武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:福島県三春町西方前遺跡出土、大洞 A' 式土偶。『日本の古代遺跡・福島』(保育社、1991.5)より。


もくじ 
校註『古事記』(七)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(七)
  古事記 中つ巻
   七、応神天皇
    后妃と皇子女
    大山守の命と大雀(おおさざき)の命
    葛野(かづの)の歌
    蟹の歌
    髪長比売
    国主歌
    文化の渡来
    大山守の命と宇遅の和紀郎子
    天の日矛
    秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫
    系譜

オリジナル版
校註『古事記』(七)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03cm。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1mの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3m。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109m強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273km)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方cm。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。
  • 海里・浬 かいり (sea mile; nautical mile) 緯度1分の子午線弧長に基づいて定めた距離の単位で、1海里は1852m。航海に用いる。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。1尋は5尺(1.515m)または6尺(1.818m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 土地面積の単位。6尺四方、すなわち約3.306平方m。歩(ぶ)。



*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。


校註『古事記』(七)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 なかつ巻

  〔七、応神天皇〕

   后妃こうひと皇子女〕


 品陀和気ほむみこと〔応神天皇〕(一)、軽島のあきらの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと、品陀の真若まわかの王(三)が女、三柱の女王ひめみこいたまいき。一柱の御名は、高木の入日売の命、つぎに中日売の命、つぎに弟日売の命。この女王ひめみこたちの父、品陀の真若の王は、五百木の入日子の命の、尾張のむらじの祖、建伊那陀の宿祢が女、志理都紀斗売にいて生める子なり。
 かれ高木の入日売の御子、額田ぬかだ大中おおなか日子ひこの命、つぎに大山守おおやまもりの命、つぎに伊奢の真若の命、つぎにいも大原の郎女いらつめ、つぎに高目たかもく郎女いらつめ〈五柱〉。中日売の命の御子、の荒田の郎女いらつめ、つぎに大雀おおさざきの命〔仁徳天皇〕(四)、つぎに根鳥ねとりの命〈三柱〉。弟日売の命の御子、阿部の郎女いらつめ、つぎに阿貝知三腹みはら郎女いらつめ、つぎに木の兎野郎女いらつめ、つぎに三野みの郎女いらつめ〈五柱〉。また丸邇比布礼意富美が女、名は宮主矢河枝みやぬしかは比売にいて生みませる御子、宇遅うじ和紀郎子いらつこ、つぎに妹八田やた若郎女わかいらつめ、つぎに女鳥めどりの王〈三柱〉。またその矢河枝比売かはが弟、袁那弁郎女いらつめいて生みませる御子、宇遅うじ若郎女わきいらつめ〈一柱〉。また咋俣長日子くいまたながの王が女、息長真若中おきながわかなかつ比売にいて生みませる御子、若沼毛二俣わかふたまたの王〈一柱〉。また桜井さくらい田部むらじの祖、島垂根しまたりねが女、糸井いとい比売にいて生みませる御子、速総別はやぶさわけの命〈一柱〉。また日向ひむかいずみなが比売にいて生みませる御子、大羽江みこ、つぎに小羽江の王、つぎに檣日はたび若郎女わかいらつめ〈三柱〉。また迦具漏比売にいて生みませる御子、川原田わら郎女いらつめ、つぎに玉の郎女いらつめ、つぎに忍坂おしさか大中おおなかつ比売、つぎに登富志郎女いらつめ、つぎに迦多遅の王〈五柱〉。また葛城かずらきの野の伊呂売いて生みませる御子、伊奢麻和迦の王〈一柱〉。この天皇すめらみことの御子たち、あわせて二十はたちまり六王むはしら〈男王十一、女王ひめみこ十五。この中に大雀おおさざきの命〔仁徳天皇〕は、天の下らしめしき。

  •  (一)応神天皇。
  •  (二)奈良県高市郡たかいちぐん
  •  (三)景行天皇の皇子。
  •  (四)仁徳天皇。

   大山守おおやまもりみこと大雀おおさざきの命〕


 ここに天皇すめらみこと、大山守の命と大雀おおさざきの命とに問いてりたまわく、みましたちは、兄なる子と弟なる子と、いずれかしき」と問わしたまいき。〈天皇のこの問いを発したまえるゆえは、宇遅うじ和紀郎子わきいらつこに天の下らしめん御心ましければなり。ここに大山守の命もうさく、「兄なる子をしとおもう」ともうしたまいき。つぎに大雀おおさざきの命は、天皇の問わしたまう大御心を知らして、もうさく、「兄なる子は、すでに人となりて、こはいぶせきことなきを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こをしとおもう」ともうしたまいき。ここに天皇りたまわく、さざき吾君ことぞ、わが思おすがごとくなる」とのりたまいき。すなわちけたまいしくは、「大山守の命は、山海うみやままつりごとをもうしたまえ(一)大雀おおさざきの命は、食国おすくにまつりごととりもちてしろしたまえ(二)宇遅和紀郎子わきいらつこは、あま日継ひつぎ知らせ(三)」とりわけたまいき。かれ大雀おおさざきの命は、大君おおきみみことたがいまつらざりき。

  •  (一)海山に関する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林のことを支配する部族が、そのおこりを語るのである。
  •  (二)天下の政治をおこないたまえ。
  •  (三)天皇の位につきたまえ。

   葛野かづのの歌〕


 あるとき天皇、近つ淡海おうみの国(一)に越えでまししとき、宇遅野(二)の上に御立みたちして、葛野かづの(三)みさけまして、歌よみしたまいしく、

千葉(四) 葛野かづのを見れば、
百千足もも家庭やにわも見ゆ(五)
国の(六)見ゆ。〔歌謡番号四二〕

と歌いたまいき。

  •  (一)滋賀県。
  •  (二)京都府宇治郡。
  •  (三)京都市。今の桂川の平野。
  •  (四)枕詞まくらことば。葉の多い意で、くずに冠する。
  •  (五)たくさん充実している村邑そんゆうも見える。ヤニハは、家屋のある平地。
  •  (六)国土のすぐれている所も見える。クニノホは、「国のまほろば」の接頭語・接尾語のない形。

   かにの歌〕


 かれ木幡こはたの村(一)にいたりますときに、その道衢ちまたに、顔嬢子おとめえり。ここに天皇、その嬢子おとめに問いたまわく、いましたれが子ぞ」と問わしければ、答えてもうさく、丸邇比布礼意富美(二)が女、名は宮主矢河枝みやぬしかは比売」ともうしき。天皇すなわちその嬢子おとめりたまわく、あれ明日あすのひかえりまさんとき、いましの家に入りまさん」とりたまいき。かれ矢河枝比売、つぶさにその父に語りき。ここに父答えていわく、「こは大君おおきみにますなり。かしこし、が子仕えまつれ」といいて、その家を厳飾かざりて、さもらい待ちしかば、明日あすのひ入りましき。かれ大御饗おおみあえたてまつるときに、その女矢河枝かは比売の命に大御酒盞おおみきうきを取らしめてたてまつる。ここに天皇、その大御酒盞おおみきうきを取らしつつ、御歌みうたよみしたまいしく、

このかに(三) 何処いずくかに
つた(四) 角鹿つぬがかに
よこさらう(五) 何処いずくにいたる。
伊知遅(六)き、
鳰鳥みほどり(七) かず息衝いきづき、
しなだゆう(八) 佐佐那美道
すくすくと わがませばや、
木幡こはたの道に わしし嬢子おとめ
後方うしろで小楯おだてろかも(九)
歯並はなみ椎菱しいひしなす(一〇)
櫟井いちい(一一) 丸邇坂を、
初土はつに(一二) はだ赤らけみ
底土しはには に黒きゆえ、
三栗みつぐり(一三) そのなか
頭著かぶつ(一四) 真火にはてず
眉画まよがに書き
わししおみな
かもがと(一五) わが見し
かくもがと が見し
うたたけだに(一六) 向かいるかも
るかも。〔歌謡番号四三〕

 かくて御合みあいまして生みませる御子、宇遅和紀郎子いらつこなり。

  •  (一)京都府乙訓郡おとくにぐん
  •  (二)丸邇氏わにうじは、奈良の春日に居住して富み栄え、しばしばその女を皇室にいれている。『古事記』の歌物語の多くが、この氏と関係がある。後に春日氏かすがのうじとなった。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義げんよし君にその研究がある。
  •  (三)ヤは提示の助詞。かには、鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮装ふんそうして舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において歌うので、これもその一つを元としている。
  •  (四)枕詞。多くの土地を伝い行く意という。
  •  (五)横歩きをして。
  •  (六)いずれも所在不明。
  •  (七)枕詞。ニホドリノに同じ。
  •  (八)枕詞。段になってたわんでいる意という。
  •  (九)うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
  • (一〇)しいの実やひしのようだ。諸説がある。
  • (一一)イチイの木の立つ井のある。
  • (一二)上の方の土。
  • (一三)枕詞。
  • (一四)頭にあたる。
  • (一五)かようにありたいと。現に今あるようにと。次の「かくもがと」も同じ。
  • (一六)語義不明。ウタタ(転)を含むとすれば、その副詞形で、転じて、今は変わっての意になる。

   髪長かみなが比売〕


 天皇すめらみこと、日向の国の諸県もらがたの君が女、名は髪長かみなが比売それ顔容麗美かおよしと聞こしめして、使わんとしてし上げたまうときに、その太子ひつぎのみこ大雀おおさざきの命、その嬢子おとめの難波津にてたるを見て、その姿容かたち端正うつくしきでたまいて、すなわち建内たけしうち宿祢すくね大臣おおおみあとらえてのりたまわく、「この日向よりし上げたまえる髪長かみなが比売は、天皇の大御所おおみもともうして、あれたまわしめよ」とのりたまいき。ここに建内の宿祢の大臣、大命おおみこといしかば、天皇すなわち髪長かみなが比売をその御子にたまいき。たまうさまは、天皇のとよあかり聞こしめしける日(一)に、髪長比売に大御酒おおみきかしわを取(二)らしめて、その太子ひつぎのみこたまいき。ここに御歌みうたよみしたまいしく、

いざ子ども(三) 野蒜のびるつみに、
ひるつみに わが行く道の
ぐわし 花橘はなたちばなは、
上枝ほつえは 鳥居らし、
下枝しづえは 人取りらし、
三栗みつぐりの 中つ枝の
ほつもり(四) 赤ら嬢子おとめを、
いざささば(五) らしな。〔歌謡番号四四〕

 また、御歌みうたよみしたまいしく、

たま(六) 依網よさみの池(七)
堰杙いぐい打ち(八)が しける知らに(九)
ぬなわくり えけく(一〇)知らに、
わが心しぞ いやをこにして 今ぞくやしき。
〔歌謡番号四五〕

と、かく歌いてたまいき。かれその嬢子おとめたまわりて後に、太子ひつぎのみこの歌よみしたまいしく、

道のしり(一一) 古波陀嬢子おとめ(一二)を、
かみのごと 聞こえしかども
相枕あいまくらく。〔歌謡番号四六〕

 また、歌よみしたまいしく、

道のしり 古波陀嬢子おとめは、
あらそわず 寝しくをしぞも(一三)
うるわしみおもう。〔歌謡番号四七〕

と歌いたまいき。

  •  (一)酒宴しゅえんをなされた日。
  •  (二)広い葉に酒を盛った。
  •  (三)さあ、みなの者。子どもは目下の者をいう。
  •  (四)語義不明。秀つ守りで、高く守っている意か。目立ってよい意に赤ら嬢子おとめを修飾するのだろう。『日本書紀』にはフホゴモリとある。
  •  (五)さあ、なされたら。ササは、動詞「為」の敬語の未然形だろう。動詞「」の敬語をナスという類。
  •  (六)叙述による枕詞。
  •  (七)大阪市東成区。
  •  (八)その池の水をたたえるイのクヒをうってあるのが。
  •  (九)ニは打ち消しの助動詞ヌの連用形。
  • (一〇)のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上比喩で、太子の思いがなされていたことを描く。
  • (一一)遠い土地の。
  • (一二)コハダは日向の国の地名だろう。
  • (一三)寝たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。

   国主歌くずうた


 また、吉野えしの国主くず(一)ども、大雀おおさざきみことかせる御刀はかしを見て、歌いていいしく、

品陀ほむだの 日の御子(二)
大雀おおさざき 大雀。
はかせる大刀たち
本剣もとつるぎ すえふゆ(三)
冬木の すからがした木の(四) さやさや(五)
〔歌謡番号四八〕

 また、吉野の白梼かし(六)横臼よくす(七)を作りて、その横臼よくす大御酒おおみきみて、その大御酒をたてまつるときに、口鼓くちつづみを撃ち(八)わざをなして(九)、歌いていしく、

白梼かし横臼よくすを作り、
横臼よくすみし大御酒おおみき
うまらに 聞こしもちおせ(一〇)
まろが(一一)〔歌謡番号四九〕

 この歌は、国主くずども大贄おおにえたてまつる時々ときどき、つねに今にいたるまで歌う歌なり。

  •  (一)吉野山中の住民。七六ページ「神武天皇」の「熊野より大和へ」国巣くずとある。
  •  (二)応神天皇の皇子様。
  •  (三)剣の刃先はさきが威力を現わしている。
  •  (四)冬の木のれている木の下の。この二句、種々の説がある。
  •  (五)剣の清明であるのをたたえた語。
  •  (六)白梼かしの生えているところ。
  •  (七)たけの低いうす。そのうすで材料をついて酒をかもす。
  •  (八)太鼓のような声を出して。
  •  (九)手ぶり・物まねなどして。
  • (一〇)うまそうにしあがれ。ヲセは、すの命令形。
  • (一一)われらが父よ。

   〔文化の渡来〕


 この御世に、海部あまべ山部やまべ山守部やまもりべ伊勢部(一)を定めたまいき。また剣の池(二)を作りき。また新羅人しらぎひとまいわたつ。ここをもちて建内たけしうち宿祢すくねみこと、引きて、堤の池に渡りて(三)百済くだらの池(四)を作りき。
 また百済の国主こにきし照古しょうこ(五)牡馬一匹ひとつ牝馬一匹を、阿知吉師(六)につけてたてまつりき。この阿知吉師は阿直ふひとらが祖なり。また大刀たちと大鏡とをたてまつりき。また百済の国におおせたまいて、「もしさかし人あらばたてまつれ」とのりたまいき。かれ命を受けてたてまつれる人、名は和邇吉師、すなわち『論語』十巻まき千字文せんじもん(七)一巻、あわせて十一巻とおまりひとまきを、この人につけてたてまつりき。この和爾吉師は文の首らが祖なり。また手人てひと韓鍛からかぬち(八)名は卓素たくそ、また呉服くれはとり西素さいそ(九)二人をたてまつりき。またはたみやつこの祖、あやあたえの祖、またみきむことを知れる人、名は仁番、またの名は須須許理ら、まいわたつ。かれこの須須許理、大御酒おおみきみてたてまつりき。ここに天皇、このたてまつれる大御酒おおみきにうらげて(一〇)御歌みうたよみしたまいしく、

