高村光太郎 たかむら こうたろう
1883-1956(明治16.3.13-昭和31.4.2)
詩人・彫刻家。光雲の子。東京生れ。東京美術学校卒後、アメリカ・フランスに留学してロダンに傾倒。帰国後、「スバル」同人、耽美的な詩風から理想主義に転じ、「道程」で生命感と倫理的意志のあふれた格調の高い口語自由詩を完成。ほかに「智恵子抄」「典型」「ロダンの言葉」など。



◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


大正元(一九一二)・一〇


  郊外の人に

わがこころはいま大風おおかぜのごとく君にむかえり
愛人よ
いまは青きさかなの肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり
されば安らかに郊外の家に眠れかし
おさなのまことこそ君のすべてなれ
あまり清くきとおりたれば
これを見るものみなあしきこころをすてけり
またきと悪しきとはおおうところなくその前にあらわれたり
君こそはにこよなき審判官さばきのつかさなれ
汚れてたるわがかずかずの姿の中に
おさなのまこともて
君はとうとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見いでつるものをわれは知らず
ただわれは君をこよなき審判官さばきのつかさとすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちにこもれるを信ずるなり
冬なればケヤキの葉も落ちつくしたり
音もなき夜なり
わがこころはいま大風のごとく君にむかえり
そは地の底よりきいづる貴くやわらかき温泉いでゆにして
君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり
わがこころは君の動くがままに
はね おどり 飛びさわげども
つねに君をまもることを忘れず
愛人よ
こはたぐいなき命の霊泉なり
されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
おさなのごとく眠れかし
もくじ 
智恵子抄(一)高村光太郎


ミルクティー*現代表記版
智恵子抄(一)

オリジナル版
智恵子抄(一)

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
 ・Macintosh iBook、Mac OS 9.2.2、T-Time 2.3.1
※ 週刊ミルクティー*は、JIS X 0213 文字を使用しています。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

*凡例
〈 〉:割り注、もしくは小書き。
〔 〕:編者もしくは、しだによる注。

*底本
底本:「智恵子抄」新潮文庫、新潮社
   1956(昭和31)年7月15日発行
   1967(昭和42)年12月15日改版
   1984(昭和59)年 12月15日79刷
http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/card46669.html

NDC 分類:911(日本文学/詩歌)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc911.html




智恵子抄(一)

高村光太郎


  人に

いやなんです
あなたのいってしまうのが―

花よりさきに実のなるような
種子たねよりさきに芽の出るような
夏から春のすぐ来るような
そんな理屈にあわない不自然を
どうかしないでいてください
型のような旦那だんなさまと
まるい字をかくそのあなたと
こう考えてさえなぜか私は泣かれます
小鳥のように臆病おくびょう
大風のようにわがままな
あなたがおよめにゆくなんて

いやなんです
あなたのいってしまうのが―

なぜそうたやすく
さあ何といいましょう――まあ言わば
その身を売る気になれるんでしょう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああなんという醜悪事しゅうあくじでしょう
まるでそう
チシアンのえがいた絵が
鶴巻町つるまきちょうへ買い物に出るのです
私はさびしい かなしい
何という気はないけれど
ちょうどあなたのくだすった
あのグロキシニアの
大きな花の腐ってゆくのを見るような
私をすてて腐ってゆくのを見るような
空を旅してゆく鳥の
ゆくえをじっとみているような
浪のくだけるあの悲しい自棄やけのこころ
はかない さびしい 焼けつくような
―それでも恋とはちがいます
サンタマリア
ちがいます ちがいます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいってしまうのが―
おまけにおよめにゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

明治四五(一九一二)・七


  ある夜のこころ

七月の夜の月は
見よ、ポプラの林に熱をめり
かすかにただようシクラメンの香りは
言葉なき君が唇にすすり泣けり
森も、道も、草も、遠きちまた
いわれなきかなしみにもだえて
ほのかに白きため息をけり
ならびゆくわかき二人は
手を取りて黒き土をめり
みえざる魔神はあまき酒をかたむけ
地にとどろく終列車のひびきは人の運命をあざわらうに似たり
魂はしのびやかに痙攣けいれんをおこし
インド更紗サラサの帯はやや汗ばみて
拝火はいか教徒の忍黙をつづけんとす
こころよ、こころよ
わがこころよ、めざめよ
君がこころよ、めざめよ
こはなにごとを意味するならん
断ちがたく、苦しく、のがれまほしく
またあまく、去りがたく、たえがたく―
こころよ、こころよ
病の床を起き出でよ
そのアッシシュの仮睡かすいをふりすてよ
されど眼に見ゆるもの今はみなくるおしきなり
七月の夜の月も
見よ、ポプラの林に熱を病めり
やみがたき病よ
わがこころは温室の草の上
うつくしき毒虫のためにさいなまる
こころよ、こころよ
―あわれ何を呼びたまうや
いまは無言の領する夜半なるものを―

大正元(一九一二)・八


  涙

世は今、いみじきことに悩み
人は日比谷ひびやに近く夜ごとにつどい泣けり
われら心の底に涙をたして
さりげなくみかわし
松本楼の庭前に氷菓ひょうかを味わえば
人はみな、いみじきことのうわさまゆをひそめ
かすかに耳なれたる鈴の音す
われらわずかに語り
痛く、するどく、つよく、是非なき
夏の夜の氷菓ひょうかのこころをなげ
つめたき銀器をみつめて
君の小さき扇をわれうばえり
君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
われは物言わんとして物言わず
路ゆく人はわれらを見て
かのいみじきことに祈りするものとなせり
あわれ、あわれ
これもまたあるいみじきなげきのためなれば
よしや姿はえんにすぎたりとも
人よ、われらが涙をゆるしたまえ

大正元(一九一二)・八


  おそれ

いけない、いけない
静かにしているこの水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
ひとしずくの水の微顫びせん
無益な千万の波動をついやすのだ
水の静けさをとうとんで
静寂しじまあたいを量らなければいけない

あなたはそのさきを私に話してはいけない
あなたの今言おうとしていることは世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せばすなわち雷火らいかである
あなたは女だ
男のようだといわれてもやはり女だ
あの蒼黒い空に汗ばんでいるまるい月だ
世界を夢にみちびき、刹那せつなを永遠に置きかえようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢をうつつにかえし
永遠を刹那せつなにふり戻してはいけない
そのうえ
このみきった水の中へ
そんなあぶないものを投げ込んではいけない

私の心の静寂しじまは血で買った宝である
あなたにはわかりようのない血を犠牲にした宝である
この静寂しじまは私の生命いのちであり
この静寂しじまは私の神である
しかも気むつかしい神である
夏の夜の食欲にさえも
なおはげしい擾乱じょうらんをひきおこすのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか

いけない、いけない
あなたは静寂しじまの価を量らなければいけない
さもなければ
非常な覚悟をしてかからなければいけない
その一個の石のおこす波動は
あなたをおそってあなたをその渦中にまきこむかもしれない
百千倍の打撃をあなたに与えるかもしれない
あなたは女だ
これにたえられるだけの力を作らなければならない
それができようか
あなたはそのさきを私に話してはいけない
いけない、いけない

ごらんなさい
煤煙ばいえんと油じみの停車場も
今はこの月とすこし暑くるしいもやとの中に
なにか偉大な美を包んでいる宝蔵のように見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明かりは
無言と送目との間に絶大な役目をはたし
はるかに月夜の情調に歌をあわせている
私は今なにかにかこまれている
ある雰囲気に
ある不思議な調節をつかさどる無形な力に
そしてもっとも貴重な平衡へいこうを得ている
私の魂は永遠をおもい
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
しずかに、しずかに
私は今ある力にたえず触れながら
言葉を忘れている

いけない、いけない
静かにしているこの水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない

大正元(一九一二)・八


  からくりうた

のぞきからくりの絵のきわめておさなきをめづ)

国はみちのく、二本松のええ
赤のレンガの
酒倉こえて
酒のあわからひょっこり生まれた
酒のようなる
よいそれ、女が逃げたええ
逃げたそのさきや吉祥寺
どうせ火になる吉祥寺
阿武隈あぶくま川のええ
水もこの火は消せなんだとねえ
酒と水とは、つんつれ
ほんにかたき同志じゃええ
酒とねえ、水とはねえ
大正元(一九一二)・八


  あるよい

ガスの暖炉だんろに火が燃える
ウーロン茶、風、細い夕月

―それだ、それだ、それが世の中だ
彼らの欲するまじめとは礼服のことだ
人工を天然に加えることだ
直立不動の姿勢のことだ
彼らは自分らのこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまった
かつて裸体のままでいた冷暖れいだん自知じちの心を―
あなたはこれを見てなにも不思議がることはない
それが世の中というものだ
心に多くの俗念をいだいて
眼前咫尺しせきの間を見つめているいやな冷酷な人間の集まりだ
それゆえ、真実に生きようとする者は
―むかしから、今でも、このさきも―
かえって真摯しんしでないとせられる
あなたの受けたような迫害をうける
卑怯ひきょうな彼らは
また誠意のない彼らは
はじめ驚異の声を発してわれらをながめ
ありとある雑言ぞうごんをうたって彼らのひまな時間をつぶそうとする
誠意のない彼らは事件の人間をさしおいてただ事件の当体をいじくるばかりだ
いやしむべきは世の中だ
づべきはその渦中の矮人わいじん
われらはなすべき事をなし
進むべき道を進み
自然のおきてを尊んで
行住ぎょうじゅう坐臥ざがわれらの思うところと自然の定律ていりつと相もとらない境地にいたらなければならない
最善の力は自分らを信ずるところにのみある
かえるのようなみにくい彼らの姿におどろいてはいけない
むしろその姿にグロテスクの美をごらんなさい
われらはただ愛する心を味わえばいい
あらゆる紛糾ふんきゅうを破って
自然と自由とに生きねばならない
風のふくように、雲の飛ぶように
必然の理法と、内心の要求と、叡智えいちの暗示とにうそがなければいい
自然は賢明である
自然は細心である
半端物はんぱもののような彼らのために心を悩ますのはおよしなさい
さあ、また銀座で質素なめしでも食いましょう
大正元(一九一二)・一〇


  ふくろうやから

―聞いたか、聞いたか
ぼろすけぼうぼう―

軽くしてせきなき人の口の
森のくらやみに住むふくろうの黒き毒にみたるこえ
ちまた木々きぎとにひびき
わが耳をおそいてたえがたし
わが耳は夜陰やいんに痛みて
心にうつる君が影像えいぞうを悲しみうかがう
かろくしてせきなきは
あしき鳥のさがなり

―きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう―

おのが声のかしましき反響によろこび
友より友に伝説をつたえてほこる
ふくろうやから、あしきともがら
われは彼らよりも強しとおもえど
彼らはわれよりも多弁にして
暗示に富みたる眼と、物を蔵する言語とを有せり
さればかろくしてせきなき
その声のひびきのなやましさよ
聞くにたえざる俗調は
君とわれとの心を取りて不倫と滑稽こっけいとの境に擬せんとす
のろわれたるもの
ふくろうやから、あしきともがらよ
されどわが心をくるおしむるは
むしろかかるおろかしきなやましさなり
声はまたもくる、またもくる

―きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう―
大正元(一九一二)・一一


  冬の朝のめざめ

冬の朝なれば
ヨルダンの川も薄くこおりたるべし
われは白き毛布につつまれてわが寝室ねべやの内にあり
キリストに洗礼をほどこすヨハネの心を
ヨハネの首を抱きたるサロメの心を
我はわがこころの中に求めんとす
冬の朝なればちまたより
つつましくカラコロと下駄げたの音も響くなり
大きなる自然こそはわが全身の所有なれ
しずかにめぐる天行のごとく
われもあゆむべし
するどきモッカの香りは
よみがえりたる精霊のごとく眼をみはり
いずこよりかへやの内にしのび入る
われはこの時
むしろ数理学者の冷静をもて
世人のかたちづくる社会の波動にあやしき因律のめぐるを知る
起きよわが愛人よ
冬の朝なれば
郊外の家にもヒヨドリはつとに来鳴きなくべし
わが愛人は今くろき眼をきたらん
おさなのごとく手をのばし
朝の光りをよろこび
小鳥の声を笑うならん
かく思うとき
われはえがたき力のために動かされ
白き毛布を打ちて
愛の頌歌ほめうたをうたうなり
冬の朝なれば
こころいそいそとはげみ
また高くさけび
きよらかにしてつよき生活をおもう
青き琥珀こはくの空に
見えざる金粉ぞただようなる
ポインターのゆる声とおくきたれば
ものを求むるわが習癖はふるいたち
たちまちにまたわが愛人をうるなり
冬の朝なれば
ヨルダンの川に氷をまん
大正元(一九一二)・一一


  深夜の雪

あたたかいガスだんろの火は
ほのかな音を立て
しめきった書斎の電灯は
しずかに、やや疲れ気味の二人を照らす
よいからの曇り空が雪にかわり
さっきまどから見れば
もう一面に白かったが
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と二人のこころとに感じ
むしろ楽しみをつつんでやわらかいその重さに
世界は息をひそめて子供心の眼をみはる
「これみや、もうこんなに積もったぜ」
と、にじんだ声が遠くに聞こえ
やがてぽんぽんと下駄げたの歯をはたく音
あとはだんまりの夜も十一時となれば
話の種さえ切れ
紅茶もものうく
ただ二人手をとって
声のないこの世の中の深い心に耳をかたむけ
流れわたる時間の姿をみつめ
ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて
ありとある人の感情をも容易たやすくうけいれようとする
またぽんぽんぽんとはたく音の後から
車らしい何かの響き―
「ああ、ごらんなさい、あの雪」
と、私がいえば
答える人はたちまち童話の中に生きはじめ
かすかに口を開いて
雪をよろこぶ
雪も深夜をよろこんで
数かぎりもなく降りつもる
あたたかい雪
しんしんと身にせまって重たい雪が―
大正二(一九一三)・二


  人に

遊びじゃない
ひまつぶしじゃない
あなたが私に会いにくる
もかかず、本も読まず、仕事もせず―
そして二日でも、三日でも
笑い、たわむれ、飛びはね、また抱き
さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬にはたす

ああ、けれども
それは遊びじゃない
暇つぶしじゃない
みちあふれたわれらの余儀よぎない命である
生である
力である
浪費にすぎ過多に走るもののように見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に花さき朽ちる草々や
声を発する日の光や
無限に動く雲のむれや
ありあまる雷霆らいてい
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界にふき出る勢力を
無駄づかいとどうして言えよう
あなたは私におどり
私はあなたにうたい
刻々の生をいっぱいに歩むのだ
本をなげうつ刹那せつなの私と
本を開く刹那せつなの私と
私の量はおんなじだ
空疎な精励せいれい
空疎な遊惰ゆうだとを
私に関して連想してはいけない
愛する心のはちきれたとき
あなたは私に会いにくる
すべてをて、すべてをのりこえ
すべてをふみにじり
また嬉々ききとして
大正二(一九一三)・二


  人類の泉

世界がわかわかしい緑になって
青い雨がまた降ってきます
この雨の音が
むらがりおこる生物のいのちのあらわれとなって
いつも私をたまらなくおびやかすのです
そして私のいきりたつ魂は
私を乗りこえ私をのがれて
づんづんと私を作ってゆくのです
いま死んで いま生まれるのです
二時が三時になり
青葉のさきからまたも若葉のえ出すように
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸いっぱいに感じていました
そして極度の静寂しじまをたもって
じっとすわっていました
自然と涙が流れ
抱きしめるようにあなたを思いつめていました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信をにぎり
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底からあかつのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり惨酷さんこくに人間の孤独を味わってきたのです
おそろしい自棄やけの境にまで飛び込んだのをあなたは知っています
私のいのちを根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者パイオニアです
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたはそれを生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持っています
あなたは海水の流動する力をもっています
あなたが私にあることは
微笑が私にあることです
あなたによって私のいのちは複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きている社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道にふみこみました
もう共に手をとる友達はありません
ただ互いにある部分を了解しあう友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
これは自然であり また必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さえしようとするのです
けれども
私にあなたがないとしたら―
ああ それは想像もできません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じてふたたび人類の生きた気息きそくに接します
ヒューマニティの中に活躍かつやくします
すべてから脱却して
ただあなたに向かうのです
深いとおい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私のために生まれたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある
大正二(一九一三)・三


  ぼく

ぼくはあなたをおもうたびに
いちばんじかに永遠を感じる
ぼくがあり あなたがある
自分はこれにつきている
ぼくのいのちと あなたのいのちとが
よれあい もつれあい とけあい
渾沌こんとんとしたはじめにかえる
すべての差別見はぼくらの間に価値を失う
ぼくらにとってはすべてが絶対だ
そこには世にいう男女の戦いがない
信仰と敬虔けいけんと恋愛と自由とがある
そしてたいへんな力と権威とがある
人間の一端と他端たたんとの融合だ
ぼくはちょうど自然を信じきる心安さで
ぼくらのいのちを信じている
そして世間というものを蹂躙じゅうりんしている
頑固がんこな俗情に打ち勝っている
二人ははるかにそこをのりこえている
ぼくは自分の痛さがあなたの痛さであることを感じる
ぼくは自分のこころよさがあなたのこころよさであることを感じる
自分をたのむようにあなたをたのむ
自分がのびてゆくのはあなたが育ってゆくことだとおもっている
ぼくはいくら早足に歩いてもあなたを置き去りにすることはないと信じ 安心している
ぼくが活力にみちてるように
あなたは若々わかわかしさにかがやいている
あなたは火だ
あなたはぼくに古くなればなるほど新しさを感じさせる
ぼくにとってあなたは新奇の無尽蔵だ
すべての枝葉を取り去った現実のかたまりだ
あなたのせっぷんはぼくにうるおいを与え
あなたの抱擁ほうようぼく極甚ごくじん滋味じみを与える
あなたの冷たい手足
あなたの重たく まろいからだ
あなたの燐光のような皮膚ひふ
その四肢胴体をつらぬく生きものの力
これらはみなぼくの最良のいのちのかてとなるものだ
あなたはぼくをたのみ
あなたはぼくに生きる
それがすべてあなた自身を生かすことだ
ぼくらはいのちをしむ
ぼくらは休むことをしない
ぼくらは高く どこまでも高くぼくらを押し上げてゆかないではいられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
―なんという光だ なんという喜びだ
大正二(一九一三)・一二


  愛の嘆美たんび

底の知れない肉体の欲は
あげ潮どきのおそろしいちから―
なおも燃え立つ汗ばんだ火に
火竜サラマンドラはてんてんとおどる

ふりしきる雪は深夜に婚姻飛揚ヴォル・ニュプシアルうたげをあげ
寂寞じゃくまくとした空中の歓喜をさけぶ
われらは世にも美しい力にくだかれ
このとき深密じんみつのながれに身をひたして
いきり立つ薔薇ばらいろのもやに息づき
因陀羅網いんだらもう珠玉しゅぎょくりかえして
われらのいのちを無尽に

冬にひそむゆりかごの魔力と
冬にめぐむ下萌したもえ生熱しょうねつと―
すべての内に燃えるものは「時」の脈拍とともに脈うち
われらの全身に恍惚こうこつの電流をひびかす

われらの皮膚ひふはすさまじくめざめ
われらの内臓は生存の喜びにのたうち
毛髪は蛍光けいこうを発し
指は独自の生命を得て五体にはいまつわり
ことばをかくした渾沌こんとんのまことの世界は
たちまちわれらの上にその姿をあらわす

光にみち
幸いにみち
あらゆる差別は一音にめぐり
毒薬と甘露とはそのはこを同じくし
たえがたい疼痛とうつうは身をよじらしめ
極甚ごくじん法悦ほうえつは不可思議の迷路を輝かす

われらは雪にあたたかくもれ
天然の素中そちゅうにとろけて
はてしのない地上の愛をむさぼり
はるかにわれらのいのちをほめたたえる
大正三(一九一四)・二


  晩餐ばんさん

暴風しけをくらった土砂どしゃぶりの中を
ぬれねずみになって
買った米が一升
二十四銭五りん
くさやのものを五枚
沢庵たくあんを一本
生姜しようが赤漬あかづけ
玉子は鳥屋とやから
海苔のりは鋼鉄をうちのべたようなやつ
薩摩さつまあげ
カツオの塩辛しおから
湯をたぎらして
餓鬼道のようにらうわれらの晩餐ばんさん

ふきつのる嵐は
瓦にぶつけて
家鳴やなり震動のけたたましく
われらの食欲は頑健がんけんにすすみ
ものをらいておのが血となす本能の力にせまられ
やがて飽満ほうまん恍惚こうこつに入れば
われらしずかに手を取って
心にかぎりなき喜びをさけび
かつ祈る
日常の瑣事さじにいのちあれ
生活のくまぐまに緻密ちみつなる光彩あれ
われらのすべてにあふれこぼるるものあれ
われらつねにみちよ

われらの晩餐ばんさん
嵐よりもはげしい力をおび
われらの食後の倦怠けんたい
不思議な肉欲をめざましめて
豪雨の中に燃えあがる
われらの五体を賛嘆さんたんせしめる

まずしいわれらの晩餐ばんさんはこれだ
大正三(一九一四)・四


  淫心いんしん

おんなは多淫たいん
われも多淫たいん
かずわれらは
愛欲に光る

縦横無礙むげ淫心いんしん
夏の夜の
むんむんと蒸しあがる
瑠璃るり黒漆こくしつの大気に
魚鳥と化しておどる
つくるなし
われらともに超凡ちょうぼん
すでに尋常規矩きく網目あみめを破る
われらが力のみなもとは
つねに創世期の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
そのときこうを滅す
されば
人間世界の成壌は
われら現前の一点にあつまり
われらの大は無辺際むへんさいにみちる

淫心いんしんは胸をついて
われらをいきどおらしめ
万物を拝せしめ
肉身を飛ばしめ
われら大声をはなって
無二の栄光に浴す

おんなは多淫
われも多淫
淫をふかめてゆくところを知らず
万物をここに持す
われらますます多淫
地熱のごとし
烈々れつれつ
大正三(一九一四)・八


  樹下じゅかの二人

―みちのくの 安達が原の 二本松 松の根かたに 人立てる見ゆ―

あれが阿多々羅山あたたらやま
あの光るのが阿武隈川あぶくまがわ

こうやって言葉すくなにすわっていると、
うっとりねむるような頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹きわたります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでいるよろこびを、
下を見ているあの白い雲にかくすのはよしましょう。

あなたは不思議な仙丹せんたんを魂の壷にくゆらせて、
ああ、なんという幽妙ゆうみょうな愛の海ぞこに人を誘うことか、
ふたりいっしょに歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境にけぶるものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負う私にさわやかな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののようにとらえがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多々羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生まれたふるさと、
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒庫さかぐら
それでは足をのびのびと投げ出して、
このガランと晴れわたった北国きたぐにの木のにみちた空気をおう。
あなたそのもののようなこのひいやりとこころよい、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗おう。
私はまたあした遠く去る、
あの無頼ぶらいの都、混沌たる愛憎のうずの中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生まれたふるさと、
この不思議な別個の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いています、
もう一度この冬のはじめの物さびしいパノラマの地理を教えてください。

あれが阿多々羅山、
あの光るのが阿武隈川。
大正一二(一九二三)・三


  狂奔きょうほんする牛

ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のように、
この深山のまきの林をとどろかして、
この深い寂寞じゃくまくの境にあんな雪崩なだれをまきおこして、
いまはもうどこかへ往ってしまった
あの狂奔きょうほんする牛の群を。

