伊波普猷 いは ふゆう
1876-1947(明治9.3.15-昭和22.8.13)
言語学者・民俗学者。沖縄生れ。東大卒。琉球の言語・歴史・民俗を研究。編著「南島方言史攷」「校訂おもろさうし」など。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル-Ihafuyu.JPG」より。表紙絵は恩地孝四郎。



もくじ 
日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷


ミルクティー*現代表記版
日本昔話集 沖縄編(二)
  • 六、島の守り神
  • 七、命の水

オリジナル版
日本昔話集 沖繩篇(二)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例
  • 〈 〉( ):割り注、もしくは小書き。
  • 〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
  • 一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
  • 一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒をおぎないました。
  • 一、ひらがなに傍点は、一部カタカナに改めました。
  • 一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
  • 一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
  • 一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名は「 」で示しました。
  • 一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。


底本:『日本昔話集(下)12』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年8月20日発行
親本:『日本昔話集(下)』日本兒童文庫、アルス
   1929(昭和4)年4月3日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person232.html

NDC 分類:K913(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html




日本昔話集 沖縄編(二)

伊波いは普猷ふゆう


   六、島のまもり神

 むかしむかし、大昔おおむかし、というたら、みなさんはもう、
「その先は、わかってる」
というかもしれませんが、しかし、その先をよく聞いてごらんなさい。
 さて、むかしむかし大昔おおむかし宮古島みやこじま平良ぴさらという村のすみやというところに、一人のお金持ちが住んでいました。その人は、おかみさんと二人らしで、財産ざいさんがたくさんあるものですから、おかねなんかは、馬にわせるほども持っていたものですから、なんの不足ふそくもなくその日その日を送っていました。おいしい物が食べたいと思えばすぐ食べられるし、また何か見たいと思うときには、し使いの者がちゃんとれて行って、見せてくれます。そんなふうですから二人のあいだには、なにひとつとして、イヤなこととか、つらいことなどはありませんでした。
 ところが、こんな幸福こうふくな二人にも、たった一つだけ、自分たちの思うとおりにならぬ、不幸ふこうなことがあったのです。
 ある日、おかみさんが、お金持ちにいいました。
「ねえ、あなた。なぜ二人には子どもが生まれないのでしょう?」
 するとお金持ちは、きゅうに、まゆをひそめてうでぐみしながら、
「ふふう……」
と、ためいきをつきました。それから二人ともだまったまま、長いあいだ、前を見つめていました。こんなことは、じつはこの日がはじめではなかったのです。今までにも、なんべんも二人のあいだにおこったことなのです。
 だいぶ長いあいだたってから、やっと、お金持ちがいいました。
「とにかく、もうこのうえはただ、いっしょうけんめいに、神さまにおすがりもうすより仕方しかたがない」
 するとおかみさんも、それよりもよい思案しあんがなかったものか、それに賛成さんせいしました。
 その翌日よくじつから、二人は今までよりもいっそう真剣しんけんになって、神さまにおまいりして、おねがいしました。
 それはそれは、二人ともたいへんいっしょうけんめいでして、しまいには寝言ねごとにまで、
「どうか早く子どもが生まれますように」
というくらいだったので、神さまも二人の熱心ねっしんさに感心かんしんせられたのでしょう。しばらくしてから、おかみさんは、うつくしいたまのような女の子を生みました。なにしろあれだけしがっていた子どもですから、ほんとうに、の中に入れてもいたくなかったにちがいありません。
 そうして二人は、その女の子を大切たいせつそだてましたが、生まれつきがいたって利口りこうなうえに、そのかおかたちの美しいことは、女神めがみのようでしたので、近所きんじょの人々は、いつのまにかその女の子を「かみの娘」とんでいました。そして近所きんじょの人々をはじめ、遠くから聞き伝えて、わざわざ見にきた人までだれ一人ほめぬものはなく、しまいには村じゅうはおろか、近郷きんごう近在きんざい評判ひょうばんむすめになりました。
 両親りょうしんむすめがそんなふうなので、非常ひじょうにうれしく、早く大きくなったら、いいお婿むこさんをもらうて、家をがせようと楽しみにしていました。
 そのうちに、月日つきひのたつのは早いもので、その娘もはや、十五、六のむすめざかりとなりました。そして今は、お金持ち夫婦ふうふも、思うたことがみな、かないましたので、たいへん幸福こうふくに、娘と三人、を送ることができました。ところがまたまた、夫婦ふうふくらい顔をして、ためいきをつきあうようになりました。
 夫婦ふうふは、以前のときから、十六、七年ぶりで、また悲しそうな顔をして、二人ならんですわっていました。おかみさんは、娘の襦袢じゅばんえりをつけてやっていました。
「ねえ、あなた。娘のこのごろのそぶりを、あなたはへんにお思いになりませんか?」
 お金持ちは、うでぐみしていたのをほどいて、おかみさんの顔を見ながら答えました。
「うん。わしも気がついている。前には後光ごこうのさしているようだった娘の顔が、このごろでは、まるでひかりうしなってしまった。青い顔をして、すっかり元気がない。もしかすると、病気かもしれない。おまえ、何かこころあたりでもないのか?」
「いえ、わたしも何もぞんじません。このあいだも娘の部屋へやをそっとのぞいたら、さもくるしそうに、かたいきをしていましたよ。あれがもし病気にでもなって、死んでしまいでもしたら、それを考えると、わたしはもう悲しくて悲しくて……」
と、おかみさんはしまいまでいわずに、き出してしまいました。お金持ちは、さすがに男ですから、
「いや、そんなことはない。きっとなんでもないのだろう。あまり心配しんぱいするとかえって悪いよ」
と口では強くいいますが、その口の下から、
「ふふう……」
と大きなためいきをつきました。そしてまた、長いあいだ、二人はだまりこんでしまいました。やがておかみさんは、たまりかねたかして、
「ねえ、これから娘の部屋へ行って、様子を聞いてみましょう」
というて、ひざの上に乗せていた襦袢じゅばんを下へおろして、前へにじりりました。
 お金持ちはだまってうなずきました。そして、二人で娘の部屋をたずねることになりました。娘はていましたが、その首のあたりのほそくなってみすぼらしいありさまは、とてもこれがあの「かみの娘」といいはやされた娘だとは思えません。おかみさんは、かわいそうでならないというように、やさしい声で、
むすめや、娘や」
びかけました。すると今までうつうつしていた娘は、ものにつかれたように、ハッとしてさましました。そしてなにげなくき上がりかけましたが、の前の両親を見ると、きゅうに夜着よぎでからだをおおいかくしました。両親はその前にすわると、娘が風邪かぜをひかないように夜着よぎをかけてやりながら、娘にたずねました。
「おまえ、このごろ、からだをどうかしたのでありませんか?」
 娘はだまったまま、夜着よぎをきつくからだにきしめただけです。
「からだが悪いなら、どこが悪いとはっきりいうてくださいよ。お母さんは、おまえがこのごろなんだか気分ぶんのすぐれないのを見ると、心配しんぱいでたまらないから」
 娘はやっぱりだまったまま、かしらふかげていました。顔にかかるおくれを見て、母親ははおやはいとおしいと思いまして、なおもやさしく、
「ねえ、遠慮えんりょしないで、はっきりいうておくれ。お医者しゃんできてあげるから」
 娘はそれでもだまっていました。それで両親もしかたがありませんので、三人とも長いあいだだまっていました。するとやがて娘は、しくしくきはじめました。そして、両親にいろいろとなぐさめられても、きやみませんでしたが、ようやくなみだをふくと、心をきめて、両親にすっかりおはなししました。
「お父さん。お母さん。おゆるしください。お二人ともこんなに心配しんぱいしてくださっているのに、だまっていてすみません。今まで、わたし一人くよくよ思うていたので、ついご心配かけて、もうしわけありません。じつはわたしは、ただのではないのです」
と、はずかしそうに、夜着よぎをゆるめました。両親はおどろいて、ぜわしく、
「ええっ? そして、そ、それはまぁいったいどういうわけで?」
 おもわず二人とも前へにじりりました。
「このあいだから毎晩まいばん毎晩、だれとも知らぬ神々こうごうしい神さま、立派りっぱなりをして、わたしの部屋へまいります。そのかたがまいりますと、こうばしいかおりが、部屋じゅういっぱいになって、ゆめにお月さまの世界へのぼったような気がします。その人はいつもそうして、よるやってきては、わたしと二人おはなしをしたり遊んだりして、朝になると、どこへ行くのか帰ってしまいます。そのためにわたしは、こんなになりました」
「そしてその人は、どこのかたで、またなんとおっしゃるかたです?」
「それをたずねましても、そのかたはいつも、はっきりもうさないので、わたしはすこしもぞんじません」
く泣くいって、夜着よぎに顔をうずめました。両親は顔を見合みあわせました。
 そしてそのつぎのばんは、娘にいいつけて、今夜こんやそのかたがたずねてきたら、このはりをそのかたのかみしておけといいました。そのはりには、長い長いをつないでおきました。
 娘はその父母ふぼのいいつけどおり、はりをこっそりつけておきました。
 翌朝よくあさになってみると、そのはりにつけておいたが、節穴ふしあなをつきぬけているではありませんか。両親はおどろきあやしんで、し使いの者たちに、そのをたどらせました。し使いたちは、そのをたどって行きますと、漲水嶽はりみずだけというところの洞穴ほらあなの中にはいっていました。みんな、こわごわ中をのぞいて見ますと、どうでしょう。その中には、長さ二、じょうもあるかと思われる大蛇だいじゃが、とぐろいていて、その首には、あのはりがちゃんとさっていました。さっそく家へけもどったし使いたちは、夫婦ふうふに伝えました。二人は、
こまったことだ。そのかたが人間なら、どんなかたでもいい。むすめ婿むこにしてやろうと思うていたのだが……」
といって、娘の不幸ふこうをなげき悲しみました。娘もそれを聞くと悲しくなって、親子三人が途方とほうれてなげいていました。
 そののこと、娘のまくらもとに、かの大蛇だいじゃあらわれて娘にいいました。
「わたしはこの島をはじめた恋角こいつのという神である。この島のまもり神をつくりたいと思うて、このあいだから毎夜まいよ、おまえのところへあらわれたのだ。おまえはやがて、三人の女の子を生むだろう。その子どもが三つになったら、漲水嶽はりみずだけいてきなさい」
とやさしい声でいうたかと思うと、その姿すがたけむりのように消えて見えなくなりました。
 翌朝よくあさむすめはこのことを両親にはなしましたところが、二人も不思議ふしぎのことに思いまして、
「これはほんとうに不思議ふしぎなことだ。もしかしたら、神さまのおさずけかもしれない。とにかくおまえも神さまのもうし子だから、からだを大切になさい」
というて、それから娘のからだをいろいろ大切にして、気をつけていました。
 そのうちに、つきちて、娘は三人の美しい女の子を生みました。三人とも、お母さんにけないくらい美しく利口りこうだったうえに、その大きくなるのが、たいへんはやうございました。三人の女の子は、おじいさんやおばあさんやお母さんなどから、大切にりあつかわれてそだっていましたが、ゆめのように三年の月日つきひがたちました。そしてその女の子らも、三つのとしをむかえました。そこである日、娘はおげのとおりに、三人の女の子をつれて、漲水嶽はりみずだけのぼりました。漲水嶽はりみずだけでは、女の子らのお父さんである大蛇だいじゃっていましたが、その姿すがたのおそろしさは、たとえようもないくらいでした。
 その両眼りょうがんは、太陽たいようやおつきさんのように、キラキラかがやいていて、きばはするどいつるぎのようで、娘と三人の子を見ると、はりさけた大きなくちから、ほのおのようなまっしたを出し、首は石垣いしがきせかけ、御嶽おたけ石垣いしがきにふりかけて、一声ひとこえ大きくさけびましたので、これを見聞きした母親の娘は、たましいもどこかへんでしまって、三人の子を前へおくと、ちがいのようになって、山をけおりました。三人の子どもはあとに残されましたが、すこしもこわがらずにかえってなつかしそうに、なにかまわらぬしたものをいいながら、お父さんの大蛇だいじゃにはいかかり、一人は首にぶらさがり、ほかの二人は、それぞれ、どうとにはいがって、ひしときかかえました。
 大蛇だいじゃほそくして、やさしいひかりりを出しながら、さもかわゆくてならぬというふうに、まっしたを出して、ペロペロと一人一人の頭をなめました。
 やがて大蛇だいじゃは、子どもらを乗せたまま、そろそろと御嶽おたけの中にはいって行きましたが、そのまま、姿すがたは見えなくなりました。
 そののち、この三人の女の子は、宮古島みやこじままもり神となりました。そしてその三人のお父さんのかの大蛇だいじゃは、することをしてしまいましたので、やがてひかりはなって、天にのぼってしまったということです。

   七、いのちの水

    一

 むかし、大里村おおさとむら与那原よなばるというところに、貧乏びんぼう漁師りょうがありました。この漁師りょうしは、まことに正直しょうじき若者わかものでした。
 あのえるようにまっ梯梧だいごの花は、もうすでに落ちてしまって、黄金色こがねいろれた阿旦あだんが、浜の細道ほそみちにおう七月ごろのことでした。ある日のこと、そのばんはことに月が美しかったものですから、若い漁師りょうしは、仕事から帰るなり、ふらふらと海岸のほうへ出かけました。
「お父さまやお母さまが生きていられたら、今夜こんやの月をどんなにたのしく見ることができるだろう。ああ、つまらないつまらない。こんなけつくようにあつい日を、朝早くから夜おそくまではたらかねばならない。しかし今夜は、なんという美しい月だろう。お父さまやお母さまは、どこにいらっしゃるのだろうか。あの月の中にいらっしゃるんだろうか」
 あついとはいえ、盆近ぼんちかい空には、なんとなく秋らしい感じがします。若い漁師りょうしは、青々あおあおかがやいている月の空をながめながら、こんなことをいうてためいきをついていましたが、やがて、何かを思い出したらしく、
「ああそうだ。ぼんも近づいているのだから、すこし早いかもしれぬが、阿旦あだんのよくれたのからり取って、ぼんのかざりものに持って帰ろう」
とつぶやいて、いそいそと海岸の阿旦林あだんばやしのほうへ行きました。
 そのときのことでした。琉球りゅうきゅうでは、阿旦あだんのにおいは、盆祭ぼんまつりを思い出させるものですが、そのにおいにまじって、この世のものとも思えぬなんともいえない気高けだかいにおいが、どこからとなくしてきます。若い漁師りょうしは、
不思議ふしぎだな。なんというよいにおいだ。どこからするんだろうな」
と、ふとをあげて、青白い月のひかりにすかして、向こうを見ました。すると、白砂の上にゆらゆらゆれている、黒いものがあります。若い漁師りょうしはすぐに近づいて行って、いそいでそれをひろいあげました。それは、世にもまれなうつくしいつやのある、うるしのように黒いかみで、しかもあの不思議ふしぎな天国のにおいは、これからはっしているのでした。
「ああ、よいにおいだ。極楽ごくらくいているというはすの花のにおいも、きっとこんなものだろう。がしかし、だれのかみだろう? だれがいてったんだろう?」
といいながら、若い漁師りょうしは、そのかみのにおいにったものか、うっとりとそこに立ちつくしていました。