須須許理みし御酒に われ酔いにけり。
無酒咲酒なぐしえぐし(一一)に、われ酔いにけり。〔歌謡番号五〇〕

 かく歌いつつでまししときに、御杖もちて、大坂(一二)の道中なる大石を打ちたまいしかば、その石走りりき。かれ、ことわざに堅石かたしわ酔人えいびとるというなり。

  •  (一)以上、大山守の命に命じたことをいう。ただし、物語とは別の資料によったのだろう。
  •  (二)奈良県高市郡。既出。別伝か、修理か。
  •  (三)不明瞭で諸説がある。
  •  (四)奈良県北葛城郡。
  •  (五)百済の第十三代の近肖古王きんしょうこおう
  •  (六)キシは尊称。下同じ。『日本書紀』に阿直支〔阿直岐〕
  •  (七)広くおこなわれている周興嗣次韻じいんの『千字文』は、まだできていなかった。
  •  (八)工人である朝鮮の鍛冶人。
  •  (九)大陸風の織物工の西素という人。
  • (一〇)浮かれ立って。
  • (一一)事のない愉快ゆかいな酒。クシは酒。
  • (一二)二上山ふたかみやまを越える道。

   大山守おおやまもりみこと宇遅和紀郎子いらつこ


 かれ天皇かむあがりましし後に、大雀おおさざきみことは、天皇の命のまにまに、天の下を宇遅うじ和紀郎子わきいらつこにゆずりたまいき。ここに大山守の命は、天皇の命にたがいて、なお天の下をんとして、その弟皇子おとみこを殺さんとする心ありて、みそか〔ひそか〕つわものけて攻めんとしたまいき。ここに大雀おおさざきの命、その兄のいくさそなえたまうことを聞かして、すなわち使いを遣わして、宇遅うじ和紀郎子わきいらつこに告げしめたまいき。かれ聞きおどろかして、つわものを河のに隠し、またその山の上にサ垣きぬがき(一)り、帷幕あげばり(二)を立てて、いつわりて舎人とねりを王になして、あらわ呉床あぐらにませて、百官つかさづかさいやまいかようさま、すでに王子みこのいまし所のごとくして、さらにその兄王の河をわたりまさんときのために、船かじをそなえ飾り、また佐那葛かずら(三)の根を臼搗うすづき、その汁のなめを取りて、その船の中の簀椅すばしに塗りて、みてたおるべくけて、その王子みこたえ衣褌きぬはかまて、すでに賤人やつこの形になりて、かじを取りて立ちましき。ここにその兄王、兵士いくさびとを隠しせ、よろいを衣の中にせて、河のにいたりて船に乗らんとするときに、その厳飾かざれるところをみさけて、弟王その呉床あぐらにいますと思おして、ふつにかじを取りて船に立ちませることを知らず、すなわちそのかじれる者に問いたまわく、「この山に怒れる大猪ありとつてに聞けり。あれその猪を取らんと思うを、もしその猪をんや」と問いたまえば、かじれる者答えていわく、「得たまわじ」といいき。また問いたまわく、なにとかも」と問いたまえば、答えたまわく「時々よりより往々ところどころにして、取らんとすれども得ず。ここをもちて得たまわじともうすなり」といいき。渡りて河中にいたりし時に、その船をかたぶけしめて、水の中におとし入れき。ここに浮き出て、水のまにまに流れ下りき。すなわち流れつつ歌よみしたまいしく(四)

ちはやぶる(五) 宇治うじの渡りに、
さお取りに はやけん人し わがもこ(六)
〔歌謡番号五一〕

と歌いき。ここに河のかくれたるつわもの、あなたこなた一時もろともにおこりて、矢して流しき。かれ訶和羅さき(七)にいたりてしずみ入りたまう。かれかぎをもちて、その沈みしところをさぐりしかば、その衣の中なるよろいかりて、かわらと鳴りき。かれ其所そこに名づけて訶和羅の前というなり。ここにそのかばねき出だすときに、弟王、御歌みうたよみしたまいしく、

ちはやびと(八) 宇治の渡りに、
渡瀬わたりぜに立てる 梓弓あずさゆみまゆみ(九)
いきらんと(一〇) 心はえど、
い取らんと 心はえど、
本方もとべ(一一)は 君を思い
末方すえへ(一二)は 妹を思い
いらなけく(一三) そこに思い
かなしけく ここに思い
いきらずぞる。梓弓あずさゆみまゆみ〔歌謡番号五二〕

 かれその大山守おおやまもりみことかばねは、那良山やまおさめき。この大山守の命は土形ひじかたの君、幣岐へきの君、榛原はりはらの君らが祖なり。
 ここに大雀おおさざきみこと宇遅うじ和紀郎子わきいらつこと二柱、おのもおのも天の下をゆずりたまうほどに、海人大贄おおにえをたてまつりつ。ここに兄はいなびて、弟にたてまつらしめたまい、弟はまた兄にたてまつらしめて、あいゆずりたまうあいだにすでに許多あまたの日をつ。かくあいゆずりたまうこと一度、二度にあらざりければ、海人あまはすでに往還ゆききに疲れて泣けり。かれことわざに、海人あまなれや、おのが物から泣く(一四)」という。しかれども宇遅うじ和紀郎子わきいらつこは早くかむさりましき。かれ大雀おおさざきみこと、天の下らしめしき。

  •  (一)荒い絹の幕。
  •  (二)あげてった幕。天幕。
  •  (三)ビナンカズラ。
  •  (四)流れながら歌ったというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿むこ入りの話があり、むこの猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。
  •  (五)枕詞。威力をふるう。ここは宇治川うじがわが急流なのでいう。
  •  (六)自分のなかまに来てくれ。
  •  (七)所在不明。
  •  (八)枕詞。強い人。地名のウジが元来、威力を意味する語なのであろう。
  •  (九)梓弓あずさゆみ檀弓まゆみ。アヅサはアカメガシワ。マユミはヤマニシキギ。ともに弓材になる樹。
  • (一〇)イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
  • (一一)弓の下の方。
  • (一二)弓の上の方。
  • (一三)心のイライラする形容。
  • (一四)海人あまだからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐りやすいからだという。

   あめ日矛ひぼこ


 また昔、新羅しらぎ国主こにきしの子、名はあめ日矛ひぼこというあり(一)。この人まいわたつ。まいわたつるゆえは、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼ぬまという。この沼のほとりに、あるしづ昼寝したり。ここに日の耀ひかりのじのごと、その陰上ほとにさしたるを、またあるしづ、そのさまをあやしと思いて、つねにその女人おみなのおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときよりはらみて赤玉を生みぬ(二)。ここにそのうかがえるしづの男、その玉をい取りて、つねにつつみて腰につけたり。この人、山谷たにの間に田を作りければ、耕人たひとどもの飲食おしものを牛におおせて、山谷たにの中に入るに、その国主こにきしの子あめ日矛ひぼこいき。ここにその人に問いていわく、いまし飲食おしものを牛におおせて山谷たにの中に入る。いましかならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人をらえて、獄内ひとやに入れんとしければ、その人答えていわく、あれ、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人たひとおしを送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉をきて、その国主こにきしの子にまいしつ。かれそのしづの夫をゆるして、その玉を持ち来て、床のに置きしかば、すなわち顔嬢子おとめになりぬ。よりてまぐわいして嫡妻むかいめとす。ここにその嬢子おとめ、つねに種々くさぐさためものけて、つねにそのひこじに食わしめき。かれその国主こにきしの子こころおごりて、りしかば、その女人の言わく、「およそあれは、いましになるべき女にあらず。わがみおやの国に行かん」といいて、すなわちしのびて船に乗りて、のがれ渡り来て、難波に留まりぬ。〈こは難波の比売碁曽の社(三)にます阿加流比売という神なり。
 ここに天の日矛、そののがれしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、そのわたりの神えて入れざりき。かれさらにかえりて、多遅摩の国(四)てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾またおが女、名は前津見まえいて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理(五)、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子きよひこ〈三柱〉。この清日子、当摩たぎま�@斐いて生める子、酢鹿すが諸男もろお、つぎに妹菅竃由良度美すがかま、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美いて生める子、葛城かずらき高額たかぬか比売の命。〈こは息長帯比売(六)の命の御祖みおやなり。
 かれその天の日矛の持ち渡りつる物は、たまたからといいて、珠二つら(七)、またなみ比礼ひれなみる比礼、風る比礼、風切る比礼(八)、またおきつ鏡、つ鏡(九)、あわせて八種なり。〈こは伊豆志の八前の大神(一〇)なり。

  •  (一)『日本書紀』に垂仁天皇の巻に見え、『播磨国風土記』に、葦原あしはらシコヲのみこととの交渉を記している。
  •  (二)卵生らんしょう説話の一つ。その玉が嬢子おとめに化したとする。この点からいえば神婚説話であって、外来の形を伝えていると見られるのが注意される。
  •  (三)大阪市東成区ひがしなりく
  •  (四)兵庫県の北部。
  •  (五)垂仁天皇の御代に常世の国に行ってたちばなを持ってきた人。一〇四ページ「垂仁天皇」の「時じくの香の木の実」参照。
  •  (六)神功皇后。
  •  (七)珠をにつらぬいたもの二つ。
  •  (八)以上四種のヒレは、風や波をおこし、また、しずめる力のあるもの。浪振るは浪をおこす。浪切るは浪をしずめる。風も同様。ヒレについては四二ページ「大国主の神」の「根の堅州国」脚注参照。
  •  (九)二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海辺。
  • (一〇)兵庫県出石郡の出石いずし神社。

   〔秋山の下氷壮夫したおとこと春山の霞壮夫かすみおと


 かれここに神の女(一)、名は伊豆志袁登売の神(二)います。かれ八十神やそがみ、この伊豆志袁登売を得んとすれども、みなえよばわず。ここに二柱の神あり。兄の名を秋山の下氷壮夫したびおとこ(三)、弟の名は春山の霞壮夫かすみおとこなり。かれその兄、その弟にいて、あれ伊豆志袁登売えども、えよばわず。いましこの嬢子おとめを得んや」といいしかば答えていわく、やすく得ん」といいき。ここにその兄のいわく、「もしいまし、この嬢子おとめを得ることあらば、上下の衣服きもの(四)り、身のたけをはかりてみかに酒を(五)、また山河の物をことごとにそなえけて、うれずくけ事〕(六)をせん」という。ここにその弟、兄のいえる如、つぶさにその母にもうししかば、すなわちその母、ふじかずら(七)を取りて、一夜のほどに、きぬはかま、またしたぐつ(八)くつい、また弓矢を作りて、その衣褌きぬはかまなどをふくしめ、その弓矢を取らしめて、その嬢子おとめの家にりしかば、その衣服も弓矢もことごとに藤の花になりき。ここにその春山の霞壮夫かすみおとこ、その弓矢を嬢子おとめかわやけたるを、ここに伊豆志袁登売、その花をあやしと思いて、持ちくるときに、その嬢子おとめの後に立ちて、その屋に入りて、すなわちまぐわいしつ(九)。かれ一人の子を生みき。
 ここにその兄にもうしていわく、伊豆志袁登売を得つ」という。ここにその兄、弟のまぐわいつることをうれたみて、そのうれずくの物をつぐなわざりき。ここにその母にうれもうすときに、御祖みおやの答えていわく、「わが御世のこと、よくこそ神習かみなわわめ(一〇)。またうつしき青人草あおひとくさならえや、そのものつぐなわん(一一)」といいて、その兄なる子をうらみて、すなわちその伊豆志河かわの河島の一節竹ひとよだけ(一二)を取りて、荒籠あらこ(一三)を作り、その河の石を取り、塩にあえて(一四)、その竹の葉につつみ、詛言とこいわしめしく(一五)「この竹葉たかばあおむがごと、この竹葉のしなゆるがごと、あおしなえよ。またこの塩のるがごと、よ。またこの石のしずむがごと、沈みせ」とかくとこいて、へついの上に置かしめき。ここをもちてその兄、八年の間にかわしなえ病みれき。かれその兄わずらえ泣きて、その御祖みおやいしかば、すなわちその詛戸とこいど(一六)を返さしめき。ここにその身、もとのごとくに安平やすらぎき。〈こは神うれずくといういのもとなり。

  •  (一)出石の神がかよって生んだ女子。
  •  (二)イヅシは地名、前項参照。
  •  (三)シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」『万葉集』)。秋の美を名とした男。春山の霞壮夫かすみおとと対立する。
  •  (四)上下の衣服をぬいでゆずり。
  •  (五)身長と同じ高さのびんに酒をかもして。
  •  (六)け事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(かけづく)などのヅクで、それにく意。占いごとで、るからぬかをけたのである。
  •  (七)藤のツル。
  •  (八)くつの中にはくもの。クツシタ。
  •  (九)藤の花が男子に化して婚姻した形になり、神婚説話になる。
  • (一〇)われわれの世界では、よく神の行為に習うべきである。
  • (一一)現実の人間にならってか、負けたのにかけの物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。
  • (一二)一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
  • (一三)多くの目のあるあらいかご
  • (一四)海水の満干を現わすために塩にまぜる。
  • (一五)その子をしてのろごとをさせて。
  • (一六)呪咀じゅその置物。

   〔系譜(一)


 またこの品陀ほむだ天皇すめらみことの御子、若野毛二俣わかふたまたの王、その母の弟(二)百師木伊呂弁もも、またの名は弟日売真若おとわか比売の命にいて生みませる子、大郎子おおいらつこ、またの名は意富富杼の王(三)、つぎに忍坂おさか大中津おおなかつ比売の命、つぎに田井の中比売、つぎに田宮たみやの中比売、つぎに藤原の琴節ことふし郎女いらつめ、つぎに取売とりめの王、つぎに沙祢の王〈七柱〉。かれ意富富杼の王は三国の君、波多の君、息長の君、筑紫の米多の君、長坂の君、酒人の君、山道の君、布勢の君らが祖なり。また根鳥の王(四)庶妹ままいも三腹はら郎女いらつめいて生みませる子、中日子なかひこの王、つぎに伊和島いわじまの王〈二柱〉。また堅石かたしわの王(五)の子は、久奴の王なり。
 およそこの品陀の天皇、御年一百ももじまり三十歳みそじ甲午きのえうまの年九月九日にかむあがりたまいき。御陵は、川内かわち恵賀裳伏ふしの岡(六)にあり。

  •  (一)この系譜は、もとはじめの系譜に続いていたのを、中間に物語が挿入されたので、中断されたのであろう。
  •  (二)母の妹。
  •  (三)継体天皇は、この王の子孫である。
  •  (四)応神天皇の皇子。
  •  (五)前に出ない。系統不明。
  •  (六)大阪府南河内郡。

