*人物一覧
(人名、および組織・団体名・神名)
稗田の阿礼 ひえだの あれ 天武天皇の舎人。記憶力がすぐれていたため、天皇から帝紀・旧辞の誦習を命ぜられ、太安万侶がこれを筆録して「古事記」3巻が成った。
太の安万侶 おおの やすまろ ?-723 奈良時代の官人。民部卿。勅により、稗田阿礼の誦習した帝紀・旧辞を筆録して「古事記」3巻を撰進。1979年、奈良市の東郊から遺骨が墓誌銘と共に出土。
武田祐吉 たけだ ゆうきち 1886-1958 国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。(日本史)
仁徳天皇 にんとく てんのう 記紀に記された5世紀前半の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯。難波に都した最初の天皇。租税を3年間免除したなどの聖帝伝承がある。倭の五王のうちの「讃」または「珍」とする説がある。
オオサザキの命 → 仁徳天皇
葛城のソツ彦 かずらきの そつびこ 葛城襲津彦。古代の武人。葛城氏の祖。武内宿祢の子で、仁徳天皇の皇后磐之媛命の父とされ、神功皇后の時代に新羅を討ったという。
石の姫の命 いわのひめのみこと 磐之媛・石之日売。仁徳天皇の皇后。葛城之曾都毘古の女で、履中・反正・允恭天皇の母。嫉妬の伝説で知られる。万葉集に歌がみえる。
オオエノイザホワケの命 大兄去来穂別尊 → 履中天皇
履中天皇 りちゅう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第1皇子。名は大兄去来穂別。
スミノエノナカツの王 墨江之中津王。住吉仲皇子。仁徳天皇の皇子で、母は、磐之姫命。兄履中天皇の婚約者黒媛を天皇の名をかたって犯してしまい、事の発覚を恐れて、天皇の宮殿を包囲、焼殺しようとするが失敗。天皇に命じられた瑞歯別尊(のちの反正天皇)によって殺された。
タジヒノミズハワケの命 多遅比瑞歯別 → 反正天皇
反正天皇 はんぜい てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第3皇子。名は多遅比瑞歯別。倭の五王のうちの「珍」とされる。
オアサヅマワクゴノスクネの命 雄朝津間稚子宿禰尊 → 允恭天皇
允恭天皇 いんぎょう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。仁徳天皇の第4皇子。名は雄朝津間稚子宿祢。盟神探湯で姓氏の混乱を正したという。倭の五王のうち「済」に比定される。
ヒムカノムラガタの君ウシモロ 諸県君牛諸井。仁徳天皇に娶された髪長姫の父。応神紀には長く朝廷に仕え、退仕し本土に帰る際、姫を献上したと伝える。(神名)
髪長姫 かみながひめ 日向髪長媛。ヒムカノムラガタの君ウシモロの娘。
ハタビの大郎子 おおいらつこ 波多毘能大郎子。別名、オオクサカの王。
オオクサカの王 大日下王・大草香皇子 → ハタビの大郎子
ハタビの若郎女 わかいらつめ 別名、ナガメ姫の命、ワカクサカベの命。
ナガメ姫の命 → ハタビの若郎女
ワカクサカベの命 若日下部命 → ハタビの若郎女
ヤタの若郎女 わきいらつめ 八田の若郎女 応神天皇の皇女。異母兄である仁徳天皇の妃となった。この婚姻をめぐる后の石之日売(磐之媛)の嫉妬の物語と歌謡が記紀にある。(神名)
ウジの若郎女 わかいらつめ 菟道稚郎姫皇女。宇遅之若郎女。
イザホワケの命 → オオエノイザホワケの命
