M-Tea* vol.7 no.35 桜島の噴火(三)大森房吉

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M-Tea* vol.7 no.35 桜島の噴火(三)大森房吉

2015.3.21 第七巻 第三五号

桜島の噴火(三)
大森房吉

 第七章 大正噴火の溶岩嶼
  溶岩嶼の特徴
  溶岩嶼の成因
 第八章 桜島噴火の旧記
  神造島のこと
  薩州知学事・山本正誼の『桜島炎上記』
  島津家よりの届け書
  摘要
  ( I )第一期 大噴火時期
  ( II 甲)前駆的活動時期(その一)
  ( II 乙)前駆的活動時期(その二)
  ( II )第二期 大噴火時期
  ( III )第三期 大噴火時期






100円(本体税抜93円)  p.148 / *99 出版
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(c) Copyright is public domain in Japan, 2015.

PDF マガジン 週刊ミルクティー*

○安永の大噴火 安永八年(一七七九)の大噴火は天気快晴、静穏にして、日本全国が高気圧におおわれたる際に発したるものなるべし。破裂の「前き揺れ」たる地震はいずれも性質急激なる局部的震動なりしが、すでにその前日すなわち九月二十九日午後六時ごろより発起し、きわめて頻繁にして一時間に三、四十回をかぞえ、翌十月朔日におよび昼を過ぐるも衰えざりき。その朝より浜辺の井水沸きあがりて流川の如くになり、海水は紫色に変じたり。鹿児島にても二十九日午後八時ないし九時より地震絶えざりき。かくて十月朔日の午前十一時ごろ、桜島の白水、すなわち南岳頂上なる噴口の背後にあたり権現祠の付近より薄煙立ちのぼりたり。これは破裂の第一次現象として、まず旧噴口より白煙を射出せるものなるべし。つぎて午後二時ごろ南岳下、有村上なる燃之頭と称するあたりより黒煙の大噴出あり、高く三里の上空にまで直射せられたり。はなはだしき爆音を発し、煙中に無数の電光を閃かし、ここにいよいよ大破裂となれり。しかして蒙々と渦巻き出る噴煙はしだいにひろまりて鹿児島市街をおおわんとするの勢いを示したれば、玉龍山ならびに府内の九か寺にても鎮静の祈祷をはじめるなどたちまち大騒動となりしに、午後四時ごろに至りてさらに東北の頂すなわち高免村の上、瓶掛のあたりよりも燃え出るにおよべり。しかして噴火がはなはだしく勢力を加えたるは破裂のはじめより約十二時間ののち、すなわち翌十月二日早朝にして、桜島二俣村にては二日の午前五時ごろより火石が近辺に落下するにいたり、鹿児島にては同日午前五時ごろより鳴動特にはなはだしくなりたり。

※ #ref(7_35.rm)
(朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx)
※ お休みしまーす。


大森房吉 おおもり ふさきち
1868-1923(明治元.9.15-大正12.11.8)
福井生まれ。1890年東京大学物理学科卒。92年震災予防調査会の設立とともにその委員となる。97年東大教授。1906年学士院会員、長い間震災予防調査会幹事。地震学上の業績は、1) 各種地震計の考案、2) 地震帯の発見、3) 余震頻度の公式、4) 初期微動と震源距離との関係、5) 脈動、6) 潮位・津波の研究、7) 火山の観測、8) 建築物の振動測定など。(地学)/明治・大正時代の地震学の権威。理学博士。福井市に生まれる。大学予備門を経て、明治23年東京帝国大学理科物理学科を卒業、大学院に止まり地震学と気象学を専攻した。翌年濃尾地震の刺激により、菊池大麓の発議で文部省内に震災予防調査会が設立されるや、その幹事に任ぜられ、画期的な報告書を起草した。27年、万国震災予防調査会委員として渡欧し、帰朝後、明治30年東京帝国大教授となり、翌年理学博士の学位をうけた。爾来、東京、京都、福岡の各帝大理科の教授講師を兼任しつつ、内地の地震、津浪、噴火などの調査ならびに海外の大震災調査に出張すること四回、国際会議に幹部として渡航すること六回におよんだ。日本における地震学の創始者ともいうべき〈恩人〉。地震学に関する研究論文はきわめて多く、震災予防調査会報告記載の分だけでも邦文103篇、欧文で9篇を数え、殊に大なる功績は大森式各種地震計の考案にある。著書『地震学講話』『日本噴火志』『地震験測法一班』『日本に於ける津浪に就きて』など。(日本人名)

