日本歴史物語〈上〉(一)
児童 たちへ
あなたがたはすでに小学校で、日本
これまであなたがたの学ばれた歴史は、たいていは、だれが、いつ、どこで、どんなことをしたというように、
日本歴史物語〈上〉(一)
一、万世 一系 の天皇陛下
なにぶん広い世界のことですから、日本よりも早く
わが
「この国は、わが
と、おっしゃいましたと、わたくしども大日本帝国の国民は、
二、日本 民族(上)
わたくしども、この
日本民族と
皇室のご先祖は、なんのためにこの国にお
そこへ皇室のご先祖はおいでになりました。そして
皇室のご先祖がおいでになりましたのちにも、外国からこの国のよいことを聞きまして移住して
三、日本 民族(下)
このようにして、わが
同じ
その一つの例として、皇室のご先祖のことを
日本の古い
こんなぐあいに、わが皇室のご先祖たちは前からこの国に住んでおられたお
それはわたくしどもが、わたくしどもの先祖のことを考えてみれば、よく
こう考えてみますと、すべての
よく
これからわたくしは、それならばどんなふうにしてわが
四、天照 大神
わが皇室のいちばん遠いご先祖を、
なにぶんにも
わたくしどもの先祖たちは、天照大神のお国を
この
むかし、むかし、大昔に、
ところが天照大神は、ほかの神々たちよりもことに
五、天 の岩屋戸 ごもり
天照大神の
「あれはおおかた、
と、おっしゃいます。大神がお食事をあそばしていらっしゃいますと、そこへきたないものを出して、お
「あれは、おおかた
とおっしゃいまして、やはりおとがめになりません。しかし
さあ、たいへんです。
そこでまず
「これはいったいどうしたことだ?」
と、
「
と、お答え
「これが大神よりも
と、かねて用意の
大神はいよいよ不思議に
六、八岐 の大蛇 退治
素戔嗚尊も、もともとご自分がお悪かったのですから、いまさらなんともいたし
「おまえたちは、いったいどうしたというのだ?」
「わたくしどもは、古くからここに住んでおりますもので、わたくしの名は
と、
「それはさてさて、
と、もともと元気のすぐれた、またあわれみ
しかしなにぶんにも、頭が八つ、
そんな
この
こう
七、因幡 の白兎
大国主神には、おおぜいのご兄弟の神たちがありましたが、中にもこの神はいちばんおとなしかったので、みんなで
あるとき大国主神は、いつものとおりおおぜいの神たちのお
「ウサギよ、ウサギよ、おまえはなぜそんな
と、おたずねになりました。するとウサギは
もとこのウサギは、
「ワニさん、ワニさん、おまえたちの
だまされるとは知らないワニは、ウサギのいうとおりに
「おまえたちはバカだな、うまく
と、よけいな口をききましたから、さあ、たまりません。だまされたワニはたいそう
ウサギはよけいな口をきいたために、ひどい
「ウサギよ、ウサギよ、その
というのです。なんというかわいそうな
おなさけ
「それはとんでもないこと、さてさてかわいそうなことをしたものだ。はやく
と、お教えになりました。ウサギはそのとおりにしますと、
「あなたはほんとうに、おなさけ
と
ウサギの
八、出雲 の大社
そこで
「それはもちろん、
と、いさぎよくご同意
かく事代主神がご
「それなら大神のお使いの神たちと、
と
大国主神の国のほかにも前にも
くりかえして
九、天孫 降臨 と三種 の神器
天孫のご降臨なされるについて、天照大神は前に
この三種の神器のうちにも、
「この鏡は、わが
とおおせになりました。それ以来この御鏡は、ご
(つづく)
底本:
1981(昭和56)年6月20日発行
親本:
1928(昭和3)年4月5日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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日本歴史物語〈上〉(一)
喜田貞吉-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)兒童《じどう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)貞吉《ていきち》[#「ていきち」は底本のまま]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)遠《とほ》い/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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兒童《じどう》たちへ
[#地から3字上げ]喜田《きた》貞吉《ていきち》[#「ていきち」は底本のまま]
あなたがたはすでに小學校《しようがつこう》で、日本《につぽん》歴史《れきし》の教科書《きょうかしょ》で、一通《ひととほ》りの歴史《れきし》を學《まな》ばれたことでせう。そして私《わたくし》どものこの日本《につぽん》の國《くに》が、大昔《おほむかし》から、今日《こんにち》まで、どんな風《ふう》にうつりかはり、そこにどんな大《おほ》きな事件《じけん》があつたかといふようなことは、大體《だいたい》知《し》つてをられるでせう。私《わたくし》はそのあなたがたに、今一《いまひと》つ深入《ふかい》りして、私《わたくし》どものこの日本《につぽん》帝國《ていこく》は、一《いつ》たいどんな風《ふう》にして出來《でき》たものか、私《わたくし》どものこの日本《やまと》民族《みんぞく》は、一《いつ》たいどんなわけのものかといふようなことを、一《いつ》そう詳《くは》しく承知《しようち》してもらひたいのです。
これまであなたがたの學《まな》ばれた歴史《れきし》は、大抵《たいてい》は、誰《たれ》が、いつ、どこで、どんなことをしたといふように、偉《えら》い人《ひと》のことをおもに述《の》べたものでした。それはもちろん、歴史《れきし》として大切《たいせつ》な事柄《ことがら》ではありますが、併《しか》し、そればかりが歴史《れきし》ではありません。日本《につぽん》の歴史《れきし》は、精《くは》しくいへば、日本《につぽん》帝國《ていこく》全體《ぜんたい》の歴史《れきし》、日本《やまと》民族《みんぞく》全體《ぜんたい》の歴史《れきし》でなければなりません。昔《むかし》の偉《えら》い人《ひと》たちは、それ/″\その時代《じだい》の歴史《れきし》の中心《ちゆうしん》になつてをりましても、その人《ひと》たちのことだけでは、日本《につぽん》の歴史《れきし》は十分《じゆうぶん》なものとはいはれません。それで私《わたくし》のこの古代史《こだいし》では、日本《につぽん》帝國《ていこく》の動《うご》き、日本《やまと》民族《みんぞく》の動《うご》きをおもに述《の》べまして、私《わたくし》ども日本《につぽん》帝國《ていこく》の臣民《しんみん》は、常《つね》にどんな心《こゝろ》がけでゐなければならぬかといふことを、あなたがたによく心得《こゝろえ》てもらひたい積《つも》りで、筆《ふで》を執《と》つて見《み》たのです。たとひその人《ひと》の名《な》がわからなくとも、その時《とき》や場所《ばしよ》がはっきりしなくとも、日本《につぽん》帝國《ていこく》なり、日本《やまと》民族《みんぞく》なりは、常《つね》に動《うご》いてゐるのです。そして今日《こんにち》の盛《さか》んな時代《じだい》となつて來《き》たのです。それをよく知《し》らなければ、日本《につぽん》歴史《れきし》を知《し》つたとはいはれません。しかしそんなことは、あるひはあなたがたの讀《よ》み物《もの》としては、ちとむづかし過《す》ぎて、わかりにくゝ、また面白《おもしろ》くないかも知《し》れません。そこはよく辛抱《しんぼう》して、わからぬところは父兄《ふけい》のかたなり、學校《がつこう》の先生《せんせい》がたなりにお尋《たづ》ねして、くりかへして讀《よ》んでもらひたいのです。
目次《もくじ》
一、萬世《ばんせい》一系《いつけい》の天皇《てんのう》陛下《へいか》
二、日本《やまと》民族《みんぞく》(上)
三、日本《やまと》民族《みんぞく》(下)
四、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》
五、天《あま》の岩屋戸《いはやと》籠《ごも》り
六、八岐《やまた》の大蛇《をろち》退治《たいじ》
七、因幡《ゐなば》の白兎《しろうさぎ》
八、出雲《いづも》の大社《おほやしろ》
九、天孫《てんそん》降臨《こうりん》と三種《さんしゆ》の神器《じんぎ》
十、山幸彦《やまさちびこ》と海幸彦《うみさちびこ》
十一、金鵄《きんし》の光《ひかり》
十二、熊襲《くまそ》と蝦夷《えぞ》(一)
十三、熊襲《くまそ》と蝦夷《えぞ》(二)
十四、熊襲《くまそ》と蝦夷《えぞ》(三)
十五、熊襲《くまそ》と蝦夷《えぞ》(四)
十六、朝鮮《ちようせん》半島《はんとう》諸國《しよこく》の服屬《ふくぞく》
十七、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(一)
十八、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(二)
十九、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(三)
二十、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(四)
二十一、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(五)
二十二、外人《がいじん》の渡來《とらい》と外國《がいこく》文化《ぶんか》の輸入《ゆにゆう》(六)
二十三、大臣《おほおみ》と大連《おほむらじ》
二十四、佛教《ぶつきよう》の傳來《でんらい》
二十五、聖徳《しようとく》太子《たいし》と文化《ぶんか》の進展《しんてん》(上)
二十六、聖徳《しようとく》太子《たいし》と文化《ぶんか》の進展《しんてん》(下)
二十七、大化《たいか》の新政《しんせい》(上)
二十八、大化《たいか》の新政《しんせい》(中)
二十九、大化《たいか》の新政《しんせい》(下)
三十、朝鮮《ちようせん》半島《はんとう》諸國《しよこく》の離反《りはん》
三十一、奈良《なら》の都《みやこ》(上)
三十二、奈良《なら》の都《みやこ》(下)
三十三、奈良朝《ならちよう》佛教《ぶつきよう》の隆盛《りゆうせい》(上)
三十四、奈良朝《ならちよう》佛教《ぶつきよう》の隆盛《りゆうせい》(下)
三十五、奈良《なら》時代《じだい》の行《ゆ》き詰《づま》り
三十六、平安《へいあん》遷都《せんと》
三十七、藤原氏《ふぢはらし》の全盛《ぜんせい》(一)
三十八、藤原氏《ふぢはらし》の全盛《ぜんせい》(二)
三十九、藤原氏《ふぢはらし》の全盛《ぜんせい》(三)
四十、藤原氏《ふぢはらし》の全盛《ぜんせい》(四)
四十一、地方《ちほう》政治《せいじ》の亂《みだ》れ(一)
四十二、地方《ちほう》政治《せいじ》の亂《みだ》れ(二)
四十三、地方《ちほう》政治《せいじ》の亂《みだ》れ(三)
四十四、地方《ちほう》政治《せいじ》の亂《みだ》れ(四)
四十五、武士《ぶし》、僧兵《そうへい》、海賊《かいぞく》の起《おこ》り(一)
四十六、武士《ぶし》、僧兵《そうへい》、海賊《かいぞく》の起《おこ》り(二)
四十七、武士《ぶし》、僧兵《そうへい》、海賊《かいぞく》の起《おこ》り(三)
四十八、武士《ぶし》、僧兵《そうへい》、海賊《かいぞく》の起《おこ》り(四)
四十九、平安朝《へいあんちよう》の佛教《ぶつきよう》
五十、蝦夷地《えぞち》の經營《けいえい》
五十一、前九年《ぜんくねん》の役《えき》(一)
五十二、前九年《ぜんくねん》の役《えき》(二)
五十三、後三年《ごさんねん》の役《えき》
五十四、平泉《ひらいづみ》の隆盛《りゆうせい》
五十五、古代史《こだいし》の回顧《かいこ》
日本歴史物語(上)
裝幀・恩地孝四郎
口繪※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]畫・小村雪岱
一、萬世《ばんせい》一系《いつけい》の天皇《てんのう》陛下《へいか》
世界《せかい》に國《くに》の數《かず》はたくさんありますが、私共《わたくしども》の住《す》んでゐるこの大日本《だいにつぽん》帝國《ていこく》のように、『萬世《ばんせい》一系《いつけい》』と申《まを》して、遠《とほ》い/\大昔《おほむかし》から、いつまでも/\、同《おな》じ御血統《おんちすぢ》の天皇《てんのう》陛下《へいか》を上《うへ》にいたゞき奉《たてまつ》り、また『天壤《てんじよう》無窮《むきゆう》』と申《まを》して、天地《てんち》のあらん限《かぎ》り、いつまでも決《けつ》して變《かは》ることのないといふような、そんな名譽《めいよ》ある國《くに》は外《ほか》には一《ひと》つもありません。
何分《なにぶん》廣《ひろ》い世界《せかい》のことですから、日本《につぽん》よりも早《はや》く開《ひら》けた所《ところ》もないではありません。しかしそこに出來《でき》た國《くに》も、あるひは起《おこ》つたり、あるひはつぶれたり、又《また》そこに住《す》んでゐる人間《にんげん》も入《い》れかはつたり致《いた》しまして、我《わ》が日本《につぽん》のように、初《はじ》めから決《けつ》して變《かは》らぬといふ國《くに》は、外《ほか》には一《ひと》つもないのです。ごく近《ちか》いころになつても、滅《ほろ》んだ國《くに》や、始《はじ》まつた國《くに》が、世界《せかい》にはたくさんあるのであります。そのように外《ほか》の國《くに》が、たび/\變《かは》つてゐる中《なか》にあつて、たゞひとりこの大日本《だいにつぽん》帝國《ていこく》ばかりは、何千《なんぜん》年前《ねんまへ》からだか、何萬《なんまん》年前《ねんまへ》からだか、とてもわからない程《ほど》の遠《とほ》い/\大昔《おほむかし》から始《はじ》まつて、いつまでも/\、決《けつ》して變《かは》ることがないのです。この名譽《めいよ》ある國《くに》に生《うま》れた私共《わたくしども》は、なんといふ仕合《しあは》せなことでありませう。
