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M-Tea*4_33-厄年と etc./断水の日/塵埃と光 寺田寅彦

2012.3.10 第四巻 第三三号

厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光
寺田寅彦

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【週刊ミルクティー*第四巻 第三三号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187794
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(496KB)

定価:200円 p.141 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(14項目)p.60
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

春のこもれびの中で…… 週刊ぼくたちは失敗*

 翌日も水道はよく出なかった。そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの木レンガが雨で浮き上がって破損したという記事が出ていた。多くの新聞はこれと断水とをいっしょにして、市当局の責任を問うような口調をもらしていた。わたしはそれらの記事をもっともと思うと同時に、また当局者の心持ちも思ってみた。
 水道にせよ木レンガにせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行きとどいていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的・系統的の検定を経たうえでなければ、だれも容認しないことになっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
 長い使用にたえない間にあわせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証のついていない公共構造物がいたるところに存在するとすれば、その責めを負うべきものはかならずしも製造者や当局者ばかりではない。 (「断水の日」より)

 火山から噴出した微塵が、高い気層に吹き上げられて高層に不断に吹いている風に乗っておどろくべき遠距離に散布されることは珍しくない。クラカトア火山の爆破のときに飛ばされた塵は、世界中の各所に異常な夕陽の色を現わし、あるいは深夜の空にうかぶ銀白色の雲を生じ、あるいはビショップ環と称する光環を太陽の周囲に生じたりした。近ごろの研究によると火山の微塵は、あきらかに広区域にわたる太陽の光熱の供給を減じ、気温の降下をひきおこすということである。これに連関して飢饉噴火の関係を考えた学者さえある。 (「塵埃と光」より)

4_33.rm
(朗読:RealMedia 形式 468KB、3'47'')
milk_tea_4_33.html
(html ソーステキスト版 160KB)

寺田寅彦 てらだ とらひこ
1878-1935(明治11.11.28-昭和10.12.31)
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。

◇参照:Wikipedia 寺田寅彦、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

厄年と etc.
底本:「寺田寅彦全集 第三巻」岩波書店
   1997(平成9)年2月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年発行
初出:「中央公論」
   1921(大正10)年4月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card4435.html

断水の日
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
   1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
   1997(平成9)年12月15日第81刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2445.html

塵埃と光
底本:「寺田寅彦全集 第六巻」岩波書店
   1997(平成9)年5月6日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年
初出:「科学知識」
   1936(大正11)年5月1日 ← 1922(大正11) 【「1936」は誤入力か】
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card43078.html

NDC 分類:401(自然科学 / 科学理論.科学哲学)
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html
NDC 分類:914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

難字、求めよ

被与材料
アイケン 人名。塵の数を算定する器械を発明。
『科学知識』 雑誌名。「塵埃と光」掲載。

むしとりホイホイ

コンチニウム continuous(コンティニウス、連続的な、絶え間のない、の意)か? 「物質を空隙のないコンチニウムと見做す事によって……」
明治二十八年来の地震 → 明治二十七年来の地震 【七、か?】「断水の日」
1936(大正11) → 1922(大正11) 【1922、か】「塵埃と光」奥付

以上3件。底本未確認。

年表

1878(明治11)11月28日 寺田寅彦、東京市麹町に生まれる。
1881(明治14) 寺田寅彦、祖母、母、姉と共に郷里の高知に転居。
1894(明治27)6月20日 明治東京地震。M 7.0、死者31人。
1896(明治29)6月15日 明治三陸地震。M 8.5、死者・行方不明者2万1,959人。この年、寺田寅彦、熊本の第五高等学校に入学。
1899(明治32) 寺田寅彦、東京帝国大学理科大学に入学、田中館愛橘長岡半太郎の教えを受ける。
1918(大正7) 寺田寅彦、40歳。
1921(大正10)年4月1日 寺田寅彦「厄年と etc. 」『中央公論』。
1921(大正10)12月8日か 東京、晩にかなり強い地震。11日、東京全市断水。
1922(大正11)1月 寺田寅彦「断水の日」『東京・大阪朝日新聞』。
1922(大正11)5月1日 寺田寅彦「塵埃と光」『科学知識』。
1923(大正12)9月1日 関東大震災。M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人。
1933(昭和8)3月3日 昭和三陸地震。M 8.1、大津波発生、死者・行方不明者3,064人。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

スリーパーズ日記*フクシマ・ノートその1

 稲葉陽子『阪神・淡路大震災と図書館活動 神戸大学「震災文庫」の挑戦』(西日本出版、2005.3)読了。

 3月3日、NHK山形のローカルニュースで、「福島県から山形県に自主的に避難している人の60%以上が、避難しないでいる人たちに後ろめたい思いがあるなどとして“地元に戻りにくい”と感じている」という報道を聞く。
 以下、Google のキャッシュに残っているテキストから引用。

  • 避難区域以外から山形県に自主的に避難しているおよそ1万人のうち、100人を対象に、先月アンケート。
  • 「地元に戻りにくいと感じることがある」
  • 「放射線への不安をめぐり温度差を感じる」
  • 「避難したことで後ろめたさを感じる」
  • 「つながりが薄れてしまった」
  • 放射線への不安を理由におよそ70%の人が「福島にはもどれない」と答え、避難の必要性を感じる一方で、地元との距離を感じ始めている。

 報道を聞くかぎり、状況はあまりかんばしくない。
 さて、現在およそ1万3000人が福島県から山形県内に避難しているという。多くが米沢・山形を中心とする県南部に集中するが、それでは天童市内にはどのくらい避難者がいるのだろうか? 天童市の市報および社会福祉協議会報に目をとおすが、実数の記載はない。



2012.3.9 6日、太陽フレア発生、日本時間9日深夜まで影響続く可能性ありとのこと。(山形新聞)
2012.3.10 2:26 天童まで20秒。茨城北部震度5弱。M5.5推定。
2012.3.10:公開 玲瓏迷人。
2012.3.11:更新
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
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  • 寺田寅彦の随筆の中から、大正十二年の関東大震災直前に執筆・発表されたものを選んでみました。 -- しだ (2012-03-10 12:01:27)
  • iBook 本体の内蔵マイクの調子がわるいので、ICレコーダーを使い、手録りmp3 音源にしてみました。ノイズやバズ音がやっぱりはげしい…… -- しだ (2012-03-11 22:24:14)
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最終更新:2012年03月11日 22:24