M-Tea*4_26-追遠記/わたしの子ども時分 伊波普猷
2012.1.21 第四巻 第二六号
追遠記 / わたしの子ども時分
伊波普猷
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
定価:200円 p.124 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(30項目)p.134
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.
どんと来い! 週刊ウヒョヒョヒョヒョヒョ*
物心がついた時分、わたしの頭に最初に打ち込まれた深い印象は、わたしの祖父(おじい)さんのことだ。わたしの祖父さんは十七のとき家の系図を見て、自分の祖先に出世した人が一人もいないのを悲しみ、奮発してシナ貿易を始め、六、七回も
福州に渡った人だ。わたしが四つの時には祖父さんはまだ六十にしかならなかったが、髪の毛もひげも真っ白くなって、七、八十ぐらいの老人のようであった。(略)
わたしは生まれてから何不足なしに育てられたが、どうしたのか、泣くくせがついて家の人を困らせたとのことだ。
いつぞやわたしが泣き出すと、乳母がわたしを抱き、祖母さんは団扇でわたしをあおぎ、お父さんは太鼓をたたき、お母さんは人形を持ち、家中の者が行列をなして、
親見世(今の那覇警察署)の前から大仮屋(もとの県庁)の前を通って町を一周したのを覚えている。もう一つ、家の人を困らせたことがある。それは、わたしが容易に飯を食べなかったことだ。他の家では子どもが何でも食べたがって困るが、わたしの家では子どもが何も食べないで困った。そこで、わたしに飯を食べさせるのは家中の大仕事であった。あるとき祖父さんはおもしろいことを考え出した。向かいの屋敷の貧しい家の子どもで、わたしより一つ年上のワンパク者を連れてきて、わたしといっしょに食事をさせたが、わたしはこれと競争していつもよりたくさん食べた。その後、祖父さんはしばしばこういう晩餐会を開くようになった。
それから祖父さんは、わたしと例の子どもとに竹馬をつくってくれて、十二畳の広間で競馬のまねをさせて非常に興に入ることもあった。そのときには祖父さんはまったく子どもとなって子どもとともに遊ぶのであった。 (「わたしの子ども時分」より)
4_26.rm
伊波普猷 いは ふゆう
1876-1947(明治9.3.15-昭和22.8.13)
言語学者・民俗学者。沖縄生れ。東大卒。琉球の言語・歴史・民俗を研究。編著「南島方言史攷」「校訂
おもろさうし」など。
◇参照:Wikipedia
伊波普猷、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。
難字、求めよ
宇座 ウーザ
タチヨモイ
尸婦 しふ
容宥 ようゆう?
『沖縄毎日新報』 ※ 底本「解題」には初出『沖縄毎日新聞』とある。
百人御物参 モモソ オモノマイリ
カラジ
九〆 くじめ
ヤマトジフエー
実の入らぬ首折れれ
やがて還俗
共慣羲塾 東京。
スリーパーズ日記
- 被災地に古本を送りません。また、新品を贈ることにも慎重にふるまいます。被災地には「本」で営みを立てている方々もいます。
- 古本はバザーやフリーマーケットで売り、現金にして支援に役立てるほうが効果的です。
同感。天童でもスーパーがてんやわんやだったりコンビニもガラガラの商品棚、JRもストップ、市立図書館も節電臨時休館していた震災3、4日目ごろだったろうか、ブックオフと八文字屋書店がいちはやく営業。雪空のなか、連日の震災報道にうんざりしはじめた人や学生たちの姿が少なくなかった。
瞬間、本を購入して被災地に送ることを考えたが、けっきょくやめた。「本で営みを立てている方々もいます」。これは書店にかぎったことでなくほかの支援物資にも同様にいえることで、「善意」が被災地やその周辺の商業活動をズタズタにしてしまうことも大いに予想がついた。
じぶんにできることは何だろうか……じぶんが最も得意で力を発揮できることは何だろうか。自問の答えは、ほどなく出た。
21日(土)くもり。評判を耳にして、天童駅ビルにて『
平清盛』第二回を観賞。元服する清盛、白河皇の前で舞をまう。
2012.1.23:公開 玲瓏迷人。
2012.1.24:更新
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -
最終更新:2012年01月24日 22:05