武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:山形県山形市大之越(だいのこし)遺跡出土、環頭大刀の柄頭。『出羽国成立以前の山形』(山形県立博物館、2011.10)より。


もくじ 
校註『古事記』(八)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(八)
  古事記 下つ巻
   一、仁徳天皇
    后妃と皇子女
    聖の御世
    吉備の黒日売
    皇后石の比売の命
    八田の若郎女
    速総別の王と女鳥の王
    雁の卵(こ)
    枯野という船
   二、履中天皇・反正天皇
    履中天皇と墨江の中つ王
    反正天皇

オリジナル版
校註『古事記』(八)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫・度量衡の一覧
  • 寸 すん  一寸=約3cm。
  • 尺 しゃく 一尺=約30cm。
  • 丈 じょう (1) 一丈=約3m。尺の10倍。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。一歩は普通、曲尺6尺平方で、一坪に同じ。
  • 間 けん  一間=約1.8m。6尺。
  • 町 ちょう (1) 一町=10段(約100アール=1ヘクタール)。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩。(2) (「丁」とも書く) 一町=約109m強。60間。
  • 里 り   一里=約4km(36町)。昔は300歩、今の6町。
  • 合 ごう  一合=約180立方cm。
  • 升 しょう 一升=約1.8リットル。
  • 斗 と   一斗=約18リットル。
  • 海里・浬 かいり 一海里=1852m。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。一尋は5尺(1.5m)または6尺(1.8m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 一坪=約3.3平方m。歩(ぶ)。6尺四方。
  • 丈六 じょうろく 一丈六尺=4.85m。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(八)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 下つ巻

  〔一、仁徳天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 大雀おおさざきの命〔仁徳天皇〕(一)、難波の高津の宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇、葛城かずらき曽都毘古(三)が女、いわ日売ひめの命大后おおきさきいて生みませる御子、大江の伊耶本和気の命、つぎに墨江すみのえなかみこ、つぎにたじひ水歯別みずはわけの命、つぎに男浅津間若子あさわくの宿祢の命〈四柱〉。また上にいえる日向ひむか諸県むらがたの君牛諸うしもろが女、髪長比売かみながひめいて生みませる御子、波多毘はたび大郎子おおいらつこ、またの名は大日下くさかの王、つぎに波多毘の若郎女わきいらつめ、またの名は長目ながめ比売の命、またの名は若日下部の命〈二柱〉。また庶妹ままいも八田やた若郎女わかいらつめい、また庶妹宇遅うじ若郎女わかいらつめいたまいき。〈この二柱は、御子まさざりき。およそこの大雀おおさざきの天皇の御子たちあわせて六柱。〈男王五柱、女王一柱。かれ伊耶本和気の命履中りちゅう天皇〕は、天の下らしめしき。つぎにたじひの水歯別の命反正はんぜい天皇〕も天の下らしめしき。つぎに男浅津間若子の宿祢の命允恭いんぎょう天皇〕も天の下らしめしき。

  •  (一)仁徳天皇。
  •  (二)大阪市東区。今の大阪城のあたり。
  •  (三)建内の宿祢の子。

   ひじり御世みよ


 この天皇の御世に、大后いわの比売の命の御名代みなしろとして葛城部かずらきべを定めたまい、また太子ひつぎのみこ伊耶本和気の命の御名代として壬生部にぶべを定めたまい、また水歯別の命の御名代として蝮部たじひべを定めたまい、また大日下の王の御名代として大日下部を定めたまい、若日下部の王の御名代として若日下部を定めたまいき。
 またはた(一)えだてて、茨田うまらたの堤(二)と茨田の三宅みやけとを作り、また丸邇わにの池(三)依網よさみの池(四)を作り、また難波の堀江(五)を掘りて、海に通わし、また小椅おばしの江(六)を掘り、また墨江の津(七)を定めたまいき。
 ここに天皇、高山に登りて、四方よもの国を見たまいてりたまいしく、国中くぬちけむりたたず(八)、国みなまずし。かれ今より三年にいたるまで、ことごとに人民おおみたから課役みつきえだち(九)ゆるせ」とのりたまいき。ここをもちて大殿こぼれて、ことごとに雨れども、かつて修理おさめたまわず、(一〇)をもちてそのる雨を受けて、らざるところにうつりりましき。のちに国中くぬちを見たまえば、国にけむり満ちたり。かれ人民めりとおもおして、今はと課役おおせたまいき。ここをもちて百姓おおみたから栄えて役使えだちに苦しまざりき。かれその御世をとなえて聖帝ひじりの御世(一一)ともうす。

  •  (一)中国の秦の国人。
  •  (二)大阪府北河内郡。
  •  (三)大阪府南河内郡。
  •  (四)大阪市東成区。前につくったことが出ている。改修か。
  •  (五)淀川の水を通じるために掘ったもので、今の天満川である。
  •  (六)大阪市東成区。
  •  (七)大阪市住吉区。
  •  (八)食物を作ることが少ないのでけむりが立たない。
  •  (九)ミツキはたてまつり物。エダチは労役。
  • (一〇)水を流すとい
  • (一一)ヒジリは、知識者の意から貴人をいうようになったが、漢字の「聖」にこの語をあて、天皇の世をこのようにいうのは、漢文の影響を受けている。

   吉備きびの黒日売〕


 その大后いわの日売の命、いたく嫉妬うわなりねたみしたまいき。かれ天皇の使わせるみめたちは、宮の中をもえのぞかず、言立てば、足も足掻あがかに(一)ねたみたまいき。ここに天皇、吉備きび海部あまべあたえが女、名は黒日売くろひめそれ容姿端正かおよしと聞こしめして、喚上めさげて使いたまいき。しかれどもその大后のそねみますをかしこみて、本つ国に逃げ下りき。天皇、高台たかどのにいまして、その黒日売の船出するを望み見て歌よみしたまいしく、

には 小舟つららく(二)
くろざや(三)の まさずこ(四)吾妹わぎも
国へ下らす。〔歌謡番号五三〕

 かれ大后おおきさき、この御歌みうたを聞かして、いたく忿いかりまして、大浦に人を遣わして、追い下してかちよりやらいたまいき。
 ここに天皇、その黒日売に恋いたまいて、大后をあざむかしてのりたまわく、淡道島あわじしま見たまわんとす」とのりたまいてでますときに、淡道島にいまして、はろばろみさけまして、歌よみしたまいしく、

おしてるや(五)、難波の埼よ(六)
ちて わが国見れば、
粟島あわしま(七) 淤能碁呂島おのごろしま(八)
檳榔あじまさの 島(九)も見ゆ。
佐気都(一〇)見ゆ。〔歌謡番号五四〕

 すなわちその島より伝いて、吉備きびの国にでましき。ここに黒日売、その国の山県やまがたところ(一一)におおましまさしめて、大御飯おおみけたてまつりき。ここに大御羮おおみあつもの(一二)んとして、其地そこ菘菜あおなむときに、天皇その嬢子おとめ採むところにいたりまして、歌よみしたまいしく、

がたけるあおなも、
吉備人と ともにしめば、
たのしくもあるか。〔歌謡番号五五〕

 天皇のぼりでますときに、黒日売、御歌みうた、たてまつりていいしく、

やまと西風にし吹きげて、
ばなれ そきりとも(一三)
われ忘れめや。〔歌謡番号五六〕

また歌いていいしく、

やまとに ゆくはつま
隠津こもりづの 下よえつつ(一四)
ゆくはつま〔歌謡番号五七〕

  •  (一)足をバタバタさせて。
  •  (二)小船がつらなっている。
  •  (三)語義不明。枕詞まくらことばだろう。
  •  (四)黒日売の本名であろう。
  •  (五)枕詞。海の照り輝く意。
  •  (六)埼から。
  •  (七)阿波の方面から見た四国。
  •  (八)所在不明。一九ページ「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」脚注参照。
  •  (九)所在不明。アジマサは、檳榔樹。
  • (一〇)同前。
  • (一一)山の料地。
  • (一二)お吸物すいもの
  • (一三)雲が離れるように退いていても。「大和べに 風吹きあげて 雲ばなれ 退りともよ 吾を忘らすな」『丹後国風土記』、浦島の物語の神女)
  • (一四)地下水のように下を流れて。

   〔皇后いわ比売ひめの命〕


 これよりのち、大后とよあかり(一)したまわんとして、御綱栢みつながしわ(二)りに木の国にでましし間に、天皇、八田やた若郎女わかいらつめいましき。ここに大后は、御綱栢みつながしわを御船に積みててかえりいでますときに、水取もいとりつかさに使わゆる、吉備の国の児島の郡の仕丁よぼろ(三)、これおのが国に退まかるに、難波の大渡におくれたる倉人女くらびとめ(四)の船にいき。すなわち語りていわく、「天皇は、このごろ八田の若郎女わかいらつめいまして昼夜よるひるたわむれますを。もし大后おおきさきはこのこと聞こしめさねかも(五)、しずかに遊びいでます」と語りき。ここにその倉人女、この語る言いを聞きて、すなわち御船に追い近づきて、その仕丁よぼろが言いつるごと、ありさまをもうしき。ここに大后いたくうらみ怒りまして、その御船に載せたる御綱栢みつながしわは、ことごとに海に投げてたまいき。かれ其地そこに名づけて御津みつさきという。すなわち宮に入りまさずて、その御船を引ききて、堀江にさかのぼらして、河のまにまに(六)山代やましろにのぼりいでましき。このときに歌よみしたまいしく、

つぎねふや(七) 山代やましろ河を
川のぼり がのぼれば、
河のに 生いたてる 烏草樹(八)を。
烏草樹の樹、
が下に 生い立てる
葉広 ゆつ真椿まつばき(九)
が花の りいまし
が葉の ひろりいますは、
大君ろかも。〔歌謡番号五八〕

 すなわち山代よりめぐりて、那良の山口(一〇)にいたりまして、歌よみしたまいしく、

つぎねふや 山代河を
宮のぼり がのぼれば、
あおによし(一一) 那良をすぎ、
小楯おだて(一二) やまと(一三)をすぎ、
わが 見が欲し国(一四)は、
葛城かずらき 高宮たかみや(一五)
吾家わぎえのあたり。〔歌謡番号五九〕

 かく歌いてかえらして、しまし〔しばし〕筒木つつきから(一六)、名は奴理能美が家に入りましき。
 天皇、その大后は山代よりのぼりでましぬと聞こしめして、舎人とねり名は鳥山とりやまという人を使わして御歌みうたを送りたまいしく、

山代に いしけ鳥山とりやま(一七)
いしけいしけ づまに いしきわんかも(一八)〔歌謡番号六〇〕

 またぎて丸邇わにの臣口子くちこを遣わして歌よみしたまいしく、

御諸みもろ(一九)の その高城たかきなる
大猪子おおいこが原(二〇)
大猪子が 腹にある(二一)
肝むかう(二二) 心をだにか
おもわずあらん。〔歌謡番号六一〕

 また歌よみしたまいしく、

つぎねふ 山代女の
木钁こくわ持ち 打ちし大根(二三)
根白の 白腕しろただむき
かずけばこそ(二四) 知らずとも言わめ。
〔歌謡番号六二〕

 かれこの口子くちこおみ、この御歌みうたもうすときに大雨りき。ここにその雨をもらず、前つ殿戸とのどにまいせば、しりつ戸にたがい出でたまい、しりつ殿戸にまいせば、前つ戸にたがい出でたまいき。かれ匍匐はい進起しじまいて、庭中にひざまずけるときに、水潦にわたづみ(二五)腰にいたりき。その臣、あかひもつけたる青摺あおずりきぬ(二六)たりければ、水潦にわたづみあかひもにさわりて、青みなあけになりぬ。ここに口子の臣が妹口比売くちひめ大后おおきさきに仕えまつれり。かれその口比売くち歌いていいしく、

山代の 筒木つつきの宮に
もの申す の君は、
なみだぐましも。〔歌謡番号六三〕

 ここに大后おおきさき、その故を問いたまうときに答えてもうさく、が兄、口子くちこの臣なり」ともうしき。
 ここに口子の臣、またその妹口比売、また奴理能美、三人はかりて、天皇にもうさしめてもうさく、「大后のでませる故は、奴理能美える虫、一度はう虫になり、一度はかいこになり、一度は飛ぶ鳥になりて、三くさに変わるあやしき虫(二七)あり。この虫をそなわしに入りませるのみ。さらにしき心まさず」とかくもうすときに、天皇、「しからばあれあやしと思えば、見に行かな」とりたまいて、大宮よりのぼりでまして、奴理能美が家に入りますときに、その奴理能美、おのがえる三種の虫を大后にたてまつりき。ここに天皇、その大后のませる殿戸に御立みたちしたまいて、歌よみしたまいしく、

つぎねふ 山代女の
木钁こくわち 打ちし大根、
さわさわに(二八) が言えせこそ(二九)
うち渡す(三〇) やがは(三一)なす
入りまいれ。〔歌謡番号六四〕

 この天皇と大后と歌よみしたまえる六歌は、志都しつ歌の歌い返し(三二)なり。

  •  (一)酒宴しゅえん
  •  (二)御角柏とも書く。葉先が三つになっている樹葉。これに食物を盛る。ウコギ科の常緑喬木きょうぼく、カクレミノ。
  •  (三)岡山県児島郡から出た壮丁そうてい
  •  (四)物の出し入れをあつかう女。
  •  (五)ご承知にならないからか。疑問の已然条件法。
  •  (六)淀川をさかのぼって。
  •  (七)枕詞。語義不明。つぎつぎにみねが現われる意かという。
  •  (八)シャクナゲ科の常緑喬木。シャシャンボ。
  •  (九)神聖なツバキ。神霊の存在を感じている。
  • (一〇)淀川からのぼり、木津川をのぼって奈良山の山口にきた。
  • (一一)枕詞。語義不明。
  • (一二)枕詞。山の姿の形容か。
  • (一三)大和の国の平野の東方。山手の地。ヤマトの名は、もとこのあたりの称からおこった。
  • (一四)わたしの見たい国は。その国は、奈良や倭をすぎて行く葛城の地である、の意。
  • (一五)葛城の高地にある宮。皇后の父君、葛城の襲津彦、母君葛城の高額姫、ともにこの地に住まれた。
  • (一六)京都府綴喜郡にいる朝鮮の人。
  • (一七)追いつけよ、鳥山とりやまよ。
  • (一八)追いついていましょう。
  • (一九)ミモロは神座をいい、ひいて神社のある所をいう。ここは葛城の三諸。
  • (二〇)原の名。オホイコはイノシシのこと。
  • (二一)上の大猪子が原から引き出している。肝は腹にあるので、つぎの句を修飾する。
  • (二二)枕詞。腹の中には肝が向かいあい、そこに心があるとした。
  • (二三)打って掘り出した大根。
  • (二四)ケは、時の助動詞キの古い活用形で未然形。
  • (二五)雨が降って急に出る水。
  • (二六)美装で、雄略天皇の巻にも見える。アオズリは、青い染料をすりつけて染めること。
  • (二七)カイコである。カイコのはじめは三五ページ「須佐の男の命」の「穀物の種」の神話に見えているが、それは神話のことで、大陸や朝鮮との交通によって養蚕がおこなわれるようになったのである。
  • (二八)さわぎ立てる形容。
  • (二九)語法上、問題がある。セは敬語の助動詞スの已然形とすれば、動詞「言う」の未然形に接続するはずであるのに、イヘセとなっているのは「言う」が下二段活か。とにかく已然条件法であろう。
  • (三〇)見渡したところの。
  • (三一)しげった木の枝のように。人々をつれて来入ることの形容。
  • (三二)歌曲の名。志都歌があって、それに付随して歌い返す歌の意であろう。

