frame_decoration

M-Tea*4_9-地震の国(六)今村明恒

2011.9.24 第四巻 第九号

地震の国(六)
今村明恒
 四〇 渡辺先生
 四一 野宿
 四二 国史は科学的に
 四三 地震および火山噴火に関する思想の変遷
     はしがき
     地震に関する思想の変遷(その一)
     火山噴火に関する思想の変遷
     地震に関する思想の変遷(その二)
 四四 地震活動盛衰一五〇〇年

imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。


月末最終号:無料 p.221 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(110項目)p.692
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.

万歳楽、万歳楽。週刊うらうらティー*

(略)地震に関する思想は、藤原氏専政以後においてはむしろ堕落であった。その主要な原因は、陰陽五行の邪説が跋扈(ばっこ)したことにあるのはいうまでもないが、いま一つ、臣下の政権世襲の余弊であったようにも見える。この点につき、歴史家の所見を質してみたことはないが、時代の推移にともなう思想の変遷が、然(し)か物語るように見えるのである。けだし、震災に対する天皇ご自責の詔の発布された最後の例が、貞観十一年(八六九)の陸奥地震津波であり、火山噴火に対する陳謝・叙位のおこなわれた最後の例が、元慶六年(八八二)の開聞岳活動にあるとすることが誤りでなかったなら、これらの二種の行事は、天皇親政時代のものであったといえるわけで、つぎの藤原氏の専政時代において、これらにかわって台頭してきた地震行事が、地震占改元とであったということになるからである。修法大祓がこれにともなったこと断わるまでもあるまい。
 地震占には二種あるが、その気象に関するものはまったく近世の産物であって、古代のものは、兵乱・疫癘・飢饉・国家の重要人物の運命などのごとき政治的対象を目的としたものである。
 かつて地震をもって天譴(てんけん)とした思想は、これにおいて少しく改められ、これをもって何らかの前兆を指示する怪異と考えるに至ったのである。これには政治的方便もあったろうが、時代が地震活動の不活発期に入ったことも無視してはなるまい。
 上記の地震占をつかさどる朝廷の役所は陰陽寮で、司は賀茂安倍二家の世襲であったらしい。 (「四三 地震および火山噴火に関する思想の変遷」より)

天譴 てんけん 天のとがめ。天罰。

4_9.rm
(朗読:RealMedia 形式 416KB、3'21'')
milk_tea_4_9.html
(html ソーステキスト版 228KB)

今村明恒 いまむら あきつね
1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1)
地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。

◇参照:Wikipedia 今村明恒、『日本人名大事典』(平凡社)。

底本:『地震の國』文藝春秋新社
   1949(昭和24)年5月30日発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html
NDC 分類:453(地球科学.地学/地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html

難字、求めよ

地震占
菜花状噴煙
疏生 そせい?
占勘
守良親王 → 護良親王
姫文
安倍家氏
安倍維範
天鏡経
渡辺譲
渡辺襄 渡辺譲先生の長男。
チホマ山
広尾川
伊豆の崎
椎田 しいだ? 安倍郡慈悲尾村。現、静岡県。
中西川
平等津 高知県か。
伊達先生
須藤理学士
本間君
中牟田
鹿島
金子子爵
緒方氏 おがたし? 九州の豪族。祖先を高知尾の明神とする。
高知尾の明神 たかちお?

むしとりホイホイ

叙父 → 叔父 【叔】
稗益 → 裨益 【裨】
郤けた → 卻けた 【卻(しりぞ)けた、か】
した[#二字判読不可]に → したように 【よう、か?】

底本は左辺のとおり。右辺にあらためました。

スリーパーズ日記

 新野直吉 (1) 『古代東北史』(吉川弘文館、1978.6)、(2) 『ジュニア版 古代東北史』(文献出版、1998.3)、(3) 『古代東北と渤海使』(歴史春秋社、2003.1)、寒川旭『秀吉を襲った大地震』(平凡社新書、2010.1)読了。

 915(延喜15) 十和田湖、大噴火。
 946〜947 白頭山(中国名、長白山)、大噴火。

 新野直吉は貞観地震津波(869)と鳥海山噴火(871)には言及しているが、つづく十和田湖噴火と白頭山噴火にはふれていない。『新版 地学事典』(平凡社、2005.5)などを見ると、2つの火山噴出物(テフラ)は北日本の広範囲に確認されており、地学や考古学の分野では年代指標とされていることがわかる。
 少なくとも執筆当時、新野はそのことに気がついていなかった可能性が高い。なお、907年に唐が亡び、918年に高麗が建国、926年に契丹が渤海を滅ぼし、935年に新羅が亡び、高麗が朝鮮統一。

 新野 (3) によれば、渤海使の日本来航は727年にはじまり、919年に終わる。その間、初期795年までの応対は出羽国・秋田城が担当、746年には1100人が来航・帰化を願うも送り返されている。

 同じく新野 (2) (3) は「そうぜん」と呼ばれる馬神信仰が東北の北部三県に残ることを指摘。北方ルートでの往来の可能性を示唆。

【メモ】
 1.十和田湖噴火と安倍氏の勢力圏(奥六郡)について。
 2.鳥海山の噴出物について。(降灰少、ガス多?)
 3.当時の日本・東北アジアの平均気温。(海岸線・稲作適地)
 4.喜田貞吉ほかの歴史学に地震・火山の論考を探すこと。
 5.清河八郎の逃亡先としての三陸。地名「月山」のこと。



9.21 22:32 最大震度5弱。茨城県北部・日立市。M5.3推定。
9.24 富士山初冠雪。

2011.9.26:公開 八面玲瓏、迷い人。
あいのその。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -

  • 今村明恒『地震の国』、これにて完結! -- しだ (2011-09-26 13:08:53)
名前:
コメント:
最終更新:2011年09月28日 22:15