石油ランプ
寺田寅彦
(この一編を書いたのは八月の末であった。九月一日の朝、最後の筆を加えた後に、これを状袋 に入れて、本誌に送るつもりで服のかくしに入れて外出した。途中であの地震に会って急いで帰ったので、とうとう出さずにしまっておいた。今取り出して読んでみると、今度の震災の予感とでもいったようなものが書いてある。それでわざとそのままに本誌にのせることにした。)
生活上のある必要から、近い田舎のさびしいところに小さな
電灯はその村に来ているが、わたしの家は民家とかなりかけ離れたところに孤立しているから、架線工事がすこし面倒であるのみならず、月に一度か二度くらいしか用のないのに、わざわざそれだけの手数と費用をかけるほどのこともない。やはり石油ランプの方が便利である。
それで家ができあがる少し前から、わたしはランプを売る店を注意してたずねていた。
散歩のついでにときどき本郷
ある店屋の主人は、銀座の
これは台所用として、ともかくも一つ求めることにした。
ロウソクにホヤをはめた
しかし何かのばあいの臨時の用にもと思って、これも一つ買うことにはした。
肝心の石油ランプはなかなか見つからなかった。粗末なのでよければ田舎へ行けばあるだろうとおもっていたが、いよいよあたってみると、都に近い田舎で電灯のないところは、いまどきもうどこにもなかった。したがってそういうさびしい村の雑貨店でも、神田本郷の店屋とまったく同様な反応しか得られなかった。
だんだんに意外と当惑の心持ちが増すにつれてわたしは、東京というところは案外に不便なところだという気がしてきた。
もし万一の自然の災害か、あるいは人間の故障、たとえば
これに限らず一体にわれわれは、平生あまりに現在の
人間はいつ死ぬかわからぬように、器械はいつ故障がおこるかわからない。ことに日本でできた品物にはごまかしが多いからなおさらである。
ランプが見つからない不平から、ついこんなことまで考えたりした。
そのうちに偶然ある人から、日本橋区のある町に石油ランプを売っている店があるということを教えられた。やっぱりないのではない、自分のさがし方が不充分なのであった。
ちょうど忙しい時であったから、家族を見せにやった。
その店は
どうして、わざわざそんな一時かぎりの用にしか立たないランプを製造しているのか。そういう品物がどういう種類の需要者によって、どういう目的のために要求されているかということを聞きただしてみたいような気がした。なぜもう少し、しっかりした、役に立つものを作らないのか要求しないのか。
この最後の疑問はしかし、おそらく現在のわが国の物質的のみならず精神的文化の種々の方面にあてはまるものかもしれない。この
二つ買ってきたランプの一つは、石油を入れてみると底のハンダ付けの
ランプの
このランプにくらべてみると、実際、アメリカ出来の台所用ランプはよくできている。粗末なようでも、急所がしっかりしている。すべてが使用の目的を明確に眼前に置いて設計され、製造されている。これに反して日本出来のは見かけのニッケル
ただアメリカ製のこの文化的ランプには、少なくも自分にとっては、一つ欠けたものがある。それを何と名づけていいか、今、ちょっと適当な言葉がみつからない。しかしそれはただこのランプにかぎらず、近ごろの多くの文化的何々と称するものにも共通して欠けているある物である。
それはいわゆる装飾でもない。
何と言ったらいいか。たとえば書物のページの余白のようなものか。それとも人間のからだでいえば、たとえば―
その後、軽井沢に避暑している友人の手紙の中に、かの
しかしそれも
(大正十三年(一九二四)一月『文化生活の基礎』)
底本:
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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流言蜚語
寺田寅彦長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく。そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花をガスの中で飛ばせる。すると、その火花のところではじまった燃焼が、次へ次へと
ところが水素の混合の割合があまり少なすぎるか、あるいは多すぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼がおこらない。もっとも火花のすぐそばでは、火花のために化学作用がおこるが、そういう作用が四方へ伝播しないで、そこかぎりですんでしまう。
流言
最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しないことはもちろんであるが、もしもそれを、つぎへつぎへと受けつぎ取りつぐべき媒質が存在しなければ「伝播」はおこらない。したがっていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場かぎりに立ち消えになってしまうことも明白である。
それでもしある機会に、東京市中にある流言蜚語の現象がおこなわれたとすれば、その責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない。ことによると、その九割以上も負わなければならないかもしれない。何とならば、ある特別な機会には、流言の源となりうべき小さな火花が、故意にも偶然にもいたるところに発生するということは、ほとんど必然な、不可抗的な自然現象であるとも考えられるから。そしてそういう場合にもし市民自身が伝播の媒質とならなければ、流言は決して有効に成立し得ないのだから。
「今夜の三時に大地震がある」という流言を発したものがあったと仮定する。もしもその町内の
大地震、大火事の最中に、暴徒がおこって東京じゅうの井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする。そのばあいに、市民の大多数が、仮につぎのようなことを考えてみたとしたら、どうだろう。
たとえば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだときに、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時にはたしてどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、もちろんまず毒薬の種類を仮定したうえで、その
仮にそれだけの用意があったと仮定したところで、それから先がなかなかたいへんである。何百人、あるいは何千人の暴徒にいちいち部署を定めて、毒薬を渡して、各方面に派遣しなければならない。これがなかなか時間を要する仕事である。さて、それができたとする。そうして一人一人に授けられた缶を背負って出かけたうえで、自分の受け持ち方面の井戸の
こんなことを考えてみれば、毒薬の流言を、全然信じないとまでは行かなくとも、少なくも
爆弾の話にしても同様である。市中の目ぼしい建物に片ッぱしから投げ込んで歩くために必要な爆弾の数量や人手を考えてみたら、少なくも山の手の貧しい屋敷町の人々の
もっとも、非常な天災などのばあいにそんな気楽な胸算用などをやる余裕があるものではないといわれるかもしれない。それはそうかもしれない。そうだとすれば、それはその市民に、本当の意味での
科学的常識というのは、なにも天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンのいろいろな種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もうすこし手近かなところに
もちろん、常識の判断はあてにはならないことが多い。科学的常識はなおさらである。しかし適当な科学的常識は、事に
(大正十三年(一九二四)九月『東京日日新聞』)
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1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
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時事雑感
寺田寅彦 煙突 男
ある紡績会社の労働争議に、若い肺病の男が工場の大
争議が解決して
こうして、この肺病の一労働青年は日本じゅうの人気男となり、その波動はまたおそらく世界じゅうの新聞に伝わったのであろう。
この男のしたことが何ゆえこれほどに人の心を動かしたかと考えてみた。新聞というものの勢力のせいもあるが、一つにはその所業がかなり独創的であって相手の伝統的対策を少なくも一時とまどいをさせた、そのオリジナリティに対する賛美に似たあるものと、もう一つには、その独創的計画をどこまでも遂行しようという耐久力の強さ、しかも病弱の
日本人には独創力がないという。また耐久力がないという。これはいかなる程度までの統計的事実であるかがわかりかねる。しかし少なくとも学術研究の方面で従来、この二つのものがあまり尊重されなかったことだけは疑いもない事実である。従来、だれもあまり問題にしなかったような題目をつかまえ、あるいは従来おこなわれなかった毛色の変わった研究方法を遂行しようとするものは、たいてい、だれからも相手にされないか、陰であるいはまともにバカにされるか、あるいは正面の壇上からしかられるにきまっている。そうしてそれにかまわず、いつまでもそれに執着していればおしまいには気ちがいあつかいにされ、その暗示に負けてほんとうの気ちがいになるか、あるいはどこからかの権威の力でさしとめをくい、手も足も出なくなってしまうということになっているようである。もっとも多くの場合に、このような独創力と耐久力を併有しているような種類の人間は、同時にその性状が
日本人の仕事は、それがある適当な条件をそなえたパッスを持つものでないかぎり、容易には海外の学界に認められにくい。そうして一度海外で認められて逆輸入されるまでは、なかなか日本の学界では認められないことになっている。海外の学界でもやはり国際的・封建的の感情があり、またいろいろな学閥があるので、ことに東洋人の独自の研究などはなかなか目をつけないのであるが、しかし、たとえ東洋人のでもそれがほんとうにいいものでさえあれば、ついにはそれを認めるということにならないほどに世界の学界は盲目ではないから、認められなくとも不平などおこさないで、きげんよく根気よく研究をつづけていけば、結局は立派なものになりうるであろう。多くの人からあんなつまらないことといわれるようなことがらでも深く深く研究していけば、案外、非常に重大で有益な結果が掘り出されうるものである。自然界は古いも新しいもなく、つまらぬものもつまるものもないのであって、それを研究する人の考えと方法が新しいか古いかなどが問題になるのである。最新型の器械を使って、最近流行の問題を流行の方法で研究するのがはたして新しいのか、古い問題を古い器械を使って、しかし新しい独自の見地から伝統を離れた方法で追究するのがはたして古いか、わからないのである。
