森 鴎外 もり おうがい
1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9)
作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。
◇表紙イラスト:葛飾北斎『北斎漫画』より。
もくじ
山椒大夫 森 鴎外
*ミルクティー*現代表記版
山椒大夫
*オリジナル版
山椒大夫
*
地名 ・
年表 ・
人物一覧 ・
書籍
*
難字、求めよ
*
後記 ・ 次週予告
※ 製作環境
・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
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*凡例
〈 〉:割り注、もしくは小書き。
〔 〕:編者もしくは、しだによる注。
*底本
底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社
1972(昭和47)年10月20日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card689.html
NDC 分類:913(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html
山椒大夫
森 鴎外
越後の春日をへて今津へ出る道を、めずらしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子どもを連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞二人を、「もうじきに、お宿にお着きなさいます」と言ってはげまして歩かせようとする。二人のうちで、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、おりおり思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やらかいがいしい出立ちをしているのが、だれの目にもめずらしく、また気の毒に感ぜられるのである。
道は百姓家の断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝をうずめて人を悩ますことはない。
藁ぶきの家が何軒も立ちならんだ一構えが柞の林にかこまれて、それに夕日がカッとさしているところに通りかかった。
「まあ、あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母がゆびさして子どもに言った。
子どもは母のゆびさす方を見たが、なんとも言わぬので、女中がいった。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」
姉娘が突然、弟をかえりみて言った。「早くお父さまのいらっしゃるところへ行きたいわね」
「姉さん。まだ、なかなか行かれはしないよ」弟は賢しげに答えた。
母が諭すように言った。「そうですとも。今まで越してきたような山をたくさん越して、河や海をお船でたびたび渡らなくては行かれないのだよ。毎日、精出しておとなしく歩かなくては」
「でも早く行きたいのですもの」と、姉娘は言った。
一群れはしばらく黙って歩いた。
むこうから空桶を担いでくる女がある。塩浜から帰る潮くみ女である。
それに女中が声をかけた。「もしもし。このへんに旅の宿をする家はありませんか?」
潮くみ女は足を駐めて、主従四人の群れを見渡した。そしてこう言った。「まあ、お気の毒な。あいにくなところで日が暮れますね。この土地には旅の人をとめてあげる所は一軒もありません」
女中が言った。「それは本当ですか? どうしてそんなに人気が悪いのでしょう?」
二人の子どもは、はずんでくる対話の調子を気にして、潮くみ女のそばへ寄ったので、女中と三人で女を取りまいた形になった。
潮くみ女は言った。「いいえ。信者が多くて人気のいい土地ですが、国守のおきてだからしかたがありません。もうあそこに……」と言いさして、女は今きた道をゆびさした。「もうあそこに見えていますが、あの橋までおいでなさると高札が立っています。それにくわしく書いてあるそうですが、近ごろ悪い人買いがこのへんを立ちまわります。それで旅人に宿を貸して足をとめさせたものにはおとがめがあります。あたり七軒まきぞえになるそうです」
「それは困りますね。子ども衆もおいでなさるし、もうそう遠くまでは行かれません。どうにかしようはありますまいか」
「そうですね。わたしの通う塩浜のあるあたりまで、あなた方がおいでなさると、夜になってしまいましょう。どうもそこらでいい所を見つけて、野宿をなさるよりほか、しかたがありますまい。わたしの思案では、あそこの橋の下にお休みなさるがいいでしょう。岸の石垣にぴったりよせて、河原に大きい材木がたくさん立ててあります。荒川の上から流してきた材木です。昼間はその下で子どもが遊んでいますが、奥の方には日もささず、暗くなっている所があります。そこなら風も通しますまい。わたしはこうして毎日通う塩浜の持ち主のところにいます。ついそこの柞の森の中です。夜になったら、藁や薦を持って行ってあげましょう」
子どもらの母は一人離れて立って、この話を聞いていたが、このとき潮くみ女のそばに進み寄って言った。「よい方に出逢いましたのは、わたしどものしあわせでございます。そこへ行って休みましょう。どうぞ藁や薦をお借り申しとうございます。せめて、子どもたちにでも敷かせたりきせたりいたしとうございます」
潮くみ女は受けあって、柞の林のほうへ帰って行く。主従四人は橋のあるほうへ急いだ。
――――――――――――
荒川にかけ渡した応化橋のたもとに一群れは来た。潮くみ女の言ったとおりに、新しい高札が立っている。書いてある国守のおきても、女の詞にたがわない。
人買いが立ちまわるなら、その人買いの詮議をしたらよさそうなものである。旅人に足をとめさせまいとして、行き暮れたものを路頭に迷わせるようなおきてを、国守はなぜ定めたものか。ふつつかな世話の焼きようである。しかし昔の人の目にはおきてである。子どもらの母は、ただそういうおきてのある土地に来あわせた運命をなげくだけで、おきての善悪は思わない。
橋のたもとに、河原へ洗濯におりるものの通う道がある。そこから一群れは河原におりた。なるほど、たいそうな材木が石垣に立てかけてある。一群れは石垣に沿うて材木の下へくぐって入った。男の子はおもしろがって、先に立って勇んで入った。
