長岡半太郎 ながおか はんたろう
1865-1950(慶応元.6.28-昭和25.12.11)
物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学・物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。文化勲章。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル-HantaroNagaoka.jpg」より。
◇表紙イラスト:Wikipedia 「ファイル:Stylised Lithium Atom.png」より。


もくじ 
原子核探求の思い出(他)長岡半太郎


ミルクティー*現代表記版
総合研究の必要
基礎研究とその応用
原子核探求の思い出
  湯川君の受賞
  土星原子模型
  トムソンが電子を発見
  マックスウェル論文集
  化学原子に核ありと発表
  原子核と湯川君

オリジナル版
綜合研究の必要
基礎研究とその應用
原子核探求の思い出

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

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*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


総合研究の必要
底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html

基礎研究とその応用
底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
初出:『科学朝日』
   1948(昭和23)年1月
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html

原子核探求の思い出
底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
初出:『科学朝日』
   1950(昭和25)年1月
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html

NDC 分類:402(自然科学 / 科学史・事情)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc402.html
NDC 分類:429(物理学 / 原子物理学)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc429.html





総合研究の必要

長岡半太郎


 大発見は完備した装置ある実験場より生ぜずして、かえって貧弱な設備より発芽するを前世紀より唱道せられた。実際、ファラデーが電気に関する基礎的発見をなした歴史をたどれば、貧弱と評するもむしろ皆無なる設備に頼り、自家工作の器械を使用して自然の大法則を闡明せんめいしたというが至当である。これをもって、その人物を景仰けいこうするの念を増すは論をまたぬのである。
 工業方面においても、エジソンが電球を発明したときの真空装置・炭素線の製造といい、まことに家庭的のもので、装置と名を付けがたき単純なる道具を使った結果である。
 パスツールが微生物が病原体であることを確認するには、単に顕微鏡をたよりとしたのであって、貧弱洗うがごとき状況でついに黴菌ばいきん学の基礎を築きあげた。これに続いて、コッホ〔Robert Koch〕は開業医の私室で千辛せんしん万苦ばんく、ついにパスツールの後継者たる技能を発揮して、医学に大貢献をなした。
 レントシェン〔レントゲン。Wilhelm Konrad Rntgen〕は真空管と写真乾板とを元手として、ついにその名をつけられた放射線を発見し、物理学・医学・工学などにおいて大いなる研究を拓殖たくしょくする路を開いた。
 これらの大発見の径路をたずぬれば、設備はあってもなきがごとく、なくてもあるがごとき観を生ずる。畢竟ひっきょう、学者の頭脳の動きによりて、装置なぞは何の物かはといわんばかりの感をおこさしめる。それしかりあにそれしからんやで、諸現象の研究がますます進むにしたがって、これら諸先輩の仕事の仕方を模倣すべきやいなの問題は、識者のあいだに種々の討議をみちびくに至った。
 自然現象に限りあり、原則はわりあいに簡単なれども、そのこれを簡単化するは幾何学の公理のごとく、簡単なるがゆえにかえってむつかしき自然法則を箇條書きにすれば、僅少きんしょうの語でつくし得べし。今日まで吾人が調べ上げた原則は、そのもっとも簡単化した情勢においてこれをなしたから、実験するにも手細工の器械ですんだが、そのいよいよ相互混淆こんこうした場合に遭遇すれば容易なことではない。現象が互いにこんがらがっている模様は乱麻のごとくにして、これをいて一条の糸となすに、ただ一人がその材智をしぼりても追いつかず、また簡単な手細工で紛乱を解除しようとしてもとてもおよばないから、衆知を集め、複雑な機械を作って、はじめてその目的を成就するを得べしとは、現今だれも疑わないところである。
 昔、ガリレオが土星の環を発見して、そのめずらしき月の形に驚いたが、その環にあらずして無数の微小なる月であることをキーラー〔James Edward Keeler〕によって明らかにせられるまで、ほとんど三〇〇年を経過した。すなわちその中間の工作は、かくのごとき環が不安定なることを、マックスウェルが初めて証明したことである。この研究なくば、キーラーの発見はかなりおくれたであろう。これは土星の月が無数にあって各自軌道を異にし、その面がほとんど同一平面にあるを三人の力で明らかにしたというべきである。今日ならば、仮に天文学者が土星の月のごとき奇異なるものを発見したとすれば、物理学者はかくのごとき環が安定軌道を保ちうるやいなを理論にかける。不安定となれば、ドップラー効果を示すや否を天文学者は攻究すればやさしく問題は解決する。すなわち三人の知恵をしぼって解題に到達しうるのである。前世紀のごとき科学者払底ふっていなばあいにはいたかたないが、今日ではさほどまで時間を消費せずに解釈するのである。換言すれば、現今の問題は衆知の総合をはかる一方針を与えている。
 これを製造にたとえてみれば、最初のガリレオは品物の創案者であり、マックスウェルは部分品製作者、キーラーはそれを組み立てたものと申すが至当である。
 現今の大研究は、畴昔ちゅうせきの攻究者が何から何まで仕通すをモデルとなすのではなく、分業方法で多人数の独得なる技能をあつめて出来上がるのであるから、分業法のよろしきを得たので、もはや一人が独占し得べきではない。したがってその装置にいたっては種々さまざまのものが参加せねばならぬ。一方面の専門家がほしいままにその一部のみを組み立ててみごとな研究となし得るものではない。各自の研究を組み合わせて、しかるのちに世をおどろかす結果に到達する。それゆえ時日じじつはかかるが、専門家間の周到な連絡交渉を重ねてはじめて物になるのである。この点をわきまえず、いたずらに唯我独尊主義で邁進まいしんするにおいては、日もまたらず、結果はついにまとまりかねるのである。あたかも自動車製造を実行するに、幾多の部分品を最初こしらえてこれを総合して組み立つれば難なく、かつ迅速に功をえるに相類している。もし何から何まで一人の手でつくっていたならば、いつ出来上がるか期すべからざると同じである。
 純学問的実例をりて、さらにこれを説明するは無用であるまい。米国数年来の懸案になっている二〇〇インチ望遠鏡製作の大略を述べることとする。二〇〇インチの鏡は十二じょう余の面積を占める。これを一枚の厚いガラスでつくるのであるから容易の業ではない。十二畳の大ガラス一枚の表面を反射面にこしらえるのであるゆえ、ずいぶん厚く(約一メートル)作らねばならぬ。鏡面に近き部分は気泡などまったくないようになめらかにせねばならぬ。ガラス内にゆがみの来ないように、鋳型にけたガラスを平等に注ぎ込まねばならぬ。また、日光にさらされ温度が高くなっても、鏡面が不同にたわまぬようにせねばならぬ。もとより、かかる材料は水晶の粉末を溶かしたものが最適であることはわかっているから、最初は水晶の粉を使用することに決し、いよいよ実行してみると操作の途中れが入った。また、その材料の量も数十トンを要するので、とうとう廃業に帰した。ついでわりあいに廉価れんかで、水晶ガラスほどの良質ではないが、ホウ酸と硅酸が主成分であるパイレッキスで上げて、ニューヨークからカリフォルニアのパサデナまで仕上げのために運搬することになった。鉄道によれば途中のトンネルを通りかねるので特別な車台を作り、これに載せて米国を横断した。
 さて、この十二畳敷のガラスを放物線に近い一種の幾何学的形状にみがくには、特殊の装置と手数とをもちいねばならぬ。これを検査するにもすこぶる複雑な方法による必要がある。いざ成功したあかつきには、この大ブロックをゆがみなくマウントする計画を建てねばならぬ。鏡の一部が他よりはなはだしく熱せられるようなことがあっては像がいびつになるから、平等な温度に保つ工夫もせねばならぬ。
 重い鏡を自由に回転し、天球のどの方面より来る光でも鏡に受けられるようにせねばならぬゆえ、自然、精巧な工学装置によらねば目的を達しがたい。殊に観測者の昇降するはしごからのぞく接眼鏡を付する装置や、鏡を安置する架台などすこぶる困難な部分があるから、誰でもこれをマウントし得るのではない。いわゆる、精微の極致をつくしたる装置を案出し、時計じかけで観測者の要求どおり回転するようにするのである。その要求に応ずるよう望遠鏡を完備するは百工の手を経ねばならぬ。昔時せきじの小望遠鏡のごとく、二、三人の手で整備し得るものでは、学問の進歩いちじるしきをもって宇宙の深奥しんおうをうかがうにはとうてい不可能となった。
 驚くなかれ、この望遠鏡の価格は議院建築費、もしくは軽巡洋艦のそれに等しくして、わが国のごとき貧乏国ではくわだておよばぬのである。しかし軍艦一隻の価にすぎぬから、まったく不可能ではなかろう。しかしわが国はまた他に緊急な、より廉価な設備で国家存立のため励行せねばならぬ研究が幾多残されてあるものから順次かたづけねばならぬのである。
 前世紀には一万気圧とか一万度の温度、あるいは一万アンペア、百万ボルトなどいえば夢まぼろしかと思われたけれども、現今は普通の操作でなんでもないこととなってきた。したがってこれらの気圧・温度・電源などを生ずるには装置も大きくなり、実験も費用がかかるは申すまでもない。しかもこれを生ずる操作には、人手も多くなければならぬ。つまり、ありとあらゆる所でその装備をほどこすことは困難となったから、その方面の研究に従事する人が、ある研究所において試験するに限られている。これ、勢いのしからしむるところであって、米国のごとき富源ふげんに豊かなる所にありてもしかりである。わが国のごときは研究所の数を減じ、堪能なる攻究者を集めて試験をなさしむるのやむなきを感ずるのである。
 目下、世界の注視をひいている研究は原子転換の試験である。真空放電・放射能作の攻究は原子構造に一種の暗示をあたえた。元素は複雑なるも、在来同位元素を一つに混同しているを明らかにした。また、数年来、α粒子・電子などにさらに中性子・陽電子・プロトン〔陽子。proton〕・ニュートリノなどを加えてついにその実体を暴露しはじめた。これを契機として二、三年来、原子の問題は学者の最も注意するところとなり、ついに世人の視聴をひくに至った。もとより今日の状況にありてはいまだ幼稚にして、工業化するに至らない。しかし純科学的試験に成功すれば、他日これを工業化しうるは識者を待たずして明らかである。
 さいわいに日本無線電信会社で使用していたポールゼン・アークの機械が会社より理化学研究所に寄付せられ、また三井報恩会より原子転換の目的をもって十五万円寄付せられたゆえ、これらを元手としてサイクロトロンを本邦で製作して、今、特に試験中である。しかしこの機械は僅々きんきん三〇〇万エレクトロン・ボルトを出すにすぎないから、すべての元素につき試験するには不充分である。それゆえ本会では、これに近き縁故ある宇宙線の小委員会にさらに原子転換試験の部を新設し、積立金十一万円をき大なるサイクロトロンを製作し、一〇〇〇万エレクトロン・ボルトをゆる機械を新設し、あらゆる元素にこれを適用する計画を建てた。理研に寄付せられた無電会社の発電機を利用し、また試験費として東京電灯会社より同研究所に寄付された十万円をこれにあてることとした。もとよりこの方面を研究せらるる科学者・医学者の便宜べんぎはかり、相当の学識経験などある人は来たりて試験し得るようになっているゆえ、理研のみの人の用に供するのでは決してない。これ、諸君のよろしくご理解あらんことを希望するのである。
 もしこの結果がいったん工業化せらるれば、世界人類の形勢を一変しうるは火をるより明らかで、研究の価値は後世に輝くしだいである。諸君はこの点をりょうとせられんことをひとえににこいねがうのである。
(昭和十二年(一九三七)三月三十一日講演 
日本学術振興会員会)



底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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基礎研究とその応用