今年、物理学上の功績によってノーベル賞をもらったインド人ラマンの経歴については自分はあまり確かなことを知らないが、人の話によると、インドの大学を卒業してから衣食のために銀行員の
もっとも、ラマンのまねをするつもりで、同じように古くさい問題ばかりコツコツと研究をしていれば、ついにはラマンと同じように新しい発見に到達するかといえば、そういうわけにはいかない。これもたしかである。ただ、たまにはラマンのような例もあるから、われわれはそういう毛色の変わった学者たちも気長い目で
この世界的物理学者の話と、
それでもし
オリジナリティのないと称せらるる国の昔話に、人まねをいましめる説話の多いのも興味のあることである。
それから、また労働争議というはなはだオリジナルでない運動の中から、こういう個性的にオリジナルなものが出現して
金曜日
総理大臣が乱暴な若者に
ある特定のことがらが三回、相互に無関係におこるとする。そうしてそのおのおのが七曜日のいずれにおこる確率も均等であると仮定すれば、三度続けて金曜日におこるという確率は七分の一の三乗すなわち三四三分の一である。しかしこれはまた、木曜が三度くる確率とも同じであり、また任意の他の組み合わせ、たとえば「木金土」
三四三のばあいの中で「同じ」名前の三つ続くばあいは七種、これに対して「三つとも同じではない」ばあいが三三六種、したがって二つの場合の種別数の比は一対四十八である。人々の不思議はこの対比からくることはあきらかである。
三つ同じという場合だけを特に取り出して一方にまつりあげ、同じでないというのを十
現在の「金曜三つ」のばあいでも、人々は通例同様の事件でしかも金曜以外の日におこったのは、はじめから捨ててしまって問題にしないのである。そうして金曜におこったのだけを拾い出して並べて不思議がるのが通例である。この点が科学者の目で見たときに、すこしおかしく思われるのである。今度のばあいが偶然ノトリアスに有名な「金曜」すなわち
これと
わたしは過去十何年の間、ほとんど毎週のように金曜日には、
これもやはり、他の多くのばあいと同様に、自分の注目し期待する特定のばあいの記憶だけが蓄積され、これにあたらない場合はぜんぜん忘れられるか、あるいは採点を低くして値ぶみされるためかもしれない。しかしかならずしもそういう心理的の事実のみではなくて、実際に科学的な説明がいくぶんかつけ得られるかもしれない。それは気圧変化にほぼ一週間に近い周期あるいは擬似的周期の現われることがしばしばあるからである。
朝鮮で三寒四温という言葉があるそうで、これはまさに七日の周期を暗示する。自分が先年、東京における冬季の日々の気圧を曲線にして見たときに、著しい七日ぐらいの周期を見たことがある。これについてはすでに専門家のまじめな研究もあるようであるから、ときどき同じ週日に同じ天気がめぐってきても、これはそれほど不思議ではないわけである。
深川の研究所が市の西郊に移転した。この新築へ初めて出かけた金曜日が雨、それから四週間か五週間つづけて金曜は天気が悪かった。
地震国防
震央に近い町村の被害は、なかなか三島の比ではないらしい。災害地の人々を思うときに
軍縮問題が一時、国内の耳目を
大正十二年(一九二三)の大震災は、帝都と関東地方にかぎられていた。今度のは
このおそろしい強敵に備える軍備はどれだけあるか。政府がこれに対してどれだけの予算を組んでいるかと人に聞いてみてもよくわからない。ただ、きわめて少数な学者たちが熱心に地震の現象とその生因ならびにこれによる災害防止の研究に従事している。そうしてじつに
今度の
アリの巣を突きくずすと大騒ぎがはじまる。しばらくすると復興事業がはじまって、いつのまにかもとのように立派な都市ができる。もういっぺん突きくずしてもまた同様である。アリにはそうするよりほかに道がないであろう。
人間も、何度同じ災害にあっても決して
昔の為政者の中には、まじめに百年後のことを心配したものもあったようである。そういう時代に、もし地震学が現在の程度ぐらいまで進んでいたとしたら、その子孫たる現在のわれわれは地震に対してもうすこし安全であったであろう。今の世で百年後の心配をするものがあるとしたら、おそらくは地震学者ぐらいのものであろう。国民自身も今のようなスピード時代ではとうてい百年後の子孫の安否まで考える
昔シナに妙な苦労性の男がいて、天が落ちてくると言ってたいそう心配し、とうとう神経衰弱になったとかいう話を聞いた。この話はことによると、ちょうど自分のような人間の悪口をいうために作られたかもしれない。この話をして笑う人の真意は、天が落ちないというのではなくて、天は落ちるかもしれないが、しかし「いつ」かがわからないからというのであろう。
三島の町を歩いていたら、向こうから兵隊さんが二、三人やってきた。今はじめてこの町へ入ってきて、そうしてはじめてつぶれ家のある地帯にさしかかったところであった。その中の一人が「おもしろいな。ウム、こりゃあ、おもしろいな」と言ってしきりに感心していた。この「おもしろいな」というのは決して悪意に解釈してはならないと思った。この「おもしろいな」が数千年の間にわれらの祖先が受けてきた試練の総勘定であるかもしれない。そのおかげで帝都の復興が立派にできて、そうして七年後の今日における円タクの
三島の町の復旧工事の早いのにもおどろいた。この様子では半月もたった後にきて見たら、もう災害の
三島神社の近くで、だいぶゆすぶられたらしい小さなシナ料理店から強大な蓄音機演奏の音波の流れ出すのが聞こえた。レコードは
帰りの汽車で夕日の富士をあおいだ。富士の噴火は近いところで一五一一、一五六〇、一七〇〇から八、最後に一七九二年にあった。今後いつまた活動を始めるか、それとももう永久に休息するか、神様にもわかるまい。しかし十六世紀にも十八世紀にも活動したものが二十世紀の千九百何十年かにまた活動をはじめないと保証しうる学者もないであろう。こんなことを考えながら、うとうとしているうちに日が暮れた。
自分もどこかの
汽車が東京へ入って高架線にかかると、美しい光の海が眼下に
五月に入ってから、防火演習や防空演習などがにぎにぎしくおこなわれる。
(昭和六年(一九三一)一月、『中央公論』)
底本:
1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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石油ランプ
寺田寅彦-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)小さな隠《かく》れ家《が》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ランプの心《しん》は一|把《わ》でなくては売らない
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
-------------------------------------------------------
[#ここから2字下げ]
(この一篇を書いたのは八月の末であった。九月一日の朝、最後の筆を加えた後に、これを状袋に入れて、本誌に送るつもりで服のかくしに入れて外出した。途中であの地震に会って急いで帰ったので、とうとう出さずにしまっておいた。今取出して読んでみると、今度の震災の予感とでも云ったようなものが書いてある。それでわざとそのままに本誌にのせる事にした。)
[#ここで字下げ終わり]
生活上のある必要から、近い田舎の淋しい処に小さな隠《かく》れ家《が》を設けた。大方は休日などの朝出かけて行って、夕方はもう東京の家へ帰って来る事にしてある。しかしどうかすると一晩くらいそこで泊るような必要が起るかもしれない。そうすると夜の燈火の用意が要る。
電燈はその村に来ているが、私の家は民家とかなりかけ離れた処に孤立しているから、架線工事が少し面倒であるのみならず、月に一度か二度くらいしか用のないのに、わざわざそれだけの手数と費用をかけるほどの事もない。やはり石油ランプの方が便利である。
それで家が出来上がる少し前から、私はランプを売る店を注意して尋ねていた。
散歩のついでに時々本郷神田辺のガラス屋などを聞いて歩いたが、どこの店にも持合わせなかった。それらの店の店員や主人は「石油ランプはドーモ……」と、特に「は」の字にアクセントをおいて云って、当惑そうな、あるいは気の毒そうな表情をした。傍で聞いている小店員の中には顔を見合せてニヤニヤ笑っているのもあった。おそらくこれらの店の人にとって、今頃石油ランプの事などを顧客に聞かれるのは、とうの昔に死んだ祖父の事を、戸籍調べの巡査に聞かれるような気でもする事だろう。
ある店屋の主人は、銀座の十一屋《じゅういちや》にでも行ったらあるかも居〔知〕れないと云って注意してくれた。散歩のついでに行って見ると、なるほどあるにはあった。米国製でなかなか丈夫に出来ていて、ちょっとくらい投《ほう》り出しても壊れそうもない、またどんな強い風にも消えそうもない、実用的には申し分のなさそうな品である。それだけに、どうも座敷用または書卓用としては、あまりに殺風景なような気がした。
これは台所用としてともかくも一つ求める事にした。
蝋燭《ろうそく》にホヤをはめた燭台《しょくだい》や手燭《てしょく》もあったが、これは明るさが不充分なばかりでなく、何となく一時の間に合せの燈火だというような気がする。それにランプの焔はどこかしっかりした底力をもっているのに反して、蝋燭の焔は云わば根のない浮草のように果敢《はか》ない弱い感じがある。その上にだんだんに燃え縮まって行くという自覚は何となく私を落着かせない。私は蝋燭の光の下で落着いて仕事に没頭する気にはなれないように思う。
しかし何かの場合の臨時の用にもと思ってこれも一つ買う事にはした。
肝心の石油ランプはなかなか見付からなかった。粗末なのでよければ田舎へ行けばあるだろうとおもっていたが、いよいよあたって見ると、都に近い田舎で電燈のない処は今時もうどこにもなかった。従ってそういう淋しい村の雑貨店でも、神田本郷の店屋と全く同様な反応しか得られなかった。