吉備の黒日売 きびのくろひめ 容姿端正のため仁徳天皇の妃となるが、大后の石之日売命の嫉妬を恐れて本国に帰る。天皇の思慕はやまず、淡路島の巡幸と称して密に吉備に行った。(神名)
吉備氏 きびうじ 古代日本の吉備国(岡山県)の豪族。主として5世紀に繁栄し、吉備を筑紫・出雲・ヤマト・毛野と並ぶ古代の有力地方国家に発展させることに貢献した。ヤマトの豪族たちと同盟し、日本列島の統一と発展に寄与。
吉備の海部の直 きびの あまべの/あまの あたえ 黒日売の父。
黒姫 くろひめ → 吉備の黒日売
ヌリノミ 奴理能美。筒木の韓人。山城国綴喜郡付近に住す。仁徳天皇の皇后石之日売命は新しく妃を迎えようとする天皇を恨んで高津宮を出て奴理能美の家に入った。紀によるとヌリノミは天皇と皇后の間をとりもとうとしたこと、皇后は結局戻ることなく筒木岡の宮で薨じたことを記している。(神名)
トリヤマ 鳥山。舎人。仁徳天皇が皇居へ帰らない大后石之日売命との和解のため派遣した使者の舎人の名。使者としての鳥の意を含めたもの。(神名)
クチコ 口子。丸迩の臣。口持。的臣の祖。仁徳天皇に仕える。皇后の石之日売命が筒城宮に逃れたとき、勅をうけて歌をたてまつるがかなわない。皇后の侍女だった妹の口比売(紀、国依姫)の願いにより皇后自らクチコ臣を諭して京に帰らせた。しかし皇后はついに帰らなかった。(神名)
クチ姫 口比売。クチコの臣の妹。
ハヤブサワケの命 速総別の命 隼別皇子(紀)。(神名)
メトリの王 女鳥王 めどりの おおきみ 古代伝説上の人物。応神天皇の女。異母兄仁徳天皇の求婚を断って媒人の速総別王と結婚。雌鳥皇女。
山部の大楯 やまべの おおだて 将軍。
タケシウチの宿祢 → 武内宿祢
武内宿祢 たけうちの すくね 大和政権の初期に活躍したという記紀伝承上の人物。孝元天皇の曾孫(一説に孫)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5朝に仕え、偉功があったという。その子孫と称するものに葛城・巨勢・平群・紀・蘇我の諸氏がある。
漢氏 あやうじ 古代の渡来系の有力な氏族。もと直姓。応神天皇の時渡来した後漢霊帝の曾孫阿知使主の子孫と称する東漢直と、後漢献帝の子孫と称する西漢直とがあった。天武天皇の時、連姓・忌寸姓となる。子孫は坂上氏ら。
多治比部 たじひべ → 蝮部
アシダの宿祢 葦田の宿祢。葦田は地名。葛城曽都比古の子。事跡不詳。(神名)
黒姫の命 くろひめのみこと アシダの宿祢の娘。履中天皇の后となり三子を生んだ。記では葦田宿祢の娘。紀には羽田矢代宿禰の娘とし、履中天皇5年に没したとする。(日本史)
市の辺のオシハの王 イチノベノオシハの王 市辺押磐皇子。市辺は地名。山城国綴喜郡に市野辺村がある。履中天皇の皇子。皇位継承者として有力視されていたが、雄略天皇に近江の久多綿蚊屋野で殺された。風土記には市辺天皇命とある。(神名)
ミマの王 御馬の王 履中天皇の皇子。母は黒姫の命。同母兄のイチノベノオシハの王がオオハツセの命(雄略天皇)に皇位継承をめぐってころされたとき、ミマの王は三輪君身狭のもとに逃れようとしたが、捕らわれ刑死した。(神名)
アオミの郎女 いらつめ 青海の郎女。別名、イイトヨの郎女 → 飯豊青皇女
イイトヨの郎女 いらつめ 飯豊の郎女 → 飯豊青皇女
飯豊青皇女 いいとよあおの ひめみこ 履中天皇の皇女。市辺押磐皇子の妹(王女とも)。清寧天皇の没後継嗣なく、一時政を執ったと伝えられ、飯豊天皇とも称される。