長岡半太郎


 世間の批評家は、基礎科学はもっぱら人智の開発に資するものと心得て、その応用は時に迂遠うえんのそしりがある。ことに実際家は極端にその論を誇張して、あたかも玩弄物がんろうぶつを科学者がいじくり、無用の金と時間とを消費するごとき妄評を試みる者がある。これはわが国においてかくあるのみでない。イギリスでも基礎研究の予算を政府に要求したところが、議会で討議に付せられ、予算委員はこれの費用は物好きがおもしろ半分役にも立たぬ試験をするのだから、勝手に私財を投じてなすべきである、国庫の負担すべき金ではないとはねつけたという話がある。それでかならずしもわが国における議論とのみ考えられないが、理解し得ざる言辞をろうする者あるはまことに痛嘆つうたんすべきである。
 これらの不合理なる批評をくだす人の、真っ向に例をひくのはどんな学問であるかといえば天文学である。日月星辰せいしんを観測しても、実用にもっとも遠ざかっているではないか、いらぬものに浪費する金を他にまわすが適切であるという議論をなすけれども、天文観測の必要は、農産・航海などに間接に影響を生ずるので、最も古くからこの学問の要を人間は感じたのである。
 惑星運動を研究して、二物体のあいだに働く重力の法則は、相互の質量に比例し、距離の自乗に反比例することが闡明せんめいされた。したがって距離が近ければ惑星どうしでなくても、この法則は利用すべきみちがある。仮に地殻内に罅隙かげきがあるとすれば、その近所の重力は減少する。それゆえ、もしこの罅隙に土塊どかいより軽い石油のようなものがちているとすれば、やはり力は少なくなる。しかもその方向はいくぶんか曲げられる。この簡単な理屈を利用すれば、石油の存否を鑑定することが可能である。目下さかんに用いられている物理探鉱法で、石油の所在を探査するのは Etvs balanceエトヴェシュ・バランス であって、北米のごとき平坦な土地に分配された石油資源は多くこの方法で現今はその所在を確かめつつある。これすなわち重力法則の片鱗を応用したものであって、惑星の綿密なる考査の結果といわねばならぬ。地球の自転はコマの回転運動に等しく、その Precession歳差さいさ運動〕は地球においては歳差として現われ、また nutation は章動しょうどうとして現われる。これは地球に限らず回転剛体の特質であって、種々の利用をよびおこした。その一例を挙ぐれば、大船のゆれを止むるに Schlickシュリック, Anschtzアンシュッツ, Sperryスペリー らによっておもしろく利用せられ、船の横ゆれだけはほとんど止められるようになった。水雷にもある意味において利用せられ、単軌たんき鉄道などにもこれを利用するみちがある。ことに最もひろく用いられているのは Gyrocompassジャイロ・コンパス である。磁針は正南北をさすものでないから、その方向によって子午線の所在を定めようとするならば、必ずいくらの偏差がその所においてあるかを知らなければならぬゆえはなはだ不便である。しかし非常に迅速に回転するコマをもちうれば、その軸は一定の方向に向かっているから、その場所において回転軸の子午線に対する角度がわかっておれば、回転が休止しない間は方位は狂わないから、磁石を使うよりはより簡便で、より正確である。この方法が目下機械的に発達し、大洋を航海する船は多く Gyrocompass を備えている。しかも大洋を航海するは、内海を通過するより障害が少なくして、最短距離を過ぐるを常道としているから、出港の時にその道にあたる方向に Compass を規定しておけば、自働装置により船が常にその方向にむかうようかじをあやつられる。今日では昔のごとく舵手だしゅが船の方向を定むるのではなく、Compass 自身が舵取かじとりの役をつとめる。ただ、機械が順当に操作するやいなやを監視するのが舵取りの職務となって、遠洋航海もこの設備があれば、いたって容易になったことを思えば、地球の自転を論ずるにコマよりスタートして、ついにその実用方面を開拓するに至ったから、天文学が実際家に嘲弄ちょうろうせらるるようなことはあるまい。仮にニュートンが重力法則を発見したときに、その工業価値をたずねられたならば黙して答えなかったであろうが、今日ではその答えを発するに困難を感じない。またオイラー(Euler)がコマの研究をなしたときに、その利用方面をたずねたならば答えなかったであろうが、今日では船の安定装置にもちい、あるいは磁石に代用し、遠洋航海を容易ならしめたことに注意しなければならぬ。しかして、純学問的研究者とこれを実用に供した人とはまったく別人に属することを確認しうるのである。
 天文学の教うることはこればかりにかぎらない。太陽は摂氏六〇〇〇度の高温度にある。ある恒星は二万度ないし三万度にもその表面がなっている。物質に対する非常に高い温度の効果と発光状態などを、諸星の観測により人間は確かめることができる。実験室においても数万度の温度を一瞬間実現することは可能であるが、いまだこれを実用方面に拡張するに至らない。しかし、星の状況をうかがえば、そのいかに利用価値があるかは臆断しうる。また照明上、吾人は日光を昼間利用しているのであるから、夜間もこれに等しい光を発せしむるには、どのくらいの温度に物体を熱しなければならないかも判然する。しかし太陽の温度まで上昇せしむるはすこぶる困難であるゆえ、結局、代用的にやや日光に近い光を発せしめて満足せねばならぬ。これもまた実用方面に天文学が教うる一課である。
 星霧〔星雲〕(Nebula)はもっぱら水素とヘリウムを含んでいる。それがだんだん年を経るにしたがって幾多の恒星となり、太陽もその片割かたわれであることは天文学者が唱道するところである。しかるにそれが地球上にあるような数多あまたの元素に転換するのは、昔はサッパリ見当がつかなかったが、今日となっては、元素のあいだに転換が人工的にもおこなわれることが実験的に証明された。この大なる謎はついに解かれたが、いまだわからぬものの一つを挙ぐれば、天狼星てんろうせい(Sirius)にともなっている薄い光の星は、その運動から推算してみると、水の二万倍ぐらいの比重を持っている。かくのごときものはどうしてできたか、ちょっと説明のつかぬようなものであるけれども、おそらく激しく電離された原子が存在するのであろう。いまだそんなに電離されたものは実験室で見つけられないが、もしそんなのが将来人工的に実現し得たならば、不可思議なことをわれわれに教える。すなわち二万トンの船にかくのごとき物をたす数メートル立方の箱を乗すれば、船が沈むことになる。じつに夢物語のようなものであるが、もしその物体をやすくこしらえることができたならば、その実用価値はまた貴重なものであろう。
 天文学が実用から遠ざかっているという観念を持つのは、多く人文方面の人である。ここに人文方面においてもまた、天文学が直接関係の深いことを説く必要を感ずる。古代シナ歴史において、ことに春秋時代の日食の観測はおどろくべき精度をもってなされたもので、故新城しんじょう新蔵しんぞう博士の計算によれば、『春秋』に記してある三十七回の日食はただ四回を除くほか、今日これを推算して的確にその出現したことが判然する。すなわちシナ文化において驚異的の進歩をなし、その歴史の信ずべきをあきらかにする材料である。また太陽黒点についても日面にからすありという記録が『淮南子えなんじ』に記されているが、その後、太陽面にすもものごとき黒点があるという記録がある。これすなわち、太陽黒点の観測を二〇〇〇余年来シナでなした証拠で、これらの多くの材料から平山ひらやままこと博士が黒点の週期を計算して、約十一年になるを明らかにした。すなわち現今信ぜられている週期に相当するものである。これらは東洋文化の一端として特記すべきである。
 その他、流星の観測とか、地震の記録とか、なおたくさん東洋方面の観測に属するものがある。これを話すと脱線するからここにこれを記さぬ。歳差の議論から推せば、孔子が北辰のそのところを守るといわれた星は、今日の北辰〔北極星〕とはちがい、地球軸の天球を切る点が動いているから、あるいはα Draco〔トゥバン。Thuban〕 ではないかと思われる。今後一万二〇〇〇年たてば織女星〔ベガ。Vega〕が北辰と目すべきものになることが推算される。こんなことは昔はあまり頓着とんちゃくしなかったことであるが、またコマの運動より推算して得られる興味ある結果である。
 これから電気応用の発達を簡略に述べる。十七世紀の終わりに、カヴェンジッシュ(Cavendish)が、ジェレキ恒数〔定数〕・オーム則などを暗々裏あんあんりに研究していたが、その工業的価値などはまったく論外であった。一八三一年にファラデー(Faraday)が誘導電流を発見したけれども、その利用は数十年後に他人によって発展せられ、強電流・弱電流・変圧器・モーターなどにさかんに用いられ、結局、電気工学の根幹はこの誘導電流の発見にもとづくものといってよろしい。しかし、その発見者はいっこうその方面に力を用いなかった。また、さほどまで工業的価値あるものと思わなかったらしい。ファラデーの電気分解に関する研究は、ついに電気化学の基礎をすえたが、その応用を発展したものは他人であった。ファラデーとあいついで電気磁気学の基礎をきずいたマックスウェル(Maxwell)は、理論上電波の存在を認識した。しかし当時は実験的にこれが存在を証明する者がないために、ついに一片の空想のように考えられ、その存在はヘルツ(Hertz)により発見せられた。しかしヘルツは、電波の存在によりマックスウェルの理論を確かめた発見であって、ほかに利用のないものであると思った。その後ブランレー(Branly)は、電波によりヤスリ粉の電気抵抗が弱められることを発見した。これが手づるとなって、ついにマルコーニ(Marconi)により電波通信方法が開拓せられた。その結果のいかに偉大であったかは、今日の無線通信・ラジオ・テレヴィジョンなどによってだれでも認め得ることである。これの電磁気に関する発見と発明の経路をたどれば、発見者はかつて発明者でなかったことが判然する。これで世間の人がなにか発見をすると、ただちにそれは何の役に立つかと聞くが、この問いはいかに科学的常識に欠けているかを明らかにする好例である。近年は電気工学の一部門として、電子工学なるものが生まれた。その源をたずねてみると、J・J・トムソン(Joseph John Thomson)が気体中の電気伝導を研究したのに始まっている。気体が電離すると、物質は異なっていても必ず同じ帯電と同じ質量を持っている微細なものが存在する。すなわち電子であって、今日まで知られているもっとも微質量の物質である。その帯電を利用し、自由にこれが速度を調節することが可能であることを認め、はじめてフレミング(Fleming)によって無線通信を受けるに使われた。その後ド・フォレ(de Forest)により三極管がもちいられ、無線通信は大進歩をなした。また、電子を利用して交流を直流になおすこともできる。その一例はケノトロン(Kenotron)である。X線管もまた高速度の電子群の運動を止めて操作するのである。近ごろはまた電子顕微鏡なるものがだんだんと用いられるようになってきた。従来、顕微鏡は約二〇〇〇倍を理論的拡大率としており、〇・二ミクロン程度離れた線を解明に分かつことは困難であったが、電子顕微鏡においてはその程度をさらに十倍した。これは電子の利用から開けた新しい方面であって、いまだいかなる発展をなすや測り知るべからざるものがある。しかして電子の発見者トムソンは、これらの発明にはすこしも関与していない。なおおもしろい話はエジソン(Edison)がかつて炭素電球について試験した結果、これを整流器となしうる結果に到達したが、ついに何の発展もなくしてやんだ。今日これを探求してみるに、熱せられた線条より出る電子の作用である。しかるにエジソンは、世界の大発明家であることはりわたっているけれども、ついにこれを見逃したことはやはり発見者といえど発明者は別人であることが判明する。
 ジュール(Joule)は約一〇〇年前に電流によって発熱する法則を見出した。いわゆるジュール効果なるものがそれである。電灯はまったくこれの法則を利用したものである。ジュールの発見後四十年にしてはじめて効果を奏した。その他、電気炉であるとか電熱器であるとか、今日だれも熟知している事柄がジュール効果から出現したのであるけれども、ジュールは、いっこうそれらの利用方面にたずさわらなかった。かくさかんに用いられるようにようになったのは、法則の発見後四〇年を経た後である。
 つぎに申し上げるのは、光電池のことである。ドイツの片田舎ウォルフェンブッテル(Wolfenbttel)の中学教員エルステル(Elster)とガイテル(Geitel)は、真空内にカリウム元素を置き、これに光をあてると電子の発散するのを認め、ついにこれをもって光電池を作った。近ごろではカリウムよりセシウム(Caesium)が感度が鋭敏であるから、物質は変化したけれども、その本能においては変わらない。この発見者はこれを工業的に発展することはべつに考えなかったが、意外な方面に用いられるようになった。すなわち光度計としては常識的に考えうるが、これを利用してドアを開閉し、あるいは盗賊の警戒にもちい、あるいは光による通信に利するなど、意外なる利用方法が普通におこなわれるようになった。もっともさかんに使われるのは活動写真のトーキーであろう。光電池の創作者にこの盛況を見せ得ないのは残念である。
 ファブリー(Fabry)とペロー(Perot)はほとんど透明な銀の薄層を作るに成功して、これによって干渉計を作った。これの助けによりはじめて正確な光波長の測定がなされたが、ついにこれを敷衍ふえんして尺度の正確な測定をなすまで発展して、今日では一メートルにつき、光波幾許いくばくということでその長さを規定するに至った。その精度は、昔の測定鏡などのとうていおよぶところではない。したがって近ごろ機械製作が精密の程度を増加し、これを測る尺度もいわゆるゲージ・ブロックなるものに信頼せねばならなくなったが、その測定は光波長の数で示す習慣になってきた。ある軍需工業のごときは、これに信頼せねばならぬ。もし発見者と発明者とが同じ人であった例をあげるならば、X線の発見者レントゲン(Rntgen)が、これを外科的目的をもって利用した点である。これの説明は記する必要はない。
 これら幾多の実例あるものの内でわずかの例をあげたのであるが、もし発見者と発明者の違うことを摘出する必要があるならば、それは枚挙にいとまないのである。かくのごとく観察しれば、純学問方面を開拓する人と、その利用厚生をはかる人とは別種の策動をなすことが明瞭である。純学理方面に没頭する人は、あたかも電気をたくわうるに絶縁体をもってするがごとくである。かりそめにも、世俗のちりがこれに触れないように精進しなければ、その頭脳は混濁して、目的とする純学理に到達するは不可能である。すなわち利用方面とは絶縁をまっとうしておかねばならぬ。これに反し、利用方面を開発するには、あらゆる世俗の要求する事態に通暁つうぎょうして、俗界との伝導を完全にしておかなければ効果をげがたいのである。換言すれば、電気の絶縁体と導電体が存在するにすこぶるよく似ている。この点は学術振興会において相互の状況にかんがみ、よろしくこれを按排あんばいして考慮すべき重要なる項目である。もし誤って純理学の発見と実用上の発明とを混同するようなことありては、本末を転倒するのそしりなきにあらず。また、目下シナ事変に順応する学術的対策をめぐらすにあたり、この根本方略をあやまれば、アブハチ取らずの失敗を演ずるに至らん、これひとえに委員諸君の猛省をうながす所以ゆえんである。
(昭和十四年(一九三九)一月十九日講演 
日本学術振興会委員総会)



底本:『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
入力:しだひろし
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原子核探求の思い出

長岡半太郎

   湯川君の受賞


 昭和二十四年(一九四九)十一月四日の諸新聞は、湯川秀樹博士が中間子の研究により、十二月十日ノーベル賞を受けらるる決議が、ストックホルム学士院で通過したことを伝えた。学界はもちろん日本国民は、この吉報に対して歓喜の声を発せざるものはなかったろう。
 由来ノーベル賞は、世界で優秀な科学研究を収集・検討して授与するものであって、研究としては粋の粋なるものを選抜するにより、賞を受くるものの名誉は論ずるにおよばず、またその半面には各国でノーベル賞を受けた学者をかぞえて、その国の文化程度に軽重を付するに至った。
 しかるにわが国では、いまだ一人もその選にあたったものはなかったから、ある日本人は、ノーベル賞は東洋人に与えないのかしらんとまで僻目ひがめで憶測した。まことに恥ずかしい邪推であった。こんど湯川君が受賞者に当選されたのは、まさしく人種の区別を離脱し、もっぱら論文の価値を標準となす方針を表示し、顔色の黄白を区別せざるを明確にした。ことに湯川君の攻究された中間子は、宇宙線や原子核に存在するもので、はじめは単に理論的に演繹えんえきされた。その研究方法は斬新にして、実験的に原子核の構造を探求するに欠くべからざる知識をもたらすものであれば、その重要視さるるはもちろんである。

   土星原子模型


 『科学朝日』記者は、が四十五年前に発表した土星原子模型は、はじめて原子に核が存在するを明瞭にしたものであるから、いくらか湯川君のメソン(中間子)との関係があるによって、その概略を書いてくれと、しつこく予にせまった。やむをえず筆をとることになった。読者は、好んでこれを記するのでないことをご了解あらんこととこいねがう。
 ギリシャの哲学者が、物体はどんな力をもちいても破壊すべからざる微小な粒子から成立していることをドグマチックに宣伝してから、その考索は一般に信ぜられ、化学が開発せらるるとともに、化学原子もそのたぐいに属するものと信用せられた。すなわちドルトン(Dalton)が原子論を発展するには、固体球を模型としてじゅうぶん間に合わせた。しかしその不変性に対しては、何たる実験的証明はなかった。ただその反応性がもっぱら研究のまととなって、何たる不都合はなかったから、原子の構造などを考究するのは野暮やぼであるとけなされた。
 しかしスペクトル分析の開けてからは、その構造は各元素とも趣きを異にしていなければならぬと論ぜられ、ここに一段の進歩をうながした。
 そのころは物理現象を説明するに模型を考案することが流行した。またエーテルなる不可思議な万能性をおびたものが宇宙に充満している仮説も、一般に信用された。これは光を伝える媒質ばいしつであって、圧縮すべからざるものと考えられたが、だんだん調べていくと、短縮すべき性質をもなければならなくなり、都合次第で性質を変化せられたから、ついに迷宮に入った心地ここちがした。
 振動を伝える模型として提唱されたものには、球形の器内に滑稽こっけいにもスピロヘータ・パリダ〔梅毒の病原体〕に酷似したバネを装置したものもあった。しかし、実際と模型とはかならずしも一致しない。多くは単純な仕組みを説明するを目的とするからやむを得ない。したがってマックスウェルの電磁関係を示すモデル、ヘルムホルツのモノサイクリックおよびポリサイクリック系、これを転化したボルツマンの熱力学第二原則〔エントロピー増大の原理〕を示す模型などは簡単明瞭であったが、ウィリアム・トムソンのボルチモア講義に示されたものは、難解に終わるおそれがある。すなわち前記したものがその一例である。
 こんなままごとに頭脳をしぼっておる最中に、ヘルツは電波を生ずるに成功して、マックスウェルの電磁気論の正確なるを証明し、また光線が金属にあたり、その周囲を電離するを発見し、したがって電離試験は諸実験場で進捗しんちょくし、ついにレントシェン(レントシェンは本音である。日本ではレントゲンというけれども、元オランダ人であるからここにはレントシェンとしてある)はX線が不可思議にも不透明体を透過するを示した。その後、いくらもなく両キュリーがラジウムを見出し、その発する微子は帯電せるを確かめた。

   トムソンが電子を発見


 しかして、この微子はどの元素より出るも同一にして、エレクトロンであることを確かめたのは、J・J・トムソンであった。されば哲学者が想像した球形の一丸では化学原子を代表せしむることは不可能であり、かならずエレクトロン(電子)がともなっておらねばならない。電子の陰帯電はどの原子からも出るものであるから、原子の相異なるはその内部の構造に求めねばならぬとは前世紀の終わりに判然した。
 かくしてたくさんの探偵的試験で暴露された状況にもとづき原子の構造を案出せねばならない。一九〇〇年にプランクの量子論の端緒たんちょが発表された。これは原子固有の輻射ふくしゃ〔放射。手鉤てかぎとして探求すれば、目的を達し得べきも輻射は不連続であって、吸収は連続的におこなわるる点に疑惑が多くの人に存して、うかと使い損ずれば大ケガの源となりそうな危険があったから、しばらく停頓した。
 これより先、気体論を開発するにクラウジウスは気体を多数の球よりなり、縦横に紛飛ふんぴする状態にあるものと考え、その行動を力学的に調査し、気体の服従する諸原則を演繹えんえきし、概括がいかつ的にこの単純にして把握しやすき理論を発表したが、気圧と温度が同じければ分子速度は同一である結果に到達した。しかし、気体の 1cm3 内の分子数は 2.7 x 1019 であるから非常に多い。それゆえ、公算的に算出すべきであることはマックスウェルの主張するところであって、ついに統計力学の基礎を築き、有理なる気体論となった。もし分子が球形であるならば両比熱の比は 5/3 になり、不規則であれば 4/3 となるなどおもしろき結果を生ずるゆえ、多少は分子の形を察する資料に供せらる。
 しかし漠として取りとめられないが、十九世紀の終わりに発見された放射能やX線は、もはや化学原子が単純な哲学者の唱道した原子ではない事実を明るみへ出したのである。しからばその構造はいかんと物理学者は攻究をはじめた。
 ロード・ケルヴィン〔本名ウィリアム・トムソン〕は陽電気をおびた球内に、電子が出入りする簡単な仕組みを考えた。J・J・トムソンもこれに類したものを提出したが、電子の数は数多あまたあって振動し、特有な光を発する。すなわちスペクトル線を現出する仕組みであった。なるほど、電離状態を生ずるは判明だが、陽球に入る電子は陰電気をおびているので陽球の一部は中和するのではないか、あるいは陽球内に入っておる電子が振動するのは、あたかも真空中におけるがごとくなるか、いずれにしても怪しむべく、疑念はまったく陽球内に存在する電子の行動に集注されるのである。しかして仮にかような仕組みが自然に構成せらるるとすれば、陽球の質量は電子の幾千倍にならねばならぬ。
 トムソンはすでにこれを測定しておるから申すまでもないが、ただ、原子の安定性に対しては申しぶんない模型である。陽球とこれに包有せらるる電子との相互作用については、さらに仮説を設けねばならぬ。すなわち電子の陰帯電は、陽球の陽帯電と接触するも陰陽別々になって、外に対しては中和していても、これにごく接近したところに行けば、帯電状況になると考えねばならない。
 それゆえ陽球内の電子は脳裏に浮びがたい構造であると、予はこれらの両模型を批判したのである。しかのみならず、このような陽球は、あらかじめ自然がプラウト〔Prout William〕の仮説に近いように製作しておかねば、化学原子の排列は不可能でなければならぬ。これを製作する機関はどんなであるかも調べねばならぬから、事すこぶる複雑になる。
 ともかくも、その安定度はどうして決するであろうか。唯一の原子を考えるはやすいが、地球上にあるたくさんの元素を一律の下に作り出すはもっとも考慮を要する。しかも陽球内の電気密度はみな一様であるが、その仮説内にいくつも困難が包蔵されてあるは論をまたない。

