有島武郎 ありしま たけお
1878-1923(明治11.3.4-大正12.6.9)
小説家。東京生れ。有島生馬・里見�の兄。札幌農学校卒。「白樺」の同人。人道主義的傾向が強く、思想的苦悩の結果財産を放棄。作「宣言」「或る女」「カインの末裔」「生れ出づる悩み」など。自殺。

伊藤左千夫 いとう さちお
1864-1913(元治元.8.18-大正2.7.30)
歌人。名は幸次郎。上総(千葉県)生れ。1900年(明治33)正岡子規の門に入る。子規没後、「馬酔木(あしび)」「アララギ」などを発刊し、その写生主義を強調。歌風は万葉風。門下に赤彦・茂吉などを出し、写生文の小説にも長じた。歌集・歌論集のほか、小説「野菊の墓」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)


もくじ 
火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫


ミルクティー*現代表記版
火事とポチ 有島武郎
水害雑録  伊藤左千夫

オリジナル版
火事とポチ 有島武郎
水害雑録  伊藤左千夫

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
 ・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • ( ):小書き。〈 〉:割り注。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  •    例、云う → いう / 言う
  •      処  → ところ / 所
  •      有つ → 持つ
  •      這入る → 入る
  •      円く → 丸く
  • 一、同音異義の一部のひらがなを、便宜、漢字に改めました。
  •    例、いって → 行って / 言って
  •      きいた → 聞いた / 効いた
  • 一、若干の句読点を改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*尺貫法
  • 寸 すん 長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03センチメートル。
  • 尺 しゃく 長さの単位。1メートルの33分の10と定義された。寸の10倍、丈の10分の1。
  • 丈 じょう 長さの単位。(1) 尺の10倍。約3メートル。(2) 周尺で、約1.7メートル。成人男子の身長。
  • 歩 ぶ (1) 左右の足を一度ずつ前に出した長さ。6尺。(2) 土地面積の単位。1歩は普通、曲尺6尺平方で、1坪に同じ。
  • 町 ちょう (1) 土地の面積の単位。1町は10段。令制では3600歩、太閤検地以後は3000歩とされ、約99.17アール。(2) (「丁」とも書く) 距離の単位。1町は60間。約109メートル強。
  • 里 り 地上の距離を計る単位。36町(3.9273キロメートル)に相当する。昔は300歩、すなわち今の6町の定めであった。
  • 合 ごう 容積の単位。升の10分の1。1合は180.39立方センチメートル。
  • 升 しょう 容量の単位。古来用いられてきたが、現代の1升は1.80391リットル。斗の10分の1で、合の10倍。
  • 斗 と 容量の単位。1斗は1升の10倍で、18.039リットルに当たる。

*底本

火事とポチ
底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年3月10日初版発行
   1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
   1990(平成2)年5月30日改版37版発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card212.html

水害雑録
底本:「野菊の墓」角川文庫、角川書店
   1966(昭和41)年3月20日初版発行
   1981(昭和56)年6月10日改版26刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000058/card4396.html

NDC 分類:K913(日本文学 / 小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html
NDC 分類:914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html





火事とポチ

有島武郎


 ポチのき声でぼくは目がさめた。
 ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、まっな火が目にうつったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛びきた。そうしたら、ぼくのそばにているはずのおばあさまが、何か黒いきれのようなもので、夢中ちゅうになって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれども、ぼくはおばあさまの様子ようすがこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方にけよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいて、その布のようなものをめったやたらにふりまわした。それがぼくの手にさわったらグショグショにぬれているのが知れた。
「おばあさま、どうしたの?」
 と聞いてみた。おばあさまは、戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
 ポチが戸の外で気ちがいのようにいている。
 部屋へやの中は、障子しょうじも、かべも、とこも、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師かげぼうしが大きくそれにうつって、怪物ばけものか何かのように動いていた。ただ、おばあさまがぼくに一言ひとことも物をいわないのが変だった。急におしになったのだろうか。そして、いつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。
 これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中ちゅうになっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたら、あんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたので、ぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。
 火事なんだ。おばあさまが一人ひとりで消そうとしているんだ。それがわかると、おばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとがているはなれの所へ行って、
「おとうさん!……おかあさん!……」
 と思いきり大きな声を出した。
 ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチが、いつのまにかそこに来ていて、キャンキャンとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻ねまきのままで飛び出してきた。
「どうしたというの?」
 と、おかあさんはないしょばなしのような小さな声で、ぼくの両肩りょうかたをしっかりおさえてぼくに聞いた。
「たいへんなの!……」
「たいへんなの! ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「たいへんなの」きりで、あとは声が出なかった。
 おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手をひいて、ぼくの部屋のほうに行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ!」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。そのとき、おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつむいてぼくの耳のところに口をつけて、
「早く、早く、おとうさんをおこしして!……それからおとなりに行って、……お隣のおじさんをこすんです、火事ですって!……いいかい、早くさ!」
 そんなことをおかあさんは言ったようだった。
 そこにおとうさんも走ってきた。ぼくはおとうさんにはなんにも言わないで、すぐ上がり口に行った。そこはまっくらだった。はだしで土間どまに飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をケガしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、くらやみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれども、それをはいて戸外そとに飛び出した。戸外そともまっくらで寒かった。ふだんなら気味きみが悪くって、とても夜中よなかにひとりで歩くことなんかできないのだけれども、そのばんだけはなんともなかった。ただ、何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者わるものとでも思ったのか、いきなりポチが走ってきて、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけてきた。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐへんな鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。
 ぼくも夢中むちゅうけた。おとなりのおじさんの門をたたいて、
「火事だよう!」
 と二、三度どなった。そのつぎの家もこすほうがいいと思って、ぼくはつぎの家の門をたたいてまたどなった。そのつぎにも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまでまっくらだったのに、屋根の下の所あたりから火がチョロチョロとえ出していた。パチパチとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。
 ぼくの家は、町からずっとはなれた高台たかだいにある官舎町かんしゃまちにあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影ひとかげがぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、つぎの家からつぎの家へとどなって歩いた。
 二十けんぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなって、ぼくは立ち止まってしまった。そしてもう一度、家の方を見た。もう火はだいぶえ上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。パチパチという音のほかに、パンパンと鉄砲てっぽうつような音も聞こえていた。立ち止まってみると、ぼくの体はブルブルふるえて、ひざ小僧こぞうと下あごとがガチガチ音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中むちゅうで走りだした。走りながらもぼくは、え上がる火から目をはなさなかった。まっくらな中に、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。なにか大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。
 町の方からは半鐘はんしょうらないし、ポンプもこない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日あすからは何を食べて、どこにるのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。
 家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走ってくるのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇りょうわきにしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出していていた。ぼくはいきなり、その大きな男は人さらいだと思った。官舎町かんしゃまちのうしろは山になっていて、大きな森の中の古寺ふるでらに一人の乞食こじきんでいた。ぼくたちがいくさごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後さいご、大いそぎで、「人さらいがきたぞ!」といいながらげるのだった。その乞食こじきの人はどんなことがあってもけるということをしないで、ボロを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちの逃げるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくは、その乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまってはたいへんだと気がつくと、家に帰るのはやめて、大いそぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。
 その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣いしがきのある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味きみが悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをしてしりをはしょったその人のうしろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて、橋本はしもとさんという家の高い石段いしだんをのぼりはじめた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちがおおぜい立って、ぼくの家の方をむいて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこしへんだと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
 そうしたら、その乞食こじきらしい人が、
「子どもさんたちが剣呑けんのんだからつれてきたよ。竹男たけおさんだけはどこに行ったか、どうも見えなんだ」
 と、妹や弟を軽々かるがるとかつぎあげながら言った。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段をのぼって行った。
「あら、竹男さんじゃありませんか」
 と、早くぼくを見つけてくれたおばさんが言った。橋本さんの人たちは、家じゅうでぼくたちを家の中につれこんだ。家の中には灯火あかりがかんかんとついて、まっくらなところを長いあいだ歩いていたぼくには、たいへんうれしかった。寒いだろうと言った。葛湯くずゆをつくったり、丹前たんぜんを着せたりしてくれた。そうしたらぼくは、なんだか急に悲しくなった。家に入ってからきやんでいた妹たちも、ぼくがシクシク泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。
 ぼくたちはその家のまどから、ブルブルふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜をあかした。ぼくたちをくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてドロだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰ってきたころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらモクモクと立ちのぼっていた。
安心あんしんなさい。母屋おもやは焼けたけれどもはなれだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんな、ケガはなかったから……そのうちにつれて帰ってあげるよ。けさのさむさは格別かくべつだ。この一面のしもはどうだ」
 といいながら、おじさんは井戸いどばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白まっしろになっていた。
 橋本さんであさはんのごちそうになって、太陽たいよう茂木もぎ別荘べっそうの大きなまきの木の上にのぼったころ、ぼくたちは、おじさんにつれられて家に帰った。
 いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほどおおぜいの人がけんかごしになってはたらいていた。どこからどこまで大雨のあとのようにビショビショなので、ぞうりがすぐおもくなって足のうらが気味悪きみわるくぬれてしまった。
 はなれに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物きものを着て、かみの毛なんかはメチャクチャになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなりかけよってきて、三人をむねのところにきしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるようにきはじめた。ぼくたちは、すこし気味きみが悪く思ったくらいだった。
 変わったといえば、家のけあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、み木をひっくり返したようにかさなりあって、そこからけむりが、くさいにおいといっしょにやってきた。そこいらが広くなって、なんだかそれを見ると、おかあさんじゃないけれどもなみだが出てきそうだった。
 半分こげたり、ビショビショにぬれたりした焼け残りの荷物にもつといっしょに、ぼくたち六人は小さなはなれでくらすことになった。ごはんは三度三度、官舎かんしゃの人たちが作ってきてくれた。あついにぎりめしはうまかった。ゴマのふってあるのや、中から梅干うめぼしの出てくるのや、海苔のりで外をつつんであるのや……こんなおいしいご飯を食べたことはないと思うほどだった。
 火はドロボウがつけたのらしいということがわかった。井戸いどのつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀たんとうが一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、ドロボウでもするような人のやったことだと警察けいさつの人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんは、ようやく安心ができたと言った。おとうさんは二、三日の間、毎日警察けいさつび出されて、しじゅうはらをたてていた。おばあさまは、自分の部屋へやから火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天ぎょうてんして口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみにとこを取ってねたきりになっていた。
 ぼくたちは、火事のあったつぎの日からは、いつものとおりの気持きもちになった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足にんそくの人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものをひろい出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。
 火事がすんでから三日めに、朝、目をさますとおばあさまがあわてるように、ポチはどうしたろう? とおかあさんにたずねた。おばあさまは、ポチがひどい目にあったゆめを見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで火事がおこったのを知ったので、もし、ポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまは言った。
 そういえば、ほんとうにポチはいなくなってしまった。朝、おきた時にも、焼けあとに遊びに行ってるときにも、なんだか一つたらないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチははなれにきて雨戸あまどをガリガリひっかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんも言った。そんな忠義ちゅうぎなポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきなともだちなんだ。居留地きょりゅうに住んでいるおとうさんの友だちの西洋人せいようじんがくれた犬で、耳の長い、のふさふさした大きな犬。長いしたを出してペロペロとぼくや妹のくびのところをなめて、くすぐったがらせる犬、ケンカならどの犬にだってけない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るとキッとわらいながらけつけてきて飛びつく犬、芸当げいとうはなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横をむいてしまって、大きな目をほそくする犬。どうしてぼくは、あのだいじな友だちがいなくなったのを、今日きょうまで思い出さずにいたろうと思った。
 ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手わけをして庭に出て、大きな声で「ポチ!……ポチ!……ポチいポチこい!」とよんで歩いた。官舎町かんしゃまち一軒いっけん一軒いっけん聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか? いません。どこかで見ませんでしたか? 見ません。どこでもそういう返事へんじだった。ぼくたちははらもすかなくなってしまった。ご飯だといって、女中がよびにきたけれども帰らなかった。茂木もぎ別荘べっそうの方から、乞食こじきの人が住んでいる山の森のほうへも行った。そして、ときどき大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大いそぎでけてくるポチの足音あしおとが聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、き声も聞こえてはこなかった。
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。ころされたんだわ。きっと」
 と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければ、いなくなってしまうわけがないんだ。でも、そんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人がきたらみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。
 ……ぼくは腹がたってきた。そして妹に言ってやった。
「もとはっていえば、おまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けって言ったじゃないか」
「あら、それは冗談じょうだんに言ったんだわ」
冗談じょうだんだっていけないよ」
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃ、なぜいなくなったんだか知ってるかい? ……そうれ見ろ」
「あっちに行けって言ったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でも、にいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよ。ほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって……」
 ポチがぼくのオモチャをメチャクチャにこわしたから、ポチがキャンキャンというほどぶったことがあった。……それを妹に言われたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でも、ぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。
「ぶったって、ぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
 妹が山の中でしくしくきだした。そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、くやしいからがまんしていた。
 なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。
 そこへ女中じょちゅうがぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。女中を見たら、妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくもとうとうむやみに悲しくなって泣きだした。女中につれられて家に帰ってきた。
「まあ、あなたがたはどこをうろついていたんです? ご飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」
 と、おかあさんはほんとうにおこったような声で言った。そしてにぎりめしを出してくれた。それを見たら急にはらがすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。
 そこに、けあとではたらいている人足にんそくがきて、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました?」とたずねた。
「ひどいケガをして物置ものおきのかげにいました」
 と人足にんそくの人は言って、すぐぼくたちをつれて行ってくれた。ぼくはにぎり飯をほうりだして、手についてるごはんつぶを着物きものではらいおとしながら、大いそぎでその人のあとからけ出した。妹や弟も負けずおとらずついてきた。
 半焼はんやけになった物置ものおきがひらべったくたおれている。そのうしろに三、四人の人足にんそくがかがんでいた。ぼくたちをむかえにきてくれた人足にんそくはその仲間なかまのところに行って、「おい、ちょっとそこをどきな」と言ったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまってていた。
 ぼくたちは夢中むちゅうになって「ポチ……」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動みうごきもしなかった。ぼくたちはポチを一目ひとめ見ておどろいてしまった。体じゅうをやけどしたと見えて、フサフサしている毛がところどころ狐色きつねいろにこげて、ドロがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には、血がまっくろになってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。けこんで行ったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭をあげて血走ちばしった目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。
「かわいそうに、落ちてきた材木ざいもくこしぽねでもやられたんだろう」
「なにしろ一晩ひとばんじゅうキャンキャン言って火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
 人足にんそくたちが口々くちぐちにそんなことを言った。ほんとうに血が出ていた。左のあと足のつけ根のところから血が流れて、それが地面までこぼれていた。
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
 そんなことをいって、人足たちも看病かんびょうしてやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味きみが悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもちあげた。それを見たらぼくは、きたないのも気味きみの悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜ、こんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭をよせかけてきた。体じゅうがブルブルふるえているのがわかった。
 妹や弟もポチのまわりに集まってきた。そのうちにおとうさんもおかあさんもきた。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んできて、きれいな白いきれでしずかにドロや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやるときには、ポチはそこに鼻先はなさきを持ってきて、あらう手をおしのけようとした。
「よしよし、しずかにしていろ。今、きれいにしてキズをなおしてやるからな」
 おとうさんが、人間に物をいうようにやさしい声でこう言ったりした。おかあさんは人に知れないようにいていた。
 よくふざけるポチだったのに、もうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。体をすっかりふいてやったおとうさんが、ケガがひどいから犬の医者をよんでくるといって出かけて行った留守るすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、わら寝床ねどこを作ってやった。そしてタオルでポチの体をすっかりふいてやった。ポチを寝床ねどこの上にかしかえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどい声を出してきながらかみつきそうにした。人夫にんぷたちも親切しんせつ世話せわしてくれた。そしていたきれでポチのまわりにかこいをしてくれた。冬だから、さむいから、毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。
 医者がきて薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんにつれて行かれてしまった。けれども、おとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその様子ようすを見ていた。おかあさんが女中じょちゅう牛乳ぎゅうにゅうたおかゆを持って来させた。ポチはよろこんでそれを食べてしまった。火事のばんから三日の間ポチは、なんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、さぞ、おかゆがうまかったろう。
 ポチは、じっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらのところがなみだでしじゅうぬれていた。そしてときどき細く目をあいてぼくたちをじっと見るとまたねむった。
 いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫だいじょうぶだから家に入ろうといったけれども、ぼくは入るのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。
 ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよくるので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というと、ポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけシッポをふって見せた。
 とうとう夜になってしまった。夕ごはんでもあるし、カゼをひくと大変だからと言っておかあさんが無理むりにぼくたちをつれにきたので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。
 つぎの朝、目をさますと、ぼくは着物きものも着かえないでポチのところに行ってみた。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチはんだよ」といった。ポチは死んでしまった。
 ポチのおはかは今でも、あの乞食こじきの人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。



