寺田寅彦 てらだ とらひこ
1878-1935(明治11.11.28-昭和10.12.31)
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Terada_Torahiko.jpg」より。


もくじ 
特集 アインシュタイン(一)寺田寅彦


ミルクティー*現代表記版
物質とエネルギー
科学上における権威の価値と弊害
アインシュタインの教育観

オリジナル版
物質とエネルギー
科学上における権威の価値と弊害
アインシュタインの教育観

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

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*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒をおぎないました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


物質とエネルギー
底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card42701.html
NDC 分類:420(物理学)
http://yozora.kazumi386.org/4/2/ndc420.html

科学上における権威の価値と弊害
底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card42693.html
NDC 分類:401(自然科学/科学理論.科学哲学)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html

アインシュタインの教育観
底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card43075.html
NDC 分類:370(教育)
http://yozora.kazumi386.org/3/7/ndc370.html




物質とエネルギー

寺田寅彦


 物にはかならず物理がある。ここにいわゆる物とはなんぞや。直接・間接に人間五感の対象となって万人その存在を認め、あるいは認め得べきものをさす。ゆえに幽霊はここにいわゆる物ではない。夢中の宝玉も物ではない。物理学者は通例、物質とエネルギーという二つの物を認める。物質の定義が困難である。教科書などには質量を有するものとも書いてあるが、これは言葉をえたにすぎない。質量という考えをあきらかにするには、どうしても力という考えを固めなければぐあいが悪い。力という言葉の起原はつまり、人間の筋力の感覚から発達してきたものに相違ない。そうしてこの考えを押しひろげて、吾人ごじんの身辺を囲繞いにょうするあらゆる変化を因果をもって律しようという了見から、なにかその変化の原因となるものを考えたいので、この原因に力という語を転用するにいたったのであろう。普通にいう力学上の力はすなわち、いわゆる機械的の力で、直接または間接に吾人の筋力と比較さるべきものである。これがある物に作用したときに、これが有限な加速度をもって運動すれば、その物はすなわち物質で、質量をそなえているという。その質量の大小は、同じ力の働いたときの加速度に比例すると考えるのである。否、むしろかくのごとき方則ほうそくにしたがって力に反応する物を物質と名づけるのである。こういう考えで自然界の運動を解釈して矛盾するところがないので、力の考えはいよいよあきらかとなり、質量の考えもいよいよ確かになる。この考えをさらに押しひろめ、直接、筋力と比較することのできぬ種々の引力・斥力せきりょくを考えて森羅しんら万象ばんしょうを整然たる規律のもとに整理するのが物理学のおもな仕事の一つである。
 力の考えから仕事の考えが導かれる。力の作用せる物が動けば力はその物に対して仕事をし、また仕事を受ける。その仕事は、力と距離の相乗積ではかる。これが現在、力学の中の重要な Begriff〔概念〕の一つである。これはしかし、力のごとき人間感覚に直接の交渉を有せぬ量であって、自然現象を整理するに便宜べんぎな尺度の一つと考えなければなるまい。仕事の考えが定まれば、エネルギーの考えはこれから導かれる。すなわち、仕事をなす能をエネルギーと名づける。ある現象がおこってそのあいだに甲が乙に仕事をしたとすれば甲はエネルギーをもっていたと考え、その一部または全体が仕事としてついやされたと考える。仕事を受けた方はまた、それだけのエネルギーを受け取ったと考えてよい。これもまた一つの便宜べんぎ上の Begriff であって、自然そのものはこの Begriff の中にはすこしも含まれておらぬのである。かくのごとく定めた energy なるものが、あらゆる変化に際して総和において変わらぬというのがいわゆる勢力エネルギー不滅則である。
 仕事といいエネルギーというのは、どこまでも人間、とくに物理学者が便宜べんぎ上採用した観念である。力という語や速度という語が世俗に通じやすくて、仕事エネルギーの解しにくいのはそのためである。このような観念の結合連鎖によって組み立てた力学・物理学は吾人にとってひじょうに便宜べんぎなものであるが、しかしまた、この建設物が唯一な必然なものだとは信じられない。現在とまったく異なった一つの力学系統を構成することは不可能ではあるまい。現在の系統は一朝一夕に発達したものではなく、ガリレイ以来ぜんを追うて発達してきたもので、種々な観念もだんだんに変遷へんせんし拡張されてきたものである。したがって将来はまたどのような変化をし、またどのような新しい観念が採用されるようになるか、今日、これを予言することは困難である。
 光と名づけ、音と名づける物はエネルギーの一つの形であると考えられる。これらは吾人の五官を刺激して、万人その存在を認める。しかし、「光や音がエネルギーである」という言葉では本当の意味はつくされていない。昔、ニュートンは光を高速度にて放出さるる物質の微粒子と考えた。後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルにいたっては、これをエーテル中の電磁的ひずみの波状伝播でんぱと考えられるにいたった。その後アインシュタイン一派は、光の波状伝播でんぱを疑った。また現今の相対原理では、エーテルの存在を無意味にしてしまったようである。それで光と称する感覚は依然として存する間に、光の本体に関しては今日にいたるもなんらの確かなことは知られぬのである。それにもかかわらず、光が一種のエネルギーであるという考えはすこしも動かされない。光がエネルギーをはこぶと考えると、光のあらゆる物理的・化学的性質を説明して矛盾するところがない。
 音のばあいは、光ほどむつかしくはないようである。この場合には、音をはこぶものが吾人の直接感覚しうる空気だからである。このばあいには吾人は直接、空気の振動を認めることができる。この音が伝わっていく際にエネルギーがはこばれると考えると、すこしも矛盾なく諸般の現象を説明することができる。光は熱を生じ、化学作用をおこし、また圧力をおよぼして機械的の仕事をする。音も鼓膜こまくを動かして仕事をし、また、熱にも変ずる。しかるにのごとくはこばれ、のごとく変化するエネルギーの本体はなにものか。これは吾人の官能の外にあるもので、つまり一つの観念ではあるまいか。物質の観念が未開人にもあるのに、エネルギーの考えが俗人に通ぜぬのはそのためではあるまいか。
 こういうふうに考えれば、物質そのものもまた、わからぬものである。物質諸般の性質を説明するには、物質がすべて分子・原子から成立していると考えることが必要なばかりでなく、また分子の実在はブラウン運動などからみても、もはや疑いがたいことである。また、これら分子がまた原子から成立していることも疑いないことで、分子中における原子結合の状況についても、各方面から推定をくだす手がかりができている。前世紀の末ごろまでは原子までで事がりていたが、真空中放電の研究や放射能性物質の研究から、さらに原子の内部構造を考えなければならぬ破目はめになって、ここにエレクトロン〔電子〕なるものが発見されることになった。今日では、ほとんどこの電子の実在を疑う者はない。放射性物質や真空放電の現象にとどまらず、あらゆる方面にわたって、電子によってはじめて説明される新しい現象も発見さるるにいたった。今日では、電子の数をかぞえることもできる。各種物質の出す光のスペクトルの研究から、原子内における電子の排列はいれつを探るようなありさまである。
 電子が一定量の陰電気をおびていること、その質量が水素原子の質量のおよそ一八〇〇分の一にあたることも種々の方面から推定される。かくのごとき電子の性質がしだいに闡明せんめいされ、これが原子を構成する模様があきらかになる時がきても、電子そのものは何物ぞという疑問は残るのである。
 いったい、電子を借りなければ説明のできないような諸現象がまだ発見されず、物質の最小部分が原子だとしてじゅうぶんであった時代において、原子はさらにいっそう微細なる部分よりなると論ずる人があったとすれば、その人は空想家か哲学者であって、少なくも実験科学者ではない。実験科学は形而上学ではない。取り扱うものは自然の経験的事実である。ある時代には、物理学は事柄がいかにおこるかということを論ずるのみで、なぜかということは論じないという言葉が流行して、その真の意味が誤解されたことがあった。今日、多くの物理学者に言わせれば、なぜという言葉といかにということばも相去ることあまり遠くはないのである。いかにということがわかれば、なぜもわかり、なぜということがあきらかになれば、その結果は同時に「いかに」に対する答えである。それで原子のみではわからぬ現象が知られるに至ってなぜという問題がおこり、その結果、「いかにして」の答案が上述のごとき電子の出現となったのである。しかし、科学者には没交渉であるはずの物の本性に立ち入ろうとする人間自然の欲求はさらに、電子は何かという疑問を発してまぬのである。
 前世紀において電気は何ものぞ、物質かエネルギーかという問題が流行した。電気窃取せっしゅ罪の鑑定人として物理学者が法廷に立ったこともある。二十世紀の今日においては、電気の疑問が電子に移った。電子は連続的のものでなくて粒から成り立っている。一電子の有する電気以下の少量の電気は、どこにも得ることができぬ。あらゆる電気はこの微粒の整数倍であるということになった。それで電気を盗むのは、この電子の莫大ばくだいな粒数を盗むのである。そこでその電子は物質かエネルギーか。
 電子は質量を有するように見える。それで、前の物質の定義によれば物質のように見える。同時にこれには一定量の荷電がある。荷電の存在はいったい何によって知ることができるかというと、これと同様の物を近づけたときに相互間に作用する力で知られる。その力は、間接に普通の機械力と比較することができるものである。すでに力をおよぼす以上、これは仕事をする能がある、すなわちエネルギーを有している。しかし、このエネルギーは電子のどこにひそんでいるのであろうか。ファラデー、マクスウェルの天才は、荷電体エネルギーをそのものの内部に認めず、かえってその物体の作用をおよぼす勢力範囲すなわち、いわゆる電場でんばに存するものと考えた。この考えはさらに、電波の現象によって確かめらるるにいたった。この考えによれば、電子の荷電のエネルギーは、電子そのものに存すると考えるよりは、むしろその範囲の空間に存すると思われるのである。すなわち空間に電場の中心がある、それが電子であると考えられる。これが他の電子、またはその集団の電場におかれると、力を受けて自由の状態にあれば有限な加速度をもって運動する。すなわち質量を有するのである。
 しかるに一方において荷電体が動くときは、その周囲の電場を引きつれて動く。そのとき、この電場の運動のためにいわゆる磁場がおこる。電流の通ずる針金の周囲に磁場を生じるのはすなわちこれである。かくのごとくしておこる電磁場は、一種の惰性だせいを有することが実験上から知られる。すなわち、荷電体を動かし始めるときには動くまいとし、動いているのを止めるときには運動を続けようとする。ちょうど、物質質量と同様な性質を有しているのである。質量の定義にしたがえば、荷電体したがって電子はそれが電気をおびているために一種の質量を有するといわなければならぬ。したがって上の物質の定義にしたがえば、電気はすなわち物質といわなければならない。ただし、その質量のすくなくも一部分は、その周囲電磁場のエネルギーに帰因するものである。しからばエネルギーは、すなわち物質か。こういう疑問がおのずからおこらぬを得ないのである。吾人が通例取り扱っている物質の質量なるものは、その物の速度いかんによって変わらない。しかるに荷電体の電磁的質量は速度によって変わるものである。今、電子の質量が純粋な電磁的のものか、あるいは一部分は速度に無関係なものであるかという問題を決するには、速度、種々に異なる電子が電磁場でその径路を変える模様を見ればわかるはずであるので、カウフマン以後種々の人が精密な実験をおこなうたその結果は、電子の質量はほとんど全部、電磁的のものであるらしい。そうなると、いきおい吾人が従来物質の質量と考えているものも、やはり同様にことごとく電磁的なものでないかという疑いをおこさざるを得ない。もしそうであらば、エネルギーと物質とは打して一丸となり、物質すなわちエネルギーとなるわけである。しかし、この疑問はまだなかなか解決がつかぬ。陰電子とともに物質を構成しており、しかも物質質量の大部分をなしている陽電子なるものの性質本体がまだわからぬうちは、前途なお遠しといわなければなるまい。
 物理学の根源は実験的の事実で、そのもととなるものは人間の五感である。しかし、物理学の進歩するほどそのもととなる五感は閑却かんきゃくされてくるのである。むかしの物理学では五感の立場からまったく別物として取り扱ったものが、だんだん一緒になってくる。電波や熱や光やX線やγガンマ線や、人間を離れてみればまったく同じ物で、波の長さということのほかには本質的の差異を認めない。六十余種の原素もおそらくは、ただ陰陽電子の異なる排列にすぎぬと考えられる。いよいよ進んで物質とエネルギーは一元に帰しようとする傾向さえ生じている。従来不可解の疑問たる万有引力なるものもまた、光との間になんらかの連鎖をほのめかしているのである。
 物理の理の字はまさにかくのごとき総括そうかつを意味するともいえる。直接五感にふれる万象をことごとく偶然と考えないとすれば、経験が蓄積するにつれて概括がいかつ抽象がおこなわれ、個々の方則ほうそくを生じ、これらの方則が蓄積すればさらに一段上層の概括がいかつがおこる。そうなればもはや、人間というものは宇宙のかたすみに忘れられてしまって、少数の観念と方則ほうそくがひとり幅をかすようになってくるのである。しかもこの大系統は結局人間の産物であって、人間現在の知識の範囲内にのみおこなわるるものである。ポアンカレーは「方則ほうそくは不変なりや」という奇問を発している。
(大正四年(一九一五)ごろ)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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科学上における権威の価値と弊害

