仁科芳雄 にしな よしお
1890-1951(明治23.12.6-昭和26.1.10)
物理学者。岡山県生れ。欧州留学から帰国後、1931年理化学研究所に仁科研究室を創設、原子核の理論的研究および宇宙線の実験的研究を指導。また、日本最初のサイクロトロンを建設。文化勲章。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Yoshio_Nishina.JPG」より。


もくじ 
原子力の管理(他)仁科芳雄


ミルクティー*現代表記版
原子力の管理
  一 緒言
  二 原子爆弾の威力
  三 原子力の管理

日本再建と科学
  一.緒言
  二.科学の役割
  三.科学の再建
  四.科学者の組合組織
  五.科学教育
  六.結語

国民の人格向上と科学技術
ユネスコと科学

オリジナル版
原子力の管理
日本再建と科學
國民の人格向上と科學技術
ユネスコと科學

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

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  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
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  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


原子力の管理
底本:『戦後日本思想大系1 戦後思想の出発』筑摩書房
   1968(昭和43)年7月1日 初版第1刷発行
   1976(昭和51)年7月1日 初版第10刷発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1163.html

日本再建と科学
底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43706.html

国民の人格向上と科学技術
底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43705.html

ユネスコと科学
底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43707.html

NDC 分類:329(法律 / 国際法)
http://yozora.kazumi386.org/3/2/ndc329.html
NDC 分類:401(自然科学 / 科学理論.科学哲学)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html





原子力の管理

仁科芳雄


第二次大戦はおそるべき破壊力を人類に手渡した。ヒロシマ・ナガサキの日本人は最初の実験台とされたのである。占領米軍はその惨害の状況の発表をゆるさなかったが、物理学者たちはすでにその脅威を知っていたのである。

  一 緒言


 原子爆弾の攻撃を受けてまもない広島と長崎とを目撃する機会を得た自分は、その被害のあまりにもひどいのに面をおおわざるを得なかった。いたる所に転がっている死骸はいうまでもなく、目も鼻も区別できぬまでに火傷やけどした患者の雑然としてかぎりなき横臥おうがの列を見、その苦悶のうめきを聞いてはまことに生き地獄に来たのであった。長崎では有名な浦上うらかみ天主堂が見る影もない廃虚となり、古くからの敬虔けいけんな信者もろともその歴史と伝統とを閉じてしまったであろう。学校その他の貴い文化施設も跡かたもなく焼け、またはつぶれてしまっている。自分は小高い丘の上から広島や長崎の光景を見下ろして、これがただ一個の爆弾の所為であるという事実を、いまさらしみじみと心の底に体得し、深いため息の出るのをどうすることもできなかった。そして戦争はするものではない、どうしても戦争はやめなければならぬと思った。広島や長崎を見ては平和論者の主張の正しいことが文句なく人を説得してしまうのである。原子爆弾のできた今日となっては何人も戦争に対する態度を根本的に変えなくてはならぬ。すなわち戦争の惨害は従来の武器とはまったく比較にならぬほど広範にして深刻となり、かつ、いずれの戦争参加国にとってもその残虐ざんぎゃくなる被害は不可避となったのである。また、侵略戦争を惹起じゃっきした犯罪国が、その目的のために準備した原子爆弾により、一挙にしてその目的を達成し、平和国家を蹂躙じゅうりんしてしまうという不正義がおこなわれ得る可能性も生じてきたのである。
 これらの結果からわれわれの導かれる必然の帰結は、どうしても戦争をなくするということである。しかるにこれは実現の困難な理想であるところから、戦争をなくすることはできないまでも、おこった戦争に原子爆弾を使用できないようにする機構を考えようとする人があるかもしれない。しかし、いったん戦争がおこるとただちに原子爆弾の製造にとりかかり得るから、どうしてもそれは使用せられざるを得ない結果におちいるであろう。だから原子爆弾の使用を管理するということと、戦争を制限することとを別物あつかいにすることはよろしくない。むしろこれを同一事とみなさねばならぬ。以前から科学者の間には、非常に強力な武器を製作することによって、ついに戦争を不可能ならしめることが、すなわち人類に貢献する道であるという意見を持つ人々があった。原子爆弾の発明はじつにこの理想を実現せしめたものといえるであろう。この点では毒ガスはまだ理想に遠かった。そのために戦争に使用しないという管理が実際におこなわれ得たのであろう。原子爆弾が毒ガスと段ちがいに効果的であるということが、その管理問題を困難にするとともに緊急重要たらしめる所以ゆえんである。
 現実の問題として戦争を絶滅することの困難は既知のとおりである。これは国際間の正義とか誠意とか信頼とかの道徳的方法だけでは従来のらちを一歩もでることはできない。しかし、前述の一部科学者の理想としたような、新しい原子力という大きな現実の重圧によっては、それが成功する可能性が生じたのである。否、成功しなければ文化の破滅、人類の退歩を招来する危険があるから、何としてもこれを成功せしめねばならぬ。
 そこですぐわかることは、ここに一つのジレンマの存在することである。すなわち、一方原子爆弾の被害を除くために、その存在を許さぬことにすれば安心ではあるが、そのおそるべき重圧がなくなる結果として戦争の勃発を見る可能性がある。戦争がおこれば原子爆弾の登場は予期すべきであろう。これに反し、戦争の惹起じゃっきを防ぐ重圧をあたえるために原子爆弾の存在を許すこととなれば、それを有効に管理しないかぎり、いつ、それが悪用せられ、人類文化の破壊に導くかもしれないというおそれがある。そこですべては管理の問題にかかってくる。これをいかにすべきやというのが世界列強の重大問題であり、国際連合の一大関心事である。

  二 原子爆弾の威力


 原子爆弾の威力が戦争に対する人の観念や態度に根底からの変改をもたらし、原子時代(これは原子核時代というべきであるが、今日すでに原子時代という名詞ができてしまったからそのまま使うことにする)という語さえも用いられるようになったのであるが、この意味では原子時代はまだ始まったばかりであると言わねばならぬ。このままに放置しておくと、さらにいっそう恐るべき武器の時代に発展することは議論の余地はない。
 しかし、現在のままでもその威力は驚くべきものである。この被害の数字はたびたび新聞紙上に発表せられたから、いまさらくり返すまでもないことと思われるが、しかし話を具体的にするために必要な数字をあげてみると、広島においては死者約一〇万、傷者はこれよりやや少ないであろうというのが最近の報告である。そして爆発直下点から一キロメートルの半径内にいたものはたいてい死亡してしまい、二キロメートルぐらいから遠くのものは傷害は受けてもほとんど死亡しなかった。長崎では死者は八万というから、傷者もそんな程度であろう。新聞にも出ていたように長崎の爆弾は広島のものよりも新式のもので、威力も二倍か三倍強いものであるが、丘陵が両側にある細長い地勢の長崎は、平地で四方にひろがっている広島にくらべて被害は少なかったのである。また、爆弾の落下地点も広島はその中心であったのに反して、長崎は中心から北にはずれたところであったということも見逃し得ない点である。これらの死傷者は原子爆弾の光にあたって火傷やけどをし、また、その放射線をかぶっていわゆる原子爆弾症にかかり、重いものはたいてい一か月ぐらいの間に死んでゆくのである。
 また家屋の損害であるが、広島では爆発直下点から一キロメートルないし二キロメートルまでの家は火災で焼けてしまい、三キロメートルないし四キロメートルまでの家は修理不可能の程度に倒壊している。長崎でも平地ではその被害距離は広島の場合の一倍半ないし二倍におよんでいるが、前述のとおり丘陵にさえぎられているから、被害面積は広島の場合より小さい。広島では修理不可能の倒壊またはそれ以上の被害を生じた面積は、おそらく三〇ないし四〇平方キロメートルにおよんでいるであろう。
 したがってこの威力をもってすれば人口四〇万ぐらいの都市は、原子爆弾一個でだいたいかたづけられてしまうと見なければならぬ。一番大きい東京をとってみると、旧東京市は原子爆弾二個か三個で壊滅するであろうし、新市を含めて全部をつぶすにも一五か一六個あればことたりるのである。
 以上は日本の都市の話であるが、鉄筋コンクリートの建築でできている近代都市では、事柄はまったく異なってくる。日本の家屋は原子爆弾の爆風に対しては脆弱ぜいじゃくきわまるもので、また、原子爆弾の火熱に対しても火を引きやすく延焼もすぐおこる。広島でも長崎でも、鉄筋コンクリートの家屋は損傷は受け、内部は焼けてしまっているが、倒壊したものは一つもなかった。またその中にいた人も、日本家屋にくらべると死傷の程度が低かった。したがって欧米の近代都市にとっては、広島や長崎の結果をそのまま適用することはできない。
 さらに付け加えるべきことは、広島・長崎の場合には原子爆弾というものはまったく予想されなかったことである。したがって攻撃する方は、何の妨害も受けることなしに思うとおりに爆撃をおこなうことができた。しかし今後は、この種の爆撃に対してはあらゆる防御手段が講ぜられるであろうから、この点でも広島・長崎の場合にくらべて被害は減少するであろう。
 以上は欧米の都市が、原子爆弾に対して広島・長崎よりも有利であることを述べたのであるが、しかしそれは、今日の原子爆弾を基礎としての議論である。しからば明日の原子爆弾はどうなるであろうか。また、これに対する防御兵器はどうなるであろうか。それらを考慮に入れた後、欧米都市の被害はどうなるかを考えねばならぬ。
 前にも述べたとおり、今日は原子時代の端緒が開かれたばかりである。すべての兵器の発達の歴史を見れば、そして原子爆弾の原理を考えれば、今後はさらに威力の増大したものが多量に生産せられる可能性がある。飛行機にしても戦車にしても前大戦に使用されたものは、今日から見れば玩具のようなもので、三〇年間の発達はその当時夢想だにし得なかった情勢をもたらしてしまった。もちろん、その発展の可能性は誰しも疑うものはなかったのであるが、今日のような強力・快速な飛行機が多量に生産せられ、それが今次大戦に運用せられたように使われるとは誰も予知し得なかったであろう。戦車についても同様である。原子爆弾についても、その発達の前途は具体的にはわからないにしても、それが今日の原子爆弾とはまったく別物の観を呈する兵器として現われる可能性を予期しなくてはならぬ。たとえばその威力にしても、広島・長崎のものはどちらかといえば最小限度に近いものではなかろうか。さらにけたちがいの威力を持つものを作ることは不可能でもないであろう。もちろん大きくなるにしたがって、その構造上に困難な点があるであろうから、そんなに大きなものを作ることは実際問題として難しいかもしれない。しかしそのかわりに、数量の方は技術の発達により、施設の増強により、桁ちがいに増すことができるであろう。
 以上は原子爆弾そのものの製作であるが、これを使用する方法となると、今後さらに幾変遷を重ねることと思われる。広島・長崎のばあいは共に B-29 を用いて、高々度の飛行により目的地に運ばれたのであるが、今後はそんな飛行機を妨害することもあえて不可能ではないであろう。ところがこれをドイツの V-2 のような、音の速度よりも早いロケット弾にしかけて目的地に放つとしたらどうであろう。こんなロケット弾を、目的の都市の中央に自動的に到着させるということは、今日の欧米の技術の発達をもってすれば実現し得ることである。そして V-2 のように一六〇キロメートル以上の上空を飛び、一秒一六〇〇メートルという音の速度以上で落下するものに対しては、音が聞こえる前に到着するのであるから、ほとんど防御の手はない。そしてこのロケット弾の到達距離は、現在約三〇〇キロメートルであるが、今後さらに延長されるものと見なければならぬ。こんなものをドンドン打ち込まれると、欧米の近代都市もおそらく一瞬にして壊滅する他はないであろう。したがって広島・長崎の被害状況は、今日でこそおそらく日本都市特有のものであろうが、明日の欧米都市の運命を示唆しさするものといってさしつかえないと思う。これに対する防御法として、電波その他の光線をもちいて未然に爆破することはどうかという事であるが、そんなことは現在は不可能であり、近き将来においてもできるとは考えられない。
 したがって、こんな発達した原子爆弾を一万個も準備し、かつ、これを目的地に運搬する艦船を持っておりさえすれば、その国は、動機の正否は別として、戦さを始めれば開戦後きわめて短い時日のあいだに相手国の都市を全滅せしめることは、夢でなくして現実にできる問題である。もちろん、こんな原子爆弾を一個でもつくるということが大きな技術力・経済力を必要とすることであって、したがって一万個をも作るということは、今日可能であるかどうか自分は知らない。しかし、原子爆弾の製作に成功したアメリカでは今日は知らず、将来は不可能なことではないであろう。
 アメリカ以外の国はどうであろうか。今日、原子爆弾の原理は各国とも熟知の問題である。したがってウランその他の原料と、技術力・経済力さえ充分であれば、どこでも原子爆弾は製作せられる。ただせきすに時日じつをもってしなければならぬ。新聞紙の報道によれば、ドイツの原子爆弾の研究もその原理の探究においてはアメリカと大差なく、一九四二年に一応の結論に到達したのであるが、それを実際に爆弾とすることは技術・経済の面において無力であったためにできなかったというのである。すなわち原子爆弾の成否は今日、その科学的研究にかかっているのではなく、一国の技術力・経済力の問題以外にはないのである。これがどこの国でも原子爆弾ができない理由であることを知らねばならぬ。したがって日本に原子爆弾が落とされてから、すぐその研究に着手した国があったとしても、技術面・経済面において制約を受けるから、実際に製造せられるまでには相当の時日を要するものである。アメリカの原子爆弾製造の主任担当者であるグローヴズ少将は、他国が原子爆弾を作るには五年ないし一〇年を要するであろうと発表した。原子爆弾研究の進展についてたびたび新聞に報道せられているロシアにしても、やはりそのくらいの時日はかかるであろう。しかし今日のままで放任しておけば、五年ないし一〇年の後には、アメリカ同様に原子爆弾をもった国が地球上に少なくとも二つは存在することになり、きわめて危険な状態を生じ、四六時中われわれを恐怖の念にかりたてることになるのである。何となれば、もしそんな国の間に紛争を生じ、それが第三次世界大戦にでも発展しようものなら、それこそ真に人類文化は破滅に瀕することとなるのである。これは単なる空想ではなく、今日の国際情勢から見ても現実の問題として考えなければならぬ。そこで人道上の観点からも、国際平和の見地からも、どうしても原子爆弾の管理、したがって世界平和の機構を樹立する必要にせまられるのである。それができなければ、原子力の平和的利用などをおこなったところで何のつぐないにもならない。
 わが国の立場としては今後、平和国家の建設に邁進まいしんする以外に他をかえりみるいとまはないが、列強の間に戦争でもおこれば、たちまち無辜むこの国土は戦場として利用せられ、まっさきに原子爆弾の蹂躙じゅうりんを受けなければならぬ。わが国の都市がこれに対して不利であることは前述のとおりである。われわれは、いずれの国よりも先んじて原子力管理の必要を痛感するのは当然といわねばならぬ。

