宮沢賢治 みやざわ けんじ
1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21)
詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。




◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


もくじ 
グスコーブドリの伝記 宮沢賢治


ミルクティー*現代表記版
グスコーブドリの伝記
   一 森
   二 テグス工場(こうじょう)
   三 沼(ぬま)ばたけ
   四 クーボー大博士(だいはかせ)
   五 イーハトーヴ火山局(かざんきょく)
   六 サンムトリ火山(かざん)
   七 雲(くも)の海
   八 秋
   九 カルボナード島(とう)

オリジナル版
グスコーブドリの伝記

地名年表人物一覧書籍
難字、求めよ
後記次週予告

※ 製作環境
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*凡例
〈 〉:割り注、もしくは小書き。
〔 〕:編者もしくは、しだによる注。

*底本
底本:「童話集 風の又三郎」岩波文庫、岩波書店
   1951(昭和26)年4月25日第1刷発行
   1997(平成9)年8月4日第70刷発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2004年1月5日作成
2004年3月22日修正
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NDC 分類:K913.8(日本文学/小説.物語)
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グスコーブドリの伝記

宮沢賢治


   一 森

 グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森の中に生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高なだかい木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤んぼうかしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日まいにち森で遊びました。ゴシッ、ゴシッとおとうさんの木をく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木イチゴの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩やまばとくまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ポウ、ポウ、と鳥がねむそうにき出すのでした。
 おかあさんが、家の前の小さなはたけに麦をまいているときは、二人は道にむしろをしいてすわって、ブリキかんでらんの花をたりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のパサパサした頭の上を、まるであいさつするようにきながら、ザアザアザアザアとおりすぎるのでした。
 ブドリが学校がっこうへ行くようになりますと、森はひるのあいだ、たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木のみきに、赤い粘土ねんどや消しずみで、木の名を書いて歩いたり、高くうたったりしました。
 ホップのつるが、両方りょうほうからのびて、もんのようになっている白樺しらかばの木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。
 そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、おさまがはるからへんに白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるコブシの木もまるでかず、五月になってもたびたびみぞれがグシャグシャり、七月のすえになってもいっこうにあつさがないために、去年きょねんまいたむぎつぶの入らない白いしかできず、たいていの果物くだものも、花がいただけでちてしまったのでした。
 そしてとうとうあきになりましたが、やっぱりくりの木は青いからのイガばかりでしたし、みんなでふだんべるいちばんたいせつなオリザという穀物こくもつも、ひとつぶもできませんでした。野原のはらではもう、ひどいさわぎになってしまいました。
 ブドリのおとうさんもおかあさんも、たびたびたきぎ野原のはらのほうへって行ったり、冬になってからはなんべんも大きな木を町へソリではこんだりしたのでしたが、いつもがっかりしたようにして、わずかのむぎこななどってかえってくるのでした。それでも、どうにかその冬はすぎてつぎの春になり、はたけにはたいせつにしまっておいたたねもまかれましたが、その年もまた、すっかり前の年のとおりでした。そして秋になると、とうとうほんとうの飢饉ききんになってしまいました。もうそのころは、学校がっこうる子どももまるでありませんでした。ブドリのおとうさんもおかあさんも、すっかり仕事しごとをやめていました。そしてたびたび心配しんぱいそうに相談そうだんしては、かわるがわるまちへ出て行って、やっとすこしばかりのきびつぶなど持って帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろをわるくして帰ってくることもありました。そしてみんなは、コナラのや、くずやワラビのや、木のやわらかなかわやいろんなものを食べて、その冬をすごしました。
 けれども春がたころは、おとうさんもおかあさんも、なにかひどい病気びょうきのようでした。
 ある日、おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかにきあがって、
「おれは森へ行ってあそんでくるぞ。」と言いながら、よろよろいえを出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。二人がおかあさんに、おとうさんはどうしたろうと聞いても、おかあさんはだまって二人の顔を見ているばかりでした。
 つぎの日の晩方ばんがたになって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、ほだをたくさんくべて家じゅうすっかりあかるくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、おまえたちはうちにいて、あの戸棚とだなにあるこなを二人ですこしずつ食べなさいと言って、やっぱりよろよろ家を出て行きました。二人がいてあとからって行きますと、おかあさんはふりむいて、
「なんたらいうことを聞かない子どもらだ。」としかるように言いました。
 そしてまるで足早あしばやに、つまずきながら森へ入ってしまいました。二人はなんべんも行ったりたりして、そこらをいてまわりました。とうとうこらえきれなくなって、まっくらな森の中へ入って、いつかのホップのもんのあたりや、わき水のあるあたりをあちこちうろうろ歩きながら、おかあさんを一晩ひとばんびました。森の木のあいだからは、ほしがチラチラ何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたようにやみの中をびましたけれども、どこからも人の声はしませんでした。とうとう二人はぼんやり家へ帰って中へ入りますと、まるでんだようにねむってしまいました。
 ブドリが目をさましたのは、その日のひるすぎでした。
 おかあさんの言ったこなのことを思い出して戸棚とだなをあけて見ますと、中には、ふくろに入れたそばやコナラのがまだたくさん入っていました。ブドリはネリをゆりおこして二人でそのこなをなめ、おとうさんたちがいたときのようにに火をたきました。
 それから、二十日はつかばかりぼんやりすぎましたら、ある日、戸口とぐちで、
「こんにちは、だれかいるかね?」というものがありました。おとうさんが帰ってきたのかと思って、ブドリがはね出して見ますと、それはカゴをしょった目のするどい男でした。その男はカゴの中から丸いもちをとり出してポンとげながら言いました。
わたしはこの地方ちほう飢饉ききんたすけにたものだ。さあ、なんでも食べなさい。」二人はしばらくあきれていましたら、
「さあ食べるんだ、食べるんだ。」と、また言いました。二人がこわごわ食べはじめますと、男はじっと見ていましたが、
「おまえたちはいい子どもだ。けれども、いい子どもだというだけではなんにもならん。わしといっしょについておいで。もっとも男の子はつよいし、わしも二人ふたりはつれて行けない。おい女の子、おまえはここにいても、もう食べるものがないんだ。おじさんといっしょに町へ行こう。毎日まいにち、パンを食べさしてやるよ。」そしてプイッとネリをきあげて、背中せなかのカゴへ入れて、そのまま、
「おおおいほい。おおおいほい。」とどなりながら、かぜのように家を出て行きました。ネリはおもてではじめてワッとき出し、ブドリは、
「どろぼう! どろぼう!」ときながらさけんでいかけましたが、男はもう森のよことおってずうっとこうの草原そうげんを走っていて、そこからネリのごえが、かすかにふるえてこえるだけでした。
 ブドリは、いてどなって森のはずれまでいかけて行きましたが、とうとうつかれてばったりたおれてしまいました。

   二 テグス工場こうじょう

 ブドリがフッと目をひらいたとき、いきなり頭の上で、いやにひらべったい声がしました。
「やっと目がさめたな。まだおまえ飢饉ききんのつもりかい。きておれに手伝てつだわないか?」見るとそれはちゃいろなキノコシャッポ〔ぼうしのこと。をかぶって外套がいとうにすぐシャツをた男で、なにか針金はりがねでこさえたものをブラブラ持っているのでした。
「もう飢饉ききんはすぎたの? 手伝てつだえって何を手伝てつだうの?」
 ブドリが聞きました。
あみかけさ。
「ここへあみをかけるの?」
「かけるのさ。
あみをかけて何にするの?」
「テグス天蚕糸蚕テグスサン。ヤママユガ科のガ。カイコのように糸をはく。うのさ。」見るとすぐブドリの前のくりの木に、二人の男がはしごをかけてのぼっていて、一生いっしょうけんめいなにかあみげたり、それをあやつったりしているようでしたが、あみも糸もいっこう見えませんでした。
「あれでテグスがえるの?」
えるのさ。うるさい子どもだな。おい、縁起えんぎでもないぞ。テグスもえないところにどうして工場こうじょうなんかてるんだ。えるともさ。げんにおれをはじめ、たくさんのものが、それでくらしを立てているんだ。
 ブドリはかすれた声で、やっと、
「そうですか。」といいました。
「それにこの森は、すっかりおれがってあるんだから、ここで手伝てつだうならいいが、そうでもなければどこかへ行ってもらいたいな。もっとも、おまえはどこへ行ったって食うものもなかろうぜ。
 ブドリはき出しそうになりましたが、やっとこらえて言いました。
「そんなら手伝てつだうよ。けれども、どうしてあみをかけるの?」
「それはもちろんおしえてやる。こいつをね……」男は、手に持った針金はりがねのカゴのようなものを両手りょうてきのばしました。
「いいか。こういう具合ぐあいにやるとはしごになるんだ。
 男はおおまたに右手のくりの木に歩いて行って、下のえだにひっかけました。
「さあ、今度こんどはおまえが、このあみって上へのぼって行くんだ。さあ、のぼってごらん。
 男はへんまりのようなものをブドリにわたしました。ブドリはしかたなくそれをってはしごにとりついてのぼって行きましたが、はしご段々だんだんがまるでほそくて手や足にいこんでちぎれてしまいそうでした。
「もっとのぼるんだ。もっと、もっとさ。そしたら、さっきのまりげてごらん。くりの木をすようにさ。そいつをそらげるんだよ。なんだい、ふるえてるのかい。いくじなしだなあ。投げるんだよ。投げるんだよ。そら、投げるんだよ。
 ブドリはしかたなくちからいっぱいにそれを青空あおぞらに投げたと思いましたら、にわかにおさまがまっくろに見えてさかしま〔さかさま。に下へおちました。そしていつか、その男にけとめられていたのでした。男はブドリを地面じめんにおろしながらブリブリおこりしました。
「おまえもいくじのないやつだ。なんというフニャフニャだ。おれがけとめてやらなかったら、おまえは今ごろは頭がはじけていたろう。おれはおまえいのち恩人おんじんだぞ。これからは、失礼しつれいなことを言ってはならん。ところで、さあ、こんどはあっちの木へのぼれ。もすこしたったらごはんも食べさせてやるよ。」男はまたブドリへ、新しいまりをわたしました。ブドリははしごってつぎの木へ行ってまりを投げました。
「よし、なかなかじょうずになった。さあ、まりはたくさんあるぞ。なまけるな。木もくりの木ならどれでもいいんだ。
 男はポケットから、まりとおばかり出してブドリにわたすと、スタスタこうへ行ってしまいました。ブドリはまた三つばかりそれを投げましたが、どうしてもいきがハアハアして、からだがだるくてたまらなくなりました。もう家へ帰ろうと思って、そっちへ行ってみますと、おどろいたことには、家にはいつか赤い土管どかん煙突えんとつがついて、戸口とぐちには、「イーハトーヴ・テグス工場こうじょう」という看板かんばんがかかっているのでした。そして中からタバコをふかしながら、さっきの男が出てきました。
「さあ子ども、たべものをってきてやったぞ。これを食べてくらくならないうちに、もうすこしかせぐんだ。
「ぼくはもういやだよ、うちへ帰るよ。
「うちっていうのはあすこか? あすこはおまえのうちじゃない。おれのテグス工場こうじょうだよ。あの家もこのあたりの森もみんなおれがってあるんだからな。
 ブドリはもうやけになって、だまってその男のよこしたしパンをムシャムシャべて、またまりとおばかり投げました。
 そのばんブドリは、むかしのじぶんのうち、いまはテグス工場こうじょうになっている建物たてもののすみに、小さくなってねむりました。
 さっきの男は、三、四人のらない人たちとおそくまでばたで火をたいて、なにかんだりしゃべったりしていました。つぎの朝早くから、ブドリは森に出て、昨日きのうのようにはたらきました。
 それから一月ひとつきばかりたって、森じゅうのくりの木にあみがかかってしまいますと、テグスいの男は、こんどはあわのようなものがいっぱいついたいたきれを、どの木にも五、まいずつつるさせました。そのうちに木はを出して森はまっさおになりました。すると、木につるしたいたきれから、たくさんの小さなあおじろいむしが糸をつたってれつになってえだへはいあがって行きました。
 ブドリたちは、こんどは毎日たきぎとりをさせられました。そのたきぎが、家のまわりに小山こやまのようにみかさなり、くりの木があおじろいひものかたちの花をえだいちめんにつけるころになりますと、あのいたからはいあがって行った虫も、ちょうどくりの花のような色とかたちになりました。そして森じゅうのくりは、まるで形もなくその虫にらされてしまいました。
 それからまもなく、虫は大きないろなマユを、あみの目ごとにかけはじめました。
 するとテグスいの男は、狂気きょうきのようになって、ブドリたちをしかりとばして、そのマユをカゴにあつめさせました。それをこんどはかたっぱしからなべに入れてグラグラて、手でくるまをまわしながら糸をとりました。よるひるもガラガラガラガラ三つの糸車いとぐるまをまわして糸をとりました。こうしてこしらえたいろな糸が小屋こや半分はんぶんばかりたまったころ、そといたマユからは、大きな白いがポロポロポロポロびだしはじめました。テグスいの男は、まるでおにみたいな顔つきになって、じぶんも一生いっしょうけんめい糸をとりましたし、野原のはらのほうからも四人の人をつれてきてはたらかせました。けれどものほうはましに多く出るようになって、しまいには森じゅうまるでゆきでもんでいるようになりました。するとある日、六、だい荷馬車にばしゃがきて、今までにできた糸をみんなつけて、町のほうへ帰りはじめました。みんなも一人ずつ荷馬車にばしゃについて行きました。いちばんしまいの荷馬車にばしゃがたったとき、テグスいの男が、ブドリに、
「おい、おまえ来春らいしゅんまでうくらいのものは、家の中にいてやるからな。それまで、ここで森と工場こうじょうばんをしているんだぞ。
と言って、へんにニヤニヤしながら荷馬車にばしゃについてさっさと行ってしまいました。
 ブドリはぼんやり、あとへのこりました。うちの中はまるできたなくて、あらしのあとのようでしたし、森はれはてて山火事やまかじにでもあったようでした。ブドリがつぎの日、家の中やまわりをかたづけはじめましたら、テグスいの男がいつもすわっていたところからふるいボールがみはこを見つけました。中には十冊じゅっさつばかりのほんがぎっしり入っておりました。ひらいて見ると、テグスの機械きかいがたくさんある、まるでめない本もありましたし、いろいろな木や草の名前なまえいてあるものもありました。
 ブドリはいっしょうけんめい、その本のまねをして字を書いたり、をうつしたりしてその冬をらしました。
 春になりますと、またあの男が六、七人のあたらしい手下てしたをつれて、たいへん立派りっぱななりをしてやってきました。そしてつぎの日からすっかり去年きょねんのような仕事ごとがはじまりました。
 そしてあみはみんなかかり、いろないたもつるされ、虫はえだにはいあがり、ブドリたちはまた、たきぎづくりにかかることになりました。ある朝、ブドリたちがたきぎをつくっていましたら、にわかにグラグラッと地震じしんがはじまりました。それからずうっととおくでドーンという音がしました。
 しばらくたつと、へんくらくなり、こまかなはいがバサバサバサバサってきて、森はいちめんにまっしろになりました。ブドリたちがあきれて木の下にしゃがんでいましたら、テグスいの男がたいへんあわててやってきました。
「おい、みんな、もうだめだぞ! 噴火ふんかだ。噴火ふんかがはじまったんだ! テグスはみんなはいをかぶってんでしまった。みんな早くひきあげてくれ! おい、ブドリ、おまえここにいたかったらいてもいいが、こんどはものいてやらないぞ。それに、ここにいてもあぶないからな。おまえ野原のはらへ出て、なにかかせぐほうがいいぜ。
 そう言ったかと思うと、もうどんどんはしって行ってしまいました。ブドリが工場こうじょうへ行って見たときは、もう、だれもおりませんでした。そこでブドリは、しょんぼりとみんなの足跡あしあとのついた白いはいをふんで野原のはらのほうへ出て行きました。