古事記 中つ巻



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
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校註『古事記』(七)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
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[#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔七、應神天皇〕[#「〔七、應神天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
 品陀和氣《ほむだわけ》の命(一)、輕島の明《あきら》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、品陀の眞若《まわか》の王(三)が女、三柱の女王《ひめみこ》に娶ひたまひき。一柱の御名は、高木の入日賣の命、次に中日賣の命、次に弟日賣の命。この女王たちの父、品陀の眞若の王は、五百木の入日子の命の、尾張の連の祖、建伊那陀の宿禰が女、志理都紀斗賣に娶ひて、生める子なり。
 かれ高木の入日賣の御子、額田《ぬかだ》の大中《おほなか》つ日子《ひこ》の命、次に大山守《おほやまもり》の命、次に伊奢《いざ》の眞若の命、次に妹《いも》大原の郎女《いらつめ》、次に高目《たかもく》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。中日賣の命の御子、木《き》の荒田の郎女、次に大雀《おほさざき》の命(四)、次に根鳥《ねとり》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。弟日賣の命の御子、阿部の郎女、次に阿貝知《あはぢ》の三腹《みはら》の郎女、次に木の菟野《うの》の郎女、次に三野《みの》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》、次に妹|八田《やた》の若郎女、次に女鳥《めどり》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその矢河枝比賣が弟、袁那辨《をなべ》の郎女に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の若《わき》郎女一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また咋俣長日子《くひまたながひこ》の王が女、息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣に娶ひて、生みませる御子、若沼毛二俣《わかぬけふたまた》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また櫻井《さくらゐ》の田部《たべ》の連《むらじ》の祖、島垂根《しまたりね》が女、糸井《いとゐ》比賣に娶ひて、生みませる御子、速總別《はやぶさわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また日向《ひむか》の泉《いづみ》の長《なが》比賣に娶ひて、生みませる御子、大|羽江《はえ》の王《みこ》、次に小羽江《をはえ》の王、次に檣日《はたび》の若《わか》郎女三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また迦具漏《かぐろ》比賣に娶ひて生みませる御子、川原田《かはらだ》の郎女、次に玉の郎女、次に忍坂《おしさか》の大中《おほなか》つ比賣、次に登富志《とほし》の郎女、次に迦多遲《かたぢ》の王五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また葛城《かづらき》の野の伊呂賣《いろめ》に娶ひて、生みませる御子、伊奢《いざ》の麻和迦《まわか》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて二十六王《はたちまりむはしら》[#割り注]男王十一、女王十五。[#割り注終わり]この中に大雀の命は、天の下治らしめしき。

(一) 應神天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 景行天皇の皇子。
(四) 仁徳天皇。

[#5字下げ]〔大山守の命と大雀の命〕[#「〔大山守の命と大雀の命〕」は小見出し]
 ここに天皇、大山守の命と大雀の命とに問ひて詔りたまはく、「汝等《みましたち》は、兄なる子と弟なる子と、いづれか愛《は》しき」と問はしたまひき。[#割り注]天皇のこの問を發したまへる故は、宇遲の和紀郎子に天の下治らしめむ御心ましければなり。[#割り注終わり]ここに大山守の命白さく、「兄なる子を愛《は》しとおもふ」と白したまひき。次に大雀の命は、天皇の問はしたまふ大御心を知らして、白さく、「兄なる子は、既に人となりて、こは悒《いぶせ》きこと無きを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「雀《さざき》、吾君《あぎ》の言《こと》ぞ、我が思ほすが如くなる」とのりたまひき。すなはち詔り別けたまひしくは、「大山守の命は、山海《うみやま》の政をまをしたまへ(一)。大雀の命は、食國《おすくに》の政執りもちて白したまへ(二)。宇遲《うぢ》の和紀《わき》郎子は、天つ日繼知らせ(三)」と詔り別けたまひき。かれ大雀の命は、大君の命《みこと》に違《たが》ひまつらざりき。

(一) 海山に關する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林の事を支配する部族が、そのおこりを語るのである。
(二) 天下の政治をおこないたまえ。
(三) 天皇の位につきたまえ。

[#5字下げ]〔葛野《かづの》の歌〕[#「〔葛野の歌〕」は小見出し]
 或る時天皇、近つ淡海《あふみ》の國(一)に越え幸でましし時、宇遲野《うぢの》(二)の上に御立《みたち》して、葛野《かづの》(三)を望《みさ》けまして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
千葉の(四) 葛野《かづの》を見れば、
百千足《ももちだ》る 家庭《やには》も見ゆ(五)。
國の秀《ほ》も(六)見ゆ。  (歌謠番號四二)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひたまひき。

(一) 滋賀縣。
(二) 京都府宇治郡。
(三) 京都市。今の桂川の平野。
(四) 枕詞。葉の多い意で、葛に冠する。
(五) 澤山充實している村邑も見える。ヤニハは、家屋のある平地。
(六) 國土のすぐれている所も見える。クニノホは、「國のまほろば」の接頭語接尾語の無い形。

[#5字下げ]〔蟹の歌〕[#「〔蟹の歌〕」は小見出し]
 かれ木幡《こはた》の村(一)に到ります時に、その道衢《ちまた》に、顏|美《よ》き孃子遇へり。ここに天皇、その孃子に問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく、「丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》(二)が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣」とまをしき。天皇すなはちその孃子に詔りたまはく、「吾|明日《あすのひ》還りまさむ時、汝《いまし》の家に入りまさむ」と詔りたまひき。かれ矢河枝比賣、委曲《つぶさ》にその父に語りき。ここに父答へて曰はく、「こは大君にますなり。恐《かしこ》し、我《あ》が子仕へまつれ」といひて、その家を嚴飾《かざ》りて、候《さもら》ひ待ちしかば、明日《あすのひ》入りましき。かれ大|御饗《みあへ》獻《たてまつ》る時に、その女|矢河枝《やかはえ》比賣の命に大御酒盞を取らしめて獻る。ここに天皇、その大御酒盞を取らしつつ、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
この蟹《かに》や(三) 何處《いづく》の蟹。
百傳ふ(四) 角鹿《つぬが》の蟹。
横《よこ》さらふ(五) 何處に到る。
伊知遲《いちぢ》島 美《み》島(六)に著《と》き、
鳰鳥《みほどり》の(七) 潛《かづ》き息衝き、
しなだゆふ(八) 佐佐那美道《ささなみぢ》を
すくすくと 吾《わ》が行《い》ませばや、
木幡《こはた》の道に 遇はしし孃子《をとめ》、
後方《うしろで》は 小楯《をだて》ろかも(九)。
齒並《はなみ》は 椎菱《しひひし》なす(一〇)。
櫟井《いちゐ》の(一一) 丸邇坂《わにさ》の土《に》を、
初土《はつに》は(一二) 膚赤らけみ
底土《しはに》は に黒き故、
三栗《みつぐり》の(一三) その中つ土《に》を
頭著《かぶつ》く(一四) 眞火には當てず
眉畫《まよが》き 濃《こ》に書き垂れ
遇はしし女《をみな》。
かもがと(一五) 吾《わ》が見し兒ら
かくもがと 吾《あ》が見し兒に
うたたけだに(一六) 向ひ居《を》るかも
い副《そ》ひ居るかも。  (歌謠番號四三)
[#ここで字下げ終わり]
 かくて御合《みあひ》まして、生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》なり。

(一) 京都府乙訓郡。
(二) 丸邇氏は、奈良の春日に居住して富み榮え、しばしばその女を皇室に納れている。古事記の歌物語の多くが、この氏と關係がある。後に春日氏となつた。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義君にその研究がある。
(三) ヤは提示の助詞。蟹は鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮裝して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において、歌うのでこれもその一つをもととしている。
(四) 枕詞。多くの土地を傳い行く意という。
(五) 横あるきをして。
(六) いずれも所在不明。
(七) 枕詞。ニホドリノに同じ。
(八) 枕詞。段になつて撓んでいる意という。
(九) うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
(一〇) 椎のみや菱のようだ。諸説がある。
(一一) イチヒの木の立つ井のある。
(一二) 上の方の土。
(一三) 枕詞。
(一四) 頭にあたる。
(一五) かようにありたいと。現に今あるようにと。次のかくもがとも同じ。
(一六) 語義不明。ウタタ(轉)を含むとすれば、その副詞形で、轉じて、今は變わつての意になる。

[#5字下げ]〔髮長比賣〕[#「〔髮長比賣〕」は小見出し]
 天皇、日向の國の諸縣《もらがた》の君が女、名は髮長《かみなが》比賣それ顏容麗美《かほよ》しと聞こしめして、使はむとして、喚《め》し上げたまふ時に、その太子《ひつぎのみこ》大雀の命、その孃子《をとめ》の難波津に泊《は》てたるを見て、その姿容《かたち》の端正《うつくしき》に感《め》でたまひて、すなはち建内《たけしうち》の宿禰《すくね》の大臣に誂《あとら》へてのりたまはく、「この日向より喚《め》し上げたまへる髮長《かみなが》比賣は、天皇の大|御所《みもと》に請ひ白して、吾《あれ》に賜はしめよ」とのりたまひき。ここに建内の宿禰の大臣、大命《おほみこと》を請ひしかば、天皇すなはち髮長《かみなが》比賣をその御子に賜ひき。賜ふ状は、天皇の豐《とよ》の明《あかり》聞こしめしける日(一)に、髮長比賣に大御酒の柏《かしは》を取(二)らしめて、その太子に賜ひき。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
いざ子ども(三) 野蒜《のびる》摘みに、
蒜《ひる》摘みに わが行く道の
香ぐはし 花橘《はなたちばな》は、
上枝《ほつえ》は 鳥居|枯《が》らし、
下枝《しづえ》は 人取り枯《が》らし、
三栗の 中つ枝の
ほつもり(四) 赤ら孃子を、
いざささば(五) 好《よ》らしな。  (歌謠番號四四)
[#ここで字下げ終わり]
 また、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
水|渟《たま》る(六) 依網《よさみ》の池(七)の
堰杙《ゐぐひ》打ち(八)が 刺しける知らに(九)、
※[#「くさかんむり/溥のつくり」、132-本文-8]《ぬなは》繰《く》り 延《は》へけく(一〇)知らに、
吾が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき。  (歌謠番號四五)
[#ここで字下げ終わり]
と、かく歌ひて賜ひき。かれその孃子を賜はりて後に、太子《ひつぎのみこ》の歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
道の後《しり》(一一) 古波陀孃子《こはだをとめ》(一二)を、
雷《かみ》のごと 聞えしかども
相枕《あひまくら》纏《ま》く。  (歌謠番號四六)
[#ここで字下げ終わり]
 また、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
道の後 古波陀孃子は、
爭はず 寢しくをしぞも(一三)、
愛《うるは》しみ思《おも》ふ。  (歌謠番號四七)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひたまひき。

(一) 酒宴をなされた日。
(二) 廣い葉に酒を盛つた。
(三) さあ皆の者。子どもは目下の者をいう。
(四) 語義不明。秀つ守りで、高く守つている意か。目立つてよい意に赤ら孃子を修飾するのだろう。日本書紀にはフホゴモリとある。
(五) さあなされたら。ササは、動詞爲の敬語の未然形だろう。動詞|寢《ぬ》の敬語をナスという類。
(六) 敍述による枕詞。
(七) 大阪市東成區。
(八) その池の水をたたえるヰのクヒをうつてあるのが。
(九) ニは打消の助動詞ヌの連用形。
(一〇) のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上譬喩で、太子の思いがなされていたことをえがく。
(一一) 遠い土地の。
(一二) コハダは日向の國の地名だろう。
(一三) 寢たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。

[#5字下げ]〔國主歌《くずうた》〕[#「〔國主歌〕」は小見出し]
 また、吉野《えしの》の國主《くず》(一)ども、大雀の命の佩《は》かせる御刀を見て、歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
品陀《ほむだ》の 日の御子(二)、
大雀《おほさざき》 大雀。
佩かせる大刀、
本劍《もとつるぎ》 末《すゑ》ふゆ(三)。
冬木の すからが下《した》木の(四) さやさや(五)。  (歌謠番號四八)
[#ここで字下げ終わり]
 また、吉野の白檮《かし》の生《ふ》(六)に横臼《よくす》(七)を作りて、その横臼に大御酒《おほみき》を釀《か》みて、その大御酒を獻る時に、口鼓《くちつづみ》を撃ち(八)、伎《わざ》をなして(九)、歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
白檮《かし》の生《ふ》に 横臼《よくす》を作り、
横臼に 釀《か》みし大御酒、
うまらに 聞こしもちをせ(一〇)。
まろが父《ち》(一一)。  (歌謠番號四九)
[#ここで字下げ終わり]
 この歌は、國主《くず》ども大|贄《にへ》獻る時時、恆に今に至るまで歌ふ歌なり。

(一) 吉野山中の住民。七六頁[#「七六頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に國巣とある。
(二) 應神天皇の皇子樣。
(三) 劒の刃先が威力を現している。
(四) 冬の木の枯れている木の下の。この二句、種々の説がある。
(五) 劒の清明であるのをたたえた語。
(六) 白檮の生えているところ。
(七) たけの低い臼。その臼で材料をついて酒をかもす。
(八) 太鼓のような聲を出して。
(九) 手ぶり物まねなどして。
(一〇) うまそうに召しあがれ。ヲセは、食すの命令形。
(一一) われらが父よ。

[#5字下げ]〔文化の渡來〕[#「〔文化の渡來〕」は小見出し]
 この御世に、海部《あまべ》、山部《やまべ》、山守部《やまもりべ》、伊勢部《いせべ》(一)を定めたまひき。また劒の池(二)を作りき。また新羅人《しらぎひと》まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き率《ゐ》て、堤の池に渡りて(三)、百濟《くだら》の池(四)を作りき。
 また百濟の國主《こにきし》照古《せうこ》王(五)、牡馬《をま》壹疋《ひとつ》、牝馬《めま》壹疋を、阿知吉師《あちきし》(六)に付けて貢《たてまつ》りき。この阿知吉師は阿直《あち》の史等が祖なり。また大刀と大鏡とを貢りき。また百濟の國に仰せたまひて、「もし賢《さか》し人あらば貢れ」とのりたまひき。かれ命を受けて貢れる人、名は和邇吉師《わにきし》、すなはち論語|十卷《とまき》、千字文(七)一卷、并はせて十一卷《とをまりひとまき》を、この人に付けて貢りき。この和爾吉師は文の首等が祖なり。また手人|韓鍛《からかぬち》(八)名は卓素《たくそ》、また呉服《くれはとり》西素《さいそ》(九)二人を貢りき。また秦《はた》の造《みやつこ》の祖、漢《あや》の直《あたへ》の祖、また酒《みき》を釀《か》むことを知れる人、名は仁番《にほ》、またの名は須須許理《すすこり》等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒を釀《か》みて獻りき。ここに天皇、この獻れる大御酒にうらげて(一〇)、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
須須許理が 釀《か》みし御酒に われ醉ひにけり。
事|無酒咲酒《なぐしゑぐし》(一一)に、われ醉ひにけり。  (歌謠番號五〇)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひつつ幸でましし時に、御杖もちて、大坂(一二)の道中なる大石を打ちたまひしかば、その石走り避《さ》りき。かれ諺に堅石《かたしは》も醉人《ゑひびと》を避《さ》るといふなり。

(一) 以上、大山守の命に命じたことをいう。但し物語とは別の資料によつたのだろう。
(二) 奈良縣高市郡。既出。別傳か、修理か。
(三) 不明瞭で諸説がある。
(四) 奈良縣北葛城郡。
(五) 百濟の第十三代の近肖古王。
(六) キシは尊稱。下同じ。日本書紀に阿直支《あちき》。
(七) 廣く行われている周興嗣次韵の千字文はまだ出來ていなかつた。
(八) 工人である朝鮮の鍛冶人。
(九) 大陸風の織物工の西素という人。
(一〇) 浮かれ立つて。
(一一) 事の無い愉快な酒。クシは酒。
(一二) 二上山を越える道。