   マックスウェル論文集


 予は一八九四年、ドイツのミュンヘン大学で気体論の大家ボルツマン先生の講義を聴き、はじめて互いに分離した気体分子の行動につき、先生の明快な議論において公算の応用をつまびらかにする機会を得た。しかし、気体分子はあいかわらず弾性球であり、内部の構造に関してはごうも得るところがなかった。そのとき、電子の存在はだれも知らなかったから無理もない。ただ、先生はマックスウェル(いまはニュートン第二世と尊敬されている)を祖述し議論鮮明であった。
 よって留学費として支給せらるる年額一〇二〇円を痛々いたいたしくいて、マックスウェル論文集を手に入れ、日夕にっせき通読し、気体論の講義と照らし合わせ、おおいに得るところがあった。殊に希薄なる気体の議論は興味を感じた。さらにアダムス賞を授与せられた土星の輪の安定性に関する議論は、模範的論文であるを覚えた。
 帰朝後、磁歪じわい(マグネトストリクション)のヒステレシスを研究していたが、一九〇〇年、国際物理学会に招かれ、これを報告した際、キュリー夫妻のラジウム実験を見て原子構造の複雑なるをさとり、また数学者ポアンカレはその講演に原子の機構を論ずるは、スペクトル線の各原子に固有なる事実から進入するが捷径しょうけい〔近道。であると予測を述べた。これによって予の受けた刺激は甚大であった。しかし、当座いかに手がかりをつけるかは案出し得なかった。
 仮にケルヴィンやトムソンのごとく、陽球内に電子を包擁している原子があると考うれば、この原子を電離するは非常にむずかしい。しかし、原子は電気性のものであることは間違いない。ヘルツの発見した光電作用もまたこれを明らかにしていると思い、磁歪試験を継続しつつ考えた。
 こんな新しい事柄を発展するには、古い知識はかえって邪魔じゃまになる。デカルトが言ったことがある。「真実に到達するには、すでに受け入れたすべての見解を放棄し、基礎から自得の組織に改造する必要がある。」今や光は電波である。化学原子は電気構造であることはたしかである。デカルトの教訓は今日、原子を論ずるに適用すべきである。すなわち原子は一種の組織をもつ電磁場である。エーテルのような便宜に性質を仮託しうる媒質は放葉せよ。ただ、陰陽とも距離の二乗に反比例する作用ある電気のみに着眼せよとはらをすえた。
 物体間に働く引力と、電気間に働く力の法則は相似ておる。ただ、電気間の力は斥力せきりょくもあるから、類推をなすには注意を要する。
 仮に太陽の質量に比例する陽電気と惑星の質量に比例する陰電気とを、あるとき太陽系内の惑星の運動に比例するように放置したならば、その仮の電場では、太陽系に似た運動をしばらく見ることが可能であろうが、原子の微細な界隈かいわいではおこなわれない。何となれば陰電気間の斥力が相互に働き、運動を攪乱かくらんするからである。
 それでちょっと考えると、原子は太陽系に似た組織であると説く人があるけれども、これは粗雑そざつのそしりをまぬがれない。
 原子の大きさは億個を並列してわずかに 1cm にすぎざるを見れば、その部分を構成する電子の運動範囲は微細であること明瞭である。彗星のように動く電子は少なかろう。したがって熱運動で紛飛するガス分子から離れる電子は数多あまたではないから、安定の大なる組織に構成されていなければならぬ。磁性もおびておれば、回転運動もなければならない。しかし一個のコマでは、種々の性質を表現しがたい。
 結局、気体論をすこしく変化して、高温度で気化した諸元素を考索するが便法べんぽうであることをさとったが、忽然こつぜん思い出したのは、かつてのボルツマンの講義を聴くとき耽読たんどくしたマックスウェルの土星論であった。土星の輪は数多あまたの月が輪を構成せねば不安定であるという結論であった。これを模型とするが上策であるを感じ、原子の月は電子であるとすれば、皆同一の質量と電量であるから計算は簡単であった。ただその間の電気斥力が万有引力とは違うけれども軌道に切線的〔接線的〕に働くから、影響は略してさしつかえないくらいである。安定度は均一な電子の月であるゆえ恐るるにおよばず、ただ不安な点は、中心に陽電気の大なる核あることを仮定して議論を進めたのである。すなわち原子はその核と、これを囲繞いじょうする電子若干がその構成部分であって、核については陽電気をおびてその質量は電子に比して大なるものであることに所見を止めておいたのである。
 かくしてケルヴィンとトムソンが同居させた陰陽電気を隔離した点に特異性があるので、べつに珍奇な趣向があるわけではない。ただ実験と符合する結果を得るや否を立証するためである。
 原子内に配置され、軌道に沿うて動く電子をすこしく攪乱すれば振動する。その振動は軌道面に平行なるものと、直角なるものとに分かれる。前者は線スペクトルに属し、後者は帯(バンド)スペクトルとすれば、普通、スペクトル分析に現われるものとの性質をおびて、各原子核の電気量は異なるにより、そのスペクトルは化学原子ごとに異なるは明瞭である。また磁場におけば、ゼーマン効果を示すべきである。
 それゆえ謎となっていた化学原子に固有な性質は有核原子の方が有効に説明しうると考えたけれども、さらにこれらの原子で作られた固有の光の分散則を計算し、また熱体のヴィリヤルを演繹えんえきしたが、従来と異なるところは見い出さなかった。当時プランク恒数hは三年前に誕生し、世評いまだ定まらざる時代であったから、これを使用しなかったのは残念である。

   化学原子に核ありと発表


 前記の私案は一九〇三年の秋、土星が化学原子の模型であることを感知してから、二か月間で概略を計算し、十二月の数学物理学会で報告し、聴衆の意見を問うた。
 ケルヴィンやトムソンの雷名に驚かされている人は別に討論しなかったが、多くは化学原子は強固であるが、今述べられたそんな危険な構造ではすぐ破壊されそうだ、気体になってお互いに衝突すれば、メチャメチャになりそうだと言うた。世評まちまちで取りとめがつかないから、論文を『Philosophical Magazine』に送り出版してもらった。
 論文をただちに批判した人は、英国ウェールズ・アベリストウエルス大学のショット(Schott)教授であった。「あなたと同意見で起草中のところであった」と記して『ネイチャー(Nature)』誌に発表された。
 ポアンカレは『科学の価値』(邦語では田辺はじめ訳)と題する書中に批評を加えたが、実質には進入していない。その後七年間は音沙汰おとさたなしであった。その間、化学原子に核ありやいなやは諸所で討議せられたようである。ついにその有無はラザフォードにより実験的に解決された。答えは核ありと証明された。予に実験者から寄せられた書状は別掲のとおりである「ラザフォード卿からの書簡」参照)
 書中に「あなたの原子模型はまだ読まない」との文句がある。『フィロソフィカル・マガジン』はラザフォードがその論文を大部分出版した雑誌であるから、はなはだ了解に苦しむのである。七年間、座右にある雑誌を読まなかったとは申しわけにはなるまい。しかも、その考え出したモデルはいくらも予の土星型と違わないから、その心中はここに読者の賢察にゆだねるよりほかはない。
 化学原子に核ありと判明してから、翌年(一九一二年)ボーアは、水素のスペクトル線の整列をプランク恒数を利用してみごとに説明するを得た。これを端緒として分光学ぶんこうがくは長足の進歩をとげ、物理学の重要部分を占むるに至り、原子構造内の電子の動きを精細に探究し、あわせて化学作用にも密接な関係あるをつまびらかにするを得た。その功績は没すべからざるものである。

   原子核と湯川君


 しからば原子核はいかがであるかと、読者は問わるるであろう。分光学に従事した人はこれを探る方法を考えた。核全体の動きは多少実験的にあらわれても、内部は暗黒界であった。しかし湯川君は昭和十年(一九三五)、突如推算的に原子核を探求すべき方法を発見せられ、電子の約一〇〇倍以上二〇〇倍ばかりの素粒子があるだろうと見当をつけたのである。
 ちょうどそのころアメリカで宇宙線を観測する際、はじめてその程度の素粒子をとらえ、日本でも同様であったが、観測者はその質量の大なるにおどろいた。湯川君の計算は、その時すでに出版されてあったから、東西その慧眼けいがんに敬服したのである。じつに、原子核探究の発端に燦爛さんらんたる光を放つ功績である。
(昭和二十五年(一九五〇)一月『科学朝日』



底本:『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
初出:『科學朝日』
   1950(昭和25)年1月
入力:しだひろし
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綜合研究の必要

長岡半太郎

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 大發見は完備した裝置ある實驗場より生ぜずして、反つて貧弱な設備より發芽するを前世紀より唱道せられた。實際ファラデーが電氣に關する基礎的發見を爲した歴史を辿れば、貧弱と評するも寧ろ皆無なる設備に頼り、自家工作の器械を使用して自然の大法則を闡明したというが至當である。これを以て、その人物を景仰するの念を増すは論を俟たぬのである。
 工業方面に於ても、エジソンが電球を發明したときの眞空裝置・炭素線の製造といゝ、洵に家庭的のもので、裝置と名を付け難き單純なる道具を使つた結果である。
 パスチュールが微生物が病原體であることを確認するには、單に顯微鏡を頼りとしたのであつて、貧弱洗うが如き状況で遂に黴菌學の基礎を築き上げた。これに續いて、コッホは開業醫の私室で千辛萬苦、遂にパスチュールの後繼者たる技能を發揮して、醫學に大貢獻を爲した。
 レンントシェンは眞空管と寫眞乾板とを元手として、遂にその名をつけられた放射線を發見し、物理學、醫學、工學等に於て大なる研究を拓殖する路を開いた。
 これ等の大發見の徑路をたずぬれば、設備は有つても無きが如く、無くても有るが如き觀を生ずる。畢竟學者の頭腦の動きによりて、裝置なぞは何の物かはといわんばかりの感を起さしめる。それ然り豈それ然らんやで、諸現象の研究が益々進むに從つて、これ等諸先輩の仕事の仕方を模倣すべきや否の問題は、識者の間に種々の討議を導くに至つた。
 自然現象に限りあり、原則は割合に簡單なれども、そのこれを簡單化するは幾何學の公理の如く、簡單なるがゆえに反つて六ケ敷き自然法則を箇條書きにすれば、僅少の語で盡し得べし。今日まで吾人が調べ上げた原則は、その最も簡單化した情勢に於てこれを爲したから、實驗するにも手細工の器械で濟んだが、そのいよ/\相互混淆した場合に遭遇すれば容易な事ではない。現象が互いにこんがらがつている模樣は亂麻の如くにして、これを解いて一條の絲となすに、たゞ一人がその材智を絞りても追いつかず、また簡單な手細工で紛亂を解除しようとしてもとても及ばないから、衆智を集め、複雜な機械を作つて、始めてその目的を成就するを得べしとは、現今誰も疑わないところである。
 昔ガリレオが土星の環を發見して、その珍しき月の形に驚いたが、その環にあらずして無數の微小なる月であることをキーラーによつて明かにせられるまで、殆ど三百年を經過した。即ちその中間の工作は、此の如き環が不安定なることを、マックスウェルが初めて證明した事である。この研究なくば、キーラーの發見は可なり遲れたであろう。これは土星の月が無數にあつて各自軌道を異にし、その面が殆ど同一平面にあるを三人の力で明かにしたというべきである。今日ならば、假りに天文學者が土星の月の如き奇異なるものを發見したとすれば、物理學者は此の如き環が安定軌道を保ち得るや否を理論にかける。不安定となれば、ドップラー効果を示すや否を、天文學者は攻究すれば易しく問題は解決する。即ち三人の智慧を絞つて解題に到達し得るのである。前世紀の如き科學者拂底な場合には致し方ないが、今日では左程まで時間を消費せずに解釋するのである。換言すれば、現今の問題は衆智の綜合を謀る一方針を與えている。
 これを製造に譬えて見れば、最初のガリレオは品物の創案者であり、マックスウェルは部分品製作者、キーラーはそれを組立てたものと申すが至當である。
 現今の大研究は疇昔の攻究者が何から何まで仕通すをモデルと爲すのでは無く、分業方法で多人數の獨得なる技能を輯めて出來上るのであるから、分業法の宜しきを得たので、最早一人が獨占し得べきでは無い。從つてその裝置に至つては種々樣々のものが參加せねばならぬ。一方面の專門家がほしいまゝにその一部のみを組立てて見事な研究となし得るものでは無い。各自の研究を組合せて、然る後に世を驚かす結果に到達する。それゆえ時日はかゝるが、專門家間の周到な連絡交渉を重ねて初めて物になるのである。この點をわきまえず徒らに唯我獨尊主義で邁進するに於ては、日もまた足らず、結果は遂に纒り兼ねるのである。恰も自動車製造を實行するに、幾多の部分品を最初拵えてこれを綜合して組立つれば難無く、且つ迅速に功を竣えるに相類している。若し何から何まで一人の手で造つていたならば、何時出來上るか期すべからざると同じである。
 純學問的實例を採りて、更にこれを説明するは無用であるまい。米國數年來の懸案になつている二百吋望遠鏡製作の大略を述べることとする。二百吋の鏡は十二疊餘の面積を占める。これを一枚の厚い硝子で造るのであるから容易の業ではない。十二疊の大硝子一枚の表面を反射面に拵えるのであるゆえ、隨分厚く(約一米)作らねばならぬ。鏡面に近き部分は氣泡など全く無いように滑かにせねばならぬ。硝子内に歪みの來ないように、鑄型に熔けた硝子を平等に注ぎ込まねばならぬ。また日光にさらされ温度が高くなつても、鏡面が不同に撓まぬようにせねばならぬ。もとより斯かる材料は水晶の粉末を熔かしたものが最適であることは判つているから、最初は水晶の粉を使用することに決し、愈々實行して見ると操作の途中割れが入つた。また、その材料の量も數十噸を要するので、とう/\廢業に歸した。次いで割合に廉價で、水晶硝子程の良質ではないが、硼酸と硅酸が主成分であるパイレッキスで鑄上げて、ニューヨークから加州のパサデナまで仕上げの爲めに運搬することになつた。鐵道によれば途中の隧道を通りかねるので特別な車臺を作り、これに載せて米國を横斷した。
 さて、この十二疊敷の硝子を抛物線に近い一種の幾何學的形状に磨くには、特殊の裝置と手數とを用いねばならぬ。これを檢査するにも頗る複雜な方法による必要がある。いざ成功した曙には、この大ブロックを歪みなくマウントする計畫を建てねばならぬ。鏡の一部が他より甚しく熱せられるような事があつては、像がいびつになるから、平等な温度に保つ工夫もせねばならぬ。
 重い鏡を自由に廻轉し、天球のどの方面より來る光でも鏡に受けられるようにせねばならぬゆえ、自然精巧な工學裝置によらねば目的を達し難い。殊に觀測者の昇降する梯子から覗く接眼鏡を付する裝置や、鏡を安置する架臺等頗る困難な部分があるから、誰でもこれをマウントし得るのではない。いわゆる、精微の極致を盡したる裝置を案出し、時計仕掛で觀測者の要求通り廻轉するようにするのである。その要求に應ずるよう望遠鏡を完備するは百工の手を經ねばならぬ。昔時の小望遠鏡の如く、二三人の手で整備し得るものでは、學問の進歩著しきを以つて宇宙の深奧を窺うには到底不可能となつた。
 驚く勿れ、この望遠鏡の價格は議院建築費、若しくは輕巡洋艦のそれに均しくして、我邦の如き貧乏國では企て及ばぬのである。しかし軍艦一隻の價に過ぎぬから全く不可能ではなかろう。しかし我邦はまた他に緊急な、より廉價な設備で國家存立の爲め勵行せねばならぬ研究が幾多殘されてあるものから順次片付けねばならぬのである。
 前世紀には一萬氣壓とか一萬度の温度、或は一萬アンペア、百萬ヴォルトなどいえば夢まぼろしかと思われたけれども、現今は普通の操作で何でもないこととなつて來た。從つてこれ等の氣壓、温度、電源等を生ずるには裝置も大きくなり、實驗も費用がかゝるは申すまでもない。しかもこれを生ずる操作には、人手も多くなければならぬ。つまり、ありとあらゆる處でその裝備を施すことは困難となつたから、その方面の研究に從事する人が、或る研究所に於て試驗するに限られている。是れ、勢いの然らしむるところであつて、米國の如き富源に豐かなる處に在りても然りである。我邦の如きは研究所の數を減じ、堪能なる攻究者を集めて試驗を爲さしむるの已むなきを感ずるのである。
 目下世界の注視を惹いている研究は原子轉換の試驗である。眞空放電・放射能作の攻究は原子構造に一種の暗示を與えた。元素は複雜なるも、在來同位元素を一つに混同しているを明かにした。また、數年來α粒子・電子等に更に中性子・陽電子・プロトン・ニウトリノ等を加えて遂にその實體を暴露し始めた。これを楔機[#「楔機」は底本のまま]として二三年來、原子の問題は學者の最も注意する所となり、遂に世人の視聽を惹くに至つた。もとより今日の状況に在りては未だ幼稚にして、工業化するに至らない。しかし純科學的試驗に成功すれば、他日これを工業化し得るは識者を待たずして明かである。
 幸いに日本無線電信會社で使用していたポールゼン・アークの機械が會社より理化學研究所に寄附せられ、また三井報恩會より原子轉換の目的を以つて十五萬圓寄附せられたゆえ、これ等を元手としてサイクロトロンを本邦で製作して今特に試驗中である。しかしこの機械は僅々三百萬エレクトロン・ヴォルトを出すに過ぎないから總ての元素に就き試驗するには不充分である。それゆえ本會では、これに近き縁故ある宇宙線の小委員會に更に原子轉換試驗の部を新設し、積立金十一萬圓を割き大なるサイクロトロンを製作し、一千萬エレクトロン・ヴォルトを超ゆる機械を新設し、あらゆる元素にこれを適用する計畫を建てた。理研に寄附せられた無電會社の發電機を利用し、また試驗費として東京電燈會社より同研究所に寄附された十萬圓をこれに宛てることとした。もとよりこの方面を研究せらるゝ科學者、醫學者の便宜を謀り、相當の學識經驗等ある人は來りて試驗し得るようになつているゆえ、理研のみの人の用に供するのでは決してない。是れ、諸君のよろしく御理解あらんことを希望するのである。
 若しこの結果が一旦工業化せらるれば、世界人類の形勢を一變し得るは火を睹るより明かで、研究の價値は後世に輝く次第である。諸君はこの點を諒とせられんことを偏えに希うのである。
[#地から3字上げ](昭和十二年三月三十一日講演 日本學術振興會員會)



