校註『古事記』(七)
稗田の阿礼、太の安万侶武田祐吉(注釈・校訂)
古事記 中 つ巻
〔七、応神天皇〕
〔后妃 と皇子女〕
かれ高木の入日売の御子、
- (一)応神天皇。
- (二)奈良県
高市郡 。 - (三)景行天皇の皇子。
- (四)仁徳天皇。
〔大山守 の命 と大雀 の命〕
ここに
- (一)海山に関する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林のことを支配する部族が、そのおこりを語るのである。
- (二)天下の政治をおこないたまえ。
- (三)天皇の位につきたまえ。
〔葛野 の歌〕
あるとき天皇、近つ
国の
と歌いたまいき。
- (一)滋賀県。
- (二)京都府宇治郡。
- (三)京都市。今の桂川の平野。
- (四)
枕詞 。葉の多い意で、葛 に冠する。 - (五)たくさん充実している
村邑 も見える。ヤニハは、家屋のある平地。 - (六)国土のすぐれている所も見える。クニノホは、
「国のまほろば」の接頭語・接尾語のない形。
〔蟹 の歌〕
かれ
この蟹 や(三) 何処 の蟹 。
百伝 う(四) 角鹿 の蟹 。
横 さらう(五) 何処 にいたる。
伊知遅 島 美 島(六)に着 き、
鳰鳥 の(七) 潜 き息衝 き、
しなだゆう(八)佐佐那美道 を
すくすくと わが行 ませばや、
木幡 の道に 遇 わしし嬢子 、
後方 は 小楯 ろかも(九)。
歯並 は 椎菱 なす(一〇)。
櫟井 の(一一) 丸邇坂 の土 を、
初土 は(一二) 膚 赤らけみ
底土 は に黒きゆえ、
三栗 の(一三) その中 つ土 を
頭著 く(一四) 真火には当 てず
眉画 き 濃 に書き垂 れ
遇 わしし女 。
かもがと(一五) わが見し児 ら
かくもがと吾 が見し児 に
うたたけだに(一六) 向かい居 るかも
い副 い居 るかも。〔歌謡番号四三〕
百
しなだゆう(八)
すくすくと わが
かもがと(一五) わが見し
かくもがと
うたたけだに(一六) 向かい
い
かくて
- (一)京都府
乙訓郡 。 - (二)
丸邇氏 は、奈良の春日に居住して富み栄え、しばしばその女を皇室にいれている。『古事記』の歌物語の多くが、この氏と関係がある。後に 春日氏 となった。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義 君にその研究がある。- (三)ヤは提示の助詞。
蟹 は、鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮装 して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において歌うので、これもその一つを元としている。- (四)枕詞。多くの土地を伝い行く意という。
- (五)横歩きをして。
- (六)いずれも所在不明。
- (七)枕詞。ニホドリノに同じ。
- (八)枕詞。段になってたわんでいる意という。
- (九)うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
- (一〇)
椎 の実や菱 のようだ。諸説がある。- (一一)イチイの木の立つ井のある。
- (一二)上の方の土。
- (一三)枕詞。
- (一四)頭にあたる。
- (一五)かようにありたいと。現に今あるようにと。次の「かくもがと」も同じ。
- (一六)語義不明。ウタタ(転)を含むとすれば、その副詞形で、転じて、今は変わっての意になる。
- (三)ヤは提示の助詞。
〔髪長 比売〕
いざ子ども(三) 野蒜 つみに、
蒜 つみに わが行く道の
香 ぐわし 花橘 は、
上枝 は 鳥居枯 らし、
下枝 は 人取り枯 らし、
三栗 の 中つ枝の
ほつもり(四) 赤ら嬢子 を、
いざささば(五)好 らしな。〔歌謡番号四四〕
ほつもり(四) 赤ら
いざささば(五)
また、
水渟 る(六) 依網 の池(七)の
堰杙 打ち(八)が 刺 しける知らに(九)、
蓴 くり 延 えけく(一〇)知らに、
わが心しぞ いやをこにして 今ぞ悔 しき。
〔歌謡番号四五〕
わが心しぞ いやをこにして 今ぞ
〔歌謡番号四五〕
と、かく歌いてたまいき。かれその
道の後 (一一) 古波陀嬢子 (一二)を、
雷 のごと 聞こえしかども
相枕 纏 く。〔歌謡番号四六〕
また、歌よみしたまいしく、
道の後 古波陀嬢子 は、
争 わず 寝しくをしぞも(一三)、
愛 しみ思 う。〔歌謡番号四七〕
と歌いたまいき。
- (一)
酒宴 をなされた日。 - (二)広い葉に酒を盛った。
- (三)さあ、みなの者。子どもは目下の者をいう。
- (四)語義不明。秀つ守りで、高く守っている意か。目立ってよい意に赤ら
嬢子 を修飾するのだろう。『日本書紀』にはフホゴモリとある。 - (五)さあ、なされたら。ササは、動詞「為」の敬語の未然形だろう。動詞「
寝 」の敬語をナスという類。- (六)叙述による枕詞。
- (七)大阪市東成区。
- (八)その池の水をたたえるイのクヒをうってあるのが。
- (九)ニは打ち消しの助動詞ヌの連用形。
- (一〇)のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上比喩で、太子の思いがなされていたことを描く。
- (一一)遠い土地の。
- (一二)コハダは日向の国の地名だろう。
- (一三)寝たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。
- (五)さあ、なされたら。ササは、動詞「為」の敬語の未然形だろう。動詞「
〔国主歌 〕
また、
はかせる
冬木の すからが
〔歌謡番号四八〕
また、吉野の
うまらに 聞こしもちおせ(一〇)。
まろが
この歌は、
- (一)吉野山中の住民。七六ページ〔
「神武天皇」の「熊野より大和へ」 に〕 国巣 とある。 - (二)応神天皇の皇子様。
- (三)剣の
刃先 が威力を現わしている。 - (四)冬の木の
枯 れている木の下の。この二句、種々の説がある。 - (五)剣の清明であるのをたたえた語。
- (六)
白梼 の生えているところ。 - (七)たけの低い
臼 。その臼 で材料をついて酒をかもす。 - (八)太鼓のような声を出して。
- (九)手ぶり・物まねなどして。
- (一〇)うまそうに
召 しあがれ。ヲセは、食 すの命令形。 - (一一)われらが父よ。
〔文化の渡来〕
この御世に、
また百済の
事
かく歌いつつ
- (一)以上、大山守の命に命じたことをいう。ただし、物語とは別の資料によったのだろう。
- (二)奈良県高市郡。既出。別伝か、修理か。
- (三)不明瞭で諸説がある。
- (四)奈良県北葛城郡。
- (五)百済の第十三代の
近肖古王 。 - (六)キシは尊称。下同じ。
『日本書紀』に 阿直支 〔阿直岐〕。- (七)広くおこなわれている周興嗣
次韻 の『千字文』は、まだできていなかった。- (八)工人である朝鮮の鍛冶人。
- (九)大陸風の織物工の西素という人。
- (一〇)浮かれ立って。
- (一一)事のない
愉快 な酒。クシは酒。- (一二)
二上山 を越える道。 - (七)広くおこなわれている周興嗣
〔大山守 の命 と宇遅 の和紀郎子 〕
かれ天皇
ちはやぶる(五) 宇治 の渡りに、
棹 取りに 速 けん人し わが伴 に来 ん(六)。
〔歌謡番号五一〕
〔歌謡番号五一〕
と歌いき。ここに河の
ちはや人 (八) 宇治の渡りに、
渡瀬 に立てる 梓弓 檀 (九)。
いきらんと(一〇) 心は思 えど、
い取らんと 心は思 えど、
本方 (一一)は 君を思い出 、
末方 (一二)は 妹を思い出 、
いらなけく(一三) そこに思い出 、
愛 しけく ここに思い出 、
いきらずぞ来 る。梓弓 檀 。〔歌謡番号五二〕
いきらんと(一〇) 心は
い取らんと 心は
いらなけく(一三) そこに思い
いきらずぞ
かれその
ここに
- (一)荒い絹の幕。
- (二)あげて
張 った幕。天幕。 - (三)ビナンカズラ。
