アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」。
大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16)
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。
伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16)
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。
◇表紙:Wikipedia、稲妻「ファイル-Lightning over Oradea 」より。
もくじ
科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
*ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(五)
三七 紙の実験
三八 フランクリンとド・ロマ
三九 雷(かみなり)と避雷針
四〇 雲(くも)
四一 音の速度
四二 水差(みずさ)しの実験
四三 雨
四四 噴火山
四五 カターニア
*オリジナル版
科学の不思議(五)
*
地名 ・
年表 ・
人物一覧 ・
書籍
*
難字、求めよ
*
後記 ・ 次週予告
※ 製作環境
・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
・ ポメラ DM100、ソーラーパネル NOMAD 7
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例
- ( ):小書き。〈 〉:割り注。
- 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
- 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
- 例、云う → いう / 言う
- 処 → ところ / 所
- 有つ → 持つ
- 這入る → 入る
- 円く → 丸く
- 一、異句同音の一部のひらがなに限り、便宜、漢字に改めました。
- 例、いって → 行って / 言って
- きいた → 聞いた / 効いた
- 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
- 一、漢数字の表記を一部、改めました。
- 例、七百二戸 → 七〇二戸
- 例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
- 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
- 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
- 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
- 一、「今から○○年前」のような経過年数の表記は改めず、底本のままにしました。
- 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
- 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html
NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html
登場するひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人。
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。
科学の不思議(五)
STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝(訳)
三七 紙の実験
「ネコをおどすのはよして、今度はほかの方法で電気をおこしてみよう。」
「ふつうのいい紙を縦にたたんで、その両方のはしを持って、ストーブか、火の前に持って行ってこげそうになるまで熱くする。うんと熱くすればよけいに電気を発する。最後に、その紙の両端だけを持って、その熱い紙をできるだけ早くひざの上にひろげておき、毛織の布に手早くこすりつける。そのひざの上の布は、前にあたためて用意をしておくのだ。もしズボンが毛織ならば、その上にこすりつけていい。その摩擦は、紙の縦目にそってはげしく磨らなくてはいけない。すこしこすったら、その紙に何もふれさせないように、よく注意をして、一方の手で持ちあげる。もし紙が何かにふれれば、電気は逃げてしまうのだ。それからさっそくに、あいているもう一方の手の指の関節か、あるいはもっといいのはカギのはしを持って行って、その細長い紙の真ん中に近づける。すると、一つの火花が紙からカギへ発して軽い音を立ててるだろう。その火花をもう一つ出そうとするには、もう一度おなじことをくりかえさなければならない。なぜかというと、指やカギを紙に近づけたときに、紙におきた電気はみんななくなってしまうからだ。」
「また火花を出すかわりに、その電気のおきている紙を、紙や藁や、あるいは羽毛のきれっぱしの上のほうに平らにしてみてもいい。それらの軽い物体は、かわりばんこに引きつけられたりはねかえされたりする。電気はその細長い電気をおこしている紙から物体へと急速に行ったりきたりするのだ。」
ポールおじさんは、なおつけくわえてお手本を見せるために、一枚の紙を取って、うんと手ごたえのあるように、細長くたたみました。そしてそれを暖めて、自分のひざの上にこすりつけました。そして最後にその指の関節をそれに近づけて、火花を飛ばせました。子どもたちは、その紙からパチッと音をたてて飛び出す火花にすっかりおどろいてしまいました。ネコの背中の光の泡つぶは無数でした。けれども、もっと弱くて光っていました。
その晩、アムブロアジヌおばあさんは、ジュールを寝床につれてゆくのに大骨折りだったということです。それはジュールが、そのやり方をおぼえましたので、夢中になって疲れるのも知らずに紙をあぶったりこすったりしていたからです。とうとう、その実験をやめさすのに、おじさんの仲裁が必要になったほどでした。
三八 フランクリンとド・ロマ
翌日、クレールとその二人の弟は、昨晩の実験のことよりほかの話は何もしませんでした。そのお話は朝のあいだじゅう続きました。ネコの背中の火の泡つぶや、紙から出る火花がみんなに、たいへんな印象になったのです。
そこでおじさんは、その眼ざめてきたみんなの注意を利用するために、すぐにできるだけ早く、ためになる話をはじめました。
「お前たちは、おじさんがなぜお前たちに雷の話をしてやる前に、封蝋の棒や、細長い紙や、ネコの背中をこすって見せるのだろうと不思議がっているだろうね。雷のことは話してあげる。だが、みんなまずこの話をお聞き。」
「今から一〇〇年も、もっとそれ以上も昔、ネラという小さな町の長官で、ド・ロマという人が、科学の年鑑に記録された非常に重要な実験をした。ある日、その町長さんは大きなタコと綱の球を持って、嵐の最中に田舎へ行きました。二〇〇人あまりの人たちがひどくおもしろがって町長さんについて行った。この有名な町長さんは何をしようとするのだろう? 重大な職務はそっちのけで、何かつまらない遊戯でもするのだろうか? その物好きな人たちは、おとなげないタコあげの見物をしようと思って町じゅうから集まってきたのだろうか? いや、いや、そうじゃないんだ。ド・ロマは、人間の天才的な想像で思いついた、大胆不敵な計画を実行しようとしていたのだ。その計画というのは、あのまっ黒な雲の中から雷をよび、天から火を落とそうというのだ。」
「その嵐の最中に、雲の中から雷を引いてこようという、勇敢な実験者になったタコは、見たところはお前たちのよく知っているのとすこしもちがっていなかった。ただ、その麻縄には銅の長い針金がとおっていた。風が吹いてくると、そのタコは空にのぼって行って、およそ二〇〇メートルぐらいの高さになった。その綱の末端には絹の紐がついていて、その紐は、雨をよけてある家の入口の階段の下にしっかりとくくりつけてあった。麻縄の一点には、小さな錫の円筒がつるしてあって、それは縄をとおっている銅線にふれている。最後にド・ロマは、もう一つ同じような円筒を持っていた。それは一方のはしにガラス管の柄のようなものがついていた。町長さんはこの励磁機という機械のそのガラスの柄を持っていて、銅のタコ糸からその糸のはしにある金属の円筒に雲の中からみちびかれてきた火を、その手に持った円筒で出してみようとしたのだ。タコ糸のはしに絹紐をむすびつけたり、円筒にガラスの柄をつけたりしたのは、絹やガラスなどの物質はそれが非常に強力なものでさえなければ、電気を通さない性質を持っているので、励磁機を持っている腕や縄の先から地の中へや、雷電が逃げないように、それを防ぐためになるのだ。金属はこれに反して、自由に通すのだ。」
「それが、ド・ロマが自分の大胆な先見をたしかめるために考え出した、かんたんな装置だ。さて、この子どものオモチャを空へ飛ばしてそれが雷に会えば、いったいどういうことになるのだろう? そんなオモチャで雷を自由にあつかうことができるなんて、バカな考えだとしかお前たちには見えまい? だがそのネラの町長さんは、雷の本質について、じゅうぶんに聡明な熟慮をかさねて、その成功が確かだということを信じてやったのだ。それだから、大勢の見物人を前にしてその試みに取りかかることができたのだ。それがもしうまくゆかなければ、町長さんはすっかり困ってしまわなければならない。その意見と本物の雷のあいだの恐ろしい戦いの結果を見ないでおくことはできない。意見は、いつもよく導かれたときには勝つことができるのだ。」
「嵐の先駆の雲は、見る間にタコの近くにきた。ド・ロマは、その励磁機を縄のはしにつるされている錫の円筒に近づけた。するとたちまちに光がひらめいた。それは励磁機に発したまばゆい火花のひらめきだ。火花はパチパチと音を立て、光をはなち、そしてすぐに消える。」
「それは昨夜、ぼくらがやったのと同じことなんですね。」とジュールがいいました。「ぼくらが暖めてこすった細長い紙きれのそばに、カギのはしを持って行ったときに見えた火花と同じでしょう。そして、ネコの背中を手でなでたときにも、ネコの背にやっぱりそれが見えましたね。」
「まったく同じものだ。」とおじさんは答えました。「雷、ネコの背中の火の泡つぶ、紙から出る火花――みんな電気によってできるのだ。だが、まずド・ロマの話にもどろう。そのタコの糸の中には電気が通じていて、その電気がすなわち、かすかな雷だということがわかるね。その電気はごく少量なので、まだ危険なことはない。で、ド・ロマは躊躇せずに、自分の指を円筒の前に持って行った。ド・ロマがその円筒の前に自分の指を近づけるたんびに、励磁機で出したような火花が出た。ド・ロマの試しで、勢いづいた見物人たちは近づいてきて、その電気の爆発をおこさせた。彼らは、人間の想像力で天から呼びおろしてきた火が入っている不思議な円筒をとりまいた。ある人は励磁機で光を呼んだ。また、ある人は自分の指と雲からおりてきた爆発するものとの間に火花を出してみた。みんなはそうして半時間ばかりも無事に雷で遊んでいた。そのとき、たちまちに激しい火花がきた。そしてド・ロマは、ほとんどたおれようとした。危険が近づいてきたのだ。嵐は刻々に近くなり強くなってきた。あつい雲がタコの上を翔けまわる。」
「ド・ロマはしっかりとした決心を持って、大いそぎでむらがっている見物人を後しざりさせて、自分だけその装置のそばにいた。彼を中心にした輪を描いている見物人は、そろそろ恐がりはじめていた。それから、彼は励磁機の助けを借りて、その金属の円筒から、第一にその激しい動乱のために、人間が投げたおされ得るほどの強い火花を出した。それから爆発の音といっしょに、うねうねした線を描いた火のリボンをいくつも出した。そのリボンはすぐに、二メートルか三メートルもはかれるほどの長さになった。そのリボンのどの一つにでも誰かが打たれれば、たしかに死ぬだろう。ド・ロマはそんな生命にかかわる変事をおそれて、見物の輪をひろげたり、その危険な電気の火の挑発をやめたりした。だがド・ロマは、自分の生命にせまってくる危険は物ともせずに、まるで何の危険もない実験でもしているように、ふだんとおなじ冷静さで、その装置に接近して、その危険な研究を続けていた。彼のまわりは、鍛冶場の吹き音のようなゴウゴウといううなりが続けさまに聞こえてきた。空には、こげくさいにおいがしていた。タコ糸はすっかり光でつつまれて、天と地をむすびつける火のリボンのようだった。三本の長い藁が、ちょうどそこの地面に落ちていたが、糸のところまで飛びあがっては落ち、また飛びあがって行く、というようにはねかえっていた。そしてこの藁の不規則な動作が、しばらくのあいだ見物人をおもしろがらせた。」
「昨夜……」とクレールがいいました。「落ちていた羽毛や紙きれが、それとおんなじに、机と電気のおきた紙とのあいだをはねかえったりくっついたりしたのですね。」
「それはあたりまえですよ。」とジュールがいいました。「おじさんが、わたしたちに話してくだすったじゃありませんか。摩擦した紙には雷とおんなじ要素のものができるが、それはただ、非常に量が少ないだけだって。」
「雷と、わたしたちがある物体を摩擦しておこした電気とがほとんど同じものだということが、お前たちにもはっきりとわかったようだね。けっこうだ。ド・ロマがこの危険な実験をやったのも、そのことを証拠だてるためなのだ。危険な実験とわたしは言ったが、お前たちにも、ほんとうにその大胆な実験がどんなに危険なものだったかはわかるだろうね。三本の藁が地面と糸とのあいだを飛んでいたことをわたしは話していたね。ちょうどそのときに、みんなは怖れで顔色が急にあおくなってしまった。激しい爆発がきて、雷が落ちたのだ。地面には大きな穴ができ、砂煙が舞いあがった。」
「まあ、どうしたらいいでしょう!」とクレールがさけびました。「ド・ロマは殺されましたの?」
「いや、ド・ロマは無事だった。そして、よろこびに輝いていた。彼の先見は、その成功でたしかめられたのだ。それはたいへんな成功だった。ド・ロマの研究は、雲から雷を呼ぶことができるということを示すことができたのだ。彼は雷の原因が電気だということを証拠だてたのだ。それはね、みんな、よくお聞き。ただ、わたしたちの好奇心を満足させるにちょうどいいくらいのいい加減な成績じゃないのだ。雷の本質が見とどけられたので、その被害をさけることができるようになったのだ。だが、それは避雷針の話のときにお前たちに話してあげよう。」
「ド・ロマは、自分の生命の危険をおかしてまでもそんな重要な実験をしたのですから、その時代の人たちから富や名誉をおしつけられなくちゃならないはずですね。」とクレールがいいました。
「そうそう! それがほんとうなんだ。」とおじさんは答えました。「だがね、真理は、無知や偏見とたたかって自由に自分を植えつける場所を見い出すことはめったにない。そのたたかいは、時にはまちがった世論というものに屈しなければならないほど困難なものだ。ド・ロマはボルドー〔フランス南西部の港町。〕で、もういちどその実験をくりかえそうとしたが、彼は魔術で雷をよぶあぶない人間だというので、大勢の者がド・ロマに石を投げつけた。それで彼はその装置を残したままで、いそいでそこを逃がれなければならなかった。」
「ド・ロマよりはすこし前に、北アメリカ合衆国では、フランクリンが雷の本質について、同じような研究をした。ベンジャミン・フランクリンは、貧乏なしゃぼんつくりの息子だった。彼は自分のうででやっと、読み・書き・算術を勉強する道具を見つけ出した。それでも彼はその勉強のおかげで、その学問によって、その同時代の人の中のもっとも名高い一人になりました。一七五二年のある嵐の日に、彼は自分の息子をつれてフィラデルフィアに近い田舎に行った。息子は、絹でつくった四すみを二本のガラスの棒にむすびつけたタコを持って行った。金属の尾がそのタコの装置についていた。タコは嵐の雲のそばまで上がって行った。はじめは、このアメリカの学者の先見をたしかめるようなことには何も出会わなかった。糸は電気の気も見せなかった。雨がふってきた。湿れた糸は自由に電気をとおす。フランクリンは危険を忘れてその指でさかんな火花を出して、雷の秘密を窃んだよろこびに夢中になっていました。」
三九 雷と避雷針
