科学 の不思議 (二)
STORY-BOOK OF SCIENCEアンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
八 古い梨 の木
ポールおじさんは、
「早くおいで」とおじさんが
子どもたちはワッと
「その古い
とジュールがたずねました。
「ここをごらん、この切り口を。これはおじさんが注意して
「見えますよ。
「一つの
「ちょうど、水の中に石を投げるとそのところにできる輪のようにちょっと見えますね。
「わたしにも
「では話そう。
ポールおじさんはピンをとって、
「この
「それは、ちっともむずかしいことじゃありませんね。
「えっ! えっ! わたしが何をお前に話したって?」ポールおじさんは、おおよろこびでさけびました。
「なんて
「そうだ。みな同じだよ。わたしたちの国では、どの木もみんな一つ一つの
「ああ! つまらないなあ。ぼく、いつかそれを知らなかったもんだから……」とエミルが言い出しました。
「そんなでもないよ。
「一七〇ですって、ポールおじさん! 本当ですか? まちがいなくそうですか?」
「
「じゃ、その木は一七〇年たっていたんですね」とジュールがいいました。
「われわれには、一七〇年はたしかにたいへんな
九 樹木 の齢
「よく話に使われるサンサールのクリの木というのは、その
「非常に大きなクリの木で知られているのには、たとえばジェネヴァ〔ジュネーヴか。
「一〇〇〇年! もし、おじさんがそう言ったのでなければ、ぼくはそれを信じなかったでしょうよ。
「シッ! お前たちはおしまいになるまで何も言わずに聞いてなきゃならない。
「世界じゅうでの大きい木は、シシリー〔シチリア〕のエトナの
「ドイツのウユルテンベルヒのヌーシャテルに一本のリンデン(
「こんどはフランスの国のを
「ノルマンディーのアルヴィルの
「まだいちばん古い
「アルヴィルの
「だが、そのイチイは、おなじ
「まあ、今のところ、こんなものでじゅうぶんだろう。さあ、こんどはお前たちが話す番だ。
「ぼくは、もう何もいわないほうがいいようですよ。ポールおじさん」とジュールがいいました。
「おじさんは、なかなか
「わたしは、そのスコットランドの
「三〇〇〇年だよ。そしてもし、わたしが外国のある木のことをお前たちに話そうものなら、まだもっと古い
一〇 動物 の寿命
ジュールとクレールは
「それで動物は、おじさん……」とたずねました。
「
「まず
「ぼくもやっぱりそう思いますよ」とジュールが
「ところがまったく
「そこでこんどは馬に
「なんという
「わたしは、わたしのいうことがお前にわかるかどうか知らないが、ただ、わたしはお前に、この世の中では、たくさんの場所を取るということが、
「さて、また動物の話にもどろう。
「お前たちは鳥のことも聞きたいかい? よろしい、ハトは六年から十年までは生きるかもしれない。ホロホロチョウや
「だが、もっと
「人間についていえば、もし、
一一 湯 わかし
その日、アムブロアジヌおばあさんは、たいへんに
「ぼく、この
「おじさんにたずねなければならないね」
「そうね」と、エミルは
言うよりはやく、二人はおじさんをさがしにゆきました。おじさんは、
「
「
「
「山の
「
「それで、
エミルがそこで
「それを
「
「
「それから、アムブロアジヌおばあさんは、足のなくなったランプを作り
「それは
一二 金属
「
「あの
「
「そうだ、それも、その他のものも、その
「アムブロアジヌおばあさんが
「ちがうよ、ぼうや。お前のおじさんは、とても金の
「
「まず第一に重さでだね。金は
「おじさんは、ぼくたちに
「それから、いつだかアムブロアジヌおばあさんが、考えなしにランプをストーブの上に
「そりゃすぐにとけて、
「
「ショベル、
一三 被金
朝、ある
その
エミルとジュールとは、おやつのリンゴとパンとを食べながら、この
「みがいて、非常にきれいにした
「
「そうだ。それを
「あの大きな
「ぼくが地面で見つけた古いナイフも、やっぱりその赤い皮がかぶっていたよ。
「その大きい
「ぼくには、それはよくわかりますよ」ジュールがいいました。
「ほかのたくさんの
「では、古い
「ポンプの口が白いものでおおわれているのは、
「たしかにそうだ。その
「まあ本当ですねえ」とクレールがいいました。
「ぼくにはわからない。
「それは
「また鉄にも
一四 金 と鉄
「ある
「そればかりではない。金は人間が、鉄や、
「そうじゃないと思いますよ、おじさん。というのはもし、そのとき鉄が
「ジュールの言うとおりだと思いますわ。わたしもやはり、そうだと思います。
「それでは金は?」とポールおじさんが
「金はちがいますわ。
「まったくそのとおりだ。金がすこしずつ
「
「いつだか、クレールとぼくとは、スペイン人がアメリカを発見したとき、その新しい国に住んでいた
「そうだ、そのほうがよほど
「鉄が最後にできたものとすると、それができる前には、人間はどうしていたんでしょう?」とジュールが聞きました。
「その前には、
「そしてこの
「この石でもって、人間は
「それはどこだったのですか?」とクレールが聞きました。
「どこもかも、みなそうだったのだ。今、このにぎやかな町になっているここでさえ、やはり
ちょうどポールおじさんが話し
一五 毛皮
前の日に話しておいたとおりに、ジャックは用意をいたしました。まずヒツジを動かさないように、その足をしばって台の上に
「ジャックおじいさん、ヒツジは毛を
「
「わたしたちが
「こりゃ、おどろきましたね。あなたのようにたくさん本を読む人が、そんなことを知らないんですか。このヒツジの毛でくつ
「おどろいた! こんな
「今は
「ぼくは赤や、
「それは、ヒツジから
「ではラシャは?」
「ラシャはくつ
「では、ぼくが
「そうですよ。寒さを
そう話すあいだもハサミはパサパサ切りつづけて、毛は下に落ちていました。
一六 亜麻 と麻
ジャックが
「ハンカチやリンネルは
夕方になると、ジュールのたのみで、みんなの
「
「
「ミイラとおっしゃいましたね。それは何だか、ぼくにはわかりませんが……」とジュールがおじさんの
「それじゃ、その話をしよう。
「
「その
「そうだ。
「
「
「だが、一番早い方法は、
「それから
「
一七 綿
「
「そんなふうな
「そのたとえは、なかなかおもしろい。
「ポプラの
「それはダメだ。それはあまり少なすぎて集めるのにずいぶん
「その
「
「一年のうちに、ヨーロッパの工場では、
「この
「
一八 紙
アムブロアジヌおばあさんはクレールを
「
「紙!」とエミルがさけびました。
「紙だ。われわれが字を書いたり本につくったりする本当の紙だ。お前たちの
「ボロはいろんなところから集められる。町の
「紙になる前には、この
「クレールはきっと、その美しい
「クレールは、紙の
底本:
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:
1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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科学の不思議(二)
STORY-BOOK OF SCIENCEアンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの
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(例)もつと/\
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[#5字下げ]八 古い梨の木[#「八 古い梨の木」は中見出し]
ポオル叔父さんは今し方庭にある一本の梨の木を切り倒しました。其の木は古くて、その幹は虫に荒されてゐました。そしてもう幾年も実をもつた事がないのでした。で、もう他の梨の木が其の木の代りをつとめてゐました。子供達はポオル叔父さんが其の梨の木の幹に腰を掛けてゐるのを見つけました。叔父さんは何かを注意深く見てゐました。そして『一、二、三、四、五』と云ひながら指で伐り倒した木の截《き》り口の上をコツ/\叩いてゐます。叔父さんは一体何を数へてゐるのでせう?
