アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。

もくじ 
科学の不思議(七)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(七)
  五四 昼と夜
  五五 一年と四季
  五六 ベラドンナの実(み)
  五七 有毒(ゆうどく)植物
  五八 花
  五九 果実(かじつ)
  六〇 花粉(かふん)
  六一 ツチバチ

オリジナル版
科学の不思議(七)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03センチメートル。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1メートルの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3メートル。(2) 周尺で、約1.7メートル。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109メートル強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273キロメートル)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方センチメートル。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。

*底本

底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





登場とうじょうするひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人ほうこうにん
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

・ジョセフ ルイの二つ年上の兄。
・ルイ ジョセフの弟。
・ジョセフとルイのお母さん

・シモン 水車場から帰る途中、ジョセフとルイを見つける。
・水車屋のジャン
・百姓のアンドレー
・ブドウ作りのフィリップ
・アントワヌ
・マテュー
・アントニイ
・リュシエン マテューの子。

科学かがく不思議ふしぎ(七)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

   五四 昼と夜


「いつかの、ヒバリのまわりでまわっていたまきえているのお話がどこかへ行っちゃったようですね。」とクレールがいいました。
「そうじゃない。これでようやくその話のところまできたんだ。われわれとは三八〇〇万〔約一億五二〇〇万キロメートル〕はなれている太陽が、もし毎日まいにち地球を一周するものとしたら、一分間にどれほど走るか知っているかい? 一〇万里〔約四〇万キロメートル〕以上だ。しかし、この非常な早さもまだなんでもないのだ。今も言ったように、星はみんなわれわれの太陽と同じ大きさの、そしてまた同じようにひかっている太陽だ。ただ、あまり離れているので、ごく小さく見えるだけのことだ。そのいちばん近いのでも、地球から太陽までの距離の三万倍〔一番近い恒星こうせいは、ケンタウルス座α星の伴星C(プロキシマ星)、距離四・三光年。『世界大百科事典』より)〔四・三光年×九兆四六〇〇億km(一光年)=約四〇兆七〇〇〇億km。約一億五〇〇〇万km(太陽と地球の距離)×三万倍=四五兆km〕もある。これが二十四時間で地球をひとまわりするものとすると、一分間に一〇万里の三万倍だけ走らなければならない。では、その一〇〇倍も一〇〇〇倍も一〇〇万倍も遠くにあるほかの星が、みんなキッチリ二十四時間で地球を一周するものとすると、どうなるだろう? それにまた、太陽の非常に大きなことも考えなければならない。おまえたちはまた、この大きな太陽が、それにくらべればほんの粘土ねんどかたまりにすぎない地球のまわりをまわって、非常なはやさで空間くうかんけながら、地球に光とねつをあたえているものと思えるだろうか? そしてまた、もっと遠くにある非常に大きな数千のほかの太陽、すなわち星が、みんなその距離きょりおうじて速力そくりょくを早めつつ、毎日、この小さな地球のまわりをまわっているものと思えるだろうか? そんなバカなことはない。そんなことはくしにさした鳥のまわりで、まきや、や、家をまわそうとするのと同じように理屈りくつにあわない。
「では、地球がまわっているので、わたしたちも地球といっしょにまわっているのですね?」とクレールがまた口を入れました。「そしてこの運動うんどうのために、太陽や星は、ちょうど汽車きしゃで見た木や家と同じように、反対はんたいの方向に動くように見えるのですね。二十四時間で太陽が地球の東から西へまわるように見えるのは、地球が二十四時間で西から東へ、自分でまわっている証拠しょうこですわね?」
「地球は太陽の前で、ちょうどコマのようにまわって、つぎつぎにそのちがったところを太陽の光線こうせんにさらしているのだ。そのうえ、地球は二十四時間で自分が一回転するかたわら、いっねんかかって太陽のまわりをまわるのだ。コマがまわっているとき、ちょうどこれと同じまわり方をすることがある。コマがある一点に立ったまままわるときには、ただグルグル自分がまわっているだけだ。が、それをある方法でばすと、これはわたしよりもおまえたちの方がよく知っていることだが、コマは自分もまわりながら地の上をまるく歩きまわる。このばあいには、このコマは地球の二重にじゅう運動うんどうをただ小さくやっているだけのことだ。コマがそのじくでまわるのは地球が自分でまわっているのと同じで、そしてそれが地の上を歩きまわるのは、地球が太陽のまわりをまわるのと同じことだ。
「おまえたちは地球のこの二重にじゅう運動うんどうについては、また、つぎのような方法でよくわかることができる。部屋なかに一つのまるテーブルをいて、そのテーブルの上に火のついたロウソクを立てて、それを太陽だとする。それから、爪先つまさきでグルグルまわりながら、テーブルのまわりをまわるのだ。こうしておまえたちがテーブルのまわりをまわってみれば、それがすなわち地球の二重にじゅうの運動になる。そして爪先つまさきでグルグルまわりながら、顔のほうと頭のうしろのほうとがつぎつぎにロウソクのひかりにあたるのを注意ちゅういしてごらん。ひとまわりするたびに、一方いっぽうのほうは明るく、べつのほうはかげになる。地球もこれと同じく、自分でグルグルまわりながら、そのちがった表面ひょうめんをかわるがわる太陽に向けるのだ。その太陽に向いたほうが昼で、その反対のがわが夜だ。昼と夜とはこうしてじつに簡単かんたんにおこる。二十四時間に一回、地球は自分でまわる。この二十四時間のあいだに昼と夜とができるのだ。
「昼と夜とかわるがわるに理由りゆうがよくわかりました。」とジュールがいいました。「太陽に向かっている地球の半分が昼で、その反対のがわの半分が夜なんですね。しかし、地球は自分でまわっているのだから、いろんな国はかわるがわる太陽のほうに向いたり、そのかげになったりするんでしょう? すると、の前でまわっていたヒバリは、それと同じようにそのからだの前と後ろとをかわるがわるあついほうに向けるようになるわけですね。
「だれでも火のほうに向いているヒバリの半分は昼で、のこりの半分は夜だというでしょう。」とエミルがいいました。
「けども、もう一つ、ぼくにはわからないことがあります。」とジュールがいいました。「もし、地球が二十四時間ごとに自分でひとまわりするんだとしたら、わたしたちはその半分の時間のあいだ地球といっしょにまわって、そしてさかさになっていなければならないはずでしょう? いまはこうして頭を上にして足を下にしていますが、もう十二時間たつと、こんどはその反対になって、頭を下にして足を上にしていなければならぬのでしょう? いまはまっすぐに立っていますが、そのときにはさかさになるはずでしょう? そんなことになっても、どうしてわたしたちはみょう気持きもちにならないのでしょう? どうしてっこちないのでしょう?」
「おまえのいうことはほんとうだ。」とポールおじさんは答えました。「しかし、それはほんのすこしだ。今から十二時間すれば、われわれは今とはさかさになる。いま、われわれがこれを向けているほうへ頭を向けることになる。だが、そんなふうにさかさになっても、っこちる心配しんぱいもなく、またみょう気持きもちになることもちっともない。頭はいつでも上にあって、空のほうに向いている。そして足はいつも下のほうに、すなわちのほうに向いている。ちるということは地面じめんりるということで、空中くうちゅうび出すことではない。で、地球がどんなにまわってもわれわれはいつもの上にいて、足は地上ちじょうに、頭は空を向いていて、何の不快かいなこともなく、また落ちる心配しんぱいもなしに、まっすぐに立っているのだ。
「地球は早くまわりますか?」とエミルがたずねました。
「二十四時間にひと回転かいてんする。そしていちばん長いたびをするのはなか部分ぶぶんだが、そこは一時間に四〇〇〇万メートル〔=四万キロメートル〕、すなわち地球の周囲しゅういと同じ距離きょりを走る。一秒間に四六二メートルだ。これは砲門ほうもんを出た砲弾ほうだんとほとんど同じはやさで、いちばん早い機関車きかんしゃ速度そくどのほぼ三〇倍にあたる。山もも海も、みんな一秒に十分の一〔約四〇〇メートル〕以上のすばらしいはやさで、たえずグルグルまわっているのだ。
「それでも、わたしたちには何も動かないように見えますね。」とエミルがいいました。
「われわれのった汽車きしゃが非常な大速力だいそくりょくで走っているとき、それがれさえしなければ、われわれはじっとしているのだと思うのだ。地球のそんなにはや運動うんどうも、ごくおだやかなのだ。星の動くのが見えなければがつくものでない。
「では、軽気球けいききゅう気球ききゅうのこと。に乗って、うんと高くのぼったら、地球のまわるのが下のほうに見えるでしょうね?」とジュールがいいました。「海も島も、大陸たいりくも国も、森も山も、その軽気球けいききゅうの上の人のの下にかわるがわる一つずつあらわれてきて、二十四時間のうちには地球をすっかり見ることができるでしょうね。そしたらずいぶんすてきな景色けしきでしょうね。ちっともつかれない、ずいぶんおもしろい旅行りょこうでしょうね。そして地球がひとまわりしてもとの国に帰ったら、軽気球けいききゅうからおりて、たびがすむのです。二十四時間で場所をかえずに、世界じゅうの見物けんぶつができますね。
「そう、そのとおりだ。それはじつにいい世界見物けんぶつの方法だろうね。いま、われわれがいるこの場所に地球がまわるにしたがってほかの人々がくるだろう。海や、遠いところの国や、雪をいただいた山がここにくるだろう。そして明日あしたはまた、同じ時刻じこくになると、われわれがここに帰ってくるだろう。いま、われわれが話ししているこの杜松ねず木陰こかげのところには、まず第一に、大西洋たいせいようという海がてわれわれのはなごえのかわりに波の大きな音が聞こえるだろう。一時間もたないうちに、ここは大海たいかいになってしまう。三段さんだん大砲たいほうをならべた大きな軍艦ぐんかんを上げて走ってくる。海がもうとおりすぎた。すると、こんどは北アメリカがくる。カナダの大湖水だいこすいがくる。皮膚ひふの赤いインディアンが水牛すいぎゅうっているはてしない大草原だいそうげんがくる。するとまた海だ。大西洋たいせいようよりははるかに大きくて、それがとおってしまうには七時間もかかる。毛皮けがわをきた漁師りょうしがクジラをしている群島ぐんとうはどこだろう? カムチャツカの南にある千島ちしま列島れっとうだ。が、それもやっと一目ひとめ見たか見ないうちに、もうってしまう。今度こんどは顔の黄色きいろい、ななめについたモンゴル人やシナ人がくる。それゃずいぶんめずらしい、いろんなものが見える。しかし地球はどんどんまわって行って、もうシナも遠くへ行ってしまった。そのつぎには中央ちゅうおうアジアの砂漠さばくと、くもよりも高い山だ。韃靼人だったんじん〔タタール。牧場ぼくじょうには馬のむれがいなないている。はなひらったいコザック人の住む、カスピアの草原そうげんがくる。南ロシア、オーストリア、ドイツ、スイスがくる。そして最後さいごにまたフランスがくる。さあ、早くりよう。これで地球はもうひとまわりんだのだ。
「いいかい、砲弾ほうだんのようなはやさで走る地球の、このめまぐるしい光景こうけいは、心のでだけ見ることができるんだよ。軽気球けいききゅうに乗って空にのぼると、ジュールが言ったように、地球がまわって、りくも海も足下あしもととおりすぎるのが見えるだろうと思われる。しかし、そんなことはけっしてない。空気くうきは地球といっしょにまわって、軽気球けいききゅうもその空気もいっしょにまわるのだ。

   五五 一年いちねん四季しき


「地球は自分でまわりながら、太陽のまわりをまわって行くんだといいましたね。」とジュールがいいました。
「そうだ。そのひとまわりするのに三六五日かかる。だから太陽のまわりをまわる間に、地球は自分で三六五回まわるのだ。そしてこのひとまわりする間にすごす月日つきひがちょうど一年いちねんになるんだ。
「地球は、自分がまわるには二十四時間の一日かかって、太陽のまわりをまわるには一年かかるんですね?」とジュールがいいました。
「そうだ。おまえが地球になったとして、太陽のかわりにランプをいたまるテーブルのまわりをまわると思ってごらん。おまえがテーブルをひとまわりするのが一年だ。そしてそれをもっと正確せいかくにやれば、テーブルをひとまわりする間に三六五回、きびす〔かかと。でグルグルまわらなければならないのだ。
「まるで地球が太陽のまわりでおどっているようなものですね。」とエミルがいいました。
「あんまりいい比較ひかくではないが、まあそのとおりだ。エミルはまだほんの子どもだが、よくわかるね。一年は十二じゅうにげつにわかれている。それは一月、二月、三月、四月、五月、六月、七月、八月、九月、十月、十一月、十二月だ。月の長さのいろいろとちがっているのはちょっと厄介やっかいだ。ある月は三十一日ずつあるが、ほかの月は三十日で、二月は年によって二十八日と二十九日とある。
「わたしはどの月が三十一日で、どの月が三十日か、ずいぶんまよってしまいますわ。どうしたらそれがわかるんでしょうか?」とクレールがいいました。
「われわれの手にった自然のこよみは、ごく簡単かんたんにそれを教えてくれる。左の手でにぎりこぶしをつくってごらん。すると、ゆびもとのところで母指ぼし〔おやゆび。のぞいたほかの四本のゆびは、一つずつ高いところとひくいところとできる。右手の人さしゆびで、この高いところと低いところとをかわるがわる順番じゅんばんにまず小指こゆびからはじめて、して見る。そして順々じゅんじゅんに一月、二月、三月……と読んでいく。四本のゆびがすんだなら、また小指こゆびに帰って、十二月まで読みつづける。いいかい。こうして読んでいって、その高いところにあたった月は三十一日で、低いところにあたった月は三十日だ。もっとも第一番目の低いところにあたる二月は例外れいがいで、これは年によって二十八日のこともあり、二十九日のこともある。
「わたし、やってみるわ。五月は幾日いくにちあるかしら?」とクレールがいい出しました。「一月、二月、三月、四月、五月……、あ、五月はふしのところだから三十一日だわ。
「それごらん、わけないだろう?」とおじさんがいいました。
今度こんどはぼくだ。九月は幾日いくにちあるかしら?」とこんどはジュールがやってみました。「一月、二月、三月、四月、五月、六月、七月……。さあ、今度こんどはどうするんでしたっけねえ? もうこれでゆびがおしまいですよ。
「またもとかえって月の名をよみつづけるんだ。」とポールおじさんが教えてやりました。
「さっきはじめたゆびからやりなおすんですか?」
「そうだ。
「八月するとふしが二つかさなって、七月と八月とは両方りょうほうとも三十一日になるんですか?」
「そうだ。
「もういっぺん、やりなおしますよ。八月、九月……、九月は三十日です。
「なぜ二月は二十八日あったり、二十九日あったりしますの?」とクレールがたずねました。
「それはね、地球は太陽のまわりをまわるのに、きっちり三六五日かかるのではないのだ。もう六時間ばかりよけいかかるのだ。で、まずこの六時間を一年の日数の中にくわえずにおいて、そして四年目ごとにそれを勘定かんじょうして、その一日を二月の中にくわえて、二十八日を二十九日とするんだ。
「では、三年のあいだは二月は二十八日ずつあって、四年目に二十九日あるのですね?」
「そうだ、二月に二十九日あった年は、閏年うるうどしというのだからおぼえておき。
「では、四季しきというのは?」とジュールがたずねました。
「おまえたちにはすこしむずかしいからわかりにくいだろうがね、毎年まいとし地球が太陽のまわりをまわるのが、四季しき原因げんいんにもなれば、夜と昼の長さのちがう原因にもなるのだ。
季節きせつは三月ずつ四季しきある。はるなつあきふゆがそれだ。だいたい、春は三月の二十日から六月の二十一日まで、夏は六月二十一日から九月二十二日まで、秋は九月二十二日から十二月二十一日ごろまで、そして冬は十二月二十一日から三月二十日までだ。
「三月二十日と九月二十二日には、太陽は地球のはしからはしまで十二時間見えて、十二時間かくれる。六月二十一日は昼がいちばん長く夜がいちばん短いので、太陽は十六時間見えて、八時間かくれる。ごく北のほうでは、昼の長さが長くなって、夜が短くなる。そこにはここよりも早く、朝の二時に日がのぼって、夜の十時に日がしずむ国がある。また、りがまったくいっしょになって、いま、空の向こうに日がぼっしたと思っているうちに、たちまちまたのぼってくるところがある。また、車のじくのように、ほかの所はまわっているのに、そこだけは動かないでいる極地きょくちのところでは、太陽がしずまないで、六か月のあいだ夜中よなかにも日中にっちゅうにも同じように太陽が見えるという、不思議ふしぎ光景こうけいを見られる。
「十二月の二十一日には、六月におこったことの正反対せいはんたいなことがおこる。太陽は朝八時にのぼって、午後四時にはもうしずんでしまう。八時間が昼で、十六時間が夜なのだ。ずっと先のほうに行くと十八時間、二十時間、二十二時間の夜があるところがあって、昼は六時間、四時間、二時間となっている。極地きょくち近所きんじょでは、太陽はまるで姿すがたも見せないで、昼かりはすこしもなく、六か月のあいだは日中にっちゅうの時間でも真夜中まよなかのようにまっくらになっている。
「昼が六か月、夜が六か月もある、そんな極地きょくちの国にんでいる人があるのですか?」とジュールが聞きました。
「いや、あんまりさむさがひどいので、今日こんにちまでまだ、だれも極地きょくちまで行ったものはない〔一九〇九年、アメリカ人ピアリーが初めて北極点に到達。一九一一年、ノルウェー人アムンゼンが南極点に到達。。しかし多少極地きょくちに近いところには、人間の住んでいる国がある。冬になると、ブドウしゅやビールやその他のいろんなものたるの中でこおってしまう。コップの水を空中くうちゅうげると、それが雪になってちてくるし、いきをするとその水分すいぶんはなの下ではりのようなしもになってしまう。海は深くこおって、雪やこおりの山のようになって、りくとの見境みさかいがつかなくなる。いく月もいく月も太陽の姿すがたは見えず、昼と夜との区別くべつがない。というよりもむしろ、日中にっちゅう夜中よなかと同じ長い夜なんだ。しかし、天気のいい日にはそのくらさはあまりひどくない。月と星のひかりが雪にうつって、物を見わけるくらいの薄明うすあかるさになる。そこの人たちはこの薄明うすあかるい中で、ゴタゴタと犬にひかせたソリに乗って獲物えものって歩く。魚がそのいちばん多い食べものになる。半分くさったした魚や、クジラのくさった脂肪しぼうなどがその常食じょうしょくになっている。火にたくまきもやはり魚で、それにはクジラのほねだのいろんな脂肪しぼうだのを使う。そこには木というものがないのだ。どんなに丈夫じょうぶな木でも、こんなさむいところにはそだたない。やなぎかばは、にはっているいじけた小さな灌木かんぼくのようになって、ラップランドの南のはしまでしかえていない。このラップランドでは、穀物こくもつの中のいちばん丈夫じょうぶむぎももうえないのだ。そしてそこから北にはもう木質もくしつ植物しょくぶつは何もそだたない。そして夏の間だけ、ほんのすこしの草やコケが岩穴いわあなの中に大いそぎでえる。もっと北へ行くと、夏になっても雪やこおりけないで、土はいつもうもれていて、植物しょくぶつはまるでえることができない。
「まあ、ずいぶん陰気いんきなところですね。」とエミルがいいました。「もう一つおたずねしますがね、おじさん、太陽をまわるのに地球ははやく走るのですか?」
「すっかりまわってしまうのに一年かかる。けれども太陽から三八〇〇万里もはなれた長い道をまわるには、おまえたちの想像そうぞうもできないような速力そくりょくで走らなければならない。その速力そくりょくは一時間に二万七〇〇〇里〔約一〇万八〇〇〇キロメートル〕だ。いちばんはや機関車きかんしゃでも一時間に十五里〔約六〇キロメートル〕しか走れないのだ。
「まあ、ぼくたちが考えてもわからないようなおもさのこの大きな地球が、そんなにはやくこの空を走るのですか?」とジュールがいいました。
「そうだ。地球は心棒しんぼうだいもないが、その自然にできた立派りっぱな道をとおって、一時間に二万七〇〇〇里のはやさで空中くうちゅうを走っているのだ。