  三 原子力の管理


 しからば、この管理をいかなる方法で実施すべきであるか。これは決して容易の問題ではない。これについては各方面からまじめな意見がたくさん提案されている。それを大別すると、理想論と現実論とになるといえる。前者は議論としては筋の通った話であるが実行し難いうらみがあり、後者はややもすると世界を打って一丸とする平和国家建設の理想を阻害する結果を生むことになるのである。
 まず、理想論としてはアインシュタインの提案がある。それは国際連合よりもさらに有機的結合をもった世界政府を樹立して、これに原子爆弾の秘密を渡し、原子力の管理をさせるというのである。そしてこの世界を一丸とする国家の憲法の起草をソ連にゆだね、その草案にもとづいて米・英・ソ三国が、各一名の代表者を出して討議した後、これを決定しようというのである。特にソ連に起草せしめる理由は、同国が原子爆弾の秘密を知らないところから、猜疑さいぎの念をおこすおそれがあるので、これを払拭ふっしょくするためである。重水素の発見者で、原子爆弾製作の有力な協力者アメリカのユーリーは、これに似ているが多少異なる意見を提議している。すなわち、彼の強調するところは原子爆弾のみならず、大きい被害を与える重武器は全部これを破棄し、今後その製造を禁止するということである。そして、その禁止を強制する権力を、強力な世界政府のような機関にゆだねるというのである。
 これらはいずれも、まことに結構けっこうな案ではあるが、去る二月、ロンドンの歴史的な第一回国際連合総会における、ソ連と英国との論争、カナダにおける原子爆弾に関するスパイ事件、また最近、ソ連の満州における旧日本産業施設の撤去、これに対する米国の不承認、赤軍〔ソ連の正規軍。のイラン撤兵延期、大連だいれん付近におけるソ連戦闘機の米海軍機に対する発砲事件をかぞえただけでも、とうてい、これらの人の提案した世界政府が樹立せられうる空気でないことが知れる。
 つぎの案は、国際連合に原子爆弾の秘密を渡し、これを戦争に使用せしめぬように管理するという案であるが、前記科学者たちは不徹底という見地からも、また、これに原子爆弾を持たせることが危険であるという意味からも不賛成である。しかし、ともかく現実の政治家は、国際連合をして原子力管理をおこなわせる立て前をとっている。すなわち昨年末、米・英・ソ三国外相のモスクワ会談においてこのことが協定せられ、去る一月二十四日、原子力管理委員会が、国際連合総会の席上で可決のうえ設置せられることとなった。その委員としては、安全保障理事国にカナダを加えた一二か国の代表が選ばれている。しかし、この管理委員会はロンドンでは何らの決定もすることなく散会している。それよりも前記のモスクワ会談においては、原子力管理に関してつぎの四か条を決議したことを発表した。『朝日』二〇年一二月二九日)

一、全世界の国民に対し、平和的な目的を有する基本的な科学情報を交換すること
二、原子エネルギーを平和目的のため使用することを保証すること
三、国家の軍備中より、大量の破滅をもたらすごとき武器を排除すること
四、原子爆弾管理協定に対する違犯を防止すべく、有効なる措置を講ずること

 これらの決議が今後、いかに実施せられるかはそうとう興味ある問題であって、これが文字どおりおこなわれれば、まことに人類の幸福を招来するであろうが、前述のような国際雰囲気においては、その実現は疑わしいと思われる。ことに米国には原子爆弾の秘密は絶対に他にもらしてはならぬという強い世論もあるし、米国のバーンズ国務長官は国際連合総会に出席するためロンドンに出発するに際し、原子力管理委員会はアメリカが自発的に提供せぬ科学情報を要求できないこと、また、もしこの種の情報をしいて獲得しようとしたばあいには、米国は拒否権を行使しうること、また安全保障理事会がこの種の情報の交換を票決しても、これに参加する程度は米国議会の決定にまつことを言明し、国際連合総会においても、原子力管理委員会は原子爆弾の秘密公開を米国に強要する権能のないことを述べている。これらはアメリカ世論の反映にほかならないことを思えば、原子爆弾は当分、アメリカの独占というべきであろう。
 しかし考えてみれば、この事態はむしろ歓迎すべきであるかもしれない。今日、原子爆弾を製造しうるのはアメリカだけである。そしてこの国は平和を愛好し、侵略を否定する国である。こんな国が原子力の秘密を独占するあいだは、侵略行為は不可能であり、したがって世界平和は保持せらるることとなるであろう。すなわちアメリカは世界の警察国として、原子爆弾の威力の裏付けによって国家の不正行為をおさえ、国際平和を維持しうる能力を有しているのである。そのかわり、アメリカ自身の行動に正しからざる点があると、全世界の怨恨えんこんを買うことになるのであるから、原子爆弾の威力に相応する高度の道徳的優位を保有することが、絶対的の必要条件となってくる。それさえ実現できれば、国際連合とよく連絡協調を保つことにより、世界の平和と文化との推進は充分、企図きとし得られるであろう。
 しかしこれは、グローヴズ少将のいう今より五年ないし一〇年の話であって、それを過ぎるとアメリカ同様に原子爆弾をもった国が出現すると考えなくてはならぬ。そうすると事態は簡単でなくなる。それに対しては今から準備をする必要がある。しからば、いかにすべきであるか。これに対してはいろいろの意見はあるであろうが、自分としてはこの五年ないし一〇年のあいだに国際連合をできるだけ発達させ、アインシュタインのいう世界政府の樹立にまでこぎつける必要があると思う。そしてその強力なものができたあかつきには、ユーリーのいうように、またモスクワ会談の決議のように、原子爆弾はもちろんのこと大量の破壊をもたらすべき武器を廃棄し、製造を禁止して真の平和を確立すべきである。
 すなわち今日より五年ないし一〇年がもっとも大切な時期であり、世界が永続する平和を獲得するか、または人類文化の破滅にいたるかの岐路きろに立っていると考うべきである。殊に、わが国は前述のとおり戦争となれば壊滅は必至なのであるから、この点からいってもわれわれは、全力をあげて国際平和機構の達成に協力せねばならぬ。わが国は今日、敗戦国として国際間の問題にはくちばしを出すことはゆるされないのであるから、国内において戦争絶滅、国際平和を目途とする社会ないし国家組織を完成することにあらゆる努力をつくさねばならぬ。それがためには、われわれのなすべきことはいくらでもある。すなわちまず、内容の備わった自主的な平和国家を樹立しなくてはならぬ。それができてはじめて国際間の問題に手を伸ばすことができるのである。
 しかし、もし自分は許されるならば、この際、科学者として提案したいことがある。それは科学者・技術者の不戦同盟を国際的に結成して、科学者・技術者が侵略戦争にまきこまれ、それに利用せられることを防止することである。世界の科学者・技術者が戦争に協力しなければ、今日の科学戦争はおこりえない。どうかして、かような組織をつくって世界平和の樹立に貢献したいものである。
 以上の所論はこれもおそらく理想論にすぎぬかもしれぬが、理想に向かって進む努力がなければ進歩はない。永遠の平和が達成せられてはじめて、広島・長崎に失われた貴き犠牲も浮かびあがることになるのである。
『改造』一九四六年四月)
本文は学風書院刊「原子力と私」による



底本:『戦後日本思想大系1 戦後思想の出発』筑摩書房
   1968(昭和43)年7月1日 初版第1刷発行
   1976(昭和51)年7月1日 初版第10刷発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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日本再建と科学

仁科芳雄

   一.緒言


 現在のわが国は、虚脱状態にあるといわれる。まったくその通りである。これは敗戦国の常としてあやしむにたりない。殊にあれだけの無茶な戦争をした後としては、急に立ち直ることを注文する方が無理であろう。しかし、終戦後すでに半年をすぎても荒漠たる焼け野原は依然としてそのままであり、焼け残った工場の煙突えんとつからは、いつまでたってもほとんど煙はあがらない。そして次から次へと労働争議がおこり、賃金と物価とが競争して高騰していった結果が経済緊急措置となって現われたのであるが、この先がどうなることかと危ぶまれるのである。そして人々は、その日その日の食うことにばかり気をうばわれて、科学などという直接パンに関連を持たない文化の分野は、ややもすると国民の脳裏から消え去ってしまうという状態である。これでよいのであろうか。
 このままで進んでゆけば、物資の不足と道義の退廃とは、ついにこの古い歴史をもつ国家を破滅の危機に追い込んでしまうであろう。それは世界の歴史から見ても悲しむべきことであり、またそんな国が地球上に存在することは、国際上、悪影響をおよぼすところが少くない。これを考えると、どうしてもこの下向きの傾向を止めて上昇曲線に載せることが絶対に必要である。それは国民各自の責任であり、あらゆる分野の大きな建設的協力なくしてはおこなわれ得ないことである。今、自分は、科学がこのわが国の再建にいかなる役割を持っているかを述べ、それぞれの関係者の努力を要請したいと思う。

   二.科学の役割


 近代の物質文明は科学の発展によるものであるといってさしつかえないであろう。否、物質文化のみならず、それを通して精神文化を今日の状態に持ち来たすにあたって力のあったことは否めない事実である。
 もっとも顕著な例として原子爆弾をあげてみよう。その原理は一九三八年にドイツのハーンとストラスマンとが、原子核の研究、すなわち中性子を元素ウランの原子核に衝突させた場合にできる放射能の研究をおこなっておった際に発見したものであって、ウランの原子核が中性子を捕獲するとそれが二つまたは二つ以上に分裂し、分裂破片は莫大なエネルギーを持って飛び出してくる。このエネルギーが広島や長崎にあのとおりの暴威をふるい壊滅をもたらしたのである。(長崎の場合はウランではなく元素プルトニウムをもちいた。)これでもわかるとおり、原子核の研究という最も純学術的の、しかも何ら応用ということを目的としない研究が、太平洋戦争を終結せしむる契機を作ったもっとも現実的な威力を示すことになったのである。これはいかなる外交よりも有力であったといわねばならぬ。科学が現代の戦争といわず文化といわず、すべての人類の活動上、いかに有力なものであるかということを示す一例である。
 さらに原子爆弾の今後の発達は、おそらく戦争を地球上より駆逐くちくするに至るであろう。否、われわれはすみやかに戦争絶滅を実現せしめねばならぬ。しからざれば人類の退歩、文化の破滅を招来することとなるからである。すなわち、ある期間を経過すれば、広島・長崎の場合と比較にならぬほど強力な原子爆弾を、地球上二つ以上の国が所有することになり、それらの国が戦争を始めるときわめて短時日の間に、回復すべからざる打撃をすべての交戦国にあたえてしまうであろう。これは決して空想でなく現実である。こんな状況においては誰しも戦争を始める気にはなれないであろう。原子爆弾はもっとも有力なる戦争抑制者といわなければならぬ。戦争のなくなった平和の世界におけるわれわれの物心両面の文化は、いかに豊かなものであろうかを考えただけでも、科学の人類発達におよぼす影響の大きさが知れるのである。
 原子爆弾は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大ぼうだいな研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。
 以上述べたことにより、わが科学が日本の再建に果たすべき役割はだいたいにおいて想像せられるであろう。終戦後、わが国の産業は従来とまったく異なった環境に置かれたのである。資源としては四個の島にあるもの以外は輸入に待つよりほかはない。その貿易も現在は停止せられている。これでともかく七千数百万の人を養っていかねばならぬ。それには従来と異なった技術の創造を必要とする。しかもわずかの改革ですむようなものではなく、根本から異なった原理によるものでなくてはならぬ。ちょうど原子爆弾が従来の爆弾とまったく異なった原理を基礎として創造せられたと同様に、わが国の産業も根本的にその出発点から検討してかからねばならぬ。そして従来とまったく異なる環境に適応する産業を創造せねばならぬ。たとえば農業にしても、水産にしてもその基礎である生物学から出発せねばならぬ。生物学にはまだ究明すべき多くの問題が解決を待っているのである。この根本を明らかにすることによって、従来の方法とはまったく異なった農業や水産の分野が生まれる可能性が生じるのである。これはもちろん、かならず達成せられるかどうかは予知することはできない。しかしその可能性のあることは原子爆弾の例で明らかであろう。今日、わが国がおかれている外的条件は、それほどまでに根本的にさかのぼってはじめて解決せられるほど困難なものなのである。それゆえ、われわれは科学のすべての分野の頭脳を総合して、重要な問題の解決をきわめて基礎的方法によって求めていかねばならぬ。これがためには、あらゆる部門の科学者は互いに密接な連絡のもとにそれぞれの分野の研究を従来よりもいっそう深く掘り下げるとともに、かくして得られた結果を実地に応用すべき研究者に協力して、基礎研究よりはじまり応用研究をへてさらに生産にいたるまでの、一貫した操作がたくましく推進せられるようにする必要がある。
 かようにして、一つでも画期的な進歩がある部門にもたらされれば、その結果が原因となってさらに他の分野に多大の影響を生むことになるのである。こんな基礎的な革命がいくつかの部門におこれば、それで日本産業の再建はおこなわれ、生産は回復し、経済は安定し、ひいては道義の高揚こうようも望み得るであろう。ただし、これには相当の年月を要する。
 以上によって科学がいかに日本の再建に必要なものであるかが想像せられるであろう。しかるにある論著は日本に科学を栄えしむることは、すなわち戦争をおこす能力を与えるものであるから、その発達をできるだけ抑圧すべきであるという。これは杞憂きゆう以外のなにものでもない。もちろん、かような考え方は日本の現状を猜疑さいぎの目をもって見る者にとってはありうることである。科学は使い方によっては戦争遂行にもっとも有用な武器である。それは原子爆弾やレーダーが具体的に示している。その同じ科学が、使い方によっては平和国家の建設に不可欠の要因であることは前述のとおりである。要はこれをいかに使用するかということであって、それは使用する人の態度で定まる問題である。
 わが国は、最近発表せられた改正憲法の草案にも見られるとおり、国家として戦争を否定し、これを放棄することを決意し、マ司令部もこれに満足の意を表しているのである。これはまさに太平洋戦争で得られた最大の収穫といわねばならぬ。このことはポツダム宣言受諾の当然の帰結であるが、さらに現実の問題として日本は戦争をする能力がない。すなわち、何はさておき原子時代を支配すべき原子爆弾を一個も作り得ないのである。何となれば連合国より禁止せられているのはもちろんのことであるが、その必要もなく地質学者および鉱物学者のいうところによれば、日本には必要量のウランは産出しない。また、たとえウランがあったとしても、わが国の技術・経済が原子爆弾製造の能力をもつようになる見込みは、到底ないからである。
 したがって戦争が始まれば、日本はそばづえをくって原子爆弾の惨害をこうむる以外には何の収得もない。憲法に戦争放棄を制定せんとするのは、人道上はもちろんのこと、利害関係からも当然のことといわねばならぬ。万世太平の国是こくぜをとっている日本にとって、科学の興隆は民生に生活の安定を得せしめ、世界平和に貢献せしむる大きな力をあたえる以外の何物でもない。これは平和を好愛するアメリカにおいて、科学がいかに物心両面の文化建設に役立っているかを見れば、思いなかばに過ぐるものがあろう。それゆえ、日本に科学を否定することはすなわち、七千数百万の人間を貧困と混乱と悪徳との淵に沈淪ちんりんせしむることになる。これは日本国民にとって不幸であるのみならず、世界人類発達の障害となるものとしてくべきことといわねばならぬ。この見地よりして自分は、日本科学の振興に対し、連合国が特に考慮をはらわれんことをこいねがうものである。