漢の直 あやのあたえ 東漢直。古代の渡来系氏族。阿知使主の子孫と称し、朝廷の記録や外交文書をつかさどった。5世紀ごろ渡来した朝鮮の漢民族の子孫と見られ、大和を本拠とした。7世紀には政治的・軍事的に有力となり、姓は直から忌寸や宿祢に昇格。東漢氏。
アチの直 あたえ 阿知の直 → 阿知使主
阿知使主 あちのおみ 応神天皇の時の渡来人。後漢の霊帝の曾孫ともいう。のち呉に使して織女・縫女を連れ帰ったと伝えられる。古代の最も有力な渡来人の一族、東漢直の祖という。
ミズハワケの命 水歯別の命 多遅比瑞歯別 → 反正天皇
ソバカリ 曽婆訶里。隼人。スミノエノナカツ王に近く仕える。
比売陀の君 ひめだのきみ
ワニのコゴトの臣 丸迩の許碁登の臣 反正天皇妃、ツノの郎女の父。同じく娘の弟姫も天皇に召されている。紀では大宅の祖木事の娘ツノ姫が皇夫人となっている。(神名)
ツノの郎女 いらつめ 都怒の郎女。津野媛。ワニのコゴトの臣の娘。反正天皇の夫人。
カイの郎女 いらつめ 甲斐の郎女。香火姫皇女。父は反正天皇。紀では母は大宅臣の祖木事の娘、都怒媛。(神名)
ツブラの郎女 いらつめ 都夫良の郎女。円皇女(紀)。反正天皇の皇女。母はツノの郎女(記)。紀では津野媛と記す。石川県能登国羽咋郡上井田村大字柴垣椎葉円比�@神社(元郷社)に祀られる。
弟姫 ワニのコゴトの臣の娘。津野媛の妹。
タカラの王 財王。反正天皇の皇子。母は弟姫。紀は財皇女。
タカベの郎女 いらつめ 多訶弁の郎女。反正天皇の皇女。母は弟姫。紀は高部皇子。
オオホドの王 意富本杼の王・意富富杼の王。父は稚渟毛二派皇子(応神天皇の皇子)、母は河派仲彦王の女・弟日売真若比売(百師木伊呂弁とも)で、同母妹の忍坂大中姫・衣通姫は允恭天皇に入内している。意富富杼王自身の詳しい事績は伝わらないが、『古事記』には息長坂君(息長君・坂田君か)・酒人君・三国君・筑紫米多君などの祖。
オサカノオオナカツ姫の命 忍坂大中姫。オオホドの王の妹。
キナシノカルの王 木梨軽皇子。第19代天皇であった允恭天皇の第一皇子、皇太子。母は皇后の忍坂大中津比売命。『古事記』によれば、立太子するも、同母妹である軽大娘皇女と情を通じ(近親相姦)、それが原因となって允恭天皇の崩御後に失脚、伊予の国へ流される。その後、あとを追ってきた軽大娘皇女と共に自害したと言われる(衣通姫伝説)。『日本書紀』では、情を通じた後の允恭24年に軽大娘皇女が伊予へ流刑となり、允恭天皇が崩御した允恭42年に穴穂皇子によって討たれたとある。
オサダの大郎女 おおいらつめ 長田(ながた)の大郎女か。紀では名形大娘皇女。允恭天皇の皇女。母はオサカノオオナカツ姫の命。
サカイノクロヒコの王 境の黒日子の王。允恭天皇の皇子。母はオサカノオオナカツ姫の命。同母弟のオオハツセの命に殺された。(神名)
アナホの命 穴穂の命 → 安康天皇
安康天皇 あんこう てんのう 記紀に記された5世紀中頃の天皇。名は穴穂。允恭天皇の皇子。大草香皇子の王子眉輪王に暗殺された。倭の五王のうち「興」に比定される。
カルの大郎女 おおいらつめ 軽大娘皇女 → 衣通姫
衣通姫 そとおりひめ (美しい肌の色が衣を通して照り輝いたという)日本書紀で允恭天皇の妃、弟姫のこと。姉の皇后忍坂大中姫の嫉みを受け、河内国茅渟に身を隠した。後世、和歌の浦の玉津島神社に祀る。和歌三神の一神。そとおしひめ。古事記では天皇の女の名とする。
ヤツリノシロヒコの王 八瓜の白日子の王。八釣白彦皇子(紀)。允恭天皇の皇子。母はオサカノオオナカツ姫の命。同母弟の雄略天皇に殺された。(神名)