   五六 ベラドンナの


 かなしい話が、家から家へ、村じゅうひろまりました。その話というのはこうです。
 その日、ルイははじめて半ズボンをはかしてもらいました。それにはポケットとピカピカひかるボタンがついていました。新しい着物きものたルイはちょっとはずかしがりましたが、しかしおおよろこびでした。かれは日にかがやくボタンが大好だいすきでした。そしてポケットをいくどもひっくりかえして、玩具おもちゃがみんな入るかどうか見ていました。ことにその大得意だいとくいなのは、いつも同じ時間をさしているブリキの時計とけいでした。かれよりも二つ年上としうえの、兄のジョセフもやはりおおよろこびでした。ルイはもうにいさんと同じ着物きものたので、にいさんは鳥のやイチゴのある森の中にルイをれて行ってもいいのでした。二人は、首にかわいらしい小さなすずをつけた、雪よりも白い一匹いっぴき小羊こひつじを持っていました。そして二人は、それを牧場ぼくじょうれて行くのでした。お弁当べんとうはバスケットにつめました。兄弟きょうだいとも、遠くへ行ってはいけないと言ってくれるお母さんにキッスしました。「よくおとうとに気をつけてね。」とお母さんはジョセフにいいました。「手をひいて行くんだよ。そして早く帰ってくるんですよ。」二人は出かけました。ジョセフはバスケットを持ち、ルイは小羊こひつじをひいて行きました。お母さんもよろこんで、いそいそしながら、二人を戸口ぐちまで見送みおくりました。子どもらはお母さんをかえってはニッコリしながら、道のかどをまがって見えなくなりました。
 二人は牧場ぼくじょうにつきました。小羊こひつじは草の上で遊んでいました。ジョセフとルイとはチョウをおっかけて、高い木のえた森の中に入って行きました。
「ヤア、大きなサクランボがあるよ。大きくて黒くなってらぁ。サクランボだよ。サクランボだよ。取ってたべようよ。」と突然とつぜん、ルイがさけびました。
 まったく、くらい葉の低い木に、むらさきがかった黒い大きながなっていました。
「このさくらの木はずいぶん低いね。ぼく、今までこんなのを見たことがないよ。木にのぼ世話せわもいらなければ、おまえも新しいズボンをやぶる心配しんぱいもないね。」とジョセフが答えました。
 ルイはそれを一つちぎって口に入れました。それは気のぬけたような、ちょっと甘味あまみのあるものでした。
「このサクランボはまだじゅくしていないんだよ。」と、ルイははき出しながらいいました。
「これを食べてごらん。これはいいよ。」ジョセフはそういって、やわらかいのを一つくれました。
 ルイはそれを食べてみて、またつばを出してそれをはき出しました。
「ダメだよ。ちっともうまくないや。
「まずいって? そんなことがあるもんか。」ジョセフはそういって、一つ食べて、また一つ、また一つと、五つ食べました。そして六つ目になって、とうとうよしました。やっぱりうまくないのでした。
「そうだね。まだじゅくしていないんだよ。もうすこし取ろう。そしてバスケットに入れてれさしてやろう。
 二人はこの黒いをふたすくいほど取って、またチョウをおっかけはじめました。そしてもうサクランボのことはわすれてしまいました。
 それから一時間ばかりたってからのことです。シモンがロバをひっぱって水車場すいしゃばから帰る途中とちゅう生垣いけがきの下に二人の子どもがすわってきあったまま、大きな声でいているのを見つけました。そのそばには小羊こひつじが横になって、かなしそうにいていました。小さい方が、もう一人の方にこう言っていました。にいさん、おきよ……、そしてもう家へ帰ろうよ……。」兄のほうは立ち上がろうとしましたが、足がはげしくふるえて立つことができません。弟は、にいさん、にいさん……、口をきいておくれよ、口をきいておくれよ……」といいますが、あには目を大きく大きくはって、をガタガタいわせているだけです。かごの中にもう一つリンゴがあるよ。あれ、ほしいかい? みんなにいさんにあげるよ……」とおとうとはほおになみだを流しながらいいました。が、あにはふるえて、痙攣けいれんをおこしてかたくなって、ますますを大きくすえるのでした。
 ちょうどそのとき、シモンがそこへあわせました。シモンは二人の子どもをロバに乗せて、バスケットを持ち、小羊こひつじをひいて、大いそぎで村へ帰りました。
 二、三時間前までは元気げんきで、おとうとれていそいそとして出かけて行ったかわいいジョセフが、人事じんじ不省ふしょうになってにかけているのを見て、かわいそうにお母さんはむねがつぶれそうでした。「まあ神さま、この子を助けて、わたしをころしてください。ジョセフや、ジョセフや……。」お母さんはかなしさにくるわんばかりになって、ジョセフにきついてキッスしながら、たえきれなくなってき出しました。
 医者いしゃがまいりました。バスケットにのこっているサクランボとまちがえた黒いが、この事件じけん原因げんいんだということが、すぐわかりました。
「ああ、ベラドンナ(西洋ハシリドコロ)だ……。もうおそすぎるな……。」と医者いしゃはひそかに思いながら、もうどくがだいぶめぐっているので、とてもはあるまいと思いましたが、とにかくくすりをくれました。そして、実際じっさい、それから一時間ばかりたってから、お母さんはベッドのそばにひざまずいておいのりをしていていました。子どもの小さな手は、布団ふとんの中から引き出されて、つめたくなってお母さんの手ににぎられていました。それは最後さいごのおわかれでした。ジョセフは、もうんだのです。
 翌日よくじつ、この子どもの葬式そうしきがあって、村じゅうの人がそれへ行きました。エミルとジュールとはかなしそうにして墓場はかばから帰ってきました。そして五、六日というもの、このあわれな事件じけんのおこった理由りゆうを、おじさんに聞こうともしませんでした。
 それ以来いらい、ルイは美しいブリキの時計とけいがあっても、ときどき遊ぶのをよして、き出しました。ルイは、ジョセフは遠い遠いところに行ってしまったので、いまに帰ってくるだろうと教えられていました。で、ときどきたずねます。「お母さん、にいさんはいつ帰ってくるの? ぼく、一人で遊ぶのはもういやになってよ。」お母さんはルイにキッスして、エプロンのはしで顔をおおってはあつなみだをながします。「お母さんは、ジョセフが大好だいすきなんでしょう? それになぜ、ぼくがジョセフのことを聞くたんびにくの?」とルイは聞きます。お母さんはびっくりして、つとめてくまいとはしますが、やはりなみだながれてきます。

   五七 有毒ゆうどく植物しょくぶつ


 かわいそうなジョセフのは、村じゅうをびっくりさせました。子どもらが家をで、野原のはらにでも行くと、その帰ってくるまではたえずみんな心配しんぱいしました。それは、子どものほしがりそうな花やを持った、有毒ゆうどく植物しょくぶつがあるからです。そしてみんなは、こんなおそろしい出来事できごとがないようにするには、その危険きけんな植物を知って、それに気をつけるように、子どもらに教えるのが一番よい方法ほうほうだと思いました。そしてみんながふだん尊敬そんけいしている物知ものしりのポールおじさんのところへ行って、近所きんじょにある有毒ゆうどく植物しょくぶつの話をしてもらうようにたのみました。そこで日曜のばんに、大勢おおぜいの人がポールおじさんの家に集まりました。その中には、おじさんの二人のおいと一人のめいと、ジャックおじいさん、アムブロアジヌおばあさんのほかに、水車場すいしゃばからの帰りみちで二人のあわれな子どもをれてもどったシモンと、水車屋すいしゃやのジャンと、百姓ひゃくしょうのアンドレーと、ブドウ作りのフィリップと、アントワヌだの、マテューだの、そのほかたくさんの人がいました。前の日に、ポールおじさんは村じゅう歩きまわって、そのはなそうと思う植物を集めてきていました。花やのついた、いろんな有毒ゆうどく植物の大きなたばが、テーブルの上の水入みずいれにさしてありました。
「みなさん。」とおじさんは始めました。「あぶないことを見ないように目をじて、それで安全あんぜんだと思っている人があります。また、人間にがいになる物のあることがわかって、それがどんなものだかを知ろうとする人があります。あなたがたは、このあとのほうの人です。そしてわたしは、それをうれしく思うのです。いろんなわるいことがわれわれをちもうけています。われわれはそれをよく注意ちゅういして、その害悪がいあくかずすくなくしなければなりません。さて、今われわれは、毎年その犠牲せいをつくるこのおそろしい植物を知って、それをけるという、この大事だいじなことがわからなかったために、おそろしい不幸ふこうな目にあってしまいました。もしこの知識ちしきがもっと広まっていたら、われわれがいま、そのをくやんでいるあの子どもは、なずにすんで、いまなお、そのお母さんのいとしでいることができていたろうと思います。じつにあの子どもはかわいそうでした。
 かみなりってさえまゆ一つ動かさないポールおじさんのには、なみだがたまって、声はふるえていました。垣根かきねの下で二人の子どもがきあっているのを見たシモンは、それを思い出して人一倍ひといちばいに深く感じました。かれは日にけたやせたほおに落ちてくるなみだかくそうとして、大きな帽子ぼうしふちをおろしました。おじさんはちょっとだまって、また話し出しました。
「あの子どもは、ベラドンナでんだのです。それは赤い鈴形すずがたの花をかせるかなり大きな草で、は丸くて赤黒あかぐろいサクランボにたものです。葉は卵形たまごがたふちがギザギザになっています。草全体がむねわるくするようないやなにおいをはなって、どくを持っているぞといわんばかりの薄黒うすぐろい色をしています。そのはちょっとあまあじを持っていてサクランボにているので、ことに危険きけんです。を大きくして、どこかを見つめているようになって、ぼんやりとなる。これがベラドンナのどく特性とくせいです。
 ポールおじさんは水入みずいれの中から、ベラドンナの小枝えだを取り出して、きにきた人々にまわしてやりました。で、一人一人、手近てぢかにその草を見ることができました。
「その名前なまえは何というのですって?」とジャンが聞きました。
「ベラドンナ。
「ベラドンナ。なるほど。わたしはその草を知っていますよ。よくわたしは水車場すいしゃばの近所の日陰ひかげにそれを見ました。そのきれいなサクランボのようなに、そんなおそろしいどくがあろうとは思いませんでしたよ。
「ベラドンナって、どういう意味いみですか?」とアンドレーがたずねました。
「それはうつくしい女というイタリアです。むかし、女たちはそのはだを白くするのにこの草のしるを使ったものなんです。
「そんなことは、わたしなんぞの赤黒あかぐろはだにはようのないことですが、しかし、子どものきそうなそのはこまったものですね……。」とアンドレーは顔をしかめました。
「これが牧場ぼくじょうえたら、牛にあぶないことはありませんか?」と、こんどはアントニイがたずねました。
獣物けものはめったにどくのある草木くさきいません。そのにおいで、ことにまた本能ほんのうのおかげで、どくになるものは食べないです。
「もう一本の、この大きな葉をした、そして外側そとがわが赤で、内側うちがわに白とむらさきむらのある花のく、人の高さほどの大きなくさむらになるこの草はジギタリス(狐尾草)といいます。花は長いすずか、手袋てぶくろ指先ゆびさきのような形をしています。で、この特長とくちょうにちなんだべつがあります。
「それじゃ、このあたりでキツネノテブクロというのでしょう? それなら森のまわりによくえていますよ。」とジャンがいいました。
「花が手袋てぶくろゆびているから、キツネノテブクロというのです。同じ理由りゆうから、この花はほかのところでは、ノートルダムノテブクロだとか、マリアノテブクロだとか、またユビブクロだとか言われています。ジギタリスという名はラテンで、ゆびの形をした花ということです。
「こんなきれいな花にどくがあるというのはかわいそうですね。にわにでもえたらさぞいいでしょうに……。」とシモンがいいました。
「そうです。装飾そうしょく植物としてえてもいます。が、それはほかのにわとは厳重げんじゅう区別くべつしてあります。ですが、みなさん、われわれには花のばんをするというようなひまはないのですから、そんなものはえないほうがいいのです。この草はどこもかもどくです。心臓しんぞう動悸どうきをゆるめさせて、ついにはそれを止めるという特性とくせいを持っているのです。いったい、いつ心臓しんぞう動悸どうきを打たなくなるかということは、いう必要ひつようもないでしょう。
「ドクゼリはもっともっと危険きけんです。そのこまかくけた葉はヤマニンジンやオランダゼリ〔パセリのこと。の葉とそっくりです。あまりよくているので、おりおりそれに生命いのちをとられることがあります。なぜなら、このおそろしい草は垣根かきねはたけの中にまでもえています。しかし、この毒草どくそうとセリやニンジンのような野菜やさいとを見分みわけるにはごく簡単かんたんに、そのにおいでわかります。手でドクゼリのをすって、それをいでみるんです。
「ああ、それゃ、イヤなにおいがします。ヤマニンジンやオランダゼリにはそんなイヤなにおいはありません。それさえ知っていたら間違まちがいっこはありませんよ。」とシモンが口を入れました。
「そうです。それを知っていれば間違まちがいはありません。が、そういうことを知らない人には、においのことはわかりませんね。しかし、今晩こんばんあなたがたは、わたしの話を聞いてそれがわかったはずです。
「ポールさん、あなたのおかげで有毒ゆうどく植物のことがよくわかりました。ヤマニンジンのかわりに、ドクニンジンを入れたサラダをつくらないように、家に帰ったら、よくあなたに聞いたとおり教えてやります。」とジャンがいいました。
「このドクゼリには二通ふたとおりあります。一つはオオドクゼリといって、湿しめった所や、まだたがやさない土地にはえるのです。これはヤマニンジンそっくりで、くきに黒か赤のまだらがあります。もう一つはコドクゼリといって、オランダゼリそのままです。これはたがやした土地や、にわ垣根かきねえます。両方りょうほうともきたくなるようなイヤなにおいを持っています。
「まだここに、ごく見わけやすい毒草どくそうがあります。それはオランダカイウです。たいていは垣根かきねにはえています。葉はたいへん広くてやりの形をしています。花はロバの耳のような恰好かっこうをしています。そしてその花のそこから、バターで作った小指こゆびのようなものが出ています。このへんな花に、やがてすばらしく赤いまめほどの大きさのがなります。この草はどこもかもしたくようなたまらないあじを持っています。
「ポールさん。このあいだ、家のリュシエンがそれでひどい目にあいましたよ。リュシエンが学校の帰りに垣根かきねのところで、今、あなたが言ったようなロバの耳のような花を見たんだそうです。そしてその中の小指こゆびのようなのがおいしそうに見えたんで、なんにも知らないもんだから先生せんせいいたくなって、とうとうそれを食べたんですよ。すると、たちまちまっけた石炭せきたんをかんだようにしたけ出して、リュシエンはつばき顔をしかめて帰ってきましたよ。しかし、もう今度こんどはこりて食べないでしょうよ。いいことにみこんでいなかったものだから、くる朝はなおりましたがね。」とマテューがいいました。
「また、それにきつくような味は、タカトウダイを切ったときに出るちちのような白いしるにもあります。タカトウダイはどこにでもよくある草で、見かけのみすぼらしい草です。花は小さくてちょっと黄色きいろで、この草の頭のほうにきます。この草はくきを切るとちちのような白いしるがたくさん出るからすぐ見分みわけがつきます。このしる皮膚ひふについても、皮膚ひふが弱いとあぶないので、毒々どくどくしいけるような味がその特徴とくちょうなのです。
「また、ジギタリスにたトリカブトははげしいどくを持っているのですが、その花が美しいのでよくにわえます。この草は丘陵地きゅうりょうちにあるのです。花は青か黄色のヘルメットがたで、みごとに間をはなれてきます。葉は光沢つややかな緑色みどりいろ四方しほうに切れています。このトリカブトはたいへんなどくを持っていて、あまりそのどくが強いので、犬のどくだとか、オオカミのどくだとかいわれているほどです。歴史れきしを見ると、むかしはだとかやりの先だとかにトリカブトのしるをぬって、てきころしたものだそうです。
往々おうおうまた、冬になっても落ちない大きな光沢こうたくのある葉をした、黒い卵形たまごがたのドングリぐらいの大きさののなる木を、にわにうえてあります。これはチェリーベイ一種いっしゅ月桂樹げっけいじゅです。その葉も花もも、アンズやモモのかくのようなにがいにおいを持っています。このチェリーベイの葉はクリームや牛乳ぎゅうにゅうににおいをつけるために使うことがあります。しかしこれは、じゅうぶん注意ちゅういしてやらないといけません。チェリーベイにはひどいどくがあるのです。ちょっとその木のかげにすわっていても、そのにがいにおいで気持ちがわるくなるといわれているほどです。
「また、秋になると湿地しっちに、バラ色やライラック色の大きなうつくしい花が、くきも葉もないままでたくさんえます。これはイヌサフランといいます。寒いころの夕方ゆうがたきます。地面じめんをすこしりさげると、この花は樺色かばいろかわをきた大きな球根きゅうこんが出ていることがわかります。これは毒草どくそうですから、牛はけつして食べません。球根きゅうこんにはもっとひどいどくがあるのです。
「今日は、あまりたくさん毒草どくそうの話をしました。今日はもうこれでよしましょう。そしてつぎの日曜にはキノコの話をしましょう。

