武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」「武田祐吉著作集」全8巻。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)
◇表紙イラスト:島根県八重垣神社蔵、板絵着色神像より「稲田姫命」伝、巨勢金岡筆。


もくじ 
校註『古事記』(四)武田祐吉


ミルクティー*現代表記版
校註『古事記』(四)
  古事記 中つ巻
   一、神武天皇
    東征
    速吸の門(と)
    五瀬(いつせ)の命
    熊野より大和へ
    久米歌(くめうた)
    大物主の神の御子
    当芸志美美(たぎしみみ)の命の変
   二、綏靖(すいぜい)天皇以後八代
    綏靖天皇
    安寧(あんねい)天皇
    懿徳(いとく)天皇
    孝昭天皇
    孝安天皇
    孝元天皇
    開化天皇

オリジナル版
校註『古事記』(四)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  •      室  → 部屋
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03cm。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1mの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3m。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109m強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273km)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方cm。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。
  • 海里・浬 かいり (sea mile; nautical mile) 緯度1分の子午線弧長に基づいて定めた距離の単位で、1海里は1852m。航海に用いる。
  • 尋 ひろ (1) (「広(ひろ)」の意)両手を左右にひろげた時の両手先の間の距離。(2) 縄・水深などをはかる長さの単位。1尋は5尺(1.515m)または6尺(1.818m)で、漁業・釣りでは1.5mとしている。
  • 坪 つぼ 土地面積の単位。6尺四方、すなわち約3.306平方m。歩(ぶ)。

*底本

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html





 校註『古事記』 凡例

  • 一 本書は、『古事記』本文の書き下し文に脚注を加えたもの、および索引からなる。
  • 一 『古事記』の本文は、真福寺本を底本とし、他本をもって校訂を加えたものを使用した。その校訂の過程は、特別の場合以外は、すべて省略した。
  • 一 『古事記』は、三巻にわけてあるだけで、内容については別に標題はない。底本とした真福寺本には、上方に見出しが書かれているが、今それによらずに、新たに章をわけて、それぞれ番号や標題をつけ、これにはカッコをつけて新たに加えたものであることをあきらかにした。また歌謡には、末尾にカッコをして歌謡番号を記し、索引に便にすることとした。

校註『古事記』(四)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉(注釈・校訂)

 古事記 なかつ巻

  〔一、神武天皇〕

   〔東征〕


 神倭伊波礼毘古かむやまとみこと〔神武天皇〕、その同母兄五瀬のみことと二柱、高千穂たかちほみやにましましてはかりたまわく、「いずれのところにまさば、天の下のまつりごとを平けくきこしめさん。なお東のかたに、行かん」とのりたまいて、すなわち日向ひむか(一)よりたして、筑紫つくしでましき。かれ豊国とよくに宇沙うさ(二)にいたりまししときに、その土人くにびと名は宇沙都比古宇沙都比売二人、足一騰あしひとつあがりの宮(三)を作りて、大御饗おおみあえたてまつりき。其地そこよりうつりまして、竺紫つくしの岡田の宮(四)に一年ましましき。またその国より上りでまして、阿岐あきの国の多祁理たけりの宮(五)に七年ましましき。またその国よりうつり上りでまして、吉備の高島の宮(六)に八年ましましき。

  •  (一)九州の東方。
  •  (二)大分県宇佐うさ
  •  (三)柱が一本浮き上がった宮殿。
  •  (四)福岡県遠賀郡遠賀川おんががわの河口の地。
  •  (五)広島県安芸郡あきぐん
  •  (六)岡山県児島郡こじまぐん

   速吸はやすい


 かれその国より上りでますときに、亀のに乗りて、釣りしつつ打ち羽振はぶりくる人(一)速吸はやすい(二)いき。ここにびよせて問いたまわく、いましたれぞ」と問わしければ、答えていわく、くにかみなり」ともうしき。また問いたまわく「いましうみを知れりや」と問わしければ、答えていわく、「よく知れり」ともうしき。また問いたまわく「みともに仕えまつらんや」と問わしければ、答えていわく「仕えまつらん」ともうしき。かれここにさおをさしわたして、その御船に引き入れて、槁根津日子さおという名をたまいき。〈こはやまとの国のみやつこらが祖なり。

  •  (一)勢いよくくる人。
  •  (二)潮のさしひきの早い海峡。豊後水道。岡山県を出て難波に向かうのに豊後水道を通ったとするは地理上不合理であるが、元来この一節は、別に遊離していたものが挿入されたので、このような形になった。『日本書紀』では日向から出てすぐに速吸はやすいにかかっている。

   五瀬いつせみこと


 かれその国より上りでますときに、浪速なみはやわたり(一)をへて、青雲(二)白肩しらかたの津(三)てたまいき。このときに、登美とみ那賀須泥毘古(四)いくさをおこして、待ち向かえて戦う。ここに、御船に入れたるたてを取りて、り立ちたまいき。かれ其地そこなづけて楯津たてづという。今には日下くさか蓼津たでづという。ここに登美毘古と戦いたまいしときに、五瀬いつせみこと、御手に登美毘古痛矢串いたやぐしわしき。かれここにりたまわく、は日の神の御子として、日に向かいて戦うことふさわず。かれ賤奴やつこが痛手をいつ。今よは行きめぐりて、日を背にいて撃たん」と、ちぎりたまいて、南の方よりめぐりでますときに、血沼ちぬの海(五)にいたりて、その御手の血を洗いたまいき。かれ血沼ちぬの海という。其地そこよりめぐりでまして、の国の水門みなと(六)にいたりまして、りたまわく、賤奴やつこが手をいてや、命すぎなん」と男健おたけびしてかむあがりましき。かれその水門みなとに名づけて水門みなとという。みはかは紀の国の竈山かまやま(七)にあり。

  •  (一)難波のわたり。当時は大阪湾がさらに深く湾入し、大和の国の水を集めた大和川は、河内の国に入って北流して淀川に合流していた。それを遡上して河内に入ったのである。
  •  (二)枕詞まくらことば
  •  (三)大阪府中河内郡なかかわちぐん、生駒山の西麓。
  •  (四)生駒山の東登美にいた豪族の主長。
  •  (五)大阪府泉南郡せんなんぐんの海岸。
  •  (六)和歌山県、紀の川の河口。
  •  (七)和歌山県海草郡かいそうぐん

   〔熊野より大和へ〕


 かれ神倭伊波礼毘古かむやまとみこと〔神武天皇〕其地そこよりめぐりでまして、熊野くまのの村(一)にいたりまししときに、大きなる熊(二)髣髴ほのかに出で入りてすなわち失せぬ。ここに神倭伊波礼毘古かむやまとみこと、にわかにおえまし(三)、また御軍みいくさもみなおえてしき。このときに熊野の高倉下たかくらじ、一横刀たちをもちて、あまかみの御子(四)こやせるところにいたりてたてまつるときに、天つ神の御子、すなわちちて、長寝ながいしつるかも」とりたまいき。かれその横刀たちを受け取りたまうときに、その熊野の山のあらぶる神、おのずからみな切りたおさえき。ここにそのおえせる御軍みいくさことごとにちき。かれ天つ神の御子、その横刀たちつるゆえを問いたまいしかば、高倉下たかくらじ答えもうさく、「おのが夢に、天照あまてらす大神・高木たかぎの神二柱の神の命もちて、建御雷たけみかづちの神をびてりたまわく、葦原あしはらなかくにはいたくさやぎてありなり。わが御子たち不平やくさみますらし(五)。その葦原の中つ国は、もはら〔もっぱら〕いまし言向ことむけつる国なり。かれいまし建御雷たけみかづちの神あもらさね」とのりたまいき。ここに答えもうさく、やつこあもらずとも、もはらその国をことむけし横刀たちあれば、このたちあもらさん。〈この刀の名は佐士布都さじふつの神という。またの名は甕布都みかふつの神という。またの名は布都ふつ御魂みたま。この刀は石上いそのかみ神宮じんぐうにまします。この刀をあもらさんさまは、高倉下が倉のむねをうがちて、そこよりおとし入れんともうしたまいき(六)。かれ朝目あさめよくいまし取り持ちて天つ神の御子にたてまつれと、のりたまいき。かれ夢の教えのまにま、あしたにおのが倉を見しかば、まことに横刀たちありき。かれこの横刀たちをもちてたてまつらくのみ」ともうしき。
 ここにまた高木たかぎの大神の命もちて、さともうしたまわく、「天つ神の御子、こよおくかたにな入りたまいそ。荒ぶる神、いとさわにあり。今、天より八咫烏やたがらす(七)つかわさん。かれその八咫烏みちびきなん。その立たんしりえよりでまさね〔してください〕」と、のりたまいき。かれその御教みさとしのまにまに、その八咫烏やたがらすしりえよりでまししかば、吉野えしの河の河尻(八)にいたりましき。ときにうえ(九)をうちて取る人あり。ここに天つ神の御子「いましたれそ」と問わしければ、答えもうさく、は国つ神、名は贄持にえもつの子」ともうしき。〈こは阿陀の鵜養の祖なり。其地そこよりでまししかば、尾ある人(一〇)井より出で。その井光れり。いましたれそ」と問わしければ、答えもうさく、は国つ神、名は井氷鹿いひか」ともうしき。〈こは吉野のおびとらが祖なり。すなわちその山に入りまししかば、また尾ある人にえり。この人いわおを押しわけて出でいましたれそ」と問わしければ、答えもうさく、は国つ神、名は石押分いわおしわくの子、今、天つ神の御子でますと聞きつ。かれ、まい向かえまつらくのみ」ともうしき。〈こは吉野の国巣(一一)が祖なり。其地そこよりみうがち越えて、宇陀うだ(一二)でましき。かれ宇陀うだ穿うがちという。

  •  (一)和歌山県南方の海岸一帯。
  •  (二)荒ぶる神がくまになって現われたので、その毒気を受けたとする。
  •  (三)み疲れたまい。
  •  (四)神武天皇のこと。天つ神の御子として降下したとする。
  •  (五)悩んでおられるらしい。
  •  (六)奈良県山辺郡やまべぐんの石上神宮。フツは剣の威力。物をる音という。
  •  (七)大きなからす。頭八つの烏とするは誤り。ヤタは寸法。ヤアタの鏡のヤアタに同じ。この烏は鴨の建角身のみことという豪傑だという。
  •  (八)大和の国内での吉野川の下流。
  •  (九)竹であんで河にけて魚を取る漁法。
  • (一〇)後部にれたもののある服装の人。
  • (一一)一三三ページ「応神天皇」の「国主歌」に説話がある。
  • (一二)奈良県宇陀郡うだぐん。大和の国の東部。

   久米歌くめうた


 かれここに宇陀うだに、兄宇迦斯えうかし弟宇迦斯おとうかし(一)と二人あり。かれまず八咫烏やたがらすをつかわして、二人に問わしめたまわく、「今、天つ神の御子でませり。いましたち仕えまつらんや」と問いたまいき。ここに兄宇迦斯えうかし鳴鏑なりかぶらもちて、その使いを待ち返しき。かれその鳴鏑なりかぶらの落ちしところを、訶夫羅前かぶらざき(二)という。「待ちたん」といいて、いくさをあつめしかども、いくさをえあつめざりしかば、仕えまつらんと欺陽いつわりて、大殿を作りて、その殿内とのぬち押機おしを作りて待つときに、弟宇迦斯おとうかしまずまい向かえて、おろがみてもうさく、兄宇迦斯えうかし、天つ神の御子の使いを返し、待ち攻めんとしていくさあつむれども、えあつめざれば、殿を作り、その内に押機おしりて待ち取らんとす、かれまい向かえてあらわしもうす」ともうしき。ここに大伴おおともむらじらが祖みちおみみこと久米くめあたえらが祖大久米おおくめみこと二人、兄宇迦斯えうかしをよびて、りていわく、(三)が作り仕えまつれる大殿内とのぬちには、おれ〔おのれ〕(四)まず入りて、その仕えまつらんとするさまかし白せ」といいて、横刀たち手上たがみとりしばり(五)ほこゆけ矢して(六)、追い入るるときに、すなわちおのが作れる押機おしに打たれて死にき。ここにき出してほふりき。かれ其地そこ宇陀うだの血原(七)という。しかしてその弟宇迦斯おとうかしがたてまつれる大饗おおみあえをば、ことごとにその御軍みいくさたまいき。このとき、御歌よみしたまいしく、

宇陀うだ高城たかき(八)鴫羂しぎわなる。
が待つや(九) しぎさやらず、
いすくわし(一〇) くじさや(一一)
前妻こなみ(一二)わさば、
立柧�たちそば(一三)の 実のけくを
こきしひえね(一四)
後妻うわなり(一五)わさば、
いちさかき(一六)の大けくを
こきだひえね(一七)〔歌謡番号一〇〕

 ええ、しやこしや。こはいのごうぞ(一八)。ああ、しやこしや。こは嘲咲あざわらうぞ。かれその弟宇迦斯おとうかし、こは宇陀うだ水取もいとりらが祖なり。
 其地そこよりでまして、忍坂おさか(一九)の大室にいたりたまうときに、尾ある土雲(二〇)八十建やそたける、そのむろにありて待ちいなる(二一)。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗みあえ八十建やそたけるたまいき。ここに八十建にあてて、八十やそ膳夫かしわでけて、人ごとにたちけてその膳夫かしわでどもに、おしえたまわく、「歌を聞かば、一時もろともに斬れ」とのりたまいき。かれその土雲を打たんとすることをかして歌よみしたまいしく、

忍坂おさかの 大室屋に
さわ入りおり。
さわに 入りおりとも、
みつみつし(二二) 久米の子が、
頭椎くぶつつ(二三) 石椎いしつついもち
撃ちてしやまん。
みつみつし 久米の子らが、
頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち
今撃たばらし。〔歌謡番号一一〕

 かく歌いて、刀をきて、一時もろともに打ち殺しつ。
 しかありて後に、登美毘古を撃ちたまわんとするとき、歌よみしたまいしく、

みつみつし 久米の子らが
粟生あわふには 臭韮かみら〔ニラ〕もと(二四)
そねがもと そねつなぎ(二五)
撃ちてしやまん。〔歌謡番号一二〕

 また、歌よみしたまいしく、

みつみつし 久米の子らが
もとえし山椒はじかみ(二六)
口ひひく(二七) われは忘れじ。
撃ちてしやまん。〔歌謡番号一三〕

 また、歌よみしたまいしく、

神風かむかぜ(二八) 伊勢の海の
大石おいしに はいもとおろう(二九)
細螺しただみ(三〇)の、いわいもとおり
撃ちてしやまん。〔歌謡番号一四〕

 また兄師木えしき弟師木おとしき(三一)を撃ちたまうときに、御軍いくさしまし〔しばし〕疲れたり。ここに歌よみしたまいしく、

楯並たたなめて(三二) 伊那佐の山(三三)
の間よも い行きまもらい(三四)
戦えば われはや(三五)
島つ鳥(三六) 鵜養うかいとも(三七)
けに来ね。〔歌謡番号一五〕

 かれここに邇芸速日はやみこと(三八)まいきて、天つ神の御子にもうさく、「天つ神の御子、天降あもりましぬと聞きしかば、追いてまいあもり来つ」ともうして、天つしるし(三九)をたてまつりて仕えまつりき。かれ邇芸速日はやみこと、登美毘古が妹登美夜毘売いて生める子、宇摩志麻遅みこと〈こは物部のむらじ穂積ほづみの臣、臣が祖なり。かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向ことむけやわし、まつろわぬ人どもを退けはらいて、畝火うねび白梼原かしはらの宮(四〇)にましまして、天の下らしめしき。

  •  (一)ウカチの地にいる人の義。兄弟とするのは首領と副首領の意。
  •  (二)所在不明。
  •  (三)二人称の賤称。
  •  (四)同前。既出。
  •  (五)大刀のつかをしかとにぎって。
  •  (六)矛を向け、矢をつがえて。
  •  (七)所在不明。
  •  (八)高い築造物。
  •  (九)ヤは間投の助詞。
  • (一〇)枕詞。語義不明。
  • (一一)朝鮮語にたかをクチという。くじらとする説もある。この句まで比喩。
  • (一二)コナミは前にめとった妻。古い妻である。
  • (一三)ソバノ木、カナメモチ。
  • (一四)語義不明の句。原文「許紀志斐恵泥」。紀はキの乙類であるから、コキは動詞「く」とすれば上二段活になる。
  • (一五)妻のあるうえに、さらにめとった妻。
  • (一六)ヒサカキ。
  • (一七)語義不明の句。原文「許紀陀斐恵泥」。紀はキの乙類であるから、コキダは「許多あまた」の意のコキダクと同語ではないらしい。
  • (一八)いばるのだ。『霊異記』に、犬が威圧するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。
  • (一九)奈良県磯城郡しきぐん泊瀬はせ渓谷の入口。
  • (二〇)穴居していた先住民。
  • (二一)待ちうなる。
  • (二二)叙述による枕詞。威勢のよい。
  • (二三)既出の頭椎くぶつちの大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。
  • (二四)くさいニラが一本。
  • (二五)その根元と芽とを一つにして。
  • (二六)ショウガは薬用植物で外来種であるから、ここはサンショウだろうという。
  • (二七)口がヒリヒリする。
  • (二八)枕詞。国つ神が大風をおこして退去したからいうと伝える。
  • (二九)いまわっている。
  • (三〇)ラセン形の貝殻かいがらの貝。肉は食料にする。
  • (三一)磯城しきの地にいた豪族。
  • (三二)枕詞。楯をならべて射るとイの音に続く。
  • (三三)奈良県宇陀郡伊那佐村。
  • (三四)樹の間から行き見守って。
  • (三五)わたしは飢え疲れた。
  • (三六)枕詞。
  • (三七)前出の阿多の鵜養たち。に助けにこいというのは、魚を持ってこいの意である。
  • (三八)系統不明。旧事本紀くじほんぎ』にはオシホミミのみことの子とする。
  • (三九)天から持ってきた宝物。
  • (四〇)奈良県畝傍山うねびやまの東南の地。

   大物主おおものぬしの神の御子〕


 かれ日向ひむかにましまししときに、阿多あた小椅おばしの君が妹、名は阿比良比売にいて生みませる子、多芸志美美みこと、つぎに岐須美美の命、二柱ませり。しかれどもさらに、大后おおぎさきとせん美人おとめぎたまうときに、大久米のみこともうさく、「ここに媛女おとめあり。こを神の御子なりという。それ神の御子という所以ゆえは、三島の湟咋みぞくいが女、名は勢夜陀多良比売、それ容姿かおかりければ、美和の大物主おおものぬしの神(一)、見でて、その美人おとめ大便くそまるときに、丹塗にぬり(二)になりて、その大便くそまる溝より流れ下りて、その美人の富登ほときき。ここにその美人おとめおどろきて、立ち走りいすすぎき(三)。すなわちその矢を持ちきて、床の辺に置きしかば、たちまちにうるわしき壮夫おとこになりぬ。すなわちその美人おとめいて生める子、名は富登多多良伊須須岐比売みこと、またの名は比売多多良伊須気余理比売という。〈こはその富登ほとということをにくみて、後にえつる名なり。かれここをもちて神の御子とはいう」ともうしき。
 ここに七媛女おとめ高佐士野たかさじの(四)に遊べるに、伊須気余理比売その中にありき。ここに大久米の命、その伊須気余理比売を見て、歌もちて天皇すめらみことにもうさく、

やまと高佐士野たかさじの
なな行く 媛女おとめども、
たれをしまかん(五)〔歌謡番号一六〕

 ここに伊須気余理比売は、その媛女おとめどものさきに立てり。すなわち天皇すめらみこと、その媛女おとめどもを見て、御心に伊須気余理比売の最前いやさきに立てることを知らして、歌もちて答えたまいしく、

かつがつも(六) いや先立さきだてる をしまかん。
〔歌謡番号一七〕

 ここに大久米の命、天皇すめらみことの命を、その伊須気余理比売るときに、その大久米の命のける利目とめ(七)を見て、あやしと思いて、歌いたまいしく、

天地あめつつ ちどりましとと(八) などける利目とめ
〔歌謡番号一八〕

 ここに大久米の命、答え歌いていしく、

媛女おとめに ただにわんと(九) わがける利目とめ
〔歌謡番号一九〕

 かれその嬢子おとめ「仕えまつらん」ともうしき。ここにその伊須気余理比売みことの家は、狭井さい(一〇)うえにあり。天皇すめらみこと、その伊須気余理比売のもとにでまして、一夜御寝みねしたまいき。〈その河を佐韋河というよしは、その河のほとりに、山百合草やまゆりぐさ多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草のもとの名、佐韋といいき。
 後にその伊須気余理比売、宮内おおみやぬちにまいりしときに、天皇すめらみこと、御歌よみしたまいしく、

葦原の しけしき〔きたない。荒れている〕小屋おや(一一)
菅畳すがたたみ いやさや敷きて(一二)
わが二人寝し。〔歌謡番号二〇〕

 しかしてれませる御子の名は、日子八井みこと、つぎに神八井耳かむやいみみの命、つぎに神沼河耳かむななかわみみの命綏靖すいぜい天皇〕(一三)〈三柱〉

  •  (一)奈良県磯城郡の三輪山の神。前に大国主の神の霊をまつるとしていた。大物主の神をも大国主の神の別名とするのだが、元来は別神だろう。
  •  (二)赤くった矢。
  •  (三)立ち走りさわいだ。
  •  (四)香具山の付近。
  •  (五)マカムは「かん」で、手に巻こう。妻としよう。
  •  (六)わずかに。
  •  (七)目じりにずみをして、目をするどく見せようとした。
  •  (八)語義不明。千人にまされる人の義という。
  •  (九)直接におうとして。
  • (一〇)三輪山から出る川。
  • (一一)きたない小舎しょうしゃに。
  • (一二)すげであんだ敷物しきものをさっぱりといて。
  • (一三)綏靖すいぜい天皇。

   当芸志美美みことの変〕


 かれ天皇すめらみことかむあがりましてのちに、その庶兄まませ当芸志美美みこと、その嫡后おおぎさき伊須気余理比売えるときに、その三柱のおとみこたちをせんとしてはかるほどに、その御祖みおや伊須気余理比売、患苦うれえまして、歌もちてその御子たちに知らしめんとして歌よみしたまいしく、

