アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」。
大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。
伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。
もくじ
科学の不思議(八)アンリ・ファーブル
*ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(八)
六二 キノコ
六三 森の中
六四 オオベニタケ
六五 地震(じしん)
六六 寒暖計(かんだんけい)
六七 地(ち)の下の炉(ろ)
六八 貝殻(かいがら)
六九 カタツムリ
七〇 アオガイと真珠(しんじゅ)
*オリジナル版
科学の不思議(八)
*
地名 ・
年表 ・
人物一覧 ・
書籍
*
難字、求めよ
*
後記 ・ 次週予告
※ 製作環境
・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
・ ポメラ DM100、ソーラーパネル GOAL ZERO NOMAD 7(ガイド10プラス)
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.
*凡例
- ( ):小書き。〈 〉:割り注。
- 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
- 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
- 例、云う → いう / 言う
- 処 → ところ / 所
- 有つ → 持つ
- 這入る → 入る
- 円く → 丸く
- 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
- 例、いって → 行って / 言って
- きいた → 聞いた / 効いた
- 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
- 一、漢数字の表記を一部、改めました。
- 例、七百二戸 → 七〇二戸
- 例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
- 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
- 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
- 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
- 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
- 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
- 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
- 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。
*尺貫法
- 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03cm。
- 尺 しゃく 長さの単位。1mの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
- 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3m。(2) 周尺で、約1.7m。成人男子の身長。
- 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
- 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109m強。
- 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273km)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
- 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方cm。
- 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
- 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。
*底本
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html
NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html
登場するひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人。
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。
・ジョセフ あやまってベラドンナの実を食べてなくなる。
・シモン 水車場ではたらいている。
・水車屋のジャン
・マシュー
・アントニイ
科学の不思議(八)
STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝(訳)
六二 キノコ
こうして昆虫や花の話をしている間に時がたって、ポールおじさんがキノコの話をするはずになっていたつぎの日曜が来ました。集まりは第一回のときよりも大勢でした。有毒植物の話は村じゅうにひろがったのでした。おろかなある人たちは、「そんな話が何の役に立つのだ?」といいました。「役に立つとも。」と村の人びとは答えました。「毒草を知って、ジョセフのように無残な死にかたをしないようにするのだよ。」しかし、おろかな人びとはただ平気で頭をふっていました。馬鹿ほどおそろしいものはありません。こうして、気の向いた人だけがポールおじさんのところに聞きにまいりました。
「あらゆる毒草の中で、キノコがいちばんおそろしいものです。」とおじさんは話しはじめました。「それでも、どんな人でもひきつけるような、非常においしい食べ物になるのがあります。」
「キノコの味はいちいち違うようですね。」とシモンがいいました。
「今わたしがいったとおり、キノコはどんな人にでも好かれるから、あなただけが味をよく知っているとはいわれません。わたしはキノコが役に立たないものだとは思わない。キノコはわがフランスの財源の一つです。ただわたしは、その毒のあるものを注意するようにお話したいのです。」
「良いのと悪いのとの見わけ方を教えようとなさるのでしょう?」とマシューがたずねました。
「いいえ、それはわれわれのできないことです。」
「なぜ、できませんか? いろんな木の下にはえているキノコを、だれだって安心して食べているではありませんか。」
「その点についてお話しする前に、わたしはみなさんにおたずねしたいことがあります。あなた方はわたしのいうことを信用なさるのですか? こんな物事の研究に一生をささげている人のいうことは、それに関係していない人びとのほんの聞きかじりの言葉よりもためになるものだと思わないのですか?」
「ポールさん、どうぞ話してください。みんな、あなたのご研究をじゅうぶん信じているのですから。」と一同にかわってシモンが答えました。
「よろしい。それではじゅうぶん念を入れてお話しましょう。キノコには、これは食べられる、これは食べられないという印がついていませんから、食用キノコと有毒キノコとを見わけることは専門家でない人にはできないことです。そればかりではなく、地上にはえている草や木は、その根や、形や、色や、味や、においなどで、無害か有毒か、ひと目で見わけられるものは一つもありません。精密な科学的注意をはらってキノコの研究に幾年も費やしている人は、そのキノコの有毒か無害かをかなりよく見わけることができます。が、われわれにそんな研究ができることでしょうか? そんな時間がありますか? われわれはわずか十二、三種の野生のキノコのことを知っているだけで、非常に似かよった無数のキノコを見わけようとしたところで、とてもダメなことです。」