オオハツセの命 大長谷の命・大泊瀬稚武皇子 → 雄略天皇
雄略天皇 ゆうりゃく てんのう 記紀に記された5世紀後半の天皇。允恭天皇の第5皇子。名は大泊瀬幼武。対立する皇位継承候補を一掃して即位。478年中国へ遣使した倭王「武」、また辛亥(471年か)の銘のある埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣に見える「獲加多支鹵大王」に比定される。
タチバナの大郎女 おおいらつめ 橘の大郎女。允恭天皇の皇女。母はオサカノオオナカツ姫の命。
サカミの郎女 いらつめ 酒見の郎女。允恭天皇の皇女。母はオサカノオオナカツ姫の命。
衣通しの郎女 そとおしのいらつめ → 衣通姫
金波鎮漢紀武 こみぱちに/こむはちにかにきむ 允恭天皇が即位したとき、新良国主が御調八十一艘を献上し、その使者として来朝した人。薬の処方に詳しく天皇の病を治した。(神名)
タイノナカツ姫 田井の中比売 応神天皇の子のワカノケフタマタの王とモモシキイロベとの間の子。允恭記にはその名代として河部が定められている。紀には不載。(神名)
大前小前の宿祢 おおまえ おまえのすくね 物部麦入宿禰の子といわれる。允恭天皇に仕え大臣となる。軽皇子が大前小前宿祢大臣を頼って穴穂御子に対抗しようとしたが、大臣は皇子を捕らえて引き渡した。(神名)
マヨワの王 目弱の王 眉輪王(紀)。父は仁徳天皇の皇子オオクサカの王。母は履中天皇の皇女ナガタの大郎女。根の臣の讒謗により安康天皇はオオクサカの王を殺し、妻のナガタの大郎女を奪い自分の皇后とする。真実を知ったマヨワの王は、天皇が眠っている間をうかがい殺してツブラノオオミの家へ逃げ込む。オオハツセの王(雄略天皇)はツブラノオオミの家を包囲。ツブラはマヨワの王を護り奮戦するが力つきてマヨワの王を刺し自刃する。(神名)
坂本の臣
ネの臣 根の臣。坂本の臣たちの祖先。安康天皇が弟のオオハツセの王(雄略天皇)のためにネの臣をオオクサカの王のもとに遣わし、あなたの妹のワカクサカ王をオオハツセの王に婚わせたいと告げさせた。そこでオオクサカの王は妹の礼物として押木之玉縵をもたせたが、ネの臣はそれを盗み、オオクサカの王を讒言し、オオクサカの王は怒った天皇に殺されてしまう。(神名)
ナガタの大郎女 おおいらつめ 長田の大郎女。
ツブラオオミ 都夫良意美 都夫良意富美。円大臣。葛城円。意富美は大臣のこと。安康天皇を殺害したマヨワの王をかくまって、オオハツセの王(雄略天皇)に滅ぼされた。(神名)
クロヒコの王 → サカイノクロヒコの王
シロヒコの王 → ヤツリノシロヒコの王
カラ姫 訶良比売。ツブラオオミの娘。韓媛(紀)。雄略天皇との間に白髪命・若帯比売命を生む。(神名)
イチノベノオシハの王 → 市の辺のオシハの王
シジム 志自牟。播磨国の豪族。父のイチノベノオシハの王を殺されたオケの王・ヲケの王が、シジムの家に馬甘・牛甘として隠れ住んだ。二皇子はシジムの家の新室楽のとき、訪れた山部連小楯に見出される。紀で該当するのは縮見屯倉首忍海部造細目。播磨風土記では志深村首伊等尾。(神名)
近江の佐々紀の山の君 ささき
カラフクロ 韓。近江の佐々紀山君の祖先。カラフクロが「淡海の久多綿の蚊屋野に猪鹿がたくさんいる」といったことにより、オオハツセの王とイチノベノオシハの王は蚊屋野に行き、イチノベノオシハの王が殺される。(神名)
オケの王 意祁の王。意富祁王 → 仁賢天皇