   三 ぬまばたけ

 ブドリは、いっぱいにはいをかぶった森のあいだを、町のほうへ半日はんにち歩きつづけました。はいかぜくたびに木からバサバサ落ちて、まるでけむりか吹雪ふぶきのようでした。けれどもそれは野原のはらへ近づくほど、だんだんあさすくなくなって、ついには木もみどりに見え、みちの足跡あしあとも見えないくらいになりました。
 とうとう森をきったとき、ブドリはおもわず目をみはりました。野原のはらは目の前から、遠くのまっしろなくもまで、うつくしいももいろとみどりはいいろのカードでできているようでした。そばへって見ると、そのももいろなのには、いちめんにひくい花がいていて、ミツバチがいそがしく花から花をわたって歩いていましたし、みどりいろなのには小さなを出して草がぎっしりはえ、はいいろなのはあさどろぬまでした。そしてどれも、ひくはばのせまい土手どてでくぎられ、人はうま使つかってそれをりおこしたり、かきまわしたりしてはたらいていました。
 ブドリがその間を、しばらく歩いて行きますと、道のまんなかに二人の人が、大声おおごえでなにかケンカでもするように言い合っていました。右側みぎがわのほうのひげのあかい人が言いました。
「なんでもかんでも、おれは山師やましるときめた。
 すると、も一人の白いかさをかぶった、の高いおじいさんが言いました。
「やめろって言ったらやめるもんだ。そんなに肥料ひりょううんと入れて、わらはとれるたって、一粒ひとつぶもとれるもんでない。
「うんにゃ、おれの見込みこみでは、ことしは今までの三年分あついに相違そういない。一年で三年分とってみせる。
「やめろ。やめろ。やめろったら!」
「うんにゃ、やめない。花はみんなめてしまったから、こんどは豆玉まめたまを六十まい入れて、それからニワトリのかえし、百だん入れるんだ。いそがしったらなんの、こういそがしくなればササゲのツルでもいいから手伝てつだいにたのみたいもんだ。
 ブドリはおもわず近寄ちかよっておじぎをしました。
「そんならぼくを使つかってくれませんか?」
 すると二人は、ギョッとしたように顔をあげて、あごに手をあててしばらくブドリを見ていましたが、赤ひげがにわかにわらい出しました。
「よしよし。おまえうま指竿させとりをたのむからな。すぐ、おれについて行くんだ。それではまず、のるかそるか、秋まで見ててくれ。さあ行こう。ほんとに、ササゲのツルでもいいからたのみたい時でな。」赤ひげは、ブドリとおじいさんにかわるがわる言いながら、さっさと先に立って歩きました。あとではおじいさんが、
年寄としよりの言うこと聞かないで、いまにくんだな。」とつぶやきながら、しばらくこっちを見送みおくっているようすでした。
 それからブドリは、毎日まいにち毎日まいにちぬまばたけへ入って馬を使ってどろをかきまわしました。一日ごとにももいろのカードもみどりのカードもだんだんつぶされて、泥沼どろぬまわるのでした。馬はたびたびピシャッと泥水どろみずをはねあげて、みんなの顔へちつけました。一つのぬまばたけがすめば、すぐつぎぬまばたけへ入るのでした。一日がとても長くて、しまいには歩いているのかどうかもわからなくなったり、どろあめのような、水がスープのようながしたりするのでした。かぜなんべんもいてきて、近くの泥水どろみずさかなのうろこのようななみをたて、遠くの水をブリキいろにしていきました。そらでは、毎日まいにちあまくすっぱいようなくもが、ゆっくりゆっくりながれていて、それがじつにうらやましそうに見えました。
 こうして二十日はつかばかりたちますと、やっとぬまばたけはすっかりドロドロになりました。つぎの朝から主人しゅじんはまるでが立って、あちこちからあつまってきた人たちといっしょに、そのぬまばたけにみどりいろのやりのようなオリザのなえをいちめんえました。それが十日ばかりですむと、今度こんどはブドリたちをつれて、今まで手伝てつだってもらった人たちの家へ毎日まいにちはたらきにでかけました。それもやっとひとまわりすむと、こんどはまたじぶんのぬまばたけへもどってきて、毎日まいにち毎日草取くさとりをはじめました。ブドリの主人しゅじんなえは大きくなってまるでくろいくらいなのに、となりのぬまばたけはぼんやりしたうすいみどりいろでしたから、遠くから見ても、二人のぬまばたけははっきりさかいまで見わかりました。七日ばかりで草取くさとりがすむと、またほかへ手伝てつだいに行きました。
 ところがある朝、主人しゅじんはブドリをつれて、じぶんのぬまばたけをとおりながら、にわかに「あっ!」とさけんで棒立ぼうだちになってしまいました。見るとくちびるのいろまで水いろになって、ぼんやりまっすぐを見つめているのです。
病気びょうきが出たんだ。主人しゅじんがやっと言いました。
「頭でもいたいんですか?」ブドリは聞きました。
「おれでないよ。オリザよ。それ。主人しゅじんは前のオリザのかぶをゆびさしました。ブドリはしゃがんでしらべてみますと、なるほど、どのにも、いままで見たことのない赤い点々てんてんがついていました。主人しゅじんはだまってしおしおとぬまばたけをひとまわりしましたが、家へ帰りはじめました。ブドリも心配しんぱいしてついて行きますと、主人しゅじんはだまってきれを水でしぼって、頭にのせると、そのままいたてしまいました。するとまもなく、主人しゅじんのおかみさんがおもてからかけこんできました。
「オリザへ病気びょうきが出たというのはほんとうかい?」
「ああ、もうだめだよ。
「どうにかならないのかい?」
「だめだろう。すっかり五年前のとおりだ。
「だから、あたしはあんたに山師やましをやめろといったんじゃないか。おじいさんも、あんなにとめたんじゃないか。
 おかみさんはおろおろきはじめました。すると主人しゅじんがにわかに元気げんきになってむっくりきあがりました。
「よし。イーハトーヴの野原のはらで、ゆびおりかぞえられる大百姓おおびゃくしょうのおれが、こんなことでまいるか。よし。来年らいねんこそやるぞ。ブドリ、おまえ、おれのうちへてから、まだ一晩ひとばんたいくらいたことがないな。さあ、五日でも十日でもいいから、グウというくらいてしまえ。おれはそのあとで、あすこのぬまばたけでおもしろい手品てづま手品てじなをやって見せるからな。そのかわりことしの冬は、家じゅうソバばかりうんだぞ。おまえ、ソバはすきだろうが。」それから主人しゅじんは、さっさと帽子ぼうしをかぶってそとへ出て行ってしまいました。
 ブドリは主人しゅじんに言われたとおり納屋なやへ入ってねむろうと思いましたが、なんだかやっぱりぬまばたけがになってしかたないので、また、のろのろそっちへ行ってみました。すると、いつていたのか、主人しゅじんがたった一人ひとり腕組うでぐみをして土手どてに立っておりました。見るとぬまばたけには水がいっぱいで、オリザのかぶをやっと出しているだけ、上にはギラギラ石油せきゆかんでいるのでした。主人しゅじんが言いました。
「いまおれ、この病気びょうきころしてみるところだ。
石油せきゆ病気びょうきたねぬんですか?」とブドリが聞きますと、主人しゅじんは、
「頭から石油せきゆにつけられたら、人だってぬだ。」といいながら、ホウといきって首をちぢめました。そのとき、水下みなしもぬまばたけのぬしが、かたをいからして、いきってかけてきて、大きな声でどなりました。
「なんだってあぶらなど水へいれるんだ! みんなながれてきて、おれのほうへ入ってるぞ!」
 主人しゅじんは、やけくそにおちついてこたえました。
「なんだってあぶらなど水へ入れるったって、オリザへ病気びょうがついたから、あぶらなど水へ入れるのだ。
「なんだってそんなら、おれのほうへ流すんだ?」
「なんだってそんなら、おまえのほうへ流すったって、水は流れるからあぶらもついて流れるのだ。
「そんならなんだって、おれのほうへ水こないように水口みなくちとめないんだ?」
「なんだっておまえのほうへ水行かないように水口みなくちとめないかったって、あすこはおれの水口みなくちでないから水とめないのだ。
 となりの男は、カンカンおこってしまってもうものも言えず、いきなりガブガブ水へ入って、自分の水口みなくちどろみあげはじめました。主人しゅじんはニヤリとわらいました。
「あの男、むずかしい男でな。こっちで水をとめると、とめたといっておこるから、わざとこうにとめさせたのだ。あすこさえとめれば今夜こんやじゅうに水はすっかり草の頭までかかるからな。さあ帰ろう。主人しゅじんは先に立って、すたすた家へ歩きはじめました。
 つぎの朝、ブドリはまた主人しゅじんぬまばたけへ行ってみました。主人しゅじんは水の中からを一枚とってしきりにしらべていましたが、やっぱりうかない顔でした。そのつぎの日もそうでした。そのつぎの日もそうでした。そのつぎの日もそうでした。そのつぎの朝、とうとう主人しゅじん決心けっしんしたように言いました。
「さあブドリ、いよいよここへソバきだぞ。おまえあすこへ行って、となりの水口みなくちこわしてこい。
 ブドリは、言われたとおりこわしてきました。石油せきゆの入った水は、おそろしいいきおいでとなりのへ流れて行きます。きっと、またおこってくるなと思っていますと、ひるごろれいのとなりの持ち主が、大きなかまを持ってやってきました。
「やあ、なんだって人の石油せきゆ流すんだ!」
 主人しゅじんがまた、はらそこから声を出してこたえました。
石油せきゆ流れれば、なんだってわるいんだ?」
「オリザ、みんなぬでないか!」
「オリザみんなぬか、オリザみんななないか、まずおれのぬまばたけのオリザ見なよ。きょうで四日、頭から石油せきゆかぶせたんだ。それでもちゃんとこのとおりでないか。赤くなったのは病気びょうきのためで、いきおいのいいのは石油せきゆのためなんだ。おまえのところなど、石油せきゆがただオリザの足をとおるだけでないか。かえっていいかもしれないんだ。
石油せきゆ、こやしになるのか?」こうの男はすこし顔いろをやわらげました。
石油せきゆ、こやしになるか、石油せきゆこやしにならないからないが、とにかく石油せきゆあぶらでないか。
「それは石油せきゆあぶらだな。」男はすっかりきげんをなおしてわらいました。水はどんどん退き、オリザのかぶは見る見るもとまで出てきました。すっかり赤いまだらができてけたようになっています。
「さあ、おれのところではもうオリザりをやるぞ。
 主人しゅじんわらいながら言って、それからブドリといっしょに、かたっぱしからオリザのかぶり、あとへすぐソバをまいて土をかけて歩きました。そしてその年は、ほんとうに主人しゅじんの言ったとおり、ブドリの家ではソバばかり食べました。つぎの春になると主人しゅじんが言いました。
「ブドリ、ことしはぬまばたけは去年きょねんよりは三分の一ったからな、仕事しごとはよほどらくだ。そのかわりおまえは、おれのんだ息子むすこんだ本をこれから一生いっしょうけんめい勉強べんきょうして、今までおれを山師やましだといってわらったやつらを、アッと言わせるような立派りっぱなオリザを作るくふうをしてくれ。
 そして、いろいろな本を一山ひとやま、ブドリにわたしました。ブドリは仕事しごとのひまにかたっぱしからそれをみました。ことにその中の、クーボーという人の物のかんがえ方をおしえた本はおもしろかったので、何べんもみました。またその人が、イーハトーヴので一か月の学校がっこうをやっているのを知って、たいへん行ってならいたいと思ったりしました。
 そして早くもその夏、ブドリは大きな手柄てがらをたてました。それは去年きょねんと同じころ、またオリザに病気びょうきができかかったのを、ブドリが木のはい食塩しおを使ってくいとめたのでした。そして八月のなかばになると、オリザのかぶはみんなそろってを出し、その一枝ひとえだごとに小さな白い花がき、花はだんだん水いろのもみにかわって、かぜにゆらゆら波をたてるようになりました。主人しゅじんはもう得意とくい絶頂ぜっちょうでした。る人ごとに、
「なんの、おれも、オリザの山師やましで四年しくじったけれども、ことしは一度いちどに四年分とれる。これもまた、なかなかいいもんだ。」などと言って自慢じまんするのでした。
 ところがそのつぎの年は、そうはいきませんでした。えつけのころからさっぱり雨がらなかったために、水路すいろはかわいてしまい、ぬまにはひびが入って、秋のとりいれはやっと冬じゅう食べるくらいでした。来年こそと思っていましたが、つぎの年もまた同じようなひでりでした。それからも、来年こそ来年こそと思いながら、ブドリの主人しゅじんは、だんだんこやしを入れることができなくなり、馬もり、ぬまばたけもだんだんってしまったのでした。
 ある秋の日、主人しゅじんはブドリにつらそうに言いました。
「ブドリ、おれももとはイーハトーヴの大百姓おおびゃくしょうだったし、ずいぶんかせいでもきたのだが、たびたびのさむさと旱魃かんばつのために、いまではぬまばたけもむかしの三分の一になってしまったし、来年はもう入れるこやしもないのだ。おれだけでない。来年こやしをって入れれる人ったら、もうイーハトーヴにも何人もないだろう。こういうあんばいでは、いつになっておまえにはたらいてもらったれいをするというあてもない。おまえもわかはたらきざかりを、おれのとこでらしてしまってはあんまりどくだから、すまないがどうかこれを持って、どこへでも行っていいうんを見つけてくれ。」そして主人しゅじんは、ひとふくろのおかねあたらしいこんめたあさふく赤皮あかがわくつとをブドリにくれました。
 ブドリは今までの仕事しごとのひどかったこともわすれてしまって、もう何もいらないから、ここではたらいていたいとも思いましたが、考えてみると、いてもやっぱり仕事ごともそんなにないので、主人しゅじんに何べんも何べんもれいを言って、六年のあいだはたらいたぬまばたけと主人しゅじんにわかれて、停車場ていしゃばをさして歩きだしました。

   四 クーボー大博士だいはかせ

 ブドリは二時間ばかり歩いて、停車場ていしゃばへ来ました。それから切符きっぷって、イーハトーヴ行きの汽車きしゃりました。汽車はいくつものぬまばたけをどんどんどんどんうしろへ送りながら、もう一散いっさんに走りました。その向こうには、たくさんの黒い森が、次から次とかたちえて、やっぱりうしろのほうへのこされていくのでした。ブドリはいろいろな思いでむねがいっぱいでした。早くイーハトーヴのいて、あの親切しんせつな本を書いたクーボーという人にい、できるなら、はたらきながら勉強べんきょうして、みんながあんなにつらい思いをしないでぬまばたけを作れるよう、また、火山かざんはいだのひでりだのさむさだのをのぞくくふうをしたいと思うと、汽車きしゃさえまどろこくってたまらないくらいでした。汽車はその日のひるすぎ、イーハトーヴのにつきました。停車場ていしゃば一足ひとあし出ますと、地面じめんそこから、なにか、のんのんわくようなひびきやどんよりとしたくら空気くうき、行ったりたりするたくさんの自動車じどうしゃに、ブドリはしばらくぼうとしてつっってしまいました。やっとをとりなおして、そこらの人にクーボー博士はかせ学校がっこうへ行く道をたずねました。するとだれへ聞いても、みんなブドリのあまりまじめな顔を見て、ふきだしそうにしながら、
「そんな学校がっこうらんね。」とか、
「もう五、ちょう行って聞いてみな。」とかいうのでした。そしてブドリがやっと学校がっこうをさがしあてたのは、もう夕方ゆうがた近くでした。その大きなこわれかかった白い建物たてもの二階にかいで、だれか大きな声でしゃべっていました。
「こんにちは!」ブドリは高くさけびました。だれも出てきませんでした。
「こんにちはァ!」ブドリはあらんかぎり高くさけびました。すると、すぐ頭の上の二階のまどから、大きなはいいろの顔が出て、めがねが二つギラリとひかりました。それから、
「今、授業中じゅぎょうちゅうだよ、やかましいやつだ。ようがあるなら入ってこい。」とどなりつけて、すぐ顔をひっこめますと、中ではおおぜいでどっとわらい、その人はかまわずまた、なにか大声おおごえでしゃべっています。
 ブドリはそこでおもいきって、なるべく足音あしおとをたてないように二階にあがって行きますと、階段かいだんのつきあたりのとびらがあいていて、じつに大きな教室きょうしつが、ブドリのまっ正面しょうめんにあらわれました。中には、さまざまの服装ふくそうをした学生がくせいがぎっしりです。向こうは大きな黒いかべになっていて、そこにたくさんの白いせんが引いてあり、さっきのの高いめがねをかけた人が、大きなやぐらの形の模型もけいをあちこちゆびさしながら、さっきのままの高い声で、みんなに説明せつめいしておりました。
 ブドリはそれを一目ひとめ見ると、ああ、これは先生の本に書いてあった歴史れきし歴史れきしということの模型もけいだなと思いました。先生はわらいながら、一つのとってをまわしました。模型もけいはガチッとって奇体きたいふねのような形になりました。またガチッととってをまわすと、模型もけいはこんどは大きなムカデのような形にわりました。
 みんなはしきりに首をかたむけて、どうもわからんというふうにしていましたが、ブドリにはただおもしろかったのです。
「そこで、こういうができる。」先生は黒いかべべつのこみいったをどんどん書きました。
 左手にもチョークを持って、さっさと書きました。学生たちもみんな一生いっしょうけんめいそのまねをしました。ブドリもふところから、今までぬまばたけで持っていた、きたない手帳てちょうを出してを書きとりました。先生はもう書いてしまって、だんの上にまっすぐに立って、じろじろ学生たちのせきを見まわしています。ブドリも書いてしまって、その縦横たてよこから見ていますと、ブドリのとなりで一人の学生が、
「アアア。」とあくびをしました。ブドリはそっと聞きました。
「ね、この先生はなんて言うんですか?」
 すると学生はバカにしたようにはなわらいながらこたえました。
「クーボー大博士だいはかせさ、おまえ、知らなかったのかい?」それからジロジロ、ブドリのようすを見ながら、
「はじめから、このなんか書けるもんか。ぼくでさえ同じ講義こうぎを、もう六年も聞いているんだ。
といって、じぶんのノートをふところへしまってしまいました。そのとき教室きょうしつに、パッと電灯でんとうがつきました。もう夕方ゆうがただったのです。大博士だいはかせがむこうで言いました。
「いまやゆうべははるかにきたり、拙講せっこうもまた全課ぜんかえた。諸君しょくんのうちの希望者きぼうしゃは、けだしいつものれいにより、そのノートをば拙者せっしゃしめし、さらに数個すうこ試問しもんけて、所属しょぞくけっすべきである。」学生たちはワアとさけんで、みんなバタバタ、ノートをとじました。それからそのまま帰ってしまうものが大部分だいぶぶんでしたが、五、六十人は一列いちれつになって大博士だいはかせの前をとおりながらノートをひらいて見せるのでした。すると大博士だいはかせはそれをちょっと見て、一言ひとこと二言ふたこと質問しつもんをして、それからチョークでえりへ、「合」とか、「再来」とか、奮励ふんれい」とか書くのでした。学生はそのあいだ、いかにも心配しんぱいそうに首をちぢめているのでしたが、それからそっとかたをすぼめて廊下ろうかまで出て、友だちにそのしるしをんでもらって、よろこんだりしょげたりするのでした。
 ぐんぐん試験しけんがすんで、いよいよブドリ一人になりました。ブドリがその小さなきたない手帳てちょうを出したとき、クーボー大博士だいはかせは大きなあくびをやりながら、かがんで目をグッと手帳てちょうにつけるようにしましたので、手帳てちょうはあぶなく大博士だいはかせいこまれそうになりました。
 ところが大博士だいはかせは、うまそうにコクッと一ついきをして、「よろしい。この非常ひじょうただしくできている。そのほかのところは、なんだ。ははあ、ぬまばたけのこやしのことに、馬のもののことかね。では、問題もんだいこたえなさい。工場こうじょう煙突えんとつから出るけむりには、どういう色の種類しゅるいがあるか?」
 ブドリは、おもわず大声おおごえこたえました。
くろかつはい、白、無色むしょく。それからこれらの混合こんごうです。
 大博士だいはかせわらいました。
無色むしょくのけむりはたいへんいい。形について言いたまえ。
無風むふうけむりがそうとうあれば、たてのぼうにもなりますが、先はだんだんひろがります。くも非常ひじょうひくい日は、ぼうくもまでのぼって行って、そこから横にひろがります。かぜのある日は、ぼうななめになりますが、そのかたむきはかぜ程度ていどにしたがいます。波やいくつもきれになるのは、かぜのためにもよりますが、一つはけむりや煙突えんとつのもつくせのためです。あまりけむりの少ないときは、コルクぬきの形にもなり、けむりおもいガスがまじれば、煙突えんとつの口からふさになって、一方いっぽうないし四方しほうにおちることもあります。
 大博士だいはかせはまたわらいました。
「よろしい。きみはどういう仕事しごとをしているのか?」
仕事しごとをみつけにたんです。
「おもしろい仕事しごとがある。名刺めいしをあげるから、そこへすぐ行きなさい。博士はかせ名刺めいしをとり出して、なにかスルスル書きこんでブドリにくれました。ブドリはおじぎをして、戸口とぐちを出て行こうとしますと、大博士だいはかせはちょっと目でこたえて、
「なんだ、ゴミをいてるのかな……」とひくくつぶやきながら、テーブルの上にあったカバンに、チョークのかけらや、ハンケチや本や、みんないっしょにげこんで小わきにかかえ、さっき顔を出したまどから、プイッとそとび出しました。びっくりしてブドリがまどへかけよって見ますと、いつか大博士だいはかせ玩具おもちゃのような小さな飛行船ひこうせんって、じぶんでハンドルをとりながら、もう、うすあおもやのこめた町の上を、まっすぐに向こうへんでいるのでした。ブドリがいよいよあきれて見ていますと、まもなく大博士だいはかせは、向こうの大きなはいいろの建物たてもの平屋根ひらやねについて、ふねなにか、カギのようなものにつなぐと、そのままポロッと建物たてものの中へ入って見えなくなってしまいました。