[#5字下げ]〔大山守の命と宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》〕[#「〔大山守の命と宇遲の和紀郎子〕」は小見出し]
 かれ天皇|崩《かむあが》りましし後に、大雀の命は、天皇の命のまにまに、天の下を宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。ここに大山守の命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むとして、その弟皇子《おとみこ》を殺さむとする心ありて、竊《みそか》に兵《つはもの》を設《ま》けて攻めむとしたまひき。ここに大雀の命、その兄の軍を備へたまふことを聞かして、すなはち使を遣して、宇遲の和紀郎子に告げしめたまひき。かれ聞き驚かして、兵を河の邊《べ》に隱し、またその山の上に、※[#「糸+施のつくり」、第3水準1-90-1]垣《きぬがき》(一)を張り、帷幕《あげばり》(二)を立てて、詐りて、舍人《とねり》を王になして、露《あらは》に呉床《あぐら》にませて、百官《つかさづかさ》、敬《ゐやま》ひかよふ状、既に王子のいまし所の如くして、更にその兄王の河を渡りまさむ時のために、船|※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を具へ飾り、また佐那葛《さなかづら》(三)の根を臼搗《うすづ》き、その汁の滑《なめ》を取りて、その船の中の簀椅《すばし》に塗りて、蹈みて仆るべく設《ま》けて、その王子は、布《たへ》の衣褌《きぬはかま》を服《き》て、既に賤人《やつこ》の形になりて、※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を取りて立ちましき。ここにその兄王、兵士《いくさびと》を隱し伏せ、鎧を衣の中に服《き》せて、河の邊に到りて、船に乘らむとする時に、その嚴飾《かざ》れる處を望《みさ》けて、弟王その呉床《あぐら》にいますと思ほして、ふつに※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を取りて船に立ちませることを知らず、すなはちその※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]執れる者に問ひたまはく、「この山に怒れる大猪ありと傳《つて》に聞けり。吾その猪を取らむと思ふを、もしその猪を獲むや」と問ひたまへば、※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]執れる者答へて曰はく、「得たまはじ」といひき。また問ひたまはく、「何とかも」と問ひたまへば、答へたまはく「時時《よりより》往往《ところどころ》にして、取らむとすれども得ず。ここを以ちて得たまはじと白すなり」といひき。渡りて河中に到りし時に、その船を傾《かたぶ》けしめて、水の中に墮し入れき。ここに浮き出でて、水のまにまに流れ下りき。すなはち流れつつ歌よみしたまひしく(四)、
[#ここから2字下げ]
ちはやぶる(五) 宇治の渡に、
棹取りに 速《はや》けむ人し わが伴《もこ》に來《こ》む(六)。  (歌謠番號五一)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。ここに河の邊に伏し隱れたる兵、彼廂此廂《あなたこなた》、一時《もろとも》に興りて、矢刺して流しき。かれ訶和羅《かわら》の前《さき》(七)に到りて沈み入りたまふ。かれ鉤《かぎ》を以ちて、その沈みし處を探りしかば、その衣の中なる甲《よろひ》に繋《か》かりて、かわらと鳴りき。かれ其所《そこ》に名づけて訶和羅の前といふなり。ここにその骨《かばね》を掛き出だす時に、弟王、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
ちはや人(八) 宇治の渡に、
渡瀬《わたりぜ》に立てる 梓弓《あづさゆみ》檀《まゆみ》(九)。
いきらむと(一〇) 心は思《も》へど、
い取らむと 心は思《も》へど、
本方《もとべ》(一一)は 君を思ひ出《で》、
末方《すゑへ》(一二)は 妹を思ひ出《で》、
いらなけく(一三) そこに思ひ出《で》、
愛《かな》しけく ここに思ひ出《で》、
いきらずぞ來《く》る。梓弓檀。  (歌謠番號五二)
[#ここで字下げ終わり]
 かれその大山守の命の骨は、那良《なら》山に葬《をさ》めき。この大山守の命は土形《ひぢかた》の君、幣岐《へき》の君、榛原《はりはら》の君等が祖なり。
 ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人《あま》大|贄《にへ》を貢りつ。ここに兄は辭《いな》びて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に許多《あまた》の日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、海人《あま》は既に往還《ゆきき》に疲れて泣けり。かれ諺に、「海人《あま》なれや、おのが物から音《ね》泣く(一四)」といふ。然れども宇遲の和紀郎子は早く崩《かむさ》りましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。

(一) 荒い絹の幕。
(二) あげて張つた幕。天幕。
(三) ビナンカズラ。
(四) 流れながら歌つたというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿聟入りの話があり、聟の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。
(五) 枕詞。威力をふるう。ここは宇治川が急流なのでいう。
(六) 自分のなかまに來てくれ。
(七) 所在不明。
(八) 枕詞。つよい人。地名のウヂが、元來威力を意味する語なのであろう。
(九) 梓弓と檀弓。アヅサはアカメガシハ。マユミはヤマニシキギ。共に弓材になる樹。
(一〇) イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
(一一) 弓の下の方。
(一二) 弓の上の方。
(一三) 心のいらいらする形容。
(一四) 海人だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐り易いからだという。

[#5字下げ]〔天《あめ》の日矛《ひぼこ》〕[#「〔天の日矛〕」は小見出し]
 また昔|新羅《しらぎ》の國主《こにきし》の子、名は天《あめ》の日矛《ひぼこ》といふあり(一)。この人まゐ渡り來つ。まゐ渡り來つる故は、新羅の國に一つの沼あり、名を阿具沼《あぐぬま》といふ。この沼の邊に、ある賤の女晝寢したり。ここに日の耀《ひかり》虹《のじ》のごと、その陰上《ほと》に指したるを、またある賤の男、その状を異《あや》しと思ひて、恆にその女人《をみな》の行を伺ひき。かれこの女人、その晝寢したりし時より、姙みて、赤玉を生みぬ(二)。ここにその伺へる賤の男、その玉を乞ひ取りて、恆に裹《つつ》みて腰に著けたり。この人、山谷《たに》の間に田を作りければ、耕人《たひと》どもの飮食《をしもの》を牛に負せて、山谷《たに》の中に入るに、その國主《こにきし》の子|天《あめ》の日矛《ひぼこ》に遇ひき。ここにその人に問ひて曰はく、「何《な》ぞ汝《いまし》飮食を牛に負せて山谷《たに》の中に入る。汝《いまし》かならずこの牛を殺して食ふならむ」といひて、すなはちその人を捕へて、獄内《ひとや》に入れむとしければ、その人答へて曰はく、「吾、牛を殺さむとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」といふ。然れどもなほ赦さざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その國主《こにきし》の子に幣《まひ》しつ。かれその賤の夫を赦して、その玉を持ち來て、床の邊《べ》に置きしかば、すなはち顏美き孃子になりぬ。仍《よ》りて婚《まぐはひ》して嫡妻《むかひめ》とす。ここにその孃子、常に種種の珍《ため》つ味《もの》を設けて、恆にその夫《ひこぢ》に食はしめき。かれその國主《こにきし》の子心奢りて、妻《め》を詈《の》りしかば、その女人の言はく、「およそ吾は、汝《いまし》の妻《め》になるべき女にあらず。吾が祖《みおや》の國に行かむ」といひて、すなはち竊《しの》びて小《を》船に乘りて、逃れ渡り來て、難波に留まりぬ。[#割り注]こは難波の比賣碁曾の社(三)にます阿加流比賣といふ神なり。[#割り注終わり]
 ここに天の日矛、その妻《め》の遁れしことを聞きて、すなはち追ひ渡り來て、難波に到らむとする間《ほど》に、その渡の神|塞《さ》へて入れざりき。かれ更に還りて、多遲摩《たぢま》の國(四)に泊《は》てつ。すなはちその國に留まりて、多遲摩の俣尾《またを》が女、名は前津見《まへつみ》に娶《あ》ひて生める子、多遲摩|母呂須玖《もろすく》。これが子多遲摩|斐泥《ひね》。これが子多遲摩|比那良岐《ひならき》。これが子多遲摩|毛理《もり》(五)、次に多遲摩|比多訶《ひたか》、次に清日子《きよひこ》三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この清日子、當摩《たぎま》の※[#「口+羊」、第3水準1-15-1]斐《めひ》に娶ひて生める子、酢鹿《すが》の諸男《もろを》、次に妹|菅竈由良度美《すがかまゆらどみ》、かれ上にいへる多遲摩比多訶、その姪由良度美に娶ひて生める子、葛城《かづらき》の高額《たかぬか》比賣の命。[#割り注]こは息長帶比賣(六)の命の御祖なり。[#割り注終わり]
 かれその天の日矛の持ち渡り來つる物は、玉《たま》つ寶《たから》といひて、珠二|貫《つら》(七)、また浪《なみ》振《ふ》る比禮《ひれ》、浪《なみ》切《き》る比禮、風振る比禮、風切る比禮(八)、また奧《おき》つ鏡、邊《へ》つ鏡(九)、并はせて八種なり。[#割り注]こは伊豆志の八前の大神(一〇)なり。[#割り注終わり]

(一) 日本書紀に垂仁天皇の卷に見え、播磨國風土記に、葦原シコヲの命との交渉を記している。
(二) 卵生説話の一。その玉が孃子に化したとする。この點からいえば神婚説話であつて、外來の形を傳えていると見られるのが注意される。
(三) 大阪市東成區。
(四) 兵庫縣の北部。
(五) 垂仁天皇の御代に常世の國に行つて橘を持つて來た人。一〇四頁[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「時じくの香の木の實」]參照。
(六) 神功皇后。
(七) 珠を緒に貫いたもの二つ。
(八) 以上四種のヒレは、風や波を起しまたしずめる力のあるもの。浪振るは浪を起す。浪切るは浪をしずめる。風も同樣。ヒレについては四二頁[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]脚註參照。
(九) 二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海邊。
(一〇) 兵庫縣出石郡の出石神社。

[#5字下げ]〔秋山の下氷壯夫《したびをとこ》と春山の霞壯夫〕[#「〔秋山の下氷壯夫と春山の霞壯夫〕」は小見出し]
 かれここに神の女(一)、名は伊豆志袁登賣《いづしをとめ》の神(二)います。かれ八十神、この伊豆志袁登賣を得むとすれども、みなえ婚《よば》はず。ここに二柱の神あり。兄の名を秋山の下氷壯夫《したびをとこ》(三)、弟の名は春山の霞壯夫《かすみをとこ》なり。かれその兄、その弟に謂ひて、「吾、伊豆志袁登賣を乞へども、え婚はず。汝《いまし》この孃子を得むや」といひしかば答へて曰はく、「易く得む」といひき。ここにその兄の曰はく、「もし汝、この孃子を得ることあらば、上下の衣服《きもの》を避《さ》(四)り、身の高《たけ》を量りて甕《みか》に酒を釀《か》み(五)、また山河の物を悉に備へ設けて、うれづく(六)をせむ」といふ。ここにその弟、兄のいへる如、つぶさにその母に白ししかば、すなはちその母、ふぢ葛《かづら》(七)を取りて、一夜の間《ほど》に、衣《きぬ》、褌《はかま》、また襪《したぐつ》(八)、沓《くつ》を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣褌等を服しめ、その弓矢を取らしめて、その孃子の家に遣りしかば、その衣服も弓矢も悉に藤の花になりき。ここにその春山の霞壯夫、その弓矢を孃子の厠に繋けたるを、ここに伊豆志袁登賣、その花を異《あや》しと思ひて、持ち來る時に、その孃子の後に立ちて、その屋に入りて、すなはち婚《まぐはひ》しつ(九)。かれ一人の子を生みき。
 ここにその兄に白して曰はく、「吾《あ》は伊豆志袁登賣を得つ」といふ。ここにその兄、弟の婚ひつることを慨《うれた》みて、そのうれづくの物を償はざりき。ここにその母に愁へ白す時に、御祖の答へて曰はく、「我が御世の事、能くこそ神習はめ(一〇)。またうつしき青人草習へや、その物償はぬ(一一)」といひて、その兄なる子を恨みて、すなはちその伊豆志河《いづしかは》の河島の一|節竹《よだけ》(一二)を取りて、八《や》つ目《め》の荒籠《あらこ》(一三)を作り、その河の石を取り、鹽に合へて(一四)、その竹の葉に裹み、詛言《とこひい》はしめしく(一五)、「この竹葉《たかば》の青むがごと、この竹葉の萎《しな》ゆるがごと、青み萎えよ。またこの鹽の盈《み》ち乾《ふ》るがごと、盈ち乾《ひ》よ。またこの石の沈むがごと、沈み臥せ」とかく詛《とこ》ひて、竈《へつひ》の上に置かしめき。ここを以ちてその兄八年の間に干《かわ》き萎え病み枯れき。かれその兄患へ泣きて、その御祖に請ひしかば、すなはちその詛戸《とこひど》(一六)を返さしめき。ここにその身本の如くに安平《やすら》ぎき。[#割り注]こは神うれづくといふ言の本なり。[#割り注終わり]

(一) 出石の神が通つて生んだ女子。
(二) イヅシは地名、前項參照。
(三) シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」(萬葉集)。秋の美を名とした男。春山の霞壯夫と對立する。
(四) 上下の衣服をぬいで讓り。
(五) 身長と同じ高さの瓶に酒をかもして。
(六) 賭事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(賭づく)などのヅクで、それに就く意。占いごとで、成るか成らぬかを賭けたのである。
(七) 藤の蔓。
(八) 沓の中にはくもの。クツシタ。
(九) 藤の花が男子に化して婚姻した形になり神婚説話になる。
(一〇) われわれの世界では、よく神の行爲に習うべきである。
(一一) 現實の人間にならつてか、負けたのに賭の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。
(一二) 一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
(一三) 多くの目のあるあらい籠。
(一四) 海水の滿干を現すために鹽にまぜる。
(一五) その子をして呪い言をさせて。
(一六) 呪咀の置物。

[#5字下げ]〔系譜(一)〕[#「〔系譜(一)〕」は小見出し]
 またこの品陀《ほむだ》の天皇の御子、若野毛二俣《わかのけふたまた》の王、その母の弟(二)、百師木伊呂辨《ももしきいろべ》、またの名は弟日賣眞若《おとひめまわか》比賣の命に娶ひて生みませる子、大郎子《おほいらつこ》、またの名は意富富杼《おほほど》の王(三)、次に忍坂《おさか》の大中津《おほなかつ》比賣の命、次に田井《たゐ》の中比賣、次に田宮《たみや》の中比賣、次に藤原の琴節《ことふし》の郎女《いらつめ》、次に取賣《とりめ》の王、次に沙禰《さね》の王七柱[#「七柱」は1段階小さな文字]。かれ意富富杼の王は三國の君、波多の君、息長の君、筑紫の米多の君、長坂の君、酒人の君、山道の君、布勢の君等が祖なり。また根鳥の王(四)、庶妹《ままいも》三腹《みはら》の郎女に娶ひて生みませる子、中日子《なかひこ》の王、次に伊和島《いわじま》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また堅石《かたしは》の王(五)の子は、久奴《くぬ》の王なり。
 およそこの品陀の天皇。[#句点は底本のまま]御年|一百三十歳《ももぢまりみそぢ》。甲午の年九月九日に崩りたまひき。御陵は、川内《かふち》の惠賀《ゑが》の裳伏《もふし》の岡(六)にあり。

