アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16) 香川県生れ。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16) 福岡県生れ。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。


もくじ 
科学の不思議(二)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(二)
  八 古い梨の木
  九 樹木の齢(とし)
  一〇 動物の寿命
  一一 湯わかし
  一二 金属
  一三 被金(きせがね)
  一四 金と鉄
  一五 毛皮
  一六 亜麻と麻
  一七 綿
  一八 紙

オリジナル版
科学の不思議(二)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。「云う」「処」「有つ」のような語句は「いう/言う」「ところ/所」「持つ」に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





登場するひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人。
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

科学かがく不思議(二)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

   八 古いなしの木


 ポールおじさんは、いましがた庭にある一本のなしの木を切りたおしました。その木は古くて、そのみきは虫にらされていました。そしてもう幾年いくねんを持ったことがないのでした。で、もうほかのなしの木がその木のかわりをつとめていました。子どもたちは、ポールおじさんがそのなしの木のみきこしをかけているのを見つけました。おじさんは何かを注意深く見ていました。そして「一、二、三、四、五……」と言いながら指でたおした木のり口の上をコツコツたたいています。おじさんは、いったい何をかぞえているのでしょう?
「早くおいで」とおじさんがびました。「おいで。なしの木が、お前たちに自分の話をしようといってっているよ。このなしの木はほんとうに、お前たちに話すなにかめずらしいものを持っているようだよ。
 子どもたちはワッとわらい出しました。
「その古いなしの木に、わたしたちに話をしてくれるようにたのむには、どうすればいいんです?」
とジュールがたずねました。
「ここをごらん、この切り口を。これはおじさんが注意しておのでたいへんきれいに切っておいたのだ。お前たちには、木の中にいくつかののあるのが見えはしないかい?」
「見えますよ。」ジュールが答えました。
「一つの内側うちがわほかのがまたくっついてになっていますね。
「ちょうど、水の中に石を投げるとそのところにできる輪のようにちょっと見えますね。」とクレールもいいました。
「わたしにもこまかいところまで見えますよ。」と、エミルも調子ちょうしをあわせました。
「では話そう。」とポールおじさんはつづけました。「その年輪ねんりんというのだ。なぜ年輪というのか、聞きたいかい? たった一つだ。わかるかい。一つより多くもなく、また少くもないのだ。そういうことにくわしい人たちは、その一生いっしょうを植物の研究についやしている。その人たちを植物しょくぶつ学者がくしゃといって、植物のことについては、できるだけまちがいのないことをわたしたちに話してくれる。若木わかぎたねからをふいた瞬間しゅんかんから、古い木が死ぬときまで毎年一つの輪、一つの木理もくめかたちづくるのだ。さあ、これでわかったろう。では、このなしの木のそうをかぞえてみよう。
 ポールおじさんはピンをとって、さきだちになってかぞえだしました。エミルもジュールもクレールも、注意深く見ていました。一、二、三、四、五、―彼らは木のずいからかわまで四十五をかぞえあげました。
「このみきは四十五の木理もくめを持っている」とポールおじさんが知らせました。「だれか、わたしにその木理もくめが何をあらわしているか話せるかね? このなしの木はいくつだろうね。
「それは、ちっともむずかしいことじゃありませんね。」ジュールが答えました。「おじさんがたった今、そのことを話してくだすったあとだもの。毎年一つのができるとすれば、今、わたしたちは四十五かぞえたから、このなしの木の年は四十五でなくちゃならないはずです。
「えっ! えっ! わたしが何をお前に話したって?」ポールおじさんは、おおよろこびでさけびました。なしの木は話さなかったかい? 話しはじめたのだよ。自分の年をわたしたちに話すのは、その歴史れきしを話すことなのだ。この木は本当ほんとうに四十五なのだ。
「なんて不思議ふしぎなんでしょう!」と、エミルがさけびました。「おじさんは、ちょうどその木が生まれた時から知っているように木の年が知れるんですねえ。そうして木理もくめをたくさんかぞえたこと。そんなにたくさんの木理もくめで、そして、そんなにたくさん年をとっているんですねえ。そういうことは、だれでもおじさんと同じように知らなければいけませんねえ。おじさん。そうしてその木理もくめのはほかの木、かしでも、ブナでも、クリでもみんな同じですか?」
「そうだ。みな同じだよ。わたしたちの国では、どの木もみんな一つ一つのそうを一年とかぞえるのだ。今度こんどそのそうをかぞえてごらん、そうすればその年がわかるよ。
「ああ! つまらないなあ。ぼく、いつかそれを知らなかったもんだから……」とエミルが言い出しました。「いつか、街道かいどうの道ばたの大きなブナの木を切りたおしたの。ああ! あの木はなんていい木だったろう。あのえだですっかりんぼをおおっていたのに。あれはずいぶん古い木にちがいないんだ。
「そんなでもないよ。」ポールおじさんは言いました。「わたしはそのそうをかぞえたが、一七〇だった。
「一七〇ですって、ポールおじさん! 本当ですか? まちがいなくそうですか?」
正直しょうじきに本当にそうだよ、ぼうや。一七〇だったよ。
「じゃ、その木は一七〇年たっていたんですね」とジュールがいいました。「本当にそんなかしら? 木はそんなに古くなるまでえているものですかねえ! そして、もしみちをなおす人があの道をひろげるのにでも切りたおさずにいたら、まちがいなくもっと何年も生きていたでしょうか?」
「われわれには、一七〇年はたしかにたいへんな年数ねんすうだ」とおじさんは同意どういしました。「人間はそんなに長くは生きない。けれども、木にはそれはほんのすこしだ。もっとかげすずしいところにこしかけよう。そして、お前たちにもっと木のとしについて話をしよう。

   九 樹木じゅもくとし


「よく話に使われるサンサールのクリの木というのは、そのみきのまわりが一丈いちじょう三尺よりもっと多い。ごくひかえめに見積みつもって、そのとしは三〇〇年か四〇〇年でなくちゃならない。このクリの木のとしおどろいちゃいけない。わたしの話はまだ、はじめたばかりだからね。お前たちだってきっとそうだろうが、話し手はだれでもき手の好奇心こうきしんいきおいづけられる。で、わたしも一等いっとう古いののことはおしまいまであずかっておくのだ。
「非常に大きなクリの木で知られているのには、たとえばジェネヴァ〔ジュネーヴか。の湖水のあたりのヌウブ・セルや、モンテリヌルの近所のエザイのクリの木がある。ヌウブ・セルのクリの木のみきの一番下の方のまわりが、四丈だ。一四〇八年から一人の隠者いんじゃのかくれになっていたということだ。今ではもう、その時から四五〇年もたっている。それに、その前のとしを加えたものがその木のとしだ。そして、いくどかわからないほど落雷らくらいに打たれている。が、そんなことには関係なしに、生々いきいきとしていっぱいに葉をつけて今もまだ生きているのだ。エザイの方のクリの木は、その高いえだはもぎとられて、みきのまわりは三丈五尺ある。それには、深いさけめでみぞ穿うがたれている。それは年よりのしわなのだ。この二本の木の年ははっきり言うことはできにくい。だが、たぶん一〇〇〇年もたっているかもしれない。そして、この二本の古い木は今もまだ、をもつのだ。二つとも、まだなかなか死なないだろう。
「一〇〇〇年! もし、おじさんがそう言ったのでなければ、ぼくはそれを信じなかったでしょうよ。」そのあとからジュールがいいました。
「シッ! お前たちはおしまいになるまで何も言わずに聞いてなきゃならない。」と、おじさんがいましめました。
「世界じゅうでの大きい木は、シシリー〔シチリア〕のエトナの斜面しゃめんにあるクリの木だ。地図ちずを見ると、イタリアの一番はしの下の方にそこが見える。長ぐつの形をしたきれいな国の爪先つまさきと向かい合って大きな三角の島がある。それがシシリーなのだ。その島の有名な山、それはけただれたものをき出している山―手短てみじかにいえば火山というのだ。その山がエトナというのだ。そこでクリの木の話にもどろう。そしてわたしはまず『一〇〇頭の馬のクリの木』といわれている話を、お前たちにしなければならない。なぜそういわれているかといえば、ジェンというアラゴンの女王がある日、この火山にのぼった。そしてあらしに追いつかれて、その護衛ごえい騎兵きへい一〇〇人といっしょにそのクリの木の下に避難ひなんした。そのクリの木の葉の森の下が、一〇〇人の乗り手と馬とのげこみになったのだ。この大きな木を取りまくには、三十人の人がうでをひろげて手をつないでもたりないくらいだ。みきのまわりの大きさは十五丈よりはもっと多いだろう。その大きいことは、木のみきというよりもむしろ、しろとうといった方がいいくらいだ。そのクリの木の根元ねもとに二つの馬車ばしゃがならんで、らくに通りぬけられるほどの大きなあながあって、そこからその洞穴ほらあなの中へ入って行ける。それはクリのを集めにくる人たちが住めるようにつくったものだ。こんな古木こぼくでもまだ若い樹液じゅえきを持っていて、を結ばないというようなことはめったにない。この大きな木の大きさでそのとし見積みつもることはできない。
「ドイツのウユルテンベルヒのヌーシャテルに一本のリンデン(橄欖樹かんらんじゅ)がある。そのえだ幾年いくねんもの間に重くなりすぎて、一〇〇本の石柱せきちゅうささえてある。そのえだは四〇一尺の周囲まわりをグルリとおおうている。一二二九年にこの木は、もうよほど年とっていた。その時代の著述家ちょじゅつかに『大きなリンデン』と言われていた。今日では、そのたしからしい年は、七〇〇年か八〇〇年かだ。
「こんどはフランスの国のをはなししよう。十九世紀せいきのはじめに、フランスはヌーシャテルの老木ろうぼくよりももっと古い木があった。それは一八〇四年までドウ・セブルのシャイエというしろにあった四丈五尺の円さのリンデンだ。それは六本のおもえだを持っていて、たくさんのはしらでつっぱってあった。もし、その木が今もまだ生きていれば一一〇〇年よりも若いということはないだろう。
「ノルマンディーのアルヴィルの墓地ぼちは、フランスで一番古い一本のかしの木でかげをつくっている。その根元ねもとには死骸しがいしこまれる。で、そのせいかその木はひどくふとって、そのみき根元ねもと周囲しゅういが三丈もある。そして、小さな鐘楼しょうろうのある隠者いんじゃどうが、その木のえしげったえだの中ほどにそびえている。そのみき根元ねもと空洞くうどうになった一部分を、礼拝堂れいはいどうのようなふうにして平和の女神めがみにささげてある。そして、この偉大いだい姿すがたをした木は、神聖しんせいなものとして尊敬そんけいされている。その質素しっそ田舎いなかびた神殿しんでんいのり、その古い木のおおいの下でちょっとのあいだ黙想もくそうするのだ。その古い木はたくさんな墓穴はかあなが開いたり閉じたりするのを見ているのだ。その大きさによって、このかしの木はほとんど九〇〇年くらい生きているものとみなされている。かしもきっとっているにちがいない。そしてを出した時からはほとんど一〇〇〇年にもなるだろう。今日ではその古いかしの木は、大きなそのえだをのばす努力どりょくをしない。無事ぶじにたどってきた長い年月の間に、人間には賛美さんびされ、電光でんこうらされてきた。そしてたぶんこれからも、今までとおなじことがつづいてゆくだろう。
「まだいちばん古いかしの木として知られているのがある。それは一八二四年にアルダンの一人の木樵きこりが、すばらしく大きな一本のかしの木を切りたおした。そのみきの中に、生贄いけにえびんと、古い貨幣かへいが見い出された。この古いかしは一五〇〇年か一六〇〇年のあいだ生きていたのだ。
「アルヴィルのかしの木の後に、わたしはお前たちにもっと、死人しにん仲間なかまの木のことを話そう。墓場はかば神聖しんせいな場所で、人間もそれにがいをくわえないので、そこの木が自然に庇護ひごされて、高齢こうれいにまで達することができるのだ。ヘエ・ド・ルウトの墓地ぼちの二本のイチイは、特にウウル県の格別かくべつ保護ほごを受けている。一八三二年に、この二本のイチイはその簇葉ぞくようで、墓地ぼち全体と会堂かいどうの一部をおおっていた。が、非常に猛烈もうれつあらしでそのえだの一部分は地面じめんに投げとばされて、かつて経験けいけんのないほどの重大じゅうだい損害そんがいを受けた。が、そのがいにもかかわらず、二本のイチイは今も、気高けだか老木ろうぼくなのだ。それらのみきはすっかり空洞くうどうになっていて、そのまわりはそれぞれ二丈七尺もある。その年は一四〇〇年くらいと見積みつもられている。
「だが、そのイチイは、おなじ種類しゅるいほかのものの年の半分より多くなってはいないのだ。スコットランドのある墓地ぼちにある一本のイチイは、そのみきのまわりが八丈七尺ある。そのたしからしい年齢ねんれいは、二五〇〇年だ。もう一つほかのイチイもまたやはり、おなじスコットランドのある墓地ぼちにあった。一六六〇年に、その木はスコットランドじゅうでうわさしたほど大きいものだった。そのときに勘定かんじょうされたとしが二八〇〇年になっていた。もしも今までその木が立っていたら、このヨーロッパの木の大長老だいちょうろうは三〇〇〇年以上いじょう生きてきたことになる。
「まあ、今のところ、こんなものでじゅうぶんだろう。さあ、こんどはお前たちが話す番だ。
「ぼくは、もう何もいわないほうがいいようですよ。ポールおじさん」とジュールがいいました。
「おじさんは、なかなかなない木の話で、ぼくの心をひっくりかえしてしまいましたよ。
「わたしは、そのスコットランドの墓地ぼちの古いイチイのことを考えていますの。おじさんは三〇〇〇年とおっしゃったわねえ?」とクレールがたずねました。
「三〇〇〇年だよ。そしてもし、わたしが外国のある木のことをお前たちに話そうものなら、まだもっと古いむかしまでさかのぼっていかなくてはならないんだよ。

   一〇 動物どうぶつ寿命じゅみょう


 ジュールとクレールは幾百年いくひゃくねんということが、木にとっては、われわれ人間にとっての幾年いくねんというよりもずっと短かいというおじさんの話でびっくりさせられた、そのおどろきがぬけませんでした。エミルは、いつものおちつかないくせで、話をほかのことに持って行きました。
「それで動物は、おじさん……」とたずねました。「どのくらいのあいだ生きているものなんです?」
家畜かちくは……」とおじさんは答えました。「たまには、自然に死ぬ年がくるまで生きることもある。が、人間は、彼らに食物しょくもつをやることをおしんだり、彼らをはたらかせすぎたり、適当てきとう保護ほごをしてやらない。そして、彼らからちちを取り、被毛ひもうを取り、かわをとり、肉をとるなど、じつにいろんなものをとる。お前が大きくなった時に、いつでも屠殺者とさつしゃが家のとびらの前でナイフを持ってお前をっているとしたら、お前はどうする? われわれの必要ひつよう犠牲ぎせいにされる、それらの者のかわいそうなことは言うまでもない。彼らは、われわれにその生涯しょうがいをあたえている。彼らには、自分らの一生いっしょうというものはないのだ。それらの動物をよく世話せわしてやるとすれば、それはえを我慢がまんすることでも、寒さを我慢がまんすることでもない。ただ過度かどつかれさせないで、屠殺者とさつしゃどもに対する恐怖きょうふをなくさせて平和にらさせることだ。そんないい条件じょうけんのもとに彼らをおいたら、彼らはどんなにながく生きるだろう?」
「まず牡牛おうしからはじめよう。わたしはここに、一匹のじょうぶな牛がいることにしよう。どうだい、まあ、あのむねかたは! それからその大きな四角いひたい、そのつのとそのまわりのくびきの革紐かわひも、そのはおだやかな力強い威厳いげんひかっている。もしも、強いということが長く生きることになるのならば、その牡牛おうしは一〇〇年も生きるはずなのだ。
「ぼくもやっぱりそう思いますよ」とジュールが同意どういしました。
「ところがまったく反対はんたいなんだよ。牡牛おうしはそんなに大きくて、強くて、どっしりしているけれど、二十年か三十年もすれば、それはもうたいへんなとしよりなんだよ。二十とか三十とかいえば、われわれ人間にとっては、まだ若い青年せいねんだが、牛にとってはもうおいぼれの高齢こうれいなのだ。
「そこでこんどは馬にうつろう。お前たちは、わたしが動物の中の弱いものかられいをとるんじゃないということはわかるだろうね。わたしは一番元気げんきちたのをえらぶのだ。さて、その馬はおなじように内気うちき仲間なかまのロバも、やっとのことで三十年か三十五年ぐらいまで生きる。
「なんという間違まちがいをぼくはしていたのだろう!」ジュールがさけびました。「ぼくは馬や牛はあんなに強いから、少なくとも一〇〇年はじゅうぶん生きると思っていました。馬や牛はあんなに大きくて、あんなにたくさんの場所をとっているんですもの。
「わたしは、わたしのいうことがお前にわかるかどうか知らないが、ただ、わたしはお前に、この世の中では、たくさんの場所を取るということが、一生いっしょうを楽しくすごすことでもなければ、平和にむ道でもないのだということを説明せつめいしたいのだ。たくさんの場所をとっている人間がよくある。それも、そのからだでではない――その人たちは、わたしたちよりも大きいのではない――ただそのえらがりと野心やしんとでなのだ。が、その人たちは平和に生活してその老年ろうねん準備じゅんびしているかといえば、それはおぼつかないことだ。わたしたちは小さくていいのだ。言いかえれば、神さまがあたえてくれた小さなわれわれ自身じしん満足まんぞくするのだ。わたしたちは、うらやましがりの誘惑ゆうわくに気をつけることだ。それはバカげた高慢こうまんがっつくのだから。そしてわたしたちは仕事に一生いっしょう懸命けんめいになるのだ。それはけっして功名心こうみょうしんからではない。それはただ一つの、わたしたちにゆるされた道なのだ。日々ひび希望きぼうなのだ。
「さて、また動物の話にもどろう。家畜かちくの中で、ほかにももっと短命たんめいなのがある。イヌは二十年か二十五年になれば、もうそれ以上に生きていくことはできない。ブタは二十年もすればいぼれてヒョロつく。ネコは一番長く生きて十五年までだ。それ以上はネズミをいまわすこともできない。で、屋根裏やねうらの楽しみはてて穀倉こくそうのどこかのすみにひっこんで、平和に死ぬのだ。ヤギやヒツジは十年か十五年になると極度きょくど老年ろうねんたっするのだ。ウサギは八年か十年すればそのむれはおしまいだ。そしてかわいそうなネズミは、もしも四年も生きていれば、その仲間なかまではまるで奇跡きせきのような長生ながいきなのだ。
「お前たちは鳥のことも聞きたいかい? よろしい、ハトは六年から十年までは生きるかもしれない。ホロホロチョウや牝鶏めんどり七面鳥しちめんちょうは十二年だ。ガチョウは長く生きる。苦労くろうのないその性質せいしつではあたりまえのことだが、二十五年くらいまで生きる。そして時には、もっとずっと多くなることさえあるのだ。
「だが、もっと長命ちょうめいするものもある。それはカナリヤやスズメだ。ひとつぶの大麻実おおあさのみ葉簇はむらの中で、日光にっこうるのといっしょに、できるだけ楽しくいつもふざけたり歌ったりしていて、人の注意からまぬがれているこれらの鳥は、大食たいしょくのガチョウと同じほど、そして鈍間のろ七面鳥しちめんちょうよりはずっと長く生きる。それらの楽しそうな小鳥どもは、二十年から二十五年、すなわち牡牛おうしと同じ年だけ生きる。わたしが話したように、世の中で広い場所を使うことは、長い一生いっしょう用意よういをする本当の道ではないのだ。
「人間についていえば、もし、規則きそく正しい生活をしてゆけば、よく八十や九十まで生きる。時としては一〇〇とか、それ以上にでさえもなる。しかし、普通ふつうの年、平均へいきんの年は、だれでもいうように、やつと五十ぐらいまでしかとどかないのだ。それからは、人間の生命せいめいの長さにかんする特典とくてんだと考えたほうがいい。そして、さらに人間については、生命せいめいの長さは年の数をかぞえることで完全かんぜんにはかることはできない。人間一番の生命せいめいは、その人の一等いっとう立派りっぱな仕事だ。いつ神さまからされても、われわれの義務ぎむのためにつくしたという自覚じかくを持つことだ。いくつで死んでも、それだけのことさえしていれば、それでじゅうぶん生きたのだ。