だんだんに意外と当惑の心持が増すにつれて私は、東京という処は案外に不便な処だという気がして来た。
もし万一の自然の災害か、あるいは人間の故障、例えば同盟罷業《どうめいひぎょう》やなにかのために、電流の供給が中絶するような場合が起ったらどうだろうという気もした。そういう事は非常に稀な事とも思われなかった。一晩くらいなら蝋燭で間に合せるにしても、もし数日も続いたら誰もランプが欲しくなりはしないだろうか。
これに限らず一体に吾々は平生あまりに現在の脆弱《ぜいじゃく》な文明的設備に信頼し過ぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流や瓦斯《ガス》の供給が絶たれて狼狽する事はあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっと甚だしい、もっと永続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にある事は考えない。
人間はいつ死ぬか分らぬように器械はいつ故障が起るか分らない。殊に日本で出来た品物には誤魔化《ごまか》しが多いから猶更である。
ランプが見付からない不平から、ついこんな事まで考えたりした。
そのうちに偶然ある人から日本橋区のある町に石油ランプを売っている店があるという事を教えられた。やっぱり無いのではない、自分の捜し方が不充分なのであった。
丁度忙しい時であったから家族を見せに遣《や》った。
その店は卸し屋で小売はしないのであったが、強いて頼んで二つだけ売ってもらったそうである。どうやらランプの体裁だけはしている。しかし非常に粗末な薄っぺらな品である。店屋の人自身がこれはほんのその時きりのものですから永持ちはしませんよと云って断っていたそうである。
どうして、わざわざそんな一時限りの用にしか立たないランプを製造しているのか。そういう品物がどういう種類の需要者によって、どういう目的のために要求されているかという事を聞きただしてみたいような気がした。何故もう少し、しっかりした、役に立つものを作らないのか要求しないのか。
この最後の疑問はしかしおそらく現在の我国の物質的のみならず精神的文化の種々の方面に当て嵌《は》まるものかもしれない。この間に合せのランプはただそれの一つの象徴であるかもしれない。
二つ買って来たランプの一つは、石油を入れてみると底のハンダ付けの隙間から油が泌《し》み出して用をなさない。これでは一時の用にも立ちかねる。これはランプではない。つまりランプの外観だけを備えた玩具か標本に過ぎない。
ランプの心《しん》は一|把《わ》でなくては売らないというので、一把百何十本買って来た。おそらく生涯使っても使いきれまい。自分の宅《うち》でこれだけ充実した未来への準備は外にはないだろうと思っている。しかしランプの方の保存期限が心の一本の寿命よりも短いのだとすると心細い。
このランプに比べてみると、実際アメリカ出来の台所用ランプはよく出来ている。粗末なようでも、急所がしっかりしている。すべてが使用の目的を明確に眼前に置いて設計され製造されている。これに反して日本出来のは見掛けのニッケル鍍金《めっき》などに無用な骨を折って、使用の方からは根本的な、油の漏れないという事の注意さえ忘れている。
ただアメリカ製のこの文化的ランプには、少なくも自分にとっては、一つ欠けたものがある。それを何と名づけていいか、今ちょっと適当な言葉が見付からない。しかしそれはただこのランプに限らず、近頃の多くの文化的何々と称するものにも共通して欠けているある物である。
それはいわゆる装飾でもない。
何と云ったらいいか。例えば書物の頁の余白のようなものか。それとも人間のからだで云えば、例えば――まあ「耳たぶ」か何かのようなものかもしれない。耳たぶは、あってもなくても、別に差支えはない。しかしなくてはやっぱり物足りない。
その後軽井沢に避暑している友人の手紙の中に、彼地《かのち》でランプを売っている店を見たと云ってわざわざ知らせてくれた。また郷里へ注文して取寄せてやろうかと云ってくれる人もあった。しかしせっかく遠方から取寄せても、それが私の要求に応じるものでなかったら困ると思って、そのままにしてある。どうせ取寄せるなら、どこか、イギリス辺の片田舎からでも取寄せたら、そうしたらあるいは私の思っているようなものが得られそうな気がする。
しかしそれも面倒である。結局私はこの油の漏れる和製の文化的ランプをハンダ付けでもして修繕して、どうにか間に合わせて、それで我慢する外はなさそうである。
[#地から1字上げ](大正十三年一月『文化生活の基礎』)
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
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流言蜚語
寺田寅彦-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)火花を瓦斯《ガス》の中で飛ばせる
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)流言|蜚語《ひご》の伝播
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十三年九月『東京日日新聞』)
-------------------------------------------------------
長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯《ガス》の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播《でんぱ》して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。
ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼が起らない。尤も火花のすぐそばでは、火花のために化学作用が起るが、そういう作用が、四方へ伝播しないで、そこ限りですんでしまう。
流言|蜚語《ひご》の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。
最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなければ「伝播」は起らない。従っていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場限りに立ち消えになってしまう事も明白である。
それで、もし、ある機会に、東京市中に、ある流言蜚語の現象が行われたとすれば、その責任の少なくも半分は市民自身が負わなければならない。事によるとその九割以上も負わなければならないかもしれない。何とならば、ある特別な機会には、流言の源となり得べき小さな火花が、故意にも偶然にも到る処に発生するという事は、ほとんど必然な、不可抗的な自然現象であるとも考えられるから。そしてそういう場合にもし市民自身が伝播の媒質とならなければ流言は決して有効に成立し得ないのだから。
「今夜の三時に大地震がある」という流言を発したものがあったと仮定する。もしもその町内の親爺株《おやじかぶ》の人の例えば三割でもが、そんな精密な地震予知の不可能だという現在の事実を確実に知っていたなら、そのような流言の卵は孵化《かえ》らないで腐ってしまうだろう。これに反して、もしそういう流言が、有効に伝播したとしたら、どうだろう。それは、このような明白な事実を確実に知っている人が如何に少数であるかという事を示す証拠と見られても仕方がない。
大地震、大火事の最中に、暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする。その場合に、市民の大多数が、仮りに次のような事を考えてみたとしたら、どうだろう。
例えば市中の井戸の一割に毒薬を投ずると仮定する。そうして、その井戸水を一人の人間が一度飲んだ時に、その人を殺すか、ひどい目に逢わせるに充分なだけの濃度にその毒薬を混ずるとする。そうした時に果してどれだけの分量の毒薬を要するだろうか。この問題に的確に答えるためには、勿論まず毒薬の種類を仮定した上で、その極量《きょくりょう》を推定し、また一人が一日に飲む水の量や、井戸水の平均全量や、市中の井戸の総数や、そういうものの概略な数値を知らなければならない。しかし、いわゆる科学的常識というものからくる漠然とした概念的の推算をしてみただけでも、それが如何に多大な分量を要するだろうかという想像ぐらいはつくだろうと思われる。いずれにしても、暴徒は、地震前からかなり大きな毒薬のストックをもっていたと考えなければならない。そういう事は有り得ない事ではないかもしれないが、少しおかしい事である。
仮りにそれだけの用意があったと仮定したところで、それからさきがなかなか大変である。何百人、あるいは何千人の暴徒に一々部署を定めて、毒薬を渡して、各方面に派遣しなければならない。これがなかなか時間を要する仕事である。さてそれが出来たとする。そうして一人一人に授けられた缶を背負って出掛けた上で、自分の受持方面の井戸の在所《ありか》を捜して歩かなければならない。井戸を見付けて、それから人の見ない機会をねらって、いよいよ投下する。しかし有効にやるためにはおおよその井戸水の分量を見積ってその上で投入の分量を加減しなければならない。そうして、それを投入した上で、よく溶解し混和するようにかき交ぜなければならない。考えてみるとこれはなかなか大変な仕事である。
こんな事を考えてみれば、毒薬の流言を、全然信じないとまでは行かなくとも、少なくも銘々の自宅の井戸についての恐ろしさはいくらか減じはしないだろうか。
爆弾の話にしても同様である。市中の目ぼしい建物に片ッぱしから投げ込んであるくために必要な爆弾の数量や人手を考えてみたら、少なくも山の手の貧しい屋敷町の人々の軒並に破裂しでもするような過度の恐慌を惹き起さなくてもすむ事である。
尤も、非常な天災などの場合にそんな気楽な胸算用などをやる余裕があるものではないといわれるかもしれない。それはそうかもしれない。そうだとすれば、それはその市民に、本当の意味での活きた科学的常識が欠乏しているという事を示すものではあるまいか。