我《わ》が皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》で、初《はじ》めてこの國《くに》へおいでになりましたお方《かた》を、瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》と申《まを》し上《あ》げます。瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》が初《はじ》めてこの國《くに》へおいでになりました時《とき》に、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、
[#ここから1字下げ]
「この國《くに》は我《わ》が子孫《しそん》の君《きみ》たるべき地《ち》なり。汝《なんぢ》皇孫《こうそん》ゆいてをさめよ。皇位《みくらゐ》の盛《さか》んなること、天地《あめつち》と共《とも》にきはまりなかるべし」
[#ここで字下げ終わり]
と、おつしやいましたと、私共《わたくしども》大日本《だいにつぽん》帝國《ていこく》の國民《こくみん》は、先祖《せんぞ》以來《いらい》語《かた》り傳《つた》へて、堅《かた》く/\信《しん》じてゐるのであります。我《わ》が『萬世《ばんせい》一系《いつけい》天壤《てんじよう》無窮《むきゆう》』の皇室《こうしつ》は、こんな古《ふる》い時代《じだい》から始《はじ》まりまして、私共《わたくしども》日本《につぽん》の國民《こくみん》は、先祖《せんぞ》以來《いらい》この堅《かた》い/\心持《こゝろも》ちで、上下《しようか》心《こゝろ》を一《いつ》にして、この皇室《こうしつ》をうやまひ、この帝國《ていこく》を守《まも》り、これを盛《さか》んにし、共々《とも/″\》に幸福《こうふく》になることの爲《ため》につとめて參《まゐ》りました。私共《わたくしども》は、私共《わたくしども》の子孫《しそん》の末々《すゑ/″\》までも、さらにこの堅《かた》い/\心持《こゝろも》ちで、この名譽《めいよ》ある皇室《こうしつ》をうやまひ、この名譽《めいよ》ある帝國《ていこく》を守《まも》り、ます/\これを盛《さか》んにして、一層《いつそう》幸福《こうふく》になることにつとめねばなりません。それには、この國《くに》の尊《たふと》い歴史《れきし》を、よく/\心得《こゝろえ》て置《お》くことが、一番《いちばん》大切《たいせつ》なのであります。これから私《わたくし》は、皆《みな》さんが小學校《しようがつこう》の教科書《きようかしよ》で學《まな》んだところを本《もと》として、精《くは》しくこの國《くに》の起《おこ》りや、その後《ご》の移《うつ》り變《かは》りのことをお話《はな》し致《いた》しませう。
二、日本《やまと》民族《みんぞく》(上)
私共《わたくしども》この名譽《めいよ》ある大日本《だいにつぽん》帝國《ていこく》の人民《じんみん》は、これを『日本《やまと》民族《みんぞく》』と申《まを》します。日本《やまと》民族《みんぞく》は、皇室《こうしつ》すなはち、萬世《ばんせい》一系《いつけい》の天皇《てんのう》陛下《へいか》の御家《おいへ》を、總御本家《そうごほんけ》と上《うへ》に戴《いたゞ》いて、お互《たがひ》に一家《いつか》親類《しんるい》のような親《した》しみを持《も》つてゐるのであります。
日本《やまと》民族《みんぞく》と申《まを》しても、大昔《おほむかし》からたゞ一《ひと》つの血統《ちすぢ》が、雜《まじ》りけなしに、今日《けふ》までそのまゝ續《つゞ》いてゐると申《まを》すのではありません。又《また》皇室《こうしつ》を總御本家《そうごほんけ》と仰《あふ》ぎ奉《たてまつ》ると申《まを》しても、すべての人民《じんみん》が、皆《みな》皇室《こうしつ》から分《わか》れ出《で》たと申《まを》すのでもありません。皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》の瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》が、この國《くに》へおいでになりました時《とき》にも、すでにこの國《くに》には、たくさんの人間《にんげん》が住《す》んでゐたのです。そして皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》は、外國《がいこく》でよく見《み》るように、その前《まへ》からゐるたくさんの人間《にんげん》を、あるひは殺《ころ》したり、あるひは追《お》ひ出《だ》したりして、その國《くに》をお取《と》りになつたのではありません。前《まへ》から住《す》んでゐた人間《にんげん》を、いたはり、いつくしみ、教《をし》へ、導《みちび》いて、皆《みな》そのお仲間《なかま》にしておしまひになつたのです。
皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》は、なんの爲《ため》にこの國《くに》にお出《い》でになつたのでありませう。天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、なんの爲《ため》に、「この國《くに》は我《わ》が子孫《しそん》の君《きみ》たるべき地《ち》なり」とお定《さだ》めになつたのでありませう。
瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》は、「豐葦原《とよあしはら》の瑞穗《みづほ》の國《くに》を、安國《やすくに》と平《たひら》けく治《しろ》しめせ」といふ、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の御命令《ごめいれい》を受《う》けて、この國《くに》へおいでになつたのだと申《まを》し傳《つた》へてをります。『豐葦原《とよあしはら》の瑞穗《みづほ》の國《くに》』とは、我《わ》が日本《につぽん》のことです。我《わ》が日本《につぽん》の國《くに》には、水《みづ》がかりのよい平地《へいち》が多《おほ》くて、葦《あし》がよく繁《しげ》つてをりました。又《また》それを田地《でんじ》にして、稻《いね》を植《う》ゑますと、稻《いね》の穗《ほ》がよくみのりますから、それで豐葦原《とよあしはら》の瑞穗《みづほ》の國《くに》といつたのです。又《また》『治《しろ》しめす』とは、お治《をさ》めになるといふことで、その豐葦原《とよあしはら》の瑞穗《みづほ》の國《くに》を、安《やす》い國《くに》として、平《たひら》かにお治《をさ》めになるようにと申《まを》すのが、瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》のこの國《くに》においでになりました御目的《ごもくてき》でありました。ですから、前《まへ》から住《す》んでゐる人々《ひと/″\》を、お苦《くる》しめになる筈《はず》は決《けつ》してありません。これをいたはり、これをいつくしみ、これを教《をし》へ、これを導《みちび》いて、皆《みな》同《おな》じお仲間《なかま》になさつたのは、このありがたい天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の御命令《ごめいれい》に從《したが》つて、人民《じんみん》を幸福《こうふく》にしてやらうとの、尊《たふと》いおぼしめしからであつたのです。
瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》のおいでにならぬ前《まへ》から、この日本《につぽん》の土地《とち》に住《す》んでをつたたくさんの人々《ひと/″\》は、まことに氣《き》の毒《どく》なありさまでありました。人間《にんげん》の數《かず》は多《おほ》くても、それを一《ひと》つにして、安《やす》い國《くに》と、平《たひら》かに治《をさ》める程《ほど》のものが、まだどこにもなかつたのです。もちろんその中《なか》には、後《のち》に精《くは》しくお話《はな》し致《いた》しますが、大國主神《おほくにぬしのかみ》と申《まを》すお方《かた》が、そのお名前《なまへ》の通《とほ》りに、大《おほ》きな國《くに》の主《ぬし》となられて、人民《じんみん》を治《をさ》めてをられましたけれども、それも日本《につぽん》全體《ぜんたい》からいへば、ほんの一部分《いちぶぶん》に過《す》ぎなかつたのです。その外《ほか》の地方《ちほう》では、強《つよ》いものがそのあたりの人々《ひと/″\》を從《したが》へて、お互《たがひ》に爭《あらそ》ひばかりして、世《よ》の中《なか》は一向《いつこう》開《ひら》けず、大體《だいたい》から申《まを》すと、すべての人《ひと》が、まことに氣《き》の毒《どく》なありさまであつたのです。
そこへ皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》はおいでになりました。そして天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の御命令《ごめいれい》通《どほ》りに、それをだん/\と安《やす》い國《くに》として、平《たひら》かにお治《をさ》めになりました。それから後《のち》も御代々《ごだい/\》の天皇《てんのう》は、その御精神《ごせいしん》をおつぎになりまして、次第《しだい》に遠方《えんぽう》のものをもお從《したが》へになり、前《まへ》から住《す》んでをつた人々《ひと/″\》は、皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》のお供《とも》をしてこの國《くに》に來《き》たものと、みんな一《ひと》つになつてしまつて、私共《わたくしども》日本《やまと》民族《みんぞく》といふものが出來《でき》たのです。
皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》がおいでになりました後《のち》にも、外國《がいこく》からこの國《くに》のよいことを聞《き》きまして、移住《いじゆう》して來《き》たものがたくさんあります。しかし日本《やまと》民族《みんぞく》は、それらの人々《ひと/″\》をも、別《べつ》に除《の》け者《もの》にすることなく、皆《みな》同《おな》じ仲間《なかま》にしてしまひました。
三、日本《やまと》民族《みんぞく》(下)
このようにして我《わ》が日本《やまと》民族《みんぞく》は出來上《できあが》つたのです。そして天皇《てんのう》の御徳《おんとく》が遠《とほ》くにまで行《ゆ》き渡《わた》り、日本《につぽん》帝國《ていこく》が廣《ひろ》くなればなる程《ほど》、日本《やまと》民族《みんぞく》の仲間《なかま》は殖《ふ》えて參《まゐ》ります。日本《やまと》民族《みんぞく》は、今《いま》も外國《がいこく》ではよく見《み》るように、自分《じぶん》と違《ちが》つた仲間《なかま》を、いつまでも除《の》け者《もの》にするようなことは、決《けつ》してありませんでした。日本《につぽん》帝國《ていこく》の中《なか》に住《す》んだものは、いつの間《ま》にか、皆《みな》同《おな》じ仲間《なかま》にしてしまひました。もとは違《ちが》つたものであつても、ながく一《いつ》しよに住《す》んでゐるうちには、皆《みな》同《おな》じ言葉《ことば》を使《つか》ひ、同《おな》じ心持《こゝろも》ちになり、同《おな》じ風俗《ふうぞく》をして、同《おな》じ日本《やまと》民族《みんぞく》になつてしまつたのです。例《たと》へば一《ひと》つの家庭《かてい》のうちで、お母《かあ》さんは外《ほか》の家《いへ》からお嫁《よめ》に來《き》た人《ひと》、お祖父《ぢい》さんは外《ほか》の家《いへ》から養子《ようし》に來《き》た人《ひと》であつても、その家《いへ》の人《ひと》になれば、皆《みな》同《おな》じ親《した》しい家族《かぞく》になつてしまふようなものです。
同《おな》じ仲間《なかま》になつた日本《やまと》民族《みんぞく》は、たゞ同《おな》じ言葉《ことば》を使《つか》ひ、同《おな》じ心持《こゝろも》ちになり、同《おな》じ風俗《ふうぞく》をしてゐるといふばかりでなく、實際《じつさい》は皆《みな》親類《しんるい》になつてしまつて、すべての日本《やまと》民族《みんぞく》には、皆《みな》同《おな》じ血《ち》が流《なが》れてゐるのです。
その一《ひと》つの例《れい》として、皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》の事《こと》を申《まを》し上《あ》げるのは、まことに恐《おそ》れ多《おほ》い次第《しだい》ではありますが、瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》がこの國《くに》へおいでになりまして、お妃《きさき》にお迎《むか》へになりましたのは、木花開耶姫《このはなさくやひめ》と申《まを》して、前《まへ》からこの國《くに》にをられたお方《かた》でありました。そしてその間《あひだ》にお生《うま》れになりましたのが、彦火火出見尊《ひこほゝでみのみこと》で、そのお妃《きさき》の豐玉姫《とよたまひめ》は、やはり前《まへ》からこの國《くに》にをられたお方《かた》です。次《つ》ぎの鵜草葺不合尊《うがやふきあへずのみこと》のお妃《きさき》の玉依姫《たまよりひめ》も、また同《おな》じく前《まへ》からこの國《くに》にをられましたお方《かた》で、この鵜草葺不合尊《うがやふきあへずのみこと》と、お妃《きさき》の玉依姫《たまよりひめ》との間《あひだ》にお生《うま》れになりましたのが、我《わ》が國《くに》の天皇《てんのう》として、第一代《だいいちだい》の神武《じんむ》天皇《てんのう》であらせられます。その神武《じんむ》天皇《てんのう》も、御位《みくらゐ》に即《つ》かれましてから、やはり前《まへ》からをられた、事代主神《ことしろぬしのかみ》のお娘《むすめ》を、皇后《こうごう》にお迎《むか》へになりました。その次《つ》ぎの綏靖《すいぜい》天皇《てんのう》も、またその次《つ》ぎの安寧《あんねい》天皇《てんのう》も、皇后《こうごう》は皆《みな》同《おな》じように、前《まへ》からこの國《くに》にをられたお方々《かた/″\》でありました。