底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年3月10日初版発行
   1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
   1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



水害雑録

伊藤左千夫

   一


 臆病おくびょう者というのは、勇気のないやつに限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間はだれとて無事をこいねがうの念のないものはないはずであるが、身に多くの係累けいるい者を持った者、ことに手足まといの幼少者などある身には、さらに痛切に無事を願うの念が強いのである。
 一朝わざわいむの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害さんがいはその惨のはなはだしいものがあるからであろう。
 天災地変の禍害かがいというも、これが単に財産・居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決してすむものであるならば、その悲惨はかならずしも惨のきょくなるものではない。一身係累をかえりみるの念が少ないならば、早くわざわいのまぬがれ難きを覚悟したとき、みずから振作しんさするの勇気は、もって笑いつつ天災地変にのぞむことができると思うものの、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考えても事に対する処決は単純をゆるさない。思慮分別の意識からそうなるのではなく、自然的なきわめて力強い余儀よぎないような感情に圧せられて勇気の振いおこる余地がないのである。
 よいから降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ちたぎつ水の音、ひたすらことなかれと祈る人の心を、あるかぎりの音声おんせいをもっておびやかすかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
 少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢かうつつかの差別はわからないのである。外は明るくなって夜は明けてきたけれど、雨は夜の明けたに何の関係もないごとく降り続いている。夜を降りとおした雨は、また昼を降りとおすべき気勢である。
 さんざん耳からおびやかされた人は、夜が明けてからはさらに目からもおびやかされる。庭一面にみなぎり込んだ水上に水煙みずけむりを立てて、雨はしのを突いているのである。庭の飛び石は一個ひとつも見えてるのがないくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。
 もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子どもらは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたとわかしゅも訴えてきた。
 最も臆病おくびょうに、最も内心におそれておった自分も、はたから騒がれると、妙に反発心がおこる。ことさらにおちついてるふうをして、何ほど増してきたところで、たまり水だからたかが知れてる。そんなにあわてて騒ぐにおよばないと一喝いっかつした。そうしてその一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心がゆらいだのであった。雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まってくる。
 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意をはらうことを、秒時びょうじもゆるがせにしてはいない。
 不安――恐怖――そのたえがたい懊悩おうのうの苦しみを、このさい幾分いくぶんかまぎらかそうには、体躯たいくを運動するほかはない。自分は横川・天神川の増水如何いかんを見てこようと、われ知らず身をおこした。出がけしなに妻や子どもたちにも、いざという時の準備を命じた。それも準備の必要を考えたよりは、彼らに手仕事をさずけて、いたずらに懊悩することを軽めようと思った方が多かった。
 干潮の刻限であるためか、河の水はまだ意外に低かった。水口みずぐちからは水がずいぶん盛んに落ちている。ここで雨さえやむなら、心配はないがなァと、おもわず嘆息たんそくせざるを得なかった。
 水のたまってる面積は五、六町内にまたがってるほど広いのに、排水の落ち口というのはわずかに三か所、それがまた、みな落ち口が小さくて、溝は七まがりと迂曲うきょくしている。水の落ちるのは、干潮の間わずかの時間であるから、雨の強いときには、降った水の半分も落ちきらぬうちに、上げ潮の刻限になってしまう。上げ潮で河水が多少水口から突き上げるところへさらに雨が強ければ、立ちしか間にこの一区画内にたたえてしまう。自分は水の心配をするたびに、ここの工事をやった人の、バカバカしきまで実務に不忠実なことをあきれるのである。
 大洪水は別として、排水の装置が実際に適しておるならば、一日や二日の雨のために、この町中まちなかへ水を湛うるようなことはないのである。人事じんじわずかに至らぬところあるがために、幾百千の人が、ひととおりならぬ苦しみをすることを思うと、かくのごとき実務的の仕事に、ただ形ばかりの仕事をして、平気な人の不親切を嘆息せぬわけにゆかないのである。
 自分は三か所の水口を検して家に帰った。水は三か所へ落ちているにかかわらず、わが庭の水層はすこし増しておった。河の水はどうですかと、家の者から口々くちぐちに問わるるにつけても、ここで雨さえ小降りになるなら心配はないのだがなァと、おもわずまた嘆息をくり返すのであった。
 一時間に五ぐらいずつ増してるから、これで見ると床へつくにはまだ十時間あるわけだ。いつでも畳をあげられる用意さえしておけば、住居の方はさしあたり心配はないとしても、もう捨てておけないのは牛舎だ。尿板ばりいたの後方へは水がついてるから、牛は一頭も残らずってる。そうしてその後足あとあしにはみな一寸ばかりずつ水がついてる。豪雨は牛舎の屋根に鳴音めいおんはげしく、ちょっとした会話が聞き取れない。いよいよ平和の希望はえそうになった。
 人が、自殺した人の苦痛を想像してみるにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感ずるのであろう。しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の懊悩おうのうが、はるかに自殺そのものよりも苦しいのでなかろうか。自殺の凶器が、目前もくぜんに横たわったときは、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか。
 豪雨の声は、自分に自殺をいてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。
 死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや一縷いちるの望みをかけているものならば、なおさらその覚悟の中に用意がなければならぬ。
 何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟はかならず相当の時機を待たねばならぬ。
 豪雨は今日一日を降りとおしてさらに今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮れごろにでもやむものか、もしくは今にもやむものか、いっさいわからないが、その降りやむ時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日のことはわからない。わからぬことには覚悟のしようもなく策の立てようもない。いやでも中有ちゅううにつられて不安状態におらねばならぬ。
 しかしながら、牛の後足に水がついてる眼前の事実は、もはや何を考えてる余地をあたえない。自分はそれにうながされて、明日のことは明日になってからとして、ともかくも今夜一夜をしのぐ画策を定めた。
 自分は猛雨をおかして材木屋に走った。同業者の幾人が同じ目的をもって多くの材料を求め走ったと聞いて、自分はさらに恐怖心を高めた。
 五寸かくの土台数十丁、一寸あつみの松板まついた数十枚は時を移さず、牛舎に運ばれた。もちろん大工を呼ぶひまはない。三人の男どもを指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活動した結果、牛舎には床上ゆかうえさらに五寸の仮床かりゆかをつくり得た。かくて二十頭の牛は水上五寸の架床かしょう上にあらそうて安臥あんがするのであった。燃材ねんざいの始末、飼料品のかたづけ、なすべき仕事は無際限にあった。
 人間に対する用意は、まず畳をあげて、ふすま障子しょうじ諸財しょざい一切いっさいの始末を、先年せんねん大水おおみずの標準によって、処理し終わった。なみの席より尺余しゃくよゆかを高くしておいた一室と離屋はなれの茶室の一間とに、家族十人の者は二分にぶんして寝につくことになった。幼いものどもは茶室へ寝るのを非常によろこんだ。そうして、まもなく無心に眠ってしまった。二人の姉どもと彼らの母とは、この気味の悪い雨の夜に別れわかれに寝るのは心細いというて、雨をおかし水を渡って茶室へやってきた。
 それでも、これだけのことですんでくれればありがたいが、明日はどうなることか……取りかたづけにかかってから幾たびも幾たびも言い合うたことを、またもくり返すのであった。あとに残った子どもたちに呼び立てられて、母娘おやこはさびしい影を夜の雨にぼっして去った。
 ついにその夜も豪雨は降りとおした。じつに二夜ふたよと一日、三十六時間の豪雨はいかなる結果をたすべきか。翌日は晃々こうこうと日が照った。水は少しずつ増しているけれど、牛の足へもまだ水はつかなかった。避難の二席にせきにもまだ五、六寸の余裕はあった。新聞紙は諸方面の水害と今後の警戒すべきを特報したけれど、天気になったということが、非常にわれらを気強く思わせる。よし河の水が増してきたところで、どうにか、しのぎのつかぬことはなかろうなどと考えつつ、懊悩おうのうの頭もおおいに軽くなった。
 平和にかつした頭は、とうてい安んずべからざるところにも、しいて安居あんごせんとするものである。