    二

 そんなことがあって二、三日してから、やはり月のあきらかなばん、かの若い漁師りょうしは、海近いおなじ場所に、ぼんやり立っていました。ふところに、あのばんかみの毛を入れているかして、すこしはみ出ているのが見えています。海を見わたすと、広々ひろびろとほのしろく、波に月のひかりがうつって、キラキラとかがやいているのでした。
 しばらくすると、どこからとなく、不思議ふしぎなにおいがしてきます。若い漁師りょうしは、おもわずふところに手を入れて、かみの毛を取り出しました。かみの毛にはやはり、心をそそるほどのかおりがあります。
「ああ、同じかおりだ」と若い漁師りょうしはさけんで、くるおしい姿すがたをして、浜辺はまべをはせまわりました。
 今まで、そこの草むらにやかましくいていた虫の声が、きゅうに止まりました。するといつのまにどこからたのか、岩陰いわかげに、美しい乙女おとめがつくねんと立っています。
「もしもし、あなたは?」
と若い漁師りょうしは、ふいに言葉をかけました。乙女おとめはその神々こうごうしい顔をこちらに向けました。するとその黒水晶くろすいしょうのように美しいひとみには、今までいていたのかして、なみだのつゆが、夜空の月にひかっていました。若い漁師りょうしはおののくむねさえて、
「どうかなすったのですか? もしやこのかみは、あなたのものではありませんか……?」
といいも終わらないうちに、乙女おとめはきゅうにかがやかしいつきをして、いかにもうれしそうに、
かみとおっしゃるのですか! わたしは今までそれを夢中むちゅうになってさがしていたのでございます。わたしのかみにちがいございません」
「ああ、そうでしたか。わたしも安心しました。さだめしご心配しんぱいでしたでしょう。どうかおおさめください」
「ありがとうございます」
おさめた乙女おとめは、何かいいたそうな顔をして、けっしかねたふうでしたが、やがて決心した様子で、
「ご迷惑めいわくかもぞんじませんが、どうか、わたしをあなたのおうちへおれなすってください。お願いでございます」
 自分の耳をうたがうくらいおどろいた若い漁師りょうしは、
「なんです? あなたをわたしの家へおもうすのでございますか? とてもとても、あなたなどのおでになるような家ではございません。あばらやです」
住居すまいなんかどうでもかまいません。早くわたしをおれください」
「おもうすことのできる家なら、よろこんでていただきたいのですが……。ああ、どうかそんなむりをおっしゃらないで今日はお帰りください。お願いです」
 すると、美しい乙女おとめの顔がきゅうにくもったかと思うと、しくしくとき出しました。若い漁師りょうしは、途方とほうれて、なぐさめるすべもしらず、ぼんやりそれを見ていました。
「わたしはもう、国へは帰れないのです。わたしは、このかみをひろったもののつまにならなければ、国のおきてにそむくことになります」
とついには、こみあげこみあげいていました。
 世にもまれな美しい女が、みじか芭蕉布ばしょうふ着物きものた、いかにもまずしいかっこうをした若い漁師りょうしのうしろについて歩いていたのは、それからしばらくしてのちのことでした。
 むさくるしい、なまぐさい家には、今までになかった麝香じゃこうのにおいにちた一夜ひとやけました。漁師りょうしは、新しい楽しい生活に、むねおどらしながら、さましました。ところが、たしかやすらかにねむっているはずの乙女おとめのすがたが見えません。漁師りょうしのおどろきと失望しつぼうとは、たとえようもなく、気絶きぜつするかと思われるくらいでした。頭を両手でかかえて、くるおしい様子をしていました。部屋にはかおり高いうつが、なお、消えもやらず、東の空には、むらさきの雲がしずかによこたわって、い緑色の海には、山影やまかげがいかにも平和にただようています。鳥のすがたも見えて、夜はすっかりけたのですが、めないのは、若い漁師りょうしゆめばかりでした。

    三

 いつのまにか、十年の月日つきひがたちました。そして、かの漁師りょうしは、かみのことも、美しい乙女おとめのことも、あの麝香じゃこうのにおいもすべて忘れて、以前のようにみすぼらしいすがたで、毎日まいにち毎日、浜へ出てはたらいていました。
 夏のある日のこと、漁師りょうしはいつものように、小舟さばねりざおを乗せて、沖合おきあいさして出かけました。その日はすこしも風がなく、青々あおあおとした海には、しずかに波を打っていました。
 ちょうどふねおきに出たと思うころ、不思議ふしぎにもふねが、ピタッと止まって、どうしても動きません。漁師りょうしは青くなって、こんかぎりの力を出していろいろやってみましたが、やはりダメでした。どうなることか、とあんぜられても、今はもうどうすることもできませんので、うんを天にまかせるつもりで、じっと考えにしずんでいますと、これはまた、さらに不思議ふしぎなことは、どこからともなく、
「お父さん」
ぶ声がします。
「おや?」
と思いましたが、
「いやいや、自分には子どもはなし、空耳そらみみだろう」
と思い返しまして、また、思案しあんれかけますと、また、今度ははっきりと、
「お父さん」
という声が、波の底から聞こえます。
「これはあやしいぞ。こんなおきに、大人おとなはおろか、子どもなどいようはずはない。それに第一、人影ひとかげが見えないじゃないか」
と自分の耳をますますうたがうて、ぼんやりしていますと、波の中から、三人のかわいらしい子どもが、ムクムクとがってきました。そして、ふねにすがりつきました。
 漁師りょうしは、あまりのおそろしさに、かいをふりあげて今にも子どもをめがけて、打ちおろそうとして身がまえました。すると子どもらは、
「お父さん、びっくりなさることはありません。お母さんのいいつけで、おむかえにきたのです」
と口々にもうしますので、漁師りょうしはいよいよおどろきあやしみまして、
「なんだ? おれ一人者ひとりものだぞ。子どもがあるはすがない。いったい、おまえたちのお母さんというのは何者なにものだ? さぁ、いうてみろ」
と、にらみつけました。
「お父さん。もし、お父さんがおまえたちを子どもでないとおっしゃったら、十年前、かみをひろってくださった女のことを思い出してくださいといえと、お母さんがいいましたよ。さあ、まちがいがないんだ。早くてください。お母さんがってるんだから」
 漁師りょうしのふりあげていたかいちからなく落ちて、漁師りょうしむねには、月にかがやく海岸、なぎさに立っていた美しい乙女おとめ、とそれからそれへと十年前のことが、はげしくしていました。そして当時のことが、まのあたりかんできて、なんだかものかなしく、つい、ホロリとするのでした。
「ああ、自分にはもう、三人の子どもがあったのか……」
と、ありありとあの乙女おとめのすがたがかんで、漁師りょうしの心は、会いたい見たいで、いっぱいになりました。いつもは、悪魔あくまのようにおそろしい大海おおうみも、今日は、楽園らくえんのように、不思議ふしぎにもなつかしく見えるのでした。
「おまえたちのいうのはよくわかった。海をわけても、火の山をこえても、ぜひとも、おまえたちのお母さんにおう。しかし、いつまでもいつまでも、海の中にいることはできない。も一度いちど、この世に帰ることができたら……」
 子どもたちに、この父の言葉がよくわかったとみえまして、
「お父さん、それは大丈夫だいじょうぶです。お帰りになりたいときには、いつでも帰れる工夫くふうがあります。耳をかしてください。教えてあげましょう」
 なにやら耳打みみうちしていましたが、漁師りょうしの顔は、きゅうに明るくかがやきました。
「さあ、こうしてしおを三べんはねてください」
と子どもたちは、右手でうしおをすくって、上にはねあげました。漁師りょうしもいわれるままに、うしおをはねあげました。
 すると不思議ふしぎではありませんか。今までに見たこともないような、立派りっぱもさめるような大きな道に立っています。道の両側りょうがわには、赤や青や色とりどりの美しいサンゴじゅの花がいています。その中をしばらく歩いて行きますと、やがて、水晶すいしょうでこしらえた大きな門のところへました。その前で止まると、子どもたちは、
「お母さん、お母さん! お父さんをれてきたよ!」
と大声でさけびました。
 おもとびらが、音もなくしずかに開きました。そこに、うつくしくかざったたくさんの腰元こしもとをしたがえて、出迎でむかえにきている女がありました。よく見るとそれは、まがうかたなく、ゆめのまも忘れたことのない、あのなつかしい十年前の乙女おとめではありませんか。漁師りょうしのおどろきは、ひととおりではありませんでした。むねはわくわくしました。二人のには、自然となみだのつゆがひかって、言葉もなくそこにたたずんでいました。
 やがて漁師りょうしは、乙女おとめに案内されて、奥御殿おくごてんへ行きました。金や銀やサンゴ、さては真珠しんじゅといったこの世のすべての宝物たからものでこしらえられた部屋のことですから、見るものすべてがまばゆく、ただもうゆめの中にいるようでした。そのうちに海山うみやまのめずらしいごちそうがはこばれました。すると、どこからともなく、音楽が聞こえてきて、おそばづかえの女たちが、つぎからつぎへおどりをおどっていきます。漁師りょうしは、この世のものならぬ美しさに、今はもううっとりとして、き世のことも何も忘れてしまいました。そして、三日三晩みばんをその龍宮りゅうぐうですごしました。
 ところが、三日三晩みばんをすごしたころ、ふと、浜にあるあばらの自分の家を思い出したものです。すると不思議ふしぎにも、きゅうに、家に帰りたくなりました。そこでこのことを乙女おとめにつげますと、
「そんなこといわないで、ぜひここにいて、いっしょう、龍宮りゅうぐうでいっしょにらしてください」
といって聞いてくれません。
 ところが、乙女おとめの心づくしも、せつなる願いも、男の帰りたいという心をどうすることもできませんでした。乙女おとめはしかたなく、
「そんなにお帰りになりたいのでしたら、わたしも、このうえおもうしはいたしません。そのかわり、おわかれのしるしにおみやげをさしあげましょう」
といって、黄金こがねのおぼんに、白金しろかねをいっぱいったのをさし出しました。
 漁師りょうし龍宮りゅうぐうへくるときに、帰りたいときには、こうせよと子どもに何ごとかを教えられていましたので、そのことを思い出したものですから、
「いや、そんなものはほしくありません。お返しいたしましょう」
といって返しました。そんならというので、今度は、白金しろかねのおぼん黄金こがねをいっぱいったのを出しました。男はそれも受け取りませんでした。とうとう乙女おとめは、
「そんなら、やむをません。あなたのおのぞみのものをさしあげましょう。ご遠慮えんりょなく、なんでもおのぞみのものをおっしゃってください」
もうしましたので、子どもに教わっていたようにとこゆびさしながら、
「あのつえひさごとをください」
もうしました。
 乙女おとめはしばらく、こまったようなふうをしていましたが、思いきってそれを男にあたえました。そしていいますのには、
「このつえは、あなたがほしいと思うものがあるときには、なんでものぞみをかなえてくれるたっといものですから、ほしいものを出したいときには、三べんってください。また、このひさごには、いのちの水がいっぱい入っています。これを飲んでいると、うものがなくても、いつまでも生きていられます。あなたはこれを使うときがありましょうから、さしあげておきましょう。また会うときのしるべともなりましょう」
 こうして男は、乙女おとめや子どもらにわかれをつげて、たくさんの腰元こしもとに送られながら、門を出ました。そこには、なつかしい自分の小舟さばねっています。さっそく乗りうつって、つえを高くふりあげると、ムクムクとき上がったかとおもうと、いつのまにか、りくいていました。

    四

 男はふたたび故郷こきょうの土をふむことができました。大空のおさまには、なんの変わりもありませんでした。それなのに、浜辺はまべの様子がちがっていて、かの阿旦あだん葉陰はかげもなければ、梯梧だいごの赤い花もありませんでした。男は、わずか三日三晩みばんぐらいで、こんなに世のさまがわろうはずはない、と不思議ふしぎに思いながら、わがをさして帰って行きました。しばらくすると、男は、
「あっ!」
とさけび声をあげました。そして、あっけにとられたような顔をして、そこに立ちつくしています。まぁ、お聞きなさい。それもそのはずなのです。三日前まであったはずのあの漁師りょうしのあばらは、そこにはかげかたちもなくて、わずかに屋敷やしきあとらしく、土台石どだいいしが残っていて、ツルクサがのびかかって、草がぼうぼうとえています。そのうえに村の人には、だれ一人知っている者もありません。あまりの不思議ふしぎさに、自分の家のことを聞いてみました。
「ああ、あの家ですか。わたしらも子どもの時分じぶん、昔ばなしとして聞きましたが、なんでも漁師りょうしの家があったそうです。そうですね。二、三百年もむかしのことらしいですから、くわしいことはだれも知りますまいよ」
 漁師りょうしは二度びっくりしました。漁師りょうしが、三日と思うていたのは、この世の三十三代もているのでした。
 漁師りょうしはしばらく、わがのあとに立っていましたが、かの乙女おとめにもらうたつえを思い出し、もとのわがを」と願いながら、つえを三べんふりますと、不思議ふしぎにも、むかしながらのなつかしい自分の家が、そこにできました。
 漁師りょうしはやっと、住みができましたので、おちつくことができましたが、食べるものとてはなにひとつありません。しかし、あのひさごの水によって、不自由なく、生きてゆかれました。
 こんなことをしているうちに、不思議ふしぎな男の評判ひょうばんが、それからそれへ伝わりました。
「食べずに生きる。つえをふって家をこしらえる。これはきっと、人間ではあるまい。おけのしわざだ」
というので、ものずきな人間の多い世の中のことですから、ほんとうかうそかをたしかめにくる若い人たちで、毎日、漁師りょうしの家のまわりは、いっぱいでした。
 ある日、若者わかものの一人が、みなの者にめいじ、男をとらえようとして、ドヤドヤと家に大勢おおぜい入りこんできました。男は、ただならぬ様子にびっくりして、いっさんにげ出しました。
 若者わかものたちは、てんでにぼうを持って、男のうしろをいかけました。そのうちに、漁師りょうしの男は、げ場をうしなって、うろうろしているはずみに、ものにつまずいてたおれました。そのとたんに、首にかけていたヒョウタンが、こなみじんにこわれて、いのちの水は、どんどん流れ出してしまいました。若者わかものどもは、たおれた男をとりおさえようとして、りかかりましたが、そこには不思議ふしぎな男のすがたはなくて、に深くつきさったつえだけが残っていました。
 ただいま、与那原よなばる拝所はいしょの森に、とくに、しめなわのってあるくわ古木こぼくが、このつえ生長せいちょうしたものだそうです。



