アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。

もくじ 
科学の不思議(六)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(六)
  四六 プリニィの話
  四七 煮え立つ茶釜(ちゃがま)
  四八 機関車
  四九 エミルの観察
  五〇 世界の果(は)てへの旅
  五一 地球
  五二 空気
  五三 太陽

オリジナル版
科学の不思議(六)


地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。和歌・俳句・短歌は五七五(七七)の音節ごとに半角スペースで句切りました。
  • 一、表や図版キャプションなどの組版は、便宜、改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03センチメートル。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1メートルの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3メートル。(2) 周尺で、約1.7メートル。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109メートル強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273キロメートル)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方センチメートル。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。

*底本

底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





登場とうじょうするひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人ほうこうにん
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

科学かがく不思議ふしぎ(六)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

   四六 プリニィの話


噴火山ふんかざんからふきあげられたはいはどんなことをするか。その説明せつめいのかわりに、むかしの有名な文士ぶんしの伝え残した、古い古いお話をしよう。この文士はプリニィ〔プリニウス〕という人で、そのころ世界にいちばん勢力せいりょくのあったラテン語でこの話を書いたのだ。
すくぬしキリストの仲間なかまがまだ生きていた、紀元きげん七十九年のことである。そのころヴェスヴィアス山は何ごともないおだやかな山だった。今日こんにちのようなけむりの出る山になっていたのではなく、わずかに持ち上ったおかで、うもれた噴火口ふんかこうあとには小さな草や野ブドウがえていただけだった。そして山腹さんぷくにはゆたかな穀物こくもつがしげって、ふもとの方にはヘルクラニウムとポンペイというにぎやかな二つの町があったのだ。
「最後の噴火ふんかが人々の記憶きおくにも残らぬほどのむかしになって、これからは永遠えいえんにしずまるものと思われていたこの噴火山ふんかざんは、突然とつぜん、生きかえってけむりを出しはじめた。八月二十三日の午後一時ごろ、いつもは見なれない雲が、白くなり、黒くなりしてヴェスヴィアス山の上にただようていた。そこから押し出す強い力のために、この雲ははじめ木のみきのようにまっすぐに立っていたが、非常ひじょうに高くまでのぼってから、急に自分のおもさにげられて広くひろがって行った。
「さて、そのころ、ヴェスヴィアスから遠くないメシナ〔メッシーナ〕というみなとに、この話を伝えたプリニィのおじさんがいた。この人は自分のおいと同じくプリニィという名の人で、このみなと停泊ていはくしていたローマ艦隊かんたい司令官しれいかんだった。そして非常に勇敢ゆうかんな人で、新しいことを知るとか、他人たにんを助けるばあいには、どんな危険きけんもおそれなかったのだ。ヴェスヴィアス山上にただよう一筋ひとすじの雲を見ておどろいたプリニィは、すぐさま艦隊かんたい出動しゅつどうさせて、こまっている海岸町かいがんまちの人を助けたり、近所きんじょからおそろしい雲を観察かんさつしたりした。ヴェスヴィアスのふもとの住民じゅうみんちがいのようになって、うろたえてさわいでげた。プリニィはみんながげている、このいちばん危険きけんなほうへ行ったのだ。
「えらい!」とジュールがさけびました。「こわがらない人に勇気ゆうきがわくんだ。ぼくは、危険きけんということを知って噴火山ふんかざんいそいで行ったプリニィが大好だいすきになりました。ぼくも、そんなところにいたかったなあ。
「おいおい、そんな呑気のんきなところじゃないんだよ。えカスは溶岩ようがんといっしょにふねの上に落ちてくるし、海はおこってそこまでれだすし、きしには山のくずれがもって邪魔じゃまになるし、なかなか近寄ちかよることができないのだ。もう、かえるよりほかにしかたはなかった。艦隊かんたいはスタビイへ行って上陸じょうりくした。そこはすこしはなれてはいたが、だんだんに危険きけんがせまってきて、みんなは早くもあわてていた。やがてヴェスヴィアスのごく間近ぢか大火炎だいかえん破裂はれつした。あたりははいの雲でまっくらやみになっていたので、そのはげしいまぶしさが、いよいよおそろしさをした。プリニィは仲間なかまものどもを安心あんしんさせるために、この火は取り残された村に火がうつったのだと言った。
「プリニィは仲間なかま勇気ゆうきをつけようと思ってそう言ったのですが、自分では実際じっさいのことをよく知っていたのでしょう?」とジュールが口をそえました。
「それはよく知っていたのさ。非常にあぶないということを知っていた。けれどもかれつかれてぐっすりこんでしまった。そしてプリニィがねむっている間に、雲はスタビイの町をきこんでしまった。彼の部屋へやにつづいたにわはだんだんえカスがいっぱいになって、もう少したつと彼はげ出すこともできなくなりそうだった。仲間なかまは彼を生きめにさせまいとして、そしてまたどうしたらいいかたずねるために、プリニィをこした。家はのない地震じしんのために土台どだいかられるくらい、前後にゆり動かされていた。そしてたくさんの人が死んだ。とうとう、もう一度いちど海へ出ることに決まった。石の雨が……実際じっさい、小石と火のついたえカスとが雨のようにってくる。人々はこの雨をよけるために、まくらを頭にのせて、おそろしいまっくらやみの中をぬけて、手に持った松明たいまつの光でようやく海岸かいがんへ向かって進んで行った。プリニィはちょっとやすもうと思って地の上にすわった。ちょうどその時、強烈きょうれつ硫黄いおうのにおいのする大きな火がんできて、みんなをビックリさせた。プリニィは立ち上がったが、そのまま死んでたおれてしまった。噴火山ふんかざん溶岩ようがんえカスやけむりが、プリニィを窒息ちっそくさせたのである。
「かわいそうに! おそろしい火山のけむりが、あの勇敢ゆうかんなプリニィを窒息ちっそくさせたんですね。」と、ジュールがいたましそうに言いました。
「おじさんの方はこうしてスタビイで死んだが、母親といっしょにメシナに残っていたおいは、つぎのような目にあった。叔父おじが出発した夜、はげしい地震があった。母はビックリして急いでわたしをこしにきた。わたしはたちあがって母をこしに行こうとするところだった。家がつぶれるくらいひどくゆれるので、われわれは海に近いにわに出てすわっていた。そして当時とうじ十八さいだったわたしは、若気わかげ不注意ふちゅういで本を読みはじめた。そこへ叔父おじ一友人いちゆうじんがきた。母もわたしもいっしょににわにすわっており、ことに私は本を手にしていたのを見て、心配しんぱいしてくれるあまり二人の呑気のんきさをしかりつけて、もっと安全あんぜんをはかるよう気をつけさせた。まだ朝の九時ごろだったが、空はうすぐらくて、あたりもよく見えなかった。ときどき家がひどくゆれて、いつたおれるかもわからないように思われた。われわれはほかの人々のやるとおりに町を立ち退くことにして、かなり行ってはたけの中に止まった。持ってきた荷車にぐるまが地震のために、始終しじゅう動揺どうようするので石で車輪しゃりん歯止はどめをして、ようやくのことで動かないようにした。海水は自然とちていたが、地震のためにきしからしもどされて、砂の上におびただしい魚のむれを残して行った。おそろしい黒雲くろくもがわれわれの方へおそうてきた。その横側よこがわには、すばらしい大きな稲妻いなずまの光のような、火のすじがうねっていた。雲はすぐにおりて、地と海とをおおうた。その時、母はわたしに言った。若い力にまかせて、大急おおいそぎでこの場をげるがいい、もう年老としとった母と足をあわせたりして、この危急ききゅうの死にあうようなことがあってはいけない。わたしが危険きけんだっしたと知ったら、母は安心あんしんして死ぬことができるというのだった。
「では、プリニィは一刻いっこくも早くのがれようとして、その年老としとったお母さんをいてきぼりにしたんですか?」とジュールが聞きました。
「いや、そうじゃない。そんな場合ばあいにおまえたちみんながやるだろうとおりに、プリニィもやったのだ。彼はとどまって母を介抱かいほうしたり、力をつけてやったりして、母といっしょに生きるか、母といっしょに死ぬかどちらかだと決心けっしんしたのだ。
「えらい!」とジュールがさけびました。「この叔父おじありて、このおいありですね。それからどうしたんです?」
「さァ、そのあとがたいへんだ。えカスはってくる。くらくはなる。もう何も見えないほどまっくらになってしまった。さあきわめく声、立ちさわぐ声、大さわぎがはじまった。人々はおそれくるっててどもなく逃げまわって、衝突しょうとつするやら、人をふみたおすやらした。たいがいの人はもうこの夜を最後さいごの夜だ、世界をつつむ永遠えいえんの夜だと覚悟かくごした。多くの母は、手さぐりで、人込ひとごみの中で見失みうしなったかげる人の足でふみつぶされたかわからないその子をたずねて、もう一度いてから死にたいとあわれなき声を出してさけんだ。プリニィとその母とは、群集ぐんしゅうからはなれてずっとすわっていた。たえず二人は立ち上がっては、二人をめにかかるえカスをはらいとした。ついに雲がって、ふたたび太陽たいようがあらわれた。なにもかもあつ火山灰かざんばいえカスにめられてしまって、土は見ることもできなかった。
「では、人家じんかえカスにうめられてしまったんですか?」とエミルがたずねました。
「山のふもとでは、噴火山ふんかざんからきあげられたはいが高い家よりも深くってくるから、町がすっかりえカスの下敷したじきになってしまった。その中で有名なのはヘルクラニウムとポンペイとだ。噴火山ふんかざんはこれらの町を生きめにしてしまったんだ。
「人間もそのまま?」とジュールが聞きます。
「ああ、それはごくすこしだ。たいていの人々はプリニィやその母のように、メシナの方へげるだけの余裕よゆうがあったのだ。められてから十八世紀たった今日こんにち、ヘルクラニウムもポンペイも、火山灰かざんばいの雲にりかけられたむかしの姿すがたで、鉱夫こうふのつるはしでり出されている。まだすまない所はブドウえんがつながっているがね。
「では、そのブドウえんは家の屋根やねなんですね?」とエミルがもうしました。
「家の屋根やねよりももっと高い。旅人たびびとはよく、まだり出されてはいないが、しかし井戸いどのようなものを伝って行くことのできるあたりをたずねて行って、ずいぶん深い地のそこまでおりて行く。

   四七 え立つ茶釜ちゃがま


 おじさんの話がすんだところへ、郵便ゆうびん配達夫はいたつふ手紙てがみを持ってきました。あるお友だちが急用きゅうようがあるから、ポールおじさんに町まできてくれというのでした。おじさんはこの機会きかいを利用して、そのおいたちに小さなたびをさせてやろうと思いました。そしてジュールとエミルとに着物きものかえさせて、近所の停車場ていしゃばに行って汽車しゃつことにしました。停車場に入るとおじさんは事務員じむいんのすわっている格子戸こうしどのそばによって、窓口まどぐちからおかねを出してやりました。それとひきかえに事務員は三枚の切符きっぷをわたしてくれました。ポールおじさんは部屋へやの入口のばんをしている男にこの切符きっぷを見せました。その男は切符を見て、三人を部屋へやの中にとおしました。
 三人は待合室まちあいしつというものの中に入ったのです。エミルとジュールとはを大きく開いたまま何もいいません。まもなく蒸気じょうきのもれる音が聞こえてきて、汽車きしゃがつきました。先頭せんとうにきたのは機関車きかんしゃで、しばらく停車ていしゃするために速力そくりょくをゆるめておりました。待合室まちあいしつまどから、ジュールは人がとおりすぎるのを見ております。すると、ある考えが頭の中にいてきました。どうしてあのおも機械きかいが動くのだろう? どうして車輪しゃりん鉄棒てつぼうすようにあんなにまわるのだろう? ……と。
 三人は汽車きしゃに乗りました。蒸気じょうきがシャキシャキ音を立てて、汽車がゆれたかと思うと、もう走り出しました。しばらくしてから全速力ぜんそくりょくで走りはじめると、「ポールおじさん。」とエミルがもうしました。「あれ、あんなに木が走りますよ。おどってまわっていますよ。」おじさんはだまっておいでというような顔つきをしました。それには二つの理由りゆうがあります。第一だいいちに、エミルは非常ひじょうにつまらないことを言ったからです。第二だいにに、おじさんは公衆こうしゅうの前で老人ろうじん似合にあわしくないはじをかくのがいやだったからなのです。
 そればかりではなく、ポールおじさんは旅行中りょこうちゅう無口くちな人で、たしなみ深い態度たいどを取ったままだまっております。おりおり、今までに見たこともなく、これからもまた会うこともなさそうな人間で、旅行中ずいぶんなかよしになる人があるものです。こんな人たちはだまってはいないで、ずいぶんしゃべりたがります。ポールおじさんはこうした人たちをきません。そして、こんな人々は意志いしが弱いのだとしんじているのです。
 夕方ゆうがたになって、みんなは大よろこびでかえってまいりました。旅行りょこうをしてポールおじさんは、自分の用事ようじを町で都合つごうよくかたづけてきましたし、エミルとジュールとはおたがいに新しい知識ちしきて帰りました。アムブロアジヌおばあさんの大奮発だいふんぱつのごちそうで、みんなが晩餐ばんさんえますと、ジュールがまっさきに自分のてきた知識ちしきをおじさんに話しました。
今日きょう見たものの中で、ぼくをいちばん感じさせたのは、長い列車れっしゃをひっぱってゆく、機関車きかんしゃという、汽車きしゃ先頭せんとうにある機械きかいでした。どうしてあれは動くのでしょう? ぼくはじっと見ていたんですけれど、わかりませんでした。かけて行くけもののように自分で走っているようですね。
「自分一人で行くんじゃない。」とおじさんは答えました。蒸気じょうきが動かして行くんだ。そこで、まず蒸気というのは何のことだか、そしてそのちからというのは何のことだか研究けんきゅうしてみようじゃないか。
「水を火にかけると、はじめはぬるまってきて、つぎに空中くうちゅうんで行く水蒸気を出しながらえ立ってくる。もっと、煮続につづけていると、なべの中には水が何もなくなってしまう。水はすっかりなくなっている。
「おととい、アムブロアジヌおばあさんもそんな目にあいましたよ。」とエミルが口を入れました。「おばあさんはジャガイモをていたんですが、しばらくなべの中を見ないでほうっておいたものですから、水がひとしずくもなくなってしまって、半焦はんこげになっていましたよ。だからおばあさんは、やりなおさなけりゃなりませんでした。アムブロアジヌおばあさんは、いやな顔をしていましたっけ。
ねつけると……」とポールおじさんはつづけました。「水は目に見えなくなって、さわってもわからない空気くうきのようなものになる。それがいわゆる水蒸気すいじょうきだ。
きりくもになる空中くうちゅう湿気しっけも、やっぱり水蒸気だと教えてくださいましたわね。今度こんどはクレールがいいました。
「そうそう、それも水蒸気だが、それはただ太陽のねつでできた水蒸気だ。今度は、ねつが強ければ強いだけ、水蒸気はたくさんできるものだということを知らなければならない。ためしに水をいっぱい入れたなべを火にかけてごらん。あつねつは、夏の暑い太陽のねつでできるのとは比較ひかくにならぬほど、たくさんの水蒸気を出す。こうして長いあいだ水蒸気がなべから勝手かってげ出して行くのに、何もこれといって目立めだった点はないし、おまえたちも煮立にだったなべ湯気ゆげに気をつけるようなこともあるまい。だが、もしこのなべに、ほんの小さなすきもないほどしっかりとふたをしておくと、大きなかさにふくれあがろうとする水蒸気は、無暗むやみやたらにこの牢屋ろうやからげ出そうとする。そしてその膨張ぼうちょうをさまたげる邪魔物じゃまものをとりのけようとして、四方しほう八方はっぽうに押す。そしてそのなべがどんなに堅固けんごなものであっても、しこめられた蒸気のす力は、ついにはそれを破裂はれつさせてしまう。それをわたしは小さなビンで実験じっけんしてみようと思う。なべではふたをじゅうぶんかたくすることができないし、ふたもすぐ水蒸気に押し上げられるから、なべは使わないことにする。もっとも適当てきとうなべがあったとしても、わたしはそんなものは使わないにちがいない。そんなものを使ったら家までもき上げて、わたしはじめみんなをころしてしまうからね。
 ポールおじさんはガラスせいくすりビンを取り出して、ゆびの高さほど水を入れ、コルクせんで固くせんをつめて、針金はりがねでコルクをしばりました。この準備じゅんびととのうと、薬ビンは火の前のほうのはいの上に乗せられました。そしておじさんは、エミルとジュールとクレールをつれて大いそぎでにわに出て、遠方えんぽうからどうなるかながめていました。四、五分間もつと、ポーンと音がしました。みんなはけて行ってみますと、くすりビンはれて、非常じょうな強いちからであちらこちらへらばっていました。
「このビンの破裂はれつしたわけは、げ道をうしなった蒸気が、温度おんどが高まるにしたがって、だんだん強くろうかべ圧力あつりょくくわえていったからだ。そしてビンが、もうとても蒸気の圧力あつりょくにたえることができなくなった時に、ビンは粉々こなごな破裂はれつする。このなべ内部ないぶに加わる蒸気の圧力を弾力だんりょくというのだ。ねつが強ければ強いほどこの弾力だんりょくも強い。で、じゅうぶんにねっすると、ガラスビンはもちろん、ごくあつくて、ごくかたいてつどうなべも、またそのほか抵抗力ていこうりょくの強いなんでもを破裂はれつさせる非常な力のものになる。そんなばあいの爆発ばくはつはおそろしいどころの話じゃない。そのなべ破片はへんは、大砲たいほう弾丸だんがん爆弾ばくだんと同じ強い力でばされるのだ。んで行く道にあるものはなんでもこわされるか、打ちたおされてしまう。火薬かやくもこれ以上のおそろしい結果けっかはおこすことができない。いま、わたしがガラスのくすりビンでやって見せた実験じっけんも、まんざらあやうくないではない。おまえたちは、このあぶない実験で盲目もうもくになってしまうかもしれないのだ。だから、よく用心ようじんをして一度やって見るのはいいが、おまえたちがまたくりかえしてやって見る必要ひつようはない。で、よく聞いておおき、おまえたちはせんをしたビンで水をあたためてはいけないよ。いいかい。そんな悪戯わるさをしてはをつぶすかもしれないんだからね。もしも今、言ったことをまもらないようだったら、もう、お話はさようならだ。わたしはおまえたちのお相手あいてはごめんこうむるよ。
「ご心配しんぱいはいりませんよ、おじさん。」ジュールが横からいそいで口を入れました。「ぼくたちはそんなことをしないように注意ちゅういします。あぶないですからね。
「では、おまえたちは、何が機関車きかんしゃやそのほかのいろんな機械きかいを動かすのかわかったね。しっかりふたをした、じょうぶな汽鑵きかんの中で、ねっしたの力で蒸気ができるのだ。強い力を持ったこの蒸気は、いろいろな方法でげ出そうとする。そしてそのげ道をさえぎっている所にとくに圧力あつりょくくわえる。こうして、あの機関車を動かしたように、何でも動かす力が出てくるのだ。最後さいごにもう一度いっておくが、どんな蒸気じょうき機械きかいにでも、その力をむいちばん大事な物は汽鑵きかんだ。すなわち、水をかすりのかまだ。

   四八 機関車きかんしゃ


 ポールおじさんはつぎのような絵をおいたちに見せて、説明せつめいをしました。
「これは機関車きかんしゃの絵だ。蒸気じょうきのできる汽鑵きかん、すなわちをわかすかまは、この大部分をしめているのだ。それは六つの車の上に乗って、こちらのはしからむこうのはしまで行っている、この大きな円筒えんとうだ。じょうぶなてついたでできていて、大きなクギでしっかりといあわせてある。汽鑵きかんの前のほうには煙突えんとつがあって、うしろのほうにはがある。火夫かふという男が、大きなシャベルでたえずその中へ石炭せきたんを投げこんでいる。汽鑵きかんの中に入っているたくさんの水をわかして、じゅうぶんな蒸気じょうきを出すために、火熱かねつやしてはならないからだ。火夫は鉄のぼうで火をかきまわし、火のまわりをよくして、よくえるようにする。それだけではない。じょうずに火循ひめぐりをよくすると、ねつをじゅうぶんに利用して、水を早くわかすことができるのだ。のはしからは銅管どうかんがいくつもいくつも出ていて、それが汽鑵きかんのはしからはしまで水を通して、煙突えんとつのところまで行っている。その中を見せるために、このではことに汽鑵きかんの一部をこわしてある。の中の火炎かえんは、水の中を通っているこれらのくだの中をぬける。こうして火は水のなかをまわって、ごく早く蒸気じょうきができるようになっている。
「こんどは機関車きかんしゃの前のほうを見てごらん。そこには密閉みっぺいした短い円筒えんとうがあるが、このではその内部も見せるために、やはりそのそとがわをこわしてある。この円筒えんとう汽筒きとう〔シリンダーのこと。といって、機関車の右に左に一つずつある。この汽筒の中にはピストンというてつせんがある。汽鑵きかんの蒸気はピストンの前と後ろとにかわるがわる汽筒きとうの中に入ってくる。蒸気が前のほうに入ったときには、後ろのほうにつまっていた蒸気は、その時にだけ開くようになっているあなから自由に空中くうちゅうにぬけ出す。このぬけ出す蒸気は、その牢屋ろうやが開かれて外へ出るのだから、もうピストンをさない。われわれだって出口が開いているときには、そのそうとはしない。蒸気もやはりそれと同じことなんだ。自由にぬけ出ることができれば、もう押そうとはしない。それとは反対に、そこへ入ってきた蒸気は出口がないので、その全力でもってピストンを押す。そして汽筒の向こうのはしまでそれを押して行く。すると、この蒸気の役目やくめきゅうに変わって、今まで押していたのがこんどは空中へぬけ出て、そのあとへまた汽鑵きかんから出てきた蒸気がつまって、こんどは反対の方向にピストンを押して行く。
「ほんとうにわかったかどうか、ぼくにも一度、言わしてください。」とジュールがいいました。「蒸気は汽鑵かんの中でえずつくられて、そこから出てきます。そして汽筒きとうの中に、かわりばんこにピストンの前と後ろに入ります。それが前のほうに入ると、後ろのほうの蒸気は空中に逃げ出して、もうそのピストンをしません。そして、それが後ろのほうに入ると、前のほうのがぬけ出します。こうしてピストンは、かわるがわる前へ押され後ろへ押されて、汽筒きとうの中を進んだりしりぞいたり、行ったりきたりします。それからどうなるのですか?」
「ピストンにはかたてつじくのようなものがついていて、それが汽筒のはしのなかにあけてあるあなから汽筒の中へ入っている。その穴はこのじくを通すだけで決して蒸気をぬけ出さすようなことはない。このじく通動機つうどうきというものと連結していて、そしてやはり鉄でできたこの通動機は、また、そのそばの大きな車にくっついている。さし絵で見れば、そんなものはみんなよくわかるはずだ。そこで、汽筒の中で、進んだりしりぞいたりしているピストンは、そのたびに通動機を前後に押し動かす。そして通動機はそれにつれて大きな車をまわすことになる。機関車きかんしゃの向こうがわでも、もう一つの汽筒きとうの中でやはり同じことがおこなわれる。そこで二つの大きな車が同時に動いて、機関車は前のほうに向かって進むのだ。
「思ったほどむずかしいものではありませんね。」とジュールがいいました。「蒸気がピストンを押して、ピストンが通動機つうどうきを押して、通動機が車を押して、そうして機械きかいが動くのですね?」
「ピストンを動かすと、その蒸気はけむりの出るのと同じ煙突えんとつに入って行く。だから、ときどきこの煙突えんとつから白いけむりが出たり、黒いけむりが出たりする。その黒いのはから出て水の中を通って行くくだからぬけてくるけむりで、その白いのは、ピストンを動かしたたびに汽筒きとうから出てくる蒸気なんだ。そしてこの白煙はくえんは、ピストンを動かすたんびに、汽筒から煙突えんとつの中へはげしくほとばしり出て、あの機械の音を出させるんだ。
「ああ、ぼく知っていますよ、ポッ、ポッ、ポッ。」とエミルが大きな声でいいました。
「機関車はまた、その火をやしつづけていくための石炭せきたんと、汽鑵きかんの中をたえずいっぱいにしていくための水とを運んでゆく。それは炭水車たんすいしゃという一機関車のじきうしろにある運搬車うんぱんしゃで運ばれる。炭水車には世話せわをする火夫かふと、蒸気の汽筒きとうかようのを調節ちょうせつする機関手かんしゅとが乗っている。
「この絵の中の人間は機関手きかんしゅですか?」とエミルが聞きました。
「そう、機関手だ。手でハンドルを押さえているが、このハンドルは必要な速力そくりょくおうじて、汽鑵きかんから汽筒きとうへ蒸気をたくさん出したり、少なく出したりするためのものだ。このハンドルを一方のほうへまわすと、蒸気は汽筒へ行かなくなって機械きかいは止まってしまう。それから、その反対の方にそれをまわすと、蒸気はとおって、機関車は早くもおそくも心のままに動き出す。
機関車きかんしゃちからはいうまでもなくなかなか強い。が、重荷おもにんだ長い列車れっしゃ大速力だいそくりょくでひくとすれば、何よりもこの汽車を走らせる道路が問題になる。レールという強いてつぼうが、地面の上に固くかれて、どこまでもどこまでも平行へいこうして、どの汽車の車輪しゃりんもはずれないようになっていなければならない。車輪のはまるあさふちは、汽車をレールから脱線だっせんさせないようになっている。
鉄道てつどうには、ふつうの道のように車の進行しんこうをさまたげてムダな力を出させるいろんな厄介やっかいなものがない。そして機関車の引いて行く力全体が利用されて、その効果こうかいちじるしいものとなる。すなわち客車用きゃくしゃようの機関車は、一時間十二里〔およそ四八キロメートル〕のわりあいで、十五万キログラムの重さのものをひくことができるし、貨車用かしゃよう機関車は一時間七里〔およそ二八キロメートル〕のわりあいで六十五万キログラムの重さのものをひいていくことができる。汽車でレールの上を走るかわりに、同じ重さの荷物にもつを同じ速力そくりょくで同じ距離きょりだけ行くとすれば、客車きゃくしゃのかわりには馬が一三〇〇頭入用いりようだろうし、貨車のかわりには二〇〇〇頭必要になる。
「そこでだ。世界のいたるところで、毎日数千の機関車が走りまわって、ごく遠いところの人たちを近づかせてその間の距離をなくなさしているのだ。そしてまた、あらゆる種類しゅるいの機械が蒸気に動かされて、人間のためにはたらいているのだ。そしてこの機械はまた、四万二〇〇〇馬力ばりきもの力を持って軍艦ぐんかんをも動かしているのだ。水の入ったかまの下ですこしばかりの石炭せきたんやして、なんというたいへんな強い力を人間は発見したものだろう。
「だれが一番はじめに蒸気じょうきの使い方を考え出したのですか?」とジュールが聞きました。
「ぼく、その人の名をおぼえていたいと思います。
蒸気じょうき機械力きかいりょくは、およそ二〇〇年ばかりむかし、フランスのたからともいうべき、ドウニス・パペン〔Denis Papin、ドニ・パパン。というしあわせな人が考え出したものだ。この人はとみ無限むげんみなもととなるこの蒸気機関の土台どだいをつくって、そして外国で貧苦ひんくなやんで死んでしまったのだ。人間の力を一〇〇倍にもするその考えを実際じっさいあらわして見せるのに、彼は一文いちもんかねることができなかったのだ。

   四九 エミルの観察かんさつ


 こんどはエミルが自分の見てきたことを話しました。「おじさんがだまっておいでという合図あいずをなすったときは、実際じっさい、木が走っているように見えたんです。鉄道てつどう沿うた木はみんな、ずいぶん早く走っていました。ずらりと向こうに、長いれつをつくってえられた大きなポプラが、さようならというようにそのこずえをふって行くのです。畑はグルグルまわって、家はんで行きました。しかし、じっと見つめていたら、ぼくはすぐ自分たちが動いているので、ほかのものはみんな動かないのだということがわかりました。不思議ふしぎですねえ。走っているようで、実際じっさいはすこしも走っていないものを、おじさんもごらんになったでしょう?」
「われわれが汽車きしゃの中のこしかけにゆっくりと腰をおろして、前のほうへ行こうという努力どりょくもなんにもしないでいるとき……」とおじさんは答えました。
「もしわれわれが、まわりにあるものと自分との地位ちいということを考えなかったら、どうしてわれわれは自分の動いていることがわかるだろう? 目に見えるものが始終しじゅう変わっていくので、われわれは動いているということがわかるのだ。しかし、われわれのごく近くにあって、いつも目の前にあるものは、すなわち同じ車の中のたびづれや汽車の中の道具は、われわれから見ていつも同じ場所にじっとしている。左のほうにいる人はいつも左のほうにいて、前の人はいつも前にいる。汽車の中にあるこうしたすべてのものが動かないように見えるところから、われわれは自分の動いているということがわからなくなってしまう。そして自分はじっとしていて、外の物が出てゆくのだと思うのだ。汽車を止めると、木も家もすぐさま動くのを止めてしまう。ただの馬車ばしゃを馬に引かして行っても、またボートをしおに流して行っても、やはりこれと同じようなみょう幻覚げんかくをおこさせる。しずかに動いていくと、われわれは自分の動いていることを多少たしょうわすれて、実際じっさいには動いていない周囲しゅういの物がわれわれと反対の方向ほうこうに動いているように思う。
「わたしはまた、それがわからなかったものですから、目に見えるとおりだと思っていました。」とエミルがいいました。「わたしたちも動き、外のものも動いているのだと思っていました。わたしたちが早く走れば走るほど、ほかのものも早く走るように見えますね?」
「今のエミルの無邪気むじゃき観察かんさつは、科学かがくがそれを教えようとしてもなかなか受け入れられない真理しんりの一つを、おまえたちにそのまま見せたものだ。それはむずかしいことではないのだが、ただ、幻覚げんかくのためにいつも大勢おおぜいの人がだまされるのだ。
「もし人々が一生涯いっしょうがい、汽車に乗ったままらして、りることもなく、止まることもなく、そしてまた速力を変えることもなくすごしたとしたならば、その人々は、木や家は動くものだと固く信じてしまったにちがいない。その目で見たことを経験けいけん裏切うらぎられることはないのだから、深い考えもなしでいたら、そう思うよりほかに仕方しかたがないのだ。ところで、その人々の中から、だれよりもかしこい一人の人が出てきて、こう言うとする。「みんなは自分がじっとしていて山や家が動くのだと思っている。しかし、それは反対はんたいです。われわれが動くので、山や家や木はじっとしているのです」と。おまえたちは、人々がこのかしこい人のいうことに同意どうすると思うかね? どうして、どうして。みんなは自分ので山が走ったり家が歩いたりするのを見たのだから、そんな人のいうことははなであしらってしまうよ。いいかね、みんなはその人をはなわらうにちがいないのだ。
「でも、おじさん……」とクレールがいいかけました。
「でも、なんていうことはない。みんなははなわらうんだよ。そしてもっとわるいことには、おこって顔をまっにしてしまうんだよ。クレールや、おまえなんかまっさきに笑うほうだろうね。
汽車きしゃが動くので、家や山が動くのではないと言った人を、わたしがわらうんですって?」
「そうだ。周囲しゅういのすべての人が持っていて、そして自分にも一生涯いっしょうがいつきまとってきた間違まちがった考えというものは、そう容易よういえるものじゃないからね。
「ええ、それゃできませんとも。
「おまえだって、いつでも山を動かして、われわれを乗せて行く車を動かないものにすることができるのだよ。
「わたし、なんのことかわかりませんわ。
「おまえは、われわれを乗せて空中を走る汽車、すなわち地球ちきゅうを動かないものにしておいて、そして、この地球とはくらべものにならないほどの大きな星の太陽たいようを動くものにする。少なくともおまえはこう言うだろう。太陽がのぼってその進路しんろを走って、しずんでそしてくる日また同じことをくり返す。この大きな星は動いているので、そしてわれわれの小さな地球は、しずかに太陽の動くのを見守みまもっているのだと。
「それでも、太陽は光をあたえるために、そらの一方からのぼって、そして別な方にしずむもののようにたしかに思われますがね。」とジュールがいいました。「月だって星だって、やはり同じようにそうするようですね。
「それはこうなんだ、よくお聞き。わたしはある本で読んだのだが、あるところに、たやすいことではわからないというみょうくせ変人へんじんがあった。ごく簡単かんたんなことをするのにも、みんなをき出させるようなバカげたおおじかけな方法でやらなければ気がすまなかった。ある日、この人がヒバリをこうとしたのだが、さて、どんなことをしたかててごらん! 何十ぺんでも何百ぺんでもいいから、ててごらん! なあに、いくら考えたってわかるものじゃない。その男はたくさんの歯車はぐるまと、糸と、滑車かっしゃと、分銅ふんどうのついた、非常ひじょうに入りこんだ機械をつくったのだ。その機械は全体がゆれながら、行ったりきたり、上がったり下がったりした。そのバネの音と、歯車のかみあう音とは、耳がつんぼになるほどはげしかった。分銅ふんどうが落ちると家がふるえた。
「しかし、そんな機械を何に使うのでしょうか?」とクレールが聞きました。「ヒバリを火の前でまわしてくのにでも使うのでしょうか?」
「なあに、ごく簡単かんたんなものなんだ。ヒバリの前で火をまわす機械だったのさ。まき煙突えんとつもみんな、このすばらしい機械の中にあって、それが一つになってヒバリのまわりをグルグルまわるんだ。
「それはおどろいた!」と、ジュールがビックリしたように言いました。
「おまえはこのみょうな思いつきをわらう。が、おまえもこの変人へんじんと同じように、やはりまきや家を、くしにさした小鳥のまわりにまわしているんだ。地球は小鳥だ、家は無数むすうの星のあるあの大空おおぞらだ。
「太陽はそう大きくありませんね。――せいぜい砥石といしの車ぐらいのものでしょう。星なんて火花ひばなのようなものですね。が、地球は大きくてそしておもいんですね?」と、ジュールがいいました。
「みんな、バカなことをいっちゃいけない。太陽が砥石いしの車ぐらいで、星が火花ひばなのようだって? どうして、どうして。が、まず地球ちきゅうから話していこう。

   五〇 世界せかいてへのたび


「ジュールと同じ年の、同じようによく物を知りたがる小さな男の子が、ある朝、その旅行りょこう準備じゅんびをしていた。遠い海をこえて行く船乗ふなのりも、これほどまでに熱心ねっしんではなかった。長途ちょうとの旅行にいちばん必要な食料品しょくりょうひんは忘れられなかった。朝飯あさめしはいつもの二倍も食べた。バスケットにはクルミが六つと、バターつきサンドイッチと、リンゴが二つ入っていた。これだけのものがあれば、どこへ行けないということがあろう? 家の者はだれも知らなかった。長い旅路たびじ危険きけんなことを話して、大胆だいたんなこの旅行家りょこうかのくわだてを、家のものは止めるにちがいないのだ。で、かれは母さんのなみだで止められることを心配しんぱいして、わざとだまっていたのだ。そして手にバスケットを持って、だれにもわかれをげずに、一人で出立しゅったつした。やがて田舎いなかにきた。右に行っても左に行っても、彼にとってはたいしたことではない。どのみちでも彼の行きたいと思うほうへ行けるのだ。
「その子はどこへ行くつもりなのでしょう?」エミルがたずねました。
「世界のへ行くのだ。かれは右手のみちを行った。その道にはサンザシのかきふちになっていて、金青色こんじょういろ甲虫こうちゅうがブンブンいいながらかがやいていた。しかしこの美しい虫も、小川おがわおよいでいる小さな赤腹あかはらの魚も、かれの足を止めはしなかった。日は短く旅路たびじは遠い。彼はただまっすぐにあゆみ続けて、ときどき畑をよこぎっては近道ちかみちをした。そして一時間ほどすると、このかしこ旅人たびびと倹約けんやくをしいしい食べてはいたのだが、その主要しゅよう食料のサンドイッチをってしまった。それから十五分ほどすると、リンゴを一つと、クルミを二つ食べた。つかれると早く食欲しょくよくが出る。そしてみちがりかどの、大きなやなぎ木陰こかげで急に食欲しょくよくきざしてきて、つぎのリンゴと残りの三つのクルミがバスケットから取り出された。これで食料はもうおしまいになったのだ。それに、足はもう一歩も進まなくなってしまった。さあ、もう二時間というものその旅行は続いて、それでまだその目的はちっともはたされていないのだ。そこで子どもは、もっと足を達者たっしゃにして、もっとたくさん食料を持ってきたら、こんどはもっとその目的をはたせようと思って、もときた道へ引き返した。
「その目的もくてきというのは何ですか?」とジュールが聞きました。
「さっきも言ったとおり、この大胆だいたんな子どもは世界のてまで行きたいと思っていたのだ。その考えによると、空は青い円天井まるてんじょうで、だんだん低くなって行って、しまいには地のてで止まっている。だから、もしそこまで行きつけば、青空へ頭を打ちつけないようにがって歩かなければいけない。彼はその手で空にふれてみようと思って出発したのだった。が、その進むにしたがって、青い円天井まるてんじょうはいつもそれだけ引きさがって行って、いつも同じ高さでいるのだ。そしてつかれとひもじさとで、彼はこのうえ、そのたびをつづけることをよしてしまったのだ。
「もし、ぼくがその子を知っていたら、ぼく、そんな旅はやめさせてしまうんでしたのに。」とエミルが言いました。「どんなに遠くまで行ったって、手で空にとどくなんていうのは、どんなに高いはしごにのぼったってできないことですよ。
「エミルも、前にはそんなふうに考えていたのじゃなかったかね?」とおじさんがいいました。
「そうですよ、おじさん。今のお話の子どものように、ぼくも空は地の上にかぶさっている大きな青いふただと思っていましたよ。そして、いつまでもいつまでも歩いて行くと、このふたのはし、すなわち世界のてにくものだと思っていました。そしてまた、太陽はあの山のむこうから出てきて、その反対のほうにしずんで、そこには太陽が夜中入ってかくれている深い井戸いどがあるんだと思っていました。いつでしたか、おじさんはぼくをつれて、青いふたのはしが止まっているような山に行ったことがありますね。ずいぶん遠いところで、ぼくに歩きいようにつえしてくださいましたね、よくおぼえていますよ。しかしそこには、太陽の落ちこむような井戸いどは何もなくて、やはりここと同じようなところでしたよ。ただ、はるかむこうの方で、空のはしはやはり地面じめんの上に止まっていました。そのときおじさんは、いまに見えるところのてまで行っても、もっともっと遠くまで行っても、どこまで行ってもやはり同じことで、青天井あおてんじょうのはしまで行けるものじゃない、そんなものは実際じっさいにはないんだからと教えてくださいましたね。
「そうだ、どこまで行ったって、空は地面のすぐ上になんかない。また、どこまで行ったって、青空に頭を打ちつけるような危険きけんはないのだ。どこまで行っても、やはりここと同じような青天井あおてんじょうがあるのだ。そしてどこまでも一直線いっちょくせんに進んで行けば、や山や谷や川や海には始終しじゅう出会であうが、世界のてだという区切くぎりのあるところはどこにもないのだ。
「いま、空中に大きなマリを糸でつるして、そのマリに一匹いっぴき止まっているものと想像そうぞうしてごらん! もしこのがマリの表面ひょうめんをはいまわろうとしたとすれば、何の邪魔物じゃまものにもあわず、またその行く手をさえぎる区切りにもぶつからずに、マリの上を上や下や横と行ったり来たりすることができよう。また、もしこのがいつも同じ方向に進んで行くとすれば、そのマリの上を一周して、またもとの出発点に帰ってくるだろう。地球の表面にいるわれわれもそのとおりだ。どんなに小さながどんなに大きなマリの上に止まっているとしても、それにくらべれば、地球の上に止まっているわれわれは何でもないものだ。われわれがどこへどう行っても、どんなに遠くまで旅しても、青空のてとか区切くぎりとかへは決して行きつかずに、地球をひとまわりして、またもとのところに帰ってくる。つまり、地球はまるいもので、何のささえもなしに、空中におよいでいる大きなマリなのだ。そしてわれわれの頭の上に弓形ゆみがたにはって見える青空は、じつに地球を四方から取りまいている空気の、青い色にすぎないのだ。
「おじさんがたとえにひいたの止まっているマリは、糸でつるしてあったんですね。でも、地球という大きなマリは、どんなくさりでつるしてあるんでしょうか?」とジュールがききました。
「地球はくさりで空中につりさげてあるのでもなければ、地球儀ちきゅうぎのように台の上に乗せてあるものでもない。もっともインドの昔ばなしによると、地球は四本のどうはしらの上にあるのだそうだがね。
「では、その四本のはしらは何の上に乗っているんですか?」
四匹よんひきの白いぞうの背中に乗っているんだよ。
「では、その白いぞうは?」
「大きな四匹のかめの上に乗っているんだ。
「では、そのかめは?」
「それはちちの海の中をおよいでいる。
「では、そのちちの海は?」
「昔ばなしにはそのことは書いてない。そしてそれはだまっているほうがいいのだ。そしてまた、地球をささえるいろんな台のことなぞは何も考えないほうがなおいいのだ。地球の台があるとするね。するとその台をささえている二番目の台、その二番目をささえる三番目の台、四番目といった順序じゅんじょに千度もくりかえしても、それはちっともその答えにならない。どんな台を想像そうぞうしてみたところで、そのまた台がいることになる。たぶんおまえたちは、空の天井てんじょうがりっぱに地球をささえていると考えるだろうが、この青天井あおてんじょう実際じっさいは何もないので、ただ空気がそう見えるだけのことなのだ。また、幾千いくせん幾万いくまん旅人たびびとが地球上のあらゆる方向へ旅して行っても、どこにも地球をつっているくさりやまたはそれをささえている台を見ることはできない。どこに行っても、ここと同じ物を見るだけなのだ。地球は空中にただよって、月や太陽と同じように、何のささえもなしに空中をおよいでいるのだ。
「では、なぜっこちないのでしょう?」とジュールがどこまでも言いつのります。
っこちるというのはね、手で石を持ち上げてそれをはなしたときのように、地面じめんんで行くことをいうのだよ。この地球という地面が、どうして自分の上にっこちるものかね。自分で自分の上へんで行くということはできないからね。
「それゃ、できません。
「そうか、よろしい。では、こういうことを考えてごらん。地球のまわりはどこでも同じことで、どこが上、どこが下、どこが右、どこが左ということはないものだ。が、まず空のあるほうを上と言っておこう。ところで、この地球の反対はんたいがわにもやはり空はあるんだ。そしてそこもここと同じようで、地球上はどこへ行っても同じことなのだ。そこでだね、われわれの頭の上の空へ地球が飛んで行くものでないと考えたら、どうしてそれが反対のがわの空へ飛んで行くと考えられるのだ。反対の空へ落ちるということも、ヒバリがここから上へ飛んで行くのと同じように、やはり上へあがって行くことなのだ。

   五一 地球ちきゅう


地球ちきゅうまるいものだ。それはつぎのことが証明しょうめいする。町に向かって行く旅人たびびとが、何もをさえぎるものもない平原へいげんをこえると、はるかかなたに町でいちばん高いとうや、教会きょうかい尖塔せんとう頂上ちょうじょうが最初に見えてくる。だんだん近づくにしたがって鐘楼しょうろうが見え、つぎには家の屋根やねが見え、やがていろんなものが見えてくる。高い物からはじまって、距離きょりが近づくにしたがって、だんだんひくい物がに入るようになる。それは地面じめんがまがっているからなのだ。
 ポールおじさんは鉛筆えんぴつを取って、ここにあるような図を紙にえがいて、また話しつづけました。
「Aにいる人には、地面のまがりがとうをかくしてしまうから、とうはすこしも見えない。Bにいる人にはとうの上半部は見えるが、下の半分はまだ見えない。最後に、Cのところにくると、とうがすっかり見えてくる。もし地面がたいらなものだったら、こんなことはないはずだ。どんなに遠くからでもとうはすっかり見えなければならない。もちろん、あまりはなれていると、距離きょりの関係で、近いところにいるよりは、いくらかぼんやり見えるだろうが、とにかく頂上ちょうじょうからいちばん下までよく見えなければならない。
 ポールおじさんはもう一つ図をえがきました。それによると、AとBの二人の人はまったくちがった距離きょりのところにいるのですが、それでも平地へいちの上にいるものですから、二人ともとういただきから台まで見えるのです。おじさんは話しつづけました。
陸地りくちでは、いま、お話した観察かんさつてきするような、広いなだらかな場所がにくい。たいていのばあい、おかや、谷や、草木のしげみなどが邪魔じゃまをして、近づくにしたがってとういただきからだんだん台まで見せて行くということをさせない。が、海にはそんな邪魔物じゃまものはない。水はとつになっているが、それは地球ちきゅうめんとつなので、そこで、この海では、地球のまるい形からおこるいろんな現象げんしょう研究けんきゅうするのに非常ひじょうにつごうがいい。
ふねが海から海岸かいがんへ向かってくるときに、ふねに乗っている人に最初さいしょに見えるものは、山の頂上ちょうじょうというようないちばん高いところで、それから高いとういただきがに入り、やがて海岸かいがんが見えてくる。同様に、海岸でふねの入ってくるのをながめている人には、帆柱ほばしらいただきが最初に見えて、つぎにいちばん上のが見え、それから下のが見えるようになって、ついにふね全体が見えてくるのだ。もしまた船が出帆しゅっぱんして行くところだったら、今のとは反対に、船はだんだんに見えなくなり、水の中へ入って行く。まず船体せんたいがかくれ、下のからだんだんに上のがかくれ、最後に帆柱ほばしらいただきが見えなくなってしまう。
「地球はどのくらい大きいのですか?」と、またもやジュールがたずねました。
「地球は周囲しゅういが四〇〇〇万メートル〔=四万キロメートル〕ある。四キロメートルが一里にあたるから一万里になるわけだ。丸テーブルを取りまくには、三人か四人か五人くらいの人が手をつなげばいい。が、同じようにして地球を取りまこうとすれば、フランスじゅうの人が手をつながなければなるまい。こんなことはだれにもできないことだが、かりに一日一〇里のわりあいで歩くとして、海がなくてりくだけだとしても、地球をひとまわりするには三年かかる。
「今までに、ぼくの歩いたのでいちばん遠かったのは、あの雷雨らいうのあった日、行列虫ぎょうれつちゅうを取りに松林まつばやしに行ったときですよ。あのときは何里なんりぐらい歩いたんでしょう?」
「行きが二里、帰りが二里で、つごう四里よりぐらいだったね。
「たった四里より! まるで遊びに行ったようなものですね。帰りには、ぼく、やっとのことで歩いてきましたよ。では、ぼくだったら世界せかい一周いっしゅうをするには、ちからいっぱい歩いたところで、七、八年はかかりますね。
「そう。そのとおりだ。
「では、地球は大きなマリなんですか?」
「そうだ、ずいぶん大きなマリだ。もう一つのれいを話したらよくわかるようになるだろう。かりに地球を人間の高さほどの直径ちょっけいのマリだとしよう。直径六尺ろくしゃくほどのマリだとするんだよ。それにつりあった大きさで、このマリの表面ひょうめんに有名な山をき出させる。世界でいちばん高い山は、中央ちゅうおうアジアにあるヒマラヤ山脈のガウリサンカール山〔エベレストの誤認か。だ。この山の高さは八八四〇メートル(二万五五〇〇尺〔注意、二万九五〇〇尺か。ある。この山頂さんちょうとどくほどの雲はめったにない。そしてその山麓さんろくは一つの国ほどの広さだ。さあ、この大きな山にくらべたら人間はどんなものになるだろう。さて、地球のかわりのこのマリの上にこの大きな山を乗せてみよう。それがどんな大きさになるかわかるかい? それはおまえのゆびの間から落ちるような小さなすなつぶだ。一ミリメートル三分の一(四りんほどの大きさの砂つぶだ。われわれをしつけるようなこの大きな山も、地球の大きさにくらべると何でもない。高さ四五一〇メートル(一万四四〇〇尺)〔四八一〇メートル、約一万六〇〇〇尺か。あるヨーロッパ第一の高山こうざんモンブランは、その半分くらいの砂つぶしかない。
「おじさんが地球の丸いことを話してくださったときね……」と、クレールが口をさしはさみました。
「わたし、大きな山や深い谷のことを考えてそんないろんなものがあっても、地球はまだ丸いものだろうかとうたがっていましたの、いまやっと、そんなものは地球の大きさとはくらべものにならないことがわかりましたわ。
「ミカンはかわしわがあるけれども丸いだろう。地球もそれと同じで、表面にいろんなところがあっても、やはり丸いのだ。地球は大きなマリで、その大きさにくらべるとちりすなつぶがらされたように見えるのがすなわち山なのだ。
「ずいぶん大きなマリですね。」とエミルがいいました。
「地球のまわりをはかることは容易よういなことではない。ところが、それどころかそれを秤皿はかりざらにのせてはかりにかけることができるもののように、目方めかたまではかってみたのだ。科学というものは、人間の知力ちりょく偉大いだいさを見せるいろんな方法を持っている。この大きな地球の目方めかたまでもはかったんだ。どうしてはかったかは今日おまえたちに話すことはできない。それははかりを使うのじゃない。神さまが人間にこの宇宙うちゅうなぞくようにとめぐんでくださった理知りちの力ではかり出したのだ。その目方めかたは六に二十一のゼロをそえたキログラムになる。
「そんな数字はあんまり大きくて、ぼくには何のことだかまるでわかりませんね。」とジュールがいいました。
「大きな数というものはなんでも厄介やっかいなものだよ。が、もっと厄介やっかいなことがある。もしこの地球を車に乗せて、道をひいて行ったらどんなものだろう? どれほどの馬をつけたらいいだろう。まず正面しょうめんの第一列に一〇〇万頭の馬をつけて、その前の第二列にもう一〇〇万頭、そのつぎにもまた一〇〇万頭、そしてそれを一〇〇も一〇〇〇もくりかえして、こうして世界中のまぐさではとてもやしないきれない一〇〇〇億の馬をつけるとする。そこでムチをあてて出発する。が、すこしも動かない。まだ力がたりないのだ。こんな大きな地球を動かすには一〇〇〇億の馬を一億倍もあわせた力がなくてはならない。
「わたしにはわかりませんね。」とジュールがいいました。
「おじさんにもわからないね。地球はそれほどまでに大きいのだよ。」とおじさんが答えました。
「わけのわからなくなるほど大きいんですね。」とクレールがいいました。
本当ほんとうにそうなんだよ。おまえたちにはそれだけのことがわかれば、それでいいんだ。」とポールおじさんは話をむすびました。

