M-Tea*5_10-校註『古事記』(七)武田祐吉

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M-Tea*5_10-校註『古事記』(七)武田祐吉

2012.9.29 第五巻 第一〇号

校註『古事記』(七)
武田祐吉

古事記 中つ巻
 七、応神天皇
  后妃(こうひ)と皇子女
  大山守の命と大雀(おおさざき)の命
  葛野(かづの)の歌
  蟹(かに)の歌
  髪長比売
  国主歌(くずうた)
  文化の渡来
  大山守の命と宇遅の和紀郎子
  天の日矛
  秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫
  系譜



月末最終号:無料  p.142 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(28項目)p.125
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
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時忠にあらずんば、もりたごー。週刊かむろふぉん5*

 また昔、新羅の国主(こにきし)の子、名は天の日矛というあり。この人まい渡り来つ。まい渡り来つる故は、新羅の国に一つの沼あり、名を阿具沼(あぐぬま)という。この沼のほとりに、ある賤(しづ)の女昼寝したり。ここに日の耀(ひかり)虹のごと、その陰上にさしたるを、またある賤の男、そのさまを異しと思いて、つねにその女人のおこないをうかがいき。かれこの女人、その昼寝したりしときより妊みて赤玉を生みぬ。ここにそのうかがえる賤の男、その玉を乞い取りて、つねに裹(つつ)みて腰につけたり。この人、山谷(たに)の間に田を作りければ、耕人(たひと)どもの飲食(おしもの)を牛に負せて、山谷の中に入るに、その国主の子天の日矛に遇いき。ここにその人に問いていわく、「何ぞ汝(いまし)飲食を牛に負せて山谷の中に入る。汝かならずこの牛を殺して食うならん」といいて、すなわちその人を捕らえて、獄内(ひとや)に入れんとしければ、その人答えていわく、「吾(あれ)、牛を殺さんとにはあらず、ただ田人の食を送りつらくのみ」という。しかれどもなおゆるさざりければ、ここにその腰なる玉を解きて、その国主の子に幣(まい)しつ。かれその賤の夫をゆるして、その玉を持ち来て、床の辺に置きしかば、すなわち顔美(よ)き嬢子になりぬ。よりて婚(まぐわい)して嫡妻(むかいめ)とす。ここにその嬢子、つねに種々の珍つ味を設けて、つねにその夫に食わしめき。かれその国主の子心おごりて、妻を詈(の)りしかば、その女人の言わく、「およそ吾は、汝の妻になるべき女にあらず。わが祖の国に行かん」といいて、すなわち窃(しの)びて小船に乗りて、逃れ渡り来て、難波に留まりぬ。〈こは難波の比売碁曽(ひめこそ)の社にます阿加流比売(あかるひめ)という神なり。〉
 ここに天の日矛、その妻の遁れしことを聞きて、すなわち追い渡りきて、難波にいたらんとするほどに、その渡りの神塞(さ)えて入れざりき。かれさらに還りて、多遅摩の国に泊てつ。すなわちその国に留まりて、多遅摩の俣尾が女、名は前津見に娶(あ)いて生める子、多遅摩母呂須玖。これが子多遅摩斐泥。これが子多遅摩比那良岐。これが子多遅摩毛理、つぎに多遅摩比多訶、つぎに清日子〈三柱〉。この清日子、当摩の※斐(めひ)に娶いて生める子、酢鹿の諸男、つぎに妹菅竃由良度美、かれ上にいえる多遅摩比多訶、その姪由良度美に娶いて生める子、葛城の高額比売の命。〈こは息長帯比売の命の御祖なり。〉
 かれその天の日矛の持ち渡り来つる物は、玉つ宝といいて、珠二貫、また浪振る比礼、浪切る比礼、風振る比礼、風切る比礼、また奥つ鏡、辺つ鏡、あわせて八種なり。〈こは伊豆志の八前の大神なり。〉

5_10.rm
(朗読:RealMedia 形式 620KB、5:01)
milk_tea_5_10.html
(html ソーステキスト版 216KB)

武田祐吉 たけだ ゆうきち
1886-1958(明治19.5.5-昭和33.3.29)
国文学者。東京都出身。小田原中学の教員を辞し、佐佐木信綱のもとで「校本万葉集」の編纂に参加。1926(昭和元)、国学院大学教授。「万葉集」を中心に上代文学の研究を進め、「万葉集全註釈」(1948-51)に結実させた。著書「上代国文学の研究」「古事記研究―帝紀攷」。「武田祐吉著作集」全8巻。