寺田寅彦


 科学上における権威の効能は、ほとんど論ずる必要はないほど明白なものである。ことに今日のごとく各方面の科学は長足ちょうそくの進歩をとげて、その間口の広いこと、奥行の深いこと、既往きおうの比でない。なかなか風来人ふうらいじんが門外からうかがい見て、その概要を知ることも容易ではない。のみならず、おのおの独立の名称を持っている科学の分派、たとえば物理とか化学とかいうものの中にまた、いろいろの部門がおのおの非常な発達をしている。たとえ日進月歩の新知識を統括とうかつする方則ほうそくや原理の数はそれほど増さないとしても、これによって概括がいかつせらるべき事実の数はしだいに増加してくるばかりである。したがって、いきおい物理学の中でもだんだんに専門の数が増加し、その範囲がせまくなる。この勢いで進んでゆけば、物理学を学修するということはなかなか困難なことになる。人間の能力がこれに比例して増進しないかぎりは、十人並みの人間一生のあいだに物理学の全般にわたってひととおりの知識だけでも得ようとするのは、なかなか容易なことでなくなる。もし全般に通じようとすれば、いきおい浅薄せんぱくに流れ、もし蘊奥うんおうきわめんとすれば、いきおい全般のことはわからずにしまわなければならぬようなありさまである。
 このような時代において、もし、ある科学の全般にわたって間口も広く奥行も深く該博がいはく深遠な知識を持った学者があって、それが学習者を指導し、各部分の専門的研究者や応用家の相談相手になってゆくとすれば、じつにこのうえもないことである。しかしそのような権威は、今後ますます少数になるだろうと思われる。そうなるとやむをえず間口の広い方の権威者と、間口がせまくて奥行ばかり深い権威者か、二つに一つよりしかないような場合がないともかぎらない。このようないわば一元的 one dimensional な権威といえども、学修者・研究者にとってはなはだ必要なものであることはもちろんである。
 今ここに、夏休みに温泉に出かけようとする人がある。その人にとってはまず、全国の温泉案内書のようなものははなはだ重宝である。それで調べて、いよいよある温泉に行くとなると、今度はその温泉の案内に明るい人の話が聞きたくなるのである。前に述べた二種の権威者はちょうどこれに似たものである。前者については一つ一つの温泉のくわしいことはわからないが、各温泉の特徴については明瞭な知識を与え、選択のたよりになる。後者では、その温泉と他との比較はあきらかにならない。
 ともかくも学術上の権威者の一つの役目は、ちょうど旅行者に対する案内者の役目である。京都見物を一定時日のあいだにもっとも有効にしようというには、適当な案内者あるいはこれにかわるべき案内書があると便利である。そうでないと、往々重要なものを見落とすおそれがある。近ごろ流行はやる高山旅行などでは、なおさらである。案内人なしにいいかげんな道を歩いていると、道に迷うてとんでもない災難にあわなければならない。
 案内人として権威の価値はあきらかであるが、同時に案内人の弊害へいがいもあることはわりあいに考える人が少ない。
 通りすがりの旅人が金閣寺を見物しようとするには、案内の小僧ははなはだ重宝なものであるが、本当に自分の眼でじゅうぶんに見物しようとするにははなはだ不都合なものである。ひととおりの定まった版行はんこうで押した項目だけを暗唱的に説明してしまえばそれでもうおしまいで、先様おかわりである。少しくわしく立ち止まってみたいと思う者があっても、大勢に追従ついじゅうして素通すどおりをしてしまわなければならない。吾人ごじんが学校で学問を教わるのは、ちょうどこのようなものである。これはつまり、大勢の人間に同時に大体を見せるためにはもっとも適当で有効な方法には相違ない。しかし、この案内人の流儀をあまり徹底させては、本当に科学を学修しようというもののためには非常な迷惑であることは申すまでもない。
 かつてロンドン滞在中、某氏とハンプトンコートの離宮を拝観に行ったことがある。某氏はベデカ〔ドイツの出版社。の案内記と首引くびっぴきでいちいち引き合わして説明してくれたので、おおいにおもしろかった。そのうちに、ある室で何番目の窓からどの方向を見ると景色けしきがいいということを教えたのがあった。そのとき自分はこんなことを言った。「これでは自分で見物するのでなくて、ベデカの記者に見物させられているようなものだ。」自分は同行者の温順おんじゅん謙譲けんじょうな人柄から、その人がベデカの権威に絶対的に服従してベデカをとおしての宮園のみを鑑賞する態度を感心もし、またがゆくも思った。しかし考えてみると、多くの自然科学の学生がその研究の対象とする自然を見るのに、あるいは教科書をとおし、あるいは教師の講義録をとおして見るのみで、自分の眼で、自分の頭で自然を観察するものがはたして幾何いくばくあるだろうかということを考えざるを得なかった。
 学生にとっては、教科書や教師のノートは立派な権威である。これらの権威を無批判的に過信する弊害は、はなはだおそるべきものでなければならない。もしノートや教科書の教ゆるところをそのままに受け取り、それ以上について考えるところも見るところもなかったらどうであろう。その人は単に生きた教科書であって、自然科学そのものについては何の得るところもないのである。
 自然科学の目的とするところは、結局、自然そのものである以上は、本当のことは直接自然から学ばねばわかるものではない。教科書やノートはちょうど、案内者にすぎない。それがまちがっていないかぎりは、まるで方角のわからぬ者には必要欠くべからざるものである。京都見物の人がみやげ話のたねとすると同様、日常常識としてけっこうであるかもしれぬが、畢竟ひっきょうは絵で見た景色けしきと同様で、本当の知識ではない。いわんや、せっかく案内者がひっぱりまわしても肝心の見物人が盲目では何の甲斐かいもない。
 案内者のいうところがすべて正しく、少しの誤謬ごびゅうがないと仮定しても、そればかりに頼るときは自身の観察力や考察力を麻痺まひさせるへいはまぬがれがたい。なんでも鵜呑うのみにしては消化されない。歯の咀嚼そしゃく能力は退化し、食ったものは栄養にならない。しかるに、いかなる案内者といえども絶対的に誤謬ごびゅうのないということは保証しがたい。仮に、いかに博学多識の学者を案内として名所見物をするとしても、その人の所説にはそれぞれ何か確かな根拠はあるかもしれないが、それらの根拠をひとつひとつ批判的に厳密に調べてみても、一点の疑いのないという場合はむしろまれであろう。歴史上の遺跡や古美術品の案内や紹介ならばともかく、科学上の権威においては、そのような ambiguity〔あいまいさ。疑わしさ。多義性・両義性。はありべからざることではないかという人があるだろうが、不幸にして科学上の事柄でも畢竟ひっきょう、五十歩百歩である。
 権威というのは元来、相対的なものである。小学校の生徒の科学知識に対しては、中等教育を受けた者はたいていは権威となりうる資格があるはずである。大学卒業者はその専門ではまず、社会一般の権威となりうるはずである。物理学者と称せらるるものなどは、その修むる専門の知識においては万人の権威であるべきわけである。しからば、あらゆる大学教授の学殖がくしょくはすべて同一であるかというに、そういうことは不可能であるが、同じ物理学の中でもそれぞれの方面にそれぞれの権威があって、これらの人々の集団が一つの理想的な権威団を形成すると考えてよい。この権威の財団法人といったようなものの権威の程度はどのようであろう。これとても決して絶対的なものではない。
 つまり各部門においては現在既知の知識の終点をきわめ、同時に、未来の進路に対して適当の指針を与えうるものがまず理想的の権威と称すべきものではあるまいか。
 現在、既知の科学的知識をすこしの遺漏いろうもなく知悉ちしつするということが、実際に言葉どおりに可能であるかどうか。おそらくこれはむつかしいことであろう。しかし特殊の題目について、おもなる学術国のおもなる研究者の研究の結果を up to date に調べあげて、その題目に対する既得知識の終点をきわめることは可能である。これをきわめて、どこまでがわかっているかという境界線をきわめ、しかるのち、その境界線以外に一歩を進めるというのが多くの科学者の仕事である。科学上の権威者と称せらるる者は、なるべく広い方面にわたってこの境界線の鳥瞰図ちょうかんずを持っている人である。そして各方面からこの境界をふみだそうという人々に道しるべをするのである。しかし、どこまでも信用のできる案内者はあり得べからざるものである。いかに精密なる参謀本部の地図でも、一木一草の位置までも写したものはない。たとえ測量の際には正確に写したものでも、山の中の木こりみちなどは二、三年のうちにはどうなるかもしれない。そこまで地図をあてにするのは、あてにするほうが悪いのである。権威者の片言へんげん隻語せきごまでも信ずるのへいはいうまでもないことであるが、権威を過信する弊害は、あながちこれらの枝葉の問題に止まらない。もっと根本的な大方針においてもまたしかりである。
 あらゆる方面で偉大な仕事をした人は、自信の強い人である。科学者でも同様である。しかし千慮せんりょ一失いっしつはまぬがれない。その人の仕事や学説が九十九まで正鵠せいこくを得ていて、残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認することは、案外すみやかでないものである。一方、無批判的な群小は九十九プロセント〔パーセント〕の偉大にたれて、一プロの誤りをもいっしょにのみこんでしまうのが通例である。権威の大なる危害はここにあるのである。このような実例は科学史上、枚挙にいとまないほどである。ニュートンが光の微粒子説を主張したということが、どれだけ波動説の承認をさまたげたかは人の知るところである。また、ラプラスが熱を物質視したためにエネルゲティック〔エネルギー論。の進歩を阻害したことも少なくないことは史家の認めるところである。あえて昔にかぎったことはない。現在でもそういう例はたくさんあろうと思う。大家と称せらるる人の所説ならば、ずいぶんいかがわしいことでも過信されるのは日常のことである。甲某は何々のオーソリティーであるとなれば、その人の所説は神の託宣たくせんのように誤りないと思われるのが通例である。想うにこれらは、権威者の罪というよりはむしろ、権威者の絶対性を妄信もうしんする無批判な群小の罪だと考えなければなるまい。もとより一般から権威と認められる人が、その所説を発表し主張するについては慎重でなければならぬことはもちろんであるが、いかなる人でも千慮の一失はまぬがれがたい。万に一つの誤りをも恐るるならばむしろ、いっさい意見の発表をやめねばならない。万一の誤りを教えてならないとなれば、世界中の学校教員は悉皆しっかい辞職しなければならない。万一の危険を恐れれば、地震国の日本などには住まわぬがよいというと一般なものである。恐るべきは権威でなくて、無批判な群衆の雷同心理でなければならない。
 本当の科学を修めるのみならず、その研究に従事しようというものの忘るべからざることは、このような雷同心の芟除さんじょにある。換言すれば、つとめてつむじをまげてかかることである。いかなる人が何といっても、自分のに落ちるまでは決して鵜呑うのみにしないということである。この、つむじまがりの性質がなかったら科学の進歩はどうなったであろうか。
 スコラ学派時代に科学の進歩が長い間まったく停滞したのは、まったくこのつむじまがりが出なかったためにほかならない。ルネサンスはすなわち、偉大なつむじまがりの輩出した時代である。ガリレイはその執拗しつようなつむじまがりのために縄目なわめの苦しみを受けなければならなかった。ニュートンがデカルト派の形而上学的宇宙観から割り出した物理学を離れて、 Hypotheses non fingo という立場からあのような偉業をしたのもそうである。Huyghens, Young が微粒子説を打破したのも、ファラデーが action at a distance を無視したのでも、アインシュタインが時と空間に関する伝習的の考えを根本からひっくりかえして相対率原理の基礎を置いたのでも、いずれにしても、伝習の権威にとらわれない偉人のつむじまがりにほかならないのである。
 美術家は画法にとらわれて自然を見なくなり、宗教家は経典にとらわれて生きた人間を忘れ、学者はオーソリティーにとらわれる。そして物質界を赤裸々のままで見ることを忘れる。美術家はときに原始人に立ち返って自然を見なければならない。宗教家は赤子の心にかえらねばならない。同時に科学者はときに、無学・文盲の人間に立ち返って考えなければならない。われわれが物理学のかなり深いところを探究しているつもりでも、ときどき子どもや素人しろうとから受ける質問が、往々にして意外に根本的な物理学の弱点にふれることを見るのである。
 エネルギー保存説の開祖ロベルト・マイヤーは、当時の物理の世界から見ればむしろ、つむじまがりの頑固がんこ田舎いなかおやじであったに相違ない。
(大正四年(一九一五)ごろ)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年3月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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アインシュタインの教育観