仁賢天皇 にんけん てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。磐坂市辺押磐皇子の第1王子。名は億計。父が雄略天皇に殺された時、弟(顕宗天皇)とともに播磨に逃れた。のちに清寧天皇の皇太子となり、弟に次いで即位したという。
ヲケの王 袁祁の王 → 顕宗天皇
顕宗天皇 けんぞう てんのう 記紀に記された5世紀末の天皇。履中天皇の皇孫。磐坂市辺押磐皇子の第2王子。名は弘計。父が雄略天皇に殺された時、兄(仁賢天皇)と共に播磨に逃れたが、後に発見されて即位したという。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)、『日本神名辞典 第二版』(神社新報社、1995.6)、『古事記・日本書紀』(福永武彦訳、河出書房新社、1988.1)。
*書籍
(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)
『古事記』 こじき 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼が天武天皇の勅により誦習した帝紀および先代の旧辞を、太安万侶が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命まで、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事を収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。
『日本書紀』 にほん しょき 六国史の一つ。奈良時代に完成した日本最古の勅撰の正史。神代から持統天皇までの朝廷に伝わった神話・伝説・記録などを修飾の多い漢文で記述した編年体の史書。30巻。720年(養老4)舎人親王らの撰。日本紀。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
*難字、求めよ
庶妹 ままいも 継妹・庶妹。(男兄弟から見て)父または母のちがう姉妹。異父姉妹。異母姉妹。
葛城部 かずらきべ 姓氏の一つ。古代の豪族。武内宿祢の子襲津彦より起こったと伝えられ、大和の葛城地方を本居として繁栄した。/仁徳天皇の皇后で葛城氏から出た磐之媛の名代とするのが定説。記紀の伝承的記事には疑問もある。律令時代には西日本に少数ながら葛木部を姓とする人々や葛木郷がある。(日本史)
壬生部 みぶべ 乳部・生部とも。6世紀以後、皇子女の養育のため広く設置された部民とするのが定説。大化の改新時に中大兄皇子が天皇に返還した「入部」も壬生部のこととする説がある。紀によれば壬生部は推古朝に設置された。(日本史)
蝮部 たじひべ 多治比部・丹比部・蝮王部とも。5世紀のタジヒノミズハワケの命(反正天皇)の名代とするのが定説だが異論もある。8世紀にはこれを姓とする人々が諸国に実在し、郡司となった者もある。(日本史)
大日下部 おおくさかべ 大化前代の部民。仁徳天皇の皇子・大日下王の名代か。ただし大日下王の実在は確認できない。紀では雄略朝に官軍に殺された根使主の子孫の半分を大草香部民にしたという。しかし、律令時代には日下部姓の者は多いが大日下部はない。(日本史)
若日下部 わかくさかべ → 日下部
日下部 くさかべ 草香部とも。古代の名代か。大日下部・若日下部ともどちらも律令時代にはほとんどみえない。両者一括して日下部とよばれたか。あるいは雄略天皇の皇后草香幡梭姫の名代か。8世紀には日下部姓の人々が諸国に実在。(日本史)
免せ ゆるせ?