   二


 大雨たいうが晴れてから二日目の午後五時ごろであった。世間は恐怖の色調しきちょうをおびた騒ぎをもって満たされた。平生へいぜい聞こゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を振蕩しんとうしておこった。
 天神川もあふれ、竪川たてかわもあふれ、横川もあふれだしたのである。平和は根底こんていからやぶれて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑もない。進むべきところに進むほか、何をかえりみる余地もなくなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じおき、自分は若い者三人をしっして乳牛の避難にかかった。かねてここと見定みさだめておいた高架鉄道の線路にうた高地こうちに向かって牛を引き出す手はずである。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどではない。
 自分はまず黒白斑くろしろぶちの牛と赤牛との二頭をき出す。彼ら無心の毛族けものもなんらか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声をかぎりとさけび出した。その騒々そうぞうしさはまたおのずから牽手ひきての心を興奮させる。自分は二頭の牝牛めうしをひいて門を出た。腹部まで水にひたされて引き出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂いまわる。もとよりどぶも道路もわからぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の手綱たづなをとって、ほとんど制御せいぎょの道を失った。そうして自分も乳牛に引きかるる勢いにかられて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者どもも二頭三頭とつぎつぎ引き出してくる。
 人畜じんちくをあげて避難する場合にのぞんでも、なおるるを恐れておった卑怯ひきょう者も、一度溝にはまって全身水につかっては戦士がきずついて血を見たにも等しいものか、ここにはじめて精神の興奮絶頂に達し、猛然たる勇気は四肢しし節々ふしぶしに振動した。二頭の乳牛を両腕のもとに引きすえ、奔流をやぶって目的地に進んだ。かくのごとく二回、三回、数時間の後まったく乳牛の避難を終え、翌日一日分の飼料をも用意し得た。
 水層はいよいよ高く、より太平町たいへいちょうに至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放、舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。
 水を恐れて雨に懊悩おうのうしたときは、いまだ直接に水に触れなかったのだ。それで水が恐ろしかったのだ。濁水をおかして乳牛を引き出し、身もその濁水に没入しては、もはや水との争闘である。奮闘は目的をとげて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た心地ここちである。
 洪水の襲撃を受けて、失うところのだいなるを悵恨ちょうこんするよりは、一方のかこみを打ち破った奮闘の勇気に快味を覚ゆる時期である。化膿せる腫物しゅもつ切開せっかいした後の痛快は、やや自分の今に近い。打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、すべての懊悩を一掃した快味かいみである。わが家の水上わずかに屋根ばかり現われおるさまを見て、いささかも痛恨の念のわかないのは、その快味がしばらくわれを支配しているからであるまいか。
 日は暮れんとして空はまた雨模様である。あたりに聞こゆる水の音は、今の自分にはもはや壮快に聞こえてきた。自分は四方をながめながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。
 うず高に水を盛り上げてる天神川は、さかんに濁水を両岸に奔溢ほんいつさしている。薄暗くくもった夕暮れの底に、濁水のあふれ落つる白泡が、夢かのようにぼんやり見渡される。恐ろしいような、おもしろいような、いうにいわれない一種の強い刺激に打たれた。
 遠く亀戸方面を見渡してみると、黒い水が漫々まんまんとして大湖のごとくである。あたりに浮いてる家棟やのむねは多くは軒以上を水に没している。なるほど洪水じゃなと嗟嘆さたんせざるを得なかった。
 亀戸には同業者が多い。まだ避難し得ない牛も多いと見え、そちこちに牛のさけび声がしている。暗い水の上を伝わって、長く尻声しりごえを引く。聞く耳のせいか、たまらなくいやな声だ。まれに散在して見える三つ四つの灯火とうかがほとんど水にひッついて、水平線の上に浮いてるかのごとく、さびしい光をもらしている。
 なにか人声ひとごえが遠くに聞こえるよと耳を立てて聞くと、助け舟はないかァ……助け舟はないかァ……とさけぶのである。それも三回ばかりで声はやんだ。水量が盛んで人間の騒ぎも圧せられてるものか、わりあいに世間は静かだ。まだよいの口と思うのに、水の音と牛の鳴く声のほかには、あまり人の騒ぎも聞こえない。寥々りょうりょうとして寒そうな水がみなぎっている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかもわからぬ。鉄橋を引き返してくると、牛の声はかすかになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴ってる。自分は眼前の問題にとらわれて、われ知らず時間をついやした。来てみれば乳牛の近くに若者たちもいず、わが乳牛は多くは安臥してみ返しをやっておった。
 何ごとをするも明日のこと、今夜はこれでと思いながら、主なき家のありさまも一見したく、自分はふたたび猛然、水に投じた。道路よりもすこしく低いわが家の門内に入ると、足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。
 さいわいに家族の者が逃げるときに消し忘れたものらしく、ランプがともしてつりさげてあった。天井高くつりさげたランプの尻にほとんど水がついておった。ゆかの上にのぼって水は乳まであった。醤油樽しょうゆだる炭俵すみだわら下駄げた箱、上げ板、まき、雑多な木屑きくずなどあるとあるものが浮いている。ドロリとした汚い悪水おすいが、身動きもせず、ひしひしと家いっぱいに入っている。自分はなお一渡ひとわたり奥の方まで一見しようと、ランプに手をかけたら、どうかした拍子に火は消えてしまった。後は闇々黒々、身を動かせば雑多な浮流物が体にふれるばかりである。それでも自分は手さぐり足さぐりに奥まで進み入った。浮いてる物は胸にあたる、顔にさわる。畳が浮いてる、タンスが浮いてる、夜具類も浮いてる。それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。
 自分はこの全滅的荒廃の跡を見て、なんら悔恨かいこんの念もなく、不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく、自分の物という感じもない。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物をやぶり人を苦しめたことを痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何のためにしかるかを考えもしなかった。
 家族の逃げて行った二階は、七畳ばかりの一室であった。その家の人々のほかに他よりも四、五人逃げてきておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただひざと膝をつきあわせて座しおるのである。
 罪にれた者が捕縛ほばくを恐れて逃げ隠れしてるうちは、一刻も精神の休まるときがなく、夜も安くは眠られないが、いよいよ捕らえられて獄中の人となってしまえば、気も安く心ものびて、愉快ゆかいに熟睡されると聞くが、自分の今夜の状態はそれに等しいのであるが、将来のことはまだ考える余裕もない、煩悶はんもん苦悩決せんとして決し得なかった問題が解決してしまった自分は、この数日来にない、心安い熟睡をとげた。頭をまげ手足を縮め、エビのごとき状態に困臥こんがしながら、なお気安く心地ここちさわやかに眠り得た。数日来の苦悩は跡形あとかたもなく消え去った。ために、体内新たな活動力を得たごとくに思われたのである。
 実際の状況はと見れば、わずかに人畜の生命を保ち得たのにすぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷をきわめているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬわけにゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を哀嘆あいたんしてるひまがないためであろう。人間も無事だ、牛も無事だ、よしといったような、爽快な気分で朝まで熟睡した。
 家の鶏が鳴く、家の鶏が鳴く、という子どもの声が耳に入って眼をさました。って窓外を見れば、濁水をいっぱいにたたえた、わが家の周囲の一廓に、ほのぼのと夜は明けておった。忘れられて取り残された鶏は、あるじなき水漬屋みずきやに、常に変らぬのどかな声を長くひいて時を告ぐるのであった。

