかの木からドオッと音を立ててひとりでにくずれる雪の飛沫しぶきをあびながら、わたしはさもおもしろそうに林から林へとけて行った。もちろん、誰もまだ歩いた跡なんぞはなく、ただ、ところどころにウサギがそこいらじゅうをねまわったらしい跡が一面についているきりだった。また、どうかするとキジの足跡のようなものがスウッと道をよこぎっていた……
 しかしどこまで行っても、その林はつきず、それにまた雪雲ゆきぐもらしいものがその林の上にひろがり出してきたので、わたしはそれ以上奥へ入ることを断念して、途中から引っ返してきた。が、どうも道を間違えたらしく、いつのまにかわたしは自分自身の足跡をも見失っていた。わたしはなんだか急に心細そうに雪をわけながら、それでもかまわずにずんずん自分の小屋のありそうなほうへ林を突っ切ってきたが、そのうちにいつからともなくわたしは自分の背後にたしかに自分のではない、もう一つの足音がするような気がしだしていた。それはしかし、ほとんどあるかないかくらいの足音だった……
 わたしはそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林をおりて行った。そうしてわたしは何か胸をしめつけられるような気持ちになりながら、きのうえたリルケの『レクイエム』の最後の数行が自分の口をついて出るがままにまかせていた。
  • 帰っていらっしゃるな。そうしてもし、おまえに我慢まんできたら、
  • 死者たちのあいだに死んでおいで。死者にもたんと仕事はある。
  • けれどもわたしに助力はしておくれ、おまえの気をらさない程度で、
  • しばしば遠くのものが、わたしに助力をしてくれるように――わたしのうちで。


十二月二十四日 
 夜、村の娘の家にばれて行って、さびしいクリスマスを送った。こんな冬は人気ひとけの絶えた山間の村だけれど、夏なんぞ外人たちがたくさん入りこんでくるような土地柄がらゆえ、ふつうの村人の家でもそんなまねごとをして楽しむものとみえる。
 九時ごろ、わたしはその村から、雪明かりのした谷陰をひとりで帰ってきた。そうして最後の枯木林かれきばやしにさしかかりながら、わたしはふと、その道ばたに雪をかぶってひとかたまりにかたまっているかれやぶの上に、どこからともなく、小さな光がかすかにポツンと落ちているのに気がついた。こんなところにこんな光が、どうしてしているのだろうといぶかりながら、そのどっか別荘のらばったせまい谷じゅうを見まわしてみると、明かりのついているのは、たった一軒、たしかにわたしの小屋らしいのが、ずっとその谷の上方に認められるきりだった。……「オレはまあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなあ」とわたしは思いながら、その谷をゆっくりと登り出した。「そうしてこれまでは、オレの小屋の明かりがこんな下のほうの林の中にまでし込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。ごらん……」とわたしは自分自身に向かって言うように、「ほら、あっちにもこっちにも、ほとんどこの谷じゅうをおおうように、雪の上に点々と小さな光のちらばっているのは、どれもみんなオレの小屋の明かりなのだからな。……」
 やっとその小屋まで登りつめると、わたしはそのままベランダに立って、いったいこの小屋の明かりは谷のどのくらいを明かるませているのか、もう一度見てみようとした。が、そうやって見ると、その明かりは小屋のまわりにほんのわずかな光を投げているにすぎなかった。そうして、そのわずかな光も小屋を離れるにつれてだんだんかすかになりながら、谷間の雪明かりとひとつになっていた。
「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、ここで見ると、たったこれっきりなのか」と、わたしはなんだか気のぬけたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明かりの影を見つめているうちに、ふと、こんな考えが浮かんできた。「――だが、この明かりの影の具合ぐあいなんか、まるでオレの人生にそっくりじゃあないか。オレは、オレの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっばかりだと思っているが、ほんとうはこのオレの小屋の明かりと同様に、オレの思っているよりかもっともっとたくさんあるのだ。そうして、そいつたちがオレの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なにげなくオレを生かしておいてくれているのかも知れないのだ……」
 そんな思いがけない考えが、わたしをいつまでもその雪明かりのしている寒いベランダの上に立たせていた。


十二月三十日 
 ほんとうに静かな晩だ。わたしは今夜も、こんな考えがひとりでに心に浮かんでくるがままにさせていた。
「オレは人並ひとなみ以上に幸福でもなければ、また不幸でもないようだ。そんな幸福だとかなんだとかいうようなことは、かつてはあれほどオレたちをやきもきさせていたっけが、もう今じゃあ忘れていようと思えばすっかり忘れていられるくらいだ。かえって、そんなこのごろのオレのほうがよっぽど幸福の状態に近いのかもしれない。まあ、どっちかといえば、このごろのオレの心は、それに似てそれよりはすこし悲しそうなだけ、―そうかといってまんざらたのしげでないこともない。……こんなふうにオレがいかにも何気なにげなさそうに生きていられるのも、それはオレがこうやって、なるたけ世間なんぞとはまじわらずに、たった一人で暮らしているせいかもしれないけれど、そんなことがこの意気地いくじなしのオレにできていられるのは、ほんとうにみんなおまえのおかげだ。それだのに、節子、オレはこれまで一度だっても、自分がこうして孤独で生きているのを、おまえのためだなんぞとは思ったことがない。それはどのみち、自分一人のために好き勝手なことをしているのだとしか自分には思えない。あるいはひょっとしたら、それもやっぱりおまえのためにはしているのだが、それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われるほど、オレはオレにはもったいないほどのおまえの愛にれきってしまっているのだろうか? それほど、おまえはオレにはなんにも求めずに、オレを愛していてくれたのだろうか? ……」
 そんなことを考え続けているうちに、わたしはふとなにか思い立ったように立ち上がりながら、小屋の外へ出て行った。そうしていつものようにベランダに立つと、ちょうどこの谷と背中あわせになっているかと思われるようなあたりでもって、風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞こえてくる。それからわたしはそのままベランダに、あたかもそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、それに耳を傾けながら立ち続けていた。わたしの前方によこたわっているこの谷のすべてのものは、最初のうちはただ雪明かりにうっすらと明るんだままひとかたまりになってしか見えずにいたが、そうやってしばらくわたしが見るともなく見ているうちに、それがだんだん目にれてきたのか、それともわたしが知らずしらずに自分の記憶でもってそれをおぎないだしていたのか、いつのまにか、ひとつひとつの線や形をおもむろに浮き上がらせていた。それほどわたしにはその何もかもがしたしくなっている、この人々のいうところの幸福の谷―そう、なるほどこうやって住みれてしまえば、わたしだってそう人々といっしょになって呼んでもいいような気のするくらいだが、……ここだけは、谷の向こう側はあんなにも風がざわめいているというのに、ほんとうに静かだこと。まあ、ときおりわたしの小屋のすぐ裏のほうで何かが小さな音をしらせているようだけれど、あれはおそらく、そんな遠くからやっと届いた風のためにれきった木の枝と枝とがれあっているのだろう。また、どうかするとそんな風のあまりらしいものが、わたしの足もとでも、二つ三つの落ち葉をほかの落ち葉の上にさらさらと、弱い音を立てながら移している……。