底本:『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
入力:しだひろし
校正:
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基礎研究とその應用

長岡半太郎

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 世間の批評家は基礎科學は專ら人智の開發に資するものと心得て、その應用は時に迂遠の譏りがある。殊に實際家は極端にその論を誇張して、恰も玩弄物を科學者がいじくり、無用の金と時間とを消費する如き妄評を試みる者がある。これは我邦に於て斯くあるのみでない。イギリスでも基礎研究の豫算を政府に要求した處が、議會で討議に付せられ、豫算委員はこれの費用は物好きが面白半分役にも立たぬ試驗をするのだから、勝手に私財を投じて爲すべきである、國庫の負擔すべき金ではないと撥ねつけたという話がある。それで必ずしも我邦に於ける議論とのみ考えられないが、理解し得ざる言辭を弄する者あるは誠に痛嘆すべきである。
 これらの不合理なる批評を下す人の、眞向に例を引くのはどんな學問であるかといえば天文學である。日月星辰を觀測しても、實用に最も遠ざかつているではないか、要らぬものに浪費する金を他に廻すが適切であるという議論をなすけれども、天文觀測の必要は、農産、航海等に間接に影響を生ずるので、最も古くからこの學問の要を人間は感じたのである。
 惑星運動を研究して、二物體の間に働く重力の法則は、相互の質量に比例し、距離の自乘に反比例することが闡明された。從つて距離が近ければ惑星同志でなくても、この法則は利用すべき途がある。假りに地殼内に罅隙があるとすれば、その近所の重力は減少する。それゆえ若しこの罅隙に土塊より輕い石油のようなものが充ちているとすれば、矢張り力は少くなる。しかもその方向は幾分か曲げられる。この簡單な理屈を利用すれば、石油の存否を鑑定することが可能である。目下盛んに用いられている物理探鑛法で、石油の所在を探査するのは 〔Eo:tvo:s〕 balance であつて、北米の如き平坦な土地に分配された石油資源は多くこの方法で現今はその所在を確めつゝある。これ即ち重力法則の片鱗を應用したものであつて、惑星の綿密なる考査の結果といわねばならぬ。地球の自轉は獨樂の廻轉運動に等しく、その Precession は地球に於ては歳差として現われ、また nutation は章動として現われる、これは地球に限らず廻轉剛體の特質であつて、種々の利用を喚び起した。その一例を擧ぐれば、大船の搖れを止むるに Schlick, 〔Anschu:tz〕, Sperry 等によつて面白く利用せられ、船の横搖れだけは殆ど止められるようになつた。水雷にも或る意味に於て利用せられ、單軌鐵道等にもこれを利用する途がある。殊に最も汎く用いられているのは Gyrocompass である。磁針は正南北を指すものでないから、その方向によつて子午線の所在を定めようとするならば、必ず幾何の偏差がその處に於て在るかを知らなければならぬゆえ甚だ不便である。しかし非常に迅速に廻轉する獨樂を用うれば、その軸は一定の方向に向つているから、その場所に於て廻轉軸の子午線に對する角度が判つておれば、廻轉が休止しない間は方位は狂わないから、磁石を使うよりは、より簡便で、より正確である。この方法が目下機械的に發達し、大洋を航海する船は多く Gyrocompass を備えている。しかも大洋を航海するは、内海を通過するより障害が少くして、最短距離を過ぐるを常道としているから、出港の時にその道に當る方向に Compass を規定して置けば、自働裝置により船が常にその方向に向うよう舵を操られる。今日では昔の如く舵手が船の方向を定むるのではなく、Compass 自身が舵取りの役を務める。たゞ機械が順當に操作するや否やを監視するのが舵取りの職務となつて、遠洋航海もこの設備があれば、至つて容易になつたことを思えば、地球の自轉を論ずるに獨樂よりスタートして、遂にその實用方面を開拓するに至つたから、天文學が實際家に嘲弄せらるゝようなことはあるまい。假りにニウトンが重力法則を發見した時に、その工業價値を尋ねられたならば、默して答えなかつたであろうが、今日ではその答を發するに困難を感じない。またオイラー(Euler)が獨樂の研究を爲した時に、その利用方面を尋ねたならば、答えなかつたであろうが、今日では船の安定裝置に用い、或は磁石に代用し、遠洋航海を容易ならしめたことに注意しなければならぬ。しかして純學問的研究者とこれを實用に供した人とは全く別人に屬することを確認し得るのである。
 天文學の教うることはこればかりに限らない。太陽は攝氏六千度の高温度にある。或る恆星は二萬度乃至三萬度にもその表面がなつている。物質に對する非常に高い温度の効果と發光状態等を、諸星の觀測により人間は確めることが出來る。實驗室に於ても數萬度の温度を一瞬間實現することは可能であるが、未だこれを實用方面に擴張するに至らない。しかし星の状況を窺えば、その如何に利用價値があるかは臆斷し得る。また照明上、吾人は日光を晝間利用しているのであるから、夜間もこれに等しい光を發せしむるには、どの位の温度に物體を熱しなければならないかも判然する。しかし太陽の温度まで上昇せしむるは頗る困難であるゆえ、結局代用的にやゝ日光に近い光を發せしめて滿足せねばならぬ。これもまた實用方面に天文學が教うる一課である。
 星霧(Nebula)は專ら水素とヘリウムを含んでいる。それが段々年を經るに從つて幾多の恆星となり、太陽もその片割れであることは天文學者が唱道する處である。然るにそれが地球上にあるような數多の元素に轉換するのは、昔はサッパリ見當がつかなかつたが、今日となつては、元素の間に轉換が人工的にも行われることが實驗的に證明された。この大なる謎は遂に解かれたが、未だ判らぬものの一つを擧ぐれば、天狼星(Sirius)に伴つている薄い光の星は、その運動から推算して見ると、水の二萬倍位の比重を持つている。かくの如きものはどうして出來たか、一寸説明のつかぬようなものであるけれども、恐らく激しく電離された原子が存在するのであろう。未だそんなに電離されたものは實驗室で見つけられないが、若しそんなのが將來人工的に實現し得たならば、不可思議な事を吾々に教える。即ち二萬トンの船にかくの如き物を充たす數メートル立方の箱を乘すれば、船が沈むことになる。實に夢物語のようなものであるが、若しその物體を易く拵えることが出來たならば、その實用價値はまた貴重なものであろう。
 天文學が實用から遠ざかつているという觀念を持つのは、多く人文方面の人である。こゝに人文方面に於てもまた天文學が直接關係の深いことを説く必要を感ずる。古代支那歴史に於て、殊に春秋時代の日蝕の觀測は驚くべき精度を以て爲されたもので、故新城新藏博士の計算によれば、春秋に記してある三十七回の日蝕はたゞ四回を除くほか、今日これを推算して的確にその出現した事が判然する。即ち支那文化に於て驚異的の進歩を爲し、その歴史の信ずべきを明かにする材料である。また太陽黒點に就ても日面に烏ありという記録が淮南子に記されているが、その後太陽面に李の如き黒點があるという記録がある。これ即ち、太陽黒點の觀測を二千餘年來支那で爲した證據で、これ等の多くの材料から平山信博士が黒點の週期を計算して、約十一年になるを明かにした。即ち現今信ぜられている週期に相當するものである。これ等は東洋文化の一端として特記すべきである。
 その他、流星の觀測とか、地震の記録とか、なお澤山東洋方面の觀測に屬するものがある。これを話すと脱線するから此處にこれを記さぬ。歳差の議論から推せば、孔子が北辰のその處を守ると言われた星は、今日の北辰とは違い、地球軸の天球を切る點が動いているから、或はα Draco ではないかと思われる。今後一萬二千年經てば織女星が北辰と目すべきものになることが推算される。こんな事は昔は餘り頓着しなかつたことであるが、また獨樂の運動より推算して得られる興味ある結果である。
 これから電氣應用の發達を簡略に述べる。十七世紀の終りに、カヴェンジッシュ(Cavendish)が、ジェレキ恆數、オーム則等を暗々裡に研究していたが、その工業的價値等は全く論外であつた。一八三一年にファラデー(Faraday)が誘導電流を發見したけれども、その利用は數十年後に他人によつて發展せられ、強電流、弱電流、變壓器、モートル等に盛んに用いられ、結局電氣工學の根幹はこの誘導電流の發見に基くものといつて宜しい。しかしその發見者は一向その方面に力を用いなかつた。また左程まで工業的價値あるものと思わなかつたらしい。ファラデーの電氣分解に關する研究は、遂に電氣化學の基礎を据えたが、その應用を發展したものは他人であつた。ファラデーと相次いで電氣磁氣學の基礎を築いたマックスウェル(Maxwell)は、理論上電波の存在を認識した。しかし當時は實驗的にこれが存在を證明する者が無い爲めに、遂に一片の空想のように考えられ、その存在はヘルツ(Hertz)により發見せられた。しかしヘルツは電波の存在によりマックスウェルの理論を確めた發見であつて、外に利用の無いものであると思つた。その後ブランレー(Branly)は、電波により鑢粉の電氣抵抗が弱められることを發見した。これが手蔓となつて、遂にマルコーニ(Marconi)により電波通信方法が開拓せられた。その結果の如何に偉大であつたかは、今日の無線通信、ラジオ、テレヴィジョン等によつて誰でも認め得ることである。これの電磁氣に關する發見と發明の經路を辿れば、發見者は嘗て發明者でなかつたことが判然する。これで世間の人が何か發見をすると、直ちにそれは何の役に立つかと聞くが、この問いは如何に科學的常識に缺けているかを明かにする好例である。近年は電氣工學の一部門として、電子工學なるものが生れた。その源を尋ねて見ると、ジェー・ジェー・トムソン(Joseph John Thomson)が氣體中の電氣傳導を研究したのに始まつている。氣體が電離すると、物質は異なつていても必ず同じ帶電と同じ質量を持つている微細なものが存在する。即ち電子であつて、今日まで知られている最も微質量の物質である。その帶電を利用し、自由にこれが速度を調節することが可能であることを認め、始めてフレミング(Fleming)によつて無線通信を受けるに使われた。その後ド・フォレ(de Forest)により三極管が用いられ、無線通信は大進歩を爲した。また、電子を利用して交流を直流に直すことも出來る。その一例はケノトロン(Kenotron)である。X線管もまた高速度の電子群の運動を止めて操作するのである。近頃はまた電子顯微鏡なるものが段々と用いられるようになつて來た。從來、顯微鏡は約二千倍を理論的擴大率としており、〇・二ミクロン程度離れた線を解明に分つことは困難であつたが、電子顯微鏡に於てはその程度を更に十倍した。これは電子の利用から開けた新しい方面であつて、未だ如何なる發展をなすや測り知るべからざるものがある。しかして電子の發見者トムソンは、これ等の發明には少しも關與していない。なお面白い話はエジソン(Edison)が嘗て炭素電球に就て試驗した結果、これを整流器となし得る結果に到達したが、遂に何の發展もなくして止んだ。今日これを探求して見るに、熱せられた線條より出る電子の作用である。しかるにエジソンば[#「ば」は底本のまま]、世界の大發明家であることは鳴り渡つているけれども、遂にこれを見逃した事は矢張り發見者といえと[#「といえと」は底本のまま]發明者は別人である事が判明する。
 ジュール(Joule)は約百年前に電流によつて發熱する法則を見出した。所謂ジュール効果なるものがそれである。電燈は全くこれの法則を利用したものである。ジュールの發見後四十年にして始めて効果を奏した。その他、電氣爐であるとか、電熱器であるとか、今日誰も熟知している事柄がジュール効果から出現したのであるけれども、ジュールは一向それ等の利用方面に携わらなかつた。斯く盛んに用いられるようにようになつたのは、法則の發見後四十年を經た後である。
 次に申上げるのは、光電池のことである。ドイツの片田舍ウォルフェンブッテル(〔Wolfenbu:ttel〕)の中學教員エルステル(Elster)とガイテル(Geitel)は、眞空内にカリウム元素を置き、これに光を當てると電子の發散するのを認め、遂にこれを以て光電池を作つた。近頃ではカリウムよりセシウム(Caesium)が感度が鋭敏であるから、物質は變化したけれども、その本能に於ては變らない。この發見者はこれを工業的に發展することは別に考えなかつたが、意外な方面に用いられるようになつた。即ち光度計としては常識的に考え得るが、これを利用してドアを開閉し、或は盜賊の警戒に用い、或は光による通信に利する等、意外なる利用方法が普通に行われるようになつた。最も盛んに使われるのは活動寫眞のトーキーであろう。光電池の創作者にこの盛況を見せ得ないのは殘念である。
 ファブリー(Fabry)とペロー(Perot)は殆ど透明な銀の薄層を作るに成功して、これによつて干渉計を作つた。これの助けにより始めて正確な光波長の測定が爲されたが、遂にこれを敷衍して尺度の正確な測定を爲すまで發展して、今日では一メートルにつき、光波幾許という事でその長さを規定するに至つた。その精度は昔の測定鏡等の到底及ぶ所ではない。從つて近頃機械製作が精密の程度を増加し、これを測る尺度も所謂ゲージ・ブロックなるものに信頼せねばならなくなつたが、その測定は光波長の數で示す習慣になつて來た。或る軍需工業の如きは、これに信頼せねばならぬ。若し發見者と發明者とが同じ人であつた例を擧げるならば、X線の發見者レントゲン(〔Ro:ntgen〕)が、これを外科的目的を以て利用した點である。これの説明は記する必要はない。
 これ等幾多の實例あるものの内で僅かの例を擧げたのであるが、若し發見者と發明者の違うことを摘出する必要があるならば、それは枚擧に暇ないのである。かくの如く觀察し來れば、純學問方面を開拓する人と、その利用厚生を圖る人とは別種の策動を爲すことが明瞭である。純學理方面に沒頭する人は、恰も電氣を蓄うるに絶縁體を以てするが如くである。かりそめにも、世俗の塵がこれに觸れないように精進しなければ、その頭腦は混濁して、目的とする純學理に到達するは不可能である。即ち利用方面とは絶縁を全うして置かねばならぬ。これに反し、利用方面を開發するには、凡ゆる世俗の要求する事態に通曉して、俗界との傳導を完全にして置かなければ効果を擧げ難いのである。換言すれば、電氣の絶縁體と導電體が存在するに頗るよく似ている。この點は學術振興會に於て相互の状況に鑑み、宜しくこれを按排して考慮すべき重要なる項目である。若し誤つて純理學の發見と實用上の發明とを混同するようなことありては、本末を顛倒するの譏りなきに非ず。また目下シナ事變に順應する學術的對策をめぐらすに當り、この根本方略を誤れば、虻蜂取らずの失敗を演ずるに至らん、これひとえに委員諸君の猛省を促す所以である。
[#地から3字上げ](昭和十四年一月十九日講演 日本學術振興會委員總會)



底本:『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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原子核探求の思い出

長岡半太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)飯事《まゝごと》

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(例)だん/\
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   湯川君の受賞

 昭和二十四年十一月四日の諸新聞は、湯川秀樹博士が中間子の研究により、十二月十日ノーベル賞を受けらるゝ決議が、ストックホルム學士院で通過したことを傳えた。學界はもちろん日本國民は、この吉報に對して歡喜の聲を發せざるものはなかつたろう。
 由來ノーベル賞は、世界で優秀な科學研究を蒐集檢討して授與するものであつて、研究としては粹の粹なるものを選拔するにより、賞を受くるものの名譽は論ずるに及ばず、またその半面には各國でノーベル賞を受けた學者を數えて、その國の文化程度に輕重を付するに至つた。
 しかるにわが國では、未だ一人もその選に當つたものはなかつたから、或る日本人は、ノーベル賞は東洋人に與えないのか知らんとまで僻目で臆測した。まことに恥かしい邪推であつた。こんど湯川君が受賞者に當選されたのは、正しく人種の區別を離脱し、專ら論文の價値を標準となす方針を表示し、顏色の黄白を區別せざるを明確にした。殊に湯川君の攻究された中間子は、宇宙線や原子核に存在するもので、初めは單に理論的に演繹された。その研究方法は斬新にして、實驗的に原子核の構造を探求するに欠くべからざる知識をもたらすものであれば、その重要視さるゝはもちろんである。