奥深くもぐって入ると、洞穴のようになった所がある。下には大きい材木が横になっているので、床を張ったようである。
男の子が先に立って、横になっている材木の上に乗って、一番隅へ入って、「姉さん、早くおいでなさい」と呼ぶ。
姉娘はおそるおそる弟のそばへ行った。
「まあ、お待ちあそばせ」と女中が言って、背におっていた包みをおろした。そして着がえの衣類を出して、子どもを脇へ寄らせて、隅のところにしいた。そこへ親子をすわらせた。
母親がすわると、二人の子どもが左右からすがりついた。岩代の信夫郡の住家を出て、親子はここまでくるうちに、家の中ではあっても、この材木の陰より外らしい所に寝たことがある。不自由にもしだいに慣れて、もうさほど苦にはしない。
女中の包みから出したのは衣類ばかりではない。用心に持っている食べ物もある。女中はそれを親子の前に出して置いて言った。「ここでは焚火をいたすことはできません。もし悪い人に見つけられてはならぬからでございます。あの塩浜の持ち主とやらの家まで行って、お湯をもらってまいりましょう。そして藁や薦のことも頼んでまいりましょう」
女中はまめまめしく出て行った。子どもは楽しげにッュやら、乾した果やらを食べはじめた。
しばらくすると、この材木の陰へ人の入ってくる足音がした。「姥竹かい?」と母親が声をかけた。しかし心のうちには、柞の森まで行って来たにしては、あまり早いと疑った。姥竹というのは女中の名である。
入ってきたのは四十歳ばかりの男である。骨組みのたくましい、筋肉がひとつびとつ肌の上から数えられるほど脂肪の少ない人で、牙彫の人形のような顔に笑みをたたえて、手に数珠を持っている。わが家を歩くような慣れた歩きつきをして、親子のひそんでいるところへ進み寄った。そして親子の座席にしている材木のはしに腰をかけた。
親子は、ただおどろいて見ている。仇をしそうな様子も見えぬので、おそろしいとも思わぬのである。
男はこんなことをいう。「わしは山岡大夫という船乗りじゃ。このごろ、この土地を人買いが立ちまわるというので、国守が旅人に宿を貸すことを差し止めた。人買いをつかまえることは、国守の手に合わぬと見える。気の毒なは旅人じゃ。そこでわしは旅人を救うてやろうと思い立った。さいわい、わしが家は街道を離れているので、こっそり人をとめても、誰に遠慮もいらぬ。わしは人の野宿をしそうな森の中や橋の下をたずねまわって、これまで大勢の人を連れて帰った。見れば子ども衆が菓子を食べていなさるが、そんな物は腹のたしにはならいで、歯に障る。わしがところではさしたる饗応はせぬが、芋粥でも進ぜましょう。どうぞ遠慮せずに来てくだされい」男はしいて誘うでもなく、ひとりごとのように言ったのである。
子どもの母はつくづく聞いていたが、世間のおきてにそむいてまでも人を救おうというありがたい志に感ぜずにはいられなかった。そこでこう言った。「うけたまわれば殊勝なお心がけと存じます。貸すなというおきてのある宿を借りて、ひょっと宿主に難儀をかけようかと、それが気がかりでございますが、わたくしはともかくも、子どもらに温いお粥でも食べさせて、屋根の下に休ませることができましたら、そのご恩はのちの世までも忘れますまい」
山岡大夫はうなずいた。「さてさて、よう物のわかるご婦人じゃ。そんならすぐに案内をして進ぜましょう」こういって立ちそうにした。
母親は気の毒そうに言った。「どうぞ、すこしお待ちくださいませ。わたくしども三人がお世話になるさえ心苦しゅうございますのに、こんなことを申すのはいかがと存じますが、じつは今一人つれがございます」
山岡大夫は耳をそばだてた。「つれがおありなさる。それは男か女子か?」
「子どもたちの世話をさせにつれて出た女中でございます。湯をもらうと申して、街道を三、四町あとへ引き返してまいりました。もうほどなく帰ってまいりましょう」
「お女中かな。そんなら待って進ぜましょう」山岡大夫のおちついた、底の知れぬような顔に、なぜか喜びの影が見えた。
――――――――――――
ここは直江の浦である。日はまだ米山の背後に隠れていて、紺青のような海の上には薄い靄がかかっている。
一群れの客を舟に載せてともづなを解いている船頭がある。船頭は山岡大夫で、客はゆうべ大夫の家に泊まった主従四人の旅人である。
応化橋の下で山岡大夫に出逢った母親と子ども二人とは、女中姥竹が欠け損じた瓶子に湯をもらって帰るのを待ち受けて、大夫につれられて宿を借りに行った。姥竹は不安らしい顔をしながらついて行った。大夫は街道を南へ入った松林の中の草の家に四人をとめて、芋粥をすすめた。そしてどこからどこへ行く旅かと問うた。くたびれた子どもらを先へ寝させて、母は宿の主人に身の上のおおよそを、かすかな灯火のもとで話した。
自分は岩代のものである。夫が筑紫へ行って帰らぬので、二人の子どもを連れてたずねにゆく。姥竹は姉娘の生まれたときから守りをしてくれた女中で、身寄りのないものゆえ、遠い、おぼつかない旅の伴をすることになったと話したのである。
さて、ここまでは来たが、筑紫のはてへ行くことを思えば、まだ家を出たばかりといってよい。これから陸を行ったものであろうか。または船路を行ったものであろうか。主人は船乗りであってみれば、さだめて遠国のことを知っているだろう。どうぞ教えてもらいたいと、子どもらの母がたのんだ。
大夫は知れきったことを問われたように、すこしもためらわずに船路を行くことをすすめた。陸を行けば、じき、隣の越中の国に入る界にさえ、親不知子不知の難所がある。削り立てたような巌石のすそには荒浪が打ちよせる。旅人は横穴に入って、波の引くのを待っていて、せまい巌石の下の道を走りぬける。そのときは親は子をかえりみることができず、子も親をかえりみることができない。それは海辺の難所である。また山を越えると、踏まえた石が一つ揺げば、千尋の谷底に落ちるような、あぶない岨道もある。西国へ行くまでには、どれほどの難所があるかしれない。それとはちがって、船路は安全なものである。たしかな船頭にさえたのめば、いながらにして百里でも千里でも行かれる。自分は西国まで行くことはできぬが、諸国の船頭を知っているから、船に載せて出て、西国へ行く舟に乗りかえさせることができる。あすの朝はさっそく船に載せて出ようと、大夫はこともなげに言った。
夜が明けかかると、大夫は主従四人をせきたてて家を出た。そのとき、子どもらの母は小さい袋から金を出して、宿賃を払おうとした。大夫はとめて、宿賃はもらわぬ、しかし金の入れてある大切な袋はあずかっておこうと言った。なんでも大切な品は、宿につけば宿の主人に、舟に乗れば舟の主にあずけるものだというのである。
