宮沢賢治 みやざわ けんじ
1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21)
詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Miyazawa_Kenji.jpg」より。


もくじ 
土神と狐/フランドン農学校の豚 宮沢賢治


ミルクティー*現代表記版
土神と狐
フランドン農学校の豚

オリジナル版
土神と狐
フランドン農学校の豚

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
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*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒や感嘆・疑問符をおぎないました。一部、改行と行頭の字下げを改めました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、漢数字の表記を一部、改めました。
  •    例、七百二戸 → 七〇二戸
  •    例、二萬六千十一 → 二万六〇一一
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名および会話文は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


土神と狐
底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
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フランドン農学校の豚
底本:「新編 風の又三郎」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年2月25日発行
   2001(平成13)年4月25日14刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集」筑摩書房
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card4601.html

NDC 分類:K913.8(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html




土神つちがみきつね

宮沢賢治

   (一)


 一本木の野原の北のはずれに、少し小高く盛りあがった所がありました。イノコログサがいっぱいにえ、そのまん中には一本のきれいな女のかばの木がありました。
 それはそんなに大きくはありませんでしたが、みきはテカテカ黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金きんべにやいろいろの葉をらせました。
 ですから、渡り鳥のカッコウやモズも、また小さなミソサザイやメジロもみんな、この木にまりました。ただ、もしも若いたかなどが来ているときは、小さな鳥は遠くからそれを見つけて決して近くへりませんでした。
 この木に二人の友だちがありました。一人はちょうど五百歩ばかり離れたグチャグチャの谷地やちの中に住んでいる土神つちがみで、一人はいつも野原の南の方からやってくる茶いろのきつねだったのです。
 かばの木は、どちらかといえば狐の方がすきでした。なぜなら、土神つちがみの方は神という名こそついてはいましたが、ごく乱暴で髪もボロボロの木綿糸もめんいとたばのよう、眼も赤く、きものだってまるでワカメに、いつもはだしでつめも黒く長いのでした。ところが狐の方はたいへんに上品なふうで、めったに人を怒らせたり気にさわるようなことをしなかったのです。
 ただもし、よくよくこの二人をくらべてみたら、土神つちがみの方は正直で、狐はすこし不正直ふしょうじきだったかもしれません。

   (二)


 夏のはじめのあるばんでした。かばには、新しいやわらかな葉がいっぱいについて、いいかおりがそこらじゅういっぱい、空にはもう天の川がしらしらとわたり、星はいちめんふるえたりゆれたりともったり消えたりしていました。
 その下をきつねが詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立したておろしのこん背広せびろを着、赤革あかがわくつもキッキッとったのです。
「じつにしずかなばんですねえ。
「ええ。
 かばの木はそっと返事をしました。
「サソリぼしが向こうをはっていますね。あの赤い大きなやつを、昔はシナではくゎといったんですよ。
「火星とはちがうんでしょうか?」
「火星とはちがいますよ。火星は惑星わくせいですね。ところが、あいつは立派な恒星こうせいなんです。
「惑星、恒星ってどういうんですの?」
「惑星というのはですね、自分でひからないやつです。つまり、ほかから光を受けてやっと光るように見えるんです。恒星のほうは自分で光るやつなんです。おさまなんかはもちろん恒星ですね。あんなに大きくてまぶしいんですが、もし途方もない遠くから見たら、やっぱり小さな星に見えるんでしょうね。
「まあ、お日さまも星のうちだったんですわね。そうして見ると、空にはずいぶんたくさんのお日さまが……、あら、お星さまが……、あらやっぱり変だわ、お日さまがあるんですね。
 狐は鷹揚おうように笑いました。
「まあ、そうです。
「お星さまにはどうして、ああ赤いのや黄のや緑のやあるんでしょうね?」
 狐はまた鷹揚おうように笑ってうでを高く組みました。詩集はぷらぷらしましたが、なかなかそれで落ちませんでした。
「星にだいだいや青やいろいろあるわけですか。それはこうです。全体、星というものは、はじめはぼんやりした雲のようなもんだったんです。いまの空にもたくさんあります。たとえばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座りょうけんにもみんなあります。猟犬座のは渦巻うずまきです。それから環状リング星雲ネビュラというのもあります。魚の口の形ですから魚口フィッシュマウス星雲ネビュラともいいますね。そんなのが今の空にもたくさんあるんです。
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんて、まあどんなに立派でしょう!」
「それは立派ですよ。僕、水沢の天文台で見ましたがね。
「まあ、あたしも見たいわ。
「見せてあげましょう。ぼく、じつは望遠鏡ぼうえんきょうをドイツのツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから、来たらすぐ見せてあげましょう。
 狐はおもわず、こう言ってしまいました。そしてすぐ考えたのです。ああ、僕はたった一人のお友だちにまた、ついウソを言ってしまった。ああ、僕はほんとうにダメなやつだ。けれども決して悪い気で言ったんじゃない。よろこばせようと思って言ったんだ。あとですっかり本当のことを言ってしまおう。狐はしばらくしんとしながら、こう考えていたのでした。かばの木はそんなことも知らないでよろこんで言いました。
「まあうれしい。あなた、本当にいつでも親切だわ。
 狐はすこし、しょげながら答えました。
「ええ、そして僕はあなたのためならば、ほかのどんなことでもやりますよ。この詩集、ごらんなさいませんか? ハイネという人のですよ。翻訳ほんやくですけれども、なかなかよくできてるんです。
「まあ、おりしていいんでしょうかしら?」
「かまいませんとも。どうかゆっくりごらんなすって。じゃ、僕、もう失礼します。……はてな、何か言い残したことがあるようだ。
「お星さまの色のことですわ。
「ああそうそう、……だけどそれは今度にしましょう。僕、あんまり長くお邪魔じゃましちゃいけないから。
「あら、いいんですよ。
「僕、また来ますから。じゃ、さよなら。本はあげてきます。じゃ、さよなら。
 狐はいそがしく帰って行きました。そしてかばの木は、そのときいてきた南風にざわざわ葉を鳴らしながら、狐の置いて行った詩集をとりあげて、天の川や空いちめんの星からくるかすかな明かりにすかしてページをりました。そのハイネの詩集には、ローレライやさまざま美しい歌がいっぱいにあったのです。そしてかばの木は一晩中ひとばんじゅうよみ続けました。ただ、その野原の三時すぎ、東から金牛宮きんぎゅうきゅうののぼるころ、少しとろとろしただけでした。
 夜があけました。太陽がのぼりました。
 草にはつゆがきらめき、花はみな力いっぱいきました。
 その東北の方から、けたどうしるをからだじゅうにかぶったように朝日をいっぱいにあびて、土神つちがみがゆっくりゆっくりやって来ました。いかにも分別ふんべつくさそうにうでをこまねきながら、ゆっくりゆっくりやって来たのでした。
 かばの木は、なんだかすこしこまったように思いながら、それでも青い葉をキラキラと動かして土神つちがみのくる方を向きました。そのかげは草に落ちて、チラチラチラチラゆれました。土神つちがみはしずかにやってきて、かばの木の前に立ちました。
かばの木さん。おはよう。
「おはようございます。
「わしはね、どうも考えてみるとわからんことがたくさんある。なかなか、わからんことが多いもんだね。
「まあ、どんなことでございますの?」
「たとえばだね、草というものは黒い土から出るのだが、なぜこう青いもんだろう。黄や白の花さえくんだ。どうもわからんねえ。
「それは、草の種子たねが青や白をもっているためではないでございましょうか。
「そうだ。まあそういえばそうだが、それでもやっぱりわからんな。たとえば、秋のキノコのようなものは種子たねもなし、まったく土の中からばかり出て行くもんだ。それにもやっぱり赤や黄いろやいろいろある。わからんねえ。
「狐さんにでも聞いてみましたらいかがでございましょう?」
 かばの木はうっとり昨夜ゆうべの星のはなしをおもっていましたので、ついこう言ってしまいました。
 このことばを聞いて土神つちがみは、にわかに顔いろを変えました。そしてこぶしをにぎりました。
「なんだ? 狐? 狐が何を言いおった?」
 かばの木はおろおろごえになりました。
「なにもおっしゃったんではございませんが、ちょっとしたら、ごぞんじかと思いましたので……」
「狐なんぞに神が物を教わるとは、いったい何たることだ! えい!」
 かばの木は、もうすっかりこわくなって、プリプリプリプリゆれました。土神つちがみは歯をキシキシみながら、高くうでを組んでそこらを歩きまわりました。そのかげはまっ黒に草に落ち、草もおそれてふるえたのです。
「狐のごときは、じつに世の害悪がいあくだ。ただ一言ひとこともまことはなく、卑怯ひきょう臆病おくびょうでそれに非常にねたみぶかいのだ。うぬ、ちくしょうの分際ぶんざいとして!」
 かばの木は、やっと気をとりなおしていいました。
「もう、あなたの方のお祭りも近づきましたね。
 土神つちがみは、すこし顔色をやわらげました。
「そうじゃ。今日は五月三日、あと六日だ。
 土神つちがみはしばらく考えていましたが、にわかにまた声をあららげました。
「しかしながら、人間どもはふとどきだ。ちかごろは、わしの祭りにも供物そなえもの一つ持ってん。おのれ、今度わしの領分りょうぶんに最初に足を入れたものは、きっと泥の底に引きずりこんでやろう。
 土神つちがみは、またキリキリがみしました。
 かばの木は、せっかくなだめようと思って言ったことが、またもや、かえってこんなことになったので、もうどうしたらいいかわからなくなり、ただチラチラとその葉を風にゆすっていました。土神つちがみは日光を受けてまるで燃えるようになりながら高くうでを組み、キリキリ歯がみをしてその辺をうろうろしていましたが、考えれば考えるほど何もかもしゃくにさわってくるらしいのでした。そしてとうとうこらえきれなくなって、えるようにうなって、荒々あらあらしく自分の谷地やちに帰って行ったのでした。

   (三)


 土神つちがみのすんでいる所は小さな競馬場けいばじょうぐらいある冷たい湿地しっちで、コケやカラクサやみじかいアシなどがえていましたが、また、ところどころにはアザミやの低いひどくねじれたやなぎなどもありました。
 水がジメジメして、その表面にはあちこち赤い鉄のしぶがわきあがり、見るからドロドロで気味きみも悪いのでした。
 そのまんなかの小さな島のようになった所に、丸太でこしらえた高さ一間いっけんばかりの土神つちがみほこらがあったのです。
 土神つちがみはその島に帰ってきて、ほこらの横に長々ながながそべりました。そして、黒いやせた足をガリガリきました。土神つちがみは一羽の鳥が自分の頭の上をまっすぐにけて行くのを見ました。すぐ、土神つちがみは起きなおって「シッ!」とさけびました。鳥はびっくりしてヨロヨロっと落ちそうになり、それからまるで羽根はねも何もしびれたようにだんだん低く落ちながら、向こうへげて行きました。
 土神つちがみはすこし笑って起きあがりました。けれども、またすぐ向こうのかばの木の立っている高みの方を見ると、ハッと顔色を変えて棒立ぼうだちになりました。それからいかにもムシャクシャするというふうにそのボロボロの髪毛かみのけを両手でかきむしっていました。
 そのとき、谷地やちの南の方から一人の木樵きこりがやって来ました。三つ森山の方へかせぎに出るらしく、谷地のふちにそった細いみち大股おおまたに行くのでしたが、やっぱり土神つちがみのことは知っていたとみえて、ときどき気づかわしそうに土神つちがみほこらの方を見ていました。けれども木樵きこりには土神つちがみの形は見えなかったのです。
 土神つちがみはそれを見るとよろこんで、パッと顔をほてらせました。それから右手をそっちへ突き出して、左手でその右手の手首をつかみ、こっちへ引きよせるようにしました。すると奇体きたいなことは、木樵きこりはみちを歩いていると思いながら、だんだん谷地やちの中にふみこんでくるようでした。それから、びっくりしたように足が早くなり顔も青ざめて、口をあいていきをしました。土神つちがみは右手のこぶしをゆっくりグルッとまわしました。すると木樵きこりはだんだんグルッとまるくまわって歩いていましたが、いよいよひどくあわてだして、まるでハアハアハアハアしながら何べんも同じ所をまわり出しました。なんでも早く谷地やちからげて出ようとするらしいのでしたが、あせってもあせっても同じ所をまわっているばかりなのです。とうとう木樵きこりはおろおろ泣き出しました。そして両手をあげて走り出したのです。土神つちがみはいかにもうれしそうにニヤニヤニヤニヤ笑ってそべったままそれを見ていましたが、まもなく木樵きこりがすっかり逆上のぼせてつかれてバタッと水の中に倒れてしまいますと、ゆっくりと立ちあがりました。そしてグチャグチャ大股おおまたにそっちへ歩いて行って、倒れている木樵きこりのからだを向こうの草はらの方へポンと投げ出しました。木樵きこりは草の中にドシリと落ちて、ウウンといいながらすこし動いたようでしたが、まだ気がつきませんでした。
 土神つちがみは大声に笑いました。その声はあやしい波になって空の方へ行きました。
 空へ行った声は、まもなくそっちからはねかえってガサリとかばの木のところにも落ちて行きました。かばの木はハッと顔いろを変えて日光に青くすきとおり、せわしくせわしくふるえました。
 土神つちがみは、たまらなそうに両手でかみをかきむしりながらひとりで考えました。オレのこんなにおもしろくないというのは、第一は狐のためだ。狐のためよりはかばの木のためだ。狐とかばの木とのためだ。けれども、かばの木の方はオレはおこってはいないのだ。かばの木を怒らないために、オレはこんなにつらいのだ。かばの木さえどうでもよければ、狐などはなおさらどうでもいいのだ。オレはいやしいけれども、とにかく神の分際ぶんざいだ。それに狐のことなどを気にかけなければならないというのはなさけない。それでも気にかかるから仕方ない。かばの木のことなどは忘れてしまえ。ところがどうしても忘れられない。今朝は青ざめてふるえたぞ。あの立派だったこと、どうしても忘られない。オレはムシャクシャまぎれに、あんなあわれな人間などをいじめたのだ。けれども仕方ない。だれだってムシャクシャしたときは何をするかわからないのだ。
 土神つちがみはひとりでせつながってバタバタしました。空をまた一ぴきたかけて行きましたが、土神つちがみはこんどは何とも言わず、だまってそれを見ました。
 ずうっとずうっと遠くで、騎兵きへい演習えんしゅうらしいパチパチパチパチ塩のはぜるような鉄砲てっぽうの音が聞こえました。空から、青びかりがドクドクと野原に流れてきました。それをんだためか、さっきの草の中に投げ出された木樵きこりはやっと気がついておずおずと起きあがり、しきりにあたりを見まわしました。
 それからにわかに立って、一目散いちもくさんげ出しました。三つ森山の方へまるで一目散いちもくさんに逃げました。
 土神つちがみはそれを見て、また大きな声で笑いました。その声はまた青ぞらの方まで行き、途中とちゅうからバサリとかばの木の方へ落ちました。
 かばの木はまたハッと葉の色をかえ、見えないくらいこまかくふるいました。
 土神つちがみは自分のほこらのまわりをうろうろうろうろ何べんも歩きまわってから、やっと気がしずまったとみえて、スッと形を消し、けるようにほこらの中へ入って行きました。

   (四)


 八月のあるきりのふかいばんでした。土神つちがみはなんともいえずさびしくて、それにムシャクシャして仕方ないので、フラッと自分じぶんほこらを出ました。足はいつのまにかあのかばの木の方へ向かっていたのです。本当に土神つちがみかばの木のことを考えると、なぜかむねがドキッとするのでした。そしてたいへんにせつなかったのです。このごろはたいへんに心持こころもちが変わってよくなっていたのです。ですから、なるべくきつねのことなどかばの木のことなど考えたくないと思ったのでしたが、どうしてもそれが思えて仕方ありませんでした。オレはいやしくも神じゃないか、一本のかばの木がオレになんのあたいがある? と毎日毎日、土神つちがみはくりかえして自分で自分に教えました。それでも、どうしてもかなしくて仕方なかったのです。ことにちょっとでもあの狐のことを思い出したら、まるでからだがけるくらいつらかったのです。
 土神つちがみはいろいろ深く考えこみながら、だんだんかばの木の近くにまいりました。そのうち、とうとうはっきり自分がかばの木のとこへ行こうとしているのだということに気がつきました。すると、にわかに心持こころもちがおどるようになりました。ずいぶんしばらく行かなかったのだから、ことによったらかばの木は自分をっているのかもしれない、どうもそうらしい、そうだとすればたいへんにどくだというような考えが強く土神つちがみにおこってきました。土神つちがみは草をドシドシふみ、むねをおどらせながら大股おおまたに歩いて行きました。ところがその強い足なみもいつかヨロヨロしてしまい、土神つちがみはまるで頭から青い色のかなしみをあびて、つったなければなりませんでした。それは狐が来ていたのです。もうすっかり夜でしたが、ぼんやり月のあかりによどんだきりの向こうから狐の声が聞こえてくるのでした。
「ええ、もちろんそうなんです。器械的きかいてき対称シンメトリーの法則にばかりかなっているからって、それで美しいというわけにはいかないんです。それは死んだ美です。
「まったくそうですわ。
 しずかなかばの木の声がしました。
「ほんとうの美はそんな固定した化石かせきした模型もけいのようなもんじゃないんです。対称シンメトリーの法則にかなうっていったって、じつは対称シンメトリーの精神を持っているというぐらいのことが望ましいのです。
「ほんとうにそうだと思いますわ。
 かばの木のやさしい声がまたしました。土神つちがみは今度はまるでベラベラしたももいろの火でからだじゅうやされているように思いました。いきがせかせかして、ほんとうにたまらなくなりました。なにがそんなにお前をせつなくするのか、たかがかばの木と狐との野原の中でのみじかい会話ではないか、そんなものに心をみだされて、それでもお前は神といえるか? 土神つちがみは自分で自分をせめました。狐がまた言いました。
「ですから、どの美学の本にもこれくらいのことは論じてあるんです。
「美学の方の本、たくさんお持ちですの?」
かばの木はたずねました。
「ええ、よけいもありませんが、まあ日本語と英語とドイツ語のならたいていありますね。イタリアのは新しいんですが、まだこないんです。
「あなたのお書斎しょさい、まあどんなに立派でしょうね。
「いいえ、まるでちらばってますよ。それに研究室兼用けんようですからね。あっちのすみには顕微鏡けんびきょう、こっちには『ロンドンタイムス』、大理石のシーザーがころがったり、まるっきりゴッタゴタです。
「まあ、立派だわねえ、ほんとうに立派だわ。
 フン、と狐の謙遜けんそんのような自慢じまんのようないきの音がして、しばらくしいんとなりました。
 土神つちがみはもう、いても立ってもおられませんでした。狐の言っているのを聞くと、まったく狐の方が自分よりはえらいのでした。いやしくも神ではないかと今まで自分で自分に教えていたのが、今度はできなくなったのです。ああつらいつらい、もう飛び出して行って狐を一裂ひとさきにいてやろうか。けれどもそんなことは夢にもオレの考えるべきことじゃない。けれども、そのオレというものはなんだ、結局けっきょく、狐にもおとったもんじゃないか。いったいオレはどうすればいいのだ? 土神つちがみむねをかきむしるようにしてもだえました。
「いつかの望遠鏡ぼうえんきょう、まだこないんですの?」
かばの木が、また言いました。
「ええ、いつかの望遠鏡ぼうえんきょうですか。まだこないんです。なかなか来ないです。欧州おうしゅう航路こうろはだいぶ混乱こんらんしてますからね。来たらすぐ持ってきてお目にかけますよ。土星のなんか、それぁ美しいんですからね。
 土神つちがみはにわかに両手で耳を押さえて、一目散いちもくさんに北の方へ走りました。だまっていたら自分が何をするかわからないのがおそろしくなったのです。
 まるで一目散いちもくさんに走って行きました。いきがつづかなくなってバッタリたおれたところは三つ森山のふもとでした。
 土神つちがみは頭の毛をかきむしりながら、草をころげまわりました。それから大声で泣きました。その声は、時でもないかみなりのように空へ行って野原じゅうへ聞こえたのです。土神つちがみは泣いて泣いて疲れて、あけがた、ぼんやり自分のほこらにもどりました。