   三.科学の再建


 わが国の科学は、支那事変まではその発達めざましいものがあったのであるが、それよりしだいに下り坂となり、太平洋戦争となるにおよんでますます進歩をはばまれ、その末期においては空襲により痛められ、終戦後は科学者の生活の不安と、戦災復旧の困難と、資材入手の不能とにより、その機能をほとんど停止してしまった。
 科学はまことに救国の具であるが、前述のように産業に画期的革新をもたらすことは、現実の問題として遠き将来に属する。そんな研究の推進が今日の虚脱状態においてただちにおこなわれうるとは誰が予期しよう。それどころではない。一本のガラス管や一尺のゴム管さえも手に入れることが難しい。そしてガスはぜんぜんこないような実験室で、画期的の研究は思いもよらぬことである。さらに科学者は今日、生活の不安におびやかされ続けている。これでは、ろくな仕事のできるはずがない。科学の推進はこれを可能にする環境に置いてやって、はじめて動きだすのである。前述のとおり日本の再建は科学の力に待つところまことに多大である以上、こんなに死滅に瀕している科学の再建には全力を尽さねばならぬ。それはいかにしておこなわれるであろうか。
 それには、なによりもまず産業の復旧ということが急務である。これによって国民は生活の安定を得ることになり、科学者は研究に専念することができる。また研究資材もしだいに入手できるようになり、科学者の仕事が進め得られるのである。しからばこの産業の回復は具体的にいかにすべきであるか。これは本論の範囲を逸脱するものであり、また自分はこれを述べる資格もないから、専門家の意見に待つべきであるが、今日の虚脱状態は全体が相関連した総合的休止体を形成しているのである。したがってその復旧も総合的に進められねばならぬ。しかし一時に全体を動かすことはできないから、重点的に少数の産業が率先して範を示せばつぎつぎに凍結が溶けてくるであろう。たとえば石炭とか肥料とかいうのは、すでにその緒についているように思う。ただ、このさい特に注意すべきことは、国民の各層が、それぞれ救国の気迫をもって立ちあがることであって、いたずらに自家の利害にのみ汲々きゅうきゅうたることは結局においておのれの損失を招くことを自覚すべきである。今日の民主主義革命時代においては、産業組織も古い型態をそのまま墨守することは許されないことである。それと同時に、国民の全体から見て復旧をおくれさせるような変革はとるべきではない。要は、各自が善意と誠意と真実とをもって建設的の協力をつくすべきである。
 それでは、科学者は産業の回復するまでただ手を束ねて待つべきであろうか。それでは国民の義務をはたすものとはいえない。今日でも活動開始の可能な分野はただちに仕事を始めねばならぬ。まず第一に、今日有する知識経験をもちいて多少とも産業の回復に役立つ仕事があれば、ただちに着手すべきである。つぎに理論的研究は外国から文献さえ入ってくれば研究はできる。外国雑誌の輸入は今日まだ実現せられないが、それは早晩可能となるであろうから、そのときの準備を今から始めてよいと思う。また実験方面にしても、ある分野の活動は可能なものがあるであろう。たとえば戦災をこうむらなかった実験室で、あまり資材を必要としない研究であるとか、あるいはたくわえた資材でにあう研究は始められるであろう。そんな研究の中で産業の復活に役立つものは、重点的に遂行せらるべきである。それによって国家は活力のもとを得るであろう。
 また、将来産業の回復した後に可能の見込みのある研究であって、その根をらさぬようにしておく必要のあるものは、細々ながら可能の範囲において研究を続けるべきであろう。また、非常に長期の準備を要する研究は、可能の範囲においてこれをおこなうべきである。これを要するに、今日の情勢において可能な研究は将来をも勘案して重点的に進めねばならぬ。それには研究者は熱と忍耐とをもって目的をつらぬく覚悟が必要である。
 かくして始められた研究は戦前にくらべて、また現在の諸外国にくらべて著しく低調たることはまぬがれない。ことに、大規模の装置を要する研究は当分断念するよりほかはないから、はなばなしい結果は予期できないであろう。これは敗戦国として仕方がない。それだからといって、落胆するにはおよばない。一〇〇里の道を一歩より始めるのが今日である。これを始めなければ、将来の達成もそれだけおくれることになることを心にとどめて努力せねばならぬ。要するに、われわれの仕事はすべてはじめから出直しなのである。

   四.科学者の組合組織


 以上の努力を可能ならしめるためには、科学者の待遇改善が急務である。もちろん、われわれは今日の場合、贅沢ぜいたくをしようというのではない。研究ができるだけの最低生活を確保しようというのである。今日われわれは、研究の進捗しんちょく度が食糧で支配せられることを毎日のように体験している。われわれの多くは、都電の車掌の給与に遠くおよばないことを考えてみねばならぬ。科学が国家の建設に必要な以上、たとえそれが目前の役に立たぬように見えても、これを推進する科学者の生活の安定は保証せらるべきである。これを実現するためには、全国科学者の組合を組織して政治的にこれを解決するがよい。この組織は待遇改善のみならず、種々の問題の解決に貢献するであろう。
 その一つは科学者の教養の向上、道義の高揚である。科学者は多くの長所をもっている。たとえば適当な環境におけば、事物を客観的に冷静に見て、科学的に処理する能力をもっている。しかし場合によっては、視野が限られてとかく偏狭におちいり、往々にして非民主々義的な、かつ不明朗な社会を作りやすい。これは科学者の教養の問題であって、相互の切磋せっさによって改善することはもっとも大切なことである。科学の研究も畢竟ひっきょうするところは人物の問題に帰着することを思えば、有機的に活動する組合組織をこの達成に使うことは必要であり、かつ可能である。
 また、科学者の政治的訓練ということも、この組合を通しておこなうことができるであろう。従来、科学者の政治的理解は不充分であって、むしろ無関心な人が大多数であった。これがわが国の科学不振の大きな原因をなしていたのである。これからの民主々義政治は民意を反映する政党政治であるから、将来のわが科学の盛衰の鍵は政党がにぎることになる。したがって、科学者たるものはいずれの政党にわが科学政策を担当してもらうかということについては、深甚しんじんの関心をはらわねばならぬ。この意味において、今日、各政党は科学政策についてその抱負を披瀝ひれきしてもらいたいものである。われわれは、科学に対して充分の経綸けいりんをおこなう政党を支持したいのであるが、いずれの政党も具体的の方針を示してくれぬようでは投票の仕方がない。もちろん科学の問題となると、いずれの政党に対しても共通な事項があるかもしれない。そんな場合にはよく政党を超越した問題であるといわれることがある。これはあまりよい表現ではない。今後われわれは政党とともに起き、政党とともに倒れるのであるから、これを超越するというよりは各政党に共通であるといった方がよい。しかし、いかに共通であろうとも、その根底の思想は政党によって異なっているはずであるから、自然その方法も一様でないであろう。それによってわれわれも去就を決したいのである。もちろん組合内においても政見や立場の相異にしたがい、問題によっては意見が分かれるであろう。そんな時に腹を割議することによって進歩がもたらされ、また政治的の訓練ができるのである。
 従来の科学者はとかく、道具として使われがちであった。そのために科学者の意志に反する結果が招来されることもあった。これは科学者の団体が強力でないために、その意志が無視せられることになるからである。われわれは強力な組合を作って、その意志を政党をとおして政治に反映せしめねばならぬ。たとえば科学者に重大な影響をおよぼす国是を定めるような場合には、科学者は組合内においてじゅうぶんの論議をつくし、そのまとまった意見を、政党をとおして政府に実行せしめることができるであろう。また、わが国が自主的な独立国家として認められた暁には、組合は外国に対してもわが国の科学者の意見を発表し、外国の同様な組織と密接な連絡をとることもできるのである。これによって科学者相互の間に従来よりも強い紐帯ちゅうたいができれば、国際間の平和を増進するに多大の貢献をなしうるであろう。何となれば科学者は平和の好愛者であり、かつ、科学者の力が一般に認識せられたからである。おそらく左様な連繋れんけいは今後、外交の有力な一翼をなすに至るであろう。

   五.科学教育


 わが国の再建に教育が重要な役割を演ずることは、内外ともにこれをじゅうぶん認識しているのである。国民教育の問題がすなわち国家再建そのものにほかならぬ。新しい日本は新しい人によって創られる。そして古い教育を受けたものは、再教育によって生まれ変わらねばならぬのである。この教育の改変は現下のもっとも重大な問題であって、そのためにマ司令部はアメリカの著名の教育者を招いて、日本の教育に関する意見を聞こうとしている。
 自分は、ここで教育全般について述べようとは思わない。ただ、科学振興の基礎となる科学教育をいかにすべきかについて愚見を述べてみたい。わが国の科学が振わない一つの大きな原因は、国民の科学教育が適切を欠いていたためであることが強調せられ、今後は特に青少年の科学教育に力を入れねばならぬ、ということがたびたびいわれる。これはまことに核心をつかんだ意見である。今日までの科学教育は、ともすればつめこみ主義におちいっている。これでは子どもの持っている想像力を殺してしまうことになる。すべて教育なるものは、被教育者に潜在する能力を最大限に発揮するように導いてやるのが目的であって、生徒を型に入れて育て上げるとか、生徒の頭脳を教師の思うように作り上げるとかいうのは決して教育の趣旨ではない。殊に知識をただつめこんでみたところで、それを活用する能力を殺してしまっては、何の役にも立たない。これは幼少なものの教育については特に必要なことであり、また創意を必要とする科学者の教育についてまず心得べきことである。
 たとえば教師たるものは、なるべく多くの事柄を教えようとする努力をやめて、生徒みずからの独創力をはたらかせ、みずからの理解力を引き出させて、事物の根底を、また核心を把握せしむることに力を注ぐべきである。かくて基本的の事項を体得せしむれば、枝葉の問題は自分で解決することができる。かようにして、生徒に潜在する各自独特の才能をできるだけ引き出して育て上げるように仕向しむけるという教育法が必要である。
 以上の教育方法をおこなうためには、教師は生徒に対する理解と洞察との目を持っていなくてはならぬ。そして生徒の能力と特質とを見ぬいて、それを適当な方向に向ける技術がいる。それは決して万能の教師を意味することではなくて、人間を見る力とこれを教育させる技術とを心得ている教師を要求するのである。これを今日の教師に期待することは無理であって、それがためには教師からして新しく養成しなくてはならぬ。その養成は今日すぐ役に立たぬけれども、しかもただちに始める必要がある。それと同時に、現在の教師の再教育ということをおこなって、不満足ながら速急の間にあわせることも考えねばならぬであろう。
 ここにもすぐ問題となるのは、教師の待遇改善である。上述のような優良な教師を養成するには、それに必要な高い教育と優秀な人材とが必要であって、今日のような待遇ではこれを得ることは不可能である。これも国家として解決すべき重要な問題である。
 また、科学教育に必要な設備の充実ということも非常に大切である。実験を生徒みずからおこない得るようにするのと、実験もしないでただノートだけを取らせる教育方法とでは、生徒の能力を引き出せる点において、また、理解の深さにおいて同日の論ではない。この点では映画による教育も今後、おおいに採用せらるべきであろう。しかしこれらの実施についても、ただちに経費の問題がつきまとうのである。しかし国を創り上げるために費やす金は決して無駄にはならない。
 以上は学校教育であるが、学校以外の社会教育においても、科学的に事物を考え、科学知識をあたえることが必要である。これにはいろいろの方法と設備とが考えられる。たとえば生きた科学博物館の増設、科学図書館の活用、種々の展覧会の開催、映画ならびに講演による教育、その他多くの案があるであろうが、ここにはその詳説を省くことにする。

