寺田寅彦 てらだ とらひこ
1878-1935(明治11.11.28-昭和10.12.31)
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。写真は、Wikipedia 「ファイル:Terada_Torahiko.jpg」、表紙写真は「ファイル:Shin-moe Eruption 2011」より。


もくじ 
自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦


ミルクティー*現代表記版
自然現象の予報
火山の名について

オリジナル版
自然現象の予報
火山の名について

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
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*凡例

〈 〉:割り注、もしくは小書き。
〔 〕:編者もしくは、しだによる注。

一、漢字、かなづかい、漢字の送りは現代表記に改めました。
一、若干の句読点のみ改めました。適宜、ルビや中黒をおぎないました。
一、和暦にはカッコ書きで西暦をおぎないました。年次のみのばあいは単純な置き換えにとどめ、月日のわかるばあいには陰暦・陽暦の補正をおこないました。
一、カタカナ漢字混用文は、ひらがな漢字混用文に改めました。
一、書名・雑誌名は『 』、論文名・記事名は「 」で示しました。
一、差別的表現・好ましくない表現はそのままとしました。

*底本
自然現象の予報
底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
初出:『現代之科学』
   1916(大正5)年3月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card42700.html

火山の名について
底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行初出:「婦人の友」
   1935年(昭和10年)9月1日
初出:『郷土』
   1931(昭和6)年一月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2348.html

NDC 分類:451(地球科学.地学/気象学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc451.html
NDC 分類:453(地球科学.地学/地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html




自然現象の予報

寺田寅彦


 自然現象の科学的予報については、学者と世俗とのあいだに意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議をかもすことあり。また、個々のばあいにおける予報の可能の程度などに関しては、学者自身のあいだにも意見はかならずしも一定せざること多し。左の一編は、一般に予報の可能なるための条件や、その可能の範囲程度、ならびにその実用的価値の標準などにつきて卑見けんを述べ、先覚者の示教をあおぐと同時に、また一面には、学者と世俗とのあいだに存する誤解の溝渠みぞを埋むる端緒ともなさんとするものなり。元来、この種の問題の論議は勢い抽象的にかたむくがゆえに、外観上、往々、形而上的の空論と混同さるるおそれあり。科学者にしてかくのごとき問題に容喙ようかいする者は、その本分を忘れて邪路じゃろにおちいる者として非難さるることあり。しかれども実際は、科学者が科学の領域をふみはずす危険を防止するためには、時に、これらの反省的考察がかえって必要なるべし。とくに、予報の問題のごとき場合においてはしかりと信ず。余が不敏ふびんをかえりみず、ここに二、三の問題を提起して批判をあおぐ所因ゆえんもまた、これにほかならず。ただいたずらに冗漫の辞を羅列して問題の要旨に触るるを得ざるは、深くおのずからずるところなり。これによって先覚諸氏の示教に接する機を得ば、じつに望外のさいわいなり。

   一

 ある自然現象の科学的予報といえば、その現象を限定すべき原因条件を知りて、該現象の起こると否とを定め、またその起こり方を推測することなり。これはいかなる場合に、いかなる程度まで可能なりや。この問題がただちにまた、一般科学の成立に関する基礎問題に連関することはあきらかなり。しかし、因果律の解釈や、認識論学者のとりあつかうごとき問題は、余のここに云為うんいすべきところにあらず。ただ、物理学上の立場より卑近ひきんなる考察を試むべし。
 厳密なる意味において「物理的孤立系」なるものが存せず、すなわち「万物相関」という見方よりすれば、一つの現象を限定すべき原因条件の数はほとんど無限なるべし。それにかかわらず、現に物理学のごときものの成立し、かつ、実際に応用され得るはいかん。これは要するに、適当に選ばれたる有限の独立変数にてある程度までいわゆる原因を代表し、いわゆる方則によりて結果の一部を予報し得るによる。これには、いわゆる原因と称するものの概念の抽象選択のしかたが問題となる。これは結局、経験によって定まるものにして、原因の分析ということ自身がすでに、経験的方則の存在を予想することはあきらかなり。物理的科学発展の歴史にさかのぼれば、いたるところ、かくのごとき方則の予想によって原因の分析、すなわちもっとも便宜べんぎなる独立変数の析出につとめたる痕跡を見出し得べし。しかし、この試みが成功して今日の物理的自然科学となれり。力学における力、質量などのごとき、熱力学における温度エントロピーのごときこれなり。これらの概念と定義とが方則のい表わしと切り離しがたきはこのためなり。物理的自然現象を限定すべき条件などが、すべてこれらの有限なる独立変数にて代表され得るやいなやは別問題として、現在の物理学的科学の程度において、従来の方法によりて予報をなし得る範囲はいかなるべきかが当面の問題なり。
 まず、従来の既知方則の普遍なることを仮定せば、すべての主要条件が与えらるれば結果は定まると考えらる。しかしながら、実際の自然現象を予報せんとするばあいに、この現象を定むべき主要条件を遺漏いろうなく分析することは、かならずしも容易ならず。ゆえに各種原因の重要の度を比較して、影響の些少さしょうなるものを度外視どがいしし、いわゆる「近似」を求むるを常とす。しかして、これら原因の取捨の程度に応じて、種々の程度の近似を得るものと考う。この方法は物理的科学者が日常使用するところにして、学者にとりてはおそらく自明的の方法なるも、世人一般に対しては、かならずしもしからず。学者と素人しろうととの意思の疎通せざる第一の素因は、すでにここに胚胎はいたいす。学者は科学を成立さする必要上、自然界にある秩序方則の存在を予想す。したがって、ある現象を定むる因子中より第一にいわゆる偶発的・突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別にれず。一例を挙ぐれば、学者は掌中しょうちゅうの球を机上に落とすとき、これが垂直に落下すべしと予言す。しかるに偶然、窓より強き風が吹きこみて球が横にはずれたりとせよ。俗人の眼より見れば、この予言ははずれたりというほかなかるべし。しかし学者は、はじめ不言裡ふげんりに「かくのごとき風なき時は」という前提をなしいたるなり。この前提が実用上無謀ならざることは、数回同じ実験をくり返すときはおのずからあきらかなるべきも、とにかくここに、予言者と被予言者との期待に一種の齟齬そごあるを認め得べし。
 つぎには、近似の意義に関する意見の齟齬そごが問題となる。学者が第一次近似をもって甘んずるとき、世人はかえって第二次近似、あるいは数学的の精確を期待するばあいもあり。これは後に詳説する天気予報のばあいにおいて特に著し。かくのごとき見解と期待との相違より生ずる物議は、世人一般の科学的知識の向上とともに減ずるはもちろんなれども、一方、学者の側においても、科学者の自然に対する見方がかならずしも自明的、先験的ならざることを十分に自覚して、しかる後、世人に対する必要もあるべし。(この点は、単に予報のみの問題にかぎらず、一般科学教育をほどこす人の注意すべき点なるべしと信ず。中学校にてはじめて物理学を学ぶ際に「なにゆえに、かくのごとく考えざるべからざるか」との疑問が暗々裏あんあんりに学生の脳裏に起こりて、何人なんびともこれが解決を与えざるがゆえに、力といい、質量といい、仕事というがごとき言葉は、あたかも別世界の言葉のごとく聞こえ、しかもこれらの考えが先験的必然のものなるにかかわらず、自分はこれを理解し得ずとの悲観をいだかしむる傾向あり。世人一般の科学に対する理解と興味とを増進するには、すくなくも中等教育において、科学的認識論・方法論の初歩をさずくるも無用にはあらざるべし。

   二

 さて、従来の科学の立場より考えて、すべての主要原因が与えられたりと仮定すれば、結果はつねに単義的ユニークに確定すべきか。これはやや、注意ぶかき考慮を要する問題なり。
 いわゆる精密科学においても、吾人ごじんは偶然と名づくるものを許容す。これ一般に、部分的の無知を意味す。すなわち、条件をことごとく知らざることを意味す。いかなる測定をなす際にも、直接・間接に定め得る数量の最後のけたには偶然が随伴す。多くの世人は、精密科学の語に誤られてこの点を忘却するを常とす。
 いっそう偶然の著しきばあいは、たとえば鉛筆を尖端せんたんにて直立せしめ、これがいずれの方向に倒るるかというばあい、あるいはさいを投げて何点が現わるるかというごとき場合なり。これらのばあいにおいても、もし、すべての条件がどこまでもくわしく与えられおれば、結果はかならず単義的に定まるべしというがいわゆる科学的定数論者の立場なり。これはおそらく、大多数の科学者の首肯しゅこうするところなるべし。しかし実際にはこれらのすべての条件が知り難きゆえに、結果の単義性は問題となる。
 抽象的、数学的に考うれば、複義性なる関数は無数に存在す。たとえば、ファン・デル・ワールなどの理論に従えば、ガス体の圧を与うれば、その体積には三種の可能価あることとなる。この理論の当否は問わざるも、抽象的にこのことは可能なるべし。今、かくのごとき場合にも天然現象はかならず単義的におこるとすれば、それはいかなる理由によるべきか。ここに「安定度」とか「公算」とかいう言葉が科学者の脳裏に浮かぶべし。ここに吾人は、科学と形而上学との間のきわどき境界線に逢着ほうちゃくすべし。熱力学にエントロピーの観念の導入され、また、エントロピーと公算との結合を見るに至りし消息もまた、ここに至っておのずから首肯しゅこうさるべし。
 安定や公算の意味に関する議論はしばらくおき、種々の可能法あるばあいにおのおのの公算を比較するとき、吾人の経験は、その中の一つが特に大なるべしと期待せしむる傾向を有す。実際多くのばあいに、この期待は吾人をあざむかず。しかれども予報ということに連関して重大なる問題は、それが「つねにしかるか」ということなり。
 単義性という言葉にも種々の意味あり。数学的・絶対的の単義性といえば、一はどこまでも一にて、二はかならず二なるべし。しかし、自然現象に偶然を許容すれば、吾人の当面の問題は公算的単義性なり。すなわち、公算曲線の山が唯一なりやということが刻下の問題なり。さて、すべての場合にこれは唯一なりや。しからざる場合は、一般には多数あるべし。たとえば、馬のくらの形をなせる曲面の背筋の中点より球を転下すれば、球の経路には、二条の最大公算を有するものあるべし。またある時間内に降れる雨滴うてきの大きさを験するときは、その大きさの公算曲線には数個の山を見い出すべし。これらの場合を総括そうかつするに、いずれもかつて、ポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が、結果の有限変化を生ずるばあい」にあたるを見る。自然現象予報の可能程度を論ずる際に、忘るべからざる標準の一つはここにかかる。後に、さらに実地問題につきて述ぶることとせん。
 つぎに、原因を定むる独立変数と称するものの性質が問題となる。変数が長さ、時間、あるいはこれらの合成によりて得らるるものならば比較的簡単なれども、たとえば物体の温度、荷電などのごとき性質のものが与えられたりとせよ。もし、物体の内部構造などに立ち入らざるマクロ・スコピック〔巨視的。の見方よりすれば、これらの量はただちに物体の状態を単義的に指定すれども、これに反し、分子説・電子説の立場よりミクロ・スコピックの眼にて見れば、これらの量にては物体の内部状況は単義的には指定されず、ほとんど無限に複義的にして、吾人の知り得るはじつにただ、その統計的単義性にほかならず。このばあいに単に温度を与えても、各分子個々の運動を予報すべくもあらず。
 たとえばまた、過飽和の状態にある溶液より結晶が析出する場合のごとき、これがいつ結晶をはじめ、また結晶の心核がいかに分布さるべきかを精密に予報せんとするとき、単に温度、したがって過飽和度を知るのみにては的中の見込みはきわめて小なるべし。ただ吾人は、過飽和度の増加に伴うて結晶析出を期待する公算を増すことを知り、また、結晶中心の数につきても公算的にある期待をなすことを得るにすぎず。しかるにもし、人間以上の官能を有するいわゆるマクスウェルの魔のごときものありて、分子ひとつひとつの排置はいち運動を認め、その運動や結合の方則を知りて計算するを得ば、少なくも吾人が日食を予報するくらいの確かさをもってこれらの現象を予報するを得べし。

   三

 今、天然のおこる現象を予報せんとする際に感ずる第一の困難は、その現象を限定すべき条件の複雑多様なることなり。
 実験室においておこなう簡単なる実験においては、これら条件を人為的に支配し制限し得る便あり。しかも、もっとも簡単なるデモンストレーション的実験においてすら、用意の周到ならざるため、条件のただ一つを看過すれば、実験の結果はまったく予期に反することあるは吾人の往々経験するところなり。これらの失敗に際して実験者当人は、必要条件を具備すれば、結果は予期に合すべきを信ずるがゆえに、あえて惑うことなしとするも、いまだ科学的の思弁にれず原因条件の分析を知らざる一般観者は、不満を禁ずるあたわざるべし。また場合により、実験の結果がなかばあるいは部分的に予期に合すれば、実験者たる学者はその適合せる部分だけを抽出して自己の所説を確かむれども、かくのごとき抽象的分析にらされざる世俗は、了解に苦しむこともあるべし。
 かくのごとき困難は、天然現象のばあいにもっとも著しかるべし。試みにまず、天気予報のばあいを考えん。
 太古の時代より天気予報の試みはおこなわれたれども、分析的科学の発達せざりし時代には、天気を限定すと考えられし条件、あるいは独立変数がきわめて乱雑なる非科学的のものなりしなり。もっとも、雲の形状運動や、風向・気温のごとき今日のいわゆる気象要素と名づくるものの表示によりたることもあれど、同時にまた、動物の挙動や人間の生理状態のごとき総合的の表現をも材料としたり。かくのごとき材料も場合によりてはあえて非科学的とは称し難きも、とにかく、物理学的方法を応用するばあいの独立変数としては不適当なるものなりしなり。今日の気象学においていわゆる気象要素と称するものは、これに反して物理学の基礎の上に設定されたるものにして、これらを材料とせる予報は、純然たる物理学的の予報にほかならず。したがって、物理学上の予報につきて感ぜらるる困難もまた同時に随伴し、ことに条件の多数なるためにその困難はいっそう増加すべし。かくのごとき場合には、いわゆる主要条件の選択が重要なるはすでに述べたるがごとし。現今の物理学的気象学の立場より考えて、今日のいわゆる要素の数は、だいたいにおいて理論上主要の項をしっしたりと考えらる。しかるに実用上の問題は、いかなる程度までこれらの要素を実測し得るかということなり。測候所の数には限りあり、観測の範囲、回数にも限定あり。とくに高層観測のごとき、いっそうこの限定を受くることはなはだし。それにもかかわらず、現に天気予報がその科学的価値を認められ、実際上、ある程度まで成功しおるはいかなる理由によるべきか。
 数十里、数百里をへだてたる測候所の観測を材料として、吾人はいわゆる等温線・等圧線を描き、あるいは風の流線の大勢を認定す。このさい、吾人の行為に裏書きする根拠はいずこにありやというに、第一に、これら要素の空間的・時間的分布が規則正しきということなり。換言すれば、これら要素の時間的・空間的微分係数が小なりということなり。これが小なる時に等温線や等圧線は有意義となり、これに物理学上の方則が応用さるるなり。
 今、鋭敏なる熱電堆ねつでんたいをもって気温を測定するときは、いかなる場合にも一尺をへだてたる二点の温度は一般に同じからず。この差は、数秒あるいは数分の不定なる週期をもって急激に変化するを見い出すべし。すなわち小規模・短週期の変化をとくに注意すれば、上の微分係数は決して小ならず。かくのごとき眼より見れば、実際の等温線は大小無数の波状凹凸おうとつを有し、これが寸時すんじも止まらず蠢動しゅんどうせるものと考えざるべからず。かくのごとき状態を精密に予報することは、いかなる気むずかしき世人もあえて望まざるべし。しかし今、すこしく規模を大きくして一村、一市街の幅員と同程度なる等温線の凹凸おうとつやその時間的変化となれば、すでに世人の利害に直接・間接の交渉を生ずるにいたることあり。積雲の集団が、ある時間内にある村の上を多くぐるか少なく過ぐるかは、時にはその村民にとりてはかなり重大なる場合もあるべし。小区域の驟雨しゅううが某市街を通過するか、その近郊のみを過ぐるかは、その市民にとりては無差別にはあらず。しかれども、かくのごとき小規模の現象の予報をなしうるためには、(この予報が可能としても)少なくも測候所の数を現在の数百倍、数千倍に増加せざるべからず。
 現在の天気予報は、かくのごとき要求をたすためのものにあらず。各測候所の平均領域の幅員に比して、微細なる変化は度外視どがいしし、定時観測期間の長さに比して急激なる変化をも省略して、近似的等温線あるいは等圧線を引くにぎず。たとえば土地山川の高低図を作る際に、道路の小凹凸おうとつ、山腹の小さきがけくずれを省略するに同じ。これをはぶくとも、鉄道・運河の大体の設計にはなんらの支障を生ずることなかるべし。これに反して、荷車をひく労働者には道路の小凹凸おうとつは無意味にあらず。墓地の選定をなさんとする人には、山腹のがけくずれは問題となるべし。
 世人の天気予報に対する誤解と不平は畢竟ひっきょう、この点にかかる。二十万分の一の地図を手にして道路の小凹凸おうとつをもとめ、物体の温度を知りてその分子各個の運動を知らんとすると同様なる誤解に起因す。