底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年5月28日初版第1刷発行
初出:「風立ちぬ」は「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の五篇から成っている。
   「序曲」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表された「風立ちぬ」の発端部分を野田書房版(1938(昭和13)年4月10日刊)「風立ちぬ」において「序曲」と改題。
   「春」:「新女苑」1937(昭和12)年4月号に「婚約」と題し発表。
   「風立ちぬ」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表。構成は「発端」「T」「U」「V」の4章から成る。
   「冬」:「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号に発表。
   「死のかげの谷」:「新潮」1938(昭和13)年3月号に発表。
初収単行本:「風立ちぬ」野田書房、1938(昭和13)年4月10日
※底本の親本の筑摩全集版は、野田書房版による。初出情報は、「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2003年12月29日作成
2004年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



風立ちぬ(三)

堀辰雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)薄《すすき》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八ヶ岳|山麓《さんろく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#アステリズム、1-12-94]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Le vent se le've, il faut tenter de vivre.〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#地から1字上げ]十一月十七日
 私はもう二三日すれば私のノオトを書き了《お》えられるだろう。それは私達自身のこうした生活に就いて書いていれば切りがあるまい。それをともかくも一応書き了えるためには、私は何か結末を与えなければならないのだろうが、今もなおこうして私達の生き続けている生活にはどんな結末だって与えたくはない。いや、与えられはしないだろう。寧《むし》ろ、私達のこうした現在のあるがままの姿でそれを終らせるのが一番好いだろう。
 現在のあるがままの姿? ……私はいま何かの物語で読んだ「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という言葉を思い出している。現在、私達の互に与え合っているものは、嘗《かつ》て私達の互に与え合っていた幸福とはまあ何んと異ったものになって来ているだろう! それはそう云った幸福に似た、しかしそれとはかなり異った、もっともっと胸がしめつけられるように切ないものだ。こういう本当の姿がまだ私達の生の表面にも完全に現われて来ていないものを、このまま私はすぐ追いつめて行って、果してそれに私達の幸福の物語に相応《ふさわ》しいような結末を見出せるであろうか? なぜだか分らないけれど、私がまだはっきりさせることの出来ずにいる私達の生の側面には、何んとなく私達のそんな幸福に敵意をもっているようなものが潜んでいるような気もしてならない。……
 そんなことを私は何か落着かない気持で考えながら、明りを消して、もう寝入っている病人の側を通り抜けようとして、ふと立ち止まって暗がりの中にそれだけがほの白く浮いている彼女の寝顔をじっと見守った。その少し落ち窪んだ目のまわりがときどきぴくぴくと痙攣《ひっつ》れるようだったが、私にはそれが何物かに脅かされてでもいるように見えてならなかった。私自身の云いようもない不安がそれを唯そんな風に感じさせるに過ぎないであろうか?


[#地から1字上げ]十一月二十日
 私はこれまで書いて来たノオトをすっかり読みかえして見た。私の意図したところは、これならまあどうやら自分を満足させる程度には書けているように思えた。
 が、それとは別に、私はそれを読み続けている自分自身の裡《うち》に、その物語の主題をなしている私達自身の「幸福」をもう完全には味わえそうもなくなっている、本当に思いがけない不安そうな私の姿を見出しはじめていた。そうして私の考えはいつかその物語そのものを離れ出していた。「この物語の中のおれ達はおれ達に許されるだけのささやかな生の愉《たの》しみを味わいながら、それだけで独自《ユニイク》にお互を幸福にさせ合えると信じていられた。少くともそれだけで、おれはおれの心を縛りつけていられるものと思っていた。――が、おれ達はあんまり高く狙い過ぎていたのであろうか? そうして、おれはおれの生の欲求を少し許《ばか》り見くびり過ぎていたのであろうか? そのために今、おれの心の縛がこんなにも引きちぎられそうになっているのだろうか?……」
「可哀そうな節子……」と私は机にほうり出したノオトをそのまま片づけようともしないで、考え続けていた。「こいつはおれ自身が、気づかぬようなふりをしていたそんなおれの生の欲求を沈黙の中に見抜いて、それに同情を寄せているように見えてならない。そしてそれが又こうしておれを苦しめ出しているのだ。……おれはどうしてこんなおれの姿をこいつに隠し了《おお》せることが出来なかったのだろう? 何んておれは弱いのだろうなあ……」
 私は、明りの蔭になったベッドにさっきから目を半ばつぶっている病人に目を移すと、殆ど息づまるような気がした。私は明りの側を離れて、徐《しず》かにバルコンの方へ近づいて行った。小さな月のある晩だった。それは雲のかかった山だの、丘だの、森などの輪廓《りんかく》をかすかにそれと見分けさせているきりだった。そしてその他の部分は殆どすべて鈍い青味を帯びた闇の中に溶け入っていた。しかし私の見ていたものはそれ等のものではなかった。私は、いつかの初夏の夕暮に二人で切ないほどな同情をもって、そのまま私達の幸福を最後まで持って行けそうな気がしながら眺め合っていた、まだその何物も消え失せていない思い出の中の、それ等の山や丘や森などをまざまざと心に蘇《よみがえ》らせていたのだった。そして私達自身までがその一部になり切ってしまっていたようなそういう一瞬時の風景を、こんな具合にこれまでも何遍となく蘇らせたので、それ等のものもいつのまにか私達の存在の一部分になり、そしてもはや季節と共に変化してゆくそれ等のものの、現在の姿が時とすると私達には殆ど見えないものになってしまう位であった。……
「あのような幸福な瞬間をおれ達が持てたということは、それだけでももうおれ達がこうして共に生きるのに値したのであろうか?」と私は自分自身に問いかけていた。
 私の背後にふと軽い足音がした。それは節子にちがいなかった。が、私はふり向こうともせずに、そのままじっとしていた。彼女もまた何も言わずに、私から少し離れたまま立っていた。しかし、私はその息づかいが感ぜられるほど彼女を近ぢかと感じていた。ときおり冷たい風がバルコンの上をなんの音も立てずに掠《かす》め過ぎた。何処か遠くの方で枯木が音を引きむしられていた。
「何を考えているの?」とうとう彼女が口を切った。
 私はそれにはすぐ返事をしないでいた。それから急に彼女の方へふり向いて、不確かなように笑いながら、
「お前には分っているだろう?」と問い返した。
 彼女は何か罠《わな》でも恐れるかのように注意深く私を見た。それを見て、私は、
「おれの仕事のことを考えているのじゃないか」とゆっくり言い出した。「おれにはどうしても好い結末が思い浮ばないのだ。おれはおれ達が無駄に生きていたようにはそれを終らせたくはないのだ。どうだ、一つお前もそれをおれと一しょに考えて呉れないか?」
 彼女は私に微笑《ほほえ》んで見せた。しかし、その微笑みはどこかまだ不安そうであった。
「だってどんな事をお書きになったんだかも知らないじゃないの」彼女は漸《や》っと小声で言った。
「そうだっけなあ」と私はもう一度不確かなように笑いながら言った。「それじゃあ、そのうちに一つお前にも読んで聞かせるかな。しかしまだ、最初の方だって人に読んで聞かせるほど纏《まと》まっちゃいないんだからね」
 私達は部屋の中へ戻った。私が再び明りの側に腰を下ろして、其処にほうり出してあるノオトをもう一度手に取り上げて見ていると、彼女はそんな私の背後に立ったまま、私の肩にそっと手をかけながら、それを肩越しに覗き込むようにしていた。私はいきなりふり向いて、
「お前はもう寝た方がいいぜ」と乾いた声で言った。
「ええ」彼女は素直に返事をして、私の肩から手を少しためらいながら放すと、ベッドに戻って行った。
「なんだか寝られそうもないわ」二三分すると彼女がベッドの中で独り言のように言った。
「じゃ、明りを消してやろうか?……おれはもういいのだ」そう言いながら、私は明りを消して立ち上ると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。私達はしばらくそうしたまま、暗《やみ》の中に黙り合っていた。
 さっきより風がだいぶ強くなったと見える。それはあちこちの森から絶えず音を引き※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いでいた。そしてときどきそれをサナトリウムの建物にぶっつけ、どこかの窓をばたばた鳴らしながら、一番最後に私達の部屋の窓を少しきしらせた。それに怯《おび》えでもしているかのように、彼女はいつまでも私の手をはなさないでいた。そうして目をつぶったまま、自分の裡《うち》の何かの作用《はたらき》に一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手が少し緩んできた。彼女は寝入ったふりをし出したらしかった。
「さあ、今度はおれの番か……」そんなことを呟きながら、私も彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へはいって行った。