   六.結語


 これを要するに、わが国再建の基礎は科学によって築かるべきものであるから、以上述べた諸方策はかならずしも短時日にその成果を期待し得ないものであっても、今日からその準備ないしは実施に着手して将来の科学振興を期すべきである。
(昭和二十一(一九四六)・三・十二)



底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
※底本は横組みです。
入力:山崎雅人
校正:小林 徹
2005年11月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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国民の人格向上と科学技術

仁科芳雄


 わが国はポツダム宣言受諾じゅだくの結果、民主主義の平和国家として更生することとなった。このことは今度の新憲法に具象化せられておって、人民のために人民がおこなう政体をとるのである。したがって人民各自の人格の高低はとりもなおさず、わが国の浮沈を決定するものに他ならない。ここに人格というのは、道義心、性格、教養などを含めた全体の属性をさすのである。
 しからば、わが国民の人格の水準は今日どうであろうか。それは犯罪のくわしい統計を調べればすぐわかることであるが、それを待つまでもなく毎日の各人の体験がもっとも雄弁にこれを物語っているであろう。少しでも油断ゆだんするとすぐ物がなくなることは、今日だれもが味わっているのである。これは敗戦国の常であって、あえて怪しむにあたらないことかもしれない。前欧州大戦後のドイツにおいて、自分は同じようなことを経験した。大陸に渡る前にイギリスのケンブリッジにおいては、講義を聴きにくる学生の乗り捨てた自転車が、カレッジの門前にいっぱい置いてあっても、それがなくなったということを聞いたことがなかった。これに比べたのでドイツの社会状態はことに目立って見えたのかもしれない。そのときドイツはインフレの波に襲われていたのである。
 以上は犯罪を構成するような極端な問題であって、これで一国の消長を判断するのは早計だという人があるかもしれない。それでは今日わが国民の性格は、戦災の国土から奮然ふんぜんとして立ち上がり、産業を再建し国家を復興させるだけの気概と根気とを備えているのであろうか。自分の目には遺憾いかんながらどうもそうは見えない。終戦後すでに一年二か月を経たのであるが、まだ虚脱状態を脱していない人も多い。みずから進んで難におもむくという犠牲心の発露を見ることはきわめてまれであって、利己的行為が澎湃ほうはいとして世をおおっている感がある。これでは国の復興、民生の安定ということはいつのことかわからない。
 これはどこに原因があるのであろうか。もちろん、あれだけの無茶な戦争をしたということが今日の結果をもたらしたのである。そのために人はみな、衣食住に事を欠くこととなった。犯罪の増加は当然といわねばならぬ。また食料の不足は体位の低下を来たし、気力の消失をまねくのも無理からぬことである。その結果として生産は低下し、ますます国民生活を困難にしている。すなわち原因は結果を生み、結果はまた原因となってジリ貧状態を現出する可能性がある。
 これを救う道はいかにすべきであろうか。多くの人はすぐ国の政治にその罪を帰し、社会組織の改善をさけぶであろう。それはおそらく正しい見方かもしれない。しかしその方はその道の人にまかせておいて、自分がここに強調したいことは、科学者・技術者としてこの危機を脱するためにはいかにその義務をはたすべきかということである。
 もちろんわれわれは国民としての道義の高揚、品性の陶冶とうや、教養の向上に努力すべきは当然である。これがすべての基礎となるのであるが、科学者・技術者としてはその本務として産業の復興ということに渾身こんしんの努力をはらわねばならぬ。これがためには国として一つの組織が必要かもしれない。しかし組織だおれでは何もならないから、まず実行である。われわれは各自の専門的知識能力を、生産技術の創造と発展とに応用して、新しい方法による新しい物を造らねばならぬ。これによって産業の復興が上昇線をたどれば、国民は生活に余裕を生じて礼節を知ることになり、ますます生産は増大し、それがまた科学技術の進歩をうながすことになるであろう。(一九四六.一〇.二〇)



底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
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ユネスコと科学

仁科芳雄


 科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。
 原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮さつりくの量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐ざんぎゃくな行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。
 しかし一方、われわれの生活は原始人にくらべて、少なくとも物質的には問題なく豊かになり、昔の人の夢と考えておった欲求が現実にかなえられるようになった。たとえばアメリカの科学的成果が翌日は東京でわかるようになり、東京から広島まで三〇分たらずで飛んで行く飛行機ができ、またペニシリンのような薬が見つかつて、人の平均寿命はのびたであろう。そしてこれら物質文明の進歩は、当然、精神文明にもよい影響を与えないではおかないのである。これらはすべて科学の進歩のおかげであってみれば、科学は人類に進歩をもたらすものとして礼賛せねばならぬ。
 以上で明らかなとおり、科学を呪うべきものとするか、礼賛すべきものとするかは、科学自身のせいではなくて、これを駆使する人の心にあるのである。ユネスコ(UNESCO―United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)はまさに人の心に平和の防波堤を築こうとするものであって、国際連合の多くの機関の中で、もっとも根本的に平和の基礎を固めていこうとするものといわねばならぬ。この機関は国際連合の経済社会理事会の管轄に属し、その本部をパリに置いている。その成立は一九四五年十一月一〜十六日にロンドンで開かれた会議において決定せられ、第一回の総会をパリで翌一九四六年十一月九日より十二月初旬まで開き、四十四か国の代表・随員合わせて七〇〇名が出席した。第二回総会はメキシコシティーにおいて昨年やはり十一月初めから一か月あまりにわたって開かれた。
 名前で知れるとおりユネスコは、教育・科学・文化の方面において、国際的協力によりその進歩をはかり、これにより戦争の絶滅を企図しておるのである。今や、わが国は文化国家をもって立つことを国是とし、戦争を廃棄したのであるから、ユネスコの趣旨はわが国是と完全に一致するのである。われわれ科学者の中には、今日までただ科学の進歩をめざして進み、その社会にあたえる結果に対しては比較的無関心なものが多かったのであるが、今後はその結果がいかに使用されるかについて監視する必要がある。それについてはユネスコにおいて国際的に連絡をとり、科学的成果のみならず科学者自身が戦争にまきこまれることを防止せねばならぬ。人類ができてからおそらく数百万年を経たであろうが、惨虐ざんぎゃくな闘争を依然として続けているということは、人類の恥辱ちじょくといわねばならぬ。原子爆弾の出現を契機として、戦争というものに人類が見切りをつける時ではなかろうか。
 ユネスコは異なる文化人の集会であると考えては誤りであって、これによって戦争を食い止めるだけの実力を養わねばならぬ。それは人類全般の協力と支持とがなければ不可能である。わが国も早晩ユネスコに参加する日がくるであろうが、それまでに民衆としての準備を整えねばならぬ。現在各地にユネスコ協力会が続々と生まれつつあるのはまことに喜ばしいことである。(一九四八.一.一八)〔理化学研究所〕



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原子力の管理

仁科芳雄

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(例)孰《いず》れ

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(例)[#ここから3字下げ]
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第二次大戦は怖るべき破壊力を人類に手渡した。ヒロシマ・ナガサキの日本人は最初の実験台とされたのである。占領米軍はその惨害の状況の発表を許さなかったが、物理学者たちはすでにその脅威を知っていたのである。
[#ここで字下げ終わり]

  一 緒言

 原子爆弾の攻撃を受けて間もない広島と長崎とを目撃する機会を得た自分は、その被害の余りにもひどいのに面を被わざるを得なかった。至る処に転がって居る死骸は云う迄もなく、目も鼻も区別できぬまでに火傷した患者の雑然として限りなき横臥の列を見、その苦悶の呻きを聞いては真に生き地獄に来たのであった。長崎では有名な浦上天主堂が見る影もない廃墟となり、古くからの敬虔な信者もろともその歴史と伝統とを閉じてしまったであろう。学校その他の貴い文化施設も跡かたもなく焼け又は潰れて了って居る。自分は小高い丘の上から広島や長崎の光景を見下して、これがただ一個の爆弾の所為であるという事実を、今更しみじみと心の底に体得し、深い溜め息の出るのをどうすることもできなかった。そして戦争はするものではない。[#句点は底本のまま]どうしても戦争は止めなければならぬと思った。広島や長崎を見ては平和論者の主張の正しいことが文句なく人を説得してしまうのである。原子爆弾のできた今日となっては何人も戦争に対する態度を根本的に変えなくてはならぬ。即ち戦争の惨害は従来の武器とは全く比較にならぬほど広汎にして深刻となり、且つ孰《いず》れの戦争参加国にとってもその残虐なる被害は不可避となったのである。又侵略戦争を惹起した犯罪国が、その目的のために準備した原子爆弾により、一挙にしてその目的を達成し、平和国家を蹂躙してしまうという不正義が行われ得る可能性も生じて来たのである。
 これ等の結果から吾々の導かれる必然の帰結は、どうしても戦争を無くするということである。然るにこれは実現の困難な理想である処から、戦争を無くすることはできないまでも、起った戦争に原子爆弾を使用できないようにする機構を考えようとする人があるかも知れない。然し一旦戦争が起ると直ちに原子爆弾の製造にとりかかり得るから、どうしてもそれは使用せられざるを得ない結果に陥るであろう。だから原子爆弾の使用を管理するということと、戦争を制限することとを別物扱いにすることはよろしくない。寧ろこれを同一事と見做さねばならぬ。以前から科学者の間には、非常に強力な武器を製作することによって、遂に戦争を不可能ならしめることが、即ち人類に貢献する道であるという意見を持つ人々があった。原子爆弾の発明は実にこの理想を実現せしめたものと云えるであろう。此点では毒ガスはまだ理想に遠かった。そのために戦争に使用しないという管理が実際に行われ得たのであろう。原子爆弾が毒ガスと段ちがいに効果的であるということが、その管理問題を困難にすると共に緊急重要たらしめる所以である。
 現実の問題として戦争を絶滅することの困難は既知の通りである。これは国際間の正義とか誠意とか信頼とかの道徳的方法だけでは従来の埓を一歩もでることはできない。然し前述の一部科学者の理想とした様な、新しい原子力という大きな現実の重圧によっては、それが成功する可能性が生じたのである。否成功しなければ文化の破滅、人類の退歩を招来する危険があるから、何としてもこれを成功せしめねばならぬ。
 そこですぐわかることは、ここに一つのディレンマの存在することである。即ち一方原子爆弾の被害を除くために、その存在を許さぬことにすれば安心ではあるが、その恐るべき重圧がなくなる結果として戦争の勃発を見る可能性がある。戦争が起れば原子爆弾の登場は予期すべきであろう。これに反し戦争の惹起を防ぐ重圧を与えるために原子爆弾の存在を許すこととなれば、それを有効に管理しない限り、何時それが悪用せられ人類文化の破壊に導くかも知れないという惧《おそれ》がある。そこで凡ては管理の問題にかかってくる。これを如何にすべきやというのが世界列強の重大問題であり、国際連合の一大関心事である。