(一) この系譜は、もとはじめの系譜に續いていたのを、中間に物語が插入されたので、中斷されたのであろう。
(二) 母の妹。
(三) 繼體天皇は、この王の子孫である。
(四) 應神天皇の皇子。
(五) 前に出ない。系統不明。
(六) 大阪府南河内郡。

古事記 中つ卷
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底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • [奈良県]
  • 高市郡 たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 軽島の明の宮 かるのしまの あきらのみや → 軽島豊明宮
  • 軽島豊明宮 かるのしまの とよあきらのみや 軽島明宮とも。応神天皇の皇居。記には品陀和気命(応神天皇)が軽島明宮で天下を治めたとあり、また、紀の応神41年条に天皇が明宮で崩じたことが見えるが詳細は不明。所在地は現在の奈良県橿原市大軽町にある春日神社付近と推定される(日本史)。
  • 剣の池 つるぎのいけ 剣池。大和国高市郡にあった古代の池。記によれば孝元天皇陵はこの池の中の岡の上にあって剣池島上陵とよばれ、橿原市石川町に比定。(日本史)
  • [奈良市]
  • 春日 かすが (枕詞の「春日(はるひ)を」が「かすが」の地にかかることからの当て字) (1) 奈良市春日野町春日神社一帯の称。(2) 奈良市およびその付近の称。
  • 堤の池
  • 北葛城郡 きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 百済の池 くだらのいけ
  • 那良山 ならやま → 奈良山か
  • 奈良山 ならやま 奈良県添上郡佐保および生駒郡都跡村の北の丘陵。現在は奈良市に編入。平城山。(歌枕)
  • 二上山 ふたかみやま 奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰から成る。万葉集にも歌われ、大津皇子墓と伝えるものや葛城二上神社がある。にじょうさん。
  • 丸邇坂 わにさか 丸邇村。現、天理市和爾町。上(かみ)街道の楢(なら)村東方丘陵に位置する。紀の神武天皇即位前紀に「和珥坂下(わにさかもと)」、同崇神天皇10年9月条に「和珥坂上」「和珥武〓(わにたけすきの)坂上(さかのへ)」(記の崇神・応神天皇段には丸邇坂(わにさか)、丸邇佐(わにさ))、同推古天皇21年11月条に「和珥池」(記の仁徳天皇段には丸邇池)の地名がみえ、記紀は丸邇・和珥と区別表記する。
  • 吉野 えしの/よしの 奈良県南部の地名。吉野川流域の総称。大和国の一郡で、平安初期から修験道の根拠地。古来、桜の名所で南朝の史跡が多い。
  • 吉野山 よしのやま 奈良県中部、大峰山脈の北側の一支脈の称。南朝の所在地で史跡に富み、古来桜の名所、修験道の根本道場の地。
  • 近つ淡海 ちかつおうみ 近江。浜名湖を「遠つ淡海」というのに対して、琵琶湖の称。また、近江の古称。
  • [滋賀県]
  • [京都府]
  • 宇治郡 うじぐん 山城国・京都府に存在した郡。郡域は現在の京都市南東部と宇治市東部に相当する。京都市の南東部では、伏見区と山科区の一部が含まれる。
  • 宇遅野 うじの → 宇治野
  • 宇治野 うじの 村名。現、中央区。六甲山地南麓段丘上に立地する。
  • 葛野 かづの → 葛野郡か 京都市。今の桂川の平野。
  • 葛野郡 かどのぐん 『和名抄』は高山寺本に「カトノ」、刊本郡部に「加止乃」と訓ず。橋頭・大岡・山田・川辺・葛野・川嶋・上林・櫟原・高田・下林・綿代・田邑の12郷よりなり(和名抄)、およそ京都盆地の西北部分にあたる。全域現京都市域。本郡を早く開拓したのは渡来系氏族秦氏。葛野の地に堰堤を造ったことが知られ、これによって郡域を農耕可能地とした。
  • 桂川 かつらがわ 京都市南西部を流れる川。大堰川の下流。鴨川を合わせ、宇治川に合流して淀川となる。かつては鮎の産で有名。
  • 木幡 こはた 京都府宇治市の北部にある地名。古くは京都市伏見区深草あたりまでを含み、奈良街道の道筋にあたった。製茶問屋が多い。木旗。強田。
  • 乙訓郡 おとくにぐん 山城国西部の郡。現在の京都府乙訓郡・京都市・向日市・長岡京市にあたる。継体12年から同20年まで弟国宮が営まれた。桓武天皇は784(延暦3)から794年まで当郡長岡村に長岡京を営んだ。現在、大山崎町の一町。(日本史)
  • 宇治の渡り うじのわたり 現、宇治市。古北陸道(のちの奈良街道)が宇治川を越す辺りの渡河点。記紀に大山守命の歌や、菟道稚郎子の長歌があり、古くから重要な渡りであった。
  • 宇治 うじ 京都府南部の市。宇治川の谷口に位置し、茶の名産地。平安時代、貴人の別荘地・遊楽地。平等院・黄檗宗本山万福寺がある。人口19万。(歌枕)
  • 宇治川 うじがわ 京都府宇治市域を流れる川。琵琶湖に発し、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。網代で氷魚・鮎を捕った「宇治の網代」や宇治川の合戦で名高い。
  • 訶和羅の前 かわらのさき
  • 和訶羅河 わからがわ 木津川。淀川の支流。川名は流域によって伊賀川・笠置川・鴨川ともよばれる。古文献には輪韓川・山背川・泉河などと記されてきた。
  • [福井県]
  • 角鹿 つぬが → 敦賀
  • 敦賀 つるが 福井県の南部、敦賀湾に面する港湾都市。古代から日本海側における大陸交通の要地。奈良時代には角鹿と称。原子力発電所が立地。人口6万8千。/郡域は現、敦賀市・南条郡・武生市南西部・丹生郡西南部にわたっていた。『和名抄』東急本郡部は「都留我」と訓ずる。古くは角鹿と記し、「つぬが」と訓じた。紀の垂仁天皇2年の条の注に、崇神天皇のとき「意富加羅国」の王子「都怒我阿羅斯等」が笥飯(けひ)浦に来着したが、額に角があったのでこの地を角鹿と称したと記す。
  • 伊知遅島 いちじのしま 「伊知地(いじち)」? 伊知地は現、勝山市。
  • 美島 みしま
  • [大坂]
  • 難波津 なにわづ (1) 難波江の要津。古代には、今の大阪城付近まで海が入りこんでいたので、各所に船瀬を造り、瀬戸内海へ出る港としていた。(2) 古今集仮名序に手習の初めに学ぶとある歌。すなわち「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」をいう。王仁の作という伝説があり、奈良時代にすでに手習に用いられていた。
  • 大阪市 おおさかし 大阪湾の北東岸、淀川の河口付近にある市。府庁所在地。近畿地方の中心都市。政令指定都市の一つ。阪神工業地帯の中核。古称、難波。室町時代には小坂・大坂といい、明治初期以降「大阪」に統一。仁徳天皇の高津宮が置かれて以来、幾多の変遷を経、明応(1492〜1501)年間、蓮如が生玉の荘に石山御坊を置いてから町が発達、天正(1573〜1592)年間、豊臣秀吉の築城以来、商業都市となった。運河が多く、「水の都」の称もある。人口262万9千。
  • 東成区 ひがしなりく 大阪市の東部にあり、東を東大阪市と接する。北は城東区、南は生野区、西は天王寺区、東区。
  • 依網の池 よさみのいけ → 依網
  • 依網 よさみ 摂津国住吉郡と河内国丹比郡の境界付近の古代地名。依網池は現、大阪市住吉区苅田・我孫子町から堺市常磐町にかけて復元。(日本史)
  • 難波の比売碁曽の社 → 比売碁曽の社 (2)
  • 比売碁曽の社 (1) 比売語曽社 ひめこそしゃ 現、大分県東国東郡姫島村。両瀬の明神様とよばれる。姫古曽神社(豊後国古蹟名寄)、比売許曽神社(豊後志)などとも記された。祭神は比売語曽神。(2) 比売許曽神社 ひめこそ じんじゃ 現、大阪府東成区東小橋三丁目。東小橋の字大小橋にあり、下照比売命を主神とし、速素戔嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀。旧村社。『延喜式』神名帳、東成郡の「比売許曽(ヒメコソノ)神社」に比定されている。当時、下照比売社ともよんだとみえる。
  • 南河内郡 みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
  • 恵賀 えが 現、羽曳野市恵我之荘か。
  • 恵賀の裳伏の岡 えがの もふしの おか 現、羽曳野市誉田。誉田御廟山古墳。応神天皇陵に比定されている。
  • [兵庫県]
  • [但馬] たじま 旧国名。今の兵庫県の北部。但州。
  • 多遅摩の国 たじまのくに → 但馬
  • 出石郡 いづしぐん 但馬地方の郡で、県の北部東寄りに位置する。近代以降の分離・編入で郡北西部の安美(あなみ)地区が豊岡市に編入されたが、令制以来の出石郡は但馬国の東端を占め、南西は養父郡、西は気多郡・城崎郡、北は丹後国熊野郡、東は同国丹波郡(のちに中郡)・与謝郡、南東から南は丹波国天田郡に接していた。丹後山地を水源として郡域を貫流する出石川は、円山川の右岸に注ぐ。出石川の流域に出石盆地が形成されるものの平地は少なく、標高400〜800メートル級の山々に囲まれる郡域の多くが山間地である。
  • 出石神社 いずし じんじゃ 兵庫県豊岡市出石町宮内にある元国幣中社。祭神は天日槍命。同命が将来したという8種の神宝を神体とする。但馬国一の宮。
  • 伊豆志河 いづしかわ → 出石川
  • 出石川 いずしがわ 円山川水系の支流で兵庫県豊岡市を流れる一級河川。兵庫県豊岡市但東町小坂に源を発して北西に流れる。豊岡市街地付近にて円山川に合流する。
  • [新羅] しらぎ (古くはシラキ)古代朝鮮の国名。三国の一つ。前57年頃、慶州の地に赫居世が建てた斯盧国に始まり、4世紀、辰韓諸部を統一して新羅と号した。6世紀以降伽�(加羅)諸国を滅ぼし、また唐と結んで百済・高句麗を征服、668年朝鮮全土を統一。さらに唐の勢力を半島より駆逐。935年、56代で高麗の王建に滅ぼされた。中国から取り入れた儒教・仏教・律令制などを独自に発展させ、日本への文化的・社会的影響大。しんら。(356〜935)
  • 阿具沼 あぐぬま