寺田寅彦


 近ごろパリにいる知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」とことわってよこしてくれたのである。
 欧米における昨今のアインシュタインの盛名は非常なもので、彼の名や「相対原理」という言葉などが、いろいろな第二次的な意味の流行語になっているらしい。ロンドンからの便たよりでは、新聞や通俗雑誌くらいしか売っていない店先にも、ちゃんとアインシュタインの著書(英訳)だけは並べてあるそうである。新聞の漫画を見ていると、野良のむすこがおやじの金をごまかしておいて、これがレラティヴィティ〔相対性。だなどとすましているのがある。こうなっては、さすがのアインシュタインも苦い顔をしていることであろう。
 わがくにではまだそれほどでもないが、それでも彼の名前は、理学者以外の方面にも近ごろだいぶひろまってきたようである。そして彼の仕事の内容はわからないまでも、それが非常に重要なものであって、それをしとげた彼が非常な優れた頭脳の所有者であることを認め信じている人はかなりに多数である。そうして彼の仕事のみならず、彼の「人」について特別な興味を抱いていて、その面影おもかげを知りたがっている人もかなりに多い。そういう人々にとってこのモスコフスキーの著書ははなはだ興味のあるものであろう。
 モスコフスキーとはどういう人か、わたしは知らない。ある人の話ではジャーナリストらしい。自身の序文にもそうらしく見えることが書いてある。いずれにしても著述家として多少認められ、相当な学識もあり、科学に対してもかなりな理解を持っている人であることは、この書の内容からも了解することができる。
 この人のアインシュタインに対する関係は、一見ボスウェルのジョンソン、ないしエッカーマンのゲーテに対するようなものかもしれない。彼自身も、後者の類例をある程度まで承認している。琥珀こはくの中のはえ」などと自分でいっているが、単なるボスウェリズムでないことはあきらかに認められる。
 ときどきアインシュタインに会って雑談をする機会があるので、そのときどきの談片を題目とし、それの注釈や祖述、あるいはそれに関する評論を書いたものがまとまった書物になったという体裁である。無論、記事の全責任は記者、すなわち著者にあることが特に断わってある。
 いったい、人の談話を聞いて正当にこれを伝えるということは、それが精密な科学上の定理や方則でないかぎり、厳密にいえばほとんど不可能なほど困難なことである。たとえ、言葉だけは精密に書き留めても、そのときの顔の表情や声のニュアンスはぜんぜん失われてしまう。それだからある人の言ったことを、その外形だけ正しく伝えることによって、話した本人を他人の前におとしいれることもげることも勝手にできる。これは、無責任ないし悪意あるゴシップによって日常おこなわれている現象である。
 それで、この書物の内容も結局はモスコフスキーのアインシュタイン観であって、それをわたしが伝えるのだから、さらにいっそうアインシュタインから遠くなってしまう、はなはだ心細いわけである。しかし結局、「人」の真相も相対性のものかもしれないから、もしそうだとすると、この一編の記事もやはり一つの「真」の相かもしれない。そうでないばあいでも、何かしら考えることの種子たねくらいにはならないことはあるまい。
 余談はさておき、この書物の一章にアインシュタインの教育に関する意見を紹介・論評したものがある。これは多くの人にいろいろな意味でいろいろな向きの興味があると思われるから、その中から若干の要点だけをここに紹介したいと思う。アインシュタイン自身の言葉として出ている部分は、なるべく忠実に訳するつもりである。これに対する著者の論議はわざと大部分を省略するが、しかし、彼の面目を伝える種類の記事は保存することにする。
 アインシュタインはヘルムホルツなどと反対で、講義のうまい型の学者である。のみならず、講義・講演によって人に教えるということに興味と熱心を持っているそうである。それで、学生や学者に対してのみならず、一般人の知識欲を満足させることをわずらわしく思わない。たとえば労働者の集団に対しても、わかりやすい講演をやって聞かせるとある。そんなふうであるから、ともかくも彼が教育ということに無関心な仙人肌でないことは想像される。
 アインシュタインの考えでは、若い人の自然現象に関する洞察の眼を開けるということがもっとも大切なことであるから、したがって実科教育を十分にあたえるために、古典的な語学のみならず、遠慮えんりょなくいえば」語学の教育などはいくぶん犠牲にしてもしくないという考えらしい。これについて持ち出された So viele Sprachen einer versteht, so viele Male ist er Mensch. というカール五世の言葉に対して彼は、語学競技者シュプラハ・アトレーテン」はかならずしも「人間」の先頭に立つものではない。強い性格者であり認識の促進者たるべき人の多面性は、語学知識の広いことではなくて、むしろそんなものの記憶のために偏頗へんぱに頭脳を使わないで、頭の中を開放しておくことにある、といっている。
 「人間は『鋭敏に反応する』(subtil zu reagieren)ように教育されなければならない。いわば『精神的の筋肉』(geistige Muskeln)を得てこれを養成しなければならない。それがためには語学の訓練ドリルはあまり適しない。それよりは、自分で物を考えるような修練に重きをおいた一般的教育が有効である。
 「もっとも、生徒の個性的傾向は無論考えなければならない。通例そのような傾向は、かなりに早くから現われるものである。それだから自分の案では、中等学校ギムナジウムの三年ごろからそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教えることはきわめて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度にとどめた方がいい。それでもし生徒が文学的の傾向があるなら、それにはラテン、グリーキ〔Griek、ギリシア語。もじゅうぶんにやらせて、そのかわり、性にあわない学科でいじめるのはよしたほうがいい……」
 これはあきらかに数学などをさしたものである。数学ぎらいの生徒は日本にかぎらないと見えて、モスコフスキーの言うところによると、かなりはしっこい〔すばしこい。頭でありながら、数学にかけてはまるで低能で、学校生活中におそわれた数学の悪夢に生涯とりつかれてうなされる人が多いらしい。このいわゆる数学的低能者について、アインシュタインはつぎのようなことを言っている。
「数学ぎらいの原因が、はたして生徒の無能にのみよるかどうだか、わたしにはよくわからない。むしろわたしは、多くのばあいにその責任が教師の無能にあるような気がする。たいがいの教師は、いろんなくだらない問題を生徒にしかけて時間を空費している。生徒が知らないことを無理に聞いている。本当の疑問のしかけ方は、相手が知っているか、あるいは知りうることを聞き出すことでなければならない。それで、こういう罪過ざいかのおこなわれるところでは、たいがい、教師のほうが主なとがをこうむらなければならない。学級のできばえは教師の能力の尺度になる。いったい、学級のできばえにはおのずから一定の平均値があって、その上下に若干の出入りがある。その平均が得られれば、それでかなりけっこうなわけである。しかしもし、ある学級の進歩が平均以下であるというばあいには、悪い学年だというより、むしろ先生が悪いといったほうがいい。たいていのばあいに、教師は必要な事項はよく理解もし、また教材として自由にこなすだけの力はある。しかしそれをおもしろくする力がない。これがほとんどいつでもわざわいの源になるのである。先生が退屈の呼吸いきをふきかけた日には、生徒は窒息してしまう。教える能力というのは、おもしろく教えることである。どんな抽象的な教材でも、それが生徒の心の琴線に共鳴をおこさせるようにし、好奇心をいつもかしておかねばならない。
 これは多数の人にとって耳の痛い話である。
 この理想が実現せられるとして、教案を立てるさいに材料と分布をどうするかという問いに対しては、具体的の話は後日にゆずるといって、話頭わとうを試験制度の問題に転じている。
 「要は時間の経済にある。それにはムダな生徒いじめの訓練的なことは、いっさい廃するがいい。今日でもいっさいの練習の最後の目的は、卒業試験にあるようなことになっている。この試験を廃しなければいけない。「それは修学期の最後におけるおそろしい比武競技のように、はるかの手前までもその暗影を投げる。生徒も先生も、不断にこの強制的に定められた晴れの日の準備にあくせくしていなければならない。また、その試験というのが人工的にむやみに程度を高くねじりあげたもので、それに手の届くように鞭撻べんたつされた受験者はやっと数時間だけは持ちこたえていても、後ではすっかり忘れて、ふたたび取りかえすことはない。それを忘れてしまえば厄介やっかいな記憶の訓練の効果は消えてしまう。試験さえすめば、数か月後には大丈夫きれいに忘れてしまうような、また忘れてしかるべきようなことを、何年もかかってつめこむ必要はない。われわれは自然に帰るがいい。そして、最小の仕事をついやして最大の効果を得るという原則にしたがったほうがいい。卒業試験はまさに、この原則に反するものである。
 それでは、大学入学の資格はどうしてきめるかとの問いに対して、
 「偶然に支配されるような火の試練フォイア プローベでなく、一体の成績によればいい。これは教師にはよくわかるもので、もしわからなければ、罪はやはり教師にある。教案が生徒を圧迫する度が少なければ少ないほど、生徒は卒業の資格を得やすいだろう。一日六時間、そのうち四時間は学校、二時間は宅で練習すればたくさんで、それすら最大限である。もし、これで少なすぎると思うなら、まあ考えてみるがいい。若いものはひまな時間でも、強い興奮努力を経験している。なぜといえば、彼らは全世界を知覚し認識し、のみこまなければならないから。
「時間をへらして、そのかわり、あまり必須でない科目をけずるがいい。『世界歴史』と称するものなどがそれである。これは通例、乾燥無味な表につめこんだ、だらしのないものである。これなどは思いきってきりつめ、年代いじりなどは抜きにして綱領こうりょうだけにとどめたい。とくに古い時代の歴史などはずいぶんぬかしてしまっても、吾人ごじんの生活にたいした影響はない。わたしは学生がアレキサンダー大王そのほか何ダースかの征服者のことを少しも知らなくても、たいした不幸だとは思わない。こういう人物が残した古文書的の遺産は、無駄なバラストとして記憶の重荷になるばかりである。どうしても古代にさかのぼりたいなら、せめてサイラスやアルタセルキセスなどは節約して、文化に貢献したアルキメデス、プトレマイオス、ヘロン、アポロニウスのことでもすこし話してもらいたい。全課程を冒険者や流血者の行列にしないために、発明家や発見家も入れてもらいたい。
 歴史の時間の一部をさいて、実際の国家組織に関する事項、社会学や法律などもさずけてはどうかという問いに対しては、むしろ不賛成だと答えている。彼自身、個人としては公生活の組織に関してかなりな興味を持っているが、学校で政治的素養を作ることはおもしろくないと言っている。その理由は第一、こういう教育は官辺かんぺんの影響のために本質的ザハリヒにできにくいし、また、頭の成熟しないものが政治上のことにたずさわるのは一体早すぎるというのである。そのかわり、生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物さしものなり製本なり錠前じょうまえなり、とにかく物になるだけに仕込しこんでやりたいという考えである。これに対してモスコフスキーが、いったいそれは腕を仕込しこむのが主意か、それとも民衆一般との社会的連帯の感じを持たせるためかと聞くと、
「両方ともわたしには重要に思われる。そのうえに、わたしのこの希望を正当と思わせるもう一つの見地がある。手工はもちろん高等教育を受けるための下地にはならないでも、人間(sittliche Persnlichkeit)として立つべき地盤をひろげ固めるために役に立つ。普通学校で第一に仕立てるべきものは未来の官吏かんり、学者、教員、著述家でなくて「人」である。ただの「脳」ではない。プロメテウスが最初に人間に教えたのは天文学ではなくて火であり、工作であった……」
 これに和してモスコフスキーは、同時に立派な鍛冶かじで、ブリキ職で、そしてくつ屋であった昔の名歌手マイステルジンガーをひきあいに出して、畢竟ひっきょうは科学も自由芸術の一つであるといっている。しかしアインシュタインが、科学それ自身は実用とは無関係なものだと言明しながら、手工の必修を主張して実用を尊重するのが妙だというのに答えて、つぎのようなことを言っている。
 「わたしが実用に無関係といったのは、純粋な研究の窮極きゅうきょく目的についてである。その目的は、ただきわめて少数の人にのみ認め得られるものである。それで、せいぜい科学の準備くらいのところまでこの考えを持っていくのは見当ちがいである。むしろ反対にわたしは、学校で教える理科は今日やっているよりずっと実用的にできると思う。今のはあまりに非実際的ドクトリネーアすぎる。たとえば数学の教え方でも、もっと実用的興味のあるように、もっとじかにつかまれるように、もっと眼に見えるようにやるべきのを、そうしないから失敗しがちである。子どもの頭に考え浮かべ得られることを授けないで、そのかわりにむつかしい「定義」などをあてがう。具体的から抽象的に移る道をあけてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解をしいるのは無理である。それよりも、こうすればうまくいける。まず一番の基礎的な事柄は、教場でやらないで戸外でさずけるほうがいい。たとえば、ある牧場の面積を測ること、他所よそのと比較することなどをしめす。寺塔じとうをさしてその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意をうながす。こうすれば、言葉と白墨はくぼくの線とによって、大きさや角度や三角関数などの概念をそそぎこむよりもはるかに早く確実に、おまけにおもしろく、これらの数学的関係をのみこませることができる。いったい、こういう学問の実際の起原はそういう実用問題であったではないか。たとえば、タレースははじめて金字塔の高さを測るために、塔の影の終点の辺へ小さな棒を一本立てた。それで子どもにステッキを持たせて遊戯のような実験をやらせれば、よくよく子どもの頭がくぎづけフェルナーゲルトでないかぎり、問題はひとりでに解けていく。塔によじのぼらないでその高さを測り得たということは、子供心にうれしかろう。そのよろこびの中には相似三角形に関する測量的認識の歓喜がこもっている。
 「物理学の初歩としては、実験的なもの、眼に見えておもしろいことのほかは授けてはいけない。一回のみごとな実験はそれだけでもう、頭の蒸留瓶レトルトの中でできた公式の二十くらいよりはもっと有益なばあいが多い。やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に、公式などはいっさい容赦ようしゃしてやらねばいけない。公式は、ちょうど世界歴史の年代の数字と同様に、彼らの物理学の中にひそむ気味の悪いおそろしい幽霊である。よくわけのわかった巧者な実験家の教師が得られるならば、なかごろの学級からやり始めていい。そうしても、ラテン文法の練習などではめったに出逢わないような印象と理解を期待することができるだろう。
 「ついでながら、近ごろやっと試験的に学校でおこなわれ出した教授の手段で、もっと拡張を奨励したいのがある。それは教育用の活動フィルムである。活動写真の勝利の進軍は、教育のなわばりにもふみこんでくる。そしてそこではじめて、多数の公開観覧所が卑猥わいなものやあくどい際物きわもの堕落だらくしきっているのに対して、道徳的なものをもって対抗させる機会を得るだろう。教授用フィルムに簡単な幻灯でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授は、世界漫遊の生きた体験にも似た活気をもってみたされるだろう。そして地図上のただの線でも、そこの実景をのあたりに経験すれば、それまでとはまるでちがったものに見えてくる。また、特にフィルムのり出し方を早め、あるいはゆるめて見せることによって、いろいろの知識をさずけることができる。たとえば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、昆虫の羽の運動の仕方などがそうである。それよりもいっそう重要だと思うのは、万人の知っているべきはずの主要な工業経営の状況をフィルムで紹介することである。動力工場のなりたち、機関車、新聞紙、書籍、色刷いろず挿画そうがはどうして作られるか。発電所、ガラス工場、ガス製造所にはどんなものがあるか。こんなことはわずかの時間で印象深くせることができる。さらに自然科学の方面で、普通の学校などではとうていやって見せられないような困難な実験でも、フィルムならば容易に、しかも実際と同じくらい明瞭に示すことができる。ようするに教育事業を救うの道は、ただ一語で「もっと眼にうかぶようにする」(die erhhte Anschaulichkeit)ということである。できるかぎりは知識(Erlernen)が体験(Erleben)にならねばならない。この根本方針は、未来の学校改革に徹底させるべきものである。
 大学あたりの高等教育については、あまり立ち入った話はしなかったそうである。しかし、アインシュタインは就学の自由を極端まで主張する方で、聴講資格のせせこましい制定を撤廃したいという意見らしい。演習なり実習なりで、ある講義を理解する下地のできたものは自由に入れてやって、普通学の素養などは強要しない。ことに彼の経験では、有為な徹底的な人間は往々、一方に偏する傾向があるというのである。したがって、中等学校では生徒がある特殊な専門に入るだけの素養ができしだい、その学科に対するだけの免状をやることにすればいい。前に中学卒業試験全廃をとなえたのは、つまりこうして高等教育の関門を打破する意味と思われる。もっとも彼も、全然あらゆる能力験定をやめるというのではない。医科学生になるための予備試験などはやめた方がいいが、しかし将来教師になろうという人で、見込みのないようなのは早く験出してやめさせる方がいいといっている。これは生徒にかんで教師にげんな彼として、さもあるべきことだと著者が評している。
 ここで著者はしばらくアインシュタインをはなれて、これらの問題に対するこの理学者の権威の如何いかんについて論じている。理論物理のような常識に遠いむつかしいことを講義して、そして聴衆を酔わせ得るのは、彼自身の内部に燃える熱烈なものが流れ出るためだといっている。彼の講義には、他の抽象学者にまれに見られる二つの要素、情調と愛嬌あいきょうがこもっている、とこの著者は言っている。講義のあとで質問者がおしかけてきても、いやな顔をしないで楽しそうに教えているそうである。彼の聴講者は一二〇〇人というレコードやぶりの多数に達した。彼の講義室は、聞くまでもなくすぐわかる。みんなの行く方へついて行けばいい、といわれるくらいだそうである。この人気に対して、一種の不安の色が彼の眉目びもくのあいだに読まれる。のみならず、「はやりものだな」という言葉が彼の口からもれた。しかしこれは悪く取ってはいけない、無理のないところもあると著者が弁護している。
 それから古典教育に関する著者の長い議論があるが、日本人たるわれわれには興味が薄いから略することにして、つぎに女子教育問題にうつる。
 婦人の修学はかなりまで自由にやらせることに異議はないようだが、しかしあまり主唱し奨励する方でもないらしい。
 「他の学科と同様に科学の方も、なるべく道をあけてやらねばなるまい。しかし、その効果については多少の疑いを抱いている。わたしの考えでは婦人というものに天賦てんぷのある障害があって、男子と同じ期待の尺度をあてるわけにはいかないと思う。
 キュリー夫人などがいるではないか、という抗議に対しては、
 「そういう立派な除外例はまだほかにもあろうが、それかといって性的におのずから定まっている標準は動かされない。
 モスコフスキーは、四十年前の婦人と今の婦人との著しい相違を考えると、知識の普及にしたがっておいおいは婦人の天才も輩出するようになりはしないか、というと、
「あなたは予言がお好きのようだが、しかしその期待はすこし根拠が薄弱だと思う。単に素養が増し、知能が増すという『量的』の前提から、天才が増すというような『質的』の向上を結論するのは、すこし無理ではないか。」こう言ったときにアインシュタインの顔が稲妻いなずまのようにちょっとひきつったので、何か皮肉が出るなと思っていると、はたして「自然が脳みそのない『性』を創造したということも存外ないとはかぎらない」と言った。これは無論、笑談じょうだんであるが、彼の真意は男女の特長の差異を認めるにあるらしい。モスコフスキーはこれを敷衍ふえんして、「婦人は微分学を創成することはできなかったが、ライプニッツを創造した。純粋理性批判は産めないが、カントを産むことができる」といっている。
 話頭わとうは転じて、いわゆる「天才教育」の問題に入る。特別の天賦てんぷあるものを選んで特別に教育するということは、原理としては多数の承認するところで、問題は程度いかんにある。これは元来、ダーウィンの自然淘汰説に縁をひいていて、自然の選択を人工的に助長するにある。もっともこの考えはオリンピアの昔から、あらゆる試験制度に通じて現われているので、それ自身べつに新しいことではないが、問題は制度の力で積極的にどこまで進めるかにある、と著者は言っている。これに対するアインシュタインの考えは、試験ぎらいの彼に相当したものである。競技スポルトかなんぞのようにやる天才養成」(quasisportmssig gehandhabte Begabetenzchtung)はいけないと言っている。結果はいかものか失敗かである。しかし、この選択も適度にやれば好結果を得られないことはあるまい。これまでの経験ではまだ具体的な案は得られないが、適当にやれば、従来なら日影ひかげでいじけてしまうような天才を日向ひなたへ出して発達させることもできようというのである。
 著者はこれにつづいて、天才を見つけることの困難を論じ、また補助奨励と天才出現とはかならずしも並行しないことなどを実例について論じている。そして一体、天才の出現を無制限に望むのがいいか悪いかという根本問題にふれたところで、アインシュタインの独特な社会観をほのめかしている。しかし、これらの点の紹介は他の機会にゆずることにしたい。
(大正十年(一九二一)七月『科学知識』



底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1997(平成9)年5月6日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2004年12月13日作成
2005年10月26日修正
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物質とエネルギー

寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)工合《ぐあい》が悪い

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ガリレー以来|漸《ぜん》を追うて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正四年頃)
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 物には必ず物理がある。ここにいわゆる物とは何ぞや、直接間接に人間五感の対象となって万人その存在を認めあるいは認め得べきものを指す。故に幽霊はここにいわゆる物ではない。夢中の宝玉も物ではない。物理学者は通例物質とエネルギーという二つの物を認める。物質の定義が困難である。教科書などには質量を有するものとも書いてあるがこれは言葉を換えたに過ぎない。質量という考えを明らかにするにはどうしても力という考えを固めなければ工合《ぐあい》が悪い。力という言葉の起原はつまり人間の筋力の感覚から発達して来たものに相違ない。そうしてこの考えを押し拡げて吾人《ごじん》の身辺を囲繞《いにょう》するあらゆる変化を因果をもって律しようという了見から何かその変化の原因となるものを考えたいので、この原因に力という語を転用するに至ったのであろう。普通に云う力学上の力はすなわちいわゆる機械的の力で直接または間接に吾人の筋力と比較さるべきものである。これがある物に作用した時にこれが有限な加速度をもって運動すれば、その物はすなわち物質で質量を具えていると云う。その質量の大小は同じ力の働いた時の加速度に比例すると考えるのである。否むしろかくのごとき方則に従って力に反応する物を物質と名づけるのである。こういう考えで自然界の運動を解釈して矛盾するところがないので、力の考えはいよいよ明らかとなり質量の考えもいよいよ確かになる。この考えを更に押し拡め直接筋力と比較する事の出来ぬ種々の引力斥力を考えて森羅万象《しんらばんしょう》を整然たる規律の下に整理するのが物理学の主な仕事の一つである。
 力の考えから仕事の考えが導かれる。力の作用せる物が動けば力はその物に対して仕事をし、また仕事を受ける。その仕事は力と距離の相乗積で計る。これが現在力学の中の重要な Begriff の一つである。これはしかし力のごとき人間感覚に直接の交渉を有せぬ量であって、自然現象を整理するに便宜な尺度の一つと考えなければなるまい。仕事の考えが定まればエネルギーの考えはこれから導かれる。すなわち仕事をなす能をエネルギーと名づける。ある現象が起ってその間に甲が乙に仕事をしたとすれば甲はエネルギーを有《も》っていたと考え、その一部または全体が仕事として費やされたと考える。仕事を受けた方はまたそれだけのエネルギーを受取ったと考えてよい。これもまた一つの便宜上の Begriff であって自然その物はこの Begriff の中には少しも含まれておらぬのである。かくのごとく定めた energy なるものがあらゆる変化に際して総和において変らぬというのがいわゆる勢力《エネルギー》不滅則である。
 仕事と云いエネルギーと云うのはどこまでも人間特に物理学者が便宜上採用した観念である。力という語や速度という語が世俗に通じやすくて仕事エネルギーの解しにくいのはそのためである。このような観念の結合連鎖によって組み立てた力学物理学は吾人にとって非常に便宜なものであるが、しかしまたこの建設物が唯一な必然なものだとは信じられない。現在と全く異なった一つの力学系統を構成する事は不可能ではあるまい。現在の系統は一朝一夕に発達したものではなく、ガリレー以来|漸《ぜん》を追うて発達して来たもので、種々な観念もだんだんに変遷し拡張されて来たものである。従って将来はまたどのような変化をし、またどのような新しい観念が採用されるようになるか、今日これを予言する事は困難である。
 光と名づけ音と名づける物はエネルギーの一つの形であると考えられる。これらは吾人の五官を刺戟して万人その存在を認める。しかし「光や音がエネルギーである」という言葉では本当の意味は尽されていない。昔ニュートンは光を高速度にて放出さるる物質の微粒子と考えた。後にはエーテルと称する仮想物質の弾性波と考えられ、マクスウェルに到ってはこれをエーテル中の電磁的|歪《ひず》みの波状|伝播《でんぱ》と考えられるに到った。その後アインスタイン一派は光の波状伝播を疑った。また現今の相対原理ではエーテルの存在を無意味にしてしまったようである。それで光と称する感覚は依然として存する間に光の本体に関しては今日に到るもなんらの確かな事は知られぬのである。それにも関らず光が一種のエネルギーであるという考えは少しも動かされない。光がエネルギーを搬《はこ》ぶと考えると光のあらゆる物理的化学的性質を説明して矛盾するところがない。
 音の場合は光ほど六《むつ》かしくはないようである。この場合には音を搬ぶものが吾人の直接感覚し得る空気だからである。この場合には吾人は直接空気の振動を認める事が出来る。この音が伝わって行く際にエネルギーが搬ばれると考えると、少しも矛盾なく諸般の現象を説明する事が出来る。光は熱を生じ化学作用を起しまた圧力を及ぼして機械的の仕事をする。音も鼓膜を動かして仕事をし、また熱にも変ずる。しかるに此《こ》のごとく搬ばれ彼《か》のごとく変化するエネルギーの本体は何物か。これは吾人の官能の外にあるものでつまり一つの観念ではあるまいか。物質の観念が未開人にもあるのにエネルギーの考えが俗人に通ぜぬのはそのためではあるまいか。
 こういいう風に考えれば物質その物もまた分らぬものである。物質諸般の性質を説明するには物質がすべて分子原子から成立していると考える事が必要なばかりでなく、また分子の実在はブラウン運動等からみてももはや疑い難い事である。またこれら分子がまた原子から成立している事も疑いない事で、分子中における原子結合の状況についても各方面から推定を下す手掛りが出来ている。前世紀の末頃までは原子までで事が足りていたが、真空中放電の研究や放射能性物質の研究から更に原子の内部構造を考えなければならぬ破目になって、ここにエレクトロンなるものが発見される事になった。今日ではほとんどこの電子の実在を疑う者はない。放射性物質や真空放電の現象に止まらず、あらゆる方面にわたって電子によって始めて説明される新しい現象も発見さるるに至った。今日では電子の数をかぞえる事も出来る。各種物質の出す光のスペクトルの研究から原子内における電子の排列を探るような有様である。
 電子が一定量の陰電気を帯びている事、その質量が水素原子の質量のおよそ千八百分の一に当る事も種々の方面から推定される。かくのごとき電子の性質が次第に闡明《せんめい》され、これが原子を構成する模様が明らかになる時が来ても、電子その物は何物ぞという疑問は残るのである。
 一体電子を借りなければ説明の出来ないような諸現象がまだ発見されず、物質の最小部分が原子だとして充分であった時代において、原子は更に一層微細なる部分より成ると論ずる人があったとすれば、その人は空想家か哲学者であって少なくも実験科学者ではない。実験科学は形而上学ではない。取扱うものは自然の経験的事実である。ある時代には物理学は事柄が如何に起るかという事を論ずるのみで、何故かという事は論じないという言葉が流行して、その真の意味が誤解された事があった。今日多くの物理学者に云わせれば、何故という言葉と如何にという詞も相去る事あまり遠くはないのである。如何にという事が分れば何故も分り、何故という事が明らかになればその結果は同時に「如何に」に対する答である。それで原子のみでは分らぬ現象が知られるに至って何故という問題が起り、その結果「如何にして」の答案が上述のごとき電子の出現となったのである。しかし科学者には没交渉であるはずの物の本性に立ち入ろうとする人間自然の欲求は更に電子は何かという疑問を発して止まぬのである。
 前世紀において電気は何物ぞ、物質かエネルギーかという問題が流行した。電気窃取罪の鑑定人として物理学者が法廷に立った事もある。二十世紀の今日においては電気の疑問が電子に移った。電子は連続的のものでなくて粒から成り立っている。一電子の有する電気以下の少量の電気はどこにも得る事が出来ぬ。あらゆる電気はこの微粒の整数倍であるという事になった。それで電気を盗むのはこの電子の莫大な粒数を盗むのである。そこでその電子は物質かエネルギーか。
 電子は質量を有するように見える。それで前の物質の定義によれば物質のように見える。同時にこれには一定量の荷電がある。荷電の存在は一体何によって知る事が出来るかというと、これと同様の物を近づけた時に相互間に作用する力で知られる。その力は間接に普通の機械力と比較する事が出来るものである。既に力を及ぼす以上これは仕事をする能がある、すなわちエネルギーを有している。しかしこのエネルギーは電子のどこに潜んでいるのであろうか。ファラデー、マクスウェルの天才は荷電体エネルギーをその物の内部に認めず、却ってその物体の作用を及ぼす勢力範囲すなわちいわゆる電場に存するものと考えた。この考えは更に電波の現象によって確かめらるるに至った。この考えによれば電子の荷電のエネルギーは電子その物に存すると考えるよりは、むしろその範囲の空間に存すると思われるのである。すなわち空間に電場の中心がある、それが電子であると考えられる。これが他の電子またはその集団の電場におかれると、力を受けて自由の状態にあれば有限な加速度をもって運動する。すなわち質量を有するのである。
 しかるに一方において荷電体が動く時はその周囲の電場を引連れて動く。その時この電場の運動のためにいわゆる磁場が起る、電流の通ずる針金の周囲に磁場を生じるのはすなわちこれである。かくのごとくして起る電磁場は一種の惰性を有する事が実験上から知られる、すなわち荷電体を動かし始める時には動くまいとし、動いているのを止める時には運動を続けようとする、丁度物質質量と同様な性質を有しているのである。質量の定義に従えば荷電体従って電子はそれが電気を帯びているために一種の質量を有すると云わなければならぬ。従って上の物質の定義に従えば、電気はすなわち物質と云わなければならない。但しその質量の少なくも一部分はその周囲電磁場のエネルギーに帰因するものである。しからばエネルギーはすなわち物質か。こういう疑問が自《おの》ずから起らぬを得ないのである。吾人が通例取り扱っている物質の質量なるものはその物の速度|如何《いかん》によって変らない。しかるに荷電体の電磁的質量は速度よって変るものである。今電子の質量が純粋な電磁的のものかあるいは一部分は速度に無関係なものであるかという問題を決するには、速度種々に異なる電子が電磁場でその径路を変える模様を見れば分るはずであるので、カウフマン以後種々の人が精密な実験を行うたその結果は電子の質量はほとんど全部電磁的のものであるらしい。そうなると勢い吾人が従来物質の質量と考えているものも、やはり同様にことごとく電磁的なものでないかという疑いを起さざるを得ない。もしそうであらばエネルギーと物質とは打して一丸となり、物質すなわちエネルギーとなる訳である。しかしこの疑問はまだなかなか解決がつかぬ。陰電子とともに物質を構成しておりしかも物質質量の大部分をなしている陽電子なるものの性質本体がまだ分らぬうちは前途なお遠しと云わなければなるまい。
 物理学の根原は実験的の事実で、その基となるものは人間の五感である。しかし物理学の進歩するほどその基となる五感は閑却されて来るのである。昔の物理学では五感の立場から全く別物として取扱ったものがだんだん一緒になって来る。電波や熱や光やX線やγ線や、人間を離れて見れば全く同じ物で波の長さという事の外には本質的の差異を認めない。六十余種の原素もおそらくはただ陰陽電子の異なる排列に過ぎぬと考えられる。いよいよ進んで物質とエネルギーは一元に帰しようとする傾向さえ生じている。従来不可解の疑問たる万有引力なるものもまた光との間になんらかの連鎖をほのめかしているのである。
 物理の理の字は正にかくのごとき総括を意味するとも云える。直接五感に触れる万象をことごとく偶然と考えないとすれば、経験が蓄積するにつれて概括抽象が行われ箇々の方則を生じ、これらの方則が蓄積すれば更に一段上層の概括が起る。そうなればもはや人間というものは宇宙の片隅に忘れられてしまって、少数の観念と方則が独り幅を利かすようになって来るのである。しかもこの大系統は結局人間の産物であって人間現在の知識の範囲内にのみ行わるるものである。ポアンカレーは「方則は不変なりや」という奇問を発している。[#地から1字上げ](大正四年頃)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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科学上における権威の価値と弊害

寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)門外から窺《うかが》い見て

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)近頃|流行《はや》る高山旅行など

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正四年頃)
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 科学上における権威の効能はほとんど論ずる必要はないほど明白なものである。ことに今日のごとく各方面の科学は長足の進歩を遂げてその間口の広い事、奥行の深い事、既往の比でない。なかなか風来人が門外から窺《うかが》い見てその概要を知る事も容易ではない。のみならずおのおの独立の名称を有《も》っている科学の分派、例えば物理とか化学とかいうものの中にまた色々の部門がおのおの非常な発達をしている。たとえ日進月歩の新知識を統括する方則や原理の数はそれほど増さないとしても、これによって概括せらるべき事実の数は次第に増加して来るばかりである。従って勢い物理学の中でもだんだんに専門の数が増加しその範囲が狭くなる。この勢いで進んで行けば物理学を学修するという事はなかなか困難な事になる。人間の能力がこれに比例して増進しない限りは、十人並の人間一生の間に物理学の全般にわたって一通りの知識だけでも得ようとするのはなかなか容易な事でなくなる。もし全般に通じようとすれば勢い浅薄に流れ、もし蘊奥《うんおう》を極めんとすれば勢い全般の事は分らずにしまわなければならぬような有様である。
 このような時代においてもしある科学の全般にわたって間口も広く奥行も深く該博深遠な知識をもった学者があって、それが学習者を指導し各部分の専門的研究者や応用家の相談相手になって行くとすれば実にこの上もない事である。しかしそのような権威は今後ますます少数になるだろうと思われる。そうなると止むを得ず間口の広い方の権威者と間口が狭くて奥行ばかり深い権威者か二つに一つよりしかないような場合がないとも限らない。このような云わば一元的 one dimensional な権威といえども学修者研究者にとって甚だ必要なものである事は勿論である。
 今ここに夏休みに温泉に出かけようとする人がある。その人にとっては先ず全国の温泉案内書のようなものは甚だ重宝である。それで調べていよいよある温泉に行くとなると、今度はその温泉の案内に明るい人の話が聞きたくなるのである。前に述べた二種の権威者は丁度これに似たものである。前者については一つ一つの温泉の詳しい事は分らないが各温泉の特徴については明瞭な知識を与え選択の手《た》よりになる。後者ではその温泉と他との比較は明らかにならない。
 ともかくも学術上の権威者の一つの役目は丁度旅行者に対する案内者の役目である。京都見物を一定時日の間に最も有効にしようというには適当な案内者あるいはこれに代るべき案内書があると便利である。そうでないと往々重要なものを見落す虞《おそれ》がある。近頃|流行《はや》る高山旅行などではなおさらである。案内人なしにいい加減な道を歩いていると道に迷うてとんでもない災難に会わなければならない。
 案内人として権威の価値は明らかであるが、同時に案内人の弊害もある事は割合に考える人が少ない。
 通りすがりの旅人が金閣寺を見物しようとするには案内の小僧は甚だ重宝なものであるが、本当に自分の眼で充分に見物しようとするには甚だ不都合なものである。一通りの定まった版行《はんこう》で押した項目だけを暗誦的に説明してしまえばそれでもうおしまいで先様御代りである。少し詳しく立止まって見たいと思う者があっても、大勢に追従して素通りをしてしまわなければならない。吾人が学校で学問を教わるのは丁度このようなものである。これはつまり大勢の人間に同時に大体を見せるためには最も適当で有効な方法には相違ない。しかしこの案内人の流儀をあまり徹底させては、本当に科学を学修しようというもののためには非常な迷惑である事は申すまでもない。
 かつてロンドン滞在中、某氏とハンプトンコートの離宮を拝観に行った事がある。某氏はベデカの案内記と首引で一々引き合わして説明してくれたので大いに面白かった。そのうちにある室で何番目の窓からどの方向を見ると景色がいいという事を教えたのがあった。その時自分はこんな事を云った。「これでは自分で見物するのでなくてベデカの記者に見物させられているようなものだ。」自分は同行者の温順な謙譲な人柄からその人がベデカの権威に絶対的に服従してベデカを通しての宮園のみを鑑賞する態度を感心もしまた歯がゆくも思った。しかし考えてみると、多くの自然科学の学生がその研究の対象とする自然を見るのに、あるいは教科書を通しあるいは教師の講義録を通して見るのみで、自分の眼で自分の頭で自然を観察するものが果して幾何《いくばく》あるだろうかという事を考えざるを得なかった。
 学生にとっては教科書や教師のノートは立派な権威である。これらの権威を無批判的に過信する弊害は甚だ恐るべきものでなければならない。もしノートや教科書の教ゆる所をそのままに受け取り、それ以上について考える所も見る所もなかったらどうであろう。その人は単に生きた教科書であって自然科学その物については何の得る所もないのである。
 自然科学の目的とする所は結局自然その物である以上は本当の事は直接自然から学ばねば分るものではない。教科書やノートは丁度案内者に過ぎない。それが間違っていない限りはまるで方角の分らぬ者には必要欠くべからざるものである。京都見物の人が土産話の種とすると同様、日常常識として結構であるかもしれぬが畢竟《ひっきょう》は絵で見た景色と同様で本当の知識ではない。いわんやせっかく案内者が引っぱり廻しても肝心の見物人が盲目では何の甲斐もない。
 案内者のいう所がすべて正しく少しの誤謬《ごびゅう》がないと仮定しても、そればかりに頼る時は自身の観察力や考察力を麻痺させる弊は免れ難い。何でも鵜呑《うの》みにしては消化されない、歯の咀嚼《そしゃく》能力は退化し、食ったものは栄養にならない。しかるに如何なる案内者といえども絶対的に誤謬のないという事は保証し難い。仮りに如何に博学多識の学者を案内として名所見物をするとしても、その人の所説にはそれぞれ何か確かな根拠はあるかもしれないが、それらの根拠を一つ一つ批判的に厳密に調べてみても一点の疑いのないという場合はむしろ稀であろう。歴史上の遺蹟や古美術品の案内や紹介ならばともかく、科学上の権威においてはそのような ambiguity はあり得べからざる事ではないかという人があるだろうが、不幸にして科学上の事柄でも畢竟五十歩百歩である。
 権威というのは元来相対的なものである。小学校の生徒の科学知識に対しては中等教育を受けた者は大抵は権威となり得る資格があるはずである。大学卒業者はその専門では先ず社会一般の権威となり得るはずである。物理学者と称せらるるものなどはその修むる専門の知識においては万人の権威であるべき訳である。しからばあらゆる大学教授の学殖はすべて同一であるかというに、そういう事は不可能であるが、同じ物理学の中でもそれぞれの方面にそれぞれの権威があってこれらの人々の集団が一つの理想的な権威団を形成すると考えてよい。この権威の財団法人といったようなものの権威の程度はどのようであろう。これとても決して絶対的なものではない。
 つまり各部門においては現在既知の知識の終点を究め、同時に未来の進路に対して適当の指針を与え得るものが先ず理想的の権威と称すべきものではあるまいか。
 現在既知の科学的知識を少しの遺漏《いろう》もなく知悉《ちしつ》するという事が実際に言葉通りに可能であるかどうか。おそらくこれは六《むつ》かしい事であろう。しかし特殊の題目について重《おも》なる学術国の重なる研究者の研究の結果を up to date に調べ上げて、その題目に対する既得知識の終点を究める事は可能である。これを究めてどこまでが分っているかという境界線を究め、しかる後その境界線以外に一歩を進めるというのが多くの科学者の仕事である。科学上の権威者と称せらるる者はなるべく広い方面にわたってこの境界線の鳥瞰図を持っている人である、そして各方面からこの境界を踏み出そうという人々に道しるべをするのである。しかしどこまでも信用の出来る案内者はあり得べからざるものである。如何に精密なる参謀本部の地図でも一木一草の位置までも写したものはない。たとえ測量の際には正確に写したものでも、山の中の木こり径《みち》などは二、三年のうちにはどうなるかもしれない。そこまで地図をあてにするのはあてにする方が悪いのである。権威者の片言隻語《へんげんせきご》までも信ずるの弊は云うまでもない事であるが、権威を過信する弊害はあながちこれらの枝葉の問題に止まらない。もっと根本的な大方針においてもまた然りである。
 あらゆる方面で偉大な仕事をした人は自信の強い人である。科学者でも同様である。しかし千慮の一失は免れない。その人の仕事や学説が九十九まで正鵠《せいこく》を得ていて残る一つが誤っているような場合に、その一つの誤りを自認する事は案外速やかでないものである。一方、無批判的な群小は九十九プロセントの偉大に撃たれて一プロの誤りをも一緒に呑み込んでしまうのが通例である。権威の大なる危害はここにあるのである。このような実例は科学史上枚挙に暇《いとま》ないほどである。ニュートンが光の微粒子説を主張したという事がどれだけ波動説の承認を妨げたかは人の知る所である。またラプラスが熱を物質視したためにエネルゲチックの進歩を阻害した事も少なくない事は史家の認める所である。あえて昔に限った事はない、現在でもそういう例は沢山あろうと思う。大家と称せらるる人の所説ならばずいぶんいかがわしい事でも過信されるのは日常の事である。甲某は何々のオーソリチーであるとなれば、その人の所説は神の託宣のように誤りないと思われるのが通例である。想うにこれらは権威者の罪というよりはむしろ権威者の絶対性を妄信する無批判な群小の罪だと考えなければなるまい。もとより一般から権威と認められる人がその所説を発表し主張するについては慎重でなければならぬ事は勿論であるが、如何なる人でも千慮の一失は免れ難い。万に一つの誤りをも恐るるならばむしろ一切意見の発表を止めねばならない。万一の誤りを教えてならないとなれば世界中の学校教員は悉皆《しっかい》辞職しなければならない。万一の危険を恐れれば地震国の日本などには住まわぬがよいというと一般なものである。恐るべきは権威でなくて無批判な群衆の雷同心理でなければならない。
 本当の科学を修めるのみならずその研究に従事しようというものの忘るべからざる事は、このような雷同心の芟除《さんじょ》にある。換言すれば勉《つと》めて旋毛《つむじ》を曲げてかかる事である。如何なる人が何と云っても自分の腑《ふ》に落ちるまでは決して鵜呑みにしないという事である。この旋毛曲《つむじまが》りの性質がなかったら科学の進歩は如何《どう》なったであろうか。
 スコラ学派時代に科学の進歩が長い間全く停滞したのは、全くこの旋毛曲りが出なかったために外ならない。レネサンスはすなわち偉大な旋毛曲りの輩出した時代である。ガリレーはその執拗な旋毛曲りのために縄目の苦しみを受けなければならなかった。ニュートンがデカルト派の形而上学的宇宙観から割り出した物理学を離れて Hypotheses non fingo という立場からあのような偉業をしたのもそうである。Huyghens, Young が微粒子説を打破したのもファラデーが action at a distance を無視したのでも、アインスタインが時と空間に関する伝習的の考えを根本から引っくり返して相対率原理の基礎を置いたのでも、いずれにしても伝習の権威に囚われない偉人の旋毛曲りに外ならないのである。
 美術家は画法に囚われて自然を見なくなり、宗教家は経典に囚われて生きた人間を忘れ、学者はオーソリチーに囚われる。そして物質界を赤裸々のままで見る事を忘れる。美術家は時に原始人に立返って自然を見なければならない。宗教家は赤子の心にかえらねばならない。同時に科学者は時に無学文盲の人間に立返って考えなければならない。われわれが物理学のかなり深いところを探究しているつもりでも、時々子供や素人から受ける質問が往々にして意外に根本的な物理学の弱点にふれる事を見るのである。
 エネルギー保存説の開祖ロベルト・マイヤーは、当時の物理の世界から見ればむしろ旋毛曲りの頑固な田舎親爺であったに相違無い。[#地から1字上げ](大正四年頃)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年3月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