日本《につぽん》の古《ふる》い語《かた》り傳《つた》へでは、日本人《につぽんじん》の先祖《せんぞ》は『神《かみ》』であり、その神々《かみ/″\》の『時代《じだい》』を『神代《かみよ》』と申《まを》します。そして瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》は高天原《たかまがはら》からこの國《くに》においでになりましたので、その高天原《たかまがはら》の神々《かみ/″\》を、『天津神《あまつかみ》』と申《まを》し、尊《みこと》のおいでになる前《まへ》から、この國《くに》にをられた神々《かみ/″\》を、『國津神《くにつかみ》』と申《まを》しますが、その天津神《あまつかみ》と國津神《くにつかみ》との關係《かんけい》は、天津神《あまつかみ》は夫《をつと》であり、國津神《くにつかみ》は妻《つま》であり、天津神《あまつかみ》は父《ちゝ》であり、國津神《くにつかみ》は母《はゝ》であるといふ、最《もつと》もお親《した》しい間柄《あひだがら》になつてゐるのです。
こんな工合《ぐあひ》に、我《わ》が皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》たちは、前《まへ》からこの國《くに》に住《す》んでをられたお方々《かた/″\》と、御代々《ごだい/\》御結婚《ごけつこん》を遊《あそ》ばされたのでありましたが、瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》にお供《とも》をして、一《いつ》しよにこの國《くに》に來《き》ましたものも、やはり同《おな》じように、あれは前《まへ》からこの國《くに》にゐたものだからの、これは後《のち》に外國《がいこく》から移住《いじゆう》して來《き》たものだからのなどといつて、それらの人々《ひと/″\》を、除《の》け者《もの》にするような事《こと》はなく、お互《たがひ》に仲《なか》よくし、お互《たがひ》に結婚《けつこん》もしまして、長《なが》い間《あひだ》には、皆《みな》親類《しんるい》同士《どうし》の間柄《あひだがら》になり、たとひ多《おほ》いか少《すくな》いかの違《ちが》ひはありましても、ともかくすべての日本《やまと》民族《みんぞく》には、みな同《おな》じ血《ち》が流《なが》れるようになつてしまつたのです。
それは私共《わたくしども》が、私共《わたくしども》の先祖《せんぞ》の事《こと》を考《かんが》へて見《み》れば、よく合點《がつてん》が行《ゆ》きませう。私共《わたくしども》には皆《みな》二人《ふたり》づゝの親《おや》があり。[#句点は底本のまま]その二人《ふたり》の親《おや》には、また二人《ふたり》づゝの親《おや》がありまして、つまりお祖父《ぢい》さんが二人《ふたり》、お祖母《ばあ》さんが二人《ふたり》と、二代前《にだいまへ》には四人《よにん》づゝの親《おや》があるわけです。そしてその四人《よにん》の親《おや》には、また二人《ふたり》づゝの親《おや》がありますから、三代前《さんだいまへ》には八人《はちにん》、四代前《よだいまへ》には十六人《じゆうろくにん》、五代前《ごだいまへ》には三十二人《さんじゆうににん》、六代前《ろくだいまへ》には六十四人《ろくじゆうよにん》と、一代《いちだい》ごとに親《おや》の數《かず》が二倍《にばい》になります。そして十代前《じゆうだいまへ》には千二十四人《せんにじゆうよにん》の親《おや》があり、十五代前《じゆうごだいまへ》には三萬二千《さんまんにせん》七百《しちひやく》六十八人《ろくじゆうはちにん》の親《おや》があり、二十代前《にじゆうだいまへ》には、百四萬《ひやくよまん》八千五百《はつせんごひやく》七十六人《しちじゆうろくにん》の親《おや》があつたわけです。もちろん、そのうちには、親類《しんるい》同士《どうし》が夫婦《ふうふ》になつたものもありませうから、この勘定《かんじよう》通《どほ》りには參《まい》りませんが、まあこんな風《ふう》に、三十代《さんじゆうだい》、四十代《しじゆうだい》、五十代《ごじゆうだい》と、遠《とほ》い/\昔《むかし》のことをたづねて見《み》ましたならば、とても口《くち》ではいへない程《ほど》のたくさんの先祖《せんぞ》があつたわけで、それらのたくさんの人々《ひと/″\》の血《ち》が、皆《みな》この私共《わたくしども》の身體《しんたい》の中《なか》を流《なが》れてゐる筈《はず》なのであります。
かう考《かんが》へて見《み》ますと、すべての日本《やまと》民族《みんぞく》は、みな遠《とほ》いか、近《ちか》いか、親類《しんるい》同士《どうし》の間柄《あひだがら》であり、すべての日本人《につぽんじん》には、多《おほ》いか、少《すくな》いか、皆《みな》同《おな》じ血《ち》が流《なが》れてゐるわけでありまして、恐《おそ》れ多《おほ》くも上《うへ》に萬世《ばんせい》一系《いつけい》の皇室《こうしつ》を、その總御本家《そうごほんけ》といたゞき奉《たてまつ》り、みんなが一家《いつか》一族《いちぞく》の親《した》しみを持《も》つてゐるといふことが、よくわかつて來《く》るでありませう。
よく世間《せけん》では、源氏《げんじ》の先祖《せんぞ》は清和《せいわ》天皇《てんのう》だ、藤原氏《ふぢはらし》の先祖《せんぞ》は大織冠《だいしよくかん》鎌足《かまたり》だ。[#句点は底本のまま]誰《たれ》の先祖《せんぞ》は何《なに》の某《なにがし》だなどと申《まを》しまして、先祖《せんぞ》は一人《ひとり》しかないものゝように思《おも》ひ、家柄《いへがら》が違《ちが》へば、先祖《せんぞ》が違《ちが》ふようにいひますが、それはたゞ、男親《をとこおや》の方《ほう》だけのことを見《み》ていつたので、人間《にんげん》がみな兩親《りようしん》の血《ち》をうけて生《うま》れたことを、忘《わす》れてしまつてゐるのです。それで、もし私共《わたくしども》の、遠《とほ》い遠《とほ》い先祖《せんぞ》の血統《けつとう》を尋《たづ》ねて見《み》ましたならば、昔《むかし》の人《ひと》は大抵《たいてい》、今《いま》の日本人《につぽんじん》のお互《たがひ》の先祖《せんぞ》と申《まを》してよいのであります。恐《おそ》れ多《おほ》いことを申《まを》すようではありますが、皇室《こうしつ》の御方々《おんかた/″\》のお體《からだ》に流《なが》れてをります血《ち》も、私共《わたくしども》一般《いつぱん》日本《につぽん》臣民《しんみん》の身體《しんたい》に流《なが》れてをります血《ち》も、皆《みな》同《おな》じ日本《やまと》民族《みんぞく》の血《ち》でありまして、皇室《こうしつ》もまた私共《わたくしども》日本《につぽん》臣民《しんみん》と、遠《とほ》いか近《ちか》いかの親類《しんるい》關係《かんけい》にあらせられると、申《まを》し上《あ》げましてよろしいのであります。
これから私《わたくし》は、それならばどんな風《ふう》にして、我《わ》が日本《やまと》民族《みんぞく》が出來上《できあが》つたか、どんな風《ふう》にして、我《わ》が日本《につぽん》の國《くに》は盛《さか》んになつたか、だん/\とそのお話《はなし》を致《いた》しませう。
四、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》
我《わ》が皇室《こうしつ》の一番《いちばん》遠《とほ》い御先祖《ごせんぞ》を、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》と申《まを》し上《あ》げます。この國《くに》へ初《はじ》めておいでになりました瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》は、この天照《あまてらす》大神《おほみかみ》のお孫樣《まごさま》であらせられるのです。
何分《なにぶん》にも遠《とほ》い/\大昔《おほむかし》のことでありますから、今日《こんにち》から精《くは》しいことはとてもわかりかねますが、私共《わたくしども》の先祖《せんぞ》たちは、日本《につぽん》の大昔《おほむかし》は神代《かみよ》であり、私共《わたくしども》日本人《につぽんじん》の遠《とほ》い先祖《せんぞ》は神《かみ》であつたと語《かた》り傳《つた》へてをります。そしてその神々《かみ/″\》の數《かず》が大層《たいそう》多《おほ》いので、ひっくるめて、それを八百萬神《やほよろづのかみ》などと申《まを》します。もつとも今日《こんにち》神《かみ》としてお祭《まつ》りしてをるのは、この神代《かみよ》の神々《かみ/″\》たちばかりではありません。後《のち》の時代《じだい》の人々《ひと/″\》でも、徳《とく》が高《たか》く、功《こう》が多《おほ》かつたものは、やはり神《かみ》としてお祭《まつ》りするのでありますが、その多《おほ》くの神々《かみ/″\》の中《なか》でも、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は一番《いちばん》尊《たふと》い神《かみ》であらせられます。
私共《わたくしども》の先祖《せんぞ》たちは、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》のお國《くに》を、高天原《たかまがはら》と申《まを》して、大空《おほぞら》にある國《くに》であり、また大神《おほみかみ》を、日《ひ》の神《かみ》であらせられると語《かた》り傳《つた》へてをります。毎日《まいにち》々々《/\》天《てん》から日《ひ》が照《て》らしてくれますがために、動物《どうぶつ》も、植物《しよくぶつ》も、皆《みな》育《そだ》つことが出來《でき》るのです。天照《あまてらす》大神《おほみかみ》のお徳《とく》によつて、この名譽《めいよ》ある日本《につぽん》の國《くに》も始《はじ》まり、すべてのものが幸福《こうふく》に、暮《く》らして行《ゆ》くことが出來《でき》るのだと、私共《わたくしども》は先祖《せんぞ》以來《いらい》、堅《かた》く/\信《しん》じて、これをうやまひ奉《たてまつ》つてゐるのです。
この神代《かみよ》のことについて、私共《わたくしども》の先祖《せんぞ》たちは、かういふ風《ふう》に語《かた》り傳《つた》へてをりました。
昔《むかし》、昔《むかし》、大昔《おほむかし》に、伊奘諾神《いざなぎのかみ》、伊奘冉神《いざなみのかみ》と申《まを》される、お二方《ふたかた》の神《かみ》がありました。日本《につぽん》の國《くに》も、その國《くに》にゐる山《やま》の神《かみ》も、海《うみ》の神《かみ》も、木《き》の神《かみ》も、草《くさ》の神《かみ》も、風《かぜ》の神《かみ》も、火《ひ》の神《かみ》も、あらゆる神々《かみ/″\》、皆《みな》このお二方《ふたかた》の神《かみ》がお生《う》みになつたと申《まを》すのです。そして天照《あまてらす》大神《おほみかみ》もまた、このお二方《ふたかた》の神《かみ》のお子樣《こさま》として、お生《うま》れになりましたと申《まを》し傳《つた》へてゐるのであります。
ところが、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、外《ほか》の神々《かみ/″\》たちよりも、殊《こと》に尊《たつと》い神《かみ》であらせられまして、そのお光《ひかり》が、世《よ》の中《なか》を照《て》らし輝《かゞや》くといふような、極《きは》めてお徳《とく》のお高《たか》いお方《かた》でありましたから、親神《おやがみ》たちはこれを高天原《たかまがはら》へお送《おく》り申《まを》して、その國《くに》をお治《をさ》めになるようにと、お定《さだ》めになりましたのだと申《まを》し傳《つた》へてをります。
五、天《あま》の岩屋戸《いはやと》籠《ごも》り
天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の御弟樣《おんおとうとさま》に、素戔嗚尊《すさのをのみこと》と申《まを》されるお方《かた》がありました。お小《ちひ》さい時《とき》から、大《たい》そう御元氣《ごげんき》のおよろしい、惡戯好《いたづらず》きのお方《かた》でありまして、たび/\大神《おほみかみ》に御迷惑《ごめいわく》をおかけになりました。しかし大神《おほみかみ》は、いつもそれを大目《おほめ》に御覽《ごらん》になりまして一向《いつこう》お咎《とが》めなさいませんでした。大神《おほみかみ》が水田《みづた》をおつくりになりますと、その田《た》の畔《あぜ》を切《き》り離《はな》して、田《た》の水《みづ》を流《なが》してしまつたり、用水《ようすい》の溝《みぞ》を埋《う》めて、水《みづ》を通《とほ》らなくしたりなさいます。しかし大神《おほみかみ》は、それをお咎《とが》めにならないで、
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「あれは大方《おほかた》、畔《あぜ》や溝《みぞ》のために、大事《だいじ》の地面《じめん》をつぶすのが惜《を》しいと思《おも》つて、それであんなことをしたのであらう」
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と、おつしやいます。大神《おほみかみ》がお食事《しよくじ》を遊《あそ》ばしていらつしやいますと、そこへ穢《きたな》いものを出《だ》して、お困《こま》らせになります。それでも大神《おほみかみ》は、
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「あれは大方《おほかた》酒《さけ》に醉《よ》うて、ついきたないものを吐《は》いたのであらう」