「もっとも、どこの国にでも、人間が食べても安全な数種のキノコのことは、むかしから経験でわかっています。この経験にしたがうのはごくいいことです。が、それだけではまだ危険をさけるのにじゅうぶんではありません。ちがう国へ行って、自分の国にある食べられるキノコとまったく同じようなキノコを見つけるとします。それは非常に危険なことです。で、わたしはどんなキノコでもすべて信用しないことにして、じゅうぶんの用心をするのがいちばんいいと思います。」
「あなたのおっしゃるとおり、食べられるキノコと毒のあるキノコとをひと目で見わけることはできません。けれども、それがわかる方法があります。」とシモンがいいました。
「どうするんですか?」
「秋、キノコを小さく切って日に干します。それを冬になって食べるとおいしいものです。毒のあるキノコは乾かないで腐ってしまいます。そこで、いいのだけをしまっておくのです。」
「それはいけません。良いキノコも悪いキノコも、その成長の如何により、またそれを干すときの天気によって、あるいは腐ったりあるいは腐らなかったりするのです。そんな見わけ方は役に立ちません。」
「しかし、いいキノコには虫がたかりますが、悪いキノコには虫がたかりません。それは毒で虫が死ぬるからです。」と、こんどはアントニイが口を出しました。
「それは先のよりももっとまちがっています。虫は、古いキノコには、その良し悪しにかまわずに集まります。われわれなら死ぬような毒でも、虫には効かないのです。虫の腹は毒を食べてもさしつかえのないようにできています。ある虫はトリカブトやジギタリスやベラドンナのような、われわれを殺すような草を食べています。」
「キノコを煮るとき、鍋の中に銀貨を落とすと、毒があれば銀貨が黒くなり、毒がなければ白いままでいるそうですね。」とジャンがいいました。
「それは馬鹿げた話です。そんなことをしたら馬鹿になってしまいます。いいキノコに入れても悪いキノコに入れても銀貨の色は変わりません。」
「じゃ、キノコは食べないでいるよりほかに仕方はないじゃありませんか。こまったものだなあ。」とシモンがいいました。
「どうしてどうして。その反対に、今まで以上に食べられます。そのただ一つの方法は、よくよく気をつけるということです。」
「キノコで毒なのは肉ではなくて、その中にある汁です。汁をぬき出してしまうと、毒になるところはすぐ失くなってしまいます。そうするには、キノコを小さくきざんで料理し、干すなり生のままなりで、ひとにぎりの塩を入れた水で煮ればいいのです。そして、それを水の中へ入れて、二、三度水で洗います。それだけのことでキノコは食べられるようになります。」
「それと反対に、最初水で煮ておかないと、毒汁のためにひどい目にあわなければなりません。」
「塩をまぜた水で煮るということは毒を溶かすためで、ある人たちはわたしのいま言ったとおりに料理した、ひどい毒のあるキノコを幾か月も食べてみました。」
「その人たちはどうなりましたか?」シモンがたずねました。
「無事でした。だがこの人たちは、じゅうぶん行きとどいた用心をして毒のあるキノコを料理したのです。」
「なるほど、もっともなことです。が、あなたのおっしゃるとおりだとすると、どんなキノコでもみんな食べていいんですね?」
「そうです。しかし、やはりあぶないことがあります。それは不完全な料理をするおそれがあるからです。で、わたしは、このあたりでいいキノコだといわれているものでも、やはり湯で煮てから食べるようにおすすめしたいのです。もし偶然に毒のあるキノコがまじっていても、毒はこの方法で消されて無事に食べられます。」
「ポールさん。これからきっとあなたがいま教えてくだすったとおりにしますよ。取ってきた中に毒のあるのが決してないとはいえませんからね。」
そして別れをつげる前に、シモンはアムブロアジヌおばあさんと、しきりにキノコの料理の話をしていました。それほどシモンはキノコが大好きなのでした。
六三 森の中
おそろしい危険をさける料理法の話になってしまったキノコの話は、これを聞きにきたシモンやマシューやジャンやその他の人びとにはもうじゅうぶんでしたが、エミルやジュールやクレールにはまだ足りませんでした。彼らは珍しい植物のことをたくさん知りたがっているのです。ある日、おじさんは子どもらをつれて、村近くのブナの木の森に出かけました。
高く枝をまじえた、五、六百年も経た樹木は、葉の緑門をつくって、そのすき間からここかしこに日光をもらしていました。白い皮をつけたなめらかな幹は、影と静けさとの満ち満ちた、重い大きな建物をささえている大柱のように思われました。高い梢ではカラスが羽根をなでながらカァカァ鳴いていました。ときどき赤い頭をした緑色のキツツキが、クチバシで虫の食った木をつついて、昆虫を出してたべる仕事の最中に、おどろいてさけびながら矢のように飛んで行ってしまいました。土をおおうたコケの中からは、あちこちにキノコがたくさん出ていました。丸いのもあります。平ったいのもあります、白いのもあります。ジュールはしきりにそれをほめそやして、コケのくぼみのところを歩いていた牝鶏が卵を産んで行ったものと想像してみたりしました。また、朱のようにまっ赤なのもあれば、明るい鹿毛色〔茶色にうすい黄色のまじった色〕のや、美しい黄色をしたのもあります。地の下から出かけてきて、まだ袋のようなものにつつまれているのもあります。これはそのキノコの大きくなるにつれてやぶれてしまうのです。またもっと大きくなって、開いた蝙蝠傘のようになるのもあります。そしてまた、もう腐れてたおれているのもたくさんありました。その臭い腐ったキノコには、やがて昆虫になるウジがたくさんわいていました。こうして、みんなは主なキノコの種類を集めた後で、ブナの木の下のやわらかなコケの上にすわって、ポールおじさんは次のように話して聞かせました。
「キノコは地の中にある植物の花で、学者はその植物のことを菌糸といっている。この地下植物は白くて細い、もろい糸からできている、大きなクモの巣のようなものだ。もし、そっとキノコをひきぬいてみると、その軸の下から地面にくっついた、菌糸の糸をたくさん見い出すことができる。いま仮に地面いっぱいをバラでおおうようにバラを植えたとしてみよう。うめた根は菌糸で、空中に咲いたバラは菌糸の花、すなわちキノコにあたるわけだ。」
「バラの木には葉のしげった強い枝がありますが、キノコには、ぼくの見たところでは、何もそんなものがありませんね。白い脈になって地中に枝を出したカビのようなものなんですね。」とジュールはいいました。
「その地下植物の白い脈はあまり細くて、触ればすぐ切れてしまうほどのもので、葉もなければ根もない。地の中ですこしずつ大きくなって、かなりの遠方まで伸びていく。そして適当なときがくると、地の中で小さなこぶを作る。それが後にキノコとなって、地面をやぶって上に伸びていくのだ。それでキノコはむらがって生えてくるのだ。そしてその一群は、そのキノコのできる菌糸と同じ一本の植物なのだ。」
「わたしね、キノコが輪のようにむらがって生えているのを見たことがありますわ。」とクレールがいいました。
「もし、あたりの地の質が同じで、四方へ地下植物のひろがるのをさまたげなければ、菌糸は四方に一様にひろがって、田舎の人たちが魔物の輪といっているようなキノコの大きな輪をつくるようになる。」
「なぜ、魔物の輪なんていうんですか?」とジュールがたずねました。
「なんにも知らない迷信ぶかい田舎の人たちは、その珍しい輪のようなひろがりかたを見て、魔術の力だと思うのだ。」
「じゃ、魔物なんていないんですね?」とエミルがいいました。
「ああ、いないとも。ただ、世の中には他人の軽々しく信ずるのを利用する悪者や、そのいうことを聞く馬鹿者がいるだけだ。だれも不思議なことをする力なんぞ持ってやしないのだ。」
「おじさんのおっしゃるとおり、キノコは菌糸という地下植物の花だとしますと、それは雄しべや雌しべや子房を持っているはずですね?」とジュールがたずねました。
「キノコは花ではあるが、その構造はふつうの花とはちがっている。それは特別な構造になっていて、複雑な非常におもしろいものなのだが、おじさんはおまえたちに教えすぎないようにと思って、今までだまっていたのだ。」
「花のだいじな役目は種子を作るということだったね。キノコもやはり種子を作るのだが、それはごく小さくて、ほかの種子とは非常にちがったもので、胞子という別な名をつけられている。胞子というのは、樫の実が樫の木の種子であると同じように、キノコの種子なのだ。が、これはもっとくわしく話さなければわかるまい。」