アインシュタインの教育観

寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)親爺《おやじ》の金を誤魔化《ごまか》しておいて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)無論|笑談《じょうだん》であるが

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)結果はいかもの[#「いかもの」に傍点]か失敗かである

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)人間(〔sittliche Perso:nlichkeit〕)として
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 近頃パリに居る知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。「停車場などで売っている俗書だが、退屈しのぎに……」と断ってよこしてくれたのである。
 欧米における昨今のアインシュタインの盛名は非常なもので、彼の名や「相対原理」という言葉などが色々な第二次的な意味の流行語になっているらしい。ロンドンからの便りでは、新聞や通俗雑誌くらいしか売っていない店先にも、ちゃんとアインシュタインの著書(英訳)だけは並べてあるそうである。新聞の漫画を見ていると、野良のむすこが親爺《おやじ》の金を誤魔化《ごまか》しておいて、これがレラチヴィティだなどと済ましているのがある。こうなってはさすがのアインシュタインも苦い顔をしている事であろう。
 我邦《わがくに》ではまだそれほどでもないが、それでも彼の名前は理学者以外の方面にも近頃だいぶ拡まって来たようである。そして彼の仕事の内容は分らないまでも、それが非常に重要なものであって、それを仕遂げた彼が非常な優れた頭脳の所有者である事を認め信じている人はかなりに多数である。そうして彼の仕事のみならず、彼の「人」について特別な興味を抱いていて、その面影を知りたがっている人もかなりに多い。そういう人々にとってこのモスコフスキーの著書は甚だ興味のあるものであろう。
 モスコフスキーとはどういう人か私は知らない。ある人の話ではジャーナリストらしい。自身の序文にもそうらしく見える事が書いてある。いずれにしても著述家として多少認められ、相当な学識もあり、科学に対してもかなりな理解を有《も》っている人である事は、この書の内容からも了解する事が出来る。
 この人のアインシュタインに対する関係は、一見ボスウェルのジョンソン、ないしエッカーマンのゲーテに対するようなものかもしれない。彼自身も後者の類例をある程度まで承認している。「琥珀《こはく》の中の蝿《はえ》」などと自分で云っているが、単なるボスウェリズムでない事は明らかに認められる。
 時々アインシュタインに会って雑談をする機会があるので、その時々の談片を題目とし、それの注釈や祖述、あるいはそれに関する評論を書いたものが纏《まと》まった書物になったという体裁である。無論記事の全責任は記者すなわち著者にあることが特に断ってある。
 一体人の談話を聞いて正当にこれを伝えるという事は、それが精密な科学上の定理や方則でない限り、厳密に云えばほとんど不可能なほど困難な事である。たとえ言葉だけは精密に書き留めても、その時の顔の表情や声のニュアンスは全然失われてしまう。それだからある人の云った事を、その外形だけ正しく伝えることによって、話した本人を他人の前に陥れることも揚げることも勝手に出来る。これは無責任ないし悪意あるゴシップによって日常行われている現象である。
 それでこの書物の内容も結局はモスコフスキーのアインシュタイン観であって、それを私が伝えるのだから、更に一層アインシュタインから遠くなってしまう、甚だ心細い訳である。しかし結局「人」の真相も相対性のものかもしれないから、もしそうだとすると、この一篇の記事もやはり一つの「真」の相かもしれない。そうでない場合でも、何かしら考える事の種子くらいにはならない事はあるまい。
 余談はさておき、この書物の一章にアインシュタインの教育に関する意見を紹介論評したものがある。これは多くの人に色々な意味で色々な向きの興味があると思われるから、その中から若干の要点だけをここに紹介したいと思う。アインシュタイン自身の言葉として出ている部分はなるべく忠実に訳するつもりである。これに対する著者の論議はわざと大部分を省略するが、しかし彼の面目を伝える種類の記事は保存することにする。
 アインシュタインはヘルムホルツなどと反対で講義のうまい型の学者である。のみならず講義講演によって人に教えるという事に興味と熱心をもっているそうである。それで学生や学者に対してのみならず、一般人の知識慾を満足させる事を煩わしく思わない。例えば労働者の集団に対しても、分りやすい講演をやって聞かせるとある。そんな風であるから、ともかくも彼が教育という事に無関心な仙人肌でない事は想像される。
 アインシュタインの考えでは、若い人の自然現象に関する洞察の眼を開けるという事が最も大切な事であるから、従って実科教育を十分に与えるために、古典的な語学のみならず「遠慮なく云えば」語学の教育などは幾分犠牲にしても惜しくないという考えらしい。これについて持出された So viele Sprachen einer versteht, so viele Male ist er Mensch. というカール五世の言葉に対して彼は、「語学競技者《シュプラハ・アトレーテン》」は必ずしも「人間」の先頭に立つものではない、強い性格者であり認識の促進者たるべき人の多面性は語学知識の広い事ではなくて、むしろそんなものの記憶のために偏頗《へんぱ》に頭脳を使わないで、頭の中を開放しておく事にある、と云っている。
「人間は『鋭敏に反応する』(subtil zu reagieren)ように教育されなければならない。云わば『精神的の筋肉』(geistige Muskeln)を得てこれを養成しなければならない。それがためには語学の訓練《ドリル》はあまり適しない。それよりは自分で物を考えるような修練に重きを置いた一般的教育が有効である。」
「尤《もっと》も生徒の個性的傾向は無論考えなければならない。通例そのような傾向は、かなりに早くから現われるものである。それだから自分の案では、中等学校《ギムナジウム》の三年頃からそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教える事は極めて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度に止《とど》めた方がいい。それでもし生徒が文学的の傾向があるなら、それにはラテン、グリーキも十分にやらせて、その代り性に合わない学科でいじめるのは止《よ》した方がいい……」
 これは明らかに数学などを指したものである。数学嫌いの生徒は日本に限らないと見えて、モスコフスキーの云うところに拠ると、かなりはしっこい頭でありながら、数学にかけてはまるで低能で、学校生活中に襲われた数学の悪夢に生涯取り付かれてうなされる人が多いらしい。このいわゆる数学的低能者についてアインシュタインは次のような事を云っている。
「数学嫌いの原因が果して生徒の無能にのみよるかどうだか私にはよく分らない。むしろ私は多くの場合にその責任が教師の無能にあるような気がする。大概の教師はいろんな下らない問題を生徒にしかけて時間を空費している。生徒が知らない事を無理に聞いている。本当の疑問のしかけ方は、相手が知っているか、あるいは知り得る事を聞き出す事でなければならない。それで、こういう罪過の行われるところでは大概教師の方が主な咎《とが》を蒙《こうむ》らなければならない。学級の出来栄えは教師の能力の尺度になる。一体学級の出来栄えには自ずから一定の平均値があってその上下に若干の出入りがある。その平均が得られれば、それでかなり結構な訳である。しかしもしある学級の進歩が平均以下であるという場合には、悪い学年だというより、むしろ先生が悪いと云った方がいい。大抵の場合に教師は必要な事項はよく理解もし、また教材として自由にこなすだけの力はある。しかしそれを面白くする力がない。これがほとんどいつでも禍《わざわい》の源になるのである。先生が退屈の呼吸《いき》を吹きかけた日には生徒は窒息してしまう。教える能力というのは面白く教える事である。どんな抽象的な教材でも、それが生徒の心の琴線に共鳴を起させるようにし、好奇心をいつも活かしておかねばならない。」
 これは多数の人にとって耳の痛い話である。
 この理想が実現せられるとして、教案を立てる際に材料と分布をどうするかという問に対しては、具体的の話は後日に譲ると云って、話頭を試験制度の問題に転じている。
「要は時間の経済にある。それには無駄な生徒いじめの訓練的な事は一切廃するがいい。今日でも一切の練習の最後の目的は卒業試験にあるような事になっている。この試験を廃しなければいけない。」「それは修学期の最後における恐ろしい比武競技のように、遥かの手前までもその暗影を投げる。生徒も先生も不断にこの強制的に定められた晴れの日の準備にあくせくしていなければならない。またその試験というのが人工的に無闇《むやみ》に程度を高く捻《ね》じり上げたもので、それに手の届くように鞭撻《べんたつ》された受験者はやっと数時間だけは持ちこたえていても、後ではすっかり忘れて再び取りかえす事はない。それを忘れてしまえば厄介な記憶の訓練の効果は消えてしまう。試験さえすめば数カ月後には大丈夫綺麗に忘れてしまうような、また忘れて然るべきような事を、何年もかかって詰め込む必要はない。吾々は自然に帰るがいい。そして最小の仕事を費やして最大の効果を得るという原則に従った方がいい。卒業試験は正にこの原則に反するものである。」
 それでは大学入学の資格はどうしてきめるかとの問に対して、
「偶然に支配されるような火の試練《フォイアプローベ》でなく、一体の成績によればいい。これは教師にはよく分るもので、もし分らなければ罪はやはり教師にある。教案が生徒を圧迫する度が少なければ少ないほど、生徒は卒業の資格を得やすいだろう。一日六時間、そのうち四時間は学校、二時間は宅で練習すれば沢山で、それすら最大限である。もしこれで少な過ぎると思うなら、まあ考えてみるがいい。若いものは暇な時間でも強い興奮努力を経験している。何故と云えば、彼等は全世界を知覚し認識し呑み込まなければならないから。」
「時間を減らして、その代りあまり必須でない科目を削るがいい。『世界歴史』と称するものなどがそれである。これは通例乾燥無味な表に詰め込んだだらしのないものである。これなどは思い切って切り詰め、年代いじりなどは抜きにして綱領だけに止めたい。特に古い時代の歴史などはずいぶん抜かしてしまっても吾人の生活に大した影響はない。私は学生がアレキサンダー大王その外何ダースかの征服者の事を少しも知らなくても、大した不幸だとは思わない。こういう人物が残した古文書的の遺産は、無駄なバラストとして記憶の重荷になるばかりである。どうしても古代に溯《さかのぼ》りたいなら、せめてサイラスやアルタセルキセスなどは節約して、文化に貢献したアルキメーデス、プトレモイス、ヘロン、アポロニウスの事でも少し話してもらいたい。全課程を冒険者や流血者の行列にしないために発明家や発見家も入れてもらいたい。」
 歴史の時間の一部を割いて、実際の国家組織に関する事項、社会学や法律なども授けてはどうかという問に対してはむしろ不賛成だと答えている。彼自身個人としては公生活の組織に関してかなりな興味をもっているが、学校で政治的素養を作る事は面白くないと云っている。その理由は第一こういう教育は官辺の影響のために本質的《ザハリヒ》に出来にくいし、また頭の成熟しないものが政治上の事にたずさわるのは一体早過ぎるというのである。その代り生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物《さしもの》なり製本なり錠前なりとにかく物になるだけに仕込んでやりたいという考えである。これに対してモスコフスキーが、一体それは腕を仕込むのが主意か、それとも民衆一般との社会的連帯の感じを持たせるためかと聞くと、
「両方とも私には重要に思われる。その上に私のこの希望を正当と思わせるもう一つの見地がある。手工は勿論高等教育を受けるための下地にはならないでも、人間(〔sittliche Perso:nlichkeit〕)として立つべき地盤を拡げ堅めるために役に立つ。普通学校で第一に仕立てるべきものは未来の官吏、学者、教員、著述家でなくて「人」である。ただの「脳」ではない。プロメトイスが最初に人間に教えたのは天文学ではなくて火であり、工作であった……」
 これに和してモスコフスキーは、同時に立派な鍛冶《かじ》でブリキ職でそして靴屋であった昔の名歌手《マイステルジンガー》を引合いに出して、畢竟《ひっきょう》は科学も自由芸術の一つであると云っている。しかしアインシュタインが、科学それ自身は実用とは無関係なものだと言明しながら、手工の必修を主張して実用を尊重するのが妙だと云うのに答えて次のような事を云っている。
「私が実用に無関係と云ったのは、純粋な研究の窮極目的についてである。その目的はただ極めて少数の人にのみ認め得られるものである。それでせいぜい科学の準備くらいのところまでこの考えを持って行くのは見当違いである。むしろ反対に私は学校で教える理科は今日やっているよりずっと実用的に出来ると思う。今のはあまりに非実際的《ドクトリネーア》過ぎる。例えば数学の教え方でも、もっと実用的興味のあるように、もっとじかに握《つか》まれるように、もっと眼に見えるようにやるべきのを、そうしないから失敗しがちである。子供の頭に考え浮べ得られる事を授けないでその代りに六《むつ》かしい「定義」などをあてがう。具体的から抽象的に移る道を明けてやらないで、いきなり純粋な抽象的観念の理解を強いるのは無理である。それよりもこうすればうまく行ける。先ず一番の基礎的な事柄は教場でやらないで戸外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所《よそ》のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白墨《はくぼく》の線とによって、大きさや角度や三角函数などの概念を注ぎ込むよりも遥かに早く確実に、おまけに面白くこれらの数学的関係を呑み込ませる事が出来る。一体こういう学問の実際の起原はそういう実用問題であったではないか。例えばタレースは始めて金字塔の高さを測るために、塔の影の終点の辺へ小さな棒を一本立てた。それで子供にステッキを持たせて遊戯のような実験をやらせれば、よくよく子供の頭が釘付け《フェルナーゲルト》でない限り、問題はひとりでに解けて行く。塔に攀《よ》じ上らないでその高さを測り得たという事は子供心に嬉しかろう。その喜びの中には相似三角形に関する測量的認識の歓喜が籠っている。」
「物理学の初歩としては、実験的なもの、眼に見えて面白い事の外は授けてはいけない。一回の見事な実験はそれだけでもう頭の蒸餾瓶《レトルト》の中で出来た公式の二十くらいよりはもっと有益な場合が多い。やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に公式などは一切容赦してやらねばいけない。公式は、丁度世界歴史の年代の数字と同様に、彼等の物理学の中に潜む気味の悪い怖ろしい幽霊である。よく訳のわかった巧者な実験家の教師が得られるならば中頃の学級からやり始めていい。そうしてもラテン文法の練習などではめったに出逢わないような印象と理解を期待する事が出来るだろう。」
「ついでながら近頃やっと試験的に学校で行われ出した教授の手段で、もっと拡張を奨励したいのがある。それは教育用の活動フィルムである。活動写真の勝利の進軍は教育の縄張りにも踏み込んでくる。そしてそこで始めて、多数の公開観覧所が卑猥《ひわい》なものやあくどい際物《きわもの》で堕落し切っているのに対して、道徳的なものをもって対抗させる機会を得るだろう。教授用フィルムに簡単な幻燈でも併用すれば、従来はただ言葉の記載で長たらしくやっている地理学などの教授は、世界漫遊の生きた体験にも似た活気をもって充たされるだろう。そして地図上のただの線でも、そこの実景を眼《ま》の当りに経験すれば、それまでとはまるで違ったものに見えて来る。また特にフィルムの繰り出し方を早めあるいは緩めて見せる事によって色々の知識を授ける事が出来る。例えば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、昆虫の羽の運動の仕方などがそうである。それよりも一層重要だと思うのは、万人の知っているべきはずの主要な工業経営の状況をフィルムで紹介する事である。動力工場の成り立ち、機関車、新聞紙、書籍、色刷挿画はどうして作られるか、発電所、ガラス工場、ガス製造所にはどんなものがあるか。こんな事はわずかの時間で印象深く観せる事が出来る。更に自然科学の方面で、普通の学校などでは到底やって見せられないような困難な実験でも、フィルムならば容易に、しかも実際と同じくらい明瞭に示すことが出来る。要するに教育事業を救うの道はただ一語で「もっと眼に浮ぶようにする」(〔die erho:hte Anschaulichkeit〕)という事である。出来る限りは知識(Erlernen)が体験が(Erleben)にならねばならない。この根本方針は未来の学校改革に徹底させるべきものである。」
 大学あたりの高等教育についてはあまり立入った話はしなかったそうである。しかしアインシュタインは就学の自由を極端まで主張する方で、聴講資格のせせこましい制定を撤廃したいという意見らしい。演習なり実習なりである講義を理解する下地の出来たものは自由に入れてやって、普通学の素養などは強要しない。ことに彼の経験では有為な徹底的な人間は往々一方に偏する傾向があるというのである。従って中等学校では生徒がある特殊な専門に入るだけの素養が出来次第その学科に対するだけの免状をやる事にすればいい。前に中学卒業試験全廃を唱えたのは、つまりこうして高等教育の関門を打破する意味と思われる。尤《もっと》も彼も全然あらゆる能力験定をやめるというのではない。医科学生になるための予備試験などは止めた方がいいが、しかし将来教師になろうという人で、見込のないようなのは早く験出してやめさせる方がいいと云っている。これは生徒に寛で教師に厳な彼としてさもあるべきことだと著者が評している。
 ここで著者はしばらくアインシュタインをはなれて、これらの問題に対するこの理学者の権威の如何について論じている。理論物理のような常識に遠い六かしい事を講義して、そして聴衆を酔わせ得るのは、彼自身の内部に燃える熱烈なものが流れ出るためだと云っている。彼の講義には他の抽象学者に稀に見られる二つの要素、情調と愛嬌が籠っている、とこの著者は云っている。講義のあとで質問者が押しかけてきても、厭な顔をしないで楽しそうに教えているそうである。彼の聴講者は千二百人というレコード破りの多数に達した。彼の講義室は聞くまでもなくすぐ分る。みんなの行く方へついて行けばいい、と云われるくらいだそうである。この人気に対して一種の不安の色が彼の眉目の間に読まれる。のみならず「はやりものだな」という言葉が彼の口から洩れた。しかしこれは悪く取ってはいけない、無理のないところもあると著者が弁護している。
 それから古典教育に関する著者の長い議論があるが、日本人たる吾々には興味が薄いから略する事にして、次に女子教育問題に移る。
 婦人の修学はかなりまで自由にやらせる事に異議はないようだが、しかしあまり主唱し奨励する方でもないらしい。
「他の学科と同様に科学の方も、なるべく道をあけてやらねばなるまい。しかしその効果については多少の疑いを抱いている。私の考えでは婦人というものに天賦のある障害があって、男子と同じ期待の尺度を当てる訳にはいかないと思う。」
 キュリー夫人などが居るではないかという抗議に対しては、
「そういう立派な除外例はまだ外にもあろうが、それかといって性的に自ずから定まっている標準は動かされない。」
 モスコフスキーは四十年前の婦人と今の婦人との著しい相違を考えると、知識の普及に従って追々は婦人の天才も輩出するようになりはしないか、と云うと、
「貴方《あなた》は予言が御好きのようだが、しかしその期待は少し根拠が薄弱だと思う。単に素養が増し智能が増すという『量的』の前提から、天才が増すというような『質的』の向上を結論するのは少し無理ではないか。」こう云った時にアインシュタインの顔が稲妻のようにちょっとひきつったので、何か皮肉が出るなと思っていると、果して「自然が脳味噌のない『性』を創造したという事も存外無いとは限らない」と云った。これは無論|笑談《じょうだん》であるが彼の真意は男女の特長の差異を認めるにあるらしい。モスコフスキーはこれを敷衍《ふえん》して「婦人は微分学を創成する事は出来なかったが、ライプニッツを創造した。純粋理性批判は産めないが、カントを産む事が出来る」と云っている。
 話頭は転じて、いわゆる「天才教育」の問題にはいる。特別の天賦あるものを選んで特別に教育するという事は、原理としては多数の承認するところで問題は程度如何にある。これは元来ダーウィンの自然淘汰説に縁をひいていて、自然の選択を人工的に助長するにある。尤もこの考えはオリンピアの昔から、あらゆる試験制度に通じて現われているので、それ自身別に新しいことではないが、問題は制度の力で積極的にどこまで進めるかにある、と著者は云っている。これに対するアインシュタインの考えは試験嫌いの彼に相当したものである。「競技《スポルト》かなんぞのようにやる天才養成」(〔quasisportma:ssig gehandhabte Begabetenzu:chtung〕)はいけないと云っている。結果はいかもの[#「いかもの」に傍点]か失敗かである。しかしこの選択も適度にやれば好結果を得られない事はあるまい。これまでの経験ではまだ具体的な案は得られないが、適当にやれば、従来なら日影でいじけてしまうような天才を日向《ひなた》へ出して発達させる事も出来ようというのである。
 著者はこれにつづいて、天才を見付ける事の困難を論じ、また補助奨励と天才出現とは必ずしも並行しない事などを実例について論じている。そして一体天才の出現を無制限に望むのがいいか悪いかという根本問題に触れたところで、アインシュタインの独特な社会観をほのめかしている。しかしこれらの点の紹介は他の機会に譲ることにしたい。
[#地から1字上げ](大正十年七月『科学知識』)