子どもらの母は最初に宿を借ることをゆるしてから、主人の大夫のいうことを聴かなくてはならぬような勢いになった。おきてを破ってまで宿を貸してくれたのを、ありがたくは思っても、何ごとによらず言うがままになるほど、大夫を信じてはいない。こういう勢いになったのは、大夫の詞に人を押しつける強みがあって、母親はそれに抗うことができぬからである。その抗うことのできぬのは、どこかおそろしいところがあるからである。しかし母親は、自分が大夫をおそれているとは思っていない。自分の心がはっきりわかっていない。
母親は余儀ないことをするような心持ちで舟に乗った。子どもらは凪いだ海の、青い氈をしいたような面を見て、ものめずらしさに胸をおどらせて乗った。ただ姥竹が顔には、きのう橋の下を立ち去ったときから、今、舟に乗るときまで、不安の色が消え失せなかった。
山岡大夫はともづなを解いた。�で岸をひとおし押すと、舟はゆらめきつつ浮かび出た。
――――――――――――
山岡大夫はしばらく岸に沿うて南へ、越中境の方角へこいで行く。靄はみるみる消えて、波が日にかがやく。
人家のない岩陰に、波が砂を洗って、海松や荒布を打ち上げているところがあった。そこに舟が二艘止まっている。船頭が大夫を見て呼びかけた。
「どうじゃ。あるか?」
大夫は右の手をあげて、大拇を折って見せた。そして自分もそこへ舟を舫った。大拇だけ折ったのは、四人あるという相図である。
前からいた船頭の一人は宮崎の三郎といって、越中宮崎のものである。左の手のこぶしを開いて見せた。右の手が貨の相図になるように、左の手は銭の相図になる。これは五貫文につけたのである。
「気張るぞ」といま一人の船頭が言って、左の肘をつと伸べて、一度こぶしを開いて見せ、ついで示指をたてて見せた。この男は佐渡の二郎で六貫文につけたのである。
「横着者奴!」と宮崎がさけんで立ちかかれば、「出し抜こうとしたのはおぬしじゃ」と佐渡が身がまえをする。二艘の舟がかしいで、舷が水をむちうった。
大夫は二人の船頭の顔を冷ややかに見くらべた。「あわてるな。どっちも空手では還さぬ。お客さまがご窮屈でないように、お二人ずつわけて進ぜる。賃銭はあとでつけた値段の割じゃ」こう言っておいて、大夫は客をかえりみた。「さあ、お二人ずつあの舟へお乗りなされ。どれも西国への便船じゃ。舟足というものは、重すぎては走りが悪い」
二人の子どもは宮崎が舟へ、母親と姥竹とは佐渡が舟へ、大夫が手をとって乗り移らせた。移らせて引く大夫が手に、宮崎も佐渡も幾さしかの銭をにぎらせたのである。
「あの、主人におあずけなされた袋は……」と、姥竹が主のそでを引くとき、山岡大夫は空舟をつと押し出した。
「わしはこれでお暇をする。たしかな手からたしかな手へ渡すまでがわしの役じゃ。ごきげんようお越しなされ」
の音がせわしくひびいて、山岡大夫の舟はみるみる遠ざかって行く。
母親は佐渡に言った。「同じ道をこいで行って、同じ港に着くのでございましょうね」
佐渡と宮崎とは顔を見あわせて、声を立てて笑った。そして佐渡が言った。「乗る舟は弘誓の舟、着くは同じ彼岸と、蓮華峰寺の和尚が言うたげな」
二人の船頭はそれきり黙って舟を出した。佐渡の二郎は北へこぐ。宮崎の三郎は南へこぐ。「あれあれ」と呼びかわす親子主従は、ただ遠ざかり行くばかりである。
母親はものぐるおしげに舷に手をかけて伸び上がった。「もうしかたがない。これがわかれだよ。安寿は守り本尊の地蔵さまを大切におし。厨子王はお父さまのくださった護り刀を大切におし。どうぞ二人が離れぬように」安寿は姉娘、厨子王は弟の名である。
子どもはただ「お母さま、お母さま」と呼ぶばかりである。
舟と舟とはしだいに遠ざかる。うしろには餌を待つ雛のように、二人の子どもがあいた口が見えていて、もう声は聞こえない。
姥竹は佐渡の二郎に「もし船頭さん、もしもし」と声をかけていたが、佐渡はかまわぬので、とうとう赤松の幹のような脚にすがった。「船頭さん。これはどうしたことでございます? あのお嬢さま、若さまに別れて、生きてどこへ行かれましょう。奥さまも同じことでございます。これから何をたよりにお暮らしなさいましょう。どうぞあの舟の行く方へこいで行ってくださいまし。後生でございます」
「うるさい」と佐渡はうしろざまに蹴った。姥竹は舟にたおれた。髪は乱れて舷にかかった。
姥竹は身をおこした。「ええ。これまでじゃ。奥さま、ごめんくださいまし」こう言ってまっさかさまに海に飛び込んだ。
「こら!」と言って船頭は肘をさしのばしたが、まにあわなかった。
母親は袿をぬいで佐渡が前へ出した。「これは粗末な物でございますが、お世話になったお礼にさしあげます。わたくしはもうこれでお暇を申します」こういって舷に手をかけた。
「たわけが!」と、佐渡は髪をつかんで引き倒した。「うぬまで死なせてなるものか。だいじな貨じゃ」
佐渡の二郎は牽コを引き出して、母親をくるくる巻きにして転がした。そして北へ北へとこいで行った。
――――――――――――
「お母さま! お母さま!」と呼び続けている姉と弟とを載せて、宮崎の三郎が舟は岸に沿うて南へ走って行く。「もう呼ぶな」と宮崎がしかった。「水の底の鱗介には聞こえても、あの女子には聞こえぬ。女子どもは佐渡へ渡って粟の鳥でも逐わせられることじゃろう」
姉の安寿と弟の厨子王とは抱きあって泣いている。故郷を離れるも、遠い旅をするも母といっしょにすることだと思っていたのに、今はからずも引き分けられて、二人はどうしていいかわからない。ただ悲しさばかりが胸にあふれて、この別れが自分たちの身の上をどれだけ変わらせるか、そのほどさえわきまえられぬのである。
午になって宮崎は餅を出して食った。そして安寿と厨子王とにも一つずつくれた。二人は餅を手に持って食べようともせず、目を見あわせて泣いた。夜は宮崎がかぶせた苫の下で、泣きながら寝入った。
こうして二人は幾日か舟に明かし暮らした。宮崎は越中、能登、越前、若狭の津々浦々を売り歩いたのである。
しかし二人が幼いのに、体もか弱く見えるので、なかなか買おうというものがない。たまに買い手があっても、値段の相談がととのわない。宮崎はしだいに機嫌を損じて、「いつまでも泣くか」と二人を打つようになった。
宮崎が舟はまわりまわって、丹後の由良の港にきた。ここには石浦というところに大きい邸をかまえて、田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒大夫という分限者がいて、人ならいくらでも買う。宮崎はこれまでも、よそに買い手のない貨があると、山椒大夫がところへ持ってくることになっていた。