「われわれのいちばん見なれたキノコは、軸にささえられた丸屋根のようなものでできている。この円屋根を笠というのだ。笠の下のほうはいろいろなふうになっているが、その主なものはこうだ。あるものは真ん中から縁のほうへ放射状になったシワになっている。あるものは、また無数の小さな孔になっている。その孔はみんな管なので、そのたくさんの管がある一か所に集まるようになっている。あるものは、また猫の舌のような細かい突起でいっぱいになっている。」
「笠の下のほうが放射形のシワになっているキノコはハラタケ、小さな孔の開いたのはイグチ(猪口)、突起のあるのはコウタケというのだ。ハラタケとイグチはいちばん普通のものだ。」
そしてポールおじさんは、その集めたキノコを一つ一つ手に取り上げて、甥たちにハラタケのシワと、イグチの孔と、コウタケの突起とを見せてやりました。
六四 オオベニタケ
「キノコの種子、すなわち胞子は、このシワや、突起や、管孔の壁のところにあるのだ。ジュールや、つぎの実験をやってごらん。まだじゅうぶんにひろがっていない笠のキノコを取って、今晩、白い紙の上に乗せておくんだ。すると、夜中に花が咲いて、熟した種子がハラタケのシワや、イグチの管から落ちてくる。そして、明日の朝になると、そのキノコの種類によって赤や、だいだいや、バラ色の粉が紙一面に落ちているのを見るだろう。」
「この粉は種子すなわち胞子のかたまりで、顕微鏡がなければ一つ一つ見えないくらい細かいもので、数えきれぬほどたくさんあるのだ。何千万というほどあるのだ。」
「顕微鏡!」とエミルが口を入れました。「それは肉眼では見えないような小さな物を見るのに、ときどき、おじさんが使っているあの機械のことですか?」
「そうだ。顕微鏡は物を大きくして見せて、あまり細かくて肉眼では見えないものでも、ごくこまかな構造までいちいち見さしてくれる。」
「ぼくが紙の上にキノコの胞子を集めたら、それを顕微鏡で見せてくださいね。」とジュールがたのみました。
「見せてあげよう。熱と湿気とが適度にあれば、たった一つの胞子でも芽を出して、白い糸すなわち菌糸になって、それから時期がくるとたくさんのキノコを出すようになる。もしハラタケのシワから無数に落ちる胞子が、みんな芽を出すとしたら、どれほどのキノコが生えることだろう。それはタラや木ジラミなどの、無数の卵を生むのと同じことだ。」
「それじゃ、キノコを作るには、ただこの胞子をまきさえすればいいのですか?」とまたジュールがたずねました。
「それはダメだ。今日までのところ、まだキノコの栽培はできないのだ。というのは、この小さな種子の手入れがわれわれにはわからないし、また、とてもわれわれの手には合わないのだ。ただ、ある食用キノコは栽培されているが、それを育てるには胞子は使わないで菌糸を使っている。」
「それを温床キノコというのだ。それは上のほうがツヤツヤした白い色で、下のほうが薄バラ色をしたハラタケだ。パリの近所の古い馬場では、馬のフンとやわらかい土とで、その温床をつくる。この床に、植木屋がキノコの卵といっている菌糸をすこし入れるのだ。この卵から枝が出て、たくさんの糸になり、ついにキノコを出すようになるのだ。」
「それは食べられるのですか?」
「おいしいとも。今われわれが集めたキノコの中に、おまえたちに話しておきたいのが三つある。」
「まず、これをごらん。これはハラタケの一種だ。笠の上のほうは美しい橙紅色をして、裏のシワは黄色い。軸は端の裂けた白い袋のような物の底から出ている。この袋は外皮というもので、はじめキノコを全部包んでいたものだ。キノコが大きくなりながら地面を押しているあいだに、その笠にやぶられてしまうのだ。このキノコはいちばんうまいというので評判がいい。これはオオベニタケというのだ。」
「つぎのもやはりハラタケの一種で、同じように橙紅色をしていて、軸の底のほうにやはり、同じように外皮すなわち袋をつけている。これはニセオオベニタケ(ドクベニタケ)というのだ。だが、おまえたちは同じ物だと思いはしないか?」
「たいしてちがいませんわ。」とクレールがいいました。
「ちがいません。」とエミルもいいました。
「ほんのすこしちがっています。ニセ物のほうには白い葉のようなものがありますが、本物のほうではそれが黄です。」
「ジュールはいい眼を持っているね。なお、わたしがそれにつけ加えていうと、ニセベニタケの笠の上には、裂けた外皮のくずれが、ところどころ白く入っている。が、本物のベニタケにはこんなボロのようなものはないし、あってもごく少ない。」
「もし、このほんのすこしのちがいに気をつけなかったら、生命を取られるようなことになってしまう。本物のベニタケはおいしいものだが、もう一つの、ニセ物のベニタケは大毒だ。」
「おじさんが、長い研究を積まなくては良いのと悪いのとを区別することはできないと、シモンさんにお教えになったときには、ぼく、ずいぶんビックリしましたよ。ほんとうにしずくの水のようによく似た二つのキノコがあって、その一方は人を殺し、一方はおいしい食べ物になるんですね。」とジュールがいいました。
「これをまちがうと、とんでもないことがおこるんだ。よく両方の特性をおぼえておおき。」
「ぼく、気をつけて忘れないようにします。」とジュールが約束していいました。「両方とも橙紅色で、白い袋を持っています。が、食用のベニタケには黄色い葉のようなものがあって、毒のあるほうには白いのがあります。」
「そしてドクベニタケには、白い皮のボロのようなものがたくさんあります。」とエミルがいいました。
「こんどは木の幹から引きぬいたこのキノコをごらん。これは暗赤色の大きなイグチだ。これには軸がない。古い木の幹にしっかりとくっついている。これはヒウチイグチというのだ。というのは、この肉を小さくきざんで日に干して、それを火打ち石でたたくと火が出るからだ。」
「火がキノコから出ようとは、ぼく、夢にも思いませんでしたよ。」とジュールがいいました。
「また、松露は食用キノコの中でいちばん大事なものだ。これは菌糸のように、やはり地中に生えるのだ。が、そのにおいでそのあり場所がわかる。鼻の強い動物のブタは、森につれて行かれると、松露のにおいにさそわれて、その埋もれている場所を鼻先で掘る。すると人間はブタをおっぱらって、かわりにクリを投げてやるのだ。松露の形はほかのキノコ類とはちがって、大きな丸いからだをして、シワがよって、白い斑の入った黒い肉をしている。」
六五 地震
朝早く近所の人たちはみんな、家ごとに同じことを話していました。ジャックは二時ごろ、牛が二、三度くりかえしてほえる声で目を覚まされたと言っていました。いつもその小屋の中でじっとしている飼犬のアゾルまでも悲しそうにほえたのだそうです。で、ジャックは起きあがって提灯に火をつけてみましたが、なぜ獣物がさわぎ出したのかわかりませんでした。
いつも半分しか眠っていないアムブロアジヌおばあさんは、もっとくわしい話をしました。おばあさんは瓶が台所の台の上でゆれる音や、皿がころがり落ちて割れたりする音を聞いたそうです。アムブロアジヌおばあさんは、これはたぶんネコのいたずらで、そのがんじょうな両手で寝台をつかまえて、頭のほうから足のほうへと、足のほうから頭のほうへと二度それをゆすったのだと思っていました。が、それもほんのちょっとの間のことでした。さすがのおばあさんもすっかりおびえて、布団を頭からかぶって神さまにお祈りをはじめました。
マシューとその子は、そのときちょうど外にいました。二人は市場から帰ろうとして、夜道をしていたのです。よいお天気で、風はなく、月は明るく光っていました。二人がいろいろ話しあっていると、地の下から鈍い深みのある音が聞こえました。それは水堰のうなり声のようでした。そして同時に地の中へ追いやられるようにヨロヨロしました。が、それだけで何ごともありませんでした。月はやはり輝いており、夜はおだやかに晴れていました。そしてマシューもその子も、今のは夢ではなかったろうかと思ったほど、すぐにやんでしまったのでした。
そんなふうないろんな話がありました。そしてみんなの口から口へ、ある者は疑わしそうに笑ったり、ある者はまじめに考えたりしながらも、とにかく「地震」というおそろしい言葉が伝わってきました。
夕方になると、ポールおじさんはその日の大事件についての説明を望む熱心な聞き手にとりかこまれました。
「ねえ、おじさん、地面がときどきふるえるというのは本当ですか?」とジュールが聞きました。