   (五)


 そのうち、とうとう秋になりました。かばの木はまだまっさおでしたが、その辺りのイノコログサはもうすっかり黄金きんいろのを出して風にひかり、ところどころ、スズランの実も赤くじゅくしました。
 ある、すきとおるように黄金きんいろの秋の日、土神つちがみはたいへん上機嫌じょうきげんでした。今年の夏からのいろいろなつらい思いが、なんだかぼうっとみんな立派なもやのようなものに変わって、頭の上にになってかかったように思いました。そしてもう、あの不思議に意地いじの悪い性質もどこかへ行ってしまって、かばの木などもきつねと話したいなら話すがいい、両方ともうれしくて話すのならほんとうにいいことなんだ、今日はそのことをかばの木に言ってやろうと思いながら、土神つちがみは心も軽くかばの木のほうへ歩いて行きました。
 かばの木は遠くからそれを見ていました。
 そして、やっぱり心配そうにブルブルふるえてちました。
 土神つちがみは進んで行って気軽きがるにあいさつしました。
かばの木さん、おはよう。じつにいい天気だな。
「おはようございます。いいお天気でございます。
天道てんとうというものはありがたいもんだ。春は赤く夏は白く秋は黄いろく、秋が黄いろになるとブドウはむらさきになる。じつにありがたいもんだ。
「まったくでございます。
「わしはな、今日はたいへんにぶんがいいんだ。今年の夏からじつにいろいろつらい目にあったのだが、やっと今朝から、にわかに心持こころもちが軽くなった。
 かばの木は返事しようとしましたが、なぜかそれが非常に重苦おもくるしいことのように思われて返事しかねました。
「わしは、いまならだれのためにでも命をやる。ミミズが死ななけぁならんなら、それにもわしは変わってやっていいのだ。
 土神つちがみは遠くの青い空を見て言いました。そのも黒く立派でした。
 かばの木はまた、なんとか返事しようとしましたが、やっぱり何かたいへん重苦おもくるしくて、わずか吐息といきをつくばかりでした。
 そのときです。狐がやってきたのです。
 狐は土神つちがみのいるのを見ると、ハッと顔いろを変えました。けれども、もどるわけにも行かず少しふるえながらかばの木の前に進んできました。
かばの木さん、おはよう。そちらにおられるのは土神つちがみですね。
 狐は赤革あかがわくつをはき、茶いろのレーンコートを着て、まだ夏帽子なつぼうしをかぶりながらこう言いました。
「わしは土神つちがみだ。いい天気だ、な。
 土神つちがみはほんとうに明るい心持こころもちでこう言いました。狐はねたましさに顔を青くしながら、かばの木に言いました。
「おきゃくさまのおでのところにあがって失礼いたしました。これは、この間お約束やくそくした本です。それから望遠鏡ぼうえんきょうは、いつか晴れたばんにお目にかけます。さよなら。
「まあ、ありがとうございます。
かばの木が言っているうちに、狐はもう土神つちがみにあいさつもしないで、さっさともどりはじめました。かばの木はサッと青くなって、また小さくプリプリふるいました。
 土神つちがみはしばらくの間、ただぼんやりと狐を見送って立っていましたが、ふと狐の赤革あかがわくつのキラッと草に光るのにびっくりしてわれにかえったと思いましたら、にわかに頭がグラッとしました。狐がいかにも意地いじをはったようにかたをいからせてぐんぐん向こうへ歩いているのです。土神つちがみはムラムラッといかりました。顔もものすごくまっくろに変わったのです。美学の本だの望遠鏡だのと、ちくしょう、さあ、どうするか見ろ! といきなり狐のあとを追いかけました。かばの木はあわててえだがいっペんにガタガタふるえ、狐もその気配けはいにどうかしたのかと思って何気なにげなくうしろを見ましたら、土神つちがみがまるで黒くなってあらしのように追ってくるのでした。さあ、狐はサッと顔いろを変え、口もまがり、風のように走ってげ出しました。
 土神つちがみはまるでそこらじゅうの草がまっ白な火になって燃えているように思いました。青くひかっていた空さえにわかにガランとまっくらあなになって、そのそこでは赤いほのおがドウドウ音を立てて燃えると思ったのです。
 二人はゴウゴウって、汽車のように走りました。
「もうおしまいだ、もうおしまいだ! 望遠鏡ぼうえんきょう、望遠鏡、望遠鏡!」
と狐は一心いっしんに頭のすみのとこで考えながら夢のように走っていました。
 向こうに小さなあかはげのおかがありました。狐はその下のまるいあなに入ろうとしてクルッと一つまわりました。それから首を低くして、いきなり中へ飛び込もうとしてうしろ足をチラッとあげたとき、もう土神つちがみはうしろからパッと飛びかかっていました。と思うと狐は、もう土神つちがみにからだをねじられて、口をとがらして少し笑ったようになったまま、グンニャリと土神つちがみの手の上に首をたれていたのです。
 土神つちがみはいきなり狐をべたに投げつけて、グチャグチャ四、五へん、ふみつけました。
 それからいきなり、狐の穴の中にとびこんで行きました。中はガランとして暗く、ただ赤土あかつちがきれいにかためられているばかりでした。土神つちがみは大きく口をまげて開けながら、すこしへんな気がして外へ出てきました。
 それから、ぐったり横になっている狐の死骸しがいの、レーンコートのかくし〔ポケット。の中に手を入れてみました。そのかくしの中には茶いろなカモガヤのが二本入っていました。土神つちがみはさっきから開いていた口をそのまま、まるで途方もない声で泣き出しました。
 そのなみだは雨のように狐にり、狐はいよいよ首をぐんにゃりとして、うすら笑ったようになって死んでいたのです。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