底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1997(平成9)年5月6日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2004年12月13日作成
2005年10月26日修正
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*地名

  • ロンドン London・倫敦 イギリス連合王国の首都。イングランド南東部、テムズ川にまたがる大都市。都心はシティーと呼ばれ、世界経済の中心地の一つでイングランド銀行・取引所などが集まり、バロック様式のセント‐ポール大聖堂がある。インナー‐ロンドンはシティー以外の12の区(borough)を含み、ウェストミンスター寺院・国会議事堂・諸官庁・大英博物館などがある。周辺地域を含む大ロンドン(Greater London)はシティー・インナー‐ロンドンおよび20区を有するアウター‐ロンドンから成り、面積1610平方キロメートル、人口707万4千(1996)。かつては濃霧と煤煙に包まれる日が多く、「霧の都」と呼ばれた。
  • ハンプトンコートの離宮 ハンプトン・コート宮殿 Hampton Court Palace。英国ロンドン南西部、リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン特別区にある旧王宮。 (王立郵便は宮殿を東モルセー管内に含めており、変則的にサリーの郵便アドレスを振り当てている。) 宮殿はチャリング・クロスの南西11.7マイル(18.9km)、ロンドン中央部から見てテムズ川の上流に位置する。宮殿は主要な観光名所として、一般公開されている。宮殿の庭園は、毎年開催される「ハンプトン・コート宮殿フラワー・ショー」の会場となる。
  • ベデカー Baedeker ドイツの出版業者ベデカー(1801〜1859)発行の旅行案内書。転じて、広く案内書の意。
  • -----------------------------------
  • オリンピア Olympia 古代ギリシア、ペロポネソス半島北西部エリス地方にあった都市。ゼウスの神殿があり、宗教の中心。オリンピック競技の発祥地。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 寺田寅彦 てらだ とらひこ 1878-1935 物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。
  • -----------------------------------
  • ガリレイ Galileo Galilei 1564-1642 イタリアの天文学者・物理学者・哲学者。近代科学の父。力学上の諸法則の発見、太陽黒点の発見、望遠鏡による天体の研究など、功績が多い。また、アリストテレスの自然哲学を否定し、分析と統合との経験的・実証的方法を用いる近代科学の方法論の端緒を開く。コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判に付された。著「新科学対話」「天文対話」など。
  • ニュートン Isaac Newton 1642-1727 イギリスの物理学者・天文学者・数学者。ケンブリッジ大教授。力学体系を建設し、万有引力の原理を導入した。また微積分法を発明し、光のスペクトル分析などの業績がある。1687年「プリンキピア(自然哲学の数学的原理)」を著す。近代科学の建設者。のち、造幣局長官・英国王立協会長を歴任。
  • マクスウェル James Clerk Maxwell 1831-1879 イギリスの物理学者。電磁気の理論を大成しマクスウェルの方程式を導き、光が電磁波であることを唱えた。また、気体分子運動論や熱学に業績を残した。
  • アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955 理論物理学者。光量子説・ブラウン運動の理論・特殊相対性理論・一般相対性理論などの首唱者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。プリンストン高等研究所で相対性理論の一般化を研究。また、世界政府を提唱。ノーベル賞。
  • ファラデー Michael Faraday 1791-1867 イギリスの化学者・物理学者。塩素の液化、ベンゼンの発見、電磁誘導の法則、電気分解のファラデーの法則、ファラデー効果および反磁性物質などを発見。電磁気現象を媒質による近接作用として、場の概念を導入、マクスウェルの電磁論の先駆をなす。主著「電気学の実験的研究」
  • カウフマン → ウォルター・カウフマンか
  • ウォルター・カウフマン Kaufmann, Walter 1871-1947 ドイツの物理学者。ボン大学助教授、ついでケーニヒスベルク大学物理学教授。電子が光速度に近い速度で運動する際に、その質量が急激に増大することを実験した。これはアブラハムやローレンツの古典電子論に対する検証となった。(西洋人名、岩波)
  • ポアンカレー → アンリ・ポアンカレか
  • アンリ・ポアンカレ Jules-Henri Poincare 1854-1912 ナンシー生まれのフランスの数学者。数学、数理物理学、天体力学などの重要な基本原理を確立し、功績を残した。フランス第三共和制大統領・レーモン・ポアンカレはアンリの従弟。
  • -----------------------------------
  • ラプラス Pierre Simon Laplace 1749-1827 フランスの数学者・天文学者。数学を駆使して天体力学に一紀元を画し、また、カント‐ラプラスの星雲説を唱えた。メートル法の制定に参与。
  • デカルト Ren Descartes 1596-1650 フランスの哲学者。近世哲学の祖、解析幾何学の創始者。「明晰判明」を真理の基準とする。あらゆる知識の絶対確実な基礎を求めて一切を方法的に疑った後、疑いえぬ確実な真理として「考える自己」を見出し、そこから神の存在を基礎づけ、外界の存在を証明し、「思惟する精神」と「延長ある物体」とを相互に独立な実体とする物心二元論の哲学体系を樹立。著「方法序説」「第一哲学についての省察」「哲学原理」「情念論」など。
  • Huyghens, Young
  • マイヤー Julius Robert von Mayer 1814-1878 ドイツの医師・物理学者。エネルギー保存の原理を定式化し、熱の仕事当量を論じた。
  • -----------------------------------
  • アレキサンダー・モスコフスキー
  • ボスウェル → ボズウェルか
  • ボズウェル James Boswell 1740-1795 イギリスの文人・弁護士。スコットランド生れ。「サミュエル=ジョンソン伝」は評伝文学の傑作。
  • ジョンソン Samuel Johnson 1709-1784 イギリスの批評家・詩人。当時の文人たちの中心となった。「英語辞典」「詩人列伝」「シェークスピア全集」(校訂・注釈)、小説「ラセラス」など。弟子ボズウェルの「ジョンソン伝」は有名。
  • エッカーマン Johann Peter Eckermann 1792-1854 ゲーテ晩年の秘書。作「ゲーテとの対話」で文豪の日常と言動を伝えた。
  • ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832 ドイツの詩人・作家・劇作家。青年期の抒情詩や戯曲「ゲッツ」、書簡体小説「若きウェルテルの悩み」で疾風怒濤期の代表者となる。ワイマール公国での政治家生活のかたわら、イタリアで美術を研究。以後古典主義に転じ、シラーと親交を結び、自然科学の諸分野でも研究の成果を上げた。戯曲「エグモント」「ファウスト」、小説「ウィルヘルム=マイスター」「親和力」、叙事詩「ライネケ狐」「ヘルマンとドロテーア」、自伝「詩と真実」「イタリア紀行」、詩集「西東詩篇」など。
  • ヘルムホルツ Hermann von Helmholtz 1821-1894 ドイツの生理学者・物理学者。聴覚についての共鳴器説・エネルギー保存則を主唱、広範な分野に業績を残した。
  • カール五世 Karl V 1500-1558 ハプスブルク家出身の神聖ローマ帝国皇帝(在位:1519年 - 1556年)。スペイン王としてはカルロス1世(Carlos I, 在位:1516年 - 1556年)と呼ばれる。宗教改革期の動乱やオスマン帝国の圧迫といった困難な時代にあっても、当時のヨーロッパから新大陸に広がる広大な領土をたくみに統治した有能な君主であったが、晩年には相次ぐ戦争に疲れて自ら退位し、修道院に隠棲した。
  • アレキサンダー大王 Alexander (A. the Great)  → アレクサンドロス
  • アレクサンドロス Alexandros 前356-前323 (3世)大王。マケドニア王フィリッポス2世の子。20歳で即位、ギリシアを支配し、ペルシア王ダレイオス3世の軍を破り、シリア・エジプト・ペルシアを征服、さらにインドに攻め入ってバビロンに凱旋、翌年没。王によってギリシア文化ははるか東方に伝播。アレキサンダー大王。
  • サイラス 『サイラス・マーナー(Silas Marner)』か。
  • アルタセルキセス アルタクセルクセス(Artaxerxes)か。古代ペルシア語によるペルシア王名のギリシア語形で、三人のアケメネス朝ペルシア王の名として知られる。
  • アルキメデス Archimedes 前287頃-前212 古代ギリシアの数学者・物理学者。円・球・楕円・放物線およびそれらの回転体の求積法、てこの原理、アルキメデスの原理などを発見。
  • プトレマイオス Ptolemaios Klaudios ?-? 天文学者・数学者・地理学者。2世紀前半にアレクサンドリアで活躍。天動説を主張。また、その地理学説は15世紀の新航路発見に至るまで動かし難いものとされ、その著「アルマゲスト」は天動説および当時の数学・天文学・物理学に関して、コペルニクス時代に至るまで約1400年間権威を保った。英語名トレミー。
  • ヘロン Heron 前200頃-前150頃 アレクサンドリアの数学者・技術者。力学や気体・蒸気の性質を応用した装置の著「機械術」「気体学」のほか、平面図形や立体の求積を行う「測量術」「幾何学」などを残した。
  • アポロニウス Apollonius → アポロニオス
  • アポロニオス Apollonios (1) Apollonius of Rhodus 前295頃-? ヘレニズム期のギリシアの学者・詩人。アレクサンドリアの図書館長も務め、長編叙事詩「アルゴナウティカ」が現存する。(2) Apollonius of Perga 前262-前200? 古代ギリシアの数学者。著「円錐曲線論」(現代の解析幾何で取り扱う命題を含む)。
  • プロメテウス Prometheus ギリシア神話のチタン族の一人。神と人を媒介する文化英雄。天上の火を人間に与えてゼウスの怒りを買い、カフカス山の岩に鎖でつながれ、大鷲にその肝臓を食われたが、ヘラクレスに助けられた。また、水と泥土から人間を創り、他の獣のもつ全能力を付与したという。
  • タレース → タレス
  • タレス Thales ?-? ギリシア最古の哲学者。哲学の祖。紀元前6世紀前半の人。ミレトス派の自然哲学の創始者で、万物の根源は水であると説いた。七賢人の一人。
  • ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz 1646-1716 ドイツの数学者・哲学者・神学者。微積分学の形成者。モナド論ないし予定調和の説によって、哲学上・神学上の対立的見解の調停を試みた。今日の記号論理学の萌芽も示す。近代的アカデミー(学士院)の普及に尽力。主著「形而上学叙説」「単子論」「弁神論」「人間悟性新論」
  • カント Immanuel Kant 1724-1804 ドイツの哲学者。ケーニヒスベルク大学教授。合理論と経験論を統合して批判哲学を創始。科学的認識の成立根拠を吟味し、認識は対象の模写ではなく、主観(意識一般)が感覚の所与を秩序づけることによって成立すること(コペルニクス的転回)を主張、超経験的なもの(不滅の霊魂・自由意志・神など)は科学的認識の対象ではなく、信仰の対象であるとし、伝統的形而上学を否定して道徳の学として形而上学を意義づけた。著に「純粋理性批判」「実践理性批判」「道徳形而上学原論」「判断力批判」など。
  • ダーウィン Charles Robert Darwin 1809-1882 イギリスの生物学者。進化論を首唱し、生物学・社会科学および一般思想界にも影響を与えた。著「種の起原」「ビーグル号航海記」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『岩波西洋人名辞典増補版』。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)

  • 『アインシュタイン』 アレキサンダー・モスコフスキー著。
  • 『サイラス・マーナー』 Silas Marner。長編小説。イギリスのジョージ・エリオット作。1861年発表。主人公サイラスは親友に裏切られ厭世的生活を送るが、幼児エピーへの愛がふたたび彼の心に人間性を呼びさますという寓話的物語。
  • 『科学知識』