- (四)流れながら歌ったというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿
聟 入りの話があり、聟 の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。 - (五)枕詞。威力をふるう。ここは
宇治川 が急流なのでいう。 - (六)自分のなかまに来てくれ。
- (七)所在不明。
- (八)枕詞。強い人。地名のウジが元来、威力を意味する語なのであろう。
- (九)
梓弓 と檀弓 。アヅサはアカメガシワ。マユミはヤマニシキギ。ともに弓材になる樹。 - (一〇)イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
- (一一)弓の下の方。
- (一二)弓の上の方。
- (一三)心のイライラする形容。
- (一四)
海人 だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐りやすいからだという。
〔天 の日矛 〕
また昔、
ここに天の日矛、その
かれその天の日矛の持ち渡り
- (一)
『日本書紀』に垂仁天皇の巻に見え、 『播磨国風土記』に、 葦原 シコヲの命 との交渉を記している。- (二)
卵生 説話の一つ。その玉が嬢子 に化したとする。この点からいえば神婚説話であって、外来の形を伝えていると見られるのが注意される。- (三)大阪市
東成区 。- (四)兵庫県の北部。
- (五)垂仁天皇の御代に常世の国に行って
橘 を持ってきた人。一〇四ページ〔「垂仁天皇」の「時じくの香の木の実」 参照。〕 - (六)神功皇后。
- (七)珠を
緒 につらぬいたもの二つ。- (八)以上四種のヒレは、風や波をおこし、また、しずめる力のあるもの。浪振るは浪をおこす。浪切るは浪をしずめる。風も同様。ヒレについては四二ページ〔
「大国主の神」の「根の堅州国」 脚注参照。〕 - (九)二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海辺。
- (一〇)兵庫県出石郡の
出石 神社。 - (二)
〔秋山の下氷壮夫 と春山の霞壮夫 〕
かれここに神の女(一)
ここにその兄に
- (一)出石の神がかよって生んだ女子。
- (二)イヅシは地名、前項参照。
- (三)シタビは、赤く色づくこと。
「秋山の下べる妹」 ( 『万葉集』 )。秋の美を名とした男。春山の 霞壮夫 と対立する。- (四)上下の衣服をぬいでゆずり。
- (五)身長と同じ高さの
瓶 に酒をかもして。- (六)
賭 け事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク( 賭 づく)などのヅクで、それに就 く意。占いごとで、成 るか成 らぬかを賭 けたのである。- (七)藤のツル。
- (八)
沓 の中にはくもの。クツシタ。- (九)藤の花が男子に化して婚姻した形になり、神婚説話になる。
- (一〇)われわれの世界では、よく神の行為に習うべきである。
- (一一)現実の人間にならってか、負けたのに
賭 の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。- (一二)一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
- (一三)多くの目のあるあらい
籠 。- (一四)海水の満干を現わすために塩にまぜる。
- (一五)その子をして
呪 い言 をさせて。- (一六)
呪咀 の置物。
〔系譜(一)〕
またこの
およそこの品陀の天皇、御年
- (一)この系譜は、もとはじめの系譜に続いていたのを、中間に物語が挿入されたので、中断されたのであろう。
- (二)母の妹。
- (三)継体天皇は、この王の子孫である。
- (四)応神天皇の皇子。
- (五)前に出ない。系統不明。
- (六)大阪府南河内郡。
古事記 中つ巻
底本:
1956(昭和31)年5月20日初版発行
1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
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青空文庫作成ファイル:
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校註『古事記』(七)
稗田の阿礼、太の安万侶武田祐吉注釈校訂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)上《かみ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
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[#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し]
[#3字下げ]〔七、應神天皇〕[#「〔七、應神天皇〕」は中見出し]
[#5字下げ]〔后妃と皇子女〕[#「〔后妃と皇子女〕」は小見出し]
品陀和氣《ほむだわけ》の命(一)、輕島の明《あきら》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、品陀の眞若《まわか》の王(三)が女、三柱の女王《ひめみこ》に娶ひたまひき。一柱の御名は、高木の入日賣の命、次に中日賣の命、次に弟日賣の命。この女王たちの父、品陀の眞若の王は、五百木の入日子の命の、尾張の連の祖、建伊那陀の宿禰が女、志理都紀斗賣に娶ひて、生める子なり。
かれ高木の入日賣の御子、額田《ぬかだ》の大中《おほなか》つ日子《ひこ》の命、次に大山守《おほやまもり》の命、次に伊奢《いざ》の眞若の命、次に妹《いも》大原の郎女《いらつめ》、次に高目《たかもく》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。中日賣の命の御子、木《き》の荒田の郎女、次に大雀《おほさざき》の命(四)、次に根鳥《ねとり》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。弟日賣の命の御子、阿部の郎女、次に阿貝知《あはぢ》の三腹《みはら》の郎女、次に木の菟野《うの》の郎女、次に三野《みの》の郎女五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》、次に妹|八田《やた》の若郎女、次に女鳥《めどり》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。またその矢河枝比賣が弟、袁那辨《をなべ》の郎女に娶ひて生みませる御子、宇遲《うぢ》の若《わき》郎女一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また咋俣長日子《くひまたながひこ》の王が女、息長眞若中《おきながまわかなか》つ比賣に娶ひて、生みませる御子、若沼毛二俣《わかぬけふたまた》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また櫻井《さくらゐ》の田部《たべ》の連《むらじ》の祖、島垂根《しまたりね》が女、糸井《いとゐ》比賣に娶ひて、生みませる御子、速總別《はやぶさわけ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また日向《ひむか》の泉《いづみ》の長《なが》比賣に娶ひて、生みませる御子、大|羽江《はえ》の王《みこ》、次に小羽江《をはえ》の王、次に檣日《はたび》の若《わか》郎女三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また迦具漏《かぐろ》比賣に娶ひて生みませる御子、川原田《かはらだ》の郎女、次に玉の郎女、次に忍坂《おしさか》の大中《おほなか》つ比賣、次に登富志《とほし》の郎女、次に迦多遲《かたぢ》の王五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。また葛城《かづらき》の野の伊呂賣《いろめ》に娶ひて、生みませる御子、伊奢《いざ》の麻和迦《まわか》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて二十六王《はたちまりむはしら》[#割り注]男王十一、女王十五。[#割り注終わり]この中に大雀の命は、天の下治らしめしき。