   土星原子模型

 科學朝日記者は、予が四十五年前に發表した土星原子模型は、初めて原子に核が存在するを明瞭にしたものであるから、いくらか湯川君のメソン(中間子)との關係があるによつて、その概略を書いて呉れと、しつこく予に迫つた。やむを得ず筆を執ることになつた。讀者は、好んでこれを記するのでないことを御了解あらんことと希う。
 ギリシャの哲學者が、物體はどんな力を用いても破壞すべからざる微小な粒子から成立していることを、ドグマチックに宣傳してから、その考索は一般に信ぜられ、化學が開發せらるゝと共に、化學原子もその類に屬するものと信用せられた。即ちドルトン(Dalton)が原子論を發展するには、固體球を模型として、十分、間に合せた。しかしその不變性に對しては何たる實驗的證明は無かつた。たゞその反應性が專ら研究の的となつて、何たる不都合はなかつたから、原子の構造などを考究するのは野暮であるとけなされた。
 しかしスペクトル分析の開けてからは、その構造は各元素とも趣を異にしていなければならぬと論ぜられ、こゝに一段の進歩を促した。
 その頃は物理現象を説明するに模型を考案することが流行した。またエーテルなる不可思議な萬能性を帶びたものが宇宙に充滿している假説も、一般に信用された。これは光を傳える媒質であつて、壓縮すべからざるものと考えられたが、だん/\調べて行くと、短縮すべき性質をも無ければならなくなり、都合次第で性質を變化せられたから、遂に迷宮に入つた心地がした。
 振動を傳える模型として提唱されたものには、球形の器内に滑稽にもスピロヘータ・パリダに酷似した發條を裝置したものもあつた。しかし實際と模型とは必ずしも一致しない。多くは單純な仕組を説明するを目的とするからやむを得ない。從つてマックスウェルの電磁關係を示すモデル。ヘルムホルツのモノサイクリック及びポリサイクリック系。これを轉化したボルツマンの熱力學第二原則を示す模型などは、簡單明瞭であつたが、ウイリヤム・トムソンのボルチモア講義に示されたものは、難解に終るおそれがある。即ち前記したものがその一例である。
 こんな飯事《まゝごと》に頭腦を絞つておる最中に、ヘルツは電波を生ずるに成功して、マックスウェルの電磁氣論の正確なるを證明し、また光線が金屬に當り、その周圍を電離するを發見し、從って電離試驗は諸實驗場で進捗し、遂にレントシェン(レントシェンは本音である。日本ではレントゲンというけれども、元オランダ人であるからこゝにはレントシェンとしてある)はX線が不可思議にも不透明體を透過するを示した。その後幾何もなく兩キュリーがラジウムを見出し、その發する微子は帶電せるを確めた。

   トムソンが電子を發見

 しかして、この微子はどの元素より出るも同一にして、エレクトロンであることを確めたのは、J・J・トムソンであつた。されば哲學者が想像した球形の一丸では、化學原子を代表せしむることは不可能であり、必ずエレクトロン(電子)が伴つておらねばならない。電子の陰帶電はどの原子からも出るものであるから原子の相異なるはその内部の構造に求めねばならぬとは、前世紀の終りに判然した。
 かくして澤山の探偵的試驗で暴露された状況に基づき原子の構造を案出せねばならない。一九〇〇年にプランクの量子論の端緒が發表された。これは原子固有の輻射を手鈎として探求すれば、目的を達し得べきも、輻射は不連續であつて、吸收は連續的に行わるゝ點に、疑惑が多くの人に存して、うかと使い損ずれば大怪我の源となりそうな危險があつたから、暫く停頓した。
 これより先、氣體論を開發するにクラウジウスは氣體を多數の球より成り、縱横に紛飛する状態にあるものと考え、その行動を力學的に調査し、氣體の服從する諸原則を演繹し、概括的にこの單純にして把握し易き理論を發表したが、氣壓と温度が同じければ、分子速度は同一である結果に到達した。しかし、氣體の 1cm3[#「3」は上付き小文字] 内の分子數は 2.7 x 1019[#「19」は上付き小文字] であるから、非常に多い。それ故公算的に算出すべきであることは、マックスウェルの主張するところであつて、遂に統計力學の基礎を築き、有理なる氣體論となった。若し分子が球形であるならば兩比熱の比は 5/3 になり、不規則であれば 4/3 となるなど面白き結果を生ずるゆえ、多少は分子の形を察する資料に供せらる。
 しかし漠として取止められないが、十九世紀の終りに發見された、放射能やX線は、最早化學原子が單純な哲學者の唱道した原子ではない事實を明るみへ出したのである。しからばその構造は如何と、物理學者は攻究を始めた。
 ロード・ケルヴィンは陽電氣を帶びた球内に、電子が出入する簡單な仕組を考えた。J・J・トムソンもこれに類したものを提出したが、電子の數は數多あつて振動し特有な光を發する。即ちスペクトル線を現出する仕組であつた。なるほど、電離状態を生ずるは判明だが、陽球に入る電子は陰電氣を帶びているので陽球の一部は中和するのではないか、或は陽球内に入つておる電子が振動するのは、恰も眞空中におけるが如くなるか、何れにしても怪しむべく、疑念は全く陽球内に存在する電子の行動に集注されるのである。しかして假りにかような仕組が自然に構成せらるゝとすれば、陽球の質量は、電子の幾千倍にならねばならぬ。
 トムソンは既にこれを測定しておるから申すまでも無いが、たゞ原子の安定性に對しては申分ない模型である。陽球とこれに包有せらるゝ電子との相互作用については、更に假説を設けねばならぬ。即ち電子の陰帶電は、陽球の陽帶電と接觸するも陰陽別々になつて、外に對しては中和していても、これにごく接近した所に行けば、帶電状況になると考えねばならない。
 それゆえ陽球内の電子は腦裏に浮び難い構造であると、予はこれらの兩模型を批判したのである。しかのみならず、このような陽球は、あらかじめ自然がプラウトの假説に近いように製作して置かねば、化學原子の排列は不可能でなければならぬ。これを製作する機關はどんなであるかも調べねばならぬから、事頗る複雜になる。
 兎も角も、その安定度はどうして決するであろうか。唯一の原子を考えるは易いが、地球上に在る澤山の元素を一律の下に作り出すは最も考慮を要する。しかも陽球内の電氣密度は、皆一樣であるが、その假説内に幾つも困難が包藏されてあるは論を俟たない。

   マックスウェル論文集

 予は一八九四年、ドイツのミュンヘン大學で氣體論の大家ボルツマン先生の講義を聽き、初めて互いに分離した氣體分子の行動につき、先生の明快な議論において公算の應用を詳かにする機會を得た。しかし氣體分子はあい變らず彈性球であり、内部の構造に關しては毫も得るところがなかつた。その時電子の存在は誰も知らなかつたから無理もない。たゞ先生はマックスウェル(今はニウトン第二世と尊敬されている)を祖述し議論鮮明であつた。
 依つて留學費として支給せらるゝ年額一〇二〇圓を痛々しく割いて、マックスウェル論文集を手に入れ、日夕通讀し、氣體論の講義と照し合せ、大いに得るところがあつた。殊に稀薄なる氣體の議論は興味を感じた。更にアダムス賞を授與せられた土星の輪の安定性に關する議論は、模範的論文であるを覺えた。
 歸朝後、磁歪(マグネトストリクション)のヒステレシスを研究していたが、一九〇〇年國際物理學會に招かれ、これを報告した際、キュリー夫妻のラジウム實驗を見て、原子構造の複雜なるを覺り、また數學者ポアンカレはその講演に原子の機構を論ずるは、スペクトル線の各原子に固有なる事實から進入するが捷徑であると、豫測を述べた。これによつて予の受けた刺激は甚大であつた。しかし當座如何に手懸りを付けるかは案出し得なかつた。
 假りにケルヴィンやトムソンの如く、陽球内に電子を包擁している原子があると考うれば、この原子を電離するは非常にむずかしい。しかし原子は電氣性のものであることは間違いない。ヘルツの發見した光電作用もまたこれを明かにしていると思い、磁歪試驗を繼續しつゝ考えた。
 こんな新しい事柄を發展するには、古い知識は反つて邪魔になる。デカルトが言つたことがある、「眞實に到達するには、既に受け入れた凡ての見解を放棄し、基礎から自得の組織に改造する必要がある。」今や光は電波である。化學原子は電氣構造であることは確かである。デカルトの教訓は、今日原子を論ずるに適用すべきである。即ち原子は一種の組織をもつ電磁場である。エーテルのような便宜に性質を假託し得る媒質は放葉せよ。たゞ陰陽とも距離の二乘に反比例する作用ある電氣のみに着眼せよと肚を据えた。
 物體間に働く引力と、電氣間に働く力の法則は相似ておる。たゞ電氣間の力は斥力もあるから、類推を爲すには注意を要する。
 假りに太陽の質量に比例する陽電氣と惑星の質量に比例する陰電氣とを、或る時太陽系内の惑星の運動に比例するように放置したならば、その假りの電場では、太陽系に似た運動を暫く見ることが可能であろうが、原子の微細な界隈では行われない。何となれば陰電氣間の斥力が相互に働き、運動を攪亂するからである。
 それでちよつと考えると、原子は太陽系に似た組織であると説く人があるけれども、これは粗雜のそしりを免れない。
 原子の大いさは億個を並列して僅かに 1cm に過ぎざるを見れば、その部分を構成する電子の運動範圍は微細であること明瞭である。彗星のように動く電子は少かろう。從つて熱運動で紛飛するガス分子から離れる電子は數多ではないから、安定の大なる組織に構成されていなければならぬ。磁性も帶びておれば、廻轉運動もなければならない。しかし一個の獨樂では、種々の性質を表現し難い。
 結局、氣體論を少しく變化して、高温度で氣化した諸元素を攻索するが便法であることを悟つたが、忽然思い出したのは、かつてのボルツマンの講義を聽くとき耽讀したマックスウェルの土星論であつた。土星の輪は數多の月が輪を構成せねば不安定であるという結論であつた。これを模型とするが上策であるを感じ、原子の月は電子であるとすれば、皆同一の質量と電量であるから、計算は簡單であつた。たゞその間の電氣斥力が、萬有引力とは違うけれども、軌道に切線的に働くから、影響は略して差支えないくらいである。安定度は均一な電子の月であるゆえ恐るゝに及ばず、たゞ不安な點は中心に陽電氣の大なる核あることを假定して議論を進めたのである。即ち原子はその核と、これを圍繞する電子若干が、その構成部分であつて、核については陽電氣を帶びてその質量は電子に比して大なるものであることに所見を止めて置いたのである。
 かくしてケルヴィンとトムソンが同居させた陰陽電氣を隔離した點に特異性があるので、別に珍奇な趣向がある譯では無い。たゞ實驗と符合する結果を得るや否を立證するためである。
 原子内に配置され、軌道に沿うて動く電子を少しく攪亂すれば振動する。その振動は軌道面に平行なるものと、直角なるものとに分れる。前者は線スペクトルに屬し、後者は帶(バンド)スペクトルとすれば、普通スペクトル分析に現われるものとの性質を帶びて、各原子核の電氣量は異なるにより、そのスペクトルは化學原子毎に異なるは明瞭である。また磁場に置けばゼーマン効果を示すべきである。
 それゆえ謎となつていた化學原子に固有な性質は有核原子の方が有効に説明し得ると考えたけれども、更にこれらの原子で作られた固有の光の分散則を計算し、また熱體のヴィリヤルを演繹したが、從來と異なるところは見出さなかつた。當時プランク恆數hは、三年前に誕生し、世評未だ定まらざる時代であつたから、これを使用しなかつたのは殘念である。

   化學原子に核ありと發表

 前記の私案は一九〇三年の秋、土星が化學原子の模型であることを感知してから、二ケ月間で概略を計算し、十二月の數學物理學會で報告し、聽衆の意見を問うた。
 ケルヴィンやトムソンの雷名に驚かされている人は別に討論しなかつたが、多くは化學原子は強固であるが、今述べられたそんな危險な構造ではすぐ破壞されそうだ、氣體になつてお互いに衝突すれば、めちやめちやになりそうだと言うた。世評まち/\で取留めがつかないから、論文を Philosophical Magazine に送り出版してもらつた。
 論文を直ちに批判した人は、英國ウエールズ・アベリストウエルス大學のショット(Schott)教授であつた。「貴下と同意見で起草中のところであつた」と記してネーチュア(Nature)誌に發表された。
 ポアンカレは「科學の價値」(邦語では田邊元譯)と題する書中に批評を加えたが、實質には進入していない。その後七年間は音沙汰無しであつた。其間化學原子に核ありや否やは諸所で討議せられたようである。遂にその有無はラザフォードにより實驗的に解決された。答は核ありと證明された。予に實驗者から寄せられた書状は別掲の通りである(ラザフォード卿からの書簡參照)。
 書中に「貴下の原子模型はまだ讀まない」との文句がある。フィロソフィカル・マガジンはラザフォードがその論文を大部分出版した雜誌であるから、甚だ了解に苦しむのである。七年間座右にある雜誌を讀まなかつたとは申譯にはなるまい。しかもその考え出したモデルはいくらも予の土星型と違わないから、その心中はこゝに讀者の賢察に委ねるより他はない。
 化學原子に核ありと判明してから、翌年(一九一二年)ボーアは水素のスペクトル線の整列をプランク恆數を利用して見事に説明するを得た。これを端緒として、分光學は長足の進歩を遂げ、物理學の重要部分を占むるに至り、原子構造内の電子の動きを精細に探究し、併せて化學作用にも密接な關係あるを詳かにするを得た。その功績は沒すべからざるものである。

   原子核と湯川君

 しからば原子核は如何であるかと、讀者は問わるゝであろう。分光學に從事した人はこれを探る方法を考えた。核全體の動きは多少實驗的に表われても、内部は暗黒界であつた。しかし湯川君は、昭和十年、突如推算的に原子核を探求すべき方法を發見せられ、電子の約一〇〇倍以上二〇〇倍ばかりの素粒子があるだろうと見當を付けたのである。
 丁度その頃アメリカで宇宙線を觀測する際、初めてその程度の素粒子を捉え、日本でも同樣であつたが、觀測者はその質量の大なるに驚いた。湯川君の計算は、その時既に出版されてあつたから、東西その慧眼に敬服したのである。實に原子核探究の發端に燦爛たる光を放つ功績である。
[#地から3字上げ](昭和二十五年一月 科學朝日)



底本:『長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社
   1951(昭和26)年6月20日 発行
初出:『科學朝日』
   1950(昭和25)年1月
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。
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  • 総合研究の必要
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  • [アメリカ]
  • ニューヨーク New York (1) アメリカ合衆国北東部、大西洋岸の州。独立13州の一つ。州都オルバニー。(2) ニューヨーク州の都市。ハドソン河口に位置する世界屈指の大都市。また、世界経済上の大中心地で、エンパイア‐ステート‐ビルディング・国連本部など多くの高層建築(摩天楼)がそびえる。オランダ人の入植が起源。人口800万8千(2000)。
  • カリフォルニア California アメリカ合衆国太平洋岸の州。州都サクラメント。経済規模は合衆国の州のうち最大。農業のほか電子工業・航空宇宙産業が盛ん。加州。
  • パサデナ Pasadena アメリカ合衆国南西部、ロサンゼルス市北東郊にある住宅都市。人口11万7千(2000)。
  • 日本無線電信会社
  • 理化学研究所 りかがく けんきゅうじょ 物理・化学の研究およびその産業への応用を目的とする研究機関。1917年(大正6)に財団法人として設立。第二次大戦後、研究機関が分離し、一時、株式会社科学研究所と称したが、58年政府出資による特殊法人、2003年独立行政法人となる。本部は埼玉県和光市。略称、理研。
  • 三井報恩会 みつい ほうおんかい? 1934年に元、三井財閥から設立。
  • 東京電灯会社 とうきょう でんとう- 日本初の電力会社。1883年(明治16)藤岡市助、大倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶の6人からなる発起人が国から会社の設立許可を受ける。1887(明治20)11月には東京の日本橋茅場町から電気の送電を開始。1927年(昭和2)には東京電力(松永安左エ門の持つ東邦電力の子会社)と合併。
  • 日本学術振興会 にほん がくじゅつ しんこうかい Japan Society for the Promotion of Science 文部科学省所管の独立行政法人。同省の外郭団体。学術研究の助成、研究者の養成のための資金の支給、学術に関する国際交流の促進、学術の応用に関する研究等を行うことにより、学術の振興を図ることを目的とする(独立行政法人日本学術振興会法3条)。日本学術会議と緊密な連絡を図るものとされている(16条)。
  • -----------------------------------
  • 基礎研究とその応用
  • -----------------------------------
  • [イギリス]
  • カヴェンジッシュ Cavendish → キャヴェンディッシュ研究所
  • キャヴェンディッシュ研究所 Cavendish Laboratory ケンブリッジ大学に所属するイギリスの物理学研究所および教育機関。核物理学のメッカとも呼ばれる。1871年に物理学者ヘンリー・キャヴェンディッシュを記念して作られた。初代所長はマクスウェル。その後、J.J.トムソン、ラザフォード、レイリー卿、W. H. ブラッグ、チャドウィックなどが所長をつとめた。
  • [ドイツ]
  • ウォルフェンブッテル Wolfenbu:ttel ボルフェンビュッテル。ドイツ北部、ニーダザクセン州東部の都市。(コン外国)
  • -----------------------------------
  • 原子核探求の思い出
  • -----------------------------------
  • ストックホルム学士院
  • ストックホルム Stockholm スウェーデン王国の首都。同国南東部、メーラレン湖がバルト海の支湾に流入する所に位置し、風光明媚。人口74万4千(1999)。
  • [アメリカ]
  • ボルチモア Baltimore アメリカ東部、メリーランド州の都市。人口65万1千(2000)。
  • [ドイツ]
  • ミュンヘン大学 ドイツ・バイエルン州はミュンヘンに位置する。州立大学(Land 立大学)の通称で、正式名称はルートヴィヒ・マクシミリアン大学 (Ludwig-Maximilians-Universita"t)。ドイツ九大エリート大学の一つとされている。18学部に700人の教官を擁する学生数44,000人の総合大学である。
  • ミュンヘン Mnchen ドイツ南部、バイエルン州の州都。ドナウ川の支流イザル川に沿い、南ドイツの経済・文化の中心。宮殿や美術館・国立劇場などを有する。ビールの醸造は有名。人口119万5千(1999)。
  • 国際物理学会
  • 数学物理学会
  • [イギリス]
  • ウェールズ Wales イギリス、グレート‐ブリテン島南西部の半島を占める地方。1284年イングランドに併合。1301年以来、イギリス皇太子をプリンス‐オブ‐ウェールズと称する。住民はケルト系でウェールズ語と英語を使用。
  • アベリストウエルス大学
  • アベリストウエルス Aberystwyth か。アベリストウィス。イギリス、ウェールズ西部。ディフェード州北部の都市。アイリッシュ海のカーディガン湾に臨む。1872年創設のカレッジ(ウェールズ大学の一部)などがある。(コン外国)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)。