檳榔 あじまさ ビロウ(蒲葵)の古名。
蒲葵・檳榔 びろう ヤシ科の一属。東南アジア・オーストラリアに約30種が分布。亜熱帯性常緑高木で、檳榔樹と混同されるが別属。ワビロウは九州南部・南西諸島に、オガサワラビロウは小笠原に自生。形はシュロに似、葉は円形で直径約1メートル、掌状に分裂して幹頂に叢生。雌雄異株。4〜5月頃緑色の花序を出し、黄色の核果を結ぶ。葉は笠・団扇などに用い、繊維をとって縄を作る。若芽・茎の軟部は食用。古く牛車の装飾に用いた。古名、あじまさ。びりょう。ほき。
羹 あつもの (熱物の意)菜・肉などを入れて作った熱い吸物。
御食物 みけつもの 御食つ物 御食(みけ)となるべき物。
静歌 しずうた 志都歌。上代歌謡の曲調。歌い方が拍子にはまらず、ゆるやかなものをいうか。しつうた。
鳥山の歌
水取の役所 → 水取司か
水取司・主水司 もいとりのつかさ しゅすいし(主水司)。
主水司 しゅすいし 律令制で、宮内省に属し、供御の水・粥・氷室のことをつかさどった役所。もいとりのつかさ。もんどのつかさ。
仕丁 しちょう/してい (1) (シチョウ・ジチョウとも)律令制で、諸国から徴集されて、中央官庁および封戸主である親王家・大臣家・寺社の雑用に従事した者。つかえのよほろ。(2) 江戸時代、御台所で輿舁その他に従事した者。(3) 明治初年、官庁の雑役に従事した等外官。
サシブ 烏草樹 〔植〕シャシャンボの古名。
しゃしゃんぼ 南燭。ツツジ科の常緑小高木。関東以西の暖地の山地に自生。高さ1〜3メートル。葉は革質、卵形。6月頃、長い壺状の白花を総状花序につけ、晩秋、紫黒色に熟する液果は甘酸っぱく美味。ワクラハ。ササンボ。古名、さしぶ。
広らか おおらか?
八田部 やたべ 谷田部・矢田部か。
一本菅 いっぽんすげ
さざき 鷦鷯 ミソサザイの古名。
飛び翔り とびかけり (鳥などが)空高く飛ぶ。飛翔する。
寿歌・祝歌 ほぎうた (平安時代まで清音)上代、大歌の一つ。祝い、たたえる歌。
片歌 かたうた 雅楽寮で教習した大歌の一体。五・七・七または五・七・五の3句で1首をなす歌で、奈良時代以前には、多くは問答に用いた。江戸時代、建部綾足は俳諧の一体として、片歌の復興を志した。
酒盞 しゅさん さかずき。
禊祓 みそぎはらえ 大祓に同じ。
大祓 おおはらえ 古来、6月と12月の晦日に、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて、万民の罪や穢を祓った神事。現在も宮中を初め全国各神社で行われる。中臣の祓。みそぎはらえ。おおはらい。
若桜部 わかざくらべし 古代日本の氏族。大彦命の孫・伊波我牟都加利命の後裔氏族。稚桜部氏とも表記する。姓は初め臣だったが、天武天皇13年(684年)11月に朝臣姓を賜った。
伊波礼部 いわれべ 磐余部?