   五八 花


 前の日、ポールおじさんが毒草どくそうの話をしたとき、みんなはごく熱心ねっしんに聞いていました。花の話をするときに、だれがそれを聞かない人がありましょう。が、ジュールとクレールとはもっとくわしくそれを聞きたいと思いました。昨日きのう、おじさんが見せてくれた花はどんなふうにできているのか。その中にはどんなものがあるのか。またその花は植物しょくぶつにどんなようをするのか。にわの大きなタヅノキの下で、おじさんはつぎの話をしはじめました。
昨日きのうお話した、ジギタリスの花からはじめよう。さあ、ここにその花が一つある。ごらんのとおり、ちょうど手袋てぶくろ指先ゆびさきか、とがった帽子ぼうしのような形をしている。エミルの小指こゆびぐらいはその中に入ってしまう。この花は、赤がかった紫色むらさきいろをしている。内側うちがわのほうには白いふちのついた晴紅とき色のまだらがある。そしてこの花は五枚の小さな葉がになったものへなかから出ている。この小さな葉もやはり花の一部分いちぶぶんだ。これが集まってがくというものをつくっているのだ。残りの赤い部分は花冠かかんというものだ。この名は初耳はつみみだろうがよくおぼえておくがいい。
花冠かかんというのは花の色のついた部分のことで、がくというのは花冠かかんだいになっている小さな葉ののことです。」とジュールがいいました。
「たいがいの花は同じようなふくろを二つ持っていて、その一つはもう一つのほうの中に入っている。この外側そとがわふくろ、すなわちがくはほとんどいつも緑色みどりいろで、内側うちがわふくろすなわち花冠かかんは、われわれをよろこばせるうつくしい色でかざられている。
「ここにあるゼニアオイのがくは、やはり五枚の小さな葉でできていて、五枚の大きな花冠かかんはバラ色をしている。この花冠かかんの一つ一つを花弁かべんというのだ。花弁かべんが集まって花冠かかんになるのだ。
「ジギタリスの花冠かかんは一つの花弁かべんもなくって、ゼニアオイには五枚ありますね。」とクレールがいいました。
「ちょっと見るとそうだが、気をつけて見ると両方りょうほうとも五枚あるのだ。どの花でもほとんどみんな、ツボミの中で花弁かべんが一つにかたまってしまって、一枚の花弁かべんとしか見えない花冠かかんになるものだ。しかし、たいてい、そのかたまった花弁かべんが花のはしの方でちょっとれていて、そのギザギザで何枚の花弁かべんが一つになったのかわかる。
「このタバコの花を見てごらん。この花冠かかんはちょっと見ると一枚の花弁かべんでできた樽形たるがた煙出けむだしのような形をしているだろう。しかし、花のはしの方が五つの同じような部分にわかれている。で、タバコの花にもゼニアオイと同じように五枚の花弁かべんがあるのだ。ただその五枚の花弁かべんが、一つ一つはっきりとわかれていないで、煙出けむだしのような形に一つにかたまってしまったのだ。
花弁かべんが一つ一つはっきりとわかれた花冠かかん複弁ふくべん花冠かかんといわれている。
「ゼニアオイのようなのがそうなんですね。」とクレールがたずねるようにいいました。
「ナシや、アンズや、イチゴもそうだよ。」とジュールがつけたしていいました。
「ジュールはまだ、あのきれいな三色さんしきスミレや普通のスミレのことをわすれていますね。」とエミルがいいました。
花弁かべんが一つにかたまっている花は単弁たんべん花冠かかんというのだ。」とポールおじさんがいいました。
「たとえばジギタリスやタバコがそうですね。」とジュールがいいました。
垣根かきねにはえている、きれいなフウリンソウもそうですね。」とエミルがいいました。
「ここにあるキンギョソウの花も、やはり五つの花弁かべんが一つになっている。
「どうしてこれをキンギョソウなぞというのでしょう?」とエミルが聞きました。
「その花をすと、ちょうど金魚きんぎょのように口をパクパクけるからだ。
 ポールおじさんはこの花の口をけてみせました。指でおすと、かみつくように口を開けたりじたりします。エミルはじっとそれを見つめていました。
「この口には上と下と二枚のくちびるがある。よく見ると上唇うわくちびるは二つにれている。それが二枚の花弁かべんだということがわかり、下唇したくちびるは三つにわかれていて、三枚の花弁かべんだということがわかる。だから、キンギョソウの花冠かかんは一枚のように見えるが、実際じっさいは五枚の花弁かべんがくっついているのだ。
「すると、ゼニアオイやナシやアンズの花弁かべんは一つ一つはなれていて、ジギタリスやキンギョソウやタバコの花弁かべんは一つになっているというちがいがあるだけで、ゼニアオイも、ナシも、アンズも、ジギタリスも、タバコも、キンギョソウもみんな花弁かべんは五つあるんですね?」とクレールがいいました。
「くっついていようが、はなれていようが、とにかく花弁べんが五枚の花はほかにもたくさんある。」と、ポールおじさんは話しつづけました。
「またがくの話にもどろう。がくをつくっている五枚のみどりの葉は、萼片がくへんというのだ。いま見た花は、どれも五枚の萼片がくへんを持っている。ゼニアオイにも五つ、タバコにも五つ、ジギタリスにも五つ、キンギョソウにも五つある。花弁かべんと同じように、がく各部分かくぶぶんすなわち萼片がくへんも、別々べつべつになったままのものと一つにくっついたものとあるが、どれもその数がちゃんとわかるようになっている。
萼片がくへんがはっきりわかれているものは複状萼ふくじょうがくという。ジギタリスやキンギョソウはそうだ。
萼片がくへんのくっついて一つになったがく単状萼たんじょうがくというので、タバコの花のがくがそれだ。五つのギザギザがあるから、だれでもこれは五枚の萼片がくへんが一つにくっついたんだということがわかる。
「どれにもこれにも五という数があるんですわね。」とクレールがいいました。
「花はいうまでもなくじつにうつくしいものだが、また不思議構造こうぞうにできている。どの花もちゃんとした規則きそくで作ったように、数がきまっている。そして五の数でできているのがいちばん普通ふつうなんだ。だから今朝けさ調しらべた花には、どれも五つの花弁かべんと五つの萼片がくへんとがあるのだ。
「そのつぎに普通ふつうなのはその数だ「三の数」か〕。それはチューリップや、ユリや、谷間たにまのヒメユリのようなふくらんだ花がそうだ。これらの花には緑色みどりいろがくはなくて、内側うちがわに三枚、外側そとがわに三枚、つごう六枚の花弁かべんでできた花冠かかんがあるのだ。
がく花弁かべんとは花の着物きもので、さむさをふせぐのと、人のをよろこばせるのと、二重にじゅうようをする。外側そとがわ着物きものがくは、粗末そまつな色をした丈夫じょうぶなもので、わる気候きこうにたえるようにできている。そしてツボミを保護ほごして、それをあつさやさむさや雨にあてないようにする。バラやゼニアオイのツボミを見てごらん。五枚の萼片がくへんが一つになって、しっかりとツボミをつつんでいる。しずく一つ中にみこませないほどしっかりとくっついている。花の中には、夜のさむさにあてないようにするために、夕方ゆうがたになるとがくがつぼんでしまうのもある。
内側うちがわ着物きもの、すなわち花冠かかんはきれいな色をしたで美しい形になっている。花はわれわれの婚礼服こんれいふくのようなものだ。これが一番われわれのをひきつけるものだから、われわれは花冠かかんが花のいちばん大事だいじな部分だと思うが、じつはけたりのおかざりにすぎないのだ。
「この二つの着物きものの中では、がくのほうが大事だいじなものだ。花冠かかんのない花はたくさんあるが、がくのない花はない。花冠かかんのない花は目にとまらないので、われわれはそれを花のかない木だと思う。が、それはまちがいだ。どんな草木くさきにも花はくのだ。
やなぎや、かしや、ポプラや、松や、ブナや、小麦こむぎや、そのほかのいろんな植物しょくぶつには花がないようですね。ぼく、見たことがありませんよ。」とジュールがたずねました。
やなぎかしやそのほかの木にも花はくのだ。ただ、花が小さくて花冠かかんがなく、あまりその花が目立めだたないので、われわれが気づかないだけのことだ。これには例外れいがいというものはない。どんな植物にも花はく。

   五九 果実かじつ


「あの人はこんなにているとか、あんなにているとかいうだけでは、その人を知っているとはいえない。花はがく花冠かかん着物きものているということがわかったところで、まだ花を知っているとはいえない。この着物ものの下に何があるのか。
「こんどはニオイアラセイトウ丁子ちょうじの一種)の花を調しらべてみよう。この花には四枚の萼片がくへんでできたがくと、四枚の黄色きいろ花弁かべんでできた花冠かかんとがある。この八つのものを取りててしまう。すると、その後に残ったものが大事だいじな部分で、花にはできぬ役目やくめをするもので、これがなくては花はもうその花として役目やくめをはたすことのできない、何のようもないものになる。それで、この残った物をよく調しらべよう。
「第一に、黄色きいろこながいっぱい入ったふくろを持った、六本の小さな白いぼうがある。この六本のぼうしべというのだ。しべはどの花にもかならずいくつかある。ニオイアラセイトウにはそれが六本あって、長いほうの四本はついになっていて二本はみじかい。
しべの頭についている二つかさなったようなふくろやくというのだ。そしてそのふくろの中に入っているこな花粉かふんというのだ。丁子ちょうじやユリや、そのほかたいていの植物しょくぶつ花粉ふんは黄色だが、ヒナゲシのは灰色はいいろをしている。
「おじさんはこのあいだ、森の風でき上げられた花粉ふんくもが、硫黄いおうの雨のように見えると話して聞かせましたね。」とジュールがいいました。
「この六本のしべも取ってしまう。こんど残ったのは、そこがふくれて、上のほうが小さくなって、頭の上はネバネバしたもので湿れている。これはしべといって、そこのふくれたところを子房しぼうといい、頭のネバネバしたところは柱頭ちゅうとうというのだ。
「こんな小さな物にいろんな名があるんですね。」とジュールがいいました。
「なるほど小さいが、なかなか大事だいじなものなんだ。この小さいものが、われわれの毎日まいにちのパンになるのだ。この小さなものが、不思議ふしぎな仕事をしてくれなかったら、われわれはじにをしてしまうかもしれない。
「では、その名をわすれないようにしましょう。」とジュールがいいました。
「ぼくだってわすれませんよ。が、もういっぺん話してください。ずいぶんむずしいものです。」とエミルがいいました。
 ポールおじさんはもう一度、話してやりました。ジュールとエミルとはおじさんについて、しべ、花粉かふんしべ、子房しぼう柱頭ちゅうとうをくりかえして言いました。
「ナイフで花を二つにって見よう。そうすると子房しぼうの中のほうがわかるからね。
「小さな種子しゅしが二つの部屋へや行儀ぎょうぎよくならんでいますよ。」とジュールがいいました。
「この小さな種子しゅしはなんだか知っているかね?」
「いいえ。
「これがいまに、この草の種子しゅしになるのだ。子房しぼう種子しゅしができるところなんだ。時期じきがくると花はれてしまう。花弁かべんがしぼんでちて、がくも落ちる。あるいは、がくたちはしばらくのあいだ生き残って、保護者ほごしゃ役目やくめをはたしてから落ちる。しべはかわいてはなれてしまって、あとにはただ子房しぼうだけが残る。そして子房しぼうはだんだん大きくなって、じゅくして、最後にとなるのだ。
「ナシも、リンゴも、アンズも、モモも、クルミも、サクランボも、ウリも、イチゴも、ハタンキョウも、クリも、みんなしべのそこのふくれたところが大きくなったものだ。そして、われわれのものになるように木がつくってくれるものはみんな、はじめはこの子房ぼうだったのだ。
「ナシははじめは、ナシの花の子房しぼうだったのですか?」
「そうだ。ナシも、リンゴも、サクランボも、アンズも、みんなきれいな花の子房しぼうが大きくなったのだ。では、アンズの花を見せてあげよう。
 ポールおじさんはアンズの花を持ってきて、ナイフでって子どもらにその中を見せました。
「花の中央ちゅうおうに、しべに取りまかれたしべがあるだろう。その頭のほうにあるのが柱頭ちゅうとうで、そこのほうにふくれたのは、いまにアンズになる子房しぼうなんだ。
「あの小さな緑色みどりいろのが、ぼくの大好だいすきな、おいしいしるの出るアンズになるんですか?」とエミルが聞きました。
「そうだ。あの緑色みどりいろのが、エミルの大好だいすきなアンズになるのさ。おまえたちはパンになる子房しぼうを見たいと思うかね?」
「ええ、なにもかもめずらしいものばかりですよ。」とジュールが答えました。
めずらしいどころか、大事だいじなことだよ。
 クレールは、おじさんに言いつけられてはりを持ってきました。非常ひじょうねんを入れて、おじさんは花のいっぱいにいたむぎから、その一つだけ取りはなしました。
「パンになるこのとうとい草は、お化粧けしょうをすることを考えるひまがないんだ。世界じゅうの人間をやしなうという大事だいじな仕事があるんだからね。で、こんな粗末そまつ着物きものているんだ。がく花冠かかんのかわりに、ごく粗末そまつさらのようなものが二枚あるだけだ。二つにかさなったようなふくろを持った三本のしべが下にれているだろう。この花の大事だいじなところは樽形たるがた子房しぼうで、これがじゅくしたら一粒ひとつぶ小麦こむぎになるのだ。その柱頭ちゅうとうの上にはごくほそい二つのはねがついている。おまえたちは、われわれを生かしてくれるこのかざのない小さい花をよく見ておき。

   六〇 花粉かふん


 幾日いくにちかすると、またどうかすると二、三時間のうちに花はしぼんでしまう。しべもしべもがくれてしまう。そしてただ一つあとに残るのは、になる子房しぼうだけだ。
「さて、花のほかの部分がれ落ちるときにも、後まで生き残って、くきにくっついているこの子房しぼうは、花のいちばんいきおいのいいときに、新しい生命せいめいともいうべきちからをつけられるのだ。そして花冠かかんは、そのうつくしい色とにおいとで、子房しぼうがこの新しい力をつけられる大事だいじなときをおいわいする。それがすんでしまうと、花はもうその役目やくめわったのだ。
「ところで、この力をつけてやるものは、しべの黄色いろこな、すなわち花粉かふんで、これがなかったら、種子しゅし子房ぼうの中でんでしまわなければならない。花粉かふんはいつもネバネバした柱頭ちゅうとうに落ちる。そしてこの柱頭ちゅうとうから子房ぼうおくの深くのほうにまで入って行く。こうして、新しい力をつけられていきおいづいた種子しゅしきゅう発育はついくして、子房しぼうはそれにおうじてふくれてゆく。この不思議ふしぎな仕事の最後さいご結果けっかが、やがて新しいを出す種子しゅしを持ったになるのだ。
「こんどは、花粉かふん柱頭ちゅうとうに落ちるということが、なぜ子房しぼうにするいちばん大事だいじなことか、ということを話してあげよう。
「たいていの花にはしべとしべの両方りょうほうがある。今まで見た花はみんなそうだった。だが、なかには、ある花にはしべだけあって、べつな花にはしべだけあるのがある。またなかには、同じ木にしべだけの花としべだけの花とあるものがある。またなかにはしべを持った花もしべを持った花も、別々べつべつな木にくのがある。
「あまりいろいろと教えすぎたかもしれないが、わたしは、同じ木にしべだけを持った花としべだけを持った花とがくのは、雌雄しゆう同株どうしゅの植物というのだということを教えてあげたいのだ。この言葉は「同じ家にんでいる」ということだ。つまり、しべだけの花としべだけの花とが同じ木にくところから、一つんでいるというわけだ。カボチャ、キュウリ、ウリなどは雌雄しゆう同株どうしゅの植物だ。
しべを持った花としべを持った花とが別々べつべつな木にく植物は雌雄しゆう異株いしゅの植物、すなわち、別々べつべつな家に住む植物というのだ。こんな木には、子房しぼう花粉かふんとは同じ木にはないのだ。イナゴマメ、ナツメシュロ(ウミナツメ)、アサなどは雌雄しゆう異株いしゅ植物だ。
「イナゴマメはフランスのごく南のほうにできる。まめと同じようなサヤに入っているが、樺色かばいろで長くてふとっている。そしてはたいへんにあまい。もし、気候きこうがよくて、イナゴマメがこのあたりのはたけにもえるものだとしたら、われわれはどのイナゴマメをえたらいいだろう? もちろんそれはしべのあるほうだ。なぜなら、それにはになる子房しぼうがあるのだ。しかしそれだけではたりない。それだけをえたのでは、しべのあるイナゴマメは年々、花はひらくがすこしもむすばない。というのは、えだ子房しぼう一つ残さずに花がってしまうからだ。では、何が必要ひつようなのか? それには花粉かふんの仕事が必要なのだ。しべのあるイナゴマメのそばに、しべのあるイナゴマメをえてみる。こんどはのぞみどおりをむすぶ。かぜ昆虫こんちゅうとがしべから柱頭ちゅうとう花粉かふんはこぶ。すると、ねむっていた子房しぼうが生き上がって、サヤはだんだん大きくなってじゅくしていく。花粉かふんがあってができ、花粉がなければはできないのだ。ジュール、わかったかい?」
「よくわかりましたよ、おじさん。が、残念ざんねんなことにわたしはイナゴマメを知りません。このあたりにあるものを何か教えてくださいよ。
「それも教えてあげよう。だがその前に、もう一つほかのれいを話そう。
「ナツメシュロは、イナゴマメと同じように、やはり雌雄しゆう異株いしゅ植物だ。アラビア人はそのを取ろうと思ってナツメシュロを栽培さいばいする。――アラビア人にはこのナツメシュロがおもなものなのだ。
「ナツメシュロというのはかわかしてはこづめにしてある、たいへんおいしい長い果物くだものですね。このあいだの縁日えんにちでトルコ人がそれをっていましたっけ。かくは長くって、たてけていますね。」とジュールがいいました。
「それだよ。日にけた砂原すなはらだらけの、ナツメシュロのえる国では、水のあるえた土地は少ない。そしてこの水のあるえたところはオアシスというのだ。アラビア人はできるだけよくこのオアシスを利用しなければならない。で、アラビア人はのできるしべのあるナツメシュロだけをそこにえる。そして花のくころになると、しべを持った野生やせいのナツメシュロの林をさがしに遠くまで出かけて行って、その花粉かふんを畑にまく。こうしなければはできないのだ。
子房しぼう大事だいじだが、花粉かふんもやはり大事なんですね。おじさん。花粉がなければ、ナツメシュロを食べることもできず、アンズもモモも食べられないのですね?」とエミルがいいました。
「畑にある長いカボチャのツルが、もう花をきかけているだろう。あれでつぎのような実験じっけんをしてごらん。
「カボチャは雌雄しゆう同株どうしゅの植物だ。すなわち、しべの花としべの花とが同じ一本の木にある。花がまだじゅうぶん開かないうちに、その区別くべつはよくわかる。しべのある花は、その花冠かかんの下にクルミぐらいの大きさのふくらみを持っている。これがカボチャになる子房ぼうなのだ。しべのある花にはこのふくらみはない。
「まだ花がよく開かないうちに、しべのある花をみんな切りてて、しべの花だけを残しておく。そしてなおねんのために、それを小さなガーゼのへんつつんでおく。そのつつみの大きさは花がじゅうぶんひらけるぐらいにしておくのだ。そうすると、どうなるかわかるかい? しべのある花は切りててあるうえに、つつんだガーゼのふくろ近所きんじょにわからくる昆虫こんちゅうちかよらせないので、花粉ふんを受けることができなくなって、しべのある花はしばらくいただけでしぼんでしまう。そしてカボチャは一つもならない。
「その反対はんたいに、ガーゼのふくろをかぶせてしべの花と遠ざけた、そのどの花にでもカボチャをならせようとするにはどうしたらいいか。それは、ゆびの先に花粉かふんを取ってきて、それをしべの花の柱頭ちゅうとうにぬりつけてやるのだ。それだけのことで、カボチャは立派りっぱのる。
「そのおもしろい実験じっけんをやってみてもいいんですか?」とジュールが聞きました。
「ああ、いいとも。
「わたし、ちょうどそのガーゼを持っててよ。」とクレールがさけびました。
「ぼく、それをゆわえるひもを持ってらあ。」とエミルがいいました。
「さあ、行こうよ。」とジュールはせきたてました。
 そしてヒバリのようにさわいで、三人の子どもは実験じっけん用意よういをしに、にわのほうへけ出しました。