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と、おつしやいまして、やはりお咎《とが》めになりません。しかし素戔嗚尊《すさのをのみこと》のお惡戯《いたづら》は、ますますひどくなりました。大神《おほみかみ》が機《はた》をお織《お》らせになつてゐられました時《とき》に、尊《みこと》は馬《うま》の皮《かは》をむいて、赤裸《あかはだか》になつたのを、家根《やね》をこはしてその中《なか》へ追《お》ひ込《こ》まれました。それを見《み》た機織《はたお》り女《め》はびっくりして、とう/\死《し》んでしまひました。これにはさすがの大神《おほみかみ》も、もう御辛抱《ごしんぼう》がお出來《でき》にならなくなりまして、天《あま》の岩屋《いはや》にお籠《こも》りになり、岩戸《いはと》を閉《し》めて隱《かく》れておしまひになりました。
さあ大變《たいへん》です。日《ひ》の神樣《かみさま》がお姿《すがた》をお隱《かく》しになつたのですから、世《よ》の中《なか》は眞暗闇《まつくらやみ》です。岩戸《いはと》を堅《かた》く閉《し》めておいでになりますから、いつまでたつても夜《よ》の明《あ》けっこがありません。何《なに》をするにも松明《たいまつ》の明《あか》りがいるようになりました。惡《わる》い神々《かみ/″\》は、時《とき》を得《え》たりと勝手《かつて》なわがまま[#「わがまま」に傍点]を致《いた》します。八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちも、これにはひどく困《こま》りまして、どうかして大神《おほみかみ》に、岩戸《いはと》から出《で》ていたゞきますようにと、皆《みんな》集《あつま》つて相談《そうだん》を致《いた》しました。しかし何分《なにぶん》にも大神《おほみかみ》が、ひどくお懲《こ》りになつてをられるのでありますから、これはたゞお願《ねが》ひ申《まを》しただけでは、とてもお出《で》ましにはなりますまい。恐《おそ》れ多《おほ》いことではあるが、一《ひと》つ大神《おほみかみ》をお欺《だま》し申《まを》して、出《で》ていたゞくより外《ほか》はないと、相談《そうだん》が一決《いつけつ》しました。
そこで先《ま》づ常世《とこよ》の長鳴《ながな》き鳥《どり》といふ鷄《とり》を集《あつ》めます。石凝姥命《いしこりどめのみこと》に八咫鏡《やたのかゞみ》を作《つく》らせます。玉祖命《たまのおやのみこと》に八坂瓊《やさかにの》曲玉《まがたま》を作《つく》らせます。八咫鏡《やたのかゞみ》とは大《おほ》きな鏡《かゞみ》と申《まを》すこと、八坂瓊《やさかにの》曲玉《まがたま》とは、いろ/\の玉《たま》をたくさん長《なが》い緒《を》に通《とほ》したものゝことです。その鏡《かゞみ》と玉《たま》とを、青《あを》や白《しろ》の布《きれ》と共《とも》に榊《さかき》の枝《えだ》にかけて、忌部氏《いんべうぢ》の先祖《せんぞ》の太玉命《ふとだまのみこと》が、それを持《も》つて岩戸《いはと》の前《まへ》に立《た》ちます。中臣氏《なかとみうぢ》の先祖《せんぞ》の天兒屋命《あめのこやねのみこと》が、お出《で》ましを願《ねが》ふ役《やく》をつとめます。力《ちから》の強《つよ》い手力男神《たぢからをのかみ》が、岩戸《いはと》の蔭《かげ》に隱《かく》れて、いざといはゞ、すぐに戸《と》をあけて、大神《おほみかみ》をお出《だ》し申《まを》す手筈《てはず》です。用意《ようい》がいよいよ出來《でき》たところで、岩戸《いはと》の前《まへ》で庭火《にはび》をあか/\と焚《た》き、滑稽《こつけい》な鈿女命《うづめのみこと》が、ふざけた身振《みぶ》りをして、踊《をどり》を踊《をど》りましたので、これまで大神《おほみかみ》のお出《で》ましがないために、ひどく悲《かな》しんでゐた八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちも、これには思《おも》はず大笑《おほわら》ひに笑《わら》はされました。庭火《にはび》で明《あか》るくなつたので、集《あつ》めたたくさんの鷄《とり》も、一度《いちど》にこっけっこー[#「こっけっこー」に傍点]と鳴《な》きました。
天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、岩戸《いはと》の中《なか》でそれをお聞《き》きになりまして、大《たい》そう不思議《ふしぎ》にお思《おも》ひになりました。御自分《ごじぶん》が天《あま》の岩戸《いはと》にお籠《こも》りになりましたので、世《よ》の中《なか》は眞暗闇《まつくらやみ》になり、八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちも、定《さだ》めて悲《かな》しんでゐることであらうとおぼしめされましたのに、これは又《また》どうしたことか、岩戸《いはと》の外《そと》では大《たい》そう面白《おもしろ》そうに、賑《にぎ》やかに騷《さわ》いでをるではありませんか。これは變《へん》だなと大神《おほみかみ》は、少《すこ》し岩戸《いはと》を細目《ほそめ》にあけて御覽《ごらん》になりますと、外《そと》は明《あか》るく、鷄《とり》は鳴《な》く、まるで夜《よ》が明《あ》けたようです。悲《かな》しんでゐる筈《はず》の八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちは、いかにも嬉《うれ》しそうに、大笑《おほわら》ひをしてをります。
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「これは一體《いつたい》どうしたことだ」
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と、鈿女命《うづめのみこと》にお聞《き》きになりますと、鈿女命《うづめのみこと》は、
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「大神《おほみかみ》よりも貴《たふと》い神《かみ》がおいでになりましたから、皆《みな》樂《たの》しく笑《わら》うてゐるのでございます」
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と、お答《こた》へ申《まを》し上《あ》げました。それと同時《どうじ》に天兒屋命《あめのこやねのみこと》と太玉命《ふとだまのみこと》とが、
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「これが大神《おほみかみ》よりも貴《たつと》い神《かみ》でございます」
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と、かねて用意《ようい》の八咫鏡《やたのかゞみ》をさし出《だ》して、お目《め》にかけました。ところがその鏡《かゞみ》が、大神《おほみかみ》のお光《ひかり》に照《て》らされて、別《べつ》の日《ひ》の神《かみ》が現《あらは》れでもしたように、きら/\と光《ひか》り輝《かゞや》きました。
大神《おほみかみ》はいよ/\不思議《ふしぎ》に思《おぼ》し召《め》されて、少《すこ》しばかり岩戸《いはと》からお出《で》ましになりました。今《いま》こそと手力男神《たぢからをのかみ》は、御手《おんて》を取《と》つて外《そと》へお出《だ》し申《まを》し、天兒屋命《あめのこやねのみこと》と太玉命《ふとだまのみこと》とは、早速《さつそく》後《うしろ》へ七五三繩《しめなは》を張《は》つて、再《ふたゝ》びおはひりになりませぬようにと、お願《ねが》ひ申《まを》し上《あ》げました。これから世《よ》の中《なか》は再《ふたゝ》び明《あか》るくなり、八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちも、ほんとうに心《こゝろ》から、手《て》を拍《う》ち、聲《こゑ》をあげて、喜《よろこ》びましたと申《まを》します。
六、八岐《やまた》の大蛇《をろち》退治《たいじ》
天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の、天《あま》の岩屋戸《いはやと》籠《ごも》り遊《あそ》ばされましたのも、つまりは素戔嗚尊《すさのをのみこと》のお惡戯《いたづら》が、あまりにおひどかつた爲《ため》であつたので、大神《おほみかみ》のお出《で》ましをお願《ねが》ひ申《まを》した後《あと》で、八百萬《やほよろづ》の神々《かみ/″\》たちは、共々《とも/″\》に相談《そうだん》して、尊《みこと》を高天原《たかまがはら》から追《お》ひ出《だ》してしまひました。
素戔嗚尊《すさのをのみこと》も、もと/\御自分《ごじぶん》がお惡《わる》かつたのですから、今更《いまさら》なんとも致《いた》し方《かた》がありません。高天原《たかまがはら》から出《で》て來《こ》られまして、とぼ/\と出雲《いづも》の國《くに》の、簸《ひ》の川《かは》の川上《かはかみ》までおいでになりました。そこはひどい山《やま》の奧《おく》で、とても人間《にんげん》などのゐそうな所《ところ》ではありません。それだのにその川上《かはかみ》から、箸《はし》が流《なが》れてまゐります。猿《さる》や熊《くま》では箸《はし》を使《つか》つて物《もの》をたべる筈《はず》はありません。さてはまだこの山奧《やまおく》にも、人間《にんげん》が住《す》んでゐるのだなと、尊《みこと》はだん/\尋《たづ》ねてお登《のぼ》りになりますと、そこには果《はた》して老人《としより》夫婦《ふうふ》が、一人《ひとり》の少女《をとめ》を間《あひだ》に置《お》いて、泣《な》いてゐるではありませんか。
「お前《まへ》たちは一體《いつたい》どうしたといふのだ」
尊《みこと》はお尋《たづ》ねになりました。
「私《わたくし》どもは古《ふる》くから、こゝに住《す》んでをりますもので、私《わたくし》の名《な》は手名椎《てなづち》、妻《つま》の名《な》は足名椎《あしなづち》[#「私《わたくし》の名《な》は手名椎《てなづち》、妻《つま》の名《な》は足名椎《あしなづち》」この部分、底本のまま]、娘《むすめ》の名《な》は奇稻田姫《くしいなだひめ》と申《まを》します。私《わたくし》どもには、外《ほか》にもたくさんの娘《むすめ》がありましたが、外《ほか》の娘《むすめ》どもは皆《みな》、高志《こし》の八岐《やまた》の大蛇《をろち》に取《と》られまして、今《いま》ではこの娘《むすめ》一人《ひとり》になりました。それも今《いま》は取《と》られる頃《ころ》となりましたので、どうにも仕樣《しよう》がなく、悲《かな》しんでゐるのでございます」
と、老人《としより》は答《こた》へました。
「それはさて/\氣《き》の毒《どく》なことぢや」
と、もと/\元氣《げんき》のすぐれた、又《また》あはれみ深《ふか》い御性質《ごせいしつ》のお方《かた》でありましたから、素戔嗚尊《すさのをのみこと》は、早速《さつそく》その大蛇《をろち》を退治《たいじ》して、人民《じんみん》の難儀《なんぎ》を救《すく》つてやらうと、御決心《ごけつしん》になりました。
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しかし何分《なにぶん》にも、頭《あたま》が八《やつ》つ、尾《を》が八《やつ》つに分《わか》れて、その長《なが》さが、山々《やま/\》から、谷々《たに/″\》に渡《わた》つてゐるといふほどの、恐《おそ》ろしい大蛇《だいじや》のことでありますから、退治《たいじ》するといつても、容易《ようい》なことではありません。計略《けいりやく》をもつて殺《ころ》すがよいとのお考《かんが》へで、よい酒《さけ》をたくさん作《つく》つて、大蛇《をろち》の來《く》る頃《ころ》を見計《みはか》らつて、それを勝手《かつて》に飮《の》むようにと、用意《ようい》して置《お》きました。
そんな恐《おそ》ろしい計略《けいりやく》があるとは知《し》らぬ、酒《さけ》ずきの大蛇《をろち》は、これは御馳走《ごちそう》と、すきなだけその酒《さけ》を飮《の》んだものですからたまりません。奇稻田姫《くしいなだひめ》のことなども、つい忘《わす》れてしまつて、よい心地《こゝち》になつて眠《ねむ》つてしまひました。それを見《み》すまして素戔嗚尊《すさのをのみこと》は、お腰《こし》の十握劒《とつかのつるぎ》を拔《ぬ》いて、大蛇《をろち》をずた/\にお切《き》りになりました。さすがの大蛇《をろち》も、これでは一《ひと》たまりもありません。もろくもそのまゝ死《し》んでしまひました。
尊《みこと》が大蛇《をろち》をお切《き》りになつた時《とき》に、その尻尾《しつぽ》から一《ひと》ふりの劒《つるぎ》が出《で》て來《き》ました。これは尊《たつと》いものだと、それを天照《あまてらす》大神《おほみかみ》に御獻上《ごけんじよう》になりました。これを天叢雲劒《あめのむらくものつるぎ》と申《まを》します。大蛇《をろち》のゐる所《ところ》には、いつも雲《くも》がむらがり立《た》つてをりましたから、それでさう申《まを》すのです。
この八岐《やまた》の大蛇《をろち》は、高志《こし》の八岐《やまた》の大蛇《をろち》と申《まを》しまして、こし[#「こし」に傍点]といふ遠《とほ》い國《くに》から、はる/″\とこの出雲《いづも》まで出《で》かけて來《き》て、人々《ひと/″\》を苦《くる》しめるのでした。こし[#「こし」に傍点]といふのは、今《いま》の越前《えちぜん》、越中《えつちゆう》、越後《えちご》など、東北《ひがしきた》の方《かた》にあたる日本海《につぽんかい》方面《ほうめん》の地方《ちほう》のことです。大昔《おほむかし》には、このあたりは、まだ一向《いつこう》開《ひら》けないので、力《ちから》の強《つよ》い、亂暴《らんぼう》なものがたくさんをつて、出雲《いづも》のような遠方《えんぽう》の人々《ひと/″\》までが、しば/\ひどい目《め》にあはされたのです。それを素戔嗚尊《すさのをのみこと》がお救《すく》ひなされ、その國《くに》をお從《したが》へになつたのが、この高志《こし》の八岐《やまた》の大蛇《をろち》退治《たいじ》といふ、面白《おもしろ》いお話《はなし》になつて、語《かた》り傳《つた》へられたのでありませう。またその大蛇《をろち》から叢雲劒《むらくものつるぎ》が出《で》て、それを尊《みこと》が天照《あまてらす》大神《おほみかみ》に奉《たてまつ》つたと申《まを》すのは、このこし[#「こし」に傍点]の國《くに》を治《をさ》める力《ちから》を、大神《おほみかみ》に御獻上《ごけんじよう》なされたと申《まを》す事《こと》でありませう。