底本:『日本昔話集(下)12』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年8月20日発行
親本:『日本昔話集(下)』日本兒童文庫、アルス
   1929(昭和4)年4月3日発行
※ 親本奥付にある「童話集」は「昔話集」の誤植か。
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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日本昔話集 沖繩篇(二)

伊波普猷

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)序《じよ》にかへて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)普猷《はゆう》[#「はゆう」は底本のまま]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)とう/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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   六、島《しま》の守《まも》り神《がみ》

 昔々《むかし/\》、大昔《おほむかし》、というたら、皆《みな》さんはもう、
「その先《さき》は、わかつてる」
といふかも知《し》れませんが、しかし、その先《さき》をよく聞《き》いて御覽《ごらん》なさい。
 さて、昔々《むかし/\》大昔《おほむかし》、宮古島《みやこじま》の平良《ぴさら》といふ村《むら》のすみや[#「すみや」に傍点]といふ所《ところ》に、一人《ひとり》のお金持《かねも》ちが住《す》んでゐました。その人《ひと》は、おかみさんと二人《ふたり》暮《くら》しで、財産《ざいさん》がたくさんあるものですから、お金《かね》なんかは、馬《うま》に食《く》はせるほども持《も》つてゐたものですから、なんの不足《ふそく》もなくその日《ひ》/\を送《おく》つてゐました。おいしい物《もの》が食《た》べたいと思《おも》へばすぐ食《た》べられるし、また何《なに》か見《み》たいと思《おも》ふ時《とき》には、召《め》し使《つか》ひの者《もの》がちゃんと連《つ》れて行《い》つて、見《み》せてくれます。そんなふうですから二人《ふたり》の間《あひだ》には、何一《なにひと》つとして、厭《いや》なことゝか、辛《つら》いことなどはありませんでした。
 ところが、こんな幸福《こうふく》な二人《ふたり》にも、たった一《ひと》つだけ、自分《じぶん》たちの思《おも》ふ通《とほ》りにならぬ、不幸《ふこう》なことがあつたのです。
 ある日《ひ》、おかみさんが、お金持《かねも》ちにいひました。
「ねえあなた。なぜ二人《ふたり》には子供《こども》が生《うま》れないのでせう」
 するとお金持《かねも》ちは、急《きゆう》に、眉《まゆ》をひそめて腕組《うでぐ》みしながら、
「ふゝう」
と溜《た》め息《いき》をつきました。それから二人《ふたり》とも默《だま》つたまゝ、長《なが》い間《あひだ》、前《まへ》を見《み》つめてゐました。こんなことは、實《じつ》はこの日《ひ》が初《はじ》めではなかつたのです。今《いま》までにも、なんべんも二人《ふたり》の間《あひだ》に起《おこ》つたことなのです。
 大《だい》ぶ長《なが》い間《あひだ》たつてから、やっと、お金持《かねも》ちがいひました。
「とにかく、もうこの上《うへ》はたゞ、一《いつ》しょうけんめいに、神樣《かみさま》にお縋《すが》り申《まを》すより仕方《しかた》がない」
 するとおかみさんも、それよりもよい思案《しあん》がなかつたものか、それに賛成《さんせい》しました。
 その翌日《よくじつ》から、二人《ふたり》は今《いま》までよりもいっそう眞劒《しんけん》になつて、神樣《かみさま》におまゐりして、お願《ねが》ひしました。
 それは/\二人《ふたり》とも大《たい》へん一《いつ》しょうけんめいでして、しまひには寢言《ねごと》にまで、
「どうか早《はや》く子供《こども》が生《うま》れますように」
といふくらゐだつたので、神樣《かみさま》も二人《ふたり》の熱心《ねつしん》さに感心《かんしん》せられたのでせう。暫《しばら》くしてから、おかみさんは、美《うつく》しい玉《たま》のような女《をんな》の子《こ》を生《う》みました。何《なに》しろあれだけ欲《ほ》しがつてゐた子供《こども》ですから、ほんとうに、眼《め》の中《なか》に入《い》れても痛《いた》くなかつたに違《ちが》ひありません。
 さうして二人《ふたり》は、その女《をんな》の子《こ》を大切《たいせつ》に育《そだ》てましたが、生《うま》れつきが至《いた》つて利口《りこう》な上《うへ》に、その顏容《かほかたち》の美《うつく》しいことは、女神《めがみ》のようでしたので、近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》は、いつのまにかその女《をんな》の子《こ》を『神《かみ》の娘《むすめ》』と呼《よ》んでゐました。そして近所《きんじよ》の人々《ひと/″\》をはじめ、遠《とほ》くから聞《き》き傳《つた》へて、わざわざ見《み》に來《き》た人《ひと》まで誰《たれ》一人《ひとり》賞《ほ》めぬものはなく、しまひには、村中《むらじゆう》はおろか、近郷《きんごう》近在《きんざい》の評判娘《ひようばんむすめ》になりました。
 兩親《りようしん》も娘《むすめ》がそんなふうなので、非常《ひじよう》に嬉《うれ》しく、早《はや》く大《おほ》きくなつたら、いゝお婿《むこ》さんを貰《もら》うて、家《いへ》を繼《つ》がせようと樂《たの》しみにしてゐました。
 そのうちに、月日《つきひ》のたつのは早《はや》いもので、その娘《むすめ》もはや、十五六《じゆうごろく》の娘盛《むすめざか》りとなりました。そして今《いま》は、お金持《かねも》ち夫婦《ふうふ》も、思《おも》うたことが皆《みな》適《かな》ひましたので、大《たい》へん幸福《こうふく》に、娘《むすめ》と三人《さんにん》日《ひ》を送《おく》ることが出來《でき》ました。ところがまた/\、夫婦《ふうふ》が暗《くら》い顏《かほ》をして、溜《た》め息《いき》をつき合《あ》ふようになりました。
 夫婦《ふうふ》は、以前《いぜん》の時《とき》から、十六七年《じゆうろくしちねん》ぶりで、また悲《かな》しそうな顏《かほ》をして、二人《ふたり》並《なら》んで坐《すわ》つてゐました。おかみさんは、娘《むすめ》の着《き》る襦袢《じゆばん》の襟《えり》をつけてやつてゐました。
「ねえあなた。娘《むすめ》のこの頃《ごろ》のそぶりをあなたはにへん[#「にへん」は底本のまま]お思《おも》ひになりませんか」
 お金持《かねも》ちは、腕組《うでぐ》みしてゐたのをほどいて、おかみさんの顏《かほ》を見《み》ながら答《こた》へました。
「うん。わしも氣《き》がついてゐる。前《まへ》には後光《ごこう》のさしてゐるようだつた娘《むすめ》の顏《かほ》が、この頃《ごろ》では、まるで光《ひか》りを失《うしな》つてしまつた。青《あを》い顏《かほ》をして、すっかり元氣《げんき》がない。もしかすると、病氣《びようき》かも知《し》れない。お前《まへ》、何《なに》か心當《こゝろあた》りでもないのか」
「いえ、私《わたし》も何《なに》も存《ぞん》じません。この間《あひだ》も娘《むすめ》の部屋《へや》をそっと覗《のぞ》いたら、さも苦《くる》しそうに、肩《かた》で息《いき》をしてゐましたよ。あれがもし病氣《びようき》にでもなつて、死《し》んでしまひでもしたら、それを考《かんが》へると、私《わたし》はもう悲《かな》しくて/\」
とおかみさんは終《しま》ひまでいはずに、泣《な》き出《だ》してしまひました。お金持《かねも》ちは、さすがに男《をとこ》ですから、
「いやそんなことはない。きっとなんでもないのだらう。あまり心配《しんぱい》するとかへって惡《わる》いよ」
と口《くち》では強《つよ》くいひますが、その口《くち》の下《した》から、
「ふゝう」
と大《おほ》きな溜《た》め息《いき》をつきました。そしてまた、長《なが》い間《あひだ》、二人《ふたり》はだまり込《こ》んでしまひました。やがておかみさんは、たまりかねたかして、
「ねえ、これから娘《むすめ》の部屋《へや》へ行《い》つて、樣子《ようす》を聞《き》いて見《み》ませう」
というて、膝《ひざ》の上《うへ》に乘《の》せてゐた襦袢《じゆばん》を下《した》へおろして、前《まへ》へにじり寄《よ》りました。
 お金持《かねも》ちは默《だま》つてうなづきました。そして、二人《ふたり》で娘《むすめ》の部屋《へや》を訪《たづ》ねることになりました。娘《むすめ》は寢《ね》てゐましたが、その首《くび》のあたりの細《ほそ》くなつてみすぼらしい有《あ》り樣《さま》は、とてもこれがあの『神《かみ》の娘《むすめ》』といひはやされた娘《むすめ》だとは思《おも》へません。おかみさんは、かわいそうでならないといふように、やさしい聲《こゑ》で、
「娘《むすめ》や、娘《むすめ》や」
と呼《よ》びかけました。すると今《いま》までうつ/\してゐた娘《むすめ》は、物《もの》につかれたように、はっとして眼《め》を覺《さま》しました。そして何氣《なにげ》なく起《お》き上《あが》りかけましたが、眼《め》の前《まへ》の兩親《りようしん》を見《み》ると急《きゆう》に夜着《よぎ》でからだを覆《おほ》ひ隱《かく》しました。兩親《りようしん》はその前《まへ》に坐《すわ》ると、娘《むすめ》が風《かぜ》をひかないように夜着《よぎ》をかけてやりながら、娘《むすめ》に訊《たづ》ねました。
「お前《まへ》、このごろ、からだをどうかしたのでありませんか」
 娘《むすめ》は默《だま》つたまゝ、夜着《よぎ》をきつくからだに引《ひ》きしめたゞけです。
「からだが惡《わる》いなら、どこが惡《わる》いとはっきりいうて下《くだ》さいよ。お母《かあ》さんは、お前《まへ》がこの頃《ごろ》なんだか氣分《きぶん》のすぐれないのを見《み》ると、心配《しんぱい》でたまらないから」
 娘《むすめ》はやっぱり默《だま》つたまゝ、頭《かしら》を深《ふか》く下《さ》げてゐました。顏《かほ》にかゝる後《おく》れ毛《げ》を見《み》て、母親《はゝおや》はいとほしいと思《おも》ひまして、なほもやさしく、
「ねえ、遠慮《えんりよ》しないで、はっきりいうておくれ。お醫者《いしや》を呼《よ》んで來《き》てあげるから」
 娘《むすめ》はそれでも默《だま》つてゐました。それで兩親《りようしん》も仕方《しかた》がありませんので、三人《さんにん》とも長《なが》い間《あひだ》默《だま》つてゐました。するとやがて娘《むすめ》は、しく/\泣《な》き始《はじ》めました。そして、兩親《りようしん》にいろ/\と慰《なぐさ》められても、泣《な》きやみませんでしたが、やうやく涙《なみだ》を拭《ふ》くと、心《こゝろ》をきめて、兩親《りようしん》にすっかりお話《はなし》しました。
「お父《とう》さん。お母《かあ》さん。お許《ゆる》し下《くだ》さい。お二人《ふたり》ともこんなに心配《しんぱい》して下《くだ》さつてゐるのに、默《だま》つてゐてすみません。今《いま》まで私《わたし》一人《ひとり》くよ/\思《おも》うてゐたので、つい御心配《ごしんぱい》かけて、申《まを》しわけありません。實《じつ》は私《わたし》は、たゞの身《み》ではないのです」
と恥《は》づかしそうに、夜着《よぎ》をゆるめました。兩親《りようしん》は驚《おどろ》いて、氣《き》ぜはしく、
「えゝっ、そして、そ、それはまぁ一《いつ》たいどういふわけで」
 思《おも》はず二人《ふたり》とも前《まへ》へにじり寄《よ》りました。
「この間《あひだ》から毎晩《まいばん》々々《/\》、誰《たれ》とも知《し》らぬ神々《かう/\》しい神樣《かみさま》、立派《りつぱ》な裝《なり》をして、私《わたし》の部屋《へや》へまゐります。その方《かた》がまゐりますと、香《かうば》しい香《かを》りが、部屋中《へやじゆう》一《いち》ぱいになつて、夢《ゆめ》にお月樣《つきさま》の世界《せかい》へ上《のぼ》つたような氣《き》がします。その人《ひと》はいつもさうして、夜《よる》やつて來《き》ては、私《わたし》と二人《ふたり》お話《はなし》をしたり遊《あそ》んだりして、朝《あさ》になると、どこへ行《い》くのか歸《かへ》つてしまひます。そのために私《わたし》は、こんな身《み》になりました」
「そしてその人《ひと》は、どこの方《かた》で、またなんとおつしやる方《かた》です」
「それを訊《たづ》ねましても、その方《かた》はいつも、はっきり申《まを》さないので、私《わたし》は少《すこ》しも存《ぞん》じません」
と泣《な》く/\いつて、夜着《よぎ》に顏《かほ》を埋《うづ》めました。兩親《りようしん》は顏《かほ》を見合《みあは》せました。
 そしてその次《つ》ぎの晩《ばん》は、娘《むすめ》にいひつけて、今夜《こんや》その方《かた》が訪《たづ》ねて來《き》たら、この針《はり》をその方《かた》の髪《かみ》に刺《さ》しておけといひました。その針《はり》には、長《なが》い/\苧《を》をつないでおきました。
 娘《むすめ》はその夜《よ》、父母《ふぼ》のいひつけ通《どほ》り、針《はり》をこっそりつけておきました。
 翌朝《よくあさ》になつて見《み》ると、その針《はり》につけておいた苧《を》が戸《と》の節穴《ふしあな》をつき拔《ぬ》けてゐるではありませんか、[#読点は底本のまま]兩親《りようしん》は驚《おどろ》き怪《あや》しんで、召《め》し使《つか》ひの者《もの》たちに、その苧《を》を辿《たど》らせました。召《め》し使《つか》ひたちは、その苧《を》を辿《たど》つて行《い》きますと、漲水嶽《はりみづだけ》といふ所《ところ》の洞穴《ほらあな》の中《なか》にはひつてゐました。皆《みんな》、恐々《こは/″\》中《なか》を覗《のぞ》いて見《み》ますと、どうでせう。その中《なか》には、長《なが》さ二三丈《にさんじよう》もあるかと思《おも》はれる大蛇《だいじや》が、とぐろ[#「とぐろ」に傍点]を卷《ま》いてゐて、その首《くび》には、あの針《はり》がちゃんと刺《さ》さつてゐました。さっそく家《いへ》へ駈《か》け戻《もど》つた召《め》し使《つか》ひたちは、夫婦《ふうふ》に傳《つた》へました。二人《ふたり》は、
「困《こま》つたことだ。その方《かた》が人間《にんげん》なら、どんな方《かた》でもいゝ。娘《むすめ》の婿《むこ》にしてやらうと思《おも》うてゐたのだが」
といつて、娘《むすめ》の不幸《ふこう》を嘆《なげ》き悲《かな》しみました。娘《むすめ》もそれを聞《き》くと悲《かな》しくなつて、親子《おやこ》三人《さんにん》が途方《とほう》に暮《く》れて嘆《なげ》いてゐました。
 その夜《よ》のこと、娘《むすめ》の枕許《まくらもと》に、かの大蛇《だいじや》が現《あらは》れて娘《むすめ》にいひました。
「私《わたし》はこの島《しま》を創《はじ》めた戀角《こひつの》といふ神《かみ》である。この島《しま》の守《まも》り神《がみ》を造《つく》りたいと思《おも》うて、この間《あひだ》から毎夜《まいよ》、お前《まへ》のところへあらはれたのだ。お前《まへ》はやがて、三人《さんにん》の女《をんな》の子《こ》を生《う》むだらう。その子《こ》どもが三《みつ》つになつたら、漲水嶽《はりみづだけ》へ抱《だ》いて來《き》なさい」
とやさしい聲《こゑ》でいうたかと思《おも》ふと、その姿《すがた》は煙《けむ》りのように消《き》えて見《み》えなくなりました。
 翌朝《よくあさ》娘《むすめ》は、このことを兩親《りようしん》に話《はな》しましたところが、二人《ふたり》も不思議《ふしぎ》のことに思《おも》ひまして、
「これはほんとうに不思議《ふしぎ》なことだ。もしかしたら、神樣《かみさま》のお授《さづ》けかも知《し》れない。とにかくお前《まへ》も神樣《かみさま》の申《まを》し子《こ》だから、からだを大切《たいせつ》になさい」
というて、それから娘《むすめ》のからだをいろ/\大切《たいせつ》にして、氣《き》をつけてゐました。
 そのうちに、月《つき》滿《み》ちて、娘《むすめ》は三人《さんにん》の美《うつく》しい女《をんな》の子《こ》を生《う》みました。三人《さんにん》とも、お母《かあ》さんに負《ま》けないくらゐ美《うつく》しく利口《りこう》だつた上《うへ》に、その大《おほ》きくなるのが、大《たい》へん早《はや》うございました。三人《さんにん》の女《をんな》の子《こ》は、お祖父《ぢい》さんやお祖母《ばあ》さんやお母《かあ》さんなどから大切《たいせつ》に取《と》り扱《あつか》はれて育《そだ》つてゐましたが、夢《ゆめ》のように三年《さんねん》の月日《つきひ》が立《た》ちました。そしてその女《をんな》の子《こ》らも、三《みつ》つの歳《とし》を迎《むか》へました。そこである日《ひ》、娘《むすめ》はお告《つ》げの通《とほ》りに、三人《さんにん》の女《をんな》の子《こ》を連《つ》れて、漲水嶽《はりみづだけ》に登《のぼ》りました。漲水嶽《はりみづだけ》では、女《をんな》の子《こ》らのお父《とう》さんである大蛇《だいじや》が待《ま》つてゐましたが、その姿《すがた》の恐《おそ》ろしさは、譬《たと》へようもないくらゐでした。
 その兩眼《りようがん》は、太陽《たいよう》やお月《つき》さんのように、きら/\輝《かゞや》いてゐて、牙《きば》は鋭《するど》い劒《つるぎ》のようで、娘《むすめ》と三人《さんにん》の子《こ》を見《み》ると、張《は》り裂《さ》けた大《おほ》きな口《くち》から、焔《ほのほ》のような眞赤《まつか》な舌《した》を出《だ》し、首《くび》は、石垣《いしがき》に乘《の》せかけ、尾《を》は御嶽《おたけ》の石垣《いしがき》に振《ふ》りかけて、一聲《ひとこゑ》大《おほ》きく叫《さけ》びましたので、これを見聞《みき》きした母親《はゝおや》の娘《むすめ》は、魂《たましひ》もどこかへ吹《ふ》っ飛《と》んでしまつて、三人《さんにん》の子《こ》を前《まへ》へ置《お》くと、氣狂《きちが》ひのようになつて、山《やま》を駈《か》け下《お》りました。三人《さんにん》の子供《こども》は後《あと》に殘《のこ》されましたが、少《すこ》しも怖《こは》がらずにかへってなつかしそうに、何《なに》か廻《まは》らぬ舌《した》で物《もの》をいひながら、お父《とう》さんの大蛇《だいじや》に這《は》ひかゝり、一人《ひとり》は首《くび》にぶら下《さが》り、他《ほか》の二人《ふたり》は、それ/″\、胴《どう》と尾《を》とに這《は》ひ上《あが》つて、ひしと抱《だ》きかゝへました。
 大蛇《だいじや》も眼《め》を細《ほそ》くして、やさしい光《ひかり》りを出《だ》しながら、さもかわゆくてならぬといふ風《ふう》に、眞赤《まつか》な舌《した》を出《だ》して、ぺろ/\と一人《ひとり》々々《/\》の頭《あたま》を舐《な》めました。
 やがて大蛇《だいじや》は、子供《こども》らを乘《の》せたまゝ、そろ/\と御嶽《おたけ》の中《なか》にはひつて行《い》きましたが、そのまゝ、姿《すがた》は見《み》えなくなりました。
 その後《のち》、この三人《さんにん》の女《をんな》の子《こ》は、宮古島《みやこじま》の守《まも》り神《がみ》となりました。そしてその三人《さんにん》のお父《とう》さんのかの大蛇《だいじや》は、することをしてしまひましたので、やがて光《ひかり》を放《はな》つて、天《てん》に上《のぼ》つてしまつたといふことです。