   六一 ツチバチ


 花粉かふんのある花は切りとされて、子房しぼうのついた花はガーゼで別々べつべつつつまれました。毎朝まいあさ、子どもらは花のくのを見に行きました。そして切りとした花の花粉ふんを、しべのある四つ五つの花の柱頭ちゅうとうにふりかけました。すると、はたしておじさんの言ったとおりになりました。柱頭ちゅうとうに花粉をつけられた子房しぼうはカボチャになって、つけられない花はふくれずにしぼんでしまったのです。このまじめな研究けんきゅうであり、かつ、おもしろいたのしみになった実験じっけんのあいだじゅう、おじさんは花の話をつづけておりました。
花粉かふんはいろんな方法ほうほう柱頭ちゅうとうにつく。あるいは高いしべの上からひくしべに、自分のおもさで落ちる。また、かぜが花を動かし、しべのこな柱頭ちゅうとうにつけてやったり、ほかの子房しぼうのところへ遠方えんぽうまではこんでやることがある。
「また、ある花では、しべが自分で動いてその役目やくめをはたすのがある。しべがかわりばんこにがって、その粉袋こなぶくろ柱頭ちゅうとうにこすりつける。それがすむと、ゆるゆるときあがって、こんどはほかのしべがそれをやる。ちょうど、おうさまの足もとにいろんな家来けらいささものをそなえるような恰好かっこうだ。それがすんでしまうと、しべの仕事はもうわったことになる。花がっても、子房ぼう種子しゅしそだはじめるのだ。
「セキショウモは水のそこにはえる草だ。これはフランスの南のほうの川にたくさんえていて、葉はほそ緑色みどりいろのリボンにている。この草は雌雄しゆう異株いしゅ、すなわちしべのある花としべのある花とが別々べつべつの木にく。しべのある花は長い、そしてしっかりと螺線状らせんじようにまいたくきの先にいていて、しべのある花はごくみじかくきについている。水の中では、流れが花粉かふんを流してしまって柱頭ちゅうとうにつくのを邪魔じゃまするので、花粉が子房しぼうのところへ行くことができない。そこでセキショウモは、水面すいめんに出して空中くうちゅうでその花をひらこうとする。それはしべの花にはすぐにできる。そのちぢんだくきをのばして水の表面ひょうめんに出さえすればいい。が、みじかくきを持ってそこのほうにいているしべの花はどうするのだろう?」
「さあ、わかりませんね。」とジュールが答えました。
「ほかのたすけをらないで、自分の力で、その花はくきからはなれて、しべの花にいに水面すいめんへのぼって行くのだ。そして、その小さな白い花冠かかんを開いて、その花粉ふんを風や昆虫こんちゅう柱頭ちゅうとうのところへ持って行ってもらうのだ。それがすむとその花はれて流れにながされてしまう。しべの花は、こうして花粉かふんをつけられると、ふたたびちぢんでそこのほうへしずんで行って、そこでゆっくりとその子房しぼうじゅくさせる。
奇体きたいですねえ、おじさん。その小さな花は自分じぶんでわかってそんなことをしているようですね。
「自分のやっていることはわからないのだ。ただ、機械的かいてきにそうしているだけのことだ。まだ、もっとおもしろいことがあるよ。それはキンギョソウだ。
昆虫こんちゅうは花の媒介者なこうどだ。ハエも、スズメバチも、ミツバチも、ツチバチも、甲虫こうちゅうも、アリも、みんなしべの花粉かふん柱頭ちゅうとうはこんでやる助太刀すけだちをする。虫はみんな、花冠かんそこにあるみつにさそわれて、花の中にもぐりこむ。そしてみつを取ろうとしてしべをゆすると、そのからだに花粉かふんがくっつく。虫はそれをはこんで花から花へとぶのだ。ツチバチが花粉かふんだらけになって花から出てくるのはだれでも見ることだ。この花粉かふんのついただらけのはらは、こうして花から花へと飛んでいる間にしべの花の柱頭ちゅうとうにさわって、そこへ新しい生命せいめいつたえるのだ。春になると花のさかったモモの木に、ハエやハチやチョウのむれが、ブンブンうなりながらいそがしそうにびまわっている。あれは三重さんじゅうようをしているのだ。昆虫こんちゅうは花のそこからみつを持ってくる。木はそのおかげで子房しぼうき出す。そして人間もまた、そのおかげで、たくさんのをとることができる。こうして昆虫こんちゅうはいちばんよく花粉かふんをくばりまわってくれる。
「おじさんがガーゼでカボチャの花をつつませたのは、近所きんじょにわから、昆虫こんちゅう花粉かふんを持ってくるのをふせぐためだったんですね。」とエミルがたずねました。
「そうだ。ああいう設備せつびをしておかないと、遠くの方から昆虫こんちゅうんできて、ほかのカボチャにあった花粉かふんをぬりつけて、このカボチャの実験じっけんがダメになってしまうからね。それもほんのすこしの花粉かふんでいいんだ。わずか一粒ひとつぶでも二粒ふたつぶでも、それで子房しぼうはじゅうぶんきてくるのだから。
昆虫こんちゅうをひきつけるために、あらゆる花はその花冠かかんそこに、みつというあましるが入っている。このしるでハチはハチミツを作るのだ。ふか煙突えんとつのような形をした花冠かかんの中からこのみつい出すのに、チョウは長いラッパのようなくだを持っている。休んでいるときには、チョウはそれを螺線らせんのようにまいているが、あましるいたくなると、それをのばしてきりのように花の中にしこむ。昆虫こんちゅうにはこのみつは見えないのだが、そのありかはよく知ってすぐさがし出す。が、花によっては非常ひじょう厄介やっかいなのがあって、どこもかもかたざされているのがある。そんなときには、どうしてそのみつとど入口いりぐちさがし出すのだろう? そんな花には、ここからはいれというあるしるしがあるのだ。
「そんなことがあるものですか?」とクレールがいいました。
「あるかないか、おまえたちに見せてあげよう。このキンギョソウを見てごらん。この花はかたじて、二枚のくちびるのあいだがふさがっている。色はむらさきがかった赤だが、下唇したくちびるの中ごろに明るい黄色きいろの大きなほしがある。これがいま言ったしるしで、よく目につくようになっている。このしるしが、ここは鍵穴かぎあなだよと言っているのだ。
「このほし小指こゆびしてごらん。そら、すぐ花が口をけるだろう。ここが秘密ひみつかぎのあるところなのだ。おまえたちは、ツチバチはそれを知らないと思うだろう? ところがにわで見ていると、ハチがこの花の秘密ひみつをよく知っていることがわかる。ハチがキンギョソウのところにくると、かならずこの黄色きいろほしに止まって、けっしてほかのところには止まらない。そしてひらくと入って行く。ハチは花冠かかんの中へもぐりこんで花粉かふんをからだにつける。そしてこの花粉かふん柱頭ちゅうとうにつけるのだ。こうしてしるうとまたび出して、ほかの花へ飛んで行く。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(七)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
-------------------------------------------------------

[#5字下げ]五四 昼と夜[#「五四 昼と夜」は中見出し]

『いつかの雲雀のまはりで廻つてゐた薪の燃えてゐる炉のお話が何処かへ行つちやつたやうですね。』とクレエルが云ひました。
『さうぢやない。これで漸くその話のところまで来たんだ。吾々とは三千八百万里離れてゐる太陽が若し毎日地球を一周するものとしたら、一分間にどれ程走るか知つてゐるかい。十万里以上だ。しかし此の非常な早さもまだ何でもないのだ。今も云つたやうに、星は皆な吾々の太陽と同じ大きさの、そして又同じやうに光つてゐる太陽だ。たゞ、あまり離れてゐるので、ごく小さく見えるだけの事だ。その一番近いのでも、地球から太陽までの距離の三万倍もある。これが廿四時間で地球を一廻りするものとすると、一分間に十万里の三万倍だけ走らなければならない。では、その百倍も千倍も百万倍も遠くにあるほかの星が、皆なきつちり廿四時間で地球を一周するものとすると、どうなるだらう? それに又、太陽の非常に大きな事も考へなければならない。お前達は又、此の大きな太陽が、それに較べればほんの粘土の塊りに過ぎない地球のまはりを廻つて、非常な速さで空間を駈けながら、地球に光と熱を与へてゐるものと思へるだらうか。そして又、もつと遠くにある非常に大きな数千の他の太陽、即ち星が、皆なその距離に応じて速力を早めつゝ、毎日、此の小さな地球の周りを廻つてゐるものと思へるだらうか。そんな馬鹿な事はない。そんな事は串に差した鳥のまはりで、薪や、炉や、家を廻さうとするのと同じやうに理窟に合はない。』
『では、地球が廻つてゐるので、私たちも地球と一緒に廻つてゐるのですね。』とクレエルが又口を入れました。『そして此の運動のために、太陽や星は、ちやうど汽車で見た木や家と同じやうに、反対の方向に動くやうに見えるのですね。廿四時間で太陽が地球の東から西へ廻るやうに見えるのは、地球が廿四時間で西から東へ、自分で廻つてゐる証拠ですわね。』
『地球は太陽の前で、ちやうど独楽《こま》のやうに廻つて、次ぎ/\にその違つた処を太陽の光線にさらしてゐるのだ。その上、地球は廿四時間で自分が一廻転する傍ら、一ヶ年かゝつて太陽のまはりを廻るのだ。独楽が廻つてゐる時、ちやうどこれと同じ廻り方をする事がある。独楽が或る一点に立つた儘廻る時には、只ぐる/\自分が廻つてゐるだけだ。が、それを或る方法で投げ飛ばすと、これは私よりもお前達の方がよく知つてゐる事だが、独楽は自分も廻りながら地の上を円く歩き廻る。この場合には、此の独楽は地球の二重の運動をたゞ小さくやつてゐるだけの事だ。独楽がその軸で廻るのは地球が自分で廻つてゐるのと同じで、そしてそれが地の上を歩き廻るのは地球が太陽のまはりを廻るのと同じ事だ。
『お前達は地球の此の二重の運動に就いては、また次ぎのやうな方法でよく分る事が出来る。室の真ん中に一つの丸テーブルを置いて、そのテーブルの上に火のついた蝋燭を立てゝ、それを太陽だとする。それから、爪先きでぐる/\廻りながら、テーブルのまはりを廻るのだ。かうしてお前たちがテーブルのまはりを廻つて見れば、それが即ち地球の二重の運動になる。そして爪先きでぐる/\廻りながら、顔の方と頭の後ろの方とが次ぎ/\に蝋燭の光りに当るのを注意して御覧。一廻りする度に、一方の方は明るく別の方は陰になる。地球もこれと同じく、自分でぐる/\廻りながらその違つた表面を代る代る太陽に向けるのだ。その太陽に向いた方が昼で、その反対の側が夜だ。昼と夜とはかうして実に簡単に起る。廿四時間に一回地球は自分で廻る。此の二十四時間の間に昼と夜とが出来るのだ。』
『昼と夜と代る代るに来る理由がよく分りました。』とジユウルが云ひました。『太陽に向つてゐる地球の半分が昼で、その反対の側の半分が夜なんですね。しかし地球は自分で廻つてゐるのだから、いろんな国は代る代る太陽の方に向いたり、その陰になつたりするんでせう。すると、炉の前で廻つてゐた雲雀はそれと同じやうにそのからだの前と後とを代る/″\熱い方に向けるやうになる訳ですね。』
『誰でも火の方に向いてゐる雲雀の半分は昼で、残りの半分は夜だと云ふでせう。』とエミルが云ひました。
『けども、も一つ僕には分らない事があります。』とジユウルが云ひました。『若し地球が廿四時間毎に自分で一と廻りするんだとしたら、私達はその半分の時間の間地球と一緒に廻つて、そして逆さになつてゐなければならない筈でせう。今はかうして頭を上にして足を下にしてゐますが、もう十二時間経つと、こんどはその反対になつて、頭を下にして足を上にしてゐなければならぬのでせう。今は真直に立つてゐますが、その時には逆さになる筈でせう。そんな事になつても、どうして私達は妙な気持にならないのでせう。どうして落つこちないのでせう。』
『お前の云ふ事は本当だ。』とポオル叔父さんは答へました。『しかしそれはほんの少しだ。今から十二時間すれば、吾々は今とは逆さになる。今吾々が之を向けてゐる方へ頭を向ける事になる。だが、そんな風に逆さになつても、落つこちる心配もなく、又妙な気持になる事もちつともない。頭はいつでも上にあつて、空の方に向いてゐる。そして足はいつも下の方に、即ち地の方に向いてゐる。落ちると云ふ事は地面に跳び下りると云ふ事で、空中に跳び出す事ではない。で、地球がどんなに廻つても吾々はいつも地の上にゐて、足は地上に、頭は空を向いてゐて、何んの不快な事もなく、又落ちる心配もなしに、真直に立つてゐるのだ。』
『地球は早く廻りますか。』とエミルが尋ねました。
『二十四時間に一と回転する。そして一番長い旅をするのは真ん中の部分だが、そこは一時間に四千万メートル、即ち地球の周囲と同じ距離を走る。一秒間に四百六十二メートルだ。これは砲門を出た砲弾と殆んど同じ速さで、一番早い機関車の速度のほぼ三十倍に当る。山も野も海も、皆な一秒に十分の一里以上の素晴らしい速さで、絶えずぐる/\廻つてゐるのだ。』
『それでも私達には何にも動かないやうに見えますね。』とエミルが云ひました。
『吾々の乗つた汽車が非常な大速力で走つてゐる時、それが揺れさへしなければ、吾々はじつとしてゐるのだと思ふのだ。地球のそんなに速い運動も、ごく穏やかなのだ。星の動くのが見えなければ気がつくものでない。』
『では、軽気球に乗つて、うんと高く登つたら、地球の廻るのが下の方に見えるでせうね。』とジユウルが云ひました。『海も島も、大陸も国も、森も山も、その軽気球の上の人の眼の下に代る/″\一つづつ現れて来て、二十四時間のうちには地球をすつかり見る事が出来るでせうね。そしたら随分すてきな景色でせうね。ちつとも疲れない、随分面白い旅行でせうね。そして地球が一廻りしてもとの国に帰つたら、軽気球から降りて、旅が済むのです。廿四時間で場所を変へずに、世界中の見物が出来ますね。』
『さう、その通りだ。それは実にいゝ世界見物の方法だらうね。今吾々が居る此の場所に地球が廻るに従つてほかの人々が来るだらう。海や、遠い処の国や、雪を頂いた山が此処に来るだらう。そして明日は又、同じ時刻になると、我々が此処に帰つて来るだらう。今吾々が話ししてゐる此の杜松の木蔭の処には、まづ第一に、大西洋と云ふ海が来て吾々の話声の代りに波の大きな音が聞えるだらう。一時間も経たない中に此処は大海になつて了ふ。三段に大砲を並べた大きな軍艦が帆を上げて走つて来る。海がもう通り過ぎた。すると、こんどは北アメリカが来る。カナダの大湖水が来る。皮膚の赤いインヂアンが水牛を狩つてゐる涯しない大草原が来る。すると又海だ。大西洋よりは遙かに大きくて、それが通つて了ふには七時間もかゝる。毛皮を着た漁師が鯨を乾してゐる群島は何処だらう。カムチヤツカの南にある千島列島だ。が、それもやつと一目見たか見ない中に、もう過ぎ去つて了ふ。今度は顔の黄色い眼の斜めについた蒙古人や支那人が来る。それや随分珍らしいいろんなものが見える。しかし地球はどん/\廻つて行つて、もう支那も遠くへ行つて了つた。その次には中央アジアの沙漠と雲よりも高い山だ。韃靼人《だったんじん》の牧場には馬の群が嘶《いなな》いてゐる。鼻の平つたいコザツク人の住む、カスピアの草原が来る。南ロシア、オオストリア、ドイツ、スイスが来る。そして最後に又フランスが来る。さあ、早く降りやう。これで地球はもう一とまはり済んだのだ。
『いゝかい、砲弾のやうな速さで走る地球の此の目まぐるしい光景は、心の眼でだけ見る事が出来るんだよ。軽気球に乗つて空に昇ると、ジユウルが云つたやうに、地球が廻つて、陸も海も足下に通り過ぎるのが見えるだらうと思はれる。しかしそんな事は決してない。空気は地球と一緒に廻つて、軽気球も其の空気も一緒に廻るのだ。』

[#5字下げ]五五 一年と四季[#「五五 一年と四季」は中見出し]

『地球は自分で廻りながら、太陽のまはりを廻つて行くんだと云ひましたね。』とジユウルが云ひました。
『さうだ。其の一とまはりするのに三百六十五日かゝる。だから太陽のまはりを廻る間に、地球は自分で三百六十五回廻るのだ。そしてこの一まはりする間に過す月日が丁度一年になるんだ。』
『地球は自分が廻るには二十四時間の一日かゝつて、太陽のまはりを廻るには一年かゝるんですね。』とジユウルが云ひました。
『さうだ。お前が地球になつたとして、太陽の代りにランプを置いた丸テーブルのまはりを廻ると思つて御覧。お前がテーブルを一廻りするのが一年だ。そしてそれをもつと正確にやれば、テーブルを一と廻りする間に、三百六十五回|踵《きびす》でグル/\廻らなければならないのだ。』
『まるで地球が太陽のまはりで踊つてゐるやうなものですね。』とエミルが云ひました。
『あんまりいゝ比較ではないが、まあその通りだ。エミルはまだほんの子供だがよく分るね。一年は十二ヶ月に分れてゐる、それは一月、二月、三月、四月、五月、六月、七月、八月、九月、十月、十一月、十二月だ。月の長さのいろいろと違つてゐるのはちよつと厄介だ。或る月は三十一日づつあるが、他の月は三十日で、二月は年によつて二十八日と二十九日とある。』
『私はどの月が三十一日で、どの月が三十日か、随分迷つて了ひますわ。どうしたらそれが分るんでせうか。』とクレエルが云ひました。
『吾々の手に彫つた自然の暦はごく簡単にそれを教へてくれる。左の手で握拳《にぎりこぶし》を造つてごらん。すると、指のもとのところで拇指を除いたほかの四本の指は、一つづつ高いところと低いところと出来る。右手の人さし指で此の高いところと低いところとを代る/″\順番に先づ小指から始めて、指して見る。そして順々に一月、二月、三月と読んで行く。四本の指が済んだなら、又小指に帰つて、十二月まで読みつゞける。いゝかい。かうして読んで行つて、その高いところに当つた月は三十一日で、低いところに当つた月は三十日だ。尤も第一番目の低いところに当る二月は例外で、これは年によつて二十八日の事もあり、二十九日の事もある。』
『私やつてみるわ。五月は幾日あるか知ら。』とクレエルが云ひ出しました。『一月、二月、三月、四月、五月、あ、五月は節のところだから三十一日だわ。』
『それ御覧、わけないだらう』と叔父さんが云ひました。
『今度は僕だ。九月は幾日あるか知ら。』とこんどはジユウルがやつて見ました。『一月、二月、三月、四月、五月、六月、七月。さあ、今度はどうするんでしたつけねえ。もうこれで指がおしまひですよ。』
『又もとへ帰つて月の名をよみつづけるんだ。』とポオル叔父さんが教へてやりました。
『さつき始めた指からやり直すんですか。』
『さうだ。』
『八月すると節が二つ重なつて、七月と八月とは両方とも三十一日になるんですか。』
『さうだ。』
『もう一遍やり直しますよ。八月、九月、九月は三十日です。』
『何故二月は二十八日あつたり、二十九日あつたりしますの。』とクレエルが尋ねました。
『それはね、地球は太陽のまはりを廻るのに、きつちり三百六十五日かゝるのではないのだ。もう六時間ばかり余計かゝるのだ。で先づ此の六時間を一年の日数の中に加へずに置いて、そして四年目毎にそれを勘定して、その一日を二月の中に加へて、二十八日を二十九日とするんだ。』
『では三年の間は二月は二十八日づつあつて、四年目に二十九日あるのですね。』
『さうだ、二月に二十九日あつた年は、閨年《うるうどし》といふのだから覚えてお置き。』
『では四季といふのは?』とジユウルが尋ねました。
『お前達には少し難しいから分りにくいだらうがね、毎年地球が太陽のまはりを廻るのが、四季の原因にもなれば、夜と昼の長さの違ふ原因にもなるのだ。
『季節は三月づつ四季ある。春、夏、秋、冬がそれだ。大体、春は三月の二十日から六月の二十一日まで、夏は六月二十一日から九月二十二日まで、秋は九月二十二日から十二月二十一日頃まで、そして冬は十二月二十一日から三月二十日までだ。
『三月二十日と九月二十二日には、太陽は地球の端から端まで十二時間見えて、十二時間隠れる。六月二十一日は昼が一番長く夜が一番短いので、太陽は十六時間見えて、八時間隠れる。ごく北の方では、昼の長さが長くなつて、夜が短くなる。其処には此処よりも早く、朝の二時に日が上つて、夜の十時に日が沈む国がある。又、日の出と日の入りが全く一緒になつて今空の向うに日が没したと思つてゐるうちに、忽ち又上つて来る所がある。又、車の軸のやうに、ほかの所は廻つてゐるのに、そこだけは動かないでゐる、極地のところでは、太陽が沈まないで、六ヶ月の間夜中にも日中にも同じやうに太陽が見えると云ふ、不思議な光景を見られる。
『十二月の二十一日には、六月に起つた事の正反対な事が起る。太陽は朝八時に上つて、午後四時にはもう沈んで了ふ。八時間が昼で十六時間が夜なのだ。ずツと先の方に行くと十八時間、二十時間、二十二時間の夜がある所があつて、昼は六時間、四時間、二時間となつてゐる。極地の近所では、太陽はまるで姿も見せないで、昼明りは少しもなく、六ヶ月の間は日中の時間でも真夜中のやうに真暗になつてゐる。』
『昼が六ヶ月、夜が六ヶ月もある、そんな極地の国に住んでゐる人があるのですか。』とジユウルが聞きました。
『いや、あんまり寒さがひどいので、今日迄まだ誰れも極地まで行つたものはない。しかし多少極地に近い処には、人間の住んでゐる国がある。冬になると、葡萄酒や麦酒《ビール》やその他のいろんな飲み物が樽の中で凍つて了ふ。コツプの水を空中に投ると、それが雪になつて落ちて来るし、息をするとその水分が鼻の下で針のやうな霜になつて了ふ。海は深く凍つて、雪や氷の山のやうになつて、陸との見境がつかなくなる。幾月も幾月も太陽の姿は見えず、昼と夜との区別がない。と云ふよりも寧ろ、日中も夜中と同じ長い夜なんだ。しかし、天気のいい日にはその暗さはあまりひどくない。月と星の光が雪に映つて、物を見分ける位の薄明るさになる。そこの人達は此薄明るい中で、ごた/\と犬に引かせた橇に乗つて獲物を狩つて歩く。魚がその一番多い食べものになる。半分腐つた乾した魚や、鯨の腐つた脂肪などがその常食になつてゐる。火に焚く薪も矢張り魚で、それには鯨の骨だのいろんな脂肪だのを使ふ。そこには木と云ふものが無いのだ。どんなに丈夫な木でも、こんな寒いところには育たない。柳や樺は、地にはつてゐるいぢけた小さな灌木のやうになつて、ラプランドの南の端までしか生えてゐない。此のラプランドでは、穀物の中の一番丈夫な麦ももう生えないのだ。そしてそこから北にはもう木質の植物は何にも育たない。そして夏の間だけ、ほんの少しの草や苔が岩穴の中に大急ぎで生える。もつと北へ行くと、夏になつても雪や氷が溶けないで、土はいつも埋れてゐて、植物はまるで生える事が出来ない。』
『まあ、随分陰気な処ですね。』とエミルが云ひました。『もう一つお尋ねしますがね、叔父さん、太陽を廻るのに地球は速く走るのですか。』
『すつかり廻つて了ふのに一年かゝる。けれども太陽から三千八百万里も離れた長い道を廻るには、お前達の想像も出来ないやうな速力で走らなければならない。その速力は一時間に二万七千里だ。一番速い機関車でも一時間に十五里しか走れないのだ。』
『まあ、僕達が考へても分らないやうな重さの此の大きな地球が、そんなに速く此の空を走るのですか。』とジユウルが云ひました。
『さうだ。地球は心棒も台もないが、その自然に出来た立派な道を通つて、一時間に二万七千里の速さで空中を走つてゐるのだ。』