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 品陀和気の命 ほむだわけのみこと → 応神天皇
  • 応神天皇 おうじん てんのう 記紀に記された天皇。5世紀前後に比定。名は誉田別。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされるが、天皇の誕生については伝説的な色彩が濃い。倭の五王のうち「讃」にあてる説がある。異称、胎中天皇。
  • 品陀の真若の王 ほむだのまわかのみこ 父は景行天皇の皇子五百木の入日子命。母は尾張連の祖の建伊那陀の宿祢の女志理都紀斗売。『旧事紀』では母を尾綱真若刀婢命、紀を母の妹の金田屋野姫命とする。応神天皇妃の高木の入日売命、中日売命、弟日売命の父。(神名)
  • 高木の入日売の命 たかぎのいりひめのみこと 高城入姫(紀)。品陀の真若王の女。姉妹の中日売命、弟日売命と共に応神天皇の妃となり、額田の大中つ日子命、大山守命、伊奢の真若命、大原郎女、高目郎女の五人を生んだ。(神名)
  • 中日売の命 なかつひめのみこと 仲姫(紀)。品陀の真若王の女。姉妹の高木の入日売命、弟日売命と共に応神天皇の妃となり、木の荒田の郎女、大雀命(仁徳天皇)、根鳥命を生んだ。紀によれば、姉妹のうち仲姫が皇后となっている。(神名)
  • 弟日売の命 おとひめのみこと (3) 応神天皇の妃。品陀の真若王の女。姉二人と共に召され、王子を生んだ。(神名)
  • 五百木の入日子の命 いおきのいりひこのみこと 五百城入彦皇子(紀)。景行天皇の皇子。母は八尺入日子命の女八坂之入日売命。若帯日子命(成務天皇)、倭建御子と共に太子であった。(神名)
  • 尾張の連 → 尾張氏
  • 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。(日本史)
  • 建伊那陀の宿祢 たけいなだのすくね 建稲種命。健伊那陀宿祢。邇芸速日命12世の孫で乎止興命の子。尾張連らの祖。景行・成務二朝に仕え、倭建御子の東征を迎えて皇軍を犒労した。命の妃宮酢姫は妹。女の志理都紀斗売は五百木の入日子命に嫁し、応神天皇の后妃の祖となる。(旧事紀・寛平縁起)(神名)
  • 志理都紀斗売 しりつきとめ 建伊那陀の宿祢の娘。五百木の入日子の命との間に品陀の真若の王を生む。(神名)
  • 額田の大中つ日子の命 ぬかだのおおなかつひこのみこと 応神天皇の皇子。母は高木入日売。仁徳紀に倭の屯田と屯倉の管掌を求めたが拒否されたこと、また狩りの途中にみつけた氷室の氷を天皇に献じたことを載せる。(神名)
  • 大山守の命 おおやまもりのみこと 大山守皇子(紀)か。/応神天皇の皇子。皇位を望んで太子の宇遅の若郎子に対して反乱を起こす。しかし、大雀の命によって討たれ、宇治川で殺された。(神名)
  • 伊奢の真若の命 いざのまわかのみこと 「王(みこ)」。応神天皇の皇子。母は葛城の野の伊呂売。(神名)
  • 大原の郎女 おおはらのいらつめ 大原皇女(紀)。応神天皇の皇女。母は高木入日売命。(神名)
  • 高目の郎女 たかもくのいらつめ/こむくのいらつめ 応神天皇の子。母は高木入日売命。(神名)
  • 木の荒田の郎女 きのあらたのいらつめ 荒田皇女(紀)。応神天皇の子。母は中日売命。(神名)
  • 大雀の命 → おおさざきのみこと 仁徳天皇
  • 仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
  • 根鳥の命 ねとりのみこと 根取皇子(紀)。根鳥王とも記す。応神天皇の皇子で、母は中日売命。異母妹の阿具知能三腹郎女を妻とした。(神名)
  • 阿部の郎女 あべのいらつめ
  • 阿貝知の三腹の郎女 あわじのみはらのいらつめ 淡路御原皇女(紀)。応神天皇の皇女。(神名)
  • 木の兎野の郎女 きのうののいらつめ 紀之-(紀)。応神天皇の子。(神名)
  • 三野の郎女 みののいらつめ/みぬのいらつめ 応神天皇の子。(神名)
  • 丸邇の比布礼の意富美 わにのひふれのおおみ 応神天皇妃の宮主矢河枝姫と袁那弁の郎女の父にあたる。察知して天皇の行幸を待ち、大饗を奉った。応神紀では和珥臣の祖、日触使主とする。(神名)
  • 宮主矢河枝比売 みやぬしやかはえひめ 丸邇之比布礼能意富美の女。応神天皇妃。天皇との間に宇遅能和紀郎子、八田若郎女、女鳥王を生む。(神名)
  • 宇遅の和紀郎子 うじのわきいらつこ 菟道稚郎子(紀)。応神天皇の皇太子。仁徳天皇の弟。阿直岐・王仁について学び、博く典籍に通じたが、兄に帝位を譲るため自殺したという。/応神天皇の皇子。京都市宇治神社の祭神。仁徳天皇の異母弟にあたる。(神名)
  • 八田の若郎女 やたのわかいらつめ 宇遅の和紀郎子の妹。/応神天皇の皇女。異母兄である仁徳天皇の妃となった。この婚姻をめぐる后の石之日売(磐之媛)の嫉妬の物語と歌謡が記紀にある。(神名)
  • 女鳥の王 めどりのおおきみ 古代伝説上の人物。応神天皇の女。異母兄仁徳天皇の求婚を断って媒人の速総別王と結婚。雌鳥皇女。/めどりのみこ 応神天皇の子。母は宮主矢河枝姫。仁徳天皇が女鳥の王を妻にしようと速総別王を使いにやるが、女鳥の王は速総別王と結婚してしまう。天皇は軍を向けて、宇陀の蘇邇に逃げた二人を殺した。(神名)
  • 袁那弁の郎女 おなべのいらつめ 応神天皇の妃。丸邇之比布礼能意富美の女。宇遅若郎女を生んだ。(神名)
  • 宇遅の若郎女 うじのわきいらつめ 応神天皇の子。母は袁那弁郎女。仁徳記には宇遅能若郎女とあり、仁徳天皇と娶うが子はないとある。(神名)
  • 咋俣長日子の王 くいまたながひこのみこ 息長田別王の子。母は記されていない。飯野の真黒比売命、息長真若中つ比売、弟比売の父。(神名)
  • 息長真若中つ比売 おきながまわかなかつひめ 咋俣長日子の王が女。/ 応神天皇の妃となり、若沼毛二俣王を生んだ。倭建御子の子長田別王の孫にあたる。紀では若沼毛二俣王の母は弟媛とする。(神名)
  • 若沼毛二俣の王 わかぬけふたまたのみこ 応神天皇の皇子。百師木伊呂弁を妻として七人の子を産んだ。姓氏録には息長氏の祖とされ、後の継体天皇擁立に深く関わる氏族との系譜上の関連が考えられる。(神名)
  • 桜井の田部の連 さくらいのたべのむらじ
  • 田部 たべ 大和時代、屯倉の耕作に従事した農民。
  • 島垂根 しまたりね 系統、事跡不詳。子に安寧帝の妃、糸井姫がいる。桜井田部連の祖。(神名)
  • 糸井比売 いといひめ  糸井媛(紀)。応神天皇妃。桜井田部連の祖の嶋垂根の女。母は速総別命の女。紀では桜井田部連男�Kの妹。(神名)
  • 速総別の命 はやぶさわけのみこと 隼別皇子(紀)。(神名)
  • 日向の泉の長比売 ひむかのいずみのながひめ 日向泉長媛(紀)。応神天皇との間に大羽江王、小羽江王、幡日之若郎女を生む。(神名)
  • 大羽江の王 おおはえのみこ 大葉枝皇子(紀)。応神天皇の皇子。(神名)
  • 小羽江の王 おはえのみこ 小葉枝皇子(紀)。応神天皇の皇子。(神名)
  • 檣日の若郎女 はたびのわかいらつめ 応神天皇の皇女。母は日向泉長比売。事跡不詳。(神名)
  • 迦具漏比売 かぐろひめ 訶具漏比売。ヤマトタケルの命の子孫須売伊呂大中つ彦の王の娘。母は柴野比売。景行天皇に召されて大江王(大枝王)を生んだ。(神名)
  • 川原田の郎女 かわらだのいらつめ 「かわらたの」。応神天皇の子。母は迦具漏比売。(神名)
  • 玉の郎女 たまのいらつめ 応神天皇の子。母は迦具漏比売。紀には母子ともに登場しない。(神名)
  • 忍坂の大中つ比売 おしさかのおおなかつひめ 若沼毛二俣の王の子。母は百師木伊呂弁。允恭天皇が皇子であったときに召されて妃となる。木梨軽皇子・大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)ら九王を生んだ。(神名)
  • 登富志の郎女 とほしのいらつめ 応神天皇の皇女。母は迦具漏比売。(神名)
  • 迦多遅の王 かたじのみこ 応神天皇の子。母は迦具漏比売。(神名)
  • 葛城の野の伊呂売 かずらきのののいろめ 「ぬいろめ」。応神天皇との間に伊奢の麻和迦王を生む。(神名)
  • 伊奢の麻和迦の王 いざのまわかのみこ 応神天皇の皇子。母は葛城の野の伊呂売。(神名)
  • 景行天皇 けいこう てんのう 記紀伝承上の天皇。垂仁天皇の第3皇子。名は大足彦忍代別。熊襲を親征、後に皇子日本武尊を派遣して、東国の蝦夷を平定させたと伝える。
  • 丸邇氏 わにうじ → 和珥氏 
  • 和珥氏 わにうじ 丸邇・和邇・丸とも。古代の有力氏族。姓は臣。始祖は天足彦国押人命という。本拠地は大和国添上郡一帯と推定されるが、欽明朝頃、春日氏と改めたと考えられる。応神・反正・雄略・仁賢・継体・欽明・敏達天皇に9人の后妃を入れ、5〜6世紀にかけて外戚氏族として勢力を誇った。(日本史)
  • 春日氏 かすがし 4世紀に栄えた日本の古代豪族。大和朝廷発足時から大王家に次ぐ地位を占め、4世紀に全盛時代を迎えた。本拠地は現在の奈良市を中心とする地域であるとされる。その後、和珥氏、粟田氏、柿本氏の諸氏が分立する。
  • 柿本氏 かきのもとうじ
  • 角川源義 かどかわ みなよし/げんよし 1917-1975 出版人、国文学者、文学博士。富山県生まれ。大学時代は折口信夫や柳田国男に師事。処女著書『悲劇文学の発生』を刊行、評価を得た。昭和20年、角川書店創業。同25年角川文庫を発刊、文庫合戦に火をつけた。随筆集『雉子の声』他著書多数。(人名)
  • 日向の国の諸県の君 むらがた/もらがたのきみ 日向諸県君牛諸か。仁徳天皇に娶された髪長姫の父。応神紀には長く朝廷に仕え、退仕し本土に帰る際、姫を献上したと伝える。(神名)
  • 髪長比売 かみながひめ 日向国の諸県君の娘。はじめ応神天皇に喚し上げられたが、後に建内宿禰を介して皇太子大雀の命(仁徳天皇)に下賜され、大日下王・長日比売命(または若日下部命)を生む。(神名)
  • 建内の宿祢 たけしうちのすくね → 武内宿祢
  • 武内宿祢 たけうちのすくね 大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
  • 照古王 しょうこおう → 近肖古王
  • 近肖古王 きんしょうこおう ?-375 百済の王(在位346-375)。中国史書は余句、記紀では照古王・肖古王とも。治政の後半は高句麗の南下に苦しんだがよく防ぎ、371年には平壌城を攻撃、高句麗の故国原(ここくげん)王を戦死させ、同年、漢城(ソウル付近)に遷都した。また、新羅・加羅と修好し、晋にも朝貢して、高句麗に備えた。372年頃、日本に七支刀を贈ったのは、この王と太子の仇首(貴須、きす)であったとされる。この時代に、博士高興(こうこう)が百済ではじめて文字の記録を始めたという。渡来系氏族の祖とされることも多い。(日本史)
  • 阿知吉師 あちきし 阿直の史等の祖先。 → 阿直岐
  • 阿直岐 あちき 古代、百済からの渡来人。応神天皇の時に貢使として来朝、皇子菟道稚郎子に経典を講じ、また、百済から博士王仁を招いたと伝える。阿知吉師ともいう。
  • 阿直の史 あちのふひと
  • 和邇吉師 わにきし → 王仁
  • 王仁 わに 古代、百済からの渡来人。漢の高祖の裔で、応神天皇の時に来朝し、「論語」10巻、「千字文」1巻をもたらしたという。和邇吉師。
  • 文の首
  • 卓素 たくそ 韓鍛。/応神朝に百済より貢上された朝鮮の鍛冶職人。(神名)
  • 西素 さいそ 呉服西素。呉の機織技術者。(神名)
  • 秦の造 はたのみやつこ 渡来系の有力豪族。応神朝に渡来した弓月君の子孫と伝えられる。欽明天皇は夢のお告げにより、秦大津父を大事にすると天下を取れると知らされ重用する。(総覧)
  • 漢の直 あやのあたえ 東漢直。古代の渡来系氏族。阿知使主の子孫と称し、朝廷の記録や外交文書をつかさどった。5世紀ごろ渡来した朝鮮の漢民族の子孫と見られ、大和を本拠とした。7世紀には政治的・軍事的に有力となり、姓は直から忌寸や宿祢に昇格。東漢氏。
  • 仁番 にほ → 須須許理
  • 須須許理 すすこり 別名を仁番という。秦造、漢直の祖。応神天皇のとき来日した。醸酒の識才があり、天皇が献上された酒について歌いながら幸行したとき、道中大石が走り避ったという。『住吉神代記』の辛島恵我須須己里と同一人物と思われる。また、『姓氏録』の韓国より渡来した曽々保利兄弟と同じとする説もある。(神名)
  • 阿直支 あちき → 阿直岐
  • 阿直岐 あちき 古代、百済からの渡来人。応神天皇の時に貢使として来朝、皇子菟道稚郎子に経典を講じ、また、百済から博士王仁を招いたと伝える。阿知吉師ともいう。
  • 周興嗣 しゅうこうし? 中国の梁の人。『千字文』を撰する。王羲之筆の法帖に魏の鐘ホの『千字文』があり、鐘ホはこれを晋の武帝のとき作ったとする旧説もあるが疑わしい。王羲之が移した古千字文に錯乱があったので、梁の武帝の時代に勅命によって周興嗣が韻をととのえ、編み直したと考えられる。古千字文の作者は不明であるが、漢代からこの種の漢字と書法の入門書があった。わが国では周興嗣の作は平安時代以後流行し、習字の教科書として重んじられた。(国史)
  • 土形の君 ひじかたのきみ
  • 幣岐の君 へきのきみ
  • 榛原の君 はりはらのきみ
  • 天の日矛 あめのひぼこ 天日槍・天之日矛。記紀説話中に新羅の王子で、垂仁朝に日本に渡来し、兵庫県の出石にとどまったという人。風土記説話では、国占拠の争いをする神。
  • 阿加流比売 → 阿加流比売神
  • 阿加流比売神 あかるひめのかみ 古事記説話で、天之日矛の妻。新羅の女が日の光を受けて懐妊し、生んだ赤玉の成った女神。のち日本に来て難波の比売許曾(ひめこそ)神社に鎮座した。
  • 渡りの神 わたりのかみ 和多志神(わたしのかみ)。和多須神・度津神・渡神ともいう。須佐之男命の子の五十猛命のこと。この神を韓国より紀伊国に渡したてまつったことによる名。(神名)
  • 多遅摩の俣尾 たじまのまたお 多遅摩国(但馬国)で天之日矛の妻となった前津見の父。紀では垂仁天皇3年春3月の条に太耳とあり麻多烏を女とする。また同88年秋7月の条に前津耳、またの名を前津見・太耳とあり麻能烏を女とする。(神名)
  • 多遅摩の前津見 たじまのまえつみ 多遅摩の俣尾の女。
  • 多遅摩母呂須玖 たじま もろすく 天之日矛の子。母は多遅摩の俣尾の女の前津見。子に多遅摩斐泥がいる。但馬国出石郡の式内社諸杉神社と関係があるともいわれている。(神名)
  • 多遅摩斐泥 たじま ひね 多遅摩母呂須玖の子で天之日矛の孫。多遅摩比那良岐が子で、多遅摩毛理は孫となる。事跡不詳。紀には見えない。(神名)
  • 多遅摩比那良岐 たじま ひならき  天之日矛の後裔。記では多遅摩斐泥の子とあり、多遅摩毛理の父にあたり、紀では母呂須玖の子で多遅摩毛理の祖父としている。(神名)
  • 多遅摩毛理 たじま もり 多遅摩比那良岐の子。田道間守。記紀伝説上の人物。垂仁天皇の勅で常世国に至り、非時香菓(橘)を得て10年後に帰ったが、天皇の崩後であったので、香菓を山陵に献じ、嘆き悲しんで陵前に死んだと伝える。
  • 多遅摩比多訶 たじま ひたか 多遅摩比那良岐の子。天之日矛の系譜と神功皇后の出自とをつなぐ位置にあたる。ただし紀には見えない。(神名)
  • 多遅摩清日子 たじま きよひこ 多遅摩比那良岐の子。
  • 当摩の�@斐 たぎまのめひ 多遅摩清彦の妻。紀にはみられない。(神名)
  • 酢鹿の諸男 すがのもろお 多遅摩清日子の子。母は当摩之�@斐。紀にはみえないが、但馬国に式内社須賀神社がある。(神名)
  • 菅竃由良度美 すがかまゆらどみ 清彦の娘。多遅摩比多訶の姪。比多訶との間に葛城の高額比売姫の命を生む。紀には見えない。(神名)
  • 葛城の高額比売の命 かずらきのたかぬかひめのみこと 大海姫命とも(旧事紀)。高額は大和国葛下郡の郷名。息長宿禰王の妻となり、息長帯日売命(神功皇后)を生む。(神名)
  • 伊豆志の八前の大神 いずしのやまえのおおかみ 名義は出石の八座の大神。応神記の天之日矛伝承の分注にみえる名。天之日矛が新羅国より将来した珠二貫・浪振る比礼・浪切る比礼・風振る比礼・風切る比礼・奥津鏡・辺津鏡の八種の玉津宝(財宝)を神名としたもの。伊豆志は兵庫県出石郡伊豆志坐神社八座とある。(神名)
  • 葦原シコヲの命 あしはらしこおのみこと 葦原醜男。古事記で大国主命の別名。播磨風土記では天之日矛と国の占有争いをする神。
  • 垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
  • 伊豆志袁登売の神 いづしおとめのかみ 応神記の天之日矛伝承の後に登場する。天之日矛が将来した伊豆志之八前大神の女。名義は出石の巫女の神。伊豆志は兵庫県出石郡出石町。秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫との兄弟二神から求婚される。兄弟神は賭をし、母の助力を得てそれに勝った春山之霞壮夫が伊豆志袁登売神を得た。(神名)
  • 秋山の下氷壮夫 あきやまのしたびおとこ 伊豆志袁登売神をめぐって弟神の春日之霞壮夫と賭けをするが敗れる。その後、賭けに負けたとき、約束した物を渡さなかったので、母によって呪詛されて病み衰えるが、のちに許されて本復する。名義は秋山の木葉の色づいた立派な男。下氷はしたふ(赤く色づく意・四段動詞)の連用形。秋山のしたへる妹(万葉、巻二、二一七)に例がある。壮夫は美人の対語で、立派な男の意。秋山の擬人化。(神名)
  • 春山の霞壮夫 はるやまのかすみおとこ 古事記伝説で、兄の秋山之下氷壮夫と、伊豆志袁登売神を争ったという神。藤の花の装いで乙女を得る。
  • 百師木伊呂弁 ももしきいろべ 別名、弟日売真若比売。応神天皇の皇子である若沼毛二俣の王の妃となり七子を生んだ。(神名)
  • 弟日売真若比売 おとひめまわかひめ → 百師木伊呂弁
  • 大郎子 おおいらつこ  (1) 応神天皇の皇子の若野毛二俣王の子。意富富杼の王ともいう。母は百師木伊呂弁。三国君、波多君、息長君、坂田酒人君、山道君、筑紫之米多君、布勢君らの祖。紀には記載なし。(神名)
  • 意富富杼の王 おおほどのみこ → 大郎子
  • 忍坂の大中津比売の命 おさかのおおなかつひめのみこと 若沼毛二俣の王の子。母は百師木伊呂弁。允恭天皇が皇子であったときに召されて妃となる。木梨軽皇子・大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)ら九王を生んだ。(神名)
  • 田井の中比売 たいのなかつひめ 応神天皇の子の若沼毛二俣の王と百師木伊呂弁との間の子。允恭記にはその名代として河部が定められている。紀には不載。(神名)
  • 田宮の中比売 たみやのなかつひめ 若野毛二俣王の女。母は百師木伊呂弁。(神名)
  • 藤原の琴節の郎女 ふじわらのことふしのいらつめ 応神天皇の皇子である若沼毛二俣の王の娘。母は百師木伊呂弁。紀には記載がない。(神名)
  • 取売の王 とりめのみこ 若野毛二俣王の子。母は百師木伊呂弁、またの名を弟日売真若比売。(神名)
  • 沙祢の王 さねのみこ 若野毛二俣王の子。母は百師木伊呂弁(弟日売真若比売)。(神名)
  • 三国の君
  • 波多の君
  • 息長の君
  • 筑紫の米多の君
  • 長坂の君
  • 酒人の君
  • 山道の君
  • 布勢の君
  • 根鳥の王 ねとりのみこ → 根鳥の命か
  • 三腹の郎女 みはらのいらつめ → 阿貝知能三腹郎女
  • 阿貝知能三腹郎女 あわじのみはらのいらつめ 淡路御原皇女(紀)。応神天皇の皇女。母は応神天皇の皇后妹の弟日売。異母兄の根鳥王の妃。中日子王、伊和嶋王を生んだ。(神名)
  • 中日子の王 なかひこのみこ 応神天皇の子根鳥の王の子。母は三腹の郎女。(神名)
  • 伊和島の王 いわじまのみこ
  • 堅石の王 かたしわのみこ 応神天皇の子。久奴王の父。(神名)
  • 久奴の王 くぬのみこ 応神天皇の子堅石の王を父とする。(神名)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『論語』 ろんご 四書の一つ。孔子の言行、孔子と弟子・時人らとの問答、弟子たち同士の問答などを集録した書。20編。学而篇より尭曰篇に至る。弟子たちの記録したものに始まり、漢代に集大成。孔子の説いた理想的秩序「礼」の姿、理想的道徳「仁」の意義、政治・教育などの具体的意見を述べる。日本には応神天皇の時に百済より伝来したと伝えられる。
  • 『千字文』 せんじもん 中国六朝の梁の周興嗣が武帝の命により撰した韻文。1巻。4字1句、250句、1000字から成り、「天地玄黄、宇宙洪荒」に始まり、「謂語助者、焉哉乎也」に終わる。初学教科書、また習字手本として流布。
  • 『播磨国風土記』 → 『播磨風土記』
  • 『播磨風土記』 はりま ふどき 古風土記の一つ。1巻。713年(和銅6)の詔に基づいて播磨から撰進された地誌。文体は常陸風土記などよりも素朴。播磨国風土記。