   四

 つぎに、地震予報の問題に移りて考えん。地震の予報ははたして可能なりや。天気予報と同じ意味において可能なりや。
 地震がいかにしておこるやは、今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時におこる現象なるがごとし。これが起こると否とを定むべき条件につきては、吾人ごじんいまだ多くを知らず。すなわち天気のばあいにおける気象要素のごときものが、いまだあきらかに分析されず。この点においても、すでに天気の場合とおもむきを異にするを見る。
 地殻のひずみが漸次ぜんじ蓄積して不安定の状態に達せるとき、適当なる第二次原因、たとえば気圧の変化のごときものが働けば、地震を誘発することは疑いなきもののごとし。ゆえに一方において地殻のゆがみを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉ちしつするを得れば、地震の予報は可能なるらしく思わる。この期待は、いかなる程度まで実現されうべきか。
 地下のゆがみの程度を測知することはある程度までは可能なるべく、また主なる第二次原因を知ることも可能なるべし。今、仮にこれらがすべて知られたりと仮定せよ。
 さらに事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一か所に止まり、地震がおこるとせば、かならずその点におこるものと仮定せん。かつまた、第二次原因の作用はごうも履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的のばあいにおいても、地震の突発する「時刻」を予報することはかなり困難なるべし。何となれば、このばあいは前に述べし過飽和溶液の晶出しょうしゅつのごとく、現象の発生は、吾人の測知し得るマクロ・スコピックの状態よりは、むしろ、吾人にとりては偶然なるミクロ・スコピックの状態によりて定まると考えらるるがゆえなり。換言すれば、マクロ・スコピックなる原因の微分的変化は、結果の有限なる変化を生ずるがゆえなり。このばあいは、重量を加えて糸を引き切るばあいに類す。しかしともかくも、ゆがみが増すにしたがって現象の発生を期待する公算の増加するはもちろんにて、したがって、ゆがみがある程度に達するまでは現象はおこらずと安心すべき根拠を与うべし。この場合にあたり、時とともに現象の発生に対する期待の増加する状況を示す線が与えられたりとせよ。しかして、この曲線の傾斜がはなはだゆるやかにして、十年、二十年、あるいは人間一代の間にいちじるしき変化を示さぬごときものならば、いかなるべきか。この場合には、個々の人間にとりての予報の実用的価値は、きわめて少なかるべし。
 つぎに、上の仮想的のばあいにおいて、現象の発生する時期がある程度まで知られたりと仮定せよ。このばあいにおこる地震の強弱の度をいかほどまで予知し得べきか。単に糸を引き切るばあいならば簡単なれども、地殻のごときばあいには、破壊の起こり方には種々の等級あるべし。破壊がただ一回に終わらず、数回の段階的変化によるとすれば、これらの推移中にゆがみの変化は複雑におこり、場合によりては毎回地震の強度は微弱なることもあるべく、また時には、その中に強震を生ずることもあるべし。かくのごとき差別が偶然的・局部的の異同に支配さるるとせば、広区域にわたるマクロ・スコピックの平均状態を知るのみにては、信憑しんぴょうすべき実用的の予報は不可能に近し。
 上記のごとき、地殻の弱点が一か所に止まらず、多数に分布されいる場合にはさらに困難なり。このばあいには第一にこれらの分布を知り、またすべての弱点に対するゆがみの限界値を知り、同時に、すべての弱点におけるゆがみの刻々の現状を知るを要す。仮にこれらが知られたりとするも、多数の弱点が同時に不安定に近づくとき、そのいずれがまず変化を始むべきかは、いわゆる偶然の決するところなるべし。この場合においても、予報の意味は世人の期待とはなはだしく離反りはんすべし。
 実際の地殻においては、その弱点の分布はかならずしも簡単ならず、しかも、おのおのの弱点は相互に独立ならず、なんらかの関係を有すべく、特にいっそう事柄を複雑にするは、地殻岩石の弾性履歴効果のいちじるしきことなり。これらがことごとく知られたりとするも、現象の性質上、原因の微分的変化に対して、結果の変化は有限にしてかつ、その単義性もあきらかならず。具体的にいえば、地すべりなどがある限界内に止まれば、それだけにて止むも、すこしにてもこれを超ゆれば、他の弱点の破壊を誘起してさらに大なる変動を起こすこともあるべく、そのさい、いかなる弱点が誘発さるるやはまた偶然的なる地下の局部的構造によると考えらる。
 かくのごとき場合に、普通の簡単なる公算論の結果を応用せんとするには、至大しだいの注意を要することはあきらかなるべし。

   五

 予報の可能・不可能ということは、考え方によればあまりに無意味なる言葉なり。たとえば今月中、少なくも各一回の雨天と微震あるべしというごとき予報は、何人も百発百中の成功を期して宣言するを得べし。ここに問題となるは、予報の実用的価値を定むべき標準なり。
 予報によりて直接・間接に利便を感ずべき人間の精神的・物質的状態は、時ならびに空間とともに変化しつつあり。したがって、天然界のある状態がその人間に有利なるか不利なるかは、時と場所とによりて変化す。たとえば、水草を追って移牧する未開人にとりては、時とともに利害のかかわる土地の範囲を移動す。また一つの都府の市民というごとき抽象的の団体を考うるときは、その要素たる各個人とは独立に、時とともに不変なる標準も考えらるれども、一般にはかならずしもしからず。たとえば一般の東京市民にとりては、夜半の小雨はあえて利害を感ぜざるべきも、昼間の雨には無頓着むとんちゃくならず。また、平日一般の日本国民は京都市の晴雨に対しては冷淡なるも、御大典ごたいてん当時はかならずしもしからざるべし。
 数学的の言葉を借りていえば、各個人、市民、あるいは国民がある現象に対して利害を感ずる範囲は、時間と空間とより組成されたる四元空間中において、ある面にて囲まれたる部分にて示すことを得べし。この部分は単独なるばあいも、数個なるばあいもあるべし。
 自然現象の予報もまた同様に、時と空間のある範囲内に指定するときにはじめて意義あるものとなる。たとえば明日中、某々地方に降雨あるべしというがごとし。これらの予報が普通、世人にとりて実用的価値を有するための条件は、思うに「その現象のために利害を感ずべき個人、あるいは団体の利害を感ずる範囲領域の大きさに対して、予報の指定する範囲の大きさが比較的大ならず、かつ、前者に対する後者の位置の公算的変化の範囲の小なること」なり。
 具体的の例をぐれば、東京市民にとりては「明日、正午まで京浜地方西北の風晴」といい、あるいは「本日午後、驟雨しゅうう模様あり」というがごときは、多数の世人に有用・有意義なり。またもし「一週間内に東海道の大部分に降雨あるべし」との予報をなし得たりとせば、東京市民にとりてはきわめて漠然たる印象を与うべし。これ、予報の範囲が東京市民の日常生活上、雨に関して利害を感ずる範囲に比して、あまりに大なるがゆえなり。しかれども、連日雨に渇する東海道の農民にとりては、この予報は非常の福音たるに相違なかるべし。
 つぎに地震のばあいはいかん。もし仮に「来る六、七月のころ、東京地方に破壊的地震あるべし」との予報が科学的になし得られたりと仮定せよ。これが十分の公算を有することがあきらかなれば、市民はじゅうぶんの覚悟をもって変に備うべし。つぎに「今後五十年内に、日本南海岸のうち一部分に強震あるべし」ということがよほど確実なりと仮定せよ。この予報は各個の市民にとりては、いくぶん漠然たる予言者の声を聞くがごとき思いあるべし。五十年は個人の生命に対してあまりに短からず。その間に、個人の生命も住所もいかになるべきかあきらかならざるなり。しかれども、日本政府の眼より見れば五十年は決して長からず、南海岸は邦土ほうどの一部分なり。この予報がなし得らるれば、これによりて国家がくべき直接・間接の利益は少なからざるべし。
 噴火のばあいもこれに同じ。仮に、科学的に信憑しんぴょうすべき根拠よりして、来る六十年ないし七十年間に某火山系に活動を予期し得るとせば、個人に対してはともかく、一県一道の為政者にとりては多大の参考となるべし。
 予報者と被予報者との意志の疎通せざる手近き原因は、予報の指定する範囲と被予報者の利害範囲の大きさの相違と、その公算的不整合を許容する程度の差異に帰すべしと思わる。
 最後に卑近なる例をあげて所説をおぎなわん。木の葉をつたい歩くありにとりては、一粒一粒の雨しずくの落つる範囲を方数ミリメートルの内に指定することが必要なれども、吾人、人間には多くのばあいにただ雨量と称する統計的の数量が知らるれば十分なり。

   六

 以上述べたるところにもとづき、また現在科学の進歩程度にかんがみて天気予報と地震予報とを対照すれば、その間の多大の差異あるを認めざるを得ず。
 現在の気象観測精度をもってすれば、各気象区域における大体の天気の推移を予知することは十分可能にして、観測の範囲の拡張につれて的中の公算を増すべしと考えらる。しかれども、毎平方里における雨量の異同を予言するがごときは望み難かるべし。
 地震のばあいにおいては、いまだ気象要素に相当すべき条件さえ明白ならず。したがって、解析的の方法を取るべき材料いまだ具備せず。これらが一通り具備したるあかつきにおいても、現象の偶然性を除く程度までくわしくこれを知悉ちしつする困難は、現象の性質上、はなはだ大なるべし。かくのごとき場合には、公算論の指示する統計的方法を取るほかなかるべきも、公算が変数の連続関数なりと断定しがたく、また最大公算を有するばあいが唯一ならざる場合には、特別に慎重なる考慮を要すべし。
 地震予報をして天気予報のごとき程度まで有効ならしむるには、いかなる方向に研究を進むべきかは重要なる問題なり。物理学上の問題としては、地殻岩石の弾性に関する各種の実験のごときは、きわめて肝要なるべし。一方においては、統計的にいわゆる第二次原因の分析を試むるも有益なり。しかれども統計に信頼するためには、統計の基礎を固むる必要あるべし。普通、公算論の適用さるる簡単なるばあいにおいても、場合の数が小なるときは、自然の表現は理論の指示するところと大なる懸隔けんかくを示すことあり。これも忘るべからざることなり。なお一般弾性体の破壊に関して、その弱点の分布や相互の影響、あるいは破壊の段階的進歩に関する実験的研究をおこない、破壊という現象に関するなんらかの新しき方則を発見することも、かならずしも不可能ならざるべし。すなわち、従来普通に考うるごとく、弾性体を等質なるものと考えず複雑なる組織体と考えて、その内部における弱点の分布の状況などに関し、まったく新しき考えよりして実験的研究を積むも、無用にあらざるべきか。
(大正五年(一九一六)三月『現代之科学』



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年8月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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火山の名について

寺田寅彦


 日本から南洋へかけての火山の活動の時間分布を調べているうちに、火山の名前の中には、たがいによく似通にかよったのが広く分布されていることに気がついた。たとえば日本の「アソ」「ウス」「オソレ」「エサン」「ウンセン」などに対してカムチャツカの「ウソン」、マリアナ群島の「アソンソン」、スマトラの「オサール」などがあり、またわが国の「ツルミ岳」「タルマイ山」「ダルマ山」に対しジャヴァの「ティエリマイ」「デラメン」などがあるという類である。それで、これは偶然の暗合であるか、あるいはこれらの間にいくぶんかの必然的関係があるかを、できるなら統計学的の考えから決定したいと思ったのである。
 この統計の基礎的の材料として第一に必要なものは、火山名の表である。しかし、この表を完全に作るということがかなりな難事業である。まずたくさんの山の中から火山をひろい出し、それを活火山と消火山に分類し、あるいは形態的にコニーデ、トロイデ、アスピーテなどに区別することは地質学者のほうで完成されているとしても、おのおのの山には多くのばあいに二つ以上の名称があり、また一つの火山系の各峰が、それぞれ別々の名をもっているのをいかに取り扱うかの問題がおこる。
 また火山の名が同時に、郡の名や国の名であったりすることがしばしばある。そのばあい、そのいずれが先であるかが問題となる。国郡のごとき行政区画のできるはるかに前から、火山の名が存し、それが顕著な目標として国郡名に適用されたであろうとは思われるが、これも確証することはむつかしい。
 山の名の起原については、それぞれいろいろの伝説があり、また北海道の山名などでは、いかにももっともらしい解釈が一つ一つにつけられている。これをことごとく信用するとすれば、自分のくわだてている統計的研究の結果ができたとしても、それは言語学的に貢献することは僅少きんしょうとなるであろう。しかし自分の見るところでは、これらの伝説は自然科学的の立場から見ればほとんど無価値なものであり、また、アイヌ語による解釈も部分的には正しいかもしれないが、とうてい全部が正しくないことは、人によって説の違う事実からでも説明される。
 それで唯一の科学的方法は、これらのあらゆる不確実な伝説や付会ふかい説をひとまず全部無視して、そうして現在の山名そのものをり、まったく機械的に統計にかけることである。たとえば硫黄岳いおうだけとか硫黄山いおうざんといっても、それがはたして硫黄を意味するものであるか、じつは不明である。のみならず、むしろあとから「硫黄おう」をうまくはめ込んだものらしいと思われるふしもある。むしろ、北海道の岩雄山いわおやまや九州の由布岳ゆふだけなどと関係がありはしないかと疑われる。ともかくも、これらの名前を一定の方式にしたがって統計的に取り扱い、その結果がよければ前提が是認され、悪ければ否定されるのである。
 完全な材料はなかなか急には得がたいので、ここではまず、最初の試みとして東京天文台編『理科年表』昭和五年(一九三〇)版の「本邦のおもな火山」の表をることにする。これは、現在の目的とはなんの関係なしに作られたものであるから、自分の勝手がきかないところに強みがある。これを採用するとしたうえで、山名の読み方が問題となるが、これは『大日本地名辞書』により、そのほかには小川おがわ氏著『日本地図帳地名索引』、また『言泉げんせん』などによることにした。それにしても、たとえば海門岳かいもんだけが昔は開聞でヒラキキと呼ばれ、ヒラキキ神社があるなどといわれるとちょっと迷わされるが、よくよく考えてみると、むしろカイモンがはじめであろうとも考えられる節があり、千島ちしまのカイモンと同系と考えるほうがよさそうにも思われ、少なくも両方に同等の蓋然性がいぜんせいがある。それで、これらもすべて現在の確実な事実としての名だけをることにする。千島の分だけはいろいろの困難があるので除き、また、台湾たいわん朝鮮ちょうせんも除くこととする。
 さて Aso, Usu, Uns(z)en, Esan の四つを取ってみる。これはいずれも母音で始まり、つぎに子音で始まる綴音てつおんがくる。終わりのnは問題外とする。
 一般に母音で始まり、つぎにいずれか任意の一つの子音のくるばあいが火山の表中で何個あるかを数えてみる。この数を N(VC) であらわす。すると、この中である特定の一つの子音、たとえばSならSが出現するということのプロバビリティー蓋然性がいぜんせいはいくらか。この確率は、可能な子音の種類の数(Qとする)の逆数となる。それで、ぜんぜん偶然的暗合ならば現われるべきこの型の火山名の数nは、N(VC)÷Q になるはずである。しかるに実際には、この特定型のものがm個あるとする(アソの場合では m = 4 )。さすれば、



なる比が大きいほど暗合でないらしい、何か関係があるらしい確率が増すのである。少なくもm個のうちの若干は、たがいに関係がありそうだということになるであろう。もっとも厳密にいえば、このほかに日本語の特徴としては、このような組み合わせの現われる一般的の確率を考慮に入れるべきであるが、これは容易でないからしばらく度外視どがいしする。
 子音数Qをどう取るかがかなりむつかしい問題になるが、「アソ」のばあいは、仮にこれを9と取る。すなわち(k, g)(s, z)(t, d)(n)(p, b, h)(m, b, mb, np)(y)(r)(w)の9とする。また山名としては、山・岳・島・登・ヌプリ・峰などの文字を引き去った残りだけを取り扱うことにする。ただし、白山はくさん月山がっさんはそのままに取る。また、シラブル〔音節。の終わりのnは除外することにする。
 まず、歴史時代に噴火の記録のあるものだけについて見ると N(VC) = 8 である。(ただし硫黄、岩雄も iwo, iwao としてこの部分に算入する。すなわち、わざと都合の悪いほうを選ぶのである。)さすれば R = 4×9÷8 = 4.5 となる。少し虫のよい取り方をして硫黄、岩雄を Yuwo, Yuwao と見て除けば N(VC) = 4 となり、R = 9 となる。
 つぎに消火山・活火山をもあわせて取り扱うばあいには、N'(VC) = 11 となり、R = 3.3 に減ずるが、硫黄・岩雄の頭がyなる子音だとして、このアソ型から除けば R = 5.1 となる。
 つぎに Koma(こまたけ, Kaimon, Kume(久米島くめしま, Kimpu(Kib), Kampu, Kombu, Kamui を取れば m = 7 である。このばあいは子音始まりで子音二つのばあいとして、一般の子音二つのものの数 N(CC) を求めると、消火山も入れてであるから N(CC) = 48 である。ここでも子音数をQとする偶然の確率は 1÷Q(Q-1)(ただし子音二つが異なるとして)であるから、