   五二 空気くうき


「顔の前で急に手をひろげると、ほおにいきがかかるような気がする。このいき空気くうきだ。この空気は動かずにいると何も感じないが、手で動かすと軽い震動しんどうをおこしてすずしい気持ちをさせる。だが、空気の震動しんどうはいつでもこんなにやわらかなものではない。どうかするとずいぶんあらくなる。ときどき木をこぎにしたり、家をひっくりかえすような大風もやはりそれで、川のようにある所からあるほかの所へ流れて行く空気だ。空気は透明とうめいでほとんど色がないからに見えない。しかし、ごくあつそうになっていると、そのあわい色がに見えるようになる。水でも、そのりょうが少ないときには色がないようだが、海や池や河などの深いところでは青か緑色に見える。空気も水と同じで、少ないときは色がついていないけれども、五、六里〔二〇〜二四キロメートル〕あつくなると青くなる。遠いところの景色けしきは、青味あおみをおびて見えるが、それはその間の空気のあつそうがそう見せるのだ。
「空気は地球のまわりを十五里〔六〇キロメートル〕あつさでおおうている。それを雲のおよぎまわる空気の海、すなわち雰囲気ふんいきといっている。空の色はこの空気の青い色からくるのだ。そしてこの雰囲気ふんいきが空の円天井まるてんじょうのように見えるのだ。
「おまえたちは、魚が水の中に住んでいるように、われわれがそのそこに住んでいるこの空気の海が、われわれにどんな功用こうようがあるのか知っているか?」
「よくはぞんじません。」とジュールが答えました。
「この空気の海がなかったら、植物しょくぶつ動物どうぶつも生きていることはできないのだ。よくお聞き。われわれになくてならない一番大事だいじなものは、むこととうこととねむることとだ。はらがへればどんなまずいものでもおいしくなる。また咽喉のどがかわけば一杯いっぱい冷水れいすいでも非常にうまい。そしてまた、つかれればちょっとした居眠いねむりでもいい気持ちになる。そんなほんのちょっとしたえやかつえやつかれであれば、はげしい苦痛くつうというよりも、むしろいい気持ちでその満足まんぞくを求める。が、その満足があまりに長いあいだられないと、もうたまらないほどになって非常な苦痛くつうになる。このえやかわきをおそろしく思わないものがどこにあろう。え! そんなことはおまえたちは知っていない。が、もし、おまえたちにすこしでもそのくるしさがわかるようだと、このつらい目にあうあわれな人のうえを思ってむねがつぶれるくらいだろう。えている人をおまえたちはいつでも助けてやらなければならない。にこれほどすぐれたことはまたとない。まずしいものにあたえるのは神さまにすのも同じことだ。
 クレールは感動かんどうして目に手をあててなみだをかくしました。彼女かのじょは心のおくから語り出すおじさんの顔に光を見たのでした。おじさんはしばらくだまっていて、また話しつづけました。
「が、このえやかわきの欲望よくぼうがどんなにはげしいといっても、まだまだそれよりももっと強い欲望がある。それは夜でも昼でも、ていてもきていても、たえず休みなくおこってくる欲望だ。それは空気の欲望だ。この空気はうことやむことのように時をきめてその欲望をたすということのできないもので、ちょっとのあいだわすれても生命せいめいにかかわるほどの大事なものだ。そして、いわばまあ、われわれが空気をおうと思っても思わないでも、たえず空気はわれわれの身体からだの中に入ってきてその霊妙れいみょう役目やくめをはたすのだ。われわれは何よりもまっさきに空気のおかげで生きているので、食物しょくもつは第二番目のものだ。食物の欲望はかなり長い間をへだててかんずるが、空気の欲望はなしに感ずる。
「ぼく、今まで空気で生きていたとは思いませんでしたよ。いま、はじめて空気がぼくたちにそんなに必要だということを知りました。」とジュールがいいました。
「自分はなんとも思わないで、始終しじゅうやっていることだから考えなかったのさ。が、ちょっとの間、空気が身体からだに入るのを止めてごらん! 空気の入ってくる道の、はなと口とをじてごらん。
 ジュールはおじさんのいうとおり、口をじて指ではなをおさえました。まもなく顔が赤くなってあつくなってきましたので、しかたなしにこの実験じっけんをやめてしまいました。
「おじさん、そんなことはしておれませんよ。いきがつまって、もすこしやっていたらきっとにそうになりますよ。
「そうだろう。生きるためには空気が必要だということがわかればそれでいいのだ。すべての動物は、ごく小さいダニから、大きなけものにいたるまで、おまえたちと同じように、なによりもまず空気によって生きているのだ。魚やそのほかの水中にんでいるものでさえも、やはり同じことだ。魚は空気がまじってけている水の中にだけ住むことができるのだ。おまえたちはもっと大きくなったら、空気がどんなに生物に必要だかということを証明しょうめいする実験じっけんをすることができるだろう。鳥をガラスのかごに入れて、どこもかもめきって、ポンプのようなものでその中の空気をい出す。こうして、空気がかごの中からぬかれるにしたがって、鳥はヒョロヒョロしてきて、しばらくは見るもいたましいくらいにさわぐが、やがてたおれてんでしまう。
「世界中の人や動物にいる空気は、ずいぶんたくさんなくちゃならないんでしょうね。そんなにたくさんあるんですか?」とエミルがいいました。
「それゃ、ずいぶんたくさんいる。一人の人間が一時間に約六〇〇〇リットル(一リットルは五合五しゃくいる。だが、空気はすべての人にじゅうぶんなほどたくさんあるのだ。それをおまえたちにわかるようにしてあげよう。
「空気はごく希薄きはくなもので、一リットルの目方めかたが一グラム(一グラムは十五分の四もんめしかない。これと同じりょうの水だと一〇〇〇グラム、すなわち七六九倍ある。が、空気は非常にたくさんあるので、その全体の重さはおまえたちの想像そうぞうの外だろうと思う。もし空中くうちゅうの空気をすべて大きな秤皿はかりざらに乗せることができるとしたら、べつなほうのさらにはどれだけの重さを乗せたらつりあうと思うかね? いくらでもたくさん言ってごらん。一〇〇〇キログラムを一〇〇〇倍してもいいよ。
「五、六百万キログラム?」とクレールがいいました。
「そんなこっちゃない。
「じゃ、その一〇倍? 一〇〇倍?」
「それでもまだたりない。そんなこっちゃさらは上がらないよ。とてもふつうの目方めかたではかぞえることができないから、わたしがかわりに返事へんじしてあげよう。こんな重さをはかるには、ふつうの分銅ふんどうやくに立たない。新しい分銅ふんどうを発明しなくちゃだめだ。で、かりに一キロメートル立方りっぽう分銅ふんどうがあるとする。そしてこの四半里しはんり〔=一キロメートル〕四方しほうの分銅を目方めかた単位たんいにする。この分銅の重さは九億万キログラムだ。そこで空気の目方めかたをはかるには、この分銅を別な秤皿はかりざらのほうに五十八万五〇〇〇もみ上げなければならないのだ。
「そんなことができますの?」とクレールがいいました。
「前にもそういう話をしたが、神さまが地球のまわりをおおうた襟巻えりまきのようなこの空気のそうのおそろしく大きなことは、想像そうぞうにもおよばない。が、おまえたちはこの空気―四半里しはんり立方りっぽう分銅ふんどうを五十万もあわせた重さのあるこの空気の海――が、地球そのものとくらべたらどんなものになるか知っているかね? それはももと、その上にえているちょっと目に見えないようなとのようなものだ。それなら、この空気の海のそこに動いているわれわれ人間はどんなものだろう? しかしわれわれ人間は、からだは小さいが頭のちからは大きい。この空気や地球の重さをあそ半分はんぶんではかることができるのだ。

   五三 太陽たいよう


 朝早くポールおじさんとおいたちとは、朝日あさひをながめに近所のおかにのぼりました。まだ薄暗うすくらがりでした。田舎道いなかみちを通るとき出会ったのは、町へバターと牛乳ぎゅうにゅうを運んで行く牛乳屋ぎゅうにゅうやの女と、の火がくらい道をらしているところでまっけたてつ鉄床かなとこでたたいている鍛冶屋さんとだけでした。
 杜松ねずの木の下にすわって、ポールおじさんと三人の子どもとはおかの上にす光の見えるのをっていました。東の空が明るくなりかけてきますと、ほしは色が青ざめて一つ一つ消えて行きます。やわらかな光が見えはじめるころから、あかい雲のへんが美しい光線こうせんの中をただようていました。やがて、空の上のほうに日がかがやいてきとおるような、昼の青空があらわれました。太陽がのぼる前のこの薄明うすあかりをオーロラ〔アウロラ。ローマ神話で、曙の女神のこと。すなわちあけぼのというのです。そのうちにヒバリが花火はなびのように空高そらたかくのぼって、一番に朝のあいさつをいたしました。ヒバリはさえずりながら高く高く、太陽にとどくほど高くのぼって、一心いっしんに歌をうたっては太陽をほめたたえています。耳をすましてごらんなさい。木の枝葉えだはには風がいてうごかしています。小鳥はき出てさえずっています。野仕事ごとに引き出された牛は、物思ものおもいをするように立ち止まって、おだやかな大きなを開いてえます。万物ばんぶつが生きかえって、口々くちぐちに力強い手でわれわれに太陽をもたらした神さまにおれいを言っています。
 ごらんなさい。はげしい光線こうせんび出してきて、山のいただきがきゅうに明るくなりました。太陽のはしがのぼりはじめてきたのです。大地だいちはいま、このまぶしい光にあってよろこびふるえています。かがやく太陽はだんだんとのぼってきます。もうだいぶあがりました。赤熱せきねつした砥臼碾臼ひきうすか〕のようになって、すっかり上がりました。朝霧あさぎりはその光をやわらげて、まともにそれをながめることをできるようにします。が、まもなくこのまぶしい太陽を見つめることはできなくなります。そしてその光はちあふれて、つめたい夜があたたかい朝になります。きり谷底たにぞこから上へのぼって消えてしまい、葉末はずえむすんだつゆあたたまって蒸発じょうはつします。どこを見ても、いきいきとして、夜じゅう止まっていた活力かつりょくが生きかえります。こうして太陽は一日、東から西へ動いて、地球に光とねつをそそいで、穀物こくもつみのらせ、花にかおりをはなたせ、果物くだものには味をつけ、あらゆる生物せいぶつ活気かっきをつけます。
 そのときポールおじさんは杜松ねずかげで話しはじめました。
「この太陽というのはどんなものだろう? 大きなものだろうか? ごく遠いところにあるものだろうか? それを今、わたしは、おまえたちに教えてあげようと思うのだ。
「ある一点からほかの一点までの距離きょりはかるには、おまえたちはただ一つの方法しか知らない。それは長さの単位たんいであるメートルを、いまはかろうとする距離きょりの一方のはしからほかの一方のはしまで、幾度いくどでもならべて行くことだ。しかし科学には、人間が行くことのできない距離のところをはかる特別の方法がある。たとえばとうや山の高さを、そのいただきにものぼってみず、またそのふもとにも行ってみないで、はかる方法がある。太陽とわれわれとの距離をはかるにも、やはりその方法を取るのだ。こうして天文てんもん学者がくしゃが計算したところによると、太陽とわれわれとの間の距離は四〇〇〇メートル(一里)の三八〇〇万倍ある〔約一億五〇〇〇万キロメートル〕。この長さは地球のまわりの三八〇〇倍にあたる。わたしは前に、地球を一周いっしゅうするのに、一日一〇里歩く足の達者たっしゃな人で三年かかると言った。だからその同じ人が地球から太陽まで行くには、もし行けるものだとしても、一万二〇〇〇年かかるわけになる。一人でこんな長いたびをするには人間の一生いっしょう比較ひかくにならぬほど短かすぎる。そしてまた、一〇〇年ずつ生きる人が一〇〇代続けて、同じ旅路たびじをつづけて行くとしても、まだたりないのだ。
「では、機関車きかんしゃはこの距離きょりを行くのにどれほどかかりましょうか?」とジュールがたずねました。
「機関車の早いことを思い出したとみえるね。
「このあいだ、おじさんといっしょに汽車きしゃに乗って行った日に見ましたもの。外を見ていると、おそろしいほどの早さで道がうしろのほうへ飛んで行くように思いましたよ。
「わたしたちを引いて行った機関車は、一時間に一〇里走ったのだ。かりにちっとも止まらないで一時間に十五里の速さで走る機関車があるとしよう。その速力そくりょくで走ると、一日たらずでフランスを横断おうだんしてしまう。そして太陽と地球のあいだを走るには三〇〇年ほどかかる。こんなたびをするには人間の手でできたいちばん早い機関車も、世界一周をしようという非常な野心やしんを持ったノロノロしたカタツムリのようなものだ。
「ぼく、前にね、屋根やねにのぼって長いあしつるか〕につかまって行ったら太陽にとどくと思っていましたよ。」とエミルがいいました。
「だれでも、ほんのうわべに見えるだけしか知らない人は、太陽をただのおぼんほどの大きさのまぶしい円盤えんばんだくらいに思っているよ。
「ぼくも昨日きのう、そう言いましたね。」とジュールがいいました。「だけど、そんなにはなれているとすれば、きっと水車すいしゃぐらいの大きさはあるんでしょうね?」
「第一に太陽は、おぼんのような、そんなひらたい物ではない。地球のようなきゅうになっているのだ。そしておぼん水車すいしゃよりはずっと大きいものだ。
「なんでも距離に比例ひれいして小さく見えるものだが、あんまり遠くなるとついには何も見えなくなってしまう。高い山も、遠くからは小高いおかとしか見えないし、教会きょうかいとうの上に立った十字架じゅうじかも、じつはずいぶん大きいものなのだが、下から見ればたいへん小さく見える。太陽もそれと同じだ。あまり遠くに離れているから小さく見えるが、距離が非常に遠いだけそれだけ、その大きさも非常に大きいのだ。もしそうでなかったら、まぶしいおぼんほどに見えるどころか、なんにも見えないにちがいない。
「おまえたちは地球の大きなことがわかった。が、わたしがいろいろと比較ひかくして話してみせたが、おまえたちの想像そうぞうでは、きっとその大きさをえがき出すことができなかったろう。ところで、太陽はこの地球の大きさの一四〇万倍もあるのだ〔地球と太陽の体積比は1 : 130万4000。『世界大百科事典』より)。もし太陽がまるいはこのような空虚くうきょなものだとしたら、その空虚くうきょをうめるには一四〇万の地球が入ってしまうのだ。
「もう一つ別なれいをあげよう。一リットルというますには、小麦こむぎが一万つぶ入る。一〇リットル、すなわち一デカリットルをたすには一四〇万つぶいる勘定かんじょうになる。そこで小麦十四デカリットルの山を、そのとなりにただ一粒ひとつぶの小麦とがあるとしてごらん。その大きさに比例れいして、一粒ひとつぶのほうが地球だとすると、十四デカリットルのほうは太陽なのだ。
「まあ、わたしたちは大変たいへんまちがっていたんですわね。太陽を大きく見積みつもっても水車すいしゃぐらいのものだと思っていたのに、そんなに大きなものだとしますと、地球なんかは何でもないものになってしまいますわ。」とクレールがいいました。
「おどろいたものだな。」とジュールもいいました。
「そうとも。おまえたちがこの想像そうぞうもつかぬような大きさを考えるときには、『おどろいたな』と言わずにはおられまいよ。だから、こう言うんだよ。おどろきましたよ神さま、あなたはえらいおかたです。ほかのものには太陽や地球をつくることも、それを手にささえていることもできません、とね。
「わたしの話はこれですんだのじゃない。先日せんじつ電光でんこうかみなりの話をしたとき、光線こうせんは非常に早く伝わるものだということを教えてあげただろう。実際じっさい、機関車ならば全速力ぜんそくりょくで三〇〇年もかかってく距離を、光線こうせんはわずか十五分か八分間かかればいいのだ。もうすこしお聞き。天文学てんもんがくによると、ここからはごく小さく見えるどのほしも、みんなわれわれの太陽ほどの大きさのやはり太陽なのだ。それらの太陽は、われわれの目に見えるのはほんの一小部分にすぎないので、じつはかぞえきれないほどたくさんあるのだ。そしてその距離もずいぶん遠くて、いちばん近い星からその光が地球にくるのにも、いま話したとおりのはやさで約四年かかる〔一番近い恒星こうせいは、ケンタウルス座α星の伴星C(プロキシマ星)、距離4.3光年。『世界大百科事典』より)。一番というほどでもないが、とにかく、ごく遠くにあるある星からだと幾百年いくひゃくねんもかかる。そこで、もし、おまえたちができるならこうした遠くにある星とこの地球との距離を計算して、その数と大きさとを想像そうぞうしてごらん! だが、そんなことはやってくれないほうがいい。神さまの仕事の広大こうだい無辺むへんなことは、とても人間の知恵ちえなぞのおよぶところではない。そんなことはムダなことだ。そしてただ、神さまの力をほめたたえるがいい。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(六)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

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(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

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(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#5字下げ]四六 プリニイの話[#「四六 プリニイの話」は中見出し]

『噴火山から噴き上げられた灰はどんな事をするか。其の説明の代りに、昔の有名な文士の伝へ残した、古い古いお話しをしやう。此の文士はプリニイと云ふ人で、其の頃世界に一番勢力のあつたラテン語でこの話を書いたのだ。
『救ひ主キリストの仲間がまだ生きてゐた、紀元七十九年の事である。其の頃ヴエスヴイアス山は何事もない穏やかな山だつた。今日のやうな煙の出る山になつてゐたのではなく、僅かに持ち上つた岡で、埋もれた噴火口の跡には小さな草や野葡萄が生えてゐただけだつた。そして山腹には豊かな穀物が繁つて、麓の方にはヘルクラニウムとポンペイといふ賑やかな二つの町があつたのだ。
『最後の噴火が人々の記憶にも残らぬ程の昔になつて、これからは永遠に鎮まるものと思はれてゐた此の噴火山は、突然生き返つて煙りを出し始めた。八月二十三日の午後一時ごろ、何時もは見慣れない雲が、白くなり、黒くなりしてヴエスヴイアス山の上に漂ふてゐた。地の底から押し出す強い力のために、此の雲は初め木の幹のやうに真直に立つてゐたが、非常に高くまで登つてから、急に自分の重さに押し下げられて広く拡がつて行つた。
『扨《さて》、其の頃、ヴエスヴイアスから遠くないメシナといふ港に、此の話しを伝へたプリニイの叔父さんが居た。此の人は自分の甥と同じくプリニイといふ名の人で、此の港に碇泊してゐたローマ艦隊の司令官だつた。そして非常に勇敢な人で、新しい事を知るとか、他人を助ける場合には、どんな危険も恐れなかつたのだ。ヴエスヴイアス山上に漂ふ一筋の雲を見て驚いたプリニイは、直ぐ様艦隊を出動させて、困つてゐる海岸町の人を助けたり、近所から怖ろしい雲を観察したりした。ヴエスヴイアスの麓の住民は気違ひのやうになつて、狼狽《うろた》へて騒いで逃げた。プリニイは皆んなが逃げてゐる、此の一番危険な方へ行つたのだ。』
『偉い!』とジユウルが叫びました。『恐がらない人に勇気が湧くんだ。僕は危険と云ふ事を知つて噴火山へ急いで行つた、プリニイが大好きになりました。僕もそんな処にゐたかつたなあ。』
『おい/\、そんな呑気なところぢやないんだよ。燃え滓は熔岩と一緒に船の上に落ちて来るし、海は怒つて底まで荒れ出すし、岸には山の崩れが積つて邪魔になるし、仲々近寄る事が出来ないのだ。もう逃げ帰るよりほかに仕方はなかつた。艦隊はスタビイへ行つて上陸した。そこは少し離れてはゐたが、だん/\に危険が迫つて来て、皆んなは早くも周章《あわ》ててゐた。やがてヴエスヴイアスのごく間近で大火焔が破裂した。四辺《あたり》は灰の雲で真暗闇になつてゐたので、其の劇しい眩しさが愈々恐ろしさを増した。プリニイは仲間の者共を安心させるために、此の火は取り残された村に火が移つたのだと云つた。』
『プリニイは仲間に勇気をつけやうと思つてさう云つたのですが、自分では実際の事をよく知つてゐたのでせう。』とジユウルが口を添へました。
『それはよく知つてゐたのさ。非常に危いといふ事を知つてゐた。けれども彼れは疲れてぐつすり寝込んで仕舞つた。そしてプリニイが眠つてゐる間に、雲はスタビイの町を巻きこんで仕舞つた。彼れの部屋につゞいた庭はだん/\燃え滓が一杯になつて、もう少し経つと彼れは逃げ出す事も出来なくなりさうだつた。仲間は彼れを生埋めにさせまいとして、そして又何うしたらいゝか尋ねるために、プリニイを起した。家は絶え間のない地震のために土台から折れる位、前後に揺り動かされてゐた。そして沢山の人が死んだ。たうとうもう一度海へ出る事に決まつた。石の雨が……実際小石と火のついた燃え滓とが雨のやうに降つて来る。人々は此の雨を避けるために、枕を頭にのせて、恐ろしい真暗闇の中を抜けて、手に持つた松明《たいまつ》の光りで漸く海岸へ向つて進んで行つた。プリニイはちよつと休まうと思つて地の上に坐つた。丁度其の時、強烈な硫黄の匂ひのする大きな火が飛んで来て、皆んなをびつくりさせた。プリニイは立ち上つたが、そのまゝ死んで倒れて仕舞つた。噴火山の熔岩や燃え滓や煙がプリニイを窒息させたのである。』
『可哀さうに! 恐ろしい火山の煙りが、あの勇敢なプリニイを窒息させたんですね。』とジユウルが悼《いた》ましさうに云ひました。
『叔父さんの方はかうしてスタビイで死んだが、母親と一緒にメシナに残つてゐた甥は、次ぎの様な目に会つた。叔父が出発した夜激しい地震があつた。母はびつくりして急いで私を起しに来た。私は起ち上つて母を起しに行かうとするところだつた。家が潰れる位ひどく揺れるので、我々は海に近い庭に出て坐つてゐた。そして当時十八歳だつた私は、若気の不注意で本を読み始めた。其処へ叔父の一友人が来た。母も私も一緒に庭に坐つて居り、殊に私は本を手にしてゐたのを見て、心配してくれる余り二人の呑気さを叱りつけて、もつと身の安全を計るやう気をつけさせた。まだ朝の九時頃だつたが、空は薄暗くて、あたりもよく見えなかつた。時々家がひどく揺れて、何時倒れるかも分らないやうに思はれた。我々は他の人々のやる通りに町を立ち退く事にして可なり行つて畑の中に止まつた。持つて来た荷車が地震のために、始終動揺するので石で車輪に歯止めをして、漸くの事で動かないやうにした。海水は自然と満ちてゐたが、地震のために岸から押し戻されて、砂の上に夥しい魚の群を残して行つた。恐ろしい黒雲が我々の方へ襲ふて来た。その横側には、すばらしい大きな稲妻の光りのやうな、火の条《すじ》がうねつてゐた。雲は直ぐに降りて、地と海とを掩ふた。其時、母は私に云つた。若い力に任せて、大急ぎで此の場を遁げるがいゝ、もう年老つた母と足を合はせたりして、此の危急の死に逢ふやうな事があつてはいけない。私が危険を脱したと知つたら、母は安心して死ぬ事が出来るといふのだつた。』
『では、プリニイは一刻も早く遁れやうとして、其の年老つたお母さんを置いてきぼりにしたんですか。』とジユウルが訊きました。
『いや、さうぢやない。そんな場合にお前達皆んながやるだらう通りに、プリニイもやつたのだ。彼れは留つて母を介抱したり、力をつけてやつたりして、母と一緒に生きるか、母と一緒に死ぬか何方かだと決心したのだ。』
『偉い!』とジユウルが叫びました。『此の叔父ありて、此の甥ありですね。それから何うしたんです。』
『さアその後が大変だ。燃え滓は降つて来る。暗くはなる。もう何にも見えない程真暗になつて了つた。さあ泣き喚く声、立ち騒ぐ声、大騒ぎが始まつた。人々は恐れ狂つて当てどもなく逃げ廻つて、衝突するやら、人を踏み倒すやらした。大がいの人はもう此の夜を最後の夜だ、世界を包む永遠の夜だと覚悟した。多くの母は、手探りで、人込みの中で見失つたか逃げる人の足で踏み潰されたか分らない其の子を尋ねて、もう一度抱いてから死にたいと哀れな泣き声を出して叫んだ。プリニイと其の母とは、群集から離れてずつと坐つてゐた。絶えず二人は立ち上つては、二人を埋めにかゝる燃え滓を払ひ落した。遂に雲が散つて、再び太陽が現れた。何もかも厚い火山灰や燃え滓に埋められて仕舞つて、土は見る事も出来なかつた。』
『では、人家は燃え滓に埋められて了つたんですか。』とエミルが尋ねました。
『山の麓では、噴火山から噴き上げられた灰が高い家よりも深く降つて来るから、町がすつかり燃え滓の下敷になつて了つた。その中で有名なのはヘルクラニウムとポムペイとだ。噴火山はこれらの町を生埋めにして了つたんだ。』
『人間もそのまゝ?』とジユウルが訊きます。
『あゝ、それはごく少しだ。大抵の人々はプリニイやその母のやうに、メシナの方へ逃げるだけの余裕があつたのだ。埋められてから十八世紀経つた今日、ヘルクラニウムもポンペイも、火山灰の雲に降りかけられた昔の姿で、鉱夫の鶴嘴で掘り出されてゐる。まだ済まない処は葡萄園が繋がつてゐるがね。』
『では、その葡萄園は家の屋根なんですね。』とエミルが申しました。
『家の屋根よりももつと高い。旅人はよく、まだ掘り出されてはゐないが、しかし井戸のやうなものを伝つて行く事の出来るあたりを訪ねて行つて、随分深い地の底まで降りて行く。』