「本当だとも。突然、地面が動くことがあるのだ。このめでたい国では、地面が動くというようなおそろしいことはほとんど考えられない。たまにちょっとした動きでも感じると、めずらしがって数日の話し種にはなるが、すぐになにもかも忘れられてしまう。たいがいの人は、昨夜の出来事を何のたいしたことでもないように、今日になって話している。そして地面のこのちょっとした動きが、もっとひどくなると、おそろしい災難をおこすものだということを知らない。ジャックが牛のほえたのと、アゾルの鳴き声のことを話したろう。またアムブロアジヌおばあさんも寝台が二度ゆれたときのおそろしかったことを話したろう。そんなことなら何もそうおそろしいことはない。しかし地震は、いつもそんなおだやかなものではないのだ。」
「じゃ、地震というのはそんなにひどいこともあるんですか?」とまたジュールがたずねました。「ぼくはね、皿がこわれたり、何かの建具がガタガタするぐらいのものだと思っていましたよ。」
「もし地震がよほどひどいと、家なんかたおれてしまうんでしょう? おじさん、大地震の話をしてくださいよね。」とクレールがいいました。
「地震の前には、よく地の下で、うなり声がするものだ。それはちょうど地の底で暴風雨でもおこっているように、高くなったり、低くなったりまた高くなったりする、鈍いうなり声だ。この不思議なおそろしい音が聞こえると、人はみんなおそろしさに声も出なくなって、真っ青になってしまう。獣類でもやはり、その本能にうながされてぼんやりしてしまう。そして突然地面がふるえて、ふくれたり縮んだり、グルグルまわったり、穴が開いたり、淵ができたりする。」
「まあ、たいへんですわね! そして人間はどうなるのでしょう?」とクレールがさけびました。
「こんなおそろしい地震のときに、人間がどうなるかは、いま話しする。ヨーロッパにおこった地震のうちでいちばんひどかったのは、一七七五年〔一七五五年か(Wikipedia)〕の万聖節の日〔諸聖人の祝日。毎年十一月一日〕、リスボンであった地震だ。この平和なお祭りの日に、急に遠い雷のような音が地の下から轟き出した。そして地面が五、六度はげしくゆれて、上がったり下がったりした。そしてこのポルトガルの首府は、またたく間に壊れ家と死骸の山になってしまった。生き残った人びとは、家のたおれる下から逃げようとして、海岸の大きな波止場に出た。すると、たちまち波止場は水に飲みこまれて、むらがっていた人々も、つないであった船もみんなしずんでしまった。そして人一人、板子一枚、水面へ浮かび出ては来なかった。深い淵ができて、水も波止場も、舟も人も、みんなそこへ飲みこまれてしまったのだ。こうして六分間のあいだに、六〇〇〇の人間が死んだ。」
「こんなさわぎがリスボンにおこって、ポルトガルの高い山々がゆれていた間に、モロッコ、スエズ、メキネズ〔メクネス。モロッコ中北部の州〕などというアフリカのいろんな都市が顛覆されてしまった。一万人ばかりの人が住んでいたある村は、突然開いて突然閉じてしまった谷底の中へ、人間もろともにそっくり飲みこまれてしまった。」
「おじさん、ぼく、いままでそんなおそろしいことを聞いたことはありませんでした。」とジュールがいいました。
「アムブロアジヌおばあさんが、おそろしかったと言ったときにぼくは笑いましたよ。けれども笑いごとじゃありませんね。この村だって昨夜、アフリカのその村のように、みんな地の中に飲みこまれたかもわかりませんものね。」とエミルがいいました。
「また、こんなこともあった。一七八三年二月に南イタリアで四年間も続いた地震がおこった。はじめの一か年だけでも九四九度も地震があった。地面は荒海の水面のように震動でシワになってしまった。そしてこの動く地上に住んでいる人びとは、船に乗っているときのように、胸が悪くなって吐きたくなった。陸の上で船酔いをしたのだ。そしてその震動のたびごとに、実際は動かないでいる雲が、はげしく動いているように見える。木は地の波でまがって、その梢が地をはいていた。」
「第一番目の地震は一、二分間で、南イタリアとシチリア島との大部分の都会や村をひっくり返してしまった。国じゅうの地面がひっくりかえったのだ。あちこちで地面は裂け目ができて、ちょうど、破れガラスの穴を大きくしたようなものができた。広い地面がその耕した畑や家やブドウやオリーブの木といっしょに山腹からすべり落ちて、ずいぶん遠方のほかの地面へ持って行かれた。岡が二つに裂ける。また、それが今まであった場所から抜き取られて、ほかの地面へ移された。あるところでは、地上にはなんにも残されないで、家も、木も、動物も、口を開けた谷底へ飲みこまれてふたたび見えなくなってしまった。また、あるところでは、砂がいっぱいつまって動いている深い漏斗のような窪地ができて、やがてそこへ地下水があふれて湖水になってしまった。こうして二〇〇あまりの湖や沼が急にできた。」
「あるところではまた、裂け穴の中や川からあふれ出た水で地面がとけて、野も谷もみんなドロ海になってしまった。そして木の梢や、こわれた農家の屋根だけが、このドロ海の上に見えていた。」
「そしてその間に、ときどき突然、地がふるい出して地面を下から上にゆりあげる。その震動は、道の舗石〔敷石〕が飛んで空中に飛び散ったくらいひどかった。石の井戸は小さい塔のように下から飛びあがった。地が裂けながら持ちあがると、家も人も動物もたちまちそこに飲みこまれた。そしてその地がまた落ちると、裂け穴はふたたび閉じて、何もかもみんな跡形もなく消えてしまう。その後から、この災難のあとで、埋もれた貴重な品物を取り出そうとして掘ってみると、家やその中にあるものがみんなただ一つのかたまりになっていた。それほどまでに、裂け穴の両側が閉じる圧力がひどかったのだ。」
「このおそろしい出来事にあってつぶされてしまった人間の数は八万人ばかりだった。」
「この中の大部分は家のつぶれてる下に生き埋めにされてしまったのだ。ある者はまた地のふるうたびに壊れる家の中におこった火事で焼け死んでしまった。またある者は、野原へ逃げ出そうとして、足下にできた裂け穴へ飲みこまれてしまった。」
「こんな不幸な光景は、どんな野蛮な人間にもきっと、あわれみの心をおこさせるはずのものなのだ。しかるに、こんなのはごくまれで、その国の人たちのやったことはじつに無茶なものだった。カラブリア〔イタリア南部の州〕の百姓が町にかけこんできたが、それは助けにきたのではなくて泥棒に来たのだった。あぶないことなぞにはかまわずに、燃える壁や雲のようなほこりの間を町じゅうかけまわって、死人を足蹴にしたり、まだ生きている人たちの物を盗ったりした。」
「ひどいやつらだ! なんというやつらだろう! もし、ぼくがそこにいたら……。」とジュールがさけびました。
「おまえがもしそこにいたら、どうしたろうねえ。おまえよりももっと良い心と強い腕を持った人はたくさんいたんだが、その人たちは何もすることができなかったのだ。」
「カラブリアの人間はそんなに悪いのですか?」とエミルが聞きました。
「教育が行きわたっていないところには、何か災難がおこると、どこからともなく飛び出してきて、乱暴なことをして世の中をおびやかす野蛮な人間がどこにもいるものだよ。」
六六 寒暖計
「しかし、おじさんはまだ、そのおそろしい地震のおこる理由を話してくださいませんね。」とジュールがいいました。
「それが聞きたければ、すこし話してあげよう。」とおじさんは答えました。「まず、地の底へ底へとおりて行くと、だんだん暖かくなってくるものだ。いろんな金属を取るために、人間が地の底に穴を掘ってみて、この大切なことがわかったのだ。深く掘って行けば行くだけ、だんだん暖かくなっていく。三〇メートルごとに、温度が一度ずつふえていくのだ。」
「一度って何のことですか?」とジュールがたずねました。
「ぼくも知りませんよ。」とエミルもいいました。
「では、その話からしよう。そうでないと、わたしの話がよくわからないからね。わたしの部屋に、小さな木の板に細い溝のある、底のほうが小さくふくれたガラス棒がはめてあるのがあるだろう。ふくれたところには赤い液が入っていて、温かくなったり冷えたりするたびに、それが管の溝の中を上がったり下がったりする。あれを寒暖計というのだ。凍った水の中では、赤い液は管の零というところまでおりて、わきたった湯の中では、一〇〇というところまでのぼる。この二つの点のあいだを百等分して、その一つ一つを一度というのだ。」
「液が零のところに下りたときに水が凍るので、水が煮えたっているときの熱では、液は一〇〇のところまでのぼる。その中途の度は、熱のいろんな高さをしめすので、熱が高いときには度が高くなるのだ。」
「そしてこの寒暖計で物の熱をはかった度を温度というのだ。で、凍った水の温度は零度で、煮え湯の温度は一〇〇度だ。」
「ある朝、おじさんが何だったか取りに、ぼくをおじさんの部屋へ行かしたときにね、ぼく、寒暖計のふくらんだところに手をあててみたんですよ。赤い液はすこしずつ上へ上へとのぼって行きましたよ。」とエミルがいいました。
