*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)
稗田の阿礼 ひえだの あれ 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。
太の安万侶 おおの やすまろ ?-723 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。
武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。(日本史)
雄略天皇 ゆうりゃく てんのう 記紀に記された5世紀後半の天皇。允恭天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武。対立する皇位継承候補を一掃して即位。478年中国へ遣使した倭王「武」、また辛亥(471年か)の銘のある埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に見える「獲加多支鹵大王」に比定される。
オオハツセノワカタケの命 → 雄略天皇
オオクサカの王 大日下王/大草香皇子 → ハタビの大郎子
ハタビの大郎子 おおいらつこ 波多毘能大郎子。別名、オオクサカの王。
ワカクサカベの王 若日下部の王。オオクサカの王の妹。ハタビの若郎女。別名、ナガメ姫の命。
ツブラオオミ 都夫良意美/都夫良意富美 円大臣。葛城円。意富美は大臣のこと。安康天皇を殺害したマヨワの王をかくまって、オオハツセの王(雄略天皇)に滅ぼされた。(神名)
カラ姫 韓比売/訶良比売 ツブラオオミの娘。韓媛(紀)。雄略天皇との間に白髪命・若帯比売命を生む。(神名)
シラガの命 白髪の命 しらが/しらか → 清寧天皇
ワカタラシの命 若帯比売の命か。稚足姫皇女。別名、栲幡姫皇女(紀)。雄略天皇の子。母は韓比売。紀に伊勢大神に侍したとある。讒言にあい、神鏡を持ち出し五十鈴川のほとりで自殺した。(神名)
コシハキ 腰佩。
志幾の大県主 しきの おおあがたぬし
引田部の赤猪子 ひけたべの あかいこ → 赤猪子
赤猪子 あかいこ 引田部赤猪子。古事記の所伝によると、雄略天皇の目にとまり、空しく召しを待つこと80年、天皇がこれをあわれみ、歌と禄とを賜ったという女性。
一言主の大神 ひとことぬし 葛城山に住み、吉事も凶事も一言で表現するという神。
春日のオド姫 春日の袁杼比売 かすがのおどひめ 丸迩のサツキの臣の娘。雄略天皇の妻問いを拒み、岡の上に逃げ隠れたことが、天皇の歌と共に語られている。またのちに新嘗の豊楽の日ふたたび登場し大御酒をたてまつっている。(神名)
三重の采女 みえの うねめ 伊勢国三重郡から奉られた采女。雄略記にのみ登場する。新嘗祭の酒宴で采女の失態に怒った天皇が斬り殺そうとすると、采女は歌をたてまつって罪を許されたとある。(神名)
丸迩のサツキの臣 わに 丸邇の佐都紀の臣 雄略天皇の妃。袁杼比売の父。
清寧天皇 せいねい てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。雄略天皇の第3皇子。名は白髪、諡は武広国押稚日本根子。
顕宗天皇 けんぞう てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。履中天皇の皇孫。磐坂市辺押磐皇子の第2王子。名は弘計。父が雄略天皇に殺された時、兄(仁賢天皇)と共に播磨に逃れたが、後に発見されて即位したという。
仁賢天皇 にんけん てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。磐坂市辺押磐皇子の第1王子。名は億計。父が雄略天皇に殺された時、弟(顕宗天皇)とともに播磨に逃れた。のちに清寧天皇の皇太子となり、弟に次いで即位したという。
シラガノオオヤマトネコの命 白髪の大倭根子の命 → 清寧天皇
イチノベノオシハワケの王 市の辺の忍歯別の王 イザホワケの天皇の皇子。市辺押磐皇子。市辺は地名。山城国綴喜郡に市野辺村がある。履中天皇の皇子。皇位継承者として有力視されていたが、雄略天皇に近江の久多綿蚊屋野で殺された。風土記には市辺天皇命とある。(神名)
オシヌミの郎女 いらつめ 忍海の郎女 別名、イイトヨの王。アオミの郎女。イチノベノオシハワケの王の妹。
イイトヨの王 飯豊の王 → オシヌミの郎女
シジム 志自牟 播磨国の豪族。父のイチノベノオシハの王を殺されたオケの王・ヲケの王が、シジムの家に馬甘・牛甘として隠れ住んだ。二皇子はシジムの家の新室楽のとき、訪れた山部連小楯に見出される。紀で該当するのは縮見屯倉首忍海部造細目。播磨風土記では志深村首伊等尾。(神名)
山部の連小楯 やまべのむらじ おだて
イザホワケの天皇 伊耶本和気の天皇 → 履中天皇
履中天皇 りちゅう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は大兄去来穂別。
武烈天皇 ぶれつ てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。仁賢天皇の第1皇子。名は小泊瀬稚鷦鷯。
平群の臣 へぐりのおみ
平群氏 へぐりし 武内宿禰の後裔と伝えられ、大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)を本拠地とした古代在地豪族の一つ。姓は臣、後に朝臣。