[#5字下げ][#中見出し]四七 ※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]え立つ茶釜[#中見出し終わり]

 叔父さんの話しが済んだところへ、郵便配達夫が手紙を持つて来ました。或るお友達が急用があるから、ポオル叔父さんに町まで来てくれといふのでした。叔父さんは此の機会を利用して、其の甥達に小さな旅をさせてやらうと思ひました。そしてジユウルとエミルとに着物を着かへさせて、近所の停車場に行つて汽車を待つ事にしました。停車場に入ると叔父さんは事務員の坐つてゐる格子戸の側に寄つて、窓口からお金を出してやりました。それと引換へに事務員は三枚の切符を渡してくれました。ポオル叔父さんは室の入口の番をしてゐる男に此の切符を見せました。其の男は切符を見て、三人を室の中に通しました。
 三人は待合室といふものゝ中にはひつたのです。エミルとジユウルとは眼を大きく開いたまゝ何にも云ひません。間もなく蒸気の漏れる音が聞えて来て、汽車が着きました。先頭に来たのは機関車で暫く停車するために速力を弛めて居りました。待合室の窓からジユウルは人が通り過ぎるのを見て居ります。すると或る考へが頭の中に浮いて来ました。何うしてあの重い機械が動くのだらう。どうして車輪は鉄棒で押すやうにあんなに廻るのだらう……と。
 三人は汽車に乗りました。蒸気がシヤキシヤキ音を立てゝ、汽車が揺れたかと思ふと、もう走り出しました。暫くしてから全速力で走り始めると、『ポオル叔父さん。』とエミルが申しました。『あれあんなに木が走りますよ。踊つて廻つてゐますよ。』叔父さんは黙つておいでといふやうな顔附をしました。それには二つの理由があります。第一に、エミルは非常に詰らない事を云つたからです。第二に、叔父さんは公衆の前で老人に似合はしくない恥をかくのが嫌だつたからなのです。
 そればかりではなく、ポオル叔父さんは旅行中は無口な人で、嗜《たしな》み深い態度を取つたまゝ黙つて居ります。折々、今までに見た事も無く、これからも亦逢ふ事もなささうな人間で、旅行中随分仲好しになる人があるものです。こんな人達は黙つてはゐないで、随分喋舌りたがります。ポオル叔父さんはかうした人達を好きません。そしてこんな人々は意志が弱いのだと信じてゐるのです。
 夕方になつて、皆んなは大喜びで帰つて参りました。旅行をしてポオル叔父さんは自分の用事を町で都合好く片附けて来ましたし、エミルとジユウルとはお互ひに新しい知識を得て帰りました。アムブロアジヌお婆あさんの大奮発の御馳走で、皆んなが晩餐を終へますと、ジユウルが真先に自分の得て来た知識を叔父さんに話しました。
『今日見たものゝ中で、僕を一番感じさせたのは、長い列車を曳つ張つてゆく、機関車といふ、汽車の先頭にある機械でした。如何してあれは動くのでせう。僕はじつと見てゐたんですけれど分りませんでした。駈けて行く獣のやうに自分で走つてゐるやうですね。』
『自分一人で行くんぢやない。』と叔父さんは答へました。『蒸気が動かして行くんだ。そこで、先づ蒸気と云ふのは何の事だか、そして其の力と云ふのは何んの事だか研究してみようぢやないか。
『水を火にかけると、初めは温《ぬる》まつて来て、次ぎに空中に飛んで行く水蒸気を出しながら※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]え立つて来る。もつと、※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]続けてゐると、鍋の中には水が何にもなくなつて了ふ。水はすつかりなくなつてゐる。』
『一昨日アムブロアジヌお婆あさんもそんな目に逢ひましたよ。』とエミルが口を入れました。『お婆あさんは馬鈴薯《じゃがいも》を煮てゐたんですが、暫く鍋の中を見ないで放つておいたものですから、水が一雫もなくなつて了つて、半焦げになつてゐましたよ。だからお婆あさんは遣り直さなけりやなりませんでした。アムブロアジヌお婆あさんは厭な顔をしてゐましたつけ。』
『熱を受けると』とポオル叔父さんはつゞけました。『水は目に見えなくなつて、触つても分らない、空気のやうなものになる。それが謂はゆる水蒸気だ。』
『霧や雲になる空中の湿気も、やつぱり水蒸気だと教へて下さいましたわね。』今度はクレエルが云ひました。
『さう/\、それも水蒸気だが、それは只太陽の熱で出来た水蒸気だ。今度は、熱が強ければ強いだけ、水蒸気は沢山出来るものだと云ふ事を知らなければならない。試しに水を一枚入れた鍋を火にかけてごらん。炉の暑い熱は、夏の暑い太陽の熱で出来るのとは比較にならぬ程、沢山の水蒸気を出す。かうして長い間水蒸気が鍋から勝手に逃げ出して行くのに、何にもこれと云つて目立つた点は無いし、お前達も※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]立つた鍋の湯気に気を附けるやうな事もあるまい。だが、若し此の鍋に、ほんの小さな隙もない程しつかりと蓋をして置くと、大きな嵩に脹れあがらうとする水蒸気は、無暗矢鱈《むやみやたら》に此の牢屋から逃げ出さうとする。そして其の膨脹を妨げる邪魔物をとりのけようとして、四方八方に押す。そして其の鍋がどんなに堅固なものであつても、押し込められた蒸気の圧す力は、遂にはそれを破裂させて了ふ。それを私は小さな壜で実験して見やうと思ふ。鍋では蓋を十分固くすることが出来ないし、蓋も直ぐ水蒸気に押し上げられるから、鍋は使はない事にする。尤も適当な鍋があつたとしても、私はそんなものは使はないに違ひない。そんなものを使つたら家までも吹き上げて、私始め皆なを殺して了ふからね。』
 ポオル叔父さんはガラス製の薬瓶を取り出して、指の高さ程水を入れ、コルク栓で固く栓をつめて、針金でコルクを縛りました。此の準備が整ふと、薬瓶は火の前の方の灰の上に載せられました。そして叔父さんはエミルとジユウルとクレエルを連れて大急ぎで庭に出て遠方から何うなるか眺めてゐました。四五分間も待つと、ポーンと音がしました。皆んなは駈けて行つてみますと、薬瓶は破《わ》れて、非常な強い力で彼方此方へ散らばつてゐました。
『此の瓶の破裂したわけは、逃げ路を失つた蒸気が、温度が高まるに従つて、段々強く牢の壁へ圧力を加へて行つたからだ。そして瓶が、もうとても蒸気の圧力に堪える事が出来なくなつた時に、瓶は粉々に破裂する。此の鍋の内部に加はる蒸気の圧力を弾力と云ふのだ。熱が強ければ強い程この弾力も強い。で、十分に熱すると、ガラス瓶は勿論、ごく厚くて、ごく堅い鉄や銅の鍋も、又其他の抵抗力の強い何んでもを破裂させる非常な力のものになる。そんな場合の爆発は怖しいどころの話ぢやない。その鍋の破片は、大砲の弾丸や爆弾と同じ強い力で投げ飛ばされるのだ。飛んで行く道にあるものは何でも壊されるか打ち倒されて了ふ。火薬もこれ以上の怖ろしい結果は起す事が出来ない。今私がガラスの薬瓶でやつて見せた実験も万更危くないではない。お前達は此の危い実験で盲目になつて了ふかも知れないのだ。だから、よく用心をして一度やつて見るのはいゝが、お前達が又繰り返してやつて見る必要はない。で、よく聞いてお置き、お前達は栓をした瓶で水を温めてはいけないよ。いゝかい。そんな悪戯《わるさ》をしては眼を潰すかも知れないんだからね。若しも今云つた事を守らないやうだつたら、もうお話しはさようならだ。私はお前達のお相手は御免蒙るよ。』
『御心配はいりませんよ、叔父さん。』ジユウルが横から急いで口を入れました。『僕たちはそんな事をしないやうに注意します。危いですからね。』
『では、お前達は何が機関車や其他のいろんな機械を動かすのか分つたね。しつかり蓋をした、丈夫な汽鑵の中で、熱した炉の力で蒸気が出来るのだ。強い力を持つた此の蒸気は、いろ/\な方法で逃げ出さうとする。そして其の逃げ路を遮つてゐる所に特に圧力を加へる。かうして、あの機関車を動かしたやうに、何でも動かす力が出て来るのだ。最後にもう一度云つて置くが、どんな蒸気機械にでも、其の力を産む一番大事な物は汽鑵だ。即ち水を沸かす緊め切りの釜だ。』

[#5字下げ]四八 機関車[#「四八 機関車」は中見出し]

 ポオル叔父さんは次のやうな絵を甥達に見せて、説明をしました。
『これは機関車の絵だ。蒸気の出来る汽鑵、即ち湯を沸す釜は、此の大部分を占めてゐるのだ。それは六つの車の上に載つて、此方の端から向ふの端まで行つてゐる、此の大きな円筒だ。丈夫な鉄の板で出来てゐて、大きな釘でしつかりと縫ひ合はせてある。汽鑵の前の方には煙突があつて、後の方には炉がある。火夫と云ふ男が、大きなシヤベルで絶えず其の中へ石炭を投げ込んでゐる。汽鑵の中にはいつてゐる沢山の水を沸かして、十分な蒸気を出すために、火熱を絶やしてはならないからだ。火夫は鉄の棒で火を掻き廻し、火の廻りを好くして、よく燃えるやうにする。それだけではない。上手に火循《ひめぐ》りを好くすると、熱を十分に利用して、水を早く沸かす事が出来るのだ。炉の端からは銅管が幾つも幾つも出てゐて、それが汽鑵の端から端まで水を通して、煙突のところまで行つてゐる。その中を見せるために、此の画では殊に汽鑵の一部を毀してある。炉の中の火焔は、水の中を通つてゐる、これ等の管の中を抜ける。かうして火は水の真ん中を廻つて、ごく早く蒸気が出来るやうになつてゐる。
『こんどは機関車の前の方を見て御覧。そこには密閉した短い円筒があるが、此の画ではその内部も見せるために、やはり其の外がはを毀してある。此の円筒は汽筒と云つて、機関車の右に左に一つづつある。此の汽筒の中にはピストンといふ鉄の栓がある。汽鑵の蒸気はピストンの前と後ろとに代る/″\汽筒の中にはいつて来る。蒸気が前の方にはいつた時には、後の方に詰つてゐた蒸気は、其時にだけ開くようになつてゐる穴から自由に空中に抜け出す。此の抜け出す蒸気は、其の牢屋が開かれてそとへ出るのだから、もうピストンを押さない。我々だつて出口が開いてゐる時には、其の戸を押さうとはしない。蒸気もやはりそれと同じ事なんだ。自由に抜け出る事が出来れば、もう押さうとはしない。それとは反対に、そこへはいつて来た蒸気は出口がないので、其の全力でもつてピストンを押す。そして汽筒の向ふの端までそれを押して行く。すると、此の蒸気の役目は急に変つて、今まで押してゐたのがこんどは空中へ抜け出て、其のあとへ又汽鑵から出て来た蒸気がつまつて、こんどは反対の方向にピストンを押して行く。』
『本当に分つたかどうか、僕にも一度云はして下さい。』とジユウルが云ひました。『蒸気は汽鑵の中で絶えず造られて、そこから出て来ます。そして汽筒の中に、代りばんこにピストンの前と後ろにはいります。それが前の方にはいると、後ろの方の蒸気は空中に逃げ出して、もう其のピストンを押しません。そして、それが後ろの方にはいると、前の方のが抜け出します。かうしてピストンは、代る/″\前へ押され後へ押されて、汽筒の中を進んだり退いたり、行つたり来たりします。それから如何なるのですか。』
『ピストンには堅い鉄の軸のやうなものがついてゐて、それが汽筒の端の真中にあけてある穴から汽筒の中へはいつてゐる。その穴は此の軸を通すだけで決して蒸気を抜け出さすやうな事はない。此の軸は通動機《つうどうき》といふものと連結してゐて、そしてやはり鉄で出来た此の通動機は、又其のそばの大きな車にくつついてゐる。挿絵で見れば、そんなものは皆なよく分る筈だ。そこで、汽筒の中で、進んだり退いたりしてゐるピストンは、其のたびに通動機を前後に押し動かす。そして通動機はそれにつれて大きな車を廻す事になる。機関車の向ふ側でも、もう一つの汽筒の中でやはり同じ事が行はれる。そこで二つの大きな車が同時に動いて、機関車は前の方に向つて進むのだ。』
『思つた程むづかしいものではありませんね。』とジユウルが云ひました。『蒸気がピストンを押して、ピストンが通動機を押して、通動機が車を押して、さうして機械が動くのですね。』
『ピストンを動かすと、その蒸気は煙の出るのと同じ煙突に入つて行く。だから時々此の煙突から白い煙が出たり、黒い煙が出たりする。その黒いのは炉から出て水の中を通つて行く管から抜けて来る煙で、其の白いのは、ピストンを動かした度に汽筒から出て来る蒸気なんだ。そして此の白煙は、ピストンを動かすたんびに、汽筒から煙突の中へ激しく迸《ほとばし》り出て、あの機械の音を出させるんだ。』
『あゝ、僕知つてゐますよ、ポツ、ポツ、ポツ。』とエミルが大きな声で云ひました。
『機関車は又、その火を燃し続けて行くための石炭と、汽鑵の中を絶えず一杯にして行くための水とを運んでゆく。それは炭水車と云ふ一機関車のぢき後ろにある運搬車で運ばれる。炭水車には炉の世話をする火夫と、蒸気の汽筒へ通ふのを調節する機関手とが乗つてゐる。』
『此の絵の中の人間は機関手ですか。』とエミルが訊きました。
『さう、機関手だ。手でハンドルを押へてゐるが、此のハンドルは必要な速力に応じて、汽鑵から汽筒へ蒸気を沢山出したり、少く出したりするためのものだ。此のハンドルを一方の方へ廻すと、蒸気は汽筒へ行かなくなつて機械は止つて了ふ。それから、其の反対の方にそれを廻はすと、蒸気は通つて、機関車は早くも遅くも心のまゝに動き出す。
『機関車の力は云ふまでもなく中々強い。が、重荷を積んだ長い列車を大速力で曳くとすれば、何よりも此の汽車を走らせる道路が問題になる。レエルと云ふ強い鉄の棒が、地面の上に堅く敷かれて、何処までも何処までも平行して、どの汽車の車輪も外れないやうになつてゐなければならない。車輪の嵌《は》まる浅い縁は、汽車をレエルから脱線させないやうになつてゐる。
『鉄道には、普通の道のやうに車の進行を妨げて無駄な力を出させるいろんな厄介なものがない。そして機関車の引いて行く力全体が利用されて、其の効果は著しいものとなる。即ち客車用の機関車は、一時間十二里の割合で、十五万キログラムの重さのものを曳く事が出来るし、貨車用機関車は一時間七里の割合で六十五万キログラムの重さのものを曳いて行く事が出来る。汽車でレエルの上を走る代りに、同じ重さの荷物を同じ速力で同じ距離だけ行くとすれば、客車の代りには馬が千三百頭入用だらうし、貨車の代りには二千頭必要になる。
『そこでだ。世界の到るところで、毎日数千の機関車が走り廻つて、ごく遠いところの人達を近づかせてその間の距離をなくなさしてゐるのだ。そして又、有らゆる種類の機械が蒸気に動かされて、人間のために働いてゐるのだ。そして此の機械は又、四万二千馬力もの力を持つて軍艦をも動かしてゐるのだ。水の入つた釜の下で少しばかりの石炭を燃やして、何といふ大変な強い力を人間は発見したものだらう。』
『誰れが一番初めに蒸気の使ひ方を考へ出したのですか。』とジユウルが訊きました。
『僕その人の名を覚えてゐたいと思ひます。』
『蒸気の機械力は、凡そ二百年ばかり昔、フランスの宝とも云ふべき、ドウニス・パペンといふ不仕合せな人が考へ出したものだ。この人は富の無限の源となる此の蒸気機関の土台を造つて、そして外国で貧苦に悩んで死んで了つたのだ。人間の力を百倍にもするその考へを実際に現はして見せるのに、彼は一文の金も得ることが出来なかつたのだ。』

