M-Tea*3_34-山椒大夫 森 鴎外

※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

DL-MARKET 被災地支援チャリティー終了のおしらせ

  • DL-MARKET 被災地支援チャリティーは2011年6月30日にて終了、7月5日に日本赤十字社あてに振込が完了とのことです。ご協力、ありがとうございました。
  • リンク先をチャリティー用から、通常購入用へ変更します。

2011.8.1:追記

【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】

M-Tea*3_34-山椒大夫 森 鴎外

2011.5.28 第三巻 第三四号

山椒大夫
森 鴎外


【週刊ミルクティー*第三巻 第三四号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/140558
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。
(460KB)

定価:200円  p.173 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.103
※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。


はみだせ! 週刊ヒポクりィー*


 越後の春日をへて今津へ出る道を、めずらしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子どもを連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞(はらから)二人を、「もうじきに、お宿にお着きなさいます」と言ってはげまして歩かせようとする。二人のうちで、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、おりおり思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣(ものまい)りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やらかいがいしい出立ちをしているのが、だれの目にもめずらしく、また気の毒に感ぜられるのである。
 道は百姓家の断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝(くるぶし)をうずめて人を悩ますことはない。
 藁(わら)ぶきの家が何軒も立ちならんだ一構えが柞(ははそ)の林にかこまれて、それに夕日がカッとさしているところに通りかかった。
「まあ、あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母がゆびさして子どもに言った。
 子どもは母のゆびさす方を見たが、なんとも言わぬので、女中がいった。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」

3_34.rm
(朗読:RealMedia 形式 360KB、2'55'')
milk_tea_3_34.html
(html ソーステキスト版 240KB)

森鴎外 もり おうがい
1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9)
作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。

◇参照:Wikipedia 森鴎外、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。

底本

底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社
   1972(昭和47)年10月20日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card689.html

NDC 分類:913(日本文学/小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html

難字、求めよ

春日
今津
曇猛律師 どんみょう りっし
陸奥掾正氏 むつのじょう まさうじ 平正氏。
平正道 たいらの まさみち 厨子王。

むしとりホイホイ

女子に → 女子は 【は、か?】
開いた「 → 開いた。「 【。追加か?】

底本未確認。

スリーパーズ日記


 欠番だった第三四号をさかのぼって発行します。残る第三三号は『古事記(四)』(中巻後編)の予定です。

「869年(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る」……高橋富雄『宮城県の歴史』(山川出版社、1969.9)より。こよみちゃんによれば、太陽暦の七月上旬にあたる。
 菅原道真は845年生まれだから、869年は24歳。平将門の祖父高望王は839年生まれで898年に上総介に任じられ下向。911年、大宰府にて没。将門の生年は不明だが、仮に40歳前後で没したとすれば900年ごろの誕生となる。将門の父・良持(もしくは良将)は不詳であるが、高望王20〜30歳のころの生まれとすれば、貞観大地震の当時は生まれた前後〜10歳ぐらいと仮定される。彼は後年、鎮守府将軍に任じられる。震災復興に直接たずさわったとは考えにくいが、仮に多賀城まで出向いたとすれば、人々の記憶のまだ生々しいころのことだったかもしれない。
 中将実方(さねかた)が陸奥守として下向するのが995年。そして鴎外の記述を真に受けるならば、山椒大夫、安寿と厨子王は1100年ごろの話であり、奥州藤原二代基衡の同時代人ということになる。

800〜900年代(平安時代中期)の年表


839(承和6) 高望王(桓武平氏の祖)生まれる。
845(承和12) 菅原道真、生まれる。
864(貞観6)7月 富士山噴火(貞観噴火)。
864(貞観6)10月 肥後の阿蘇山が鳴動。
867(貞観9)1月 豊後の鶴見山が噴火。
867(貞観9)5月 阿蘇山、噴火。
868(貞観10)7月 地震。山城一円と播磨。
869(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る。貞観三陸地震。 (この年、高望王30歳、道真24歳。)
877(元慶元)4月 京都、地震。
878(元慶2)9月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。
880(元慶4)10月 地震。京都と出雲が震う。
886(仁和2)5月  安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動。海中の噴火か、三原山噴火か。
887(仁和3)7月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。
898(昌泰元) 高望王、上総介に任じられ下向。
901(延喜元) 道真、大宰府に左遷。
902(延喜2) 高望王、西海道の国司となり大宰府に居住。
903(延喜3) 菅原道真、大宰府にて没。
911(延喜11) 高望王、大宰府にて没。
915(延喜15)夏か 十和田火山(十和田湖)、大噴火。過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。
917(延喜17) 平良将(良持?)従四位下・鎮守府将軍、没か。
939(天慶2)12月 平将門、下野国、上野国の国府を占領、巫女の宣託があったとして新皇を称する。
940(天慶3)2月 将門、藤原秀郷平貞盛らにより討伐。
946(天慶9)11月 このころ北朝鮮白頭山、巨大噴火か。
995 藤原実方、陸奥守として多賀城へ下向。
999(長徳4)12月 実方、名取にて没。40歳ぐらい。

◇参照・出典:Wikipedia 各項目、田中貢太郎「日本天変地異記」、「日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 --十和田湖と白頭山--」(http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/



2011.5.27:公開 八面玲瓏。
2011.8.1:更新
フジ、サギソウ。早咲きのバラが数輪。タンポポの綿。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ: -

  • 貞観津波が問題視されるのは、その大きさもさることながら、同じ860年代に各地で地震と噴火があいついで、5年前に富士山噴火があるから……かあ。貞観地震と十和田湖噴火・白頭山噴火は50年以上間隔が空くから直接関連するのかわからないけれど、どれも規模の小さくないことが気にかかる。 -- しだ (2011-05-29 14:24:58)
  • 坂上田村麻呂、弘仁2年(811年)5月23日に54歳で病死。ことしは没後、ちょうど1199年! -- しだ (2011-05-29 14:25:51)
  • なぜ鴎外は、たくさんある昔話の中から、この作品を選んだのだろうか……疑問。 -- しだ (2011-05-30 11:30:17)
名前:
コメント: