M-Tea*5_12-日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉

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M-Tea*5_12-日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉

2012.10.13 第五巻 第一二号

日本歴史物語〈上〉(一)
喜田貞吉
 児童たちへ
 一、万世一系の天皇陛下
 二、日本民族(上)
 三、日本民族(下)
 四、天照大神
 五、天の岩屋戸ごもり
 六、八岐の大蛇退治
 七、因幡の白兎
 八、出雲の大社
 九、天孫降臨と三種の神器


【週刊ミルクティー*第五巻 第一二号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/210224
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(940KB)

定価:200円  p.157 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(68項目)p.375
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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着ぐるみ、ぱんだみっく! 週刊ねつぞー*

(略)そこで天照大神は、いよいよ御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになって、これを安い国として平らかにお治めしめなさることになりましたが、それにはまずもって、大国主神の国をたてまつらしめなければなりません。これがために、三度まで使いをつかわしになりました。しかし、なにぶん大国主神の威勢がさかんなものですから、使いの神もその方へついてしまって帰ってまいりませんでした。最後に武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)とがお使いに立ちました。武甕槌神はのちに常陸の鹿島神宮に、また経津主神はのちに下総の香取神宮に、それぞれ軍神としておまつり申したほどの武勇すぐれた神々でありましたから、大国主神の威勢にもおそれず、よく利害をお説きになり、国を天孫にたてまつるようにとお諭しになりました。天孫とは瓊瓊杵尊の御事を申すのです。しかしこれは大国主神にとってはまことに重大な事件です。ご自身だけのお考えでは、おはからいかねになりました。そこでまずもって御子の事代主神(ことしろぬしのかみ)のご意見をお問いになりましたところが、このとき出雲の美保が崎で、魚を釣っておられました事代主神は、
「それはもちろん、大神のおおせにしたがいますよう」
と、いさぎよくご同意申し上げました。出雲の美保神社は、ここで釣りをしておられました縁故で、この事代主神をおまつりしてあるのです。
 かく事代主神がご賛成申したので、大国主神も今はご異存もなく、久しく治めておられました国を天孫にさしあげましたが、事代主神の弟神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、たいそう元気のさかんな神でありましたから、なかなかそれを承知いたしません。
「それなら大神のお使いの神たちと、力競べをしてみよう」
と申しました。しかし建御名方神の力は、とても武甕槌神にかないっこはありません。とうとう信濃の諏訪まで逃げて行って、そこでおそれ入りました。今の諏訪神社は、その土地にこの神をおまつり申したのです。
 大国主神は、いよいよその国をさしあげましたについて、杵築の宮にお引きこもりになりました。これは今の出雲の大社で、その御殿は天孫のご宮殿と同じようにお造り申したということであります。命(みこと)が大神の命を奉じて、いさぎよくその国を治めることを天孫におまかせ申しあげましたので、天孫の方からは、特別の尊敬をもってこれをご待遇なされましたわけなのです。(「八、出雲の大社」より)

5_12.rm
(朗読:RealMedia 形式 504KB、4:04)
milk_tea_5_12.html
(html ソーステキスト版 228KB)

喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3)
歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。

恩地孝四郎 おんち こうしろう
1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3)
版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。

小村雪岱 こむら せったい
1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17)
日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名)

◇参照:Wikipedia 喜田貞吉恩地孝四郎小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会
   1981(昭和56)年6月20日発行
親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス
   1928(昭和3)年4月5日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html

NDC 分類:K210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html

難字、求めよ

水がかり

むしとりホイホイ

親《おや》があり。 → 親《おや》があり、 【、か】
鎌足《かまたり》だ。 → 鎌足《かまたり》だ、 【、か】
私《わたくし》の名《な》は手名椎《てなづち》、妻《つま》の名《な》は足名椎《あしなづち》 【この部分、筆者の誤認か】

以上3件。底本は左辺のとおり。

スリーパーズ日記*

 新シリーズ、いよいよ問題の書、喜田貞吉『日本歴史物語〈上〉』に突入! 目次を一見してわかるとおり、天の岩屋戸、八岐の大蛇、因幡の白兎といった神話・伝説から話をおこしている。いくらなんでもそりゃないだろ、とつっこみたくなる。さらに序文を読むと、「大日本帝国の臣民」「万世一系の天皇陛下」といったことばが並ぶ。
 そのはず、本書は一九二八年(昭和三)四月の発行。関東大震災から五年後。この年の六月四日に満洲で張作霖爆殺事件、三年後の一九三一年(昭和六)九月に満州事変がおこる。時代の雰囲気は、本文の端々(はしばし)にも現われている。

 おそらく、悪名名高い“戦前の歴史教科書”に類するとみていい。神話の時代から話をおこしているのは、現代の感覚からは相当ずれている。けれども、この国の歴史を本気で語ろうとすれば天孫降臨のエピソードにふれないわけにはいかないし、オオクニヌシの国譲りと出雲への隠遁、三種の神器の由来も避けてとおれない、ということだろう。
 問題ありまくりにも関わらずこの書を選んだのは、次号以後につづく「渡来人」や「蝦夷」に関する記述が豊富な点を評価したいため。児童向けの書き下ろしではあるが、喜田貞吉は一九三九年の没だから、彼の中~後期の著書に属する。

 蛇足。三種の神器について。吉野裕子『蛇』と本書をつづけて読んだせいか、あることに思い至る。鏡や刀剣を神聖視する向きは、道教や山岳修験にも見られ、三種の神器との関連が示唆されている。鏡はとぐろを巻いた蛇、刀剣は長く伸びた蛇……もし、そう考えることが妥当ならば、三種の神器のうちの八咫鏡と天叢雲剣の二つは、いずれも蛇をなぞらえた器物ということになり、天皇の誕生と継承には蛇がまとわりついている、もしくは、天皇家は蛇によって守護されている、という想像が可能になる。

 2日、大滝秀治、87歳。
 13日、丸谷才一、87歳。



ろうど、ちゅーちゅーアイス。
結納論、ヒガンバナ。
事件はバックヤードでだんしんぐ~。
つるぱげ助産院。
2012.10.15:公開 玲瓏迷人。
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
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  • 「NDC 分類:K210」に変更。移動先ページはまだなし。 -- しだ (2013-01-31 14:53:39)
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