   三


 一時の急をまぬがれた避難は、人も家畜も一夜の宿やどりがようやくのことであった。自分は知人某氏なにがししを両国にうて第二の避難をはかった。侠気きょうきと同情に富める某氏なにがししは全力をつくして奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引き取ってくれ、牛は回向院えこういんの庭に置くことをゆるされた。天候じょうなく、この日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へこぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに等しき避難者は、男女老幼、雨具もなきが多く、陸続として、約二十町の間をひききりなしに渡り行くのである。十八をかしらに赤子の守子もりこを合わして九人の子どもを引き連れた一族もそのうちの一群であった。大人はもちろん、大きい子どもらはそれぞれ持ち物がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足すあしを運びつつ、泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れることのできない印象を残した。
 もう家族に心配はいらない。これから牛ということでその手配にかかった。人数が少なくて数回にひくことは容易でない。二十頭の乳牛を二回にひくとすれば、十人の人を要するのである。雨の降るのにしかも大水の中をひくのであるから、無造作には人を得られない。某氏なにがししの尽力によりようやく午後の三時ごろにいたって人をたのみ得た。
 なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の付近から高架線の上を本所ほんじょ停車場に出て、横川にそうて竪川たてかわ河岸かし通りを西へ両国にいたるべく順序をさだめて出発した。雨もやんできた。この間の日の暮れないうちにひいてしまわねばならない。人々は勢いこんで乳牛の所在地へ集まった。
 用意はできた。このうえは鉄道員の許諾きょだくを得、少しのあいだ線路を通行させてもらわねばならぬ。自分は駅員の集合してる所にいたって、かねて避難している乳牛を引き上げるについてここより本所停車場までの線路の通行をゆるしてくれとうた。駅員らは何か話し合うていたらしく、自分の切願に一顧いっこをくれるものもなく、あいさつもせぬ。
 いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、ぜひお許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛をひくことができませんから、と自分はことばをつくして哀願した。
 そんなことはできない。いったいあんなところへ牛を置いちゃいかんじゃないか。
 それですから、これからひくのですが。
 それですからって、あんな所へ牛を置いてとどけてもこないのは不都合じゃないか。
 無情冷酷……しかも横柄おうへいな駅員の態度である。精神興奮してる自分は、しゃくさわってたまらなくなった。
 君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。
 ほとんど口の先まで出たけれど、わずかにこらえてさらに哀願した。結局、避難者を乗せるために列車がくるから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうしていつごろ来るかといえば、それはわからぬという。そのじつわかっているのである。配下の一員は親切に一時間と経ないうちにくるからと注意してくれた。
 かれこれむなしく時間を送ったために、日の暮れないうちに二回ひくつもりであったのが、一回ひき出さないうちに暮れかかってしまった。
 なれない人たちには、荒れないような牛を見計みはからって引かせることにして、自分は先頭せんとうに大きい赤白斑あかしろぶち牝牛めうしを引き出した。十人の人が引き続いて後からくるというようなことにはゆかない。自分は続く人のないにかかわらず、まっすぐに停車場へ降りる。まったく日は暮れてわずかに水面の白いのが見えるばかりである。鉄橋の下は意外に深く、ほとんど胸につく深さで、奔流しぶきを飛ばし、すこしのあいだ流れにさかのぼって進めば、牛はあわて狂うて先に出ようとする。自分は胸きりの水中容易に進めないから、しぶきを全身に浴びつつ水にむせて顔を正面まともに向けて進むことはできない。ようやくらち外に出れば、それからは流れにしたがって行くのであるが、先の日に石や土俵を積んで防御した、その石や土俵が道中に散乱してあるから、水中に牛もつまずく人もつまずく。
 わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてしかもなれない人たちのことが気にかかるのである。自分はしばらく牛をひかえて、後からくる人たちの様子をうかがうた。それでも同情を持ってきてくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いてくる様子に自分も安心して先頭をつとめた。半数十頭を回向院の庭へそろえたときは、あたかも九時であった。負傷した人もできた。一回におそれて逃げた人もできた。今一回はじつに難事となった。某氏の激励いたらざるなく、それでようやく欠員の補充もできた。二回目には自分は最後にまわった。ことごとく人々を先に出しやって、ひとわたり後を見まわすと、八升入りの牛乳かんが二つ、バケツが三個みっつ残ってある。これは明日に入用の品である。若い者の取り落としたのか、下の帯一筋あったをさいわいに、それにて牛乳かん背負せおい、三個のバケツを左手にかかえ、右手に牛の鼻綱はなづなを取って殿しんがりした。自分より一歩先に行く男ははじめて牛をひくという男であったから、いくどか牛を手離してしまう。そのたびに自分は、その牛をとらえやりつつ擁護の任をかね、土を洗い去られて、石川といった、たて川の河岸をねり歩いてきた。もうこれで終了すると思えば心にも余裕ができる。
 道々みちみち考えるともなく、自分の今日の奮闘はわれながら意想外であったと思うにつけ、深夜十二時あえて見る人もないが、わがこの容態はどうだ。腐った下の帯に乳鑵二個をおい、三個のバケツを片手にささげ、片手に牛をひいている。へそはぎも出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。
 自分は何のためにこんなことをするのか、こんなことまでせねば生きていられないのか、はてなき人生に露のごとき命をむさぼって、こんな醜態をもいとわない情けなさ、なんといういやしき心であろう。
 前の牛もわが引く牛も、今はおちついて静かに歩む。二つ目より西には水もないのである。手に足に気くばりがなくなって、考えは先から先へ進む。
 超世的詩人をもって深くみずから任じ、つねに『万葉集』を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得かいとくし継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情けない。たとい人に見らるるのうれいがないにせよ、余儀なきことの勢いに迫ったにせよ、あまりに蛮性の露出である。こんなことが奮闘であるならば、奮闘の価はいやしいといわねばならぬ。しかし心をいやしくするのと、体をいやしくするのと、いずれがいやしいかといえば、心をいやしくするのもっともいやしむべきはいうまでもないことである。そう思うてみればわが今夜の醜態は、ただ体をいやしくしたのみで、心をいやしくしたとはいえないのであろうか。しかし、心をいやしくしないにせよ、体をいやしくしたそのことの恥ずべきはすこしも減ずるわけではないのだ。
 先着の伴牛ともうしはしきりに友を呼んで鳴いている。わが引いている牛も、それに応じて一声高く鳴いた。自分は夢からめた心地ここちになって、おぼえず手に持った鼻綱はなづなを引きめた。

   四


 水は一日に一寸か二寸しか減じない。五、六日たっても七寸とは減じていない。水につかった一切いっさいの物いまだに手のつけようがない。その後も幾度いくたびか雨が降った。乳牛は露天ろてんに立って雨たたきにされている。同業者の消息もようやくわかってきた。亀戸のなにがしは十六頭殺した。太平たいへい町の某は十四頭を、大島町の某はこうし十頭を殺した。わが一家のことについても、種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。
 疲労の度がぐれば、かえって熟睡を得られない。夜中いくども目を覚ます。わずかな睡眠の中にもかならず夢を見る。夢はことごとく雨の音、水の騒ぎである。最も懊悩おうのうにたえないのは、実際雨が降って音の聞こゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨にぬれて露天に立っているのは考えるにたえない苦しみである。なんともたとえようのないなさけなさである。自分が雨中を奔走するのはあえて苦痛とは思わないが、牛が雨を浴みつつ泥中に立っているのを見ては、言語にいえないせつなさを感ずるのである。
 若い衆はかわりがわり病気をする。水中の物もいつまで捨ててはおけず、自分のなすべきことは無際限である。自分は日々、朝、わらじをはいて立ち、夜まで脱ぐいとまがない。避難五日目にようやく牛のために雨おおいができた。
 眼前の迫害がなくなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌ぶんぴつした乳量は半減したうえにさらに減ぜんとしている。一度減じた量は、決して元に回復せぬのが常である。乳量が回復せないで、妊孕にんようの期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されてくると、天災に反抗し奮闘したのもきわめて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。
 生活の革命……八人の児女じじょを両肩に負うてる自分の生活の革命を考うることとなっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。
 残余の財をとりまとめて、一家の生命を筆硯ひっけんにたくそうかと考えてみた。なんじは安心してその決行ができるかと問うてみる。自分の心は即時に、安心ができぬと答えた。いよいよ余儀よぎない場合にせまって、そうするよりほかに道がなかったならばどうするかと念を押してみた。自分の前途の惨憺さんたんたるありさまを想見するよりほかに何らの答えをなし得ない。
 一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰ってこないという。自分は決起けっきしてちちしぼりに手をかさねばならぬ。天気がよければ、家内らは運び来たったれものの始末に眼のまわるほどいそがしい。
 家浮沈の問題たる前途の考えも、きがたい目前の仕事にわれてはそのままになる。見舞いの手紙、見舞いの人、いちいち応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見まわることもある。夜は疲労して座にたえなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛とうつう倦怠けんたいをおぼえ、その業にたえがたき思いがするものの、常よりも快美に進む食事を取りつつ、ひとたび草鞋わらじをふみしめてたつならば、自分の四肢ししりんとして振動するのである。
 肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もいつしか屏息へいそくして、愉快ゆかいに奮闘ができるのは妙である。八人の児女じじょがあるという痛切な観念が、つねに肉体を興奮せしめ、その苦痛を忘れしめるのか。
 あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。
 破壊後の生活は、すべてのことが混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱をまぬがれない。
 自分は一日大道たいどう闊歩かっぽしつつ、突然として思い浮かんだ。自分の反抗的奮闘の精力が、これだけ強堅きょうけんであるならば、いっさい迷うことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの労働をすれば、何の苦労も心配もいらぬことだ。今まで文芸などに遊んでおった身で、これがはたしてできるかと自問した。自分の心は無造作にできると明答した。文芸を三、四年間放擲ほうてきしてしまうのは、いささかの狐疑こぎも要せぬ。
 肉体をやすんじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神をやすんずるのがよいか。こう考えてきて自分は愉快ゆかいでたまらなくなった。われ知らず問題は解決したと独語どくごした。

   五


 水が減ずるにしたがって、後の始末もついて行く。運び残した財物も少なくないから、夜を守る考えもおこった。物置きの天井に一坪にたらぬ場所を発見してここに布団をべ、自分はそこに横たわってみた。これならば夜をここに寝られぬこともないと思ったが、ここへ眠ってしまえばすこしも夜の守りにはならないと気づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた体をよこたえて休息するには都合がよかった。
 人は境遇に支配されるものであるということだが、自分はわずかに一身いっしんを入るるにる狭い所へ横臥おうがして、ふと夢のようなことを考えた。
 その昔、相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかったとき、彼は嘆じていう。こういうふうに互いに心持ちよく円満に楽しいということは、今後ひとたびといってもできないかもしれない、いっそ二人が今夜ねむったまま死んでしまったら、これに上越す幸福はないであろう。
 しんにそれに相違ない。このまま苦もなく死ぬことができれば満足であるけれど、神様がわれわれにそういう幸福をゆるしてくれないかもしれない、と自分もしんから嘆息したのであった。
 当時は、ただ一場の痴話ちわとして夢のごとき記憶に残ったのであるけれど、二十年後の今日、それをきわめて真面目まじめに思い出したのはいかなるわけか。
 考えてみると、はたしてその夜のごとき感情をくり返したことはなかった。年一年と苦労が多く、子どもは続々とできてくる。年中あくせくとして歳月のまわるに支配されているほかに、何らの能事のうじもない。次々とくる小災害のふせぎ、人をとぶらいおのれを悲しむ消極的いとなみは、年として絶ゆることはない。水害また水害。そうしてついに今度の大水害にこうして苦闘している。
 二人が相擁あいようして死を語った以後二十年、じつに何の意義もないではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は、苦しんでるのが常であるとはいかなるわけか。
 五十に近い身で、少年少女一夕いっせきの痴談をまじめに回顧している今の境遇で、これをどう考えたらば、ここに幸福の光を発見することができるであろうか。この自分の境遇にはどこにも幸福の光がないとすれば、一少女の痴談は大哲学であるといわねばならぬ。人間は苦しむだけ苦しまねば死ぬこともできないのかと思うのは、考えてみるのもいやだ。
 手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来、毎日手伝いにきてくれる友人であった。
(明治四十三年(一九一〇)十一月)



底本:「野菊の墓」角川文庫、角川書店
   1966(昭和41)年3月20日初版発行
   1981(昭和56)年6月10日改版26刷発行
※「ちゅう有」とあった底本のルビは、語句の成り立ちに照らして不適当であり、記号の付け間違いとの疑念も生じさせやすいと考え、中有ちゅうう」とあらためました。
入力:大野晋
校正:松永正敏
2000年10月23日公開
2005年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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火事とポチ

有島武郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)真赤《まっか》な火が

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二十|軒《けん》ぐらいも
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 ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。
 ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、真赤《まっか》な火が目に映《うつ》ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸《と》だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝《ね》ているはずのおばあさまが何か黒い布《きれ》のようなもので、夢中《むちゅう》になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子《ようす》がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆《か》けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。
「おばあさま、どうしたの?」
 と聞いてみた。おばあさまは戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
 ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。
 部屋《へや》の中は、障子《しょうじ》も、壁《かべ》も、床《とこ》の間《ま》も、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師《かげぼうし》が大きくそれに映《うつ》って、怪物《ばけもの》か何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言《ひとこと》も物をいわないのが変だった。急に唖《おし》になったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。
 これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中《むちゅう》になっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。
 火事なんだ。おばあさまが一人《ひとり》で消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとが寝《ね》ている離《はな》れの所へ行って、
「おとうさん……おかあさん……」
 と思いきり大きな声を出した。
 ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻《ねま》きのままで飛び出して来た。
「どうしたというの?」
 とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩《りょうかた》をしっかりおさえてぼくに聞いた。
「たいへんなの……」
「たいへんなの、ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「大変なの」きりであとは声が出なかった。
 おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋の方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、
「早く早くおとうさんをお起こしして……それからお隣《となり》に行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事ですって……いいかい、早くさ」
 そんなことをおかあさんはいったようだった。
 そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上がり口に行った。そこは真暗《まっくら》だった。はだしで土間《どま》に飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外《そと》に飛び出した。戸外《そと》も真暗で寒かった。ふだんなら気味が悪くって、とても夜中《よなか》にひとりで歩くことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者《わるもの》とでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。
 ぼくも夢中で駆《か》けた。お隣《となり》のおじさんの門をたたいて、
「火事だよう!」
 と二、三度どなった。その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗《まっくら》だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。
 ぼくの家は町からずっとはなれた高台《たかだい》にある官舎町《かんしゃまち》にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影《ひとかげ》がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。
 二十|軒《けん》ぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲《てっぽう》をうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧《こぞう》と下あごとががちがち音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中《むちゅう》で走りだした。走りながらもぼくは燃え上がる火から目をはなさなかった。真暗《まっくら》ななかに、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。
 町の方からは半鐘《はんしょう》も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日《あす》からは何を食べて、どこに寝《ね》るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。
 家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走って来るのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇《りょうわき》にしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出して泣《な》いていた。ぼくはいきなりその大きな男は人さらいだと思った。官舎町《かんしゃまち》の後ろは山になっていて、大きな森の中の古寺に一人の乞食《こじき》が住んでいた。ぼくたちが戦《いくさ》ごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後、大急ぎで、「人さらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食《こじき》の人はどんなことがあっても駆《か》けるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくはその乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変だと気がつくと、家に帰るのはやめて、大急ぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。
 その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣《いしがき》のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻《しり》をはしょったその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本《はしもと》さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちが大ぜい立って、ぼくの家の方を向いて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
 そうしたら、その乞食《こじき》らしい人が、
「子どもさんたちがけんのんだから連れて来たよ。竹男《たけお》さんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」
 と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段を上って行った。
「あら、竹男さんじゃありませんか」
 と目《め》早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本さんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連れこんだ。家の中には燈火《あかり》がかんかんとついて、真暗なところを長い間歩いていたぼくにはたいへんうれしかった。寒いだろうといった。葛湯《くずゆ》をつくったり、丹前《たんぜん》を着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣《な》きやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。
 ぼくたちはその家の窓《まど》から、ぶるぶるふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。
「安心なさい。母屋《おもや》は焼けたけれども離《はな》れだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連れて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別だ。この一面の霜《しも》はどうだ」
 といいながら、おじさんは井戸《いど》ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白《まっしろ》になっていた。
 橋本さんで朝御飯《あさごはん》のごちそうになって、太陽が茂木《もぎ》の別荘《べっそう》の大きな槙《まき》の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。
 いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰《ごし》になって働いていた。どこからどこまで大雨のあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味悪くぬれてしまった。
 離《はな》れに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物を着て、髪《かみ》の毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなり駆けよって来て、三人を胸《むね》のところに抱《だ》きしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣きはじめた。ぼくたちはすこし気味が悪く思ったくらいだった。
 変わったといえば家の焼けあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、積み木をひっくり返したように重なりあって、そこからけむりがくさいにおいといっしょにやって来た。そこいらが広くなって、なんだかそれを見るとおかあさんじゃないけれども涙《なみだ》が出てきそうだった。
 半分こげたり、びしょびしょにぬれたりした焼け残りの荷物といっしょに、ぼくたち六人は小さな離《はな》れでくらすことになった。御飯は三度三度|官舎《かんしゃ》の人たちが作って来てくれた。熱いにぎり飯《めし》はうまかった。ごまのふってあるのや、中から梅干《うめぼ》しの出てくるのや、海苔《のり》でそとを包んであるのや……こんなおいしい御飯を食べたことはないと思うほどだった。
 火はどろぼうがつけたのらしいということがわかった。井戸《いど》のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察《けいさつ》の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。おとうさんは二、三日の間、毎日警察に呼び出されて、しじゅう腹《はら》をたてていた。おばあさまは、自分の部屋から火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天《ぎょうてん》して口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみに床《とこ》を取ってねたきりになっていた。
 ぼくたちは、火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足《にんそく》の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾《ひろ》い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。
 火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんにたずねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢《ゆめ》を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。
 そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離《はな》れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地《きょりゅうち》に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾《お》のふさふさした大きな犬。長い舌《した》を出してぺろぺろとぼくや妹の頸《くび》の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑《わら》いながら駆《か》けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日《きょう》まで思い出さずにいたろうと思った。
 ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手分けをして庭に出て、大きな声で「ポチ……ポチ……ポチ来《こ》いポチ来い」とよんで歩いた。官舎町《かんしゃまち》を一軒《いっけん》一軒《いっけん》聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか。いません。どこかで見ませんでしたか。見ません。どこでもそういう返事だった。ぼくたちは腹もすかなくなってしまった。御飯だといって、女中がよびに来たけれども帰らなかった。茂木《もぎ》の別荘の方から、乞食《こじき》の人が住んでいる山の森の方へも行った。そして時々大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大急ぎで駆《か》けて来るポチの足音が聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、鳴き声も聞こえては来なかった。
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」
 と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければいなくなってしまうわけがないんだ。でもそんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たらかみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。
 ……ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。
「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」
「あら、それは冗談《じょうだん》にいったんだわ」
「冗談《じょうだん》だっていけないよ」
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」
「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でもにいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって」
 ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。……それを妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。
「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
 妹が山の中でしくしく泣《な》きだした。そうしたら弟まで泣きだした。ぼくもいっしょに泣きたくなったけれども、くやしいからがまんしていた。
 なんだか山の中に三人きりでいるのが急にこわいように思えてきた。
 そこへ女中がぼくたちをさがしに来て、家ではぼくたちが見えなくなったので心配しているから早く帰れといった。女中を見たら妹も弟も急に声をはりあげて泣きだした。ぼくもとうとうむやみに悲しくなって泣きだした。女中に連れられて家に帰って来た。
「まああなたがたはどこをうろついていたんです、御飯も食べないで……そして三人ともそんなに泣いて……」
 とおかあさんはほんとうにおこったような声でいった。そしてにぎり飯を出してくれた。それを見たら急に腹がすいてきた。今まで泣いていて、すぐそれを食べるのはすこしはずかしかったけれども、すぐ食べはじめた。
 そこに、焼けあとで働いている人足《にんそく》が来て、ポチが見つかったと知らせてくれた。ぼくたちもだったけれども、おばあさまやおかあさんまで、大さわぎをして「どこにいました」とたずねた。
「ひどいけがをして物置きのかげにいました」
 と人足の人はいって、すぐぼくたちを連れていってくれた。ぼくはにぎり飯をほうり出して、手についてる御飯つぶを着物ではらい落としながら、大急ぎでその人のあとから駆《か》け出した。妹や弟も負けず劣《おと》らずついて来た。
 半焼けになった物置きが平べったくたおれている、その後ろに三、四人の人足がかがんでいた。ぼくたちをむかえに来てくれた人足はその仲間《なかま》の所にいって、「おい、ちょっとそこをどきな」といったらみんな立ち上がった。そこにポチがまるまって寝《ね》ていた。
 ぼくたちは夢中《むちゅう》になって「ポチ」とよびながら、ポチのところに行った。ポチは身動きもしなかった。ぼくたちはポチを一目見ておどろいてしまった。からだじゅうをやけどしたとみえて、ふさふさしている毛がところどころ狐色《きつねいろ》にこげて、どろがいっぱいこびりついていた。そして頭や足には血が真黒《まっくろ》になってこびりついていた。ポチだかどこの犬だかわからないほどきたなくなっていた。駆《か》けこんでいったぼくは思わずあとずさりした。ポチはぼくたちの来たのを知ると、すこし頭を上げて血走った目で悲しそうにぼくたちの方を見た。そして前足を動かして立とうとしたが、どうしても立てないで、そのままねころんでしまった。
「かわいそうに、落ちて来た材木で腰《こし》っ骨《ぽね》でもやられたんだろう」
「なにしろ一晩じゅうきゃんきゃんいって火のまわりを飛び歩いていたから、つかれもしたろうよ」
「見ろ、あすこからあんなに血が流れてらあ」
 人足たちが口々にそんなことをいった。ほんとうに血が出ていた。左のあと足のつけ根の所から血が流れて、それが地面までこぼれていた。
「いたわってやんねえ」
「おれゃいやだ」
 そんなことをいって、人足たちも看病《かんびょう》してやる人はいなかった。ぼくはなんだか気味が悪かった。けれどもあんまりかわいそうなので、こわごわ遠くから頭をなでてやったら、鼻の先をふるわしながら、目をつぶって頭をもち上げた。それを見たらぼくはきたないのも気味の悪いのもわすれてしまって、いきなりそのそばに行って頭をかかえるようにしてかわいがってやった。なぜこんなかわいい友だちを一度でもぶったろうと思って、もうポチがどんなことをしてもぶつなんて、そんなことはしまいと思った。ポチはおとなしく目をつぶったままでぼくの方に頭を寄せかけて来た。からだじゅうがぶるぶるふるえているのがわかった。
 妹や弟もポチのまわりに集まって来た。そのうちにおとうさんもおかあさんも来た。ぼくはおとうさんに手伝って、バケツで水を運んで来て、きれいな白いきれで静かにどろや血をあらい落としてやった。いたい所をあらってやる時には、ポチはそこに鼻先を持って来て、あらう手をおしのけようとした。
「よしよし静かにしていろ。今きれいにしてきずをなおしてやるからな」
 おとうさんが人間に物をいうようにやさしい声でこういったりした。おかあさんは人に知れないように泣《な》いていた。
 よくふざけるポチだったのにもうふざけるなんて、そんなことはちっともしなくなった。それがぼくにはかわいそうだった。からだをすっかりふいてやったおとうさんが、けががひどいから犬の医者をよんで来るといって出かけて行ったるすに、ぼくは妹たちに手伝ってもらって、藁《わら》で寝床《ねどこ》を作ってやった。そしてタオルでポチのからだをすっかりふいてやった。ポチを寝床の上に臥《ね》かしかえようとしたら、いたいとみえて、はじめてひどい声を出して鳴きながらかみつきそうにした。人夫たちも親切に世話してくれた。そして板きれでポチのまわりに囲いをしてくれた。冬だから、寒いから、毛がぬれているとずいぶん寒いだろうと思った。
 医者が来て薬をぬったり飲ませたりしてからは、人足たちもおかあさんも行ってしまった。弟も寒いからというのでおかあさんに連れて行かれてしまった。けれどもおとうさんとぼくと妹はポチのそばをはなれないで、じっとその様子《ようす》を見ていた。おかあさんが女中に牛乳《ぎゅうにゅう》で煮《に》たおかゆを持って来させた。ポチは喜んでそれを食べてしまった。火事の晩から三日の間ポチはなんにも食べずにしんぼうしていたんだもの、さぞおかゆがうまかったろう。
 ポチはじっとまるまってふるえながら目をつぶっていた。目がしらの所が涙《なみだ》でしじゅうぬれていた。そして時々細く目をあいてぼくたちをじっと見るとまたねむった。
 いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫《だいじょうぶ》だから家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。
 ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく睡《ね》るので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というとポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけしっぽをふって見せた。
 とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。
 次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。
 ポチのお墓《はか》は今でも、あの乞食《こじき》の人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。



底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年3月10日初版発行
   1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
   1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



水害雑録

伊藤左千夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)奴《やつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一朝|禍《わざわい》を蹈む

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く
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       一