港に出張っていた大夫の奴頭は、安寿、厨子王をすぐに七貫文に買った。
「やれやれ、餓鬼どもをかたづけて身が軽うなった」といって、宮崎の三郎は受け取った銭をふところに入れた。そして波止場の酒店に入った。
――――――――――――
ひとかかえにあまる柱を立て並べて造った大廈の奥深い広間に一間四方の炉を切らせて、炭火がおこしてある。そのむこうに茵を三枚かさねてしいて、山椒大夫は几にもたれている。左右には二郎、三郎の二人の息子が狛犬のようにならんでいる。もと大夫には三人の男子があったが、太郎は十六歳のとき、逃亡をくわだてて捕らえられた奴に、父が手ずから烙印をするのをじっと見ていて、一言も物をいわずに、ふいと家を出て行方が知れなくなった。今から十九年前のことである。
奴頭が安寿、厨子王をつれて前へ出た。そして二人の子どもに辞儀をせいと言った。
二人の子どもは奴頭の詞が耳に入らぬらしく、ただ目をみはって大夫を見ている。今年六十歳になる大夫の、朱を塗ったような顔は、額が広くあごが張って、髪もひげも銀色に光っている。子どもらはおそろしいよりは不思議がって、じっとその顔を見ているのである。
大夫は言った。「買うてきた子どもはそれか。いつも買う奴と違うて、何に使うてよいかわからぬ、珍しい子どもじゃというから、わざわざつれて来させてみれば、色の蒼ざめた、か細い童どもじゃ。何に使うてよいかは、わしにもわからぬ」
そばから三郎が口を出した。末の弟ではあるが、もう三十になっている。「いやお父っさん。さっきから見ていれば、辞儀をせいといわれても辞儀もせぬ。ほかの奴のように名のりもせぬ。弱々しゅう見えてもしぶとい者どもじゃ。奉公はじめは男が柴刈り、女が汐汲みときまっている。そのとおりにさせなされい」
「おっしゃるとおり、名はわたくしにも申しませぬ」と、奴頭がいった。
大夫は嘲笑った。「愚か者と見える。名はわしがつけてやる。姉はいたつきを垣衣、弟はわが名を萱草じゃ。垣衣は浜へ行って、日に三荷の潮をくめ。萱草は山へ行って日に三荷の柴を刈れ。弱々しい体に免じて、荷は軽うしてとらせる」
三郎が言った。「過分のいたわりようじゃ。こりゃ、奴頭。早くつれてさがって道具をわたしてやれ」
奴頭は二人の子どもを新参小屋につれて行って、安寿には桶と杓、厨子王には篭と鎌をわたした。どちらにも午餉を入れる�子がそえてある。新参小屋はほかの奴婢の居所とは別になっているのである。
奴頭が出て行くころには、もうあたりが暗くなった。この屋には灯火もない。
――――――――――――
翌日の朝はひどく寒かった。ゆうべは小屋に備えてある衾〔夜具。〕があまりきたないので、厨子王が薦をさがしてきて、舟で苫をかずいたように、二人でかずいて寝たのである。〔かずく=頭にかぶる。〕
きのう奴頭に教えられたように、厨子王は�子を持って厨へ餉〔乾飯。〕を受け取りに行った。屋根の上、地にちらばった藁の上には霜が降っている。厨は大きい土間で、もう大勢の奴婢が来て待っている。男と女とは受け取る場所がちがうのに、厨子王は姉のと自分のともらおうとするので、一度はしかられたが、あすからはめいめいがもらいにくると誓って、ようよう�子のほかに、面桶に入れた�と、木の椀に入れた湯との二人前をも受け取った。�は塩を入れて炊いである。
姉と弟とは朝餉を食べながら、もうこうした身の上になっては、運命のもとに項を屈めるよりほかはないと、けなげにも相談した。そして姉は浜辺へ、弟は山路をさして行くのである。大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸をいっしょに出て、二人は霜をふんで、見返りがちに左右へ別れた。
厨子王が登る山は由良が岳のすそで、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を刈るところは、麓から遠くはない。ところどころ紫色の岩の露われている所を通って、やや広い平地に出る。そこに雑木がしげっているのである。
厨子王は雑木林の中に立ってあたりを見まわした。しかし柴はどうして刈るものかと、しばらくは手をつけかねて、朝日に霜の融けかかる、茵のような落ち葉の上に、ぼんやりすわって時をすごした。ようよう気をとりなおして、一枝二枝刈るうちに、厨子王は指を傷めた。そこでまた落ち葉の上にすわって、山でさえこんなに寒い、浜辺に行った姉さまは、さぞ潮風が寒かろうと、ひとり涙をこぼしていた。
日がよほど昇ってから、柴をせおって麓へ降りる、ほかの樵が通りかかって、「お前も大夫のところのやつか、柴は日に何荷、刈るのか?」と問うた。
「日に三荷かるはずの柴を、まだすこしも刈りませぬ」と厨子王は正直に言った。
「日に三荷の柴ならば、午までに二荷刈るがいい。柴はこうして刈るものじゃ」樵はわが荷をおろしておいて、すぐに一荷刈ってくれた。
厨子王は気をとりなおして、ようよう午までに一荷刈り、午からまた一荷刈った。
浜辺に行く姉の安寿は、川の岸を北へ行った。さて潮をくむ場所に降り立ったが、これも汐のくみようを知らない。心で心をはげまして、ようよう杓をおろすや否や、波が杓を取って行った。
となりで汲んでいる女子が、手早く杓を拾ってもどした。そしてこう言った。「汐はそれでは汲まれません。どれ、汲みようを教えてあげよう。右手の杓でこうくんで、左手の桶でこう受ける」とうとう一荷汲んでくれた。
「ありがとうございます。汲みようが、あなたのお陰で、わかったようでございます。自分ですこし汲んでみましょう」安寿は汐を汲みおぼえた。
となりで汲んでいる女子は、無邪気な安寿が気に入った。二人は午餉を食べながら、身の上をうちあけて、姉妹の誓いをした。これは伊勢の小萩といって、二見浦から買われてきた女子である。
最初の日はこんなぐあいに、姉が言いつけられた三荷の潮も、弟が言いつけられた三荷の柴も、一荷ずつの勧進を受けて、日の暮れまでに首尾よく調った。
――――――――――――
姉は潮をくみ、弟は柴を刈って、一日一日と暮らしていった。姉は浜で弟を思い、弟は山で姉を思い、日の暮れを待って小屋に帰れば、二人は手をとりあって、筑紫にいる父が恋しい、佐渡にいる母が恋しいと、言っては泣き、泣いては言う。
とかくするうちに十日たった。そして新参小屋をあけなくてはならぬときがきた。小屋をあければ、奴は奴、婢は婢の組に入るのである。
二人は死んでも別れぬといった。奴頭が大夫に訴えた。
大夫は言った。「たわけた話じゃ。奴は奴の組へ引きずってゆけ。婢は婢の組へ引きずってゆけ」