今日はもうよしましょう、
きかけていたあの穂高ほたかの三角の屋根に
もうテル ヴェルトの雲が出ました
槍の氷を溶かしてくる
あのセルリアンの梓川あずさがわ
もう山々がかぶさりました。
谷の白楊はくようが遠く風になびいています。
今日はもうくのをよして
この人跡たえた神苑しんえんをけがさぬほどに
また好きな焚火たきびをしましょう。
天然がきれいにき清めたこのこけの上に
あなたもしずかにおすわりなさい。

あなたがそんなにおびえるのは
どっと逃げる牝牛めうしの群を追いかけて
ものおそろしくもいきせき切った、
血まみれの、若い、あの変貌へんぼうした牡牛おうしをみたからですね。
けれどこの神々こうごうしい山上に見たあの露骨な獣性を
いつかはあなたもあわれと思うときがくるでしょう。
もっと多くのことをこの身に知って、
いつかは静かな愛にほほえみながら―
大正一四(一九二五)・六


  金

工場の泥を凍らせてはいけない。
智恵子よ、
夕方の台所がいかにさみしかろうとも、
石炭はこうね。
寝部屋の毛布が薄ければ、
上に座布団をのせようとも、
夜明けの寒さに、
工場の泥を凍らせてはいけない。
私は冬の寝ずの番、
水銀柱の斥候ものみを放って、
あの北風に逆襲しよう。
すこしばかり正月がさみしかろうとも、
智恵子よ、
石炭はこうね。
大正一五(一九二六)・二


  なまず

たらいの中でピシャリとはねる音がする。
夜がふけると小刀の刃がえる。
木をけずるのは冬の夜の北風の仕事である。
暖炉だんろに入れる石炭がなくなっても、
なまずよ、
お前は氷の下でむしろ莫大ばくだいな夢を食うか。
ヒノキの木片こっぱは私の眷族けんぞく
智恵子は貧におどろかない。
なまずよ、
お前のひれに剣があり、
お前の尻尾しっぽに触角があり、
お前のあぎとに黒金の覆輪ふくりんがあり、
そうしてお前の楽天にそんな石頭いしあたまがあるというのは、
なんとおもしろい私の仕事へのあいさつであろう。
風が落ちて板の間にらんにおいがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけのなまずをそばへ押しやり、
研水とみずを新しくして
さらにするどい明日の小刀を瀏々りゅうりゅうぐ。
大正一五(一九二六)・二


  夜の二人

私たちの最後が餓死であろうという予言は、
しとしとと雪の上に降るみぞれまじりの夜の雨の言ったことです。
智恵子は人並ひとなみはずれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持っています。
私たちはすっかり黙ってもう一度雨をきこうと耳をすましました。
すこし風が出たとみえて薔薇ばらの枝が窓ガラスにつめを立てます。
大正一五(一九二六)・三


  あなたはだんだんきれいになる

おんなが付属品をだんだんてると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗われたあなたのからだは
無辺際むへんさいを飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身なかみばかりの清冽せいれつな生きものが
生きて動いてさっさっと意欲する。
おんながおんなを取りもどすのは
こうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙って立っていると
まことに神の造りしものだ。
ときどき内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。
昭和二(一九二七)・一


  あどけない話

智恵子は東京に空がないという、
ほんとの空が見たいという。
私はおどろいて空を見る。
桜若葉の間にあるのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいう。
阿多々羅山あたたらやまの山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという。
あどけない空の話である。
昭和三(一九二八)・五


  同棲どうせい同類

―私は口をむすんで粘土をいじる。
―智恵子はトンカラはたを織る。
―ねずみは床にこぼれた南京ナンキン豆を取りにくる。
―それをスズメが横取りする。
―カマキリは物干し綱にかまをとぐ。
―ハエとり蜘蛛ぐもは三段飛び。
―かけた手ぬぐいはひとりでじゃれる。
―郵便物がガチャリと落ちる。
―時計はひるね。
鉄瓶てつびんもひるね。
芙蓉ふようの葉は舌をたらす。
―ズシンと小さな地震。
油蝉あぶらぜみを伴奏にして
この一群の同棲どうせい同類の頭の上から
子午線しごせん上の大火団かだんがまっさかさまにガッとらす。
昭和三(一九二八)・八


  美の監禁に手渡てわたす者

納税告知書の赤い手ざわりがたもとにある、
やっとラジオから解放された寒夜の風が道路にある。

売ることの理不尽、あがない得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡てわたすもの、われ

両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜びと不耕ふこう貪食どんしょくにがさ。

ガランとした家に待つのは智恵子、粘土、および木片こっぱ
ふところの鯛焼たいやきはまだほのかに熱い、つぶれる。
昭和六(一九三一)・三


  人生遠視えんし

足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろになる
照尺しょうしゃく距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる
昭和一〇(一九三五)・一


  風にのる智恵子

狂った智恵子は口をきかない
ただ尾長おなが千鳥ちどりと相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴さつきばれの風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣ゆかたが松にかくれまたあらわれ
白い砂には松露しょうろがある
わたしは松露しょうろをひろいながら
ゆっくり智恵子のあとをおう
尾長おなが千鳥ちどりが智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
おそろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ
昭和一〇(一九三五)・四


  千鳥ちどりと遊ぶ智恵子

人っ子ひとりいない九十九里の砂浜の
砂にすわって智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
砂に小さなあしあとをつけて
千鳥ちどりが智恵子によってくる。
口の中でいつでもなにか言ってる智恵子が
両手をあげてよびかえす。
ちい、ちい、ちい―
両手の貝を千鳥ちどりがねだる。
智恵子はそれをパラパラ投げる。
れ立つ千鳥ちどりが智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ちつくす。
昭和一二(一九三七)・七


  いがたき智恵子

智恵子は見えないものを見、
聞こえないものを聞く。

智恵子は行けないところへ行き、
できないことをする。

智恵子は現身うつしみのわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしにがれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
かぎりない荒漠こうばくの美意識圏にさまよい出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。
昭和一二(一九三七)・七


  山麓の二人

二つにけてかたむく磐梯山ばんだいさんの裏山は
けわしく八月の頭上の空に目をみはり
裾野すそのとおくなびいて波うち
ススキぼうぼうと人をうずめる
なかば狂える妻は草をしいて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のように慟哭どうこくする
―わたしもうじきダメになる
意識をおそう宿命の鬼にさらわれて
のがれるみちなき魂との別離
その不可抗の予感
―わたしもうじきダメになる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙って妻の姿に見入る
意識の境から最後にふりかえって
わたくしにすがる
この妻をとりもどすすべが今は世にない
わたくしの心はこのとき二つにけて脱落し
げきとして二人をつつむこの天地と一つになった。
昭和一三(一九三八)・六


  ある日の記

水墨の横ものを描きおえて
その乾くのを待ちながら立ってみている
上高地かみこうちから見た前穂高まえほたかの岩の幔幕まんまく
墨のにじんだ明神岳みょうじんだけのピラミッド
作品は時空を滅する
私の顔に天上から霧がふきつけ
私の精神にいささかの条件反射のあともない
かわいた唐紙からかみはたちまち風にふかれて
このお化屋敷の板の間に波をうつ
私はそれをいて小包みにつくろうとする
一切いっさいの苦難は心にめざめ
一切いっさいの悲嘆は身うちにかえる
智恵子狂いてすでに六年
生活の試練鬢髪びんぱつために白い
私は手を休めて荷づくりの新聞に見入る
そこにあるのは写真であった
そそり立つ廬山ろざんに向かって無言にならぶ野砲の列
昭和一三(一九三八)・八
(つづく)


底本:「智恵子抄」新潮文庫、新潮社
   1956(昭和31)年7月15日発行
   1967(昭和42)年12月15日改版
   1984(昭和59)年 12月15日79刷
※詩歌の天は、底本では、散文の二字分下に設定してあります。
入力:たきがは、門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



智恵子抄(一)

高村光太郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)種子《たね》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例》印度|更紗《サラサ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数》
(例)※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]
-------------------------------------------------------

  人に

いやなんです
あなたのいつてしまふのが―

花よりさきに実のなるやうな
種子《たね》よりさきに芽の出るやうな
夏から春のすぐ来るやうな
そんな理窟に合はない不自然を
どうかしないでゐて下さい
型のやうな旦那さまと
まるい字をかくそのあなたと
かう考へてさへなぜか私は泣かれます
小鳥のやうに臆病で
大風のやうにわがままな
あなたがお嫁にゆくなんて

いやなんです
あなたのいつてしまふのが―

なぜさうたやすく
さあ何といひませう――まあ言はば
その身を売る気になれるんでせう
あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ
そして男に負けて
無意味に負けて
ああ何といふ醜悪事でせう
まるでさう
チシアンの画いた絵が
鶴巻町へ買物に出るのです
私は淋しい かなしい
何といふ気はないけれど
ちやうどあなたの下すつた
あのグロキシニヤの
大きな花の腐つてゆくのを見る様な
私を棄てて腐つてゆくのを見る様な
空を旅してゆく鳥の
ゆくへをぢつとみてゐる様な
浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
はかない 淋しい 焼けつく様な
―それでも恋とはちがひます
サンタマリア
ちがひます ちがひます
何がどうとはもとより知らねど
いやなんです
あなたのいつてしまふのが―
おまけにお嫁にゆくなんて
よその男のこころのままになるなんて

[#天から27字下げ]明治四五・七
[#改ページ]

  或る夜のこころ

七月の夜の月は
見よ、ポプラアの林に熱を病めり
かすかに漂ふシクラメンの香りは
言葉なき君が唇にすすり泣けり
森も、道も、草も、遠き街《ちまた》も
いはれなきかなしみにもだえて
ほのかに白き溜息を吐けり
ならびゆくわかき二人は
手を取りて黒き土を踏めり
みえざる魔神はあまき酒を傾け
地にとどろく終列車のひびきは人の運命をあざわらふに似たり
魂はしのびやかに痙攣をおこし
印度|更紗《サラサ》の帯はやや汗ばみて
拝火教徒の忍黙をつづけむとす
こころよ、こころよ
わがこころよ、めざめよ
君がこころよ、めざめよ
こはなに事を意味するならむ
断ちがたく、苦しく、のがれまほしく
又あまく、去りがたく、堪へがたく―
こころよ、こころよ
病の床を起き出でよ
そのアツシシユの仮睡をふりすてよ
されど眼に見ゆるもの今はみな狂ほしきなり
七月の夜の月も
見よ、ポプラアの林に熱を病めり
やみがたき病よ
わがこころは温室の草の上
うつくしき毒虫の為にさいなまる
こころよ、こころよ
―あはれ何を呼びたまふや
今は無言の領する夜半なるものを―

[#天から27字下げ]大正元・八
[#改ページ]

  涙

世は今、いみじき事に悩み
人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり
われら心の底に涙を満たして
さりげなく笑みかはし
松本楼の庭前に氷菓を味へば
人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
かすかに耳なれたる鈴の音す
われら僅かに語り
痛く、するどく、つよく、是非なき
夏の夜の氷菓のこころを嘆き
つめたき銀器をみつめて
君の小さき扇をわれ奪へり
君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
われは物言はむとして物言はず
路ゆく人はわれらを見て
かのいみじき事に祈りするものとなせり
あはれ、あはれ
これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
よしや姿は艶に過ぎたりとも
人よ、われらが涙をゆるしたまへ

[#天から27字下げ]大正元・八
[#改ページ]

  おそれ

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない
一滴の水の微顫も
無益な千万の波動をつひやすのだ
水の静けさを貴んで
静寂の価《あたひ》を量らなければいけない

