アンリ・ファーブル Jean Henri Fabre
1823-1915(1823.12.21-1915.10.11)
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」


大杉栄 おおすぎ さかえ
1885-1923(明治18.1.17-大正12.9.16) 香川県生れ。


伊藤野枝 いとう のえ
1895-1923(明治28.1.21-大正12.9.16) 福岡県生れ。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Jean-henri fabre.jpg」 「ファイル-Sakae.jpg」 「ファイル-Ito Noe.png」より。


もくじ 
科学の不思議(一)アンリ・ファーブル


ミルクティー*現代表記版
科学の不思議(一)
  訳者から
  一 六人
  二 おとぎ話と本当のお話
  三 アリの都会
  四 牝牛(めうし)
  五 牛小舎
  六 利口な坊さん
  七 無数の家族

オリジナル版
科学の不思議(一)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
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*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。「云う」「処」「有つ」のような語句は「いう/言う」「ところ/所」「持つ」に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類:K404(自然科学 / 論文集.評論集.講演集)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html





科学かがく不思議(一)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリ・ファーブル Jean-Henri Fabre
大杉おおすぎさかえ伊藤いとう野枝(訳)

 訳者やくしゃから


 ポールおじさんは、本当におどろくほど物識ものしりです。どんな不思議なことの説明でも、わかりやすくおもしろくしてくれます。ポールおじさんのいてくれる世の中の不思議ななぞは、なんという巧妙こうみょうさで、そして無雑作ぞうにできているのでしょう。どんなことだって、どんなつまらないことだって、よく調べ、よく考えてみると、おどろくほど意味を持って生きてきます。
 ポールおじさんのめいおいたちは、アムブロアジヌおばあさんのおとぎ話にはあきてしまいましたが、ポールおじさんの本当のことについての話にはあくこと〔あきること〕を知りませんでした。オモチャ遊びに夢中だった一等いっとう小さいエミルでさえ、おじさんのお話がはじまってからはオモチャを忘れてしまったくらいです。なんでも知りたくてたまらない、不思議なことばかり目につく、兄さんのジュールや、一番ねえさんのクレールはおじさんのおかげでどれだけ利口りこうになり、注意ぶかく物を、またよく考えるようになったかしれません。
 人間のにつくもの、耳にするもの、何一つとして不思議でないものがありましょう。不思議に思わないのは、無知になれているからです。一度この不思議な世界の本当の姿すがたを知りはじめたら、この世の姿はまったくちがったものになってくるでしょう。見るもの聞くものいちいち生きて話しかけ、意味をもって動き出すでしょう。それはどれほどおもしろく、そしてためになるものを人間にしめし、あたえるでしょう? そしてまた、人間の頭脳ずのうはたらきというものは、なんというすばらしい発見をすることでしょう? その発見はまた、多くの人間をどれほど幸福こうふくにするでしょう?

 この本の中には、子どもたちの眼にうつったいろんなこと、出会ったさまざまな事件について、臨機りんき応変おうへんに、ポールおじさんが子どもたちのためにしたお話をすっかり書いたのです。おじさんのお話は、もっともっとつづきます。
「お前たちの好きなだけ、いくらでもしてあげる。
 とおじさんはこの本の最後でお約束やくそくをしています。おじさんはその約束どおりにまだ、いろんな話をしています。それはやはり、みんな本になって出ています。が、この本の中におさめられただけのひとくぎりの中に、どれほど多くの自然界のなぞがとかれてあるでしょう? それはおおぜいのジュールや、クレールや、エミルのような子どもたちのためになるばかりでなく、無知にならされてきた大人たちをも、どんなにかおどろかせることだろうと私は思います。

 学問というものは、学者といういかめしい人たちの研究室というところにばかり閉じこめておかれるはずのものではありません。だれもかれも知らなければならないのです。今までの世間せけん習慣しゅうかんは、学問というものをあんまりあがめすぎて、一般の人たちからとおざけてしまいすぎました。何の研究でも、その道の学者だけが知っていれば、ほかの者は知らなくてもいいようなふうにきめられていました。いや、知らなくてもいい、ではなくて、知る資格しかくがないようにきめられていました。けれども、この習慣はまちがっています。非常にこみったむずかしい研究は別として、だれでもひととおりの学問は知っていなければなりません、子どもでも大人おとなでも。
 子どものためのおとぎばなしの本は、たくさんすぎるほどあります。けれども、おとぎ話よりは「本当の話が聞きたい」という、ジュールのような子どものためのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、いっこうに見あたりません。
 ポールおじさんはフランス人です。子どもたちもフランス人です。それで日本の子どもたちのために書いたもののようにすっかり何から何までうまいぐあいにはゆきませんが、それでも、ムダなことは一つもないはずです。日本の子どもたちの読むのに不都合ふつごうなことはないと思います。わたしはこのフランスの親切しんせつなおじさんのおかげで、おとぎ話ばかりおもしろがっている日本の子どもたちに「本当の話」がどんなにおもしろいものかということがわかれば本当にうれしく思います。そしてまた、たくさんのお父さんや、お母さんや、おじさんや、おばさんや、ねえさんや、にいさんたちが、この本で、小さい人たちの目にうつるいろんななぞを、どういうふうにかたづけてやるべきものか、ということ、また、そのことがらをもあわせてまなんでくださればたいへんしあわせです。
 なお、この本は、すこし前に、ほかの人の手でやくされて出ていますが、それは抄訳しょうやくで、しかもポールおじさんの一番お得意とくいな、全巻ぜんかんの三分の一をしめている虫の話が全部ぬいてありますので、べつにまたこの書を出すのも決して無意味むいみではあるまいとおもいます。
伊藤いとう野枝 


登場するひと
・ポールおじさん フランス人。
・アムブロアジヌおばあさん ポールおじさんの家の奉公人。
・ジャックおじいさん アムブロアジヌおばあさんのつれあい。
・エミル いちばん年下。
・ジュール エミルの兄さん。
・クレール エミルのねえさん。いちばん年上。

   一 六人


 ある夕方、まだ外がようよう暗くなりかけた時分じぶんから、六人の人たちは、みんなひとかたまりになって集まりました。
 ポールおじさんは大きな本を読んでいました。おじさんは、本を読むのは一番ためにもなり、またつかれをやすめるのに、これほどいいものはないときめていますので、働いたあとでやすむときには、いつも本を読みます。おじさんのへやの、松材でつくったたなの上には、いろんな種類の本がきれいに整頓せいとんしてならべてあります。その中には大きい本や小さい本や、絵入りのや絵なしのや、ちゃんと製本せいほんしたのや仮綴かりとじのままのや、また立派りっぱ金縁きんぶちのまであるというふうです。おじさんがその自分のへやに閉じこもると、たいていのことではその読書をやめさすことができません。ですから、ポールおじさんはどんな話でも知っているとみんなが言っています。おじさんはただ読むばかりではありません。自分で調べてみたり、また、ものごとを注意して見たりもするのです。自分のにわを歩くときにも、よくミツバチがブンブンはねの音をさせてとりかこんでいる巣箱すばこの前や、小さい花が雪のようにってくるニワトコのしげった下で立ち止まって見たり、またあるときには、はいまわる小さな虫や、芽を出したばかりの草の葉をよく見るために地面にかがみこんだりしています。いったい何をているのでしょう? 何を調べているのでしょう? それはだれにもわかりません。しかし、おじさんのそういう時の顔は、ちょうど神さまの不思議な秘密ひみつ見出みいだして、それとめんと向き合ったように、気高けだかいよろこびにかがやいてくるとみんなは言っています。わたしたちが本当に感心かんしんして聞くあのおじさんの話は、そういう時にできるのです。わたしたちはその話には本当に感心します。そしてそのうえに、いつかはきっとわたしたちの役に立つたくさんのものごとをおぼえます。
 ポールおじさんはすぐれて立派な、信心しんじんぶかい人です。そしてまた「いいパンのように」だれにでも親切しんせつな人です。村では、おじさんの学問がたいへんみんなの助けになるので、ポール先生といって非常に尊敬そんけいしています。
 ポールおじさんの百姓ひゃくしょう仕事を手伝てつだうのに――わたしはあなたに、おじさんは本を読むのと同じように、すきくわをどうにぎるかということもよく知っていて、自分の小さな持地もちじをじょうずにたがやしているのだということも話さねばならなかったのです――ジャックというおじいさんがいます。おじいさんは、アムブロアジヌおばあさんの年老としとったつれあいです。アムブロアジヌおばあさんは家の中のことによく気をつけていますし、ジャックじいさんはまた、畑や家畜かちく面倒めんどうを見ます。二人ともたいへんにいい召使めしつかいです。そして、ポールおじさんにとってはすっかり信用しんようのできる、二人の友だちでもあるのです。二人はポールおじさんが生まれた時も知っていますし、ずっと長い間この家にいるのです。まだ小さかったポールおじさんの機嫌きげんが悪いときに、どれほど始終しじゅうジャックは、やなぎかわふえをつくってはなぐさめてやったかしれません。そしてまたアムブロアジヌおばあさんは、どんなにたびたび、小さいポールがかずに学校に行くようにいきおいづけるために、生みたての卵をゆでてはお弁当べんとうのかごの中に入れてやったでしょう? そういうふうに、ポールおじさんは、お父さんの召使めしつかいの年老としとった二人から大事にされました。おじさんの家はまた、このおじいさんおばあさんの家でもあるのです。あなたにも、ジャックおじいさんとアムブロアジヌおばあさんがどんなにそのご主人を大事にしているか、おわかりでしょう! ポールおじさんのためなら、二人は四つんばいにでもなるくらいなのです。
 ポールおじさんには、家族かぞくがありません。一人ぽっちなのです。が、おじさんは子どもたちといっしょにいる時ほど楽しいことはないのです。子どもたちはだれでも話好きです。また、だれでもあれこれといろんなことをたずねます。心をひかれることは何でもとうと正直しょうじきさでたずねます。ポールおじさんは、自分の兄弟にいろいろたのんでようやくしばらくの間、その子どもたちをおじさんの家にらさせるようにしました。それは、エミルとジュールとクレールという三人の子どもでした。
 クレールは一番年上としうえです。初物はつもののサクランボが出る時分じぶんにはちょうど十二になるのです。ほんのすこし内気うちきですが、よく働く、すなおなやさしいいい女の子です。それにちっとも高慢こうまんなところなどは持っていません。いつでもくつ足袋たびんだり、ハンカチのふちをとったり、学課がっかを勉強したりしていて、日曜日に着物きものはどれにしようかというようなことは考えません。そしておじさんやアンブロアジヌおばあさんにたのまれたことは、すぐにまちがえずにしてしまいます。どんなことでも、自分が役に立つことをうれしそうにして手伝います。それは、本当にいい性質を持った子です。
 ジュールはクレールよりは二つ下です。いくらかやせてはいますが、生き生きした、何でもきつくすえるような性質たちの男の子です。で、何かに気をとられると、夜もねむることができません。何かを知りたいというよくのためには決してあきることを知りません。そして見るもの聞くものが、ジュールには知りたくてたまらないものばかりです。わらきれをひっぱってゆくアリでも、屋根の上でチュウチュウ鳴いているスズメでも、ジュールの注意をひきつけてすっかり夢中むちゅうにさせてしまうのです。そんなときには、ジュールはおじさんにきりのない質問をくりかえします。それはなぜですか? それはどういうんです? というふうに。おじさんは、ジュールのこの好奇心こうきしんを正しくみちびいて行きさえすれば、きっといい結果をあげることができるだろうというので、たいへんに信用しています。けれどもおじさんは、ジュールに一つだけきらいなところがあります。正直にいいますと、ジュールはちょっとした欠点を持っています。それは用心してふせがなかったら、たいへんなことになるものなのです。ジュールは癇癪かんしゃく持ちです。もしジュールにさからうものがあれば、おこって、眼をむいたり、泣いたりわめいたり、また自分の帽子ぼうし腹立はらだたしそうにほうり出したりします。けれども、それは煮立にだっているミルクスープのようなもので、すこしすればすぐにしずまります。ポールおじさんは、ジュールがいい心を持っていることを知っていますから、この悪いくせも軽い小言こごとくらいでなおすことができるだろうと思っています。
 エミルは三人のうちで一番年下です。そしてあば坊主ぼうずです。けれども、それは年からいえば無理むりはありません。もし、だれかの顔にベリー〔ストロベリー、ブルーベリーなど〕がなすりつけてあるとか、またひたいにコブができたとか、指にトゲがささったとかいうことがあれば、それはエミルのせいだとたいていさっしがつきます。ジュールとクレールが書物しょもつをどんなにかよろこぶように、エミルは自分のオモチャ箱をのぞくのが何よりも楽しみです。エミルはいったいどんなオモチャを持っているのでしょう? そこには、ブンブンうなるコマや、赤や青のなまりでつくった兵隊へいたいさんや、いろいろな動物どうぶつでいっぱいになったノアの箱船はこぶねや、ラッパ――これはあんまり騒々そうぞうしい音を出しますから、おじさんからくのをめられています――や、そしてこの名高い箱船の中には、エミル一人だけが知っているいろんなものが入っています。それから忘れないうちに言っておきますが、エミルは、もうよくおじさんにいろいろな質問をします。それだけ物事ものごとに注意をするようになってきたのです。この世の中では、いいコマよりほかにもっとおもしろいことがたくさんあることがわかりだしてきたのです。ですから、いつかエミルが、お話を聞くためにオモチャ箱のことは忘れてしまったというようなことがあっても、だれも不思議がりはしないでしょう。

   二 おとぎ話と本当のお話


 その六人がいっしょに集まったのです。ポールおじさんは大きな書物を読んでいました。ジャックおじいさんはやなぎえだでかごをんでいました。アンブロアジヌおばあさんは糸捲いとま竿さおをまわしていますし、クレールは赤い糸でリンネルのふちをとっていました。ジュールとエミルは、ノアの箱船で遊んでいます。二人はラクダのうしろに馬、馬のあとには犬、それから羊、ロバ、牛、獅子しし、ゾウ、クマ、カモシカその他いろんなものをみんな長い行列ぎょうれつにしあげて、それを箱船までとどかしてしまうと、ジュールもエミルも遊びあきてしまいました。そしてアンブロアジヌおばあさんに言いました。
「おばあさん、お話をしてちょうだいな、おもしろそうなのをね。
 年をとったおばあさんは、紡錘いとくりをまわしながら無雑作ぞうに、こんな話をしました。
「むかしむかし、一匹のバッタが、アリといっしょにいちに出かけました。ところが川がすっかりこおっていました。で、バッタは氷の向こう側の方にんでしまいました。けれどもアリはべないのです。そこでアリはバッタに「バッタさん、わたしをおんぶしてくださいよ。わたしはこんなに軽いんですからさ」とたのみました。けれどもバッタは、「わたしのようにしておびよ」といいますので、アリは飛びました。けれどもすべって足をくじきました。
「氷さん、氷さん、強い者は親切しんせつでなくてはいけないよ。それだのにお前は悪いやつだよ。アリの足なんかくじかせてさ――あのかわいそうな小さな足をさ――」
 とバッタがいいますと、氷が答えました。
「わたしよりお太陽てんとうさんの方が強いよ。あいつはわたしをとかしてしまうからね。
「お太陽てんとうさん、お太陽さん、強い者は親切でなくっちゃならないのにお前はいけないよ。お前は氷をとかすなんて。そして、お前と氷とでのあのかわいそうなアリの小さな足をくじいたんじゃないか。
 すると太陽がいいました。「雲はわたしよりももっと強いよ。わたしをかくしてしまうんだもの。
「雲さん、雲さん、お前は悪いやつだ。強いものは親切でなくてはならないのに、お太陽てんとうさんをかくしたりなんかして。お前とお太陽さんが氷をとかして、お前と氷とでアリの足をくじいたのだよ。あの小さいかわいそうなアリの足をさ。
 すると雲が答えました。「風はわたしたちよりずっと強いよ。わたしたちをばしてしまうんだもの。
「風さん、風さん、強い者は親切にするものだよ。けれどもお前は悪いね。雲を吹き飛ばしてさ。お前と雲とはお太陽てんとうさんをかくしてしまうし、お前とお太陽さんとで氷をとかして、そして氷はまたお前たちといっしょになってアリの足をくじくなんて。――あのかわいそうなアリの足をさ――」
 すると、こんどは風がいいました。
「わたしよりかべの方が強いよ。壁はわたしを通さないんだもの。
「壁さん、壁さん、お前は本当に悪いね。強い者は親切でなくっちゃいけないのに、風を通さないなんて。お前と風は雲を吹き飛ばしてしまうし、雲とお前はお太陽てんとうさんをかくすし、お太陽さんは氷をとかすんだもの。あのかわいそうな小さなアリの足をくじいたのはお前と氷だよ。
 すると壁が、「わたしよりもネズミの方がずっと強いんだよ。ネズミはわたしたちにあなをあけるんだもの。
「ネズミさん、ネズミさん、強いものは――」
「それじゃ、いつまでたったっておんなじことばかりじゃないの、おばあさん。
 エミルがこらえきれないでさけびました。
「そうじゃありませんよ、エミルさん、ネズミのつぎにはネズミを食べるネコが来ます。それからネコを打つ掃木ほうき、それから掃木をく火、火を消す水、水を飲んで咽喉のどのかわくのを止める牝牛めうし牝牛めうしをさすハエ、ハエをかっさらうツバメ、そのツバメをらえるわな、それから――」
「そんなにして、いつまでも同じことが続くんじゃないの?」
 エミルが聞きました。
「あなたのお好きなだけ、いくらでも長く続きますよ。どんなに強いものがあっても、いつも、いくらでも、もっと強いほかの者が出てきますからね。
 アンブロアジヌおばあさんは答えました。
「でも、おばあさん」とエミルがいいました。「ぼく、そのお話はあきちゃったよ。
「では、別のお話をいたしましょう。昔、一人の樵夫きこりがおかみさんといっしょに住んでいました。二人はたいへん貧乏びんぼうでした。この樵夫きこり夫婦ふうふには七人の子どもがありました。その一等下の子はそれはそれは小さくて、その寝床ねどこ木靴きぐつにあうくらいでした。
「ぼく、その話は知ってるよ。」とまたエミルが口出しをしました。「その七人の子どもたちが森の中で、迷子まいごになるのさ。はじめのときには一寸いっすん法師ぼうしが白い小石で道にしるしをおいたけれど、そのときにはパンくずをまいておいたものだから、鳥がみんなそのパンくずを食べてしまって、道がわからなくなったのさ。それで一寸法師が木のてっぺんにのぼると、遠くの方にが見えるので、みんなでタッタッとけ出して行ってみると、それは人食いおに住居じゅうきょだった、というんだよ!」
「その話の中には、本当のことがないな」とジュールがいいました。「せむしのネコの話にだって、シンデレラの話にだって、青ひげの話にだって、やっぱり本当のことがないんだ。あれはみんなおとぎ話で、本当の話じゃないんだ。ぼくはもう聞くならすっかり本当の話が聞きたいな。
 本当の話、という言葉で、ポールおじさんは大きい書物を閉じて、頭をあげました。アンブロアジヌおばあさんの古いお話よりはずっとおもしろくてためになるような話を持ち出すのに、みんなの話の向きをかえるいいおりがきたのです。
「わたしは本当のお話を聞きたがっているお前に賛成さんせいします。」とおじさんがいいました。「お前はその本当の話の中にでも不思議なことを見つけだすだろう。そしてその話は、お前くらいの年ごろの者をよろこばせもするだろうし、また、お前の年になれば自分でよく考えねばならない。後々のちのちの生活の準備じゅんびにもじゅうぶんに役に立つだろう。本当の話は人食いおにが新しい血をかぎ出す話や、妖精おばけとうなす〔カボチャの一種〕を馬車にしたりトカゲを従者おともけさせたりする話よりは、もっと本当におもしろいはずだ。それともほかにもっといい話があるかい? 本当の話と、取るにもたりない作り話とをくらべてごらん。本当の話はみんな神さまの仕事で、作り話は人間のゆめなのだよ。アンブロアジヌおばあさんは、氷をわたってみようとして足をくじいたアリの話でお前をおもしろがらせることができなかったね。わたしはもっとうまく話せるかもしれない。だれか本物のアリについての本当の話を聞きたい人があるかね!」
「わたし! わたし!」エミルも、ジュールも、クレールも、みんないっしょにさけびました。