   七、命《いのち》の水《みづ》

    一

 昔《むかし》、大里村《おほさとむら》の與那原《よなばる》といふ所《ところ》に、貧乏《びんぼう》な漁師《りようし》がありました。この漁師《りようし》は、まことに正直《しようじき》な若者《わかもの》でした。
 あの燃《も》えるように眞赤《まつか》な梯梧《だいご》の花《はな》は、もう既《すで》に落《お》ちてしまつて、黄金色《こがねいろ》に熟《う》れた阿旦《あだん》の實《み》が、濱《はま》の細道《ほそみち》に匂《にほ》ふ七月《しちがつ》頃《ごろ》のことでした。ある日《ひ》のこと、その晩《ばん》はことに、月《つき》が美《うつく》しかつたものですから、若《わか》い漁師《りようし》は、爲事《しごと》から歸《かへ》るなり、ふら/\と海岸《かいがん》の方《ほう》へ出《で》かけました。
「お父《とう》さまやお母《かあ》さまが、生《い》きてゐられたら、今夜《こんや》の月《つき》をどんなに樂《たの》しく見《み》ることが出來《でき》るだらう。あゝ、つまらない/\。こんな燒《や》けつくように暑《あつ》い日《ひ》を、朝《あさ》早《はや》くから夜《よる》おそくまで働《はたら》かねばならない。しかし今夜《こんや》は、なんといふ美《うつく》しい月《つき》だらう。お父《とう》さまやお母《かあ》さまは、どこにいらつしやるのだらうか。あの月《つき》の中《なか》にいらつしやるんだらうか」
 暑《あつ》いとはいへ、盆近《ぼんちか》い空《そら》には、なんとなく秋《あき》らしい感《かん》じがします。若《わか》い漁師《りようし》は、青々《あを/\》と輝《かゞや》いてゐる月《つき》の空《そら》を眺《なが》めながら、こんなことをいうて溜《た》め息《いき》をついてゐましたが、やがて、何《なに》かを思《おも》ひ出《だ》したらしく、
「あゝさうだ。盆《ぼん》も近《ちか》づいてゐるのだから、少《すこ》し早《はや》いかも知《し》れぬが、阿旦《あだん》の實《み》のよく熟《う》れたのから選《え》り取《と》つて、盆《ぼん》の飾《かざ》り物《もの》に持《も》つて歸《かへ》らう」
と呟《つぶや》いて、いそ/\と海岸《かいがん》の阿旦林《あだんばやし》の方《ほう》へ行《ゆ》きました。
 その時《とき》のことでした。琉球《りゆうきゆう》では、阿旦《あだん》の實《み》の匂《にほ》ひは、盆祭《ぼんまつ》りを思《おも》ひ出《だ》させるものですが、その匂《にほ》ひに交《まじ》つて、この世《よ》のものとも思《おも》へぬなんともいへない氣高《けだか》い匂《にほ》ひが、どこからとなくして來《き》ます。若《わか》い漁師《りようし》は、
「不思議《ふしぎ》だな。なんといふよい匂《にほ》ひだ。どこからするんだらうな」
とふと眼《め》をあげて、青白《あをじろ》い月《つき》の光《ひか》りに透《すか》して、向《むか》うを見《み》ました。すると、白砂《しらすな》の上《うへ》に、ゆらゆら搖《ゆ》れてゐる、黒《くろ》いものがあります。若《わか》い漁師《りようし》はすぐに近《ちか》づいて行《い》つて、急《いそ》いでそれを拾《ひろ》ひ上《あ》げました。それは、世《よ》にも稀《まれ》な美《うつく》しいつや[#「つや」に傍点]のある、漆《うるし》のように黒《くろ》い髪《かみ》で、しかもあの不思議《ふしぎ》な天國《てんごく》の匂《にほ》ひは、これから發《はつ》してゐるのでした。
「あゝよい匂《にほ》ひだ。極樂《ごくらく》に咲《さ》いてゐるといふ蓮《はす》の花《はな》の匂《にほ》ひも、きっとこんなものだらう。がしかし、誰《たれ》の髪《かみ》だらう。誰《たれ》が置《お》いて行《い》つたんだらう」
といひながら、若《わか》い漁師《りようし》は、その髪《かみ》の匂《にほ》ひに醉《よ》つたものか、うっとりとそこに立《た》ちつくしてゐました。