かう申《まを》すと、素戔嗚尊《すさのをのみこと》はこし[#「こし」に傍点]の人《ひと》を殺《ころ》して、その國《くに》を取《と》り、これを天照《あまてらす》大神《おほみかみ》にさしあげたといふようにも聞《きこ》えますが、決《けつ》してさうではありません。いくら教《をし》へても、導《みちび》いても、それを聞《き》かずに亂暴《らんぼう》をなし、他《ほか》のものに害《がい》をなして、どうしても手《て》にあはぬようなものは、仕方《しかた》なしに殺《ころ》しも致《いた》しませうが、さうでないものは、やはり親切《しんせつ》にいたはつて、同《おな》じ仲間《なかま》になされたのです。それは次《つ》ぎにお話《はな》しする大國主神《おほくにぬしのかみ》が、高志《こし》の沼河姫《ぬながはひめ》といふ女《をんな》を、お妃《きさき》になされたと申《まを》すお話《はなし》からでもわかりませう。
七、因幡《ゐなば》の白兎《しろうさぎ》
素戔嗚尊《すさのをのみこと》の御子《みこ》に、大國主神《おほくにぬしのかみ》といふお方《かた》がありました。大《たい》そうお強《つよ》い、しかしおとなしい、おなさけ深《ぶか》い性質《せいしつ》のお方《かた》です。
大國主神《おほくにぬしのかみ》には、大《おほ》ぜいの御兄弟《ごきようだい》の神《かみ》たちがありましたが、中《なか》にもこの神《かみ》は、一番《いちばん》おとなしかつたので、皆《みんな》で揃《そろ》うて外出《がいしゆつ》でもする時《とき》などには、いつも荷物《にもつ》を持《も》たされて、お供《とも》をさせられてをりました。
ある時《とき》大國主神《おほくにぬしのかみ》は、いつもの通《とほ》り、大《おほ》ぜいの神《かみ》たちのお供《とも》をして、袋《ふくろ》をかついで、少《すこ》しおくれて、因幡《ゐなば》の國《くに》の氣多《けた》の崎《さき》といふ所《ところ》を通《とほ》つてをられますと、丸裸《まるはだか》になつた兎《うさぎ》が、さも痛《いた》そうにひい[#「ひい」に傍点]/\と泣《な》いてをります。それを見《み》た大《おほ》ぜいの神《かみ》たちは、
「兎《うさぎ》よ、兎《うさぎ》よ、お前《まへ》はなぜそんな形《なり》をして泣《な》いてゐるか」
と、お尋《たづ》ねになりました。すると兎《うさぎ》は、痛《いた》いのを辛抱《しんぼう》して、長々《なが/\》とそのわけを申《まを》し上《あ》げました。
もとこの兎《うさぎ》は、隱岐《おき》の島《しま》にゐたのでした。その島《しま》からこちらへ渡《わた》らうと思《おも》ひましたが、兎《うさぎ》の力《ちから》では遠《とほ》い海《うみ》を越《こ》えることが出來《でき》ません。これは一《ひと》つ海《うみ》のわに[#「わに」に傍点]を欺《だま》して、隱岐《おき》からここまで、橋《はし》をかけたように列《なら》ばせて、その上《うへ》をぴょん/\飛《と》んで渡《わた》らうと、横着《おうちやく》なことを考《かんが》へつきました。
「わに[#「わに」に傍点]さん、わに[#「わに」に傍点]さん、お前《まへ》たちの仲間《なかま》と、私《わたし》たちの仲間《なかま》と、どちらが多《おほ》いであらうか。あるだけのわに[#「わに」に傍点]が皆《みな》出《で》て來《き》て、この隱岐《おき》の島《しま》から、因幡《ゐなば》の氣多《けた》の崎《さき》まで、一列《いちれつ》に列《なら》んで見《み》なさい。私《わたし》がその上《うへ》を走《はし》りながら、お前《まへ》たちの數《かず》をかぞへて見《み》よう」
欺《だま》されるとは知《し》らないわに[#「わに」に傍点]は、兎《うさぎ》のいふ通《とほ》りに、正直《しようじき》に列《なら》びましたから、ちょうど隱岐《おき》から因幡《ゐなば》まで、一《ひと》つの長《なが》い/\わに[#「わに」に傍点]橋《ばし》が出來《でき》ました。それを兎《うさぎ》は、一《ひと》つ、二《ふた》つと、數《かず》をかぞへる眞似《まね》をして、ぴょん/\/\と飛《と》んで來《き》ました。いよ/\今一跳《いまひとは》ねで、こちらの岸《きし》へ飛《と》び上《あが》らうといふところで、默《だま》つてゐればよいのに、愚《おろか》な兎《うさぎ》は、
「お前《まへ》たちは馬鹿《ばか》だな、うまく私《わたし》に欺《だま》された。どうも御苦勞樣《ごくろうさま》」
と、餘計《よけい》な口《くち》をきゝましたから、さあたまりません。欺《だま》されたわに[#「わに」に傍点]は大《たい》そう怒《おこ》つて、一番《いちばん》おしまひにゐたのが、その兎《うさぎ》をつかまへて、丸裸《まるはだか》に引《ひ》きむいてしまつたのです。こゝにわに[#「わに」に傍点]と申《まを》すのは、鰐鯊《わにざめ》といふ鱶《ふか》の類《るい》の大魚《おほうを》で、今《いま》いふ熱帶《ねつたい》地方《ちほう》の鰐《わに》の事《こと》ではありません。
兎《うさぎ》は餘計《よけい》な口《くち》をきいた爲《ため》に、ひどい目《め》にあはされましたが、もと/\自分《じぶん》が惡《わる》かつたのですから、今更《いまさら》なんとも致《いた》し方《かた》がありません。しかしそれでも、痛《いた》くてたまらないので、海岸《かいがん》で苦《くる》しんでをりますと、そこへちょうど大《おほ》ぜいの神々《かみ/″\》たちが、お通《とほ》りかゝりになりましたのです。同情《どうじよう》のない神《かみ》たちでしたから、その話《はなし》を聞《き》いて、兎《うさぎ》に惡《わる》い事《こと》を教《をし》へました。
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「兎《うさぎ》よ、兎《うさぎ》よ、その傷《きず》が痛《いた》むなら、潮水《しほみづ》を浴《あ》びて、高《たか》い、風《かぜ》あたりのよい所《ところ》で、寢《ね》てゐたなら、じきになほつてしまふよ」
といふのです。なんといふ可愛《かわい》そうな惡戯《いたづら》をしたものでせう。さうでなくてさへ痛《いた》くて痛《いた》くてたまらないのに、潮水《しほみづ》をあびて、風《かぜ》に吹《ふ》かれたなら、一層《いつそう》ひどくなるのは知《し》れたことです。しかし愚《おろか》な兎《うさぎ》は、そんなことに氣《き》がつきません。教《をし》へられた通《とほ》りに、正直《しようじき》にやりましたから、たまりません。忽《たちま》ち體中《からだじゆう》が、ぴり/\と、ひどく痛《いた》み出《だ》して、辛抱《しんぼう》が出來《でき》なくなつて泣《な》いてゐたのです。
おなさけ深《ぶか》い大國主神《おほくにぬしのかみ》は、そのわけをお聞《き》きになりまして、
「それは飛《と》んでもないこと、さて/\可愛《かわい》そうなことをしたものだ。はやく川水《かはみづ》でその潮《しほ》をよく洗《あら》ひ落《おと》して、蒲《がま》の穗《ほ》をほぐして、そこへまき散《ち》らして、その上《うへ》で寢《ね》ころんでゐよ」
と、お教《をし》へになりました。兎《うさぎ》はその通《とほ》りにしますと、蒲《がま》の穗《ほ》が體中《からだじゆう》について、すっかりもとの毛《け》の通《とほ》りになりました。兎《うさぎ》は大《たい》そう喜《よろこ》びまして、
「あなたはほんとうに、おなさけ深《ぶか》いお方《かた》でいらつしやいます。あなたのお望《のぞ》みは、きつとかなひます」
と申《まを》しました。
兎《うさぎ》の申《まを》した通《とほ》りに、その後《のち》大國主神《おほくにぬしのかみ》は、だん/\おえらくなりまして、出雲《いづも》の地方《ちほう》をお從《したが》へになり、外《ほか》の神々《かみ/″\》たちも國《くに》を讓《ゆづ》つて、つひにお名前《なまへ》通《どほ》りの、大《おほ》きな國《くに》の主《ぬし》になられました。そして遠《とほ》く越《こし》の國《くに》へまでもおいでになつて、高志《こし》の沼河姫《ぬながはひめ》をお妃《きさき》になさいました。これは大國主神《おほくにぬしのかみ》が、越《こし》の國《くに》をもお從《したが》へになつて、その住民《じゆうみん》を、同《おな》じ仲間《なかま》になさつたことを、語《かた》り傳《つた》へたものと見《み》えます。
八、出雲《いづも》の大社《おほやしろ》
出雲《いづも》の地方《ちほう》は大國主神《おほくにぬしのかみ》のお力《ちから》によつて、『大國《おほくに》の主《ぬし》』とお名前《なまへ》に呼《よ》ばれるまでに、かなり大《おほ》きな國《くに》になりましたが、しかし我《わ》が日本《につぽん》の中《うち》には、外《ほか》にもまだ小《ちひ》さい國《くに》がたくさんにありまして、お互《たがひ》に爭《あらそ》ひばかりしてゐたのです。それですから一般《いつぱん》の人民《じんみん》の不幸《ふこう》は、一通《ひととほ》りではありませんでした。これは前《まへ》にも申《まを》した通《とほ》り、すべてを一纒《ひとまと》めにして、これを治《をさ》める程《ほど》の、えらいものがゐなかつた爲《ため》でありました。
そこで天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、いよ/\御孫《おんまご》の瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》をこの國《くに》にお降《くだ》しになつて、これを安《やす》い國《くに》として、平《たひら》かにお治《をさ》めしめなさることになりましたが、それには先《ま》づ以《もつ》て、大國主神《おほくにぬしのかみ》の國《くに》を奉《たてまつ》らしめなければなりません。これが爲《ため》に、三度《さんど》まで使《つか》ひをつかはしになりました。しかし何分《なにぶん》大國主神《おほくにぬしのかみ》の威勢《いせい》が盛《さか》んなものですから、使《つか》ひの神《かみ》も、その方《ほう》へついてしまつて、歸《かへ》つて參《まゐ》りませんでした。最後《さいご》に武甕槌神《たけみかづちのかみ》と、經津主神《ふつぬしのかみ》とが、お使《つか》ひに立《た》ちました。武甕槌神《たけみかづちのかみ》は後《のち》に常陸《ひたち》の鹿島《かしま》神宮《じんぐう》に、また經津主神《ふつぬしのかみ》は後《のち》に下總《しもふさ》の香取《かとり》神宮《じんぐう》に、それ/″\軍神《いくさがみ》としてお祭《まつ》り申《まを》した程《ほど》の、武勇《ぶゆう》勝《すぐ》れた神々《かみ/″\》でありましたから、大國主神《おほくにぬしのかみ》の威勢《いせい》にも恐《おそ》れず、よく利害《りがい》をお説《と》きになり、國《くに》を天孫《てんそん》に奉《たてまつ》るようにとお諭《さと》しになりました。天孫《てんそん》とは瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》の御事《おんこと》を申《まを》すのです。しかしこれは大國主神《おほくにぬしのかみ》に取《と》つては、まことに重大《じゆうだい》な事件《じけん》です。御自身《ごじしん》だけのお考《かんが》へでは、おはからひかねになりました。そこで先《ま》づもつて、御子《みこ》の事代主神《ことしろぬしのかみ》の御意見《ごいけん》をお問《と》ひになりましたところが、この時《とき》出雲《いづも》の美保《みほ》が崎《さき》で、魚《うを》を釣《つ》つてをられました事代主神《ことしろぬしのかみ》は、
「それはもちろん、大神《おほみかみ》の仰《おほ》せに從《したが》ひますよう」
と、いさぎよく御同意《ごどうい》申《まを》し上《あ》げました。出雲《いづも》の美保《みほ》神社《じんじや》は、こゝで釣《つ》りをしてをられました縁故《えんこ》で、この事代主神《ことしろぬしのかみ》をお祭《まつ》りしてあるのです。
かく事代主神《ことしろぬしのかみ》が御賛成《ごさんせい》申《まを》したので、大國主神《おほくにぬしのかみ》も今《いま》は御異存《ごいぞん》もなく、久《ひさ》しく治《をさ》めてをられました國《くに》を、天孫《てんそん》にさしあげましたが、事代主神《ことしろぬしのかみ》の弟神《おとうとがみ》の建御名方神《たけみなかたのかみ》は、大《たい》そう元氣《げんき》の盛《さか》んな神《かみ》でありましたから、なか/\それを承知《しようち》致《いた》しません。
「それなら大神《おほみかみ》のお使《つか》ひの神《かみ》たちと、力競《ちからくら》べをして見《み》よう」
と申《まを》しました。しかし建御名方神《たけみなかたのかみ》の力《ちから》は、とても武甕槌神《たけみかづちのかみ》にかなひっこはありません。とうとう信濃《しなの》の諏訪《すわ》まで逃《に》げて行《い》つて、そこで恐《おそ》れ入《い》りました。今《いま》の諏訪《すわ》神社《じんじや》は、その土地《とち》にこの神《かみ》をお祭《まつ》り申《まを》したのです。
大國主神《おほくにぬしのかみ》は、いよ/\その國《くに》をさしあげましたについて、杵築《きづき》の宮《みや》にお引《ひ》き籠《こも》りになりました。これは今《いま》の出雲《いづも》の大社《おほやしろ》で、その御殿《ごてん》は、天孫《てんそん》の御宮殿《ごきゆうでん》と同《おな》じように、お造《つく》り申《まを》したといふことであります。命《みこと》が大神《おほみかみ》の命《めい》を奉《ほう》じて、いさぎよくその國《くに》を治《をさ》めることを、天孫《てんそん》にお任《まか》せ申《まを》しあげましたので、天孫《てんそん》の方《ほう》からは、特別《とくべつ》の尊敬《そんけい》をもつて、これを御待遇《ごたいぐう》なされましたわけなのです。