   三 アリの都会とかい


「アリは立派な働き手だ。」とポールおじさんは話はじめました。「わたしはいくども朝の太陽があたたかくりはじめる時分じぶんに、アリたちが小なアリづかのまわりをとりまいて働いているのを見て楽しんだ。アリ塚にはどれにもめいめいにそのてっぺんに、出入口になるあながあいているのだ。
「そのつかの穴の口に、ある一匹が底の方から出てくると、いくらでもあとからあとからと続いて出てくる。そしてそのアリたちはみんな体のわりには重すぎるくらいの、小さな土のつぶをくわえて運んでいる。塚の頂上にくと、アリはその重荷おもにをおろして、塚の勾配こうばいを転がしおろすのだ。そして、すぐにまた中におりてゆく。アリたちは、途中で遊んだり、ちょっとの間でも仲間なかまと立ち止まっていっしょに休むなどということはないのだ。それどころか! アリたちの仕事は大いそぎなのだ。そしてうんと働かなければならないのだ。どれもどれも大まじめで、くとすぐ土のつぶを置いては、また他のをさがしにおりて行く。アリたちはいったい、どうしてそんなにいそがしがっているのだろう?」
「そのアリたちは、地の下に、まちや広場や、合宿所がっしゅくじょや、くらなどで、一つの町をつくっているのだ。自分や家族たちの住居をっているのだ。アリたちはその町や坑道こうどうを雨がしみとおさないような深いところでっている。そして、その坑道こうどうというのは、長い大通おおどおりりのまちになったり、小さなわかれ道になったり、ほかの道とあっちこっちで交差こうさしたり、のぼりになったりくだりになったり、大きな会堂かいどうの中に通じたりしているのだ。そして、そうしたたいそうな仕事は、みんなアリたちのあごの力でひき出されたひとつぶひとつぶ成就じょうじゅされるのだ。もしだれでも地面の下で働いているくろ坑夫こうふどもの軍隊ぐんたいを見ることができたら、その人は感心かんしんしないではいられないだろう。
「その地面の下のまっくらな深いあなの中では、土をひっかく者や、くわえる者や、ひきずる者や、数千のアリが働いている。その辛抱しんぼう強いこと! そのひどいほねおり! そして、とうとう砂つぶが道をあけると、アリたちが自慢じまんらしく頭を高くあげて、さも得意とくいそうにそれを運び上げてはじめることといったら! そのアリたちの頭は、つか頂上ちょうじょうまで着くと、すっかり自分たちの体がつかれてしまうくらいの、たいへんな重荷おもにの下でグラグラしているのをわたしは見た。アリたちは仲間なかまとぶつかりながらも「わたしの働きを見てくれ」といっているように見える。そしてだれも自分の働きに対するその立派りっぱほこりをとがめはしない。すこしずつ、町の門というような穴のふちに、土の小さい塚がつみあげられる。その塚の土は、つくっている町の材料をけずったものなのだ。で、大きい塚なら地面の下の住居じゅうきょはやはり大きいのだということはすぐわかる。
地面じめんの下で坑道こうどうりさえすれば、それでアリの仕事はおしまいかというと、決してそうではない。弱いところを固めてすべりをふせがなければならないし、はしら円天井まるてんじょうをささえたり、仕切しきりもつくらねばならない。大勢おおぜい坑夫こうふたちは、そのときには大工だいくたちの手伝てつだいになるのだ。最初にはアリづかから土を運び出す。そのつぎには建築けんちく材料ざいりょうを持ちこむのだ。その材料というのは、建物たてもの似合にあいな、はりだとか、小さな枕木まくらぎとかいうふうな材木のれだ。ほんの小ちゃなわらくずでも、天井てんじょうのしっかりしたはりになるし、よごれたっぱのくきでも強い円柱まるばしらになるのだ。大工だいくたちは、近所の森ともいうような草むらの中を探険たんけんしてそれらの木切きぎれをえらぶのだ。
「いいものが見つかつた! むぎつぶのカラだ。それはたいへんうすくってよごれている。が、しっかりしている。それは下のほうでアリたちがつくっている建物たてもの仕切しきりには上等じょうとうの板がつくれるだろう。けれども重いのだ。途方とほうもなく重いのだ。アリがそれを見つけ出す。そして六本の自分の足で剛情ごうじょうに後ろの方にひっぱろうとする。ダメだ。重いかたまりは動かない。けれどもアリはその小さい体にありったけの力でもう一度ひっぱってみる。麦ガラはほんのちょっと働くだけだ。で、アリは自分の力におよばないとあきらめる。そして行ってしまう。ではその麦のカラをすてたのだろうか? どうして、どうして! その時は一匹でも、その一匹はかならずそのことをしとげねばおかぬ辛抱しんぼう強さを持っているのだ。だから、その行ってしまったアリは、そこに二匹の手伝いをつれてひきかえしてくる。そしてその一匹はすぐに麦のカラの前のほうをとらえる。ほかの者たちは大いそぎでその両側りょうがわにまわる。そしてその麦ガラを転がす。前へ進んで行く。うまくゆきそうだ。そこは歩きにくい。けれどもアリたちはこの荷物もつをかついだアリにあうと、みんな道をゆずるのだ。
「けれども、まだ、すっかり仕事をやりとげるのに困難こんなんがなくなったというわけにはゆかない。麦ガラは地下の町の入口まで行った。が、その麦ガラはいまは簡単かんたんにはあなの中にはいらないようになった。その麦ガラはゆがんでいる。穴のふちとは反対の方にかたむいているのだ。手伝いどもはしあげる。十ぺんも二十ぺんも一つほねおりをやる。が、ダメだ。で、その二匹か、あるいは三匹とも、機械師きかいしたちのように、たい解散かいさんして、このどうしてもてない不可抗力ふかこうりょく原因げんいんをさぐりに出かける。故障こしょうはすぐにわかった。アリどもはその麦ガラをすっかり持ち上げなければならないのだ。麦ガラはその一端いったんが穴の口からき出すくらいまでほんのすこしの間をひっぱられる。それから、その突き出した方のはしを一匹のアリがとらえると同時に、ほかのアリどもは地面についている方のはしを持ち上げる。すると、その麦ガラはでんぐりがえって穴の中に落ちる。しかし、大工だいくたちがそれを側面そくめんにくっつけるまでは、用心ようじんぶかくつかんでいるのだ。お前たちはたぶん土を運んでいるほかの坑夫こうふたちが、その不思議ふしぎ機械的きかいてきな働きをおもしろがってその前に立ち止まったろうと考えるだろうね。だがアリは、ちっともそんなひまは持たないんだよ。みんなその坑夫こうふたちは、大工だいく仕事とはべつに、り出した材料ざいりょうの土の荷物にもつといっしょにズンズン通って行くのだ。アリどもの熱心ねっしんさは、はりを動かす下にでもビッコになるのもかまわずに大胆だいたんにすべりこんで行くくらいだ。
「だれでも、そんなに働いては食べなければいられない。はげしい運動うんどうほど食欲しょくよくをおこさすものはない。そこでちちしぼりのアリはれつをぬけて行って、乳を持った牝牛うしから乳をしぼって労働者ろうどうしゃのアリたちにくばるのだ。
 すると、エミルがふきだしました。
「それは、きっと本当じゃないんでしょう?」とおじさんにいいました。ちちしぼりのアリだの、牝牛めうしだの、乳だなんて! やっぱりアンブロアジヌおばあさんが話すようなおとぎ話です。
 ポールおじさんの使ったみょうな言いまわしにおどろいたのは、エミル一人ではありませんでした。アンブロアジヌおばあさんは、しばらく糸車いとぐるまをまわしませんでした。また、ジャックおじいさんもやなぎむのをやめました。ジュールもクレールもをまるくしました。みんなそれを冗談じょうだんだと思ったのです。
「いいえ、ぼうや、わたしは冗談じょうだんなんか言いやしないよ。わたしは本当のお話をおとぎ話なんかに変えやしないよ。乳しぼりも牝牛めうしも、みんな本当にあるのだよ。けれども、そのいを説明せつめいする、この話のつづきは、明日のばんまでおあずかりにしよう。
 エミルはジュールをすみっこのほうにひっぱって行って言いました。
「おじさんの本当の話はたいへんおもしろいのね。アンブロアジヌおばあさんのおとぎ話よりもよっぽどおもしろいや。あの不思議な牝牛めうしの話がすっかり聞ければ、ぼくはもうノアの箱船はこぶねなんかどうなってもいいな。

   四 牝牛めうし


 つぎの日にエミルは、をさますかさまさないうちから、アリの牝牛めうしのことを考えはじめました。
「おじさんに、あの話のつづきを今朝けさしてくれるようにたのまなくっちゃ。
 エミルはジュールにいいました。そして大いそぎでおじさんを見に行きました。
「アハ!」おじさんは二人のたのみを聞くと、大きな声を出しました。「アリの牝牛めうしの話がそんなにお前たちの気に入ったかい。では、お前たちにその話をして聞かすより、もっといいことをしよう。お前たちにそれを見せてあげよう。まず、クレールをおび。
 クレールは大いそぎできました。おじさんはみんなをにわのニワトコのしげった下につれて行きました。そしてみんなは、つぎのようなことを見たのです。
 そのしげみは花でまっしろでした。ハチや、ハエや、カブトムシや、チョウが、ねむくなるようなかすかな音をたてて、あちらこちらの花から花へびまわっていました。ニワトコのみきでは、その木のかわすじの間をたくさんのアリが、のぼったりくだったりしてはっていました。そしてのぼるアリのほうがずっと一生いっしょう懸命けんめいでした。そのアリどもは時々、道で立ち止まってほかのアリとどうのぼって行くかについて相談しているように見えます。そしてまたすぐにいっそう熱心にはいあがって行きます。おりてくるアリたちはゆっくりとした様子で小さな足どりで来ます。そして自分から足をとめて休んだり、のぼってくるアリに忠告ちゅうこくをしてやったりします。だれでものぼって行く者とりる者の熱心ねっしんさのちがう原因げんいん容易よういさっすることができます。おりてくるアリたちの胃袋いぶくろはふくれて、重くて、不格好ぶかっこうなほどいっぱいになっています。のぼって行くアリたちの胃袋はうすくてペチャンコにたたまって、ひもじさにいています。それを間違まちがいっこはありません。降りるアリたちは、たくさんなごちそうを食べて、ノロノロと家に帰っていくのです。のぼる方のアリは、からっぽの胃袋いぶくろをいっぱいにしようとする熱心ねっしんさで、しげみの中をおそうて、おなじごちそうのところに走って行くのです。
「アリたちはニワトコの上で、胃袋をいっぱいにする何を見つけたのです?」とジュールがたずねました。「そこにいるのなんか、やっと体といっしょに胃袋をひきずっているじゃありませんか。大食おおぐいだなあ。
「大食い? そうじゃない。」とポールおじさんはジュールの言ったことをなおしました。「あのアリたちは、もっとえらい目的もくてきでたらふくうのだ。このニワトコの上のほうにたくさんの牝牛めうしがいるのだ。おりてくるアリたちは、ちょうど今その牝牛めうしからちちをしぼってきたところなのだよ。ふくれたおなかをひきずって行くのは、アリづか殖民地しょくみんち共同きょうどう食物しょくもつのミルクを運んでいるのだ。では、その牝牛めうしから乳をしぼるところを見ようかね。けれどもことわっておくがね、その牝牛めうしむれを、人間のと同じように思ってはいけないよ。その牧場ぼくじょう一枚いちまいっぱで用にたりるのだからね。
 ポールおじさんはニワトコのえだの先を、子どもたちに見えるくらいまで引きおろしました。そしてみんなで、よく気をつけて見ました。木のやわらかいところや葉のうらにはかぞえることもできないくらいにビッシリくっつきあって、くろなビロウドのようなシラミがしっかりくっついていました。そのシラミは、毛よりも細い吸盤きゅうばんかわの中につっこんで、すこしもその位置を変えずに、ニワトコの樹汁で無事ぶじはらをいっぱいにしているのです。そのおしりの先に小さくてあなのある二本の毛を持っています。その二つのくだからは、よく気をつけて見ると砂糖水さとうみずのような小さなしたたりが、ときどきもれ出しているのが見えます。この黒いシラミはジラミといって、これがアリの牝牛めうしなのです。その二つのくだ牝牛めうし乳房ちぶさで、そのはしからしたたる液体えきたいちちなのです。牝牛めうしかさなりあうようにくっついているそのなかやその上までもはいまわって、えたアリたちはあちらこちらのシラミの間を行ったり来たりして、そのうまいしたたりの出るのを見守みまもっています。そして、それが見つかればすぐに走って行てそれをんで楽しんでいます。そして小さい頭をあげて、おお、なんてうまいんだろう、おお、これはなんてうまいんだろう! といっているように見えます。そして、また、ほかの一口ひとくちのミルクをさがしに行くのです。けれども、ジラミは乳をおしみます。いつもそのくだから流し出しはしないのです。そのときにはアリは、乳しぼりがその牝牛めうしの乳にするように、やさしく木ジラミの背中せなかをいくどもなでさすってやります。同時に触角しょっかくという、そのほそいしなやかな小さなつのでそっとをたたいたり、乳管にゅうかんをさすったりします。このアリの仕事はたいていうまくゆくのです。このおとなしいやり方で、どうして成就じょうじゅしないことがありましょう! 木ジラミはけてしまいます。そしてひとたらしのしずくを見せます。それはすぐになめつくされてしまうのです。けれども、アリはその小さなはらがまだいっぱいにはならないというように、ほかの木ジラミをなでに行ってしまいます。
 ポールおじさんはえだはなしました。枝ははねかえってもとの位置に返りました。ちちしぼりも、牛も、牧場ぼくじょうもたちまちニワトコのしげみの頂上ちょうじょうに行ってしまいました。
「まあ、不思議ですのねえ、おじさん。」とクレールがさけびました。
「不思議だねえ。だが、ニワトコばかりがアリの牝牛めうしどものいるヤブではないんだよ。ジラミはほかのいろんな木にも見つけることができるのだ。キャベツやバラのヤブにたかっている木ジラミは緑色みどりいろをしているし、ニワトコや、豆や、ケシや、イラクサや、やなぎ、ポプラのは黒、かしとアザミのは青銅色せいどうしょく夾竹桃キョウチクトウやクルミとかハンノキとかにつくのは黄色きいろだ。みんな二つのくだを持っていて、それからあまいしるをしみ出させて、おたがいにアリのごちそうのために競争きょうそうしているのだ。
 クレールとおじさんは、家に入りました。エミルとジュールとは今見たことに夢中むちゅうになって、木ジラミを他の木でさがしはじめました。そして二人は一時間とたたないうちに、四種類しゅるいの木ジラミを見つけました。そしてどの種類もみんな不公平ふこうへいなく見舞みまうアリたちをもてなしていました。