[#地から1字上げ]十一月二十六日
 この頃、私はよく夜の明けかかる時分に目を覚ます。そんなときは、私は屡々《しばしば》そっと起き上って、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁や壜《びん》などはだんだん黄ばみかけて来ているのに、彼女の顔だけがいつまでも蒼白い。「可哀そうな奴だなあ」それが私の口癖にでもなったかのように自分でも知らずにそう言っているようなこともある。
 けさも明け方近くに目を覚ました私は、長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、爪先き立って部屋を抜け出し、サナトリウムの裏の、裸過ぎる位に枯れ切った林の中へはいって行った。もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、それが風に抗《あらが》っているきりだった。私がその空虚な林を出はずれた頃には、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に低く垂れたまま動こうともしないでいる雲の塊りを、見るまに赤あかと赫《かがや》かせはじめていた。が、そういう曙《あけぼの》の光も地上にはまだなかなか届きそうになかった。それらの山々の間に挟まれている冬枯れた森や畑や荒地は、今、すべてのものから全く打ち棄てられてでもいるような様子を見せていた。
 私はその枯木林のはずれに、ときどき立ち止まっては寒さに思わず足踏みしながら、そこいらを歩き廻っていた。そうして何を考えていたのだか自分でも思い出せないような考えをとつおいつしていた私は、そのうち不意に頭を上げて、空がいつのまにか赫きを失った暗い雲にすっかり鎖《とざ》されているのを認めた。私はそれに気がつくと、ついさっきまでそれをあんなにも美しく焼いていた曙の光が地上に届くのをそれまで心待ちにしてでもいたかのように、急になんだか詰まらなそうな恰好《かっこう》をして、足早にサナトリウムに引返して行った。
 節子はもう目を覚ましていた。しかし立ち戻った私を認めても、私の方へは物憂げにちらっと目を上げたきりだった。そしてさっき寝ていたときよりも一層蒼いような顔色をしていた。私が枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻しようとすると、彼女は弱々しく首を振った。私はなんにも訊《き》かずに、悲しそうに彼女を見ていた。が、彼女はそんな私をと云うよりも、寧《むし》ろ、そんな私の悲しみを見まいとするかのように、ぼんやりした目つきで空《くう》を見入っていた。

 夜
 何も知らずにいたのは私だけだったのだ。午前の診察の済んだ後で、私は看護婦長に廊下へ呼び出された。そして私ははじめて節子がけさ私の知らない間に少量の喀血《かっけつ》をしたことを聞かされた。彼女は私にはそれを黙っていたのだ。喀血は危険と云う程度ではないが、用心のためにしばらく附添看護婦をつけて置くようにと、院長が言い付けて行ったというのだ。――私はそれに同意するほかはなかった。
 私は丁度空いている隣りの病室に、その間だけ引き移っていることにした。私はいま、二人で住んでいた部屋に何処から何処まで似た、それでいて全然見知らないような感じのする部屋の中に、一人ぼっちで、この日記をつけている。こうして私が数時間前から坐っているのに、どうもまだこの部屋は空虚のようだ。此処にはまるで誰もいないかのように、明りさえも冷たく光っている。


[#地から1字上げ]十一月二十八日
 私は殆ど出来上っている仕事のノオトを、机の上に、少しも手をつけようとはせずに、ほうり出したままにして置いてある。それを仕上げるためにも、しばらく別々に暮らした方がいいのだと云うことを病人には云い含めて置いたのだ。
 が、どうしてそれに描いたような私達のあんなに幸福そうだった状態に、今のようなこんな不安な気持のまま、私一人ではいって行くことが出来ようか?

 私は毎日、二三時間|隔《お》きぐらいに、隣りの病室に行き、病人の枕もとにしばらく坐っている。しかし病人に喋舌《しゃべ》らせることは一番好くないので、殆んどものを言わずにいることが多い。看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互になるたけ目も合わせないようにしている。
 が、どうかして私達がふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるで私達の最初の日々に見せたような、一寸気まりの悪そうな微笑《ほほえ》み方を私にして見せる。が、すぐ目を反らせて、空《くう》を見ながら、そんな状態に置かれていることに少しも不平を見せずに、落着いて寝ている。彼女は一度私に仕事は捗《はかど》っているのかと訊いた。私は首を振った。そのとき彼女は私を気の毒がるような見方をして見た。が、それきりもう私にそんなことは訊かなくなった。そして一日は、他の日に似て、まるで何事もないかのように物静かに過ぎる。
 そして彼女は私が代って彼女の父に手紙を出すことさえ拒んでいる。

 夜、私は遅くまで何もしないで机に向ったまま、バルコンの上に落ちている明りの影が窓を離れるにつれてだんだん幽《かす》かになりながら、暗《やみ》に四方から包まれているのを、あたかも自分の心の裡さながらのような気がしながら、ぼんやりと見入っている。ひょっとしたら病人もまだ寝つかれずに、私のことを考えているかも知れないと思いながら……


[#地から1字上げ]十二月一日
 この頃になって、どうしたのか、私の明りを慕ってくる蛾がまた殖え出したようだ。
 夜、そんな蛾がどこからともなく飛んで来て、閉め切った窓硝子《まどガラス》にはげしくぶつかり、その打撃で自ら傷つきながら、なおも生を求めてやまないように、死に身になって硝子に孔《あな》をあけようと試みている。私がそれをうるさがって、明りを消してベッドにはいってしまっても、まだしばらく物狂わしい羽搏《はばた》きをしているが、次第にそれが衰え、ついに何処かにしがみついたきりになる。そんな翌朝、私はかならずその窓の下に、一枚の朽ち葉みたいになった蛾の死骸を見つける。
 今夜もそんな蛾が一匹、とうとう部屋の中へ飛び込んで来て、私の向っている明りのまわりをさっきから物狂わしくくるくると廻っている。やがてばさりと音を立てて私の紙の上に落ちる。そしていつまでもそのまま動かずにいる。それからまた自分の生きていることを漸《や》っと思い出したように、急に飛び立つ。自分でももう何をしているのだか分らずにいるのだとしか見えない。やがてまた、私の紙の上にばさりと音を立てて落ちる。
 私は異様な怖れからその蛾を逐《お》いのけようともしないで、かえってさも無関心そうに、自分の紙の上でそれが死ぬままにさせて置く。


[#地から1字上げ]十二月五日
 夕方、私達は二人きりでいた。附添看護婦はいましがた食事に行った。冬の日は既に西方の山の背にはいりかけていた。そしてその傾いた日ざしが、だんだん底冷えのしだした部屋の中を急に明るくさせ出した。私は病人の枕もとで、ヒイタアに足を載せながら、手にした本の上に身を屈《かが》めていた。そのとき病人が不意に、
「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
 私は思わずぎくりとしながら彼女の方へ顔を上げた。私は彼女の目がいつになく赫《かがや》いているのを認めた。――しかし私はさりげなさそうに、今の小さな叫びが耳にはいらなかったらしい様子をしながら、
「いま何か言ったかい?」と訊《き》いて見た。
 彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
 その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先きを辿《たど》りながら私にもすぐ分ったが、唯そこいらへんには斜めな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞《やまひだ》しか私には認められなかった。
「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
 そのとき漸《や》っと私はその父の額らしい山襞を認めることが出来た。それは父のがっしりとした額を私にも思い出させた。「こんな影にまで、こいつは心の裡《うち》で父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる……」
 が、一瞬間の後には、暗《やみ》がその低い山をすっかり満たしてしまった。そしてすべての影は消えてしまった。
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。
 そのあとですぐ私は不安そうに節子の目を求めた。彼女は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
 私は脣《くちびる》を噛んだまま、目立たないようにベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
 私の背後で彼女が少し顫声《ふるえごえ》で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」
 私は窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々の麓《ふもと》にはもう暗《やみ》が塊まっていた。しかし山頂にはまだ幽《かす》かに光が漂っていた。突然|咽《のど》をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駈けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗《あらが》おうとしなかった。
 高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。……そうして私は何んでもないのにそんなに怯《おび》え切っている私自身を反って子供のように感ぜずにはいられなかった。私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。病人の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら……
 部屋の中までもう薄暗くなっていた。



   死のかげの谷

[#地から1字上げ]一九三六年十二月一日 K・・村にて
 殆ど三年半ぶりで見るこの村は、もうすっかり雪に埋まっていた。一週間ばかりも前から雪がふりつづいていて、けさ漸《や》っとそれが歇《や》んだのだそうだ。炊事の世話を頼んだ村の若い娘とその弟が、その男の子のらしい小さな橇《そり》に私の荷物を載せて、これからこの冬を其処で私の過ごそうという山小屋まで、引き上げて行ってくれた。その橇のあとに附いてゆきながら、途中で何度も私は滑りそうになった。それほどもう谷かげの雪はこちこちに凍《し》みついてしまっていた。……
 私の借りた小屋は、その村からすこし北へはいった、或小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、――なんでもそれらの別荘の一番はずれになっている筈だった。其処に夏を過ごしに来る外人たちがこの谷を称して幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]と云っているとか。こんな人けの絶えた、淋しい谷の、一体どこが幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]なのだろう、と私は今はどれもこれも雪に埋もれたまんま見棄てられているそう云う別荘を一つ一つ見過ごしながら、その谷を二人のあとから遅れがちに登って行くうちに、ふいとそれとは正反対の谷の名前さえ自分の口を衝《つ》いて出そうになった。私はそれを何かためらいでもするようにちょっと引っ込めかけたが、再び気を変えてとうとう口に出した。死のかげの谷[#「死のかげの谷」に傍点]。……そう、よっぽどそう云った方がこの谷には似合いそうだな、少くともこんな冬のさなか、こういうところで寂しい鰥暮《やもめぐ》らしをしようとしているおれにとっては。――と、そんな事を考え考え、漸っと私の借りる一番最後の小屋の前まで辿り着いてみると、申しわけのように小さなヴェランダの附いた、その木皮葺《きはだぶ》きの小屋のまわりには、それを取囲んだ雪の上になんだか得体の知れない足跡が一ぱい残っている。姉娘がその締め切られた小屋の中へ先きにはいって雨戸などを明けている間、私はその小さな弟からこれは兎これは栗鼠《りす》、それからこれは雉子《きじ》と、それらの異様な足跡を一々教えて貰っていた。
 それから私は、半ば雪に埋もれたヴェランダに立って、周囲を眺めまわした。私達がいま上って来た谷陰は、そこから見下ろすと、いかにも恰好《かっこう》のよい小ぢんまりとした谷の一部分になっている。ああ、いましがた例の橇に乗って一人だけ先きに帰っていった、あの小さな弟の姿が、裸の木と木との間から見え隠れしている。その可哀らしい姿がとうとう下方の枯木林の中に消えてしまうまで見送りながら、一わたりその谷間を見畢《みおわ》った時分、どうやら小屋の中も片づいたらしいので、私ははじめてその中にはいって行った。壁まですっかり杉皮が張りつめられてあって、天井も何もない程の、思ったよりも粗末な作りだが、悪い感じではなかった。すぐ二階にも上って見たが、寝台から椅子と何から何まで二人分ある。丁度お前と私とのためのように。――そう云えば、本当にこう云ったような山小屋で、お前と差し向いの寂しさで暮らすことを、昔の私はどんなに夢見ていたことか!……
 夕方、食事の支度が出来ると、私はそのまますぐ村の娘を帰らせた。それから私は一人で煖炉《だんろ》の傍に大きな卓子を引き寄せて、その上で書きものから食事一切をすることに極めた。その時ひょいと頭の上に掛かっている暦がいまだに九月のままになっているのに気がついて、それを立ち上がって剥《は》がすと、きょうの目附のところに印をつけて置いてから、さて、私は実に一年ぶりでこの手帳を開いた。


[#地から1字上げ]十二月二日
 どこか北の方の山がしきりに吹雪いているらしい。きのうなどは手に取るように見えていた浅間山も、きょうはすっかり雪雲に掩《おお》われ、その奥でさかんに荒れていると見え、この山麓《さんろく》の村までその巻添えを食らって、ときどき日が明るく射しながら、ちらちらと絶えず雪が舞っている。どうかして不意にそんな雪の端が谷の上にかかりでもすると、その谷を隔てて、ずっと南に連った山々のあたりにはくっきりと青空が見えながら、谷全体が翳《かげ》って、ひとしきり猛烈に吹雪く。と思うと、又ぱあっと日があたっている。……
 そんな谷の絶えず変化する光景を窓のところに行ってちょっと眺めやっては、又すぐ煖炉《だんろ》の傍に戻って来たりして、そのせいでか、私はなんとなく落着かない気持で一日じゅうを過ごした。
 昼頃、風呂敷包を背負った村の娘が足袋《たび》跣《はだ》しで雪の中をやって来てくれた。手から顔まで霜焼けのしているような娘だが、素直そうで、それに無口なのが何よりも私には工合が好い。又きのうのように食事の用意だけさせて置いて、すぐに帰らせた。それから私はもう一日が終ってしまったかのように、煖炉の傍から離れないで、何もせずにぼんやりと、焚木《たきぎ》がひとりでに起る風に煽《あお》られつつぱちぱちと音を立てながら燃えるのを見守っていた。
 そのまま夜になった。一人で冷めたい食事をすませてしまうと、私の気持もいくぶん落着いてきた。雪は大した事にならずに止んだようだが、そのかわり風が出はじめていた。火が少しでも衰えて音をしずめると、その隙々に、谷の外側でそんな風が枯木林から音を引き※[#「てへん+宛」、第3水準1-84-80]《も》いでいるらしいのが急に近ぢかと聞えて来たりした。
 それから一時間ばかり後、私は馴れない火にすこし逆上《のぼ》せたようになって、外気にあたりに小屋を出た。そうしてしばらく真っ暗な戸外を歩き廻っていたが、やっと顔が冷え冷えとしてきたので、再び小屋にはいろうとしかけながら、その時はじめて中から洩れてくる明りで、いまもなお絶えず細かい雪が舞っているのに気がついた。私は小屋にはいると、すこし濡れた体を乾かしに、再び火の傍に寄って行った。が、そうやって又火にあたっているうちに、いつしか体を乾かしている事も忘れたようにぼんやりとして、自分の裡《うち》に或る追憶を蘇《よみがえ》らせていた。それは去年のいま頃、私達のいた山のサナトリウムのまわりに、丁度今夜のような雪の舞っている夜ふけのことだった。私は何度もそのサナトリウムの入口に立っては、電報で呼び寄せたお前の父の来るのを待ち切れなさそうにしていた。やっと真夜中近くになって父は着いた。しかしお前はそういう父をちらりと見ながら、脣《くちびる》のまわりにふと微笑ともつかないようなものを漂わせたきりだった。父は何も云わずにそんなお前の憔悴《しょうすい》し切った顔をじっと見守っていた。そうしてはときおり私の方へいかにも不安そうな目を向けた。が、私はそれには気がつかないようなふりをして、唯、お前の方ばかりを見るともなしに見やっていた。そのうちに突然お前が何か口ごもったような気がしたので、私がお前の傍に寄ってゆくと、殆ど聞えるか聞えない位の小さな声で、「あなたの髪に雪がついているの……」とお前は私に向って云った。――いま、こうやって一人きりで火の傍にうずくまりながら、ふいと蘇ったそんな思い出に誘われるようにして、私が何んの気なしに自分の手を頭髪に持っていって見ると、それはまだ濡れるともなく濡れていて、冷めたかった。私はそうやって見るまで、それには少しも気がつかずにいた。……


[#地から1字上げ]十二月五日
 この数日、云いようもないほどよい天気だ。朝のうちはヴェランダ一ぱいに日が射し込んでいて、風もなく、とても温かだ。けさなどはとうとうそのヴェランダに小さな卓や椅子を持ち出して、まだ一面に雪に埋もれた谷を前にしながら、朝食をはじめた位だ。本当にこうして一人っきりでいるのはなんだか勿体《もったい》ないようだ、と思いながら朝食に向っているうち、ひょいとすぐ目の前の枯れた灌木《かんぼく》の根もとへ目をやると、いつのまにか雉子《きじ》が来ている。それも二羽、雪の中に餌をあさりながら、ごそごそと歩きまわっている……
「おい、来て御覧、雉子が来ているぞ」
 私は恰《あたか》もお前が小屋の中に居でもするかのように想像して、声を低めてそう一人ごちながら、じっと息をつめてその雉子を見守っていた。お前がうっかり足音でも立てはしまいかと、それまで気づかいながら……
 その途端、どこかの小屋で、屋根の雪がどおっと谷じゅうに響きわたるような音を立てながら雪崩《なだ》れ落ちた。私は思わずどきりとしながら、まるで自分の足もとからのように二羽の雉子が飛び立ってゆくのを呆気にとられて見ていた。そのとき殆ど同時に、私は自分のすぐ傍に立ったまま、お前がそういう時の癖で、何も言わずに、ただ大きく目を※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》りながら私をじっと見つめているのを、苦しいほどまざまざと感じた。

 午後、私ははじめて谷の小屋を下りて、雪の中に埋まった村を一周りした。夏から秋にかけてしかこの村を知っていない私には、いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、釘づけになった小屋だのが、どれもこれも見覚えがありそうでいて、どうしてもその以前の姿を思い出されなかった。昔、私が好んで歩きまわった水車の道[#「水車の道」に傍点]に沿って、いつか私の知らない間に、小さなカトリック教会さえ出来ていた。しかもその美しい素木造《しらきづく》りの教会は、その雪をかぶった尖《とが》った屋根の下から、すでにもう黒ずみかけた壁板すらも見せていた。それが一層そのあたり一帯を私に何か見知らないように思わせ出した。それから私はよくお前と連れ立って歩いたことのある森の中へも、まだかなり深い雪を分けながらはいって行って見た。やがて私は、どうやら見覚えのあるような気のする一本の樅《もみ》の木を認め出した。が、漸《や》っとそれに近づいて見たら、その樅の中からギャッと鋭い鳥の啼《な》き声《ごえ》がした。私がその前に立ち止まると、一羽の、ついぞ見かけたこともないような、青味を帯びた鳥がちょっと愕《おどろ》いたように羽摶《はばた》いて飛び立ったが、すぐ他の枝に移ったままかえって私に挑みでもするように、再びギャッ、ギャッと啼き立てた。私はその樅の木からさえ、心ならずも立ち去った。


[#地から1字上げ]十二月七日
 集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、私は突然二声ばかり郭公《かっこう》の啼きつづけたのを聞いたような気がした。その啼き声はひどく遠くでしたようにも、又ひどく近くでしたようにも思われて、それが私をそこいらの枯藪《かれやぶ》の中だの、枯木の上だの、空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。
 それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡《うち》に鮮かに蘇えり出した。……
 けれども、そんな三年前の夏の、この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。