   〔八田の若郎女わかいらつめ


 天皇、八田やた若郎女わかいらつめに恋いたまいて、御歌みうたを遣わしたまいき。その御歌、

八田の 一本菅ひともとすげは、
子持たず 立ちかれなん。
あたら菅原すがわら(一)
ことをこそ 菅原すげはらと言わめ。
あたらすが〔歌謡番号六五〕

 ここに八田の若郎女わかいらつめ、答え歌よみしたまいしく、

八田の 一本菅は ひとりとも。
天皇おおきみし よしと聞こさば ひとりとも。
〔歌謡番号六六〕

 かれ八田の若郎女わかいらつめ御名代みなしろとして、八田部やたべを定めたまいき。

  •  (一)しい菅原だ。

   速総別はやぶさわけみこ女鳥めとりみこ


 また天皇、その弟速総別はやぶさわけの王(一)をなかだちとして、庶妹ままいも女鳥めとりの王をいたまいき。ここに女鳥の王、速総別の王に語りていわく、大后おおきさきおず(二)によりて、八田の若郎女わかいらつめおさめたまわず(三)。かれ仕えまつらじと思う。が命のにならん」といいて、すなわちいましつ。ここをもちて速総別はやぶさわけの王、復奏かえりごともうさざりき。ここに天皇、ただに女鳥の王のいますところにいでまして、その殿戸のしきみの上にいましき。ここに女鳥の王はたにまして、みそ織りたまう。ここに天皇、歌よみしたまいしく、

女鳥の わがおおきみろすはた(四)
たねろかも(五)〔歌謡番号六七〕

 女鳥の王、答え歌いたまいしく、

高行くや(六) 速総別はやぶさわけの みおすいがね(七)
〔歌謡番号六八〕

 かれ天皇、その心を知らして、宮にかえり入りましき。
 このとき、そのひこじ速総別の王のきたれるときに、そのみめ女鳥の王の歌いたまいしく、

雲雀ひばりあめかけ(八)
高行くや 速総別はやぶさわけ
鷦鷯さざき取らさね。〔歌謡番号六九〕

 天皇この歌を聞かして、いくさをおこしてりたまわんとす。ここに速総別の王、女鳥の王、ともに逃れ退きて、倉椅山くらはしやま(九)あがりましき。ここに速総別の王、歌いたまいしく、

はし立ての(一〇) 倉椅山を さがしみと
岩かきかねて(一一) が手取らすも。〔歌謡番号七〇〕

 また歌いたまいしく、

はし立ての 倉椅山は さがしけど、
妹と登れば さがしくもあらず。〔歌謡番号七一〕

 かれそこより逃れて、宇陀うだ蘇邇そに(一二)にいたりまししときに、御軍みいくさ追いいたりてせまつりき。
 その将軍いくさのきみ山部やまべ大楯おおたてむらじ、その女鳥の王の、御手にかせる玉釧たまくしろ(一三)を取りて、おのがにあたえき。このときの後、豊のあかりしたまわんとするときに、氏々の女どもみな朝参みかどまいりす(一四)。ここに大楯の連が妻、その王の玉釧を、おのが手にきてまいけり。ここに大后いわの日売の命、みずから大御酒のかしわを取(一五)らして、もろもろ氏々の女どもにたまいき。ここに大后、その玉釧を見知りたまいて、御酒のかしわをたまわずて、すなわち引き退けて、そのひこじ大楯の連を召しでて、りたまわく、「その王たち(一六)いやなきによりて退けたまえる、こはしきこときのみ。それの奴や、おのが君の御手にかせる玉釧を、膚も�zあたたけきにぎ持ちきて、おのが妻にあたえつること」と詔りたまいて、死刑ころすつみにおこないたまいき。

  •  (一)猛禽のハヤブサを名としている王。ハヤブサとサザキ(ミソサザイ)とが女鳥を争ったという鳥類物語が原形だろう。
  •  (二)嫉妬しっと強く、もてあましている。
  •  (三)思うようになされない。
  •  (四)織らす機に同じ。お織りになっている機おり物。
  •  (五)ロは接尾語。
  •  (六)叙述による枕詞。
  •  (七)御おすいの材料。オスヒは既出。
  •  (八)高行くの比喩。
  •  (九)奈良県磯城郡の東方の山。
  • (一〇)叙述による枕詞まくらことば。階段を立てる意で倉を修飾する。
  • (一一)岩に手をかけ得ないで。あられふる 杵島きしまたけを さかしみと 草とりかねて 妹が手を取る」『肥前国風土記』)。
  • (一二)奈良県宇陀郡。
  • (一三)美しい腕輪。
  • (一四)諸家の女たちが宮廷に出た。
  • (一五)御酒を盛った御綱栢みつながしわ
  • (一六)ハヤブサワケと女鳥の王。

   かり


 またあるとき、天皇、豊のあかりしたまわんとして、日女(一)でまししときに、その島にかり生みたり。ここに建内の宿祢の命を召して、歌もちて、雁の生めるさまを問わしたまいき。その御歌みうた

たまきわる(二) 内の朝臣あそ(三)
こそは 世の長人ながひと(四)
そらみつ(五) 日本やまとの国に
と 聞くや。〔歌謡番号七二〕

 ここに建内の宿祢、歌もちて語りてもうさく、

高光る 日の御子、
うべしこそ(六) 問いたまえ。
まこそに(七) 問いたまえ。
あれこそは 世の長人ながひと
そらみつ 日本やまとの国に
かりと いまだ聞かず。〔歌謡番号七三〕

 かくもうして、御琴みことたまわりて、歌いていいしく、

みこや ついに知らんと、
雁はらし。〔歌謡番号七四〕

と歌いき。こは寿歌ほきうた(八)片歌かたうたなり。

  •  (一)大阪府三島郡。
  •  (二)枕詞。語義不明。
  •  (三)宮廷に仕える臣下。建内の宿祢のこと。
  •  (四)世の中に長くいる人。
  •  (五)枕詞。ニギハヤヒの命が天から降下するときに、大和の国を空中から見たことからはじまるとする伝えがある。
  •  (六)もっともなことに。シは強意の助詞。
  •  (七)マは真実。
  •  (八)歌曲の名。

   枯野からのという船〕


 この御世に、兎寸うき(一)の西の方に高樹たかきあり。その樹の影、朝日にあたれば淡道あわじ島におよび、夕日にあたれば高安山たかやすやま(二)を越えき。かれこの樹を切りて船に作れるに、いとく行く船なりけり。時にその船に名づけて枯野からのという。かれこの船をもちて、旦夕あさよいに淡道島の寒泉しみずみて、大御もいたてまつる。この船のやぶれたるもちて、塩を焼き、その焼けのこりの木を取りてことに作るに、その音七里ななさとに聞こゆ。ここに歌よみていいしく、

枯野からぬを 塩に焼き、
あまり ことにつくり、
くや(三) 由良ゆら(四)
門中となか海石いくり(五)
振れ立つ 浸漬なづの木の(六)、さやさや(七)
〔歌謡番号七五〕

 こは志都歌の歌い返しなり。
 この天皇の御年八十三歳やそじあまりみつ丁卯ひのとうの年八月十五日、かむあがりたまいき。御陵みはか毛受もず(八)耳原みみはらにあり。

  •  (一)所在不明。物語によれば大阪平野のうちである。
  •  (二)大阪府中河内郡。信貴山しぎさん
  •  (三)ヤは間投の助詞。
  •  (四)大阪湾口の由良海峡。紀淡きたん海峡)。
  •  (五)海中の石、暗礁。
  •  (六)海水にひたっている木のように。
  •  (七)音のさやかであること。
  •  (八)大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。そのときに、鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。

  〔二、履中りちゅう天皇・反正はんぜい天皇〕

   〔履中天皇と墨江の中つ王〕


 みこ伊耶本和気の王〔履中天皇〕(一)伊波礼若桜わかざくらの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇、葛城かずらき曽都毘古の子、葦田あしだの宿祢が女、名は黒比売くろひめの命にいて生みませる御子、いち忍歯おしはの王(三)、つぎに御馬みまの王、つぎに妹青海あおみ郎女いらつめ、またの名は飯豊いいとよ郎女いらつめ〈三柱〉
 もと難波の宮にましましし時に、大嘗おおにえにいまして(四)、豊のあかりしたまうときに、大御酒おおみきにうらげて(五)大御寝おおみねましき。ここにその弟墨江すみのえなかみこ、天皇を取りまつらんとして、大殿に火をつけたり。ここにやまとあやあたえの祖、阿知あちの直、ぬすみでて、御馬に乗せまつりて、やまとにいでまさしめき。かれ多遅比野(六)にいたりてめましてりたまわく、「ここは何処いづくぞ」と詔りたまいき。ここに阿知の直もうさく、「墨江の中つ王、大殿に火をつけたまえり。かれまつりて、倭にのがるるなり」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、

丹比野たじひのんと知りせば、
防壁たつごも(七)も 持ちて来ましもの(八)
んと知りせば。〔歌謡番号七六〕

 波邇賦(九)にいたりまして、難波の宮を見けたまいしかば、その火なおえたり。ここにまた歌よみしたまいしく、

波邇布が立ち見れば、
かぎろいの(一〇) 燃ゆる家むら
つまいえのあたり。〔歌謡番号七七〕

 かれ大坂の山口にいたりまししときに、女人おみなえり。その女人のもうさく、つわものを持てる人ども、さわにこの山をえたれば、当岐麻道(一一)よりめぐりて、越えでますべし」ともうしき。ここに天皇歌よみしたまいしく、

大坂に うや嬢子おとめを。
道問えば ただにはらず(一二)
当岐麻路る。〔歌謡番号七八〕

 かれのぼりでまして、いそかみの宮(一三)にましましき。
 ここにその同母弟水歯別みずはわけの命〔反正天皇〕(一四)、まいきてもうさしめたまいき。ここに天皇りたまわく、「吾、が命の、もし墨江すみのえなかつ王とおやじ心ならんかと疑う。かれ語らわじ」とのりたまいしかば、答えてもうさく、きたなき心なし。墨江の中つ王とおやじくはあらず」と答えもうしたまいき。またらしめたまわく、「しからば、今かえり下りて、墨江の中つ王を殺してのぼり来ませ。そのときに、あれかならず語らわん」とのりたまいき。かれすなわち難波にかえり下りまして、墨江の中つ王に近くつかえまつる隼人はやびと(一五)、名は曽婆加里あざむきてのりたまわく、「もしが言うことにしたがわば、、天皇となり、大臣おおおみになして、天の下らさんとおもうはいかに」とのりたまいき。曽婆訶里答えてもうさく「命のまにま」ともうしき。ここにその隼人に物さわにたまいてのりたまわく、「しからばの王をりまつれ」とのりたまいき。ここに曽婆訶里、おのが王の厠に入りませるをうかがいて、ほこもちて刺してせまつりき。かれ曽婆訶里をて、やまとにのぼりでますときに、大坂の山口にいたりて思おさく、曽婆訶里、がために大きいさおあれども、すでにおのが君をせまつれるは、不義きたなきわざなり。しかれどもその功にむくいずは、まことしというべし。すでにその信をおこなわば、かえりてその心をかしこしとおもう。かれその功に報いゆとも、その正身ただみ(一六)を滅ぼしなんと思おしき。ここをもちて曽婆訶里に詔りたまわく、「今日はここに留まりて、まず大臣の位をたまいて、明日のぼりまさん」とのりたまいて、その山口に留まりて、すなわちかり宮をつくりて、にわかに豊のあかりして、その隼人に大臣の位をたまいて、百官つかさづかさをしておろがましめたまうに、隼人よろこびて、志とげぬと思いき。ここにその隼人に詔りたまわく、「今日、大臣とおやうきの酒を飲まんとす」と詔りたまいて、ともに飲むときに、おもを隠す大まり(一七)にそのたてまつれる酒を盛りき。ここに王子みこまず飲みたまいて、隼人のちに飲む。かれその隼人の飲むときに、大鋺、面をおおいたり。ここにむしろの下に置けるたちを取り出でて、その隼人が首を斬りたまいき。すなわち明日くるつひ、のぼりでましき。かれ其地そこに名づけてちか飛鳥あすか(一八)という。やまとにのぼりいたりまして詔りたまわく、「今日はここに留まりて、祓禊はらえ(一九)して、明日まい出でて、神宮かむみや(二〇)おろがまん」とのりたまいき。かれ其地そこに名づけて遠つ飛鳥(二一)という。かれいそかみの神宮にまいでて、天皇に「政、すでにことむえてまいのぼりさもらう」ともうさしめたまいき。ここに召し入れて語らいたまいき。
 天皇、ここに阿知の直をはじめてくらつかさ(二二)けたまい、また粮地たどころ(二三)をたまいき。またこの御世に、若桜部わかさくらべの臣らに若桜部という名をたまい、また比売陀の君らに比売陀の君というかばねをたまいき。また伊波礼部を定めたまいき。
 天皇の御年六十四歳むそじあまりよつ壬申みずのえさるの年正月三日、かむあがりたまいき。御陵みはか毛受もずにあり。

  •  (一)履中天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡。
  •  (三)一六八ページ「安康天皇」の「市の辺の押歯の王」・一八二ページ清寧せいねい天皇・顕宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟しじむの新室楽」・一八五ページ清寧せいねい天皇・顕宗天皇・仁賢天皇」の「顕宗天皇」に物語がある。
  •  (四)大嘗祭をなすって。
  •  (五)うかれて。
  •  (六)大阪府南河内郡。
  •  (七)コモをんで風の防ぎとする屏風びょうぶ
  •  (八)持ってきたろうに。仮設の語法。
  •  (九)大阪府南河内郡から大和に越える坂。
  • (一〇)比喩による枕詞。カギロヒは陽炎かげろう
  • (一一)奈良県北葛城郡の当麻たいま(古名タギマ)へ越える道で、二上山ふたかみやまの南を通る。大坂は二上山の北を越える。
  • (一二)まっすぐに、とは言わないで。
  • (一三)奈良県山辺郡の石上いそのかみの神宮。
  • (一四)反正天皇。
  • (一五)九州南方の住民。勇敢ゆうかんなので召し出して宮廷の護衛としている。
  • (一六)その本身を。
  • (一七)顔をかくすような大きなわん
  • (一八)大和の飛鳥に対していう。
  • (一九)隼人を殺してけがれを生じたので、それをはらう行事をして。
  • (二〇)石上の神宮。天皇の御座所。
  • (二一)奈良県高市郡の飛鳥。
  • (二二)物の出納をつかさどる役。
  • (二三)領地。