   一一 わかし


 その日、アムブロアジヌおばあさんは、たいへんにつかれていました。おばあさんは、わかしだの、ソースなべだの、ランプだの、燭台しょくだいだの、シチューなべだのの、いろんななべとふたとをたなから取りろしました。そして、それをきれいな砂やはいでみがいて、それからよくあらって、それをすっかりかわかすのに、その台所だいどころ道具を日向ひなたに持ち出しました。それはみんなかがみのようにピカピカひかっていました。わかしはバラ色の反影はんえいで、特別とくべつ立派りっぱに思われました。それは火のしたがその内側うちがわかがやかしていると言ってもいいくらいでした。燭台しょくだいは、まぶしい黄色でした。エミルとジュールは感心かんしんしてほめるのに夢中むちゅうになりました。
「ぼく、このわかしをどうして作るのか知りたいな。あんなにひかってる」とエミルは注目ちゅうもくしました。外側そとがわすすでよごれていて、っ黒でみっともないけれど、内側うちがわの方はまあ、なんてきれいなんだろう!」
「おじさんにたずねなければならないね」にいさんが答えました。
「そうね」と、エミルは賛成さんせいしました。
 言うよりはやく、二人はおじさんをさがしにゆきました。おじさんは、たのまれなくても、いつでも臨機りんき応変おうへんに何かを子どもたちに教えてやることができるのを楽しみにしていました。
わかしはどうでつくったものだ」おじさんははじめました。
どうって?」ジュールがたずねました。
どうはつくったものではない。ある地方で、もうできたものが石にざって見い出されるのだ。その本質ほんしつは、人間の力でできるものではないのだ。それは神さまがそこに堆んでおいたのを、人間がその産業さんぎょうのために使うのだ。が、それは、われわれのすべての知識ちしき熟練じゅくれんとをもってしてもつくりだすことはできないのだ。
「山のふところの中のどこかにどうを見い出すと、地の底深く下の方へとトンネルをる。そこではたらく人たちを坑夫こうふといって、ランプでされながらつるはしで、岩を打ちたたいてこわしていく。同時にほかの者は、岩のこわれたかたまりを外に持ち出す。その石のかたまりの中にどうがあるのだ。その石のかたまりを鉱石こうせきというのだ。そして溶鉱炉ようこうろといって鉱石こうせきを高い温度でねっするようにつくったの中でねっするのだ。そのねつは、うちのストーブがねっしてまっになった時のねつとでもくらべものにはならない。その熱で、どうはとけて流れる。そしてそれがさめないうちに引き上げられる。それから、水車すいしゃ運転うんてんさせるすばらしく重いハンマーで、そのどうのかたまりを打つ。するとそのかたまりは少しずつくぼんでうすくなって、大きなばんになる。
どう鍛冶は、その仕事をつづける。形のないばんをとって、ハンマーで少したたいて、その鉄床かなとこの上に、適当てきとうの形をつくりあげる。
「それで、どう鍛冶はハンマーで、一日じゅうたたいているのですね」と、ジュールが注釈ちゅうしゃくをつけました。「ぼくねえ、よくおどろいていたんですよ、いつもどう鍛冶店先みせさきを通ると、どうしてか、たいへんなやかましい音をさせて、いつもいつもたたいているんですものね。そしてちっとも休みなしなんです。あの人たちはどううすくしたり、それでソースなべわかしなんかをつくっているんですねえ。
 エミルがそこで質問しつもんをしました。わかしが古くなって、あながあいて使えなくなったときにはどうすればいいんです? ぼく、アムブロアジヌおばあさんが、わかしの使えなくなったのを売ろうと言っていたのを聞きましたよ。
「それをかすのだ。そしてまた、新しいどうわかしをつくるのだ。」とポールおじさんが答えました。
どうることがあるでしょうか?」
るよ、たいへんに減るよ。砂でみがいてひからすときにも減るし、不断ふだんに火にかけておく火の作用さようででもやはりるんだよ。だが、残った方がずっといいのだ。
「それから、アムブロアジヌおばあさんは、足のなくなったランプを作りなおさすと言っていましたよ。ランプは何でつくったんですか?」
「それはすずだ。それも、どうとはまたしつのちがうもので、それをわれわれは地の底に、人の力でつくり出すことのできない出来合できあいのものを見つけ出すのだ。

   一二 金属きんぞく


どうすず金属きんぞくというのだ」ポールおじさんは続けました。金属きんぞくは重い、そしてひか本性ほんしょうを持っている。それは、ハンマーで打たれてもよくたえてこわれることはない。たいらにはのびるけれどれはしない。この本質ほんしつをもっとほかに持っているものがある。それはどうすずとおなじようにねうちのある重さも、かがやかしい光沢こうたくも、打撃だげきに対する抵抗力ていこうりょくも持っている。すべてそれらのものを金属きんぞくというのだ。
「あのなまりねえ、あれ、ずいぶん重いんですけれど、あれもやっぱし金属きんぞくですか?」とエミルがたずねました。
てつもそう? ぎんきんも?」と兄さんのジュールも質問しつもんしました。
「そうだ、それも、その他のものも、その本質ほんしつ金属きんぞくだ。みんな独特どくとくひかりを持っている。そのひかりを金属光きんぞくこうというのだ。しかし、その色はそれぞれちがっている。どうは赤い。金は黄色、銀・鉄・なまりすずは、みんな非常にわずかなちがいで、それぞれに区別くべつされた白だ。
「アムブロアジヌおばあさんがしている燭台しょくだいは……」エミルがいいました。「黄色で、あんなにまぶしいほどひかってすばらしく立派ですね。あれは金ですか?」
「ちがうよ、ぼうや。お前のおじさんは、とても金の燭台しょくだいを持つお金持ちではないよ。あれは真鍮しんちゅうさ。金属きんぞくの色や性質たちやを変えるには、その金属きんぞくだけを使わずに、二種類しゅるいか、三種類、あるいはもっとたくさんのものをまぜあわせる。それはかしておいていっしょにするのだ。そして、その混合物こんごうぶつの一部分となっているものとはちがった、まったく新しい性質の金属きんぞくをこしらえあげるのだ。そういうふうにして、どうとある白い種類の金属きんぞくとをかしていっしょにしたものが亜鉛あえんだ。庭の如露じょろ〔じょうろ〕のようなものはそれでつくったのだ。真鍮しんちゅうは、どうの赤さも持たないし、また亜鉛あえんの白でもなく、金の黄色い色にできあがっている。燭台しょくだい実質じっしつは、どう亜鉛あえんとをいっしょにしてつくったもので、簡単かんたんにいえば、それが真鍮しんちゅうなのだ。そのひかりや黄色い色は金のようだが、じつは金ではないのだ。このあいだの村のいちに、たいへんきれいな指輪ゆびわを売っていた。そのひかりがお前たちをだましたのだ。金ならばたいへん高い値段ねだんだったのだろう。その商人は一銭いっせんでそれを売っていた。それは真鍮しんちゅうなのだ。
ひかりも色もほとんど同じなのに、どうして真鍮しんちゅうと金とを見わけるのです?」とジュールがたずねました。
「まず第一に重さでだね。金は真鍮しんちゅうよりはずっと重い。それはたくさんの役に立つ金属きんぞくの中で一番重いのだ。そのつぎにはなまり、それから銀、どう、鉄、すず、最後に亜鉛えんやすべての軽いものだ。
「おじさんは、ぼくたちにどうかすことを話してくれましたね」とエミルが言い出しました。「それには、赤くけたストーブのねつともくらべものにならないほど強い火がいるのだと言いましたね。金属きんぞくはみんな、そのねつにかなわないんですね。ぼくは残念ざんねんだったのでよくおぼえていますが、あの、おじさんが一等いっとうはじめにぼくにくだすったなまり兵隊へいたいがなくなったんです。去年きょねんの冬、ぼくはちょうどよくあたたまっているストーブの上でそれをならべたんです。ちょうどそのときに、ぼくは気をつけてなかったので、その兵隊へいたいさんたちのむれが、ヒョロつきだして、グニャグニャになったんです。そしてけたなまりがすこし流れ出したんです。ぼくはたったはんダースの兵隊へいたいを助ける時間じかんしかなかったんです。そしてその兵隊へいたいはみんな足をなくしたんです。
「それから、いつだかアムブロアジヌおばあさんが、考えなしにランプをストーブの上にいたんですよ」とジュールもつけくわえました。
「そりゃすぐにとけて、ゆびはばくらいのすずが見るに見えなくなってしまったんですよ。
すずなまりはごくけやすい。」ポールおじさんは説明せつめいしました。「それをかすのには、うちのねつでたくさんだ。亜鉛あえんかすのもやはり、たいしてむずかしいことではない。だが、銀、それからどう、それから金、最後にてつは、普通ふつうの家では知らない強い火がいるのだ。とりわけ鉄は、われわれには非常なねうちのある強い抵抗力ていこうりょくを持っている。
「ショベル、火箸ひばし炉格ろかく、ストーブはてつだ。そんないろんなものは、いつも火と接触せっしょくしている。が、それでもけることはない。やわらかくさえもならない。鍛冶屋鉄床かなとこの上でハンマーでたたいてたやすく形をつくることができるように、鉄をやわらかにするには、溶鉄炉ようてつろのありったけのねつがいるのだ。が、鍛冶屋かじやがただ石炭せきたんくわえてあおいだところでそれはムダだ。けっしてそれをかすことはできない。しかし、鉄だってけるのだ。ただそれには、人間の熟錬じゅくれんみ出すいちばん強いねつを使わなければならない。

   一三 被金きせがね


 朝、ある鋳掛屋いかけやとおっていました。アムブロアジヌおばあさんは、古いわかしを売りました。そのうえにストーブの上で足がけたランプと、不用のソースなべを二つ売って、それをわたしました。するとその鍛冶屋は、外で火をつけて、地面じめんの上でふいごを動かしはじめました。そして、大きなてつのさじの中でそのランプをかして、それにすこしばかりすずくわえました。それもすぐけてなくなりました。そのけた金属きんぞくは、鋳型いがたの中に流れこみました。そしてその鋳型いがたからは、一つのランプができあがって出てきました。そのランプはごくお粗末そまつなものでしたが、一人の小僧こぞうがまわしている旋盤せんばんの上に乗せられて、それがまわると同時に親方おやかたが、鋼鉄こうてつの道具のふちでそれにわりました。すずはそういうふうにして、けずり取られて、うすいかんなくずになって落ちました。それはちぢんだ紙のようにいているものです。するとランプは、目に見えて完全かんぜん出来できていって、ピカピカとひかった、いい恰好かっこうのものになりました。
 そのあと鋳掛屋いかけやは、せわしくどうのソースなべけをしました。そのなべ内側うちがわをすっかりすなあらって、それを火の上に置きました。そして、それがずっとあつくなった時に、少しばかりのかしたすずあさくずのたばでそのなべ表面ひょうめんにすっかり引きました。すずどうにくっつきました。そして、ほんのちょっとの間に、前には赤かったソースなべ内側うちがわが、今は白くひかりました。
 エミルとジュールとは、おやつのリンゴとパンとを食べながら、このめずらしい仕事をだまって見ていました。彼らは、どうのソースなべの内側を、すずで白くぬったわけをおじさんに聞くことにきめました。そして夕方ゆうがたすずをぬって被金きせがねをしたことを、そのとおりに話しました。
「みがいて、非常にきれいにしたてつはたいへんによくひかる。」おじさんは説明せつめいしました。「よく気をつけてケースの中にしまってある新しいナイフや、クレールのハサミがその見本みほんだ。だがもし、しめった空気くうきにさらしておくと、鉄はすぐにくもって、土のような赤いものがくっついて、それでおおわれる。それを――」
さび」とクレールがさしはさみました。
「そうだ。それをさびというのだ。
「あの大きなくぎね、あすこの風鈴草ふうりんそう〔カンパニュラ〕がはいがっている、庭のかきの鉄の針金はりがねをとめた、あれも赤いかわがかぶっていますよ」とジュールが注意しました。そしてエミルがつけくわえました。
「ぼくが地面で見つけた古いナイフも、やっぱりその赤い皮がかぶっていたよ。
「その大きいくぎや古いナイフは、もう長い間しめった空気にさらされたために、さびですっかり皮ができたんだよ。しめった空気にさらしておくと、鉄はくさる。それは、金属きんぞくとその金属にできる目に見えないあるものとがって、そうなるのだ。さびが出ると鉄はもう、われわれに非常に便利べんりにできているその性質せいしつをなくしてしまうのだ。ちょっと見ると赤土あかつち黄土こうどのようだが、べつだん注意して見ないでもその中に金属きんぞくがあることはわかる。
「ぼくには、それはよくわかりますよ」ジュールがいいました。「ぼくは、ぼくの大事だいじな仕事にして、かならず空気や湿気しっけでできてくる鉄のさびを取ることにしよう。
「ほかのたくさんの金属きんぞくも鉄のように、さびる。いいかえれば金属は、しめった空気にせっすると土のようなものでおおわれてしまうのだ。さびの色は、その金属によっていろいろとちがう。鉄のさびは黄色か赤、どうのはみどりなまり亜鉛あえんは白だ。
「では、古い銅貨どうかみどりさびは、あれはどうさびなんですね」とジュールがいいました。
「ポンプの口が白いものでおおわれているのは、なまりさびですね?」とクレールが質問しつもんを出しました。
「たしかにそうだ。その金属きんぞくみにくくするさびができて第一にこまるのは、金属がみんなひかり光沢こうたくうしなうことだ。しかもそれは、もっと非常に有害ゆうがいはたらきをする。ここにがいのないさびがある。それは取って食物しょくもつの中にまぜても危険きけんはない。鉄のさびがそうだ。これにはんして、どうなまりさびは、いのちにかかわるどくだ。もしもひょっとしたまちがいから、そのさびがわれわれの食物の中に入れば、われわれは死ななければならない。が、われわれは今、どうの話だけにしよう。なまりは、早くけるので火の上におくことはできないから、台所だいどころ道具どうぐには使わない。どうさびは命にかかわるどくなのだ。そして、また人々はそのどうなべ食物しょくもつをつくるのだ。アムブロアジヌおばあさんにたずねてごらん。
「まあ本当ですねえ」とクレールがいいました。「でもわたし、いつもちゃんとソースなべを見ていますよ。そして、わたしはいつだってよくあらって、ときどきそれを鍍金めっきさせますよ。
「ぼくにはわからない。」ジュールが言い出しました。「どうして、鋳掛屋いかけや今朝けさしたあの仕事が、どうさびふせぐことができるのかしら?」
「それはさびをつくるのをふせぐのだ。」ポールおじさんが答えました。普通ふつう金属きんぞくとしては、すずが一番さびが少ないのだ。空気に長くさらしておけば、それはすこし光沢こうたくをなくする。そしてそのさびはごく少量しょうりょうで、鉄のさびとおなじに無害むがいだ。どうが、どくをもったみどり斑点はんてんでおおわれるのをふせぐのには、しめった空気や、それからさび滋養分じようぶんになるある性質せいしつのもの、たとえばとかあぶらとか脂肪しぼうとかいうようなさびのできるものと接触ふれさせずに、しまっておかなければならない。こういう理由で、そのどうのソースなべすず内側うちがわをすっかりぬったのだ。そのすっかりぬったうすいすずとこの下では、どうはさびることはないのだ。なぜなら、もう空気にふれることがないのだから。そしてすずの方は容易よういにさびないし、さびてもそれはがいにはならない。そういうふうにして、人々は被金きせがねをするのだ。言いかえれば、彼らはすずうすとこでそれをおおうてそのさびの出るのをふせぎ、そして、そのいつか、われわれの食物しょくもつの中にまじるだろう危険きけんどくの力をふせぐのだ。
「また鉄にもすずをかぶせる。すずさびどくではないから、毒のできるのをふせぐのではない。が、簡単かんたんに、その鉄の赤い斑点はんてんでおおわれるのをふせぐことができるからだ。このすずをひいた鉄のことをすずかぶせというのだ。ふた、コーヒーポット、ドリッピング・パン、おろしもの、提灯ちょうちん、その他のいろんなものがすずかぶせだ。言いかえれば、鉄の両面りょうめんを、うすいすずのシーツでかぶせてしまったものがすずかぶせだ。