フランドン農学校の豚

宮沢賢治


〔冒頭原稿一枚? なし〕
「……以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取せっしゅして、脂肪ぼうもしくはタンパクしつとなし、その体内に蓄積ちくせきす。
とこう書いてあったから、農学校の畜産ちくさんの、助手やまた小使こづかいなどは、金石でないものならばどんなものでもかたぱしから、持ってきてほうりだしたのだ。
 もっともこれは豚の方では、それが生まれつきなのだし、充分じゅうぶんによくなれていたから、けしていやだとも思わなかった。かえってある夕方などは、ことに豚は自分の幸福を感じて、天上に向いて感謝していた。というわけはその晩方、化学を習った一年生の生徒が、自分の前に来ていかにも不思議そうにして、豚のからだをながめていた。豚の方でもときどきは、あの小さなそら豆形まめがたおこったようなをあげて、そちらをチラチラ見ていたのだ。その生徒が言った。
「ずいぶん豚というものは、奇体きたいなことになっている。水やスリッパやわらをたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだは、まあたとえば生きた一つの触媒しょくばいだ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし、有機体では豚なのだ。考えれば考えるくらい、これは変になることだ。
 豚はもちろん自分の名が、白金とならべられたのを聞いた。それから豚は、白金が一匁いちもんめ三十円することをよく知っていたものだから、自分のからだが二十貫で、いくらになるということも勘定かんじょうがすぐできたのだ。豚はピタッと耳をふせ、眼を半分だけ閉じて、前肢まえあしをキクッとまげながらその勘定をやったのだ。
 20×1000×30=600000、じつに六十万円だ。六十万円といったなら、そのころのフランドンあたりでは、まあ第一流の紳士しんしなのだ。いまだってそうかもしれない。さあ第一流の紳士だもの、豚がすっかり幸福を感じ、あの頭のかげの方のサメによく似た大きな口を、ニヤニヤまげてよろこんだのも、けして無理とはいわれない。
 ところが豚の幸福も、あまり長くは続かなかった。
 それから二、三日たって、そのフランドンの豚は、ドサリと上から落ちてきたひとかたまりの食べ物から、(大学生諸君、意志を強固きょうこに持ちたまえ。いいかな。)食べ物の中から、ちょっと細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直そっちょくにいうならば、ラクダ印のみがき楊子ようじ、それを見たのだ。どうもいやな説教で、せっかく洗礼を受けた大学生諸君にすまないが、すこしこらえてくれたまえ。
 豚はじつにギョッとした。いったい、その楊子ようじの毛を見ると、自分のからだじゅうの毛が風にかれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚はじつに長い間、変な顔してながめていたが、とうとう頭がクラクラして、いやないやな気分になった。いきなり向こうの敷藁しきわらに頭をめてクルッとてしまったのだ。
 晩方になりすこし気分がよくなって、豚はしずかに起きあがる。気分がいいと言ったって、結局、豚の気分だからリンゴのようにサクサクし、青空のように光るわけではもちろんない。これ、灰色の気分である。灰色にしてややつめたく、透明とうめいなるところの気分である。さればまことに豚の心持ちをわかるには、豚になってみるよりいたし方ない。
 外来ヨークシャーでもまた黒いバークシャーでも豚は決して自分が魯鈍ろどんだとか、怠惰たいだだとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らな背中を棒でドシャッとやられたとき、なんと感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか、イタリア語だろうか、ドイツ語だろうか、英語だろうか。さあどう表現したらいいか。さりながら、結局はさけび声以外わからない。カント博士と同様にまったく不可知なのである。
 さて、豚はずんずんふとり、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日きてはするどい眼で、じっとその生体量を計算しては帰って行った。
「もすこしきちんと窓をしめて、室中へやじゅう暗くしなくては、あぶらがうまくかからんじゃないか。それに、もうそろそろと肥育をやってもよかろうな。毎日、阿麻仁あまにを少しずつやっておいてくれないか。
 教師は、若い水色の上着うわぎの助手にこう言った。豚はこれをすっかりいた。そしてまた、たいへんいやになった。楊子ようじのときと同じだ。せっかくのその阿麻仁あまにも、どうもうまく咽喉のどを通らなかった。これらはみんな畜産の、その教師の語気について豚が直覚したのである。
(とにかくあいつら二人は、おれに食べ物はよこすが、ときどきまるで北極の空のような眼をして、おれのからだをじっと見る。じつになんともたまらない、とりつきばもないようなきびしい心で、おれのことを考えている。そのことはこわい、ああ、恐い。
 豚は心に思いながら、もうたまらなくなり、前のさくをムチャクチャに鼻でっついた。
 ところが、ちょうどその豚の殺される前の月になって、一つの布告がその国の王から発令されていた。
 それは家畜撲殺ぼくさつ同意調印法といい、だれでも家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡承諾書しょうだくしょを受けとること、またその承諾証書には家畜の調印を要すると、こういう布告だったのだ。
 さあそこでそのころは、牛でも馬でももうみんな、殺される前の日には主人から無理にいられて、証文にペタリと印をしたもんだ。ごく年寄りの馬などは、わざわざ蹄鉄ていてつをはずされて、ボロボロなみだをこぼしながら、その大きな判をパタッと証書に押したのだ。
 フランドンのヨークシャーもまた、活版刷りにできているその死亡証書を見た。見たというのは、ある日のこと、フランドン農学校の校長が大きな黄色の紙を持ち、豚のところにやってきた。豚は語学もよほど進んでいたのだし、また実際、豚の舌はやわらかで素質もじゅうぶんあったので、ごく流暢りゅうちょうな人間語で、しずかに校長にあいさつした。
「校長さん、いいお天気でございます。
 校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、苦笑いしてこういった。
「うんまあ、天気はいいね。
 豚はなんだか、このことばが耳に入って、それから咽喉のどにつかえたのだ。おまけに校長がジロジロと豚のからだを見ることは、まったくあの畜産の教師とおんなじことなのだ。
 豚は悲しく耳をふせた。そしてこわごわこう言った。
「私はどうも、このごろは気がふさいで仕方ありません。
 校長はまた苦笑いをしながら、豚にこういった。
「ふん、気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そういうわけでもないのかい。
 豚があんまり陰気いんきな顔をしたものだから、校長は急いで取り消しました。
 それから農学校長と、豚とはしばらくしいんとしてにらみあったまま立っていた。ただ一言ひとこともいわないで、じいっと立っておったのだ。そのうちにとうとう校長は、今日は証書はあきらめて、
「とにかく、よくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。
 例の黄いろな大きな証書を小わきにかいこんだまま、向こうの方へ行ってしまう。
 豚はそのあとで何べんも、校長の今の苦笑や、いかにも底意そこいのあることばを、くり返しくり返ししてみて、身ぶるいしながらひとりごとした。
『とにかく、よくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。
 いったいこれはどういうことか。ああ、つらいつらい。豚はこう考えて、まるであの梯形ていけいの、頭も割れるように思った。おまけにその晩は強い吹雪で、外では風がすさまじく、かわいたカサカサした雪のかけらが小屋のすきまから吹きこんで、豚の食べ物のあまりも雪でまっ白になったのだ。
 ところが次の日のこと、畜産学の教師がまたやってきて、例の水色の上着うわぎをきた顔の赤い助手といつものするどい眼つきして、じっと、豚の頭から耳から背中から尻尾しっぽまで、まるでまるで食い込むようにながめてから、とがった指を一本立てて、
「毎日、阿麻仁あまにをやってあるかね?」
「やってあります。
「そうだろう。もう明日だって明後日あさってだっていいんだから。早く承諾書をとれぁいいんだ。どうしたんだろう、昨日校長は、たしかに証書をわきにはさんでこっちの方へ来たんだが……。
「はい、お入りのようでした。
「それでは、もうできてるかしら。できればすぐよこすはずだがね。
「はあ。
「もすこしへやを暗くしておいたらどうだろうか。それからやる前の日には、何にも飼料しりょうをやらんでくれ。
「はあ、きっとそういたします。
 畜産の教師はするどい目で、もういっぺんジイッと豚を見てから、それから室を出て行った。
 そのあとの豚の煩悶はんもんさ……(承諾書というのは、何の承諾書だろう、何をいったいしろというのだ。やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日ってなんだろう。いったい何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい。
 豚の頭の割れそうなことはこの日も同じだ。その晩、豚はあんまりに神経が興奮しすぎてよくねむることができなかった。ところが次の朝になって、やっと太陽が登ったころ、寄宿舎の生徒が三人、ゲタゲタ笑って小屋へきた。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、またもやイヤな会話を聞かせたのだ。
「いつだろうなあ、早く見たいなあ。
ぼくは見たくないよ。
「早いといいなあ。かこっておいたネギだって、あんまり長いとこおっちまう。
馬鈴薯ばれいしょもしまってあるだろう。
「しまってあるよ。三しまってある。とてもぼくたちだけで食べられるもんか。
今朝けさはずいぶん冷たいねえ。
 一人が白い息を手に吹きかけながらこういいました。
「豚のやつは暖かそうだ。
 一人がこう答えたら、三人ともドッと吹き出しました。
「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套がいとうを着てるんだもの、暖かいさ。
「暖かそうだよ。どうだ。湯気ゆげさえホヤホヤと立っているよ。
 豚はあんまり悲しくて、つらくてヨロヨロしてしまう。
「早くやっちまえばいいな。
 三人はつぶやきながら小屋を出た。そのあとの豚の苦しさ……(見たい、見たくない、早いといい、ネギが凍る、ジャガイモ三斗、食いきれない。厚さ一寸の脂肪の外套がいとう、おお恐い、ひとのからだをまるで観透みとおしてる、おおこわい。こわい。けれどもいったいおれとネギと、何の関係があるだろう。ああつらいなあ。)その煩悶はんもんの最中に校長がまたやってきた。入口でバタバタ雪を落として、それから例のあいまいな苦笑をしながら前に立つ。
「どうだい、今日は気分がいいかい?」
「はい、ありがとうございます。
「いいのかい。たいへん結構けっこうだ。食べ物は美味おいしいかい?」
「ありがとうございます。たいへんに結構けっこうでございます。
「そうかい。それはいいね。ところでじつは今日はお前と、内々ないない相談にきたのだがね。どうだ頭ははっきりかい?」
「はあ。
 豚は声がかすれてしまう。
「じつはね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際、もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持ちでも、また私のような中産階級でも、それからごくつまらない乞食こじきでもね。
「はあ、……」
 豚は声が咽喉のどにつまって、はっきり返事ができなかった。
「また人間でない動物でもね。たとえば馬でも、牛でも、ニワトリでも、ナマズでも、バクテリアでも、みんな死ななけぁいかんのだ。カゲロウのごときはあしたに生まれ、ゆうべに死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのに決まってる。
「はあ……。
 豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。
「そこでじつは相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養ってきた。たいしたこともなかったが、学校としてはできるだけ、ずいぶん大事にしたはずだ。お前たちの仲間もあちこちにずいぶんあるし、また私もまあよく知っているのだが、で、そう言っちゃおかしいが、まあ私のところぐらい、待遇たいぐうのよいところはない。
「はあ。
 豚は返事しようと思ったが、その前に食べた物が、みんな咽喉のどへつかえててどうしても声が出て来なかった。
「でね、じつは相談だがね、お前がもしもすこしでもそんなようなことが、ありがたいという気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしてはもらえまいか。
「はあ。
 豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。
「それはほんの小さなことだ。ここにこういう紙がある、この紙にこう書いてある。『死亡承諾書、私永々御恩顧ごおんこ次第しだい有之候儘これありそうろうまま、ご都合つごうにより、いつにても死亡つかまつるべく候年月日フランドン畜舎ちくしゃ内、ヨークシャー、フランドン農学校長殿どの』と、これだけのことだがね……。
 校長はもう言い出したので、一瀉いっしゃ千里せんりにまくしかけた。
「つまりお前は、どうせ死ななけぁいかないからその死ぬときはもういさぎよく、いつでも死にますとこういうことで、いっこう何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、いっこう死ぬこともいらないよ。ここのところへ、ただちょっとお前の前肢まえあし爪印つめいんを、一つ押しておいてもらいたい。それだけのことだ。
 豚はまゆをよせて、つきつけられた証書をじっとしばらくながめていた。校長のいうとおりなら何でもないが、つくづくと証書の文句を読んで見ると、まったくたいへんにこわかった。とうとう豚はこらえかねてまるで泣き声でこういった。
「いつにてもということは、今日でもということですか?」
 校長はギクッとしたが、気をとりなおしてこういった。
「まあそうだ。けれども今日だなんて、そんなことは決してないよ。
「でも、明日でもというんでしょう?」
「さあ、明日なんていうよう、そんな急でもないだろう。いつでも、いつかというような、ごくあいまいなことなんだ。
「死亡をするということは、私が一人で死ぬのですか?」
 豚はまた金切かなきり声でこう聞いた。
「うん、すっかりそうでもないな。
「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。
 豚は泣いてさけんだ。
「いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬ねこにさえおとったやつだ。
 校長はプンプン怒り、顔をまっ赤にしてしまい、証書をポケットに手早くしまい、大股おおまたに小屋を出て行った。
「どうせ犬猫なんかには、はじめから劣っていますよう。わあ!」
 豚は、あんまりくやしさや悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣きだした。けれども半日ほど泣いたら、二晩も眠らなかったつかれが、いっぺんにどっと出てきたので、つい泣きながら寝込ねこんでしまう。そのねむりの中でも豚は、何べんも何べんもおびえ、手足をブルッと動かした。
 ところがその次の日のことだ。あの畜産の担任が、助手をつれてまたやってきた。そして例のたまらない目つきで豚をながめてから、たいへん機嫌きげんの悪い顔で助手にむかってこう言った。
「どうしたんだい? すてきに肉が落ちたじゃないか。これじゃまるきり話にならん。百姓ひゃくしょうのうちでったって、これくらいにはできるんだ。いったい、どうしたてんだろう。心あたりがつかないかい? 頬肉ほおにくなんかあんまり減った。おまけにショルダーだって、こんなにうすくちゃなってない。品評会へも出せぁしない。いったいどうしたてんだろう?」
 助手はくちびるへ指をあて、しばらくじっと考えて、それからぼんやり返事した。
「さあ……、昨日の午後ごごに校長がおいでになっただけでした。それだけだったと思います。
 畜産の教師は飛び上がる。
「校長? そうかい。校長だ。きっと承諾書を取ろうとして、すてきな不間ぶまをやったんだ。おじけさせちゃったんだな。それでこいつはグルグルして昨夜一晩寝ないんだな。まずいことになったなあ。おまけにきっと承諾書も、取りそこねたにちがいない。まずいことになったなあ。
 教師はじつにくやしそうに、しばらくキリキリ歯を鳴らし、うでを組んでからまた言った。
「えい、仕方ない。窓をすっかり開けてくれ。それから外へ連れ出して、すこし運動させるんだ。ムチャクチャにたたいたり、走らしたりしちゃいけないぞ。日の照らないところを、厩舎きゅうしゃかげのあたりの雪のない草はらを、そろそろ連れて歩いてくれ。一回十五分くらい、それから飼料をやらないですこし腹をかせてやれ。すっかり気分がなおったらキャベジのいいところを少しやれ。それからだんだんなおったら、今までどおりにすればいい。まるで一か月の肥育を、一晩で台なしにしちまった。いいかい。
「承知いたしました。
 教師は教員室へ帰り、豚はもうすっかり気落ちして、ぼんやりと向こうのかべを見る。動きもさけびもしたくない。ところへ助手が細いムチを持って笑って入ってきた。助手はかこいの出口をあけ、ごく叮寧ていねいに言ったのだ。
「すこしご散歩はいかがです? 今日はたいへんよく晴れて、風もしずかでございます。それではお供いたしましょう。
 ピシッとムチが背中にくる。まったくこいつはたまらない。ヨークシャーは仕方なくノソノソ畜舎を出たけれど、胸は悲しさでいっぱいで、歩けばけるようだった。助手はのんきにうしろから、チッペラリーの口笛くちぶえいてゆっくりやってくる。ムチもブラブラふっている。
 全体、何がチッペラリーだ。こんなにわたしは悲しいのに、と豚はたびたび口をまげる。ときどきは、
「ええ、もうすこし左の方を、お歩きなさいましては、いかがでございますか?」
 なんて、口ばかりうまいことをいいながら、ピシッとムチをくれたのだ。(この世はほんとうにつらいつらい、本当に苦の世界なのだ。)コテッとぶたれて散歩しながら豚はつくづく考えた。
「さあいかがです、そろそろお休みなさいませ。
 助手はまた一つピシッとやる。ウルトラ大学生諸君、こんな散歩がなんでおもしろいだろう。からだのためも何もあったもんじゃない。
 豚は仕方なくまた畜舎にもどり、ゴロッとわらに横になる。キャベジの青いいい所を助手はわずか持ってきた。豚は食べたくなかったが、助手が向こうに直立してなんともいえない恐い眼で上からじっと待っている。ほんとうにもう仕方なく、すこしそれをじるふりをしたら、助手はやっと安心して一つ「ふん。」と笑ってからチッペラリーの口笛をまた吹きながら出て行った。いつか窓がすっかり開け放してあったので、豚は寒くてたまらなかった。
 こんなぐあいにヨークシャーは一日思いにしずみながら、三日をゆめのように送る。
 四日目に、また畜産の教師が助手とやってきた。チラッと豚を一眼見て、手をりながら助手にいう。
「いけない、いけない。君はなぜ、僕のいったとおりしなかった?」
「いいえ、窓もすっかり開けましたし、キャベジのいいのもやりました。運動も毎日ていねいに、十五分ずつやらしています。
「そうかね。そんなにまでもしてやって、やっぱり、うまくいかないかね。じゃもう、こいつはやせる一方なんだ。神経性栄養不良なんだ。わきからどうもできやしない。あんまり骨と皮だけにならないうちに決めなくちゃ、どこまで行くかわからない。おい。窓をみな閉めてくれ。そして肥育器を使うとしよう。飼料をどしどし押しこんでくれ。麦のふすまを二升とね、阿麻仁あまにを二合、それからトウモロコシの粉を五合を水でこねて、団子だんごにこさえて一日に、二度か三度ぐらいにわけて、肥育器にかけてくれたまえ。肥育器はあったろう?」
「はい、ございます。
「こいつはしばっておきたまえ。いや、しばる前に早く承諾書をとらなくちゃ。校長もさっぱりまずいなぁ。
 畜産の教師は大いそぎで、教舎の方へ走って行き、助手もあとから出て行った。
 まもなく農学校長が、たいへんあわててやってきた。豚は身体からだの置き場もなく、鼻で敷藁しきわらったのだ。
「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。先頃せんころの死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても爪判を押してもらいたい。べつにたいしたことじゃない。押してくれ。
「いやです、いやです。
 豚は泣く。
「いやだ? おい。あんまり勝手をいうんじゃない。その身体からだは全体みんな、学校のおかげでできたんだ。これからだって毎日麦のふすま二升、阿麻仁あまに二合とトウモロコシの粉五合ずつやるんだぞ、さあいいかげんに判をつけ、さあ、つかないか!」
 なるほどこうおこり出してみると、校長なんというものは、実際こわいものなんだ。豚はすっかりおびえてしまい、
「つきます。つきます。
と、かすれた声で言ったのだ。
「よろしい、では。
と校長は、やっとのことに機嫌きげんをなおし、手早くあの死亡承諾書の黄いろな紙をとり出して、豚の眼の前にひろげたのだ。
「どこへつけばいいんですか?」
 豚は泣きながらたずねた。
「ここへ。おまえの名前の下へ。
 校長はじっとメガネ越しに、豚の小さな眼を見て言った。豚は口をビクビク横にまげ、短い前の右肢みぎあしをキクッとあげて、それからピタリと印をおす。
「うはん。よろしい。これでいい。
 校長は紙をひっぱって、よくその判を調べてから、機嫌をなおしてこういった。戸口で待っていたらしく、あの意地わるい畜産の教師がいきなりやってきた。
「いかがです? うまく行きましたか。
「うん。まあできた。ではこれは、あなたにあげておきますから。ええ、肥育は何日ぐらいかね?」
「さあ、いずれ模様を見まして。ニワトリやアヒルなどですと、きっとまちがいなくふとりますが、こういう神経過敏かびんな豚は、あるいは強制肥育ではうまく行かないかもしれません。
「そうか。なるほど。とにかくしっかりやりたまえ。
 そして校長は帰って行った。今度は助手がヘンテコな、ねじのついたズックの管と、何かのバケツを持ってきた。畜産の教師は言いながら、そのバケツの中のものをちょっとつまんで調べてみた。
「そいじゃ、豚をしばってくれ。
 助手はマニラロープを持って、囲いの中に飛び込んだ。豚はバタバタ暴れたが、とうとう囲いのすみにある二つの鉄のに、右側の足を二本ともしばられた。
「よろしい、それではこのはしを、咽喉のどへ入れてやってくれ。
 畜産の教師はいいながら、ズックの管を助手に渡す。
「さあ、口をお開きなさい。さあ口を。
 助手はしずかに言ったのだが、豚はかたく歯を食いしばり、どうしても口を開かなかった。
「仕方ない。こいつをましてやってくれ。
 短いはがねの管を出す。
 助手はギシギシその管を豚の歯のあいだにねじんだ。豚はもうあらんかぎり、怒鳴どなったり泣いたりしたが、とうとう管をはめられて、咽喉のどの底だけで泣いていた。助手はその鋼の管のあいだから、ズックの管を豚の咽喉のどまで押しこんだ。
「それでよろしい。ではやろう。
 教師はバケツの中のものを、ズック管の端の漏斗じょうごに移して、それから変な螺旋らせんを使い食物を豚の胃に送る。豚はいくら飲むまいとしても、どうしても咽喉のどで負けてしまい、その練ったものが胃の中に入って、だんだん腹が重くなる。これが強制肥育だった。
 豚の気持ちの悪いこと、まるで夢中むちゅうで一日泣いた。
 次の日、教師がまたきて見た。
「うまい、ふとった。効果がある。これから毎日小使こづかいと、二人で二度ずつやってくれ。
 こんなぐあいでそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ、胃が無暗むやみに重苦しくそれからいやにほおかたがふくらんできて、おしまいは息をするのもつらいくらい、生徒もかわるがわる来て、なにかいろいろ言っていた。
 あるときは生徒が十人ほどやってきて、ガヤガヤこう言った。
「ずいぶん大きくなったなあ、何貫ぐらいあるだろう?」
「さあ、先生なら一目ひとめ見て、何百目まで言うんだが、おれたちじゃ、ちょっとわからない。
「比重がわからないからなあ。
「比重はわかるさ比重なら、たいてい水と同じだろう。
「どうしてそれがわかるんだい?」
「だって、たいていそうだろう。もしもこいつを水に入れたら、きっとしずみもかびもしない。
「いいや、たしかに沈まない、きっと浮かぶにきまってる。
「それは脂肪しぼうのためだろう、けれど豚にも骨はある。それから肉もあるんだから、たぶん比重は一ぐらいだ。
「比重をそんなら一として、こいつは何斗あるだろう?」
「五斗五升はあるだろう。
「いいや五斗五升などじゃない。少なく見ても八斗ある。
「八斗なんかじゃきかないよ。たしかに九斗はあるだろう。
「まあ、七斗としよう。七斗なら水一斗が五貫だから、こいつはちょうど三十五貫。
「三十五貫はあるな。
 こんなはなしを聞きながら、どんなに豚は泣いたろう。なんでもこれはあんまりひどい。ひとのからだをますではかる。七斗だの八斗だのという。
 そうしてちょうど七日目にまたあの教師が助手と二人、ならんで豚の前に立つ。
「もういいようだ。ちょうどいい。このくらいまで肥ったら、まあ極度だろう。このへんだ。あんまり肥育をやりすぎて一度病気にかかっても、またあとまわりになるだけだ。ちょうど明日がいいだろう。今日はもうえさをやらんでくれ。それから小使こづかいと二人して、からだをすっかり洗ってくれ。敷藁しきわらも新しくしてね。いいか。
「承知いたしました。
 豚はこれらの問答を、もう全身の勢力で耳をすましていていた。(いよいよ明日だ、それがあの、証書の死亡ということか。いよいよ明日だ、明日なんだ。いったいどんなことだろう、つらいつらい。)あんまり豚はつらいので、頭をゴツゴツ板へぶっつけた。
 その昼すぎにまた助手が、小使こづかいと二人やってきた。そしてあの二つの鉄環てつわから、豚の足を解いて助手がいう。
「いかがです? 今日は一つ、お風呂ふろをおしなさいませ。すっかりお仕度したくができています。
 豚がまだ承知とも、なんとも言わないうちに、ムチがピシッとやってきた。豚は仕方なく歩き出したが、あんまり肥ってしまったので、もう動くことの大儀たいぎなこと、三足で息がハアハアした。
 そこへムチがピシッときた。豚はまるでつぶれそうになり、それでもようよう畜舎の外まで出たら、そこに大きな木のはちに湯が入ったのが置いてあった。
「さあ、この中にお入りなさい。
 助手がまた一つパチッとやる。豚はもうやっとのことで、ころげむようにしてその高いふちえて、鉢の中へ入ったのだ。
 小使こづかいが大きなブラシをかけて、豚のからだをきれいに洗う。そのブラシをチラッと見て、豚はバカのようにさけんだ。というわけは、そのブラシがやっぱり豚の毛でできた。豚がわめいているうちにからだがすっかり白くなる。
「さあ、まいりましょう。
助手がまた、一つピシッと豚をやる。
 豚は仕方なく外に出る。寒さがゾクゾクからだにみる。豚はとうとうクシャミをする。
風邪かぜを引きますぜ、こいつは。
小使こづかいが眼を大きくして言った。
「いいだろうさ。くさりがたくて。
助手が苦笑して言った。
 豚がまた畜舎へ入ったら、敷藁がきれいに変えてあった。寒さはからだを刺すようだ。それに今朝けさからまだ何も食べないので、胃ももうカラになったらしく、嵐のようにゴウゴウ鳴った。
 豚はもう眼もあけず、頭がしんしん鳴り出した。ヨークシャーの一生の間のいろいろなおそろしい記憶きおくが、まるきりまわ灯篭どうろうのように、明るくなったり暗くなったり、頭の中をすぎていく。さまざまな恐ろしい物音を聞く。それは豚の外で鳴ってるのか、あるいは豚の中で鳴ってるのか、それさえわからなくなった。そのうち、もういつか朝になり、教舎の方でかねがなる。まもなくガヤガヤ声がして、生徒がたくさんやってきた。助手もやっぱりやってきた。
「外でやろうか。外の方がやはりいいようだ。連れ出してくれ。おい。連れ出してあんまりギーギー言わせないようにね。まずくなるから。
 畜産の教師がいつのまにか、ふだんとちがった茶いろなガウンのようなものを着て入口の戸に立っていた。
 助手がまじめに入ってくる。
「いかがですか? 天気もたいへんいいようです。今日すこし、ご散歩なすっては?」
 また一つムチをピチッとあてた。豚はまったく異議もなく、ハアハアほおをふくらせて、グタッグタッと歩き出す。前や横を、生徒たちの二本ずつの黒い足がゆめのように動いていた。
 にわかにカッと明るくなった。外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりグタグタ歩いて行った。
 全体どこへ行くのやら、向こうに一本のすぎがある。チラッと頭をあげたとき、にわかに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンというするどい音が鳴っている。横の方ではゴウゴウ水がいている。さあ、それからあとのことならば、もう私は知らないのだ。とにかく豚のすぐ横にあの畜産の、教師が、大きな鉄槌てっついを持ち、息をハアハアきながら、すこし青ざめて立っている。また豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっと動かなくなっていた。
 生徒らはもう大活動、豚の身体からだを洗ったおけに、もう一度新しく湯がくまれ、生徒らはみな上着うわぎそでを、高くまくって待っていた。
 助手が大きな小刀で、豚の咽喉のどをザクッと刺しました。
 いったいこの物語は、あんまりあわれすぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎きゅうしゃのうしろに積みあげられた。雪の中に一晩けられた。
 さて大学生諸君、その晩、空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月げんげつが、青じろい水銀のひかりをそこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい白い雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになってうずまった。月はだまってすぎて行く。夜はいよいよえたのだ。