『早くお出《いで》』と叔父さんが呼びました。『お出、梨の木がお前達に自分の話をしようと云つて待つてゐるよ。此の梨の木はほんとうにお前達に話す何か珍らしいものを持つてゐるやうだよ。』
子供達はワツと笑ひ出しました。
『其の古い梨の木に私達に話をしてくれるやうに頼むにはどうすればいゝんです?』
とジユウルが訊ねました。
『此処を御覧、此の切り口を。これは叔父さんが注意して斧で大変きれいに截つておいたのだ。お前達には木の中にいくつかの輪のあるのが見えはしないかい?』
『見えますよ。』ジユウルが答へました。
『一つの内側に他のがまたくつついて輪になつてゐますね。』
『丁度水の中に石を投げるとその所に出来る輪のやうに一寸見えますね。』とクレエルも云ひました。
『私にも細かい処まで見えますよ。』とエミルも調子を合はせました。
『では話さう。』とポオル叔父さんは続けました。『其の環を年輪といふのだ。何故年輪と云ふのか、聞きたいかい? たつた一つだ。分るかい。一つより多くもなく、又少くもないのだ。そう云ふ事に委《くわ》しい人達は、その一生を植物の研究に費してゐる。その人達を植物学者といつて、植物の事については、出来るだけ間違ひのない事を私達に話してくれる。若木が種から芽をふいた瞬間から、古い木が死ぬ時迄毎年一つの輪一つの木理《もくめ》を形づくるのだ。さあ、これで分つたらう。では、此の梨の木の層を数へて見よう。』
ポオル叔父さんはピンをとつて、先きだちになつて数へ出しました。エミルもジユウルもクレエルも、注意深く見てゐました。一、二、三、四、五、――彼等は木の髄から皮まで四十五を数へ上げました。
『此の幹は四十五の木理を持つてゐる』とポオル叔父さんが知らせました。『誰か私にその木理が何を表はしてゐるか話せるかね? 此の梨の木はいくつだらうね。』
『それはちつとも六かしい事ぢやありませんね。』ジユウルが答へました。『叔父さんがたつた今其事を話して下すつた後だもの。毎年一つの輪が出来るとすれば、今私達は四十五数へたから、此の梨の木の年は四十五でなくちやならない筈です。』
『えつ! えつ! 私が何をお前に話したつて?』ポオル叔父さんは大よろこびで叫びました。『梨の木は話さなかつたかい? 話し初めたのだよ。自分の年を私達に話すのは其の歴史を話す事なのだ。此の木は本当に四十五なのだ。』
『何んて不思議なんでせう』と、エミルが叫びました。『叔父さんは丁度その木が生れた時から知つてゐるやうに木の年が知れるんですねえ。さうして木理を沢山数へたこと。そんなに沢山の木理で、そしてそんなに沢山年をとつてゐるんですねえ。さういふ事は誰でも叔父さんと同じやうに知らなければいけませんねえ。叔父さん。さうして其の木理のは他の木、樫でも、山毛欅《ぶな》でも、栗でもみんな同じですか?』
『さうだ。皆な同じだよ。私達の国ではどの木もみんな一つ一つの層を一年と数へるのだ。今度その層を数へて御覧、さうすれば其の年が分るよ。』
『あゝ! つまらないなあ僕、何日《いつ》かそれを知らなかつたもんだから』とエミルが云ひ出しました。『何日か街道の道ばたの大きな山毛欅の木を伐り倒したの。あゝ! あの木は何んていゝ木だつたらう。あの枝ですつかり田圃を覆つてゐたのに。あれはずゐぶん古い木に違ひないんだ。』
『そんなでもないよ。』ポオル叔父さんは云ひました。『私はその層を数へたが百七十だつた。』
『百七十ですつて、ポオル叔父さん! 本当ですか、間違ひなくさうですか?』
『正直に本当にさうだよ坊や、百七十だつたよ。』
『ぢやその木は百七十年経つてゐたんですね』とジユウルが云ひました。『本当にそんなかしら? 木はそんなに古くなるまで生えてゐるものですかねえ! そして、もし路をなをす人があの道をひろげるのにでも伐り倒さずにゐたら、間違ひなくもつと何年も活きてゐたでせうか。』
『我々には百七十年はたしかに大変な年数だ』と叔父さんは同意しました。『人間はそんなに長くは活きない。けれども木にはそれはほんの少しだ。もつと蔭の涼しい処に腰掛けよう。そしてお前達にもつと木の齢について話をしよう。』
[#5字下げ]九 樹木の齢[#「九 樹木の齢」は中見出し]
『よく話に使はれるサンサアルの栗の木といふのは、その幹のまはりが一丈三尺よりもつと多い。ごく控目に見積つて、その齢《とし》は参百年か四百年でなくちやならない。此の栗の木の齢に驚いちやいけない。私の話はまだはじめたばかりだからね。お前達だつてきつとさうだらうが、話し手は誰でも聴き手の好奇心に勢づけられる。で、私も一等古いのの事はおしまひまで預かつて置くのだ。
『非常に大きな栗の木で知られてゐるのには、例へばジエネヴアの湖水の辺りのヌウブ・セルや、モンテリヌルの近所のエザイの栗の木がある。ヌウブ・セルの栗の木の幹の一番下の方のまはりが、四丈だ。一四〇八年から一人の隠者のかくれ家になつてゐたといふ事だ。今ではもう其の時から四百五十年もたつてゐる。それにその前の齢を加へたものが其の木の齢だ。そして幾度か分らない程落雷に打たれてゐる。が、そんな事には関係なしに、生々として一ぱいに葉をつけて今もまだ活きてゐるのだ。エザイの方の栗の木は、その高い枝はもぎとられて、幹のまはりは三丈五尺ある。それには、深いさけめで溝が穿れている。それは年よりの皺なのだ。此の二本の木の年ははつきり云ふことは出来にくい。だが、多分千年もたつてゐるかもしれない。そして、此の二本の古い木は今もまだ、実をもつのだ。二つともまだなかなか死なないだらう。』
『千年! もし叔父さんがさう云つたのでなければ、僕はそれを信じなかつたでせうよ。』その後からジユウルが云ひました。
『シツ! お前達はおしまひになるまで何にも云はずに聞いてなきやならない。』と叔父さんが戒しめました。
『世界中での大きい木は、シシリイのエトナの斜面にある栗の木だ。地図を見ると、イタリイの一番端の下の方に其処が見える。長靴の形をした綺麗な国の爪先と向ひ合つて大きな三角の島がある。それがシシリイなのだ。其の島の有名な山、それは焼けたゞれたものを噴き出してゐる山――手短かに云へば火山といふのだ。その山がエトナと云ふのだ。其処で栗の木の話に戻らう。そして私は先づ『百頭の馬の栗の木』と云はれてゐる話を、お前達にしなければならない。何故さう云はれてゐるかと云へば、ジエンと云ふアラゴンの女王が或る日此の火山に登つた。そして嵐に追ひつかれて、其の護衛の騎兵百人と一しよにその栗の木の下に避難した。其の栗の木の葉の森の下が、百人の乗り手と馬との逃げ込み場になつたのだ。此の大きな木を取り巻くには三十人の人が腕をひろげて手をつないでも足りない位だ。幹のまはりの大きさは十五丈よりはもつと多いだらう。其の大きい事は、木の幹と云ふよりも寧《むし》ろ城の塔と云つた方がいゝ位だ。その栗の木の根元に二つの馬車が並んで楽に通りぬけられる程の大きな穴があつて、そこから其の洞穴《ほらあな》の中へはいつて行ける。それは栗の実を集めに来る人達が住めるやうに造つたものだ。こんな古木でもまだ若い樹液を持つてゐて、実を結ばないといふやうな事はめつたにない。此の大きな木の大きさで其の齢を見積ることは出来ない。
『ドイツのウユルテンベルヒのノオシヤテルに一本のリンデン(橄欖樹《かんらんじゅ》)がある。其の枝は幾年もの間に重くなりすぎて、百本の石柱で支へてある。その枝は四百一尺の周囲《まわり》の明地《あきち》をグルリと覆ふてゐる。一二二九年に此の木はもう余程年とつてゐた。其の時代の著述家に『大きなリンデン』と云はれてゐた。今日では、その確からしい年は、七百年か八百年かだ。
『こんどはフランスの国のを話しよう。十九世紀の始めにフランスはノオシヤテルの老木よりももつと古い木があつた。それは一八〇四年までドウ・セブルのシヤイエと云ふ、城にあつた四丈五尺の円さのリンデンだ。それは六本の主な枝を持つてゐて、沢山の柱でつつぱつてあつた。もしその木が今もまだ生きてゐれば千百年よりも若いと云ふ事はないだらう。
『ノルマンデイのアルウ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルの墓地は、フランスで一番古い一本の樫の木で蔭をつくつてゐる。其の根元には死骸が押し込まれる。で、そのせいかその木はひどく太つて、其の幹の根元の周囲が三丈もある。そして、小さな鐘楼のある隠者の堂が其の木の生え茂つた枝の中程に聳えてゐる。其の幹の根元の空洞になつた一部分を、礼拝堂のやうな風にして平和の女神に捧げてある。そして、此の偉大な姿をした木は神聖なものとして尊敬されてゐる。其の質素な田舎びた神殿で祈り、その古い木の覆ひの下で一寸の間黙想するのだ。その古い木は沢山な墓穴が開いたり閉じたりするのを見てゐるのだ。其の大きさに依つて、此の樫の木は殆んど九百年位生きてゐるものと看做《みな》されてゐる。樫の実もきつと生《な》つてゐるにちがひない。そして芽を出した時からは殆んど千年にもなるだらう。今日では其の古い樫の木は大きな其の枝をのばす努力をしない。無事に辿つて来た長い年月の間に、人間には讃美され、電光に荒されて来た。そして多分これからも、今迄とおなじ事が続いてゆくだらう。
『まだ一番古い樫の木として知られてゐるのがある。それは一八二四年にアルダンの一人の木樵《きこり》がすばらしく大きな一本の樫の木を伐り倒した。その幹の中に、生贄《いけにえ》の瓶と、古い貨幣が見出された。此の古い樫は千五百年か千六百年の間生きてゐたのだ。
『アルウ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルの樫の木の後に、私はお前達にもつと死人の仲間の木の事を話さう。墓場は神聖な場所で、人間もそれに害を加へないので、そこの木が自然に庇護されて、高齢にまで達する事が出来るのだ。ヘエ・ド・ルウトの墓地の二本の水松《いちい》は特にウウル県の格別の保護を受けてゐる。一八三二年に、此の二本の水松はその簇葉《ぞくよう》で、墓地全体と会堂の一部を覆つてゐた。が、非常に猛烈な嵐で其の枝の一部分は地面に投げ飛ばされて、嘗《か》つて経験のない程の重大な損害を受けた。が、其の害にも拘はらず、二本の水松は今も、けだかい老木なのだ。それ等の幹はすつかり空洞になつてゐて、そのまはりはそれぞれ二丈七尺もある。其の年は千四百年位と見積られてゐる。
『だが、其の水松は、おなじ種類の他のものゝ年の半分より多くなつてはゐないのだ。スコツトランドのある墓地にある一本の水松はその幹のまはりが八丈七尺ある。その確からしい年齢は、二千五百年だ。もう一つ他の水松もまたやはりおなじスコツトランドの或る墓地にあつた。一六六〇年に、その木は、スコツトランド中で噂した程大きいものだつた。其の時に勘定された齢が二千八百年になつてゐた。もしも今まで其の木が立つてゐたら、此のヨオロツパの木の大長老は三千年以上生きて来た事になる。
『まあ、今の処こんなもので十分だらう。さあ、こんどはお前達が話す番だ。』
『僕は、もう何にも云はない方がいゝやうですよ。ポオル叔父さん』とジユウルが云ひました。
『叔父さんはなか/\死なない木の話で僕の心をひつくり返してしまひましたよ。』
『私は其のスコツトランドの墓地の古い水松の事を考へてゐますの。叔父さんは三千年とおつしやつたわねえ?』とクレエルが尋ねました。
『三千年だよ。そしてもし私が外国の或る木の事をお前達に話さうものならまだもつと古い昔まで溯つて行かなくてはならないんだよ。』
[#5字下げ]一〇 動物の寿命[#「一〇 動物の寿命」は中見出し]
ジユウルとクレエルは幾百年と云ふ事が、木にとつては、我々人間にとつての幾年と云ふよりもずつと短かいといふ叔父さんの話でびつくりさせられた、其の驚きがぬけませんでした。エミルは、いつもの落ちつかないくせで、話を他の事に持つて行きました。
『それで動物は、叔父さん』と尋ねました。『どの位の間生きてゐるものなんです?』
『家畜は』と叔父さんは答へました。『たまには、自然に死ぬ年が来るまで生きる事もある。が、人間は、彼等に食物をやる事を吝《お》しむだり、彼等を働かせすぎたり、適当な保護をしてやらない。そして、彼等から乳を取り、被毛《ひもう》を取り、皮をとり、肉をとるなど、実にいろんなものをとる。お前が大きくなつた時に、いつでも屠殺者が家の扉の前でナイフを持つてお前を待つてゐるとしたらお前はどうする。我々の必要の犠牲にされる其等の者の可哀想な事は云ふまでもない。彼等は我々にその生涯を与へてゐる。彼等には、自分等の一生といふものはないのだ。其等の動物をよく世話してやるとすれば、それは飢を我慢する事でも、寒さを我慢する事でもない。たゞ過度に疲れさせないで、屠殺者共に対する恐怖を失くさせて平和に暮らさせる事だ。そんないゝ条件の下に彼等をおいたら、彼等はどんなに永く生きるだらう?