   一四 きんてつ


「ある金属きんぞくけっしてさびない。きんはそうだ。数百年もたってから、地中に発見されるむかしの金は、その金が貨幣かへいになった時と同じくらいひかっている。かなくずや、さび金貨きんかの文字に少しもついていない。時間も、火も、湿気しっも、空気も、このすぐれた金属きんぞくがいをくわえることはできないのだ。だから金は、変化のないひかりと、そのたくさんないことから、装飾そうしょく貨幣かへいに使われるいい材料ざいりょうなのだ。
「そればかりではない。金は人間が、鉄や、なまりや、すずや、そのほかの金属きんぞくなどよりもはるかに早く、第一番に知った金属だ。鉄よりも数百年も早く、金が人間の注意をひくようになった理由は、わかりにくいことではない。金はけっしてさびないからなのだ。鉄は、もし人間が注意しなかったら、しばらくの間にさびてしまって、赤土あかつちのように変わってしまう。わたしは今、お前たちに金の用途ようとをお話ししたね。どんなに古くなっても、しめっぽい地面においてあっても、きずもつかずにわれわれの手にわたってくるのだ。しかるに鉄でできたものは一つとして、そのままには残らない。みんな何だかわからないものになって、さびてくさって、形のくずれた土塊つちくれになってしまうのだ。そこでジュールにたずねるが、土の中から取り出した鉄の鉱石こうせきは、われわれが使うような、本当の、純鉄じゅんてつだろうか?」
「そうじゃないと思いますよ、おじさん。というのはもし、そのとき鉄がじゅんなものだったとしても、土の中にうまっていたナイフのがなるように、時とともにさびていって、やはり土のようなものに変わっていってしまいます。
「ジュールの言うとおりだと思いますわ。わたしもやはり、そうだと思います。」とクレールがもうしました。
「それでは金は?」とポールおじさんが彼女かのじょにたずねました。
「金はちがいますわ。」と彼女は答えました。「金はけっしてさびないものですから、時間や、空気や、湿気しっけでは変わりません。純金じゅんきんのままであるんですわ。
「まったくそのとおりだ。金がすこしずつらばっている岩では、まるで宝石屋ほうせきやはこのように、金はみごとなものだ。クレールの耳輪みみわは、自然に岩にはまった金つぶよりもよけいにひかりがあるのではない。それとは反対に、鉄は最初じつにみすぼらしい様子をしている。鉄は最初は土塊つちくれ同様の赤石あかいしで、それを人間が長いあいだ探して、そこに金属きんぞくがあると見込みこみをつけるのだ。ほかのいろんなものといっしょにざっているさびなのだ。だが、それだけでは、このさびた石に金属きんぞくふくまっているということがわからない。その鉱石こうせき分解ぶんかいして、鉄を金属の状態じょうたいにひきもどす方法が考え出されなければならない。これはなかなかむずかしいことで、それには非常なほねおりをしたものだ。非常にたくさんのムダなほねおりや、苦痛くつうの多いいろんな方法でやってみた。かくして鉄は、金やどうや銀のような、ときおりじゅんなままで見つけられる金属きんぞくよりははるかに後で、最後にわれわれの役に立つようになったのだ。いちばん有益ゆうえきな金属がいちばんあとに発見されて、それで人間の事業じぎょうは非常に進んだのだ。人間が鉄を手に入れたときから、人間は地球ちきゅう主人しゅじんとなったのだ。
つかってもれない物質ぶっしつかしらは鉄だ。そして、この金属きんぞくが人間にとうとばれるのは何にぶつかっても、れないこの強い力なのだ。金や、どうや、大理石だいりせきは、鉄のようには鍛冶屋かじやつち打撃だげきにたえることはできない。そしてそのつちそのものは、鉄以外いそとのどんな金属きんぞくで作ることができるか? もしつちが、どうや銀や金でできていたならば、それはすぐにびて、つぶされてしまうにちがいないのだ。もしまた、それが石でできているものなら、最初の強いひと打ちでくだけてしまう。こうしたものをつくるには、鉄におよぶ何物なにものもないのだ。またおのでも、ノコギリでも、ナイフでも、石工いしくのみでも、工夫こうふのつるはしでも、すきでも、そのほか物を切ったり、きざんだり、いたり、板にしたり、とじたり、強い打撃だげきを加えたり、受けたりする種々しゅしゅの道具は、みな鉄なのだ。ただ鉄だけが、ほかのほとんどすべてのものを切ることのできるかたさや、打撃だげきをくわえる抵抗力ていこうりょくを持っているのだ。この点で鉄は、あらゆる金属きんぞくの中で、神さまが人間にあたえたいちばんうつくしい物だ。鉄はどんな技術ぎじゅつにも工業こうぎょうにも、なくてはならないすぐれた道具をつくる材料ざいりょうだ。
「いつだか、クレールとぼくとは、スペイン人がアメリカを発見したとき、その新しい国に住んでいた野蛮人ばんじんは金のおのを持っていて、よろこんで鉄のおの交換こうかんしたということを読みましたよ。ぼくは、ごくありふれたすこしの金属きんぞくを、非常に高いものとえる野蛮人やばんじんのおろかさをわらいましたが、今になってぼくは、その交換こうかん野蛮人やばんじんどもには利益りえきだったということがはじめてわかりましたよ。」とジュールがもうしました。
「そうだ、そのほうがよほど利益りえきなのだ。その鉄のおのがあれば、木をたおして独木舟まるきぶね小屋こやを作ることができるし、野獣やじゅうをよくふせぐこともできるし、またりをしてその獲物えものころすこともできるからね。すなわちこのわずかばかりの鉄は、その野蛮人やばんじん食物しょくもつと、有益ゆうえきなボートと、あたたかな家と、おそろしい武器ぶきとを立派りっぱにさずけてくれるのだ。それと比較ひかくすると、金のおのなんて、役にも立たないほんのオモチャさ。
「鉄が最後にできたものとすると、それができる前には、人間はどうしていたんでしょう?」とジュールが聞きました。
「その前には、どう武器ぶきや道具をつくったのだ。どうは金のようにじゅんなままであることがあるから、自然のまま利用することができるのだ。だが、どうでつくった道具はかたくないし、鉄の道具にくらべるとはるかにおとるので、どうおのを使っていた昔は、人間はまだごくみじめなものだったのだ。
「そしてこのどうを知る前には、人間はもっともっとみじめなもので、火燧石ひうちいしをとがらせたりったりして、それをぼうの先にむすびつけて、それを唯一ゆいいつ武器ぶきにしていた。
「この石でもって、人間は食物しょくもつ着物きもの小屋こやなどをつくり、また野獣やじゅうふせいだのだ。その着物きものというのは毛皮がわ背中せなかへ投げかけたもので、その小屋こやはまがった木のえだどろでつくり、その食物しょくもつりで手に入れた何かの肉片にくへんだったのだ。家畜かちくはまだいないで、地はたがやされず、工業こうぎょうは何もなかったのだ。
「それはどこだったのですか?」とクレールが聞きました。
「どこもかも、みなそうだったのだ。今、このにぎやかな町になっているここでさえ、やはりむかしはそうだったんだ。人間が鉄の助けをかりて、今日こんにちのような安楽あんらくるまでには、人間はじつにたよりないみじめなものだったのだ。
 ちょうどポールおじさんが話しわったところへ、ジャックがていねいにをたたきました。ジュールはかけて行って開けました。二人は低い声でなにか二言ふたこと三言みことささやきいました。それは、翌日よくじつのだいじなことを話したのでした。

   一五 毛皮けがわ


 前の日に話しておいたとおりに、ジャックは用意をいたしました。まずヒツジを動かさないように、その足をしばって台の上にかせました。鋼鉄こうてつのナイフが地面にひかっていました。人間の必要の犠牲いけにえになる何のつみもないヒツジは、ちゃんとしばりつけられて横になっていました。おとなしくあきらめて、その悲しい運命うんめいっているのです。ヒツジはこれからころされるんでしょうか。いいえ、これからられるのです。ジャックはヒツジの足を持って台の上に乗せると、大きなハサミで、パサ、パサ、パサとヒツジの毛をり始めました。すこしずつ、毛はひとかたまりになって落ちてきました。毛をられてしまったヒツジはわきへやられて、はずかしそうにしてさむさにふるえています。これはその着物きものを人間の着物きものにするためにくれたのです。ジャックはまた別なヒツジを台に乗せて、ハサミはまた動き始めました。
「ジャックおじいさん、ヒツジは毛をられてしまうとさむくはないかしら。今、お前がったばかりのやつは、ほら、あんなにふるえているよ。」とジュールがいいました。
心配しんぱいはいりませんよ。るにつごうのよい日をえらんだんですから。きょうはあたたかいでしょう。明日あしたはもう、ヒツジは毛のないことなんか感じなくなりますよ。それに、わたしたちがあたたかくなるためには、少しくらいヒツジが寒くなったって、かまうものですか。
「わたしたちがあたたかくなるためにはって、そりゃどうしてだい?」
「こりゃ、おどろきましたね。あなたのようにたくさん本を読む人が、そんなことを知らないんですか。このヒツジの毛でくつしたを作ったり、シャツをんだり、また着物きものを作ったりするんですよ。
「おどろいた! こんなよごれたきたない毛で、くつしたを作ったり、シャツをんだり、着物きものったりするんかい!」とエミルがさけびました。
「今はよごれていますが、これを川であらうのです。そして白くなると、アムブロアジヌおばあさんがつむぎにかけて、毛糸けいとを作るんです。そしてその毛糸を、はりんだものが、雪の中をかけるとき足にはくと、人がよろこぶくつしたになるんでさァ。
「ぼくは赤や、みどりや、青いヒツジを見たことはないよ。そして、赤や、みどりや、青や、そのほかの色のついたヒツジの毛を見たこともないよ。」とエミルがいいました。
「それは、ヒツジからった白い羊毛ようもうめるんですよ。毛をくすりを入れた煮湯にえゆの中に入れると、色がついてくるのですよ。
「ではラシャは?」
「ラシャはくつしたと同じような糸でできるんです。ですが、そんな糸をるには、糸をキチンと縦横たてよこんでを作るように、この家にはない、こみいった織機械はたを使わなければなりません。こんな機械きかいは、羊毛ようもう大工場だいこうじょうにでも行かなければありませんね。
「では、ぼくがているこのズボンはヒツジの毛でできたんだね。そしてこの胴着どうぎも、ネクタイも、くつしたもそうだね。ぼくはヒツジの着物きものているんだね。」とこんどはジュールがいいました。
「そうですよ。寒さをふせぐのに、わたしたちはヒツジの毛を使うんです。かわいそうに、けものは、わたしたちの着物きものにするために、自分の毛をそだて、またわたしたちの食べ物になるために、そのちちにくふとらせ、そしてまた、わたしたちの手ぶくろにするために、そのかわをじょうぶにしているのです。ひとことで言うと、わたしたちは家畜かちく生命せいめいで生きているんです。牡牛おうしちからかわと肉とを人間にあたえ、そのうえ牝牛めうしちちをあたえます。ロバやラバや馬は人間のためにはたらきます。そしてこれらの動物は死ぬとすぐ、わたしたちのくつかわになる皮を残します。ニワトリはたまごをあたえ、イヌは忠実ちゅうじつに人間の仕事しごとをします。それだのに、何もしないでいる人間は、動物がいなかったらこまってしまうくせに、その動物を虐待ぎゃくたいしたり、はらをすかせたり、こっぴどく打ったりします。けっしてこんな無慈悲むじひな人間の真似まねをするもんじゃありませんよ。そんなことをしては、ロバや牛やヒツジやそのほかの動物をめぐんでくだすった神さまにすみません。何もかも人間にあたえて、その生命せいめいさえもあたえてくれるこのだいじな動物のことを思うとき、わたしは最後のパンくずもこの動物にわけてやろうと思いますよ。
 そう話すあいだもハサミはパサパサ切りつづけて、毛は下に落ちていました。

   一六 亜麻あまあさ


 ジャックが羊毛ようもうのことについて話してるのを聞きながら、エミルは自分のハンカチを念入ねんいりに調べてみました。これをなんべんもひっくり返して、さわってみて、よくよく目をとおしました。ジャックは、これからエミルが聞こうとする質問しつもんを見こして、こういいました。
「ハンカチやリンネルは羊毛ようもうじゃありません。綿わただのあさだの亜麻あまだのという草がそんな品物しなものになるのです。もっとも、わたしだって、そんな草のことはよく知りませんがね。わたしはわたの木のことは聞いたことがありますが、まだ見たことはありません。それだけならいいが、あなた方にこんな話をしていると、わたしはヒツジのかわを切ってしまうかもしれませんよ。
 夕方になると、ジュールのたのみで、みんなのている着物きもの材料ざいりょうの話をおじさんにしてもらうことになりました。
あさの木や亜麻あまの木の皮は、り物になるたいへん立派りっぱな、やわらかい、じょうぶな長い糸でできている。われわれはヒツジからった毛をたり、木の皮で身体からをかざったりする。白麻地や手編てあみレースやモスリンレースなどのようなぜいたくなり物から、もっとじょうぶなわる袋布ふくろぬののようなものまで、みんなこのあさでつくるのだ。わたの木からは木綿もめんでできたり物が取れる。
亜麻あまは小さな青い花が咲くほそい植物で、毎年まいたり、ったりする。これは北フランスや、ベルギーや、オランダにたくさん栽培さいばいされている。そしてこれは、人間が一番はじめにり物をつくるのに使った植物だ。四〇〇〇年以上もたった大昔おおむかしのエジプトのミイラは、リンネルのおびでまいてある。
「ミイラとおっしゃいましたね。それは何だか、ぼくにはわかりませんが……」とジュールがおじさんの言葉ことばをさえぎりました。
「それじゃ、その話をしよう。んだ人間をとうとぶのは、いつの時代、どこの人間でも同じだ。人間のからだは神さまの形につくられたたましいの住んでいるおみやだというところから、それをとうとぶのだが、ときところ習慣しゅうかんとによって、そのとうとかたがちがう。われわれは死んだ人間を埋葬まいそうして、そのうめた場所に、文字を書いた墓石はかいしを立てたり、十字架じゅうじかを立てたりする。大昔おおむかしの人は死人しにん火葬そうにして、火にくずされたほねをていねいにひろい集めて、それをつぼの中につめた。エジプトでは、いつまでもその死人しにんを家族の中に保存ほぞんするように、死人をミイラにした。すなわち、エジプト人は、香料こうりょう死骸しがいふくませて、形がくずれないようにリンネルでまいたのである。この信神深い仕事は、ずいぶん念入ねんいりにおこなわれたので、その何百年もたって、われわれはよいにおいのする木箱きばこの中に、年とともにくろずんではいるが、古代エジプトの王様やその同時代の人間を、生きていたそのままの形で見い出すのだ。これがミイラというものなんだ。
あさは何百年もヨーロッパじゅうで栽培さいばいされた。あさ一年生いちねんせいの、じょうぶな、いやなにおいのする、緑色みどりいろ陰気いんきな小さな花を開く。そしてくきみぞが深くて六尺くらいにのびる。あさは、亜麻あまと同じように、その皮と、あさという種子しゅしを取るために栽培さいばいせられるんだ。
「その種子たねは、わたしたちがそれを金翅かなひわにやると、金翅かなひわは中のかくを取り出そうとして、からをくちばしでやぶる、あのつぶのことでしょう?」とエミルがいいました。
「そうだ。あさは小鳥の食べものだ。
あさの皮は亜麻あまのように美しくない。あさ繊維せんいは非常に立派なもので、あさくず二十五グラム(六もんめ三分)で、約三マイル(一里八町)の長さの糸ができる。リンネルのり物のこまかさにくらべることのできるのは、ただクモのがあるだけだ。
あさ亜麻あま成熟せいじゅくすると、られて種子しゅしきわけられてしまう。それから、それを湿しめして、皮の繊維すじを取る仕事がはじまる。すなわち、その繊維せんいがわけもなく木からはなれるようにする仕事だ。実際じっさいこの繊維せんいは、くきにくっついていて、非常に抵抗力ていこうりょくの強い、弾力だんりょくの強い物で、くさってしまうまではなれないようになっている。時によると、このあさの皮を一、二週間しゅうかん野原のはらにひろげて、なんべんもなんべんもひっくり返して、皮が自然と木質もくしつの部分、すなわち、くきからはなれるまでつづける。
「だが、一番早い方法は、亜麻あまあさたばにしてしばって、池の中にしずめておくことだ。すると、まもなくくさっていやなにおいを出し、皮はちて、強い弾力だんりょくを持った繊維せんいがやわらかくなる。
「それから麻束あさたばかわかして、ブレーキという道具のの間でそれをしつぶして、皮と繊維せんいとをはなしてしまう。しまいに、その繊維せんいのくずを取って、それを美しい糸にするために、刷梳こきくしという大きなくしのような鋼鉄こうてつのあいだを通す。そしてこの繊維せんいは手なり機械きかいなりでつむがれて、そうしてできた糸をはたにかけるのだ。
はたの上には、経糸たていとというものになるたくさんの糸をつぎつぎに順番じゅんばんにならべる。そしてり手の足でふむ足台あしだいされて、かわるがわるこの糸の半分が下りると残りの半分がのぼる。それと同時に、り手はおさの横糸を、左から右、右から左と、半分ずつの経糸たていと二つのあいだを通す。それでり物ができあがるのだ。そしてこれがすむと、植物だったあさの皮は着物きものになり、亜麻あまの皮は数十円も数百円もする立派なレースになるのだ。

   一七 綿わた


り物に使われる物の中でいちばん大切な綿わたは、亜熱帯ねったいわたの木という植物からるのだ。これは三尺から六尺くらいの高さの灌木かんぼく同様の草で、その黄色い大きな花は、やがて、綿わたの種類によって純白じゅんぱくな、あるいはうす黄色い色のかかった絹毛きぬいとのいっぱいつまった、たまごほどの大きさの円莢まるざやになるのだ。この毛房けぶさ中央ちゅうおう種子しゅしがある。
「そんなふうな毛房けぶさを、春、ポプラややなぎの木のいただきにバラバラになって落ちているのを見たことがあるように思いますわ。」とクレールがいいました。
「そのたとえは、なかなかおもしろい。やなぎやポプラの実は、はりとがりの三、四倍もある色のついた細長いとがった円莢まるざやだ。五月になるとこの円莢まるざやじゅくする。その実は開いて、美しい白毛をほうり出す。その中にあるのが種子たねなのだ。天気のおだやかな日は、この白毛が木の根の下に落ちつもって、雪のように白い綿毛わたげゆかになる。が、ついに風にふかれて円莢まるざやかけが、種子たねごといっしょに遠くの方へふきとばされてしまう。その種子たねはこうして新しい地面を見つけて、を出して木になるのだ。そのほかにもいろんな種子たねがやわらかな帽子ぼうしや、きぬのような羽毛うもうをそなえていてそれでもって、長いあいだ遠くまで空中を旅行りょこうする。たとえば、お前たちが空にふきあげてよろこぶタンポポやアザミの、あの美しい、きぬのような羽毛うもうのついた種子たねは、やはりそれだ。
「ポプラの円莢まるざやにある毛房けぶさは、綿わたと同じものになりますか?」とジュールがたずねました。
「それはダメだ。それはあまり少なすぎて集めるのにずいぶんほねれる。そのうえ、あまり短かすぎるものだから、つむぐことができない。だが、われわれはそれを使うことはできないが、ほかの者には非常に有益ゆうえきなものとなる。この毛房けぶさは小鳥の綿わたで、鳥はくのにそれを集めるのだ。鳥の中でも金翅かなひわは、かしこい中のまた一番かしこい鳥だ。この鳥の綿わたでできたは美しい立派なものである。四、五本の小枝こえだまたに、やなぎやポプラの綿毛わたげや、通りがかりのヒツジからぬきとった羊毛ようもうやアザミのたね毛帽子けぼうしで、この鳥はそのひなに、どんなたまごも今までにんだこともないような、やわらかであたたかいコップがた布団ふとんをつくってやるのだ。
「そのをつくるには、金翅かなひわはその材料ざいりょうがごく手近てぢかなところにあるので、すぐその仕事にとりかかれる。春になると、金翅かなひわはその材料ざいりょうのことなどは考えもしない。やなぎやアザミは近所きんじょにいくらでもある。鳥は長いあいだ前もって注意して、いろんな巧妙こうみょうな方法でその必要な物を準備じゅんびする知恵ちえを持っていないのだから、こうするほかに仕方しかたがないのだ。人間はその労働ろうどう知恵というとうと特権とっけんで、遠い国から綿わたを手に入れるが、鳥は自分の綿わたを、林のポプラの木に見つけ出すのだ。
成熟せいじゅくすると、綿わた円莢まるざやは広く開く。そして毛房けぶさはやわらかな雪のかたまりのようになってあふれ出る。それをひとさやひとさや、手でかき集めるのだ。ぬのせて太陽たいようによくかわかした毛房けぶさは、打木かあるいはそのほかの機械きかいの力で打たれる。こうして綿わた種子たねさやとをことごとく取りのぞかれる。もうそれ以上の手をかけないで、綿わたは、われわれの工場でり物にされるように、大きなつつみに入ってくる。綿わたを一番たくさんさんする国は、インド、エジプト、ブラジルおよび、北アメリカ合衆国がっしゅうこくとである。
「一年のうちに、ヨーロッパの工場では、綿わたが約八億キログラム(一キログラムは約二六七貫)ほどできる。このたいへんな目方めかたけっして多すぎはしないのだ。というのは世界の人々は、高価こうかな毛を着るとともに、また綿わた更紗さらさやパーケールや、キャラコにしてている。かくして人間の工業こうぎょうの中では、綿わたの工業がいちばん大きい。一片いっぺん更紗さらさようする無数むすう労働者ろうどうしゃ、無数のこまかな仕事、長い船路ふなじなどがことごとく集まって、ようやく数銭すうせんにしかならないのだ。ひとにぎりの綿わたが、ここから二、三〇〇〇リーグ(一リーグは三マイル)もはなれたところから来たものだということを考えてごらん。この綿わたは、フランスやイギリスの工場にくるのに、大洋たいようをわたり地球の四分の一をとおってくるのだ。そしてこれらの国でつむいでって色のついた意匠いしょうでかざって、それから更紗さらさに変わってしまい、またもや海をわたって、今度こんどはたぶん別な世界のはしへ行って縮毛ちぢれげのくろんぼうの帽子ぼうしにでもなるのだろう。で、いろんな人がこの綿わたから利益りえきる。まずこの植物のたねをまいて、半年あまりの間それを栽培さいばいしなければならない。されば、ひとにぎりの綿わたの中にもこの種をまき、それを栽培さいばいした人の報酬ほうしゅうがなければならない。そのつぎには、それを商人しょうにんと、それを運ぶ船乗ふなのりとがくる。この人々にもひとにぎりの毛房けぶさの割り前をやらなければならない。つぎにはそれをつむぐ人、る人、色をめる人などにその仕事のつぐないをしなければならない。そしてこれはてしのないことなのだ。新しい商人がきてそのり物を買い、別な船乗りがきて世界じゅうのみなと々へそれを運んで行き、最後に商人がそれを小売こうりする。こうしてひとつかみの綿わたは、そのあらゆる関係者に報酬ほうしゅうをはらって、どうして法外ほうがいな高い値段ねだんにならないのだろう?」
「この奇跡きせきを生むために、ここに大規模だいきぼ労働ろうどう機械きかいの助けという二つの大きな力が入ってくる。お前たちはアムブロアジヌおばあさんが車で糸をつむいでいるのを見たろう。けずった羊毛ようもうはまず長い小房こふさにわけられる。そしてこのふさの一つをグルグルまわっているかぎのそばへ持っていく。かぎはその羊毛ようもうをつかんでまわりながら、その繊維せんいを一本の糸にる。そしてそのふさの毛が少くなるにしたがって、だんだん糸が長くなっていくので、指でそれを加減かげんする。糸が一定いっていの長さにたっすると、アムブロアジヌおばあさんはそれを紡錘つむきつけて、また羊毛ようもうりはじめる。
本当ほんとうをいえば、綿わたもやはりこれと同じようにしてつむぐことができるのだが、いかにアムブロアジヌおばあさんがかしこいとはいえ、あの車で糸をつむいでり物をつくるのでは非常に時間がかかるから、ずいぶん高価こうかなものになる。それではどうすればいいのか? 機械かいに糸をつむがせるのだ。いちばん大きな教会きょうかいよりも広い部屋へやに、かぎも、紡錘ぼうすいも、糸巻いとまきもついた、つむぐ機械かいが何万台も置いてある。そしてそれがみんないっしょに、目にも止まらぬくらい早く正確せいかく回転かいてんする。お前たちをつんぼにするくらいの強い音をたてて回転するのだ。綿わた毛房けぶさは数百万のかぎに止められて、はてしもない長い糸が紡錘ぼうすいから紡錘ぼうすいへ動いて行って、そして自然と糸巻いとまききつく。二、三時間のうちには綿わたの山が地球全部を六、七回もまわるような長い糸になってしまう。アムブロアジヌおばあさんのような上手じょうずな糸つむぎを何十万人もいるようなこの仕事は、何でできるのだろう? それはこの機械きかいを動かす蒸気じょうきになる水をわかす石炭せきたんが二、三ばいあればいいのだ。そしてそれをって色をつけるのも、すなわちひとくちにいえば、毛房けぶさ布地ぬのじになるまでに受けるいろんな加工かこうも、やはりこれと同じようにすこぶる迅速じんそくに、かつすこぶる経済的けいざいてきにおこなわれるのだ。こうして、一片いっぺんたった二、三せんのキャラコの中に、製造者せいぞうしゃも、仲買人なかがいにんも、航海者こうかいしゃも、つむぎ手も、り手も、め手も、小売こうり商人も、みんなその仕事の報酬ほうしゅうられることになるのだ。

   一八 かみ


 アムブロアジヌおばあさんはクレールをびました。お友だちがむずかしい刺繍ししゅうし方を聞きにきたのです。ジュールやエミルのたのみで、それにはかまわずに、ポールおじさんは話しつづけました。おじさんは、ジュールがきっとあとでねえさんにその話をして聞かすだろうと思ったのです。
亜麻あまあさ綿わたは、ことにこの最後の綿わたは、もっと大事だいじなほかの役にも立つのだ。第一にはわれわれの着物きものになる。が、それがボロボロになって役に立たなくなると、こんどはかみをつくるのに使われる。
「紙!」とエミルがさけびました。
「紙だ。われわれが字を書いたり本につくったりする本当の紙だ。お前たちの手帳てちょうの白い紙や、ほんの紙や、値段ねだんの高いふちかざりのあるたくさんの絵の入った紙でさえも、あのみすぼらしいボロからできるのだ。
「ボロはいろんなところから集められる。町の汚物おぶつの中からも、また何ともいわれないきたない所からも集められる。そのボロはこれは良い紙に、これは悪い紙にと、いろいろにけられる。そしてそれをきれいにあらう。それから機械きかいの方にまわされるのだ。ハサミで切り、鉄のツメでき、車でバラバラに切れくずにし、そしてそれをうすに入れてく。それから水の中でこなのようにされて石鹸せっけんのようなものにされてしまう。この石鹸せっけんあわのようなものは灰色はいいろだが、それをこんどは白くしなければならない。そこではげしいくすりを使って、それをたちまちのうちに雪のように白くする。それであわはすっかりきよめられたのだ。すると別な機械きかいふるいの上でそれをうすい板に引きのばして、水をしぼりとってしまうと、あわのような液体えきたいがフェルトになる。このフェルトを機械きかいあっして、別な機械きかいがそれをかわかし、また別なのがつやを出させる。それでもう紙ができるのだ。
「紙になる前には、この最初さいしょ材料ざいりょうはボロだった。すなわち、ボロボロになって使えなくなったきれだったのだ。そしてこの布は、ボロくずになっててられるまでには、どんなにいろんな用に使われて、どんなにひどい目にあったかわからないのだ。腐蝕性ふしょくせいはいあらわれ、有酸ゆうさん石鹸せっけんにつけられ、木のつちでたたかれ、太陽たいようや空気や雨にさらされてきたのだ。こうしてはげしい洗濯せんたく石鹸せっけんや太陽や空気などに抵抗ていこうし、腐蝕ふしょくされてもきずがつかず、製紙せいし機械きかいくすりにも負けずに、以前よりももっとしなやかにかつ白くなって、この試練しれんの中から出てきて、われわれの思想しそうせる美しい、つやつやした紙になる。この材料ざいりょうはいったい何だろうか。これでお前たちは、知恵ちえ進歩しんぽみなもとであるこの紙が、わたの木の毛房けぶさあさ亜麻あまの皮から取れるのだということがわかっただろう。
「クレールはきっと、その美しい銀鈿ぎんでんのついた祈祷書きとうしょがボロハンカチや、道ばたのどろの中からひろいあげたボロきれなどでできているんだと言って聞かしたら、ビックリしましょうね。」とジュールがいいました。
「クレールは、紙の本質ほんしつを知ったらよろこぶだろう。が、あの子はその祈祷書きとうしょが、はじめそんないやしいものだとわかったところで、けっしてそれをいやしめるようなことはしないと思うよ。工業こうぎょういやしいボロを、とうと思想そうをおさめた本に変える奇跡きせきを見せる。が、神さまはまだ、それとはくらべものにならないほどの植物の奇跡せきを見せてくだされる。きたないフンの堆山やまも、地中にうずもればバラやユリやそのほかいろんな花をかせる、にもたぐいのないとうとい物となるのだ。われわれ人間も、このクレールの本や神さまの花のようにならなければならない。自分で自分の値打ねうちをつけるようにして、われわれのいやしい出所でどころじないようにならなければならない。人間にはたった一つの本当のえらさと、たった一つの本当のとうとさがある。それは霊魂れいこん偉大いだいとうとさだ。もし、われわれがそれを持っておれば、われわれの素性すじょういやしいだけそれだけに、われわれの値打ねうちは大きくなるのだ。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(二)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
-------------------------------------------------------

[#5字下げ]八 古い梨の木[#「八 古い梨の木」は中見出し]

 ポオル叔父さんは今し方庭にある一本の梨の木を切り倒しました。其の木は古くて、その幹は虫に荒されてゐました。そしてもう幾年も実をもつた事がないのでした。で、もう他の梨の木が其の木の代りをつとめてゐました。子供達はポオル叔父さんが其の梨の木の幹に腰を掛けてゐるのを見つけました。叔父さんは何かを注意深く見てゐました。そして『一、二、三、四、五』と云ひながら指で伐り倒した木の截《き》り口の上をコツ/\叩いてゐます。叔父さんは一体何を数へてゐるのでせう?
『早くお出《いで》』と叔父さんが呼びました。『お出、梨の木がお前達に自分の話をしようと云つて待つてゐるよ。此の梨の木はほんとうにお前達に話す何か珍らしいものを持つてゐるやうだよ。』
 子供達はワツと笑ひ出しました。
『其の古い梨の木に私達に話をしてくれるやうに頼むにはどうすればいゝんです?』
とジユウルが訊ねました。
『此処を御覧、此の切り口を。これは叔父さんが注意して斧で大変きれいに截つておいたのだ。お前達には木の中にいくつかの輪のあるのが見えはしないかい?』
『見えますよ。』ジユウルが答へました。
『一つの内側に他のがまたくつついて輪になつてゐますね。』
『丁度水の中に石を投げるとその所に出来る輪のやうに一寸見えますね。』とクレエルも云ひました。
『私にも細かい処まで見えますよ。』とエミルも調子を合はせました。
『では話さう。』とポオル叔父さんは続けました。『其の環を年輪といふのだ。何故年輪と云ふのか、聞きたいかい? たつた一つだ。分るかい。一つより多くもなく、又少くもないのだ。そう云ふ事に委《くわ》しい人達は、その一生を植物の研究に費してゐる。その人達を植物学者といつて、植物の事については、出来るだけ間違ひのない事を私達に話してくれる。若木が種から芽をふいた瞬間から、古い木が死ぬ時迄毎年一つの輪一つの木理《もくめ》を形づくるのだ。さあ、これで分つたらう。では、此の梨の木の層を数へて見よう。』
 ポオル叔父さんはピンをとつて、先きだちになつて数へ出しました。エミルもジユウルもクレエルも、注意深く見てゐました。一、二、三、四、五、――彼等は木の髄から皮まで四十五を数へ上げました。
『此の幹は四十五の木理を持つてゐる』とポオル叔父さんが知らせました。『誰か私にその木理が何を表はしてゐるか話せるかね? 此の梨の木はいくつだらうね。』
『それはちつとも六かしい事ぢやありませんね。』ジユウルが答へました。『叔父さんがたつた今其事を話して下すつた後だもの。毎年一つの輪が出来るとすれば、今私達は四十五数へたから、此の梨の木の年は四十五でなくちやならない筈です。』
『えつ! えつ! 私が何をお前に話したつて?』ポオル叔父さんは大よろこびで叫びました。『梨の木は話さなかつたかい? 話し初めたのだよ。自分の年を私達に話すのは其の歴史を話す事なのだ。此の木は本当に四十五なのだ。』
『何んて不思議なんでせう』と、エミルが叫びました。『叔父さんは丁度その木が生れた時から知つてゐるやうに木の年が知れるんですねえ。さうして木理を沢山数へたこと。そんなに沢山の木理で、そしてそんなに沢山年をとつてゐるんですねえ。さういふ事は誰でも叔父さんと同じやうに知らなければいけませんねえ。叔父さん。さうして其の木理のは他の木、樫でも、山毛欅《ぶな》でも、栗でもみんな同じですか?』
『さうだ。皆な同じだよ。私達の国ではどの木もみんな一つ一つの層を一年と数へるのだ。今度その層を数へて御覧、さうすれば其の年が分るよ。』
『あゝ! つまらないなあ僕、何日《いつ》かそれを知らなかつたもんだから』とエミルが云ひ出しました。『何日か街道の道ばたの大きな山毛欅の木を伐り倒したの。あゝ! あの木は何んていゝ木だつたらう。あの枝ですつかり田圃を覆つてゐたのに。あれはずゐぶん古い木に違ひないんだ。』
『そんなでもないよ。』ポオル叔父さんは云ひました。『私はその層を数へたが百七十だつた。』
『百七十ですつて、ポオル叔父さん! 本当ですか、間違ひなくさうですか?』
『正直に本当にさうだよ坊や、百七十だつたよ。』
『ぢやその木は百七十年経つてゐたんですね』とジユウルが云ひました。『本当にそんなかしら? 木はそんなに古くなるまで生えてゐるものですかねえ! そして、もし路をなをす人があの道をひろげるのにでも伐り倒さずにゐたら、間違ひなくもつと何年も活きてゐたでせうか。』
『我々には百七十年はたしかに大変な年数だ』と叔父さんは同意しました。『人間はそんなに長くは活きない。けれども木にはそれはほんの少しだ。もつと蔭の涼しい処に腰掛けよう。そしてお前達にもつと木の齢について話をしよう。』

[#5字下げ]九 樹木の齢[#「九 樹木の齢」は中見出し]

『よく話に使はれるサンサアルの栗の木といふのは、その幹のまはりが一丈三尺よりもつと多い。ごく控目に見積つて、その齢《とし》は参百年か四百年でなくちやならない。此の栗の木の齢に驚いちやいけない。私の話はまだはじめたばかりだからね。お前達だつてきつとさうだらうが、話し手は誰でも聴き手の好奇心に勢づけられる。で、私も一等古いのの事はおしまひまで預かつて置くのだ。
『非常に大きな栗の木で知られてゐるのには、例へばジエネヴアの湖水の辺りのヌウブ・セルや、モンテリヌルの近所のエザイの栗の木がある。ヌウブ・セルの栗の木の幹の一番下の方のまはりが、四丈だ。一四〇八年から一人の隠者のかくれ家になつてゐたといふ事だ。今ではもう其の時から四百五十年もたつてゐる。それにその前の齢を加へたものが其の木の齢だ。そして幾度か分らない程落雷に打たれてゐる。が、そんな事には関係なしに、生々として一ぱいに葉をつけて今もまだ活きてゐるのだ。エザイの方の栗の木は、その高い枝はもぎとられて、幹のまはりは三丈五尺ある。それには、深いさけめで溝が穿れている。それは年よりの皺なのだ。此の二本の木の年ははつきり云ふことは出来にくい。だが、多分千年もたつてゐるかもしれない。そして、此の二本の古い木は今もまだ、実をもつのだ。二つともまだなかなか死なないだらう。』
『千年! もし叔父さんがさう云つたのでなければ、僕はそれを信じなかつたでせうよ。』その後からジユウルが云ひました。
『シツ! お前達はおしまひになるまで何にも云はずに聞いてなきやならない。』と叔父さんが戒しめました。
『世界中での大きい木は、シシリイのエトナの斜面にある栗の木だ。地図を見ると、イタリイの一番端の下の方に其処が見える。長靴の形をした綺麗な国の爪先と向ひ合つて大きな三角の島がある。それがシシリイなのだ。其の島の有名な山、それは焼けたゞれたものを噴き出してゐる山――手短かに云へば火山といふのだ。その山がエトナと云ふのだ。其処で栗の木の話に戻らう。そして私は先づ『百頭の馬の栗の木』と云はれてゐる話を、お前達にしなければならない。何故さう云はれてゐるかと云へば、ジエンと云ふアラゴンの女王が或る日此の火山に登つた。そして嵐に追ひつかれて、其の護衛の騎兵百人と一しよにその栗の木の下に避難した。其の栗の木の葉の森の下が、百人の乗り手と馬との逃げ込み場になつたのだ。此の大きな木を取り巻くには三十人の人が腕をひろげて手をつないでも足りない位だ。幹のまはりの大きさは十五丈よりはもつと多いだらう。其の大きい事は、木の幹と云ふよりも寧《むし》ろ城の塔と云つた方がいゝ位だ。その栗の木の根元に二つの馬車が並んで楽に通りぬけられる程の大きな穴があつて、そこから其の洞穴《ほらあな》の中へはいつて行ける。それは栗の実を集めに来る人達が住めるやうに造つたものだ。こんな古木でもまだ若い樹液を持つてゐて、実を結ばないといふやうな事はめつたにない。此の大きな木の大きさで其の齢を見積ることは出来ない。
『ドイツのウユルテンベルヒのノオシヤテルに一本のリンデン(橄欖樹《かんらんじゅ》)がある。其の枝は幾年もの間に重くなりすぎて、百本の石柱で支へてある。その枝は四百一尺の周囲《まわり》の明地《あきち》をグルリと覆ふてゐる。一二二九年に此の木はもう余程年とつてゐた。其の時代の著述家に『大きなリンデン』と云はれてゐた。今日では、その確からしい年は、七百年か八百年かだ。
『こんどはフランスの国のを話しよう。十九世紀の始めにフランスはノオシヤテルの老木よりももつと古い木があつた。それは一八〇四年までドウ・セブルのシヤイエと云ふ、城にあつた四丈五尺の円さのリンデンだ。それは六本の主な枝を持つてゐて、沢山の柱でつつぱつてあつた。もしその木が今もまだ生きてゐれば千百年よりも若いと云ふ事はないだらう。
『ノルマンデイのアルウ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルの墓地は、フランスで一番古い一本の樫の木で蔭をつくつてゐる。其の根元には死骸が押し込まれる。で、そのせいかその木はひどく太つて、其の幹の根元の周囲が三丈もある。そして、小さな鐘楼のある隠者の堂が其の木の生え茂つた枝の中程に聳えてゐる。其の幹の根元の空洞になつた一部分を、礼拝堂のやうな風にして平和の女神に捧げてある。そして、此の偉大な姿をした木は神聖なものとして尊敬されてゐる。其の質素な田舎びた神殿で祈り、その古い木の覆ひの下で一寸の間黙想するのだ。その古い木は沢山な墓穴が開いたり閉じたりするのを見てゐるのだ。其の大きさに依つて、此の樫の木は殆んど九百年位生きてゐるものと看做《みな》されてゐる。樫の実もきつと生《な》つてゐるにちがひない。そして芽を出した時からは殆んど千年にもなるだらう。今日では其の古い樫の木は大きな其の枝をのばす努力をしない。無事に辿つて来た長い年月の間に、人間には讃美され、電光に荒されて来た。そして多分これからも、今迄とおなじ事が続いてゆくだらう。
『まだ一番古い樫の木として知られてゐるのがある。それは一八二四年にアルダンの一人の木樵《きこり》がすばらしく大きな一本の樫の木を伐り倒した。その幹の中に、生贄《いけにえ》の瓶と、古い貨幣が見出された。此の古い樫は千五百年か千六百年の間生きてゐたのだ。
『アルウ※[#濁点付き片仮名ヰ、1-7-83]ルの樫の木の後に、私はお前達にもつと死人の仲間の木の事を話さう。墓場は神聖な場所で、人間もそれに害を加へないので、そこの木が自然に庇護されて、高齢にまで達する事が出来るのだ。ヘエ・ド・ルウトの墓地の二本の水松《いちい》は特にウウル県の格別の保護を受けてゐる。一八三二年に、此の二本の水松はその簇葉《ぞくよう》で、墓地全体と会堂の一部を覆つてゐた。が、非常に猛烈な嵐で其の枝の一部分は地面に投げ飛ばされて、嘗《か》つて経験のない程の重大な損害を受けた。が、其の害にも拘はらず、二本の水松は今も、けだかい老木なのだ。それ等の幹はすつかり空洞になつてゐて、そのまはりはそれぞれ二丈七尺もある。其の年は千四百年位と見積られてゐる。
『だが、其の水松は、おなじ種類の他のものゝ年の半分より多くなつてはゐないのだ。スコツトランドのある墓地にある一本の水松はその幹のまはりが八丈七尺ある。その確からしい年齢は、二千五百年だ。もう一つ他の水松もまたやはりおなじスコツトランドの或る墓地にあつた。一六六〇年に、その木は、スコツトランド中で噂した程大きいものだつた。其の時に勘定された齢が二千八百年になつてゐた。もしも今まで其の木が立つてゐたら、此のヨオロツパの木の大長老は三千年以上生きて来た事になる。
『まあ、今の処こんなもので十分だらう。さあ、こんどはお前達が話す番だ。』
『僕は、もう何にも云はない方がいゝやうですよ。ポオル叔父さん』とジユウルが云ひました。
『叔父さんはなか/\死なない木の話で僕の心をひつくり返してしまひましたよ。』
『私は其のスコツトランドの墓地の古い水松の事を考へてゐますの。叔父さんは三千年とおつしやつたわねえ?』とクレエルが尋ねました。
『三千年だよ。そしてもし私が外国の或る木の事をお前達に話さうものならまだもつと古い昔まで溯つて行かなくてはならないんだよ。』