(一) 應神天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 景行天皇の皇子。
(四) 仁徳天皇。
[#5字下げ]〔大山守の命と大雀の命〕[#「〔大山守の命と大雀の命〕」は小見出し]
ここに天皇、大山守の命と大雀の命とに問ひて詔りたまはく、「汝等《みましたち》は、兄なる子と弟なる子と、いづれか愛《は》しき」と問はしたまひき。[#割り注]天皇のこの問を發したまへる故は、宇遲の和紀郎子に天の下治らしめむ御心ましければなり。[#割り注終わり]ここに大山守の命白さく、「兄なる子を愛《は》しとおもふ」と白したまひき。次に大雀の命は、天皇の問はしたまふ大御心を知らして、白さく、「兄なる子は、既に人となりて、こは悒《いぶせ》きこと無きを、弟なる子は、いまだ人とならねば、こを愛しとおもふ」とまをしたまひき。ここに天皇詔りたまはく、「雀《さざき》、吾君《あぎ》の言《こと》ぞ、我が思ほすが如くなる」とのりたまひき。すなはち詔り別けたまひしくは、「大山守の命は、山海《うみやま》の政をまをしたまへ(一)。大雀の命は、食國《おすくに》の政執りもちて白したまへ(二)。宇遲《うぢ》の和紀《わき》郎子は、天つ日繼知らせ(三)」と詔り別けたまひき。かれ大雀の命は、大君の命《みこと》に違《たが》ひまつらざりき。
(一) 海山に關する事をつかさどりたまえ。ここは海はつけていうだけで、山林についてである。この大山守の命の物語は、山林の事を支配する部族が、そのおこりを語るのである。
(二) 天下の政治をおこないたまえ。
(三) 天皇の位につきたまえ。
[#5字下げ]〔葛野《かづの》の歌〕[#「〔葛野の歌〕」は小見出し]
或る時天皇、近つ淡海《あふみ》の國(一)に越え幸でましし時、宇遲野《うぢの》(二)の上に御立《みたち》して、葛野《かづの》(三)を望《みさ》けまして、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
千葉の(四) 葛野《かづの》を見れば、
百千足《ももちだ》る 家庭《やには》も見ゆ(五)。
國の秀《ほ》も(六)見ゆ。 (歌謠番號四二)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひたまひき。
(一) 滋賀縣。
(二) 京都府宇治郡。
(三) 京都市。今の桂川の平野。
(四) 枕詞。葉の多い意で、葛に冠する。
(五) 澤山充實している村邑も見える。ヤニハは、家屋のある平地。
(六) 國土のすぐれている所も見える。クニノホは、「國のまほろば」の接頭語接尾語の無い形。
[#5字下げ]〔蟹の歌〕[#「〔蟹の歌〕」は小見出し]
かれ木幡《こはた》の村(一)に到ります時に、その道衢《ちまた》に、顏|美《よ》き孃子遇へり。ここに天皇、その孃子に問ひたまはく、「汝《いまし》は誰が子ぞ」と問はしければ、答へて白さく、「丸邇《わに》の比布禮《ひふれ》の意富美《おほみ》(二)が女、名は宮主矢河枝《みやぬしやかはえ》比賣」とまをしき。天皇すなはちその孃子に詔りたまはく、「吾|明日《あすのひ》還りまさむ時、汝《いまし》の家に入りまさむ」と詔りたまひき。かれ矢河枝比賣、委曲《つぶさ》にその父に語りき。ここに父答へて曰はく、「こは大君にますなり。恐《かしこ》し、我《あ》が子仕へまつれ」といひて、その家を嚴飾《かざ》りて、候《さもら》ひ待ちしかば、明日《あすのひ》入りましき。かれ大|御饗《みあへ》獻《たてまつ》る時に、その女|矢河枝《やかはえ》比賣の命に大御酒盞を取らしめて獻る。ここに天皇、その大御酒盞を取らしつつ、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
この蟹《かに》や(三) 何處《いづく》の蟹。
百傳ふ(四) 角鹿《つぬが》の蟹。
横《よこ》さらふ(五) 何處に到る。
伊知遲《いちぢ》島 美《み》島(六)に著《と》き、
鳰鳥《みほどり》の(七) 潛《かづ》き息衝き、
しなだゆふ(八) 佐佐那美道《ささなみぢ》を
すくすくと 吾《わ》が行《い》ませばや、
木幡《こはた》の道に 遇はしし孃子《をとめ》、
後方《うしろで》は 小楯《をだて》ろかも(九)。
齒並《はなみ》は 椎菱《しひひし》なす(一〇)。
櫟井《いちゐ》の(一一) 丸邇坂《わにさ》の土《に》を、
初土《はつに》は(一二) 膚赤らけみ
底土《しはに》は に黒き故、
三栗《みつぐり》の(一三) その中つ土《に》を
頭著《かぶつ》く(一四) 眞火には當てず
眉畫《まよが》き 濃《こ》に書き垂れ
遇はしし女《をみな》。
かもがと(一五) 吾《わ》が見し兒ら
かくもがと 吾《あ》が見し兒に
うたたけだに(一六) 向ひ居《を》るかも
い副《そ》ひ居るかも。 (歌謠番號四三)
[#ここで字下げ終わり]
かくて御合《みあひ》まして、生みませる御子、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》なり。
(一) 京都府乙訓郡。
(二) 丸邇氏は、奈良の春日に居住して富み榮え、しばしばその女を皇室に納れている。古事記の歌物語の多くが、この氏と關係がある。後に春日氏となつた。柿本氏もこの別れである。丸邇氏の歌物語については、角川源義君にその研究がある。
(三) ヤは提示の助詞。蟹は鹿と共に古代食膳の常用とされ親しまれていたので、これらに扮裝して舞い歌われた。その歌は、そのものの立場において、歌うのでこれもその一つをもととしている。
(四) 枕詞。多くの土地を傳い行く意という。
(五) 横あるきをして。
(六) いずれも所在不明。
(七) 枕詞。ニホドリノに同じ。
(八) 枕詞。段になつて撓んでいる意という。
(九) うしろ姿は楯のようだ。ロは接尾語。
(一〇) 椎のみや菱のようだ。諸説がある。
(一一) イチヒの木の立つ井のある。
(一二) 上の方の土。
(一三) 枕詞。
(一四) 頭にあたる。
(一五) かようにありたいと。現に今あるようにと。次のかくもがとも同じ。
(一六) 語義不明。ウタタ(轉)を含むとすれば、その副詞形で、轉じて、今は變わつての意になる。
[#5字下げ]〔髮長比賣〕[#「〔髮長比賣〕」は小見出し]
天皇、日向の國の諸縣《もらがた》の君が女、名は髮長《かみなが》比賣それ顏容麗美《かほよ》しと聞こしめして、使はむとして、喚《め》し上げたまふ時に、その太子《ひつぎのみこ》大雀の命、その孃子《をとめ》の難波津に泊《は》てたるを見て、その姿容《かたち》の端正《うつくしき》に感《め》でたまひて、すなはち建内《たけしうち》の宿禰《すくね》の大臣に誂《あとら》へてのりたまはく、「この日向より喚《め》し上げたまへる髮長《かみなが》比賣は、天皇の大|御所《みもと》に請ひ白して、吾《あれ》に賜はしめよ」とのりたまひき。ここに建内の宿禰の大臣、大命《おほみこと》を請ひしかば、天皇すなはち髮長《かみなが》比賣をその御子に賜ひき。賜ふ状は、天皇の豐《とよ》の明《あかり》聞こしめしける日(一)に、髮長比賣に大御酒の柏《かしは》を取(二)らしめて、その太子に賜ひき。ここに御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
いざ子ども(三) 野蒜《のびる》摘みに、
蒜《ひる》摘みに わが行く道の
香ぐはし 花橘《はなたちばな》は、
上枝《ほつえ》は 鳥居|枯《が》らし、
下枝《しづえ》は 人取り枯《が》らし、
三栗の 中つ枝の
ほつもり(四) 赤ら孃子を、
いざささば(五) 好《よ》らしな。 (歌謠番號四四)
[#ここで字下げ終わり]
