M-Tea*5_5-新旧東京雑題/人形の趣味(他)岡本綺堂

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M-Tea*5_5-新旧東京雑題/人形の趣味(他)岡本綺堂

2012.8.25 第五巻 第五号

新旧東京雑題 / 人形の趣味(他)
岡本綺堂

新旧東京雑題
 祭礼
 湯屋
 そば屋
人形の趣味
十番雑記
 仮住居
 箙(えびら)の梅
 明治座
風呂を買うまで
郊外生活の一年



月末最終号:無料  p.191 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(27項目)p.167
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

蒼ざめたブタを見よ! 週刊ぺーるぽーく*

 (略)もちろん、人に吹聴するような珍しいものもないせいでもありますが、わたしはこれまで自分が人形をかわいがるというようなことを、あまり吹聴したことはありません。竹田出雲は机のうえに人形をならべて浄瑠璃を書いたと伝えられています。イプセンのデスクのわきにも、熊が踊ったり、猫がオルガンをひいたりしている人形がひかえていたといいます。そんな先例がいくらもあるだけに、わたしもなんだかそれらの大家の真似をしているように思われるのもいやですから、なるべく人にも吹聴しないようにしていたのですが、書棚などの上にいっぱい列べてある人形が自然に人の眼について、二、三の雑誌にも玩具(おもちゃ)の話を書かされたことがあります。しかしそんなわけですから、わたしは単に人形の愛好者というだけのことで、人形の研究者や収集家でないことを最初にくれぐれもお断わり申しておきます。したがって、人形や玩具などについてなにかの通をならべるような資格はありません。
 人形にかぎらず、わたしもすべて玩具のたぐいが子どものときから大好きで、縁日などへ行くとよりどりの二銭八厘の玩具をむやみに買いあつめてきたものでした。(略)しかしそのころのおもちゃはおおかたすたれてしまって、たまたま縁日の夜店の前などに立っても、もう少年時代のむかしを偲(しの)ぶよすがはありません。とにかく子どものときからそんな習慣がついているので、わたしはいくつになっても玩具や人形のたぐいに親しみをもっていて、十九(つづ)や二十歳の大供(おおども)になってもやはり玩具屋を覗(のぞ)く癖が失せませんでした。(「人形の趣味」より)

5_5.rm
(朗読:RealMedia 形式 316KB、2'32'')
milk_tea_5_5.html
(html ソーステキスト版 228KB)

岡本綺堂 おかもと きどう
1872-1939(明治5.10.15-昭和14.3.1)
劇作家・小説家。本名、敬二。東京生れ。戯曲「修禅寺物語」「番町皿屋敷」、小説「半七捕物帳」など。

◇参照:Wikipedia 岡本綺堂、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

底本:「綺堂むかし語り」光文社時代小説文庫、光文社
   1995(平成7)年8月20日初版1刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1306.html

NDC 分類:914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

難字、求めよ

末広座 のちの明治座。
陸軍科学研究所
東洋製菓会社
中島俊雄 なかじま としお
饅頭人形 まんじゅう にんぎょう
生子人形 うぶこ にんぎょう
俳趣

むしとりホイホイ

ひゃくにんまち → ひゃくにんちょう 【ちょう?】

以上1件。底本未確認。

スリーパーズ日記*

 ちかごろ出版された古事記や古代出雲関連の書籍を見ると、1984年に荒神谷遺跡から出土した銅剣358本、1996年に加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸がかならずといっていいほど登場する。
 ちなみに山形県の羽黒山御手洗池から出土した銅鏡は、大正のはじめから昭和のはじめにかけて四度の発掘によって、総数約600面以上が出土したと考えられている。現在、羽黒三山社務所にはそのうちの190面が保管されている。(阿部正己『出羽三山史』)

 ふと気になったのは、出土した銅剣や銅鐸・銅鏡の表面をおおっている銅さび(緑青、ろくしょう)のこと。「飛鳥美人」で有名な高松塚古墳をはじめとする多くの古墳にも銅製品が埋葬されている。
 刀剣・鐸鈴・鏡などはいずれも埋葬者を邪気から守るための副葬品と説明されるが、当時のひとたちは銅さびの抗菌効果に気がついていたんじゃないだろうか、と思いつく。
「緑青……有毒とされてきたが、ほとんど無害。」(広辞苑「緑青」)
「緑青は昔から毒物と考えられてきたが、これは金属製錬技術が未発達な時代に銅の中に鉱石由来の多量の砒素などが混入していたため、砒素中毒を引き起こしたためではないかとされている。実際は、過剰に摂取しない限り毒性は低いとみられている。」(Wikipedia「緑青」)

 村上隆『金・銀・銅の日本史』(岩波新書、2007.7)読了。もちろん青銅や緑青サビに関する記述は豊富なものの、それが直接、有毒であるとは記してない。Wikipedia にもあるように、古代の銅製品はスズ、アンチモン、ヒ素、鉛との合金であるという記述が多く目につく。
 壁画「飛鳥美人」やキトラ古墳の「四神」が長い間、カビに犯されなかった一因には、副葬として銅製品がおさめられ、銅イオン、ヒ素、鉛の室内濃度が自然界よりも高かった可能性は考えられないだろうか。当時の人たちは経験的に銅製品の抗菌性に気がついていたんじゃないだろうか。だから、神聖な埋葬には、金や銀や鉄もさることながら、積極的に銅製品が選択されていたんじゃないだろうか。銅製副葬品の抗菌説……いちおうオリジナルの仮説です。



おおののいのちやま。なかしんでんのいのちやま。静岡県袋井市。
8.23 sysyo。
2012.8.28:公開 玲瓏迷人。
竹島、魚釣り、オスプレッソ。
オスプレッソ、たった12杯で、夜も寝られず。
目くそ鼻くそ、蒼ざめたブタ/PoorBook G3'99
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  • あれ? カウンタがクリアに・・・??? -- しだ (2012-10-02 12:27:40)
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