   反正はんぜい天皇〕


 いろと水歯別みずはわけ(一)の命〔反正天皇〕多治比柴垣しばかきの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。天皇、御身みみたけ九尺ここのさかまり二寸半ふたきいつきだ〔およそ280cmか〕。御歯の長さ一、広さ二きだ。上下ひとしくととのいて、すでに珠をけるがごとく(三)なりき。天皇、丸邇わに許碁登の臣が女、都怒つの郎女いらつめいて生みませる御子、甲斐かい郎女いらつめ、つぎに都夫良郎女いらつめ〈二柱〉。またおやじ臣が女、弟比売にいて生みませる御子、たからの王、つぎに多訶弁郎女いらつめ、あわせて四柱ましき。天皇御年六十歳むそじ丁丑ひのとうしの年七月にかむあがりたまいき。御陵みはか毛受野もずのにありといえり。

  •  (一)反正天皇。
  •  (二)大阪府南河内郡。
  •  (三)珠を緒にさしたようだ。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



校註『古事記』(八)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
-------------------------------------------------------


[#1字下げ]古事記 下つ卷[#「古事記 下つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔一、仁徳天皇〕[#「〔一、仁徳天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 大雀《おほさざき》の命(一)、難波の高津の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城《かづらき》の曾都毘古《そつびこ》(三)が女、石《いは》の日賣《ひめ》の命大后[#「大后」は1段階小さな文字]に娶《あ》ひて、生みませる御子、大江の伊耶本和氣《いざほわけ》の命、次に墨江《すみのえ》の中《なか》つ王《みこ》、次に蝮《たぢひ》の水齒別《みづはわけ》の命、次に男淺津間若子《をあさづまわくご》の宿禰の命四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また上にいへる日向《ひむか》の諸縣《むらがた》の君|牛諸《うしもろ》が女、髮長比賣《かみながひめ》に娶《あ》ひて、生みませる御子、波多毘《はたび》の大郎子、またの名は大|日下《くさか》の王、次に波多毘の若郎女《わきいらつめ》、またの名は長目《ながめ》比賣の命、またの名は若日下部の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また庶妹《ままいも》八田《やた》の若郎女に娶ひ、また庶妹宇遲の若郎女に娶ひたまひき。[#割り注]この二柱は、御子まさざりき。[#割り注終わり]およそこの大雀の天皇の御子たち并はせて六柱。[#割り注]男王五柱、女王一柱。[#割り注終わり]かれ伊耶本和氣の命は、天の下治らしめしき。次に蝮の水齒別の命も天の下治らしめしき。次に男淺津間若子の宿禰の命も天の下治らしめしき。

(一) 仁徳天皇。
(二) 大阪市東區。今の大阪城の邊。
(三) 建内の宿禰の子。

[#5字下げ]〔聖《ひじり》の御世〕[#「〔聖の御世〕」は小見出し]
 この天皇の御世に、大后|石《いは》の比賣の命の御名代《みなしろ》として、葛城部《かづらきべ》を定めたまひ、また太子《ひつぎのみこ》伊耶本和氣の命の御名代として、壬生部《にぶべ》を定めたまひ、また水齒別の命の御名代として、蝮部《たぢひべ》を定めたまひ、また大日下の王の御名代として、大日下部を定めたまひ、若日下部の王の御名代として、若日下部を定めたまひき。
 また秦《はた》人(一)を役《えだ》てて、茨田《うまらた》の堤(二)と茨田の三宅《みやけ》とを作り、また丸邇《わに》の池(三)、依網《よさみ》の池(四)を作り、また難波の堀江(五)を掘りて、海に通はし、また小椅《をばし》の江(六)を掘り、また墨江の津(七)を定めたまひき。
 ここに天皇、高山に登りて、四方《よも》の國を見たまひて、詔《の》りたまひしく、「國中《くぬち》に烟たたず(八)、國みな貧し。かれ今より三年に至るまで、悉に人民《おほみたから》の課役《みつきえだち》(九)を除《ゆる》せ」とのりたまひき。ここを以ちて大殿|破《や》れ壞《こぼ》れて、悉に雨漏れども、かつて修理《をさ》めたまはず、※[#「木+威」、第4水準2-15-16]《ひ》(一〇)をもちてその漏る雨を受けて、漏らざる處に遷り避《さ》りましき。後に國中《くぬち》を見たまへば、國に烟滿ちたり。かれ人民富めりとおもほして、今はと課役|科《おほ》せたまひき。ここを以ちて、百姓《おほみたから》榮えて役使《えだち》に苦まざりき。かれその御世を稱へて聖帝《ひじり》の御世(一一)とまをす。

(一) 中國の秦の國人。
(二) 大阪府北河内郡。
(三) 大阪府南河内郡。
(四) 大阪市東成區。前に造つたことが出ている。改修か。
(五) 淀川の水を通じるために掘つたもので、今の天滿川である。
(六) 大阪市東成區。
(七) 大阪市住吉區。
(八) 食物を作ることが少いので烟が立たない。
(九) ミツキはたてまつり物。エダチは勞役。
(一〇) 水を流す樋。
(一一) ヒジリは、知識者の意から貴人をいうようになつたが、漢字の聖にこの語をあて、天皇の世をこのようにいうのは、漢文の影響を受けている。

[#5字下げ]〔吉備《きび》の黒日賣〕[#「〔吉備の黒日賣〕」は小見出し]
 その大后|石《いは》の日賣の命、いたく嫉妬《うはなりねた》みしたまひき。かれ天皇の使はせる妾《みめ》たちは、宮の中をもえ臨《のぞ》かず、言立てば、足も足掻《あが》かに(一)妬みたまひき。ここに天皇、吉備《きび》の海部《あまべ》の直《あたへ》が女、名は黒日賣《くろひめ》それ容姿端正《かほよ》しと聞こしめして、喚上《めさ》げて使ひたまひき。然れどもその大后の嫉みますを畏《かしこ》みて、本つ國に逃げ下りき。天皇、高|臺《どの》にいまして、その黒日賣の船出するを望み見て歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
沖|方《へ》には 小舟つららく(二)。
くろざや(三)の まさづこ(四)吾妹《わぎも》、
國へ下らす。  (歌謠番號五三)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ大后この御歌を聞かして、いたく忿りまして、大浦に人を遣して、追ひ下して、歩《かち》より追《やら》ひたまひき。
 ここに天皇、その黒日賣に戀ひたまひて、大后を欺かして、のりたまはく、「淡道島《あはぢしま》見たまはむとす」とのりたまひて、幸《い》でます時に、淡道島にいまして、遙《はろばろ》に望《みさ》けまして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
おしてるや(五)、難波の埼よ(六)
出で立ちて わが國見れば、
粟島(七) 淤能碁呂島《おのごろしま》(八)、
檳榔《あぢまさ》の 島(九)も見ゆ。
佐氣都《さけつ》島(一〇)見ゆ。  (歌謠番號五四)
[#ここで字下げ終わり]
 すなはちその島より傳ひて、吉備《きび》の國に幸でましき。ここに黒日賣、その國の山縣《やまがた》の地《ところ》(一一)におほましまさしめて、大|御飯《みけ》獻りき。ここに大御羮《おほみあつもの》(一二)を煮むとして、其地《そこ》の菘菜《あをな》を採《つ》む時に、天皇その孃子の菘《な》採む處に到りまして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
山|縣《がた》に 蒔ける菘《あをな》も、
吉備人と 共にし摘めば、
樂《たの》しくもあるか。  (歌謠番號五五)
[#ここで字下げ終わり]
 天皇上り幸《い》でます時に、黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
倭《やまと》方《へ》に 西風《にし》吹き上《あ》げて、
雲|離《ばな》れ そき居《を》りとも(一三)、
吾《われ》忘れめや。  (歌謠番號五六)
[#ここで字下げ終わり]
また歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
倭《やまと》方《へ》に 往くは誰が夫《つま》。
隱津《こもりづ》の 下よ延《は》へつつ(一四)
往くは誰が夫。  (歌謠番號五七)
[#ここで字下げ終わり]

(一) 足をばたばたさせて。
(二) 小船が連なつている。
(三) 語義不明。枕詞だろう。
(四) 黒日賣の本名であろう。
(五) 枕詞。海の照り輝く意。
(六) ※[#「土へん+竒」、144-脚注-6]から。
(七) 阿波の方面から見た四國。
(八) 所在不明。一九頁[#「一九頁」は「伊耶那岐の命と伊耶那美の命」の「島々の生成」]脚註參照。
(九) 所在不明。アヂマサは、檳榔樹。
(一〇) 同前。
(一一) 山の料地。
(一二) お吸物。
(一三) 雲が離れるように退いていても。「大和べに風吹きあげて雲ばなれ退《そ》き居りともよ吾を忘らすな」(丹後國風土記、浦島の物語の神女)
(一四) 地下水のように下を流れて。

[#5字下げ]〔皇后|石《いは》の比賣《ひめ》の命〕[#「〔皇后石の比賣の命〕」は小見出し]
 これより後、大后|豐《とよ》の樂《あかり》(一)したまはむとして、御綱栢《みつながしは》(二)を採りに、木の國に幸でましし間に、天皇、八田《やた》の若郎女《わかいらつめ》に婚《あ》ひましき。ここに大后は、御綱栢を御船に積み盈《み》てて還りいでます時に、水取《もひとり》の司に使はゆる、吉備の國の兒島の郡の仕丁《よぼろ》(三)、これおのが國に退《まか》るに、難波の大渡に、後れたる倉人女《くらびとめ》(四)の船に遇ひき。すなはち語りて曰はく、「天皇は、このごろ八田の若郎女に娶ひまして晝夜《よるひる》戲れますを。もし大后はこの事聞こしめさねかも(五)、しづかに遊びいでます」と語りき。ここにその倉人女、この語る言を聞きて、すなはち御船に追ひ近づきて、その仕丁《よぼろ》が言ひつるごと、状《ありさま》をまをしき。ここに大后いたく恨み怒りまして、その御船に載せたる御綱栢は、悉に海に投げ棄《う》てたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて御津《みつ》の前《さき》といふ。すなはち宮に入りまさずて、その御船を引き避《よ》きて、堀江に泝《さかのぼ》らして、河のまにまに(六)、山代《やましろ》に上りいでましき。この時に歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
つぎねふや(七) 山代《やましろ》河を
川のぼり 吾がのぼれば、
河の邊《べ》に 生ひ立てる 烏草樹《さしぶ》(八)を。
烏草樹《さしぶ》の樹、
其《し》が下に 生ひ立てる
葉廣 ゆつ眞椿《まつばき》(九)、
其《し》が花の 照りいまし
其《し》が葉の 廣《ひろ》りいますは、
大君ろかも。  (歌謠番號五八)
[#ここで字下げ終わり]
 すなはち山代より※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて、那良の山口(一〇)に到りまして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
つぎねふや 山代河を
宮上り 吾がのぼれば、
あをによし(一一) 那良を過ぎ、
小楯《をだて》(一二) 倭《やまと》(一三)を過ぎ、
吾《わ》が 見が欲し國(一四)は、
葛城《かづらき》 高宮《たかみや》(一五)
吾家《わぎへ》のあたり。  (歌謠番號五九)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひて還らして、しまし筒木《つつき》の韓《から》人(一六)、名は奴理能美《ぬりのみ》が家に入りましき。
 天皇、その大后は山代より上り幸でましぬと聞こしめして、舍人名は鳥山といふ人を使はして御歌を送りたまひしく、
[#ここから2字下げ]
山代に いしけ鳥山(一七)、
いしけいしけ 吾《あ》が愛《は》し妻《づま》に いしき遇はむかも(一八)。  (歌謠番號六〇)
[#ここで字下げ終わり]
 また續ぎて丸邇《わに》の臣|口子《くちこ》を遣して歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
御諸《みもろ》(一九)の その高城《たかき》なる
大猪子《おほゐこ》が原(二〇)。
大猪子が 腹にある(二一)、
肝向ふ(二二) 心をだにか
相|思《おも》はずあらむ。  (歌謠番號六一)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
つぎねふ 山代女の
木钁《こくは》持ち 打ちし大根(二三)、
根白の 白腕《しろただむき》、
纏《ま》かずけばこそ(二四) 知らずとも言はめ。  (歌謠番號六二)
[#ここで字下げ終わり]
 かれこの口子《くちこ》の臣《おみ》、この御歌を白す時に、大雨降りき。ここにその雨をも避《さ》らず、前つ殿戸《とのど》にまゐ伏せば、後《しり》つ戸に違ひ出でたまひ、後つ殿戸にまゐ伏せば、前つ戸に違ひ出でたまひき。かれ匍匐《はひ》進起《しじま》ひて、庭中に跪ける時に、水潦《にはたづみ》(二五)腰に至りき。その臣、紅《あか》き紐《ひも》著けたる青摺《あをずり》の衣《きぬ》(二六)を服《き》たりければ、水潦紅き紐に觸りて、青みな紅《あけ》になりぬ。ここに口子の臣が妹|口比賣《くちひめ》、大后に仕へまつれり。かれその口比賣《くちひめ》歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
山代の 筒木の宮に
物申す 吾《あ》が兄《せ》の君は、
涙ぐましも。  (歌謠番號六三)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに大后、その故を問ひたまふ時に答へて曰さく、「僕が兄口子の臣なり」とまをしき。
 ここに口子の臣、またその妹口比賣、また奴理能美《ぬりのみ》、三人|議《はか》りて、天皇に奏《まを》さしめて曰さく、「大后の幸でませる故は、奴理能美が養《か》へる蟲、一度は匐《は》ふ蟲になり、一度は殼《かひこ》になり、一度は飛ぶ鳥になりて、三|色《くさ》に變《かは》る奇《あや》しき蟲(二七)あり。この蟲を看そなはしに、入りませるのみ。更に異《け》しき心まさず」とかく奏す時に、天皇、「然らば吾《あれ》も奇しと思へば、見に行かな」と詔りたまひて、大宮より上り幸でまして、奴理能美が家に入ります時に、その奴理能美、おのが養へる三種の蟲を、大后に獻りき。ここに天皇、その大后のませる殿戸に御立《みたち》したまひて、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
つぎねふ 山代女の
木钁《こくは》持《も》ち 打ちし大根、
さわさわに(二八) 汝《な》が言へせこそ(二九)、
うち渡す(三〇) やがは枝《え》(三一)なす
來《き》入り參ゐ來れ。  (歌謠番號六四)
[#ここで字下げ終わり]
 この天皇と大后と歌よみしたまへる六歌は、志都《しつ》歌の歌ひ返し(三二)なり。