[#地から1字上げ]十二月十日
 この数日、どういうものか、お前がちっとも生き生きと私に蘇《よみがえ》って来ない。そうしてときどきこうして孤独でいるのが私には殆どたまらないように思われる。朝なんぞ、煖炉《だんろ》に一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦《じ》れったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。――私はそれから漸《や》っと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。
 又午後など、すこし村でも歩いて来ようと思って、谷を下りてゆくと、この頃は雪解けがしている故、道がとても悪く、すぐ靴が泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、大抵途中から引っ返して来てしまう。そうしてまだ雪の凍《し》みついている、谷までさしかかると、思わずほっとしながら、しかしこん度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるような上り道になる。そこで私はともすれば滅入りそうな自分の心を引き立てようとして、「たとひわれ死のかげの谷を歩むとも禍害《わざはひ》をおそれじ、なんぢ我とともに在《いま》せばなり……」と、そんなうろ覚えに覚えている詩篇の文句なんぞまで思い出して自分自身に云ってきかせるが、そんな文句も私にはただ空虚に感ぜられるばかりだった。


[#地から1字上げ]十二月十二日
 夕方、水車の道[#「水車の道」に傍点]に沿った例の小さな教会の前を私が通りかかると、そこの小使らしい男が雪泥の上に丹念に石炭殻を撒《ま》いていた。私はその男の傍に行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか、と何んという事もなしに訊《き》いて見た。
「今年はもう二三日うちに締めますそうで――」とその小使はちょっと石炭殻を撒く手を休めながら答えた。「去年はずっと冬じゅう開いて居りましたが、今年は神父様が松本の方へお出《いで》になりますので……」
「そんな冬でもこの村に信者はあるんですか?」と私は無躾《ぶしつ》けに訊いた。
「殆ど入らっしゃいませんが。……大抵、神父様お一人で毎日のお弥撒《ミサ》をなさいます」
 私達がそんな立ち話をし出しているところへ、丁度外出先からその独逸人《ドイツじん》だとかいう神父が帰って来た。こん度は私がその日本語をまだ充分理解しない、しかし人なつこそうな神父に掴《つか》まって、何かと訊かれる番になった。そうしてしまいには何か聞き違えでもしたらしく、明日の日曜の弥撒には是非来い、と私はしきりに勧められた。


[#地から1字上げ]十二月十三日、日曜日
 朝の九時頃、私は何を求めるでもなしにその教会へ行った。小さな蝋燭《ろうそく》の火のともった祭壇の前で、もう神父が一人の助祭と共に弥撒をはじめていた。信者でもなんでもない私は、どうして好いか分からず、唯、音を立てないようにして、一番後ろの方にあった藁《わら》で出来た椅子にそのままそっと腰を下ろした。が、やっと内のうす暗さに目が馴れてくると、それまで誰もいないものとばかり思っていた信者席の、一番前列の、柱のかげに一人黒ずくめのなりをした中年の婦人がうずくまっているのが目に入ってきた。そうしてその婦人がさっきからずっと跪《ひざま》ずき続けているらしいのに気がつくと、私は急にその会堂のなかのいかにも寒々としているのを身にしみて感じた。……
 それからも小一時間ばかり弥撒は続いていた。その終りかける頃、その婦人がふいと半巾《ハンカチ》を取りだして顔にあてがったのを私は認めた。しかしそれは何んのためだか、私には分からなかった。そのうちに漸っと弥撒が済んだらしく、神父は信者席の方へは振り向かずに、そのまま脇にあった小室の中へ一度引っ込んで行った。その婦人はなおもまだじっと身動きもせずにいた。が、その間に、私だけはそっと教会から抜け出した。
 それはうす曇った日だった。私はそれから雪解けのした村の中を、いつまでも何か充たされないような気持で、あてもなくさ迷っていた。昔、お前とよく絵を描きにいった、真ん中に一本の白樺のくっきりと立った原へも行って見て、まだその根もとだけ雪の残っている白樺の木に懐しそうに手をかけながら、その指先きが凍《こご》えそうになるまで、立っていた。しかし、私にはその頃のお前の姿さえ殆ど蘇って来なかった。……とうとう私は其処も立ち去って、何んともいうにいわれぬ寂しい思いで、枯木の間を抜けながら、一気に谷を昇って、小屋に戻って来た。
 そうしてはあはあと息を切らしながら、思わずヴェランダの床板に腰を下ろしていると、そのとき不意とそんなむしゃくしゃした私に寄り添ってくるお前が感じられた。が、私はそれにも知らん顔をして、ぼんやりと頬杖をついていた。その癖、そういうお前をこれまでになく生き生きと――まるでお前の手が私の肩にさわっていはしまいかと思われる位、生き生きと感じながら……
「もうお食事の支度が出来て居りますが――」
 小屋の中から、もうさっきから私の帰りを待っていたらしい村の娘が、そう私を食事に呼んだ。私はふっと現《うつつ》に返りながら、このままもう少しそっとして置いて呉れたら好かりそうなものを、といつになく浮かない顔つきをして小屋の中にはいって行った。そうして娘には一言も口をきかずに、いつものような一人きりの食事に向った。
 夕方近く、私はなんだかまだ苛《い》ら苛《い》らしたような気分のままその娘を帰してしまったが、それから暫らくするとその事をいくぶん後悔し出しながら、再びなんと云う事もなしにヴェランダに出て行った。そうしてまたさっきのように(しかしこん度はお前なしに……)ぼんやりとまだ大ぶ雪の残っている谷間を見下ろしていると、ゆっくり枯木の間を抜け抜け誰だかその谷じゅうをと見こう見しながら、だんだんこっちの方へ登って来るのが認められた。何処へ来たのだろうと思いながら見続けていると、それは私の小屋を捜しているらしい神父だった。


[#地から1字上げ]十二月十四日
 きのう夕方、神父と約束をしたので、私は教会へ訪ねて行った。あす教会を閉《とざ》して、すぐ松本へ立つとか云う事で、神父は私と話をしながらも、ときどき荷拵えをしている小使のところへ何か云いつけに立って行ったりした。そうしてこの村で一人の信者を得ようとしているのに、いま此処を立ち去るのはいかにも残念だと繰り返し言っていた。私はすぐにきのう教会で見かけた、やはり独逸人らしい中年の婦人を思い浮べた。そうしてその婦人のことを神父に訊こうとしかけながら、その時ひょっくりこれはまた神父が何か思い違えて、私自身のことを言っているのではあるまいかと云う気もされ出した。……
 そう妙にちぐはぐになった私達の会話は、それからはますます途絶えがちだった。そうして私達はいつか黙り合ったまま、熱過ぎるくらいの煖炉の傍で、窓硝子《まどガラス》ごしに、小さな雲がちぎれちぎれになって飛ぶように過ぎる、風の強そうなしかし冬らしく明るい空を眺めていた。
「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」神父がいかにも何気なさそうに口をきいた。
「本当に、こういう風のある、寒い日でなければ……」と私は鸚鵡《おうむ》がえしに返事をしながら、神父のいま何気なく言ったその言葉だけは妙に私の心にも触れてくるのを感じていた……
 一時間ばかりそうやって神父のところに居てから、私が小屋に帰って見ると、小さな小包が届いていた。ずっと前から註文してあったリルケの「鎮魂歌《レクヰエム》」が二三冊の本と一しょに、いろんな附箋《ふせん》がつけられて、方々へ廻送されながら、やっとの事でいま私の許《もと》に届いたのだった。
 夜、すっかりもう寝るばかりに支度をして置いてから、私は煖炉《だんろ》の傍で、風の音をときどき気にしながら、リルケの「レクヰエム」を読み始めた。