大國主神《おほくにぬしのかみ》の國《くに》の外《ほか》にも前《まへ》にも申《まを》した通《とほ》り、我《わ》が國《くに》にはもとたくさんの小《ちひ》さい國《くに》がありました。しかしその中《なか》でも、一番《いちばん》御盛《ごさか》んな大國主神《おほくにぬしのかみ》が、いさぎよくその國《くに》を奉《たてまつ》つたものですから、その外《ほか》の國々《くに/″\》も、だん/\と我《わ》が皇室《こうしつ》の御威光《ごいこう》に從《したが》ひまして、我《わ》が大日本《だいにつぽん》帝國《ていこく》は、次第《しだい》に大《おほ》きく、次第《しだい》に盛《さか》んになつて參《まゐ》りました。大國主神《おほくにぬしのかみ》や、事代主神《ことしろぬしのかみ》のように、よくことがわかつて、いさぎよくその國《くに》を奉《たてまつ》つたものは、それ/″\に相當《そうとう》の御待遇《ごたいぐう》を與《あた》へられました。建御名方神《たけみなかたのかみ》の如《ごと》く、反抗《はんこう》したものは、やむを得《え》ず力《ちから》を以《もつ》てこれをお從《したが》へにもなりましたが、それでも力《ちから》がかなはないで、恐《おそ》れ入《い》りますれば、やはり相當《そうとう》に御待遇《ごたいぐう》なされます。
くりかへして申《まを》しますが、我《わ》が皇室《こうしつ》の御先祖《ごせんぞ》たちは、決《けつ》して、亂暴《らんぼう》に、前《まへ》からゐた國津神《くにつかみ》の國《くに》を、たゞ取《と》り上《あ》げたり、わけもなくそれを殺《ころ》したり、虐待《ぎやくたい》したりなされたのではありません。豐葦原《とよあしはら》の瑞穗《みづほ》の國《くに》を、安《やす》い國《くに》と平《たひら》かにお治《をさ》めなされる爲《ため》には、それらの小《ちひ》さい國々《くに/″\》を、一《ひと》つにする必要《ひつよう》がありますので、御代々《ごだい/\》の天皇《てんのう》の御威徳《ごいとく》によつて、近《ちか》い所《ところ》から、順々《じゆん/\》に、遠《とほ》い所《ところ》にまで、それらの國々《くに/″\》を御併合《ごへいごう》なされたのです。そしてその國《くに》の人民《じんみん》は、みな幸福《こうふく》な日本《やまと》民族《みんぞく》の仲間《なかま》になつてしまつたのです。
九、天孫《てんそん》降臨《こうりん》と三種《さんしゆ》の神器《じんぎ》
瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》は天照《あまてらす》大神《おほみかみ》のお孫樣《まごさま》であらせられますので、これを天孫《てんそん》と申《まを》し上《あ》げます。天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、はじめ御子《みこ》の天忍穗耳尊《あめのおしほみゝのみこと》をこの國《くに》にお降《くだ》しになるお考《かんが》へでありましたが、そのうちに天孫《てんそん》瓊瓊杵尊《にゝぎのみこと》がお生《うま》れになりましたので、尊《みこと》は御父尊《おんちゝみこと》に代《かは》つて、たくさんの神々《かみ/″\》をお隨《したが》へになつて、日向《ひうが》の國《くに》の高千穗《たかちほ》の峯《みね》にお降《くだ》りになりました。これを『天孫《てんそん》降臨《こうりん》』と申《まを》します。
天孫《てんそん》の御降臨《ごこうりん》なされるに就《つ》いて、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》は、前《まへ》に申《まを》した通《とほ》り、その御子孫《ごしそん》が、天地《あめつち》のあらん限《かぎ》り、いつまでも/\、この國《くに》の天皇《てんのう》となられます事《こと》をお定《さだ》めになりまして、『三種《さんしゆ》の神器《じんぎ》』をお授《さづ》けになりました。三種《さんしゆ》の神器《じんぎ》とは、大神《おほみかみ》が天《あま》の岩屋戸《いはやど》にお籠《こも》りになりました時《とき》に、石凝姥命《いしこりどめのみこと》がお造《つく》り申《まを》した八咫鏡《やたのかゞみ》と、玉祖命《たまのおやのみこと》がお造《つく》り申《まを》した八坂瓊《やさかにの》曲玉《まがたま》と、素戔嗚尊《すさのをのみこと》が八岐《やまたの》大蛇《をろち》から得《え》て御獻上《ごけんじよう》になつた天叢雲劒《あめのむらくものつるぎ》と、この三《みつ》つの御寶器《おたから》です。
この三種《さんしゆ》の神器《じんぎ》のうちにも、『八咫鏡《やたのかゞみ》』は、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》の御姿《みすがた》をおうつしになりました御鏡《みかゞみ》で、大神《おほみかみ》がこれをお授《さず》けになります時《とき》に、特《とく》に、
「この鏡《かゞみ》はわが御魂《みたま》として、常《つね》にわが前《まへ》にあると思《おも》ひて、あがめたてまつれ」
と仰《おほ》せになりました。それ以來《いらい》この御鏡《みかゞみ》は、御代々《ごだい/\》の天皇《てんのう》の御宮《おみや》の中《なか》で、天照《あまてらす》大神《おほみかみ》としてお祭《まつ》り申《まを》し上《あ》げてをりましたが、神武《じんむ》天皇《てんのう》から御十代目《ごじゆうだいめ》の、崇神《すじん》天皇《てんのう》の御代《みよ》になりまして、常《つね》にこれに近《ちか》づき奉《たてまつ》つて、つひ大神《おほみかみ》の御威徳《ごいとく》をおけがし申《まを》すようなことがあつては、相《あひ》すまぬといふ深《ふか》いお考《かんが》へから、これを天皇《てんのう》のお宮《みや》からお出《だ》し申《まを》し上《あ》げ、別《べつ》に神《かみ》のお宮《みや》を造《つく》つて、そこにお祭《まつ》り申《まを》すことになりました。次《つ》ぎの垂仁《すいにん》天皇《てんのう》の御代《みよ》には、さらにそれを伊勢《いせ》にお遷《うつ》し申《まを》し、皇女《こうじよ》倭姫命《やまとひめのみこと》がお仕《つか》へ申《まを》し上《あ》げました。これが今《いま》の伊勢《いせ》の皇大神宮《こうだいじんぐう》であります。
『叢雲劒《むらくものつるぎ》』もまた、はじめは御鏡《みかゞみ》と一《いつ》しよに、伊勢《いせ》の神宮《じんぐう》にお祭《まつ》りしたのでありましたが、これは後《のち》に景行《けいこう》天皇《てんのう》の皇子《おうじ》日本武尊《やまとたけるのみこと》が、東國《とうごく》を從《したが》へにお出《で》かけなさいました時《とき》に、御叔母樣《おんをばさま》の倭姫命《やまとひめのみこと》が、尊《みこと》の御身《おんみ》の護《まも》りとして、お授《さず》けになり、尊《みこと》はこれを以《もつ》て、草《くさ》を薙《な》いで野火《のび》の危難《きなん》をお免《まぬが》れになりましたので、それから『草薙劒《くさなぎのつるぎ》』と申《まを》すことになりました。このことは又《また》後《のち》にあらためて申《まを》しませう。然《しか》るにこの草薙劒《くさなぎのつるぎ》は、尊《みこと》がお歸《かへ》りの途中《とちゆう》、尾張《をはり》の熱田《あつた》にお置《お》きになつたまゝ、御病氣《ごびようき》にかゝつておかくれになりましたので、そのまゝそこでお祭《まつ》り申《まを》すことになりました。今《いま》の熱田《あつた》神宮《じんぐう》がこれであります。
崇神《すじん》天皇《てんのう》は、かく御鏡《みかゞみ》と御劒《みつるぎ》とを、宮中《きゆうちゆう》からお出《だ》し申《まを》して、別《べつ》にお祭《まつ》り申《まを》すことになりましたので、はじめにこの御鏡《みかゞみ》をお造《つく》り申《まを》した、石凝姥命《いしこりどめのみこと》の子孫《しそん》の人《ひと》にお命《めい》じになつて、新《あらた》に代《かは》りの御鏡《みかゞみ》をお造《つく》らせになり、また天目一神《あめのまひとつのかみ》といふ、鍛冶《かじ》の元祖《がんそ》の神《かみ》の子孫《しそん》にお命《めい》じになつて、新《あらた》に代《かは》りの御劒《みつるぎ》をお造《つく》らせになりました。この新《あたら》しい御鏡《みかゞみ》と、御劒《みつるぎ》とは、『八坂瓊《やさかにの》曲玉《まがたま》』と共《とも》に、天皇《てんのう》の御位《みくらゐ》の御《お》しるしとして、常《つね》に御身《おんみ》ぢかくにお置《お》きになり、天皇《てんのう》の御代《みよ》のかはるごとに、新《あたら》しい天皇《てんのう》がお受《う》けになりますこととなりました。
(つづく)
底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
1981(昭和56)年6月20日発行
親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス
1928(昭和3)年4月5日発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- [高志] こし → 「こしのくに(越の国)
」に同じ。 - 越の国 こしのくに 北陸道の古称。高志国。こしのみち。越。越路。
- [越前] えちぜん 旧国名。今の福井県の東部。古名、こしのみちのくち。
- [越中] えっちゅう 旧国名。今の富山県。こしのみちのなか。
- [越後] えちご 旧国名。今の新潟県の大部分。古名、こしのみちのしり。
- [常陸] ひたち
- 鹿島神宮 かしま じんぐう 茨城県鹿嶋市宮中にある元官幣大社。祭神は武甕槌神。経津主神・天児屋根命を配祀。古来軍神として武人の尊信が厚い。常陸国一の宮。
- [下総] しもうさ
- 香取神宮 かとり じんぐう 千葉県香取市にある元官幣大社。祭神は経津主神(斎主命)。古来、鹿島神宮と共に軍神として尊崇された。下総国一の宮。
- [信濃] しなの
- 諏訪 すわ 長野県中部の市。諏訪湖に臨み、もと諏訪氏3万石の城下町(高島城)。時計など精密機械工業が盛ん。近くに上諏訪温泉や霧ヶ峰がある。人口5万3千。
- [尾張] おわり
- 熱田 あつた 名古屋市にある熱田神宮の門前町。海陸交通の要地で、東海道の宿駅。現在、熱田区。
- 熱田神宮 あつた じんぐう 名古屋市熱田区にある元官幣大社。熱田大神を主神とし、相殿に天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀姫命・建稲種命を祀る。神体は草薙剣。
- [伊勢] いせ
- 皇大神宮 こうだいじんぐう/こうたいじんぐう 三重県伊勢市五十鈴川上にある神宮。祭神は天照大神。古来、国家の大事には勅使を差遣、奉告のことが行われた。天照皇大神宮。内宮。
- [因幡の国] いなばのくに
- 気多の前 けたのさき 気多の埼。因幡国北西部にあった郡。現在の鳥取県気高郡にあたる。気多岬は郡内に比定。
(日本史) - 隠岐の島 おきのしま 島根県に属し、本州の北約50km沖にある島。最大島の島後と島群である島前とから成る。後鳥羽上皇・後醍醐天皇の流された地。大山隠岐国立公園に属する。隠岐諸島。
- [出雲の国] いずものくに
- 簸の川 ひのかわ 簸川。日本神話に出る出雲の川の名。川上で素戔嗚命が八岐大蛇を退治したという。島根県の東部を流れる斐伊川をそれに擬する。
- 美保が崎 みほがさき 三穂之埼。現、島根県八束郡美保関町の東部地域を占めた中世郷。美保。島根半島の東端に位置。
- 美保神社 みほ じんじゃ 島根県松江市美保関町にある元国幣中社。祭神は事代主神・美穂津姫命。
- 杵築の宮 きづきのみや 高皇産霊神が大己貴命のために出雲国の杵築に建てた宮殿。今の出雲大社の地にあった。
- 出雲の大社 いずものおおやしろ/いずも たいしゃ 島根県出雲市大社町杵築東にある元官幣大社。祭神は大国主命。天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・宇麻志阿志軻備比古遅命・天之常立神を配祀。社殿は大社造と称し、日本最古の神社建築の様式。出雲国一の宮。いずものおおやしろ。杵築大社。
- [日向の国] ひゅうがのくに
- 高千穂の峰 たかちほのみね 宮崎県南部、鹿児島県境に近くそびえる火山。霧島火山群に属する。天孫降臨の伝説の地。標高1574m。頂上に「天の逆鉾」がある。
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- 瓊瓊杵尊 ににぎのみこと 瓊瓊杵尊・邇邇芸命。日本神話で天照大神の孫。天忍穂耳尊の子。天照大神の命によってこの国土を統治するために、高天原から日向国の高千穂峰に降り、大山祇神の女、木花之開耶姫を娶り、火闌降命・火明尊・彦火火出見尊を生んだ。天津彦彦火瓊瓊杵尊。
- 天照大神 あまてらす おおみかみ 天照大神・天照大御神。伊弉諾尊の女。高天原の主神。皇室の祖神。大日�t貴とも号す。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
- 大国主神 おおくにぬしのかみ 大国主命。日本神話で、出雲国の主神。素戔嗚尊の子とも6世の孫ともいう。少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って杵築の地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神・国魂神・葦原醜男・八千矛神などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。
- 木花開耶姫 このはなさくやひめ 木花之開耶姫・木花之佐久夜毘売。日本神話で、大山祇神の女。天孫瓊瓊杵尊の妃。火闌降命・彦火火出見尊・火明命の母。後世、富士山の神と見なされ、浅間神社に祀られる。
- 彦火火出見尊 ひこほほでみのみこと 記紀神話で瓊瓊杵尊の子。母は木花之開耶姫。海幸山幸神話で海宮に赴き海神の女と結婚。別名、火遠理命。山幸彦。
- 豊玉姫 とよたまひめ 豊玉毘売・豊玉姫。(古くはトヨタマビメ) 海神、豊玉彦神の娘で、彦火火出見尊の妃。産屋の屋根を葺き終わらないうちに産気づき、八尋鰐の姿になっているのを夫神にのぞき見られ、恥じ怒って海へ去ったと伝える。その時生まれたのが��草葺不合尊という。