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ

  • 囲繞 いにょう/いじょう かこいめぐらすこと。
  • Begriff (独)概念。
  • 漸を追って ぜんをおって 少しずつ。だんだんと。
  • エーテル ether  (3) 初め光の伝播を媒介する媒質としてホイヘンスが仮定し、のち一般に電磁場の媒質とされた物質。相対性理論によってその存在が否定された。
  • 弾性波 だんせいは 弾性体中を伝わる波動。地震波・音波の類。体積弾性による縦波とずれ弾性による横波とがある。
  • 相対性原理 そうたいせい げんり 〔理〕(1) ある範囲の観測者に対して法則の形が不変になるという原理。ニュートン力学も一定の範囲で相対性の要請を充たす。(2) 狭義には、相対性理論に同じ。
  • ブラウン運動 ブラウン うんどう 微粒子に液体または気体の分子が各方向から無秩序に衝突することによって起こる不規則な運動。1827年、R.ブラウンが水中に浮遊する花粉の観察から発見。後に、分子が実在する決定的な証拠となった。
  • 電場 でんば (electric field)電荷の周りに存在する力の場。この場の力線は、正電荷に始まるか、負電荷に終わるか、閉曲線となるか(電磁波の場合)である。電界。
  • X線 エックスせん (X-rays)電磁波の一種。ふつう波長が0.01〜10ナノメートルの間。1895年レントゲンが発見、未知の線という意味でX線と命名。物質透過能力・電離作用・写真感光作用・化学作用・生理作用などが強く、干渉・回折などの現象を生じるので、結晶構造の研究、スペクトル分析、医療などに応用。レントゲン線。
  • γ線 ガンマせん 放射線の一種。極めて波長の短い電磁波(波長10−11m程度以下、エネルギー1メガ電子ボルト以上をいうが、X線との境界は不明確)で、物質を透過する能力が非常に強い。医療・工業、物性研究用に使われている。
  • -----------------------------------
  • 長足 ちょうそく (2) 物事が早く進むこと。はやあし。
  • 風来人 ふうらいじん (1) どこからともなく、さまよい来た人。浮浪人。(2) 落ちつかない人。気まぐれな人。
  • 蘊奥 うんおう (ウンノウと連声)[宋史理宗紀「発揮聖賢蘊奥有補治道」]学術・技芸などの奥深いところ。奥義。極意。
  • ambiguity あいまいさ。疑わしさ。不明確さ。多義性・両義性。
  • 学殖 がくしょく 深い学識。学問の素養。
  • 片言隻語 → 片言隻句
  • 片言隻句 へんげん せっく ちょっとした短い言葉。片言隻語。
  • 千慮の一失 せんりょのいっしつ 「智者も千慮に一失あり」に同じ。
  • 智者も千慮に一失あり ちしゃも せんりょに いっしつあり [史記淮陰侯伝「智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり」]知恵のある者でも、多く考えているうちには、一つぐらいの思い違いや失策がある。千慮の一失。
  • 波動説 はどうせつ 光の本質は何らかの媒質における波動であるという説。ギリシア時代から光は波動か粒子か両論あったが、近代になって、オランダの物理学者ホイヘンスが波動説の基礎を樹立。
  • エネルゲティック 独 Energrtik エネルギー論。W. Ostwald の唱えたエネルギー一元論。(『独和大辞典』(小学館、1985.1)
  • 甲某 こうぼう? こうなにがし?
  • 芟除 さんじょ (センジョとも)刈り除くこと。除き去ること。芟鋤。
  • スコラ学 スコラがく (scholasticism)中世ヨーロッパの教会・修道院付属の学校や大学の教師などの研究した学問。多様な領域にわたったが、人文科学と神学が中心。その目的は聖書の啓示を理性的に弁証することにあり、方法論としては講読・討論とそれを支える弁証論、アリストテレス的論証が採用されたが、プラトン的な内的な方法や神秘的傾向も認められる。初期(9〜12世紀)の代表者はエリウゲナ・アベラール・アンセルムス、盛期(13世紀)はアルベルトゥス=マグヌス・トマス=アクィナス・ボナヴェントゥラ、後期(14〜15世紀前半)はドゥンス=スコトゥス・オッカム、近世への過渡期(15世紀後半〜17世紀)はスアレス。煩瑣哲学。スコラ哲学。
  • Hypotheses non fingo
  • Hypotheses 仮説。
  • action at a distance 遠隔作用。二つの物体の相互作用の一形態。一つの物体の運動状態が空間を隔てて直接的・瞬間的に他の物体に影響を及ぼすという機構。万有引力は遠隔作用とされたが、現代の物理学では、これも近接作用から導かれるとする。
  • 相対率原理 相対性原理に同じか。
  • -----------------------------------
  • レラティヴィティ 英: relativity。(1) 相対性理論。(2) 相対性。相関性。
  • ボスウェリズム → ボズウェルか
  • So viele Sprachen einer versteht, so viele Male ist er Mensch.
  • Sprachen 言語。言葉。国語。
  • einer そのなかの一つ(一人)。あるもの。あるひと。
  • versteht verstehen 理解する。わかる。聞き取れる。再帰動詞。理解される、か。
  • Male Mal の複数形か。(反復される出来事のそれぞれの)回、度、時。
  • Mensch (1) 人間。(2) 人。人物。
  • 語学競技者 シュプラハ・アトレーテン Sprach Athleten。
  • 偏頗 へんぱ (ヘンバとも)かたよること。不公平。えこひいき。
  • 鋭敏に反応する subtil zu reagieren
  • 精神的の筋肉 geistige Muskeln
  • ギムナジウム Gymnasium (古代ギリシアのギムナシオン(体操場)に由来)ドイツの伝統的な中等学校。元来は古典語・古典的教養を重視し、大学に接続するエリート階層のための学校。フランスのリセ、イギリスのパブリック‐スクールに相当。
  • はしっこい ハシコイの促音化。はしこい。挙動がすばやい。敏捷である。すばしこい。はしっこい。
  • 比武競技
  • 火の試練 フォイアプローベ Feure Probe
  • 本質的 ザハリヒ sachlich
  • 人間 sittliche Persnlichkeit sittliche 道徳上の。
  • Persnlichkeit 人格。人柄。個性。パーソナリティー。
  • 名歌手 マイステルジンガー/マイスター・ジンガー Meistersinger (親方歌手の意)15〜16世紀のドイツで、市井の音楽活動を行なった詩人兼音楽家。靴屋・仕立屋などの手工業者が中心で、階層的な組合(歌学校)を作り厳しい試験を経て作詩・作曲・歌唱のできるマイスター(職匠)となった。19世紀前半まで存続。職匠歌人。工匠歌人。
  • 非実際的 ドクトリネーア doctrinaire
  • くぎづけ フェルナーゲルト fest|nageln(フェスト・ナーゲルン)か。
  • レトルト retort (1) 蒸留などに用いる化学実験用器具の一つ。フラスコの頸の曲がった形をしている。(2) 大気圧以上の圧力を用いて、110〜140度で缶詰・袋詰食品などを加熱・殺菌する装置。殺菌釜。
  • もっと眼にうかぶようにする die erhhte Anschaulichkeit。
  • die der (英)the。
  • erhhte erhhen 再帰動詞か。上げられる。増される。高められる。
  • Anschaulichkeit 明白性。わかりやすさ。具体性。
  • 知識 Erlernen
  • 体験 Erleben
  • 競技かなんぞのようにやる天才養成 quasisportmssig gehandhabte Begabetenzchtung。
  • スポルト sport スポーツ。運動競技。
  • quasi いわば。あたかも。ほとんど。
  • sportmssig スポーツ精神にかなった。スポーツマンらしい。
  • gehandhabte
  • Begabeten (奨学金などによる)英才教育。
  • zchtung 栽培。培養。飼育。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)『独和大辞典』(小学館、1985.1)『新コンサイス和独辞典』(三省堂、2003.7)『新コンサイス独和辞典』(三省堂、2003.10)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


云う → 言う
有《も》つ → 持つ
もつ → 持つ
はいる → 入る

 以上、変更しました。
 
 ロンドンで暴動。円高70円47銭。世界株安。暴動の発端がいまひとつよくわからない。山形県内への避難者数1万890人(県8月12日集計)。うち福島から1万人、宮城から800人。避難先別は山形市が3944人、米沢が3466人(天童が623人)。以上『山新』より。
 松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社、2006.12)読了。講義模様を書籍化したとのことで、話し言葉だから理解しやすい。ありがちな注釈の羅列もいっさいなし。ん? と思わないところがないでもないが、東西の宗教を縦横無尽に語るところ、テンポの小気味よさ、文化とのからみと着地点。
 
 6日(土)夜、ネットカフェへ。ナイト10時間パック。たまっていた未読の『ポッとタイムス』を DL。青空文庫、Wikipedia 日本語版ダンプデータを DL。その間に USTREAM ボイジャーチャンネルにて、7月のパブリッシングの中継録画を見る。かんじんのダウンロードがフリーズ。ソフトクリーム食いそこね。富田さんの回を見逃す。さんざんなまま徒歩帰宅。近日中にリベンジせねば……。
 
8.8 東北電力、使用量98%。東京電力から融通。
8.9 東北電力、使用量95%。
8.12 3:23 福島県沖。5弱浜通。




*次週予告


第四巻 第四号 
特集 アインシュタイン(二)寺田寅彦
 アインシュタイン
 相対性原理側面観


第四巻 第四号は、
八月二〇日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第三号
特集 アインシュタイン(一)寺田寅彦
発行:二〇一一年八月一三日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
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出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
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販売:DL-MARKET
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T-Time マガジン
週刊ミルクティー
*99 出版
バックナンバー
  • 第二巻
  • #1 奇巌城(一)M. ルブラン
  • #2 奇巌城(二)M. ルブラン
  • #3 美し姫と怪獣/長ぐつをはいた猫
  • #4 毒と迷信/若水の話/麻薬・自殺・宗教
  • #5 空襲警報/水の女/支流
  • #6 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • #7 新羅の花郎について 池内 宏
  • #8 震災日誌/震災後記 喜田貞吉
  • #9 セロ弾きのゴーシュ/なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • #10 風の又三郎 宮沢賢治
  • #11 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • #12 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • #13 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • #14 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • #15 欠番
  • #16 欠番
  • #17 赤毛連盟      C. ドイル
  • #18 ボヘミアの醜聞   C. ドイル
  • #19 グロリア・スコット号C. ドイル
  • #20 暗号舞踏人の謎   C. ドイル
  • #21 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • #22 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • #23 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • #24 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • #25 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • #26 日本天変地異記 田中貢太郎
  • #27 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治
  • #28 翁の発生/鬼の話 折口信夫
  • #29 生物の歴史(一)石川千代松
  • #30 生物の歴史(二)石川千代松
  • #31 生物の歴史(三)石川千代松
  • #32 生物の歴史(四)石川千代松
  • #33 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介
  •  雛がたり 泉鏡花
  •  ひなまつりの話 折口信夫
  • #34 特集 ひなまつり
  •  人形の話 折口信夫
  •  偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • #35 右大臣実朝(一)太宰 治
  • #36 右大臣実朝(二)太宰 治
  • #37 右大臣実朝(三)太宰 治
  • #38 清河八郎(一)大川周明
  • #39 清河八郎(二)大川周明
  • #40 清河八郎(三)大川周明
  • #41 清河八郎(四)大川周明
  • #42 清河八郎(五)大川周明
  • #43 清河八郎(六)大川周明
  • #44 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • #45 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
  • #46 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
  • #47 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • #48 若草物語(一)L.M. オルコット
  • #49 若草物語(二)L.M. オルコット
  • #50 若草物語(三)L.M. オルコット
  • #51 若草物語(四)L.M. オルコット
  • #52 若草物語(五)L.M. オルコット
  • #53 二人の女歌人/東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • #1 星と空の話(一)山本一清
  • #2 星と空の話(二)山本一清
  • #3 星と空の話(三)山本一清
  • #4 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • #5 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • #6 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
  • #7 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • #8 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • #9 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • #10 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫
  • #11 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/
  •  神話と地球物理学/ウジの効用
  • #12 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦
  • #13 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • #14 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • #15 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • #16 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • #17 高山の雪 小島烏水
  • #18 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • #19 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • #20 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • #21 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • #22 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • #23 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • #24 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • #25 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治
  • #26 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • #27 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所
  •  村で見た黒川能
  •  能舞台の解説
  •  春日若宮御祭の研究
  • #28 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • #29 火山の話 今村明恒
  • #30 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
  • #31 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)
  • #32 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
  • #33 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • #34 山椒大夫 森 鴎外
  • #35 地震の話(一)今村明恒
  • #36 地震の話(二)今村明恒
  • #37 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦
  • #38 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • #39 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子
  • #40 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子
  • #41 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • #42 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • #43 智恵子抄(一)高村光太郎

      あどけない話

    智恵子は東京に空がないという、
    ほんとの空が見たいという。
    私はおどろいて空を見る。
    桜若葉の間にあるのは、
    切っても切れない
    むかしなじみのきれいな空だ。
    どんよりけむる地平のぼかしは
    うすもも色の朝のしめりだ。
    智恵子は遠くを見ながらいう。
    阿多々羅山(あたたらやま)の山の上に
    毎日出ている青い空が
    智恵子のほんとの空だという。
    あどけない空の話である。


      千鳥と遊ぶ智恵子

    人っ子ひとりいない九十九里の砂浜の
    砂にすわって智恵子は遊ぶ。
    無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    砂に小さな趾(あし)あとをつけて
    千鳥が智恵子によってくる。
    口の中でいつでもなにか言ってる智恵子が
    両手をあげてよびかえす。
    ちい、ちい、ちい―
    両手の貝を千鳥がねだる。
    智恵子はそれをパラパラ投げる。
    群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    人間商売さらりとやめて、
    もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
    うしろ姿がぽつんと見える。
    二丁も離れた防風林の夕日の中で
    松の花粉をあびながら私はいつまでも立ちつくす。
  • #44 智恵子抄(二)高村光太郎
     わたしは昭和九年(一九三四)五月から十二月末まで、毎週一度ずつ九十九里浜の真亀納屋という小さな部落に東京から通った。頭を悪くしていた妻を、そこに住む親類の寓居にあずけておいたので、その妻を見舞うために通ったのである。真亀という部落は、海水浴場としても知られているイワシの漁場、千葉県山武郡片貝村の南方一里たらずの浜辺に沿ったさびしい漁村である。
    (略)午前に両国駅を出ると、いつも午後二、三時ごろ、この砂丘につく。わたしは一週間分の薬や、菓子や、妻の好きな果物などを出す。妻は熱っぽいような息をして私をよろこび迎える。わたしは妻をさそって、いつも砂丘づたいに防風林の中をまず歩く。そして小松のまばらな高みの砂へ腰をおろして二人で休む。五月の太陽がすこしななめに白い砂を照らし、そよかぜは海から潮の香りをふくんで、あおあおとした松の枝をかすかに鳴らす。空気のうまさを満喫して私は陶然とする。ちょうど五月は松の花のさかりである。クロマツの新芽ののびたさきに、あの小さな、黄いろい、俵のような、ほろほろとした単性の花球がこぼれるように着く。
     松の花粉の飛ぶ壮観を、わたしはこの九十九里浜の初夏にはじめて見た。防風林のクロマツの花が熟するころ、海から吹きよせる風にのって、その黄いろい花粉が飛ぶさまは、むしろおそろしいほどの勢いである。支那の黄土をまきあげた黄塵というのは、もとより濁って暗くすさまじいもののようだが、松の花粉の風に流れるのはその黄塵をも想像させるほどで、ただそれが明るく、透明の感じを持ち、不可言の芳香をただよわせて風のまにまに空間を満たすのである。さかんな時には座敷の中にまでその花粉がつもる。妻の浴衣の肩につもったその花粉を軽くはたいて、私は立ち上がる。妻は足もとの砂を掘って、しきりに松露の玉をあつめている。日が傾くにつれて海鳴りが強くなる。千鳥がついそこを駈けるように歩いている。
  • #45 ヴェスヴィオ山/日本大地震(他)斎藤茂吉
     新聞の報告はみなほとんど同一であった。上海電報によると、地震は九月一日の早朝におこり、東京・横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞い上がり、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなった。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。
     私はしばらく息をつめてこれらの文句を読んだが、どうも現実の出来事のような気がしない。ただし私は急いでそこを出で、新しく間借りしようとする家へ行った。部屋は綺麗に調えてあったので私は床上に新聞紙と座布団とをしき、尻をペタリとおろした。それからふたたび新聞の日本震災記事を読むに、これは容易ならぬことである。私の意識はようやく家族の身上に移っていった。不安と驚愕とがしだいに私の心を領するようになってくる。私は眠り薬を服してベッドの上に身を横たえた。
     暁になり南京虫におそわれ、この部屋も不幸にして私の居間ときめることができなかった。九月四日の朝、朝食もせずそこを出て日本媼のところに急ぐ途中N君に会った。N君も日本のことが心配でたまらぬので、やはり朝食もせずに日本媼のところに来た途中なのであった。N君の持っている今日の朝刊新聞の記事を読むと、昨日の夕刊よりもややくわしく出ている。コレア丸からの無線電報によるに、東京はすでに戒厳令が敷かれて戦時状態に入った。横浜の住民二十万は住む家なく食う食がない。(略)
     九月五日。日本の惨事は非常である。部屋の中に沈黙していても何ごとも手につかない。九月六日。思いきって、Thorwalsen(トールワルゼン) Str.(シュトラセ) 六番地に引っ越してしまった。ここには南京虫はいなかった。教室まで遠くて不便であるが、日本の状態がこんなであってみれば、私自身、今後どう身を所決せねばならんか今のところまったく不明である。そこでせめて南京虫のいないところにおちつこうと決心したのであった。
  • #46 上代肉食考/青屋考 喜田貞吉
    (略)そのはばかりの程度は神社により、また時代によって相違があったようだが、ともかく肉は穢れあるものとして、これを犯したものは神に近づくことができず、これに合火(あいび)したもの、合火したものに合火のものまでも、またその穢れあるものとしておったのである。(略)
     右のしだいであったから、自分らのごときも子どもの時分には、決して獣肉を食ったことはなかった。かつて村人の猪肉・兎肉を食べているものを見て、子供心に、よくこの人らには神罰があたらぬものだと思ったこともあった。これらの人々の遁辞(とんじ)には、イノシシは山鯨で魚の仲間、兎は鴉鷺(あろ)で鳥の仲間だとあって、これだけは食べてもよいのだとすすめられたけれども、ついに食べる気にはなれなかった。しかるに郷里の中学校へ入学して、寄宿舎に入ったところが、賄い方はしばしば夕食の膳に牛肉をつけてくれた。上級生も平気でそれを食っている。こわごわながら人並みに箸を採ってみると、かつて経験したことのない美味を感じた。いつしか牛肉随喜党となり、はては友達の下宿へ行って、ひそかに近郷のある部落から売りにくる牛肉を買って、すき焼きの味をもおぼえるようになった。時は明治十七、八年(一八八四、一八八五)ころで、諸物価も安かったが、牛肉の需要が少なかったために、百目四、五銭で買えたと記憶する。かようなしだいで、おいおい大胆になっては来たが、それでもまだ家庭へ帰っては、牛肉の香りをかいだこともないような顔をしていた。これは自分の家庭が特に物堅いためで、去る大正三年(一九一四)に八十三歳で没した父のごときは、おそらく一生涯、牛肉の味を知らなかったようであるし、今なお健在の母も、たぶんまだこれを口にしたことはなかろうと思われるほどであるから、自分のこの一家庭の事情をもって、もとより広い世間を推すわけにはいかぬが、少なくも維新前後までの一般の気分は、たいていそんなものであった。したがって肉食を忌まなかった旧時のエタが、人間でないかのごとく思われたのにも無理はないが、しかしかくのごときものが、はたしてわが固有の習俗であったであろうか。
  • #47 地震雑感/静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
    地震雑感
     一 地震の概念
     二 震源
     三 地震の原因
     四 地震の予報
    静岡地震被害見学記
    小爆発二件
     震災の原因という言語はいろいろに解釈される。多くの場合には、その地震が某火山の活動に起因するとか、あるいは某断層における地すべりに起因するとかいうようなことが一通りわかれば、それで普通の原因追究欲が満足されるようである。そして、その上にその地すべりなら地すべりがいかなる形状の断層に沿うて幾メートルの距離だけ移動したというようなことがわかれば、それで万事は解決されたごとく考える人もある。これは原因の第一段階である。
     しかし、いかなる機巧(メカニズム)でその火山のそのときの活動がおこったか、また、いかなる力の作用でその地すべりを生じたかを考えてみることはできる。これに対する答えとしては、さらにいろいろな学説や憶説が提出され得る。これが原因の第二段階である。たとえば、地殻の一部分にしかじかの圧力なり歪力なりが集積したためにおこったものであるという判断である。
     これらの学説が仮に正しいとしたときに、さらに次の問題がおこる。すなわち地殻のその特別の局部に、そのような特別の歪力をおこすにいたったのはなぜかということである。これが原因の第三段階である。
     問題がここまで進んでくると、それはもはや単なる地震のみの問題ではなくなる。地殻の物理学、あるいは地球物理学の問題となってくるのである。
     地震の原因を追究して現象の心核にふれるがためには、結局、ここまで行かなければならないはずだと思われる。地球の物理をあきらかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、ことによると、人体の生理をあきらかにせずして、単に皮膚の吹出物だけを研究しようとするようなものかもしれない。地震の根本的研究は、すなわち地球、特に地殻の研究ということになる。本当の地震学は、これを地球物理学の一章として見たときにはじめて成立するものではあるまいか。
  • #48 自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦
    自然現象の予報
    火山の名について
     つぎに、地震予報の問題に移りて考えん。地震の予報ははたして可能なりや。天気予報と同じ意味において可能なりや。
     地震がいかにしておこるやは、今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時におこる現象なるがごとし。これが起こると否とを定むべき条件につきては、吾人いまだ多くを知らず。すなわち天気のばあいにおける気象要素のごときものが、いまだあきらかに分析されず。この点においても、すでに天気の場合とおもむきを異にするを見る。
     地殻のひずみが漸次蓄積して不安定の状態に達せるとき、適当なる第二次原因、たとえば気圧の変化のごときものが働けば、地震を誘発することは疑いなきもののごとし。ゆえに一方において地殻のゆがみを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉するを得れば、地震の予報は可能なるらしく思わる。この期待は、いかなる程度まで実現されうべきか。
     地下のゆがみの程度を測知することはある程度までは可能なるべく、また主なる第二次原因を知ることも可能なるべし。今、仮にこれらがすべて知られたりと仮定せよ。
     さらに事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一か所に止まり、地震がおこるとせば、かならずその点におこるものと仮定せん。かつまた、第二次原因の作用は毫も履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的のばあいにおいても、地震の突発する「時刻」を予報することはかなり困難なるべし。何となれば、このばあいは前に述べし過飽和溶液の晶出のごとく、現象の発生は、吾人の測知し得るマクロ・スコピックの状態よりは、むしろ、吾人にとりては偶然なるミクロ・スコピックの状態によりて定まると考えらるるがゆえなり。換言すれば、マクロ・スコピックなる原因の微分的変化は、結果の有限なる変化を生ずるがゆえなり。このばあいは、重量を加えて糸を引き切るばあいに類す。
  • #49 地震の国(一)今村明恒
     一、ナマズのざれごと
     二、頼山陽、地震の詩
     三、地震と風景
     四、鶏のあくび
     五、蝉しぐれ
     六、世紀の北米大西洋沖地震
     七、観光
     八、地震の正体