[#5字下げ]五六 ベラドンナの実[#「五六 ベラドンナの実」は中見出し]

 悲しい話しが、家から家へ、村中広まりました。その話しと云ふのはかうです。
 その日ルイは始めて半ヅボンを穿かして貰ひました。それにはポケツトとピカピカ光るボタンがついてゐました。新しい着物を着たルイはちよつと恥かしがりましたが、しかし大喜びでした。彼れは日に輝くボタンが大好きでした。そしてポケツトを幾度もひつくり返して、玩具が皆んな入るかどうか見てゐました。殊にその大得意なのは、いつも同じ時間を指してゐるブリキの時計でした。彼れよりも二つ年上の、兄のジヨセフもやはり大喜びでした。ルイはもう兄さんと同じ着物を着たので、兄さんは鳥の巣や苺のある森の中にルイを連れて行つてもいゝのでした。二人は、頸にかはいらしい小さな鈴をつけた、雪よりも白い一疋の小羊を持つてゐました。そして二人はそれを牧場へ連れて行くのでした。お弁当はバスケツトに詰めました。兄弟とも、遠くへ行つてはいけないと云つてくれるお母さんに、キツスしました。『よく弟に気をつけてね。』とお母さんはジヨセフに云ひました。『手を引いて行くんだよ。そして早く帰つて来るんですよ。』二人は出かけました。ジヨセフはバスケツトを持ち、ルイは小羊を曳いて行きました。お母さんも喜んで、いそ/\しながら、二人を戸口まで見送りました。子供等はお母さんを振り返つてはにつこりしながら、道の角を曲つて見えなくなりました。
 二人は牧場に着きました。小羊は草の上で遊んでゐました。ジヨセフとルイとは蝶を追つかけて、高い木の生えた森の中に入つて行きました。
『ヤア、大きなさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]があるよ。大きくて黒くなつてらあ。さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]だよ。さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]だよ。取つてたべようよ。』と突然ルイが叫びました。
 全く、暗い葉の低い木に、紫がかつた黒い大きな実がなつてゐました。
『此の桜の木は随分低いね。僕今までこんなのを見た事がないよ。木に登る世話もいらなければ、お前も新しいヅボンを破る心配もないね。』とジヨセフが答へました。
 ルイはそれを一つちぎつて口に入れました。それは気のぬけたやうな、ちよつと甘味のあるものでした。
『このさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]はまだ熟してゐないんだよ。』と、ルイは吐き出しながら云ひました。
『これを食べて御覧。これはいゝよ。』ジヨセフはさう云つて、柔かいのを一つくれました。
 ルイはそれを食べて見て、又唾を出してそれを吐き出しました。
『駄目だよ。ちつともうまくないや。』
『まづいつて。そんな事があるもんか。』ジヨセフはさう云つて、一つ食べて、又一つ、又一つと、五つ食べました。そして六つ目になつて、たうとう止しました。やつぱりうまくないのでした。
『さうだね。まだ熟してゐないんだよ。もう少し取らう。そしてバスケツトに入れて熟《う》れさしてやらう。』
 二人は此の黒い実を二た掬ひほど取つて、また蝶を追つかけ始めました。そしてもうさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]の事は忘れて了ひました。
 それから一時間ばかり経つてからの事です。シモンが驢馬を引つ張つて水車場から帰る途中、生垣の下に二人の子供が坐つて抱き合つたまゝ、大きな声で泣いてゐるのを見つけました。その傍には小羊が横になつて、悲しさうに鳴いてゐました。小さい方が、もう一人の方にかう云つてゐました。『兄さん。お起きよ、そしてもう家へ帰らうよ。』兄の方は立ち上らうとしましたが、足が激しく震へて立つ事が出来ません。弟は、『兄さん、兄さん、口を利いておくれよ、口を利いておくれよ。』と云ひますが、兄は目を大きく大きく見張つて、歯をガタ/\云はせてゐるだけです。『籃の中にもう一つ林檎があるよ。あれ欲しいかい。皆んな兄さんにあげるよ。』と弟は頬に涙を流しながら云ひました。が、兄は震へて、痙攣を起して硬くなつて、益々眼を大きく見据ゑるのでした。
 丁度その時シモンがそこへ来合はせました。シモンは二人の子供を驢馬に乗せて、バスケツトを持ち、小羊を引いて、大急ぎで村へ帰りました。
 二三時間前までは元気で、弟を連れていそ/\として出駈けて行つた可愛いジヨセフが、人事不省になつて死にかけてゐるのを見て、可哀さうにお母さんは胸が潰れさうでした。『まあ神様、此の子を助けて、私を殺して下さい。ジヨセフや。ジヨセフや。』お母さんは悲しさに狂はんばかりになつて、ジヨセフに抱きついてキツスしながら、堪えきれなくなつて泣き出しました。
 医者が参りました。バスケツトに残つてゐるさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]と間違ひた黒い実が、此の事件の原因だと云ふ事が、直ぐ分りました。
『あゝ、ベラドンナ(西洋はしりどころ[#「はしりどころ」に傍点])だ。もう遅すぎるな。』と医者は私《ひそ》かに思ひながら、もう毒が大ぶめぐつてゐるので、とても効き目はあるまいと思ひましたが、とにかく薬をくれました。そして、実際、それから一時間ばかり経つてから、お母さんはベツドの傍に踞《ひざまず》いてお祈りをして泣いてゐました。子供の小さな手は、布団の中から引き出されて、冷くなつてお母さんの手に握られてゐました。それは最後のお別れでした。ジヨセフはもう死んだのです。
 翌日、此の子供の葬式があつて、村中の人がそれへ行きました。エミルとジユウルとは悲しさうにして墓場から帰つて来ました。そして五六日といふもの、此の哀れな事件の起つた理由を、叔父さんに聞かうともしませんでした。
 それ以来、ルイは美しいブリキの時計があつても、時々遊ぶのを止して、泣き出しました。ルイは、ジヨセフは遠い遠い処に行つて了つたので、今に帰つて来るだらうと教へられてゐました。で、時々尋ねます。『お母さん。兄さんは何時帰つて来るの。僕、一人で遊ぶのはもういやになつてよ。』お母さんはルイにキツスして、エプロンの端で顔を掩つては熱い涙を流します。『お母さんはジヨセフが大好きなんでせう、それに何故僕がジヨセフのことを聞くたんびに泣くの。』とルイは聞きます。お母さんはびつくりして、力《つと》めて泣くまいとはしますが、やはり涙が流れて来ます。

[#5字下げ]五七 有毒植物[#「五七 有毒植物」は中見出し]

 可哀さうなジヨセフの死は村中をびつくりさせました。子供等が家を出で、野原にでも行くと、その帰つて来るまでは絶えず皆な心配しました。それは、子供の欲しがりさうな花や実をもつた、有毒植物があるからです。そして皆んなは、こんな恐ろしい出来事がないやうにするには、その危険な植物を知つて、それに気をつけるように、子供等に教へるのが一番好い方法だと思ひました。そして皆んながふだん尊敬してゐる物知りのポオル叔父さんのところへ行つて、近所にある有毒植物の話をして貰ふように頼みました。そこで、日曜の晩に、大勢の人がポオル叔父さんの家に集まりました。その中には、叔父さんの二人の甥と一人の姪と、ジヤツクお爺さんアムブロアジヌお婆あさんの外に、水車場からの帰り途で二人の哀れな子供を連れて戻つたシモンと、水車屋のジヤンと、百姓のアンドレーと、葡萄作りのフイリツプと、アントワヌだのマテエだの其他沢山の人がゐました。前の日に、ポオル叔父さんは村中歩き廻つて、その話さうと思ふ植物を集めて来てゐました。花や実のついた、いろんな有毒植物の大きな束が、テーブルの上の水入れに差してありました。
『皆さん。』と叔父さんは始めました。『あぶない事を見ないやうに目を閉ぢて、それで安全だと思つてゐる人があります。又、人間に害になる物のある事が分つて、それがどんなものだかを知らうとする人があります。あなた方は此のあとの方の人です。そして私はそれを嬉しく思ふのです。いろんな悪い事が我々を待ち設けてゐます。我々はそれをよく注意して、その害悪の数を少なくしなければなりません。さて、今吾々は、毎年その犠牲をつくる此の恐ろしい植物を知つて、それを避けると云ふ、此の大事な事が分らなかつたために、恐ろしい不幸な目に逢つて了ひました。若し此の知識がもつと広まつてゐたら吾々が今その死を悼《くや》んでゐるあの子供は、死なずに済んで、今猶そのお母さんのいとし子でゐる事が出来てゐたらうと思ひます。実にあの子供は可哀さうでした。』
 雷が鳴つてさへ眉一つ動かさないポオル叔父さんの眼には、涙が溜つて、声は慄へてゐました。垣根の下で二人の子供が抱き合つてゐるのを見たシモンは、それを思ひ出して人一倍に深く感じました。彼れは日に焼けた痩せた頬に落ちてくる涙を隠さうとして、大きな帽子の縁を下ろしました。叔父さんはちよつと黙つて又話し出しました。
『あの子供はベラドンナで死んだのです。それは赤い鈴形の花を咲かせる可なり大きな草で、実は丸くて赤黒いさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]に似たものです。葉は卵形で縁がギザ/\になつてゐます。草全体が胸を悪くするやうないやな臭ひを放つて、毒を持つてゐるぞと云はんばかりの薄黒い色をしてゐます。其の実はちよつと甘い味を持つてゐてさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]に似てゐるので、殊に危険です。眼を大きくして、どこかを見詰めてゐるやうになつて、ぼんやりとなる、これがベラドンナの毒の特性です。』
 ポオル叔父さんは水入れの中から、ベラドンナの小枝を取り出して、聴きに来た人々に廻してやりました。で、一人一人、手近にその草を見る事が出来ました。
『その名前は何と云ふのですつて。』とジヤンが訊きました。
『ベラドンナ。』
『ベラドンナ。なるほど。私はその草を知つてゐますよ。よく私は水車場の近所の日蔭にそれを見ました。その綺麗なさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]のやうな実に、そんな恐ろしい毒があらうとは思ひませんでしたよ。』
『ベラドンナつてどう云ふ意味ですか。』とアンドレイが尋ねました。
『それは美しい女といふイタリイ語です。昔し、女達はその肌を白くするのに此の草の汁を使つたものなんです。』
『そんな事は私なんぞの赤黒い肌には用のない事ですが、しかし子供の好きさうなその実は困つたものですね。』とアンドレイは顔をしかめました。
『これが牧場に生えたら、牛に危ない事はありませんか。』とこんどはアントニイが尋ねました。
『獣物は滅多に毒のある草木を食ひません。その臭ひで、殊に又本能のお蔭で、毒になるものはたべないです。
『もう一本の、此の大きな葉をした、そして外側が赤で、内側に白と紫の斑《むら》のある花の咲く、人の高さ程の大きな叢になる此の草はヂギタリス(狐尾草)と云ひます。花は長い鈴か、手袋の指先のやうな形をしてゐます。で、この特長に因んだ別な名があります。』
『それぢや、此の辺できつねのてぶくろ[#「きつねのてぶくろ」に傍点]と云ふのでせう。それなら森の廻りによく生えてゐますよ。』とジヤンが云ひました。
『花が手袋の指に似てゐるから、きつねのてぶくろ[#「きつねのてぶくろ」に傍点]と云ふのです。同じ理由から、この花は、ほかの所では、ノオトルダムの手袋[#「ノオトルダムの手袋」に傍点]だとか、マリアのてぶくろ[#「マリアのてぶくろ」に傍点]だとか、又指袋[#「指袋」に傍点]だとか云はれてゐます。ヂギタリスという名はラテン語で、指の形をした花と云ふ事です。』
『こんな綺麗な花に毒があると云ふのは可哀さうですね。庭にでも植ゑたらさぞいゝでせうに。』とシモンが云ひました。
『さうです。装飾植物として植ゑてもゐます。が、それはほかの庭とは厳重に区別してあります。ですが、皆さん、吾々には花の番をすると云ふやうなひまはないのですから、そんなものは植ゑない方がいゝのです。此の草はどこもかも毒です。心臓の動悸を緩めさせて、遂にはそれを止めると云ふ特性を持つてゐるのです。一体何時心臓が動悸を打たなくなるかと云ふ事は云ふ必要もないでせう。
『どくぜり[#「どくぜり」に傍点]はもつと/\危険です。その細かく裂けた葉は山にんじん[#「山にんじん」に傍点]や、オランダぜり[#「オランダぜり」に傍点]の葉とそつくりです。あまり好く似てゐるので、折々それに生命をとられる事があります。何故なら此の恐しい草は垣根や畑の中にまでも生えてゐます。しかし此の毒草とせり[#「せり」に傍点]やにんじん[#「にんじん」に傍点]のやうな野菜とを見分けるにはごく簡単に、その匂ひで分ります。手でどくぜり[#「どくぜり」に傍点]の根を擦つて、それを嗅いでみるんです。』
『あゝ、それやいやな匂ひがします。やまにんじん[#「やまにんじん」に傍点]やオランダぜり[#「オランダぜり」に傍点]にはそんないやな匂ひはありません。それさへ知つてゐたら間違ひつこはありませんよ。』とシモンが口を入れました。
『さうです。それを知つてゐれば間違ひはありません。が、さう云ふ事を知らない人には匂ひの事は分りませんね。しかし今晩あなた方は私の話をきいてそれが分つた筈です。』
『ポオルさん、あなたのお蔭で有毒植物の事がよく分りました。やまにんじん[#「やまにんじん」に傍点]の代りに、毒にんじん[#「毒にんじん」に傍点]を入れたサラダを造らないやうに、家に帰つたら、よくあなたに聞いた通り教へてやります。』とジヤンが云ひました。
『此のどくぜり[#「どくぜり」に傍点]には二通りあります。一つはおほどくぜり[#「おほどくぜり」に傍点]と云つて、湿つた処や、まだ耕やさない土地に生えるのです。これはやまにんじん[#「やまにんじん」に傍点]そつくりで、茎に黒か赤の斑があります。もう一つはこどくぜり[#「こどくぜり」に傍点]と云つてオランダぜり[#「オランダぜり」に傍点]そのまゝです。これは耕した土地や、庭や垣根に生えます。両方とも嘔《は》きたくなるやうないやな匂ひを持つてゐます。
『まだここにごく見分け易い毒草があります。それはオランダかいう[#「オランダかいう」に傍点]です。大抵は垣根に生えてゐます。葉は大変広くて槍の形をしてゐます。花は驢馬の耳のやうな恰好をしてゐます。そしてその花の底から、バタで作つた小指のやうなものが出てゐます。此の変な花に、やがてすばらしく赤い豆ほどの大きさの実がなります。此の草は何処もかも舌を焼くやうな堪らない味を持つてゐます。』
『ポオルさん。此の間家のリユシエンがそれでひどい目に逢ひましたよ。リユシエンが学校の帰りに、垣根の処で、今あなたが云つたやうな驢馬の耳のやうな花を見たんださうです。そしてその中の小指のやうなのがおいしさうに見えたんで、何んにも知らないもんだから先生食ひたくなつて、たうとうそれを食べたんですよ。すると、忽ち真赤に焼けた石炭を噛んだやうに舌が焼け出して、リユシエンは唾を吐き/\顔を顰《しか》めて帰つて来ましたよ。しかしもう今度はこりて食べないでせうよ。いゝ事に嚥み込んでゐなかつたものだから、翌くる朝は癒りましたがね。』とマテイユが云ひました。
『又、それに似た焼きつくやうな味は、たかとうだい[#「たかとうだい」に傍点]を切つた時に出る乳のやうな白い汁にもあります。たかとうだい[#「たかとうだい」に傍点]は何処にでもよくある草で、見かけのみすぼらしい草です。花は小さくてちよつと黄色で、此の草の頭の方に咲きます。この草は茎を切ると乳のやうな白い汁が沢山出るから直ぐ見分けがつきます。この汁は皮膚についても、皮膚が弱いと危いので、毒々しい焼けるやうな味がその特徴なのです。
『又、ヂギタリスに似たとりかぶと[#「とりかぶと」に傍点]は激しい毒を持つてゐるのですが、その花が美しいのでよく庭に植えます。此の草は丘陵地にあるのです。花は青か黄色のヘルメツト形で、見事に間を離れて咲きます。葉は光沢《つや》やかな緑色で四方に切れてゐます。此のとりかぶと[#「とりかぶと」に傍点]は大変な毒を持つてゐて、あまりその毒が強いので、犬の毒だとか、狼の毒だとか云はれてゐる程です。歴史を見ると、昔は矢だとか槍の先だとかにとりかぶと[#「とりかぶと」に傍点]の汁を塗つて、敵を殺したものださうです。
『往々又、冬になつても落ちない大きな光沢のある葉をした、黒い卵形の団栗《どんぐり》位の大きさの実のなる木を、庭に植えてあります。これはチエリイベイ(一種の月桂樹)です。その葉も花も実も杏や桃の核のやうな苦い匂ひを持つてゐます。このチエリイベイの葉はクリイムや牛乳に香ひをつけるために使ふ事があります。しかしこれは充分注意してやらないといけません。チエリイベイには酷い毒があるのです。ちよつとその木の陰に坐つてゐても、その苦い匂ひで気持が悪くなると云はれてゐる程です。
『又、秋になると、湿地に、薔薇色やライラツク色の大きな美しい花が、茎も葉もないまゝで沢山生えます。これは犬さふらん[#「犬さふらん」に傍点]と云ひます。寒い頃の夕方咲きます。地面を少し掘り下げると、此の花は樺色の皮をきた大きな球根が出てゐる事が分ります。これは毒草ですから、牛は決して食べません。球根にはもつと酷い毒があるのです。
『今日は余り沢山毒草の話しをしました。今日はもうこれで止しませう。そして次の日曜にはきのこ[#「きのこ」に傍点]の話をしませう。』

