frame_decoration

M-Tea*4_11-地震学の角度から見た城輪柵趾 今村明恒

2011.10.8 第四巻 第一一号

地震学の角度から見た城輪柵趾
今村明恒

imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。


【週刊ミルクティー*第四巻 第一一号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/165203
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。
(504KB)

定価:200円 p.106 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(32項目)p.126
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

じちんプイプイ、週刊ぱみゅぱみゅ*

 出羽の柵址と見るべきものが発見されたのは昭和六年(一九三一)のことである(『史跡調査報告第三』「城輪柵址の部」参照)。この城輪柵址が往古の出羽柵に相当すとの考説は、地震学の角度から見ても容疑の余地がないようである。
 城輪柵址は山形県飽海郡(あくみぐん)本楯村(もとたてむら)大字城輪(きのわ)を中心として、おおむね正方形をなし、一辺が約四〇〇間あり、酒田市から北東約八キロメートルの距離にある。掘り出されたのは柵材の根株であるが、これが完全に四門や角櫓(すみやぐら)の跡を示している。
 この柵址が往古の出羽柵に相当すとの当事者の見解は、地理的関係にあわせて、秋田城内の高泉神とこの柵の城輪神が貞観七年(八六五)と元慶四年(八八〇)とにおいて同時に叙位せられた事実などに基づくもののようであるが、蛇足ながら余は次の諸点をも加えたい。

 一、場所が海岸線から約五キロメートルの距離にあり、しかもこの海岸地方は、酒田市北方から吹浦(ふくら)に至るまで、(略)急性的にも将(は)た慢性的にも、著しく沈下をなす傾向を有す。しかもこの傾向は奥羽海岸地方中においてこの小区域に特有されていること。
 奥羽沿岸における精密水準測量の結果として過去三十余年間における水準変化に、沈下量一〇センチメートル、その延長距離一六キロメートル以上に達する場所を求めるならば上記の酒田以北吹浦に至るまでが唯一のものであるが、しかもそのうち日向川(にっこうがわ)以北およそ五キロメートルの間は三十三年間に約二〇センチメートルほどの漸進的沈下をなしたのであって、かくのごときは日本全国においてきわめて稀有の例である。これすなわち城輪柵址にもっとも近き海岸であるが、この地方を除き、奥羽沿岸の他の地方は大地震とともに一般に隆起をともなう経験をもっている。(略)
 これを要するに、城輪柵址のある辺りは著明な沈下地帯であるが、もし試みに、大地震にともない、海岸線が著しく内陸に侵入するほどの沈下をなすべき地域を奥羽西海岸に求めるとしたならば、それは上記区域を除いては他に求められないであろう。(略)

4_11.rm
(朗読:RealMedia 形式 568KB、4'36'')
milk_tea_4_11.html
(html ソーステキスト版 116KB)

今村明恒 いまむら あきつね
1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1)
地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。

◇参照:Wikipedia 今村明恒、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本:『雑誌荘内』第2巻第14号
   1939(昭和14)年3月
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html
NDC 分類:453(地球科学.地学/地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html

難字、求めよ

坂上茂樹 さかのうえの? 大宿祢。出羽国守。
漲移 ちょうい?
梟禽 きょうきん?
黎※[#「田+亡」] れいぼう? りぼう?
民狄 みんてき?
曲折断層
維勝城 → 雄勝城(おかちのき)か。秋田。
高泉神
小藤博士 → 小藤文次郎か。
小藤文次郎 ことう ぶんじろう 1856-1935 地質学者。島根県生れ。東大教授。日本の古期岩類を地帯構造区分し、火山調査に指導的役割を果たして日本の火山学の確立に貢献。濃尾地震で断層地震説を唱えて注目された。
金の浦 → 金浦(このうら)か。
東山
樋の口 ひのくち? 本楯村。
西浜

むしとりホイホイ

文徳寶録 → 文徳実録 【実】
甲戍 → 甲戌 【戌?】
精査 → 調査 【調?】
は阯 → 址は 【?】
日光川 → 日向川 【向?】
月向川 → 月光川 【光?】
區城 → 区域 【域?】
著し → もし 【若し?】

底本は左辺のとおり。右辺に置き換え、もしくは編者注をほどこした。

スリーパーズ日記

 鳥海山噴火のことを探っていたところ、今村明恒の名に目が止まる。残念ながら期待の鳥海山には触れていなかったが、大きな収穫が一つ。

 文化元年(一八〇四)象潟隆起は有名で、すぐそばの庄内地方もてっきり隆起傾向にあるんだろうと早合点していたが、今村ははっきりと「城輪柵址のある辺りは著明な沈下地帯」「日本全国においてきわめて稀有の例」と断言。
 局地的な傾向……ということは、プレート全体の沈み込みということではなく、鳥海山直下のマグマだまりか伏流水か、あるいは砂丘の堆積物か何かの影響だろうか。

 予定を変更して、変則ながら『喜田貞吉著作集』の目次を入力公開することに。当巻は随筆や紀行文・日誌から成り立っているので、専門的な論考よりも肩ひじがはらず読みやすい作品がならんでいる。
 震災を経て、ますます喜田貞吉の復刻をすすめたいと思うようになった。歴史家・東北文化研究者である彼は、自然災害をどのように経験し記述したのか。

 せっかく今村明恒が「城輪柵跡」に言及してくれたので、次号より念願の喜田貞吉「庄内と日高見」を連載開始することにします。さて喜田貞吉の見立てや、いかに!



10.6 Steve Jobs 死去、56歳。
10.5 23:33、熊本県菊池市5強。
10.3 月山、朝日岳、初冠雪。
2011.10.9:公開 玲瓏迷人。
猫舌毛野一族。寒露。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -

  • 「彼は三日目によみがえり、そして神になるだろう。」 -- しだ (2011-10-09 06:12:59)
名前:
コメント:
最終更新:2011年10月09日 06:12