   五 牛小舎しょうしゃ


 夕方、ポールおじさんはまた、アリの話のつづきをはじめました。ちょうどそのときに、ジャックは、いつもするとおりに、牡牛おうしまぐさを食べているかどうか、そしてごちそうを食べた子牛どもが無事ぶじに母親のそばでねむっているかどうか、と家畜かちく小屋を見まわってきたところでした。そして、もうやなぎのかごをあむ仕事がおしまいになったというので、そこにこしをすえていました。ジャックもアリの牝牛めうしの本当のわけを知りたいのです。ポールおじさんは、今朝けさみんながニワトコの木で何を見たか、また、ジラミがどうしてあまいしずくをそのくだからしみ出させるか、アリがどうして、その結構けっこうしるむか、そしてどうしてそれを知ったか、もし必要なときには木ジラミをなでさすってもそれを手に入れる、ということまでくわしく話して聞かせました。
「あなたがわたしどもに話してくださいましたことは……」とジャックがいいました。「わたしのように年老としおった者でも動かされます。そして神さまがご自分でおつくりになったものに、どんなに気をおつけになっているかがよくわかります。神さまはちょうど人間に牝牛うしをあてがってくだすったように、アリには木ジラミをおあてがいになったのですね。
「そうだ、ジャックや……」とポールおじさんは答えました。「それはみんな、神さまに対するわたしたちの信仰しんこうさせるのだ。神さまのからは何物なにものものがれるものはないのだ。考え深い人には、花の底からみつをすうカブトムシも、けるようなかわらから雨だれを取るコケのふさも、神さまのいつくしみを証拠しょうこ立てているのだ。
「そこで、わたしの話にもどろう。もし、わたしたちの牝牛めうしが村をぶらつきまわったら、わたしたちはちちをとるのに、遠い牧場ぼくじょうまで厄介やっかいたびをしなければならないことになる。それもきまりのないどこかで見つけ出さなければならないし、見つからないこともあるだろう。それはわたしたちにはたいそうほねれる仕事となり、そしてまた、しょっちゅう乳をしぼることができないこともあるだろう。そのときに、わたしたちはそれをどういうふうにあつかったらいいだろう? わたしたちはその牝牛めうしどもをかこいや小舎こやの中に入れて、手のとどくところにおく、アリも時としては木ジラミにそうする。アリどももこの厄介やっかい日課にっかをときどきけるために、その畜牛ちくぎゅうどもを自分たちの草場くさばの中におく。だが、そればかりではない。いまかりに、アリがその無数すうの牛や牧場のために、じゅうぶん大きな草場をつくることとする。どうして、たとえば今朝けさわたしどもが見た黒いシラミほどの数をアリがかこえるだろうか? そんな途方とほうもないことはできない。ほんのちょっとシラミのついた草があるとする。かこいのできるのはそんな草なのだ。
「アリはそのわずかばかりの木ジラミを見つけると、小舎しょうしゃてて、そこに木ジラミをかこって、強い太陽たいよう光線こうせんをさえぎる。そしてアリ自身もおりおりそこへ入って、牝牛めうしを手のとどくところに置いて、ゆっくりと乳をしぼる。その目的で、アリどもは、草の根の上の方がむきだしになるくらいに、草むらの下の土をうつしはじめる。そのむきだしになったところが、自然の骨組ほねぐみとなって、その上へ建物をつくるのだ。それには、この骨組みの上へ湿しめった土のつぶを一つ一つつみあげていって、木ジラミのいるところまで円天井まるてんじょうのようなもので、くきをかこむ。そしてこの小舎しょうしゃに出入りするための出入口をつくる。それで小舎はできあがったのだ。すずしくしずかで、そして同時に食料もじゅうぶんあるのだ。このうえもない幸福こうふくなことだ。牝牛めうし無事ぶじにそこのまぐさだなにいる。すなわち木の皮にひっつけてある。アリどもは家の中にいて、その木ジラミのくだからおいしい乳を腹いっぱいに飲むことができるのだ。
「が、この粘土ねんどでつくった小舎しょうしゃは、大いそぎで、すこしばかりの労力ろうりょくでつくったものなので、たいした建物ではない。ちょっと強くてばすぐにこわれてしまう。なぜこんな一時的の建物をつくるのに、あんなほねおりをするのだろう? が、高山こうざん羊飼ひつじかいは、一か月か二か月しか使わないそのまつえだの小舎をつくるのに、もっとほねおりはしないか。
「アリどもは、木ジラミを草むらの底の方にすこしばかりかこっておくことでは満足まんぞくしない。彼らはまた、その囲いの外の遠くで見つけた木ジラミをそこへ持ち運んでくる。こうして彼らは、その不十分な牛のむれをおぎなう、という人がある。わたしはアリにそうした先見せんけんのあることにはべつにおどろきもしない。しかし、わたしはそれを自分で見たことはないから、たしかにそうだとはいえない。わたしが自分の眼で見たのは、ただ木ジラミの小舎があることだ。もしジュールがこの夏のあつい日にいろいろな盆栽ぼんさいの根の方に気をつけていたら、きっとそれを見つけることができるだろう。
「きっとですか? おじさん」とジュールがいいました。「ぼく、それを見よう。そのめずらしいアリの小舎を見たいな。それからおじさんはまだ、あのアリがうまく木ジラミのむれを見つけた時にどうしてあんなにたらふく食べるのかってことを、ぼくたちに話してくれなかったじゃありませんか。おじさんは、あのニワトコを大きなおなかをしてりてくるアリどもは、アリづかの中でその食べ物をわけるのだといいましたね。
「アリは自分だけでごちそうを食べることもある。それは決して悪いことじゃない。だれでも他人のために働く前に、まず自分の元気げんきをつけなくちゃならない。しかし自分が食べるとすぐに、ほかのひもじい者のことを考えるのだ。人間の間では、いつもそうはいかない。人間は自分がごちそうを食べれば、ほかの者もみんなやはりちゃんとごちそうを食べているものと思うものがある。そんな人間のことを利己主義者しゅぎしゃというのだ。お前たちも、このつまらない名前のつくようなことをしないようにしなければならない。アリはごくつまらない小さな生き者だが、この小さな生き者の手前てまえだけでも、そんな名前はじなければならない。そこでアリどもは満足まんぞくすると、すぐえているほかのアリのことを思い出す。だから、その液体えきたいの食べ物を家に持って帰るために、そのたった一つのうつわの中にそれをいっぱいにつめこむのだ。それがすなわち、はちきれそうなあのおなかなのだ。
「さて、アリどもはそのふくれたお腹をかかえて帰ってゆく。そのお腹はほかの者が食べてもいいたくさんの食物しょくもつがつまっているのだ。坑夫こうふ大工だいくやその他の労働者ろうどうしゃたちは町の建築けんちくに体を働かせながら、それをちこがれて熱心ねっしんに働き続けている。そのアリどもはさしせまった作業さぎょうのために、自分たちで出かけて行って木ジラミをさがすということはできないのだ。一匹の大工がそのお腹のふくれたアリに出会であう。すると、すぐにその大工は自分の持っているわらをおろす。そして二匹のアリはちょうどキッスでもするように口と口とをくっつける。そしてそのちちを持ってきた方のアリは、そのはちきれそうな腹の中につまっているものをほんの少しはき出すのだ。そして、もう一匹のアリは夢中むちゅうになってそれを飲むのだ。うまい! そしてこんどは、まあなんという元気のいい働き方だろう? 大工はまたわらをかついで行ってしまうし、乳くばりは、自分のくばる道を歩きつづける。そして他のえたアリに会う。またそれとキッスをする。口から口にしるをはき出して入れてやる。そうしてこのアリどもは、そのはちきれそうなお腹がからになるまでわけてやるのだ。乳しぼりのアリは、それからまたお腹をいっぱいにしにもどって行く。
「で、お前たちは、自分で食べ物のところまでゆけない労働者ろうどうしゃのアリどもが口いっぱいに食べ物をつめこむのには、一匹の乳しぼりからのではじゅうぶんでないことが想像そうぞうできるね。それはたくさんの乳しぼりがいる。そしてまだ、地面じめんの下のあたたかい寝所ねどこにも腹のへっているアリがうんといるのだ。それは若いアリで、家族かぞくや町の大事だいじなものなのだ。わたしはお前たちに、そのアリも他の昆虫こんちゅうと同じように、鳥のたまごのような卵からかえるのだということをお話ししなければならないね。
「いつだか……」とエミルが口を入れました。
「ぼくね、石をおこして見たら、小さい白いつぶがどっさりあって、それをアリがいそいで地の下に運んでゆきましたよ。
「その白いつぶがたまごだ。」とポールおじさんがいいました。「その卵をアリどもは地面の下の方のその住居じゅうきょから持って上がってきて、石の下で太陽たいようねつにその卵をあててかえさせるのだ。だから、その石が持ちあげられたときには卵にあやまちのないように、安全あんぜん場所ばしょに持ってゆこうとしてあわててりてゆくのだ。
「卵から出てくるのは、お前たちの知っているアリの形をしてはいない。それは白い小さなウジむしで、足もないし、まったくよわよわしい動くこともできないくらいだ。アリづかの中にはこの小さなウジむしが何十といるのだ。アリはちっとも休みなしに、そのどれにもこれにもひとくちずつ食べ物をわけてやるのだ。そして、それがそだっていって、何日いつかアリになるのだ。そこで一つ、その寝所ねどこにいっぱいになっている小さい虫を一匹そだてるのに、いったいどれだけの木ジラミをしぼり、どれだけのアリが働かなければならないか考えてごらん。

   六 利口りこうぼうさん


「大きいんだの小さいんだの、アリづか方々ほうぼうにありますよ。」とジュールがいいました。「庭の中でだって、ぼくは一ダースぐらいかぞえることができたんだもの。一つのからなんかアリが出てくると道が真っ黒なくらいどっさりいましたよ。あんなのは小さい虫をみんな育てるのに、よっぽどたくさんのジラミがいりますね。
「それはたいへんなもんだよ。」とおじさんはジュールに話しました。「が、アリは決して牝牛めうし不足ふそくすることはないだろうよ。そして木ジラミは不足しないどころか、それよりもっとたくさんいるんだよ。それはときどき、わたしたちのキャベツの収穫とりいれがうまくゆくかどうかをまじめに心配しんぱいさすほどたくさんいるんだ。この小さなシラミが、人間に戦争せんそうをしようというんだ。こんな話がある。それは、このことがよくわかるからお聞き。
むかし、インドに一人の王さまがあった。その王さまは人困ひとこまらせのくせがあった。その王さまをなぐさめるために、あるぼうさんが将棋しょうぎあそびを工夫くふうした。お前たちはその遊びを知るまいね。よろしい。それはね、あの碁盤ばんのようなばんの上で、両方にわかれて一方は白、一方は黒で、そつ騎士きし僧正そうじょうしろ・女王・王、というようにいろいろちがった棋子きしをならべてじんだてをする。そして戦いをはじめる。そつはただの歩兵ほへいで、いつも、戦場せんじょうでの最初の名誉めいよの戦死をすることにきまっている。王さまは堂々どうどう守護しゅごされて、遠くの方から卒どもが敵をおっぱらうたたかいの様子を見ている。騎士きしけんで手あたりしだいに左右のてきを切りまくる役目やくめだ。僧正そうじょうたちでさえもやっきになって戦う。そしてしろ軍隊ぐんたいでその側面そくめんまもられながら、あちらへ行ったりこちらへ行ったりして、うつりまわる。勝利しょうりけっした。黒の方の女王が捕虜ほりょになった。王は城をなくした。ある騎士と僧正とが王のげ道をつくるために非常ひじょうな働きをする。けれども、それもとうとう屈服くっぷくする。王はとうとう王手詰てづめになってける。勝負はおしまいになる。
「この巧妙こうみょう勝負事しょうぶごとは戦争をかたどったもので、その人困ひとこまらせの王さまを非常に満足まんぞくさせたのだ。で、王さまは坊さんに、その発明はつめいをしたごほうびに、何かのぞみがあるかどうかたずねた。
「ほんのちょっとしたことで結構けっこうでございます」と、この発明者はつめいしゃは答えた。貧乏びんぼうな坊主を満足させるのはたやすいことでございます。なにとぞわたしに、小麦こむぎのつぶを、将棋盤しょうぎばん最初さいしょには一つ、そのつぎの目には二つ、三番目の目には四つ、四番目のには八つ、というように小麦のつぶの数をばいにして最後さいごの目までふやして勘定かんじょうしていただきます。ばんの目は六十四あります。それだけいただければ、わたしは満足いたします。また、わたしの青いハトも、その小麦で幾日いくにちかをじゅうぶんにささえることができましょう。
「こやつはバカだな。」と王さまは心の中で言った。「大金持ちにだってなれるのに、この坊主はわしにたったひとにぎりの小麦をねだったりして。」そして自分の家来けらいの方をふりむいて言った。金貨きんかを千枚ずつ十の財布さいふに入れてこの男にやれ。それから小麦を一俵いっぴょうほどやれ。一俵あれば、この男がおれにねだった小麦の百倍にもあたるだろう。
信仰深しんこうぶかい王さま!」と坊さんが答えました。「金貨の財布さいふは、わたしの青いハトにはようがないのでございます。わたしには、なにとぞ、わたしがおねがいいたしました小麦をいただかしてくださいませ。
「よしよし、では一俵いっぴょうの小麦のかわりに百俵もいるか。
正直しょうじきもうしますと、それでも不十分ふじゅうぶんでございます。
「では千俵か。
「どういたしまして。わたしの将棋盤しょうぎばんの目はちゃんときまった数しか持ってはおりません。
 この間に家来けらいたちは、千俵の中味なかみの中には、六十四を六十四度倍加ばいかした麦つぶがないという、坊さんの不思議ないいぐさにおどろいて、ヒソヒソ話しあっていた。王さまはとうとう辛抱しんぼうしきれずに、学者がくしゃたちを集めて坊さんの要求ようきゅうした小麦のつぶの計算をさせた。坊さんはそのひげづらの中にひとくせありそうなわらいをうかべて、遠慮えんりょしてわきの方にしりぞいて、計算の終わるのをっていた。
 みるみる計算者のペンの下では数字がズンズンふえていった。そして計算がすんだ。そして一人が頭をあげた。
「王さま」とその学者はいった。「計算はすみました。その坊さんの要求を満足さしてやりますには、あなたの穀倉こくそうの中にある小麦だけではたりません。町じゅうにあるだけでも、国じゅうにあるだけでもたりません。世界じゅうのでもたりません。要求されたりょうの小麦つぶで、海とりくとをよせた大地球ちきゅう全体ぜんたいを、指の深さにちっとものないようにおおうてしまうことができるほどなのです。
 王さまは、自分でその小麦のつぶの勘定かんじょうができなかったのをおこって自分のひげをかんだ。そしてこの有名な将棋しょうぎの発明者は、一番位置の高い大臣だいじんになった。利口りこうな坊さんは最初からそれをのぞんでいたのだ。
「その王さまのように、ぼくだってその坊さんのわなにおちたでしょう」とジュールがいいました。
「ぼくもひとつぶを六十四へん倍加ばいかするといってもたったひとにぎりの小麦をやったろうと思いますよ。
「これでお前たちは……」とポールおじさんは返事へんじしました。かずというものはどんなに小さくても、おなじ数字を何べんも倍加してゆくと、ちょうどゆきたまをころがして大きくしていると、わたしたちのせいいっぱいの力でも動かすことのできないような、たいへん大きなたまになるのとおなじに、莫大ばくだいなものになるということがわかるようになったろう。
「その坊さんはたいへんずるかったんですね。」とエミルがいいました。「自分の青いハトにやるすこしの小麦で自分が満足まんぞくするようなことを言って、ほんの少々しょうしょうねだるように見せかけておいて、じつは王さまの持っているのよりももっとたくさんのものをねだったりして。その坊さんっていうのは何ですか? おじさん。
東洋とうようの方のある宗教しゅうきょうぼうさんなんだ。
「おじさんは、王さまがその坊さんを地位ちいの高い大臣だいじんにしたといいましたね。
「地位のある大臣たちの中でも、一番地位の高い大臣だ。坊さんは、そのときから国じゅうで王さまにぐ一番えらい役人やくにんになったのだ。
「ぼく、坊さんがその金貨きんかが千枚ずつ入った十の財布さいふをことわったというのにはちょっとおどろきましたよ。だけども、坊さんはそれよりはもっといいものをっていたんですね。十の財布さいふはいつまでもそのままになってはいませんからね?」
「その金貨一枚は、十二フランのうちがあるのだ。だから王さまが坊さんにやろうとして持ち出した総計そうけいは十二万フランと、そのほかに小麦のふくろだ。
「そして坊さんは、小麦のつぶを六十四度倍加ばいかしたものをいただきたいともうし出たんですね。
「そのことにくらべれば、王さまから坊さんに持ち出したものなんか、なんでもなかったのだ。
「が、おじさん、ジラミの話は?」とジュールがたずねました。
「この坊さんの話は、すぐにその木ジラミの話とむすびつく」と、おじさんはジュールに言ってやりました。