    二

 そんなことがあつて二三日《にさんにち》してから、やはり、月《つき》の明《あきら》かな晩《ばん》、かの若《わか》い漁師《りようし》は、海《うみ》近《ちか》い同《おな》じ場所《ばしよ》に、ぼんやり立《た》つてゐました。懷《ふところ》に、あの晩《ばん》の髪《かみ》の毛《け》を入《い》れてゐるかして、少《すこ》しはみ出《で》てゐるのが見《み》えてゐます。海《うみ》を見渡《みわた》すと、廣々《ひろ/″\》とほの白《しろ》く、波《なみ》に月《つき》の光《ひか》りが映《うつ》つて、きら/\と輝《かゞや》いてゐるのでした。
 暫《しばら》くすると、どこからとなく、不思議《ふしぎ》な匂《にほ》ひがして來《き》ます。若《わか》い漁師《りようし》は、思《おも》はず懷《ふところ》に手《て》を入《い》れて、髪《かみ》の毛《け》を取《と》り出《だ》しました。髪《かみ》の毛《け》にはやはり、心《こゝろ》をそゝるほどの香《かを》りがあります。
「あゝ同《おな》じ香《かを》りだ」と若《わか》い漁師《りようし》は叫《さけ》んで、狂《くる》ほしい姿《すがた》をして、濱邊《はまべ》を馳《は》せ廻《まは》りました。
 今《いま》まで、そこの草叢《くさむら》に、喧《やかま》しく鳴《な》いてゐた蟲《むし》の聲《こゑ》が、急《きゆう》に止《とま》りました。するといつのまにどこから來《き》たのか、岩陰《いはかげ》に、美《うつく》しい乙女《をとめ》がつくねんと立《た》つてゐます。
「もし/\あなたは」
と若《わか》い漁師《りようし》は、ふいに言葉《ことば》をかけました。乙女《をとめ》はその神々《かう/″\》しい顏《かほ》をこちらに向《む》けました。するとその黒水晶《くろすいしよう》のように美《うつく》しい瞳《ひとみ》には、今《いま》まで泣《な》いてゐたのかして、涙《なみだ》の露《つゆ》が、夜空《よぞら》の月《つき》に光《ひか》つてゐました。若《わか》い漁師《りようし》は戰《をのゝ》く胸《むね》を押《おさ》へて、
「どうかなすつたのですか。もしやこの髪《かみ》は、あなたのものではありませんか」
といひも終《をは》らないうちに、乙女《をとめ》は急《きゆう》に輝《かゞや》かしい眼《め》つきをして、いかにも嬉《うれ》しそうに、
「髪《かみ》とおつしやるのですか。私《わたし》は今《いま》までそれを夢中《むちゆう》になつて探《さが》してゐたのでございます。私《わたし》の髪《かみ》に違《ちが》ひございません」
「あゝさうでしたか。私《わたし》も安心《あんしん》しました。定《さだ》めし御心配《ごしんぱい》でしたでせう。どうかお納《をさ》め下《くだ》さい」
「ありがたうございます」
と納《をさ》めた乙女《をとめ》は、何《なに》かいひたそうな顏《かほ》をして、けっしかねたふうでしたが、やがて決心《けつしん》した樣子《ようす》で、
「御迷惑《ごめいわく》かも存《ぞん》じませんが、どうか私《わたし》をあなたのおうちへお連《つ》れなすつて下《くだ》さい。お願《ねが》ひでございます」
 自分《じぶん》の耳《みゝ》を疑《うたが》ふくらゐ驚《おどろ》いた若《わか》い漁師《りようし》は、
「なんです。あなたを私《わたし》の家《いへ》へお連《つ》れ申《まを》すのでございますか。とても/\、あなたなどのお出《い》でになるような家《いへ》ではございません。あばらや[#「あばらや」に傍点]です」
「住居《すまゐ》なんかどうでも構《かま》ひません。早《はや》く私《わたし》をお連《つ》れ下《くだ》さい」
「お連《つ》れ申《まを》すことの出來《でき》る家《いへ》なら、喜《よろこ》んで來《き》て戴《いたゞ》きたいのですが。あゝどうかそんなむりをおつしやらないで今日《けふ》はお歸《かへ》り下《くだ》さい。お願《ねが》ひです」
 すると、美《うつく》しい乙女《をとめ》の顏《かほ》が急《きゆう》に曇《くも》つたかと思《おも》ふと、しく/\と泣《な》き出《だ》しました。若《わか》い漁師《りようし》は、途方《とほう》に暮《く》れて、慰《なぐさ》める術《すべ》も知《し》らず、ぼんやりそれを見《み》てゐました。
「私《わたし》はもう國《くに》へは歸《かへ》れないのです。私《わたし》は、この髪《かみ》を拾《ひろ》つたものゝ妻《つま》にならなければ、國《くに》の掟《おきて》に叛《そむ》くことになります」
と遂《つひ》には、こみ上《あ》げ/\泣《な》いてゐました。
 世《よ》にも稀《まれ》な、美《うつく》しい女《をんな》が、短《みじか》い芭蕉布《ばしようふ》の着物《きもの》を着《き》た、いかにも貧《まづ》しい恰好《かつこう》をした、若《わか》い漁師《りようし》の後《うしろ》について歩《ある》いてゐたのは、それから暫《しばら》くして後《のち》のことでした。
 むさ苦《くる》しい、生臭《なまぐさ》ひ家《いへ》には、今《いま》までになかつた麝香《じやこう》の匂《にほ》ひに滿《み》ちた一夜《ひとや》が明《あ》けました。漁師《りようし》は、新《あたら》しい樂《たの》しい生活《せいかつ》に、胸《むね》を躍《をど》らしながら、眼《め》を覺《さま》しました。ところが、確《たしか》安《やす》らかに眠《ねむ》つてゐるはずの乙女《をとめ》の姿《すがた》が見《み》えません。漁師《りようし》の驚《おどろ》きと失望《しつぼう》とは、譬《たと》へようもなく、氣絶《きぜつ》するかと思《おも》はれるくらゐでした。頭《あたま》を兩手《りようて》で抱《かゝ》へて、狂《くる》ほしい樣子《ようす》をしてゐました。部屋《へや》には香《かを》り高《たか》い移《うつ》り香《か》が、なほ、消《き》えもやらず、東《ひがし》の空《そら》には、紫《むらさき》の雲《くも》が靜《しづ》かに横《よこた》はつて、濃《こ》い緑色《みどりいろ》の海《うみ》には、山影《やまかげ》がいかにも平和《へいわ》に漂《たゞよ》うてゐます。鳥《とり》の姿《すがた》も見《み》えて、夜《よる》はすっかり明《あ》けたのですが、覺《さ》めないのは、若《わか》い漁師《りようし》の夢《ゆめ》ばかりでした。

    三

 いつのまにか、十年《じゆうねん》の月日《つきひ》がたちました。そして、かの漁師《りようし》は、髪《かみ》のことも、美《うつく》しい乙女《をとめ》のことも、あの麝香《じやこう》の匂《にほ》ひもすべて忘《わす》れて、以前《いぜん》のようにみすぼらしい姿《すがた》で、毎日《まいにち》々々《/\》濱《はま》へ出《で》て働《はたら》いてゐました。
 夏《なつ》のある日《ひ》のこと、漁師《りようし》はいつものように、小舟《さばね》に釣《つ》り竿《ざを》を乘《の》せて、沖合《おきあ》ひさして出《で》かけました。その日《ひ》は少《すこ》しも風《かぜ》がなく、青々《あを/\》とした海《うみ》には、靜《しづ》かに波《なみ》を打《う》つてゐました。
 ちようど舟《ふね》が沖《おき》に出《で》たと思《おも》ふ頃《ころ》、不思議《ふしぎ》にも舟《ふね》が、ぴたっと止《と》まつて、どうしても動《うご》きません。漁師《りようし》は青《あを》くなつて、根《こん》かぎりの力《ちから》を出《だ》して、いろ/\やつて見《み》ましたが、やはりだめでした。どうなることか、と案《あん》ぜられても、今《いま》はもうどうすることも出來《でき》ませんので、運《うん》を天《てん》に任《まか》せるつもりで、ぢっと考《かんが》へに沈《しづ》んでゐますと、これはまた、更《さら》に不思議《ふしぎ》なことは、どこからともなく、
「お父《とう》さん」
と呼《よ》ぶ聲《こゑ》がします。
「をや」
と思《おも》ひましたが、
「いや/\、自分《じぶん》には子供《こども》はなし、空耳《そらみゝ》だらう」
と思《おも》ひ返《かへ》しまして、また、思案《しあん》に暮《く》れかけますと、また、今度《こんど》ははっきりと、
「お父《とう》さん」
といふ聲《こゑ》が、波《なみ》の底《そこ》から聞《きこ》えます。
「これは怪《あや》しいぞ。こんな沖《おき》に、大人《おとな》はおろか、子供《こども》などゐようはずはない。それに第一《だいいち》、人影《ひとかげ》が見《み》えないぢゃないか」
と自分《じぶん》の耳《みゝ》をます/\疑《うたが》うて、ぼんやりしてゐますと、波《なみ》の中《なか》から、三人《さんにん》のかわいらしい子供《こども》が、むく/\と上《あが》つて來《き》ました。そして、舟《ふね》に縋《すが》りつきました。
 漁師《りようし》は、あまりの恐《おそ》ろしさに、櫂《かい》を振《ふ》り上《あ》げて今《いま》にも子供《こども》を目蒐《めが》けて、打《う》ちおろそうとして身構《みがま》へました。すると子供等《こどもら》は、
「お父《とう》さん、びっくりなさることはありません。お母《かあ》さんのいひつけで、お迎《むか》へに來《き》たのです」
と口々《くち/″\》に申《まを》しますので、漁師《りようし》はいよ/\驚《おどろ》き怪《あや》しみまして、
「なんだ、俺《おれ》は一人者《ひとりもの》たぞ[#「たぞ」は底本のまま]。子供《こども》があるはすがない。いったい、お前《まへ》たちのお母《かあ》さんといふのは何者《なにもの》だ。さぁいうて見《み》ろ」
と睨《にら》みつけました。
「お父《とう》さん。もし、お父《とう》さんがお前《まへ》たちを子供《こども》でないとおつしやつたら、十年前《じゆうねんぜん》、髪《かみ》を拾《ひろ》つて下《くだ》さつた女《をんな》のことを思《おも》ひ出《だ》して下《くだ》さいといへとお母《かあ》さんがいひましたよ。さあ間違《まちが》ひがないんだ。早《はや》く來《き》て下《くだ》さい。お母《かあ》さんが待《ま》つてるんだから」
 漁師《りようし》の振《ふ》り上《あ》げてゐた櫂《かい》は力《ちから》なく落《お》ちて、漁師《りようし》の胸《むね》には、月《つき》に輝《かゞや》く海岸《かいがん》、渚《なぎさ》に立《た》つてゐた美《うつく》しい乙女《をとめ》、とそれからそれへと十年前《じゆうねんぜん》のことが、烈《はげ》しく往《ゆ》き來《き》してゐました。そして當時《とうじ》のことが、まのあたり浮《うか》んで來《き》て、なんだか物悲《ものかな》しく、つい、ほろりとするのでした。
「あゝ自分《じぶん》にはもう、三人《さんにん》の子供《こども》があつたのか」
とあり/\とあの乙女《をとめ》の姿《すがた》が浮《うか》んで、漁師《りようし》の心《こゝろ》は、會《あ》ひたい見《み》たいで、一《いつ》ぱいになりました。いつもは、惡魔《あくま》のように恐《おそ》ろしい大海《おほうみ》も、今日《けふ》は、樂園《らくえん》のように、不思議《ふしぎ》にもなつかしく見《み》えるのでした。
「お前《まへ》たちのいふのはよくわかつた。海《うみ》をわけても、火《ひ》の山《やま》を越《こ》えても、ぜひとも、お前《まへ》たちのお母《かあ》さんに會《あ》はう。しかし、いつまでも/\、海《うみ》の中《なか》にゐることは出來《でき》ない。も一度《いちど》、この世《よ》に歸《かへ》ることが出來《でき》たら」
 子供《こども》たちに、この父《ちゝ》の言葉《ことば》がよくわかつたと見《み》えまして、
「お父《とう》さん、それは大丈夫《だいじようぶ》です。お歸《かへ》りになりたい時《とき》には、いつでも歸《かへ》れる工夫《くふう》があります。耳《みゝ》を貸《か》して下《くだ》さい。教《をし》へて上《あ》げませう」
 何《なに》やら耳打《みゝう》ちしてゐましたが、漁師《りようし》の顏《かほ》は、急《きゆう》に明《あか》るく輝《かゞや》きました。
「さあ、かうして潮《しほ》を三《さん》べんはねて下《くだ》さい」
と子供《こども》たちは、右手《みぎて》で潮《うしほ》を掬《すく》つて、上《うへ》にはねあげました。漁師《りようし》もいはれるまゝに、潮《うしほ》をはねあげました。
 すると不思議《ふしぎ》ではありませんか。今《いま》までに見《み》たこともないような立派《りつぱ》な眼《め》も覺《さ》めるような大《おほ》きな道《みち》に立《た》つてゐます。道《みち》の兩側《りようがは》には、赤《あか》や青《あを》や色《いろ》どり/\[#「どり/\」は底本のまま]の美《うつく》しい珊瑚樹《さんごじゆ》の花《はな》が咲《さ》いてゐます。その中《なか》を暫《しばら》く歩《ある》いて行《い》きますと、やがて、水晶《すいしよう》で拵《こしら》へた大《おほ》きな門《もん》の所《ところ》へ來《き》ました。その前《まへ》で止《と》まると、子供《こども》たちは、
「お母《かあ》さん/\。お父《とう》さんを連《つ》れて來《き》たよ」
と大聲《おほごゑ》で叫《さけ》びました。
 重《おも》い扉《とびら》が、音《おと》もなく靜《しづ》かに開《ひら》きました。そこに、美《うつく》しく着飾《きかざ》つたたくさんの腰元《こしもと》をしたがへて、出迎《でむか》へに來《き》てゐる女《をんな》がありました。よく見《み》ると、それは紛《まが》ふ方《かた》なく、夢《ゆめ》のまも忘《わす》れたことのない、あのなつかしい十年前《じゆうねんぜん》の乙女《をとめ》ではありませんか。漁師《りようし》の驚《おどろ》きは、一通《ひととほ》りではありませんでした。胸《むね》はわく/\しました。二人《ふたり》の眼《め》には、自然《しぜん》と、涙《なみだ》の露《つゆ》が光《ひか》つて、言葉《ことば》もなく、そこに佇《たゝづ》んでゐました。
 やがて漁師《りようし》は、乙女《をとめ》に案内《あんない》されて、奧御殿《おくごてん》へ行《い》きました。金《きん》や銀《ぎん》や珊瑚《さんご》、さては眞珠《しんじゆ》といつたこの世《よ》のすべての寶物《たからもの》で拵《こしら》へられた部屋《へや》のことですから、見《み》るものすべてがまばゆく、たゞもう夢《ゆめ》の中《なか》にゐるようでした。そのうちに海山《うみやま》の珍《めづら》しい御馳走《ごちそう》が運《はこ》ばれました。すると、どこからともなく、音樂《おんがく》が聞《き》えて[#ルビの「き」は底本のまま]來《き》て、お傍仕《そばづか》への女《をんな》たちが、次《つ》ぎから次《つ》ぎへ、踊《をど》りを踊《をど》つて行《い》きます。漁師《りようし》は、この世《よ》のもならぬ[#「もならぬ」は底本のまま]美《うつく》しさに、今《いま》はもう、うっとりとして、浮《う》き世《よ》のことも何《なに》も忘《わす》れてしまひました。そして、三日《みつか》三晩《みばん》をその龍宮《りゆうぐう》で過《すご》しました。
 ところが、三日《みつか》三晩《みばん》を過《すご》したころ、ふと、濱《はま》にあるあばら家《や》の自分《じぶん》の家《いへ》を思《おも》ひ出《だ》したものです。すると不思議《ふしぎ》にも、急《きゆう》に、家《いへ》に歸《かへ》りたくなりました。そこでこのことを乙女《をとめ》に告《つ》げますと、
「そんなこといはないで、ぜひこゝにゐて、一《いつ》しょう、龍宮《りゆうぐう》で一《いつ》しょに暮《くら》して下《くだ》さい」
といつて聞《き》いてくれません。
 ところが、乙女《をとめ》の心《こゝろ》づくしも、切《せつ》なる願《ねが》ひも、男《をとこ》の歸《かへ》りたいといふ心《こゝろ》をどうすることも出來《でき》ませんでした。乙女《をとめ》は仕方《しかた》なく、
「そんなにお歸《かへ》りになりたいのでしたら、私《わたし》もこの上《うへ》お止《と》め申《まを》しはいたしません。その代《かは》りお別《わか》れのしるしにおみやげをさし上《あ》げませう」
といつて、黄金《こがね》のお盆《ぼん》に、白金《しろかね》を一《いつ》ぱい盛《も》つたのをさし出《だ》しました。
 漁師《りようし》は、龍宮《りゆうぐう》へ來《く》る時《とき》に、歸《かへ》りたい時《とき》には、かうせよ、と子供《こども》に何事《なにごと》かを教《をし》へられてゐましたので、そのことを思《おも》ひ出《だ》したものですから、
「いやそんなものはほしくありません。お返《かへ》しいたしませう」
といつて返《かへ》しました。そんならといふので、今度《こんど》は、白金《しろかね》のお盆《ぼん》に黄金《こがね》を一《いつ》ぱい盛《も》つたのを出《だ》しました。男《をとこ》はそれも受《う》け取《と》りませんでした。とう/\乙女《をとめ》は、
「そんなら、やむを得《え》ません。あなたのお望《のぞ》みのものをさし上《あ》げませう。御遠慮《ごえんりよ》なく、なんでもお望《のぞ》みのものをおつしやつて下《くだ》さい」
と申《まを》しましたので、子供《こども》に教《をそ》はつてゐたように床《とこ》の間《ま》を指差《ゆびさ》しながら、
「あの魔《ま》の杖《つゑ》と瓢《ひさご》とを下《くだ》さい」
と申《まを》しました。
 乙女《をとめ》は暫《しばら》く、困《こま》つたようなふうをしてゐましたが、思《おも》ひ切《き》つてそれを男《をとこ》に與《あた》へました。そしていひますのには、
「この杖《つゑ》は、あなたがほしいと思《おも》ふものがある時《とき》には、なんでも望《のぞ》みを適《かな》へてくれる尊《たつと》いものですから、ほしいものを出《だ》したい時《とき》には、三《さん》べん振《ふ》つて下《くだ》さい。また、この瓢《ひさご》には、命《いのち》の水《みづ》が一《いつ》ぱいはひつてゐます。これを飮《の》んでゐると、食《く》ふものがなくても、いつまでも生《い》きてゐられます。あなたはこれを使《つか》ふ時《とき》がありませうから、さし上《あ》げておきませう。また會《あ》ふ時《とき》のしるべともなりませう」
 かうして男《をとこ》は、乙女《をとめ》や、子供《こども》らに別《わか》れを告《つ》げて、たくさんの腰元《こしもと》に送《おく》られながら、門《もん》を出《で》ました。そこには、なつかしい自分《じぶん》の小舟《さばね》が待《ま》つてゐます。さっそく乘《の》り移《うつ》つて、杖《つゑ》を高《たか》く振《ふ》り上《あ》げると、むく/\と浮《う》き上《あが》つたかとおもふと、いつのまにか、陸《りく》に着《つ》いてゐました。