  二 原子爆弾の威力

 原子爆弾の威力が戦争に対する人の観念や態度に根底からの変改を齎らし、原子時代(これは原子核時代というべきであるが、今日既に原子時代という名詞ができて了ったからその儘使うことにする)という語さえも用いられる様になったのであるが、此意味では原子時代はまだ始まったばかりであると云わねばならぬ。この儘に放置して置くと更に一層恐るべき武器の時代に発展することは議論の余地はない。
 然し現在の儘でもその威力は驚くべきものである。この被害の数字は度々新聞紙上に発表せられたから今更繰り返すまでもないことと思われるが、然し話を具体的にするために必要な数字を挙げて見ると、広島に於ては死者約一〇万、傷者はこれより稍々少いであろうというのが最近の報告である。そして爆発直下点から一粁の半径内に居たものは大抵死亡して了い、二粁位から遠くのものは傷害は受けても殆んど死亡しなかった。長崎では死者は八万というから傷者もそんな程度であろう。新聞にも出て居た様に長崎の爆弾は広島のものよりも新式のもので、威力も二倍か三倍強いものであるが、丘陵が両側にある細長い地勢の長崎は、平地で四方に拡がっている広島に比べて被害は少かったのである。又爆弾の落下地点も広島はその中心であったのに反して、長崎は中心から北に外れた処であったということも見逃し得ない点である。これ等の死傷者は原子爆弾の光に当って火傷をし、又その放射線を被って所謂原子爆弾症に罹り、重いものは大抵一個月位の間に死んでゆくのである。
 又家屋の損害であるが、広島では爆発直下点から一粁乃至二粁迄の家は火災で焼けて了い、三粁乃至四粁迄の家は修理不可能の程度に倒壊している。長崎でも平地ではその被害距離は広島の場合の一倍半乃至二倍に及んでいるが、前述の通り丘陵に遮られているから、被害面積は広島の場合より小さい。広島では修理不可能の倒壊又はそれ以上の被害を生じた面積は、恐らく三〇乃至四〇平方粁に及んでいるであろう。
 従って此威力を以てすれば人口四〇万位の都市は、原子爆弾一個で大体片付けられて了うと見なければならぬ。一番大きい東京をとって見ると、旧東京市は原子爆弾二個か三個で壊滅するであろうし、新市を含めて全部を潰すにも一五か一六個あれば事足りるのである。
 以上は日本の都市の話であるが、鉄筋コンクリートの建築で出来て居る近代都市では、事柄は全く異ってくる。日本の家屋は原子爆弾の爆風に対しては脆弱極まるもので、又原子爆弾の火熱に対しても火を引き易く延焼もすぐ起る。広島でも長崎でも、鉄筋コンクリートの家屋は損傷は受け内部は焼けて了って居るが、倒壊したものは一つもなかった。又その中に居た人も、日本家屋に比べると死傷の程度が低かった。従って欧米の近代都市にとっては、広島や長崎の結果をその儘適用することはできない。
 更に附け加えるべきことは、広島、長崎の場合には原子爆弾というものは全く予想されなかったことである。従って攻撃する方は、何の妨害も受けることなしに思う通りに爆撃を行うことができた。然し今後は此種の爆撃に対しては凡ゆる防禦手段が講ぜられるであろうから、此点でも広島、長崎の場合に比べて被害は減少するであろう。
 以上は欧米の都市が、原子爆弾に対して広島、長崎よりも有利であることを述べたのであるが、然しそれは今日の原子爆弾を基礎としての議論である。然らば明日の原子爆弾はどうなるであろうか。又これに対する防禦兵器はどうなるであろうか。それ等を考慮に入れた後、欧米都市の被害はどうなるかを考えねばならぬ。
 前にも述べた通り、今日は原子時代の端緒が開かれたばかりである。凡ての兵器の発達の歴史を見れば、そして原子爆弾の原理を考えれば、今後は更に威力の増大したものが多量に生産せられる可能性がある。飛行機にしても戦車にしても前大戦に使用されたものは、今日から見れば玩具の様なもので、三〇年間の発達はその当時夢想だにし得なかった情勢を齎《もたら》して了った。勿論その発展の可能性は誰しも疑うものはなかったのであるが、今日の様な強力、快速な飛行機が多量に生産せられ、それが今次大戦に運用せられた様に使われるとは誰も予知し得なかったであろう。戦車についても同様である。原子爆弾についてもその発達の前途は具体的には解らないにしても、それが今日の原子爆弾とは全く別物の観を呈する兵器として現われる可能性を予期しなくてはならぬ。例えばその威力にしても広島、長崎のものはどちらかと云えば最小限度に近いものではなかろうか。更に桁違いの威力を持つものを作ることは不可能でもないであろう。勿論大きくなるに従って、その構造上に困難な点があるであろうから、そんなに大きなものを作ることは実際問題として難しいかも知れない。然しその代りに数量の方は技術の発達により、施設の増強により、桁違いに増すことができるであろう。
 以上は原子爆弾そのものの製作であるが、これを使用する方法となると、今後更に幾変遷を重ねることと思われる。広島、長崎の場合は共に B-29 を用いて、高々度の飛行により目的地に運ばれたのであるが、今後はそんな飛行機を妨害することも敢て不可能ではないであろう。処がこれをドイツの V-2 のような、音の速度よりも早いロケット弾に仕掛けて目的地に放つとしたらどうであろう。こんなロケット弾を、目的の都市の中央に自動的に到着させるということは、今日の欧米の技術の発達を以てすれば実現し得ることである。そして V-2 の様に一六〇粁以上の上空を飛び、一秒一六〇〇米という音の速度以上で落下するものに対しては、音が聞える前に到着するのであるから殆んど防禦の手はない。そして此ロケット弾の到達距離は、現在約三〇〇粁であるが、今後更に延長されるものと見なければならぬ。こんなものをドンドン打ち込まれると、欧米の近代都市も恐らく一瞬にして潰滅する他はないであろう。従って広島、長崎の被害状況は、今日でこそ恐らく日本都市特有のものであろうが、明日の欧米都市の運命を示唆するものと云って差し支えないと思う。これに対する防禦法として、電波その他の光線を用いて未然に爆破することはどうかという事であるが、そんなことは現在は不可能であり、近き将来に於ても出来るとは考えられない。
 従ってこんな発達した原子爆弾を一万個も準備し、且つこれを目的地に運搬する艦船を持って居りさえすれば、その国は、動機の正否は別として、戦を始めれば開戦後極めて短い時日の間に相手国の都市を全滅せしめることは、夢でなくして現実にできる問題である。勿論こんな原子爆弾を一個でも造るという事が大きな技術力、経済力を必要とする事であって従って一万個をも作るという事は、今日可能であるかどうか自分は知らない。然し原子爆弾の製作に成功したアメリカでは今日は知らず、将来は不可能なことではないであろう。
 アメリカ以外の国はどうであろうか。今日原子爆弾の原理は各国共熟知の問題である。従ってウランその他の原料と、技術力、経済力さえ充分であれば、何処でも原子爆弾は製作せられる。只藉すに時日を以てしなければならぬ。新聞紙の報道によれば、独逸《ドイツ》の原子爆弾の研究もその原理の探究に於てはアメリカと大差なく、一九四二年に一応の結論に到達したのであるが、それを実際に爆弾とすることは技術、経済の面に於て無力であった為めにできなかったというのである。即ち原子爆弾の成否は今日その科学的研究に懸っているのではなく、一国の技術力、経済力の問題以外にはないのである。これがどこの国でも原子爆弾ができない理由であることを知らねばならぬ。従って日本に原子爆弾が落されてから直ぐその研究に着手した国があったとしても、技術面、経済面に於て制約を受けるから、実際に製造せられるまでには相当の時日を要するものである。アメリカの原子爆弾製造の主任担当者であるグローヴズ少将は、他国が原子爆弾を作るには五年乃至一〇年を要するであろうと発表した。原子爆弾研究の進展について度々新聞に報道せられて居るロシヤにしても、やはりその位の時日はかかるであろう。然し今日の儘で放任して置けば、五年乃至一〇年の後には、アメリカ同様に原子爆弾をもった国が地球上に少くとも二つは存在することになり、極めて危険な状態を生じ、四六時中吾々を恐怖の念に駆りたてることになるのである。何となればもしそんな国の間に紛争を生じ、それが第三次世界大戦にでも発展しようものなら、それこそ真に人類文化は破滅に瀕することとなるのである。これは単なる空想ではなく、今日の国際情勢から見ても現実の問題として考えなければならぬ。そこで人道上の観点からも、国際平和の見地からも、どうしても原子爆弾の管理、従って世界平和の機構を樹立する必要に迫られるのである。それができなければ、原子力の平和的利用などを行った処で何の償いにもならない。
 我が国の立場としては今後平和国家の建設に邁進する以外に他を顧みる暇はないが、列強の間に戦争でも起れば忽ち無辜の国土は戦場として利用せられ、真先に原子爆弾の蹂躙を受けなければならぬ。我が国の都市がこれに対して不利であることは前述の通りである。我々は孰《いず》れの国よりも先んじて原子力管理の必要を痛感するのは当然と云わねばならぬ。

  三 原子力の管理

 然らばこの管理を如何なる方法で実施すべきであるか。これは決して容易の問題ではない。これについては各方面から真面目な意見が沢山提案されて居る。それを大別すると理想論と現実論とになると云える。前者は議論としては筋の通った話であるが実行し難い憾みがあり、後者はややもすると世界を打って一丸とする平和国家建設の理想を阻害する結果を生むことになるのである。
 先ず理想論としてはアインシュタインの提案がある。それは国際連合よりも更に有機的結合をもった世界政府を樹立して、これに原子爆弾の秘密を渡し原子力の管理をさせるというのである。そして此世界を一丸とする国家の憲法の起草をソ連に委ね、その草案に基いて米、英、ソ三国が、各一名の代表者を出して討議した後これを決定しようというのである。特にソ連に起草せしめる理由は、同国が原子爆弾の秘密を知らない所から、猜疑の念を起す惧があるので、これを払拭するためである。重水素の発見者で原子爆弾製作の有力な協力者アメリカのユレイは、これに似て居るが多少異る意見を提議して居る。即ち彼れの強調する所は原子爆弾のみならず、大きい被害を与える重武器は全部これを破棄し、今後その製造を禁止するという事である。そしてその禁止を強制する権力を、強力な世界政府の様な機関に委ねるというのである。
 これ等は孰れも真に結構な案ではあるが、去る二月ロンドンの歴史的な第一回国際連合総会に於ける、ソ連と英国との論争、カナダに於ける原子爆弾に関するスパイ事件、又最近ソ連の満州に於ける旧日本産業施設の撤去、これに対する米国の不承認、赤軍のイラン撤兵延期、大連附近に於けるソ連戦闘機の米海軍機に対する発砲事件を数えただけでも、到底これ等の人の提案した世界政府が樹立せられ得る空気でないことが知れる。
 次の案は国際連合に原子爆弾の秘密を渡し、これを戦争に使用せしめぬ様に管理するという案であるが、前記科学者達は不徹底という見地からも、又これに原子爆弾を持たせることが危険であるという意味からも不賛成である。然しともかく現実の政治家は、国際連合をして原子力管理を行わせる立て前をとっている。即ち昨年末米、英、ソ三国外相のモスクワ会談に於て此事が協定せられ、去る一月廿四日原子力管理委員会が、国際連合総会の席上で可決の上設置せられることとなった。その委員としては安全保障理事国にカナダを加えた一二個国の代表が選ばれて居る。然しこの管理委員会はロンドンでは何等の決定もすることなく散会している。それよりも前記のモスクワ会談に於ては原子力管理に関して次の四個条を決議したことを発表した。(『朝日』二〇年一二月二九日)
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一、全世界の国民に対し平和的な目的を有する基本的な科学情報を交換すること
二、原子エネルギーを平和目的のため使用することを保証すること
三、国家の軍備中より大量の破滅を齎らす如き武器を排除すること
四、原子爆弾管理協定に対する違犯を防止すべく有効なる措置を講ずること
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 これ等の決議が今後如何に実施せられるかに相当興味ある問題であって、これが文字通り行われれば真に人類の幸福を招来するであろうが、前述の様な国際雰囲気に於ては、その実現は疑わしいと思われる。殊に米国には原子爆弾の秘密は絶対に他に洩らしてはならぬという強い輿論もあるし、米国のバーンズ国務長官は国際連合総会に出席するためロンドンに出発するに際し、原子力管理委員会はアメリカが自発的に提供せぬ科学情報を要求できないこと、又もしこの種の情報を強いて獲得しようとした場合には、米国は拒否権を行使し得ること、又安全保障理事会が此の種の情報の交換を票決しても、これに参加する程度は米国議会の決定に俟つことを言明し、国際連合総会に於ても原子力管理委員会は原子爆弾の秘密公開を米国に強要する権能のないことを述べている。これ等はアメリカ輿論の反映に外ならないことを思えば、原子爆弾は当分アメリカの独占と云うべきであろう。
 然し考えて見れば此事態は寧ろ歓迎すべきであるかも知れない。今日原子爆弾を製造し得るのはアメリカだけである。そしてこの国は平和を愛好し、侵略を否定する国である。こんな国が原子力の秘密を独占する間は、侵略行為は不可能であり、従って世界平和は保持せらるることとなるであろう。即ちアメリカは世界の警察国として、原子爆弾の威力の裏付けによって国家の不正行為を押え、国際平和を維持し得る能力を有しているのである。その代りアメリカ自身の行動に正しからざる点があると、全世界の怨恨を買うことになるのであるから、原子爆弾の威力に相応する高度の道徳的優位を保有することが、絶対的の必要条件となってくる。それさえ実現できれば、国際連合とよく連絡協調を保つことにより、世界の平和と文化との推進は充分企図し得られるであろう。
 然しこれはグローヴズ少将の云う今より五年乃至一〇年の話であって、それを過ぎるとアメリカ同様に原子爆弾をもった国が出現すると考えなくてはならぬ。そうすると事態は簡単でなくなる。それに対しては今から準備をする必要がある。然らば如何にすべきであるか。これに対しては色々の意見はあるであろうが、自分としてはこの五年乃至一〇年の間に国際連合をできるだけ発達させ、アインシュタインの云う世界政府の樹立にまで漕ぎ付ける必要があると思う。そしてその強力なものができた暁には、ユレイの云う様に又モスクワ会談の決議の様に、原子爆弾は勿論のこと大量の破壊を齎すべき武器を廃棄し、製造を禁止して真の平和を確立すべきである。
 即ち今日より五年乃至一〇年が最も大切な時期であり、世界が永続する平和を獲得するか、又は人類文化の破滅に至るかの岐路に立っていると考うべきである。殊にわが国は前述の通り戦争となれば潰滅は必至なのであるから、この点から云っても吾々は全力を挙げて国際平和機構の達成に協力せねばならぬ。我国は今日敗戦国として国際間の問題には嘴を出すことは許されないのであるから、国内に於て戦争絶滅、国際平和を目途とする社会乃至国家組織を完成することに凡ゆる努力を尽さねばならぬ。それがためには我々のなすべきことはいくらでもある。即ち先ず内容の備わった自主的な平和国家を樹立しなくてはならぬ。それができて始めて国際間の問題に手を伸ばすことができるのである。
 然し若し自分は許されるならば、この際科学者として提案したいことがある。それは科学者、技術者の不戦同盟を国際的に結成して、科学者、技術者が侵略戦争に捲き込まれ、それに利用せられることを防止することである。世界の科学者、技術者が戦争に協力しなければ、今日の科学戦争は起り得ない。どうかして斯様な組織を造って世界平和の樹立に貢献したいものである。
 以上の所論はこれも恐らく理想論に過ぎぬかも知れぬが、理想に向って進む努力がなければ進歩はない。永遠の平和が達成せられて始めて、広島、長崎に失われた貴き犠牲も浮び上ることになるのである。
[#地付き](『改造』一九四六年四月)
[#地付き]本文は学風書院刊「原子力と私」による