あなたは其のさきを私に話してはいけない
あなたの今言はうとしてゐる事は世の中の最大危険の一つだ
口から外へ出さなければいい
出せば則《すなは》ち雷火である
あなたは女だ
男のやうだと言はれても矢張女だ
あの蒼黒い空に汗ばんでゐる円い月だ
世界を夢に導き、刹那を永遠に置きかへようとする月だ
それでいい、それでいい
その夢を現《うつつ》にかへし
永遠を刹那にふり戻してはいけない
その上
この澄みきつた水の中へ
そんなあぶないものを投げ込んではいけない

私の心の静寂は血で買つた宝である
あなたには解りやうのない血を犠牲にした宝である
この静寂は私の生命《いのち》であり
この静寂は私の神である
しかも気むつかしい神である
夏の夜の食慾にさへも
尚ほ烈しい擾乱《じようらん》を惹き起すのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか

いけない、いけない
あなたは静寂の価を量らなければいけない
さもなければ
非常な覚悟をしてかからなければいけない
その一個の石の起す波動は
あなたを襲つてあなたをその渦中に捲き込むかもしれない
百千倍の打撃をあなたに与へるかも知れない
あなたは女だ
これに堪へられるだけの力を作らなければならない
それが出来ようか
あなたは其のさきを私に話してはいけない
いけない、いけない

御覧なさい
煤烟《ばいえん》と油じみの停車場も
今は此の月と少し暑くるしい靄《もや》との中に
何か偉大な美を包んでゐる宝蔵のやうに見えるではないか
あの青と赤とのシグナルの明りは
無言と送目との間に絶大な役目を果たし
はるかに月夜の情調に歌をあはせてゐる
私は今何かに囲まれてゐる
或る雰囲気に
或る不思議な調節を司《つかさど》る無形な力に
そして最も貴重な平衡を得てゐる
私の魂は永遠をおもひ
私の肉眼は万物に無限の価値を見る
しづかに、しづかに
私は今或る力に絶えず触れながら
言葉を忘れてゐる

いけない、いけない
静かにしてゐる此の水に手を触れてはいけない
まして石を投げ込んではいけない

[#天から27字下げ]大正元・八
[#改ページ]

  からくりうた

[#天から6字下げ](覗きからくりの絵の極めてをさなきをめづ)

国はみちのく、二本松のええ
赤の煉瓦の
酒倉越えて
酒の泡からひよつこり生れた
酒のやうなる
よいそれ、女が逃げたええ
逃げたそのさきや吉祥寺
どうせ火になる吉祥寺
阿武隈《あぶくま》川のええ
水も此の火は消せなんだとねえ
酒と水とは、つんつれ
ほんに敵《かたき》同志ぢやええ
酒とねえ、水とはねえ

[#天から27字下げ]大正元・八
[#改ページ]

  或る宵

瓦斯《ガス》の暖炉に火が燃える
ウウロン茶、風、細い夕月

―それだ、それだ、それが世の中だ
彼等の欲する真面目とは礼服の事だ
人工を天然に加へる事だ
直立不動の姿勢の事だ
彼等は自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた
曾《かつ》て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―
あなたは此《これ》を見て何も不思議がる事はない
それが世の中といふものだ
心に多くの俗念を抱いて
眼前|咫尺《しせき》の間を見つめてゐる厭な冷酷な人間の集りだ
それ故、真実に生きようとする者は
―むかしから、今でも、このさきも―
却て真摯《しんし》でないとせられる
あなたの受けたやうな迫害をうける
卑怯《ひきよう》な彼等は
又誠意のない彼等は
初め驚異の声を発して我等を眺め
ありとある雑言を唄つて彼等の閑《ひま》な時間をつぶさうとする
誠意のない彼等は事件の人間をさし置いて唯《ただ》事件の当体をいぢくるばかりだ
いやしむべきは世の中だ
愧《は》づべきは其の渦中の矮人《わいじん》だ
我等は為《な》すべき事を為し
進むべき道を進み
自然の掟《おきて》を尊んで
行住坐臥我等の思ふ所と自然の定律と相もとらない境地に到らなければならない
最善の力は自分等を信ずる所にのみある
蛙のやうな醜い彼等の姿に驚いてはいけない
むしろ其の姿にグロテスクの美を御覧なさい
我等はただ愛する心を味へばいい
あらゆる紛糾を破つて
自然と自由とに生きねばならない
風のふくやうに、雲の飛ぶやうに
必然の理法と、内心の要求と、叡智《えいち》の暗示とに嘘がなければいい
自然は賢明である
自然は細心である
半端物のやうな彼等のために心を悩ますのはお止《よ》しなさい
さあ、又銀座で質素な飯《めし》でも喰ひませう

[#天から27字下げ]大正元・一〇
[#改ページ]

  梟の族

―聞いたか、聞いたか
ぼろすけぼうぼう―

軽くして責なき人の口の端
森のくらやみに住む梟《ふくろふ》の黒き毒に染みたるこゑ
街《ちまた》と木木《きぎ》とにひびき
わが耳を襲ひて堪へがたし
わが耳は夜陰に痛みて
心にうつる君が影像を悲しみ窺《うかが》ふ
かろくして責なきは
あしき鳥の性《さが》なり

―きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう―

おのが声のかしましき反響によろこび
友より友に伝説をつたへてほこる
梟の族、あしきともがら
われは彼等よりも強しとおもへど
彼等はわれよりも多弁にして
暗示に富みたる眼と、物を蔵する言語とを有せり
さればかろくして責なき
その声のひびきのなやましさよ
聞くに堪へざる俗調は
君とわれとの心を取りて不倫と滑稽との境に擬せむとす
のろはれたるもの
梟の族、あしきともがらよ
されどわが心を狂ほしむるは
むしろかかるおろかしきなやましさなり
声は又も来る、又も来る

―きいたか、きいたか
ぼろすけぼうぼう―

[#天から27字下げ]大正元・一〇
[#改ページ]

  郊外の人に

わがこころはいま大風《おほかぜ》の如く君にむかへり
愛人よ
いまは青き魚《さかな》の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり
されば安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児のまことこそ君のすべてなれ
あまり清く透きとほりたれば
これを見るもの皆あしきこころをすてけり
また善きと悪しきとは被《おほ》ふ所なくその前にあらはれたり
君こそは実《げ》にこよなき審判官《さばきのつかさ》なれ
汚れ果てたる我がかずかずの姿の中に
をさな児のまこともて
君はたふとき吾がわれをこそ見出でつれ
君の見いでつるものをわれは知らず
ただ我は君をこよなき審判官《さばきのつかさ》とすれば
君によりてこころよろこび
わがしらぬわれの
わがあたたかき肉のうちに籠《こも》れるを信ずるなり
冬なれば欅《けやき》の葉も落ちつくしたり
音もなき夜なり
わがこころはいま大風の如く君に向へり
そは地の底より湧きいづる貴くやはらかき温泉《いでゆ》にして
君が清き肌のくまぐまを残りなくひたすなり
わがこころは君の動くがままに
はね をどり 飛びさわげども
つねに君をまもることを忘れず
愛人よ
こは比《たぐ》ひなき命の霊泉なり
されば君は安らかに眠れかし
悪人のごとき寒き冬の夜なれば
いまは安らかに郊外の家に眠れかし
をさな児の如く眠れかし

[#天から27字下げ]大正元・一一
[#改ページ]

  冬の朝のめざめ

冬の朝なれば
ヨルダンの川も薄く氷りたる可《べ》し
われは白き毛布に包まれて我が寝室《ねべや》の内にあり
基督《キリスト》に洗礼を施すヨハネの心を
ヨハネの首を抱きたるサロオメの心を
我はわがこころの中に求めむとす
冬の朝なれば街《ちまた》より
つつましくからころと下駄の音も響くなり
大きなる自然こそはわが全身の所有なれ
しづかに運る天行のごとく
われも歩む可し
するどきモツカの香りは
よみがへりたる精霊の如く眼をみはり
いづこよりか室の内にしのび入る
われは此の時
むしろ数理学者の冷静をもて
世人の形《かたちづ》くる社会の波動にあやしき因律のめぐるを知る
起きよ我が愛人よ
冬の朝なれば
郊外の家にも鵯《ひよどり》は夙《つと》に来鳴く可し
わが愛人は今くろき眼を開《あ》きたらむ
をさな児のごとく手を伸ばし
朝の光りを喜び
小鳥の声を笑ふならむ
かく思ふとき
我は堪へがたき力の為めに動かされ
白き毛布を打ちて
愛の頌歌《ほめうた》をうたふなり
冬の朝なれば
こころいそいそと励み
また高くさけび
清らかにしてつよき生活をおもふ
青き琥珀《こはく》の空に
見えざる金粉ぞただよふなる
ポインタアの吠ゆる声とほく来《きた》れば
ものを求むる我が習癖はふるひ立ち
たちまちに又わが愛人を恋ふるなり
冬の朝なれば
ヨルダンの川に氷を噛《か》まむ

[#天から27字下げ]大正元・一一
[#改ページ]

  深夜の雪

あたたかいガスだんろの火は
ほのかな音を立て
しめきつた書斎の電燈は
しづかに、やや疲れ気味の二人を照す
宵からの曇り空が雪にかはり
さつき※[#「片+總のつくり」、第3水準1-87-68]《まど》から見れば
もう一面に白かつたが
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と二人のこころとに感じ
むしろ楽みを包んで軟かいその重さに
世界は息をひそめて子供心の眼をみはる
「これみや、もうこんなに積つたぜ」
と、にじんだ声が遠くに聞え
やがてぽんぽんと下駄の歯をはたく音
あとはだんまりの夜も十一時となれば
話の種さへ切れ
紅茶もものうく
ただ二人手をとつて
声の無い此の世の中の深い心に耳を傾け
流れわたる時間の姿をみつめ
ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて
ありとある人の感情をも容易《たやす》くうけいれようとする
又ぽんぽんぽんとはたく音の後から
車らしい何かの響き―
「ああ、御覧なさい、あの雪」
と、私が言へば
答へる人は忽ち童話の中に生き始め
かすかに口を開いて
雪をよろこぶ
雪も深夜をよろこんで
数限りもなく降りつもる
あたたかい雪
しんしんと身に迫つて重たい雪が―

[#天から27字下げ]大正二・二
[#改ページ]

  人に

遊びぢやない
暇つぶしぢやない
あなたが私に会ひに来る
―画もかかず、本も読まず、仕事もせず―
そして二日でも、三日でも
笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
さんざ時間をちぢめ
数日を一瞬に果す

ああ、けれども
それは遊びぢやない
暇つぶしぢやない
充ちあふれた我等の余儀ない命である
生である
力である
浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
八月の自然の豊富さを
あの山の奥に花さき朽ちる草草や
声を発する日の光や
無限に動く雲のむれや
ありあまる雷霆《らいてい》や
雨や水や
緑や赤や青や黄や
世界にふき出る勢力を
無駄づかひと何《ど》うして言へよう
あなたは私に躍り
私はあなたにうたひ
刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
本を抛《なげう》つ刹那の私と
本を開く刹那の私と
私の量は同《おんな》じだ
空疎な精励と
空疎な遊惰とを
私に関して聯想してはいけない
愛する心のはちきれた時
あなたは私に会ひに来る
すべてを棄て、すべてをのり超え
すべてをふみにじり
又嬉嬉として

[#天から27字下げ]大正二・二
[#改ページ]