科学的常識というのは、何も、天王星の距離を暗記していたり、ヴィタミンの色々な種類を心得ていたりするだけではないだろうと思う。もう少し手近なところに活きて働くべき、判断の標準になるべきものでなければなるまいと思う。
勿論、常識の判断はあてにはならない事が多い。科学的常識は猶更《なおさら》である。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察《せいさつ》の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝《さら》す事なくて済みはしないかと思われるのである。
[#地から1字上げ](大正十三年九月『東京日日新聞』)
底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店
1997(平成9)年6月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:noriko saito
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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時事雑感
寺田寅彦-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)茫然《ぼうぜん》と口をあいて
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)古色|蒼然《そうぜん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和六年一月、中央公論)
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煙突男
ある紡績会社の労働争議に、若い肺病の男が工場の大煙突の頂上に登って赤旗を翻し演説をしたのみならず、頂上に百何十時間居すわってなんと言ってもおりなかった。だんだん見物人が多くなって、わざわざ遠方から汽車で見物に来る人さえできたので、おしまいにはそれを相手の屋台店が出たりした。これに関する新聞記事はおりからの陸軍大演習のそれと相交錯して天下の耳目をそばだたせた。宗教も道徳も哲学も科学も法律もみんなただ茫然《ぼうぜん》と口をあいてこの煙突の空の一個の人影をながめるのであった。
争議が解決して煙突男が再び地上におりた翌日の朝私はいつも行くある研究所へ行った。ちょうど若い軍人たちがおおぜいで見学に来ていたが、四階屋上の露台から下を見おろしている同僚の一群を下の連中が見上げながら大声で何かからかっている。「おうい、もう争議は解決したぞ、おりろおりろ」というのが聞こえた。その後ある大学の運動会では余興の作りものの中にやはりこの煙突男のおどけた人形が喝采《かっさい》を博した。
こうしてこの肺病の一労働青年は日本じゅうの人気男となり、その波動はまたおそらく世界じゅうの新聞に伝わったのであろう。
この男のした事が何ゆえこれほどに人の心を動かしたかと考えてみた。新聞というものの勢力のせいもあるが、一つにはその所業がかなり独創的であって相手の伝統的対策を少なくも一時戸まどいをさせた、そのオリジナリティに対する賛美に似たあるものと、もう一つには、その独創的計画をどこまでも遂行しようという耐久力の強さ、しかも病弱の体躯《たいく》を寒い上空の風雨にさらし、おまけに渦巻《うずま》く煤煙《ばいえん》の余波にむせびながら、飢渇や甘言の誘惑と戦っておしまいまで決意を翻さなかったその強さに対する嘆賞に似たあるものとが、おのずから多くの人の心に共通に感ぜられたからであろうと思われる。しかし一方ではまた彼が不治の病気を自覚して死に所を求めていたに過ぎないのだと言い、あるいは一種の気違いの所業だとして簡単に解釈をつけ、そうしてこの所業の価値を安く踏もうとする人もあるであろう。そういう見方にも半面の真理はあるかもしれない。そういう批判などはどうでもいいが、私はこの煙突男の新聞記事を読みながら、ふと「これが紡績会社の労働者でなくて、自分の研究室の一員であったとしたら」と考えてみた。ともかくもだれのまねでもない、そうしてはなはだ合目的なこの一つの所行を、自分の頭で考えついて、そうしてあらゆる困難と戦ってそれをおしまいまで遂行することのできる人間が、もし充分な素養と資料とを与えられて、そうして自由にある専門の科学研究に従事することができたら、どんな立派な仕事ができるかもしれないという気がした。もちろんちょっとそういう気がしただけである。
日本人には独創力がないという。また耐久力がないという。これはいかなる程度までの統計的事実であるかがわかりかねる。しかし少なくとも学術研究の方面で従来この二つのものがあまり尊重されなかったことだけは疑いもない事実である。従来だれもあまり問題にしなかったような題目をつかまえ、あるいは従来行なわれなかった毛色の変わった研究方法を遂行しようとするものは、たいていだれからも相手にされないか、陰であるいはまともにばかにされるか、あるいは正面の壇上からしかられるにきまっている。そうしてそれにかまわずいつまでもそれに執着していればおしまいには気違い扱いにされ、その暗示に負けてほんとうの気違いになるか、あるいはどこからかの権威の力で差しとめを食い手も足も出なくなってしまうという事になっているようである。もっとも多くの場合にこのような独創力と耐久力を併有しているような種類の人間は、同時にその性状が奇矯《ききょう》で頑強《がんきょう》である場合が多いから、学者と言っても同じく人間であるところの同学や先輩の感情を害することが多いという事実も争われないのである。そういう風変わりな学者の逆境に沈むのは誠にやむを得ないことかもしれない。そうして、またそういう独創的な仕事の常として「きずだらけの玉」といったようなものが多いから、アカデミックな立場から批評してそのきずだけを指摘すればこれを葬り去るのは赤子の手をねじ上げるよりも容易である。そうしてみがけば輝くべき天下の美玉が塵塚《ちりづか》に埋められるのである。これも人間的自然現象の一つでどうにもならないかもしれない。しかしそういう場合に、もし感情は感情として、ほんとうの学問のために冷静な判断を下し、泥土《でいど》によごれた玉を認めることができたら、世界の、あるいはわが国の学問ももう少しどうにかなるかもしれない。
日本人の仕事は、それがある適当な条件を備えたパッスを持つものでない限り容易には海外の学界に認められにくい。そうして一度海外で認められて逆輸入されるまではなかなか日本の学界では認められないことになっている。海外の学界でもやはり国際的封建的の感情があり、またいろいろな学閥があるので、ことに東洋人の独自の研究などはなかなか目をつけないのであるが、しかしたとえ東洋人のでもそれがほんとうにいいものでさえあれば、ついにはそれを認めるということにならないほどに世界の学界は盲目ではないから、認められなくとも不平など起こさないで、きげんよく根気よく研究をつづけて行けば結局は立派なものになりうるであろう。多くの人からあんなつまらないことと言われるような事がらでも深く深く研究して行けば、案外非常に重大で有益な結果が掘り出されうるものである。自然界は古いも新しいもなく、つまらぬものもつまるものもないのであって、それを研究する人の考えと方法が新しいか古いか等が問題になるのである。最新型の器械を使って、最近流行の問題を、流行の方法で研究するのがはたして新しいのか、古い問題を古い器械を使って、しかし新しい独自の見地から伝統を離れた方法で追究するのがはたして古いかわからないのである。
今年物理学上の功績によってノーベル賞をもらったインド人ラマンの経歴については自分はあまり確かな事を知らないが、人の話によると、インドの大学を卒業してから衣食のために銀行員の下っぱかなんかを勤めながら、楽しみにケンブリッジのマセマチカル・トライポスの問題などを解いて英国の学者に見てもらったりしていた。そんな事から見いだされてカルカッタ大学の一員になったのが踏み出しだそうである。始めのうちは振動の問題や海の色の問題や、ともかくも見たところあまり先端的でない、新しがり屋に言わせれば、いわゆる古色|蒼然《そうぜん》たる問題を、自分だけはおもしろそうにこつこつとやっていた。しかし彼の古いティンダル効果の研究はいつのまにか現在物理学の前線へ向かってひそかにからめ手から近づきつつあった。研究資金にあまり恵まれなかった彼は「分光器が一つあるといいがなあ」と嘆息していた。そうして、やっと分光器が手に入って実験を始めるとまもなく一つの「発見」を拾い上げた。それは今日彼の名によって「ラマン効果」と呼ばれるものである。田舎《いなか》から出て来たばかりの田吾作《たごさく》が一躍して帝都の檜舞台《ひのきぶたい》の立て役者になったようなものである。そうして物理学者としての最高の栄冠が自然にこの東洋学者の頭上を飾ることになってしまった。思うにこの人もやはり少し変わった人である。多数の人の血眼になっていきせき追っかけるいわゆる先端的前線などは、てんでかまわないような顔をしてのんきそうに骨董《こっとう》いじりをしているように見えていた。そうして思いもかけぬ間道を先くぐりして突然|前哨《ぜんしょう》の面前に顔を突き出して笑っているようなところがある。
もっとも、ラマンのまねをするつもりで、同じように古くさい問題ばかりこつこつと研究をしていれば、ついにはラマンと同じように新しい発見に到達するかといえば、そういうわけには行かない。これも確かである。ただたまにはラマンのような例もあるから、われわれはそういう毛色の変わった学者たちも気長い目で守り立てたいと思うのである。
この世界的物理学者の話と、川崎《かわさき》の煙突男の話とにはなんら直接の関係はない。前者は賞をもらったが、後者は家宅侵入罪その他で告発されるという話である。これはたいへんな相違である。ただ二人の似ているのは人まねでないということと、根気のいいという点だけである。
それでもし煙突男の所業のまねをしたら、そのまねという事自身が人のまねをしない煙突男のまねではなくなるということになる。のみならず、昔話のまね爺《じじい》と同様によほどひどい目にあうのが落ちであろう。
オリジナリティの無いと称せらるる国の昔話に人まねを戒める説話の多いのも興味のあることである。
それから、また労働争議というはなはだオリジナルでない運動の中からこういう個性的にオリジナルなものが出現して喝采《かっさい》を博したのもまた一つの不思議な現象と言わなければならない。
金曜日