   五 イーハトーヴ火山局かざんきょく

 ブドリが、クーボー大博士だいはかせからもらった名刺めいしのあてをたずねて、やっとついたところは大きなちゃいろの建物たてもので、うしろにはふさのような形をした高いはしらが、夜のそらにくっきり白く立っておりました。ブドリは玄関げんかんにあがってりんしますと、すぐ人が出てきて、ブドリの出した名刺めいしけとり、一目ひとめ見ると、すぐブドリをつきあたりの大きなへや案内あんないしました。
 そこには、今までに見たこともないような大きなテーブルがあって、そのまんなかに、一人のすこしかみの白くなった人のよさそうな立派りっぱな人が、きちんとすわって耳に受話器じゅわきをあてながら何か書いていました。そしてブドリの入ってきたのを見ると、すぐ横のイスをゆびさしながら、またつづけて何か書きつけています。
 そのへやの右手のかべいっぱいに、イーハトーヴ全体ぜんたい地図ちずが、うつくしくいろどった大きな模型もけいに作ってあって、鉄道てつどうも町も川も野原のはらもみんな一目ひとめでわかるようになっており、そのまんなかを走る背骨せぼねのような山脈さんみゃくと、海岸かいがんにそってふちをとったようになっている山脈さんみゃく、またそれからえだを出して海の中に点々てんてんしまをつくっている一列いちれつ山々やまやまには、みんな赤やだいだいかりがついていて、それがかわるがわる色がわったりジーとセミのようにったり、数字すうじがあらわれたりえたりしているのです。下のかべにそったたなには、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらいならんで、みんなしずかにうごいたりったりしているのでした。ブドリがわれをわすれて見とれておりますと、その人が受話器じゅわきをコトッといて、ふところから名刺めいし入れを出して、一枚の名刺めいしをブドリに出しながら「あなたが、グスコーブドリくんですか。わたしはこういうものです。」といいました。見ると、〔イーハトーヴ火山局かざんきょく技師ぎしペンネンナーム〕と書いてありました。その人は、ブドリのあいさつになれないでモジモジしているのを見ると、かさねて親切しんせつにいいました。
「さっき、クーボー博士はかせから電話でんわがあったのでおちしていました。まあこれから、ここで仕事しごとをしながらしっかり勉強べんきょうしてごらんなさい。ここの仕事しごとは、去年きょねんはじまったばかりですが、じつに責任せきにんのあるもので、それに半分はんぶんはいつ噴火ふんかするかわからない火山かざんの上で仕事ごとするものなのです。それに火山かざんくせというものは、なかなか学問がくもんでわかることではないのです。われわれは、これからよほどしっかりやらなければならんのです。では、今晩こんばんはあっちにあなたのまるところがありますから、そこでゆっくりおやすみなさい。あした、この建物たてものじゅうをすっかり案内あんないしますから。
 つぎの朝、ブドリはペンネン老技師ろうぎしにつれられて、建物たてものの中をいちいちつれて歩いてもらい、さまざまの機械きかいやしかけをくわしくおそわりました。その建物たてものの中のすべての器械きかいはみんなイーハトーヴじゅうの三百いくつかの活火山かっかざん休火山きゅうかざんつづいていて、それらの火山かざんのけむりやはいいたり、溶岩ようがんを流したりしているようすはもちろん、みかけはじっとしているふる火山かざんでも、その中の溶岩ようがんやガスのもようから、山の形のわりようまで、みんな数字すうじになったりになったりして、あらわれてくるのでした。そしてはげしい変化へんかのあるたびに、模型もけいはみんな別々べつべつの音でるのでした。
 ブドリは、その日からペンネン老技師ろうぎしについて、すべての器械きかいのあつかい方や観測かんそくのしかたをならい、夜も昼も一心いっしんにはたらいたり勉強べんきょうしたりしました。そして二年ばかりたちますと、ブドリはほかの人たちといっしょにあちこちの火山かざん器械きかいをすえつけに出されたり、すえつけてある器械きかいわるくなったのを修繕しゅうぜんにやられたりもするようになりましたので、もうブドリにはイーハトーヴの三百いくつの火山かざんと、そのはたらきぐあいはたなごころの中にあるようにわかってきました。
 じつにイーハトーヴには、七十いくつの火山かざん毎日まいにちけむりをあげたり、溶岩ようがんを流したりしているのでしたし、五十いくつかの休火山きゅうかざんは、いろいろなガスをいたり、あついを出したりしていました。そしてのこりの百六、七十の死火山しかざんのうちにも、いつまた何をはじめるかわからないものもあるのでした。
 ある日、ブドリが老技師ろうぎしとならんで仕事しごとをしておりますと、にわかにサンムトリという南のほうの海岸かいがんにある火山かざんが、ムクムク、器械きかいかんじ出してきました。老技師ろうぎしがさけびました。
「ブドリくん! サンムトリは、今朝けさまでなにもなかったね。
「はい、今までサンムトリのはたらいたのを見たことがありません。
「ああ、これはもう噴火ふんかが近い。今朝けさ地震じしん刺激しげきしたのだ。この山の北十キロのところにはサンムトリのがある。今度こんど爆発ばくはつすれば、たぶん山は三分の一、北側きたがわをはねとばして、うしやテーブルぐらいのいわあつはいやガスといっしょに、どしどしサンムトリにおちてくる。どうでも今のうちに、この海に向いたほうへボーリングを入れて傷口きずぐちをこさえて、ガスをくか溶岩ようがんを出させるかしなければならない。今すぐ二人で見に行こう。」二人はすぐにしたくして、サンムトリ行きの汽車きしゃりました。

   六 サンムトリ火山かざん

 二人はつぎの朝、サンムトリのき、ひるごろサンムトリ火山かざんいただき近く、観測かんそく器械きかいいてある小屋こやのぼりました。そこは、サンムトリ山の古い噴火口ふんかこう外輪山がいりんざんが、海のほうへむいてけたところで、その小屋こやまどからながめますと、海は青やはいいろのいくつものしまになって見え、その中を汽船きせんは黒いけむりをはき、ぎんいろの水脈みおをひいていくつもすべっているのでした。
 老技師ろうぎしはしずかにすべての観測機かんそくき調しらべ、それからブドリに言いました。
「きみは、この山はあと何日なんにちぐらいで噴火ふんかすると思うか?」
一月ひとつきはもたないと思います。
一月ひとつきはもたない。もう十日ももたない。早く工作こうさくしてしまわないと、とりかえしのつかないことになる。わたしはこの山の海にいたほうでは、あすこがいちばんよわいと思う。老技師ろうぎし山腹さんぷくたにの上のうすみどり草地くさちをゆびさしました。そこを、くもかげがしずかに青くすべっているのでした。
「あすこには溶岩ようがんそうが二つしかない。あとは、やわらかな火山灰かざんばい火山礫かざんれきそうだ。それに、あすこまでは牧場ぼくじょうの道も立派りっぱにあるから、材料ざいりょうを運ぶことも造作ぞうさない。ぼくは工作隊こうさくたい申請しんせいしよう。
 老技師ろうぎしは、いそがしくきょく発信はっしんをはじめました。そのとき、足の下では、つぶやくようなかすかな音がして、観測かんそく小屋ごやはしばらくギシギシきしみました。老技師ろう器械きかいをはなれました。
きょくからすぐ工作隊こうさくたいを出すそうだ。工作隊こうさくたいといっても半分はんぶん決死隊けっしたいだ。わたしは今までに、こんな危険きけんせまった仕事ごとをしたことがない。
「十日のうちにできるでしょうか?」
「きっとできる。装置そうちには三日、サンムトリ発電所はつでんしょから、電線でんせんをひいてくるには五日かかるな。
 技師ぎしはしばらくゆびって考えていましたが、やがて安心あんしんしたようにまた、しずかに言いました。
「とにかくブドリくん。一つちゃをわかしてもうではないか。あんまりいい景色けしきだから。
 ブドリは持ってきたアルコールランプに火を入れて、ちゃをわかしはじめました。空にはだんだんくもが出て、それに日ももうちたのか、海はさびしいはいいろにわり、たくさんの白いなみがしらは、いっせいに火山かざんのすそによせてきました。
 ふと、ブドリはすぐ目の前に、いつか見たことのあるおかしな形の小さな飛行船ひこうせんんでいるのを見つけました。老技師ろうぎしもはねあがりました。
「あ、クーボー君がやってきた。」ブドリもつづいて小屋をとび出しました。飛行船ひこうせんはもう小屋こや左側ひだりがわの大きな岩のかべの上にとまって、中からの高いクーボー大博士だいはかがヒラリとびおりていました。博士はかせはしばらくそのへんの岩の大きなさけ目をさがしていましたが、やっとそれを見つけたと見えて、手早てばやくネジをしめて飛行船こうせんをつなぎました。
「おちゃをよばれにきたよ。ゆれるかい?」大博士だいはかせはニヤニヤわらって言いました。老技師ろうぎしこたえました。
「まだ、そんなでない。けれども、どうも岩がボロボロ上からちているらしいんだ。
 ちょうどその時、山はにわかにおこったようにり出し、ブドリは目の前が青くなったように思いました。山はグラグラつづけてゆれました。見るとクーボー大博士だいはかせ老技師ろうぎしも、しゃがんで岩へしがみついていましたし、飛行船ひこうせんも大きな波にったふねのようにゆっくりゆれておりました。
 地震じしんはやっとやみ、クーボー大博士だいはかせきあがってスタスタと小屋こやへ入って行きました。中ではおちゃがひっくりかえって、アルコールが青くポカポカえていました。クーボー大博士だいはかせ器械きかいをすっかり調しらべて、それから老技師ろうぎしといろいろはなしました。そしてしまいに言いました。
「もうどうしても、来年らいねん潮汐ちょうせき発電所はつでんしょ全部ぜんぶ作ってしまわなければならない。それができれば、今度こんどのような場合ばあいにもその日のうちに仕事しごとができるし、ブドリくんが言っているぬまばたけの肥料ひりょうらせられるんだ。
旱魃かんばつだって、ちっともこわくなくなるからな。」ペンネン技師ぎしも言いました。ブドリはむねがワクワクしました。山までおどりあがっているように思いました。じっさい山は、そのときはげしくゆれだして、ブドリはゆかげ出されていたのです。大博士だいはかせがいいました。
「やるぞ、やるぞ。今のはサンムトリのへも、かなりかんじたにちがいない。
 老技師ろうぎしがいいました。
「今のはぼくらの足もとから、北へ一キロばかり、地表下ひょう七百メートルぐらいのところで、この小屋こやの六、七十ばいぐらいの岩のかたまり溶岩ようがんの中へちこんだらしいのだ。ところが、ガスがいよいよ最後さいごの岩のかわをはねばすまでには、そんなかたまりを百も二百も、じぶんのからだの中にとらなければならない。
 大博士だいはかせはしばらく考えていましたが、
「そうだ、ぼくはこれで失敬しっけいしよう。」といって小屋こやを出て、いつかひらりとふねってしまいました。老技師ろうとブドリは、大博士だいはかせかりを二、ふってあいさつしながら、山をまわってこうへ行くのを見送みおくって、また小屋こやに入り、かわるがわるねむったり観測かんそくしたりしました。そしてがたふもとへ工作隊こうさくたいがつきますと、老技師ろうぎしはブドリを一人ひとり小屋こやのこして、昨日きのうゆびさしたあの草地くさちまでりて行きました。みんなの声や、てつ材料ざいりょうのふれあう音は、下からかぜきあげるときは、手にとるように聞こえました。ペンネン技師ぎしからはひっきりなしに、むこうの仕事しごとすすみぐあいも知らせてよこし、ガスの圧力あつりょくや山の形のわりようもたずねてきました。それから三日のあいだは、はげしい地震しん地鳴じなりのなかで、ブドリのほうもふもとのほうも、ほとんどるひまさえありませんでした。その四日目の午前ごぜん老技師ろうぎしからの発信はっしんが言ってきました。
「ブドリ君だな。すっかりしたくができた。いそいでりてきたまえ。観測かんそく器械きかいはいっぺん調しらべてそのままにして、ひょう全部ぜんぶ持ってくるのだ。もう、その小屋こやはきょうの午後ごごにはなくなるんだから。
 ブドリはすっかり言われたとおりにして山をりて行きました。そこには今まできょく倉庫そうこにあった大きな鉄材てつざいが、すっかりやぐらみ立っていて、いろいろな器械かいはもう電流でんりゅうさえくれば、すぐにはたらき出すばかりになっていました。ペンネン技師ぎしのほおはげっそりち、工作隊こうさくたいの人たちもあおざめて目ばかりひからせながら、それでもみんなわらってブドリにあいさつしました。
 老技師ろうぎしがいいました。
「では、ひきあげよう。みんなしたくして車にりたまえ。」みんなは大いそぎで二十台の自動車じどうしゃりました。車はれつになって山のすそを一散いっさんにサンムトリのに走りました。ちょうど山ととのまんなかどこで、技師ぎし自動車じどうしゃをとめさせました。「ここへテントをはりたまえ。そして、みんなでるんだ。」みんなは、物をひとこともいえずに、そのとおりにして、たおれるようにねむってしまいました。その午後ごご老技師ろうぎし受話器じゅわきいてさけびました。
「さあ、電線でんせんとどいたぞ。ブドリ君、はじめるよ。老技師ろうぎしはスイッチを入れました。ブドリたちは、テントの外に出て、サンムトリの中腹ちゅうふくを見つめました。野原はらには、白百合しらゆりがいちめんにき、その向こうにサンムトリが青くひっそり立っていました。
 にわかにサンムトリの左のすそがグラグラっとゆれ、まっくろなけむりがパッと立ったと思うとまっすぐに天までのぼって行って、おかしなキノコの形になり、その足もとから黄金色きんいろ溶岩ようがんがキラキラ流れ出して、見るまにずうっと扇形おうぎがたにひろがりながら海へ入りました。と思うと地面じめんははげしくグラグラゆれ、ユリの花もいちめんゆれ、それからゴウッというような大きな音が、みんなをたおすくらい強くやってきました。それからかぜがドウッといて行きました。
「やったやった。」とみんなはそっちに手をのばして高くさけびました。このときサンムトリのけむりは、くずれるようにそらいっぱいひろがってきましたが、たちまちそらはまっくらになって、あつ小石こいしがバラバラバラバラってきました。みんなはテントの中に入って心配しんぱいそうにしていましたが、ペンネン技師ぎしは、時計とけいを見ながら、
「ブドリ君、うまくいった。危険きけんはもうまったくない。のほうへははいをすこしらせるだけだろう。」といいました。小石こいしはだんだんはいわりました。それもまもなくうすくなって、みんなはまたテントの外へび出しました。野原のはらはまるで一めんねずみいろになって、はいはちょっとばかりもり、ユリの花はみんなれてはいにうまり、そらへんみどりいろでした。そしてサンムトリのすそには小さなコブができて、そこからはいいろのけむりが、まだどんどんのぼっておりました。
 その夕方ゆうがた、みんなははい小石こいしをふんで、もう一度いちど山へのぼって、新しい観測かんそく器械きかいをすえつけて帰りました。

   七 くもの海

 それから四年のあいだに、クーボー大博士だいはかせ計画けいかくどおり、潮汐ちょうせき発電所はつでんしょはイーハトーヴの海岸かいがんにそって二百も配置はいちされました。イーハトーヴをめぐる火山かざんには、観測かんそく小屋ごやといっしょに、白くられたてつやぐら順々じゅんじゅんちました。
 ブドリは技師ぎし心得こころえになって、一年の大部分だいぶぶん火山かざんから火山かざんとまわって歩いたり、あぶなくなった火山かざん工作こうさくしたりしていました。
 つぎの年の春、イーハトーヴの火山局かざんきょくでは、つぎのようなポスターを村や町へりました。

窒素ちっそ肥料ひりょうらせます。
ことしの夏、雨といっしょに、硝酸しょうさんアンモニアをみなさんのぬまばたけや蔬菜そさいばたけにらせますから、肥料ひりょうを使うかたは、そのぶんを入れて計算けいさんしてください。分量ぶんりょうは百メートル四方しほうにつき百二十キログラムです。
雨もすこしはらせます。
旱魃かんばつのさいには、とにかく作物さくもつれないぐらいの雨はらせることができますから、今まで水がこなくなって作付さくづけしなかったぬまばたけも、ことしは心配しんぱいせずにえつけてください。

 その年の六月、ブドリはイーハトーヴのまん中にあたるイーハトーヴ火山かざん頂上ちょうじょう小屋こやにおりました。下はいちめんはいいろをしたくもの海でした。そのあちこちからイーハトーヴじゅうの火山かざんのいただきが、ちょうどしまのように黒く出ておりました。そのくものすぐ上を一せき飛行船ひこうせんが、船尾せんびからまっしろけむりいて、一つのみねから一つのみねへちょうどはしをかけるようにびまわっていました。そのけむりは、時間じかんがたつほどだんだんふとくはっきりなって、しずかに下のくもの海にちかぶさり、まもなく、いちめんのくもの海にはうす白くひかる大きなあみが、山から山へりわたされました。いつか飛行船ひこうせんはけむりをおさめて、しばらくあいさつするようにえがいていましたが、やがて船首せんしゅをたれてしずかにくもの中へしずんで行ってしまいました。
 受話器じゅわきがジーとりました。ペンネン技師ぎしの声でした。
飛行船ひこうせんはいま帰ってきた。下のほうのしたくはすっかりいい。雨はザアザアっている。もうよかろうと思う。はじめてくれたまえ。
 ブドリはボタンをしました。見る見るさっきのけむりのあみは、うつくしいももいろや青やむらさきに、パッパッと目もさめるようにかがやきながら、ついたりえたりしました。ブドリはまるでうっとりとしてそれに見とれました。そのうちにだんだん日はれて、くもの海もかりがえたときは、はいいろかねずみいろかわからないようになりました。
 受話器じゅわきりました。
硝酸しょうさんアンモニアは、もう雨の中へ出てきている。りょうもこれぐらいならちょうどいい。移動いどうのぐあいもいいらしい。あと四時間よじかんやれば、もうこの地方ちほう今月中こんげつちゅうはたくさんだろう。つづけてやってくれたまえ。
 ブドリはもう、うれしくってはねあがりたいくらいでした。
 このくもの下でむかしの赤ひげの主人しゅじんも、となりの石油せきゆがこやしになるかと言った人も、みんなよろこんで雨の音を聞いている。そしてあすの朝は、見違みちがえるようにみどりいろになったオリザのかぶを手でなでたりするだろう。まるでゆめのようだと思いながら、くものまっくらになったり、またうつくしくかがやいたりするのをながめておりました。ところが、みじかい夏の夜はもうけるらしかったのです。電光でんこうのあいまに、東のくもの海のはてがぼんやりばんでいるのでした。
 ところがそれは、月が出るのでした。大きないろな月がしずかにのぼってくるのでした。そしてくもが青くひかるときはへんしろっぽく見え、ももいろにひかるときはなにかわらっているように見えるのでした。ブドリは、もうじぶんがだれなのか、何をしているのかわすれてしまって、ただぼんやりそれをみつめていました。
 受話器じゅわきはジーとりました。
「こっちではだいぶかみなりりだしてきた。あみがあちこちちぎれたらしい。あんまりらすとあしたの新聞しんぶん悪口わるくちを言うから、もう十分ばかりでやめよう。
 ブドリは受話器じゅわきいて耳をすましました。くもの海は、あっちでもこっちでもブツブツブツブツつぶやいているのです。よく気をつけて聞くと、やっぱりそれはきれぎれのかみなりの音でした。
 ブドリはスイッチをりました。にわかに月のかりだけになったくもの海は、やっぱりしずかに北へ流れています。ブドリは毛布もうふからだにまいてぐっすりねむりました。