「フランクリンやド・ロマや、その他の多勢の人たちの巧妙な研究で、電光の本質がわれわれに示されたのだ。その人たちは、ことにそれと同じものがごく少量のばあいには、人間の指をそれに近づけてもパチパチ音をさせて火花が飛ぶし、その実験には何の危険もないこと、それから電気を含んだすべての物体は、その近くにある軽い物はなんでも引きつける、ちょうどド・ロマが実験をしたときに、タコの糸が三本の藁を引きつけたように、また、封蝋や摩擦した紙が羽毛を引きつけたように、ということをわれわれに教えられたのだ。つまり手短かにいえば、その人たちがわれわれに教えてくれたのは、電気が雷の原因だということなんだ。」
「さて、その電気には二つの異なった種類がある。それは、すべての物体の中に、同じ分量で入っている。それが同じ分量でいるあいだは、電気の存在はべつに何もあらわさない。まるで存在しないように見える。しかし、一度それが別になると、すべての障害をこえておたがいにさがして、引きつけあう。そして爆発といっしょにおたがいの方に突進して火花を出すのだ。そして、その二つの電気の原質は、また離れるまではまったく静かになっている。その二つの電気はおたがいに補足し、平均させる。その二つがいっしょになって形づくった目に見えないあるもの、害もなく、活動力もなく、どこでも見い出せるものを中和電気というのだ。ある物体に電気を通ずるには、その中和電気を分解するのだ。その二つの原質を引き離せば、それがいっしょだったときには活動力のないものが、おたがいにもう一度むすびあおうとする激しい傾向と、その不思議な特徴を明白にあらわすのだ。摩擦をして、ある働きをおこさすのもこの二つの電気の原質を離す方法なのだ。だがそれは、いろいろあるうちのたった一つの方法なのだ。実際にある方法は、そんなものどころじゃない。物質のいちばん奥底の本質の急激な変化は、よく、その二つの電気を明白にあらわす原因になる。雲がそうだ。雲は太陽の熱で蒸発した水の変化したものだ。そして、それにはよく電気が満たされている。」
「二つの異なった電気をふくんだ雲が近づいてきたときには、その相反した電気は、ただちにおたがいに結合するために近づく。それといっしょにそこに騒々しい爆発の音がおこり、不意に光が出る。この光が電光で、その爆発が落雷なのだ。そして騒々しい爆音は雷なのだ。最後にその電気の火花は、電気を持った雲から、ある方法で地面にある電気を持ったものにみちびいて出すこともできる。」
「ふつうにお前たちの知っている落雷というのは、ただ、その爆発の音とそこから出る不意のイルミネーションだけだ。その落雷そのものを見るには、お前たちは理由のない恐怖をすてて、嵐の中心になっている雲を注意ぶかく見ることだ。一瞬一瞬に、お前たちは、一本だったり枝がわかれていたりする、非常に不規則にまがりくねった形の、まばゆい光の脈を見ることができる。灼熱した溶鉱炉も、金属の光もそれほどの輝きを持っていない。電光のすぐれた光にくらべることのできるのは、ただ太陽の光だけだ。」
「ぼくは落雷を見ましたよ」とジュールがいい出しました。「あの嵐の日に、大きな松の木が撃たれたときに見ました。あのときぼくは、あの光でもって眼がくらみましたよ。まるで太陽を見つめたときのように。」
「このつぎの嵐のときには……」とエミルがいいました。「ぼくは空を見はっていて、その火のリボンを見ることにしよう。だけど、おじさんがそこにいてくださらなくっちゃダメだ。ぼく一人ではとても恐くって、見ていられやしない。」
「わたしもよ」と、クレールもいっしょになっていいました。「わたしも、おじさんがいらっしゃりさえすれば恐くなんかないわ。」
「わたしも、そこにいることにしよう。」と、おじさんはそのことを承知しました。「わたしがいてやることが、そんなにお前たちを安心させるのならいることにしよう。その雷がゴロゴロ鳴り、電光があおられる嵐のときの空は、ほんとうに見ものだ。だが、雲のふところから落雷のまぶしい光が来、そしてそこらじゅうがその爆発の音で響きわたるとき、お前たちがつまらない恐怖に支配されていれば、お前たちの心にはそれを感心して見る余裕はない。お前たちの恐れに満ちた眼は閉じてしまって、大気の中におこるすばらしい電気の現象を見ることはできないだろう。それは宏大な神さまの仕事を雄弁に語るものだ。お前たちの心が恐怖で固くなっていたら、お前たちはその瞬間の電光のひらめきや、雷の爆音や奔放な風などの、大きな完全な神さまの仕事を知ることができないのだ。雷は、人間の死の原因になるよりももっとずっと多く生きるためのもとになる。まれに不意のおそろしい出来事の原因になるにもかかわらず、それはわれわれのはきだした腐った空気を清潔にして、健康のためにいい空気をあたえる、神さまの仕事の中でももっとも力強い仕事の一つなのだ。われわれは、藁や紙を燃やして室内の空気を清潔にする。落雷は、その無限の焔の敷きものでその周囲の大気の中に同じような作用をおこす。お前たちをビックリさせるあの電光は、みんなの健康の保証をしているのだ。お前たちの心を恐怖で寒くするあの雷のとどろきは、われわれの生命のために空気をきれいにする大仕事をしているしるしなのだ。そして人々は、嵐の後はどうして空気が晴々して心持ちがいいのか知らないでいる。落雷の火で純化されたときその大気は、それを呼吸するすべてのものに新しい生気をあたえるのだ。われわれは、雷の鳴るときのつまらない恐怖に気をつけるより、電光や雷が神さまからあたえられた、われわれの健康のための使命を感謝しなければならない。」
「落雷は、この世の中のすべてのものと同じように、人間の幸福のためにもなるが、しかしまた、それと反対の原因にもなる。だがわれわれはいつも、神さまのおゆるしのないことには決してできないということを忘れないようにすることだ。神さまへの敬虔なおそれは、その他のすべてのおそれを防ぐことができる。そこで、しずかに落雷があらわす危険について調べてみよう。われわれがとりわけ覚えていなければならないのは、雷が好んで落ちるのは、地面の上にいちばん高く突き出た点だということだ。それは、そこにある電気が雲の中の電気に引かれるからだ。雲の中にふくまれているおびただしい電気が、それといっしょにむすびつくために引くからだ。」
「その二つの電気は、あらんかぎりの力でいっしょになろうとしてさがしあっているのですね。」とクレールがいいました。クレールの心は、そのことにすっかりひきつけられていました。「地面の電気は、雲の電気といっしょになる努力ですっかり高い木の頂上に行き、雲にある電気はそれにうながされて木の方におりてくるのですね。それから、その二つの電気が近づいた瞬間に、おたがいに、もうこのうえ無事にいっしょになる道が開いていなくともいいというまで、音を立てていっしょに引きつけあうんです。それで、あの落雷した木には火のあとがあるのですね。そうじゃありませんの、おじさん?」
「クレールや、わたしは、そのお前の言ったこと以上にうまい説明はできないよ。高い建物や、塔や尖閣や高い木は、ほんとうにその天からくる火にいちばん近いところにあるのだ。広い野原の中で嵐にあったときに、その雨よけの場所に木の下、ことに高いのが一本だけしか立っていない木の下をさがすのはたいへんに不注意なあぶないことだ。雷は好んでその木の上に落ちるのだ。そのいちばん高くなったところに地上の電気が堆積しているので、雲の電気はできるだけそれに近づいて引こうとするのだ。で、もしそんなところにいれば、その人も落雷にみまわれるのだ。毎年、雷に人が打たれて死ぬという、悲しい、いたましい例は、この一番あぶない区域の背の高い木の下に雨やどりをしたりすることからできるのだ。」
「もし、おじさんがそのことを知らないでいらしたら……」とジュールがいい出しました。「あの嵐の日に、ぼくが雨よけしましょうといったあの松の木の下で、あのとき、ぼくたちは死んでいたかもしれないんですね。」
「それはわからないね。落雷で木は壊されたが、わたしたちもそれで死んだか、あるいは助かったかそれはわからない。危険な所に自分をおいて動かないのは、神をおそれない大胆な人だ。わたしたちはあのとき、神さまのお力であの危険な所から救い出されたのだ。われわれは、あの危険な木から逃げ出して、自分を救い出して無事に家に帰った。しかし、だれでも、じゅうぶんに自分を救うには知識が必要だ。それは、お前たちの心にもそのことで印象されたね。わたしはもういっぺん力を入れて、嵐のときの危険をくりかえすがね。高い塔や尖閣や、建築の屋根裏、ことに高い、そして一本立ての木にかくれるもんじゃない。その他に、ふつうにもちいられている予防の方法がある。たとえば、空気の激しい移動をおこす原因にならないように、走ってはいけないということ、空気の流通を防ぐために窓や扉をしめるというようなことは、みんな、何の価値もない方法だ。落雷は、そんな空気の流動で引かれるものではない。汽車がレールの上を非常に速い速力で走っているときには、空気は激しい移動をしている。けれどもそれは、止まっているときよりは雷に打たれやすいということはない。」
「雷がなるときに……」とエミルがいいました。「アムブロアジヌおばあさんは、あわてて窓や扉を閉めますよ。」
「アムブロアジヌおばあさんは他のたくさんの人たちのように、その危険なことを見るのをやめるのが安全だと信じているのだ。だから雷の音を聞かないようにあるいは電光を見ないように、自分で閉じこもってしまうのだ。だが、そんなことをしても危険はすこしも減りはしないのだ。」
「そのときにとる予防方法はないんですか?」とジュールがたずねました。
「その予防方法はふつうの条件ではない。それは神さまの意志にたよるよりほかはないのだ。」
「ほかのよりはずっと高い建物を保護するのには、われわれは避雷針というものを使うのだ。このおどろくべき発明は、フランクリンの考えにもとづいたものだ。避雷針というのは、強い、とがった、長い鉄の竿で組み立てたもので、建物の頂上に取りつけたものだ。その避雷針の底からは、またほかの鉄の竿が出ていて、それは屋根と壁とに沿うて走っている。そこはしっかりと、鋲でとめてある。そしてその先はしめった地面の中か、あるいはもっとよくするには深い水の中へつっこむ。もし雷がその建物に落ちると、それは避雷針を撃つ。避雷針は雷にいちばん近い物体で、なお、その金属の本質にしたがってもっとも電気をよくとおすのに適している。同時に、そのとがった形はいっそうその効き目をよくする。雷がそこに落ちると、その金属の避雷針はそれをみちびいて、何の損害もあたえないで地面の中に消してしまう。」
四〇 雲
電光の話がすむと翌朝、ポールおじさんは雲について教えてくれました。前日よりはずっとつごうのよい、おあつらえむきの天気で、空の一方には、綿の山かと思われるような白雲がムクムクとわき立っておりました。
「しめっぽい秋や冬の朝、灰色のヴェールのような煙が地面をつつんで、太陽をおおい隠し、眼前五、六歩の先もわからなくしてしまう、あの霧のことをおぼえているだろう?」と、おじさんはたずねました。
「空中を透かして見ていると、水の中のほこりのような物がただよっていますね。」とクレールがそういいました。するとジュールが、それにつけくわえていいました。
「その煙のようなものの中で、ぼくたち、エミルといっしょにかくれんぼをして遊びましたっけ。じき、五、六歩のところにいるのに、だれもわからなくなってしまいましたよ。」
「そうかい。」とおじさんはまた話しつづけました。「雲と霧とは同じ物なのだ。ただ、霧はわれわれのまわりにひろがって、灰色でジメジメして、冷たいものだということがわかっているが、雲は多少高い所にあって、遠くで見ると種々変わった形をしている。ほら、あそこにはギラギラした白雲があるだろう。そしてほかの雲は、赤か金色か火炎のようで、またほかの雲は灰色で、また別なのはまっ黒だ。色も見ているうちに変わってゆく。日が沈むころになると、太陽の光がだんだん弱くなるので、白色だった雲が緋色に変わり、燃え残りの火が金を溶かした池のように輝いて、ついにどんよりした灰色か黒色になってしまう。まるで太陽にしかけたイルミネーションのようなものさ。雲は実際、どんなに立派に見えていても、霧と同じようなジメジメした水蒸気でできているものなのだ。いまにその証拠を見せてあげるよ。」
「じゃ、おじさん、人間は雲のように高いところへのぼれるんですか?」とエミルが聞きました。
「できるとも。まず、ごく強いじょうぶな足が二本あれば山の絶頂までのぼれる。山にのぼると、おりおり、雲が足の下に見えることがあるよ。」
「では、おじさんは、そうして雲を見おろしてみたことがありますか?」
「ああ、あるとも。」
「ずいぶん、きれいなものでしょうね。」
「きれいだよ。きれいできれいで言葉には言えないくらいきれいだ。しかし、もし雲がのぼってきて人間をつつんでしまうと、あまり愉快なものじゃないがね。深い霧のこもった中で立ち往生してしまう。道がわからなくなる。谷へおっこちるかもしれぬような危ない所で、危ないことには気付かずに狼狽する。そして偽道を避けて正しい道だけをつれていく道案内者を見失ってしまうのだ。いや、雲の中では誰でもいやな思いをする。お前たちもいまにひどい目にあってそれを知るときがくるよ。そこでしばらく雲におおわれた山のてっぺんのことを話してみようね。もし、こちらの注文どおりに行くとしたら、この山の頂きにもいろいろ見たいものがたくさんあるんだ。」
「見上げると空はみごとに晴れて、危ない様子はすこしも見えない。日はこのうえもなく輝きわたっている。足下のほうには白雲が一様にひろがっており、前方から吹いてくる風のために、山頂の方へ吹き上げられてくる。見ると雲はうずまきながら山の方へのぼっている。それはちょうど、眼に見えない手で坂を押し上げてくる大きな綿の着物のようだ。ときどき日光が綿の深みへさしこんで、金か火のように雲を輝かす。夕方、太陽が沈むときの美しい雲もこれほどじゃない。すてきな色をして、たまらなくふうわりしている。雲はだんだん高くのぼってくる。そして山の頂きに巻いた白い帯のように、ピカピカしながらうずまいてくる。下の平原は見えなくなる。そして、わたしたちのいる山頂だけが、雲の幕の上にちょうど海上の島のように浮いて見える。が、ついにここもおおいかぶさってしまうと、もう、わたしたちは雲の中にいるんだ。温かみのある色もやわらかな様子も、みごとな眺めも、すっかり消え失せてしまう。そのときはもう、湿気をふくんだ暗い霧の中に入っているので、おしつけられるような気持ちがする。早く風が吹いてきて、このいやな雲を吹きはらってくれるといいと思う。」
「実際だれでも雲の中に入ると、そう思わないものはない。それほど雲は遠くから見ると美しいが、そばによってみると、せいぜいしめっぽい霧だけなのだ。雲の珍しいすがたは、離れて見るにかぎるよ。われわれが物好きをして、そばへよってほんとうの形をきわめようとすると、往々あてがはずれるものだ。が、そうしてそばへよって見ると、山野をいろどっているあの輝きの中に、雲はそのいちばん大事な実相を隠していることがわかる。雲の不思議は見かけだけのことで、じつは光線の幻にすぎないのだ。しかしまた、この幻の中に土地を肥やす雨がたまっているのだ。天地をつくった神さまが、醜い地球の様子を見て、それを広くおおい隠せるもので、しかもいちばん必要なものを地球のかざり物としてつくってやろうと思って、このすばらしい雲を着せてくれたのだ。雲の灰色の煙が雨になって降る。これが雲のいちばんだいじな仕事だ。そして太陽がこの雲を照らして、眼をおどろかすような紅色や金色や焔色をうつして見せるのは、ただ、雲の装飾としての役目にすぎない。」
「雲のある高さはいろいろとちがうが、一般に人が思っているよりは低い。ノロノロと地面にはっている雲がある。それは霧だ。かなり高い山の腹にくっついている雲もあるが、なかには山の頂きにかぶっている雲もある。一般には、雲の高さは一五〇〇尺から四五〇〇尺〔一尺は約三〇センチ。〕ぐらいのところだ。ごく珍しい場合になると、十二マイル〔一マイルは約一・六キロメートル。〕も高いところを飛んでいるのがある。永久に青々と晴れわたった高い空の上には、もう雲ものぼっては行かない。雷も鳴らない、雨もふらなければ、雪も霰も結ばない。」
「巻雲という名の雲は、うずまいたヒツジの毛クズのように見えたり、空の深碧に映じて、まばゆく白光りする繊維のように見えたりする。雲の中でいちばん高いのはこれだ。おりおりこの雲は、三マイルも上に浮いていることがある。巻雲が小さくまるまって、たくさんいっしょに固まっていると、ちょうどヒツジの背中を見るようだ。こんな雲で空がいっぱいになったときは、たいてい天気の変わる前兆だ。」
「積雲というのは、夏の暑いときの丸味のある大きな白雲で、綿の大きな山のようなものだ。この雲が出ると、後から暴風雨がやってくる。」
「では、むこうの山のそばにある雲は積雲ですね。」とジュールが聞きました。「まるで綿をたばねたようですもの。いまに暴風雨がくるんでしょうね。」
「そんなことはあるまい。風が別な方角に吹いているからね。暴風雨はいつでも、あの雲のある近所でおこっているのだ。ほら、あれをお聞き!」
電光が突然、積雲のかたまった中でひらめきました。そして、かなりたってから雷の音がひびいてきました。遠くなので音はごく弱くなっていましたが。ジュールとエミルとはさっそく質問しました。「なぜ、むこうの方だけ雨がふって、ここはふらないんでしょうか? なぜ電光がすんでから雷が鳴るんでしょうか? ね、なぜでしょう?」
ポールおじさんは答えて、「それをすっかり教えてあげよう。」といいました。「だがその前に、雲のもっとほかの形についてお話ししておこう。層雲というのは日没か日出のときに、地平線の上に不規則にならんだ紐のような雲だ。日光が薄いとき、ことに秋など、溶けた金属が焔のような色をした雲があるがそれだ。朝の赤い層雲のあとでは、風か雨がやってくる。」
「最後に、灰色をした暗雲のかたまりで、その雲と別な雲との区別がつかぬくらいむらがっているのには、雨雲という名がついている。こんな雲はたいてい、とけて雨になるのだ。遠くからながめると、往々、天から地へまっすぐにひろがった広い縞になっていることがある。それは雨をふらしている雲だ。」
四一 音の速度
「おじさんが積雲といったあの大きな白雲の下で、いま、暴風雨があるのでしょう。」とエミルがいいました。「たった今、電光も見たし雷も鳴りましたものね。ですけれど、ここじゃ反対に空が青く晴れていますよ。どこでも同じときに雨が降るんじゃないんですね。ある国が雨が降っていても、ほかの国では晴れているんですね。そのうえ、ここで雨が降るときは空が雲でいっぱいになりますよ。」
「空を見まいとするには、両眼に手をかざすだけでいい。ずっと遠くに離れた、はるかに大きな雲もこれと同じ力を持っている。その雲はあらゆるものをおおいかぶせて、何もかも曇らしてしまうのだ。」と、おじさんは教えてくれました。「が、それはほんの表面だけのことで、雲のおおっていない別なところの空は、からりと晴れてよい天気だ。今、雷が鳴っている積雲の下ではたしかに雨が降っている。また空もきっとまっ暗だ。あのあたりは、どこもかしこもすっかり雨だよ。なぜって、あのあたりは雲につつまれているからさ。もし、あそこの人たちが雲のない余所へ行ったとしてみたら、そこにはここと同じような、晴れた空があるにちがいないのだ。」
「では、速く走る馬に乗ったら、雲のかぶった、そして雨の降っているところを逃げ出して天気のいいところへ行くこともできるし、また、天気のいいところをかけ出して、雨雲の下へ行くこともできるんですね?」とエミルが質しました。
「うん、そうすることのできる時もあるが、雲のおおいかぶさる面積は非常に広いから、たいていの場合そうはいかない。そのうえ雲がある国からほかの国へ行くときは、どんなに早い競馬馬だって追いつきやしない。お前たちは風の吹く日、雲の影が庭の上を走って行くのを見たことがあるだろう。山も谷も野も川も、たちまちのうちに通りこしてしまう。お前が岡の上に立っているうちに、雲はお前の頭の上を通りこして行くよ。お前が二、三歩、谷へおりようとするうちに、影はさっさと歩いて、向かい側の坂をのぼっているだろう。雲といっしょに駈けられるなんていうことは、誰にだってできやしないよ。」
「仮にある国の大部分に、一時に雨が降ったとする。そんなことは決してないといってもいいくらいめったにないのだが……。まあ、一つの県全体に一時に雨が降ったとしたところで、その県と地球全体とを比較すれば、広い畑とその中のひとかたまりの土塊のようなものだ。雲は風に追われて、あちらこちら、大空の中をかけまわる。そしてそのかけて行く道には、影を落とすか、雨を流すかするのだ。この雲が行くところはきっと雨だが、ほかの場所では雨はふらない。同じ場所でも、雲の上にいるか下にいるかで、晴れにもなれば雨にもなる。山の絶頂ではおりおり、雲が人間の足下にあることがある。この山の頂きでは、日が輝いて雨は一粒もふらぬような好天気のとき、雲の下の野原では、大雨がふっているようなことがあるのだ。」
「よくわかりました。」とジュールがいいました。「で、今度はぼくがたずねますよ、おじさん。ここから見えるあの暴風雨の雲のところで、さっき、電光がしましたね。ところがしばらくしてから、雷がさかんに鳴るのが聞こえましたが、なぜ、電光と雷はいっしょでないんでしょうか?」
「光と音との二つで雷の落ちたことがわかるんだが、光は電光のひらめきで、音のするのが雷だ。ちょうど銃砲を撃つのと同じようなもので、火薬に発火すると光ができ、その結果、音を発する。爆発するとき、光と音とは同時に出るのだ。だが、遠くにいると、速度のすばらしく早い光が先に眼には入って、速度の遅い音は後から聞こえる。もしお前が、かなり遠くの方から鉄砲を撃つのを見ていたら、最初、爆発の火と煙とが見えて、しばらくの間は音は聞こえないにちがいない。発射する所に遠ざかれば遠ざかるほど音は遅く聞こえる。光はごくみじかい時間に、非常に遠くまで達する。だから鉄砲の火はその瞬間に眼にうつるのだ。そして、音の方はしばらく経たなければ聞こえないのは、音の速度は光の速度よりも遅くて、遠い距離をこえてくるのにそれだけ長くかかるからだ。それは容易く測ることができる。」
「大砲の火の見えたときと、その音の伝わってきたときとのあいだを十秒間と仮定する。つぎに、その大砲を撃った場所とその音を聞いた場所との距離をはかって見る。三四〇〇メートル(一万一〇〇〇尺)だとする。そこで音は空中を伝わって、一秒間に三四〇メートル(一一〇〇尺)を進むことがわかる。この速度は砲弾と同じくらいの速さではあるが、なんといっても光の速度とはくらべ物にならない。」
「音と光のつたわる速さの相違は、つぎの実例で説明ができる。遠方できこりが木を切っているか、石工が石をきざんでいるのかが見えるとする。斧が木にあたるのを見、または槌が石にあたるのを見て、それからいくらかたった後ではじめて音が聞こえる。」
「ある日曜日に、ぼくは教会のベルが鳴るのを遠くから見ていました。」と、ジュールはおじさんの言葉をさえぎっていいました。「ベルの心の動くのはわかっていましたが、音はずっと後まで聞こえませんでした。が、いま、その理由がわかりました。」
「電光がひらめいてから、雷が鳴るのが聞こえ出す瞬間まで何秒かかるかはかっておくと、暴風雨の雲とお前との間の距離がわかるのだ。」
「一秒というと長いあいだでしょうか?」エミルがたずねました。
「なあに、脈が一つ打つあいだのことなんだ。で、まず一、二、三、四というふうに、いそぎもせず、また、あまりゆっくりもしないで、秒数をかぞえなければならない。積雲に電光がひらめく瞬間に気をつけて、雷が聞こえるまで静かにそれをかぞえるのだ。」
みんなは眼をすえ、耳をすまして空を見ていました。ついに電光が眼に入りました。おじさんが合図するのをみんなでかぞえます。一、二、三、四、五……。十二という時にやっと聞こえるほどかすかな雷が鳴り出しました。
「雷がここに聞こえるまでに十二秒かかったよ。」とポールおじさんはいいました。「音が一秒間に三四〇メートル走るものとすれば、今の雷はどれくらい離れたところから聞こえたんだろう?」
「三四〇を十二倍しただけですわ。」とクレールが答えました。
「そうそう、じゃ、かけてごらん。」
クレールは計算をしました。答えは四〇八〇メートルになりました。
「電光は四〇八〇メートルのむこうで光ったのですから、ここからあの暴風雨雲までは三マイル以上離れているんですわ。」と、この娘さんはおじさんにいいました。
「やさしいんだなあ。」とエミルが声をあげていいました。「一、二、三、四をかぞえると、じっとしたままで、雷が落ちた所の遠さがわかるんですねえ。」
「電光がしてから雷の鳴るまでの時間が長ければ長いほど、雲は遠方にあるのだ。音と光とがいっしょにくれば、その爆発はすぐそばにあったのだ。ジュールは松林で暴風雨に出会ったからよく知っているだろう。」
「電光が見えてからは、もうなんにも危ないことはないんですってね。」とクレールがいいました。
「雷の落ちるのは、光と同じように速い。だから、電光がすると同時に雷は落ちているんだから、もう危険はなくなってしまうのだ。なぜかというと、雷の音はいくら大きくっても、何のケガもさせはしない。」
四二 水差しの実験
前の晩ポールおじさんは、雲は地の上にはっていないで、高い所に浮いている霧だということを教えてくれました。けれども霧は何でできていて、どういうふうにできているものかということは話しませんでした。それでその翌くる日、おじさんはまた雲の話を続けました。
「アンブロアジヌおばあさんが洗濯をすると、着物を紐につるしておくね。あれはなぜそうするのだろう? 水でしめった着物を乾かすためなんだね。では、その水はどうなるんだろう? だれか知っているかね?」
「そりゃ、消えてしまいますとも。」とジュールが返事をしました。「しかし、どうなるのかはすこしもわかりません。」
「水は空中でとけて、空気と同じように眼に見えないものになって散らばるんだ。かわいた砂山に水をかけると、水はしみこんでなくなってしまうだろう。そうすると、砂はさっきとはちがったものになってしまうね。はじめは乾いていたのが、こんどはぬれている。つまり砂は、その水を吸いこんでしまうのだ。空気もこれと同じようなことをする。空気が着物についている水分を吸いこんで、やはり砂のようにしっとりとなるのだ。そして空気は、何もほかの物をふくんではいないようなふうに、その空気と水とがうまく融けあう。こうして眼に見えなくなって一種の気体のようになった水のことを、水蒸気という。そして水がこうなることを蒸発するという。われわれが乾かして蒸発させようとする着物の水分、すなわち水は、空気にさらされると、眼には見えない水蒸気となり、風の吹くにまかせてどこへでも拡がって行くのだ。温かければ温かいだけ、蒸発が速くいきおいよくすむ。お前たちは、ぬれたハンカチが暑い日には早く乾くが、くもったり寒かったりする日には、乾き方が遅いことを知っているだろう。」
「アムブロアジヌおばあさんはね、お洗濯する日にお天気がよいと、そりゃずいぶんよろこびますわ。」とクレールがいいました。
「庭に水をまくと、どんなことがおこるか知っているだろう。非常に暑い日盛りに、枯れないばかりにしぼんだ植木に水をやろうとすると、つぎのようなことがおこるね。ポンプの水をせいいっぱいに出して、お前たちがみんな如露を持って、あちらに一人、こちらに一人、大急ぎでしぼんだ植木や苗床や植木鉢の花に水をかけてやる。すぐ庭が水を吸いこむ。すると、なんともいえないほどすがすがして、暑さにしぼんだ植木は、また前のようにいきおいよくピンとして生き生きする。まるで木がおたがいにささやきあって、水をかけられてうれしかったと言っているように思われるくらいだ。いつまでもそのままでいれたらいいんだがね。なかなかそうはいかない。また次の日になると土は乾いてしまって、なにもかもやりなおさなけりゃならなくなる。では、昨日の水はどうなったのか。その水は蒸発して空気に飲まれて、雲の一片となり、ふたたび雨になって降るまでは、非常に高いところを遠くのほうへ飛んで行かなければならない。ジュールや、お前は花にかける水をくみあきたとき、水が井戸からくみだされて庭にまかれると、遅かれ早かれ空気と一つになり、雲になってしまうのだと思ったことがあるかい? そんなことはないだろう。」
「ぼくね、庭に水をまくとき、空気やそのほかのそんな物に水をかけているんだとは思いませんでしたよ」とジュールが答えました。「しかし、空気はずいぶんな水飲みだってことが今、わかりました。如露いっぱいの水のうち、植木はほんのひとすくいだけ吸って、残りは空気と一つになってしまうんですね。どうりで毎日毎日、水をかけなくちゃならんのだなァ。」
「もし、皿いっぱいの水を日に照らしておくと、最後にどうなるんだろう?」
「ぼく、知っています。」エミルがすぐさま答えました。「水はすこしずつ水蒸気になって、皿だけが残されてしまうにちがいありません。」
「皿の水や、土や布の湿気や、もっと広くいえば、あらゆる地面の水分がなくなるとどうなるのだろう? 空気は湿地と接しているし、また、池や沼や溝や川のたくさんの水面とも接しているし、そのうえ陸地の三倍もある大きな海の表面とも接しているのだ。だから、ジュールのいう大水飲みの空気は、暑さの加減で多く飲んだり、少なく飲んだり、いつも腹いっぱい飲んでいるから、いたるところ、またいつなりとも空気は水気を持っているんだ。」
「今、われわれの周囲にある空気は、見たところでは何もふくんでいないようだが、じつは水をふくんでいるのだ。それを知る方法はごく簡単だ。まず第一番に空気は、少々冷やせばいいのだ。ぬれた海綿をしぼるときは、水を浸み出させりゃいい。しめった空気を冷やすのは、海綿をしぼるのと同じように、水分を小さなしずくにしてたらしてしまう。クレールや、お前、井戸から冷たい水をビンにくんできておくれ。おじさんがおもしろい実験をして見せるから。」
クレールは台所に行って、ごく冷たい水を入れたビンを持ってきました。おじさんはハンカチを出して、ビンの外側にしずくが垂れていないようにふき取って、やはり同じようにふいた皿の上にそれを乗せました。
最初すきとおっていたビンは、一面に霧を吹いたようになって、透明なのが曇ってきました。すると小さなしずくができて、外側をすべって皿の中に落ちました。十五分間もたちますと、皿の中には、指ぬきに盛ることができるほどの水がたまりました。
「しずくは今、ビンの外側をすべり落ちているよ。」と、おじさんは説明しました。「水がガラスに穴をあける理由はないから、このしずくはビンの中から出てきたのでないことは確かだね。これはビンの周囲の空気がこうなったので、空気はビンに触れると冷えて湿気が垂れるようになったのだ。もしビンに氷がつまっていてもっと冷たくなっていたら、垂れる水はもっと多くなるのだ。」
「そのビンでわたし、同じようなことを思い出しましたわ。」とクレールがいいました。「きれいなコップに冷たい水を入れましたらね、コップの外側がよく洗わないのかと思うくらい曇ってしまいましたよ。」
「それもやっぱり周囲の空気が、コップの冷たいところにふれて水分をおいたんだよ。」
「眼に見えない湿気は、空中にたくさんあるのですか?」とジュールが聞きました。
「空中の湿気はいつもごく希薄で、そしてちらばっているから、すこしの水を作るにもずいぶんたくさんの空気がなくてはならない。夏の暑い、いちばん水蒸気がたくさんあるときでさえ、一リットル(五合五勺)の水を作るに六〇〇〇リットルの空気がいるんだからね。」
「それっぱっちの水しか入っていないんですか?」とジュールがいいました。
「それでも空気がたくさんあることを考えれば、その中の水はたいしたものになるんだ。」とおじさんは答えて、また、つぎのように話しました。
「このビンの実験で二つのことがわかった。第一に、空中にはつねに、眼には見えない水蒸気があるということ、第二に、この水蒸気を冷やすと、眼に見える霧となってやがて水のしたたりとなるということだ。眼には見えない水蒸気が眼につく霧になり、ついに水の形に帰ってゆくことを凝縮するというのだ。熱さは水を眼に見えない水蒸気にしてしまうし、寒さはこの水蒸気を固めて、液体にするかまたは眼に見える水蒸気、すなわち霧にしてしまう。あとはまた今晩、話ししよう。」
四三 雨
「今朝の話は、雲のなりたちについてだったね。湿地の表面や、湖や池や沼や川や、種々の海の表面には、つねに蒸発がおこなわれている。できた水蒸気は空高くのぼって、熱がまだじゅうぶんある間は眼に見えないままでいる。しかし高く登るにしたがって熱さが減り、水蒸気がもうそれ以上溶けきったままでいられなくなると、はじめて眼に見える水蒸気のかたまり、すなわち霧か雲かになる。」
「空の上層で寒さが加わってきて、その水蒸気が一定の程度まで凝縮すると、雲から水のしずくができて、それが雨となって降ってくる。最初は小さなものだが、落ちていく途中で、別な小さなしずくといっしょになって嵩を増してくる。だから、高いところから降ってくればくるほど、その雨は大きくなる。が、いくら大きくなっても、その雨もつとめなければならない役目に相応した限度をこえることはない。それがあまり大きくなれば、そのそそぐ草木の上へあまり重く落ちて、草木をたおしてしまう。で、もしこの水蒸気の凝縮が、ゆっくりとだんだんにおこなれないで、突然おこなわれたとしたらどうだろう。たちまちドシャ降りの大雨になって草木はたおれ、穀物の収穫はメチャメチャになり、われわれの家の屋根までも流してしまうだろうが、雨はそんな乱暴な降りかたをしないで、その降ってくる路にある、何かの篩にでもかけられてきたように、つぶになって降ってくる。だがまれには、教育のない人をビックリさせるような妙な雨が降ることがある。血の雨だの、硫黄の雨だのが降ってきたとき、誰がこれにビックリしないものがいるかね?」