底本:『戦後日本思想大系1 戦後思想の出発』筑摩書房
   1968(昭和43)年7月1日 初版第1刷発行
   1976(昭和51)年7月1日 初版第10刷発行
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
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日本再建と科學

仁科芳雄

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         1.緒言

 現在の我が國は,虚脱状態にあると謂はれる.全くその通りである.これは敗戰國の常として怪しむに足りない.殊にあれだけの無茶な戰爭をした後としては急に立ち直ることを注文する方が無理であらう.然し終戰後既に半年を過ぎても荒漠たる燒野原は依然としてその儘であり,燒け殘つた工場の煙突からはいつ迄經つても殆んど煙は擧らない.そして次から次へと勞働爭議が起り,賃金と物價とが競爭して昂騰して行つた結果が經濟緊急措置となつて現はれたのであるが,この先がどうなることかと危ぶまれるのである.そして人々はその日その日の食ふことにばかり氣を奪はれて,科學などといふ直接パンに關聯を持たない文化の分野は,ややもすると國民の腦裡から消え去つてしまふといふ状態である.これで好いのであらうか.
 この儘で進んでゆけば,物資の不足と道義の頽廢とは遂にこの古い歴史をもつ國家を破滅の危機に追ひ込んでしまふであらう.それは世界の歴史から見ても悲しむべきことであり,又そんな國が地球上に存在することは,國際上惡影響を及ぼす處が尠くない.これを考へるとどうしてもこの下向きの傾向を止めて上昇曲線に載せることが絶對に必要である.それは國民各自の責任であり,あらゆる分野の大きな建設的協力なくしては行はれ得ないことである.今自分は科學がこの我が國の再建に如何なる役割を持つてゐるかを述べ,それぞれの關係者の努力を要請したいと思ふ.

        2.科學の役割

 近代の物質文明は科學の發展によるものであるといつて差支へないであらう.否,物質文化のみならず,それを通して精神文化を今日の状態に持ち來たすに與つて力のあつたことは否めない事實である.
 最も顯著な例として原子爆彈を擧げて見よう.その原理は1938年にドイツのハーンとストラスマンとが,原子核の研究,即ち中性子を元素ウランの原子核に衝突させた場合にできる放射能の研究を行つて居つた際に發見したものであつて,ウランの原子核が中性子を捕獲するとそれが二つ又は二つ以上に分裂し,分裂破片は莫大なエネルギーを持つて飛び出してくる.このエネルギーが廣島や,長崎にあの通りの暴威を振ひ潰滅を齎したのである.(長崎の場合はウランではなく元素プラトニウムを用ひた.)これでも解る通り原子核の研究といふ最も純學術的の,しかも何等應用といふことを目的としない研究が,太平洋戰爭を終結せしむる契機を作つた最も現實的な威力を示すことになつたのである.これは如何なる外交よりも有力であつたといはねばならぬ.科學が現代の戰爭といはず文化といはず,凡ての人類の活動上,如何に有力なものであるかといふことを示す一例である.
 更に原子爆彈の今後の發達は恐らく戰爭を地球上より驅逐するに至るであらう.否,吾々は速かに戰爭絶滅を實現せしめねばならぬ.然らざれば人類の退歩,文化の破滅を招來することとなるからである.即ち,ある期間を經過すれば,廣島・長崎の場合と比較にならぬ程強力な原子爆彈を,地球上二つ以上の國が所有することになり,それ等の國が戰爭を始めると極めて短時日の間に回復すべからざる打撃を凡ての交戰國に與へてしまふであらう.これは決して空想でなく現實である.こんな状況に於ては誰しも戰爭を始める氣にはなれないであらう.原子爆彈は最も有力なる戰爭抑制者といはなければならぬ.戰爭のなくなつた平和の世界に於ける吾々の物心兩面の文化は如何に豐かなものであらうかを考へただけでも,科學の人類發達に及ぼす影響の大さが知れるのである.
 原子爆彈は有力な技術力,豐富な經濟力の偉大な所産である.所が,その技術力も經濟力も科學の根に培はれて發達したことを思ふとき,アメリカの科學の深さと廣さとは歴史上比類なきものといはねばならぬ.然しその科學は又技術力と經濟力とに養はれたものである.アメリカの尨大な研究設備や精巧な測定裝置や純粹な化學試藥が,アメリカ科學をして今日あらしめた大切な要素である.これは勿論アメリカ科學者の頭腦の問題であると共に,その技術力,經濟力の有力なる背景なくしては生れ得なかつたものなのである.即ち科學は技術・經濟の發達を培ひ,技術・經濟は又科學を養ふものであつて,互ひに原因となり結果となつて進歩するものである.
 以上述べたことにより,我が科學が日本の再建に果すべき役割は大體に於て想像せられるであらう.終戰後,我が國の産業は從來と全く異つた環境に置かれたのである.資源としては4個の島にあるもの以外は輸入に俟つより外はない.その貿易も現在は停止せられてゐる.これでともかく七千數百萬の人を養つて行かねばならぬ.それには從來と異つた技術の創造を必要とする.しかも僅かの改革で濟むやうなものではなく,根本から異つた原理によるものでなくてはならぬ.丁度原子爆彈が從來の爆彈と全く異つた原理を基礎として創造せられたと同樣に,我が國の産業も根本的にその出發點から檢討してかからねばならぬ.そして從來と全く異る環境に適應する産業を創造せねばならぬ.例へば農業にしても,水産にしてもその基礎である生物學から出發せねばならぬ.生物學にはまだ究明すべき多くの問題が解決を待つてゐるのである.この根本を明かにすることによつて,從來の方法とは全く異つた農業や水産の分野が生れる可能性が生じるのである.これは勿論必ず達成せられるかどうかは豫知することはできない.然しその可能性の有ることは原子爆彈の例で明かであらう.今日我が國がおかれてゐる外的條件はそれ程までに根本的に溯つて始めて解決せられる程困難なものなのである.それ故,吾々は科學の凡ての分野の頭腦を綜合して,重要な問題の解決を極めて基礎的方法によつて求めて行かねばならぬ.これがためには凡ゆる部門の科學者は互ひに密接な連絡の下にそれぞれの分野の研究を從來よりも一層深く掘り下げると共に,かくして得られた結果を實地に應用すべき研究者に協力して,基礎研究より始まり應用研究を經て更に生産に至る迄の,一貫した操作が逞しく推進せられるやうにする必要がある.
 かやうにして一つでも劃期的な進歩がある部門に齎されれば,その結果が原因となつて更に他の分野に多大の影響を生むことになるのである.こんな基礎的な革命が幾つかの部門に起れば,それで日本産業の再建は行はれ生産は回復し經濟は安定し,延いては道義の昂揚も望み得るであらう.但しこれには相當の年月を要する.
 以上によつて科學が如何に日本の再建に必要なものであるかが想像せられるであらう.然るにある論著は日本に科學を榮えしむることは,即ち戰爭を起す能力を與へるものであるから,その發達をできるだけ抑壓すべきであるといふ.これは杞憂以外の何物でもない.勿論かやうな考へ方は日本の現状を猜疑の目を以て見る者にとつてはあり得ることである.科學は使ひ方によつては戰爭遂行に最も有用な武器である.それは原子爆彈やレーダーが具體的に示してゐる.その同じ科學が使ひ方によつては平和國家の建設に不可缺の要因であることは前述の通りである.要はこれを如何に使用するかといふことであつて,それは使用する人の態度で定まる問題である.
 我が國は最近發表せられた改正憲法の草案にも見られる通り,國家として戰爭を否定しこれを抛棄することを決意し,マ司令部もこれに滿足の意を表してゐるのである.これは正に太平洋戰爭で得られた最大の收穫といはねばならぬ.このことはポツダム宣言受諾の當然の歸結であるが,更に現實の問題として日本は戰爭をする能力がない.即ち何はさて措き原子時代を支配すべき原子爆彈を1個も作り得ないのである.何となれば聯合國より禁止せられてゐるのは勿論のことであるが,その必要もなく地質學者及び鑛物學者のいふ所によれば,日本には必要量のウランは産出しない.又たとへウランがあつたとしても,我が國の技術・經濟が原子爆彈製造の能力をもつやうになる見込みは,到底ないからである.
 從つて戰爭が始まれば,日本はそば杖をくつて原子爆彈の慘害を被る以外には何の收得もない.憲法に戰爭抛棄を制定せんとするのは,人道上は勿論のこと,利害關係からも當然のことといはねばならぬ.萬世太平の國是をとつてゐる日本にとつて,科學の興隆は民生に生活の安定を得せしめ,世界平和に貢獻せしむる大きな力を與へる以外の何物でもない.これは平和を好愛するアメリカに於て,科學が如何に物心兩面の文化建設に役立つてゐるかを見れば,思ひ半ばに過ぐるものがあらう.それ故日本に科學を否定することは即ち七千數百万萬の人間を貧困と混亂と惡徳との淵に沈淪せしむることになる.これは日本國民にとつて不幸であるのみならず,世界人類發達の障碍となるものとして避くべきことといはねばならぬ.この見地よりして自分は日本科學の振興に對し,聯合國が特に考慮を拂はれんことを冀ふものである.

        3.科學の再建

 我が國の科學は支那事變まではその發達目覺しいものがあつたのであるが,それより次第に下り坂となり太平洋戰爭となるに及んで益々進歩を阻まれ,その末期に於ては空襲により痛められ,終戰後は科學者の生活の不安と,戰災復舊の困難と,資材入手の不能とにより,その機能を殆んど停止してしまつた.
 科學は眞に救國の具であるが,前述のやうに産業に劃期的革新を齎すことは,現實の問題として遠き將來に屬する.そんな研究の推進が今日の虚脱状態に於て直ちに行はれ得るとは誰が豫期しよう.それ處ではない.1本のガラス管や1尺のゴム管さへも手に入れることが難かしい.そしてガスはぜんぜん來ないやうな實験室で劃期的の研究は思ひもよらぬことである.更に科學者は今日生活の不安に脅かされ續けてゐる.これでは碌な仕事のできる筈がない.科學の推進はこれを可能にする環境に置いてやつて初めて動きだすのである.前述の通り日本の再建は科學の力に俟つ處眞に多大である以上,こんなに死滅に瀕してゐる科學の再建には全力を盡さねばならぬ.それは如何にして行はれるであらうか.
 それには,何よりも先づ産業の復舊といふことが急務である.これによつて國民は生活の安定を得ることになり,科學者は研究に專念することができる.又研究資材も次第に入手できるやうになり,科學者の仕事が進め得られるのである.然らばこの産業の回復は具體的に如何にすべきであるか,これは本論の範圍を逸脱するものであり,又自分はこれを述べる資格もないから,專門家の意見に俟つべきであるが,今日の虚脱状態は全體が相關聯した綜合的休止體を形成してゐるのである.從つてその復舊も綜合的に進められねばならぬ.然し一時に全體を動かすことはできないから,重點的に少數の産業が率先して範を示せば次々に凍結が溶けてくるであらう.例へば石炭とか肥料とかいふのは既にその緒についてゐるやうに思ふ.只この際特に注意すべきことは,國民の各層が,それぞれ救國の氣魄を以て立ちあがることであつて,徒らに自家の利害にのみ汲々たることは結局に於て己の損失を招くことを自覺すべき[#「自覺すべき」は底本では「自覺す べき」]である.今日の民主主義革命時代に於ては,産業組織も古い型態をその儘墨守することは許されないことである.それと同時に國民の全體から見て復舊を遲れさせるやうな變革は執るべきではない.要は各自が善意と誠意と眞實とを以て建設的の協力を盡すべきである.
 それでは科學者は産業の回復するまで只手を束ねて待つべきであらうか.それでは國民の義務を果すものとはいへない.今日でも活動開始の可能な分野は直ちに仕事を始めねばならぬ.先づ第一に今日有する知識經驗を用ひて多少とも産業の回復に役立つ仕事があれば,直ちに着手すべきである.次に理論的研究は外國から文獻さへ入つてくれば研究はできる.外國雜誌の輸入は今日まだ實現せられないが,それは早晩可能となるであらうから,その時の準備を今から始めて好いと思ふ.又實驗方面にしても,ある分野の活動は可能なものがあるであらう.例へば戰災を被らなかつた實驗室で,あまり資材を必要としない研究であるとか,或ひは貯へた資材で間に合ふ研究は始められるであらう.そんな研究の中で産業の復活に役立つものは,重點的に遂行せらるべきである.それによつて國家は活力のもとを得るであらう.
 又將來産業の回復した後に可能の見込みのある研究であつて,その根を枯らさぬやうにして置く必要のあるものは,細々ながら可能の範圍に於て研究を續けるべきであらう.又非常に長期の準備を要する研究は可能の範圍に於てこれを行ふべきである.これを要するに今日の情勢に於て可能な研究は將來をも勘案して重點的に進めねばならぬ.それには研究者は熱と忍耐とを以て目的を貫く覺悟が必要である.
 かくして始められた研究は戰前に比べて,又現在の諸外國に比べて著しく低調たることは免れない.殊に,大規模の裝置を要する研究は當分斷念するより外はないから,華々しい結果は豫期できないであらう.これは敗戰國として仕方がない.それだからといつて,落膽するには及ばない.100里の道を1歩より始めるのが今日である.これを始めなければ將來の達成もそれだけ遲れることになることを心に止めて努力せねばならぬ.要するに吾々の仕事は凡て初めから出直しなのである.