   七 無数むすう家族かぞく


「一匹のジラミについて考えると……」ポールおじさんはつづけました。「バラのヤブのやわらかい若枝わかえだに木ジラミがついたばかりのときには、一匹ずつはなれている。みんな一匹ずつだ。けれども、しばらくすると若い木ジラミがそのまわりをとりまいている。その若いやつはみんな子どもなのだ。そのたくさんなことといったら! 十、二十、百、たとえば十とする。それで木ジラミはその種族しゅぞく維持いじしていくのにじゅうぶんだろうか? もっとも、バラのヤブから木ジラミがいなくなったところで、そんなことはどうでもいいことのようだがね。
「でも、アリたちが一等いっとうかわいそうですものね。」とエミルがいいました。
「うん、それもある。が、十匹の木ジラミでその種族しゅぞくをじゅうぶんに維持いじしてゆけるかどうかということは、学問がくもんのうえからいって決してつまらない質問しつもんではないのだ。
「一匹の木ジラミが、十匹の木ジラミになるとする。もっとも本当は、この虫がいろんなことでころされるのを勘定かんじょうに入れると、それでは多すぎるのだがね。一匹が一匹にかわっていけば、いつまでたってもその数はおんなじだ。が、一匹が十匹になっていけば、ほんのちょっとの間で、その数は勘定かんじょうのできないくらいにえる。ぼうさんの考えた小麦のつぶを六十四度二倍したものは、地球全体を指の深さの小麦のゆかでおおうようになるのだ。が、もしそれを二倍するかわりに十倍にしたらどうだろう! 一匹の木ジラミの子孫しそんを十倍することを続けていったら、数年の後には世界じゅうが木ジラミでいっぱいになってしまうだろう。けれどもそこには、という大きながある。この死は、あまりにひろがりすぎる生物をらして、生物の間の調和ちょうわをよくし、そしてまた、すべての生物をたえずわかくしてゆく。バラの木の一番安全に見えるようなところにでもたえず、この死がおそうてくるのだ。まず小さいのや、弱いのは、この牧場ぼくじょうのいろんな大食家たいしょくかどもの毎日のパンになる。そういうふうに、小さい弱い木ジラミは、そういくつもの危険きけんにさらされないでも、自分を保護ほごする何の方法もないのだ。小鳥がそのするどいで、木ジラミでできたシミを見つけ出すが早いか、ひっさらって、まるでアペタイザ〔食前酒または前菜ぜんさいのこと。でも食べるように、いっぺんに幾百いくひゃくもそれをんでしまう。そして、もしそれが虫だったら、もっとずっと欲張よくばるのだ。かわいそうな木ジラミよ! あのおそろしい虫は、お前を食べて生きているように、特別とくべつにつくられて生まれてきているのだ。けれども、神さまはきっとかわいそうな生き物のお前を、本当にあぶないお前の種族しゅぞくのために保護ほごしてくれるだろう。
「このらしやは、きれいな緑色で、背中に白いすじを持っていて、そして前の方が細くなって後ろへふくれている。その虫のことを、木ジラミの獅子ししというのだ。なぜなら、アリたちののろまな牝牛めうしらすところから、自然しぜんにそういう名になってしまったのだ。そのとがった口で、よくふとった大きい一つをひっとらえると、すぐにそれを飲む。そしてそのかわは投げすてる。それはむごすぎるくらいだ。そのとがった頭は、また低くなる。つぎの木ジラミをとらえる。からおこして飲む。そうして二十番目の、百番目のと、つぎからつぎへと飲んでゆく。のろまな牝牛めうしどもは、そのむれがだんだんまばらになってきて、おそろしいことが近づいてくるということも知らないのだ。つかまった木ジラミは獅子ししきばの間でもがいている。ほかの者はなんの出来事できごともないように呑気のんきに食べつづけている。
「この木ジラミの獅子ししは、はらの中のものが消化しょうかするまで、牝牛めうしどもの中に気楽きらくにうずくまっている。けれども、その消化は非常に早い。そしてその間にもうこのガツガツした虫は、すぐにかみくだくであろう次の木ジラミをねらっているのだ。すべての木ジラミどもが嫩芽どんが〔わかい芽。新芽しんめを食べてゆくあとから、ちょうどそのようにして二週間にしゅうかんの間その牝牛めうしどもを食べつづけたあとで、この虫はきんのようによくひかの、きれいな、クサカゲロウという小さいトンボになるのだ。
「それでおしまいか? というに、どうしてどうして! まだテントウムシというのがある。それはまるくて赤い虫で、黒いいくつもの斑点ほしがある。たいへん気持ちのいい虫で、無邪気むじゃき様子ようすをしている。この虫がまたガツガツの大食おおぐいだとはだれも気がつくまい。その胃袋いぶくろは木ジラミでいっぱいにされているのだ。バラヤブでそっと調しらべたら、お前たちはその凶猛きょうもうなごちそうの食べぶりを見ることができるだろう。テントウムシはたいへんきれいだ。そして無邪気むじゃきらしく見える。けれども大食家たいしょくかだ。木ジラミが大好だいすきなのだ。
「それでおしまいか? まだまだ! かわいそうな木ジラミどもはマンナ〔マナ、Manna。なのだ。マンナというのは古代イスラエル人が荒野こうやを旅行する時にもちいた食物しょくもつの名だ。それはあらゆる種類しゅるい大食家たいしょくかどもの常食じょうしょくだ。ヒナどりが食べる。クサカゲロウが食べる。テントウムシが食べる。すべての大食家どもが木ジラミを食べるのだ。そして、なおそれでも、いつでも木ジラミはいる。どこにでもいる。ここに、いくらころされてもなお、どしどし生んでいくという多産たさんと、それをまたどしどしころしていくというの戦いがあるのだ。そして弱いものはその絶滅ぜつめつ機会きかいをまぬがれようとして、ころされてもなおいくらでも生んでいって、ついにそれにつのだ。ガツガツの大食家たいしょくかどもがいくら八方はっぽうからめてきたってダメだ。食われる方はたった一匹を保護ほごするために、幾百万いくひゃくまんもを犠牲ぎせいにする。われればわれるほどたくさんむ。
「ニシン、タラ、それからイワシは、海や、りくや、空の貪食家どんしょくかのために、牧場ぼくじょうにいっぱいになっている。これらの魚が適当てきとうな場所に行こうとして、長い航海こうかいこころみるときには、その死滅しめつするのはおそろしいものだ。海の中のえたやつらがこの魚のむれをかこむ。空のえたやつらはその泳いでいくみちの上をびまわる。りくでもやはりそうしたえたやつらがきしで彼らをっている。人間もその有力ゆうりょく仲間なかまになって、海の食物しょくもつまえを取るのにいそがしい。人間は大船隊だいせんたいでもって魚に向かっていって、それを干物ひものにしたり、塩漬しおづけにしたり、いぶしたりして、荷作にづくりする。しかし。その供給きょうきゅうが目に見えて少なくなるということはない。人間のためには、この弱い魚は無限むげんの数なのだ。一匹のタラが九百万のたまごむのだ。どこで貪食家どんしょくかどもはそういう家族かぞく最後さいごを見ることができるだろう?」
「九百万の卵!」とエミルがさけびました。
「たいへんな数じゃありませんか?」
「それを一つ一つちゃんと勘定かんじょうするには、毎日まいにち十時間も勘定かんじょうして一年近くもかからなければならないだろう。
「だれか、よほど辛抱しんぼうしたものがそれをかぞえられたわけですね。
 というのはエミルの批評ひひょうでした。
「かぞえるのではない。」とポールおじさんは答えました。目方めかたをはかるんだよ。その方が早いからね。その目方めかたから数を推定すいていするのだ。
「その海でのタラのように、木ジラミも、バラやニワトコのヤブで無数むすう滅亡めつぼう機会きかいに自分の体をおいている。その木ジラミどもはわたしが話したように多勢たぜいいしんぼうどもの毎日のパンなのだ。そんなふうに、木ジラミどものむれがふえるのには、ほかの昆虫こんちゅうにはない、非常ひじょうに早いある方法があるのだ。木ジラミは、卵をむという非常にのろいやり方をしないで、生きた木ジラミその者をむのだ。どの木ジラミもみんな、絶対的ぜったいてきにみんな、二週間ほどそだつと、もうその子をみはじめるのだ。それは木ジラミのいる季節きせつのあいだずっと、言いかえれば、一年のうちの少なくとも半分の間は、くりかえす。そしてこのひと季節きせつ世代せだいの数は、十二以上にもなる。まず一匹の木ジラミが十匹をむとする。これでは実際じっさいの数よりも少ないのだが。その最初さいしょの一匹から生まれた十匹の木ジラミがそれぞれ十匹ずつむと、それで一匹がみんなで百匹つくることになる。その百匹がめいめいに十匹むと、みんなで千匹になり、その千匹がそれぞれ十匹ずつむとみんなで一万匹になる。そういうふうに十を十一度かけていく。さあ、ちょうどぼうさんの小麦こむぎのつぶとおなじ計算けいさんだ。坊さんの計算のときには二をかけていっておどろくほどのはやさで大きな数字すうじになっていった。が、木ジラミの家族かぞくえるのは、十をかけていくのだから、そのえるのはもっともっと早い。もっとも、坊さんのときには六十四度もかけていったのだが、こんどは十二度にすぎない。しかしそんなことはどうでもいい。とにかくその結果けっかはお前たちをぼんやりさせてしまうほどになるだろう。それは千億万せんおくまんにもなるのだ。一匹いっぴきのタラの卵をひとつひとつ計算けいさんするのには一年近くもかかる。が、一匹の木ジラミから六かげつの間にふえる木ジラミを計算するには一万年いちまんねんもかかるだろう! いくら大食たいしょくどもだって、この木ジラミをどうしていつくせるだろう? 今このニワトコのえだにビッシリとくっついている木ジラミがそんなにえたら、どんな広さのところをもおおうてしまうだろうか考えられるかね。
「きっと、うちのおにわくらいの広いところにいっぱいになるでしょう。」とクレールが言い出しました。
「もっと広い。この庭は長さが百メートルはばも同じくらいだ。この木ジラミの家族かぞくは、この庭の十倍もの広さのところにいっぱいになるのだ。どうだい? ほうっておけば、ちょっとの間に世界じゅうにひろがるかもしれないこの木ジラミを、あの金色きんいろのトンボや、小さいテントウムシや、いろんなヒナどりいつくしてしまえようか。
「こうしていろんなガツガツものどもが食べらすにもかかわらず、木ジラミはなお人間をまじめにおどろかせるほどいる。つばさのある木ジラミが、日光にっこうをかくしてしまうほどのあついむれになってぶのを見ることがある。そのくろむれは、あるけんからほかの県までも行く。そして果物くだものりてはそれをらす。神さまが人間をこころみようとするときには、なんででもこころみるものがあるのだ。神さまはこの高慢こうまんな人間に対して、生物の中の一番いやしい、みすぼらしいものを送る。目で見えない畑荒はたけあらしの、このかよわい木ジラミがくると、人間はあわてふためいてしまう。人間は、いくらいばっていても、この小さな虫をどうともすることもできないのだ。
「人間は強い、けれども、この小さな生き物にはかなわない。そのたくさんのむれつことはできないのだ。
 ポールおじさんの、アリとその牝牛めうしの話は、これでおしまいになりました。そのいくどもエミルとジュールとクレールは、ジラミやタラの莫大ばくだい家族かぞくについて話しました。けれども、その話はいつも百万とか、一億いちおくとかいう数で三人を途方とほうにくれさせるのでした。ポールおじさんは、自分の話がアムブロアジヌおばあさんのおとぎ話よりもよほど子どもたちの興味きょうみをひいたので、気持きもちよさそうにしていました。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



科学の不思議(一)

STORY-BOOK OF SCIENCE
アンリイ・ファブル Jean-Henri Fabre
大杉栄、伊藤野枝訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)お婆《ば》あさんの

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一体|何《ど》うして

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もつと/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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訳者から[#「訳者から」は中見出し]

 ポオル叔父さんは、本当に驚く程物識りです。どんな不思議な事の説明でも、分りやすく面白くしてくれます。ポオル叔父さんの解いてくれる世の中の不思議な謎は、何と云ふ巧妙さで、そして無雑作に出来てゐるのでせう。どんな事だつて、どんなつまらない事だつて、よく調べ、よく考へて見ると、驚く程意味を持つて生きて来ます。
 ポオル叔父さんの姪や甥達は、アムブロアジヌお婆《ば》あさんのお伽話には倦《あ》きてしまひましたが、ポオル叔父さんの本当の事についての話には倦く事を知りませんでした。おもちや遊びに夢中だつた一等小さいエミルでさへ叔父さんのお話がはじまつてからはおもちやを忘れてしまつた位です。何でも知りたくてたまらない、不思議な事ばかり目につく、兄さんのジユウルや、一番姉さんのクレエルは叔父さんのお蔭でどれだけ悧巧になり、注意深く物を観、またよく考へるようになつたかしれません。
 人間の眼につくもの、耳にするもの、何一つとして不思議でないものがありませう。不思議に思はないのは、無知に馴れてゐるからです。一度此の不思議な世界の本当の姿を知りはじめたら、此の世の姿は全くちがつたものになつて来るでせう。見るもの聞くもの一々生きて話しかけ、意味をもつて動き出すでせう。それはどれ程面白く、そして為めになるものを人間に示し、与へるでせう? そして又、人間の頭脳の働きと云ふものは、何んと云ふすばらしい発見をする事でせう? その発見はまた、多くの人間をどれ程幸福にするでせう?

 此の本の中には、子供達の眼にうつつたいろんな事、出遇つた様々な事件について、臨機応変に、ポオル叔父さんが子供達の為めにしたお話をすつかり書いたのです。叔父さんのお話は、もつと/\続きます。
『お前達の好きなだけいくらでもしてあげる。』
 と叔父さんは此の本の最後でお約束をしてゐます。叔父さんはその約束どほりにまだ、いろんな話をしてゐます。それはやはりみんな本になつて出てゐます。が此の本の中に納められただけの一とくぎりの中に、どれ程多くの自然界の謎がとかれてあるでせう? それは大ぜいのジユウルや、クレエルや、エミルのやうな子供達の為めになるばかりでなく、無知に馴らされて来た大人達をも、どんなにか驚かせる事だらうと私は思ひます。

 学問といふものは、学者といふいかめしい人達の研究室といふ処にばかり閉ぢこめておかれる筈のものではありません。誰れもかれも知らなければならないのです。今までの世間の習慣は、学問といふものをあんまり崇《あが》めすぎて、一般の人達から遠ざけてしまひすぎました。何の研究でも、その道の学者だけが知つてゐれば、他の者は知らなくてもいゝやうな風に極められてゐました。いや、知らなくてもいゝ、ではなくて、知る資格がないやうにきめられてゐました。けれども此の習慣は間ちがつてゐます。非常にこみ入つた六ヶ《むずか》しい研究は別として、誰れでも一と通りの学問は知つてゐなければなりません、子供でも大人でも。
 子供の為めのお伽話《とぎばなし》の本は、沢山すぎる程あります。けれども、お伽話よりは『本当の話が聞きたい』と云ふ、ジユウルのやうな子供の為めのおもしろい本を書いてくれる学者は日本にはあまりないのか、一向に見あたりません。
 ポオル叔父さんはフランス人です。子供達もフランス人です。それで日本の子供達の為めに書いたものゝやうにすつかり何から何までうまい工合にはゆきませんが、それでも、無駄な事は一つもない筈です。日本の子供達のよむのに不都合な事はないと思ひます。私は此のフランスの親切な叔父さんのお蔭で、お伽話ばかりおもしろがつてゐる日本の子供達に『本当の話』がどんなにおもしろいものかと云ふ事が分れば本当にうれしく思ひます。そして又、沢山のお父さんや、お母さんや、叔父さんや、叔母さんや、姉さんや、兄さん達が、此の本で、小さい人達の目にうつるいろんな謎を、どういふ風に片づけてやるべきものか、と云ふ事、またその事柄をも併せて学んで下されば大変しあはせです。
 なを、此の本は、少し前に、他の人の手で訳されて出てゐますが、それは、抄訳で、しかもポオル叔父さんの一番お得意な、全巻の三分の一をしめてゐる、虫の話が全部ぬいてありますので、別にまた此の書を出すのも決して無意味ではあるまいとおもひます。
[#地から1字上げ]伊藤野枝
[#改ページ]

[#5字下げ]一 六人[#「一 六人」は中見出し]

 或る夕方、まだ外がやう/\暗くなりかけた時分から、六人の人達は、みんな一とかたまりになつて集まりました。
 ポオル叔父さんは大きな本を読んでゐました。叔父さんは、本を読むのは一番ためにもなり、また疲れをやすめるのに、これ程いゝものはないときめてゐますので、働いたあとでやすむ時には、いつも本を読みます。叔父さんの室の、松材でつくつた棚の上には、いろんな種類の本が綺麗に整頓して並べてあります。其の中には大きい本や小さい本や、絵入りのや絵なしのや、ちやんと製本したのや仮綴のまゝのや、また立派な金縁のまであるといふ風です。叔父さんが其の自分の室に閉ぢ籠ると、大抵の事では其の読書を止めさす事が出来ません。ですから、ポオル叔父さんはどんな話でも知つてゐるとみんなが云つてゐます。叔父さんはたゞ読むばかりではありません。自分で調べて見たり又物事を注意して見たりもするのです。自分の庭を歩く時にも、よく蜜蜂がブン/\羽の音をさせてとり囲んでゐる巣箱の前や、小さい花が雪のやうに散つて来る接骨木《にわとこ》の茂つた下で立ち止まつて見たり、又或る時には、這《は》ひまはる小さな虫や、芽を出したばかりの草の葉をよく見る為めに地面に屈み込んだりしてゐます。一体何を観てゐるのでせう? 何を調べてゐるのでせう? それは誰れにも分りません。しかし叔父さんのさういふ時の顔は、丁度神様の不思議な秘密を見出して、それと面と向き合つたやうに、気高い歓びに輝いて来るとみんなは云つてゐます。私達が本当に感心して聞くあの叔父さんの話は、さういふ時に出来るのです。私達はその話には本当に感心します。そして其の上に、何時かはきつと私達の役に立つ沢山の物事を覚えます。
 ポオル叔父さんは勝れて立派な、信心深い人です。そして又『いゝパンのやうに』誰れにでも親切な人です。村では、叔父さんの学問が大変皆んなの助けになるので、ポオル先生と云つて非常に尊敬してゐます。
 ポオル叔父さんの百姓仕事を手伝ふのに――私はあなたに、叔父さんは本をよむのと同じやうに、鋤《すき》鍬《くわ》をどう握るかと云ふ事もよく知つてゐて、自分の小さな持地を上手に耕やしてゐるのだと云ふ事も話さねばならなかつたのです――ジヤツクといふお爺《じい》さんがゐます。お爺さんは、アムブロアジヌお婆あさんの年老《としと》つたつれあひ[#「つれあひ」に傍点]です。アムブロアジヌお婆あさんは家の中の事によく気をつけてゐますし、ジヤツク爺さんはまた畑や家畜の面倒を見ます。二人とも大変にいゝ召使ひです。そして、ポオル叔父さんにとつてはすつかり信用の出来る、二人の友達でもあるのです。二人はポオル叔父さんが生れた時も知つてゐますし、ずつと長い間此の家にゐるのです。まだ小さかつたポオル叔父さんの機嫌が悪い時に、どれ程始終ジヤツクは柳の皮で笛をつくつては慰めてやつたか知れません。そして又アムブロアジヌお婆あさんは、どんなに度々、小さいポオルが泣かずに学校に行く様に勢づける為に生みたての卵をゆでてはお弁当の籠の中に入れてやつたでせう? さういふ風に、ポオル叔父さんは、お父さんの召使ひの年老つた二人から大事にされました。叔父さんの家は又此のお爺さんお婆あさんの家でもあるのです。あなたにもジヤツクお爺さんとアムブロアジヌお婆あさんがどんなにその御主人を大事にしてゐるか、お分りでせう! ポオル叔父さんの為なら、二人は四ん這ひにでもなる位なのです。
 ポオル叔父さんには、家族がありません。一人ぽつちなのです。が、叔父さんは子供達と一緒にゐる時程楽しい事はないのです。子供達は誰でも話ずきです。又誰でもあれこれといろんな事をたづねます。心を引かれる事は何んでも貴い正直さでたづねます。ポオル叔父さんは、自分の兄弟にいろいろ頼んで漸《ようや》く暫《しばら》くの間其の子供達を叔父さんの家に暮らさせるようにしました。それは、エミルとジユウルとクレエルと云ふ三人の子供でした。
 クレエルは一番年上です。初物のさくらんぼ[#「さくらんぼ」に傍点]が出る時分には丁度十二になるのです。ほんの少し内気ですが、よく働く、すなほな優しいいゝ女の子です。それにちつとも高慢なところなどは持つてゐません。何時でも靴足袋を編んだり、ハンケチの縁をとつたり、学課を勉強したりしてゐて、日曜日に着る着物はどれにしようかといふやうな事は考へません。そして叔父さんやアンブロアジヌお婆あさんに頼まれた事は、直ぐに間違へずにしてしまひます、どんな事でも、自分が役に立つ事を嬉しさうにして手伝ひます。それは、本当にいゝ性質を持つた子です。
 ジユウルはクレエルよりは二つ下です。いくらか痩せてはゐますが、生き/\した、何でも焼きつくす燃えるやうな性質《たち》の男の子です。で、何かに気を取られると、夜も眠る事が出来ません。何かを知りたいといふ慾のためには決して飽きる事を知りません。そして見るもの聞くものが、ジユウルには知りたくてたまらないものばかりです。藁きれをひつぱつてゆく蟻でも、屋根の上でチウ/\鳴いてゐる雀でも、ジユウルの注意を引きつけてすつかり夢中にさせて了《しま》ふのです。そんな時には、ジユウルは叔父さんにきりのない質問を繰り返します。それは何故ですか? それはどう云ふんです?と云ふ風に。叔父さんは、ジユウルの此の好奇心を正しく導いて行きさへすれば、きつといゝ結果をあげる事が出来るだらうといふので、大変に信用してゐます。けれども叔父さんは、ジユウルに一つだけ嫌ひなところがあります。正直に云ひますと、ジユウルは一寸《ちょっと》した欠点を持つてゐます。それは用心して防がなかつたら、大変な事になるものなのです。ジユウルは癇癪《かんしゃく》持ちです。若《も》しジユウルに逆ふものがあれば、怒つて、眼をむいたり、泣いたりわめいたり、又自分の帽子を腹立たしさうに放り出したりします。けれども、それは※[#「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52]立つてゐるミルクスウプのやうなもので、少しすれば直ぐに静まります。ポオル叔父さんは、ジユウルがいゝ心を持つてゐる事を知つてゐますから、此の悪い癖も軽い小言位で直すことが出来るだらうと思つてゐます。
 エミルは三人のうちで一番年下です。そして暴れ坊主です。けれどもそれは年から云へば無理はありません。若し、誰れかの顔にベリイがなすりつけてあるとか、又額にコブが出来たとか、指にとげがさゝつたとかいふ事があれば、それはエミルのせいだと大抵察しがつきます。ジユウルとクレエルが書物をどんなにか喜ぶやうに、エミルは自分のおもちや箱をのぞくのが何よりも楽しみです。エミルは一体どんなおもちやを持つてゐるのでせう? 其処には、ブン/\唸る独楽《こま》や、赤や青の鉛でつくつた兵隊さんや、いろ/\な動物で一杯になつたノアの箱船や、ラツパ――これはあんまり騒々しい音を出しますから叔父さんから吹くのを禁《と》められてゐます――や、そして此の名高い箱船の中には、エミル一人だけが知つてゐるいろんなものがはいつてゐます。それから忘れないうちに云つておきますが、エミルはもうよく叔父さんにいろ/\な質問をします。それだけ物事に注意をするやうになつて来たのです。此の世の中では、いゝ独楽より他にもつと面白い事が沢山ある事がわかり出して来たのです。ですから、何時かエミルが、お話を聞くためにおもちや箱の事は忘れてしまつたといふやうな事があつても、誰れも不思議がりはしないでせう。