   八 秋

 その年の農作物のうさくぶつ収穫しゅうかくは、気候きこうのせいもありましたが、十年の間にもなかったほど、よくできましたので、火山局かざんきょくにはあっちからもこっちからも感謝状かんしゃじょう激励げきれい手紙てがみとどきました。ブドリは、はじめてほんとうに生きがいがあるように思いました。
 ところがある日、ブドリがタチナという火山かざんへ行った帰り、とりいれのすんでガランとしたぬまばたけの中の小さな村をとおりかかりました。ちょうどひるころなので、パンをおうと思って、一軒いっけん雑貨ざっか菓子かしっているみせへよって、
「パンはありませんか?」と聞きました。するとそこには三人のはだしの人たちが、目をまっにしてさけんでおりましたが、一人が立ちあがって、
「パンはあるが、どうもわれないパンでな。石盤セキパンだもな。」とおかしなことを言いますと、みんなはおもしろそうにブドリの顔を見てドッとわらいました。ブドリはいやになって、プイッとおもてへ出ましたら、むこうからかみ角刈かくがりにしたの高い男がきて、いきなり、
「おい、おまえ、ことしの夏、電気でんきでこやしらせたブドリだな?」といいました。
「そうだ。」ブドリはなにげなくこたえました。その男は高くさけびました。
火山局かざんきょくのブドリがきたぞ! みんなあつまれ!」
 すると今の家の中やそこらのはたけから、十八人の百姓ひゃくしょうたちが、ゲラゲラわらってかけてきました。
「この野郎やろう、きさまの電気でんきのおかげで、おいらのオリザ、みんなたおれてしまったぞ。してあんなまねしたんだ!」一人がいいました。
 ブドリはしずかにいいました。
「たおれるなんて、きみらは春に出したポスターを見なかったのか?」
なに? この野郎やろう!」いきなり一人がブドリの帽子ぼうしをたたきとしました。それからみんなはってたかってブドリをなぐったりふんだりしました。ブドリはとうとう、なにがなんだかわからなくなってたおれてしまいました。
 気がついてみると、ブドリはどこかの病院びょういんらしいへやの白いベッドにていました。まくらもとには見舞みまいの電報でんぽうや、たくさんの手紙てがみがありました。ブドリのからだじゅうはいたくてあつく、動くことができませんでした。けれども、それから一週間いっしゅうかんばかりたちますと、もうブドリはもとの元気げんきになっていました。そして新聞しんぶんで、あのときの出来事できごとは、肥料ひりょうの入れようをまちがっておしえた農業のうぎょう技師ぎしが、オリザのたおれたのをみんな火山局かざんきょくのせいにして、ごまかしていたためだということをんで、大きな声で一人でわらいました。
 そのつぎの日の午後ごご病院びょういん小使こづかいが入ってきて、
「ネリというご婦人ふじんのおかたがたずねておいでになりました。」といいました。ブドリはゆめではないかと思いましたら、まもなく一人の日にけた百姓ひゃくしょうのおかみさんのような人が、おずおずと入ってきました。それはまるでわってはいましたが、あの森の中からだれかにつれて行かれたネリだったのです。二人はしばらくものも言えませんでしたが、やっとブドリが、そのあとのことをたずねますと、ネリもぼつぼつとイーハトーヴの百姓ひゃくしょうのことばで、今までのことをはなしました。ネリをれて行ったあの男は、三日ばかりのあと、めんどうくさくなったのか、ある小さな牧場ぼくじょうの近くへネリをのこして、どこかへ行ってしまったのでした。
 ネリがそこらをいて歩いていますと、その牧場ぼくじょう主人しゅじんがかわいそうに思って家へ入れて、あかぼうのおもりをさせたりしていましたが、だんだんネリはなんでもはたらけるようになったので、とうとう三、四年前にその小さな牧場ぼくじょうのいちばん上の息子むすこ結婚けっこんしたというのでした。そしてことしは肥料ひりょうったので、いつもなら厩肥まやごえを遠くのはたけまではこび出さなければならず、たいへん難儀なんぎしたのを、近くのカブラばたけへみんな入れたし、遠くのトウモロコシもよくできたので、家じゅうみんなよろこんでいるというようなことも言いました。また、あの森の中へ主人しゅじん息子むすこといっしょになんべんも行ってみたけれども、家はすっかりこわれていたし、ブドリはどこへ行ったかわからないので、いつもがっかりして帰っていたら、きのう新聞しんぶん主人しゅじんがブドリのけがをしたことをんだので、やっとこっちへたずねてきたということも言いました。ブドリは、なおったらきっと、その家へたずねて行っておれいをいう約束やくそくをしてネリをかえしました。

   九 カルボナードとう

 それからの五年は、ブドリにはほんとうにたのしいものでした。赤ひげの主人しゅじんの家にもなんべんもおれいに行きました。
 もうよほどとしはとっていましたが、やはり非常ひじょう元気げんきで、こんどはの長いウサギを千匹せんびき以上いじょうったり、赤い甘藍かんらん〔キャベツ。ばかりはたけに作ったり、あいかわらずの山師やましはやっていましたが、らしはずうっといいようでした。
 ネリには、かわいらしい男の子が生まれました。冬に仕事しごとがひまになると、ネリはその子にすっかり子どもの百姓ひゃくしょうのようなかたちをさせて、主人しゅじんといっしょに、ブドリの家にたずねてきて、まって行ったりするのでした。
 ある日、ブドリのところへ、むかし、テグスいの男にブドリといっしょに使われていた人がたずねてきて、ブドリたちのおとうさんのおはかが森のいちばんはずれの大きなかやの木の下にあるということを教えて行きました。それは、はじめ、テグスいの男が森にきて、森じゅうの木を見て歩いたとき、ブドリのおとうさんたちのつめたくなったからだを見つけて、ブドリに知らせないように、そっと土にうめて、上へ一本のかばえだを立てておいたというのでした。ブドリは、すぐネリたちをつれてそこへ行って、白い石灰岩せっかいがんはかを立てて、それからも、そのへんをとおるたびにいつもってくるのでした。
 そして、ちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあのおそろしいさむ気候きこうがまたくるような模様もようでした。測候所そっこうじょでは、太陽たいよう調子ちょうしや北のほうの海の氷の様子ようすから、その年の二月にみんなへそれを予報よほうしました。それが一足ひとあしずつだんだんほんとうになって、コブシの花がかなかったり、五月に十日もみぞれったりしますと、みんなはもう、この前の凶作きょうさくを思い出して、生きたそらもありませんでした。クーボー大博士だいはかせも、たびたび気象きしょう農業のうぎょう技師ぎしたちと相談そうだんしたり、意見いけん新聞しんぶんへ出したりしましたが、やっぱりこのはげしいさむさだけは、どうともできないようすでした。
 ところが六月もはじめになって、まだいろなオリザのなえや、を出さない木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このままですぎるなら、森にも野原のはらにも、ちょうどあの年のブドリの家族かぞくのようになる人がたくさんできるのです。ブドリはまるでものも食べずにいくばんもいくばんも考えました。あるばんブドリは、クーボー大博士だいはかせうちをたずねました。
「先生、気層きそうのなかに炭酸たんさんガスがふえてくればあたたかくなるのですか?」
「それはなるだろう。地球ちきゅうができてから今までの気温きおんは、たいてい空気中くうきちゅう炭酸たんさんガスのりょうできまっていたといわれるくらいだからね。
「カルボナード火山島かざんとうが、いま爆発ばくはつしたら、この気候きこうえるくらいの炭酸たんさんガスをくでしょうか?」
「それはぼく計算けいさんした。あれがいま爆発ばくはつすれば、ガスはすぐ大循環だいじゅんかん上層じょうそうかぜにまじって地球ちきゅうぜんたいをつつむだろう。そして下層かそう空気くうき地表ちひょうからのねつ放散ほうさんふせぎ、地球ちきゅう全体ぜんたい平均へいきんで五度ぐらいあたたかくするだろうと思う。
「先生、あれを今すぐかせられないでしょうか?」
「それはできるだろう。けれども、その仕事しごとに行ったもののうち、最後さいごの一人はどうしてもげられないのでね。
「先生、わたしにそれをやらしてください。どうか先生から、ペンネン先生へおゆるしの出るようおことばをください。
「それはいけない。きみはまだわかいし、今のきみの仕事ごとわれるものはそうはない。
わたしのようなものは、これからたくさんできます。わたしよりもっともっとなんでもできる人が、わたしよりもっと立派りっぱにもっとうつくしく、仕事しごとをしたりわらったりしていくのですから。
「その相談そうだんぼくはいかん。ペンネン技師ぎしはなしたまえ。
 ブドリは帰ってきて、ペンネン技師ぎし相談そうだんしました。技師ぎしはうなずきました。
「それはいい。けれどもぼくがやろう。ぼくはことし、もう六十三なのだ。ここでぬならまったく本望ほんもうというものだ。
「先生、けれどもこの仕事しごとはまだあんまり不確ふたしかです。いっぺんうまく爆発ばくはつしても、まもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また、なにもかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度こんどおいでになってしまっては、あと、なんともくふうがつかなくなるとぞんじます。
 老技師ろうぎしはだまって首をたれてしまいました。
 それから三日ののち火山局かざんきょくふねが、カルボナードとういそいで行きました。そこへ、いくつものやぐらはち、電線でんせん連結れんけつされました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなをふねで帰してしまって、じぶんは一人しまのこりました。
 そしてそのつぎの日、イーハトーヴの人たちは、青空あおぞらみどりいろににごり、日や月があかがねいろになったのを見ました。
 けれどもそれから三、四日たちますと、気候きこうはぐんぐんあたたかくなってきて、その秋は、ほぼ普通ふつう作柄さくがらになりました。そしてちょうど、このおはなしのはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬をあたたかいものと、明るいたきぎたのしくらすことができたのでした。


底本:「童話集 風の又三郎」岩波文庫、岩波書店
   1951(昭和26)年4月25日第1刷発行
   1997(平成9)年8月4日第70刷発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2004年1月5日作成
2004年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



グスコーブドリの伝記

宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)木を挽《ひ》く

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)去年|播《ま》いた麦

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)茶いろなきのこしゃっぽ[#「きのこしゃっぽ」に傍点]を
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     一  森

 グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽《ひ》く音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩《やまばと》の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
 おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播《ま》いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭《らん》の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶《あいさつ》するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
 ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木の幹に、赤い粘土や消し炭で、木の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
 ホップのつるが、両方からのびて、門のようになっている白樺《しらかば》の木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。
 そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるこぶしの木もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙《みぞれ》がぐしゃぐしゃ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年|播《ま》いた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物《くだもの》も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。
 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗《くり》の木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもうひどいさわぎになってしまいました。
 ブドリのおとうさんもおかあさんも、たびたび薪《たきぎ》を野原のほうへ持って行ったり、冬になってからは何べんも大きな木を町へそりで運んだりしたのでしたが、いつもがっかりしたようにして、わずかの麦の粉などもって帰ってくるのでした。それでもどうにかその冬は過ぎて次の春になり、畑にはたいせつにしまっておいた種も播かれましたが、その年もまたすっかり前の年のとおりでした。そして秋になると、とうとうほんとうの饑饉《ききん》になってしまいました。もうそのころは学校へ来るこどももまるでありませんでした。ブドリのおとうさんもおかあさんも、すっかり仕事をやめていました。そしてたびたび心配そうに相談しては、かわるがわる町へ出て行って、やっとすこしばかりの黍《きび》の粒など持って帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろを悪くして帰ってくることもありました。そしてみんなは、こならの実や、葛《くず》やわらびの根や、木の柔らかな皮やいろんなものをたべて、その冬をすごしました。
 けれども春が来たころは、おとうさんもおかあさんも、何かひどい病気のようでした。
 ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかに起きあがって、
「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。二人がおかあさんに、おとうさんはどうしたろうときいても、おかあさんはだまって二人の顔を見ているばかりでした。
 次の日の晩方になって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、炉に榾《ほだ》をたくさんくべて家じゅうすっかり明るくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、お前たちはうちにいてあの戸棚《とだな》にある粉を二人ですこしずつたべなさいと言って、やっぱりよろよろ家を出て行きました。二人が泣いてあとから追って行きますと、おかあさんはふり向いて、
「なんたらいうことをきかないこどもらだ。」としかるように言いました。
 そしてまるで足早に、つまずきながら森へはいってしまいました。二人は何べんも行ったり来たりして、そこらを泣いて回りました。とうとうこらえ切れなくなって、まっくらな森の中へはいって、いつかのホップの門のあたりや、わき水のあるあたりをあちこちうろうろ歩きながら、おかあさんを一晩呼びました。森の木の間からは、星がちらちら何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたように暗《やみ》の中を飛びましたけれども、どこからも人の声はしませんでした。とうとう二人はぼんやり家へ帰って中へはいりますと、まるで死んだように眠ってしまいました。
 ブドリが目をさましたのは、その日のひるすぎでした。
 おかあさんの言った粉のことを思い出して戸棚《とだな》をあけて見ますと、なかには、袋に入れたそば粉やこならの実がまだたくさんはいっていました。ブドリはネリをゆり起こして二人でその粉をなめ、おとうさんたちがいたときのように炉に火をたきました。
 それから、二十日《はつか》ばかりぼんやり過ぎましたら、ある日戸口で、
「今日は、だれかいるかね。」と言うものがありました。おとうさんが帰って来たのかと思って、ブドリがはね出して見ますと、それは籠《かご》をしょった目の鋭い男でした。その男は籠の中から丸い餅《もち》をとり出してぽんと投げながら言いました。
「私はこの地方の飢饉《ききん》を助けに来たものだ。さあなんでも食べなさい。」二人はしばらくあきれていましたら、
「さあ食べるんだ、食べるんだ。」とまた言いました。二人がこわごわたべはじめますと、男はじっと見ていましたが、
「お前たちはいい子供だ。けれどもいい子供だというだけではなんにもならん。わしといっしょについておいで。もっとも男の子は強いし、わしも二人はつれて行けない。おい女の子、おまえはここにいてももうたべるものがないんだ。おじさんといっしょに町へ行こう。毎日パンを食べさしてやるよ。」そしてぷいっとネリを抱きあげて、せなかの籠へ入れて、そのまま、
「おおほいほい。おおほいほい。」とどなりながら、風のように家を出て行きました。ネリはおもてではじめてわっと泣き出し、ブドリは、
「どろぼう、どろぼう。」と泣きながら叫んで追いかけましたが、男はもう森の横を通ってずうっと向こうの草原を走っていて、そこからネリの泣き声が、かすかにふるえて聞こえるだけでした。
 ブドリは、泣いてどなって森のはずれまで追いかけて行きましたが、とうとう疲れてばったり倒れてしまいました。

     二 てぐす工場

 ブドリがふっと目をひらいたとき、いきなり頭の上で、いやに平べったい声がしました。
「やっと目がさめたな。まだお前は飢饉《ききん》のつもりかい。起きておれに手伝わないか。」見るとそれは茶いろなきのこしゃっぽ[#「きのこしゃっぽ」に傍点]をかぶって外套《がいとう》にすぐシャツを着た男で、何か針金でこさえたものをぶらぶら持っているのでした。
「もう飢饉は過ぎたの? 手伝えって何を手伝うの?」
 ブドリがききました。
「網掛けさ。」
「ここへ網を掛けるの?」
「掛けるのさ。」
「網をかけて何にするの?」
「てぐす[#「てぐす」に傍点]を飼うのさ。」見るとすぐブドリの前の栗《くり》の木に、二人の男がはしごをかけてのぼっていて、一生けん命何か網を投げたり、それを操《あやつ》ったりしているようでしたが、網も糸もいっこう見えませんでした。
「あれでてぐすが飼えるの?」
「飼えるのさ。うるさいこどもだな。おい、縁起でもないぞ。てぐすも飼えないところにどうして工場なんか建てるんだ。飼えるともさ。現におれをはじめたくさんのものが、それでくらしを立てているんだ。」
 ブドリはかすれた声で、やっと、
「そうですか。」と言いました。
「それにこの森は、すっかりおれが買ってあるんだから、ここで手伝うならいいが、そうでもなければどこかへ行ってもらいたいな。もっともお前はどこへ行ったって食うものもなかろうぜ。」
 ブドリは泣き出しそうになりましたが、やっとこらえて言いました。
「そんなら手伝うよ。けれどもどうして網をかけるの?」
「それはもちろん教えてやる。こいつをね。」男は、手に持った針金の籠《かご》のようなものを両手で引き伸ばしました。
「いいか。こういう具合にやるとはしごになるんだ。」
 男は大またに右手の栗《くり》の木に歩いて行って、下の枝に引っ掛けました。
「さあ、今度はおまえが、この網をもって上へのぼって行くんだ。さあ、のぼってごらん。」
 男は変なまりのようなものをブドリに渡しました。ブドリはしかたなくそれをもってはしご[#「はしご」に傍点]にとりついて登って行きましたが、はしご[#「はしご」に傍点]の段々がまるで細くて手や足に食いこんでちぎれてしまいそうでした。
「もっと登るんだ。もっと、もっとさ。そしたらさっきのまり[#「まり」に傍点]を投げてごらん。栗の木を越すようにさ。そいつを空へ投げるんだよ。なんだい、ふるえてるのかい。いくじなしだなあ。投げるんだよ。投げるんだよ。そら、投げるんだよ。」
 ブドリはしかたなく力いっぱいにそれを青空に投げたと思いましたら、にわかにお日さまがまっ黒に見えて逆しまに下へおちました。そしていつか、その男に受けとめられていたのでした。男はブドリを地面におろしながらぶりぶりおこり出しました。
「お前もいくじのないやつだ。なんというふにゃふにゃだ。おれが受け止めてやらなかったらお前は今ごろは頭がはじけていたろう。おれはお前の命の恩人だぞ。これからは、失礼なことを言ってはならん。ところで、さあ、こんどはあっちの木へ登れ。も少したったらごはん[#「ごはん」に傍点]もたべさせてやるよ。」男はまたブドリへ新しいまりを渡しました。ブドリははしご[#「はしご」に傍点]をもって次の木へ行ってまりを投げました。
「よし、なかなかじょうずになった。さあ、まりはたくさんあるぞ。なまけるな。木も栗の木ならどれでもいいんだ。」
 男はポケットから、まりを十ばかり出してブドリに渡すと、すたすた向こうへ行ってしまいました。ブドリはまた三つばかりそれを投げましたが、どうしても息がはあはあして、からだがだるくてたまらなくなりました。もう家へ帰ろうと思って、そっちへ行って見ますと、おどろいたことには、家にはいつか赤い土管の煙突がついて、戸口には、「イーハトーヴてぐす工場」という看板がかかっているのでした。そして中からたばこをふかしながら、さっきの男が出て来ました。
「さあこども、たべものをもってきてやったぞ。これを食べて暗くならないうちにもう少しかせぐんだ。」
「ぼくはもういやだよ、うちへ帰るよ。」
「うちっていうのはあすこか。あすこはおまえのうちじゃない。おれのてぐす工場だよ。あの家もこの辺の森もみんなおれが買ってあるんだからな。」
 ブドリはもうやけになって、だまってその男のよこした蒸しパンをむしゃむしゃたべて、またまりを十ばかり投げました。
 その晩ブドリは、昔のじぶんのうち、いまはてぐす工場になっている建物のすみに、小さくなってねむりました。
 さっきの男は、三四人の知らない人たちとおそくまで炉ばたで火をたいて、何か飲んだりしゃべったりしていました。次の朝早くから、ブドリは森に出て、きのうのようにはたらきました。
 それから一月ばかりたって、森じゅうの栗《くり》の木に網がかかってしまいますと、てぐす飼いの男は、こんどは粟《あわ》のようなものがいっぱいついた板きれを、どの木にも五六枚ずつつるさせました。そのうちに木は芽を出して森はまっ青《さお》になりました。すると、木につるした板きれから、たくさんの小さな青じろい虫が糸をつたって列になって枝へはいあがって行きました。
 ブドリたちはこんどは毎日|薪《たきぎ》とりをさせられました。その薪が、家のまわりに小山のように積み重なり、栗《くり》の木が青じろいひものかたちの花を枝いちめんにつけるころになりますと、あの板からはいあがって行った虫も、ちょうど栗の花のような色とかたちになりました。そして森じゅうの栗の葉は、まるで形もなくその虫に食い荒らされてしまいました。
 それからまもなく、虫は大きな黄いろな繭を、網の目ごとにかけはじめました。
 するとてぐす飼いの男は、狂気のようになって、ブドリたちをしかりとばして、その繭を籠《かご》に集めさせました。それをこんどは片っぱしから鍋《なべ》に入れてぐらぐら煮て、手で車をまわしながら糸をとりました。夜も昼もがらがらがらがら三つの糸車をまわして糸をとりました。こうしてこしらえた黄いろな糸が小屋に半分ばかりたまったころ、外に置いた繭からは、大きな白い蛾《が》がぽろぽろぽろぽろ飛びだしはじめました。てぐす飼いの男は、まるで鬼みたいな顔つきになって、じぶんも一生けん命糸をとりましたし、野原のほうからも四人の人を連れてきて働かせました。けれども蛾のほうは日ましに多く出るようになって、しまいには森じゅうまるで雪でも飛んでいるようになりました。するとある日、六七台の荷馬車が来て、いままでにできた糸をみんなつけて、町のほうへ帰りはじめました。みんなも一人ずつ荷馬車について行きました。いちばんしまいの荷馬車がたったとき、てぐす飼いの男が、ブドリに、
「おい、お前の来春まで食うくらいのものは家の中に置いてやるからな。それまでここで森と工場の番をしているんだぞ。」
と言って、変ににやにやしながら荷馬車についてさっさと行ってしまいました。
 ブドリはぼんやりあとへ残りました。うちの中はまるできたなくてあらしのあとのようでしたし、森は荒れはてて山火事にでもあったようでした。ブドリが次の日、家のなかやまわりを片付けはじめましたら、てぐす飼いの男がいつもすわっていた所から古いボール紙の箱を見つけました。中には十冊ばかりの本がぎっしりはいっておりました。開いて見ると、てぐすの絵や機械の図がたくさんある、まるで読めない本もありましたし、いろいろな木や草の図と名前の書いてあるものもありました。
 ブドリはいっしょうけんめい、その本のまねをして字を書いたり、図をうつしたりしてその冬を暮らしました。
 春になりますと、またあの男が六七人のあたらしい手下を連れて、たいへん立派ななりをしてやって来ました。そして次の日からすっかり去年のような仕事がはじまりました。
 そして網はみんなかかり、黄いろな板もつるされ、虫は枝にはい上がり、ブドリたちはまた、薪《たきぎ》作りにかかることになりました。ある朝ブドリたちが薪をつくっていましたら、にわかにぐらぐらっと地震がはじまりました。それからずうっと遠くでどーんという音がしました。
 しばらくたつと日が変にくらくなり、こまかな灰がばさばさばさばさ降って来て、森はいちめんにまっ白になりました。ブドリたちがあきれて木の下にしゃがんでいましたら、てぐす飼いの男がたいへんあわててやって来ました。
「おい、みんな、もうだめだぞ。噴火だ。噴火がはじまったんだ。てぐすはみんな灰をかぶって死んでしまった。みんな早く引き揚げてくれ。おい、ブドリ、お前ここにいたかったらいてもいいが、こんどはたべ物は置いてやらないぞ。それにここにいてもあぶないからな。お前も野原へ出て何かかせぐほうがいいぜ。」
 そう言ったかと思うと、もうどんどん走って行ってしまいました。ブドリが工場へ行って見たときは、もうだれもおりませんでした。そこでブドリは、しょんぼりとみんなの足跡のついた白い灰をふんで野原のほうへ出て行きました。