『先づ牡牛から初めよう。私は此処に一匹の丈夫な牛がゐる事にしよう。どうだい、まあ、あの胸と肩は! それからその大きな四角い額、その角とそのまはりの軛《くびき》の革紐、其の眼は穏やかな力強い威厳で光つてゐる。もしも強いと云ふ事が長く生きる事になるのならば、其の牡牛は百年も生きる筈なのだ。』
『僕もやつぱりさう思ひますよ』とジユウルが同意しました。
『ところが全く反対なんだよ。牡牛はそんなに大きくて、強くて、どつしりしてゐるけれど、二十年か三十年もすれば、それはもう大変な年よりなんだよ。二十とか三十とか云へば、我々人間にとつては、まだ若い青年だが、牛にとつてはもう老いぼれの高齢なのだ。
『其処で此度は馬に移らう。お前達は私が動物の中の弱いものから例をとるんぢやないといふ事は分るだらうね。私は一番元気に満ちたのを選ぶのだ。さて、其の馬はおなじやうに内気な仲間の驢馬も、やつとの事で三十年か三十五年位まで生きる。』
『何んといふ間違ひを僕はしてゐたのだらう?』ジユウルが叫びました。『僕は馬や牛はあんなに強いから少くとも百年は十分生きると思つてゐました。馬や牛はあんなに大きくて、あんなに沢山の場所をとつてゐるんですもの。』
『私は私の云ふ事がお前に分るかどうか知らないが、たゞ私はお前に、此の世の中では、沢山の場所を取るといふ事が、一生を楽しく過す事でもなければ、平和に住む道でもないのだといふ事を説明したいのだ。沢山の場所をとつてゐる人間がよくある。それもその体でゝはない――其の人達は私達よりも大きいのではない――たゞ其のえらがりと野心とでなのだ。が、其の人達は平和に生活して其の老年を準備してゐるかと云へば、それは覚束ない事だ。私達は小さくていゝのだ。云ひ換へれば、神様が与へてくれた小さな我々自身で満足するのだ。私達は羨ましがりの誘惑に気をつける事だ。それは馬鹿気た高慢がつゝくのだから。そして私達は仕事に一生懸命になるのだ。それは決して功名心からではない。それはたゞ一つの私達に許された道なのだ。日々の希望なのだ。
『さて、又動物の話に戻らう。家畜の中で、他にももつと短命なのがある。犬は二十年か二十五年になれば、もうそれ以上に生きて行く事は出来ない。豚は廿年もすれば老《おい》ぼれてひよろつく。猫は一番長く生きて十五年までだ。それ以上は鼠を追ひまはすことも出来ない。で、屋根裏の楽しみは棄てゝ穀倉の何処かの隅に引つこんで、平和に死ぬのだ。山羊や羊は十年か十五年になると極度の老年に達するのだ。兎は八年か十年すれば其の群れはおしまひだ。そして可愛想な鼠は、もしも四年も生きてゐれば、その仲間ではまるで奇蹟のやうな長生きなのだ。
『お前達は鳥の事も聞きたいかい? よろしい、鳩は六年から十年までは生きるかもしれない。ほろ/\鳥や牝鶏や七面鳥は十二年だ。鵞鳥《がちょう》は長く生きる。苦労のない其の性質ではあたりまへの事だが、廿五年位まで生きる。そして時にはもつとずつと多くなる事さへあるのだ。
『だが、もつと長命するものもある。それは金翅雀《カナリヤ》や雀だ。一粒の大麻実《おおあさのみ》と葉簇《はむら》の中で、日光の輝《て》るのと一緒に出来るだけ楽しくいつもふざけたり歌つたりしてゐて、人の注意から免れてゐるこれらの鳥は、大食の鵞鳥と同じ程、そして鈍間の七面鳥よりはずつと長く生きる。それ等の楽しさうな小鳥共は、廿年から廿五年、即ち牡牛と同じ年だけ生きる。私が話したやうに、世の中で広い場所を使ふことは、長い一生の用意をする本当の道ではないのだ。
『人間に就いて云へば、もし、規則正しい生活をしてゆけば、よく八十や九十まで生きる。時としては百とかそれ以上にでさへもなる。しかし、普通の年、平均の年は、誰でも云ふやうに、やつと五十位までしか届かないのだ。それからは、人間の生命の長さに関する特典だと考へた方がいゝ。そして、更に人間については、生命の長さは年の数を数へる事で完全に計る事は出来ない。人間一番の生命はその人の一等立派な仕事だ。いつ神様から召されても、我々の義務のためにつくしたといふ自覚を持つ事だ。いくつで死んでも、それだけの事さへしてゐれば、それで十分生きたのだ。』
[#5字下げ]一一 湯沸[#「一一 湯沸」は中見出し]
其の日、アムブロアジヌお婆あさんは、大変に疲れてゐました。お婆あさんは、湯沸《ゆわか》しだの、ソオス鍋だの、ラムプだの、燭台だの、シチユウ鍋だののいろんな鍋と蓋とを棚から取り下ろしました。そして、其をきれいな砂や灰で磨いて、其からよく洗つて、それをすつかり乾かすのに、其の台所道具を日向に持ち出しました。それはみんな鏡のやうにぴか/\光つてゐました。湯沸しは薔薇色の反影で、特別に立派に思はれました。それは火の舌がその内側を輝かしてゐると云つてもいゝ位でした。燭台は、まぶしい黄色でした。エミルとジユウルは感心してほめるのに夢中になりました。
『僕、此の湯沸しをどうして作るのか知りたいな、あんなに光つてる』とエミルは注目しました。『外側は煤で汚れてゐて、真黒で見つともないけれど、内側の方はまあ何んて綺麗なんだらう!』
『叔父さんに尋ねなければならないね』兄さんが答へました。
『さうね』とエミルは賛成しました。
云ふよりはやく、二人は叔父さんをさがしにゆきました。叔父さんは、頼まれなくても、何時でも臨機応変に何かを子供達に教へてやる事が出来るのを楽しみにしてゐました。
『湯沸しは銅で造つたものだ』叔父さんは初めました。
『銅つて?』ジユウルが尋ねました。
『銅は造つたものではない。或る地方で、もう出来たものが石に混つて見出されるのだ。其の本質は人間の力で出来るものではないのだ。それは神様が地の底に堆んでおいたのを、人間が其の産業のために使ふのだ。が、それは吾々のすべての知識と熟練とを以てしてもつくり出すことは出来ないのだ。
『山の懐の中の何処かに銅を見出すと、地の底深く下の方へとトンネルを掘る。其処で働く人達を坑夫と云つて、ランプで照されながら鶴嘴《つるはし》で、岩を打叩いてこはして行く。同時に他の者は、岩の毀れた塊を外に持ち出す、その石の塊の中に銅があるのだ。その石の塊を鉱石といふのだ。そして熔鉱炉といつて鉱石を高い温度で熱するやうにつくつた炉の中で熱するのだ。その熱は、うちのストオヴが熱して真赤になつた時の熱とでもくらべものにはならない。其の熱で、銅は熔けて流れる。そしてそれがさめないうちに引き上げられる。それから、水車で運転させるすばらしく重いハンマアで、その銅の塊を打つ。するとその塊は少しづつ凹んで薄くなつて、大きな盤になる。
『銅鍛冶は、其の仕事を続ける。形のない盤をとつて、ハンマアで少し叩いて、其の鉄床《かなとこ》の上に、適当の形をつくりあげる。』
『それで、銅鍛冶はハンマアで、一日中叩いてゐるのですね』とジユウルが註釈をつけました。『僕ねえ、よく驚いてゐたんですよ、いつも銅鍛冶の店先を通ると、どうしてか大変なやかましい音をさせて、いつも/\叩いてゐるんですものね、そしてちつとも休みなしなんです。あの人達は銅を薄くしたり、それでソース鍋や湯沸なんかをつくつてゐるんですねえ。』
エミルが其処で質問をしました。『湯沸しが古くなつて、穴があいて使へなくなつた時にはどうすればいゝんです? 僕、アムブロアジヌお婆あさんが、湯沸しの使へなくなつたのを売らうと云つてゐたのを聞きましたよ。』
『それを熔かすのだ、そして又新しい銅の湯沸しをつくるのだ。』とポオル叔父さんが答へました。
『銅は減る事があるでせうか?』
『減るよ、大変に減るよ。砂で磨いて光らす時にも減るし、不断に火にかけておく火の作用ででもやはり減るんだよ。だが、残つた方がずつといゝのだ。』
『それから、アムブロアジヌお婆あさんは、足のなくなつたランプを作り直さすと云つてゐましたよ。ランプは何んでつくつたんですか?』
『それは錫《すず》だ。それも、銅とはまた質のちがふもので、それを吾々は地の底に、人の力でつくり出すことの出来ない出来合のものを見つけ出すのだ。』
[#5字下げ]一二 金属[#「一二 金属」は中見出し]
『銅や錫を金属と云ふのだ』ポオル叔父さんは続けました。『金属は重い、そして光る本性を持つてゐる。それは、ハンマアで打たれてもよく耐えて壊れる事はない。平らには延びるけれど破れはしない。此の本質をもつと外《ほか》に持つてゐるものがある。それは銅や錫とおなじやうにねうちのある重さも、輝かしい光沢も、打撃に対する抵抗力も持つてゐる。すべてそれ等のものを金属と云ふのだ。』
『あの鉛ねえ、あれずいぶん重いんですけれど、あれもやつぱし金属ですか?』とエミルが尋ねました。
『鉄もさう? 銀も金も?』と兄さんのジユウルも質問しました。
『さうだ、それも、その他のものもその本質は金属だ。みんな独特の光りを持つてゐる。その光りを金属光と云ふのだ。しかし、その色はそれ/″\ちがつてゐる。銅は赤い。金は黄色、銀、鉄、鉛、錫、は、みんな非常にわづかなちがひでそれ/″\に区別された白だ。』
『アムブロアジヌお婆あさんが日に干してゐる燭台は、』エミルが云ひました。『黄色であんなにまぶしい程光つてすばらしく立派ですね。あれは金ですか?』
『違ふよ、坊や、お前の叔父さんはとても金の燭台を持つお金持ではないよ。あれは真鍮《しんちゅう》さ。金属の色や性質《たち》やを変へるには、其の金属だけを使はずに、二種類か、三種類、或はもつと沢山のものをまぜ合はせる。それは熔かしておいて一緒にするのだ。そして、その混合物の一部分となつてゐるものとは違つた全く新らしい性質の金属を構《こし》らへ上げるのだ。さういふ風にして、銅と或る白い種類の金属とを熔かして一緒にしたものが亜鉛だ。庭の如露《じょろ》のやうなものはそれでつくつたのだ。真鍮は、銅の赤さも持たないし、又亜鉛の白でもなく、金の黄色い色に出来上つてゐる。燭台の実質は、銅と亜鉛とを一緒にしてつくつたもので、簡単に云へば、それが真鍮なのだ。其の光りや黄色い色は金のやうだが、実は金ではないのだ。此の間の村の市に、大変きれいな指輪を売つてゐた。その光りがお前達を瞞したのだ。金ならば大変高い値段だつたのだらう。其の商人は一銭でそれを売つてゐた。それは真鍮なのだ。』
『光りも色も殆んど同じなのに、どうして真鍮と金とを見分けるのです?』とジユウルが尋ねました。
『先づ第一に重さでだね。金は真鍮よりはずつと重い。それは沢山の役に立つ金属の中で一番重いのだ。その次には鉛、それから銀、銅、鉄、錫、最後に亜鉛やすべての軽いものだ。』
『叔父さんは、僕達に銅を熔かすことを話してくれましたね』とエミルが云ひ出しました。『それには赤く焼けたストオヴの熱ともくらべものにならない程強い火が要るのだと云ひましたね。金属はみんなその熱にかなはないんですね。僕は残念だつたのでよく覚えてゐますが、あの、叔父さんが一等はじめに僕に下すつた鉛の兵隊がなくなつたんです。去年の冬、僕は丁度よく暖まつてゐるストオヴの上でそれをならべたんです。丁度その時に、僕は気をつけてなかつたので、その兵隊さん達の群が、ひよろつき出して、ぐにや/\になつたんです。そして溶けた鉛が少し流れ出したんです。僕はたつた半ダアスの兵隊を助ける時間しかなかつたんです。そしてその兵隊はみんな足をなくしたんです。』
『それから、何時だかアムブロアジヌお婆あさんが、考へなしにランプをストオヴの上に置いたんですよ』とジユウルも附け加へました。
『そりやすぐにとけて、指の幅位の錫が見る間に見えなくなつてしまつたんですよ。』
『錫や鉛はごく熔やすい。』ポオル叔父さんは説明しました。『それをとかすのには、うちの炉の熱で沢山だ。亜鉛を熔かすのもやはり大して六かしいことではない。だが、銀、それから銅、それから金最後に鉄は、普通の家では知らない強い火が要るのだ。とりわけ鉄は、吾々には非常なねうち[#「ねうち」に傍点]のある強い抵抗力を持つてゐる。
『シヨベル、火箸、炉格《ろかく》、ストオヴは鉄だ。そんないろんなものは、いつも火と接触してゐる。が、それでも熔ける事はない。柔かくさへもならない。鍛冶屋が鉄床の上でハンマアで叩いてたやすく形を造る事が出来るやうに、鉄を柔かにするには、熔鉄炉のありつたけの熱が要るのだ。が、鍛冶屋がたゞ石炭を加へて煽いだ処でそれは無駄だ。決してそれを熔かすことは出来ない。しかし鉄だつて熔けるのだ。たゞそれには人間の熟錬が産み出す一番強い熱を使はなければならない。』
[#5字下げ]一三 被金[#「一三 被金」は中見出し]