「おじさん、血の雨や硫黄の雨ですって? ぼくならビックリしますね。」とエミルがおじさんの言葉をさえぎっていいますと、
「わたしだってよ。」とクレールもいいました。
「それはほんとうですか?」今度はジュールがたずねました。
「ほんとうだとも。わたしは嘘の話なんかしやしないよ。少なくとも見かけだけでは、血の雨もあれば硫黄の雨もある。血のような赤いものが壁や路についていたり、また木の葉や道を歩く人の着物についていたりしたのを見てきた人があるからね。またあるとき、雨といっしょに硫黄のような黄色い粉が空から降ってきたことがある。が、これはほんとうに血の雨や、硫黄の雨なんだろうか? それはちがう。この血の雨だの硫黄の雨だのというのは、じつは風に吹き上げられたいろんな花粉の入った雨なんだ。春になると、山国では広いモミ林に花が咲く。そして風が吹くたびに小さなモミの花にくっついた黄色い粉を運んで行く。どんな花にも同じような粉があるが、ことにユリの花にはそれがたくさんある。」
「鼻をそばへ持って行ってユリのにおいをかごうとすると、鼻にくっつくあの粉がそうでしょう?」とジュールがいいました。
「そのとおり。それは花粉というものだ。花粉はそのまま遠方に落ちることもあるが、風にあおられて雨といっしょになって落ちるのが、そのいわゆる硫黄の雨なんだよ。」
「そんな血の雨や硫黄の雨は、ちっとも怖かあ、ありませんわ。」クレールがいいました。
「もちろん、怖かあないよ。だが、それでも世間の人々は、この花粉の旋風を見てキモをつぶしているんだよ。そんな人たちはそれを見て、疫病の前兆だとか、この世の終わりだと思っているのだ。なんにも知らないということはじつにあわれなものだ。が、知識は、そんなバカな心配をさせないだけでもありがたいね。」
「いまに硫黄の雨や血の雨が降るかもしれんが、人がいくらこわがったって、ぼくだけはだいじょうぶだぞ。」とジュールが、いかにも強そうにいいました。
「空からは雨といっしょに、または雨は降らなくても、いろんな小さな物が降ってくるかもしれないね。たとえば砂だとか、チョークの粉だとか、道ばたのほこりだとかいった物がね。小さな動物や毛虫や昆虫やカエルが降ってくるのを見たという人さえあるのだよ。もし人々が、強い大風が吹くと軽い物はなんでも持ったまま飛んで行って、それを落とすまでには非常な遠い所まで運んで行くものだということを知っていたら、こんな雨の不思議は何でもなくなるんだがね。」
「また、この風が運んでくるのとはちがった原因から、昆虫の雨が降ることがある。たとえば、あるイナゴは食べ物がなくなってくると、ほかの土地へひっこすために大勢集まって大きな群をつくる。ある信号がかかると、このイナゴの移民隊は、太陽の光をさえぎるほどの大きな雲を形づくって空を飛んで行く。あまり大勢なので、この移住は数日もかかることがある。そしてこの食いしんぼうのイナゴの群は、生きた嵐のようないきおいで遠い遠いところの野原におりてくる。そして五、六時間のうちに草も木の葉も穀物も、野原のものはことごとく食われてしまう。野火に焼けたようなぐあいで、地上には草の葉一つ残らない。そのおかげでアルジェリアという国の人たちが餓死したこともあったくらいだ。」
「また、火山は燃えかすの雨を降らせる。火山灰というのは、噴火のとき、非常な高いところまで噴きあげられた灰のことだ。この粉灰はすばらしく大きな雲のようなもので、昼間を闇の夜同然のまっ暗にしてしまうし、そしてかなり遠方の地にまで降って、動物や植物をうめ殺してしまうことがある。」
四四 噴火山
「まだ夜もふけませんから、おじさん、灰を夕立ちのように降らせる、あの噴火山というおそろしい山の話をしてくださいませんか?」とジュールがいいました。
「噴火山」という言葉に、今までねむっていたエミルが眼をこすって耳をかたむけました。彼もこの話が聞きたかったのです。おじさんはいつものとおり、子どもたちのたのみを聞いてやりました。
「噴火山というのは、煙だの、焼けかすだの、まっ赤に焼けた岩だの、また溶岩という岩の溶けたものなどを噴きあげる山のことだ。頂上には煙突のようになった大きな穴がある。そのあるものは周囲が幾里〔一里は約四キロメートル〕もあるのもある。これが噴火口だ。噴火口の底はうねった管か煙突のようになっているが、あまり深くてはかれない。ヨーロッパのおもな噴火山は、イタリアのナポリの近所にある、ヴェスヴィオ山、シチリア島にあるエトナ山、それからアイスランドのヘクラ山などである。噴火山はたいがい休んでいるか、または現に煙をはいているかの、どちらかだ。しかしその休んでいる山でも、時々ゴウゴウうなったりふるえたりして、焼けただれた物を滝のように噴き出す。これを噴火するというのだ。この噴火がどんなものかということを話すのにわたしは、ヨーロッパの噴火山中、いちばん有名なヴェスヴィオを例にひこう。」
「噴火がおこる前に、たいてい噴火口の穴を満たしている煙がまっすぐに噴き上げられて、風のない日だと約一マイル〔一マイルは約一・六キロメートル。〕も空高くのぼる。この煙は空に登るときは、毛布のようにひろがって太陽の光線をさえぎる。噴火の数日前は煙が噴火山上に沈んで、黒い大きな雲のように山をおおいつつんでしまう。それからヴェスヴィオ山の周囲の土地が震い出す。地の中でゴーゴーいう爆発の音が聞こえる。時のたつにつれてその音が激しくなり、まもなく激しい雷鳴になってしまう。まあ、砲兵隊が山腹で、たえまなしに射撃している爆音を聞いているんだと思えばいい。」
「たちまちのうちに火のかたまりが噴火口から噴き出されて、二、三千メートルの高さまでのぼる。噴火山の上に浮いている雲は赤い焔に照らされて、空が燃えるように見えてくる。何千万とも知れぬ多くの火花が、火柱の上のほうへ稲妻のように飛んで行って、まぶしい尾を引きながら弧をえがいて、火山山腹へ火の雨となって降る。この火花は遠方から見るとごく小さな物だが、じつは白熱した石のかたまりだ。中には直径数メートルにおよんで、落ちるおりに厳丈な建物をおしつぶすくらいの重さを持っているものがある。人工の機械で、どうしてこんな大きな石をこんなに高くまで投げることができるものか、人間の力ではいっぺんだってできないことを、噴火山は手玉に取るようにくりかえしくりかえし、何べんもやる。幾週間、幾月というもの、ヴェスヴィオ山はこうしてこの赤くなった石を花火の粉のように無数に噴き出したのだ。」
「それは恐ろしくもあるが、また、きれいなものでしょうね。」とジュールがいいました。「ぼく、噴火が見たいなあ、もちろん遠方からね。」
「すると、山の上の人たちは?」とエミルがたずねました。
「そんなときには、だれも用心して山へは行かない。行くと生命を失うかもしれないし、煙で窒息するかもしれず、まっ赤に焼けた石におしつぶされるかもわからないからね。」
「そのうちに、山の深い底から噴火口をとおって溶けた鉱物や溶岩が噴き出されて、噴火口にひろがり、太陽のようにまぶしい火の湖をつくってしまう。野原にいて気づかわしげに噴火の進行をながめている見物人は、この空高くただよっている煙にうつる美しいイルミネーションを見ると、溶岩の洪水がおそって来やしないかと心配する。が、噴火口はもういっぱいだ。そこで突然地震がして、雷鳴ともろともに爆破して、その裂け目のあいだから、噴火口のはしの方からと同様に溶岩が川のように流れる。この火の流れは、溶けた金属のような糊のようなもので、ゆるゆると流れて、その前にあるものをすべて焼きつくしてしまう。そこから逃げることはできるが、地にとどまっているものは何もかもなくなってしまう。木は溶岩にふれるとたちまち燃えて炭になり、厚い壁は焼けてたおれ、固い岩もガラスのようになって溶けてしまう。」
「が、この溶岩の流れは、遅かれ早かれ止んでしまう。すると、地中の水蒸気が今までおさえられていた波動体の圧迫から逃れて、おそろしいいきおいで飛び出してきて、雲のように舞うこまかい塵の旋風をおこしながら、近所の野原におりるか、あるいは数百里もの遠い所へ風で運ばれて行く。そして最後に、おそろしい山も静まって、またもとの平穏に帰る。」
「もし、噴火山の近所に町があったら、その火の河はそこへ流れこんでこないでしょうか? そして灰の雲がその町をうめてしまいやしないでしょうか?」とジュールが聞きました。
「不幸にしてそんなこともありうる。そしてまた、実際ありもした。その話は明日することにして、もう時間だ、寝ようじゃないか。」
四五 カターニア
「昨日、ジュールは噴火山の近くにある町には、溶岩の河は流れてこないものだろうかとたずねたね。」とポールおじさんは話し出しました。「これからお話しするのはその返事だ。エトナ山の噴火の話だよ。」
「エトナというのは、一〇〇匹の馬のクリの木のある、あのシチリア島の噴火山ですね。」とクレールがいいました。
「そうだ。今から二〇〇年ほどむかしのこと、シチリアに歴史上もっとも激しい大噴火がおこった。激しい暴風雨があった後で、たくさんの馬が一時にドッとたおれるような強い地震が夜じゅうつづいた。木は葦が風になびくようになぎ倒され、人はたおれる家の下におしつぶされないように気狂いのように野原へ逃げようとしたが、ふるえる地上に足場を失って、つまずき倒れた。ちょうどそのとき、エトナは爆発して四里ほどの長さに裂けて、この割れ目に沿うてたくさんの噴火口ができ、爆発のおそろしい響きともろともに、黒煙と焼け砂とを雲のように吐き出した。やがて、この噴火口の七つが、一つの深い淵のようになって、それが四か月間雷鳴したり、うなったり、燃えかすや溶岩を噴き出した。エトナ山の旧噴火口は、はじめはまったく静かにおさまりかえって、その炉は新しい噴火口の炉とは何の関係もないように思われたが、四、五日の後にはふたたび目覚めて、焔と煙の柱を非常に高く噴き上げた。そこで山の全部がゆれて、旧噴火口の上にあった山の頂きは火山の深い谷底へ落ちこんでしまった。その翌日、四人の登山者が無理に山の頂きに登ってみた。噴火口は昨日の落ちこみでずいぶんひろがっていた。そして穴の口は、前には一里ほどあったのが、こんどは二里ほどになっていた。」
「そのうちに溶岩の河は山のすべての裂け目から流れ出して、家や森や作物をほろぼしながら平原のほうへ流れて行った。この噴火山から数里離れた海岸に、じょうぶな壁にとりかこまれたカターニアという大きな町があった。火の河はとうとう数か村を飲みつくして、カターニアの壁の前まできた。そしてその近郊にひろがって行った。火の河はその強い力をふるえるカターニアの人々に見せつけるように、一つの岡を引っこぬいてそれを遠くへ持って行き、ブドウを植えた畑をひとかたまりに持って行って、その緑の草木が炭になって消え失せるまで、それをあちこちと漂わした。最後にこの火の河は、広い深い谷についた。カターニア人はみなこれで助かったと思った。いまに火の河は、この広い谷底をうめてしまう前に、その力をなくしてしまうだろうと思ったのだ。が、それははなはだしい当てちがいであった。たった六時間の短いあいだに谷はいっぱいになって、溶岩はあふれ出し、幅半里、高さ一〇メートル(三丈)もある河になって、一直線に町に向かって進んできた。もしそのまま進んで行ったら、カターニアはすでに全滅してしまったかもしれない。さいわいなことには、そのとき他の火の河が流れてきて最初の河をよこぎった。それで最初の河はカターニアへはこないで、その進路を変えてしまった。そこでこの方向を変えた河は、見る間に町の壁に沿うて海の中へ流れこんだのである。」
「おじさんが、家ほどの高さの火の河が町に向かって一直線に流れてきたと話したときには、ぼく、カターニア人をかわいそうに思ってずいぶん心配しましたよ。」とエミルが口を出しました。
「まだ、すっかりすんだんじゃないよ。」とおじさんは言葉をつづけました。「いま話した火の河だね、それは海へ流れこんで行ったんだ。そして水と火との間に激しい戦さが持ち上がった。溶岩は長さ一五〇〇メートル、高さ十二メートルの戦線をつくって進んで行く。この火の壁はとうとう海の中へ進んで行って、水蒸気の大きな煙がおそろしく激しい音をたてて立ち昇る。そして濃い雲で空をくもらせて、このあたり一帯塩からい雨を降らせたのだ。そして四、五日の間に、この溶岩は岸から三〇〇メートルも遠くへ行った。」
「しかし、カターニアはまだ危険だった。火の河は支流をあわせて日に日に大きくなり、だんだん町に近づいてきた。町民は城壁の上の方からこのわざわいの執念ぶかくせまってくるのを、ふるえながら見守っていた。ついに溶岩は町の壁にとどいた。火の波は、ごくゆっくりではあるが絶え間なくだんだんのぼってきて、もう塀よりも高くなりそうに見えてきた。やがて、壁の上とすれすれになった。すると、その圧力をうけて、壁が四〇メートルほど壊れた。そして火の河は町の中へ侵入してきた。」
「まあ!」とクレールが声を立てました。「かわいそうに、そこの人たちはみんな死んだのですね?」
「いや、人は死にやしなかった。というのは、溶岩はベタベタしたものでゆっくりと流れてくるのだし、そのときはもうみんな、じゅうぶん用心していたんだからね。で、ひどくやられたのはただ町だけだった。溶岩のなだれこんだところは一番高いところで、そこから四方へひろがることのできる場所だった。つまりカターニアは全滅しなければならないものと思われていた。けれども、この火の流れと戦った勇敢な人々のおかげで、町は救われた。その人たちは、この火の河の流れてくる道すじに、その方向を変えさせるような石垣を作ろうとした。この工夫も多少うまくは行ったが、しかし、つぎの工夫のほうがもっとうまく行った。溶岩の河は、すぐにその表面が固まって、自然と固い鞘のようなものにつつまれる。そして、このふたの下では依然として液体のままのものがその進行をつづけている。そこで人々は、この自然の溝を適当の場所で破壊して、べつに町を横断する道を開いてやったら、そこから流れ出て町をとおりぬけてしまうだろうと、こう考えたのだ。そこでじゅうぶんな警戒がすむと、頑丈な人々が、噴火山から遠くないところで鉄棒をふるって火の河を壊そうとした。が、あまり熱がはげしいので、続けさまに二つ三つたたくと、そこから遠のいて休まなければならなかった。しかし、それでもこの人々はついに、この固い鞘に穴をあけることができて、予想したとおり溶岩はこの穴から流れ出した。そして、カターニアは大損害を受けたには受けたが、とにかく助かった。溶岩の河が町の壁に届くまでの間に、三〇〇戸の人家と二、三の宮殿と、数組の教会とは滅亡させられてしまったのである。カターニア以外の場所では、この不幸な噴火は、五平方里から六平方里の土地を、ある所では十三メートルの厚さに溶岩が敷きつめ、そして二万七〇〇〇人の家を滅ぼしてしまった。」
「生きたまま焼かれるかもしれないのに、そんなことにはかまわず出かけて行って、火の河の路を開けてやるような勇ましい人々がいなかったら、カターニアはきっと滅んでいたにちがいありませんね。」とジュールがいいました。
「もちろんカターニアは、全部焼け失せてしまったかもしれない。そしてその町は冷たい溶岩の下にうもれて、むかしの大都会の名前だけが今日わずかに残っているだけだったかもしれない。わずか三、四人の強い心を持った者が、気のくじけたみんなの勇気をよみがえらせる。みんなは、天がその努力を助けることを希って、その身を犠牲にしておそろしい災難を防ぐのだ。お前たちも危険なときに出会ったら、これを手本にしなくてはならない。知識のすぐれた人は、心もそれ以上にすぐれていなければならない。わたしのように年をとると、お前たちの知識がふえたことをきくよりも、お前たちのおこなったいいことの話を聞いた方がよほどうれしい。知識というものは人を助ける手段にすぎない。いいかい、忘れちゃいけないよ。で、大きくなったら、お前たちはカターニアの人々がしたように危険をせおって立たなければならない。わたしの慈愛と話のお礼に、これだけ頼んでおくのだよ。」
ジュールはそっと涙をふきました。おじさんは、良い素地の中へその話の種をまいたことをさとりました。(つづく)
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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科学の不思議(五)
STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#5字下げ]三七 紙の実験[#「三七 紙の実験」は中見出し]
『猫を嚇すのはよして、今度は他の方法で電気を起して見よう。
『普通のいゝ紙を縦にたゝんで、その両方の端を持つて、ストオヴか、火の前に持つて行つて焦げさうになるまで熱くする。うんと熱くすればよけいに電気を発する。最後に、その紙の両端だけを持つて、その熱い紙を出来るだけ早く、膝の上に拡げておき毛織の布に手早くこすりつける。その膝の上の布は前に暖めて用意をしておくのだ。もしズボンが毛織ならばその上にこすりつけていゝ。その摩擦は、紙の縦目にそふて激しく磨らなくてはいけない。少しこすつたら、その紙に何んにも触れさせないやうに、よく注意をして、一方の手で持ちあげる。もし紙が何かに触れゝば電気は逃げてしまふのだ。それから早速に、あいてゐるもう一方の手の指の関節か、或はもつといゝのは鍵の端を持つて行つて、その細長い紙の真中に近づける。すると、一つの火花が紙から鍵へ発して軽い音を立てゝるだらう。その火花をもう一つ出さうとするには、もう一度おなじ事を繰り返さなければならない。何故かと云ふと、指や鍵を紙に近づけた時に、紙に起きた電気はみんな失くなつてしまうからだ。
『また火花を出す代りに、その電気の起きてゐる紙を、紙や藁や或は羽毛のきれつぱしの上の方に平らにして見てもいゝ。それ等の軽い物体は、代りばんこに引きつけられたり撥返《はねかえ》されたりする。電気はその細長い電気を起してゐる紙から物体へと急速に行つたり来たりするのだ。』
ポオル叔父さんはなを附加へてお手本を見せる為めに、一枚の紙を取つて、うんと手ごたへのあるやうに、細長くたゝみました。そしてそれを暖めて、自分の膝の上にこすりつけました。そして最後にその指の関節をそれに近づけて火花を飛ばせました。子供達は、その紙からパチツと音を立てゝ飛び出す火花にすつかり驚いてしまひました。猫の背中の光の泡粒は無数でした。けれども、もつと弱くて光つてゐました。
その晩アムブロアジヌお婆あさんは、ジユウルを寝床に連れてゆくのに大骨折りだつたといふ事です。それはジユウルが、そのやり方を覚えましたので、夢中になつて疲れるのも知らずに紙をあぶつたりこすつたりしてゐたからです。たうとうその実験を止めさすのに、叔父さんの仲裁が必要になつた程でした。
[#5字下げ]三八 フランクリンとド・ロマ[#「三八 フランクリンとド・ロマ」は中見出し]
翌日クレエルと其の二人の弟は、昨晩の実験の事より他の話はなんにもしませんでした。そのお話は朝の間中続きました。猫の背中の火の泡粒や、紙から出る火花がみんなに大変な印象になつたのです。
其処で叔父さんは、その眼ざめて来たみんなの注意を利用する為めに、直ぐに出来るだけ早く、ためになる話しをはじめました。
『お前達は、叔父さんが、何故お前達に雷の話をしてやる前に、封蝋の棒や、細長い紙や、猫の背中をこすつて見せるのだらうと不思議がつてゐるだらうね。雷の事は話してあげる。だが、みんな先づ此の話をお聞き。
『今から百年も、もつとそれ以上も昔、ネラと云ふ小さな町の長官で、ド・ロマと云ふ人が、科学の年鑑に記録された、非常に重要な実験をした。或る日、その町長さんは大きな紙鳶《たこ》と綱の球をもつて、嵐の最中に、田舎へゆきました。二百人あまりの人達がひどく面白がつて町長さんについて行つた。此の有名な町長さんは何をしようとするのだらう。重大な職務はそつちのけで、何かつまらない遊戯でもするのだらうか? そのものずきな人達は、大人気ない紙鳶あげの見物をしようと思つて町中から集まつて来たのだらうか? いや、いや、さうぢやないんだ、ド・ロマは、人間の天才的な想像で思いついた大胆不敵な計画を実行しようとしてゐたのだ。その計画と云ふのは、あの真黒な雲の中から雷を喚び、天から火を落さうと言ふのだ。
『その嵐の最中に、雲の中から雷を引いて来ようと云ふ、勇敢な実験者になつた紙鳶は見たところはお前達のよく知つてゐるのと少しも違つてゐなかつた。たゞ、その麻縄には銅の長い針金が通つてゐた。風が吹いて来ると、その紙鳶は空に上つて行つて、凡そ二百メエトル位の高さになつた。その綱の末端には絹の紐がついてゐて、その紐は、雨を避けて或る家の入口の階段の下にしつかりと括りつけてあつた。麻縄の一点には、小さな錫の円筒が吊してあつて、それは縄を通つてゐる銅線に触れてゐる。最後に、ド・ロマは、もう一つ同じやうな円筒を持つてゐた。それは一方の端にガラス管の柄のやうなものがついてゐた。町長さんは此の励磁機《れいじき》と云ふ機械のその硝子の柄を持つてゐて、銅の紙鳶糸からその糸の端にある金属の円筒に雲の中から導かれて来た火を、その手に持つた円筒で出して見ようとしたのだ。紙鳶糸の端に絹紐をむすびつけたり、円筒に硝子の柄をつけたりしたのは、絹や硝子等の物質はそれが非常に強力なものでさへなければ、電気を通さない性質を持つてゐるので、励磁機を持つてゐる腕や縄の先から地の中へや、雷電が逃げないやうにそれを防ぐ為めになるのだ。金属はこれに反して、自由に通すのだ。
『それが、ド・ロマが自分の大胆な先見を確める為めに考へ出した簡単な装置だ。さて、此の子供のおもちやを空へ飛ばしてそれが雷に会へば一体どういふ事になるのだらう? そんなおもちやで雷を自由に扱ふ事が出来るなんて馬鹿な考へだとしかお前達には見えまい? だがそのネラの町長さんは雷の本質について、十分に聡明な熟慮を重ねてその成功が確かだと云ふ事を信じてやつたのだ。それだから、大勢の見物人を前にしてその試みに取りかゝる事が出来たのだ。それがもしうまくゆかなければ、町長さんはすつかり困つてしまはなければならない。その意見と本物の雷の間の恐ろしい戦ひの結果を見ないでおく事は出来ない。意見は何時もよく導かれた時には勝つ事が出来るのだ。
『嵐の先駆の雲は見る間に紙鳶の近くに来た。ド・ロマは、その励磁機を縄の端に吊されてゐる錫の円筒に近づけた。すると忽ちに光が閃めいた。それは励磁機に発したまばゆい火花の閃きだ。火花はパチパチと音を立て、光を放ち、そして直ぐに消える。』
『それは昨夜僕等がやつたのと同じ事なんですね。』とジユウルが云ひました。『僕等が暖めてこすつた細長い紙きれの側に鍵の端を持つて行つた時に見えた火花とおなじでせう。そして、猫の背中を手で撫でた時にも、猫の背にやつぱりそれが見えましたね。』
『全く同じものだ。』と叔父さんは答へました。『雷、猫の背中の火の泡粒、紙から出る火花――みんな電気によつて出来るのだ。だが、まづド・ロマの話に戻らう。その紙鳶の糸の中には、電気が通じてゐて、その電気が即ち、微かな雷だと云ふ事が分るね。その電気は、極く少量なので、まだ危険な事はない。で、ド・ロマは、躊躇せずに、自分の指を円筒の前に持つて行つた。ド・ロマが、その円筒の前に自分の指を近づけるたんびに、励磁機で出したやうな火花が出た。ド・ロマの試しで、勢づいた見物人達は近づいて来て、その電気の爆発を起させた。彼等は、人間の想像力で天から呼びおろして来た火がはいつてゐる不思議な円筒を取り巻いた。或る人は励磁機で光りを呼んだ。又、或る人は自分の指と雲から降りて来た爆発するものとの間に火花を出して見た。みんなはさうして半時間ばかりも無事に雷で遊んでゐた。その時忽ちに激しい火花が来た。そしてド・ロマは、殆んど倒れようとした。危険が近づいて来たのだ。嵐は刻々に近くなり強くなつて来た。あつい雲が紙鳶の上を翔《か》けまはる。
『ド・ロマは、しつかりとした決心をもつて、大急ぎで、群がつてゐる見物人を後しざりさせて、自分だけ、其の装置のそばにゐた。彼れを中心にした輪を描いてゐる見物人は、そろそろ恐がりはじめてゐた。それから、彼れは励磁機の助けを借りて、その金属の円筒から、第一に、その激しい動乱の為めに、人間が投げ倒され得る程の、強い火花を出した。それから爆発の音と一緒にうね/\した線を描いた火のリボンをいくつも出した。そのリボンはすぐに、二メエトルか三メエトルも計れる程の長さになつた。そのリボンのどの一つにでも誰かが打たれゝばたしかに死ぬだらう。ド・ロマはそんな生命に関る変事を恐れて、見物の輪を広げたり、その危険な電気の火の挑発をやめたりした。だが、ド・ロマは、自分の生命に迫つて来る危険は物ともせずに、まるで、何んの危険もない実験でもしてゐるやうに、ふだんとおなじ冷静さで、その装置に接近してその危険な研究を続けてゐた。彼れのまはりは、鍛冶場の吹音のやうな轟々と云ふ唸りが続けさまに聞こえて来た。空には焦げ臭い匂ひがしてゐた。紙鳶糸はすつかり光りで包まれて、天と地を結びつける火のリボンのやうだつた。三本の長い藁が丁度其処の地面に落ちてゐたが、糸の処までとび上つては落ち、またとびあがつて行く、と云ふやうにはね返つてゐた。そして此の藁の不規則な動作が、暫くの間見物人を面白がらせた。』
『昨夜』とクレエルが云ひました。『落ちてゐた羽毛や紙きれが、それとおんなじに、机と電気の起きた紙との間をはね返つたりくつついたりしたのですね。』
『それはあたりまへですよ。』とジユウルが云ひました。『叔父さんが私達に話して下すつたぢやありませんか。摩擦した紙には雷とおんなじ要素のものが出来るが、それはたゞ、非常に量が少いだけだつて。』
『雷と、私達が或る物体を摩擦して起した電気とが殆んど同じものだと云ふ事が、お前達にもはつきりと分つたやうだね。結構だ。ド・ロマが此の危険な実験をやつたのもその事を証拠立てるためなのだ。危険な実験、と私は云つたが、お前達にも、本当に、その大胆な実験がどんなに危険なものだつたかは分るだらうね。三本の藁が地面と糸との間をとんでゐた事を私は話してゐたね。丁度その時に、皆んなは怖れで顔色が急に蒼くなつてしまつた。激しい爆発が来て、雷が落ちたのだ。地面には大きな穴が出来、砂煙が舞ひ上つた。』
『まあどうしたらいゝでせう!』とクレエルが叫びました。『ド・ロマは殺されましたの?』
『いや、ド・ロマは無事だつた。そして歓びに輝いてゐた。彼れの先見は、その成功で確められたのだ。それは大変な成功だつた。ド・ロマの研究は、雲から雷を呼ぶ事が出来ると云ふ事を示す事が出来たのだ。彼は雷の原因が電気だと云ふ事を証拠立てたのだ。それはね、皆んなよくお聞き。たゞ私達の好奇心を満足させるに丁度いゝ位のいゝ加減な成績ぢやないのだ。雷の本質が見届けられたので、その被害を避ける事が出来るやうになつたのだ。だが、それは避雷針の話の時にお前達に話してあげよう。』
『ド・ロマは自分の生命の危険を冒してまでもそんな重要な実験をしたのですから、その時代の人達から富や名誉を押しつけられなくちやならない筈ですね。』とクレエルが云ひました。
『さうさう! それが本当なんだ。』と叔父さんは答へました。『だがね、真理は、無知や偏見と戦つて自由に自分を植えつける場所を見出すことは滅多にない。その戦ひは、時には間違つた輿論と云ふものに屈しなければならない程困難なものだ。ド・ロマはボルドオで、もう一度その実験を繰り返さうとしたが、彼は魔術で雷を喚ぶあぶない人間だといふので、大勢の者がド・ロマに石を投げつけた。それで彼はその装置を残したまゝで、急いで其処を逃がれなければならなかつた。
『ド・ロマよりは少し前に、北アメリカ合衆国では、フランクリンが雷の本質について、同じやうな研究をした。ベンヂヤミン・フランクリンは、貧乏なしやぼんつくり[#「しやぼんつくり」に傍点]の息子だつた。彼れは自分のうででやつと読み、書き、算術を勉強する道具を見つけ出した。それでも彼れはその勉強のお蔭げで、その学問によつて、その同時代の人の中のもつとも名高い一人になりました。一七五二年のある嵐の日に彼れは自分の息子を連れて、フイラデルフイアに近い田舎に行つた。息子は絹でつくつた、四隅を二本の硝子の棒に結びつけた紙鳶を持つて行つた。金属の尾がその紙鳶の装置についてゐた。紙鳶は嵐の雲の傍まで上つて行つた。はじめは此のアメリカの学者の先見を確めるような事には何にも出会はなかつた。糸は電気の気も見せなかつた。雨が降つて来た。湿《ぬ》れた糸は自由に電気を通す。フランクリンは危険を忘れてその指で盛んな火花を出して、雷の秘密を窃《ぬす》んだ歓びに夢中になつてゐました。
[#5字下げ]三九 雷と避雷針[#「三九 雷と避雷針」は中見出し]
『フランクリンや、ド・ロマや、その他の多勢の人達の巧妙な研究で、電光の本質が吾々に示されたのだ。その人達は、殊に、それと同じものが極く少量の場合には、人間の指をそれに近づけてもパチパチ音をさせて火花が飛ぶし、その実験には何の危険もない事、それから電気を含んだすべての物体はその近くにある軽い物は何んでも引きつける、丁度ド・ロマが、実験をした時に、紙鳶の糸が三本の藁を引きつけたやうに、又、封蝋や摩擦した紙が羽毛を引きつけたやうに、と云ふ事を吾々に教へられたのだ。つまり手短かに云へば、その人達が吾々に教へてくれたのは、電気が雷の原因だと云ふ事なんだ。
『さて、その電気には二つの異つた種類がある。それは、すべての物体の中に、同じ分量ではいつてゐる。それが同じ分量でゐる間は、電気の存在は別に何んにも現はさない。まるで存在しないやうに見える。しかし一度それが別になると、すべての障碍を越えてお互ひにさがして、引きつけ合ふ、そして爆発と一しよにお互ひの方に突進して火花を出すのだ。そして、その二つの電気の原質は、また離れるまでは全く静かになつてゐる。その二つの電気は、お互ひに補足し、平均させる。その二つが一緒になつて形づくつた目に見えない或もの、害もなく、活動力もなく、何処でも見出せるものを中和電気と云ふのだ。或る物体に電気を通ずるには其の中和電気を分解するのだ。その二つの原質を引き離せばそれが一緒だつた時には活動力のないものが、お互にもう一度結びあはうとする激しい傾向と、其の不思議な特徴を、明白に表はすのだ。摩擦をして或る働きを起さすのも此の二つの電気の原質を離す方法なのだ。だがそれはいろ/\ある中のたつた一つの方法なのだ。実際にある方法はそんなものどころぢやない。物質の一番奥底の本質の急激な変化は、よく、其の二つの電気を明白に表はす原因になる。雲がさうだ。雲は太陽の熱で蒸発した水の変化したものだ。そしてそれにはよく電気が満されてゐる。
『二つの異つた電気を含んだ雲が近づいて来た時には、その相反した電気は直ちにお互ひに結合する為めに近づく。それと一緒に其処に騒々しい爆発の音が起り、不意に光りが出る。此の光りが電光でその爆発が落雷なのだ。そして騒々しい爆音は雷なのだ。最後にその電気の火花は、電気を持つた雲から、或る方法で地面にある電気を持つたものに導いて出すことも出来る。
『普通にお前達の知つてゐる落雷といふのは、たゞ、その爆発の音と其処から出る不意のイルミネーシヨンだけだ。その落雷そのものを見るには、お前達は理由のない恐怖をすてゝ、嵐の中心になつてゐる雲を注意深く見る事だ。一瞬一瞬に、お前達は、一本だつたり枝が分れてゐたりする、非常に不規則に曲りくねつた形の、まばゆい光の脈を見る事が出来る。灼熱した熔鉱炉も、金属の光りもそれ程の輝きを持つてゐない。電光の勝れた光りに較べる事の出来るのはたゞ太陽の光りだけだ。』
『僕は落雷を見ましたよ』とジユウルが云ひ出しました。『あの嵐の日に大きな松の木が撃たれた時に見ました。あの時僕はあの光りでもつて眼がくらみましたよ。まるで太陽を見つめた時のやうに。』
『此の次の嵐の時には』とエミルが云ひました。『僕は空を見張つてゐてその火のリボンを見る事にしやう。だけど叔父さんが其処にゐて下さらなくつちや駄目だ。僕一人ではとても恐くつて見てゐられやしない。』
『私もよ』とクレエルも一緒になつて云ひました。『私も叔父さんがゐらつしやりさへすれば恐くなんかないわ。』
『私も其処にゐる事にしようよ。』と叔父さんはその事を承知しました。『私がゐてやる事がそんなにお前達を安心させるのならゐる事にしよう。その雷がごろ/\鳴り、電光が煽られる嵐の時の空は本当に見ものだ。だが、雲の懐《ふところ》から落雷の眩しい光りが来、そして其処ら中がその爆発の音で響きわたる時、お前達がつまらない恐怖に支配されてゐればお前達の心には、それを感心して見る余裕はない。お前達の恐れに満ちた眼は閉ぢてしまつて、大気の中に起るすばらしい電気の現象を見る事は出来ないだらう。それは宏大な神様の仕事を雄弁に語るものだ。お前達の心が、恐怖で固くなつてゐたら、お前達はその瞬間の電光の閃めきや、雷の爆音や奔放な風などの、大きな完全な神様の仕事を知る事が出来ないのだ。雷は人間の死の原因になるよりももつとずつと多く生きる為めのもとになる。稀れに不意の恐ろしい出来事の原因になるにも拘はらず、それは吾々のはき出した腐つた空気を清潔にして、健康の為めにいゝ空気を与へる、神様の仕事の中でも最も力強い仕事の一つなのだ。吾々は藁や紙を燃して室内の空気を清潔にする。落雷はその無限の焔の敷ものでその周囲の大気の中におなじやうな作用を起す。お前達をびつくりさせるあの電光は、みんなの健康の保証をしてゐるのだ。お前達の心を恐怖で寒くするあの雷の轟きは、吾々の生命の為めに空気をきれいにする大仕事をしてゐるしるしなのだ。そして、人々は、嵐の後はどうして空気が晴々して心持がいゝのか知らないでゐる。落雷の火で純化された時その大気は、それを呼吸するすべてのものに新しい生気を与へるのだ。吾々は、雷の鳴る時のつまらない恐怖に気をつけるより、電光や雷が神様から与へられた吾々の健康の為めの使命を感謝しなければならない。