総理大臣が乱暴な若者に狙撃《そげき》された。それが金曜日であった。前にある首相が同じ駅で刺されたのが金曜日、その以前に某が殺されたのも金曜日であった。不思議な暗合であるというような話がもてはやされたようである。実際そう言われればだれでもちょっと不思議な気がしないわけには行かないであろう。
ある特定の事がらが三回相互に無関係に起こるとする。そうしてそのおのおのが七曜日のいずれに起こる確率も均等であると仮定すれば、三度続けて金曜日に起こるという確率は七分の一の三乗すなわち三百四十三分の一である。しかしこれはまた、木曜が三度来る確率とも同じであり、また任意の他の組み合わせたとえば、「木金土」、「月水金」……となるのとも同じである。しかしもしこれがたとえば木金土という組み合わせで起こったとしたら、だれも不思議ともなんとも思わないであろう。それだのに、同じ珍しさの「金金金」を人は何ゆえ不思議がるであろうか。
三百四十三の場合の中で「同じ」名前の三つ続く場合は七種、これに対して「三つとも同じではない」場合が三百三十六種、従って二つの場合の種別数の比は一対四十八である。人々の不思議はこの対比から来ることは明らかである。
三つ同じという場合だけを特に取り出して一方に祭り上げ、同じでないというのを十|把《ぱ》ひとからげに安く踏んで同じ所へ押し込んでしまうということは、抽象的な立場からは無意味であるにかかわらず人間的な立場からはいろいろの深い意味があるように思われる。これを少し突っ込んで考えて行くとずいぶん重大な問題に触れて来るようである。しかし今それをここで取り扱おうというのではない。
現在の「金曜三つ」の場合でも、人々は通例同様の事件でしかも金曜以外の日に起こったのは、はじめから捨ててしまって問題にしないのである。そうして金曜に起こったのだけを拾い出して並べて不思議がるのが通例である。この点が科学者の目で見た時に少しおかしく思われるのである。今度の場合が偶然ノトリアスに有名な「金曜」すなわち耶蘇《やそ》の「金曜」であったので、それで、「曜」が問題になり、前の首相の場合を当たってみると、それがちょうどまた金曜であった。そうして過去の中からもう一つの「金曜」が拾い出されたというのが、実際の過程であろう。
これと似通《にかよ》っていて、しかも本質的にだいぶ違う「金曜日」の例が一つある。
私は過去十何年の間、ほとんど毎週のように金曜日には、深川《ふかがわ》の某研究所に通《かよ》って来た。電車がずいぶん長くかかるのに、電車をおりてからの道がかなりあって、しかもそれがあまり感じのよくない道路である。それで特に雨の降る日などは、この金曜日が一倍苦になるのであった。ところが妙なことには、どうかして金曜日に雨のふるまわりが来ると、来る週も来る週も金曜日というと雨が降る。前日まではいい天気だと思うていると、金曜の朝はもう降っているか、さもなくば行きには晴れであったのが帰りが雨になる。こういうことをしばしば感じるのである。そうかと思うとまた天気のいい金曜が続きだすとそれが幾週となく継続することもあるように思われた。もちろん他の週日に降る降らぬは全く度外視しての話である。
これもやはり、他の多くの場合と同様に自分の注目し期待する特定の場合の記憶だけが蓄積され、これにあたらない場合は全然忘れられるかあるいは採点を低くして値踏みされるためかもしれない。しかし必ずしもそういう心理的の事実のみではなくて、実際に科学的な説明がいくぶんか付け得られるかもしれない。それは気圧変化にほぼ一週間に近い週期あるいは擬似的週期の現われることがしばしばあるからである。
朝鮮で三寒四温という言葉があるそうで、これはまさに七日の週期を暗示する。自分が先年、東京における冬季の日々の気圧を曲線にして見たときに著しい七日ぐらいの週期を見たことがある。これについてはすでに専門家のまじめな研究もあるようであるから、時々同じ週日に同じ天気がめぐって来ても、これはそれほど不思議ではないわけである。
深川の研究所が市の西郊に移転した。この新築へ初めて出かけた金曜日が雨、それから四週間か五週間つづけて金曜は天気が悪かった。耶蘇《やそ》のたたりが千九百三十年後の東洋の田舎《いなか》まで追究しているのかと冗談を言ったりした。ところがやっと天気のいい金曜の回りがやって来て、それから数週間はずっとつづいた。そうしたある美しい金曜日の昼食時に美しい日光のさした二階食堂でその朝突発した首相遭難のことを聞き知った。それからもいまだに好晴の金曜がつづいている。昼食後に研究所の屋上へ上がって武蔵野《むさしの》の秋をながめながら、それにしてももう一ぺん金曜日の不思議をよく考え直してみなければならぬと思うのである。
地震国防
伊豆《いず》地方が強震に襲われた。四日目に日帰りで三島町《みしままち》まで見学に出かけた。三島駅でおりて見たが瓦《かわら》が少し落ちた家があるくらいでたいした損害はないように見えた。平和な小春日がのどかに野を照らしていた。三島町へはいってもいっこう強震のあったらしい様子がないので不審に思っていると突然に倒壊家屋の一群にぶつかってなるほどと合点《がてん》が行った。町の地図を三十銭で買って赤青の鉛筆で倒れ屋と安全な家との分布をしるして歩いてみた。がんじょうそうな家がくちゃくちゃにつぶれている隣に元来のぼろ家が平気でいたりする。そうかと思うとぼろ家がつぶれて丈夫そうな家がちゃんとしているという当然すぎるような例もある。つぶれ家はだいたい蛇《へび》のようにうねった線上にあたる区域に限られているように見えた。地震の割れ目か、昔の川床か、もっとよく調べてみなければ確かな事はわからない。線にあたった人はふしあわせというほかはない。科学も今のところそれ以上の説明はできない。
震央に近い町村の被害はなかなか三島の比ではないらしい。災害地の人々を思うときにあすはたが身の上ということに考え及ばないではいられない。
軍縮問題が一時国内の耳目を聳動《しょうどう》した。問題は一に国防の充実いかんにかかっている。陸海軍当局者が仮想敵国の襲来を予想して憂慮するのももっともな事である。これと同じように平生地震というものの災害を調べているものの目から見ると、この恐るべき強敵に対する国防のあまりに手薄すぎるのが心配にならないわけには行かない。戦争のほうは会議でいくらか延期されるかもしれないが、地震とは相談ができない。
大正十二年の大震災は帝都と関東地方に限られていた。今度のは箱根《はこね》から伊豆《いず》へかけての一帯の地に限られている。いつでもこの程度ですむかというとそうは限らないようである。安政元年十一月四日五日六日にわたる地震には東海《とうかい》、東山《とうさん》、北陸《ほくりく》、山陽《さんよう》、山陰《さんいん》、南海《なんかい》、西海《さいかい》諸道《しょどう》ことごとく震動し、災害地帯はあるいは続きあるいは断えてはまた続いてこれらの諸道に分布し、至るところの沿岸には恐ろしい津波が押し寄せ、震水火による死者三千数百、家屋の損失数万をもって数えられた。これとよく似たのが宝永四年にもあった。こういう大規模の大地震に比べると先年の関東地震などはむしろ局部的なものとも言える。今後いつかまたこの大規模地震が来たとする。そうして東京、横浜《よこはま》、沼津《ぬまづ》、静岡《しずおか》、浜松《はままつ》、名古屋《なごや》、大阪《おおさか》、神戸《こうべ》、岡山《おかやま》、広島《ひろしま》から福岡《ふくおか》へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。そういうことがないとは何人も保証できない。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それぞれの被害であったが次の場合にはそうは行かないことは明らかである。昔の日本は珊瑚《さんご》かポリポくらげのような群生体で、半分死んでも半分は生きていられた。今の日本は有機的の個体である。三分の一死んでも全体が死ぬであろう。
この恐ろしい強敵に備える軍備はどれだけあるか。政府がこれに対してどれだけの予算を組んでいるかと人に聞いてみてもよくわからない。ただきわめて少数な学者たちが熱心に地震の現象とその生因ならびにこれによる災害防止の研究に従事している。そうして実に僅少《きんしょう》な研究費を与えられて、それで驚くべき能率を上げているようである。おそらくは戦闘艦の巨砲の一発の価、陸軍兵員の一日分のたくあんの代金にも足りないくらいの金を使って懸命に研究し、そうして世界的に立派な結果を出しているようである。そうして世間の人はもちろん政府のお役人たちもそれについてはなんにも知らない。
今度の伊豆地震《いずじしん》など、地震現象の機構の根本的な研究に最も有用な資料を多分に供給するものであろうが、学者の熱心がいかに強くても研究資金が乏しいため、思う研究の万分の一もできないであろうから、おそらくこの貴重な機会はまたいつものように大部分利用されずに逃げてしまうであろう。
蟻《あり》の巣を突きくずすと大騒ぎが始まる。しばらくすると復興事業が始まって、いつのまにかもとのように立派な都市ができる。もう一ぺん突きくずしてもまた同様である。蟻《あり》にはそうするよりほかに道がないであろう。
人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。東京市民と江戸町人と比べると、少なくも火事に対してはむしろ今のほうがだいぶ退歩している。そうして昔と同等以上の愚を繰り返しているのである。
昔の為政者の中にはまじめに百年後の事を心配したものもあったようである。そういう時代に、もし地震学が現在の程度ぐらいまで進んでいたとしたらその子孫たる現在のわれわれは地震に対してもう少し安全であったであろう。今の世で百年後の心配をするものがあるとしたらおそらくは地震学者ぐらいのものであろう。国民自身も今のようなスピード時代では到底百年後の子孫の安否まで考える暇がなさそうである。しかしそのいわゆる「百年後」の期限が「いつからの百年」であるか、事によるともう三年二年一年あるいは数日数時間の後にその「百年目」が迫っていないとはだれが保証できるであろう。
昔シナに妙な苦労性の男がいて、天が落ちて来ると言ってたいそう心配し、とうとう神経衰弱になったとかいう話を聞いた。この話は事によるとちょうど自分のような人間の悪口をいうために作られたかもしれない。この話をして笑う人の真意は、天が落ちないというのではなくて、天は落ちるかもしれないが、しかし「いつ」かがわからないからというのであろう。