狭井河さいかわよ 雲たちわたり
畝火山うねびやま 木の葉さやぎぬ。
風吹かんとす。〔歌謡番号二一〕

 また歌よみしたまいしく、

畝火山うねびやま 昼は雲とい(一)
夕されば 風吹かんとぞ
木の葉さやげる。〔歌謡番号二二〕

 ここにその御子たち聞き知りて、おどろきて当芸志美美せんとしたまうときに、神沼河耳かむななかわみみみこと、そのいろせ神八井耳かむやいみみみことにもうしたまわく、「なねが命、つわものを持ちて(二)入りて、当芸志美美せたまえ」ともうしたまいき。かれつわものを持ちて、入りてせんとするときに、手足わななきてえせたまわず。かれここにそのいろと神沼河耳かむななかわみみみこと、そのいろせの持てるつわものい取りて、入りて当芸志美美をせたまいき。かれまたその御名をたたえて、建沼河耳たけぬなかわみみみことともうす。
 ここに神八井耳かむやいみみみこといろと建沼河耳の命にゆずりてもうしたまわく、あだをえせず、みことはすでにえせたまいぬ。かれいろせなれども、かみとあるべからず。ここをもちてみことかみとまして、天の下らしめせ。やつこみことをたすけて、忌人いわいびと(三)となりて仕えまつらん」ともうしたまいき。かれその日子八井みことは、茨田うまらたむらじ、手島のむらじが祖。神八井耳かむやいみみみことは、意富おおの臣(四)小子部ちいさこべの連、坂合部さかあいべの連、火の君、大分おおきたの君、阿蘇の君、筑紫つくし三家みやけの連、雀部さざきべの臣、雀部さざきべみやつこ小長谷おはつせみやつこ都祁つげあたえ、伊余の国の造、科野しなのの国の造、道の奥の石城いわきの国の造、常道ひたちの仲の国の造、長狭ながさの国の造、伊勢の船木ふなきあたえ、尾張の丹波にわおみ、島田のおみらが祖なり。神沼河耳かむななかわみみの命綏靖すいぜい天皇〕は天の下らしめしき。
 およそこの神倭伊波礼毘古かむやまといわれびこ天皇すめらみこと、御年一百ももちまり三十七歳みそまりななつ御陵みはかは畝火山の北の方白梼かしの尾の上にあり。

  •  (一)トイは、動揺する意の動詞。トイナミ(『万葉集』)のトイと同語。
  •  (二)武器を持って。
  •  (三)潔斎けっさいをして無事を祈る人。祭りをおこなう人。
  •  (四)『古事記』の撰者、太の安麻呂〔太安万侶〕の系統。

  〔二、綏靖すいぜい天皇以後八代〕

   綏靖すいぜい天皇〕


 神沼河耳かむななかわみみみこと〔綏靖天皇〕(一)葛城かずらき高岡たかおかの宮にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと師木しき県主あがたぬしの祖、河俣かわまた毘売にいて生みませる御子、師木津日子玉手見たまの命〔安寧天皇〕〈一柱〉天皇すめらみこと、御年四十五歳よそじあまりいつつ御陵みはか衝田つきだの岡(二)にあり。

  •  (一)綏靖天皇。以下八代は、多少の挿入はあろうが、だいたい『帝紀』の形が残っていると考えられる。
  •  (二)奈良県高市郡たかいちぐん。神武天皇陵の北にある。

   安寧あんねい天皇〕


 師木津日子玉手見たまの命〔安寧天皇〕(一)片塩かたしお浮穴うきあなの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと河俣かわまた毘売の兄県主波延はえが女、阿久斗比売にいて生みませる御子、常根津日子伊呂泥とこの命、つぎに大倭日子�K友おおやまとひこすきともの命、つぎに師木津日子の命。この天皇すめらみことの御子たちあわせて三柱のうち、大倭日子�K友おおやまとひこすきともの命懿徳いとく天皇〕は、天の下らしめしき。つぎに師木津日子の命の御子二柱ます。一柱の子孫は、伊賀の須知の稲置いなき、那婆理の稲置いなき、三野の稲置いなきが祖なり。一柱の御子和知都美みことは、淡道あわじ御井みいの宮(三)にましき。かれこのみこむすめ二柱ましき。いろねの名は縄伊呂泥はえいろね、またの名は意富夜麻登久邇阿礼比売の命、いろとの名は縄伊呂杼はえいろとどなり(四)
 天皇すめらみこと、御年四拾よそじあまり九歳ここのつ御陵みはかは畝火山の美富登(五)にあり。

  •  (一)安寧あんねい天皇。
  •  (二)奈良県北葛城郡。
  •  (三)兵庫県三原郡。
  •  (四)この二女王は、孝霊こうれい天皇の妃。
  •  (五)畝火山の南のくぼみにある。

   懿徳いとく天皇〕


 大倭日子�K友おおやまとひこすきともの命懿徳いとく天皇〕(一)かる境岡さかいおかの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと師木しき県主あがたぬしの祖、賦登麻和訶比売の命、またの名は飯日いいひ比売の命にいて生みませる御子、御真津日子訶恵志泥の命、つぎに多芸志比古の命〈二柱〉。かれ御真津日子訶恵志泥の命孝昭こうしょう天皇〕は、天の下らしめしき。つぎに当芸志比古の命は、血沼ちぬの別、多遅麻の竹の別、葦井の稲置いなきが祖なり。
 天皇すめらみこと、御年四十よそじあまり五歳いつつ御陵みはかは畝火山の真名子谷だにの上(三)にあり。

  •  (一)懿徳いとく天皇。
  •  (二)奈良県高市郡。
  •  (三)畝火山の南。

   孝昭こうしょう天皇〕


 御真津日子訶恵志泥みこと〔孝昭天皇〕(一)葛城かずらき掖上わきがみの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと、尾張のむらじの祖、奥津余曽おきつよそが妹、名は余曽多本毘売みこといて生みませる御子、天押帯日子あめおしたらしひこの命、つぎに大倭帯日子国押人おおやまとたらしひこくにおしびとの命〈二柱〉。かれいろと帯日子国押人たらしひこくにおしびとの命孝安こうあん天皇〕は、天の下らしめしき。いろせ天押帯日子あめおしたらしひこの命は、春日の臣、大宅の臣、粟田の臣、小野の臣、柿本の臣、一比韋の臣、大坂の臣、阿那の臣、多紀の臣、羽栗の臣、知多の臣、牟耶の臣、都怒山の臣、伊勢の飯高の君、一師の君、近つ淡海の国のみやつこが祖なり。
 天皇すめらみこと、御年九十ここのそじ三歳まりみつ御陵みはか掖上わきがみ博多はかた山の上(三)にあり。

  •  (一)孝昭天皇。
  •  (二)奈良県南葛城郡。
  •  (三)同前。

   孝安こうあん天皇〕


 大倭帯日子国押人おおやまとたらしひこくにおしびとみこと〔孝安天皇〕(一)、葛城のむろ秋津島あきづしまの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみことめい忍鹿おしが比売のみこといて生みませる御子、大吉備おおきび諸進もろすすの命、つぎに大倭根子日子賦斗邇おおやまとの命〈二柱〉。かれ大倭根子日子賦斗邇おおやまとの命孝霊こうれい天皇〕は、天の下らしめしき。
 天皇すめらみこと、御年一百ももちあまり二十三歳はたちみつ御陵みはか玉手たまての岡の(三)にあり。

  •  (一)孝安天皇。
  •  (二)奈良県南葛城郡。
  •  (三)同前。

   孝霊こうれい天皇〕


 大倭根子日子賦斗邇おおやまとみこと〔孝霊天皇〕(一)黒田くろだ廬戸いおどの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと十市とおち県主あがたぬしの祖、大目おおめが女、名は細比売くわしひめみこといて生みませる御子、大倭根子日子国玖琉おおやまとくにの命〈一柱〉。また春日かすが千千速真若はやわか比売にいて生みませる御子、千千速ちぢはや比売の命〈一柱〉。また意富夜麻登玖邇阿礼比売のみこといて生みませる御子、夜麻登登母母曽毘売の命、つぎに日子刺肩別ひこさしかたわけの命、つぎに比古伊佐勢理毘古の命、またの名は大吉備津日子おおの命、つぎに倭飛羽矢若屋やまととびはやわかや比売〈四柱〉。またその阿礼あれ比売のみことの弟、縄伊呂杼はえいろどいて生みませる御子、日子寤間ひこさめまの命、つぎに若日子建吉備津日子わかたけの命〈二柱〉。この天皇すめらみことの御子たち、あわせて八柱ませり。〈男王五柱、女王三柱。かれ大倭根子日子国玖琉おおやまとくにの命〔孝元天皇〕は、天の下らしめしき。大吉備津日子おおの命と若建吉備津日子わかたけの命とは、二柱相たぐわして、針間はりまかわさき(三)忌瓮いわいべをすえて(四)、針間を道の口として(五)、吉備の国(六)言向ことむやわしたまいき。かれこの大吉備津日子のみことは、吉備の上つ道の臣が祖なり。つぎに若日子建吉備津日子のみことは、吉備の下つ道の臣、かさの臣が祖なり。つぎに日子寤間ひこさめまの命は、針間はりまの牛鹿の臣が祖なり。つぎに日子刺肩別ひこさしかたわけの命は、高志こし利波となみの臣、豊国の国前の臣、五百原の君、角鹿つぬがの済のあたえが祖なり。
 天皇すめらみこと、御年一百ももち六歳まりむつ御陵みはかは片岡の馬坂うまさかの上(七)にあり。

  •  (一)孝霊こうれい天皇。
  •  (二)奈良県磯城郡しきぐん
  •  (三)兵庫県加古郡かこぐん
  •  (四)清らかな酒瓶さかびんを置いて神をまつり、行旅こうりょの無事を祈る。
  •  (五)播磨の国を道の入口として。
  •  (六)後の備前・美作・備中・備後の四国の総称。
  •  (七)奈良県北葛城郡。

   孝元こうげん天皇〕


 大倭根子日子国玖琉おおやまとくにみこと〔孝元天皇〕(一)かる堺原さかいはらの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと穂積ほづみの臣らが祖、内色許男うつしこおみことが妹、内色許売うつしこめみこといて生みませる御子、大毘古おおびこの命(三)、つぎに少名日子建猪心すくなひこたけいごころの命、つぎに若倭根子日子大毘毘わかやまとおおの命〈三柱〉。また内色許男うつしこおみことが女、伊迦賀色許売みこといて生みませる御子、比古布都押ひこふつおしまことの命〈一柱〉。また河内の青玉あおたまが女、名は波邇夜須毘売にいて生みませる御子、建波邇夜須毘古たけの命〈一柱〉。この天皇すめらみことの御子たち、あわせて五柱ませり。かれ若倭根子日子大毘毘わかやまとおおの命〔開化天皇〕は、天の下らしめしき。その兄大毘古おおびこみことの子、建沼河別たけぬなかわわけの命は、阿部の臣らが祖なり。つぎに比古伊那許士別わけの命、こは膳の臣が祖なり。比古布都押おしまことの命、尾張おわりむらじらが祖、意富那毘が妹、葛城かずらき高千那毘売たかいて生みませる子、味師内うまうち宿祢すくね、こは山代の内の臣が祖なり。またくにみやつこが祖、宇豆比古が妹、山下影やましたかげ日売にいて生みませる子、建内たけしうち宿祢すくね(四)。この建内の宿祢の子、あわせて九人ここのたり〈男七柱、女二柱。波多の八代の宿祢は、波多の臣、林の臣、波美の臣、星川の臣、淡海の臣、長谷部の君が祖なり。つぎに許勢こせ小柄おからの宿祢は、許勢の臣、雀部の臣、軽部の臣が祖なり。つぎに蘇賀そが石河いしかわ宿祢すくねは、蘇我の臣、川辺の臣、田中の臣、高向の臣、小治田の臣、桜井の臣、岸田の臣らが祖なり。つぎに平群ぐり都久つくの宿祢は、平群へぐりの臣、佐和良の臣、馬の御みくいの連らが祖なり。つぎにつのの宿祢は、木の臣、都奴の臣、坂本の臣らが祖なり。つぎに久米くめ摩伊刀比売、つぎに伊呂いろ比売、つぎに葛城かずらき長江ながえ曽都そつ毘古は、玉手の臣、的の臣、生江の臣、阿芸那の臣らが祖なり。また若子わくごの宿祢は、江野の財の臣が祖なり。
 この天皇すめらみこと、御年五十いそじあまり七歳ななつ御陵みはかつるぎいけの中の岡の上(五)にあり。

  •  (一)孝元天皇。
  •  (二)奈良県高市郡たかいちぐん
  •  (三)九四ページ「崇神天皇」の「将軍の派遣」に事跡がある。
  •  (四)一二〇ページ「仲哀天皇」の「神功皇后」以下に事跡がある。この子孫は勢力を得たので、その子を詳記してあるが、『帝紀』としては加筆であろう。
  •  (五)奈良県高市郡。

   開化かいか天皇〕


 若倭根子日子大毘毘わかやまとおおみこと〔開化天皇〕(一)春日かすが伊耶河かわの宮(二)にましまして、天の下らしめしき。この天皇すめらみこと旦波たには大県主おおあがたぬし、名は由碁理むすめ竹野たかの比売にいて生みませる御子、比古由牟須美の命〈一柱〉。また庶母みままはは伊迦賀色許売みこといて生みませる御子、御真木入日子印恵いりいにの命、つぎに御真津比売の命〈二柱〉。また丸邇わにの臣の祖、日子国意祁都くにの命が妹、意祁都比売のみこといて生みませる御子、日子座ひこいますの王〈一柱〉。また葛城かずらき垂見たるみの宿祢が女、わし比売にいて生みませる御子、建豊波豆羅和気たけとよの王〈一柱〉。この天皇すめらみことの御子たち、あわせて五柱〈男王四柱、女王一柱。かれ御真木入日子印恵いりいにの命崇神すじん天皇〕は、天の下らしめしき。そのみこのかみ比古由牟須美の王の御子、大筒木垂根おおつつきたりねの王、つぎに讃岐垂根さぬきたりねの王〈二柱〉。この二柱の王の女、五柱ましき。つぎに日子座ひこいますの王、山代やましろ荏名津比売、またの名は苅幡戸弁かりはたいて生みませる子、大俣おおまたの王、つぎに小俣おまたの王、つぎに志夫美宿祢すくねの王〈三柱〉。また春日かすが建国勝戸売たけくにかつとめが女、名は沙本さほ大闇見戸売おおくらいて生みませる子、沙本毘古の王、つぎに袁耶本の王、つぎに沙本毘売のみこと、またの名は佐波遅比売、〈この沙本さほ毘売の命は伊久米いくめ(三)天皇すめらみこと〔垂仁天皇〕きさきとなりたまえり。つぎに室毘古むろびこの王〈四柱〉。またちか淡海おうみ御上みかみはふりがもちいつく〔持ち斎く。神としてあがめる〕(四)あめ御影みかげの神が女、息長おきなが水依みずより比売にいて生みませる子、丹波たには比古多多須美知能宇斯の王、つぎに水穂みずほ真若まわかの王、つぎに神大根かむおおねの王、またの名は八瓜やつり入日子いりの王、つぎに水穂みずほ五百依いおより比売、つぎに御井津比売〈五柱〉。またその母の弟袁祁都比売のみこといて生みませる子、山代やましろ大筒木おおつつき真若まわかの王、つぎに比古意須の王、つぎに伊理泥の王〈三柱〉。およそ日子座ひこいますの王の子、あわせて十五王とおまりいつはしら。かれこのかみ大俣おおまたの王の子、曙立あけたつの王(五)、つぎに兎上うがかみの王〈二柱〉。この曙立あけたつの王は、伊勢の品遅ほむぢ部、伊勢の佐那のみやつこが祖なり。兎上うながみの王は、比売陀の君が祖なり。つぎに小俣おまたの王は当麻の勾の君が祖なり。つぎに志夫美宿祢すくねの王は佐佐の君が祖なり。つぎに沙本毘古の王は、日下部のむらじ、甲斐の国のみやつこが祖なり。つぎに袁耶本の王は、葛野の別、近つ淡海の蚊野の別が祖なり。つぎに室毘古むろの王は、若狭の耳の別が祖なり。その美知能宇志の王、丹波たにはの河上の摩須ます郎女いらつめいて生みませる子、比婆須比売のみこと(六)、つぎに真砥野比売の命、つぎにおと比売の命、つぎに朝廷別みかどわけの王〈四柱〉。この朝廷別みかどわけの王は、三川の穂の別が祖なり。この美知能宇斯の王の弟、水穂みずほ真若わかの王は、近つ淡海の安のあたえが祖なり。つぎに神大根かむおおねの王は、三野の国の造、本巣の国の造、長幡部のむらじが祖なり。つぎに山代やましろ大筒木真若おおつつわかの王、同母弟いろせ伊理泥の王が女、丹波の阿治佐波毘売にいて生みませる子、迦邇米雷かにめいかづちの王、この王、丹波たには遠津とおつの臣が女、名は高材たかき比売にいて生みませる子、息長おきながの宿祢の王、この王、葛城かずらき高額たかぬか比売にいて生みませる子、息長帯おきながたらし比売の命〔神功皇后〕、つぎに虚空津比売の命、つぎに息長日子おきながの王〈三柱〉。この王は吉備の品遅の君、針間の阿宗の君が祖なり。また息長おきながの宿祢の王、河俣かわまた稲依いなより毘売にいて生みませる子、大多牟坂おおたむさかの王、こは多遅摩の国のみやつこが祖なり。かみにいえる建豊波豆羅和気たけとよの王は道守の臣、忍海部のみやつこ、御名部の造、稲羽の忍海部、丹波の竹野の別、依網の阿毘古らが祖なり。
 天皇すめらみこと、御年六十むそじ三歳まりみつ御陵みはか伊耶河いざかわの坂の上(七)にあり。

  •  (一)開化天皇。
  •  (二)奈良市。
  •  (三)垂仁天皇。九八ページ「垂仁天皇」の「沙本毘古の反乱」にこの皇后の物語がある。
  •  (四)滋賀県野洲郡やすぐんの三上の神職がまつる。
  •  (五)一〇二ページ「垂仁天皇」の「本牟智和気の御子」に物語がある。
  •  (六)以下の諸女王のこと、一〇四ページ「垂仁天皇」の「丹波の四女王」に物語があるが、人数などに相違がある。
  •  (七)奈良市。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
〔 〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
入力:川山隆
校正:しだひろし
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校註『古事記』(四)

稗田の阿礼、太の安万侶
武田祐吉注釈校訂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)上《かみ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)神|蕃息《はんそく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]
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[#1字下げ]古事記 中つ卷[#「古事記 中つ卷」は大見出し]

[#3字下げ]〔一、神武天皇〕[#「〔一、神武天皇〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔東征〕[#「〔東征〕」は小見出し]
 神倭伊波禮毘古《かむやまといはれびこ》の命、その同母兄《いろせ》五瀬の命と二柱、高千穗の宮にましまして議《はか》りたまはく、「いづれの地《ところ》にまさば、天の下の政を平けく聞《きこ》しめさむ。なほ東のかたに、行かむ」とのりたまひて、すなはち日向《ひむか》(一)より發《た》たして、筑紫に幸《い》でましき。かれ豐國の宇沙《うさ》(二)に到りましし時に、その土人《くにびと》名は宇沙都比古《うさつひこ》、宇沙都比賣《うさつひめ》二人、足一騰《あしひとつあがり》の宮(三)を作りて、大御饗《おほみあへ》獻りき。其地《そこ》より遷りまして、竺紫《つくし》の岡田の宮(四)に一年ましましき。またその國より上り幸でまして、阿岐《あき》の國の多祁理《たけり》の宮(五)に七年ましましき。またその國より遷り上り幸でまして、吉備の高島の宮(六)に八年ましましき。

(一) 九州の東方。
(二) 大分縣宇佐。
(三) 柱が一本浮き上つた宮殿。
(四) 福岡縣遠賀郡遠賀川の河口の地。
(五) 廣島縣安藝郡。
(六) 岡山縣兒島郡。

[#5字下げ]〔速吸の門〕[#「〔速吸の門〕」は小見出し]
 かれその國より上り幸でます時に、龜の甲《せ》に乘りて、釣しつつ打ち羽振り來る人(一)、速吸《はやすひ》の門《と》(二)に遇ひき。ここに喚びよせて、問ひたまはく、「汝《いまし》は誰ぞ」と問はしければ、答へて曰はく、「僕《あ》は國つ神なり」とまをしき。また問ひたまはく「汝は海《うみ》つ道《ぢ》を知れりや」と問はしければ、答へて曰はく、「能く知れり」とまをしき。また問ひたまはく「從《みとも》に仕へまつらむや」と問はしければ、答へて曰はく「仕へまつらむ」とまをしき。かれここに槁《さを》を指し度《わた》して、その御船に引き入れて、槁根津日子《さをねつひこ》といふ名を賜ひき。[#割り注]こは倭の國の造等が祖なり。[#割り注終わり]

(一) 勢いよくくる人。
(二) 潮のさしひきの早い海峽。豐後水道。岡山縣を出て難波に向うのに豐後水道を通つたとするは地理上不合理であるが、元來この一節は別に遊離していたものが插入されたので、このような形になつた。日本書紀では日向から出て直に速吸の門にかかつている。

[#5字下げ]〔五瀬の命〕[#「〔五瀬の命〕」は小見出し]
 かれその國より上り行《い》でます時に、浪速《なみはや》の渡《わたり》(一)を經て、青雲(二)の白肩《しらかた》の津(三)に泊《は》てたまひき。この時に、登美《とみ》の那賀須泥毘古《ながすねびこ》(四)、軍を興して、待ち向へて戰ふ。ここに、御船に入れたる楯を取りて、下《お》り立ちたまひき。かれ其地《そこ》に號けて楯津《たてづ》といふ。今には日下《くさか》の蓼津《たでづ》といふ。ここに登美《とみ》毘古と戰ひたまひし時に、五瀬《いつせ》の命、御手に登美毘古が痛矢串《いたやぐし》を負はしき。かれここに詔りたまはく、「吾は日の神の御子として、日に向ひて戰ふことふさはず。かれ賤奴《やつこ》が痛手を負ひつ。今よは行き※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]《めぐ》りて、日を背に負ひて撃たむ」と、期《ちぎ》りたまひて、南の方より※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り幸でます時に、血沼《ちぬ》の海(五)に到りて、その御手の血を洗ひたまひき。かれ血沼の海といふ。其地《そこ》より※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り幸でまして、紀《き》の國の男《を》の水門《みなと》(六)に到りまして、詔りたまはく、「賤奴《やつこ》が手を負ひてや、命すぎなむ」と男健《をたけび》して崩《かむあが》りましき。かれその水門《みなと》に名づけて男《を》の水門といふ。陵《みはか》は紀の國の竈山《かまやま》(七)にあり。