    四

 男《をとこ》は再《ふたゝ》び故郷《こきよう》の土《つち》を踏《ふ》むことが出來《でき》ました。大空《おほぞら》のお日樣《ひさま》には、なんの變《かは》りもありませんでした。それなのに、濱邊《はまべ》の樣子《ようす》が違《ちが》つてゐて、かの阿旦《あだん》の葉陰《はかげ》もなければ、梯梧《だいご》の赤《あか》い花《はな》もありませんでした。男《をとこ》は、僅《わづ》か三日《みつか》三晩《みばん》ぐらゐで、こんなに世《よ》の樣《さま》が變《かは》らうはずはない、と不思議《ふしぎ》に思《おも》ひながら、わが家《や》を指《さ》して歸《かへ》つて行《い》きました。暫《しばら》くすると、男《をとこ》は、
「あっ」
と叫《さけ》び聲《ごゑ》を上《あ》げました。そして、あっけに取《と》られたような顏《かほ》をして、そこに立《た》ちつくしてゐます。まぁお聞《き》きなさい。それもそのはずなのです。三日前《みつかまへ》まであつたはずのあの漁師《りようし》のあばら家《や》は、そこには、影《かげ》も形《かたち》もなくて、僅《わづか》に、屋敷跡《やしきあと》らしく、土臺石《どだいいし》が殘《のこ》つてゐて、蔓草《つるくさ》が延《の》びかゝつて、草《くさ》が茫々《ぼう/\》と生《は》えてゐます。その上《うへ》に、村《むら》の人《ひと》には、誰《たれ》一人《ひとり》知《し》つてゐる者《もの》もありません。あまりの不思議《ふしぎ》さに、自分《じぶん》の家《いへ》のことを訊《き》いて見《み》ました。
「あゝ、あの家《いへ》ですか。私《わたし》らも子供《こども》の時分《じぶん》、昔話《むかしばなし》として聞《き》きましたが、なんでも漁師《りようし》の家《いへ》があつたそうです。さうですね。二三百年《にさんびやくねん》も昔《むかし》のことらしいですから、委《くは》しいことは誰《たれ》も知《し》りますまいよ」
 漁師《りようし》は二度《にど》びっくりしました。漁師《りようし》が、三日《みつか》と思《おも》うてゐたのは、この世《よ》の三十三代《さんじゆうさんだい》も經《へ》てゐるのでした。
 漁師《りようし》は暫《しばら》く、わが家《や》の跡《あと》に立《た》つてゐましたが、かの乙女《をとめ》に貰《もら》ふた魔《ま》の杖《つゑ》を思《おも》ひ出《だ》し、『元《もと》のわが家《や》を』と願《ねが》ひながら、杖《つゑ》を三《さん》べん振《ふ》りますと、不思議《ふしぎ》にも、昔《むかし》ながらのなつかしい自分《じぶん》の家《いへ》が、そこに出來《でき》ました。
 漁師《りようし》はやっと、住《す》み家《か》が出來《でき》ましたので、落《お》ちつくことが出來《でき》ましたが、食《た》べるものとては何一《なにひと》つありません。しかし、あの瓢《ひさご》の水《みづ》によつて、不自由《ふじゆう》なく、生《い》きて行《ゆ》かれました。
 こんなことをしてゐるうちに、不思議《ふしぎ》な男《をとこ》の評判《ひようばん》が、それからそれへ傳《つた》はりました。
「食《た》べずに生《い》きる。杖《つゑ》を振《ふ》つて家《いへ》を拵《こしら》へる。これはきっと、人間《にんげん》ではあるまい。お化《ば》けの仕業《しわざ》だ」
といふので、物好《ものず》きな人間《にんげん》の多《おほ》い世《よ》の中《なか》のことですから、ほんとうか嘘《うそ》かを確《たしか》めに來《く》る若《わか》い人《ひと》たちで、毎日《まいにち》、漁師《りようし》の家《いへ》のまはりは、一《いつ》ぱいでした。
 ある日《ひ》、若者《わかもの》の一人《ひとり》が、皆《みな》の者《もの》に命《めい》じ、男《をとこ》を捕《とら》へようとして、どや/\と家《いへ》に大勢《おほぜい》はひり込《こ》んで來《き》ました。男《をとこ》は、たゞならぬ樣子《ようす》に、びっくりして一《いつ》さんに逃《に》げ出《だ》しました。
 若者《わかもの》たちは、てんでに棒《ぼう》を持《も》つて、男《をとこ》の後《うしろ》を追《お》ひかけました。そのうちに、漁師《りようし》の男《をとこ》は、逃《に》げ場《ば》を失《うしな》つて、うろ/\してゐるはずみに、物《もの》に躓《つまづ》いて倒《たふ》れました。そのとたん[#「とたん」に傍点]に、首《くび》に掛《か》けてゐた瓢箪《ひようたん》が、粉微塵《こなみじん》に壞《こは》れて、命《いのち》の水《みづ》は、どん/\流《なが》れ出《だ》してしまひました。若者《わかもの》どもは、倒《たふ》れた男《をとこ》を取《と》り押《おさ》へようとして、寄《よ》りかゝりましたが、そこには不思議《ふしぎ》な男《をとこ》の姿《すがた》はなくて、地《ち》に深《ふか》く突《つ》き刺《さ》さつた杖《つゑ》だけが殘《のこ》つてゐました。
 たゞいま、與那原《よなばる》の拜所《はいしよ》の森《もり》に、とくに、しめ繩《なは》の張《は》つてある桑《くは》の古木《こぼく》が、この杖《つゑ》の生長《せいちよう》したものだそうです。



底本:『日本昔話集(下)12』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年8月20日発行
親本:『日本昔話集(下)』日本兒童文庫、アルス
   1929(昭和4)年4月3日発行
※ 親本奥付にある「童話集」は「昔話集」の誤植か。
入力:しだひろし
校正:
xxxx年xx月xx日作成
青空文庫作成ファイル:
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*地名

  • 宮古島 みやこじま (1) 沖縄県、宮古諸島の主島。面積159平方キロメートル。サトウキビ・宮古上布を産する。(2) 沖縄県の市。(1) を含む宮古諸島のほぼ全域を市域とする。2005年、平良市ほか5市町村が合併して発足。人口5万3千。
  • 平良 ぴさら/ひらら 沖縄県宮古島市の地名。サトウキビ栽培が盛ん。平良市は宮古島の北部に位置する。
  • すみや 住屋か。現、平良市西里尻間。住屋遺跡か。漲水港を見おろす標高約18mの石灰岩台地にある。12世紀後半より16世紀頃にかけてのグスク時代の集落遺跡。地元ではスミヤーとも。西側が急崖で海岸に接していたほかはほぼ平坦な地。グスク時代以来、宮古の政治・経済の中心であった。
  • 漲水岳 はりみずだけ → 漲水御嶽
  • 漲水御嶽 はりみずうたき/ぴゃるみずうたき 沖縄県宮古島市平良字西里にある御嶽。琉球王国建国以前から、信仰を集めている御嶽であり、数多くの神話と伝説の舞台でもある。天帝に命じられた、古意角(コイツノ)という神と姑依玉(コイタマ)という女神が、多くの神々を従え天下った場所だとされる。
  • 大里村 おおさとむら/おおざとそん 沖縄本島南部にあった村。沖縄県では珍しく海が無い自治体であった。南風原町、東風平町、具志頭村との合併を協議していたが意見の一致を見ず、2004年9月30日に合併協議会が解散となったが、玉城村、知念村、佐敷町との4町村で合併し、南城市が2006年1月1日に誕生し、消滅した。
  • 与那原 よなばる 沖縄県の町。沖縄本島で一番、沖縄県で二番目に面積の狭い自治体。中城湾を南城市、西原町と共同で埋め立てを行い、マリンタウン東浜を建設している。町の北側、西原町との境界には運玉森(日本語:ウンタマモリ、沖縄方言:ウンタマムイ)という、小高い丘状の森がある。この森に籠もった義賊、ウンタマギルーの話は沖縄で広く知られ、同名の映画作品は日本映画監督協会新人賞やベルリン国際映画祭カリガリ賞などを受賞した。
  • 琉球 りゅうきゅう 沖縄(琉球諸島地域)の別称。古くは「阿児奈波」または「南島」と呼んだ。15世紀統一王国が成立、日本・中国に両属の形をとり、17世紀初頭島津氏に征服され、明治維新後琉球藩を置き、1879年(明治12)沖縄県となる。
  • 流求 りゅうきゅう 隋書などに見える、東海中の一国。今の台湾とする説と、琉球とする説とがある。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)
  • 伊波普猷 いは ふゆう 1876-1947 言語学者・民俗学者。沖縄生れ。東大卒。琉球の言語・歴史・民俗を研究。編著「南島方言史攷」「校訂おもろさうし」など。
  • 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。
  • 恋角 こいつの 古意角。男神。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)



*難字、求めよ

  • 梯梧 だいご/でいご 梯姑。(デイコとも)マメ科の大高木。インド原産、沖縄・小笠原に栽植。高さ5〜10メートル。樹皮は白色を帯び枝に太い棘がある。3葉の大形複葉を互生。早春から初夏に赤色の大きな蝶形花を多数、密に総状花序につけ美しい。南米産の近縁種アメリカデイゴも同様に、観賞用に暖地で栽植。カイコウズ。エリスリナ。
  • 阿旦 あだん 阿檀。タコノキ科の熱帯性常緑低木。樹皮は暗褐色で葉跡がめだつ。幹の下部から多数の気根を出す。沖縄・台湾に自生。葉で日除帽子やうちわを、また、気根を裂いて乾かし、わらじを作る。茎は弦楽器の胴、根はキセル材など、生活用品の材料に多用された。タコノキとごく近縁。
  • 狂おしい くるおしい 常軌を逸してしまいそうな気持である。感情が激して異常な状態に陥りそうになるさま。くるわしい。
  • 芭蕉布 ばしょうふ 芭蕉の繊維で織った淡茶無地または濃茶絣の布。沖縄および奄美諸島の特産。夏の着物・座布団地・蚊帳などに作る。蕉紗。
  • 麝香 じゃこう 香料の一種。ジャコウジカの麝香嚢から製した黒褐色の粉末で、芳香が甚だ強く、薫物に用い、薬料としても使う。主に中央アジア・雲南地方などに産する。四味臭。
  • 小舟 さばね
  • 珊瑚樹 さんごじゅ (1) 樹枝のように見えるところから、珊瑚の別称。(2) スイカズラ科の常緑高木。暖地の海岸に自生。また庭木・生垣として広く栽培。高さ10メートルに達する。葉は厚く光沢がある。6〜7月頃、小白花を密生し、果実は秋に珊瑚のように赤く熟すが、のち、黒くなる。
  • 腰元 こしもと (3) 貴人のそばに仕えて雑用をする侍女。
  • 瓢 ひさご 瓠・匏・瓢。(古くは清音) (2) ひさごの果実の内部を刳りぬいて乾燥させたもの。酒などの容器とした。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)



*後記(工作員スリーパーズ日記)


・聴く → 聞く
・訊く → 聞く
・はいる → 入る
・風《かぜ》 → 風邪《かぜ》
・焔《ほのお》 → 炎《ほのお》

 以上、変更しました。平良(ひらら)・大里村(おおざとそん)の村名の読みは底本のまま「ぴさら」「おおさとむら」としました。
  • 六、島の守り神
  •   ・宮古島、平良、裕福、子宝、漲水嶽、大蛇(恋角)
  •    三人の女の子。
  • 七、命の水
  •   ・大里村、与那原、貧乏、若い漁師、黒髪、乙女、
  •    一夜妻、三人の子、龍宮、杖と瓢のみやげ、帰郷、変貌。