シビの臣 志毘の臣 平群の臣の祖先。
志毘 しび 欽明天皇の時、出雲国意宇郡舎人郷にいた倉舎人君の祖、日置臣志毘のこと(? 出雲風土記)(神名)
ヲケの命 袁祁の命 → 顕宗天皇
兎田の首 うだの おびと
オオヲ 大魚 兎田の長の娘。
オケの王 意祁の王/意富祁王 → 仁賢天皇
ヲケの王 袁祁の王 → 顕宗天皇
イチノベノオシハの王 市の辺の忍歯の王 → イチノベノオシハワケの王
オケノイワスワケの命 袁祁の石巣別の命 → 顕宗天皇
イワキの王 石木の王
ナニワの王 難波の王 イワキの王の娘。顕宗天皇の妃となるが子はない。紀には皇后難波小野王とするが誤りとみられる。仁賢紀には、皇太子だった時の仁賢天皇に無礼を働いたことを悔やんで自殺したとも記している。(神名)
イチノベの王 → イチノベノオシハの王
カラフクロ 韓。近江の佐々紀山君の祖先。カラフクロが「淡海の久多綿の蚊屋野に猪鹿がたくさんいる」といったことにより、オオハツセの王とイチノベノオシハの王は蚊屋野に行き、イチノベノオシハの王が殺される。(神名)
置目の老媼 おきめのばば/おうな
オオハツセの天皇 大長谷の天皇 → オオハツセノワカタケの命・雄略天皇
オオケの王 意富祁の命 → 仁賢天皇
春日の大郎女 おおいらつめ 春日大娘皇女(紀)。オオハツセノワカタケの天皇(雄略天皇)の娘。仁賢天皇との間に高木郎女、財郎女、久須毘郎女、手白髪郎女、小長谷若雀命(武烈天皇)、真若王を生んだ。紀では母は春日和珥臣深目の娘・童女といい、別名として高橋皇女を載せる。(神名)
タカギの郎女 たかぎの/たかきの いらつめ 高木の郎女 仁賢天皇の皇女。事跡不詳。紀は高橋大娘皇女と記しているが、これは母である春日大郎女の別名と同一となるため誤りか。(神名)
タカラの郎女 いらつめ 財の郎女 仁賢天皇の皇女。紀にはこの名はみられず、朝嬬皇女とあるのが相当する。(神名)
クスビの郎女 いらつめ 久須毘の郎女 樟氷皇女(紀)。仁賢天皇の子。
タシラガの郎女 たしらが/たしらかの いらつめ 手白髪の郎女 手白香皇女(紀)。仁賢天皇の皇女。継体天皇の皇后となって欽明天皇を生んだ。(神名)
オハツセノワカサザキの命 → 武烈天皇
マワカの王 真若の王 (1) 景行天皇の皇子。(2) 仁賢天皇の皇女。母は雄略天皇の皇女の春日大郎女。(神名)
ワニノヒノツマの臣 丸邇の日爪の臣 ひつまのおみ 丸迩(和邇)は姓、日爪は名。子に仁賢天皇妃、糠若子郎女がいる。(神名)
ヌカノワクゴの郎女 いらつめ 糠の若子の郎女 ワニノヒノツマの臣の娘。
カスガノオダの郎女 いらつめ 春日の小田の郎女 → 春日山田皇女か
春日山田皇女 かすがの やまだの ひめみこ 仁賢天皇の皇女。別名を山田赤見皇女・山田大娘皇女・赤見皇女。記の春日山田郎女あるいは春日小田郎女と同一人物と思われる。母は二説あるが、いずれも和珥氏出身。安閑天皇の太子時代に妃となる。伊甚国造稚子の罪に連座して伊甚倉を献じて罪をあがなった。宣化天皇が崩じたとき、欽明天皇は群臣に皇后に政務を執るよう乞わさせたが、皇后は聞かず、間もなく崩じた。(神名)
ホムダの天皇 品太の王 → 応神天皇
応神天皇 おうじん てんのう 記紀に記された天皇。5世紀前後に比定。名は誉田別。仲哀天皇の第4皇子。母は神功皇后とされるが、天皇の誕生については伝説的な色彩が濃い。倭の五王のうち「讃」にあてる説がある。異称、胎中天皇。
オオドの命 袁本杼の命 → 継体天皇
継体天皇 けいたい てんのう 記紀に記された6世紀前半の天皇。彦主人王の第1王子。応神天皇の5代の孫という。名は男大迹。
タシラガの命 手白髪の命 たしらかのみこと オオケの天皇(仁賢天皇)の御子。/継体天皇の皇后となったため郎女から命へと表記が変わったか。タシラガの郎女参照。(神名)
三尾の君 みお
ワカ姫 若比売 稚媛(紀)。即位前の継体天皇ゆかりの地の豪族三尾の君らの祖。継体天皇の妃となり二皇子を生む。紀では三尾角折君の妹。(神名)
大郎子 おおいらつこ 継体天皇の皇子で、紀では大郎皇子と表記。母はワカ姫。(神名)
イヅモの郎女 いらつめ 出雲の郎女 継体天皇の皇女。母はワカ姫。(神名)
尾張の連
オオシの連 むらじ 凡の連。尾張の連らの祖先。
メコの郎女 いらつめ 目子の郎女 オオシの連の妹。
ヒロクニオシタケカナヒの命 広国押建金日の命 → 安閑天皇
タケオヒロクニオシタテの命 建小広国押楯の命 → 宣化天皇
オオケの天皇 意富祁の天皇 → 仁賢天皇
アメクニオシハルキヒロニワの命 天国押波流岐広庭の命 → 欽明天皇
オキナガノマテの王 息長の真手の王 まての/までのみこ 継体天皇妃の麻組郎女、敏達天皇のヒロヒメ命の父。(神名)
オクミの郎女 いらつめ 麻組の郎女 麻績娘子(紀)。オキナガノマテの王の娘。継体天皇の妃となりササゲの郎女を生む。(神名)
ササゲの郎女 いらつめ 佐佐宜の郎女 荳角皇女(紀)。ササゲの王ともいう。継体天皇の子。母はオクミの郎女。伊勢神宮の斎宮となる。(神名)
サカタノオオマタ 坂田の大俣の王 坂田大股王か。坂田大跨王(紀)。娘の黒比売が継体天皇との間に三女をもうける。紀では娘は広媛。(神名)
クロ姫 黒比売 サカタノオオマタの娘。
カムザキの郎女 いらつめ 神前の郎女 神前は近江国神前郡。継体天皇の皇女。母は記ではクロ姫。紀では広媛とし、安閑天皇と合葬されたと記す。事跡不詳。(神名)
ウマラタの郎女 うまらたの/まむたの いらつめ 茨田の郎女 継体天皇の皇女か。母はクロ姫。