- 鵜草葺不合尊 うがやふきあえずのみこと ��草葺不合尊。記紀神話で、彦火火出見尊の子。母は豊玉姫。五瀬命・神日本磐余彦尊(神武天皇)の父。
- 玉依姫 たまよりひめ 記紀神話で綿津見神の女。��草葺不合尊の妃で、神武天皇・五瀬命等の母。
- 神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武��草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
- 事代主神 ことしろぬしのかみ 日本神話で大国主命の子。国譲りの神に対して国土献上を父に勧め、青柴垣を作り隠退した。託宣の神ともいう。八重言代主神。
- 綏靖天皇 すいぜい てんのう 記紀伝承上の天皇。神武天皇の第3皇子。名は神渟名川耳。
- 安寧天皇 あんねい てんのう 記紀伝承上の天皇。綏靖天皇の第1皇子。名は磯城津彦玉手看。
- 源氏 げんじ 姓氏の一つ。初め嵯峨天皇がその皇子を臣籍に下して賜った姓で、のち仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多・醍醐・村上・冷泉・花山・三条・後三条・順徳・後嵯峨・後深草・亀山・後二条天皇などの、皇子・皇孫にも源氏を賜った。嵯峨源氏・清和源氏・宇多源氏・村上源氏が名高い。
- 清和天皇 せいわ てんのう 850-880 平安前期の天皇。文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。名は惟仁。水尾帝とも。幼少のため外祖父藤原良房が摂政となる。仏道に帰依し、879年(元慶3)落飾。法諱は素真。
(在位858〜876) - 藤原氏 ふじわらし 姓氏の一つ。天児屋根命の裔と伝え、大化改新の功臣中臣鎌足が、居地の大和国高市郡藤原に因んで藤原姓を賜ったのに始まる。姓は朝臣。鎌足の子不比等は文武天皇の頃から政界に重きをなし、その子武智麻呂・房前・宇合・麻呂の4兄弟はそれぞれ南家・北家・式家・京家の四家の祖となる。北家は最も繁栄し、その一族は平安時代から江戸時代まで貴族社会の中枢を占めた。なお、奥州藤原氏はもと亘理氏で、別系。
- 大織冠 だいしょくかん/たいしょっかん (1) 647年(大化3)制定された十三階冠位より664年の二十六階冠位までの最高の位階(後の正一位に相当)。(2) (唯一人、授けられたので) 特に藤原鎌足の称。
- 藤原鎌足 ふじわらの かまたり 614-669 藤原氏の祖。はじめ中臣氏。鎌子という。中大兄皇子をたすけて蘇我大臣家を滅ぼし、大化改新に大功をたて、内臣に任じられた。天智天皇の時、大織冠。談山神社に祀る。中臣鎌足。
- 伊奘諾神 いざなぎのかみ 伊弉諾尊・伊邪那岐命。(古くはイザナキノミコト) 日本神話で、天つ神の命を受け伊弉冉尊と共にわが国土や神を生み、山海・草木をつかさどった男神。天照大神・素戔嗚尊の父神。
- 伊奘冉神 いざなみのかみ 伊弉冉尊・伊邪那美命。日本神話で、伊弉諾尊の配偶女神。火の神を生んだために死に、夫神と別れて黄泉国に住むようになる。
- 素戔嗚尊 すさのおのみこと 須佐之男命。日本神話で、伊弉諾尊の子。天照大神の弟。凶暴で、天の岩屋戸の事件を起こした結果、高天原から追放され、出雲国で八岐大蛇を斬って天叢雲剣を得、天照大神に献じた。また新羅に渡って、船材の樹木を持ち帰り、植林の道を教えたという。
- 石凝姥命 いしこりどめのみこと 記紀神話で、天糠戸神の子。天照大神が天の岩戸に隠れた時、鏡を作った神。鏡作部の遠祖とする。五部神の一神。
- 玉祖命 たまのおやのみこと 古事記神話で、天岩屋戸の前で玉を作ったという神。五部神の一神。玉屋命。
- 忌部氏 いんべうじ 斎部・忌部。(1) 古代の氏族の一つ。朝廷の祭祀に奉仕。伝承上の祖は天太玉命。姓は連・首など。連は天武天皇のときに宿祢に昇格。
- 太玉命 ふとだまのみこと 日本神話で天照大神の岩戸ごもりの際に、天児屋根命と共に祭祀の事をつかさどった神。忌部氏の祖。五部神の一神。
- 中臣氏 なかとみうじ 古代の氏族。天児屋根命の子孫と称し、朝廷の祭祀を担当。はじめ中臣連、後に中臣朝臣、さらに大中臣朝臣となる。なお、中臣鎌足は藤原と賜姓され、その子孫は中臣氏と分かれて藤原氏となった。
- 天児屋命 あめのこやねのみこと 天児屋命・天児屋根命。日本神話で、興台産霊の子。天岩屋戸の前で、祝詞を奏して天照大神の出現を祈り、のち、天孫に従ってくだった五部神の一人で、その子孫は代々大和朝廷の祭祀をつかさどったという。中臣・藤原氏の祖神とする。
- 手力男神 たぢからをのかみ 天手力男命。天岩屋戸を開いて天照大神を出したという大力の神。天孫の降臨に従う。
- 鈿女命 うずめのみこと → 天鈿女命
- 天鈿女命・天宇受売命 あまのうずめのみこと 日本神話で、天岩屋戸の前で踊って天照大神を慰め、また、天孫降臨に随従して天の八衢にいた猿田彦神を和らげて道案内させたという女神。鈿女命。猿女君の祖とする。
- 足名椎 あしなづち/あしなずち 足名椎・脚摩乳。記紀神話で出雲の国つ神大山祇神の子。簸川の川上に住んだ。妻は手名椎。娘奇稲田媛は素戔嗚尊と結婚。
- 手名椎 てなづち → 参照:足名椎
- 奇稲田姫 くしいなだひめ 櫛名田姫。(クシイナダヒメとも) 出雲国の足名椎・手名椎の女。素戔嗚尊の妃となる。稲田姫。
- 沼河姫 ぬながわひめ 沼名河比売。古事記で、高志国(新潟県)に住み八千矛神に求婚された神。
- 武甕槌神 たけみかづちのかみ 武甕槌命・建御雷命。日本神話で、天尾羽張命の子。経津主命と共に天照大神の命を受けて出雲国に下り、大国主命を説いて国土を奉還させた。鹿島神宮はこの神を祀る。
- 経津主神 ふつぬしのかみ 日本神話で、磐筒男神・磐筒女神の子。天孫降臨に先だち、武甕槌神と共に葦原の中つ国を平定し、大己貴命を説得してその国を皇孫瓊瓊杵尊に譲らせた。刀剣の神。香取神宮に祀る。
- 事代主神 ことしろぬしのかみ 日本神話で大国主命の子。国譲りの神に対して国土献上を父に勧め、青柴垣を作り隠退した。託宣の神ともいう。八重言代主神。
- 建御名方神 たけみなかたのかみ 日本神話で、大国主命の子。国譲りの使者武甕槌命に抗するが敗れ、信濃国の諏訪に退いて服従を誓った。諏訪神社上社はこの神を祀る。
- 天忍穂耳尊 あめのおしほみみのみこと 日本神話で、瓊瓊杵尊の父神。素戔嗚尊と天照大神の誓約の際に生まれた神。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。
- 崇神天皇 すじん てんのう 記紀伝承上の天皇。開化天皇の第2皇子。名は御間城入彦五十瓊殖。
- 垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
- 倭姫命 やまとひめのみこと 垂仁天皇の皇女といわれる伝説上の人物。天照大神の祠を大和の笠縫邑から伊勢の五十鈴川上に遷す。景行天皇の時、甥の日本武尊の東国征討に際して草薙剣を授けたという。
- 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。
- 日本武尊 やまとたけるのみこと 倭建命。古代伝説上の英雄。景行天皇の皇子で、本名は小碓命。別名、日本童男。天皇の命を奉じて熊襲を討ち、のち東国を鎮定。往途、駿河で草薙剣によって野火の難を払い、走水の海では妃弟橘媛の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を討とうとして病を得、伊勢の能褒野で没したという。
- 天目一神 あめのまひとつのかみ 天目一箇神。天照大神が天岩屋戸に隠れた時、刀・斧など、祭器を作ったという神。後世、金工・鍛冶の祖神とする。天津麻羅。
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
- 万世一系 ばんせい いっけい 永遠に同一の系統がつづくこと。多く皇統についていわれた。
- 天壌無窮 てんじょう むきゅう 天地とともにきわまりのないこと。永遠に続くこと。
- 豊葦原の瑞穗の国 とよあしはらの みずほのくに (古くはミツホノクニ) 日本国の美称。
- 安国 やすくに 安らかに治まる国。泰平の国。
- 平らけし たいらけし おだやかである。無事である。
- 知ろしめす しろしめす (
「知る」の尊敬語「しろす」よりさらに敬意の強い言い方。上代には「しらしめす」とも) (1) お知りになる。ご存知である。(2) 領せられる。お治めになる。(3) お世話なさる。 - 水がかり
- 神代 かみよ 記紀神話で、天地開闢から��草葺不合尊まで、神武天皇以前の神々の時代。じんだい。
- 高天原 たかまがはら/たかまのはら (1) 日本神話で、天つ神がいたという天上の国。天照大神が支配。
「根の国」や「葦原の中つ国」に対していう。たかまがはら。(2) 大空。 - 天津神 あまつかみ 天つ神。天にいる神。高天原の神。また、高天原から降臨した神、また、その子孫。←
→国つ神。 - 国津神 くにつかみ 国つ神・地祇。(1) 国土を守護する神。地神。(2) 天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神。国神。←
→天つ神。 - 常世 とこよ (1) 常に変わらないこと。永久不変であること。(2) 「常世の国」の略。
- 常世の長鳴鳥 とこよの ながなきどり (天照大神が天の岩戸に籠もり、天地が常闇になった時、鳴かせた鳥の意) 鶏の古称。
- 八咫鏡 やたのかがみ (巨大な鏡の意) 三種の神器の一つ。記紀神話で天照大神が天の岩戸に隠れた時、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。伊勢神宮の内宮に天照大神の御魂代として奉斎され、その模造の神鏡は宮中の賢所に奉安される。まふつのかがみ。やたかがみ。
- 八坂瓊曲玉 やさかにの まがたま 八尺瓊勾玉・八坂瓊曲玉。大きな玉で作った勾玉。一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉。三種の神器の一つとする。
- 榊 さかき 榊・賢木。(1) (境(さか)木の意か) 常緑樹の総称。特に神事に用いる木をいう。(2) ツバキ科の常緑小高木。葉は厚い革質、深緑色で光沢がある。5〜6月頃、葉のつけ根に白色の細花をつけ、紫黒色の球形の液果を結ぶ。古来神木として枝葉は神に供し、材は細工物・建築などに用いる。
- 八岐大蛇 やまたのおろち 記紀神話で、出雲の簸川にいたという大蛇。頭尾はおのおの八つに分かれる。素戔嗚尊がこれを退治して奇稲田姫を救い、その尾を割いて天叢雲剣を得たと伝える。
- 十握剣 とつかのつるぎ 刀身の長さが10握りほどある剣。
- 天叢雲剣 あめのむらくものつるぎ 日本神話で、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した時、その尾から出たという剣。これを天照大神に奉った。後に、草薙剣と称して熱田神宮に祀る。
- ワニザメ 鰐鮫。猛悪な鮫の俗称。
- 軍神 いくさがみ いくさの守護神。武運を守る神。経津主・武甕槌の2神、または八幡神など。兵家では、北斗七星、また、摩利支天・勝軍地蔵・不動明王などを祭る。弓矢の神。
- 天孫降臨 てんそん こうりん 記紀の神話で、瓊瓊杵尊が高皇産霊尊・天照大神の命を受けて高天原から日向国の高千穂に天降ったこと。
- 三種の神器 さんしゅの じんぎ 皇位の標識として歴代の天皇が受け継いできたという三つの宝物。すなわち八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊曲玉。
◇参照:Wikipedia、
*後記(工作員 日記)
新シリーズ、いよいよ問題の書、喜田貞吉『日本歴史物語〈上〉』に突入! 目次を一見してわかるとおり、天の岩屋戸、八岐の大蛇、因幡の白兎といった神話・伝説から話をおこしている。いくらなんでもそりゃないだろ、とつっこみたくなる。さらに序文を読むと、
そのはず、本書は一九二八年(昭和三)四月の発行。関東大震災から五年後。この年の六月四日に満洲で張作霖爆殺事件、三年後の一九三一年(昭和六)九月に満州事変がおこる。時代の雰囲気は、本文の端々(はしばし)にも現われている。
おそらく、悪名名高い“戦前の歴史教科書”に類するとみていい。神話の時代から話をおこしているのは、現代の感覚からは相当ずれている。けれども、この国の歴史を本気で語ろうとすれば天孫降臨のエピソードにふれないわけにはいかないし、オオクニヌシの国譲りと出雲への隠遁、三種の神器の由来も避けてとおれない、ということだろう。
問題ありまくりにも関わらずこの書を選んだのは、次号以後につづく「渡来人」や「蝦夷」に関する記述が豊富な点を評価したいため。児童向けの書き下ろしではあるが、喜田貞吉は一九三九年の没だから、彼の中〜後期の著書に属する。
蛇足。三種の神器について。吉野裕子『蛇』と本書をつづけて読んだせいか、あることに思い至る。鏡や刀剣を神聖視する向きは、道教や山岳修験にも見られ、三種の神器との関連が示唆されている。鏡はとぐろを巻いた蛇、刀剣は長く伸びた蛇……もし、そう考えることが妥当ならば、三種の神器のうちの八咫鏡と天叢雲剣の二つは、いずれも蛇をなぞらえた器物ということになり、天皇の誕生と継承には蛇がまとわりついている、もしくは、天皇家は蛇によって守護されている、という想像が可能になる。
2日、大滝秀治、87歳。
13日、丸谷才一、87歳。
*次週予告
第五巻 第一三号
日本歴史物語
第五巻 第一三号は、
二〇一二年一〇月二〇日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第五巻 第一二号
日本歴史物語