  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという) (1) (国などを)治める。君臨する。統治する。(2) (土地などを)占める。領有する。(3) (ものなどを)専有して管理する。専有して扱う。(4) (妻・愛人などとして)世話をする。
  • 愛し はし いとしい。かわいい。
  • かれ 故 (接続) (カ(此)アレ(有リの已然形)の約、「かあれば」の意) (1) (前段を承けて)こういうわけで。ゆえに。(2) (段落の初めにおいて)さて。そこで。
  • 悒し いぶせし 鬱悒し。(1) 恋しさ、待ち遠しさなどのため気分が晴れず、うっとうしい。(2) いとわしく、きたない。むさくるしい。(3) 恐ろしく、気味がわるい。
  • 悒 ユウ うれえる。気がふさぐ。
  • 食国 おすくに 天皇のお治めになる国。
  • 天つ日継 あまつひつぎ 天つ日嗣。天照大神の系統を継承すること。皇位の継承。また、その皇位。
  • 望く みさく 見放く。遠くを見る。見やる。
  • 千葉の ちばの 〔枕〕「かづの(葛野)」(地名)にかかる。
  • 家庭 やにわ 人家のある所。ひとざと。
  • 国の秀 くにのほ (ホは秀でた所の意)その国の中で、地味や景色の最もすぐれた所。一説に、山岳に囲まれた平原。
  • 道衢 ちまた 巷・岐・衢。(1) 道の分かれるところ。つじ。(2) 道。町通り。(3) 所。場所。(角)
  • 大御饗 おおみあえ (1) 天皇の食事。(2) 宮中で群臣に賜る酒饌。
  • 大御酒盞 おおみきうき
  • 百伝う ももつたう (枕詞)(1) かぞえて百に達するその前の数の意から「八十(やそ)」「五十(い)」および「五十」と同音を含む地名「磐余(いはれ)」にかかる。(2) 数多くの土地を伝っていく遠い所の意から地名「角鹿(つぬが=敦賀、つるが)」「渡会(わたらい=伊勢、いせ)」に、遠くへいく駅馬に鈴をつけたことから「鐸(ぬて=大型の鈴)」にかかる。(角)
  • 横さらう よこさらう 横去らふ。(フは接尾語) 横に移動する。横にゆく。
  • 着く とく (ツクの転) 到着する。つく。
  • 鳰鳥 みほどり/みおどり (ミホはニホの転) におどり。カイツブリの古名。
  • におどりの 鳰鳥の。〔枕〕「かづく(潜)」「かづ」「かづしか(葛飾)」「なづさふ」「おきなが(息長)」「ならびゐ」などにかかる。
  • しなだゆう 〔枕〕 (「しな」は坂、坂道を早く歩けないの意か)「ささなみ路」にかかる。
  • 佐佐那美道 ささなみじ 細波路。琵琶湖の西南沿岸地方を通って、敦賀地方へ通じていた道。
  • 行ませばや いませばや います。(3)「いく(行)」「く(来)」の動作主を敬っていう尊敬語。いらっしゃる。おいでになる。
  • ばや (接続助詞バに係助詞ヤの付いたもの) (1) (活用語の未然形に付いて、仮定条件をあげ、下に疑問の意を伴う)…としたら…だろうか。(2) (活用語の已然形に付いて、既定条件をあげ、下に疑問の意を伴う)…から…のだろうか。
  • 小楯ろかも おだてろかも
  • 小楯 おだて (1) 楯。小さな楯。(2) 〔枕〕「やまと」にかかる。
  • 椎菱 しいひし 椎の実や菱の実。(補注)椎、菱の実の外皮は茶褐色で、美歯の形容とはなり得ないが、古来、椎・菱とも食用にされたもので、外皮を取り除いて精白した顆粒を美歯の形容としたものと考えられる。
  • 櫟井 いちい 櫟・赤檮・石�。いちいがし。ブナ科の常緑高木。暖地産で高さ約30mに達し、葉は先端で急にとがる。葉の裏面、若枝は黄褐色の短毛で被われる。実は大形で食用となり、味はシイに似る。材は堅く強靱で、鋤・鍬の柄、大工・土木用具などに用いる。イチイ。イチガシ。
  • 丸邇坂の土 わにさのに
  • 初土 はつに 地表近くの上層の土。←→底土
  • 底土 しはに 地面の底の方にある土。←→初土
  • 三栗の みつぐりの 〔枕〕「なか(中・那賀)」にかかる。
  • 三栗 みつぐり 一つの毬(いが)の中に実が三つ入った栗。
  • 中つ土 なかつに 上の方でも底の方でもない、中ほどにあるつち。
  • 頭著く かぶつく 語義未詳。火力の強いことを意味する言葉か。(補注)「かぶ」は「頭」「つく」は「衝く」で、頭を衝くような(強い火)の意とする説、「かぶ」は「頸(くび)」、「つく」は「著く」で、かぶらせる、上から覆うの意で、火力の強いことを示すとする説などがある。
  • かもがと/かくもがと
  • うたたけだに 語義未詳。(補注)用例は「延佳本古事記」には「宇多気陀邇」とあるので、それによって「うたけだに」とする説もあるが未詳。
  • 太子 ひつぎのみこ/たいし (1) 皇位を継承する皇子または王子。はるのみや。ひつぎのみこ。もうけのきみ。皇太子。東宮。皇嗣。(2) 中国古代の諸侯の嫡男。
  • 誂う あとらう 相手に誘いかける。頼みかける。
  • 大御所 おおみもと (「おおみ」は接頭語)天皇のおいでになるところ。天皇のおそば。
  • 大命 おおみこと 大御言。天皇のことば。みことのり。
  • 豊の明 とよのあかり 豊明。(トヨは美称、アカリは顔の赤らむ意) (1) 酒に酔って顔の赤らむこと。(2) 宴会。饗宴。特に宮中の宴会。(3) 「豊明の節会」の略。
  • 豊明の節会 とよのあかりのせちえ 奈良時代以降、新嘗祭・大嘗祭の翌日、宮中で行われた宴会。天皇が豊楽殿(のち紫宸殿)に出て新穀を食し、諸臣にも賜る。賜宴の後に五節の舞があり、賜禄・叙位などの儀があった。
  • 野蒜 のびる ユリ科の多年草。広く山野に自生。地下に球形の鱗茎があり、細い長管状の葉は、長さ約30cm。夏、花茎を出し、紫色を帯びた白色の花を開く。多くの珠芽を混生。全体にネギに似た臭気がある。葉および鱗茎を食用にし、根・茎を摺りつぶして外傷・打身などの薬用とする。ねびる。ぬびる。のびろ。古名、アララギ。
  • 花橘 はなたちばな (1) 花の咲いている橘。橘の花。(2) 橘の一種で、果実の小さいもの。また、夏蜜柑の異称。(3) 襲(かさね)の色目。表は朽葉、裏は青。(4) 香の一種。やわらかで涼しい香をもつ。(5) 紋所の名。柄のついた6個の小橘花を向かいあわせ、その下に1個の大橘花を添えたもの。(6) 京都堀川にあった坂田屋醸造の銘酒。
  • 上枝 ほつえ (「秀(ほ)つ枝(え)」の意)上の枝。はつえ。←→下枝
  • 下枝 しづえ 下の枝。したえだ。しずえだ。←→上枝
  • 中つ枝 なかつえ 中ほどの高さにある枝。中間の枝。
  • ほつもり 語義未詳。「ほつ」は秀でる意か。「もり」は「もる」の連用形の名詞化したものか。(補注)用例の類歌(『日本書紀』所収)には「ふほごもり」(含み籠もる意)とあるところから、それと同意とする説、「ふほみつぼまり」の変化した語で、なり始めた実の様子とする説など諸説がある。
  • いざささば いざす(感動詞「いざ」を四段動詞に活用させたものか)さあと言って誘う。(語誌)記の「いざささ」を、「いざ」は感動詞、「ささ」は占有する意の動詞の「さす」の未然形とみる説もあって確実ではない。
  • 好らしな よらしな
  • 好らし よらし 宜し・良らし。「よろし」に同じ。
  • 堰杙 いぐい 井堰(いせき)に打ち並べるくい。
  • 蓴 ぬなわくり 蓴繰。「ぬなわ」に同じ。沼縄・蓴(ぬなわ)。〔植〕ジュンサイの別名。
  • 延えけく はえけく
  • 道の後 みちのしり 古代、一国を二つまたは三つに分けたときの、都に最も遠い地方。例えば筑紫地方では筑後を「つくしのみちのしり」という。
  • 古波陀嬢子 こはだおとめ
  • 寝しくをしぞも
  • ぞも (上代は「そも」。上代に多く用いられ、中古以降はしだいに用いられなくなる)(2)(終助詞「ぞ」+終助詞「も」)(文末にあって、疑問の語を上にともない)詠嘆をこめた疑問の意をあらわす。(いったい)……なのかなあ。(角)
  • 国主歌 くずうた 国栖歌。古代、国栖の人が宮廷の儀式の際に宮中承明門外で奏した風俗歌。
  • 国主 くず → 国巣
  • 国栖・国樔・国巣 くず (1) 古く大和国吉野郡の山奥にあったと伝える村落。また、その村民。在来の古俗を保持して、奈良・平安時代には宮中の節会に参加、贄を献じ、笛を奏し、口鼓を打って風俗歌を奏することが例となっていた。→国栖奏。(2) 常陸国茨城郡に土着の先住民。(3) 能。大海人皇子が大友皇子に追われて吉野に遁れ、吉野川の漁夫に助けられ、蔵王権現の祝福を受ける。
  • 国栖奏 くずのそう 古代、大嘗会やその他の節会の時、大和の国栖人が参列して歌笛を奏したこと。
  • 御刀 みはかし 御佩刀。佩刀(はかし)の尊敬語。貴人の佩刀。みはかせ。
  • 本剣 もとつるぎ
  • 末ふゆ すえふゆ
  • すがら 素幹・直幹。葉の散りつくした木の幹。一説に、まっすぐな幹(直幹)の意とも。(補注)用例を「冬木如(の)すからが下樹の」と訓み、冬木の如く枯れて葉が落ち、下地の現われた木と解する説もある。
  • さやさや 木の葉や絹布など薄くて張りのあるものが軽く触れ合って発する連続音。また、そのさま。
  • 吉野の白梼の生 えしのの かしのふ
  • 横臼 よくす (ヨコウスの約) 低くて平たい形の臼。
  • 口鼓 くちつづみ 舌を鳴らすこと。
  • 伎 わざ わざ。うでまえ。
  • うまら 旨・甘・美。(形容詞「うまし」の語幹に接尾語「ら」のついたもの)(1) 味のよいさま。おいしいさま。(2) 気持ちのよいさま。快いさま。
  • もちおす
  • 大贄 おおにえ 大贄・大嘗。(1) (立派な贄の意) 朝廷や神に奉る食料・衣料などその土地の産物。(2) (「大嘗」と書く。「おほにへのまつり」の略)
  • 贄・牲 にえ (1) 古く、早稲を刈って神に供え、感謝の意を表して食べる行事。(2) 朝廷または神に奉る土地の産物、特に食用に供する魚・鳥など。貢物。供物。(3) 会見の時の礼物。贈物。進物。
  • 海部 あまべ 海部・海人部。大和政権で、海運や朝廷への海産物貢納に従事した品部。
  • 山部 やまべ 大和政権で直轄領の山林を管理した品部。
  • 山守部 やまもりべ 大化前代の部。山林の管理により朝廷に奉仕した。記紀によれば応神朝に設定されたという。紀の顕宗元年条には吉備臣が山官の副となり、山守部を民としたことがみえる。伴造としては山守連・山守首などが知られる。山守部の分布は畿内近国にのみみられ、職掌は令制下では守山戸に継承されたと考えられる。(日本史)
  • 山守 やまもり 山を守ること。また、その人。山番。←→道守
  • 伊勢部 いせべ 記の応神段にあるだけで詳細不明。8世紀に礒(磯)部(いそべ)姓の人々は多くみられ、伊蘇部の姓もあるので、伊勢部は礒部のこととする説がある。伊勢神宮の部民とする説もあるが、伊勢国造である伊勢直との関係も考慮すべきか。(日本史)
  • 新羅人 しらぎひと
  • 国主 こにきし 王。(古代朝鮮語で、「コニ」は大の意。「キシ」は君の意か)(1) 古代朝鮮の、三韓の王。コンキシ。コキシ。(2) 百済王族の渡来人に与えられた姓。
  • 手人 てひと (1) 百済・高句麗・新羅の朝鮮三国から渡来した古代の技術民。才伎・巧手者などとも書く。その技術者集団を「手人部(てひとべ)」という。(2) 技量のすぐれた者。上手。(3) 配下。手の者。てした。
  • 韓鍛 からかぬち 韓鍛冶。「かぬちべ(鍛冶部)」参照。
  • 鍛冶部 かぬちべ 古代、刀剣その他の鍛造に従事した品部。4世紀後半〜5世紀に朝鮮の進んだ技術をとりいれて編成したものを韓鍛冶・韓鍛冶部といい、それ以前の倭鍛冶・倭鍛冶部と区別する。鍛部。
  • 呉服 くれはとり 呉織。(ハトリはハタオリの約) (1) 大和政権に仕えた渡来系の機織技術者。雄略天皇の時代に中国の呉から渡来したという。→あやはとり。(2) 呉の国の法を伝えて織った綾などの織物。(3) 〔枕〕(呉織は綾があるからいう)「あや(綾)」にかかる。
  • 漢織 あやはとり (アヤハタオリ(漢機織)の約)大和政権に仕えた渡来系の機織技術者。雄略朝に漢土から来たという。
  • うらぐ (「うら」は「こころ」の意)愉快になる。よい心持ちになる。うきたつ。
  • 無酒咲酒 なぐしえぐし
  • なぐし 穏やかである。なごやかである。また気楽な気持ちである。
  • えぐし 笑酒・咲酒。「え」は笑う意。「ぐし」は酒の意のほめことばか)飲めば心が楽しくなり、顔がにこにことほころびてくるような酒。
  • 堅石 かたしわ (カタシイハの約) 堅い岩石。特に、鉄を鍛える時の金敷の石。
  • 堅石も酔人を避る かたしわも えひびとを さる かたい岩さえも、酔った人を避ける意で、酔っぱらいには用心せよの意にいう。
  • 次韻 じいん 他人の詩の韻字と同じ韻字を用いて作詩すること。また、その詩。→和韻
  • サ垣 きぬがき 絹垣。(1) 神祭などの時、垣のようにひきめぐらした絹のとばり。綾垣。(2) 神霊遷御の際に神体の上面・側面を覆う絹布。きんがい。
  • 帷幕 あげばり/いばく (1) 垂れ絹と引き幕。帷幄(いあく)。転じて、陣営。本陣。(2) 機密のことを議する所。
  • 舎人 とねり (1) 大化前代の天皇や皇族の近習。(2) 律令制の下級官人。内舎人・大舎人・中宮舎人・東宮舎人などの称。(3) 貴人に従う雑人。牛車の牛飼または乗馬の口取。(4) 旧宮内省式部職の判任名誉官。式典に関する雑務に従ったもの。
  • 佐那葛 さなかずら (1) サネカズラの古名。(2) 〔枕〕 葛は長く伸びて絶えず、分かれてもまた会うところから、「遠長く」「絶えず」「会ふ」に、また、音の類似から、「さ寝(ね)」にかかる。「さねかずら」とも。
  • 臼搗き うすつき 臼に物を入れて杵でつくこと。
  • 簀椅 すばし 簀橋。木を簀のように多く並べて架けた橋。
  • 衣褌 きぬはかま 上古、男性の服装。上半身につける上の衣(きぬ)と下半身につける下ばきの褌(はかま)からなる服装。
  • 賤人 やつこ/せんじん 身分のいやしい者。賤者。
  • 呉床 あぐら 胡床・胡坐・胡座。(「あ」は足、「くら」は座の意) (1) 腰掛け。胡床。(2) (「間架」と書く)(高い所へ上るために)材木を高く組み立てたもの。あししろ。足場。(3) (「趺坐」とも書く)足を組んですわること。胡坐。
  • ふつに (多く打消の語を伴って)全く。ふっつり。ふつと。
  • ちはやびと 千早人 〔枕〕 (古くはチハヤヒトとも。武勇の人の意)「うぢ(宇治)」にかかる。
  • 梓弓 あずさゆみ (1) 梓の木で造った丸木の弓。(2) 〔枕〕「引く」「射る」「張る」「本」「末」「弦」「寄る」「矢」「音」「かへる」にかかる。
  • 檀 まゆみ 木の名。まゆみ。材質が堅く、この木で弓を作る。
  • いきる −切・−伐。「い」は接頭語)切る。
  • 本方 もとべ/もとへ 本方・本辺。(1) (樹木などの)根もとの方。下の方。(2) 山の麓の方。
  • 末方 すえへ 末方・末辺。(スエベとも) (1) (樹木などの)末の方。はしの方。(2) 山の頂の方。
  • いらなけく
  • 海人 あま 海人・蜑。(「あまびと(海人)」の略か) (1) 海で魚や貝をとり、藻塩などを焼くことを業とする者。漁夫。(2) (「海女」「海士」と書く)海に入って貝・海藻などをとる人。
  • 辞ぶ いなぶ 否ぶ。(感動詞イナに動詞構成の接尾語ブの付いたもの。後、四段活用に転じた) 承知しない。ことわる。
  • 海人《あま》なれや、おのが物から音《ね》泣く ふつうの人は欲しいものを持たないから泣くのに、あまは自分の持っている物を人がもらってくれないことで泣く。自分の物が原因で泣く人があったとき、それを冷やかす意で使ったことわざか。
  • ビナンカズラ 美男葛 (1) 〔植〕サネカズラの別称。また、サネカズラの茎を水に浸して得たねばり汁。鬢付け油の代用。美男石ともいう。
  • ともがら 輩・儕 なかま。同輩。
  • アカメガシワ 赤芽柏 (若葉が鮮紅色だからいう)トウダイグサ科の落葉高木。日本・中国大陸に自生、日本では二次林に多い。高さ10mに達する。雌雄異株。夏、白色の花を穂状につける。材は軟らかく、床柱・下駄・薪炭などに用いる。果実の毛を集めて駆虫剤(主にサナダムシ)とする。
  • ヤマニシキギ  山錦木。植物「まゆみ(檀)」の異名。
  • 賤の女 しずのめ 身分のいやしい女。
  • 賤の男 しずのお 身分のいやしい男。しずお。
  • 虹 のじ (上代東国方言) にじ。
  • 裹む つつむ くるむ。すっぽりおおう。
  • 耕人 たひと/こうじん 田畑を耕す人。
  • 飲食 おしもの 食物。めしあがりもの。
  • 獄内 ひとや 人屋・獄・囚獄。罪人を捕らえて押しこめておく屋舎。牢屋。獄。
  • 幣 まい 礼物として奉る物。幣物。贈物。まいない。
  • 正妃・嫡妻 むかいめ (「向い女(め)」の意) 正妻。本妻。
  • 珍つ味 ためつもの 味物。(1) 食物。うまいもの。味わうべき物。(2) 大嘗会の時、臣下に賜る酒や食物の総称。
  • 詈る のる 罵る。ののしる。悪口する。
  • 泊つ はつ 船が港に着いてとまる。碇泊する。
  • 玉つ宝 たまつたから
  • 浪振る比礼 なみふるひれ 浪振る領巾。波を起こす呪力のある領巾。
  • 浪切る比礼 なみきるひれ 浪切る領巾。波をしずめる呪力のある領巾。
  • 風振る比礼 かぜふるひれ 風振る領巾。風を吹きおこさせる呪力を持ったひれ。
  • 風切る比礼 かぜきるひれ 風切る領巾。風を止め鎮める呪力を持ったひれ。一説に、風を切って進む呪力を持ったひれ。
  • 奥つ鏡 おきつかがみ
  • 辺つ鏡 へつかがみ
  • 卵生 らんしょう 〔仏〕四生の一つ。鳥などのように卵から生まれるもの。神話的存在や特殊の人物も含まれる。
  • 常世の国 とこよのくに (1) 古代日本民族が、はるか海の彼方にあると想定した国。常の国。(2) 不老不死の国。仙郷。蓬莱山。(3) 死人の国。よみのくに。よみじ。黄泉。
  • 常世 とこよ (1) 常に変わらないこと。永久不変であること。(2) 「常世の国」の略。
  • 婚う よばう 呼ばふ・喚ばふ。(ヨブに接尾語フの付いた語) (1) 呼ばわる。呼びつづける。(2) 言い寄る。求婚する。
  • うれづく/うれずく 賭物(かけもの)。かけ。
  • ふじ葛 ふじかずら 藤葛。(1) 藤のつる。藤。(2) 藤や葛(くず)など蔓草の総称。
  • 襪・下沓 したぐつ → しとうず
  • しとうず 襪・下沓 (シタグツの音便) 束帯着用の時、沓(くつ)または靴(かのくつ)の下にはく一種の足袋。白の平絹で製し、親指の間を割らずに仕立て、紐で結ぶ。礼服には錦を用いた。
  • 慨む うれたむ (ウラ(心)イタ(痛)ムの約) 腹立たしく思う。嘆かわしく思う。
  • 服する ふくする (2) 身につける。着る。おびる。
  • 神習わめ
  • 青人草 あおひとくさ (人のふえるのを草の生い茂るのにたとえていう) 民。民草。国民。蒼生。
  • 一節竹 ひとよだけ 竹を一節の長さに切り取ったもの。また、節の長い竹をいうか。
  • 八つ目 やつめ 目が八つあること。目が多くあること。
  • 荒籠 あらこ/あらかご 荒籠・粗籠。竹であらく編んだ籠。蛇籠の類。
  • 詛言(とこい)いわしめしく とこう。
  • 詛い言 のろいごと のろって言うことば。
  • しく (助動詞「き」のク語法) → く
  • く 〔接尾〕 ク語法といわれる、活用語の連体形に付き体言化する「あく」の語尾。「…すること」「…であること」の意を表す。「あ」は連体形語尾と結合し、ウ段の語尾の場合は「思はく」「言はく」「恋ふらく」のようにア段に、イ段の語尾の場合は「寒けく」「恋しけく」のようにエ段の音に、それぞれ変化する。但し、過去の助動詞「き」の時は「しく」。なお「あく」は連体形に付くので本来は名詞か。「あく」が考えられる前は、未然形に付く「く」、終止形に付く「らく」に分けて考えられた。また、江戸時代にはカ行延言とも。
  • ク語法 くごほう 活用語の連体形にアクを加えて名詞化する語法。「言はく」「恐らく」「恋しけく」など。奈良時代に例が多いがのち減少し、「老いらく」「思わく」「曰(いわ)く」など数例が残存している。
  • 盈つ みつ 満つ。みちる。
  • 詛う とこう/とごう のろう。
  • 竃 へつい  (「竈(へ)つ霊(ひ)」の意か) (1) 竈(かまど)を守る神。(2) かまど。へっつい。
  • 詛戸 とこいど/とごいど 人をのろうのに用いた物。呪詛の品物。
  • 神婚説話 しんこん せつわ 人間と神仙との間の結婚を物語る説話。浦島伝説の類。
  • 呪い言 のろいごと → 詛い言
  • 呪咀/呪詛 じゅそ (シュソ・ズソとも) うらみに思う相手に災いが起こるよう神仏に祈願すること。まじない。のろい。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 宮脇昭『木を植えよ!』(新潮選書、2006.11)読了。吉野裕子『蛇――日本の蛇信仰』(講談社学術文庫、1999.5)は途中まで。水は火に剋(か)ち、水は木を生じる。金は水を生じ、土は水に剋(か)つ。
 木は火を生じ、金は木に剋(か)つ。木、水、蛇。
 