  人類の泉

世界がわかわかしい緑になつて
青い雨がまた降つて来ます
この雨の音が
むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて
いつも私を堪《たま》らなくおびやかすのです
そして私のいきり立つ魂は
私を乗り超え私を脱《のが》れて
づんづんと私を作つてゆくのです
いま死んで いま生れるのです
二時が三時になり
青葉のさきから又も若葉の萌《も》え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
そして極度の静寂をたもつて
ぢつと坐つてゐました
自然と涙が流れ
抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました
あなたは本当に私の半身です
あなたが一番たしかに私の信を握り
あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
私にはあなたがある
あなたがある
私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです
おそろしい自棄《やけ》の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます
私の生《いのち》を根から見てくれるのは
私を全部に解してくれるのは
ただあなたです
私は自分のゆく道の開路者《ピオニエエ》です
私の正しさは草木の正しさです
ああ あなたは其《それ》を生きた眼で見てくれるのです
もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます
あなたは海水の流動する力をもつてゐます
あなたが私にある事は
微笑が私にある事です
あなたによつて私の生《いのち》は複雑になり 豊富になります
そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです
私は今生きてゐる社会で
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
此《これ》は自然であり 又必然であるのですから
そしてこの孤独に満足さへしようとするのです
けれども
私にあなたが無いとしたら―
ああ それは想像も出来ません
想像するのも愚かです
私にはあなたがある
あなたがある
そしてあなたの内には大きな愛の世界があります
私は人から離れて孤独になりながら
あなたを通じて再び人類の生きた気息《きそく》に接します
ヒユウマニテイの中に活躍します
すべてから脱却して
ただあなたに向ふのです
深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
あなたは私の為めに生れたのだ
私にはあなたがある
あなたがある あなたがある

[#天から27字下げ]大正二・三
[#改ページ]

  僕等

僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自分はこれに尽きてゐる
僕のいのちと あなたのいのちとが
よれ合ひ もつれ合ひ とけ合ひ
渾沌《こんとん》としたはじめにかへる
すべての差別見は僕等の間に価値を失ふ
僕等にとつては凡《すべ》てが絶対だ
そこには世にいふ男女の戦がない
信仰と敬虔《けいけん》と恋愛と自由とがある
そして大変な力と権威とがある
人間の一端と他端との融合だ
僕は丁度自然を信じ切る心安さで
僕等のいのちを信じてゐる
そして世間といふものを蹂躪《じゆうりん》してゐる
頑固な俗情に打ち勝つてゐる
二人ははるかに其処《そこ》をのり超えてゐる
僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる
僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる
自分を恃《たの》むやうにあなたをたのむ
自分が伸びてゆくのはあなたが育つてゆく事だとおもつてゐる
僕はいくら早足に歩いてもあなたを置き去りにする事はないと信じ 安心してゐる
僕が活力にみちてる様に
あなたは若若しさにかがやいてゐる
あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとつてあなたは新奇の無尽蔵だ
凡ての枝葉を取り去つた現実のかたまりだ
あなたのせつぷんは僕にうるほひを与へ
あなたの抱擁は僕に極甚《ごくじん》の滋味を与へる
あなたの冷たい手足
あなたの重たく まろいからだ
あなたの燐光のやうな皮膚
その四肢胴体をつらぬく生きものの力
此等はみな僕の最良のいのちの糧《かて》となるものだ
あなたは僕をたのみ
あなたは僕に生きる
それがすべてあなた自身を生かす事だ
僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
―何といふ光だ 何といふ喜だ

[#天から27字下げ]大正二・一二
[#改ページ]

  愛の嘆美

底の知れない肉体の慾は
あげ潮どきのおそろしいちから―
なほも燃え立つ汗ばんだ火に
火竜《サラマンドラ》はてんてんと躍る

ふりしきる雪は深夜に婚姻飛揚《ヴオル・ニユプシアル》の宴《うたげ》をあげ
寂寞《じやくまく》とした空中の歓喜をさけぶ
われらは世にも美しい力にくだかれ
このとき深密《じんみつ》のながれに身をひたして
いきり立つ薔薇《ばら》いろの靄《もや》に息づき
因陀羅網《いんだらもう》の珠玉《しゆぎよく》に照りかへして
われらのいのちを無尽に鋳る

冬に潜《ひそ》む揺籃の魔力と
冬にめぐむ下萌《したもえ》の生熱と―
すべての内に燃えるものは「時」の脈搏と共に脈うち
われらの全身に恍惚《こうこつ》の電流をひびかす

われらの皮膚はすさまじくめざめ
われらの内臓は生存の喜にのたうち
毛髪は蛍光《けいこう》を発し
指は独自の生命を得て五体に匍《は》ひまつはり
道《ことば》を蔵した渾沌のまことの世界は
たちまちわれらの上にその姿をあらはす

光にみち
幸にみち
あらゆる差別は一音にめぐり
毒薬と甘露とは其の筺《はこ》を同じくし
堪へがたい疼痛《とうつう》は身をよぢらしめ
極甚の法悦は不可思議の迷路を輝かす

われらは雪にあたたかく埋もれ
天然の素中《そちゆう》にとろけて
果てしのない地上の愛をむさぼり
はるかにわれらの生《いのち》を讃《ほ》めたたへる

[#天から27字下げ]大正三・二
[#改ページ]

  晩餐

暴風《しけ》をくらつた土砂ぶりの中を
ぬれ鼠になつて
買つた米が一升
二十四銭五厘だ
くさやの干《ひ》ものを五枚
沢庵《たくあん》を一本
生姜《しようが》の赤漬《あかづけ》
玉子は鳥屋《とや》から
海苔《のり》は鋼鉄をうちのべたやうな奴
薩摩《さつま》あげ
かつをの塩辛《しほから》
湯をたぎらして
餓鬼道のやうに喰《くら》ふ我等の晩餐

ふきつのる嵐は
瓦にぶつけて
家鳴《やなり》震動のけたたましく
われらの食慾は頑健にすすみ
ものを喰らひて己《おの》が血となす本能の力に迫られ
やがて飽満の恍惚に入れば
われら静かに手を取つて
心にかぎりなき喜を叫び
かつ祈る
日常の瑣事《さじ》にいのちあれ
生活のくまぐまに緻密《ちみつ》なる光彩あれ
われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
われらつねにみちよ

われらの晩餐は
嵐よりも烈しい力を帯び
われらの食後の倦怠は
不思議な肉慾をめざましめて
豪雨の中に燃えあがる
われらの五体を讃嘆せしめる

まづしいわれらの晩餐はこれだ

[#天から27字下げ]大正三・四
[#改ページ]

  淫心

をんなは多淫
われも多淫
飽かずわれらは
愛慾に光る

縦横|無礙《むげ》の淫心
夏の夜の
むんむんと蒸しあがる
瑠璃《るり》黒漆の大気に
魚鳥と化して躍る
つくるなし
われら共に超凡
すでに尋常規矩の網目を破る
われらが力のみなもとは
常に創世期の混沌に発し
歴史はその果実に生きて
その時|劫《こう》を滅す
されば
人間世界の成壌は
われら現前の一点にあつまり
われらの大は無辺際に充ちる

淫心は胸をついて
われらを憤らしめ
万物を拝せしめ
肉身を飛ばしめ
われら大声を放つて
無二の栄光に浴す

をんなは多淫
われも多淫
淫をふかめて往くところを知らず
万物をここに持す
われらますます多淫
地熱のごとし
烈烈―

[#天から27字下げ]大正三・八
[#改ページ]

  樹下の二人

[#天から4字下げ]――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ―

あれが阿多多羅山《あたたらやま》、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹《せんたん》を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉《とら》へがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫《さかぐら》。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国《きたぐに》の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

[#天から27字下げ]大正一二・三
[#改ページ]

  狂奔する牛

ああ、あなたがそんなにおびえるのは
今のあれを見たのですね。
まるで通り魔のやうに、
この深山のまき[#「まき」に傍点]の林をとどろかして、
この深い寂寞《じやくまく》の境にあんな雪崩《なだれ》をまき起して、
今はもうどこかへ往つてしまつた
あの狂奔する牛の群を。

今日はもう止しませう、
画きかけてゐたあの穂高の三角の屋根に
もうテル ヴエルトの雲が出ました
槍の氷を溶かして来る
あのセルリヤンの梓川《あづさがは》に
もう山山がかぶさりました。
谷の白楊《はくよう》が遠く風になびいてゐます。
今日はもう画くのを止して
この人跡たえた神苑をけがさぬほどに
又好きな焚火《たきび》をしませう。
天然がきれいに掃き清めたこの苔《こけ》の上に
あなたもしづかにおすわりなさい。

あなたがそんなにおびえるのは
どつと逃げる牝牛の群を追ひかけて
ものおそろしくも息せき切つた、
血まみれの、若い、あの変貌した牡牛をみたからですね。
けれどこの神神しい山上に見たあの露骨な獣性を
いつかはあなたもあはれと思ふ時が来るでせう。
もつと多くの事をこの身に知つて、
いつかは静かな愛にほほゑみながら―

[#天から27字下げ]大正一四・六
[#改ページ]

  金

工場の泥を凍らせてはいけない。
智恵子よ、
夕方の台所が如何に淋しからうとも、
石炭は焚かうね。
寝部屋の毛布が薄ければ、
上に坐蒲団をのせようとも、
夜明けの寒さに、
工場の泥を凍らせてはいけない。
私は冬の寝ずの番、
水銀柱の斥候《ものみ》を放つて、
あの北風に逆襲しよう。
少しばかり正月が淋しからうとも、
智恵子よ、
石炭は焚かうね。

[#天から27字下げ]大正一五・二
[#改ページ]

  鯰

盥《たらひ》の中でぴしやりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴《さ》える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事《しごと》である。
煖炉に入れる石炭が無くなつても、
鯰《なまづ》よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。
檜の木片《こつぱ》は私の眷族《けんぞく》、
智恵子は貧におどろかない。
鯰よ、
お前の鰭《ひれ》に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓《あぎと》に黒金の覆輪があり、
さうしてお前の楽天にそんな石頭があるといふのは、
何と面白い私の為事への挨拶であらう。
風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水《とみづ》を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏《りゆうりゆう》と研ぐ。

[#天から27字下げ]大正一五・二

  夜の二人

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙《みぞれ》まじりの夜の雨の言つた事です。
智恵子は人並はづれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持つてゐます。
私達はすつかり黙つてもう一度雨をきかうと耳をすましました。
少し風が出たと見えて薔薇《ばら》の枝が窓硝子に爪を立てます。

[#天から27字下げ]大正一五・三
[#改ページ]

  あなたはだんだんきれいになる

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽《せいれつ》な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。

[#天から27字下げ]昭和二・一
[#改ページ]

  あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山《あたたらやま》の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

[#天から27字下げ]昭和三・五
[#改ページ]

  同棲同類

―私は口をむすんで粘土をいぢる。
―智恵子はトンカラ機《はた》を織る。
―鼠は床にこぼれた南京《ナンキン》豆を取りに来る。
―それを雀が横取りする。
―カマキリは物干し綱に鎌を研ぐ。
―蠅とり蜘蛛《ぐも》は三段飛。
―かけた手拭はひとりでじやれる。
―郵便物ががちやりと落ちる。
―時計はひるね。
―鉄瓶《てつびん》もひるね。
―芙蓉《ふよう》の葉は舌を垂らす。
―づしんと小さな地震。
油蝉を伴奏にして
この一群の同棲同類の頭の上から
子午線上の大火団がまつさかさまにがつと照らす。

[#天から27字下げ]昭和三・八
[#改ページ]

  美の監禁に手渡す者

納税告知書の赤い手触りが袂《たもと》にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。

売る事の理不尽、購《あがな》ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。

両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜と不耕|貪食《どんしよく》の苦《にが》さ。

がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片《こつぱ》、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。

[#天から27字下げ]昭和六・三
[#改ページ]

  人生遠視

足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろになる
照尺距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる

[#天から27字下げ]昭和一〇・一
[#改ページ]

  風にのる智恵子

狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴《さつきばれ》の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣《ゆかた》が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

[#天から27字下げ]昭和一〇・四
[#改ページ]

  千鳥と遊ぶ智恵子

人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
砂に小さな趾《あし》あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい―
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。

[#天から27字下げ]昭和一二・7
[#改ページ]

  値《あ》ひがたき智恵子

智恵子は見えないものを見、
聞えないものを聞く。

智恵子は行けないところへ行き、
出来ないことを為《す》る。

智恵子は現身《うつしみ》のわたしを見ず、
わたしのうしろのわたしに焦がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。