[#5字下げ]五八 花[#「五八 花」は中見出し]

 前の日ポオル叔父さんが毒草の話をした時、皆んなはごく熱心に聞いてゐました。花の話をする時に、誰れがそれを聞かない人がありませう。が、ジユウルとクレエルとはもつと詳しくそれを聞きたいと思ひました。昨日叔父さんが見せてくれた花はどんな風に出来てゐるのか。その中にはどんなものがあるのか。又その花は植物にどんな用をするのか。庭の大きなたづのき[#「たづのき」に傍点]の下で叔父さんは次の話をし始めました。
『昨日お話したヂギタリスの花から始めやう。さあ、此処にその花が一つある。御覧の通り、ちやうど手袋の指先か、尖つた帽子のやうな形をしてゐる。エミルの小指位はその中に入つて了ふ。此の花は赤がかつた紫色をしてゐる。内側の方には白い縁のついた晴紅《とき》色の斑がある。そして此の花は五枚の小さな葉が輪になつたものへ真中から出てゐる。此の小さな葉もやはり花の一部分だ。これが集つて萼《がく》といふものを造つてゐるのだ。残りの赤い部分は花冠と云ふものだ。此の名は初耳だらうがよく覚えておくがいゝ。』
『花冠といふのは花の色のついた部分の事で、萼と云ふのは花冠の台になつてゐる小さな葉の輪の事です。』とジユウルが云ひました。
『大概の花は同じやうな袋を二つもつてゐて、その一つはもう一つの方の中に入つてゐる。此の外側の袋、即ち萼は殆どいつも緑色で、内側の袋即ち花冠は吾々を喜ばせる美しい色で飾られてゐる。
『此処にあるぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]の萼は、やはり五枚の小さな葉で出来てゐて、五枚の大きな花冠は薔薇色をしてゐる。この花冠の一つ一つを花弁と云ふのだ。花弁が集つて花冠になるのだ。』
『ヂギタリスの花冠は一つの花弁もなくつて、ぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]には五枚ありますね。』とクレエルが云ひました。
『ちよつと見るとさうだが、気をつけて見ると両方とも五枚あるのだ。どの花でも殆ど皆な、蕾の中で花弁が一つにかたまつて了つて、一枚の花弁としか見えない花冠になるものだ。しかし、大てい、そのかたまつた花弁が花の端の方でちよつと割れてゐて、そのギザ/\で何枚の花弁が一つになつたのか分る。
『此の煙草の花を見てごらん。この花冠はちよつと見ると一枚の花弁で出来た樽形の煙出しのやうな形をしてゐるだらう。しかし、花の端の方が五つの同じやうな部分に分れてゐる。で、煙草の花にもぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]と同じやうに五枚の花弁があるのだ。たゞその五枚の花弁が、一つ一つはつきりと分れてゐないで、煙出しのやうな形に一つにかたまつて了つたのだ。
『花弁が一つ一つはつきりと分れた花冠は複弁花冠と云はれてゐる。』
『ぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]のやうなのがさうなんですね。』とクレエルが尋ねるやうに云ひました。
『梨や、杏や、苺もさうだよ。』とジユウルが附け足して云ひました。
『ジユウルはまだあの綺麗な三色|菫《すみれ》や普通の菫の事を忘れてゐますね。』とエミルが云ひました。
『花弁が一つにかたまつてゐる花は単弁花冠といふのだ。』とポオル叔父さんが云ひました。
『例へばヂギタリスやたばこ[#「たばこ」に傍点]がさうですね。』とジユウルが云ひました。
『垣根に生えてゐる、綺麗な風鈴草もさうですね。』とエミルが云ひました。
『こゝにあるきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]の花も、やはり五つの花弁が一つになつてゐる。』
『どうしてこれをきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]なぞと云ふのでせう。』とエミルが聞きました。
『その花を圧《お》すとちやうど金魚のやうに口をぱく/\開けるからだ。』
 ポオル叔父さんは此の花の口を開けてみせました。指で圧すと、噛みつくやうに口を開けたり閉ぢたりします。エミルはじつとそれを見つめてゐました。
『此の口には上と下と二枚の唇がある。よく見ると上唇は二つに割れてゐる。それが二枚の花弁だと云ふ事が分り、下唇は三つに分れてゐて、三枚の花弁だと云ふ事が分る。だから、きんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]の花冠は一枚のやうに見えるが、実際は五枚の花弁がくつついてゐるのだ。』
『すると、ぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]や梨や杏の花弁は一つ一つ離れてゐて、ヂギタリスやきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]やたばこ[#「たばこ」に傍点]の花弁は一つになつてゐると云ふ違ひがあるだけで、ぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]も、梨も、杏も、ヂギタリスも、たばこ[#「たばこ」に傍点]も、きんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]も皆んな花弁は五つあるんですね。』とクレエルが云ひました。
『くつついてゐやうが、離れてゐやうが、とにかく花弁が五枚の花はほかにも沢山ある。』とポオル叔父さんは話しつづけました。
『また萼の話に戻らう。萼を造つてゐる五枚の緑の葉は萼片と云ふのだ。今見た花はどれも五枚の萼片を持つてゐる。ぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]にも五つ、たばこ[#「たばこ」に傍点]にも五つ、ヂギタリスにも五つ、きんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]にも五つある。花弁と同じやうに、萼の各部分即ち萼片も、別々になつたまゝのものと、一つにくつついたものとあるが、どれもその数がちやんと分るやうになつてゐる。
『萼片がはつきり分れてゐるものは複状萼と云ふ。ヂギタリスやきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]はさうだ。
『萼片のくつついて一つになつた萼は単状萼と云ふので、たばこ[#「たばこ」に傍点]の花の萼がそれだ。五つのギザ/\があるから、誰れでもこれは五枚の萼片が一つにくつついたんだと云ふ事が分る。』
『どれにもこれにも五といふ数があるんですわね。』とクレエルが云ひました。
『花は云ふまでもなく実に美しいものだが、又不思議な構造に出来てゐる。どの花もちやんとした規則で作つたやうに、数がきまつてゐる。そして五の数で出来てゐるのが一番普通なんだ。だから今朝調べた花にはどれも五つの花弁と五つの萼片とがあるのだ。
『その次ぎに普通なのはその数だ。それはチユウリツプや、百合や、谷間の姫百合のやうな膨らんだ花がさうだ。これらの花には緑色の萼はなくて、内側に三枚外側に三枚、都合六枚の花弁で出来た花冠があるのだ。
『萼と花弁とは花の着物で、寒さを防ぐのと、人の眼を喜ばせるのと、二重の用をする。外側の着物の萼は、粗末な色をした丈夫なもので、悪い気候に堪えるやうに出来てゐる。そして蕾を保護して、それを暑さや寒さや雨に当てないやうにする。薔薇やぜにあふひ[#「ぜにあふひ」に傍点]の蕾を見て御覧、五枚の萼片が一つになつて、しつかりと蕾を包んでゐる。雫一つ中に浸みこませない程確りとくつついてゐる。花の中には、夜の寒さに当てないやうにするために、夕方になると萼が蕾《つぼ》んで了ふのもある。
『内側の着物、即ち花冠は綺麗な色をした地で美しい形になつてゐる。花は吾々の婚礼服のやうなものだ。これが一番吾々の眼を引きつけるものだから、吾々は花冠が花の一番大事な部分だと思ふが、実は附けたりのお飾りに過ぎないのだ。
『此の二つの着物の中では、萼の方が大事なものだ。花冠のない花は沢山あるが、萼のない花はない。花冠のない花は目にとまらないので、吾々はそれを花の咲かない木だと思ふ。が、それは間違ひだ。どんな草木にも花は咲くのだ。
『柳や、樫や、白楊や、松や、ぶな[#「ぶな」に傍点]や、小麦や、其他のいろんな植物には花がないやうですね。僕見た事がありませんよ。』とジユウルが尋ねました。
『柳や樫やその他の木にも花は咲くのだ。たゞ、花が小さくて花冠が無く、あまりその花が目立たないので、吾々が気づかないだけの事だ。これには例外といふものは無い。どんな植物にも花は咲く。』

[#5字下げ]五九 果実[#「五九 果実」は中見出し]

『あの人はこんなに着て居るとか、あんなに着てゐるとか、云ふだけでは、その人を知つてゐるとは云へない。花は萼と花冠の着物を着てゐると云ふ事が分つたところで、まだ花を知つてゐるとは云へない。此の着物の下に何にがあるのか。
『こんどはにほひあらせいとう[#「にほひあらせいとう」に傍点](丁子《ちょうじ》の一種)の花を調べてみやう。此の花には四枚の萼片で出来た萼と、四枚の黄色い花弁で出来た花冠とがある。此の八つのものを取り捨てゝ了ふ。すると、その後に残つたものが大事な部分で、花には出来ぬ役目をするもので、これが無くては花はもうその花として、役目を果す事の出来ない、何んの用もないものになる。それで此の残つた物をよく調べやう。
『第一に、黄色い粉が一杯はいつた袋を持つた、六本の小さな白い棒がある。此の六本の棒は雄蕋《ゆうずい》と云ふのだ。雄蕋はどの花にも必ずいくつかある。にほひあらせいとう[#「にほひあらせいとう」に傍点]にはそれが六本あつて、長い方の四本は対になつてゐて二本は短い。
『雄蕋の頭についてゐる二つ重なつたやうな袋は葯《やく》と云ふのだ。そしてその袋の中にはいつてゐる粉は花粉と云ふのだ。丁子や百合や、其他大抵の植物の花粉は黄色だが、美人草《ひなげし》のは灰色をしてゐる。』
『叔父さんは此の間、森の風で吹き上げられた花粉の雲が、硫黄の雨のやうに見えると話して聞かせましたね。』とジユウルが云ひました。
『此の六本の雄蕋も取つて了ふ。こんど残つたのは、底が脹れて、上の方が小さくなつて、頭の上は粘々したもので湿《ぬ》れてゐる。これは雌蕋《しずい》と云つて、底の脹れたところを子房と云ひ、頭の粘々した処は柱頭といふのだ。』
『こんな小さな物にいろんな名があるんですね。』とジユウルが云ひました。
『なる程小さいが、仲々大事なものなんだ。此の小さいものが、吾々の毎日のパンになるのだ。此の小さなものが、不思議な仕事をしてくれなかつたら、吾々は飢死をして了ふかも知れない。』
『では、その名を忘れないやうにしませう。』とジユウルが云ひました。
『僕だつて忘れませんよ。が、もう一遍話して下さい。随分難しいものです。』とエミルが云ひました。
 ポオル叔父さんはもう一度話してやりました。ジユウルとエミルとは叔父さんについて、雄蕋、花粉、雌蕋、子房、柱頭を繰返して云ひました。
『ナイフで花を二つに割つて見やう。さうすると子房の中の方が分るからね。』
『小さな種子が二つの室に行儀よく並んでゐますよ。』とジユウルが云ひました。
『この小さな種子は何だか知つてゐるかね。』
『いゝえ。』
『これが今に、此の草の種子になるのだ。子房は種子が出来る所なんだ。時期が来ると花は枯れて了ふ。花弁が萎んで落ちて、萼も落ちる。或は、萼たちは暫くの間生き残つて、保護者の役目を果してから落ちる。雄蕋は乾いて離れて了つて、後にはたゞ子房だけが残る。そして子房はだん/\大きくなつて、熟して、最後に実となるのだ。
『梨も、林檎も、杏も、桃も、胡桃も、さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]も、瓜も、苺も、はたんきやう[#「はたんきやう」に傍点]も、栗も、皆んな雌蕋の底の膨れた所が大きくなつたものだ。そして、吾々のたべ物になるやうに木が造つてくれるものは皆初めは此の子房だつたのだ。』
『梨は初めは梨の花の子房だつたのですか。』
『さうだ。梨も、林檎も、さくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]も、杏も、皆んな綺麗な花の子房が大きくなつたのだ。では、杏の花を見せてあげやう。』
 ポオル叔父さんは杏の花を持つて来て、ナイフで割つて子供等にその中を見せました。
『花の中央に、雄蕋に取り巻かれた雌蕋があるだらう。その頭の方にあるのが柱頭で、底の方に膨れたのは、今に杏になる子房なんだ。』
『あの小さな緑色のが、僕の大好な、おいしい汁の出る杏になるんですか。』とエミルが訊きました。
『さうだ。あの緑色のが、エミルの大好な杏になるのさ。お前達はパンになる子房を見たいと思ふかね。』
『えゝ、何もかも珍しいもの許りですよ。』とジユウルが答へました。
『珍らしいどころか、大事な事だよ。』
 クレエルは叔父さんに云ひつけられて針を持つて来ました。非常に念を入れて、叔父さんは花の一ぱいに咲いた麦の穂から、その一つだけ取り離しました。
『パンになる此の尊い草はお化粧をする事を考へるひまがないんだ。世界中の人間を養ふと云ふ大事な仕事があるんだからね。で、こんな粗末な着物を着てゐるんだ。萼と花冠の代りに、ごく粗末な皿のやうなものが二枚あるだけだ。二つに重なつたやうな袋を持つた三本の雄蕋が下に垂れてゐるだらう。此の花の大事な所は樽形の子房で、これが熟したら一粒の小麦になるのだ。その柱頭の上にはごく細い二つの羽がついてゐる。お前達は、吾々を生かしてくれる此の飾気のない小さい花をよく見てお置き。』

[#5字下げ]六〇 花粉[#「六〇 花粉」は中見出し]

 幾日かすると、又どうかすると二三時間のうちに、花は萎んで了ふ。雄蕋も雌蕋も萼も枯れて了ふ。そしてたゞ一つ後に残るのは、実になる子房だけだ。
『さて、花のほかの部分が枯れ落ちる時にも、後まで生き残つて、茎にくつついてゐる此の子房は、花の一番勢ひのいゝ時に、新しい生命とも云ふべき力をつけられるのだ。そして花冠は、その美しい色と匂ひとで、子房が此の新しい力をつけられる大事な時をお祝ひする。それが済んで了ふと、花はもうその役目を終つたのだ。
『ところで、この力をつけてやるものは、雄蕋の黄色い粉、即ち花粉で、これがなかつたら、種子は子房の中で死んで了はなければならない。花粉はいつも粘々した柱頭に落ちる。そして此の柱頭から子房の奥の深くの方にまではいつて行く。かうして、新しい力をつけられて勢ひづいた種子は急に発育して、子房はそれに応じて膨れてゆく。此の不思議な仕事の最後の結果が、やがて新しい芽を出す種子を持つた実になるのだ。
『こんどは、花粉が柱頭に落ちると云ふ事が、何故子房を実にする一番大事な事か、と云ふ事を話して上げやう。
『大抵の花には雄蕋と雌蕋の両方がある。今まで見た花は皆さうだつた。だが、中には、或る花には、雄蕋だけあつて、別な花には雌蕋だけあるのがある。又中には、同じ木に、雄蕋だけの花と、雌蕋だけの花とあるものがある。また中には、雄蕋を持つた花も、雌蕋を持つた花も、別々な木に咲くのがある。
『余りいろ/\と教へ過ぎたかも知れないが、私は、同じ木に、雄蕋だけを持つた花と、雌蕋だけを持つた花とが咲くのは、雌雄同株の植物と云ふのだと云ふ事を教へてあげたいのだ。此の言葉は「同じ家に住んでゐる」と云ふ事だ。つまり、雄蕋だけの花と、雌蕋だけの花とが、同じ木に咲くところから、一つ家に住んでゐると云ふわけだ。南瓜、胡瓜、瓜などは雌雄同株の植物だ。
『雄蕋を持つた花と、雌蕋を持つた花とが別々な木に咲く植物は雌雄異株の植物、即ち、別々な家に住む植物と云ふのだ。こんな木には、子房と花粉とは同じ木にはないのだ。いなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]、なつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点](海棗《うみなつめ》)、あさ[#「あさ」に傍点]などは雌雄異株植物だ。
『いなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]はフランスのごく南の方に出来る。実は豆と同じやうな莢に入つてゐるが、樺色で長くて肥つてゐる。そして実は大変に甘い。若し、気候がよくて、いなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]が此辺の畑にも生えるものだとしたら、吾々はどのいなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]を植えたらいゝだらう。勿論それは雌蕋のある方だ。何故なら、それには実になる子房があるのだ。しかしそれだけでは足りない。それだけを植ゑたのでは、雌蕋のあるいなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]は年々花は開くが少しも実を結ばない。といふのは、枝に子房一つ残さずに花が散つて了ふからだ。では、何にが必要なのか? それには花粉の仕事が必要なのだ。雌蕋のあるいなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]の傍に、雄蕋のあるいなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]を植えてみる。こんどは望み通り実を結ぶ。風と昆虫とが雄蕋から柱頭へ花粉を運ぶ。すると、眠つてゐた子房が生き上がつて、莢はだん/\大きくなつて熟して行く。花粉があつて実が出来、花粉がなければ実は出来ないのだ。ジユウル、分つたかい。』
『よく分りましたよ、叔父さん。が、残念な事に私はいなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]を知りません。此の辺にあるものを何にか教へて下さいよ。』
『それも教へてあげよう。だがその前に、もう一つほかの例を話さう。
『なつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]は、いなごまめ[#「いなごまめ」に傍点]と同じやうに、やはり雌雄異株植物だ。アラビア人はその実を取らうと思つてなつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]を栽培する。――アラビア人には此のなつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]が主なたべ物なのだ。』
『なつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]といふのは乾かして箱詰めにしてある大変おいしい長い果物ですね。この間の縁日でトルコ人がそれを売つてゐましたつけ。核は長くつて、縦に裂けてゐますね。』とジユウルが云ひました。
『それだよ。日に焼けた砂原だらけの、なつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]の生える国では、水のある肥えた土地は少い。そして此の水のある肥えた所はオアシスと云ふのだ。アラビア人は出来るだけよく此のオアシスを利用しなければならない。で、アラビア人は実の出来る雌蕋のあるなつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]だけをそこに植える。そして花の咲く頃になると、雄蕋を持つた野生のなつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]の林を探しに遠くまで出かけて行つて、その花粉を畑に撒く。かうしなければ、実は出来ないのだ。』
『子房も大事だが、花粉もやはり大事なんですね。叔父さん。花粉がなければ、なつめしゆろ[#「なつめしゆろ」に傍点]を食べる事も出来ず、杏も桃も食べられないのですね』とエミルが云ひました。
『畑にある長い南瓜の蔓が、もう花を咲きかけてゐるだらう。あれで次のやうな実験をしてごらん。
『南瓜は雌雄同株の植物だ。即ち、雄蕋の花と、雌蕋の花とが同じ一本の木にある。花がまだ十分開かない中に、その区別はよく分る。雌蕋のある花は、その花冠の下に、胡桃位の大きさの膨らみを持つてゐる。これが南瓜になる子房なのだ。雄蕋のある花には此の膨らみはない。
『まだ花がよく開かない中に、雄蕋のある花を皆な切り捨てゝ、雌蕋の花だけを残して置く。そして猶念のために、それを小さなガアゼの片で包んで置く。その包みの大きさは花が十分開ける位にしておくのだ。さうすると、どうなるか分るかい。雄蕋のある花は切り捨てゝある上に、包んだガアゼの袋が近所の庭から来る昆虫を近寄らせないので、花粉を受ける事が出来なくなつて、雌蕋のある花は暫く咲いただけで萎んで了ふ。そして南瓜は一つもならない。
『その反対に、ガアゼの袋をかぶせて雄蕋の花と遠ざけた、そのどの花にでも、南瓜をならせやうとするにはどうしたらいゝか。それは、指の先に花粉を取つて来て、それを雌蕋の花の柱頭に塗りつけてやるのだ。それだけの事で、南瓜は立派に実のる。』
『その面白い実験をやつてみてもいゝんですか。』とジユウルが訊きました。
『あゝいゝとも。』
『私、ちやうどそのガアゼを持つてゝよ。』とクレエルが叫びました。
『僕それを結える紐を持つてらあ。』とエミルが云ひました。
『さあ、行かうよ。』とジユウルは急き立てました。
 そして雲雀のやうに騒いで、三人の子供は実験の用意をしに庭の方へ駈け出しました。