また、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
水|渟《たま》る(六) 依網《よさみ》の池(七)の
堰杙《ゐぐひ》打ち(八)が 刺しける知らに(九)、
※[#「くさかんむり/溥のつくり」、132-本文-8]《ぬなは》繰《く》り 延《は》へけく(一〇)知らに、
吾が心しぞ いやをこにして 今ぞ悔しき。 (歌謠番號四五)
[#ここで字下げ終わり]
と、かく歌ひて賜ひき。かれその孃子を賜はりて後に、太子《ひつぎのみこ》の歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
道の後《しり》(一一) 古波陀孃子《こはだをとめ》(一二)を、
雷《かみ》のごと 聞えしかども
相枕《あひまくら》纏《ま》く。 (歌謠番號四六)
[#ここで字下げ終わり]
また、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
道の後 古波陀孃子は、
爭はず 寢しくをしぞも(一三)、
愛《うるは》しみ思《おも》ふ。 (歌謠番號四七)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひたまひき。
(一) 酒宴をなされた日。
(二) 廣い葉に酒を盛つた。
(三) さあ皆の者。子どもは目下の者をいう。
(四) 語義不明。秀つ守りで、高く守つている意か。目立つてよい意に赤ら孃子を修飾するのだろう。日本書紀にはフホゴモリとある。
(五) さあなされたら。ササは、動詞爲の敬語の未然形だろう。動詞|寢《ぬ》の敬語をナスという類。
(六) 敍述による枕詞。
(七) 大阪市東成區。
(八) その池の水をたたえるヰのクヒをうつてあるのが。
(九) ニは打消の助動詞ヌの連用形。
(一〇) のびていること。ケは時の助動詞キの古い活用形だろうとされる。以上譬喩で、太子の思いがなされていたことをえがく。
(一一) 遠い土地の。
(一二) コハダは日向の國の地名だろう。
(一三) 寢たことを。上のシは時の助動詞。クはコトの意の助詞。ヲシゾモ、助詞。
[#5字下げ]〔國主歌《くずうた》〕[#「〔國主歌〕」は小見出し]
また、吉野《えしの》の國主《くず》(一)ども、大雀の命の佩《は》かせる御刀を見て、歌ひて曰ひしく、
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品陀《ほむだ》の 日の御子(二)、
大雀《おほさざき》 大雀。
佩かせる大刀、
本劍《もとつるぎ》 末《すゑ》ふゆ(三)。
冬木の すからが下《した》木の(四) さやさや(五)。 (歌謠番號四八)
[#ここで字下げ終わり]
また、吉野の白檮《かし》の生《ふ》(六)に横臼《よくす》(七)を作りて、その横臼に大御酒《おほみき》を釀《か》みて、その大御酒を獻る時に、口鼓《くちつづみ》を撃ち(八)、伎《わざ》をなして(九)、歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
白檮《かし》の生《ふ》に 横臼《よくす》を作り、
横臼に 釀《か》みし大御酒、
うまらに 聞こしもちをせ(一〇)。
まろが父《ち》(一一)。 (歌謠番號四九)
[#ここで字下げ終わり]
この歌は、國主《くず》ども大|贄《にへ》獻る時時、恆に今に至るまで歌ふ歌なり。
(一) 吉野山中の住民。七六頁[#「七六頁」は「神武天皇」の「熊野より大和へ」]に國巣とある。
(二) 應神天皇の皇子樣。
(三) 劒の刃先が威力を現している。
(四) 冬の木の枯れている木の下の。この二句、種々の説がある。
(五) 劒の清明であるのをたたえた語。
(六) 白檮の生えているところ。
(七) たけの低い臼。その臼で材料をついて酒をかもす。
(八) 太鼓のような聲を出して。
(九) 手ぶり物まねなどして。
(一〇) うまそうに召しあがれ。ヲセは、食すの命令形。
(一一) われらが父よ。
[#5字下げ]〔文化の渡來〕[#「〔文化の渡來〕」は小見出し]
この御世に、海部《あまべ》、山部《やまべ》、山守部《やまもりべ》、伊勢部《いせべ》(一)を定めたまひき。また劒の池(二)を作りき。また新羅人《しらぎひと》まゐ渡り來つ。ここを以ちて建内の宿禰の命、引き率《ゐ》て、堤の池に渡りて(三)、百濟《くだら》の池(四)を作りき。
また百濟の國主《こにきし》照古《せうこ》王(五)、牡馬《をま》壹疋《ひとつ》、牝馬《めま》壹疋を、阿知吉師《あちきし》(六)に付けて貢《たてまつ》りき。この阿知吉師は阿直《あち》の史等が祖なり。また大刀と大鏡とを貢りき。また百濟の國に仰せたまひて、「もし賢《さか》し人あらば貢れ」とのりたまひき。かれ命を受けて貢れる人、名は和邇吉師《わにきし》、すなはち論語|十卷《とまき》、千字文(七)一卷、并はせて十一卷《とをまりひとまき》を、この人に付けて貢りき。この和爾吉師は文の首等が祖なり。また手人|韓鍛《からかぬち》(八)名は卓素《たくそ》、また呉服《くれはとり》西素《さいそ》(九)二人を貢りき。また秦《はた》の造《みやつこ》の祖、漢《あや》の直《あたへ》の祖、また酒《みき》を釀《か》むことを知れる人、名は仁番《にほ》、またの名は須須許理《すすこり》等、まゐ渡り來つ。かれこの須須許理、大御酒を釀《か》みて獻りき。ここに天皇、この獻れる大御酒にうらげて(一〇)、御歌よみしたまひしく、
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須須許理が 釀《か》みし御酒に われ醉ひにけり。
事|無酒咲酒《なぐしゑぐし》(一一)に、われ醉ひにけり。 (歌謠番號五〇)
[#ここで字下げ終わり]
かく歌ひつつ幸でましし時に、御杖もちて、大坂(一二)の道中なる大石を打ちたまひしかば、その石走り避《さ》りき。かれ諺に堅石《かたしは》も醉人《ゑひびと》を避《さ》るといふなり。
(一) 以上、大山守の命に命じたことをいう。但し物語とは別の資料によつたのだろう。
(二) 奈良縣高市郡。既出。別傳か、修理か。
(三) 不明瞭で諸説がある。
(四) 奈良縣北葛城郡。
(五) 百濟の第十三代の近肖古王。
(六) キシは尊稱。下同じ。日本書紀に阿直支《あちき》。
(七) 廣く行われている周興嗣次韵の千字文はまだ出來ていなかつた。
(八) 工人である朝鮮の鍛冶人。
(九) 大陸風の織物工の西素という人。
(一〇) 浮かれ立つて。
(一一) 事の無い愉快な酒。クシは酒。
(一二) 二上山を越える道。
[#5字下げ]〔大山守の命と宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》〕[#「〔大山守の命と宇遲の和紀郎子〕」は小見出し]
かれ天皇|崩《かむあが》りましし後に、大雀の命は、天皇の命のまにまに、天の下を宇遲の和紀郎子に讓りたまひき。ここに大山守の命は、天皇の命に違ひて、なほ天の下を獲むとして、その弟皇子《おとみこ》を殺さむとする心ありて、竊《みそか》に兵《つはもの》を設《ま》けて攻めむとしたまひき。ここに大雀の命、その兄の軍を備へたまふことを聞かして、すなはち使を遣して、宇遲の和紀郎子に告げしめたまひき。かれ聞き驚かして、兵を河の邊《べ》に隱し、またその山の上に、※[#「糸+施のつくり」、第3水準1-90-1]垣《きぬがき》(一)を張り、帷幕《あげばり》(二)を立てて、詐りて、舍人《とねり》を王になして、露《あらは》に呉床《あぐら》にませて、百官《つかさづかさ》、敬《ゐやま》ひかよふ状、既に王子のいまし所の如くして、更にその兄王の河を渡りまさむ時のために、船|※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を具へ飾り、また佐那葛《さなかづら》(三)の根を臼搗《うすづ》き、その汁の滑《なめ》を取りて、その船の中の簀椅《すばし》に塗りて、蹈みて仆るべく設《ま》けて、その王子は、布《たへ》の衣褌《きぬはかま》を服《き》て、既に賤人《やつこ》の形になりて、※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を取りて立ちましき。ここにその兄王、兵士《いくさびと》を隱し伏せ、鎧を衣の中に服《き》せて、河の邊に到りて、船に乘らむとする時に、その嚴飾《かざ》れる處を望《みさ》けて、弟王その呉床《あぐら》にいますと思ほして、ふつに※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]《かぢ》を取りて船に立ちませることを知らず、すなはちその※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]執れる者に問ひたまはく、「この山に怒れる大猪ありと傳《つて》に聞けり。吾その猪を取らむと思ふを、もしその猪を獲むや」と問ひたまへば、※[#「楫+戈」、第3水準1-86-21]執れる者答へて曰はく、「得たまはじ」といひき。また問ひたまはく、「何とかも」と問ひたまへば、答へたまはく「時時《よりより》往往《ところどころ》にして、取らむとすれども得ず。ここを以ちて得たまはじと白すなり」といひき。渡りて河中に到りし時に、その船を傾《かたぶ》けしめて、水の中に墮し入れき。ここに浮き出でて、水のまにまに流れ下りき。すなはち流れつつ歌よみしたまひしく(四)、