[#5字下げ]二 お伽話と本当のお話[#「二 お伽話と本当のお話」は中見出し]

 其の六人が一緒に集まつたのです。ポオル叔父さんは大きな書物を読んでゐました。ジヤツクお爺さんは柳の枝で籠を編んでゐました。アンブロアジヌお婆あさんは糸捲竿《いとまきさお》をまはしてゐますし、クレエルは赤い糸でリンネルの縁をとつてゐました。ジユウルとエミルは、ノアの箱船で遊んでゐます。二人は駱駝《らくだ》のうしろに馬、馬のあとには犬、それから羊、驢馬《ろば》、牛、獅子、象、熊、羚羊《かもしか》その他いろんなものをみんな長い行列に仕あげて、それを箱船までとどかしてしまふと、ジユウルもエミルも遊び倦きてしまひました。そしてアンブロアジヌお婆あさんに云ひました。
『お婆あさん、お話をして頂戴な、面白さうなのをね。』
 年をとつたお婆あさんは、紡錘《いとくり》をまはしながら無雑作に、こんな話をしました。
『むかしむかし、一匹のばつた[#「ばつた」に傍点]が、蟻と一緒に市に出かけました。処が川がすつかり凍つてゐました。で、ばつた[#「ばつた」に傍点]は氷の向ふ側の方に跳んでしまひました。けれども蟻は跳べないのです。其処で蟻はばつた[#「ばつた」に傍点]に『ばつた[#「ばつた」に傍点]さん、私をおんぶ[#「おんぶ」に傍点]して下さいよ。私はこんなに軽いんですからさ』と頼みました。けれどもばつた[#「ばつた」に傍点]は、『私のやうにしてお跳びよ』と云ひますので、蟻は跳びました。けれども辷《すべ》つて足をくじきました。
『氷さん、氷さん、強い者は親切でなくてはいけないよ。それだのにお前は悪い奴だよ。蟻の足なんかくじかせてさ――あの可哀想な小さな足をさ――』
 とばつた[#「ばつた」に傍点]が云ひますと、氷が答へました。
『私よりお太陽《てんとう》さんの方が強いよ、あいつは私を融かしてしまふからね。』
『お太陽さんお太陽さん強い者は親切でなくつちやならないのにお前はいけないよ。お前は氷をとかすなんて。そして、お前と氷とでのあの可哀想な蟻の小さな足をくじいたんぢやないか。』
 すると太陽が云ひました。『雲は私よりももつと強いよ、私をかくしてしまふんだもの。』
『雲さん、雲さん、お前は悪い奴だ。強いものは親切でなくてはならないのに、お太陽さんをかくしたりなんかして。お前とお太陽さんが氷をとかして、お前と氷とで蟻の足をくじいたのだよ。あの小さい可哀想な蟻の足をさ。』
 すると雲が答へました。『風は私達よりずつと強いよ。私達を吹き飛ばしてしまふんだもの。』
『風さん、風さん、強い者は親切にするものだよ。けれどもお前は悪いね。雲を吹き飛ばしてさ。お前と雲とはお太陽さんをかくしてしまふし、お前とお太陽さんとで氷をとかして、そして氷はまたお前達と一しよになつて蟻の足をくじくなんて。――あの可哀想な蟻の足をさ――』
 すると、こんどは風が云ひました。
『私より壁の方が強いよ。壁は私を通さないんだもの。』
『壁さん、壁さん、お前は本当に悪いね。強い者は親切でなくつちやいけないのに、風を通さないなんて。お前と風は雲を吹き飛ばしてしまふし、雲とお前はお太陽さんをかくすし、お太陽さんは氷をとかすんだもの。あの可哀さうな小さな蟻の足をくぢいたのはお前と氷だよ。』
 すると壁が、『私よりも鼠の方がずつと強いんだよ。鼠は私達に穴をあけるんだもの。』
『鼠さん、鼠さん、強いものは――――』
『それぢや、いつまでたつたつておんなじ事ばかりぢやないの、お婆あさん。』
 エミルが怺《こら》へきれないで叫びました。
『さうぢやありませんよ、エミルさん、鼠の次ぎには鼠を食べる猫が来ます。それから猫を打つ掃木《ほうき》、それから掃木を焼く火、火を消す水、水を飲んで咽喉の渇くのを止める牝牛、牝牛をさす蠅、蠅をかつさらふ燕、その燕を捕へる罠《わな》、それから――』
『そんなにして何時までも同じ事が続くんぢやないの?』
 エミルが聞きました。
『あなたのお好きなだけ、いくらでも長く続きますよ。どんなに強いものがあつても、何時も、いくらでも、もつと強い外の者が出て来ますからね。』
 アンブロアジヌお婆あさんは答へました。
『でもお婆あさん』とエミルが云ひました。『僕、其のお話は倦きちやつたよ。』
『では別のお話を致しませう。昔、一人の樵夫《きこり》がお神さんと一緒に住んでゐました。二人は大変貧乏でした。此の樵夫夫婦には七人の子供がありました。その一等下の子はそれはそれは小さくて、其の寝床は木靴で間に合ふ位でした。』
『僕其の話は知つてるよ。』と又エミルが口出しをしました。『其の七人の子供達が森の中で、迷子になるのさ。初めの時には一寸法師が白い小石で道にしるしをおいたけれど、其の時にはパン屑をまいておいたものだから、鳥がみんな其のパン屑をたべてしまつて、道がわからなくなつたのさ。それで一寸法師が木のてつぺん[#「てつぺん」に傍点]にのぼると、遠くの方に灯が見えるので、みんなでタツタツと馳け出して行つて見ると、それは人喰鬼の住居だつた、と云ふんだよ!』
『其の話の中には本当の事がないな』とジユウルが云ひました。『背虫の猫の話にだつて、シンデレラの話にだつて、青鬚の話にだつて、やつぱり本当の事がないんだ。あれはみんなお伽話で、本当の話ぢやないんだ。僕はもう聞くならすつかり本当の話が聞きたいな。』
 本当の話、と云ふ言葉で、ポオル叔父さんは大きい書物を閉ぢて、頭を上げました。アンブロアジヌお婆あさんの古いお話よりはずつと面白くて為めになるやうな話を持ち出すのに、みんなの話の向をかへるいゝ折が来たのです。
『私は本当のお話を聞きたがつてゐるお前に賛成します。』と叔父さんが云ひました。『お前は其の本当の話の中にでも不思議な事を見つけ出すだらう。そして其の話は、お前位の年頃の者をよろこばせもするだらうし、又お前の年になれば自分でよく考へねばならない、後々の生活の準備にも十分に役に立つだらう。本当の話は人喰鬼が新しい血を嗅ぎ出す話や、妖精《おばけ》がとうなす[#「とうなす」に傍点]を馬車にしたり蜥蜴《とかげ》を従者《おとも》に化けさせたりする話よりは、もつと本当に面白い筈だ。それとも外にもつといゝ話があるかい? 本当の話と、取るにも足りない作り話とをくらべて御覧。本当の話はみんな神様の仕事で、作り話は人間の夢なのだよ。アンブロアジヌお婆あさんは氷を渡つて見ようとして足をくぢいた蟻の話でお前を面白がらせる事が出来なかつたね。私はもつとうまく話せるかも知れない。誰れか本物の蟻についての本当の話を聞きたい人があるかね!』
『私! 私!』エミルもジユウルもクレエルもみんな一緒に叫びました。

[#5字下げ]三 蟻の都会[#「三 蟻の都会」は中見出し]

『蟻は立派な働き手だ。』とポオル叔父さんは話はじめました。『私は幾度も朝の太陽が暖く照りはじめる時分に、蟻達が小な蟻塚のまはりをとりまいて働いてゐるのを見て楽しんだ。蟻塚にはどれにもめいめいに其のてつぺんに、出入口になる穴が穿《あ》いてゐるのだ。
『其の塚の穴の口に、或る一匹が底の方から出て来ると、いくらでもあとからあとからと続いて出て来る。そして其の蟻達はみんな体の割には重すぎる位の、小さな土の粒を喞《くわ》へて運んでゐる。塚の頂上に着くと、蟻は其の重荷をおろして、塚の勾配を転がし下すのだ。そして、直ぐに又中に下りてゆく。蟻達は、途中で遊んだり、一寸の間でも仲間と立ち止まつて一緒に休むなどと云ふ事はないのだ。それどころか! 蟻達の仕事は大急ぎなのだ。そしてうんと働かなければならないのだ。どれもどれも大真面目で、着くと直ぐ土の粒を置いては、又他のを捜しに降りて行く。蟻達は一体|何《ど》うしてそんなに忙しがつてゐるのだらう?
『其の蟻達は、地の下に、街や広場や、合宿所や、蔵などで、一つの町をつくつてゐるのだ。自分や家族達の住居を掘つてゐるのだ。蟻達は其の町や坑道を雨が滲み透さない様な深い処で掘つてゐる。そして、其の坑道といふのは、長い大通りの街になつたり、小さな分れ道になつたり、他の道と彼方《あっち》此方《こっち》で交叉したり、上りになつたり下りになつたり、大きな会堂の中に通じたりしてゐるのだ。そしてさうした大層な仕事は、みんな、蟻達の顎《あご》の力で曵《ひ》き出された一と粒一と粒で成就されるのだ。若し誰でも地面の下で働いてゐる真黒な坑夫共の軍隊を見る事が出来たら、其の人は感心しないではゐられないだらう。
『その地面の下の真暗な深い穴の中では、土をひつかく者や、喞へる者や、曵きずる者や、数千の蟻が働いてゐる。その辛抱強い事! そのひどい骨折り! そして、たうとう砂粒が道をあけると、蟻達が自慢らしく頭を高くあげて、さも得意さうにそれを運び上げて来はじめる事と云つたら! その蟻達の頭は、塚の頂上まで着くと、すつかり自分達の体が疲れてしまふ位の、大変な重荷の下でグラ/\してゐるのを私は見た。蟻達は仲間とぶつかりながらも『私の働きを見てくれ』と云つてゐるやうに見える。そして誰も自分の働きに対するその立派な誇りをとがめはしない。少しづつ、町の門と云ふやうな穴の縁に、土の小さい塚が堆《つ》み上げられる。其の塚の土は、つくつてゐる町の材料をけづつたものなのだ。で、大きい塚なら地面の下の住居はやはり大きいのだと云ふ事はすぐ分る。
『地面の下で坑道を掘りさへすれば、それで蟻の仕事はおしまひかと云ふと、決してさうではない。弱い処を固めて地辷りを防がなければならないし、柱で円天井を支へたり、仕切りもつくらねばならない。大勢の坑夫達は其の時には大工達の手伝ひになるのだ。最初には蟻塚から土を運び出す。その次ぎには建築材料を持ち込むのだ。其の材料と云ふのは、建物に似合ひな、梁だとか、小さな枕木とかいふ風な材木の切れだ。ほんの小ちやな藁屑でも、天井のしつかりした梁になるし、よごれた葉つぱの茎でも強い円柱《まるばしら》になるのだ。大工達は、近所の森とも云ふやうな草叢の中を探険して其等の木切れを選ぶのだ。
『いゝものが見つかつた! 麦粒の殻だ。それは大変うすくつて汚れてゐる。が、しつかりしてゐる。それは下の方で蟻達がつくつてゐる建物の仕切りには上等の板がつくれるだらう。けれども重いのだ。途方もなく重いのだ。蟻がそれを見つけ出す。そして六本の自分の足で剛情に後の方にひつぱらうとする。駄目だ。重い塊は動かない。けれども蟻はその小さい体にありつたけの力でもう一度ひつぱつて見る。麦殻はほんの一寸働くだけだ。で、蟻は自分の力に及ばないとあきらめる。そして行つてしまふ。ではその麦の殻を棄てたのだらうか? どうして、どうして! 其の時は一匹でも、其の一匹は必ずその事を仕遂《しと》げねばおかぬ辛抱強さを持つてゐるのだ。だから、その行つてしまつた蟻は其処に二匹の手伝ひを連れて引きかへして来る。そして其の一匹はすぐに麦の殻の前の方を捉へる。他の者達は大急ぎでその両側にまはる。そしてその麦殻を転がす。前へ進んで行く。うまくゆきさうだ。其処は歩きにくい。けれども蟻達は此の荷物を担いだ蟻に逢ふと、みんな道を譲るのだ。
『けれども、まだ、すつかり仕事をやり遂げるのに困難がなくなつたと云ふ訳にはゆかない。麦殻は地下の町の入口まで行つた。が、其の麦殻は今は簡単には穴の中にはいらないやうになつた。その麦殻はゆがんでゐる。穴の縁とは反対の方に傾いてゐるのだ。手伝ひ共は押し上げる。十ぺんも二十ぺんも一つ骨折りをやる。が、駄目だ。で、其の二匹か、或は三匹とも、機械師達のやうに、隊を解散して、此のどうしても勝てない不可抗力の原因をさぐりに出かける。故障はすぐに解つた。蟻共は其の麦殻をすつかり持ち上げなければならないのだ。麦殻はその一端が穴の口から突き出す位までほんの少しの間をひつぱられる。それから、其の突き出した方の端を一匹の蟻が捉へると同時に他の蟻共は地面についてゐる方の端を持ち上げる。すると、其の麦殻はでんぐり返つて穴の中に落ちる。しかし、大工達がそれを側面にくつつけるまでは、用心深く捉《つか》んでゐるのだ。お前達はたぶん土を運んでゐるほかの坑夫達がその不思議な機械的な働きを面白がつてその前に立ち止つたらうと考へるだらうね。だが蟻はちつともそんな暇は持たないんだよ。みんな其の坑夫達は、大工仕事とは別に、掘り出した材料の土の荷物と一しよにずん/\通つて行くのだ。蟻共の熱心さは、梁を動かす下にでもびつこ[#「びつこ」に傍点]になるのもかまはずに大胆にすべり込んで行く位だ。
『誰れでも、そんなに働いてはたべなければゐられない。激しい運動程食慾を起さすものはない。其処で乳しぼりの蟻は列をぬけて行つて、乳を持つた牝牛から乳を搾つて労働者の蟻達にくばるのだ。』
 すると、エミルがふき出しました。
『それは、きつと本当ぢやないんでせう?』と叔父さんに云ひました。『乳搾りの蟻だの、牝牛だの、乳だなんて! やつぱりアンブロアジヌお婆あさんが話すやうなお伽話です。』
 ポオル叔父さんの使つた妙な云ひまはしに驚いたのはエミル一人ではありませんでした。アンブロアジヌお婆あさんはしばらく糸車をまはしませんでした。又、ジヤツクお爺さんも柳を編むのをやめました。ジユウルもクレエルも眼を円くしました。みんなそれを冗談だと思つたのです。
『いゝえ、坊や、私は冗談なんか云いやしないよ。私は本当のお話をお伽話なんかに変へやしないよ。乳搾りも牝牛も、みんな本当にあるのだよ。けれども、其の問ひを説明する、此の話のつゞきは、明日の晩までお預りにしよう。』
 エミルはジユウルを隅つこの方に引つぱつて行つて云ひました。
『叔父さんの本当の話は大変面白いのね。アンブロアジヌお婆さんのお伽話よりもよつぽど面白いや。あの不思議な牝牛の話がすつかり聞ければ、僕はもうノアの箱船なんかどうなつてもいゝな。』

[#5字下げ]四 牝牛[#「四 牝牛」は中見出し]