[#5字下げ]一〇 動物の寿命[#「一〇 動物の寿命」は中見出し]

 ジユウルとクレエルは幾百年と云ふ事が、木にとつては、我々人間にとつての幾年と云ふよりもずつと短かいといふ叔父さんの話でびつくりさせられた、其の驚きがぬけませんでした。エミルは、いつもの落ちつかないくせで、話を他の事に持つて行きました。
『それで動物は、叔父さん』と尋ねました。『どの位の間生きてゐるものなんです?』
『家畜は』と叔父さんは答へました。『たまには、自然に死ぬ年が来るまで生きる事もある。が、人間は、彼等に食物をやる事を吝《お》しむだり、彼等を働かせすぎたり、適当な保護をしてやらない。そして、彼等から乳を取り、被毛《ひもう》を取り、皮をとり、肉をとるなど、実にいろんなものをとる。お前が大きくなつた時に、いつでも屠殺者が家の扉の前でナイフを持つてお前を待つてゐるとしたらお前はどうする。我々の必要の犠牲にされる其等の者の可哀想な事は云ふまでもない。彼等は我々にその生涯を与へてゐる。彼等には、自分等の一生といふものはないのだ。其等の動物をよく世話してやるとすれば、それは飢を我慢する事でも、寒さを我慢する事でもない。たゞ過度に疲れさせないで、屠殺者共に対する恐怖を失くさせて平和に暮らさせる事だ。そんないゝ条件の下に彼等をおいたら、彼等はどんなに永く生きるだらう?
『先づ牡牛から初めよう。私は此処に一匹の丈夫な牛がゐる事にしよう。どうだい、まあ、あの胸と肩は! それからその大きな四角い額、その角とそのまはりの軛《くびき》の革紐、其の眼は穏やかな力強い威厳で光つてゐる。もしも強いと云ふ事が長く生きる事になるのならば、其の牡牛は百年も生きる筈なのだ。』
『僕もやつぱりさう思ひますよ』とジユウルが同意しました。
『ところが全く反対なんだよ。牡牛はそんなに大きくて、強くて、どつしりしてゐるけれど、二十年か三十年もすれば、それはもう大変な年よりなんだよ。二十とか三十とか云へば、我々人間にとつては、まだ若い青年だが、牛にとつてはもう老いぼれの高齢なのだ。
『其処で此度は馬に移らう。お前達は私が動物の中の弱いものから例をとるんぢやないといふ事は分るだらうね。私は一番元気に満ちたのを選ぶのだ。さて、其の馬はおなじやうに内気な仲間の驢馬も、やつとの事で三十年か三十五年位まで生きる。』
『何んといふ間違ひを僕はしてゐたのだらう?』ジユウルが叫びました。『僕は馬や牛はあんなに強いから少くとも百年は十分生きると思つてゐました。馬や牛はあんなに大きくて、あんなに沢山の場所をとつてゐるんですもの。』
『私は私の云ふ事がお前に分るかどうか知らないが、たゞ私はお前に、此の世の中では、沢山の場所を取るといふ事が、一生を楽しく過す事でもなければ、平和に住む道でもないのだといふ事を説明したいのだ。沢山の場所をとつてゐる人間がよくある。それもその体でゝはない――其の人達は私達よりも大きいのではない――たゞ其のえらがりと野心とでなのだ。が、其の人達は平和に生活して其の老年を準備してゐるかと云へば、それは覚束ない事だ。私達は小さくていゝのだ。云ひ換へれば、神様が与へてくれた小さな我々自身で満足するのだ。私達は羨ましがりの誘惑に気をつける事だ。それは馬鹿気た高慢がつゝくのだから。そして私達は仕事に一生懸命になるのだ。それは決して功名心からではない。それはたゞ一つの私達に許された道なのだ。日々の希望なのだ。
『さて、又動物の話に戻らう。家畜の中で、他にももつと短命なのがある。犬は二十年か二十五年になれば、もうそれ以上に生きて行く事は出来ない。豚は廿年もすれば老《おい》ぼれてひよろつく。猫は一番長く生きて十五年までだ。それ以上は鼠を追ひまはすことも出来ない。で、屋根裏の楽しみは棄てゝ穀倉の何処かの隅に引つこんで、平和に死ぬのだ。山羊や羊は十年か十五年になると極度の老年に達するのだ。兎は八年か十年すれば其の群れはおしまひだ。そして可愛想な鼠は、もしも四年も生きてゐれば、その仲間ではまるで奇蹟のやうな長生きなのだ。
『お前達は鳥の事も聞きたいかい? よろしい、鳩は六年から十年までは生きるかもしれない。ほろ/\鳥や牝鶏や七面鳥は十二年だ。鵞鳥《がちょう》は長く生きる。苦労のない其の性質ではあたりまへの事だが、廿五年位まで生きる。そして時にはもつとずつと多くなる事さへあるのだ。
『だが、もつと長命するものもある。それは金翅雀《カナリヤ》や雀だ。一粒の大麻実《おおあさのみ》と葉簇《はむら》の中で、日光の輝《て》るのと一緒に出来るだけ楽しくいつもふざけたり歌つたりしてゐて、人の注意から免れてゐるこれらの鳥は、大食の鵞鳥と同じ程、そして鈍間の七面鳥よりはずつと長く生きる。それ等の楽しさうな小鳥共は、廿年から廿五年、即ち牡牛と同じ年だけ生きる。私が話したやうに、世の中で広い場所を使ふことは、長い一生の用意をする本当の道ではないのだ。
『人間に就いて云へば、もし、規則正しい生活をしてゆけば、よく八十や九十まで生きる。時としては百とかそれ以上にでさへもなる。しかし、普通の年、平均の年は、誰でも云ふやうに、やつと五十位までしか届かないのだ。それからは、人間の生命の長さに関する特典だと考へた方がいゝ。そして、更に人間については、生命の長さは年の数を数へる事で完全に計る事は出来ない。人間一番の生命はその人の一等立派な仕事だ。いつ神様から召されても、我々の義務のためにつくしたといふ自覚を持つ事だ。いくつで死んでも、それだけの事さへしてゐれば、それで十分生きたのだ。』

[#5字下げ]一一 湯沸[#「一一 湯沸」は中見出し]

 其の日、アムブロアジヌお婆あさんは、大変に疲れてゐました。お婆あさんは、湯沸《ゆわか》しだの、ソオス鍋だの、ラムプだの、燭台だの、シチユウ鍋だののいろんな鍋と蓋とを棚から取り下ろしました。そして、其をきれいな砂や灰で磨いて、其からよく洗つて、それをすつかり乾かすのに、其の台所道具を日向に持ち出しました。それはみんな鏡のやうにぴか/\光つてゐました。湯沸しは薔薇色の反影で、特別に立派に思はれました。それは火の舌がその内側を輝かしてゐると云つてもいゝ位でした。燭台は、まぶしい黄色でした。エミルとジユウルは感心してほめるのに夢中になりました。
『僕、此の湯沸しをどうして作るのか知りたいな、あんなに光つてる』とエミルは注目しました。『外側は煤で汚れてゐて、真黒で見つともないけれど、内側の方はまあ何んて綺麗なんだらう!』
『叔父さんに尋ねなければならないね』兄さんが答へました。
『さうね』とエミルは賛成しました。
 云ふよりはやく、二人は叔父さんをさがしにゆきました。叔父さんは、頼まれなくても、何時でも臨機応変に何かを子供達に教へてやる事が出来るのを楽しみにしてゐました。
『湯沸しは銅で造つたものだ』叔父さんは初めました。
『銅つて?』ジユウルが尋ねました。
『銅は造つたものではない。或る地方で、もう出来たものが石に混つて見出されるのだ。其の本質は人間の力で出来るものではないのだ。それは神様が地の底に堆んでおいたのを、人間が其の産業のために使ふのだ。が、それは吾々のすべての知識と熟練とを以てしてもつくり出すことは出来ないのだ。
『山の懐の中の何処かに銅を見出すと、地の底深く下の方へとトンネルを掘る。其処で働く人達を坑夫と云つて、ランプで照されながら鶴嘴《つるはし》で、岩を打叩いてこはして行く。同時に他の者は、岩の毀れた塊を外に持ち出す、その石の塊の中に銅があるのだ。その石の塊を鉱石といふのだ。そして熔鉱炉といつて鉱石を高い温度で熱するやうにつくつた炉の中で熱するのだ。その熱は、うちのストオヴが熱して真赤になつた時の熱とでもくらべものにはならない。其の熱で、銅は熔けて流れる。そしてそれがさめないうちに引き上げられる。それから、水車で運転させるすばらしく重いハンマアで、その銅の塊を打つ。するとその塊は少しづつ凹んで薄くなつて、大きな盤になる。
『銅鍛冶は、其の仕事を続ける。形のない盤をとつて、ハンマアで少し叩いて、其の鉄床《かなとこ》の上に、適当の形をつくりあげる。』
『それで、銅鍛冶はハンマアで、一日中叩いてゐるのですね』とジユウルが註釈をつけました。『僕ねえ、よく驚いてゐたんですよ、いつも銅鍛冶の店先を通ると、どうしてか大変なやかましい音をさせて、いつも/\叩いてゐるんですものね、そしてちつとも休みなしなんです。あの人達は銅を薄くしたり、それでソース鍋や湯沸なんかをつくつてゐるんですねえ。』
 エミルが其処で質問をしました。『湯沸しが古くなつて、穴があいて使へなくなつた時にはどうすればいゝんです? 僕、アムブロアジヌお婆あさんが、湯沸しの使へなくなつたのを売らうと云つてゐたのを聞きましたよ。』
『それを熔かすのだ、そして又新しい銅の湯沸しをつくるのだ。』とポオル叔父さんが答へました。
『銅は減る事があるでせうか?』
『減るよ、大変に減るよ。砂で磨いて光らす時にも減るし、不断に火にかけておく火の作用ででもやはり減るんだよ。だが、残つた方がずつといゝのだ。』
『それから、アムブロアジヌお婆あさんは、足のなくなつたランプを作り直さすと云つてゐましたよ。ランプは何んでつくつたんですか?』
『それは錫《すず》だ。それも、銅とはまた質のちがふもので、それを吾々は地の底に、人の力でつくり出すことの出来ない出来合のものを見つけ出すのだ。』

[#5字下げ]一二 金属[#「一二 金属」は中見出し]

『銅や錫を金属と云ふのだ』ポオル叔父さんは続けました。『金属は重い、そして光る本性を持つてゐる。それは、ハンマアで打たれてもよく耐えて壊れる事はない。平らには延びるけれど破れはしない。此の本質をもつと外《ほか》に持つてゐるものがある。それは銅や錫とおなじやうにねうちのある重さも、輝かしい光沢も、打撃に対する抵抗力も持つてゐる。すべてそれ等のものを金属と云ふのだ。』
『あの鉛ねえ、あれずいぶん重いんですけれど、あれもやつぱし金属ですか?』とエミルが尋ねました。
『鉄もさう? 銀も金も?』と兄さんのジユウルも質問しました。
『さうだ、それも、その他のものもその本質は金属だ。みんな独特の光りを持つてゐる。その光りを金属光と云ふのだ。しかし、その色はそれ/″\ちがつてゐる。銅は赤い。金は黄色、銀、鉄、鉛、錫、は、みんな非常にわづかなちがひでそれ/″\に区別された白だ。』
『アムブロアジヌお婆あさんが日に干してゐる燭台は、』エミルが云ひました。『黄色であんなにまぶしい程光つてすばらしく立派ですね。あれは金ですか?』
『違ふよ、坊や、お前の叔父さんはとても金の燭台を持つお金持ではないよ。あれは真鍮《しんちゅう》さ。金属の色や性質《たち》やを変へるには、其の金属だけを使はずに、二種類か、三種類、或はもつと沢山のものをまぜ合はせる。それは熔かしておいて一緒にするのだ。そして、その混合物の一部分となつてゐるものとは違つた全く新らしい性質の金属を構《こし》らへ上げるのだ。さういふ風にして、銅と或る白い種類の金属とを熔かして一緒にしたものが亜鉛だ。庭の如露《じょろ》のやうなものはそれでつくつたのだ。真鍮は、銅の赤さも持たないし、又亜鉛の白でもなく、金の黄色い色に出来上つてゐる。燭台の実質は、銅と亜鉛とを一緒にしてつくつたもので、簡単に云へば、それが真鍮なのだ。其の光りや黄色い色は金のやうだが、実は金ではないのだ。此の間の村の市に、大変きれいな指輪を売つてゐた。その光りがお前達を瞞したのだ。金ならば大変高い値段だつたのだらう。其の商人は一銭でそれを売つてゐた。それは真鍮なのだ。』
『光りも色も殆んど同じなのに、どうして真鍮と金とを見分けるのです?』とジユウルが尋ねました。
『先づ第一に重さでだね。金は真鍮よりはずつと重い。それは沢山の役に立つ金属の中で一番重いのだ。その次には鉛、それから銀、銅、鉄、錫、最後に亜鉛やすべての軽いものだ。』
『叔父さんは、僕達に銅を熔かすことを話してくれましたね』とエミルが云ひ出しました。『それには赤く焼けたストオヴの熱ともくらべものにならない程強い火が要るのだと云ひましたね。金属はみんなその熱にかなはないんですね。僕は残念だつたのでよく覚えてゐますが、あの、叔父さんが一等はじめに僕に下すつた鉛の兵隊がなくなつたんです。去年の冬、僕は丁度よく暖まつてゐるストオヴの上でそれをならべたんです。丁度その時に、僕は気をつけてなかつたので、その兵隊さん達の群が、ひよろつき出して、ぐにや/\になつたんです。そして溶けた鉛が少し流れ出したんです。僕はたつた半ダアスの兵隊を助ける時間しかなかつたんです。そしてその兵隊はみんな足をなくしたんです。』
『それから、何時だかアムブロアジヌお婆あさんが、考へなしにランプをストオヴの上に置いたんですよ』とジユウルも附け加へました。
『そりやすぐにとけて、指の幅位の錫が見る間に見えなくなつてしまつたんですよ。』
『錫や鉛はごく熔やすい。』ポオル叔父さんは説明しました。『それをとかすのには、うちの炉の熱で沢山だ。亜鉛を熔かすのもやはり大して六かしいことではない。だが、銀、それから銅、それから金最後に鉄は、普通の家では知らない強い火が要るのだ。とりわけ鉄は、吾々には非常なねうち[#「ねうち」に傍点]のある強い抵抗力を持つてゐる。
『シヨベル、火箸、炉格《ろかく》、ストオヴは鉄だ。そんないろんなものは、いつも火と接触してゐる。が、それでも熔ける事はない。柔かくさへもならない。鍛冶屋が鉄床の上でハンマアで叩いてたやすく形を造る事が出来るやうに、鉄を柔かにするには、熔鉄炉のありつたけの熱が要るのだ。が、鍛冶屋がたゞ石炭を加へて煽いだ処でそれは無駄だ。決してそれを熔かすことは出来ない。しかし鉄だつて熔けるのだ。たゞそれには人間の熟錬が産み出す一番強い熱を使はなければならない。』

[#5字下げ]一三 被金[#「一三 被金」は中見出し]

 朝、或る鋳掛屋《いかけや》が通つてゐました。アムブロアジヌお婆あさんは古い湯沸しを売りました。其の上にストオヴの上で足が熔けたランプと、不用のソース鍋を二つ売つて、それを渡しました。すると其の鍛冶屋は、外で火をつけて、地面の上で鞴《ふいご》を動かし始めました。そして、大きな鉄のさじの中で其のランプを熔かして、それに少しばかり錫を加へました。それもすぐ熔けてなくなりました。その熔けた金属は、鋳型の中に流れ込みました。そしてその鋳型からは一つのランプが出来上がつて出て来ました。そのランプはごくお粗末なものでしたが、一人の小僧が廻はしてゐる旋盤の上に乗せられて、それがまはると同時に親方が鋼鉄の道具の縁でそれに触はりました。錫はさういふ風にして、けづり取られて、うすい鉋屑《かんなくず》になつて落ちました。それは縮んだ紙のやうに巻いてゐるものです。するとランプは、目に見えて完全に出来て行つて、ぴか/\と光つたいゝ恰好のものになりました。
 其の後で鋳掛屋は、忙《せわ》しく銅のソース鍋に被《き》せ掛けをしました。その鍋の内側をすつかり砂で洗つて、それを火の上に置きました。そして、それがずつと熱くなつた時に、少しばかりの熔かした錫を麻屑の束でその鍋の表面にすつかり引きました。錫は銅にくつつきました。そして、ほんの一寸の間に、前には赤かつたソース鍋の内側が今は白く光りました。
 エミルとジユウルとは、おやつのりんご[#「りんご」に傍点]とパンとをたべながら、此の珍らしい仕事を黙つて見てゐました。彼等は、銅のソース鍋の内側を、錫で白く塗つた訳を叔父さんに聞くことにきめました。そして夕方、錫を塗つて被金《きせがね》をしたことを、その通りに話しました。
『磨いて、非常にきれいにした鉄は大変によく光る。』叔父さんは説明しました。『よく気をつけてケースの中にしまつてある新しいナイフや、クレエルの鋏が其の見本だ。だが、もし湿つた空気に曝しておくと、鉄は直ぐに曇つて、土のやうな赤いものがくつついて、それで覆はれる。それを――』
『錆』とクレエルが挿みました。
『さうだ。それを錆と云ふのだ。』
『あの大きな釘ね、あすこの風鈴草が這ひ上つてゐる、庭の垣の鉄の針金をとめた、あれも赤い皮がかぶつてゐますよ』とジユウルが注意しました。そしてエミルが附加へました。
『僕が地面で見つけた古いナイフもやつぱりその赤い皮がかぶつてゐたよ。』
『その大きい釘や古いナイフはもう長い間湿つた空気に曝されたために、錆ですつかり皮が出来たんだよ。湿つた空気に曝しておくと、鉄は腐る。それは、金属と其の金属に出来る目に見えない或物とが組み合つて、さうなるのだ。錆が出ると、鉄はもう吾々に非常に便利に出来てゐる其の性質を無くして了ふのだ。ちよつと見ると赤土か黄土のやうだが、別だん注意して見ないでもその中に金属がある事は分る。』
『僕にはそれはよく分りますよ』ジユウルが云ひました。『僕は僕の大事な仕事にして、必ず空気や湿気で出来て来る鉄の錆を取る事にしよう。』
『他の沢山の金属も鉄のやうに、錆びる。云ひ換へれば、金属は、湿つた空気に接すると、土のやうなもので覆はれてしまふのだ。錆の色は、其の金属によつていろ/\と違ふ。鉄の錆は黄色か赤、銅のは緑、鉛と亜鉛は白だ。』
『では、古い銅貨の緑の錆は、あれは銅の錆なんですね』とジユウルが云ひました。
『ポンプの口が白いもので覆はれてゐるのは鉛の錆ですね?』とクレエルが質問を出しました。
『確かにさうだ。其の金属を醜くする錆が出来て第一に困るのは、金属がみんな光りや光沢を失ふ事だ。しかもそれはもつと非常に有害な働きをする。此処に害のない錆がある。それは取つて食物の中に混ぜても危険はない。鉄の錆がさうだ。これに反して、銅と鉛の錆は、命に拘はる毒だ。もしもひよつとした間違ひから、その錆が我々の食物の中にはいれば、我々は死なゝければならない。が、我々は今銅の話だけにしよう。鉛は、早く熔けるので、火の上におく事は出来ないから、台所道具には使はない。銅の錆は命に拘はる毒なのだ。そして、また人々は其の銅の鍋で食物をつくるのだ。アムブロアジヌお婆あさんに尋ねて御覧。』
『まあ本当ですねえ』とクレエルが云ひました。『でも私、いつもちやんとソース鍋を見てゐますよ。そして私はいつだつてよく洗つて、時々それを鍍金《めっき》させますよ。』
『僕には分らない。』ジユウルが云ひ出しました。『どうして鋳掛屋が今朝したあの仕事が銅の錆を防ぐ事が出来るのかしら。』
『それは錆をつくるのを防ぐのだ。』ポオル叔父さんが答へました。『普通の金属としては、錫が一番錆が少いのだ。空気に長く曝しておけば、それは少し光沢をなくする。そしてその錆は極く少量で、鉄の錆とおなじに無害だ。銅が、毒を持つた緑の斑点で覆はれるのを防ぐのには、湿つた空気や、それから錆の滋養分になる或る性質のもの、たとへば酢とか油とか脂肪とか云ふやうな錆の出来るものと接触《ふれ》させずに、蔵《しま》つておかなければならない。かういふ理由で、其の銅のソース鍋は錫で内側をすつかり塗つたのだ。そのすつかり塗つたうすい錫の床の下では銅は錆びる事はないのだ。何故なら、もう空気にふれる事がないのだから。そして錫の方は容易に錆びないし、錆びてもそれは害にはならない。さういふ風にして、人々は被金をするのだ。云ひ換へれば、彼等は錫の薄い床でそれを覆ふてその錆の出るのを防ぎ、そして、そのいつか我々の食物の中にまじるだらう危険な毒の力を防ぐのだ。
『又鉄にも錫を被せる。錫の錆は毒ではないから、毒の出来るのを防ぐのではない。が、簡単に、其の鉄の赤い斑点で覆はれるのをふせぐ事が出来るからだ。此の錫を引いた鉄の事を錫被せといふのだ。蓋、コオフイポツト、ドウリツピングパン、おろしもの、提燈、その他のいろんなものが錫被せだ。云ひ換へれば、鉄の両面を、うすい錫のシイツで被せてしまつたものが錫被せだ。』