シラサカノイクメコの郎女 いらつめ 白坂の活目子の郎女 白坂活日姫皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は関媛。(神名)
オノの郎女 いらつめ 小野の郎女 別名、ナガメ姫。小野稚娘皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は関媛。(神名)
ナガメ姫 長目比売 別名、オノの郎女、ハタビの若郎女、若日下部命ともいう。仁徳天皇の皇女。母は髪長姫。雄略天皇の妃となる。仁徳紀では幡梭皇女、あるいは橘姫皇女と表記する。(神名)
三尾の君カタブ みお 加多夫 継体天皇の妃のヤマト姫の兄。
ヤマト姫 倭比売 三尾の君カタブ(紀では堅)の妹。継体天皇の妃となり四皇子を生む。そのうちの第二子椀子皇子は三国公の祖とされる。(神名)
大郎女 おおいらつめ 継体天皇の皇女。母はヤマト姫。
マロタカの王 丸高の王 継体天皇の皇子。母はヤマト姫。(『神名』は「まろこのみこ」)
ミミの王 耳の王 継体天皇の子。母はヤマト姫。
アカ姫の郎女 いらつめ 赤比売の郎女 赤姫皇女(紀)。継体天皇の皇女。母はヤマト姫。(神名)
阿部のハエ姫 阿部の波延比売 阿倍か。阿倍は地名。波延は光り映るの義。継体天皇に召されて三皇子を生んだ。(神名)
ワカヤの郎女 いらつめ 若屋の郎女 継体天皇の皇女。母は阿部のハエ姫。紀では母を和珥臣河内の娘の夷媛とする。(神名)
ツブラの郎女 いらつめ 都夫良の郎女 円娘皇女(紀)。継体天皇の皇女。母は阿部のハエ姫。
アズの王 阿豆の王 名義不詳。継体天皇の子。母は阿部のハエ姫。
ササゲの王 佐佐宜の王 → ササゲの郎女
筑紫の君石井 つくしのきみ いわい → 筑紫君磐井
筑紫君磐井 つくしのきみ いわい ?-528? 古墳時代末の九州の豪族。『日本書紀』によれば朝鮮半島南部の任那へ渡航しようとするヤマト政権軍をはばむ磐井の乱を起こし、物部麁鹿火によって討たれたとされる。
物部の荒甲 もののべの あらかい 物部麁鹿火。大連。武烈天皇の死後、継体天皇の擁立を働きかけ、その即位後に大伴金村と共に再び大連に任ぜられる。
大伴の金村 おおともの かなむら 大伴金村 大和政権時代の豪族。武烈天皇から欽明天皇に至る5代の間、大連として権勢を張ったが対朝鮮政策につまずいて失脚。生没年未詳。
安閑天皇 あんかん てんのう 466-535 記紀に記された6世紀前半の天皇。名は勾大兄、また広国押武金日。継体天皇の第1皇子。
宣化天皇 せんか てんのう 記紀に記された6世紀前半の天皇。継体天皇の第3皇子。名は武小広国押盾。
オケの天皇 意祁の天皇 → 仁賢天皇
タチバナのナカツヒメの命 橘の中比売の命 仁賢天皇の御子。橘仲皇女(紀)。宣化天皇との間に石姫命・小石姫の命・クラノワカエの王を生む。紀によれば、母は春日大郎皇女。宣化天皇の皇后となり、一男三女を設けたとする。(神名)
石姫の命 いしひめ 石比売の命 名義不詳。宣化天皇の御子。母は橘中比売命。妹は小石姫の命。のちに欽明天皇の皇后となって八田王、沼名倉太玉敷命、笠縫王を生んだ。(神名)
ヒノクマの天皇 桧�fの天皇 → 宣化天皇
小石姫の命 こいし 石姫の命の妹。
クラノワカエの王 倉の若江の王 宣化天皇の子。母は橘中比売命。
川内のワクゴ姫 かわち 河内の若子比売 大河内稚子媛(紀)。宣化天皇妃で二子を生んだ。紀では即位前の庶妃と記す。出自は不詳。(神名)
ホノホの王 火の穂の王 志比陀の君の祖先。
エハの王 恵波の王 韋那の君・多治比の君の祖先。
志比陀の君
韋那の君 いな
多治比の君 たじひ
欽明天皇 きんめい てんのう ?-571 記紀に記された6世紀中頃の天皇。継体天皇の第4皇子。名は天国排開広庭。即位は539年(一説に531年)という。日本書紀によれば天皇の13年(552年、上宮聖徳法王帝説によれば538年)、百済の聖明王が使を遣わして仏典・仏像を献じ、日本の朝廷に初めて仏教が渡来(仏教の公伝)。(在位 〜571)
ヤタの王 八田の王 欽明天皇の子。母は宣化天皇の皇女の石姫命。事跡不詳。紀では箭田珠勝大兄皇子。(神名)
ヌナクラフトタマシキの命 沼名倉太玉敷の命 → 敏達天皇
カサヌイの王 笠縫の王 (1) 敏達記に、忍坂日子人太子と桜井玄王の子として登場する。(2) 別名、狭田毛皇女。欽明天皇の皇女で、母は石姫命。事跡不詳。(神名)
カミの王 上の王 欽明天皇の子。母は小石姫命。
春日のヒノツマ 春日の日爪の臣 和迩日爪臣か。子に仁賢天皇妃、糠若子郎女がいる。(神名)
ヌカコの郎女 いらつめ 糠子の郎女 春日のヒノツマの娘。欽明天皇の妃となり三子を生む。紀では春日の日抓の娘とし二子を生んでいる。(神名)
春日の山田の郎女 いらつめ → 春日山田皇女
マロコの王 麻呂古の王 (1) 欽明天皇の皇子。母は春日日爪臣の娘、糠子郎女。(2) 椀子皇子(紀)。欽明天皇の皇子。母は宗賀之宿祢之大臣の娘キタシ姫。推古天皇の同母弟。(3) 忍坂日子人太子。(神名)
ソガノクラの王 宗賀の倉の王 欽明天皇の皇子。母は糠子郎女。
宗賀の稲目宿祢 そがの いなめの すくね 大臣 → 蘇我稲目か
蘇我稲目 そがの いなめ ?-570 飛鳥時代の豪族。宣化・欽明両朝の大臣。物部尾輿と対立して、仏教受容を主張、仏像を向原の家に安置して向原寺(後の豊浦寺)としたという。
キタシ姫 岐多斯比売 → 蘇我堅塩媛