(一) 難波の渡。當時は大阪灣が更に深く灣入し、大和の國の水を集めた大和川は、河内の國に入つて北流して淀川に合流していた。それを溯上して河内に入つたのである。
(二) 枕詞。
(三) 大阪府中河内郡、生駒山の西麓。
(四) 生駒山の東登美にいた豪族の主長。
(五) 大阪府泉南郡の海岸。
(六) 和歌山縣、紀の川の河口。
(七) 和歌山縣海草郡。

[#5字下げ]〔熊野より大和へ〕[#「〔熊野より大和へ〕」は小見出し]
 かれ神倭伊波禮毘古の命、其地《そこ》より※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]り幸でまして、熊野《くまの》の村(一)に到りましし時に、大きなる熊(二)、髣髴《ほのか》に出で入りてすなはち失せぬ。ここに神倭伊波禮毘古の命|※[#「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57]忽《にはか》にをえまし(三)、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の高倉下《たかくらじ》、一|横刀《たち》をもちて、天つ神の御子(四)の伏《こや》せる地《ところ》に到りて獻る時に、天つ神の御子、すなはち寤《さ》め起ちて、「長寢《ながい》しつるかも」と詔りたまひき。かれその横刀《たち》を受け取りたまふ時に、その熊野の山の荒《あら》ぶる神おのづからみな切り仆《たふ》さえき。ここにそのをえ伏せる御軍悉に寤め起ちき。かれ天つ神の御子、その横刀《たち》を獲つるゆゑを問ひたまひしかば、高倉|下《じ》答へまをさく、「おのが夢に、天照らす大神高木の神二柱の神の命もちて、建御雷《たけみかづち》の神を召《よ》びて詔りたまはく、葦原の中つ國はいたく騷《さや》ぎてありなり。我が御子たち不平《やくさ》みますらし(五)。その葦原の中つ國は、もはら汝《いまし》が言向《ことむ》けつる國なり。かれ汝建御雷の神|降《あも》らさね」とのりたまひき。ここに答へまをさく、「僕《やつこ》降らずとも、もはらその國を平《ことむ》けし横刀あれば、この刀《たち》を降さむ。[#割り注]この刀の名は佐士布都の神といふ。またの名は甕布都の神といふ、またの名は布都の御魂。この刀は石上の神宮に坐す。[#割り注終わり]この刀を降さむ状は、高倉下が倉の頂《むね》を穿ちて、そこより墮し入れむとまをしたまひき(六)。かれ朝目|吉《よ》く汝取り持ちて天つ神の御子に獻れと、のりたまひき。かれ夢の教のまにま、旦《あした》におのが倉を見しかば、信《まこと》に横刀《たち》ありき。かれこの横刀をもちて獻らくのみ」とまをしき。
 ここにまた高木の大神の命もちて、覺《さと》し白したまはく、「天つ神の御子、こよ奧つ方にな入りたまひそ。荒ぶる神いと多《さは》にあり。今天より八咫烏《やたがらす》(七)を遣《つか》はさむ。かれその八咫烏導きなむ。その立たむ後《しりへ》より幸でまさね」と、のりたまひき。かれその御教《みさとし》のまにまに、その八咫烏の後より幸《い》でまししかば、吉野《えしの》河の河尻(八)に到りましき。時に筌《うへ》(九)をうちて魚《な》取る人あり。ここに天つ神の御子「汝《いまし》は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕《あ》は國つ神名は贄持《にへもつ》の子」とまをしき。[#割り注]こは阿陀の鵜養の祖なり。[#割り注終わり]其地《そこ》より幸でまししかば、尾ある人(一〇)井より出で來。その井光れり。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は井氷鹿《ゐひか》」とまをしき。[#割り注]こは吉野の首等が祖なり。[#割り注終わり]すなはちその山に入りまししかば、また尾ある人に遇へり。この人|巖《いはほ》を押し分けて出で來《く》。「汝は誰そ」と問はしければ、答へ白さく、「僕は國つ神名は石押分《いはおしわく》の子、今天つ神の御子|幸《い》でますと聞きつ。かれ、まゐ向へまつらくのみ」とまをしき。[#割り注]こは吉野の國巣(一一)が祖なり。[#割り注終わり]其地《そこ》より蹈み穿ち越えて、宇陀《うだ》(一二)に幸でましき。かれ宇陀《うだ》の穿《うがち》といふ。

(一) 和歌山縣南方の海岸一帶。
(二) 荒ぶる神が熊になつて現れたのでその毒氣を受けたとする。
(三) 病み疲れたまい。
(四) 神武天皇のこと。天つ神の御子として降下したとする。
(五) 惱んで居られるらしい。
(六) 奈良縣山邊郡の石上神宮。フツは劒の威力。物を斬る音という。
(七) 大きな烏。頭八つの烏とするは誤。ヤタは寸法。ヤアタの鏡のヤアタに同じ。この烏は鴨の建角身の命という豪傑だという。
(八) 大和の國内での吉野川の下流。
(九) 竹で編んで河に漬けて魚を取る漁法。
(一〇) 後部に垂れたもののある服裝の人。
(一一) 一三三頁[#「一三三頁」は「應神天皇」の「國主歌」]に説話がある。
(一二) 奈良縣宇陀郡。大和の國の東部。

[#5字下げ]〔久米歌〕[#「〔久米歌〕」は小見出し]
 かれここに宇陀に、兄宇迦斯《えうかし》弟宇迦斯《おとうかし》(一)と二人あり。かれまづ八咫烏を遣はして、二人に問はしめたまはく、「今、天つ神の御子|幸《い》でませり。汝《いまし》たち仕へまつらむや」と問ひたまひき。ここに兄宇迦斯、鳴鏑《なりかぶら》もちて、その使を待ち射返しき。かれその鳴鏑の落ちし地《ところ》を、訶夫羅前《かぶらざき》(二)といふ。「待ち撃たむ」といひて、軍《いくさ》を聚めしかども、軍をえ聚めざりしかば、仕へまつらむと欺陽《いつは》りて、大殿を作りて、その殿内《とのぬち》に押機《おし》を作りて待つ時に、弟宇迦斯《おとうかし》まづまゐ向へて、拜《をろが》みてまをさく、「僕が兄兄宇迦斯、天つ神の御子の使を射返し、待ち攻めむとして軍を聚むれども、え聚めざれば、殿を作り、その内に押機《おし》を張りて、待ち取らむとす、かれまゐ向へて顯はしまをす」とまをしき。ここに大伴《おほとも》の連《むらじ》等が祖|道《みち》の臣《おみ》の命、久米《くめ》の直《あたへ》等が祖|大久米《おほくめ》の命二人、兄宇迦斯《えうかし》を召《よ》びて、罵《の》りていはく、「※[#「にんべん+爾」、第3水準1-14-45]《い》(三)が作り仕へまつれる大殿内《とのぬち》には、おれ(四)まづ入りて、その仕へまつらむとする状を明し白せ」といひて、横刀《たち》の手上《たがみ》握《とりしば》り(五)、矛《ほこ》ゆけ矢刺して(六)、追ひ入るる時に、すなはちおのが作れる押機《おし》に打たれて死にき。ここに控《ひ》き出して斬り散《はふ》りき。かれ其地《そこ》を宇陀の血原(七)といふ。然してその弟宇迦斯《おとうかし》が獻れる大饗《おほみあへ》をば、悉にその御軍《みいくさ》に賜ひき。この時、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
宇陀の 高城《たかき》(八)に 鴫羂《しぎわな》張る。
我《わ》が待つや(九) 鴫は障《さや》らず、
いすくはし(一〇) 鷹《くぢ》ら障《さや》る(一一)。
前妻《こなみ》(一二)が 菜《な》乞はさば、
立柧※[#「木+陵のつくり」、第3水準1-85-78]《たちそば》(一三)の 實の無《な》けくを
こきしひゑね(一四)。
後妻《うはなり》(一五)が 菜乞はさば、
※[#「木+令」、第4水準2-14-46]《いちさかき》實《み》(一六)の大けくを
こきだひゑね(一七)  (歌謠番號一〇)
[#ここで字下げ終わり]
 ええ、しやこしや。こはいのごふぞ(一八)。ああ、しやこしや。こは嘲咲《あざわら》ふぞ。かれその弟宇迦斯、こは宇陀の水取《もひとり》等が祖なり。
 其地《そこ》より幸でまして、忍坂《おさか》(一九)の大室に到りたまふ時に、尾ある土雲(二〇)八十建《やそたける》、その室にありて待ちいなる(二一)。かれここに天つ神の御子の命もちて、御饗《みあへ》を八十建《やそたける》に賜ひき。ここに八十建に宛てて、八十|膳夫《かしはで》を設《ま》けて、人ごとに刀《たち》佩けてその膳夫《かしはで》どもに、誨へたまはく、「歌を聞かば、一時《もろとも》に斬れ」とのりたまひき。かれその土雲を打たむとすることを明《あか》して歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
忍坂《おさか》の 大室屋に
人|多《さは》に 來《き》入り居り。
人多に 入り居りとも、
みつみつし(二二) 久米の子が、
頭椎《くぶつつ》い(二三) 石椎《いしつつ》いもち
撃ちてしやまむ。
みつみつし 久米の子らが、
頭椎い 石椎いもち
今撃たば善《よ》らし。  (歌謠番號一一)
[#ここで字下げ終わり]
 かく歌ひて、刀を拔きて、一時に打ち殺しつ。
 然ありて後に、登美毘古を撃ちたまはむとする時、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
みつみつし 久米の子らが
粟生《あはふ》には 臭韮《かみら》一|莖《もと》(二四)、
そねが莖《もと》 そね芽《め》繋《つな》ぎ(二五)て
撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一二)
[#ここで字下げ終わり]
 また、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
みつみつし 久米の子らが
垣|下《もと》に 植《う》ゑし山椒《はじかみ》(二六)、
口ひひく(二七) 吾《われ》は忘れじ。
撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一三)
[#ここで字下げ終わり]
 また、歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
神風《かむかぜ》の(二八) 伊勢の海の
大石《おひし》に はひもとほろふ(二九)
細螺《しただみ》(三〇)の、いはひもとほり
撃ちてしやまむ。  (歌謠番號一四)
[#ここで字下げ終わり]
 また兄師木《えしき》弟師木《おとしき》(三一)を撃ちたまふ時に、御軍|暫《しまし》疲れたり。ここに歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
楯並《たたな》めて(三二) 伊那佐《いなさ》の山(三三)の
樹《こ》の間よも い行きまもらひ(三四)
戰へば 吾《われ》はや飢《ゑ》ぬ(三五)。
島つ鳥(三六) 鵜養《うかひ》が徒《とも》(三七)、
今|助《す》けに來ね。  (歌謠番號一五)
[#ここで字下げ終わり]
 かれここに邇藝速日《にぎはやび》の命(三八)まゐ赴《む》きて、天つ神の御子にまをさく、「天つ神の御子|天降《あも》りましぬと聞きしかば、追ひてまゐ降り來つ」とまをして、天つ瑞《しるし》(三九)を獻りて仕へまつりき。かれ邇藝速日《にぎはやび》の命、登美毘古が妹|登美夜毘賣《とみやびめ》に娶ひて生める子、宇摩志麻遲《うましまぢ》の命。[#割り注]こは物部の連、穗積の臣、※[#「女+綵のつくり」、79-本文-17]臣が祖なり。[#割り注終わり]かれかくのごと、荒ぶる神どもを言向《ことむ》けやはし、伏《まつろ》はぬ人どもを退《そ》け撥《はら》ひて、畝火《うねび》の白檮原《かしはら》の宮(四〇)にましまして、天の下|治《し》らしめしき。

(一) ウカチの地に居る人の義。兄弟とするのは首領と副首領の意。
(二) 所在不明。
(三) 二人稱の賤稱。
(四) 同前。既出。
(五) 大刀のつかをしかと握つて。
(六) 矛を向け矢をつがえて。
(七) 所在不明。
(八) 高い築造物。
(九) ヤは間投の助詞。
(一〇) 枕詞。語義不明。
(一一) 朝鮮語に鷹をクチという。鯨とする説もある。この句まで譬喩。
(一二) コナミは前に娶つた妻。古い妻である。
(一三) ソバノ木、カナメモチ。
(一四) 語義不明の句。原文、「許紀志斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキは動詞|扱《こ》くとすれば上二段活になる。
(一五) 妻のある上に更に娶つた妻。
(一六) ヒサカキ。
(一七) 語義不明の句。原文「許紀陀斐惠泥。」紀はキの乙類であるから、コキダは、許多の意のコキダクと同語では無いらしい。
(一八) いばるのだ。靈異記に犬が威壓するのにイノゴフと訓している。イゴノフゾとする説は誤り。
(一九) 奈良縣磯城郡、泊瀬溪谷の入口。
(二〇) 穴居していた先住民。
(二一) 待ちうなる。
(二二) 敍述による枕詞。威勢のよい。
(二三) 既出の頭椎の大刀に同じ。イは語勢の助詞。イシツツイも同じ。石器である。
(二四) くさいニラが一本。
(二五) その根もとと芽とを一つにして。
(二六) シヨウガは藥用植物で外來種であるからここはサンショウだろうという。
(二七) 口がひりひりする。
(二八) 枕詞。國つ神が大風を起して退去したからいうと傳える。
(二九) 這いまわつている。
(三〇) ラセン形の貝殼の貝。肉は食料にする。
(三一) 磯城の地に居た豪族。
(三二) 枕詞。楯を並べて射るとイの音に續く。
(三三) 奈良縣宇陀郡伊那佐村。
(三四) 樹の間から行き見守つて。
(三五) わたしは飢え疲れた。
(三六) 枕詞。
(三七) 前出の阿多の鵜養たち。鵜に助けに來いというのは魚を持つて來いの意である。
(三八) 系統不明。舊事本紀にはオシホミミの命の子とする。
(三九) 天から持つて來た寶物。
(四〇) 奈良縣畝傍山の東南の地。

[#5字下げ]〔大物主の神の御子〕[#「〔大物主の神の御子〕」は小見出し]
 かれ日向にましましし時に、阿多《あた》の小椅《をばし》の君が妹、名は阿比良《あひら》比賣に娶ひて、生みませる子、多藝志美美《たぎしみみ》の命、次に岐須美美《きすみみ》の命、二柱ませり。然れども更に、大后《おほぎさき》とせむ美人《をとめ》を求《ま》ぎたまふ時に、大久米の命まをさく、「ここに媛女《をとめ》あり。こを神の御子なりといふ。それ神の御子といふ所以《ゆゑ》は、三島の湟咋《みぞくひ》が女、名は勢夜陀多良《せやだたら》比賣、それ容姿麗《かほよ》かりければ、美和の大物主の神(一)、見|感《め》でて、その美人《をとめ》の大便《くそ》まる時に、丹塗《にぬり》矢(二)になりて、その大便まる溝より、流れ下りて、その美人の富登《ほと》を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすぎき(三)。すなはちその矢を持ち來て、床の邊に置きしかば、忽に麗しき壯夫《をとこ》に成りぬ。すなはちその美人に娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣《ほとたたらいすすきひめ》の命、またの名は比賣多多良伊須氣余理比賣《ひめたたらいすけよりひめ》といふ。[#割り注]こはその富登といふ事を惡みて、後に改へつる名なり。[#割り注終わり]かれここを以ちて神の御子とはいふ」とまをしき。
 ここに七|媛女《をとめ》、高佐士野《たかさじの》(四)に遊べるに、伊須氣余理比賣《いすけよりひめ》その中にありき。ここに大久米の命、その伊須氣余理比賣を見て、歌もちて天皇にまをさく、
[#ここから2字下げ]
倭《やまと》の 高佐士野を
七《なな》行く 媛女《をとめ》ども、
誰をしまかむ(五)。  (歌謠番號一六)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに伊須氣余理比賣は、その媛女どもの前《さき》に立てり。すなはち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須氣余理比賣の最前《いやさき》に立てることを知らして、歌もちて答へたまひしく、
[#ここから2字下げ]
かつがつも(六) いや先立てる 愛《え》をしまかむ。  (歌謠番號一七)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに大久米の命、天皇の命を、その伊須氣余理比賣に詔《の》る時に、その大久米の命の黥《さ》ける利目《とめ》(七)を見て、奇《あや》しと思ひて、歌ひたまひしく、
[#ここから2字下げ]
天地《あめつつ》 ちどりましとと(八) など黥《さ》ける利目《とめ》。  (歌謠番號一八)
[#ここで字下げ終わり]
 ここに大久米の命、答へ歌ひて曰ひしく、
[#ここから2字下げ]
媛女に 直《ただ》に逢はむと(九) 吾《わ》が黥ける利目《とめ》。  (歌謠番號一九)
[#ここで字下げ終わり]
 かれその孃子《をとめ》、「仕へまつらむ」とまをしき。ここにその伊須氣余理比賣の命の家は、狹井《さゐ》河(一〇)の上《うへ》にあり。天皇、その伊須氣余理比賣のもとに幸《い》でまして、一夜|御寢《みね》したまひき。[#割り注]その河を佐韋河といふ由は、その河の邊に、山百合草多くあり。かれその山百合草の名を取りて、佐韋河と名づく。山百合草の本の名佐韋といひき。[#割り注終わり]
 後にその伊須氣余理比賣《いすけよりひめ》、宮内《おほみやぬち》にまゐりし時に、天皇、御歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
葦原の しけしき小屋《をや》に(一一)
菅疊《すがたたみ》 いや清《さや》敷きて(一二)、
わが二人寢し。  (歌謠番號二〇)
[#ここで字下げ終わり]
 然して生《あ》れませる御子の名は、日子八井《ひこやゐ》の命、次に神八井耳《かむやゐみみ》の命、次に神沼河耳《かむななかはみみ》の命(一三)三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。

(一) 奈良縣磯城郡の三輪山の神。前に大國主の神の靈を祭るとしていた。大物主の神をも大國主の神の別名とするのだが、元來は別神だろう。
(二) 赤く塗つた矢。
(三) 立ち走り騷いだ。
(四) 香具山の附近。
(五) マカムは纏かむで、手に卷こう。妻としよう。
(六) わずかに。
(七) 目じりに入墨をして目を鋭く見せようとした。
(八) 語義不明。千人に勝れる人の義という。
(九) 直接に逢おうとして。
(一〇) 三輪山から出る川。
(一一) きたない小舍に。
(一二) 菅で編んだ敷物をさつぱりと敷いて。
(一三) 綏靖天皇。

[#5字下げ]〔當藝志美美《たぎしみみ》の命の變〕[#「〔當藝志美美の命の變〕」は小見出し]
 かれ天皇|崩《かむあが》りまして後に、その庶兄《まませ》當藝志美美《たぎしみみ》の命、その嫡后《おほぎさき》伊須氣余理比賣に娶《あ》へる時に、その三柱の弟《おとみこ》たちを殺《し》せむとして、謀るほどに、その御祖《みおや》伊須氣余理比賣、患苦《うれ》へまして、歌もちてその御子たちに知らしめむとして歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
狹井河よ 雲起ちわたり
畝火山 木の葉さやぎぬ。
風吹かむとす。  (歌謠番號二一)
[#ここで字下げ終わり]
 また歌よみしたまひしく、
[#ここから2字下げ]
畝火山 晝は雲とゐ(一)、
夕されば 風吹かむとぞ
木の葉さやげる。  (歌謠番號二二)
[#ここで字下げ終わり]
 ここにその御子たち聞き知りて、驚きて當藝志美美を殺《し》せむとしたまふ時に、神沼河耳の命、その兄《いろせ》神八井耳の命にまをしたまはく、「なね汝《な》が命、兵《つはもの》を持ちて(二)入りて、當藝志美美を殺せたまへ」とまをしたまひき。かれ兵《つはもの》を持ちて、入りて殺《し》せむとする時に、手足わななきてえ殺せたまはず。かれここにその弟《いろと》神沼河耳の命、その兄の持てる兵《つはもの》を乞ひ取りて、入りて當藝志美美を殺《し》せたまひき。かれまたその御名をたたへて、建沼河耳《たけぬなかはみみ》の命とまをす。
 ここに神八井耳の命、弟建沼河耳の命に讓りてまをしたまはく、「吾《あ》は仇をえ殺せず、汝《な》が命は既にえ殺せたまひぬ。かれ吾は兄なれども、上《かみ》とあるべからず。ここを以ちて汝が命、上とまして、天の下|治《し》らしめせ。僕《やつこ》は汝が命を扶《たす》けて、忌人《いはひびと》(三)となりて仕へまつらむ」とまをしたまひき。かれその日子八井の命は、茨田《うまらた》の連、手島の連が祖。神八井耳の命は、意富《おほ》の臣(四)、小子部《ちひさこべ》の連、坂合部の連、火の君、大分《おほきた》の君、阿蘇の君、筑紫の三家《みやけ》の連、雀部《さざきべ》の臣、雀部の造、小長谷《をはつせ》の造、都祁《つげ》の直、伊余の國の造、科野《しなの》の國の造、道の奧の石城《いはき》の國の造、常道《ひたち》の仲の國の造、長狹の國の造、伊勢の船木の直、尾張の丹波《には》の臣、島田の臣等が祖なり。神沼河耳の命は天の下|治《し》らしめしき。
 およそこの神倭伊波禮毘古の天皇、御年|一百三十七歳《ももちまりみそまりななつ》、御陵《みはか》は畝火山の北の方|白檮《かし》の尾の上にあり。

(一) トヰは、動搖する意の動詞。トヰナミ(萬葉集)のトヰと同語。
(二) 武器を持つて。
(三) 潔齋をして無事を祈る人。祭をおこなう人。
(四) 古事記の撰者太の安麻呂の系統。