[#地から1字上げ]十二月十七日
 又雪になった。けさから殆ど小止みもなしに降りつづいている。そうして私の見ている間に目の前の谷は再び真っ白になった。こうやっていよいよ冬も深くなるのだ。きょうも一日中、私は煖炉の傍らで暮らしながら、ときどき思い出したように窓ぎわに行って雪の谷をうつけたように見やっては、又すぐに煖炉に戻って来て、リルケの「レクヰエム」に向っていた。未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら……

[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
私は死者達を持つてゐる、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
死んでゐる事にもすぐ慣れ、頗《すこぶ》る快活であるらしいのに
驚いている位だ。只お前――お前だけは帰つて
来た。お前は私を掠め、まはりをさ迷ひ、何物かに
衝《つ》き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、
お前を裏切るのだ。おお、私が手間をかけて学んで得た物を
私から取除けて呉れるな。正しいのは私で、お前が間違つてゐるのだ、
もしかお前が誰かの事物に郷愁を催してゐるのだったら。我々はその事物を目の前にしてゐても、
それは此処に在るのではない。我々がそれを知覚すると同時に
その事物を我々の存在から反映させてゐるきりなのだ。
[#ここで字下げ終わり]


[#地から1字上げ]十二月十八日
 漸《ようや》く雪が歇《や》んだので、私はこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へとはいって行って見た。ときどき何処かの木からどおっと音を立ててひとりでに崩れる雪の飛沫を浴びながら、私はさも面白そうに林から林へと抜けて行った。勿論、誰もまだ歩いた跡なんぞはなく、唯、ところどころに兎がそこいら中を跳ねまわったらしい跡が一めんに附いているきりだった。又、どうかすると雉子《きじ》の足跡のようなものがすうっと道を横切っていた……
 しかし何処まで行っても、その林は尽きず、それにまた雪雲らしいものがその林の上に拡がり出してきたので、私はそれ以上奥へはいることを断念して途中から引っ返して来た。が、どうも道を間違えたらしく、いつのまにか私は自分自身の足跡をも見失っていた。私はなんだか急に心細そうに雪を分けながら、それでも構わずにずんずん自分の小屋のありそうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするような気がし出していた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった……
 私はそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。そうして私は何か胸をしめつけられるような気持になりながら、きのう読《よ》み畢《お》えたリルケの「レクヰエム」の最後の数行が自分の口を衝いて出るがままに任せていた。

[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
帰つて入らつしやるな。さうしてもしお前に我慢できたら、
死者達の間に死んでお出《いで》。死者にもたんと仕事はある。
けれども私に助力はしておくれ、お前の気を散らさない程度で、
屡々遠くのものが私に助力をしてくれるやうに――私の裡で。
[#ここで字下げ終わり]


[#地から1字上げ]十二月二十四日
 夜、村の娘の家に招《よ》ばれて行って、寂しいクリスマスを送った。こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、夏なんぞ外人達が沢山はいり込んでくるような土地柄ゆえ、普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える。
 九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰をひとりで帰って来た。そうして最後の枯木林に差しかかりながら、私はふとその道傍に雪をかぶって一塊りに塊っている枯藪《かれやぶ》の上に、何処からともなく、小さな光が幽《かす》かにぽつんと落ちているのに気がついた。こんなところにこんな光が、どうして射しているのだろうと訝《いぶか》りながら、そのどっか別荘の散らばった狭い谷じゅうを見まわして見ると、明りのついているのは、たった一軒、確かに私の小屋らしいのが、ずっとその谷の上方に認められるきりだった。……「おれはまあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなあ」と私は思いながら、その谷をゆっくりと登り出した。「そうしてこれまでは、おれの小屋の明りがこんな下の方の林の中にまで射し込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。御覧……」と私は自分自身に向って言うように、「ほら、あっちにもこっちにも、殆どこの谷じゅうを掩《おお》うように、雪の上に点々と小さな光の散らばっているのは、どれもみんなおれの小屋の明りなのだからな。……」
 漸《や》っとその小屋まで登りつめると、私はそのままヴェランダに立って、一体この小屋の明りは谷のどの位を明るませているのか、もう一度見て見ようとした。が、そうやって見ると、その明りは小屋のまわりにほんの僅かな光を投げているに過ぎなかった。そうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、谷間の雪明りとひとつになっていた。
「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、此処で見ると、たったこれっきりなのか」と私はなんだか気の抜けたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめているうちに、ふとこんな考えが浮んで来た。「――だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許《ばか》りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」
 そんな思いがけない考えが、私をいつまでもその雪明りのしている寒いヴェランダの上に立たせていた。


[#地から1字上げ]十二月三十日
 本当に静かな晩だ。私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮んで来るがままにさせていた。
「おれは人並以上に幸福でもなければ、又不幸でもないようだ。そんな幸福だとか何んだとか云うような事は、嘗《か》つてはあれ程おれ達をやきもきさせていたっけが、もう今じゃあ忘れていようと思えばすっかり忘れていられる位だ。反ってそんなこの頃のおれの方が余っ程幸福の状態に近いのかも知れない。まあ、どっちかと云えば、この頃のおれの心は、それに似てそれよりは少し悲しそうなだけ、――そうかと云ってまんざら愉《たの》しげでないこともない。……こんな風におれがいかにも何気なさそうに生きていられるのも、それはおれがこうやって、なるたけ世間なんぞとは交じわらずに、たった一人で暮らしている所為《せい》かも知れないけれど、そんなことがこの意気地なしのおれに出来ていられるのは、本当にみんなお前のお蔭だ。それだのに、節子、おれはこれまで一度だっても、自分がこうして孤独で生きているのを、お前のためだなんぞとは思った事がない。それはどのみち自分一人のために好き勝手な事をしているのだとしか自分には思えない。或はひょっとしたら、それも矢っ張お前のためにはしているのだが、それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われる程、おれはおれには勿体《もったい》ないほどのお前の愛に慣れ切ってしまっているのだろうか? それ程、お前はおれには何んにも求めずに、おれを愛していて呉れたのだろうか? ……」
 そんな事を考え続けているうちに、私はふと何か思い立ったように立ち上りながら、小屋のそとへ出て行った。そうしていつものようにヴェランダに立つと、丁度この谷と背中合せになっているかと思われるようなあたりでもって、風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞えて来る。それから私はそのままヴェランダに、恰《あたか》もそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、それに耳を傾けながら立ち続けていた。私の前方に横わっているこの谷のすべてのものは、最初のうちはただ雪明りにうっすらと明るんだまま一塊りになってしか見えずにいたが、そうやってしばらく私が見るともなく見ているうちに、それがだんだん目に慣れて来たのか、それとも私が知《し》らず識《し》らずに自分の記憶でもってそれを補い出していたのか、いつの間にか一つ一つの線や形を徐《おもむ》ろに浮き上がらせていた。それほど私にはその何もかもが親しくなっている、この人々の謂《い》うところの幸福の谷[#「幸福の谷」に傍点]――そう、なるほどこうやって住み慣れてしまえば、私だってそう人々と一しょになって呼んでも好いような気のする位だが、……此処だけは、谷の向う側はあんなにも風がざわめいているというのに、本当に静かだこと。まあ、ときおり私の小屋のすぐ裏の方で何かが小さな音を軋《き》しらせているようだけれど、あれは恐らくそんな遠くからやっと届いた風のために枯れ切った木の枝と枝とが触れ合っているのだろう。又、どうかするとそんな風の余りらしいものが、私の足もとでも二つ三つの落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している……。