 次の日にエミルは、眼をさますかさまさないうちから、蟻の牝牛の事を考へはじめました。
『叔父さんに、あの話の続きを今朝してくれるやうに頼まなくつちや。』
 エミルはジユウルに云ひました。そして大急ぎで叔父さんを見に行きました。
『アハ!』叔父さんは二人の頼みを聞くと大きな声を出しました。『蟻の牝牛の話がそんなにお前達の気に入つたかい。では、お前達にその話をして聞かすよりもつといゝ事をしよう。お前達にそれを見せてあげよう。まづ、クレエルをお呼び。』
 クレエルは大急ぎで来ました。叔父さんはみんなを庭の接骨木の茂つた下に連れて行きました。そしてみんなは次のやうな事を見たのです。
 其の茂みは花で真白でした。蜂や、蠅や、甲虫《かぶとむし》や、蝶が、ねむくなるやうな微かな音をたてゝ彼方此方の花から花へ飛びまはつてゐました。接骨木の幹では、その木の皮の筋の間を沢山の蟻が、上つたり降つたりして這つてゐました。そして上る蟻の方がずつと一生懸命でした。その蟻共は時々道で立ち止つて他の蟻とどう上つて行くかについて相談してゐるやうに見えます。そして又すぐに一層熱心に這ひ上つて行きます。降りて来る蟻達はゆつくりとした様子で小さな足どりで来ます。そして自分から足を佇《と》めて休んだり、上つて来る蟻に忠告をしてやつたりします。誰れでも上つて行く者と降りる者の熱心さのちがふ原因は容易に察する事が出来ます。降りて来る蟻達の胃袋はふくれて、重くて、不格好な程一杯になつてゐます。上つて行く蟻達の胃袋はうすくてぺちやんこ[#「ぺちやんこ」に傍点]にたゝまつて、ひもじさに啼《な》いてゐます。それを間違ひつこはありません。降りる蟻達は、沢山な御馳走をたべて、のろのろと家に帰つて行くのです。上る方の蟻は、からつぽの胃袋を一ぱいにしようとする熱心さで、茂みの中を襲ふて、おなじ御馳走の処に走つて行くのです。
『蟻達は接骨木の上で、胃袋を一杯にする何を見つけたのです?』とジユウルが尋ねました。『其処にゐるのなんか、やつと体と一しよに胃袋を引きずつてゐるぢやありませんか。大食ひだなあ。』
『大食ひ? さうぢやない。』とポオル叔父さんはジユウルの云つた事を直しました。『あの蟻達は、もつとえらい目的でたらふく食ふのだ。此の接骨木の上の方に沢山の牝牛がゐるのだ。降りて来る蟻達は丁度今其の牝牛から乳を搾《しぼ》つて来た処なのだよ。ふくれたお腹をひきづつて行くのは、蟻塚殖民地に共同の食物のミルクを運んでゐるのだ。では、其の牝牛から乳を搾る処を見ようかね。けれども断つておくがね、其の牝牛の群を人間のと同じやうに思つてはいけないよ。其の牧場は一枚の葉つぱで用に足りるのだからね。』
 ポオル叔父さんは接骨木の枝の先きを、子供達に見える位まで引き下ろしました。そしてみんなで、よく気をつけて見ました。木のやはらかい処や葉の裏には数へる事も出来ない位にびつしり[#「びつしり」に傍点]くつつき合つて、真黒なびろうど[#「びろうど」に傍点]のやうな虱《しらみ》がしつかりくつついてゐました。その虱は、毛よりも細い吸盤を皮の中に突込んで、少しも其の位置を変へずに接骨木の樹汁で無事に腹を一杯にしてゐるのです。其のお尻の先に小さくて穴のある二本の毛を持つてゐます。その二つの管からは、よく気をつけて見ると砂糖水のやうな小さな滴りが時々漏れ出してゐるのが見えます。此の黒い虱は木虱と云つて、これが蟻の牝牛なのです。其の二つの管は牝牛の乳房で、その端から滴る液体が乳なのです。牝牛が重なり合ふやうにくつついてゐるその真中やその上までも這ひまはつて飢ゑた蟻達は彼方此方の虱の間を行つたり来たりして、其のうまい滴りの出るのを見守つてゐます。そして、それが見つかればすぐに走つて行てそれを飲んで楽しんでゐます。そして小さい頭をあげておゝ何てうまいんだらう、おおこれは何んてうまいんだらう! と云つてゐるやうに見えます。そして、又、他の一口のミルクをさがしに行くのです。けれども、木虱は乳を吝《お》しみます。何時もその管から流し出しはしないのです。其の時には蟻は、乳搾りが其の牝牛の乳にするやうに、やさしく木虱の背中を幾度も撫でさすつてやります。同時に触角といふ其の細いしなやかな小さな角でそつと胃を叩いたり、乳管を擦《さす》つたりします。此の蟻の仕事は大抵うまくゆくのです。此のおとなしいやり方で、どうして成就しない事がありませう! 木虱は負けてしまひます。そして一とたらしの滴を見せます。それはすぐに舐《な》めつくされて仕舞ふのです。けれども、蟻はその小さな腹がまだ一杯にはならないと云ふやうに、他の木虱を撫でに行つてしまひます。
 ポオル叔父さんは枝を離しました。枝は跳ね返つてもとの位置に返りました。乳搾りも、牛も、牧場も忽ち接骨木の茂みの頂上に行つてしまひました。
『まあ、不思議ですのねえ、叔父さん。』とクレエルが叫びました。
『不思議だねえ。だが、接骨木ばかりが蟻の牝牛共のゐる藪ではないんだよ。木虱は他のいろんな木にも見つける事が出来るのだ。キヤベツや薔薇の藪にたかつてゐる木虱は緑色をしてゐるし、接骨木や、豆や、けし[#「けし」に傍点]や、蕁麻《いらくさ》や、柳、ポプラのは黒、樫と薊《あざみ》のは青銅色、夾竹桃や胡桃《くるみ》とか榛《はんのき》とかにつくのは黄色だ。みんな二つの管を持つてゐて、其れから甘い汁を滲み出させて、お互ひに蟻の御馳走の為めに競争してゐるのだ。』
 クレエルと叔父さんは、家にはいりました。エミルとジユウルとは今見た事に夢中になつて、木虱を他の木でさがしはじめました。そして二人は一時間とたゝないうちに、四種類の木虱を見つけました。そしてどの種類もみんな不公平なく見舞ふ蟻達をもてなしてゐました。

[#5字下げ]五 牛小舎[#「五 牛小舎」は中見出し]

 夕方、ポオル叔父さんはまた、蟻の話の続きをはじめました。丁度その時に、ジヤツクは、何時もするとほりに、牡牛が秣《まぐさ》をたべてゐるかどうか、そして御馳走をたべた仔牛共が無事に母親のそばで眠つてゐるかどうか、と家畜小屋を見まはつて来た処でした。そして、もう柳の籠を編む仕事がお仕舞ひになつたと云ふので其処に腰を据ゑてゐました。ジヤツクも蟻の牝牛の本当の訳を知りたいのです。ポオル叔父さんは、今朝みんなが接骨木の木で何を見たか、又、木虱がどうして甘い滴をその管から滲み出させるか、蟻がどうして、その結構な汁を飲むか、そしてどうしてそれを知つたか、もし必要な時には木虱を撫でさすつてもそれを手に入れる、と云ふ事まで委《くわ》しく話して聞かせました。
『あなたが私共に話して下さいました事は』とジヤツクが云ひました。『私のやうに年老つた者でも動かされます。そして神様が御自分でお創りになつたものにどんなに気をおつけになつてゐるかゞよくわかります。神様は丁度人間に牝牛をあてがつて下すつたやうに、蟻には木虱をおあてがひになつたのですね。』
『さうだ、ジヤツクや、』とポオル叔父さんは答へました。『それはみんな神様に対する私達の信仰を増させるのだ。神様の眼からは何物ものがれるものはないのだ。考へ深い人には、花の底から蜜を吸ふ甲虫も焼けるやうな瓦から雨垂れを取る苔の房も、神様の慈しみを証拠立てゝゐるのだ。
『其処で、私の話に戻らう。もし私達の牝牛が村をぶらつきまはつたら、私達は乳をとるのに、遠い牧場まで厄介な旅をしなければならない事になる。それもきまりのない何処かで見つけ出さなければならないし、見つからない事もあるだらう。それは私達には大層骨の折れる仕事となり、そして又しよつちう乳を搾る事が出来ない事もあるだらう。その時に、私達はそれをどう云ふ風に扱つたらいいだらう? 私達は其の牝牛共を囲ゐや小舎《こや》の中に入れて、手の届く処におく、蟻も時としては木虱にさうする。蟻共も此の厄介な日課を時々避ける為めに、其の畜牛共を自分達の草場の中に置く。だが、そればかりではない。今仮りに、蟻が其の無数の牛や牧場の為めに、十分大きな草場をつくる事とする。どうして、例へば今朝私共が見た黒い虱程の数を蟻が囲へるだらうか? そんな途方もない事は出来ない。ほんのちよつと虱のついた草があるとする。囲ゐの出来るのはそんな草なのだ。
『蟻はその僅《わず》かばかりの木虱を見つけると、小舎を建てゝ、其処に木虱を囲つて、強い太陽の光線を遮ぎる。そして蟻自身も折々其処へはいつて、牝牛を手の届く処に置いて、ゆつくりと乳を搾る。その目的で、蟻共は、草の根の上の方がむき出しになる位に、草叢《くさむら》の下の土を移しはじめる。そのむき出しになつたところが、自然の骨組となつて、其の上へ建物を造るのだ。それには、此の骨組みの上へ湿つた土の粒を一つ一つ堆み上げて行つて、木虱のゐるところまで円天井のやうなもので、茎を囲む。そして此の小舎に出はいりする為めの出入口をつくる。それで小舎は出来あがつたのだ。涼しく静かで、そして同時に食料も十分あるのだ。此の上もない幸福な事だ。牝牛は無事に其処の秣架《まぐさだな》に居る。即ち木の皮にひつつけてある。蟻共は家の中にゐて、其の木虱の管から甘味《おい》しい乳を腹一ぱいに飲む事が出来るのだ。
『が、此の粘土でつくつた小舎は、大急ぎで、少しばかりの労力でつくつたものなので、大した建物ではない。一寸強く打てば直ぐに毀れてしまふ。何故こんな一時的の建物をつくるのに、あんな骨折りをするのだらう? が、高山の羊飼ひは、一ヶ月か二ヶ月しか使はない其の松の枝の小舎をつくるのに、もつと骨折りはしないか。
『蟻共は、木虱を草叢の底の方に少しばかり囲つておく事では満足しない。彼等は又、其の囲ゐのそとの遠くで見つけた木虱を其処へ持ち運んで来る。かうして彼等は、其の不十分な牛の群れを補ふ、と云ふ人がある。私は蟻にさうした先見のある事には別に驚きもしない。しかし私はそれを自分で見た事はないから、確かにさうだとは云へない。私が自分の眼で見たのは、たゞ木虱の小舎がある事だ。もしジユウルが此の夏の暑い日に種々《いろいろ》な盆栽の根の方に気をつけてゐたら、きつとそれを見つける事が出来るだらう。』
『きつとですか、叔父さん』とジユウルが云ひました。『僕それを見よう、その珍らしい蟻の小舎を見たいな。それから叔父さんはまだ、あの蟻がうまく木虱の群を見つけた時にどうしてあんなにたらふく[#「たらふく」に傍点]たべるのかつて事を僕達に話してくれなかつたぢやありませんか。叔父さんは、あの接骨木を大きなおなかをして降りて来る蟻共は蟻塚の中でそのたべものを分けるのだと云ひましたね。』
『蟻は自分だけで御馳走をたべる事もある。それは決して悪い事ぢやない。誰でも他人の為めに働く前に先《ま》づ自分の元気をつけなくちやならない。しかし自分がたべるとすぐに、ほかの飢《ひも》じい者の事を考へるのだ。人間の間では、何時もさうは行かない。人間は自分が御馳走をたべれば、他の者もみんなやはりちやんと御馳走をたべてゐるものと思ふものがある。そんな人間の事を利己主義者と云ふのだ。お前達も此のつまらない名前のつくやうな事をしないやうにしなければならない。蟻は極くつまらない小さな生き者だが、此の小さな生き者の手前だけでも、そんな名前は恥ぢなければならない。其処で蟻共は満足すると直ぐ飢ゑてゐる他の蟻の事を思ひ出す。だから、其の液体の食べ物を家に持つて帰るために、そのたつた一つの器の中にそれを一ぱいにつめ込むのだ。それが即ちはちきれさうなあのお腹なのだ。
『さて蟻共はその脹れたお腹をかゝへて帰つてゆく。そのお腹は他の者がたべてもいゝ沢山の食物がつまつてゐるのだ。坑夫や大工やその他の労働者達は町の建築に体を働かせながら、それを待ちこがれて熱心に働き続けてゐる。その蟻共はさし迫つた作業の為めに自分達で出かけて行て木虱をさがすといふ事は出来ないのだ。一匹の大工がそのお腹のふくれた蟻に出遇ふ。するとすぐにその大工は自分の持つてゐる藁を降す。そして二匹の蟻は丁度キツスでもするやうに口と口とをくつつける。そしてその乳を持つて来た方の蟻は、そのはちきれさうな腹の中につまつてゐるものをほんの少しはき出すのだ。そしてもう一匹の蟻は夢中になつてそれを飲むのだ。甘《うま》い! そしてこんどはまあなんと云ふ元気のいゝ働き方だらう? 大工はまた藁をかついで行つてしまふし、乳くばりは、自分のくばる道を歩きつゞける。そして他の飢ゑた蟻に遇ふ。またそれとキツスをする。口から口に汁をはき出して入れてやる。さうして此の蟻共は、そのはちきれさうなお腹が空になるまでわけてやるのだ。乳搾りの蟻はそれから又お腹を一杯にしに戻つて行く。
『で、お前達は、自分で食べ物の処までゆけない労働者の蟻共が口一ぱいに食べ物をつめ込むのには、一匹の乳搾りからのでは十分でない事が想像出来るね。それは沢山の乳搾りが要る。そしてまだ、地面の下の暖い寝所にも腹のへつてゐる蟻がうんとゐるのだ。それは若い蟻で、家族や町の大事なものなのだ。私はお前達に、その蟻も他の昆虫と同じやうに、鳥の卵のやうな卵から孵《かえ》るのだと云ふ事をお話ししなければならないね。』
『いつだか』とエミルが口を入れました。
『僕ね、石をおこして見たら、小さい白い粒がどつさりあつて、それを蟻がいそいで地の下に運んでゆきましたよ。』
『その白い粒が卵だ。』とポオル叔父さんが云ひました。『その卵を蟻共は地面の下の方の其の住居から持つて上つて来て、石の下で太陽の熱にその卵をあてゝ孵させるのだ。だから、その石が持ちあげられた時には卵にあやまちのないやうに、安全な場所に持つてゆかうとしてあはてゝ降りてゆくのだ。
『卵から出て来るのは、お前達の知つてゐる蟻の形をしてはゐない。それは白い小さな蛆虫《うじむし》で、足もないし、全くよはよはしい動く事も出来ない位だ。蟻塚の中には此の小さな蛆虫が何十とゐるのだ。蟻はちつとも休みなしに、そのどれにもこれにも一と口づつ食べ物をわけてやるのだ。そして、それが育つて行つて、何日《いつ》か蟻になるのだ。其処で一つ、その寝所に一ぱいになつてゐる小さい虫を一匹育てるのに、一体どれだけの木虱をしぼり、どれだけの蟻が働かなければならないか考へて御覧。』

[#5字下げ]六 悧巧な坊さん[#「六 悧巧な坊さん」は中見出し]

『大きいんだの小さいんだの蟻塚が方々にありますよ。』とジユウルが云ひました。『庭の中でだつて僕は一ダアス位数へる事が出来たんだもの。一つのからなんか蟻が出て来ると道が真黒な位どつさりゐましたよ。あんなのは小さい虫をみんな育てるのに、よつぽど沢山の木虱がいりますね。』
『それは大変なもんだよ。』と叔父さんはジユウルに話しました。『が蟻は決して牝牛に不足する事はないだらうよ。そして木虱は不足しないどころかそれよりもつと沢山ゐるんだよ。それは時々私達のキヤベツの収穫《とりいれ》がうまくゆくかどうかを真面目に心配さす程沢山ゐるんだ。此の小さな虱が、人間に戦争をしようと云ふんだ。こんな話がある。それは此の事がよく分るからお聞き。
『昔、印度に一人の王様があつた。その王様は人困らせのくせがあつた。その王様を慰める為めに、或る坊さんが将棋遊びを工夫した。お前達はその遊びをしるまいね。よろしい。それはね、あの碁盤のやうな盤の上で、両方に分れて一方は白、一方は黒で、卒、騎士、僧正、城、女王、王、と云ふやうにいろ/\ちがつた棋子《きし》をならべて陣だてをする。そして戦ひをはじめる。卒はたゞの歩兵で、いつも、戦場での最初の名誉の戦死をする事にきまつてゐる。王様は堂々と守護されて遠くの方から卒共が敵を逐つ払ふ闘ひの様子を見てゐる。騎士は剣で手当りしだいに左右の敵を切りまくる役目だ。僧正達でさへもやつきになつて戦ふ。そして城は軍隊で其の側面を護られながら、彼方《あちら》へ行つたり此方《こちら》へ行つたりして、移りまはる。勝利は決した。黒の方の女王が捕虜になつた。王は城をなくした。或る騎士と僧正とが王の逃げ道をつくる為めに非常な働きをする。けれどもそれもたうとう屈服する。王はたうとう王手詰になつて敗ける。勝負はおしまひになる。
『此の巧妙な勝負事は戦争をかたどつたもので、其の人困らせの王様を非常に満足させたのだ。で、王様は坊さんに、其の発明をした御褒美に何かのぞみがあるかどうかたづねた。
『ほんの一寸した事で結構でございます』と此の発明者は答へた。『貧乏な坊主を満足させるのはたやすい事でございます。何卒私に、小麦の粒を、将棋盤の最初の目には一つ、其の次の目には二つ、三番目の目には四つ、四番目のには八つ、といふやうに小麦の粒の数を倍にして最後の目までふやして勘定して頂きます。盤の目は六十四あります。それだけ頂ければ私は満足いたします。又、私の青い鳩も其の小麦で幾日かを十分にさゝへる事が出来ませう。』
『此奴は馬鹿だな。』と王様は心の中で云つた。『大金持にだつてなれるのに此の坊主は俺《わし》にたつた一と握りの小麦をねだつたりして。』そして自分の家来の方をふり向いて云つた。『金貨を千枚づつ十の財布に入れて此の男にやれ。それから小麦を一俵ほどやれ。一俵あれば此の男が俺にねだつた小麦の百倍にも当るだらう。』
『信仰深い王様!』と坊さんが答へました。『金貨の財布は、私の青い鳩には入り用がないのでございます。私には何卒私がおねがひいたしました小麦を頂かして下さいませ。』
『よしよし、では一俵の小麦の代りに百俵も要るか。』
『正直に申しますと、それでも不十分でございます。』
『では千俵か。』
『どういたしまして。私の将棋盤の目はちやんときまつた数しか持つては居りません。』
 此の間に家来達は、千俵の中味の中には、六十四を六十四度倍加した麦粒がないといふ、坊さんの不思議な云ひ草におどろいて、ひそ/\話しあつてゐた。王様はたうとう辛抱しきれずに、学者達を集めて坊さんの要求した小麦の粒の計算をさせた。坊さんはその鬚面の中に一くせありさうな笑ひを浮べて、遠慮してわきの方に退いて、計算の終るのを待つてゐた。
 見る/\計算者のペンの下では数字がずん/\ふえて行つた。そして計算がすんだ。そして一人が頭をあげた。
『王様』と其の学者は云つた。『計算は済みました。其の坊さんの要求を満足さしてやりますには、あなたの穀倉の中にある小麦だけでは足りません。町中にあるだけでも、国中にあるだけでも足りません。世界中のでも足りません。要求された量の小麦粒で、海と陸とをよせた大地球全体を、指の深さにちつとも断《き》れ間のないやうに覆ふてしまふ事が出来る程なのです。』
 王様は自分で其の小麦の粒の勘定ができなかつたのを怒つて自分の髭をかんだ。そして此の有名な将棋の発明者は一番位置の高い大臣になつた。怜悧《りこう》な坊さんは最初からそれをのぞんでゐたのだ。
『その王様のやうに、僕だつてその坊さんの罠におちたでせう』とジユウルが云ひました。
『僕も一と粒を六十四へん倍加すると云つてもたつた一と握りの小麦をやつたらうと思ひますよ。』
『これでお前達は』とポオル叔父さんは返事しました。『数といふものはどんなに小さくても、おなじ数字を何辺も倍加してゆくと、丁度雪の球をころがして大きくしてゐると、私達の精一杯の力でも動かすことの出来ないやうな大変大きな球になるのとおなじに、莫大なものになると云ふ事がわかるやうになつたらう。』
『其の坊さんは大変ずるかつたんですね。』とエミルが云ひました。『自分の青い鳩にやる少しの小麦で自分が満足するやうな事を云つて、ほんの少々ねだるやうに見せかけて置いて、実は王様の持つてゐるのよりももつと沢山のものをねだつたりして。其の坊さんつて云ふのは何んですか? 叔父さん。』
『東洋の方のある宗教の坊さんなんだ。』
『叔父さんは、王様がその坊さんを地位の高い大臣にしたと云ひましたね。』
『地位のある大臣達の中でも一番地位の高い大臣だ。坊さんは、その時から国中で王様に次ぐ一番えらい役人になつたのだ。』
『僕、坊さんが其の金貨が千枚づつはいつた十の財布をことわつたと云ふのには一寸おどろきましたよ。だけども坊さんはそれよりはもつといゝものを待つてゐたんですね。十の財布はいつまでもそのまゝになつてはゐませんからね?』
『其の金貨一枚は十二フランの値うちがあるのだ。だから王様が坊さんにやらうとして持ち出した総計は十二万フランと、其の外に小麦の袋だ。』
『そして坊さんは、小麦の粒を六十四度倍加したものを戴きたいと申し出たんですね。』
『その事にくらべれば、王様から坊さんに持ち出したものなんか、何んでもなかつたのだ。』
『が、叔父さん、木虱の話は?』とジユウルがたづねました。
『此の坊さんの話は、直ぐにその木虱の話と結びつく』と叔父さんはジユウルに云つてやりました。