[#5字下げ]四九 エミルの観察[#「四九 エミルの観察」は中見出し]

 こんどはエミルが自分の見て来た事を話しました。『叔父さんが黙つておいでといふ合図をなすつた時は、実際木が走つてゐるやうに見えたんです。鉄道に沿ふた木は皆随分早く走つてゐました。ずらりと向ふに、長い列を造つて植えられた大きな白楊が、さようならと云ふやうにその梢を振つて行くのです。畑はぐる/\廻つて、家は飛んで行きました。しかしじつと見つめてゐたら、僕は直ぐ自分達が動いてゐるので、ほかのものは皆な動かないのだと云ふ事が分りました。不思議ですねえ、走つてゐるやうで、実際は少しも走つてゐないものを叔父さんも御覧になつたでせう。』
『我々が汽車の中の腰掛けにゆつくりと腰を下ろして、前の方へ行かうといふ努力も何んにもしないでゐる時』と叔父さんは答へました。
『若し我々がまはりにあるものと自分との地位と云ふ事を考へなかつたら、何うして我々は自分の動いてゐる事が分るだらう。目に見えるものが始終変つて行くので、我々は動いてゐると云ふ事が分るのだ。然し、我々のごく近くにあつて、いつも目の前にあるものは、即ち同じ車の中の旅連れや汽車の中の道具は、我々から見ていつも同じ場所にぢつとしてゐる。左の方にゐる人は何時も左の方にゐて、前の人は何時も前にゐる。汽車の中にあるかうした総てのものが動かないやうに見えるところから、我々は自分の動いてゐると云ふ事が分らなくなつて了ふ。そして自分はぢつとしてゐて、外の物がでてゆくのだと思ふのだ。汽車を止めると、木も家も直ぐ様動くのを止めて了ふ。只の馬車を馬に引かして行つても、又ボートを潮に流して行つても、やはりこれと同じやうな妙な幻覚を起させる。静かに動いて行くと、我々は自分の動いてゐる事を多少忘れて、実際には動いてゐない周囲の物が我々と反対の方向に動いてゐるやうに思ふ。』
『私は又それが分らなかつたものですから、目に見える通りだと思つてゐました。』とエミルが云ひました。『私達も動き、外のものも動いてゐるのだと思つてゐました。私達が早く走れば走る程、ほかのものも早く走るやうに見えますね。』
『今のエミルの無邪気な観察は、科学がそれを教へようとしても中々受入れられない真理の一つをお前達に其のまゝ見せたものだ。それは難しい事ではないのだが、たゞ幻覚のためにいつも多勢の人がだまされるのだ。
『若し人々が一生涯汽車に乗つたまゝ暮して、降りる事もなく、止まる事もなく、そして又速力を変へる事もなく過したとしたならば、その人々は木や家は動くものだと固く信じて了つたに違ひない。その目で見た事を経験で裏切られる事はないのだから、深い考へもなしでゐたらさう思ふより外に仕方がないのだ。ところで、その人々の中から、誰れよりも賢い一人の人が出て来て、かう云ふとする。「皆なは自分がぢつとしてゐて、山や家が動くのだと思つてゐる。しかし、それは反対です。我々が動くので、山や家や木はぢつとしてゐるのです」と。お前達は人々が此賢い人の云ふ事に同意すると思ふかね。どうして、どうして、皆んなは自分の眼で山が走つたり家が歩いたりするのを見たのだから、そんな人の云ふ事は鼻であしらつて了ふよ。いゝかね、皆んなはその人を鼻で笑ふに違ひないのだ。』
『でも、叔父さん…………』とクレエルが云ひかけました。
『でもなんて、云ふ事はない。皆んなは鼻で笑ふんだよ。そしてもつと悪い事には、怒つて顔を真赤にして了ふんだよ。クレエルや、お前なんか真先きに笑ふ方だらうね。』
『汽車が動くので、家や山が動くのではないと云つた人を、私が笑ふんですつて?』
『さうだ。周囲の総ての人が持つてゐて、そして自分にも一生涯つきまとつて来た間違つた考へと云ふものは、さう容易に消えるものぢやないからね。』
『え、それや出来ませんとも。』
『お前だつて、いつでも山を動かして、我々を乗せて行く車を動かないものにする事が出来るのだよ。』
『私、何んの事か分りませんわ。』
『お前は、我々を乗せて空中を走る汽車即ち地球を動かないものにして置いて、そして、此の地球とは較べものにならない程の大きな星の太陽を動くものにする。少なくともお前はかう云ふだらう。太陽が上つてその進路を走つて、沈んでそして翌くる日又同じ事を繰り返す。此の大きな星は動いてゐるので、そして我々の小さな地球は静かに太陽の動くのを見守つてゐるのだと。』
『それでも、太陽は光りを与へるために、空の一方から上つて、そして別な方に沈むものゝやうに確かに思はれますがね』とジユウルが云ひました。『月だつて星だつて、やはり同じやうにさうするやうですね。』
『それはかうなんだ、よくお聞き。私はある本で読んだのだが、或る処に容易い事では分らないと云ふ妙な癖の変人があつた。ごく簡単な事をするのにも、皆んなを噴き出させるやうな馬鹿げた大仕掛な方法でやらなければ気が済まなかつた。或る日、此人が雲雀《ひばり》を焼かうとしたのだが、さてどんな事をしたか当てゝ御覧! 何十遍でも何百遍でもいゝから、当てゝ御覧! 何あに、いくら考へたつて分るものぢやない。その男は沢山の歯車と、糸と、滑車と、分銅のついた、非常に入り込んだ機械を造つたのだ。その機械は全体が揺れながら、行つたり来《きた》り、上つたり下つたりした。そのバネの音と、歯車の咬み合ふ音とは、耳が聾になる程激しかつた。分銅が落ちると家が震へた。』
『しかしそんな機械を何んに使ふのでせうか。』とクレエルが訊きました。『雲雀を火の前で廻はして焼くのにでも使ふのでせうか。』
『何あに、ごく簡単なものなんだ。雲雀の前で火を廻はす機械だつたのさ。薪も炉も煙突も皆な此の素晴らしい機械の中にあつて、それが一つになつて雲雀の周りをグル/\廻るんだ。』
『それは驚いた!』とジユウルがびつくりしたやうに云ひました。
『お前は此の妙な思ひつきを笑ふ。が、お前も此の変人と同じやうにやはり薪や炉や家を、串に差した小鳥の周りに廻してゐるんだ。地球は小鳥だ、家は無数の星のあるあの大空だ。』
『太陽はさう大きくありませんね。――せいぜい砥石の車位のものでせう。星なんて火花のやうなものですね。が、地球は大きくてそして重いんですね。』とジユウルが云ひました。
『みんな馬鹿な事を云つちやいけない。太陽が砥石の車位で、星が火花のやうだつて。どうして、どうして。が、先づ地球から話して行かう。』

[#5字下げ]五〇 世界の果《はて》への旅[#「五〇 世界の果への旅」は中見出し]

『ジユウルと同じ年の、同じやうによく物を知りたがる小さな男の子が、或る朝その旅行の準備をしてゐた。遠い海を越えて行く船乗りも、これ程までに熱心ではなかつた。長途の旅行に一番必要な食糧品は忘れられなかつた。朝飯はいつもの二倍もたべた。バスケツトには胡桃が六つと、バタ附きサンドウイツチと、林檎が二つ入つてゐた。これだけのものがあれば、何処へ行けないと云ふ事があらう。家の者は誰れも知らなかつた。長い旅路の危険な事を話して、大胆な此の旅行家の企てを、家のものは止めるに違ひないのだ。で、彼れは母さんの涙で止められる事を心配して、わざと黙つてゐたのだ。そして手にバスケツトを持つて、誰にも別れを告げずに、一人で出立した。やがて田舎に来た。右に行つても左に行つても、彼れに取つては大した事ではない。何の路でも彼れの行きたいと思ふ方へ行けるのだ。』
『その子は何処へ行くつもりなのでせう。』エミルが尋ねました。
『世界の果へ行くのだ。彼れは右手の路を行つた。その道には山櫨《さんざし》の垣が縁になつてゐて、金青色の甲虫がぶん/\云ひながら輝いてゐた。しかしこの美しい虫も、小川に泳いでゐる小さな赤腹の魚も彼れの足を止めはしなかつた。日は短く旅路は遠い。彼れはたゞ真直に歩み続けて、時々畑を横切つては近路をした。そして一時間程すると、この賢い旅人は倹約をしいしい食べてはゐたのだが、その主要食糧のサンドウイツチを食つて了つた。それから十五分程すると、林檎を一つと、胡桃を二つ食べた。疲れると早く食慾が出る。そして路の曲り角の、大きな柳の木蔭で急に食慾が兆《きざ》して来て、次ぎの林檎と残りの三つの胡桃がバスケツトから取り出された。これで食糧はもうお終ひになつたのだ。それに足はもう一歩も進まなくなつて了つた。さあ、もう二時間と云ふもの其の旅行は続いて、それでまだその目的はちつとも果されてゐないのだ。そこで子供は、もつと足を達者にして、もつと沢山食糧を持つて来たら、こんどはもつとその目的を果せようと思つて、もと来た道へ引返した。』
『その目的といふのは何ですか。』とジユウルが訊きました。
『さつきも云つた通り、此の大胆な子供は世界の果まで行きたいと思つてゐたのだ。その考へによると、空は青い円天井で、だん/\低くなつて行つて、終ひには地の果てで止まつてゐる。だから、若し其処まで行き着けば、青空へ頭を打ちつけないやうに曲つて歩かなければいけない。彼れはその手で空に触れて見ようと思つて出発したのだつた。が、その進むに従つて、青い円天井はいつもそれだけ引きさがつて行つて、いつも同じ高さでゐるのだ。そして疲れと饑《ひも》じさとで、彼れはこの上その旅をつゞける事をよして了つたのだ。』
『若し僕がその子を知つてゐたら、僕そんな旅は止めさせて了ふんでしたのに。』とエミルが云ひました。『どんなに遠くまで行つたつて、手で空に届くなんていふのは、どんなに高い梯子に上つたつて出来ない事ですよ。』
『エミルも前にはそんな風に考へてゐたのぢやなかつたかね。』と叔父さんが云ひました。
『さうですよ、叔父さん。今のお話しの子供のやうに、僕も空は地の上にかぶさつてゐる大きな青い蓋だと思つてゐましたよ。そして、いつまでも/\歩いて行くと、此の蓋の端、即ち世界の果てに着くものだと思つてゐました。そして又、太陽はあの山の向ふから出て来て、その反対の方に沈んで其処には太陽が夜中入つて隠れてゐる深い井戸があるんだと思つてゐました。いつでしたか、叔父さんは僕を連れて、青い蓋の端が止つてゐるやうな山に行つた事がありますね。随分遠い処で、僕に歩き好いやうに杖を貸して下さいましたね、よく覚えてゐますよ。しかしそこには、太陽の落ち込むやうな井戸は何にもなくて、やはりこゝと同じやうなところでしたよ。只遙か向ふの方で、空の端はやはり地面の上に止つてゐました。その時叔父さんは、今眼に見える処の果まで行つても、もつと/\遠くまで行つても、どこまで行つてもやはり同じ事で、青天井の端まで行けるものぢやない、そんなものは実際にはないんだからと教へて下さいましたね。』
『さうだ、何処まで行つたつて、空は地面の直ぐ上になんかない。又、何処まで行つたつて、青空に頭を打突けるやうな危険はないのだ。何処まで行つても、やはり此処と同じ様な青天井があるのだ。そして何処までも一直線に進んで行けば、野や山や谷や川や海には始終出逢ふが、世界の果てだと云ふ区切りのあるところは何処にもないのだ。
『今空中に大きな毬を糸で吊して、その毬に蚊が一疋止まつてゐるものと想像して御覧! 若し此蚊が毬の表面を這ひ廻らうとしたとすれば、何んの邪魔物にも遭はず、又其の行手を遮る区切りにもぶつからずに、毬の上を上や下や横と行つたり来たりする事が出来よう。又、若しこの蚊がいつも同じ方向に進んで行くとすれば、その毬の上を一週して、又もとの出発点に帰つて来るだらう。地球の表面にゐる我々もその通りだ。どんなに小さな蚊がどんなに大きな毬の上にとまつてゐるとしても、それに較べれば、地球の上に止まつてゐる、我々は何んでもないものだ。我々がどこへどう行つても、どんなに遠くまで旅しても、青空の果てとか区切りとかへは決して行きつかずに、地球を一とまはりして、又もとの処に帰つて来る。つまり、地球は丸いもので、何んの支へもなしに、空中に泳いでゐる大きな毬なのだ。そして我々の頭の上に弓形に這つて見える青空は、実に地球を四方から取り巻いてゐる空気の、青い色に過ぎないのだ。』
『叔父さんが譬へに引いた蚊の止つてゐる毬は糸で吊してあつたんですね。でも、地球といふ大きな毬は何んな鎖で吊してあるんでしようか。』とジユウルがきゝました。
『地球は鎖で空中に吊り下げてあるのでもなければ、地球儀のやうに台の上に載せてあるものでもない。尤も印度の昔噺によると、地球は四本の銅の柱の上にあるのださうだがね。』
『では、その四本の柱は何の上に載つてゐるんですか。』
『四匹の白い象の背中に載つてゐるんだよ。』
『では、その白い象は?』
『大きな四匹の亀の上に載つてゐるんだ。』
『では、その亀は?』
『それは乳の海の中を泳いでゐる。』
『では、其の乳の海は?』
『昔噺にはその事は書いてない。そしてそれは黙つてゐる方がいゝのだ。そして又、地球を支へるいろんな台の事なぞは何も考へない方が猶いゝのだ。地球の台があるとするね。するとその台を支へてゐる二番目の台、その二番目を支へる三番目の台、四番目と云つた順序に千度も繰り返しても、それはちつともその答へにならない。どんな台を想像して見たところで、その又台がいる事になる。多分お前達は空の天井が立派に地球を支へてゐると考へるだらうが、此青天井は実際は何にもないので只空気がさう見えるだけの事なのだ。又、幾千幾万の旅人が地球上のあらゆる方向へ旅して行つても何処にも地球を吊つてゐる鎖や又はそれを支へてゐる台を見る事は出来ない。何処に行つても、此処と同じ物を見るだけなのだ。地球は空中に漂つて、月や太陽と同じやうに、何の支へもなしに空中を泳いでゐるのだ。』
『では、何故落つこちないのでせう。』とジユウルが何処までも云ひ募ります。
『落つこちるといふのはね、手で石を持ち上げてそれを放した時のやうに、地面に飛んで行く事を云ふのだよ。此の地球と云ふ地面が、どうして自分の上に落つこちるものかね。自分で自分の上へ飛んで行くと云ふ事は出来ないからね。』
『それや出来ません。』
『さうか、よろしい、では、かう云ふ事を考へてごらん。地球のまはりはどこでも同じ事で、どこが上、どこが下、どこが右、どこが左といふ事はないものだ。が、先づ空のある方を上と云つて置かう。ところで、この地球の反対の側にもやはり空はあるんだ。そして其処もこゝと同じやうで、地球上はどこへ行つても同じ事なのだ。そこでだね。我々の頭の上の空へ地球が飛んで行くものでないと考へたら、どうしてそれが反対の側の空へ飛んで行くと考へられるのだ。反対の空へ落ちると云ふ事も、雲雀が此処から上へ飛んで行くのと同じやうに、やはり上へ上つて行く事なのだ。』

[#5字下げ]五一 地球[#「五一 地球」は中見出し]