底本:「新編 風の又三郎」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年2月25日発行
   2001(平成13)年4月25日14刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集」筑摩書房
入力:久保格
校正:林 幸雄
2003年8月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



土神と狐

宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)樺《かば》の木

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)又一|疋《ぴき》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)(一)[#「(一)」は縦中横]
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     (一)[#「(一)」は縦中横]

 一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺《かば》の木がありました。
 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝は美しく伸びて、五月には白き雲をつけ、秋は黄金《きん》や紅やいろいろの葉を降らせました。
 ですから渡り鳥のくゎくこうや百舌《もず》も、又小さなみそさゞいや目白もみんなこの木に停《と》まりました。たゞもしも若い鷹《たか》などが来てゐるときは小さな鳥は遠くからそれを見付けて決して近くへ寄りませんでした。
 この木に二人の友達がありました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地《やち》の中に住んでゐる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐《きつね》だったのです。
 樺の木はどちらかと云《い》へば狐の方がすきでした。なぜなら土神の方は神といふ名こそついてはゐましたがごく乱暴で髪もぼろぼろの木綿糸の束のやう眼《め》も赤くきものだってまるでわかめに似、いつもはだしで爪《つめ》も黒く長いのでした。ところが狐の方は大へんに上品な風で滅多《めった》に人を怒らせたり気にさはるやうなことをしなかったのです。
 たゞもしよくよくこの二人をくらべて見たら土神の方は正直で狐は少し不正直だったかも知れません。

     (二)[#「(二)」は縦中横]

 夏のはじめのある晩でした。樺には新らしい柔らかな葉がいっぱいについていゝかをりがそこら中いっぱい、空にはもう天の川がしらしらと渡り星はいちめんふるへたりゆれたり灯《とも》ったり消えたりしてゐました。
 その下を狐が詩集をもって遊びに行ったのでした。仕立おろしの紺の背広を着、赤革の靴《くつ》もキッキッと鳴ったのです。
「実にしづかな晩ですねえ。」
「えゝ。」樺の木はそっと返事をしました。
「蝎《さそり》ぼしが向ふを這《は》ってゐますね。あの赤い大きなやつを昔は支那《しな》では火《くゎ》と云ったんですよ。」
「火星とはちがふんでせうか。」
「火星とはちがひますよ。火星は惑星ですね、ところがあいつは立派な恒星なんです。」
「惑星、恒星ってどういふんですの。」
「惑星といふのはですね、自分で光らないやつです。つまりほかから光を受けてやっと光るやうに見えるんです。恒星の方は自分で光るやつなんです。お日さまなんかは勿論《もちろん》恒星ですね。あんなに大きくてまぶしいんですがもし途方もない遠くから見たらやっぱり小さな星に見えるんでせうね。」
「まあ、お日さまも星のうちだったんですわね。さうして見ると空にはずゐぶん沢山のお日さまが、あら、お星さまが、あらやっぱり変だわ、お日さまがあるんですね。」
 狐《きつね》は鷹揚《おうやう》に笑ひました。
「まあさうです。」
「お星さまにはどうしてあゝ赤いのや黄のや緑のやあるんでせうね。」
 狐は又鷹揚に笑って腕を高く組みました。詩集はぷらぷらしましたがなかなかそれで落ちませんでした。
「星に橙《だいだい》や青やいろいろある訳ですか。それは斯《か》うです。全体星といふものははじめはぼんやりした雲のやうなもんだったんです。いまの空にも沢山あります。たとへばアンドロメダにもオリオンにも猟犬座にもみんなあります。猟犬座のは渦巻きです。それから環状星雲《リングネビュラ》といふのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲《フィッシュマウスネビュラ》とも云ひますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」
「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でせう。」
「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で見ましたがね。」
「まあ、あたしも見たいわ。」
「見せてあげませう。僕実は望遠鏡を独乙《ドイツ》のツァイスに注文してあるんです。来年の春までには来ますから来たらすぐ見せてあげませう。」狐は思はず斯う云ってしまひました。そしてすぐ考へたのです。あゝ僕はたった一人のお友達にまたつい偽《うそ》を云ってしまった。あゝ僕はほんたうにだめなやつだ。けれども決して悪い気で云ったんぢゃない。よろこばせやうと思って云ったんだ。あとですっかり本当のことを云ってしまはう、狐はしばらくしんとしながら斯う考へてゐたのでした。樺《かば》の木はそんなことも知らないでよろこんで言ひました。
「まあうれしい。あなた本当にいつでも親切だわ。」
 狐は少し悄気《しょげ》ながら答へました。
「えゝ、そして僕はあなたの為《ため》ならばほかのどんなことでもやりますよ。この詩集、ごらんなさいませんか。ハイネといふ人のですよ。翻訳ですけれども仲々よくできてるんです。」
「まあ、お借りしていゝんでせうかしら。」
「構ひませんとも。どうかゆっくりごらんなすって。ぢゃ僕もう失礼します。はてな、何か云ひ残したことがあるやうだ。」
「お星さまのいろのことですわ。」
「あゝさうさう、だけどそれは今度にしませう。僕あんまり永くお邪魔しちゃいけないから。」
「あら、いゝんですよ。」
「僕又来ますから、ぢゃさよなら。本はあげてきます。ぢゃ、さよなら。」狐はいそがしく帰って行きました。そして樺《かば》の木はその時吹いて来た南風にざわざわ葉を鳴らしながら狐《きつね》の置いて行った詩集をとりあげて天の川やそらいちめんの星から来る微《かす》かなあかりにすかして頁《ページ》を繰りました。そのハイネの詩集にはロウレライやさまざま美しい歌がいっぱいにあったのです。そして樺の木は一晩中よみ続けました。たゞその野原の三時すぎ東から金牛宮《きんぎうきゅう》ののぼるころ少しとろとろしただけでした。
 夜があけました。太陽がのぼりました。
 草には露がきらめき花はみな力いっぱい咲きました。
 その東北の方から熔《と》けた銅の汁をからだ中に被《かぶ》ったやうに朝日をいっぱいに浴びて土神がゆっくりゆっくりやって来ました。いかにも分別くささうに腕を拱《こまね》きながらゆっくりゆっくりやって来たのでした。
 樺の木は何だか少し困ったやうに思ひながらそれでも青い葉をきらきらと動かして土神の来る方を向きました。その影は草に落ちてちらちらちらちらゆれました。土神はしづかにやって来て樺の木の前に立ちました。
「樺の木さん。お早う。」
「お早うございます。」
「わしはね、どうも考へて見るとわからんことが沢山ある、なかなかわからんことが多いもんだね。」
「まあ、どんなことでございますの。」
「たとへばだね、草といふものは黒い土から出るのだがなぜかう青いもんだらう。黄や白の花さへ咲くんだ。どうもわからんねえ。」
「それは草の種子が青や白をもってゐるためではないでございませうか。」
「さうだ。まあさう云へばさうだがそれでもやっぱりわからんな。たとへば秋のきのこのやうなものは種子もなし全く土の中からばかり出て行くもんだ、それにもやっぱり赤や黄いろやいろいろある、わからんねえ。」
「狐さんにでも聞いて見ましたらいかゞでございませう。」
 樺の木はうっとり昨夜《ゆふべ》の星のはなしをおもってゐましたのでつい斯《か》う云ってしまひました。
 この語《ことば》を聞いて土神は俄《には》かに顔いろを変へました。そしてこぶしを握りました。
「何だ。狐? 狐が何を云ひ居《を》った。」
 樺の木はおろおろ声になりました。
「何も仰《お》っしゃったんではございませんがちょっとしたらご存知かと思ひましたので。」
「狐なんぞに神が物を教はるとは一体何たることだ。えい。」
 樺の木はもうすっかり恐《こは》くなってぷりぷりぷりぷりゆれました。土神は歯をきしきし噛《か》みながら高く腕を組んでそこらをあるきまはりました。その影はまっ黒に草に落ち草も恐れて顫《ふる》へたのです。
「狐《きつね》の如《ごと》きは実に世の害悪だ。たゞ一言もまことはなく卑怯《ひけふ》で臆病《おくびゃう》でそれに非常に妬《ねた》み深いのだ。うぬ、畜生の分際として。」
 樺《かば》の木はやっと気をとり直して云ひました。
「もうあなたの方のお祭も近づきましたね。」
 土神は少し顔色を和げました。
「さうぢゃ。今日は五月三日、あと六日だ。」
 土神はしばらく考へてゐましたが俄《には》かに又声を暴《あら》らげました。
「しかしながら人間どもは不届だ。近頃《ちかごろ》はわしの祭にも供物一つ持って来ん、おのれ、今度わしの領分に最初に足を入れたものはきっと泥の底に引き擦り込んでやらう。」土神はまたきりきり歯噛《はが》みしました。
 樺の木は折角なだめようと思って云ったことが又もや却《かへ》ってこんなことになったのでもうどうしたらいゝかわからなくなりたゞちらちらとその葉を風にゆすってゐました。土神は日光を受けてまるで燃えるやうになりながら高く腕を組みキリキリ歯噛みをしてその辺をうろうろしてゐましたが考へれば考へるほど何もかもしゃくにさはって来るらしいのでした。そしてたうとうこらへ切れなくなって、吠《ほ》えるやうにうなって荒々しく自分の谷地《やち》に帰って行ったのでした。

     (三)[#「(三)」は縦中横]

 土神の棲《す》んでゐる所は小さな競馬場ぐらゐある、冷たい湿地で苔《こけ》やからくさやみじかい蘆《あし》などが生えてゐましたが又所々にはあざみやせいの低いひどくねぢれた楊《やなぎ》などもありました。
 水がじめじめしてその表面にはあちこち赤い鉄の渋が湧《わ》きあがり見るからどろどろで気味も悪いのでした。
 そのまん中の小さな島のやうになった所に丸太で拵《こしら》へた高さ一間ばかりの土神の祠《ほこら》があったのです。
 土神はその島に帰って来て祠の横に長々と寝そべりました。そして黒い瘠《や》せた脚をがりがり掻《か》きました。土神は一羽の鳥が自分の頭の上をまっすぐに翔《か》けて行くのを見ました。すぐ土神は起き直って「しっ」と叫びました。鳥はびっくりしてよろよろっと落ちさうになりそれからまるではねも何もしびれたやうにだんだん低く落ちながら向ふへ遁《に》げて行きました。
 土神は少し笑って起きあがりました。けれども又すぐ向ふの樺の木の立ってゐる高みの方を見るとはっと顔色を変へて棒立ちになりました。それからいかにもむしゃくしゃするといふ風にそのぼろぼろの髪毛を両手で掻きむしってゐました。
 その時谷地の南の方から一人の木樵《きこり》がやって来ました。三つ森山の方へ稼《かせ》ぎに出るらしく谷地のふちに沿った細い路《みち》を大股《おほまた》に行くのでしたがやっぱり土神のことは知ってゐたと見えて時々気づかはしさうに土神の祠《ほこら》の方を見てゐました。けれども木樵《きこり》には土神の形は見えなかったのです。
 土神はそれを見るとよろこんでぱっと顔を熱《ほて》らせました。それから右手をそっちへ突き出して左手でその右手の手首をつかみこっちへ引き寄せるやうにしました。すると奇体なことは木樵はみちを歩いてゐると思ひながらだんだん谷地《やち》の中に踏み込んで来るやうでした。それからびっくりしたやうに足が早くなり顔も青ざめて口をあいて息をしました。土神は右手のこぶしをゆっくりぐるっとまはしました。すると木樵はだんだんぐるっと円くまはって歩いてゐましたがいよいよひどく周章《あわ》てだしてまるではあはあはあはあしながら何べんも同じ所をまはり出しました。何でも早く谷地から遁《に》げて出ようとするらしいのでしたがあせってもあせっても同じ処《ところ》を廻ってゐるばかりなのです。たうとう木樵はおろおろ泣き出しました。そして両手をあげて走り出したのです。土神はいかにも嬉《うれ》しさうににやにやにやにや笑って寝そべったまゝそれを見てゐましたが間もなく木樵がすっかり逆上《のぼ》せて疲れてばたっと水の中に倒れてしまひますと、ゆっくりと立ちあがりました。そしてぐちゃぐちゃ大股にそっちへ歩いて行って倒れてゐる木樵のからだを向ふの草はらの方へぽんと投げ出しました。木樵は草の中にどしりと落ちてううんと云ひながら少し動いたやうでしたがまだ気がつきませんでした。
 土神は大声に笑ひました。その声はあやしい波になって空の方へ行きました。
 空へ行った声はまもなくそっちからはねかへってガサリと樺《かば》の木の処にも落ちて行きました。樺の木ははっと顔いろを変へて日光に青くすきとほりせはしくせはしくふるへました。
 土神はたまらなさうに両手で髪を掻《か》きむしりながらひとりで考へました。おれのこんなに面白くないといふのは第一は狐《きつね》のためだ。狐のためよりは樺の木のためだ。狐と樺の木とのためだ。けれども樺の木の方はおれは怒ってはゐないのだ。樺の木を怒らないためにおれはこんなにつらいのだ。樺の木さへどうでもよければ狐などはなほさらどうでもいゝのだ。おれはいやしいけれどもとにかく神の分際だ。それに狐のことなどを気にかけなければならないといふのは情ない。それでも気にかゝるから仕方ない。樺の木のことなどは忘れてしまへ。ところがどうしても忘れられない。今朝は青ざめて顫《ふる》へたぞ。あの立派だったこと、どうしても忘られない。おれはむしゃくしゃまぎれにあんなあはれな人間などをいぢめたのだ。けれども仕方ない。誰《たれ》だってむしゃくしゃしたときは何をするかわからないのだ。
 土神はひとりで切ながってばたばたしました。空を又一|疋《ぴき》の鷹《たか》が翔《か》けて行きましたが土神はこんどは何とも云はずだまってそれを見ました。
 ずうっとずうっと遠くで騎兵の演習らしいパチパチパチパチ塩のはぜるやうな鉄砲の音が聞えました。そらから青びかりがどくどくと野原に流れて来ました。それを呑《の》んだためかさっきの草の中に投げ出された木樵はやっと気がついておづおづと起きあがりしきりにあたりを見廻しました。
 それから俄《には》かに立って一目散に遁《に》げ出しました。三つ森山の方へまるで一目散に遁げました。
 土神はそれを見て又大きな声で笑ひました。その声は又青ぞらの方まで行き途中から、バサリと樺《かば》の木の方へ落ちました。
 樺の木は又はっと葉の色をかへ見えない位こまかくふるひました。
 土神は自分のほこらのまはりをうろうろうろうろ何べんも歩きまはってからやっと気がしづまったと見えてすっと形を消し融《と》けるやうにほこらの中へ入って行きました。

     (四)[#「(四)」は縦中横]

 八月のある霧のふかい晩でした。土神は何とも云へずさびしくてそれにむしゃくしゃして仕方ないのでふらっと自分の祠《ほこら》を出ました。足はいつの間にかあの樺の木の方へ向ってゐたのです。本当に土神は樺の木のことを考へるとなぜか胸がどきっとするのでした。そして大へんに切なかったのです。このごろは大へんに心持が変ってよくなってゐたのです。ですからなるべく狐《きつね》のことなど樺の木のことなど考へたくないと思ったのでしたがどうしてもそれがおもへて仕方ありませんでした。おれはいやしくも神ぢゃないか、一本の樺の木がおれに何のあたひがあると毎日毎日土神は繰り返して自分で自分に教へました。それでもどうしてもかなしくて仕方なかったのです。殊にちょっとでもあの狐のことを思ひ出したらまるでからだが灼《や》けるくらゐ辛《つら》かったのです。
 土神はいろいろ深く考へ込みながらだんだん樺の木の近くに参りました。そのうちたうとうはっきり自分が樺の木のとこへ行かうとしてゐるのだといふことに気が付きました。すると俄かに心持がをどるやうになりました。ずゐぶんしばらく行かなかったのだからことによったら樺の木は自分を待ってゐるのかも知れない、どうもさうらしい、さうだとすれば大へんに気の毒だといふやうな考が強く土神に起って来ました。土神は草をどしどし踏み胸を踊らせながら大股《おほまた》にあるいて行きました。ところがその強い足なみもいつかよろよろしてしまひ土神はまるで頭から青い色のかなしみを浴びてつっ立たなければなりませんでした。それは狐が来てゐたのです。もうすっかり夜でしたが、ぼんやり月のあかりに澱《よど》んだ霧の向ふから狐の声が聞えて来るのでした。
「えゝ、もちろんさうなんです。器械的に対称《シインメトリー》の法則にばかり叶《かな》ってゐるからってそれで美しいといふわけにはいかないんです。それは死んだ美です。」
「全くさうですわ。」しづかな樺の木の声がしました。
「ほんたうの美はそんな固定した化石した模型のやうなもんぢゃないんです。対称の法則に叶ふって云ったって実は対称の精神を有《も》ってゐるといふぐらゐのことが望ましいのです。」
「ほんたうにさうだと思ひますわ。」樺の木のやさしい声が又しました。土神は今度はまるでべらべらした桃いろの火でからだ中燃されてゐるやうにおもひました。息がせかせかしてほんたうにたまらなくなりました。なにがそんなにおまへを切なくするのか、高《たか》が樺の木と狐との野原の中でのみじかい会話ではないか、そんなものに心を乱されてそれでもお前は神と云へるか、土神は自分で自分を責めました。狐《きつね》が又云ひました。
「ですから、どの美学の本にもこれくらゐのことは論じてあるんです。」
「美学の方の本沢山おもちですの。」樺《かば》の木はたづねました。
「えゝ、よけいもありませんがまあ日本語と英語と独乙《ドイツ》語のなら大抵ありますね。伊大利《イタリー》のは新らしいんですがまだ来ないんです。」
「あなたのお書斎、まあどんなに立派でせうね。」
「いゝえ、まるでちらばってますよ、それに研究室兼用ですからね、あっちの隅《すみ》には顕微鏡こっちにはロンドンタイムス、大理石のシィザアがころがったりまるっきりごったごたです。」
「まあ、立派だわねえ、ほんたうに立派だわ。」
 ふんと狐の謙遜《けんそん》のやうな自慢のやうな息の音がしてしばらくしいんとなりました。
 土神はもう居ても立っても居られませんでした。狐の言ってゐるのを聞くと全く狐の方が自分よりはえらいのでした。いやしくも神ではないかと今まで自分で自分に教へてゐたのが今度はできなくなったのです。あゝつらいつらい、もう飛び出して行って狐を一裂きに裂いてやらうか、けれどもそんなことは夢にもおれの考へるべきことぢゃない、けれどもそのおれといふものは何だ結局狐にも劣ったもんぢゃないか、一体おれはどうすればいゝのだ、土神は胸をかきむしるやうにしてもだえました。
「いつかの望遠鏡まだ来ないんですの。」樺の木がまた言ひました。
「えゝ、いつかの望遠鏡ですか。まだ来ないんです。なかなか来ないです。欧州航路は大分混乱してますからね。来たらすぐ持って来てお目にかけますよ。土星の環《わ》なんかそれぁ美しいんですからね。」
 土神は俄《にはか》に両手で耳を押へて一目散に北の方へ走りました。だまってゐたら自分が何をするかわからないのが恐ろしくなったのです。
 まるで一目散に走って行きました。息がつゞかなくなってばったり倒れたところは三つ森山の麓《ふもと》でした。
 土神は頭の毛をかきむしりながら草をころげまはりました。それから大声で泣きました。その声は時でもない雷のやうに空へ行って野原中へ聞えたのです。土神は泣いて泣いて疲れてあけ方ぼんやり自分の祠《ほこら》に戻りました。