 ニライカナイの登場を期待して入力作業をはじめたものの、伊波普猷は今回、ほとんどの表現をきれいな標準語におきかえてしまっている。「ニライカナイ」という語は皆無だった。唯一「七、命の水」に「龍宮」がでてくる。
 漁師が潮に流されたり、沖で悪天候にあって漂流し、ついぞ村へ帰らなかったということはしばしばありえたろうが、それだけではなかなか昔話に発展しそうもない。逆に漁師の側を主体とするばあい、遠くの漁場から村へ帰ってきてみたら、家も家族も何もかもが消え去ってなくなっていた、まるで自分だけが時間に取り残されたような実感をあじわった経験が、この話の原点ではなかろうか。
 
 海の彼方、沖合いに死者の魂が集まるというニライカナイの伝説は、氷河期の大きな海面降下現象(海退)と、その後の海面上昇(海進)に起因しているのではないかと考える。海面が低い時代、村はそのぶん海の沖合いのほうへ作られる。温暖期に入って海面が上がるにつれて、かつての沖合いの村は海底へ沈むことになり、人々はより内陸部の高地へと移動する。沖合い海底には親しい人の住んでいた痕跡も、ほうむった墓地も存在するという記憶が伝説の発端ではあるまいか。

 「六、島の守り神」はまるで『古事記』の三輪山説話の引き写しのような話なのだけれど、本歌が三輪山で本歌取をしたのが宮古島なのか、あるいはその逆か。あるいは同じ伝承を両方が引き継いだのか。仮に宮古島の神と三輪山の神が同一だと曲解してみると、宮古島の祖と大和の祖はニアリイコールということになる。伊波や折口、柳田國男の見解やいかに。




*次週予告


第四巻 第三号 
特集 アインシュタイン(一)寺田寅彦
 物質とエネルギー
 科学上における権威の価値と弊害
 アインシュタインの教育観


第四巻 第三号は、
八月一三日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第四巻 第二号
日本昔話集 沖縄編(二)伊波普猷
発行:二〇一一年八月六日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン
週刊ミルクティー
*99 出版
バックナンバー
  • 第二巻
  • #1 奇巌城(一)M. ルブラン
  • #2 奇巌城(二)M. ルブラン
  • #3 美し姫と怪獣/長ぐつをはいた猫
  • #4 毒と迷信/若水の話/麻薬・自殺・宗教
  • #5 空襲警報/水の女/支流
  • #6 新羅人の武士的精神について 池内 宏
  • #7 新羅の花郎について 池内 宏
  • #8 震災日誌/震災後記 喜田貞吉
  • #9 セロ弾きのゴーシュ/なめとこ山の熊 宮沢賢治
  • #10 風の又三郎 宮沢賢治
  • #11 能久親王事跡(一)森 林太郎
  • #12 能久親王事跡(二)森 林太郎
  • #13 能久親王事跡(三)森 林太郎
  • #14 能久親王事跡(四)森 林太郎
  • #15 欠番
  • #16 欠番
  • #17 赤毛連盟      C. ドイル
  • #18 ボヘミアの醜聞   C. ドイル
  • #19 グロリア・スコット号C. ドイル
  • #20 暗号舞踏人の謎   C. ドイル
  • #21 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉
  • #22 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉
  • #23 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太
  • #24 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫
  • #25 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉
  • #26 日本天変地異記 田中貢太郎
  • #27 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治
  • #28 翁の発生/鬼の話 折口信夫
  • #29 生物の歴史(一)石川千代松
  • #30 生物の歴史(二)石川千代松
  • #31 生物の歴史(三)石川千代松
  • #32 生物の歴史(四)石川千代松
  • #33 特集 ひなまつり
  •  雛 芥川龍之介
  •  雛がたり 泉鏡花
  •  ひなまつりの話 折口信夫
  • #34 特集 ひなまつり
  •  人形の話 折口信夫
  •  偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
  • #35 右大臣実朝(一)太宰 治
  • #36 右大臣実朝(二)太宰 治
  • #37 右大臣実朝(三)太宰 治
  • #38 清河八郎(一)大川周明
  • #39 清河八郎(二)大川周明
  • #40 清河八郎(三)大川周明
  • #41 清河八郎(四)大川周明
  • #42 清河八郎(五)大川周明
  • #43 清河八郎(六)大川周明
  • #44 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
  • #45 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
  • #46 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
  • #47 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
  • #48 若草物語(一)L.M. オルコット
  • #49 若草物語(二)L.M. オルコット
  • #50 若草物語(三)L.M. オルコット
  • #51 若草物語(四)L.M. オルコット
  • #52 若草物語(五)L.M. オルコット
  • #53 二人の女歌人/東北の家 片山広子
  • 第三巻
  • #1 星と空の話(一)山本一清
  • #2 星と空の話(二)山本一清
  • #3 星と空の話(三)山本一清
  • #4 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
  • #5 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
  • #6 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
  • #7 卑弥呼考(一)内藤湖南
  • #8 卑弥呼考(二)内藤湖南
  • #9 卑弥呼考(三)内藤湖南
  • #10 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫
  • #11 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦
  •  瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/
  •  神話と地球物理学/ウジの効用
  • #12 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦
  • #13 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉
  • #14 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉
  • #15 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉
  •  倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
  • #16 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)
  • #17 高山の雪 小島烏水
  • #18 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(一)徳永 直
  • #19 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(二)徳永 直
  • #20 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(三)徳永 直
  • #21 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(四)徳永 直
  • #22 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(五)徳永 直
  • #23 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治
  • #24 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治
  • #25 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治
  • #26 光をかかぐる人々 続『世界文化』連載分(六)徳永 直
  • #27 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫
  •  黒川能・観点の置き所
  •  村で見た黒川能
  •  能舞台の解説
  •  春日若宮御祭の研究
  • #28 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎
  •  面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
  •  能面の様式 / 人物埴輪の眼
  • #29 火山の話 今村明恒
  • #30 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)
  • #31 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)
  • #32 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)
  • #33 現代語訳『古事記』(四)中巻(後編)武田祐吉(訳)
  • #34 山椒大夫 森 鴎外
  • #35 地震の話(一)今村明恒
  • #36 地震の話(二)今村明恒
  • #37 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦
  • #38 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉
  • #39 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子
  • #40 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子
  • #41 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
  • #42 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治
  • #43 智恵子抄(一)高村光太郎

      あどけない話

    智恵子は東京に空がないという、
    ほんとの空が見たいという。
    私はおどろいて空を見る。
    桜若葉の間にあるのは、
    切っても切れない
    むかしなじみのきれいな空だ。
    どんよりけむる地平のぼかしは
    うすもも色の朝のしめりだ。
    智恵子は遠くを見ながらいう。
    阿多々羅山(あたたらやま)の山の上に
    毎日出ている青い空が
    智恵子のほんとの空だという。
    あどけない空の話である。


      千鳥と遊ぶ智恵子

    人っ子ひとりいない九十九里の砂浜の
    砂にすわって智恵子は遊ぶ。
    無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    砂に小さな趾(あし)あとをつけて
    千鳥が智恵子によってくる。
    口の中でいつでもなにか言ってる智恵子が
    両手をあげてよびかえす。
    ちい、ちい、ちい―
    両手の貝を千鳥がねだる。
    智恵子はそれをパラパラ投げる。
    群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
    ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
    人間商売さらりとやめて、
    もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
    うしろ姿がぽつんと見える。
    二丁も離れた防風林の夕日の中で
    松の花粉をあびながら私はいつまでも立ちつくす。
  • #44 智恵子抄(二)高村光太郎
     わたしは昭和九年(一九三四)五月から十二月末まで、毎週一度ずつ九十九里浜の真亀納屋という小さな部落に東京から通った。頭を悪くしていた妻を、そこに住む親類の寓居にあずけておいたので、その妻を見舞うために通ったのである。真亀という部落は、海水浴場としても知られているイワシの漁場、千葉県山武郡片貝村の南方一里たらずの浜辺に沿ったさびしい漁村である。
    (略)午前に両国駅を出ると、いつも午後二、三時ごろ、この砂丘につく。わたしは一週間分の薬や、菓子や、妻の好きな果物などを出す。妻は熱っぽいような息をして私をよろこび迎える。わたしは妻をさそって、いつも砂丘づたいに防風林の中をまず歩く。そして小松のまばらな高みの砂へ腰をおろして二人で休む。五月の太陽がすこしななめに白い砂を照らし、そよかぜは海から潮の香りをふくんで、あおあおとした松の枝をかすかに鳴らす。空気のうまさを満喫して私は陶然とする。ちょうど五月は松の花のさかりである。クロマツの新芽ののびたさきに、あの小さな、黄いろい、俵のような、ほろほろとした単性の花球がこぼれるように着く。
     松の花粉の飛ぶ壮観を、わたしはこの九十九里浜の初夏にはじめて見た。防風林のクロマツの花が熟するころ、海から吹きよせる風にのって、その黄いろい花粉が飛ぶさまは、むしろおそろしいほどの勢いである。支那の黄土をまきあげた黄塵というのは、もとより濁って暗くすさまじいもののようだが、松の花粉の風に流れるのはその黄塵をも想像させるほどで、ただそれが明るく、透明の感じを持ち、不可言の芳香をただよわせて風のまにまに空間を満たすのである。さかんな時には座敷の中にまでその花粉がつもる。妻の浴衣の肩につもったその花粉を軽くはたいて、私は立ち上がる。妻は足もとの砂を掘って、しきりに松露の玉をあつめている。日が傾くにつれて海鳴りが強くなる。千鳥がついそこを駈けるように歩いている。
  • #45 ヴェスヴィオ山/日本大地震(他)斎藤茂吉
     新聞の報告はみなほとんど同一であった。上海電報によると、地震は九月一日の早朝におこり、東京・横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞い上がり、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなった。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。
     私はしばらく息をつめてこれらの文句を読んだが、どうも現実の出来事のような気がしない。ただし私は急いでそこを出で、新しく間借りしようとする家へ行った。部屋は綺麗に調えてあったので私は床上に新聞紙と座布団とをしき、尻をペタリとおろした。それからふたたび新聞の日本震災記事を読むに、これは容易ならぬことである。私の意識はようやく家族の身上に移っていった。不安と驚愕とがしだいに私の心を領するようになってくる。私は眠り薬を服してベッドの上に身を横たえた。
     暁になり南京虫におそわれ、この部屋も不幸にして私の居間ときめることができなかった。九月四日の朝、朝食もせずそこを出て日本媼のところに急ぐ途中N君に会った。N君も日本のことが心配でたまらぬので、やはり朝食もせずに日本媼のところに来た途中なのであった。N君の持っている今日の朝刊新聞の記事を読むと、昨日の夕刊よりもややくわしく出ている。コレア丸からの無線電報によるに、東京はすでに戒厳令が敷かれて戦時状態に入った。横浜の住民二十万は住む家なく食う食がない。(略)
     九月五日。日本の惨事は非常である。部屋の中に沈黙していても何ごとも手につかない。九月六日。思いきって、Thorwalsen(トールワルゼン) Str.(シュトラセ) 六番地に引っ越してしまった。ここには南京虫はいなかった。教室まで遠くて不便であるが、日本の状態がこんなであってみれば、私自身、今後どう身を所決せねばならんか今のところまったく不明である。そこでせめて南京虫のいないところにおちつこうと決心したのであった。
  • #46 上代肉食考/青屋考 喜田貞吉
    (略)そのはばかりの程度は神社により、また時代によって相違があったようだが、ともかく肉は穢れあるものとして、これを犯したものは神に近づくことができず、これに合火(あいび)したもの、合火したものに合火のものまでも、またその穢れあるものとしておったのである。(略)
     右のしだいであったから、自分らのごときも子どもの時分には、決して獣肉を食ったことはなかった。かつて村人の猪肉・兎肉を食べているものを見て、子供心に、よくこの人らには神罰があたらぬものだと思ったこともあった。これらの人々の遁辞(とんじ)には、イノシシは山鯨で魚の仲間、兎は鴉鷺(あろ)で鳥の仲間だとあって、これだけは食べてもよいのだとすすめられたけれども、ついに食べる気にはなれなかった。しかるに郷里の中学校へ入学して、寄宿舎に入ったところが、賄い方はしばしば夕食の膳に牛肉をつけてくれた。上級生も平気でそれを食っている。こわごわながら人並みに箸を採ってみると、かつて経験したことのない美味を感じた。いつしか牛肉随喜党となり、はては友達の下宿へ行って、ひそかに近郷のある部落から売りにくる牛肉を買って、すき焼きの味をもおぼえるようになった。時は明治十七、八年(一八八四、一八八五)ころで、諸物価も安かったが、牛肉の需要が少なかったために、百目四、五銭で買えたと記憶する。かようなしだいで、おいおい大胆になっては来たが、それでもまだ家庭へ帰っては、牛肉の香りをかいだこともないような顔をしていた。これは自分の家庭が特に物堅いためで、去る大正三年(一九一四)に八十三歳で没した父のごときは、おそらく一生涯、牛肉の味を知らなかったようであるし、今なお健在の母も、たぶんまだこれを口にしたことはなかろうと思われるほどであるから、自分のこの一家庭の事情をもって、もとより広い世間を推すわけにはいかぬが、少なくも維新前後までの一般の気分は、たいていそんなものであった。したがって肉食を忌まなかった旧時のエタが、人間でないかのごとく思われたのにも無理はないが、しかしかくのごときものが、はたしてわが固有の習俗であったであろうか。
  • #47 地震雑感/静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦
    地震雑感
     一 地震の概念
     二 震源
     三 地震の原因
     四 地震の予報
    静岡地震被害見学記
    小爆発二件
     震災の原因という言語はいろいろに解釈される。多くの場合には、その地震が某火山の活動に起因するとか、あるいは某断層における地すべりに起因するとかいうようなことが一通りわかれば、それで普通の原因追究欲が満足されるようである。そして、その上にその地すべりなら地すべりがいかなる形状の断層に沿うて幾メートルの距離だけ移動したというようなことがわかれば、それで万事は解決されたごとく考える人もある。これは原因の第一段階である。
     しかし、いかなる機巧(メカニズム)でその火山のそのときの活動がおこったか、また、いかなる力の作用でその地すべりを生じたかを考えてみることはできる。これに対する答えとしては、さらにいろいろな学説や憶説が提出され得る。これが原因の第二段階である。たとえば、地殻の一部分にしかじかの圧力なり歪力なりが集積したためにおこったものであるという判断である。
     これらの学説が仮に正しいとしたときに、さらに次の問題がおこる。すなわち地殻のその特別の局部に、そのような特別の歪力をおこすにいたったのはなぜかということである。これが原因の第三段階である。
     問題がここまで進んでくると、それはもはや単なる地震のみの問題ではなくなる。地殻の物理学、あるいは地球物理学の問題となってくるのである。
     地震の原因を追究して現象の心核にふれるがためには、結局、ここまで行かなければならないはずだと思われる。地球の物理をあきらかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、ことによると、人体の生理をあきらかにせずして、単に皮膚の吹出物だけを研究しようとするようなものかもしれない。地震の根本的研究は、すなわち地球、特に地殻の研究ということになる。本当の地震学は、これを地球物理学の一章として見たときにはじめて成立するものではあるまいか。
  • #48 自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦
    自然現象の予報
    火山の名について
     つぎに、地震予報の問題に移りて考えん。地震の予報ははたして可能なりや。天気予報と同じ意味において可能なりや。
     地震がいかにしておこるやは、今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時におこる現象なるがごとし。これが起こると否とを定むべき条件につきては、吾人いまだ多くを知らず。すなわち天気のばあいにおける気象要素のごときものが、いまだあきらかに分析されず。この点においても、すでに天気の場合とおもむきを異にするを見る。
     地殻のひずみが漸次蓄積して不安定の状態に達せるとき、適当なる第二次原因、たとえば気圧の変化のごときものが働けば、地震を誘発することは疑いなきもののごとし。ゆえに一方において地殻のゆがみを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉するを得れば、地震の予報は可能なるらしく思わる。この期待は、いかなる程度まで実現されうべきか。
     地下のゆがみの程度を測知することはある程度までは可能なるべく、また主なる第二次原因を知ることも可能なるべし。今、仮にこれらがすべて知られたりと仮定せよ。
     さらに事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一か所に止まり、地震がおこるとせば、かならずその点におこるものと仮定せん。かつまた、第二次原因の作用は毫も履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的のばあいにおいても、地震の突発する「時刻」を予報することはかなり困難なるべし。何となれば、このばあいは前に述べし過飽和溶液の晶出のごとく、現象の発生は、吾人の測知し得るマクロ・スコピックの状態よりは、むしろ、吾人にとりては偶然なるミクロ・スコピックの状態によりて定まると考えらるるがゆえなり。換言すれば、マクロ・スコピックなる原因の微分的変化は、結果の有限なる変化を生ずるがゆえなり。このばあいは、重量を加えて糸を引き切るばあいに類す。
  • #49 地震の国(一)今村明恒
     一、ナマズのざれごと
     二、頼山陽、地震の詩
     三、地震と風景
     四、鶏のあくび
     五、蝉しぐれ
     六、世紀の北米大西洋沖地震
     七、観光
     八、地震の正体