『落雷は、此の世の中のすべてのものをおなじやうに、人間の幸福の為めにもなるが、しかしまた、それと反対の原因にもなる。だが吾々はいつも、神様のおゆるしのない事には決して出来ないと云ふことを忘れないやうにすることだ。神様への敬虔なおそれは、その他のすべての恐れを防ぐことが出来る。そこで、静かに落雷が顕はす危険について調べて見よう。吾々がとりわけ覚えてゐなければならないのは、雷が好んで落ちるのは、地面の上に一番高く突き出た点だといふことだ。それは、其処にある電気が、雲の中の電気に引かれるからだ。雲の中に含まれてゐる夥《おびた》だしい電気が、それと一緒に結びつく為めに引くからだ。』
『その二つの電気はあらん限りの力で一緒にならうとして捜し合つてゐるのですね。』とクレエルが云ひました。クレエルの心はその事にすつかり引きつけられてゐました。『地面の電気は、雲の電気と一緒になる努力ですつかり高い木の頂上にゆき、雲にある電気はそれに促されて木の方に降りて来るのですね。それから、その二つの電気が近づいた瞬間に、お互ひに、もう此の上無事に一緒になる道が開いてゐなくともいゝと云ふまで音を立てゝ一しよに引きつけ合ふんです。それであの落雷した木には火のあとがあるのですね。さうぢやありませんの叔父さん?』
『クレエルや、私はそのお前の云つた事以上に、うまい説明は出来ないよ。高い建物や、塔や、尖閣や、高い木は、本当にその天から来る火に一番近い処にあるのだ。広い野原の中で嵐に遇つた時に、その雨よけの場所に木の下、殊に高いのが一本だけしか立つてゐない木の下をさがすのは大変に不注意なあぶない事だ。雷は好んでその木の上に落ちるのだ。その一番高くなつた処に地上の電気が堆積してゐるので、雲の電気は出来るだけそれに近づいて、引かうとするのだ。で、もしそんな処にゐれば、その人も落雷に見舞はれるのだ。毎年雷に人が打たれて死ぬと云ふ、悲しい、悼《いた》ましい例は、此の一番あぶない区域の背の高い木の下に雨やどりをしたりする事から出来るのだ。』
『もし叔父さんがその事を知らないでゐらしたら。』とジユウルが云ひ出しました。『あの嵐の日に僕が雨よけしませうと云つたあの松の木の下で、あの時、僕達は死んでゐたかもしれないんですね。』
『それは分らないね。落雷で木は壊されたが、私達もそれで死んだか、或は助かつたかそれは分らない。危険な処に自分をおいて動かないのは神を恐れない大胆な人だ。私達はあの時、神様のお力であの危険な処から救ひ出されたのだ。吾々は、あの危険な木から逃げ出して自分を救ひ出して無事に家に帰つた。しかし、誰でも、十分に自分を救ふには知識が必要だ。それはお前達の心にもその事で印象されたね。私はもう一ぺん力を入れて嵐の時の危険を繰り返すがね。高い塔や尖閣や、建築の屋根裏、殊に高いそして一本立の木にかくれるもんぢやない。その他に、普通に用ゐられてゐる予防の方法がある。たとへば、空気の激しい移動を起す原因にならないやうに、走つてはいけないと云ふ事、空気の流通を防ぐために窓や扉をしめると云ふやうな事は、みんな、何の価値もない方法だ。落雷はそんな空気の流動で引かれるものではない。汽車がレールの上を非常に迅《はや》い速力で走つてゐる時には空気は激しい移動をしてゐる。けれどもそれは止つてゐる時よりは雷に打たれ易いと云ふ事はない。』
『雷が鳴るときに』とエミルが云ひました。『アムブロアジヌお婆あさんはあはてゝ窓や扉を閉《しめ》ますよ。』
『アムブロアジヌお婆あさんは他の沢山の人達のやうに、その危険な事を見るのをやめるのが安全だと信じてゐるのだ。だから雷の音を聞かないやうに或は電光を見ないやうに、自分で閉ぢこもつてしまふのだ。だが、そんな事をしても、危険は少しも減りはしないのだ。』
『その時にとる予防方法はないんですか?』とジユウルが尋ねました。
『その予防方法は普通の条件ではない。それは神様の意志にたよるより他はないのだ。
『他のよりはずつと高い建物を保護するのには、吾々は避雷針と云ふものを使ふのだ。此の驚くべき発明は、フランクリンの考へに基いたものだ。避雷針といふのは、強い、尖つた、長い鉄の竿で組立てたもので建物の頂上に取りつけたものだ。その避雷針の底からは、また他の鉄の竿が出てゐて、それは屋根と壁とに沿ふて走つてゐる。そこはしつかりと、鋲でとめてある。そしてその先きは湿つた地面の中か、或はもつとよくするには深い水の中へ突つ込む。もし雷がその建物に落ちると、それは避雷針を撃つ。避雷針は、雷に一番近い物体で、なほ、その金属の本質に従つてもつとも電気をよく通すのに適してゐる。同時に、その尖つた形は一層その効目をよくする。雷が其処に落ちると、その金属の避雷針はそれを導いて、何の損害も与へないで地面の中に消してしまふ。』
[#5字下げ]四〇 雲[#「四〇 雲」は中見出し]
電光の話が済むと翌朝、ポオル叔父さんは雲に就いて教へてくれました。前日よりはずつと都合の好い、お誂向《あつらえむ》きの天気で、空の一方には、綿の山かと思はれるやうな白雲がむく/\と湧き立つて居りました。
『湿つぽい秋や冬の朝、灰色のヴエールのやうな煙が地面を包んで、太陽を掩ひ隠し、眼前五六歩の先きも分らなくして了ふ、あの霧の事を覚えてゐるだらう』と叔父さんは尋ねました。
『空中を透して見てゐると水の中の埃のやうな物が漂つてゐますね。』とクレエルがさう云ひました、するとジユウルがそれに附け加へて云ひました。
『その煙のやうなものゝ中で、僕達、エミルと一緒に隠れんぼをして遊びましたつけ。ぢき五六歩のところにゐるのに、誰れも分らなくなつてしまひましたよ。』
『さうかい。』と叔父さんは又話しつゞけました。『雲と霧とは同じ物なのだ。たゞ、霧は我々の周りに拡つて、灰色で、ジメ/\して、冷めたいものだといふ事が分つてゐるが、雲は多少高い処にあつて、遠くで見ると種々変つた形をしてゐる。ほら、彼処にはギラ/\した白雲があるだらう。そしてほかの雲は赤か、金色か、火焔《ほのお》のやうで、又ほかの雲は灰色で、又別なのは真黒だ。色も見てゐる中に変つてゆく。日が沈む頃になると、太陽の光がだん/\弱くなるので、白色だつた雲が緋色に変り、燃え残りの火が金を熔かした池のやうに輝いて、遂にどんよりした灰色か黒色になつて了ふ。まるで太陽に仕掛けたイルミネエシヨンのやうなものさ。雲は実際、どんなに立派に見えてゐても、霧と同じやうなジメ/\した水蒸気で出来てゐるものなのだ。今にその証拠を見せてあげるよ。』
『ぢや叔父さん、人間は雲のやうに高いところへ登れるんですか。』とエミルが訊きました。
『出来るとも。先づごく強い、丈夫な足が二本あれば山の絶頂まで登れる。山に登ると、折々、雲が足の下に見える事があるよ。』
『では叔父さんは、さうして雲を見下してみた事がありますか。』
『あゝあるとも。』
『随分綺麗なものでせうね。』
『綺麗だよ。綺麗で/\言葉には云へない位綺麗だ。しかし、若し雲が上つて来て人間を包んで了ふと、余り愉快なものぢやないがね。深い霧の罩《こも》つた中で立往生して了ふ。道が分らなくなる。谷へ落つこちるかも知れぬやうな危い処で、危い事には気附かずに狼狽する。そして偽道を避けて正しい道だけを連れて行く道案内者を見失つて了ふのだ。いや、雲の中では誰でも嫌な思ひをする。お前達も今に酷い目に遇つてそれを知る時が来るよ。そこで暫く雲に蔽はれた山のてつぺんの事を話してみやうね。若し此方の註文通りに行くとしたら、此の山の頂きにもいろ/\見たいものが沢山あるんだ。
『見上げると、空は美事に晴れて、危い様子は少しも見えない。日は此の上もなく輝き渡つてゐる。足下の方には白雲が一様に拡がつて居り、前方から吹いて来る風のために、山頂の方へ吹き上げられて来る。見ると雲は渦巻きながら山の方へ上つてゐる。それはちやうど眼に見えない手で坂を押し上げて来る、大きな綿の着物のやうだ。時々日光が綿の深みへ射し込んで、金か火のやうに雲を輝かす。夕方太陽が沈む時の美しい雲もこれ程ぢやない。素的な色をして、堪らなくふうわりしてゐる。雲はだん/\高く上つて来る。そして山の頂きに巻いた白い帯のやうに、ピカ/\しながら渦巻いて来る。下の平原は見えなくなる。そして私達のゐる山頂だけが、雲の幕の上にちやうど、海上の島のやうに浮いて見える。が、遂に此処も掩ひかぶさつて了ふと、もう私達は雲の中にゐるんだ。温みのある色も柔かな様子も、美事な眺めも、すつかり消え失せて了ふ。其の時はもう湿気を含んだ、暗い霧の中にはいつてゐるので、圧しつけられるやうな気持ちがする。早く風が吹いて来て、此の嫌な雲を吹き払つてくれるといゝと思ふ。
『実際誰れでも雲の中にはいると、さう思はないものはない。それ程雲は、遠くから見ると美しいが、傍に寄つてみると、せい/″\湿つぽい霧だけなのだ。雲の珍らしい姿は離れて見るに限るよ。我々が物好きをして、そばへ寄つて本当の形を究めやうとすると、往々当が外れるものだ。が、さうしてそばへ寄つて見ると、山野を彩つてゐるあの輝きの中に、雲は其の一番大事な実相を隠してゐる事が分る。雲の不思議は見掛けだけのことで、実は光線の幻しに過ぎないのだ。しかし又、此の幻しの中に土地を肥やす雨が溜まつてゐるのだ。天地を造つた神様が、醜い地球の様子を見て、それを広く掩ひ隠せるもので、しかも一番必要なものを地球の飾り物として造つてやらうと思つて、このすばらしい雲を着せてくれたのだ。雲の灰色の煙が雨になつて降る。これが雲の一番大事な仕事だ。そして太陽が此の雲を照して、眼を驚かすやうな紅色や、金色や、焔色を映して見せるのは、たゞ雲の装飾としての役目に過ぎない。
『雲のある高さは、いろ/\と違ふが、一般に人が思つてゐるよりは低い。のろ/\と地面に這つてゐる雲がある。それは霧だ。可なり高い山の腹にくつついてゐる雲もあるが、中には山の頂に冠つてゐる雲もある。一般には、雲の高さは千五百尺から四千五百尺位のところだ。ごく珍しい場合になると十二哩も高い処を飛んでゐるのがある。永久に青々と晴れ渡つた高い空の上には、もう雲も上つては行かない、雷も鳴らない、雨も降らなければ、雪も霰も結ばない。
『巻雲といふ名の雲は、渦巻いた羊の毛屑のやうに見えたり、空の深碧に映じて、眩く白光りする繊維のやうに見えたりする。雲の中で一番高いのはこれだ。折々此の雲は三哩も上に浮いてゐる事がある。巻雲が小さく丸まつて、沢山一緒に固つてゐると、丁度羊の背中を見るやうだ。こんな雲で空が一杯になつた時は、大抵天気の変る前兆だ。
『積雲といふのは、夏の暑い時の、丸味のある大きな白雲で、綿の大きな山のやうなものだ。此の雲が出ると後から暴風雨がやつて来る。』
『では向ふの山の傍にある雲は積雲ですね。』とジユウルが訊きました。『まるで綿を束ねたやうですもの。いまに暴風雨が来るんでせうね。』
『そんな事はあるまい。風が別な方角に吹いてゐるからね。暴風雨は何時でもあの雲のある近所で起つてゐるのだ。ほら、あれをお聞き!』
電光が突然積雲の塊まつた中で閃きました。そして可なり経つてから雷の音が響いて来ました。遠くなので音はごく弱くなつてゐましたが。ジユウルとエミルとは早速質問しました。『何故向ふの方だけ雨が降つて此処は降らないんでせうか。何故電光が済んでから雷が鳴るんでせうか。ね、何故でせう。』
ポオル叔父さんは答へて、『それをすつかり教へて上げやう。』と云ひました。『だが其の前に雲のもつとほかの形に就いてお話しして置かう。層雲と云ふのは日没か日出の時に、地平線の上に不規則に並んだ紐のやうな雲だ。日光が薄い時、殊に秋など、熔けた金属が焔のやうな色をした雲があるがそれだ。朝の赤い層雲の後では風か雨がやつて来る。
『最後に、灰色をした暗雲の塊りで、其の雲と別な雲との区別がつかぬ位群がつてゐるのには、雨雲といふ名がついてゐる。こんな雲は大抵溶けて雨になるのだ。遠くから眺めると、往々天から地へ真直に拡がつた広い縞になつてゐる事がある。それは雨を降らしてゐる雲だ。』
[#5字下げ]四一 音の速度[#「四一 音の速度」は中見出し]
『叔父さんが積雲と云つたあの大きな白雲の下で、今暴風雨があるのでせう。』とエミルが云ひました。『たつた今電光も見たし雷も鳴りましたものね。ですけれど、此処ぢや反対《あべこべ》に空が青く晴れてゐますよ。何処でも同じ時に雨が降るんぢやないんですね。ある国が雨が降つてゐても、他の国では晴れてゐるんですね。その上、此処で雨が降る時は空が雲で一杯になりますよ。』
『空を見まいとするには、両眼に手を翳《かざ》すだけでいゝ。ずつと遠くに離れた遙かに大きな雲もこれと同じ力を持つてゐる。その雲は凡《あら》ゆるものを蔽ひかぶせて、何もかも曇らして了ふのだ。』と叔父さんは教へてくれました。『が、それはほんの表面だけの事で、雲の掩つてゐない別な所の空は、からりと晴れて好い天気だ。今雷が鳴つてゐる積雲の下では確かに雨が降つてゐる。又空も屹度真暗だ。あの辺は何処も彼処《かしこ》もすつかり雨だよ。何故つて、あの辺は雲に包まれてゐるからさ。若し彼処の人達が雲のない余所へ行つたとしてみたら、其処には此処と同じやうな、晴れた空があるに違ひないのだ。』
『では、速く走る馬に乗つたら、雲の被つた、そして雨の降つてゐる処を逃げ出して天気の好い処へ行く事も出来るし、又、天気の好い処を駈け出して、雨雲の下へ行くことも出来るんですね。』とエミルが質しました。
『うん、さうする事の出来る時もあるが、雲の掩ひ蔽《かぶ》さる面積は非常に広いから、大抵の場合さうは行かない。その上雲が或る国から他の国へ行く時は、どんなに早い競馬馬だつて追附きやしない。お前達は風の吹く日、雲の影が庭の上を走つて行くのを見た事があるだらう。山も谷も野も川も、忽ちの中に通り越して了ふ。お前が岡の上に立つてゐる中に、雲はお前の頭の上を通り越して行くよ。お前が二三歩谷へ降りやうとする中に、影はさつさと歩いて、向側の坂を登つて居るだらう。雲と一緒に駈けられるなんていふことは、誰にだつて出来やしないよ。
『仮りに或る国の大部分に一時に雨が降つたとする。そんな事は決してないと云つてもいゝ位滅多にないのだが……。まあ、一つの県全体に一時に雨が降つたとしたところで、其の県と地球全体とを比較すれば広い畑と其の中の一塊の土塊《つちくれ》のやうなものだ。雲は風に追はれて、彼方此方、大空の中を駈け廻る。そして其の駈けて行く道には、影を落すか、雨を流すかするのだ。此の雲が行く処は屹度雨だが、ほかの場所では雨は降らない。同じ場所でも、雲の上にゐるか下にゐるかで、晴れにもなれば雨にもなる。山の絶頂では折々雲が人間の足下にある事がある。此の山の頂では、日が輝いて雨は一粒も降らぬやうな好天気の時、雲の下の野原では、大雨が降つてゐるやうな事があるのだ。』
『よく解りました。』とジユウルが云ひました。『で、今度は僕が尋ねますよ、叔父さん。此処から見えるあの暴風雨の雲の所で、先刻《さっき》電光がしましたね。所が暫くしてから、雷が盛んに鳴るのが聞えましたが、何故電光と雷は一緒でないんでせうか。』
『光と音との二つで雷の落ちた事が解るんだが、光は電光の閃きで、音のするのが雷だ。ちやうど銃砲を撃つのと同じやうなもので、火薬に発火すると光が出来、その結果音を発する。爆発する時光と音とは同時に出るのだ。だが、遠くにゐると、速度のすばらしく早い光が先に眼には入つて、速度の遅い音は後から聞える。若しお前が可なり遠くの方から鉄砲を撃つのを見てゐたら、最初爆発の火と煙とが見えて、暫くの間は音は聞えないに違ひない。発射する所に遠ざかれば遠ざかる程音は遅く聞える。光はごく短い時間に、非常に遠くまで達する。だから鉄砲の火はその瞬間に眼に映るのだ。そして音の方は暫く経たなければ聞えないのは、音の速度は光の速度よりも遅くて、遠い距離を越えて来るのにそれだけ長くかゝるからだ。それは容易《たやす》く測ることが出来る。
『大砲の火の見えた時と、その音の伝つて来た時との間を十秒間と仮定する。次ぎに、其の大砲を撃つた場所と其の音を聞いた場所との距離を測つて見る。三千四百メートル(一万一千尺)だとする。そこで音は空中を伝つて、一秒間に三百四十メートル(千百尺)を進む事が分る。此の速度は砲弾と同じ位の早さではあるが、何んと云つても光の速度とは較べ物にならない。