「おまえの手の温かさで、それがのぼったんだ。」
「液がどこまでのぼるか見ていたかったんですけれど、ぼく、終わりまで待ちきれませんでした。」
「そうしていれば、寒暖計はおしまいにいちばん高くて三十八度のところまで行くよ。それが人間の身体の温度なのだ。」
「夏の非常に暑い日には、寒暖計は何度になるのでしょう?」とジュールが聞きました。
「フランスでは、夏のいちばん暑いときが二十五度から三十五度ぐらいのものだ。」
「では、世界でいちばん暑いところはどれくらいですの?」とクレールがたずねました。
「たとえばアフリカのセネガルのような、いちばん暑い国で、温度は四十五度から五十度にのぼるのだ。このあたりの二倍も暑いことになるんだね。」
六七 地の下の炉
「さて前の話にもどろう。鉱山の底では、一年じゅう変わりのない高い温度のところがある。そこでは夏も冬も同じ暑さだ。坑夫が掘ったいちばん深い穴はボヘミア〔いまのチェコ〕にある。もっとも、今ではもうそこへは入れない。地すべりでいくらか埋まってしまったので。一五五一メートルの深さのところでは、寒暖計はいつでも四十度、すなわち世界でいちばん暑いところとほとんど同じくらいの度になっている。しかもそれは冬でも夏でも同じことなのだ。山国のボヘミアが雪と氷とでおおわれているときでも、その冬のはげしい寒さを避け、セネガルの酷暑のところへ行こうと思えば、ただその鉱山の底へおりて行けばいいのだ。入口にいる人は寒さにふるえているのだ。底のほうにいる人は暑さに息もつまりそうになる。」
「これと同じことがどこにでもあるのだ。地中を深く降りて行けば行くほど、温度はだんだん高くなってくる。そして深い鉱山の穴の中では、熱は高くて、なれない坑夫はその暑さにビックリして、近所に大きな炉でもあるんじゃないかと思うほどだ。」
「では、地球の内側は、ほんとうにストーブになっているのですか?」とジュールがたずねました。
「ストーブというのじゃない。強い鉄の棒で地面へ穴をあけて、それを近所の川や池からしみ出てきた地下水のたまっているところまで掘ったのを、掘井戸といっている。この井戸の地の下からくみ出される水は、その深さの土と同じ温度を持っている。こうして地中の熱の分布ということがわかる。こうした井戸でごく有名なものの一つは、パリのグルネルにある。それは五四七メートルの深さで、そこの水はいつも二十八度、すなわち夏のいちばん暑い日と同じ温度だ。フランスとルクセンブルクとの境にあるモンドルフ〔モンドルフ-レ-バンか。ルクセンブルク南東部の保養地〕の掘抜井戸の水は、もっと深い七〇〇メートルのところからくみ出される。その温度は三十五度だ。掘抜井戸は、今では非常にたくさんあるのだが、鉱山の穴と同じように、やはり三十メートルごとに一度ずつ熱がふえていく。」
「では、非常に深く井戸を掘っていくと、しまいには熱湯が出てくるでしょうね?」とジュールがたずねました。
「そうだ。が、そんなに深くまでとどくのは難しい。熱湯の温度に着くまでには、一里〔およそ4km〕の四分の三ぐらいのところからくみ出さなければならないが、それはできないことだ。しかし、地中からわき出る無数の自然の泉があって、その水はどうかすると沸騰点に達するほどの高い温度を持っている。すなわち温泉のことだ。すると、その水がわいてくる深いところには、水を温めたりわかしたりするだけの強い熱があるわけだ。フランスでいちばん名高い温泉は、カンタル〔フランス中南部、マシーフ-サントラル中部の県〕にあるショード・エグとヴィク〔ヴィシー(Vichy)か〕とで、そのお湯はいずれもほとんど沸騰している。」
「そんな泉はずいぶん妙な川になることでしょうね?」とジュールがまた、たずねました。
「それは湯気の出る川で、その中にちょっと卵を入れるとすぐ煮える。」
「では、そこには魚やカニはいないでしょうね?」とエミルがいいました。
「ああ、いないとも。もし一匹でも魚がおってごらん。煮えてくたくたになってしまうだろうよ。」
「が、フランスのオーヴェルニス〔オーヴェルニュ(Auvergne)か〕の湯の小川なぞは、アイスランドというほとんど一年じゅう雪にうもれている、ヨーロッパの北のはしの大きな島にある湯の川とはまるでくらべものにならない。そこには熱湯を噴き出す、この国ではゲーゼル(間欠噴出温泉)といっている温泉がある。水の泡がたまってなめらかな白い結晶になった岡の上の大きな谷から噴き出している。この谷の内側は漏斗形になっていて、その底はどれほどの深さがあるかわからない、よじれた管になっている。」
「毎度、湯の噴き出す前には地面がゆれて、地の下で大砲を撃っているような鈍い爆音がかすかに聞こえる。だんだん爆音が強くなってくる、地がふるえる。そして孔口の底から湯が非常な早さで飛び出してきて谷にたまる。そしてそこで、しばらくのあいだ、眼に見えない炉で熱した汽鑵〔ボイラー〕のような光景があらわれる。湯気のうずまきの中に湯が噴き上がってくる。そして突然、間欠温泉はその力を集中して、高い音を立てて爆発する。そして六メートルの直径のある水柱が、六十メートルも高さに噴き上げられて、白い水蒸気につつまれた大きな束のような形になって降ってくる。このさかんな噴出はほんのすこしの間しか続かない。すぐにその水の束が沈んでいって、谷の中の水が孔の奥のほうへ入ってしまう。そしてそのかわりに、湯気の柱がすさまじくうなりながら、雷のような音を立てて上のほうに噴き出る。そしてそのおそろしい力で、孔の口へ落ちこんだ岩を投げ飛ばす。近所はすっかりこの濃い湯気の湯につつまれてしまう。それがすむと、なにもかも平穏になって、荒れ狂うた間欠温泉はしずまるが、やがてまた噴き出して、前と同じことをくりかえす。」
「それはおそろしい、そしてきれいなものでしょうね。もちろん、湯の雨に打たれないように、遠くに離れていて、そのすさまじい噴水をながめるのでしょうかね。」とエミルがいいました。
「今、おじさんが話してくだすったことは、地の中には強い熱があるということを、わかりやすく説いてくださったのですね。」とジュールがいいました。
「このいろんな観察で、地下の温度は六十メートルごとに一度増し、三キロメートルすなわち一里の四分の三の深さのところでは、煮え湯と同じ温度、すなわち一〇〇度になるということがわかった。五里〔およそ20km〕も下に行くと、熱湯は赤く焼けた鉄ほどになって、十二里下〔およそ48km〕ではどんなものでも溶かしてしまうほどになる。もっと深くなれば、その温度はますます高くなる。そこで地球は、火にとけた水のようになった玉と、固い薄皮とでできたものだと見ることができる。」
「おじさんは固い薄皮だといいましたが、いまの計算でいくと、その固い皮の厚さは十二里もあるのですわね。十二里というとずいぶん厚いのですから、地の下にある火なんかちっともおそろしいことはないと思いますわ。」とクレールがいいました。
「十二里といったって、地球の大きさの割りには、まことに小さなものだ。地球の表面から中心までの距離は一六〇〇里〔およそ6400km〕ある。そしてその中の十二里が固い皮の厚さで、あとはみんなとけた玉なのだ。直径二メートルのボールでは、地球の固い皮は、指の先の半分くらいの厚さに見積もればいい。もっと簡単にいえば、地球を卵だとするのだ。すると卵のカラは地球の固い皮で、中味の液体は真ん中のとけた部分にあたるのだ。」
「では、ぼくたちは、その薄いカラだけで地の下の炉とへだてられているのですね! これは心配だなあ。」とジュールがさけびました。
「地球の構造についての話を聞かされると、はじめての人はだれでもビックリしないものはないのだ。われわれの足もと数里のところで、とけた金属の波を動かしている地の底の火を、恐ろしがらないものは一人もいない。そんなに薄いカラが、どうして中の液体のかたまりの流れに堪え得られよう? 地球のカラのこのもろい皮は、とけたり、やぶれたり、シワになったり、また少なくとも動いたりするようなことはないのだろうか? 地殻がすこし動くと、陸はふるえて、地はおそろしい口のように裂けてしまうのだ。」
「ああ、それが地震のおこる原因なんですねえ。内側にある液体が動いて、カラが動くんですわね?」とクレールがいいました。
「すると、この薄いカラは、始終動いていなければならないのでしょう?」とジュールがいいました。
「固い地球の皮が、同一場所でなり、ちがった場所でなり、海底でなり、陸上でなりで、動かないでいる日は一日もあるまい。だが、危険な地震はごく少ない。それは噴火山がゆるめてくれるのだ。」〔注意:この記述の真偽は未確認。〕