朝、或る鋳掛屋《いかけや》が通つてゐました。アムブロアジヌお婆あさんは古い湯沸しを売りました。其の上にストオヴの上で足が熔けたランプと、不用のソース鍋を二つ売つて、それを渡しました。すると其の鍛冶屋は、外で火をつけて、地面の上で鞴《ふいご》を動かし始めました。そして、大きな鉄のさじの中で其のランプを熔かして、それに少しばかり錫を加へました。それもすぐ熔けてなくなりました。その熔けた金属は、鋳型の中に流れ込みました。そしてその鋳型からは一つのランプが出来上がつて出て来ました。そのランプはごくお粗末なものでしたが、一人の小僧が廻はしてゐる旋盤の上に乗せられて、それがまはると同時に親方が鋼鉄の道具の縁でそれに触はりました。錫はさういふ風にして、けづり取られて、うすい鉋屑《かんなくず》になつて落ちました。それは縮んだ紙のやうに巻いてゐるものです。するとランプは、目に見えて完全に出来て行つて、ぴか/\と光つたいゝ恰好のものになりました。
其の後で鋳掛屋は、忙《せわ》しく銅のソース鍋に被《き》せ掛けをしました。その鍋の内側をすつかり砂で洗つて、それを火の上に置きました。そして、それがずつと熱くなつた時に、少しばかりの熔かした錫を麻屑の束でその鍋の表面にすつかり引きました。錫は銅にくつつきました。そして、ほんの一寸の間に、前には赤かつたソース鍋の内側が今は白く光りました。
エミルとジユウルとは、おやつのりんご[#「りんご」に傍点]とパンとをたべながら、此の珍らしい仕事を黙つて見てゐました。彼等は、銅のソース鍋の内側を、錫で白く塗つた訳を叔父さんに聞くことにきめました。そして夕方、錫を塗つて被金《きせがね》をしたことを、その通りに話しました。
『磨いて、非常にきれいにした鉄は大変によく光る。』叔父さんは説明しました。『よく気をつけてケースの中にしまつてある新しいナイフや、クレエルの鋏が其の見本だ。だが、もし湿つた空気に曝しておくと、鉄は直ぐに曇つて、土のやうな赤いものがくつついて、それで覆はれる。それを――』
『錆』とクレエルが挿みました。
『さうだ。それを錆と云ふのだ。』
『あの大きな釘ね、あすこの風鈴草が這ひ上つてゐる、庭の垣の鉄の針金をとめた、あれも赤い皮がかぶつてゐますよ』とジユウルが注意しました。そしてエミルが附加へました。
『僕が地面で見つけた古いナイフもやつぱりその赤い皮がかぶつてゐたよ。』
『その大きい釘や古いナイフはもう長い間湿つた空気に曝されたために、錆ですつかり皮が出来たんだよ。湿つた空気に曝しておくと、鉄は腐る。それは、金属と其の金属に出来る目に見えない或物とが組み合つて、さうなるのだ。錆が出ると、鉄はもう吾々に非常に便利に出来てゐる其の性質を無くして了ふのだ。ちよつと見ると赤土か黄土のやうだが、別だん注意して見ないでもその中に金属がある事は分る。』
『僕にはそれはよく分りますよ』ジユウルが云ひました。『僕は僕の大事な仕事にして、必ず空気や湿気で出来て来る鉄の錆を取る事にしよう。』
『他の沢山の金属も鉄のやうに、錆びる。云ひ換へれば、金属は、湿つた空気に接すると、土のやうなもので覆はれてしまふのだ。錆の色は、其の金属によつていろ/\と違ふ。鉄の錆は黄色か赤、銅のは緑、鉛と亜鉛は白だ。』
『では、古い銅貨の緑の錆は、あれは銅の錆なんですね』とジユウルが云ひました。
『ポンプの口が白いもので覆はれてゐるのは鉛の錆ですね?』とクレエルが質問を出しました。
『確かにさうだ。其の金属を醜くする錆が出来て第一に困るのは、金属がみんな光りや光沢を失ふ事だ。しかもそれはもつと非常に有害な働きをする。此処に害のない錆がある。それは取つて食物の中に混ぜても危険はない。鉄の錆がさうだ。これに反して、銅と鉛の錆は、命に拘はる毒だ。もしもひよつとした間違ひから、その錆が我々の食物の中にはいれば、我々は死なゝければならない。が、我々は今銅の話だけにしよう。鉛は、早く熔けるので、火の上におく事は出来ないから、台所道具には使はない。銅の錆は命に拘はる毒なのだ。そして、また人々は其の銅の鍋で食物をつくるのだ。アムブロアジヌお婆あさんに尋ねて御覧。』
『まあ本当ですねえ』とクレエルが云ひました。『でも私、いつもちやんとソース鍋を見てゐますよ。そして私はいつだつてよく洗つて、時々それを鍍金《めっき》させますよ。』
『僕には分らない。』ジユウルが云ひ出しました。『どうして鋳掛屋が今朝したあの仕事が銅の錆を防ぐ事が出来るのかしら。』
『それは錆をつくるのを防ぐのだ。』ポオル叔父さんが答へました。『普通の金属としては、錫が一番錆が少いのだ。空気に長く曝しておけば、それは少し光沢をなくする。そしてその錆は極く少量で、鉄の錆とおなじに無害だ。銅が、毒を持つた緑の斑点で覆はれるのを防ぐのには、湿つた空気や、それから錆の滋養分になる或る性質のもの、たとへば酢とか油とか脂肪とか云ふやうな錆の出来るものと接触《ふれ》させずに、蔵《しま》つておかなければならない。かういふ理由で、其の銅のソース鍋は錫で内側をすつかり塗つたのだ。そのすつかり塗つたうすい錫の床の下では銅は錆びる事はないのだ。何故なら、もう空気にふれる事がないのだから。そして錫の方は容易に錆びないし、錆びてもそれは害にはならない。さういふ風にして、人々は被金をするのだ。云ひ換へれば、彼等は錫の薄い床でそれを覆ふてその錆の出るのを防ぎ、そして、そのいつか我々の食物の中にまじるだらう危険な毒の力を防ぐのだ。
『又鉄にも錫を被せる。錫の錆は毒ではないから、毒の出来るのを防ぐのではない。が、簡単に、其の鉄の赤い斑点で覆はれるのをふせぐ事が出来るからだ。此の錫を引いた鉄の事を錫被せといふのだ。蓋、コオフイポツト、ドウリツピングパン、おろしもの、提燈、その他のいろんなものが錫被せだ。云ひ換へれば、鉄の両面を、うすい錫のシイツで被せてしまつたものが錫被せだ。』
[#5字下げ]一四 金と鉄[#「一四 金と鉄」は中見出し]
『或る金属は決して錆ない。金はさうだ。数百年も経つてから、地中に発見される昔の金は、その金が貨幣になつた時と同じ位光つてゐる。金屑や、錆が金貨の文字に少しも附いてゐない。時間も、火も、湿気も、空気も、此の勝れた金属に害を加へる事は出来ないのだ。だから金は、変化のない光りと、其の沢山ない事から、装飾や貨幣に使はれるいゝ材料なのだ。
『そればかりではない。金は人間が、鉄や、鉛や、錫や、其の外の金属などよりも遙かに早く、第一番に知つた金属だ。鉄よりも数百年も早く、金が人間の注意を惹くやうになつた理由は、分り難《にく》い事ではない。金は決して錆ないからなのだ。鉄は、若し人間が注意しなかつたら、暫くの間に錆て了つて、赤土のやうに変つて了ふ。私は今、お前達に金の用途をお話ししたね。どんなに古くなつても、湿つぽい地面においてあつても、疵《きず》も附かずに我々の手に渡つて来るのだ。然るに鉄で出来たものは一つとして、其儘には残らない。皆んな何だか分らないものになつて、錆びて腐つて、形の崩れた土塊になつて了ふのだ。そこでジユウルに尋ねるが、土の中から取り出した鉄の鉱石は、我々が使ふやうな、本当の、純鉄だらうか。』
『さうぢやないと思ひますよ、叔父さん。と云ふのは若し其の時鉄が純なものだつたとしても土の中に埋つてゐたナイフの刃がなるやうに、時と共に錆びて行つて、やはり土のやうなものに変つて行つて了ひます。』
『ジユウルの云ふ通りだと思ひますわ、私しもやはりさうだと思ひます。』とクレエルが申しました。
『それでは金は?』とポオル叔父さんが彼女に尋ねました。
『金は違ひますわ。』と彼女は答へました。『金は決して錆びないものですから、時間や、空気や、湿気では変りません。純金のまゝであるんですわ。』
『全くその通りだ。金が少しづつ散らばつてゐる岩では、まるで宝石屋の箱のやうに、金は美事なものだ。クレエルの耳輪は、自然に岩に嵌《はま》つた金粒よりも余計に光りがあるのではない。それとは反対に鉄は最初実に見窶《みすぼ》らしい様子をしてゐる。鉄は最初は土塊同様の赤石で、それを人間が長い間探して、そこに金属があると見込みをつけるのだ。他のいろんなものと一緒に混つてゐる錆なのだ。だが、それだけでは、此の錆びた石に金属が含まつてゐると云ふ事が分らない。其の鉱石を分解して、鉄を金属の状態に引き戻す方法が考へ出されなければならない。これは中々難しい事で、それには非常な骨折りをしたものだ。非常に沢山の無駄な骨折や、苦痛の多いいろんな方法でやつて見た。かくして鉄は、金や銅や銀のやうな、時折り純なまゝで見つけられる金属よりは遙かに後で、最後に我々の役に立つやうになつたのだ。一番有益な金属が一番後に発見されて、それで人間の事業は非常に進んだのだ。人間が鉄を手に入れた時から、人間は地球の主人となつたのだ。
『打《ぶ》つかつても破れない物質の頭は鉄だ。そして此の金属が人間に尊ばれるのは何にぶつかつても、破れない此の強い力なのだ。金や、銅や、大理石は、鉄のやうには鍛冶屋の槌の打撃に堪える事は出来ない。そしてその槌其物は、鉄以外の何んな金属で作る事が出来るか? 若し槌が、銅や銀や金で出来てゐたならば、それは直ぐに伸びて、潰されて了ふに違ひないのだ。若し又それが石で出来てゐるものなら、最初の強い一と打ちで砕けて了ふ。かうしたものを造るには鉄に及ぶ何物もないのだ。又斧でも、鋸でも、ナイフでも、石工の鑿《のみ》でも、工夫の鶴嘴でも、鋤でも、其他物を切つたり、刻んだり、裂いたり、板にしたり、綴ぢたり、強い打撃を加へたり、受けたりする種々の道具は、皆鉄なのだ。たゞ鉄だけが、他の殆ど総てのものを切る事の出来る堅さや、打撃を加へる抵抗力を持つてゐるのだ。此の点で鉄は、有らゆる金属の中で、神様が人間に与へた一番美しい物だ。鉄はどんな技術にも工業にも、なくてはならない勝れた道具を造る材料だ。』
『いつだか、クレエルと僕とは、スペイン人がアメリカを発見した時、その新しい国に住んでゐた野蛮人は金の斧を持つてゐて、喜んで鉄の斧と交換したと云ふ事を読みましたよ。僕は、極く有りふれた少しの金属を、非常に高いものと代へる野蛮人の愚かさを笑ひましたが、今になつて僕は、その交換が野蛮人共には利益だつたと云ふ事が始めて分りましたよ。』とジユウルが申しました。
『さうだ、其の方が余程利益なのだ。その鉄の斧があれば、木を倒して独木舟《まるきぶね》や小屋を作る事が出来るし、野獣をよく防ぐ事も出来るし、又狩りをして其の獲物を殺す事も出来るからね。即ち此の僅か許りの鉄は、其の野蛮人に食物と、有益なボートと、暖かな家と、恐ろしい武器とを立派に授けてくれるのだ。それと比較すると、金の斧なんて、役にも立たないほんの玩具《おもちゃ》さ。』
『鉄が最後に出来たものとすると、それが出来る前には、人間は何うしてゐたんでせう。』とジユウルが訊きました。
『其の前には銅で武器や、道具を造つたのだ。銅は金のやうに純なまゝである事があるから、自然のまゝ利用する事が出来るのだ。だが、銅で造つた道具は堅くないし、鉄の道具に較べると遙かに劣るので、銅の斧を使つてゐた昔は、人間はまだごくみじめなものだつたのだ。
『そして此の銅を知る前には、人間はもつともつとみじめなもので、火燧石《ひうちいし》を尖らせたり割つたりして、それを棒の先きに結びつけて、それを唯一の武器にしてゐた。
『此の石でもつて、人間は食物や着物や小屋などを造り、又野獣を防いだのだ。其の着物と云ふのは毛皮を背中へ投げかけたもので、其の住む小屋は曲つた木の枝や泥で造り、其の食物は狩で手に入れた何かの肉片だつたのだ。家畜はまだゐないで、地は耕されず、工業は何にもなかつたのだ。』
『それは何処だつたのですか。』とクレエルが訊きました。
『何処もかも皆なさうだつたのだ。今この賑やかな町になつてゐる此処でさへ、やはり昔しはさうだつたんだ。人間が鉄の助けをかりて、今日のやうな安楽を得るまでには、人間は実に頼りないみじめなものだつたのだ。』
丁度ポオル叔父さんが話し終つた所へ、ジヤツクが丁寧に戸を叩きました。ジユウルは駈けて行つて開けました。二人は低い声で何か二言三言囁き合ひました。それは翌日の大事な事を話したのでした。
[#5字下げ]一五 毛皮[#「一五 毛皮」は中見出し]
前の日に話しておいた通りに、ジヤツクは用意を致しました。先づ羊を動かさないやうに、其の足を縛つて台の上に寝せました。鋼鉄のナイフが地面に光つてゐました。人間の必要の犠牲《いけにえ》になる何の罪もない羊は、ちやんと縛りつけられて横になつてゐました。音なしくあきらめて、其の悲しい運命を待つてゐるのです。羊はこれから殺されるんでせうか。いゝえ、これから毛を刈られるのです。ジヤツクは羊の足を持つて、台の上に乗せると、大きな鋏で、パサ、パサ、パサと羊の毛を刈り始めました。少しづつ、毛は一と塊《かたま》りになつて落ちて来ました。毛を刈られて了つた羊は脇へやられて、恥づかしさうにして、寒さに慄えてゐます。これはその着物を人間の着物にするために呉れたのです。ジヤツクは又別な羊を台に乗せて、鋏は又動き始めました。
『ジヤツクお爺さん、羊は毛を刈られて了ふと寒くはないか知ら。今お前が刈つたばかりの奴は、ほら、あんなに慄へてゐるよ。』とジユウルが云ひました。