[#5字下げ]六一 土蜂[#「六一 土蜂」は中見出し]

 花粉のある花は切り落されて、子房のついた花はガアゼで別々に包まれました。毎朝子供等は花の咲くのを見に行きました。そして切り落した花の花粉を、雌蕋のある四つ五つの花の柱頭にふりかけました。すると、果して叔父さんの云つた通りになりました。柱頭に花粉をつけられた子房は南瓜になつて、つけられない花は膨れずに萎んで了つたのです。此の真面目な研究であり、且つ面白い楽しみになつた実験の間ぢう、叔父さんは花の話をつづけて居りました。
『花粉はいろんな方法で柱頭につく。或は高い雄蕋の上から低い雌蕋に、自分の重さで落ちる。又、風が花を動かし、雄蕋の粉を柱頭につけてやつたり、ほかの子房のところへ遠方まで運んでやる事がある。
『又、或る花では、雄蕋が自分で動いてその役目を果すのがある。雄蕋が代りばんこに曲つて、その粉袋を柱頭に擦りつける。それが済むと、緩々《ゆるゆる》と起き上つて、こんどはほかの雄蕋がそれをやる。ちやうど王様の足許にいろんな家来が捧げ物を供へるやうな恰好だ。それが済んで了ふと、雄蕋の仕事はもう終つた事になる。花が散ても、子房は種子を育て始めるのだ。
『せきしようも[#「せきしようも」に傍点]は水の底に生える草だ。これはフランスの南の方の川に沢山生えてゐて、葉は細い緑色のリボンに似てゐる。此の草は雌雄異株、即ち雄蕋のある花と、雌蕋のある花とが、別々の木に咲く。雌蕋のある花は長いそしてしつかりと螺線状に巻いた茎のさきに咲いてゐて、雄蕋のある花はごく短い茎についてゐる。水の中では、流れが花粉を流して了つて柱頭につくのを邪魔するので、花粉が子房のところへ行く事が出来ない。そこで、せきしようも[#「せきしようも」に傍点]は、水面に出して空中でその花を開かうとする。それは雌蕋の花には直ぐに出来る。その縮んだ茎を伸して水の表面に出さへすればいゝ。が、短い茎を持つて底の方に咲いてゐる雄蕋の花はどうするのだらう。』
『さあ、分りませんね。』とジユウルが答へました。
『他の助けを借らないで、自分の力で、その花は茎から放れて、雌蕋の花に逢ひに水面へ上つて行くのだ。そしてその小さな白い花冠を開いて、その花粉を風や昆虫に柱頭のところへ持つて行つて貰ふのだ。それが済むと、その花は枯れて流れに流されて了ふ。雌蕋の花は、かうして花粉をつけられると、再び縮んで底の方へ沈んで行つて、そこでゆつくりとその子房を熟させる。』
『奇体ですねえ、叔父さん。その小さな花は自分で分つてそんな事をしてゐるやうですね。』
『自分のやつてゐる事は分らないのだ。たゞ、機械的に、さうしてゐるだけの事だ。まだ、もつと面白い事があるよ。それはきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]だ。
『昆虫は花の媒介者《なこうど》だ。蠅も、胡蜂も、蜜蜂も、土蜂も、甲虫も、蟻も、皆雄蕋の花粉を柱頭に運んでやる助太刀をする。虫は皆な、花冠の底にある蜜に誘はれて、花の中に潜り込む。そして蜜を取らうとして、雄蕋を揺《ゆす》ると、そのからだに花粉がくつつく。虫はそれを運んで花から花へと飛ぶのだ。土蜂が花粉だらけになつて花から出て来るのは誰れでも見る事だ。此の花粉のついた毛だらけの腹は、かうして花から花へと飛んでゐる間に雌蕋の花の柱頭に触つて、そこへ新しい生命を伝へるのだ。春になると花の咲き盛つた桃の木に、蠅や蜂や蝶の群が、ぶん/\唸りながら忙しさうに飛び廻つてゐる。あれは三重の用をしてゐるのだ。昆虫は花の底から蜜を持つて来る。木はそのおかげで子房が活き出す。そして人間も亦、そのおかげで、沢山の実をとる事が出来る。かうして昆虫は一番よく花粉を配り廻つてくれる。』
『叔父さんがガアゼで南瓜の花を包ませたのは、近所の庭から、昆虫が花粉を持つて来るのを防ぐためだつたんですね。』とエミルが尋ねました。
『さうだ。あゝ云ふ設備をしておかないと、遠くの方から昆虫が飛んで来て、ほかの南瓜にあつた花粉をぬりつけて、此の南瓜の実験が駄目になつて了ふからね。それもほんの少しの花粉でいゝんだ。僅か一粒でも二粒でも、それで子房は十分活きて来るのだから。
『昆虫を引きつけるために、あらゆる花はその花冠の底に、蜜と云ふ甘い汁が入つてゐる。此の汁で蜂は蜂蜜を作るのだ。深い煙突のやうな形をした花冠の中から此の蜜を吸ひ出すのに、蝶は長い喇叭《ラッパ》のやうな管を持つてゐる。休んでゐる時には、蝶はそれを螺線のやうに巻いてゐるが、甘い汁を吸ひたくなると、それを伸して錐のやうに花の中に差し込む。昆虫には此の蜜は見えないのだが、そのありかはよく知つて直ぐ探し出す。が、花によつては非常に厄介なのがあつて、どこもかも堅く閉されてゐるのがある。そんな時には、どうしてその蜜に届く入口を探し出すのだらう。そんな花には、此処から入れといふ或るしるしがあるのだ。』
『そんな事があるものですか。』とクレエルが云ひました。
『あるかないかお前たちに見せてあげよう。此のきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]を見てごらん。此の花は堅く閉ぢて、二枚の唇の間が塞つてゐる。色は紫がかつた赤だが、下唇の中頃に明い黄色の大きな斑《ほし》がある。これが今云つたしるしで、よく目につくやうになつてゐる。此のしるしが、此処は鍵穴だよと云つてゐるのだ。
『此の斑を小指で押してごらん。そら、直ぐ花が口を開けるだらう。こゝが秘密の鍵のある所なのだ。お前たちは、土蜂はそれを知らないと思ふだらう。ところが、庭で見てゐると、蜂が此の花の秘密をよく知つてゐる事が分る。蜂がきんぎよさう[#「きんぎよさう」に傍点]のところに来ると、必ず此の黄色い斑に止つて、決してほかの所には止らない。そして戸が開くと入つて行く。蜂は花冠の中へ潜り込んで花粉をからだにつける。そして此花粉を柱頭につけるのだ。かうして汁を吸ふと又飛び出して、他の花へ飛んで行く。』(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。一般的な国名・地名などは解説省略。
  • 北アメリカ
  • カナダ
  • カムチャツカ カムチャツカ半島。(Kamchatka)ロシア東端の太平洋に突出した半島。東はベーリング海、西はオホーツク海に面し、千島海峡を隔てて千島列島のシュムシュ島と対する。28の活火山を含む160以上の火山がある。長さ約1200キロメートル。最高地点はクリュチェフスキー火山(標高4750メートル)。
  • 千島列島 ちしま れっとう 北海道本島東端からカムチャツカ半島の南端に達する弧状の列島。国後・択捉(以上南千島)、得撫・新知・計吐夷・羅処和・松輪・捨子古丹・温祢古丹(以上中千島)、幌筵・占守・阿頼度(以上北千島)など。第二次大戦後ロシア(旧ソ連)の管理下にある。クリル列島。
  • 中央アジア ちゅうおう- ユーラシア大陸中央部の乾燥地帯。西はカスピ海、北はシベリア平原、東はアルタイ山脈、南はヒンズークシ・崑崙両山脈に囲まれた、パミールを中央とする地域をさす。古代から遊牧とオアシス農業、シルクロードによる隊商の中継貿易が行われ、数多くの国家が交替。現在は中国の新疆ウイグル自治区・カザフスタン・ウズベキスタン・キルギス・トルクメニスタン・タジキスタンの五か国、アフガニスタンの北部とに分かれる。
  • カスピア
  • 南ロシア
  • オーストリア
  • ドイツ
  • スイス
  • フランス
  • ラップランド Lapland スカンディナヴィア半島北部のほぼ北極圏内にある地方。ラップ人居住地域。ノルウェー・スウェーデン・フィンランド各国の北部からロシアのコラ半島までを含み、ツンドラやタイガが大部分を占める。世界遺産。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。




*難字、求めよ

  • 軽気球 けいききゅう 気球に同じ。
  • 杜松 ねず ヒノキ科の常緑針葉樹。東アジア北部に分布し、西日本に自生。庭木、特に生垣に栽植。高さ1〜10メートル。樹皮は赤みを帯びる。葉は3個ずつ輪生。春、雌雄の花を異株に生じ、紫黒色の肉質の球果を結ぶ。これを杜松子と称して利尿薬・灯用とする。ヨーロッパ産の実はジンの香り付けに用いる。材は建築・器具用。ネズミサシ。古名、むろ。
  • インディアン Indian → アメリカ‐インディアン
  • アメリカ‐インディアン American Indian (ヨーロッパ人が、インド人だと考えたことから) 南北アメリカ大陸先住民の総称。言語・文化には地方的な差が大きいが、すべて最終氷期に当時陸続きだったベーリング海峡を経てアジア大陸から渡来した人びとの子孫。現在はネイティブ‐アメリカンと呼ばれる。
  • モンゴル人 モンゴル族(蒙古族)。
  • シナ人 支那人。中国人の呼称として用いられた語。
  • 中国人 ちゅうごくじん 中国国籍を有する人。中国を構成する漢民族を中心として五〇あまりの民族を含めての総称。
  • タタール Tatar (1) だったん(韃靼)。(2) タタルスタン。
  • 韃靼 だったん モンゴル系の一部族タタール(塔塔児)の称。のちモンゴル民族全体の呼称。明代には北方に逃れた元朝の遺裔(北元)に対する明人の呼称。また、南ロシア一帯に居住したトルコ人も、もとモンゴルの治下にあった関係から、その中に含めることもある。
  • タタルスタン Tatarstan ロシア連邦西部にある共和国。ウラル山脈の西方、ヴォルガ川中流にあり、首都はカザン。言語はチュルク語系のタタール語。人口377万9千(2002)。
  • コザック人 → コザック
  • コザック Kozak カザーク。
  • カザーク Kazak (もとトルコ語で、自由人の意) 15〜17世紀のロシアで、領主の苛酷な収奪から逃れるため南方の辺境に移住した農民とその子孫。のち半独立の軍事共同体を形成、騎兵として中央政府に奉仕し、ロシアのシベリア進出・辺境防衛に重要な役割を果たした。カザック。コサック。
  • 踵 きびす (1) かかと。くびす。(2) 履物のかかとにあたる部分。
  • 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) 低木に同じ。←→喬木。
  • ベラドンナ belladonna ナス科の多年草。中央アジアからヨーロッパ中南部原産の薬用植物。高さ1メートル余。葉は卵形。葉のつけ根に暗褐色の花をつけ、黒色の液果を結ぶ。全体にアトロピンなどのアルカロイドを含み猛毒。葉を鎮痛・鎮痙剤にする。アメリカではアトロピンの主要原料として栽培。
  • 有毒植物 ゆうどく しょくぶつ 毒草・毒茸など、有毒物質を含む植物。接触したり食べたりした時に、かぶれ・腹痛・吐瀉・麻痺などの種々の中毒を起こさせるもの。有毒成分は、アルカロイドに属するものが多く、薬用とされるものもある。
  • 獣物 けもの
  • ジギタリス Digitalis ゴマノハグサ科ジギタリス属の多年草。南ヨーロッパ原産の薬用・観賞用植物。高さ約1メートル、全体に短毛がある。下部の葉柄は長く、上部のものは無柄。夏、淡紫紅色の鐘形花を花穂の一側面に並べて開く。葉を陰干しにして強心剤とするが劇毒。別名、狐の手袋。また、広義にはジギタリス属植物(その学名)。
  • 狐尾草 〓 → ジギタリス
  • ドクゼリ 毒芹 セリ科の多年草。水辺・池沢に自生。高さ1メートル。地下茎は筍状を呈する。夏から秋に白色の小花を密生。全草、殊に地下茎に猛毒がある。この地下茎を万年竹・延命竹・長命竹などと称し、盆栽として観賞。オオゼリ。漢名、野芹菜花。
  • ヤマニンジン 山人参。(1) イブキボウフウ(伊吹防風)の異名。(2) カワラボウフウ(河原防風)の異名。(3) クソニンジン(糞人参)の異名。(4) ヤマゼリ(山芹)の異名。(5) シャク(杓)の異名。(6) マツムシソウ(松虫草)の異名。(7) テンナンショウ(天南星)の異名。
  • オランダゼリ 和蘭芹。パセリの異称。
  • オオドクゼリ
  • コドクゼリ
  • オランダカイウ 阿蘭陀海芋 カラーの和名。
  • カラー calla サトイモ科の多年草。南アフリカ原産で観賞用。水湿地を好む。高さ1メートル内外。葉は大きく光沢がある。夏、長い花茎の頂部に、大きな白色の苞に包まれた肉穂花序がつく。温室で冬・春に開花させ、切花とする。オランダカイウ。
  • タカトウダイ 高灯台 トウダイグサ科の多年草。山野に自生。高さ50センチメートル内外。茎葉に白い汁を含む。夏に咲く緑黄色の花は花被を欠き、萼状の総苞に包まれる。果実にはいぼ状の突起がある。有毒だが、根を乾燥させた漢方生薬が大戟で、下剤・利水剤として用いる。
  • トリカブト 鳥兜 (1) 舞楽の楽人(伶人)が常装束に用いる冠。錦・金襴などで鳳凰の頭にかたどったもの。舞曲の種類によって形式・装飾・色彩が異なる。鳥甲。(2) キンポウゲ科の多年草。高さ約1メートル。秋、梢上に美しい紫碧色で (1) に似た花を多数開く。塊根を乾したものは烏頭または附子といい猛毒であるが、漢方で生薬とする。鎮痛・鎮痙・新陳代謝賦活薬。ヤマトリカブトなど同属近似の種が多く、それらを総称することが多い。種によって薬効・毒性は異なる。カブトギク。カブトバナ。
  • チェリーベイ
  • 月桂樹 げっけいじゅ クスノキ科の常緑高木。地中海地方の原産。高さ数メートル、葉は硬い革質、深緑色。雌雄異株。春、淡黄緑色の花を開き、果実は暗紫色、楕円状球形。葉・実共に芳香があって月桂油をとり、香水や料理の香辛料とする。デザインではしばしばオリーブと混同されるが、本種の葉は互生、オリーブは対生なので区別できる。ローレル。ロリエ。
  • イヌサフラン ユリ科の多年草。ヨーロッパ原産。観賞用・薬用。10月、地下の球根から、淡紫色の花だけを開く。花は直径5センチメートル、漏斗状、6弁。春、細長い葉3〜5枚を出す。黒色球状の種子はアルカロイドの一種コルヒチンを含む。コルチカム。
  • タヅノキ
  • 晴紅色 ときいろ 鴇色、朱鷺色か。せいこうしょく?
  • 鴇色 ときいろ 鴇の羽のような色、すなわち淡紅色。
  • 萼 がく 花の一番外側にあって花冠(花弁)をかこむ部分。構成単位を萼片といい、多くの場合その数は花弁と同数である。普通緑色の葉状であるが、花冠と同じように大きく美しい色彩・模様を持つものもある。うてな。
  • 花冠 かかん 花の雌しべ雄しべの外側にある部分。様々な美しい色彩と形をもち、花の中で最も目立つ。花冠の構成する単位を花弁という。多くの場合、花冠は5・4・3個の花弁をもつ。花冠と萼を合わせて花被という。
  • ゼニアオイ 銭葵 アオイ科の一年草。ヨーロッパ原産。古く日本に渡来、観賞用に栽培。高さ約1メートル。葉は円形で5〜7浅裂、基部は心臓形。5〜6月頃紅紫色の花を開く。小葵。
  • 花弁 かべん 花冠を構成する単位。多くは5・4・3個の花弁からなる。はなびら。花片。
  • タバコ tabaco (アメリカ先住民の土語からか。一説に西インド諸島ハイチの土語) ナス科の大形一年草。全草に毛があり、花は管状で赤または白色。全草有毒。タバコ属の野生種は約60種あるが、栽培種は数種。南アメリカ原産。スペイン人によりヨーロッパに伝えられ、始めは観賞用・薬用に栽培されたという。アメリカ・中国・インドその他に広く栽培される。葉はニコチンを含み、加工して喫煙用とする。日本には16世紀に九州へ渡来。関東北部・九州南部などが主産地。
  • 三色スミレ さんしき- 三色菫。パンジーの別称。
  • パンジー pansy スミレ科の一年草。ヨーロッパ原産の観賞植物。高さ約20センチメートル。葉は楕円形で鋸歯があり、葉柄長く、羽状の大きな托葉がある。春から初夏に、濃紫・黄・白の斑または単色の大きな美花を開く。三色すみれ。胡蝶すみれ。
  • スミレ 菫 (1) スミレ科スミレ属植物の総称。(2) スミレ科の多年草。春、葉間に数本の花茎を出し、濃紫色の花一つをつける。相撲取草。菫々菜。
  • フウリンソウ 風鈴草 キキョウ科の観賞用草本。高さ60〜90センチメートル。夏、紫または白色の鐘状の大花を開く。カンパニュラ。
  • キンギョソウ 金魚草 ゴマノハグサ科の多年生観賞用植物。南ヨーロッパ原産。高さ約1メートル。夏、白・黄・紅・紫などの花を多数穂状につける。花冠は上下2唇で、つまむと金魚の口のように開閉する。一年草として切花用に栽培。英語名スナップドラゴン。
  • 萼片 がくへん 萼を構成する小片。
  • ニオイアラセイトウ 匂紫羅欄花 アブラナ科の二年草で、園芸上は一年草。ヨーロッパ原産。高さ約50センチメートル、基部は木化、全株に短柔毛を密生し、灰色。葉は披針形で全縁。春、香の良い橙黄色などの花を開く。八重咲もある。観賞用。ケイランサス。
  • 丁子 ちょうじ 丁子・丁字。(clove)フトモモ科の熱帯常緑高木。原産はモルッカ諸島。18世紀以後、アフリカ・西インドなどで栽培。高さ数メートル、枝は三叉状、葉は対生で革質。花は白・淡紅色で筒状、集散花序をなし、香が高い。花後、長楕円状の液果を結ぶ。蕾を乾燥した丁香(クローブ)は古来有名な生薬・香辛料。果実からも油をとる。染料としても使われた。
  • 雄蕊 ゆうずい おしべ。←→雌蕊(しずい)
  • おしべ 雄蕊 種子植物の雄性生殖器官。花糸および葯から成り、花粉を生ずる。ゆうずい。←→雌蕊(めしべ)。
  • 葯 やく 雄しべの先にあって、中に花粉を生じる嚢状の部分。
  • ヒナゲシ 雛罌粟 ケシ科の一年草。西アジア原産。高さ60センチメートル、全株に粗毛を密生。葉は羽状に深裂。5月頃、皺のある薄い4弁の花を開き、花色は紅・桃・白・絞りなど。花壇用。麻酔物質を含まない。美人草。漢名、虞美人草・麗春花。ポピー。
  • 雌蕊 しずい めしべ。←→雄蕊(ゆうずい)
  • 雌蕊 めしべ 被子植物の花を構成する重要な要素。花の中央にあって、その頂上の花粉のつく部分を柱頭、中間を花柱、膨れた下部を子房という。子房は成熟して果実となる。子房の内部にある胚珠が受精すると、種子を生じる。しずい。←→雄蕊(おしべ)。
  • 子房 しぼう 雌しべの一部で、花柱の下に接して肥大した部分。下端は花床に付着し、中に胚珠を含む。受精後果実となる。花の中における位置により、上位・中位・下位に分ける。
  • 柱頭 ちゅうとう 雌しべの頂端にある花粉が付着する部分。多くは乳頭状で、粘液を分泌する。
  • ハタンキョウ 巴旦杏 (1) アーモンドの別称。(2) スモモの一品種トガリスモモのこと。
  • 雌雄同株 しゆう どうしゅ 雌花および雄花が同一株にあること。クリ・キュウリの類。
  • 雌雄異株 しゆう いしゅ 同種の植物で、雌花だけを生じる雌株と雄花だけを生じる雄株との区別のあるもの。イチョウ・カラスウリなど。二家。
  • イナゴマメ
  • ナツメシュロ ウミナツメ。
  • アサ 麻 (1) 大麻・苧麻・黄麻・亜麻・マニラ麻などの総称。また、これらの原料から製した繊維。糸・綱・網・帆布・衣服用麻布・ズックなどに作る。お。(2) アサ科の一年草。中央アジア原産とされる繊維作物。茎は四角く高さ1〜3メートル。雌雄異株。夏、葉腋に単性花を生じ、花後、痩果を結ぶ。夏秋の間に茎を刈り、皮から繊維を採る。実は鳥の飼料とするほか、緩下剤として摩子仁丸の主薬とされる。紅花・藍とともに三草と呼ばれ、古くから全国に栽培された。ハシシュ・マリファナの原料。大麻。タイマソウ。あさお。お。
  • 蒲色・樺色 かばいろ 蒲の穂の色。赤みをおびた黄色。
  • オアシス oasis 砂漠中で水がわき、樹木の繁茂している沃地。生物群集が形成され、集落や都市が立地し、隊商の休息などに役立つ。
  • 片 へん ひときれ。きれはし。
  • ツチバチ 土蜂 ツチバチ科のハチの総称。体長10〜55ミリメートル。黒色で、腹部は一般に長く、黄色の毛による横縞や黄または赤色の斑紋のあるものが多い。土中のコガネムシの幼虫の体表に産卵し、孵化後はこれに寄生する。
  • セキショウモ 石菖藻 トチカガミ科の沈水性多年草。池溝・流水の底に生える。雌雄異株の水媒植物で、淡緑色の雌花は糸状の花茎の先端に単生して水面に浮かび、雄花は多数で水中の苞内に開き成熟すると離れて浮遊、雌花に遭遇して受粉する。ヘラモ。イトモ。
  • 奇体 きたい 奇態。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 雄蕋ゆうずい雌蕋しずい」はそれぞれ「しべ、しべ」に変更。テキストにルビがあるばあい、いつもはそれを優先的に使用するのだけれど、今回は例外処理をほどこしてみた。小中高をとおして理科や科学の教科書の中で「ゆうずい、しずい」と読んだ記憶がなく、テキストの親しみにくさを解消するため。
 「室」は「部屋へや」に変更。これも、テキストに使用された表現はめったに別字には変更しないのだけれど、「室」の一字で「へや」と読ませることは、現在ではなじみのないため。
 「マテエ、マテイユ」は原文未確認だけれども、Mathieu で同一人物だろうか。「マテュー」で統一した。