(一) 酒宴。
(二) 御角柏とも書く。葉先が三つになつている樹葉。これに食物を盛る。ウコギ科の常緑喬木、カクレミノ。
(三) 岡山縣兒島郡から出た壯丁。
(四) 物の出し入れを扱う女。
(五) 御承知にならないからか。疑問の已然條件法。
(六) 淀川をさかのぼつて。
(七) 枕詞。語義不明。次々に嶺が現れる意かという。
(八) シャクナゲ科の常緑喬木。シャシャンボ。
(九) 神聖な椿。神靈の存在を感じている。
(一〇) 淀川から上り、木津川を上つて奈良山の山口に來た。
(一一) 枕詞。語義不明。
(一二) 枕詞。山の姿の形容か。
(一三) 大和の國の平野の東方。山手の地。ヤマトの名は、もとこの邊の稱から起つた。
(一四) わたしの見たい國は。その國は、奈良や倭を過ぎて行く葛城の地であるの意。
(一五) 葛城の高地にある宮。皇后の父君、葛城の襲津彦、母君葛城の高額姫、共にこの地に住まれた。
(一六) 京都府綴喜郡にいる朝鮮の人。
(一七) 追いつけよ、鳥山よ。
(一八) 追いついて遇いましよう。
(一九) ミモロは、神座をいい、ひいて神社のある所をいふ。ここは葛城の三諸。
(二〇) 原の名。オホヰコは猪のこと。
(二一) 上の大猪子が原から引き出している。肝は腹にあるので次の句を修飾する。
(二二) 枕詞。腹の中には肝が向いあい、そこに心があるとした。
(二三) 打つて掘り出した大根。
(二四) ケは、時の助動詞キの古い活用形で未然形。
(二五) 雨が降つて急に出る水。
(二六) 美裝で、雄略天皇の卷にも見える。アヲズリは、青い染料をすりつけて染めること。
(二七) 蠶である。蠶のはじめは三五頁[#「三五頁」は「須佐の男の命」の「穀物の種」]の神話に見えているが、それは神話のことで、大陸や朝鮮との交通によつて養蠶がおこなわれるようになつたのである。
(二八) さわぎ立てる形容。
(二九) 語法上問題がある。セは敬語の助動詞スの已然形とすれば、動詞言うの未然形に接續するはずであるのに、イヘセとなつているのは、言うが下二段活か。とにかく已然條件法であろう。
(三〇) 見渡したところの。
(三一) 茂つた木の枝のように。人々をつれて來入ることの形容。
(三二) 歌曲の名。志都歌があつて、それに附隨して歌い返す歌の意であろう。

[#5字下げ]〔八田の若郎女〕[#「〔八田の若郎女〕」は小見出し]
 天皇、八田《やた》の若郎女《わかいらつめ》に戀ひたまひて、御歌を遣したまひき。その御歌、
[#ここから2字下げ]
八田の 一本菅《ひともとすげ》は、
子持たず 立ちか荒れなむ。
あたら菅原《すがはら》(一)。[#「あたら菅原《すがはら》(一)。」は底本では「あたら菅原《すがはら》(三三)。」]
言《こと》をこそ 菅原《すげはら》と言はめ。
あたら清《すが》し女《め》。  (歌謠番號六五)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに八田の若郎女、答へ歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
八田の 一本菅は 獨居りとも。
天皇《おほきみ》し よしと聞こさば 獨居りとも。  (歌謠番號六六)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ八田の若郎女の御名代として、八田部《やたべ》を定めたまひき。

(一)[#「一」は底本では「三三」] 惜しい菅原だ。

[#5字下げ]〔速總別《はやぶさわけ》の王と女鳥《めとり》の王〕[#「〔速總別の王と女鳥の王〕」は小見出し]
 また天皇、その弟速總別の王(一)を媒《なかだち》として、庶妹《ままいも》女鳥《めとり》の王を乞ひたまひき。ここに女鳥の王、速總別の王に語りて曰はく、「大后の強《おず》き(二)に因りて、八田の若郎女を治めたまはず(三)。かれ仕へまつらじと思ふ。吾《あ》は汝が命の妻《め》にならむ」といひて、すなはち婚《あ》ひましつ。ここを以ちて速總別の王|復奏《かへりごとまを》さざりき。ここに天皇、直《ただ》に女鳥の王のいます所にいでまして、その殿戸の閾《しきみ》の上にいましき。ここに女鳥の王|機《はた》にまして、服《みそ》織りたまふ。ここに天皇、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
女鳥の 吾が王《おほきみ》の 織《お》ろす機《はた》(四)、
誰《た》が料《たね》ろかも(五)。  (歌謠番號六七)
[#ここで字下げ終わり]
 女鳥の王、答へ歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
高行くや(六) 速總別の みおすひがね(七)。  (歌謠番號六八)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ天皇、その心を知らして、宮に還り入りましき。
 この時、その夫《ひこぢ》速總別の王の來れる時に、その妻《みめ》女鳥の王の歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
雲雀《ひばり》は 天《あめ》に翔《かけ》る(八)。
高行くや 速總別、
鷦鷯《さざき》取らさね。  (歌謠番號六九)
[#ここで字下げ終わり]
 天皇この歌を聞かして、軍を興して、殺《と》りたまはむとす。ここに速總別の王、女鳥の王、共に逃れ退きて、倉椅山《くらはしやま》(九)に騰《あが》りましき。ここに速總別の王歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
梯立ての(一〇) 倉椅山を 嶮《さが》しみと
岩かきかねて(一一) 吾《わ》が手取らすも。  (歌謠番號七〇)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
梯立ての 倉椅山は 嶮しけど、
妹と登れば 嶮しくもあらず。  (歌謠番號七一)
[#ここで字下げ終わり]
 かれそこより逃れて、宇陀《うだ》の蘇邇《そに》(一二)に到りましし時に、御軍追ひ到りて、殺《し》せまつりき。
 その將軍《いくさのきみ》山部《やまべ》の大楯《おほたて》の連《むらじ》、その女鳥の王の、御手に纏《ま》かせる玉釧《たまくしろ》(一三)を取りて、おのが妻《め》に與へき。この時の後、豐の樂《あかり》したまはむとする時に、氏氏の女どもみな朝參《みかどまゐ》りす(一四)。ここに大楯の連が妻、その王の玉釧を、おのが手に纏《ま》きてまゐ赴《む》けり。ここに大后|石《いは》の日賣の命、みづから大御酒の栢《かしは》を取(一五)らして、諸《もろもろ》氏氏の女どもに賜ひき。ここに大后、その玉釧を見知りたまひて、御酒の栢を賜はずて、すなはち引き退《そ》けて、その夫大楯の連を召し出でて、詔りたまはく、「その王たち(一六)、禮《ゐや》なきに因りて退けたまへる、こは異《け》しき事無きのみ。それの奴や、おのが君の御手に纏かせる玉釧を、膚も※[#「火+慍のつくり」、第3水準1-87-59]《あたた》けきに剥ぎ持ち來て、おのが妻に與へつること」と詔りたまひて、死刑《ころすつみ》に行ひたまひき。

(一) 猛禽のハヤブサを名としている王。ハヤブサとサザキ(ミソサザイ)とが女鳥を爭つたという鳥類物語が原形だろう。
(二) 嫉妬づよく、もてあましている。
(三) 思うようになされない。
(四) 織らす機に同じ。お織りになつている機おり物。
(五) ロは接尾語。
(六) 敍述による枕詞。
(七) 御おすいの材料。オスヒは既出。
(八) 高行くの譬喩。
(九) 奈良縣磯城郡の東方の山。
(一〇) 敍述による枕詞。階段を立てる意で倉を修飾する。
(一一) 岩に手をかけ得ないで。「霰ふる杵島《きしま》が嶽《たけ》をさかしみと草とりかねて妹が手を取る」(肥前國風土記)。
(一二) 奈良縣宇陀郡。
(一三) 美しい腕輪。
(一四) 諸家の女たちが宮廷に出た。
(一五) 御酒を盛つた御綱栢。
(一六) ハヤブサワケと女鳥の王。

[#5字下げ]〔雁の卵〕[#「〔雁の卵〕」は小見出し]
 またある時、天皇豐の樂《あかり》したまはむとして、日女《ひめ》島(一)に幸でましし時に、その島に雁《かり》卵《こ》生みたり。ここに建内の宿禰の命を召して、歌もちて、雁の卵生める状を問はしたまひき。その御歌、
[#ここから2字下げ]
たまきはる(二) 内の朝臣《あそ》(三)、
汝《な》こそは 世の長人《ながひと》(四)、
そらみつ(五) 日本《やまと》の國に
雁|子《こ》産《む》と 聞くや。  (歌謠番號七二)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに建内の宿禰、歌もちて語りて白さく、
[#ここから2字下げ]
高光る 日の御子、
諾《うべ》しこそ(六) 問ひたまへ。
まこそに(七) 問ひたまへ。
吾《あれ》こそは 世の長人、
そらみつ 日本の國に
雁《かり》子《こ》産《む》と いまだ聞かず。  (歌謠番號七三)
[#ここで字下げ終わり]
 かく白して、御琴を賜はりて、歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
汝《な》が王《みこ》や 終に知らむと、
雁は子産らし。  (歌謠番號七四)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。こは壽歌《ほきうた》(八)の片歌なり。

(一) 大阪府三島郡。
(二) 枕詞。語義不明。
(三) 宮廷に仕える臣下。建内の宿禰のこと。
(四) 世の中に長くいる人。
(五) 枕詞。ニギハヤヒの命が天から降下する時に、大和の國を空中から見たことからはじまるとする傳えがある。
(六) もつともなことに。シは強意の助詞。
(七) マは眞實。
(八) 歌曲の名。

[#5字下げ]〔枯野《からの》といふ船〕[#「〔枯野といふ船〕」は小見出し]
 この御世に、兔寸《うき》河(一)の西の方に、高樹《たかき》あり。その樹の影、朝日に當れば、淡道《あはぢ》島におよび、夕日に當れば、高安山(二)を越えき。かれこの樹を切りて、船に作れるに、いと捷《と》く行く船なりけり。時にその船に名づけて枯野《からの》といふ。かれこの船を以ちて、旦夕《あさよひ》に淡道島の寒泉《しみづ》を酌みて、大御|水《もひ》獻る。この船の壞《やぶ》れたるもちて、鹽を燒き、その燒け遺《のこ》りの木を取りて、琴に作るに、その音|七里《ななさと》に聞ゆ。ここに歌よみて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
枯野《からぬ》を 鹽に燒き、
其《し》が餘《あまり》 琴に造り、
掻き彈くや(三) 由良《ゆら》の門《と》(四)の
門中《となか》の 海石《いくり》(五)に
振れ立つ 浸漬《なづ》の木の(六)、さやさや(七)。  (歌謠番號七五)
[#ここで字下げ終わり]
 こは志都歌の歌ひ返しなり。
 この天皇の御年|八十三歳《やそぢあまりみつ》。[#割り注]丁卯の年八月十五日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受《もず》(八)の耳原《みみはら》にあり。

(一) 所在不明。物語によれば大阪平野のうちである。
(二) 大阪府中河内郡。信貴山。
(三) ヤは間投の助詞。
(四) 大阪灣口の由良海峽。(紀淡海峽)。
(五) 海中の石、暗礁。
(六) 海水に浸つている木のように。
(七) 音のさやかであること。
(八) 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。