『地球は丸いものだ。それは次ぎの事が証明する。町に向つて行く旅人が、何も眼を遮ぎるものもない平原を越えると、遙か彼方に町で一番高い塔や、教会の尖塔の頂上が最初に見えて来る。だんだん近づくに従つて鐘楼が見え、次ぎには家の屋根が見え、やがていろんなものが見えて来る。高い物から始つて、距離が近づくに従つて、だん/\低い物が眼に入るやうになる。それは地面が曲つてゐるからなのだ。』
 ポオル叔父さんは鉛筆を取つて、こゝにあるやうな図を紙に描いて、又話し続けました。
『Aにゐる人には、地面の曲りが塔を隠して了ふから、塔は少しも見えない。Bにゐる人には塔の上半部は見えるが、下の半分はまだ見えない。最後に、Cの処に来ると、塔がすつかり見えて来る。若し地面が平なものだつたら、こんな事はない筈だ。何んなに遠くからでも塔はすつかり見えなければならない。勿論、あまり離れてゐると、距離の関係で、近い処にゐるよりは、いくらかぼんやり見えるだらうが、兎《と》に角《かく》頂上から一番下までよく見えなければならない。』
 ポオル叔父さんはもう一つ図を描きました。それによると、AとBの二人の人は全く違つた距離の処にゐるのですが、それでも平地の上にゐるものですから、二人とも塔の頂から台まで見えるのです。叔父さんは話しつゞけました。
『陸地では、今お話した観察に適するやうな、広いなだらかな場所が得にくい。大抵の場合、岡や、谷や、草木の繁みなどが邪魔をして、近づくに従つて塔の頂からだん/\台まで見せて行くと云ふ事をさせない。が、海にはそんな邪魔物はない。水は凸になつてゐるが、それは地球の面の凸なので、そこで、此の海では、地球の丸い形から起るいろんな現象を研究するのに非常に都合がいゝ。
『舟が海から海岸へ向つて来る時に、舟に乗つてゐる人に最初に見えるものは、山の頂上といふやうな、一番高い処で、それから高い塔の頂が眼に入り、やがて海岸が見えて来る。同様に、海岸で舟の入つて来るのを眺めてゐる人には、帆柱の頂が最初に見えて、次に一番上の帆が見え、それから下の帆が見えるやうになつて、遂に舟全体が見えて来るのだ。若し又舟が出帆して行く所だつたら、今のとは反対に、舟はだん/\に見えなくなり、水の中へ入つて行く、先づ船体が隠れ、下の帆からだん/\に上の帆が隠れ、最後に帆柱の頂きが見えなくなつて了ふ。』
『地球は何の位大きいのですか。』と又もやジユウルが尋ねました。
『地球は周囲が四千万メートルある。四キロメートルが一里に当るから一万里になるわけだ。丸テーブルを取り巻くには、三人か、四人か、五人位の人が手をつなげばいゝ。が、同じやうにして地球を取り巻かうとすれば、フランス中の人が手をつながなければなるまい。こんな事は誰にも出来ない事だが、かりに一日十里の割合で歩くとして、海が無くて陸だけだとしても、地球を一周りするには三年かゝる。』
『今までに僕の歩いたので一番遠かつたのは、あの雷雨のあつた日、行列虫を取りに松林に行つた時ですよ。あの時は何里位歩いたんでせう。』
『行きが二里、帰りが二里で、都合四里位だつたね。』
『たつた四里! まるで遊びに行つたやうなものですね。帰りには僕やつとの事で歩いて来ましたよ。では、僕だつたら世界一周をするには、力一杯歩いたところで、七八年はかゝりますね。』
『さう。その通りだ。』
『では、地球は大きな毬なんですか。』
『さうだ、随分大きな毬だ。もう一つの例を話したらよく分るやうになるだらう。仮りに地球を人間の高さ程の直径の毬だとしやう。直径六尺程の毬だとするんだよ。それに釣り合つた大きさで、此の毬の表面に有名な山を浮き出させる。世界で一番高い山は、中央アジアにあるヒマラヤ山脈のガウリサンカア山だ。此の山の高さは八千八百四十メートル(二万五千五百尺)ある。この山頂に届く程の雲はめつたにない。そしてその山麓は一つの国程の広さだ。さあ、この大きな山に較べたら、人間はどんなものになるだらう。さて、地球の代りのこの毬の上にこの大きな山を乗せて見よう。それがどんな大きさになるか分るかい。それはお前の指の間から落ちるやうな小さな砂粒だ。一ミリメートル三分の一(四厘)程の大きさの砂粒だ。我々を圧しつけるやうなこの大きな山も、地球の大きさに比べると何でもない。高さ四千五百十メートル(一万四千四百尺)あるヨオロツパ第一の高山モンブランは、その半分位の砂粒しかない。』
『叔父さんが地球の丸い事を話して下さつた時ね』とクレエルが口をさし挿みました。
『私、大きな山や深い谷の事を考へてそんないろんなものがあつても、地球はまだ丸いものだらうかと疑つてゐましたの、今やつと、そんなものは、地球の大きさとは比べものにならない事が分りましたわ。』
『蜜柑は皮に皺があるけれども丸いだらう。地球もそれと同じで、表面にいろんな処があつても、やはり丸いのだ。地球は大きな毬で、その大きさに比べると塵や砂粒が撒き散らされたやうに見えるのが即ち山なのだ。』
『随分大きな毬ですね。』とエミルが云ひました。
『地球のまはりを測る事は容易な事ではない。ところが、それどころか、それを秤皿にのせて秤にかける事が出来るものゝやうに、目方まで量つてみたのだ。科学と云ふものは、人間の知力の偉大さを見せるいろんな方法を持つてゐる。この大きな地球の目方までも量つたんだ。何うして量つたかは今日お前達に話す事は出来ない。それは秤を使ふのぢやない。神様が人間にこの宇宙の謎を解くやうにと恵んで下さつた理知の力で量り出したのだ。その目方は六に二十一の零を添へたキログラムになる。』
『そんな数字はあんまり大きくて、僕には何んの事だかまるで分りませんね。』とジユウルが云ひました。
『大きな数と云ふものは何んでも厄介なものだよ。が、もつと厄介な事がある。若しこの地球を車に乗せて、道を曳いて行つたら何んなものだらう。どれ程の馬をつけたらいゝだらう。先づ正面の第一列に百万頭の馬をつけて、その前の第二列にもう百万頭、其の次にも又百万頭、そしてそれを百も千も繰り返して、かうして世界中の秣ではとても養ひ切れない千億の馬をつけるとする。そこで鞭を当てゝ出発する。が、少しも動かない。未だ力が足りないのだ。こんな大きな地球を動かすには千億の馬を一億倍も合せた力がなくてはならない。』
『私には分りませんね。』とジユウルが云ひました。
『叔父さんにも分らないね。地球はそれ程までに大きいのだよ。』と叔父さんが答へました。
『訳の分らなくなる程大きいんですね。』とクレエルが云ひました。
『本当にさうなんだよ。お前達にはそれだけの事が分れば、それでいゝんだ。』とポオル叔父さんは話を結びました。

[#5字下げ]五二 空気[#「五二 空気」は中見出し]

『顔の前で急に手を拡《ひろげ》ると、頬に息がかゝるやうな気がする。この息は空気だ。この空気は動かずにゐると何も感じないが、手で動かすと軽い震動を起して涼しい気持ちをさせる。だが、空気の震動はいつでもこんなに柔らかなものではない。どうかすると随分荒くなる。時々木を根こぎにしたり、家を引つくり覆《か》へすやうな大風もやはりそれで、川のやうに、或る所から或る他の所へ流れて行く空気だ。空気は透明で殆んど色が無いから眼に見えない。しかし、ごく厚い層になつてゐるとその淡い色が眼に見えるやうになる。水でも、その量が少い時には色が無いやうだが、海や池や河などの深いところでは青か緑色に見える。空気も水と同じで、少い時は色がついてゐないけれども、五六里も厚くなると青くなる。遠い処の景色は、青味を帯びて見えるが、それはその間の空気の厚い層がさう見せるのだ。
『空気は地球の囲りを十五里の厚さで掩ふてゐる。それを雲の泳ぎ廻る空気の海、即ち雰囲気と云つてゐる。空の色は此の空気の青い色から来るのだ。そしてこの雰囲気が空の円天井のやうに見えるのだ。
『お前達は魚が水の中に住んでゐるやうに、我々がその底に住んでゐるこの空気の海が、我々にどんな功用があるのか知つてゐるか。』
『よくは存じません。』とジユウルが答へました。
『此の空気の海が無かつたら植物も動物も生きてゐる事は出来ないのだ。よくお聞き。我々に無くてならない一番大事なものは飲む事と食ふ事と眠る事とだ。腹が空《へ》ればどんなまづいものでも美味しくなる。又咽喉が渇けば一杯の冷水でも非常にうまい。そして又、疲れゝばちよつとした居眠りでもいい気持になる。そんなほんのちよつとした餓ゑや渇《かつ》えや疲れであれば、激しい苦痛と云ふよりも寧ろいゝ気持で其の満足を求める。が、その満足があまりに長い間得られないと、もう堪らない程になつて非常な苦痛になる。この飢ゑや渇きを恐ろしく思はないものが何処にあらう。飢え! そんな事はお前達は知つてゐない。が、若しお前達に少しでもその苦しさが分るやうだと、この辛い目に逢ふ哀れな人の上を思つて胸が潰れる位だらう。飢ゑてゐる人をお前達は何時でも助けてやらなければならない。世にこれ程勝れた事は又とない。貧しいものに与へるのは神様に貸すのも同じ事だ。』
 クレエルは感動して目に手を当てゝ涙を隠しました。彼女は心の奥から語り出す叔父さんの顔に光を見たのでした。叔父さんは暫く黙つてゐて又話しつゞけました。
『が、此の飢ゑや渇きの欲望がどんなに激しいと云つても、まだ/\それよりももつと強い欲望がある。それは夜でも昼でも、寝てゐても起きてゐても、絶えず休みなく起つて来る欲望だ。それは空気の欲望だ。この空気は食ふ事や飲む事のやうに時をきめてその欲望を満たすと云ふ事の出来ないもので、一寸の間忘れても生命に関る程の大事なものだ。そして、云はゞまあ、我々が空気を吸はうと思つても思はないでも、絶へず空気は我々の身体の中に入つて来てその霊妙な役目を果すのだ。我々は何よりも真先きに空気のお蔭で生きてゐるので、食物は第二番目のものだ。食物の欲望は可なり長い間を隔てゝ感ずるが、空気の欲望は絶へ間なしに感ずる。』
『僕今まで空気で生きてゐたとは思ひませんでしたよ。今初めて空気が僕達にそんなに必要だと云ふ事を知りました。』とジユウルが云ひました。
『自分は何んとも思はないで、始終やつてゐる事だから考へなかつたのさ。が、一寸の間、空気が身体に入るのを止めて御覧! 空気のはいつて来る道の、鼻と口とを閉ぢて御覧。』
 ジユウルは叔父さんの云ふ通り、口を閉ぢて指で鼻を抑へました。間もなく顔が赤くなつて熱くなつて来ましたので、仕方なしに此の実験を止めて了ひました。
『叔父さん、そんな事はして居れませんよ。息がつまつて、も少しやつてゐたらきつと死にさうになりますよ。』
『さうだらう。生きるためには空気が必要だと云ふ事が分ればそれでいゝのだ。総ての動物は、ごく小さい蝨《だに》から、大きな獣に至るまで、お前達と同じやうに、何よりも先づ空気によつて生きてゐるのだ。魚やその外の水中に住んでゐるものでさへも、矢張り同じ事だ。魚は空気が混《まじ》つて融けてゐる水の中にだけ住む事が出来るのだ。お前達はもつと大きくなつたら、空気がどんなに生物に必要だかと云ふ事を証明する実験をする事が出来るだらう。鳥をガラスの籃に入れて、何処もかも閉めきつて、ポンプのやうなものでその中の空気を吸ひ出す。かうして、空気が籃の中から抜かれるに従つて、鳥はひよろ/\して来て、暫くは見る眼もいたましい位に騒ぐが、やがて倒れて死んで了ふ。』
『世界中の人や動物に要る空気は、随分沢山なくちやならないんでせうね。そんなに沢山あるんですか。』とエミルが云ひました。
『それや随分沢山要る。一人の人間が一時間に約六千リツトル(一リツトルは五合五勺)要る。だが、空気は総ての人に十分な程沢山あるのだ。それをお前達に分るやうにして上げやう。
『空気はごく稀薄なもので、一リツトルの目方が一グラム(一グラムは十五分の四匁)しかない。これと同じ量の水だと千グラム即ち七百六十九倍ある。が、空気は非常に沢山あるので、その全体の重さはお前達の想像の外だらうと思ふ。若し空中の空気を総て大きな秤皿にのせる事が出来るとしたら、別な方の皿には何れだけの重さを載せたら釣り合ふと思ふかね。いくらでも沢山云つて御覧。千キログラムを千倍してもいゝよ。』
『五六百万キログラム?』とクレエルが云ひました。
『そんなこつちやない。』
『ぢや、その十倍? 百倍?』
『それでも未だ足りない。そんなこつちや皿は上らないよ。とても普通の目方では数へる事が出来ないから、私が代りに返事して上げやう。こんな重さを量るには、普通の分銅は役に立たない。新しい分銅を発明しなくちや駄目だ。で、仮りに一キロメートル立方の分銅があるとする。そして此の四半里四方の分銅を目方の単位にする。此の分銅の重さは九億万キログラムだ。そこで空気の目方を量るには、此の分銅を別な秤皿の方に五十八万五千も積み上げなければならないのだ。』
『そんな事が出来ますの。』とクレエルが云ひました。
『前にもさう云ふ話しをしたが、神様が地球の周りを掩ふた襟巻のやうな此の空気の層の恐ろしく大きな事は、想像にも及ばない。が、お前達はこの空気――四半里立方の分銅を五十万も合せた重さのある此の空気の海――が地球その物と較べたらどんなものになるか知つてゐるかね。それは桃の実と、その上に生えてゐるちよつと目に見えないやうな毛とのやうなものだ。それなら、此の空気の海の底に動いてゐる我々人間はどんなものだらう。しかし我々人間は、からだは小さいが頭の力は大きい。此の空気や地球の重さを遊び半分で量る事が出来るのだ。』

[#5字下げ]五三 太陽[#「五三 太陽」は中見出し]