蘇我堅塩媛 そが の きたしひめ 生没年不詳 飛鳥時代の皇妃。欽明天皇の妃。用明天皇、推古天皇の母。父は蘇我稲目。姉妹に同じく欽明天皇の妃になった蘇我小姉君、弟に蘇我馬子がいる。
タチバナノトヨヒの命 橘の豊日の命 → 用明天皇
イワクマの王 石�fの王 磐隈皇女・夢皇女(紀)。欽明天皇の子。母はキタシ姫。紀にははじめ伊勢大神に斎宮として仕えていたが、後に異母兄弟の茨城皇子が奸に坐したため、その任を解かれたとある。(神名)
アトリの王 足取の王 名義・事跡不詳。欽明天皇の子。母はキタシ姫。
トヨミケカシギヤ姫の命 豊御気炊屋比売の命 → 推古天皇
オオヤケの王 大宅の王 大宅皇女(紀)。大宅は地名。大和国添上郡にある。欽明天皇の皇女。母はキタシ姫。事跡不詳。(神名)
イミガコの王 伊美賀古の王 石上部皇子(紀)か。
ヤマシロの王 山代の王 敏達天皇の皇子のヒコヒトの太子の子。母は桜井玄王。事跡不詳。(神名)
オオトモの王 大伴の王 大伴皇女(紀)か。
サクライノユミハリの王 桜井の玄の王 (1) 桜井之玄王。欽明天皇の子。母はキタシ姫。(2) 桜井玄王。敏達天皇の子。母は天皇の庶妹、豊御食炊屋比売命。(神名)
マノの王 麻怒の王 麻奴王。肩野皇女(紀)か。欽明天皇の子。母はキタシ姫。
タチバナノモトノワクゴの王 橘本若子王 欽明天皇の第十二子。母はキタシ姫で用明天皇・推古天皇と同母。事跡不詳。(神名)
ネドの王 泥杼の王 欽明天皇の皇子。母はキタシ姫。舎人皇女(紀)か。
キタシ姫の命 岐多志比売の命 → キタシ姫か
オエ姫 小兄比売 小姉君(紀)。キタシ姫命の叔母。欽明天皇の妃。
ウマキの王 馬木の王 欽明天皇の皇子。母はオエ姫。紀の茨城皇子にあたると考えられる。ただし茨城皇子は堅塩媛の同母妹となっており、皇子は異母兄弟で伊勢に仕える磐隈皇女を奸し、解任の原因を作っている。(神名)
カズラキの王 葛城の王 敏達天皇の子。母は豊御気炊屋比売命。
ハシヒトノアナホベの王 間人の穴太部の王 泥部穴穂部皇女、穴穂部間人皇女(紀)。欽明天皇の皇女。母はオエ姫。用明天皇の皇后となり、聖徳太子ら四人を生んだ。(神名)
サキクサベノアナホベの王 三枝部の穴太部の王 別名スメイロト。欽明天皇の子。母はオエ姫。
スメイロト 須売伊呂杼 すめいろど
ハツセベノワカサザキの命 長谷部の若雀の命 → 崇峻天皇
敏達天皇 びだつ てんのう 538-585 記紀に記された6世紀後半の天皇。欽明天皇の第2皇子。名は訳語田渟中倉太珠敷。(在位572〜585)
トヨミケカシギヤ姫の命 豊御食炊屋比売の命 敏達天皇の庶妹。
シズカイの王 静貝の王 別名、カイダコの王。父は敏達天皇。母は豊御気炊屋比売命。貝鮹は名義抄にかいだことあり、あおいがいのことであるという。(神名)
カイダコの王 貝鮹の王 → シズカイの王
タケダの王 竹田の王 別名、オカイの王。竹田皇子(紀)。敏達天皇の子。母は豊御食炊屋比売命。紀では物部守屋の討伐軍に加わっている。(神名)
オカイの王 小貝の王 → タケダの王
オワリダの王 小治田の王 おはりだのみこ 小墾田皇女(紀)。敏達天皇と推古天皇との第三子。紀には彦人大兄皇子と婚したとある。(神名)
ウモリの王 宇毛理の王 父は敏達天皇。母は豊御食炊屋比売命。事跡不詳。紀では別名、軽守皇女。(神名)
オワリの王 小張の王 尾張皇子(紀)。敏達天皇と推古天皇の第六子。紀では第五子にあたる。(神名)
タメの王 多米の王 田眼皇女(紀)。敏達天皇の皇女。母は豊御食炊屋比売命。紀では舒明天皇の妃となっている。(神名)
伊勢のオオカの首 おびと 伊勢の大鹿の首
オクマコの郎女 いらつめ 小熊子の郎女 伊勢のオオカの首の娘。敏達天皇の妃。記によるとフト姫命・宝王(糠代比売王)の母。紀によると太姫皇女(桜井皇女)と糠手姫皇女(田村皇女)の母。(神名)
フト姫の命 布斗比売の命 敏達天皇の皇女。母はオクマコの郎女。紀は太姫皇女(桜井皇女)。母は伊勢大鹿首の娘で采女である菟名子夫人とする。(神名)
タカラの王 宝の王 別名、ヌカデ姫の王。敏達天皇の皇子。母はオクマコの郎女。田村王ともいう。田村王は忍坂日子人太子の妻で、舒明天皇・中津王・多良王の母。(神名)
ヌカデ姫の王 糠代比売の王 → タカラの王
ヒロ姫の命 比呂比売の命 広姫(紀)。オキナガノマテの王の娘。敏達天皇の皇后。忍坂日子人太子(別名、麻古王)、坂騰王、宇遅王の母。紀では押坂彦人大兄皇子、逆登皇女、菟道磯津貝皇女の母。敏達天皇4年11月に崩じた。(神名)
オサカノヒコヒトの太子 忍坂の日子人の太子 別名マロコの王。紀では押坂彦人大兄皇子。敏達天皇の皇子。母はヒロ姫命。紀では妻は小墾田皇女。太子ではあったが即位はしなかった。古事記伝では舒明天皇の父にあたる。(神名)
マロコの王 麻呂古の王 → オサカノヒコヒトの太子
サカノボリの王 坂騰の王 逆登皇女(紀)。敏達天皇の子。母はヒロ姫命。
ウジの王 宇遅の王 敏達天皇の皇女。母はヒロ姫命。紀の妃の広姫を母とする菟道磯津貝皇女にあたる。炊屋姫(推古)を母とする類似の名を持つ皇女がおり、そのどちらかが伊勢斎宮に任じられたが池辺皇子と関係して解任されている。(神名)
春日のナカツワクゴの王 春日の中つ若子 オミナコの郎女の父。
オミナコの郎女 いらつめ 老女子の郎女 老女子(紀)。春日のナカツワクゴの王の娘。敏達天皇の妃。
ナニワの王 難波の王 難波皇子(紀)。敏達天皇の子。母はオミナコの郎女。