 臆病者というのは、勇気の無い奴《やつ》に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事をこいねがうの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持った者、殊に手足まといの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願うの念が強いのである。
 一朝|禍《わざわい》を蹈むの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害はその惨の甚しいものがあるからであろう。
 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極《きょく》なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自《みずか》ら振作《しんさ》するの勇気は、もって笑いつつ天災地変に臨むことができると思うものの、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、どう考えても事に対する処決は単純を許さない。思慮分別の意識からそうなるのではなく、自然的な極めて力強い余儀ないような感情に壓せられて勇気の振いおこる余地が無いのである。
 宵から降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激《たぎ》つ水の音、ひたすら事《こと》なかれと祈る人の心を、有る限りの音声《おんせい》をもって脅《おびやか》すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。
 少しも眠れなかったごとく思われたけれど、一睡の夢の間にも、豪雨の音声におびえていたのだから、もとより夢か現《うつつ》かの差別は判らないのである。外は明るくなって夜は明けて来たけれど、雨は夜の明けたに何の関係も無いごとく降り続いている。夜を降り通した雨は、又昼を降り通すべき気勢である。
 さんざん耳から脅《おびやか》された人は、夜が明けてからは更に目からも脅される。庭一面に漲《みなぎ》り込んだ水上に水煙を立てて、雨は篠《しの》を突いているのである。庭の飛石は一箇《ひとつ》も見えてるのが無いくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。
 もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと若《わか》い衆《しゅ》も訴えて来た。
 最も臆病に、最も内心に恐れておった自分も、側《はた》から騒がれると、妙に反撥心が起る。殊更に落ちついてる風《ふう》をして、何ほど増して来たところで溜り水だから高が知れてる。そんなにあわてて騒ぐに及ばないと一喝《いっかつ》した。そうしてその一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心が揺いだのであった。雨はますます降る。一時間に四分五分ぐらいずつ水は高まって来る。
 強烈な平和の希望者は、それでも、今にも雨が静かになればと思う心から、雨声の高低に注意を払うことを、秒時もゆるがせにしてはいない。
 不安――恐怖――その堪えがたい懊悩《おうのう》の苦しみを、この際幾分か紛《まぎ》らかそうには、体躯を運動する外はない。自分は横川天神川の増水|如何《いかん》を見て来ようとわれ知らず身を起した。出掛けしなに妻や子供たちにも、いざという時の準備を命じた。それも準備の必要を考えたよりは、彼らに手仕事を授けて、いたずらに懊悩することを軽めようと思った方が多かった。
 干潮の刻限である為か、河の水はまだ意外に低かった。水口《みずぐち》からは水が随分盛んに落ちている。ここで雨さえやむなら、心配は無いがなアと、思わず嘆息せざるを得なかった。
 水の溜《たま》ってる面積は五、六町内に跨《また》がってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがりと迂曲《うきょく》している。水の落ちるのは、干潮の間僅かの時間であるから、雨の強い時には、降った水の半分も落ちきらぬ内に、上げ潮の刻限になってしまう。上げ潮で河水が多少水口から突上るところへ更に雨が強ければ、立ちしか間にこの一区劃内に湛えてしまう。自分は水の心配をするたびに、ここの工事をやった人の、馬鹿馬鹿しきまで実務に不忠実な事を呆《あき》れるのである。
 大洪水は別として、排水の装置が実際に適しておるならば、一日や二日の雨の為に、この町中《まちなか》へ水を湛うるような事は無いのである。人事《じんじ》僅かに至らぬところあるが為に、幾百千の人が、一通りならぬ苦しみをすることを思うと、かくのごとき実務的の仕事に、ただ形ばかりの仕事をして、平気な人の不親切を嘆息せぬ訳にゆかないのである。
 自分は三か所の水口を検して家に帰った。水は三か所へ落ちているにかかわらず、わが庭の水層は少し増しておった。河の水はどうですかと、家の者から口々に問わるるにつけても、ここで雨さえ小降りになるなら心配は無いのだがなアと、思わず又嘆息を繰返すのであった。
 一時間に五|分《ぶ》ぐらいずつ増してるから、これで見ると床へつくにはまだ十時間ある訳だ。いつでも畳を上げられる用意さえして置けば、住居の方は差当り心配はないとしても、もう捨てて置けないのは牛舎だ。尿板《ばりいた》の後方へは水がついてるから、牛は一頭も残らず起《た》ってる。そうしてその後足《あとあし》には皆一寸ばかりずつ水がついてる。豪雨は牛舎の屋根に鳴音《めいおん》烈しく、ちょっとした会話が聞取れない。いよいよ平和の希望は絶えそうになった。
 人が、自殺した人の苦痛を想像して見るにしても、たいていは自殺そのものの悲劇をのみ強く感ずるのであろう。しかし自殺者その人の身になったならば、われとわれを殺すその実劇よりは、自殺を覚悟するに至る以前の懊悩が、遥かに自殺そのものよりも苦しいのでなかろうか。自殺の凶器が、目前《もくぜん》に横たわった時は、もはや身を殺す恐怖のふるえも静まっているのでなかろうか。
 豪雨の声は、自分に自殺を強いてる声であるのだ。自分はなお自殺の覚悟をきめ得ないので、もがきにもがいているのである。
 死ぬときまった病人でも、死ぬまでになお幾日かの間があるとすれば、その間に処する道を考えねばならぬ。いわんや一縷《いちる》の望みを掛けているものならば、なおさらその覚悟の中に用意が無ければならぬ。
 何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟は必ず相当の時機を待たねばならぬ。
 豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮頃にでも歇《や》むものか、もしくは今にも歇《や》むものか、一切《いっさい》判らないが、その降り止む時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日の事は判らない。判らぬ事には覚悟のしようもなく策の立てようも無い。厭でも中有《ちゅうう》につられて不安状態におらねばならぬ。
 しかしながら牛の後足に水がついてる眼前の事実は、もはや何を考えてる余地を与えない。自分はそれに促されて、明日の事は明日になってからとして、ともかくも今夜一夜を凌《しの》ぐ画策を定めた。
 自分は猛雨を冒して材木屋に走った。同業者の幾人が同じ目的をもって多くの材料を求め走ったと聞いて、自分は更に恐怖心を高めた。
 五寸|角《かく》の土台数十丁一寸|厚《あつ》みの松板《まついた》数十枚は時を移さず、牛舎に運ばれた。もちろん大工を呼ぶ暇は無い。三人の男共を指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活動した結果、牛舎には床上《ゆかうえ》更に五寸の仮床《かりゆか》を造り得た。かくて二十頭の牛は水上五寸の架床《かしょう》上に争うて安臥《あんが》するのであった。燃材《ねんざい》の始末、飼料品の片づけ、為すべき仕事は無際限にあった。
 人間に対する用意は、まず畳を上げて、襖《ふすま》障子《しょうじ》諸財一切《しょざいいっさい》の始末を、先年《せんねん》大水《おおみず》の標準によって、処理し終った。並《なみ》の席より尺余《しゃくよ》床《ゆか》を高くして置いた一室と離屋《はなれ》の茶室の一間とに、家族十人の者は二分《にぶん》して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に悦んだ。そうして間もなく無心に眠ってしまった。二人の姉共と彼らの母とは、この気味の悪い雨の夜に別れ別れに寝るのは心細いというて、雨を冒《おか》し水を渡って茶室へやって来た。
 それでも、これだけの事で済んでくれればありがたいが、明日はどうなる事か……取片づけに掛ってから幾たびも幾たびもいい合うた事を又も繰返すのであった。あとに残った子供たちに呼び立てられて、母娘《おやこ》は寂しい影を夜の雨に没《ぼっ》して去った。
 遂にその夜も豪雨は降りとおした。実に二夜《ふたよ》と一日、三十六時間の豪雨はいかなる結果を来《きた》すべきか。翌日は晃々と日が照った。水は少しずつ増しているけれど、牛の足へもまだ水はつかなかった。避難の二席《にせき》にもまだ五、六寸の余裕はあった。新聞紙は諸方面の水害と今後の警戒すべきを特報したけれど、天気になったという事が、非常にわれらを気強く思わせる。よし河の水が増して来たところで、どうにか凌《しの》ぎのつかぬ事は無かろうなどと考えつつ、懊悩の頭も大いに軽くなった。
 平和に渇《かつ》した頭は、とうてい安んずべからざるところにも、強いて安居《あんご》せんとするものである。

       二

 大雨《たいう》が晴れてから二日目の午後五時頃であった。世間は恐怖の色調《しきちょう》をおびた騒ぎをもって満たされた。平生《へいぜい》聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を振蕩《しんとう》して起った。
 天神川も溢《あふ》れ、竪川《たてかわ》も溢れ、横川も溢れ出したのである。平和は根柢《こんてい》から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外《ほか》、何を顧《かえり》みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱《しっ》して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定《みさだ》めて置いた高架鉄道の線路に添うた高地《こうち》に向って牛を引き出す手筈である。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどではない。
 自分はまず黒白斑《くろしろぶち》の牛と赤牛との二頭を牽出《ひきだ》す。彼ら無心の毛族《けもの》も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又|自《おのず》から牽手《ひきて》の心を興奮させる。自分は二頭の牝牛《めうし》を引いて門を出た。腹部まで水に浸《ひた》されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂い廻る。もとより溝《どぶ》も道路も判らぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の手綱《たづな》を採って、ほとんど制馭《せいぎょ》の道を失った。そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。
 人畜《じんちく》を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬《つか》っては戦士が傷《きず》ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢《しし》の節々《ふしぶし》に振動した。二頭の乳牛を両腕の下《もと》に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛の避難を終え、翌日一日分の飼料をも用意し得た。
 水層はいよいよ高く、四《よ》ツ目《め》より太平町《たいへいちょう》に至る十五間幅の道路は、深さ五尺に近く、濁流奔放舟をもって渡るも困難を感ずるくらいである。高架線の上に立って、逃げ捨てたわが家を見れば、水上に屋根ばかりを見得るのであった。
 水を恐れて雨に懊悩した時は、未だ直接に水に触れなかったのだ。それで水が恐ろしかったのだ。濁水を冒して乳牛を引出し、身もその濁水に没入してはもはや水との争闘である。奮闘は目的を遂げて、牛は思うままに避難し得た。第一戦に勝利を得た心地《ここち》である。
 洪水の襲撃を受けて、失うところの大《だい》なるを悵恨《ちょうこん》するよりは、一方のかこみを打破った奮闘の勇気に快味を覚ゆる時期である。化膿せる腫物《しゅもつ》を切開《せっかい》した後の痛快は、やや自分の今に近い。打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、総ての懊悩を一掃した快味である。わが家の水上僅かに屋根ばかり現われおる状《さま》を見て、いささかも痛恨の念の湧かないのは、その快味がしばらくわれを支配しているからであるまいか。
 日は暮れんとして空は又雨模様である。四方《あたり》に聞ゆる水の音は、今の自分にはもはや壮快に聞えて来た。自分は四方を眺めながら、何とはなしに天神川の鉄橋を渡ったのである。
 うず高に水を盛り上げてる天神川は、盛んに濁水を両岸に奔溢《ほんいつ》さしている。薄暗く曇った夕暮の底に、濁水の溢れ落つる白泡が、夢かのようにぼんやり見渡される。恐ろしいような、面白いような、いうにいわれない一種の強い刺戟に打たれた。
 遠く亀戸方面を見渡して見ると、黒い水が漫々として大湖のごとくである。四方《あたり》に浮いてる家棟《やのむね》は多くは軒以上を水に没している。なるほど洪水じゃなと嗟嘆《さたん》せざるを得なかった。
 亀戸には同業者が多い。まだ避難し得ない牛も多いと見え、そちこちに牛の叫び声がしている。暗い水の上を伝わって、長く尻声を引く。聞く耳のせいか溜らなく厭な声だ。稀に散在して見える三つ四つの燈火がほとんど水にひッついて、水平線の上に浮いてるかのごとく、寂しい光を漏らしている。
 何か人声が遠くに聞えるよと耳を立てて聞くと、助け舟は無いかア……助け舟は無いかア……と叫ぶのである。それも三回ばかりで声は止んだ。水量が盛んで人間の騒ぎも壓せられてるものか、割合に世間は静かだ。まだ宵の口と思うのに、水の音と牛の鳴く声の外には、あまり人の騒ぎも聞えない。寥々《りょうりょう》として寒そうな水が漲っている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかも判らぬ。鉄橋を引返してくると、牛の声は幽《かす》かになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴ってる。自分は眼前の問題にとらわれてわれ知らず時間を費やした。来て見れば乳牛の近くに若者たちもいず、わが乳牛は多くは安臥して食《は》み返しをやっておった。
 何事をするも明日の事、今夜はこれでと思いながら、主なき家の有様も一見したく、自分は再び猛然水に投じた。道路よりも少しく低いわが家の門内に入ると足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。
 幸《さいわい》に家族の者が逃げる時に消し忘れたものらしく、ランプが点《とも》して釣り下げてあった。天井高く釣下げたランプの尻にほとんど水がついておった。床《ゆか》の上に昇って水は乳まであった。醤油樽《しょうゆだる》、炭俵、下駄箱、上げ板、薪、雑多な木屑《きくず》等有ると有るものが浮いている。どろりとした汚い悪水《おすい》が、身動きもせず、ひしひしと家一ぱいに這入っている。自分はなお一渡り奥の方まで一見しようと、ランプに手を掛けたら、どうかした拍子に火は消えてしまった。後は闇々黒々、身を動かせば雑多な浮流物が体に触れるばかりである。それでも自分は手探り足探りに奥まで進み入った。浮いてる物は胸にあたる、顔にさわる。畳が浮いてる、箪笥《たんす》が浮いてる、夜具類も浮いてる。それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。
 自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。
 家族の逃げて行った二階は七畳ばかりの一室であった。その家の人々の外に他よりも四、五人逃げて来ておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ膝と膝を突合せて坐しおるのである。
 罪に触れた者が捕縛を恐れて逃げ隠れしてる内《うち》は、一刻も精神の休まる時が無く、夜も安くは眠られないが、いよいよ捕えられて獄中の人となってしまえば、気も安く心も暢《の》びて、愉快に熟睡されると聞くが、自分の今夜の状態はそれに等しいのであるが、将来の事はまだ考える余裕も無い、煩悶苦悩決せんとして決し得なかった問題が解決してしまった自分は、この数日来に無い、心安い熟睡を遂げた。頭を曲げ手足を縮め海老《えび》のごとき状態に困臥しながら、なお気安く心地爽かに眠り得た。数日来の苦悩は跡形も無く消え去った。ために体内新たな活動力を得たごとくに思われたのである。
 実際の状況はと見れば、僅かに人畜の生命を保ち得たのに過ぎないのであるが、敵の襲撃があくまで深酷を極めているから、自分の反抗心も極度に興奮せぬ訳にゆかないのであろう。どこまでも奮闘せねばならぬ決心が自然的に強固となって、大災害を哀嘆してる暇がない為であろう。人間も無事だ、牛も無事だ、よしといったような、爽快な気分で朝まで熟睡した。
 家の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く、家の※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]が鳴く、という子供の声が耳に入って眼を覚した。起《た》って窓外を見れば、濁水を一ぱいに湛えた、わが家の周囲の一廓に、ほのぼのと夜は明けておった。忘れられて取残された※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]は、主なき水漬屋《みづきや》に、常に変らぬのどかな声を長く引いて時を告ぐるのであった。