    「日本は震災国です。同時に地震学がもっともよく発達していると聞いています。したがってその震災を防止あるいは軽減する手段がよく講ぜられていると思いますが、それに関する概要をできるだけよくうかがって行って、本国へのみやげ話にしたいと思うのです。
    「よくわかりました。
     これはすばらしい好質問だ。本邦の一般士人、とくに記者諸君に吹聴したいほどの好質問だ。余は永年の学究生活中、かような好質問にかつて出会ったことがない。(略)余は順次につぎのようなことを説明した。
    「震災の防止・軽減策は三本建にしている。すなわち、第一は耐震構造の普及方。これには、建築法規に耐震構造の実施に関する一項が加えてあり、これを実行している都市は現在某々地にすぎないが、じつは国内の市町村の全部にと希望している。構造物を耐震的にするにはしかじかの方法が講ぜられている。(略)
    「第二は震災予防知識の普及。これは尋常小学校の国定教科書に一、二の文章を挿入することにより、おおむねその目的が達せられる。
    「第三は地震の予知問題の解決。この問題を分解すると、地震の大きさの程度、そのおこる場所ならびに時期という三つになり、この三者をあわせ予知することが本問題の完全な解決となる。これは前の二つとは全然その趣きが別で、専門学徒に課せられた古今の難問題である。
     ここで彼女はすかさず喙(くちばし)をいれた。
    「じつはその詳細がとくに聞きたいのです。事項別に説明してください。して、その程度とは?」
    「(略)われわれのごとく防災地震学に専念している者は、講究の目標を大地震にのみ限定しています。大きさの程度をわざとこう狭く局限しているのです。
    「そして、その場所の察知は?」
    「過去の大地震の統計と地質構造とによって講究された地震帯、磁力・重力など地球物理学的自然力の分布異状、とくに測地の方法によって闡明(せんめい)された特種の慢性的・急性的陸地変形などによります。
    「それから、いつ起こるかということは?」
    「右の起こりそうな場所に網をはっておいて、大地震の前兆と思われる諸現象を捕捉するのです。
     パイパー夫人はなおも陸地変形による場所ならびに時期の前知方法の講究に関して、さらに具体的の例をあげるよう迫るので、余は南海道沖大地震に関する研究業績の印刷物をもってこれに応じておいた。
  • #50 地震の国(二)今村明恒
     九 ドリアン
     一〇 地震の興味
     一一 地割れの開閉現象
     一二 称名寺の鐘楼
     一三 張衡(ちょうこう)
     一四 地震計の冤(えん)
     一五 初動の方向性
     一六 白鳳大地震

     文部大臣は、昨年の関西風水害直後、地方庁あてに訓令を出されて、生徒児童の非常災害に対する教養に努めるよう戒められたのであった。まことに結構な訓令である。ただし、震災に関するかぎり、小学教師は、いつ、いかなる場合、いかようにしてこの名訓令の趣旨を貫徹せしめるかについては、すこぶる迷っているというのが、いつわらざる現状である。実際、尋常科用国定教科書をいかにあさって見ても理科はもとより、地理・国語・修身、その他にも、地震を主題とした文章は一編も現われず、ただ数か所に「地震」という文字が散見するのみである。地震の訓話をするに、たとえかような機会をとらえるとしても、いかなることを話したらよいか、それが教師にとってかえって大きな悩みである。文部大臣の監督下にある震災予防評議会が、震火災防止をめざす積極的精神の振作に関し、内閣総理をはじめ、文部・内務・陸海軍諸大臣へあて建議書を提出したのは昭和三年(一九二八)のことであるが、その建議書にはとくに「尋常小学校の課程に地震に関する一文章を加える議」が強調してある。同建議書は文部省に設置してある理科教科書編纂委員会へも照会されたが、同委員会からは、問題の事項は加えがたいむねの返事があった。地震という事項は、尋常科の課程としては難解でもあり、また、その他の記事が満載されていて、割り込ませる余地もないという理由であった。この理由はとくに理科の教科書に限られたわけでもなく、他の科目についても同様であったのである。難解なりとは、先ほどから説明したとおり問題にならぬ。われわれはその後、文案を具して当局に迫ったこともあるくらいであるから、当局ももはや諒としておられるであろう。さすれば主な理由は、余地なしという点に帰着するわけである。つくづく尋常科教科書を検討してみるに、次のようなことが載せてあるのを気づく。すなわち「南洋にはドリアンという果物ができる。うまいけれども、とても臭い」と。このような記事を加える余裕があるにもかかわらず、地震国・震災国の幼い小国民に地震のことを教える余地がないとは、じつに不可解なことといわねばならぬ。
  • #51 現代語訳『古事記』(五)下巻(前編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     一、仁徳天皇
      后妃と皇子女
      聖(ひじり)の御世
      吉備の黒日売
      皇后石の姫の命
      ヤタの若郎女
      ハヤブサワケの王とメトリの王
      雁の卵
      枯野という船
     二、履中天皇・反正天皇
      履中天皇とスミノエノナカツ王
      反正天皇
     三、允恭天皇
      后妃と皇子女
      八十伴の緒の氏姓
      木梨の軽の太子
     四、安康天皇
      マヨワの王の変
      イチノベノオシハの王

     皇后石の姫の命はひじょうに嫉妬なさいました。それで天皇のお使いになった女たちは宮の中にも入りません。事がおこると足擦りしてお妬みなさいました。しかるに天皇、吉備の海部の直の娘、黒姫という者が美しいとお聞きあそばされて、喚し上げてお使いなさいました。しかしながら、皇后さまのお妬みになるのをおそれて本国に逃げ下りました。(略)
     これより後に皇后さまが御宴をお開きになろうとして、カシワの葉を採りに紀伊の国においでになったときに、天皇がヤタの若郎女と結婚なさいました。ここに皇后さまがカシワの葉を御船にいっぱいに積んでおかえりになるときに、(略)「天皇はこのごろヤタの若郎女と結婚なすって、夜昼たわむれておいでになります。皇后さまはこのことをお聞きあそばさないので、しずかに遊んでおいでになるのでしょう」と(略)聞いて、(略)ひじょうに恨み、お怒りになって、御船に載せたカシワの葉をことごとく海に投げすてられました。それでそこを御津の埼というのです。そうして皇居にお入りにならないで、船をまげて堀江にさかのぼらせて、河のままに山城にのぼっておいでになりました。(略)それから山城からまわって、奈良の山口においでになってお歌いになった歌、

     山また山の山城川を
     御殿の方へとわたしがさかのぼれば、
     うるわしの奈良山をすぎ
     青山のかこんでいる大和をすぎ
     わたしの見たいと思うところは、
     葛城の高台の御殿、
     故郷の家のあたりです。

     かように歌っておかえりになって、しばらく筒木の韓人のヌリノミの家にお入りになりました。
  • #52 現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)武田祐吉(訳)
    古事記 下の巻
     五、雄略天皇
      后妃と皇子女
      ワカクサカベの王
      引田部の赤猪子
      吉野の宮
      葛城山
      春日のオド姫と三重の采女
     六、清寧天皇・顕宗天皇・仁賢天皇
      清寧(せいねい)天皇
      シジムの新築祝い
      歌垣
      顕宗(けんぞう)天皇
      仁賢天皇
     七、武烈天皇以後九代
      武烈(ぶれつ)天皇
      継体(けいたい)天皇
      安閑(あんかん)天皇
      宣化(せんか)天皇
      欽明(きんめい)天皇
      敏達(びだつ)天皇
      用明(ようめい)天皇
      崇峻(すしゅん)天皇
      推古天皇

     天皇〔顕宗天皇〕、その父君をお殺しになったオオハツセの天皇を深くおうらみ申し上げて、天皇の御霊に仇(あだ)をむくいようとお思いになりました。よってそのオオハツセの天皇の御陵を毀(やぶ)ろうとお思いになって人を遣わしましたときに、兄君のオケの命の申されますには、「この御陵を破壊するには他の人をやってはいけません。わたくしが自分で行って陛下の御心のとおりに毀してまいりましょう」と申し上げました。そこで天皇は、「それならば、お言葉どおりに行っていらっしゃい」とおおせられました。そこでオケの命がご自身でくだっておいでになって、御陵のそばを少し掘って帰っておのぼりになって、「すっかり掘り壊(やぶ)りました」と申されました。そこで天皇がその早く帰っておのぼりになったことを怪しんで、「どのようにお壊りなさいましたか?」とおおせられましたから、「御陵のそばの土を少し掘りました」と申しました。天皇のおおせられますには、「父上の仇を報ずるようにと思いますので、かならずあの御陵をことごとく壊すべきであるのを、どうして少しお掘りになったのですか?」とおおせられましたから、申されますには、「かようにしましたわけは、父上の仇をその御霊にむくいようとお思いになるのはまことに道理であります。しかしオオハツセの天皇は、父上の仇ではありますけれども、一面は叔父でもあり、また天下をお治めなさった天皇でありますのを、今もっぱら父の仇ということばかりを取って、天下をお治めなさいました天皇の御陵をことごとく壊しましたなら、後の世の人がきっとおそしり申し上げるでしょう。しかし、父上の仇は報(むく)いないではいられません。それであの御陵の辺りを少し掘りましたから、これで後の世に示すにも足りましょう」とかように申しましたから、天皇は「それも道理です。お言葉のとおりでよろしい」とおおせられました。
  • 第四巻
  • #1 日本昔話集 沖縄編(一)伊波普猷・前川千帆(絵)

     序にかえて
      琉球編について
     一、沖縄人のはじめ
     二、巨人の足あと
     三、三十七岳の神々
     四、アカナァとヨモ
     五、黄金の木のなるまで

     地上には、草や木はもちろんのこと、鳥や獣(けもの)というては一匹もいなかった大昔のことです。その時分、沖縄島の上には、霞(かすみ)がかかったように、天が垂(た)れ下がっていて、天と地との区別がまったくありませんでした。しかも、東の海から寄せてくる波は、島をこえて西の海に行き、西の海の潮は、東の海に飛びこえて渦を巻いているという、それはそれは、ものすごいありさまでした。
     それまで天にいられたアマミキヨ、シネリキヨという二人の神さまは、このありさまをごらんになって、
    「あれでは、せっかく作り上げた島もなにもならん」
    とおっしゃって、さっそく天上から土や石や草や木やをお運びになって、まず最初に、海と陸との境をお定めになりました。
     二人の神さまは、それから浜辺にお出でになり、阿旦(あだん)やユウナという木をお植えつけになって、波を防ぐようにせられました。それからというものは、さしもに逆巻いていた、あの騒がしい波も飛び越さなくなり、地上には草や木が青々としげって、野や山には小鳥の声が聞こえ、獣があちこち走るようになりました。地上がこういう平和な状態になったときに、二人の神さまは、今度は人間をおつくりになりました。そして最初は、鳥や獣といっしょにしておかれました。人間は、何も知らないものですから、鳥や獣とあちこち走りまわっていました。ところが人間に、だんだん知恵がついてきまして、今までお友だちだった鳥や獣を捕って食べることを覚えたものですから、たまりません。鳥や獣はびっくりして、だんだん、山へ逃げこんでしまうようになりました。 (「巨人の足あと」より)

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