[#3字下げ]〔二、綏靖天皇以後八代〕[#「〔二、綏靖天皇以後八代〕」は中見出し]

[#5字下げ]〔綏靖天皇〕[#「〔綏靖天皇〕」は小見出し]
 神沼河耳の命(一)、葛城《かづらき》の高岡《たかをか》の宮にましまして、天の下|治《し》らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、河俣《かはまた》毘賣に娶《あ》ひて、生みませる御子、師木津日子玉手見《しきつひこたまでみ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。天皇、御年|四十五歳《よそぢあまりいつつ》、御陵は衝田《つきだ》の岡(二)にあり。

(一) 綏靖天皇。以下八代は、多少の插入はあろうが、大體帝紀の形が殘つていると考えられる。
(二) 奈良縣高市郡。神武天皇陵の北にある。

[#5字下げ]〔安寧天皇〕[#「〔安寧天皇〕」は小見出し]
 師木津日子玉手見の命(一)、片鹽《かたしほ》の浮穴《うきあな》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、河俣《かはまた》毘賣の兄縣主|波延《はえ》が女、阿久斗《あくと》比賣に娶《あ》ひて、生みませる御子、常根津日子伊呂泥《とこねつひこいろね》の命、次に大倭日子※[#「金+且」、第3水準1-93-12]友《おほやまとひこすきとも》の命、次に師木津日子《しきつひこ》の命。この天皇の御子|等《たち》并せて、三柱の中、大倭日子※[#「金+且」、第3水準1-93-12]友の命は、天の下治らしめしき。次に師木津日子の命の御子二柱ます。一柱の子孫は、伊賀の須知の稻置《いなき》、那婆理の稻置、三野の稻置が祖なり。一柱の御子|和知都美《わちつみ》の命は、淡道《あはぢ》の御井《みゐ》の宮(三)にましき。かれこの王《みこ》、女《むすめ》二柱ましき。兄《いろね》の名は繩伊呂泥《はへいろね》、またの名は意富夜麻登久邇阿禮《おほやまとくにあれ》比賣の命、弟《いろと》の名は繩伊呂杼《はへいろとど》なり(四)。
 天皇、御年|四拾九歳《よそぢあまりここのつ》、御陵は畝火山の美富登《みほと》(五)にあり。

(一) 安寧天皇。
(二) 奈良縣北葛城郡。
(三) 兵庫縣三原郡。
(四) この二女王は、孝靈天皇の妃。
(五) 畝火山の南のくぼみにある。

[#5字下げ]〔懿徳天皇〕[#「〔懿徳天皇〕」は小見出し]
 大倭日子※[#「金+且」、第3水準1-93-12]友《おほやまとひこすきとも》の命(一)、輕《かる》の境岡《さかひをか》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、師木の縣主の祖、賦登麻和訶《ふとまわか》比賣の命、またの名は飯日《いひひ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命、次に多藝志比古《たぎしひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命は、天の下治らしめしき。次に當藝志比古の命は、血沼の別、多遲麻の竹の別、葦井の稻置が祖なり。
 天皇、御年|四十五歳《よそぢあまりいつつ》、御陵は畝火山の眞名子谷《まなごだに》の上(三)にあり。

(一) 懿徳天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 畝火山の南。

[#5字下げ]〔孝昭天皇〕[#「〔孝昭天皇〕」は小見出し]
 御眞津日子訶惠志泥《みまつひこかゑしね》の命(一)、葛城の掖上《わきがみ》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、尾張の連《むらじ》の祖、奧津余曾《おきつよそ》が妹、名は余曾多本毘賣《よそたほびめ》の命に娶ひて、生みませる御子、天押帶日子《あめおしたらしひこ》の命、次に大倭帶日子國押人《おほやまとたらしひこくにおしびと》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ弟《いろと》帶日子國押人《たらしひこくにおしびと》の命は、天の下治らしめしき。兄《いろせ》天押帶日子《あめおしたらしひこ》の命は、春日の臣、大宅の臣、粟田の臣、小野の臣、柿本の臣、壹比韋の臣、大坂の臣、阿那の臣、多紀の臣、羽栗の臣、知多の臣、牟耶の臣、都怒山の臣、伊勢の飯高の君、壹師の君、近つ淡海の國の造が祖なり。
 天皇、御年|九十三歳《ここのそぢまりみつ》、御陵は掖上の博多《はかた》山の上(三)にあり。

(一) 孝昭天皇。
(二) 奈良縣南葛城郡。
(三) 同前。

[#5字下げ]〔孝安天皇〕[#「〔孝安天皇〕」は小見出し]
 大倭帶日子國押人《おほやまとたらしひこくにおしびと》の命(一)、葛城の室《むろ》の秋津島《あきづしま》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、姪|忍鹿《おしが》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、大吉備《おほきび》の諸進《もろすす》の命、次に大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。かれ大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命は、天の下治らしめしき。
 天皇、御年|一百二十三歳《ももちあまりはたちみつ》、御陵は玉手《たまて》の岡の上《へ》(三)にあり。

(一) 孝安天皇。
(二) 奈良縣南葛城郡。
(三) 同前。

[#5字下げ]〔孝靈天皇〕[#「〔孝靈天皇〕」は小見出し]
 大倭根子日子賦斗邇《おほやまとねこひこふとに》の命(一)、黒田《くろだ》の廬戸《いほど》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、十市《とをち》の縣主の祖、大目《おほめ》が女、名は細《くはし》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また春日《かすが》の千千速眞若《ちぢはやまわか》比賣に娶ひて、生みませる御子、千千速《ちぢはや》比賣の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また意富夜麻登玖邇阿禮《おほやまとくにあれ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、夜麻登登母母曾毘賣《やまととももそびめ》の命、次に日子刺肩別《ひこさしかたわけ》の命、次に比古伊佐勢理毘古《ひこいさせりびこ》の命、またの名は大吉備津日子《おほきびつひこ》の命、次に倭飛羽矢若屋《やまととびはやわかや》比賣四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。またその阿禮《あれ》比賣の命の弟、繩伊呂杼《はへいろど》に娶ひて、生みませる御子、日子寤間《ひこさめま》の命、次に若日子建吉備津日子《わかひこたけきびつひこ》の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて八柱ませり。[#割り注]男王五柱、女王三柱。[#割り注終わり]かれ大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命は、天の下治らしめしき。大吉備津日子《おほきびつひこ》の命と若建吉備津日子《わかたけきびつひこ》の命とは、二柱相|副《たぐ》はして、針間《はりま》の氷《ひ》の河《かは》の前《さき》(三)に忌瓮《いはひべ》を居《す》ゑて(四)、針間を道の口として(五)、吉備の國(六)を言向《ことむ》け和《やは》したまひき。かれこの大吉備津日子の命は、吉備の上つ道の臣が祖なり。次に若日子建吉備津日子の命は、吉備の下つ道の臣、笠の臣が祖なり。次に日子寤間《ひこさめま》の命は、針間《はりま》の牛鹿の臣が祖なり。次に日子刺肩別《ひこさしかたわけ》の命は、高志《こし》の利波《となみ》の臣、豐國の國前の臣、五百原の君、角鹿《つぬが》の濟の直が祖なり。
 天皇、御年|一百六歳《ももちまりむつ》、御陵は片岡の馬坂《うまさか》の上(七)にあり。

(一) 孝靈天皇。
(二) 奈良縣磯城郡。
(三) 兵庫縣加古郡。
(四) 清らかな酒瓶を置いて神を祭り行旅の無事を祈る。
(五) 播磨の國を道の入口として。
(六) 後の備前美作備中備後の四國の總稱。
(七) 奈良縣北葛城郡。

[#5字下げ]〔孝元天皇〕[#「〔孝元天皇〕」は小見出し]
 大倭根子日子國玖琉《おほやまとねこひこくにくる》の命(一)、輕《かる》の堺原《さかひはら》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、穗積《ほづみ》の臣等が祖、内色許男《うつしこを》の命が妹、内色許賣《うつしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、大毘古《おほびこ》の命(三)、次に少名日子建猪心《すくなひこたけゐごころ》の命、次に若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また内色許男《うつしこを》の命が女、伊迦賀色許賣《いかがしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、比古布都押《ひこふつおし》の信《まこと》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また河内の青玉《あをたま》が女、名は波邇夜須《はにやす》毘賣に娶ひて、生みませる御子、建波邇夜須毘古《たけはにやすびこ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて五柱ませり。かれ若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命は、天の下治らしめしき。その兄|大毘古《おほびこ》の命の子、建沼河別《たけぬなかはわけ》の命は、阿部の臣等が祖なり。次に比古伊那許士別《ひこいなこじわけ》の命、こは膳の臣が祖なり。比古布都押《ひこふつおし》の信《まこと》の命、尾張《をはり》の連《むらじ》等が祖、意富那毘《おほなび》が妹、葛城《かづらき》の高千那毘賣《たかちなびめ》に娶ひて、生みませる子、味師内《うましうち》の宿禰《すくね》、こは山代の内の臣が祖なり。また木《き》の國《くに》の造《みやつこ》が祖、宇豆比古《うづひこ》が妹、山下影《やましたかげ》日賣に娶ひて、生みませる子、建内《たけしうち》の宿禰《すくね》(四)。この建内の宿禰の子、并はせて九人《ここのたり》[#割り注]男七柱、女二柱。[#割り注終わり]波多の八代の宿禰は、波多の臣、林の臣、波美の臣、星川の臣、淡海の臣、長谷部の君が祖なり。次に許勢《こせ》の小柄《をから》の宿禰は、許勢の臣、雀部の臣、輕部の臣が祖なり。次に蘇賀《そが》の石河《いしかは》の宿禰《すくね》は、蘇我の臣、川邊の臣、田中の臣、高向の臣、小治田の臣、櫻井の臣、岸田の臣等が祖なり。次に平群《へぐり》の都久《つく》の宿禰は、平群の臣、佐和良の臣、馬の御※[#「識」の「言」に代えて「木」、第4水準2-15-49]《みくひ》の連等が祖なり。次に木《き》の角《つの》の宿禰は、木の臣、都奴の臣、坂本の臣等が祖なり。次に久米《くめ》の摩伊刀《まいと》比賣、次に怒《の》の伊呂《いろ》比賣、次に葛城《かづらき》の長江《ながえ》の曾都《そつ》毘古は、玉手の臣、的の臣、生江の臣、阿藝那の臣等が祖なり。また若子《わくご》の宿禰は、江野の財の臣が祖なり。
 この天皇、御年|五十七歳《いそぢあまりななつ》、御陵は劒《つるぎ》の池《いけ》の中《なか》の岡《をか》の上(五)にあり。

(一) 孝元天皇。
(二) 奈良縣高市郡。
(三) 九四頁[#「九四頁」は「崇神天皇」の「將軍の派遣」]に事蹟がある。
(四) 一二〇頁[#「一二〇頁」は「仲哀天皇」の「神功皇后」]以下に事蹟がある。この子孫は勢力を得たので、その子を詳記してあるが、帝紀としては加筆であろう。
(五) 奈良縣高市郡。

[#5字下げ]〔開化天皇〕[#「〔開化天皇〕」は小見出し]
 若倭根子日子大毘毘《わかやまとねこひこおほびび》の命(一)、春日《かすが》の伊耶河《いざかは》の宮(二)にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、旦波《たには》の大縣主《おほあがたぬし》、名は由碁理《ゆごり》が女《むすめ》、竹野《たかの》比賣に娶ひて、生みませる御子、比古由牟須美《ひこゆむすみ》の命一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また庶母《みままはは》伊迦賀色許賣《いかがしこめ》の命に娶ひて、生みませる御子、御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命、次に御眞津《みまつ》比賣の命二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。また丸邇《わに》の臣の祖、日子國意祁都《ひこくにおけつ》の命が妹、意祁都《おけつ》比賣の命に娶ひて、生みませる御子、日子坐《ひこいます》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。また葛城《かづらき》の垂見《たるみ》の宿禰が女、※[#「顫のへん+鳥」、第3水準1-94-72]《わし》比賣に娶ひて生みませる御子、建豐波豆羅和氣《たけとよはつらわけ》の王一柱[#「一柱」は1段階小さな文字]。この天皇の御子たち、并はせて五柱[#割り注]男王四柱、女王一柱。[#割り注終わり]かれ御眞木入日子印惠《みまきいりひこいにゑ》の命は、天の下治らしめしき。その兄《みこのかみ》比古由牟須美《ひこゆむすみ》の王の御子、大筒木垂根《おほつつきたりね》の王、次に讚岐垂根《さぬきたりね》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この二柱の王の女、五柱ましき。次に日子坐《ひこいます》の王、山代《やましろ》の荏名津《えなつ》比賣、またの名は苅幡戸辨《かりはたとべ》に娶ひて生みませる子、大俣《おほまた》の王、次に小俣《をまた》の王、次に志夫美《しぶみ》の宿禰《すくね》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。また春日《かすが》の建國勝戸賣《たけくにかつとめ》が女、名は沙本《さほ》の大闇見戸賣《おほくらみとめ》に娶ひて、生みませる子、沙本毘古《さほびこ》の王、次に袁耶本《をざほ》の王、次に沙本《さほ》毘賣の命、またの名は佐波遲《さはぢ》比賣、[#割り注]この沙本毘賣の命は伊久米(三)の天皇の后となりたまへり。[#割り注終わり]次に室毘古《むろびこ》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。また近《ちか》つ淡海《あふみ》の御上《みかみ》の祝《はふり》がもちいつく(四)、天《あめ》の御影《みかげ》の神が女、息長《おきなが》の水依《みづより》比賣に娶ひて、生みませる子、丹波《たには》の比古多多須美知能宇斯《ひこたたすみちのうし》の王、次に水穗《みづほ》の眞若《まわか》の王、次に神大根《かむおほね》の王、またの名は八瓜《やつり》の入日子《いりひこ》の王、次に水穗《みづほ》の五百依《いほより》比賣、次に御井津《みゐつ》比賣五柱[#「五柱」は1段階小さな文字]。またその母の弟|袁祁都《をけつ》比賣の命に娶ひて、生みませる子、山代《やましろ》の大筒木《おほつつき》の眞若《まわか》の王、次に比古意須《ひこおす》の王、次に伊理泥《いりね》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。およそ日子坐《ひこいます》の王の子、并はせて十五王《とをまりいつはしら》。かれ兄《このかみ》大俣《おほまた》の王の子、曙立《あけたつ》の王(五)、次に菟上《うがかみ》の王二柱[#「二柱」は1段階小さな文字]。この曙立《あけたつ》の王は、伊勢の品遲《ほむぢ》部、伊勢の佐那の造が祖なり。菟上《うながみ》の王は、比賣陀の君が祖なり。次に小俣《をまた》の王は當麻の勾の君が祖なり。次に志夫美《しぶみ》の宿禰《すくね》の王は佐佐の君が祖なり。次に沙本毘古《さほびこ》の王は、日下部の連、甲斐の國の造が祖なり。次に袁耶本《をざほ》の王は、葛野の別、近つ淡海の蚊野の別が祖なり。次に室毘古《むろびこ》の王は、若狹の耳の別が祖なり。その美知能宇志《みちのうし》の王、丹波《たには》の河上の摩須《ます》の郎女《いらつめ》に娶ひて、生みませる子、比婆須《ひばす》比賣の命(六)、次に眞砥野《まとの》比賣の命、次に弟《おと》比賣の命、次に朝廷別《みかどわけ》の王四柱[#「四柱」は1段階小さな文字]。この朝廷別《みかどわけ》の王は、三川の穗の別が祖なり。この美知能宇斯《みちのうし》の王の弟、水穗《みづほ》の眞若《まわか》の王は、近つ淡海の安の直が祖なり。次に神大根《かむおほね》の王は、三野の國の造、本巣の國の造、長幡部の連が祖なり。次に山代《やましろ》の大筒木眞若《おほつつきまわか》の王、同母弟《いろせ》伊理泥《いりね》の王が女、丹波の阿治佐波《あぢさは》毘賣に娶ひて、生みませる子、迦邇米雷《かにめいかづち》の王、この王、丹波《たには》の遠津《とほつ》の臣が女、名は高材《たかき》比賣に娶ひて、生みませる子、息長《おきなが》の宿禰の王、この王、葛城《かづらき》の高額《たかぬか》比賣に娶ひて、生みませる子、息長帶《おきながたらし》比賣の命、次に虚空津《そらつ》比賣の命、次に息長日子《おきながひこ》の王三柱[#「三柱」は1段階小さな文字]。この王は吉備の品遲の君、針間の阿宗の君が祖なり。また息長《おきなが》の宿禰の王、河俣《かはまた》の稻依《いなより》毘賣に娶ひて、生みませる子、大多牟坂《おほたむさか》の王、こは多遲摩の國の造が祖なり。上《かみ》にいへる建豐波豆羅和氣《たけとよはづらわけ》の王は道守の臣、忍海部の造、御名部の造、稻羽の忍海部、丹波の竹野の別、依網の阿毘古等が祖なり。
 天皇、御年|六十三歳《むそぢまりみつ》、御陵は伊耶河《いざかは》の坂の上(七)にあり。

(一) 開化天皇。
(二) 奈良市。
(三) 垂仁天皇。九八頁[#「九八頁」は「垂仁天皇」の「沙本毘古の叛亂」]にこの皇后の物語がある。
(四) 滋賀縣野洲郡の三上の神職が祭る。
(五) 一〇二頁[#「一〇二頁」は「垂仁天皇」の「本牟智和氣の御子」]に物語がある。
(六) 以下の諸女王のこと、一〇四頁[#「一〇四頁」は「垂仁天皇」の「丹波の四女王」]に物語があるが人數などに相違がある。
(七) 奈良市。

(つづく)