 Q = 9, m = 7, N = 48 であれば R = 10.5 となる。活火山だけだと m = 2 なるかわりに N = 14 となるので、R = 10.3 でやはりほぼ同値となる。いずれにしても、偶然のばあいとは桁数けたすうがちがって多い。このばあいでも、一般の日本語に km なる結合のおこる確率を考慮に入れて補正すればよいが、これはしばらく省略するほかはない。しかしこれは現在のばあい、結果の桁数けたすうを変えるほどの影響がありそうもないことは、すこしあたってみてもわかると思う。
 Turumi, Tarumai, Daruma のばあいは、活火山だけだとタルマイ一つ、すなわち m = 1 で統計価値があまりに少ないから、消火山も入れて n = 3 のばあいを考える。このばあいは子音三つであって、Nの最多数な場合である。それでもし、この場合の数 N(CCC) を現在の表中の火山の総数に等しいと取れば、これは結果のRを少なくするほうの取り方であるから、これで得られたRが大きければ、ほんとうはもっと大きいことになる。それで仮にそうしてみる。さすれば、このばあい N(CCC) = 167, m = 3、また子音三個の組み合わせの順列の数は 9×8×7 = 504 であるから、R = 3×504÷167 = 9.0 強となる。
 鳥海山はトリノウミと言ったらしい形跡があるので、これも入れるとすると、Rはさらに四分の五倍だけに増すわけである。
 つぎに問題になるのは F(H)uz(d, t)i, Hiuti, Kudy, Kdu(sima), Kuti(no sima) の類である。KとHは日本語でもしばしば転化するから、ここでは仮に同じと見て、つぎのような子音分類をする。すなわち(k, g, h, f)と(t, d, s, z)とを対立させると、子音群数は Q = 7 となる。このばあい N(CC) = 48 であって、m = 9(火山名略)であるから R = 7.6 となる。
 つぎには Yuwoo, Yuwao, Yufu を取り、三つの「硫黄いおう」を名とする火山を三つにかぞえると n = 5 となり、子音数9とすれば R = 5×72÷47 = 7.5 となる。
 以上のばあいに得たRの価は、いずれも1に対して相当多いものである。したがって単なる偶然と見ることは少しむつかしく思われてくるのである。もちろん、これらが全部関係があるということはいわれないが、これらのうち若干は連関しているであろうということを暗示するには、じゅうぶんであると思う。それでもし偶然でないとすれば、以上にあげたような言語要素がいろいろな形で他の火山名の中にも現われていはしないかと思われる。また一方で、同じ要素が南洋その他の方面にありはしないかと思われる。また南洋の言語中には、従来の言語学者の説のごとく世界じゅうの言語が混合しているとすれば、逆に、遠い外国の意外のへんにも同じ要素が認められはしないかという疑いがおこる。それで試みに、同型の疑いのある火山名を次ページの表に列挙して、将来の参考に供しておきたいと思うのである。中には現在の形での意味がかなり明白だと思うのがあっても、仮に除かないで採録しておくことにする。(外国火山名はおもにウォルフによる。


 第一表 アソ・アサマ型

(本邦)(外国)
AsoUson(カムチャツカ)
UsuAssongsong(マリアナ)
Unsen, UnzenAzuay(南米)
EsanAsososco(中米)
Asur, Yasowa, Yosur, Yosua
Unsy(阿蘇の峰名)(ニューヘブリディーズ)
zy( 〃 )

OsoreOssar(スマトラ)
Azul(南米)
RausuOsorno( 〃 )
RausiIzalco(中米)
RasyowaLesson(ニューギニア)
Lassen(カリフォルニア)

GwassanVesuvio(イタリア)
Bessan(白山の一峰)
Buson

Nasu
Kasa
Kesamaru

AsakusaAssatscha(カムチャツカ)
AsitakaAskja(アイスランド)
Asahi
Usisir(千島の宇志知ウシシル

AsamaKara Assam(スンダ)
Aduma, AzumaPasaman Telamen(スマトラ)
Pasema( 〃 )

SanbeSoemoe(スマトラ)
SambonSemeroe(ジャヴァ)
SumonSoembing( 〃 )
Samasana(火焼島かしょうとうSemongkron( 〃 )
ShumshuGl Samalanga(スマトラ)
Shimshir(千島の新知しむしるSamasate(中米)
Saba(西インド)

Izuna, IdunaEtna(イタリア)
Udone(このほかの at-, ad- 型略す)


 第二表 ツルミ・タラ型

(本邦)(外国)
TurumiTjerimai(ジャヴァ)
DarumaTaroeb( 〃 )
TarumaiDelamen( 〃 )
Torinoumi(鳥海)Sahen Daroeman(サンギ)
Pasaman Telamen(スマトラ)
ChiripuTalla-ma-Kie(ハルマヘラ)
ChiripoiTulabug(南米)
Patarabe, BeritaribeTalima( 〃 )
Toliman(中米)

TaraTolo(ハルマヘラ)
Tanra(済州島チェジュとうTara( 〃 )
Tori(鳥島とりしまTaal(タール)
Tenry(白山絶頂)Talu(スンダ)
Tauro(サロモン)
AdataraToro(南米)
HutaraTelerep(ジャヴァ)
KutaraTeleki(東アフリカ)
MadaraoTarakan(ハルマヘラ)
Telok(スンダ)
Tulik(アリューシャン)
Telica(中米)
Talang(スマトラ)
Tarawera(ニュージーランド)
Talasiquin(ズールー)
Tultul(南米)
Turrialba(中米, 白塔)
Tjilering(ジャヴァ)


 このほかにまだコマ・カンプ型、クジウ型およびイワウ型があるが、これは今回は略し、他日の機会にゆずることとする。
 この表中に、ヨーロッパやアメリカなどの火山が出てくるのを見て笑う人もあろうと思うが、しかし、南洋語と欧州語との間の親族関係がかなりあきらかにされている今日、日本だけが特別な箱入りの国土と考えるのはあまりにおかしい考えである。これについてはどうか、私が先年『思想』に出した「比較言語学における統計的研究法の可能性について」を参照されたい。
 また言語学者のほうからは、私の以上の扱い方が音韻転化の方則などを無視しているではないかという非難を受けるかと思う。しかし、グリムの方則のような簡単明瞭めいりょうなものは、大陸で民族の大集団が移動し接触するときにはおこなわれるとしても、日本のような特殊な地理的関係にある土地で、小さな集団が、いろいろの方面から、幾度となく入り込んだかもしれない所では、この方則はあるにはあっても複雑なものであろうと予期するほうが合理的である。これを分析的に見つけてゆくのが、これからの長い将来の仕事でなければならない。それで私の現在の仕事は、そういう方面への第一歩として、一つの作業仮説のようなものを持ち出したにすぎないのである。
 以上の調べの結果で、たとえば Aso, Usu, Esan, Uson, Asur, Osore, Ossar などが意味の上で関係があると仮定すれば、これはいったい何を意味するかが問題となる。たとえば南洋エファテの Aso(燃える)・Asua(けむる)、サモアの Asu(煙)や、マレーの Asap(煙)(マレイでは火山は Gunong berasap すなわち煙山とも Gunong berapi 火山ともいう。Asap は Asama にもかよう)。あるいはヘブリウ〔ヘブライか。の ‘Esh(火)‘as´en(けむる)‘as´an(くすぶる)などが示唆され、これと関係あるアラビアの ‘atana(けむる)から西のほうへたぐって行ってイタリアの Etna 火山を思わせ、さらにひるがえってわが国の Iduna を思わせる。しからばこれはセミティク系の言葉かと思っていると、またたとえばスキートの説によれば、ギリシャの eusein(燃える、こげる)はインド・ゲルマンの理論上の語根 eus とつながり、アングロ・サクソンの Yslan(熱灰)の源であり、サンスクリットの語根 Ush(燃える)ともつながるとある。アイスランドの火山 Askja は同国古語の Aska(灰)であるとすれば、これは英語の ashes(灰)と親類だそうである。そこで今度は試みに「灰」を意味する語を物色してみると、サンスクリットに Bhasman, Bhuti があるが、この前者は Asama、後者は Huti(Fuzi) を思わせる。頭の子音 Bh と B をドロップさせるのがおもしろい。一方で、わが国に Buson という消火山のあるのはなお、おもしろい。白山はくさんの一峰を Bessan というのもこれに類する。これもBを除去すればアソ型となるのである。また、これにつづいて考えることは Rausu, Rausi, Rasyowa のアイヌ系のものから始めのRを除き、Lesson, Lassen からLを取るとアソ型に接近する。これも興味がある。マレイ語から語頭のLを除くと日本語に似るものの多いことは、すでに先覚者も注意したことである。その他にも、頭の子音を除いてアソ型になるもの Kasa, Daisen, Tyausu, Nasu があることに注意したい。しかし、私はこのようなわずかの材料から語原説などを提出する意は毛頭ない。ただ、一つの興味ある事実を注意するだけである。
 コマ型、タラ型、フジ・クジウ型、ユワウ型についても同様なことがいわれるのであるが、これらは後日、さらにくわしく考えてみたいと思う。今回は紙数の制限もあるので以上の予備的概論にとどめ、ただ多少の見込みのありそうな一つの道を暗示するだけの意味でしるしたにすぎない。したがって意をつくさない点のはなはだ多いのを遺憾とする。ともかくも、かかる研究の対象としては火山の名がもっとも適当なものの一つであることはあきらかであろう。たとえば川の名では、こういう方法はとうていむつかしいと考えられる。もっとも顕著な特徴をもって原始民の心にもっとも強く訴えたであろうと思わるる地上の目標として、火山にまさるものはないのである。しかし、そういう目標に名前がつけられ、その名前がいよいよ固定してしまい、生き残りうるためには特別な条件が具足することが必要であると思われる。単に理屈がうまいとか、口調がいいとかいうだけでは決して長い時の試練にたえないかと思われる。従来の地名の研究には、私の知るかぎり、この必要条件の考察がすこしも加わっていないではないかと思われる。この条件が何であるかについては、他日また愚見を述べて学者の批評をあおぎたいと思っている。
(昭和六年(一九三一)一月、『郷土』



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2004年3月10日修正
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自然現象の予報

寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)物議を醸《かも》す事あり

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正五年三月『現代之科学』)
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 自然現象の科学的予報については、学者と世俗との間に意志の疎通を欠くため、往々に種々の物議を醸《かも》す事あり。また個々の場合における予報の可能の程度等に関しては、学者自身の間にも意見は必ずしも一定せざる事多し。左の一篇は、一般に予報の可能なるための条件や、その可能の範囲程度並びにその実用的価値の標準等につきて卑見を述べ、先覚者の示教を仰ぐと同時に、また一面には学者と世俗との間に存する誤解の溝渠《みぞ》を埋むる端緒ともなさんとするものなり。元来この種の問題の論議は勢い抽象的に傾くが故に、外観上往々形而上的の空論と混同さるる虞《おそれ》あり。科学者にしてかくのごとき問題に容喙《ようかい》する者は、その本分を忘れて邪路に陥る者として非難さるる事あり。しかれども実際は科学者が科学の領域を踏み外す危険を防止するためには、時にこれらの反省的考察が却《かえ》って必要なるべし。特に予報の問題のごとき場合においては然《しか》りと信ず。余が不敏を顧みずここに二、三の問題を提起して批判を仰ぐ所因《ゆえん》もまたこれに外ならず。ただ徒《いたず》らに冗漫の辞を羅列して問題の要旨に触るるを得ざるは深く自ら慚《は》ずる所なり。これに依って先覚諸氏の示教に接する機を得ば実に望外の幸いなり。

         一

 ある自然現象の科学的予報と云えば、その現象を限定すべき原因条件を知りて、該現象の起ると否とを定め、またその起り方を推測する事なり。これは如何なる場合に如何なる程度まで可能なりや。この問題が直ちにまた一般科学の成立に関する基礎問題に聯関する事は明らかなり。しかし因果律の解釈や、認識論学者の取扱うごとき問題は、余のここに云為《うんい》すべき所にあらず。ただ物理学上の立場より卑近なる考察を試むべし。
 厳密なる意味において「物理的孤立系」なるものが存せず、すなわち「万物相関」という見方よりすれば、一つの現象を限定すべき原因条件の数はほとんど無限なるべし。それにかかわらず現に物理学のごときものの成立し、且つ実際に応用され得るは如何《いかん》。これは要するに適当に選ばれたる有限の独立変数にてある程度までいわゆる原因を代表し、いわゆる方則によりて結果の一部を予報し得るに依る。これにはいわゆる原因と称するものの概念の抽象選択の仕方が問題となる。これは結局経験によって定まるものにして、原因の分析という事自身が既に経験的方則の存在を予想する事は明らかなり。物理的科学発展の歴史に溯《さかのぼ》れば、到る処かくのごとき方則の予想によって原因の分析、すなわち最も便宜なる独立変数の析出に勉《つと》めたる痕跡を見出し得べし。しかしこの試みが成効して今日の物理的自然科学となれり。力学における力、質量等のごとき、熱力学における温度エントロピーのごときこれなり。これらの概念と定義とが方則の云い表わしと切り離し難きはこのためなり。物理的自然現象を限定すべき条件等がすべてこれらの有限なる独立変数にて代表され得るや否やは別問題として、現在の物理学的科学の程度において、従来の方法によりて予報をなし得る範囲は如何なるべきかが当面の問題なり。
 先ず従来の既知方則の普遍なる事を仮定せば、すべての主要条件が与えらるれば結果は定まると考えらる。しかしながら実際の自然現象を予報せんとする場合に、この現象を定むべき主要条件を遺漏なく分析する事は必ずしも容易ならず。故に各種原因の重要の度を比較して、影響の些少なるものを度外視し、いわゆる「近似」を求むるを常とす。しかしてこれら原因の取捨の程度に応じて種々の程度の近似を得るものと考う。この方法は物理的科学者が日常使用する所にして、学者にとりてはおそらく自明的の方法なるも、世人一般に対しては必ずしも然《しか》らず。学者と素人《しろうと》との意思の疎通せざる第一の素因は既にここに胚胎《はいたい》す。学者は科学を成立さする必要上、自然界に或る秩序方則の存在を予想す。従ってある現象を定むる因子中より第一にいわゆる偶発的突発的なるものを分離して考うれども、世人はこの区別に慣れず。一例を挙ぐれば、学者は掌中の球を机上に落す時これが垂直に落下すべしと予言す。しかるに偶然窓より強き風が吹き込みて球が横に外れたりとせよ。俗人の眼より見ればこの予言は外れたりと云う外なかるべし。しかし学者は初め不言裡《ふげんり》に「かくのごとき風なき時は」という前提をなしいたるなり。この前提が実用上無謀ならざる事は数回同じ実験を繰返す時は自《おの》ずから明らかなるべきも、とにかくここに予言者と被予言者との期待に一種の齟齬《そご》あるを認め得べし。
 次には近似の意義に関する意見の齟齬が問題となる。学者が第一次近似をもって甘んずる時、世人は却って第二次近似あるいは数学的の精確を期待する場合もあり。これは後に詳説する天気予報の場合において特に著し。かくのごとき見解と期待との相違より生ずる物議は世人一般の科学的知識の向上とともに減ずるは勿論なれども、一方学者の側においても、科学者の自然に対する見方が必ずしも自明的、先験的ならざる事を十分に自覚して、しかる後世人に対する必要もあるべし。(この点は、単に予報のみの問題に限らず一般科学教育を施す人の注意すべき点なるべしと信ず。中学校にて始めて物理学を学ぶ際に「何故《なにゆえ》にかくのごとく考えざるべからざるか」との疑問が暗々裡に学生の脳裡に起りて何人《なんびと》もこれが解決を与えざるが故に、力と云い、質量と云い、仕事と云うがごとき言葉は、あたかも別世界の言葉のごとく聞え、しかもこれらの考えが先験的必然のものなるにかかわらず自分はこれを理解し得ずとの悲観を懐《いだ》かしむる傾向あり。世人一般の科学に対する理解と興味とを増進するには、少なくも中等教育において科学的認識論方法論の初歩を授くるも無用にはあらざるべし。)