[#3字下げ]〔二、履中天皇・反正天皇〕[#「〔二、履中天皇・反正天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔履中天皇と墨江の中つ王〕[#「〔履中天皇と墨江の中つ王〕」は小見出し]
 子《みこ》伊耶本和氣《いざほわけ》の王(一)、伊波禮《いはれ》の若櫻《わかざくら》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、葛城《かづらき》の曾都毘古《そつびこ》の子、葦田《あしだ》の宿禰が女、名は黒比賣《くろひめ》の命に娶ひて、生みませる御子、市《いち》の邊《べ》の忍齒《おしは》の王(三)、次に御馬《みま》の王、次に妹|青海《あをみ》の郎女、またの名は飯豐《いひとよ》の郎女三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。
 もと難波の宮にましましし時に、大嘗《おほにへ》にいまして(四)、豐の明《あかり》したまふ時に、大御酒にうらげて(五)、大御寢《おほみね》ましき。ここにその弟|墨江《すみのえ》の中つ王、天皇を取りまつらむとして、大殿に火を著けたり。ここに倭《やまと》の漢《あや》の直《あたへ》の祖、阿知《あち》の直、盜み出でて、御馬に乘せまつりて、倭《やまと》にいでまさしめき。かれ多遲比野《たぢひの》(六)に到りて、寤めまして詔りたまはく、「此處《ここ》は何處《いづく》ぞ」と詔りたまひき。ここに阿知の直白さく、「墨江の中つ王、大殿に火を著けたまへり。かれ率《ゐ》まつりて、倭に逃《のが》るるなり」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
丹比野《たぢひの》に 寢むと知りせば、
防壁《たつごも》(七)も 持ちて來ましもの(八)。
寢むと知りせば。  (歌謠番號七六)
[#ここで字下げ終わり]
 波邇賦《はにふ》坂(九)に到りまして、難波の宮を見|放《さ》けたまひしかば、その火なほ炳《も》えたり。ここにまた歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
波邇布《はにふ》坂 吾が立ち見れば、
かぎろひの(一〇) 燃ゆる家|群《むら》、
妻《つま》が家《いへ》のあたり。  (歌謠番號七七)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ大坂の山口に到りましし時に、女人《をみな》遇へり。その女人の白さく、「兵《つはもの》を持てる人ども、多《さは》にこの山を塞《さ》へたれば、當岐麻道《たぎまぢ》(一一)より※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]りて、越え幸でますべし」とまをしき。ここに天皇歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
大坂に 遇ふや孃子《をとめ》を。
道問へば 直《ただ》には告《の》らず(一二)、
當岐麻路《たぎまぢ》を告る。  (歌謠番號七八)
[#ここで字下げ終わり]
 かれ上り幸でまして、石《いそ》の上《かみ》の宮(一三)にましましき。
 ここにその同母弟《いろせ》水齒別《みづはわけ》の命(一四)、まゐ赴《む》きてまをさしめたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「吾、汝が命の、もし墨江《すみのえ》の中《なか》つ王と同《おや》じ心ならむかと疑ふ。かれ語らはじ」とのりたまひしかば、答へて曰さく、「僕は穢《きたな》き心なし。墨江の中つ王と同《おや》じくはあらず」と、答へ白したまひき。また詔らしめたまはく、「然らば、今還り下りて、墨江の中つ王を殺して、上《のぼ》り來ませ。その時に、吾《あれ》かならず語らはむ」とのりたまひき。かれすなはち難波に還り下りまして、墨江の中つ王に近く事《つか》へまつる隼人《はやびと》(一五)、名は曾婆加里《そばかり》を欺きてのりたまはく、「もし汝、吾が言ふことに從はば、吾天皇となり、汝を大臣《おほおみ》になして、天の下治らさむとおもふは如何に」とのりたまひき。曾婆訶里答へて白さく「命のまにま」と白しき。ここにその隼人に物|多《さは》に賜ひてのりたまはく、「然らば汝の王を殺《と》りまつれ」とのりたまひき。ここに曾婆訶里、己が王の厠に入りませるを伺ひて、矛《ほこ》もちて刺して殺《し》せまつりき。かれ曾婆訶里を率《ゐ》て、倭《やまと》に上り幸でます時に、大坂の山口に到りて、思ほさく、曾婆訶里、吾がために大き功《いさを》あれども、既におのが君を殺せまつれるは、不義《きたなきわざ》なり。然れどもその功に報いずは、信《まこと》無しといふべし。既にその信を行はば、かへりてその心を恐《かしこ》しとおもふ。かれその功に報ゆとも、その正身《ただみ》(一六)を滅しなむと思ほしき。ここをもちて曾婆訶里に詔りたまはく、「今日は此處《ここ》に留まりて、まづ大臣の位を賜ひて、明日上りまさむ」とのりたまひて、その山口に留まりて、すなはち假《かり》宮を造りて、俄に豐の樂《あかり》して、その隼人に大臣の位を賜ひて、百官《つかさづかさ》をして拜《をろが》ましめたまふに、隼人歡びて、志遂げぬと思ひき。ここにその隼人に詔りたまはく、「今日大臣と同《おや》じ盞《うき》の酒を飮まむとす」と詔りたまひて、共に飮む時に、面《おも》を隱す大|鋺《まり》(一七)にその進《たてまつ》れる酒を盛りき。ここに王子《みこ》まづ飮みたまひて、隼人後に飮む。かれその隼人の飮む時に、大鋺、面を覆ひたり。ここに席《むしろ》の下に置ける劒《たち》を取り出でて、その隼人が首を斬りたまひき。すなはち明日《くるつひ》、上り幸でましき。かれ其地《そこ》に名づけて近《ちか》つ飛鳥《あすか》(一八)といふ。倭《やまと》に上り到りまして詔りたまはく、「今日は此處に留まりて、祓禊《はらへ》(一九)して、明日まゐ出でて、神宮《かむみや》(二〇)を拜まむ」とのりたまひき。かれ其地《そこ》に名づけて遠つ飛鳥(二一)といふ。かれ石《いそ》の上《かみ》の神宮にまゐでて、天皇に「政既に平《ことむ》け訖へてまゐ上り侍《さもら》ふ」とまをさしめたまひき。ここに召し入れて語らひたまひき。
 天皇、ここに阿知の直を、始めて藏《くら》の官《つかさ》(二二)に任《ま》けたまひ、また粮地《たどころ》(二三)を賜ひき。またこの御世に、若櫻部《わかさくらべ》の臣等に、若櫻部といふ名を賜ひ、また比賣陀《ひめだ》の君等に、比賣陀の君といふ姓《かばね》を賜ひき。また伊波禮部《いはれべ》を定めたまひき。
 天皇の御年|六十四歳《むそぢあまりよつ》[#割り注]壬申の年正月三日崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受《もず》にあり。

(一) 履中天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 一六八頁[#「一六八頁」は「安康天皇」の「市の邊の押齒の王」]・一八二頁[#「一八二頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「志自牟の新室樂」]・一八五頁[#「一八五頁」は「清寧天皇・顯宗天皇・仁賢天皇」の「顯宗天皇」]に物語がある。
(四) 大嘗祭をなすつて。
(五) 浮かれて。
(六) 大阪府南河内郡。
(七) コモを編んで風の防ぎとする屏風。
(八) 持つて來たろうに。假設の語法。
(九) 大阪府南河内郡から大和に越える坂。
(一〇) 譬喩による枕詞。カギロヒは陽炎。
(一一) 奈良縣北葛城郡の當麻《たいま》(古名タギマ)へ越える道で、二上山の南を通る。大坂は二上山の北を越える。
(一二) まつすぐにとは言わないで。
(一三) 奈良縣山邊郡の石上の神宮。
(一四) 反正天皇。
(一五) 九州南方の住民。勇敢なので召し出して宮廷の護衞としている。
(一六) その本身を。
(一七) 顏をかくすような大きな椀。
(一八) 大和の飛鳥に對していう。
(一九) 隼人を殺して穢を生じたので、それを拂う行事をして。
(二〇) 石上の神宮。天皇の御座所。
(二一) 奈良縣高市郡の飛鳥。
(二二) 物の出納をつかさどる役。
(二三) 領地。

[#5字下げ]〔反正天皇〕[#「〔反正天皇〕」は小見出し]
 弟《いろと》水齒別《みづはわけ》(一)の命、多治比《たぢひ》の柴垣《しばかき》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。天皇、御身《みみ》の長《たけ》九尺二寸半《ここのさかまりふたきいつきだ》。御齒の長さ一|寸《き》、廣さ二|分《きだ》。上下等しく齊《ととの》ひて、既に珠を貫《ぬ》けるが如く(三)なりき。天皇、丸邇《わに》の許碁登《こごと》の臣が女、都怒《つの》の郎女に娶ひて、生みませる御子、甲斐《かひ》の郎女、次に都夫良《つぶら》の郎女二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また同《おや》じ臣が女、弟比賣に娶ひて、生みませる御子、財《たから》の王、次に多訶辨《たかべ》の郎女、并はせて四柱ましき。天皇御年|六十歳《むそぢ》。[#割り注]丁丑の年七月に崩りたまひき。[#割り注終わり]御陵は毛受野《もずの》にありと言へり。