[#5字下げ]一四 金と鉄[#「一四 金と鉄」は中見出し]

『或る金属は決して錆ない。金はさうだ。数百年も経つてから、地中に発見される昔の金は、その金が貨幣になつた時と同じ位光つてゐる。金屑や、錆が金貨の文字に少しも附いてゐない。時間も、火も、湿気も、空気も、此の勝れた金属に害を加へる事は出来ないのだ。だから金は、変化のない光りと、其の沢山ない事から、装飾や貨幣に使はれるいゝ材料なのだ。
『そればかりではない。金は人間が、鉄や、鉛や、錫や、其の外の金属などよりも遙かに早く、第一番に知つた金属だ。鉄よりも数百年も早く、金が人間の注意を惹くやうになつた理由は、分り難《にく》い事ではない。金は決して錆ないからなのだ。鉄は、若し人間が注意しなかつたら、暫くの間に錆て了つて、赤土のやうに変つて了ふ。私は今、お前達に金の用途をお話ししたね。どんなに古くなつても、湿つぽい地面においてあつても、疵《きず》も附かずに我々の手に渡つて来るのだ。然るに鉄で出来たものは一つとして、其儘には残らない。皆んな何だか分らないものになつて、錆びて腐つて、形の崩れた土塊になつて了ふのだ。そこでジユウルに尋ねるが、土の中から取り出した鉄の鉱石は、我々が使ふやうな、本当の、純鉄だらうか。』
『さうぢやないと思ひますよ、叔父さん。と云ふのは若し其の時鉄が純なものだつたとしても土の中に埋つてゐたナイフの刃がなるやうに、時と共に錆びて行つて、やはり土のやうなものに変つて行つて了ひます。』
『ジユウルの云ふ通りだと思ひますわ、私しもやはりさうだと思ひます。』とクレエルが申しました。
『それでは金は?』とポオル叔父さんが彼女に尋ねました。
『金は違ひますわ。』と彼女は答へました。『金は決して錆びないものですから、時間や、空気や、湿気では変りません。純金のまゝであるんですわ。』
『全くその通りだ。金が少しづつ散らばつてゐる岩では、まるで宝石屋の箱のやうに、金は美事なものだ。クレエルの耳輪は、自然に岩に嵌《はま》つた金粒よりも余計に光りがあるのではない。それとは反対に鉄は最初実に見窶《みすぼ》らしい様子をしてゐる。鉄は最初は土塊同様の赤石で、それを人間が長い間探して、そこに金属があると見込みをつけるのだ。他のいろんなものと一緒に混つてゐる錆なのだ。だが、それだけでは、此の錆びた石に金属が含まつてゐると云ふ事が分らない。其の鉱石を分解して、鉄を金属の状態に引き戻す方法が考へ出されなければならない。これは中々難しい事で、それには非常な骨折りをしたものだ。非常に沢山の無駄な骨折や、苦痛の多いいろんな方法でやつて見た。かくして鉄は、金や銅や銀のやうな、時折り純なまゝで見つけられる金属よりは遙かに後で、最後に我々の役に立つやうになつたのだ。一番有益な金属が一番後に発見されて、それで人間の事業は非常に進んだのだ。人間が鉄を手に入れた時から、人間は地球の主人となつたのだ。
『打《ぶ》つかつても破れない物質の頭は鉄だ。そして此の金属が人間に尊ばれるのは何にぶつかつても、破れない此の強い力なのだ。金や、銅や、大理石は、鉄のやうには鍛冶屋の槌の打撃に堪える事は出来ない。そしてその槌其物は、鉄以外の何んな金属で作る事が出来るか? 若し槌が、銅や銀や金で出来てゐたならば、それは直ぐに伸びて、潰されて了ふに違ひないのだ。若し又それが石で出来てゐるものなら、最初の強い一と打ちで砕けて了ふ。かうしたものを造るには鉄に及ぶ何物もないのだ。又斧でも、鋸でも、ナイフでも、石工の鑿《のみ》でも、工夫の鶴嘴でも、鋤でも、其他物を切つたり、刻んだり、裂いたり、板にしたり、綴ぢたり、強い打撃を加へたり、受けたりする種々の道具は、皆鉄なのだ。たゞ鉄だけが、他の殆ど総てのものを切る事の出来る堅さや、打撃を加へる抵抗力を持つてゐるのだ。此の点で鉄は、有らゆる金属の中で、神様が人間に与へた一番美しい物だ。鉄はどんな技術にも工業にも、なくてはならない勝れた道具を造る材料だ。』
『いつだか、クレエルと僕とは、スペイン人がアメリカを発見した時、その新しい国に住んでゐた野蛮人は金の斧を持つてゐて、喜んで鉄の斧と交換したと云ふ事を読みましたよ。僕は、極く有りふれた少しの金属を、非常に高いものと代へる野蛮人の愚かさを笑ひましたが、今になつて僕は、その交換が野蛮人共には利益だつたと云ふ事が始めて分りましたよ。』とジユウルが申しました。
『さうだ、其の方が余程利益なのだ。その鉄の斧があれば、木を倒して独木舟《まるきぶね》や小屋を作る事が出来るし、野獣をよく防ぐ事も出来るし、又狩りをして其の獲物を殺す事も出来るからね。即ち此の僅か許りの鉄は、其の野蛮人に食物と、有益なボートと、暖かな家と、恐ろしい武器とを立派に授けてくれるのだ。それと比較すると、金の斧なんて、役にも立たないほんの玩具《おもちゃ》さ。』
『鉄が最後に出来たものとすると、それが出来る前には、人間は何うしてゐたんでせう。』とジユウルが訊きました。
『其の前には銅で武器や、道具を造つたのだ。銅は金のやうに純なまゝである事があるから、自然のまゝ利用する事が出来るのだ。だが、銅で造つた道具は堅くないし、鉄の道具に較べると遙かに劣るので、銅の斧を使つてゐた昔は、人間はまだごくみじめなものだつたのだ。
『そして此の銅を知る前には、人間はもつともつとみじめなもので、火燧石《ひうちいし》を尖らせたり割つたりして、それを棒の先きに結びつけて、それを唯一の武器にしてゐた。
『此の石でもつて、人間は食物や着物や小屋などを造り、又野獣を防いだのだ。其の着物と云ふのは毛皮を背中へ投げかけたもので、其の住む小屋は曲つた木の枝や泥で造り、其の食物は狩で手に入れた何かの肉片だつたのだ。家畜はまだゐないで、地は耕されず、工業は何にもなかつたのだ。』
『それは何処だつたのですか。』とクレエルが訊きました。
『何処もかも皆なさうだつたのだ。今この賑やかな町になつてゐる此処でさへ、やはり昔しはさうだつたんだ。人間が鉄の助けをかりて、今日のやうな安楽を得るまでには、人間は実に頼りないみじめなものだつたのだ。』
 丁度ポオル叔父さんが話し終つた所へ、ジヤツクが丁寧に戸を叩きました。ジユウルは駈けて行つて開けました。二人は低い声で何か二言三言囁き合ひました。それは翌日の大事な事を話したのでした。

[#5字下げ]一五 毛皮[#「一五 毛皮」は中見出し]

 前の日に話しておいた通りに、ジヤツクは用意を致しました。先づ羊を動かさないやうに、其の足を縛つて台の上に寝せました。鋼鉄のナイフが地面に光つてゐました。人間の必要の犠牲《いけにえ》になる何の罪もない羊は、ちやんと縛りつけられて横になつてゐました。音なしくあきらめて、其の悲しい運命を待つてゐるのです。羊はこれから殺されるんでせうか。いゝえ、これから毛を刈られるのです。ジヤツクは羊の足を持つて、台の上に乗せると、大きな鋏で、パサ、パサ、パサと羊の毛を刈り始めました。少しづつ、毛は一と塊《かたま》りになつて落ちて来ました。毛を刈られて了つた羊は脇へやられて、恥づかしさうにして、寒さに慄えてゐます。これはその着物を人間の着物にするために呉れたのです。ジヤツクは又別な羊を台に乗せて、鋏は又動き始めました。
『ジヤツクお爺さん、羊は毛を刈られて了ふと寒くはないか知ら。今お前が刈つたばかりの奴は、ほら、あんなに慄へてゐるよ。』とジユウルが云ひました。
『心配はいりませんよ。刈るに都合の好い日を選んだんですから。けふは暖かいでせう。明日はもう羊は毛のない事なんか感じなくなりますよ。それに、私達が暖かくなるためには、少し位羊が寒くなつたつて、構ふものですか。』
『私達が暖かくなるためにはつて、そりやどうしてだい。』
『こりや驚きましたね。あなたのやうに沢山本を読む人が、そんな事を知らないんですか。この羊の毛で靴下を作つたり、シヤツを編んだり又着物を作つたりするんですよ。』
『驚いた! こんな汚れたきたない毛で、靴下を作つたり、シヤツを編んだり、着物を織つたりするんかい。』とエミルが叫びました。
『今は汚れてゐますが、これを河で洗ふのです。そして白くなると、アムブロアジヌ婆あさんが紡ぎに掛けて、毛糸を作るんです。そして其の毛糸を、針で編んだものが、雪の中を駈ける時足にはくと、人が喜ぶ靴下になるんでさア。』
『僕は赤や、緑や、青い羊を見た事はないよ。そして、赤や、緑や、青や、其他の色の附いた羊の毛を見た事もないよ。』とエミルが云ひました。
『それは羊から採つた白い羊毛を染めるんですよ。毛を薬と染め粉を入れた※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]湯《にえゆ》の中に入れると、色がついて来るのですよ。』
『ではラシアは?』
『ラシアは靴下と同じやうな糸で出来るんです。ですが、そんな糸を織るには、糸をキチンと縦横に組んで織り目を作るやうに、此の家にはない込みいつた織機械《はた》を使はなければなりません。こんな機械は、羊毛を織る大工場にでも行かなければありませんね。』
『では、僕が着てゐるこのヅボンは羊の毛で出来たんだね。そして此の胴着も、ネクタイも、靴下もさうだね。僕は羊の着物を着てゐるんだね。』とこんどはジユウルが云ひました。
『さうですよ。寒さを防ぐのに、私達は羊の毛を使ふんです。可哀さうに、獣は、私達の着物にするために、自分の毛を育て、又私達のたべ物になるために、其の乳や肉を太らせ、そして又私達の手袋にするために、其の皮を丈夫にしてゐるのです。一ことで云ふと私達は家畜の生命で生きてゐるんです。牡牛は力と皮と肉とを人間に与へ、その上牝牛は乳を与へます。驢馬や騾馬《らば》や馬は人間の為に働きます。そしてこれらの動物は死ぬと直ぐ私達の靴の皮になる皮を残します。鶏は卵を与へ、犬は忠実に人間の仕事をします。それだのに、何もしないでゐる人間は、動物が居なかつたら困つて了ふ癖に、其の動物を虐待したり、腹を空かせたり、小酷《こっぴど》く打つたりします。決してこんな無慈悲な人間の真似をするもんぢやありませんよ。そんな事をしては、驢馬や牛や羊や其他の動物を恵んで下すつた神様に済みません。何もかも人間に与へて、その生命さへも与へてくれるこの大事な動物の事を思ふ時、私は最後のパン屑も此の動物に分けてやらうと思ひますよ。』
 さう話す間も剪刀《はさみ》はパサ/\切りつゞけて、毛は下に落ちてゐました。

[#5字下げ]一六 亜麻と麻[#「一六 亜麻と麻」は中見出し]

 ジヤツクが羊毛の事に就いて話してるのを聞きながら、エミルは自分のハンケチを念入りに調べてみました。これを何遍も引つくり返して、触つてみて、よく/\目を通しました。ジヤツクは、これからエミルが聞かうとする質問を見越して、かう云ひました。
『ハンケチやリンネルは羊毛ぢやありません。綿だの麻だの亜麻だのと云ふ草がそんな品物になるのです。尤も、私だつて、そんな草の事はよく知りませんがね。私は棉の木の事は聞いた事がありますが、まだ見た事はありません。それだけならいゝが、あなた方にこんな話をしてゐると、私は羊の皮を切つて了ふかも知れませんよ。』
 夕方になると、ジユウルの頼みで、皆なの着てゐる着物の材料の話しを叔父さんにして貰ふ事になりました。
『麻の木や亜麻の木の皮は、織物になる大変立派な、柔かい、丈夫な長い糸で出来てゐる。我々は羊から採つた毛を着たり、木の皮で身体を飾つたりする。白麻地や絽や手編みレースやモスリンレースなどのやうな贅沢な織物から、もつと丈夫な粗《わる》い袋布のやうなものまで、皆な此の麻で造るのだ。棉の木からは木綿で出来た織物が取れる。
『亜麻は小さな青い花が咲く細い植物で、毎年蒔いたり、刈つたりする。これは北フランスや、ベルギイや、オランダに沢山栽培されてゐる。そしてこれは人間が一番初めに織物を造るのに使つた植物だ。四千年以上もたつた大昔のエジプトの木乃伊《みいら》は、リンネルの帯で巻いてある。』
『木乃伊と仰《おっしゃ》ひましたね。それは何んだか僕には分りませんが。』とジユウルが叔父さんの言葉を遮りました。
『それぢや其の話しをしよう。死んだ人間を尊ぶのは、何時の時代何処の人間でも同じだ。人間のからだは神様の形に造られた魂の住んでゐるお宮だと云ふところから、それを尊ぶのだが、時と処と習慣とによつて、其の尊び方が違ふ。我々は死んだ人間を埋葬して、その埋めた場所に、文字を書いた墓石を立てたり、十字架を立てたりする。大昔しの人は死人を火葬にして、火に焼き崩された骨を丁寧に拾ひ集めて、それを壼の中に詰めた。エジプトでは、いつまでも其の死人を家族の中に保存するやうに、死人を木乃伊にした。即ち、エジプト人は、香料を死骸に含ませて、形が崩れないやうにリンネルで巻いたのである。此の信神深い仕事は、随分念入りに行はれたので、其の後何百年も経つて我々は好い匂ひのする木箱の中に、年と共に黒ずんではゐるが、古代エジプトの王様や其の同時代の人間を、生きてゐた其の儘《まま》の形で見出すのだ。これが木乃伊と云ふものなんだ。
『麻は何百年もヨオロツパ中で栽培された。麻は一年生の、丈夫な、嫌な香《にお》ひのする、緑色の陰気な小さな花を開く。そして茎は溝が深くて六尺位に伸びる。麻は、亜麻と同じやうに、その皮と、麻の実と云ふ種子を取るために栽培せられるんだ。』
『その種子《たね》は、私たちがそれを金翅《かなひわ》にやると、金翅は中の核を取り出さうとして、殻を嘴《くちばし》で突き破るあの粒の事でせう。』とエミルが云ひました。
『さうだ。麻の実は小鳥のたべものだ。
『麻の皮は亜麻のやうに美しくない。麻の繊維は非常に立派なもので、麻屑二十五グラム(六|匁《もんめ》三分)で、約三|哩《マイル》(一里八町)の長さの糸が出来る。リンネルの織物の細かさに比べる事の出来るのは、たゞ蜘蛛の巣があるだけだ。
『麻や亜麻が成熟すると、刈られて種子は扱《こ》き分けられて了ふ。それから、それを湿して、皮の繊維《すじ》を取る仕事が始まる。即ち、其の繊維がわけもなく木から離れるやうにする仕事だ。実際此の繊維は、茎にくつゝいてゐて、非常に抵抗力の強い、弾力の強い物で、腐つて了ふまで離れないやうになつてゐる。時によると、此の麻の皮を一二週間も野原に拡げて、何遍も/\引つくり返して、皮が自然と木質の部分、即ち、茎から離れるまでつゞける。
『だが、一番早い方法は、亜麻や麻を束にして縛つて、池の中に沈めて置く事だ。すると、間もなく腐つて嫌な臭ひを出し、皮は朽ちて、強い弾力を持つた繊維が柔くなる。
『それから麻束を乾かして、ブレーキと云ふ道具の歯の間でそれを押し潰して、皮と繊維とを離して了ふ。終に、其の繊維の屑を取つて、それを美しい糸にするために、刷梳《こきくし》と云ふ大きな櫛のやうな鋼鉄の歯の間を通す。そして此の繊維は手なり機械なりで紡がれて、さうして出来た糸を機《はた》にかけるのだ。
『機の上には、経糸《たていと》と云ふものになる沢山の糸を次ぎ次ぎに順番に並べる。そして織り手の足で踏む足台に推されて、交る/″\此の糸の半分が下りると残りの半分が上る。それと同時に、織り手は梭《おさ》の横糸を、左から右、右から左と、半分づつの経糸二つの間を通す。それで織物が出来上るのだ。そして之れが済むと、植物だつた麻の皮は着物になり、亜麻の皮は数十円も数百円もする立派なレースになるのだ。』

[#5字下げ]一七 綿[#「一七 綿」は中見出し]