         二

 さて従来の科学の立場より考えて、すべての主要原因が与えられたりと仮定すれば結果は常に単義的《ユニーク》に確定すべきか。これはやや注意深き考慮を要する問題なり。
 いわゆる精密科学においても吾人は偶然と名づくるものを許容す。これ一般に部分的の無知を意味す。すなわち条件をことごとく知らざる事を意味す。いかなる測定をなす際にも直接間接に定め得る数量の最後の桁には偶然が随伴す。多くの世人は精密科学の語に誤られてこの点を忘却するを常とす。
 一層偶然の著しき場合は、例えば鉛筆を尖端にて直立せしめ、これがいずれの方向に倒るるかという場合、あるいは賽《さい》を投げて何点が現わるるかというごとき場合なり。これらの場合においても、もしすべての条件がどこまでも精《くわ》しく与えられおれば結果は必ず単義的に定まるべしというがいわゆる科学的定数論者の立場なり。これはおそらく大多数の科学者の首肯する所なるべし。しかし実際にはこれらのすべての条件が知り難き故に結果の単義性は問題となる。
 抽象的、数学的に考うれば複義性なる函数は無数に存在す。例えばファン・デル・ワール等の理論に従えば、ガス体の圧を与うればその体積には三種の可能価ある事となる。この理論の当否は問わざるも、抽象的にこの事は可能なるべし。今かくのごとき場合にも天然現象は必ず単義的に起るとすれば、それは如何なる理由によるべきか。ここに「安定度」とか「公算」とかいう言葉が科学者の脳裡に浮ぶべし。ここに吾人は科学と形而上学との間の際《きわ》どき境界線に逢着すべし。熱力学にエントロピーの観念の導入され、またエントロピーと公算との結合を見るに至りし消息もまたここに至って自ずから首肯さるべし。
 安定や公算の意味に関する議論はしばらく措《お》き、種々の可能法ある場合におのおのの公算を比較する時、吾人の経験はその中の一つが特に大なるべしと期待せしむる傾向を有す。実際多くの場合にこの期待は吾人を欺かず。しかれども予報という事に聯関して重大なる問題はそれが「常に然《しか》るか」という事なり。
 単義性という言葉にも種々の意味あり。数学的絶対的の単義性といえば、一はどこまでも一にて二は必ず二なるべし。しかし自然現象に偶然を許容すれば吾人の当面の問題は公算的単義性なり。すなわち公算曲線の山が唯一なりやという事が刻下の問題なり。さてすべての場合にこれは唯一なりや。然らざる場合は一般には多数あるべし。例えば馬の鞍《くら》の形をなせる曲面の背筋の中点より球を転下すれば、球の経路には二条の最大公算を有するものあるべし。またある時間内に降れる雨滴の大きさを験する時は、その大きさの公算曲線には数箇の山を見出すべし。これらの場合を総括するに、いずれもかつてポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が結果の有限変化を生ずる場合」に当るを見る。自然現象予報の可能程度を論ずる際に忘るべからざる標準の一つはここに係る。後に更に実地問題につきて述ぶる事とせん。
 次に原因を定むる独立変数と称するものの性質が問題となる。変数が長さ、時間、あるいはこれらの合成によりて得らるるものならば比較的簡単なれでも、例えば物体の温度、荷電等のごとき性質のものが与えられたりとせよ。もし物体の内部構造等に立ち入らざるマクロスコピックの見方よりすれば、これらの量は直ちに物体の状態を単義的に指定すれども、これに反し分子説、電子説の立場よりミクロスコピックの眼にて見れば、これらの量にては物体の内部状況は単義的には指定されずほとんど無限に複義的にして、吾人の知り得るは実にただその統計的単義性に外ならず。この場合に単に温度を与えても各分子箇々の運動を予報すべくもあらず。
 例えばまた過飽和の状態にある溶液より結晶が析出する場合のごとき、これがいつ結晶を始め、また結晶の心核が如何に分布さるべきかを精密に予報せんとする時、単に温度従って過飽和度を知るのみにては的中の見込は極めて小なるべし。ただ吾人は過飽和度の増加に伴うて結晶析出を期待する公算を増す事を知り、また結晶中心の数につきても公算的にある期待をなす事を得るに過ぎず。しかるにもし人間以上の官能を有するいわゆるマクスウェルの魔のごときものありて、分子一つ一つの排置運動を認めその運動や結合の方則を知りて計算するを得ば、少なくも吾人が日蝕を予報するくらいの確かさをもってこれらの現象を予報するを得べし。

         三

 今天然の起る現象を予報せんとする際に感ずる第一の困難は、その現象を限定すべき条件の複雑多様なる事なり。
 実験室において行う簡単なる実験においてはこれら条件を人為的に支配し制限し得る便あり。しかも最も簡単なるデモンストレーション的実験においてすら、用意の周到ならざるため、条件のただ一つを看過すれば実験の結果は全く予期に反する事あるは吾人の往々経験する所なり。これらの失敗に際して実験者当人は、必要条件を具備すれば、結果は予期に合すべきを信ずるが故にあえて惑う事なしとするも、いまだ科学的の思弁に慣れず原因条件の分析を知らざる一般観者は不満を禁ずる能《あた》わざるべし。また場合により実験の結果が半ばあるいは部分的に予期に合すれば、実験者たる学者はその適合せる部分だけを抽出して自己の所説を確かむれども、かくのごとき抽象的分析に慣らされざる世俗は了解に苦しむ事もあるべし。
 かくのごとき困難は天然現象の場合に最も著しかるべし。試みに先ず天気予報の場合を考えん。
 太古の時代より天気予報の試みは行われたれども、分析的科学の発達せざりし時代には、天気を限定すと考えられし条件、あるいは独立変数が極めて乱雑なる非科学的のものなりしなり。尤《もっと》も雲の形状運動や、風向、気温のごとき今日のいわゆる気象要素と名づくるものの表示に拠りたる事もあれど、同時にまた動物の挙動や人間の生理状態のごとき綜合的の表現をも材料としたり。かくのごとき材料も場合によりてはあえて非科学的とは称し難きも、とにかく物理学的方法を応用する場合の独立変数としては不適当なるものなりしなり。今日の気象学においていわゆる気象要素と称するものはこれに反して物理学の基礎の上に設定されたるものにして、これらを材料とせる予報は純然たる物理学的の予報に外ならず。従って物理学上の予報につきて感ぜらるる困難もまた同時に随伴し、ことに条件の多数なるためにその困難は一層増加すべし。かくのごとき場合にはいわゆる主要条件の選択が重要なるは既に述べたるがごとし。現今の物理学的気象学の立場より考えて、今日のいわゆる要素の数は大体において理論上主要の項を悉《しっ》したりと考えらる。しかるに実用上の問題は如何なる程度までこれらの要素を実測し得るかという事なり。測候所の数には限りあり、観測の範囲、回数にも限定あり。特に高層観測のごとき一層この限定を受くる事甚だし。それにもかかわらず現に天気予報がその科学的価値を認められ、実際上ある程度まで成効しおるは如何なる理由によるべきか。
 数十里、数百里を距《へだ》てたる測候所の観測を材料として吾人はいわゆる等温線、等圧線を描き、あるいは風の流線の大勢を認定す。この際吾人の行為に裏書きする根拠はいずこにありやというに、第一にこれら要素の空間的時間的分布が規則正しきという事なり。換言すれば、これら要素の時間的空間的微分係数が小なりという事なり。これが小なる時に等温線や等圧線は有意義となり、これに物理学上の方則が応用さるるなり。
 今鋭敏なる熱電堆をもって気温を測定する時は、如何なる場合にも一尺を距てたる二点の温度は一般に同じからず。この差は数秒あるいは数分の不定なる週期をもって急激に変化するを見出すべし。すなわち小規模、短週期の変化を特に注意すれば上の微分係数は決して小ならず。かくのごとき眼より見れば、実際の等温線は大小無数の波状凹凸を有しこれが寸時も止まらず蠢動《しゅんどう》せるものと考えざるべからず。かくのごとき状態を精密に予報する事はいかなる気むずかしき世人もあえて望まざるべし。しかし今少しく規模を大きくして一村、一市街の幅員と同程度なる等温線の凹凸やその時間的変化となれば、既に世人の利害に直接間接の交渉を生ずるに至る事あり。積雲の集団がある時間内にある村の上を多く過ぐるか少なく過ぐるかは、時にはその村民にとりてはかなり重大なる場合もあるべし。小区域の驟雨《しゅうう》が某市街を通過するか、その近郊のみを過ぐるかはその市民にとりては無差別にはあらず。しかれどもかくのごとき小規模の現象の予報をなし得るためには、(この予報が可能としても)少なくも測候所の数を現在の数百倍数千倍に増加せざるべからず。
 現在の天気予報はかくのごとき要求を充たすためのものにあらず。各測候所の平均領域の幅員に比して微細なる変化は度外視し、定時観測期間の長さに比して急激なる変化をも省略して近似的等温線あるいは等圧線を引くに過ぎず。例えば土地山川の高低図を作る際に、道路の小凹凸、山腹の小さき崖崩れを省略するに同じ。これを省《はぶ》くとも鉄道運河の大体の設計にはなんらの支障を生ずる事なかるべし。これに反して荷車を挽《ひ》く労働者には道路の小凹凸は無意味にあらず。墓地の選定をなさんとする人には山腹の崖崩れは問題となるべし。
 世人の天気予報に対する誤解と不平は畢竟《ひっきょう》この点に係る。二十万分の一の地図を手にして道路の小凹凸を索《もと》め、物体の温度を知りてその分子各箇の運動を知らんとすると同様なる誤解に起因す。

         四

 次に地震予報の問題に移りて考えん。地震の予報は果して可能なりや。天気予報と同じ意味において可能なりや。
 地震が如何にして起るやは今もなお一つの疑問なれども、ともかくも地殻内部における弾性的平衡が破るる時に起る現象なるがごとし。これが起ると否とを定むべき条件につきては吾人いまだ多くを知らず。すなわち天気の場合における気象要素のごときものがいまだ明らかに分析されず。この点においても既に天気の場合と趣を異にするを見る。
 地殻の歪《ひず》みが漸次蓄積して不安定の状態に達せる時、適当なる第二次原因例えば気圧の変化のごときものが働けば地震を誘発する事は疑いなきもののごとし。故に一方において地殻の歪みを測知し、また一方においては主要なる第二次原因を知悉《ちしつ》するを得れば地震の予報は可能なるらしく思わる。この期待は如何なる程度まで実現され得べきか。
 地下の歪みの程度を測知する事はある程度までは可能なるべく、また主なる第二次原因を知る事も可能なるべし。今仮りにこれらがすべて知られたりと仮定せよ。
 更に事柄を簡単にするため、地殻の弱点はただ一箇所に止まり、地震が起るとせば必ずその点に起るものと仮定せん。且つまた第二次原因の作用は毫《ごう》も履歴効果を有せず、すなわち単に現在の状況のみによりて事柄が定まると仮定せん。かくのごとき理想的の場合においても地震の突発する「時刻」を予報する事はかなり困難なるべし。何となれば、この場合は前に述べし過飽和溶液の晶出のごとく、現象の発生は吾人の測知し得るマクロスコピックの状態よりは、むしろ吾人にとりては偶然なるミクロスコピックの状態に依りて定まると考えらるるが故なり。換言すればマクロスコピックなる原因の微分的変化は結果の有限なる変化を生ずるが故なり。この場合は重量を加えて糸を引き切る場合に類す。しかしともかくも歪みが増すに従って現象の発生を期待する公算の増加するは勿論にて、従って歪みがある程度に達するまでは現象は起らずと安心すべき根拠を与うべし。この場合に当り、時とともに現象の発生に対する期待の増加する状況を示す線が与えられたりとせよ。しかしてこの曲線の傾斜が甚だ緩やかにして十年二十年あるいは人間一代の間に著しき変化を示さぬごときものならば如何なるべきか。この場合には箇々の人間にとりての予報の実用的価値は極めて少なかるべし。
 次に上の仮想的の場合において現象の発生する時期がある程度まで知られたりと仮定せよ。この場合に起る地震の強弱の度を如何ほどまで予知し得べきか。単に糸を引き切る場合ならば簡単なれども、地殻のごとき場合には破壊の起り方には種々の等級あるべし。破壊がただ一回に終らず、数回の段階的変化によるとすれば、これらの推移中に歪みの変化は複雑に起り、場合によりては毎回地震の強度は微弱なる事もあるべく、また時にはその中に強震を生ずる事もあるべし。かくのごとき差別が偶然的局部的の異同に支配さるるとせば、広区域にわたるマクロスコピックの平均状態を知るのみにては信憑《しんぴょう》すべき実用的の予報は不可能に近し。
 上記のごとき地殻の弱点が一箇所に止まらず、多数に分布されいる場合には更に困難なり。この場合には第一にこれらの分布を知り、またすべての弱点に対する歪みの限界値を知り、同時にすべての弱点における歪みの刻々の現状を知るを要す。仮りにこれらが知られたりとするも、多数の弱点が同時に不安定に近づく時、そのいずれが先ず変化を始むべきかはいわゆる偶然の決する所なるべし。この場合においても予報の意味は世人の期待と甚だしく離反すべし。
 実際の地殻においてはその弱点の分布は必ずしも簡単ならず、しかもおのおのの弱点は相互に独立ならず、なんらかの関係を有すべく、特に一層事柄を複雑にするは、地殻岩石の弾性履歴効果の著しき事なり。これらがことごとく知られたりとするも、現象の性質上、原因の微分的変化に対して、結果の変化は有限にして且つその単義性も明らかならず。具体的に云えば地辷《じすべ》り等がある限界内に止まれば、それだけにて止むも、少しにてもこれを超ゆれば他の弱点の破壊を誘起して更に大なる変動を起す事もあるべく、その際如何なる弱点が誘発さるるやはまた偶然的なる地下の局部的構造によると考えらる。
 かくのごとき場合に普通の簡単なる公算論の結果を応用せんとするには至大の注意を要する事は明らかなるべし。

         五

 予報の可能不可能という事は、考え方によればあまりに無意味なる言葉なり。例えば今月中少なくも各一回の雨天と微震あるべしというごとき予報は何人も百発百中の成効を期して宣言するを得べし。ここに問題となるは予報の実用的価値を定むべき標準なり。
 予報によりて直接間接に利便を感ずべき人間の精神的物質的状態は時並びに空間とともに変化しつつあり。従って天然界のある状態がその人間に有利なるか不利なるかは時と場所とによりて変化す。例えば水草を追って移牧する未開人にとりては時とともに利害の係る土地の範囲を移動す。また一つの都府の市民というごとき抽象的の団体を考うる時はその要素たる各個人とは独立に時とともに不変なる標準も考えらるれども、一般には必ずしも然らず。例えば一般の東京市民にとりては、夜半の小雨はあえて利害を感ぜざるべきも昼間の雨には無頓着ならず。また平日一般の日本国民は京都市の晴雨に対しては冷淡なるも、御大典《ごたいてん》当時は必ずしも然らざるべし。
 数学的の言葉を借りて云えば、各個人、市民、あるいは国民がある現象に対して利害を感ずる範囲は時間と空間とより組成されたる四元空間中において、ある面にて囲まれたる部分にて示す事を得べし。この部分は単独なる場合も、数箇なる場合もあるべし。
 自然現象の予報もまた同様に、時と空間のある範囲内に指定する時に始めて意義あるものとなる。例えば明日中某々地方に降雨あるべしというがごとし。これらの予報が普通世人にとりて実用的価値を有するための条件は、思うに「その現象のために利害を感ずべき個人あるいは団体の利害を感ずる範囲領域の大きさに対して、予報の指定する範囲の大きさが比較的大ならず、且つ前者に対する後者の位置の公算的変化の範囲の小なる事」なり。
 具体的の例を挙ぐれば、東京市民にとりては「明日正午まで京浜地方西北の風晴」と云い、あるいは「本日午後驟雨模様あり」というがごときは多数の世人に有用有意義なり。またもし「一週間内に東海道の大部分に降雨あるべし」との予報をなし得たりとせば、東京市民にとりては極めて漠然たる印象を与うべし。これ予報の範囲が東京市民の日常生活上雨に関して利害を感ずる範囲に比してあまりに大なるが故なり。しかれども連日雨に渇する東海道の農民にとりては、この予報は非常の福音たるに相違なかるべし。
 次に地震の場合は如何。もし仮りに「来る六、七月の頃、東京地方に破壊的地震あるべし」との予報が科学的になし得られたりと仮定せよ。これが十分の公算を有する事が明らかなれば、市民は十分の覚悟をもって変に備うべし。次に「今後五十年内に日本南海岸のうち一部分に強震あるべし」という事がよほど確実なりと仮定せよ。この予報は各箇の市民にとりては幾分漠然たる予言者の声を聞くがごとき思いあるべし。五十年は個人の生命に対してあまりに短からず。その間に個人の生命も住所も如何になるべきか明らかならざるなり。しかれども日本政府の眼より見れば五十年は決して長からず、南海岸は邦土の一部分なり。この予報がなし得らるれば、これによりて国家が享《う》くべき直接間接の利益は少なからざるべし。
 噴火の場合もこれに同じ。仮りに科学的に信憑《しんぴょう》すべき根拠よりして、来る六十年ないし七十年間に某火山系に活動を予期し得るとせば、個人に対してはともかく、一県一道の為政者にとりては多大の参考となるべし。
 予報者と被予報者との意志の疎通せざる手近き原因は、予報の指定する範囲と被予報者の利害範囲の大きさの相違と、その公算的不整合を許容する程度の差異に帰すべしと思わる。
 最後に卑近なる例を挙げて所説を補わん。木の葉をつたい歩く蟻にとりては一粒一粒の雨滴の落つる範囲を方数ミリメートルの内に指定する事が必要なれども、吾人人間には多くの場合にただ雨量と称する統計的の数量が知らるれば十分なり。