[#天から27字下げ]昭和一二・七
[#改ページ]

  山麓の二人

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡《なび》いて波うち
芒《すすき》ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉《し》いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭《どうこく》する
―わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途《みち》無き魂との別離
その不可抗の予感
―わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋《すが》る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃《げき》として二人をつつむこの天地と一つになつた。

[#天から27字下げ]昭和一三・六
[#改ページ]

  或る日の記

水墨の横ものを描きをへて
その乾くのを待ちながら立つてみて居る
上高地から見た前穂高の岩の幔幕《まんまく》
墨のにじんだ明神|岳《だけ》のピラミツド
作品は時空を滅する
私の顔に天上から霧がふきつけ
私の精神に些《いささ》かの条件反射のあともない
乾いた唐紙《からかみ》はたちまち風にふかれて
このお化屋敷の板の間に波をうつ
私はそれを巻いて小包につくらうとする
一切の苦難は心にめざめ
一切の悲歎は身うちにかへる
智恵子狂ひて既に六年
生活の試練|鬢髪《びんぱつ》為に白い
私は手を休めて荷造りの新聞に見入る
そこにあるのは写真であつた
そそり立つ廬山《ろざん》に向つて無言に並ぶ野砲の列

[#天から27字下げ]昭和一三・八
[#改ページ]
(つづく)



底本:「智恵子抄」新潮文庫、新潮社
   1956(昭和31)年7月15日発行
   1967(昭和42)年12月15日改版
   1984(昭和59)年 12月15日79刷
※詩歌の天は、底本では、散文の二字分下に設定してあります。
入力:たきがは、門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



*地名


[福島県]
二本松 にほんまつ 福島県北部、阿武隈川に臨む市。もと丹羽氏10万石の城下町。酒・家具が特産。西の安達太良山の麓に岳温泉がある。人口6万3千。
吉祥寺
阿武隈川 あぶくまがわ 福島・栃木の県境にある三本槍岳に発源し、郡山盆地・福島盆地を北流して宮城県に入り、仙台湾に注ぐ川。長さ239キロメートル。
安達ヶ原 あだちがはら 福島県安達郡の安達太良山東麓の原野。鬼がこもったと伝えた。(歌枕)
阿多々羅山 あたたらやま → 安達太良山
安達太良山 あだたらやま 福島県北部、吾妻山の南東にある円錐状の火山。標高1709メートル。山麓の温泉は冬季スキー客でにぎわう。安達太郎山。
磐梯山 ばんだいさん 福島県の北部、猪苗代湖の北にそびえる活火山。標高1819メートル。1888年(明治21)に爆発し、岩屑流が北麓の集落を埋没、渓流をせきとめて桧原・小野川・秋元の桧原三湖と五色沼その他大小百余の池や沼を作った。会津嶺。会津富士。

[千葉県]
九十九里浜 くじゅうくり はま 千葉県太東崎から刑部岬までの、太平洋に面する砂浜海岸。長さ約60キロメートル。6町を1里として九十九里あるとする。沿海は黒潮と親潮の出合う所で魚類が集まる。

[東京都]
鶴巻町 → 早稲田鶴巻町か
早稲田鶴巻町 わせだ つるまきちょう 東京都新宿区にある地名・町名。
日比谷 ひびや 東京都千代田区南部、日比谷公園のある地区。
松本楼

[長野県]
穂高岳 ほたかだけ 北アルプス南部、槍ヶ岳の南方、上高地の北にそびえる一群の山峰。長野・岐阜県境にあって、最高峰の奥穂高岳(3190メートル)のほか前穂高岳(3090メートル)・西穂高岳(2909メートル)・北穂高岳・涸沢岳などに分かれる。東側には涸沢カールがある。
梓川 あずさがわ 長野県にある犀川の支流。槍ヶ岳に発源、槍沢を経て上高地の谷を南流、松本盆地に至り、北東流。長さ65キロメートル。
上高地 かみこうち 長野県西部、飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地。中部山岳国立公園の一部。標高約1500メートル。温泉や大正池があり、槍ヶ岳・穂高連峰・常念岳・焼岳などへの登山基地。神河内。上河内。
明神岳 みょうじんだけ 前穂高岳の南方に伸びる稜線中の峰。多くの登攀ルートを持つ。標高2,931m。
[ヨルダン] Jordan (1) 西アジア、パレスチナにある川。シリアのヘルモン山の西斜面に発源、南流して死海に注ぐ。長さ約320キロメートル。イエスがここで洗礼を受けた。(2) アラビア半島北西部の王国。第一次大戦後オスマン帝国領からイギリス委任統治領、1923年トランス‐ヨルダン首長国となり、46年独立。48年ヨルダン川西岸地域を併合し、翌年ヨルダン‐ハシェミット王国と改称。67年中東戦争後、イスラエルが西岸地域を占領。住民は主にイスラム教徒で、アラビア語を使用。面積9万8000平方キロメートル。人口535万(2004)。首都アンマン。
[中国]
廬山 ろざん (Lu Shan)中国、江西省の北部にある名山。九江市の南、A陽湖と長江とに臨む。最高峰の漢陽峰は標高1474メートル。景勝の地、また仏教の霊跡。李渤の白鹿洞書院、陶淵明の靖節書院、香炉峰などの古跡がある。世界遺産。匡山。匡廬。古称、南障山。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本歴史地名大系』(平凡社)。




*人物一覧

(人名、および組織・団体名・神名)

高村光太郎 たかむら こうたろう 1883-1956 詩人・彫刻家。光雲の子。東京生れ。東京美術学校卒後、アメリカ・フランスに留学してロダンに傾倒。帰国後、「スバル」同人、耽美的な詩風から理想主義に転じ、「道程」で生命感と倫理的意志のあふれた格調の高い口語自由詩を完成。ほかに「智恵子抄」「典型」「ロダンの言葉」など。
高村智恵子 たかむら ちえこ 1886-1938 旧姓長沼。洋画家。彫刻家の高村光太郎は夫。彼女の死後、夫が出版した詩集『智恵子抄』は有名。福島県安達郡油井村字漆原(現・二本松市)の酒造業・斎藤今朝吉・せんの長女。

チシアン → デュシャン?
ヨハネ Johannes (1) (John the Baptist)イエスの先駆者。神の国の近きを述べ、洗礼に終末論的意味づけをし、ヨルダン川でイエスをはじめ多くの人に洗礼を施した。ヘロデ=アンティパス王の命で斬首された。洗礼者ヨハネ。バプテスマのヨハネ。(2) (John the Apostle)キリスト十二使徒の一人。新約聖書中の「ヨハネ福音書」「ヨハネ三書翰」「ヨハネ黙示録」などの著者と伝えられる。
サロメ Salome (1) ガリラヤの太守ヘロデ=アンティパスの姪。洗礼者ヨハネの首を所望した。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。



*難字、求めよ


醜悪事 しゅうあくじ みにくいできごと。けがらわしい事件。
グロキシニア Gloxinia イワタバコ科の観賞用多年草。地下に塊茎を持つ。ブラジル原産のものから改良された。温室で栽培。葉は卵形多肉でビロード状の短毛を持つ。花茎は15センチメートル、頂に1花をつける。花冠は大きく、辺縁浅く5裂。色は白・紫・紅など。オオイワギリソウ。
ポプラ poplar ヤナギ科の落葉高木。北欧原産。葉は菱形。高く伸び、樹形が美しいので、街路樹や牧場などに植える。材は細工用。セイヨウハコヤナギ。このほか、北米産のアメリカヤマナラシなどの同属の数種を総称して、ポプラと呼ぶことがある。
印度更紗 インド サラサ インドを中心として産する更紗。木綿地に臙脂・藍・緑色などで模様を手書きあるいは木版・銅版プリント・蝋防染・泥防染を併用して描いたもの。
拝火教 はいか きょう 火を神化して崇拝する信仰の総称。特に、ゾロアスター教の称。
忍黙
まほし(助動)(マクホシの転)(活用は形容詞型。[活用]○/まほしく/まほし/まほしき/まほしけれ/○)動詞型活用の語の未然形に接続して、願望を表す。鎌倉時代以降は「たし」が多く使われるようになる。(1) 動作主体の願望を表す。…たい。(2) 動詞「あり」に連なって「あらまほし」の形で、「理想的だ」の意になる。
アツシシユ アッシシュ?
微顫 びせん かすかにふるえること。
送目
冷暖自知 れいだん じち [伝灯録4]水が冷たいか暖かいかは飲んで初めて分かるように、仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、体験して親しく知ることのできるものである。
咫尺 しせき (「咫」は周尺で8寸) (1) 近い距離。(2) 接近すること。貴人にお目にかかること。
行住坐臥 ぎょうじゅう ざが (1) 〔仏〕行くことと止まることと坐ることと臥すこと。戒律にかなった日常の起居動作をいう。四威儀。(2) 転じて、日常。ふだん。
モカ mocha アラビア半島南西部イエメン産のコーヒー豆。酸味の強いのが特徴。かつては同国南西端のモカ港から輸出されていた。
婚姻飛揚 ヴォル・ニュプシアル → 婚姻飛行
婚姻飛行 nuptial [mating] flight ミツバチ、アリなどが生殖期に交尾のためにおこなう飛行。ミツバチでは女王バチと多くの雄バチのなかの一匹、アリでは雌雄がいりまじって空中交尾をする。結婚飛行。
因陀羅網 いんだらもう 〔仏〕インドラの住む宮殿を飾っている網。その無数の結び目の一つ一つに宝珠があり、その一々が互いに映じ合うところから、宇宙の全存在が互いに関連しつつ存在することにたとえる。
下萌え したもえ 人目につかず芽ばえること。また、その芽。
生熱 しょうねつ 物が生まれ出るときに生ずる激しい力。
淫心 いんしん 婬心。情交をのぞむ心。性的な衝動。色欲。欲情。
成壌
セルリアン → セルリアン・ブルーか
セルリアン・ブルー cerulean blue 緑がかった青。空色。
瀏々 りゅうりゅう (1) 風が速いさま。(2) 清く明らかなさま。
松露 しょうろ (1) 松の葉におく露。(2) 担子菌類の食用きのこ。春と秋、海浜の松林中に生じ、球状で傘茎の区別はなく、ほとんど地中に埋まる。若いものは肉白くやや粘い。生長したものは淡黄褐色、一種特有の香気があり、多くは生のまま吸物の実などとする。
闃 げき ひっそりしていること。静かなこと。
幔幕 まんまく 式場・会場などに張りめぐらす幕。上下両端を横幅とし、その間を縦幅として縫い合わせたもの。上端だけ横幅のもの、あるいは縦幅だけで全く横幅を欠くものもある。まだらまく。うちまく。幔。
火団 かだん 火のかたまり。火塊(かかい)。
趾あと あしあと


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 みちのくの つつじが岡の くまつづら
  つらしと君を けふぞ知りぬる

 高橋富雄『宮城県の歴史』(山川出版社、1969.9)より。ゼオライト、ポリイオン。『いくつもの日本1 日本を問いなおす』(岩波書店、2002.10)赤坂憲雄・中村生雄・原田信男・三浦佑之(編)、読了。

 山形と新潟はどちらも震災隣県だけれども、避難者の数に大きな開きがあった。その理由が知りたくて新潟県運営のウェブサイトを訪ねたところ、目のつくところに知事・泉田さんの blog を発見。震災からちょうど一か月後の四月十二日以来ずっとウォッチしている。知事会見の記録は、震災後の3月25日から5月18日日現在まで十三回にわたる。残念ながら、質・量ともにわれらが吉村美栄子ちゃんは比ぶべくもない。
 中越・中越沖地震の経験があること、柏崎原発被災の経験があること、被災者の運送、被災児童・生徒への支援、仮設住宅設置の保留、電力のピックカット15%大作戦、復興基金創設の提案……。
 blog を開くたびに、その容貌が青空文庫の富田さんを彷彿させるところにも親近感をおぼえてしまう。




