M-Tea* vol.7 no.39 本の未来(四)富田倫生

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M-Tea* vol.7 no.39 本の未来(四)富田倫生

2015.4.18 第七巻 第三九号

本の未来(四)
富田倫生

 第三章 電子ガリ版で自分の本を作る
  マックで読む電子ブックを作ろう!
  エキスパンドブックを作る
  英語バージョンでも日本語の本が作れる
  暗い日に見つけたもの
  狂ったオーケストラの大音響
  青空のリスタート
  ボタンを押したツールキット
  ボイジャージャパン
  ボブ・スタインとの出会い
  あるがままの自分にできること
  エキスパンドブック版『パソコン創世記』



100円(本体税抜93円)  p.159 / *99 出版
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ PDF 形式。Mac OS X 10.4・Acorbat Reader 5.0、Windows 7・Adobe Reader X および SONY Reader(PRS-T2)にて確認済み。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。
※ この作品は、クリエイティブ・コモンズ「表示 2.1 日本」でライセンスされています。利用条件は、http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/ を参照してください。

PDF マガジン 週刊ミルクティー*

 アラン・ケイの考えたことに、私が興味を持ったことは書きました。「パーソナル・ダイナミック・メディア」という代表的な論文からたどって彼の書いたものを読み始めたのは一九八〇年代も半ば近くです。
 ところがNECで8ビット機の開発をリードした、もともとは半導体チップの販売担当者だった後藤富雄さんは一九七七年の発表時点で論文を読み、それ以来これを「自分のバイブルとしてきた」というのです。8ビットのマシンを作っているあいだも「いつか、あそこに書かれたようなものを作ってみたい」と思っていた。さらにPC-9801にとって社内のライバルのような立場にあったPC-100という機械を作るときには、「パーソナル・ダイナミック・メディア」を作ろうと、はっきり意識していたといいます。
 PC-100を知らなかったわけではありません。発表されたとき、「面白い機械だな」と思いました。ただ、ケイの著作を読む前に出会った当時は、何を目指しているのか全体像はつかめませんでした。当時の事業の責任者に、「PC-9801にPC-100と二つの16ビット機がぶつかって、売りにくくはありませんか?」と、図式的な質問をした証拠が残っています。どういう方向にパーソナルコンピューターを育てていくか、異なった二つのイメージがぶつかっていたのだとは気づいていませんでした。
 再取材でそのコメントに巡り合って、PC-100をPC-9801の横に置き、二つの対抗関係を軸に流れを見ていけば一九八〇年代に起こったことがよく見えるだろうと気づきました。(略)
 頭の中で全体の構図がぼんやり像を結びはじめると、書きかけの原稿ではあまりにも骨組みが弱いと感じるようになりました。


富田倫生 とみた みちお
1952-2013(昭和27.4.20-平成25.8.16)
広島市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。編集プロダクション勤務を経て、ライターに。ノンフィクションのさまざまな分野を取材対象としてきたが、次第にパーソナルコンピューターの比重が高まる。ボイジャーのエキスパンドブックを見て電子出版の可能性を本気で信じ込むようになり、「パソコン創世記」と名付けたタイトルを、コンピューターで読むことを前提に制作。このブック上の記述を、インターネット上のさまざまなホームページにリンクさせていくという作業を体験してからは、電子本への確信をさらに深めている。紙で出してきた著書に、「パソコン創世記」(旺文社文庫版、TBSブリタニカ版)、「宇宙回廊 日本の挑戦」(旺文社)、「電脳王 日電の行方」(ソフトバンク)、「青空のリスタート」(ソフトバンク)、「本の未来」(アスキー)がある。

◇参照:青空文庫「作家別作品リスト:No.55」。

底本

底本:「本の未来」アスキー
   1997(平成9)年3月1日初版発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html

NDC 分類:007(総記 / 情報科学)
http://yozora.kazumi386.org/0/0/ndc007.html
NDC 分類:023(図書.書誌学 / 出版)
http://yozora.kazumi386.org/0/2/ndc023.html


難字、求めよ

ハイパーカード 2.1
東亜港湾工業
東播磨港
稲門シナリオ研究会
東映・教育映画部 児童劇や教育映画の担当。(本文)
エンサイクロペディア・ブリタニカ社
鎌田純子 ボイジャージャパン創立メンバーの一人。(本文)
レイ・コールマン 著『ジョン・レノン』。
北村礼明 ボイジャージャパン創立メンバーの一人。(本文)
後藤富雄 NECで8ビット機の開発をリードした、もともとは半導体チップの販売担当者。(本文)
『ザ・コンピュータ』 雑誌。一九八七年夏、ソフトバンクが創刊。(本文)
『パソコン・マガジン』 ソフトバンク刊。(青空のリスタート)
『SFXミュージアム』
『映像の先駆者』シリーズ
クライテリオン・シリーズ
『メロディー・メーカー』紙
『ジョン・レノン』 レイ・コールマンの著。
稲垣足穂『タルホ・フューチュリカ』 一九九三(平成五)年六月二五日、ボイジャーが発売した日本語版エキスパンドブックの第一弾。(本文)

