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M-Tea*7_21-あのときの王子くん(二)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

2014.12.13 第七巻 第二一号

あのときの王子くん(二)
LE PETIT PRINCE
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳
 一〇~一九

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税込価格:100円(本体税抜93円) p.133 / *99 出版
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PDF マガジン 週刊ミルクティー*

 よっつめの星は、しごとにんげんのものだった。このひとは、とってもいそがしいので、王子くんが来たときも、かおを上げなかった。
「こんにちは。」と、その子はいった。「たばこの火、きえてるよ。」
「三+二=五。五+七=一二。一二+三=一五。こんにちは。一五+七=二二。二二+六=二八。火をつけなおすひまなんてない。二六+五=三一。ふう。ごうけいが、五おく一六二まん二七三一。」
「なに、その五おくって?」
「ん? まだいたのか。五おく……もうわからん……やらなきゃいけないことがたくさんあるんだ! ちゃんとしてるんだ、わたしは。むだ口たたいてるひまはない! 二+五=七……」
「なんなの? その五おく一〇〇まんっていうのは。」また王子くんはいった。なにがあっても、いちどしつもんをはじめたら、ぜったいにやめない。
 しごとにんげんは、かおを上げた。
「五四年この星にすんでいるが、気がちったのは、三どだけだ。さいしょは、あれだ、二二年まえのこと、コガネムシがどこからともなく、とびこんできたせいだ。ブンブンとうるさくしたから、たし算を四回まちがえた。二どめは、あれだ、一一年まえ、リウマチのほっさがおきたせいだ。うんどうぶそくで、あるくひまもない。ちゃんとしてるんだ、わたしは。三どめは……まさにいまだ! さてと、五おく一〇〇……」
「……も、なにがあるの?」

※ #ref(7_21.rm)
(朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx)
※ お休みしまーす。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
1900.6.29-1944.7.31
フランスの小説家。飛行家生活を題材として人間性の高揚を描く。作「夜間飛行」「人間の土地」「戦う操縦士」のほか、童話「星の王子さま」など。

大久保ゆう おおくぼ ゆう
1982- (昭和57-)
高校1年時よりネット上での翻訳活動を始め、以来、パブリックドメインになった文芸の各種翻訳を共有作品として提供しつづけている。現在は翻訳研究の博士論文執筆を進めるとともに、フリーランスの翻訳家・執筆家としても活躍中。(作家別作品リスト)/シャーロック・ホームズの短編を翻訳。「京都大学電子テクスト研究会」を立ち上げる。サイト「The Complete 半七捕物帳」「音声化された青空文庫リンク集」を開設。(青空文庫ものがたり)

◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、Wikipedia 日本語・オフライン版(『iP!』2009.4月号、晋遊舎)、「青空文庫ものがたり」『インターネット図書館 青空文庫』(はる書房、2005.11)、青空文庫「作家別作品リスト:No.10」。

底本

翻訳の底本:Antoine de Saint-Exupery (1943) "Le Petit Prince"
   上記の翻訳底本は、著作権が失効しています。
   2006(平成18)年5月3日~10月8日まで aozora blog に連載
   2006(平成18)年10月24日加筆修正
   2008(平成20)年3月5日微修正
http://www.aozora.gr.jp/cards/001265/card46817.html

NDC 分類:K953(フランス文学 / 小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/5/ndck953.html

むしとりホイホイ

ぽちぱち → ぱちぱち 【ぱ?】
太平洋《たいへんよう》 → 太平洋《たいへいよう》 【い】

以上2件。

スリーパーズ日記*

書きかえメモ。
アラビア数字を漢数字に変更。
ルビを若干追加。
傍点を追加。
カギかっこを追加。
クエスチョン、句読点を若干追加。
擬音語・擬態語の一部をカタカナに変更。


12/12 金曜 くもり
蔵王、噴火防災対策、吾妻山、火山性微動。


安斎 徹 あんざい とおる 1889-1976(明治22-昭和51) 地質学者。火山湖に興味をもち、朝日連峰の大鳥池、蔵王火山湖・お釜の研究を30年続けた。昭和4(1929)年冬、蔵王に登山したおり、当時「雪の坊」とよばれていた雪の怪物に「樹氷」と名づけ、世に紹介した。

◇参照:『改訂版 山形の理科ものがたり』山形県小学校教育研究会理科部会(編著)、日本標準、1991.10。

p.37 鳥海山の噴火
1801(亨和元)
1821(文政4)
1974(昭和49)

蔵王の噴火
1867(慶応3)
1895(明治28)

◇参照:沼野達明「火山のできかたをさぐる」(同上、p37)。



山形県埋蔵文化財センター 第56集
北目長田(きためながた)遺跡 (遊佐町大字北目)
第3次発掘調査報告書
県埋文センター、1998.3.
Y210.0:ヤ:56(天)