         六

 以上述べたる所に基づき、また現在科学の進歩程度に鑑《かんが》みて天気予報と地震予報とを対照すれば、その間の多大の差異あるを認めざるを得ず。
 現在の気象観測制度をもってすれば各気象区域における大体の天気の推移を予知する事は十分可能にして、観測の範囲の拡張につれて的中の公算を増すべしと考えらる。しかれども毎平方里における雨量の異同を予言するがごときは望み難かるべし。
 地震の場合においては、いまだ気象要素に相当すべき条件さえ明白ならず。従って解析的の方法を取るべき材料いまだ具備せず。これらが一通り具備したる暁においても、現象の偶然性を除く程度まで精しくこれを知悉する困難は現象の性質上甚だ大なるべし。かくのごとき場合には公算論の指示する統計的方法を取る外なかるべきも、公算が変数の連続函数なりと断定し難く、また最大公算を有する場合が唯一ならざる場合には特別に慎重なる考慮を要すべし。
 地震予報をして天気予報のごとき程度まで有効ならしむるには如何なる方向に研究を進むべきかは重要なる問題なり。物理学上の問題としては、地殻岩石の弾性に関する各種の実験のごときは極めて肝要なるべし。一方においては統計的にいわゆる第二次原因の分析を試むるも有益なり。しかれども統計に信頼するためには統計の基礎を固むる必要あるべし。普通公算論の適用さるる簡単なる場合においても、場合の数が小なる時は自然の表現は理論の指示する所と大なる懸隔を示す事あり。これも忘るべからざる事なり。なお一般弾性体の破壊に関してその弱点の分布や相互の影響あるいは破壊の段階的進歩に関する実験的研究を行い、破壊という現象に関するなんらかの新しき方則を発見する事も必ずしも不可能ならざるべし。すなわち従来普通に考うるごとく、弾性体を等質なるものと考えず複雑なる組織体と考えて、その内部における弱点の分布の状況等に関し全く新しき考えよりして実験的研究を積むも無用にあらざるべきか。
[#地から1字上げ](大正五年三月『現代之科学』)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年8月19日作成
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火山の名について

寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)似通《にかよ》った

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)簡単|明瞭《めいりょう》な

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
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〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Kimpu(Kibo^)〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 日本から南洋へかけての火山の活動の時間分布を調べているうちに、火山の名前の中には互いによく似通《にかよ》ったのが広く分布されていることに気がついた。たとえば日本の「アソ」、「ウス」、「オソレ」、「エサン」、「ウンセン」等に対してカムチャツカの「ウソン」、マリアナ群島の「アソンソン」、スマトラの「オサール」などがあり、またわが国の「ツルミ岳」、「タルマイ山」、「ダルマ山」に対しジャヴァの「ティエリマイ」、「デラメン」などがあるという類である。それで、これは偶然の暗合であるか、あるいはこれらの間にいくぶんかの必然的関係があるかをできるなら統計学的の考えから決定したいと思ったのである。
 この統計の基礎的の材料として第一に必要なものは火山名の表である。しかしこの表を完全に作るということがかなりな難事業である。まずたくさんの山の中から火山を拾い出し、それを活火山と消火山に分類し、あるいは形態的にコニーデ、トロイデ、アスピーテ等に区別することは地質学者のほうで完成されているとしても、おのおのの山には多くの場合に二つ以上の名称がありまた一つの火山系の各峰がそれぞれ別々の名をもっているのをいかに取り扱うかの問題が起こる。
 また火山の名が同時に郡の名や国の名であったりすることがしばしばある。その場合そのいずれが先であるかが問題となる。国郡のごとき行政区画のできるはるかに前から、火山の名が存し、それが顕著な目標として国郡名に適用されたであろうとは思われるが、これも確証することはむつかしい。
 山の名の起原についてはそれぞれいろいろの伝説があり、また北海道の山名などではいかにももっともらしい解釈が一つ一つにつけられている。これをことごとく信用するとすれば自分の企てている統計的研究の結果が、できたとしても、それは言語学的に貢献することは僅少《きんしょう》となるであろう。しかし自分の見るところではこれらの伝説は自然科学的の立場から見ればほとんど無価値なものであり、またアイヌ語による解釈も部分的には正しいかもしれないが到底全部が正しくないことは、人によって説の違う事実からでも説明される。
 それで唯一の科学的方法はこれらのあらゆる不確実な伝説や付会説をひとまず全部無視して、そうして現在の山名そのものを採り、全く機械的に統計にかけることである。たとえば硫黄岳《いおうだけ》とか硫黄山と言っても、それがはたして硫黄を意味するものであるか実は不明である。のみならずむしろあとから「硫黄《いおう》」をうまくはめ込んだものらしいと思われるふしもある。むしろ北海道の岩雄山《いわおやま》や九州の由布岳《ゆふだけ》などと関係がありはしないかと疑われる。ともかくもこれらの名前を一定の方式に従って統計的に取り扱い、その結果がよければ前提が是認され、悪ければ否定されるのである。
 完全な材料はなかなか急には得難いので、ここではまず最初の試みとして東京天文台編「理科年表」昭和五年版の「本邦のおもな火山」の表を採ることにする。これは現在の目的とはなんの関係なしに作られたものであるから、自分の勝手がきかないところに強みがある。これを採用するとした上で山名の読み方が問題となるが、これは「大日本地名辞書」により、そのほかには小川《おがわ》氏著「日本地図帳地名索引」、また「言泉」等によることにした。それにしても、たとえば海門岳《かいもんだけ》が昔は開聞でヒラキキと呼ばれ、ヒラキキ神社があるなどと言われるとちょっと迷わされるが、よくよく考えてみるとむしろカイモンが始めであろうとも考えられる節があり、千島《ちしま》のカイモンと同系と考えるほうがよさそうにも思われ、少なくも両方に同等の蓋然性《がいぜんせい》がある。それでこれらもすべて現在の確実な事実としての名だけを採る事にする。千島の分だけはいろいろの困難があるので除き、また台湾《たいわん》、朝鮮《ちょうせん》も除く事とする。
 さて Aso, Usu, Uns(z)en, Esan の四つを取ってみる。これはいずれも母音で始まり、次に子音で始まる綴音《てつおん》が来る。終わりのnは問題外とする。
 一般に母音で始まり次にいずれか任意の一つの子音の来る場合が火山の表中で何個あるかを数えてみる。この数を N(VC) で表わす。するとこの中である特定の一つの子音、たとえばSならSが出現するという事のプロバビリテーはいくらか。この確率は可能な子音の種類の数(Qとする)の逆数となる。それで全然偶然的暗合ならば現われるべきこの型の火山名の数nは N(VC)÷Q になるはずである。しかるに実際にはこの特定型のものがm個あるとする(アソの場合では m = 4 )。さすれば
[#ここから5字下げ]
R = 実際数m/偶然数n = mQ/N(VC)[#「実際数m/偶然数n」「mQ/N(VC)」は分数]
[#ここで字下げ終わり]
なる比が大きいほど暗合でないらしい、何か関係があるらしい確率が増すのである。少なくもm個のうちの若干は互いに関係がありそうだということになるであろう。もっとも厳密に言えばこのほかに日本語の特徴としてはこのような組み合わせの現われる一般的の確率を考慮に入れるべきであるが、これは容易でないからしばらく度外視する。
 子音数Qをどう取るかがかなりむつかしい問題になるが、「アソ」の場合は、かりにこれを9と取る。すなわち(k, g)(s, z)(t, d)(n)(p, b, h)(m, b, mb, np)(y)(r)(w)の9とする。また山名としては山・岳・島・登・ヌプリ・峰等の文字を引き去った残りだけを取り扱う事にする。ただし白山《はくさん》・月山《がっさん》はそのままに取る。またシラブルの終わりのnは除外することにする。
 まず歴史時代に噴火の記録のあるものだけについて見ると N(VC) = 8 である。(ただし硫黄、岩雄も iwo, iwao としてこの部分に算入する。すなわちわざと都合の悪いほうを選ぶのである。)さすれば R = 4×9÷8 = 4.5 となる。少し虫のよい取り方をして硫黄、岩雄を Yuwo, Yuwao と見て除けば N(VC) = 4 となり R = 9 となる。
 次に消火山活火山をも合わせて取り扱う場合には、N'(VC) = 11 となり、R = 3.3 に減ずるが、硫黄・岩雄の頭がyなる子音だとして、このアソ型から除けば R = 5.1 となる。
 次に Koma(駒《こま》が岳《たけ》), Kaimon, Kume(久米島《くめしま》), 〔Kimpu(Kibo^)〕, Kampu, Kombu, Kamui を取れば m = 7 である。この場合は子音始まりで子音二つの場合として、一般の子音二つのものの数 N(CC) を求めると、消火山も入れてであるから N(CC) = 48 である。ここでも子音数をQとする偶然の確率は 1÷Q(Q-1)(ただし子音二つが異なるとして)であるから
[#ここから5字下げ]
R = mQ(Q-1)/N(CC)[#「mQ(Q-1)/N(CC)」は分数]
[#ここで字下げ終わり]
 Q = 9, m = 7, N = 48 であれば R = 10.5 となる。活火山だけだと m = 2 なる代わりに N = 14 となるので R = 10.3 でやはりほぼ同値となる。いずれにしても偶然の場合とは桁数《けたすう》がちがって多い。この場合でも一般の日本語に km なる結合の起こる確率を考慮に入れて補正すればよいが、これはしばらく省略するほかはない。しかしこれは現在の場合結果の桁数を変えるほどの影響がありそうもないことは少しあたってみてもわかると思う。
 Turumi, Tarumai, Daruma の場合は、活火山だけだとタルマイ一つ、すなわち m = 1 で統計価値があまりに少ないから、消火山も入れて n = 3 の場合を考える。この場合は子音三つであってNの最多数な場合である。それでもしこの場合の数 N(CCC) を現在の表中の火山の総数に等しいと取れば、これは結果のRを少なくするほうの取り方であるからこれで得られたRが大きければ、ほんとうはもっと大きい事になる。それでかりにそうしてみる。さすればこの場合 N(CCC) = 167, m = 3 また子音三個の組み合わせの順列の数は 9×8×7 = 504 であるから、R = 3×504÷167 = 9.0 強となる。
 鳥海山はトリノウミと言ったらしい形跡があるので、これも入れるとするとRはさらに四分の五倍だけに増すわけである。
 次に問題になるのは 〔F(H)uz(d, t)i, Hiuti, Kudyu^, Ko^du(sima), Kuti(no sima)〕 の類である。KとHは日本語でもしばしば転化するからここではかりに同じと見て、次のような子音分類をする。すなわち(k, g, h, f)と(t, d, s, z)とを対立させると子音群数は Q = 7 となる。この場合 N(CC) = 48 であって m = 9(火山名略)であるから R = 7.6 となる。
 次には Yuwoo, Yuwao, Yufu を取り三つの「硫黄《いおう》」を名とする火山を三つに数えると n = 5 となり、子音数9とすれば R = 5×72÷47 = 7.5 となる。
 以上の場合に得たRの価はいずれも1に対して相当多いものである。従って単なる偶然と見る事は少しむつかしく思われて来るのである。もちろんこれらが全部関係があるということは言われないが、これらのうち若干は連関しているであろうということを暗示するには充分であると思う。それでもし偶然でないとすれば以上にあげたような言語要素がいろいろな形で他の火山名の中にも現われていはしないかと思われる。また一方で同じ要素が南洋その他の方面にありはしないかと思われる。また南洋の言語中には従来の言語学者の説のごとく世界じゅうの言語が混合しているとすれば逆に遠い外国の意外のへんにも同じ要素が認められはしないかという疑いが起こる。それで試みに同型の疑いのある火山名を次ページの表に列挙して将来の参考に供しておきたいと思うのである。中には現在の形での意味がかなり明白だと思うのがあってもかりに除かないで採録しておくことにする。(外国火山名はおもにウォルフによる。)
[#ここから表組]
第一表

アソ・アサマ型[#底本では、以下の(本邦)と(外国)を並べた表となっている]

(本邦)

Aso
Usu
Unsen, Unzen
Esan

〔Unsyo^(阿蘇の峰名)〕
〔O^zyo^( 〃 )〕

Osore

Rausu
Rausi
Rasyowa

Gwassan
Bessan(白山の一峰)
Buson

Nasu
Kasa
Kesamaru

Asakusa
Asitaka
Asahi
Usisir(千島の宇志知)

Asama
Aduma, Azuma

Sanbe
Sambon
Sumon
Samasana(火焼島)
Shumshu
Shimshir(千島の新知)

Izuna, Iduna
Udone

(外国)

Uson(カムチャツカ)
Assongsong(マリアナ)
Azuay(南米)
Asososco(中米)
Asur, Yasowa, Yosur, Yosua
(ニューヘブリデス)

Ossar(スマトラ)
Azul(南米)
Osorno( 〃 )
Izalco(中米)
Lesson(ニューギニア)
Lassen(カルフォルニア)

Vesuvio(イタリア)
Assatscha(カムチャツカ)
Askja(アイスランド)

Kara Assam(スンダ)
Pasaman Telamen(スマトラ)
Pasema( 〃 )

Soemoe(スマトラ)
Semeroe(ジャヴァ)
Soembing( 〃 )
Semongkron( 〃 )
〔Gle' Samalanga(スマトラ)〕
Samasate(中米)
Saba(西インド)

Etna(イタリア)
(このほかの at-, ad- 型略す)


第二表

ツルミ・タラ型[#底本では、以下の(本邦)と(外国)を並べた表となっている]

(本邦)

Turumi
Daruma
Tarumai
Torinoumi(鳥海)

Chiripu
Chiripoi
Patarabe, Beritaribe

Tara
Tanra(済州島)
Tori(鳥島)
〔Tenryu^(白山絶頂)〕

Adatara
Hutara
Kutara
Madarao

(外国)

Tjerimai(ジャヴァ)
Taroeb( 〃 )
Delamen( 〃 )
Sahen Daroeman(サンギ)
Pasaman Telamen(スマトラ)
〔Talla-ma-Kiee:(ハルマヘラ)〕
Tulabug(南米)
Talima( 〃 )
Toliman(中米)

Tolo(ハルマヘラ)
Tara( 〃 )
Taal(タール)
Talu(スンダ)
Tauro(サロモン)
Toro(南米)
T※[#キャロン付きE小文字、1-10-46]l※[#キャロン付きE小文字、1-10-46]rep(ジャヴァ)
Teleki(東アフリカ)
Tarakan(ハルマヘラ)
Telok(スンダ)
Tulik(アリウシャン)
Telica(中米)
Talang(スマトラ)
Tarawera(ニュージーランド)
Talasiquin(ズールー)
Tultul(南米)
Turrialba(中米, 白塔)
Tjilering(ジャヴァ)
[#ここで表組終わり]
 このほかにまだコマ・カンプ型、クジウ型およびイワウ型があるがこれは今回は略し、他日の機会に譲ることとする。
 この表中にヨーロッパやアメリカなどの火山が出て来るのを見て笑う人もあろうと思うが、しかし南洋語と欧州語との間の親族関係がかなり明らかにされている今日、日本だけが特別な箱入りの国土と考えるのはあまりにおかしい考えである。これについてはどうか私が先年「思想」に出した「比較言語学における統計的研究法の可能性について」を参照されたい。
 また言語学者のほうからは、私の以上の扱い方が音韻転化の方則などを無視しているではないかという非難を受けるかと思う。しかしグリムの方則のような簡単|明瞭《めいりょう》なものは大陸で民族の大集団が移動し接触する時には行なわれるとしても、日本のような特殊な地理的関係にある土地で、小さな集団が、いろいろの方面から、幾度となく入り込んだかもしれない所では、この方則はあるにはあっても複雑なものであろうと予期するほうが合理的である。これを分析的に見つけて行くのが、これからの長い将来の仕事でなければならない。それで私の現在の仕事は、そういう方面への第一歩として、一つの作業仮説のようなものを持ち出したに過ぎないのである。
 以上の調べの結果で、たとえば Aso, Usu, Esan, Uson, Asur, Osore, Ossar 等が意味の上で関係があると仮定すれば、これはいったい何を意味するかが問題となる。たとえば南洋エファテの Aso(燃える)Asua(煙る)サモアの Asu(煙)や、マレーの Asap(煙)(マレイでは火山は Gunong berasap すなわち煙山とも Gunong berapi 火山ともいう。Asap は Asama にも通《かよ》う)。あるいはヘブリウの ‘Esh(火)‘as´en(煙る)‘as´an(くすぶる)などが示唆され、これと関係あるアラビアの ‘atana(煙る)から西のほうへたぐって行ってイタリアの Etna 火山を思わせ、さらに翻ってわが国の Iduna を思わせる。しからばこれはセミティク系の言葉かと思っているとまたたとえばスキートの説によればギリシアの eusein(燃える、焦げる)はインドゲルマンの理論上の語根 eus とつながり、アングロサクソンの Yslan(熱灰)の源であり、サンスクリットの語根 Ush(燃える)ともつながるとある。アイスランドの火山 Askja は同国古語の Aska(灰)であるとすれば、これは英語の ashes(灰)と親類だそうである。そこで今度は試みに「灰」を意味する語を物色してみると、サンスクリットに Bhasman, Bhuti があるが、この前者は Asama 後者は Huti(Fuzi) を思わせる。頭の子音 Bh と B をドロップさせるのがおもしろい。一方でわが国に Buson という消火山のあるのはなおおもしろい。白山《はくさん》の一峰を Bessan というのもこれに類する。これもBを除去すればアソ型となるのである。またこれにつづいて考えることは Rausu, Rausi, Rasyowa のアイヌ系のものから始めのRを除き Lesson, Lassen からLを取るとアソ型に接近する。これも興味がある。マレイ語から語頭のLを除くと日本語に似るものの多い事はすでに先覚者も注意した事である。その他にも頭の子音を除いてアソ型になるもの Kasa, Daisen, Tyausu, Nasu があることに注意したい。しかし私はこのようなわずかの材料から語原説などを提出する意は毛頭ない。ただ、一つの興味ある事実を注意するだけである。
 コマ型、タラ型、フジ・クジウ型、ユワウ型についても同様なことが言われるのであるが、これらは後日さらに詳しく考えてみたいと思う。今回は紙数の制限もあるので以上の予備的概論にとどめ、ただ多少の見込みのありそうな一つの道を暗示するだけの意味でしるしたに過ぎない。従って意を尽くさない点のはなはだ多いのを遺憾とする。ともかくもかかる研究の対象としては火山の名が最も適当なものの一つであることは明らかであろう。たとえば川の名ではこういう方法は到底むつかしいと考えられる。最も顕著な特徴をもって原始民の心に最も強く訴えたであろうと思わるる地上の目標として火山にまさるものはないのである。しかしそういう目標に名前がつけられ、その名前がいよいよ固定してしまい、生き残りうるためには特別な条件が具足することが必要であると思われる。単に理屈がうまいとか、口調がいいとかいうだけでは決して長い時の試練に堪えないかと思われる。従来の地名の研究には私の知る限りこの必要条件の考察が少しも加わっていないではないかと思われる。この条件が何であるかについては他日また愚見を述べて学者の批評を仰ぎたいと思っている。
[#地から3字上げ](昭和六年一月、郷土)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年4月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第64刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2004年3月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名