クワタの王 桑田の王 桑田皇女(紀)。敏達天皇の子。母はオミナコの郎女。
カスガの王 春日の王 春日皇子(紀)。敏達天皇の子。母はオミナコの郎女。
オオマタの王 大俣の王 大派皇子(紀)。敏達天皇の子。母はオミナコの郎女。大和国吉野郡の地名によるか。姓氏録では敏達天皇の孫とする。(神名)
舒明天皇 じょめい てんのう 593-641 飛鳥時代の天皇。押坂彦人大兄皇子(敏達天皇の皇子)の第1王子。名は息長足日広額、また田村皇子。皇居は大和国飛鳥の岡本宮。(在位629〜641)
タムラの王 田村の王 別名、ヌカデ姫の命 押坂彦人大兄皇子の妃。舒明天皇の母。父は第30代敏達天皇、母は伊勢大鹿首小熊の女。同母姉妹には太姫皇女がいる。
ヌカデ姫の命 糠代比売の命 → タムラの王
ナカツ王 中津王 敏達天皇の皇子オサカノヒコヒトの太子の子。母はヌカデ姫の命。
タラの王 多良王 オサカノヒコヒトの太子の子。母はヌカデ姫の命。紀には記載がない。(神名)
アヤの王 漢の王 オオマタの王の兄。
オオマタの王 大俣の王 アヤの王の妹。
チヌの王 智奴の王 茅渟王(紀)。敏達記にはオサカノヒコヒトの太子の子。母はオオマタの王。紀ではオサカノヒコヒトの太子の孫、吉備姫王との間に皇極天皇を生む。(神名)
クワタの女王 桑田の王
ユミハリの王 玄の王 敏達天皇の庶妹。 → サクライノユミハリの王か
用明天皇 ようめい てんのう ?-587 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の第4皇子。聖徳太子の父。皇后は穴穂部間人皇女。名は橘豊日。皇居は大和国磐余の池辺双槻宮。在位中は蘇我馬子と物部守屋が激しく対立。(在位585〜587)
オオギタシ姫 意富芸多志比売 蘇我稲目の大臣の娘 → キタシ姫か
ウマヤドノトヨトミミの命 厩戸の豊聡耳の命 → 聖徳太子
聖徳太子 しょうとく たいし 574-622 用明天皇の皇子。母は穴穂部間人皇后。名は厩戸。厩戸王・豊聡耳皇子・法大王・上宮太子とも称される。内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位十二階・憲法十七条を制定、遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽くし、多くの寺院を建立、「三経義疏」を著すと伝える。なお、その事績とされるものには、伝説が多く含まれる。
クメの王 久米の王 来目皇子(紀)。用明天皇の皇子。母は穴穂部女王。聖徳太子の同母弟にあたる。推古10年(594)新羅征討の大将軍を拝して、西海筑紫に船艦を整え発しようとするときに疾発し、翌年崩じた。末孫に登美真人がいる。(姓氏録、神名)
エクリの王 植栗の王 殖栗皇子(紀)。用明天皇の皇子。母はその庶妹ハシヒトノアナホベの王。聖徳太子の同母弟。姓氏録には殖栗王と記し、蜷淵真人の祖となっている。(神名)
ウマラタの王 茨田の王 まむたのみこ 茨田皇子(紀)。用明天皇の子。母はハシヒトノアナホベの王。聖徳太子の弟。
当麻の倉の首ヒロ たぎま 当麻の倉首比呂 用明天皇妃、飯女之子の父。用明紀では、葛城直磐村の娘・慶子とあるが、これは父と娘の名を取り違えたと思われる。倉首は朝廷の倉庫管理者を示す。(神名)
イイの子 飯の子 当麻の倉の首ヒロの娘。紀の伊比古郎女か。
タギマの王 当麻の王 用明天皇の皇子。母は飯女之子。用明紀には麻呂子皇子と記されている。事跡不詳。(神名)
スガシロコの郎女 いらつめ 須賀志呂古の郎女 酢香手姫皇女(紀)。用明天皇の皇女。母は飯女之子。紀では葛城直磐村の娘の広子を母としている。(神名)
崇峻天皇 すしゅん てんのう ?-592 記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の皇子。名は泊瀬部。皇居は大和国倉梯の柴垣宮。蘇我馬子の専横を憤り、これを倒そうとして、かえって馬子のために暗殺された。(在位587〜592)
ハツセベノワカサザキの天皇 長谷部の若雀の天皇 → 崇峻天皇
推古天皇 すいこ てんのう 554-628 記紀に記された6世紀末・7世紀初の天皇。最初の女帝。欽明天皇の第3皇女。母は堅塩媛(蘇我稲目の娘)。名は豊御食炊屋姫。また、額田部皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇暗殺の後を受けて大和国の豊浦宮で即位。後に同国の小墾田宮に遷る。聖徳太子を摂政とし、冠位十二階の制定、十七条憲法の発布などを行う。(在位592〜628)
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)。
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
『帝紀』 ていき 天皇の系譜の記録。帝皇日嗣。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*難字、求めよ
白髪部 しらがべ/しらかべ 白髪命(清寧天皇)の名代か。白髪部姓は多数実在したが、785年白壁王(光仁天皇)の諱をさけて真髪部と改姓された。(日本史)
長谷部の舎人 はつせべの とねり
長谷部 はつせべ/はせべ 初瀬部。古代の部民。大長谷若建(紀では大泊瀬幼武)の名代とするのが通説。8世紀には長谷部を姓とする人々が伊勢・尾張・三河・信濃・下総国など東日本に実在。(日本史)