『音と光の伝はる速さの相違は次の実例で説明が出来る。遠方で樵夫が木を切つてゐるか、石工が石を刻んでゐるのかが見えるとする。斧が木に当るのを見、又は槌が石に当るのを見て、それから幾らか経つた後で始めて音が聞える。』
『或る日曜日に、僕は教会のベルが鳴るのを遠くから見てゐました。』とジユウルは叔父さんの言葉を遮つて云ひました。『ベルの心の動くのは分つてゐましたが、音はずつと後まで聞えませんでした。が今其の理由が分りました。』
『電光が閃いてから、雷が鳴るのが聞え出す瞬間まで何秒かゝるか計つて置くと、暴風雨の雲とお前との間の距離が解るのだ。』
『一秒といふと長い間でせうか。』エミルが尋ねました。
『なあに、脈が一つ打つ間の事なんだ。で、先づ一、二、三、四といふ風に、急ぎもせず、又あまり緩《ゆっ》くりもしないで、秒数を数へなければならない。積雲に電光が閃く瞬間に気を附けて、雷が聞えるまで静かにそれを数へるのだ。』
皆んなは眼を据ゑ、耳を澄まして、空を見てゐました。遂に電光が眼に入りました。叔父さんが合図するのを皆んなで数へます。一、二、三、四、五……。十二と云ふ時にやつと聞える程微かな雷が鳴り出しました。
『雷が此処に聞えるまでに十二秒かゝつたよ。』とポオル叔父さんは云ひました。『音が一秒間に三百四十メートル走るものとすれば、今の雷は何れ位離れた処から聞えたんだらう。』
『三百四十を十二倍しただけですわ。』とクレエルが答へました。
『さう/\、ぢや掛けてごらん。』
クレエルは計算をしました。答は四千八十メートルになりました。
『電光は四千八十メートルの向ふで光つたのですから、此処からあの暴風雨雲までは三哩以上離れてゐるんですわ。』とこの娘さんは叔父さんに云ひました。
『やさしいんだなあ。』とエミルが声を上げて云ひました。『一、二、三、四を数へると、ぢツとした儘で、雷が落ちた所の遠さが分るんですねえ。』
『電光がしてから雷の鳴るまでの時間が長ければ長い程、雲は遠方にあるのだ。音と光とが一緒に来れば、その爆発は直ぐそばにあつたのだ。ジユウルは松林で暴風雨に出遭つたから好く知つてゐるだらう。』
『電光が見えてからは、もう何んにも危い事はないんですつてね。』とクレエルが云ひました。
『雷の落ちるのは光と同じやうに速い。だから、電光がすると同時に雷は落ちてゐるんだから、もう危険はなくなつて了ふのだ。何故かといふと、雷の音はいくら大きくつても、何んの怪我もさせはしない。』
[#5字下げ]四二 水差しの実験[#「四二 水差しの実験」は中見出し]
前の晩ポオル叔父さんは、雲は地の上に這つてゐないで、高い処に浮いてゐる霧だと云ふ事を教へて呉れました。けれども霧は何んで出来てゐて、何う云ふ風に出来てゐるものかと云ふ事は話しませんでした。それでその翌《あ》くる日、叔父さんは又雲の話しを続けました。
『アンブロアジヌお婆あさんが洗濯をすると着物を紐に吊しておくね。あれは何故さうするのだらう。水で湿つた着物を乾かすためなんだね。では、其の水は何うなるんだらう。誰れか知つてゐるかね。』
『それや消えて了ひますとも。』とジユウルが返事をしました。『しかし何うなるのかは少しも分りません。』
『水は空中で溶けて、空気と同じやうに眼に見えないものになつて散らばるんだ。乾いた砂山に水をかけると、水は滲み込んで失くなつて了ふだらう。さうすると砂は先刻とは違つたものになつて了ふね。初めは乾いてゐたのが、こんどは湿れてゐる。つまり砂は、其の水を吸ひ込んで了ふのだ。空気もこれと同じやうな事をする。空気が着物についてゐる水分を吸ひ込んで、やはり砂のやうにしつとりとなるのだ。そして空気は、何んにもほかの物を含んではゐないやうな風に、その空気と水とがうまく融け合ふ。かうして眼に見えなくなつて一種の気体のやうになつた水の事を、水蒸気と云ふ。そして水がかうなる事を蒸発すると云ふ。我々が乾かして蒸発させやうとする着物の水分、即ち水は、空気に晒らされると、眼には見えない水蒸気となり、風の吹くに任せて何処へでも拡つて行くのだ。温かければ温かいだけ、蒸発が速く勢よく済む。お前達は湿れたハンカチが暑い日には早く乾くが、曇つたり寒かつたりする日には、乾き方が遅い事を知つてゐるだらう。』
『アムブロアジヌお婆あさんはね、お洗濯する日にお天気が好いと、そりや随分喜びますわ。』とクレエルが云ひました。
『庭に水を撒くと何んな事が起るか知つてゐるだらう。非常に暑い日盛りに、枯れないばかりに萎《しぼ》んだ植木に水をやらうとすると、次のやうな事が起るね。ポンプの水を精一杯に出して、お前達が皆んな如露を持つて、彼方に一人、此方に一人、大急ぎで萎んだ植木や、苗床や、植木鉢の花に水をかけてやる。直ぐ庭が水を吸ひ込む。すると何んとも云へない程清々して、暑さに萎んだ植木は、又前のやうに勢よくピンとして生々する。まるで木がお互ひに囁き合つて、水をかけられて嬉しかつたと云つてゐるやうに思はれる位だ。いつまでも其の儘で居れたら好いんだがね。仲々さうはいかない。又次の日になると土は乾いて了つて、何もかもやり直さなけれやならなくなる。では、昨日の水はどうなつたのか。其の水は蒸発して空気に飲まれて、雲の一片となり、再び雨になつて降るまでは、非常に高い処を遠くの方へ飛んで行かなければならない。ジユウルや、お前は花にかける水を汲み飽きた時、水が井戸から汲み出されて庭に撒かれると、遅かれ早かれ空気と一つになり、雲になつて了ふのだと思つた事があるかい。そんな事はないだらう。』
『僕ね、庭に水を撒く時、空気やそのほかのそんな物に水をかけてゐるんだとは思ひませんでしたよ』とジユウルが答へました。『しかし空気は随分な水飲みだつて事が今解りました。如露一杯の水の中、植木はほんの一と掬ひだけ吸つて、残りは空気と一つになつて了ふんですね。道理で毎日々々水をかけなくちやならんのだなア。』
『若し皿一杯の水を日に照らして置くと、最後にどうなるんだらう。』
『僕知つてゐます。』エミルが直ぐさま答へました。『水は少しづつ水蒸気になつて、皿だけが残されて了ふに違ひありません。』
『皿の水や、土や布の湿気や、もつと広く云へば凡ゆる地面の水分が失くなると何うなるのだらう。空気は湿地と接してゐるし、又、池や沼や溝や河の沢山の水面とも接してゐるし、その上陸地の三倍もある大きな海の表面とも接してゐるのだ。だから、ジユウルの云ふ大水飲みの空気は、暑さの加減で多く飲んだり、少く飲んだり、何時も腹一杯飲んでゐるから、到る処、又何時なりとも空気は水気を持つてゐるんだ。
『今我々の周囲にある空気は、見たところでは何んにも含んでゐないやうだが、実は水を含んでゐるのだ。それを知る方法はごく簡単だ。先づ第一番に空気は少々冷やせばいゝのだ。湿れた海綿を絞る時は水を浸み出させりやいゝ。湿つた空気を冷やすのは、海綿を絞るのと同じ様に、水分を小さな雫《しずく》にして垂らして了ふ。クレエルや、お前井戸から冷めたい水を壜に汲んで来ておくれ。叔父さんが面白い実験をして見せるから。』
クレエルは台所に行つてごく冷めたい水を入れた壜を持つて来ました。叔父さんはハンカチを出して、壜の外側に雫が垂れてゐないやうに拭き取つて、やはり同じやうに拭いた皿の上にそれを載せました。
最初透きとほつてゐた壜は、一面に霧を吹いたやうになつて、透明なのが曇つて来ました。すると小さな雫が出来て、外側を滑つて皿の中に落ちました。十五分間も経ちますと、皿の中には、指抜きに盛る事が出来る程の水が溜りました。
『雫は今壜の外側を滑り落ちてゐるよ。』と叔父さんは説明しました。『水がガラスに孔を穿ける理由はないから、此の雫は壜の中から出て来たのでない事は確かだね。これは壜の周囲の空気が斯うなつたので、空気は壜に触《ふれ》ると冷えて湿気が垂れるやうになつたのだ。若し壜に氷が詰つてゐてもつと冷めたくなつてゐたら、垂れる水はもつと多くなるのだ。』
『その壜で私、同じやうな事を思ひ出しましたわ。』とクレエルが云ひました。『きれいなコツプに冷めたい水を入れましたらね、コツプの外側がよく洗はないのかと思ふ位曇つてしまひましたよ。』
『それもやつぱり周囲の空気が、コツプの冷めたい処に触れて水分を置いたんだよ。』
『眼に見えない湿気は、空中に沢山あるのですか。』とジユウルが訊きました。
『空中の湿気は何時もごく稀薄でそして散らばつてゐるから、少しの水を造るにも随分沢山の空気がなくてはならない。夏の暑い、一番水蒸気が沢山ある時でさへ、一リツトル(五合五勺)の水を造るに六千リツトルの空気が要るんだからね。』
『それつぱつちの水しかはいつてゐないんですか。』とジユウルが云ひました。
『それでも空気が沢山ある事を考へれば、其の中の水は大したものになるんだ。』と叔父さんは答へて、又次のやうに話しました。
『此の壜の実験で二つの事が解つた。第一に、空中には常に、眼には見えない水蒸気があるといふ事、第二に、此の水蒸気を冷やすと、眼に見える霧となつてやがて水の滴《したたり》となるといふ事だ。眼には見えない水蒸気が眼につく霧になり、遂に水の形に帰つてゆく事を凝縮すると云ふのだ。熱さは水を眼に見えない水蒸気にして了ふし、寒さは此の水蒸気を固めて、液体にするか又は眼に見える水蒸気、即ち霧にして了ふ。あとは又今晩話ししよう。』
[#5字下げ]四三 雨[#「四三 雨」は中見出し]
『今朝の話は雲の成り立ちに就いてだつたね。湿地の表面や、湖や池や沼や川や種々の海の表面には、常に蒸発が行はれてゐる。出来た水蒸気は空高く登つて、熱がまだ十分ある間は眼に見えない儘でゐる。しかし高く登るに従つて熱さが減り、水蒸気がもうそれ以上溶け切つた儘で居られなくなると、初めて眼に見える水蒸気の塊り、即ち霧か雲かになる。
『空の上層で寒さが加はつて来て、其の水蒸気が一定の程度まで凝縮すると、雲から水の雫が出来て、それが雨となつて降つて来る。最初は小さなものだが、落ちて行く途中で、別な小さな雫と一緒になつて嵩《かさ》を増して来る。だから、高いところから降つて来れば来るほど、其の雨は大きくなる。が、いくら大きくなつても、其の雨も勤めなければならない役目に相応した限度を超える事はない。それがあまり大きくなれば、其の注ぐ草木の上へあまり重く落ちて、草木を倒して了ふ。で、若し此の水蒸気の凝縮が、緩《ゆっ》くりとだん/\に行はれないで、突然行はれたとしたら何うだらう。忽ちどしや降りの大雨になつて草木は倒れ、穀物の収穫は目茶々々になり、我々の家の屋根までも流して了ふだらうが、雨はそんな乱暴な降りかたをしないで、其の降つて来る路にある、何にかの篩《ふるい》にでもかけられて来たやうに、粒になつて降つて来る。だが、稀れには、教育のない人をびつくりさせるやうな妙な雨が降る事がある。血の雨だの硫黄の雨だのが降つて来た時誰れがこれにびつくりしないものがゐるかね。』
『叔父さん、血の雨や硫黄の雨ですつて? 僕ならびつくりしますね。』とエミルが叔父さんの言葉を遮つて云ひますと、
『私しだつてよ。』とクレエルも云ひました。
『それは本当ですか。』今度はジユウルが尋ねました。
『本当だとも、私は嘘の話なんかしやしないよ。少くとも見掛けだけでは、血の雨もあれば硫黄の雨もある。血のやうな赤いものが壁や路についてゐたり、又木の葉や道を歩く人の着物についてゐたりしたのを、見て来た人があるからね。又或る時、雨と一緒に硫黄のやうな黄色い粉が空から降つて来た事がある。が、これは本当に血の雨や、硫黄の雨なんだらうか。それは違ふ。此の血の雨だの硫黄の雨だのと云ふのは、実は風に吹き上げられた色んな花粉の入つた雨なんだ。春になると、山国では広い樅林《もみばやし》に花が咲く。そして風が吹く度に小さな樅の花にくつ附いた黄色い粉を運んで行く。どんな花にも同じやうな粉があるが、殊に百合の花にはそれが沢山ある。』
『鼻をそばへ持つて行つて百合の匂ひを嗅がうとすると、鼻にくつつくあの粉がさうでせう。』とジユウルが云ひました。
『その通り。それは花粉と云ふものだ。花粉は其の儘遠方に落ちる事もあるが、風に煽られて雨と一緒になつて落ちるのが、その謂はゆる硫黄の雨なんだよ。』
『そんな血の雨や硫黄の雨はちつとも怖かあありませんわ。』クレエルが云ひました。
『勿論怖かあないよ。だが、それでも世間の人々は、此の花粉の旋風《つむじかぜ》を見て胆を潰してゐるんだよ。そんな人達は、それを見て、疫病の前兆だとか此の世の終りだと思つてゐるのだ。何んにも知らないと云ふ事は実に憐れなものだ。が、知識は、そんなばかな心配をさせないだけでも有難いね。』
『今に硫黄の雨や血の雨が降るかも知れんが、人がいくら怖がつたつて、僕だけは大丈夫だぞ。』とジユウルが如何にも強さうに云ひました。
『空からは雨と一緒に、又は雨は降らなくても、いろんな小さな物が降つて来るかも知れないね。例へば砂だとか、チヨークの粉だとか、道ばたの埃だとか云つた物がね。小さな動物や、毛虫や、昆虫や、蛙が降つて来るのを見たと云ふ人さへあるのだよ。若し人々が、強い大風が吹くと軽い物は何でも持つたまゝ飛んで行つて、それを落すまでには非常な遠い処まで運んで行くものだと云ふ事を知つてゐたら、こんな雨の不思議は何んでもなくなるんだがね。
『又、此の風が運んで来るのとは違つた原因から昆虫の雨が降る事がある。たとへば、或る蝗《いなご》はたべ物が失くなつてくると、ほかの土地へ引越すために大勢集まつて大きな群を作る。或る信号が掛かると、此の蝗の移民隊は、太陽の光を遮る程の大きな雲を形造つて空を飛んで行く。あまり大勢なので此の移住は数日もかゝる事がある。そして此の食ひしんぼうの蝗の群は生きた嵐のやうな勢で、遠い遠い処の野原に降りて来る。そして五六時間の中に草も木の葉も穀物も、野原のものは悉く食はれて了ふ。野火に焼けたやうな工合で、地上には草の葉一つ残らない。其のお蔭でアルジエリアと云ふ国の人達が餓死した事もあつた位だ。
『又、火山は燃え滓の雨を降らせる。火山灰と云ふのは、噴火の時、非常な高いところまで噴き上げられた灰の事だ。此の粉灰はすばらしく大きな雲のやうなもので、昼間を闇の夜同然の真暗にして了ふし、そして可なり遠方の地にまで降つて、動物や植物を埋め殺して了ふ事がある。』
[#5字下げ]四四 噴火山[#「四四 噴火山」は中見出し]
『まだ夜も更けませんから、叔父さん、灰を夕立のやうに降らせる、あの噴火山といふ恐ろしい山の話しをして下さいませんか。』とジユウルが云ひました。
『噴火山』といふ言葉に、今まで眠つてゐたエミルが眼をこすつて耳を傾けました。彼れもこの話しが聞きたかつたのです。叔父さんはいつもの通り子供達の頼みをきいてやりました。
『噴火山といふのは煙りだの、焼け滓だの、真赤に焼けた岩だの、又熔岩といふ岩の熔けたものなどを噴き上げる山のことだ。頂上には煙突のやうになつた大きな穴がある。其の或るものは周囲が幾里もあるのもある。これが噴火口だ。噴火口の底はうねつた管か煙突のやうになつてゐるが、あまり深くて測れない。ヨーロツパの[#「ヨーロツパの」は底本では「ヨーロッパの」]主な噴火山は、イタリーのナポリの近所にある、ヴエスヴイアス山、シシリー島にあるエトナ山、それからアイスランドのヘクラ山等である。噴火山は大概休んでゐるか、又は現に煙を噴いてゐるかの、何方《どちら》かだ。しかし、其の休んでゐる山でも、時々|轟々《ごうごう》唸つたり震えたりして、焼け爛《ただ》れた物を滝のやうに噴き出す。これを噴火するといふのだ。此の噴火がどんなものかと云ふ事を話すのに私はヨーロツパの噴火山中一番有名なヴエスヴイアスを例に引かう。
『噴火が起る前に、大抵、噴火口の穴を満たしてゐる煙が真直に噴き上げられて、風のない日だと約一哩も空高く上る。此の煙は空に登る時は、毛布のやうに拡がつて太陽の光線を遮ぎる。噴火の数日前は煙りが噴火山上に沈んで、黒い大きな雲のやうに山を掩ひ包んで了ふ。それからヴエスヴイアス山の周囲の土地が震ひ出す。地の中でゴー/\いふ爆発の音が聞える。時の経つにつれて其の音が激しくなり、間もなく烈しい雷鳴になつてしまふ。まあ砲兵隊が山腹で絶え間なしに射撃してゐる爆音を聞いてゐるんだと思へばいゝ。
『忽ちの中に火の塊が噴火口から噴き出されて、二三千メートルの高さまで上る。噴火山の上に浮いてゐる雲は赤い焔に照らされて、空が燃えるやうに見えて来る。何千万とも知れぬ多くの火花が、火柱の上の方へ稲妻のやうに飛んで行つて眩しい尾を引きながら弧を描いて、火山腹へ火の雨となつて降る。此の火花は遠方から見るとごく小さな物だが、実は白熱した石の塊だ。中には直径数メートルに及んで、落ちる折に厳丈な建物を押し潰す位の重さを持つてゐるものがある。人工の機械で、何うしてこんな大きな石を、こんなに高くまで抛《なげ》る事が出来るものか、人間の力では一遍だつて出来ない事を、噴火山は手玉に取るやうに繰り返し/\何遍もやる。幾週間幾月と云ふもの、ヴエスヴイアス山はかうして此の赤くなつた石を花火の粉のやうに無数に噴き出したのだ。』