 朝早くポオル叔父さんと甥達とは、朝日を眺めに近所の岡に登りました。まだ薄暗がりでした。田舎道を通る時出逢つたのは、町へバタと牛乳を運んで行く牛乳屋の女と、炉の火が暗い路を照らしてゐる所で真赤に焼けた鉄を鉄床で叩いてゐる鍛冶屋さんとだけでした。
 杜松《ねず》の木の下に坐つて、ポオル叔父さんと三人の子供とは岡の上に映《さ》す光の見えるのを待つてゐました。東の空が明るくなりかけて来ますと、星は色が青ざめて一つ一つ消えて行きます。柔かな光りが見え初める頃から、紅い雲の片が美しい光線の中を漂ふてゐました。やがて、空の上の方に日が輝いて透き通るやうな、昼の青空が現はれました。太陽が上る前の此の薄あかりをオーロラ即ち曙と云ふのです。そのうちに雲雀が花火のやうに空高く上つて、一番に朝の挨拶をいたしました。雲雀は囀りながら高く/\、太陽に届く程高く登つて、一心に歌を歌つては太陽を褒め称へてゐます。耳をすまして御覧なさい。木の枝葉には風が吹いて揺り動かしてゐます。小鳥は起き出て囀つてゐます。野仕事に引出された牛は、物思ひをするやうに立ち止つて、穏やかな大きな眼を開いて咆えます。万物が生き返つて、口々に力強い手で我々に太陽を齎《もたら》した神様にお礼を云つてゐます。
 御覧なさい。激しい光線が跳び出して来て、山の頂が急に明るくなりました。太陽の端が上りはじめて来たのです。大地は今此の眩しい光に逢つて喜び震へてゐます。輝く太陽はだん/\と上つて来ます。もう大ぶ上りました。赤熱した砥臼のやうになつて、すつかり上りました。朝霧はその光を柔げて、まともにそれを眺める事を出来るやうにします。が、間もなく此の眩しい太陽を見つめる事は出来なくなります。そしてその光は野に満ち溢れて、冷い夜が温かい朝になります。霧は谷底から上へ昇つて消えて了ひ、葉末に結んだ露は温まつて蒸発します。何処を見ても、生々として、夜ぢう止つてゐた活力が生き返ります。かうして太陽は一日東から西へ動いて、地球に光と熱を注いで、穀物を実らせ、花に香を放たせ、果物には味をつけ、有らゆる生物に活気をつけます。
 その時ポオル叔父さんは杜松の蔭で話し始めました。
『此の太陽と云ふのはどんなものだらう。大きなものだらうか。ごく遠い処にあるものだらうか。それを今私は、お前達に教へて上げやうと思ふのだ。
『或る一点から他の一点までの距離を測るには、お前達は只一つの方法しか知らない。それは長さの単位であるメートルを、今測らうとする距離の一方の端から他の一方の端まで、幾度でも並べて行く事だ。しかし科学には人間が行く事の出来ない距離のところを測る特別の方法がある。たとへば塔や山の高さを、その頂きにも昇つて見ず、又その麓にも行つて見ないで、測る方法がある。太陽と吾々との距離を測るにも、やはりその方法を取るのだ。かうして天文学者が計算したところによると、太陽と吾々との間の距離は四千メートル(一里)の三千八百万倍ある。この長さは地球の周りの三千八百倍に当る。私は前に、地球を一周するのに、一日十里歩く足の達者な人で三年かゝると云つた。だからその同じ人が地球から太陽まで行くには、若し行けるものだとしても、一万二千年かゝる訳になる。一人でこんな長い旅をするには人間の一生は比較にならぬ程短か過ぎる。そして又、百年づつ生きる人が百代続けて、同じ旅路をつゞけて行くとしても、まだ足りないのだ。』
『では、機関車は此の距離を行くのに何れ程かゝりませうか。』とジユウルが尋ねました。
『機関車の早い事を思ひ出したと見えるね。』
『この間叔父さんと一緒に汽車に乗つて行つた日に見ましたもの。そとを見てゐると、恐しい程の早さで道が後ろの方へ飛んで行くやうに思ひましたよ。』
『私達を引いて行つた機関車は一時間に十里走つたのだ。仮りにちつとも止らないで一時間に十五里の速さで走る機関車があるとしやう。その速力で走ると、一日たらずでフランスを横断して了ふ。そして太陽と地球の間を走るには三百年程かゝる。こんな旅をするには人間の手で出来た一番早い機関車も、世界一週をしようと云ふ非常な野心を持つたのろ/\した蝸牛《かたつむり》のやうなものだ。』
『僕、前にね、屋根に上つて長い葦につかまつて行つたら太陽に届くと思つてゐましたよ。』とエミルが云ひました。
『誰れでもほんのうはべに見えるだけしか知らない人は、太陽を只のお盆程の大きさの眩しい円盤だ位に思つてゐるよ。』
『僕も昨日さう云ひましたね。』とジユウルが云ひました。『だけど、そんなに離れてゐるとすれば、きつと水車の輪位の大きさはあるんでせうね。』
『第一に太陽はお盆のやうな、そんな平たい物ではない。地球のやうな球になつてゐるのだ。そしてお盆や水車よりはずつと大きいものだ。
『何でも距離に比例して小さく見えるものだが、あんまり遠くなると遂には何んにも見えなくなつて了ふ。高い山も遠くからは小高い岡としか見えないし、教会の塔の上に立つた十字架も、実は随分大きいものなのだが、下から見れば大変小さく見える。太陽もそれと同じだ。あまり遠くに離れてゐるから小さく見えるが、距離が非常に遠いだけそれだけ、その大きさも非常に大きいのだ。もしさうでなかつたら、眩しいお盆程に見えるどころか、何んにも見えないに違ひない。
『お前達は地球の大きな事が分つた。が、私がいろ/\と比較して話して見せたが、お前達の想像では、きつとその大きさを描き出す事が出来なかつたらう。ところで、太陽は此の地球の大きさの百四十万倍もあるのだ。若し太陽が円い箱のやうな空虚なものだとしたら、その空虚を埋めるには百四十万の地球が入つて了ふのだ。
『も一つ別な例を挙げやう。一リツトルといふ升《ます》には、小麦が一万粒はいる。十リツトル、即ち一デカリツトルを満たすには百四十万粒要る勘定になる。そこで小麦十四デカリツトルの山を、その隣りに只一粒の小麦とがあるとして御覧。その大きさに比例して、一粒の方が地球だとすると、十四デカリツトルの方は太陽なのだ。』
『まあ私達は大変間違つてゐたんですわね。太陽を大きく見積つても水車位のものだと思つてゐたのに、そんなに大きなものだとしますと、地球なんかは何んでもないものになつてしまひますわ。』とクレエルが云ひました。
『驚いたものだな。』とジユウルも云ひました。
『さうとも、お前達が此の想像もつかぬやうな大きさを考へる時には、「驚いたな」と云はずには居られまいよ。だから、かう云ふんだよ。驚きましたよ神様、貴方は偉いお方です。ほかの者には太陽や地球を造る事も、それを手に支へてゐる事も出来ません、とね。
『私の話はこれで済んだのぢやない。先日電光と雷の話をした時、光線は非常に早く伝はるものだと云ふ事を教へて上げただらう。実際、機関車ならば全速力で三百年もかゝつて着く距離を、光線は僅か十五分か八分間かゝればいゝのだ。も少しお聞き。天文学によると、此処からはごく小さく見えるどの星も、皆な吾々の太陽程の大きさのやはり太陽なのだ。それらの太陽は、吾々の目に見えるのはほんの一小部分に過ぎないので、実は数へ切れない程沢山あるのだ。そしてその距離も随分遠くて一番近い星からその光が地球に来るのにも、今話した通りの速さで約四年かゝる。一番と云ふ程でもないが、とにかくごく遠くにある或る星からだと幾百年もかゝる。そこで、若しお前達が出来るならかうした遠くにある星と此の地球との距離を計算して、その数と大きさとを想像して御覧! だが、そんな事はやつてくれない方がいい。神様の仕事の広大無辺な事はとても人間の智慧なぞの及ぶところではない。そんな事は無駄な事だ。そして只だ神様の力をほめたゝへるがいゝ。』(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。
  • ヴェスヴィアス山 → ヴェスヴィオ
  • ヴェスヴィオ Vesuvio イタリア南部の活火山。ナポリ湾の東側、ナポリの南東16キロメートルにある。標高1281メートル。二重式火山で、古来しばしば大噴火をなし、西暦79年8月ポンペイ・ヘルクラネウムを噴出物で埋めた。英語名ヴェスヴィアス。
  • ヘルクラニウム → ヘルクラネウム
  • ヘルクラネウム Herculaneum イタリア南部、カンパニア州西部、ナポリ県中部の古代都市遺跡。ベスビオ山西斜面、ナポリ湾に臨む。別称、ヘルクラヌム Herculanum(仏)。ナポリの南東9km。63年の震災、79年のベスビオ山の噴火により、ポンペイとともに厚さ20m以上堆積した火山噴火物により地中に埋没。1709年井戸掘り中に劇場を発見。18世紀中ごろ以来発掘が続く。(外国地名)
  • ポンペイ Pompeii イタリア南部、ナポリ湾に臨むカンパーニア地方にあった古代都市。前4世紀以来繁栄し、のち一時ローマに反抗、最盛期の西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火で埋没。18世紀半ば以来の発掘により、当時の建造物・生活様式・美術工芸などを知る史跡となった。
  • メシナ → メッシーナ
  • メッシーナ Messina イタリア南部、シチリア島北東端の港湾都市。同名の海峡を隔てて本土に対する。古代ギリシアの植民地。人口24万8千(2004)。
  • スタビイ → スタビアイか
  • スタビアイ カステッランマーレ・ディ・スタビア Castellammare di Stabia 古称、スタビアイ Stabiae。イタリア南部、カンパニア州中部、ナポリ県南部の保養地・港湾都市。ナポリ湾に臨む。ナポリの南東30km。ポンペイに近く、北にベズビオ山を仰ぐ景勝地。鉱泉はローマ時代から知られる。造船・食品・機械・繊維工業がおこる。紀元79年のベズビオ山の噴火で埋没したスタビアイの遺跡に近い。(外国地名)
  • ヒマラヤ Himalaya (「雪の家」の意)パミール高原に続いて南東に走り、インド・チベット間に東西に連なる世界最高の大山脈。長さ約2550キロメートル、幅約220キロメートル、平均高度4800メートル。最高峰はエヴェレスト(8850メートル)。
  • ガウリサンカア山 → ガウリサンカール山、エヴェレストの誤認か
  • ガウリサンカール山 Gaurisankar ゴーリシャンカル。ネパール北東部と中国のチベット自治区との国境にある山。ネパール・ヒマラヤ山脈のロルワリン Rolwaling 山群の高峰。カトマンドゥの東北東110km、エベレスト山の西方に位置。高さ7146m。(外国地名)/ヒマラヤ東部、エベレストの西、ロルワーリン・ヒマール山群の、ネパールとチベットの国境にある山。標高7146m。1855年、シュラーギントワイト兄弟が、カトマンズから望見できるこの山を〈世界最高峰〉(ネパール語でガウリサンカール)と発表したので、20年近くこの説が信じられていた。1951年、イギリスのシプトン隊が偵察、そのとき近くの峠でイエティ(雪男)の足跡の写真を撮ったのは有名。(世界大百科)
  • エヴェレスト Everest (ヒマラヤ山脈の測量者イギリス人エヴェレスト(George E.1790〜1866)に因んで命名)ヒマラヤ山脈の高峰。ネパールとチベットとの国境にそびえ、巨大な氷河を持ち、世界の最高峰。標高8848メートル。1953年5月29日イギリス登山隊のヒラリーとテンジンが初めて登頂。チベット語名チョモランマ。ネパール語名サガルマーター。
  • モンブラン Mont Blanc (「白い山」の意)アルプス山脈中の最高峰。標高4807メートル。フランス・イタリア両国の国境にそびえる。万年雪に覆われて多くの氷河が流下。山麓に登山基地シャモニの町がある。イタリア語名モンテ‐ビアンコ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)『世界大百科事典』(平凡社、2007)。




*年表

  • 西暦二三 ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)、北イタリアのコムムに生まれる。
  • 西暦六一頃 ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス。大プリニウスの甥)生まれる。
  • 西暦七七 大プリニウス著『博物誌』全37巻、完成。
  • 西暦七九 八月二四日 ヴェスヴィオの噴火によりポンペイが埋没。大プリニウス死去。後日、小プリニウスは友人タキトゥスの求めに応じて当時の記録を書簡に残す。
  • 西暦一一三頃 小プリニウス、死去。
  • 一七三八 ヘルクラネウム(現、エルコラーノ)再発見。
  • 一七四八 ポンペイ、再発見。
  • 一九四四 三月二二日 ヴェスヴィオ噴火。サン・セバスティアーノ村、埋没。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • プリニー → プリニウスか
  • プリニウス Plinius 23-79 (Gaius Plinius Secundus)大プリニウス。ローマの将軍・官吏。騎兵隊長・属州総督・海軍提督を歴任。軍事・歴史・修辞学・自然学を研究。ヴェスヴィオ火山の爆発の際、調査を試み有毒ガスのため窒息死。現存著作「博物誌」37巻。
  • プリニウス Plinius 61頃-113頃 (Gaius Plinius Caecilius Secundus)小プリニウス。大プリニウスの甥で養子。法律家・政治家。その書簡は、公表を予期して書いたもので文学的香気が高い。
  • キリスト Christo 基督。(ヘブライ語のマーシーアッハ(ギリシア語形メシアス)のギリシア語訳Christosから)「油を注がれた者」の意。古代ヘブライ時代に王や祭司や預言者が任命に際して頭に油を注がれたことから、後にイスラエルを救うために神が遣わす王の意となる。キリスト教では、犯罪者として十字架刑に処せられたイエスを人類の罪を贖うために神が遣わしたキリストと信ずる。 → イエス
  • イエス Jesus 前4頃-後28 (ヘブライ語のイェホーシュア、またはヨシュアのギリシア語形から。「ヤハウェは救いなり」の意)キリスト教の創始者。北パレスチナのナザレでマリアを母として生まれ、30歳頃ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受ける。慈愛深い父なる神の下、人間が皆兄弟として相愛する「神の国」の実現を目指し、ガリラヤ地方からエルサレムに入り活動。ユダヤ教神政体制を変革するその活動が祭司階級やファリサイ派に危険視され、宗教的罪人、次いで反ローマ政治犯として讒訴されてゴルゴタ丘で十字架刑により死去。弟子たちは、神がイエスの言動を全面的に肯定してイエスを死後3日目に復活させたと確信、彼こそ人類の救い主、すなわちメシア(キリスト)と信じ、異邦人をも歓待する新運動を開始、ここにキリスト教が興起。耶蘇(ヤソ)。イエズス。
  • ドウニス・パペン → ドニ・パパン
  • ドニ・パパン Denis Papin 1647-1712頃 フランスの物理学者、発明家。蒸気機関の発明者といわれる一人。ロワール・エ・シェール県のブロワ生まれ。ユグノー教徒(プロテスタント)。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

  • 海岸町 かいがんまち 海岸にある町。海辺の町村。沿岸都市。
  • 喋舌り しゃべり。しゃべくり。
  • 万更 まんざら 満更か。先更。真更。
  • 汽鑵 きかん 汽罐・汽缶。蒸気機関の主要部。密閉した鋼鉄の容器の中で、圧力の高い蒸気を発生させる装置。かま。蒸気罐。ボイラー。
  • 火夫 かふ ボイラーなどの火を焚く係。かまたき。
  • 汽筒 きとう シリンダーのこと。
  • 通動機 つうどうき
  • 通動 つうどう とおりみち。通り道。
  • 炭水車 たんすいしゃ 石炭・水を積載する車両。蒸気機関車の後部に連結する。テンダー。
  • 馬力 ばりき (1) (horsepower) 動力(仕事率)の実用単位。1秒当り75重量キログラム‐メートルの仕事率を1仏馬力といい、735.5ワットに相当する。記号PS 1秒当り550フート‐ポンドを1英馬力(746ワット)という。記号HP,hp 日本では1962年以来仏馬力だけが特殊用途にかぎって法的に認められている。
  • ポプラ poplar ヤナギ科の落葉高木。北欧原産。葉は菱形。高く伸び、樹形が美しいので、街路樹や牧場などに植える。材は細工用。セイヨウハコヤナギ。このほか、北米産のアメリカヤマナラシなどの同属の数種を総称して、ポプラと呼ぶことがある。
  • 多勢 大勢(おおぜい)。
  • 翌くる日 あくるひ
  • 砥石車 といしぐるま 研削盤の回転軸に取りつけて工作物を研削する砥石。
  • 長途 ちょうと 長いみちのり。
  • サンザシ 山査子 バラ科の落葉低木。中国の原産。庭木として栽培。高さ約1.5メートル。枝には短毛ととげがある。春、ウメに似た白花を開き、秋、黄色の果実を結ぶ。果実は薬用。
  • 金青色 こんじょういろ?
  • 金青 こんじょう 紺青。(1) 紫がかった鮮やかな青色。また、その顔料。黄血塩に硫化第一鉄を化合させてつくる。ベレンス、プルシャンブルー。(2) 仏の毛髪の色。赤みがかった青空。
  • 近路 ちかみち 近道。
  • 兆し・萌し きざし (1) 草木が芽を出すこと。芽生え。(2) 物事の起ころうとする前ぶれ。兆候。
  • 鐘楼 しょうろう かねつき堂。しゅろう。
  • 帆柱・檣 ほばしら 船に立てて帆をかかげる柱。マスト。
  • 行列虫 ぎょうれつちゅう → 参考:『科学の不思議(四)』「三三 行列虫」
  • 秤皿 はかりざら 秤で、重さをはかるべき品物を載せる皿状のもの。
  • 地球 ちきゅう (earth)われわれ人類の住んでいる天体。太陽系の惑星の一つ。形はほぼ回転楕円体で、赤道半径は6378キロメートル、極半径は6357キロメートル。太陽からの距離は平均1億4960万キロメートルで、365日強で太陽を1周し、24時間で1自転する。地殻・マントル・核の3部分から成り、平均密度は1立方センチメートル当り5.52グラム。表面は大気によって囲まれる。
  • 秣・馬草 まぐさ (古くはマクサとも)馬・牛などの飼料とする草。かいば。枯草。
  • 根こぎ ねこぎ 根扱。樹木や草などを根ごと引き抜くこと。転じて、あますところなく取ること。根こそぎ。
  • 囲り まわり
  • 雰囲気 ふんいき (1) 地球をとりまく気体。大気。空気。(2) その場面またはそこにいる人たちの間にある一般的な気分・空気。周囲にある、或る感じ。ムード。アトモスフェア。
  • 功用 こうよう (1) 物の役に立つこと。はたらき。ききめ。功能。(2) てがら。功労。
  • 渇え かつえ 渇飢。かつえる。飢・餓。
  • 霊妙 れいみょう 尊く不可思議なこと。人知でははかり知ることのできないほどすぐれていること。
  • 籃 かご
  • 何れ どれ
  • 四半 しはん 4分の1。四半分。
  • 四半里 しはんり 約1kmのことか。
  • 鉄床・鉄砧 かなとこ 「かなしき」に同じ。
  • 鉄敷・金敷 かなしき 鍛造や板金作業を行う際、被加工物をのせて作業をする鋳鋼または鋼鉄製の台。鉄床。アンビル。
  • 杜松 ねず ヒノキ科の常緑針葉樹。東アジア北部に分布し、西日本に自生。庭木、特に生垣に栽植。高さ1〜10メートル。樹皮は赤みを帯びる。葉は3個ずつ輪生。春、雌雄の花を異株に生じ、紫黒色の肉質の球果を結ぶ。これを杜松子と称して利尿薬・灯用とする。ヨーロッパ産の実はジンの香り付けに用いる。材は建築・器具用。ネズミサシ。古名、むろ。
  • オーロラ aurora (ローマ神話の曙の女神アウロラから) 地球の南北極に近い地方でしばしば100キロメートル以上の高さの空中に現れる美しい薄光。不定形状・幕状など数種あり、普通、白色または赤緑色を呈する。主として太陽から来る帯電微粒子に起因し、磁気嵐に付随することが多い。極光。
  • アウロラ Aurora ローマ神話で、曙の女神。ギリシア神話のエオスに当たる。
  • 砥臼 碾臼(ひきうす)か?
  • 碾臼 ひきうす 挽臼・碾臼。穀物や豆類その他を粉砕製粉する具。(1) (「挽臼」と書く)扁平な上下一対の石臼から成り、両臼の接触面には、円を6等分する形の主溝とそれに平行な何本かの副溝が刻まれる。上臼の孔から穀粒を落とし、上臼を把手によって回転して粉砕する。動力によるものもある。粉引臼。厚臼。臼。(2) (「碾臼」と書く)円筒状の台の縁近くを、ローラーまたは円板状の石が転動する形の臼。脱穀・籾摺用、精米用、製粉用で形や構造が異なる。碾。エッジ‐ランナー。
  • 葉末 はずえ (1) 葉のさき。(2) 転じて、子孫。末葉。
  • 葦 蔓(つる)か?


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『学研新漢和大字典』。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 『日本の古代遺跡・福島』(保育社、1991.5)読了。これも旧石器捏造事件発覚以前の出版なので、そのまま当時の東北考古学の“成果”としてあげられている。

 虫歯のできる三条件は、虫歯菌と栄養分、そして歯があること。虫歯菌だけでは虫歯はできない。それと同じように、捏造事件や振り込め詐欺も、捏造者や詐欺の犯人だけではおこりようがなく、残念ながら、見抜けずにだまされやすいという“こちら側”の問題でもある。旧石器捏造事件のばあいのこちら側とは、考古学会であるとか、関係自治体や教育委員会や観光協会であるとか、報道メディアなどが一番にあげられる。
 たぶん、原発の安全神話も旧石器捏造と似たような構造なんじゃないだろうか。“千年に一度”という無責任ないいわけの濫用も同様。たとえば関係する自治体ほど、潜在する危険性については口を開きたがらない。火山や、活断層、津波、地すべり、風水害の履歴。




*次週予告


第四巻 第四三号 
科学の不思議(七)アンリ・ファーブル

第四巻 第四三号は、
二〇一二年五月一九日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第四二号
科学の不思議(六)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年五月一二日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
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