     三 沼ばたけ

 ブドリは、いっぱいに灰をかぶった森の間を、町のほうへ半日歩きつづけました。灰は風の吹くたびに木からばさばさ落ちて、まるでけむりか吹雪《ふぶき》のようでした。けれどもそれは野原へ近づくほど、だんだん浅く少なくなって、ついには木も緑に見え、みちの足跡も見えないくらいになりました。
 とうとう森を出切ったとき、ブドリは思わず目をみはりました。野原は目の前から、遠くのまっしろな雲まで、美しい桃いろと緑と灰いろのカードでできているようでした。そばへ寄って見ると、その桃いろなのには、いちめんにせいの低い花が咲いていて、蜜蜂《みつばち》がいそがしく花から花をわたってあるいていましたし、緑いろなのには小さな穂を出して草がぎっしりはえ、灰いろなのは浅い泥の沼でした。そしてどれも、低い幅のせまい土手でくぎられ、人は馬を使ってそれを掘り起こしたりかき回したりしてはたらいていました。
 ブドリがその間を、しばらく歩いて行きますと、道のまん中に二人の人が、大声で何かけんかでもするように言い合っていました。右側のほうのひげの赭《あか》い人が言いました。
「なんでもかんでも、おれは山師張るときめた。」
 するとも一人の白い笠《かさ》をかぶった、せいの高いおじいさんが言いました。
「やめろって言ったらやめるもんだ。そんなに肥料うんと入れて、藁《わら》はとれるたって、実は一粒もとれるもんでない。」
「うんにゃ、おれの見込みでは、ことしは今までの三年分暑いに相違ない。一年で三年分とって見せる。」
「やめろ。やめろ。やめろったら。」
「うんにゃ、やめない。花はみんな埋めてしまったから、こんどは豆玉を六十枚入れて、それから鶏の糞《かえし》、百|駄《だん》入れるんだ。急がしったらなんの、こう忙しくなればささげ[#「ささげ」に傍点]のつるでもいいから手伝いに頼みたいもんだ。」
 ブドリは思わず近寄っておじぎをしました。
「そんならぼくを使ってくれませんか。」
 すると二人は、ぎょっとしたように顔をあげて、あごに手をあててしばらくブドリを見ていましたが、赤ひげがにわかに笑い出しました。
「よしよし。お前に馬の指竿《させ》とりを頼むからな。すぐおれについて行くんだ。それではまず、のるかそるか、秋まで見ててくれ。さあ行こう。ほんとに、ささげ[#「ささげ」に傍点]のつるでもいいから頼みたい時でな。」赤ひげは、ブドリとおじいさんにかわるがわる言いながら、さっさと先に立って歩きました。あとではおじいさんが、
「年寄りの言うこと聞かないで、いまに泣くんだな。」とつぶやきながら、しばらくこっちを見送っているようすでした。
 それからブドリは、毎日毎日沼ばたけへはいって馬を使って泥をかき回しました。一日ごとに桃いろのカードも緑のカードもだんだんつぶされて、泥沼に変わるのでした。馬はたびたびぴしゃっと泥水をはねあげて、みんなの顔へ打ちつけました。一つの沼ばたけがすめばすぐ次の沼ばたけへはいるのでした。一日がとても長くて、しまいには歩いているのかどうかもわからなくなったり、泥が飴《あめ》のような、水がスープのような気がしたりするのでした。風が何べんも吹いて来て、近くの泥水に魚のうろこのような波をたて、遠くの水をブリキいろにして行きました。そらでは、毎日甘くすっぱいような雲が、ゆっくりゆっくりながれていて、それがじつにうらやましそうに見えました。
 こうして二十日《はつか》ばかりたちますと、やっと沼ばたけはすっかりどろどろになりました。次の朝から主人はまるで気が立って、あちこちから集まって来た人たちといっしょに、その沼ばたけに緑いろの槍《やり》のようなオリザの苗をいちめん植えました。それが十日ばかりで済むと、今度はブドリたちを連れて、今まで手伝ってもらった人たちの家へ毎日働きにでかけました。それもやっと一まわり済むと、こんどはまたじぶんの沼ばたけへ戻って来て、毎日毎日草取りをはじめました。ブドリの主人の苗は大きくなってまるで黒いくらいなのに、となりの沼ばたけはぼんやりしたうすい緑いろでしたから、遠くから見ても、二人の沼ばたけははっきり境まで見わかりました。七日ばかりで草取りが済むとまたほかへ手伝いに行きました。
 ところがある朝、主人はブドリを連れて、じぶんの沼ばたけを通りながら、にわかに「あっ」と叫んで棒立ちになってしまいました。見るとくちびるのいろまで水いろになって、ぼんやりまっすぐを見つめているのです。
「病気が出たんだ。」主人がやっと言いました。
「頭でも痛いんですか。」ブドリはききました。
「おれでないよ。オリザよ。それ。」主人は前のオリザの株を指さしました。ブドリはしゃがんでしらべてみますと。なるほどどの葉にも、いままで見たことのない赤い点々がついていました。主人はだまってしおしおと沼ばたけを一まわりしましたが、家へ帰りはじめました。ブドリも心配してついて行きますと、主人はだまって巾《きれ》を水でしぼって、頭にのせると、そのまま板の間に寝てしまいました。するとまもなく、主人のおかみさんが表からかけ込んで来ました。
「オリザへ病気が出たというのはほんとうかい。」
「ああ、もうだめだよ。」
「どうにかならないのかい。」
「だめだろう。すっかり五年前のとおりだ。」
「だから、あたしはあんたに山師をやめろといったんじゃないか。おじいさんもあんなにとめたんじゃないか。」
 おかみさんはおろおろ泣きはじめました。すると主人がにわかに元気になってむっくり起き上がりました。
「よし。イーハトーヴの野原で、指折り数えられる大百姓のおれが、こんなことで参るか。よし。来年こそやるぞ。ブドリ、おまえおれのうちへ来てから、まだ一晩も寝たいくらい寝たことがないな。さあ、五日でも十日でもいいから、ぐうというくらい寝てしまえ。おれはそのあとで、あすこの沼ばたけでおもしろい手品《てずま》をやって見せるからな。その代わりことしの冬は、家じゅうそばばかり食うんだぞ。おまえそばはすきだろうが。」それから主人はさっさと帽子をかぶって外へ出て行ってしまいました。
 ブドリは主人に言われたとおり納屋《なや》へはいって眠ろうと思いましたが、なんだかやっぱり沼ばたけが苦になってしかたないので、またのろのろそっちへ行って見ました。するといつ来ていたのか、主人がたった一人腕組みをして土手に立っておりました。見ると沼ばたけには水がいっぱいで、オリザの株は葉をやっと出しているだけ、上にはぎらぎら石油が浮かんでいるのでした。主人が言いました。
「いまおれ、この病気を蒸し殺してみるところだ。」
「石油で病気の種が死ぬんですか。」とブドリがききますと、主人は、
「頭から石油につけられたら人だって死ぬだ。」と言いながら、ほうと息を吸って首をちぢめました。その時、水下の沼ばたけの持ち主が、肩をいからして、息を切ってかけて来て、大きな声でどなりました。
「なんだって油など水へ入れるんだ。みんな流れて来て、おれのほうへはいってるぞ。」
 主人は、やけくそに落ちついて答えました。
「なんだって油など水へ入れるったって、オリザへ病気がついたから、油など水へ入れるのだ。」
「なんだってそんならおれのほうへ流すんだ。」
「なんだってそんならおまえのほうへ流すったって、水は流れるから油もついて流れるのだ。」
「そんならなんだっておれのほうへ水こないように水口《みなくち》とめないんだ。」
「なんだっておまえのほうへ水行かないように水口とめないかったって、あすこはおれのみな口でないから水とめないのだ。」
 となりの男は、かんかんおこってしまってもう物も言えず、いきなりがぶがぶ水へはいって、自分の水口に泥を積みあげはじめました。主人はにやりと笑いました。
「あの男むずかしい男でな。こっちで水をとめると、とめたといっておこるからわざと向こうにとめさせたのだ。あすこさえとめれば今夜じゅうに水はすっかり草の頭までかかるからな、さあ帰ろう。」主人はさきに立ってすたすた家へあるきはじめました。
 次の朝ブドリはまた主人と沼ばたけへ行ってみました。主人は水の中から葉を一枚とってしきりにしらべていましたが、やっぱり浮かない顔でした。その次の日もそうでした。その次の日もそうでした。その次の日もそうでした。その次の朝、とうとう主人は決心したように言いました。
「さあブドリ、いよいよここへ蕎麦播《そばま》きだぞ。おまえあすこへ行って、となりの水口こわして来い。」
 ブドリは、言われたとおりこわして来ました。石油のはいった水は、恐ろしい勢いでとなりの田へ流れて行きます。きっとまたおこってくるなと思っていますと、ひるごろ例のとなりの持ち主が、大きな鎌《かま》をもってやってきました。
「やあ、なんだってひとの田へ石油ながすんだ。」
 主人がまた、腹の底から声を出して答えました。
「石油ながれればなんだって悪いんだ。」
「オリザみんな死ぬでないか。」
「オリザみんな死ぬか、オリザみんな死なないか、まずおれの沼ばたけのオリザ見なよ。きょうで四日頭から石油かぶせたんだ。それでもちゃんとこのとおりでないか。赤くなったのは病気のためで、勢いのいいのは石油のためなんだ。おまえの所など、石油がただオリザの足を通るだけでないか。かえっていいかもしれないんだ。」
「石油こやしになるのか。」向こうの男は少し顔いろをやわらげました。
「石油こやしになるか、石油こやしにならないか知らないが、とにかく石油は油でないか。」
「それは石油は油だな。」男はすっかりきげんを直してわらいました。水はどんどん退《ひ》き、オリザの株は見る見る根もとまで出て来ました。すっかり赤い斑《まだら》ができて焼けたようになっています。
「さあおれの所ではもうオリザ刈りをやるぞ。」
 主人は笑いながら言って、それからブドリといっしょに、片っぱしからオリザの株を刈り、跡へすぐ蕎麦《そば》を播《ま》いて土をかけて歩きました。そしてその年はほんとうに主人の言ったとおり、ブドリの家では蕎麦ばかり食べました。次の春になると主人が言いました。
「ブドリ、ことしは沼ばたけは去年よりは三分の一減ったからな、仕事はよほどらくだ。そのかわりおまえは、おれの死んだ息子《むすこ》の読んだ本をこれから一生けん命勉強して、いままでおれを山師だといってわらったやつらを、あっと言わせるような立派なオリザを作るくふうをしてくれ。」
 そして、いろいろな本を一山ブドリに渡しました。ブドリは仕事のひまに片っぱしからそれを読みました。ことにその中の、クーボーという人の物の考え方を教えた本はおもしろかったので何べんも読みました。またその人が、イーハトーヴの市で一か月の学校をやっているのを知って、たいへん行って習いたいと思ったりしました。
 そして早くもその夏、ブドリは大きな手柄をたてました。それは去年と同じころ、またオリザに病気ができかかったのを、ブドリが木の灰と食塩《しお》を使って食いとめたのでした。そして八月のなかばになると、オリザの株はみんなそろって穂を出し、その穂の一枝ごとに小さな白い花が咲き、花はだんだん水いろの籾《もみ》にかわって、風にゆらゆら波をたてるようになりました。主人はもう得意の絶頂でした。来る人ごとに、
「なんの、おれも、オリザの山師で四年しくじったけれども、ことしは一度に四年分とれる。これもまたなかなかいいもんだ。」などと言って自慢するのでした。
 ところがその次の年はそうは行きませんでした。植え付けのころからさっぱり雨が降らなかったために、水路はかわいてしまい、沼にはひびが入って、秋のとりいれはやっと冬じゅう食べるくらいでした。来年こそと思っていましたが、次の年もまた同じようなひでりでした。それからも、来年こそ来年こそと思いながら、ブドリの主人は、だんだんこやしを入れることができなくなり、馬も売り、沼ばたけもだんだん売ってしまったのでした。
 ある秋の日、主人はブドリにつらそうに言いました。
「ブドリ、おれももとはイーハトーヴの大百姓だったし、ずいぶんかせいでも来たのだが、たびたびの寒さと旱魃《かんばつ》のために、いまでは沼ばたけも昔の三分の一になってしまったし、来年はもう入れるこやしもないのだ。おれだけでない。来年こやしを買って入れれる人ったらもうイーハトーヴにも何人もないだろう。こういうあんばいでは、いつになっておまえにはたらいてもらった礼をするというあてもない。おまえも若い働き盛りを、おれのとこで暮らしてしまってはあんまり気の毒だから、済まないがどうかこれを持って、どこへでも行っていい運を見つけてくれ。」そして主人は、一ふくろのお金と新しい紺で染めた麻の服と赤皮の靴《くつ》とをブドリにくれました。
 ブドリはいままでの仕事のひどかったことも忘れてしまって、もう何もいらないから、ここで働いていたいとも思いましたが、考えてみると、いてもやっぱり仕事もそんなにないので、主人に何べんも何べんも礼を言って、六年の間はたらいた沼ばたけと主人に別れて、停車場をさして歩きだしました。

     四 クーボー大博士

 ブドリは二時間ばかり歩いて、停車場へ来ました。それから切符を買って、イーハトーヴ行きの汽車に乗りました。汽車はいくつもの沼ばたけをどんどんどんどんうしろへ送りながら、もう一散に走りました。その向こうには、たくさんの黒い森が、次から次と形を変えて、やっぱりうしろのほうへ残されて行くのでした。ブドリはいろいろな思いで胸がいっぱいでした。早くイーハトーヴの市に着いて、あの親切な本を書いたクーボーという人に会い、できるなら、働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたいと思うと、汽車さえまどろこくってたまらないくらいでした。汽車はその日のひるすぎ、イーハトーヴの市に着きました。停車場を一足出ますと、地面の底から、何かのんのんわくようなひびきやどんよりとしたくらい空気、行ったり来たりするたくさんの自動車に、ブドリはしばらくぼうとしてつっ立ってしまいました。やっと気をとりなおして、そこらの人にクーボー博士の学校へ行くみちをたずねました。するとだれへきいても、みんなブドリのあまりまじめな顔を見て、吹き出しそうにしながら、
「そんな学校は知らんね。」とか、
「もう五六丁行ってきいてみな。」とかいうのでした。そしてブドリがやっと学校をさがしあてたのはもう夕方近くでした。その大きなこわれかかった白い建物の二階で、だれか大きな声でしゃべっていました。
「今日は。」ブドリは高く叫びました。だれも出てきませんでした。
「今日はあ。」ブドリはあらん限り高く叫びました。するとすぐ頭の上の二階の窓から、大きな灰いろの顔が出て、めがねが二つぎらりと光りました。それから、
「今授業中だよ、やかましいやつだ。用があるならはいって来い。」とどなりつけて、すぐ顔を引っ込めますと、中ではおおぜいでどっと笑い、その人はかまわずまた何か大声でしゃべっています。
 ブドリはそこで思い切って、なるべく足音をたてないように二階にあがって行きますと、階段のつき当たりの扉《とびら》があいていて、じつに大きな教室が、ブドリのまっ正面にあらわれました。中にはさまざまの服装をした学生がぎっしりです。向こうは大きな黒い壁になっていて、そこにたくさんの白い線が引いてあり、さっきのせいの高い目がねをかけた人が、大きな櫓《やぐら》の形の模型をあちこち指さしながら、さっきのままの高い声で、みんなに説明しておりました。
 ブドリはそれを一目見ると、ああこれは先生の本に書いてあった歴史の歴史ということの模型だなと思いました。先生は笑いながら、一つのとって[#「とって」に傍点]を回しました。模型はがちっと鳴って奇体な船のような形になりました。またがちっととって[#「とって」に傍点]を回すと、模型はこんどは大きなむかでのような形に変わりました。
 みんなはしきりに首をかたむけて、どうもわからんというふうにしていましたが、ブドリにはただおもしろかったのです。
「そこでこういう図ができる。」先生は黒い壁へ別の込み入った図をどんどん書きました。
 左手にもチョークをもって、さっさと書きました。学生たちもみんな一生けん命そのまねをしました。ブドリもふところから、いままで沼ばたけで持っていたきたない手帳を出して図を書きとりました。先生はもう書いてしまって、壇の上にまっすぐに立って、じろじろ学生たちの席を見まわしています。ブドリも書いてしまって、その図を縦横から見ていますと、ブドリのとなりで一人の学生が、
「あああ。」とあくびをしました。ブドリはそっとききました。
「ね、この先生はなんて言うんですか。」
 すると学生はばかにしたように鼻でわらいながら答えました。
「クーボー大博士さ、お前知らなかったのかい。」それからじろじろブドリのようすを見ながら、
「はじめから、この図なんか書けるもんか。ぼくでさえ同じ講義をもう六年もきいているんだ。」
と言って、じぶんのノートをふところへしまってしまいました。その時教室に、ぱっと電燈がつきました。もう夕方だったのです。大博士が向こうで言いました。
「いまや夕べははるかにきたり、拙講もまた全課をおえた。諸君のうちの希望者は、けだしいつもの例により、そのノートをば拙者に示し、さらに数箇の試問を受けて、所属を決すべきである。」学生たちはわあと叫んで、みんなばたばたノートをとじました。それからそのまま帰ってしまうものが大部分でしたが、五六十人は一列になって大博士の前をとおりながらノートを開いて見せるのでした。すると大博士はそれをちょっと見て、一言か二言質問をして、それから白墨でえりへ、「合」とか、「再来」とか、「奮励」とか書くのでした。学生はその間、いかにも心配そうに首をちぢめているのでしたが、それからそっと肩をすぼめて廊下まで出て、友だちにそのしるしを読んでもらって、よろこんだりしょげたりするのでした。
 ぐんぐん試験が済んで、いよいよブドリ一人になりました。ブドリがその小さなきたない手帳を出したとき、クーボー大博士は大きなあくびをやりながら、かがんで目をぐっと手帳につけるようにしましたので、手帳はあぶなく大博士に吸い込まれそうになりました。
 ところが大博士は、うまそうにこくっと一つ息をして、「よろしい。この図は非常に正しくできている。そのほかのところは、なんだ。ははあ、沼ばたけのこやしのことに、馬のたべ物のことかね。では問題に答えなさい。工場の煙突から出るけむりには、どういう色の種類があるか。」
 ブドリは思わず大声に答えました。
「黒、褐《かつ》、黄、灰、白、無色。それからこれらの混合です。」
 大博士はわらいました。
「無色のけむりはたいへんいい。形について言いたまえ。」
「無風で煙が相当あれば、たての棒にもなりますが、さきはだんだんひろがります。雲の非常に低い日は、棒は雲までのぼって行って、そこから横にひろがります。風のある日は、棒は斜めになりますが、その傾きは風の程度に従います。波やいくつもきれになるのは、風のためにもよりますが、一つはけむりや煙突のもつ癖のためです。あまり煙の少ないときは、コルク抜きの形にもなり、煙も重いガスがまじれば、煙突の口から房《ふさ》になって、一方ないし四方におちることもあります。」
 大博士はまたわらいました。
「よろしい。きみはどういう仕事をしているのか。」
「仕事をみつけに来たんです。」
「おもしろい仕事がある。名刺をあげるから、そこへすぐ行きなさい。」博士は名刺をとり出して、何かするする書き込んでブドリにくれました。ブドリはおじぎをして、戸口を出て行こうとしますと、大博士はちょっと目で答えて、
「なんだ、ごみを焼いてるのかな。」と低くつぶやきながら、テーブルの上にあった鞄《かばん》に、白墨《チョーク》のかけらや、はんけちや本や、みんないっしょに投げ込んで小わきにかかえ、さっき顔を出した窓から、プイッと外へ飛び出しました。びっくりしてブドリが窓へかけよって見ますと、いつか大博士は玩具《おもちゃ》のような小さな飛行船に乗って、じぶんでハンドルをとりながら、もううす青いもやのこめた町の上を、まっすぐに向こうへ飛んでいるのでした。ブドリがいよいよあきれて見ていますと、まもなく大博士は、向こうの大きな灰いろの建物の平屋根に着いて、船を何かかぎのようなものにつなぐと、そのままぽろっと建物の中へはいって見えなくなってしまいました。