河瀬の舎人 かわせの とねり 川瀬舎人(紀)。雄略天皇の時、定められた。(神名)
引田部 ひけたべ
静歌 しずうた 志都歌。上代歌謡の曲調。歌い方が拍子にはまらず、ゆるやかなものをいうか。しつうた。
はんのき 榛の木 (ハリノキの音便)カバノキ科の落葉高木。山地の湿地に自生。また田畔に栽植して稲穂を干す。高さ約20メートルに達し、雌雄同株。2月頃、葉に先だって暗紫褐色の単性花をつけ、花後、松かさ状の小果実を結ぶ。材は薪・建築および器具用、樹皮と果実は染料。ハリ。ハギ。
青摺の衣 あおずりのころも 宮廷祭祀の際、奉仕の祭官や舞人が袍の上に着用する衣。山藍で草木・蝶・鳥などの文様を摺込染にし、左肩に2条の赤紐を垂らしたもの。
御大刀
采女 うねめ 古代、郡の少領以上の家族から選んで奉仕させた後宮の女官。律令制では水司・膳司に配属。うねべ。
広らか ひろらか ひろいさま。ひろやか。
領巾・肩巾 ひれ (風にひらめくものの意) (1) 古代、波をおこしたり、害虫・毒蛇などをはらったりする呪力があると信じられた、布様のもの。(2) 奈良・平安時代に用いられた女子服飾具。首にかけ、左右へ長く垂らした布帛。別れを惜しむ時などにこれを振った。(3) 平安時代、鏡台の付属品として、鏡をぬぐうなどに用いた布。(4) 儀式の矛などにつける小さい旗。
天語歌 あまがたりうた 上代歌謡の一つ。古事記雄略天皇の条に3首見える長歌謡。一説に、海人語部が伝えた寿歌という。古来、「あまことうた」と訓まれていた。
宇岐歌 うきうた 宇岐歌・盞歌。(「うき」は調子の浮いた意ともいう)古代歌謡の一種。杯をささげる時の祝歌。元日の節会にうたわれ、片歌形式に短歌形式の結合したもの。歌詞は古事記・琴歌譜に見える。
脇息 きょうそく 坐臥具の一つ。すわった時に臂をかけ、からだを安楽に支えるもの。ひじかけ。記紀では几、奈良時代には挟軾といわれた。
志都歌 しずうた → 静歌
山部 やまべ 大和政権で直轄領の山林を管理した品部。
歌垣 うたがき (1) 上代、男女が山や市などに集まって互いに歌を詠みかわし舞踏して遊んだ行事。一種の求婚方式で性的解放が行われた。かがい。(2) 男女相唱和する一種の歌舞。宮廷に入り踏歌を合流して儀式化する。
鮪 しび マグロの成魚。
催して うながして
茅草 ちぐさ/ちくさ (1) 植物「くさよし(草葦)」の異名。(2) 植物「ほっすがや(払子茅)」の異名。方言、ちがや(茅萱)。
小長谷部 おはつせべ
磐井の乱 いわいのらん 6世紀前半、継体天皇の時代に、筑紫国造磐井(石井)が北九州に起こした叛乱。大和政権の朝鮮経営の失敗によって、負担の大きくなった北九州地方の不満を代表したものと見られ、新羅と通謀したともいう。物部氏らによって平定。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。
*後記(工作員日記)
『古事記』に見るデジャヴの一例。
・24代仁賢天皇(意富祁王)、丸邇日爪臣の娘、糠若子郎女と結婚してお生みになった御子は、春日小田郎女。
・29代欽明天皇(天国押波流岐広庭天皇)、春日日爪臣の娘の糠子郎女と結婚してお生みになった御子は、春日山田郎女。
(1) 丸邇(和珥)氏=春日氏。丸邇日爪臣=春日日爪臣か?
(2) 糠若子郎女=糠子郎女か?
(3) 春日小田郎女=春日山田郎女か?
仁賢天皇(祖父)と欽明天皇(孫)は同じ女性を妻としたということなのか。それとも三者はそれぞれ別人か。
ここ数日、最高気温30度に満たず。夜の風がここちよい。HDやノートの排熱がこもらず作業がはかどる。『電子出版への道 OnDeck アーカイブ Vol.1』(インプレスジャパン、2011.4)読了。松岡正剛・萩野正昭・富田倫生のインタビューにさそわれて熟読。むしろそっちよりも、ePUB 日本語拡張仕様策定プロジェクトの報告が興味深い。
1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサJW-10を発表。
1980年、任天堂が携帯型液晶ゲーム機を発売。
だれもが指摘するように、ワードプロセッサは電子書籍の理想型のひとつだったと思う。インプッドメソッドが完成したときに元年はとうに明けたのであって、マイクロソフトのウィンドウズとインターネット、ボイジャーの EBK・TTZ 登場が干支のふたまわり目にあたる。今回はまもなく三まわり目に入ろうかという時期で、開国元年どころか“大後悔時代”。
以下、原哲哉「電子書籍はまだ紙の本に勝てない」『マガジン航』より。
>まず、紙の本の「索引」を充実させて欲しい。
そして、電子書籍が騒がれ始めた時から、(6.)の「検索」は、索引好きな私としてはとても重要な機能だと思っていました。しかし、これまでは残念ながら「検索機能が優れた電子書籍」にお目に掛かったことがありません。
これは「電子書籍」よりも、そのプラットフォームの問題なのかもしれませんが、「検索」機能が充実したら「電子書籍」を見直すことになるかもしれません。そもそも腹立たしいのは、「索引」の付いていない紙の新刊書籍がまだまだ沢山ある(あれは出版社・編集者の手抜きだと思います)。その上、造本まで悪くなって来ているという始末です。
「電子書籍」の場合、対象とする情報の表現形式が、分散した情報同士がつながるハイパーリンク構造であるからこそ、その恩恵を受けることができるのに、そのメリットを活かした書籍が刊行されないのは勿体無い。
そのとおり!