[#5字下げ]七 無数の家族[#「七 無数の家族」は中見出し]

『一匹の木虱について考へると、』ポオル叔父さんは続けました。『薔薇の藪の柔かい嫩枝《わかえだ》に木虱がついたばかりの時には、一匹づつはなれてゐる。みんな一匹づつだ。けれども暫くすると若い木虱がそのまはりをとりまいてゐる。その若い奴はみんな子供なのだ。その沢山な事といつたら! 十、二十、百たとへば十とする。それで木虱はその種族を維持して行くのに十分だらうか? 尤《もっと》も、薔薇の藪から木虱がゐなくなつたところで、そんな事はどうでもいゝ事のやうだがね。』
『でも、蟻達が一等可哀想ですものね。』とエミルが云ひました。
『うん、それもある。が、十匹の木虱で其の種族を十分に維持してゆけるかどうかといふ事は、学問の上から云つて決してつまらない質問ではないのだ。』
『一匹の木虱が十匹の木虱になるとする。尤も、本当は、此の虫がいろんな事で殺されるのを勘定に入れると、それでは多すぎるのだがね。一匹が一匹に代つて行けばいつまでたつても其の数はおんなじだ。が、一匹が十匹になつて行けば、ほんの一寸の間で、其の数は勘定の出来ない位に殖える。坊さんの考へた小麦の粒を六十四度二倍したものは、地球全体を指の深さの小麦の床で覆ふようになるのだ。が、もしそれを二倍する代りに十倍にしたらどうだらう! 一匹の木虱の子孫を十倍する事を続けて行つたら、数年の後には世界中が木虱で一ぱいになつてしまふだらう。けれども其処には、死といふ大きな刈り取り手がある。此の死は、あまりに蔓《ひろが》りすぎる生物を減らして、生物の間の調和をよくし、そして又、すべての生物を、絶えず若くしてゆく。薔薇の木の一番安全に見えるような処にでも絶えず、此の死が襲ふて来るのだ。先づ小さいのや、弱いのは、此の牧場のいろんな大食家共の毎日のパンになる。さういふ風に、小さい弱い木虱は、さういくつもの危険に曝されないでも、自分を保護する何の方法もないのだ。小鳥が其の鋭い眼で木虱で出来たしみ[#「しみ」に傍点]を見つけ出すが早いか、ひつさらつて、まるでアペタイザでもたべるやうに、一ぺんに幾百もそれをのんでしまふ。そして若しそれが虫だつたら、もつとずつと慾張るのだ。可哀想な木虱よ! あの恐ろしい虫は、お前をたべて生きてゐるやうに、特別につくられて生れて来てゐるのだ。けれども、神様はきつと可哀想な生き物のお前を本当にあぶないお前の種族のために保護してくれるだらう。
『此の食ひ荒しやは、きれいな緑色で、背中に白い筋をもつてゐて、そして前の方が細くなつて後へ脹《ふく》れてゐる。その虫の事を、木虱の獅子と云ふのだ。何故なら、蟻達ののろまな牝牛を荒らすところから、自然にさういふ名になつてしまつたのだ。その尖《とが》つた口で、よく肥つた大きい一つをひつ捉へると、すぐにそれを呑む。そしてその皮は投げすてる。それはむごすぎる位だ。その尖つた頭は、また低くなる。次ぎの木虱を捉へる。葉から起して呑む。さうして廿番目の百番目のと、次から次へと呑んでゆく。のろまな牝牛共は、その群がだん/\まばらになつて来て、恐ろしい事が近づいて来ると云ふ事も知らないのだ。捕まつた木虱は獅子の牙の間でもがいてゐる。他の者は何の出来事もないやうに呑気《のんき》にたべつづけてゐる。
『此の木虱の獅子は、腹の中のものが消化するまで、牝牛共の中に気楽にうづくまつてゐる。けれどもその消化は非常に早い。そしてその間にもう此のガツ/\した虫は、直ぐに噛み砕くであらう次の木虱をねらつてゐるのだ。すべての木虱共が嫩芽をたべてゆく後から、丁度そのやうにして二週間の間その牝牛共をたべつゞけたあとで、此の虫は金のやうによく光る眼の、きれいな、草蜻蛉《くさかげろう》と云ふ小さい蜻蛉《とんぼ》になるのだ。
『それでおしまひか?と云ふに、どうしてどうして! まだ瓢虫《てんとうむし》といふのがある。それは円くて赤い虫で、黒い幾つもの斑点《ほし》がある。大変気持のいゝ虫で、無邪気な様子をしてゐる。此の虫が又ガツガツの大食ひだとは誰れも気がつくまい。その胃袋は木虱で一ぱいにされてゐるのだ。薔薇藪でそつと調べたら、お前達はその兇猛な御馳走のたべぶりを見る事が出来るだらう。瓢虫は大変きれいだ。そして無邪気らしく見える。けれども大食家だ。木虱が大好きなのだ。
『それでおしまひか? まだ/\! 可哀想な木虱共はマンナなのだ。マンナと云ふのは古代イスラエル人が荒野を旅行する時に用ゐた食物の名だ。それはあらゆる種類の大食家共の常食だ。雛鳥がたべる。草蜻蛉がたべる。てんとうむし[#「てんとうむし」に傍点]がたべる。すべての大食家共が木虱をたべるのだ。そして、なほそれでも、何時でも木虱はゐる。何処にでもゐる。こゝに、いくら殺されても猶どし/\生んで行くといふ多産と、それを又どし/\殺して行くといふの戦ひがあるのだ。そして弱いものは其の絶滅の機会を免れようとして、殺されても猶いくらでも生んで行つて、遂にそれに打ち勝つのだ。ガツガツの大食家共がいくら八方から攻めて来たつて駄目だ。食はれる方はたつた一匹を保護するために、幾百万もを犠牲にする。食はれゝば食はれる程沢山産む。
『鯡《にしん》、鱈《たら》、それから鰯《いわし》は、海や、陸や、空の貪食家の為めに、牧場に一ぱいになつてゐる。これ等の魚が適当な場所に行かうとして、長い航海を試みる時には、其の死滅するのは恐ろしいものだ。海の中の飢ゑた奴等が此の魚の群れを囲む。空の飢ゑた奴等は其の泳いで行く路の上を飛びまはる。陸でもやはりさうした飢ゑた奴等が岸で彼等を待つてゐる。人間も其の有力な仲間になつて、海の食物の分前を取るのにいそがしい。人間は大船隊でもつて魚に向つて行つて、それを干物にしたり、塩漬にしたり、燻《いぶ》したりして、荷作りする。しかしその供給が目に見えて少くなるといふ事はない。人間の為めには、此の弱い魚は無限の数なのだ。一匹の鱈が九百万の卵を産むのだ。何処で貪食家共はさういふ家族の最後を見る事が出来るだらう?』
『九百万の卵!』とエミルが叫びました。
『大変な数ぢやありませんか?』
『それを一つ/\ちやんと勘定するには、毎日十時間も勘定して一年近くもかゝらなければならないだらう。』
『誰か余程辛抱したものがそれを数へられた訳ですね。』
 と云ふのはエミルの批評でした。
『数へるのではない。』とポオル叔父さんは答へました。『目方を秤《はか》るんだよ。その方が早いからね。其の目方から数を推定するのだ。』
『其の海での鱈のやうに、木虱も、薔薇や接骨木の藪で無数の滅亡の機会に自分の体をおいてゐる。その木虱共は私が話したやうに多勢の食ひしん坊共の毎日のパンなのだ。そんな風に、木虱共の群がふえるのには、他の昆虫にはない、非常に早い或る方法があるのだ。木虱は、卵を産むといふ非常にのろい[#「のろい」に傍点]やり方をしないで、生きた木虱其者を産むのだ。どの木虱も皆んな、絶対的に皆んな、二週間程育つと、もう其の子を産み初めるのだ。それは木虱のゐる季節の間ずつと、云ひ換へれば、一年のうちの少くとも半分の間は、繰り返す。そして此の一と季節の世代の数は、十二以上にもなる。先づ一匹の木虱が十匹を産むとする。これでは実際の数よりも少ないのだが。其の最初の一匹から生れた十匹の木虱がそれ/″\十匹づつ産むと、それで一匹がみんなで百匹つくる事になる。其の百匹がめいめいに十匹産むと、みんなで千匹になり、その千匹がそれ/″\十匹づつ産むとみんなで一万匹になる。さういふ風に十を十一度掛けて行く。さあ、丁度坊さんの小麦の粒とおなじ計算だ。坊さんの計算の時には二を掛けて行つて恐《おどろ》く程の速さで大きな数字になつて行つた。が、木虱の家族の増えるのは、十を掛けて行くのだから、其の増えるのはもつと/\早い。尤も坊さんの時には六十四度もかけて行つたのだが、こんどは十二度に過ぎない。しかしそんな事はどうでもいゝ。とにかく其の結果はお前達をぼんやりさせてしまふ程になるだらう。それは千億万にもなるのだ。一疋の鱈の卵を一つ一つ計算するのには一年近くもかゝる。が、一匹の木虱から六ヶ月の間にふえる木虱を計算するには一万年もかゝるだらう! いくら大食共だつて、此の木虱をどうして食ひ尽せるだらう? 今此の接骨木の枝にびつしりとくつついてゐる木虱がそんなに殖えたら、どんな広さの処をも覆ふてしまふだらうか考へられるかね。』
『きつと、うちのお庭くらゐの広い処に一ぱいになるでせう。』とクレエルが云ひ出しました。
『もつと広い。此の庭は長さが百メエトル幅も同じ位だ。此の木虱の家族は、此の庭の十倍もの広さのところに一ぱいになるのだ。どうだい? 放つておけば、一寸の間に世界中に蔓《ひろが》るかもしれない此の木虱を、あの金色の眼の蜻蛉や、小さい瓢虫や、いろんな雛鳥が食ひ尽してしまへようか。
『かうしていろんなガツ/\者共が食べ荒らすにも拘はらず、木虱は猶人間を真面目に驚かせる程ゐる。翼のある木虱が、日光を隠してしまふ程のあつい群れになつて飛ぶのを見る事がある。其の真黒な群れは、或る県から他の県までも行く。そして果物の樹に降りてはそれを荒らす。神様が人間を試みようとする時には、何んでゝも試みるものがあるのだ。神様は此の高慢な人間に対して、生物の中の一番卑しいみすぼらしいものを送る。目で見えない畑荒らしの此のかよわい木虱が来ると、人間はあはてふためいて了ふ。人間は、いくら威張つてゐても、此の小さな虫をどうともする事も出来ないのだ。
『人間は強い、けれども、此の小さな活きものには叶《かな》はない。その沢山の群に打ち勝つ事は出来ないのだ。』
 ポオル叔父さんの、蟻と其の牝牛の話は、これでおしまひになりました。其後幾度もエミルとジユウルとクレエルは、木虱や鱈の莫大な家族について話しました。けれども、その話はいつも百万とか、一億とか云ふ数で三人を途方にくれさせるのでした。ポオル叔父さんは、自分の話がアムブロアジヌお婆あさんのお伽話よりも余程子供達の興味をひいたので、気持よささうにしてゐました。(つづく)



底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
底本の親本:「科学の不思議」アルス
   1923(大正12)年8月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:トレンドイースト
2010年7月31日作成
2011年1月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • ファーブル Jean Henri Fabre 1823-1915 フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」
  • 大杉栄 おおすぎ さかえ 1885-1923 無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。
  • 伊藤野枝 いとう のえ 1895-1923 女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜(せいとう)社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • ニワトコ 庭常・接骨木。スイカズラ科の落葉大低木。高さ約3〜6メートル。幹には太い髄がある。春に白色の小花を円錐花序に密生し、球状の核果が赤熟。茎葉と花は生薬とし、煎汁を温罨(おんあん)など外用薬に使う。枝は小鳥の止り木に賞用。古名、たずのき。
  • 持地 もちじ?
  • 糸捲竿 いとまきさお
  • リンネル 亜麻の繊維で織った薄地織物。リネン。
  • せむし 傴僂。(昔、背に虫がいるためになる病気と思われていたからいう)背骨が後方に突出し弓状に湾曲する病気。また、その病気の人。脊柱後湾。
  • とうなす 唐茄子・蕃南瓜。(1) 東京地方で、南瓜(かぼちゃ)類の総称。(2) カボチャの一品種。果体は長く瓢箪形を呈し、表面は平滑または瘤質をなすもの。京都付近に栽培。カラウリ。
  • 機械師
  • 樹汁
  • キジラミ 木蝨 カメムシ目キジラミ科の昆虫の総称。体長約2〜3ミリメートルのものが多い。後肢が発達し、よく跳躍する。植物の汁を吸収し、果樹などの害虫になるものが少なくない。虫�(ちゅうえい)をつくるものも多い。ナシキジラミ・クワキジラミ・クストガリキジラミなど。
  • キョウチクトウ 夾竹桃。キョウチクトウ科の常緑大低木。インド原産。高さ約3メートル。葉は細く革質、3葉ずつ輪生。乳液を含み有毒。夏、桃色の花を開く。白花・八重咲などの園芸品種もある。庭木とし、葉は強心・利尿に有効という。
  • 畜牛 ちくぎゅう?
  • 堆み上げ つみあげ?
  • 王手詰 おうてづめ? てづまり?
  • アペタイザー appetizer 西洋料理で、食欲増進のための食前酒または前菜のこと。
  • マンナ manna マナ。旧約聖書に登場する食物、マナに由来している。/イスラエル民族が荒野の旅で神から奇蹟的に与えられたという食物。旧約聖書の「出エジプト記」に見える。マンナ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 おもいだした。藤沢周平原作のNHKドラマ『秘太刀馬の骨』では、おなじみ庄内藩をモチーフとした海坂藩が舞台で、たしか主人公が、家老の放った忍びの者につけねらわれるというシーンがあった。
 これまで、少なからず県内の歴史研究書に目を通しているはずだけれど、庄内藩をはじめとして、新庄藩にも山形藩にも米沢藩にも「忍者が存在した」という記録や論文を見たことがない。
 
 しかし、考えてみれば徳川四天王の酒井庄内藩。伊達藩・秋田藩などの雄藩も近くにある。忍びの者、草の者、隠密はいなかった、と考えるほうが無理があるようにも思える。記録にも伝承にも存在を確認するものがない……これぞ隠密。藤沢周平は何かをつかんでいたのだろうか。

 戊辰戦争当時の仙台藩には、黒装束の「からす組」を名乗る藩士部隊が存在して、福島北部で新政府軍に抵抗したという記録がある。
 明治維新、戊辰戦争、日清・日露戦争。その後、一転して庄内や福島・岩手・仙台などの東北出身者が目立つようになって満州事変・太平洋戦争の近現代をむかえる。忍び……東北……近現代……むつ、フクシマ。