奴頭がうけたまわってたとうとしたとき、二郎がかたわらから呼び止めた。そして父に言った。「おっしゃるとおりに童どもを引き分けさせてもよろしゅうございますが、童どもは死んでも別れぬと申すそうでございます。おろかなものゆえ、死ぬるかもしれません。刈る柴はわずかでも、くむ潮はいささかでも、人手を耗らすのは損でございます。わたくしがいいように計らってやりましょう」
「それもそうか。損になることはわしも嫌いじゃ。どうにでも勝手にしておけ」大夫はこういって脇へ向いた。
二郎は三の木戸に小屋をかけさせて、姉と弟とをいっしょに置いた。
ある日の暮れに二人の子どもは、いつものように父母のことを言っていた。それを二郎が通りかかって聞いた。二郎は邸を見まわって、強い奴が弱い奴を虐げたり、諍いをしたり、盗みをしたりするのを取り締まっているのである。
二郎は小屋に入って二人に言った。「父母は恋しゅうても佐渡は遠い。筑紫はそれよりまた遠い。子どもの行かれる所ではない。父母にあいたいなら、大きゅうなる日を待つがよい」こういって出て行った。
ほど経てまたある日の暮れに、二人の子どもは父母のことを言っていた。それを今度は三郎が通りかかって聞いた。三郎は寝鳥を取ることが好きで邸のうちの木立ち木立ちを、手に弓矢を持って見まわるのである。
二人は父母のことを言うたびに、どうしようか、こうしようかと、逢いたさのあまりに、あらゆる手だてを話しあって夢のような相談をもする。きょうは姉がこう言った。「大きくなってからでなくては、遠い旅ができないというのは、それは当り前のことよ。わたしたちは、そのできないことがしたいのだわ。だが、わたしよく思ってみると、どうしても二人いっしょにここを逃げ出してはダメなの。わたしにはかまわないで、お前一人で逃げなくては。そして先へ筑紫の方へ行って、お父さまにお目にかかって、どうしたらいいかうかがうのだね。それから佐渡へお母さまのお迎えに行くがいいわ」三郎が立ち聞きをしたのは、あいにくこの安寿の詞であった。
三郎は弓矢を持って、つと小屋のうちに入った。
「こら。おぬしたちは逃げる談合をしておるな。逃亡のくわだてをしたものには烙印をする。それがこの邸のおきてじゃ。赤うなった鉄は熱いぞよ。」
二人の子どもは真っ蒼になった。安寿は三郎が前に進み出ていった。「あれは嘘でございます。弟が一人で逃げたって、まあ、どこまで行かれましょう。あまり親に逢いたいので、あんなことを申しました。こないだも弟といっしょに、鳥になって飛んで行こうと申したこともございます。出放題でございます」
厨子王は言った。「姉さんのいうとおりです。いつでも二人で今のような、できないことばかし言って、父母の恋しいのをまぎらしているのです」
三郎は二人の顔を見くらべて、しばらくのあいだ黙っていた。「ふん。嘘なら嘘でもいい。おぬしたちがいっしょにおって、なんの話をするということを、おれがたしかに聞いておいたぞ」こう言って三郎は出て行った。
その晩は二人が気味悪く思いながら寝た。それからどれだけ寝たかわからない。二人はふと物音を聞きつけて目をさました。今の小屋にきてからは、灯火を置くことがゆるされている。そのかすかな明かりで見れば、枕もとに三郎が立っている。三郎は、つと寄って、両手で二人の手をつかまえる。そして引き立てて戸口を出る。蒼ざめた月をあおぎながら、二人は目見えのときに通った、広い馬道をひかれて行く。階を三段登る。廊を通る。めぐりめぐって先の日に見た広間に入る。そこには大勢の人が黙ってならんでいる。三郎は二人を炭火の真っ赤におこった炉の前まで引きずって出る。二人は小屋で引き立てられたときから、ただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っていたが、三郎は黙って引きずって行くので、しまいには二人も黙ってしまった。炉の向かい側には茵三枚をかさねてしいて、山椒大夫がすわっている。大夫の赤顔が、座の右左に焚いてある炬火を照りかえして、燃えるようである。三郎は炭火の中から、赤く焼けている火を抜き出す。それを手に持って、しばらく見ている。はじめ、透きとおるように赤くなっていた鉄が、しだいに黒ずんでくる。そこで三郎は安寿を引きよせて、火揩顔にあてようとする。厨子王はその肘にからみつく。三郎はそれを蹴たおして右のひざに敷く。とうとう火揩安寿の額に十文字にあてる。安寿の悲鳴が一座の沈黙をやぶって響きわたる。三郎は安寿をつきはなして、ひざの下の厨子王をひきおこし、その額にも火揩十文字にあてる。新たにひびく厨子王の泣き声が、ややかすかになった姉の声にまじる。三郎は火揩すてて、はじめ二人をこの広間へ連れてきたときのように、また二人の手をつかまえる。そして一座を見渡したのち、広い母屋をまわって、二人を三段の階のところまで引き出し、凍った土の上につきおとす。二人の子どもは創の痛みと心のおそれとに気を失いそうになるのを、ようよう堪えしのんで、どこをどう歩いたともなく、三の木戸の小家に帰る。臥所の上にたおれた二人は、しばらく死骸のように動かずにいたが、たちまち厨子王が「姉さん、早くお地蔵さまを」とさけんだ。安寿はすぐに起きなおって、肌の守り袋を取り出した。わななく手に紐を解いて、袋から出した仏像を枕もとにすえた。二人は右左にぬかずいた。そのとき歯をくいしばってもこらえられぬ額の痛みが、かき消すように失せた。てのひらで額をなでてみれば、創は痕もなくなった。ハッと思って、二人は目をさました。
二人の子どもは起きなおって夢の話をした。同じ夢を同じときに見たのである。安寿は守り本尊を取り出して、夢ですえたと同じように枕もとにすえた。二人はそれをふし拝んで、かすかな灯火の明かりにすかして地蔵尊の額を見た。白毫の右左に、鏨で彫ったような十文字の疵があざやかに見えた。
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二人の子どもが話を三郎に立ち聞きせられて、その晩おそろしい夢を見たときから、安寿の様子がひどく変わってきた。顔にはひきしまったような表情があって、まゆの根にはしわが寄り、目ははるかに遠いところを見つめている。そして物を言わない。日の暮れに浜から帰ると、これまでは弟の山から帰るのを待ち受けて、長い話をしたのに、今はこんなときにも詞少なにしている。厨子王が心配して、「姉さん、どうしたのです?」というと「どうもしないの、だいじょうぶよ」といって、わざとらしく笑う。