底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
※底本は校注が脚註の形で配置されています。このファイルでは校註者が追加した標題ごとに、書き下し文、校注の順序で編成しました。
※(一)〜(五五)は注釈番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように漢数字のみ付いています。このファイルでは本文の漢数字との混同を避けるため(漢数字)で表しました。
※〔〕は底本の親本にはないもので、校註者が補った箇所を表します。
※頁数を引用している箇所には校註者が追加した標題を注記しました。
※底本は書き下し文のみ歴史的かなづかいで、その他は新かなづかいです。なお拗音・促音は小書きではありません。
入力:川山隆
校正:しだひろし
YYYY年MM月DD日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 葦原の中つ国 あしはらの なかつくに (「中つ国」は、天上の高天原と地下の黄泉の国との中間にある、地上の世界の意)(→)「葦原の国」に同じ。
  • 葦原の国 あしはらのくに 記紀神話などに見える、日本国の称。
  • [日向] ひむか/ひゅうが (古くはヒムカ)旧国名。今の宮崎県。
  • 高千穂の宮 たかちほのみや 彦火火出見尊から神武天皇に至る3代の皇居。宮崎県西臼杵郡高千穂町・同県西諸県郡の東霧島山などの諸説がある。
  • [福岡県]
  • [筑紫] つくし 九州の古称。また、筑前・筑後を指す。
  • 竺紫 つくし → 筑紫
  • 遠賀郡 おんがぐん 県の北部に位置する。北は響灘に面し、東は北九州市若松区・八幡西区、南は中間市・鞍手郡鞍手町・宗像市、西は宗像市に接する。郡域の東部を北流してきた遠賀川が響灘に注ぐ。
  • 遠賀川 おんががわ 福岡・大分両県の県境にある英彦山などに発源し、北流して響灘に注ぐ川。流域に筑豊炭田があり、石炭輸送に利用された。長さ58km。
  • 岡田の宮 おかだのみや 現、福岡県芦屋町芦屋付近か。(日本史)
  • [大分県]
  • [豊国] とよくに 豊の国。九州地方北東部の古い国名。のち豊前・豊後に分かれた。
  • 宇沙 うさ 宇佐。(もと菟狭・宇沙とも書いた)大分県北部の市。周防灘に面する。中心地区宇佐は、宇佐神宮の鳥居前町。人口6万1千。
  • 足一騰の宮 あしひとつあがりのみや 現、大分県宇佐市南宇佐などに比定される。(日本史)
  • 速吸の門 はやすいのと 速吸瀬戸 → 豊予海峡
  • 豊予海峡 ほうよ かいきょう 愛媛県佐田岬半島と大分県佐賀関半島とによって挟まれた海峡。瀬戸内海の一門口で、豊後水道の北口に当たる。速吸瀬戸。
  • 豊後水道 ぶんご すいどう 愛媛県西岸と大分県南東部海岸との間の海域。南は太平洋に、北は豊予海峡を経て瀬戸内海に続く。
  • [広島県]
  • [阿岐の国] あきのくに → 安芸
  • [安芸] あき 旧国名。今の広島県の西部。芸州。
  • 安芸郡 あきぐん 県西南部、広島湾東岸域および江田島・倉橋島・上蒲刈島・下蒲刈島などの島嶼部を郡域とする。
  • 多祁理の宮 たけりのみや 紀は埃宮。現、広島県安芸郡府中町宮の町多家神社の誰曽の森に比定。
  • [備後] びんご 旧国名。吉備国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。広島県の東部。
  • [岡山県]
  • 児島郡 こじまぐん 岡山県および備前国にかつて存在した郡。灘崎町が2005年3月22日に岡山市に編入合併され児島郡は消滅した。
  • [吉備] きび 山陽地方の古代国名。大化改新後、備前・備中・備後・美作に分かつ。
  • 高島の宮 たかしまのみや 現、岡山県笠岡市高島に比定する説と、同市の神島に比定する説がある。
  • [備前] びぜん 旧国名。吉備国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。713年(和銅6)、北部は美作として分離独立。今の岡山県の南東部。
  • [美作] みまさか 旧国名。713年(和銅6)、備前より分離独立。今の岡山県の北部。作州。
  • [備中] びっちゅう (ビチュウとも)旧国名。吉備国を大化改新後に前・中・後に分けた一つ。岡山県の西半部。
  • [兵庫県]
  • [播磨] はりま 旧国名。今の兵庫県の南西部。播州。
  • [針間] はりま → 播磨
  • 淡道の御井の宮 あわじの みいのみや 淡路瑞井宮か。反正天皇が誕生したと伝える場所。現、兵庫県三原郡西淡町。
  • 三原郡 みはらぐん 淡路国の郡。淡路島の南西部の地域。現在の南あわじ市の全域と洲本市の加茂、大野、納、鮎屋、堺地区が明治以前の三原郡の領域であった。律令制のころの郡家は現在の南あわじ市国衙にあったと推定される。
  • 加古郡 かこぐん 県の南中央部に位置し、東は神戸市西区・明石市、南は明石市と瀬戸内海、西は加古川市、北は加古川市・三木市に接する。近世までの当郡は播磨国の南東部に位置した。賀古郡とも記した。
  • 氷の河の埼 ひのかわの さき 氷野河か。氷野村は現、大東市氷野。
  • 針間の氷の河 はりまのひのかわ 加古川とする説もある。
  • 加古川 かこがわ 丹波山地から流下し、兵庫県中央部を流れて高砂市で瀬戸内海に注ぐ川。
  • [大阪府]
  • [河内] かわち (古くカフチとも)旧国名。五畿の一つ。今の大阪府の東部。河州。
  • 難波・浪速・浪花 なにわ (一説に「魚庭」の意という)大阪市およびその付近の古称。
  • 浪速の渡 なみはやのわたり → 難波津
  • 難波津 なにわづ 難波江の要津。古代には、今の大阪城付近まで海が入りこんでいたので、各所に船瀬を造り、瀬戸内海へ出る港としていた。
  • 大阪湾 おおさかわん 瀬戸内海の東端にあたる湾。西は明石海峡と淡路島、南は友ヶ島水道(紀淡海峡)で限られる。古称、茅渟海。和泉灘。摂津灘。
  • 淀川 よどがわ 琵琶湖に発源し、京都盆地に出て、盆地西端で木津川・桂川を合わせ、大阪平野を北東から南西に流れて大阪湾に注ぐ川。長さ75km。上流を瀬田川、宇治市から淀までを宇治川という。
  • 北河内郡 きたかわちぐん 明治29(1896)交野郡・茨田郡・讃良郡が合併して成立。名称は旧河内国の北部に位置することにより、北から南にかけては京都府綴喜郡、東は奈良県生駒郡、南は中河内郡、南西は東成郡・西成郡、西は淀川をはさんで三島郡に接する。京都府・奈良県との府県境には生駒山地があり、郡域平地部のほぼ中央に枚方丘陵がある。
  • 大阪市 おおさかし 大阪湾の北東岸、淀川の河口付近にある市。府庁所在地。近畿地方の中心都市。政令指定都市の一つ。阪神工業地帯の中核。古称、難波。室町時代には小坂・大坂といい、明治初期以降「大阪」に統一。仁徳天皇の高津宮が置かれて以来、幾多の変遷を経、明応(1492〜1501)年間、蓮如が生玉の荘に石山御坊を置いてから町が発達、天正(1573〜1592)年間、豊臣秀吉の築城以来、商業都市となった。運河が多く、「水の都」の称もある。人口262万9千。
  • 東成区 ひがしなりく 大阪市の東部にあり、東を東大阪市と接する。北は城東区、南は生野区、西は天王寺区、東区。
  • 中河内郡 なかかわちぐん 明治29(1896)若江郡・渋川郡・河内郡・高安郡・大県郡・丹北郡および志紀郡三木本村が合併して成立。名称は旧河内国の中部に位置することにより、北は北河内郡、東は生駒山地で奈良県生駒郡、南は南河内郡、西は東成郡・泉北郡に接する。宝永元(1704)の大和川のつけかえにより、景観・立地環境は大きく変貌した。
  • 茨田郡 まんだ/まんたのこおり 河内国北部に位置した郡。東は交野郡、南は讃良(さらら)・若江郡、西は摂津国東成郡、北は淀川を隔てて摂津国島上・島下郡に接する。郡の東北部における交野郡との境界付近は枚方丘陵とよばれる50m前後の標高を示す丘陵。
  • 日下 くさか 大阪府北河内郡生駒山の西麓。
  • 楯津 たてづ → 日下の蓼津
  • 草香津・日下の蓼津 くさかのたでづ 『和名抄』に脱落したと思われる「日下郷」のことか。境域は河内郡の北端にあたり、近世の善根寺・日下・布市(ぬのいち)の諸村の地域(現、東大阪市)にわたるであろう。布市の大半は沼沢地帯で、記に見える日下江や、記紀に見える草香津・日下の蓼津は、その付近にあったと思われる。
  • [和泉] いずみ (「和泉」は713年(和銅6)の詔により2字にしたもので、「和」は読まない)旧国名。五畿の一つ。今の大阪府の南部。泉州。
  • 血沼の海 ちぬのうみ → 茅渟か
  • 茅渟 ちぬ  大阪府南部の和泉国にあたる地域の古称。血沼。千沼。千渟。智努。
  • 茅渟海 ちぬのうみ 和泉国と淡路国との間の海の古称。現在の大阪湾南部に当たる。和泉灘。
  • 泉南郡 せんなんぐん 府の南西部にあり、明治29(1896)南郡と日根郡を合わせて成立した郡で、郡名は旧和泉国の南部に位置することによる。その後、郡域に岸和田市・貝塚市・泉佐野市・泉南市が成立。
  • [奈良県]
  • [大和] やまと 大和・倭。(「山処(やまと)」の意か)旧国名。今の奈良県の管轄。もと、天理市付近の地名から起こる。
  • 大和川 やまとがわ 奈良県北西部から大阪府の中央を経て、堺市で大阪湾に流入する川。笠置山地に発源する。長さ68km。
  • 白肩の津 しらかたのつ 草香津か。七世紀後半から八世紀にかけて、生駒山地西麓の布市・日下一帯は草香江(日下江)とよばれる入江であったと考えられる。現、東大阪市か。
  • 生駒山 いこまやま 奈良県と大阪府との境にある山。生駒山地の主峰。標高642m。草香山。
  • [山辺郡] やまべぐん 県東北端に位置する南北に細長い郡。
  • 石上神宮 いそのかみ じんぐう 奈良県天理市布留町にある元官幣大社。祭神は布都御魂大神。二十二社の一つ。布留社。所蔵の七支刀が著名。
  • [五條市]
  • 阿陀の鵜養 あだのうかい 阿多の鵜養。
  • 阿陀 あだ 阿メiあだ)庄のことか。現、五條市東阿田町。吉野川北岸に所在。
  • [吉野郡]
  • 吉野 よしの 奈良県南部の地名。吉野川流域の総称。大和国の一郡で、平安初期から修験道の根拠地。古来、桜の名所で南朝の史跡が多い。
  • 吉野河 えしのがわ/よしのがわ 吉野川 → 「紀ノ川」参照。
  • 紀ノ川 きのかわ (1) 奈良・三重県境の大台ヶ原山に発源、奈良県の中央部、和歌山県の北部を西流、紀伊水道に注ぐ川。奈良県内の部分を吉野川という。上流地域は吉野杉の林業地として知られる。長さ136km。
  • 国巣 くず 国栖・国樔・国巣。(1) 古く大和国吉野郡の山奥にあったと伝える村落。また、その村民。在来の古俗を保持して、奈良・平安時代には宮中の節会に参加、贄を献じ、笛を奏し、口鼓を打って風俗歌を奏することが例となっていた。(2) 常陸国茨城郡に土着の先住民。(3) 能。大海人皇子が大友皇子に追われて吉野に遁れ、吉野川の漁夫に助けられ、蔵王権現の祝福を受ける。
  • [宇陀郡] うだぐん 奈良盆地の東南、宇陀山地の一帯を占め、東・東南は三重県、西は桜井市、南は吉野郡、北・北西は山辺郡。
  • 宇陀 うだ 奈良県北東部の市。大和政権時代、菟田県・猛田県があった。人口3万7千。(歌枕)
  • 宇陀の穿 うだの うがち 邑名。奈良県宇陀郡内か。
  • 宇陀の血原 うだのちはら?
  • 訶夫羅前 かぶらざき 甘羅村(かむらむら)。現、奈良県宇陀郡大字春日の神楽岡付近か。
  • 伊那佐村 いなさむら 村名。現、宇陀郡榛原町。
  • 伊那佐の山 いなさのやま 伊那佐山。奈良県東部、宇陀市榛原区南部の山。標高638m。
  • [桜井市]
  • 登美・鳥見・迹見 とみ (→)鳥見山に同じ。
  • 鳥見山 とみやま 奈良県桜井市にある丘陵。高さ245m。神武天皇関係の伝承がある。とみのやま。
  • 忍坂 おさか 奈良県桜井市の古地名。道臣命が神武天皇の命により賊を誘殺したという伝説の地。おしさか。
  • 美和 → 三輪
  • 三輪 みわ 現、桜井市。三輪・纏向地区は三輪山・穴師山麓から西方に広がる地域で、初瀬川が地域の西南部を北西流する。また、三輪・穴師両山の間を流れる巻向川は西流して初瀬川に流入する。古来の山辺の道・上ツ道(上街道)が南北に通り、大神神社・大市墓(箸墓)を中心として、古代大和の政治・文化の中心地であった。
  • 三輪山 みわやま 奈良県桜井市にある山。標高467m。古事記崇神天皇の条に、活玉依姫と蛇神美和の神とによる地名説明伝説が見える。三諸山。(歌枕)
  • 大神神社 おおみわ じんじゃ 奈良県桜井市三輪にある元官幣大社。祭神は大物主大神。大己貴神・少彦名神を配祀。日本最古の神社で、三輪山が神体。本殿はない。酒の神として尊崇される。二十二社の一つ。大和国一の宮。すぎのみやしろ。三輪明神。
  • 三輪山説話 みわやま せつわ 神婚説話のうち、神仙を男性とするものの代表的形式の一つ。命名は、夜ごとに女を尋ね来る男の素姓を確かめるため、衣服につけた糸をたどって大和の三輪山に着いたという古事記の話による。
  • 美和山 → 三輪山
  • 狭井河 さいがわ/さいかわ 佐韋川とも書く。三輪山麓、狭井神社付近の地名か。
  • [橿原市]
  • 畝火の白梼原の宮 うねびの かしはらのみや → 畝傍橿原宮
  • 畝傍 うねび 奈良盆地南部の古地名。今、奈良県橿原市畝傍町。
  • 畝傍橿原宮 うねびの かしはらのみや 記紀に神武天皇の皇居と伝える宮。畝傍山の南東。橿原神宮はその宮址を推定して建設された。橿原宮。
  • 畝傍山 うねびやま 橿原市の南西部にある小山。標高199m。耳成山・香具山と共に大和三山と称する。畝傍をめぐって耳成・香具の2山が争う山争い伝説は万葉集に歌われる。畝火山。雲飛山。(歌枕)
  • 白梼の尾の上 かしの おのえ 白梼原(かしばら)?畝傍山東北陵か。現、奈良県橿原市大久保町。集落の西、畝傍山の東北麓にあり神武天皇陵に擬せられている。
  • 畝火山の美富登 うねびやまの みほと 畝傍山の美富登。ほとにあたる場所。畝傍山西南御陰井上陵。現、橿原市吉田町。安寧天皇陵に擬せられている。
  • 真名子谷 まなごだに/まなこだに
  • 高佐士野 たかさじの
  • 香具山・香久山 かぐやま 奈良県橿原市の南東部にある山。標高152m。耳成山・畝傍山と共に大和三山と称する。樹木が繁茂して美しい。麓に埴安池の跡がある。天の香具山。(歌枕)
  • 衝田の岡 つきだのおか 奈良県橿原市四条町字田ノ坪に所在する綏靖天皇の陵墓。延喜式では桃花鳥田丘上陵(塚山古墳ともいう。)とする。墳形は円墳で径16m。
  • 片塩の浮穴の宮 かたしおの うきあなのみや 片塩浮孔宮。奈良県橿原市四条町付近、大和高田市三倉堂・片塩町、大阪府柏原市内の三説がある。
  • 軽の境岡の宮 かるの さかいおかのみや 現、橿原市大軽町か。大軽村は見瀬村の東、石川村の南に立地。
  • 軽の堺原の宮 かるの さかいはらのみや 軽境原宮。孝元天皇の宮。現、奈良県橿原市大軽町付近に比定される。(日本史)
  • 剣の池の中の岡の上
  • 剣池 つるぎのいけ 大和国高市郡にあった古代の池。記によれば孝元天皇陵はこの池の中の岡の上にあって剣池島上陵とよばれ、橿原市石川町に比定。(日本史)
  • [磯城郡] しきぐん 奈良県の郡。奈良盆地中央部の低平地。ほぼ東境から北境を初瀬川(大和川上流)が流れ、北端で大和川に注ぐ。
  • 初瀬・長谷 はせ 奈良県桜井市の一地区。初瀬川に臨み、長谷寺の門前町。古く「はつせ」と称し、泊瀬朝倉宮・泊瀬列城宮の上代帝京の地。桜の名所。長谷寺の牡丹も有名。(歌枕)
  • 磯城 しき 奈良盆地南東部一帯の総称。現在の磯城郡・桜井市および橿原・天理両市の一部に当たる。大化改新以前の磯城県の地。陵墓・宮址などが多い。
  • 黒田の廬戸の宮 くろだの いおと/いおどのみや 孝霊天皇の宮。現、奈良県田原本町黒田付近に比定される。(日本史)
  • [御所市]
  • 葛城 かつらぎ (古くはカヅラキ) (1) 奈良県御所市・葛城市ほか奈良盆地南西部一帯の古地名。(2) 奈良県北西部の市。農村地帯で、二輪菊・チューリップなど花卉栽培が盛ん。人口3万5千。
  • 葛城の高岡の宮 かずらきの たかおかのみや → 葛城高丘宮
  • 葛城高丘宮 かずらきの たかおかのみや 綏靖天皇の皇居。奈良県御所市森脇の辺という。
  • 葛城の掖上の宮 かつらぎ/かずらきの わきがみ/わきのかみのみや 孝昭天皇の宮。『紀』は掖上池心宮。推古朝に築造された掖上池の近くで、現、奈良県御所市池之内付近に比定。(日本史)
  • 掖上の博多山 わきがみの はかたやま 掖上博多山上陵。現、御所市大字三室小字博多山。三室集落北端に位置。
  • 葛城の室の秋津島の宮 かつらぎの むろの あきづしまのみや 孝安天皇の宮。現、奈良県御所市室付近に比定。(日本史)
  • 玉手の岡 たまでのおか 玉手丘上陵。現、御所市大字玉手小字宮山。玉手山西北隅にある。孝安天皇陵に比定。
  • [高市郡] たかいちぐん 奈良盆地の南部に位置し、南半は竜門山塊(多武峯・高取山)から派生する低丘陵と幅狭の谷からなり、北半はやや開けて、西端を曾我川、中央部を高取川、東部を飛鳥川が北流。東は桜井市、西は御所市、南は吉野郡、北は橿原市。
  • 神武天皇陵
  • [北葛城郡] きたかつらぎぐん 奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)、忍海郡の一部。
  • 片岡の馬坂 かたおかの うまさか 陵名。現、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目。孝霊天皇陵に擬する。
  • [南葛城郡] みなみかつらぎぐん 明治30(1897)葛上郡と忍海郡が合併してできた郡。現、御所市全域・現、北葛城郡新庄町南半にほぼ相当。
  • [奈良市] ならし 奈良県北部、奈良盆地の北東部の市。県庁所在地。古く「那羅」「平城」「寧楽」とも書き、奈良時代の平城京の地で、現在の中心市街は古都の北東郊外にあたる。社寺・史跡に富む。人口37万。
  • 春日の伊耶河の宮 かすがの いざかわのみや 伊邪河宮。開化天皇の宮。現、奈良市本子守町の率川神社付近か。(日本史)
  • 伊耶河《いざかわ》の坂の上
  • 率川・伊邪河 いさかわ 奈良市春日山に発源し、佐保川に入る小川。率川神社の祭礼は有名。(歌枕)
  • [和歌山県]
  • [紀伊] きい (キ(木)の長音的な発音に「紀伊」と当てたもの)旧国名。大部分は今の和歌山県、一部は三重県に属する。紀州。紀国。
  • 紀の国 きのくに → 紀伊
  • 男の水門 おの みなと → 雄水門
  • 雄水門 おのみなと 大阪湾に面した、上古の着船地かという。(神武東征伝説で、皇兄五瀬命が矢きずを負い雄たけびしたということから)
  • 紀ノ川 きのかわ (1) 奈良・三重県境の大台ヶ原山に発源、奈良県の中央部、和歌山県の北部を西流、紀伊水道に注ぐ川。奈良県内の部分を吉野川という。上流地域は吉野杉の林業地として知られる。長さ136km。(2) (「紀の川」と書く)和歌山県北端の市。(1) の流域にあり、北は和泉山脈を境に大阪府に接する。果樹栽培が盛ん。人口6万8千。
  • 海草郡 かいそうぐん 明治29(1896)海部郡と名草郡を合併して成立した郡で、郡名は合併両郡名より一字ずつ取った。その後、那賀郡の一部合併や分離をくりかえし、現、海草郡域は、下津湾に臨む海岸部とその後背地からなる旧海部郡域の下津町、海南市をはさんで東方、貴志川流域の旧那賀郡域に属した野上・美里の両町のみで、旧名草郡域は含まない。
  • 竈山 かまやま 和歌山市和田にある小丘。神武天皇東征の際、兄の五瀬命を葬った所と伝える。
  • 熊野 くまの (1) 和歌山県西牟婁郡から三重県北牟婁郡にかけての地の総称。森林資源に富み、また熊野三山・那智滝など名勝が多い。(2) 三重県南西部、熊野灘に臨む市。紀伊国東部の中心都市。林業の中心として発達。人口2万1千。(3) 島根県松江市の地名。熊野神社の所在地。(4) 広島県安芸郡の地名。筆の産地として著名。
  • [三重県]
  • [伊勢] いせ 旧国名。今の三重県の大半。勢州。
  • 伊勢の海 いせのうみ 伊勢海(いせかい)。(→)伊勢湾に同じ。
  • 伊勢湾 いせわん 三重県志摩半島と愛知県渥美半島に囲まれた湾。いせのうみ。伊勢海。
  • 伊勢の大神の宮 /いせ だいじんぐう 伊勢神宮の別称。
  • 伊勢神宮 いせ じんぐう 三重県伊勢市にある皇室の宗廟。正称、神宮。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)との総称。皇大神宮の祭神は天照大神、御霊代は八咫鏡。豊受大神宮の祭神は豊受大神。20年ごとに社殿を造りかえる式年遷宮の制を遺し、正殿の様式は唯一神明造と称。三社の一つ。二十二社の一つ。伊勢大廟。大神宮。
  • [滋賀県]
  • 野洲郡 やすぐん 県南部、琵琶湖最狭部の東岸に位置する。南東部の鏡山丘陵や三上山など山地を除けば、北西流する野洲川と日野川にはさまれた扇状地性の平坦な沖積平野に、肥沃な水田地帯が広がっている。
  • 三上 → 三上山か
  • 三上山 みかみやま 滋賀県野洲市の南東部にある円錐状の小山。標高432m。俵藤太の百足退治伝説で百足が7巻き半していたという。近江富士。
  • [岐阜県]
  • [美濃] みの 旧国名。今の岐阜県の南部。濃州。
  • 本巣 もとす 岐阜県西部の市。北部は森林、南部は濃尾平野に広がる田園地帯。根尾谷の淡墨桜が有名。人口3万5千。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 神倭伊波礼毘古の命 かむやまといわれびこのみこと → 神武天皇
  • 神武天皇 じんむ てんのう 記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦。伝承では、高天原から降臨した瓊瓊杵尊の曾孫。彦波瀲武��草葺不合尊の第4子で、母は玉依姫。日向国の高千穂宮を出、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、長髄彦らを平定して、辛酉の年(前660年)大和国畝傍の橿原宮で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。畝傍山東北陵はその陵墓とする。
  • 五瀬の命 いつせのみこと ��草葺不合尊の長子。神武天皇の兄。天皇と共に東征、長髄彦と戦って負傷、紀伊国の竈山で没したという。竈山神社に祀る。
  • 宇沙都比古 うさつひこ 菟狭津彦(紀)。豊国の宇沙の土人。記紀では日向から宇沙に至る東征の旅程が異なっている。また紀は、菟狭津彦と菟狭津媛を菟狭国造の祖とする。(神名)
  • 宇沙都比売 うさつひめ 菟狭津媛(紀)。宇沙都比古を参照。(神名)
  • 槁根津日子 さおねつひこ → 椎根津彦命(日本史)
  • 椎根津彦命 しいねつひこのみこと 紀で神武天皇東征の際、速吸之門で天皇の船を導いた国津神。名を珍彦と名乗ったが、神武は椎棹をさしわたして舟に引き入れ案内させ、この名を与えた。倭直の祖。(日本史)
  • 倭の国の造 やまとのくにのみやつこ 大和国の国造。城下郡大和郷付近を本拠とし、大和坐大国魂神社(山辺郡に所在)の奉祀にもあずかった。姓は(大)倭直(のち忌寸、宿祢)。記紀『国造本紀』は神武天皇に従った椎根津彦命を祖と記す。宍人部の貢上、対新羅戦争での奮戦など、内政・外交・軍事面で大和政権に奉仕した。国造の地位は律令制下でも存続し、律令に造詣の深い大倭五百足・大和長岡の父子が著名。(日本史)
  • 登美の那賀須泥毘古 とみのながすねびこ 長髄彦。神話上の人物。神武天皇東征のとき、大和国生駒郡鳥見地方に割拠した土豪。孔舎衛坂で天皇に抵抗、饒速日命に討たれた。
  • 登美毘古 とみびこ → 登美の那賀須泥毘古
  • 高倉下 たかくらじ 日本神話に登場する人物。夢で見た神託により、神武天皇に霊剣布都御魂をもたらした。「高倉下」という名前は「高い倉の主」の意。布都御魂が祀られている石上神宮は、物部氏に関係の深い神社。
  • 天照大神・天照大御神 あまてらす おおみかみ 伊弉諾尊の女。高天原の主神。皇室の祖神。大日�t貴とも号す。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
  • 高木の神 たかぎのかみ → 高皇産霊神
  • 高皇産霊神・高御産巣日神・高御産日神・高御魂神 たかみむすひのかみ 古事記で、天地開闢の時、高天原に出現したという神。天御中主神・神皇産霊神と共に造化三神の一神。天孫降臨の神勅を下す。鎮魂神として神祇官八神の一神。たかみむすびのかみ。別名、高木神。
  • 建御雷の神 たけみかずちのみこと 武甕槌命・建御雷命。日本神話で、天尾羽張命の子。経津主命と共に天照大神の命を受けて出雲国に下り、大国主命を説いて国土を奉還させた。鹿島神宮はこの神を祀る。
  • 佐士布都の神 さじふつのかみ 大刀の名。またの名は甕布都の神、布都の御魂。
  • 甕布都の神 みかふつのかみ 佐士布都神の別名。夢告によれば、建御雷神が下した横刀であり、葦原中国平定に用いたものという。甕は御厳の約で厳の意。布都は刀剣で物を断ち斬る際の擬声語とする説、朝鮮語に由来するとする説などがある。(神名)
  • 布都の御魂 ふつのみたま �霊・布都御魂。(フツは断ち切るさまをいう)日本神話で、天照大神(および高木神)の神慮により、神武天皇が熊野の人高倉下から受け、国土を平定したという霊剣。石上神宮の祭神。
  • 贄持の子 にえもつのこ 贄持之子。苞苴擔之子(紀)。阿陀の鵜飼の祖と記す。贄は、元々土地の産物をさしていうものであったが、後に朝廷に貢納する場合に用いられるようになった。子は贄を貢納する者に対しての呼び名とされる。この場合の贄は鮎である。(神名)
  • 井氷鹿 いひか 神武東征の際、光のある井戸から出てきた尾を生やした国神の名。尾があるとは、鉱夫や樵夫が獣皮の尻当てをしている姿をいい、光のある井戸とは水銀の坑口をさすか。神武即位前紀には井光とある。吉野首等の祖と記す。(神名)
  • 吉野の首 えしののおびと?
  • 石押分の子 いわおしわくのこ 神武東征の際、吉野山に入った時に、巌を押し分けて、尾を生やした人が出迎えにやってきた、その国神の名。吉野国巣の祖とする。神武即位前紀では磐排力之子に作る。(神名)
  • 吉野国栖 よしののくず 国巣・国樔とも。古代の大和国吉野郡に山居した住民。紀・神武即位前紀には磐排別之子を祖と記す。応神紀には天皇が吉野宮に行幸したとき、国栖が醴酒を献じ、歌を歌った後に口を打って仰ぎ笑ったとあり、記にも同様の話がみえる。この動作は、国栖が土毛(どもう。栗・菌・年魚など)を献上するときにおこなうものであるという。大嘗祭や諸節会には国栖が御贄を献じて歌笛を奏しており、その起源を記したものか。(日本史)
  • 鴨の建角身の命 かもたけつのみのみこと → 鴨武津身命か
  • 鴨武津身命 かもたけつのみのみこと 賀茂建角身命・鴨武津身命。京都の賀茂御祖神社の祭神。神魂命の孫で賀茂別雷命の外祖父。玉依姫の父。はじめ日向に降臨し、神武天皇東征の際、八咫烏に化して天皇を導いた。のち、山城の賀茂川上流に移住したという。
  • 兄宇迦斯 えうかし
  • 弟宇迦斯 おとうかし 弟猾(紀)。弟師木ともいう。大和の宇陀に住む土豪で、宇陀水取らの祖。紀では神武天皇が行手を幾多の賊にはばまれたとき、天香山の土で作った瓦で天社国社の神をまつるように助言している。また、猛田邑を賜り、菟田主水部の遠祖猛田県主に任ぜられた。(神名)
  • 道の臣の命 みちのおみのみこと 道臣命。天忍日命の後裔。大伴氏の祖。初名は日臣命。神武天皇の東征に先鋒をつとめ、天皇即位の時に宮門の警衛に任じ、その子孫は軍事をつかさどったと伝える。
  • 大伴の連 おおともの むらじ
  • 大伴氏 おおともうじ 姓氏の一つ。古代の豪族。来目部・靫負部・佐伯部などを率いて大和政権に仕え、大連となるものがあった。のち伴氏。
  • 大久米の命 おおくめのみこと 久米氏の祖といわれる伝説上の人物。神武朝の人といい、「古事記」によれば、神武東征の際、大伴氏の祖の道臣命とともに大和の宇陀の兄宇迦斯などを殺す。「紀」では畝傍山の西の川地を賜わったとあり、「記」と相違する。
  • 久米の直 くめのあたえ
  • 久米氏 くめうじ 久米(来目)部の伴造氏族。姓は直。紀では大伴氏の遠祖天忍日命が来目部の遠祖天�津大来目を率いて天降ったとあるが、記では久米氏と大伴氏とを対等にあつかい、ともに靫・太刀・弓矢をもって降臨に供奉したことになっている。また神武東征説話にみえる久米歌や、後世の戦闘歌舞である久米舞などは、久米氏や久米部の軍事氏族としての性格をあらわしている。(日本史)
  • 宇陀の水取 うだの もいとり
  • 土雲 つちぐも 土蜘蛛。(2) (「土雲」とも書く)神話伝説で、大和政権に服従しなかったという辺境の民の蔑称。
  • 八十建 やそたける 八十梟帥。多くの勇猛な夷族の長。
  • 兄師木 えしき
  • 弟師木 おとしき → 弟宇迦斯
  • 邇芸速日の命 にぎはやびのみこと → 饒速日命
  • 饒速日命 にぎはやひのみこと 記紀神話で、天孫降臨に先だち天より降り、長髄彦の妹三炊屋姫を妃としたが、神武天皇東征の時、長髄彦を誅して天皇に帰順したという。物部氏の始祖と伝える。
  • 登美夜毘売 とみやびめ 登美毘古の妹。邇芸速日命との間に宇摩志麻遅命を生む。紀では三炊屋媛・長髄媛・鳥見屋媛の別名を載せ、『旧事紀』では御炊屋媛としている。(神名)
  • 宇摩志麻遅の命 うましまぢのみこと 邇芸速日命の第二子。母は登美夜毘売。記に物部連・穂積臣・臣の祖とする。神武帝の東征のとき、神武紀および『旧事紀』によると長髄彦を殺して父と共に帰順したことを記す。天皇はこれを悦び、とくに寵愛して神剣を与えて功を賞した。後に命は物部を率いて四方の逆夷を平らげ、天皇の即位に際しては天璽の瑞宝を献じ、神楯をたてて祝斎したため、天皇はますます寵幸し、殿内に侍らせた。命は足尼と号して親咫(しんし)し、物部を引率して矛楯をかまえ、道臣命の来目部とならんで禁衛守護の任をつくした。二年春二月、天皇は功を定め賞をおこなうと、「汝の勲功すでになり至れり。今より股肱の職に任じ、永く不二の美を伝えよ」と、剣を授けて賞した。命は大臣として奉仕し、以後、世々あいついでこの職を継いだ。味間見命ともいう。(神名)
  • 物部の連 もののべのむらじ
  • 物部 もののべ 古代の大豪族。姓は連。饒速日命の子孫と称し、天皇の親衛軍を率い、連姓諸氏の中では大伴氏と共に最有力となって、族長は代々大連に就任したが、6世紀半ば仏教受容に反対、大連の守屋は大臣の蘇我馬子および皇族らの連合軍と戦って敗死。律令時代には、一族の石上・榎井氏らが朝廷に復帰。
  • 穂積の臣 ほづみのおみ 推古紀には任那と新羅が戦った際、任那を救うために穂積臣を副将軍に任命する記事がある。(神名)
  • 臣 うねめのおみ? → 参照:采部
  • 采部 うねべ 令制下、宮内省所管の采女司に所属した伴部。定員6人。采女部の女を省略したものという説もある。采女らの検校事務にたずさわったと考えられ、令制以前に采女を統轄した伴造であった采女臣からとられることになっていたと思われる。(日本史)
  • オシホミミの命 → 天忍穂耳尊
  • 天忍穂耳尊 あまのおしほみみのみこと 日本神話で、瓊瓊杵尊の父神。素戔嗚尊と天照大神の誓約の際に生まれた神。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊。
  • 阿多の小椅の君 あたのおばしのきみ 神武天皇妃阿比良比売の兄。神代紀によると火闌降命の子孫。(神名)
  • 阿比良比売 あひらひめ 阿比良は地名。大隅国の郡名。阿多小椅君の妹。神武天皇に召されて皇子多芸志美美命と岐須美美命を生んだ。(神名)