*次週予告


第三巻 第四四号 
智恵子抄(二)高村光太郎


第三巻 第四四号は、
五月二八日(土)発行予定です。
月末最終号:無料


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第三巻 第四三号
智恵子抄(一)高村光太郎
発行:二〇一一年五月二一日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン 週刊ミルクティー*99 出版

第二巻

第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫  月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松  定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松  定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松  定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松  月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり  定価:200円  雛 芥川龍之介
 雛がたり 泉鏡花
 ひなまつりの話 折口信夫

第三四号 特集 ひなまつり  定価:200円  人形の話 折口信夫
 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫

第三五号 右大臣実朝(一)太宰治  定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明  定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明  月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明  定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明  定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明  定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉  定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉  月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉  定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉  定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット  定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット  月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット  定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット  定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット  定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子  定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清  月末最終号:無料
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清  定価:200円
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清  定価:200円
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎  定価:200円
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉  月末最終号:無料
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝  定価:200円
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南  定価:200円
第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南  定価:200円
第三巻 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南  月末最終号:無料
第三巻 第一〇号 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫  定価:200円
第三巻 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦  定価:200円 瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/神話と地球物理学/ウジの効用

第三巻 第一二号 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦  定価:200円
第三巻 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉  定価:200円
第三巻 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉  月末最終号:無料
第三巻 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉  定価:200円 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
第三巻 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)  定価:200円
第三巻 第一七号 高山の雪 小島烏水  定価:200円
第三巻 第一八号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(一)徳永 直  月末最終号:無料
第三巻 第一九号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(二)徳永 直  定価:200円
第三巻 第二〇号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(三)徳永 直  定価:200円
第三巻 第二一号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(四)徳永 直  定価:200円
 アジアには十六世紀を前後して銅活字の時代があり、朝鮮でも日本でもおこなわれている。秀吉の朝鮮侵略のみやげものに端を発している家康・家光時代の銅活字印刷があるけれど、それにくらべると、このさし絵に見る康熙帝の印刷局ははるかに大規模で組織的であることがわかる。しかし、日本でも『お湯殿日記』に見るような最初の文選工は「お公卿たち」であったが、支那でもあごひげの長い官人たちであった。明治になって印刷術が近代化されてからでも、印刷工業をおこした人々の多くが、武家など文字になじみのある階級だったように、私の徒弟だったころの先輩の印刷工の多くが、やはり士族くずれだったことを思い出す。(略)
 武英殿の銅活字は康熙帝の孫、高宗〔乾隆帝〕の代になるとつぶされて銅貨となった。日本でも家康時代の銅活字は同じ運命をたどっているけれど、支那のばあいは銅貨の不足が原因といわれている。しかし、もっと大きな原因は金属活字にあって、漢字組織ができないならば、またプレス式の印刷機もないとするならば、むしろ手わざの発達による木版の方が容易であり便利であった。ボディが銅であれ鉛であれ、それが彫刻に過ぎないならば、むしろ木版にしくはない。銅活字がほろびて再び木版術が栄え、極彩色の芸術的な印刷物もできるようになった。康熙・乾隆の時代に見られるこの傾向は、十七世紀の終わりから十八世紀のなかほどまでであるが、江戸中期から木版術が再興し、世界にたぐいない木版印刷術を生み出した日本と時間的にもほぼ一致している――ということも、漢字が持つ共通の宿命がするわざであったろう。

第三巻 第二二号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(五)徳永 直  月末最終号:無料
 『東洋文化史上におけるキリスト教』(三六二ページ)で溝口靖夫氏は、前に述べたメドハーストが(Ibid, P.366)自分の当時の経験を追懐した文章を根拠にして、つぎのように述べているところがある。――第五の困難は、アヘン問題と宣教師の関係であった。メドハーストが広東に着いた一八三五年は、アヘン戦争の直前であり、支那と英国のあいだに険悪な空気がみなぎっていた。このときにあたって宣教師たちは、きわめて困難なる立場に置かれた。宣教師たちは、しばしばアヘンを積んだ船に乗ってきた。しかも、メドハーストらは切符は買っているが、積荷について容嘴(ようし)する権利はなかった。……宣教師は、英国人と支那人との間に立って、しばしば通訳の労をとらねばならなかったが、こんなとき支那人はアヘン貿易は正義にかなえるものなりや否や? をただすのであった。……ゆえに当時、宣教師たちのこいねがったのは、一艘の伝道用船を得ることであった。これによりアヘンの罪悪からまぬがるることであった。――一艘の伝道船で、アヘンから逃れることはできないけれど、一口にいって「インドからの手紙」は、英国議会をして宣教師らの活動を保証させる決議案をパスさせながら、こんどは「信教の自由憲章」を勝ち取らねばならぬほどそれが首かせになったことを示している。つまり、産業革命が生み出したアルファベット人種の革命的進歩性は、おなじ産業革命が生み出した「アヘンの罪悪」と衝突しなければならなかったが、この矛盾こそ資本主義の矛盾の中味であり、限界であった。

第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治  定価:200円
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。(略)
 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。
 そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。 

第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治  定価:200円
 そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。
 その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。
 そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。「新世界交響楽だわ。」むこうの席の姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言いました。まったくもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。
(こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。
 ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。
 透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。

第三巻 第二五号 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治  定価:200円
 空が青くすみわたり、ドングリはピカピカしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張(いば)って言いますと、ドングリどもは口々にさけびました。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、ガヤガヤガヤガヤ言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこで山猫がさけびました。
「やかましい! ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ!」

第三巻 第二六号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(六)徳永 直  定価:200円
 活字が日本に渡るには、他の条件が必要であった。そして、その他の条件のうちもっとも大きなものは、やはり文久二年・一八六二年の日本幕府がはじめてやった貿易船千歳丸の上海入港であったろう。(略)経済的にいえばこの貿易は失敗したけれど、不馴れな幕府の役人たちは積荷をそのまま持ち戻るはめにもなったけれど、オランダの役人につれられて各国の領事たちにあったり、諸外国人の活動ぶりを見てびっくりした。たとえばこれを便乗者・高杉一人の場合に見てもあきらかである。(略)その後二年あまりで、攘夷の中心長州藩が領民に洋品使用の禁を解き、薩摩や佐賀と前後して海外貿易を営なんだ急角度の転回も、したがって「薩長締盟」を可能にした思想的背景も、このときの千歳丸便乗によって彼が上海で感得したものによるところ、はなはだ多いといわれている。
 (略)第一回の千歳丸のときは高杉のほかに中牟田や五代〔五代友厚か。〕や浜松藩の名倉(なぐら)予可人(あなと)などあったが、第二回の健順丸のときは、前巻でなじみの昌造の同僚で長崎通詞、安政開港に功労のあった森山多吉郎、先の栄之助がいまは外国奉行支配調役として乗り組んでいたし、第三回目、慶応三年(一八六七)の同じく幕府船ガンジス号のときは、佐倉藩士高橋作之助〔猪之助か。(のちの由一)ら多数があり、たび重なるにつれて上海渡航者の数は急速に増えていった。(略)
 また、官船以外の密航者、あるいは藩所有の船修理と称して渡航する者もたくさんあった。(略)さては中浜万次郎を案内に立てて汽船を買いに来た土佐藩の後藤象次郎などと、千歳丸以後は「きびす相ついで」いる(略)。

第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫  月末最終号:無料
黒川能・観点の置き所
 特殊の舞台構造
 五流の親族
 能楽史をかえりみたい
 黒川の能役者へ
村で見た黒川能
能舞台の解説
春日若宮御祭の研究
 おん祭りの今と昔と
 祭りのお練り
 公人の梅の白枝(ずはえ)
 若宮の祭神
 大和猿楽・翁
 影向松・鏡板・風流・開口
 細男(せいのお)・高足・呪師

 山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。〕との二つは、特に皆さまに見ていただきたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりでのぼってくるのであります。世話をしてくださった斎藤氏〔斎藤香村か。〕に感謝しなければならないと思います。
 特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。(略)奉仕する役者はというと、上座と下座が二部落にわかれており、ここで能をするときは、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞い、下座は右橋掛りから出て舞うことになっている。これはもっとも大きな特徴で、今度の公演にいくぶんでも実現できれば結構だと思います。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といっていいと思います。しかも、黒川ではつねにその形式をくり返しているわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としていることがわかります。
(略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。「黒川能・観点の置き所」より)

第三巻 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎  定価:200円
面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
能面の様式 / 人物埴輪の眼
(略)しかし「意味ある形」、たとえば「甲冑」を円筒上の人物に着せたとなると、その甲冑は、四肢などに対するとはまったく段ちがいの細かな注意をもって表現されている。(略)それはこの鉄の武器が、人体などよりもはるかに強い関心の対象であったことを示すものであって、いかにも古墳時代の感じ方らしい。(略)
(略)埴輪(はにわ)人形を近くからでなく、三間、五間、あるいはそれ以上に、ときには二、三十間の距離を置いて、ながめてみる必要があると思う。それによって埴輪人形の眼はじつに異様な生気をあらわしてくるのである。もし、この眼が写実的に形作られていたならば、すこし遠のけば、はっきりとは見えなくなるであろう。しかるにこの眼は、そういう形づけを受けず、そばで見れば粗雑に裏までくりぬいた空洞の穴にすぎないのであるが、遠のけば遠のくほど、その粗雑さが見えなくなり、魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる。それが異様な生気を現わしてくるゆえんなのである。眼にそういう働きがあらわれれば、顔面は生気をおび、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである。古墳時代の人々はそういうふうにして埴輪の人形を見、また、そういうふうに見えるものとして埴輪の人形を作ったのであった。

第三巻 第二九号 火山の話 今村明恒  定価:200円
 桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
 霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
 磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。

第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 上の巻
   序文
    過去の時代(序文の第一段)
    『古事記』の企画(序文の第二段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
   一、イザナギの命とイザナミの命
    天地のはじめ
    島々の生成
    神々の生成
    黄泉の国
    身禊
   二、アマテラス大神とスサノオの命
    誓約
    天の岩戸
   三、スサノオの命
    穀物の種
    八俣の大蛇
    系譜
 スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。
 かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、「わたくしはこの国の神のオオヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか?」とおたずねになったので「わたくしの女(むすめ)はもとは八人ありました。それを高志(コシ)の八俣の大蛇(おろち)が毎年きて食べてしまいます。今また、それの来る時期ですから泣いています」と申しました。

第三巻 第三一号 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)  月末最終号:無料
 古事記 上の巻
   四、大国主の命
    兎と鰐
    赤貝姫と蛤貝姫
    根の堅州国(かたすくに)
    ヤチホコの神の歌物語
    系譜
    スクナビコナの神
    御諸山の神
    大年の神の系譜
   五、アマテラス大神と大国主の命
    天若日子(あめわかひこ)
    国譲り
   六、ニニギの命
    天降り
    猿女の君
    木の花の咲くや姫
   七、ヒコホホデミの命
    海幸と山幸
    トヨタマ姫
スクナビコナの神 そこで大国主の命が出雲の御大(みほ)の御埼(みさき)においでになった時に、波の上をツルイモのさやを割って船にして、蛾(が)の皮をそっくりはいで着物にして寄ってくる神さまがあります。その名を聞きましたけれども答えません。また、御従者(おとも)の神たちにおたずねになったけれども、みな知りませんでした。ところがヒキガエルが言うことには、「これはクエ彦がきっと知っているでしょう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでおたずねになると、「これはカムムスビの神の御子でスクナビコナの神です」と申しました。よってカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でも、わたしの手の股からこぼれて落ちた子どもです。あなた、アシハラシコオの命と兄弟となってこの国を作り固めなさい」とおおせられました。それで、それから大国主とスクナビコナとお二人が並んでこの国を作り固めたのです。後にはそのスクナビコナの神は、海のあちらへ渡って行ってしまいました。このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田のカカシのことです。この神は足は歩きませんが、天下のことをすっかり知っている神さまです。
御諸山の神 そこで大国主の命が心憂く思っておおせられたことは、「わたしはひとりではどのようにしてこの国を作り得ましょう。どの神さまといっしょにわたしはこの国を作りましょうか?」とおおせられました。この時に、海上を照らして寄ってくる神さまがあります。その神のおおせられることには、「わたしに対してよくおまつりをしたら、わたしがいっしょになって国を作りましょう。そうしなければ国はできにくいでしょう」とおおせられました。そこで大国主の命が申されたことには、「それなら、どのようにしておまつりをいたしましょう?」と申されましたら、「わたしを大和の国の青々と取り囲んでいる東の山の上におまつりなさい」とおおせられました。これは御諸(みもろ)の山においでになる神さまです。