       三

 一時の急を免れた避難は、人も家畜も一夜の宿りがようやくの事であった。自分は知人|某氏《なにがしし》を両国に訪《と》うて第二の避難を謀《はか》った。侠気と同情に富める某氏《なにがしし》は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってくれ、牛は回向院《えこういん》の庭に置くことを諾された。天候|情《じょう》なくこの日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに等しき避難者は、男女老幼、雨具も無きが多く、陸続として、約二十町の間を引ききりなしに渡り行くのである。十八を頭《かしら》に赤子の守子《もりこ》を合して九人の子供を引連れた一族もその内の一群であった。大人はもちろん大きい子供らはそれぞれ持物《もちもの》がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足《すあし》を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象を残した。
 もう家族に心配はいらない。これから牛という事でその手配にかかった。人数が少くて数回にひくことは容易でない。二十頭の乳牛を二回に牽くとすれば、十人の人を要するのである。雨の降るのにしかも大水の中を牽くのであるから、無造作には人を得られない。某氏《なにがしし》の尽力によりようやく午後の三時頃に至って人を頼み得た。
 なるべく水の浅い道筋を選ばねばならぬ。それで自分は、天神川の附近から高架線の上を本所《ほんじょ》停車場に出て、横川に添うて竪川《たてかわ》の河岸《かし》通を西へ両国に至るべく順序を定《さだ》めて出発した。雨も止んで来た。この間の日の暮れない内に牽いてしまわねばならない。人々は勢い込んで乳牛の所在地へ集った。
 用意はできた。この上は鉄道員の許諾《きょだく》を得、少しの間線路を通行させて貰わねばならぬ。自分は駅員の集合してる所に到って、かねて避難している乳牛を引上げるについてここより本所停車場までの線路の通行を許してくれと乞うた。駅員らは何か話合うていたらしく、自分の切願に一顧《いっこ》をくれるものも無く、挨拶もせぬ。
 いかがでしょうか、物の十分間もかかるまいと思いますから、是非お許しを願いたいですが、それにこのすぐ下は水が深くてとうてい牛を牽く事ができませんから、と自分は詞《ことば》を尽《つく》して哀願した。
 そんな事は出来ない。いったいあんな所へ牛を置いちゃいかんじゃないか。
 それですからこれから牽くのですが。
 それですからって、あんな所へ牛を置いて届けても来ないのは不都合じゃないか。
 無情冷酷……しかも横柄《おうへい》な駅員の態度である。精神興奮してる自分は、癪《しゃく》に障《さわ》って堪《たま》らなくなった。
 君たちいったいどこの国の役人か、この洪水が目に入らないのか。多くの同胞が大水害に泣いてるのを何と見てるか。
 ほとんど口の先まで出たけれど、僅かにこらえて更に哀願した。結局避難者を乗せる為に列車が来るから、帰ってからでなくてはいけないということであった。それならそうと早くいってくれればよいのだ。そうして何時頃来るかといえば、それは判らぬという。そのじつ判っているのである。配下の一員は親切に一時間と経ない内に来るからと注意してくれた。
 かれこれ空しく時間を送った為に、日の暮れない内に二回牽くつもりであったのが、一回牽き出さない内に暮れかかってしまった。
 なれない人たちには、荒れないような牛を見計《みはか》らって引かせることにして、自分は先頭《せんとう》に大きい赤白斑《あかしろぶち》の牝牛《めうし》を引出した。十人の人が引続いて後から来るというような事にはゆかない。自分は続く人の無いにかかわらず、まっすぐに停車場へ降りる。全く日は暮れて僅かに水面の白いのが見えるばかりである。鉄橋の下は意外に深く、ほとんど胸につく深さで、奔流しぶきを飛ばし、少しの間流れに遡《さかのぼ》って進めば、牛はあわて狂うて先に出ようとする。自分は胸きりの水中容易に進めないから、しぶきを全身に浴びつつ水に咽《む》せて顔を正面《まとも》に向けて進むことはできない。ようやく埒《らち》外に出れば、それからは流れに従って行くのであるが、先の日に石や土俵を積んで防禦した、その石や土俵が道中に散乱してあるから、水中に牛も躓《つまず》く人も躓く。
 わが財産が牛であっても、この困難は容易なものでないにと思うと、臨時に頼まれてしかも馴れない人たちの事が気にかかるのである。自分はしばらく牛を控《ひか》えて後から来る人たちの様子を窺うた。それでも同情を持って来てくれた人たちであるから、案じたほどでなく、続いて来る様子に自分も安心して先頭を務《つと》めた。半数十頭を回向院の庭へ揃えた時はあたかも九時であった。負傷した人もできた。一回に恐れて逃げた人もできた。今一回は実に難事となった。某氏の激励至らざるなく、それでようやく欠員の補充もできた。二回目には自分は最後に廻った。ことごとく人々を先に出しやって一渡り後を見廻すと、八升入の牛乳鑵が二つバケツが三箇《みっつ》残ってある。これは明日に入用の品である。若い者の取落したのか、下の帯一筋あったを幸に、それにて牛乳鑵を背負《せお》い、三箇のバケツを左手にかかえ右手に牛の鼻綱《はなづな》を取って殿《しんがり》した。自分より一歩先に行く男は始めて牛を牽くという男であったから、幾度か牛を手離してしまう。そのたびに自分は、その牛を捕えやりつつ擁護の任を兼ね、土を洗い去られて、石川といった、竪《たて》川の河岸を練り歩いて来た。もうこれで終了すると思えば心にも余裕ができる。
 道々考えるともなく、自分の今日の奮闘はわれながら意想外であったと思うにつけ、深夜十二時あえて見る人もないが、わがこの容態はどうだ。腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。臍《へそ》も脛《はぎ》も出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。
 自分は何の為にこんな事をするのか、こんな事までせねば生きていられないのか、果なき人生に露のごとき命を貪《むさぼ》って、こんな醜態をも厭わない情なさ、何という卑しき心であろう。
 前の牛もわが引く牛も今は落ちついて静かに歩む。二つ目より西には水も無いのである。手に足に気くばりが無くなって、考えは先から先へ進む。
 超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得《かいとく》し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身が、この醜態は情ない。たとい人に見らるるの憂いがないにせよ、余儀なき事の勢いに迫ったにせよ、あまりに蛮性の露出である。こんな事が奮闘であるならば、奮闘の価は卑しいといわねばならぬ。しかし心を卑しくするのと、体を卑しくするのと、いずれが卑しいかといえば、心を卑しくするの最も卑しむべきはいうまでも無いことである。そう思うて見ればわが今夜の醜態は、ただ体を卑しくしたのみで、心を卑しくしたとはいえないのであろうか。しかし、心を卑しくしないにせよ、体を卑しくしたその事の恥ずべきは少しも減ずる訳ではないのだ。
 先着の伴牛《ともうし》はしきりに友を呼んで鳴いている。わが引いている牛もそれに応じて一声高く鳴いた。自分は夢から覚《さ》めた心地《ここち》になって、覚えず手に持った鼻綱を引詰《ひきつ》めた。

       四

 水は一日に一寸か二寸しか減じない。五、六日経っても七寸とは減じていない。水に漬《つか》った一切《いっさい》の物いまだに手の着けようがない。その後も幾度《いくたび》か雨が降った。乳牛は露天《ろてん》に立って雨たたきにされている。同業者の消息もようやく判って来た。亀戸の某《なにがし》は十六頭殺した。太平《たいへい》町の某は十四頭を、大島町の某は犢《こうし》十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。
 疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごとく雨の音水の騒ぎである。最も懊悩に堪えないのは、実際雨が降って音の聞ゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨に濡れて露天に立っているのは考えるに堪えない苦しみである。何ともたとえようのない情《なさけ》なさである。自分が雨中を奔走するのはあえて苦痛とは思わないが、牛が雨を浴みつつ泥中に立っているのを見ては、言語にいえない切《せつ》なさを感ずるのである。
 若い衆は代り代り病気をする。水中の物もいつまで捨てては置けず、自分の為すべき事は無際限である。自分は日々朝|草鞋《わらじ》をはいて立ち、夜まで脱ぐ遑《いとま》がない。避難五日目にようやく牛の為に雨掩いができた。
 眼前の迫害が無くなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとしている。一度減じた量は決して元に恢復せぬのが常である。乳量が恢復せないで、妊孕《にんよう》の期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されて来ると、天災に反抗し奮闘したのも極めて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。
 生活の革命……八人の児女《じじょ》を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。
 残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。汝《なんじ》は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は即時に安心ができぬと答えた。いよいよ余儀ない場合に迫って、そうするより外に道が無かったならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の惨憺たる有様を想見するより外《ほか》に何らの答を為し得ない。
 一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰って来ないという。自分は蹶起《けっき》して乳搾《ちちしぼ》りに手をかさねばならぬ。天気がよければ家内らは運び来った濡れものの仕末に眼の廻るほど忙しい。
 家浮沈の問題たる前途の考えも、措《お》き難い目前の仕事に逐《お》われてはそのままになる。見舞の手紙見舞の人、一々応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見廻ることもある。夜は疲労して座に堪えなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覚え、その業に堪え難き思いがするものの、常よりも快美に進む食事を取りつつひとたび草鞋を踏みしめて起つならば、自分の四肢《しし》は凛《りん》として振動するのである。
 肉体に勇気が満ちてくれば、前途を考える悲観の観念もいつしか屏息《へいそく》して、愉快に奮闘ができるのは妙である。八人の児女《じじょ》があるという痛切な観念が、常に肉体を興奮せしめ、その苦痛を忘れしめるのか。
 あるいは鎌倉武士以来の関東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。
 破壊後の生活は、総《すべ》ての事が混乱している。思慮も考察も混乱している。精神の一張一緩ももとより混乱を免れない。
 自分は一日大道を闊歩しつつ、突然として思い浮んだ。自分の反抗的奮闘の精力が、これだけ強堅《きょうけん》であるならば、一切《いっさい》迷うことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの労働をすれば、何の苦労も心配もいらぬ事だ。今まで文芸などに遊んでおった身で、これが果してできるかと自問した。自分の心は無造作にできると明答した。文芸を三、四年間|放擲《ほうてき》してしまうのは、いささかの狐疑《こぎ》も要せぬ。
 肉体を安んじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神を安んずるのがよいか。こう考えて来て自分は愉快でたまらなくなった。われ知らず問題は解決したと独語《どくご》した。