     五 イーハトーヴ火山局

 ブドリが、クーボー大博士からもらった名刺のあて名をたずねて、やっと着いたところは大きな茶いろの建物で、うしろには房《ふさ》のような形をした高い柱が夜のそらにくっきり白く立っておりました。ブドリは玄関に上がって呼び鈴を押しますと、すぐ人が出て来て、ブドリの出した名刺を受け取り、一目見ると、すぐブドリを突き当たりの大きな室へ案内しました。
 そこにはいままでに見たこともないような大きなテーブルがあって、そのまん中に一人の少し髪の白くなった人のよさそうな立派な人が、きちんとすわって耳に受話器をあてながら何か書いていました。そしてブドリのはいって来たのを見ると、すぐ横の椅子《いす》を指さしながら、また続けて何か書きつけています。
 その室の右手の壁いっぱいに、イーハトーヴ全体の地図が、美しく色どった大きな模型に作ってあって、鉄道も町も川も野原もみんな一目でわかるようになっており、そのまん中を走るせぼねのような山脈と、海岸に沿って縁をとったようになっている山脈、またそれから枝を出して海の中に点々の島をつくっている一列の山々には、みんな赤や橙《だいだい》や黄のあかりがついていて、それがかわるがわる色が変わったりジーと蝉《せみ》のように鳴ったり、数字が現われたり消えたりしているのです。下の壁に添った棚《たな》には、黒いタイプライターのようなものが三列に百でもきかないくらい並んで、みんなしずかに動いたり鳴ったりしているのでした。ブドリがわれを忘れて見とれておりますと、その人が受話器をことっと置いて、ふところから名刺入れを出して、一枚の名刺をブドリに出しながら「あなたが、グスコーブドリ君ですか。私はこういうものです。」と言いました。見ると、〔イーハトーヴ火山局技師ペンネンナーム〕と書いてありました。その人はブドリの挨拶《あいさつ》になれないでもじもじしているのを見ると、重ねて親切に言いました。
「さっきクーボー博士から電話があったのでお待ちしていました。まあこれから、ここで仕事をしながらしっかり勉強してごらんなさい。ここの仕事は、去年はじまったばかりですが、じつに責任のあるもので、それに半分はいつ噴火するかわからない火山の上で仕事するものなのです。それに火山の癖というものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしっかりやらなければならんのです。では今晩はあっちにあなたの泊まるところがありますから、そこでゆっくりお休みなさい。あしたこの建物じゅうをすっかり案内しますから。」
 次の朝、ブドリはペンネン老技師に連れられて、建物のなかを一々つれて歩いてもらい、さまざまの機械やしかけを詳しく教わりました。その建物のなかのすべての器械はみんなイーハトーヴじゅうの三百幾つかの活火山や休火山に続いていて、それらの火山の煙や灰を噴《ふ》いたり、熔岩《ようがん》を流したりしているようすはもちろん、みかけはじっとしている古い火山でも、その中の熔岩やガスのもようから、山の形の変わりようまで、みんな数字になったり図になったりして、あらわれて来るのでした。そしてはげしい変化のあるたびに、模型はみんな別々の音で鳴るのでした。
 ブドリはその日からベンネン老技師について、すべての器械の扱い方や観測のしかたを習い、夜も昼も一心に働いたり勉強したりしました。そして二年ばかりたちますと、ブドリはほかの人たちといっしょにあちこちの火山へ器械を据え付けに出されたり、据え付けてある器械の悪くなったのを修繕にやられたりもするようになりましたので、もうブドリにはイーハトーヴの三百幾つの火山と、その働き具合は掌《たなごころ》の中にあるようにわかって来ました。
 じつにイーハトーヴには、七十幾つの火山が毎日煙をあげたり、熔岩を流したりしているのでしたし、五十幾つかの休火山は、いろいろなガスを噴《ふ》いたり、熱い湯を出したりしていました。そして残りの百六七十の死火山のうちにも、いつまた何をはじめるかわからないものもあるのでした。
 ある日ブドリが老技師とならんで仕事をしておりますと、にわかにサンムトリという南のほうの海岸にある火山が、むくむく器械に感じ出して来ました。老技師が叫びました。
「ブドリ君。サンムトリは、けさまで何もなかったね。」
「はい、いままでサンムトリのはたらいたのを見たことがありません。」
「ああ、これはもう噴火が近い。けさの地震が刺激したのだ。この山の北十キロのところにはサンムトリの市がある。今度爆発すれば、たぶん山は三分の一、北側をはねとばして、牛やテーブルぐらいの岩は熱い灰やガスといっしょに、どしどしサンムトリ市におちてくる。どうでも今のうちに、この海に向いたほうへボーリングを入れて傷口をこさえて、ガスを抜くか熔岩を出させるかしなければならない。今すぐ二人で見に行こう。」二人はすぐにしたくして、サンムトリ行きの汽車に乗りました。

     六 サンムトリ火山

 二人は次の朝、サンムトリの市に着き、ひるごろサンムトリ火山の頂近く、観測器械を置いてある小屋に登りました。そこは、サンムトリ山の古い噴火口の外輪山が、海のほうへ向いて欠けた所で、その小屋の窓からながめますと、海は青や灰いろの幾つもの縞《しま》になって見え、その中を汽船は黒いけむりを吐き、銀いろの水脈《みお》を引いていくつもすべっているのでした。
 老技師はしずかにすべての観測機を調べ、それからブドリに言いました。
「きみはこの山はあと何日ぐらいで噴火すると思うか。」
「一月はもたないと思います。」
「一月はもたない。もう十日ももたない。早く工作してしまわないと、取り返しのつかないことになる。私はこの山の海に向いたほうでは、あすこがいちばん弱いと思う。」老技師は山腹の谷の上のうす緑の草地を指さしました。そこを雲の影がしずかに青くすべっているのでした。
「あすこには熔岩《ようがん》の層が二つしかない。あとは柔らかな火山灰と火山礫《かざんれき》の層だ。それにあすこまでは牧場の道も立派にあるから、材料を運ぶことも造作《ぞうさ》ない。ぼくは工作隊を申請しよう。」
 老技師は忙しく局へ発信をはじめました。その時足の下では、つぶやくようなかすかな音がして、観測小屋はしばらくぎしぎしきしみました。老技師は器械をはなれました。
「局からすぐ工作隊を出すそうだ。工作隊といっても半分決死隊だ。私はいままでに、こんな危険に迫った仕事をしたことがない。」
「十日のうちにできるでしょうか。」
「きっとできる。装置には三日、サンムトリ市の発電所から、電線を引いてくるには五日かかるな。」
 技師はしばらく指を折って考えていましたが、やがて安心したようにまたしずかに言いました。
「とにかくブドリ君。一つ茶をわかして飲もうではないか。あんまりいい景色だから。」
 ブドリは持って来たアルコールランプに火を入れて、茶をわかしはじめました。空にはだんだん雲が出て、それに日ももう落ちたのか、海はさびしい灰いろに変わり、たくさんの白い波がしらは、いっせいに火山のすそに寄せて来ました。
 ふとブドリはすぐ目の前に、いつか見たことのあるおかしな形の小さな飛行船が飛んでいるのを見つけました。老技師もはねあがりました。
「あ、クーボー君がやって来た。」ブドリも続いて小屋をとび出しました。飛行船はもう小屋の左側の大きな岩の壁の上にとまって、中からせいの高いクーボー大博士がひらりと飛びおりていました。博士はしばらくその辺の岩の大きなさけ目をさがしていましたが、やっとそれを見つけたと見えて、手早くねじをしめて飛行船をつなぎました。
「お茶をよばれに来たよ。ゆれるかい。」大博士はにやにやわらって言いました。老技師が答えました。
「まだそんなでない。けれども、どうも岩がぼろぼろ上から落ちているらしいんだ。」
 ちょうどその時、山はにわかにおこったように鳴り出し、ブドリは目の前が青くなったように思いました。山はぐらぐら続けてゆれました。見るとクーボー大博士も老技師もしゃがんで岩へしがみついていましたし、飛行船も大きな波に乗った船のようにゆっくりゆれておりました。
 地震はやっとやみ、クーボー大博士は起きあがってすたすたと小屋へはいって行きました。中ではお茶がひっくり返って、アルコールが青くぽかぽか燃えていました。クーボー大博士は器械をすっかり調べて、それから老技師といろいろ話しました。そしてしまいに言いました。
「もうどうしても、来年は潮汐《ちょうせき》発電所を全部作ってしまわなければならない。それができれば今度のような場合にもその日のうちに仕事ができるし、ブドリ君が言っている沼ばたけの肥料も降らせられるんだ。」
「旱魃《かんばつ》だってちっともこわくなくなるからな。」ペンネン技師も言いました。ブドリは胸がわくわくしました。山まで踊りあがっているように思いました。じっさい山は、その時はげしくゆれ出して、ブドリは床へ投げ出されていたのです。大博士が言いました。
「やるぞ、やるぞ。いまのはサンムトリの市へも、かなり感じたにちがいない。」
 老技師が言いました。
「今のはぼくらの足もとから、北へ一キロばかり、地表下七百メートルぐらいの所で、この小屋の六七十倍ぐらいの岩の塊《かたまり》が熔岩《ようがん》の中へ落ち込んだらしいのだ。ところがガスがいよいよ最後の岩の皮をはね飛ばすまでには、そんな塊を百も二百も、じぶんのからだの中にとらなければならない。」
 大博士はしばらく考えていましたが、
「そうだ、僕はこれで失敬しよう。」と言って小屋を出て、いつかひらりと船に乗ってしまいました。老技師とブドリは、大博士があかりを二三度振って挨拶《あいさつ》しながら、山をまわって向こうへ行くのを見送ってまた小屋にはいり、かわるがわる眠ったり観測したりしました。そして明け方ふもとへ工作隊がつきますと、老技師はブドリを一人小屋に残して、きのう指さしたあの草地まで降りて行きました。みんなの声や、鉄の材料の触れ合う音は、下から風の吹き上げるときは、手にとるように聞こえました。ペンネン技師からはひっきりなしに、向こうの仕事の進み具合も知らせてよこし、ガスの圧力や山の形の変わりようも尋ねて来ました。それから三日の間は、はげしい地震や地鳴りのなかで、ブドリのほうもふもとのほうもほとんど眠るひまさえありませんでした。その四日目の午前、老技師からの発信が言って来ました。
「ブドリ君だな。すっかりしたくができた。急いで降りてきたまえ。観測の器械は一ぺん調べてそのままにして、表《ひょう》は全部持ってくるのだ。もうその小屋はきょうの午後にはなくなるんだから。」
 ブドリはすっかり言われたとおりにして山を降りて行きました。そこにはいままで局の倉庫にあった大きな鉄材が、すっかり櫓《やぐら》に組み立っていて、いろいろな器械はもう電流さえ来ればすぐに働き出すばかりになっていました。ペンネン技師の頬《ほお》はげっそり落ち、工作隊の人たちも青ざめて目ばかり光らせながら、それでもみんな笑ってブドリに挨拶《あいさつ》しました。
 老技師が言いました。
「では引き上げよう。みんなしたくして車に乗りたまえ。」みんなは大急ぎで二十台の自動車に乗りました。車は列になって山のすそを一散にサンムトリの市に走りました。ちょうど山と市とのまん中どこで、技師は自動車をとめさせました。「ここへ天幕《てんと》を張りたまえ。そしてみんなで眠るんだ。」みんなは、物をひとことも言えずに、そのとおりにして倒れるようにねむってしまいました。その午後、老技師は受話器を置いて叫びました。
「さあ電線は届いたぞ。ブドリ君、始めるよ。」老技師はスイッチを入れました。ブドリたちは、天幕《てんと》の外に出て、サンムトリの中腹を見つめました。野原には、白百合《しらゆり》がいちめんに咲き、その向こうにサンムトリが青くひっそり立っていました。
 にわかにサンムトリの左のすそがぐらぐらっとゆれ、まっ黒なけむりがぱっと立ったと思うとまっすぐに天までのぼって行って、おかしなきのこの形になり、その足もとから黄金色《きんいろ》の熔岩《ようがん》がんきらきら流れ出して、見るまにずうっと扇形にひろがりながら海へはいりました。と思うと地面ははげしくぐらぐらゆれ、百合の花もいちめんゆれ、それからごうっというような大きな音が、みんなを倒すくらい強くやってきました。それから風がどうっと吹いて行きました。
「やったやった。」とみんなはそっちに手を延ばして高く叫びました。この時サンムトリの煙は、くずれるようにそらいっぱいひろがって来ましたが、たちまちそらはまっ暗になって、熱いこいしがばらばらばらばら降ってきました。みんなは天幕の中にはいって心配そうにしていましたが、ペンネン技師は、時計を見ながら、
「ブドリ君、うまく行った。危険はもう全くない。市のほうへは灰をすこし降らせるだけだろう。」と言いました。こいしはだんだん灰にかわりました。それもまもなく薄くなって、みんなはまた天幕の外へ飛び出しました。野原はまるで一めんねずみいろになって、灰は一寸ばかり積もり、百合の花はみんな折れて灰に埋まり、空は変に緑いろでした。そしてサンムトリのすそには小さなこぶができて、そこから灰いろの煙が、まだどんどんのぼっておりました。
 その夕方、みんなは灰やこいしを踏んで、もう一度山へのぼって、新しい観測の器械を据え着けて帰りました。

     七 雲の海

 それから四年の間に、クーボー大博士の計画どおり、潮汐《ちょうせき》発電所は、イーハトーヴの海岸に沿って、二百も配置されました。イーハトーヴをめぐる火山には、観測小屋といっしょに、白く塗られた鉄の櫓《やぐら》が順々に建ちました。
 ブドリは技師心得になって、一年の大部分は火山から火山と回ってあるいたり、あぶなくなった火山を工作したりしていました。
 次の年の春、イーハトーヴの火山局では、次のようなポスターを村や町へ張りました。

[#ここから3字下げ]
「窒素肥料を降らせます。
ことしの夏、雨といっしょに、硝酸アムモニヤをみなさんの沼ばたけや蔬菜《そさい》ばたけに降らせますから、肥料を使うかたは、その分を入れて計算してください。分量は百メートル四方につき百二十キログラムです。
雨もすこしは降らせます。
旱魃《かんばつ》の際には、とにかく作物の枯れないぐらいの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付《さくづけ》しなかった沼ばたけも、ことしは心配せずに植え付けてください。」
[#ここで字下げ終わり]

 その年の六月、ブドリはイーハトーヴのまん中にあたるイーハトーヴ火山の頂上の小屋におりました。下はいちめん灰いろをした雲の海でした。そのあちこちからイーハトーヴじゅうの火山のいただきが、ちょうど島のように黒く出ておりました。その雲のすぐ上を一|隻《せき》の飛行船が、船尾からまっ白な煙を噴《ふ》いて、一つの峯から一つの峯へちょうど橋をかけるように飛びまわっていました。そのけむりは、時間がたつほどだんだん太くはっきりなってしずかに下の雲の海に落ちかぶさり、まもなく、いちめんの雲の海にはうす白く光る大きな網が山から山へ張りわたされました。いつか飛行船はけむりを納めて、しばらく挨拶《あいさつ》するように輪を描いていましたが、やがて船首をたれてしずかに雲の中へ沈んで行ってしまいました。
 受話器がジーと鳴りました。ペンネン技師の声でした。
「飛行船はいま帰って来た。下のほうのしたくはすっかりいい。雨はざあざあ降っている。もうよかろうと思う。はじめてくれたまえ。」
 ブドリはぼたんを押しました。見る見るさっきのけむりの網は、美しい桃いろや青や紫に、パッパッと目もさめるようにかがやきながら、ついたり消えたりしました。ブドリはまるでうっとりとしてそれに見とれました。そのうちにだんだん日は暮れて、雲の海もあかりが消えたときは、灰いろかねずみいろかわからないようになりました。
 受話器が鳴りました。
「硝酸アムモニヤはもう雨の中へでてきている。量もこれぐらいならちょうどいい。移動のぐあいもいいらしい。あと四時間やれば、もうこの地方は今月中はたくさんだろう。つづけてやってくれたまえ。」
 ブドリはもううれしくってはね上がりたいくらいでした。
 この雲の下で昔の赤ひげの主人も、となりの石油がこやしになるかと言った人も、みんなよろこんで雨の音を聞いている。そしてあすの朝は、見違えるように緑いろになったオリザの株を手でなでたりするだろう。まるで夢のようだと思いながら、雲のまっくらになったり、また美しく輝いたりするのをながめておりました。ところが短い夏の夜はもう明けるらしかったのです。電光の合間に、東の雲の海のはてがぼんやり黄ばんでいるのでした。
 ところがそれは月が出るのでした。大きな黄いろな月がしずかにのぼってくるのでした。そして雲が青く光るときは変に白っぽく見え、桃いろに光るときは何かわらっているように見えるのでした。ブドリは、もうじぶんがだれなのか、何をしているのか忘れてしまって、ただぼんやりそれをみつめていました。
 受話器はジーと鳴りました。
「こっちではだいぶ雷が鳴りだして来た。網があちこちちぎれたらしい。あんまり鳴らすとあしたの新聞が悪口を言うからもう十分ばかりでやめよう。」
 ブドリは受話器を置いて耳をすましました。雲の海はあっちでもこっちでもぶつぶつぶつぶつつぶやいているのです。よく気をつけて聞くとやっぱりそれはきれぎれの雷の音でした。
 ブドリはスイッチを切りました。にわかに月のあかりだけになった雲の海は、やっぱりしずかに北へ流れています。ブドリは毛布をからだに巻いてぐっすり眠りました。