三島の町を歩いていたら、向こうから兵隊さんが二三人やって来た。今始めてこの町へはいって来てそうして始めてつぶれ家のある地帯にさしかかったところであった。その中の一人が「おもしろいな。ウム、こりゃあおもしろいな」と言ってしきりに感心していた。この「おもしろいな」というのは決して悪意に解釈してはならないと思った。この「おもしろいな」が数千年の間にわれらの祖先が受けて来た試練の総勘定であるかもしれない。そのおかげで帝都の復興が立派にできて、そうして七年後の今日における円タクの洪水《こうずい》、ジャズ、レビューのあらしが起こったのかもしれない。
三島の町の復旧工事の早いのにも驚いた。この様子では半月もたった後に来て見たらもう災害の痕跡《こんせき》はきれいに消えているのではないかという気もした。もっと南のほうの損害のひどかった町村ではおそらくそう急には回復がむつかしいであろうが。
三島神社の近くでだいぶゆすぶられたらしい小さなシナ料理店から強大な蓄音機演奏の音波の流れ出すのが聞こえた。レコードは浅草《あさくさ》の盛り場の光景を描いた「音画」らしい、コルネット、クラリネットのジンタ音楽に交じって花屋敷《はなやしき》を案内する声が陽気にきこえていた。警備の巡査、兵士、それから新聞社、保険会社、宗教団体等の慰問隊の自動車、それから、なんの目的とも知れず流れ込むいろいろの人の行きかいを、美しい小春日が照らし出して何かお祭りでもあるのかという気もするのであった。今度の地震では近い所の都市が幸いに無難であったので救護も比較的迅速に行き届くであろう。しかしもしや宝永安政タイプの大規模地震が主要の大都市を一なでになぎ倒す日が来たらわれらの愛する日本の国はどうなるか。小春の日光はおそらくこれほどうららかには国土|蒼生《そうせい》を照らさないであろう。軍縮国防で十に対する六か七かが大問題であったのに、地震国防は事実上ゼロである。そうして為政者の間ではだれもこれを問題にする人がない。戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、地震はよしてくれと言っても待ってはくれない。地震学者だけが口を酸《す》っぱくして説いてみても、救世軍の太鼓ほどの反響もない。そうして恐ろしい最後の審判の日はじりじりと近づくのである。
帰りの汽車で夕日の富士を仰いだ。富士の噴火は近いところで一五一一、一五六〇、一七〇〇から八、最後に一七九二年にあった。今後いつまた活動を始めるか、それとももう永久に休息するか、神様にもわかるまい。しかし十六世紀にも十八世紀にも活動したものが二十世紀の千九百何十年かにまた活動を始めないと保証しうる学者もないであろう。こんな事を考えながら、うとうとしているうちに日が暮れた。川崎《かわさき》駅を通るときにふと先日の「煙突男」を思い出した。そうしてあの男が十一月二十四日の午前四時までまだ煙突の上にとどまっていて、そうしてあの地震に大きく揺られたのであったら、彼はおりたであろうか、おりなかったであろうか。そんなことも考えてみるのであった。
自分もどこかの煙突の上に登って地震国難来を絶叫し地震研究資金のはした銭募集でもしたいような気がするが、さてだれも到底相手にしてくれそうもない。政治家も実業家も民衆も十年後の日本の事でさえ問題にしてくれない。天下の奇人で金をたくさん持っていてそうして百年後の日本を思う人でも捜して歩くほかはない。
汽車が東京へはいって高架線にかかると美しい光の海が眼下に波立っている。七年前のすさまじい焼け野原も「百年後」の恐ろしい破壊の荒野も知らず顔に、昭和五年の今日の夜の都を享楽しているのであった。
五月にはいってから防火演習や防空演習などがにぎにぎしく行なわれる。結構な事であるが、火事よりも空軍よりも数百層倍恐ろしいはずの未来の全日本的地震、五六大都市を一なぎにするかもしれない大規模地震に対する防備の予行演習をやるようなうわさはさっぱり聞かない。愚かなるわれら杞人《きひと》の後裔《こうえい》から見れば、ひそかに垣根《かきね》の外に忍び寄る虎《とら》や獅子《しし》の大群を忘れて油虫やねずみを追い駆け回し、はたきやすりこ木を振り回して空騒《からさわ》ぎをやっているような気がするかもしれない。これが杞人の憂いである。
[#地から3字上げ](昭和六年一月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。- -----------------------------------
- 石油ランプ
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- [東京都]
- 本郷 ほんごう 東京都文京区の一地区。もと東京市35区の一つ。山の手住宅地。東京大学がある。
- 神田 かんだ 東京都千代田区内の一地区。もと東京市35区の一つ。
- 銀座 ぎんざ 東京都中央区の繁華街。京橋から新橋まで北東から南西に延びる街路を中心として高級店が並ぶ。駿府の銀座を1612年(慶長17)にここに移したためこの名が残った。地方都市でも繁華な街区を「…銀座」と土地の名を冠していう。
- 十一屋 じゅういちや
- 日本橋区 にほんばしく 東京都中央区の一地区。もと東京市35区の一つ。23区の中央部を占め、金融・商業の中枢をなし、日本銀行その他の銀行やデパートが多い。
- [長野県]
- 軽井沢 かるいざわ 長野県東部、北佐久郡にある避暑地。浅間山南東麓、標高950メートル前後。もと中山道碓氷峠西側の宿駅。
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- 流言蜚語
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- 時事雑感
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- [イギリス]
- ケンブリッジ Cambridge (1) イギリスのイングランド東部にある同名州の州都。ロンドンの北約80キロメートルにある大学都市。人口11万7千(1996)。
- ケンブリッジ大学 だいがく ケンブリッジ (1) にある名門総合大学。1209年研究者集団がケンブリッジの交易場で講義を行なったことに始まる。イギリス指導階層の最高教育機関として発展。多数の学寮(カレッジ)から成る。
- [インド]
- カルカッタ大学
- カルカッタ Calcutta コルカタの旧称。
- コルカタ Kolkata インド北東部、西ベンガル州の州都。ガンジス川の河口近くにある大都市。18世紀以来イギリス植民地支配の中心地となる。人口458万1千(2001)。旧称カルカッタ。
- 深川 ふかがわ (1) 東京都江東区の一地区。もと東京市35区の一つ。
- 武蔵野 むさしの (1) 関東平野の一部。埼玉県川越以南、東京都府中までの間に拡がる地域。広義には武蔵国全部。(2) 東京都中部の市。吉祥寺を中心とする中央線沿線の衛星都市。人口13万8千。
- [伊豆] いず (1) 旧国名。今の静岡県の東部、伊豆半島および東京都伊豆諸島。豆州。(2) 静岡県東部、伊豆半島中部の市。温泉が多く、保養地として首都圏からの観光客が多く訪れる。人口3万7千。
- 三島町 みしままち 静岡県田方郡三島町。現、三島市。
- 箱根 はこね 神奈川県足柄下郡の町。箱根山一帯を含む。温泉・観光地。芦ノ湖南東岸の旧宿場町は東海道五十三次の一つで、江戸時代には関所があった。
- 東海道 とうかいどう (1) 五畿七道の一つ。畿内の東、東山道の南で、主として海に沿う地。伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸の15カ国の称。(2) 五街道の一つ。江戸日本橋から西方沿海の諸国を経て京都に上る街道。幕府はこの沿道を全部譜代大名の領地とし五十三次の駅を設けた。
- 東山道 とうさんどう 五畿七道の一つ。畿内の東方の山地を中心とする地。近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽の8カ国に分ける。また、これらの諸国を通ずる街道。とうせんどう。
- 北陸道 ほくりくどう 五畿七道の一つ。若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の7国。また、そこを通ずる街道。くぬがのみち。こしのみち。ほくろくどう。
- 山陽道 さんようどう 五畿七道の一つ。播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・周防・長門の8カ国。また、これらの諸国を通ずる街道。かげとものみち。せんようどう。
- 山陰道 さんいんどう 五畿七道の一つ。丹波・丹後・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐の8カ国。現在の中国地方・近畿地方の日本海側。また、これらの各地を通ずる街道。せんいんどう。古称、そとものみち。
- 南海道 なんかいどう 五畿七道の一つ。紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐の6カ国の称。畿内・山陽道の南方にあるからいう。
- 西海道 さいかいどう 五畿七道の一つ。今の九州地方。筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩および壱岐・対馬の9国2島の称。
- 東京 とうきょう 以下、略。
- 横浜 よこはま
- 沼津 ぬまづ
- 静岡 しずおか
- 浜松 はままつ
- 名古屋 なごや
- 大阪 おおさか
- 神戸 こうべ
- 岡山 おかやま
- 広島 ひろしま
- 福岡 ふくおか
- 三島神社 → 三島大社か
- 三島大社 みしま たいしゃ (三嶋と書く)静岡県三島市大宮町にある元官幣大社。祭神は大山祇神・事代主神(昔はいずれか一神とされた)。伊豆国一の宮。
- 川崎 かわさき 神奈川県北東部の市。政令指定都市の一つ。北は六郷川(多摩川)を隔てて東京都に、南西は横浜市に隣接。海岸に近い地区は京浜工業地帯の一部、内陸地区は住宅地。昔は東海道の宿駅。人口132万7千。
◇参照:Wikipedia、
*年表
- 一五一一 富士山噴火。
(時事雑感) - 一五六〇 富士山噴火。
(時事雑感) - 一七〇〇〜八 富士山噴火。
(時事雑感) - 宝永四(一七〇七)一〇月四日 宝永地震。東海地方から四国・九州にかけての地震。震源は東海沖・南海沖の二つと考えられる。M8.4。東海道・紀伊半島を中心に倒壊6万戸、流失2万戸、死者約2万人。
- 宝永四(一七〇七)一一月〜 宝永大噴火。大量のスコリアと火山灰を噴出。