[#ここから2字下げ]
ちはやぶる(五) 宇治の渡に、
棹取りに 速《はや》けむ人し わが伴《もこ》に來《こ》む(六)。 (歌謠番號五一)
[#ここで字下げ終わり]
と歌ひき。ここに河の邊に伏し隱れたる兵、彼廂此廂《あなたこなた》、一時《もろとも》に興りて、矢刺して流しき。かれ訶和羅《かわら》の前《さき》(七)に到りて沈み入りたまふ。かれ鉤《かぎ》を以ちて、その沈みし處を探りしかば、その衣の中なる甲《よろひ》に繋《か》かりて、かわらと鳴りき。かれ其所《そこ》に名づけて訶和羅の前といふなり。ここにその骨《かばね》を掛き出だす時に、弟王、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
ちはや人(八) 宇治の渡に、
渡瀬《わたりぜ》に立てる 梓弓《あづさゆみ》檀《まゆみ》(九)。
いきらむと(一〇) 心は思《も》へど、
い取らむと 心は思《も》へど、
本方《もとべ》(一一)は 君を思ひ出《で》、
末方《すゑへ》(一二)は 妹を思ひ出《で》、
いらなけく(一三) そこに思ひ出《で》、
愛《かな》しけく ここに思ひ出《で》、
いきらずぞ來《く》る。梓弓檀。 (歌謠番號五二)
[#ここで字下げ終わり]
かれその大山守の命の骨は、那良《なら》山に葬《をさ》めき。この大山守の命は土形《ひぢかた》の君、幣岐《へき》の君、榛原《はりはら》の君等が祖なり。
ここに大雀の命と宇遲の和紀郎子と二柱、おのもおのも天の下を讓りたまふほどに、海人《あま》大|贄《にへ》を貢りつ。ここに兄は辭《いな》びて、弟に貢らしめたまひ、弟はまた兄に貢らしめて、相讓りたまふあひだに既に許多《あまた》の日を經つ。かく相讓りたまふこと一度二度にあらざりければ、海人《あま》は既に往還《ゆきき》に疲れて泣けり。かれ諺に、「海人《あま》なれや、おのが物から音《ね》泣く(一四)」といふ。然れども宇遲の和紀郎子は早く崩《かむさ》りましき。かれ大雀の命、天の下治らしめしき。
(一) 荒い絹の幕。
(二) あげて張つた幕。天幕。
(三) ビナンカズラ。
(四) 流れながら歌つたというのは、山守部のともがらの演出だからである。現在の昔話に、猿聟入りの話があり、聟の猿が川に落ちて流れながら歌うことがある。
(五) 枕詞。威力をふるう。ここは宇治川が急流なのでいう。
(六) 自分のなかまに來てくれ。
(七) 所在不明。
(八) 枕詞。つよい人。地名のウヂが、元來威力を意味する語なのであろう。
(九) 梓弓と檀弓。アヅサはアカメガシハ。マユミはヤマニシキギ。共に弓材になる樹。
(一〇) イ切ルで、イは接頭語。切ろうと。
(一一) 弓の下の方。
(一二) 弓の上の方。
(一三) 心のいらいらする形容。
(一四) 海人だからか、自分の物ゆえに泣く。魚が腐り易いからだという。
[#5字下げ]〔天《あめ》の日矛《ひぼこ》〕[#「〔天の日矛〕」は小見出し]
また昔|新羅《しらぎ》の國主《こにきし》の子、名は天《あめ》の日矛《ひぼこ》といふあり(一)。この人まゐ渡り來つ。まゐ渡り來つる故は、新羅の國に一つの沼あり、名を阿具沼《あぐぬま》といふ。この沼の邊に、ある賤の女晝寢したり。ここに日の耀《ひかり》虹《のじ》のごと、その陰上《ほと》に指したるを、またある賤の男、その状を異《あや》しと思ひて、恆にその女人《をみな》の行を伺ひき。かれこの女人、その晝寢したりし時より、姙みて、赤玉を生みぬ(二)。ここにその伺へる賤の男、その玉を乞ひ取りて、恆に裹《つつ》みて腰に著けたり。この人、山谷《たに》の間に田を作りければ、耕人《たひと》どもの飮食《をしもの》を牛に負せて、山谷《たに》の中に入るに、その國主《こにきし》の子|天《あめ》の日矛《ひぼこ》に遇ひき。ここにその人に問ひて曰はく、「何《な》ぞ汝《いまし》飮食を牛に負せて山谷《たに》の中に入る。汝《いまし》かならずこの牛を殺して食ふならむ」といひて、すなはちその人を捕へて、獄内《ひとや》に入れむとしければ、その人答へて曰はく、「吾、牛を殺さむとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」といふ。然れどもなほ赦さざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その國主《こにきし》の子に幣《まひ》しつ。かれその賤の夫を赦して、その玉を持ち來て、床の邊《べ》に置きしかば、すなはち顏美き孃子になりぬ。仍《よ》りて婚《まぐはひ》して嫡妻《むかひめ》とす。ここにその孃子、常に種種の珍《ため》つ味《もの》を設けて、恆にその夫《ひこぢ》に食はしめき。かれその國主《こにきし》の子心奢りて、妻《め》を詈《の》りしかば、その女人の言はく、「およそ吾は、汝《いまし》の妻《め》になるべき女にあらず。吾が祖《みおや》の國に行かむ」といひて、すなはち竊《しの》びて小《を》船に乘りて、逃れ渡り來て、難波に留まりぬ。[#割り注]こは難波の比賣碁曾の社(三)にます阿加流比賣といふ神なり。[#割り注終わり]
ここに天の日矛、その妻《め》の遁れしことを聞きて、すなはち追ひ渡り來て、難波に到らむとする間《ほど》に、その渡の神|塞《さ》へて入れざりき。かれ更に還りて、多遲摩《たぢま》の國(四)に泊《は》てつ。すなはちその國に留まりて、多遲摩の俣尾《またを》が女、名は前津見《まへつみ》に娶《あ》ひて生める子、多遲摩|母呂須玖《もろすく》。これが子多遲摩|斐泥《ひね》。これが子多遲摩|比那良岐《ひならき》。これが子多遲摩|毛理《もり》(五)、次に多遲摩|比多訶《ひたか》、次に清日子《きよひこ》三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この清日子、當摩《たぎま》の※[#「口+羊」、第3水準1-15-1]斐《めひ》に娶ひて生める子、酢鹿《すが》の諸男《もろを》、次に妹|菅竈由良度美《すがかまゆらどみ》、かれ上にいへる多遲摩比多訶、その姪由良度美に娶ひて生める子、葛城《かづらき》の高額《たかぬか》比賣の命。[#割り注]こは息長帶比賣(六)の命の御祖なり。[#割り注終わり]
かれその天の日矛の持ち渡り來つる物は、玉《たま》つ寶《たから》といひて、珠二|貫《つら》(七)、また浪《なみ》振《ふ》る比禮《ひれ》、浪《なみ》切《き》る比禮、風振る比禮、風切る比禮(八)、また奧《おき》つ鏡、邊《へ》つ鏡(九)、并はせて八種なり。[#割り注]こは伊豆志の八前の大神(一〇)なり。[#割り注終わり]
(一) 日本書紀に垂仁天皇の卷に見え、播磨國風土記に、葦原シコヲの命との交渉を記している。
(二) 卵生説話の一。その玉が孃子に化したとする。この點からいえば神婚説話であつて、外來の形を傳えていると見られるのが注意される。
(三) 大阪市東成區。
(四) 兵庫縣の北部。