*年表

  • 十七世紀終わり カヴェンジッシュ、ジェレキ恒数・オーム則などを暗々裏に研究。
  • 一八三一 ファラデー、誘導電流を発見。
  • 一八九四 長岡、ミュンヘン大学でボルツマンの講義を聴く。
  • 一九〇〇 プランクの量子論の端緒が発表。
  • 一九〇〇 国際物理学会に招かれ、磁歪(マグネトストリクション)のヒステレシスを報告。
  • 一九〇三年秋 長岡、土星が化学原子の模型であることを感知してから、二か月間で概略を計算し、十二月の数学物理学会で報告し、聴衆の意見を問う。
  • 一九一二 ボーア、水素のスペクトル線の整列をプランク恒数を利用して説明。
  • 一九三五(昭和一〇) 湯川、突如推算的に原子核を探求すべき方法を発見。電子の約一〇〇倍以上二〇〇倍ばかりの素粒子があるだろうと見当をつける。
  • 一九三七(昭和一二)三月三一日 長岡「総合研究の必要」日本学術振興会員会講演。
  • 一九三九(昭和一四)一月一九日 長岡「基礎研究とその応用」日本学術振興会委員総会講演。
  • 一九四九(昭和二四)一一月四日 諸新聞、湯川秀樹博士が中間子の研究により、一二月一〇日ノーベル賞を受けらるる決議が、ストックホルム学士院で通過したことを伝える。
  • 一九五〇(昭和二五)一月 長岡「原子核探求の思い出」『科学朝日』。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
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  • 総合研究の必要
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  • ファラデー Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
  • エジソン Thomas Alva Edison 1847-1931 アメリカの発明家・企業家。その発明及び改良は、電信機・電話機・蓄音器・白熱電灯・無線電信・映写機・電気鉄道などにわたり、電灯会社及び発電所の経営によって電気の普及に成功。
  • パスツール Louis Pasteur 1822-1895 フランスの化学者・細菌学者。酒石酸の旋光性や発酵の研究を行い、乳酸菌・酪酸菌を発見、発酵や腐敗が微生物によって起こることを明らかにし、自然発生説を否定、また低温殺菌法を考案。炭疽菌や狂犬病のワクチンを発明。
  • コッホ Robert Koch 1843-1910 ドイツの医学者。近世細菌学の祖。結核菌・コレラ菌の発見、ツベルクリンの発明などの業績を残した。ノーベル賞。
  • レントシェン → レントゲン
  • レントゲン Wilhelm Konrad Rntgen 1845-1923 ドイツの実験物理学者。1895年X線を発見。第1回ノーベル賞。レンチェン。
  • ガリレオ → ガリレイ
  • ガリレイ Galileo Galilei 1564-1642 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。近代科学の父。力学上の諸法則の発見、太陽黒点の発見、望遠鏡による天体の研究など、功績が多い。また、アリストテレスの自然哲学を否定し、分析と統合との経験的・実証的方法を用いる近代科学の方法論の端緒を開く。コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判に付された。著「新科学対話」「天文対話」など。
  • キーラー → ジェームズ・エドワード・キーラー
  • ジェームズ・エドワード・キーラー James Edward Keeler 1857-1900 アメリカ合衆国の天文学者。イリノイ州生まれ。土星の環が彗星状の物質からなっていることを確かめた。
  • マクスウェル James Clerk Maxwell 1831-1879 イギリスの物理学者。電磁気の理論を大成しマクスウェルの方程式を導き、光が電磁波であることを唱えた。また、気体分子運動論や熱学に業績を残した。
  • -----------------------------------
  • 基礎研究とその応用
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  • オイラー Leonhard Euler 1707-1783 スイスの数学者。アイディアに満ち、数学・物理学・天文学、特に微分学・積分学・位相幾何学・整数論に功績を挙げ、また、変分学を創始。位相幾何学の祖ともいわれる。
  • エトヴェシュ・ロラーンド Etvs Lora'nd 1848-1919 ハンガリーの物理学者。重力質量と慣性質量の等価性を示したエトヴェシュの実験で知られる。1890年重力偏差計を発明した。
  • Schlick → オットー・シュリックか
  • オットー・シュリック Schlick, Otto 1846-1913 ドイツの造船学者。造船家。船体振動の研究で知られ、振動防止のため重量平衡の往復運動機関を発明し、振動軽減に寄与した。また、輪転儀(ジャイロ)を使用した船の動揺防止装置は、のちのスペリの安定装置と共に有名。(岩波西洋)
  • Anschtz アンシュッツか
  • スペリー → エルマー・アンブローズ・スペリー
  • エルマー・アンブローズ・スペリー Sperry, Elmer Ambrose 1860-1930 アメリカの電気技術者、発明家。改良型発電機と新しいアーク灯を発明。最も著名な発明は、ジャイロ・コンパスおよびこれを応用した方位計、飛行機と船のゆれ止め装置などであり、その製作のためにスペリ・ジャイロスコープ会社を設立した(1910)。(岩波西洋)
  • 新城新蔵 しんじょう しんぞう 1873-1938 福島県会津若松市出身の天文学者・東洋学者、理学博士。専門は宇宙物理学および中国古代暦術。東洋天文学研究の権威。
  • 平山信 ひらやま まこと/しん 1867-1945 天文学者。幕臣の子として江戸に生まれた。寺尾寿門下。太陽の理論的な研究、日食観測、小惑星の観測や発見及び軌道決定、天体物理学及び恒星天文学、測地学に多大な業績を残したので、その業績を記念して月の裏側のクレーターに「ヒラヤマ」と名づけられた。
  • カヴェンジッシュ → ヘンリー・キャヴェンディッシュ
  • ヘンリー・キャヴェンディッシュ Henry Cavendish 1731-1810 イギリスの化学者、物理学者。1760年から王立協会会員となり王立協会の運営に尽力。1766年、水素を発見。水素が可燃性の気体で、燃焼時に水を生じることを証明、同時に水が化合物であることを証明した。1797年から1798年にかけて、いわゆる「キャヴェンディッシュの実験」を行い、地球の比重を測定・発表した。
  • 孔子 こうし 前551-前479 (呉音はクジ)中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。名は丘。字は仲尼。魯の昌平郷陬邑(山東省曲阜)に出生。文王・武王・周公らを尊崇し、礼を理想の秩序、仁を理想の道徳とし、孝悌と忠恕とを以て理想を達成する根底とした。魯に仕えたが容れられず、諸国を歴遊して治国の道を説くこと十余年、用いられず、時世の非なるを見て教育と著述とに専念。その面目は言行録「論語」に窺われる。後世、文宣王・至聖文宣王と諡され、また至聖先師と呼ばれる。
  • ヘルツ Heinrich Rudolph Hertz 1857-1894 ドイツの物理学者。電磁波の存在を初めて実験的にたしかめ、光がこれと同性質のものであるというマクスウェルの予言を実証した。
  • ブランレー Branly, Edouard 1844-1940 ブランリー。フランスの物理学者。アミアン生まれ。電波、紫外線、気体の電気誘導についての研究がある。金属粉の電気伝導を研究中、電波の影響で、電気伝導率が増大する現象を発見。1890年、コヒーラーを発明し、初期の無線通信技術の成立に大きな役割を果たした。(物理)
  • マルコーニ Guglielmo Marconi 1874-1937 イタリアの電気学者。無線電信の発明者。侯爵。学士院長。ヘルツとロッジ(O. J. Lodge1851〜1940)の発見を初めて実用化し、1901年大西洋を隔てて無線電信を送ることに成功。ノーベル賞。
  • J・J・トムソン Joseph John Thomson 1856-1940 イギリスの物理学者。キャヴェンディシュ研究所にあって真空放電現象などを研究、電子の存在を確認し、原子物理学の端緒をひらいた。ノーベル賞。
  • フレミング John Ambrose Fleming 1849-1945 イギリスの電気工学者。電流と磁場に関するフレミングの左手・右手の法則を発見。また二極真空管を発明し、電気通信技術に貢献。
  • ド・フォレ de Forest → リー・ド・フォレスト
  • リー・ド・フォレスト Lee De Forest 1873-1961 アメリカの発明家、電気技術者。アイオワ州カウンシルブラッフに牧師の子として生まれる。イェール大学を卒業。ラジオの父と呼ばれる。マルコーニの無線電信発明に促されて無線研究に従い、燃焼ガスと放電の関係、電波検出器の探求をした。
  • ジュール James Prescott Joule 1818-1889 イギリスの物理学者。1840年電流を通じて生じる熱量に関する法則を導き、47年熱の仕事当量を決定。
  • エルステル J. Elster 中学教員。
  • ガイテル H. F. Geitel エルステルとともにドイツの実験物理学者であり、1900年に気体の電気伝導率の共同研究をおこなった。検電器の容器と電極間の絶縁をいかによくしても電荷が逃げ出すことから、気体は放射線によりイオン化されており、このガスイオンを通して電荷が失われることを見いだした。この効果(エルスター・ガイテル効果)の定量的な考察から、1912年、オーストリアの物理学者 V. F. Hess による宇宙線発見の端緒となった。(物理)
  • ファブリー Fabry, Charles 1867-1945 フランスの物理学者。マルセイユ生まれ。マルセイユ大学・ソルボンヌ大学などの教授。1896年に、A. Perot とともに干渉計を発明した。二人はその後も10年ほど共同で研究をし、彼らの干渉計を分光学や計量学に応用した。(物理)
  • ペロー Perot
  • -----------------------------------
  • 原子核探求の思い出
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  • 湯川秀樹 ゆかわ ひでき 1907-1981 理論物理学者。東京生れ。京大卒、同教授。中間子の存在を予言し、素粒子論展開の契機を作った。核兵器を絶対悪と見なし、パグウォッシュ会議・科学者京都会議・世界連邦運動などを通じ平和運動に貢献。ノーベル賞・文化勲章。
  • ドルトン John Dalton 1766-1844 イギリスの化学者。化学へ原子概念を導入して科学的原子論の基礎を置き、これから倍数比例の法則を導き出した。自分が色覚異常でその研究も行なった。ダルトン。
  • ヘルムホルツ Hermann von Helmholtz 1821-1894 ドイツの生理学者・物理学者。聴覚についての共鳴器説・エネルギー保存則を主唱、広範な分野に業績を残した。
  • ボルツマン Ludwig Boltzmann 1844-1906 オーストリアの理論物理学者。熱現象の不可逆性を追究し、統計力学の成立に貢献。原子論者としてエネルギー一元論者と論争。
  • ウィリアム・トムソン → ロード・ケルヴィン
  • キュリー Pierre Curie 1859-1906 フランスの物理学者。妻マリーとともにラジウム、またポロニウムを発見。また、磁性に関するキュリーの法則を発見。
  • キュリー Marie Curie 1867-1934 フランスの物理学者・化学者。ポーランド生れ。夫はピエール。夫の死後、ラジウムの分離に成功。1903年、夫とともにノーベル物理学賞、11年化学賞。
  • プランク Max Planck 1858-1947 ドイツの理論物理学者。熱放射の理論的研究を行い、量子力学への道を拓いた。ノーベル賞。
  • クラウジウス Rudolf Julius Emmanuel Clausius 1822-1888 ドイツの理論物理学者。熱力学第2法則を提出。また、エントロピーの概念を導入。相変化の理論、気体分子運動論にも貢献。
  • ロード・ケルヴィン Lord Kelvin 1824-1907 イギリスの物理学者。本名、ウィリアム=トムソン。熱力学の第2法則を研究し、絶対温度目盛を導入。海底電信の敷設を指導し、多くの電気計器を作り、また航海術、潮汐その他の地球物理学の研究も多い。
  • プラウト Prout William 1785-1850 イギリスの医者、化学者。原子量は水素の原子量の整数倍であるという説を発表した(1815)。これはその後の実験的研究によって否定されたが、同位元素の発見によって再び問題にされ、プラウトの仮説とも呼ばれる。(岩波西洋)
  • ポアンカレ Henri Poincar 1854-1912 フランスの数学者。数論・関数論・微分方程式・位相幾何学のほか天体力学および物理数学・電磁気についても卓抜な研究を行い、また、マッハの流れをくむ実証主義の立場から科学批判を展開。主著「天体力学」
  • デカルト Ren Descartes 1596-1650 フランスの哲学者。近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。「明晰判明」を真理の基準とする。あらゆる知識の絶対確実な基礎を求めて一切を方法的に疑った後、疑いえぬ確実な真理として「考える自己」を見出し、そこから神の存在を基礎づけ、外界の存在を証明し、「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする物心二元論の哲学体系を樹立。著「方法序説」「第一哲学についての省察」「哲学原理」「情念論」など。
  • ショット(Schott)教授
  • 田辺元 たなべ はじめ 1885-1962 哲学者。東京生れ。京大教授。新カント派に近い科学哲学の立場に立ち、のち西田幾多郎の影響をうけて絶対弁証法に到達、晩年は宗教哲学に到る。著「科学概論」「懺悔道としての哲学」など。文化勲章。
  • ラザフォード Ernest Rutherford 1871-1937 イギリスの化学者・物理学者。ニュー‐ジーランド生れ。放射能および原子核を実験的に研究、アルファ線による窒素原子核の人工破壊に成功。原子核物理学の父といわれる。ノーベル賞。
  • ボーア Niels Bohr 1885-1962 デンマークの理論物理学者。量子論の立場からはじめて原子構造を解明し、相補性原理を提唱、量子力学建設の指導者。第二次大戦中イギリスへ亡命、アメリカの原爆開発計画に協力。戦後、原子力の国際的管理に努力した。門下から、物理学・化学から分子生物学に至るノーベル賞学者を輩出。ノーベル賞。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『岩波西洋人名辞典増補版』、『物理学辞典』(培風館、2005.9)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
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  • 総合研究の必要
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  • 基礎研究とその応用
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  • 『春秋』 しゅんじゅう (年月・四季の順を追って記したからいう)五経の一つ。孔子が魯国の記録を筆削したと伝えられてきた年代記。魯の隠公元年(前722)から哀公14年(前481)に至る12代242年間の記事を編年体に記し、毀誉褒貶の意を含むとされる。前480年頃成立。注釈に左氏・穀梁・公羊の三伝があり、左氏伝が最も有名。
  • 『淮南子』 えなんじ 漢の淮南王劉安が学者を集めて作った書。現存するもの21篇。老荘の説を中心に周末以来の儒家・兵家・法家などの思想をとり入れ、治乱興亡・逸事・瑣談を記載する。淮南鴻烈解。
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  • 原子核探求の思い出
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  • 『科学朝日』
  • 『Philosophical Magazine』 フィロソフィカル・マガジン。
  • 『ネイチャー(Nature)』 世界で最も権威のある総合学術雑誌のひとつ。1869年、イギリスで天文学者ノーマン・ロッキャーによって創刊された。雑誌の記事の多くは学術論文が占め、他に解説記事、ニュース、コラムなどが掲載されている。
  • 『科学の価値』 La Valeur de la Science(1905) ポアンカレの著。田辺元訳、岩波書店。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