「噴火口は、地球の内部を外部と通じてくれる、大事な安全弁だ。地下の水蒸気はこの穴によって地球の外へ出で、地震の数を少なくし、災難をへらす。火山国では、強い地震で地がゆれて、その地震がやむと火山は煙と溶岩とを噴き出しはじめるのだ。」
「ぼくはエトナ山の噴火と、カターニアの災難のお話をよくおぼえていますよ。」とジュールがいいました。
「はじめ、ぼくは火山は近所を荒らしまわるおそろしい山だとばかり思っていましたが、今、そのなかなかためになることがわかりました。噴火口がなかったら、地球は滅多にじっとしていないにちがいありませんね。」
六八 貝殻
ポールおじさんの部屋には、種々な貝殻がいっぱい入った引き出しがあります。それは、おじさんのあるお友だちが、その旅行中に集めてきたものです。それをながめているとずいぶんおもしろいものです。その美しい色や、きれいな、またはおかしな形は眼をひきつけます。ある貝殻はまわり階段のようになっており、あるものは大きな角をはりだしており、また他の貝殻は嗅ぎタバコ入れのように開いたり閉じたりしています。あるものは四方に出た枝やゴツゴツしたシワで飾られ、または屋根の瓦のように皿が重なりあっているのがあったり、また一面にトゲだのザラザラしたウロコだののついたのがあります。中には卵のようになめらかで、あるいは白く、あるいは赤い斑が入ったりしています。また中にはバラ色をした口のそばに、ひろげた指のような長いギザギザを持ったものがあります。それらの貝殻は世界のいろいろのところから来たものです。これは黒人のいる国から来たもので、あれは紅海から、というふうにまたシナ〔中国〕やインドや日本からきたのもあります。もしポールおじさんがこの貝殻の話をしてくれたら、それを一つ一つ調べて見ていくのに、幾時間かまったく愉快にすごされるにちがいありません。
ある日ポールおじさんは、みんなの前に引き出しの貝殻をひろげて甥たちにその話をしました。ジュールとクレールとは、眼をみはってながめましたし、エミルはいつまでも大きな貝殻を耳にあてては、奥から聞こえてくるフーフーフーという音を聞いて、海の音のようだと思っていました。
「この赤いギザギザになった口の貝はインドからきたのだ。これはカブト貝というのだ。なかには非常に大きなのがあって、二つあったらエミルには運びきれないくらいだ。ある島に行くと、石のかわりに釜の中で焼いて石灰をつくるほどたくさんある。」
「もし、ぼくがこんなきれいな貝殻を見つけたら、ぼくは石灰をつくるために焼くようなことはしません。なんてこの口は赤いんでしょう。そして、はしの方は美しい襞になっているではありませんか。」とジュールがいいました。
「そしてなんという大きな音をたてるのでしょうね。これは海の音が貝殻にひびく音ですか? おじさん。」とエミルがいいました。
「遠くから波の音を聞いているのと、いくらかは似ているようだが、貝殻の中に波の音がしまわれているものじゃない。それはただ、空気がそのまがった孔の中に出入りする音なのだ。」
「また、この貝はフランスのだ。これは地中海の海岸にたくさんあるので、カシス属の貝だ。」
「これもカブト貝のようにフーフーいいますよ。」とエミルがいいました。
「大きな貝が、まがった孔のあるものは、みんなそんな音がするよ。」
「これはまた、やはり前のと同じように地中海にいるもので、悪鬼貝というのだ。この中に住む動物は紫色の粘液を出す。むかしの人はこれから、高い値段のする紫という美しい色を取ったのだ。」
「貝殻はだれが作ったのですか?」とクレールが聞きました。
「貝殻は軟体動物という動物の住家なのだ。ちょうどカタツムリの螺旋形の貝殻が、若い植物をたべる、あの角のはえた小さな動物の家であると同じようにね。」
「では、カタツムリの家も、今、おじさんが見せてくださった美しい貝殻と同じように貝殻なんですね?」とジュールがいいました。
「そうだ。そして、いちばん数が多くて、いちばん大きくて、そしていちばん美しい貝殻は、海の中にあるのだ。それを海産貝というのだ。カブト貝も、カシス貝も、悪鬼貝もそれだ。が、小河や川や、池の湖水などのような淡水の中にもある。フランスでは、ごく小さな溝の中にでも、形はきれいだが薄黒い土のような色をした貝がある。そんなのは淡水貝というのだ。」
「ぼくね、大きな斑点のある、カタツムリに似たのを水の中で見つけたことがありますよ。口を閉じるふたのようなものがありますね。」とジュールがいいました。
「それはタニシというのだ。」
「もう一つ、べつな溝の貝がありますわ。丸くてひらたい、十銭か二十銭の銀貨ほどの大きさのですわ。」とクレールがいいました。
「それは平巻貝だ。最後に陸上にばかりいる貝がある。だからこれは陸生貝というのだ。たとえばカタツムリのようなものである。」
「ぼくは、引き出しの中にある貝殻のように、たいへんに美しいカタツムリを見たことがありますよ。森の中にいて幾筋もの黒い帯をまいていて黄色いのがそうです。」とジュールがいいました。
「カタツムリというのは、空の貝殻をみつけてきて、その中に入っているナメクジじゃないのですか?」とエミルが聞きました。
「いやちがう。ナメクジはいつまでもナメクジで、カタツムリになることはないのだ。つまり、貝殻に入ることはないのだ。反対にカタツムリは、その大きくなるにしたがって大きくなる、小さな貝殻をせおって生まれてくるんだ。おまえたちがからっぽの貝殻を見ることがあるのは、前にはカタツムリが入っていたのだが、それが死んでしまって塵になったので、その家だけが残っているものなんだ。」
「でも、ナメクジとカタツムリとはずいぶんよく似ていますね。」
「両方とも軟体動物だ。これにはナメクジのように貝殻を持たないのと、カタツムリやタニシやカシス貝のように貝殻を持っているのとがあるのだ。」
「カタツムリは、なんでその家をつくるのでしょうか?」とエミルが聞きました。
「それは自分の身体の中のもので作るのだ。自分の家をつくるものを自分のからだの中からしみ出させるのだ。」
「ぼくにはわかりませんね。」
「おまえたちだって、自分の白い、光った、ちゃんとならんだ歯をつくるじゃないか。だんだんに新しいのが、おまえたちの指図を待たずに押し出てくるだろう。歯がひとりでにそうするのだ。この美しい歯はごく固い石でできている。どこからその石は来るのだろう? もちろんそれは、おまえたちの身体から出てくるのだ、ね。歯グキが歯になるものをしみ出さすのだ。カタツムリの家もそうしてできるのだ。小さな動物が、ひとりでに立派な貝殻になる石をしみ出すのだ。」
「草花をどしどし食べるカタツムリが、ぼく、なんだか好きになりました。」とジュールがいいました。
「好きになることはかまわないよ。カタツムリが、庭を荒らしまわるときは懲らしてやるがいいよ。それがあたりまえなんだから。だが、カタツムリはわれわれにいろんなことを教えてくれる。今日はその眼と鼻のことをお話ししよう。」
六九 カタツムリ
「カタツムリがはうときは、おまえたちが知っているように、四本の角を高く持ちあげるのだ。」
「その角はおもいのままに、出たりひっこんだりします。」とジュールがつけくわえました。
「その角はどちらへでも動かしますね。」とエミルがいいました。「燃えている石炭の上にカラをおくと、ビ、ビ、ビ、ジュ、ジュと歌い出しますよ。」
「そんなかわいそうないたずらはおよし。それはカタツムリが歌うんじゃない。焼かれる苦しみを泣いてうったえているんだ。熱で固まらせたカタツムリのねばついた液は、はじめにふくれて、それから縮む。そしてプツプツとすこしずつ出て行く空気が、その悲しい泣き声になるのだ。」
「動物についての、いいことをたくさん書いたラ・フォンテーヌ〔十七世紀のフランスの詩人〕のお話の中に、角のある動物に傷つけられた獅子のことを書いたところに、こう書いてある。」
「牡羊も、牡牛も、ヤギも、シカも、サイも、角のはえた獣はみんな、
その国からすっかり追い出されてしまいましたとさ。
そんな獣はみんなすばやく逃げました。
自分の耳の影を見て
その形を知っている野ウサギは、
ある卑劣な探偵が、
耳を角だということにして
ウサギを訴えようとしているということを聞きつけました。
さようなら、おとなりのコオロギさん、と野ウサギはいいました。
わたしはよその国へ行きます。
わたしの耳はここにいると、
角になるかもしれません。こわいことです。
この耳が、鳥の耳より短かかったらいいんですけれどね。
言葉の力はほんとうにこわいものです。
コオロギは答えました。
それが角ですって! どうしてです?
神さまが耳につくってくだすったものを。
だれが、あれこれ言うことができましょう?