       五

 水が減ずるに従って、後の始末もついて行く。運び残した財物も少くないから、夜を守る考えも起った。物置の天井に一坪に足らぬ場所を発見してここに蒲団を展《の》べ、自分はそこに横たわって見た。これならば夜をここに寝られぬ事もないと思ったが、ここへ眠ってしまえば少しも夜の守りにはならないと気づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた体を横たえて休息するには都合がよかった。
 人は境遇に支配されるものであるということだが、自分は僅かに一身《いっしん》を入るるに足る狭い所へ横臥して、ふと夢のような事を考えた。
 その昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるのを覚えてほとんど眠られなかった時、彼は嘆じていう。こういう風に互に心持よく円満に楽しいという事は、今後ひとたびといってもできないかも知れない、いっそ二人が今夜眠ったまま死んでしまったら、これに上越す幸福はないであろう。
 真《しん》にそれに相違ない。このまま苦もなく死ぬことができれば満足であるけれど、神様がわれわれにそういう幸福を許してくれないかも知れない、と自分もしんから嘆息したのであった。
 当時はただ一場の癡話として夢のごとき記憶に残ったのであるけれど、二十年後の今日それを極めて真面目《まじめ》に思い出したのはいかなる訳か。
 考えて見ると果してその夜のごとき感情を繰返した事は無かった。年一年と苦労が多く、子供は続々とできてくる。年中あくせくとして歳月の廻るに支配されている外に何らの能事《のうじ》も無い。次々と来る小災害のふせぎ、人を弔《とぶら》い己れを悲しむ消極的|営《いとな》みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。そうして遂に今度の大水害にこうして苦闘している。
 二人が相擁《あいよう》して死を語った以後二十年、実に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は苦しんでるのが常であるとはいかなる訳か。
 五十に近い身で、少年少女|一夕《いっせき》の癡談を真面目に回顧している今の境遇で、これをどう考えたらば、ここに幸福の光を発見することができるであろうか。この自分の境遇にはどこにも幸福の光が無いとすれば、一少女の癡談は大哲学であるといわねばならぬ。人間は苦しむだけ苦しまねば死ぬ事もできないのかと思うのは考えて見るのも厭だ。
 手伝いの人々がいつのまにか来て下に働いておった。屋根裏から顔を出して先生と呼ぶのは、水害以来毎日手伝いに来てくれる友人であった。
[#地から2字上げ](明治四十三年十一月)



底本:「野菊の墓」角川文庫、角川書店
   1966(昭和41)年3月20日初版発行
   1981(昭和56)年6月10日改版26刷発行
※「中《ちゅう》有」とあった底本のルビは、語句の成り立ちに照らして不適当であり、記号の付け間違いとの疑念も生じさせやすいと考え、「中有《ちゅうう》」とあらためました。
入力:大野晋
校正:松永正敏
2000年10月23日公開
2005年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。
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  • 火事とポチ
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  • 水害雑録
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  • 横川 よこがわ、か → 大横川
  • 大横川 おおよこがわ 東京都墨田区を流れる運河。東京都墨田区の業平橋付近で北十間川から分流し南へ流れる。竪川、小名木川、仙台堀川と交差し、横十間川を合わせる。江東区木場付近で西に流路を変え、大横川南川支川を分流し、平久川と交差する。江東区永代で大島川西支川を合わせ、その先で隅田川に合流する。/横川とも称した。
  • 天神川 → 横十間川か
  • 横十間川 よこじっけんがわ 東京都江東区を流れる運河であり、一級河川に指定されている。天神川や釜屋堀、横十間堀、横十間堀川ともよばれる。東京都江東区亀戸と墨田区業平の境界で北十間川から分かれ南へ流れる。ここから竪川が交差する点に至るまで、川の真ん中を墨田区と江東区の区境が走る。竪川を交差し、さらに小名木川と交差する。そこにはX字の小名木川クローバー橋が架かる。次に仙台堀川と交差した下流で西に流路を変え、江東区東陽で大横川に合流する。別名の天神川は、亀戸天神の横を流れることに由来する。
  • 竪川 たてかわ 東京都墨田区及び江東区を流れる人工河川。江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称となった。旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河。
  • 四ツ目 よつめ 現、墨田区江東橋五丁目。もと、本所茅場町一丁目。
  • 太平町 たいへいちょう 本所太平町か。
  • 本所太平町 ほんじょ たいへいちょう 現、墨田区太平。
  • 亀戸 かめいど 東京都江東区北東部の地区。
  • 両国 りょうごく 東京都墨田区、両国橋の東西両畔の地名。隅田川が古くは武蔵・下総両国の国界であったための称。
  • 回向院 えこういん 東京都墨田区両国にある浄土宗の寺。寺号は無縁寺。明暦の大火(1657年)の横死者を埋葬した無縁塚に開創。開山は増上寺の貴屋。1781年(天明1)以後境内に勧進相撲を興行したのが今日の大相撲の起源。
  • 本所 ほんじょ 東京都墨田区の一地区。もと東京市35区の一つ。隅田川東岸の低地。商工業地域。
  • 本所停車場
  • 竪川の河岸通り
  • 大島町 おおしまちょう 現、江東区永代二丁目。蛤町の南にある町屋。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)。




*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
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  • 火事とポチ
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  • 水害雑録
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  • 『万葉集』 まんようしゅう (万世に伝わるべき集、また万(よろず)の葉すなわち歌の集の意とも)現存最古の歌集。20巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで、約350年間の長歌・短歌・旋頭歌・仏足石歌体歌・連歌合わせて約4500首、漢文の詩・書翰なども収録。編集は大伴家持の手を経たものと考えられる。東歌・防人歌なども含み、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

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  • 火事とポチ
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  • ちがいだな 違い棚。2枚の棚板を左右から上下2段に食い違いに釣り、間に蝦束を入れた棚。天袋・池袋・地板を含めていう。床の間・書院などの脇に設ける。ちがえだな。
  • 唖 おし 口がきけないこと。口のきけない人。先天的または後天的に聴覚および言語能力を欠く者(聾唖)をいう。聴くことができても発音できない者(聴唖)もまれにある。唖者。おうし。
  • けんのん 険難・剣呑 (ケンナンの転という。「剣呑」は当て字)あやういこと。あやぶむこと。
  • 丹前 たんぜん (1) 厚く綿を入れた広袖風のもので、衣服の上におおうもの。「丹前風」から起こるという。江戸に始まり京坂に流行した。主として京坂での名称。江戸で「どてら」と称するもの。
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  • 水害雑録
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  • 係累・繋累 けいるい (1) つなぎしばること。つながること。(2) 身心を拘束するわずらわしい物事。(3) 特に、自分が世話すべき両親・妻子・兄弟など。
  • 一朝禍を踏む わざわいをふむ
  • 禍害 かがい 災難。わざわい。
  • 振作 しんさ/しんさく 勢いをふるいおこすこと。盛んにすること。振興。
  • 秒時 びょうじ 一秒の間。瞬時。一瞬の間。
  • 懊悩 おうのう なやみもだえること。また、そのさま。
  • 立ちしか間 → たちしく
  • たちしく 立ち重く 重なり立つ。(広辞苑)/立頻。波などが次から次へと休みなく立つ。
  • 中有 ちゅうう 〔仏〕四有の一つ。衆生が死んで次の生を受けるまでの間。期間は一念の間から7日あるいは不定ともいうが、日本では49日。この間、7日ごとに法事を行う。中陰。
  • 安臥 あんが 楽な姿勢で寝ること。
  • 晃々 こうこう 煌煌。きらきらひかるさま。ひかりかがやくさま。
  • 安居 あんご 〔仏〕(梵語、雨・雨期の意)僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること。普通、陰暦4月16日に始まり7月15日に終わる。雨安居・夏安居・夏行・夏籠・夏断などという。禅宗では冬にも安居がある。
  • 振蕩 しんとう (1) ふるい動く。「蕩」はゆらゆらとうごかす。(類)振動。(2) 非常に激しいさま。
  • 遅疑 ちぎ 疑い迷ってためらうこと。ぐずぐずして決行しないこと。
  • 高架鉄道 こうか てつどう 都会地などで、地上から高く支台を架設し、その上に敷設した鉄道。高架線。
  • 悵恨 ちょうこん なげきうらむこと。
  • 奔溢 ほんいつ
  • 嗟嘆・嗟歎 さたん (1) なげくこと。嗟咨。(2) 感心してほめること。嗟賞。
  • 尻声 しりごえ (1) ことばの終り。ことばじり。(2) 名前の下に付ける言葉。
  • 寥々 りょうりょう (1) ものさびしいさま。ひっそりしているさま。また、空虚なさま。寂寥。(2) 数の少ないさま。
  • 悔恨 かいこん 後悔して残念に思うこと。
  • 心安い こころやすい (1) 安心である。気がおけない。(2) 親しい間柄である。懇意である。(3) 容易である。簡単である。
  • 困臥 こんが くたびれて横になること。
  • 哀嘆 あいたん かなしみ嘆くこと。
  • 埒 らち (ラツとも) (1) 馬場の周囲の柵。
  • 超世 ちょうせ (チョウセイとも)世にすぐれ出ること。
  • 解得 かいとく (明治初期の語)理解し体得すること。
  • 余儀無い よぎない (1) 他にとるべき方法が無い。やむを得ない。(2) へだて心がない。他事ない。
  • 妊孕 にんよう みごもること。妊娠。
  • 屏息 へいそく (1) 息をころしてじっとしていること。(2) 転じて、恐れちぢまること。
  • 一張一緩
  • 大道 だいどう (2) (タイドウとも)人のふみ行うべき正しい道。根本の道徳。
  • 放擲・抛擲 ほうてき ほうり出すこと。なげうつこと。なげすてること。うちすてること。
  • 狐疑 こぎ (狐は疑い深い獣だといわれるところから)事に臨んで疑いためらうこと。
  • 能事 のうじ なすべき事柄。
  • 痴談


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『学研新漢和大字典』。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 PCモデムの接続金具が切断、ネット不通。作業には困らないが、アップができない。……さしあたり、まとめてひと月分ぐらいずつネットカフェを使うとするか。
 それから、タブレット購入か、それともフレッツ光か。

『福島県の歴史散歩』(山川出版社、2007.3)読了。  




*次週予告


第四巻 第三八号 特集・安達が原の黒塚
安達が原 / 八幡太郎  楠山正雄
安達が原の鬼婆々(他)喜田貞吉
安達が原の鬼婆々異考 中山太郎

第四巻 第三八号は、
二〇一二年四月一四日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第三七号
火事とポチ / 水害雑録 有島武郎・伊藤左千夫
発行:二〇一二年四月七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
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