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  • 総合研究の必要
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  • 闡明 せんめい はっきりしていなかった道理や意義を明らかにすること。
  • 景仰 けいこう (「景」は慕い仰ぐ意) 徳を慕い仰ぐこと。景慕。景望。けいぎょう。
  • 黴菌学 ばいきんがく?
  • 豈 あに (上代を除き、多く漢文訓読の文脈で) (1) (打消の語を伴う)何も。決して。(2) (反語に用いる)なんで。どうして。
  • 疇昔 ちゅうせき (「疇」は、さきにの意) (1) きのう。昨日。(2) 先日。先ごろ。また、昔。
  • 竣える おえる?
  • パイレッキス → パイレックス‐ガラス
  • パイレックス‐ガラス Pyrex glass 二酸化ケイ素と酸化ホウ素を主成分とする耐熱硬質ガラス。商標名。
  • 曙 あかつき 暁。
  • マウント mount (1) (レンズ‐マウントの略) (ア) レンズ鏡胴。(イ) 交換レンズとカメラ・引伸し機などとの取付部。また、その方式。(2) 写真などを貼る台紙。(3) スライド用の枠。
  • 原子転換
  • 放射能作
  • α粒子 アルファ りゅうし アルファ線として放射性物質の原子核から放出される粒子。その本体はヘリウム原子核、すなわち陽子2個と中性子2個とが結合した粒子。電気素量の2倍に等しい正電荷を帯び、陽子の約4倍の質量を持つ。
  • ニュートリノ neutrino 〔理〕レプトンの一つ。ベータ崩壊の際にエネルギー保存則に基づいて存在を仮定され、その後存在を確認された中性の素粒子。スピンは1/2、質量はほとんど0だが未確定。中性微子。
  • 楔機 契機か。
  • ポールゼン・アーク
  • サイクロトロン cyclotron 〔理〕加速器の一つ。磁場の中で円運動をしているイオンを同じ周期の高周波電場によって加速して、1000万〜数億電子ボルトのエネルギーをもつようにする装置。放射性同位体の製造や原子核の人工破壊に用いる。
  • エレクトロン・ボルト electron volt 電子ボルトに同じ。
  • 電子ボルト electron volt エネルギーの単位の一つ。電位差1ボルトの2点間を動いた電子の得る運動エネルギーを1電子ボルトとする。ほぼ1.60×10-19 ジュールに等しい。エレクトロン‐ボルト。記号eV
  • 宇宙線 うちゅうせん (cosmic rays)宇宙空間に存在する高エネルギーの放射線、およびそれらが地球大気に入射してできる放射線。前者は、大部分が陽子で、他はヘリウム・炭素・窒素などの原子核。後者は陽子・中性子・中間子などの透過力の大きい硬成分と、電子・ガンマ線などの透過力の小さい軟成分とから成る。宇宙線の起源は超新星の爆発によると考えられている。
  • -----------------------------------
  • 基礎研究とその応用
  • -----------------------------------
  • 罅隙 かげき すきま。ひま。われめ。
  • Etvs balance エトヴェシュ・バランス?
  • precession → 歳差運動
  • 歳差運動 さいさ うんどう (precession) (1) 傾いて回っているこまの心棒に見られる、すりこぎのような円錐運動。(2) 地球の自転軸が黄道面に垂直な軸のまわりに行うすりこぎ運動。月・太陽の引力によって起こる。周期は2万5800年。
  • 歳差 さいさ 〔天〕月・太陽および惑星の引力の影響で、地球自転軸の方向が変わり、春分点が恒星に対し、毎年50秒余ずつ西方へ移動する現象。このため回帰年と恒星年との差を生じ、恒星の赤経・赤緯は変わる。
  • nutation → 章動
  • 章動 しょうどう 〔天〕(nutation) 月や太陽の引力のために地球の自転軸が周期的に動揺する現象。一般の歳差運動のうちの周期的部分。
  • 単軌 たんき 単線軌道の略。
  • 単線軌道 たんせん きどう 1軌道を上下列車が共用する鉄道。単線。←→複線軌道
  • 汎く ひろく
  • ジャイロ・コンパス gyrocompass ジャイロ‐スコープを利用した羅針盤の一種。地球磁気の影響を受けない。転輪羅針儀。
  • 嘲弄 ちょうろう あざけりなぶること。ばかにすること。
  • 天狼星 てんろうせい 大犬座の首星シリウスの漢名。
  • 北辰 ほくしん (北天の星辰の意)北極星。また、北斗七星のこと。帝居または天子のたとえ。
  • Draco → 竜座
  • 竜座 りゅうざ Draco 北天の星座。小熊座の周囲を取り巻き、7月下旬の夕空に高く見える。
  • α Draco → トゥバンか
  • トゥバン Thuban 恒星のひとつ。りゅう座アルファ星(α Draconis / α Dra)。りゅう座で最も明るい星ではないが(3.67等)α星。紀元前2790年頃は、この星が北極星だった。
  • 織女星 しょくじょせい 琴座の首星ベガの漢名。7月7日の夕、天の川の対岸にある牽牛星と逢うという伝説がある。たなばたつめ。たなばた。おりひめぼし。嫁星。
  • ジェレキ恒数
  • オーム則 オームの法則。抵抗に流れる電流と発生する電圧に関する、電気工学で最も有名で有用な法則。1826年にドイツの物理学者、ゲオルク・オームによって発表されたが、ヘンリー・キャヴェンディッシュが既に発見していた。
  • 誘導電流 ゆうどう でんりゅう 電磁誘導によって誘起される電流。感応電流。
  • モートル → モーター
  • モーター motor (1) 動力発生機の通称。蒸気機関・蒸気タービン・水力原動機・内燃機関など。特に電動機をいう。(2) 自動車。
  • ケノトロン Kenotron 超高圧整流用の熱陰極二極真空管。X線管、電子顕微鏡、高圧陰極線オシログラフ、衝撃電流発生装置などの電源整流器として用いられる。
  • X線管 エックスせんかん X線を発生させるための真空管。陰極から放出される電子を高電圧で加速し、これをタングステン・銅などの陽極(対陰極)に衝突させて、そこから発生させる。
  • 電気炉 でんきろ 電流によるジュール熱、アーク放電の発生する熱、または高周波による誘導電流などの発生する熱を利用する炉。温度調節が容易、溶解損失が少ないなどの特徴がある。製鉄・製鋼・研磨材製造などに利用。
  • 電熱器 でんねつき 電熱を生じさせる器具。ニクロム線などの電気抵抗の高い金属でコイルまたは板状の電路をつくり、電流を通して発熱させる。
  • 光電池 こうでんち/ひかり でんち 光起電力効果を利用して、光エネルギーを電気エネルギーに変える装置。セレン光電池・太陽電池など。照度計・露出計、エネルギー変換などに使用。
  • セシウム caesium; cesium (ラテン語で「青みがかった」の意のcaesiusによる。分光分析に現れる2本の青い線に因む)アルカリ金属元素の一種。元素記号Cs 原子番号55。原子量132.9。純粋なものは、銀白色で軟らかく、空気中で酸化・燃焼し、水と激しく反応してこれを分解し水素を発生。通常、微量の酸化物および窒化物を含むため黄色。炎色反応は青色。光電管の薄膜に使用。質量数137の同位体(半減期30.2年)は核分裂性降下物中に含まれ、人体に有害。
  • 干渉計 かんしょうけい 電磁波の干渉を利用して、波長・波長分布の測定、2地点間の距離、物体の長さ・屈折率の精密測定などに応用する装置。
  • ゲージ・ブロック gauge block ブロック・ゲージ。
  • ブロック・ゲージ block gauge 工作ゲージ・検査ゲージなどの寸法標準となる基本のゲージ。精密仕上げをした直方体の鋼片。種々の寸法のものを組み合わせて一組とし、何枚かを密着させて所要の寸法にして用いる。
  • -----------------------------------
  • 原子核探求の思い出
  • -----------------------------------
  • 中間子 ちゅうかんし (meson)(質量が電子と陽子の中間の意)1934年湯川秀樹が原子核論とベータ崩壊とを統一的に説明するため理論的にその存在を予言、その後、実験的に発見された素粒子(パイ中間子)。現在では、質量にかかわりなく、崩壊の結果、レプトンと光子に転化するハドロン、すなわちバリオン数0のハドロンの総称。メソン。
  • 僻目 ひがめ (1) まちがえて見ること。見あやまり。見そこない。(2) ひとみの正しくないもの。また、その目つき。斜視。すがめ。(3) かたよった見方。偏見。
  • 土星原子模型
  • ドグマチック dogmatic 独断的。教条主義的。
  • 媒質 ばいしつ (medium) (1) 〔理〕物理的作用を一つの場所から他の場所へ伝達する仲介物。音波を伝える空気、弾性波を伝える弾性体など。(2) 〔生〕生物体の周囲を囲んで、その生物の生活の場となる物質。陸生動物では空気、水生生物では水。
  • スピロヘータ spirochaeta グラム陰性で、細長い螺旋状を呈し、運動性をもつ微生物。大きさ3〜250マイクロメートル、外側は被膜に包まれ、被膜下に一種の鞭毛があり、両端近くから出て菌体にまきつき、中央で重なる。梅毒・フランベジアなどの病原体であるトレポネーマ属、回帰熱・ライム病などの病原体であるボレリア属、ワイル病・秋疫などの病原体であるレプトスピラ属がある。
  • スピロヘータ・パリダ Spirochaeta pallida 梅毒の病原体。1905年に、皮膚科学者ホフマン(E. Hoffmann)とドイツの原生動物学者シャウディン(F. R. Schaudinn)が発見。のちにトリポネマ・パリズムと改称した。(世界大百科)
  • モノサイクリック
  • ポリサイクリック系
  • サイクリック cyclic 周期的、循環的。サイクリカル、シリクリカルとも。
  • X線 エックス せん (X-rays)電磁波の一種。ふつう波長が0.01〜10ナノメートルの間。1895年レントゲンが発見、未知の線という意味でX線と命名。物質透過能力・電離作用・写真感光作用・化学作用・生理作用などが強く、干渉・回折などの現象を生じるので、結晶構造の研究、スペクトル分析、医療などに応用。レントゲン線。
  • ラジウム radium (ラテン語で光線の意のradiusから) アルカリ土類金属元素の一種。元素記号Ra 原子番号88。ピッチブレンド中にウランと共存する。1898年キュリー夫妻が発見。銀白色の金属。天然に産する最長寿命の同位体は質量数226、アルファ線を放射して半減期1602年でラドンに変化する。医療などに用いる。
  • エレクトロン electron → 電子
  • 電子 でんし (electron)素粒子の一つ。原子・分子の構成要素の一つ。19世紀末、真空放電中に初めてその実在が確認された。静止質量は9.1094×10-31 キログラム。電荷は−1.602×10-19 クーロンで、その絶対値を電気素量という。スピンは1/2。記号eまたはe− エレクトロン。
  • 手鈎 しゅこう? 手鉤(てかぎ)?
  • うかと 気がつかずに。うっかりと。
  • プランクの量子仮説 プランクのりょうしかせつ 熱放射の理論について1900年プランクが唱えた仮説。物体が電磁波を放出または吸収するとき、そのエネルギーは要素的な量子(エネルギー量子)の整数倍であることを主張。量子論の端緒を開いた。
  • 紛飛 ふんぴ 乱れ飛ぶこと。散り乱れること。
  • アダムス賞
  • 磁歪 じわい 磁場内に置かれた強磁性体が磁場の作用でわずかに伸縮・変形する現象。電気振動と力学的振動との間の電気音響変換に利用する。磁気ひずみ。
  • マグネトストリクション magnetostriction 磁歪。
  • ヒステレシス → ヒステリシス
  • ヒステリシス hysteresis 強磁性体の磁化の強さが、その時の磁場の強さだけで決まらず、それまでの磁化の経路に関係すること。一般に、ある量の大きさが変化の経路によって異なる現象。履歴現象。
  • 捷径 しょうけい (「捷」は、すばやい意) (1) ちかみち。(2) 転じて、ある物事に通達し得るてばやい方法。はやみち。
  • 包擁 抱擁(ほうよう)か。
  • 光電効果 こうでん こうか 光(広義にはエックス線・ガンマ線を含む電磁波)が物質面を照射したとき、その面から電子が外部に放出され、または物質内部の伝導電子数が増加する現象。
  • 攪乱 かくらん (コウランの慣用読み)かき乱すこと。
  • 攻索 攷索・考索(こうさく)か。
  • 便法 べんぽう 便利な方法。便宜上とる手段。
  • いじょう 囲繞 (イニョウとも) かこいめぐらすこと。
  • ゼーマン効果 ゼーマン こうか 光源が強い磁場中に置かれた時に、スペクトル線が2本以上の線に分かれる現象。正常ゼーマン効果と異常ゼーマン効果とがある。1896年オランダの物理学者ゼーマン(Pieter Zeeman1865〜1943)が発見。
  • ヴィリヤル
  • プランク定数 プランク ていすう 量子力学に現れる基礎定数の一つ。20世紀初頭、プランクが導入。その大きさは6.62607×10-34 ジュール秒。記号h また、プランク定数を円周率の2倍で割ったものをディラック定数という。
  • 分光学 ぶんこうがく 光学の一分野。光のスペクトルを研究する学問。原子・分子の構造を調べる重要な手掛りを与える。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『学研新漢和大字典』『世界大百科事典』(平凡社、2007)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


2011/11/29
濃霧、のち快晴。気温17℃ぐらいか。
高速バスで仙台へ。二年ぶり、震災後初。
ヨドバシカメラでポメラ DM100、単三エネループ8本購入。大型の太陽電池パネルは見つからず、断念。のち、ブックオフ、仙台メディアテーク。
天童へ帰るとふたたび濃霧。22:00 帰宅。

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2011/11/30 11:57
ポメラのボタン電池表示がつねに点滅している。リセットボタンを押すも変わらず。
USB、OS9.2 では認識せず。X10.4、ポメラ本体は認識しないが SD カードはOK。
折口信夫、幸田露伴、寺田寅彦のテキストをフォルダごとコピー。ポメラにて認識成功。

2011/11/30 23:28
ホームセンター・ジョイへ。太陽電池パネルなし。100均ショップ、ポメラ用ケースなし。オモチャ屋。
新月堂にて買い物。
ファイルケース \546
ビニルカバー \193
ブック・スタンド \420

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ポメラ購入3日目。バッテリー乾電池アイコン、一向に減る気配なし。マニュアル読了。「無変換」キーへの「Ctrl」の割り付けができない? はじめて MaxValu にて試用。はずかし。。。ATOK辞書の移植インポート失敗。

 キーボード入力は最高。ただし、CtrlやAltキーの位置はどうにも慣れない。Menuキーがこんな手前にあるのも邪魔。キーのカスタマイズがなんとかならないものか……。

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2011/12/02 01:32
うをををををををををーーーーー!!!
SDHC カード・USB を介して Mac OS 9.2 とのダイレクトなテキスト交換に成功! むむ……ポメラ利用の幅が広がる予感。。。

まずい、、本業のほうが進んでない……。

2011/12/02 19:29
天気、晴れ。長岡半太郎語句入力、佐藤栄太テキストのプリントとの校正。

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2011/12/03(土) 06:59
以下、2ちゃん、テキスト入力専用ツール 「ポメラ」 Vol.15 スレへ書き込み。

DVD『青空文庫全』収録「作家別テキストファイル」から、

おり・折口信夫(100)
こう・幸田露伴(35)
てら・寺田寅彦(284)

をフォルダごと SD カードへコピー。DM100 にて txt ファイル読み込み成功!
(ちなみに「吾輩は猫である」は 372353文字、分割10ファイル相当である)
(SD カード経由で iBook G3、MacOS 9.2 でもテキスト交換に成功)

2011/12/03 18:40 雨
OS9 から DS カードへ坂口安吾・松岡正剛の千夜千冊をコピー中に突然フリーズ。連発で再起動。どうやらロングファイル名短縮のさいの末尾ゴミがトラブル原因か。

(以上、ポメラ日記。もちポメ入力。




*次週予告


第四巻 第二〇号 
蒲生氏郷(一)幸田露伴


第四巻 第二〇号は、
一二月一〇日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第一九号
原子核探求の思い出(他)長岡半太郎
発行:二〇一一年一二月三日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