    「日本は震災国です。同時に地震学がもっともよく発達していると聞いています。したがってその震災を防止あるいは軽減する手段がよく講ぜられていると思いますが、それに関する概要をできるだけよくうかがって行って、本国へのみやげ話にしたいと思うのです。
    「よくわかりました。
     これはすばらしい好質問だ。本邦の一般士人、とくに記者諸君に吹聴したいほどの好質問だ。余は永年の学究生活中、かような好質問にかつて出会ったことがない。(略)余は順次につぎのようなことを説明した。
    「震災の防止・軽減策は三本建にしている。すなわち、第一は耐震構造の普及方。これには、建築法規に耐震構造の実施に関する一項が加えてあり、これを実行している都市は現在某々地にすぎないが、じつは国内の市町村の全部にと希望している。構造物を耐震的にするにはしかじかの方法が講ぜられている。(略)
    「第二は震災予防知識の普及。これは尋常小学校の国定教科書に一、二の文章を挿入することにより、おおむねその目的が達せられる。
    「第三は地震の予知問題の解決。この問題を分解すると、地震の大きさの程度、そのおこる場所ならびに時期という三つになり、この三者をあわせ予知することが本問題の完全な解決となる。これは前の二つとは全然その趣きが別で、専門学徒に課せられた古今の難問題である。
     ここで彼女はすかさず喙(くちばし)をいれた。
    「じつはその詳細がとくに聞きたいのです。事項別に説明してください。して、その程度とは?」
    「(略)われわれのごとく防災地震学に専念している者は、講究の目標を大地震にのみ限定しています。大きさの程度をわざとこう狭く局限しているのです。
    「そして、その場所の察知は?」
    「過去の大地震の統計と地質構造とによって講究された地震帯、磁力・重力など地球物理学的自然力の分布異状、とくに測地の方法によって闡明(せんめい)された特種の慢性的・急性的陸地変形などによります。
    「それから、いつ起こるかということは?」
    「右の起こりそうな場所に網をはっておいて、大地震の前兆と思われる諸現象を捕捉するのです。
     パイパー夫人はなおも陸地変形による場所ならびに時期の前知方法の講究に関して、さらに具体的の例をあげるよう迫るので、余は南海道沖大地震に関する研究業績の印刷物をもってこれに応じておいた。
  • #50 地震の国(二)今村明恒
     九 ドリアン
     一〇 地震の興味
     一一 地割れの開閉現象
     一二 称名寺の鐘楼
     一三 張衡(ちょうこう)
     一四 地震計の冤(えん)
     一五 初動の方向性
     一六 白鳳大地震

     文部大臣は、昨年の関西風水害直後、地方庁あてに訓令を出されて、生徒児童の非常災害に対する教養に努めるよう戒められたのであった。まことに結構な訓令である。ただし、震災に関するかぎり、小学教師は、いつ、いかなる場合、いかようにしてこの名訓令の趣旨を貫徹せしめるかについては、すこぶる迷っているというのが、いつわらざる現状である。実際、尋常科用国定教科書をいかにあさって見ても理科はもとより、地理・国語・修身、その他にも、地震を主題とした文章は一編も現われず、ただ数か所に「地震」という文字が散見するのみである。地震の訓話をするに、たとえかような機会をとらえるとしても、いかなることを話したらよいか、それが教師にとってかえって大きな悩みである。文部大臣の監督下にある震災予防評議会が、震火災防止をめざす積極的精神の振作に関し、内閣総理をはじめ、文部・内務・陸海軍諸大臣へあて建議書を提出したのは昭和三年(一九二八)のことであるが、その建議書にはとくに「尋常小学校の課程に地震に関する一文章を加える議」が強調してある。同建議書は文部省に設置してある理科教科書編纂委員会へも照会されたが、同委員会からは、問題の事項は加えがたいむねの返事があった。地震という事項は、尋常科の課程としては難解でもあり、また、その他の記事が満載されていて、割り込ませる余地もないという理由であった。この理由はとくに理科の教科書に限られたわけでもなく、他の科目についても同様であったのである。難解なりとは、先ほどから説明したとおり問題にならぬ。われわれはその後、文案を具して当局に迫ったこともあるくらいであるから、当局ももはや諒としておられるであろう。さすれば主な理由は、余地なしという点に帰着するわけである。つくづく尋常科教科書を検討してみるに、次のようなことが載せてあるのを気づく。すなわち「南洋にはドリアンという果物ができる。うまいけれども、とても臭い」と。このような記事を加える余裕があるにもかかわらず、地震国・震災国の幼い小国民に地震のことを教える余地がないとは、じつに不可解なことといわねばならぬ。
  • #51 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     一、仁徳天皇
      后妃と皇子女
      聖(ひじり)の御世
      吉備の黒日売
      皇后石の姫の命
      ヤタの若郎女
      ハヤブサワケの王とメトリの王
      雁の卵
      枯野という船
     二、履中天皇・反正天皇
      履中天皇とスミノエノナカツ王
      反正天皇
     三、允恭天皇
      后妃と皇子女
      八十伴の緒の氏姓
      木梨の軽の太子
     四、安康天皇
      マヨワの王の変
      イチノベノオシハの王

     皇后石の姫の命はひじょうに嫉妬なさいました。それで天皇のお使いになった女たちは宮の中にも入りません。事がおこると足擦りしてお妬みなさいました。しかるに天皇、吉備の海部の直の娘、黒姫という者が美しいとお聞きあそばされて、喚し上げてお使いなさいました。しかしながら、皇后さまのお妬みになるのをおそれて本国に逃げ下りました。(略)
     これより後に皇后さまが御宴をお開きになろうとして、カシワの葉を採りに紀伊の国においでになったときに、天皇がヤタの若郎女と結婚なさいました。ここに皇后さまがカシワの葉を御船にいっぱいに積んでおかえりになるときに、(略)「天皇はこのごろヤタの若郎女と結婚なすって、夜昼たわむれておいでになります。皇后さまはこのことをお聞きあそばさないので、しずかに遊んでおいでになるのでしょう」と(略)聞いて、(略)ひじょうに恨み、お怒りになって、御船に載せたカシワの葉をことごとく海に投げすてられました。それでそこを御津の埼というのです。そうして皇居にお入りにならないで、船をまげて堀江にさかのぼらせて、河のままに山城にのぼっておいでになりました。(略)それから山城からまわって、奈良の山口においでになってお歌いになった歌、

     山また山の山城川を
     御殿の方へとわたしがさかのぼれば、
     うるわしの奈良山をすぎ
     青山のかこんでいる大和をすぎ
     わたしの見たいと思うところは、
     葛城の高台の御殿、
     故郷の家のあたりです。

     かように歌っておかえりになって、しばらく筒木の韓人のヌリノミの家にお入りになりました。
  • #52 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     五、雄略天皇
      后妃と皇子女
      ワカクサカベの王
      引田部の赤猪子
      吉野の宮
      葛城山
      春日のオド姫と三重の采女
     六、清寧天皇・顕宗天皇・仁賢天皇
      清寧(せいねい)天皇
      シジムの新築祝い
      歌垣
      顕宗(けんぞう)天皇
      仁賢天皇
     七、武烈天皇以後九代
      武烈(ぶれつ)天皇
      継体(けいたい)天皇
      安閑(あんかん)天皇
      宣化(せんか)天皇
      欽明(きんめい)天皇
      敏達(びだつ)天皇
      用明(ようめい)天皇
      崇峻(すしゅん)天皇
      推古天皇

     天皇〔顕宗天皇〕、その父君をお殺しになったオオハツセの天皇を深くおうらみ申し上げて、天皇の御霊に仇(あだ)をむくいようとお思いになりました。よってそのオオハツセの天皇の御陵を毀(やぶ)ろうとお思いになって人を遣わしましたときに、兄君のオケの命の申されますには、「この御陵を破壊するには他の人をやってはいけません。わたくしが自分で行って陛下の御心のとおりに毀してまいりましょう」と申し上げました。そこで天皇は、「それならば、お言葉どおりに行っていらっしゃい」とおおせられました。そこでオケの命がご自身でくだっておいでになって、御陵のそばを少し掘って帰っておのぼりになって、「すっかり掘り壊(やぶ)りました」と申されました。そこで天皇がその早く帰っておのぼりになったことを怪しんで、「どのようにお壊りなさいましたか?」とおおせられましたから、「御陵のそばの土を少し掘りました」と申しました。天皇のおおせられますには、「父上の仇を報ずるようにと思いますので、かならずあの御陵をことごとく壊すべきであるのを、どうして少しお掘りになったのですか?」とおおせられましたから、申されますには、「かようにしましたわけは、父上の仇をその御霊にむくいようとお思いになるのはまことに道理であります。しかしオオハツセの天皇は、父上の仇ではありますけれども、一面は叔父でもあり、また天下をお治めなさった天皇でありますのを、今もっぱら父の仇ということばかりを取って、天下をお治めなさいました天皇の御陵をことごとく壊しましたなら、後の世の人がきっとおそしり申し上げるでしょう。しかし、父上の仇は報(むく)いないではいられません。それであの御陵の辺りを少し掘りましたから、これで後の世に示すにも足りましょう」とかように申しましたから、天皇は「それも道理です。お言葉のとおりでよろしい」とおおせられました。
  • 第四巻
  • #1 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)

     序にかえて
      琉球編について
     一、沖縄人のはじめ
     二、巨人の足あと
     三、三十七岳の神々
     四、アカナァとヨモ
     五、黄金の木のなるまで

     地上には、草や木はもちろんのこと、鳥や獣(けもの)というては一匹もいなかった大昔のことです。その時分、沖縄島の上には、霞(かすみ)がかかったように、天が垂(た)れ下がっていて、天と地との区別がまったくありませんでした。しかも、東の海から寄せてくる波は、島をこえて西の海に行き、西の海の潮は、東の海に飛びこえて渦を巻いているという、それはそれは、ものすごいありさまでした。
     それまで天にいられたアマミキヨ、シネリキヨという二人の神さまは、このありさまをごらんになって、
    「あれでは、せっかく作り上げた島もなにもならん」
    とおっしゃって、さっそく天上から土や石や草や木やをお運びになって、まず最初に、海と陸との境をお定めになりました。
     二人の神さまは、それから浜辺にお出でになり、阿旦(あだん)やユウナという木をお植えつけになって、波を防ぐようにせられました。それからというものは、さしもに逆巻いていた、あの騒がしい波も飛び越さなくなり、地上には草や木が青々としげって、野や山には小鳥の声が聞こえ、獣があちこち走るようになりました。地上がこういう平和な状態になったときに、二人の神さまは、今度は人間をおつくりになりました。そして最初は、鳥や獣といっしょにしておかれました。人間は、何も知らないものですから、鳥や獣とあちこち走りまわっていました。ところが人間に、だんだん知恵がついてきまして、今までお友だちだった鳥や獣を捕って食べることを覚えたものですから、たまりません。鳥や獣はびっくりして、だんだん、山へ逃げこんでしまうようになりました。 (「巨人の足あと」より)
  • #2 日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷

     六、島の守り神
     七、命の水

     むかし、大里村の与那原(よなばる)というところに、貧乏な漁師がありました。この漁師は、まことに正直な若者でした。
     あの燃えるようにまっ赤な梯梧(だいご)の花は、もうすでに落ちてしまって、黄金色に熟(う)れた阿旦(あだん)の実が、浜の細道に匂う七月ごろのことでした。ある日のこと、その晩はことに月が美しかったものですから、若い漁師は、仕事から帰るなり、ふらふらと海岸のほうへ出かけました。(略)
     暑いとはいえ、盆近い空には、なんとなく秋らしい感じがします。若い漁師は、青々と輝いている月の空をながめながら、こんなことをいうてため息をついていましたが、やがて、何かを思い出したらしく、
    「ああそうだ。盆も近づいているのだから、すこし早いかもしれぬが、阿旦の実のよく熟れたのから選り取って、盆のかざり物に持って帰ろう」
    とつぶやいて、いそいそと海岸の阿旦林のほうへ行きました。
     そのときのことでした。琉球では、阿旦の実のにおいは、盆祭りを思い出させるものですが、そのにおいにまじって、この世のものとも思えぬなんともいえない気高いにおいが、どこからとなくしてきます。若い漁師は、
    「不思議だな。なんというよい匂いだ。どこからするんだろうな」
    と、ふと眼をあげて、青白い月の光にすかして、向こうを見ました。すると、白砂の上にゆらゆらゆれている、黒いものがあります。若い漁師はすぐに近づいて行って、急いでそれをひろいあげました。それは、世にもまれな美しいつやのある、漆のように黒い髪で、しかもあの不思議な天国のにおいは、これから発しているのでした。 (「命の水」より)

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