隼人 はやと ハヤヒトの約。
隼人 はやひと 古代の九州南部に住み、風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した人々。のち服属し、一部は宮門の守護や歌舞の演奏にあたった。はいと。はやと。
八十伴の緒 やそ とものお 多くのとものお。朝廷に仕える百官。
玖訶瓮 くかべ 湯を涌かしてその中の物を探らせる鍋。/探湯。くかへ。大化前代、探湯(くかたち)に用いた釜。
軽部 かるべ 古代の部民。記、允恭段の伝承から、天皇の皇子木梨皇子の名代とする説が有力だが異論もある。律令時代には軽部・軽部造・軽部首を姓とする人々が実在し、軽部郷も和泉・下総・下野・但馬・備前・備中国に分布する。(日本史)
刑部 おさかべ 大化前代の部民。允恭天皇の皇后忍坂大中姫の名代とするのが通説。天武朝には刑部造もみえるが、律令時代には諸国の刑部姓の人々や刑部郷は膨大な数にのぼる。(日本史)
河部 かわべ 古代の部民。允恭段の伝承には大后の妹、田井中比売の名代として定めたとある。しかし名代としては「田井」に通じるところがなく、原本からの誤写を疑う説もある。8世紀には少数ながら川人・川人部・川部を姓とする人々が実在する。(日本史)
後挙歌・志良宜歌 しらげうた (シリアゲウタ(尻上歌)の約という。一説、シラギ(新羅)ウタの転)上代の歌謡で、末節を高く挙げて歌う歌。
鄙振・夷振・夷曲 ひなぶり (1) 古代歌謡の曲名。宮廷に取り入れた大歌で、短歌形式または8〜9句。歌曲名はその一つの歌謡の歌詞から採ったもの。(2) いなか風の歌。洗練されていない歌。(3) 狂歌。
挙歌・上歌 あげうた (1) 古代歌謡で、声を上げ高調子に歌われる歌。(2) 能の構成部分の一つ。高い音域で始まる拍子に乗る謡。←→下歌
宮人曲 みやびとぶり 宮人振。上代の歌曲の分類上の名称の一つ。歌の初句を取って名づけたもの。
天田振 あまだぶり 記に見える上代歌曲の曲名。歌い出しの語句によって名づけられている。
片下ろし かたおろし (1) 上代の歌謡などで、本・末の両方に分かれて歌う場合に、その一方を調子を下げて低く歌うもの。(2) 片下ろし(1) の歌い方で歌う平安時代の歌謡の一種。
にわとこ 庭常・接骨木 スイカズラ科の落葉大低木。高さ約3〜6メートル。幹には太い髄がある。春に白色の小花を円錐花序に密生し、球状の核果が赤熟。茎葉と花は生薬とし、煎汁を温罨など外用薬に使う。枝は小鳥の止り木に賞用。古名、たずのき。
読歌 よみうた 雅楽寮で教習した大歌の一つ。読むように朗誦した歌。五言・七言を交互に重ねた長歌の形式で、終末は七言三句で結ぶ。
枯野 からの 記紀に見える、高木を材料としてつくられた船の名。記によると仁徳帝の代に、紀では応神帝の代につくられたという。加良怒。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本史広辞典』(山川出版社、1997.10)。
*後記(工作員日記)
山田順『出版大崩壊 電子書籍の罠』(文芸新書、2011.3)読了。今年の双璧のひとつ!(もう一方は津野海太郎さん)
タイトルとあおり文句を店頭で見て、あまり期待しないで手に取ってみたが、もくじに目を通しパラパラっと開いてみてなんだか気になる。とても立ち読みで理解できる内容じゃない。県立図に入ったのを見つけてさっそく読む。ショッキングなタイトルにくらべて、内容はきわめてまとも。体験談・失敗談も貴重。読みながら富田さんと重なるところ多々あり。青空についての言及はちょっとだけ。パブリックドメインへの視点はほとんどなし。
*次週予告
第三巻 第五二号
現代語訳『古事記』(六)下巻(後編)
武田祐吉(訳)
第三巻 第五二号は、
七月二三日(土)発行予定です。
定価:200円
T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 第三巻 第五一号
現代語訳『古事記』(五)武田祐吉(訳)
発行:二〇一一年七月一六日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。
T-Time マガジン 週刊ミルクティー**99 出版
第二巻
第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫
月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松
定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松
定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松
定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松
月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり
定価:200円
雛 芥川龍之介
雛がたり 泉鏡花
ひなまつりの話 折口信夫
第三四号 特集 ひなまつり
定価:200円
人形の話 折口信夫
偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
第三五号 右大臣実朝(一)太宰治
定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明
定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明
月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明
定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明
定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明
定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉
定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉
月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉
定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉
定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット
定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット
月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット
定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット
定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット
定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子
定価:200円
第三巻 第一号