発行:二〇一二年一〇月一三日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
- 第一六号 能久親王事跡(六)森 林太郎
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ / 人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)上巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)上巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日よりの東京・横浜間 大震火災についての記録 / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
- 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
- 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
- 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
- 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
- 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
- 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
- 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
- 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
- 第四三号 科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
- 第四四号 震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂
- 第四五号 仙台五色筆 / ランス紀行 岡本綺堂
- 第四六号 東洋歴史物語(一)藤田豊八
- 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八
- 第四八号 東洋歴史物語(三)藤田豊八
- 第四九号 東洋歴史物語(四)藤田豊八
- 第五〇号 東洋歴史物語(五)藤田豊八
- 第五一号 科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
- 第五二号 科学の不思議(九)アンリ・ファーブル
- 第五巻
- 第一号 校註『古事記』
(一) 武田祐吉- 第二号 校註『古事記』
(二) 武田祐吉- 第三号 校註『古事記』
(三) 武田祐吉- 第四号 兜 / 島原の夢 / 昔の小学生より / 三崎町の原 岡本綺堂
- 第五号 新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)岡本綺堂
- 第六号 大震火災記 鈴木三重吉
- 第五巻 第七号 校註『古事記』
(四) 武田祐吉- 古事記 中つ巻
- 一、神武天皇
- 東征
- 速吸の門
- 五瀬の命
- 熊野より大和へ
- 久米歌
- 大物主の神の御子
- 当芸志美美の命の変
- 二、綏靖天皇以後八代
- 綏靖天皇
- 安寧天皇
- 懿徳天皇
- 孝昭天皇
- 孝安天皇
- 孝元天皇
- 開化天皇
- 神倭伊波礼毘古の命〔神武天皇〕、その同母兄五瀬の命と二柱、高千穂の宮にましまして議りたまわく、
「いずれの地にまさば、天の下の政を平けく聞しめさん。なお東のかたに、行かん」とのりたまいて、すなわち日向より発たして、筑紫に幸でましき。 (略) - かれその国より上り行でますときに、浪速の渡をへて、青雲の白肩の津に泊てたまいき。このときに、登美の那賀須泥毘古、軍をおこして、待ち向かえて戦う。
(略) - また兄師木・弟師木を撃ちたまうときに、御軍しまし〔しばし〕疲れたり。ここに歌よみしたまいしく、
- 楯並めて 伊那佐の山の
- 樹の間よも い行きまもらい
- 戦えば 吾はや飢ん。
- 島つ鳥 鵜養が徒、
- 今助けに来ね。
- かれここに邇芸速日の命まい赴きて、天つ神の御子にもうさく、
「天つ神の御子、天降りましぬと聞きしかば、追いてまい降り来つ」ともうして、天つ瑞をたてまつりて仕えまつりき。かれ邇芸速日の命、登美毘古が妹登美夜毘売に娶いて生める子、宇摩志麻遅の命。 〈こは物部の連、穂積の臣、 臣が祖なり。 〉かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向けやわし、まつろわぬ人どもを退けはらいて、畝火の白梼原の宮にましまして、天の下治らしめしき。 - 第五巻 第八号 校註『古事記』
(五) 武田祐吉- 古事記 中つ巻
- 三、崇神天皇
- 后妃と皇子女
- 美和の大物主
- 将軍の派遣
- 四、垂仁天皇
- 后妃と皇子女
- 沙本毘古の反乱
- 本牟智和気の御子
- 丹波の四女王
- 時じくの香の木の実
- この天皇〔垂仁天皇〕、沙本毘売を后としたまいしときに、沙本毘売の命の兄、沙本毘古の王、その同母妹に問いていわく、
「夫と兄とはいずれか愛しき」と問いしかば、答えていわく「兄を愛しとおもう」と答えたまいき。ここに沙本毘古の王、謀りていわく、 「汝まことに我を愛しと思おさば、吾と汝と天の下治らさんとす」といいて、すなわち八塩折の紐小刀を作りて、その妹に授けていわく、 「この小刀もちて、天皇の寝したまうを刺し殺せまつれ」という。かれ天皇、その謀を知らしめさずて、その后の御膝を枕きて御寝したまいき。ここにその后、紐小刀もちて、その天皇の御首を刺しまつらんとして、三度挙りたまいしかども、哀しとおもう情にえ忍えずして、御首をえ刺しまつらずて、泣く涙、御面に落ちあふれき。天皇おどろき起ちたまいて、その后に問いてのりたまわく、 「吾は異しき夢を見つ。沙本の方より、暴雨の零りきて、急にわが面を沾しつ。また錦色の小蛇、わが首に纏わりつ。かかる夢は、こは何の表にあらん」とのりたまいき。ここにその后、争うべくもあらじとおもおして、すなわち天皇に白して言さく、 「妾が兄沙本毘古の王、妾に、夫と兄とはいずれか愛しきと問いき。ここにえ面勝たずて、かれ妾、兄を愛しとおもうと答えいえば、ここに妾に誂えていわく、吾と汝と天の下を治らさん。かれ天皇を殺せまつれといいて、八塩折の紐小刀を作りて妾に授けつ。ここをもちて御首を刺しまつらんとして、三度挙りしかども、哀しとおもう情にわかにおこりて、首をえ刺しまつらずて、泣く涙の落ちて、御面を沾らしつ。かならずこの表にあらん」ともうしたまいき。 - 第五巻 第九号 校註『古事記』
(六) 武田祐吉- 古事記 中つ巻
- 五、景行天皇・成務天皇
- 后妃と皇子女
- 倭建の命の西征
- 出雲建
- 倭建の命の東征
- 思国歌
- 白鳥の陵
- 倭建の命の系譜
- 成務天皇
- 六、仲哀天皇
- 后妃と皇子女
- 神功皇后
- 鎮懐石と釣り魚
- 香坂の王と忍熊の王
- 気比の大神
- 酒楽の歌曲
- その太后息長帯日売の命〔神功皇后〕は、当時神帰せしたまいき。かれ天皇〔仲哀天皇〕、筑紫の訶志比の宮にましまして熊曽の国を撃たんとしたまうときに、天皇御琴を控かして、建内の宿祢の大臣沙庭にいて、神の命を請いまつりき。ここに太后、神帰せして、言教え覚し詔りたまいつらくは、
「西の方に国あり。金銀をはじめて、目耀く種々の珍宝その国に多なるを、吾今その国を帰せたまわん」と詔りたまいつ。ここに天皇、答え白したまわく、 「高き地に登りて西の方を見れば、国は見えず、ただ大海のみあり」と白して、いつわりせす神と思おして、御琴を押し退けて、控きたまわず、黙いましき。ここにその神いたく忿りて詔りたまわく、 「およそこの天の下は、汝の知らすべき国にあらず、汝は一道〔一説に、死出の道。冥土〕に向かいたまえ」と詔りたまいき。ここに建内の宿祢の大臣白さく、 「恐し、わが天皇。なおその大御琴あそばせ」ともうす。ここにややにその御琴を取りよせて、なまなまに控きいます。かれ、幾時もあらずて、御琴の音聞こえずなりぬ。すなわち火をあげて見まつれば、すでに崩りたまいつ。 - 第五巻 第一〇号 校註『古事記』
(七) 武田祐吉- 古事記 中つ巻
- 七、応神天皇
- 后妃と皇子女
- 大山守の命と大雀の命
- 葛野の歌
- 蟹の歌
- 髪長比売
- 国主歌
- 文化の渡来
- 大山守の命と宇遅の和紀郎子
- 天の日矛
- 秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫
- 系譜
- また昔、新羅の国主の子、名は天の日矛というあり。この人まい渡り来つ。まい渡り来つる故は、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼という。この沼のほとりに、ある賤の女昼寝したり。ここに日の耀虹のごと、その陰上にさしたるを、またある賤の男、そのさまを異しと思いて、つねにその女人のおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときより妊みて赤玉を生みぬ。ここにそのうかがえる賤の男、その玉を乞い取りて、つねに裹みて腰につけたり。この人、山谷の間に田を作りければ、耕人どもの飲食を牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子天の日矛に遇いき。ここにその人に問いていわく、
「何ぞ汝飲食を牛に負せて山谷の中に入る。汝かならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人を捕らえて、獄内に入れんとしければ、その人答えていわく、 「吾、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その国主の子に幣しつ。かれその賤の夫をゆるして、その玉を持ち来て、床の辺に置きしかば、すなわち顔美き嬢子になりぬ。よりて婚して嫡妻とす。ここにその嬢子、つねに種々の珍つ味を設けて、つねにその夫に食わしめき。かれその国主の子心おごりて、妻を詈りしかば、その女人の言わく、 「およそ吾は、汝の妻になるべき女にあらず。わが祖の国に行かん」といいて、すなわち窃びて小船に乗りて、逃れ渡り来て、難波に留まりぬ。 〈こは難波の比売碁曽の社にます阿加流比売という神なり。 〉 - ここに天の日矛、その妻の遁れしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、その渡りの神塞えて入れざりき。かれさらに還りて、多遅摩の国に泊てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾が女、名は前津見に娶いて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子〈三柱〉。この清日子、当摩の�@斐に娶いて生める子、酢鹿の諸男、つぎに妹菅竃由良度美、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶いて生める子、葛城の高額比売の命。
〈こは息長帯比売の命の御祖なり。 〉 - かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といいて、珠二貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種なり。
〈こは伊豆志の八前の大神なり。 〉 - 第五巻 第一一号 大正十二年九月一日の大震に際して(他)芥川龍之介
- オウム ―
―大震覚え書きの一つ― ― - 大正十二年九月一日の大震に際して
- 一 大震雑記
- 二 大震日録
- 三 大震に際せる感想
- 四 東京人
- 五 廃都東京
- 六 震災の文芸に与うる影響
- 七 古書の焼失を惜しむ
- 今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に残念に思う。表慶館に陳列されていた陶器類はほとんど破損したということであるが、その他にも損害は多いにちがいない。しかし古美術品のことはしばらくおき、古書のことを考えると黒川家の蔵書も焼け、安田家の蔵書も焼け、大学の図書館の蔵書も焼けたのは取り返しのつかない損害だろう。商売人でも村幸とか浅倉屋とか吉吉だとかいうのが焼けたから、そのほうの罹害も多いにちがいない。個人の蔵書はともかくも、大学図書館の蔵書の焼かれたことはなんといっても大学の手落ちである。図書館の位置が火災の原因になりやすい医科大学の薬品のあるところと接近しているのもよろしくない。休日などには図書館に小使いくらいしかいないのもよろしくない、
(そのために今度のような火災にもどういう本が貴重かがわからず、したがって貴重な本を出すこともできなかったらしい。 )書庫そのものの構造のゾンザイなのもよろしくない。それよりももっとつきつめたことをいえば、大学が古書を高閣に束ねるばかりで古書の覆刻をさかんにしなかったのもよろしくない。いたずら材料を他に示すことを惜しんで、ついにその材料を烏有に帰せしめた学者の罪は、鼓をならして攻むべきである。大野洒竹の一生の苦心になった洒竹文庫の焼け失せただけでも残念でたまらぬ。 「八九間雨柳」という士朗〔井上士朗か〕の編んだ俳書などは、勝峰晋風氏の文庫と天下に二冊しかなかったように記憶しているが、それも今は一冊になってしまったわけだ。 ( 「七 古書の焼失を惜しむ」より)
※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
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