     (五)[#「(五)」は縦中横]

 そのうちたうとう秋になりました。樺の木はまだまっ青でしたがその辺のいのころぐさはもうすっかり黄金《きん》いろの穂を出して風に光りところどころすゞらんの実も赤く熟しました。
 あるすきとほるやうに黄金《きん》いろの秋の日土神は大へん上機嫌《じゃうきげん》でした。今年の夏からのいろいろなつらい思ひが何だかぼうっとみんな立派なもやのやうなものに変って頭の上に環《わ》になってかかったやうに思ひました。そしてもうあの不思議に意地の悪い性質もどこかへ行ってしまって樺《かば》の木なども狐《きつね》と話したいなら話すがいゝ、両方ともうれしくてはなすのならほんたうにいゝことなんだ、今日はそのことを樺の木に云ってやらうと思ひながら土神は心も軽く樺の木の方へ歩いて行きました。
 樺の木は遠くからそれを見てゐました。
 そしてやっぱり心配さうにぶるぶるふるへて待ちました。
 土神は進んで行って気軽に挨拶《あいさつ》しました。
「樺の木さん。お早う。実にいゝ天気だな。」
「お早うございます。いゝお天気でございます。」
「天道《てんたう》といふものはありがたいもんだ。春は赤く夏は白く秋は黄いろく、秋が黄いろになると葡萄《ぶだう》は紫になる。実にありがたいもんだ。」
「全くでございます。」
「わしはな、今日は大へんに気ぶんがいゝんだ。今年の夏から実にいろいろつらい目にあったのだがやっと今朝からにはかに心持ちが軽くなった。」
 樺の木は返事しようとしましたがなぜかそれが非常に重苦しいことのやうに思はれて返事しかねました。
「わしはいまなら誰《たれ》のためにでも命をやる。みみずが死ななけぁならんならそれにもわしはかはってやっていゝのだ。」土神は遠くの青いそらを見て云ひました。その眼も黒く立派でした。
 樺の木は又何とか返事しようとしましたがやっぱり何か大へん重苦しくてわづか吐息をつくばかりでした。
 そのときです。狐がやって来たのです。
 狐は土神の居るのを見るとはっと顔いろを変へました。けれども戻るわけにも行かず少しふるへながら樺の木の前に進んで来ました。
「樺の木さん、お早う、そちらに居られるのは土神ですね。」狐は赤革の靴《くつ》をはき茶いろのレーンコートを着てまだ夏帽子をかぶりながら斯《か》う云ひました。
「わしは土神だ。いゝ天気だ。な。」土神はほんたうに明るい心持で斯う言ひました。狐は嫉《ねた》ましさに顔を青くしながら樺の木に言ひました。
「お客さまのお出《い》での所にあがって失礼いたしました。これはこの間お約束した本です。それから望遠鏡はいつかはれた晩にお目にかけます。さよなら。」
「まあ、ありがたうございます。」と樺の木が言ってゐるうちに狐はもう土神に挨拶もしないでさっさと戻りはじめました。樺の木はさっと青くなってまた小さくぷりぷり顫《ふる》ひました。
 土神はしばらくの間たゞぼんやりと狐《きつね》を見送って立ってゐましたがふと狐の赤革の靴《くつ》のキラッと草に光るのにびっくりして我に返ったと思ひましたら俄《には》かに頭がぐらっとしました。狐がいかにも意地をはったやうに肩をいからせてぐんぐん向ふへ歩いてゐるのです。土神はむらむらっと怒りました。顔も物凄《ものすご》くまっ黒に変ったのです。美学の本だの望遠鏡だのと、畜生、さあ、どうするか見ろ、といきなり狐のあとを追ひかけました。樺《かば》の木はあわてて枝が一ペんにがたがたふるへ、狐もそのけはひにどうかしたのかと思って何気なくうしろを見ましたら土神がまるで黒くなって嵐《あらし》のやうに追って来るのでした。さあ狐はさっと顔いろを変へ口もまがり風のやうに走って遁《に》げ出しました。
 土神はまるでそこら中の草がまっ白な火になって燃えてゐるやうに思ひました。青く光ってゐたそらさへ俄かにガランとまっ暗な穴になってその底では赤い焔《ほのほ》がどうどう音を立てて燃えると思ったのです。
 二人はごうごう鳴って汽車のやうに走りました。
「もうおしまひだ、もうおしまひだ、望遠鏡、望遠鏡、望遠鏡」と狐は一心に頭の隅《すみ》のとこで考へながら夢のやうに走ってゐました。
 向ふに小さな赤剥《あかは》げの丘がありました。狐はその下の円い穴にはひらうとしてくるっと一つまはりました。それから首を低くしていきなり中へ飛び込まうとして後あしをちらっとあげたときもう土神はうしろからぱっと飛びかかってゐました。と思ふと狐はもう土神にからだをねぢられて口を尖《とが》らして少し笑ったやうになったまゝぐんにゃりと土神の手の上に首を垂れてゐたのです。
 土神はいきなり狐を地べたに投げつけてぐちゃぐちゃ四五へん踏みつけました。
 それからいきなり狐の穴の中にとび込んで行きました。中はがらんとして暗くたゞ赤土が奇麗に堅められてゐるばかりでした。土神は大きく口をまげてあけながら少し変な気がして外へ出て来ました。
 それからぐつたり横になってゐる狐の屍骸《しがい》のレーンコートのかくしの中に手を入れて見ました。そのかくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居ました。土神はさっきからあいてゐた口をそのまゝまるで途方もない声で泣き出しました。
 その泪《なみだ》は雨のやうに狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりとしてうすら笑ったやうになって死んで居たのです。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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フランドン農学校の豚

宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)摂取《せっしゅ》して

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毎日|阿麻仁《あまに》を
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〔冒頭原稿一枚?なし〕
以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取《せっしゅ》して、脂肪《しぼう》若《もし》くは蛋白質《たんぱくしつ》となし、その体内に蓄積《ちくせき》す。」とこう書いてあったから、農学校の畜産《ちくさん》の、助手や又《また》小使などは金石でないものならばどんなものでも片《かた》っ端《ぱし》から、持って来てほうり出したのだ。
 尤《もっと》もこれは豚の方では、それが生れつきなのだし、充分《じゅうぶん》によくなれていたから、けしていやだとも思わなかった。却《かえ》ってある夕方などは、殊《こと》に豚は自分の幸福を、感じて、天上に向いて感謝していた。というわけはその晩方、化学を習った一年生の、生徒が、自分の前に来ていかにも不思議そうにして、豚のからだを眺《なが》めて居た。豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形《まめがた》の怒《おこ》ったような眼《め》をあげて、そちらをちらちら見ていたのだ。その生徒が云《い》った。
「ずいぶん豚というものは、奇体《きたい》なことになっている。水やスリッパや藁《わら》をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒《しょくばい》だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機体では豚なのだ。考えれば考える位、これは変になることだ。」
 豚はもちろん自分の名が、白金と並べられたのを聞いた。それから豚は、白金が、一匁《いちもんめ》三十円することを、よく知っていたものだから、自分のからだが二十貫で、いくらになるということも勘定《かんじょう》がすぐ出来たのだ。豚はぴたっと耳を伏《ふ》せ、眼を半分だけ閉じて、前肢《まえあし》をきくっと曲げながらその勘定をやったのだ。
 20×1000×30=600000 実に六十万円だ。六十万円といったならそのころのフランドンあたりでは、まあ第一流の紳士《しんし》なのだ。いまだってそうかも知れない。さあ第一流の紳士だもの、豚がすっかり幸福を感じ、あの頭のかげの方の鮫《さめ》によく似た大きな口を、にやにや曲げてよろこんだのも、けして無理とは云われない。
 ところが豚の幸福も、あまり永くは続かなかった。
 それから二三日たって、そのフランドンの豚は、どさりと上から落ちて来た一かたまりのたべ物から、(大学生諸君、意志を鞏固《きょうこ》にもち給《たま》え。いいかな。)たべ物の中から、一寸《ちょっと》細長い白いもので、さきにみじかい毛を植えた、ごく率直《そっちょく》に云うならば、ラクダ印の歯磨楊子《はみがきようじ》、それを見たのだ。どうもいやな説教で、折角洗礼を受けた、大学生諸君にすまないが少しこらえてくれ給え。
 豚は実にぎょっとした。一体、その楊子の毛をみると、自分のからだ中の毛が、風に吹《ふ》かれた草のよう、ザラッザラッと鳴ったのだ。豚は実に永い間、変な顔して、眺めていたが、とうとう頭がくらくらして、いやないやな気分になった。いきなり向うの敷藁《しきわら》に頭を埋《う》めてくるっと寝《ね》てしまったのだ。
 晩方になり少し気分がよくなって、豚はしずかに起きあがる。気分がいいと云ったって、結局豚の気分だから、苹果《りんご》のようにさくさくし、青ぞらのように光るわけではもちろんない。これ灰色の気分である。灰色にしてややつめたく、透明《とうめい》なるところの気分である。さればまことに豚の心もちをわかるには、豚になって見るより致《いた》し方ない。
 外来ヨークシャイヤでも又黒いバアクシャイヤでも豚は決して自分が魯鈍《ろどん》だとか、怠惰《たいだ》だとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜《イタリア》語だろうか独乙《ドイツ》語だろうか英語だろうか。さあどう表現したらいいか。さりながら、結局は、叫び声以外わからない。カント博士と同様に全く不可知なのである。
 さて豚はずんずん肥《ふと》り、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日来ては鋭《するど》い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。
「も少しきちんと窓をしめて、室中《へやじゅう》暗くしなくては、脂《あぶら》がうまくかからんじゃないか。それにもうそろそろと肥育をやってもよかろうな、毎日|阿麻仁《あまに》を少しずつやって置いて呉《く》れないか。」教師は若い水色の、上着の助手に斯《こ》う云った。豚はこれをすっかり聴《き》いた。そして又大へんいやになった。楊子のときと同じだ。折角のその阿麻仁も、どうもうまく咽喉《のど》を通らなかった。これらはみんな畜産の、その教師の語気について、豚が直覚したのである。(とにかくあいつら二人は、おれにたべものはよこすが、時々まるで北極の、空のような眼をして、おれのからだをじっと見る、実に何ともたまらない、とりつきばもないようなきびしいこころで、おれのことを考えている、そのことは恐《こわ》い、ああ、恐い。)豚は心に思いながら、もうたまらなくなり前の柵《さく》を、むちゃくちゃに鼻で突《つ》っ突いた。
 ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されていた。
 それは家畜|撲殺《ぼくさつ》同意調印法といい、誰《たれ》でも、家畜を殺そうというものは、その家畜から死亡|承諾書《しょうだくしょ》を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云う布告だったのだ。
 さあそこでその頃《ころ》は、牛でも馬でも、もうみんな、殺される前の日には、主人から無理に強《し》いられて、証文にペタリと印を押《お》したもんだ。ごくとしよりの馬などは、わざわざ蹄鉄《ていてつ》をはずされて、ぼろぼろなみだをこぼしながら、その大きな判をぱたっと証書に押したのだ。
 フランドンのヨークシャイヤも又活版刷りに出来ているその死亡証書を見た。見たというのは、或《あ》る日のこと、フランドン農学校の校長が、大きな黄色の紙を持ち、豚のところにやって来た。豚は語学も余程《よほど》進んでいたのだし、又実際豚の舌は柔《やわ》らかで素質も充分あったのでごく流暢《りゅうちょう》な人間語で、しずかに校長に挨拶《あいさつ》した。
「校長さん、いいお天気でございます。」
 校長はその黄色な証書をだまって小わきにはさんだまま、ポケットに手を入れて、にがわらいして斯《こ》う云った。
「うんまあ、天気はいいね。」
 豚は何だか、この語《ことば》が、耳にはいって、それから咽喉につかえたのだ。おまけに校長がじろじろと豚のからだを見ることは全くあの畜産の、教師とおんなじことなのだ。
 豚はかなしく耳を伏せた。そしてこわごわ斯《こ》う云った。
「私はどうも、このごろは、気がふさいで仕方ありません。」
 校長は又にがわらいを、しながら豚に斯う云った。
「ふん。気がふさぐ。そうかい。もう世の中がいやになったかい。そういうわけでもないのかい。」豚があんまり陰気《いんき》な顔をしたものだから校長は急いで取り消しました。
 それから農学校長と、豚とはしばらくしいんとしてにらみ合ったまま立っていた。ただ一言も云わないでじいっと立って居《お》ったのだ。そのうちにとうとう校長は今日は証書はあきらめて、
「とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。」例の黄いろな大きな証書を小わきにかいこんだまま、向うの方へ行ってしまう。
 豚はそのあとで、何べんも、校長の今の苦笑やいかにも底意のある語《ことば》を、繰《く》り返し繰り返しして見て、身ぶるいしながらひとりごとした。
『とにかくよくやすんでおいで。あんまり動きまわらんでね。』一体これはどう云う事か。ああつらいつらい。豚は斯う考えて、まるであの梯形《ていけい》の、頭も割れるように思った。おまけにその晩は強いふぶきで、外では風がすさまじく、乾《かわ》いたカサカサした雪のかけらが、小屋のすきまから吹きこんで豚のたべものの余りも、雪でまっ白になったのだ。
 ところが次の日のこと、畜産学の教師が又やって来て例の、水色の上着を着た、顔の赤い助手といつものするどい眼付して、じっと豚の頭から、耳から背中から尻尾《しっぽ》まで、まるでまるで食い込むように眺めてから、尖《とが》った指を一本立てて、
「毎日|阿麻仁《あまに》をやってあるかね。」
「やってあります。」
「そうだろう。もう明日だって明後日《あさって》だって、いいんだから。早く承諾書をとれぁいいんだ。どうしたんだろう、昨日校長は、たしかに証書をわきに挟《はさ》んでこっちの方へ来たんだが。」
「はい、お入りのようでした。」
「それではもうできてるかしら。出来ればすぐよこす筈《はず》だがね。」
「はあ。」
「も少し室《へや》をくらくして、置いたらどうだろうか。それからやる前の日には、なんにも飼料《しりょう》をやらんでくれ。」
「はあ、きっとそう致します。」
 畜産の教師は鋭い目で、もう一遍《いっぺん》じいっと豚を見てから、それから室を出て行った。
 そのあとの豚の煩悶《はんもん》さ、(承諾書というのは、何の承諾書だろう何を一体しろと云うのだ、やる前の日には、なんにも飼料をやっちゃいけない、やる前の日って何だろう。一体何をされるんだろう。どこか遠くへ売られるのか。ああこれはつらいつらい。)豚の頭の割れそうな、ことはこの日も同じだ。その晩豚はあんまりに神経が興奮し過ぎてよく睡《ねむ》ることができなかった。ところが次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭《いや》な会話を聞かせたのだ。
「いつだろうなあ、早く見たいなあ。」
「僕《ぼく》は見たくないよ。」
「早いといいなあ、囲って置いた葱《ねぎ》だって、あんまり永いと凍《こお》っちまう。」
「馬鈴薯《ばれいしょ》もしまってあるだろう。」
「しまってあるよ。三|斗《と》しまってある。とても僕たちだけで食べられるもんか。」
「今朝はずいぶん冷たいねえ。」一人が白い息を手に吹きかけながら斯《こ》う云いました。
「豚のやつは暖かそうだ。」一人が斯う答えたら三人共どっとふき出しました。
「豚のやつは脂肪でできた、厚さ一寸の外套《がいとう》を着てるんだもの、暖かいさ。」
「暖かそうだよ。どうだ。湯気さえほやほやと立っているよ。」
 豚はあんまり悲しくて、辛《つら》くてよろよろしてしまう。
「早くやっちまえばいいな。」
 三人はつぶやきながら小屋を出た。そのあとの豚の苦しさ、(見たい、見たくない、早いといい、葱が凍る、馬鈴薯三斗、食いきれない。厚さ一寸の脂肪の外套、おお恐い、ひとのからだをまるで観透《みとお》してるおお恐い。恐い。けれども一体おれと葱と、何の関係があるだろう。ああつらいなあ。)その煩悶の最中に校長が又やって来た。入口でばたばた雪を落して、それから例のあいまいな苦笑をしながら前に立つ。
「どうだい。今日は気分がいいかい。」
「はい、ありがとうございます。」
「いいのかい。大へん結構だ。たべ物は美味《おい》しいかい。」
「ありがとうございます。大へんに結構でございます。」
「そうかい。それはいいね、ところで実は今日はお前と、内内相談に来たのだがね、どうだ頭ははっきりかい。」
「はあ。」豚は声がかすれてしまう。
「実はね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持でも、又私のような、中産階級でも、それからごくつまらない乞食《こじき》でもね。」
「はあ、」豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。
「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏《にわとり》でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣《かげろう》のごときはあしたに生れ、夕《ゆうべ》に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」
「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。
「そこで実は相談だがね、私たちの学校では、お前を今日まで養って来た。大したこともなかったが、学校としては出来るだけ、ずいぶん大事にしたはずだ。お前たちの仲間もあちこちに、ずいぶんあるし又私も、まあよく知っているのだが、でそう云っちゃ可笑《おか》しいが、まあ私の処《ところ》ぐらい、待遇《たいぐう》のよい処はない。」
「はあ。」豚は返事しようと思ったが、その前にたべたものが、みんな咽喉へつかえててどうしても声が出て来なかった。
「でね、実は相談だがね、お前がもしも少しでも、そんなようなことが、ありがたいと云う気がしたら、ほんの小さなたのみだが承知をしては貰《もら》えまいか。」
「はあ。」豚は声がかすれて、返事がどうしてもできなかった。
「それはほんの小さなことだ。ここに斯《こ》う云う紙がある、この紙に斯う書いてある。死亡承諾書、私|儀《ぎ》永々|御恩顧《ごおんこ》の次第《しだい》に有之候儘《これありそうろうまま》、御都合《ごつごう》により、何時《いつ》にても死亡|仕《つかまつ》るべく候年月日フランドン畜舎《ちくしゃ》内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校長|殿《どの》 とこれだけのことだがね、」校長はもう云い出したので、一瀉千里《いっしゃせんり》にまくしかけた。
「つまりお前はどうせ死ななけぁいかないからその死ぬときはもう潔《いさぎよ》く、いつでも死にますと斯う云うことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、一向死ぬことも要《い》らないよ。ここの処へただちょっとお前の前肢《まえあし》の爪印《つめいん》を、一つ押しておいて貰いたい。それだけのことだ。」
 豚は眉《まゆ》を寄せて、つきつけられた証書を、じっとしばらく眺《なが》めていた。校長の云う通りなら、何でもないがつくづくと証書の文句を読んで見ると、まったく大へんに恐《こわ》かった。とうとう豚はこらえかねてまるで泣声でこう云った。
「何時にてもということは、今日でもということですか。」
 校長はぎくっとしたが気をとりなおしてこう云った。
「まあそうだ。けれども今日だなんて、そんなことは決してないよ。」
「でも明日でもというんでしょう。」
「さあ、明日なんていうよう、そんな急でもないだろう。いつでも、いつかというような、ごくあいまいなことなんだ。」
「死亡をするということは私が一人で死ぬのですか。」豚は又《また》金切声で斯うきいた。
「うん、すっかりそうでもないな。」
「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」豚は泣いて叫《さけ》んだ。
「いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬|猫《ねこ》にさえ劣《おと》ったやつだ。」校長はぷんぷん怒り、顔をまっ赤にしてしまい証書をポケットに手早くしまい、大股《おおまた》に小屋を出て行った。
「どうせ犬猫なんかには、はじめから劣っていますよう。わあ」豚はあんまり口惜《くや》しさや、悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣きだした。けれども半日ほど泣いたら、二晩も眠らなかった疲《つか》れが、一ぺんにどっと出て来たのでつい泣きながら寝込《ねこ》んでしまう。その睡《ねむ》りの中でも豚は、何べんも何べんもおびえ、手足をぶるっと動かした。
 ところがその次の日のことだ。あの畜産の担任が、助手を連れて又やって来た。そして例のたまらない、目付きで豚をながめてから、大へん機嫌《きげん》の悪い顔で助手に向ってこう云った。
「どうしたんだい。すてきに肉が落ちたじゃないか。これじゃまるきり話にならん。百姓《ひゃくしょう》のうちで飼《か》ったってこれ位にはできるんだ。一体どうしたてんだろう。心当りがつかないかい。頬肉《ほおにく》なんかあんまり減った。おまけにショウルダアだって、こんなに薄《うす》くちゃなってない。品評会へも出せぁしない。一体どうしたてんだろう。」
 助手は唇《くちびる》へ指をあて、しばらくじっと考えて、それからぼんやり返事した。
「さあ、昨日の午后《ごご》に校長が、おいでになっただけでした。それだけだったと思います。」
 畜産の教師は飛び上る。
「校長? そうかい。校長だ。きっと承諾書を取ろうとして、すてきなぶまをやったんだ。おじけさせちゃったんだな。それでこいつはぐるぐるして昨夜一晩寝ないんだな。まずいことになったなあ。おまけにきっと承諾書も、取り損《そこ》ねたにちがいない。まずいことになったなあ。」
 教師は実に口惜しそうに、しばらくキリキリ歯を鳴らし腕《うで》を組んでから又云った。
「えい、仕方ない。窓をすっかり明けて呉《く》れ。それから外へ連れ出して、少し運動させるんだ。む茶くちゃにたたいたり走らしたりしちゃいけないぞ。日の照らない処を、厩舎《きゅうしゃ》の陰《かげ》のあたりの、雪のない草はらを、そろそろ連れて歩いて呉れ。一回十五分位、それから飼料をやらないで少し腹を空《す》かせてやれ。すっかり気分が直ったらキャベジのいい処を少しやれ。それからだんだん直ったら今まで通りにすればいい。まるで一ヶ月の肥育を、一晩で台なしにしちまった。いいかい。」
「承知いたしました。」
 教師は教員室へ帰り豚はもうすっかり気落ちして、ぼんやりと向うの壁《かべ》を見る、動きも叫びもしたくない。ところへ助手が細い鞭《むち》を持って笑って入って来た。助手は囲いの出口をあけごく叮寧《ていねい》に云ったのだ。
「少しご散歩はいかがです。今日は大へんよく晴れて、風もしずかでございます。それではお供いたしましょう、」ピシッと鞭がせなかに来る、全くこいつはたまらない、ヨークシャイヤは仕方なくのそのそ畜舎を出たけれど胸は悲しさでいっぱいで、歩けば裂《さ》けるようだった。助手はのんきにうしろから、チッペラリーの口笛《くちぶえ》を吹《ふ》いてゆっくりやって来る。鞭もぶらぶらふっている。
 全体何がチッペラリーだ。こんなにわたしはかなしいのにと豚は度々《たびたび》口をまげる。時々は
「ええもう少し左の方を、お歩きなさいましては、いかがでございますか。」なんて、口ばかりうまいことを云いながら、ピシッと鞭を呉れたのだ。(この世はほんとうにつらいつらい、本当に苦の世界なのだ。)こてっとぶたれて散歩しながら豚はつくづく考えた。
「さあいかがです、そろそろお休みなさいませ。」助手は又一つピシッとやる。ウルトラ大学生諸君、こんな散歩が何で面白《おもしろ》いだろう。からだの為《ため》も何もあったもんじゃない。
 豚は仕方なく又畜舎に戻《もど》りごろっと藁《わら》に横になる。キャベジの青いいい所を助手はわずか持って来た。豚は喰《た》べたくなかったが助手が向うに直立して何とも云えない恐い眼で上からじっと待っている、ほんとうにもう仕方なく、少しそれを噛《か》じるふりをしたら助手はやっと安心して一つ「ふん。」と笑ってからチッペラリーの口笛を又吹きながら出て行った。いつか窓がすっかり明け放してあったので豚は寒くて耐《たま》らなかった。
 こんな工合《ぐあい》にヨークシャイヤは一日思いに沈《しず》みながら三日を夢《ゆめ》のように送る。
 四日目に又畜産の、教師が助手とやって来た。ちらっと豚を一眼見て、手を振《ふ》りながら助手に云う。
「いけないいけない。君はなぜ、僕の云った通りしなかった。」
「いいえ、窓もすっかり明けましたし、キャベジのいいのもやりました。運動も毎日叮寧に、十五分ずつやらしています。」
「そうかね、そんなにまでもしてやって、やっぱりうまくいかないかね、じゃもうこいつは瘠《や》せる一方なんだ。神経性営養不良なんだ。わきからどうも出来やしない。あんまり骨と皮だけに、ならないうちにきめなくちゃ、どこまで行くかわからない。おい。窓をみなしめて呉れ。そして肥育器を使うとしよう、飼料をどしどし押し込んで呉れ。麦のふすまを二升とね、阿麻仁《あまに》を二合、それから玉蜀黍《とうもろこし》の粉を、五合を水でこねて、団子にこさえて一日に、二度か三度ぐらいに分けて、肥育器にかけて呉れ給《たま》え。肥育器はあったろう。」
「はい、ございます。」
「こいつは縛《しば》って置き給え。いや縛る前に早く承諾書をとらなくちゃ。校長もさっぱり拙《まず》いなぁ。」
 畜産の教師は大急ぎで、教舎の方へ走って行き、助手もあとから出て行った。
 間もなく農学校長が、大へんあわててやって来た。豚は身体《からだ》の置き場もなく鼻で敷藁を掘《ほ》ったのだ。
「おおい、いよいよ急がなきゃならないよ。先頃《せんころ》の死亡承諾書ね、あいつへ今日はどうしても、爪判を押して貰いたい。別に大した事じゃない。押して呉れ。」
「いやですいやです。」豚は泣く。
「厭《いや》だ? おい。あんまり勝手を云うんじゃない、その身体《からだ》は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。これからだって毎日麦のふすま二升阿麻仁二合と玉蜀黍の、粉五合ずつやるんだぞ、さあいい加減に判をつけ、さあつかないか。」
 なるほど斯《こ》う怒《おこ》り出して見ると、校長なんというものは、実際恐いものなんだ。豚はすっかりおびえて了《しま》い、
「つきます。つきます。」と、かすれた声で云ったのだ。
「よろしい、では。」と校長は、やっとのことに機嫌《きげん》を直し、手早くあの死亡承諾書の、黄いろな紙をとり出して、豚の眼の前にひろげたのだ。
「どこへつけばいいんですか。」豚は泣きながら尋《たず》ねた。
「ここへ。おまえの名前の下へ。」校長はじっと眼鏡《めがね》越しに、豚の小さな眼を見て云った。豚は口をびくびく横に曲げ、短い前の右肢《みぎあし》を、きくっと挙げてそれからピタリと印をおす。
「うはん。よろしい。これでいい。」校長は紙を引っぱって、よくその判を調べてから、機嫌を直してこう云った。戸口で待っていたらしくあの意地わるい畜産の教師がいきなりやって来た。
「いかがです。うまく行きましたか。」
「うん。まあできた。ではこれは、あなたにあげて置きますから。ええ、肥育は何日ぐらいかね、」
「さあいずれ模様を見まして、鶏やあひるなどですと、きっと間違いなく肥《ふと》りますが、斯う云う神経|過敏《かびん》な豚は、或《あるい》は強制肥育では甘《うま》く行かないかも知れません。」
「そうか。なるほど。とにかくしっかりやり給え。」
 そして校長は帰って行った。今度は助手が変てこな、ねじのついたズックの管と、何かのバケツを持って来た。畜産の教師は云いながら、そのバケツの中のものを、一寸《ちょっと》つまんで調べて見た。
「そいじゃ豚を縛って呉れ。」助手はマニラロープを持って、囲いの中に飛び込んだ。豚はばたばた暴れたがとうとう囲いの隅《すみ》にある、二つの鉄の環《わ》に右側の、足を二本共縛られた。
「よろしい、それではこの端《はし》を、咽喉《のど》へ入れてやって呉れ。」畜産の教師は云いながら、ズックの管を助手に渡す。
「さあ口をお開きなさい。さあ口を。」助手はしずかに云ったのだが、豚は堅《かた》く歯を食いしばり、どうしても口をあかなかった。
「仕方ない。こいつを噛《か》ましてやって呉れ。」短い鋼《はがね》の管を出す。
 助手はぎしぎしその管を豚の歯の間にねじ込《こ》んだ。豚はもうあらんかぎり、怒鳴《どな》ったり泣いたりしたが、とうとう管をはめられて、咽喉の底だけで泣いていた。助手はその鋼の管の間から、ズックの管を豚の咽喉まで押し込んだ。
「それでよろしい。ではやろう。」教師はバケツの中のものを、ズック管の端の漏斗《じょうご》に移して、それから変な螺旋《らせん》を使い食物を豚の胃に送る。豚はいくら呑《の》むまいとしても、どうしても咽喉で負けてしまい、その練ったものが胃の中に、入ってだんだん腹が重くなる。これが強制肥育だった。
 豚の気持ちの悪いこと、まるで夢中《むちゅう》で一日泣いた。
 次の日教師が又来て見た。
「うまい、肥《ふと》った。効果がある。これから毎日小使と、二人で二度ずつやって呉れ。」
 こんな工合でそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ胃が無暗《むやみ》に重苦しくそれからいやに頬《ほお》や肩《かた》が、ふくらんで来ておしまいは息をするのもつらいくらい、生徒も代る代る来て、何かいろいろ云っていた。
 あるときは生徒が十人ほどやって来てがやがや斯《こ》う云った。
「ずいぶん大きくなったなあ、何貫ぐらいあるだろう。」
「さあ先生なら一目見て、何百目まで云うんだが、おれたちじゃちょっとわからない。」
「比重がわからないからなあ。」
「比重はわかるさ比重なら、大抵《たいてい》水と同じだろう。」
「どうしてそれがわかるんだい。」
「だって大抵そうだろう。もしもこいつを水に入れたら、きっと沈《しず》みも浮《うか》びもしない。」
「いいやたしかに沈まない、きっと浮ぶにきまってる。」
「それは脂肪《しぼう》のためだろう、けれど豚にも骨はある。それから肉もあるんだから、たぶん比重は一ぐらいだ。」
「比重をそんなら一として、こいつは何斗あるだろう。」
「五斗五升はあるだろう。」
「いいや五斗五升などじゃない。少く見ても八斗ある。」
「八斗なんかじゃきかないよ。たしかに九斗はあるだろう。」
「まあ、七斗としよう。七斗なら水一斗が五貫だから、こいつは丁度三十五貫。」
「三十五貫はあるな。」
 こんなはなしを聞きながら、どんなに豚は泣いたろう。なんでもこれはあんまりひどい。ひとのからだを枡《ます》ではかる。七斗だの八斗だのという。
 そうして丁度七日目に又あの教師が助手と二人、並《なら》んで豚の前に立つ。
「もういいようだ。丁度いい。この位まで肥ったらまあ極度だろう。この辺だ。あんまり肥育をやり過ぎて、一度病気にかかってもまたあとまわりになるだけだ。丁度あしたがいいだろう。今日はもう飼《えさ》をやらんでくれ。それから小使と二人してからだをすっかり洗って呉れ。敷藁《しきわら》も新らしくしてね。いいか。」
「承知いたしました。」
 豚はこれらの問答を、もう全身の勢力で耳をすまして聴《き》いて居た。(いよいよ明日だ、それがあの、証書の死亡ということか。いよいよ明日だ、明日なんだ。一体どんな事だろう、つらいつらい。)あんまり豚はつらいので、頭をゴツゴツ板へぶっつけた。
 そのひるすぎに又助手が、小使と二人やって来た。そしてあの二つの鉄環《てつわ》から、豚の足を解いて助手が云う。
「いかがです、今日は一つ、お風呂《ふろ》をお召《め》しなさいませ。すっかりお仕度《したく》ができて居ます。」
 豚がまだ承知とも、何とも云わないうちに、鞭《むち》がピシッとやって来た。豚は仕方なく歩き出したが、あんまり肥ってしまったので、もううごくことの大儀《たいぎ》なこと、三足で息がはあはあした。
 そこへ鞭がピシッと来た。豚はまるで潰《つぶ》れそうになり、それでもようよう畜舎の外まで出たら、そこに大きな木の鉢《はち》に湯が入ったのが置いてあった。
「さあ、この中にお入りなさい。」助手が又一つパチッとやる。豚はもうやっとのことで、ころげ込《こ》むようにしてその高い縁《ふち》を越《こ》えて、鉢の中へ入ったのだ。
 小使が大きなブラッシをかけて、豚のからだをきれいに洗う。そのブラッシをチラッと見て、豚は馬鹿のように叫《さけ》んだ。というわけはそのブラッシが、やっぱり豚の毛でできた。豚がわめいているうちにからだがすっかり白くなる。
「さあ参りましょう。」助手が又、一つピシッと豚をやる。
 豚は仕方なく外に出る。寒さがぞくぞくからだに浸《し》みる。豚はとうとうくしゃみをする。
「風邪《かぜ》を引きますぜ、こいつは。」小使が眼を大きくして云った。
「いいだろうさ。腐《くさ》りがたくて。」助手が苦笑して云った。
 豚が又畜舎へ入ったら、敷藁がきれいに代えてあった。寒さはからだを刺すようだ。それに今朝からまだ何も食べないので、胃ももうからになったらしく、あらしのようにゴウゴウ鳴った。
 豚はもう眼もあけず頭がしんしん鳴り出した。ヨークシャイヤの一生の間のいろいろな恐《おそ》ろしい記憶《きおく》が、まるきり廻《まわ》り燈籠《どうろう》のように、明るくなったり暗くなったり、頭の中を過ぎて行く。さまざまな恐ろしい物音を聞く。それは豚の外で鳴ってるのか、あるいは豚の中で鳴ってるのか、それさえわからなくなった。そのうちもういつか朝になり教舎の方で鐘《かね》が鳴る。間もなくがやがや声がして、生徒が沢山《たくさん》やって来た。助手もやっぱりやって来た。
「外でやろうか。外の方がやはりいいようだ。連れ出して呉れ。おい。連れ出してあんまりギーギー云わせないようにね。まずくなるから。」
 畜産の教師がいつの間にか、ふだんとちがった茶いろなガウンのようなものを着て入口の戸に立っていた。
 助手がまじめに入って来る。
「いかがですか。天気も大変いいようです。今日少しご散歩なすっては。」又一つ鞭をピチッとあてた。豚は全く異議もなく、はあはあ頬《ほお》をふくらせて、ぐたっぐたっと歩き出す。前や横を生徒たちの、二本ずつの黒い足が夢《ゆめ》のように動いていた。
 俄《にわ》かにカッと明るくなった。外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりぐたぐた歩いて行った。
 全体どこへ行くのやら、向うに一本の杉《すぎ》がある、ちらっと頭をあげたとき、俄かに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンという鋭《するど》い音が鳴っている。横の方ではごうごう水が湧《わ》いている。さあそれからあとのことならば、もう私は知らないのだ。とにかく豚のすぐよこにあの畜産の、教師が、大きな鉄槌《てっつい》を持ち、息をはあはあ吐《は》きながら、少し青ざめて立っている。又豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっとうごかなくなっていた。
 生徒らはもう大活動、豚の身体《からだ》を洗った桶《おけ》に、も一度新らしく湯がくまれ、生徒らはみな上着の袖《そで》を、高くまくって待っていた。
 助手が大きな小刀で豚の咽喉《のど》をザクッと刺しました。
 一体この物語は、あんまり哀《あわ》れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎《きゅうしゃ》のうしろに積みあげられた。雪の中に一晩|漬《つ》けられた。
 さて大学生諸君、その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し、二十四日の銀の角、つめたく光る弦月《げんげつ》が、青じろい水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ、そのつめたい白い雪の中、戦場の墓地のように積みあげられた雪の底に、豚はきれいに洗われて、八きれになって埋《うず》まった。月はだまって過ぎて行く。夜はいよいよ冴《さ》えたのだ。