 24日『山形新聞』より。新潟県、がれき受け入れ懸念表明。全都道府県知事のなかで、受け入れ拒否の態度をはっきり表明したのは泉田さんが最初のような気がする。さすがだ。原発保有県であり、かつ中越地震・中越沖地震の経験がある新潟県。ひさしぶりに知事の記者会見を読まねば。

 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。
 
ふじ/ふし/ふち
「藤」……2件。「藤の花」「藤原の琴節の郎女」
「不二」……なし。
「富士」……なし。
「不死」……なし。
「臥」……2件。「病《や》み臥《こや》せり」「沈み臥せ」
「節」……2件。「藤原の琴節の郎女」「八節結り」
「伏」……39件。「伏《ふし》」「伏《こや》せる」「伏《まつろ》はぬ」「伏《な》ぎて」
「附」……2件。「靫を附け」「玉依毘賣に附けて」
「付」……2件。「阿知吉師に付けて」「この人に付けて」(両方とも「文化の渡來」)
「縁」……1件。「養《ひた》しまつる縁《よし》」
「淵」……4件。「深淵の水夜禮花の神」「山代の大國の淵」(2件)「峻《ふか》き淵に墮ちて」
「渕」……なし。

たけ
「猛」……1件。「猛士烟のごとく」

 ふじのやま。不二の山、不死の山という語源説をよく聞くが、「藤の山」だった可能性はないだろうかということを考えている。藤の山、つまり「ふじわらの山」の暗示。

669年、鎌足、死の直前に天智天皇から「藤原」の姓を賜わる。
698年、文武天皇の代、不比等(鎌足の子)の子孫のみが藤原姓を名乗る事を許される。
710年、藤原京より平城京に遷都。左大臣石上麻呂を藤原京の管理者として残す。右大臣藤原不比等が事実上の最高権力者になる。
712年、古事記、献上。出羽国を新たに設置。
(以上、Wikipedia より) 
 
 『古事記』の本文中、「藤」の文字は2件しかないのに、音の通じる「伏」の文字が別の訓みも含めて39件もある。藤原の「フヂ」と「伏(フシ)」を結びつける説はいままで見たことも聞いたこともない。
 むしろ、「伏(フシ)」は「武士(ぶし)」に通じ、「もののふ」「もののへ」、謎の豪族、物部氏を暗示させる説をよく聞く。

 藤原氏(ふじわらし)、物部氏(もののべし)……、『古事記』に現われる「伏」の文字。ふし、こやす、まつろう、なぐ。人偏にイヌ。主人に仕える番犬。勝者と敗者の転倒? 




*次週予告


第五巻 第一一号 
「鸚鵡――大震覚え書の一つ――」
「大正十二年九月一日の大震に際して」
  芥川龍之介


第五巻 第一一号は、
二〇一二年一〇月六日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第一〇号
校註『古事記』(七)武田祐吉
発行:二〇一二年九月二九日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目
 アパートメント山口A−202
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