安寿の前と変わったのはただこれだけで、いうことが間違ってもおらず、することも平生のとおりである。しかし厨子王はたがいになぐさめもし、なぐさめられもした一人の姉が、変わった様子をするのを見て、際限なくつらく思う心を、誰にうちあけて話すこともできない。二人の子どもの境界は、前よりいっそうさびしくなったのである。
雪が降ったりやんだりして、年が暮れかかった。奴も婢も外に出る仕事をやめて、家の中で働くことになった。安寿は糸をつむぐ。厨子王は藁をうつ。藁をうつのは修行はいらぬが、糸をつむぐのはむずかしい。それを夜になると伊勢の小萩がきて、手伝ったり教えたりする。安寿は弟に対する様子が変わったばかりでなく、小萩に対しても詞少なになって、ややもすると不愛想をする。しかし小萩は機嫌を損せずに、いたわるようにしてつきあっている。
山椒大夫が邸の木戸にも松が立てられた。しかし、ここの年のはじめはなんの晴れがましいこともなく、また族の女子たちは奥深く住んでいて、出入りすることがまれなので、にぎわしいこともない。ただ上も下も酒を飲んで、奴の小屋にはいさかいがおこるだけである。常はいさかいをすると、きびしく罰せられるのに、こういうときは奴頭が大目に見る。血を流しても知らぬ顔をしていることがある。どうかすると、殺されたものがあってもかまわぬのである。
さびしい三の木戸の小屋へは、おりおり小萩が遊びにきた。婢の小屋のにぎわしさを持ってきたかと思うように、小萩が話している間は、陰気な小屋も春めいて、このごろ様子の変わっている安寿の顔にさえ、めったに見えぬほほえみの影がうかぶ。
三日立つと、また家の中の仕事がはじまった。安寿は糸をつむぐ。厨子王は藁をうつ。もう夜になって小萩がきても、手伝うにおよばぬほど、安寿は紡錘をまわすことに慣れた。様子は変わっていても、こんな静かな、同じことをくりかえすような仕事をするにはさしつかえなく、また仕事がかえって一向きになった心をちらし、おちつきを与えるらしく見えた。姉と前のように話をすることのできぬ厨子王は、つむいでいる姉に、小萩がいて物を言ってくれるのが、なによりも心強く思われた。
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水が温み、草が萌えるころになった。あすからは外の仕事がはじまるという日に、二郎が邸を見まわるついでに、三の木戸の小屋にきた。「どうじゃな。あす、仕事に出られるかな。大勢の人のうちには病気でおるものもある。奴頭の話を聞いたばかりではわからぬから、きょうは小屋小屋をみな見てまわったのじゃ」
藁をうっていた厨子王が返事をしようとして、まだ詞を出さぬ間に、このごろの様子にも似ず、安寿が糸をつむぐ手を止めて、つと二郎の前に進み出た。「それについてお願いがございます。わたくしは弟と同じ所で仕事がいたしとうございます。どうかいっしょに山へやってくださるように、お取りはからいなすってくださいまし」蒼ざめた顔に紅がさして、目がかがやいている。
厨子王は、姉の様子が二度目に変わったらしく見えるのにおどろき、また自分になんの相談もせずにいて、突然、柴刈りに行きたいというのをもいぶかしがって、ただ目をみはって姉をまもっている。
二郎は物をいわずに、安寿の様子をじっと見ている。安寿は「ほかにない、ただ一つのお願いでございます。どうぞ山へおやりなすって」とくりかえして言っている。
しばらくして二郎は口を開いた。「この邸では奴婢のなにがしになんの仕事をさせるということは重いことにしてあって、父がみずからきめる。しかし垣衣、お前の願いはよくよく思い込んでのことと見える。わしが受けあって取りなして、きっと山へ行かれるようにしてやる。安心しているがいい。まあ、二人の幼いものが無事に冬をすごしてよかった」こういって小屋を出た。
厨子王は杵を置いて姉のそばに寄った。「姉さん、どうしたのです? それはあなたがいっしょに山へ来てくださるのは、わたしもうれしいが、なぜ、だしぬけに頼んだのです? なぜ、わたしに相談しません?」
姉の顔はよろこびにかがやいている。「ほんにそうお思いのはもっともだが、わたしだってあの人の顔を見るまで、たのもうとは思っていなかったの。ふいと思いついたのだもの」
「そうですか。変ですなあ」厨子王は珍しい物を見るように姉の顔をながめている。
奴頭が篭と鎌とを持って入ってきた。「垣衣さん。お前に汐くみをよさせて、柴を刈りにやるのだそうで、わしは道具を持ってきた。かわりに桶と杓をもらって行こう」
「これはどうもお手数でございました」安寿は身軽に立って、桶と杓とを出して返した。
奴頭はそれを受け取ったが、まだ帰りそうにはしない。顔には一種の苦笑いのような表情があらわれている。この男は山椒大夫一家のものの言いつけを、神の託宣を聴くように聴く。そこでずいぶん情けない、苛酷なことをもためらわずにする。しかし生得、人のもだえ苦しんだり、泣きさけんだりするのを見たがりはしない。物事がおだやかに運んで、そんなことを見ずにすめば、その方が勝手である。今の苦笑いのような表情は人に難儀をかけずにはすまぬとあきらめて、何か言ったり、したりするときに、この男の顔にあらわれるのである。
奴頭は安寿に向いて言った。「さて、いまひとつ用事があるて。じつはお前さんを柴刈りにやることは、二郎さまが大夫さまに申し上げてこしらえなさったのじゃ。するとその座に三郎さまがおられて、そんなら垣衣を大童にして山へやれとおっしゃった。大夫さまは、よい思いつきじゃとお笑いなされた。そこでわしはお前さんの髪をもろうて行かねばならぬ」
そばで聞いている厨子王は、この詞を胸を刺されるような思いをして聞いた。そして目に涙を浮かべて姉を見た。
意外にも安寿の顔からはよろこびの色が消えなかった。「ほんにそうじゃ。柴刈りに行くからは、わたしも男じゃ。どうぞこの鎌で切ってくださいまし」安寿は奴頭の前に項をのばした。
光沢のある、長い安寿の髪が、するどい鎌のひと掻きにさっくり切れた。
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あくる朝、二人の子どもは背に篭をおい、腰に鎌をさして、手を引きあって木戸を出た。山椒大夫のところに来てから、二人いっしょに歩くのはこれがはじめである。
厨子王は姉の心をはかりかねて、さびしいような、悲しいような思いに胸がいっぱいになっている。きのうも奴頭の帰ったあとで、いろいろに詞を設けてたずねたが、姉はひとりで何ごとをか考えているらしく、それをあからさまには打ちあけずにしまった。
山の麓に来たとき、厨子王はこらえかねて言った。「姉さん。わたしはこうして久しぶりでいっしょに歩くのだから、うれしがらなくてはならないのですが、どうも悲しくてなりません。わたしはこうして手を引いていながら、あなたの方へ向いて、その禿になったお頭を見ることができません。姉さん。あなたはわたしに隠して、なにか考えていますね。なぜそれをわたしに言って聞かせてくれないのです?」