  • 当芸志美美の命 たぎしみみのみこと 手研耳命。古墳時代の皇族。神武天皇の皇子。母は、吾平津姫で、同母弟に岐須美美命(ただし古事記のみ登場)が、異母弟に綏靖天皇、神八井耳命、彦八井耳命がいる。神武天皇の死去後、父神武の正妻比売多多良伊須気余理比売を妻にし、彼女と神武の間に生まれた3人の異母兄弟を殺そうと計画していたため、そのうちの神八井耳命と神渟名川耳尊(のちの綏靖天皇)に殺された。
  • 岐須美美命 きすみみのみこと 神武天皇が畝火之白梼原宮で天下を治め、日向にむかったとき、阿多の小椅君の妹阿比良比売を娶って生んだ子。(神名)
  • 三島の湟咋 みしまのみぞくい 三嶋は地名として雄略紀に三島、欽明紀に摂津国三嶋郡、皇極紀に三嶋とある。湟は溝で水流をあらわし、川屋(厠)を連想させ、咋は棒(杭)をあらわし、男性の象徴を意味する説がある。(神名)
  • 勢夜陀多良比売 せやだたらひめ 三島の湟咋の女。容姿麗美だったので、美和之大物主神が見染めて丹塗矢と化して近づき、富登多多良伊須須岐比売命(別名を比売多多良伊須気余理比売)が生まれた。(神名)
  • 美和の大物主の神 みわの おおものぬしのかみ → 大物主神
  • 大物主神 おおものぬしのかみ 奈良県大神神社の祭神。蛇体で人間の女に通じ、また祟り神としても現れる。一説に大己貴神(大国主命)と同神。
  • 富登多多良伊須須岐比売の命 ほとたたらいすすきひめのみこと またの名は比売多多良伊須気余理比売。
  • 比売多多良伊須気余理比売 ひめたたらいすけよりひめ 富登多多良伊須須岐比売の命の別名。伊須気余理比売ともいう。姫蹈鞴五十鈴姫命(紀)。神武天皇の妃。綏靖天皇の母。紀には大三輪之神の子と記されている。母同様たいへんな美女で、神武天皇が中州を平定してのち皇后に迎えたとある。橿原神宮その他にもまつられている。(神名)
  • 日子八井の命 ひこやいのみこと 神武天皇の子。母は伊須気余理比売。茨田連、手嶋連の祖。(神名)
  • 神八井耳の命 かむやいみみのみこと 神武天皇の皇子で、母は伊須気余理比売。神武天皇崩御後、庶兄の当芸志美美命の反乱の際、弟の神沼河耳命に兵を興して当芸志美美を殺せといわれるが、手足がわなないて殺すことができなかった。そこで神沼河耳命は兄の兵を率いて当芸志美美を殺し、神八井耳命に天下を譲られ(綏靖天皇)、命自身は弟を助け忌人として仕えた(神名)。
  • 神沼河耳の命 かむななかわみみのみこと → 綏靖天皇
  • 綏靖天皇 すいぜい てんのう 記紀伝承上の天皇。神武天皇の第3皇子。名は神渟名川耳。
  • 大国主の神 → 大国主命
  • 大国主命 おおくにぬしのみこと 日本神話で、出雲国の主神。素戔嗚尊の子とも6世の孫ともいう。少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊に譲って杵築の地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神・国魂神・葦原醜男・八千矛神などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。
  • 茨田の連 うまらた/まむたの むらじ
  • 手島の連 てしまの むらじ
  • 意富の臣 おおのおみ → 多氏
  • 多氏 おおうじ 太・意富・大とも。古代の中央豪族。姓は臣、684(天武13)八色の姓制定時に朝臣となる。始祖を神武天皇の子神八井耳命とする。本拠地は大和国十市郡飫富(おふ)郷。記を筆録した安麻呂が「多」を「太」としたが、のち「多」に戻ったと伝えられる。記・『新撰姓氏録』には数多く多氏を載せ、『常陸国風土記』『出雲国風土記』にもみえる。(日本史)
  • 小子部の連 ちいさこべの むらじ
  • 坂合部の連 さかあいべの むらじ
  • 火の君 ひのきみ
  • 大分の君 おおきたのきみ
  • 阿蘇の君 あそのきみ
  • 筑紫の三家の連 つくしのみやけのむらじ
  • 雀部の臣 さざきべの おみ
  • 雀部の造 さざきべの みやつこ
  • 小長谷の造 おはつせの みやつこ
  • 都祁の直 つげの/つけの あたえ
  • 伊余の国の造 いよのくにの みやつこ
  • 科野の国の造 しなののくにの みやつこ
  • 道の奥の石城の国の造 〓いわきのくにのみやつこ
  • 常道の仲の国の造 ひたちのなかの くにの みやつこ
  • 長狭の国の造 ながさのくにのみやつこ/ながさこくぞう 安房国東部を支配した国造。本拠は安房国長狭郡。現在の千葉県鴨川市の大半。
  • 伊勢の船木の直 いせの ふなきの あたえ
  • 尾張の丹波〓の臣 おわりの にわの おみ 「丹羽」か?
  • 島田の臣 しまだのおみ
  • 太の安麻呂 → 太安万侶
  • 太安万侶 おおの やすまろ ?-723 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。
  • 師木の県主 しきの あがたぬし 磯城県主(紀)。
  • 河俣毘売 かわまたびめ 綏靖天皇の妃。綏靖記では、師木県主之祖とあり、師木津日子玉手見命(安寧天皇)の母とする。一方、綏靖紀では安寧天皇の母は皇后の五十鈴依媛としたうえで、一書として磯城県主の女川派媛を載せている。(神名)
  • 師木津日子玉手見の命 しきつひこたまでみのみこと → 安寧天皇
  • 安寧天皇 あんねい てんのう 記紀伝承上の天皇。綏靖天皇の第1皇子。名は磯城津彦玉手看。
  • 県主波延 あがたぬし はえ 阿久斗比売の夫。河俣毘売の兄。
  • 阿久斗比売 あくとひめ 名義は詳らかではないが、おそらく地名と想像される。河俣毘売の兄である県主波延の女。召されて安寧天皇の后となり、三皇子を生んだ。ヌナソコナカツヒメノミコト参照。(神名)
  • 常根津日子伊呂泥の命 とこねつひこいろねのみこと 安寧天皇の皇子。母は阿久斗比売。(神名)
  • 大倭日子�K友の命 おおやまとひこすきとものみこと → 懿徳天皇
  • 懿徳天皇 いとく てんのう 記紀伝承上の天皇。安寧天皇の第2皇子。名は大日本彦耜友。
  • 師木津日子の命 しきつひこのみこと → 安寧天皇か
  • 伊賀の須知の稲置 いなき
  • 那婆理の稲置 いなき
  • 三野の稲置 いなき
  • 和知都美の命 わちつみのみこと 安寧天皇の子の師木津日子命の子。淡道の御井宮に坐し、二人の女がいた。姉は蝿伊呂泥、妹は蝿伊呂杼といい、共に孝霊天皇に嫁している。(神名)
  • 縄伊呂泥 はえいろね 「蝿」か。安寧天皇の孫和知都美命の子で、蝿伊呂杼の姉。孝霊天皇の妃となり四子を生んだ。別名、意富夜麻登久邇阿礼比売命。(神名)
  • 意富夜麻登久邇阿礼比売の命 おおやまとくにあれひめのみこと → 縄伊呂泥
  • 縄伊呂杼 はえいろとど/はえいろど 「蝿」か。某弟(紀)。紀では彦狭嶋命と稚武彦命の母とする。(神名)
  • 孝霊天皇 こうれい てんのう 記紀伝承上の天皇。孝安天皇の第1皇子。名は大日本根子彦太瓊。
  • 賦登麻和訶比売の命 ふとまわかひめのみこと 天豊津媛命(紀)。師木県主の祖。飯日比売命ともいう。懿徳天皇の妃となり、ミマツヒコカエシネ命とタギシヒコ命を生む。紀では懿徳天皇の皇后は天豊津媛命であるが、磯城県主太真稚彦の女の飯日媛であるという説もある。(神名)
  • 飯日比売の命 いいひひめのみこと → 賦登麻和訶比売命
  • 御真津日子訶恵志泥の命 みまつひこかえしねのみこと → 孝昭天皇
  • 孝昭天皇 こうしょう てんのう 記紀伝承上の天皇。懿徳天皇の第1皇子。名は観松彦香殖稲。
  • 多芸志比古の命 たぎしひこのみこと 懿徳天皇の皇子。母は飯田?比売(賦登麻和訶比売命)。末胤に血沼之別、多遅麻之竹別、葦井之稲置がいる。懿徳紀2年の一書には「天皇母弟武石彦奇反背命」とある。(神名)
  • 血沼の別 ちぬのわけ?
  • 多遅麻の竹の別 たじまのたけのわけ?
  • 葦井の稲置 あしいのいなき?
  • 尾張の連 おわりのむらじ → 尾張氏
  • 尾張氏 おわりうじ 尾治氏とも。古代の氏族。火明命を始祖とし、皇妃や皇子妃を数名だしたとする伝承があり、古くから大和政権との関係をもっていたらっしい。部曲と考えられる尾張(尾治)部が各地に存在する。氏の名称は尾張国内を根拠地としたことに由来し、一族から尾張国造が任じられていた。もと連姓であったが、684(天武13)に宿祢の姓を賜った。律令制下には、尾張国内の諸郡司など在地有力者としての存在が知られるだけでなく、尾張連氏・尾張宿祢氏ともに畿内とその周辺にも分布して、中央の官人としても活躍した。(日本史)
  • 奥津余曽 おきつよそ 瀛津世襲(紀)。尾張連の祖。孝昭天皇の妃である余曽多本毘売命(紀には世襲足媛)の兄で大連となる。『旧事紀』によるとニギハヤビ命の孫。天忍男命の子。母は賀奈良知姫・別名を葛木彦命ともいう。(神名)
  • 余曽多本毘売の命 よそたほびめのみこと → 余曽多毘売神
  • 余曽多毘売神 よそたびめのかみ 不詳。孝昭記では尾張連の祖、奥津余曽の妹に余曽多本毘売命がおり、同神かと思われる。余曽多本毘売命は孝昭天皇の妃となり、天押帯日子命、大倭帯日子国押人命を生む。孝安紀では世襲足媛とあり、天忍男命の子、瀛津世襲の妹。孝昭天皇29年に皇后となっている。(神名)
  • 天押帯日子の命 あめおしたらしひこのみこと 天足彦国押人命(紀)。
  • 大倭帯日子国押人の命 おおやまとたらしひこくにおしびとのみこと → 孝安天皇
  • 孝安天皇 こうあん てんのう 記紀伝承上の天皇。孝昭天皇の第2皇子。名は日本足彦国押人。
  • 春日の臣
  • 大宅の臣
  • 粟田の臣
  • 小野の臣
  • 柿本の臣
  • 一比韋の臣
  • 大坂の臣
  • 阿那の臣
  • 多紀の臣
  • 羽栗の臣
  • 知多の臣
  • 牟耶の臣
  • 都怒山の臣
  • 伊勢の飯高の君
  • 一師の君
  • 近つ淡海の国の造 みやつこ
  • 忍鹿比売の命 おしがひめのみこと 押媛(紀)。系統不詳。孝安天皇に召されて大吉備津諸進命、大倭根子日子賦斗邇命(孝霊天皇)を生んだとする。紀は孝霊天皇のみ。(神名)
  • 大吉備の諸進の命 おおきびのもろすすのみこと 孝安天皇の皇子。母は忍鹿比売命。記の他に記載はない。(神名)
  • 大倭根子日子賦斗邇の命 おおやまとねこひこふとにのみこと → 孝霊天皇
  • 孝霊天皇 こうれい てんのう 記紀伝承上の天皇。孝安天皇の第1皇子。名は大日本根子彦太瓊。
  • 十市の県主 とおちの あがたぬし
  • 大目 おおめ 磯城県主大目(紀)。孝霊天皇妃の細比売命の父。十市県主の祖。(神名)
  • 細比売の命 くわしひめのみこと 細媛命(紀)。十市県主の祖の女。孝霊天皇妃。孝元天皇の母。紀では妃になったのは春日千乳早山香媛または十市県主らの祖の女直舌媛との説も載せており、父は磯城県主大目とする。(神名)
  • 大倭根子日子国玖琉の命 おおやまとねこひこくにくるのみこと → 孝元天皇
  • 孝元天皇 こうげん てんのう 記紀伝承上の天皇。孝霊天皇の第1皇子。名は大日本根子彦国牽。
  • 春日の千千速真若比売 かすがのちぢはやまわかひめ 孝霊天皇との間に千千速比売命を生む。(神名)
  • 千千速比売の命 ちぢはやひめのみこと 孝霊天皇の皇女。母は春日千千速真若比売。事跡不詳。紀にはみえない。(神名)
  • 意富夜麻登玖邇阿礼比売の命 おおやまとくにあれひめのみこと → 縄伊呂泥
  • 夜麻登登母母曽毘売の命 やまととももそびめのみこと 孝霊天皇の皇女。母は意富夜麻登玖邇阿礼比売命(別称を倭国香媛・某姉)。紀の孝元天皇皇女の倭迹迹姫と同一人物とも。崇神紀によると、四道将軍派遣の際の少女の歌の予兆を解した。大物主神の神託を伝え、さらに大物主大神の妻となり、箸墓伝説の主人公ともなっている。(神名)
  • 日子刺肩別の命 ひこさしかたわけのみこと 孝霊天皇の子。母は意富夜麻登玖邇阿礼比売命。利波臣、国前臣、五百原君の祖。(神名)
  • 比古伊佐勢理毘古の命 ひこいさせりびこのみこと 彦五十狭芹彦命(紀)。孝霊天皇の皇子。大吉備津日子命の別称。母は意富夜麻登玖邇阿礼比売命。若建吉備津日子命と共に吉備国を治め、吉備上道臣の祖となった。(神名)
  • 大吉備津日子の命 おおきびつひこのみこと → 比古伊佐勢理毘古命
  • 倭飛羽矢若屋比売 やまととびはやわかやひめ 孝霊天皇の皇女。母は意富夜麻登玖邇阿礼比売命(記)、倭国香媛(紀)。夜麻登登母母曽毘売命の同母妹。事跡不詳。(神名)
  • 阿礼比売の命 あれひめのみこと → 意富夜麻登玖邇阿礼比売命(縄伊呂泥)
  • 日子寤間の命 ひこさめまのみこと 孝霊天皇の子。母は蝿伊呂杼。針間牛鹿臣の祖。(神名)
  • 若日子建吉備津日子の命 わかひこたけきびつひこのみこと 稚武彦命(紀)。孝霊天皇の子。母は阿礼比売命の弟女蝿伊呂杼。紀に吉備臣始祖とある。(神名)
  • 吉備の上つ道の臣 きびのかみつみちのおみ
  • 吉備の下つ道の臣 きびのしもつみちのおみ
  • 笠の臣 かさのおみ
  • 針間の牛鹿の臣 はりまの うしかのおみ
  • 高志の利波の臣 こしの となみのおみ
  • 豊国の国前の臣 くにさきの おみ
  • 五百原の君
  • 角鹿の済の直 つぬがの わたりのあたえ
  • 内色許男の命 うつしこおのみこと 穂積臣らの祖。孝元天皇妃と伊迦賀色許売命の兄。記では大矢口宿祢命の子。母は坂戸由良都姫。事跡不詳。(神名)
  • 内色許売の命 うつしこめのみこと 内色許男命の妹。孝元天皇の皇后となり、開化天皇、大彦命、少名日子建猪心命を生む。紀では、これに倭迹迹姫命を加えた四子の母とする。(神名)
  • 大毘古の命 おおびこのみこと 大彦命(紀)。孝元天皇の第一皇子で、母は皇后・鬱色謎命。開化天皇と少彦男心命(古事記では少名日子名建猪心命)の同母兄で、垂仁天皇の外祖父に当たる。北陸道を主に制圧した四道将軍の一人。
  • 少名日子建猪心の命 すくなひこたけいごころのみこと 孝元天皇の子。母は穂積臣らの祖内色許男命の妹内色許売命。開化天皇の兄。(神名)
  • 若倭根子日子大毘毘の命 わかやまとねこひこおおびびのみこと → 開化天皇
  • 開化天皇 かいか てんのう 記紀伝承上の天皇。孝元天皇の第2皇子。名は稚日本根子彦大日日。
  • 伊迦賀色許売の命 いかがしこめのみこと 伊香色謎命(紀)。記紀にみえる伝説上の后妃。紀では物部氏の遠祖である大綜麻杵(おおへそき)の女という。はじめ孝元天皇の妃となり彦太忍信命を生み、孝元没後、皇子の開化の皇后となり崇神を生んだ。記では内色許男命の女とする。『先代旧事紀』にも独自の伝承がみえる。(日本史)
  • 比古布都押の信の命 ひこふつおしの まことのみこと 彦太忍信命(紀)。
  • 河内の青玉 かわちの あおたま 孝元妃の波邇夜須毘売の親。(神名)
  • 波邇夜須毘売 はにやすびめ 埴安媛(紀)。河内青玉の女で、孝元天皇の妃となり、建波邇夜須毘古命を生んだ。紀には武埴安彦命を生んだとある。(神名)
  • 建波邇夜須毘古の命 たけはにやすびこのみこと → 建波邇安王
  • 建波邇安王 たけはにやすのみこ 武埴安彦(命)(紀)。建波邇夜須毘古命のこと。孝元天皇の子。母は河内青玉の女、波邇夜須毘売とあるが、崇神天皇は大毘古命にむかい、「我が庶兄」といっている。崇神天皇は開化天皇の子であるので、双方の系譜が合致しない。山代国で崇神天皇に反逆心をおこすが、大毘古命、日子国夫玖命により討伐された。紀ではその妻吾田媛とともに反逆を謀るとある。記に妻の名はみえない。(神名)
  • 建沼河別の命 たけぬなかわわけのみこと 武渟川別命(紀)。大彦命の皇子。崇神天皇の時、四道将軍の一人として東海に遣わされたと伝える。阿倍臣の祖。
  • 阿部の臣
  • 阿倍氏 あべうじ 安倍とも。(1) 大和国十市郡安倍(現、奈良県桜井市)を本拠としたと考えられる古代の豪族。その祖は紀では孝元天皇の皇子大彦命、記では大彦命の子建沼河別命とする。大化の改新で左大臣に任じられた阿倍倉梯麻呂、斉明朝で蝦夷を討ち粛慎に兵をすすめた阿倍比羅夫はこの系譜に属すると考えられるが、相互の関係などは明らかでない。684(天武13)朝臣姓を賜ったが、その頃には、布勢・引田などの数系統にわかれ、694(持統8)布勢御主人が阿倍諸氏の氏上となった。(日本史)
  • 比古伊那許士別の命 ひこいなこじわけのみこと 開化天皇の兄である大毘古命の子。紀にはみえないが、『姓氏録』の膳臣の祖の大稲輿命がこれにあたる。(神名)
  • 膳の臣 かしわでのおみ?
  • 意富那毘 おおなび 尾張の連らが祖。
  • 葛城の高千那毘売 かずらきの たかちなびめ 尾張連らの祖意富那毘の妹。孝元天皇の子比古布都押間之信命との間に山代内臣の祖である味師内宿祢を生む。(神名)
  • 味師内の宿祢 うましうちの すくね 味師は可怜の美称。内は地名。父は孝元天皇の皇子比古布都押間之信命。母は葛城の高千那毘売。山代内臣の祖で建内宿祢の異母兄弟にあたる。(神名)
  • 山代の内の臣
  • 木の国の造 きのくにのみやつこ 紀国造とも。紀伊国名草郡を本拠とした国造。『国造本紀』には神皇産霊命の五世孫天道根命が神武朝に国造となったとある。記紀には武内宿祢の母は木国造の女とみえ、大和政権とつながりをもった。紀、敏達12年条には日羅召喚のために紀国造押勝を百済に派遣したとあり、対朝鮮外交でも活躍している。氏姓は紀直で、律令制下でも名草郡大領を世襲し、日前・国懸神宮の神官で、また紀伊国造への任命例が知られる。(日本史)
  • 宇豆比古 「宇豆毘古」か → 槁根津日子
  • 山下影日売 やましたかげひめ 木国造の祖の宇豆比古の妹。孝元天皇の子比古布都押間之信命の妻となり、建内宿祢を生む。紀では紀直の遠祖の菟道彦の女影姫が景行天皇が紀伊国へ遣わした屋主忍男心命との間に武内宿祢を生んでいる。(神名)
  • 建内の宿祢 たけしうち/たけうちの すくね 武内宿禰(紀)。大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
  • 波多の八代の宿祢
  • 波多の臣
  • 林の臣
  • 波美の臣
  • 星川の臣
  • 淡海の臣
  • 長谷部の君
  • 許勢の小柄の宿祢 こせの おからの すくね
  • 許勢の臣
  • 雀部の臣
  • 軽部の臣
  • 蘇賀の石河の宿祢 そがの いしかわのすくね
  • 蘇我の臣
  • 川辺の臣
  • 田中の臣
  • 高向の臣
  • 小治田の臣
  • 桜井の臣
  • 岸田の臣
  • 平群の都久の宿祢 へぐりの つくのすくね
  • 平群の臣 へぐりのおみ
  • 佐和良の臣
  • 馬の御の連 〓みくいのむらじ
  • 木の角の宿祢 きの つの のすくね
  • 木の臣
  • 都奴の臣
  • 坂本の臣
  • 久米の摩伊刀比売 くめの まいとひめ
  • 怒の伊呂比売 ののいろめ/ぬのいろめ 名義不詳。建内宿祢の女で孝元記にみえる。葛城之野伊呂売に同じとする説もある。(神名)
  • 葛城の長江の曽都毘古 かずらきの ながえの そつびこ 建内宿祢の子。玉手臣、的臣、生江臣、阿芸那臣らの祖。葛城之曽都毘古参照。(神名)
  • 玉手の臣
  • 的の臣 いくはのおみ
  • 生江の臣
  • 阿芸那の臣
  • 若子の宿祢 わくごのすくね
  • 江野の財の臣
  • 旦波の大県主 たにはの おおあがたぬし
  • 由碁理 ゆごり 旦波之大県主。子の竹野比売は開化天皇妃となり、比古由牟須美命を生んだ。紀では竹野媛は彦坐王(あるいは彦湯産隅王)の子の丹波道主王の女とある。由碁理の名称などから丹波地方の聖水信仰との関連が考えられる。(神名)
  • 竹野比売 たかのひめ/たかぬひめ 竹野媛(紀)。旦波の大県主、由碁理の女。開化天皇の妃となり比古由牟須美命を生む。(神名)
  • 比古由牟須美の命 ひこゆむすみのみこと 彦湯産隅王(命)(紀)。開化天皇の皇子。母は竹野比売。大箇木垂根王と讃岐垂根王の二子がいる。『姓氏録』では忍海部の祖。紀には別名を彦蒋簀命とし、丹波道主王の父とする説も記す。(神名)
  • 御真木入日子印恵の命 みまきいりひこいにえのみこと → 崇神天皇
  • 崇神天皇 すじん てんのう 記紀伝承上の天皇。開化天皇の第2皇子。名は御間城入彦五十瓊殖。
  • 御真津比売の命 みまつひめのみこと 開化天皇の子。母は伊迦賀色許売命。崇神天皇との間に伊玖米入日子伊沙知命、伊邪能直別命、国片比売命、千千都久和比売命、伊賀比売命、倭日子命を生んだ。(神名)
  • 丸邇の臣 わにのおみ → 和珥氏か
  • 和珥氏 わにうじ 丸邇・和邇・丸とも。5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族。本拠地は大和国添上郡。
  • 日子国意祁都の命 ひこくにおけつのみこと 姥津命(紀)。開化天皇の妃意祁都比売命の兄。日子坐王の叔父。丸邇臣の祖。紀には和珥臣の遠祖とある。(神名)
  • 意祁都比売の命 おけつひめのみこと 丸邇臣の祖の日子国意祁都命と、開化天皇妃の意祁都比売の妹。姉の生んだ日子坐王の妃となり、山代之大筒木真若王、比古意須王、伊理泥王を生んだ。(神名)
  • 日子座の王 ひこいますのみこ 彦坐命、日子坐王、彦今簀命とも。開化天皇の第3皇子。母は姥津命の妹・姥津媛命。崇神天皇の異母弟、神功皇后の高祖父にあたる。
  • 葛城の垂見の宿祢 かずらきのたるみのすくね 開化天皇妃�比売の父。(神名)
  • �比売 わしひめ 名義不詳。葛城垂見宿祢の女。開化天皇の妃となり、建豊波豆羅和気王を生む。紀には記載なし。(神名)
  • 建豊波豆羅和気の王 たけとよはつらわけのみこ 開化天皇の皇子。母は�比売。道守臣・忍海部造・御名部造・稲羽忍海部・丹波之竹野別・依綱之阿田毘古の祖。(神名)
  • 大筒木垂根の王 おおつつきたりねのみこ 開化天皇の皇子の比古由牟須美王の子。垂仁天皇妃の迦具夜比売の父。紀には記載なし。(神名)
  • 讃岐垂根の王 さぬきたりねのみこ 開化天皇の子の崇神天皇の兄比古由牟須美王の子。事跡は不詳だが、大和国広瀬郡の式内社に讃岐神社があり、この王と関係があるかとされている。(神名)
  • 山代の荏名津比売 やましろのえなつひめ 別名を苅幡戸弁。記では開化天皇の子の日子坐王に嫁いで三子を生んでいる。なお、垂仁記には天皇が山代大国渕の女の苅羽田戸弁と弟苅羽田戸弁とを娶った記事がある。紀には不載。(神名)
  • 苅幡戸弁 かりはたとべ/かりばたとべ 別名、山代之荏名津比売。日子坐王との間に大俣王、小俣王、志夫美宿祢王を生む。(神名)
  • 大俣の王 おおまたのみこ (2) 俣は全きの意であると推定される。日子坐王の王子。母は苅幡戸弁。子に曙立王、菟上王がいる。事跡不詳。(神名)
  • 小俣の王 おまたのみこ 日子坐王の子。母は山代之荏名津比売。当麻勾君の祖。(神名)
  • 志夫美の宿祢の王 しぶみのすくねのみこ 日子坐王の子。母は山代之荏名津比売。佐々君の祖という。伊勢国安濃郡式内社志夫弥神社がある。(神名)
  • -----------------------------------
  • 春日の建国勝戸売 かすがの たけくにかつとめ
  • 沙本の大闇見戸売 さほの おおくらみとめ 春日の建国勝戸売が女。
  • 沙本毘古の王 さほびこのみこ 「命」か。日子坐王の子。母は沙本之大闇見戸売。日下部連、甲斐国造の祖。沢道彦命ともいう。垂仁天皇のときに皇位簒奪を企てた。妹に天皇暗殺を命じた。沙本毘売命は天皇に告白する。天皇は兵を発し、沙本毘古は城にこもり迎えうったが、軍は潰え誅に伏した。(神名)
  • 狭穂彦狭穂姫・沙本毘古沙本毘売 さおびこ・さおびめ 古代伝説上の兄妹。開化天皇の孫という。妹は垂仁天皇の皇后となり、兄の謀反を知りつつ夫との板ばさみに苦しみ、兄とともに果てた。
  • 袁耶本の王 おざほのみこ 開化天皇の皇子日子坐王の子。母は沙本之大闇見戸売。葛野之別、近淡海蚊野之別の祖。紀にはない。(神名)
  • 沙本毘売の命 さほひめのみこと 狭穂姫(紀)。開化天皇の子。母は沙本之大闇見戸売。別名、佐波遅比売(命)。沙本の神を祀る巫女であったが、垂仁天皇の皇后となり品牟都和気命を生む。(神名)
  • 佐波遅比売 さわぢひめ → 沙本毘売命
  • 伊久米の天皇 いくめの すめらみこと → 垂仁天皇
  • 垂仁天皇 すいにん てんのう 記紀伝承上の天皇。崇神天皇の第3皇子。名は活目入彦五十狭茅。
  • 室毘古の王 むろびこのみこ 開化天皇の皇子日子坐王の子。母は沙本之大闇見戸売で、沙本毘古王・沙本毘売王と同母の兄弟。若狭之耳別の祖。紀にはみえない。(神名)
  • 近つ淡海の御上の祝 ちかつおうみの みかみのほうり
  • 天の御影の神 あめのみかげのかみ 名義は天上界の神霊。御影は『和名抄』に霊を美太万(みたま)また美加介(みかげ)というとある。神霊の意。開化天皇の子、日子坐王が、この天の御影の神の女の息長水依比売を妻にして丹波比古多多須美知能宇斯王以下五子を生む。(神名)
  • 息長の水依比売 おきながのみずよりひめ 近淡海の御上祝がまつる神である天御影神の女。開化天皇の皇子日子坐王の妃となり、丹波比古多多須美知能宇斯王、水穂真若王、神大根王、水穂の五百依比売、御井津比売を生んだ。(神名)
  • 丹波の比古多多須美知能宇斯の王 たにはのひこたたすみちのうしのみこ 丹波道主命(王)(紀)。単に美知能宇斯王とも。日子坐王の子。母は息長水依比売。紀の異伝には開化天皇皇子の彦湯産隅王の子となっている。開化天皇の孫。崇神紀によれば四道将軍として丹波に派遣された。『旧事紀』には稲葉国造の彦坐王児・彦多都彦命と同じとする。(神名)
  • 水穂の真若の王 みずほのまわかのみこ 日子坐王の子。母は息長の水依比売。近淡海安直の祖。(神名)
  • 神大根の王 かむおおねのみこ 父は日子坐王。母は息長の水依比売。八瓜入日子王ともいう。三野国造の祖。(神名)
  • 八瓜の入日子の王 やつりのいりひこのみこ 神大根王の別名。八爪命(『旧事紀』)とも記す。(神名)
  • 水穂の五百依比売 みずほのいおよりひめ 日子坐王の子。母は息長の水依比売。事跡不詳。(神名)
  • 御井津比売 みいつひめ 日子坐王の女。母は息長の水依比売。(神名)
  • 山代の大筒木の真若の王 やましろのおおつつきのまわかのみこ 日子坐王の子。母は日子坐王の姨で丸邇氏の袁祁都比売命。姪の丹波阿遅佐波毘売との間の子が、息長氏の祖となる迦邇米雷王である。(神名)
  • 比古意須の王 ひこおすのみこ 日子坐王の子。母は袁祁都比売命。事跡不詳。(神名)
  • 伊理泥の王 いりねのみこ 日子坐王の子。母は袁祁都比売命。この王の兄と娘の間の系譜に息長帯比売命がいる。(神名)
  • 曙立の王 あけたつの王 大俣王の子で、菟上王と兄弟。開化天皇の皇子である彦坐王の孫にあたり、伊勢の品遅部、伊勢の佐那造の始祖とされる。三重県多気郡多気町の式内社・佐那神社は天手力男神と曙立王を祀る。
  • 兎上の王 うがかみ/うながみのみこ 開化天皇の孫の大俣王の子で曙立王の弟。比売陀君の祖。垂仁天皇のものいわぬ皇子本牟智和気につきそって出雲大神を拝した。また、出雲大神の神宮造築を奉行した。(神名)
  • 伊勢の品遅部 いせの ほむじべ
  • 伊勢の佐那の造 いせの さなのみやつこ
  • 比売陀の君 ひめだのきみ 「ひめたのかみ」。近江国伊香郡に比売多神社がある。(神名)
  • 当麻の勾の君
  • 佐佐の君
  • 日下部の連 むらじ
  • 甲斐の国の造 かいのくにのみやつこ 甲斐国におかれた国造。記は沙本毘古王を日下部連・甲斐国造の祖と記し、『国造本紀』には景行朝にその三世孫知津彦公の子塩海足尼を国造に任じたとある。氏姓は日下部直とみるのが有力で、日下部は草原の管理、すなわち甲斐にあった牧を管理する職掌をもっていたとする説もあるが不明。紀には「甲斐の勇者」の活躍が記されており、騎馬を利用した軍事力にすぐれていたか。(日本史)
  • 葛野の別
  • 近つ淡海の蚊野の別
  • 若狭の耳の別
  • 美知能宇志の王 みちのうしのみこ → 丹波の比古多多須美知能宇斯の王
  • 丹波の河上の摩須の郎女 たにはのかわかみのますのいらつめ 美知能宇志の王の妻で四子を生んだ。天皇家と丹波家の婚姻関係が密だったことを示している。紀には記載なし。(神名)
  • 比婆須比売の命 ひばすひめのみこと 日葉酢媛命(紀)。伝説上(記紀)の皇族。父は丹波道主王。母は丹波之河上之麻須郎女。垂仁天皇の皇后となり、景行天皇のほか2皇子・2皇女を産む。
  • 真砥野比売の命 まとのひめのみこと 円野比売(命)とも記す。開化紀に美知能宇志王が丹波の河上の摩須の郎女を娶して生んだ子。垂仁記では、沙本毘売命の進言で喚上された四人の命のうち、醜い容姿のため歌凝比売命と共に本国へ帰され、山代国の相楽で死のうとし、弟国の深い淵に落ちて死んでしまった。(神名)
  • 弟比売の命 おとひめのみこと 美知能宇志の王の女。母は丹波の河上の摩須の郎女。垂仁皇后の沙本毘売命のすすめで、三人の姉妹と共に垂仁天皇に召された。(神名)
  • 朝廷別の王 みかどわけのみこ 三川の穂の別が祖。/美知能宇志の王の子。母は丹波の河上の摩須の郎女。三州の穂別の祖。(神名)
  • 三川の穂の別
  • 水穂の真若の王 みずほのまわかのみこ 美知能宇斯の王の弟。
  • 近つ淡海の安の直 あたえ
  • 三野の国の造
  • 本巣の国の造 もとすのくにみやつこ 美濃国中西部を支配した国造。
  • 長幡部の連 むらじ
  • 丹波の阿治佐波毘売 たにはのあじさわびめ 伊理泥王の女。山代の大筒木の真若の王との間に迦邇米雷王を生み、息長帯比売の曽祖母にあたる。(神名)
  • 迦邇米雷の王 かにめいかづちのみこ 山代の大筒木の真若の王の子。母は丹波の阿治佐波毘売。丹波之遠津臣の女高材比売との間に息長宿祢王を生む。(神名)
  • 丹波の遠津の臣 たにはの とおつのおみ
  • 高材比売 たかきひめ 丹波之遠津臣の女。迦邇米雷王の妻となり、息長宿祢王を生む。(神名)
  • 息長の宿祢の王 おきながのすくねのみこ 気長宿祢王(紀)。息長は近江の地名。父は迦邇米雷王。母は高材比売。天之日矛の子孫である葛城之高額比売との間に息長帯比売命、他二子が生まれた。(神名)
  • 葛城の高額比売 かずらきのたかぬかひめ 大海姫命ともいう(『旧事紀』)。多遅摩比多訶の女。母は由良度美。高額は大和国葛下郡の郷名。息長宿祢王の妻となり、息長帯日売命(神功皇后)を生む。(神名)
  • 息長帯比売の命 おきながたらしひめのみこと → 神功皇后
  • 神功皇后 じんぐう こうごう 仲哀天皇の皇后。名は息長足媛。開化天皇第5世の孫、息長宿祢王の女。天皇とともに熊襲征服に向かい、天皇が香椎宮で死去した後、新羅を攻略して凱旋し、誉田別皇子(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして没。(記紀伝承による)
  • 虚空津比売の命 そらつひめのみこと 息長宿祢王の子。母は葛城の高額比売。神功皇后と同母。(神名)
  • 息長日子の王 おきながひこのみこ 息長宿祢王の子。母は葛城の高額比売で、神功皇后の同母弟。(神名)
  • 吉備の品遅の君
  • 針間の阿宗の君
  • 河俣の稲依毘売 かわまたのいなよりびめ 出身は不詳だが、河俣は河内国の地名によるか。開化記によると息長宿祢王の妻となり、大多牟坂王を生んでいる。(神名)
  • 大多牟坂の王 おおたむさかのみこ 息長宿祢王の子。母は河俣の稲依毘売。多遅摩国造の祖。紀には記載なし。(神名)
  • 多遅摩の国の造 たじまの くにのみやつこ
  • 建豊波豆羅和気の王 たけとよはらづわけのみこ 開化天皇の皇子。母は�比売。道守臣・忍海部造・御名部造・稲羽忍海部・丹波之竹野別・依綱之阿田毘古の祖。(神名)
  • 道守の臣 ちもり?
  • 忍海部の造 みやつこ
  • 御名部の造 みやつこ みなべ?
  • 稲羽の忍海部
  • 忍海部 おしうみべ/おしぬみべ 大化前代の部。忍海角刺宮にいた飯豊青皇女(忍海部女王・忍海郎女とも)の名代の部で、忍海(部)造が伴造であった。『新撰姓氏録』は忍海部が開化天皇の皇子比古由牟須美命の後裔と記す。記は開化天皇の皇子建豊波豆羅和気が忍海部造や稲羽の忍海部の祖とする。なお忍海漢人との関連や忍海部の姓をもつ者に雑戸がいたことなどから、帰化系の職業部とする説もある。(日本史)
  • 丹波の竹野の別
  • 依網の阿毘古 よさみ?