底本:「新編 風の又三郎」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年2月25日発行
   2001(平成13)年4月25日14刷
底本の親本:「新修宮沢賢治全集」筑摩書房
入力:久保格
校正:林 幸雄
2003年8月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名

  • 水沢 みずさわ 岩手県奥州市の地名。もと伊達藩支藩留守氏1万6000石の城下町。盛岡とともに鋳物の産地。国立天文台水沢VERA観測所(旧、緯度観測所)がある。
  • 水沢の天文台 → 緯度観測所、水沢VERA観測所か
  • 緯度観測所 いど かんそくじょ 緯度変化の観測・計算およびその研究にたずさわる機関。岩手県奥州市水沢区にある。現在は国立天文台水沢VERA観測所がその業務を引き継いでいる。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • ハイネ Heinrich Heine 1797-1856 ドイツの詩人・評論家。鋭い社会批評のために弾圧され、1831年パリに亡命。詩集「歌の本」「ロマンツェーロ」、長詩「アッタ=トロル」「ドイツ冬物語」、評論「ドイツの宗教と哲学の歴史」「ロマン派」、紀行「旅の絵」など。
  • ローレライ Lorelei (待ち伏せする岩の意)ライン川中流の右岸にそびえる巨岩およびその岩上に憩う妖女。その歌声に魅せられた舟人が舟もろともに沈むという伝説は、1837年ハイネの詩にジルヒャー(F. Silcher1789〜1860)が作曲した歌曲などで有名。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

  • 土の神 つちのかみ 土をつかさどり守る神。埴安姫。土神。地祇。
  • 土神 どじん 土公神のこと。
  • 土公神 どくじん 陰陽道で、土をつかさどる神。春は竈に、夏は門に、秋は井に、冬は庭に在って、その場所を動かすことを忌む。土神。土公(どくう・つちぎみ)。
  • イノコログサ エノコログサ。
  • 樺の木 かばのき (1) カバノキ科カバノキ属の樹木の総称。シラカバ・ダケカンバなど。カンバ。(2) 特に、シラカバ。
  • 環状星雲 かんじょう せいうん 惑星状星雲の一種で、中心星を包むガス状星雲の縁の光輝が強く、環状に見えるもの。代表的な例は琴座にある。
  • ツァイス → カール・ツァイスか
  • カール・ツァイス Carl Zeiss カール・ツァイス社の創立者であったドイツの機械技術者(いわゆるマイスター)カール・フリードリヒ・ツァイス(Carl Friedrich Zeiss 、1816年9月11日-1888年12月3日)。1846年にイェーナで創業し1889年「カール・ツァイス財団」傘下に入ったドイツの光学機器製造会社カール・ツァイス社。
  • 金牛宮 きんぎゅうきゅう (Taurus ラテン)黄道十二宮の第2宮。紀元前2世紀には牡牛座に相当していたが、現在は牡羊座の西部から牡牛座の西部までを含む。太陽は4月21日頃から5月22日頃までこの宮にある。
  • カモガヤ 鴨茅 オーチャード‐グラスの和名。
  • -----------------------------------
  • スリッパ
  • ヨークシャー Yorkshire (1) イギリス、イングランド北東部の州。羊毛のほか鉄鋼・化学などの工業が発達。1974年、北・南・西ヨークシャーなど5州に分離。中心都市リーズ・シェフィールド。(2) ブタの一品種。ヨークシャー(1) 原産。大・中・小の3形があり、いずれも白色で、一般に早熟・多産・強健。特に中形種が多く飼育される。
  • バークシャー Berkshire 豚の一品種。イギリスのバークシャー州で作出。中形で、全体に黒色、四肢・尾と鼻の先が白。繁殖力旺盛で肉質も良い。
  • 阿麻仁 あまに → 亜麻仁か
  • 亜麻仁 あまに 亜麻の種子。扁平卵円形で、黄色または褐色。しぼって亜麻仁油をとる。亜麻子(あまし)。
  • とりつきば とりつきは(取付端)。とりつきどころ(取付所)に同じ。
  • かいこむ 掻い込む。 (カキコムの音便)かき寄せる。かかえこむ。
  • 不間 ぶま まのぬけたこと。気のきかないこと。へま。まぬけ。
  • チッペラリー
  • 弦月 げんげつ 上弦または下弦の月。ゆみはりづき。
  • ズック doek(オランダ)(1) 麻または綿の太撚糸で地を厚く平織にした織地。多くインドから産出。テント・靴・鞄・帆などに使用。(2) (1) で作った靴。ズック靴。 


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 鶴見俊輔『かくれ佛教』(ダイヤモンド社、2010.12)をたまたま見つけて拝借。個人史と現代史を重ねあわせながら、幾人かの宗教家を紹介。巻末近くに馬祖道一「迷人の方所を弁ぜざるが如く」
 鶴見さんと宮崎さん・高畑さんって、すでに対談したことあるんだろうか。三人の不良老人。ぶっとんだ話が聞けそうな。

「土神と狐」初めて読む。なんとも救いようのない……他人のデビルマン性を書いても仕方ないわけで、土神も狐も賢治自身のことと思っていいだろう。正直さに感心。おとことおんなとおとこのいるところ、常に悲劇あり。女、樺の木、植物……うむむ。
 性が別れた時点で、まず同性同士のサバイバル競争があって、さらにそのあとでラスボスとの決戦(恋愛ゲームのかけひき)がある。コンフリクトは有性生物の運命、逃れられない宿業なのか。

 それにしても、仮にじぶんに子どもがいたとして、「土神と狐」「フランドン農学校の豚」の読み語りは、できないだろうなあ。
 
 10.1(土)くもり、映画の日。悩んだすえに『コクリコ坂』を見るため劇場へ。観賞後、しばし感慨にふける。外へ出ると冷たい風、キンモクセイの香る山形は、映画祭直前。




*次週予告


第四巻 第一一号 
地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒
鉛筆日抄 長塚節


第四巻 第一一号は、
一〇月八日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第一〇号
土神と狐/フランドン農学校の豚 宮沢賢治
発行:二〇一一年一〇月一日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン
週刊ミルクティー
*99 出版
バックナンバー
  • 第二巻
  • #1 奇巌城(一)M. ルブラン
  • #2 奇巌城(二)M. ルブラン
  • #3 美し姫と怪獣/長ぐつをはいた猫
  • #4 毒と迷信/若水の話/麻薬・自殺・宗教
  • #5 空襲警報/水の女/支流
  • #6 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • #7 新羅の花郎について 池内 宏
  • #8 震災日誌/震災後記 喜田貞吉
  • #9 セロ弾きのゴーシュ/なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • #10 風の又三郎 宮沢賢治
  • #11 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • #12 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • #13 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • #14 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • #15 欠番
  • #16 欠番
  • #17 赤毛連盟      C. ドイル
  • #18 ボヘミアの醜聞   C. ドイル
  • #19 グロリア・スコット号C. ドイル
  • #20 暗号舞踏人の謎   C. ドイル
  • #21 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • #22 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • #23 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • #24 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • #25 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • #26 日本天変地異記 田中貢太郎
  • #27 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治
  • #28 翁の発生/鬼の話 折口信夫
  • #29 生物の歴史(一)石川千代松
  • #30 生物の歴史(二)石川千代松
  • #31 生物の歴史(三)石川千代松
  • #32 生物の歴史(四)石川千代松
  • #33 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介
  •  雛がたり 泉鏡花
  •  ひなまつりの話 折口信夫
  • #34 特集 ひなまつり
  •  人形の話 折口信夫
  •  偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • #35 右大臣実朝(一)太宰 治
  • #36 右大臣実朝(二)太宰 治
  • #37 右大臣実朝(三)太宰 治
  • #38 清河八郎(一)大川周明
  • #39 清河八郎(二)大川周明
  • #40 清河八郎(三)大川周明
  • #41 清河八郎(四)大川周明
  • #42 清河八郎(五)大川周明
  • #43 清河八郎(六)大川周明
  • #44 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • #45 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
  • #46 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
  • #47 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • #48 若草物語(一)L.M. オルコット
  • #49 若草物語(二)L.M. オルコット
  • #50 若草物語(三)L.M. オルコット
  • #51 若草物語(四)L.M. オルコット
  • #52 若草物語(五)L.M. オルコット
  • #53 二人の女歌人/東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • #1 星と空の話(一)山本一清
  • #2 星と空の話(二)山本一清
  • #3 星と空の話(三)山本一清
  • #4 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • #5 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • #6 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
  • #7 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • #8 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • #9 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • #10 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫
  • #11 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/
  •  神話と地球物理学/ウジの効用
  • #12 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦
  • #13 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • #14 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • #15 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • #16 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • #17 高山の雪 小島烏水
  • #18 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • #19 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • #20 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • #21 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • #22 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • #23 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • #24 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • #25 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治
  • #26 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • #27 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所
  •  村で見た黒川能
  •  能舞台の解説
  •  春日若宮御祭の研究
  • #28 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • #29 火山の話 今村明恒
  • #30 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
  • #31 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)
  • #32 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
  • #33 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • #34 山椒大夫 森 鴎外
  • #35 地震の話(一)今村明恒
  • #36 地震の話(二)今村明恒
  • #37 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦
  • #38 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • #39 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子
  • #40 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子
  • #41 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • #42 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • #43 智恵子抄(一)高村光太郎
  • #44 智恵子抄(二)高村光太郎
  • #45 ヴェスヴィオ山/日本大地震(他)斎藤茂吉
  • #46 上代肉食考/青屋考 喜田貞吉
  • #47 地震雑感/静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
  •  地震雑感
  •   一 地震の概念
  •   二 震源
  •   三 地震の原因
  •   四 地震の予報
  •  静岡地震被害見学記
  •  小爆発二件
  • #48 自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦
  •  自然現象の予報
  •  火山の名について
  • #49 地震の国(一)今村明恒
     一、ナマズのざれごと
     二、頼山陽、地震の詩
     三、地震と風景
     四、鶏のあくび
     五、蝉しぐれ
     六、世紀の北米大西洋沖地震
     七、観光
     八、地震の正体

    「日本は震災国です。同時に地震学がもっともよく発達していると聞いています。したがってその震災を防止あるいは軽減する手段がよく講ぜられていると思いますが、それに関する概要をできるだけよくうかがって行って、本国へのみやげ話にしたいと思うのです。
    「よくわかりました。
     これはすばらしい好質問だ。本邦の一般士人、とくに記者諸君に吹聴したいほどの好質問だ。余は永年の学究生活中、かような好質問にかつて出会ったことがない。(略)余は順次につぎのようなことを説明した。
    「震災の防止・軽減策は三本建にしている。すなわち、第一は耐震構造の普及方。これには、建築法規に耐震構造の実施に関する一項が加えてあり、これを実行している都市は現在某々地にすぎないが、じつは国内の市町村の全部にと希望している。構造物を耐震的にするにはしかじかの方法が講ぜられている。(略)
    「第二は震災予防知識の普及。これは尋常小学校の国定教科書に一、二の文章を挿入することにより、おおむねその目的が達せられる。
    「第三は地震の予知問題の解決。この問題を分解すると、地震の大きさの程度、そのおこる場所ならびに時期という三つになり、この三者をあわせ予知することが本問題の完全な解決となる。これは前の二つとは全然その趣きが別で、専門学徒に課せられた古今の難問題である。
     ここで彼女はすかさず喙(くちばし)をいれた。
    「じつはその詳細がとくに聞きたいのです。事項別に説明してください。して、その程度とは?」
    「(略)われわれのごとく防災地震学に専念している者は、講究の目標を大地震にのみ限定しています。大きさの程度をわざとこう狭く局限しているのです。
    「そして、その場所の察知は?」
    「過去の大地震の統計と地質構造とによって講究された地震帯、磁力・重力など地球物理学的自然力の分布異状、とくに測地の方法によって闡明(せんめい)された特種の慢性的・急性的陸地変形などによります。
    「それから、いつ起こるかということは?」
    「右の起こりそうな場所に網をはっておいて、大地震の前兆と思われる諸現象を捕捉するのです。
     パイパー夫人はなおも陸地変形による場所ならびに時期の前知方法の講究に関して、さらに具体的の例をあげるよう迫るので、余は南海道沖大地震に関する研究業績の印刷物をもってこれに応じておいた。
  • #50 地震の国(二)今村明恒
     九 ドリアン
     一〇 地震の興味
     一一 地割れの開閉現象
     一二 称名寺の鐘楼
     一三 張衡(ちょうこう)
     一四 地震計の冤(えん)
     一五 初動の方向性
     一六 白鳳大地震

     文部大臣は、昨年の関西風水害直後、地方庁あてに訓令を出されて、生徒児童の非常災害に対する教養に努めるよう戒められたのであった。まことに結構な訓令である。ただし、震災に関するかぎり、小学教師は、いつ、いかなる場合、いかようにしてこの名訓令の趣旨を貫徹せしめるかについては、すこぶる迷っているというのが、いつわらざる現状である。実際、尋常科用国定教科書をいかにあさって見ても理科はもとより、地理・国語・修身、その他にも、地震を主題とした文章は一編も現われず、ただ数か所に「地震」という文字が散見するのみである。地震の訓話をするに、たとえかような機会をとらえるとしても、いかなることを話したらよいか、それが教師にとってかえって大きな悩みである。文部大臣の監督下にある震災予防評議会が、震火災防止をめざす積極的精神の振作に関し、内閣総理をはじめ、文部・内務・陸海軍諸大臣へあて建議書を提出したのは昭和三年(一九二八)のことであるが、その建議書にはとくに「尋常小学校の課程に地震に関する一文章を加える議」が強調してある。同建議書は文部省に設置してある理科教科書編纂委員会へも照会されたが、同委員会からは、問題の事項は加えがたいむねの返事があった。地震という事項は、尋常科の課程としては難解でもあり、また、その他の記事が満載されていて、割り込ませる余地もないという理由であった。この理由はとくに理科の教科書に限られたわけでもなく、他の科目についても同様であったのである。難解なりとは、先ほどから説明したとおり問題にならぬ。われわれはその後、文案を具して当局に迫ったこともあるくらいであるから、当局ももはや諒としておられるであろう。さすれば主な理由は、余地なしという点に帰着するわけである。つくづく尋常科教科書を検討してみるに、次のようなことが載せてあるのを気づく。すなわち「南洋にはドリアンという果物ができる。うまいけれども、とても臭い」と。このような記事を加える余裕があるにもかかわらず、地震国・震災国の幼い小国民に地震のことを教える余地がないとは、じつに不可解なことといわねばならぬ。
  • #51 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     一、仁徳天皇
      后妃と皇子女
      聖(ひじり)の御世
      吉備の黒日売
      皇后石の姫の命
      ヤタの若郎女
      ハヤブサワケの王とメトリの王
      雁の卵
      枯野という船
     二、履中天皇・反正天皇
      履中天皇とスミノエノナカツ王
      反正天皇
     三、允恭天皇
      后妃と皇子女
      八十伴の緒の氏姓
      木梨の軽の太子
     四、安康天皇
      マヨワの王の変
      イチノベノオシハの王