年表

一九四五(昭和二十)三月十日 東京大空襲。
一九四六(昭和二一) 萩野正昭、紀尾井町で生まれる。生後間もなく亀沢町に移る。
一九六九年二月 富田、当時十七歳。大学ノートまるまる一冊に書いた、巨大なラヴレターを初恋の少女に手渡す。
一九六九(昭和四四) 萩野、早稲田大学の第一法学部を卒業。東亜港湾工業に入社。
一九七七 アラン・ケイ、論文を発表。NECの後藤富雄、この時点で論文を読み、以来これを「自分のバイブルとしてきた」という。
一九八一(昭和五六)七月 萩野、パイオニアが出したレーザーディスク用タイトルの制作要員募集に応じて採用となり、東映の教育映画部から移る。
一九八四 ボブ・スタイン、ボイジャーを起こす。クライテリオン・シリーズを刊行。
一九八四(昭和五十九)暮れ~ 富田、『パソコン創世記』文庫版を翌年の初頭にかけて執筆。
一九八五年二月 富田の処女作『パソコン創世記』旺文社文庫が出版。書き下ろし。出したとたん、出版取りやめ。
一九九〇(平成二)夏 富田、三か月入院。
一九九一(平成三)春 富田、再度入院。初夏に退院。間もなく父が入院。故郷の広島に帰って父に付き添うことを決める。父、他界。このころ、『パソコン創世記』を読んだという某編集者、続編をまとめることを条件に旧版を再刊しようと申し出る。
一九九二年一月 米ボイジャー社、パワーブック上で読む新しいスタイルの本の刊行を開始。電子本、Expanded Book。ハイパーカード 2.1 をベース。
一九九二(平成四)一月 インターフェロンの保険適用はじまる。富田、適用条件に合わず自費で打つ。
一九九二(平成四)春 富田、三度目の入院。『銀河ヒッチハイカーズ・ガイド』他、三冊のエキスパンドブックの評を書いたのはこの直前で、校正は病院のベッドで読む。
一九九二(平成四)九月末 富田『青空のリスタート』出版。
一九九二年十月 米ボイジャー社と日本のソフト制作者グループとのジョイントベンチャーによって、日本法人のボイジャージャパン(正式名称、株式会社ボイジャー)が設立。
一九九二(平成四)十一月半ば 富田、はじめて鬱をはっきりと自覚。
一九九三(平成五)一月 富田、このころフランク・キャプラの『或る夜のできごと』『群衆』など、キャプラの作品をまとめてみる。
一九九三(平成五)一月十五日 富田、エキスパンドブック・ツールキットに対する評価記事を書きあげる。
一九九三(平成五)二月 マックワールドエキスポ幕張。富田、ボイジャージャパンのブースで、鎌田純子からツールキット日本語版のパンフレットを受け取る。
一九九三(平成五)二月二一日夜 富田、レイ・コールマン著『ジョン・レノン』を読みながら、エキスポでもらってきたボイジャージャパンのパンフレットを開く。萩野あてに手紙を書き、翌日、『パソコン創世記』文庫本の一冊を添えて送る。
一九九三(平成五)二月二二日 富田、ハードウエアの会社の新製品発表会に出かける。
一九九三(平成五)六月二五日 ボイジャー、日本語版エキスパンドブックの第一弾を発売。稲垣足穂『タルホ・フューチュリカ』。富田『パソコン創世記』は間に合わず。


◇参照:本文。

むしとりホイホイ

三十八度まど → 三十八度まで 【で?】
おいたくれた → おいてくれた 【て】
PC―9800 → PC-9800 【-か】
PC―9801 → PC-9801 【-か】5件。
PC―100 → PC-100 【-か】4件。

以上5件。底本未確認。

スリーパーズ日記*

それにしても富田さんの文章、とっちらかってるよなあ。病気やクスリのことを差し引いたとしても。

たとえば本文中、アメリカでボイジャー・プレスを立ち上げたボブ・スタインに関する記述が数か所ある。ところが、富田さん本人とボイジャージャパンの萩野正昭さんとの馴れ初めを語っている最中に、萩野さんとボブ・スタインとの馴れ初めをも混ぜ込んでいるものだから、そこに主語の錯綜と時間的な錯綜が生じる。

さて、ボブ・スタインに関するくわしい記述はあるが、本人にインタビューしたという記述はない。おそらく深い親交を持つことになる萩野正昭さんから後日聞いたのだろうという推測はできるが、これはあくまでも推測でしかなくて、ボブ・スタインに関する情報源は明かされていない。

べつに隠すような情報源ではないだろうから、これは、そこまで意識がまわらなかったからか、意識はしていたけれども書き忘れたか、まあ、そんなところだろう。見出しで「ボブ・スタインとの出会い」とやってるものだから、あれ、富田さんってボブ・スタインと出会ったの? と、これも読者の錯覚を誘発しやすい。

ほかにも、たとえば萩野さんを紹介するにあたって、唐突に「小林信彦によれば……」とやる。「レイ・コールマンの『ジョン・レノン』をだらだら読んで……」と、本編と無関係のことをシラッと入れてくる。

『綴方教室』や無着成恭の生活綴方を紹介する場面はかなり熱のこもった文章ではあるが、おそらく独自の取材はまったくなく、大きく依存するネタ本が一冊ないし複数冊あることは、本文と参考資料からうかがうしかない。生活綴方に直接関係する当事者の誰かと親しいとか、当事者の誰かへインタビューしたことがあるならまた別なんだろうけれど。

ややもすると、富田さん本人の体験と、インタビューした当事者の体験と、伝聞やネタ本から仕入れた当事者の体験とがごっちゃになって、それが主語・主体の錯綜と、時間的な錯綜を生じてしまって、特有の文章の難解さを生んでいるという気がする。決して難解な内容ではないのだけれど、理解しがたさにつながってしまってるのが残念。



2015.4.18 公開予定
2015-06-13 公開
2015-06-15 更新
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