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『国史大辞典』(吉川弘文館)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、映画・能・狂言・謡曲などの作品名)
  • 『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
  • 『霊異記』 りょういき 「日本霊異記」の略称。
  • 『日本霊異記』 にほん りょういき (ニホンレイイキとも)平安初期の仏教説話集。3巻。僧景戒撰。奈良時代から弘仁(810〜824)年間に至る朝野の異聞、殊に因果応報などに関する説話を漢文で記した書。詳しくは「日本国現報善悪霊異記」。霊異記。
  • 『旧事本紀』 くじほんぎ 旧事紀の別称。
  • 『旧事紀』 くじき 神代から推古朝までの事跡を記した史書。10巻。序に蘇我馬子らが勅を奉じて撰したとあるが、実際には平安初期に編纂された。先代旧事本紀。旧事本紀。
  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。
  • 『帝紀』 ていき 天皇の系譜の記録。帝皇日嗣(ていおうのひつぎ)。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • かれ 故 (接続) (カ(此)アレ(有リの已然形)の約、「かあれば」の意) (1) (前段を承けて)こういうわけで。ゆえに。(2) (段落の初めにおいて)さて。そこで。
  • 平けく ひらけく?
  • く (接尾)(上代語)(1)(上につく活用語を名詞にする)……すること。(2)(文末に用いて詠嘆・感動を示す)……ことよ。(3)(引用を導く語)……ことには。
  •  大御饗 おおみあえ (1) 天皇の食事。(2) 宮中で群臣に賜る酒饌。
  • 上り幸でまし のぼりいでまし?
  • いでます 出で座す。(1) おでかけになる。いらっしゃる。おいでになる。(角)
  • 国つ神・地祇 くにつかみ (1) 国土を守護する神。地神。(2) 天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神。国神。←→天つ神。
  • 海つ道 うみつぢ/うみつじ 海路。(1)「うみじ(海路)」に同じ。海上の船の通る道。かいろ。うなじ。うみのみち。うみつじ。←→陸道(おかじ・くがじ)(2)「うみつみち(海道)」に同じ。(海に沿った道の意から)東海道(街道および沿道地域)の古称。うめつみち。うべつみち。うみつじ。
  • 従 みとも 御伴か。
  • 青雲の あおくもの (枕)「しろ(白)」「出づ」にかかる。
  • 痛矢串 いたやぐし 重傷を負わせ、はげしくつきささった矢。
  • 今よ
  • 崩り かむあがり 神上がり。(1) 神が天にあがること。転じて、崩御。(2) 神おろしした神があがり去ること。
  • 水門 みなと 港・湊。(「水の門」の意) (1) 河海などの水の出入口。みと。瀬戸。(2) 湾や河口を利用し、また防波堤を築いて、船が安全に碇泊できるようにした所。港湾。
  • をえまし
  • をえる
  • 御軍 みいくさ 皇師。「みくさ」とも)天皇の軍隊の敬称。皇軍。(角)
  • 天つ神 あまつかみ 天にいる神。高天原の神。また、高天原から降臨した神、また、その子孫。←→国つ神。
  • 伏せる こやせる 臥やす(こやす)。(コユに尊敬・親愛を表すスの付いた語)横におなりになる。おやすみになる。
  • 長寝 ながい 長いあいだ寝ること。
  • 荒ぶる神 あらぶるかみ 荒立つ国つ神。人に害を与える暴悪の神。
  • 騒ぐ さやぐ ざわざわと音がする。ざわめく。
  • やくさむ 病む。わずらう。
  • 言趣く・言向く ことむく ことばで説いて従わせる。転じて、平定する。
  • あもる 天降る (1) あまくだる。(2) 天皇が行幸する。
  • 朝目 あさめ 朝起きて(縁起のよい)物を目にすること。
  • 旦 あした あさ。
  • たてまつらくのみ
  • たてまつらく らく (接尾語)(上代語。「つ」「ぬ」「しむ」「ゆ」などの助動詞の終止形につく)(1)「こと」の意をあらわし、活用語について名詞をつくる。(2)(「言ふ」「思ふ」などの動詞について、以下に引用文を導く)……ことには。(3)(文末にあって詠嘆をあらわす)(多く下に助詞「も」「に」を伴って)……ことよ。(角)
  • こよ奥《おく》つ方《かた》にな入りたまいそ
  • な……そ 副詞「な」を伴い、「な……そ」の形で禁止を表す。「な」が禁止を表し、「そ」は添えられた語とする解釈もある。……するな。
  • 八咫烏 やたがらす (ヤタはヤアタの約。咫(あた)は上代の長さの単位) (1) 記紀伝承で神武天皇東征のとき、熊野から大和に入る険路の先導となったという大烏。姓氏録によれば、賀茂建角身命の化身と伝えられる。(2) 中国古代説話で太陽の中にいるという3本足の赤色の烏の、日本での称。
  • 幸でまさね いでまさね さね (上代語。上代の尊敬の助動詞「す」の未然形。希望の終助詞「ね」)(動詞の未然形について)……なさってほしい。……してください。(角)
  • 筌 うえ 魚を捕る具。細い割竹を編んで、筒または底無し徳利の形に造り、入った魚が出られないように口に漏斗状などのかえしをつけたもの。うけ。うえやな。もじ。ど。
  • 尾ある人
  • 入りまししかば
  • まい向かえまつらく
  • 国主歌 くずうた 国栖歌。古代、国栖の人が宮廷の儀式の際に宮中承明門外で奏した風俗歌。
  • 久米歌 くめうた 古代歌謡。久米部が久米舞にうたう歌。記紀によれば神武天皇が久米部をひきいて兄猾・八十梟帥・兄磯城・長髄彦を討伐した時に軍士を慰撫・鼓舞した歌、および道臣命が忍坂で八十梟帥の余党を討った時に歌った歌の総称。現在は宮内庁楽師が雅楽歌曲として演奏。
  • え聚《あつ》めざりしかば
  • 欺陽り いつわり
  • 押機 おし 押・圧。わなの一つ。てこなどの仕掛けにより、おもしで人を圧死させる装置。また、同類の仕掛けでねずみをとるもの。おとし。(大)
  • おろがむ 拝む おがむ。
  • � い 汝。(代名)(格助詞「が」を伴って用いられる)対称。おまえ。相手を卑しんでいう語。
  • おれ 己 (1) (二人称)相手を卑しめて呼ぶ語。おのれ。
  • 明し白せ あかしもうせ?
  • 手上 たがみ 剣柄。(手の上の意)剣の柄をいう語。たかび。
  • 大饗 おおみあえ 大御饗。(1) 天皇の食事。(2) 宮中で群臣に賜る酒饌。
  • 高城 たかき 野山の高い所に築いた防塞。山城。
  • 鴫羂 しぎわな シギを捕らえるわな。
  • いすくはし (枕)語義未詳。「鯨(くぢら)」にかかる。(角)
  • 鷹ら くじら (「くち(鷹)」に接尾語「ら」のついたものか)「たか(鷹)」の古名か。(大)
  • 嫡妻・前妻 こなみ (1) 一夫多妻の時代に、先に娶った妻。前妻。(2) 死別・離別した妻の称。先妻。←→後妻(うわなり)
  • 立柧�の たちそばの (枕) 「たちそば」は植わっているソバノキ。ソバノキの実は小さいので、肉のないことの比喩的な枕詞。
  • こきしひえね (「ひえね(ひゑね)」は、そぎとる意のワ行二段動詞「ひう」の未然形「ひゑ」に願望の助詞「ね」のついたもの)数多くそぎとってやれ。(大)
  •  いちさかき ヒサカキの異称。「多い」の序詞に用いる。
  •  ひさかき ツバキ科の常緑小高木。照葉樹林中に多い。高さ3m。葉は革質、楕円形、細鋸歯がある。春、黄緑色の小花を密生、異臭あり。球形紫黒色の液果を結ぶ。サカキの代りに枝葉を神前に捧げる。また、焼いて灰汁の灰とする。材は堅く、細工・建築材。いちさかき。ひさぎ。サカキ。野茶。
  • こきだひえね 「こきしひえね」に同じ。
  • こきし (副)上代語。量または数の多いさまをあらわす語。多量に。はなはだしく。こきだ。(大)
  • ええ、しやこしや ええしやごしや 敵意をあらわすはやし声。
  • いのごう 期剋ふ 相手に迫って威勢を示す。
  • ああ、しやこしや ああしやごしや あざけり笑う意のはやしことば。
  • 水取 もいとり 主水・水部。「もい」は水の意)飲料水のことなどをつかさどること。また、その人。宮内省被管の主水司の下級官人。水戸(もいとりべ)を率いる伴。もんどり。もんどん。もんど。
  • 水取司・主水司 もいとりのつかさ → しゅすいし(主水司)
  • 主水司 しゅすいし 律令制で、宮内省に属し、供御の水・粥・氷室のことをつかさどった役所。もいとりのつかさ。もんどのつかさ。
  • 八十膳夫 やそ かしわで おおぜいの料理人。
  • 膳・膳夫 かしわで (古代、カシワの葉を食器に用いたことから)
  • (1) 飲食の饗膳。供膳。(2) 饗膳のことをつかさどる人。料理人。(3) (「膳部」と書く)大和政権の品部で、律令制では宮内省の大膳職・内膳司に所属し、朝廷・天皇の食事の調製を指揮した下級官人。長は膳臣と称し、子孫の嫡系は高橋朝臣。かしわべ。
  • みつみつし (枕) (「御稜威(みいつ)御稜威し」の意とも、「満つ満つし」の意ともいわれるが、意味未詳)「久米」にかかる。
  • 頭椎い くぶつつい くぶつつ 頭槌・頭椎。(→)「かぶつちのたち」に同じ。
  • 頭椎の大刀・頭槌の大刀 かぶつちのたち 古代の大刀の様式の一つ。柄頭が卵形または槌状にふくらんでいる大刀。頭槌剣。くぶつちのたち。
  • 石椎い いしつつい 石椎(いしつつ)。柄頭を石または石のように固いもので作った剣か。(補注)語構成を「石(いし)つ霊(ち)」の変化したものとし、石器とする説もある。他に、「いしつつい」で一語とみなす説もある。
  • 粟生 あわふ 粟の生えている畑。粟畑。
  • 臭韮 かみら 韮。(「香(か)みら」の意) ニラの古名。
  • そね 其根 その根。一説に、ネは助詞ノの転で、「その」の意。
  • くちひひく 口疼く 口が刺激されてひりひりと痛む。
  • 神風の かむかぜの/かみかぜの (枕) 「伊勢」「五十鈴川」「八坂」などにかかる。かむかぜの。
  • はいもとおろう 這ひ徘徊ふ。(→)「はいもとおる」に同じ。
  • はいもとおる 這ひ徘徊る はいまわる。
  • 細螺 しただみ → きさご
  • きさご 細螺・扁螺・喜佐古。ニシキウズガイ科の巻貝。殻は直径2cm内外で、厚く固い。多数の放射火焔状の淡褐色の斑がある。食用。殻をおはじきに使った。北海道東北部を除く日本各地に分布。きしゃご。しただみ。ぜぜがい。いしゃらがい。
  • しまし 暫し (→)「しばし」に同じ。
  • 楯並めて たたなめて (枕) (楯を並べて射るということから)「い」にかかる。
  • よも 四方 (1) 東西南北。前後左右。しほう。まわり全部。(2) あちらこちら。諸方。
  • 島つ鳥 しまつとり (「島の鳥」の意) (1) 鵜(う)の異称。(2) (枕)「鵜」にかかる。
  • 天つ瑞 あまつ しるし/てんずい 天のくだしためでたいしるし。
  • やわす 和す (1) やわらかにする。(2) やわらげる。平穏にする。
  • 退く そく (1) 遠く離れる。さがる。しりぞく。(2) しりぞかせる。離す。除く。
  • 治る しる 領る・知る。(ある範囲の隅々まで支配する意。原義は、物をすっかり自分のものにすることという)(国などを)治める。君臨する。統治する。
  • 間投助詞 かんとう じょし 助詞の分類の一つ。文中の語句の切れ目で、語勢を加え、語調を整えて、余情を添える助詞。「よ」「や」「を」「ろ」「ゑ」「な」「ね」など。「近江のや鏡の山」の「や」「吾が衣下にを着ませ」の「を」の類。
  • 幾許く こきだく 甚だしく。たくさん。ここだく。
  • いごのう 「いのごう(期剋ふ)」を誤ったもの。
  • 娶う あう あふ。(4) 結婚する。男と女が関係を結ぶ。
  • 大后・嫡后 おおぎさき/おおきさき 太后。(1) 天皇の正妻。第一のきさき。皇后。
  • 富登 ほと 陰。(凹所の意) (1) 女の陰部。女陰。(一説に、男についてもいう) (2) 山間のくぼんだところ。
  • いすすく そわそわする。驚き騒ぐ。あわてる。
  • 改えつる かえつる? つる 完了の助動詞「つ」の連体形。(角)
  • しまく 繞く とりまく。まきつく。
  • かつがつ 且つ且つ (副)(1) 不十分ながら。どうやら。(2) やっと。かろうじて。わずかに。(3) とりあえず。いそいで。(角)
  • 黥く さく/めさく 顔に入墨をする。入墨の刑に処する。
  • 利目 とめ するどい目。
  • 御寝 みね (「み」は接頭語)おやすみになること。(大)
  • 山百合 やまゆり ユリの一種。中部以北の山野に自生。また、観賞用に栽培。茎の高さ約1m。夏、茎頂に、白色で内面に赤褐色の斑点のある大形・有香の花を開く。球形の鱗茎は食用、料理ユリともいう。万葉集の「さゆり」をヤマユリに当てる説もある。エイザンユリ・ハコネユリなど自生地ごとの異名が多い。
  • 宮内 おおみやぬち
  • しけし 蕪し きたない。荒れている。
  • 菅畳 すがたたみ スゲで編んだ畳。
  • さや 明・清 (冴ユと同源) (1) さやかなさま。はっきりしたさま。(2) 清いさま。さっぱりしているさま。
  • 庶兄 まませ 継兄・庶兄。(姉妹から見て)父または母のちがう兄弟。異父兄弟。異母兄弟。
  • なね 汝ね (ナノエの約。ナは一人称代名詞)人を尊み親しんでいった称。兄・姉など、男女共に用いる。
  • え殺《し》せたまわず
  • え……ず 不可能をあらわす。とても……できない。(角)
  • 忌人 いわいびと 斎人。神を祭る人
  • 斎人・忌人 いむひと 斎戒して神事にあずかる人。
  • 潔斎 けっさい 神事・法会などの前に、酒や肉食などをつつしみ、沐浴をするなどして心身をきよめること。ものいみ。
  • 副わし たぐわし
  • 忌瓮 いわいべ 斎瓮。祭祀に用いる神聖なかめ。神酒を入れる。いんべ。
  • 道の口 みちのくち (1) ある国に入る道の入口。(2) 古代、一国を二つまたは三つに分けたときの、都に最も近い地方。例えば越地方では越前を「こしのみちのくち」という。
  • 祝 はふり 神に仕えるのを職とする者。普通には祢宜の次位で祭祀などに従った人。はふりこ。はふりと。
  • もちいつく 持ち斎く。神としてあがめる。
  • 別 わけ古代の姓(かばね)の一つ。主として古来の地方豪族が称した。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『全訳古語辞典』(角川書店、2002.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。