- 寛政四(一七九二) 富士山噴火(?)。
(時事雑感) - 安政元(一八五四)一一月四日 安政東海地震。震源地遠州灘沖。M8.4。死者約2000〜3000人。
- 安政元(一八五四)一一月五日 安政南海地震。震源地土佐沖。M8.4。死者数千人。
- 大正一二(一九二三)九月一日 関東大震災。M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人。
- 大正一三(一九二四)一月 寺田「石油ランプ」
『文化生活の基礎』。 - 大正一三(一九二四)九月 寺田「流言蜚語」
『東京日日新聞』。 - 昭和五(一九三〇) チャンドラセカール・ラマン、ノーベル物理学賞を受賞。
- 昭和五(一九三〇)一一月一四日 濱口首相遭難事件。東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され重傷。
- 昭和五(一九三〇)一一月一六日 煙突男。川崎市の紡績工場の労働争議の際に、煙突に登って会社へ抗議。5日後に煙突を降りる。
- 昭和五(一九三〇)一一月二六日(※ 本文には「十一月二十四日」) 伊豆地方大地震。死者行方不明者331名、全壊4317戸。寺田、四日目に日帰りで三島町まで見学。
- 昭和六(一九三一)一月 寺田「時事雑感」
『中央公論』。 - 一五六〇 富士山噴火。
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- -----------------------------------
- 石油ランプ
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- 流言蜚語
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- 時事雑感
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- ラマン Chandrasekhara Venkata Raman 1888-1970 チャンドラシェーカル・ヴェンカタ・ラーマン。インドの物理学者。1930年のノーベル物理学賞受賞者。ラマン効果 (ラマンスペクトル)の発見者。タミル・ナードゥ州のティルッチラーッパッリ生まれ。1917年にカルカッタ大学の教授となり光学の研究を行った。インド本国で研究したインド人研究者としては初めてのノーベル賞受賞者。
(Wikipedia)/マドラス州立大学に学び、大蔵省主計官補となったが、カルカッタにおもむき、科学研究を始めた(1909)。カルカッタ大学物理学教授。インド科学振興協会名誉書記、インド科学大会会長、バンガロールのインド科学研究所所長として、同地にラーマン研究所を建て所長となる(1948来)。初め弦および絃楽器の振動を研究、のち光の散乱の研究に転じ、溶液による光の散乱においてラーマン効果を発見し(1928) 、量子理論の結論に対し実験的証明をあたえた。この業績に対しノーベル物理学賞を受く。 (岩波西洋) - チンダル → ジョン・チンダル
- ジョン・チンダル John Tyndall 1820-1893 イギリスの物理学者。アイルランド生まれ。著『アルプスの旅より』
『アルプスの氷河』。/おおむね独学、のちブンゼンに学ぶ。国立研究所教授。微粒子の散光を研究してチンダル現象を解明し、これによって空の青色が微粒子によることを説明した。また、結晶体の磁気的性質、音響に関する研究もあり、特に音波の透過におよぼす大気密度の効果を発見した。そのほか、T.H.ハクスリと共にスイスの氷河を研究し、またアメリカで講義したこともある(72-73)。文筆に長じ、科学の通俗化に寄与したところが大きい。 (岩波西洋)
◇参照:Wikipedia、
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)- -----------------------------------
- 石油ランプ
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- 『文化生活の基礎』
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- 流言蜚語
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- 『東京日日新聞』 とうきょう にちにち しんぶん 日刊新聞の一つ。1872年(明治5)創刊。74年、福地桜痴が主筆となり政府支持の論調を張る。1911年大阪毎日新聞の経営下に入り、43年(昭和18)毎日新聞に統合。東日と略称。
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- 時事雑感
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- 『中央公論』 ちゅうおう こうろん 代表的な総合雑誌の一つ。1899年(明治32)
「反省会雑誌」 (87年創刊)を改題。滝田樗陰を編集者(のち主幹)として部数を伸ばし、文壇の登竜門、大正デモクラシー言論の中心舞台となる。1944年(昭和19)横浜事件にまきこまれて廃刊を命じられる。第二次大戦後、46年復刊。
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
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- 石油ランプ
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- ホヤ 火屋 (1) 香炉や手焙(てあぶり)などの上におおう蓋。(2) ランプやガス灯などの火をおおうガラス製の筒。(3) 火葬場の異称。ひや。
- 同盟罷業 どうめい ひぎょう ストライキに同じ。
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- 流言蜚語
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- 蜚語・飛語 ひご 根拠のないうわさ。無責任な評判。飛言。
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- 時事雑感
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- 奇矯 ききょう 言動が普通とちがっていること。とっぴなこと。
- ラマン効果 こうか 物質が単色の光によって照射される際、散乱光には照射光と等しい波長だけでなく、若干それより長い波長や短い波長が含まれる現象。1928年ラマンとクリシュナン(K. S. Krishnan1898〜1961)が発見。
- ティンダル効果 → チンダル現象
- チンダル現象 げんしょう 透明物質中に多数の微粒子が分散している場合、光が散乱されるため、その通路を観察できる現象。これを研究したイギリスの物理学者チンダルの名に因む。
- 分光器 ぶんこうき 光をスペクトルに分ける光学装置。プリズム・回折格子などを用いる。
- 先潜り さきくぐり (1) 先まわりしてひそかに事をなすこと。ぬけがけ。(2) 推量して疑うこと。邪推。かんぐり。
- ノトリアス ノートリアス? notorious。悪名高いさま。悪い方面で有名なさま。
- 三寒四温 さんかん しおん 三日ほど寒い日が続いた後に四日ほどあたたかい日が続き、これを交互にくりかえす現象。中国北部・朝鮮などで冬季に見られる。
- ポリポクラゲ
- ポリポ → ポリプか
- ポリプ polyp (1) 刺胞動物に見られる形態の基本形の一つで、固着生活をする個体型。体は円筒形。一生のあいだに浮遊生活をするクラゲ型も経るものでは無性世代にあたり、出芽・分裂により増殖する。群体を作ることが多い。水※[#「虫+息」、u8785](すいし)。
- 群生体 群生(ぐんせい)
- 音画 おんが (1) (Tonfilm ドイツの訳語)トーキー。発声映画。(2) (Tonmalerei ドイツの訳語)自然現象・物語などを音楽で表現したもの。標題音楽の一つ。
- コルネット cornet (小さい角笛の意) (1) 金管楽器。真鍮または銀製。2ないし3個の弁を有し、トランペットより小型で、音色が明るい。吹奏楽の主要楽器。(2) 中世〜16世紀頃の木製吹奏楽器。
- ジンタ音楽
- じんた 大正の頃、サーカス・映画館の客寄せや広告宣伝などに、通俗的な楽曲を演奏した小人数の吹奏楽隊とその吹奏楽の俗称。
- 花屋敷 はなやしき (1) 多くの花樹を栽培して人の観覧に供する庭園。(2) (現在「花やしき」)東京都旧浅草公園にある遊園地。
- 蒼生 そうせい
[書経益稷](民を青く茂る草にたとえていう)あおひとくさ。人民。 - 救世軍 きゅうせいぐん (Salvation Army)キリスト教プロテスタントの一派。1878年イギリス人牧師ブースがロンドンで創始し、軍隊的組織のもとに民衆伝道と社会事業を行う。95年(明治28)に日本にも支部が設けられた。
- 六大都市 ろくだいとし 東京・大阪・京都・名古屋・神戸・横浜の6都市の称。
- ひとなぎ
- 杞人の憂え きじんの うれえ 杞憂に同じ。
- 杞憂 きゆう
[列子天瑞](中国の杞の国の人が、天地が崩れて落ちるのを憂えたという故事に基づく)将来のことについてあれこれと無用の心配をすること。杞人の憂え。取り越し苦労。 - マセマチカル mathematical 数学
- トライポス tripos (ケンブリッジ大学の)優等卒業試験。優等及第者名簿。
(小学館英和中辞典、1981.1)
◇参照:Wikipedia、
*後記(工作員 日記)*フクシマ・ノートその2
猫になりたい〜
ドラえもんになりたい〜
フサフサになりたい〜
クログロになりたい〜
余効的すべり。
過去に高台へ集団移転したはずの人たちが再び沿岸へ戻って定住してしまった事例について、目黒公郎は「高台では飲料水の確保が困難なこと」と「山腹の密集地で火災が発生したこと」を指摘。
三月八日(木)。復興構想会議の議事録 pdf が web にアップ。さっそく13号までをダウンロードして、ぼちぼちと読み始める。初回なかばで玄侑さんは、
*次週予告
第四巻 第三五号
火事教育 / 函館の大火について 寺田寅彦
第四巻 第三五号は、