『それは怖ろしくもあるが、又綺麗なものでせうね。』とジユウルが云ひました。『僕、噴火が見たいなあ、勿論遠方からね。』
『すると山の上の人達は?』とエミルが尋ねました。
『そんな時には誰も用心して山へは行かない。行くと生命を失ふかも知れないし、煙りで窒息するかも知れず、真赤に焼けた石に押し潰されるかも分らないからね。
『其の中に山の深い底から噴火口を通つて熔けた鉱物や熔岩が噴き出されて、噴火口に拡がり、太陽のやうに眩しい火の湖を造つて了ふ。野原にゐて気遣はしげに噴火の進行を眺めてゐる見物人は、此の空高く漂つてゐる煙に映る美しいイルミネーシヨンを見ると、熔岩の洪水が襲つて来やしないかと心配する。が、噴火口はもう一杯だ。そこで、突然地震がして、雷鳴と諸共に爆破して、その裂け目の間から、噴火口の端の方からと同様に熔岩が川のやうに流れる。此の火の流れは、熔けた金属のやうな糊のやうなもので、緩々《ゆるゆる》と流れて、その前にあるものをすべて焼き尽して了ふ。そこから逃げる事は出来るが、地に止まつてゐるものは何もかも失くなつて了ふ。木は熔岩に触ると忽ち燃えて炭になり、厚い壁は焼けて倒れ、堅い岩も硝子のやうになつて熔けて了ふ。
『が、此の熔岩の流れは、遅かれ早かれ、止んで了ふ。すると、地中の水蒸気が、今まで圧へられてゐた波動体の圧迫から逃れて、恐ろしい勢で飛び出して来て、雲のやうに舞ふ細かい塵の旋風を起しながら、近所の野原に降りるか、或は数百里もの遠い処へ風で運ばれて行く。そして最後に、恐ろしい山も静まつて、又もとの平穏に帰る。
『若し噴火山の近所に町があつたら、その火の河は其処へ流れ込んで来ないでせうか。そして灰の雲が其の町を埋めて了ひやしないでしようか。』とジユウルが訊きました。
『不幸にしてそんな事もあり得る。そして又実際ありもした。その話しは明日することにして、もう時間だ、寝やうぢやないか。』
[#5字下げ]四五 カタニア[#「四五 カタニア」は中見出し]
『昨日ジユウルは噴火山の近くにある町には熔岩の河は流れて来ないものだらうかと尋ねたね。』とポオル叔父さんは話し出しました。『これからお話しするのは其の返事だ。エトナ山の噴火の話だよ。』
『エトナといふのは、百|疋《ぴき》の馬の栗の木のあるあのシシリイ島の噴火山ですね。』とクレエルが云ひました。
『さうだ。今から二百年程昔しのこと、シシリイに歴史上最も烈しい大噴火が起つた。激しい暴風雨《あらし》があつた後で、沢山の馬が一時にドツと倒れるやうな強い地震が夜中つゞいた。木は蘆《あし》が風に靡くやうに雉《な》ぎ倒され、人は倒れる家の下に圧しつぶされないやうに気狂ひのやうに野原へ逃げようとしたが、震へる地上に足場を失つて、躓《つまず》き倒れた。丁度その時、エトナは爆発して四里程の長さに裂けて此の割れ目に沿ふて沢山の噴火口が出来、爆発の恐ろしい響きと諸共に、黒煙と焼け砂とを雲のやうに吐き出した。やがて、此の噴火口の七つが一つの深い淵のやうになつて、それが四ヶ月間雷鳴したり、唸つたり、燃え滓や熔岩を噴き出した。エトナ山の旧噴火口は、初めは全く静におさまり返つて、其の炉は新しい噴火口の炉とは何んの関係もないやうに思はれたが、四五日の後には再び目覚めて、焔と煙の柱を非常に高く噴き上げた。そこで山の全部が揺れて、旧噴火口の上にあつた山の頂は火山の深い谷底へ落ち込んで了つた。其の翌日四人の登山者が無理に山の頂きに登つてみた。噴火口は昨日の落ち込みで随分拡がつてゐた。そして孔の口は前には一里程あつたのが、こんどは二里程になつてゐた。
『其の中《うち》に熔岩の河は山の凡ての裂け目から流れ出して、家や森や作物を滅ぼしながら平原の方へ流れて行つた。此の噴火山から数里離れた海岸に丈夫な壁に取り囲まれたカタニアと云ふ大きな町があつた。火の河はたうとう数ヶ村を飲み尽して、カタニアの壁の前まで来た。そして其の近郊に拡がつて行つた。火の河は其の強い力を慄へるカタニアの人々に見せつけるやうに、一つの岡を引つこ抜いてそれを遠くへ持つて行き、葡萄を植ゑた畑を一と塊りに持つて行つて、其の緑の草木が炭になつて消え失せるまでそれをあちこちと漂はした。最後に此の火の河は広い深い谷に着いた。カタニア人は皆これで助かつたと思つた。今に火の河は、此の広い谷底を埋めて了ふ前に、其の力をなくして了ふだらうと思つたのだ。がそれは甚しい当て違ひであつた。たつた六時間の短い間に、谷は一杯になつて、熔岩は溢れ出し、幅半里高さ十メートル(三丈)もある河になつて、一直線に町に向つて進んで来た。若し其儘進んで行つたら、カタニアは既に全滅して仕舞つたかも知れない。幸ひな事には、其時他の火の河が流れて来て最初の河を横切つた。それで最初の河はカタニアへは来ないで、その進路を換へて了つた。そこで此の方向を換へた河は、見る間に町の壁に沿ふて海の中へ流れ込んだのである。』
『叔父さんが家程の高さの火の河が、町に向つて一直線に流れて来たと話した時には、僕カタニア人を可哀さうに思つて随分心配しましたよ。』とエミルが口を出しました。
『まだすつかり済んだんぢやないよ。』と叔父さんは言葉をつゞけました。『今話した火の河だね、それは海へ流れ込んで行つたんだ。そして水と火との間に激しい戦さが持ち上つた。熔岩は長さ千五百メートル高さ十二メートルの戦線を造つて進んで行く。此の火の壁はたうとう海の中へ進んで行つて水蒸気の大きな煙りが恐ろしく激しい音を立てゝ立ち昇る。そして濃い雲で空を曇らせて、此の辺一帯塩辛い雨を降らせたのだ。そして四五日の間に、此の熔岩は岸から三百メートルも遠くへ行つた。
『しかし、カタニアはまだ危険だつた。火の河は支流を合はせて日に/\大きくなり、だん/\町に近づいて来た。町民は城壁の上の方から此の禍の執念深く迫つて来るのを慄えながら見守つてゐた。遂に熔岩は町の壁に届いた。火の波は、ごく緩くりではあるが絶え間なくだん/\上つて来て、もう塀よりも高くなりさうに見えて来た。やがて、壁の上とすれ/\になつた。すると、其の圧力を受けて、壁が四十メートル程毀れた。そして火の河は町の中へ侵入して来た。』
『まあ!』とクレエルが声を立てました。『可哀さうにそこの人達は皆んな死んだのですね?』
『いや、人は死にやしなかつた。と云ふのは、熔岩はべた/\したもので緩くりと流れて来るのだし其の時はもう皆んな十分用心してゐたんだからね。で、ひどくやられたのはたゞ町だけだつた。熔岩の雪崩込んだ処は一番高い処で、其処から四方へ拡がる事の出来る場所だつた。つまりカタニアは全滅しなければならないものと思はれてゐた。けれども此の火の流れと戦つた勇敢な人々のお蔭で、町は救はれた。其の人達は此の火の河の流れて来る道筋に、その方向を変へさせるやうな石垣を造らうとした。この工夫も多少うまくは行つたが、しかし次ぎの工夫の方がもつとうまく行つた。熔岩の河は、直ぐと其の表面が固まつて、自然と堅い鞘のやうなものに包まれる。そして此の蓋の下では依然として液体のまゝのものが其の進行をつゞけてゐる。其処で人々は此の自然の溝を適当の場所で破壊して、別に町を横断する道を開いてやつたら、そこから流れ出て町を通り抜けて了ふだらう、とかう考へたのだ。そこで十分な警戒が済むと、頑丈な人々が、噴火山から遠くない処で鉄棒を揮つて火の河を壊さうとした。が、余り熱が劇しいので、続けさまに二つ三つ叩くと、そこから遠のいて休まなければならなかつた。然し、それでも此の人々は遂に此の堅い鞘に孔を穿ける事が出来て、予想した通り、熔岩は此の孔から流れ出した。そして、カタニアは大損害を受けたには受けたが、とにかく助かつた。熔岩の河が町の壁に届く迄の間に、三百戸の人家と二三の宮殿と、数組の教会とは滅亡させられて了つたのである。カタニア以外の場所では、此の不幸な噴火は、五平方里から六平方里の土地を、或る所では十三メートルの厚さに熔岩が敷きつめ、そして二万七千人の家を亡して了つた。』
『生きたまゝ焼かれるかも知れないのに、そんな事には構はず出かけて行つて、火の河の路を開けてやるやうな勇ましい人々が居なかつたら、カタニアはきつと亡んでゐたに違ひありませんね。』とジユウルが云ひました。
『勿論カタニアは全部焼け失せて了つたかも知れない。そして其の町は冷めたい熔岩の下に埋もれて、昔しの大都会の名前だけが今日僅かに残つてゐるだけだつたかも知れない。僅か三四人の強い心を持つた者が、気の挫けた皆んなの勇気を甦へらせる。皆んなは天が其の努力を助けることを希《ねが》つて、其の身を犠牲にして恐ろしい災難を防ぐのだ。お前達も危険な時に出遭つたらこれを手本にしなくてはならない。知識の勝れた人は、心もそれ以上に勝れてゐなければならない。私のやうに年をとると、お前達の知識が殖えた事をきくよりも、お前達の行つた善い事の話を聞いた方が余程嬉しい。知識と云ふものは人を助ける手段に過ぎない。いゝかい、忘れちやいけないよ。で、大きくなつたら、お前達はカタニアの人々がしたやうに危険を背負つて立たなければならない。私の慈愛と話しのお礼に、これだけ頼んでおくのだよ。』
ジユウルはそつと涙を拭きました。叔父さんは良い素地の中へ其話しの種をまいた事を覚りました。(つづく)
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。)
- [フランス]
- ネラ 小さな町。
- ボルドー Bordeaux フランス南西部、ガロンヌ川に沿う港市。葡萄(ぶどう)酒の集散地。また、砂糖・ブランデー・綿織物などを産出する。人口21万5千(1999)。
-
- [アメリカ合衆国]
- 北アメリカ合衆国
- フィラデルフィア Philadelphia アメリカ北東部、ペンシルヴァニア州南東部の都市。1776年の独立宣言が発せられた地。費府。人口114万5千(2000)。
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- [アルジェリア] Algeria アフリカ北西部、地中海岸にある民主人民共和国。住民はイスラム教徒のアラブ人・ベルベル人が大半。フランスの旧植民地で、1954年以来、民族解放戦線(FLN)を中心とする解放運動の末、62年独立。マグリブ地方の中心にある。産油国。面積238万平方キロメートル。人口3236万(2004)。首都アルジェ。
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- [イタリア]
- ナポリ Napoli イタリア南部の都市。ナポリ湾に臨み、ローマの南東約220キロメートル。古代ギリシア・ローマ以来栄え、1282年以後ナポリ王国を形成、ルネサンス文化の一中心。南東方にヴェスヴィオ火山がそびえ、風光明媚。カーポディモンテの王宮や古城などがある。人口99万8千(2004)。英語名ネープルズ。
- ヴエスヴイアス山 → ヴェスヴィオ
- ヴェスヴィオ Vesuvio イタリア南部の活火山。ナポリ湾の東側、ナポリの南東16キロメートルにある。標高1281メートル。二重式火山で、古来しばしば大噴火をなし、西暦79年8月ポンペイ・ヘルクラネウムを噴出物で埋めた。英語名ヴェスヴィアス。
- シシリー島 Sicily → シチリア
- シチリア Sicilia イタリア半島の南端にある地中海最大の島。古代にはフェニキア・ギリシア・カルタゴ・ローマに占領され、中世にはヴァンダル・ビザンチン・イスラム教徒・ノルマンに征服され、12世紀に両シチリア王国が成立。1861年イタリアに帰属、1948年自治州。面積2万6千平方キロメートル。中心都市はパレルモ。英語名シシリー。
- エトナ Etna イタリア、シチリア島の東岸にそびえる活火山。標高3323メートル。
- カターニア Catania イタリア南部、シチリア島東岸の都市。農畜産物の集散地・工業都市。人口30万7千(2004)。
-
- [アイスランド]
- ヘクラ山 Hekla アイスランドの成層火山。アイスランド南部に位置し、国内で最も活動的な火山。『ヘクラ(Hekla)』はアイスランド語で『頭巾』を意味する。標高1,491m、比高1,000m、周囲約19km、山頂は氷におおわれており、山体は山頂を通る割れ目の方向(東北東〜西南西)方向に延びている。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)
- ド・ロマ ネラの長官。
- フランクリン Benjamin Franklin 1706-1790 アメリカの政治家・文筆家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽くした。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*難字、求めよ
- 励磁機 れいじき 交流発電機・直流発電機・同期電動機などに励磁電流を供給する直流発電機。
- 励磁 れいじ 磁化していない強磁性体や電磁石を磁化すること。
- 中和電気 ちゅうわ でんき
- 尖閣 せんかく
- 偽道 ぎどう? にせみち? 詭道(きどう)?
- 巻雲・捲雲 まきぐも → けんうん
- 巻雲 けんうん 十種雲級の一つ。上層雲に属し、繊維状にかかる白雲。中緯度帯では5〜13キロメートルの高さに現れる。極めて小さい氷の結晶から成る。すじ雲。まきぐも。記号Ci
- 積雲 せきうん 十種雲級の一つ。底面は平らで上方に高く盛りあがって円頂形をなす。十分に発達すると積乱雲になる。わた雲。雲の峰。記号Cu
- 層雲 そううん 十種雲級の一つ。下層雲の一種。霧のような雲で雲底が地面についていないもの。雲頂は平らに層状をなしている。記号St
- 日盛り ひざかり 一日のうち、日のさかんに照る時。日の照る最中。多く夏の午後にいう。
- 火山腹
- 厳丈 がんじょう
- 当てちがい あてちがい 当違。推測がはずっること。見当違い。
- 多勢 大勢(おおぜい)か?
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。
*後記(工作員日記)
うはあっ、奥付バックナンバーの url 中「&」とすべきところが置きかわっていたことに今まで気がつかなかった。。。確認してみると、第四号当時からずっとそのままになっていたらしい。タイトルをクリックしてもらっても、これじゃあダウンロードもアクセスも出来なかったはず。しょぼーん。
これは、つくりかえさねばならんだろーなー。
『現代の図書館』vol.49 no.2(2011.6)読了。
*次週予告
第四巻 第三三号
厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光 寺田寅彦
第四巻 第三三号は、
二〇一二年三月一〇日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第四巻 第三二号
科学の不思議(五)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年三月三日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
※ おわびと訂正
長らく、創刊号と第一巻第六号の url 記述が誤っていたことに気がつきませんでした。アクセスを試みてくださったみなさま、申しわけありませんでした。(しょぼーん)/2012.3.2 しだ
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- 第一巻
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- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
- 「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
- 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期――
- 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
- 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
- 「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
- 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号