編集:伊藤 元、豊野潤子
理化学試料分析 (株)パリノ・サーヴェイ

p.5 III 調査の概要
 2 遺跡の層序
 河川跡が検出されたE区の76~78Gでは、その一帯の中でも、III層の粘性のある土壌が認められた。この地区は遺跡範囲の北東部にあたり、第1次調査で指摘された旧河道の一部である可能性も否めない。また、溝・土坑で、覆土中に一次堆積と考えられない火山灰の混在が認められた。これまでの調査によって十和田aテフラと同定されており、今回確認された火山灰も土器の様相などから十和田aと考えられる。

p.15 IV 検出された遺構
 2 土坑
SK457・458・459・SD460(第9図)B-56~57Gにかけて検出された。溝状遺構群のD区画と重複関係を持ち、南西脇にSB1が検出されている。SK458は南方をSK457に切られ、西方はSD460を切っている。SK459は南方でSD460を切っている。赤焼土器片を中心に小破片が多数出土している。SK457は直径130cm前後の円形の土坑である。深さは28cmを測り、F1・F2は土器片や炭化粒を含んでいる。SK458は不定形で、北方は国道345号の下へと拡がる様相を呈している。深さは、22cm前後を測る。灰色の火山灰がF6に拡がっている。この火山灰層は庄内一円で検出されている十和田aとみられる。

p.24 4 河川跡
 SG10(第14図、図版9)
 B区のA・B-37~39Gにかけて確認された。覆土の堆積状況を見ると、これは氾濫等で一時的に多量の水が流れた跡で、河川としての本来の機能は果たしていなかったと考えられるが、幾度かの氾濫時に水が流れたものと思われる。底面の地形から、西から東へ流れたことが窺える。覆土は腐食土で、炭化物、流木片、火山灰等が認められた。遺物は須恵器・赤焼土器の小片が若干出土している。深さ20~36cm、幅360cmを測る。



山形県埋蔵文化財センター 第57集
上高田(かみたかだ)遺跡 (遊佐町大字富岡)
第2・3次発掘調査報告書
県埋文センター、1998.3.
Y210.0:ヤ:57(天)

編集:〓〓
理化学試料分析 〓〓

p.5 II 遺跡の立地と環境
 2 歴史的環境
(略) 飽海の平野部にある遺跡の多くは、平安時代を中心とする集落跡である。上高田遺跡周辺の遺跡をあげれば、庄内高瀬川に沿って、北目長田・橇待・宮ノ下・木戸下・宅田・大坪遺跡等、ほぼ同時期の遺跡が並ぶように存在する。これらの多くの遺跡の遺構内からは灰白色火山灰が検出されている。理化学分析の結果から十和田aテフラと見なされている。これは『扶桑略記』延喜15年(915)7月13日の条に所見される火山灰とみられ、年代比定の重要な参考資料となっている。また、これらの遺跡は国府の城輪柵移転を契機に開発された可能性も指摘されている。

p6 III 検出遺構
 2 河川跡
SG1河川跡(第5図)
(略) 層位を観察すると、上位層が泥炭層で、中位層との境周辺からは遺物が比較的纏まって出土した。土器は下位層に比較すると、依存状態も量的にも下位層より劣る。中位層は砂質シルトで、河岸部では火山灰の堆積が確認でき、理化学分析により、十和田aテフラと同定された。下位層はシルト質砂で、完形に近い土器と木製品が、河床部は粗砂層で、潜り込むように土器が出土した。土層の堆積状況から、下位層形成時は水推量も多く、流れも急であったと推定できる。徐々に流れが遅くなり、中位層では十和田aテフラも堆積し、その後、水量の急激な減少と流れの停滞が伺われ、葦などの植物が繁茂、堆積して上位層が形成されたと推定できる。

p.9 第5図 SG1河川跡

 SG1 土層断面
1 2.5YR2/3 暗褐色微砂質シルト(炭化粒を全体に含みしまっている)
2 10YR3/3 暗褐色微砂質シルト(植物腐植土 腐敗が進んでいる)
3 10YR3/4 暗褐色微砂質シルト(植物・炭化粒を全体に含む)
4 5Y3/1 オリーブ黒色微砂質シルト(火山灰塊・炭化粒含む)
5 10YR3/2 黒褐色微砂質シルト(植物繊維堆積層)
6 10YR4/4 褐色細砂(土器片・炭化粒含む)
7 10YR4/3 にぶい黄褐色微砂質シルト(炭化粒・土器片・火山灰含む)
8 10YR5/2 灰黄色微砂質シルト(粘質あり 木製品 植物 火山灰含む)
9 10YR5/4 にぶい黄褐色細砂(木製品・土器片含む)
10 10YR6/4 にぶい黄橙色粗砂(中央部分に大型倒木・土器片含む)
11 10YR4/3 にぶい黄褐色微砂質シルト(炭化粒と細砂塊含む)
12 10YR5/3 にぶい黄褐色微砂質シルト(炭化粒と細砂塊含む)
13 10YR2/2 黒褐色微砂質シルト(炭化物と植物含む)
14 10YR4/4 褐色微砂質シルト(炭化物含む)
15 10YR4/4 褐色細砂(土器片・炭化粒含む)

p15 SG1301河川跡(第7図)
 3区のD~I-59~65Gに位置する河川跡である。検出面ではSG1300と直接繋がらないが、河川の向きや包含遺物の時期を検討すると、SG1300と関連が非常に強く、洪水などによる非継続的な流路変更により形成された可能性が非常に高い。土層を観察すると、概ね灰褐色系の砂質シルトであるが、中間に十和田aテフラを含む層を確認できる。各層とも包含遺物は9~10世紀の須恵器、赤焼土器の細片で、実測可能な大きさに復元できたものはなく、割れ口も摩耗しており、流れ込みであることを如実に物語っている。木製品は出土していない。




2014.12.13 公開
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
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最終更新:2015年02月20日 22:05