        4.科學者の組合組織

 以上の努力を可能ならしめるためには科學者の待遇改善が急務である.勿論吾々は今日の場合贅澤をしようといふのではない.研究ができるだけの最低生活を確保しようといふのである.今日吾々は研究の進捗度が食糧で支配せられることを毎日のやうに體驗してゐる.吾々の多くは都電の車掌の給與に遠く及ばないことを考へて見ねばならぬ.科學が國家の建設に必要な以上,たとへそれが目前の役に立たぬやうに見えても,これを推進する科學者の生活の安定は保證せらるべきである.これを實現するためには全國科學者の組合を組織して政治的にこれを解決するが好い.この組織は待遇改善のみならず,種々の問題の解決に貢獻するであらう.
 その一つは科學者の教養の向上,道義の昂揚である.科學者は多くの長所をもつてゐる.例へば適當な環境に置けば,事物を客觀的に冷靜に見て,科學的に處理する能力をもつてゐる.然し場合によつては,視野が限られてとかく偏狹に陷り,往々にして非民主々義的な且つ不明朗な社會を作り易い.これは科學者の教養の問題であつて相互の切磋によつて改善することは最も大切なことである.科學の研究も畢竟する處は人物の問題に歸着することを思へば,有機的に活動する組合組織をこの達成に使ふことは必要であり,且つ可能である.
 又科學者の政治的訓練といふことも,この組合を通して行ふことができるであらう.從來科學者の政治的理解は不充分であつて,寧ろ無關心な人が大多數であつた.これが我國の科學不振の大きな原因をなしてゐたのである.これからの民主々義政治は民意を反映する政黨政治であるから,將來の我が科學の盛衰の鍵は政黨が握ることになる.從つて,科學者たるものは孰れの政黨に我が科學政策を擔當して貰ふかといふことに就ては,深甚の關心を拂はねばならぬ.この意味に於て,今日各政黨は科學政策に就てその抱負を披瀝して貰ひ度いものである.吾々は科學に對して充分の經綸を行ふ政黨を支持したいのであるが,孰れの政黨も具體的の方針を示して呉れぬやうでは投票の仕方がない.勿論科學の問題となると孰れの政黨に對しても共通な事項があるかも知れない.そんな場合にはよく政黨を超越した問題であるといはれることがある.これは餘り好い表現ではない.今後吾々は政黨と共に起き政黨と共に倒れるのであるから,これを超越するといふよりは各政黨に共通であるといつた方が好い.然し如何に共通であらうとも,その根底の思想は政黨によつて異なつてゐる筈であるから自然その方法も一樣でないであらう.それによつて吾々も去就を決したいのである.勿論組合内に於ても政見や立場の相異に從ひ,問題のよつては意見が分れるであらう.そんな時に腹を割議することによつて進歩が齎され,又政治的の訓練ができるのである.
 從來の科學者はとかく,道具として使はれ勝ちであつた.そのために科學者の意志に反する結果が招來されることもあつた.これは科學者の團體が強力でないためにその意志が無視せられることになるからである.吾々は強力な組合を作つてその意志を政黨を通して政治に反映せしめねばならぬ.例へば科學者に重大な影響を及ぼす國是を定めるやうな場合には,科學者は組合内に於て充分の論議を盡し,その※[#「厂+黒」、18-左-12]まつた意見を政黨を通して政府に實行せしめることができるであらう.又我が國が自主的な獨立國家として認められた曉には,組合は外國に對しても我が國の科學者の意見を發表し,外國の同樣な組織と密接な連絡をとることもできるのである.これによつて科學者相互の間に從來よりも強い紐帶ができれば,國際間の平和を増進するに多大の貢獻をなし得るであらう.何となれば科學者は平和の好愛者であり,且つ科學者の力が一般に認識せられたからである.恐らく左樣な連繋は今後外交の有力な一翼をなすに至るであらう.

        5.科學教育

 我が國の再建に教育が重要な役割を演ずることは内外共にこれを充分認識してゐるのである.國民教育の問題が即ち國家再建そのものに外ならぬ.新しい日本は新しい人によつて創られる.そして舊い教育を受けたものは再教育によつて生れ變らねばならぬのである.この教育の改變は現下の最も重大な問題であつて,そのためにマ司令部はアメリカの著名の教育者を招いて,日本の教育に關する意見を訊かうとしてゐる.
 自分は,ここで教育全般について述べようとは思はない.只科學振興の基礎となる科學教育を如何にすべきかについて愚見を述べて見たい.我が國の科學が振はない一つの大きな原因は,國民の科學教育が適切を缺いてゐたためであることが強調せられ,今後は特に青少年の科學教育に力を入れねばならぬ,といふことが度々いはれる.これは洵に核心を把んだ意見である.今日までの科學教育はともすれば詰め込み主義に陷つてゐる.これでは子供の持つてゐる想像力を殺してしまふことになる.凡て教育なるものは被教育者に潜在する能力を最大限に發揮するやうに導いてやるのが目的であつて,生徒を型に入れて育て上げるとか,生徒の頭腦を教師の思ふやうに作り上げるとかいふのは決して教育の趣旨ではない.殊に知識を只詰め込んで見た所で,それを活用する能力を殺してしまつては,何の役にも立たない.これは幼少なものの教育については特に必要なことであり,又創意を必要とする科學者の教育について先づ心得べきことである.
 例へば教師たるものは,なるべく多くの事柄を教へようとする努力をやめて,生徒自らの獨創力を働かせ自らの理解力を引き出させて,事物の根柢を又核心を把握せしむることに力を注ぐべきである.かくて基本的の事項を體得せしむれば,枝葉の問題は自分で解決することができる.斯樣にして生徒に潜在する各自獨特の才能をできるだけ引き出して育て上げるやうに仕向けるといふ教育法が必要である.
 以上の教育方法を行ふためには,教師は生徒に對する理解と洞察との目を持つてゐなくてはならぬ.そして生徒の能力と特質[#「特質」は底本では「得失」]とを見抜いて,それを適當な方向に向ける技術が要る.それは決して萬能の教師を意味することではなくで,人間を見る力とこれを教育させる技術とを心得てゐる教師を要求するのである.これを今日の教師に期待することは無理であつて,それがためには教師からして新しく養成しなくてはならぬ.その養成は今日直ぐ役に立たぬけれども,しかも直ちに始める必要がある.それと同時に,現在の教師の再教育といふことを行つて,不滿足ながら速急の間に合はせることも考へねばならぬであろう.
 茲にもすぐ問題となるのは教師の待遇改善である.上述のやうな優良な教師を養成するには,それに必要な高い教育と優秀な人材とが必要であつて,今日のやうな待遇ではこれを得ることは不可能である.これも國家として解決すべき重要な問題である.
 又科學教育に必要な設備の充實といふことも非常に大切である.實驗を生徒自ら行ひ得るやうにするのと,實驗もしないで只ノートだけを取らせる教育方法とでは,生徒の能力を引き出せる點に於て,又理解の深さに於て同日の論ではない.この點では映畫による教育も今後大いに採用せらるべきであらう.然しこれ等の實施に就ても直ちに經費の問題がつき纒ふのである.然し國を創り上げるために費す金は決して無駄にはならない.
 以上は學校教育であるが,學校以外の社會教育に於ても,科學的に事物を考へ,科學知識を與へることが必要である.これには色々の方法と設備とが考へられる.例へば生きた科學博物館の増設,科學圖書館の活用,種々の展覧會の開催,映畫並に講演による教育,その他多くの案があるであらうが,茲にはその詳説を省くことにする.

        6.結語

 これを要するに我が國再建の基礎は科學によつて築かるべきものであるから,以上述べた諸方策は必ずしも短時日にその成果を期待し得ないものであつても,今日からその準備乃至は實施に着手して將來の科學振興を期すべきである.
[#地から2字上げ](昭和21・3・12)


底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
※底本は横組みです。
入力:山崎雅人
校正:小林 徹
2005年11月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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國民の人格向上と科學技術

仁科芳雄

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)益※[#二の字点、1-2-22]
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 わが國はポツダム宣言受諾の結果,民主主義の平和國家として更生することとなつた.このことは今度の新憲法に具象化せられて居つて,人民のために人民が行ふ政體をとるのである.從つて人民各自の人格の高低はとりも直さず,我國の浮沈を決定するものに他ならない.ここに人格といふのは,道義心,性格,教養等を含めた全體の屬性を指すのである.
 然らばわが國民の人格の水準は今日どうであらうか.それは犯罪の詳しい統計を調べればすぐわかることであるが,それを俟つまでもなく毎日の各人の體驗が最も雄辯にこれを物語つてゐるであらう.少しでも油斷するとすぐ物がなくなることは今日誰もが味はつてゐるのである.これは敗戰國の常であつて敢て怪しむに當らないことかも知れない.前歐洲大戰後のドイツに於て自分は同じやうなことを經驗した.大陸に渡る前にイギリスのケンブリツヂに於ては,講義を聽きに來る學生の乘り捨てた自轉車が,カレツヂの門前に一ぱい置いてあつても,それがなくなつたといふことを聞いたことがなかつた.これに比べたのでドイツの社會状態は殊に目立つて見えたのかも知れない.その時ドイツはインフレの波に襲はれてゐたのである.
 以上は犯罪を構成するやうな極端な問題であつて,これで一國の消長を判斷するのは早計だといふ人があるかも知れない.それでは今日わが國民の性格は,戰災の國土から奮然として立ち上り,産業を再建し國家を復興させるだけの氣概と根氣とを備へてゐるのであらうか.自分の目には遺憾ながらどうもさうは見えない.終戰後既に1年2個月を經たのであるが,まだ虚脱状態を脱してゐない人も多い.自ら進んで難に赴くといふ犧牲心の發露を見ることは極めて稀であつて,利己的行爲が澎湃として世を蔽つてゐる感がある.これでは國の復興,民生の安定といふことはいつのことか解らない.
 これはどこに原因があるのであらうか.勿論あれだけの無茶な戰爭をしたといふことが今日の結果を齎したのである.そのために人は皆衣食住に事を缺くこととなつた.犯罪の増加は當然といはねばならぬ.又食料の不足は體位の低下を來し氣力の消失を招くのも無理からぬことである.その結果として生産は低下し益※[#二の字点、1-2-22]國民生活を困難にしてゐる.即ち原因は結果を生み,結果は又原因となつてヂリ貧状態を現出する可能性がある.
 これを救ふ道は如何にすべきであらうか.多くの人はすぐ國の政治にその罪を歸し,社會組織の改善を叫ぶであらう.それは恐らく正しい見方かも知れない.然しその方はその道の人に任せて置いて,自分がここに強調したいことは科學者,技術者としてこの危機を脱するためには如何にその義務を果すべきかといふことである.
 勿論われわれは國民としての道義の昂揚,品性の陶冶,教養の向上に努力すべきは當然である.これが凡ての基礎となるのであるが,科學者,技術者としてはその本務として産業の復興といふことに渾身の努力を拂はねばならぬ.これがためには國として一つの組織が必要かも知れない.然し組織倒れでは何にもならないから,先づ實行である.われわれは各自の專門的智識能力を,生産技術の創造と發展とに應用して,新しい方法による新しい物を造らねばならぬ.これによつて産業の復興が上昇線を辿れば,國民は生活に餘裕を生じて禮節を知ることになり,益※[#二の字点、1-2-22]生産は増大し,それが又科學技術の進歩を促すことになるであらう.(1946. ※[#ローマ数字10、1-13-30]. 20)



底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
※底本は横組みです。
入力:山崎雅人
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ユネスコと科學

仁科芳雄

 科學は呪うべきものであるという人がある.その理由は次のとおりである.
 原始人の鬪爭と現代人の戰爭とを比較して見ると,その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある.個人どうしの掴み合いと,航空機の爆撃とを比べて見るがよい.さらに進んでは人口何十萬という都市を,一瞬にして壞滅させる原子爆彈に至っては言語道斷である.このような殘虐な行爲はどうして可能になつたであろうか.それは一に自然科學の發達した結果に他ならない.であるから,科學の進歩は人類の退歩を意味するものであつて,まさに呪うべきものであるという.
 しかし一方われわれの生活は原始人に比べて,少くとも物質的には問題なく豐かになり,昔の人の夢と考えておつた欲求が現實にかなえられるようになつた.例えばアメリカの科學的成果が翌日は東京でわかるようになり,東京から廣島まで30分足らずで飛んで行く飛行機ができ,又ペニシリンのような藥が見つかつて,人の平均壽命は延びたであろう.そしてこれ等物質文明の進歩は,當然精神文明にもよい影響を與えないでは措かないのである.これ等はすべて科學の進歩のおかげであつて見れば,科學は人類に進歩をもたらすものとして禮讃せねばならぬ.
 以上で明かなとおり,科學を呪うべきものとするか,禮讃すべきものとするかは,科學自身の所爲ではなくて,これを驅使する人の心にあるのである.ユネスコ(UNESCO―United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)は正に人の心に平和の防波堤を築こうとするものであつて,國際聯合の多くの機關の中で最も根本的に平和の基礎を固めて行こうとするものといわねばならぬ.この機關は國際聯合の經濟社會理事會の管轄に屬し,その本部をパリに置いている.その成立は1945年11月1〜16日にロンドンで開かれた會議において決定せられ,第1回の總會をパリで翌1946年11月9日より12月初旬まで開き,44箇國の代表隨員合わせて700名が出席した.第2回總會はメキシコシチーにおいて昨年やはり11月初めから1箇月餘に亘つて開かれた.
 名前で知れるとおりユネスコは教育,科學,文化の方面において,國際的協力によりその進歩を圖り,これにより戰爭の絶滅を企圖しておるのである.今やわが國は文化國家をもつて立つことを國是とし,戰爭を廢棄したのであるから,ユネスコの趣旨はわが國是と完全に一致するのである.われわれ科學者の中には今日までただ科學の進歩を目指して進み,その社會に與える結果に對しては比較的無關心なものが多かつたのであるが,今後はその結果が如何に使用されるかについて監視する必要がある.それについてはユネスコにおいて國際的に連絡をとり,科學的成果のみならず科學者自身が戰爭に卷き込まれることを防止せねばならぬ.人類ができてから恐らく數百萬年を經たであろうが,慘虐な鬪爭を依然として續けているということは,人類の耻辱といわねばならぬ.原子爆彈の出現を契機として戰爭というものに人類が見切りをつける時ではなかろうか.
 ユネスコは異なる文化人の集會であると考えては誤りであつて,これによつて戰爭を食い止めるだけの實力を養わねばならぬ.それは人類全般の協力と支持とがなければ不可能である.わが國も早晩ユネスコに參加する日が來るであろうが,それまでに民衆としての準備を整えねばならぬ.現在各地にユネスコ協力會が續々と生れつつあるのはまことに喜ばしいことである.(1948. 1. 18)〔理化學研究所〕