安寿はけさも毫光のさすようなよろこびを額にたたえて、大きい目をかがやかしている。しかし弟の詞には答えない。ただ、引き合っている手に力を入れただけである。
山に登ろうとするところに沼がある。汀には去年見たときのように、枯れ葦が縦横に乱れているが、道ばたの草には黄ばんだ葉の間に、もう青い芽の出たのがある。沼の畔から右に折れて登ると、そこに岩のすきまから清水のわく所がある。そこを通りすぎて、岩壁を右に見つつ、うねった道を登って行くのである。
ちょうど岩の面に朝日が一面にさしている。安寿はかさなり合った岩の、風化した間に根をおろして、小さいスミレの咲いているのを見つけた。そして、それをゆびさして厨子王に見せて言った。「ごらん。もう春になるのね」
厨子王は黙ってうなずいた。姉は胸に秘密を蓄え、弟は憂えばかりを抱いているので、とかく受けこたえができずに、話は水が砂にしみこむようにとぎれてしまう。
去年柴を刈った木立ちのほとりに来たので、厨子王は足を駐めた。「ねえさん。ここらで刈るのです」
「まあ、もっと高いところへ登ってみましょうね」安寿は先に立ってずんずん登って行く。厨子王はいぶかりながらついて行く。しばらくして雑木林よりはよほど高い、外山の頂ともいうべき所にきた。
安寿はそこに立って、南の方をじっと見ている。目は、石浦をへて由良の港にそそぐ大雲川の上流をたどって、一里ばかりへだたった川向かいに、こんもりとしげった木立ちの中から、塔の尖の見える中山に止まった。そして「厨子王や」と弟をよびかけた。「わたしが久しい前から考えごとをしていて、お前ともいつものように話をしないのを、変だと思っていたでしょうね。もう、きょうは柴なんぞは刈らなくてもいいから、わたしの言うことをよくお聞き。小萩は伊勢から売られてきたので、故郷からこの土地までの道を、わたしに話して聞かせたがね、あの中山を越して行けば、都がもう近いのだよ。筑紫へ行くのはむずかしいし、引き返して佐渡へ渡るのも、たやすいことではないけれど、都へはきっと行かれます。お母さまとごいっしょに岩代を出てから、わたしどもはおそろしい人にばかり出逢ったが、人の運が開けるものなら、よい人に出逢わぬにもかぎりません。お前はこれから思いきって、この土地を逃げのびて、どうぞ都へ登っておくれ。神仏のお導きで、よい人にさえ出逢ったら、筑紫へおくだりになったお父さまのお身の上も知れよう。佐渡へお母さまのお迎えに行くこともできよう。篭や鎌はすてておいて、�子だけ持って行くのだよ」
厨子王は黙って聞いていたが、涙がほおをつたって流れてきた。「そして、姉さん、あなたはどうしようというのです?」
「わたしのことはかまわないで、お前一人ですることを、わたしといっしょにするつもりでしておくれ。お父さまにもお目にかかり、お母さまをも島からお連れ申したうえで、わたしを助けに来ておくれ」
「でも、わたしがいなくなったら、あなたをひどい目にあわせましょう」厨子王が心には烙印をせられた、おそろしい夢が浮かぶ。
「それはいじめるかもしれないがね、わたしは我慢してみせます。金で買った婢をあの人たちは殺しはしません。たぶん、お前がいなくなったら、わたしを二人前、働かせようとするでしょう。お前の教えてくれた木立ちの所で、わたしは柴をたくさん刈ります。六荷までは刈れないでも、四荷でも五荷でも刈りましょう。さあ、あそこまで降りて行って、篭や鎌をあそこに置いて、お前を麓へ送ってあげよう」こういって安寿は先に立って降りて行く。
厨子王はなんとも思いさだめかねて、ぼんやりしてついて降りる。姉は今年十五になり、弟は十三になっているが、女は早くおとなびて、そのうえ物に憑かれたように、聡く賢しくなっているので、厨子王は姉の詞にそむくことができぬのである。
木立ちの所まで降りて、二人は篭と鎌とを落ち葉の上に置いた。姉は守り本尊を取り出して、それを弟の手にわたした。「これは大事なお守りだが、こんど逢うまでお前にあずけます。この地蔵さまをわたしだと思って、護り刀といっしょにして、大事に持っていておくれ」
「でも、姉さんにお守りがなくては……」
「いいえ。わたしよりはあぶない目に逢うお前にお守りをあずけます。晩にお前が帰らないと、きっと討手がかかります。お前がいくら急いでも、あたりまえに逃げて行っては、追いつかれるにきまっています。さっき見た川の上手を和江という所まで行って、首尾よく人に見つけられずに、向こう河岸へ越してしまえば、中山までもう近い。そこへ行ったら、あの塔の見えていたお寺に入って隠しておもらい。しばらくあそこに隠れていて、討手が帰ってきたあとで、寺を逃げておいで」
「でも、お寺の坊さんが隠しておいてくれるでしょうか?」
「さあ、それが運験しだよ。開ける運なら坊さんがお前を隠してくれましょう」
「そうですね。姉さんのきょうおっしゃることは、まるで神さまか仏さまがおっしゃるようです。わたしは考えを決めました。なんでも姉さんのおっしゃるとおりにします」
「おう、よく聴いておくれだ。坊さんはよい人で、きっとお前を隠してくれます」
「そうです。わたしにもそうらしく思われてきました。逃げて都へも行かれます。お父さまやお母さまにも逢われます。姉さんのお迎えにも来られます」厨子王の目が、姉と同じようにかがやいてきた。
「さあ、麓までいっしょに行くから、早くおいで」
二人は急いで山を降りた。足の運びも前とはちがって、姉の熱した心持ちが、暗示のように弟に移って行ったかと思われる。
泉のわくところへきた。姉は�子にそえてある木の椀を出して、清水をくんだ。「これがお前の門出を祝うお酒だよ」こう言ってひとくち飲んで、弟にさした。
弟は椀を飲みほした。「そんなら姉さん、ごきげんよう。きっと人に見つからずに、中山までまいります」
厨子王は十歩ばかり残っていた坂道を、ひと走りにかけおりて、沼に沿うて街道に出た。そして大雲川の岸を上手へ向かって急ぐのである。
安寿は泉の畔に立って、並木の松に隠れてはまた現われるうしろ影を、小さくなるまで見送った。そして日はようやく午に近づくのに、山に登ろうともしない。さいわいにきょうはこの方角の山で木を樵る人がないと見えて、坂道に立って時をすごす安寿を見とがめるものもなかった。
のちに同胞をさがしに出た、山椒大夫一家の討手が、この坂の下の沼の端で、小さい藁履を一足拾った。それは安寿の履であった。