『心配はいりませんよ。刈るに都合の好い日を選んだんですから。けふは暖かいでせう。明日はもう羊は毛のない事なんか感じなくなりますよ。それに、私達が暖かくなるためには、少し位羊が寒くなつたつて、構ふものですか。』
『私達が暖かくなるためにはつて、そりやどうしてだい。』
『こりや驚きましたね。あなたのやうに沢山本を読む人が、そんな事を知らないんですか。この羊の毛で靴下を作つたり、シヤツを編んだり又着物を作つたりするんですよ。』
『驚いた! こんな汚れたきたない毛で、靴下を作つたり、シヤツを編んだり、着物を織つたりするんかい。』とエミルが叫びました。
『今は汚れてゐますが、これを河で洗ふのです。そして白くなると、アムブロアジヌ婆あさんが紡ぎに掛けて、毛糸を作るんです。そして其の毛糸を、針で編んだものが、雪の中を駈ける時足にはくと、人が喜ぶ靴下になるんでさア。』
『僕は赤や、緑や、青い羊を見た事はないよ。そして、赤や、緑や、青や、其他の色の附いた羊の毛を見た事もないよ。』とエミルが云ひました。
『それは羊から採つた白い羊毛を染めるんですよ。毛を薬と染め粉を入れた※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]湯《にえゆ》の中に入れると、色がついて来るのですよ。』
『ではラシアは?』
『ラシアは靴下と同じやうな糸で出来るんです。ですが、そんな糸を織るには、糸をキチンと縦横に組んで織り目を作るやうに、此の家にはない込みいつた織機械《はた》を使はなければなりません。こんな機械は、羊毛を織る大工場にでも行かなければありませんね。』
『では、僕が着てゐるこのヅボンは羊の毛で出来たんだね。そして此の胴着も、ネクタイも、靴下もさうだね。僕は羊の着物を着てゐるんだね。』とこんどはジユウルが云ひました。
『さうですよ。寒さを防ぐのに、私達は羊の毛を使ふんです。可哀さうに、獣は、私達の着物にするために、自分の毛を育て、又私達のたべ物になるために、其の乳や肉を太らせ、そして又私達の手袋にするために、其の皮を丈夫にしてゐるのです。一ことで云ふと私達は家畜の生命で生きてゐるんです。牡牛は力と皮と肉とを人間に与へ、その上牝牛は乳を与へます。驢馬や騾馬《らば》や馬は人間の為に働きます。そしてこれらの動物は死ぬと直ぐ私達の靴の皮になる皮を残します。鶏は卵を与へ、犬は忠実に人間の仕事をします。それだのに、何もしないでゐる人間は、動物が居なかつたら困つて了ふ癖に、其の動物を虐待したり、腹を空かせたり、小酷《こっぴど》く打つたりします。決してこんな無慈悲な人間の真似をするもんぢやありませんよ。そんな事をしては、驢馬や牛や羊や其他の動物を恵んで下すつた神様に済みません。何もかも人間に与へて、その生命さへも与へてくれるこの大事な動物の事を思ふ時、私は最後のパン屑も此の動物に分けてやらうと思ひますよ。』
さう話す間も剪刀《はさみ》はパサ/\切りつゞけて、毛は下に落ちてゐました。
[#5字下げ]一六 亜麻と麻[#「一六 亜麻と麻」は中見出し]
ジヤツクが羊毛の事に就いて話してるのを聞きながら、エミルは自分のハンケチを念入りに調べてみました。これを何遍も引つくり返して、触つてみて、よく/\目を通しました。ジヤツクは、これからエミルが聞かうとする質問を見越して、かう云ひました。
『ハンケチやリンネルは羊毛ぢやありません。綿だの麻だの亜麻だのと云ふ草がそんな品物になるのです。尤も、私だつて、そんな草の事はよく知りませんがね。私は棉の木の事は聞いた事がありますが、まだ見た事はありません。それだけならいゝが、あなた方にこんな話をしてゐると、私は羊の皮を切つて了ふかも知れませんよ。』
夕方になると、ジユウルの頼みで、皆なの着てゐる着物の材料の話しを叔父さんにして貰ふ事になりました。
『麻の木や亜麻の木の皮は、織物になる大変立派な、柔かい、丈夫な長い糸で出来てゐる。我々は羊から採つた毛を着たり、木の皮で身体を飾つたりする。白麻地や絽や手編みレースやモスリンレースなどのやうな贅沢な織物から、もつと丈夫な粗《わる》い袋布のやうなものまで、皆な此の麻で造るのだ。棉の木からは木綿で出来た織物が取れる。
『亜麻は小さな青い花が咲く細い植物で、毎年蒔いたり、刈つたりする。これは北フランスや、ベルギイや、オランダに沢山栽培されてゐる。そしてこれは人間が一番初めに織物を造るのに使つた植物だ。四千年以上もたつた大昔のエジプトの木乃伊《みいら》は、リンネルの帯で巻いてある。』
『木乃伊と仰《おっしゃ》ひましたね。それは何んだか僕には分りませんが。』とジユウルが叔父さんの言葉を遮りました。
『それぢや其の話しをしよう。死んだ人間を尊ぶのは、何時の時代何処の人間でも同じだ。人間のからだは神様の形に造られた魂の住んでゐるお宮だと云ふところから、それを尊ぶのだが、時と処と習慣とによつて、其の尊び方が違ふ。我々は死んだ人間を埋葬して、その埋めた場所に、文字を書いた墓石を立てたり、十字架を立てたりする。大昔しの人は死人を火葬にして、火に焼き崩された骨を丁寧に拾ひ集めて、それを壼の中に詰めた。エジプトでは、いつまでも其の死人を家族の中に保存するやうに、死人を木乃伊にした。即ち、エジプト人は、香料を死骸に含ませて、形が崩れないやうにリンネルで巻いたのである。此の信神深い仕事は、随分念入りに行はれたので、其の後何百年も経つて我々は好い匂ひのする木箱の中に、年と共に黒ずんではゐるが、古代エジプトの王様や其の同時代の人間を、生きてゐた其の儘《まま》の形で見出すのだ。これが木乃伊と云ふものなんだ。
『麻は何百年もヨオロツパ中で栽培された。麻は一年生の、丈夫な、嫌な香《にお》ひのする、緑色の陰気な小さな花を開く。そして茎は溝が深くて六尺位に伸びる。麻は、亜麻と同じやうに、その皮と、麻の実と云ふ種子を取るために栽培せられるんだ。』
『その種子《たね》は、私たちがそれを金翅《かなひわ》にやると、金翅は中の核を取り出さうとして、殻を嘴《くちばし》で突き破るあの粒の事でせう。』とエミルが云ひました。
『さうだ。麻の実は小鳥のたべものだ。
『麻の皮は亜麻のやうに美しくない。麻の繊維は非常に立派なもので、麻屑二十五グラム(六|匁《もんめ》三分)で、約三|哩《マイル》(一里八町)の長さの糸が出来る。リンネルの織物の細かさに比べる事の出来るのは、たゞ蜘蛛の巣があるだけだ。
『麻や亜麻が成熟すると、刈られて種子は扱《こ》き分けられて了ふ。それから、それを湿して、皮の繊維《すじ》を取る仕事が始まる。即ち、其の繊維がわけもなく木から離れるやうにする仕事だ。実際此の繊維は、茎にくつゝいてゐて、非常に抵抗力の強い、弾力の強い物で、腐つて了ふまで離れないやうになつてゐる。時によると、此の麻の皮を一二週間も野原に拡げて、何遍も/\引つくり返して、皮が自然と木質の部分、即ち、茎から離れるまでつゞける。
『だが、一番早い方法は、亜麻や麻を束にして縛つて、池の中に沈めて置く事だ。すると、間もなく腐つて嫌な臭ひを出し、皮は朽ちて、強い弾力を持つた繊維が柔くなる。
『それから麻束を乾かして、ブレーキと云ふ道具の歯の間でそれを押し潰して、皮と繊維とを離して了ふ。終に、其の繊維の屑を取つて、それを美しい糸にするために、刷梳《こきくし》と云ふ大きな櫛のやうな鋼鉄の歯の間を通す。そして此の繊維は手なり機械なりで紡がれて、さうして出来た糸を機《はた》にかけるのだ。
『機の上には、経糸《たていと》と云ふものになる沢山の糸を次ぎ次ぎに順番に並べる。そして織り手の足で踏む足台に推されて、交る/″\此の糸の半分が下りると残りの半分が上る。それと同時に、織り手は梭《おさ》の横糸を、左から右、右から左と、半分づつの経糸二つの間を通す。それで織物が出来上るのだ。そして之れが済むと、植物だつた麻の皮は着物になり、亜麻の皮は数十円も数百円もする立派なレースになるのだ。』
[#5字下げ]一七 綿[#「一七 綿」は中見出し]
『織物に使はれる物の中で一番大切な綿は、亜熱帯の棉の木と云ふ植物から採るのだ。これは三尺から六尺位の高さの灌木同様の草で、其の黄色い大きな花は、やがて、綿の種類によつて純白な、或は薄黄色い色のかゝつた絹毛《きぬいと》の一杯詰つた、卵程の大きさの円莢《まるざや》になるのだ。この毛房《けぶさ》の中央に種子がある。』
『そんな風な毛房を、春、白楊《ポプラ》や柳の木の頂にバラ/\になつて落ちてゐるのを見た事があるやうに思ひますわ。』とクレエルが云ひました。
『その譬《たと》へは仲々面白い。柳や白楊の実は、針の尖の三四倍もある色のついた細長い尖つた円莢だ。五月になると此の円莢が熟する。その実は開いて、美しい白毛を放り出す。その中にあるのが種子《たね》なのだ。天気の穏やかな日は、此の白毛が木の根の下に落ち積つて、雪のやうに白い綿毛の床になる。が、遂に風に吹かれて円莢の片《かけ》が、種子ごと一緒に遠くの方へ吹き飛ばされて了ふ。その種子は斯《こ》うして新しい地面を見つけて、芽を出して木になるのだ。其他にも色んな種子が柔かな帽子や、絹のやうな羽毛を備へて居てそれでもつて、長い間遠くまで空中を旅行する。例へばお前たちが空に吹き上げて喜ぶたんぽぽ[#「たんぽぽ」に傍点]やあざみ[#「あざみ」に傍点]の、あの美しい、絹のやうな羽毛のついた種子は、やはりそれだ。』
『白楊の円莢にある毛房は、綿と同じものになりますか。』とジユウルが尋ねました。
『それは駄目だ。それは余り少なすぎて集めるのに随分骨が折れる。その上、余り短かすぎるものだから、紡ぐ事が出来ない。だが、我々はそれを使ふ事は出来ないが、他の者には非常に有益なものとなる。この毛房は小鳥の綿で、鳥は巣に敷くのにそれを集めるのだ。鳥の中でも金翅は、賢い中の又一番賢い鳥だ。此の鳥の綿で出来た巣は美しい立派なものである。四五本の小枝の叉《また》に、柳や白楊の綿毛や、通りがかりの羊から抜き取つた羊毛やあざみ[#「あざみ」に傍点]の種の毛帽子で、此の鳥は其の雛に、どんな卵も今までに住んだ事もないやうな、柔かで温いコツプ形の蒲団を造つてやるのだ。
『其の巣を造るには、金翅は其の材料がごく手近な処にあるので、直ぐ其の仕事にとりかゝれる。春になると、金翅は其の巣の材料の事などは考へもしない。柳や、あざみ[#「あざみ」に傍点]は近所にいくらでもある。鳥は長い間前もつて注意して、いろんな巧妙な方法で其の必要な物を準備する智恵を持つてゐないのだから、斯うするほかに仕方がないのだ。人間は其の労働と智恵と云ふ貴い特権で、遠い国から綿を手に入れるが、鳥は自分の綿を、林の白楊の木に見附け出すのだ。
『成熟すると綿の円莢は広く開く。そして毛房は柔かな雪の塊のやうになつて溢れ出る。それを一と莢一と莢、手で掻き集めるのだ。布に載せて太陽によく乾かした毛房は、打木か或は其他の機械の力で打たれる。かうして綿は種子と莢とを悉く取り除かれる。もうそれ以上の手を掛けないで、綿は、我々の工場で織物にされるやうに、大きな包みに入つて来る。綿を一番沢山産する国は、インド、エジプト、ブラジル及び、北アメリカ合衆国とである。
『一年の中に、ヨオロツパの工場では、綿が約八億キログラム(一キログラムは約二百六十七貫)程出来る。此の大変な目方も決して多すぎはしないのだ。と云ふのは世界の人々は、高価な毛を着ると共に、又綿を更紗やパーケールや、キヤラコにして着てゐる。斯くして人間の工業の中では、綿の工業が一番大きい。一片の更紗に要する無数の労働者、無数の細かな仕事、長い船路等が悉く集まつて、漸く数銭にしかならないのだ。一と握りの綿が、此処から二三千リーグ(一リーグは三哩)も離れた所から来たものだと云ふ事を考へて御覧。此の綿は、フランスやイギリスの工場に来るのに、大洋を渡り地球の四分の一を通つて来るのだ。そしてこれらの国で紡いで織つて色のついた意匠で飾つて、それから更紗に変つて了ひ、又もや海を渡つて、今度は多分別な世界の端へ行つて縮毛の黒ん坊の帽子にでもなるのだらう。で、いろんな人が此の綿から利益を得る。先づ此の植物の種を蒔いて、半年あまりの間それを栽培しなければならない。されば一と握りの綿の中にも此の種をまき、それを栽培した人の報酬がなければならない。その次には、それを買ふ商人と、それを運ぶ船乗りとが来る。此の人々にも一と握りの毛房の割り前をやらなければならない。次ぎにはそれを紡ぐ人、織る人、色を染める人などにその仕事の償ひをしなければならない。そしてこれは果てしのない事なのだ。新しい商人が来てその織物を買ひ、別な船乗りが来て世界中の港々へそれを運んで行き、最後に商人がそれを小売りする。かうして一と掴みの綿は、其の有らゆる関係者に報酬を払つて、どうして法外な高い値段にならないのだらう。
『此の奇蹟を生むために、こゝに大規模の労働と機械の助けと云ふ二つの大きな力がはいつて来る。お前たちはアムブロアジヌお婆あさんが車で糸を紡いでゐるのを見たらう。梳《けず》つた羊毛は先づ長い小房に分けられる。そして此の房の一つをぐる/\廻つてゐる鈎《かぎ》のそばへ持つて行く。鈎は其の羊毛を掴んで廻りながら其の繊維を一本の糸に捩《よ》る。そして其の房の毛が少くなるに従つて、だん/\糸が長くなつて行くので、指でそれを加減する。糸が一定の長さに達すると、アムブロアジヌ婆あさんはそれを紡錘《つむ》に巻きつけて、又羊毛を捩りはじめる。
『本当を云へば、綿もやはりこれと同じやうにして紡ぐ事が出来るのだが、如何にアムブロアジヌお婆あさんが賢いとは云へ、あの車で糸を紡いで織物を造るのでは非常に時間がかゝるから、随分高価なものになる。それでは何うすればいゝのか? 機械に糸を紡がせるのだ。一番大きな教会よりも広い部屋に、鈎も、紡錘も、糸巻も附いた、紡ぐ機械が何万台も置いてある。そしてそれが皆んな一緒に、目にも止らぬ位早く正確に廻転する。お前たちを聾にする位の強い音を立てゝ廻転するのだ。綿の毛房は数百万の鈎に止められて、果てしもない長い糸が紡錘から紡錘へ動いて行つて、そして自然と糸巻に巻きつく。二三時間の中には綿の山が地球全部を六七回も廻るやうな長い糸になつて了ふ。アムブロアジヌお婆あさんのやうな上手な糸紡ぎを何十万人も要る様な此の仕事は、何んで出来るのだらう? それは此の機械を動かす蒸気になる水をわかす石炭が二三ばいあればいゝのだ。そしてそれを織つて色をつけるのも、即ち一口に云へば毛房が布地になるまでに受けるいろんな加工も、やはりこれと同じやうに頗《すこぶ》る迅速に且つ頗る経済的に行はれるのだ。かうして、一片たつた二三銭のキヤラコの中に、製造者も、仲買人も、航海者も、紡ぎ手も、織り手も、染め手も、小売商人も、皆んな其の仕事の報酬を得られる事になるのだ。』
[#5字下げ]一八 紙[#「一八 紙」は中見出し]
アムブロアジヌお婆あさんはクレエルを呼びました。お友達が六ヶしい刺繍の刺し方を聞きに来たのです。ジユウルやエミルの頼みで、それには構はずに、ポオル叔父さんは話しつゞけました。叔父さんはジユウルがきつとあとで姉さんに其の話しをして聞かすだらうと思つたのです。
『亜麻や麻や綿は、殊に此の最後の綿は、もつと大事なほかの役にも立つのだ。第一には我々の着物になる。が、それがボロ/\になつて役に立たなくなると、こんどは紙を造るのに使はれる。』
『紙!』とエミルが叫びました。
『紙だ。我々が字を書いたり本に造つたりする本当の紙だ。お前たちの手帳の白い紙や、本の紙や、値段の高い縁飾りのある沢山の絵の入つた紙でさへも、あのみすぼらしいボロから出来るのだ。
『ボロはいろんな所から集められる。町の汚物の中からも、又何んとも云はれない汚い所からも集められる。そのボロはこれは良い紙に、これは悪い紙にと、いろ/\に分けられる。そしてそれを綺麗に洗ふ。それから機械の方に廻されるのだ。鋏で切り、鉄の爪で裂き、車でバラ/\に切れ屑にし、そしてそれを臼に入れて挽《ひ》く。それから水の中で粉のやうにされて石鹸のやうなものにされて了ふ。此の石鹸の泡のやうなものは灰色だが、それをこんどは白くしなければならない。そこで激しい薬を使つて、それを忽《たちま》ちの間《うち》に雪のやうに白くする。それで泡はすつかり清められたのだ。すると別な機械が篩《ふるい》の上でそれを薄い板に引き伸ばして、水を搾りとつて了ふと、泡のやうな液体がフエルトになる。このフエルトを機械が圧して、別な機械がそれを乾かし、又別なのが艶を出させる。それでもう紙が出来るのだ。
『紙になる前には、此の最初の材料はボロだつた。即ちボロ/\になつて使へなくなつた布《きれ》だつたのだ。そして此の布は、ボロ屑になつて捨てられる迄には、どんなにいろんな用に使はれて、どんなにひどい目に合つたか分らないのだ。腐蝕性の灰で洗はれ、有酸石鹸に漬けられ、木の槌で叩かれ、太陽や空気や雨に曝されて来たのだ。かうして烈しい洗濯や石鹸や太陽や空気などに抵抗し、腐蝕されても疵がつかず、製紙機械や薬にも負けずに、以前よりももつとしなやかに且つ白くなつて、此の試練の中から出て来て、我々の思想を載せる美しい艶々した紙になる。此の材料は一体何にだらうか。これでお前たちは、智恵の進歩の源である此の紙が、棉の木の毛房や麻や亜麻の皮から取れるのだと云ふ事が分つただらう。』
『クレエルはきつと其の美しい銀鈿《ぎんでん》の附いた祈祷書がぼろ[#「ぼろ」に傍点]ハンカチや、道ばたの泥の中から拾ひ上げたぼろきれ[#「ぼろきれ」に傍点]などで出来てゐるんだと云つて聞かしたら、びつくりしませうね。』とジユウルが云ひました。
『クレエルは紙の本質を知つたらよろこぶだらう。が、あの子はその祈祷書が、初めそんな卑しいものだと分つたところで、決してそれを卑しめるやうな事はしないと思ふよ。工業は賤しいボロを貴い思想を収めた本に変える奇蹟を見せる。が、神様はまだ、それとは較べものにならない程の植物の奇蹟を見せて下される。汚い糞の堆山《やま》も、地中に埋もれば薔薇や百合や其他いろんな花を咲かせる、世にも類ひのない貴い物となるのだ。我々人間も、此のクレエルの本や神様の花のやうにならなければならない。自分で自分の値打をつけるようにして、吾々の賤しい出所を恥ぢないようにならなければならない。人間にはたつた一つの本当のえらさ[#「えらさ」に傍点]と、たつた一つの本当の貴さがある。それは霊魂の偉大と貴さだ。若し吾々がそれを持つて居れば、吾々の素性の卑しいだけそれだけに、我々の値打は大きくなるのだ。』(つづく)
底本:
2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:
1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*地名
(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。- サンサール
- [スイス]
- ジェネヴァ → ジュネーヴか
- ジュネーヴ スイス南西端、レマン湖畔の都市。赤十字国際委員会を始め、多くの国際機関がある。また、国際連盟本部があった(現在、国連欧州本部)。時計などの精密工業で著名。人口17万5千(2001)。寿府。英語名ジェニーヴァ。ゼネヴァ。ドイツ語名ゲンフ。
- ヌウブ・セル
- モンテリヌル
- エザイ
- [イタリア]
- シシリー Sicily シチリアの英語名。
- シチリア Sicilia イタリア半島の南端にある地中海最大の島。古代にはフェニキア・ギリシア・カルタゴ・ローマに占領され、中世にはヴァンダル・ビザンチン・イスラム教徒・ノルマンに征服され、12世紀に両シチリア王国が成立。1861年イタリアに帰属、1948年自治州。面積2万6千平方キロメートル。中心都市はパレルモ。英語名シシリー。
- エトナ Etna イタリア、シチリア島の東岸にそびえる活火山。標高3323メートル。
- アラゴン イベリア半島北東部の地方。11世紀前半に王国が築かれ、14〜15世紀シチリアからナポリにも勢力を広げ、1479年カスティリア王国と合同してスペイン王国を形成。
- [ドイツ]
- ウユルテンベルヒ
- ヌーシャテル スイスのヌーシャテル州の州都である基礎自治体 ( コミューン ) 。ヌシャテルとも表記される。また、ドイツ語ではノイエンブルク(Neuenburg)と称される。フランス国境近く、ヌーシャテル湖の湖畔に位置している。時計工業が盛んであり、街にはスイス時計工業試験所がおかれている。
- [フランス]
- ドウ・セブル
- シャイエ
- ノルマンディー Normandie (
「ノルマン人の国」の意)フランス北西部、イギリス海峡に臨む地方。1066年ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)がイングランドを征服してノルマン王朝を開いて以後イギリス領、百年戦争中フランスが奪回。第二次大戦末の1944年、英・米・仏連合軍の上陸地点となった。 - アルヴィル
- ヘエ・ド・ルウト
- ウウル県
- [ロシア]
- アルダン
- [スコットランド]
- [ベルギー]
- [オランダ]
◇参照:Wikipedia、
*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)- ファーブル Jean Henri Fabre 1823-1915 フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」
。 - 大杉栄 おおすぎ さかえ 1885-1923 無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、
「自叙伝」などがある。 - 伊藤野枝 いとう のえ 1895-1923 女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。
- ジェン アラゴンの女王。
- 大杉栄 おおすぎ さかえ 1885-1923 無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、
◇参照:Wikipedia、
*難字、求めよ
- 木理 もくり 木目に同じ。
- 木目・杢目 もくめ (1) 材木の断面に、年輪・繊維・導管・髄線などの配列が種々の模様をなして表れているもの。もく。木理。(2) 横に切った板の木目のように見える刀の地肌。
- リンデンバウム Lindenbaum シナノキ科の落葉高木。ヨーロッパ産。高さ30〜40メートル。葉は円形で先がとがり互生。6〜7月、淡黄色の小花を集散状につけ芳香を放つ。セイヨウボダイジュ。
- 橄欖 かんらん カンラン科の常緑高木。熱帯原産。日本では鹿児島県の南端部で栽培。葉は羽状複葉、革質。花は黄白色、3弁。楕円形の核果は食用、種子を欖仁といい、油を採る。オリーブを「橄欖」と誤訳するが、全く別種。うおのほねぬき。
- 円さ
- イチイ 櫟・赤檮・石� 「いちいがし」に同じ。
- いちいがし 石� ブナ科の常緑高木。暖地産で高さ約30メートルに達し、葉は先端で急にとがる。葉の裏面、若枝は黄褐色の短毛で被われる。実は大形で食用となり、味はシイに似る。材は堅く強靱で、鋤・鍬の柄、大工・土木用具などに用いる。イチイ。イチガシ。
- 簇葉 ぞくよう
- 此度 こんど
- えらがり
- ホロホロチョウ 珠鶏。キジ目ホロホロチョウ科の鳥。大きさ・形ともにニワトリに似る。尾羽は甚だ短い。頭は裸出、頭上に赤色の角質の突起がある。普通暗灰色で、多数の小白斑がある。アフリカの草原に群生。肉は美味で、飼養される。
- 牝鶏 ひんけい めすのにわとり。めんどり。
- 七面鳥 しちめんちょう (頭と頸とに皺のある皮膚が裸出し、種々に変色するからいう)キジ目シチメンチョウ科の鳥。野生種は、アメリカ大陸原産。アメリカ大陸発見後、家禽として拡まった。頭部に肉疣があり、上嘴の基部に肉垂がある。尾は平常は畳んでいるが、雄はこれを扇状に拡げて雌に誇示する。飼養品種多く、肉は食用とし、クリスマスに用いる。ターキー。カラクン鳥。
- 葉簇 はむら
- 堆んでおいた
- 鉄床・鉄砧 かなとこ 「かなしき」に同じ。
- 鉄敷・金敷 かなしき 鍛造や板金作業を行う際、被加工物をのせて作業をする鋳鋼または鋼鉄製の台。鉄床。アンビル。
- 炉格 ろかく
- 被金 きせがね
- 風鈴草 ふうりんそう キキョウ科の観賞用草本。高さ60〜90センチメートル。夏、紫または白色の鐘状の大花を開く。カンパニュラ。
- ラシャ raxa ポルトガル・羅紗 羊毛で地の厚く密な毛織物。室町末期頃から江戸時代を通じて南蛮船、後にオランダや中国の貿易船によって輸入され、陣羽織・火事羽織・合羽などに用いた。今は毛織物全般のことをもいう。
- 亜麻 あま アマ科の一年草。西アジア原産の工芸作物。茎の繊維でリンネルや寒冷紗、その他の高級織物を織る。種子から搾る亜麻仁油は良質な乾性油。日本では明治以降、北海道で繊維用に栽培されたが現在ではほとんど見られない。アカゴマ。ヌメゴマ。一年亜麻。
- リンネル 亜麻の繊維で織った薄地織物。リネン。
- 棉の木
- 白麻地
- 絽 ろ 搦み織物の一種。紗と平織とを組み合わせた組織の絹織物。緯三本・五本おきに透き目を作る。紋絽・竪絽・絽縮緬などがある。夏季の着尺地用。
- 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) 低木に同じ。←
→喬木。 - 円莢 まるざや
- 打木
- サラサ 更紗。(