◇参照:Wikipedia 武田祐吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

底本:「古事記」角川文庫、角川書店
   1956(昭和31)年5月20日初版発行
   1965(昭和40)年9月20日20版発行
底本の親本:「眞福寺本」
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1349.html

NDC 分類:164(宗教 / 神話.神話学)
http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc164.html
NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html

難字、求めよ

阿部の郎女 あべのいらつめ
桜井の田部の連 さくらいのたべのむらじ
柿本氏 かきのもとうじ
阿直の史 あちのふひと
文の首
多遅摩の前津見 たじまのまえつみ 多遅摩の俣尾の女。
多遅摩清日子 たじま きよひこ 多遅摩比那良岐の子。
伊和島の王 いわじまのみこ

堤の池
百済の池 くだらのいけ
訶和羅の前 かわらのさき
伊知遅島 いちじのしま
美島 みしま
阿具沼 あぐぬま 新羅。

大御酒盞 おおみきうき?
小楯ろかも おだてろかも
丸邇坂の土 わにさのに
かもがと/かくもがと
古波陀嬢子 こはだおとめ
末ふゆ すえふゆ
吉野の白梼の生 えしのの かしのふ
無酒咲酒 なぐしえぐし
いらなけく
玉つ宝 たまつたから
奥つ鏡 おきつかがみ
辺つ鏡 へつかがみ
神習う かみならう?

むしとりホイホイ

品陀の天皇。御年 → 品陀の天皇、御年 【、か】

以上1件。底本は左辺のとおり。

スリーパーズ日記*

 宮脇昭『木を植えよ!』(新潮選書、2006.11)読了。吉野裕子『蛇――日本の蛇信仰』(講談社学術文庫、1999.5)は途中まで。水は火に剋(か)ち、水は木を生じる。金は水を生じ、土は水に剋(か)つ。
 木は火を生じ、金は木に剋(か)つ。木、水、蛇。

 24日『山形新聞』より。新潟県、がれき受け入れ懸念表明。全都道府県知事のなかで、受け入れ拒否の態度をはっきり表明したのは泉田さんが最初のような気がする。さすがだ。原発保有県であり、かつ中越地震・中越沖地震の経験がある新潟県。ひさしぶりに知事の記者会見を読まねば。

 以下、『校註古事記』本文検索の結果(割注含む。校註と章題は含まず)。

ふじ/ふし/ふち
「藤」……2件。「藤の花」「藤原の琴節の郎女」
「不二」……なし。
「富士」……なし。
「不死」……なし。
「臥」……2件。「病《や》み臥《こや》せり」「沈み臥せ」
「節」……2件。「藤原の琴節の郎女」「八節結り」
「伏」……39件。「伏《ふし》」「伏《こや》せる」「伏《まつろ》はぬ」「伏《な》ぎて」
「附」……2件。「靫を附け」「玉依毘賣に附けて」
「付」……2件。「阿知吉師に付けて」「この人に付けて」(両方とも「文化の渡來」)
「縁」……1件。「養《ひた》しまつる縁《よし》」
「淵」……4件。「深淵の水夜禮花の神」「山代の大國の淵」(2件)「峻《ふか》き淵に墮ちて」
「渕」……なし。

たけ
「猛」……1件。「猛士烟のごとく」

 ふじのやま。不二の山、不死の山という語源説をよく聞くが、「藤の山」だった可能性はないだろうかということを考えている。藤の山、つまり「ふじわらの山」の暗示。

669年、鎌足、死の直前に天智天皇から「藤原」の姓を賜わる。
698年、文武天皇の代、不比等(鎌足の子)の子孫のみが藤原姓を名乗る事を許される。
710年、藤原京より平城京に遷都。左大臣石上麻呂を藤原京の管理者として残す。右大臣藤原不比等が事実上の最高権力者になる。
712年、古事記、献上。出羽国を新たに設置。
(以上、Wikipedia より) 

 『古事記』の本文中、「藤」の文字は2件しかないのに、音の通じる「伏」の文字が別の訓みも含めて39件もある。藤原の「フヂ」と「伏(フシ)」を結びつける説はいままで見たことも聞いたこともない。
 むしろ、「伏(フシ)」は「武士(ぶし)」に通じ、「もののふ」「もののへ」、謎の豪族、物部氏を暗示させる説をよく聞く。

 藤原氏(ふじわらし)、物部氏(もののべし)……、『古事記』に現われる「伏」の文字。ふし、こやす、まつろう、なぐ。人偏にイヌ。主人に仕える番犬。勝者と敗者の転倒?



恋愛はジャーニーだ。byたかはしゆう。
2012.10.2:公開 玲瓏迷人。
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