(五) 垂仁天皇の御代に常世の國に行つて橘を持つて來た人。一〇四頁[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「時じくの香の木の實」]參照。
(六) 神功皇后。
(七) 珠を緒に貫いたもの二つ。
(八) 以上四種のヒレは、風や波を起しまたしずめる力のあるもの。浪振るは浪を起す。浪切るは浪をしずめる。風も同樣。ヒレについては四二頁[#「四二頁」は「大國主の神」の「根の堅州國」]脚註參照。
(九) 二種の鏡は、海上の平安を守る鏡。オキツは海上遠く、ヘツは海邊。
(一〇) 兵庫縣出石郡の出石神社。
[#5字下げ]〔秋山の下氷壯夫《したびをとこ》と春山の霞壯夫〕[#「〔秋山の下氷壯夫と春山の霞壯夫〕」は小見出し]
かれここに神の女(一)、名は伊豆志袁登賣《いづしをとめ》の神(二)います。かれ八十神、この伊豆志袁登賣を得むとすれども、みなえ婚《よば》はず。ここに二柱の神あり。兄の名を秋山の下氷壯夫《したびをとこ》(三)、弟の名は春山の霞壯夫《かすみをとこ》なり。かれその兄、その弟に謂ひて、「吾、伊豆志袁登賣を乞へども、え婚はず。汝《いまし》この孃子を得むや」といひしかば答へて曰はく、「易く得む」といひき。ここにその兄の曰はく、「もし汝、この孃子を得ることあらば、上下の衣服《きもの》を避《さ》(四)り、身の高《たけ》を量りて甕《みか》に酒を釀《か》み(五)、また山河の物を悉に備へ設けて、うれづく(六)をせむ」といふ。ここにその弟、兄のいへる如、つぶさにその母に白ししかば、すなはちその母、ふぢ葛《かづら》(七)を取りて、一夜の間《ほど》に、衣《きぬ》、褌《はかま》、また襪《したぐつ》(八)、沓《くつ》を織り縫ひ、また弓矢を作りて、その衣褌等を服しめ、その弓矢を取らしめて、その孃子の家に遣りしかば、その衣服も弓矢も悉に藤の花になりき。ここにその春山の霞壯夫、その弓矢を孃子の厠に繋けたるを、ここに伊豆志袁登賣、その花を異《あや》しと思ひて、持ち來る時に、その孃子の後に立ちて、その屋に入りて、すなはち婚《まぐはひ》しつ(九)。かれ一人の子を生みき。
ここにその兄に白して曰はく、「吾《あ》は伊豆志袁登賣を得つ」といふ。ここにその兄、弟の婚ひつることを慨《うれた》みて、そのうれづくの物を償はざりき。ここにその母に愁へ白す時に、御祖の答へて曰はく、「我が御世の事、能くこそ神習はめ(一〇)。またうつしき青人草習へや、その物償はぬ(一一)」といひて、その兄なる子を恨みて、すなはちその伊豆志河《いづしかは》の河島の一|節竹《よだけ》(一二)を取りて、八《や》つ目《め》の荒籠《あらこ》(一三)を作り、その河の石を取り、鹽に合へて(一四)、その竹の葉に裹み、詛言《とこひい》はしめしく(一五)、「この竹葉《たかば》の青むがごと、この竹葉の萎《しな》ゆるがごと、青み萎えよ。またこの鹽の盈《み》ち乾《ふ》るがごと、盈ち乾《ひ》よ。またこの石の沈むがごと、沈み臥せ」とかく詛《とこ》ひて、竈《へつひ》の上に置かしめき。ここを以ちてその兄八年の間に干《かわ》き萎え病み枯れき。かれその兄患へ泣きて、その御祖に請ひしかば、すなはちその詛戸《とこひど》(一六)を返さしめき。ここにその身本の如くに安平《やすら》ぎき。[#割り注]こは神うれづくといふ言の本なり。[#割り注終わり]
(一) 出石の神が通つて生んだ女子。
(二) イヅシは地名、前項參照。
(三) シタビは、赤く色づくこと。「秋山の下べる妹」(萬葉集)。秋の美を名とした男。春山の霞壯夫と對立する。
(四) 上下の衣服をぬいで讓り。
(五) 身長と同じ高さの瓶に酒をかもして。
(六) 賭事。ウレは、ウラナフ(占う)、ウラ(心)などのウラ、ウレタシ(心痛し)のウレと同語。ヅクは、カケヅク(賭づく)などのヅクで、それに就く意。占いごとで、成るか成らぬかを賭けたのである。
(七) 藤の蔓。
(八) 沓の中にはくもの。クツシタ。
(九) 藤の花が男子に化して婚姻した形になり神婚説話になる。
(一〇) われわれの世界では、よく神の行爲に習うべきである。
(一一) 現實の人間にならつてか、負けたのに賭の物をよこさない。人間の世界は不信で、そのまねをしている。
(一二) 一節の長さの竹。ヨは竹の節と節との中間をいう。
(一三) 多くの目のあるあらい籠。
(一四) 海水の滿干を現すために鹽にまぜる。
(一五) その子をして呪い言をさせて。
(一六) 呪咀の置物。
[#5字下げ]〔系譜(一)〕[#「〔系譜(一)〕」は小見出し]
またこの品陀《ほむだ》の天皇の御子、若野毛二俣《わかのけふたまた》の王、その母の弟(二)、百師木伊呂辨《ももしきいろべ》、またの名は弟日賣眞若《おとひめまわか》比賣の命に娶ひて生みませる子、大郎子《おほいらつこ》、またの名は意富富杼《おほほど》の王(三)、次に忍坂《おさか》の大中津《おほなかつ》比賣の命、次に田井《たゐ》の中比賣、次に田宮《たみや》の中比賣、次に藤原の琴節《ことふし》の郎女《いらつめ》、次に取賣《とりめ》の王、次に沙禰《さね》の王七柱[#「七柱」は1段階小さな文字]。かれ意富富杼の王は三國の君、波多の君、息長の君、筑紫の米多の君、長坂の君、酒人の君、山道の君、布勢の君等が祖なり。また根鳥の王(四)、庶妹《ままいも》三腹《みはら》の郎女に娶ひて生みませる子、中日子《なかひこ》の王、次に伊和島《いわじま》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また堅石《かたしは》の王(五)の子は、久奴《くぬ》の王なり。
およそこの品陀の天皇。[#句点は底本のまま]御年|一百三十歳《ももぢまりみそぢ》。甲午の年九月九日に崩りたまひき。御陵は、川内《かふち》の惠賀《ゑが》の裳伏《もふし》の岡(六)にあり。
(一) この系譜は、もとはじめの系譜に續いていたのを、中間に物語が插入されたので、中斷されたのであろう。
(二) 母の妹。
(三) 繼體天皇は、この王の子孫である。
(四) 應神天皇の皇子。
(五) 前に出ない。系統不明。
(六) 大阪府南河内郡。
古事記 中つ卷
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底本:
1956(昭和31)年5月20日初版発行
1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。- [奈良県]
- 高市郡 たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
- 軽島の明の宮 かるのしまの あきらのみや → 軽島豊明宮
- 軽島豊明宮 かるのしまの とよあきらのみや 軽島明宮とも。応神天皇の皇居。記には品陀和気命(応神天皇)が軽島明宮で天下を治めたとあり、また、紀の応神41年条に天皇が明宮で崩じたことが見えるが詳細は不明。所在地は現在の奈良県橿原市大軽町にある春日神社付近と推定される(日本史)。
- 剣の池 つるぎのいけ 剣池。大和国高市郡にあった古代の池。記によれば孝元天皇陵はこの池の中の岡の上にあって剣池島上陵とよばれ、橿原市石川町に比定。
(日本史) - [奈良市]
- 春日 かすが (枕詞の「春日(はるひ)を」が「かすが」の地にかかることからの当て字) (1) 奈良市春日野町春日神社一帯の称。(2) 奈良市およびその付近の称。
- 堤の池
- 北葛城郡 きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)
、忍海郡の一部。 - 百済の池 くだらのいけ
- 那良山 ならやま → 奈良山か
- 奈良山 ならやま 奈良県添上郡佐保および生駒郡都跡村の北の丘陵。現在は奈良市に編入。平城山。
(歌枕) - 二上山 ふたかみやま 奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる山。雄岳(517m)と雌岳(474m)の2峰から成る。万葉集にも歌われ、大津皇子墓と伝えるものや葛城二上神社がある。にじょうさん。
- 丸邇坂 わにさか 丸邇村。現、天理市和爾町。上(かみ)街道の楢(なら)村東方丘陵に位置する。紀の神武天皇即位前紀に「和珥坂下(わにさかもと)