阿蘇山 あそさん 熊本県北東部、外輪山と数個の中央火口丘(阿蘇五岳という)から成る活火山。外輪山に囲まれた楕円形陥没カルデラは世界最大級。最高峰の高岳は標高1592メートル。
有珠山 うすざん 北海道南西部、洞爺湖の南にある二重式活火山。標高733メートル。2000年に大規模な水蒸気爆発を観測。
恐山 おそれざん 青森県北東部、下北半島にある火山。中央のカルデラに湖・温泉がある。死者の霊魂が集まる山とされ、夏の大祭には「いたこ」の口寄せが行われる霊場として有名。標高879メートル。宇曾利山。
恵山 えさん 北海道南西部、渡島半島の南東端にある二重式成層火山。標高618メートル。火口原は高山植物の群生地。津軽海峡を隔てて、青森県の恐山を臨む。
雲仙岳 うんぜんだけ 長崎県島原半島にある火山群の総称。標高1486メートルの普賢岳を主峰とする。南西の山麓に硫黄泉の雲仙温泉がある。ミヤマキリシマ・霧氷などは有名。1990年、普賢岳が噴火。

鶴見岳 つるみだけ 大分県別府市の西部にある溶岩円頂丘。白山火山帯中の高峰で、標高1375メートル。阿蘇くじゅう国立公園に属する。
タルマイ山
達磨山 だるまやま 静岡県沼津市と静岡県伊豆市との境界にある火山。箱根の十国峠と比して十三国峠とも呼ばれる。

硫黄岳 いおうだけ 八ヶ岳連峰の山の名前。海抜2,760m。八ヶ岳中信高原国定公園に属する。他、青森県・鹿児島県。

[北海道]
岩雄山 いわおやま → 岩雄登硫黄鉱山か
岩雄登 イワオヌプリ 硫黄鉱山。現、後志支庁倶知安町。

[大分県]
由布岳 ゆふだけ 大分県由布市にあるトロイデ型の活火山。東峰と西峰2つのピークからなり、標高は1,583m(西峰)。円錐形をしていることから豊後富士と呼ばれる。

[鹿児島]
海門岳 かいもんだけ
開聞岳 かいもんだけ 鹿児島県、薩摩半島南東端に位置する二重式成層火山。標高924メートル。鹿児島湾に入る船の目標として、古くから「海門の山」として崇められた。薩摩富士。
枚聞神社 ひらきき じんじゃ 鹿児島県指宿市開聞十町にある元国幣小社。祭神は枚聞神のほか、諸説がある。薩摩国一の宮。

東京天文台 → 国立天文台
国立天文台 こくりつ てんもんだい 東京都三鷹市にある文部科学省所轄の天文台。1888年(明治21)麻布飯倉に設立、1924年現在地に移転・拡充。88年全国共同利用の研究機関として東京大学付属東京天文台から移管。暦書編製、日本標準時の決定と現示並びに時計検定に関する事務をも行う。付属の岡山天体物理観測所に口径188センチメートルの反射望遠鏡、ハワイにすばる望遠鏡、また野辺山宇宙電波観測所に口径45メートルの電波望遠鏡を中心とする観測施設がある。

白山 はくさん 石川・岐阜両県にまたがる成層火山。主峰の御前峰は標高2702メートル。富士山・立山と共に日本三霊山の一つ。信仰や伝説で知られる。
月山 がっさん 山形県中部にある楯状火山。標高1984メートル。頂上に月山神社の社殿がある。湯殿山・羽黒山と共に出羽三山の一つ。犂牛山。

駒が岳 → 駒ヶ岳
駒ヶ岳 こまがたけ (1) 北海道渡島半島東側、内浦湾南岸の活火山。標高1131メートル。(2) 秋田県東部にある二重式火山。標高1637メートル。高山植物が多い。秋田駒ヶ岳。(3) 福島県南西部南会津にある山。標高2133メートル。会津駒。(4) 新潟県南東部にある山。標高2003メートル。中ノ岳・八海山と共に越後三山を成す。越後駒。魚沼駒ヶ岳。(5) 山梨・長野県境、南アルプス北端にある山。標高2967メートル。甲斐駒。東駒。(6) 長野県南部、木曾山脈の主峰。標高2956メートル。木曾駒。西駒。
久米島 くめじま (クメシマとも)沖縄県那覇市の西方100キロメートルにある島。古くは、中国との交易の中継地。久米島紬(古くは琉球紬とも)を産する。
鳥海山 ちょうかいさん 秋田・山形県境に位置する二重式成層火山。山頂は旧火山の笙ガ岳(1635メートル)などと新火山の新山(2236メートル)とから成る。中央火口丘は鈍円錐形で、火口には鳥海湖を形成。出羽富士。

鳥島 とりしま (1) 東京都八丈支庁に属する小火山島。青ヶ島の南方約200キロメートルに位置する。1902年(明治35)大爆発。65年まで気象観測所があったが、たびたびの爆発で無人島化。天然記念物のアホウドリが生息。→南鳥島。(2) 沖縄県久米島町に属する小火山島。久米島の北方に位置する。1903年(明治36)爆発。硫黄を産する。


[千島] ちしま → 千島列島
千島列島 ちしま れっとう 北海道本島東端からカムチャツカ半島の南端に達する弧状の列島。国後・択捉(以上南千島)、得撫・新知・計吐夷・羅処和・松輪・捨子古丹・温祢古丹(以上中千島)、幌筵・占守・阿頼度(以上北千島)など。第二次大戦後ロシア(旧ソ連)の管理下にある。クリル列島。
カイモン
宇志知島 ウシシル島/うししるとう 千島列島の中部に位置する島。ロシア名はウシシル島(o.Ушишир)、英語表記はUshishir。島の名前の由来は、アイヌ語の「ウセイ・シル(温泉・大地→温泉のある大地)」から。正保御国絵図には「ウセシリ」との記述がある。
新知島 しむしるとう/しんしるとう 千島列島の中部にある火山島。ロシア名はシムシル島 ( о.Симушир、英語表記はSimushir。島の名前の由来は、アイヌ語の「シ・モシリ(大きい・島→大きい島)」から。

[韓国]
済州島 チェジュド (Cheju-do)朝鮮半島の南西海上にある大火山島。面積1840平方キロメートル。古くは耽羅国が成立していたが、高麗により併合。1948年、南朝鮮単独選挙に反対する武装蜂起(四‐三蜂起)の舞台となる。付近海域はアジ・サバの好漁場。観光地として有名。周辺の島嶼と共に済州道をなす。

[台湾]
火焼島 かしょうとう/Huoshao Tao 中国、台湾省東方海上の小火山島。台東の約32kmに位置。別称、緑島。(外国)


[ロシア]
カムチャツカ半島 (Kamchatka)ロシア東端の太平洋に突出した半島。東はベーリング海、西はオホーツク海に面し、千島海峡を隔てて千島列島のシュムシュ島と対する。28の活火山を含む160以上の火山がある。長さ約1200キロメートル。最高地点はクリュチェフスキー火山(標高4750メートル)。
ウソン

マリアナ諸島 (Mariana Islands)西太平洋、ミクロネシア北部に位置し、サイパン・テニアン・グアムなど15の島々から成る諸島。主島サイパンには日本の委任統治領時代に南洋庁支庁があった。現在、グアムを除き、北マリアナ諸島としてアメリカの自治領。
アソンソン

ニューヘブリディーズ諸島 New Hebrides 南太平洋にあるバヌアツの主要部を構成する諸島。バヌアツの独立前の呼称でもある。この名は、スコットランド西方のヘブリディーズ諸島に由来する。

[インドネシア]
スマトラ Sumatra 東南アジア、大スンダ列島の北西端にある島。シュリーヴィジャヤなど多くの王国が興亡、のちオランダ領。1945年独立を宣言、インドネシア共和国の一部となった。面積43万平方キロメートル。主な都市はメダン・パレンバン。
オサール
ジャワ Java・爪哇・闍婆 東南アジア大スンダ列島南東部の島。インドネシア共和国の中心をなし、首都ジャカルタがある。17世紀オランダによる植民地化が始まり、1945年まで同国領。面積は属島マドゥラを合わせて13万平方キロメートル。ジャヴァ。
ティエリマイ
デラメン
サンギ → サンギー諸島か
サンギー諸島 Sangi Islands サンギヘ諸島。インドネシア北部の火山群島。スラウェシ島北東部のミナハサ半島の北約50km付近より、フィリピンのミンダナオ島に至る。(外国)
ハルマヘラ島 Pulau Halmahera インドネシアのモルッカ諸島にある島。ジャイロロ島(Jailolo)、ジロロ島(Jilolo、Gilolo)ともいう。面積は17,780km^2でモルッカ諸島で最も大きい。北東は太平洋に面し、南東はハルマヘラ海、西はモルッカ海峡・モルッカ海に面する。人口は162,728人(1995年)。住民の8割はムスリムで残りの2割はキリスト教徒が占める。

[フィリピン]
タール Taal タール山。フィリピン北部、パタンガス州北部の二重式火山。ルソン島南部のタール湖中央に位置。標高311m。
サロモン

[アラスカ]
アリューシャン列島 Aleutian アメリカ合衆国アラスカ州に属する列島。アラスカ半島とロシア領コマンドル諸島との間に弧状に連なる。アッツ島・キスカ島などを含み、中心はウナラスカ島のダッチ‐ハーバー。アレウト列島。

ズールー Zulu 南アフリカの東部、クワズール‐ナタール州を中心に広く居住する民族。バンツー語族に属するングニ系言語を話す。19世紀前半に周辺の諸民族を征服し、軍事王国を築いた。

エファテ島 Efate バヌアツ共和国、シェファ州の島。東経168度36分、南緯16度69分に位置する。 I^le Vate として知られる。バヌアツで最も人口の多い島(約50,000人)であり、陸地面積は899.5 km^2、マレクラ島に次いで3番目に大きな島。エファテ島の住民の大半はバヌアツの首都であるポートビラで暮らす。最大標高は647m。

ヘブリウ → ヘブライか
ヘブライ Hebraios 他民族がイスラエルの民を呼ぶのに用いた名称。ヘブリュー。

セミティク


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)『コンサイス外国地名事典』第三版(三省堂、1998.4)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)

寺田寅彦 てらだ とらひこ 1878-1935 物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。
Johannes Diderik van der Waals ファン デル ワールス 1837-1923 オランダの物理学者。分子の大きさと分子間力を考慮に入れた気体の状態式を提出。液体の表面張力に関する研究もある。ノーベル賞。
Henri Poincare ポアンカレ 1854-1912 フランスの数学者。数論・関数論・微分方程式・位相幾何学のほか天体力学および物理数学・電磁気についても卓抜な研究を行い、また、マッハの流れをくむ実証主義の立場から科学批判を展開。主著「天体力学」
James Clerk Maxwell マクスウェル 1831-1879 イギリスの物理学者。電磁気の理論を大成しマクスウェルの方程式を導き、光が電磁波であることを唱えた。また、気体分子運動論や熱学に業績を残した。
-----------------------------------
ウォルフ Wolff, Ferdinand か。1874-1952 ドイツの火山学、岩石学、鉱物学者。熱力学の立場から諸火山の爆発時の圧力を計算した。(西レ)
Jacob Grimm グリム 1785-1863 ドイツの言語学者・法律学者・作家。W.グリムの兄。ゲルマン文献学・言語学の創始者。グリムの法則を確立。弟との共同編著「子供と家庭の童話集(グリム童話)」「ドイツ語辞典」(1961年完成)など。
スキート Skeat, Walter, William か。1835-1912 イギリスの言語学者。古英語・中英語の分野で数々の業績を残した。(西レ)


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『西洋人物レファレンス事典』(日外アソシエーツ)。



*書籍

(書名、雑誌名、論文名、能・狂言・謡曲などの作品名)

「本邦のおもな火山」『理科年表』昭和五年版 東京天文台編。
『理科年表』 りか ねんぴょう 国立天文台が編纂し丸善が発行する自然科学に関するデータ集。机上版とコンパクトなポケット版、CD-ROM版が存在し、毎年発行される。1925年2月20日創刊。1988年までは東京大学東京天文台編纂。
『大日本地名辞書』 だいにほん ちめいじしょ 吉田東伍著の地誌。国郡の区分に従い、著名の土地を標目とし、地名の変遷などを出典を示して精細に説く。本文6巻、汎論・索引1巻。1900〜07年(明治33〜40)刊。続編09年刊。
『日本地図帳地名索引』 小川氏著。
『言泉』 げんせん 国語辞書。5冊・索引1冊。落合直文編「ことばの泉」を芳賀矢一が増修し、百科辞典的要素を加味する。1921〜29年(大正10〜昭和4)刊。
『思想』
「比較言語学における統計的研究法の可能性について」寺田著。『思想』
「火山の名について」寺田著。『郷土』昭和六年(一九三一)一月。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ


容喙 ようかい くちばしを容れること。横合いから口を出すこと。
邪路 じゃろ 邪悪。淫蕩に満ちた、よくない道。まちがった方向。また、そのような世界。邪道。
慙じる はじる 恥じる。
成効 せいこう 成功。
不言裡 ふげんり
複義性
公算曲線
マクロ・スコピック macroscopic 巨視的。←→マイクロスコピック。
ミクロ・スコピック → マイクロ・スコピック
マイクロ・スコピック microscopic 微視的。顕微鏡的。←→マクロスコピック。
マクスウェルの魔物 マクスウェルのまもの (Maxwell's demon)マクスウェルが1871年の「熱の理論」に登場させた魔物。気体を入れた容器内の隔壁に設けた小さい扉を開閉して速度の大きい分子を一方向へだけ通過させ、熱力学の第2法則に反して隔壁の両側に温度差を生じさせることのできる仮想の生物。
悉す しっす 完全にする。
熱電堆 ねつでんたい 熱電対を多数直列に接続したもの。熱電流を利用したり、エネルギーを測定したりするためのもの。熱電対列。サーモパイル。
-----------------------------------
コニーデ Konide 成層火山。
成層火山 せいそう かざん 火山の形態の一種。噴出した溶岩や火山灰が次第に噴火口の周囲に堆積して層をなしている円錐形の火山。富士山・鳥海山の類。層状火山。コニーデ。
トロイデ Tholoide 溶岩円頂丘。
溶岩円頂丘 ようがん えんちょうきゅう 火山の形態の一種。粘性の大きい溶岩が地表に噴出・固結してドーム形をなす丘。有珠山・昭和新山の類。溶岩ドーム。
アスピーテ Aspite 楯状火山。
綴音 てつおん ある音を表す字と他の音を表す字とが結合して表す音。ていおん。
プロバビリティー probability 蓋然性。見込み。公算。確率。
シラブル syllable 音節。
グリムの法則 J.グリムがその著「ドイツ文法」の中で体系化した法則。インド‐ヨーロッパ祖語とゲルマン語との間に見られる子音の音韻推移の規則的対応をいう。
消火山 しょうかざん 死火山に同じ。
死火山 しかざん 有史時代に一度も活動した記録のない火山をいった語。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


‘Esh(火)
‘as´en(煙る)
‘as´an(くすぶる)
‘atana(煙る)

 シングルクォーテーション(‘)とダッシュ(´)は、底本を見ていないのでそのままとしました。
 表組について。t-tab タグで妥協。青空テキスト版では項目対応の情報が欠落しているので、そのままでは、html の第二表のように自動組版できないはず。html 版は手調整か。(第一表はテキスト素組みの模様)
 計算式は NeoOffice で作成後、GraphicConverter で微修正。画像1枚あたり 8〜12KB なのでトータルでも重くない。はじめて縦組用と横組用の二種類を用意してみた。
 ほかに、顔写真と外字画像を全号で共通利用するためにフォルダ移動、パス指定を変更。凡例を追加充実、バックナンバー紹介部分を変更。