底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社
   1971(昭和46)年3月20日発行
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*地名

(※ 市町村名は、平成の大合併以前の表記のまま。
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  • 原子力の管理
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  • [東京]
  • 東京市 とうきょうし City of Tokyo 旧東京府東部に1889年(明治22)から1943年(昭和18)までの間に存在していた市。市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。
  • [広島]
  • [長崎]
  • 浦上天主堂 うらかみ てんしゅどう → 浦上教会
  • 浦上教会 うらかみ きょうかい Urakami Cathedral 長崎県長崎市にあるキリスト教(カトリック)の教会堂。1959年以降、長崎大司教区の司教座聖堂(カテドラル)となっている。長崎市の観光名所のひとつにもなっており、一般的には浦上天主堂の名で知られている。
  • 大連 だいれん (Dalian)中国、遼寧省南部の港湾都市。遼東半島の末端に近く、大連湾の南西岸。1898年ロシアが租借してダルニーと命名、日露戦争後、日本の租借地。中華人民共和国成立後、旅順などを合わせて旅大市となる。1981年大連市と改称。外資進出による経済開発が著しい。人口324万5千(2000)。たいれん。
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  • 日本再建と科学
  • -----------------------------------
  • 国民の人格向上と科学技術
  • -----------------------------------
  • [イギリス]
  • ケンブリッジ Cambridge イギリスのイングランド東部にある同名州の州都。ロンドンの北約80キロメートルにある大学都市。人口11万7千(1996)。
  • -----------------------------------
  • ユネスコと科学
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  • [メキシコ]
  • メキシコシティー Mexico City メキシコの首都。中南米の経済の中心地である。アステカ王国のかつての首都テノチティトラン。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)




*年表

  • 一九三八 ドイツのハーンとストラスマン、原子核研究。中性子を元素ウランの原子核に衝突させた場合にできる放射能の研究をおこなっておった際に原子爆弾の原理を発見。
  • 一九四二 新聞紙の報道によれば、ドイツの原子爆弾の研究もその原理の探究においてはアメリカと大差なく一応の結論に到達。実際に爆弾とすることは技術・経済の面において無力であったためにできなかったという。
  • 一九四五 一一月一〜一六日 国際連合、ロンドンで開かれた会議においてユネスコ設置を決定。
  • 一九四五年末 米・英・ソ三国外相、モスクワ会談において原子力管理について協定。
  • 一九四五 一二月二九日 『朝日』モスクワ会談において、原子力管理に関して四か条を決議したことを発表。
  • 一九四六 一月二四日 原子力管理委員会が国際連合総会の席上で可決のうえ設置せられることとなる。
  • 一九四六 二月 第一回国際連合総会、ロンドン。
  • 一九四六 三月一二日 仁科「日本再建と科学」
  • 一九四六 四月 仁科「原子力の管理」『改造』。
  • 一九四六 一〇月二〇日 仁科「国民の人格向上と科学技術」
  • 一九四六 一一月九日より十二月初旬まで ユネスコ第一回総会、パリ。四十四か国の代表・随員合わせて七〇〇名が出席。
  • 一九四七 一一月初め ユネスコ第二回総会、メキシコシティー。
  • 一九四八 一月一八日 仁科「ユネスコと科学」


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
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  • 原子力の管理
  • -----------------------------------
  • グローヴズ少将 → レズリー・リチャード・グローヴス
  • レズリー・リチャード・グローヴス Leslie Richard Groves 1896-1970 アメリカ陸軍の軍人。原爆開発のためのマンハッタン計画を指揮した。最終階級は中将。ニューヨーク州アルバニー生まれ。退役後は、1961年までスペリー・ランド社副社長。
  • アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955 理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論・特殊相対性理論・一般相対性理論などの首唱者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。プリンストン高等研究所で相対性理論の一般化を研究。また、世界政府を提唱。ノーベル賞。
  • ユレイ → ユーリー
  • ユーリー Harold Clayton Urey 1893-1981 アメリカの化学者。重水素を発見。第二次大戦中はウラン235の分離に参加。宇宙化学の研究も著明。ノーベル賞。/原子爆弾製作の有力な協力者。
  • バーンズ → ジェームズ・F・バーンズ
  • ジェームズ・F・バーンズ James Francis Byrnes 1879-1972 アメリカの政治家。トルーマン政府の国務長官(1945-47)として戦後の外交、特に対ソ協調から対ソ強硬策に転ずる衝にあたった。サウス・カロライナ州知事。(岩波西洋)/F.D.ローズベルト政権の最も有力な行政官。ポツダム宣言と日本の降伏を処理した。47年に辞任。(世界大百科)
  • -----------------------------------
  • 日本再建と科学
  • -----------------------------------
  • ハーン Otto Hahn 1879-1968 ドイツの化学者。1918年にプロトアクチニウムを発見。38年、ウランに中性子照射すると核分裂が起こることを、シュトラスマンとともに発見。ノーベル賞。
  • ストラスマン → シュトラースマン
  • シュトラースマン Strassman, Fritz 1902-1980 ドイツ、マインツ大学教授。オットー・ハーンとともにウラニウムに中性子を照射すると原子核の分裂がおこることを発見し(1938)、この研究が原子爆弾発明の端緒をなした。核分裂や放射性原素の研究に対し、ノーベル化学賞を受く。(岩波西洋)/Friedrich(世界大百科)
  • -----------------------------------
  • 国民の人格向上と科学技術
  • -----------------------------------
  • ユネスコと科学
  • -----------------------------------


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『岩波西洋人名辞典増補版』、『世界大百科事典』(平凡社、2007)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
  • -----------------------------------
  • 原子力の管理
  • -----------------------------------
  • 『改造』 かいぞう 一九四六年四月。/大正・昭和戦前期の代表的総合雑誌。1919年(大正8)改造社(山本実彦主幹)の創刊。第一次大戦後の改革機運の高まりの中、急成長をとげた。横浜事件にまきこまれ、廃刊を命じられる。第二次大戦後復刊するが、55年(昭和30)廃刊。
  • 「原子力と私」 学風書院刊。
  • -----------------------------------
  • 日本再建と科学
  • -----------------------------------
  • 国民の人格向上と科学技術
  • -----------------------------------
  • ユネスコと科学
  • -----------------------------------


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

  • -----------------------------------
  • 原子力の管理
  • -----------------------------------
  • 世界政府 せかい せいふ 世界国家に同じ。
  • 世界国家 せかい こっか (world-state)各国の主権を制限して世界全体を単一の国家に組織しようとする理想。世界連邦・世界政府ともいう。この考え方は古代から存在し、第二次大戦後は戦争への反省および核兵器の脅威から提唱された。 → コスモポリタニズム。
  • コスモポリタニズム cosmopolitanism 国家や民族を超越して、全人類を同胞と見なし、世界市民としての個人によって世界社会を実現しようとする思想。古くはキニク学派・ストア学派などがこの考えを唱えた。国民主義思想の勃興とともに諸国家の協同をめざす国際主義に代わったが、第二次大戦後に再び提唱。世界(市民)主義。四海同胞主義。万民主義。公民主義。
  • 重水素 じゅうすいそ 水素の重い同位体の総称。質量数が2のもの(デューテリウム)と3のもの(トリチウム)とがある。前者を重水素、後者を三重水素とよぶこともある。
  • 赤軍 せきぐん ソ連の正規軍。正しくは労農赤軍。1918年、赤衛軍に代わって組織された正規の軍隊。46年ソビエト軍と改称。←→白衛軍
  • -----------------------------------
  • 日本再建と科学
  • -----------------------------------
  • プルトニウム plutonium (冥王星Plutoに因む)超ウラン元素の一種。元素記号Pu 原子番号94。1940年、ウランの核反応により初めて人工的につくられた。数種の同位体がある。銀白色の金属。化学的性質はウランに似る。原子炉内でウラン238から大量に製造されるプルトニウム239は、中性子を吸収して核分裂を起こすので核燃料として使用されるが、発癌性があり極めて毒性が高い。
  • そば杖 そばづえ 側杖・傍杖。(1) 喧嘩などの傍にいて、思わずその打ち合う杖などに打たれること。(2) 転じて、自分に関係のないことのために災難をこうむること。とばっちり。まきぞえ。
  • 沈淪 ちんりん (「淪」もしずむ意) (1) 深くしずむこと。(2) おちぶれはてること。零落。
  • 経綸 けいりん 国家を治めととのえること。治国済民の方策。
  • 割議
  • ※[#「厂+黒」]まった 纏(まと)まる、か。
  • 紐帯 ちゅうたい (ジュウタイとも。「ひもとおび」の意から) (1) 二つのものを結びつける役割をなしているもの。(2) 社会の構成員を結びつけて、社会をつくりあげている条件。血縁・地縁・利害など。社会紐帯。
  • 把んだ つかんだ
  • -----------------------------------
  • 国民の人格向上と科学技術
  • -----------------------------------
  • 澎湃 ほうはい 澎湃・彭湃。水のみなぎりさかまくさま。転じて、物事が盛んな勢いで起こるさま。
  • 陶冶 とうや (陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。
  • -----------------------------------
  • ユネスコと科学
  • -----------------------------------
  • ユネスコ UNESCO (United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)国連教育科学文化機関。国連専門機関の一つ。1946年設立。教育・科学・文化を通じて諸国間の協力を促進し、それにより平和と安全保障に寄与することを目的とする。本部はパリ。日本は51年に加入。
  • 惨虐 ざんぎゃく 残虐。そこないしいたげること。むごたらしいこと。
  • 理化学研究所 りかがく けんきゅうじょ 物理・化学の研究およびその産業への応用を目的とする研究機関。1917年(大正6)に財団法人として設立。第二次大戦後、研究機関が分離し、一時、株式会社科学研究所と称したが、58年政府出資による特殊法人、2003年独立行政法人となる。本部は埼玉県和光市。略称、理研。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『学研新漢和大字典』



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 組み合わせ角に桔梗。「組み合わせ角」は四角+四角=八角。八神、八卦、船中八策。八角に五芒星。「八神というのは古からあって、天主、地主、丘主、陰主、陽主、月主、日主、四時主の八つだが、これらはみな支那の東北地方にあった神々である」(幸田露伴「道教について」より)。

 19日、雨。県立博物館にて考古学講座・菊地政信「土偶がつくられたむら」米沢市台ノ上遺跡(縄文中期)。米沢では、震災で100点ほどの展示物が破損したという。土器の口元内側にベンガラ。三脚石。蛇紋岩の石斧。
 
 ミルクティー*既刊を検索すると、坪井正五郎・喜田貞吉・浜田青陵・河野常吉に「石斧」の用例が見られる。stone ax(オックス)からの直訳だろうか。斧というネーミングから、大木の伐採や薪割りの用途をイメージしてしまいやすいが、実物を見るとてのひらにおさまるほどのものや、小指の先くらいのもの。鉄斧とはまったく異質。今回はじめてさわってみる。繊細。力まかせに用いればすぐに歯が欠ける。こまかい彫り込みのための鑿(のみ)や、枌板(そぎいた)をつくるための楔(くさび)のような用途を想像させる。
 
 道、交通の質問が出た。山の尾根や塩の道を回答にあてていたが、いわゆる塩の道は、内陸部の郡衙や城柵などへ多量の塩を輸送するとか、商業が発達してくる中世以降にあてるのが一般で、縄文中期、たしかに製塩や輸送がなかったとはいえないが、量も規模も大きくちがうはず。
 
 むしろ当時の道は、人がつくったとは思わないほうがいいんじゃないかと想像する。ひとつは川の道。最終氷期を終えた後、高温多雨多湿な縄文時代をむかえて、さらにその後は徐々に気温や降雨量が低下。河川の堆積作用と水量変化が河岸段丘や河川跡をつくり、河川ちかくに居住や歩行しやすいところができたと考える。もうひとつは、けもの道。とくに1万5000年前ぐらいまで列島にいたというナウマンゾウ。草食で鼻の利くゾウは、エサ場と飲み水を求めて集団で渡り歩く。その跡はさながら当時の高速道路で、もしかしたら後の時代の主要な街道は、彼らの拓いた道だったんじゃないか……とまあ根拠のない妄ゾウです。




*次週予告


第四巻 第一八号 
J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎


第四巻 第一八号は、
一一月二六日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第一七号
原子力の管理(他)仁科芳雄
発行:二〇一一年一一月一九日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。




※ 定価二〇〇円。価格は税込みです。
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