」、同崇神天皇10年9月条に「和珥坂上」 「和珥武〓(わにたけすきの)坂上(さかのへ) 」(記の崇神・応神天皇段には丸邇坂(わにさか) 、丸邇佐(わにさ) )、同推古天皇21年11月条に「和珥池」 (記の仁徳天皇段には丸邇池)の地名がみえ、記紀は丸邇・和珥と区別表記する。 - 吉野 えしの/よしの 奈良県南部の地名。吉野川流域の総称。大和国の一郡で、平安初期から修験道の根拠地。古来、桜の名所で南朝の史跡が多い。
- 吉野山 よしのやま 奈良県中部、大峰山脈の北側の一支脈の称。南朝の所在地で史跡に富み、古来桜の名所、修験道の根本道場の地。
- 近つ淡海 ちかつおうみ 近江。浜名湖を「遠つ淡海」というのに対して、琵琶湖の称。また、近江の古称。
- [滋賀県]
- [京都府]
- 宇治郡 うじぐん 山城国・京都府に存在した郡。郡域は現在の京都市南東部と宇治市東部に相当する。京都市の南東部では、伏見区と山科区の一部が含まれる。
- 宇遅野 うじの → 宇治野
- 宇治野 うじの 村名。現、中央区。六甲山地南麓段丘上に立地する。
- 葛野 かづの → 葛野郡か 京都市。今の桂川の平野。
- 葛野郡 かどのぐん 『和名抄』は高山寺本に「カトノ」、刊本郡部に「加止乃」と訓ず。橋頭・大岡・山田・川辺・葛野・川嶋・上林・櫟原・高田・下林・綿代・田邑の12郷よりなり(和名抄)
、およそ京都盆地の西北部分にあたる。全域現京都市域。本郡を早く開拓したのは渡来系氏族秦氏。葛野の地に堰堤を造ったことが知られ、これによって郡域を農耕可能地とした。 - 桂川 かつらがわ 京都市南西部を流れる川。大堰川の下流。鴨川を合わせ、宇治川に合流して淀川となる。かつては鮎の産で有名。
- 木幡 こはた 京都府宇治市の北部にある地名。古くは京都市伏見区深草あたりまでを含み、奈良街道の道筋にあたった。製茶問屋が多い。木旗。強田。
- 乙訓郡 おとくにぐん 山城国西部の郡。現在の京都府乙訓郡・京都市・向日市・長岡京市にあたる。継体12年から同20年まで弟国宮が営まれた。桓武天皇は784(延暦3)から794年まで当郡長岡村に長岡京を営んだ。現在、大山崎町の一町。
(日本史) - 宇治の渡り うじのわたり 現、宇治市。古北陸道(のちの奈良街道)が宇治川を越す辺りの渡河点。記紀に大山守命の歌や、菟道稚郎子の長歌があり、古くから重要な渡りであった。
- 宇治 うじ 京都府南部の市。宇治川の谷口に位置し、茶の名産地。平安時代、貴人の別荘地・遊楽地。平等院・黄檗宗本山万福寺がある。人口19万。
(歌枕) - 宇治川 うじがわ 京都府宇治市域を流れる川。琵琶湖に発し、上流を瀬田川、宇治に入って宇治川、京都市伏見区淀付近に至って木津川・桂川と合流し、淀川と称する。網代で氷魚・鮎を捕った「宇治の網代」や宇治川の合戦で名高い。
- 訶和羅の前 かわらのさき
- 和訶羅河 わからがわ 木津川。淀川の支流。川名は流域によって伊賀川・笠置川・鴨川ともよばれる。古文献には輪韓川・山背川・泉河などと記されてきた。
- [福井県]
- 角鹿 つぬが → 敦賀
- 敦賀 つるが 福井県の南部、敦賀湾に面する港湾都市。古代から日本海側における大陸交通の要地。奈良時代には角鹿と称。原子力発電所が立地。人口6万8千。/郡域は現、敦賀市・南条郡・武生市南西部・丹生郡西南部にわたっていた。
『和名抄』東急本郡部は「都留我」と訓ずる。古くは角鹿と記し、 「つぬが」と訓じた。紀の垂仁天皇2年の条の注に、崇神天皇のとき「意富加羅国」の王子「都怒我阿羅斯等」が笥飯(けひ)浦に来着したが、額に角があったのでこの地を角鹿と称したと記す。 - 伊知遅島 いちじのしま 「伊知地(いじち)
」? 伊知地は現、勝山市。 - 美島 みしま
- [大坂]
- 難波津 なにわづ (1) 難波江の要津。古代には、今の大阪城付近まで海が入りこんでいたので、各所に船瀬を造り、瀬戸内海へ出る港としていた。(2) 古今集仮名序に手習の初めに学ぶとある歌。すなわち「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」をいう。王仁の作という伝説があり、奈良時代にすでに手習に用いられていた。
- 大阪市 おおさかし 大阪湾の北東岸、淀川の河口付近にある市。府庁所在地。近畿地方の中心都市。政令指定都市の一つ。阪神工業地帯の中核。古称、難波。室町時代には小坂・大坂といい、明治初期以降「大阪」に統一。仁徳天皇の高津宮が置かれて以来、幾多の変遷を経、明応(1492〜1501)年間、蓮如が生玉の荘に石山御坊を置いてから町が発達、天正(1573〜1592)年間、豊臣秀吉の築城以来、商業都市となった。運河が多く、
「水の都」の称もある。人口262万9千。 - 東成区 ひがしなりく 大阪市の東部にあり、東を東大阪市と接する。北は城東区、南は生野区、西は天王寺区、東区。
- 依網の池 よさみのいけ → 依網
- 依網 よさみ 摂津国住吉郡と河内国丹比郡の境界付近の古代地名。依網池は現、大阪市住吉区苅田・我孫子町から堺市常磐町にかけて復元。
(日本史) - 難波の比売碁曽の社 → 比売碁曽の社 (2)
- 比売碁曽の社 (1) 比売語曽社 ひめこそしゃ 現、大分県東国東郡姫島村。両瀬の明神様とよばれる。姫古曽神社(豊後国古蹟名寄)
、比売許曽神社(豊後志)などとも記された。祭神は比売語曽神。(2) 比売許曽神社 ひめこそ じんじゃ 現、大阪府東成区東小橋三丁目。東小橋の字大小橋にあり、下照比売命を主神とし、速素戔嗚命・味耜高彦根命・大小橋命・大鷦鷯命・橘豊日命を配祀。旧村社。 『延喜式』神名帳、東成郡の「比売許曽(ヒメコソノ)神社」に比定されている。当時、下照比売社ともよんだとみえる。 - 南河内郡 みなみかわちぐん 府の南東部、旧河内国の南部にあたる。明治29(1896)成立。当時の南河内郡は、東は金剛山・葛城山の金剛山地で奈良県、南は和泉山脈で和歌山県、西は泉北郡、北は中河内郡に接し、中河内郡との間に大和川が流れていた。
- 恵賀 えが 現、羽曳野市恵我之荘か。
- 恵賀の裳伏の岡 えがの もふしの おか 現、羽曳野市誉田。誉田御廟山古墳。応神天皇陵に比定されている。
- [兵庫県]
- [但馬] たじま 旧国名。今の兵庫県の北部。但州。
- 多遅摩の国 たじまのくに → 但馬
- 出石郡 いづしぐん 但馬地方の郡で、県の北部東寄りに位置する。近代以降の分離・編入で郡北西部の安美(あなみ)地区が豊岡市に編入されたが、令制以来の出石郡は但馬国の東端を占め、南西は養父郡、西は気多郡・城崎郡、北は丹後国熊野郡、東は同国丹波郡(のちに中郡)
・与謝郡、南東から南は丹波国天田郡に接していた。丹後山地を水源として郡域を貫流する出石川は、円山川の右岸に注ぐ。出石川の流域に出石盆地が形成されるものの平地は少なく、標高400〜800メートル級の山々に囲まれる郡域の多くが山間地である。 - 出石神社 いずし じんじゃ 兵庫県豊岡市出石町宮内にある元国幣中社。祭神は天日槍命。同命が将来したという8種の神宝を神体とする。但馬国一の宮。
- 伊豆志河 いづしかわ → 出石川
- 出石川 いずしがわ 円山川水系の支流で兵庫県豊岡市を流れる一級河川。兵庫県豊岡市但東町小坂に源を発して北西に流れる。豊岡市街地付近にて円山川に合流する。
- [新羅] しらぎ (古くはシラキ)古代朝鮮の国名。三国の一つ。前57年頃、慶州の地に赫居世が建てた斯盧国に始まり、4世紀、辰韓諸部を統一して新羅と号した。6世紀以降伽�(加羅)諸国を滅ぼし、また唐と結んで百済・高句麗を征服、668年朝鮮全土を統一。さらに唐の勢力を半島より駆逐。935年、56代で高麗の王建に滅ぼされた。中国から取り入れた儒教・仏教・律令制などを独自に発展させ、日本への文化的・社会的影響大。しんら。
(356〜935) - 阿具沼 あぐぬま
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- 品陀和気の命 ほむだわけのみこと → 応神天皇