ええ、と弱虫は返事をしていいました。
でもね、あの探偵たちはやっぱり角にするでしょうよ。その角も、たぶんサイの角ほどのね。
わたしの弁解はきっとムダでしょうよ。」
「この野ウサギはあきらかに、物事をおおげさに考えすぎたのだ。ウサギの耳は、だれが見てもたしかに耳だ。だが、そのときにカタツムリもやはり同じ事情で追いはらわれたかどうかわたしは知らないが、人間は一様に、カタツムリの後頭に乗っているものを角だといっている。だがコオロギは、「これを角だというのですか?」とさけんで、「わたしの忠告を聞かなくちゃなりませんよ」と、人間よりはよほど利口な注意をするだろう。」
「じゃあ、あれは角じゃないんですか?」とジュールがたずねました。
「そうじゃないんだとも。それは同時に手になり、眼になり、鼻になり、また盲〔目が見えないひと〕の杖になる触角というものだ。そして長さのちがったのが二対ある。上のほうにある一対は長くてよけいに目立つのだ。」
「長い触角はどちらにも、先のほうに小さな黒点のあるのが見えるだろう。これは眼で、こんなに小さい物ではあるが、馬や牛の眼のように完全なものだ。眼というものがどんなに必要なものかということは、おまえたちもよく知っている。この眼は、おまえたちにちょっと話してあげることができないほどに複雑なものだ。そしてまた、ようよう見えるくらいのこの小さな黒点がすべてなのだ。それだけではなく、同時にその眼は鼻で、いいかえれば、特ににおいに感じやすい道具だ。カタツムリはその長い触角の先で、見たりかいだりするのだ。」
「その、カタツムリの長い角のそばに何かを持っていくと、カタツムリはその角をひっこめますよ。」
「この鼻と眼との結合物は、出たり、ひっこんだり、目的物に近づいていたり、四方からくる匂いをかいだりするのだ。同じような鼻はゾウにもある。ゾウの鼻は特別に長い。が、カタツムリの鼻はゾウの鼻よりもどんなにすぐれているかわからない。同時に眼と鼻であって、匂いと光線に感じやすく、手袋に入った指のように、その角の中にひっこめることもできるし、その角がまた体の中に入って見えなくなったり、また皮膚の下から出てきて、ひとりで望遠鏡のように長く伸びたりもするのだ。」
「ぼくは何度も、カタツムリがその角をひっこめるのを見ましたよ。」とエミルがいいました。「角は中のほうへもぐりこんで、皮の下にうまってしまうように見えますね。何かが角をいじめると、カタツムリは自分の鼻と眼とをポケットの中へしまってしまうのですね?」
「まったくそのとおりだ。われわれは強すぎる光線や、いやなにおいに出会うと、それを防ぐのに眼を閉じ、鼻をつまんでさけている。カタツムリはもし、光線に苦しめられたり、嫌なにおいに出会ったりすると、その眼を鞘におさめ、鼻をおおいかくしてしまうのだ。つまり、エミルのいうとおりに、カタツムリは角をポケットに入れるのだ。」
「それは利口な方法ですわね。」とクレールがいいました。
「おじさんは、角は盲の杖の役もするとおっしゃったでしょう?」とジュールがさえぎりました。
「カタツムリは上のほうの触角を一部分、または全部ひっこめたときには、盲になるのだ。だからカタツムリは二本の短かい角を持っている。それは非常に触覚が鋭いから盲の杖よりもじょうずに目的物をさぐるのだ。上のほうの二本の触角も、眼と鼻の働きをしているばかりでなく、やはり、盲の杖の役もつとめ、あるいは指よりもうまく、物を触知する。わかったかい? エミル、カタツムリを火の上に乗せて泣かせるようでは、カタツムリのことをすっかり知っているんじゃないね。」
「わかりましたよ、おじさん。あの角は、眼であり鼻であり盲の杖であり、また同時に指なのですね。」
七〇 アオガイと真珠
「おじさんが今、見せてくだすった貝殻の中に……」とジュールがいいました。「このあいだの市に、おじさんに買っていただいたきれいなペンナイフの柄のように、内側の光るのがありますね! ……ほら、アオガイの柄のついた、四枚刃のあのペンナイフの――」
「わかりきったことじゃないか。その虹色に輝くきれいなものは、真珠貝という、ある貝殻の一種なのだ。そのわれわれが繊細な装飾品に使うのは牡蠣に近い種類の、ある粘着動物の巣だったものなのだ。事実、この巣は本当に富の宮殿だ。この貝殻は、虹が色をつけてやったように、あらゆる色で輝いている。」
「それは、いちばんきれいなアオガイを持った貝殻で、メレアグリナ・マガリテイフエラというのだ。外側は輪をまいた黒緑色で、内側はみがいた大理石よりもすべっこくて、虹よりもたくさんの色を持っている。そこに含まれた色はみんな輝いているが、見ようによっていろいろにしなやかに変わりやすい。」
「そのきれいな貝殻は、見すぼらしいネバネバした動物の家だ。おとぎ話の中の妖精も、こんなにきれいなものは持っていない。まあ、なんてきれいなものだろう!」
「この世界では、だれでも自分の財産を持っている。ネバネバした動物は、自分の財産として、すばらしいアオガイの御殿を持っているのだ。」
「そのメレアグリナはどこにいるのですか?」
「アラビアの海岸に面した海にいるのだ。」
「アラビアというところはたいへん遠いところですか?」とエミルがたずねました。
「ずいぶん遠いのだ。なぜ聞くのだね?」
「ぼく、こんなきれいな貝殻をたくさんひろいたいからです。」
「そんなことを夢見てはいけない。アラビアはたいへんに遠いのだし、それに、その貝はほしいと思っても、だれにでもひろえるものではないのだ。それを集めるには、人が海の底へ潜らなければならないのだ。そしてその中の幾人かは、二度と上がってこられないのだよ。」
「それでも、その貝を取りに海の底へ潜ろうという人があるのですか?」とクレールがたずねました。
「たくさんあるのだ。そして、もしわれわれが行ってそれを取ろうと思っても、先に来ていた者に取られてしまっていて、その人たちから悪いのを手に入れることしかできないほどに、それはもうかる仕事なのだ。」
「では、その貝は貴いのですか?」
「まあ、おまえたち自身で判断してみるといい。第一、貝殻の内側の層は、うすくはがれてのばされる。それはわれわれが装飾に使うアオガイなのだ。ジュールのペンナイフの柄は、真珠貝の内側の一部をうすくはがしたアオガイでかぶせてあるのだ。だが、それは、貴重な貝殻の産み出すごくやすい部分で、その同じ貝殻の中に、真珠があるのだ。」
「ですけれど、真珠はそんなにたいへんに高いものじゃありませんね。四、五銭も出せば、財布の装飾にするのに箱いっぱいの真珠が買えますよ。」
「その真珠とほんものの真珠とを区別してみよう。おまえのいう真珠は、穴の穿いた色ガラスの玉なんだよ。値段もたいへんに安い。メレアグリナの真珠は、貴い立派な珠なんだ。もし、ふつうよりも大きな真珠があれば、数千万フランもするようなダイアモンドと匹敵するほどの高価なものになるだろう。」
「わたしはそんな真珠は知りませんわ。」
「真珠に興味を持ちはじめると、人間はときどき常識も名誉も忘れてしまうことがある。だから、そんなことのないように、神さまが知らせずにお置きになるのだ。だが、真珠がどうしてできるかということを知るのはいっこうかまわない。」
「貝殻の二枚のあいだに牡蠣に似た動物が住んでいる。それは、とても動物とは見ることのできないような、ネバネバしたかたまりだ。それは物を消化しもするし、呼吸もし、痛みを感じもする。それは、なんでもないホコリのひと粒でも、痛みをあたえるほど感じやすいのだ。その動物が、なにか他のものにさわられたときにはどうするか? 動物はその真珠貝のまわりの邪魔もののふれているところに、ある液をしみ出させる。この真珠貝が小さなすべっこい球を積みあげる。それが、このネバネバした動物の病気でつくりあげられた真珠なんだ。その大きさがもし普通より大きかったら、それは冠の入った袋ほどの値うちのものになるだろう。そして、首のまわりにそれをまとう人はそれを非常な自慢にするのだ。」
「だが、首にそれをかける前に、それをさぐらなければならない。漁夫たちは船に乗り、そして彼らは、大きな石をむすびつけて海の底にまっすぐにたらした綱をつたって順々に海の中へおりてゆく。その人は、水の中にもぐるのに、そのおもりのついた綱を右の手と右足の爪先とでつかんで、左手では鼻孔をおおい、左の足には網袋をむすびつける。石は海の中に投げこまれる。その人は鉛のように海の中にしずんでゆく。彼はいそいで網を貝でいっぱいにし、上がる合図に綱をひっぱる。船にいる人びとは彼をひきあげるのだ。息苦しくなった潜水夫は獲物を持って水面に出てくる。彼が呼吸を止めているのは非常なほねおりで、ときによると鼻や口から血がもれ出るほどだ。潜水夫は、ときとすると片足をなくしてきたり、ときには入ったきりで浮いてこないこともある。フカが人間を飲んでしまうのだ。」