たとえば、このミルクティー*では、語句の確認に (1)『広辞苑』と『ウィキペディア日本語版』を電子辞書ブラウザ Jamming で同時検索し、(2) そこにない語句の読みを、青空文庫「作家別テキストファイル」から探し出し、(3) それで見つからないものを図書館の大型辞書を使って調べている。調べた結果を羅列するのがせいいっぱいで、「索引」を用意するに至らないでいる。
阿部正己『出羽三山史』をテキスト化したさいに「索引」を用意したいなあと思ったのにはじまる。人物、地名、寺社名、書籍・史料名……テキスト量が小さいうちはさほど思わないが、これが、ある程度まとまった一冊の文献やそれ以上となると、その語句がなんという読みで、そのテキストのどこに、何件ぐらい出てくるのか……索引が充実している書籍は、それが瞬時にわかる。それであるていど、該当語句についての記述量も推測できる。索引の効能については松岡正剛ならずとも実感する多読者は多いはず。
ところが、電子書籍のウィークポイントのひとつに索引がある。「検索できるんだからいいじゃないか」と言うかもしれないが、それは幼い。検索はファンクション以上でも以下でもなく、いっぽう索引はデータベースでありそれだけで独立した読み物ともなる。
たとえばエディタで複数テキストの同時検索を実行すると、その語句が、どのテキストの何行目に出てくるかが一覧結果になって得られる。その一覧結果と本文語句とをアンカーを使ってハイパーリンクすれば電子書籍ならではの索引をつくることができる。……そこまではいい。が、どうやって? というところでつまづいて、はや3年。T-Time のような不定形の電子本で、はたしてどんな索引が望ましいのか。
*次週予告
第四巻 第一号
日本昔話集 沖縄編(一)
伊波普猷
第四巻 第一号は、
七月三〇日(土)発行予定です。
月末最終号:無料
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第五二号
現代語訳『古事記』(六)武田祐吉(訳)
発行:二〇一一年七月二三日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
T-Time マガジン 週刊ミルクティー**99 出版
第二巻
第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫
月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり
定価:200円
雛 芥川龍之介
雛がたり 泉鏡花
ひなまつりの話 折口信夫
第三四号 特集 ひなまつり
定価:200円
人形の話 折口信夫
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
第三五号 右大臣実朝(一)太宰治
定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明
定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明
月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明
定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明
定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明
定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット
定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット
月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット
定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット
定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット
定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子
定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清
月末最終号:無料
一、星座(せいざ)の星
二、月(つき)
(略)殊にこの「ベガ」は、わが日本や支那では「七夕」の祭りにちなむ「織(お)り女(ひめ)」ですから、誰でも皆、幼い時からおなじみの星です。「七夕」の祭りとは、毎年旧暦七月七日の夜に「織り女」と「牽牛(ひこぼし)〔彦星〕」とが「天の川」を渡って会合するという伝説の祭りですが、その「天の川」は「こと」星座のすぐ東側を南北に流れていますし、また、「牽牛」は「天の川」の向かい岸(東岸)に白く輝いています。「牽牛」とその周囲の星々を、星座では「わし」の星座といい、「牽牛」を昔のアラビア人たちは、「アルタイル」と呼びました。「アルタイル」の南と北とに一つずつ小さい星が光っています。あれは「わし」の両翼を拡げている姿なのです。ところが「ベガ」の付近を見ますと、その東側に小さい星が二つ集まっています。昔の人はこれを見て、一羽の鳥が両翼をたたんで地に舞いくだる姿だと思いました。それで、「こと」をまた「舞いくだる鳥」と呼びました。
「こと」の東隣り「天の川」の中に、「はくちょう」という星座があります。このあたりは大星や小星が非常に多くて、天が白い布のように光に満ちています。
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清
定価:200円
三、太陽
四、日食と月食
五、水星
六、金星
七、火星
八、木星
太陽の黒点というものは誠におもしろいものです。黒点の一つ一つは、太陽の大きさにくらべると小さい点々のように見えますが、じつはみな、いずれもなかなか大きいものであって、(略)最も大きいのは地球の十倍以上のものがときどき現われます。そして同じ黒点を毎日見ていますと、毎日すこしずつ西の方へ流れていって、ついに太陽の西の端(はし)でかくれてしまいますが、二週間ばかりすると、こんどは東の端から現われてきます。こんなにして、黒点の位置が規則正しく変わるのは、太陽全体が、黒点を乗せたまま、自転しているからなのです。太陽は、こうして、約二十五日間に一回、自転をします。(略)
太陽の黒点からは、あらゆる気体の熱風とともに、いろいろなものを四方へ散らしますが、そのうちで最も強く地球に影響をあたえるものは電子が放射されることです。あらゆる電流の原因である電子が太陽黒点から放射されて、わが地球に達しますと、地球では、北極や南極付近に、美しいオーロラ(極光(きょっこう))が現われたり、「磁気嵐(じきあらし)」といって、磁石の針が狂い出して盛んに左右にふれたりします。また、この太陽黒点からやってくる電波や熱波や電子などのために、地球上では、気温や気圧の変動がおこったり、天気が狂ったりすることもあります。(略)
太陽の表面に、いつも同じ黒点が長い間見えているのではありません。一つ一つの黒点はずいぶん短命なものです。なかには一日か二日ぐらいで消えるのがありますし、普通のものは一、二週間ぐらいの寿命のものです。特に大きいものは二、三か月も、七、八か月も長く見えるのがありますけれど、一年以上長く見えるということはほとんどありません。
しかし、黒点は、一つのものがまったく消えない前に、他の黒点が二つも三つも現われてきたりして、ついには一時に三十も四十も、たくさんの黒点が同じ太陽面に見えることがあります。
こうした黒点の数は、毎年、毎日、まったく無茶苦茶というわけではありません。だいたいにおいて十一年ごとに増したり減ったりします。
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清
定価:200円
九、土星
一〇、天王星
一一、海王星
一二、小遊星
一三、彗星
一四、流星
一五、太陽系
一六、恒星と宇宙
晴れた美しい夜の空を、しばらく家の外に出てながめてごらんなさい。ときどき三分間に一つか、五分間に一つぐらい星が飛ぶように見えるものがあります。あれが流星です。流星は、平常、天に輝いている多くの星のうちの一つ二つが飛ぶのだと思っている人もありますが、そうではありません。流星はみな、今までまったく見えなかった星が、急に光り出して、そしてすぐまた消えてしまうものなのです。(略)
しかし、流星のうちには、はじめから稀(まれ)によほど形の大きいものもあります。そんなものは空気中を何百キロメートルも飛んでいるうちに、燃えつきてしまわず、熱したまま、地上まで落下してきます。これが隕石というものです。隕石のうちには、ほとんど全部が鉄のものもあります。これを隕鉄(いんてつ)といいます。(略)