     八 秋

 その年の農作物の収穫は、気候のせいもありましたが、十年の間にもなかったほど、よくできましたので、火山局にはあっちからもこっちからも感謝状や激励の手紙が届きました。ブドリははじめてほんとうに生きがいがあるように思いました。
 ところがある日、ブドリがタチナという火山へ行った帰り、とりいれの済んでがらんとした沼ばたけの中の小さな村を通りかかりました。ちょうどひるころなので、パンを買おうと思って、一軒の雑貨や菓子を買っている店へ寄って、
「パンはありませんか。」とききました。するとそこには三人のはだしの人たちが、目をまっ赤《か》にして酒を飲んでおりましたが、一人が立ち上がって、
「パンはあるが、どうも食われないパンでな。石盤《セキパン》だもな。」とおかしなことを言いますと、みんなはおもしろそうにブドリの顔を見てどっと笑いました。ブドリはいやになって、ぷいっと表へ出ましたら、向こうから髪を角刈りにしたせいの高い男が来て、いきなり、
「おい、お前、ことしの夏、電気でこやし降らせたブドリだな。」と言いました。
「そうだ。」ブドリは何げなく答えました。その男は高く叫びました。
「火山局のブドリが来たぞ。みんな集まれ。」
 すると今の家の中やそこらの畑から、十八人の百姓たちが、げらげらわらってかけて来ました。
「この野郎、きさまの電気のおかげで、おいらのオリザ、みんな倒れてしまったぞ。何《な》してあんなまねしたんだ。」一人が言いました。
 ブドリはしずかに言いました。
「倒れるなんて、きみらは春に出したポスターを見なかったのか。」
「何この野郎。」いきなり一人がブドリの帽子をたたき落としました。それからみんなは寄ってたかってブドリをなぐったりふんだりしました。ブドリはとうとう何がなんだかわからなくなって倒れてしまいました。
 気がついてみるとブドリはどこかの病院らしい室の白いベッドに寝ていました。枕《まくら》もとには見舞いの電報や、たくさんの手紙がありました。ブドリのからだじゅうは痛くて熱く、動くことができませんでした。けれどもそれから一週間ばかりたちますと、もうブドリはもとの元気になっていました。そして新聞で、あのときの出来事は、肥料の入れようをまちがって教えた農業技師が、オリザの倒れたのをみんな火山局のせいにして、ごまかしていたためだということを読んで、大きな声で一人で笑いました。
 その次の日の午後、病院の小使がはいって来て、
「ネリというご婦人のおかたがたずねておいでになりました。」と言いました。ブドリは夢ではないかと思いましたら、まもなく一人の日に焼けた百姓のおかみさんのような人が、おずおずとはいって来ました。それはまるで変わってはいましたが、あの森の中からだれかにつれて行かれたネリだったのです。二人はしばらく物も言えませんでしたが、やっとブドリが、その後のことをたずねますと、ネリもぼつぼつとイーハトーヴの百姓のことばで、今までのことを話しました。ネリを連れて行ったあの男は、三日ばかりの後、めんどうくさくなったのか、ある小さな牧場の近くへネリを残して、どこかへ行ってしまったのでした。
 ネリがそこらを泣いて歩いていますと、その牧場の主人がかわいそうに思って家へ入れて、赤ん坊のお守《もり》をさせたりしていましたが、だんだんネリはなんでも働けるようになったので、とうとう三四年前にその小さな牧場のいちばん上の息子《むすこ》と結婚したというのでした。そしてことしは肥料も降ったので、いつもなら厩肥《まやごえ》を遠くの畑まで運び出さなければならず、たいへん難儀したのを、近くのかぶら畑へみんな入れたし、遠くの玉蜀黍《とうもろこし》もよくできたので、家じゅうみんなよろこんでいるというようなことも言いました。またあの森の中へ主人の息子といっしょに何べんも行って見たけれども、家はすっかりこわれていたし、ブドリはどこへ行ったかわからないので、いつもがっかりして帰っていたら、きのう新聞で主人がブドリのけがをしたことを読んだので、やっとこっちへたずねて来たということも言いました。ブドリは、なおったらきっとその家へたずねて行ってお礼を言う約束をしてネリを帰しました。

     九 カルボナード島

 それからの五年は、ブドリにはほんとうに楽しいものでした。赤ひげの主人の家にも何べんもお礼に行きました。
 もうよほど年はとっていましたが、やはり非常な元気で、こんどは毛の長いうさぎを千匹以上飼ったり、赤い甘藍《かんらん》ばかり畑に作ったり、相変わらずの山師はやっていましたが、暮らしはずうっといいようでした。
 ネリには、かわいらしい男の子が生まれました。冬に仕事がひまになると、ネリはその子にすっかりこどもの百姓のようなかたちをさせて、主人といっしょに、ブドリの家にたずねて来て、泊まって行ったりするのでした。
 ある日、ブドリのところへ、昔てぐす飼いの男にブドリといっしょに使われていた人がたずねて来て、ブドリたちのおとうさんのお墓が森のいちばんはずれの大きな榧《かや》の木の下にあるということを教えて行きました。それは、はじめ、てぐす飼いの男が森に来て、森じゅうの木を見てあるいたとき、ブドリのおとうさんたちの冷たくなったからだを見つけて、ブドリに知らせないように、そっと土に埋めて、上へ一本の樺《かば》の枝をたてておいたというのでした。ブドリは、すぐネリたちをつれてそこへ行って、白い石灰岩の墓をたてて、それからもその辺を通るたびにいつも寄ってくるのでした。
 そしてちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候がまた来るような模様でした。測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつだんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日もみぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生きたそらもありませんでした。クーボー大博士も、たびたび気象や農業の技師たちと相談したり、意見を新聞へ出したりしましたが、やっぱりこの激しい寒さだけはどうともできないようすでした。
 ところが六月もはじめになって、まだ黄いろなオリザの苗や、芽を出さない木を見ますと、ブドリはもういても立ってもいられませんでした。このままで過ぎるなら、森にも野原にも、ちょうどあの年のブドリの家族のようになる人がたくさんできるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考えました。ある晩ブドリは、クーボー大博士のうちをたずねました。
「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスを噴《ふ》くでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」
 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
 老技師はだまって首をたれてしまいました。
 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。
 そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅《あかがね》いろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪《たきぎ》で楽しく暮らすことができたのでした。



底本:「童話集 風の又三郎」岩波文庫、岩波書店
   1951(昭和26)年4月25日第1刷発行
   1997(平成9)年8月4日第70刷発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2004年1月5日作成
2004年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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*難字、求めよ


オリザ オリザ・サチバ Oriza sativa イネ科の植物イネの学名。
テグス 天蚕糸。「てぐすいと」に同じ。
てぐすいと 天蚕糸。楓蚕・樟蚕の幼虫の体内から絹糸腺を取り、酸に浸し、引き伸ばし乾かして精製した白色透明の糸。釣糸に愛用され、実際に使われなくなった現在でも釣糸の俗称として残る。てんさんし。
楓蚕 ふうさん ヤママユガ科のガ。大形で、開張約9センチメートル。中国南部・インドに産し、ややヤママユガに似る。幼虫は楓などの葉を食う。天蚕糸を製する。テグスガ。テグスサン。
山師 やまし (1) 山の立木の売買、鉱山の採掘事業などを経営する人。山主。山元。(2) 山事をする人。投機などをする人。また、他人をあざむいて利得をはかる人。山こかし。詐欺師。
豆玉 まめたま
かえし 鳥のふん。
駄 だ (呉音。漢音はタ) 馬1頭に負わすだけの重量。36貫。日本の近世では本馬で40貫または36貫を1駄の重さとする。
指竿とり させとり 指取。田掻きの牛馬の鼻をとるためにつけた「させ」をとって牛馬を使うこと。また、その役。通例、少年または女子の役目。はなどり。さいとり。
室 へや
水下 みなしも 流れの下の方。下流。川下。
硝酸アンモニウム しょうさんアンモニウム 化学式 NH(4)NO(3) で表される硝酸とアンモニアの塩。硝酸とアンモニアを反応させると得られる。主に爆薬や窒素肥料として用いられ、硝安とも呼ばれる。 爆薬の原料として使用する場合は、多孔質で顆粒状のプリル硝安を使用することが多い。
蔬菜 そさい 野菜。青物。
厩肥 まやごえ 家畜小屋の糞尿と敷藁とのまじったものを腐敗させた肥料。きゅうひ。
榧 かや イチイ科の常緑高木。幹の高さ約20メートル、周囲3メートルに達する。葉は扁平線状、革質で厚く、先端は鋭い。雌雄異株。4月頃開花。実は広楕円形で、核は食用・薬用とし、また油を搾る。材は堅くて碁盤などをつくる。
生きた空もない いきたそらもない 「生きた心地もしない」に同じ。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)『日本国語大辞典 第二版』(小学館、2001.5)。



*後記(工作員スリーパーズ日記)


 殉死・殉職、自己犠牲について。イエスの十字架はりつけ、アルカイダのジハード、仏教寓話の火中に投身するウサギ。
 宮沢賢治の作品にはしばしば自己犠牲が描かれる。同じく手塚治虫の代表二作『ジャングル大帝』と『アトム』も自己犠牲で結末をむかえる。さらに宮崎駿『ナウシカ』も献身・自己犠牲を描いている。カミカゼ特攻やひめゆりの塔の女子生徒たちだけにかぎらず、震災騒動の最中に大杉・伊藤らを殺害した甘粕正彦も、ロシア南下を防ぐために線路爆破を偽装した板垣征四郎・石原莞爾らもまた「社会の安全を守る」という名の下に自己犠牲の精神を発露したと見ることができる。世間からの批判を承知のうえで、それを実行することこそ「大義」と思い込んでしまった。単身、敵地へ乗り込んだ世良修蔵らが、必要以上に虚勢を張って見せなければならなかったのも同じだろう。
 ビン・ラディンが非武装だったとは結果的にいえることであって、最悪、自爆トラップがしかけられていたとしてもまったく不思議でない。突入するほうはそう考えたろう。サクリファイス。歌や芸術や小説ができることは、殉職・自己犠牲を讃美・美化することか……もしくは、その逆か。

 9日『山形新聞』より「支援物資“在庫”山積み、県はNPOなどに活用を呼びかけ」。飲料水・非常食・紙おむつ・マスクなどの衛生用品・古着などが4トントラック換算で約65台分残っている、とのこと。
 羽生善治『大局観』(角川書店、2011.2)読了。新手一生、惜福、ブラック・スワン。「大局観」では「終わりの局面」をイメージする。最終的に「こうなるのではないか」という仮定を作り、そこに「理論を合わせていく」ということ。簡単に言えば勝負なら「勝ち」を想像する。




*次週予告


第三巻 第四二号 
シグナルとシグナレス(他)宮沢賢治


第三巻 第四二号は、
五月一四日(土)発行予定です。
定価:200円


T-Time マガジン 週刊ミルクティー 第三巻 第四一号
グスコーブドリの伝記 宮沢賢治
発行:二〇一一年五月七日(土)
編集:しだひろし/PoorBook G3'99
 http://www33.atwiki.jp/asterisk99/
出版:*99 出版
 〒994-0024 山形県天童市鎌田2丁目1−21
 アパートメント山口A−202
販売:DL-MARKET
※ T-Timeは(株)ボイジャーの商標・製品です。



T-Time マガジン 週刊ミルクティー*99 出版

第二巻

第一号 奇巌城(一)モーリス・ルブラン 月末最終号:無料
第二号 奇巌城(二)モーリス・ルブラン 定価:200円
第三号 美し姫と怪獣 / 長ぐつをはいた猫 定価:200円
第四号 毒と迷信 / 若水の話 / 麻薬・自殺・宗教 定価:200円
第五号 空襲警報 / 水の女 / 支流 定価:200円
第六号 新羅人の武士的精神について 池内宏 月末最終号:無料
第七号 新羅の花郎について 池内宏 定価:200円
第八号 震災日誌 / 震災後記 喜田貞吉 定価:200円
第九号 セロ弾きのゴーシュ / なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円
第十号 風の又三郎 宮沢賢治 月末最終号:無料
第一一号 能久親王事跡(一)森 林太郎 定価:200円
第一二号 能久親王事跡(二)森 林太郎 定価:200円
第一三号 能久親王事跡(三)森 林太郎 定価:200円
第一四号 能久親王事跡(四)森 林太郎 定価:200円
第一七号 赤毛連盟 コナン・ドイル 定価:200円
第一八号 ボヘミアの醜聞 コナン・ドイル 定価:200円
第一九号 グロリア・スコット号 コナン・ドイル 月末最終号:無料
第二〇号 暗号舞踏人の謎 コナン・ドイル 定価:200円
第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 定価:200円
第二二号 コロポックル説の誤謬を論ず 上・下 河野常吉 定価:200円
第二三号 慶長年間の朝日連峰通路について 佐藤栄太 月末最終号:無料
第二四号 まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫 定価:200円
第二五号 払田柵跡について二、三の考察/山形県本楯発見の柵跡について 喜田貞吉 定価:200円
第二六号 日本天変地異記 田中貢太郎 定価:200円
第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 定価:200円
第二八号 翁の発生/鬼の話 折口信夫  月末最終号:無料
第二九号 生物の歴史(一)石川千代松  定価:200円
第三〇号 生物の歴史(二)石川千代松  定価:200円
第三一号 生物の歴史(三)石川千代松  定価:200円
第三二号 生物の歴史(四)石川千代松  月末最終号:無料
第三三号 特集 ひなまつり  定価:200円  雛 芥川龍之介
 雛がたり 泉鏡花
 ひなまつりの話 折口信夫

第三四号 特集 ひなまつり  定価:200円  人形の話 折口信夫
 偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道 折口信夫

第三五号 右大臣実朝(一)太宰治  定価:200円
第三六号 右大臣実朝(二)太宰治 月末最終号:無料
第三七号 右大臣実朝(三)太宰治 定価:200円
第三八号 清河八郎(一)大川周明 定価:200円
第三九号 清河八郎(二)大川周明  定価:200円
第四〇号 清河八郎(三)大川周明  月末最終号:無料
第四一号 清河八郎(四)大川周明  定価:200円
第四二号 清河八郎(五)大川周明  定価:200円
第四三号 清河八郎(六)大川周明  定価:200円
第四四号 道鏡皇胤論について 喜田貞吉  定価:200円
第四五号 火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉  月末最終号:無料
第四六号 手長と足長/くぐつ名義考 喜田貞吉  定価:200円
第四七号 「日本民族」とは何ぞや/本州における蝦夷の末路 喜田貞吉  定価:200円
第四八号 若草物語(一)L. M. オルコット  定価:200円
第四九号 若草物語(二)L. M. オルコット  月末最終号:無料
第五〇号 若草物語(三)L. M. オルコット  定価:200円
第五一号 若草物語(四)L. M. オルコット  定価:200円
第五二号 若草物語(五)L. M. オルコット  定価:200円
第五三号 二人の女歌人/東北の家 片山広子  定価:200円
第三巻 第一号 星と空の話(一)山本一清  月末最終号:無料
第三巻 第二号 星と空の話(二)山本一清  定価:200円
第三巻 第三号 星と空の話(三)山本一清  定価:200円
第三巻 第四号 獅子舞雑考/穀神としての牛に関する民俗 中山太郎  定価:200円
第三巻 第五号 鹿踊りのはじまり 宮沢賢治/奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 喜田貞吉  月末最終号:無料
第三巻 第六号 魏志倭人伝/後漢書倭伝/宋書倭国伝/隋書倭国伝  定価:200円
第三巻 第七号 卑弥呼考(一)内藤湖南  定価:200円
第三巻 第八号 卑弥呼考(二)内藤湖南  定価:200円
第三巻 第九号 卑弥呼考(三)内藤湖南  月末最終号:無料
第三巻 第一〇号 最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫  定価:200円
第三巻 第一一号 瀬戸内海の潮と潮流(他三編)寺田寅彦  定価:200円 瀬戸内海の潮と潮流/コーヒー哲学序説/神話と地球物理学/ウジの効用

第三巻 第一二号 日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦  定価:200円
第三巻 第一三号 倭女王卑弥呼考(一)白鳥庫吉  定価:200円
第三巻 第一四号 倭女王卑弥呼考(二)白鳥庫吉  月末最終号:無料
第三巻 第一五号 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉  定価:200円 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う/倭奴国および邪馬台国に関する誤解
第三巻 第一六号 初雪 モーパッサン 秋田 滋(訳)  定価:200円
第三巻 第一七号 高山の雪 小島烏水  定価:200円
第三巻 第一八号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(一)徳永 直  月末最終号:無料
第三巻 第一九号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(二)徳永 直  定価:200円
第三巻 第二〇号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(三)徳永 直  定価:200円
第三巻 第二一号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(四)徳永 直  定価:200円
 アジアには十六世紀を前後して銅活字の時代があり、朝鮮でも日本でもおこなわれている。秀吉の朝鮮侵略のみやげものに端を発している家康・家光時代の銅活字印刷があるけれど、それにくらべると、このさし絵に見る康熙帝の印刷局ははるかに大規模で組織的であることがわかる。しかし、日本でも『お湯殿日記』に見るような最初の文選工は「お公卿たち」であったが、支那でもあごひげの長い官人たちであった。明治になって印刷術が近代化されてからでも、印刷工業をおこした人々の多くが、武家など文字になじみのある階級だったように、私の徒弟だったころの先輩の印刷工の多くが、やはり士族くずれだったことを思い出す。(略)
 武英殿の銅活字は康熙帝の孫、高宗〔乾隆帝〕の代になるとつぶされて銅貨となった。日本でも家康時代の銅活字は同じ運命をたどっているけれど、支那のばあいは銅貨の不足が原因といわれている。しかし、もっと大きな原因は金属活字にあって、漢字組織ができないならば、またプレス式の印刷機もないとするならば、むしろ手わざの発達による木版の方が容易であり便利であった。ボディが銅であれ鉛であれ、それが彫刻に過ぎないならば、むしろ木版にしくはない。銅活字がほろびて再び木版術が栄え、極彩色の芸術的な印刷物もできるようになった。康熙・乾隆の時代に見られるこの傾向は、十七世紀の終わりから十八世紀のなかほどまでであるが、江戸中期から木版術が再興し、世界にたぐいない木版印刷術を生み出した日本と時間的にもほぼ一致している――ということも、漢字が持つ共通の宿命がするわざであったろう。

第三巻 第二二号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(五)徳永 直  月末最終号:無料
 『東洋文化史上におけるキリスト教』(三六二ページ)で溝口靖夫氏は、前に述べたメドハーストが(Ibid, P.366)自分の当時の経験を追懐した文章を根拠にして、つぎのように述べているところがある。――第五の困難は、アヘン問題と宣教師の関係であった。メドハーストが広東に着いた一八三五年は、アヘン戦争の直前であり、支那と英国のあいだに険悪な空気がみなぎっていた。このときにあたって宣教師たちは、きわめて困難なる立場に置かれた。宣教師たちは、しばしばアヘンを積んだ船に乗ってきた。しかも、メドハーストらは切符は買っているが、積荷について容嘴(ようし)する権利はなかった。……宣教師は、英国人と支那人との間に立って、しばしば通訳の労をとらねばならなかったが、こんなとき支那人はアヘン貿易は正義にかなえるものなりや否や? をただすのであった。……ゆえに当時、宣教師たちのこいねがったのは、一艘の伝道用船を得ることであった。これによりアヘンの罪悪からまぬがるることであった。――一艘の伝道船で、アヘンから逃れることはできないけれど、一口にいって「インドからの手紙」は、英国議会をして宣教師らの活動を保証させる決議案をパスさせながら、こんどは「信教の自由憲章」を勝ち取らねばならぬほどそれが首かせになったことを示している。つまり、産業革命が生み出したアルファベット人種の革命的進歩性は、おなじ産業革命が生み出した「アヘンの罪悪」と衝突しなければならなかったが、この矛盾こそ資本主義の矛盾の中味であり、限界であった。