「宝石店の飾り窓に輝いている真珠のあるものは、たいへんに高価なものがある。そんなのは、人間の生命の価をはらうのかもしれない。」
「もしか、アラビアがこの村はずれにあるとしても、ぼくは真珠取りになんか行きませんよ。」とエミルがいいました。
「その貝殻を開けるには、中の動物が死ぬまで日にあてるのだ。それから、人びとはそのひどい臭いのする貝のうずたかい中をかきまわして真珠をとる。その真珠はもう穴を開けてつなぐより他にどうすることもいらないのだ。」
「いつだか……」とジュールがいいました。「みんなが用水溝の掃除をしていたときに、ぼくね、内側が真珠貝のように光っている貝殻を見つけましたよ。」
「小さい流れや溝には緑がかった黒い色をした二枚あわさった貝がある。それは淡水貝というのだ。その内側はアオガイだ。山の中の流れを選んで住んでいる大きいある淡水貝は、真珠をさえも産むのだけれども、それらの真珠は、メレアグリナの真珠よりはずっと光沢もないし、したがって値段も安い。」(つづく)
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
科学の不思議(八)
STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳
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(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#5字下げ]六二 きのこ[#「六二 きのこ」は中見出し]
かうして昆虫や花の話をしてゐる間に、時が経つて、ポオル叔父さんがきのこ[#「きのこ」に傍点]の話をする筈になつてゐた次ぎの日曜が来ました。集りは第一回の時よりも大勢でした。有毒植物の話は村中にひろがつたのでした。愚かな或る人達は、『そんな話が何んの役に立つのだ。』と云ひました。『役に立つとも。』と村の人々は答へました。『毒草を知つて、ジヨセフのやうに無残な死にかたをしないやうにするのだよ。』しかし愚かな人々は只平気で頭を振つてゐました。馬鹿ほど恐ろしいものはありません。かうして、気の向いた人だけがポオル叔父さんの処に聞きに参りました。
『あらゆる毒草の中で、きのこ[#「きのこ」に傍点]が一番恐ろしいものです。』と叔父さんは話し始めました。『それでも、どんな人でも引きつけるやうな、非常においしいたべものになるのがあります。』
『きのこ[#「きのこ」に傍点]の味は一々違ふやうですね。』とシモンが云ひました。
『今私が云つた通り、きのこ[#「きのこ」に傍点]はどんな人にでも好かれるから、あなただけが味をよく知つてゐるとは云はれません。私はきのこ[#「きのこ」に傍点]が役に立たないものだとは思はない。きのこ[#「きのこ」に傍点]は我がフランスの財源の一つです。たゞ私はその毒のあるものを注意するやうにお話したいのです。』
『良いのと悪いのとの見分け方を教へやうとなさるのでせう。』とマシウが尋ねました。
『いゝえ、それは吾々の出来ない事です。』
『何故出来ませんか。いろんな木の下に生えてゐるきのこ[#「きのこ」に傍点]を、誰だつて安心して食べてゐるではありませんか。』
『その点に就いてお話しする前に、私は皆さんにお尋ねしたい事があります。あなた方は私の云ふ事を信用なさるのですか。こんな物事の研究に一生を捧げてゐる人の云ふ事は、それに関係してゐない人々のほんの聞きかぢりの言葉よりも為めになるものだと思はないのですか。』
『ポオルさん、どうぞ話して下さい。皆なあなたの御研究を十分信じてゐるのですから。』と一同に代つてシモンが答へました。
『よろしい。それでは十分念を入れて御話しませう。きのこ[#「きのこ」に傍点]には、これは食べられる、これは食べられないと云ふしるしが附いてゐませんから、食用|蕈《きのこ》と、有毒蕈とを見分ける事は専門家でない人には出来ない事です。そればかりではなく、地上に生えてゐる草や木は、その根や、形や、色や、味や、匂ひなどで、無害か有毒か、一と目で見分けられるものは一つもありません。精密な科学的注意を払つてきのこ[#「きのこ」に傍点]の研究に幾年も費してゐる人は、そのきのこ[#「きのこ」に傍点]の有毒か無害かを可なりよく見分ける事が出来ます。が、吾々にそんな研究が出来る事でせうか。そんな時間が有りますか。吾々は僅か十二三種の野生のきのこ[#「きのこ」に傍点]の事を知つてゐるだけで、非常に似通つた無数のきのこ[#「きのこ」に傍点]を見分けやうとしたところで、とても駄目な事です。
『尤も、どこの国にでも、人間が食べても安全な数種のきのこ[#「きのこ」に傍点]の事は、昔から経験で分つてゐます。此の経験に従ふのはごくいゝ事です。が、それだけではまだ危険を避けるのに十分ではありません。違ふ国へ行つて、自分の国にある食べられるきのこ[#「きのこ」に傍点]と全く同じやうなきのこ[#「きのこ」に傍点]を見つけるとします。それは非常に危険な事です。で、私はどんなきのこ[#「きのこ」に傍点]でもすべて信用しない事にして、十分の用心をするのが一番いゝと思ひます。』
『あなたの仰しやる通り、食べられるきのこ[#「きのこ」に傍点]と毒のあるきのこ[#「きのこ」に傍点]とを一と目で見分ける事は出来ません。けれどもそれが分る方法があります。』とシモンが云ひました。
『何うするんですか。』
『秋きのこ[#「きのこ」に傍点]を小さく切つて日に乾します。それを冬になつて食べるとおいしいものです。毒のあるきのこ[#「きのこ」に傍点]は乾かないで腐つて了ひます。そこでいゝのだけを蔵《しま》つておくのです。』
『それはいけません。良いきのこ[#「きのこ」に傍点]も悪いきのこ[#「きのこ」に傍点]も、その成長の如何により、又それを乾す時の天気によつて、或は腐つたり或は腐らなかつたりするのです。そんな見分け方は役に立ちません。』
『しかし、いゝきのこ[#「きのこ」に傍点]には虫がたかりますが、悪いきのこ[#「きのこ」に傍点]には虫がたかりません。それは毒で虫が死ぬるからです。』とこんどはアントニイが口を出しました。
『それは先のよりももつと間違つてゐます。虫は、古いきのこ[#「きのこ」に傍点]には、その良し悪しに構はずに集ります。吾々なら死ぬやうな毒でも虫には利かないのです。虫の腹は毒を食べても差支へのないやうに出来てゐます。或虫はとりかぶと[#「とりかぶと」に傍点]や、ヂギタリスや、ベラドンナのやうな、吾々を殺すやうな草を食べてゐます。』
『きのこ[#「きのこ」に傍点]を※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]る時、鍋の中に銀貨を落すと、毒があれば銀貨が黒くなり、毒が無ければ白いまゝでゐるさうですね。』とジヤンが云ひました。
『それは馬鹿げた話です。そんな事をしたら馬鹿になつて了ひます。いゝきのこ[#「きのこ」に傍点]に入れても悪いきのこ[#「きのこ」に傍点]に入れても銀貨の色は変りません。』
『ぢや、きのこ[#「きのこ」に傍点]は食べないでゐるより外に仕方はないぢやありませんか。困つたものだなあ。』とシモンが云ひました。
『どうして/\。その反対に、今まで以上に食べられます。その只だ一つの方法は、よく/\気をつけると云ふ事です。
『きのこ[#「きのこ」に傍点]で毒なのは肉ではなくて、その中にある汁です。汁を抜き出して了ふと、毒になる所は直ぐ失くなつて了ひます。さうするには、きのこ[#「きのこ」に傍点]を小さく刻んで料理し、乾すなり生のまゝなりで、一握りの塩を入れた水で※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]ればいゝのです。そして、それを水の中へ入れて、二三度水で洗ひます。それだけの事できのこ[#「きのこ」に傍点]は食べられるやうになります。
『それと反対に、最初水で※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]て置かないと、毒汁のために酷い目に逢はなければなりません。
『塩を混ぜた水で※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]ると云ふ事は、毒を溶かすためで、或る人達は私の今云つた通りに料理した、酷い毒のあるきのこ[#「きのこ」に傍点]を幾ヶ月も食べてみました。』