*次週予告


第四巻 第二四号 
科学の不思議(二)アンリ・ファーブル


第四巻 第二四号は、
二〇一二年一月七日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第二三号
科学の不思議(一)アンリ・ファーブル
発行:二〇一一年一二月三一日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー
  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉        
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 【欠】
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  •  はしがき
  •  庄内三郡
  •  田川郡と飽海郡、出羽郡の設置
  •  大名領地と草高――庄内は酒井氏の旧領
  •  高張田地
  •  本間家
  •  酒田の三十六人衆
  •  出羽国府の所在と夷地経営の弛張
  •  
  •  奥羽地方へ行ってみたい、要所要所をだけでも踏査したい。こう思っている矢先へ、この夏〔大正一一年(一九二二)〕、宮城女子師範の友人栗田茂次君から一度奥州へ出て来ぬか、郷土史熱心家なる桃生郡北村の斎藤荘次郎君から、桃生地方の実地を見てもらいたい、話も聞きたいといわれるから、共々出かけようじゃないかとの書信に接した。好機逸すべからずとは思ったが、折悪しく亡母の初盆で帰省せねばならぬときであったので、遺憾ながらその好意に応ずることができなかった。このたび少しばかりの余暇を繰り合わして、ともかく奥羽の一部をだけでも見てまわることのできたのは、畢竟、栗田・斎藤両君使嗾の賜だ。どうで陸前へ行くのなら、ついでに出羽方面にも足を入れてみたい。出羽方面の蝦夷経営を調査するには、まずもって庄内地方を手はじめとすべきだと、同地の物識り阿部正巳〔阿部正己。〕君にご都合をうかがうと、いつでもよろこんで案内をしてやろうといわれる。いよいよ思いたって十一月十七日の夜行で京都を出かけ、東京で多少の調査材料を整え、福島・米沢・山形・新庄もほぼ素通りのありさまで、いよいよ庄内へ入ったのが二十日の朝であった。庄内ではもっぱら阿部君のお世話になって、滞在四日中、雨天がちではあったが、おかげでほぼ、この地方に関する概念を得ることができた。その後は主として栗田君や斎藤君のお世話になって、いにしえの日高見国なる桃生郡内の各地を視察し、帰途に仙台で一泊して、翌日、多賀城址の案内をうけ、ともかく予定どおりの調査の目的を達することができた。ここにその間見聞の一斑を書きとめて、後の思い出の料とする。
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  •  出羽国分寺の位置に関する疑問
  •  これは「ぬず」です
  •  奥羽地方の方言、訛音
  •  藤島の館址――本楯の館址
  •  神矢田
  •  夷浄福寺
  •  庄内の一向宗禁止
  •  庄内のラク町
  •  庄内雑事
  •   妻入の家 / 礫葺の屋根 / 共同井戸 / アバの魚売り / 竹細工 /
  •   カンジョ / マキ、マケ――ドス / 大山町の石敢当 / 手長・足長 /
  •   飛島 / 羅漢岩 / 玳瑁(たいまい)の漂着 / 神功皇后伝説 / 花嫁御
  •  桃生郡地方はいにしえの日高見の国
  •  佳景山の寨址
  •  
  •  だいたい奥州をムツというのもミチの義で、本名ミチノク(陸奥)すなわちミチノオク(道奥)ノクニを略して、ミチノクニとなし、それを土音によってムツノクニと呼んだのが、ついに一般に認められる国名となったのだ。(略)近ごろはこのウ韻を多く使うことをもって、奥羽地方の方言、訛音だということで、小学校ではつとめて矯正する方針をとっているがために、子どもたちはよほど話がわかりやすくなったが、老人たちにはまだちょっと会話の交換に骨の折れる場合が少くない。しかしこのウ韻を多く使うことは、じつに奥羽ばかりではないのだ。山陰地方、特に出雲のごときは最もはなはだしい方で、「私さ雲すうふらたのおまれ、づうる、ぬづうる、三づうる、ぬすのはてから、ふがすのはてまで、ふくずりふっぱりきたものを」などは、ぜんぜん奥羽なまり丸出しの感がないではない。(略)
  •  また、遠く西南に離れた薩隅地方にも、やはり似た発音があって、大山公爵も土地では「ウ山ドン」となり、大園という地は「うゾン」とよばれている。なお歴史的に考えたならば、上方でも昔はやはりズーズー弁であったらしい。『古事記』や『万葉集』など、奈良朝ころの発音を調べてみると、大野がオホヌ、篠がシヌ、相模がサガム、多武の峰も田身(たむ)の峰であった。筑紫はチクシと発音しそうなものだが、今でもツクシと読んでいる。近江の竹生島のごときも、『延喜式』にはあきらかにツクブスマと仮名書きしてあるので、島ももとにはスマと呼んでいたのであったに相違ない。これはかつて奥州は南部の内藤湖南博士から、一本参られて閉口したことであった。してみればズーズー弁はもと奥羽や出雲の特有ではなく、言霊の幸わうわが国語の通有のものであって、交通の頻繁な中部地方では後世しだいになまってきて、それが失われた後になってまでも、奥羽や、山陰や、九州のはてのような、交通の少なかった僻遠地方には、まだ昔の正しいままの発音が遺っているのだと言ってよいのかもしれぬ。(略)
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  •  館と柵および城
  •  広淵沼干拓
  •  宝ヶ峯の発掘品
  •  古い北村
  •  姉さんどこだい
  •  二つの飯野山神社、一王子社と嘉暦の碑
  •  日高見神社と安倍館――阿部氏と今野氏
  •  天照大神は大日如来
  •  茶臼山の寨、桃生城
  •  貝崎の貝塚
  •  北上川改修工事、河道変遷の年代
  •  合戦谷付近の古墳
  •  いわゆる高道の碑――坂上当道と高道
  •  
  •  しかし安倍氏の伝説はこの地方に多く、現に阿部姓を名乗る村民も少くないらしい。(略)先日、出羽庄内へ行ったときにも、かの地方に阿部氏と佐藤氏とがはなはだ多かった。このほか奥羽には、斎藤・工藤などの氏が多く、秀郷流藤原氏の繁延を思わしめるが、ことに阿部氏の多いのは土地柄もっともであるといわねばならぬ。『続日本紀』を案ずるに、奈良朝末葉・神護景雲三年(七六九)に、奥州の豪族で安倍(または阿倍)姓を賜わったものが十五人、宝亀三年(七七二)に十三人、四年に一人ある。けだし大彦命の後裔たる阿倍氏の名声が夷地に高かったためであろう。しかしてかの安倍貞任のごときも、これらの多数の安倍姓の中のものかもしれぬ。前九年の役後には、別に屋・仁土呂志・宇曽利あわして三郡の夷人安倍富忠などいう人もあった。かの日本将軍たる安東(秋田)氏のごときも、やはり安倍氏の後なのだ。もしこの安倍館がはたして安倍氏の人の拠った所であったならば、それは貞任ではない他の古い安倍氏かもしれぬ。阿部氏と並んでこの地方に今野氏の多いのもちょっと目に立った。(略)今野はけだし「金氏」であろう。前九年の役のときに気仙郡の郡司金為時が、頼義の命によって頼時を攻めたとある。また帰降者の中にも、金為行・同則行・同経永らの名が見えている。金氏はもと新羅の帰化人で、早くこの夷地にまで移って勢力を得ていたものとみえる。今野あるいは金野・紺野などともあって、やはり阿倍氏の族と称している。その金に、氏と名との間の接続詞たる「ノ」をつけてコンノというので、これは多氏をオオノ、紀氏をキノと呼ぶのと同様である。
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
  •  
  •  私はいつも神さまの国へ行こうとしながら地獄の門をもぐってしまう人間だ。ともかく私ははじめから地獄の門をめざして出かけるときでも、神さまの国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局、地獄というものに戦慄したためしはなく、バカのようにたわいもなくおちついていられるくせに、神さまの国を忘れることができないという人間だ。私はかならず、いまに何かにひどい目にヤッツケられて、たたきのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらしてまっさかさまに落とされてしまう時があると考えていた。
  •  私はずるいのだ。悪魔の裏側に神さまを忘れず、神さまの陰で悪魔と住んでいるのだから。いまに、悪魔にも神さまにも復讐されると信じていた。けれども、私だって、バカはバカなりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神さまを相手に組み打ちもするし、蹴とばしもするし、めったやたらに乱戦乱闘してやろうと悲愴な覚悟をかためて、生きつづけてきたのだ。ずいぶん甘ったれているけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落とされる時を忘れたことだけはなかったのだ。
  •  利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと言うだろう。私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと、言うことよりもずるい。私もそう思う。でも、なんとでも言うがいいや。私は、私自身の考えることもいっこうに信用してはいないのだから。「私は海をだきしめていたい」より)
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
  •  
  •  (略)父がここに開業している間に、診察の謝礼に賀茂真淵書入の『古今集』をもらった。たぶん田安家にたてまつったものであっただろうとおもうが、佳品の朱できわめてていねいに書いてあった。出所も好し、黒川真頼翁の鑑定を経たもので、わたしが作歌を学ぶようになって以来、わたしは真淵崇拝であるところから、それを天からの授かり物のように大切にして長崎に行った時にもやはりいっしょに持って歩いていたほどであったが、大正十三年(一九二四)暮の火災のとき灰燼になってしまった。わたしの書架は貧しくて何も目ぼしいものはなく、かろうじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失せた。わたしは東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思い出して残念がるのであるが、何ごとも思うとおりに行くものでないと今ではあきらめている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとしたことにもとづくものがあると知って、それであきらめているようなわけである。
  •  まえにもちょっとふれたが、上京したとき、わたしの春機は目ざめかかっていて、いまだ目ざめてはいなかった。今はすでに七十の齢をいくつか越したが、やをという女中がいる。わたしの上京当時はまだ三十いくつかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」とわたしに教えた女中である。その女中がわたしを、ある夜、銭湯に連れて行った。そうすると浴場にはみな女ばかりいる。年寄りもいるけれども、キレイな娘がたくさんにいる。わたしは故知らず胸のおどるような気持ちになったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかもしれない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことがわかり、女中は母にしかられて私はふたたび女湯に入ることができずにしまった。わたしはただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。「三筋町界隈」より)
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  • 原子力の管理
  •  一 緒言
  •  二 原子爆弾の威力
  •  三 原子力の管理
  •  
  • 日本再建と科学
  •  一.緒言
  •  二.科学の役割
  •  三.科学の再建
  •  四.科学者の組合組織
  •  五.科学教育
  •  六.結語
  •  
  • 国民の人格向上と科学技術
  • ユネスコと科学
  •  
  •  原子爆弾は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。「日本再建と科学」より)
  •  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。
  •  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。「ユネスコと科学」より)
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  • J・J・トムソン伝
  •  学修時代
  •  研究生時代
  •  実験場におけるトムソン
  •  トムソンの研究
  •  余談
  • アインシュタイン博士のこと 
  •  帯電した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは磁性を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke2 にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)
  •  電子の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他整流器、X線管、光電管など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。
  • 第一九号 原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
  • 総合研究の必要
  • 基礎研究とその応用
  • 原子核探求の思い出
  •  湯川君の受賞
  •  土星原子模型
  •  トムソンが電子を発見
  •  マックスウェル論文集
  •  化学原子に核ありと発表
  •  原子核と湯川君
  •  (略)十七世紀の終わりに、カヴェンジッシュ(Cavendish)が、ジェレキ恒数〔定数〕・オーム則などを暗々裏に研究していたが、その工業的価値などはまったく論外であった。一八三一年にファラデー(Faraday)が誘導電流を発見したけれども、その利用は数十年後に他人によって発展せられ、強電流・弱電流・変圧器・モーターなどにさかんに用いられ、結局、電気工学の根幹はこの誘導電流の発見にもとづくものといってよろしい。(略)近年は電気工学の一部門として、電子工学なるものが生まれた。その源をたずねてみると、J・J・トムソン(Joseph John Thomson)が気体中の電気伝導を研究したのに始まっている。気体が電離すると、物質は異なっていても必ず同じ帯電と同じ質量を持っている微細なものが存在する。すなわち電子であって、今日まで知られているもっとも微質量の物質である。その帯電を利用し、自由にこれが速度を調節することが可能であることを認め、はじめてフレミング(Fleming)によって無線通信を受けるに使われた。(略)
  •  つぎに申し上げるのは、光電池のことである。ドイツの片田舎ウォルフェンブッテル(Wolfenbu:ttel)の中学教員エルステル(Elster)とガイテル(Geitel)は、真空内にカリウム元素を置き、これに光をあてると電子の発散するのを認め、ついにこれをもって光電池を作った。近ごろではカリウムよりセシウム(Caesium)が感度が鋭敏であるから、物質は変化したけれども、その本能においては変わらない。この発見者はこれを工業的に発展することはべつに考えなかったが、意外な方面に用いられるようになった。すなわち光度計としては常識的に考えうるが、これを利用してドアを開閉し、あるいは盗賊の警戒にもちい、あるいは光による通信に利するなど、意外なる利用方法が普通におこなわれるようになった。もっともさかんに使われるのは活動写真のトーキーであろう。光電池の創作者にこの盛況を見せ得ないのは残念である。
  • 第二〇号 蒲生氏郷(一)幸田露伴
  •  (略)当時の武士、ケンカ商買、人殺し業、城取り、国取り、小荷駄取り、すなわち物取りを専門にしている武士というものも、然様さようチャンチャンバラばかり続いているわけではないから、たまには休息して平穏に暮らしている日もある。行儀のよい者は酒でも飲むくらいのことだが、犬をひき鷹を肘にして遊ぶほどの身分でもなく、さればといって何の洒落た遊技を知っているほど怜悧(れいり)でもない奴は、他に知恵がないから博奕を打って閑(ひま)をつぶす。戦(いくさ)ということが元来バクチ的のものだからたまらないのだ、バクチで勝つことの快さを味わったが最期、何に遠慮をすることがあろう、戦乱の世はいつでもバクチが流行る。そこで社や寺はバクチ場になる。バクチ道の言葉に堂を取るだの、寺を取るだの、開帳するだのというのは今に伝わった昔の名残だ。そこでバクチのことだから勝つ者があれば負けるものもある。負けた者は賭(か)ける料がなくなる。負ければ何の道の勝負でもくやしいから、賭ける料がつきてもやめられない。仕方がないから持ち物をかける。また負けて持ち物を取られてしまうと、ついには何でも彼でもかける。いよいよ負けてまた取られてしまうと、ついには賭けるものがなくなる。それでも剛情にいまひと勝負したいと、それでは乃公(おれ)は土蔵ひとつかける、土蔵ひとつをなにがし両のつもりにしろ、負けたら今度、戦のある節にはかならず乃公が土蔵ひとつを引き渡すからというと、その男が約を果たせるらしい勇士だと、ウンよかろうというので、その口約束に従ってコマをまわしてくれる。ひどい事だ。自分の土蔵でもないものを、分捕(ぶんどり)して渡す口約束でバクチを打つ。相手のものでもないのにバクチで勝ったら土蔵ひと戸前(とまえ)受け取るつもりで勝負をする。こういうことが稀有ではなかったから雑書にも記されて伝わっているのだ。これでは資本の威力もヘチマもあったものではない。
  • 第二一号 蒲生氏郷(二)幸田露伴
  •  (略)政宗も底倉(そこくら)幽居を命ぜられた折に、心配の最中でありながら千ノ利休を師として茶事を学んで、秀吉をして「辺鄙(ひな)の都人」だと嘆賞させたが、氏郷は早くより茶道を愛して、しかも利休門下の高足〔高弟のこと。〕であった。(略)また氏郷があるときに古い古い油を運ぶ竹筒を見て、その器をおもしろいと感じ、それを花生けにして水仙の花を生け、これも当時風雅をもって鳴っていた古田織部に与えたという談が伝わっている。織部はいまに織部流の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺している人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、侘(わび)に徹した人である。氏郷のその花生けの形は普通に「舟」という竹の釣花生けに似たものであるが、舟とはすこし異なったところがあるので、今にその形を模した花生けを舟とはいわずに、「油さし」とも「油筒」ともいうのは最初の因縁からおこってきているのである。古い油筒を花生けにするなんというのは、もう風流において普通を超えて宗匠分になっていなくてはできぬ作略で、宗匠の指図や道具屋の入れ知恵を受け取っている分際の茶人のことではない。(略)天下指折りの大名でいながら古油筒のおもしろみを見つけるところはうれしい。(略)氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込んでいたのは利休の教えを受けた故ばかりではあるまい、たしかに料簡の据えどころを合点して何にも徹底することのできる人だったからであろう。しかも油筒ごとき微物をとりあげるほどの細かい人かと思えば、細川越中守が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙を所望したときには、それが蒲生重代の重器であったにかかわらず(略)真物を与えた。(略)竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチではない人だ、家重代のものをも惜し気なく親友の所望には任せる。なかなかおもしろい心の行きかたを持った人だった。
  • 第二二号 蒲生氏郷(三)幸田露伴
  •  氏郷はまことに名生(みょう)の城が前途にあったことを知らなかったろうか。種々の書にはまったくこれを知らずに政宗にあざむかれたように記してある。なるほど氏郷の兵卒らは知らなかったろうが、氏郷が知らなかったろうとは思えぬ。縮みかえっていた小田原を天下の軍勢と共に攻めたときにさえ、忍びの者を出しておいて、五月三日の夜の城中からの夜討ちを知って、使い番をもって陣中へ夜討ちがくるぞと触れ知らせたほどに用意をおこたらぬ氏郷である。ましていまだかつて知らぬ敵地へふみこむ戦、ことに腹の中の黒白不明な政宗を後ろへおいて、三里五里の間も知らぬごとき不詮議のことで真っ黒闇の中へ盲目さぐりで進んで行かれるものではない。小田原の敵の夜討ちを知ったのは、氏郷の伊賀衆の頭、忍びの上手と聞こえし町野輪之丞という者で、毎夜毎夜忍びて敵城をうかがったとある。(略)頭があれば手足は無論ある。不知案内の地へのぞんで戦い、料簡不明の政宗と与(とも)にするに、氏郷がこの輪之丞以下の伊賀衆をポカリと遊ばせておいたり徒(いたず)らに卒伍の間に編入していることのありうるわけはない。輪之丞以下は氏郷出発以前から秘命を受けて、(略)ある者は政宗の営をうかがい、ある者は一揆方の様子をさぐり、必死の大活躍をしたろうことは推察にあまりあることである。そしてこれらの者の報告によって、いたって危ない中からいたって安らかな道を発見して、精神気迫の充ち満ちた力足を踏みながら、忠三郎氏郷は兜の銀のナマズを悠然と游がせたのだろう。それでなくて何で中新田城から幾里も距らぬところにあった名生の敵城を知らずに、十九日の朝に政宗を後ろにして出立しよう。城は騎馬武者の一隊ではない、突然にわいて出るものでも何でもない。まして名生の城は木村の家来の川村隠岐守が守っていたのを旧柳沢の城主・柳沢隆綱が攻め取って拠っていたのである。それだけの事実が氏郷の耳に入らぬわけはない。

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