 池澤夏樹『春を恨んだりはしない』(中央公論新社、2011.9)読了。空飛ぶ発電所、ミトコンドリア発電、無人の回送のつばさ、圏外評論家、月山は五合目、葉山は九合目、レボリューション=革命=公転、天地創造、想像、騒々。

2012.5.20 16:23 ながい、25秒……、まだ続いてる。
震度3岩手内陸・沿岸北部、宮城。震源、三陸沖。M6.2推定。
同日、イタリア、フェラーラにて M6.0、死者七名。




*次週予告


第四巻 第四四号 
震災の記 / 指輪一つ 岡本綺堂

第四巻 第四四号は、
二〇一二年五月二六日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第四三号
科学の不思議(七)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年五月一九日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー

    ※ おわびと訂正
     長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ

  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 能久親王事跡(五)森 林太郎
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  •  原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
  •  ユネスコと科学
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  •  J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと 
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  •  総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
  • 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
  •  ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
  • 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
  • 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
  • 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
  • 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
  • 第三〇号 『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空
  • 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
  • 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
  • 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
  • 第三四号 石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
    • 第三五号 火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
    •  しかし、このような〔火災〕訓練が実際上、現在のこの東京市民にいかに困難であろうかということは、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても、ただちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折っておたがいに電車の乗降をわざわざ困難にし、したがって乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力をそそいでいるように見える。もし、これと同じ要領でデパート火事の階段にのぞむものとすれば、階段は瞬時に、生きた人間の「栓」で閉塞されるであろう。そうしてその結果は、世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳目を聳動するであろうことは、まことに火を見るよりもあきらかである。 (「火事教育」より)
    •  
    • (略)そうして、この根本原因の存続するかぎりは、将来いつなんどきでも適当な必要条件が具足しさえすれば、東京でもどこでも今回の函館以上の大火を生ずることは決して不可能ではないのである。そういう場合、いかに常時の小火災に対する消防設備が完成していても、なんの役にも立つはずはない。それどころか、五分、一〇分以内に消し止める設備が完成すればするほど、万一の異常の条件によって生じた大火に対する研究はかえって忘れられる傾向がある。火事にもかぎらず、これで安心と思うときにすべての禍(わざわ)いの種が生まれるのである。 (「函館の大火について」より)
    • 第三六号 台風雑俎 / 震災日記より 寺田寅彦
    •  このように、台風は大陸と日本との間隔を引きはなし、この帝国をわだつみの彼方の安全地帯に保存するような役目をつとめていたように見える。しかし、逆説的に聞こえるかもしれないが、その同じ台風はまた、思いもかけない遠い国土と日本とを結びつける役目をつとめたかもしれない。というのは、この台風のおかげで南洋方面や日本海の対岸あたりから意外な珍客が珍奇な文化をもたらして漂着したことがしばしばあったらしいということが、歴史の記録から想像されるからである。ことによると日本の歴史以前の諸先住民族の中には、そうした漂流者の群れが存外多かったかもしれないのである。(略)
    •  昔は「地を相する」という術があったが、明治・大正の間にこの術が見失われてしまったようである。台風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に、台風も地震も消失するかのような錯覚にとらわれたのではないかと思われるくらいに、きれいに台風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。 (「台風雑俎」より)
    •  
    •  無事な日の続いているうちに突然におこった著しい変化をじゅうぶんにリアライズするには、存外手数がかかる。この日は二科会を見てから日本橋あたりへ出て昼飯を食うつもりで出かけたのであったが、あの地震を体験し、下谷の方から吹き上げてくる土ほこりのにおいを嗅いで大火を予想し、東照宮の石灯籠のあの象棋倒しを眼前に見ても、それでもまだ昼飯のプログラムは帳消しにならずそのままになっていた。しかし弁天社務所の倒壊を見たとき、初めてこれはいけないと思った。そうしてはじめてわが家のことがすこし気がかりになってきた。
    •  弁天の前に電車が一台停まったまま動きそうもない。車掌に聞いても、いつ動き出すかわからないという。後から考えるとこんなことを聞くのがいかな非常識であったかがよくわかるのであるが、その当時、自分と同様の質問を車掌に持ち出した市民の数は万をもって数えられるであろう。 (「震災日記より」)
    • 第三七号 火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
    •  ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。
    •  ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声を怒っているまもなく、まっ赤な火が目に映ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたら、ぼくのそばに寝ているはずのおばあさまが、何か黒い布のようなもので、夢中になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれども、ぼくはおばあさまの様子がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいて、その布のようなものをめったやたらにふりまわした。それがぼくの手にさわったらグショグショにぬれているのが知れた。 「おばあさま、どうしたの?」
    •  と聞いてみた。おばあさまは、戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
    •  ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。 (「火事とポチ」より)
    • 第三八号 特集・安達が原の黒塚 楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎
    •  むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関をこえて奥州に入りました。磐城国(いわきのくに)の福島に近い安達が原という原にかかりますと、短い秋の日がとっぷり暮れました。
    •  坊さんは一日さびしい道を歩きつづけに歩いて、おなかはすくし、のどは渇くし、何よりも足がくたびれきって、この先歩きたくも歩かれなくなりました。どこぞに百姓家でも見つけしだい、頼んで一晩泊めてもらおうと思いましたが、折あしく原の中にかかって、見わたすかぎりぼうぼうと草ばかり生いしげった秋の野末のけしきで、それらしい煙の上がる家も見えません。もうどうしようか、いっそ野宿ときめようか、それにしてもこうおなかがすいてはやりきれない、せめて水でも飲ましてくれる家はないかしらと、心細く思いつづけながら、とぼとぼ歩いて行きますと、ふと向こうにちらりと明かりが一つ見えました。
    • 「やれやれ、ありがたい、これで助かった。」と思って、一生懸命明かりを目当てにたどって行きますと、なるほど家があるにはありましたが、これはまたひどい野中の一つ家で、軒はくずれ、柱はかたむいて、家というのも名ばかりのひどいあばら家でしたから、坊さんは二度びっくりして、さすがにすぐとは中へ入りかねていました。 (楠山正雄「安達が原」より)
    • 第三九号 大地震調査日記(一)今村明恒
    • (略)このとき大地震後三十分、もはや二十人ほどの新聞記者(うち二人は外国人)諸君が自分をかこんで説明を求められている。そこで自分は何の躊躇もなく次のとおり発表した。
    •  発震時刻は午前十一時五十八分四十四秒で、震源は東京の南方二十六里〔約一〇四キロメートル〕すなわち伊豆大島付近の海底と推定する。そうして振幅四寸〔約十二センチメートル〕に達するほどの振動をも示しているから、東京では安政(一八五五)以来の大地震であるが、もし震源の推定に誤りがなかったら一時間以内にあるいは津波をともなうかもしれぬ。それでも波は相模湾の内、ことに小田原方面に著しく、東京湾はかならず無事であろう。また今後、多少の余震は継続せんも、大地震は決してかさねておこるまい。
    •  なお、外国記者の念入りの質問に対して、地震の性質の非火山性にして、構造性なるべきことをつけくわえておいた。
    •  こう発表している真最中、午後〇時四十分に余震中のもっとも強く感じたものの一つが襲来した。(大地震調査日記「九月一日」より)
    •  
    •  帝都復興策に民心を鼓舞している今日、思いおこすことはイタリア、メッシーナ市の復興である。同市は前にも述べたとおり十五年前の大震災により、火災こそおこさなかったとはいえ、市街は全滅して十三万八〇〇〇の人口中八万三〇〇〇は無惨な圧死をとげた。当時は破壊物の取りかたづけでさえ疑われ、自然、イタリア名物の廃虚となるだろうと予想されていた。自分はこの廃虚を訪うつもりで昨年メッシーナに行ってみると、あにはからんや、廃虚どころかこの十四年間に市街は立派に回復され、人口は十五万人をかぞえ、以前にも増した繁昌である。ただし、いつも震災には無頓着なイタリア人もこのときだけはこりたものと見えて、道路をおおいにひろげ、公園を増し、高層家屋をよして、やむなき場合にかぎり三層とし、最多数は二層以下である。それで自分は一見、ああ、これが地震国の都市かなと感じたのである。「大地震雑話」より)
    • 第四〇号 大地震調査日記(二)今村明恒
    • 九月二十四日
    • (略)加藤委員ら、伊豆半島ならびに三浦半島の調査を終えて帰られた。同氏らは初島まで調査におもむかれ、その隆起せること五、六尺〔一五〇〜一八〇センチメートル〕なることを認め得られた。そのほか湘南一帯・三浦半島の隆起は、これまで報道せられたものと大差なく、また地変としては小田原と熱海との間、ことに根府川付近がもっともはなはだしいことなどから推測して、震源は大島と大磯との間であろうかと断ぜられた。ただ、自分としては最も期待しておった土地の低下せる場所が同委員の報告にもその存在を認められなかったことを不思議とし、陸地測量部の水準測量の結果を静かに待つことにした。つまり、この測量あるいは水路部の水深測量が数か月をへて完結するまでは、起震帯に関する正確なる推定はむつかしいことではあるまいか。
    •  
    • 九月二十五日
    • (略)待ちに待ったる油壷験潮儀記録の写し三角課長より送り越された。取る手もおそしと披見すると自分の期待はことごとく裏切られ、地震前には何らの地変も記しおらぬのみか、大地震開始後、幾秒間の後には時計も止まり、これと同時に陸地隆起のあったことを示すだけであった。ただ、基準点の実測から陸地の隆起一・四四四メートルすなわち四尺八寸であることを確かに証明されたのみである。なお、陸地測量部においてわが国の沿岸各地に散布された験潮儀の示す一年平均水位を比較してみると、油壷のみはこの最近二年間において、ある異状をあらわしているように見える。すなわち前の二年間においてすべての場所が水位の下降を示し、ただ、日向細島のみが一昨年度においてのみ僅少なる上昇を示しているのみなるに反して、油壷のみは最近二か年間は著しき上昇を示しているのである。これは見様によっては、三浦半島がこの二年間、地盤が下がりつつあったことを意味している。なお後日の研究を要する問題である。
    • 第四一号 大地震調査日記(続)今村明恒
    • 十月一日
    • (略)あの有名な被服廠をおそった旋風は、一番最初に気づかれた位置は東京高等工業学校前の大川の中であって、時刻はちょうど午後四時ごろ、旋風の大きさは国技館くらい、高さ一〇〇メートルないし二〇〇メートル(略)時針の反対の向きにまわり、川に浮かんでいる小舟を一間あるいは二間〔一間は六尺、約一・八メートル〕の高さにすいあげてははね飛ばし、当時さかんに燃えつつあった高等工業学校の炎と煙とを巻き込み、まもなくそれが横網河岸に上陸して、北の安田邸と南の安田邸との間をかすめ、被服廠の中心から北の方を通り、たちまちの間にそこに避難しておった群集の荷物に延焼し、同時に避難者の着物にも点火して、一面に煙と炎の浪になり、またたくひまにこの一郭にて、三万八〇一五人の生命を奪ったものであるらしい。
    • (略)さいわいに被服廠において助かった人たちは、合計二〇〇〇人もあろうとのことであるが、それは多くは被服廠の中央から以南に避難しておった人たちであった。しかし、いずれもわずかな水を土にひたしてそれを皮膚に塗りて火気をよけたとか、あるいは地面にはって地に向かって呼吸をしてようやく助かったという人たちであった。これらの人が目撃した話によれば、この火災をうずまいた旋風に出会った人は、見る間に黒こげとなり、あるいは立ち上がったかと思うとそのままたおれて、たちまち絶息をするというように見受けた。この後の場合は、窒息によったものか、あるいはかかる際に発生する有毒なガス(一酸化炭素のごとき)にでもよるのか、研究すべき問題であるように考えた。
    •  いまひとつ書きつけておきたいのは、新大橋の交通を無難にした警察官、橋本政之助・古瀬猪三郎両氏の殊勲である。橋本氏は深川方面よりの避難者の携帯せる荷物を危険と看てとり、しいてこれを遺棄せしめようとしたが、当時、同氏は平服であったがために市民がなかなかいうことをきかない。それで橋向かいの制服警察官を応援にたのんで右のことを励行し、ついで古瀬巡査の応援を得、ついには制しきれずして抜剣までもなし、荷物を河中へ投げ込んだとのことである。(略)
    • 第四二号 科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
    •  四六 プリニィの話
    •  四七 煮え立つ茶釜(ちゃがま)
    •  四八 機関車
    •  四九 エミルの観察
    •  五〇 世界の果(は)てへの旅
    •  五一 地球
    •  五二 空気
    •  五三 太陽
    • 「救い主キリストの仲間がまだ生きていた、紀元七十九年のことである。そのころヴェスヴィアス山は何ごともないおだやかな山だった。今日のような煙の出る山になっていたのではなく、わずかに持ち上った岡で、うもれた噴火口の跡には小さな草や野ブドウが生えていただけだった。そして山腹には豊かな穀物がしげって、ふもとの方にはヘルクラニウムとポンペイというにぎやかな二つの町があったのだ。
    • 「最後の噴火が人々の記憶にも残らぬほどのむかしになって、これからは永遠にしずまるものと思われていたこの噴火山は、突然、生き返って煙を出しはじめた。(略)
    • 「さて、そのころ、ヴェスヴィアスから遠くないメシナ〔メッシーナ〕という港に、この話を伝えたプリニィのおじさんがいた。この人は自分の甥(おい)と同じくプリニィという名の人で、この港に停泊していたローマ艦隊の司令官だった。そして非常に勇敢な人で、新しいことを知るとか、他人を助けるばあいには、どんな危険もおそれなかったのだ。ヴェスヴィアス山上にただよう一筋の雲を見ておどろいたプリニィは、すぐさま艦隊を出動させて、こまっている海岸町の人を助けたり、近所からおそろしい雲を観察したりした。ヴェスヴィアスのふもとの住民は気ちがいのようになって、うろたえてさわいで逃げた。プリニィはみんなが逃げている、このいちばん危険なほうへ行ったのだ。」(略)
    • 「(略)石の雨が……実際、小石と火のついた燃えかすとが雨のように降ってくる。人々はこの雨をよけるために、枕を頭にのせて、おそろしいまっ暗やみの中をぬけて、手に持った松明(たいまつ)の光でようやく海岸へ向かって進んで行った。プリニィはちょっと休もうと思って地の上にすわった。ちょうどその時、強烈な硫黄のにおいのする大きな火が飛んできて、みんなをビックリさせた。プリニィは立ち上がったが、そのまま死んでたおれてしまった。噴火山の溶岩や燃えかすや煙が、プリニィを窒息させたのである。

    ※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
    ※ タイトルをクリックすると、月末週無料号(赤で号数表示) はダウンロードを開始、有料号および1MB以上の無料号はダウンロードサイトへジャンプします。