◇参照:『新版 地学事典』(平凡社、2005.5)、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本

底本‥『地學論叢 第六輯』東京地學協會
   1915(大正4)年9月6日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp1836_1.html

NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html

難字、求めよ

溶岩嶼
狭溝
裂溝
裂層
烟雲 煙雲(えんうん)か。
奔霓
平嶼 へいしょ?
潮退 ちょうたい?
島尾 しまお?
天女祠
沙灰
前き揺れ
知学事 ちがくじ?
蔟 まぶし? むらがり集まる。
委く うるわしく、くわしく、つく? (漢和)
時方
差し少し さしすくなし?
適※[#二の字点、1-2-22] たまたま?
乃麋鹿 のろじか?
日公命して
軸轤 じくろ? 舳艫か。
茨舎
倉実 そうじつ?
霊処
閃し ひらめかす?
抛体 ほうたい?
永損 えいそん?
当損 とうそん?
手細に
櫨木 はぜのき?
稚者 ちしゃ?
高汐揚 たかしおあげ?
庭松 にわまつ? ていしょう?
作方
万穀 ばんこく?
実成 じっせい?
権現祠
長崎島 長崎鼻?
長崎鼻 ながさきばな? 現、揖宿郡山川町岡児ヶ水(おかちょがみず)。南端に長崎鼻が突き出している。
麑島 かごしま?
辺の小島
洋の小島
中島 天女祠。
最早島 いさはや
燃崎 もえさき? 島の南西端に突出する。野尻村付近。(本文)
大燃崎 おおもえさき? 黒神村の北方に突出。(「桜島噴火の概況」石川成章)/島の東北岸。(「桜島の噴火」大森房吉)
燎崎
七里原
福山野馬牧 ふくやま のままき?
太平山
燃之頭
玉龍山ならびに府内の九か寺
瓶掛
本府城下
小池浜
後平
有村権現社頭
前平
桜島の反対両山側
牛根大島 仮称。
大穴持神島
宮洲
大隅海岸
釈桂庵
藤崎広次
有村分右衛門
半右衛門 有村分右衛門の下人。
山本正誼 薩州知学事。著『桜島炎上記』。
島津公爵家臨時編修所
松平薩摩守
佐久間九十九
伴其輪
『桜島上山一蔵年代記』
『藤崎広次日記』
「桜島炎上記」 山本正誼の著。

むしとりホイホイ

神詞 → 神祠 【祠か】
未吉 → 末吉 【末か】
已亥 → 己亥 【己か】
寺二軒」 → 寺二軒、 【読点か】
四十六人黒神村 → 四十六人、黒神村 【読点か】
崎燃 → 燃崎 【燃崎か】
三年十八日 → 三月十八日 【月か】
正諠 → 正誼 【誼か】
舟揖 → 舟楫 【楫か】しゅうしゅう
牧擧 → 枚擧 【枚か】
※[#「凅」の「古」にかえて「メ」、p76-5]て → 泅て 【泅か】 およぐ
軸轤 → 舳艫 【舳艫か】
小 火 → 小噴火 【噴か】