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中山の国分寺の三門に、松明の火影が乱れて、大勢の人がこみ入ってくる。先に立ったのは、白柄の薙刀を手挟んだ、山椒大夫の息子三郎である。
三郎は堂の前に立って大声に言った。「これへ参ったのは、石浦の山椒大夫が族のものじゃ。大夫が使う奴の一人が、この山に逃げ込んだのを、たしかに認めたものがある。隠れ場は寺内よりほかにはない。すぐにここへ出してもらおう」ついてきた大勢が、「さあ、出してもらおう、出してもらおう」とさけんだ。
本堂の前から門の外まで、広い石畳が続いている。その石の上には、今、手に手に松明を持った、三郎が手のものが押しあっている。また石畳の両側には、境内に住んでいるかぎりの僧俗が、ほとんど一人も残らずむらがっている。これは討手の群れが門外で騒いだとき、内陣からも、庫裡からも、何ごとがおこったかと、怪しんで出てきたのである。
はじめ討手が門外から門をあけいとさけんだとき、あけて入れたら、乱暴をせられはすまいかと心配して、あけまいとした僧侶が多かった。それを住持曇猛律師があけさせた。しかし今、三郎が大声で、逃げた奴を出せというのに、本堂は戸を閉じたまま、しばらくの間ひっそりとしている。
三郎は足ぶみをして、同じことを二、三度くりかえした。手のもののうちから「和尚さん、どうしたのだ!」と呼ぶものがある。それに短い笑い声がまじる。
ようようのことで本堂の戸が静かに開いた。曇猛律師が自分で開けたのである。律師は偏衫ひとつ身にまとって、なんの威儀をもつくろわず、常灯明の薄明りを背にして本堂の階の上に立った。丈の高い巌畳な体と、眉のまだ黒いかど張った顔とが、ゆらめく火に照らし出された。律師はまだ五十歳を越したばかりである。
律師はしずかに口をひらいた。騒がしい討手のものも、律師の姿を見ただけで黙ったので、声はすみずみまで聞こえた。「逃げた下人をさがしにこられたのじゃな。当山では住持のわしに言わずに人はとめぬ。わしが知らぬから、そのものは当山にいぬ。それはそれとして、夜陰に剣戟をとって、多人数押し寄せてまいられ、三門を開けといわれた。さては国に大乱でもおこったか、公の反逆人でもできたかと思うて、三門をあけさせた。それになんじゃ。御身が家の下人の詮議か。当山は勅願の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字の経文がおさめてある。ここで狼藉を働かれると、国守は検校の責めを問われるのじゃ。また総本山東大寺に訴えたら、都からどのような御沙汰があろうも知れぬ。そこをよう思うてみて、早う引き取られたがよかろう。悪いことは言わぬ。お身たちのためじゃ」こう言って律師はしずかに戸をしめた。
三郎は本堂の戸をにらんで歯がみをした。しかし戸を打ち破って踏みこむだけの勇気もなかった。手のものどもは、ただ風に木の葉のざわつくようにささやきかわしている。
このとき大声でさけぶものがあった。「その逃げたというのは十二、三の小わっぱじゃろう。それならわしが知っておる」
三郎はおどろいて声の主を見た。父の山椒大夫に見まごうような親爺で、この寺の鐘楼守である。親爺は詞を続いで言った。「そのわっぱはな、わしが午ごろ鐘楼から見ておると、築泥の外を通って南へ急いだ。かよわいかわりには身が軽い。もうだいぶの道を行ったじゃろ」
「それじゃ! 半日に童の行く道は知れたものじゃ。続け!」といって三郎は取って返した。
松明の行列が寺の門を出て、築泥の外を南へ行くのを、鐘楼守は鐘楼から見て、大声で笑った。近い木立ちの中で、ようようおちついて寝ようとしたカラスが二、三羽またおどろいて飛び立った。
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あくる日に国分寺からは諸方へ人が出た。石浦に行ったものは、安寿の入水のことを聞いてきた。南の方へ行ったものは、三郎の率いた討手が田辺まで行って引き返したことを聞いてきた。
中二日おいて、曇猛律師が田辺の方へ向いて寺を出た。盥ほどある鉄の受糧器を持って、腕の太さの錫杖をついている。あとからは頭をそりこくって三衣を着た厨子王がついて行く。
二人は真昼に街道を歩いて、夜は所々の寺に泊まった。山城の朱雀野に来て、律師は権現堂に休んで、厨子王に別れた。「守り本尊を大切にして行け。父母の消息はきっと知れる」と言い聞かせて、律師は踵をめぐらした。亡くなった姉と同じことをいう坊さまだと、厨子王は思った。
都にのぼった厨子王は、僧形になっているので、東山の清水寺に泊まった。
籠堂に寝て、あくる朝目がさめると、直衣に烏帽子を着て指貫をはいた老人が、枕もとに立っていて言った。「お前はだれの子じゃ? なにか大切な物を持っているなら、どうぞおれに見せてくれい。おれは娘の病気の平癒を祈るために、ゆうべここに参籠した。すると夢にお告げがあった。左の格子に寝ている童がよい守り本尊を持っている。それを借りて拝ませいということじゃ。けさ、左の格子にきてみれば、お前がいる。どうぞおれに身の上をあかして、守り本尊を貸してくれい。おれは関白師実じゃ」
厨子王は言った。「わたくしは陸奥掾正氏というものの子でございます。父は十二年前に筑紫の安楽寺へ行ったきり、帰らぬそうでございます。母はその年に生まれたわたくしと、三つになる姉とを連れて、岩代の信夫郡に住むことになりました。そのうちわたくしがだいぶ大きくなったので、姉とわたくしとを連れて、父をたずねに旅立ちました。越後まで出ますと、おそろしい人買いに取られて、母は佐渡へ、姉とわたくしとは丹後の由良へ売られました。姉は由良で亡くなりました。わたくしの持っている守り本尊はこの地蔵さまでございます」こういって守り本尊を出して見せた。
師実は仏像を手に取って、まず額にあてるようにして礼をした。それから面背を打ち返しうちかえし、ていねいに見て言った。「これはかねて聞きおよんだ、尊い放光王地蔵菩薩の金像じゃ。百済国から渡ったのを、高見王が持仏にしておいでなされた。これを持ち伝えておるからは、お前の家柄にまぎれはない。仙洞〔太上天皇、上皇の称。〕がまだ御位〔天皇の位。〕におらせられた永保(一〇八一〜一〇八四)のはじめに、国守の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏が嫡子に相違あるまい。もし還俗の望みがあるなら、追っては受領の御沙汰もあろう。まず当分はおれの家の客にする。おれといっしょに館へ来い」
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