『織物に使はれる物の中で一番大切な綿は、亜熱帯の棉の木と云ふ植物から採るのだ。これは三尺から六尺位の高さの灌木同様の草で、其の黄色い大きな花は、やがて、綿の種類によつて純白な、或は薄黄色い色のかゝつた絹毛《きぬいと》の一杯詰つた、卵程の大きさの円莢《まるざや》になるのだ。この毛房《けぶさ》の中央に種子がある。』
『そんな風な毛房を、春、白楊《ポプラ》や柳の木の頂にバラ/\になつて落ちてゐるのを見た事があるやうに思ひますわ。』とクレエルが云ひました。
『その譬《たと》へは仲々面白い。柳や白楊の実は、針の尖の三四倍もある色のついた細長い尖つた円莢だ。五月になると此の円莢が熟する。その実は開いて、美しい白毛を放り出す。その中にあるのが種子《たね》なのだ。天気の穏やかな日は、此の白毛が木の根の下に落ち積つて、雪のやうに白い綿毛の床になる。が、遂に風に吹かれて円莢の片《かけ》が、種子ごと一緒に遠くの方へ吹き飛ばされて了ふ。その種子は斯《こ》うして新しい地面を見つけて、芽を出して木になるのだ。其他にも色んな種子が柔かな帽子や、絹のやうな羽毛を備へて居てそれでもつて、長い間遠くまで空中を旅行する。例へばお前たちが空に吹き上げて喜ぶたんぽぽ[#「たんぽぽ」に傍点]やあざみ[#「あざみ」に傍点]の、あの美しい、絹のやうな羽毛のついた種子は、やはりそれだ。』
『白楊の円莢にある毛房は、綿と同じものになりますか。』とジユウルが尋ねました。
『それは駄目だ。それは余り少なすぎて集めるのに随分骨が折れる。その上、余り短かすぎるものだから、紡ぐ事が出来ない。だが、我々はそれを使ふ事は出来ないが、他の者には非常に有益なものとなる。この毛房は小鳥の綿で、鳥は巣に敷くのにそれを集めるのだ。鳥の中でも金翅は、賢い中の又一番賢い鳥だ。此の鳥の綿で出来た巣は美しい立派なものである。四五本の小枝の叉《また》に、柳や白楊の綿毛や、通りがかりの羊から抜き取つた羊毛やあざみ[#「あざみ」に傍点]の種の毛帽子で、此の鳥は其の雛に、どんな卵も今までに住んだ事もないやうな、柔かで温いコツプ形の蒲団を造つてやるのだ。
『其の巣を造るには、金翅は其の材料がごく手近な処にあるので、直ぐ其の仕事にとりかゝれる。春になると、金翅は其の巣の材料の事などは考へもしない。柳や、あざみ[#「あざみ」に傍点]は近所にいくらでもある。鳥は長い間前もつて注意して、いろんな巧妙な方法で其の必要な物を準備する智恵を持つてゐないのだから、斯うするほかに仕方がないのだ。人間は其の労働と智恵と云ふ貴い特権で、遠い国から綿を手に入れるが、鳥は自分の綿を、林の白楊の木に見附け出すのだ。
『成熟すると綿の円莢は広く開く。そして毛房は柔かな雪の塊のやうになつて溢れ出る。それを一と莢一と莢、手で掻き集めるのだ。布に載せて太陽によく乾かした毛房は、打木か或は其他の機械の力で打たれる。かうして綿は種子と莢とを悉く取り除かれる。もうそれ以上の手を掛けないで、綿は、我々の工場で織物にされるやうに、大きな包みに入つて来る。綿を一番沢山産する国は、インド、エジプト、ブラジル及び、北アメリカ合衆国とである。
『一年の中に、ヨオロツパの工場では、綿が約八億キログラム(一キログラムは約二百六十七貫)程出来る。此の大変な目方も決して多すぎはしないのだ。と云ふのは世界の人々は、高価な毛を着ると共に、又綿を更紗やパーケールや、キヤラコにして着てゐる。斯くして人間の工業の中では、綿の工業が一番大きい。一片の更紗に要する無数の労働者、無数の細かな仕事、長い船路等が悉く集まつて、漸く数銭にしかならないのだ。一と握りの綿が、此処から二三千リーグ(一リーグは三哩)も離れた所から来たものだと云ふ事を考へて御覧。此の綿は、フランスやイギリスの工場に来るのに、大洋を渡り地球の四分の一を通つて来るのだ。そしてこれらの国で紡いで織つて色のついた意匠で飾つて、それから更紗に変つて了ひ、又もや海を渡つて、今度は多分別な世界の端へ行つて縮毛の黒ん坊の帽子にでもなるのだらう。で、いろんな人が此の綿から利益を得る。先づ此の植物の種を蒔いて、半年あまりの間それを栽培しなければならない。されば一と握りの綿の中にも此の種をまき、それを栽培した人の報酬がなければならない。その次には、それを買ふ商人と、それを運ぶ船乗りとが来る。此の人々にも一と握りの毛房の割り前をやらなければならない。次ぎにはそれを紡ぐ人、織る人、色を染める人などにその仕事の償ひをしなければならない。そしてこれは果てしのない事なのだ。新しい商人が来てその織物を買ひ、別な船乗りが来て世界中の港々へそれを運んで行き、最後に商人がそれを小売りする。かうして一と掴みの綿は、其の有らゆる関係者に報酬を払つて、どうして法外な高い値段にならないのだらう。
『此の奇蹟を生むために、こゝに大規模の労働と機械の助けと云ふ二つの大きな力がはいつて来る。お前たちはアムブロアジヌお婆あさんが車で糸を紡いでゐるのを見たらう。梳《けず》つた羊毛は先づ長い小房に分けられる。そして此の房の一つをぐる/\廻つてゐる鈎《かぎ》のそばへ持つて行く。鈎は其の羊毛を掴んで廻りながら其の繊維を一本の糸に捩《よ》る。そして其の房の毛が少くなるに従つて、だん/\糸が長くなつて行くので、指でそれを加減する。糸が一定の長さに達すると、アムブロアジヌ婆あさんはそれを紡錘《つむ》に巻きつけて、又羊毛を捩りはじめる。
『本当を云へば、綿もやはりこれと同じやうにして紡ぐ事が出来るのだが、如何にアムブロアジヌお婆あさんが賢いとは云へ、あの車で糸を紡いで織物を造るのでは非常に時間がかゝるから、随分高価なものになる。それでは何うすればいゝのか? 機械に糸を紡がせるのだ。一番大きな教会よりも広い部屋に、鈎も、紡錘も、糸巻も附いた、紡ぐ機械が何万台も置いてある。そしてそれが皆んな一緒に、目にも止らぬ位早く正確に廻転する。お前たちを聾にする位の強い音を立てゝ廻転するのだ。綿の毛房は数百万の鈎に止められて、果てしもない長い糸が紡錘から紡錘へ動いて行つて、そして自然と糸巻に巻きつく。二三時間の中には綿の山が地球全部を六七回も廻るやうな長い糸になつて了ふ。アムブロアジヌお婆あさんのやうな上手な糸紡ぎを何十万人も要る様な此の仕事は、何んで出来るのだらう? それは此の機械を動かす蒸気になる水をわかす石炭が二三ばいあればいゝのだ。そしてそれを織つて色をつけるのも、即ち一口に云へば毛房が布地になるまでに受けるいろんな加工も、やはりこれと同じやうに頗《すこぶ》る迅速に且つ頗る経済的に行はれるのだ。かうして、一片たつた二三銭のキヤラコの中に、製造者も、仲買人も、航海者も、紡ぎ手も、織り手も、染め手も、小売商人も、皆んな其の仕事の報酬を得られる事になるのだ。』

[#5字下げ]一八 紙[#「一八 紙」は中見出し]

 アムブロアジヌお婆あさんはクレエルを呼びました。お友達が六ヶしい刺繍の刺し方を聞きに来たのです。ジユウルやエミルの頼みで、それには構はずに、ポオル叔父さんは話しつゞけました。叔父さんはジユウルがきつとあとで姉さんに其の話しをして聞かすだらうと思つたのです。
『亜麻や麻や綿は、殊に此の最後の綿は、もつと大事なほかの役にも立つのだ。第一には我々の着物になる。が、それがボロ/\になつて役に立たなくなると、こんどは紙を造るのに使はれる。』
『紙!』とエミルが叫びました。
『紙だ。我々が字を書いたり本に造つたりする本当の紙だ。お前たちの手帳の白い紙や、本の紙や、値段の高い縁飾りのある沢山の絵の入つた紙でさへも、あのみすぼらしいボロから出来るのだ。
『ボロはいろんな所から集められる。町の汚物の中からも、又何んとも云はれない汚い所からも集められる。そのボロはこれは良い紙に、これは悪い紙にと、いろ/\に分けられる。そしてそれを綺麗に洗ふ。それから機械の方に廻されるのだ。鋏で切り、鉄の爪で裂き、車でバラ/\に切れ屑にし、そしてそれを臼に入れて挽《ひ》く。それから水の中で粉のやうにされて石鹸のやうなものにされて了ふ。此の石鹸の泡のやうなものは灰色だが、それをこんどは白くしなければならない。そこで激しい薬を使つて、それを忽《たちま》ちの間《うち》に雪のやうに白くする。それで泡はすつかり清められたのだ。すると別な機械が篩《ふるい》の上でそれを薄い板に引き伸ばして、水を搾りとつて了ふと、泡のやうな液体がフエルトになる。このフエルトを機械が圧して、別な機械がそれを乾かし、又別なのが艶を出させる。それでもう紙が出来るのだ。
『紙になる前には、此の最初の材料はボロだつた。即ちボロ/\になつて使へなくなつた布《きれ》だつたのだ。そして此の布は、ボロ屑になつて捨てられる迄には、どんなにいろんな用に使はれて、どんなにひどい目に合つたか分らないのだ。腐蝕性の灰で洗はれ、有酸石鹸に漬けられ、木の槌で叩かれ、太陽や空気や雨に曝されて来たのだ。かうして烈しい洗濯や石鹸や太陽や空気などに抵抗し、腐蝕されても疵がつかず、製紙機械や薬にも負けずに、以前よりももつとしなやかに且つ白くなつて、此の試練の中から出て来て、我々の思想を載せる美しい艶々した紙になる。此の材料は一体何にだらうか。これでお前たちは、智恵の進歩の源である此の紙が、棉の木の毛房や麻や亜麻の皮から取れるのだと云ふ事が分つただらう。』
『クレエルはきつと其の美しい銀鈿《ぎんでん》の附いた祈祷書がぼろ[#「ぼろ」に傍点]ハンカチや、道ばたの泥の中から拾ひ上げたぼろきれ[#「ぼろきれ」に傍点]などで出来てゐるんだと云つて聞かしたら、びつくりしませうね。』とジユウルが云ひました。
『クレエルは紙の本質を知つたらよろこぶだらう。が、あの子はその祈祷書が、初めそんな卑しいものだと分つたところで、決してそれを卑しめるやうな事はしないと思ふよ。工業は賤しいボロを貴い思想を収めた本に変える奇蹟を見せる。が、神様はまだ、それとは較べものにならない程の植物の奇蹟を見せて下される。汚い糞の堆山《やま》も、地中に埋もれば薔薇や百合や其他いろんな花を咲かせる、世にも類ひのない貴い物となるのだ。我々人間も、此のクレエルの本や神様の花のやうにならなければならない。自分で自分の値打をつけるようにして、吾々の賤しい出所を恥ぢないようにならなければならない。人間にはたつた一つの本当のえらさ[#「えらさ」に傍点]と、たつた一つの本当の貴さがある。それは霊魂の偉大と貴さだ。若し吾々がそれを持つて居れば、吾々の素性の卑しいだけそれだけに、我々の値打は大きくなるのだ。』(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。
  • サンサール
  • [スイス]
  • ジェネヴァ → ジュネーヴか
  • ジュネーヴ スイス南西端、レマン湖畔の都市。赤十字国際委員会を始め、多くの国際機関がある。また、国際連盟本部があった(現在、国連欧州本部)。時計などの精密工業で著名。人口17万5千(2001)。寿府。英語名ジェニーヴァ。ゼネヴァ。ドイツ語名ゲンフ。
  • ヌウブ・セル
  • モンテリヌル
  • エザイ
  • [イタリア]
  • シシリー Sicily シチリアの英語名。
  • シチリア Sicilia イタリア半島の南端にある地中海最大の島。古代にはフェニキア・ギリシア・カルタゴ・ローマに占領され、中世にはヴァンダル・ビザンチン・イスラム教徒・ノルマンに征服され、12世紀に両シチリア王国が成立。1861年イタリアに帰属、1948年自治州。面積2万6千平方キロメートル。中心都市はパレルモ。英語名シシリー。
  • エトナ Etna イタリア、シチリア島の東岸にそびえる活火山。標高3323メートル。
  • アラゴン イベリア半島北東部の地方。11世紀前半に王国が築かれ、14〜15世紀シチリアからナポリにも勢力を広げ、1479年カスティリア王国と合同してスペイン王国を形成。
  • [ドイツ]
  • ウユルテンベルヒ
  • ヌーシャテル スイスのヌーシャテル州の州都である基礎自治体 ( コミューン ) 。ヌシャテルとも表記される。また、ドイツ語ではノイエンブルク(Neuenburg)と称される。フランス国境近く、ヌーシャテル湖の湖畔に位置している。時計工業が盛んであり、街にはスイス時計工業試験所がおかれている。
  • [フランス]
  • ドウ・セブル
  • シャイエ
  • ノルマンディー Normandie (「ノルマン人の国」の意)フランス北西部、イギリス海峡に臨む地方。1066年ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)がイングランドを征服してノルマン王朝を開いて以後イギリス領、百年戦争中フランスが奪回。第二次大戦末の1944年、英・米・仏連合軍の上陸地点となった。
  • アルヴィル
  • ヘエ・ド・ルウト
  • ウウル県
  • [ロシア]
  • アルダン
  • [スコットランド]
  • [ベルギー]
  • [オランダ]


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • ファーブル Jean Henri Fabre 1823-1915 フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」
  • 大杉栄 おおすぎ さかえ 1885-1923 無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。
  • 伊藤野枝 いとう のえ 1895-1923 女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。
  • ジェン アラゴンの女王。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 木理 もくり 木目に同じ。
  • 木目・杢目 もくめ (1) 材木の断面に、年輪・繊維・導管・髄線などの配列が種々の模様をなして表れているもの。もく。木理。(2) 横に切った板の木目のように見える刀の地肌。
  • リンデンバウム Lindenbaum シナノキ科の落葉高木。ヨーロッパ産。高さ30〜40メートル。葉は円形で先がとがり互生。6〜7月、淡黄色の小花を集散状につけ芳香を放つ。セイヨウボダイジュ。
  • 橄欖 かんらん カンラン科の常緑高木。熱帯原産。日本では鹿児島県の南端部で栽培。葉は羽状複葉、革質。花は黄白色、3弁。楕円形の核果は食用、種子を欖仁といい、油を採る。オリーブを「橄欖」と誤訳するが、全く別種。うおのほねぬき。
  • 円さ
  • イチイ 櫟・赤檮・石� 「いちいがし」に同じ。
  • いちいがし 石� ブナ科の常緑高木。暖地産で高さ約30メートルに達し、葉は先端で急にとがる。葉の裏面、若枝は黄褐色の短毛で被われる。実は大形で食用となり、味はシイに似る。材は堅く強靱で、鋤・鍬の柄、大工・土木用具などに用いる。イチイ。イチガシ。
  • 簇葉 ぞくよう
  • 此度 こんど
  • えらがり
  • ホロホロチョウ 珠鶏。キジ目ホロホロチョウ科の鳥。大きさ・形ともにニワトリに似る。尾羽は甚だ短い。頭は裸出、頭上に赤色の角質の突起がある。普通暗灰色で、多数の小白斑がある。アフリカの草原に群生。肉は美味で、飼養される。
  • 牝鶏 ひんけい めすのにわとり。めんどり。
  • 七面鳥 しちめんちょう (頭と頸とに皺のある皮膚が裸出し、種々に変色するからいう)キジ目シチメンチョウ科の鳥。野生種は、アメリカ大陸原産。アメリカ大陸発見後、家禽として拡まった。頭部に肉疣があり、上嘴の基部に肉垂がある。尾は平常は畳んでいるが、雄はこれを扇状に拡げて雌に誇示する。飼養品種多く、肉は食用とし、クリスマスに用いる。ターキー。カラクン鳥。
  • 葉簇 はむら
  • 堆んでおいた
  • 鉄床・鉄砧 かなとこ 「かなしき」に同じ。
  • 鉄敷・金敷 かなしき 鍛造や板金作業を行う際、被加工物をのせて作業をする鋳鋼または鋼鉄製の台。鉄床。アンビル。
  • 炉格 ろかく
  • 被金 きせがね
  • 風鈴草 ふうりんそう キキョウ科の観賞用草本。高さ60〜90センチメートル。夏、紫または白色の鐘状の大花を開く。カンパニュラ。
  • ラシャ raxa ポルトガル・羅紗 羊毛で地の厚く密な毛織物。室町末期頃から江戸時代を通じて南蛮船、後にオランダや中国の貿易船によって輸入され、陣羽織・火事羽織・合羽などに用いた。今は毛織物全般のことをもいう。
  • 亜麻 あま アマ科の一年草。西アジア原産の工芸作物。茎の繊維でリンネルや寒冷紗、その他の高級織物を織る。種子から搾る亜麻仁油は良質な乾性油。日本では明治以降、北海道で繊維用に栽培されたが現在ではほとんど見られない。アカゴマ。ヌメゴマ。一年亜麻。
  • リンネル 亜麻の繊維で織った薄地織物。リネン。
  • 棉の木
  • 白麻地
  • 絽 ろ 搦み織物の一種。紗と平織とを組み合わせた組織の絹織物。緯三本・五本おきに透き目を作る。紋絽・竪絽・絽縮緬などがある。夏季の着尺地用。
  • 灌木 かんぼく (1) 枝がむらがり生える樹木。(2) 低木に同じ。←→喬木。
  • 円莢 まるざや
  • 打木
  • サラサ 更紗。(「(花などの模様を)まきちらす」意のジャワの古語セラサからか。ポルトガル語を介して、17世紀初め頃までに伝来) (1) 人物・鳥獣・花卉など種々の多彩な模様を手描きあるいは木版や銅板を用いて捺染した綿布。インドに始まり、ジャワのバティック、オランダ更紗などに影響を与えた。もとインドやジャワなどから渡来。日本で製したものは和更紗という。印花布。花布。暹羅染。
  • パーケール
  • キャラコ calico (もと南インド、カリカットから舶来)織地が細かく薄い平織綿布。強い糊づけ仕上げをし、光沢がある。キャリコ。
  • 割り前
  • フェルト felt 羊毛その他の獣毛を原料とし、湿気・熱および圧力を加えて縮絨し布状にしたもの。帽子・敷物・履物などに使用。
  • 銀鈿 ぎんでん
  • 祈祷書 きとうしょ キリスト教会で、毎日あるいは祭日に行われる祈りを集録した書物。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 震災後しばらくして、伊藤野枝の著作集に目を通してみた。たしかに当時としては先進的な主張なのだろうけれども固さがある。もうちょっとやわらかいのがないのかなあと探していたところ本書を見つける。アルスからの出版が大正12年の8月1日のこと。
 周知のように、その一月後が関東大震災。甘粕正彦による殺害が同月の16日のこととされる。

 「混乱が大きくならないように」という名目による情報コントロールはしばしば試みられるが、その安直な選択の代償は小さくない。太平洋戦争最中の鳥取地震、東南海地震、三河地震の情報統制と、福島の原発報道。根底には、市民と為政者とのあいだの相互疑心があるんだろうなと思った。お互いにお互いのことが信じられず、それでいながら依存せざるをえない矛盾をかかえた関係。隠蔽と過剰なたれ流しが、精神的な無気力と判断のマヒをさそう。相互共犯。
 
 かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』。チェルノブイリ原発事故ほどなく原子力潜水艦をテーマにすることのリアリティ。五木寛之・福永光司『混沌からの出発』(致知出版社、1997.5)読了。
 年明けは、高野寛「夢の中で会えるでしょう」「All over, Starting over」




*次週予告


第四巻 第二五号 
『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』より
ラザフォード卿を憶う
ノーベル小傳とノーベル賞
湯川博士の受賞を祝す