 前々号、喜田貞吉「上代肉食考/青屋考」について。喜田が書いていないことで二、三点ほど。
 肉食に相対する食習慣として精進料理がある。月山などの高山へ参詣するばあい、一般人でも数日前から肉食や飲酒を避けた例が諸所に見られる。これは今日の富士山頂が好例で、寒冷な高山で用をたすと、分解が進まないためにそのまま形が残る。薬草採取のために指定された山地ならばなおのこと。
 奈良時代、天武5年(675年)の肉食禁止令以後、主に仏教の影響と説明されることが多いが、むしろ主要因は“稲作など農業の拡大”にあったんじゃないかと推測。肉食後と非肉食後の消化物は、においが顕著に異なる。施肥に利用するという目的のために非肉食のほうが適したのではないか。
 喜田は「青屋考」の中で、「青を染めるには多く虫を殺すということ、薩婆多論に見えたり」という文を谷川士清『和訓栞』から引用しながらも、その記述の真偽を疑問視している。藍染めの行程で色素定着のためにもしカルシウムを要するとするならば、木灰・石灰を使用するほか、貝殻やエビ・カニの甲羅、カタツムリの殻などの利用も考えられるか。事情にうとい人が見れば、あたかも殺生をして染色に用いているごとく見えた可能性は高いんじゃないだろうか。また、藍染めはたしか、発酵段階でアンモニウム臭を出す。虫からの食害を防ぐいっぽうで、染色作業そのものも敬遠されやすかった可能性はありえたものと考える。要確認。




*次週予告


第三巻 第四九号 
地震の国(一)今村明恒


第三巻 第四九号は、
七月二日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第三巻 第四八号
自然現象の予報/火山の名について 寺田寅彦
発行:二〇一一年六月二五日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン 週刊ミルクティー*99 出版

第二巻
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第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 【月末最終】
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第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 
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第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 
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第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 
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第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 
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第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 【月末最終】
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第七号 新羅の花郎について 池内宏 
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第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 
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第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 
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第十号 風の又三郎 宮沢賢治 【月末最終】
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第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 
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第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 
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第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 
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第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 
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第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 
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第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 
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第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 【月末最終】
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第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 
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第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 
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第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 
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第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太  【月末最終】
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第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 
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第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 
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第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 
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第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 
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第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫  【月末最終】
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第二九号 生物の歴史(一)石川千代松 
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第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松 
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第三一号 生物の歴史(三)石川千代松 
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第三二号 生物の歴史(四)石川千代松  【月末最終】
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第三三号 特集 ひなまつり   雛 芥川龍之介
 雛がたり 泉鏡花
 ひなまつりの話 折口信夫
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第三四号 特集 ひなまつり   人形の話 折口信夫
 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫
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第三五号 右大臣実朝(一)太宰治 
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第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 【月末最終】
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第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 
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第三八号 清河八郎(一)大川周明 
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第三九号 清河八郎(二)大川周明 
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第四〇号 清河八郎(三)大川周明  【月末最終】
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第四一号 清河八郎(四)大川周明 
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第四二号 清河八郎(五)大川周明 
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第四三号 清河八郎(六)大川周明 
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第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉 
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第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉  【月末最終】
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第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉 
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第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉 
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第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット 
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第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット  【月末最終】
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第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット 
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第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット 
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第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット 
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第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子 
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第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清  【月末最終】
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第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清 
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第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清 
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第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎 
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第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉  【月末最終】
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第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝 
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第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南 
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第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南 
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第三巻 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南  【月末最終】
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第三巻 第一〇号 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫 
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第三巻 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦  定価:200円 瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/神話と地球物理学/ウジの効用
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第三巻 第一二号 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦 
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第三巻 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉 
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第三巻 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉  【月末最終】
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第三巻 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉  定価:200円 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
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第三巻 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳) 
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第三巻 第一七号 高山の雪 小島烏水 
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第三巻 第一八号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(一)徳永 直  【月末最終】
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第三巻 第一九号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(二)徳永 直 
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第三巻 第二〇号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(三)徳永 直 
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第三巻 第二一号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(四)徳永 直 
 アジアには十六世紀を前後して銅活字の時代があり、朝鮮でも日本でもおこなわれている。秀吉の朝鮮侵略のみやげものに端を発している家康・家光時代の銅活字印刷があるけれど、それにくらべると、このさし絵に見る康熙帝の印刷局ははるかに大規模で組織的であることがわかる。しかし、日本でも『お湯殿日記』に見るような最初の文選工は「お公卿たち」であったが、支那でもあごひげの長い官人たちであった。明治になって印刷術が近代化されてからでも、印刷工業をおこした人々の多くが、武家など文字になじみのある階級だったように、私の徒弟だったころの先輩の印刷工の多くが、やはり士族くずれだったことを思い出す。(略)
 武英殿の銅活字は康熙帝の孫、高宗〔乾隆帝〕の代になるとつぶされて銅貨となった。日本でも家康時代の銅活字は同じ運命をたどっているけれど、支那のばあいは銅貨の不足が原因といわれている。しかし、もっと大きな原因は金属活字にあって、漢字組織ができないならば、またプレス式の印刷機もないとするならば、むしろ手わざの発達による木版の方が容易であり便利であった。ボディが銅であれ鉛であれ、それが彫刻に過ぎないならば、むしろ木版にしくはない。銅活字がほろびて再び木版術が栄え、極彩色の芸術的な印刷物もできるようになった。康熙・乾隆の時代に見られるこの傾向は、十七世紀の終わりから十八世紀のなかほどまでであるが、江戸中期から木版術が再興し、世界にたぐいない木版印刷術を生み出した日本と時間的にもほぼ一致している――ということも、漢字が持つ共通の宿命がするわざであったろう。
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第三巻 第二二号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(五)徳永 直  【月末最終】
 『東洋文化史上におけるキリスト教』(三六二ページ)で溝口靖夫氏は、前に述べたメドハーストが(Ibid, P.366)自分の当時の経験を追懐した文章を根拠にして、つぎのように述べているところがある。――第五の困難は、アヘン問題と宣教師の関係であった。メドハーストが広東に着いた一八三五年は、アヘン戦争の直前であり、支那と英国のあいだに険悪な空気がみなぎっていた。このときにあたって宣教師たちは、きわめて困難なる立場に置かれた。宣教師たちは、しばしばアヘンを積んだ船に乗ってきた。しかも、メドハーストらは切符は買っているが、積荷について容嘴(ようし)する権利はなかった。……宣教師は、英国人と支那人との間に立って、しばしば通訳の労をとらねばならなかったが、こんなとき支那人はアヘン貿易は正義にかなえるものなりや否や? をただすのであった。……ゆえに当時、宣教師たちのこいねがったのは、一艘の伝道用船を得ることであった。これによりアヘンの罪悪からまぬがるることであった。――一艘の伝道船で、アヘンから逃れることはできないけれど、一口にいって「インドからの手紙」は、英国議会をして宣教師らの活動を保証させる決議案をパスさせながら、こんどは「信教の自由憲章」を勝ち取らねばならぬほどそれが首かせになったことを示している。つまり、産業革命が生み出したアルファベット人種の革命的進歩性は、おなじ産業革命が生み出した「アヘンの罪悪」と衝突しなければならなかったが、この矛盾こそ資本主義の矛盾の中味であり、限界であった。
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第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治 
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。(略)
 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。
 そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。 
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第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治 
 そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。
 その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。
 そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。「新世界交響楽だわ。」むこうの席の姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言いました。まったくもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。
(こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。
 ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。
 透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。
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第三巻 第二五号 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治 
 空が青くすみわたり、ドングリはピカピカしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張(いば)って言いますと、ドングリどもは口々にさけびました。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、ガヤガヤガヤガヤ言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこで山猫がさけびました。
「やかましい! ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ!」
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第三巻 第二六号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(六)徳永 直 
 活字が日本に渡るには、他の条件が必要であった。そして、その他の条件のうちもっとも大きなものは、やはり文久二年・一八六二年の日本幕府がはじめてやった貿易船千歳丸の上海入港であったろう。(略)経済的にいえばこの貿易は失敗したけれど、不馴れな幕府の役人たちは積荷をそのまま持ち戻るはめにもなったけれど、オランダの役人につれられて各国の領事たちにあったり、諸外国人の活動ぶりを見てびっくりした。たとえばこれを便乗者・高杉一人の場合に見てもあきらかである。(略)その後二年あまりで、攘夷の中心長州藩が領民に洋品使用の禁を解き、薩摩や佐賀と前後して海外貿易を営なんだ急角度の転回も、したがって「薩長締盟」を可能にした思想的背景も、このときの千歳丸便乗によって彼が上海で感得したものによるところ、はなはだ多いといわれている。
 (略)第一回の千歳丸のときは高杉のほかに中牟田や五代〔五代友厚か。〕や浜松藩の名倉(なぐら)予可人(あなと)などあったが、第二回の健順丸のときは、前巻でなじみの昌造の同僚で長崎通詞、安政開港に功労のあった森山多吉郎、先の栄之助がいまは外国奉行支配調役として乗り組んでいたし、第三回目、慶応三年(一八六七)の同じく幕府船ガンジス号のときは、佐倉藩士高橋作之助〔猪之助か。(のちの由一)ら多数があり、たび重なるにつれて上海渡航者の数は急速に増えていった。(略)
 また、官船以外の密航者、あるいは藩所有の船修理と称して渡航する者もたくさんあった。(略)さては中浜万次郎を案内に立てて汽船を買いに来た土佐藩の後藤象次郎などと、千歳丸以後は「きびす相ついで」いる(略)。
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第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫  【月末最終】
黒川能・観点の置き所
 特殊の舞台構造
 五流の親族
 能楽史をかえりみたい
 黒川の能役者へ
村で見た黒川能
能舞台の解説
春日若宮御祭の研究
 おん祭りの今と昔と
 祭りのお練り
 公人の梅の白枝(ずはえ)
 若宮の祭神
 大和猿楽・翁
 影向松・鏡板・風流・開口
 細男(せいのお)・高足・呪師

 山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。〕との二つは、特に皆さまに見ていただきたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりでのぼってくるのであります。世話をしてくださった斎藤氏〔斎藤香村か。〕に感謝しなければならないと思います。
 特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。(略)奉仕する役者はというと、上座と下座が二部落にわかれており、ここで能をするときは、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞い、下座は右橋掛りから出て舞うことになっている。これはもっとも大きな特徴で、今度の公演にいくぶんでも実現できれば結構だと思います。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といっていいと思います。しかも、黒川ではつねにその形式をくり返しているわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としていることがわかります。
(略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。「黒川能・観点の置き所」より)
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第三巻 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎  定価:200円
面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
能面の様式 / 人物埴輪の眼
(略)しかし「意味ある形」、たとえば「甲冑」を円筒上の人物に着せたとなると、その甲冑は、四肢などに対するとはまったく段ちがいの細かな注意をもって表現されている。(略)それはこの鉄の武器が、人体などよりもはるかに強い関心の対象であったことを示すものであって、いかにも古墳時代の感じ方らしい。(略)
(略)埴輪(はにわ)人形を近くからでなく、三間、五間、あるいはそれ以上に、ときには二、三十間の距離を置いて、ながめてみる必要があると思う。それによって埴輪人形の眼はじつに異様な生気をあらわしてくるのである。もし、この眼が写実的に形作られていたならば、すこし遠のけば、はっきりとは見えなくなるであろう。しかるにこの眼は、そういう形づけを受けず、そばで見れば粗雑に裏までくりぬいた空洞の穴にすぎないのであるが、遠のけば遠のくほど、その粗雑さが見えなくなり、魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる。それが異様な生気を現わしてくるゆえんなのである。眼にそういう働きがあらわれれば、顔面は生気をおび、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである。古墳時代の人々はそういうふうにして埴輪の人形を見、また、そういうふうに見えるものとして埴輪の人形を作ったのであった。
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第三巻 第二九号 火山の話 今村明恒  定価:200円
 桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
 霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
 磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。
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第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 上の巻
   序文
    過去の時代(序文の第一段)
    『古事記』の企画(序文の第二段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
   一、イザナギの命とイザナミの命
    天地のはじめ
    島々の生成
    神々の生成
    黄泉の国
    身禊
   二、アマテラス大神とスサノオの命
    誓約
    天の岩戸
   三、スサノオの命
    穀物の種
    八俣の大蛇
    系譜
 スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。
 かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、「わたくしはこの国の神のオオヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか?」とおたずねになったので「わたくしの女(むすめ)はもとは八人ありました。それを高志(コシ)の八俣の大蛇(おろち)が毎年きて食べてしまいます。今また、それの来る時期ですから泣いています」と申しました。
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第三巻 第三一号 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)  【月末最終】
 古事記 上の巻
   四、大国主の命
    兎と鰐
    赤貝姫と蛤貝姫
    根の堅州国(かたすくに)
    ヤチホコの神の歌物語
    系譜
    スクナビコナの神
    御諸山の神
    大年の神の系譜
   五、アマテラス大神と大国主の命
    天若日子(あめわかひこ)
    国譲り
   六、ニニギの命
    天降り
    猿女の君
    木の花の咲くや姫
   七、ヒコホホデミの命
    海幸と山幸
    トヨタマ姫
スクナビコナの神 そこで大国主の命が出雲の御大(みほ)の御埼(みさき)においでになった時に、波の上をツルイモのさやを割って船にして、蛾(が)の皮をそっくりはいで着物にして寄ってくる神さまがあります。その名を聞きましたけれども答えません。また、御従者(おとも)の神たちにおたずねになったけれども、みな知りませんでした。ところがヒキガエルが言うことには、「これはクエ彦がきっと知っているでしょう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでおたずねになると、「これはカムムスビの神の御子でスクナビコナの神です」と申しました。よってカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でも、わたしの手の股からこぼれて落ちた子どもです。あなた、アシハラシコオの命と兄弟となってこの国を作り固めなさい」とおおせられました。それで、それから大国主とスクナビコナとお二人が並んでこの国を作り固めたのです。後にはそのスクナビコナの神は、海のあちらへ渡って行ってしまいました。このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田のカカシのことです。この神は足は歩きませんが、天下のことをすっかり知っている神さまです。
御諸山の神 そこで大国主の命が心憂く思っておおせられたことは、「わたしはひとりではどのようにしてこの国を作り得ましょう。どの神さまといっしょにわたしはこの国を作りましょうか?」とおおせられました。この時に、海上を照らして寄ってくる神さまがあります。その神のおおせられることには、「わたしに対してよくおまつりをしたら、わたしがいっしょになって国を作りましょう。そうしなければ国はできにくいでしょう」とおおせられました。そこで大国主の命が申されたことには、「それなら、どのようにしておまつりをいたしましょう?」と申されましたら、「わたしを大和の国の青々と取り囲んでいる東の山の上におまつりなさい」とおおせられました。これは御諸(みもろ)の山においでになる神さまです。
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第三巻 第三二号 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 中の巻
   一、神武天皇
    東征
    速吸の門
    イツセの命
    熊野から大和へ
    久米歌
    神の御子
    タギシミミの命の変
   二、綏靖天皇以後八代
    綏靖天皇
    安寧天皇
    懿徳天皇
    孝昭天皇
    孝安天皇
    孝霊天皇
    孝元天皇
    開化天皇
   三、崇神天皇
    后妃と皇子女
    美和の大物主
    将軍の派遣
   四、垂仁天皇
    后妃と皇子女
    サホ彦の反乱
    ホムチワケの御子
    丹波の四女王
    時じくの香の木の実
 この天皇〔崇神天皇〕の御世に、流行病がさかんにおこって、人民がほとんどつきようとしました。ここに天皇は、ご憂慮あそばされて、神をまつってお寝みになった晩に、オオモノヌシの大神がお夢にあらわれておおせになるには、「かように病気がはやるのは、わたしの心である。これはオオタタネコをもってわたしを祭らしめたならば、神のたたりが起こらずに国も平和になるだろう」とおおせられました。そこで急使を四方に出してオオタタネコという人を求めたときに、河内の国の美努(みの)の村でその人を探し出してたてまつりました。(略)そこで天皇が非常にお歓びになっておおせられるには、「天下が平らぎ人民が栄えるであろう」とおおせられて、このオオタタネコを神主として御諸山(みもろやま)でオオモノヌシの神をおまつり申し上げました。(略)これによって疫病がやんで国家が平安になりました。
 このオオタタネコを神の子と知ったしだいは、上に述べたイクタマヨリ姫は美しいお方でありました。ところが形姿・威儀並びなき一人の男が夜中にたちまち来ました。そこでたがいに愛でて結婚して住んでいるうちに、何ほどもないのにその嬢子(おとめ)が妊(はら)みました。そこで父母が妊娠したことを怪しんで、その娘に、「お前は自然に妊娠した。夫がないのにどうして妊娠したのか?」とたずねましたから、答えて言うには「名も知らないりっぱな男が夜ごとに来て住むほどに、自然に妊みました」と言いました。そこでその父母が、その人を知りたいと思って、その娘に教えましたのは、「赤土を床のほとりに散らし麻糸を針につらぬいてその着物の裾(すそ)に刺せ」と教えました。よって教えたとおりにして、朝になって見れば、針をつけた麻は戸の鉤穴から貫けとおって、残った麻はただ三輪だけでした。そこで鉤穴から出たことを知って糸をたよりにたずねて行きましたら、三輪山に行って神の社にとまりました。そこで神の御子であるとは知ったのです。その麻の三輪残ったのによってそこを三輪というのです。このオオタタネコの命は、神(みわ)の君・鴨(かも)の君の祖先です。 
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第三巻 第三四号 山椒大夫 森 鴎外  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