流星は一年じゅう、たいていの夜に見えますが、しかし、全体からいえば、冬や春よりは、夏や秋の夜にたくさん見えます。ことに七、八月ごろや十月、十一月ごろは、一時間に百以上も流星が飛ぶことがあります。
八月十二、三日ごろの夜明け前、午前二時ごろ、多くの流星がペルセウス星座から四方八方へ放射的に飛びます。これらは、みな、ペルセウス星座の方向から、地球の方向へ、列を作ってぶっつかってくるものでありまして、これを「ペルセウス流星群」と呼びます。
十一月十四、五日ごろにも、夜明け前の二時、三時ごろ、しし星座から飛び出してくるように見える一群の流星があります。これは「しし座流星群」と呼ばれます。
この二つがもっとも有名な流星群ですが、なおこの他には、一月のはじめにカドラント流星群、四月二十日ごろに、こと座流星群、十月にはオリオン流星群などあります。
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎
定価:200円
獅子舞雑考
一、枯(か)れ木も山の賑(にぎ)やかし
二、獅子舞に関する先輩の研究
三、獅子頭に角(つの)のある理由
四、獅子頭と狛犬(こまいぬ)との関係
五、鹿踊(ししおど)りと獅子舞との区別は何か
六、獅子舞は寺院から神社へ
七、仏事にもちいた獅子舞の源流
八、獅子舞について関心すべき点
九、獅子頭の鼻毛と馬の尻尾(しっぽ)
穀神としての牛に関する民俗
牛を穀神とするは世界共通の信仰
土牛(どぎゅう)を立て寒気を送る信仰と追儺(ついな)
わが国の家畜の分布と牛飼神の地位
牛をもって神をまつるは、わが国の古俗
田遊(たあそ)びの牛の役と雨乞いの牛の首
全体、わが国の獅子舞については、従来これに関する発生、目的、変遷など、かなり詳細なる研究が発表されている。(略)喜多村翁の所説は、獅子舞は西域の亀茲(きじ)国の舞楽が、支那の文化とともに、わが国に渡来したのであるという、純乎たる輸入説である。柳田先生の所論は、わが国には古く鹿舞(ししまい)というものがあって、しかもそれが広くおこなわれていたところへ、後に支那から渡来した獅子舞が、国音の相通から付会(ふかい)したものである。その証拠には、わが国の各地において、古風を伝えているものに、角(つの)のある獅子頭があり、これに加うるのに鹿を歌ったものを、獅子舞にもちいているという、いわば固有説とも見るべき考証である。さらに小寺氏の観察は、だいたいにおいて柳田先生の固有説をうけ、別にこれに対して、わが国の鹿舞の起こったのは、トーテム崇拝に由来するのであると、付け加えている。
そこで、今度は管見を記すべき順序となったが、これは私も小寺氏と同じく、柳田先生のご説をそのまま拝借する者であって、べつだんに奇説も異論も有しているわけではない。ただ、しいて言えば、わが国の鹿舞と支那からきた獅子舞とは、その目的において全然別個のものがあったという点が、相違しているのである。ことに小寺氏のトーテム説にいたっては、あれだけの研究では、にわかに左袒(さたん)することのできぬのはもちろんである。
こういうと、なんだか柳田先生のご説に、反対するように聞こえるが、角(つの)の有無をもって鹿と獅子の区別をすることは、再考の余地があるように思われる。
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
月末最終号:無料
鹿踊りのはじまり 宮沢賢治
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉
一 緒言
二 シシ踊りは鹿踊り
三 伊予宇和島地方の鹿の子踊り
四 アイヌのクマ祭りと捕獲物供養
五 付記
奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。地方によって多少の相違はあるが、だいたいにおいて獅子頭を頭につけた青年が、数人立ちまじって古めかしい歌謡を歌いつつ、太鼓の音に和して勇壮なる舞踊を演ずるという点において一致している。したがって普通には獅子舞あるいは越後獅子などのたぐいで、獅子奮迅・踊躍の状を表象したものとして解せられているが、奇態なことにはその旧仙台領地方におこなわるるものが、その獅子頭に鹿の角(つの)を有し、他の地方のものにも、またそれぞれ短い二本の角がはえているのである。
楽舞用具の一種として獅子頭のわが国に伝わったことは、すでに奈良朝のころからであった。くだって鎌倉時代以後には、民間舞踊の一つとして獅子舞の各地におこなわれたことが少なからず文献に見えている。そしてかの越後獅子のごときは、その名残りの地方的に発達・保存されたものであろう。獅子頭はいうまでもなくライオンをあらわしたもので、本来、角があってはならぬはずである。もちろんそれが理想化し、霊獣化して、彫刻家の意匠により、ことさらにそれに角を付加するということは考えられぬでもない。武蔵南多摩郡元八王子村なる諏訪神社の獅子頭は、古来、龍頭とよばれて二本の長い角が斜めにはえているので有名である。しかしながら、仙台領において特にそれが鹿の角であるということは、これを霊獣化したとだけでは解釈されない。けだし、もと鹿供養の意味からおこった一種の田楽的舞踊で、それがシシ踊りと呼ばるることからついに獅子頭とまで転訛するに至り、しかもなお原始の鹿角を保存して、今日におよんでいるものであろう。
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
定価:200円
魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。旧百余国。漢時有朝見者、今使訳所通三十国。従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、到其北岸狗邪韓国七千余里。始度一海千余里、至対馬国、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百余里(略)。又南渡一海千余里、名曰瀚海、至一大国〔一支国か〕(略)。又渡一海千余里、至末盧国(略)。東南陸行五百里、到伊都国(略)。東南至奴国百里(略)。東行至不弥国百里(略)。南至投馬国水行二十日、官曰弥弥、副曰弥弥那利、可五万余戸。南至邪馬壱国〔邪馬台国〕、女王之所都、水行十日・陸行一月、官有伊支馬、次曰弥馬升、次曰弥馬獲支、次曰奴佳�、可七万余戸。(略)其国本亦以男子為王、住七八十年、倭国乱、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑弥呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟、佐治国、自為王以来、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飲食、伝辞出入居処。宮室・楼観・城柵厳設、常有人持兵守衛。
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南
定価:200円
一、本文の選択
二、本文の記事に関するわが邦(くに)最旧の見解
三、旧説に対する異論
『後漢書』『三国志』『晋書』『北史』などに出でたる倭国女王卑弥呼のことに関しては、従来、史家の考証はなはだ繁く、あるいはこれをもってわが神功皇后とし、あるいはもって筑紫の一女酋とし、紛々として帰一するところなきが如くなるも、近時においてはたいてい後説を取る者多きに似たり。(略)
卑弥呼の記事を載せたる支那史書のうち、『晋書』『北史』のごときは、もとより『後漢書』『三国志』に拠りたること疑いなければ、これは論を費やすことをもちいざれども、『後漢書』と『三国志』との間に存する�異(きい)の点に関しては、史家の疑惑をひく者なくばあらず。『三国志』は晋代になりて、今の范曄の『後漢書』は、劉宋の代になれる晩出の書なれども、両書が同一事を記するにあたりて、『後漢書』の取れる史料が、『三国志』の所載以外におよぶこと、東夷伝中にすら一、二にして止まらざれば、その倭国伝の記事もしかる者あるにあらずやとは、史家のどうもすれば疑惑をはさみしところなりき。この疑惑を決せんことは、すなわち本文選択の第一要件なり。
次には本文のうち、各本に字句の異同あることを考えざるべからず。『三国志』について言わんに、余はいまだ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本などを対照し、さらに『北史』『通典』『太平御覧』『冊府元亀』など、この記事を引用せる諸書を参考してその異同の少なからざるに驚きたり。その�異を決せんことは、すなわち本文選択の第二要件なり。