第三巻 第三二号 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 中の巻
   一、神武天皇
    東征
    速吸の門
    イツセの命
    熊野から大和へ
    久米歌
    神の御子
    タギシミミの命の変
   二、綏靖天皇以後八代
    綏靖天皇
    安寧天皇
    懿徳天皇
    孝昭天皇
    孝安天皇
    孝霊天皇
    孝元天皇
    開化天皇
   三、崇神天皇
    后妃と皇子女
    美和の大物主
    将軍の派遣
   四、垂仁天皇
    后妃と皇子女
    サホ彦の反乱
    ホムチワケの御子
    丹波の四女王
    時じくの香の木の実
 この天皇〔崇神天皇〕の御世に、流行病がさかんにおこって、人民がほとんどつきようとしました。ここに天皇は、ご憂慮あそばされて、神をまつってお寝みになった晩に、オオモノヌシの大神がお夢にあらわれておおせになるには、「かように病気がはやるのは、わたしの心である。これはオオタタネコをもってわたしを祭らしめたならば、神のたたりが起こらずに国も平和になるだろう」とおおせられました。そこで急使を四方に出してオオタタネコという人を求めたときに、河内の国の美努(みの)の村でその人を探し出してたてまつりました。(略)そこで天皇が非常にお歓びになっておおせられるには、「天下が平らぎ人民が栄えるであろう」とおおせられて、このオオタタネコを神主として御諸山(みもろやま)でオオモノヌシの神をおまつり申し上げました。(略)これによって疫病がやんで国家が平安になりました。
 このオオタタネコを神の子と知ったしだいは、上に述べたイクタマヨリ姫は美しいお方でありました。ところが形姿・威儀並びなき一人の男が夜中にたちまち来ました。そこでたがいに愛でて結婚して住んでいるうちに、何ほどもないのにその嬢子(おとめ)が妊(はら)みました。そこで父母が妊娠したことを怪しんで、その娘に、「お前は自然に妊娠した。夫がないのにどうして妊娠したのか?」とたずねましたから、答えて言うには「名も知らないりっぱな男が夜ごとに来て住むほどに、自然に妊みました」と言いました。そこでその父母が、その人を知りたいと思って、その娘に教えましたのは、「赤土を床のほとりに散らし麻糸を針につらぬいてその着物の裾(すそ)に刺せ」と教えました。よって教えたとおりにして、朝になって見れば、針をつけた麻は戸の鉤穴から貫けとおって、残った麻はただ三輪だけでした。そこで鉤穴から出たことを知って糸をたよりにたずねて行きましたら、三輪山に行って神の社にとまりました。そこで神の御子であるとは知ったのです。その麻の三輪残ったのによってそこを三輪というのです。このオオタタネコの命は、神(みわ)の君・鴨(かも)の君の祖先です。 

第三巻 第三五号 地震の話(一)今村明恒  月末最終号:無料
 一、はしがき
 二、地震学のあらまし
 三、地震に出会ったときの心得(こころえ)
  一、突差(とっさ)の処置
  二、屋外(おくがい)への避難
 日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。

第三巻 第三六号 地震の話(二)今村明恒  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
 三、地震に出会ったときの心得
  三、階下の危険
  四、屋内にての避難
  五、屋外における避難
  六、津波と山津波(やまつなみ)との注意
  七、災害防止
  八、火災防止(一)
  九、火災防止(二)
 一〇、余震に対する処置
 非局部性の大地震をおこすことのある海洋底に接した海岸地方は、大ゆれの地震にみまわれたばあい、津波についての注意を要する。ただし、津波をともなうほどの地震は最大級のものであるから、倒壊家屋を生ずる区域が数個の国や県にわたることもあり、あるいは震源距離が陸地からあまり遠いために、単に広区域にわたって大ゆれのみを感じ、地震の直接の損害を生じないこともある。
(略)津波とは津の波、すなわち港に現われる大津波であって、暴風など気象上の変調からおこることもあるが、もっとも恐ろしいのは地震津波である。元来、波というから、読者はすぐに風でおこされる波を想像せられるかもしれないが、むしろ潮の差し引きというほうが実際に近い。
(略)明治二十九年(一八九六)の三陸大津波は、その原因、数十里の沖合いにおける海底の地形変動にあったのであるが、津波の常習地たるじょうご形の港湾の奥においては、図に示されたとおり、あるいは八十尺、あるいは七十五尺というような高さの洪水となり、合計二万七〇〇〇人の人命を奪ったのに、港湾の両翼端ではわずかに数尺にすぎないほどのものであったし、その夜、沖合いに漁猟に行っていた村人は、あんな悲惨事が自分の村でおこったことを夢想することもできず、翌朝、跡かたもなく失われた村へ帰って茫然自失したという。
(略)しばしば海底の大地震をおこす場所に接し、そこに向かって大きくじょうご形に開いた地形の港湾がそれにあたるわけであるが、これについで多少の注意をはらうべきは、遠浅の海岸である。たとい海岸線が直線に近くとも、遠浅だけの関係で、波の高さが数倍の程度に増すこともあるから、もし沖合いにおける高さが数尺のものであったならば、前記のごとき地形の沿岸において多少の被害を見ることもある。

第三巻 第三七号 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

 しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(略)
 文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。
 もう一つ、文明の進歩のために生じた対自然関係のいちじるしい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化がいちじるしく進展してきたために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響をおよぼす可能性が多くなり、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。(略)
 二十世紀の現代では、日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障がおこれば、その影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみれば、このことは了解されるであろう。

第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺――秋元家の巾着寺 / 庄内の獅子踊りと神楽、サイドウ / 山形県の史跡調査について / 山形城址 / おばこ踊り / 羽黒の裸祭
 昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。(略)

 十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。(略)
 自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。

第三巻 第三九号 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
 刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。(略)
 けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。

第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子  月末最終号:無料
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録
私の覚え書
 列車は人と貨物を満載し、あぶら汗をにじませるむし暑さにつつまれながら、篠井ぐらいまでは、急行らしい快速力で走った。午前二時、三時となり、だんだん信州の高原にさしかかると、停車する駅々の雰囲気が一つごとに緊張の度を増してきた。在郷軍人、消防夫、警官などの姿がちらつき、手に手に提灯をかざして警備している。福井を出発するとき、前日ごろ軽井沢で汽車爆破をくわだてた暴徒が数十名捕らえられ、数人は逃げたという噂があった。旅客はみなそれを聞き知ってい、なかには、ことさら「いよいよ危険区域に入りましたな」などという人さえある。
 五日の暁方四時少しすぎ、列車がちょうど軽井沢から二つ手前の駅に着く前、一般の神経過敏をよく現わした一つの事件が持ちあがった。前から二つ目ばかりの窓ぎわにいた一人の男が、「この車の下に何者かが隠れている。爆弾を持った〔二字伏せ字〕に違いない」と言い出したのであった。なにしろひどい混みようで、とうてい席などは動けないので、遠い洗面所その他はまるで役に立たない。その人は、窓から用をたしたのだそうだ。そして、何心なくひょいと下をのぞくと、たしかに人間の足がいそいでひっこんだのを認めた。自分ばかりではなく、もう一人の者も間違いなく見たというのである。
 はじめ冗談だと思ったみなも、その人があまり真剣なのでひどく不安になりはじめた。あの駅々の警備の厳重なところを見れば、まったくそんな事がないとはいわれない。万一事実とすれば、ここにいる数十人が命の瀬戸際にあるということになる。不安がつのるにつれ、非常警報器を引けという者まで出た。駅の構内に入るために列車がしばらく野っぱのまんなかで徐行しはじめたときには、乗客はほとんど総立ちになった。何か異様がおこった。今こそあぶないという感が一同の胸をつらぬき、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。

第三巻 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治 定価:200円
   一 森
   二 テグス工場
   三 沼ばたけ
   四 クーボー大博士
   五 イーハトーヴ火山局
   六 サンムトリ火山
   七 雲の海
   八 秋
   九 カルボナード島
 そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるコブシの木もまるで咲かず、五月になってもたびたびみぞれがグシャグシャ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年まいた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗の木は青いからのイガばかりでしたし、みんなでふだん食べるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもう、ひどいさわぎになってしまいました。
 ブドリのおとうさんもおかあさんも、たびたび薪(たきぎ)を野原のほうへ持って行ったり、冬になってからは何べんも大きな木を町へソリで運んだりしたのでしたが、いつもがっかりしたようにして、わずかの麦の粉など持って帰ってくるのでした。それでも、どうにかその冬はすぎてつぎの春になり、畑にはたいせつにしまっておいた種もまかれましたが、その年もまた、すっかり前の年のとおりでした。そして秋になると、とうとうほんとうの飢饉(ききん)になってしまいました。もうそのころは、学校へ来る子どももまるでありませんでした。ブドリのおとうさんもおかあさんも、すっかり仕事をやめていました。そしてたびたび心配そうに相談しては、かわるがわる町へ出て行って、やっとすこしばかりの黍(きび)の粒など持って帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろを悪くして帰ってくることもありました。そしてみんなは、コナラの実や、葛(くず)やワラビの根や、木のやわらかな皮やいろんなものを食べて、その冬をすごしました。

第三巻 第四二号 ラジウムの雁/シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治 定価:200円
ペンネンノルデはいまはいないよ
ラジウムの雁
シグナルとシグナレス
「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  さそりの赤眼が 見えたころ、
  四時から今朝も やってきた。
  遠野の盆地は まっくらで、
  つめたい水の 声ばかり。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  凍えた砂利に 湯げを吐(は)き、
  火花を闇に まきながら、
  蛇紋岩(サーペンティン)の 崖に来て、
  やっと東が 燃えだした。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  鳥がなきだし 木は光り、
  青々(あおあお)川は ながれたが、
  丘もはざまも いちめんに、
  まぶしい霜を 載せていた。
 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、
  やっぱりかけると あったかだ、
  僕はホウホウ 汗が出る。
  もう七、八里 馳せたいな、
  今日も一日 霜ぐもり。
 ガタンガタン、ギー、シュウシュウ」

 軽便鉄道の東からの一番列車がすこしあわてたように、こう歌いながらやってきて止まりました。機関車の下からは、力のない湯げが逃げ出して行き、細長いおかしな形の煙突からは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。
 そこで軽便鉄道づきの電信柱どもは、やっと安心したように、ブンブンとうなり、シグナルの柱はカタンと白い腕木をあげました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。
 シグナレスは、ホッと小さなため息をついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞(しま)になっていっぱいに充ち、それはつめたい白光を凍った地面に降らせながら、しずかに東に流れていたのです。
 シグナレスはじっとその雲の行く方をながめました。それから、やさしい腕木をおもいきりそっちの方へ延ばしながら、ほんのかすかに、ひとりごとを言いました。

※ 価格は税込みです。
※ タイトルをクリックすると、無料号はダウンロードを開始、有料号および1MB以上の無料号はダウンロードサイトへジャンプします。