 越後の春日をへて今津へ出る道を、めずらしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子どもを連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞(はらから)二人を、「もうじきに、お宿にお着きなさいます」と言ってはげまして歩かせようとする。二人のうちで、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、おりおり思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣(ものまい)りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やらかいがいしい出立ちをしているのが、だれの目にもめずらしく、また気の毒に感ぜられるのである。
 道は百姓家の断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝(くるぶし)をうずめて人を悩ますことはない。
 藁(わら)ぶきの家が何軒も立ちならんだ一構えが柞(ははそ)の林にかこまれて、それに夕日がカッとさしているところに通りかかった。
「まあ、あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母がゆびさして子どもに言った。
 子どもは母のゆびさす方を見たが、なんとも言わぬので、女中がいった。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」
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第三巻 第三五号 地震の話(一)今村明恒  【月末最終】
 一、はしがき
 二、地震学のあらまし
 三、地震に出会ったときの心得(こころえ)
  一、突差(とっさ)の処置
  二、屋外(おくがい)への避難
 日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。
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第三巻 第三六号 地震の話(二)今村明恒  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
 三、地震に出会ったときの心得
  三、階下の危険
  四、屋内にての避難
  五、屋外における避難
  六、津波と山津波(やまつなみ)との注意
  七、災害防止
  八、火災防止(一)
  九、火災防止(二)
 一〇、余震に対する処置
 非局部性の大地震をおこすことのある海洋底に接した海岸地方は、大ゆれの地震にみまわれたばあい、津波についての注意を要する。ただし、津波をともなうほどの地震は最大級のものであるから、倒壊家屋を生ずる区域が数個の国や県にわたることもあり、あるいは震源距離が陸地からあまり遠いために、単に広区域にわたって大ゆれのみを感じ、地震の直接の損害を生じないこともある。
(略)津波とは津の波、すなわち港に現われる大津波であって、暴風など気象上の変調からおこることもあるが、もっとも恐ろしいのは地震津波である。元来、波というから、読者はすぐに風でおこされる波を想像せられるかもしれないが、むしろ潮の差し引きというほうが実際に近い。
(略)明治二十九年(一八九六)の三陸大津波は、その原因、数十里の沖合いにおける海底の地形変動にあったのであるが、津波の常習地たるじょうご形の港湾の奥においては、図に示されたとおり、あるいは八十尺、あるいは七十五尺というような高さの洪水となり、合計二万七〇〇〇人の人命を奪ったのに、港湾の両翼端ではわずかに数尺にすぎないほどのものであったし、その夜、沖合いに漁猟に行っていた村人は、あんな悲惨事が自分の村でおこったことを夢想することもできず、翌朝、跡かたもなく失われた村へ帰って茫然自失したという。
(略)しばしば海底の大地震をおこす場所に接し、そこに向かって大きくじょうご形に開いた地形の港湾がそれにあたるわけであるが、これについで多少の注意をはらうべきは、遠浅の海岸である。たとい海岸線が直線に近くとも、遠浅だけの関係で、波の高さが数倍の程度に増すこともあるから、もし沖合いにおける高さが数尺のものであったならば、前記のごとき地形の沿岸において多少の被害を見ることもある。
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第三巻 第三七号 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

 しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(略)
 文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。
 もう一つ、文明の進歩のために生じた対自然関係のいちじるしい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化がいちじるしく進展してきたために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響をおよぼす可能性が多くなり、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。(略)
 二十世紀の現代では、日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障がおこれば、その影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみれば、このことは了解されるであろう。
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第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺――秋元家の巾着寺 / 庄内の獅子踊りと神楽、サイドウ / 山形県の史跡調査について / 山形城址 / おばこ踊り / 羽黒の裸祭
 昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。(略)

 十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。(略)
 自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。
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第三巻 第三九号 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
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キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
 刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。(略)
 けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。
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第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子  【月末最終】
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録
私の覚え書
 列車は人と貨物を満載し、あぶら汗をにじませるむし暑さにつつまれながら、篠井ぐらいまでは、急行らしい快速力で走った。午前二時、三時となり、だんだん信州の高原にさしかかると、停車する駅々の雰囲気が一つごとに緊張の度を増してきた。在郷軍人、消防夫、警官などの姿がちらつき、手に手に提灯をかざして警備している。福井を出発するとき、前日ごろ軽井沢で汽車爆破をくわだてた暴徒が数十名捕らえられ、数人は逃げたという噂があった。旅客はみなそれを聞き知ってい、なかには、ことさら「いよいよ危険区域に入りましたな」などという人さえある。
 五日の暁方四時少しすぎ、列車がちょうど軽井沢から二つ手前の駅に着く前、一般の神経過敏をよく現わした一つの事件が持ちあがった。前から二つ目ばかりの窓ぎわにいた一人の男が、「この車の下に何者かが隠れている。爆弾を持った〔二字伏せ字〕に違いない」と言い出したのであった。なにしろひどい混みようで、とうてい席などは動けないので、遠い洗面所その他はまるで役に立たない。その人は、窓から用をたしたのだそうだ。そして、何心なくひょいと下をのぞくと、たしかに人間の足がいそいでひっこんだのを認めた。自分ばかりではなく、もう一人の者も間違いなく見たというのである。
 はじめ冗談だと思ったみなも、その人があまり真剣なのでひどく不安になりはじめた。あの駅々の警備の厳重なところを見れば、まったくそんな事がないとはいわれない。万一事実とすれば、ここにいる数十人が命の瀬戸際にあるということになる。不安がつのるにつれ、非常警報器を引けという者まで出た。駅の構内に入るために列車がしばらく野っぱのまんなかで徐行しはじめたときには、乗客はほとんど総立ちになった。何か異様がおこった。今こそあぶないという感が一同の胸をつらぬき、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。
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第三巻 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治  定価:200円
   一 森
   二 テグス工場
   三 沼ばたけ
   四 クーボー大博士
   五 イーハトーヴ火山局
   六 サンムトリ火山
   七 雲の海
   八 秋
   九 カルボナード島
 そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるコブシの木もまるで咲かず、五月になってもたびたびみぞれがグシャグシャ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年まいた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗の木は青いからのイガばかりでしたし、みんなでふだん食べるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもう、ひどいさわぎになってしまいました。
 ブドリのおとうさんもおかあさんも、たびたび薪(たきぎ)を野原のほうへ持って行ったり、冬になってからは何べんも大きな木を町へソリで運んだりしたのでしたが、いつもがっかりしたようにして、わずかの麦の粉など持って帰ってくるのでした。それでも、どうにかその冬はすぎてつぎの春になり、畑にはたいせつにしまっておいた種もまかれましたが、その年もまた、すっかり前の年のとおりでした。そして秋になると、とうとうほんとうの飢饉(ききん)になってしまいました。もうそのころは、学校へ来る子どももまるでありませんでした。ブドリのおとうさんもおかあさんも、すっかり仕事をやめていました。そしてたびたび心配そうに相談しては、かわるがわる町へ出て行って、やっとすこしばかりの黍(きび)の粒など持って帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろを悪くして帰ってくることもありました。そしてみんなは、コナラの実や、葛(くず)やワラビの根や、木のやわらかな皮やいろんなものを食べて、その冬をすごしました。
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第三巻 第四二号 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治  定価:200円
ペンネンノルデはいまはいないよ
ラジウムの雁
シグナルとシグナレス
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  さそりの赤眼が 見えたころ、
  四時から今朝も やってきた。
  遠野の盆地は まっくらで、
  つめたい水の 声ばかり。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  凍えた砂利に 湯げを吐(は)き、
  火花を闇に まきながら、
  蛇紋岩(サーペンティン)の 崖に来て、
  やっと東が 燃えだした。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  鳥がなきだし 木は光り、
  青々(あおあお)川は ながれたが、
  丘もはざまも いちめんに、
  まぶしい霜を 載せていた。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  やっぱりかけると あったかだ、
  僕はホウホウ 汗が出る。
  もう七、八里 馳せたいな、
  今日も一日 霜ぐもり。
 ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」

 軽便鉄道の東からの一番列車がすこしあわてたように、こう歌いながらやってきて止まりました。機関車の下からは、力のない湯げが逃げ出して行き、細長いおかしな形の煙突からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
 そこで軽便鉄道づきの電信柱どもは、やっと安心したように、ブンブンとうなり、シグナルの柱はカタンと白い腕木をあげました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
 シグナレスは、ホッと小さなため息をついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞(しま)になっていっぱいに充ち、それはつめたい白光を凍った地面に降らせながら、しずかに東に流れていたのです。
 シグナレスはじっとその雲の行く方をながめました。それから、やさしい腕木をおもいきりそっちの方へ延ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言いました。
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第三巻 第四三号 智恵子抄(一)高村光太郎  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
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  あどけない話

智恵子は東京に空がないという、
ほんとの空が見たいという。
私はおどろいて空を見る。
桜若葉の間にあるのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいう。
阿多々羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという。
あどけない空の話である。


  千鳥と遊ぶ智恵子

人っ子ひとりいない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
砂に小さな趾(あし)あとをつけて
千鳥が智恵子によってくる。
口の中でいつでもなにか言ってる智恵子が
両手をあげてよびかえす。
ちい、ちい、ちい―
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをパラパラ投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ちつくす。
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第三巻 第四四号 智恵子抄(二)高村光太郎  【月末最終】
 わたしは昭和九年(一九三四)五月から十二月末まで、毎週一度ずつ九十九里浜の真亀納屋という小さな部落に東京から通った。頭を悪くしていた妻を、そこに住む親類の寓居にあずけておいたので、その妻を見舞うために通ったのである。真亀という部落は、海水浴場としても知られているイワシの漁場、千葉県山武郡片貝村の南方一里たらずの浜辺に沿ったさびしい漁村である。
(略)午前に両国駅を出ると、いつも午後二、三時ごろ、この砂丘につく。わたしは一週間分の薬や、菓子や、妻の好きな果物などを出す。妻は熱っぽいような息をして私をよろこび迎える。わたしは妻をさそって、いつも砂丘づたいに防風林の中をまず歩く。そして小松のまばらな高みの砂へ腰をおろして二人で休む。五月の太陽がすこしななめに白い砂を照らし、そよかぜは海から潮の香りをふくんで、あおあおとした松の枝をかすかに鳴らす。空気のうまさを満喫して私は陶然とする。ちょうど五月は松の花のさかりである。クロマツの新芽ののびたさきに、あの小さな、黄いろい、俵のような、ほろほろとした単性の花球がこぼれるように着く。
 松の花粉の飛ぶ壮観を、わたしはこの九十九里浜の初夏にはじめて見た。防風林のクロマツの花が熟するころ、海から吹きよせる風にのって、その黄いろい花粉が飛ぶさまは、むしろおそろしいほどの勢いである。支那の黄土をまきあげた黄塵というのは、もとより濁って暗くすさまじいもののようだが、松の花粉の風に流れるのはその黄塵をも想像させるほどで、ただそれが明るく、透明の感じを持ち、不可言の芳香をただよわせて風のまにまに空間を満たすのである。さかんな時には座敷の中にまでその花粉がつもる。妻の浴衣の肩につもったその花粉を軽くはたいて、私は立ち上がる。妻は足もとの砂を掘って、しきりに松露の玉をあつめている。日が傾くにつれて海鳴りが強くなる。千鳥がついそこを駈けるように歩いている。
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第三巻 第四五号 ヴェスヴィオ山/日本大地震(他)斎藤茂吉  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

 新聞の報告はみなほとんど同一であった。上海電報によると、地震は九月一日の早朝におこり、東京・横浜の住民は十万人死んだ。東京の砲兵工廠は空中に舞い上がり、数千の職工が死んだ。熱海・伊東の町は全くなくなった。富士山の頂が飛び、大島は海中に没した。云々である。
 私はしばらく息をつめてこれらの文句を読んだが、どうも現実の出来事のような気がしない。ただし私は急いでそこを出で、新しく間借りしようとする家へ行った。部屋は綺麗に調えてあったので私は床上に新聞紙と座布団とをしき、尻をペタリとおろした。それからふたたび新聞の日本震災記事を読むに、これは容易ならぬことである。私の意識はようやく家族の身上に移っていった。不安と驚愕とがしだいに私の心を領するようになってくる。私は眠り薬を服してベッドの上に身を横たえた。
 暁になり南京虫におそわれ、この部屋も不幸にして私の居間ときめることができなかった。九月四日の朝、朝食もせずそこを出て日本媼のところに急ぐ途中N君に会った。N君も日本のことが心配でたまらぬので、やはり朝食もせずに日本媼のところに来た途中なのであった。N君の持っている今日の朝刊新聞の記事を読むと、昨日の夕刊よりもややくわしく出ている。コレア丸からの無線電報によるに、東京はすでに戒厳令が敷かれて戦時状態に入った。横浜の住民二十万は住む家なく食う食がない。(略)
 九月五日。日本の惨事は非常である。部屋の中に沈黙していても何ごとも手につかない。九月六日。思いきって、Thorwalsen(トールワルゼン) Str.(シュトラセ) 六番地に引っ越してしまった。ここには南京虫はいなかった。教室まで遠くて不便であるが、日本の状態がこんなであってみれば、私自身、今後どう身を所決せねばならんか今のところまったく不明である。そこでせめて南京虫のいないところにおちつこうと決心したのであった。
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第三巻 第四六号 上代肉食考/青屋考 喜田貞吉  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
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(略)そのはばかりの程度は神社により、また時代によって相違があったようだが、ともかく肉は穢れあるものとして、これを犯したものは神に近づくことができず、これに合火(あいび)したもの、合火したものに合火のものまでも、またその穢れあるものとしておったのである。(略)
 右のしだいであったから、自分らのごときも子どもの時分には、決して獣肉を食ったことはなかった。かつて村人の猪肉・兎肉を食べているものを見て、子供心に、よくこの人らには神罰があたらぬものだと思ったこともあった。これらの人々の遁辞(とんじ)には、イノシシは山鯨で魚の仲間、兎は鴉鷺(あろ)で鳥の仲間だとあって、これだけは食べてもよいのだとすすめられたけれども、ついに食べる気にはなれなかった。しかるに郷里の中学校へ入学して、寄宿舎に入ったところが、賄い方はしばしば夕食の膳に牛肉をつけてくれた。上級生も平気でそれを食っている。こわごわながら人並みに箸を採ってみると、かつて経験したことのない美味を感じた。いつしか牛肉随喜党となり、はては友達の下宿へ行って、ひそかに近郷のある部落から売りにくる牛肉を買って、すき焼きの味をもおぼえるようになった。時は明治十七、八年(一八八四、一八八五)ころで、諸物価も安かったが、牛肉の需要が少なかったために、百目四、五銭で買えたと記憶する。かようなしだいで、おいおい大胆になっては来たが、それでもまだ家庭へ帰っては、牛肉の香りをかいだこともないような顔をしていた。これは自分の家庭が特に物堅いためで、去る大正三年(一九一四)に八十三歳で没した父のごときは、おそらく一生涯、牛肉の味を知らなかったようであるし、今なお健在の母も、たぶんまだこれを口にしたことはなかろうと思われるほどであるから、自分のこの一家庭の事情をもって、もとより広い世間を推すわけにはいかぬが、少なくも維新前後までの一般の気分は、たいていそんなものであった。したがって肉食を忌まなかった旧時のエタが、人間でないかのごとく思われたのにも無理はないが、しかしかくのごときものが、はたしてわが固有の習俗であったであろうか。
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第三巻 第四七号 地震雑感/静岡地震被害見学記(他)寺田寅彦  定価:200円
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地震雑感
 一 地震の概念
 二 震源
 三 地震の原因
 四 地震の予報
静岡地震被害見学記
小爆発二件
 震災の原因という言語はいろいろに解釈される。多くの場合には、その地震が某火山の活動に起因するとか、あるいは某断層における地すべりに起因するとかいうようなことが一通りわかれば、それで普通の原因追究欲が満足されるようである。そして、その上にその地すべりなら地すべりがいかなる形状の断層に沿うて幾メートルの距離だけ移動したというようなことがわかれば、それで万事は解決されたごとく考える人もある。これは原因の第一段階である。
 しかし、いかなる機巧(メカニズム)でその火山のそのときの活動がおこったか、また、いかなる力の作用でその地すべりを生じたかを考えてみることはできる。これに対する答えとしては、さらにいろいろな学説や憶説が提出され得る。これが原因の第二段階である。たとえば、地殻の一部分にしかじかの圧力なり歪力なりが集積したためにおこったものであるという判断である。
 これらの学説が仮に正しいとしたときに、さらに次の問題がおこる。すなわち地殻のその特別の局部に、そのような特別の歪力をおこすにいたったのはなぜかということである。これが原因の第三段階である。
 問題がここまで進んでくると、それはもはや単なる地震のみの問題ではなくなる。地殻の物理学、あるいは地球物理学の問題となってくるのである。
 地震の原因を追究して現象の心核にふれるがためには、結局、ここまで行かなければならないはずだと思われる。地球の物理をあきらかにしないで地震や火山の現象のみの研究をするのは、ことによると、人体の生理をあきらかにせずして、単に皮膚の吹出物だけを研究しようとするようなものかもしれない。地震の根本的研究は、すなわち地球、特に地殻の研究ということになる。本当の地震学は、これを地球物理学の一章として見たときにはじめて成立するものではあるまいか。
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