(一) 反正天皇。
(二) 大阪府南河内郡。
(三) 珠を緒にさしたようだ。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [京都府]
  • [山代] やましろ 山城・山背。旧国名。五畿の一つ。今の京都府の南部。山州。城州。雍州。
  • 山代河 やましろがわ 山城川。紀は山背川。淀川の古称か。
  • [綴喜郡] つづきぐん 京都府・山城国の郡。現、井手町・宇治田原町。
  • 筒木 つつき 紀の筒城宮か。現在の京都府京田辺市普賢寺付近に比定される。(日本史)
  • 筒木の宮 つつきのみや 紀は筒城宮。現、綴喜郡田辺町大字多々羅。普賢寺川の北の丘陵の宇都谷辺りに仁徳天皇の皇后磐之媛が住み、また継体天皇の皇居があったという。比定地は諸説あり。
  • [難波] なにわ (一説に「魚庭」の意という) 大阪市およびその付近の古称。
  • 高津宮 たかつのみや 仁徳天皇の皇居。宮址は大阪城の辺という。難波高津宮。/現在の大阪府大阪市中央区か。仁徳天皇が難波に造営したと伝える宮。比定地は諸説あり。(1) 現、大坂城の地。(2) 現、東区法円坂旧陸軍第八連隊兵営内の平坦地。(3) 大阪城外濠南方の高台の地。
  • 東区 ひがしく 大阪市の中心部にある。明治12(1879)成立。紀によると、大化改新に伴って孝徳朝難波長柄豊碕宮が造営されたと考えられるが、同宮は当区上町台地上に置かれたといわれる。天武天皇・聖武天皇の時代にも同台地上に難波宮が造営され、条坊制を有する難波京の存在が想定される。難波の堀江(現大川)沿岸には外交施設があり、また摂津職も置かれたが、延暦3(784)の長岡京造営などに伴って難波宮が廃されてからも、摂津国府が中世まで存続した。
  • 大阪城 おおさかじょう 大阪城・大坂城。大阪市中央区にある城。1583年(天正11)より豊臣秀吉が石山本願寺の旧地に築いた。大坂夏の陣で焼失後、元和〜寛永年間に大修築。1868年(明治1)戦火を蒙り建造物の大部分が焼失。1931年(昭和6)本丸内外の一部を公園とし、旧規によって天守閣を設けた。
  • 難波の埼 → 難波津か
  • 難波津 なにわづ 難波江の要津。古代には、今の大阪城付近まで海が入りこんでいたので、各所に船瀬を造り、瀬戸内海へ出る港としていた。
  • 難波の大渡 おおわたり 浪波渡。淀川本流(現、大川)を渡る地点か。渡は川を横切る渡船場と解される。
  • 御津の前 みつのさき 御津の埼。所在地は諸説あるが、現、南区三津寺町付近とする説が有力。
  • 難波の宮 なにわのみや 古代、大阪市中央区法円坂の一帯にあった皇居の総称。(1) 孝徳天皇の645年(大化1)より造営。天武天皇の陪都としても使用。686年(朱鳥1)焼失。→難波長柄豊碕宮。(2) 聖武天皇の皇居の一つ。
  • 難波長柄豊碕宮 なにわの ながらのとよさきのみや 孝徳天皇の造営した難波宮の正称。第二次大戦後の発掘で、大極殿跡その他を発見。
  • 大阪平野 おおさか へいや 大阪湾の沿岸、大阪府と兵庫県南東部にまたがる、近畿地方最大の平野。淀川・大和川などが流れる。
  • 大阪湾 おおさかわん 瀬戸内海の東端にあたる湾。西は明石海峡と淡路島、南は友ヶ島水道(紀淡海峡)で限られる。古称、茅渟海。和泉灘。摂津灘。
  • [三島郡] みしまぐん 明治29(1896)島上郡と島下郡が合併して成立。郡名は、古代当地方をさした地名の復活で、早くから文献に出る。この三島の地は、現高槻市の南西部あたりに中心地が比定される三島県に含まれ、大化改新後、三島評となり、その後、分割され島上・島下の古称とされる「三島上郡」「三島下郡」となったといわれる。以後、古代・中世・近世を通じて島上・島下両郡として存続。
  • 日女島 ひめしま 姫島。大阪府三島郡。現、大阪市大川(難波の堀江)の河口近くにあったと思われる。のち歌枕とされた。具体的位置は不明。/現、西淀川区姫島か。
  • [北河内郡]
  • 茨田の堤 うまらた/まんたのつつみ 大阪府北河内郡。/古代、淀川の下流の左岸、茨田郡の側にあった堤防。伝承では仁徳天皇時代の築堤という。
  • 茨田の三宅 うまらた/まむた/まんだのみやけ 茨田の御倉、茨田屯倉。屯倉の所在地は不明だが、茨田郡および交野郡三宅郷の地に散在し、管理の建物や倉庫は三宅郷にあったと推測。
  • [南河内郡]
  • 丸邇の池 わにのいけ 大阪府南河内郡。現、富田林市粟ヶ池か。
  • 依網の池 よさみのいけ 大阪市東成区。(本文注)
  • 依網 よさみ 摂津国住吉郡と河内国丹比郡の境界付近の古代地名。依網池は現、大阪市住吉区苅田・我孫子町から堺市常磐町にかけて復元。(日本史)
  • 難波の堀江 なにわのほりえ 天満川。/仁徳天皇が水害を防ぐために、高津宮の北に掘ったという運河。比定地は諸説あり、(1) 天満川(現、大川)のこと。(2) 長堀川。(3) 道頓堀川の前身の堀川。(4) 現天王寺区の空堀通の四説。
  • 小椅の江 おばしのえ 大阪市東成区東小橋か。小橋村・東小橋村一帯と推定。
  • 墨江の津 大阪市住吉区。住吉津。古代日本に存在した港。住吉大神を祀る住吉大社(大阪市住吉区)の南の住吉の細江と呼ばれた入り江にあった(住吉の細江は、現在は細江川[通称・細井川])。住吉津から東へ向かうと、奈良盆地の飛鳥に至る。
  • 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
  • 天満川 てんまんがわ 大阪市、大川。淀川の一分流の名称で、都島区の毛馬閘門から北区中之島の東端で土佐堀川と堂島川に分岐するまでの約4.4kmをいう。天満川は大坂三郷の天満郷(現北区)が淀川右岸にあたるところから生じた名称であろうが、大川ほど一般化はしていなかったのではなかろうか。
  • 兎寸河 うきかわ/うきがわ 所在不明。物語によれば大阪平野のうち。
  • 高安山 たかやすやま 大阪府と奈良県との境に位置する標高 488m の山。 7世紀後半に大和朝廷により大和国防衛の拠点として高安城が築かれたことで知られている。
  • [泉南郡] せんなんぐん 府の南西部にあり、明治29(1896)南郡と日根郡を合わせて成立した郡で、郡名は旧和泉国の南部に位置することによる。その後、郡域に岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市が成立。
  • 毛受の耳原 もずのみみはら 大阪府泉南郡。この御陵は、天皇生前に工事をした。その時に鹿の耳の中からモズが飛び出したから地名とするという。(本文中)
  • [中河内郡] なかかわちぐん 明治29(1896)若江郡・渋川郡・河内郡・高安郡・大県郡・丹北郡および志紀郡三木本村が合併して成立。名称は旧河内国の中部に位置することにより、北は北河内郡、東は生駒山地で奈良県生駒郡、南は南河内郡、西は東成郡・泉北郡に接する。宝永元(1704)の大和川のつけかえにより、景観・立地環境は大きく変貌した。
  • [南河内郡] みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • 多治比の柴垣の宮 たじひの しばかきのみや 多比柴垣宮。大阪府南河内郡。反正天皇の宮跡。現在地は不明。松原市内か。
  • 毛受野 もずの → 毛受
  • 毛受 もず 紀は百舌鳥。百舌鳥野。現、堺市北部中央三国ヶ丘台地と称される辺り。
  • [奈良県]
  • [那良]
  • [倭] やまと 大和。(「山処(やまと)」の意か) (1) 旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。初め「倭」と書いたが、元明天皇のとき国名に2字を用いることが定められ、「倭」に通じる「和」に「大」の字を冠して大和とし、また「大倭」とも書いた。和州。(2) 日本国の異称。おおやまと。(3) 唐(から)に対して、日本特有の事物に冠する語。
  • 木津川 きづがわ (1) 淀川の支流。鈴鹿山脈南の布引山地に発源し、伊賀盆地を流れて名張川と合流したのち京都盆地の南部に入り、八幡市で淀川に入る。長さ89km。(2) 淀川下流の分流の一つ。大阪市西区で淀川分流の土佐堀川から分かれ、南西流して大阪湾に注ぐ。(3) 京都府南部、(1) の中流域を占める市。南部は奈良県に接する。恭仁京・海住山寺などの所在地。人口6万4千。
  • 奈良山 ならやま → 平城山
  • 奈良の山口 ならのやまぐち → 平城山
  • 平城山 ならやま 奈良山。現、奈良市。奈良盆地北辺と京都府相楽郡木津町との境界を東西に走る標高100m前後の低丘陵。山裾南を佐保川が西流し、東部を佐保、西武を佐紀と称する。
  • 小楯 おだて (1) 楯。小さな楯。(2) 〔枕〕「やまと」にかかる。
  • 葛城 かずらき/かつらぎ (古くはカヅラキ) (1) 奈良県御所市・葛城市ほか奈良盆地南西部一帯の古地名。(2) 奈良県北西部の市。農村地帯で、二輪菊・チューリップなど花卉栽培が盛ん。人口3万5千。
  • 高宮 たかみや 紀にみえる武内宿祢の子、葛城襲津彦が新羅の民を配置した桑原・佐糜(さび)・高宮はいずれも御所市域と考えられる。仁徳紀の磐之媛の歌に「我が見が欲し国は葛城高宮、我家のあたり」とあり、蘇我蝦夷が葛城高宮に祖廟を立て(皇極紀)、蘇我馬子は「葛城県は元臣が本拠の地なり」と称した(推古紀)。
  • 葛城高丘宮 かずらきの たかおかのみや 綏靖天皇の皇居。奈良県御所市森脇の辺という。
  • 葛城の三諸
  • 丸迩 わに 和邇・和珥・丸とも。奈良県天理市和迩町付近の古代以来の地名。(日本史)
  • [磯城郡] しきぐん 奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、中央の寺川、西の飛鳥川、西境の曾我川が曲折しつつ北流し、北端で大和川に注ぐ。東は天理市・桜井市、西は北葛城郡、南は橿原市、北は大和郡山市・生駒郡。
  • [宇陀郡] うだぐん 奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯を占め、東・東南は三重県、西は桜井市、南は吉野郡、北・北西は山辺郡。
  • 北葛城郡 きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 宇陀 うだ 奈良県北東部の市。大和政権時代、菟田県・猛田県があった。人口3万7千。
  • 宇陀の蘇邇 うだのそに 奈良県宇陀郡。東部曽爾村か。三重県に突出した部分で奥宇陀山地の中央部にあたる。
  • [北葛城郡]
  • 当麻 たいま 奈良県北葛城郡當麻町当麻付近の古代以来の地名。垂仁天皇の時代に当麻邑に当麻蹴速という勇士がいたと伝える。当麻曼荼羅のある当麻寺、式内社の当麻山口神社・当麻都比古神社がある。二上山東麓にあたり、奈良盆地を東西に走る横大路が二上山の南にある竹内峠をこえる道は、当麻道とよばれたらしい。また大和国葛下郡に当麻郷があった。(日本史)
  • 二上山 ふたかみやま 奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰から成る。万葉集にも歌われ、大津皇子墓と伝えるものや葛城二上神社がある。にじょうさん。
  • [山辺郡] やまべぐん 県東北端に位置する南北に細長い郡。
  • 石の上の宮 いそのかみのみや → 石上の神宮か
  • 石上の神宮 いそのかみの じんぐう 奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神。二十二社の一つ。布留社。所蔵の七支刀が著名。
  • [高市郡] たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 飛鳥 あすか 飛鳥・明日香。遠つ飛鳥。奈良盆地南部の一地方。畝傍山および香具山付近以南の飛鳥川流域の小盆地。推古天皇以後百余年間にわたって断続的に宮殿が造営された。
  • 信貴山 しぎさん 奈良県北西部、生駒山地南部にある山。標高437m。山腹に信貴山寺、頂上に松永久秀の城址がある。
  • [磯城郡]
  • 倉椅山 くらはしやま 倉梯山。奈良県磯城郡の東方の山。現、桜井市。寺川流域の大字倉橋より上流にあたると考えられる。
  • 伊波礼の若桜の宮 いわれの わかざくらのみや 磐余稚桜宮か。奈良県磯城郡。
  • 磐余稚桜宮 いわれの わかざくらのみや 履中天皇の皇居。伝承地は奈良県桜井市池之内の辺。
  • 磐余 いわれ 奈良県桜井市南西部、香具山東麓一帯の古地名。神武天皇伝説では、八十梟帥征討軍の集結地。
  • [丹比郡]
  • 多遅比野 たじひの 丹比野。丹比郡の地の南東から南にかけての郡境に丘陵がある、おおむね平坦な平野。
  • 波邇賦坂 はにふさか/ハニウざか 大阪府南河内郡から大和に越える坂。
  • 大坂の山口 おおさかのやまぐち → 大坂山
  • 大坂山 おおさかやま 記の履中天皇段の墨江中王の反乱の記事に、天皇が難波から「大坂の山口」に至り、そこで道を変更して当麻を経て石上神宮に逃げたとあり、また、紀の天武天皇元年7月23日条には、壬申の乱に際して佐味君少麻呂が数百人を率いて「大坂」に駐屯し、同8年11月条に「初めて関を竜田山・大坂山に置く」などとみえている大坂山は、現、北葛城郡香芝町西部、穴虫峠付近一帯の丘陵をさすものと考えられる。穴虫峠は大和・河内を結ぶ重要な古代交通路の一つであり、また付近は石材の産地。当岐麻道 たぎまじ 当麻路。奈良県北葛城郡の当麻(古名タギマ)へ越える道で、二上山の南を通る。大坂は二上山の北を越える。
  • 近つ飛鳥 ちかつ あすか 安宿郡の飛鳥のことか。
  • 近飛鳥八釣宮 ちかつあすか やつりのみや 記紀にみえる顕宗天皇の宮。記では近飛鳥宮。宮号は允恭天皇の遠飛鳥宮と対になる。記履中段によれば、難波宮からの遠近により、河内の飛鳥を近飛鳥、大和の飛鳥を遠飛鳥と称したとするが、八釣の地名は大和の飛鳥にある。現在の奈良県明日香村八釣および橿原市下八釣町付近。(日本史)
  • 遠つ飛鳥 とおつ あすか 大和の飛鳥のことか。
  • 粟島 あわしま 淡島。(1) 日本神話で伊弉諾尊・伊弉冉尊が生んだという島。(2) 日本神話で少彦名神がそこから常世に渡ったという島。(3) 和歌山市にある淡島神社。祭神は少彦名神。各地に分祀。婦人病に霊験があるとされる。また神の名を針才天女とも伝え針供養が行われる。加太神社。淡島(粟島)明神。あわしまがみ。
  • 淤能碁呂島 おのごろしま f馭慮島。日本神話で、伊弉諾・伊弉冉二尊が天の浮橋に立って、天瓊矛で滄海を探って引き上げた時、矛先からしたたり落ちる潮の凝って成った島。転じて、日本の国を指す。
  • 檳榔の島 あじまさのしま 所在不明。アジマサは、檳榔樹。
  • 佐気都島 さけつしま 所在不明。
  • [淡路] あわじ 旧国名。今の兵庫県淡路島。淡州。
  • 淡道島 あわじしま 淡路島。瀬戸内海東部にある同海最大の島。本州とは明石海峡・友ヶ島水道(紀淡海峡)で、四国とは鳴門海峡で隔てられる。1985年鳴門海峡に橋が完成。兵庫県に属する。面積592平方km。
  • 由良の門 ゆらのと 〔歌枕〕(1) 紀淡海峡のこと。→由良。(2) 京都府舞鶴市の北西、由良川の河口。由良川の下流は勾配が緩く川底が深いため、福知山まで舟運の便があった。
  • 由良 ゆら 兵庫県淡路島津名郡(今の洲本市)にある港町。淡路島の南東端にあって紀淡海峡(由良の門)に面する。
  • 由良海峡
  • 紀淡海峡 きたん かいきょう 紀伊と淡路、すなわち和歌山県の加太と兵庫県淡路島の由良との間にある海峡。北は大阪湾、南は紀伊水道に連なる。
  • [紀伊] きい (キ(木)の長音的な発音に「紀伊」と当てたもの) 旧国名。大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀州。紀国(きのくに)。
  • 木の国 → 紀伊
  • [吉備] きび 山陽地方の古代国名。大化改新後、備前・備中・備後・美作に分かつ。
  • 児島郡 こじまのこおり 岡山県および備前国にかつて存在した郡。灘崎町が2005年3月22日に岡山市に編入合併され児島郡は消滅した。
  • [肥前国]
  • 杵島が岳 きしまがたけ → 杵島山 
  • 杵島山 きしまやま 杵島郡北方町・白石町・有明町・武雄市橘町にまたがり、南西の一部は藤津郡塩田町に接する南北に細長い丘陵。鳴瀬山・勇猛山・犬山岳などの数峰からなり、標高345mを最高とする。