第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治  定価:200円
「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。(略)
 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。
 そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。 

第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治  定価:200円
 そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。
 その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。
 そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。「新世界交響楽だわ。」むこうの席の姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言いました。まったくもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。
(こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。
 ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。
 透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。

第三巻 第二五号 ドングリと山猫/雪渡り 宮沢賢治  定価:200円
 空が青くすみわたり、ドングリはピカピカしてじつにきれいでした。
「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張(いば)って言いますと、ドングリどもは口々にさけびました。
「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。
「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。
「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。
「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。
「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、ガヤガヤガヤガヤ言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。そこで山猫がさけびました。
「やかましい! ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ!」

第三巻 第二六号 光をかかぐる人々[続]『世界文化』連載分(六)徳永 直  定価:200円
 活字が日本に渡るには、他の条件が必要であった。そして、その他の条件のうちもっとも大きなものは、やはり文久二年・一八六二年の日本幕府がはじめてやった貿易船千歳丸の上海入港であったろう。(略)経済的にいえばこの貿易は失敗したけれど、不馴れな幕府の役人たちは積荷をそのまま持ち戻るはめにもなったけれど、オランダの役人につれられて各国の領事たちにあったり、諸外国人の活動ぶりを見てびっくりした。たとえばこれを便乗者・高杉一人の場合に見てもあきらかである。(略)その後二年あまりで、攘夷の中心長州藩が領民に洋品使用の禁を解き、薩摩や佐賀と前後して海外貿易を営なんだ急角度の転回も、したがって「薩長締盟」を可能にした思想的背景も、このときの千歳丸便乗によって彼が上海で感得したものによるところ、はなはだ多いといわれている。
 (略)第一回の千歳丸のときは高杉のほかに中牟田や五代〔五代友厚か。〕や浜松藩の名倉(なぐら)予可人(あなと)などあったが、第二回の健順丸のときは、前巻でなじみの昌造の同僚で長崎通詞、安政開港に功労のあった森山多吉郎、先の栄之助がいまは外国奉行支配調役として乗り組んでいたし、第三回目、慶応三年(一八六七)の同じく幕府船ガンジス号のときは、佐倉藩士高橋作之助〔猪之助か。(のちの由一)ら多数があり、たび重なるにつれて上海渡航者の数は急速に増えていった。(略)
 また、官船以外の密航者、あるいは藩所有の船修理と称して渡航する者もたくさんあった。(略)さては中浜万次郎を案内に立てて汽船を買いに来た土佐藩の後藤象次郎などと、千歳丸以後は「きびす相ついで」いる(略)。

第三巻 第二七号 特集 黒川能・春日若宮御祭 折口信夫  月末最終号:無料
黒川能・観点の置き所
 特殊の舞台構造
 五流の親族
 能楽史をかえりみたい
 黒川の能役者へ
村で見た黒川能
能舞台の解説
春日若宮御祭の研究
 おん祭りの今と昔と
 祭りのお練り
 公人の梅の白枝(ずはえ)
 若宮の祭神
 大和猿楽・翁
 影向松・鏡板・風流・開口
 細男(せいのお)・高足・呪師

 山形県には、秋田県へかけて室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残っております。黒川能は、その中でも著しいものの一つで、これと鳥海山の下のひやま舞い〔杉沢比山舞か。〕との二つは、特に皆さまに見ていただきたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりでのぼってくるのであります。世話をしてくださった斎藤氏〔斎藤香村か。〕に感謝しなければならないと思います。
 特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思わせるような舞台で、上下の廊下が橋掛りになっており、舞台の正面には春日神社の神殿をひかえているのであります。(略)奉仕する役者はというと、上座と下座が二部落にわかれており、ここで能をするときは、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞い、下座は右橋掛りから出て舞うことになっている。これはもっとも大きな特徴で、今度の公演にいくぶんでも実現できれば結構だと思います。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といっていいと思います。しかも、黒川ではつねにその形式をくり返しているわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としていることがわかります。
(略)おもしろいのは狂言です。表情にも言語にも必ず多少の驚きを受けられるでしょう。ことに方言的な言い回しなどには、つい、われわれも見ていて釣りこまれるものがありました。「黒川能・観点の置き所」より)

第三巻 第二八号 面とペルソナ/人物埴輪の眼 他 和辻哲郎  定価:200円
面とペルソナ / 文楽座の人形芝居
能面の様式 / 人物埴輪の眼
(略)しかし「意味ある形」、たとえば「甲冑」を円筒上の人物に着せたとなると、その甲冑は、四肢などに対するとはまったく段ちがいの細かな注意をもって表現されている。(略)それはこの鉄の武器が、人体などよりもはるかに強い関心の対象であったことを示すものであって、いかにも古墳時代の感じ方らしい。(略)
(略)埴輪(はにわ)人形を近くからでなく、三間、五間、あるいはそれ以上に、ときには二、三十間の距離を置いて、ながめてみる必要があると思う。それによって埴輪人形の眼はじつに異様な生気をあらわしてくるのである。もし、この眼が写実的に形作られていたならば、すこし遠のけば、はっきりとは見えなくなるであろう。しかるにこの眼は、そういう形づけを受けず、そばで見れば粗雑に裏までくりぬいた空洞の穴にすぎないのであるが、遠のけば遠のくほど、その粗雑さが見えなくなり、魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる。それが異様な生気を現わしてくるゆえんなのである。眼にそういう働きがあらわれれば、顔面は生気をおび、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである。古墳時代の人々はそういうふうにして埴輪の人形を見、また、そういうふうに見えるものとして埴輪の人形を作ったのであった。

第三巻 第二九号 火山の話 今村明恒  定価:200円
 桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
 霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
 磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。

第三巻 第三〇号 現代語訳『古事記』(一)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 上の巻
   序文
    過去の時代(序文の第一段)
    『古事記』の企画(序文の第二段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
    『古事記』の成立(序文の第三段)
   一、イザナギの命とイザナミの命
    天地のはじめ
    島々の生成
    神々の生成
    黄泉の国
    身禊
   二、アマテラス大神とスサノオの命
    誓約
    天の岩戸
   三、スサノオの命
    穀物の種
    八俣の大蛇
    系譜
 スサノオの命は、かようにして天の世界から逐(お)われて、下界へ下っておいでになり、まず食物をオオゲツ姫の神にお求めになりました。そこでオオゲツ姫が鼻や口、また尻からいろいろのごちそうを出して、いろいろお料理をしてさしあげました。この時にスサノオの命はそのしわざをのぞいて見て、きたないことをして食べさせるとお思いになって、そのオオゲツ姫の神を殺してしまいました。殺された神の身体にいろいろの物ができました。頭にカイコができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳にアワができ、鼻にアズキができ、股の間にムギができ、尻にマメができました。カムムスビの命が、これをお取りになって種となさいました。
 かくてスサノオの命は逐いはらわれて出雲の国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という所におくだりになりました。このときに箸(はし)がその河から流れてきました。それで川上に人が住んでいるとお思いになってたずねて上っておいでになりますと、老翁と老女と二人があって少女を中において泣いております。そこで「あなたは誰ですか?」とおたずねになったので、その老翁が、「わたくしはこの国の神のオオヤマツミの神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘の名はクシナダ姫といいます」と申しました。また「あなたの泣くわけはどういう次第ですか?」とおたずねになったので「わたくしの女(むすめ)はもとは八人ありました。それを高志(コシ)の八俣の大蛇(おろち)が毎年きて食べてしまいます。今また、それの来る時期ですから泣いています」と申しました。

第三巻 第三一号 現代語訳『古事記』(二)武田祐吉(訳)  月末最終号:無料
 古事記 上の巻
   四、大国主の命
    兎と鰐
    赤貝姫と蛤貝姫
    根の堅州国(かたすくに)
    ヤチホコの神の歌物語
    系譜
    スクナビコナの神
    御諸山の神
    大年の神の系譜
   五、アマテラス大神と大国主の命
    天若日子(あめわかひこ)
    国譲り
   六、ニニギの命
    天降り
    猿女の君
    木の花の咲くや姫
   七、ヒコホホデミの命
    海幸と山幸
    トヨタマ姫
スクナビコナの神 そこで大国主の命が出雲の御大(みほ)の御埼(みさき)においでになった時に、波の上をツルイモのさやを割って船にして、蛾(が)の皮をそっくりはいで着物にして寄ってくる神さまがあります。その名を聞きましたけれども答えません。また、御従者(おとも)の神たちにおたずねになったけれども、みな知りませんでした。ところがヒキガエルが言うことには、「これはクエ彦がきっと知っているでしょう」と申しましたから、そのクエ彦を呼んでおたずねになると、「これはカムムスビの神の御子でスクナビコナの神です」と申しました。よってカムムスビの神に申し上げたところ、「ほんとにわたしの子だ。子どもの中でも、わたしの手の股からこぼれて落ちた子どもです。あなた、アシハラシコオの命と兄弟となってこの国を作り固めなさい」とおおせられました。それで、それから大国主とスクナビコナとお二人が並んでこの国を作り固めたのです。後にはそのスクナビコナの神は、海のあちらへ渡って行ってしまいました。このスクナビコナの神のことを申し上げたクエ彦というのは、今いう山田のカカシのことです。この神は足は歩きませんが、天下のことをすっかり知っている神さまです。
御諸山の神 そこで大国主の命が心憂く思っておおせられたことは、「わたしはひとりではどのようにしてこの国を作り得ましょう。どの神さまといっしょにわたしはこの国を作りましょうか?」とおおせられました。この時に、海上を照らして寄ってくる神さまがあります。その神のおおせられることには、「わたしに対してよくおまつりをしたら、わたしがいっしょになって国を作りましょう。そうしなければ国はできにくいでしょう」とおおせられました。そこで大国主の命が申されたことには、「それなら、どのようにしておまつりをいたしましょう?」と申されましたら、「わたしを大和の国の青々と取り囲んでいる東の山の上におまつりなさい」とおおせられました。これは御諸(みもろ)の山においでになる神さまです。

第三巻 第三二号 現代語訳『古事記』(三)武田祐吉(訳)  定価:200円
 古事記 中の巻
   一、神武天皇
    東征
    速吸の門
    イツセの命
    熊野から大和へ
    久米歌
    神の御子
    タギシミミの命の変
   二、綏靖天皇以後八代
    綏靖天皇
    安寧天皇
    懿徳天皇
    孝昭天皇
    孝安天皇
    孝霊天皇
    孝元天皇
    開化天皇
   三、崇神天皇
    后妃と皇子女
    美和の大物主
    将軍の派遣
   四、垂仁天皇
    后妃と皇子女
    サホ彦の反乱
    ホムチワケの御子
    丹波の四女王
    時じくの香の木の実
 この天皇〔崇神天皇〕の御世に、流行病がさかんにおこって、人民がほとんどつきようとしました。ここに天皇は、ご憂慮あそばされて、神をまつってお寝みになった晩に、オオモノヌシの大神がお夢にあらわれておおせになるには、「かように病気がはやるのは、わたしの心である。これはオオタタネコをもってわたしを祭らしめたならば、神のたたりが起こらずに国も平和になるだろう」とおおせられました。そこで急使を四方に出してオオタタネコという人を求めたときに、河内の国の美努(みの)の村でその人を探し出してたてまつりました。(略)そこで天皇が非常にお歓びになっておおせられるには、「天下が平らぎ人民が栄えるであろう」とおおせられて、このオオタタネコを神主として御諸山(みもろやま)でオオモノヌシの神をおまつり申し上げました。(略)これによって疫病がやんで国家が平安になりました。
 このオオタタネコを神の子と知ったしだいは、上に述べたイクタマヨリ姫は美しいお方でありました。ところが形姿・威儀並びなき一人の男が夜中にたちまち来ました。そこでたがいに愛でて結婚して住んでいるうちに、何ほどもないのにその嬢子(おとめ)が妊(はら)みました。そこで父母が妊娠したことを怪しんで、その娘に、「お前は自然に妊娠した。夫がないのにどうして妊娠したのか?」とたずねましたから、答えて言うには「名も知らないりっぱな男が夜ごとに来て住むほどに、自然に妊みました」と言いました。そこでその父母が、その人を知りたいと思って、その娘に教えましたのは、「赤土を床のほとりに散らし麻糸を針につらぬいてその着物の裾(すそ)に刺せ」と教えました。よって教えたとおりにして、朝になって見れば、針をつけた麻は戸の鉤穴から貫けとおって、残った麻はただ三輪だけでした。そこで鉤穴から出たことを知って糸をたよりにたずねて行きましたら、三輪山に行って神の社にとまりました。そこで神の御子であるとは知ったのです。その麻の三輪残ったのによってそこを三輪というのです。このオオタタネコの命は、神(みわ)の君・鴨(かも)の君の祖先です。 

第三巻 第三五号 地震の話(一)今村明恒  月末最終号:無料
 一、はしがき
 二、地震学のあらまし
 三、地震に出会ったときの心得(こころえ)
  一、突差(とっさ)の処置
  二、屋外(おくがい)への避難
 日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。

第三巻 第三六号 地震の話(二)今村明恒  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
 三、地震に出会ったときの心得
  三、階下の危険
  四、屋内にての避難
  五、屋外における避難
  六、津波と山津波(やまつなみ)との注意
  七、災害防止
  八、火災防止(一)
  九、火災防止(二)
 一〇、余震に対する処置
 非局部性の大地震をおこすことのある海洋底に接した海岸地方は、大ゆれの地震にみまわれたばあい、津波についての注意を要する。ただし、津波をともなうほどの地震は最大級のものであるから、倒壊家屋を生ずる区域が数個の国や県にわたることもあり、あるいは震源距離が陸地からあまり遠いために、単に広区域にわたって大ゆれのみを感じ、地震の直接の損害を生じないこともある。
(略)津波とは津の波、すなわち港に現われる大津波であって、暴風など気象上の変調からおこることもあるが、もっとも恐ろしいのは地震津波である。元来、波というから、読者はすぐに風でおこされる波を想像せられるかもしれないが、むしろ潮の差し引きというほうが実際に近い。
(略)明治二十九年(一八九六)の三陸大津波は、その原因、数十里の沖合いにおける海底の地形変動にあったのであるが、津波の常習地たるじょうご形の港湾の奥においては、図に示されたとおり、あるいは八十尺、あるいは七十五尺というような高さの洪水となり、合計二万七〇〇〇人の人命を奪ったのに、港湾の両翼端ではわずかに数尺にすぎないほどのものであったし、その夜、沖合いに漁猟に行っていた村人は、あんな悲惨事が自分の村でおこったことを夢想することもできず、翌朝、跡かたもなく失われた村へ帰って茫然自失したという。
(略)しばしば海底の大地震をおこす場所に接し、そこに向かって大きくじょうご形に開いた地形の港湾がそれにあたるわけであるが、これについで多少の注意をはらうべきは、遠浅の海岸である。たとい海岸線が直線に近くとも、遠浅だけの関係で、波の高さが数倍の程度に増すこともあるから、もし沖合いにおける高さが数尺のものであったならば、前記のごとき地形の沿岸において多少の被害を見ることもある。

第三巻 第三七号 津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

 しかし、ここで一つ考えなければならないことで、しかも、いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(略)
 文明が進むにしたがって人間は、しだいに自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧・水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうして、あっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)をやぶった猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ、堤防を崩壊させて人命を危うくし、財産をほろぼす。その災禍をおこさせた元のおこりは、天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやがうえにも災害を大きくするように努力しているものは、誰あろう文明人そのものなのである。
 もう一つ、文明の進歩のために生じた対自然関係のいちじるしい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化がいちじるしく進展してきたために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響をおよぼす可能性が多くなり、ときには一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。(略)
 二十世紀の現代では、日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障がおこれば、その影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみれば、このことは了解されるであろう。

第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺――秋元家の巾着寺 / 庄内の獅子踊りと神楽、サイドウ / 山形県の史跡調査について / 山形城址 / おばこ踊り / 羽黒の裸祭
 昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。(略)

 十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。(略)
 自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。

第三巻 第三九号 キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子  定価:200円
【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。

キュリー夫人
はるかな道
キュリー夫人の命の焔
 刻々、パリの危険がせまってきた。キュリー夫人は貴重な一グラムを、安全なボルドー市へ移すことにきめた。一グラムのラジウムとは、鉛のかぶせ蓋(ぶた)の中で細い管がいくつもたえず光っている、一つのたいへんに重い箱である。黒いアルパカの外套(がいとう)を着て、古びて形のくずれた丸いやわらかい旅行帽をかぶったマリアは、単身、その重い箱を持って満員の列車に乗りこんだ。客車の中は、敗戦の悲観論にみちあふれている。鉄道沿線の国道には、西へ西へと避難してゆく自動車の列がどこまでも続いている。しかし、キュリー夫人はあたりの動乱に断固として耳をかさず、憂いと堅忍との輝いている独特な灰色の眼で、日光をあびたフランス平野の景色をながめていた。(略)
 けれどもX光線の設備に、なくてならない電気さえひかれていないような野戦病院へ殺到してくる負傷者たちを、どうしたらいいだろう。キュリー夫人は、あることを思いついた。フランス婦人協会の費用で光線治療車というものを作った。これはヨーロッパでもはじめての試みであった。普通の自動車にレントゲン装置と、モーターと結びついて動く発電機を取りつけたもので、この完全な移動X光線班は一九一四年八月から各病院をまわりはじめた。フランスの運命を好転させた歴史的な戦いであるマルヌの戦闘で、故国のために傷ついた人々は、パリへ後送されて、その移動班に助けられたのであった。

第三巻 第四〇号 大正十二年九月一日…/私の覚え書 宮本百合子  月末最終号:無料
大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録
私の覚え書
 列車は人と貨物を満載し、あぶら汗をにじませるむし暑さにつつまれながら、篠井ぐらいまでは、急行らしい快速力で走った。午前二時、三時となり、だんだん信州の高原にさしかかると、停車する駅々の雰囲気が一つごとに緊張の度を増してきた。在郷軍人、消防夫、警官などの姿がちらつき、手に手に提灯をかざして警備している。福井を出発するとき、前日ごろ軽井沢で汽車爆破をくわだてた暴徒が数十名捕らえられ、数人は逃げたという噂があった。旅客はみなそれを聞き知ってい、なかには、ことさら「いよいよ危険区域に入りましたな」などという人さえある。
 五日の暁方四時少しすぎ、列車がちょうど軽井沢から二つ手前の駅に着く前、一般の神経過敏をよく現わした一つの事件が持ちあがった。前から二つ目ばかりの窓ぎわにいた一人の男が、「この車の下に何者かが隠れている。爆弾を持った〔二字伏せ字〕に違いない」と言い出したのであった。なにしろひどい混みようで、とうてい席などは動けないので、遠い洗面所その他はまるで役に立たない。その人は、窓から用をたしたのだそうだ。そして、何心なくひょいと下をのぞくと、たしかに人間の足がいそいでひっこんだのを認めた。自分ばかりではなく、もう一人の者も間違いなく見たというのである。
 はじめ冗談だと思ったみなも、その人があまり真剣なのでひどく不安になりはじめた。あの駅々の警備の厳重なところを見れば、まったくそんな事がないとはいわれない。万一事実とすれば、ここにいる数十人が命の瀬戸際にあるということになる。不安がつのるにつれ、非常警報器を引けという者まで出た。駅の構内に入るために列車がしばらく野っぱのまんなかで徐行しはじめたときには、乗客はほとんど総立ちになった。何か異様がおこった。今こそあぶないという感が一同の胸をつらぬき、じっと場席にいたたまれなくさせたのだ。

※ 価格は税込みです。
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