「龍」「竜」……序文に「潛龍」が一件のみ。本文にはなし。山幸彦がつりばりをなくしたあとに向かったところは「綿津見の神の宮」(「竜宮城」ではない)。
「疊」……一〇件。海驢の皮の疊八重、※疊八重、菅疊、菅疊八重、皮疊八重、※疊八重、疊薦(二件)、吾が疊ゆめ、疊と言はめ。
「鰐」……九件。稲羽の素兎に二件。海幸山幸に六件。豊玉毘売命に一件。
「馬」……二三件。
「牛」……一〇件。
「羊」……なし。
「山羊」……なし。
「鹿」……二〇件。
「猪」……二七件。
「熊」……二八件。
「蛇」……一〇件。
「巳」……一件。「己巳の年」
「龜」……一件。
「猿」……九件。
「犬」……五件。
「猫」……なし。
「鷄」……二件。
「鼠」……六件。鼠が三件、海鼠が三件。
「蠶」……一件。
「虎」……一件。序「東の國に虎のごとく歩み」
「寅」……一件。「戊寅の年」
「菟」……一七件。

 以下、松岡正剛の千夜千冊、第1209夜・関裕二『物部氏の正体』より。
「和銅3年(710)の平城京遷都のおりに、石上(物部)朝臣麻呂が藤原京の留守役にのこされてからというもの、物部一族は日本の表舞台からすっかり消されてしまった」
「とくに神武東征以前における物部の祖にあたるニギハヤヒ(饒速日命)の一族の活躍は、古代日本の本質的な謎を暗示する。
「やはりそこにはフツノミタマを奉じる一族がいたであろうし、石上神宮の呪術を司る一族がいたはずなのだ。そして、その祖をニギハヤヒと認めることを打擲するわけにはいかないはずなのだ。(略)端的にいえば、神武やヤマトタケルの東征に先立って、すでに「物部の祖」たるニギハヤヒのヤマト君臨があったのだろうということになる。
「長髄彦「すでにこの地には天神(あまつかみ)のクシタマニギハヤヒノミコト(櫛玉饒速日命)が降りてこられ、わが妹のミカシギヤヒメ(三炊屋媛)を娶り、ウマシマジノミコト(宇摩志麻治命=可美真手命)をお生みになり、この地をヤマトと名付けられました。そこで私はニギハヤヒを主君として仕えているのです。いったい天神はお二人いるのでしょうか。」」
「ニギハヤヒは事態がねじれていくのをおそれて、長髄彦を殺してしまった。/神武はニギハヤヒのこの処置を見て、ニギハヤヒが自分に忠誠を誓っていると判断し、和睦し、寵愛することにした。かくしてニギハヤヒは物部氏の祖となった。神武は、初代天皇ハツクニシラススメラミコトとして即位した。
「これが、『日本書紀』が伝えている物部氏の物語の発端のあらましである。(略)(ちなみに『古事記』にもニギハヤヒの一族が神武に恭順を示した話は載っているが、長髄彦の誅殺にはまったくふれていない)。
『日本書記』神武紀は、ニギハヤヒの貢献をあえて重視したわけだ。物部氏の祖が初代天皇即位にあずかっていることは、認めたのである。/いいかえれば、古代日本の中央に君臨する記紀テキストと、傍系にすぎない物部氏の記述とは、互いに不備でありながら、互いに補完しあっていると言わざるをえないのだ。ただし、そこには奇妙な「ねじれ」がおこっている。
「この「ねじれ」を暗示する出来事に関裕二が着目していたからだった。その着目点は一首の「歌」と「弓」にかかわっていた。
「元明天皇が和銅元年(708)に詠んだ歌がある。(略)「ますらをの鞆(とも)の音(ね)すなり もののふの大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも」。」
「「もののふの大臣」とは、石上朝臣麻呂のことなのである。/ 石上は物部の主流の家系にあたる。石上神宮は物部氏を祀っている。
「元明天皇のあと、平城京の遷都がおこる。これによって不比等の一族の繁栄が確立する。一方逆に、石上麻呂は、この歌の2年後に平城京が遷都されたときは、藤原京に置き去りにされた。
「オオモノヌシは「わが子の太田田根子を祭主として祀れ」と言ってきた。/ (略)オオモノヌシによって大和が安泰になったので、崇神は次には、各地に四道将軍を派遣した。
「 その“オオモノ氏”の一族は、それでは最初から大和にいたのかというと、どうもそうではなく、出雲か山陰か山陽から来て大和の三輪山周辺に落ち着いたのであろう。そのことを暗示するひとつの例が、崇神による四道将軍・吉備津彦の派遣になっていく。
「ニギハヤヒは神武のように西からやってきたか(天のアマ)、そうでなければ朝鮮半島や南方からやってきた(海のアマ)という想定になる。いったい物部はどこからヤマトに入ってきたというのだろうか。/ そのひとつの候補が、出雲や吉備に先行していた物語だったのではないか」
「このことについては、すでに原田常治の『古代日本正史』という本がセンセーショナルに予告していた。「ニギハヤヒは出雲から大和にやってきたオオモノヌシだ」という仮説だった。/その出雲や吉備よりもさらに先行する出来事があるとも予想されてくる。神武がそうであったように、すべての物語は実は九州あるいは北九州から始まっていた。
「邪馬台国のモデルが、いつ、どのように、誰によってヤマトに持ち込まれたのかという話が、根底でからんでくることになる。(略)/その仮説の大略は、邪馬台国を北九州の久留米付近の御井郡や山門郡あたりに想定し、そこにある高良山と物部氏のルーツを筑後流域に重ねようというものである。
「おそらく正史『日本書紀』が大問題なのだ。もとより『日本書記』は不備だらけなのであるが、この不備は、もともとは意図的だったかもしれないのだ。その意図を誰が完遂しようとしたかといえば、これはいうまでもなく、藤原氏だった。




*次週予告


第五巻 第八号 
校註『古事記』(五)武田祐吉


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二〇一二年九月一五日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第五巻 第七号
校註『古事記』(四)武田祐吉
発行:二〇一二年九月八日(土)
編集:しだひろし / PoorBook G3'99
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