第四巻 第二五号は、
二〇一二年一月一四日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第二四号
科学の不思議(二)アンリ・ファーブル
発行:二〇一二年一月七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー
  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉        
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 【欠】
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  •  はしがき
  •  庄内三郡
  •  田川郡と飽海郡、出羽郡の設置
  •  大名領地と草高――庄内は酒井氏の旧領
  •  高張田地
  •  本間家
  •  酒田の三十六人衆
  •  出羽国府の所在と夷地経営の弛張
  •  
  •  奥羽地方へ行ってみたい、要所要所をだけでも踏査したい。こう思っている矢先へ、この夏〔大正一一年(一九二二)〕、宮城女子師範の友人栗田茂次君から一度奥州へ出て来ぬか、郷土史熱心家なる桃生郡北村の斎藤荘次郎君から、桃生地方の実地を見てもらいたい、話も聞きたいといわれるから、共々出かけようじゃないかとの書信に接した。好機逸すべからずとは思ったが、折悪しく亡母の初盆で帰省せねばならぬときであったので、遺憾ながらその好意に応ずることができなかった。このたび少しばかりの余暇を繰り合わして、ともかく奥羽の一部をだけでも見てまわることのできたのは、畢竟、栗田・斎藤両君使嗾の賜だ。どうで陸前へ行くのなら、ついでに出羽方面にも足を入れてみたい。出羽方面の蝦夷経営を調査するには、まずもって庄内地方を手はじめとすべきだと、同地の物識り阿部正巳〔阿部正己。〕君にご都合をうかがうと、いつでもよろこんで案内をしてやろうといわれる。いよいよ思いたって十一月十七日の夜行で京都を出かけ、東京で多少の調査材料を整え、福島・米沢・山形・新庄もほぼ素通りのありさまで、いよいよ庄内へ入ったのが二十日の朝であった。庄内ではもっぱら阿部君のお世話になって、滞在四日中、雨天がちではあったが、おかげでほぼ、この地方に関する概念を得ることができた。その後は主として栗田君や斎藤君のお世話になって、いにしえの日高見国なる桃生郡内の各地を視察し、帰途に仙台で一泊して、翌日、多賀城址の案内をうけ、ともかく予定どおりの調査の目的を達することができた。ここにその間見聞の一斑を書きとめて、後の思い出の料とする。
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  •  出羽国分寺の位置に関する疑問
  •  これは「ぬず」です
  •  奥羽地方の方言、訛音
  •  藤島の館址――本楯の館址
  •  神矢田
  •  夷浄福寺
  •  庄内の一向宗禁止
  •  庄内のラク町
  •  庄内雑事
  •   妻入の家 / 礫葺の屋根 / 共同井戸 / アバの魚売り / 竹細工 /
  •   カンジョ / マキ、マケ――ドス / 大山町の石敢当 / 手長・足長 /
  •   飛島 / 羅漢岩 / 玳瑁(たいまい)の漂着 / 神功皇后伝説 / 花嫁御
  •  桃生郡地方はいにしえの日高見の国
  •  佳景山の寨址
  •  
  •  だいたい奥州をムツというのもミチの義で、本名ミチノク(陸奥)すなわちミチノオク(道奥)ノクニを略して、ミチノクニとなし、それを土音によってムツノクニと呼んだのが、ついに一般に認められる国名となったのだ。(略)近ごろはこのウ韻を多く使うことをもって、奥羽地方の方言、訛音だということで、小学校ではつとめて矯正する方針をとっているがために、子どもたちはよほど話がわかりやすくなったが、老人たちにはまだちょっと会話の交換に骨の折れる場合が少くない。しかしこのウ韻を多く使うことは、じつに奥羽ばかりではないのだ。山陰地方、特に出雲のごときは最もはなはだしい方で、「私さ雲すうふらたのおまれ、づうる、ぬづうる、三づうる、ぬすのはてから、ふがすのはてまで、ふくずりふっぱりきたものを」などは、ぜんぜん奥羽なまり丸出しの感がないではない。(略)
  •  また、遠く西南に離れた薩隅地方にも、やはり似た発音があって、大山公爵も土地では「ウ山ドン」となり、大園という地は「うゾン」とよばれている。なお歴史的に考えたならば、上方でも昔はやはりズーズー弁であったらしい。『古事記』や『万葉集』など、奈良朝ころの発音を調べてみると、大野がオホヌ、篠がシヌ、相模がサガム、多武の峰も田身(たむ)の峰であった。筑紫はチクシと発音しそうなものだが、今でもツクシと読んでいる。近江の竹生島のごときも、『延喜式』にはあきらかにツクブスマと仮名書きしてあるので、島ももとにはスマと呼んでいたのであったに相違ない。これはかつて奥州は南部の内藤湖南博士から、一本参られて閉口したことであった。してみればズーズー弁はもと奥羽や出雲の特有ではなく、言霊の幸わうわが国語の通有のものであって、交通の頻繁な中部地方では後世しだいになまってきて、それが失われた後になってまでも、奥羽や、山陰や、九州のはてのような、交通の少なかった僻遠地方には、まだ昔の正しいままの発音が遺っているのだと言ってよいのかもしれぬ。(略)
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  •  館と柵および城
  •  広淵沼干拓
  •  宝ヶ峯の発掘品
  •  古い北村
  •  姉さんどこだい
  •  二つの飯野山神社、一王子社と嘉暦の碑
  •  日高見神社と安倍館――阿部氏と今野氏
  •  天照大神は大日如来
  •  茶臼山の寨、桃生城
  •  貝崎の貝塚
  •  北上川改修工事、河道変遷の年代
  •  合戦谷付近の古墳
  •  いわゆる高道の碑――坂上当道と高道
  •  
  •  しかし安倍氏の伝説はこの地方に多く、現に阿部姓を名乗る村民も少くないらしい。(略)先日、出羽庄内へ行ったときにも、かの地方に阿部氏と佐藤氏とがはなはだ多かった。このほか奥羽には、斎藤・工藤などの氏が多く、秀郷流藤原氏の繁延を思わしめるが、ことに阿部氏の多いのは土地柄もっともであるといわねばならぬ。『続日本紀』を案ずるに、奈良朝末葉・神護景雲三年(七六九)に、奥州の豪族で安倍(または阿倍)姓を賜わったものが十五人、宝亀三年(七七二)に十三人、四年に一人ある。けだし大彦命の後裔たる阿倍氏の名声が夷地に高かったためであろう。しかしてかの安倍貞任のごときも、これらの多数の安倍姓の中のものかもしれぬ。前九年の役後には、別に屋・仁土呂志・宇曽利あわして三郡の夷人安倍富忠などいう人もあった。かの日本将軍たる安東(秋田)氏のごときも、やはり安倍氏の後なのだ。もしこの安倍館がはたして安倍氏の人の拠った所であったならば、それは貞任ではない他の古い安倍氏かもしれぬ。阿部氏と並んでこの地方に今野氏の多いのもちょっと目に立った。(略)今野はけだし「金氏」であろう。前九年の役のときに気仙郡の郡司金為時が、頼義の命によって頼時を攻めたとある。また帰降者の中にも、金為行・同則行・同経永らの名が見えている。金氏はもと新羅の帰化人で、早くこの夷地にまで移って勢力を得ていたものとみえる。今野あるいは金野・紺野などともあって、やはり阿倍氏の族と称している。その金に、氏と名との間の接続詞たる「ノ」をつけてコンノというので、これは多氏をオオノ、紀氏をキノと呼ぶのと同様である。
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  •  
  •  私はいつも神さまの国へ行こうとしながら地獄の門をもぐってしまう人間だ。ともかく私ははじめから地獄の門をめざして出かけるときでも、神さまの国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局、地獄というものに戦慄したためしはなく、バカのようにたわいもなくおちついていられるくせに、神さまの国を忘れることができないという人間だ。私はかならず、いまに何かにひどい目にヤッツケられて、たたきのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらしてまっさかさまに落とされてしまう時があると考えていた。
  •  私はずるいのだ。悪魔の裏側に神さまを忘れず、神さまの陰で悪魔と住んでいるのだから。いまに、悪魔にも神さまにも復讐されると信じていた。けれども、私だって、バカはバカなりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神さまを相手に組み打ちもするし、蹴とばしもするし、めったやたらに乱戦乱闘してやろうと悲愴な覚悟をかためて、生きつづけてきたのだ。ずいぶん甘ったれているけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落とされる時を忘れたことだけはなかったのだ。
  •  利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと言うだろう。私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと、言うことよりもずるい。私もそう思う。でも、なんとでも言うがいいや。私は、私自身の考えることもいっこうに信用してはいないのだから。「私は海をだきしめていたい」より)
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  •  
  •  (略)父がここに開業している間に、診察の謝礼に賀茂真淵書入の『古今集』をもらった。たぶん田安家にたてまつったものであっただろうとおもうが、佳品の朱できわめてていねいに書いてあった。出所も好し、黒川真頼翁の鑑定を経たもので、わたしが作歌を学ぶようになって以来、わたしは真淵崇拝であるところから、それを天からの授かり物のように大切にして長崎に行った時にもやはりいっしょに持って歩いていたほどであったが、大正十三年(一九二四)暮の火災のとき灰燼になってしまった。わたしの書架は貧しくて何も目ぼしいものはなく、かろうじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失せた。わたしは東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思い出して残念がるのであるが、何ごとも思うとおりに行くものでないと今ではあきらめている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとしたことにもとづくものがあると知って、それであきらめているようなわけである。
  •  まえにもちょっとふれたが、上京したとき、わたしの春機は目ざめかかっていて、いまだ目ざめてはいなかった。今はすでに七十の齢をいくつか越したが、やをという女中がいる。わたしの上京当時はまだ三十いくつかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」とわたしに教えた女中である。その女中がわたしを、ある夜、銭湯に連れて行った。そうすると浴場にはみな女ばかりいる。年寄りもいるけれども、キレイな娘がたくさんにいる。わたしは故知らず胸のおどるような気持ちになったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかもしれない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことがわかり、女中は母にしかられて私はふたたび女湯に入ることができずにしまった。わたしはただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。「三筋町界隈」より)
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  • 原子力の管理
  •  一 緒言
  •  二 原子爆弾の威力
  •  三 原子力の管理
  •  
  • 日本再建と科学
  •  一.緒言
  •  二.科学の役割
  •  三.科学の再建
  •  四.科学者の組合組織
  •  五.科学教育
  •  六.結語
  •  
  • 国民の人格向上と科学技術
  • ユネスコと科学
  •  
  •  原子爆弾は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。「日本再建と科学」より)
  •  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。
  •  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。「ユネスコと科学」より)
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  • J・J・トムソン伝
  •  学修時代
  •  研究生時代
  •  実験場におけるトムソン
  •  トムソンの研究
  •  余談
  • アインシュタイン博士のこと 
  •  帯電した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは磁性を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke2 にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)
  •  電子の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他整流器、X線管、光電管など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  • 総合研究の必要
  • 基礎研究とその応用
  • 原子核探求の思い出
  •  湯川君の受賞
  •  土星原子模型
  •  トムソンが電子を発見
  •  マックスウェル論文集
  •  化学原子に核ありと発表
  •  原子核と湯川君
  •  (略)十七世紀の終わりに、カヴェンジッシュ(Cavendish)が、ジェレキ恒数〔定数〕・オーム則などを暗々裏に研究していたが、その工業的価値などはまったく論外であった。一八三一年にファラデー(Faraday)が誘導電流を発見したけれども、その利用は数十年後に他人によって発展せられ、強電流・弱電流・変圧器・モーターなどにさかんに用いられ、結局、電気工学の根幹はこの誘導電流の発見にもとづくものといってよろしい。(略)近年は電気工学の一部門として、電子工学なるものが生まれた。その源をたずねてみると、J・J・トムソン(Joseph John Thomson)が気体中の電気伝導を研究したのに始まっている。気体が電離すると、物質は異なっていても必ず同じ帯電と同じ質量を持っている微細なものが存在する。すなわち電子であって、今日まで知られているもっとも微質量の物質である。その帯電を利用し、自由にこれが速度を調節することが可能であることを認め、はじめてフレミング(Fleming)によって無線通信を受けるに使われた。(略)
  •  つぎに申し上げるのは、光電池のことである。ドイツの片田舎ウォルフェンブッテル(Wolfenbu:ttel)の中学教員エルステル(Elster)とガイテル(Geitel)は、真空内にカリウム元素を置き、これに光をあてると電子の発散するのを認め、ついにこれをもって光電池を作った。近ごろではカリウムよりセシウム(Caesium)が感度が鋭敏であるから、物質は変化したけれども、その本能においては変わらない。この発見者はこれを工業的に発展することはべつに考えなかったが、意外な方面に用いられるようになった。すなわち光度計としては常識的に考えうるが、これを利用してドアを開閉し、あるいは盗賊の警戒にもちい、あるいは光による通信に利するなど、意外なる利用方法が普通におこなわれるようになった。もっともさかんに使われるのは活動写真のトーキーであろう。光電池の創作者にこの盛況を見せ得ないのは残念である。
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  •  (略)当時の武士、ケンカ商買、人殺し業、城取り、国取り、小荷駄取り、すなわち物取りを専門にしている武士というものも、然様さようチャンチャンバラばかり続いているわけではないから、たまには休息して平穏に暮らしている日もある。行儀のよい者は酒でも飲むくらいのことだが、犬をひき鷹を肘にして遊ぶほどの身分でもなく、さればといって何の洒落た遊技を知っているほど怜悧(れいり)でもない奴は、他に知恵がないから博奕を打って閑(ひま)をつぶす。戦(いくさ)ということが元来バクチ的のものだからたまらないのだ、バクチで勝つことの快さを味わったが最期、何に遠慮をすることがあろう、戦乱の世はいつでもバクチが流行る。そこで社や寺はバクチ場になる。バクチ道の言葉に堂を取るだの、寺を取るだの、開帳するだのというのは今に伝わった昔の名残だ。そこでバクチのことだから勝つ者があれば負けるものもある。負けた者は賭(か)ける料がなくなる。負ければ何の道の勝負でもくやしいから、賭ける料がつきてもやめられない。仕方がないから持ち物をかける。また負けて持ち物を取られてしまうと、ついには何でも彼でもかける。いよいよ負けてまた取られてしまうと、ついには賭けるものがなくなる。それでも剛情にいまひと勝負したいと、それでは乃公(おれ)は土蔵ひとつかける、土蔵ひとつをなにがし両のつもりにしろ、負けたら今度、戦のある節にはかならず乃公が土蔵ひとつを引き渡すからというと、その男が約を果たせるらしい勇士だと、ウンよかろうというので、その口約束に従ってコマをまわしてくれる。ひどい事だ。自分の土蔵でもないものを、分捕(ぶんどり)して渡す口約束でバクチを打つ。相手のものでもないのにバクチで勝ったら土蔵ひと戸前(とまえ)受け取るつもりで勝負をする。こういうことが稀有ではなかったから雑書にも記されて伝わっているのだ。これでは資本の威力もヘチマもあったものではない。
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  •  (略)政宗も底倉(そこくら)幽居を命ぜられた折に、心配の最中でありながら千ノ利休を師として茶事を学んで、秀吉をして「辺鄙(ひな)の都人」だと嘆賞させたが、氏郷は早くより茶道を愛して、しかも利休門下の高足〔高弟のこと。〕であった。(略)また氏郷があるときに古い古い油を運ぶ竹筒を見て、その器をおもしろいと感じ、それを花生けにして水仙の花を生け、これも当時風雅をもって鳴っていた古田織部に与えたという談が伝わっている。織部はいまに織部流の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺している人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、侘(わび)に徹した人である。氏郷のその花生けの形は普通に「舟」という竹の釣花生けに似たものであるが、舟とはすこし異なったところがあるので、今にその形を模した花生けを舟とはいわずに、「油さし」とも「油筒」ともいうのは最初の因縁からおこってきているのである。古い油筒を花生けにするなんというのは、もう風流において普通を超えて宗匠分になっていなくてはできぬ作略で、宗匠の指図や道具屋の入れ知恵を受け取っている分際の茶人のことではない。(略)天下指折りの大名でいながら古油筒のおもしろみを見つけるところはうれしい。(略)氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込んでいたのは利休の教えを受けた故ばかりではあるまい、たしかに料簡の据えどころを合点して何にも徹底することのできる人だったからであろう。しかも油筒ごとき微物をとりあげるほどの細かい人かと思えば、細川越中守が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙を所望したときには、それが蒲生重代の重器であったにかかわらず(略)真物を与えた。(略)竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチではない人だ、家重代のものをも惜し気なく親友の所望には任せる。なかなかおもしろい心の行きかたを持った人だった。
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  •  氏郷はまことに名生(みょう)の城が前途にあったことを知らなかったろうか。種々の書にはまったくこれを知らずに政宗にあざむかれたように記してある。なるほど氏郷の兵卒らは知らなかったろうが、氏郷が知らなかったろうとは思えぬ。縮みかえっていた小田原を天下の軍勢と共に攻めたときにさえ、忍びの者を出しておいて、五月三日の夜の城中からの夜討ちを知って、使い番をもって陣中へ夜討ちがくるぞと触れ知らせたほどに用意をおこたらぬ氏郷である。ましていまだかつて知らぬ敵地へふみこむ戦、ことに腹の中の黒白不明な政宗を後ろへおいて、三里五里の間も知らぬごとき不詮議のことで真っ黒闇の中へ盲目さぐりで進んで行かれるものではない。小田原の敵の夜討ちを知ったのは、氏郷の伊賀衆の頭、忍びの上手と聞こえし町野輪之丞という者で、毎夜毎夜忍びて敵城をうかがったとある。(略)頭があれば手足は無論ある。不知案内の地へのぞんで戦い、料簡不明の政宗と与(とも)にするに、氏郷がこの輪之丞以下の伊賀衆をポカリと遊ばせておいたり徒(いたず)らに卒伍の間に編入していることのありうるわけはない。輪之丞以下は氏郷出発以前から秘命を受けて、(略)ある者は政宗の営をうかがい、ある者は一揆方の様子をさぐり、必死の大活躍をしたろうことは推察にあまりあることである。そしてこれらの者の報告によって、いたって危ない中からいたって安らかな道を発見して、精神気迫の充ち満ちた力足を踏みながら、忠三郎氏郷は兜の銀のナマズを悠然と游がせたのだろう。それでなくて何で中新田城から幾里も距らぬところにあった名生の敵城を知らずに、十九日の朝に政宗を後ろにして出立しよう。城は騎馬武者の一隊ではない、突然にわいて出るものでも何でもない。まして名生の城は木村の家来の川村隠岐守が守っていたのを旧柳沢の城主・柳沢隆綱が攻め取って拠っていたのである。それだけの事実が氏郷の耳に入らぬわけはない。
  • 第二三号 科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
  • 大杉栄、伊藤野枝(訳)
  •  訳者から
  •  一 六人
  •  二 おとぎ話と本当のお話
  •  三 アリの都会
  •  四 牝牛(めうし)
  •  五 牛小舎
  •  六 利口な坊さん
  •  七 無数の家族
  •  学問というものは、学者といういかめしい人たちの研究室というところにばかり閉じこめておかれるはずのものではありません。だれもかれも知らなければならないのです。今までの世間の習慣は、学問というものをあんまり崇(あが)めすぎて、一般の人たちから遠ざけてしまいすぎました。何の研究でも、その道の学者だけが知っていれば、ほかの者は知らなくてもいいようなふうにきめられていました。いや、知らなくてもいい、ではなくて、知る資格がないようにきめられていました。けれども、この習慣はまちがっています。非常にこみ入ったむずかしい研究は別として、だれでもひととおりの学問は知っていなければなりません、子どもでも大人でも。
  •  子どものためのおとぎ話の本は、たくさんすぎるほどあります。けれども、おとぎ話よりは「本当の話が聞きたい」という、ジュールのような子どものためのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、いっこうに見あたりません。 (伊藤野枝「訳者から」より)

※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
※ タイトルをクリックすると、月末週無料号(赤で号数表示) はダウンロードを開始、有料号および1MB以上の無料号はダウンロードサイトへジャンプします。