以上13件。底本は左辺のとおり。

年表

天平宝字八(七六四)一二月 鹿児島海中の噴火(続日本紀)。
天平神護二(七六六)六月 「大隅国神造新島震動不息、以故民多流亡、仍加賑恤」(続日本紀)
宝亀九年(七七八)一二月 「前此神護中、大隅国之海中有神造島其名曰大穴持神、至是為社焉」(続日本紀)
応仁二(一四六八) 桜島山上に火を発す。
文明三(一四七一)九月一二日 向島黒神村神火燃え、大石を飛ばし、砂をふらす。その焼石堆積して岩丘となる。土人呼びて燃崎という。
文明七(一四七五)八月一五日 向島野尻村神火燃え、沙をふらし燃崎となる。
文明八(一四七六)九月一二日 向島大いに燃え出す。この五日以前より大地震す。
寛永一九(一六四二)三月七日 向島神火燃える。
寛延二(一七四九)八月 向島野尻村の上、太平山焼ける。
明和三(一七六六)四月二八日 「夜明けに鳴物いたし、大地震あいだ少しつつありて小地震三度ゆる。同六月二一日(太陽暦七月二七日)夜八ツ(午後十時)前より八ツ時ごろまで鳴物九度、地震七度ゆる。うち二つは大震」云々(桜島上山一蔵年代記)。
安永八(一七七九) 桜島大噴火。天気快晴、静穏にして、日本全国が高気圧におおわれたる際に発したるものなるべし。
安永九(一七八〇)八月一一日 「夜九ツ時分(夜半)にて候哉燃え遠炎あがる、はじめ燃え出づるはかわりなく火煙何里となく、煙のうちに光りものあり、かつ火音す。はじめ燃え出づると同時に浪あがること三丈〔約九メートル〕ばかり、小池浜あたり二丈〔約六メートル〕ばかり、白浜村の者ども相遁れ可申ところ、まもなく静かに相なるにより無二其儀一砂島大きくあいなり候」云々。
安永九(一七八〇)一〇月四日 「夜四つ前(午後一〇時ごろ)にて候哉燃え遠災あかり光りものこれあり、大音相聞こえ海大いになり大波あかり無間静にあいなる」云々。
安永一〇(天明元)(一七八一)三月一八日「昼七ツごろ(午後四時ごろ)元高免村の前出来島燃え上がり泥吹き上げ、津波おおいにあかり浦の前へ白浜村より薪採りにまいりしもの、舟打ち破り浜辺に居りし男五人、女一人、波に引かれ相果てたり(略)。」
天明元(一七八一)四月八日 桜島噴火。
天明元(一七八二)一二月五日 「昼七ツ時(午後四時ごろ)元高免村の沖燃え上がり、小池よりおびただしく見ゆる」云々。
天明五(一七八五)一〇月一九日 「夜九ツすぎ(夜半すぎ)後平以前の燃跡あたりより燃出づれども、まもなく静まる。瀬戸村には灰降り、牛根・垂水へ相遁し、黒神村は軽石少しく降れども作方さわりなく怪我人はなし。(略)」
寛政二(一七九〇)六月一八日 「夜九つ時(夜半)御岳おおいに鳴る。一九日八つ時分(午後二時)御岳おおいに鳴れども、煙は不見、雨不降、霞かかりて絶頂あいわからず、一九日より二三日まで灰降ること昼夜不止、煙立つこと無限、島中西瓜、煙草不残大痛」。
寛政三(一七九一)八月一四日 「昼七ツ時、御岳燃え煙立ち強く鳴る。西風吹き前平に灰降る。後平・黒神あたりは日中まったく夜の如し。しかれども別に障りなし。最初燃の時の通り黒煙巻き上げ、おびただしく見ゆるも逃るほどにはなし」。
寛政六(一七九四) 連年桜島燃不止、四、五月のころ随風数十里間おおいに灰降る。今秋、万穀おおいに実る」。
寛政九(一七九七) 夏、大飢饉……桜島は灰降りて唐芋一円実成なく粟も実成なく、桜島ばかり飢饉なるも外郷は諸作十分の年なり。またまた寛政一一年二月二二日(一七九九)より岳、少々煙立ち灰降る。後平には多く灰降りて麦作痛む。二六、七日よりおびただしく響き、強く夜昼不止。三月七日にいたりて止む」。

大正三(一九一四)一月一二日 桜島大噴火。


◇参照:本文、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

スリーパーズ日記*

書きかえメモ。
噴孔 → 噴口
噴火孔 → 噴火口
東々南 → 東南東
西々北 → 西北西
東々北 → 東北東

『東北学』2015 Winter 05(東北文化研究センター、2015.1)、C. W. ニコル、田口洋美対談「自然と関わる人間のあり方」。安斎正人「縄文とはどんな時代か」。

3/18 NHKニュース。秋田仙北市、入湯温泉、源泉付近で男性3人倒れ、湯量・温度調整。心配停止。硫化水素による中毒か。クロユ。電話、市役所職員か「湯量が安定してなかった。。。」からふき源泉。タンクのそば。

3/20 Nスペ。未解決捜査。地下鉄サリン事件。
三塩化リン、警視庁、警察庁、山下計画、拉致事件、幻の18日強制捜査、
ルート5、地下鉄サリンは強制捜査を逃れる目的。
大量サリンは廃棄(どこへ?)。20日前夜、一晩で6kg。

3/21 土曜 クロッカス、福寿草。



2015.3.21 公開予定
2015-06-06 公開
しだひろし/PoorBook G3'99
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