  • T-Time マガジン 週刊ミルクティー *99 出版
  • バックナンバー
  • 第一巻
  • 創刊号 竹取物語 和田万吉
  • 第二号 竹取物語小論 島津久基(210円)
  • 第三号 竹取物語の再検討(一)橘 純一(210円)
  • 第四号 竹取物語の再検討(二)橘 純一(210円)
  •  「絵合」『源氏物語』より 紫式部・与謝野晶子(訳)
  • 第五号 『国文学の新考察』より 島津久基(210円)
  •  昔物語と歌物語 / 古代・中世の「作り物語」/
  •  平安朝文学の弾力 / 散逸物語三つ
  • 第六号 特集 コロボックル考 石器時代総論要領 / コロボックル北海道に住みしなるべし 坪井正五郎 マナイタのばけた話 小熊秀雄 親しく見聞したアイヌの生活 / 風に乗って来るコロポックル 宮本百合子
  • 第七号 コロボックル風俗考(一〜三)坪井正五郎(210円)
  •  シペ物語 / カナメの跡 工藤梅次郎
  • 第八号 コロボックル風俗考(四〜六)坪井正五郎(210円)
  • 第九号 コロボックル風俗考(七〜十)坪井正五郎(210円)
  • 第十号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  日本太古の民族について / 日本民族概論 / 土蜘蛛種族論につきて
  • 第十一号 特集 コロボックル考 喜田貞吉
  •  東北民族研究序論 / 猪名部と佐伯部 / 吉野の国巣と国樔部
  • 第十二号 日高見国の研究 喜田貞吉        
  • 第十三号 夷俘・俘囚の考 喜田貞吉
  • 第十四号 東人考     喜田貞吉
  • 第十五号 奥州における御館藤原氏 喜田貞吉
  • 第十六号 考古学と古代史 喜田貞吉
  • 第十七号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  遺物・遺蹟と歴史研究 / 日本における史前時代の歴史研究について / 奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について
  • 第十八号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  日本石器時代の終末期について /「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」――日本石器時代終末期―
  • 第十九号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  本邦における一種の古代文明 ――銅鐸に関する管見―― /
  •  銅鐸民族研究の一断片
  • 第二〇号 特集 考古学 喜田貞吉
  •  「鐵」の字の古体と古代の文化 / 石上神宮の神宝七枝刀 /
  •  八坂瓊之曲玉考
  • 第二一号 博物館(一)浜田青陵
  • 第二二号 博物館(二)浜田青陵
  • 第二三号 博物館(三)浜田青陵
  • 第二四号 博物館(四)浜田青陵
  • 第二五号 博物館(五)浜田青陵
  • 第二六号 墨子(一)幸田露伴
  • 第二七号 墨子(二)幸田露伴
  • 第二八号 墨子(三)幸田露伴
  • 第二九号 道教について(一)幸田露伴
  • 第三〇号 道教について(二)幸田露伴
  • 第三一号 道教について(三)幸田露伴
  • 第三二号 光をかかぐる人々(一)徳永 直
  • 第三三号 光をかかぐる人々(二)徳永 直
  • 第三四号 東洋人の発明 桑原隲蔵
  • 第三五号 堤中納言物語(一)池田亀鑑(訳)
  • 第三六号 堤中納言物語(二)池田亀鑑(訳)
  • 第三七号 堤中納言物語(三)池田亀鑑(訳)
  • 第三八号 歌の話(一)折口信夫
  • 第三九号 歌の話(二)折口信夫
  • 第四〇号 歌の話(三)・花の話 折口信夫
  • 第四一号 枕詞と序詞(一)福井久蔵
  • 第四二号 枕詞と序詞(二)福井久蔵
  • 第四三号 本朝変態葬礼史 / 死体と民俗 中山太郎
  • 第四四号 特集 おっぱい接吻  
  •  乳房の室 / 女の情欲を笑う 小熊秀雄
  •  女体 芥川龍之介
  •  接吻 / 接吻の後 北原白秋
  •  接吻 斎藤茂吉
  • 第四五号 幕末志士の歌 森 繁夫
  • 第四六号 特集 フィクション・サムライ 愛国歌小観 / 愛国百人一首に関連して / 愛国百人一首評釈 斎藤茂吉
  • 第四七号 「侍」字訓義考 / 多賀祢考 安藤正次
  • 第四八号 幣束から旗さし物へ / ゴロツキの話 折口信夫
  • 第四九号 平将門 幸田露伴
  • 第五〇号 光をかかぐる人々(三)徳永 直
  • 第五一号 光をかかぐる人々(四)徳永 直
  • 第五二号 「印刷文化」について 徳永 直
  •  書籍の風俗 恩地孝四郎
  • 第二巻
  • 第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン
  • 第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン
  • 第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 楠山正雄(訳)
  • 第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 小酒井不木 / 折口信夫 / 坂口安吾
  • 第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 海野十三 / 折口信夫 / 斎藤茂吉
  • 第六号 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • 第七号 新羅の花郎について 池内 宏
  • 第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉
  • 第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • 第一〇号 風の又三郎 宮沢賢治
  • 第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • 第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • 第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • 第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • 第一五号 【欠】
  • 第一六号 【欠】
  • 第一七号 赤毛連盟       コナン・ドイル
  • 第一八号 ボヘミアの醜聞    コナン・ドイル
  • 第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル
  • 第二〇号 暗号舞踏人の謎    コナン・ドイル
  • 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • 第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • 第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • 第二四号 まれびとの歴史 /「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • 第二五号 払田柵跡について二、三の考察 / 山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • 第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎
  • 第二七号 種山ヶ原 / イギリス海岸 宮沢賢治
  • 第二八号 翁の発生 / 鬼の話 折口信夫
  • 第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
  • 第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
  • 第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
  • 第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
  • 第三三号 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介 / 雛がたり 泉鏡花 / ひなまつりの話 折口信夫
  • 第三四号 特集 ひなまつり
  •  人形の話 / 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • 第三五号 右大臣実朝(一)太宰 治
  • 第三六号 右大臣実朝(二)太宰 治
  • 第三七号 右大臣実朝(三)太宰 治
  • 第三八号 清河八郎(一)大川周明
  • 第三九号 清河八郎(二)大川周明
  • 第四〇号 清河八郎(三)大川周明
  • 第四一号 清河八郎(四)大川周明
  • 第四二号 清河八郎(五)大川周明
  • 第四三号 清河八郎(六)大川周明
  • 第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • 第四五号 火葬と大蔵 / 人身御供と人柱 喜田貞吉
  • 第四六号 手長と足長 / くぐつ名義考 喜田貞吉
  • 第四七号 「日本民族」とは何ぞや / 本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • 第四八号 若草物語(一)L.M. オルコット
  • 第四九号 若草物語(二)L.M. オルコット
  • 第五〇号 若草物語(三)L.M. オルコット
  • 第五一号 若草物語(四)L.M. オルコット
  • 第五二号 若草物語(五)L.M. オルコット
  • 第五三号 二人の女歌人 / 東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • 第一号 星と空の話(一)山本一清
  • 第二号 星と空の話(二)山本一清
  • 第三号 星と空の話(三)山本一清
  • 第四号 獅子舞雑考 / 穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治 / 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • 第六号 魏志倭人伝 / 後漢書倭伝 / 宋書倭国伝 / 隋書倭国伝
  • 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • 第一〇号 最古日本の女性生活の根底 / 稲むらの陰にて 折口信夫
  • 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流 / コーヒー哲学序説 /
  •  神話と地球物理学 / ウジの効用
  • 第一二号 日本人の自然観 / 天文と俳句 寺田寅彦
  • 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う /
  •  倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • 第一七号 高山の雪 小島烏水
  • 第一八号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • 第一九号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • 第二〇号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • 第二一号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • 第二二号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • 第二五号 ドングリと山猫 / 雪渡り 宮沢賢治
  • 第二六号 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所 / 村で見た黒川能
  •  能舞台の解説 / 春日若宮御祭の研究
  • 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • 第二九号 火山の話 今村明恒
  • 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)前巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三一号 現代語訳『古事記』(二)前巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三二号 現代語訳『古事記』(三)中巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第三三号 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第三四号 山椒大夫 森 鴎外
  • 第三五号 地震の話(一)今村明恒
  • 第三六号 地震の話(二)今村明恒
  • 第三七号 津波と人間 / 天災と国防 / 災難雑考 寺田寅彦
  • 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • 第三九号 キュリー夫人 / はるかな道(他)宮本百合子
  • 第四〇号 大正十二年九月一日…… / 私の覚え書 宮本百合子
  • 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • 第四二号 ラジウムの雁 / シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎
  • 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎
  • 第四五号 ヴェスヴィオ山 / 日本大地震(他)斎藤茂吉
  • 第四六号 上代肉食考 / 青屋考 喜田貞吉
  • 第四七号 地震雑感 / 静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  • 第四八号 自然現象の予報 / 火山の名について 寺田寅彦
  • 第四九号 地震の国(一)今村明恒
  • 第五〇号 地震の国(二)今村明恒
  • 第五一号 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
  • 第五二号 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
  • 第四巻
  • 第一号 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)
  • 第二号 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
  • 第三号 アインシュタイン(一)寺田寅彦
  •  物質とエネルギー / 科学上における権威の価値と弊害 /
  •  アインシュタインの教育観
  • 第四号 アインシュタイン(二)寺田寅彦
  •  アインシュタイン / 相対性原理側面観
  • 第五号 作家のみた科学者の文学的活動 / 科学の常識のため 宮本百合子
  • 第六号 地震の国(三)今村明恒
  • 第七号 地震の国(四)今村明恒
  • 第八号 地震の国(五)今村明恒
  • 第九号 地震の国(六)今村明恒
  • 第一〇号 土神と狐 / フランドン農学校の豚 宮沢賢治
  • 第一一号 地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
  • 第一二号 庄内と日高見(一)喜田貞吉
  •  はしがき
  •  庄内三郡
  •  田川郡と飽海郡、出羽郡の設置
  •  大名領地と草高――庄内は酒井氏の旧領
  •  高張田地
  •  本間家
  •  酒田の三十六人衆
  •  出羽国府の所在と夷地経営の弛張
  •  
  •  奥羽地方へ行ってみたい、要所要所をだけでも踏査したい。こう思っている矢先へ、この夏〔大正一一年(一九二二)〕、宮城女子師範の友人栗田茂次君から一度奥州へ出て来ぬか、郷土史熱心家なる桃生郡北村の斎藤荘次郎君から、桃生地方の実地を見てもらいたい、話も聞きたいといわれるから、共々出かけようじゃないかとの書信に接した。好機逸すべからずとは思ったが、折悪しく亡母の初盆で帰省せねばならぬときであったので、遺憾ながらその好意に応ずることができなかった。このたび少しばかりの余暇を繰り合わして、ともかく奥羽の一部をだけでも見てまわることのできたのは、畢竟、栗田・斎藤両君使嗾の賜だ。どうで陸前へ行くのなら、ついでに出羽方面にも足を入れてみたい。出羽方面の蝦夷経営を調査するには、まずもって庄内地方を手はじめとすべきだと、同地の物識り阿部正巳〔阿部正己。〕君にご都合をうかがうと、いつでもよろこんで案内をしてやろうといわれる。いよいよ思いたって十一月十七日の夜行で京都を出かけ、東京で多少の調査材料を整え、福島・米沢・山形・新庄もほぼ素通りのありさまで、いよいよ庄内へ入ったのが二十日の朝であった。庄内ではもっぱら阿部君のお世話になって、滞在四日中、雨天がちではあったが、おかげでほぼ、この地方に関する概念を得ることができた。その後は主として栗田君や斎藤君のお世話になって、いにしえの日高見国なる桃生郡内の各地を視察し、帰途に仙台で一泊して、翌日、多賀城址の案内をうけ、ともかく予定どおりの調査の目的を達することができた。ここにその間見聞の一斑を書きとめて、後の思い出の料とする。
  • 第一三号 庄内と日高見(二)喜田貞吉
  •  出羽国分寺の位置に関する疑問
  •  これは「ぬず」です
  •  奥羽地方の方言、訛音
  •  藤島の館址――本楯の館址
  •  神矢田
  •  夷浄福寺
  •  庄内の一向宗禁止
  •  庄内のラク町
  •  庄内雑事
  •   妻入の家 / 礫葺の屋根 / 共同井戸 / アバの魚売り / 竹細工 /
  •   カンジョ / マキ、マケ――ドス / 大山町の石敢当 / 手長・足長 /
  •   飛島 / 羅漢岩 / 玳瑁(たいまい)の漂着 / 神功皇后伝説 / 花嫁御
  •  桃生郡地方はいにしえの日高見の国
  •  佳景山の寨址
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  •  だいたい奥州をムツというのもミチの義で、本名ミチノク(陸奥)すなわちミチノオク(道奥)ノクニを略して、ミチノクニとなし、それを土音によってムツノクニと呼んだのが、ついに一般に認められる国名となったのだ。(略)近ごろはこのウ韻を多く使うことをもって、奥羽地方の方言、訛音だということで、小学校ではつとめて矯正する方針をとっているがために、子どもたちはよほど話がわかりやすくなったが、老人たちにはまだちょっと会話の交換に骨の折れる場合が少くない。しかしこのウ韻を多く使うことは、じつに奥羽ばかりではないのだ。山陰地方、特に出雲のごときは最もはなはだしい方で、「私さ雲すうふらたのおまれ、づうる、ぬづうる、三づうる、ぬすのはてから、ふがすのはてまで、ふくずりふっぱりきたものを」などは、ぜんぜん奥羽なまり丸出しの感がないではない。(略)
  •  また、遠く西南に離れた薩隅地方にも、やはり似た発音があって、大山公爵も土地では「ウ山ドン」となり、大園という地は「うゾン」とよばれている。なお歴史的に考えたならば、上方でも昔はやはりズーズー弁であったらしい。『古事記』や『万葉集』など、奈良朝ころの発音を調べてみると、大野がオホヌ、篠がシヌ、相模がサガム、多武の峰も田身(たむ)の峰であった。筑紫はチクシと発音しそうなものだが、今でもツクシと読んでいる。近江の竹生島のごときも、『延喜式』にはあきらかにツクブスマと仮名書きしてあるので、島ももとにはスマと呼んでいたのであったに相違ない。これはかつて奥州は南部の内藤湖南博士から、一本参られて閉口したことであった。してみればズーズー弁はもと奥羽や出雲の特有ではなく、言霊の幸わうわが国語の通有のものであって、交通の頻繁な中部地方では後世しだいになまってきて、それが失われた後になってまでも、奥羽や、山陰や、九州のはてのような、交通の少なかった僻遠地方には、まだ昔の正しいままの発音が遺っているのだと言ってよいのかもしれぬ。(略)
  • 第一四号 庄内と日高見(三)喜田貞吉
  •  館と柵および城
  •  広淵沼干拓
  •  宝ヶ峯の発掘品
  •  古い北村
  •  姉さんどこだい
  •  二つの飯野山神社、一王子社と嘉暦の碑
  •  日高見神社と安倍館――阿部氏と今野氏
  •  天照大神は大日如来
  •  茶臼山の寨、桃生城
  •  貝崎の貝塚
  •  北上川改修工事、河道変遷の年代
  •  合戦谷付近の古墳
  •  いわゆる高道の碑――坂上当道と高道
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  •  しかし安倍氏の伝説はこの地方に多く、現に阿部姓を名乗る村民も少くないらしい。(略)先日、出羽庄内へ行ったときにも、かの地方に阿部氏と佐藤氏とがはなはだ多かった。このほか奥羽には、斎藤・工藤などの氏が多く、秀郷流藤原氏の繁延を思わしめるが、ことに阿部氏の多いのは土地柄もっともであるといわねばならぬ。『続日本紀』を案ずるに、奈良朝末葉・神護景雲三年(七六九)に、奥州の豪族で安倍(または阿倍)姓を賜わったものが十五人、宝亀三年(七七二)に十三人、四年に一人ある。けだし大彦命の後裔たる阿倍氏の名声が夷地に高かったためであろう。しかしてかの安倍貞任のごときも、これらの多数の安倍姓の中のものかもしれぬ。前九年の役後には、別に屋・仁土呂志・宇曽利あわして三郡の夷人安倍富忠などいう人もあった。かの日本将軍たる安東(秋田)氏のごときも、やはり安倍氏の後なのだ。もしこの安倍館がはたして安倍氏の人の拠った所であったならば、それは貞任ではない他の古い安倍氏かもしれぬ。阿部氏と並んでこの地方に今野氏の多いのもちょっと目に立った。(略)今野はけだし「金氏」であろう。前九年の役のときに気仙郡の郡司金為時が、頼義の命によって頼時を攻めたとある。また帰降者の中にも、金為行・同則行・同経永らの名が見えている。金氏はもと新羅の帰化人で、早くこの夷地にまで移って勢力を得ていたものとみえる。今野あるいは金野・紺野などともあって、やはり阿倍氏の族と称している。その金に、氏と名との間の接続詞たる「ノ」をつけてコンノというので、これは多氏をオオノ、紀氏をキノと呼ぶのと同様である。
  • 第一五号 私は海をだきしめてゐたい / 安吾巷談・ストリップ罵倒 坂口安吾
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  •  私はいつも神さまの国へ行こうとしながら地獄の門をもぐってしまう人間だ。ともかく私ははじめから地獄の門をめざして出かけるときでも、神さまの国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局、地獄というものに戦慄したためしはなく、バカのようにたわいもなくおちついていられるくせに、神さまの国を忘れることができないという人間だ。私はかならず、いまに何かにひどい目にヤッツケられて、たたきのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらしてまっさかさまに落とされてしまう時があると考えていた。
  •  私はずるいのだ。悪魔の裏側に神さまを忘れず、神さまの陰で悪魔と住んでいるのだから。いまに、悪魔にも神さまにも復讐されると信じていた。けれども、私だって、バカはバカなりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神さまを相手に組み打ちもするし、蹴とばしもするし、めったやたらに乱戦乱闘してやろうと悲愴な覚悟をかためて、生きつづけてきたのだ。ずいぶん甘ったれているけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落とされる時を忘れたことだけはなかったのだ。
  •  利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと言うだろう。私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと、言うことよりもずるい。私もそう思う。でも、なんとでも言うがいいや。私は、私自身の考えることもいっこうに信用してはいないのだから。「私は海をだきしめていたい」より)
  • 第一六号 三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
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  •  (略)父がここに開業している間に、診察の謝礼に賀茂真淵書入の『古今集』をもらった。たぶん田安家にたてまつったものであっただろうとおもうが、佳品の朱できわめてていねいに書いてあった。出所も好し、黒川真頼翁の鑑定を経たもので、わたしが作歌を学ぶようになって以来、わたしは真淵崇拝であるところから、それを天からの授かり物のように大切にして長崎に行った時にもやはりいっしょに持って歩いていたほどであったが、大正十三年(一九二四)暮の火災のとき灰燼になってしまった。わたしの書架は貧しくて何も目ぼしいものはなく、かろうじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失せた。わたしは東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思い出して残念がるのであるが、何ごとも思うとおりに行くものでないと今ではあきらめている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとしたことにもとづくものがあると知って、それであきらめているようなわけである。
  •  まえにもちょっとふれたが、上京したとき、わたしの春機は目ざめかかっていて、いまだ目ざめてはいなかった。今はすでに七十の齢をいくつか越したが、やをという女中がいる。わたしの上京当時はまだ三十いくつかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」とわたしに教えた女中である。その女中がわたしを、ある夜、銭湯に連れて行った。そうすると浴場にはみな女ばかりいる。年寄りもいるけれども、キレイな娘がたくさんにいる。わたしは故知らず胸のおどるような気持ちになったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかもしれない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことがわかり、女中は母にしかられて私はふたたび女湯に入ることができずにしまった。わたしはただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。「三筋町界隈」より)
  • 第一七号 原子力の管理(他)仁科芳雄
  • 原子力の管理
  •  一 緒言
  •  二 原子爆弾の威力
  •  三 原子力の管理
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  • 日本再建と科学
  •  一.緒言
  •  二.科学の役割
  •  三.科学の再建
  •  四.科学者の組合組織
  •  五.科学教育
  •  六.結語
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  • 国民の人格向上と科学技術
  • ユネスコと科学
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  •  原子爆弾は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。「日本再建と科学」より)
  •  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。
  •  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。「ユネスコと科学」より)
  • 第一八号 J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎
  • J・J・トムソン伝
  •  学修時代
  •  研究生時代
  •  実験場におけるトムソン
  •  トムソンの研究
  •  余談
  • アインシュタイン博士のこと 
  •  帯電した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは磁性を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke2 にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)
  •  電子の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他整流器、X線管、光電管など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。

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