「(花などの模様を)まきちらす」意のジャワの古語セラサからか。ポルトガル語を介して、17世紀初め頃までに伝来) (1) 人物・鳥獣・花卉など種々の多彩な模様を手描きあるいは木版や銅板を用いて捺染した綿布。インドに始まり、ジャワのバティック、オランダ更紗などに影響を与えた。もとインドやジャワなどから渡来。日本で製したものは和更紗という。印花布。花布。暹羅染。 - パーケール
- キャラコ calico (もと南インド、カリカットから舶来)織地が細かく薄い平織綿布。強い糊づけ仕上げをし、光沢がある。キャリコ。
- 割り前
- フェルト felt 羊毛その他の獣毛を原料とし、湿気・熱および圧力を加えて縮絨し布状にしたもの。帽子・敷物・履物などに使用。
- 銀鈿 ぎんでん
- 祈祷書 きとうしょ キリスト教会で、毎日あるいは祭日に行われる祈りを集録した書物。
◇参照:Wikipedia、
*後記(工作員 日記)
震災後しばらくして、伊藤野枝の著作集に目を通してみた。たしかに当時としては先進的な主張なのだろうけれども固さがある。もうちょっとやわらかいのがないのかなあと探していたところ本書を見つける。アルスからの出版が大正12年の8月1日のこと。
周知のように、その一月後が関東大震災。甘粕正彦による殺害が同月の16日のこととされる。
かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』。チェルノブイリ原発事故ほどなく原子力潜水艦をテーマにすることのリアリティ。五木寛之・福永光司『混沌からの出発』
年明けは、高野寛「夢の中で会えるでしょう」
*次週予告
第四巻 第二五号
ラザフォード卿を憶う
ノーベル小傳とノーベル賞
湯川博士の受賞を祝す
第四巻 第二五号は、
二〇一二年一月一四日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第四巻 第二四号
科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年一月七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
- T-Time マガジン 週刊ミルクティー* *99 出版
- バックナンバー
- 第一巻
- 創刊号 竹取物語 和田万吉
- 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
- 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
- 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
「絵合」 『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳) - 第五号
『国文学の新考察』より 島津久基(210円)- 昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
- 平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
- 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
- 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
- シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
- 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
- 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
- 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
- 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
- 東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
- 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉
- 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
- 第十四号 東人考 喜田貞吉
- 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
- 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
- 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
- 遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
- 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
- 日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、
「えくぼ」も「あばた」― ―日本石器時代終末期― ― - 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
- 本邦における一種の古代文明 ―
―銅鐸に関する管見― ― / - 銅鐸民族研究の一断片
- 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 / - 八坂瓊之曲玉考
- 第二一号 博物館(一)浜田青陵
- 第二二号 博物館(二)浜田青陵
- 第二三号 博物館(三)浜田青陵
- 第二四号 博物館(四)浜田青陵
- 第二五号 博物館(五)浜田青陵
- 第二六号 墨子(一)幸田露伴
- 第二七号 墨子(二)幸田露伴
- 第二八号 墨子(三)幸田露伴
- 第二九号 道教について(一)幸田露伴
- 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
- 第三一号 道教について(三)幸田露伴
- 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
- 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
- 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
- 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
- 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
- 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
- 第三八号 歌の話(一)折口信夫
- 第三九号 歌の話(二)折口信夫
- 第四〇号 歌の話(三)
・花の話 折口信夫- 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
- 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
- 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
- 第四四号 特集 おっぱい接吻
- 乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
- 女体 芥川龍之介
- 接吻 / 接吻の後 北原白秋
- 接吻 斎藤茂吉
- 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
- 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
- 第四七号
「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次- 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
- 第四九号 平将門 幸田露伴
- 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
- 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
- 第五二号
「印刷文化」について 徳永 直- 書籍の風俗 恩地孝四郎
- 第二巻
- 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
- 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
- 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
- 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
- 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
- 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
- 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
- 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
- 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
- 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
- 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
- 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
- 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
- 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
- 第一五号 【欠】
- 第一六号 【欠】
- 第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル
- 第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル
- 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
- 第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル
- 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
- 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
- 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
- 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
- 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
- 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
- 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
- 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
- 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
- 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
- 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