  • [日向]  ひむか/ひゅうが (古くはヒムカ)旧国名。今の宮崎県。
  • 諸県 むらがた/もろかた 諸県郡。古代律令期から明治初期まで日向国南西部一帯に存在した郡。諸県君の本拠地であったと考えられる。
  • -----------------------------------
  • 秦 しん (1) 中国古代、春秋戦国時代の大国。始祖非子の時、周の孝王に秦(甘粛)を与えられ、前771年、襄公の時、初めて諸侯に列せられ、秦王政(始皇帝)に至って六国を滅ぼして天下を統一(前221年)。中国史上最初の中央集権国家。3世16年で漢の高祖に滅ぼされた。( 〜前206)(2) 中国、五胡十六国の西秦・前秦・後秦。(3) 中国陝西省の別称。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
  • 大雀の命 おおさざきのみこと → 大鷦鷯尊、仁徳天皇
  • 葛城の曽都毘古 かずらきの そつびこ 葛城襲津彦。古代の武人。葛城氏の祖。武内宿祢の子で、仁徳天皇の皇后磐之媛命の父とされ、神功皇后の時代に新羅を討ったという。
  • 石の日売の命 いわのひめのみこと 磐之媛・石之日売。仁徳天皇の皇后。葛城之曾都毘古の女で、履中・反正・允恭天皇の母。嫉妬の伝説で知られる。万葉集に歌がみえる。
  • 大江の伊耶本和気の命 おおえのいざほわけのみこと → 大兄去来穂別(紀)、履中天皇
  • 履中天皇 りちゅう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は大兄去来穂別。
  • 墨江の中つ王 すみのえのなかつみこ 墨江之中津王。住吉仲皇子。仁徳天皇の皇子で、母は、磐之姫命。兄履中天皇の婚約者黒媛を天皇の名をかたって犯してしまい、事の発覚を恐れて、天皇の宮殿を包囲、焼殺しようとするが失敗。天皇に命じられた瑞歯別尊(のちの反正天皇)によって殺された。
  • 蝮の水歯別の命 たじひのみずはわけのみこと → 多遅比瑞歯別(紀)、反正天皇
  • 反正天皇 はんぜい てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第3皇子。名は多遅比瑞歯別。倭の五王のうちの「珍」とされる。
  • 男浅津間若子の宿祢の命 おあさづまわくごのすくねのみこと → 雄朝津間稚子宿禰尊(紀)、允恭天皇
  • 允恭天皇 いんぎょう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第4皇子。名は雄朝津間稚子宿祢。盟神探湯で姓氏の混乱を正したという。倭の五王のうち「済」に比定される。
  • 日向の諸県の君 ひむかの むらがたのきみ → 牛諸
  • 牛諸 うしもろ 諸県君牛諸井。仁徳天皇に娶された髪長姫の父。応神紀には長く朝廷に仕え、退仕し本土に帰る際、姫を献上したと伝える。(神名)
  • 髪長比売 かみながひめ 日向髪長媛。/諸県君の女。はじめ応神天皇に喚し上げられたが、後に建内宿祢を介して皇太子大雀命(仁徳天皇)に下賜され、波多毘能若郎子(大日下王)、波多毘能若郎女(長目比売命、若日下部命)を生む。(神名)
  • 波多毘大郎子 はたびのおおいらつこ 別名、大日下の王。大草香皇子(紀)。仁徳天皇の皇子。母は髪長比売。別名、波多毘能大郎子。名代として大日下部が設けられた。長田大郎女との間に目弱王を生む。安康天皇は皇弟大長谷若建命に、王の妹若日下王を嫁がせようとして、根臣を支社として派遣した。王は承諾し礼物として、蔵する珠玉・襟飾を献じたが、根臣はこれを押領し、王を天皇に讒言したため、天皇の怒りを買った王は殺され、妻の長田大郎女は天皇の皇后となった。(神名)
  • 大日下の王 おおくさかのみこ → 波多毘の大郎子
  • 波多毘の若郎女 はたびの わきいらつめ 別名、長目比売の命、若日下部の命。仁徳天皇の子。母は髪長比売。雄略天皇の妃となる。仁徳紀では幡梭皇女、雄略紀では草香幡梭皇女、あるいは橘姫皇女と表記する。子はなく、名代として仁徳朝に定められた若日下部がある。安康記には若日下王とある。(神名)
  • 長目比売の命 ながめひめのみこと → 波多毘の若郎女
  • 若日下部の命 → 波多毘の若郎女
  • 八田の若郎女 やたのわかいらつめ 応神天皇の皇女。異母兄である仁徳天皇の妃となった。この婚姻をめぐる后の石之日売(磐之媛)の嫉妬の物語と歌謡が記紀にある。(神名)
  • 宇遅の若郎女 うじのわかいらつめ/わきいらつめ 応神天皇の子。母はオナベ郎女。仁徳記には宇遅能若郎女とあり、仁徳天皇と娶うが、子はないとある。宇遅之若郎女。(神名)
  • 建内の宿祢 たけうちの すくね 武内宿祢。大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
  • 葛城部 かずらきべ 姓氏の一つ。古代の豪族。武内宿祢の子襲津彦より起こったと伝えられ、大和の葛城地方を本居として繁栄した。/仁徳天皇の皇后で葛城氏から出た磐之媛の名代とするのが定説。記紀の伝承的記事には疑問もある。律令時代には西日本に少数ながら葛木部を姓とする人々や葛木郷がある。(日本史)
  • 壬生部 にぶべ/みぶべ 乳部・生部とも。6世紀以後、皇子女の養育のため広く設置された部民とするのが定説。大化の改新時に中大兄皇子が天皇に返還した「入部」も壬生部のこととする説がある。紀によれば壬生部は推古朝に設置された。(日本史)
  • 蝮部 たじひべ 多治比部・丹比部・蝮王部とも。5世紀のタジヒノミズハワケの命(反正天皇)の名代とするのが定説だが異論もある。8世紀にはこれを姓とする人々が諸国に実在し、郡司となった者もある。(日本史)
  • 大日下部 おおくさかべ 大化前代の部民。仁徳天皇の皇子・大日下王の名代か。ただし大日下王の実在は確認できない。紀では雄略朝に官軍に殺された根使主の子孫の半分を大草香部民にしたという。しかし、律令時代には日下部姓の者は多いが大日下部はない。(日本史)
  • 若日下部 わかくさかべ → 日下部
  • 日下部 くさかべ 草香部とも。古代の名代か。大日下部・若日下部ともどちらも律令時代にはほとんどみえない。両者一括して日下部とよばれたか。あるいは雄略天皇の皇后草香幡梭姫の名代か。8世紀には日下部姓の人々が諸国に実在。(日本史)
  • 吉備の海部の直 きびのあまべのあたえ 仁徳天皇の大后のねたみをおそれて逃げ帰った黒比売の父。(神名)
  • 黒日売 くろひめ 吉備の黒日売。吉備の海部の直が女。容姿端正のため仁徳天皇の妃となるが、大后の石之日売命の嫉妬を恐れて本国に帰る。天皇の思慕はやまず、淡路島の巡幸と称して密に吉備に行った。(神名)
  • 吉備氏 きびうじ 古代日本の吉備国(岡山県)の豪族。主として5世紀に繁栄し、吉備を筑紫・出雲・ヤマト・毛野と並ぶ古代の有力地方国家に発展させることに貢献した。ヤマトの豪族たちと同盟し、日本列島の統一と発展に寄与。
  • 奴理能美 ぬりのみ 筒木の韓人。山城国綴喜郡付近に住す。仁徳天皇の皇后石之日売命は新しく妃を迎えようとする天皇を恨んで高津宮を出て奴理能美の家に入った。紀によるとヌリノミは天皇と皇后の間をとりもとうとしたこと、皇后は結局戻ることなく筒木岡の宮で薨じたことを記している。(神名)
  • 鳥山 とりやま 鳥山。舎人。仁徳天皇が皇居へ帰らない大后石之日売命との和解のため派遣した使者の舎人の名。使者としての鳥の意を含めたもの。(神名)
  • 丸邇の臣 わにのおみ → 和珥氏
  • 和珥氏 わにうじ 丸邇・和邇・丸とも。古代の有力氏族。姓は臣。始祖は天足彦国押人命という。本拠地は大和国添上郡一帯と推定されるが、欽明朝頃、春日氏と改めたと考えられる。応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達天皇に9人の后妃を入れ、5〜6世紀にかけて外戚氏族として勢力を誇った。(日本史)
  • 口子 くちこ 丸邇の臣。口持。的臣の祖。仁徳天皇に仕える。皇后の石之日売命が筒城宮に逃れたとき、勅をうけて歌をたてまつるがかなわない。皇后の侍女だった妹の口比売(紀、国依姫)の願いにより皇后自らクチコ臣を諭して京に帰らせた。しかし皇后はついに帰らなかった。(神名)
  • 口比売 くちひめ 国依姫(紀)。仁徳天皇皇后・石之比売命の侍女。口子臣の妹。(神名)
  • 葛城の高額姫 かずらきのたかぬかひめ 大海姫命ともいう(『旧事紀』)。多遅摩比多訶の女。母は由良度美。高額は大和国葛下郡の郷名。息長宿祢王の妻となり、息長帯日売命(神功皇后)を生む。(神名)
  • 雄略天皇 ゆうりゃく てんのう 記紀に記された5世紀後半の天皇。允恭天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武。対立する皇位継承候補を一掃して即位。478年中国へ遣使した倭王「武」、また辛亥(471年か)の銘のある埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に見える「獲加多支鹵大王」に比定される。
  • 八田部 やたべ 谷田部・矢田部か。
  • 速総別の王 はやぶさわけのみこ 速総別の命。隼別皇子(紀)。波夜夫佐和気とも記す。応神天皇の皇子。母は糸井比売。仁徳天皇が女鳥王を娶るにあたり、速総別王を媒の使者にたてるが、女鳥王は速総別王の妻となる。天皇は速総別王の反逆とうけとり、軍を出して二人を追い、宇陀の蘇邇で二人を殺した。(神名)
  • 女鳥の王 めとり/めどりのおおきみ 古代伝説上の人物。応神天皇の女。異母兄仁徳天皇の求婚を断って媒人の速総別王と結婚。雌鳥皇女。/応神天皇の子。母は宮主矢河枝姫。仁徳天皇が女鳥の王を妻にしようと速総別王を使いにやるが、女鳥の王は速総別王と結婚してしまう。天皇は軍を向けて、宇陀の蘇邇に逃げた二人を殺した。(神名)
  • 山部の大楯の連 やまべのおおたてのむらじ
  • 山部 やまべ 大化前代の部。山林の産物を貢納することで朝廷に奉仕した。記応神段には海部・山守部などとともに設定された記事がみえる。伴造として山部連・山部直などが知られる。山部の分布は陸奥・常陸・上野・遠江・播磨・出雲・豊後など、東北地方南部から九州地方まで広く確認できる。なお、785(延暦4)桓武天皇の諱を避けるため、たんに山とされた。(日本史)
  • ニギハヤヒの命 にぎはやひのみこと 饒速日命。記紀神話で、天孫降臨に先だち天より降り、長髄彦の妹三炊屋姫を妃としたが、神武天皇東征の時、長髄彦を誅して天皇に帰順したという。物部氏の始祖と伝える。
  • 伊耶本和気の王 いざほわけのみこ → 履中天皇
  • 葦田の宿祢 あしだのすくね 葦田は地名。葛城曽都比古の子。事跡不詳。(神名)
  • 黒比売の命 くろひめのみこと 履中天皇の后となり三子を生んだ。記では葦田宿祢の娘。紀には羽田矢代宿禰の娘とし、履中天皇5年に没したとする。(日本史)
  • 市の辺の忍歯の王 いちのべのおしはのみこ 市辺押磐皇子。市辺は地名。山城国綴喜郡に市野辺村がある。履中天皇の皇子。皇位継承者として有力視されていたが、雄略天皇に近江の久多綿蚊屋野で殺された。風土記には市辺天皇命とある。(神名)
  • 御馬の王 みまのみこ 履中天皇の皇子。母は黒姫の命。同母兄の市の辺の忍歯の王がオオハツセの命(雄略天皇)に皇位継承をめぐってころされたとき、御馬の王は三輪君身狭のもとに逃れようとしたが、捕らわれ刑死した。(神名)
  • 青海の郎女 あおみのいらつめ → 飯豊青皇女
  • 飯豊の郎女 いいとよのいらつめ → 飯豊青皇女
  • 飯豊青皇女 いいとよあおの ひめみこ 履中天皇の皇女。市辺押磐皇子の妹(王女とも)。清寧天皇の没後継嗣なく、一時政を執ったと伝えられ、飯豊天皇とも称される。
  • 倭の漢の直 やまとのあやのあたえ 東漢直。古代の渡来系氏族。阿知使主の子孫と称し、朝廷の記録や外交文書をつかさどった。5世紀ごろ渡来した朝鮮の漢民族の子孫と見られ、大和を本拠とした。7世紀には政治的・軍事的に有力となり、姓は直から忌寸や宿祢に昇格。東漢氏。
  • 阿知の直 あちのあたえ 倭の漢の直の祖。 → 阿知使主か
  • 阿知使主 あちのおみ 応神天皇の時の渡来人。後漢の霊帝の曾孫ともいう。のち呉に使して織女・縫女を連れ帰ったと伝えられる。古代の最も有力な渡来人の一族、東漢直の祖という。
  • 曽婆加里 そばかり 隼人。スミノエノナカツ王に近く仕える。
  • 若桜部の臣 わかさくらべのおみ → 若桜部
  • 若桜部 わかさくらべ/わかざくらべ 古代日本の氏族。大彦命の孫・伊波我牟都加利命の後裔氏族。稚桜部氏とも表記する。姓は初め臣だったが、天武天皇13年(684年)11月に朝臣姓を賜った。
  • 比売陀の君 ひめだのきみ 「ひめたのかみ」。近江国伊香郡に比売多神社がある。(神名)
  • 伊波礼部 いわれべ → 磐余
  • 磐余 いわれ 石村・石寸とも。古代の大和の地名。のちの十市郡池上郷付近に比定され、現在の奈良県桜井市南西部から橿原市南東部にあたる。神武天皇東征神話に磐余邑の起源説話がみえ、同天皇は神日本磐余彦天皇とよばれた。また神功皇后の磐余若(稚)桜宮、履中天皇の磐余若桜宮、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、用明天皇の磐余池辺双槻宮など多くの宮の伝承があり、式内社に石村山口神社がある。(日本史)
  • 丸邇の許碁登の臣 わにのこごとのおみ 反正天皇妃、都怒の郎女の父。同じく娘の弟姫も天皇に召されている。紀では大宅の祖木事の娘津野姫が皇夫人となっている。(神名)
  • 都怒の郎女 つのの/つぬのいらつめ 津野媛(紀)。丸邇の許碁登の臣が女。反正天皇の夫人。甲斐郎女・都夫良郎女を生む。(神名)
  • 甲斐の郎女 かいのいらつめ 香火姫皇女。父は反正天皇。紀では母は大宅臣の祖木事の娘、都怒媛。(神名)
  • 都夫良の郎女 つぶらのいらつめ 円皇女(紀)。反正天皇の皇女。母は都怒の郎女(記)。紀では津野媛と記す。石川県能登国羽咋郡上井田村大字柴垣椎葉円比�@神社(元郷社)に祀られる。
  • 弟比売 おとひめ 丸邇の許碁登の臣の娘。都怒の郎女の妹。/(3) 応神天皇の妃。品陀真若王の女。姉二人と共に召され、王子を生んだ。(神名)
  • 財の王 たからのみこ 反正天皇の皇子。母は弟姫。紀は財皇女。
  • 多訶弁の郎女 たかべのいらつめ 反正天皇の皇女。母は弟姫。紀は高部皇子。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『丹後国風土記』 たんごのくにふどき 丹後国(今の京都府北部)の風土記。逸書であるため、内容は 『釋日本紀』 などでの引用によるしかない。風土記編纂が命じられたのが和銅6年(713年)であるため、原本は遅くとも8世紀中にはできていたと思われる。数多くある風土記逸文の中でも比較的長文が残されており、最古の部類に入る浦島伝説、羽衣伝説の記述は万葉仮名書きの和歌が入っている点も含めて特筆すべきものである。他に、天橋立の伝承もある。(Wikipedia)
  •  浦島の子 うらしまのこ 浦島太郎のこと。雄略紀・丹後風土記・万葉集・浦島子伝などに見える伝説的人物で、丹後水の江の浦島の子または与謝郡筒川の島の子という漁夫。亀に伴われて竜宮で3年の月日を栄華の中に暮らし、別れに臨んで乙姫(亀姫)から玉手箱をもらい、帰郷の後、戒を破って開くと、立ち上る白煙とともに老翁になったという。神婚説話。海幸山幸神話と同型の典型的な仙郷滞留説話。島の子。島子。
  • 『肥前国風土記』 ひぜんのくにふどき 肥前風土記。奈良時代の地方誌。1巻。和銅6(713)の中央官命に基づき、天平4(732)以降、大宰府の指令によって編述された肥前国の地誌。現存本は首巻と各郡首は整っているが、各郡の記事は完備せず抄本。『豊後風土記』と体裁が同じなため、編纂に藤原宇合が参与していると考えられている。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 后妃 こうひ きさき。
  • 大后 おおきさき (1) 皇后の敬称。(2) 皇太后。
  • 娶う あう あふ。(4) 結婚する。男と女が関係を結ぶ。
  • 継妹・庶妹 ままいも (男兄弟から見て) 父または母のちがう姉妹。異父姉妹。異母姉妹。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという)(国などを)治める。君臨する。統治する。