底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館
   1988(昭和63)年6月1日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年5月28日初版第1刷発行
初出:「風立ちぬ」は「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の五篇から成っている。
   「序曲」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表された「風立ちぬ」の発端部分を野田書房版(1938(昭和13)年4月10日刊)「風立ちぬ」において「序曲」と改題。
   「春」:「新女苑」1937(昭和12)年4月号に「婚約」と題し発表。
   「風立ちぬ」:「改造」1936(昭和11)年12月号に発表。構成は「発端」「※[#ローマ数字1、1-13-21]」「※[#ローマ数字2、1-13-22]」「※[#ローマ数字3、1-13-23]」の4章から成る。
   「冬」:「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号に発表。
   「死のかげの谷」:「新潮」1938(昭和13)年3月号に発表。
初収単行本:「風立ちぬ」野田書房、1938(昭和13)年4月10日
※底本の親本の筑摩全集版は、野田書房版による。初出情報は、「堀辰雄全集 第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2003年12月29日作成
2004年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 八ヶ岳 やつがたけ 富士火山帯中の成層火山。長野県茅野市・南佐久郡・諏訪郡と山梨県北杜市にまたがる。赤岳(2899m)を最高峰として、硫黄岳・横岳・権現岳など8峰が連なり、山麓斜面が広く、高冷地野菜栽培が盛ん。尖石など先史遺跡が分布。
  • 浅間山 あさまやま 長野・群馬両県にまたがる三重式の活火山。標高2568m。しばしば噴火、1783年(天明3)には大爆発し死者約2000人を出した。斜面は酪農や高冷地野菜栽培に利用され、南麓に避暑地の軽井沢高原が展開。浅間岳。(歌枕)
  • 松本 まつもと 長野県の中西部、松本盆地から岐阜県境にある市。もと戸田氏6万石の城下町。松本城(深志城)天守閣は国宝。もと信濃国府の地で、信府と称した。上高地・乗鞍高原・美ヶ原などの観光地への基地。人口22万8千。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • リルケ Rainer Maria Rilke 1875-1926 オーストリアの詩人。チェコ生れ。ヨーロッパ諸国を旅し、パリではロダンの秘書。詩集「形象詩集」「時祷集」「ドゥイーノの悲歌」「オルフォイスに捧げるソネット」などのほか、小説「マルテの手記」


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『鎮魂歌』 レクイエム リルケの著。1909年出版か。「リルケ」『新潮世界文学小辞典』新潮社、1966.5、p.1039、Wikipedia「リルケ」)


◇参照:Wikipedia、『新潮世界文学小辞典』(新潮社、1966.5)。



*難字、求めよ

  • 痙攣れる ひっつれる 引攣(ひっつ)れる、か。「ひきつれる(引攣)」の変化した語。ひきつった状態になる。ひっぱられてゆがむ。
  • サナトリウム sanatorium 療養所。郊外・林間・海浜・高原に設け、清浄な空気と日光とを利用し、主として結核症など慢性疾患を治療した施設。
  • とつおいつ (取リツ置キツの転) あれこれと。特に、あれやこれやと思い迷うこと。とっつおいつ。
  • 物憂げ ものうげ (形容詞「ものうい」の語幹に接尾語「げ」のついたもの)ものういさま。
  • 物憂い・懶い ものうい (1) 心がはれやかでない。何となく気がすすまない。(2) つらい。
  • 喀血 かっけつ 肺・気管支粘膜などから出血した血液をせきとともに吐くこと。肺出血。
  • 死に身 しにみ (1) 死んだ体。←→生き身。(2) 死ぬべき身体。死ぬときまった身の上。(3) 決死の身。捨て身。(4) 死人のように少しも活気のないこと。
  • 物狂わしい ものぐるわしい 「ものぐるおしい」に同じ。
  • 物狂おしい ものぐるおしい 心が異常な状態に陥りそうである。ものぐるわしい。
  • 山襞 やまひだ 山がひだのように波打って見えるところ。
  • すげない つれない。同情心がない。愛想がない。人づきがわるい。
  • 寡暮し・鰥暮し やもめぐらし 寡婦または鰥夫の身で暮らすこと。
  • ひとわたり 一渡り・一渉り。(1) ひととおり。一往。(2) 一曲を奏し終わること。ひとかえり。
  • 隙々 ひまひま (1) 方々のすきま。すきますきま。すきずき。(2) (「暇暇」とも書く) 用事のない間。
  • 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) (→)低木に同じ。←→喬木(きょうぼく)。
  • ひとりごつ 独り言つ (「ひとりごと」を活用させた語) 独り言をいう。
  • 素木造り しらきづくり 白木造り。塗料を塗らない、木地のままの材でつくること。また、その物。
  • 空方 そらざま 空の方。上の方。上向き。
  • 雪泥 せつでい 雪どけのぬかるみ。
  • 石炭殻 せきたんがら 石炭の燃えがら。
  • ミサ missa 弥撒。(1) ローマ‐カトリック教会で、聖体と聖血の拝領を中心に、神に感謝し共同体的一致を深める儀式。ほかの教会の聖餐式に当たる。ミサ聖祭。(2) ミサ曲。キリエ(主よ、憐み給え)・グロリア(栄光)・クレド(我は信ず)・サンクトゥス(聖なるかな)・アニュス‐デイ(神の小羊)などから成る。
  • 助祭 じょさい カトリック教会で、司祭に次ぐ聖職者。
  • 好かりそう よかりそう 良かりそう。(形容詞「よし」の補助活用連用形に様態の助動詞「そうだ」のついた形)そうする、またはそうあるのがよいだろうと思われるさま。またはそうあるのがよいだろうと思われるさま。よさそう。
  • 見こう見し
  • 鎮魂歌 ちんこんか 死者の魂をなぐさめしずめるための歌。


◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 ポメラ DM100 ファームウェアのアップデート続報。3週間目。
「乾電池アイコンの減少タイミングが改悪された」と思ったのは勘違いと判明。アップデートのさいに「パワーマネジメント」が初期設定にもどっており、「電池設定」が「eneloop」になってなかった。
 14日(月)電池交換、18日に電池アイコンが1レベル減少、輝度を1つおとす、19日に電池交換指示。20日、再度、電池交換指示。ほぼ、1日2時間程度の使用でちょうど1週間だから、どうやらアップデートによる変更はない模様。




*次週予告


第五巻 第二七号 
山の科学・山と河(一) 今井半次郎


第五巻 第二七号は、
二〇一三年一月二六日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第二六号
風立ちぬ(三)堀 辰雄
発行:二〇一三年一月一九日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
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