- 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
- 第三三号 特集 ひなまつり
- 雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
- 第三四号 特集 ひなまつり
- 人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
- 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
- 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
- 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
- 第三八号 清河八郎(一)大川周明
- 第三九号 清河八郎(二)大川周明
- 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
- 第四一号 清河八郎(四)大川周明
- 第四二号 清河八郎(五)大川周明
- 第四三号 清河八郎(六)大川周明
- 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
- 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
- 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
- 第四七号
「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉- 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
- 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
- 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
- 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
- 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
- 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
- 第三巻
- 第一号 星と空の話(一)山本一清
- 第二号 星と空の話(二)山本一清
- 第三号 星と空の話(三)山本一清
- 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
- 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
- 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
- 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
- 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
- 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
- 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
- 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
- 瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
- 神話と地球物理学 / ウジの効用
- 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
- 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
- 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
- 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
- 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
- 倭奴国および邪馬台国に関する誤解
- 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
- 第一七号 高山の雪 小島烏水
- 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
- 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
- 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
- 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
- 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
- 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
- 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
- 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
- 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
- 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
- 黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
- 能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
- 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
- 面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
- 能面の様式 / 人物埴輪の眼
- 第二九号 火山の話 今村明恒
- 第三〇号 現代語訳『古事記』
(一)前巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三一号 現代語訳『古事記』
(二)前巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三二号 現代語訳『古事記』
(三)中巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第三三号 現代語訳『古事記』
(四)中巻(後編) 武田祐吉(訳)- 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
- 第三五号 地震の話(一)今村明恒
- 第三六号 地震の話(二)今村明恒
- 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
- 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
- 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
- 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
- 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
- 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
- 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
- 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
- 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
- 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
- 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
- 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
- 第四九号 地震の国(一)今村明恒
- 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
- 第五一号 現代語訳『古事記』
(五)下巻(前編) 武田祐吉(訳)- 第五二号 現代語訳『古事記』
(六)下巻(後編) 武田祐吉(訳)
- 第四巻
- 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
- 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
- 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
- 物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
- アインシュタインの教育観
- 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
- アインシュタイン / 相対性原理側面観
- 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
- 第六号 地震の国(三)今村明恒
- 第七号 地震の国(四)今村明恒
- 第八号 地震の国(五)今村明恒
- 第九号 地震の国(六)今村明恒
- 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
- 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
- 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
- はしがき
- 庄内三郡
- 田川郡と飽海郡、出羽郡の設置
- 大名領地と草高―
―庄内は酒井氏の旧領 - 高張田地
- 本間家
- 酒田の三十六人衆
- 出羽国府の所在と夷地経営の弛張
- 奥羽地方へ行ってみたい、要所要所をだけでも踏査したい。こう思っている矢先へ、この夏〔大正一一年(一九二二)〕、宮城女子師範の友人栗田茂次君から一度奥州へ出て来ぬか、郷土史熱心家なる桃生郡北村の斎藤荘次郎君から、桃生地方の実地を見てもらいたい、話も聞きたいといわれるから、共々出かけようじゃないかとの書信に接した。好機逸すべからずとは思ったが、折悪しく亡母の初盆で帰省せねばならぬときであったので、遺憾ながらその好意に応ずることができなかった。このたび少しばかりの余暇を繰り合わして、ともかく奥羽の一部をだけでも見てまわることのできたのは、畢竟、栗田・斎藤両君使嗾の賜だ。どうで陸前へ行くのなら、ついでに出羽方面にも足を入れてみたい。出羽方面の蝦夷経営を調査するには、まずもって庄内地方を手はじめとすべきだと、同地の物識り阿部正巳〔阿部正己。
〕君にご都合をうかがうと、いつでもよろこんで案内をしてやろうといわれる。いよいよ思いたって十一月十七日の夜行で京都を出かけ、東京で多少の調査材料を整え、福島・米沢・山形・新庄もほぼ素通りのありさまで、いよいよ庄内へ入ったのが二十日の朝であった。庄内ではもっぱら阿部君のお世話になって、滞在四日中、雨天がちではあったが、おかげでほぼ、この地方に関する概念を得ることができた。その後は主として栗田君や斎藤君のお世話になって、いにしえの日高見国なる桃生郡内の各地を視察し、帰途に仙台で一泊して、翌日、多賀城址の案内をうけ、ともかく予定どおりの調査の目的を達することができた。ここにその間見聞の一斑を書きとめて、後の思い出の料とする。