  • 聖 ひじり (「日知り」の意) (1) 日のように天下の物事を知る人。一説に、日を知る人、天文暦数に長ずる人の意とする。聖人。(2) 天皇。
  • 御名代 みなしろ (「名代(なしろ)」の尊敬語) 古代、天皇・皇后・皇子等の名を伝えるために、その名または居所の名を冠して置いた皇室の私有民。
  • 秦人 はたびと → 秦
  • 秦 はた (古くはハダ) 姓氏の一つ。古代の渡来系の氏族。応神天皇のとき渡来した弓月君の子孫と称するが、確かではない。5世紀後半頃より、伴造として多数の秦部を管理し、織物の生産などにたずさわった。
  • 役つ えだつ 強制されて公用の労役に従事する。
  • 国中 くぬち (クニウチの約) 国内。
  • 人民 おおみたから 大御宝・百姓・公民。(天皇が宝とされる意とも、大御田族(から)(天皇治下の農民)の意ともいう) 天皇の人民。国民。みたみ。おおむたから。おおんだから。
  • 課役 みつきえだち
  •  ひ 樋。(1) 水を導き送る長い管。とい。(2) せきとめた水の出口の戸。これを開閉して水を出したり留めたりする。水門。
  • かれ 故 (接続) (カ(此)アレ(有リの已然形)の約、「かあれば」の意) (1) (前段を承けて) こういうわけで。ゆえに。(2) (段落の初めにおいて) さて。そこで。
  • 聖帝 ひじり/せいてい 徳の高い天子。聖天子。
  • うわなりねたみ 後妻嫉妬。(1) 先妻または本妻が後添いの妻をねたむこと。(2) ねたみそねむこと。嫉妬。
  • 妾 みめ 御妻・妃。妃・嬪・女御などの敬称。
  • え臨かず えのぞかず
  • え……ず 不可能をあらわす。とても……できない。(角)
  • 海部・海人部 あまべ 大和政権で、海運や朝廷への海産物貢納に従事した品部。
  • 喚上げる めさげる 召上ぐ。めさぐ。「めしあぐ(召上)」の変化した語)めしあげる。お呼び寄せになる。召還なさる。
  • 本つ国 もとつくに ほんごく。
  • つららく 列く ならびつづく。つらなる。
  • くろざやの 黒鞘の。未詳。黒いさやにはいった刀の意で、刀の古語「さ」にかかるという。(補注)原文「久」の字が諸本とも「文」となっているが、それでは意味不明であり、また借音仮名として「文」が使われた例がないので、「久」の誤りとする「古事記伝」の説に従う。
  • まさずこ 美児。語義未詳。美しい娘、いとしい児の意の愛称か。(補注)「さにづらふ子(赤みがあって美しい子)の略。あるいは「まさ照り子」の意とする説などがある。
  • 吾妹 わぎも (ワガイモの約) 男性が女性を親しんで呼ぶ語。
  • 望く みさく 見放く。遠くを見る。見やる。
  • おしてる 押し照る 一面に照りつける。くまなく照る。
  • おしてるや 〔枕〕「なには(難波)」にかかる。
  • 檳榔 あじまさ ビロウ(蒲葵)の古名。
  • 山県 やまがた 山にあるあがた。山の畑。
  • おおまします 大座します (オハシマスの古形)「います」「まします」のさらに敬った言い方。
  • 大御食 おおみけ 神・天皇の食物。
  • 大御羮 おおみあつもの
  • 大御 おおみ 〔接頭〕 神や天皇などに関する物事を尊んで言うのに用いる。おん。おおん。
  • 羹 あつもの (熱物(あつもの)の意) 菜・肉などを入れて作った熱い吸物。
  • 菘菜 あおな 青菜か。(1) 色が青々として勢いのよい草。また、新鮮な蔬菜。(2)「かぶ(蕪)」の古名。
  • な 菘・鈴菜 すずな。春の七草の一つ。青菜、または蕪の別称。
  • 隠津 こもりづ 隠水(こもりず)の、か。(枕)草などにおおわれて外からは見えない流れが、草の下などに隠れて流れる意で、「下」または「下よ延(は)ふ」にかかる。
  • 豊の楽 とよのあかり 豊明、か。(1) 酒を飲んで催す宴会。また、その宴を催すこと。主として、宮中で儀式の後などに催される宴会をいう。供宴。(2) 特に、宮中での大嘗祭・新嘗祭の翌日、豊楽殿でおこなわれる宴会。陰暦11月なかの辰の日(大嘗祭の時は午の日)、天皇がその年の新穀を食し、群臣にもこれをたまわる宴。賜宴の後に、吉野の国栖の奏楽・五節の舞などが催され、賜祿・叙位などがあった。豊の明りの節会。
  • とよのあかり 豊明。(トヨは美称、アカリは顔の赤らむ意)
  • (1) 酒に酔って顔の赤らむこと。(2) 宴会。饗宴。特に宮中の宴会。(3)「豊明の節会」の略。
  • 御綱栢 みつながしわ 御角柏。 → カクレミノ
  • カクレミノ 〔植〕ウコギ科の常緑小高木。山地に自生、また庭木。高さ約6m。葉は卵形で厚く、光沢あり、若い葉は深く5裂。夏、緑色の小花を付け、楕円形の小果が黒熟。樹皮を傷つけて出る白汁を黄漆といい、家具塗料に用いる。ミツナカシワ。
  • 盈ちる みちる 満ちる。
  • 水取の司 もいとりのつかさ 水取司・主水司。 → しゅすいし(主水司)。
  • 主水司 しゅすいし 律令制で、宮内省に属し、供御の水・粥・氷室のことをつかさどった役所。もいとりのつかさ。もんどのつかさ。
  • 仕丁 よぼろ/つかえのよほろ/してい (1) (シチョウ・ジチョウとも) 律令制で、諸国から徴集されて、中央官庁および封戸主である親王家・大臣家・寺社の雑用に従事した者。つかえのよほろ。
  • 壮丁 そうてい (1) 壮年の男子。血気さかんな男子。成年に達した男子。わかもの。(2) 夫役または軍役にあたる壮年の男子。
  • 倉人女 くらびとめ/くらひとめ 天皇に近侍して用度品の出納にあたった女官か。記仁徳天皇の条にのみ見える。(語原説)(1) メクラビト(女倉人)の形容倒置格(折口信夫)。(2) 女は借字で、クラヒトベ(蔵部)の音便か(松岡静雄)。
  • 蔵部 くらひとべ 蔵職(くらのつかさ)の職員。出納事務をおこなう伴部。渡来人。紀によれば履中天皇の時代に設置と伝えられ、令制の大蔵省被管である内蔵寮の蔵部につらなる。
  • 入りまさず
  • つぎねふや 〔枕〕(→)「つぎねふ」に同じ。
  • つぎねふ 〔枕〕「山城」にかかる。
  • 烏草樹 さしぶ 〔植〕シャシャンボの古名。
  • しゃしゃんぼ 南燭 ツツジ科の常緑小高木。関東以西の暖地の山地に自生。高さ1〜3m。葉は革質、卵形。6月頃、長い壺状の白花を総状花序につけ、晩秋、紫黒色に熟する液果は甘酸っぱく美味。ワクラハ。ササンボ。古名、さしぶ。
  • ゆつ 斎つ いわい清めること。神聖なこと。清浄なこと。
  • 真椿 まつばき 椿の美称。
  • 広りいます ひろりいます 広る(ひろる)。広がる。広くなる。ゆったりとする。ひろり坐(いま)す。
  • ろかも (接続語「ろ」と係助詞「か」「も」が重なったもの)。ろ(接尾)名詞または形容詞の連体形に付いて親愛の情を表わし、また、語調を整えるのに用いる。
  • あおによし 青丹よし 〔枕〕(ヨもシもともに間投助詞)「奈良」「国内(くぬち)」にかかる。奈良に顔料の青丹を産出したことが秘府本万葉集抄にみえるが、事実か伝説の記録か不明。一説に、「なら」に続けたのは顔料にするために青丹を馴熟(なら)すによるという。
  • 韓人・唐人 からびと 朝鮮または中国の人。外国人。
  • 舎人 とねり (1) 大化前代の天皇や皇族の近習。(2) 律令制の下級官人。内舎人・大舎人・中宮舎人・東宮舎人などの称。(3) 貴人に従う雑人。牛車の牛飼または乗馬の口取。
  • いしけ
  • いしき遇《あ》わん
  • 御諸・三諸 みもろ 神の鎮座するところ。神木・神山・神社など。
  • 高城 たかき 野山の高い所に築いた防塞。山城。
  • 大猪子 おおいこ 大きな猪。
  • 山代女 やましろめ 山城女。山城国の女。
  • 木钁 こくわ 木鍬。金属を用いないで全体を木で作った鍬。
  • 殿戸 とのと 御殿の戸。
  • しじまう 蹙まふ。(シジムの未然形に接尾語フの付いた語) 進むことも退くこともできないでいる。
  • 水潦 にわたづみ/すいろう (1) ながあめ。おおみず。(2) あまみず。
  • 青摺の衣 あおずりのきぬ/ころも 宮廷祭祀の際、奉仕の祭官や舞人が袍の上に着用する衣。山藍で草木・蝶・鳥などの文様を摺込染にし、左肩に2条の赤紐を垂らしたもの。
  • 殻 かいこ
  • さわさわ (1) 騒々しい音のするさま、物などが触れ合って音をたてるさまを表す語。ざわざわ。
  • 志都歌 しつうた/しずうた 上代歌謡の曲調。歌い方が拍子にはまらず、ゆるやかなものをいうか。
  • 喬木 きょうぼく (1) 高い木(2) 〔植〕(→)高木に同じ。←→灌木
  • 一本 ひともと (接頭語のように用いて)木や草が一本だけ離れて立っていることをいう。
  • 菅原 すげはら スゲの生えている原。すがはら。
  • 強き おずき
  • 復奏す かえりごともうす
  • 復奏 かえりごと 使者が帰ってする報告。
  • 復奏・覆奏 ふくそう 繰り返し取り調べて奏上すること。
  • 高行くや たかゆくや 〔枕〕「はやぶさ」にかかる。
  • みおすいがね
  • おすい 襲。衣服の名。頭からかぶって衣裳の上をおおうもの。後世の被衣(かずき)はその遺風と考えられている。
  • がね (候補者・材料などの意の名詞「かね(予・料)」からとも、格助詞「が」と終助詞「ね」の複合からとも) (1) 〔助詞〕(動詞・助動詞の連体形に付く)意志・命令などの表現をうけて、その理由・目的を表す。…するだろうから。…するように。(2) 〔接尾〕名詞に付いて候補者・材料などの意を表す。
  • 鷦鷯 さざき ミソサザイの古名。
  • 梯立の はしだての 〔枕〕(1) (昔の倉は梯子をかけて登ったから)「倉梯(くらはし)」にかかる。(2) (境界標を立てる場所の意から)「熊木」「険(さが)し」にかかる。
  • 嶮し・険し さがし (1) けわしい。嶮岨である。(2) あぶない。危険である。
  • 岩かきかねて
  • 玉釧 たまくしろ (1) 「くしろ」の美称。考古学では、小玉や丸玉をつらねて腕輪に用いたものをいう。(2) 〔枕〕「巻く」にかかる。
  • 朝参り みかどまいり 御門参り・朝参。朝廷へ参ること。参内。
  • まい赴く まいむく 参向く。まいむかう。出向くの意の謙譲語。高貴な人のもとや高貴な場所に出かけてゆく。まいおもむく。
  • 大御酒 おおみき (「おおみ」は接頭語)神、天皇などにさしあげる酒。
  • 大御酒の栢 おおみきのかしわ
  • 礼無し いやなし 無礼である。無作法である。
  • たまきわる 魂きはる 〔枕〕「うち」「いのち」「うつつ」「よ(世)」「わ」にかかる。
  • 内の朝臣 うちのあそ 内大臣。うちのおおおみ。うちのおとど。令外の官。左右大臣の下にあり、太政官の政務をつかさどった。
  • 長人 ながひと 長命の人。
  • そらみつ 〔枕〕「やまと」にかかる。そらにみつ。
  • うべ 宜・諾。(1) もっともであること。なるほど。(2) 肯定する意にいう語。ほんとうに。なるほど。道理で。むべ。
  • うべしこそ ウベに間投助詞シ、係助詞コソを付けて強めた表現。
  • まこそに (連語)(「ま(真)」に助詞「こそ」「に」のついたもの)よくぞ。ほんとうに。
  • 寿歌 ほきうた/ほぎうた 寿歌・祝歌。(平安時代まで清音) 上代、大歌の一つ。祝い、たたえる歌。
  • 片歌 かたうた 雅楽寮で教習した大歌の一体。五・七・七または五・七・五の3句で1首をなす歌で、奈良時代以前には、多くは問答に用いた。江戸時代、建部綾足は俳諧の一体として、片歌の復興を志した。
  • 捷し とし すばやい。進みが早い。
  • 枯野 からの 記紀に見える、高木を材料としてつくられた船の名。記によると仁徳帝の代に、紀では応神帝の代につくられたという。加良怒。
  • 大御水 おおみもい (「おおみ」は接頭語)天皇の飲料水。
  • 海石 いくり 石。海中の岩。暗礁。
  • 浸漬の木 なずのき 「なず」は水につかっている意で、葦あるいは海草をさすなどといわれるが未詳。
  • 大贄・大嘗 おおにえ (1) (立派な贄の意)朝廷や神に奉る食料・衣料などその土地の産物。(2) (「大嘗」と書く。「おほにへのまつり」の略) → だいじょうさい(大嘗祭)。
  • 大嘗祭 だいじょうさい 天皇が即位後、初めて行う新嘗祭。その年の新穀を献じて自ら天照大神および天神地祇を祀る、一代一度の大祭。祭場を2カ所に設け、東(左)を悠紀、西(右)を主基といい、神に供える新穀はあらかじめ卜定した国郡から奉らせ、当日、天皇はまず悠紀殿、次に主基殿で、神事を行う。おおなめまつり。おおにえまつり。おおんべのまつり。
  • うらげて うらぐ 楽しむ。愉快になる。うきたつ。
  • 大御寝 おおみね
  • 防壁 たつごも 立薦・防壁。筵を継ぎ合わせてとばりとし、風を防いだもの。野宿などに用いた。
  • 見放く みさく 遠くを見る。見やる。
  • 炳え もえ
  • かぎろいの 陽炎の 〔枕〕「春」「燃ゆ」にかかる。
  • 同じ おやじ 「おなじ」の古語。
  • 語らわじ
  • 隼人 はやびと/はやひと 古代の九州南部に住み、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した人々。のち服属し、一部は宮門の守護や歌舞の演奏にあたった。はいと。はやと。
  • 正身 ただみ 正身・直身。その人自身。本人。当人。
  • 百官 つかさづかさ もろもろの役人。内外の諸官。
  • 拝む おろがむ おがむ。
  • 祓禊 はらえ みそぎはらえ。大祓に同じ。
  • 大祓 おおはらえ 古来、6月と12月の晦日に、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて、万民の罪や穢を祓った神事。現在も宮中を初め全国各神社で行われる。中臣の祓。みそぎはらえ。おおはらい。
  • 神宮 かむみや 神のまつられている宮。
  • 平く ことむく 言趣く・言向く。ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
  • 蔵の官 くらのつかさ 蔵職か。履中天皇の代に設置されたと伝えられる官司。のちの内蔵寮のもとになったと考えられる。
  • 粮地 たどころ 田荘・田所。(1) 田地。田。(2) 大化前代から発達した貴族・豪族の農園。律令時代にも別荘として存続。荘園の先駆形態。なりどころ。(3) 平安時代、国司庁に属して田畑の事をつかさどった役所。(4) 荘園の役人の一種。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 一〇日(土)天童市民会館、震災復興祈念講演、谷川浩司「これから私たちにできること」。聴衆200名ぐらい。10〜60代ぐらいまでの世代がまんべんなく。女性は一割ぐらい。
 十七年前の一月十七日、谷川さん(当時32才、将棋歴18年)は神戸、六甲アイランドの16階建マンションで阪神淡路大震災にみまわれる。建物の被害はほとんどなし。当時、ケータイはなく情報源はラジオのみ。大阪や京都の震度は伝えられるが、神戸の情報がなかなか入らない。震源に近いことを確信。当日中に市内在住の両親と連絡がつく。軽いけがですむ。
 十八日、島を徒歩で出る。途中、LPG タンク近くを通る。「ガスもれか?」との声を聞く。おにぎり1個、ペットボトル飲料1本。十九日、神戸から大阪へ。車で30km弱のところを朝から夕方まで一日がかり。二十日、大阪にて米長邦雄氏と対局。「自分は将棋をやるしかない」「将棋をすることができる幸せ」。初心。
 五月のはじめあたりまで、生活が張りつめて将棋によい傾向が見られた。連帯感、高揚感。その後、現実が見えてくる。被災者のそれぞれの差が見えてくる。被害の差。「答えが出ない問題を考え込む」→「答えが出ない問題は考えないようにする」
 復興祈念扇子の揮毫は「ガンバリすぎないでください」(羽生さんは「少しずつ前に進む」)。

 一一日(日)曇天。雪の月山見える。将棋の日。NHK-BS 収録。将棋文化検定 in 天童。永世名人トークショー。次の一手名人戦、森内俊之 vs. 羽生善治。




*次週予告


第五巻 第一七号 
校註『古事記』(九)武田祐吉


第五巻 第一七号は、
二〇一二年一一月一七日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第一六号
校註『古事記』(八)武田祐吉
発行:二〇一二年一一月一〇日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。