- 応神天皇 おうじん てんのう 記紀に記された天皇。5世紀前後に比定。名は誉田別。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされるが、天皇の誕生については伝説的な色彩が濃い。倭の五王のうち「讃」にあてる説がある。異称、胎中天皇。
- 品陀の真若の王 ほむだのまわかのみこ 父は景行天皇の皇子五百木の入日子命。母は尾張連の祖の建伊那陀の宿祢の女志理都紀斗売。
『旧事紀』では母を尾綱真若刀婢命、紀を母の妹の金田屋野姫命とする。応神天皇妃の高木の入日売命、中日売命、弟日売命の父。 (神名) - 高木の入日売の命 たかぎのいりひめのみこと 高城入姫(紀)。品陀の真若王の女。姉妹の中日売命、弟日売命と共に応神天皇の妃となり、額田の大中つ日子命、大山守命、伊奢の真若命、大原郎女、高目郎女の五人を生んだ。
(神名) - 中日売の命 なかつひめのみこと 仲姫(紀)。品陀の真若王の女。姉妹の高木の入日売命、弟日売命と共に応神天皇の妃となり、木の荒田の郎女、大雀命(仁徳天皇)
、根鳥命を生んだ。紀によれば、姉妹のうち仲姫が皇后となっている。 (神名) - 弟日売の命 おとひめのみこと (3) 応神天皇の妃。品陀の真若王の女。姉二人と共に召され、王子を生んだ。
(神名) - 五百木の入日子の命 いおきのいりひこのみこと 五百城入彦皇子(紀)。景行天皇の皇子。母は八尺入日子命の女八坂之入日売命。若帯日子命(成務天皇)
、倭建御子と共に太子であった。 (神名) - 尾張の連 → 尾張氏
- 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。
(日本史) - 建伊那陀の宿祢 たけいなだのすくね 建稲種命。健伊那陀宿祢。邇芸速日命12世の孫で乎止興命の子。尾張連らの祖。景行・成務二朝に仕え、倭建御子の東征を迎えて皇軍を犒労した。命の妃宮酢姫は妹。女の志理都紀斗売は五百木の入日子命に嫁し、応神天皇の后妃の祖となる。
(旧事紀・寛平縁起) (神名) - 志理都紀斗売 しりつきとめ 建伊那陀の宿祢の娘。五百木の入日子の命との間に品陀の真若の王を生む。
(神名) - 額田の大中つ日子の命 ぬかだのおおなかつひこのみこと 応神天皇の皇子。母は高木入日売。仁徳紀に倭の屯田と屯倉の管掌を求めたが拒否されたこと、また狩りの途中にみつけた氷室の氷を天皇に献じたことを載せる。
(神名) - 大山守の命 おおやまもりのみこと 大山守皇子(紀)か。/応神天皇の皇子。皇位を望んで太子の宇遅の若郎子に対して反乱を起こす。しかし、大雀の命によって討たれ、宇治川で殺された。
(神名) - 伊奢の真若の命 いざのまわかのみこと 「王(みこ)
」。応神天皇の皇子。母は葛城の野の伊呂売。 (神名) - 大原の郎女 おおはらのいらつめ 大原皇女(紀)。応神天皇の皇女。母は高木入日売命。
(神名) - 高目の郎女 たかもくのいらつめ/こむくのいらつめ 応神天皇の子。母は高木入日売命。
(神名) - 木の荒田の郎女 きのあらたのいらつめ 荒田皇女(紀)。応神天皇の子。母は中日売命。
(神名) - 大雀の命 → おおさざきのみこと 仁徳天皇
- 仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
- 根鳥の命 ねとりのみこと 根取皇子(紀)。根鳥王とも記す。応神天皇の皇子で、母は中日売命。異母妹の阿具知能三腹郎女を妻とした。
(神名) - 阿部の郎女 あべのいらつめ
- 阿貝知の三腹の郎女 あわじのみはらのいらつめ 淡路御原皇女(紀)。応神天皇の皇女。
(神名) - 木の兎野の郎女 きのうののいらつめ 紀之-(紀)。応神天皇の子。
(神名) - 三野の郎女 みののいらつめ/みぬのいらつめ 応神天皇の子。
(神名) - 丸邇の比布礼の意富美 わにのひふれのおおみ 応神天皇妃の宮主矢河枝姫と袁那弁の郎女の父にあたる。察知して天皇の行幸を待ち、大饗を奉った。応神紀では和珥臣の祖、日触使主とする。
(神名) - 宮主矢河枝比売 みやぬしやかはえひめ 丸邇之比布礼能意富美の女。応神天皇妃。天皇との間に宇遅能和紀郎子、八田若郎女、女鳥王を生む。
(神名) - 宇遅の和紀郎子 うじのわきいらつこ 菟道稚郎子(紀)。応神天皇の皇太子。仁徳天皇の弟。阿直岐・王仁について学び、博く典籍に通じたが、兄に帝位を譲るため自殺したという。/応神天皇の皇子。京都市宇治神社の祭神。仁徳天皇の異母弟にあたる。
(神名) - 八田の若郎女 やたのわかいらつめ 宇遅の和紀郎子の妹。/応神天皇の皇女。異母兄である仁徳天皇の妃となった。この婚姻をめぐる后の石之日売(磐之媛)の嫉妬の物語と歌謡が記紀にある。
(神名) - 女鳥の王 めどりのおおきみ 古代伝説上の人物。応神天皇の女。異母兄仁徳天皇の求婚を断って媒人の速総別王と結婚。雌鳥皇女。/めどりのみこ 応神天皇の子。母は宮主矢河枝姫。仁徳天皇が女鳥の王を妻にしようと速総別王を使いにやるが、女鳥の王は速総別王と結婚してしまう。天皇は軍を向けて、宇陀の蘇邇に逃げた二人を殺した。
(神名) - 袁那弁の郎女 おなべのいらつめ 応神天皇の妃。丸邇之比布礼能意富美の女。宇遅若郎女を生んだ。
(神名) - 宇遅の若郎女 うじのわきいらつめ 応神天皇の子。母は袁那弁郎女。仁徳記には宇遅能若郎女とあり、仁徳天皇と娶うが子はないとある。
(神名) - 咋俣長日子の王 くいまたながひこのみこ 息長田別王の子。母は記されていない。飯野の真黒比売命、息長真若中つ比売、弟比売の父。
(神名) - 息長真若中つ比売 おきながまわかなかつひめ 咋俣長日子の王が女。/ 応神天皇の妃となり、若沼毛二俣王を生んだ。倭建御子の子長田別王の孫にあたる。紀では若沼毛二俣王の母は弟媛とする。
(神名) - 若沼毛二俣の王 わかぬけふたまたのみこ 応神天皇の皇子。百師木伊呂弁を妻として七人の子を産んだ。姓氏録には息長氏の祖とされ、後の継体天皇擁立に深く関わる氏族との系譜上の関連が考えられる。
(神名) - 桜井の田部の連 さくらいのたべのむらじ
- 田部 たべ 大和時代、屯倉の耕作に従事した農民。
- 島垂根 しまたりね 系統、事跡不詳。子に安寧帝の妃、糸井姫がいる。桜井田部連の祖。
(神名) - 糸井比売 いといひめ 糸井媛(紀)。応神天皇妃。桜井田部連の祖の嶋垂根の女。母は速総別命の女。紀では桜井田部連男�Kの妹。
(神名) - 速総別の命 はやぶさわけのみこと 隼別皇子(紀)。
(神名) - 日向の泉の長比売 ひむかのいずみのながひめ 日向泉長媛(紀)。応神天皇との間に大羽江王、小羽江王、幡日之若郎女を生む。
(神名) - 大羽江の王 おおはえのみこ 大葉枝皇子(紀)。応神天皇の皇子。
(神名) - 小羽江の王 おはえのみこ 小葉枝皇子(紀)。応神天皇の皇子。
(神名) - 檣日の若郎女 はたびのわかいらつめ 応神天皇の皇女。母は日向泉長比売。事跡不詳。
(神名) - 迦具漏比売 かぐろひめ 訶具漏比売。ヤマトタケルの命の子孫須売伊呂大中つ彦の王の娘。母は柴野比売。景行天皇に召されて大江王(大枝王)を生んだ。
(神名) - 川原田の郎女 かわらだのいらつめ 「かわらたの」
。応神天皇の子。母は迦具漏比売。 (神名) - 玉の郎女 たまのいらつめ 応神天皇の子。母は迦具漏比売。紀には母子ともに登場しない。
(神名) - 忍坂の大中つ比売 おしさかのおおなかつひめ 若沼毛二俣の王の子。母は百師木伊呂弁。允恭天皇が皇子であったときに召されて妃となる。木梨軽皇子・大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)ら九王を生んだ。
(神名) - 登富志の郎女 とほしのいらつめ 応神天皇の皇女。母は迦具漏比売。
(神名) - 迦多遅の王 かたじのみこ 応神天皇の子。母は迦具漏比売。
(神名) - 葛城の野の伊呂売 かずらきのののいろめ 「ぬいろめ」
。応神天皇との間に伊奢の麻和迦王を生む。 (神名) - 高木の入日売の命 たかぎのいりひめのみこと 高城入姫(紀)。品陀の真若王の女。姉妹の中日売命、弟日売命と共に応神天皇の妃となり、額田の大中つ日子命、大山守命、伊奢の真若命、大原郎女、高目郎女の五人を生んだ。