  • #52 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     五、雄略天皇
      后妃と皇子女
      ワカクサカベの王
      引田部の赤猪子
      吉野の宮
      葛城山
      春日のオド姫と三重の采女
     六、清寧天皇・顕宗天皇・仁賢天皇
      清寧(せいねい)天皇
      シジムの新築祝い
      歌垣
      顕宗(けんぞう)天皇
      仁賢天皇
     七、武烈天皇以後九代
      武烈(ぶれつ)天皇
      継体(けいたい)天皇
      安閑(あんかん)天皇
      宣化(せんか)天皇
      欽明(きんめい)天皇
      敏達(びだつ)天皇
      用明(ようめい)天皇
      崇峻(すしゅん)天皇
      推古天皇

  • 第四巻
  • #1 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)

     序にかえて
      琉球編について
     一、沖縄人のはじめ
     二、巨人の足あと
     三、三十七岳の神々
     四、アカナァとヨモ
     五、黄金の木のなるまで

     地上には、草や木はもちろんのこと、鳥や獣(けもの)というては一匹もいなかった大昔のことです。その時分、沖縄島の上には、霞(かすみ)がかかったように、天が垂(た)れ下がっていて、天と地との区別がまったくありませんでした。しかも、東の海から寄せてくる波は、島をこえて西の海に行き、西の海の潮は、東の海に飛びこえて渦を巻いているという、それはそれは、ものすごいありさまでした。
     それまで天にいられたアマミキヨ、シネリキヨという二人の神さまは、このありさまをごらんになって、
    「あれでは、せっかく作り上げた島もなにもならん」
    とおっしゃって、さっそく天上から土や石や草や木やをお運びになって、まず最初に、海と陸との境をお定めになりました。
     二人の神さまは、それから浜辺にお出でになり、阿旦(あだん)やユウナという木をお植えつけになって、波を防ぐようにせられました。それからというものは、さしもに逆巻いていた、あの騒がしい波も飛び越さなくなり、地上には草や木が青々としげって、野や山には小鳥の声が聞こえ、獣があちこち走るようになりました。地上がこういう平和な状態になったときに、二人の神さまは、今度は人間をおつくりになりました。そして最初は、鳥や獣といっしょにしておかれました。人間は、何も知らないものですから、鳥や獣とあちこち走りまわっていました。ところが人間に、だんだん知恵がついてきまして、今までお友だちだった鳥や獣を捕って食べることを覚えたものですから、たまりません。鳥や獣はびっくりして、だんだん、山へ逃げこんでしまうようになりました。 (「巨人の足あと」より)
  • #2 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷

     六、島の守り神
     七、命の水

     むかし、大里村の与那原(よなばる)というところに、貧乏な漁師がありました。この漁師は、まことに正直な若者でした。
     あの燃えるようにまっ赤な梯梧(だいご)の花は、もうすでに落ちてしまって、黄金色に熟(う)れた阿旦(あだん)の実が、浜の細道に匂う七月ごろのことでした。ある日のこと、その晩はことに月が美しかったものですから、若い漁師は、仕事から帰るなり、ふらふらと海岸のほうへ出かけました。(略)
     暑いとはいえ、盆近い空には、なんとなく秋らしい感じがします。若い漁師は、青々と輝いている月の空をながめながら、こんなことをいうてため息をついていましたが、やがて、何かを思い出したらしく、
    「ああそうだ。盆も近づいているのだから、すこし早いかもしれぬが、阿旦の実のよく熟れたのから選り取って、盆のかざり物に持って帰ろう」
    とつぶやいて、いそいそと海岸の阿旦林のほうへ行きました。
     そのときのことでした。琉球では、阿旦の実のにおいは、盆祭りを思い出させるものですが、そのにおいにまじって、この世のものとも思えぬなんともいえない気高いにおいが、どこからとなくしてきます。若い漁師は、
    「不思議だな。なんというよい匂いだ。どこからするんだろうな」
    と、ふと眼をあげて、青白い月の光にすかして、向こうを見ました。すると、白砂の上にゆらゆらゆれている、黒いものがあります。若い漁師はすぐに近づいて行って、急いでそれをひろいあげました。それは、世にもまれな美しいつやのある、漆のように黒い髪で、しかもあの不思議な天国のにおいは、これから発しているのでした。 (「命の水」より)
  • #3 アインシュタイン(一)寺田寅彦

     物質とエネルギー
     科学上における権威の価値と弊害
     アインシュタインの教育観

     光と名づけ、音と名づける物はエネルギーの一つの形であると考えられる。これらは吾人の五官を刺激して、万人その存在を認める。しかし、「光や音がエネルギーである」という言葉では本当の意味はつくされていない。昔、ニュートンは光を高速度にて放出さるる物質の微粒子と考えた。後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルにいたっては、これをエーテル中の電磁的ひずみの波状伝播(でんぱ)と考えられるにいたった。その後アインシュタイン一派は、光の波状伝播(でんぱ)を疑った。また現今の相対原理では、エーテルの存在を無意味にしてしまったようである。それで光と称する感覚は依然として存する間に、光の本体に関しては今日にいたるもなんらの確かなことは知られぬのである。(略)
     前世紀において電気は何ものぞ、物質かエネルギーかという問題が流行した。(略)
     電子は質量を有するように見える。それで、前の物質の定義によれば物質のように見える。同時にこれには一定量の荷電がある。荷電の存在はいったい何によって知ることができるかというと、これと同様の物を近づけたときに相互間に作用する力で知られる。その力は、間接に普通の機械力と比較することができるものである。すでに力をおよぼす以上、これは仕事をする能がある、すなわちエネルギーを有している。しかし、このエネルギーは電子のどこにひそんでいるのであろうか。ファラデー、マクスウェルの天才は、荷電体エネルギーをそのものの内部に認めず、かえってその物体の作用をおよぼす勢力範囲すなわち、いわゆる電場(でんば)に存するものと考えた。この考えはさらに、電波の現象によって確かめらるるにいたった。この考えによれば、電子の荷電のエネルギーは、電子そのものに存すると考えるよりは、むしろその範囲の空間に存すると思われるのである。すなわち空間に電場の中心がある、それが電子であると考えられる。これが他の電子、またはその集団の電場におかれると、力を受けて自由の状態にあれば有限な加速度をもって運動する。すなわち質量を有するのである。 (「物質とエネルギー」より)
  • #4 アインシュタイン(二)寺田寅彦

     アインシュタイン
     相対性原理側面観

     物理学の基礎になっている力学の根本に、ある弱点のあるということは早くから認められていた。しかし、彼以前の多くの学者にはそれをどうしたらいいかがわからなかった。あるいは大多数の人は因襲的の妥協になれて別にどうしようとも思わなかった。力学の教科書はこの急所にふれないように知らん顔をしてすましていた。それでも実用上の多くの問題には実際、さしつかえがなかったのである。ところが近代になって電子などというものが発見され、あらゆる電磁気や光熱の現象は、この不思議な物の作用に帰納されるようになった。そしてこの物が特別な条件のもとに、驚くべき快速度で運動することもわかってきた。こういう物の運動に関係した問題にふれはじめると同時に、今までそっとしておいた力学の急所がそろそろ痛みを感ずるようになってきた。ロレンツのごとき優れた老大家ははやくからこの問題に手をつけて、いろいろな矛盾の痛みを局部的の手術で治療しようとして骨折っている間に、この若い無名の学者はスイスの特許局の一隅にかくれて、もっともっと根本的な大手術を考えていた。病の根は電磁気や光よりもっと根本的な、時と空間の概念の中に潜伏していることに眼をつけた。そうしてその腐りかかった、間に合わせの時と空間をとって捨てて、新しい健全なものをそのかわりに植え込んだ。その手術で物理学は一夜に若返った。そして電磁気や光に関する理論の多くの病竈(びょうそう)はひとりでにきれいに消滅した。
     病源を見つけたのが第一のえらさで、それを手術した手際は第二のえらさでなければならない。 (「アインシュタイン」より)
  • #5 作家のみた科学者の文学的活動/科学の常識のため宮本百合子

     作家のみた科学者の文学的活動
      「生」の科学と文学
      科学と文学の交流
      科学者の社会的基調
      科学者の随筆的随想
      科学と探偵小説
      現実は批判する
     科学の常識のため

     若い婦人の感情と科学とは、従来、縁の遠いもののように思われてきている。昔は人間の心の内容を知・情・意と三つのものにわけて、知は理解や判断をつかさどり、情は感情的な面をうけもち、意は意志で、判断の一部と行動とをうけもつという形式に固定して見られ、今でもそのことは、曖昧に受け入れられたままになっている点が多い。だから、科学というとすぐ理知的ということでばかり受けとって、科学をあつかう人間がそこに献身してゆく情熱、よろこびと苦痛との堅忍、美しさへの感動が人間感情のどんなに高揚された姿であるのも若い女のひとのこころを直接に打たないばあいが多い。このことは逆な作用ともなって、たとえばパストゥールを主人公とした『科学者の道』の映画や『キュリー夫人伝』に賛嘆するとき、若い婦人たちはそれぞれの主人公たちの伝奇的な面へロマンティックな感傷をひきつけられ、科学というとどこまでも客観的で実証的な人間精神の努力そのものの歴史的な成果への評価と混同するような結果をも生むのである。
     婦人の文化の素質に芸術の要素はあるが、科学的な要素の欠けていることを多くのひとが指摘しているし、自分たちとしても心ある娘たちはそれをある弱点として認めていると思う。しかしながら、人間精神の本質とその活動についての根本の理解に、昔ながらの理性と感情の分離対立をおいたままで科学という声をきけば、やっぱりそれは暖かく踊る感情のままでは触れてゆけない冷厳な世界のように感じられるであろう。そして、その情感にある遅れた低さには自身気づかないままでいがちである。 (「科学の常識のため」より)
  • #6 地震の国(三)今村明恒

     一七 有馬の鳴動
     一八 田結村(たいむら)の人々
     一九 災害除(よ)け
     二〇 地震毛と火山毛
     二一 室蘭警察署長
     二二 ポンペイとサン・ピエール
     二三 クラカトアから日本まで

     余がかつてものした旧稿「地震に出会ったときの心得」十則の付録に、つぎの一項を加えておいた。

    「頻々におこる小地震は、単に無害な地震群に終わることもあり、また大地震の前提たることもある。震源が活火山にあるときは爆発の前徴たる場合が多い。注意を要する。

     この末段の事項についてわが国の火山中好適な例となるものは、三宅島・富士山・桜島・有珠山などであり、いずれも数十年ないし数百年おきに間欠的爆発をなすのであるが、その数日前から小地震を頻発せしめる習性を持っている。もし、活火山の休眠時間が例外に長いかあるいは短いときは、かような前震が不鮮明となり、短時間で終わりを告げることもあれば、またその反対に非常に長びくこともある。前者の例としては磐梯山があり、後者の例としては浅間山・霧島山・温泉岳〔雲仙岳。〕などがある。
     大正三年(一九一四)一月十二日、桜島爆発に関しては、地盤隆起、天然ガスの噴出、温泉・冷泉の増温・増量などの前徴以外に、特に二日前から著明な前震がはじまったなどのことがあったにかかわらず、爆発の予知が失敗に終わったのは、専門学徒にとってこのうえもない恨事であった。これに反して、明治四十三年(一九一〇)七月二十五日、有珠山爆発に際しては、専門学徒でもない一警官が、前に記したような爆発前の頻発地震に関するわずかの知識だけで完全に予知し、しかも彼の果断な処置によって災害を極度に軽減し得たことは、地震噴火誌上、特筆大書すべき痛快事である。 (「二一 室蘭警察署長」より)
  • #7 地震の国(四)今村明恒

     二四 役小角と津波除(よ)け
     二五 防波堤
     二六 「稲むらの火」の教え方について
      はしがき
      原文ならびにその注
      出典
      実話その一・安政津波
      実話その二・儀兵衛の活躍
      実話その三・その後の梧陵と村民
      実話その四・外人の梧陵崇拝
     二七 三陸津波の原因争い
     二八 三陸沿岸の浪災復興
     二九 土佐と津波

     天台宗の僧侶は、好んで高山名岳にその道場を建てる。したがって往時においては、気象・噴火・薬物などに関する物識りが彼らの仲間に多かった。鳥海・阿蘇・霧島の古い時代の噴火記事は、たいてい彼らの手になったものである。
     役小角はおそらくは当時、日本随一の博物学者であったろう。彼が呪術をよくしたということと、本邦のあちらこちらに残した事跡と称するものが、学理に合致するものであることから、そう想像される。(略)
     この行者が一日、陸中の国船越浦に現われ、里人を集めて数々の不思議を示したのち戒めて、「卿らの村は向こうの丘の上に建てよ。この海浜に建ててはならない。もし、この戒めを守らなかったら、たちまち災害がおこるであろう。」といった。行者の奇跡に魅せられた里人はよくこの教えを守り、爾来千二百年間、あえてこれに背くようなことをしなかった。
     そもそも三陸沿岸は、津波襲来の常習地である。歴史に記されただけでも少くない。貞観十一年(八六九)五月二十六日のは溺死千をもって数えられているから、人口多い今日であったら、幾万をもって数うべき程度であったろう。慶長十六年(一六一一)十月二十八日のは、死者の数、伊達領の一七八三人に、南部・津軽の分を加えて五〇〇〇人に達したといわれている。これも今日であったら幾万という数にのぼったに相違ない。明治二十九年(一八九六)六月十五日の津波死人は二万七一二二名の多数におよんだのであるから、これをもって三陸津波の最大記録とする人もあるが、なるほど、損害の統計はそうでも、津波の破壊力はやや中ぐらいにあったと見るべきである。 (「二四 役小角と津波除け」より)
  • #8 地震の国(五)今村明恒

     三〇 五徳の夢
     三一 島陰の渦(うず)
     三二 耐震すなわち耐風か
     三三 地震と脳溢血
     三四 関東大震火災の火元
     三五 天災は忘れた時分にくる
       一、天変地異と天災地妖
       二、忘と不忘との実例
       三、回向院と被服廠
       四、地震除け川舟の浪災
       五、噴火災と凶作
     三六 大地震は予報できた
     三七 原子爆弾で津波は起きるか
     三八 飢饉除け
     三九 農事四精

     火山噴火は、天変地異としては規模の大きな部類である。山が村里を遠く離れているばあいは、災害はわりあいに軽くてすむが、必ずしもそうばかりではない。わが国での最大記録は天明の浅間噴火であろうが、土地ではよくこれを記憶しており、明治の末から大正のはじめにかけての同山の活動には最善の注意をはらった。(略)
     火山は、噴火した溶岩・軽石・火山灰などによって四近の地域に直接の災禍をあたえるが、なおその超大爆発は、火山塵の大量を成層圏以上に噴き飛ばし、たちまちこれを広く全世界の上空に瀰漫させて日射をさえぎり、しかもその微塵は、降下の速度がきわめて小なるため、滞空時間が幾年月の久しきにわたり、いわゆる凶作天候の素因をなすことになる。
     火山塵に基因する凶作天候の特徴は、日射低下の他、上空に停滞する微塵、いわゆる乾霧によって春霞のごとき現象を呈し、風にも払われず、雨にもぬぐわれない。日月の色は銅色に見えて、あるいはビショップ環と称する日暈を見せることもあり、古人が竜毛として警戒した火山毛をも降らせることがある。秋夏気温の異常低下は当然の結果であるが、やがて暖冬冷夏の特徴を示すことがある。
     最近三〇〇年間、わが国が経験したもっとも深刻な凶作は、天明年度(一七八一〜一七八九)と天保年度(一八三一〜一八四五)とのものである。前者は三年間、後者は七年間続いた。もっとも惨状を呈したのは、いうまでもなく東北地方であったが、ただし凶作は日本全般のものであったのみならず、じつに全世界にわたるものであった。その凶作天候が、原因某々火山の異常大噴火にあったこと、贅説するまでもあるまい。
     世界中の人々が忘れてはならない天災地妖、それは、おそらく火山塵に基因する世界的飢饉であろう。 (「噴火災と凶作」より)
  • #9 地震の国(六)今村明恒

     四〇 渡辺先生
     四一 野宿
     四二 国史は科学的に
     四三 地震および火山噴火に関する思想の変遷
         はしがき
         地震に関する思想の変遷(その一)
         火山噴火に関する思想の変遷
         地震に関する思想の変遷(その二)
     四四 地震活動盛衰一五〇〇年

    (略)地震に関する思想は、藤原氏専政以後においてはむしろ堕落であった。その主要な原因は、陰陽五行の邪説が跋扈(ばっこ)したことにあるのはいうまでもないが、いま一つ、臣下の政権世襲の余弊であったようにも見える。この点につき、歴史家の所見を質してみたことはないが、時代の推移にともなう思想の変遷が、然(し)か物語るように見えるのである。けだし、震災に対する天皇ご自責の詔の発布された最後の例が、貞観十一年(八六九)の陸奥地震津波であり、火山噴火に対する陳謝・叙位のおこなわれた最後の例が、元慶六年(八八二)の開聞岳活動にあるとすることが誤りでなかったなら、これらの二種の行事は、天皇親政時代のものであったといえるわけで、つぎの藤原氏の専政時代において、これらにかわって台頭してきた地震行事が、地震占と改元とであったということになるからである。修法や大祓がこれにともなったこと断わるまでもあるまい。
     地震占には二種あるが、その気象に関するものはまったく近世の産物であって、古代のものは、兵乱・疫癘・飢饉・国家の重要人物の運命などのごとき政治的対象を目的としたものである。
     かつて地震をもって天譴(てんけん)とした思想は、これにおいて少しく改められ、これをもって何らかの前兆を指示する怪異と考えるに至ったのである。これには政治的方便もあったろうが、時代が地震活動の不活発期に入ったことも無視してはなるまい。
     上記の地震占をつかさどる朝廷の役所は陰陽寮で、司は賀茂・安倍二家の世襲であったらしい。 (「四三 地震および火山噴火に関する思想の変遷」より)

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