二〇一二年三月二四日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第四巻 第三四号
石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感 寺田寅彦
発行:二〇一二年三月一七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 【欠】
- 第一六号 【欠】
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)前巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)前巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
- 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
- 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
- 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
- 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
- 原子力の管理 / 日本再建と科学 / 国民の人格向上と科学技術 /
- ユネスコと科学
- 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
- J・J・トムソン伝 / アインシュタイン博士のこと
- 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
- 総合研究の必要 / 基礎研究とその応用 / 原子核探求の思い出
- 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
- 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
- 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
- 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
- 第二四号 科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
- 第二五号 ラザフォード卿を憶う(他)長岡半太郎
- ラザフォード卿を憶う / ノーベル小伝とノーベル賞 / 湯川博士の受賞を祝す
- 第二六号 追遠記 / わたしの子ども時分 伊波普猷
- 第二七号 ユタの歴史的研究 伊波普猷
- 第二八号 科学の不思議(三)アンリ・ファーブル
- 第二九号 南島の黥 / 琉球女人の被服 伊波普猷
- 第三〇号
『古事記』解説 / 上代人の民族信仰 武田祐吉・宇野円空 - (略)神聖な動物としては、記録に現われるところではヘビがもっとも多くその大部分を占め、そのほかにはオオカミも少くはないが、トラ・ワニ・ウサギなどは特殊の例と見ることができる。植物としては単に大木としたのがことに多く、槻・杉・楠・椋などもあり、またツバキ・発枳などの特例もあげることができるが、ただしこれらも特に、その大木であるばあいが多い。これをもって見るに、その崇拝の対象となるものが、有用、殊に経済的生活に必要なものからむしろよほどかけ離れておるということができる。動物においてもクマやイノシシ・シカの類をさしおいて、特にヘビとオオカミとが諸所に散見することは、上代人の神秘観が単に食用、または有用ということにもとづいているのでないことを明らかにするものである。これは、一面には上代日本人がすでに狩猟時代のものでなく、肉としてのイノシシ・シカなどに宗教的力を認める以上に、農耕時代の民族として、殊にその開墾または耕作に密接な関係のあるヘビやオオカミの類を、より多くいっそう神秘的な存在と考えたからでもあろう。すなわち『常陸風土記』によると、麻多智という人が開墾に従事中、夜刀神(やとのかみ)すなわちヘビが群がり来たって耕作を妨げた。そこで麻多智は大いに怒り、みずから武装してこれらのヘビを打ち殺し、また駆逐し、山口のところに至って杭を打ち、堺を掘り、夜刀神に告げてこれより以上を神地とし、以下を人間の田地とする。今後、神祝となって永久に奉斎するから、祟ることなく恨むことなかれといった、とある。 (宇野円空「上代人の民族信仰」より)
- 第三一号 科学の不思議(四)アンリ・ファーブル
- 大杉栄、伊藤野枝(訳)
- 二八 猟(りょう)
- 二九 毒虫
- 三〇 毒
- 三一 マムシとサソリ
- 三二 イラクサ
- 三三 行列虫
- 三四 嵐(あらし)
- 三五 電気
- 三六 ネコの実験
- 「さて、ここにその空気よりはもっとかくれた、もっと眼に見えない、もっと見あらわしにくいものがある。それはどこにもある。かならずどこにもある。わたしたちの体の中にさえある。だがそれは、お前たちが自分がそれを持っていることに今もまだ決して気がつかないくらいに、静かにしているのだ。
(略) 」 - 「お前たちだけで一日じゅうさがしても、一年じゅうさがしても、たぶん一生かかっても、それはムダだろう。お前たちには見つけ出すことはできまい。そのわたしの話している物は、別段によく隠れている。学者たちは、それについてのいろんなことを知るために、非常にめんどうな研究をした。わたしたちは、その学者たちがわたしたちに教えてくれた方法をもちいて、手軽にそれを引っぱり出してみよう。
」 - ポールおじさんは、机から封蝋(ふうろう)の棒を取って、それを上着のそでで手早くこすりました。それからそれを、小さな紙きれに近づけました。子どもたちはそれを見つめています。見ると、その紙は舞いあがって封蝋の棒にくっつきました。その実験を、いくどもくりかえしました。そのたびに紙きれは、ひとりで舞い上がって棒にくっつきます。
- 「(略)この見えないものを、電気というのだ。ガラスのかけらや、硫黄、樹脂、封蝋などの棒を着物にこすりつけて、それで電気をおこすことはお前たちにもたやすくできることだ。それらの物は摩擦をすると、小さな藁(わら)きれや紙のきれっぱしや、ほこりのような軽いものを引きつけるもちまえを出すのだ。もし、うまいぐあいにゆけば、今夜、ネコがそのことについて、もっとよくわたしたちに教えてくれるだろう。
」
- 第三二号 科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
- 大杉栄、伊藤野枝(訳)
- 三七 紙の実験
- 三八 フランクリンとド・ロマ
- 三九 雷(かみなり)と避雷針
- 四〇 雲(くも)
- 四一 音の速度
- 四二 水差(みずさ)しの実験
- 四三 雨
- 四四 噴火山
- 四五 カターニア
- 「もし、噴火山の近所に町があったら、その火の河はそこへ流れこんでこないでしょうか? そして灰の雲がその町をうめてしまいやしないでしょうか?」とジュールが聞きました。
- 「不幸にしてそんなこともありえる。そしてまた、実際ありもした。
(略) 」 - 「そうだ。今から二〇〇年ほどむかしのこと、シチリアに歴史上もっとも激しい大噴火がおこった。激しい暴風雨(あらし)があった後で、たくさんの馬が一時にドッとたおれるような強い地震が夜じゅうつづいた。木は葦が風になびくようになぎ倒され、人はたおれる家の下におしつぶされないように気狂いのように野原へ逃げようとしたが、ふるえる地上に足場を失って、つまずき倒れた。ちょうどそのとき、エトナは爆発して四里ほどの長さに裂けて、この割れ目に沿うてたくさんの噴火口ができ、爆発のおそろしい響きともろともに、黒煙と焼け砂とを雲のように吐き出した。やがて、この噴火口の七つが、一つの深い淵のようになって、それが四か月間雷鳴したり、うなったり、燃えかすや溶岩を噴き出した。
(略) 」 - 「そのうちに溶岩の河は山のすべての裂け目から流れ出して、家や森や作物をほろぼしながら平原のほうへ流れて行った。この噴火山から数里離れた海岸に、じょうぶな壁にとりかこまれたカターニアという大きな町があった。火の河はとうとう数か村を飲みつくして、カターニアの壁の前まできた。そしてその近郊にひろがって行った。
(略) 」 - 第三三号 厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
- 翌日も水道はよく出なかった。そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの木レンガが雨で浮き上がって破損したという記事が出ていた。多くの新聞はこれと断水とをいっしょにして、市当局の責任を問うような口調をもらしていた。わたしはそれらの記事をもっともと思うと同時に、また当局者の心持ちも思ってみた。
- 水道にせよ木レンガにせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行きとどいていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的・系統的の検定を経たうえでなければ、だれも容認しないことになっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
- 長い使用にたえない間にあわせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証のついていない公共構造物がいたるところに存在するとすれば、その責めを負うべきものはかならずしも製造者や当局者ばかりではない。 (
「断水の日」より) - 火山から噴出した微塵が、高い気層に吹き上げられて高層に不断に吹いている風に乗っておどろくべき遠距離に散布されることは珍しくない。クラカトア火山の爆破のときに飛ばされた塵は、世界中の各所に異常な夕陽の色を現わし、あるいは深夜の空にうかぶ銀白色の雲を生じ、あるいはビショップ環と称する光環を太陽の周囲に生じたりした。近ごろの研究によると火山の微塵は、あきらかに広区域にわたる太陽の光熱の供給を減じ、気温の降下をひきおこすということである。これに連関して飢饉と噴火の関係を考えた学者さえある。 (
「塵埃と光」より)
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