frame_decoration

M-Tea* vol.7 no.37 本の未来(二)富田倫生

2015.4.4 第七巻 第三七号

本の未来(二)
富田倫生

 第一章 面白うて、やがて悲しき本の世界(つづき)
  普通紙複写機の登場
  生活綴方が育んだもの
  復活の象徴となった『山びこ学校』
  書くことに人が託そうとする願い
  手書きの温もりとフォントのそっけなさ
  本が与えてくれるもの
  二つに引き裂かれる書くという行為
  コンピューターの中の新しい本
  マルチメディアと電子本
  電子本の最大のメリットは?
  電子本が切り開く新しい本の世界

imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。


100円(本体税抜93円) p.133 / *99 出版
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ PDF 形式。Mac OS X 10.4・Acorbat Reader 5.0、Windows 7・Adobe Reader X および SONY Reader(PRS-T2)にて確認済み。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。
※ この作品は、クリエイティブ・コモンズ「表示 2.1 日本」でライセンスされています。利用条件は、http://creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/を参照してください。

PDF マガジン 週刊ミルクティー*

(略)戦前、山形の小学校で生活綴方を指導した児童文学者、国分一太郎によれば、戦後すぐに綴方が復活しなかった最大の要因はアメリカ流の「新教育への幻想」にあったといいます(『山びこ学校』百合出版版の解説)。
 戦時下の教師たちは、天皇のために死ぬことこそ〈神国〉日本国民の最高の美徳である、と教えました。この反省にたって、一人ひとりの人間の自由を尊重する、合理的・民主的な教育を目指そうと戦後の教育が再出発した時点で、こうした価値を社会的に実現してきた「アメリカ式新教育方法の無批判な、全面的とりいれ」が目指された。その一方で、これまで日本の教師たちが積み重ねてきたさまざまな試みは、「大局において、あやまった教育の方向に奉仕したもの」として切り捨てられたと国分は指摘しています。(略)
 では、本当の教育をするためには何ができるのか。
 無着からこう相談を受けた『山形新聞』の論説委員・須藤克三は、戦前、小学校教員として生活綴方運動にたずさわっていました。国分によれば、須藤は生活綴方の体験を語り、「いまの形式主義的でゴッコ遊びみたいな社会科のゆきづまりを打開する道は、生活綴方の方法で開けるかもしれない」と無着に指摘します。そして無着は「社会科で求めているような本物の生活態度を発見させる一つの手がかりを綴方に求め」「現実の生活について討議し、考え、行動までも推し進めるための綴方指導」に乗り出していったのです。(「復活の象徴となった『山びこ学校』」より)

※ #ref(7_37.rm)
(朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx)
※ お休みしまーす。


富田倫生 とみた みちお
1952-2013(昭和27.4.20-平成25.8.16)
広島市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。編集プロダクション勤務を経て、ライターに。ノンフィクションのさまざまな分野を取材対象としてきたが、次第にパーソナルコンピューターの比重が高まる。ボイジャーのエキスパンドブックを見て電子出版の可能性を本気で信じ込むようになり、「パソコン創世記」と名付けたタイトルを、コンピューターで読むことを前提に制作。このブック上の記述を、インターネット上のさまざまなホームページにリンクさせていくという作業を体験してからは、電子本への確信をさらに深めている。紙で出してきた著書に、「パソコン創世記」(旺文社文庫版、TBSブリタニカ版)、「宇宙回廊 日本の挑戦」(旺文社)、「電脳王 日電の行方」(ソフトバンク)、「青空のリスタート」(ソフトバンク)、「本の未来」(アスキー)がある。

◇参照:青空文庫「作家別作品リスト:No.55」。

底本

底本:「本の未来」アスキー
   1997(平成9)年3月1日初版発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html

NDC 分類:007(総記 / 情報科学)
http://yozora.kazumi386.org/0/0/ndc007.html
NDC 分類:023(図書.書誌学 / 出版)
http://yozora.kazumi386.org/0/2/ndc023.html

難字、求めよ

喪い/喪った とむらい? うしない?
北方教育
通信回線
大木顕一郎 共著『綴方教室』。
清水幸治 共著『綴方教室』。
雑誌『綴方生活』 一九三〇(昭和五)年創刊。小砂岡忠義、編集。(本文)
雑誌『北方教育』 秋田の教師たちが中心となって、一九三〇(昭和五)年に創刊。(本文)

年表

一八七二(明治五) 学制が定められる。

一九三〇(昭和五) 小砂岡〔小砂丘か〕忠義、雑誌『綴方生活』の編集に取り組みはじめる。同年、『北方教育』創刊。
一九三一(昭和六) 満州事変。翌年、満州国の建国宣言。
一九三二(昭和七) 五・一五事件。
一九三六(昭和一一) 二・二六事件。
一九三七(昭和一二) 国民精神総動員運動が始まる。
一九五一(昭和二六) 中学校を卒業した無着の教え子のうち、高校に進学できた者は四十二人中四人。

一九七〇(昭和四五) 国産初の普通紙複写機がキヤノンから発売。
一九七一(昭和四六) 富田、大学に入る。
一九八〇(昭和五五) 富田の祖母の歌集『蜉蝣』刊。


◇参照:本文。

むしとりホイホイ

小砂岡 → 小砂丘 【丘か】小砂丘忠義 ささおか ただよし 1897-1937(広)

以上1件。底本は未確認。

スリーパーズ日記*

本文中「出来上がってきた『パソコン創世記』を手にしたとき、私はこれまでに体験したことのない大きな新しい力の存在を感じました。てのひらに乗せた出来たての文庫本には、ガリ版やコピーで作ってきた冊子には感じられなかった、がっちりとした手応えがありました」「鍵は、フォントの持っている〈そっけなさ〉にあるでしょう」「『パソコン創世記』を開くと、フォントで組んだ文字は紙面にしっかりとおちついて見えました」とある(「手書きの温もりとフォントのそっけなさ」より)。

ということは『パソコン創世記』の執筆は、パソコンでもワープロでもなく手書き原稿だったってことか? 一九八五(昭和六十)年の発行だから……PC-9801 発売が一九八二年で、98 用の jX-WORD 太郎・ATOK3の発売が一九八五年(Wikipedia)。さらにさかのぼって初の日本語ワープロ東芝 JW-10 の発売が一九七八年九月。ポータブル機が出たのは、初代 Rupo が一九八五年。NEC 文豪や富士通 OASYS もその前後か。

じぶんがはじめてワープロを使ったのは、一九八七年で高校一年のときだから……。富田さんの著作の中に、ワープロ使ってたっていう記述、あんまりみかけなかった気がする。。。と、やはり『パソコン創世記』は手書きか?



2015.4.4 公開予定
2015-06-10 公開
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -

  • ご無沙汰しています。「パソコン創世記」、少なくとも最初は原稿用紙に書いていたようです。奥様のTwitterより: https://twitter.com/hugling13/status/392596266623836160  -- Juki (2015-06-14 07:56:02)
  • Juki さん、あちらこちらでお世話になっております。うう、不意打ちをくらっておもわずうるうるなでなでしそうです。 -- しだ (2015-06-15 20:33:59)
名前:
コメント:
最終更新:2015年06月15日 20:33